第四帖 夕顔


04 YUHUGAHO (Ohoshima-bon)


光る源氏の十七歳夏から立冬の日までの物語


Tale of Hikaru-Genji's Konoe-Chujo era from the summer to the first day in the winter at the age of 17

6
第六章 夕顔の物語(3)


6  Tale of Yugao

6.1
第一段 四十九日忌の法要


6-1  Genji holds a Buddhist service for Yugao

6.1.1   かの人の四十九日、忍びて 比叡の法華堂にて、事そがず、 装束よりはじめてさるべきものども、こまかに、誦経などせさせたまひぬ。経、仏の飾りまでおろかならず、 惟光が兄の阿闍梨、いと尊き人にて、二なうしけり。
 あの人の四十九日忌を、人目を忍んで比叡山の法華堂において、略さずに、装束をはじめとして、お布施に必要な物どもを、心をこめて準備し、読経などをおさせになった。経巻や、仏像の装飾まで簡略にせず、惟光の兄の阿闍梨が、大変に高徳の僧なので、見事に催したのであった。
 源氏はタ顔の四十九日の法要をそっと叡山の法華堂で行なわせることにした。それはかなり大層なもので、上流の家の法会としてあるべきものは皆用意させたのである。寺へ納める故人の服も新調したし寄進のものも大きかった。書写の経巻にも、新しい仏像の装飾にも費用は惜しまれてなかった。惟光の兄の阿闍梨は人格者だといわれている僧で、その人が皆引き受けてしたのである。
  Kano hito no nanananuka, sinobi te Hie no Ho'kedau nite, kotosoga zu, sauzoku yori hazime te, sarubeki mono-domo, komaka ni, zukyau nado se sase tamahi nu. Kyau, Hotoke no kazari made oroka nara zu, Koremitu ga ani no Azari, ito tahutoki hito nite, ninau si keri.
6.1.2   御書の師にて、睦しく思す 文章博士召して、願文作らせたまふ。その人となくて、 あはれと思ひし人のはかなきさまになりにたるを、阿弥陀仏に譲りきこゆるよし、 あはれげに書き出でたまへれば
 ご学問の師で、親しくしておられる文章博士を呼んで、願文を作らせなさる。誰それと言わないで、愛しいと思っていた女性が亡くなってしまったのを、阿弥陀様にお譲り申す旨を、しみじみとお書き表しになったので、
 源氏の詩文の師をしている親しい某文章博士を呼んで源氏は故人を仏に頼む願文を書かせた。普通の例と違って故人の名は現わさずに、死んだ愛人を阿弥陀仏にお託しするという意味を、愛のこもった文章で下書きをして源氏は見せた。
  Ohom-humi no si nite, mutumasiku obosu Monzyauhakase mesi te, gwanmon tukura se tamahu. Sono hito to naku te, ahare to omohi si hito no hakanaki sama ni nari ni taru wo, Amidabutu ni yuduri kikoyuru yosi, aharege ni kaki ide tamahe re ba,
6.1.3  「 ただかくながら、加ふべきことはべらざめり」と申す。
 「まったくこのまま、何も書き加えることはございませんようです」と申し上げる。
 「このままで結構でございます。これに筆を入れるところはございません」
 博士はこう言った。
  "Tada, kaku nagara, kuhahu beki koto habera za' meri." to mausu.
6.1.4  忍びたまへど、御涙もこぼれて、 いみじく思したれば
 堪えていらっしゃったが、お涙もこぼれて、ひどくお悲しみでいるので、
 激情はおさえているがやはり源氏の目からは涙がこぼれ落ちて堪えがたいように見えた。その博士は、
  Sinobi tamahe do, ohom-namida mo kobore te, imiziku obosi tare ba,
6.1.5  「 何人ならむ。その人と聞こえもなくて、 かう思し嘆かすばかりなりけむ宿世の高さ」
 「どのような方なのでしょう。誰それと噂にも上らないで、これほどにお嘆かせになるほどだった、宿運の高いこと」
 「何という人なのだろう、そんな方のお亡くなりになったことなど話も聞かないほどの人だのに、源氏の君があんなに悲しまれるほど愛されていた人というのはよほど運のいい人だ」
  "Nani bito nara m? Sono hito to kikoye mo naku te, kau obosi nageka su bakari nari kem sukuse no takasa."
6.1.6  と言ひけり。 忍びて調ぜさせたまへりける装束の袴を取り寄せさせたまひて、
 と言うのであった。内々にお作らせになっていた布施の装束の袴をお取り寄させなさって、
 とのちに言った。作らせた故人の衣裳を源氏は取り寄せて、袴の腰に、
  to ihi keri. Sinobi te teuze sase tamahe ri keru sauzoku no hakama wo toriyose sase tamahi te,
6.1.7  「 泣く泣くも今日は我が結ふ下紐を
   いづれの世にかとけて見るべき
 「泣きながら今日はわたしが結ぶ袴の下紐を
  いつの世にかまた再会して心打ち解けて下紐を解いて逢うことができようか
  泣く泣くも今日はわが結ふ下紐を
  いづれの世にか解けて見るべき
    "Naku naku mo kehu ha waga yuhu sitahimo wo
    idure no yo ni ka toke te miru beki
6.1.8  「 このほどまでは漂ふなるをいづれの道に定まりて赴くらむ 」と思ほしやりつつ、 念誦をいとあはれにしたまふ。頭中将を見たまふにも、 あいなく胸騒ぎてかの撫子の生ひ立つありさま、 聞かせまほしけれどかことに怖ぢて、うち出でたまはず。
 「この日までは霊魂が中有に彷徨っているというが、どの道に定まって行くことのだろうか」とお思いやりになりながら、念誦をとても心こめてなさる。頭中将とお会いになる時にも、むやみに胸がどきどきして、あの撫子が成長している有様を、聞かせてやりたいが、非難されるのを警戒して、お口にはお出しにならない。
 と書いた。四十九日の間はなおこの世界にさまよっているという霊魂は、支配者によって未来のどの道へ赴かせられるのであろうと、こんなことをいろいろと想像しながら般若心経の章句を唱えることばかりを源氏はしていた。頭中将に逢うといつも胸騒ぎがして、あの故人が撫子にたとえたという子供の近ごろの様子などを知らせてやりたく思ったが、恋人を死なせた恨みを聞くのがつらくて打ちいでにくかった。
  "Kono hodo made ha tadayohu naru wo, idure no miti ni sadamari te omomuku ram." to omohosiyari tutu, nenzu wo ito ahare ni si tamahu. Tounotyuuzyau wo mi tamahu ni mo, ainaku mune sawagi te, kano Nadesiko no ohitatu arisama, kikase mahosikere do, kakoto ni odi te, uti-ide tamaha zu.
6.1.9   かの夕顔の宿りには 、いづ方にと思ひ惑へど、 そのままにえ尋ねきこえず右近だに訪れねば、あやしと思ひ嘆きあへり。 確かならねど、けはひをさばかりにやと、 ささめきしかば、惟光をかこちけれど、 いとかけ離れ、気色なく言ひなして、なほ同じごと好き歩きければ、いとど夢の心地して、「 もし、受領の子どもの好き好きしきが、頭の君に怖ぢきこえて、やがて、率て下りにけるにや」とぞ、思ひ寄りける。
 あの夕顔の宿では、どこに行ってしまったのかと心配するが、そのままで尋ね当て申すことができない。右近までもが音信ないので、不思議だと思い嘆き合っていた。はっきりしないが、様子からそうではあるまいかと、ささめき合っていたので、惟光のせいにしたが、まるで問題にもせず、関係なく言い張って、相変わらず同じように通って来たので、ますます夢のような気がして、「もしや、受領の子息で好色な者が、頭の君に恐れ申して、そのまま、連れて下ってしまったのだろうか」と、想像するのだった。
 あの五条の家では女主人の行くえが知れないのを捜す方法もなかった。右近までもそれきり便りをして来ないことを不思議に思いながら絶えず心配をしていた。確かなことではないが通って来る人は源氏の君ではないかといわれていたことから、惟光になんらかの消息を得ようともしたが、まったく知らぬふうで、続いて今も女房の所へ恋の手紙が送られるのであったから、人々は絶望を感じて、主人を奪われたことを夢のようにばかり思った。あるいは地方官の息子などの好色男が、頭中将を恐れて、身の上を隠したままで父の任地へでも伴って行ってしまったのではないかとついにはこんな想像をするようになった。
  Kano Yuhugaho no yadori ni ha, idukata ni to omohi madohe do, sono mama ni e tadune kikoye zu. Ukon dani otodure ne ba, ayasi to omohi nagekiahe ri. Tasika nara ne do, kehahi wo sabakari ni ya to, sasameki sika ba, Koremitu wo kakoti kere do, ito kakehanare, kesiki naku ihi nasi te, naho onazi goto suki ariki kere ba, itodo yume no kokoti si te, "Mosi, zuryau no kodomo no sukizukisiki ga, Tounokimi ni odi kikoye te, yagate, wi te kudari ni keru ni ya?" to zo, omohiyori keru.
6.1.10   この家主人ぞ、西の京の乳母の女なりける。三人その子はありて、 右近は他人なりければ、「 思ひ隔てて御ありさまを聞かせぬなりけり」と、泣き恋ひけり。右近 はたかしかましく言ひ騒がむを思ひて、君も今さらに漏らさじと忍びたまへば、 若君の上をだにえ聞かず、あさましく行方なくて過ぎ ゆく
 この家の主人は、西の京の乳母の娘なのであった。三人乳母子がいたが、右近は他人だったので、「分け隔てして、ご様子を知らせないのだわ」と、泣き慕うのであった。右近は右近で、口やかましく非難するだろうことを思って、源氏の君も今になって洩らすまいと、お隠しになっているので、若君の噂さえ聞けず、まるきり消息不明のまま過ぎて行く。
 この家の持ち主は西の京の乳母の娘だった。乳母の娘は三人で、右近だけが他人であったから便りを聞かせる親切がないのだと恨んで、そして皆夫人を恋しがった。右近のほうでは夫人を頓死させた責任者のように言われるのをつらくも思っていたし、源氏も今になって故人の情人が自分であった秘密を人に知らせたくないと思うふうであったから、そんなことで小さいお嬢さんの消息も聞けないままになって不本意な月日が両方の間にたっていった。
  Kono ihearuzi zo, nisinokyau no menoto no musume nari keru. Mitari sono ko ha ari te, Ukon ha kotobito nari kere ba, "Omohi hedate te, ohom-arisama wo kika se nu nari keri." to, naki kohi keri. Ukon hata, kasikamasiku ihi sawaga m wo omohi te, Kimi mo imasara ni morasa zi to sinobi tamahe ba, Wakagimi no uhe wo dani e kika zu, asamasiku yukuhe naku te sugi yuku.
6.1.11  君は、「 夢をだに見ばや」と、 思しわたるに、この法事したまひて、またの夜、ほのかに、かの ありし院ながら添ひたりし女のさまも同じやうにて見えければ、「 荒れたりし所に住みけむ物の、我に見入れけむたよりに、かくなりぬること」と、思し出づるにも ゆゆしくなむ
 源氏の君は、「せめて夢にでも逢いたい」と、お思い続けていると、この法事をなさって、次の夜に、ぼんやりと、あの某院そのままに、枕上に現れた女の様子も同じようにして見えたので、「荒れ果てた邸に住んでいた魔物が、わたしに取りついたことで、こんなことになってしまったのだ」と、お思い出しになるにつけても、気味の悪いことである。
 源氏はせめて夢にでも夕顔を見たいと、長く願っていたが比叡で法事をした次の晩、ほのかではあったが、やはりその人のいた場所は某の院で、源氏が枕もとにすわった姿を見た女もそこに添った夢を見た。このことで、荒廃した家などに住む妖怪が、美しい源氏に恋をしたがために、愛人を取り殺したのであると不思議が解決されたのである。源氏は自身もずいぶん危険だったことを知って恐ろしかった。
  Kimi ha, "Yume wo dani mi baya!" to, obosi wataru ni, kono hohuzi si tamahi te, mata no yo, honoka ni, kano arisi win nagara, sohi tari si Womna no sama mo onazi yau nite miye kere ba, "Are tari si tokoro ni sumi kem mono no, ware ni miire kem tayori ni, kaku nari nuru koto." to, obosi iduru ni mo yuyusiku nam.
注釈1070かの人の四十九日大島本に「ナヽナヌカトヨム」と注記する。故夕顔の四十九日の法事。6.1.1
注釈1071比叡の法華堂にて比叡山延暦寺の法華三昧堂。6.1.1
注釈1072装束よりはじめてお布施としての供物。6.1.1
注釈1073さるべきものどもこまかに誦経などせさせたまひぬ文末を『集成』『古典セレクション』は諸本に従って「せさせたまふ」と校訂する。『新大系』は底本のままとする。しかるべきお布施の物どもを心こめて準備して読経などをおさせなさった。6.1.1
注釈1074惟光が兄の阿闍梨この巻の冒頭に登場。6.1.1
注釈1075御書の師源氏の御学問の先生。6.1.2
注釈1076文章博士大島本「もんさうはかせ」と表記し、「文章博士<モンジヤウハカセ>トヨム」と注記する。御物本、池田本、肖柏本は「もんしやうはかせ」、横山本は「文章博士」と表記する。初出の人。源氏には文章博士が親しく学問の指導をしていたことがわかる。6.1.2
注釈1077あはれと思ひし人のはかなきさまになりにたるを格助詞「の」主格を表す。完了の助動詞「に」連用形、完了の意+完了の助動詞「たる」連体形、存続の意。6.1.2
注釈1078あはれげに書き出でたまへれば主語は源氏。その草稿をさす。尊敬の補助動詞「たまへ」已然形+完了の助動詞「れ」已然形、完了の意+接続助詞「ば」順接の確定条件を表す。『完訳』は「胸迫るように君が草案をお書き出しになると」と、その場で書いているように解す。6.1.2
注釈1079ただかくながら加ふべきことはべらざめり文章博士の詞。ハ四段「加ふ」終止形、推量の助動詞「べき」連体形、当然の意、「ざ」は打消の助動詞「ざる」連体形の「る」が撥音便化しさらに無表記の形+推量の助動詞「めり」終止形、主観的推量の意を表す。6.1.3
注釈1080いみじく思したればひどく悲しく思う。完了の助動詞「たれ」已然形、存続の意+接続助詞「ば」順接の確定条件を表す。6.1.4
注釈1081何人ならむ以下「宿世の高さ」まで、文章博士の詞。6.1.5
注釈1082かう思し嘆かすばかりなりけむ使役の助動詞「す」終止形+副助詞「ばかり」、断定の助動詞「なり」連用形、過去推量の助動詞「けむ」連体形、「宿世」に係る。。お嘆かせになるほどであったようなというニュアンス。6.1.5
注釈1083忍びて調ぜさせたまへりける装束の袴使役の助動詞「させ」連用形、尊敬の補助動詞「たまへ」已然形、完了の助動詞「り」連用形、過去の助動詞「ける」連体形。お布施用の袴。6.1.6
注釈1084泣く泣くも今日は我が結ふ下紐を--いづれの世にかとけて見るべき源氏の独詠歌。「とけて」に下紐を「解いて」と心「解けて」の意を掛ける。また「見る」に「逢う」の意を掛ける。6.1.7
注釈1085このほどまでは漂ふなるを以下「赴くらむ」まで、源氏の心。「このほど」は四十九日忌。ハ四段「漂ふ」終止形+伝聞推定の助動詞「なる」連体形+接続助詞「を」逆接を表す。6.1.8
注釈1086いづれの道に定まりて赴くらむ六道すなわち、地獄、餓鬼、畜生、修羅、人、天の道。カ四段「赴く」終止形+推量の助動詞「らむ」終止形、視界外推量を表す。6.1.8
注釈1087念誦『岩波古語辞典』に「心に念じ、口に仏の名号・経文などを唱えること」「念誦 ネンジュ」(色葉字類抄)とある。6.1.8
注釈1088あいなく胸騒ぎて『完訳』は「「あいなく」は語り手の評。動じなくともよいのに、あいにくと」と注す。6.1.8
注釈1089かの撫子夕顔の遺児、後の玉鬘。「帚木」巻で、頭中将が女の歌の中に「撫子」と詠んでよこしたという話を踏まえて、「撫子」と呼ぶ。6.1.8
注釈1090聞かせまほしけれど使役の助動詞「せ」未然形、希望の助動詞「まほしけれ」已然形+接続助詞「ど」逆接を表す。6.1.8
注釈1091かことに怖ぢて『集成』『新大系』は「かこと」と清音に読むが、『古典セレクション』は「かごと」と濁音に読んでいる。6.1.8
注釈1092かの夕顔の宿りには夕顔が仮住まいしていた五条の家を「夕顔の宿り」と呼ぶ。6.1.9
注釈1093そのままにえ尋ねきこえず副詞「え」は打消の助動詞「ず」と呼応して不可能の意を表す。謙譲の補助動詞「きこえ」未然形は間接的に夕顔を敬った表現。6.1.9
注釈1094右近だに訪れねば副助詞「だに」は下に打消の助動詞「ね」已然形を伴って、せめてそれだけでもと思うのにそれさえない、という気持ちを表す。6.1.9
注釈1095確かならねどけはひをさばかりにや「さばかり」を『集成』『完訳』共に「源氏」と解す。6.1.9
注釈1096ささめきしかば過去の助動詞「しか」已然形+接続助詞「ば」順接の確定条件を表す。6.1.9
注釈1097いとかけ離れ主語は惟光。6.1.9
注釈1098もし受領の子どもの以下「下りにけるにや」まで、女房たちの想像。完了の助動詞「に」連用形、完了の意、過去の助動詞「ける」連体形、断定の助動詞「に」連用形、係助詞「や」疑問の意。下ってしまったのではないかという、事態が強調されるニュアンス。6.1.9
注釈1099この家主人ぞ西の京の乳母の女なりける夕顔の宿の主人、揚名介の妻をさす。夕顔には右近の母と西の京の乳母の二人がいた。係助詞「ぞ」--「なりける」(断定の助動詞、連用形+過去の助動詞、連体形)係結びの法則。もう一人の乳母の娘が夕顔の宿の女主人であった、明かされる。6.1.10
注釈1100右近は他人なりければ右近はもう一人の乳母の子で他人。6.1.10
注釈1101思ひ隔てて以下「なりけり」まで、残された女房たちの嘆き。6.1.10
注釈1102御ありさまを夕顔の様子をさす。主人にあたるので「御」という敬語が付く。6.1.10
注釈1103かしかましく言ひ騒がむを思ひて大島本「いひさハかんを」とある。『集成』『新大系』は諸本に従って「言ひ騒がれむを」と校訂。『古典セレクション』は底本のまま。右近は他の女房や乳母子たちが非難するだろうことを思って。推量の助動詞「む」連体形、推量の意。「カシカマシイ」(和英語林集成)。『集成』『新大系』は清音に読むが、『古典セレクション』は「かしがましく」と濁音に読む。6.1.10
注釈1104若君の上をだにえ聞かず前に「撫子」とあった玉鬘をさす。主語は右近。「上」は噂の意。副助詞「だに」最小限を表す。撫子の噂さえ聞くことができない、というニュアンス。6.1.10
注釈1105夢をだに見ばや副助詞「だに」最小限を表す。せめて--だけでも。終助詞「ばや」自らの願望を表す。せめて夢の中でも逢いたい。6.1.11
注釈1106思しわたるに接続助詞「に」順接を表す。6.1.11
注釈1107ありし院ながら夕顔が亡くなった某院をさす。6.1.11
注釈1108添ひたりし女のさま枕上に現れた女の姿。前に「御枕上にいとをかしげなる女ゐて」とあった。厳密には「添ひ」ではなく「居」である。6.1.11
注釈1109荒れたりし所に住みけむ物の以下「かくなりぬること」まで、源氏の心。「けむ」は過去推量の助動詞。住んでいたのであろう、というニュアンス。源氏は某院の「物の怪」を荒れた邸に住みついた霊魂と考えている。6.1.11
注釈1110ゆゆしくなむ係助詞。結びの省略。「ありける」などの語句が省略。余情を残して言いさしたかたち。6.1.11
校訂43 赴く 赴く--を(を/+も)むく 6.1.8
校訂44 かの かの--かれ(かれ/$)かの 6.1.9
校訂45 はた はた--い(い/$は<朱>)た 6.1.10
校訂46 ゆく ゆく--(/+ゆく<朱>) 6.1.10
Last updated 09/09/2010(ver.2-2)
渋谷栄一校訂(C)
Last updated 2/19/2009(ver.2-1)
渋谷栄一注釈
Last updated 6/25/2003
渋谷栄一訳(C)(ver.1-3-1)
現代語訳
与謝野晶子
電子化
上田英代(古典総合研究所)
底本
角川文庫 全訳源氏物語
渋谷栄一訳
との突合せ
宮脇文経

2003年8月14日

Last updated 2/19/2009 (ver.2-1)
Written in Japanese roman letters
by Eiichi Shibuya (C)
Picture "Eiri Genji Monogatari"(1650 1st edition)
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