第四帖 夕顔


04 YUHUGAHO (Ohoshima-bon)


光る源氏の十七歳夏から立冬の日までの物語


Tale of Hikaru-Genji's Konoe-Chujo era from the summer to the first day in the winter at the age of 17

7
第七章 空蝉の物語(3)


7  Tale of Utsusemi  Parting from Utsusemi on the first day in the winter

7.1
第一段 空蝉、伊予国に下る


7-1  Utsusemi goes away for Iyo with her husband

7.1.1   伊予介、神無月の朔日ごろに下る女房の下らむにとて、たむけ 心ことにせさせたまふ。また、内々にもわざとしたまひて、こまやかにをかしきさまなる櫛、扇多くして、幣などわざとがましくて、 かの小袿も遣はす。
 伊予介は、神無月の朔日ころに下る。女方が下って行くのでということで、餞別を格別に気を配っておさせになる。別に、内々にも特別になさって、きめ細かな美しい格好の櫛や、扇を、たくさん用意して、幣帛などを特別に大げさにして、あの小袿もお返しになる。
 伊予介が十月の初めに四国へ立つことになった。細君をつれて行くことになっていたから、普通の場合よりも多くの餞別品が源氏から贈られた。またそのほかにも秘密な贈り物があった。ついでに空蝉の脱殼と言った夏の薄衣も返してやった。
  Iyonosuke, kamnaduki no tuitati-goro ni kudaru. Nyoubau no kudara m ni tote, tamuke kokorokoto ni se sase tamahu. Mata, utiuti ni mo wazato si tamahi te, komayaka ni wokasiki sama naru kusi, ahugi ohoku si te, nusa nado wazatogamasiku te, kano koutiki mo tukahasu.
7.1.2  「 逢ふまでの形見ばかりと見しほどに
   ひたすら袖の朽ちにけるかな
 「再び逢う時までの形見の品ぐらいに思って持っていましたが
  すっかり涙で朽ちるまでになってしまいました
  逢ふまでの形見ばかりと見しほどに
  ひたすら袖の朽ちにけるかな
    "Ahu made no katami bakari to mi si hodo ni
    hitasura sode no kuti ni keru kana
7.1.3   こまかなることどもあれど、うるさければ書かず
 こまごまとした事柄があるが、煩雑になるので書かない。
 細々しい手紙の内容は省略する。
  Komaka naru koto-domo are do, urusakere ba kaka zu.
7.1.4   御使、帰りにけれど小君して小袿の御返りばかりは聞こえさせたり
 お使いの者は、帰ったけれど、小君を使いにして、小袿のお礼だけは申し上げさせた。
 贈り物の使いは帰ってしまったが、そのあとで空蝉は小君を使いにして小袿の返歌だけをした。
  Ohom-tukahi, kaheri ni kere do, Kogimi site, koutiki no ohom-kaheri bakari ha kikoye sase tari.
7.1.5  「 蝉の羽もたちかへてける夏衣
   かへすを見てもねは泣かれけり
 「蝉の羽の衣替えの終わった後の夏衣は
  返してもらっても自然と泣かれるばかりです
  蝉の羽もたち変へてける夏ごろも
  かへすを見ても音は泣かれけり
    "Semi no ha mo tati kahe te keru natugoromo
    kahesu wo mi te mo ne ha naka re keri
7.1.6  「 思へど、あやしう人に似ぬ心強さにても、 ふり離れぬるかな」と思ひ続けたまふ。 今日ぞ冬立つ日なりけるも、しるく、うちしぐれて、空の気色いとあはれなり。 眺め暮らしたまひて
 「考えても、不思議に人並みはずれた意志の強さで、振り切って行ってしまったなあ」と思い続けていらっしゃる。今日はちょうど立冬の日であったが、いかにもそれと、さっと時雨れて、空の様子もまことに物寂しい。一日中物思いに過されて、
 源氏は空蝉を思うと、普通の女性のとりえない態度をとり続けた女ともこれで別れてしまうのだと歎かれて、運命の冷たさというようなものが感ぜられた。
 今日から冬の季にはいる日は、いかにもそれらしく、時雨がこぼれたりして、空の色も身に沁んだ。終日源氏は物思いをしていて、
  "Omohe do, ayasiu hito ni ni nu kokoroduyosa ni te mo, huri-hanare nuru kana!" to omohi tuduke tamahu. Kehu zo huyu tatu hi nari keru mo, siruku, uti-sigure te, sora no kesiki ito ahare nari. Nagame kurasi tamahi te,
7.1.7  「 過ぎにしも今日別るるも二道に
   行く方知らぬ秋の暮かな
 「亡くなった人も今日別れて行く人もそれぞれの道に
  どこへ行くのか知れない秋の暮れだなあ
  過ぎにしも今日別るるも二みちに
  行く方知らぬ秋の暮かな
    "Sugi ni si mo kehu wakaruru mo hutamiti ni
    yuku kata sira nu aki no kure kana
7.1.8   なほ、かく人知れぬことは苦しかりけりと、 思し知りぬらむかしかやうのくだくだしきことは、あながちに隠ろへ忍びたまひしも いとほしくて、みな漏らしとどめたるを、「 など、帝の御子ならむからに見む人さへ、かたほならずものほめがちなる」と、作りごとめきてとりなす人 ものしたまひければなむあまりもの言ひさがなき罪、さりどころなく
 やはり、このような秘密の恋は辛いものだと、お知りになったであろう。このような煩わしいことは、努めてお隠しになっていらしたのもお気の毒なので、みな書かないでおいたのに、「どうして、帝の御子であるからといって、それを知っている人までが、欠点がなく何かと褒めてばかりいる」と、作り話のように受け取る方がいらっしゃったので。あまりにも慎みのないおしゃべりの罪は、免れがたいことで。
 などと思っていた。秘密な恋をする者の苦しさが源氏にわかったであろうと思われる。
 こうした空蝉とか夕顔とかいうようなはなやかでない女と源氏のした恋の話は、源氏自身が非常に隠していたことがあるからと思って、最初は書かなかったのであるが、帝王の子だからといって、その恋人までが皆完全に近い女性で、いいことばかりが書かれているではないかといって、仮作したもののように言う人があったから、これらを補って書いた。なんだか源氏に済まない気がする。
  Naho, kaku hito sire nu koto ha kurusikari keri to, obosi siri nu ram kasi. Kayau no kudakudasiki koto ha, anagati ni kakurohe sinobi tamahi si mo itohosiku te, mina morasi todome taru wo, "Nado, Mikado no miko nara m kara ni, mi m hito sahe, kataho nara zu mono homegati naru." to, tukurigoto meki te tori nasu hito monosi tamahi kere ba nam. Amari monoihi saganaki tumi, saridokoro naku.
注釈1111伊予介神無月の朔日ごろに下る物語は空蝉物語に転じる。十月の上旬、初冬のころになる。7.1.1
注釈1112女房の下らむにとて北の方(空蝉)とその女房を含めた女方をさす。推量の助動詞「む」連体形、接続助詞「に」順接。『古典セレクション』は「上長者としての源氏の表向きの言葉を直叙する」と注す。7.1.1
注釈1113心ことにせさせたまふ尊敬の助動詞「させ」連用形+尊敬の補助動詞「たまふ」終止形。源氏と伊予介では身分の格差が違い過ぎるので、二重敬語で表現したのであろう。7.1.1
注釈1114かの小袿源氏が持ち帰った空蝉の小袿。「うちき」と清音で読む。図書寮本『類聚名義抄』による。7.1.1
注釈1115逢ふまでの形見ばかりと見しほどに--ひたすら袖の朽ちにけるかな源氏の贈歌。副助詞「ばかり」程度を表す。過去の助動詞「し」連体形。完了の助動詞「に」連用形+過去の助動詞「ける」連体形+終助詞「かな」詠嘆を表す。『異本紫明抄』は「逢ふまでの形見とてこそとどめけめ涙に浮かぶ藻屑なりけり」(古今集 恋四 四二〇 藤原興風)を指摘。『集成』は「この歌は、空蝉の巻の筋立てに影響を与えたと考えられる」という。7.1.2
注釈1116こまかなることどもあれどうるさければ書かず語り手の省筆の文。『細流抄』は「草子地也」と指摘、『全集』は「草子地。物語の筆録者の弁という体裁」という。7.1.3
注釈1117御使帰りにけれど源氏からの使者。完了の助動詞「に」連用形+過去の助動詞「けれ」已然形+接続助詞「ど」逆接を表す。7.1.4
注釈1118小君して主語は空蝉。後から私的に弟の小君を使者として。7.1.4
注釈1119小袿の御返りばかりは聞こえさせたり副助詞「ばかり」程度を表す。「聞こえさせ」連用形、「聞こゆ」よりさらに謙った表現。完了の助動詞「たり」終止形。7.1.4
注釈1120蝉の羽もたちかへてける夏衣--かへすを見てもねは泣かれけり空蝉の返歌。「たち」は衣を「裁つ」と冬「立つ」の掛詞。「かへす」は「衣」の縁語。自発の助動詞「れ」連用形+過去の助動詞「けり」終止形、詠嘆の意。『集成』は「鳴く声はまだ聞かねども蝉の羽のうすき衣は裁ちぞ着てける」(拾遺集 夏 七九 大中臣能宣)と「忘らるる身を空蝉の唐衣返すはつらき心なりけり」(後撰集 恋四 八〇四 源巨城)の二首を指摘する。7.1.5
注釈1121思へどあやしう以下「ふり離れぬるかな」まで、源氏の心。空蝉の意志の強さ。7.1.6
注釈1122ふり離れぬるかな完了の助動詞「ぬる」連体形+終助詞「かな」詠嘆の意。振り切って去っていってしまったなあ。7.1.6
注釈1123今日ぞ冬立つ日なりけるもしるく係助詞「ぞ」は過去の助動詞「ける」連体形に係るが、文が係助詞「も」と続き、いわゆる結びの消滅。今日は立冬の日であったが、いかにもその日らしく。7.1.6
注釈1124眺め暮らしたまひて主語は源氏。7.1.6
注釈1125過ぎにしも今日別るるも二道に--行く方知らぬ秋の暮かな源氏の独詠歌。「過ぎにしも」(完了の助動詞「に」連用形+過去の助動詞「し」連体形+係助詞「も」)は夕顔、「今日別るるも」は空蝉をさす。「二道」は死出の道と旅路。『河海抄』は「過ぎにしも今行く末も二道になべて別れのなき世なりせば」(斎宮女御集)を指摘する。7.1.7
注釈1126なほかく人知れぬことは以下の叙述は、語り手の感想を交えた文章。『細流抄』は「これより草子地也」と指摘。萩原広道の『評釈』は「地。空蝉と夕顔との事を一つにすべて結びたる詞也。苦しかりけりとおぼし知ぬらんとは心しらひの多くて苦しき事とこれらによりて知り給ふべしと地より評じたる也」とある。7.1.8
注釈1127思し知りぬらむかし完了の助動詞「ぬ」終止形、確述。推量の助動詞「らむ」終止形、視界外推量。終助詞「かし」念押しの意。きっとお分かりになったことであろう。7.1.8
注釈1128かやうのくだくだしきことは以下の文、『花鳥余情』は「物語の作者の詞也」と指摘。『評釈』は「語り伝えた古女房が筆記編集者に語った言葉である。自己批判であり自己弁護である」とある。7.1.8
注釈1129いとほしくてみな漏らしとどめたるを主語は語り手。接続助詞「を」逆接を表す。7.1.8
注釈1130など帝の御子ならむからに以下「ものほめがちなる」まで、読者の声を引用。断定の助動詞「なら」未然形、推量の助動詞「む」連体形、婉曲。格助詞「から」原因理由を表す。御子であるからといって。7.1.8
注釈1131見む人さへ源氏を実際見知っている人、すなわち第一次の語り手。副助詞「さへ」添加の意。7.1.8
注釈1132ものしたまひければなむ係助詞「なむ」。下に「ものしはべりぬる」などの語句が省略。源氏の裏話を書いたのです、の意。余情を残して言いさした形。7.1.8
注釈1133あまりもの言ひさがなき罪さりどころなく自己批判めかした文。余韻を残して言いさした形でこの巻を語り収める。「帚木」冒頭文章と呼応して、中品の物語にいったんけりをつけた。7.1.8
校訂47 あまり あまり--あま(ま/$ま<朱>)り 7.1.8
Last updated 09/09/2010(ver.2-2)
渋谷栄一校訂(C)
Last updated 2/19/2009(ver.2-1)
渋谷栄一注釈
Last updated 6/25/2003
渋谷栄一訳(C)(ver.1-3-1)
現代語訳
与謝野晶子
電子化
上田英代(古典総合研究所)
底本
角川文庫 全訳源氏物語
渋谷栄一訳
との突合せ
宮脇文経

2003年8月14日

Last updated 2/19/2009 (ver.2-1)
Written in Japanese roman letters
by Eiichi Shibuya (C)
Picture "Eiri Genji Monogatari"(1650 1st edition)
このページは再編集プログラムによって2015/1/12に出力されました。
源氏物語の世界 再編集プログラム Ver 3.38: Copyright (c) 2003,2015 宮脇文経