第二帖 帚木


02 HAHAKIGI (Myouyu-rinmo-bon)

2
第二章 女性体験談


2  Experiences with girl friends

2.1
第一段 女性体験談(左馬頭、嫉妬深い女の物語)


2-1  Sama-no-Kami talks about a jealous girl friend

2.1.1  「 はやう、まだいと下臈にはべりし時、あはれと思ふ人はべりき。 聞こえさせつるやうに、容貌などいとまほにも はべらざりしかば、 若きほどの好き心には、この人を とまりにとも思ひとどめはべらず、よるべとは思ひながら、さうざうしくて、 とかく紛れはべりしを、もの怨じをいたくしはべりしかば、心づきなく、いとかからで、 おいらかならましかばと思ひつつ、あまりいと許しなく疑ひはべりしもうるさくて、 かく数ならぬ身を見も放たで、 などかくしも思ふらむと、 心苦しき折々はべりて、自然に心をさめらるるやうになむはべりし。
 「若いころ、まだ下級役人でございました時、愛しいと思う女性がおりました。申し上げましたように、容貌などもたいして優れておりませんでしたので、若いうちの浮気心から、この女性を生涯の伴侶とも思い決めませんで、通い所とは思いながら、物足りなくて、何かと他の女性にかかずらっておりましたところ、大変に嫉妬をいたしましたので、おもしろくなく、本当にこうではなくて、おっとりとしていたらば良いものをと思い思い、あまりにひどく厳しく疑いましたのも煩わしくて、このようなつまらない男に愛想もつかさず、どうしてこう愛しているのだろうと、気の毒に思う時々もございまして、自然と浮気心も収められるというふうでもございました。
 「ずっと前で、まだつまらぬ役をしていた時です。私に一人の愛人がございました。容貌などはとても悪い女でしたから、若い浮気な心には、この人とだけで一生を暮らそうとは思わなかったのです。妻とは思っていましたが物足りなくて外に情人も持っていました。それでとても嫉妬をするものですから、いやで、こんなふうでなく穏やかに見ていてくれればよいのにと思いながらも、あまりにやかましく言われますと、自分のような者をどうしてそんなにまで思うのだろうとあわれむような気になる時もあって、自然身持ちが修まっていくようでした。
  "Hayau, mada ito gerahu ni haberi si toki, ahare to omohu hito haberi ki. Kikoye sase turu yau ni, katati nado ito maho ni mo habera zari sika ba, wakaki hodo no suki-gokoro ni ha, kono hito wo tomari ni to mo omohi todome habera zu, yorube to ha omohi nagara, sauzausiku te, tokaku magire haberi si wo, monowenzi wo itaku si haberi sika ba, kokorodukinaku, ito kakara de, oyiraka nara masika ba to omohi tutu, amari ito yurusi naku utagahi haberi si mo urusaku te, kaku kazu nara nu mi wo mi mo hanata de, nado kaku simo omohu ram to, kokorogurusiki woriwori mo haberi te, zinen ni kokoro wosame raruru yau ni nam haberi si.
2.1.2  この女のあるやう、もとより思ひいたらざりけることにも、 いかでこの人のためにはと なき手を出だし、後れたる筋の心をも、なほ口惜しくは見えじと 思ひはげみつつ、とにかくにつけて、ものまめやかに後見、 つゆにても心に違ふことはなくもがなと思へりしほどに、 進める方と思ひしかど、とかくになびきてなよびゆき、醜き容貌をも、 この人に見や疎まれむとわりなく思ひつくろひ疎き人に見えば、面伏せにや思はむと、憚り恥ぢて、みさをにもてつけて見馴るるままに、心もけしうはあらずはべりしかど、 ただこの憎き方一つなむ、心をさめずはべりし。
 この女の性格は、もともと自分の考えの及ばないことでも、何とかして夫のためにはと、無理算段をし、不得手な方面をも、やはりつまらない女だと見られまいと努力しては、何かにつけて、熱心に世話をし、少しでも意に沿わないことのないようにと思っていたうちに、気の勝った女だと思いましたが、何かと言うことをきくようになって柔らかくなってゆき、美しくない容貌についても、このわたしに嫌われやしまいかと、むやみに思って化粧し、親しくない人に顔を見せたならば、夫の面目が潰れやしまいかと、遠慮し恥じて、身嗜みに気をつけて生活しているうちに、性格も悪いというのではありませんでしたが、ただこの憎らしい性質一つだけは、収まりませんでした。
 この女というのは、自身にできぬものでも、この人のためにはと努力してかかるのです。教養の足りなさも自身でつとめて補って、恥のないようにと心がけるたちで、どんなにも行き届いた世話をしてくれまして、私の機嫌をそこねまいとする心から勝ち気もあまり表面に出さなくなり、私だけには柔順な女になって、醜い容貌なんぞも私にきらわれまいとして化粧に骨を折りますし、この顔で他人に逢っては、良人の不名誉になると思っては、遠慮して来客にも近づきませんし、とにかく賢妻にできていましたから、同棲しているうちに利巧さに心が引かれてもいきましたが、ただ一つの嫉妬癖、それだけは彼女自身すらどうすることもできない厄介なものでした。
  Kono womna no aru yau, motoyori omohi itara zari keru koto ni mo, ikade kono hito no tame ni ha to, naki te wo idasi, okure taru sudi no kokoro wo mo, naho kutiwosiku ha miye zi to omohi hagemi tutu, tonikaku ni tuke te, mono mameyaka ni usiromi, tuyu ni te mo kokoro ni tagahu koto ha naku mogana to omohe ri si hodo ni, susume ru kata to omohi sika do, tokaku ni nabiki te nayobi yuki, minikuki katati wo mo, kono hito ni mi ya utoma re m to, warinaku omohi tukurohi, utoki hito ni miye ba, omotebuse ni ya omoha m to, habakari hadi te, misawo ni mote-tuke te minaruru mama ni, kokoro mo kesiu ha ara zu haberi sika do, tada kono nikuki kata hitotu nam, kokoro wosame zu haberi si.
2.1.3  そのかみ思ひはべりしやう、 かうあながちに従ひ怖ぢたる人なめり 、いかで懲るばかりのわざして、おどして、この方もすこしよろしくもなり、 さがなさもやめむと思ひてまことに憂しなども思ひて 絶えぬべき気色ならば、かばかり我に従ふ心ならば 思ひ懲りなむと 思うたまへ得て、ことさらに情けなくつれなき さまを見せて例の腹立ち怨ずるに
 その当時に思いましたことには、このようにむやみにわたしに従いおどおどしている女のようだ、何とか懲りるほどの思いをさせて、脅かして、この嫉妬の方面も少しはまあまあになり、性悪な性格も止めさせようと思って、本当に辛いなどと思って別れてしまいそうな態度をとったならば、それほどわたしに連れ添う気持ちがあるならば懲りるだろうと存じまして、わざと薄情で冷淡な態度を見せて、例によって怒って恨み言をいってくる折に、
 当時私はこう思ったのです。とにかくみじめなほど私に参っている女なんだから、懲らすような仕打ちに出ておどして嫉妬を改造してやろう、もうその嫉妬ぶりに堪えられない、いやでならないという態度に出たら、これほど白分を愛している女なら、うまく自分の計画は成功するだろうと、そんな気で、ある時にわざと冷酷に出まして、例のとおり女がおこり出している時、
  Sonokami omohi haberi si yau, kau anagati ni sitagahi odi taru hito na' meri, ikade koru bakari no waza si te, odosi te, kono kata mo sukosi yorosiku mo nari, saganasa mo yame m to omohi te, makoto ni usi nado mo omohi te taye nu beki kesiki nara ba, kabakari ware ni sitagahu kokoro nara ba omohi kori na m to omou tamahe e te, kotosara ni nasakenaku turenaki sama wo mise te, rei no haradati wenzuru ni,
2.1.4  『 かくおぞましくは、いみじき契り深くとも、 絶えてまた見じ。限りと思はば、かくわりなきもの疑ひはせよ。行く先長く見えむと思はば、つらきことありとも、 念じてなのめに思ひなりてかかる心だに失せなば、いとあはれとなむ思ふべき。人並々にもなり、すこしおとなびむに添へて、 また並ぶ人なくあるべき』やうなど、かしこく教へたつるかなと 思ひたまへて、われたけく 言ひそしはべるにすこしうち笑ひて
 『こんなに我が強いなら、どんなに夫婦の宿縁が深くとも、もう二度と逢うまい。最後と思うならば、このようなめちゃくちゃな邪推をするがよい。将来も長く連れ添おうと思うならば、辛いことがあっても、我慢してたいしたことなく思うようになって、このような嫉妬心さえ消えたならば、とても愛しい女と思おう。人並みに出世もし、もう少し一人前になったら、他に並ぶ人がない正妻になるであろう』などと、うまく教えたものよと存じまして、調子に乗って度を過ごして言いますと、少し微笑んで、
 『こんなあさましいことを言うあなたなら、どんな深い縁で結ばれた夫婦の中でも私は別れる決心をする。この関係を破壊してよいのなら、今のような邪推でも何でももっとするがいい。将来まで夫婦でありたいなら、少々つらいことはあっても忍んで、気にかけないようにして、そして嫉妬のない女になったら、私はまたどんなにあなたを愛するかしれない、人並みに出世してひとかどの官吏になる時分にはあなたがりっぱな私の正夫人でありうるわけだ』などと、うまいものだと自分で思いながら利己的な主張をしたものですね。女は少し笑って、
  'Kaku ozomasiku ha, imiziki tigiri hukaku tomo, tayete mata mi zi. Kagiri to omoha ba, kaku warinaki mono-utagahi ha se yo. Yukusaki nagaku miye m to omoha ba, turaki koto ari tomo, nenzi te nanome ni omohi nari te, kakaru kokoro dani use na ba, ito ahare to nam omohu beki. Hito-naminami ni mo nari, sukosi otonabi m ni sohe te, mata narabu hito naku aru beki.' yau nado, kasikoku wosihe taturu kana to omohi tamahe te, ware takeku ihisosi haberu ni, sukosi uti-warehi te,
2.1.5  『 よろづに見立てなく、ものげなきほどを見過ぐして、人数なる世もやと待つ方は、 いとのどかに思ひなされて心やましくもあらずつらき心を忍びて、思ひ直らむ折を見つけむと、年月を重ねむあいな頼みは、 いと苦しくなむあるべければ、かたみに背きぬべききざみになむある』
 『何かにつけて見栄えがしなく、一人前でないあいだをじっとこらえて、いつかは一人前にもなろうかと待っていることは、まことにゆっくりと待っていられますから、苦にもなりません。辛い浮気心を我慢して、その心がいつになったら直るのだろうかと、当てにならない期待をして年月を重ねていくことは、まことに辛くもありましょうから、お互いに別れるのによいときです』
 『あなたの貧弱な時代を我慢して、そのうち出世もできるだろうと待っていることは、それは待ち遠しいことであっても、私は苦痛とも思いません。あなたの多情さを辛抱して、よい良人になってくださるのを待つことは堪えられないことだと思いますから、そんなことをお言いになることになったのは別れる時になったわけです』
  'Yoroduni midatenaku, monogenaki hodo wo misugusi te, hitokazu naru yo mo ya to matu kata ha, ito nodoka ni omohinasa re te, kokoroyamasiku mo ara zu. Turaki kokoro wo sinobi te, omohinahora m wori wo mituke m to, tosituki wo kasane m ainadanomi ha, ito kurusiku nam aru bekere ba, katamini somuki nu beki kizami ni nam aru.'
2.1.6  と ねたげに言ふに、腹立たしくなりて、憎げなることどもを言ひはげましはべるに、 女もえをさめぬ筋にて、指ひとつを引き寄せて 喰ひてはべりしをおどろおどろしくかこちて
 と憎らしげに言うので、腹立たしくなって、憎々しげな言葉を興奮して言いますと、女も黙っていられない性格で、指を一本引っ張って噛みついてまいりましたので、大げさに文句をつけて、
 そう口惜しそうに言ってこちらを憤慨させるのです。女も自制のできない性質で、私の手を引き寄せて一本の指にかみついてしまいました。私は『痛い痛い』とたいそうに言って、
  to netage ni ihu ni, haradatasiku nari te, nikuge naru koto-domo wo ihihagemasi haberu ni, womna mo e wosame nu sudi ni te, oyobi hitotu wo hikiyose te kuhi te haberi si wo, odoroodorosiku kakoti te,
2.1.7  『 かかる疵さへつきぬれば、いよいよ 交じらひをすべきにもあらず。辱めたまふめる官位、いとどしく 何につけてかは人めかむ世を背きぬべき身なめり』など言ひ脅して、『 さらば、今日こそは限りなめれ』と、この指をかがめて まかでぬ
 『このような傷まで付いてしまったので、ますます役人生活もできるものでない。軽蔑なさるような官職で、ますます一層どのようにして出世して行けようか。出家しかない身のようだ』などと言い脅して、『それでは、今日という今日がお別れのようだ』と言って、この指を折り曲げて退出しました。
 『こんな傷までもつけられた私は杜会へ出られない。あなたに侮辱された小役人はそんなことではいよいよ人並みに上がってゆくことはできない。私は坊主にでもなることにするだろう』などとおどして、『じゃあこれがいよいよ別れだ』と言って、指を痛そうに曲げてその家を出て来たのです。
  'Kakaru kizu sahe tuki nure ba, iyoiyo mazirahi wo su beki ni mo ara zu. Hadukasime tamahu meru tukasa kurawi, itodosiku nani ni tuke te kaha hitomeka m. Yo wo somuki nu beki mi na' meri.' nado ihiodosi te, 'Saraba, kehu koso ha kagiri na' mere.' to, kono oyobi wo kagame te makade nu.
2.1.8  『 手を折りてあひ見しことを数ふれば
   これひとつやは君が憂きふし
 『あなたとの結婚生活を指折り数えてみますと
  この一つだけがあなたの嫌な点なものか
 『手を折りて相見しことを数ふれば
  これ一つやは君がうきふし
    'Te wo wori te ahi mi si koto wo kazohure ba
    kore hitotu ya ha kimi ga uki husi
2.1.9   えうらみじ
 恨むことはできますまい』
 言いぶんはないでしょう』
  E urami zi.'
2.1.10  など言ひはべれば、 さすがにうち泣きて
 などと言いますと、そうは言うものの涙ぐんで、
 と言うと、さすがに泣き出して、
  nado ihi habere ba, sasuga ni uti-naki te,
2.1.11  『 憂きふしを心ひとつに数へきて
   こや君が手を別るべきをり
 『あなたの辛い仕打ちを胸の内に堪えてきましたが
  今は別れる時なのでしょうか
 『うき節を心一つに数へきて
  こや君が手を別るべきをり』
    'Uki husi wo kokoro hitotu ni kazohe ki te
    ko ya kimi ga te wo wakaru beki wori
2.1.12  など、言ひしろひはべりしかど、まことには変るべきこととも思ひたまへずながら、日ごろ経るまで消息も遣はさず、あくがれまかり歩くに、 臨時の祭の調楽 に、夜更けていみじう霙降る夜、 これかれまかりあかるる所にて、思ひめぐらせば、なほ家路と思はむ方は またなかりけり
 などと、言い争いましたが、本当は別れようとは存じませんままに、何日も過ぎるまで便りもやらず、浮かれ歩いていたところ、臨時の祭の調楽で、夜が更けてひどく霙が降る夜、めいめい退出して分かれる所で、思いめぐらすと、やはり自分の家と思える家は他にはなかったのでしたなあ。
 反抗的に言ったりもしましたが、本心ではわれわれの関係が解消されるものでないことをよく承知しながら、幾日も幾日も手紙一つやらずに私は勝手な生活をしていたのです。加茂の臨時祭りの調楽が御所であって、更けて、それは霙が降る夜なのです。皆が退散する時に、自分の帰って行く家庭というものを考えるとその女の所よりないのです。
  nado, ihisirohi haberi sika do, makoto ni ha kaharu beki koto to mo omohi tamahe zu nagara, higoro huru made seusoko mo tukahasa zu, akugare makari ariku ni, rinzinomaturi no deugaku ni, yo huke te imiziu mizore huru yo, korekare makari akaruru tokoro nite, omohi megurase ba, naho ihedi to omoha m kata ha mata nakari keri.
2.1.13   内裏わたりの旅寝すさまじかるべく、 気色ばめるあたりそぞろ寒くや、と 思ひたまへられしかば、いかが思へると、気色も見がてら、雪をうち払ひつつ、なま人悪ろく爪喰はるれど、さりとも今宵日ごろの 恨みは解けなむ、と 思うたまへしに火ほのかに壁に背け、萎えたる衣どもの厚肥えたる、大いなる籠にうち掛けて、 引き上ぐべきものの帷子などうち上げて今宵ばかりやと、待ちけるさまなり。 さればよと、 心おごりするに、正身はなし。 さるべき女房どもばかりとまりて、『 親の家に、この夜さりなむ渡りぬる』と答へはべり。
 内裏あたりでの宿直は気乗りがしないし、気取った女の家は何となく寒くないだろうか、と存じられましたので、どう思っているだろうかと、様子見がてら、雪をうち払いながら、何となく体裁が悪くきまりも悪く思われるが、いくらなんでも今夜は数日来の恨みも解けるだろう、と存じましたところ、灯火を薄暗く壁の方に向け、柔らかな衣服の厚いのを、大きな伏籠にうち掛けて、引き上げておくべきの几帳の帷子などは引き上げてあって、今夜あたりはと、待っていた様子です。やはりそうであったよと、得意になりましたが、本人はいません。しかるべき女房連中だけが残っていて、『親御様の家に、今晩は行きました』と答えます。
 御所の宿直室で寝るのもみじめだし、また恋を風流遊戯にしている局の女房を訪ねて行くことも寒いことだろうと思われるものですから、どう思っているのだろうと様子も見がてらに雪の中を、少しきまりが悪いのですが、こんな晩に行ってやる志で女の恨みは消えてしまうわけだと思って、はいって行くと、暗い炉を壁のほうに向げて据え、暖かそうな柔らかい、綿のたくさんはいった着物を大きな炙り籠に掛けて、私が寝室へはいる時に上げる几帳のきれも上げて、こんな夜にはきっと来るだろうと待っていたふうが見えます。そう思っていたのだと私は得意になりましたが、妻自身はいません。何人かの女房だけが留守をしていまして、父親の家へちょうどこの晩移って行ったというのです。
  Uti watari no tabine susamazikaru beku, kesikibame ru atari ha sozoro samuku ya, to omohi tamahe rare sika ba, ikaga omohe ru to, kesiki mo migatera, yuki wo uti-harahi tutu, nama-hitowaroku tume kuha rure do, saritomo koyohi higoro no urami ha toke na m, to omou tamahe si ni, hi honoka ni kabe ni somuke, naye taru kinu-domo no atugoye taru, ohoi naru ko ni uti-kake te, hikiagu beki mono no katabira nado uti-age te, koyohi bakari ya to, mati keru sama nari. Sarebayo to, kokoroogori suru ni, sauzimi ha nasi. Sarubeki nyoubau-domo bakari tomari te, 'Oya no ihe ni, kono yosari nam watari nuru.' to kotahe haberi.
2.1.14  艶なる歌も詠まず、気色ばめる消息もせで、いと ひたや籠もりに情けなかりしかば、あへなき心地して、さがなく許しなかりしも、 我を疎みねと思ふ方の心やありけむと、 さしも見たまへざりしことなれど心やましきままに思ひはべりしに、着るべき物、常よりも心とどめたる色あひ、しざまいとあらまほしくて、さすがに わが見捨ててむ後をさへなむ、思ひやり後見たりし。
 艶やかな和歌も詠まず、思わせぶりな手紙も書き残さず、もっぱらそっけなく無愛想であったので、拍子抜けした気がして、口やかましく容赦なかったのも、自分を嫌になってくれ、と思う気持ちがあったからだろうかと、そのようには存じられなかったのですが、おもしろくないままそう思ったのですが、着るべき物が、いつもより念を入れた色合いや、仕立て方がとても素晴らしくて、やはり離別した後までも、気を配って世話してくれていたのでした。
 艶な歌も詠んで置かず、気のきいた言葉も残さずに、じみにすっと行ってしまったのですから、つまらない気がして、やかましく嫉妬をしたのも私にきらわせるためだったのかもしれないなどと、むしゃくしゃするものですからありうべくもないことまで忖度しましたものです。しかし考えてみると用意してあった着物なども平生以上によくできていますし、そういう点では実にありがたい親切が見えるのです。自分と別れた後のことまでも世話していったのですからね、
  En naru uta mo yoma zu, kesikibame ru seusoko mo se de, ito hitayagomori ni nasake nakari sika ba, ahenaki kokoti si te, saganaku yurusi nakari si mo, ware wo utomi ne to omohu kata no kokoro ya ari kem to, sasimo mi tamahe zari si koto nare do, kokoroyamasiki mama ni omohi haberi si ni, kiru beki mono, tune yori mo kokoro todome taru iroahi, sizama ito aramahosiku te, sasuga ni waga misute te m noti wo sahe nam, omohiyari usiromi tari si.
2.1.15   さりとも、絶えて思ひ放つやうはあらじと思うたまへて、 とかく言ひはべりしを背きもせずと、尋ねまどはさむとも隠れ忍びず、 かかやかしからず答へつつ、ただ、『 ありしながらはえなむ見過ぐすまじき。あらためてのどかに思ひならばなむ、あひ見るべき』など言ひしを、さりともえ思ひ離れじと思ひたまへしかば、しばし懲らさむの心にて、『しかあらためむ』とも言はず、 いたく綱引きて 見せしあひだに、いといたく思ひ嘆きて、 はかなくなりはべりにしかば 戯れにくくなむおぼえはべりし。
 そうは言っても、すっかり愛想をつかすようなことはあるまいと存じまして、いろいろと言ってみましたが、別れるでもなくと、探し出させようと行方を晦ますのでもなく、きまり悪くないように返事をしいし、ただ、『以前のような心のままでは、とても我慢できません。改心して落ち着くならば、また一緒に暮らしましょう』などと言いましたが、そうは言っても思い切れまいと存じましたので、少し懲らしめようという気持ちから、『そのように改めよう』とも言わず、ひどく強情を張って見せていたところ、とてもひどく思い嘆いて、亡くなってしまいましたので、冗談もほどほどにと存じられました。
彼女がどうして別れうるものかと私は慢心して、それからのち手紙で交渉を姶めましたが、私へ帰る気がないでもないようだし、まったく知れない所へ隠れてしまおうともしませんし、あくまで反抗的態度を取ろうともせず、『前のようなふうでは我慢ができない、すっかり生活の態度を変えて、一夫一婦の道を取ろうとお言いになるのなら』と言っているのです。そんなことを言っても負げて来るだろうという自信を持って、しばらぐ懲らしてやる気で、一婦主義になるとも言わず、話を長引かせていますうちに、非常に精神的に苦しんで死んでしまいましたから、私は自分が責められてなりません。
  Saritomo, tayete omohihanatu yau ha ara zi to omou tamahe te, tokaku ihi haberi si wo, somuki mo se zu to, tadune madohasa m tomo kakure sinobi zu, kakayakasikara zu irahe tutu, tada, 'Arisinagara ha, e nam misugusu maziki. Aratame te nodoka ni omohi nara ba nam, ahi miru beki.' nado ihi si wo, saritomo e omohi hanare zi to omohi tamahe sika ba, sibasi korasa m no kokoro nite, 'Sika aratame m' tomo iha zu, itaku tunabiki te mise si ahida ni, ito itaku omohi nageki te, hakanaku nari haberi ni sika ba, tahaburenikuku nam oboye haberi si.
2.1.16  ひとへにうち頼みたらむ方は、さばかりにて ありぬべくなむ思ひたまへ出でらるる。はかなきあだ事をもまことの大事をも、 言ひあはせたるにかひなからず龍田姫と言はむにもつきなからず、 織女の手にも劣るまじくその方も具して、うるさくなむはべりし」
 一途に生涯頼みとするような女性としては、あの程度で確かに良いと思い出さずにはいられません。ちょっとした風流事でも実生活上の大事でも、相談してもしがいがなくはなく、龍田姫と言っても不似合いでなく、織姫の腕前にも劣らないその方面の技術をもっていて、行き届いていたのでした」
 家の妻というものは、あれほどの者でなければならないと今でもその女が思い出されます。風流ごとにも、まじめな間題にも話し相手にすることができましたし、また家庭の仕事はどんなことにも通じておりました。染め物の立田姫にもなれたし、七夕の織姫にもなれたわけです」
  Hitoheni uti-tanomi tara m kata ha, sabakari nite ari nu beku nam omohi tamahe ide raruru. Hakanaki adagoto wo mo makoto no daizi wo mo, ihiahase taru ni kahinakara zu, Tatutahime to iha m ni mo tukinakara zu, Tanabata no te ni mo otoru maziku sono kata mo gusi te, urusaku nam haberi si."
2.1.17  とて、いとあはれと 思ひ出でたり中将
 と言って、とてもしみじみと思い出していた。中将が、
 と語った左馬頭は、いかにも亡き妻が恋しそうであった。
  tote, ito ahare to omohi ide tari. Tyuuzyau,
2.1.18  「 その織女の裁ち縫ふ方をのどめて、 長き契りにぞあえまし。げに、その龍田姫の錦には、 またしくものあらじ。はかなき花紅葉といふも、をりふしの色あひつきなく、はかばかしからぬは、 露のはえなく消えぬるわざなり。さあるにより、難き世とは定めかねたるぞや」
 「その織姫の技量はひとまずおいても、永い夫婦の契りだけにはあやかりたいものだったね。なるほど、その龍田姫の錦の染色の腕前には、誰も及ぶ者はいないだろうね。ちょっとした花や紅葉といっても、季節の色合いが相応しくなく、はっきりとしていないのは、何の見映えもなく、台なしになってしまうものだ。そうだからこそ、難しいものだと決定しかねるのですな」
 「技術上の織姫でなく、永久の夫婦の道を行っている七夕姫だったらよかったですね。立田姫もわれわれには必要な神様だからね。男にまずい服装をさせておく細君はだめですよ。そんな人が早く死ぬんだから、いよいよ良妻は得がたいということになる」
  "Sono Tanabata no tati nuhu kata wo nodome te, nagaki tigiri ni zo aye masi. Geni, sono Tatutahime no nisiki ni ha, mata siku mono ara zi. Hakanaki hana momidi to ihu mo, worihusi no iroahi tukinaku, hakabakasikara nu ha, tuyu no haye naku kiye nuru waza nari. Sa aru ni yori, kataki yo to ha sadame kane taru zo ya!"
2.1.19  と、言ひはやしたまふ。
 と、話をはずまされる。
 中将は指をかんだ女をほめちぎった。
  to, ihi hayasi tamahu.
注釈230はやうまだいと下臈にはべりし時以下「うるさくなむはべりし」まで、左馬頭の体験談。過去の助動詞「し」(「き」連体形)は自らの体験を表す。この人びとの中で、最年長者。しかし、位階や官職では、若い源氏や頭中将に劣る。語り方は、「侍り」を頻出した丁重な語り方であるとともに、経験豊な者の語り方である。「嫉妬深い女」の物語。2.1.1
注釈231聞こえさせつるやうに実務一点張りの女、「まめまめしき筋を立てて耳はさみがちに美さうなき家刀自のひとへにうちとけたる後見ばかりして」をさす。2.1.1
注釈232若きほどの好き心青表紙本系の明融臨模本と大島本は「すき心」、その他の青表紙本系の松浦本、池田本、伝冷泉為秀本、三条西家本、書陵部本と別本の国冬本は「すき心地」。河内本系諸本は「すさひ心」。別本群の陽明文庫本は「すさひ心」。すなわち、A「好き心」(明大)、B「好き心地」(松池秀三証・国)、C「すさび心」(河・陽)となる。Aは青表紙本系統内の単独共通異文、Bは青表紙本系諸本と別本の両方にわたる複数共通異文。Cは河内本系諸本と別本の両方にわたる共通異文である。『集成』『新大系』は「すき心」のまま、『古典セレクション』は「すき心地」と校訂する。2.1.1
注釈233とまりにとも思ひとどめはべらずよるべとは思ひながら「とまり」は生涯の伴侶、正妻。「よるべ」は通い妻、側室。2.1.1
注釈234とかく紛れはべりしを接続助詞「を」順接を表す。他の女性に浮気しておりましたところ、の意。2.1.1
注釈235おいらかならましかばと思ひつつ反実仮想の助動詞「ましか」未然形、下に「うれしからまし」または「良からまし」などの語句が省略されている。接続助詞「つつ」は動作の反復を表す。2.1.1
注釈236かく数ならぬ身を以下「思ふらむ」まで、左馬頭の自問自答の心。主語は女。『花鳥余情』は「かつ見つつ影離れ行く水の面にかく数ならぬ身をいかにせむ」(拾遺集、恋四、八七九、斎宮女御)を指摘。2.1.1
注釈237などかくしも思ふらむ副助詞「しも」強調のニュアンスを添える。推量の助動詞「らむ」原因推量を表す。なぜこんなにも愛しているのだろうか、の意。2.1.1
注釈238心苦しき折々左馬頭が女を気の毒と思う時々。2.1.1
注釈239いかでこの人のためにはと左馬頭をさす。2.1.2
注釈240なき手を出だし後れたる筋の心をも無理な算段をして、不得手な方面も。2.1.2
注釈241思ひはげみつつ接続助詞「つつ」動作の反復を表す。2.1.2
注釈242つゆにても心に違ふことはなくもがな左馬頭が見たところの女の心。終助詞「もがな」願望を表す。夫の気持ちを損ねることがなければいいなあと、の意。2.1.2
注釈243進める方「強 ススム」(名義抄)。気の強い意。2.1.2
注釈244この人に見や疎まれむと「この人」は、このわたしにの意。係助詞「や」疑問、受身の助動詞「れ」未然形、推量の助動詞「む」連体形、係り結びの法則。夫に嫌われやしないかと、の意。2.1.2
注釈245わりなく思ひつくろひ『集成』は「いじらしくお化粧をし」、『完訳』は「懸命に化粧し」と訳す。「わりなく」のニュアンスは微妙。理屈に合わない、が原義。すると、化粧してもしがいのないのに化粧する、という、やや冷やかなニュアンスがあろうか。2.1.2
注釈246疎き人に見えば面伏せにや思はむと「見え」未然形+接続助詞「ば」仮定条件を表す。係助詞「や」疑問、「思はむ」の主語は夫。女の心。なお、「思はむと」の箇所について、青表紙本系の明融臨模本、大島本、松浦本、伝冷泉為秀本は「思はんと」。池田本は「みえんと」。三条西家本と書陵部本は「思はれんと」。河内本系や別本群の国冬本も明融臨模本等と同文。陽明文庫本は「をもはれむと」とある。すなわち、A「思はんと」(明大松秀・河・国)、B「思はれんと」(三証・陽)、C「見えんと」(池)となる。Cは独自異文。Aは青表紙本系統、河内本系統、別本群の三系統にわたって見られる本文であるのに対して、Bは青表紙本系統と別本群にわたる本文である。『集成』は「(私が)恥ずかしく思いはせぬかと」と注す。しかし、自分が思いはせぬか、とは、やや不可解。『完訳』は「夫の面目をつぶすことにならぬかと」と注し、その主体者を女に訳すが、意訳である。Bの受身の助動詞が付加した本文は、「面目をつぶすように思われよう」となる。文意はもっとも通りよい。底本は、親しくない来客があったような折に、この醜い顔をその人の前に曝したら、夫が恥だと思うだろうか、という意。下級官人の妻などは客人の前に出て顔を見せるようなこともあったのであろう。2.1.2
注釈247ただこの憎き方一つ嫉妬深い欠点。2.1.2
注釈248かうあながちに従ひ怖ぢたる人なめり以下「さがなさもやめむ」まで、左馬頭の心。
「あながち」について、『岩波古語辞典』では「自分の内部的な衝動を止め得ず、やむにやまれないさま、相手の迷惑や他人の批評などに、かまうゆとりを持たないさまを言うのが原義。自分勝手の意から、むやみに程度をはずれて、の意」と注す。「従ひ怖ぢ」は、夫に従い、おどおどしている、の意。断定の助動詞「な」連体形が撥音便化して「ん」が無表記化した形。推量の助動詞「めり」話者の主観的推量を表す。
2.1.3
注釈249さがなさもやめむと思ひて「やめ」ヤ行下二段、他動詞。推量の助動詞「む」意志を表す。やめさせよう、と思っての意2.1.3
注釈250まことに憂しなども以下「思ひ懲りなむ」まで、左馬頭の心。2.1.3
注釈251絶えぬべき気色ならば完了の助動詞「ぬ」連用形、確述、推量の助動詞「べき」当然の意。断定の助動詞「なら」未然形+接続助詞「ば」仮定条件を表す。2.1.3
注釈252思ひ懲りなむと完了の助動詞「な」未然形、確述、推量の助動詞「む」推量の意。主語は女。女はきっと懲りるだろう、の意。2.1.3
注釈253思うたまへ得て「思う」は「思ひ」連用形のウ音便化。「たまへ」下二段活用の謙譲の補助動詞。存じまして、の意。2.1.3
注釈254さまを見せて「見せ」下二段活用、連用形、他動詞。接続助詞「て」順接を表す。態度を見せて、の意。「かくおぞましくは」云々の詞に続く。「見せますと」「見せたところ」と訳す説がある(今泉忠義・古典セレクション)。しかし「見すれば」(已然形+接続助詞「ば」)ではない。2.1.3
注釈255例の腹立ち怨ずるに連語「例の」は「怨ずる」を修飾する。主語は女。「に」を接続助詞と解して「恨んでかかって来ましたので」「恨みかかってきますので」(今泉忠義・古典セレクション)と訳す説がある。しかし、上の「見せて」が「態度を見せて」の意であると、続きがよくない。「に」を格助詞、時間を表す。「折」などの語が省略されている形と見ておく。2.1.3
注釈256かくおぞましくは以下「あるべき」まで、左馬頭の女への詞。しかし、引用句の「と」がない。2.1.4
注釈257絶えてまた見じ副詞「絶えて」は打消推量の助動詞「じ」意志と呼応して、すっかり二度と逢うまいの意。2.1.4
注釈258念じてなのめに思ひなりて女がいいかげんにあきらめるようになって、の意。2.1.4
注釈259かかる心だに失せなば副助詞「だに」最小限を表す。せめて嫉妬心さえなくなったなら、の意。2.1.4
注釈260また並ぶ人なくあるべきやうなど正妻としての地位を与えようの意。『集成』は「あるべきやう」までを左馬頭の詞とするが、『完訳』では「あるべき」までを左馬頭の詞とし、「やう」に「直接話法から間接話法へと転換」と注す。2.1.4
注釈261思ひたまへて「たまへ」謙譲の補助動詞。存じましての意。2.1.4
注釈262言ひそしはべるに「に」接続助詞、順接を表す。2.1.4
注釈263すこしうち笑ひて女が、少し微笑んで。冷笑のニュアンス。2.1.4
注釈264よろづに見立てなく以下「きざみになむある」まで、女の詞。「よろづに見だてなく」は、自分のことではなく、夫の左馬頭が万事に見すぼらしく、と嫌味を言う。2.1.5
注釈265いとのどかに思ひなされて「れ」可能の助動詞。思いなすことができる、意。2.1.5
注釈266心やましくもあらず夫の出世が遅いのは苦にならない、という。2.1.5
注釈267つらき心を忍びて「つらき心」は夫の浮気心をさす。2.1.5
注釈268いと苦しくなむあるべければ夫の浮気心がいつまでも直らないのがつらい、という。2.1.5
注釈269ねたげに言ふに主語は女。接続助詞「に」原因・理由を表す。憎らしげに言うので、の意。2.1.6
注釈270女もえをさめぬ筋係助詞「も」同類を表す。わたし同様に、の意。「筋」は性格。『集成』は「黙っていられない問題なので」と解す。『完訳』は「黙っていられない性分で」と訳す。2.1.6
注釈271喰ひてはべりしを接続助詞「て」が介在。「はべり」は「あり」の丁寧語。噛みついてまいりましたので、の意。2.1.6
注釈272おどろおどろしくかこちて「かこつ」は口実にする意。2.1.6
注釈273かかる疵さへつきぬれば以下「世を背きぬべき身なめり」まで、左馬頭の詞。副助詞「さへ」添加を表す。「よろづに見立てなく」の上に傷までが付いてしまったので、の意。2.1.7
注釈274交じらひ朝廷での官人どうしの交際。2.1.7
注釈275何につけてかは人めかむ係助詞「かは」反語を表す。推量の助動詞「む」推量、連体形。2.1.7
注釈276世を背きぬべき身なめり女の「かたみに背きぬべき」を受ける。売り言葉に買い言葉。離縁どころか、わたしは出家するしかない、と大袈裟に言う。2.1.7
注釈277さらば今日こそは限りなめれ左馬頭の捨て台詞。係助詞「こそ」、推量の助動詞「めれ」已然形、係り結びの法則。強調のニュアンスを添える。2.1.7
注釈278まかでぬ「まかで」連用形、「出る」の謙譲語。女の家を出てきました、の意。2.1.7
注釈279手を折りてあひ見しことを数ふれば--これひとつやは君が憂きふし左馬頭の歌。結婚生活を指折り数えてみると、これ一つだけがあなたの嫌なところであろうか、の意。「これ一つ」は、先程噛まれた指を折り曲げて見せた指。「やは」は反語。その他にもある、という気持ち。「ふし」(節)は、指(「手」)の縁語。『伊勢物語』第十六段に「手を折りてあひ見しことを数ふれば十といひつつ四は経にけり」とある歌の上の句をそのまま引用した歌。その歌も夫婦離縁の歌。2.1.8
注釈280えうらみじ副詞「え」は打消推量の助動詞「じ」推量と呼応して不可能を表す。歌に添えたことば。2.1.9
注釈281さすがにうち泣きて形容動詞「さすがに」そうはいうものの、の意。そうは真実離縁すること。2.1.10
注釈282憂きふしを心ひとつに数へきて--こや君が手を別るべきをり女の返歌。係助詞「や」疑問を表す。左馬頭の歌の語句、「憂きふし」「ひとつ」「数へ」「こ(れ)」「や」「君」「手」「折」などを受けて、詠み返す。相手の歌の語句を多く引用して返すのは未練のある気持ちの表出。2.1.11
注釈283臨時の祭の調楽賀茂の臨時の祭、陰暦十一月下の酉の日に行われる。調楽はその奏楽の練習。明融臨模本には「でうがく」と濁点が記されている。『集成』『古典セレクション』は「でうがく」と振り仮名を付ける。『新大系』は「てうがく」と振り仮名を付けている。『岩波古語辞典』では「でうがく」、『古語大辞典』では「てうがく」とある。2.1.12
注釈284これかれまかりあかるる所にて「これかれ」は調楽の仲間。「まかり」は宮中を退出する意。2.1.12
注釈285またなかりけり過去の助動詞「けり」詠嘆を表す。「なかりき」ではない。2.1.12
注釈286内裏わたりの旅寝以下「そぞろ寒くや」まで、左馬頭の思案。2.1.13
注釈287気色ばめるあたり後に出てくる浮気な女の家。2.1.13
注釈288そぞろ寒くや情愛よりも風流を優先するゆえに寒い思いをさせられるだろうと想像する。2.1.13
注釈289思ひたまへられしかば謙譲の補助動詞「たまへ」下二段、未然形。「られ」受身の助動詞、また自発を表すとも考えられる。過去の助動詞「しか」已然形。存じられましたので、の意。2.1.13
注釈290恨みは解けなむ「解け」は前の「雪」の縁語。言葉の洒落。完了の助動詞「な」未然形、確述、推量の助動詞「む」推量。きっと解けるだろう、の意。2.1.13
注釈291思うたまへしに「思う」は「思ひ」連用形のウ音便形、謙譲の補助動詞「たまへ」下二段、連用形、過去の助動詞「し」連体形、接続助詞「に」順接。存じましたところ、の意。2.1.13
注釈292火ほのかに壁に背け『白氏文集』「上陽人」の「耿々たる残灯壁に背ける影」を踏まえた表現。寝室用にほの暗くしていた。2.1.13
注釈293引き上ぐべきものの帷子などうち上げて夫を迎える時は、帷子の垂れ絹を引き上げておくのが、通例であったらしい。『完訳』では「使わぬ際は引き上げておく」と注すが、下に「今宵ばかりや、と、待ちけるさまなり」とあるので、女は男の来訪を支度して待っていたと解釈すべき。2.1.13
注釈294今宵ばかりやと係助詞「や」の下に「来らむ」等の語句が省略。女の心をを勝手に左馬頭が推測したもの。2.1.13
注釈295さればよやはりそうであったよ。『集成』『完訳』は「それ見たことよ」というニュアンスで訳す。2.1.13
注釈296心おごりするに接続助詞「に」逆接。2.1.13
注釈297さるべき女房どもばかりとまりて夫の世話をすべき女房。夫を迎える準備をしておきながら本人がことさらいないというのは、女側のまだ夫を許していない意思表示。2.1.13
注釈298親の家にこの夜さりなむ渡りぬる女房の詞。係助詞「なむ」完了の助動詞「ぬる」連体形、係り結びの法則。強調のニュアンスを添える。この女は親とは別の家に夫を通わせていた。2.1.13
注釈299ひたや籠もり家の中に閉じ籠もりきり、というのが原義。『集成』は「まったく無愛想で」と訳し、『完訳』『新大系』では原義のまま「まったく家に閉じこもったきりで」と訳す。2.1.14
注釈300我を疎みねと思ふ方の心やありけむ「疎み」連用形、完了の助動詞「ね」命令形、確述。係助詞「や」は過去推量の助動詞「けむ」連体形に係る。左馬頭、女の心を推察。女の方から自分を嫌いになってください、という思いがあったのか、と左馬頭は解釈する。2.1.14
注釈301さしも見たまへざりしことなれど挿入句。左馬頭の判断を加える。2.1.14
注釈302心やましきままに思ひはべりしに接続助詞「に」逆接。『完訳』は「腹立ちまぎれに勘ぐったが」というニュアンスの注を付ける。2.1.14
注釈303わが見捨ててむ後をさへわたしの方から女を見捨てたのに、女は今でもわたしのために、という左馬頭の思い上がり。「わが」について『古典セレクション』は「喧嘩別れしているとはいえ、自分(女)が見限った後の私(左馬頭)のことまでも、気づかって世話をしていてくれていた。女に自分への愛情がまだあるとの観察である」と注す。2.1.14
注釈304さりとも絶えて思ひ放つやうはあらじ左馬頭の期待。副詞「絶えて」は打消推量の助動詞「じ」と呼応して、すっかり愛想をつかすようなことはあるまい、の意。2.1.15
注釈305とかく言ひはべりしをその後、縒りを戻そうとあれこれ言ってみましたが、の意。時間的経過がある。2.1.15
注釈306背きもせずと青表紙本系の明融臨模本、大島本、松浦本、伝冷泉為秀本は「せすと」。池田本、三条西家本、書陵部本は「せす」とある。引用の格助詞「と」がない。明融臨模本は後人が朱筆で「と」をミセケチにしている。『集成』『古典セレクション』は「せず」の本文を採用する。『新大系』は底本の大島本「せずと」に従う。2.1.15
注釈307かかやかしからず答へつつ接続助詞「つつ」動作の反復・継続を表す。2.1.15
注釈308ありしながらは以下「あひ見るべき」まで、女の詞。夫に浮気の改心を求める。2.1.15
注釈309えなむ見過ぐすまじき副詞「え」、係助詞「なむ」打消推量の助動詞「まじき」連体形。とても我慢できません、の意。2.1.15
注釈310いたく綱引きて明融臨模本には「ひ」に朱濁点有り。『源氏釈』は「引き寄せばただには寄らで春駒の綱引きするぞ名は立つと聞く」(拾遺集、雑賀、一一五八、平定文)を指摘する。2.1.15
注釈311はかなくなりはべりにしかば「はかなく」は亡くなる意。2.1.15
注釈312戯れにくく『異本紫明抄』は「有りぬやと心見がてら逢ひ見ねば戯れにくきまでぞ恋しき」(古今集、俳諧、一〇二五、読人しらず)を指摘する。冗談もほどほどにすべきであった、という後悔。2.1.15
注釈313ありぬべくなむ思ひたまへ出でらるる係助詞「なむ」、自発の助動詞「らるる」連体形、係り結びの法則。強調のニュアンスを添える。2.1.16
注釈314言ひあはせたるにかひなからず接続助詞「に」順接。相談してもしがいがあって、の意。2.1.16
注釈315龍田姫龍田姫は春の佐保姫に対して、秋の女神。紅葉を染めることから、染色の神様と見られていた。「見る毎に秋にもなるかな龍田姫紅葉染むとや山も霧るらむ」(後撰集、秋下、三七八、 読人しらず)。2.1.16
注釈316織女の手織姫の技術。裁縫の神様と見られていた。2.1.16
注釈317思ひ出でたり完了の助動詞「たり」存続を表す。2.1.17
注釈318中将頭中将。2.1.17
注釈319その織女の以下「定めかねたるぞや」まで、頭中将の詞。2.1.18
注釈320長き契りにぞあえまし『異本紫明抄』は「逢ふ事は七夕姫に等しくて裁ち縫ふわざはあえずぞありける」(後撰集、秋上、二二五、閑院)を指摘する。係助詞「ぞ」、推量の助動詞「まし」連体形、反実仮想、係り結びの法則。あやかりたいものだったね。2.1.18
注釈321またしくものあらじ『完訳』は「その女への男の尽くし方全般をさす」と注し、「「如く」に「敷く」をひびかし、「錦」の縁語とした」とも注す。2.1.18
注釈322露のはえなく消えぬるわざなり「露」は副詞「つゆ」の意を懸ける。「消え」は「露」の縁語。2.1.18
出典6 綱引きて 引き寄せばただにはよらで春駒の綱引するぞなはたつと聞く 拾遺集雑賀-一一八五 平定文 2.1.15
出典7 戯れにくく ありぬやと心みがてらあひ見ねばたはぶれにくきまでぞ恋しき 古今集俳諧歌-一〇二五 読人しらず 2.1.15
校訂18 はべらざり はべらざり--侍(侍/+ら)さり 2.1.1
校訂19 はべりて はべりて--侍(侍/+て) 2.1.1
校訂20 ためにはと ためにはと--ためにい(い/$は)と 2.1.2
校訂21 なめり なめり--なめれ(れ/$)り 2.1.3
校訂22 臨時の祭 臨時の祭--り(り/+む)しのまつり 2.1.12
2.2
第二段 左馬頭の体験談(浮気な女の物語)


2-2  Sama-no-Kami talks about a wanton girl friend

2.2.1  「 さて、また同じころ、まかり通ひし所は、人も立ちまさり心ばせまことにゆゑありと見えぬべく、うち詠み、走り書き、掻い弾く爪音、手つき口つき、みなたどたどしからず、見聞きわたりはべりき。見る目もこともなくはべりしかば、 このさがな者を、うちとけたる方にて、時々隠ろへ 見はべりしほどは、こよなく心とまりはべりき。この人亡せて後、 いかがはせむ、あはれながらも過ぎぬるはかひなくて、しばしばまかり馴るるには、すこしまばゆく艶に好ましきことは、 目につかぬ所あるに、うち頼むべくは見えず、 かれがれにのみ見せはべるほどに、忍びて心交はせる 人ぞありけらし
 「ところで、また同じころに、通っていました女は、人品も優れ気の働かせ方もまことに嗜みがあると思われるように、素早く歌を詠み、すらすらと書き、掻いつま弾く琴の音色、その腕前や詠みぶりが、みな確かであると、見聞きしておりました。見た目にも無難でございましたので、先程の嫉妬深い女を 気の置けない通い所にして、時々隠れて逢っていました間は、格段に気に入っておりました。今の女が亡くなって後は、どうしましょう、かわいそうだとは思いながらも死んでしまったものは仕方がないので、頻繁に通うようになってみますと、少し派手で婀娜っぽく風流めかしていることは、気に入らないところがあったので、頼りにできる女とは思わずに、途絶えがちにばかり通っておりましたら、こっそり心を通じている男がいたらしいのです。
 「その時分にまたもう一人の情人がありましてね、身分もそれは少しいいし、才女らしく歌を詠んだり、達者に手紙を書いたりしますし、音楽のほうも相当なものだったようです。感じの悪い容貌でもありませんでしたから、やきもち焼きのほうを世話女房にして置いて、そこへはおりおり通って行ったころにはおもしろい相手でしたよ。あの女が亡くなりましたあとでは、いくら今さら愛惜しても死んだものはしかたがなくて、たびたびもう一人の女の所へ行くようになりますと、なんだか体裁屋で、風流女を標榜している点が気に入らなくて、一生の妻にしてもよいという気はなくなりました。あまり通わなくなったころに、もうほかに恋愛の相手ができたらしいのですね、
  "Sate, mata onazi koro, makari kayohi si tokoro ha, hito mo tati-masari kokorobase makoto ni yuwe ari to miye nu beku, uti-yomi, hasiri-kaki, kai-hiku tumaoto, tetuki kutituki, mina tadotadosikara zu, mi kiki watari haberi ki. Miru me mo koto mo naku haberi sika ba, kono sagana mono wo, uti-toke taru kata nite, tokidoki kakurohe mi haberi si hodo ha, koyonaku kokoro tomari haberi ki. Kono hito use te noti, ikagaha se m, ahare nagara mo sugi nuru ha kahinaku te, sibasiba makari naruru ni ha, sukosi mabayuku en ni konomasiki koto ha, me ni tuka nu tokoro aru ni, uti-tanomu beku ha miye zu, karegare ni nomi mise haberu hodo ni, sinobi te kokoro kahase ru hito zo ari ke' rasi.
2.2.2   神無月のころほひ、月おもしろかりし夜、内裏よりまかではべるに、 ある上人来あひて、この車にあひ乗りてはべれば、 大納言の家にまかり泊まらむとするに、この人言ふやう、『 今宵人待つらむ宿なむ、あやしく心苦しきとてこの女の家はた、避きぬ道なりければ 荒れたる崩れより池の水かげ見えて、 月だに宿る住処を 過ぎむもさすがにて下りはべりぬかし
 神無月の時節ごろ、月の美しかった夜に、内裏から退出いたしますに、ある殿上人が来合わせて、わたしの車に同乗していましたので、大納言殿の家へ行って泊まろうとすると、この人が言うことには、『今宵は、わたしを待っているだろう女が、妙に気にかかるよ』と言って、先程の女の家は、なんとしても通らなけれならない道に当たっていたので、荒れた築地塀の崩れから池の水に月の光が映っていて、月でさえ泊まるこの宿をこのまま通り過ぎてしまうのも惜しいというので、降りたのでございました。
十一月ごろのよい月の晩に、私が御所から帰ろうとすると、ある殿上役人が来て私の車へいっしょに乗りました。私はその晩は父の大納言の家へ行って泊まろうと思っていたのです。途中でその人が、『今夜私を待っている女の家があって、そこへちょっと寄って行ってやらないでは気が済みませんから』と言うのです。私の女の家は道筋に当たっているのですが、こわれた土塀から池が見えて、庭に月のさしているのを見ると、私も寄って行ってやっていいという気になって、その男の降りた所で私も降りたものです。
  Kamnaduki no korohohi, tuki omosirokari si yo, Uti yori makade haberu ni, aru Uhebito ki ahi te, kono kuruma ni ahi-nori te habere ba, Dainagon no ihe ni makari tomara m to suru ni, kono hito ihu yau, 'Koyohi hito matu ram yado nam, ayasiku kokorogurusiki' tote, kono womna no ihe hata, yoki nu miti nari kere ba, are taru kudure yori ike no midu kage miye te, tuki dani yadoru sumika wo sugi m mo sasuga ni te, ori haberi nu kasi.
2.2.3   もとよりさる心を交はせるにやありけむこの男いたくすずろきて、 門近き廊の簀子だつものに尻かけて、とばかり 月を見る。 菊いとおもしろく移ろひわたり、風に競へる紅葉の乱れなど、あはれと、げに見えたり。
 以前から心を交わしていたのでしょうか、この男はとてもそわそわして、中門近くの渡廊の簀子のような所に腰を掛けて、暫く月を見ています。菊は一面にとても色美しく変色しており、風に勢いづいた紅葉が散り乱れているのなど、美しいものだなあと、なるほど思われました。
 その男のはいって行くのはすなわち私の行こうとしている家なのです。初めから今日の約束があったのでしょう。男は夢中のようで、のぼせ上がったふうで、門から近い廊の室の縁側に腰を掛けて、気どったふうに月を見上げているんですね。それは実際白菊が紫をぼかした庭へ、風で紅葉がたくさん降ってくるのですから、身にしむように思うのも無理はないのです。
  Motoyori saru kokoro wo kahase ru ni ya ari kem, kono wotoko itaku suzuroki te, kado tikaki rau no sunoko-datu mono ni siri kake te, tobakari tuki wo miru. Kiku ito omosiroku uturohi watari, kaze ni kihohe ru momidi no midare nado, ahare to, geni miye tari.
2.2.4   懐なりける笛取り出でて吹き鳴らし、『 蔭もよし』など つづしり謡ふほどに、よく鳴る和琴を、 調べととのへたりける、うるはしく掻き合はせたりしほど、けしうはあらずかし。 律の調べは、女のものやはらかに掻き鳴らして、簾の内より聞こえたるも、今めきたる物の声なれば、清く澄める月に折つきなからず。男いたくめでて、簾のもとに歩み来て、
 懐にあった横笛を取り出して吹き鳴らし、『月影も良い』などと合い間合い間に謡うと、良い音のする和琴を、調子が調えてあったもので、きちんと合奏していたところは、悪くはありませんでした。律の調子は、女性がもの柔らかく掻き鳴らして、御簾の内側から聞こえて来るのも、今風の楽の音なので、清く澄んでいる月にふさわしくなくもありません。その男はひどく感心して、御簾の側に歩み寄って、
 男は懐中から笛を出して吹きながら合い間に『飛鳥井に宿りはすべし蔭もよし』などと歌うと、中ではいい音のする倭琴をきれいに弾いて合わせるのです。相当なものなんですね。律の調子は女の柔らかに弾くのが御簾の中から聞こえるのもはなやかな気のするものですから、明るい月夜にはしっくり合っています。男はたいへんおもしろがって、琴を弾いている所の前へ行って、
  Hutokoro nari keru hue tori ide te huki narasi, 'Kage mo yosi' nado tudusiri utahu hodo ni, yoku naru wagon wo, sirabe totonohe tari keru, uruhasiku kaki-ahase tari si hodo, kesiu ha ara zu kasi. Riti no sirabe ha, womna no mono-yaharaka ni kaki-narasi te, su no uti yori kikoye taru mo, imameki taru mono no kowe nare ba, kiyoku sume ru tuki ni wori tukinakara zu. Wotoko itaku mede te, su no moto ni ayumi ki te,
2.2.5  『 庭の紅葉こそ、踏み分けたる跡もなけれなどねたます。菊を折りて、
 『庭の紅葉を、踏み分けた跡がないですね』などと嫌がらせを言います。菊を手折って、
 『紅葉の積もり方を見るとだれもおいでになった様子はありませんね。あなたの恋人はなかなか冷淡なようですね』などといやがらせを言っています。菊を折って行って、
  'Niha no momidi koso, humi-wake taru ato mo nakere' nado netama su. Kiku wo wori te,
2.2.6  『 琴の音も月もえならぬ宿ながら
   つれなき人をひきやとめける
 『琴の音色も月も素晴らしいお宅ですが
  薄情な方を引き止めることができなかったようですね
 『琴の音も菊もえならぬ宿ながら
  つれなき人を引きやとめける。
    'Koto no ne mo tuki mo e nara nu yado nagara
    turenaki hito wo hiki ya tome keru
2.2.7   悪ろかめり』など言ひて、『 今ひと声聞きはやすべき人のある時、 手な残いたまひそ』など、いたくあざれかかれば、女、いたう声つくろひて、
 悪いことを言ったかしら』などと言って、『もう一曲、喜んで聞きたいというわたしがいる時に、弾き惜しみなさいますな』などと、ひどく色っぽく言いかけますと、女は、声をとても気取って出して、
 だめですね』などと言ってまた『いい聞き手のおいでになった時にはもっとうんと弾いてお聞かせなさい』こんな嫌味なことを言うと、女は作り声をして
  waroka' meri.' nado ihi te, 'Ima hito kowe, kiki-hayasu beki hito no aru toki, te na nokoi tamahi so.' nado, itaku azare-kakare ba, womna, itau kowe tukurohi te,
2.2.8  『 木枯に吹きあはすめる笛の音を
   ひきとどむべき言の葉ぞなき
 『冷たい木枯らしに合うようなあなたの笛の音を
  引きとどめる術をわたしは持ち合わせていません
 『こがらしに吹きあはすめる笛の音を
  引きとどむべき言の葉ぞなき』
    'Kogarasi ni huki ahasu meru hue no ne wo
    hiki todomu beki kotonoha zo naki
2.2.9  となまめき交はすに、 憎くなるをも知らで、また、 箏の琴を盤渉調に調べて、今めかしく掻い弾きたる爪音、かどなきにはあらねど、 まばゆき心地なむしはべりし。ただ時々うち語らふ 宮仕へ人などの、あくまでさればみ好きたるは、 さても見る限りはをかしくもありぬべし。 時々にても、さる所にて忘れぬよすがと 思ひたまへむには、頼もしげなくさし過ぐいたりと心おかれて、その夜のことに ことつけてこそ、まかり絶えにしか
 と色っぽく振る舞い合います。憎らしくなってきたのも知らずに、今度は、筝の琴を盤渉調に調えて、今風に掻き鳴らす爪音は、才能が無いではないが、目を覆いたい気持ちが致しました。ただ時々に言葉を交わす宮仕え人などで、どこまでも色っぽく風流なのは、そうであっても付き合うには興味もありましょう。時々であっても、通い妻として生涯の伴侶と致しますには、頼りなく風流すぎると嫌気がさして、その夜のことに口実をつくって、通うのをやめてしまいました。
 などと言ってふざけ合っているのです。私がのぞいていて憎らしがっているのも知らないで、今度は十三絃を派手に弾き出しました。才女でないことはありませんがきざな気がしました。遊戯的の恋愛をしている時は、宮中の女房たちとおもしろおかしく交際していて、それだけでいいのですが、時々にもせよ愛人として通って行く女がそんなふうではおもしろくないと思いまして、その晩のことを口実にして別れましたがね。
  to namameki kahasu ni, nikuku naru wo mo sira de, mata, sau no koto wo bansiki-deu ni sirabe te, imamekasiku kai-hiki taru tumaoto, kado naki ni ha ara ne do, mabayuki kokoti nam si haberi si. Tada tokidoki uti-katarahu miyadukahe-bito nado no, akumade sarebami suki taru ha, sate mo miru kagiri ha wokasiku mo ari nu besi. Tokidoki nite mo, saru tokoro nite wasure nu yosuga to omohi tamahe m ni ha, tanomosige naku sasi-sugui tari to kokorooka re te, sono yo no koto ni kototuke te koso, makari taye ni sika.
2.2.10   この二つのこと思うたまへあはするに若き時の心にだに、なほ さやうにもて出でたることはいとあやしく頼もしげなくおぼえはべりき。今より後は、まして さのみなむ思ひたまへらるべき御心のままに折らば落ちぬべき萩の露拾はば消えなむと見る玉笹の上の霰 などの、艶にあえかなる 好き好きしさのみこそ、をかしく思さるらめ、今さりとも、 七年あまりがほどに思し知りはべなむ。なにがしがいやしき諌めにて、好きたわめらむ女に 心おかせたまへ過ちして、見む人の かたくななる名をも立てつべきものなり」
 この二つの例を考え合わせますと、若い時の考えでさえも、やはりそのように派手な女の例は、とても不安で頼りなく思われました。今から以後は、いっそうそのようにばかり思わざるを得ません。お気持ちのままに、手折るとこぼれ落ちてしまいそうな萩の露や、拾ったと思うと消えてしまう玉笹の上の霰などのような、しゃれていてか弱く風流なのばかりが、興味深くお思いでしょうが、今はそうであっても、七年余りのうちにお分かりになるでしょう。わたくしめごとき、わたくしごとき卑賤の者の忠告として、色っぽくなよなよとした女性にはお気をつけなさいませ。間違いを起こして、相手の男の愚かな評判までも立ててしまうものです」
 この二人の女を比べて考えますと、若い時でさえもあとの風流女のほうは信頼のできないものだと知っていました。もう相当な年配になっている私は、これからはまたそのころ以上にそうした浮華なものがきらいになるでしょう。いたいたしい萩の露や、落ちそうな笹の上の霰などにたとえていいような艶な恋人を持つのがいいように今あなたがたはお思いになるでしょうが、私の年齢まで、まあ七年もすればよくおわかりになりますよ、私が申し上げておきますが、風流好みな多情な女には気をおつけなさい。三角関係を発見した時に良人の嫉妬で問題を起こしたりするものです」
  Kono hutatu no koto wo omou tamahe ahasuru ni, wakaki toki no kokoro ni dani, naho sayau ni mote-ide taru koto ha, ito ayasiku tanomosigenaku oboye haberi ki. Ima yori noti ha, masite sa nomi nam omohi tamahe raru beki. Mikokoro no mama ni, wora ba oti nu beki hagi no tuyu, hiroha ba kiye na m to miru tamazasa no uhe no arare nado no, en ni ayeka naru sukizukisisa nomi koso, wokasiku obosa ru rame, ima saritomo, nanatose amari ga hodo ni obosi-siri habe' na m. Nanigasi ga iyasiki isame ni te, suki tawame ram womna ni kokoro oka se tamahe. Ayamati si te, mi m hito no katakuna naru na wo mo tate tu beki mono nari."
2.2.11  と戒む。中将、例のうなづく。君すこしかた笑みて、 さることとは思すべかめり
 と、忠告する。頭中将は 例によってうなずく。源氏の君は少し微笑んで、そういうものだろうとお思いのようである。
 左馬頭は二人の貴公子に忠言を呈した。例のように中将はうなずく。少しほほえんだ源氏も左馬頭の言葉に真理がありそうだと思うらしい。
  to imasimu. Tyuuzyau, rei no unaduku. Kimi sukosi kata-wemi te, saru koto to ha obosu beka' meri.
2.2.12  「 いづ方につけても、人悪ろくはしたなかりける 身物語かな」とて、うち笑ひおはさうず。
 「どちらの話にしても、体裁の悪くみっともない体験談だね」と言って、皆でどっと笑い興じられる。
 あるいは二つともばかばかしい話であると笑っていたのかもしれない。
  "Idukata ni tuke te mo, hito waroku hasitanakari keru mimonogatari kana!" tote, uti-warahi ohasauzu.
注釈323さてまた同じころ以下「立てつべきものなり」まで、左馬頭の体験談。その二。「風流な女」の物語。2.2.1
注釈324このさがな者を嫉妬深い女。2.2.1
注釈325いかがはせむ反語表現。どうしましょう、どうすることもできません、の意。2.2.1
注釈326目につかぬ所あるに気に入らないところ。接続助詞「に」順接を表す。『完訳』は「しだいに女への熱がさめてくる」と注す。2.2.1
注釈327かれがれにのみ見せはべるほどに副助詞「のみ」限定を表す。途絶えがちにばかり顔を見せておりましたうちに。2.2.1
注釈328人ぞありけらし係助詞「ぞ」、推量の助動詞「らし」連体形、係り結びの法則。「けらし」は「ける」(連体形)「らし」の「る」が撥音便化(「ん」)してさらに無表記化した形。2.2.1
注釈329神無月のころほひ月おもしろかりし夜陰暦では初冬。二十四節気では立冬前後の晩秋から初冬の季節で、紅葉の美しい時節。2.2.2
注釈330ある上人ある殿上人。この男が左馬頭が通っていた風流な女の「忍びて心交はせる人」。2.2.2
注釈331大納言の家系図不明の人。『河海抄』は左馬頭の父親かとする。2.2.2
注釈332今宵人待つらむ宿なむあやしく心苦しき上人(殿上人)の詞。推量の助動詞「らむ」視界外推量を表す。係助詞「なむ」は形容詞「心苦しき」連体形に係る、係り結びの法則。2.2.2
注釈333この女の家はた避きぬ道なりければ風流な女の家。副詞「はた」は下に打消の助動詞「ぬ」連体形に係って、これを強める。なんといっても避けられない道であったので、の意。『古典セレクション』は「この下に脱文があるとする説もあるが、会話の文には、この種の破格・省略が多い」と注す。2.2.2
注釈334荒れたる崩れ風流な女の家の築地塀の崩れ。2.2.2
注釈335月だに宿る副助詞「だに」最小限を表す。美しい夜には月でさえ宿ります、まして心ある人間は宿るのが当然です、の意を含む。『異本紫明抄』は「雲居にて相語らはぬ月だにも我が宿過ぎて行く時はなし」(拾遺集、雑上、四三七、伊勢)を指摘する。2.2.2
注釈336過ぎむもさすがにて通り過ぎるの気がきかない、無風流なので。『古典セレクション』は「いろいろ事情はあるにせよ、素通りするのはやはり心ないしわざということで」と注す。2.2.2
注釈337下りはべりぬかし主語はわたし左馬頭。「はべり」は自分の動作「下り」につけられた丁寧の補助動詞。まず殿上人が車から下りてわたしも下りた、という趣旨。終助詞「かし」念押しのニュアンス。車から降りたのでございます。二人して、下りて、邸内に入り込んだ。『新大系』は「月でさえ泊まる住みかを通り過ぎるようなのはいくらなんでも(無風流だ)という次第で、車をおりてしまうことでござるぞ。その殿上人が口実を言いながら、ほかでもない左馬頭の女の家のわきで下りてしまうという場面か。その人がその折に口ずさむ歌があるとすれば「雲ゐにてあひ語らはぬ月だにもわが宿過ぎてゆく時はなし」(拾遺集・雑上・伊勢)。左馬頭も下車して様子を見て取る、という垣間見に似る展開」と注す。2.2.2
注釈338もとよりさる心を交はせるにやありけむ左馬頭の想像。係助詞「や」疑問、推量の助動詞「けむ」連体形、過去の推量を表す。係り結びの法則。同車してきた殿上人がこの屋敷の女と。2.2.3
注釈339この男以下、左馬頭の目を通して、この男(殿上人)と女のやりとりを語る。2.2.3
注釈340門近き廊の簀子だつものに「門」は中門であろう。大路に面した表門ではなかろう。中門は渡廊に繋がっておりその簀子に腰掛けたのであろう。2.2.3
注釈341菊いとおもしろく移ろひわたり風に競へる紅葉の乱れ明融臨模本「うつろひわたり(り+て)」とある。「て」は朱書による後人の補入。大島本は「うつろひわたり」とある。『集成』『新大系』は「うつろひわたり」のまま。『古典セレクション』は諸本に拠って「うつろひわたりて」と校訂する。『全集』は「秋をおきて時こそありけれ菊の花うつろふからに色のまされば」(古今集、秋下、二七九、平定文)と「秋の夜に雨と聞こえて降りつるは風に乱るる紅葉なりけり」(後撰集、秋下、四〇七、読人しらず)を指摘する。景情一致の描写。浮気な女、軽い女という性格を、変色(心変り)した菊や風に散る紅葉を描くことによって象徴し、この場の情調をつくる。2.2.3
注釈342懐なりける笛取り出でて男は懐にあった横笛を取り出して。2.2.4
注釈343蔭もよし催馬楽の「飛鳥井」の一節。「飛鳥井に 宿りはすべし や おけ 蔭もよし みもひも寒し 御秣もよし」。ここに泊まりたい、の意。2.2.4
注釈344つづしり謡ふ『集成』は「ぽつりぽつり歌う」と解し、『完訳』は「笛を吹きつつ合い間に歌う」と解す。「小食 ツヅシル」(『名義抄』)。2.2.4
注釈345調べととのへたりける挿入句。既に調子が調整されていたもので、の意。男がいつやってきてもよいように準備していたもの。2.2.4
注釈346律の調べは係助詞「は」は、「今めきたる物の声なれば」に係る。わが国固有の俗楽的音階、ややくだけた感じの調子。2.2.4
注釈347庭の紅葉こそ踏み分けたる跡もなけれこの男の詞。係助詞「こそ」形容詞「なけれ」已然形、係り結びの法則。誰も訪ねて来ませんねという、女への揶揄。『異本紫明抄』は「秋は来ぬ紅葉は宿にふりしきぬ道ふみ分けて訪ふ人はなし」(古今集、秋下、二八七、読人しらず)を指摘する。2.2.5
注釈348などねたます「す」は使役の助動詞。などと言って、女を悔しがらせる、意。2.2.5
注釈349琴の音も月もえならぬ宿ながら--つれなき人をひきやとめける男の歌。係助詞「や」は反語、「つれなき人」は第三者をの男をさす。「引き止めることができたでしょうか、できなかったようですね」の意。『新大系』は「この風情に引きとめられない男は冷淡だ、の意。自分はそうではないという気持を含ませる」と注す。「ひく」は「引く」と「弾く」の掛詞。「弾く」は「琴」の縁語。2.2.6
注釈350悪ろかめり「悪ろかるめり」の「る」が撥音便化(「ん」)してさらに無表記化された形。「めり」は推量の助動詞、主観的推量を表す。悪いことを言ったようですね、のニュアンス。『集成』は「不体裁なことのようですな。訪ねて来る男もないとはと、からかった冗談」と注し、『古典セレクション』は「ぱっとしませんねえ。珍しく来たのは私のような者でお気の毒でした、の意か」と注す。『新大系』「不釣合いのようです。せっかく引きとめられても、と自分の笛を謙遜するか。難解」と注す。2.2.7
注釈351今ひと声以下「手な残いたまひそ」まで、引き続き、この男の詞。2.2.7
注釈352聞きはやすべき人自分のこと。2.2.7
注釈353手な残いたまひそ副詞「な」は終助詞「そ」と呼応して禁止を表す。2.2.7
注釈354木枯に吹きあはすめる笛の音を--ひきとどむべき言の葉ぞなき女の返歌。男の「引きや止める」を受けて、「ひき」に「引き」と「弾き」を掛け、「こと」に「言」と「琴」を掛け、「弾く」と「琴」、「木枯」と「葉」は縁語。わたしはあなたを引き止めようとはしません、と切り返す。2.2.8
注釈355憎くなるをも知らで自分が聞いていて、憎らしく思っているのも、女は知らないで、の意。左馬頭はこの男と女のやりとりがだんだん癪に障ってきた。2.2.9
注釈356箏の琴を盤渉調に調べて「箏 シャウ」(色葉字類抄)。呉音。「盤渉調」は「色葉字類抄には「盤」に濁符、「渉」に清符があって、バンシキと読んでいる。「調」については色葉字類抄には声点がなく不明であるが、運歩色葉集では濁音であり、楽家禄にも「浪牟志気伝宇」。調字濁」とあるので、古くから連濁仕手板と思われる」(小学館古語大辞典)。冬の調子。神無月(陰暦の冬)のころの曲としてふさわしい。2.2.9
注釈357まばゆき心地なむしはべりし主語は左馬頭。「なむ」係助詞、「し」サ変動詞、連用形、「はべり」丁寧の補助動詞、「し」過去の助動詞、連体形。係り結びの法則。2.2.9
注釈358宮仕へ人などの格助詞「の」同格を表す。宮仕え人などで、の意。2.2.9
注釈359さても見る限りは風流で浮気な女と知ったうえで付き合うぶんには、の意。2.2.9
注釈360時々にてもさる所にて通い婚であったので、このような表現が出てくる。2.2.9
注釈361思ひたまへむには謙譲の補助動詞「たまへ」下二段、未然形、推量の助動詞「む」婉曲を表す。2.2.9
注釈362ことつけてこそまかり絶えにしか係助詞「こそ」、過去の助動詞「しか」已然形、係り結びの法則。2.2.9
注釈363この二つのこと嫉妬深い女の例と風流好みの女の例。2.2.10
注釈364思うたまへあはするに「思う」は「思ひ」のウ音便形、謙譲の補助動詞「たまへ」下二段、連用形、動詞「あはする」下二段、連体形、接続助詞「に」順接を表す。2.2.10
注釈365若き時の心にだに副助詞「だに」最小限を表す。「今より後はまして」に続く構文。2.2.10
注釈366さやうにもて出でたることは風流好みの女の例をさす。係助詞「は」は「頼もしげなくおぼえはべりき」に係る。2.2.10
注釈367さのみなむ思ひたまへらるべき副助詞「のみ」限定を表す。係助詞「なむ」は推量の助動詞「べき」連体形、当然の意に係る、係り結びの法則。謙譲の補助動詞「たまへ」下二段、未然形、自発の助動詞「らる」終止形。そのように思うほかございません、の意。2.2.10
注釈368御心のままに源氏や頭中将のお気持ちのままに、という意。敬語「御」が付いている。2.2.10
注釈369折らば落ちぬべき萩の露『異本紫明抄』は「折りてみば落ちぞしぬべき秋萩の枝もたわわにおける白露」(古今集、秋上、二二三、読人しらず)を指摘する。2.2.10
注釈370拾はば消えなむと見る玉笹の上の霰明融臨模本「み(み+ゆ)る」とある。「ゆ」は朱書による後人の補入。大島本は「見る」とある。『新大系』は「見る」のまま。『集成』『古典セレクション』は「見ゆる」と校訂する。『源氏釈』は「いづこにか宿りとるらむあさひこがさすや岡辺の玉笹の上に」(古今六帖一、照日、二六九)を指摘する。2.2.10
注釈371好き好きしさのみこそをかしく思さるらめ副助詞「のみ」限定を表す。係助詞「こそ」は「らめ」已然形に係る係り結びの法則、読点、逆接で下文に続く。「る」尊敬の助動詞、終止形。2.2.10
注釈372七年あまりがほどに思し知りはべなむ「はべなむ」は「はべりなむ」の「り」が撥音便化してさらに無表記化された形。完了の助動詞「な」確述、推量の助動詞「む」推量を表す。左馬頭は源氏より七歳年長のようである。2.2.10
注釈373心おかせたまへ「せ」「たまへ」二重敬語。会話文中での用法。2.2.10
注釈374過ちして見む人の「過ちして」の主語は女。「見む人」は交際相手の男性。2.2.10
注釈375さることとは思すべかめり語り手が源氏の心を推察した文。『岷江入楚』は「物語の作者のいふ詞なり」と注す。2.2.11
注釈376いづ方につけても以下「身物語かな」まで、源氏の詞。嫉妬深い女の話と浮気な女の話をさす。2.2.12
注釈377身物語明融臨模本と大島本は「み物かたり」と表記する。話者源氏の「身」と「御」を掛けた発言だろう。「身物語」は身の上を語った物語の意。2.2.12
出典8 蔭もよし 飛鳥井に 宿りはすべし や おけ 蔭もよし 御甕<みもひ>も寒し 御秣<みまくさ>もよし 催馬楽-飛鳥井 2.2.4
出典9 玉笹の上 いづこにか宿りとるらむあさひこがさすや岡辺の玉笹の上に 古今六帖一-二六九 2.2.10
校訂23 見はべり 見はべり--(/+見)侍 2.2.1
校訂24 とて とて--(/+とて) 2.2.2
校訂25 女の 女の--(女/+の<朱>) 2.2.2
校訂26 月を 月を--(月/+を) 2.2.3
校訂27 いと いと--(/+いと) 2.2.10
校訂28 過ち 過ち--あやあや(あや/$)まち 2.2.10
2.3
第三段 頭中将の体験談(常夏の女の物語)


2-3  Tou-no-Chujo talks about a shy girl friend

2.3.1  中将、
 中将は、
 
  Tyuuzyau,
2.3.2  「 なにがしは、痴者の物語をせむ 」とて、「 いと忍びて見そめたりし人のさても見つべかりしけはひなりしかばながらふべきものとしも思ひたまへざりしかど、馴れゆくままに、あはれとおぼえしかば、絶え絶え忘れぬものに思ひたまへしを、 さばかりになればうち頼めるけしきも見えき。頼むにつけては、 恨めしと思ふこともあらむと、心ながらおぼゆるをりをりもはべりしを、 見知らぬやうにて、久しきとだえをも、かうたまさかなる人とも思ひたらず、ただ 朝夕にもてつけたらむありさまに見えて、 心苦しかりしかば頼めわたることなどもありきかし
 「わたしは、馬鹿な体験談をお話しましょう」と言って、「ごくこっそりと通い始めた女で、そうした関係を長く続けてもよさそうな様子だったので、長続きのする仲とは存じられませんでしたが、馴れ親しんで行くにつれて、愛しいと思われましたので、途絶えがちながらも忘れられない女と存じておりましたが、それほどの仲になると、わたしを頼りにしている様子にも見えました。頼りにするとなると、恨めしく思っていることもあるだろうと、我ながら思われる折々もございましたが、女は気に掛けぬふうをして、久しく通って行かないのを、こういうたまにしか来ない男とも思っていないで、ただ朝夕にいつも心に掛けているという態度に見えて、いじらしく思えたので、ずっと頼りにしているようにと言ったこともあったのでした。
 「私もばか者の話を一つしよう」
 中将は前置きをして語り出した。
 「私がひそかに情人にした女というのは、見捨てずに置かれる程度のものでね、長い関係になろうとも思わずにかかった人だったのですが、馴れていくとよい所ができて心が惹かれていった。たまにしか行かないのだけれど、とにかく女も私を信頼するようになった。愛しておれば恨めしさの起こるわけのこちらの態度だがと、自分のことだけれど気のとがめる時があっても、その女は何も言わない。久しく間を置いて逢っても始終来る人といるようにするので、気の毒で、私も将来のことでいろんな約束をした。
  "Nanigasi ha, siremono no monogatari wo se m" tote, "Ito sinobi te misome tari si hito no, satemo mi tu bekari si kehahi nari sika ba, nagarahu beki mono to simo omohi tamahe zari sika do, nare yuku mama ni, ahare to oboye sika ba, tayedaye wasure nu mono ni omohi tamahe si wo, sabakari ni nare ba, uti-tanome ru kesiki mo miye ki. Tanomu ni tuke te ha, uramesi to omohu koto mo ara m to, kokoro nagara oboyuru woriwori mo haberi si wo, misira nu yau nite, hisasiki todaye wo mo, kau tamasaka naru hito to mo omohi tara zu, tada asayuhu ni mote-tuke tara m arisama ni miye te, kokorogurusikari sika ba, tanome wataru koto nado mo ari ki kasi.
2.3.3  親もなく、いと心細げにて、 さらばこの人こそはと、事にふれて思へるさまもらうたげなりき。かうのどけきにおだしくて、久しくまからざりしころ、 この見たまふるわたりより情けなくうたてあることをなむさるたよりありてかすめ言はせたりける後にこそ聞きはべりしか
 親もなく、とても心細い様子で、それならばこの人だけをと、何かにつけて頼りにしている様子もいじらしげでした。このようにおっとりしていることに安心して、長い間通って行かないでいたころ、わたしの妻の辺りから、情けのないひどいことを、ある手づるがあってそれとなく言わせたことを、後になって聞きました。
 父親もない人だったから、私だけに頼らなければと思っている様子が何かの場合に見えて可憐な女でした。こんなふうに穏やかなものだから、久しく訪ねて行かなかった時分に、ひどいことを私の妻の家のほうから、ちょうどまたそのほうへも出入りする女の知人を介して言わせたのです。私はあとで聞いたことなんだ。
  Oya mo naku, ito kokorobosoge ni te, saraba kono hito koso ha to, koto ni hure te omohe ru sama mo rautage nari ki. Kau nodokeki ni odasiku te, hisasiku makara zari si koro, kono mi tamahuru watari yori, nasake naku utate aru koto wo nam, saru tayori ari te kasume iha se tari keru, noti ni koso kiki haberi sika.
2.3.4   さる憂きことやあらむとも知らず、心には忘れずながら、消息などもせで久しくはべりしに、むげに思ひしをれて心細かりければ、 幼き者などもありしに思ひわづらひて、 撫子の花を折りておこせたりし」とて涙ぐみたり。
 そのような辛いことがあったのかとも知らず、心中では忘れていないとはいうものの、便りなども出さずに長い間おりましたところ、すっかり悲観して不安だったので、幼い子供もいたので思い悩んで、撫子の花を折って、送って寄こしました」と言って涙ぐんでいる。
 そんなかわいそうなことがあったとも知らず、心の中では忘れないでいながら手紙も書かず、長く行きもしないでいると、女はずいぶん心細がって、私との間に小さな子なんかもあったもんですから、煩悶した結果、撫子の花を使いに持たせてよこしましたよ」
 中将は涙ぐんでいた。
  Saru uki koto ya ara m to mo sira zu, kokoro ni ha wasure zu nagara, seusoko nado mo se de hisasiku haberi si ni, muge ni omohi siwore te kokorobosokari kere ba, wosanaki mono nado mo ari si ni omohi wadurahi te, nadesiko no hana wo wori te okose tari si." tote namidagumi tari.
2.3.5  「 さて、その文の言葉は」と問ひたまへば、
 「それで、その手紙には」とお尋ねになると、
 「どんな手紙」
 と源氏が聞いた。
  "Sate, sono humi no kotoba ha?" to tohi tamahe ba,
2.3.6  「 いさやことなることもなかりきや
 「いや、格別なことはありませんでしたよ。
 「なに、平凡なものですよ。
  "Isaya, koto naru koto mo nakari ki ya.
2.3.7  『 山がつの垣ほ荒るとも折々に
   あはれはかけよ撫子の露
 『山家の垣根は荒れていても時々は
  かわいがってやってください撫子の花を
 『山がつの垣は荒るともをりをりに
  哀れはかけよ撫子の露』
    'Yamagatu no kakiho aru tomo woriwori ni
    ahare ha kake yo nadesiko no tuyu
2.3.8  思ひ出でしままに まかりたりしかば、例の うらもなきものから、いと物思ひ顔にて、 荒れたる家の露しげきを眺めて虫の音に競へるけしき昔物語めきておぼえはべりし
 思い出したままに行きましたところ、いつものように無心なようでいながら、ひどく物思い顔で、荒れた家の露のしっとり濡れているのを眺めて、虫の鳴く音と競うかのように泣いている様子は、昔物語めいて感じられました。
ってね。私はそれで行く気になって、行って見ると、例のとおり穏やかなものなんですが、少し物思いのある顔をして、秋の荒れた庭をながめながら、そのころの虫の声と同じような力のないふうでいるのが、なんだか小説のようでしたよ。
  Omohi ide si mama ni makari tari sika ba, rei no ura mo naki monokara, ito mono-omohi gaho ni te, are taru ihe no tuyu sigeki wo nagame te, musi no ne ni kihohe ru kesiki, mukasimonogatari meki te oboye haberi si.
2.3.9  『 咲きまじる色はいづれと分かねども
   なほ常夏にしくものぞなき
 『庭にいろいろ咲いている花はいずれも皆美しいが
  やはり常夏の花が一番美しく思われます
 『咲きまじる花は何れとわかねども
  なほ常夏にしくものぞなき』
    'Saki maziru iro ha idure to waka ne domo
    naho tokonatu ni siku mono zo naki
2.3.10   大和撫子をばさしおきてまづ『塵をだに 』など、親の心をとる。
 大和撫子のことはさておいて、まず『せめて塵だけは払おう』などと、親の機嫌を取ります。
 子供のことは言わずに、まず母親の機嫌を取ったのですよ。
  Yamatonadesiko wo ba sasi-oki te, madu 'tiri wo dani' nado, oya no kokoro wo toru.
2.3.11  『 うち払ふ袖も露けき常夏に
   あらし吹きそふ秋も来にけり
 『床に積もる塵を払う袖を涙に濡れている常夏に
  さらに激しい風の吹きつける秋までが来ました
 『打ち払ふ袖も露けき常夏に
  嵐吹き添ふ秋も来にけり』
    'Uti-harahu sode mo tuyukeki tokonatu ni
    arasi huki sohu aki mo ki ni keri
2.3.12   とはかなげに言ひなして、まめまめしく恨みたるさまも見えず。涙をもらし落としても、いと恥づかしくつつましげに紛らはし隠して、 つらきをも思ひ知りけりと見えむは、わりなく苦しきものと思ひたりしかば心やすくて、またとだえ置きはべりしほどに、 跡もなくこそかき消ちて失せにしか
 とさりげなく言いつくろって、本気で恨んでいるようにも見えません。涙をもらし落としても、とても恥ずかしそうに遠慮がちに取り繕い隠して、薄情を恨めしく思っているということを知られるのが、とてもたまらないらしいことのように思っていたので、気楽に構えて、再び通わずにいましたうちに、跡形なく姿を晦ましていなくなってしまったのでした。
 こんな歌をはかなそうに言って、正面から私を恨むふうもありません。うっかり涙をこぼしても恥ずかしそうに紛らしてしまうのです。恨めしい理由をみずから追究して考えていくことが苦痛らしかったから、私は安心して帰って来て、またしばらく途絶えているうちに消えたようにいなくなってしまったのです。
  to hakanage ni ihi-nasi te, mamemamesiku urami taru sama mo miye zu. Namida wo morasi otosi te mo, ito hadukasiku tutumasige ni magirahasi kakusi te, turaki wo mo omohi siri keri to miye m ha, warinaku kurusiki mono to omohi tari sika ba, kokoroyasuku te, mata todaye oki haberi si hodo ni, ato mo naku koso kaki-keti te use ni sika.
2.3.13   まだ世にあらばはかなき世にぞさすらふらむ。あはれと思ひしほどに、わづらはしげに思ひまとはす けしき見えましかば、かくもあくがらさざらまし。こよなきとだえおかず、 さるものにしなして 長く見るやうもはべりなましかの撫子のらうたくはべりしかば、 いかで尋ねむと思ひたまふるを今もえこそ聞きつけはべらね
 まだ生きていれば、みじめな生活をしていることでしょう。愛しいと思っていましたころに、うるさいくらいにまつわり付くような様子に見えたならば、こういうふうには行方不明にはさせなかったものを。こんなにも途絶えはせずに、通い妻の一人として末永く関係を保つこともあったでしょうに。あの撫子がかわいらしうございましたので、何とか捜し出したいものだと存じておりますが、今でも行方を知ることができません。
 まだ生きておれば相当に苦労をしているでしょう。私も愛していたのだから、もう少し私をしっかり離さずにつかんでいてくれたなら、そうしたみじめな目に逢いはしなかったのです。長く途絶えて行かないというようなこともせず、妻の一人として待遇のしようもあったのです。撫子の花と母親の言った子もかわいい子でしたから、どうかして捜し出したいと思っていますが、今に手がかりがありません。
  Mada yo ni ara ba, hakanaki yo ni zo sasurahu ram. Ahare to omohi si hodo ni, wadurahasige ni omohi matohasu kesiki miye masika ba, kaku mo akugarasa zara masi. Koyonaki todaye oka zu, saru mono ni si nasi te nagaku miru yau mo haberi na masi. Kano Nadesiko no rautaku haberi sika ba, ikade tadune m to omohi tamahuru wo, ima mo e koso kiki-tuke habera ne.
2.3.14   これこそのたまへるはかなき例なめれつれなくてつらしと思ひけるも知らであはれ絶えざりしも、益なき片思ひなりけり。今やうやう忘れゆく際に、 かれはたえしも思ひ離れず、折々人やりならぬ胸焦がるる夕べも あらむとおぼえはべりこれなむ、え保つまじく頼もしげなき方なりける
 これがおっしゃられた頼りない女の例でしょう。平気をよそおって辛いと思っているのも知らないで、愛し続けていたのも、無益な片思いでした。今はだんだん忘れかけて行くころになって、あの女は女でまたわたしを忘れられず、時折自分のせいで胸を焦がす夕べもあるであろうと思われます。この女は、永続きしそうにない頼りない例でしたなあ。
 これはさっきの話のたよりない性質の女にあたるでしょう。素知らぬ顔をしていて、心で恨めしく思っていたのに気もつかず、私のほうではあくまでも愛していたというのも、いわば一種の片恋と言えますね。もうぼつぼつ今は忘れかけていますが、あちらではまだ忘れられずに、今でも時々はつらい悲しい思いをしているだろうと思われます。これなどは男に永久性の愛を求めようとせぬ態度に出るもので、確かに完全な妻にはなれませんね。
  Kore koso notamahe ru hakanaki tamesi na' mere. Turenaku te turasi to omohi keru mo sira de, ahare taye zari si mo, yaku naki kataomohi nari keri. Ima yauyau wasure yuku kiha ni, kare hata e simo omohi hanare zu, woriwori hitoyari nara nu mune kogaruru yuhube mo ara m to oboye haberi. Kore nam, e tamotu maziku tanomosige naki kata nari keru.
2.3.15   されば、かのさがな者も、思ひ出である方に忘れがたけれど、さしあたりて見むには わづらはしくよ、よくせずは飽きたきこともありなむや琴の音すすめけむかどかどしさも、好きたる罪重かるべし。 この心もとなきも、疑ひ添ふべければ、いづれとつひに 思ひ定めずなりぬるこそ。世の中や、ただかくこそ。とりどりに 比べ苦しかるべき。このさまざまのよき限りをとり具し、難ずべきくさはひまぜぬ人は、 いづこにかはあらむ吉祥天女を思ひかけむとすれば、法気づき、 くすしからむこそ、また、わびしかりぬべけれ」 とて、皆笑ひぬ
 それだから、あの嫉妬深い女も、思い出される女としては忘れ難いけれども、実際に結婚生活を続けて行くのにはうるさいしね、悪くすると、嫌になることもありましょうよ。琴が素晴らしい才能だったという女も、浮気な欠点は重大でしょう。この頼りない女も、疑いが出て来ましょうから、どちらが良いとも結局は決定しがたいのだ。男女の仲は、ただこのようなものだ。それぞれに優劣をつけるのは難しいことで。このそれぞれの良いところばかりを身に備えて、非難される点を持たない女は、どこにいましょうか。吉祥天女に思いをかけようとすれば、抹香臭くなり、人間離れしているのも、また、おもしろくないでしょう」と言って、皆笑った。
 だからよく考えれば、左馬頭のお話の嫉妬深い女も、思い出としてはいいでしょうが、今いっしょにいる妻であってはたまらない。どうかすれば断然いやになってしまうでしょう。琴の上手な才女というのも浮気の罪がありますね。私の話した女も、よく本心の見せられない点に欠陥があります。どれがいちばんよいとも言えないことは、人生の何のこともそうですがこれも同じです。何人かの女からよいところを取って、悪いところの省かれたような、そんな女はどこにもあるものですか。吉祥天女を恋人にしようと思うと、それでは仏法くさくなって困るということになるだろうからしかたがない」
 中将がこう言ったので皆笑った。
  Sareba, kano sagana mono mo, omohi ide aru kata ni wasure gatakere do, sasiatari te mi m ni ha wadurahasiku yo, yoku se zu ha, akitaki koto mo ari na m ya! Koto no ne susume kem kadokadosisa mo, suki taru tumi omokaru besi. Kono kokoromotonaki mo, utagahi sohu bekere ba, idure to tuhini omohi sadame zu nari nuru koso. Yononaka ya, tada kaku koso. Toridori ni kurabe kurusikaru beki. Kono samazama no yoki kagiri wo tori gusi, nanzu beki kusahahi maze nu hito ha, iduko ni kaha ara m. Kitizyautennyo wo omohi kake m to sure ba, hohukeduki, kususikara m koso, mata, wabisikari nu bekere." tote, mina warahi nu.
注釈378なにがしは痴者の物語をせむ頭中将の詞。「痴者」を男(頭中将)とする説と女(夕顔)とする説がある。愚か者の話を語ろう、の意。二者択一とは言いがたい。両義性をもった言い方。自分としてはやや自嘲気味にかつ相手の女としては気の毒にという微妙なニュアンスを含んだ複雑な心理表現。『集成』は「阿呆な男の話」と解し、『新大系』は「愚か者の話であると称して頭中将の体験談を語る。先に左馬頭によって落としめられた逃げ隠れする女の例なので「痴者」というか。順送りの二人目」と注す。なお、頭中将には右大臣家の娘で正妻の四君がいる。2.3.2
注釈379いと忍びて見そめたりし人の以下「撫子の花を折りておこせたりし」まで、頭中将の物語。格助詞「の」同格を表す。常夏の女(のちの夕顔)の物語。2.3.2
注釈380さても見つべかりしけはひなりしかば「さ」は、通い妻(側室)をさす。完了の助動詞「つ」確述、終止形、推量の助動詞「べかり」適当、連用形、過去の助動詞「し」連体形。断定の助動詞「なり」連用形、過去の助動詞「しか」已然形+接続助詞「ば」、順接の確定条件を表す。側室の一人としてもよかった様子だったので、の意。「馴れゆくままに」に続く。2.3.2
注釈381ながらふべきものとしも思ひたまへざりしかど挿入句。推量の助動詞「べき」当然、連体形、副助詞「しも」強調、謙譲の補助動詞「たまへ」下二段、未然形、打消の助動詞「ざり」連用形、過去の助動詞「しか」已然形+接続助詞「ど」逆接。2.3.2
注釈382さばかりになれば「馴れゆくままに」から「忘れぬものに思ひたまへし」までの内容をさす。2.3.2
注釈383うち頼めるけしき女が頭中将を頼りにする様子。2.3.2
注釈384恨めしと思ふこともあらむと頭中将が女の心中を推測。動詞「あら」ラ変、未然形、推量の助動詞「む」終止形。例えば、途絶えがちに通っているさまなど。2.3.2
注釈385見知らぬやうにて女は気に掛けない態度で。恨めしさを表面に出さない。2.3.2
注釈386朝夕にもてつけたらむありさま朝に夕なに従順な態度。夫を、送り出し、出迎える、従順な妻の態度をいう。2.3.2
注釈387心苦しかりしかば形容詞「心苦しかり」連用形、過去の助動詞「しか」已然形+接続助詞「ば」、順接の確定条件。2.3.2
注釈388頼めわたることなどもありきかし末長く側室の一人として処遇するという約束などもした、という意。2.3.2
注釈389さらばこの人こそはと「さ」は頭中将が約束したことをさす。頭中将を頼りにしよう、という意。2.3.3
注釈390この見たまふるわたりよりわたしの妻(右大臣の四君)の辺りから。右大臣家から。2.3.3
注釈391情けなくうたてあることをなむ正妻側から側室への脅迫。係助詞「なむ」は過去の助動詞「ける」連体形に係る係り結びの法則。2.3.3
注釈392さるたよりありてかすめ言はせたりける女に伝えるのに適当な機会、便宜。完了の助動詞「たり」連用形、過去の助動詞「ける」連体形、伝聞を表す。人づてに聞いた状況が現れている。2.3.3
注釈393後にこそ聞きはべりしか係助詞「こそ」は、過去の「助動詞「しか」已然形に係る、係り結びの法則。丁寧の補助動詞「はべり」連用形。自身の直接体験であることを示す。2.3.3
注釈394さる憂きことやあらむとも知らず係助詞「や」は推量の助動詞「む」連体形に係る。「この見たまふるわたりより情けなくうたてあることをなむさるたよりありてかすめ言はせたりける」をさす。2.3.4
注釈395幼き者なども頭中将と常夏の女の間にできた子。後の玉鬘をいう。2.3.4
注釈396撫子の花を「撫子」は幼い子供を連想させる歌ことば。2.3.4
注釈397さてその文の言葉は源氏の頭中将に対する問い。尊敬語「たまふ」が付いている。2.3.5
注釈398いさや以下「わびしかりぬべけれ」まで、頭中将の詞。「いさや」は、さあね。いや。否定のことば。2.3.6
注釈399ことなることもなかりきや形容詞「なかり」連用形、過去の助動詞「き」終止形、間投助詞「や」詠嘆を表す。2.3.6
注釈400山がつの垣ほ荒るとも折々に--あはれはかけよ撫子の露女の贈歌。「山がつ」は自分を謙称。「撫子」は、幼い子供をさす。「露」は愛情をいう。動詞「荒る」終止形+接続助詞「とも」逆接を表す。『源氏釈』は「あな恋し今も見てしが山がつの垣ほに咲ける大和撫子」(古今集、恋四、六九五、読人しらず)を指摘する。2.3.7
注釈401まかりたりしかば「まかり」は「行く」の謙譲語。完了の助動詞「たり」連用形、完了の意、過去の助動詞「しか」已然形+接続助詞「ば」順接の確定条件を表す。行きましたところ、の意。2.3.8
注釈402うらもなきものから係助詞「も」強調のニュアンス、接続助詞「ものから」逆接の確定条件を表す。信じきっているようでいてその一面では、という表現。2.3.8
注釈403荒れたる家の露しげきを眺めて格助詞「の」所有格。「露」は涙を暗示する。「しげき」の下に「庭」などの語が省略されている。2.3.8
注釈404虫の音に競へるけしき泣くさま。虫の音と泣き競っているかの様子。2.3.8
注釈405昔物語めきておぼえはべりし「はべり」丁寧の補助動詞、「過去の助動詞「し」連体形止め、余情を残した表現。作品としての昔物語。陋屋に悲しみに暮れている姫君といった趣向の物語。2.3.8
注釈406咲きまじる色はいづれと分かねども--なほ常夏にしくものぞなき頭中将の返歌。動詞「分か」未然形、打消の助動詞「ね」已然形+接続助詞「ども」逆接を表す。動詞「しく」は漢文訓読系の語彙。男性的語彙のニュアンス。係助詞「ぞ」は形容詞「なき」連体形に係る、係り結びの法則、強調のニュアンスを添える。「常夏」は「撫子」の異名。歌語である。「常」は「床」を連想させ、夫婦を連想させる。子供をさす言葉から親をさす言葉へと、すり変える。母と娘とどちらがと言われても、やはり、あなたが一番です、という主旨。2.3.9
注釈407大和撫子をばさしおきて「大和撫子」は「子」を譬喩する。子供のことは、差し置いて。2.3.10
注釈408まづ塵をだに『源氏釈』は「塵をだに据ゑじとぞ思ふ咲きしより妹と我がぬる常夏の花」(古今集、夏、一六七、凡河内躬恒)を指摘する。床に塵が積もるようにはしません、これからは訪れますよ、の意。『新大系』は「床の塵を払うと男が訪ねてくるとの俗信(万葉集以下に見える)が背景にある歌」と注す。2.3.10
注釈409うち払ふ袖も露けき常夏に--あらし吹きそふ秋も来にけり女の返歌。相手の「常夏」を用いて返す。「うち払ふ」は頭中将の引歌「塵をだに」を踏まえた表現。「常夏」は自分をいう。来ないあなたを待ちながら床に積もる塵を払って涙しているわたしに、の意。「あらし吹きそふ」は頭中将の北の方あたりからの脅迫を暗示する。「秋」には「飽き」を掛ける。愛情が冷めたのですね、という恨みを含む。初めて、恨み言めいたことをいう。2.3.11
注釈410とはかなげに言ひなして以下、頭中将から見た女の様子や態度。2.3.12
注釈411つらきをも思ひ知りけりと見えむはわりなく苦しきものと思ひたりしかば「思ひ知りけり」の主語は女。「見えむ」は見える、表れる、の意。頭中将から知られること。「思ひたりしかば」の主語は女。女は、頭中将の薄情を恨めしく思っているのだと、男から知られることを、ひどく苦にしていた、の意。2.3.12
注釈412心やすくて主語は頭中将。2.3.12
注釈413跡もなくこそかき消ちて失せにしか係助詞「こそ」は過去の助動詞「しか」已然形に係る、係り結びの法則。動詞「失せ」下二段、連用形、完了の助動詞「に」完了の意。跡形もなく姿を隠していなくなってしまった、行方不明となってしまった、の意。2.3.12
注釈414まだ世にあらば動詞「あら」ラ変、未然形+接続助詞「ば」、仮定条件を表す。2.3.13
注釈415はかなき世にぞさすらふらむ係助詞「ぞ」は推量の助動詞「らむ」視界外推量、連体形に係る、係り結びの法則。2.3.13
注釈416けしき見えましかばかくもあくがらさざらまし「ましかば--まし」の反実仮想の構文。態度が見えたらあのように行方不明にはさせなかったろうに、の意。2.3.13
注釈417さるものにしなして側室の中でも相当な地位の人として待遇しよう、の意。2.3.13
注釈418長く見るやうもはべりなまし「はべり」連用形は「有り」の丁寧語。完了の助動詞「な」未然形、完了の意、推量の助動詞「まし」反実仮想。反実仮想の構文。2.3.13
注釈419かの撫子のちの玉鬘のこと。女が「撫子」と詠んできたことばを受けて、用いる。2.3.13
注釈420いかで尋ねむと思ひたまふるを副詞「いかで」、推量の助動詞「む」意志、謙譲の補助動詞「たまふる」下二段、連体形、接続助詞「を」逆接。2.3.13
注釈421今もえこそ聞きつけはべらね係助詞「も」強調のニュアンスを添える。副詞「え」は打消の助動詞「ね」已然形と呼応して不可能の意を表す。係助詞「こそ」は「ね」已然形に係る、係り結びの法則。2.3.13
注釈422これこそのたまへるはかなき例なめれ「のたまへる」の主語は左馬頭。前の「艶にもの恥ぢして、恨み言ふべきことをも見知らぬさまに忍びて」から「海づらなどにはひ隠れぬるをり」をさす。係助詞「こそ」、尊敬の補助動詞「のたまへ」已然形、完了の助動詞「る」連体形、完了の意。断定の助動詞「な」連体形は「る」が撥音便化(「ん」)してさらに無表記化された形、推量の助動詞「めれ」已然形、主観的推量の意、係り結びの法則。2.3.14
注釈423つれなくてつらしと思ひけるも知らで「つれなくて」の主語は女。「知らで」の主語は自分頭中将。2.3.14
注釈424あはれ絶えざりしも「絶え」下二段、未然形、打消の助動詞「ざり」連用形、過去の助動詞「し」連体形、係助詞「も」。2.3.14
注釈425かれはたえしも思ひ離れず副詞「はた」一面を認めながら別の一面を述べる、意。副詞「え」は打消の助動詞「ず」と呼応して不可能の意、副助詞「しも」強調。女は女で、またわたしのことを忘れられず。2.3.14
注釈426あらむとおぼえはべり「あら」ラ変、未然形、推量の助動詞「む」推量。丁寧の補助動詞「はべり」終止形。2.3.14
注釈427これなむえ保つまじく頼もしげなき方なりける係助詞「なむ」は過去の助動詞「ける」連体形、詠嘆の意に係る、係り結びの法則。副詞「え」は打消推量の助動詞「まじく」連用形と呼応して不可能の意を表す。2.3.14
注釈428さればかのさがな者以下を左馬頭の詞とする説もある。『新大系』は「以下、頭中将の言のほか、左馬頭らの言をも交えた会話文かもしれない」と注す。
【かのさがな者】−左馬頭の体験談中の嫉妬深い女の例。
2.3.15
注釈429わづらはしくよよくせずは明融臨模本には「よ」が二つある。大島本は「わつらハしくよくせすは」とある。前の「よ」に後人の朱筆でミセケチにするが、訂正以前本文の形を採用。これらの「よ」は行末と行頭にあるので、行移りの際の衍字か。終助詞また間投助詞「よ」とみた場合、その接続も連体形であってほしい所。2.3.15
注釈430飽きたきこともありなむや完了の助動詞「な」確述。推量の助動詞「む」推量、間投助詞「や」詠嘆。嫌になることもきっとありましょうよ、の意。2.3.15
注釈431琴の音すすめけむ左馬頭の体験談中の風流好みの浮気な女の例。2.3.15
注釈432この心もとなきも頭中将の体験談中の常夏の女の例。2.3.15
注釈433思ひ定めずなりぬるこそ世の中やただかくこそ二つの係助詞「こそ」はいずれも受ける語句がない。そこで文は切れる。初めの「こそ」の下には「わりなけれ」などの語が省略。後の「こそ」の下には「あれ」などの語が省略。2.3.15
注釈434比べ苦しかるべき連体中止法。余韻余情を表す。2.3.15
注釈435いづこにかはあらむ反語表現。どこにもいない、の意。2.3.15
注釈436吉祥天女を思ひかけむ『日本霊異記』中巻第十三や『古本説話集』巻下第六十二に吉祥天女に恋をした男の話がある。2.3.15
注釈437くすしからむこそ「霊異 クスシキ」(西域記長寛点)。係助詞「こそ」は推量の助動詞「べけれ」已然形に係る、係り結びの法則。2.3.15
注釈438とて皆笑ひぬ頭中将の物語が終わって、一同どっと笑った。2.3.15
出典10 『塵をだに』 塵をだに据ゑじとぞ思ふ咲きしより妹とわが寝る常夏の花 古今集夏-一六七 凡河内躬恒 2.3.10
校訂29 痴者の 痴者の--しれ(れ/+ものゝ) 2.3.2
校訂30 常夏に 常夏に--とこ夏になつに(夏に/$) 2.3.9
2.4
第四段 式部丞の体験談(畏れ多い女の物語)


2-4  Tou-Shikibu-no-Jo talks about a clever girl friend

2.4.1  「 式部がところにぞ、けしきあることはあらむ。すこしづつ語り申せ」と 責めらる
 「式部のところには、変わった話があろう。少しずつ、話して聞かせよ」と催促される。
 「式部の所にはおもしろい話があるだろう、少しずつでも聞きたいものだね」
 と中将が言い出した。
  "Sikibu ga tokoro ni zo, kesiki aru koto ha ara m. Sukosi-dutu katari mause." to seme raru.
2.4.2  「 下が下の中には、なでふことか、聞こし召しどころはべらむ
 「下の下のわたくしめごとき者には、何の、お聞きあそばす話がありましょう」
 「私どもは下の下の階級なんですよ。おもしろくお思いになるようなことがどうしてございますものですか」
  "Simo ga simo no naka ni ha, nadehu koto ka, kikosimesi dokoro habera m."
2.4.3  と言へど、 頭の君、まめやかに「遅し」と責めたまへば、 何事をとり申さむと思ひめぐらすに、
 と言うけれど、頭中将の君が、真面目に「早く早く」とご催促なさるので、何をお話し申そうかと思案したが、
 式部丞は話をことわっていたが、頭中将が本気になって、早く早くと話を責めるので、
 「どんな話をいたしましてよろしいか考えましたが、こんなことがございます。
  to ihe do, Tounokimi, mameyaka ni "Ososi" to seme tamahe ba, nanigoto wo tori mausa m to omohi megurasu ni,
2.4.4  「 まだ文章生にはべりし時かしこき女の例をなむ 見たまへし。かの、 馬頭申したまへるやうに、公事をも言ひあはせ、私ざまの世に住まふべき心おきてを思ひめぐらさむ方もいたり深く、才の際なまなまの博士恥づかしく、すべて口あかすべくなむはべらざりし。
 「まだ文章生でございました時、畏れ多い女性の例を拝見しました。先程、左馬頭が申されましたように、公事をも相談し、私生活の面での心がけも考え廻らすこと深く、漢学の才能はなまじっかの博士が恥ずかしくなる程で、万事口出すことは何もございませんでした。
 まだ文章生時代のことですが、私はある賢女の良人になりました。さっきの左馬頭のお話のように、役所の仕事の相談相手にもなりますし、私の処世の方法なんかについても役だつことを教えていてくれました。学問などはちょっとした博士などは恥ずかしいほどのもので、私なんかは学問のことなどでは、前で口がきけるものじゃありませんでした。
  "Mada monzyaunosyau ni haberi si toki, kasikoki womna no tamesi wo nam mi tamahe si. Kano, Mumanokami no mausi tamahe ru yau ni, ohoyakegoto wo mo ihi ahase, watakusi zama no yo ni sumahu beki kokorookite wo omohimegurasa m kata mo itari hukaku, zae no kiha namanama no hakase hadukasiku, subete kuti akasu beku nam habera zari si.
2.4.5  それは、ある博士のもとに 学問などしはべるとて、まかり通ひしほどに、主人のむすめども多かりと 聞きたまへて、はかなきついでに言ひ寄りてはべりしを、親聞きつけて、盃持て出でて、 わが両つの途歌ふを聴け』となむ、 聞こえごちはべりしかどをさをさうちとけてもまからず、かの親の心を憚りて、さすがにかかづらひはべりしほどに、 いとあはれに思ひ後見、寝覚の語らひにも、身の才つき、朝廷に仕うまつるべき道々しきことを教へて、いときよげに消息文にも 仮名といふもの書きまぜず、 むべむべしく言ひまはしはべるに、おのづからえまかり絶えで、その者を師としてなむ、わづかなる 腰折文作ることなど習ひはべりしかば、今にその は忘れはべらねど、なつかしき妻子と うち頼まむには、無才の人、なま悪ろならむ振る舞ひなど 見えむに恥づかしくなむ見えはべりし
 それは、ある博士のもとで学問などを致そうと思って、通っておりましたころに、主人の博士には娘が多くいるとお聞き致しまして、ちょっとした折に言い寄りましたところ、父親が聞きつけて、盃を持って出て来て、『わたしが両つの途を歌うのを聴け』と 謡いかけてきましたが、少しも結婚してもよいと思って通っていませんで、あの父親の気持ちに気兼ねして、そうは言うもののかかずらっておりましたところ、とても情け深く世話をし、閨房の語らいにも、身に学問がつき、朝廷に仕えるのに役立つ学問的なことを教えてくれて、とても見事に手紙文にも仮名文字というものを書き交ぜず、本格的に漢文で表現しますので、ついつい別れることができずに、その女を先生として、下手な漢詩文を作ることなどを習いましたので、今でもその恩は忘れませんが、慕わしい妻として頼りにするには、無学のわたしは、どことなく劣った振る舞いなど見られましょうから、恥ずかしく思われました。
 それはある博士の家へ弟子になって通っておりました時分に、先生に娘がおおぜいあることを聞いていたものですから、ちょっとした機会をとらえて接近してしまったのです。親の博士が二人の関係を知るとすぐに杯を持ち出して白楽天の結婚の詩などを歌ってくれましたが、実は私はあまり気が進みませんでした。ただ先生への遠慮でその関係はつながっておりました。先方では私をたいへんに愛して、よく世話をしまして、夜分寝んでいる時にも、私に学問のつくような話をしたり、官吏としての心得方などを言ってくれたりいたすのです。手紙は皆きれいな字の漢文です。仮名なんか一字だって混じっておりません。よい文章などをよこされるものですから別れかねて通っていたのでございます。今でも師匠の恩というようなものをその女に感じますが、そんな細君を持つのは、学問の浅い人間や、まちがいだらけの生活をしている者にはたまらないことだとその当時思っておりました。
  Sore ha, aru hakase no moto ni gakumon nado si haberu tote, makari kayohi si hodo ni, aruzi no musume-domo ohokari to kiki tamahe te, hakanaki tuide ni ihiyori te haberi si wo, oya kikituke te, sakaduki mote-ide te, 'Waga hutatu no miti utahu wo kike.' to nam, kikoyegoti haberi sika do, wosawosa utitoke te mo makara zu, kano oya no kokoro wo habakari te, sasugani kakadurahi haberi si hodo ni, ito ahare ni omohi usiromi, nezame no katarahi ni mo, mi no zae tuki, ohoyake ni tukaumaturu beki mitimitisiki koto wo wosihe te, ito kiyoge ni seusokobumi ni mo kanna to ihu mono kaki maze zu, mubemubesiku ihimahasi haberu ni, onodukara e makari taye de, sono mono wo si to si te nam, waduka naru kosiworebumi tukuru koto nado narahi haberi sika ba, ima ni sono on ha wasure habera ne do, natukasiki saisi to uti-tanoma m ni ha, muzai no hito, namawaro nara m hurumahi nado miye m ni, hadukasiku nam miye haberi si.
2.4.6  まいて君達の御ため、はかばかしく したたかなる御後見は、 何にかせさせたまはむ。はかなし、口惜し、とかつ見つつも、ただわが心につき、 宿世の引く方はべるめれば男しもなむ、仔細なきものははべめる
 ましてあなた様方の御ためには、しっかりして手ぬかりのない奥方様は、何の必要がおありあそばしましょうか。つまらない、残念だ、と一方では思いながらも、ただ自分の気に入り、宿縁もあるようでございますので、男という者は、他愛のないもののようでございます」
 またお二方のようなえらい貴公子方にはそんなずうずうしい先生細君なんかの必要はございません。私どもにしましても、そんなのとは反対に歯がゆいような女でも、気に入っておればそれでいいのですし、前生の縁というものもありますから、男から言えばあるがままの女でいいのでございます」
  Maite kimdati no ohom-tame, hakabakasiku sitataka naru ohom-usiromi ha, nani ni ka se sase tamaha m. Hakanasi, kutiwosi, to katu mi tutu mo, tada waga kokoro ni tuki, sukuse no hiku kata haberu mere ba, wonoko simo nam, sisai naki mono ha habe' meru."
2.4.7  と申せば、 残りを言はせむとて、「 さてさてをかしかりける女かな」とすかいたまふを、心は得ながら、 鼻のわたりをこづきて語りなす
 と申し上げるので、続きを言わせようとして、「それにしてもまあ、何と興味ある女だろうか」と、おだてなさるのを、そうとは知りながらも、鼻のあたりをおかしなかっこうさせて語り続ける。
 これで式部丞が口をつぐもうとしたのを見て、頭中将は今の話の続きをさせようとして、
 「とてもおもしろい女じゃないか」
 と言うと、その気持ちがわかっていながら式部丞は、自身をばかにしたふうで話す。
  to mause ba, nokori wo iha se m tote, "Sate sate wokasikari keru womna kana!" to sukai tamahu wo, kokoro ha e nagara, hana no watari wo koduki te katari-nasu.
2.4.8  「 さて、いと久しくまからざりしに、もののたよりに立ち寄りてはべれば、常のうちとけゐたる方にははべらで、心やましき 物越しにてなむ逢ひてはべる。ふすぶるにやと、をこがましくも、また、 よきふしなりとも思ひたまふるに、このさかし人はた、軽々しきもの怨じすべきにもあらず、 世の道理を思ひとりて恨みざりけり。
 「そうして、ずいぶん長く行きませんでしたが、何かのついでに立ち寄ってみましたところ、いつものくつろいだ部屋にはおりませんで、不愉快な物を隔てて逢のでございます。嫉妬しているのかと、ばかばかしくもあり、また、別れるのにちょうど良い機会だと存じましたが、この畏れ多い女という者は、軽々しい嫉妬をするはずもなく、男女の仲を心得ていて恨み言を言いませんでした。
 「そういたしまして、その女の所へずっと長く参らないでいました時分に、その近辺に用のございましたついでに、寄って見ますと、平生の居間の中へは入れないのです。物越しに席を作ってすわらせます。嫌味を言おうと思っているのか、ばかばかしい、そんなことでもすれば別れるのにいい機会がとらえられるというものだと私は思っていましたが、賢女ですもの、軽々しく嫉妬などをするものではありません。人情にもよく通じていて恨んだりなんかもしやしません。
  "Sate, ito hisasiku makara zari si ni, mono no tayori ni tatiyori te habere ba, tune no utitoke wi taru kata ni ha habera de, kokoroyamasiki monogosi nite nam ahi te haberu. Husuburu ni ya to, wokogamasiku mo, mata, yoki husi nari to mo omohi tamahuru ni, kono sakasibito hata, karogarosiki mono-wen-zi su beki ni mo ara zu, yo no dauri wo omohi-tori te urami zari keri.
2.4.9  声もはやりかにて言ふやう、
 声もせかせかと言うことには、
 しかも高い声で言うのです。
  Kowe mo hayarika ni te ihu yau,
2.4.10  『 月ごろ、風病重きに堪へかねて、極熱の草薬を服して、いと臭きによりなむ、 え対面賜はらぬ。目のあたりならずとも、さるべからむ雑事らは承らむ』
 『数月来、風邪が重いのに堪え兼ねて、極熱の薬草を服して、大変に臭いので、面会は御遠慮申し上げます。直接にでなくても、しかるべき雑用などは承りましょう』
 『月来、風病重きに堪えかね極熱の草薬を服しました。それで私はくさいのでようお目にかかりません。物越しででも何か御用があれば承りましょう』
  'Tukigoro, hubyau omoki ni tahe kane te, gokuneti no sauyaku wo bukusi te, ito kusaki ni yori nam, e taimen tamahara nu. Manoatari nara zu tomo, sarubekara m zauzi-ra ha uketamahara m.'
2.4.11  と、いとあはれにむべむべしく言ひはべり。 答へに何とかは。ただ、『 承りぬ』とて、立ち出ではべるに、 さうざうしくやおぼえけむ
 と、いかにも殊勝にもっともらしく言います。返事には何と言えようか。ただ、『承知しました』とだけ言って、立ち去ります時に、物足りなく思ったのでしょうか、
ってもっともらしいのです。ばかばかしくて返辞ができるものですか、私はただ『承知いたしました』と言って帰ろうとしました。でも物足らず思ったのですか
  to, ito ahare ni mubemubesiku ihi haberi. Irahe ni nani to kaha. Tada, 'Uketamahari nu' tote, tati ide haberu ni, sauzausiku ya oboye kem,
2.4.12  『 この香失せなむ時に立ち寄りたまへ』と高やかに言ふを、聞き過ぐさむもいとほし、しばしやすらふべきに、はたはべらねば、げにそのにほひさへ、はなやかにたち添へるも術なくて、 逃げ目をつかひて
 『この臭いが消えた時にお立ち寄り下さい』と声高に言うのを、聞き捨てるのも気の毒ですが、しばしの間でもためらっている場合でもありませんので、言うとおり、その臭いまでが、ぷんぷんと漂って来るのも堪りませんので、きょろきょろと逃げ時をうかがって、
 『このにおいのなくなるころ、お立ち寄りください』とまた大きな声で言いますから、返辞をしないで来るのは気の毒ですが、ぐずぐずもしていられません。なぜかというと草薬の蒜なるものの臭気がいっぱいなんですから、私は逃げて出る方角を考えながら、
  'Kono ka use na m toki ni tatiyori tamahe.' to takayaka ni ihu wo, kiki sugusa m mo itohosi, sibasi yasurahu beki ni, hata habera ne ba, geni sono nihohi sahe, hanayaka ni tati sohe ru mo subenaku te, nigeme wo tukahi te,
2.4.13  『 ささがにのふるまひしるき夕暮れに
   ひるま過ぐせといふがあやなさ
 『蜘蛛の動きでわたしの来ることがわかっているはずの夕暮に
  蒜が臭っている昼間が過ぎるまでまで待てと言うのは訳がわかりません
 『ささがにの振舞ひしるき夕暮れに
  ひるま過ぐせと言ふがあやなき。
    'Sasagani no hurumahi siruki yuhugure ni
    hiruma suguse to ihu ga aya nasa
2.4.14   いかなることつけぞや
 どのような口実ですか』
 何の口実なんだか』
  Ikanaru kototuke zo ya?'
2.4.15  と、 言ひも果てず走り出ではべりぬるに追ひて
 と、言い終わらず逃げ出しましたところ、追いかけて、
 と言うか言わないうちに走って来ますと、あとから人を追いかけさせて返歌をくれました。
  to, ihi mo hate zu hasiri ide haberi nuru ni, ohi te,
2.4.16  『 逢ふことの夜をし隔てぬ仲ならば
   ひる間も何かまばゆからまし
 『逢うことが一夜も置かずに逢っている夫婦仲ならば
  蒜の臭っている昼間逢ったからとてどうして恥ずかしいことがありましょうか
 『逢ふことの夜をし隔てぬ中ならば
  ひるまも何か眩ゆからまし』
    'Ahu koto no yo wo si hedate nu naka nara ba
    hiruma mo nani ka mabayukara masi
2.4.17   さすがに口疾くなどははべりき
 さすがに返歌は素早うございました」
 というのです。歌などは早くできる女なんでございます」
  Sasuga ni kutitoku nado ha haberi ki."
2.4.18  と、 しづしづと申せば、君達あさましと思ひて、「嘘言」とて笑ひたまふ。
 と、落ち着いて申し上げるので、公達は興醒めに思って、「嘘だ」と言ってお笑いになる。
 式部丞の話はしずしずと終わった。貴公子たちはあきれて、
  to, sidusidu to mause ba, kimitati asamasi to omohi te, "Soragoto" tote warahi tamahu.
2.4.19  「 いづこのさる女かあるべき。おいらかに 鬼とこそ向かひゐたらめ。むくつけきこと」
 「どこにそのような女がいようか。おとなしく鬼と向かい合っていたほうがましだ。気持ちが悪い話よ」
 「うそだろう」
 と爪弾きをして見せて、
  "Iduko no saru womna ka aru beki. Oyiraka ni oni to koso mukahi wi tara me. Mukutukeki koto!"
2.4.20  と 爪弾きをして、「言はむ方なし」と、式部をあはめ憎みて、
 と爪弾きして、「何とも評しようがない」と、藤式部丞を軽蔑し非難して、
 式部をいじめた。
  to tumahaziki wo si te, "Ihamkatanasi" to, Sikibu wo ahame nikumi te,
2.4.21  「 すこしよろしからむことを申せ」と責めたまへど、
 「もう少しましな話を申せ」とお責めになるが、
 「もう少しよい話をしたまえ」
  "Sukosi yorosikara m koto wo mause." to seme tamahe do,
2.4.22  「 これよりめづらしきことはさぶらひなむや」とて、をり。
 「これ以上珍しい話がございましょうか」と言って、澄ましている。
 「これ以上珍しい話があるものですか」
 式部丞は退って行った。
  "Kore yori medurasiki koto ha saburahi na m ya." tote, wori.
2.4.23  「 すべて男も女も悪ろ者は、わづかに知れる方のことを残りなく見せ尽くさむと思へるこそ、いとほしけれ。
 「すべて男も女も未熟者は、少し知っている方面のことをすっかり見せようと思っているのが、困ったものです。
 「総体、男でも女でも、生かじりの者はそのわずかな知識を残らず人に見せようとするから困るんですよ。
  "Subete wotoko mo womna mo waromono ha, waduka ni sire ru kata no koto wo nokori naku mise tukusa m to omohe ru koso, itohosikere.
2.4.24   三史五経、道々しき方を、明らかに 悟り明かさむこそ、愛敬なからめ などかは、女といはむからに、世にあることの公私につけて、むげに知らずいたらずしもあらむ。わざと習ひまねばねど、すこしもかどあらむ人の、耳にも目にもとまること、自然に多かるべし。
 三史五経といった 学問的な方面を、本格的に理解するというのは、好感の持てないこと ですが、どうして 女だからといって、世の中の公私の事々につけて、まったく知りませんできませんと言っていられましょうか。本格的に勉強しなくても、少しでも才能のあるような人は、耳から目から入って来ることが、自然に多いはずです。
 三史五経の学問を始終引き出されてはたまりませんよ。女も人間である以上、社会百般のことについてまったくの無知識なものはないわけです。わざわざ学問はしなくても、少し才のある人なら、耳からでも目からでもいろいろなことは覚えられていきます。
  Samsi gokyau, mitimitisiki kata wo, akiraka ni satori akasa m koso, aigyau nakara me, nadokaha, womna to iha m kara ni, yo ni aru koto no ohoyake watakusi ni tuke te, muge ni sira zu itara zu simo ara m. Wazato narahi maneba ne do, sukosi mo kado ara m hito no, mimi ni mo me ni mo tomaru koto, zinen ni ohokaru besi.
2.4.25   さるままには、真名を走り書きて、さるまじきどちの女文に、なかば過ぎて書きすすめたる、 あなうたて、この人のたをやかならましかばと見えたり。心地にはさしも思はざらめど、 おのづからこはごはしき声に読みなされなどしつつ、ことさらびたり。上臈の中にも、 多かることぞかし
 そのようなことから、漢字をさらさらと走り書きして、お互いに書かないはずの女どうしの手紙文にも、半分以上書き交ぜているのは、ああ何と厭味な、この人が女らしかったらいいのになあと思われます。気持ちの上ではそんなにも思わないでしょうが、自然とごつごつした声に読まれ読まれして、わざとらしく感じられます。上流の中にも 多く見られることです。
 自然男の知識に近い所へまでいっている女はつい漢字をたくさん書くことになって、女どうしで書く手紙にも半分以上漢宇が混じっているのを見ると、いやなことだ、あの人にこの欠点がなければという気がします。書いた当人はそれほどの気で書いたのではなくても、読む時に音が強くて、言葉の舌ざわりがなめらかでなく嫌味になるものです。これは貴婦人もするまちがった趣味です。
  Saru mama ni ha, manna wo hasirikaki te, sarumaziki-doti no womnabumi ni, nakaba sugi te kaki susume taru, ana utate, kono hito no tawoyaka nara masika ba to miye tari. Kokoti ni ha sasimo omoha zara me do, onodukara kohagohasiki kowe ni yomi nasa re nado si tutu, kotosarabi tari. Zyaurahu no naka ni mo, ohokaru koto zo kasi.
2.4.26   歌詠むと思へる人の、やがて歌にまつはれ、をかしき古言をも初めより 取り込みつつすさまじき折々詠みかけたるこそ、ものしきことなれ。返しせねば情けなし、 えせざらむ人ははしたなからむ。
 和歌を詠むことを鼻にかけている人が、そのまま和歌のとりことなって、趣のある古歌を初句から取り込み取り込みして、相応しからぬ折々に、それを詠みかけて来ますのは、不愉快なことです。返歌しないと人情がないし、出来ないような人は体裁が悪いでしょう。
 歌詠みだといわれている人が、あまりに歌にとらわれて、むずかしい故事なんかを歌の中へ入れておいて、そんな相手になっている暇のない時などに詠みかけてよこされるのはいやになってしまうことです、返歌をせねば礼儀でなし、またようしないでいては恥だし困ってしまいますね。
  Uta yomu to omohe ru hito no, yagate uta ni matuha re, wokasiki hurukoto wo mo hazime yori torikomi tutu, susamaziki woriwori, yomikake taru koso, monosiki koto nare. Kahesi se ne ba nasakenasi, e se zara m hito ha hasitanakara m.
2.4.27   さるべき節会など、 五月の節に急ぎ参る朝、 何のあやめも思ひしづめられぬに、えならぬ根を引きかけ、 九日の宴に、まづ難き詩の心を 思ひめぐらして暇なき折に、菊の露をかこち寄せなどやうの、つきなき営みにあはせ、さならでもおのづから、 げに後に思へばをかしくもあはれにも あべかりけることの、その折につきなく、目にとまらぬなどを、推し量らず詠み出でたる、なかなか心後れて見ゆ。
 しかるべき節会などで、五月の節会に急いで参内する朝に、落ち着いて分別などしていられない時に、素晴らしい根にかこつけてきたり、重陽の節会の宴会のために、何はともあれ難しい漢詩の趣向を思いめぐらしていて暇のない折に、菊の露にかこつけたような、相応しからぬことに付き合わせ、そういう場合ではなくとも自然と、なるほどと後から考えればおもしろくもしみじみともあるはずのものが、その場合には相応しくなく、目にも止まらないのを、察しもせずに詠んで寄こすのは、かえって気がきかないように思われます。
 宮中の節会の日なんぞ、急いで家を出る時は歌も何もあったものではありません。
そんな時に菖蒲に寄せた歌が贈られる、九月の菊の宴に作詩のことを思って一所懸命になっている時に、菊の歌。こんな思いやりのないことをしないでも場合さえよければ、真価が買ってもらえる歌を、今贈っては目にも留めてくれないということがわからないでよこしたりされると、ついその人が軽蔑されるようになります。
  Sarubeki setiwe nado, satuki no seti ni isogi mawiru asita, nani no ayame mo omohi sidume rare nu ni, e nara nu ne wo hiki kake, kokonukanoen ni, madu kataki si no kokoro wo omohi megurasi te itoma naki wori ni, kiku no tuyu wo kakoti yose nado yau no, tukinaki itonami ni ahase, sa nara de mo onodukara, geni noti ni omohe ba wokasiku mo ahare ni mo a' bekari keru koto no, sono wori ni tukinaku, me ni tomara nu nado wo, osihakara zu yomi ide taru, nakanaka kokoro okure te miyu.
2.4.28  よろづのことに、 などかは、さても、とおぼゆる折から、時々、思ひわかぬばかりの心にては、 よしばみ情け立たざらむなむ目やすかるべき
 万事につけて、どうしてそうするのか、そうしなくとも、と思われる折々に、時々、分別できない程度の思慮では、気取ったり風流めかしたりしないほうが無難でしょう。
 何にでも時と場合があるのに、それに気がつかないほどの人間は風流ぶらないのが無難ですね。
  Yorodu no koto ni, nadokaha, satemo, to oboyuru worikara, tokidoki, omohi waka nu bakari no kokoro ni te ha, yosibami nasakedata zara m nam meyasukaru beki.
2.4.29  すべて、 心に知れらむことをも、知らず顔にもてなし、 言はまほしからむことをも、一つ二つのふしは 過ぐすべくなむあべかりける
 総じて、心の中では知っているようなことでも、知らない顔をして、言いたいことも、一つ二つは言わないでおくのが良いというものでしょう」
 知っていることでも知らぬ顔をして、言いたいことがあっても機会を一、二度ははずして、そのあとで言えばよいだろうと思いますね」
  Subete, kokoro ni sire ra m koto wo mo, sirazugaho ni motenasi, iha mahosikara m koto wo mo, hitotu hutatu no husi ha sugusu beku nam a' bekari keru."
2.4.30  と言ふにも、 君は、人一人の御ありさまを、心の中に思ひつづけたまふ。「 これに足らず またさし過ぎたることなく ものしたまひけるかな」と、ありがたきにも、いとど胸ふたがる。
 と言うにつけても、源氏の君は、お一方の御様子を、胸の中に思い続けていらっしゃる。「この結論に足りないことまた出過ぎたところもない方でいらっしゃるなあ」と、比類ないことにつけても、ますます胸がいっぱいになる。
 こんなことがまた左馬頭によって言われている間にも、源氏は心の中でただ一人の恋しい方のことを思い続けていた。藤壼の宮は足りない点もなく、才気の見えすぎる方でもないりっぱな貴女であるとうなずきながらも、その人を思うと例のとおりに胸が苦しみでいっぱいになった。
  to ihu ni mo, Kimi ha, hito hitori no ohom-arisama wo, kokoro no uti ni omohi tuduke tamahu. "Kore ni tara zu mata sasi-sugi taru koto naku monosi tamahi keru kana!" to, arigataki ni mo, itodo mune hutagaru.
2.4.31   いづ方により果つともなく、果て果ては あやしきことどもになりて明かしたまひつ
 どういう結論に達するというでもなく、最後は聞き苦しい話に落ちて、夜をお明かしになった。
 いずれがよいのか決められずに、ついには筋の立たぬものになって朝まで話し続けた。
  Idukata ni yori hatu to mo naku, hatehate ha ayasiki koto-domo ni nari te, akasi tamahi tu.
注釈439式部がところにぞ以下「語り申せ」まで、頭中将の詞。副助詞「づつ」は反復の意味を表す。「申す」は謙譲語。相手の動作に対して用いている。尊大な言葉づかいである。いくつかの話の少しずつを申し上げよ、というニュアンス。2.4.1
注釈440責めらる「らる」は受身の助動詞。主語は藤式部丞。『古典セレクション』は「頭中将が催促される」と尊敬の助動詞とする。しかし下文に頭中将の動作には「責めたまへば」という尊敬の補助動詞「たまふ」が使用されているので、ここは受身の助動詞と解す。2.4.1
注釈441下が下の中にはなでふことか聞こし召しどころはべらむ藤式部丞の詞。式部丞は、従六位上から正六位下相当官。連体詞「なでふ」は「何でふ」の撥音便無表記化。反語表現。係助詞「か」推量の助動詞「む」推量、連体形に係る、係り結びの法則。何のお聞きあそばす話がありましょうか、ありません、の意。2.4.2
注釈442頭の君頭中将のこと。近衛府の中将(次官)で蔵人所の頭(長官)を兼任。2.4.3
注釈443何事をとり申さむ藤式部丞の心、思案。2.4.3
注釈444まだ文章生にはべりし時以下「仔細なきものははべめる」まで、藤式部丞の体験談。学者の娘の物語。
【文章生】−伝冷泉為秀筆本には仮名表記で「もんしやうのしやう」とある。
2.4.4
注釈445かしこき女『新大系』は「「かしこし」は、畏怖すべきだ。「賢い」という意味の原義である」と注す。2.4.4
注釈446見たまへし謙譲の補助動詞「たまへ」下二段、連用形。過去の助動詞「し」連体形、係助詞「なむ」の係り結びの法則。自己の体験を語るニュアンス。2.4.4
注釈447馬頭左馬頭のこと。話の中では、こう呼んでいる。2.4.4
注釈448申したまへるやうに「公私の人のたたずまひ善き悪しきこと」云々をさす。源氏や頭中将を意識して左馬頭の発言を「申す」という謙譲語を用い、左馬頭に対しては「たまふ」という尊敬の補助動詞を用いている。2.4.4
注釈449学問などしはべるとて丁寧の補助動詞「はべる」。謙譲の意を表す。2.4.5
注釈450聞きたまへて謙譲の補助動詞「ためへ」下二段、連用形。2.4.5
注釈451わが両つの途歌ふを聴け『白氏文集』秦中吟「議婚」の「聴我歌両途」の句。自分は貧しいが、貧家には姑に孝行を尽くす良い嫁がいる、と結婚を積極的に勧める意。式部丞の将来性を見込んでいるか、またはこの博士の家より少しは家柄や身分が高かったのでもあろうか。2.4.5
注釈452聞こえごちはべりしかど丁寧の補助動詞「はべり」が第三者(博士)の動作に対して使用されている。こちらにはその気もなく、迷惑な、というニュアンスがある。2.4.5
注釈453をさをさうちとけてもまからず副詞「をさをさ」は打消しの語と呼応して、少しも、ほとんど、の意。少しも気を許して通っていない。結婚してもよいという気持ちのないこと。2.4.5
注釈454いとあはれに思ひ後見博士の娘が藤式部丞を。2.4.5
注釈455仮名といふもの仮名文字という物を。当時、仮名は女性が多く使うものという考えがあり、男同士の話なので、「と言ふもの」と言っている。2.4.5
注釈456むべむべしく言ひまはし正式な漢文体で表現する。2.4.5
注釈457腰折文稚拙な漢詩文。謙遜して言ったもの。2.4.5
注釈458学者の物言いとして、以下「妻子」「無才」「仔細」などの漢語が続出する。なお「妻子」の「子」には意味はなく「妻」の意。2.4.5
注釈459うち頼まむには明融臨模本「は」の文字上に朱筆で「ヒ」とミセケチにする。後人の筆である。大島本にも「うちたのまむにハ」とある。『集成』『新大系』は「うち頼まむには」だが、『古典セレクション』では「うち頼まむに」と校訂する。2.4.5
注釈460見えむに無才の人、すなわち、わたしがみっともない振る舞いをし出かすだろう、の意。2.4.5
注釈461恥づかしくなむ見えはべりし係助詞「なむ」、過去の助動詞「し」連体形、係り結びの法則。わたしには思われました。2.4.5
注釈462何にかせさせたまはむ係助詞「か」反語、動詞「せ」サ変、未然形、尊敬の助動詞「させ」連用形、尊敬の補助動詞「たまは」未然形、最高敬語。推量の助動詞「む」連体形、係助詞「なむ」の係り結びの法則。何の必要がおありあそばしましょうか、何の必要もございますまい。2.4.6
注釈463宿世の引く方はべるめれば丁寧語「はべる」連体形、推量の助動詞「めれ」主観的推量、已然形+接続助詞「ば」順接の確定条件。2.4.6
注釈464男しもなむ仔細なきものははべめる副助詞「しも」強調。係助詞「なむ」は推量の助動詞「める」主観的推量、連体形に係る、係り結びの法則。「はべめる」は「はべるめる」の撥音便無表記化。『古典セレクション』は「「ものははべる」は、慣用的語法。「ものにはあれ」と同意の「ものはあれ」に准ずるか」と注す。2.4.6
注釈465残りを言はせむとて頭中将の心。2.4.7
注釈466さてさてをかしかりける女かな頭中将の詞。頭中将の動作には「すかいたまふ」と敬語表現がある。藤式部丞をおだてる。2.4.7
注釈467鼻のわたりをこづきて語りなす『古典セレクション』は「をこつきて」と清音に読む。『集成』は「うごめかせて」、『完訳』は「おどけて見せながら」と解す。おだてられていると十分承知していながら、調子に乗って話し続けている様子か。2.4.7
注釈468さていと久しくまからざりしに過去の助動詞「し」連体形+接続助詞「に」逆接。以下「口疾くなどははべりき」まで、藤式部丞の詞。2.4.8
注釈469物越しにてなむ逢ひてはべる係助詞「なむ」、完了のの助動詞「て」連用形、確述の意、丁寧の補助動詞「はべる」連体形、係り結びの法則。いつもと違うことを強調するニュアンス。2.4.8
注釈470よきふしなりとも思ひたまふるに謙譲の補助動詞「たまふる」下二段、連体形+接続助詞「に」逆接。別れるのにちょうどよい機会だと存じましたが、の意。2.4.8
注釈471世の道理を男女の仲。2.4.8
注釈472月ごろ風病重きに堪へかねて以下「雑事らは承らむ」まで、博士の娘の詞。藤式部丞以上に漢語的または男性的な言い回しが頻出する。2.4.10
注釈473え対面賜はらぬ副詞「え」、打消の助動詞「ぬ」連体形と呼応して不可能の意。係助詞「なむ」「ぬ」の係り結びの法則。2.4.10
注釈474答へに何とかは係助詞「かは」下に「言はむ」などの語句が省略。反語表現。2.4.11
注釈475承りぬ男の詞。2.4.11
注釈476さうざうしくやおぼえけむ主語は女。藤式部丞の推測。係助詞「や」疑問、過去推量の助動詞「けむ」連体形に係る、係り結びの法則。2.4.11
注釈477この香失せなむ時に立ち寄りたまへ女の詞。「高やかに言ふ」のは、たしなみのある女性の物言いでない。また、口臭も現れ出よう。「失せ」下二段、連用形、完了の助動詞「な」未然形、推量の助動詞「む」連体形。2.4.12
注釈478逃げ目をつかひて『集成』は「目つきもうろうろと」、『完訳』は「どうやって逃げだそうかと様子をうかがう」と解す。2.4.12
注釈479ささがにのふるまひしるき夕暮れに--ひるま過ぐせといふがあやなさ男の贈歌。『異本紫明抄』は「わがせこが来べき宵なり笹がにの蜘蛛の振る舞ひかねてしるしも」(古今集、墨滅歌、衣通姫)を指摘する。「ひる」に「昼」と「蒜」とを掛ける。夫のわたしが来るというのはかねて知っていながら、「昼間」(蒜の臭っている間)は待て、というのが分からない、の意。蜘蛛がしきりに動くのは男が来訪することの前兆という俗信があった。2.4.13
注釈480いかなることつけぞや歌に添えた言葉。2.4.14
注釈481言ひも果てず走り出ではべりぬるに「言ひ果つ」の間に係助詞「も」が挿入された形。完了の助動詞「ぬる」連体形+接続助詞「に」順接。2.4.15
注釈482追ひて主語は女。女が男の後を追って、の意。2.4.15
注釈483逢ふことの夜をし隔てぬ仲ならば--ひる間も何かまばゆからまし女の返歌。「ひるま」に「昼間」と「蒜」とを掛ける。夫婦なら昼間(蒜の臭っている間)に逢ったからとて、何の恥ずかしいことがありましょうか、という応酬。断定の助動詞「なら」未然形+接続助詞「ば」仮定条件、連語「なにか」(代名詞「何」+係助詞「か」)強い反語を表す。形容詞「まがゆから」未然形+推量の助動詞「まし」ためらいを表す。何の恥ずかしいことがありましょうか、少しも恥ずかしいことはない、の意。2.4.16
注釈484さすがに口疾くなどははべりき男の批評。「さすがに」は、歌の内容は感心しないが、返歌だけは早かったの意。係助詞「は」は「口疾くなど」を取り立てて強調するニュアンス。2.4.17
注釈485いづこのさる女かあるべき以下「むくつけきこと」まで、三つの文に分けられるが、誰の詞かまた何人の詞か、判然としない。代名詞「いづこ」、係助詞「か」、推量の助動詞「べき」連体形、反語表現。どこにそのような女がいようか、どこにもいまい。「おいらか」は「老い+らか」。2.4.19
注釈486鬼とこそ向かひゐたらめ係助詞「こそ」、完了の助動詞「たら」未然形、推量の助動詞「め」已然形。鬼と向かい合っていよう、そのほうがましだ、の意。2.4.19
注釈487爪弾きをして『新大系』は「不愉快な気持を晴らすしぐさ。いま話題に「鬼」が出たのでそれに向けられる除祓でもあろう」と注す。2.4.20
注釈488すこしよろしからむことを申せ頭中将の詞。「よろし」は満足できる程度、まあまあ良い意。下文に尊敬の補助動詞「たまへ」があるので、話者は頭中将。2.4.21
注釈489これよりめづらしきことはさぶらひなむや藤式部丞の詞。完了の助動詞「な」確述、推量の助動詞「む」推量、係助詞「や」反語を表す。これ以上珍しい話がございましょうか、もうありません、の意。2.4.22
注釈490すべて男も女も以下「過ぐすべくなむあべかりける」まで、左馬頭の詞。女性論のまとめを言う。2.4.23
注釈491三史五経『史記』『漢書』『後漢書』と『易経』『書経』『詩経』『春秋』『礼記』をさす。当時の大学寮で教えていた標準的な教科書類。2.4.24
注釈492悟り明かさむこそ愛敬なからめ係助詞「こそ」、推量の助動詞「め」已然形、係り結び、逆接用法で下文に続く。2.4.24
注釈493などかは女といはむからに連語「などかは」(副詞「など」+係助詞「か」+係助詞「は」)は、「あらむ」に係る、反語表現。動詞「いは」未然形、推量の助動詞「む」連体形、仮定の意、格助詞「から」、接続助詞「に」。「む」と「から」の間には「こと」などの語が省略。2.4.24
注釈494さるままに「さ」は、上文の内容、自然に漢字を聞いたり見たりして覚えた状態をさす。2.4.25
注釈495あなうたてこの人のたをやかならましかば左馬頭の感想を挿入。推量の助動詞「ましか」未然形、仮想の意+接続助詞「ば」、下に「よからまし」などの語句が省略。反実仮想の構文。2.4.25
注釈496おのづからこはごはしき声に漢字が混じった手紙文を声を出して読むと、自然と重々しくこわばった感じに読み上げられてしまう、という意。2.4.25
注釈497多かることぞかし連語「ぞかし」(係助詞「ぞ」+終助詞「かし」)念押し、の意。2.4.25
注釈498歌詠むと思へる人の和歌を詠むことを得意に思っている人。格助詞「の」主格を表す。2.4.26
注釈499取り込みつつ接続助詞「つつ」動作の反復・継続を表す。2.4.26
注釈500すさまじき折々『集成』は「こちらが迷惑するような時」と解し、『古典セレクション』は「場違いで歌を詠む気持になれないとき」と注す。2.4.26
注釈501詠みかけたるこそものしきことなれ係助詞「こそ」、断定の助動詞「なれ」已然形、係り結びの法則。強調のニュアンスを添える。2.4.26
注釈502えせざらむ人『集成』は「できない事情にある人」と解す。副詞「え」は打消の助動詞「ざら」未然形と呼応して不可能の意を表す。推量の助動詞「む」連体形、婉曲を表す。2.4.26
注釈503さるべき節会天皇が臨席し、群臣に宴を賜る宴会。2.4.27
注釈504五月の節五月の節句、すなわち、端午の節会。2.4.27
注釈505何のあやめも五月の節会にちなんで、「文目」に「菖蒲(あやめ)」を掛けた言葉のしゃれ。2.4.27
注釈506九日の宴九月九日の宴、すなわち、重陽の節会。2.4.27
注釈507思ひめぐらして明融臨模本「思めくらし・て(て$)」とある。ミセケチは朱筆で「ヒ」とあるので、後人の訂正。句点もその時に付けられたもの。大島本は「思めくらし」とある。『集成』は「思ひめぐらして」、『新大系』『古典セレクション』は「思ひめぐらし」とする。2.4.27
注釈508げに後に思へば副詞「げに」は「あべかりける」にかかる。2.4.27
注釈509あべかりけることの「あるべかり」の「る」が撥音便化しさらに無表記の形。2.4.27
注釈510などかはさてもどうしてそんなことをするのか、そうしなくともよいに、の意。2.4.28
注釈511よしばみ情け立たざらむなむ目やすかるべき打消の助動詞「ざら」未然形、推量の助動詞「む」連体形、係助詞「なむ」は、推量の助動詞「べき」連体形、推量に係る、係り結びの法則。2.4.28
注釈512心に知れらむことをも「知れ」已然形、完了の助動詞「ら」未然形、存続の意、推量の助動詞「む」連体形、婉曲の意。下の「言はまほしからむことをも」と対句表現。2.4.29
注釈513言はまほしからむことをも希望の助動詞「まほしから」未然形、推量の助動詞「む」連体形、婉曲の意。2.4.29
注釈514過ぐすべくなむあべかりける推量の助動詞「べく」連用形、適当の意、係助詞「なむ」は過去の助動詞「ける」連体形、詠嘆の意に係る、係り結びの法則。「あべかり」は「あるべかり」(「ある」連体形+推量の助動詞「べかり」連用形、当然の意)の「る」が撥音便化しそれが無表記の形。言わないでおくのが良いのである。以上、雨夜の品定めの議論が終わる。2.4.29
注釈515君は人一人の御ありさまを源氏の君は、お一方の御様子を。藤壺宮をさす。「桐壺」巻の「心のうちには、ただ藤壺の御ありさまを、たぐひなしと思ひきこえて、さやうならむ人をこそ見め、似る人なくもおはしけるかな、大殿の君、いとをかしげにかしづかれたる人とは見ゆれど、心にもつかずおぼえたまひて、幼きほどの心ひとつにかかりて、いと苦しきまでぞおはしける」(第三章七段)を受ける。2.4.30
注釈516これに足らず以下「ものしたまひけるかな」まで、源氏の心。「これ」は左馬頭の意見をさす。2.4.30
注釈517ものしたまひけるかな主語は藤壺宮。過去の助動詞「ける」連体形、詠嘆の意。終助詞「かな」詠嘆の意。2.4.30
注釈518いづ方により果つともなく『完訳』は「明確な結論がでなかったとする」と注す。2.4.31
注釈519あやしきことどもになりて『集成』は「要領を得ない話になって」と注し、『完訳』は「埒もない話の数々になって」と訳す。『新大系』は「怪談やとりとめない世間話その他に落ちて行った感じ。夜を徹しての語りあいやその批評である」と注す。2.4.31
注釈520明かしたまひつ主語は源氏の君たち。2.4.31
出典11 『わが両つの途歌ふを聴け』 富家女易嫁 嫁早軽其夫 貧家女難嫁 嫁晩孝於姑 白氏文集二-七五 議婚 2.4.5
校訂31 したたか したたか--したし(し/$た<朱>)か 2.4.6
校訂32 しづしづと しづしづと--しつ/\に(に/=と<朱>)か 2.4.18
校訂33 なからめ なからめ--な(な/+か)らめ 2.4.24
校訂34 これに これに--*これは 2.4.30
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渋谷栄一校訂(C)
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渋谷栄一注釈(C)
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渋谷栄一訳(C)(ver.1-4-1)
現代語訳
与謝野晶子
電子化
上田英代(古典総合研究所)
底本
角川文庫 全訳源氏物語
渋谷栄一訳
との突合せ
宮脇文経

2003年8月14日

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Picture "Eiri Genji Monogatari"(1650 1st edition)
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