第五帖 若紫


05 WAKAMURASAKI (Ohoshima-bon)


光る源氏の十八歳春三月晦日から冬十月までの物語


Tale of Hikaru-Genji's Konoe-Chujo era from the last day in spring to October in winter at the age of 18

1
第一章 紫上の物語 若紫の君登場、三月晦日から初夏四月までの物語


1  Tale of Murasaki

1.1
第一段 三月晦日、加持祈祷のため、北山に出向く


1-1  At the last day in spring, Genji goes to Kita-yama

1.1.1   瘧病にわづらひたまひて 、よろづにまじなひ加持など 参らせたまへど、しるしなくて、あまたたびおこりたまひければ、 ある人
 瘧病みに罹りなさって、いろいろと呪術や加持などして差し上げさせなさるが、効果がなくて、何度も発作がお起こりになったので、ある人が、
 源氏は瘧病にかかっていた。いろいろとまじないもし、僧の加持も受けていたが効験がなくて、この病の特徴で発作的にたびたび起こってくるのをある人が、
  Warahayami ni wadurahi tamahi te, yorodu ni mazinahi kadi nado mawira se tamahe do, sirusi naku te, amata tabi okori tamahi kere ba, aruhito,
1.1.2  「 北山になむ、なにがし寺といふ所に、かしこき行ひ人はべる。去年の夏も世におこりて、人びと まじなひわづらひしを、やがてとどむるたぐひ、 あまたはべりきししこらかしつる時は うたてはべるをとくこそ試みさせたまはめ
 「北山に、某寺という所に、すぐれた行者がございます。去年の夏も世間に流行して、人々がまじないあぐねたのを、たちどころに治した例が、多数ございました。こじらせてしまうと厄介でございますから、早くお試しあそばすとよいでしょう」
 「北山の某という寺に非常に上手な修験僧がおります、去年の夏この病気がはやりました時など、まじないも効果がなく困っていた人がずいぶん救われました。病気をこじらせますと癒りにくくなりますから、早くためしてごらんになったらいいでしょう」
  "Kitayama ni nam, Nanigasidera to ihu tokoro ni, kasikoki okonahibito haberu. Kozo no natu mo yo ni okori te, hitobito mazinahi wadurahi si wo, yagate todomuru taguhi, amata haberi ki. Sisikorakasi turu toki ha utate haberu wo, toku koso kokoromi sase tamaha me."
1.1.3  など 聞こゆれば召しに遣はしたるに、「 老いかがまりて、室の外にもまかでず」と 申したれば、「 いかがはせむ。いと忍びてものせむ」とのたまひて、御供にむつましき四、五人ばかりして、まだ暁におはす。
 などと申し上げるので、呼びにおやりになったところ、「老い曲がって、室の外にも外出いたしません」と申したので、「しかたない。ごく内密に行こう」とおっしゃって、お供に親しい者四、五人ほど連れて、まだ夜明け前にお出かけになる。
 こんなことを言って勧めたので、源氏はその山から修験者を自邸へ招こうとした。
 「老体になっておりまして、岩窟を一歩出ることもむずかしいのですから」
 僧の返辞はこんなだった。
 「それではしかたがない、そっと微行で行ってみよう」
 こう言っていた源氏は、親しい家司四、五人だけを伴って、夜明けに京を立って出かけたのである。
  nado kikoyure ba, mesi ni tukahasi taru ni, "Oyi kagamari te, muro no to ni mo makade zu." to mausi tare ba, "Ikaga ha se m. Ito sinobi te monose m." to notamahi te, ohom-tomo ni mutumasiki si, gonin bakari site, mada akatuki ni ohasu.
1.1.4   やや深う入る所なりけり三月のつごもりなれば京の花盛りはみな過ぎにけり。山の桜はまだ盛りにて入りもておはするままに霞のたたずまひをかしう見ゆれば、かかるありさまもならひたまはず、 所狭き御身にてめづらしう思されけり
 やや山深く入った所なのであった。三月の晦日なので、京の花盛りはみな過ぎてしまっていた。山の桜はまだ盛りで、入って行かれるにつれて、霞のかかった景色も趣深く見えるので、このような山歩きもご経験なく、窮屈なご身分なので、珍しく思われなさるのであった。
郊外のやや遠い山である。これは三月の三十日だった。京の桜はもう散っていたが、途中の花はまだ盛りで、山路を進んで行くにしたがって渓々をこめた霞にも都の霞にない美があった。窮屈な境遇の源氏はこうした山歩きの経験がなくて、何事も皆珍しくおもしろく思われた。   Yaya hukau iru tokoro nari keri. Yayohi no tugomori nare ba, kyau no hana sakari ha mina sugi ni keri. Yama no sakura ha mada sakari ni te, iri mote ohasuru mama ni, kasumi no tatazumahi mo wokasiu miyure ba, kakaru arisama mo narahi tamaha zu, tokoroseki ohom-mi ni te, medurasiu obosa re keri.
1.1.5  寺のさまもいとあはれなり。峰高く、深き 巖屋の中にぞ 聖入りゐたりける登りたまひて、誰とも知らせたまはず、いといたうやつれたまへれど、しるき御さまなれば、
 寺の有様も実にしんみりと趣深い。峰高く、深い岩屋の中に、聖は入っているのだった。お登りになって、誰ともお知らせなさらず、とてもひどく粗末な身なりをしていらっしゃるが、はっきり誰それと分かるご風采なので、
修験僧の寺は身にしむような清さがあって、高い峰を負った巌窟の中に聖人ははいっていた。
 源氏は自身のだれであるかを言わず、服装をはじめ思い切って簡単にして来ているのであるが、迎えた僧は言った。
  Tera no sama mo ito ahare nari. Mine takaku, hukaki ihaya no naka ni zo, Hiziri iri wi tari keru. Nobori tamahi te, tare to mo sirase tamaha zu, ito itau yature tamahe re do, siruki ohom-sama nare ba,
1.1.6  「 あな、かしこや。一日、 召しはべりしにやおはしますらむ。今は、この世のことを 思ひたまへねば、験方の行ひも 捨て忘れてはべるをいかで、かうおはしましつらむ
 「ああ、恐れ多いことよ。先日、お召しになった方でいらっしゃいましょうか。今は、現世のことを考えておりませんので、修験の方法も忘れておりますのに、どうして、このようにわざわざお越しあそばしたのでしょうか」
 「あ、もったいない、先日お召しになりました方様でいらっしゃいましょう。もう私はこの世界のことは考えないものですから、修験の術も忘れておりますのに、どうしてまあわざわざおいでくだすったのでしょう」
  "Ana, kasiko ya! Hitohi, mesi haberi si ni ya ohasimasu ram. Ima ha, konoyo no koto wo omohi tamahe ne ba, gengata no okonahi mo sute wasure te haberu wo, ikade, kau ohasimasi tu ram?"
1.1.7  と、おどろき騒ぎ、 うち笑みつつ見たてまつるいと尊き大徳なりけり。さるべきもの作りて、 すかせたてまつり、加持など参るほど、日高くさし上がりぬ。
 と、驚き慌てて、にっこりしながら拝する。まことに立派な大徳なのであった。しかるべき薬を作って、お呑ませ申し、加持などして差し上げるうちに、日が高くなった。
 驚きながらも笑を含んで源氏を見ていた。非常に偉い僧なのである。源氏を形どった物を作って、瘧病をそれに移す祈祷をした。加持などをしている時分にはもう日が高く上っていた。
  to, odoroki sawagi, uti-wemi tutu mi tatematuru. Ito tahutoki daitoko nari keri. Sarubeki mono tukuri te, sukase tatematuri, kadi nado mawiru hodo, hi takaku sasi-agari nu.
注釈1瘧病にわづらひたまひて大島本「わらハやミに・わ(わ+つ<朱>)らひ給て」とある。今から見れば明らかな「つ」の脱字であるが、大島本「若紫」にはもう1例「わらハやみにわ(わ+つ<朱墨>)らひ侍る越」(12丁表2行)と「つ」の脱字がある。大島本「若紫」の親本には「わらひたまひて」とあったものか。それを忠実に書写しながらも「つ」の誤脱と考えて朱筆で後から補入したものであろう。大島本「若紫」の親本の性格と朱筆訂正を考える上で重要な事例となる。主語は源氏。以下、途中会話文を挿入して、「まだ暁におはす」まで、くどくどと経緯を述べた冒頭文である。空蝉や夕顔と会った翌年の春三月晦。1.1.1
注釈2参らせたまへど「参ら」未然形(して差し上げる、謙譲の意を含む動詞)、使役の助動詞「せ」連用形、尊敬の補助動詞「たまへ」已然形。受手(源氏)尊敬で、おさせなさるが、の意になる。1.1.1
注釈3ある人以下会話文が挿入され、「など聞こゆれば」に係る。1.1.1
注釈4北山になむ、なにがし寺といふ所に以下「試みさせたまはめ」まで、「ある人」の言葉。実際は「何々寺」と実名を言ったものを、語り手がおぼめかして表現したもの。古来鞍馬寺や何々寺かとモデルが詮索されてきたが、漠然と北山方面にある行者が住んでいる寺というぐらいの意。わざと読む人それぞれが勝手にイメージしたり想定したりするように配慮した語り方。係助詞「なむ」は「はべる」連体形に係る、係結びの法則。1.1.2
注釈5まじなひわづらひしを過去の助動詞「し」連体形は「ある人」の身近な体験を語るニュアンス。1.1.2
注釈6あまたはべりき過去の助動詞「き」終止形も同じく身近な体験を語るニュアンス。1.1.2
注釈7うたてはべるを丁寧の補助動詞「はべる」連体形+接続助詞「を」順接、原因理由を表す。やっかいでございますから。1.1.2
注釈8とくこそ試みさせたまはめ係助詞「こそ」は推量の助動詞「め」已然形、適当の意に係る、係結びの法則。尊敬の助動詞「させ」連用形+尊敬の補助動詞「たまは」未然形、二重敬語。会話文中の用例。1.1.2
注釈9召しに遣はしたるに主語は源氏にもどる。源氏が「かしこき行ひ人」を。完了の助動詞「たる」連体形+接続助詞「に」弱い順接。--すると。1.1.3
注釈10老いかがまりて、室の外にもまかでず「かしこき行ひ人」の言葉を、使者が伝える。
【まかでず】−「まかづ」は「出る」の謙譲語。外出いたしません、というニュアンス。
1.1.3
注釈11申したれば主語は使者。完了の助動詞「たれ」已然形+接続助詞「ば」順接の確定条件。この段は「たり」(完了の助動詞)を基調にして語られる。1.1.3
注釈12いかがはせむいと忍びてものせむ源氏の詞。「ものせむ」は、行こう、の意。1.1.3
注釈13やや深う入る所なりけり場面は北山に変わる。断定の助動詞「なり」連用形+過去の助動詞「けり」終止形。一転して簡潔な文章で情景描写も鮮明な表現へと変わる。1.1.4
注釈14三月のつごもりなれば季節が語られる。三月晦、晩春の山景。1.1.4
注釈15京の花盛りはみな過ぎにけり山の桜はまだ盛りにて「京の花」と「山の桜」とが対比された対句じたての文。完了の助動詞「に」連用形+過去の助動詞「けり」終止形。『異本紫明抄』は引歌として、「里はみな散り果てにしを足引の山の桜はまだ盛りなりけり」(玉葉集春下 二二七 躬恒)を指摘する。1.1.4
注釈16入りもておはするままに主語は源氏。「おはす」は「行く」の尊敬語。1.1.4
注釈17霞のたたずまひ春の景物として霞が描かれる。1.1.4
注釈18をかしう見ゆれば「をかしう見ゆれば」は「めづらしう思されけり」に続く。「かかるありさまも」から「御身にて」までは、源氏の体験や日常の生活状況を説明した挿入句。1.1.4
注釈19所狭き御身にて断定の助動詞「に」連用形。1.1.4
注釈20めづらしう思されけり「思さ」未然形は「思ふ」の尊敬表現。自発の助動詞「れ」連用形。過去の助動詞「けり」終止形。1.1.4
注釈21巖屋の中にぞ大島本は「いは(は+屋)の中にそ」とあり、墨筆による「屋」の補入がある。『大成』は「やハ補入シテミセケチニセリ」と注す。確かにDVD-ROMでその箇所を拡大して見れば「屋」の文字上に朱色が確認できる。指摘どおりミセケチであれば後に削除したとなろう。またあるいは最初朱書したのを再度重ねて「屋」と墨書したものであっても補入の意義は変わらない。御物本と横山本は「いはのなかにそ」とある。1.1.5
注釈22聖入りゐたりける大島本は「ゐ」と表記する。完了の助動詞「たり」連用形。過去の助動詞「ける」連体形、係助詞「ぞ」の係結びの法則。強調を表す。聖は岩屋の中に座っていたのであった、というニュアンス。源氏たち一行が見た描写。1.1.5
注釈23登りたまひて、誰とも知らせたまはず主語は源氏。1.1.5
注釈24あなかしこや以下「おはしましつらむ」まで、聖の詞。1.1.6
注釈25召しはべりしにやおはしますらむ「召しはべりし方にや」の意。断定の助動詞「に」連用形、係助詞「や」疑問の意、推量の助動詞「らむ」連体形に係る、係結びの法則。「おはします」は「おはす」よりさらに高い敬語表現。源氏の姿を眼前にしながら「らむ」(視界外推量)というのは、心理的距離感を表す。1.1.6
注釈26思ひたまへねば謙譲の補助動詞「たまへ」未然形+打消の助動詞「ね」已然形+接続助詞「ば」順接の確定条件を表す。1.1.6
注釈27捨て忘れてはべるを丁寧の補助動詞「はべる」連体形+接続助詞「を」逆接。1.1.6
注釈28いかでかうおはしましつらむ「おはします」は「おはす」より高い敬語表現。完了の助動詞「つ」終止形。推量の助動詞「らむ」連体形(原因推量)は、上に副詞「いかで」疑問の意があるので。1.1.6
注釈29うち笑みつつ見たてまつる主語は聖。源氏の姿を。1.1.7
注釈30いと尊き大徳なりけり『首書源氏物語』は「地」といわゆる「草子地」であると指摘。『評釈』も「男君の美を認める目は持ち続けたこの老僧に、作者は、読者とともに讃辞を呈している」と注す。1.1.7
注釈31すかせたてまつり『古典セレクション』は諸本に従って「すかせたてまつる」と終止形に改める。『集成』『新大系』は底本のまま。1.1.7
校訂1 わづらひ わづらひ--わ(わ/+つ<朱>)らひ 1.1.1
校訂2 ししこらかし ししこらかし--しゝこらう(う/$か<朱>)し 1.1.2
校訂3 聞こゆれば 聞こゆれば--きこゆ(こゆ/#こゆ&<朱墨>)れは 1.1.3
校訂4 巖屋 巖屋--いは(は/+や) 1.1.5
1.2
第二段 山の景色や地方の話に気を紛らす


1-2  Geiji diverts his mind by uncommon view and listen to a tale

1.2.1   すこし立ち出でつつ見渡したまへば、高き所にて、ここかしこ、僧坊どもあらはに 見おろさるるただこのつづら折の下に、同じ小柴なれど、 うるはしくし渡して、清げなる屋、廊など続けて、木立いとよしあるは、
 少し外に出て見渡しなさると、高い所なので、あちこちに、僧坊どもがはっきりと見下ろされる、ちょうどこのつづら折の道の下に、同じような小柴垣であるが、きちんとめぐらして、こざっぱりとした建物に、廊などを建て続けて、木立がとても風情あるのは、
 源氏はその寺を出て少しの散歩を試みた。その辺をながめると、ここは高い所であったから、そこここに構えられた多くの僧坊が見渡されるのである。螺旋状になった路のついたこの峰のすぐ下に、それもほかの僧坊と同じ小柴垣ではあるが、目だってきれいに廻らされていて、よい座敷風の建物と廊とが優美に組み立てられ、庭の作りようなどもきわめて凝った一構えがあった。
  Sukosi tati ide tutu miwatasi tamahe ba, takaki tokoro nite, kokokasiko, soubau-domo araha ni miorosa ruru, tada kono tudurawori no simo ni, onazi kosiba nare do, uruhasiku si watasi te, kiyoge naru ya, rau nado tuduke te, kodati ito yosi aru ha,
1.2.2  「 何人の住むにか
 「どのような人が住んでいるのか」
 「あれはだれの住んでいる所なのかね」
  "Nanibito no sumu ni ka?"
1.2.3  と問ひたまへば、 御供なる人
 とお尋ねになると、お供である人が、
 と源氏が問うた。
  to tohi tamahe ba, ohom-tomo naru hito,
1.2.4  「 これなむ、なにがし僧都の二年 籠もりはべる方にはべるなる
 「これが、某僧都が、二年間籠もっております所だそうでございます」
 「これが、某僧都がもう二年ほど引きこもっておられる坊でございます」
  "Kore nam, Nanigasisoudu no, hutatose komori haberu kata ni haberu naru."
1.2.5  「 心恥づかしき人 住むなる所にこそあなれ。あやしうも、あまりやつしけるかな。 聞きもこそすれ」などのたまふ。
 「気おくれするほど立派な人が住んでいるという所だな。何とも、あまりに粗末な身なりであったなあ。聞きつけたら困るな」などとおっしゃる。
 「そうか、あのりっぱな僧都、あの人の家なんだね。あの人に知れてはきまりが悪いね、こんな体裁で来ていて」
 などと、源氏は言った。
  "Kokorohadukasiki hito sumu naru tokoro ni koso a' nare. Ayasiu mo, amari yatusi keru kana! Kiki mo koso sure." nado notamahu.
1.2.6  清げなる童などあまた出で来て、閼伽たてまつり、花折りなどするもあらはに見ゆ。
 美しそうな童女などが、大勢出て来て、閼伽棚に水をお供えしたり、花を折ったりなどするのも、はっきりと見える。
 美しい侍童などがたくさん庭へ出て来て仏の閼伽棚に水を盛ったり花を供えたりしているのもよく見えた。
  Kiyoge naru waraha nado amata ideki te, aka tatematuri, hana wori nado suru mo araha ni miyu.
1.2.7  「 かしこに、女こそありけれ
 「あそこに、女がいるぞ」
 「あすこの家に女がおりますよ。
  "Kasiko ni, womna koso ari kere!"
1.2.8  「 僧都は、よも、さやうには、据ゑたまはじを
 「僧都は、まさか、そのようには、囲って置かれまいに」
 あの僧都がよもや隠し妻を置いてはいらっしゃらないでしょうが、
  "Soudu ha, yomo, sayau ni ha, suwe tamaha zi wo."
1.2.9  「 いかなる人ならむ
 「どのような女だろう」
 いったい何者でしょう」
  "Ikanaru hito nara m?"
1.2.10  と口々言ふ。下りて覗くもあり。
 と口々に言う。下りて覗く者もいる。
 こんなことを従者が言った。崖を少しおりて行ってのぞく人もある。
  to kutiguti ihu. Ori te nozoku mo ari.
1.2.11  「 をかしげなる女子ども、若き人、 童女なむ見ゆる」と言ふ。
 「きれいな女の子たちや、若い女房、童女が見える」と言う。
 美しい女の子や若い女房やら召使の童女やらが見えると言った。
  "Wokasige naru womnago-domo, wakaki hito, warahabe nam miyuru." to ihu.
1.2.12  君は、 行ひしたまひつつ日たくるままにいかならむと思したるを
 源氏の君は、勤行なさりながら、日盛りになるにつれて、どうだろうかとご心配なさるのを、
 源氏は寺へ帰って仏前の勤めをしながら昼になるともう発作が起こるころであるがと不安だった。
  Kimi ha, okonahi si tamahi tutu, hi takuru mama ni, ika nara m to obosi taru wo,
1.2.13  「 とかう紛らはさせたまひて思し入れぬなむ、よくはべる」
 「何かとお紛らわしあそばして、お気になさらないのが、よろしうございます」
 「気をお紛らしになって、病気のことをお思いにならないのがいちばんよろしゅうございますよ」
  "Tokau magirahasa se tamahi te, obosi ire nu nam, yoku haberu."
1.2.14   と聞こゆれば、後への山に立ち出でて、京の方を見たまふ。 はるかに霞みわたりて、四方の梢そこはかとなう煙りわたれるほど、
 と申し上げるので、後方の山に立ち出でて、京の方角を御覧になる。遠くまで霞がかかっていて、四方の梢がどことなく霞んで見える具合、
 などと人が言うので、後ろのほうの山へ出て今度は京のほうをながめた。ずっと遠くまで霞んでいて、山の近い木立ちなどは淡く煙って見えた。
  to kikoyure ba, sirihe no yama ni tati ide te, kyau no kata wo mi tamahu. Haruka ni kasumi watari te, yomo no kozuwe sokohakatonau keburi watare ru hodo,
1.2.15  「 絵にいとよくも似たるかな。かかる所に住む人、心に思ひ残すことは あらじかし」とのたまへば、
 「絵にとてもよく似ているなあ。このような所に住む人は、心に思い残すことはないだろうよ」とおっしゃると、
 「絵によく似ている。こんな所に住めば人間の穢い感情などは起こしようがないだろう」
 と源氏が言うと、
  "We ni ito yoku mo ni taru kana! Kakaru tokoro ni sumu hito, kokoro ni omohi nokosu koto ha ara zi kasi." to notamahe ba,
1.2.16  「 これは、いと浅くはべり。人の国などにはべる海、山のありさまなどを 御覧ぜさせてはべらば 、いかに、御絵いみじうまさらせたまはむ。 富士の山、なにがしの嶽
 「これは、まことに平凡でございます。地方などにございます海、山の景色などを御覧に入れましたならば、どんなにか、お絵も素晴らしくご上達あそばしましょう。富士の山、何々の嶽」
 「この山などはまだ浅いものでございます。地方の海岸の風景や山の景色をお目にかけましたら、その自然からお得になるところがあって、絵がずいぶん御上達なさいますでしょうと思います。富士、それから何々山」
  "Kore ha, ito asaku haberi. Hito no kuni nado ni haberu umi, yama no arisama nado wo goranze sase te habera ba, ikani, ohom-we imiziu masara se tamaha m. Huzi no yama, nanigasi no take."
1.2.17  など、語りきこゆるもあり。また 西国のおもしろき浦々、磯の上を言ひ続くるもありて、よろづに 紛らはしきこゆ
 などと、お話し申し上げる者もいる。また、西国の美しい浦々や、海岸辺りについて話し続ける者もいて、何かとお気を紛らし申し上げる。
 こんな話をする者があった。また西のほうの国々のすぐれた風景を言って、浦々の名をたくさん並べ立てる者もあったりして、だれも皆病への関心から源氏を放そうと努めているのである。
  nado, katari kikoyuru mo ari. Mata nisikuni no omosiro ki uraura, iso no uhe wo ihi tudukuru mo ari te, yorodu ni, magirahasi kikoyu.
1.2.18  「 近き所には、播磨の 明石の浦こそ、なほことにはべれ。何の至り深き隈はなけれど、ただ、海の面を見わたしたるほどなむ、あやしく異所に似ず、 ゆほびかなる所にはべる。
 「近い所では、播磨国の明石の浦が、やはり格別でございます。どこといって奥深い趣はないが、ただ、海の方を見渡しているところが、不思議と他の海岸とは違って、ゆったりと広々した所でございます。
 「近い所では播磨の明石の浦がよろしゅうございます。特別に変わったよさはありませんが、ただそこから海のほうをながめた景色はどこよりもよく纏っております。
  "Tikaki tokoro ni ha, Harima no Akasi no ura koso, naho kotoni habere. Nani no itari hukaki kuma ha nakere do, tada, umi no omote wo miwatasi taru hodo nam, ayasiku kotodokoro ni ni zu, yuhobika naru tokoro ni haberu.
1.2.19  かの国の前の守、新発意の、 女かしづきたる家、いといたしかし。 大臣の後にて出で立ちもすべかりける人の、世のひがものにて、交じらひもせず、 近衛の中将を捨てて、 申し賜はれりける司なれど
 あの国の前国司で、出家したての人が、娘を大切に育てている家は、まことにたいしたものです。大臣の後裔で、出世もできたはずの人なのですが、たいそうな変わり者で、人づき合いをせず、近衛の中将を捨てて、申し出て頂戴した官職ですが、
 前播磨守入道が大事な娘を住ませてある家はたいしたものでございます。二代ほど前は大臣だった家筋で、もっと出世すべきはずの人なんですが、変わり者で仲間の交際なんかをもきらって近衛の中将を捨てて自分から願って出てなった播磨守なんですが、
  Kano kuni no saki no Kami, siboti no, musume kasiduki taru ihe, ito itasi kasi. Daizin no noti nite, idetati mo su bekari keru hito no, yo no higamono ni te, mazirahi mo se zu, konowe no tyuuzyau wo sute te, mausi tamahare ri keru tukasa nare do,
1.2.20   かの国の人にもすこしあなづられて、『 何の面目にてか、また都にも帰らむ』と言ひて、 頭も下ろしはべりにけるを、すこし奥まりたる山住みもせで、 さる海づらに出でゐたる、ひがひがしきやうなれど、 げに、かの国のうちに、 さも、人の 籠もりゐぬべき所々はありながら、深き里は、人離れ心すごく、若き妻子の 思ひわびぬべきにより、かつは心をやれる住まひになむはべる。
 あの国の人にも少し馬鹿にされて、『何の面目があって、再び都に帰られようか』と言って、剃髪してしまったのでございますが、少し奥まった山中生活もしないで、そのような海岸に出ているのは、間違っているようですが、なるほど、あの国の中に、そのように、人が籠もるにふさわしい所々は方々にありますが、深い山里は、人気もなくもの寂しく、若い妻子がきっと心細がるにちがいないので、一方では気晴らしのできる住まいでございます。
 国の者に反抗されたりして、こんな不名誉なことになっては京へ帰れないと言って、その時に入道した人ですが、坊様になったのなら坊様らしく、深い山のほうへでも行って住めばよさそうなものですが、名所の明石の浦などに邸宅を構えております。播磨にはずいぶん坊様に似合った山なんかが多いのですがね、変わり者をてらってそうするかというとそれにも訳はあるのです。若い妻子が寂しがるだろうという思いやりなのです。そんな意味でずいぶん賛沢に住居なども作ってございます。
  kano kuni no hito ni mo sukosi anadura re te, 'Nani no meiboku ni te ka, mata miyako ni mo kahera m' to ihi te, kasira mo orosi haberi ni keru wo, sukosi okumari taru yamazumi mo se de, saru umidura ni ide wi taru, higahigasiki yau nare do, geni, kano kuni no uti ni, samo, hito no komori wi nu beki tokorodokoro ha ari nagara, hukaki sato ha, hitobanare kokorosugoku, wakaki saisi no omohi wabi nu beki ni yori, katuha kokoro wo yare ru sumahi ni nam haberu.
1.2.21  先つころ、まかり下りてはべりしついでに、ありさま 見たまへに寄りてはべりしかば京にてこそ所得ぬやうなりけれ、 そこらはるかに 、いかめしう占めて造れるさま、 さは言へど、国の司にてし置きけることなれば、残りの齢ゆたかに経べき心構へも、二なくしたりけり。後の世の勤めも、いとよくして、なかなか法師まさりしたる人になむはべりける」と申せば、
 最近、下向いたしました機会に、様子を拝見するために立ち寄ってみましたところ、都でこそ不遇のようでしたが、はなはだ広々と、豪勢に占有して造っている様子は、そうは言っても、国司として造っておいたことなので、余生を豊かに過ごせる準備も、またとなくしているのでした。後世の勤行も、まことによく勤めて、かえって出家して人品が上がった人でございました」と申し上げると、
 先日父の所へまいりました節、どんなふうにしているかも見たいので寄ってみました。京にいますうちは不遇なようでしたが、今の住居などはすばらしいもので、何といっても地方長官をしていますうちに財産ができていたのですから、生涯の生活に事を欠かない準備は十分にしておいて、そして一方では仏弟子として感心に修行も積んでいるようです。あの人だけは入道してから真価が現われた人のように見受けます」
  Saitukoro, makari kudari te haberi si tuide ni, arisama mi tamahe ni yori te haberi sika ba, kyau nite koso tokoroe nu yau nari kere, sokora haruka ni, ikamesiu sime te tukure ru sama, sahaihedo, kuni no tukasa nite sioki keru koto nare ba, nokori no yohahi yutaka ni hu beki kokorogamahe mo, ninaku si tari keri. Notinoyo no tutome mo, ito yoku si te, nakanaka hohusimasari si taru hito ni nam haberi keru." to mause ba,
1.2.22  「 さて、その女は」と、問ひたまふ。
 「ところで、その娘は」と、お尋ねになる。
 「その娘というのはどんな娘」
  "Sate, sono musume ha?" to, tohi tamahu.
1.2.23  「 けしうはあらず容貌、心ばせなどはべるなり代々の国の司など、用意ことにして、 さる心ばへ見すなれどさらにうけひかず
 「悪くはありません、器量や、気立てなども結構だということでございます。代々の国司などが、格別懇ろな態度で、結婚の申し込みをするようですが、全然承知しません。
 「まず無難な人らしゅうございます。あのあとの代々の長官が特に敬意を表して求婚するのですが、入道は決して承知いたしません。
  "Kesiu ha ara zu, katati, kokorobase nado haberu nari. Daidai no kuninotukasa nado, youi koto ni si te, saru kokorobahe misu nare do, sarani ukehika zu.
1.2.24  『 我が身の かくいたづらに沈めるだにあるをこの人ひとりにこそあれ思ふさまことなり。もし我に後れてその志とげず、この思ひおきつる 宿世違はば、海に入りね』と、常に 遺言 しおきてはべるなる
 『自分の身がこのようにむなしく落ちぶれているのさえ無念なのに、この娘一人だけだが、特別に考えているのだ。もし、わたしに先立たれて、その素志を遂げられず、わたしの願っていた運命と違ったならば、海に入ってしまえ』と、いつも遺言をしているそうでございます」
 自分の一生は不遇だったのだから、娘の未来だけはこうありたいという理想を持っている。自分が死んで実現が困難になり、自分の希望しない結婚でもしなければならなくなった時には、海へ身を投げてしまえと遺言をしているそうです」
  'Wagami no kaku itadura ni sidume ru dani aru wo, kono hito hitori ni koso are, omohu sama koto nari. Mosi ware ni okure te sono kokorozasi toge zu, kono omohioki turu sukuse tagaha ba, umi ni iri ne.' to, tuneni yuigon sioki te haberu naru."
1.2.25  と聞こゆれば、君もをかしと聞きたまふ。人びと、
 と申し上げると、源氏の君もおもしろい話だとお聞きになる。供人たちは、
 源氏はこの話の播磨の海べの変わり者の入道の娘がおもしろく思えた。
  to kikoyure ba, Kimi mo wokasi to kiki tamahu. Hitobito,
1.2.26  「 海龍王の后になるべきいつき女ななり
 「きっと海龍王の后になる大切な娘なのだろう」
 「竜宮の王様のお后になるんだね。
  "Kairyuwau no kisaki ni naru beki ituki musume na' nari."
1.2.27  「 心高さ苦しや」とて笑ふ。
 「気位いの高いことも、困ったものだね」と言って笑う。
 自尊心の強いったらないね。困り者だ」
 などと冷評する者があって人々は笑っていた。
  "Kokorotakasa kurusi ya!" tote warahu.
1.2.28   かく言ふは、播磨守の子の、蔵人より、今年、かうぶり得たるなりけり
 このように話すのは、播磨守の子で、六位蔵人から、今年、五位に叙された者なのであった。
 話をした良清は現在の播磨守の息子で、さきには六位の蔵人をしていたが、位が一階上がって役から離れた男である。ほかの者は、
  Kaku ihu ha, Harimanokami no ko no, Kuraudo yori, kotosi, kauburi e taru nari keri.
1.2.29  「 いと好きたる者なれば、かの入道の遺言 破りつべき心はあらむかし
 「大変な好色者だから、あの入道の遺言をきっと破ってしまおうという気なのだろうよ」
 「好色な男なのだから、その入道の遺言を破りうる自信を持っているのだろう。
  "Ito suki taru mono nare ba, kano Nihudau no yuigon yaburi tu beki kokoro ha ara m kasi."
1.2.30  「 さて、たたずみ寄るならむ
 「それで、うろうろしているのだろう」
 それでよく訪問に行ったりするのだよ」
  "Sate, tatazumi yoru nara m."
1.2.31  と言ひあへり。
 と言い合っている。
 とも言っていた。
  to ihi ahe ri.
1.2.32  「 いで、さ言ふとも田舎びたらむ。幼くよりさる所に生ひ出でて、古めいたる 親にのみ従ひたらむは
 「いやもう、そうは言っても、田舎びているだろう。幼い時からそのような所に成長して、古めかしい親にばかり教育されていたのでは」
 「でもどうかね、どんなに美しい娘だといわれていても、やはり田舎者らしかろうよ。小さい時からそんな所に育つし、頑固な親に教育されているのだから」
  "Ide, sa ihu tomo, inakabi tara m. Wosanaku yori saru tokoro ni ohiide te, hurumei taru oya ni nomi sitagahi tara m ha."
1.2.33  「 母こそゆゑあるべけれ。よき若人、童など、都のやむごとなき所々より、類にふれて尋ねとりて、 まばゆくこそもてなすなれ
 「母親はきっと由緒ある家の出なのだろう。美しい若い女房や、童女など、都の高貴な家々から、縁故を頼って探し集めて、眩しく育てているそうだ」
 こんなことも言う。
 「しかし母親はりっぽなのだろう。若い女房や童女など、京のよい家にいた人などを何かの縁故からたくさん呼んだりして、たいそうなことを娘のためにしているらしいから、
  "Haha koso yuwe aru bekere. Yoki wakaudo, waraha nado, miyako no yamgotonaki tokorodokoro yori, rui ni hure te tadune tori te, mabayuku koso motenasu nare."
1.2.34  「 情けなき人なりて行かば、さて心安くてしも、 え置きたらじをや
 「心ない人が国司になって赴任して行ったら、そんなふうに安心して、置いておけないのでは」
 それでただの田舎娘ができ上がったら満足していられないわけだから、私などは娘も相当な価値のある女だろうと思うね」
  "Nasake naki hito nari te yuka ba, sate kokoroyasuku te simo, e oki tara zi woya!"
1.2.35  など言ふもあり。君、
 などと言う者もいる。源氏の君は、
 だれかが言う。源氏は、
  nado ihu mo ari. Kimi,
1.2.36  「 何心ありて海の底まで深う思ひ入るらむ 底の「みるめ」も、 ものむつかしう」
 「どのような考えがあって、海の底まで深く思い込んでいるのだろうか。海底の「海松布」も 何となく見苦しい」
 「なぜお后にしなければならないのだろうね。それでなければ自殺させるという凝り固まりでは、ほかから見てもよい気持ちはしないだろうと思う」
  "Nanigokoro ari te, umi no soko made hukau omohi iru ram? Soko no 'mirume' mo, mono mutukasiu."
1.2.37  などのたまひて、 ただならず思したり。 かやうにても、なべてならず、 もてひがみたること好みたまふ御心なれば御耳とどまらむをや、と見たてまつる。
 などとおっしゃって、少なからず関心をお持ちになっている。このような話でも、普通以上に、一風変わったことをお好みになるご性格なので、お耳を傾けられるのだろう、と拝見する。
 などと言いながらも、好奇心が動かないようでもなさそうである。平凡でないことに興味を持つ性質を知っている家司たちは源氏の心持ちをそう観察していた。
  nado notamahi te, tada nara zu obosi tari. Kayau ni te mo, nabete nara zu, mote-higami taru koto konomi tamahu mikokoro nare ba, ohom-mimi todomara m woya, to mi tatematuru.
1.2.38  「 暮れかかりぬれどおこらせたまはずなりぬるにこそはあめれはや帰らせたまひなむ
 「暮れかけてきましたが、ご発作がおこりあそばさなくなったようでございます。早くお帰りあそばされのがよいでしょう」
 「もう暮れに近うなっておりますが、今日は御病気が起こらないで済むのでございましょう。もう京へお帰りになりましたら」
  "Kure kakari nure do, okora se tamaha zu nari nuru ni koso ha a' mere. Haya kahera se tamahi na m."
1.2.39   とあるを、大徳
 と言うのを、大徳は、
 と従者は言ったが、寺では聖人が、
  to aru wo, Daitoko,
1.2.40  「 御もののけなど 加はれるさまにおはしましけるを、今宵は、なほ静かに 加持など参りて、出でさせたまへ」と申す。
 「おん物の怪などが、憑いている様子でいらっしゃいましたが、今夜は、やはり静かに加持などをなさって、お帰りあそばされませ」と申し上げる。
 「もう一晩静かに私に加持をおさせになってからお帰りになるのがよろしゅうございます」
 と言った。
  "Ohom-mononoke nado, kuhahare ru sama ni ohasimasi keru wo, koyohi ha, naho siduka ni kadi nado mawiri te, ide sase tamahe." to mausu.
1.2.41  「 さもあること」と、皆人申す。君も、かかる旅寝も 慣らひたまはねば、さすがにをかしくて、
 「それも、もっともなこと」と、供人皆が申し上げる。源氏の君も、このような旅寝もご経験ないことなので、何と言っても興味があって、
 だれも皆この説に賛成した。源氏も旅で寝ることははじめてなのでうれしくて、
  "Samo aru koto" to, minahito mausu. Kimi mo, kakaru tabine mo narahi tamaha ne ba, sasuga ni, wokasiku te,
1.2.42  「 さらば暁に」とのたまふ。
 「それでは、早朝に」とおっしゃる。
 「では帰りは明日に延ばそう」
 こう言っていた。
  "Saraba akatuki ni." to notamahu.
注釈32すこし立ち出でつつ主語は源氏。「つつ」は単に前件を後件につなぐ接続助詞。以下、再び長文が続く。ここは源氏一行の視点を通して語る。あたかもカメラの眼が移動しながら流れていくような描写である。1.2.1
注釈33見おろさるる語り手と源氏の目とが一体化した表現。可能の助動詞「るる」連体形。1.2.1
注釈34ただこのつづら折の下に以下「何人の住むにか」までを源氏の詞とみる説もある。1.2.1
注釈35うるはしくし渡して『集成』『古典セレクション』は諸本に従って「うるわしう」とウ音便形に改める。『新大系』は底本のまま。1.2.1
注釈36何人の住むにか源氏の詞。しかし、前の文章との関係から、源氏の詞を間接話法的に要約したものか。直接話法ならば、「ただこのつづら折の下に」からを源氏の詞とすべきだが、やや冗長で、語り手の説明的な感じが交じる。いずれにしても、地の文と会話文とが融合したような文章が続き、最後にはっきりと会話文的な文があるというもの。地の文がだんだんとせりあがっていき、ついに本人の詞となるという表現法。「住む」連体形、断定の助動詞「に」連用形、係助詞「か」疑問の意。1.2.2
注釈37御供なる人断定の助動詞「なる」連体形。「御供人」といわず「御供なる人」とわざわざもってまわった言い方をしている。1.2.3
注釈38これなむなにがし僧都の以下「方にはべるなる」まで、供人の返事。榊原家本と池田本は「なにかしのそうつ」とある。実際には実名を答えているのであるが、語り手がそれを「なにがし」と言い換えた。係助詞「なむ」は「なる」連体形に係る、係結びの法則。1.2.4
注釈39二年『集成』『古典セレクション』は諸本に従って「この二年」と改める。『新大系』は底本のままとする。1.2.4
注釈40籠もりはべる方にはべるなる前者の「はべる」は丁寧の補助動詞、連体形。後者の「はべる」は丁寧の動詞、連体形+伝聞推定の助動詞「なる」連体形、係結びの法則。1.2.4
注釈41心恥づかしき人以下「聞きもこそすれ」まで、源氏の詞。「心恥づかし」はこちらが気おくれするほど相手が立派だ、の意。1.2.5
注釈42住むなる所にこそあなれマ四動詞「住む」終止形+伝聞推定の助動詞「なる」連体形。「あなれ」の「あ」はラ変動詞「ある」連体形の「る」が撥音便化しさらに無表記+伝聞推定の助動詞「なれ」已然形、係結びの法則。1.2.5
注釈43聞きもこそすれ連語「もこそ」(助詞「も」+係助詞「こそ」)懸念を表す。聞き付けられたら大変だ、困ったな、というニュアンス。サ変動詞「すれ」已然形。係結びの法則。1.2.5
注釈44かしこに女こそありけれ以下「いかなる人ならむ」まで、供人たちの詞。係助詞「こそ」、過去の助動詞「けれ」已然形、詠嘆の意、係結び。山奥の僧坊に女人がいることに対する驚きのニュアンスを表す。1.2.7
注釈45僧都はよもさやうには据ゑたまはじを副詞「よも」下に打消推量の語を伴って、まさか--まい、の意を表す。断定の助動詞「に」連用形。ワ下二動詞「据ゑ」連用形。尊敬の補助動詞「たまは」未然形。打消推量の助動詞「じ」連体形。接続助詞「を」逆接を表す。1.2.8
注釈46いかなる人ならむ断定の助動詞「なら」未然形、推量の助動詞「む」連体形、推量の意。1.2.9
注釈47をかしげなる以下「なむ見ゆる」まで、供人の詞。間接話法的にその要旨を述べたものか。『集成』は括弧を付けない。1.2.11
注釈48童女なむ見ゆる係助詞「なむ」--ヤ下二動詞「見ゆる」連体形、係結びの法則。1.2.11
注釈49行ひしたまひつつ接続助詞「つつ」動作の並行を表す。--しながらの意。「いかならむと思したるを」に続く。1.2.12
注釈50日たくるままに前に「日高くさし上がりぬ」とあった。時間の推移を表す。1.2.12
注釈51いかならむと思したるを完了の助動詞「たる」連体形、存続の意。接続助詞「を」弱い順接。1.2.12
注釈52とかう紛らはさせたまひて以下「なむよくはべる」まで、供人の詞。尊敬の助動詞「せ」連用形+尊敬の補助動詞「たまひ」連用形。二重敬語、会話文中の使用。1.2.13
注釈53思し入れぬなむ打消の助動詞「ぬ」連体形。係助詞「なむ」は「はべる」連体形に係る、係結び。1.2.13
注釈54と聞こゆればヤ下二「聞こゆれ」已然形+接続助詞「ば」順接の確定条件を表す。--ので。1.2.14
注釈55はるかに霞みわたりて以下「あらじかし」までを、源氏の詞とみる説(待井『文法全解』)もある。地の文から会話文(源氏の発言)へと移っていく文章である。1.2.14
注釈56絵にいとよくも似たるかな以下「あらじかし」まで源氏の、源氏の詞。『古典セレクション』『新大系』はここから詞とする。一方『集成』は「かかる所に住む人」以下を源氏の詞とし、「絵にいとよくも似たるかな」は地の文と解し「「かな」は、普通地の文には使われないが、ここは、見渡している源氏の気持をそのまま地の文としたものであろう」と注す。この絵は大和絵。神護寺蔵山水屏風などが参考になる。1.2.15
注釈57あらじかしラ変「あら」未然形+打消推量の助動詞「じ」終止形+終助詞「かし」念押し、を表す。1.2.15
注釈58これはいと浅くはべり以下「なにがしの嶽」まで、供人の詞。1.2.16
注釈59御覧ぜさせてはべらば使役の助動詞「させ」連用形+接続助詞「て」+丁寧の補助動詞「はべら」未然形+接続助詞「ば」順接の仮定条件を表す。人をして(誰かが)源氏に(それらの景色を)御覧に入れさせましたならば、の意。1.2.16
注釈60富士の山なにがしの嶽「なにがしの嶽」は、古来浅間山かとされる。とすると、いずれも当時は噴煙を上げていた活火山である。1.2.16
注釈61西国底本の大島本には仮名表記で「にしくに」とある。1.2.17
注釈62紛らはしきこゆ主語は供人。謙譲の補助動詞「きこゆ」終止形。1.2.17
注釈63近き所には以下「人になむはべりける」まで、供人の詞。その内容から良清と呼ばれる人。1.2.18
注釈64明石の浦こそなほことにはべれ係助詞「こそ」--「はべれ」已然形、係結びの法則。強調の意。副詞「なほ」やはり。『古典セレクション』は「もともと名所だが、やはり格別で」と注す。「明石」は播磨国の歌枕。「あまさかる鄙(ひな)の長道(ながぢ)ゆ恋ひ来れば明石の門(と)より大和島見ゆ」(万葉集巻三)「ほのぼのと明石の浦の朝霧に島隠れ行く舟をしぞ思ふ」(古今集、羇旅)などが有名。1.2.18
注釈65女かしづきたる家完了の助動詞「たる」連体形、存続の意。娘を大切に育てているの意。娘の年齢に問題があるが、良清が求婚した経緯から、過去から今現在に続く話と解す。後に明石の御方と呼ばれる人。1.2.19
注釈66大臣の後にて後に、源氏の祖父按察使大納言(母桐壺更衣の父親)の兄に当たる人であることが「明石」巻で判明する。しかし、この巻でその構想があれば、源氏の縁者にあたる人の噂を以下に語るように何の考慮せずに語ったろうか、不審。1.2.19
注釈67出で立ちもすべかりける人のサ変「す」終止形+推量の助動詞「べかり」連用形、可能+過去の助動詞「ける」連体形、格助詞「の」主格を表す。できたはずの人がの意。「世のひがものにて」を挿入句として、以下の文の総主語のような形になっている。いかにも会話文的表現である。1.2.19
注釈68近衛の中将従四位下相当の官職。若い貴公子の京官(太政官)出世コース。一方、播磨守は従五位上相当の地方官(受領)。ただし、大国であり、物質的利益には大変に恵まれた国。実益は大いに期待できる。1.2.19
注釈69申し賜はれりける司なれど主語は「かの国の前の守」。「申し」連用形、謙譲語、「賜はれ」已然形、謙譲語、完了の助動詞「り」連用形、過去の助動詞「ける」連体形。断定の助動詞「なれ」已然形+接続助詞「ど」逆接の確定条件を表す。自分から申し出て頂戴した官職であるが、の意。1.2.19
注釈70かの国の人にもすこしあなづられて係助詞「も」同類を表す。都の人のみならず明石の住人からも。受身の助動詞「られ」連用形。1.2.20
注釈71何の面目にてかまた都にも帰らむ前播磨守の詞を引用。「何の--か--帰らむ」は反語表現。再び都には帰れないの意。1.2.20
注釈72頭も下ろしはべりにけるを丁寧の補助動詞「はべり」連用形、完了の助動詞「に」連用形、過去の助動詞「ける」連体形、接続助詞「を」逆接を表す。髪を下ろしてしまった、すなわち出家してしまった、のでございますが、の意。1.2.20
注釈73さる海づらに出でゐたる完了の助動詞「たる」連体形。上文を受け、それは、と下文に続ける。1.2.20
注釈74げに語り手の入道の出家生活に納得する気持ち。1.2.20
注釈75さも「さ」は「すこし奥まりたる山住み」をさす。1.2.20
注釈76籠もりゐぬべき所々はありながら完了の助動詞「ぬ」終止形、確述+推量の助動詞「べき」連体形、適当の意。籠もってしまうに相応しい所々はのニュアンス。1.2.20
注釈77思ひわびぬべきにより完了の助動詞「ぬ」終止形、確述、推量の助動詞「べき」連体形、当然の意。格助詞「に」起点を表す、ラ四「より」連用形。きっと心細がるにちがいないことによって、の意。1.2.20
注釈78見たまへに寄りてはべりしかば謙譲の補助動詞「たまへ」連用形、格助詞「に」動作の目的を表す。拝見するためにの意。過去の助動詞「しか」已然形+接続助詞「ば」--したところ、--であった、という構文。1.2.21
注釈79京にてこそ係助詞「こそ」は「やうなりけれ」已然形に係るが、係結びの逆接用法で、下文に続く。1.2.21
注釈80そこらはるかに『新大系』は「見渡す限りいっぱい大規模に土地を所有して造営しているさまは、の意。長者屋敷の感じがある」と注す。1.2.21
注釈81さは言へど「さ」は「かの国の人にもすこしあなづられ」をさす。1.2.21
注釈82さてその女は源氏の問い。接続詞「さて」話題転換を表す。1.2.22
注釈83けしうはあらず以下「遺言しおきてはべるなる」まで、良清の答え。1.2.23
注釈84容貌心ばせなどはべるなり「はべる」連体形(ラ変型活用)+伝聞推定の助動詞「なり」終止形。『例解古語辞典』ではこの例文をあげて「明石の入道という人物の娘の話を、光源氏に、家来が申しあげていることば。娘の容貌などが「けしうはあらず」とか、父入道が「遺言しおきて侍る」とかいうことは、直接知っていることではなくて、女房などからの話などで得ているものだということが、それぞれ「なり」「なる」を添えるということで明らかにされている。話し手はこれで責任のがれにもなるわけである。もし、「けしうはあらず侍り」とか、「遺言しおきて侍る」とか言えば、ことばの上では、直接知っている事がらと理解され、その言に責任をおわされてもやむをえないはずのところ」と解説する。「容貌心ばせなどけしうはあらずはべるなり」の倒置表現。1.2.23
注釈85代々の国の司など明石入道が国司を辞して後、播磨国の国司が二、三代交替する。国司の任期は四年だが必ずしも任期満了とは限らない。1.2.23
注釈86さる心ばへ見すなれど「さる心ばへ」とは求婚の意志をいう。伝聞推定の助動詞「なれ」已然形。1.2.23
注釈87さらにうけひかず副詞「さらに」は打消の助動詞「ず」終止形と呼応して、全然承知しないの意。1.2.23
注釈88我が身の以下「海に入りね」まで、前国司の詞を引用。1.2.24
注釈89かくいたづらに沈めるだにあるを連語「だにある」は副助詞「だに」+ラ変「ある」連体形の形。「ある」の前に無念であるなど語が省略されている形。落ちぶれているのさえ無念であるのに、の意。『新大系』は「明石巻、さらには若菜巻で明かされる大きな構想が早くもここにあるらしい」と指摘。しかし、それにしては明石の君の年齢や明石の入道の系譜などの点で不自然さがある。1.2.24
注釈90この人ひとりにこそあれ前の副助詞「だに」を受けて、「まして」の気持ちが加わる。「この人」は娘をさす。子供はこの娘一人だの意。期待するところの大きさをいう。『集成』『新大系』はこの文を、前後読点で、はさみ込まれた挿入句のごとく解す。『完訳』は前後句点で、独立した一文と解すが、『古典セレクション』では読点に改める。1.2.24
注釈91思ふさまことなり断定の助動詞「なり」終止形。1.2.24
注釈92宿世違はば海に入りね「違は」未然形+接続助詞「ば」仮定条件を表す。完了の助動詞「ね」命令形。1.2.24
注釈93しおきてはべるなる丁寧の補助動詞「はべる」連体形(ラ変型活用)+伝聞推定の助動詞「なる」連体形。連体中止法、余情表現。まだ話の続きがあるというニュアンス。1.2.24
注釈94海龍王の后になるべきいつき女ななり供人の詞。海龍王の后とは、からかった表現。「ななり」は断定の助動詞「なる」連体形「る」が撥音便化しさらに無表記形(ラ変型活用)+伝聞推定の助動詞「なり」終止形。大切な娘なのでしょうの意。1.2.26
注釈95心高さ苦しや「人びと」とあるので、別人の詞とみる。「苦しや」について『集成』と『古典セレクション』は「つらいものよ」と解す。『新大系』は「厄介なことよ」と解す。1.2.27
注釈96かく言ふは播磨守の子の蔵人より今年かうぶり得たるなりけり「須磨」巻で良清という名であることがわかる。六位蔵人から従五位下に叙された。『湖月抄』は「草子地」と注す。1.2.28
注釈97いと好きたる者なれば以下「さてたたずみ寄るならむ」まで、供人たちの詞。断定の助動詞「なれ」+接続助詞「ば」順接の確定条件を表す。--なので。--だから。1.2.29
注釈98破りつべき心はあらむかし連語「つべき」(完了の助動詞「つ」終止形、確述の意+推量の助動詞「べき」連体形、当然の意)確実な推量を表す。きっと--するにちがいない。ラ変「あら」未然形+推量の助動詞「む」終止形+終助詞「かし」念押し。1.2.29
注釈99さてたたずみ寄るならむ接続詞「さて」それで。「たたずみ寄る」連体形+断定の助動詞「なら」未然形+推量の助動詞「む」終止形。それで、うろうろしているのであろう。1.2.30
注釈100いでさ言ふとも以下「従ひたらむは」まで、供人の詞。『集成』は「いでや、さいふとも」と本文を改め、『古典セレクション』は「いで、なにしに。さいふとも」と本文を改める。『新大系』は底本のままとする。感動詞「いで」さあ、いやもう。1.2.32
注釈101田舎びたらむバ上二「田舎び」連用形+完了の助動詞「たら」未然形+推量の助動詞「む」終止形。1.2.32
注釈102親にのみ従ひたらむは副助詞「のみ」限定・強調、完了の助動詞「たら」未然形+推量の助動詞「む」連体形+終助詞「は」詠嘆の意、また「従ひたらむは、田舎びたらむ」という倒置法による係助詞「は」とも解せる。1.2.32
注釈103母こそゆゑあるべけれ以下「もてなすなれ」まで、良清の詞。係助詞「こそ」、ラ変「ある」連体形+推量の助動詞「べけれ」已然形、係結びの法則。強調のニュアンス。1.2.33
注釈104まばゆくこそもてなすなれ係助詞「こそ」、「もてなす」終止形+伝聞推定の助動詞「なれ」已然形、係結びの法則。強調のニュアンス。1.2.33
注釈105情けなき人なりて行かば御物本は「人に(に−補入)なりて(て−ミセケチ)ゆかは」、横山本、榊原家本、三条西家本は「人になりてゆかは」、池田本は「人になりて(て−ミセケチ)ゆかは」、肖柏本は「人に成ゆかは」とある。河内本も七毫源氏と鳳来寺本は「人になりゆかは」、高松宮家本と尾州家本は「人になりてゆかは」、河内本の大島本は「人なりてゆかは」とある。『集成』は「人になりてゆかば」に本文を改め、「娘が風情のない人間に育っていったなら」と解し、同じ供人の詞とする。『古典セレクション』『新大系』は「人なりてゆかば」で、「心ない人が国司になって赴任したら」と解す。1.2.34
注釈106え置きたらじをや副詞「え」は打消推量の助動詞「じ」終止形と呼応して不可能の意を表す。連語「をや」(間投助詞「を」詠嘆+間投助詞「や」詠嘆)強い感動を表す。1.2.34
注釈107何心ありて以下「ものむつかしう」まで、源氏の詞。1.2.36
注釈108海の底まで深う思ひ入るらむ「深う」連用形「く」のウ音便形。ラ四「入る」終止形+推量の助動詞「らむ」終止形、原因推量の意。なぜ--なのだろうか。1.2.36
注釈109底のみるめ「みるめ」に「見る目」と「海松布」を掛ける。ちゃかした言い方。1.2.36
注釈110かやうにても以下「とどまらむをや」まで、供人の心中。1.2.37
注釈111もてひがみたること好みたまふ御心なれば『古典セレクション』は「風変りを好む性癖があるとして、語り手が源氏の関心を強調する」と注す。1.2.37
注釈112御耳とどまらむをや推量の助動詞「む」終止形+連語「をや」(間投助詞「を」詠嘆+間投助詞「や」詠嘆)強い感動を表す。1.2.37
注釈113暮れかかりぬれど以下「帰らせたまひなむ」まで、供人の詞。完了の助動詞「ぬれ」已然形+接続助詞「ど」逆接を表す。1.2.38
注釈114おこらせたまはずなりぬるにこそはあめれ「せたまは」は尊敬の助動詞「せ」連用形+「尊敬の補助動詞「たまは」未然形の最高敬語、会話文中の使用。打消の助動詞「ず」連用形。ラ四「なり」連用形、完了の助動詞「ぬる」連体形、格助詞「に」動作の帰着を表す。係助詞「こそ」、係助詞「は」、「あめれ」はラ変「ある」連体形「る」が撥音便化しさらに無表記形+推量の助動詞「めれ」已然形、主観的推量の意、係結びの法則。強調のニュアンス。1.2.38
注釈115はや帰らせたまひなむ副詞「はや」。「たまひ」は尊敬の助動詞「せ」連用形+尊敬の補助動詞「たまひ」連用形、二重敬語。「なむ」は完了の助動詞「な」未然形+推量の助動詞「む」終止形、適当の意。1.2.38
注釈116とあるを大徳ラ変「ある」連体形+格助詞「を」目的格を表す。1.2.39
注釈117御もののけなど以下「いでさせたまへ」まで、行者(大徳)の詞。1.2.40
注釈118加持など参りて出でさせたまへ「参り」は尊敬語。加持などを奉仕させる、加持などなさる。「させたまへ」は尊敬の助動詞「させ」連用形+尊敬の補助動詞「たまへ」命令形、二重敬語。1.2.40
注釈119さもあること供人の詞。1.2.41
注釈120慣らひたまはねば尊敬の補助動詞「たまは」未然形、打消の助動詞「ね」已然形+接続助詞「ば」順接の確定条件を表す。1.2.41
注釈121さらば暁に源氏の詞。以下に「帰らむ」などの語句が省略。行者や供人の言葉に同意する。「さらば」接続詞、それならばの意。1.2.42
出典1 底の「みるめ」も、 海人の住む底のみるめも恥づかしく磯に生ひたるわかめをぞ摘む 出典未詳、源氏釈所引 1.2.36
校訂5 させて させて--させ(せ/+て) 1.2.16
校訂6 紛らはし 紛らはし--まきゝ(ゝ/$ら<朱>)はし 1.2.17
校訂7 ゆほびかなる ゆほびかなる--ゆほひる(る/#か)なる 1.2.18
校訂8 司--つる(る/$か<朱>)さ 1.2.19
校訂9 そこら そこら--そこえ(え/#ら) 1.2.21
校訂10 遺言 遺言--*ゆいこ 1.2.24
校訂11 もの もの--も(も/#)もの 1.2.36
校訂12 ただならず ただならず--たゝなら△(△/#す) 1.2.37
校訂13 御もののけ 御もののけ--御もの(の/+の)け 1.2.40
校訂14 加はれる 加はれる--くはら(ら/$は<朱>)れる 1.2.40
1.3
第三段 源氏、若紫の君を発見す


1-3  Genji finds Murasaki-no-Kimi in Kita-yama

1.3.1   人なくて、つれづれなれば、夕暮のいたう 霞みたるに紛れて、 かの小柴垣のほどに立ち出でたまふ。 人びとは帰したまひて惟光朝臣と覗きたまへば、 ただこの西面にしも仏据ゑたてまつりて行ふ、尼なりけり。簾すこし上げて、 花たてまつるめり。中の柱に寄りゐて、脇息の上に経を置きて、いとなやましげに読みゐたる尼君、ただ人と見えず。四十余ばかりにて、いと白うあてに、痩せたれど、つらつきふくらかに、まみのほど、髪のうつくしげにそがれたる末も、なかなか長きよりもこよなう今めかしきものかな と、あはれに見たまふ
 人もいなくて、何もすることがないので、夕暮のたいそう霞わたっているのに紛れて、あの小柴垣の付近にお立ち出でになる。供人はお帰しになって、惟光朝臣とお覗きになると、ちょうどこの西面に、仏を安置申して勤行している、それは尼なのであった。簾を少し上げて、花を供えているようである。中の柱に寄り掛かって座って、脇息の上にお経を置いて、とても大儀そうに読経している尼君は、普通の人とは見えない。四十過ぎくらいで、とても色白で上品で、痩せてはいるが、頬はふっくらとして、目もとのぐあいや、髪がきれいに切り揃えられている端も、かえって長いのよりも、この上なく新鮮な感じだなあ、と感心して御覧になる。
 山の春の日はことに長くてつれづれでもあったから、夕方になって、この山が淡霞に包まれてしまった時刻に、午前にながめた小柴垣の所へまで源氏は行って見た。ほかの従者は寺へ帰して惟光だけを供につれて、その山荘をのぞくとこの垣根のすぐ前になっている西向きの座敷に持仏を置いてお勤めをする尼がいた。簾を少し上げて、その時に仏前へ花が供えられた。室の中央の柱に近くすわって、脇息の上に経巻を置いて、病苦のあるふうでそれを読む尼はただの尼とは見えない。四十ぐらいで、色は非常に白くて上品に痩せてはいるが頬のあたりはふっくりとして、目つきの美しいのとともに、短く切り捨ててある髪の裾のそろったのが、かえって長い髪よりも艶なものであるという感じを与えた。
  Hito naku te, turedure nare ba, yuhugure no itau kasumi taru ni magire te, kano kosibagaki no hodo ni tati ide tamahu. Hitobito ha kahesi tamahi te, Koremitunoasom to nozoki tamahe ba, tada kono nisiomote ni simo, hotoke suwe tatematuri te okonahu, Ama nari keri. Sudare sukosi age te, hana tatematuru meri. Naka no hasira ni yori wi te, kehusoku no uhe ni kyau wo oki te, ito nayamasige ni yomi wi taru Amagimi, tadabito to miye zu. Sizihuyo bakari nite, ito sirou ate ni, yase tare do, turatuki hukuraka ni, mami no hodo, kami no utukusige ni sogare taru suwe mo, nakanaka nagaki yori mo koyonau imamekasiki mono kana to, ahare ni mi tamahu.
1.3.2   清げなる大人二人ばかり、 さては童女ぞ出で入り遊ぶ中に十ばかりやあらむと見えて 、白き衣、山吹などの 萎えたる着て、走り来たる女子、あまた見えつる子どもに似るべうもあらず、いみじく生ひさき見えて、うつくしげなる容貌なり。髪は扇を広げたるやうにゆらゆらとして、顔はいと赤くすりなして立てり。
 小綺麗な女房二人ほど、他には童女が出たり入ったりして遊んでいる。その中に、十歳くらいかと見えて、白い袿の上に、山吹襲などの、糊気の落ちた表着を着て、駆けてきた女の子は、大勢見えた子供とは比べものにならず、たいそう将来性が見えて、かわいらしげな顔かたちである。髪は扇を広げたようにゆらゆらとして、顔はとても赤く手でこすって立っている。
 きれいな中年の女房が二人いて、そのほかにこの座敷を出たりはいったりして遊んでいる女の子供が幾人かあった。その中に十歳ぐらいに見えて、白の上に淡黄の柔らかい着物を重ねて向こうから走って来た子は、さっきから何人も見た子供とはいっしょに言うことのできない麗質を備えていた。将来はどんな美しい人になるだろうと思われるところがあって、肩の垂れ髪の裾が扇をひろげたようにたくさんでゆらゆらとしていた。顔は泣いたあとのようで、手でこすって赤くなっている。尼さんの横へ来て立つと、
  Kiyoge naru otona hutari bakari, sateha warahabe zo ide iri asobu. Naka ni towo bakari ya ara m to miye te, siroki kinu, yamabuki nado no naye taru ki te, hasiri ki taru womnago, amata miye turu kodomo ni niru beu mo ara zu, imiziku ohisaki miye te, utukusige naru katati nari. Kami ha ahugi wo hiroge taru yau ni yurayura to si te, kaho ha ito akaku suri nasi te tate ri.
1.3.3  「 何ごとぞや。童女と腹立ちたまへるか」
 「どうしたの。童女とけんかをなさったのですか」
 「どうしたの、童女たちのことで憤っているの」
  "Nanigoto zo ya? Warahabe to haradati tamahe ru ka?"
1.3.4   とて、尼君の見上げたるに、すこしおぼえたるところあれば、「 子なめり」と見たまふ。
 と言って、尼君が見上げた顔に、少し似ているところがあるので、「その子どもなのだろう」と御覧になる。
 こう言って見上げた顔と少し似たところがあるので、この人の子なのであろうと源氏は思った。
  tote, Amagimi no miage taru ni, sukosi oboye taru tokoro are ba, "Ko na' meri." to mi tamahu.
1.3.5  「 雀の子を 犬君が逃がしつる。伏籠のうちに 籠めたりつるものを
 「雀の子を、犬君が逃がしちゃったの。伏籠の中に、閉じ籠めておいたのに」
 「雀の子を犬君が逃がしてしまいましたの、伏籠の中に置いて逃げないようにしてあったのに」
  "Suzume no ko wo Inuki ga nigasi turu. Husego no uti ni kome tari turu monowo."
1.3.6  とて、いと口惜しと思へり。 このゐたる大人
 と言って、とても残念がっている。ここに座っていた女房が、
 たいへん残念そうである。そばにいた中年の女が、
  tote, ito kutiwosi to omohe ri. Kono wi taru otona,
1.3.7  「 例の、心なしの、かかるわざをして、 さいなまるるこそ、いと心づきなけれいづ方へかまかりぬるいとをかしう、やうやうなりつるものを烏などもこそ見つくれ
 「いつもの、うっかり者が、このようなことをして、責められるとは、ほんと困ったことね。どこへ飛んで行ってしまいましたか。とてもかわいらしく、だんだんなってきましたものを。烏などが見つけたら大変だわ」
 「またいつもの粗相やさんがそんなことをしてお嬢様にしかられるのですね、困った人ですね。雀はどちらのほうへ参りました。だいぶ馴れてきてかわゆうございましたのに、外へ出ては山の鳥に見つかってどんな目にあわされますか」
  "Rei no, kokoronasi no, kakaru waza wo si te, sainama ruru koso, ito kokorodukinakere. Idukata he ka makari nuru? Ito wokasiu, yauyau nari turu monowo. Karasu nado mo koso mitukure."
1.3.8  とて、立ちて行く。 髪ゆるるかにいと長く、 めやすき人なめり少納言の乳母とこそ人言ふめるは、この子の後見なるべし
 と言って、立って行く。髪はゆったりととても長く、見苦しくない女のようである。少納言の乳母と皆が呼んでいるらしい人は、この子のご後見役なのだろう。
 と言いながら立って行った。髪のゆらゆらと動く後ろ姿も感じのよい女である。少納言の乳母と他の人が言っているから、この美しい子供の世話役なのであろう。
  tote, tati te yuku. Kami yururuka ni ito nagaku, meyasuki hito na' meri. Seunagon no menoto to koso hito ihu meru ha, kono ko no usiromi naru besi.
1.3.9  尼君、
 尼君が、
  
  Amagimi,
1.3.10  「 いで、あな幼や。言ふかひなうものしたまふかな。 おのが、かく、今日明日におぼゆる命をば、何とも思したらで、雀慕ひたまふほどよ。 罪得ることぞと常に聞こゆるを、心憂く」とて、「 こちや」と言へば、 ついゐたり
 「何とまあ、幼いことよ。聞き分けもなくいらっしゃることね。わたしが、このように、今日明日にも思われる寿命を、何ともお考えにならず、雀を追いかけていらっしゃることよ。罪を得ることですよと、いつも申し上げていますのに、情けなく」と言って、「こちらへ、いらっしゃい」と言うと、ちょこんと座った。
  「あなたはまあいつまでも子供らしくて困った方ね。私の命がもう今日明日かと思われるのに、それは何とも思わないで、雀のほうが惜しいのだね。雀を籠に入れておいたりすることは仏様のお喜びにならないことだと私はいつも言っているのに」
 と尼君は言って、また、
 「ここへ」
 と言うと美しい子は下へすわった。
  "Ide, ana wosana ya! Ihukahinau monosi tamahu kana! Onoga, kaku, kehu asu ni oboyuru inoti wo ba, nani to mo obosi tara de, suzume sitahi tamahu hodo yo! Tumi uru koto zo to, tune ni kikoyuru wo, kokorouku." tote, "Koti ya." to ihe ba, tui-wi tari.
1.3.11  つらつきいとらうたげにて、 眉のわたりうちけぶり、いはけなくかいやりたる額つき、髪ざし、いみじううつくし。「 ねびゆかむさまゆかしき人かな」と、目とまりたまふ。 さるは、「 限りなう心を尽くしきこゆる人に、いとよう似たてまつれるが、 まもらるるなりけり」と、 思ふにも涙ぞ落つる
 顔つきがとてもかわいらしげで、眉のあたりがほんのりとして、子供っぽく掻き上げた額つきや、髪の生え際は、大変にかわいらしい。「成長して行くさまが楽しみな人だなあ」と、お目がとまりなさる。それと言うのも、「限りなく心を尽くし申し上げている方に、とてもよく似ているので、目が引きつけられるのだ」と、思うにつけても涙が落ちる。
 顔つきが非常にかわいくて、眉のほのかに伸びたところ、子供らしく自然に髪が横撫でになっている額にも髪の性質にも、すぐれた美がひそんでいると見えた。大人になった時を想像してすばらしい佳人の姿も源氏の君は目に描いてみた。なぜこんなに自分の目がこの子に引き寄せられるのか、それは恋しい藤壼の宮によく似ているからであると気がついた刹那にも、その人への思慕の涙が熱く頬を伝わった。
  Turatuki ito rautage ni te, mayu no watari uti-keburi, ihakenaku kai-yari taru hitahituki, kamzasi, imiziu utukusi. "Nebi yuka m sama yukasiki hito kana!" to, me tomari tamahu. Saruha, "Kagirinau kokoro wo tukusi kikoyuru hito ni, ito you ni tatemature ru ga, mamora ruru nari keri" to, omohu ni mo namida zo oturu.
1.3.12  尼君、髪をかき撫でつつ、
 尼君が、髪をかき撫でながら、
 尼君は女の子の髪をなでながら、
  Amagimi, kami wo kaki-nade tutu,
1.3.13  「 梳ることをうるさがりたまへど、をかしの御髪や。いとはかなうものしたまふこそ、あはれにうしろめたけれ。かばかりになれば、いとかからぬ人もあるものを。 故姫君は十ばかりにて 殿に後れたまひしほど、いみじうものは思ひ知りたまへりしぞかし。ただ今、 おのれ見捨てたてまつらばいかで世におはせむとすらむ
 「梳くことをお嫌がりになるが、美しい御髪ですね。とても子供っぽくいらっしゃることが、かわいそうで心配です。これくらいの年になれば、とてもこんなでない人もありますものを。亡くなった母君は、十歳程で父殿に先立たれなさった時、たいそう物事の意味は弁えていらっしゃいましたよ。この今、わたしがお残し申して逝ってしまったら、どのように過ごして行かれるおつもりなのでしょう」
 「梳かせるのもうるさがるけれどよい髪だね。あなたがこんなふうにあまり子供らしいことで私は心配している。あなたの年になればもうこんなふうでない人もあるのに、亡くなったお姫さんは十二でお父様に別れたのだけれど、もうその時には悲しみも何もよくわかる人になっていましたよ。私が死んでしまったあとであなたはどうなるのだろう」
  "Keduru koto wo urusagari tamahe do, wokasi no migusi ya! Ito hakanau monosi tamahu koso, ahare ni usirometakere. Kabakari ni nare ba, ito kakara nu hito mo aru monowo! Ko-Himegimi ha, towo bakari nite Tono ni okure tamahi si hodo, imiziu mono ha omohi siri tamahe ri si zo kasi. Tada ima, onore misute tatematura ba, ikade yo ni ohase m to su ram?"
1.3.14  とて、いみじく泣くを 見たまふも、すずろに悲し。幼心地にも、さすがにうちまもりて、伏目になりて うつぶしたるに、こぼれかかりたる髪、つやつやとめでたう見ゆ。
 と言って、たいそう泣くのを御覧になると、何とも言えず悲しい。子供心にも、やはりじっと見つめて、伏し目になってうつむいているところに、こぼれかかった髪が、つやつやとして素晴らしく見える。
 あまりに泣くので隙見をしている源氏までも悲しくなった。子供心にもさすがにじっとしばらく尼君の顔をながめ入って、それからうつむいた。その時に額からこぼれかかった髪がつやつやと美しく見えた。
  tote, imiziku naku wo mi tamahu mo, suzuro ni kanasi. Wosanagokoti ni mo, sasuga ni uti-mamori te, husime ni nari te utubusi taru ni, kobore kakari taru kami, tuyatuya to medetau miyu.
1.3.15  「 生ひ立たむありかも知らぬ若草を
   おくらす露ぞ消えむそらなき
 「これからどこでどう育って行くのかも分からない若草のようなあなたを
  残してゆく露のようにはかないわたしは死ぬに死ねない思いです
  生ひ立たんありかも知らぬ若草を
  おくらす露ぞ消えんそらなき
    "Ohi tata m arika mo sira nu wakakusa wo
    okurasu tuyu zo kiye m sora naki
1.3.16  またゐたる大人、「げに」と、うち泣きて、
 もう一人の座っている女房が、「本当に」と、涙ぐんで、
 一人の中年の女房が感動したふうで泣きながら、
  mata wi taru otona, "Geni" to, uti-naki te,
1.3.17  「 初草の生ひ行く末も知らぬまに
   いかでか露の消えむとすらむ
 「初草のように若い姫君のご成長も御覧にならないうちに
 どうして尼君様は先立たれるようなことをお考えになるのでしょう
  初草の生ひ行く末も知らぬまに
  いかでか露の消えんとすらん
    "Hatukusa no ohi yuku suwe mo sira nu ma ni
    ikadeka tuyu no kiye m to su ram
1.3.18  と聞こゆるほどに、僧都、あなたより来て、
 と申し上げているところに、僧都が、あちらから来て、
 と言った。この時に僧都が向こうの座敷のほうから来た。
  to kikoyuru hodo ni, Soudu, anata yori ki te,
1.3.19  「 こなたはあらはにやはべらむ。今日しも、端におはしましけるかな。この上の聖の方に、 源氏の中将の瘧病まじなひにものしたまひけるを、 ただ今なむ、聞きつけはべる。いみじう忍びたまひければ、知りはべらで、ここにはべりながら、御とぶらひにも までざりける」とのたまへば、
 「ここは人目につくのではないでしょうか。今日に限って、端近にいらっしゃいますね。この上の聖の坊に、源氏中将が瘧病のまじないにいらっしゃったのを、たった今、聞きつけました。ひどくお忍びでいらっしゃったので、知りませんで、ここにおりながら、お見舞いにも上がりませんでした」とおっしゃると、
 「この座敷はあまり開けひろげ過ぎています。今日に限ってこんなに端のほうにおいでになったのですね。山の上の聖人の所へ源氏の中将が瘧病のまじないにおいでになったという話を私は今はじめて聞いたのです。ずいぶん微行でいらっしゃったので私は知らないで、同じ山にいながら今まで伺侯もしませんでした」
 と僧都は言った。
  "Konata ha araha ni ya habera m? Kehu simo, hasi ni ohasimasi keru kana! Kono kami no Hiziri no kata ni, Genzinotyuuzyau no, warahayami mazinahi ni monosi tamahi keru wo, tada ima nam, kikituke haberu. Imiziu sinobi tamahi kere ba, siri habera de, koko ni haberi nagara, ohom-toburahi ni mo ma'de zari keru." to notamahe ba,
1.3.20  「 あないみじや。いとあやしきさまを、 人や見つらむ」とて、簾下ろしつ。
 「まあ大変。とても見苦しい様子を、誰か見たでしょうかしら」と言って、簾を下ろしてしまった。
 「たいへん、こんな所をだれか御一行の人がのぞいたかもしれない」
 尼君のこう言うのが聞こえて御簾はおろされた。
  "Ana imizi ya! Ito ayasiki sama wo, hito ya mi tu ram?" tote, sudare orosi tu.
1.3.21  「 この世に、ののしりたまふ光る源氏、かかるついでに 見たてまつりたまはむや。世を捨てたる法師の心地にも、いみじう 世の憂へ忘れ、齢延ぶる人の御ありさまなり。いで、御消息聞こえむ」
 「世間で、大評判でいらっしゃる光源氏を、この機会に拝見なさいませんか。俗世を捨てた法師の気持ちにも、たいそう世俗の憂えを忘れ、寿命が延びるご様子の方です。どれ、ご挨拶を申し上げよう」
 「世間で評判の源氏の君のお顔を、こんな機会に見せていただいたらどうですか、人間生活と絶縁している私らのような僧でも、あの方のお顔を拝見すると、世の中の歎かわしいことなどは皆忘れることができて、長生きのできる気のするほどの美貌ですよ。私はこれからまず手紙で御挨拶をすることにしましょう」
  "Konoyo ni, nonosiri tamahu Hikarugenzi, kakaru tuide ni mi tatematuri tamaha m ya? Yo wo sute taru hohusi no kokoti ni mo, imiziu yo no urehe wasure, yohahi noburu hito no ohom-arisama nari. Ide, ohom-seusoko kikoye m."
1.3.22   とて、立つ音すれば、帰りたまひぬ
 と言って、立ち上がる音がするので、お帰りになった。
 僧都がこの座敷を出て行く気配がするので源氏も山上の寺へ帰った。
  tote, tatu oto sure ba, kaheri tamahi nu.
注釈122人なくて大島本と伏見天皇本は「人なくて」とある。他の青表紙本諸本は「日もいとなかきに」とある。『評釈』『集成』『古典セレクション』等は「日もいと長きに」と本文を改める。『新大系』は「人なくて」のまま、「相手になる人もなくて」と注す。1.3.1
注釈123かの小柴垣のほどに前に「同じ小柴なれどうるはしくし渡して」とあったのをさす。『集成』『古典セレクション』は「かの小柴垣のもとに」と校訂する。『新大系』は底本のままとする。1.3.1
注釈124人びとは帰したまひて供人を京に帰す。1.3.1
注釈125惟光朝臣と榊原家本、池田本、三条西家本は「これみつはかり御ともにて」とある。河内本も「惟光はかり御ともにて」とある。源氏の乳母子。「夕顔」巻に初出。1.3.1
注釈126ただこの西面にしも以下、源氏の目を通して語られる叙述。1.3.1
注釈127仏据ゑたてまつりて行ふ尼なりけり『集成』『古典セレクション』は「持仏すゑたてまつりて」と校訂する。『新大系』は底本のままとする。「行ふ」連体形は、間合いを置いて下文に続く。それは、--なのであったという構文。断定の助動詞「なり」連用形、過去の助動詞「けり」終止形、詠嘆の意。源氏の目を通して語られた描写。驚きの気持ち。敬語が省略され臨場感がある。『首書源氏物語』所引或抄は「地よりことはりたる也」と注す。『完訳』は「源氏の視覚にもとづく推量。「けり」「めり」「見えず」は源氏の視線にそう表現。「あはれに見たまふ」などは語り手を通した表現。両様の視点の重層によって、かいま見の奥行が深められる」と注す。1.3.1
注釈128花たてまつるめり推量の助動詞「めり」終止形、視界内推量。源氏の主観的推量のニュアンス。1.3.1
注釈129とあはれに見たまふ源氏の視点から語り手の視点に戻る。1.3.1
注釈130清げなる大人以下、再び源氏の目を通して語られる描写。1.3.2
注釈131さては童女ぞ出で入り遊ぶ接続詞「さては」そして、その他には。係助詞「ぞ」「遊ぶ」連体形、係結びの法則。1.3.2
注釈132中に十ばかりやあらむと見えて後の紫の上の初登場。1.3.2
注釈133萎えたる『集成』は「なれたる」と本文を改め「糊気の落ちた表着を着て。ふだん着の感じである」と注し、『完訳』は「萎えたる」とし「「萎ゆ」は糊気が落ちる意」と注す。1.3.2
注釈134何ごとぞや以下「腹立ちたまへるか」まで、尼君の詞。1.3.3
注釈135とて尼君の見上げたるに尼君が紫の君を見上げる。紫の君は立っているので、座っている尼君よりも背が高い。格助詞「に」対象を示す。見上げた顔に、少女の顔が少し似ている、という文意。1.3.4
注釈136子なめり「なめり」は断定の助動詞「なる」連体形「る」が撥音便化しさらに無表記+推量の助動詞「めり」終止形、主観的推量を表す。源氏の推測である。1.3.4
注釈137雀の子を以下「籠めたりつるものを」まで、紫の君の詞。1.3.5
注釈138犬君が逃がしつる童女の名。完了の助動詞「つる」連体形、連体中止法。余意余情表現。1.3.5
注釈139籠めたりつるものを完了の助動詞「たり」連用形、存続の意+完了の助動詞「つる」連体形、完了の意+終助詞「ものを」。ずっと閉じ籠めておいたのになあ、の意。1.3.5
注釈140このゐたる大人少納言の乳母。後から名が明かされる。1.3.6
注釈141例の心なしの以下「見つくれ」まで、少納言乳母の詞。格助詞「の」主格を表す。1.3.7
注釈142さいなまるるこそいと心づきなけれ受身の助動詞「るる」連体形。係助詞「こそ」「心づきなけれ」已然形、係結びの法則。1.3.7
注釈143いづ方へかまかりぬる係助詞「か」疑問、完了の助動詞「ぬる」連体形、係結びの法則。1.3.7
注釈144いとをかしうやうやうなりつるものを「やうやういとをかしうなりつるものを」という文を「いとをかしう」を強調した倒置表現。完了の助動詞「つる」連体形、完了の意+終助詞「ものを」。1.3.7
注釈145烏などもこそ見つくれ係助詞「も」+係助詞「こそ」--カ下二「見つくれ」已然形、危惧の念を表す。烏などが見つけたら大変だ。1.3.7
注釈146めやすき人なめり源氏の視覚を通じて語る描写。「なめり」は断定の助動詞「なる」連体形の「る」が撥音便化しさらに無表記の形+推量の助動詞「めり」主観的推量を表す。1.3.8
注釈147少納言の乳母とこそ人言ふめるはこの子の後見なるべし源氏の推量。物語には語られていないが、周囲の人たちがこの人を少納言の乳母と呼んでいるのを源氏は耳にしていて、今眼前の人をその人かと判断した。係助詞「こそ」は結びの流れ。断定の助動詞「なる」連体形+推量の助動詞「べし」終止形は、源氏の推測。なお大島本のみ「とこそ」とある。『集成』『古典セレクション』共に諸本に従って「とぞ」と本文を改める。『新大系』は底本のままとする。1.3.8
注釈148いであな幼や以下「心憂く」まで、尼君の詞。感動詞「いで」何とまあ。形容詞「幼し」の語幹+間投助詞「や」詠嘆の意。1.3.10
注釈149おのがかく『新大系』は「重々しい尼君らしい言い方。夕顔巻に出てきた物の怪が「おのがいとめでたしと見たてまつるをば尋ね思ほさで」と言うのと似るところがある言いざまである」と注す。1.3.10
注釈150罪得ることぞと生き物を捕えることは仏教の教えからは罪に当る。1.3.10
注釈151常に聞こゆるを心憂く接続助詞「を」逆接で続ける。--なのに、残念なことです。1.3.10
注釈152こちや尼君の詞。間投助詞「や」詠嘆。1.3.10
注釈153ついゐたり主語は紫の君。完了の助動詞「たり」終止形。膝をついて座った、の意。1.3.10
注釈154眉のわたりうちけぶり成人女性の引き眉ではなくまだ剃り落してない眉毛の様。1.3.11
注釈155ねびゆかむさまゆかしき人かな源氏の感想。1.3.11
注釈156さるは接続詞「さるは」下の文や句が補足的説明をする。それと言うのも。語り手の、その実は、という文脈。少女の将来像を想像すると、それが自然と藤壺の姿に重なってくるという意識の流れ。地の文からスライドして源氏の心内に立ち入った語り口。1.3.11
注釈157限りなう心を尽くしきこゆる人に藤壺をさす。以下、源氏の心内。1.3.11
注釈158まもらるる大島本のみ「まもらる」とある。断定の助動詞「なり」連用形が下接するので、「まもらるる」と連体形に本文を改める。ラ四「まもら」未然形+自発の助動詞「るる」連体形。過去の助動詞「けり」終止形、詠嘆の意。自らそうだったからなのだなあと気づくニュアンス。1.3.11
注釈159思ふにも涙ぞ落つる係助詞「も」強調のニュアンス。係助詞「ぞ」--タ上二「落つる」連体形、係結びの法則。強調のニュアンス。1.3.11
注釈160梳ることをうるさがりたまへど以下「おはせむとすらむ」まで、尼君の詞。1.3.13
注釈161故姫君は自分の娘でありまた幼い紫の君の母君をさしていう。当時は自分の娘に対しても「君」「たまふ」などと敬語を使う。1.3.13
注釈162十ばかりにて榊原家本、肖柏本、三条西家本と書陵部本は「十二にて」とある。池田本は「十二(二、ミセケチ、はかりト訂正)にて」とある。御物本と横山本が大島本と同文。河内本も「とをはかりにて」とある。1.3.13
注釈163殿に後れたまひしほど尼君の夫。故姫君の父親。紫の君の祖父。1.3.13
注釈164おのれ見捨てたてまつらば謙譲の補助動詞「たてまつら」未然形+接続助詞「ば」仮定条件を表す。1.3.13
注釈165いかで世におはせむとすらむサ変「おはせ」未然形+推量の助動詞「む」終止形、意志の意。サ変「す」終止形+推量の助動詞「らむ」連体形、視界外推量を表す。1.3.13
注釈166見たまふもすずろに悲し視点が源氏に戻り、源氏の心内を語る。1.3.14
注釈167うつぶしたるにこぼれかかりたる髪完了の助動詞「たる」連体形+格助詞「に」場所を表す。1.3.14
注釈168生ひ立たむありかも知らぬ若草を--おくらす露ぞ消えむそらなき尼君の歌。「若草」は少女を、「露」は自分をそれぞれ喩える。それぞれ歌語。「若草」には「若草の新手枕をまきそめて夜をや隔てむ憎くあらなくに」(万葉集巻十)「うら若みねよげに見ゆる若草を人の結ばむことをしぞ思ふ」(伊勢物語・四十九段)等の若い女性、乙女のイメージがある。「露」には「濡れてほす山路の菊の露の間にいつか千歳を我は経にけむ」(古今集秋下・素性法師)「侘びわたる我が身は露と同じくは君が垣根の草に消えなむ」(後撰集恋一)等のはかない寿命というイメージがある。また「草」と「露」と「おく」は縁語。少女の将来が不安で死ぬに死ねないの意。1.3.15
注釈169初草の生ひ行く末も知らぬまに--いかでか露の消えむとすらむ女房の返歌。「若草」を「初草」と変え、「生ふ」「露」「消ゆ」の語を受けて応じる。「初草」は姫君を、「露」は尼君を喩える。ともに歌語。「初草のなどめづらしき言の葉ぞうらなく物を思ひけるかな」(伊勢物語・四十九段)、若い女性の意。連語「いかでか」(副詞「いかで」+係助詞「か」)--サ変「す」終止形+推量の助動詞「らむ」連体形、原因推量の意。反語表現。長生きあそばしませ、の意。1.3.17
注釈170こなたはあらはにやはべらむ以下「までざりける」まで、僧都の詞。係助詞「や」、丁寧の補助動詞「はべら」未然形、推量の助動詞「む」連体形、係結びの法則。1.3.19
注釈171源氏の中将の僧都は「源氏の中将」「光る源氏」と呼称する。1.3.19
注釈172ただ今なむ聞きつけはべる係助詞「なむ」、丁寧の補助動詞「はべる」連体形、係結びの法則。1.3.19
注釈173までざりける「まで」はダ下二「まうで」未然形の縮。他の青表紙諸本は「まうて」とある。『古典セレクション』は「まうで」と改める。『集成』『新大系』は底本のまま。1.3.19
注釈174あないみじや以下「人や見つらむ」まで、尼君の詞。1.3.20
注釈175人や見つらむ係助詞「や」疑問、マ上一「見」連用形、完了の助動詞「つ」終止形、推量の助動詞「らむ」連体形、視界外推量。係結びの法則。1.3.20
注釈176この世に以下「聞こえむ」まで、僧都の詞。1.3.21
注釈177見たてまつりたまはむや謙譲の補助動詞「たてまつり」連用形、源氏に対する敬語表現。尊敬の補助動詞「たまは」未然形、尼君に対する敬語表現。推量の助動詞「む」終止形、勧誘の意。終助詞「や」疑問。拝見なさいませんかの意。1.3.21
注釈178世の憂へ忘れ齢延ぶる人源氏のすぐれた魅力の一つ。その姿を拝見すると、世の物思いは消え寿命も延びる気持ちになる。あたかも仏様のような人柄。1.3.21
注釈179とて立つ音すれば帰りたまひぬ僧都の立ち上がる音がするので、源氏は庵室にお戻りになった、の意。1.3.22
校訂15 霞み 霞み--かす(す/+み<朱>) 1.3.1
校訂16 あらむと あらむと--あらむ(む/+と<朱>) 1.3.2
校訂17 髪ゆるるかに 髪ゆるるかに--かみの(の/$ゆ)るゝかに 1.3.8
校訂18 まもらるる まもらるる--*まもらる 1.3.11
1.4
第四段 若紫の君の素性を聞く


1-4  Genji recognizes her as a Fujitubo's niece

1.4.1  「 あはれなる人を見つるかな。かかれば、この好き者どもは、かかる歩きをのみして、よく さるまじき人をも見つくるなりけり。 たまさかに立ち出づるだに、かく思ひのほかなることを見るよ」と、をかしう思す。「 さても、いとうつくしかりつる児かな。何人ならむ。 かの人の御代はりに明け暮れの慰めにも見ばや」と思ふ心、深うつきぬ。
 「しみじみと心惹かれる人を見たなあ。これだから、この好色な連中は、このような忍び歩きばかりをして、よく意外な人を見つけるのだな。まれに外出しただけでも、このように思いがけないことに出会うことよ」と、興味深くお思いになる。「それにしても、とてもかわいかった少女であるよ。どのような人であろう。あのお方の代わりとして、毎日の慰めに見たいものだ」という考えが、強く起こった。
 源氏は思った。自分は可憐な人を発見することができた、だから自分といっしょに来ている若い連中は旅というものをしたがるのである、そこで意外な収穫を得るのだ、たまさかに京を出て来ただけでもこんな思いがけないことがあると、それで源氏はうれしかった。それにしても美しい子である、どんな身分の人なのであろう、あの子を手もとに迎えて逢いがたい人の恋しさが慰められるものならぜひそうしたいと源氏は深く思ったのである。
  "Ahare naru hito wo mi turu kana! Kakare ba, kono sukimono-domo ha, kakaru ariki wo nomi si te, yoku sarumaziki hito wo mo mitukuru nari keri. Tamasaka ni tati iduru dani, kaku omohi no hoka naru koto wo miru yo!" to, wokasiu obosu. "Satemo, ito utukusikari turu tigo kana! Nanibito nara m? Kano hito no ohom-kahari ni, akekure no nagusame ni mo mi baya!" to omohu kokoro, hukau tuki nu.
1.4.2   うち臥したまへるに、僧都の御弟子、 惟光を呼び出でさす。ほどなき所なれば、君もやがて聞きたまふ。
 横になっていらっしゃると、僧都のお弟子が、惟光を呼び出させる。狭い所なので、源氏の君もそのままお聞きになる。
 寺で皆が寝床についていると、僧都の弟子が訪問して来て、惟光に逢いたいと申し入れた。狭い場所であったから惟光へ言う事が源氏にもよく聞こえた。
  Uti-husi tamahe ru ni, Soudu no midesi, Koremitu wo yobi ide sasu. Hodonaki tokoro nare ba, Kimi mo yagate kiki tamahu.
1.4.3  「 過りおはしましけるよしただ今なむ、人申すにおどろきながら、さぶらべきを、なにがしこの寺に籠もりはべりとは、 しろしめしながら、忍びさせたまへるを憂はしく思ひたまへてなむ草の御むしろもこの坊にこそ設けはべるべけれ。いと本意なきこと」と 申したまへり
 「お立ち寄りあそばしていらっしゃることを、たった今、人が申したので、聞いてすぐに、ご挨拶に伺うべきところを、拙僧がこの寺におりますことを、ご存知でいらっしゃりながらも、お忍びでいらしていることを、お恨みに存じまして。旅のお宿も、拙僧の坊でお支度致しますべきでしたのに。残念至極です」と申し上げなさった。
 「手前どもの坊の奥の寺へおいでになりましたことを人が申しますのでただ今承知いたしました。すぐに伺うべきでございますが、私がこの山におりますことを御承知のあなた様が素通りをあそばしたのは、何かお気に入らないことがあるかと御遠慮をする心もございます。御宿泊の設けも行き届きませんでも当坊でさせていただきたいものでございます」
と言うのが使いの伝える僧都の挨拶だった。
  "Yokiri ohasimasi keru yosi, tadaima nam, hito mausu ni, odoroki nagara, sabura beki wo, Nanigasi kono tera ni komori haberi to ha, sirosimesi nagara, sinobi sase tamahe ru wo, urehasiku omohi tamahe te nam. Kusa no ohom-musiro mo, kono bau ni koso mauke haberu bekere. Ito ho'i naki koto." to mausi tamahe ri.
1.4.4  「 いぬる十余日のほどより瘧病にわづらひはべるを 、度重なりて 堪へがたくはべれば、 人の教へのまま、にはかに尋ね入りはべりつれど、 かやうなる人の験あらはさぬ時、はしたなかるべきも、 ただなるよりは、いとほしう思ひたまへつつみてなむ、いたう忍びはべりつる。今、そなたにも」とのたまへり。
 「去る十何日のころから、瘧病を患っていますが、度重なって我慢できませんので、人の勧めに従って、急遽訪ねて参りましたが、このような方が効験を現さない時は、世間体の悪いことになるにちがいないのも、普通の人の場合以上に、お気の毒と遠慮致しまして、ごく内密に参ったのです。今、そちらへも」とおっしゃった。
 「今月の十幾日ごろから私は瘧病にかかっておりましたが、たびたびの発作で堪えられなくなりまして、人の勧めどおりに山へ参ってみましたが、もし効験が見えませんでした時には一人の僧の不名誉になることですから、隠れて来ておりました。そちらへも後刻伺うつもりです」
 と源氏は惟光に言わせた。
  "Inuru zihuyo niti no hodo yori, warahayami ni wadurahi haberu wo, tabi kasanari te tahe gataku habere ba, hito no wosihe no mama, nihaka ni tadune iri haberi ture do, kayau naru hito no sirusi arahasa nu toki, hasitanakaru beki mo, tada naru yori ha, itohosiu omohi tamahe tutumi te nam, itau sinobi haberi turu. Ima, sonata ni mo." to notamahe ri.
1.4.5  すなはち、僧都参りたまへり。法師なれど、いと心恥づかしく人柄もやむごとなく、 世に思はれたまへる人なれば軽々しき御ありさまを、はしたなう思す。かく籠もれるほどの御物語など聞こえたまひて、「 同じ柴の庵なれど、すこし涼しき水の流れも 御覧ぜさせむ」と、せちに聞こえたまへば、 かの、まだ見ぬ人びとことことしう 言ひ聞かせつるを、つつましう思せど、あはれなりつるありさまもいぶかしくて、おはしぬ。
 折り返し、僧都が参上なさった。法師であるが、とても気がおけて人品も重々しく、世間からもご信頼されていらっしゃる方なので、軽々しいお姿を、きまり悪くお思いになる。このように籠っている間のお話などを申し上げなさって、「同じ草庵ですが、少し涼しい遣水の流れも御覧に入れましょう」と、熱心にお勧め申し上げなさるので、あの、まだ自分を見ていない人々に大げさに吹聴していたのを、気恥ずかしくお思いになるが、かわいらしかった有様も気になって、おいでになった。
 それから間もなく僧都が訪問して来た。尊敬される人格者で、僧ではあるが貴族出のこの人に軽い旅装で逢うことを源氏はきまり悪く思った。二年越しの山籠りの生活を僧都は語ってから、
 「僧の家というものはどうせ皆寂しい貧弱なものですが、ここよりは少しきれいな水の流れなども庭にはできておりますから、お目にかけたいと思うのです」
 僧都は源氏の来宿を乞うてやまなかった。源氏を知らないあの女の人たちにたいそうな顔の吹聴などをされていたことを思うと、しりごみもされるのであるが、心を惹いた少女のことも詳しく知りたいと思って源氏は僧都の坊へ移って行った。
  Sunahati, Soudu mawiri tamahe ri. Hohusi nare do, ito kokorohadukasiku hitogara mo yamgotonaku, yo ni omoha re tamahe ru hito nare ba, karugarusiki ohom-arisama wo, hasitanau obosu. Kaku komore ru hodo no ohom-monogatari nado kikoye tamahi te, "Onazi siba no ihori nare do, sukosi suzusiki midu no nagare mo goranze sase m." to, seti ni kikoye tamahe ba, kano, mada mi nu hitobito ni kotokotosiu ihi kikase turu wo, tutumasiu obose do, ahare nari turu arisama mo ibukasiku te, ohasi nu.
1.4.6  げに、 いと心ことによしありて、同じ木草をも植ゑなしたまへり月もなきころなれば、遣水に篝火ともし、 灯籠なども 参りたり。南面いと清げにしつらひたまへり。そらだきもの、 いと心にくく薫り出で、名香の香など匂ひみちたるに、君の御追風いとことなれば、内の人びとも 心づかひすべかめり
 なるほど、とても格別に風流を凝らして、同じ木や草を植えていらっしゃった。月もないころなので、遣水に篝火を照らし、灯籠などにも火を灯してある。南面はとてもこざっぱりと整えていらっしゃる。空薫物が、たいそう奥ゆかしく薫って来て、名香の香などが、匂い満ちているところに、源氏の君のおん追い風がとても格別なので、奥の人々も気を使っている様子である。
 主人の言葉どおりに庭の作り一つをいってもここは優美な山荘であった、月はないころであったから、流れのほとりに篝を焚かせ、燈籠を吊らせなどしてある。南向きの室を美しく装飾して源氏の寝室ができていた。奥の座敷から洩れてくる薫香のにおいと仏前に焚かれる名香の香が入り混じって漂っている山荘に、新しく源氏の追い風が加わったこの夜を女たちも晴れがましく思った。
  Geni, ito kokorokoto ni yosi ari te, onazi ki kusa wo mo uwe nasi tamahe ri. Tuki mo naki koro nare ba, yarimidu ni kagaribi tomosi, touro nado mo mawiri tari. Minamiomote ito kiyoge ni siturahi tamahe ri. Soradakimono, ito kokoro nikuku kawori ide, myaugau no ka nado nihohi miti taru ni, Kimi no ohom-ohikaze ito koto nare ba, uti no hitobito mo kokorodukahi su beka' meri.
1.4.7  僧都、世の 常なき御物語、 後世のことなど聞こえ知らせたまふ。 我が罪のほど恐ろしう、「 あぢきなきことに心をしめて、生ける限りこれを思ひ悩むべきなめり 。まして後の世の いみじかるべき」。思し続けて、 かうやうなる住まひもせまほしう おぼえたまふものから、昼の面影心にかかりて恋しければ、
 僧都は、この世の無常のお話や、来世の話などを説いてお聞かせ申し上げなさる。ご自分の罪障の深さが恐ろしく、「どうにもならないことに心を奪われて、一生涯このことを思い悩み続けなければならないようだ。まして来世は大変なことになるにちがいない」。お考え続けて、このような出家生活もしたく思われる一方では、昼間の面影が心にかかって恋しいので、
 僧都は人世の無常さと来世の頼もしさを源氏に説いて聞かせた。源氏は自身の罪の恐ろしさが自覚され、来世で受ける罰の大きさを思うと、そうした常ない人生から遠ざかったこんな生活に自分もはいってしまいたいなどと思いながらも、夕方に見た小さい貴女が心にかかって恋しい源氏であった。
  Soudu, yo no tune naki ohom-monogatari, notise no koto nado kikoye sirase tamahu. Waga tumi no hodo osorosiu, "Adikinaki koto ni kokoro wo sime te, ike ru kagiri kore wo omohi nayamu beki na' meri. Masite notinoyo no imizikaru beki." Obosi tuduke te, kau yau naru sumahi mo se mahosiu oboye tamahu monokara, hiru no omokage kokoro ni kakari te kohisikere ba,
1.4.8  「 ここにものしたまふは、誰れにか尋ねきこえまほしき夢を見たまへしかな今日なむ思ひあはせつる
 「ここにおいでの方は、どなたですか。お尋ね申したい夢を拝見しましたよ。今日、思い当たりました」
 「ここへ来ていらっしゃるのはどなたなんですか、その方たちと自分とが因縁のあるというような夢を私は前に見たのですが、なんだか今日こちらへ伺って謎の糸口を得た気がします」
  "Koko ni monosi tamahu ha, tare ni ka? Tadune kikoye mahosiki yume wo mi tamahe si kana! Kehu nam omohi ahase turu."
1.4.9  と聞こえたまへば、うち笑ひて、
 と申し上げなさると、にっこり笑って、
 と源氏が言うと、
  to kikoye tamahe ba, uti-warahi te,
1.4.10  「 うちつけなる御夢語りにぞはべるなる 尋ねさせたまひても御心劣りせさせたまひぬべし。故按察使大納言は、世になくて久しくなりはべりぬれば、 えしろしめさじかし。その北の方なむ、なにがしが妹にはべる。かの按察使かくれて後、 世を背きてはべるがこのごろ、わづらふことはべるにより、 かく京にもまかでねば、頼もし所に籠もりてものしはべるなり」と聞こえたまふ。
 「唐突な夢のお話というものでございますな。お知りあそばされたても、きっとがっかりあそばされることでございましょう。故按察使大納言は、亡くなってから久しくなりましたので、ご存知ありますまい。その北の方が 拙僧の妹でございます。あの按察使が亡くなって後、出家しておりますのが、最近、患うことがございましたので、こうして京にも行かずにおりますので、頼り所として籠っているのでございます」とお申し上げになる。
 「突然な夢のお話ですね。それがだれであるかをお聞きになっても興がおさめになるだけでございましょう。前の按察使大納言はもうずっと早く亡くなったのでございますからご存じはありますまい。その夫人が私の姉です。未亡人になってから尼になりまして、それがこのごろ病気なものですから、私が山にこもったきりになっているので心細がってこちらへ来ているのです」
 僧都の答えはこうだった。
  "Utituke naru ohom-yume gatari ni zo haberu naru. Tadune sase tamahi te mo, mi-kokorootori se sase tamahi nu besi. Ko-Azetinodainagon ha, yo ni naku te hisasiku nari haberi nure ba, e sirosimesa zi kasi. Sono Kitanokata nam, Nanigasi ga imouto ni haberu. Kano Azeti kakure te noti, yo wo somuki te haberu ga, konogoro, wadurahu koto haberu ni yori, kaku kyau ni mo makade ne ba, tanomosidokoro ni komori te monosi haberu nari." to kikoye tamahu.
1.4.11  「 かの大納言の御女、ものしたまふと 聞きたまへしは。好き好きしき方にはあらで、まめやかに聞こゆるなり」と、推し当てにのたまへば、
 「あの大納言のご息女が、おいでになると伺っておりましたのは。好色めいた気持ちからではなく、真面目に申し上げるのです」と 当て推量におっしゃると、
 「その大納言にお嬢さんがおありになるということでしたが、それはどうなすったのですか。私は好色から伺うのじゃありません、まじめにお尋ね申し上げるのです」
 少女は大納言の遺子であろうと想像して源氏が言うと、
  "Kano Dainagon no mi-musume, monosi tamahu to kiki tamahe si ha? Sukizukisiki kata ni ha ara de, mameyaka ni kikoyuru nari." to, osiate ni notamahe ba,
1.4.12  「 女ただ一人はべりし。亡せて、 この十余年にやなりはべりぬらむ。故大納言、内裏にたてまつらむなど、かしこういつきはべりしを、その本意のごとくもものしはべらで、 過ぎはべりにしかば、ただこの尼君一人もてあつかひはべりしほどに、いかなる人のしわざにか、 兵部卿宮なむ、忍びて語らひつきたまへりけるを、本の北の方、やむごとなくなどして、安からぬこと多くて、明け暮れ物を思ひて なむ、亡くなりはべりにし。物思ひに病づくものと、 目に近く見たまへし
 「娘がただ一人おりました。亡くなって、ここ十何年になりましょうか。故大納言は、入内させようなどと、大変大切に育てていましたが、その本願のようにもなりませず、亡くなってしまいましたので、ただこの尼君が一人で苦労して育てておりましたうちに、誰が手引をしたものか、兵部卿宮が こっそり通って来られるようになったのですが、本妻の北の方が、ご身分の高い人であったりして、気苦労が多くて、明け暮れ物思いに悩んで、亡くなってしまいました。物思いから病気になるものだと、目の当たりに拝見致しました次第です」
 「ただ一人娘がございました。亡くなりましてもう十年余りになりますでしょうか、大納言は宮中へ入れたいように申して、非常に大事にして育てていたのですがそのままで死にますし、未亡人が一人で育てていますうちに、だれがお手引きをしたのか兵部卿の宮が通っていらっしゃるようになりまして、それを宮の御本妻はなかなか権力のある夫人で、やかましくお言いになって、私の姪はそんなことからいろいろ苦労が多くて、物思いばかりをしたあげく亡くなりました。物思いで病気が出るものであることを私は姪を見てよくわかりました」
  "Musume tada hitori haberi si. Use te, kono zihuyo nen ni ya nari haberi nu ram? Ko-Dainagon, Uti ni tatematura m nado, kasikou ituki haberi si wo, sono ho'i no gotoku mo monosi habera de, sugi haberi ni sika ba, tada kono Amagimi hitori mote-atukahi haberi si hodo ni, ikanaru hito no siwaza ni ka, Hyaubukyaunomiya nam, sinobi te katarahi tuki tamahe ri keru wo, moto no Kitanokata, yamgotonaku nado site, yasukara nu koto ohoku te, akekure mono wo omohi te nam, nakunari haberi ni si. Monoomohi ni yamahi duku mono to, me ni tikaku mi tamahe si."
1.4.13  など申したまふ。「 さらば、その子なりけり」と思しあはせつ。「 親王の御筋にて、かの人にもかよひきこえたるにや」と、いとどあはれに 見まほし。「 人のほどもあてにをかしう、なかなかの さかしら心なく、うち語らひて、心のままに教へ生ほし立てて見ばや」と思す。
 などとお申し上げなさる。「それでは、その人の子であったのだ」とご理解なさった。「親王のお血筋なので、あのお方にもお似通い申しているのであろうか」と、ますます心惹かれて世話をしたい。「人柄も上品でかわいらしくて、なまじの小ざかしいところもなく、一緒に暮らして、自分の理想通りに育ててみたいものだなあ」とお思いになる。
 などと僧都は語った。それではあの少女は昔の按察使大納言の姫君と兵部卿の宮の間にできた子であるに違いないと源氏は悟ったのである。藤壼の宮の兄君の子であるがためにその人に似ているのであろうと思うといっそう心の惹かれるのを覚えた。身分のきわめてよいのがうれしい、愛する者を信じようとせずに疑いの多い女でなく、無邪気な子供を、自分が未来の妻として教養を与えていくことは楽しいことであろう、それを直ちに実行したいという心に源氏はなった。
  nado mausi tamahu. "Saraba, sono ko nari keri" to obosi ahase tu. "Miko no ohom-sudi nite, kano hito ni mo kayohi kikoye taru ni ya?" to, itodo ahare ni mi mahosi. "Hito no hodo mo ate ni wokasiu, nakanaka no sakasiragokoro naku, uti-katarahi te, kokoro no mama ni wosihe ohosi tate te mi baya." to obosu.
1.4.14  「 いとあはれにものしたまふことかな。それは、とどめたまふ形見もなきか」
 「とてもお気の毒なことでいらっしゃいますね。その方には、後に遺して行かれた人はいないのですか」
 「お気の毒なお話ですね。その方には忘れ形見がなかったのですか」
  "Ito ahare ni monosi tamahu koto kana! Sore ha, todome tamahu katami mo naki ka?"
1.4.15  と、幼かりつる行方の、なほ確かに知らまほしくて、問ひたまへば、
 と、幼なかった子の将来が、もっとはっきりと知りたくて、お尋ねになると、
 なお明確に少女のだれであるかを知ろうとして源氏は言うのである。
  to, Wosanakari turu yukuhe no, naho tasika ni sira mahosiku te, tohi tamahe ba,
1.4.16  「 亡くなりはべりしほどにこそ、はべりしか。それも、 女にてぞ。それにつけて物思ひのもよほしに なむ、齢の末に思ひたまへ嘆きはべるめる」と聞こえたまふ。
 「亡くなりますころに、生まれました。それも、女の子で。それにつけても心配の種として、余命少ない年に思い悩んでおりますようでございます」と申し上げなさる。
 「亡くなりますころに生まれました。それも女です。その子供が姉の信仰生活を静かにさせません。姉は年を取ってから一人の孫娘の将来ばかりを心配して暮らしております」
  "Nakunari haberi si hodo ni koso, haberi sika. Sore mo, womna nite zo. Sore ni tuke te monoomohi no moyohosi ni nam, yohahi no suwe ni omohi tamahe nageki haberu meru." to kikoye tamahu.
1.4.17  「 さればよ」と思さる。
 「やはりそうであったか」とお思いになる。
 聞いている話に、夕方見た尼君の涙を源氏は思い合わせた。
  "Sareba yo." to obosa ru.
1.4.18  「 あやしきことなれど、幼き御後見に思すべく、 聞こえたまひてむや思ふ心ありて、行きかかづらふ方もはべりながら、世に心の染まぬにやあらむ、独り住みにてのみなむ。 まだ似げなきほどと常の人に思しなずらへて、 はしたなくや」などのたまへば、
 「変な話ですが、その少女のご後見とお思い下さるよう、お話し申し上げていただけませんか。考えるところがあって、通い関わっています所もありますが、本当にしっくりいかないのでしょうか、独り暮らしばかりしています。まだ不似合いな年頃だと世間並の男同様にお考えになっては、体裁が悪い」などとおっしゃると、
 「妙なことを言い出すようですが、私にその小さいお嬢さんを、託していただけないかとお話ししてくださいませんか。私は妻について一つの理想がありまして、ただ今結婚はしていますが、普通の夫婦生活なるものは私に重荷に思えまして、まあ独身もののような暮らし方ばかりをしているのです。まだ年がつり合わぬなどと常識的に判断をなすって、失礼な申し出だと思召すでしょうか」
 と源氏は言った。
  "Ayasiki koto nare do, wosanaki ohom-usiromi ni obosu beku, kikoye tamahi te m ya? Omohu kokoro ari te, yuki kakadurahu kata mo haberi nagara, yo ni kokoro no sima nu ni ya ara m, hitorizumi nite nomi nam. Mada nigenaki hodo to tune no hito ni obosi nazurahe te, hasitanaku ya." nado notamahe ba,
1.4.19  「 いとうれしかるべき仰せ言なるを、まだむげに いはきなきほどにはべるめれば、たはぶれにても、 御覧じがたくやそもそも、女人は、人にもてなされて大人にもなりたまふものなれば詳しくはえとり申さずかの祖母に語らひはべりて聞こえさせむ
 「たいそう嬉しいはずの仰せ言ですが、まだいっこうに幼い年頃のようでございますので、ご冗談にも、お世話なさるのは難しいのでは。もっとも、女性というものは、人に世話されて一人前にもおなりになるものですから、詳しくは申し上げられませんが、あの祖母に相談しまして、お返事申し上げさせましょう」
 「それは非常に結構なことでございますが、まだまだとても幼稚なものでございますから、仮にもお手もとへなど迎えていただけるものではありません。まあ女というものは良人のよい指導を得て一人前になるものなのですから、あながち早過ぎるお話とも何とも私は申されません。子供の祖母と相談をいたしましてお返辞をするといたしましょう」
  "Ito uresikaru beki ohosegoto naru wo, mada muge ni ihakinaki hodo ni haberu mere ba, tahabure ni te mo, goranzi gataku ya? Somosomo, nyonin ha, hito ni motenasa re te otona ni mo nari tamahu mono nare ba, kuhasiku ha e tori mausa zu, kano oba ni katarahi haberi te kikoye sase m."
1.4.20  と、 すくよかに言ひてものごはきさましたまへれば、若き御心に恥づかしくて、えよくも聞こえたまはず。
 と、無愛想に言って、こわごわとした感じでいらっしゃるので、若いお心では恥ずかしくて、上手にお話し申し上げられない。
 こんなふうにてきぱき言う人が僧形の厳めしい人であるだけ、若い源氏には恥ずかしくて、望んでいることをなお続けて言うことができなかった。
  to, sukuyoka ni ihi te, mono-gohaki sama si tamahe re ba, wakaki mikokoro ni hadukasiku te, e yoku mo kikoye tamaha zu.
1.4.21  「 阿弥陀仏ものしたまふ堂にすることはべるころになむ初夜、いまだ勤めはべらず。過ぐしてさぶらはむ」とて、上りたまひぬ。
 「阿弥陀仏のおいでになるお堂で、勤行のございます時刻です。初夜のお勤めを、まだ致しておりません。済ませて参りましょう」と言って、お上りになった。
 「阿弥陀様がいらっしゃる堂で用事のある時刻になりました。初夜の勤めがまだしてございません。済ませましてまた」
 こう言って僧都は御堂のほうへ行った。
  "Amidabutu monosi tamahu dau ni, suru koto haberu koro ni nam. Soya, imada tutome habera zu. Sugusi te saburaha m." tote, nobori tamahi nu.
1.4.22   君は、心地もいと悩ましきに雨すこしうちそそき山風ひややかに吹きたるに滝のよどみもまさりて、音高う聞こゆ。すこしねぶたげなる 読経の絶え絶えすごく聞こゆるなど、 すずろなる人も、 所からものあはれなりまして、思しめぐらすこと多くて、 まどろませたまはず
 源氏の君は、気分もとても悩ましいところに、雨が少し降りそそいで、山風が冷やかに吹いてきて、滝壺の水嵩も増して、音が大きく聞こえる。少し眠そうな読経が途絶え途絶えにぞっとするように聞こえるなども、何でもない人も、場所柄しんみりとした気持ちになる。まして、いろいろとお考えになることが多くて、お眠りになれない。
病後の源氏は気分もすぐれなかった。雨がすこし降り冷ややかな山風が吹いてそのころから滝の音も強くなったように聞かれた。そしてやや眠そうな読経の声が絶え絶えに響いてくる、こうした山の夜はどんな人にも物悲しく寂しいものであるが、まして源氏はいろいろな思いに悩んでいて、眠ることはできないのであった。
  Kimi ha, kokoti mo ito nayamasiki ni, ame sukosi uti-sosoki, yamakaze hiyayaka ni huki taru ni, taki no yodomi mo masari te, oto takau kikoyu. Sukosi nebutage naru dokyau no tayedaye sugoku kikoyuru nado, suzuro naru hito mo, tokorokara mono-ahare nari. Masite, obosi megurasu koto ohoku te, madoroma se tamaha zu.
1.4.23   初夜と言ひしかども、夜もいたう更けにけり。内にも、 人の寝ぬけはひしるくて、いと忍びたれど、数珠の脇息に引き鳴らさるる音ほの聞こえ、なつかしううちそよめく音なひ、あてはかなりと聞きたまひて、ほどもなく近ければ、外に立てわたしたる屏風の中を、すこし引き開けて、 扇を鳴らしたまへばおぼえなき心地すべかめれど 聞き知らぬやうにやとて、 ゐざり出づる人あなりすこし退きて
 初夜と言ったが、夜もたいそう更けてしまった。奥でも、人々の寝ていない様子がよく分かって、とても密かにしているが、数珠の脇息に触れて鳴る音がかすかに聞こえ、ものやさしくそよめく衣ずれの音を、上品だとお聞きになって、広くなく近いので、外側に立てめぐらしてある屏風の中を、少し引き開けて、扇を打ち鳴らしなさると、意外な気がするようだが、聞こえないふりもできようかということで、いざり出て来る人がいるようだ。少し後戻りして、
初夜だと言ったが実際はその時刻よりも更けていた。奥のほうの室にいる人たちも起きたままでいるのが気配で知れていた。静かにしようと気を配っているらしいが、数珠が脇息に触れて鳴る音などがして、女の起居の衣摺れもほのかになつかしい音に耳へ通ってくる。貴族的なよい感じである。
 源氏はすぐ隣の室でもあったからこの座敷の奥に立ててある二つの屏風の合わせ目を少し引きあけて、人を呼ぶために扇を鳴らした。先方は意外に思ったらしいが、無視しているように思わせたくないと思って、一人の女が膝行寄って来た。襖子から少し遠いところで、
  Soya to ihi sika domo, yoru mo itau huke ni keri. Uti ni mo, hito no ne nu kehahi siruku te, ito sinobi tare do, zuzu no kehusoku ni hiki narasa ruru oto hono-kikoye, natukasiu uti-soyomeku otonahi, atehaka nari to kiki tamahi te, hodo mo naku tikakere ba, to ni tatewatasi taru byaubu no naka wo, sukosi hikiake te, ahugi wo narasi tamahe ba, oboye naki kokoti su beka' mere do, kiki sira nu yau ni ya tote, wizari iduru hito a' nari. Sukosi sizoki te,
1.4.24  「 あやし、ひが耳にや 」とたどるを、聞きたまひて、
 「おかしいわ、聞き違いかしら」と不審がっているのを、お聞きになって、
 「不思議なこと、聞き違えかしら」
 と一言うのを聞いて、源氏が、
  "Ayasi, higamimi ni ya?" to tadoru wo, kiki tamahi te,
1.4.25  「 仏の御しるべは暗きに入りてもさらに違ふまじかなるものを
 「仏のお導きは、暗い中に入っても、決して間違うはずはありませんが」
 「仏の導いてくださる道は暗いところもまちがいなく行きうるというのですから」
  "Hotoke no ohom-sirube ha, kuraki ni iri te mo, sarani tagahu mazika' naru monowo!"
1.4.26  とのたまふ御声の、いと若うあてなるに、うち出でむ声づかひも、恥づかしけれど、
 とおっしゃるお声が、とても若く上品なので、お返事する声づかいも、気がひけるが、
 という声の若々しい品のよさに、奥の女は答えることもできない気はしたが、
  to notamahu ohom-kowe no, ito wakau ate naru ni, uti-ide m kowadukahi mo, hadukasikere do,
1.4.27  「 いかなる方の、御しるべにか 。おぼつかなく」と聞こゆ。
 「どのお方への、ご案内でしょうか。分かりかねますが」と申し上げる。
 「何のお導きでございましょう、こちらでは何もわかっておりませんが」
 と言った。
  "Ika naru kata no, ohom-sirube ni ka? Obotukanaku." to kikoyu.
1.4.28  「 げに、うちつけなりと おぼめきたまはむも、道理なれど、
 「なるほど、唐突なことだとご不審になるのも、ごもっともですが、
 「突然ものを言いかけて、失敬だとお思いになるのはごもっともですが、
  "Geni, utituke nari to obomeki tamaha m mo, kotowari nare do,
1.4.29    初草の若葉の上を見つるより
   旅寝の袖も露ぞ乾かぬ
  初草のごときうら若き少女を見てからは
  わたしの旅寝の袖は恋しさの涙の露ですっかり濡れております
  初草の若葉の上を見つるより
  旅寝の袖も露ぞ乾かぬ
    Hatukusa no wakaba no uhe wo mi turu yori
    tabine no sode mo tuyu zo kahaka nu
1.4.30   と聞こえたまひてむや」とのたまふ。
 と申し上げて下さいませんか」とおっしゃる。
 と申し上げてくださいませんか」
  to kikoye tamahi te m ya?" to notamahu.
1.4.31  「 さらに、かやうの御消息、うけたまはり わくべき人もものしたまはぬさまは、 しろしめしたりげなるを誰れにかは」と聞こゆ。
 「まったく、このようなお言葉を、頂戴して分かるはずの人もいらっしゃらない有様は、ご存知でいらっしゃりそうなのに。どなたに」と申し上げる。
 「そのようなお言葉を頂戴あそばす方がいらっしゃらないことはご存じのようですが、どなたに」
  "Sarani, kayau no ohom-seusoko, uketamahari waku beki hito mo monosi tamaha nu sama ha, sirosimesi-tarige naru wo. Tare ni ka ha?" to kikoyu.
1.4.32  「 おのづからさるやうありて 聞こゆるならむと 思ひなしたまへかし」
 「自然と、しかるべきわけがあって申し上げているのだろうとお考え下さい」
 「そう申し上げるわけがあるのだとお思いになってください」
  "Onodukara saru yau ari te kikoyuru nara m to omohinasi tamahe kasi."
1.4.33  とのたまへば、 入りて聞こゆ
 とおっしゃるので、奥に行って申し上げる。
 源氏がこう言うので、女房は奥へ行ってそう言った。
  to notamahe ba, iri te kikoyu.
1.4.34  「 あな、今めかしこの君や、世づいたるほどにおはする とぞ、思すらむ。さるにては、かの『若草』を、いかで聞いたまへる ことぞ」と、さまざまあやしきに、心乱れて、久しうなれば、情けなしとて、
 「まあ、華やいだことを。この姫君を、年頃でいらっしゃると、お思いなのだろうか。それにしては、あの『若草を』と詠んだのを、どうしてご存知でいらっしゃることか」と、あれこれと不思議なので、困惑して、遅くなっては、失礼になると思って、
 まあ艶な方らしい御挨拶である、女王さんがもう少し大人になっているように、お客様は勘違いをしていられるのではないか、それにしても若草にたとえた言葉がどうして源氏の耳にはいったのであろうと思って、尼君は多少不安な気もするのである。しかし返歌のおそくなることだけは見苦しいと思って、
  "Ana, imamekasi! Kono Kimi ya, yodui taru hodo ni ohasuru to zo, obosu ram. Saru nite ha, kano 'Wakakusa' wo, ikade kii tamahe ru koto zo." to, samazama ayasiki ni, kokoro midare te, hisasiu nare ba, nasakenasi tote,
1.4.35  「 枕結ふ今宵ばかりの露けさを
   深山の苔に比べざらなむ
 「今晩だけの旅の宿で涙に濡れていらっしゃるからといって
  深山に住むわたしたちのことを引き合いに出さないでくださいまし
 「枕結ふ今宵ばかりの露けさを
  深山の苔にくらべざらなん
    "Makura yuhu koyohi bakari no tuyukesa wo
    miyama no koke ni kurabe zara nam
1.4.36   乾がたうはべるものを」と聞こえたまふ。
 乾きそうにございませんのに」とご返歌申し上げなさる。
 とてもかわく間などはございませんのに」
 と返辞をさせた。
  higatau haberu monowo." to kikoye tamahu.
1.4.37  「 かうやうのついでなる御消息は、まださらに聞こえ知らず、 ならはぬことになむ。かたじけなくとも、かかるついでに、まめまめしう聞こえさすべきことなむ」と聞こえたまへれば、尼君、
 「このような機会のご挨拶は、まだまったく致したことがなく、初めてのことです。恐縮ですが、このような機会に、真面目にお話させていただきたいことがあります」と申し上げなさると、尼君、
 「こんなお取り次ぎによっての会談は私に経験のないことです。失礼ですが、今夜こちらで御厄介になりましたのを機会にまじめに御相談のしたいことがございます」
 と源氏が言う。
  "Kauyau no, tuide naru ohom-seusoko ha, mada sarani kikoye sira zu, naraha nu koto ni nam. Katazikenaku tomo, kakaru tuide ni, mamemamesiu kikoyesasu beki koto nam." to kikoye tamahe re ba, Amagimi,
1.4.38  「 ひがこと聞きたまへるならむ。いと むつかしき御けはひに、 何ごとをかは答へきこえむ」とのたまへば、
 「聞き違いをなさっていらっしゃるのでしょう。まことに厄介なお方に、どのようなことをお返事申せましょう」とおっしゃると、
 「何をまちがえて聞いていらっしゃるのだろう。源氏の君にものを言うような晴れがましいこと、私には何もお返辞なんかできるものではない」
 尼君はこう言っていた。
  "Higakoto kiki tamahe ru nara m. Ito mutukasiki ohom-kehahi ni, nanigoto wo kaha irahe kikoye m." to notamahe ba,
1.4.39  「 はしたなうもこそ思せ」と人びと聞こゆ。
 「きまりの悪い思いをおさせになってはいけません」と女房たちが申す。
 「それでも冷淡なお扱いをするとお思いになるでございましょうから」
 と言って、人々は尼君の出るのを勧めた。
  "Hasitanau mo koso obose." to hitobito kikoyu.
1.4.40  「 げに、若やかなる人こそ うたてもあらめまめやかにのたまふ、かたじけなし
 「なるほど、若い人なら嫌なことでしょうが、真面目におっしゃっているのは、恐れ多い」
 「そうだね、若い人こそ困るだろうが私など、まあよい。丁寧に言っていらっしゃるのだから」
  "Geni, wakayaka naru hito koso utate mo ara me, mameyaka ni notamahu, katazikenasi."
1.4.41  とて、 ゐざり寄りたまへり
 と言って、いざり寄りなさった。
 尼君は出て行った。
  tote, wizari yori tamahe ri.
1.4.42  「 うちつけに、あさはかなりと、 御覧ぜられぬべきついでなれど心にはさもおぼえはべらねば仏はおのづから
 「突然で、軽薄な振る舞いと、きっとお思いになられるにちがいないような機会ですが、わたし自身にはそのように思われませんので。仏はもとよりお見通しでいらっしゃいましょう」
 「出来心的な軽率な相談を持ちかける者だとお思いになるのがかえって当然なような、こんな時に申し上げるのは私のために不利なんですが、誠意をもってお話しいたそうとしておりますことは仏様がご存じでしょう」
  "Utituke ni, asahaka nari to, goranze rare nu beki tuide nare do, kokoro ni ha samo oboye habera ne ba. Hotoke ha onodukara."
1.4.43   とておとなおとなしう、恥づかしげなるに つつまれてとみにもえうち出でたまはず
 と言ったが、落ち着いていて、気の置ける様子に気後れして、すぐにはお切り出しになれない。
 と源氏は言ったが、相当な年配の貴女が静かに前にいることを思うと急に希望の件が持ち出されないのである。
  tote, otonaotonasiu, hadukasige naru ni tutuma re te, tomi ni mo e uti-ide tamaha zu.
1.4.44  「 げに、思ひたまへ寄りがたきついでに、かくまで のたまはせ、聞こえさするもいかが」とのたまふ。
 「おっしゃるとおり、思い寄りも致しませぬ機会に、こうまでおっしゃっていただいたり、お話させていただけますのも、どうして浅い縁と申せましょう」とおっしゃる。
 「思いがけぬ所で、お泊まり合わせになりました。あなた様から御相談を承りますのを前生に根を置いていないこととどうして思えましょう」
 と尼君は言った。
  "Geni, omohi tamahe yori gataki tuide ni, kaku made notamahase, kikoyesasuru mo, ikaga." to notamahu.
1.4.45  「 あはれにうけたまはる御ありさまをかの過ぎたまひにけむ御かはりに思しないてむや言ふかひなきほどの齢にて、むつましかるべき人にも 立ち後れはべりにければ、あやしう浮きたるやうにて、 年月をこそ重ねはべれ同じさまにものしたまふなるをたぐひになさせたまへといと聞こえまほしきを、かかる折はべりがたくてなむ、思されむところをも憚らず、うち出ではべりぬる」と聞こえたまへば、
 「お気の毒な身の上と承りましたご境遇を、あのお亡くなりになった方のお代わりと、わたしをお思いになって下さいませんか。わたしも幼いころに、かわいがってくれるはずの母親に先立たれましたので、妙に頼りない有様で、年月を送っております。同じような境遇でいらっしゃるというので、お仲間にしていただきたいと、心から申し上げたいのですが、このような機会がめったにございませんので、どうお思いになられるかもかまわずに、申し出たのでございます」と申し上げなさると、
 「お母様をお亡くしになりましたお気の毒な女王さんを、お母様の代わりとして私へお預けくださいませんでしょうか。私も早く母や祖母に別れたものですから、私もじっと落ち着いた気持ちもなく今日に至りました。女王さんも同じような御境遇なんですから、私たちが将来結婚することを今から許して置いていただきたいと、私はこんなことを前から御相談したかったので、今は悪くおとりになるかもしれない時である、折りがよろしくないと思いながら申し上げてみます」
  "Ahare ni uketamaharu ohom-arisama wo, kano sugi tamahi ni kem ohom-kahari ni, obosinai te m ya? Ihukahinaki hodo no yohahi nite, mutumasikaru beki hito ni mo tatiokure haberi ni kere ba, ayasiu uki taru yau nite, tosituki wo koso kasane habere. Onazi sama ni monosi tamahu naru wo, taguhi ni nasa se tamahe to, ito kikoye mahosiki wo, kakaru wori haberi gataku te nam, obosa re m tokoro wo mo habakara zu, uti-ide haberi nuru." to kikoye tamahe ba,
1.4.46  「 いとうれしう思ひたまへぬべき御ことな がらも、聞こしめしひがめたることなどやはべらむと、 つつましうなむあやしき身一つを頼もし人にする人なむはべれど、いとまだ言ふかひなきほどにて、 御覧じ許さるる方もはべりがたげなればえなむうけたまはりとどめられざりける」とのたまふ。
 「とても嬉しく存じられるはずのお言葉ですが、お聞き違えていらっしゃることがございませんでしょうかと、憚られるのです。年寄一人を頼りにしている孫がございますが、とてもまだ幼い年頃で、大目に見てもらえるところもございませんようなので、お承りおくこともできないのでございます」とおっしゃる。
 「それは非常にうれしいお話でございますが、何か話をまちがえて聞いておいでになるのではないかと思いますと、どうお返辞を申し上げてよいかに迷います。私のような者一人をたよりにしております子供が一人おりますが、まだごく幼稚なもので、どんなに寛大なお心ででも、将来の奥様にお擬しになることは無理でございますから、私のほうで御相談に乗せていただきようもございません」
 と尼君は言うのである。
  "Ito uresiu omohi tamahe nu beki ohom-koto nagara mo, kikosimesi higame taru koto nado ya habera m to, tutumasiu nam. Ayasiki mi hitotu wo tanomosibito ni suru hito nam habere do, ito mada ihukahinaki hodo nite, goranzi yurusa ruru kata mo haberi gatage nare ba, e nam uketamahari todome rare zari keru." to notamahu.
1.4.47  「 みな、おぼつかなからず うけたまはるものを、所狭う思し憚らで、 思ひたまへ寄るさまことなる心のほどを、御覧ぜよ」
 「みな、はっきりと承知致しておりますから、窮屈にご遠慮なさらず、深く思っております格別な心のほどを、御覧下さいませ」
 「私は何もかも存じております。そんな年齢の差などはお考えにならずに、私がどれほどそうなるのを望むかという熱心の度を御覧ください」
  "Mina, obotukanakara zu uketamaharu monowo, tokoroseu obosi habakara de, omohi tamahe yoru sama koto naru kokoro no hodo wo, goranze yo."
1.4.48  と聞こえたまへど、 いと似げなきことを、さも知らでのたまふ、と思して、心解けたる御答へもなし。僧都おはしぬれば、
 と申し上げなさるが、まだとても不似合いなことを、そうとも知らないでおっしゃる、とお思いになって、打ち解けたご返事もない。僧都がお戻りになったので、
 源氏がこんなに言っても、尼君のほうでは女王の幼齢なことを知らないでいるのだと思う先入見があって源氏の希望を問題にしようとはしない。僧都が源氏の部屋のほうへ来るらしいのを機会に、
  to kikoye tamahe do, ito nigenaki koto wo, samo sira de notamahu, to obosi te, kokorotoke taru ohom-irahe mo nasi. Soudu ohasi nure ba,
1.4.49  「 よし、かう聞こえそめはべりぬれば、いと頼もしうなむ」とて、 おし立てたまひつ
 「それでは、このように申し上げましたので、心丈夫です」と言って、屏風をお閉てになった。
 「まあよろしいです。御相談にもう取りかかったのですから、私は実現を期します」
 と言って、源氏は屏風をもとのように直して去った。
  "Yosi, kau kikoye some haberi nure ba, ito tanomosiu nam." tote, ositate tamahi tu.
1.4.50   暁方になりにければ、法華三昧行ふ堂の懺法の声、山おろしにつきて 聞こえくる、いと尊く、滝の音に響きあひたり。
 暁方になったので、法華三昧を勤めるお堂の懺法の声が、山下ろしの風に乗って聞こえて来るのが、とても尊く、滝の音に響き合っていた。
 もう明け方になっていた。法華の三昧を行なう堂の尊い懺法の声が山おろしの音に混じり、滝がそれらと和する響きを作っているのである。
  Akatukigata ni nari ni kere ba, Ho'kezammai okonahu dau no senbohu no kowe, yamaorosi ni tuki te kikoye kuru, ito tahutoku, taki no oto ni hibiki ahi tari.
1.4.51  「 吹きまよふ深山おろしに夢さめて
   涙もよほす滝の音かな
 「深山おろしの懺法の声に煩悩の夢が覚めて
  感涙を催す滝の音であることよ
  吹き迷ふ深山おろしに夢さめて
  涙催す滝の音かな
 これは源氏の作。
    "Huki mayohu miyama orosi ni yume same te
    namida moyohosu taki no oto kana
1.4.52  「 さしぐみに袖ぬらしける山水に
   澄める心は騒ぎやはする
 「不意に来られてお袖を濡らされたという山の水に
  心を澄まして住んでいるわたしは驚きません
 「さしぐみに袖濡らしける山水に
  すめる心は騒ぎやはする
    "Sasigumi ni sode nurasi keru yamamidu ni
    sume ru kokoro ha sawagi yaha suru
1.4.53   耳馴れはべりにけりや」と聞こえたまふ。
 耳慣れてしまったからでしょうか」と申し上げなさる。
 もう馴れ切ったものですよ」
 と僧都は答えた。
  Mimi nare haberi ni keri ya!" to kikoye tamahu.
注釈180あはれなる人を以下「思ひのほかなることを見るよ」まで、源氏の心内。1.4.1
注釈181さるまじき人普通なら見つけられないような人、すなわち意外な人。1.4.1
注釈182たまさかに立ち出づるだに副助詞「だに」最小限を表す。--だけでも。1.4.1
注釈183さても以下「慰めにも見ばや」まで、再び源氏の心内。1.4.1
注釈184かの人の御代はりに藤壺宮をさす。1.4.1
注釈185明け暮れの慰めにも見ばや「明け暮れ」は毎日の意。「慰め」は気持ちを紛らしたり慰めたりする意だが、藤壺に対する思いが叶えられない代償行為として。「見ばや」は結婚する、一緒に暮らす意。1.4.1
注釈186うち臥したまへるに源氏が庵室で横になっていらっしゃると。尊敬の補助動詞「たまへ」已然形、完了の助動詞「る」連体形、接続助詞「に」順接。1.4.2
注釈187惟光を呼び出でさす使役の助動詞「さす」終止形。惟光を呼び出させる意。1.4.2
注釈188過りおはしましけるよし以下「いと本意なきこと」まで、僧都の詞。「過り」は、古くは「よきり」と清音、室町以後「よぎり」と濁音化する。平安末期の『名義抄』には「過、ヨキル」、室町時代の『和玉篇』では「過、ヨギル」とある。『完古典セレクション』『新大系』は「よきり」と清音のルビを付ける。1.4.3
注釈189ただ今なむ人申すに係助詞「なむ」は「申す」に係るが、接続助詞「に」が続き、結びの流れとなっている。1.4.3
注釈190おどろきながらさぶらべきを主語は自分。僧都。接続助詞「ながら」一つの動作と同時に他の動作を行うことを表す。接続助詞「を」逆接。気がつくと同時にさっそく伺うべきところを。1.4.3
注釈191しろしめしながら忍びさせたまへるを主語は源氏。御存知でいらっしゃりながら。尊敬の助動詞「させ」連用形+尊敬の補助動詞「たまへ」已然形、二重敬語。完了の助動詞「る」連体形+格助詞「を」目的格を表す。1.4.3
注釈192憂はしく思ひたまへてなむ主語は僧都に変わる。謙譲の補助動詞「たまへ」連用形、接続助詞「て」、係助詞「なむ」、結びの省略。お恨みに存じまして。下に、今まで控えておりましたの意をこめる。1.4.3
注釈193草の御むしろもお宿泊の御座所を、という意を、旅にかけて風流にかつ謙虚に申し出たもの。1.4.3
注釈194この坊にこそ設けはべるべけれ係助詞「こそ」--推量の助動詞「べけれ」已然形、当然の意。係結びの法則。こちらで御準備いたすべきでした。実際は、しなかったの意。1.4.3
注釈195申したまへり「申し」(「言う」の謙譲語、源氏に対する敬意)連用形、尊敬の補助動詞「たまへ」已然形、僧都に対する敬意、完了の助動詞「り」終止形。敬語が付いていることによって、僧都の伝言という趣。1.4.3
注釈196いぬる十余日のほどより以下「今そなたにも」まで、源氏が惟光をして言わせた詞。あたかも直接話法のような表現(「はべり」「たまへ」、丁寧の補助動詞、謙譲の補助動詞)であるが、伝言である。1.4.4
注釈197瘧病にわづらひはべるを接続助詞「を」弱い順接。1.4.4
注釈198堪へがたく『集成』『古典セレクション』は諸本に従って「堪えがたう」と改める。『新大系』は底本のまま。1.4.4
注釈199人の教へのまま。『集成』『古典セレクション』は諸本に従って「人の教へのままに」と改める。『新大系』は底本のまま。1.4.4
注釈200かやうなる人源氏に験方の行をした聖をさす。1.4.4
注釈201ただなるよりは普通の行者。1.4.4
注釈202世に思はれたまへる人なれば受身の助動詞「れ」連用形+尊敬の補助動詞「たまへ」已然形+完了の助動詞「る」連体形、存続の意。断定の助動詞「なれ」已然形+接続助詞「ば」順接の確定条件を表す。1.4.5
注釈203軽々しき御ありさまをはしたなう思す主語は源氏。1.4.5
注釈204同じ柴の庵なれど以下「御覧ぜさせむ」まで、僧都の詞。「柴の庵」は、自分の庵を謙って言った表現。1.4.5
注釈205御覧ぜさせむサ変「御覧ぜ」未然形+使役の助動詞「させ」未然形+推量の助動詞「む」終止形、意志を表す。1.4.5
注釈206かのまだ見ぬ人びとまだ源氏の姿を見てない尼君や女房たちの意。1.4.5
注釈207ことことしう『集成』『新大系』は清音に読むが、『古典セレクション』は「ことごとしう」と濁音に読む。1.4.5
注釈208言ひ聞かせつるをつつましう思せど完了の助動詞「つる」連体形+格助詞「を」目的格を表す。「思せ」已然形(「思ふ」の尊敬語)+接続助詞「ど」逆接を表す。1.4.5
注釈209いと心ことによしありて同じ木草をも植ゑなしたまへり語順転換がある。「同じ木草をも心ことによしありて植ゑなしたまへり」が普通の語順。「心ことによしありて」を強調した表現である。1.4.6
注釈210月もなきころなれば前に「三月の晦なれば」とあった。旧暦では月のないころである。1.4.6
注釈211灯籠なども大島本「とゝ(ゝ$う<朱>)ろなとも」とある。『集成』『古典セレクション』は諸本に従って「灯籠などにも」と「に」を補う。『新大系』は底本のまま。1.4.6
注釈212いと心にくく『集成』『古典セレクション』は諸本に従って「心にくく」と「いと」を削除する。『新大系』は底本のまま。1.4.6
注釈213心づかひすべかめりサ変「す」終止形+「べかめり」は推量の助動詞「べかる」連体形の「る」が撥音便化しさらに無表記形+推量の助動詞「めり」終止形、視界内推量の意。語り手の推量。1.4.6
注釈214後世のこと大島本「のち世の事」と表記する。『集成』『古典セレクション』は諸本に従って「後の世のこと」と「の」を補訂する。『新大系』は底本のまま「のち世のこと」とする。1.4.7
注釈215我が罪のほど以下「いみじかるへきこと」まで、源氏の心内を間接的に叙述。「我が罪」とは、継母である藤壺の宮を恋慕することをさす。1.4.7
注釈216あぢきなきことに心をしめて生ける限りこれを思ひ悩むべきなめり「あぢきなきこと」とは継母の藤壺恋慕の不可能な恋。愛執の罪。源氏は「生ける限りこれを思ひ悩む」「べき」(推量の助動詞)「な」(断定の助動詞)「めり」(推量の助動詞、視界内推量)と自制自覚する。1.4.7
注釈217いみじかるべき推量の助動詞「べき」連体形の下に、御物本は「ことゝ」があり、横山本は「を」を補入。河内本は「ことゝ」とある。「こと」は「を」に誤写される可能性もある。大島本等はナシ。源氏の心内文が地の文に融合して続く。『古典セレクション』は「源氏の心内語。その末尾が切れ目なく地の文に続く」と注す。『源氏物語』には心内文が自然と地の文に変化したり、逆に地の文が競り上がって心内文になっていく叙述法がある。そうした表現世界として鑑賞すべき。1.4.7
注釈218かうやうなる住まひ物思いを断ち切った出家生活、草庵生活。1.4.7
注釈219おぼえたまふものから逆接の接続助詞「ものから」によって、源氏の心の両面を語る叙述。この語句によって理不尽複雑な人間心理を語り、この物語に深みを出すことに成功。1.4.7
注釈220ここにものしたまふは誰れにか以下「思ひあはせつる」まで、源氏の問い。断定の助動詞「に」連用形、係助詞「か」疑問。下に「おはする」などの語が省略。夢の話は源氏の虚偽であろう。1.4.8
注釈221尋ねきこえまほしき夢を見たまへしかな謙譲の補助動詞「きこえ」未然形。マ上一「見」連用形+謙譲の補助動詞「たまへ」連用形+過去の助動詞「し」連体形+終助詞「かな」詠嘆。1.4.8
注釈222今日なむ思ひあはせつる係助詞「なむ」--完了の助動詞「つる」連体形、係結びの法則。強調のニュアンス。1.4.8
注釈223うちつけなる御夢語りにぞはべるなる以下「ものしはべるなり」まで、僧都の返事。断定の助動詞「に」連用形、係助詞「ぞ」、丁寧の動詞「はべる」連体形+断定の助動詞「なる」連体形、係結びの法則。1.4.10
注釈224尋ねさせたまひても尊敬の助動詞「させ」連用形+尊敬の補助動詞「たまひ」連用形、二重敬語。接続助詞「て」+係助詞「も」含みをもたせて表現を和らげる。逆接的文脈となる。1.4.10
注釈225御心劣りせさせたまひぬべしサ変「せ」未然形+尊敬の助動詞「させ」連用形+尊敬の補助動詞「たまひ」連用形、二重敬語、完了の助動詞「ぬ」終止形、確述の意+推量の助動詞「べし」終止形。1.4.10
注釈226えしろしめさじかし副詞「え」は打消推量の助動詞「じ」終止形と呼応して不可能の意を表す。「しろしめす」は「知る」の尊敬語。1.4.10
注釈227世を背きてはべるがこの「が」は格助詞とも接続助詞とも解せる。1.4.10
注釈228このごろ『集成』は「このころ」と清音、『古典セレクション』『新大系』は「このごろ」と濁音で読む。『岩波古語辞典』には「奈良時代にはコノコロと清音。平安時代にはコノゴロ」とあり、『名義抄』に「今来・比日・今属、コノゴロ」とあるのを典拠とする。1.4.10
注釈229かく京にもまかでねば主語は僧都。期限を限って山籠もりしている最中。1.4.10
注釈230かの大納言の御女以下「聞こゆるなり」まで、源氏の問い。「御女」は大島本「ミむすめ」と仮名表記する。1.4.11
注釈231聞きたまへしは謙譲の補助動詞「たまへ」連用形+過去の助動詞「し」連体形。下に「方はこの姫君か」という内容が省略。『古典セレクション』は「源氏は例の少女を、尼君の娘であると思っているから、このように聞き尋ねる」と注す。1.4.11
注釈232女ただ一人はべりし以下「近く見たまへし」まで、僧都の返事。過去助動詞「し」連体形、連体形止めで文をいったん中止して、かつ、「その者が」の意をこめて、下文の主語となってつながる構文。話者の口調をよく表している。1.4.12
注釈233この十余年にやなりはべりぬらむ断定の助動詞「に」連用形+係助詞「や」疑問。完了の助動詞「ぬ」終止形、推量の助動詞「らむ」視界外推量。1.4.12
注釈234過ぎはべりにしかば丁寧の補助動詞「はべり」連用形、完了の助動詞「に」連用形、過去の助動詞「しか」已然形+接続助詞「ば」順接の確定条件を表す。亡くなってしまいましたので。1.4.12
注釈235兵部卿宮なむ藤壺の宮の兄。「桐壺」巻に初出。係助詞「なむ」は「語らひつきたまへりける」に係るが、下に接続助詞「を」弱い逆接が続き、結びの流れとなっている。1.4.12
注釈236なむ亡くなりはべりにし係助詞「なむ」--過去の助動詞「し」連体形、係結びの法則。丁寧の補助動詞「はべり」連用形、完了の助動詞「に」連用形。1.4.12
注釈237目に近く見たまへし過去の助動詞「し」連体形、連体中止法。下に体言または感動を表す終助詞「かな」などを言いさした余韻を残した言い方。1.4.12
注釈238さらばその子なりけり源氏の心内。断定の助動詞「なり」連用形+過去の助動詞「けり」終止形、詠嘆の意。尼君の孫娘、兵部卿宮の娘で藤壺の宮には姪に当たる女の子と感動をもって理解。1.4.13
注釈239親王の御筋にて以下「かよひきこえたるにや」まで、源氏の心内。「かの人」は藤壺の宮をさす。1.4.13
注釈240見まほし「見る」は異性を世話する、結婚する意。マ上一「見」未然形+希望の助動詞「まほし」終止形。養女としたいまたは妻としたいの意。1.4.13
注釈241人のほども以下「うち語らひて心のままに教へ生ほし立てて見ばや」まで、源氏の心内。マ上一「見」未然形+終助詞「ばや」願望を表す。地の文が自然と心中文に移っていく。1.4.13
注釈242いとあはれに以下「形見もなきか」まで、源氏の問い。兵部卿宮が尼君の娘に通うようになったことまではわかった。しかし、昼間見た少女がその子どもなのか否かまではまだ聞いていない。そこで確認のために尋ねる。1.4.14
注釈243亡くなりはべりしほどに以下「嘆きはべるめる」まで、僧都の返事。「し」「しか」共に過去の助動詞。「はべりしか」の「はべり」は生まれるの意、死ぬと同時に生まれたというニュアンス。出産後まもなく亡くなったの意。1.4.16
注釈244女にてぞ係助詞「ぞ」、下に「ものせ」「し」連体形などの語句が省略。1.4.16
注釈245なむ齢の末に思ひたまへ嘆きはべるめる係助詞「なむ」--推量の助動詞「める」連体形、主観的推量の意、係結びの法則。謙譲の補助動詞「たまへ」連用形、丁寧の補助動詞「はべる」連体形。『古典セレクション』は「謙譲の「たまふ」が、第三者の尼君の動作につけて用いられているのは、僧都が尼君の立場に身をおいて代弁しているから」と注す。1.4.16
注釈246さればよ源氏の心内。予想が適中したときに用いる。後見人のない女の子の不幸なことを思う。1.4.17
注釈247あやしきことなれど以下「はしたなくや」まで、源氏の詞。「幼き御後見に思すべく」とは、養女とする、または妻とする、ということを意味する。1.4.18
注釈248聞こえたまひてむやあなたから尼君に。「聞こえ」は「言ふ」の謙譲語。尊敬の補助動詞「たまひ」連用形、完了の助動詞「て」未然形、確述の意、推量の助動詞「む」終止形、勧誘の意、係助詞「や」疑問の意。お話し申し上げてくださいませんか。1.4.18
注釈249思ふ心ありて「独り住みにてのみなむ」に係る。途中「行きかかづらふ方もはべりながら世に心の染まぬにやあらむ」は挿入句。妻(左大臣家の娘の葵の上)はいるが、意に添わない、の意。1.4.18
注釈250まだ似げなきほどと女の子の年齢(十歳くらい)が結婚にはまだ早すぎる意。1.4.18
注釈251はしたなくや主語は自分、源氏をさす。結婚するにはまだ幼い十歳くらいの女の子を迎え取るなど、中途半端なことであろうか、そうではない、親代りになるつもりだ、という決意。『岩波古語辞典』は「ナシは甚だしいの意。落度や失礼・欠点などがあって無作法・ぶしつけであるの意。その結果、体裁がわるくて引込みがつかない状態。また、まともな愛想や情が欠けている意」と解説する。『評釈』は「いても立ってもいられない、穴があったら入りたい、という気持」と注す。1.4.18
注釈252いとうれしかるべき仰せ言なるを以下「聞こえさせむ」まで、僧都の返事。推量の助動詞「べき」連体形、当然の意。断定の助動詞「ねる」連体形、接続助詞「を」逆接を表す。1.4.19
注釈253いはきなき大島本「いはきなき」とあり。他の青表紙諸本「いはけなき」とある。多くの校訂本は「いはけなき」とするが、『新大系』は「いはきなき」のままとする。1.4.19
注釈254御覧じがたくや接尾語ク型「がたく」連用形+係助詞「や」疑問の意。下に「あらむ」(連体形)などの語句が省略。1.4.19
注釈255そもそも女人は人にもてなされて大人にもなりたまふものなれば大島本「そも/\女人は」とある。『集成』『古典セレクション』は諸本に従って「そもそも女は」と「人」を削除する。『新大系』は底本のままとする。女性は男性(父親または夫)に世話されて一人前の人(女)となる、という当時の考えを引く。断定の助動詞「なれ」已然形+接続助詞「ば」順接の確定条件を表す。1.4.19
注釈256詳しくはえとり申さず副詞「え」打消の助動詞「ず」終止形と呼応して不可能の意を表す。わたしは僧侶の手前男女関係の事柄には立ち入ることはできないが、という意。挿入句。1.4.19
注釈257かの祖母に語らひはべりて聞こえさせむ「祖母(おば)」は「おほば」の約。使役の助動詞「させ」未然形、推量の助動詞「む」終止形。祖母からお返事をさせましょう、の意。1.4.19
注釈258すくよかに言ひて僧侶らしい振る舞い。1.4.20
注釈259ものごはきさましたまへれば『集成』は「取りつく島もないご様子なので」と解し、『古典セレクション』は「堅苦しい様子をしておられるので」と解す。尊敬の補助動詞「たまへ」已然形、完了の助動詞「れ」已然形+接続助詞「ば」順接の確定条件。1.4.20
注釈260阿弥陀仏ものしたまふ堂に以下「過ぐしてさぶらはむ」まで、僧都の詞。中座する挨拶。1.4.21
注釈261することはべるころになむ係助詞「なむ」下に「なりぬ」(連体形)などの語句が省略、係結びの結びの省略。1.4.21
注釈262初夜いまだ勤めはべらず「初夜」の勤行は、午後六時頃から十時頃までに行う勤行。1.4.21
注釈263君は心地もいと悩ましきに係助詞「は」題目を提示。源氏の君はどうかといえば、のニュアンス。格助詞「に」時間を表す。1.4.22
注釈264雨すこしうちそそき時は弥生の晦、月のないころ、しかも雨が降り出した夜。外は漆黒の闇。外の滝の音に混じって室内のかすかな物音が源氏の耳に入ってくる。
【そそき】−清音。『岩波古語辞典』に「江戸時代初期頃からソソギと濁音化した」という。
1.4.22
注釈265山風ひややかに吹きたるに格助詞「に」時間を表す。1.4.22
注釈266滝のよどみもまさりて『河海抄』は「滝つ瀬の中にも淀はありてふをなど我が恋の淵瀬ともなき」(古今集、恋一、四九三 読人しらず)を指摘する。『完訳』も引歌として引用する。1.4.22
注釈267所からものあはれなり「所から」は『易林本節用集』に「所柄 トコロカラ」とあり、『日葡辞書』には「トコロカラ トコロガラ」の両方がある。なお『古典セレクション』はこの句、読点。「神妙な思いにもなるが、まして君は」と文を続けて訳す。『集成』『新大系』は清音に読むが、『古典セレクション』は「所がら」と濁音に読んでいる。1.4.22
注釈268まして以下、主語は源氏。1.4.22
注釈269まどろませたまはず尊敬の助動詞「せ」連用形+尊敬の補助動詞「たまは」未然形、二重敬語。他の青表紙諸本「まとろまれ給はす」。『集成』『古典セレクション』は「まどろまれたまはず」と校訂する。『新大系』は底本のままとする。1.4.22
注釈270初夜と言ひしかども先程、僧都が「初夜」と言ったがの意。1.4.23
注釈271人の寝ぬけはひナ下二「寝」未然形+打消の助動詞「ぬ」連体形。まだ寝ていない様子。なお「ぬ」が完了の助動詞ならば、「けはひ」(名詞)の前は連体形「ぬる」となる。1.4.23
注釈272扇を鳴らしたまへば主語は源氏。人を呼ぶ合図。1.4.23
注釈273おぼえなき心地すべかめれど主語は奥の女房。「べかめれ」は推量の助動詞「べかる」連体形の「る」が撥音便化しさらに無表記+推量の助動詞「めれ」已然形、視界内推量。源氏側からの推量。語り手と源氏の気持ちが一体化している表現。1.4.23
注釈274聞き知らぬやうにや打消の助動詞「ぬ」連体形、断定の助動詞「に」連用形、係助詞「や」疑問、下に「ものせむ」などの語句が省略。反語表現。知らないふりはできない、の意。語り手が奥の女房の気持ちを推測した挿入句的表現。1.4.23
注釈275ゐざり出づる人あなり「あなり」はラ変「ある」連体形の「る」が撥音便化しさらに無表記+推定の助動詞「なり」終止形。源氏側からの推量。語り手と源氏の気持ちが一体化している表現。1.4.23
注釈276すこし退きて主語は奥の女房。出てきた女房が誰も見えないので戻ろうとしたところ。1.4.23
注釈277あやしひが耳にや女房の詞。断定の助動詞「に」連用形+係助詞「や」疑問の意。下に「あらむ」などの語句が省略。1.4.24
注釈278仏の御しるべは以下「なるものを」まで、源氏の詞。1.4.25
注釈279暗きに入りても『源氏釈』は『法華経』の「従冥入於冥、永不聞仏名(冥きより冥きに入りて、永く仏名を聞かざりしなり)」(化城喩品)を指摘する。『古典セレクション』は「案内を頼む女房を釈尊に見立てる」と注す。1.4.25
注釈280さらに違ふまじかなるものを副詞「さらに」は打消推量の助動詞「まじか」と呼応して、決して--ない、全然--ない、の意を表す。「まじかなる」は打消推量の助動詞「まじかる」連体形の「る」が撥音便化しさらに無表記形+断定の助動詞「なる」連体形。接続助詞「ものを」逆接の意。下文を言いさした余意・余情表現。1.4.25
注釈281いかなる方の御しるべにか大島本「いかなるかたのをん(をん$御<朱>)しるへにか」とある。『集成』は「どういうご案内をいたせばよろしいものやら」と解し、『古典セレクション』は「どちらへのご案内でございましょう」と解す。いずれも諸本に従って「御しるべにかは」と「は」を補訂する。『新大系』は底本のままとする。「いかなる方」は方角や手立ての意、「しるべ」は案内や手引の意。断定の助動詞「に」連用形+係助詞「か」疑問の意。下に「はべらむ」などの語句が省略。1.4.27
注釈282げにうちつけなりと以下「と聞こえたまひてむや」まで、源氏の詞と和歌。1.4.28
注釈283おぼめきたまはむも尊敬の補助動詞「たまは」未然形+推量の助動詞「む」連体形、婉曲の意。1.4.28
注釈284初草の若葉の上を見つるより--旅寝の袖も露ぞ乾かぬ源氏の贈歌。「初草の若葉の上」は少女の身の上、後の紫の上をさす。「旅寝の袖」は自分を喩える。「初草」「若」「露」は、先の尼君と女房の贈答歌の語句を引用したもの。「つゆ」は「露」と副詞「つゆ」、打消の助動詞「ぬ」連体形と呼応して、まったく--ない、の意の掛詞。1.4.29
注釈285と聞こえたまひてむや歌に添えた源氏の詞。「てむ」は完了の助動詞「て」未然形+推量の助動詞「む」終止形の連語。終助詞「や」疑問、強い希望を述べたニュアンス。1.4.30
注釈286さらにかやうの以下「誰れにかは」まで、女房の詞。副詞「さらに」は「ものしたまはぬ」に係り、全然--ない、の意を表す。1.4.31
注釈287しろしめしたりげなるを「しろしめしたりげ」は「しろしめし」連用形(「知る」の尊敬語)+完了の助動詞「たり」終止形+接尾語「げ」。断定の助動詞「なる」連体形+間投助詞「を」詠嘆。1.4.31
注釈288誰れにかは係助詞「か」疑問+係助詞「は」。下に「とりつがむ」などの語句が省略。どなたに取り次いだらよろしいのでしょうか、の意。1.4.31
注釈289おのづから以下「思ひなしたまへかし」まで、源氏の詞。1.4.32
注釈290聞こゆるならむと断定の助動詞「なら」未然形+推量の助動詞「む」終止形。1.4.32
注釈291入りて聞こゆ女房が奥の尼君に伝える。1.4.33
注釈292あな今めかし以下「聞いたまへることぞ」まで、『集成』は「以下、尼君の心中である」と解し、『古典セレクション』は「」で括るが、心内とも詞とも注してない。「今めかし」について『集成』は「源氏の大胆さに驚く気持」と注し、『古典セレクション』は「隅におけない」と訳す。「今めかし」とは当世風なの意だが、ここは源氏の大胆な態度が今風だという意。尼君の価値観や時代差を窺わせる評言。1.4.34
注釈293この君や係助詞「や」疑問、「おはする」連体形に係る、係結びの法則。1.4.34
注釈294とぞ思すらむ係助詞「ぞ」、推量の助動詞「らむ」連体形、係結びの法則。1.4.34
注釈295枕結ふ今宵ばかりの露けさを--深山の苔に比べざらなむ尼君の返歌。「枕結ふ」は源氏の旅寝をさし、「深山の苔」は自分をさしていう。源氏の上句の恋の心を無視し、下句の「露」だけを受けて応える。打消の助動詞「ざら」未然形+終助詞「なむ」相手に対する願望。あなたの今夜だけの寂しさとわたしどもの寂しさを同じようにお考えにならないで下さい。『花鳥余情』は「奥山の苔の衣に比べ見よいづれか露の置きはまさると」(多武峯少将物語)を指摘し、『古典セレクション』でも引歌として指摘する。1.4.35
注釈296乾がたうはべるものを歌に添えた詞。『細流抄』は「夕さればいとど干難き我が袖に秋の露さへ置き添はりつつ」(古今集 恋一 五四五 読人しらず)を指摘、『古典セレクション』も引歌として指摘する。返歌のあとに古歌の文句を添えるのは教養ある人。終助詞「ものを」詠嘆の気持ち。1.4.36
注釈297かうやうのついでなる以下「聞こえさすべきことなむ」まで、源氏の詞。なお大島本は「つゐてなる」とあるが、他の青表紙諸本の多くは「つて」とある。『集成』は明融本に従って「人伝(ひとづて)なる」は校訂し、『古典セレクション』も「伝(つて)なる」と校訂するが、『新大系』は底本のままとする。1.4.37
注釈298ならはぬことになむ係助詞「なむ」。下に「はべる」連体形などの語が省略。1.4.37
注釈299ひがこと聞きたまへるならむ以下「答へきこえむ」まで、尼君の詞。尊敬の補助動詞「たまへ」已然形、完了の助動詞「る」連体形、断定の助動詞「なら」未然形、推量の助動詞「む」終止形。1.4.38
注釈300むつかしき大島本は「むつかしき」とある。その他の青表紙諸本は「はつかしき」とある。『評釈』『集成』『古典セレクション』等は「はづかしき」と本文を改める。『新大系』は底本のままとする。1.4.38
注釈301何ごとをかは答へきこえむ連語「かは」(係助詞「か」+係助詞「は」)推量の助動詞「む」連体形、反語表現の構文。どうお答えしてよいかわからない、の意。1.4.38
注釈302はしたなうもこそ思せ女房の詞。連語「もこそ」(係助詞「も」+係助詞「こそ」)「思せ」已然形、係結びの法則。懸念・危惧を表す。尼君に応対することを勧める。1.4.39
注釈303げに若やかなる人こそ以下「かたじけなし」まで、尼君の詞。1.4.40
注釈304うたてもあらめ係助詞「こそ」の係結び「あらめ」已然形。『集成』は読点。『古典セレクション』は句点。あなたがた若い人が応対するのは嫌でしょうが、年老いたわたしなら構わないでしょう、の気持ち。下文が省略。1.4.40
注釈305まめやかにのたまふかたじけなし源氏が真剣におっしゃているのは畏れ多い、応対しなければ、の気持ち。1.4.40
注釈306ゐざり寄りたまへり几帳のもとにいざり寄りなさった、の意。1.4.41
注釈307うちつけに以下「仏はおのづから」まで、源氏の詞。1.4.42
注釈308御覧ぜられぬべきついでなれど完了の助動詞「ぬ」終止形、確述+推量の助動詞「べき」連体形、当然の意。1.4.42
注釈309心にはさもおぼえはべらねば丁寧の補助動詞「はべら」未然形、打消の助動詞「ね」已然形+接続助詞「ば」順接の確定条件を表す。1.4.42
注釈310仏はおのづから下に「見知りたまひぬらむ」などの語句が省略された形。1.4.42
注釈311とてと言ったが、と言ってはみたものののニュアンス。『完訳』は「と言いさして」と訳す。1.4.43
注釈312おとなおとなしう尼君の態度。1.4.43
注釈313つつまれて遠慮されて。主語は源氏。1.4.43
注釈314とみにもえうち出でたまはず主語は源氏。副詞「え」は打消の助動詞「ず」終止形と呼応して不可能の意を表す。この後、少し間合いがあって、尼君の方から切り出す。1.4.43
注釈315げに思ひたまへ寄り以下「聞こえさするもいかが」まで、尼君の詞。1.4.44
注釈316のたまはせ聞こえさするも「のたまはせ」の主語は源氏、「聞こえさする」の主語は尼君。それぞれ「言ふ」の最も高い敬語表現、「言ふ」の最も謙った謙譲表現。1.4.44
注釈317いかが榊原家本、池田本、肖柏本、三条西家本は「あさくはいかゝ」とある。横山本は「あさくは」を補入する。御物本と書陵部本が大島本と同文。「あさくは思はむ」(反語表現)などの語句が省略されている。『集成』は「浅くはいかが」と本文を改める。『古典セレクション』は「いかが」のままとし「浅くはいかが思ひたまへむ」ぐらいの意と注す。1.4.44
注釈318あはれにうけたまはる御ありさまを以下「うち出ではべりぬる」まで、源氏の詞。格助詞「を」目的格を表す。「思しないて」の下に「譲りたまひて」などの語句が省略され、文脈のねじれとなっている。『古典セレクション』は「「御ありさまなるを」の意」と注し「を」接続助詞「身の上なのですから」と順接の原因理由を表す文脈に解す。1.4.45
注釈319かの過ぎたまひにけむ御かはりに少女の亡き母親の代りに。過去推量の助動詞「けむ」連体形の下に「人の」などの語句が省略。母親代りの後見を申し出る。1.4.45
注釈320思しないてむや「思しない」の「い」は「し」のイ音便化。完了の助動詞「て」未然形、確述の意+推量の助動詞「む」終止形+係助詞「や」疑問。相手の意向を問う。1.4.45
注釈321言ふかひなきほどの齢源氏自身の体験をいう。三歳の時に母親に死別。1.4.45
注釈322立ち後れはべりにければ丁寧の補助動詞「はべり」連用形、完了の助動詞「に」連用形、過去の助動詞「けれ」已全然形+接続助詞「ば」順接の確定条件を表す。先立たれてしまったので、というニュアンス。1.4.45
注釈323年月をこそ重ねはべれ係助詞「こそ」、丁寧の補助動詞「はべれ」已然形、係結びの法則。強調のニュアンスを添える。1.4.45
注釈324同じさまにものしたまふなるを尊敬の補助動詞「たまふ」終止形、伝聞推定の助動詞「なる」連体形、接続助詞「を」順接、原因理由を表す。いらっしゃるというので、の意。1.4.45
注釈325たぐひになさせたまへと尊敬の助動詞「せ」連用形、尊敬の補助動詞「たまへ」命令形、二重敬語。会話文中での用法。1.4.45
注釈326いと聞こえまほしきを接続助詞「を」逆接を表す。1.4.45
注釈327いとうれしう思ひたまへぬべき御ことながらも以下「とどめられざりける」まで、尼君の返答。謙譲の補助動詞「たまへ」連用形、完了の助動詞「ぬ」終止形、確述の意、推量の助動詞「べき」連体形、陶然の意。接続助詞「ながら」逆接を表す。係助詞「も」表現を和らげるニュアンスを添える。1.4.46
注釈328つつましうなむ係助詞「なむ」。下に「思ふたまふる」などの語句が省略。1.4.46
注釈329あやしき身一つを頼もし人にする人「あやしき身一つ」は尼君、自ら謙った表現。「頼もし人にする人」は孫の姫君、紫の君。1.4.46
注釈330御覧じ許さるる方もはべりがたげなれば「御覧じ」の主体は源氏。受身の助動詞「るる」連体形。断定の助動詞「なれ」已然形+接続助詞「ば」順接の確定条件を表す。あなた様から大目に見てもらえるところもございませんようなので。
【はべりがたげなれば】−大島本「侍りかたけなれハ」とある。御物本は「侍かたな〔な−補入〕けれは」、横山本、榊原家本、池田本、三条西家本は書陵部本は「侍りかたけれは」。肖柏本が大島本と同文。『集成』『新大系』は底本のまま。『古典セレクション』は「はべりがたければ」と本文を改める。
1.4.46
注釈331えなむうけたまはりとどめられざりける副詞「え」は打消の助動詞「ざり」連用形と呼応して不可能の意を表す。係助詞「なむ」は過去の助動詞「ける」連体形に係る、係結びの法則。強調のニュアンスを添える。可能の助動詞「られ」未然形。1.4.46
注釈332みなおぼつかなからず以下「御覧ぜよ」まで、源氏の詞。1.4.47
注釈333うけたまはるものを接続助詞「ものを」順接、原因理由を表す。ので、のだから。1.4.47
注釈334思ひたまへ寄るさま謙譲の補助動詞「たまへ」連用形。1.4.47
注釈335いと似げなきことをさも知らでのたまふ尼君の心中。源氏の申し出について。連語「さも」(「さ」+係助詞「も」)そのようにも。1.4.48
注釈336よし以下「頼もしうなむ」まで、源氏の詞。1.4.49
注釈337おし立てたまひつ「おし立て」は、「外に立てわたしたる屏風少し引き開けて」を受ける。屏風を閉めた。1.4.49
注釈338暁方になりにければ時刻の推移を表す。1.4.50
注釈339聞こえくる「来る」(連体形)、文の連体中止であるとともに、以下の文の主語ともなる。余情を湛えて次に係ってゆく構文。1.4.50
注釈340吹きまよふ深山おろしに夢さめて--涙もよほす滝の音かな源氏の歌。「深山」は前の尼君の「深山の苔」とあったのを踏まえる。迷いの夢から覚める気持ちがする。『古典セレクション』は「「夢」に、煩悩の意をも含める。暁方の懺法の声をのせた音響に、紫の上への執心の浄化される思いを詠んだ歌」と注す。1.4.51
注釈341さしぐみに袖ぬらしける山水に--澄める心は騒ぎやはする僧都の返歌。「さしぐみ」は不意にの意と、涙が「さし汲み」の意を響かせる。「すめる」は「住める」と「澄める」の両意を掛ける。「汲み」「濡らし」「山水」「澄める」は縁語。連語「やは」(係助詞「や」+係助詞「は」)反語、サ変「する」連体形、係結びの法則。『異本紫明抄』は「古の野中の清水見るからにさしぐむものは涙なりけり」(後撰集 恋四 八一四 読人しらず)を指摘するが、『完訳』は「昔より山水にこそ袖ひづれ君がぬるらむ露はものかは」(多武峯少将物語)を引歌として指摘する。1.4.52
注釈342耳馴れはべりにけりや僧都の歌に添えた詞。丁寧の補助動詞「はべり」連用形、完了の助動詞「ける」連体形、間投助詞「や」詠嘆の意。1.4.53
出典2 仏の御しるべは、暗きに入りても 従冥入於冥 永不聞仏名 法華経三-化城喩品 1.4.25
校訂19 わづらひ わづらひ--わ(わ/+つ)らひ 1.4.4
校訂20 灯籠 灯籠--とこ(こ/+う<朱>)ろ 1.4.6
校訂21 常なき 常なき--つほ(ほ/$)ねなき 1.4.7
校訂22 ことに ことに--こゝ(ゝ/$と<朱>)に 1.4.7
校訂23 うちつけ うちつけ--うち(ち/+つ<朱>)け 1.4.10
校訂24 さかしら さかしら--さかしゝ(ゝ/$ら<朱>) 1.4.13
校訂25 はしたなくや はしたなくや--はしたなし(し/$く<朱>)や 1.4.18
校訂26 読経 読経--(/+と)経 1.4.22
校訂27 すずろ すずろ--する(る/$す<朱>)ろ 1.4.22
校訂28 おぼえなき おぼえなき--おほえ(え/+なき<朱>) 1.4.23
校訂29 ひが耳 ひが耳--い(い/$ひ<朱>)かみゝ 1.4.24
校訂30 御--をん(をん/$御<朱>) 1.4.27
校訂31 わくべき わくべき--わゝ(ゝ/$く<朱>)へき 1.4.31
校訂32 ならむ ならむ--な(な/+ら)ん 1.4.32
校訂33 ことぞ」と ことぞ」と--こそ(そ/$と<朱>)そと 1.4.34
校訂34 御こと 御こと--(/+御)事 1.4.46
校訂35 がらも、聞こしめしひがめたることな がらも、聞こしめしひがめたることな--(/+からもきこしめしひかめたる事な) 1.4.46
1.5
第五段 翌日、迎えの人々と共に帰京


1-5  The next day, he goes back to his home in Kyoto

1.5.1   明けゆく空は、いといたう霞みて、山の鳥ども そこはかとなうさへづりあひたり。名も知らぬ 木草の花どもも、いろいろに散りまじり、 錦を敷けると見ゆるに、鹿のたたずみ歩くも、 めづらしく見たまふに、悩ましさも紛れ果てぬ。
 明けて行く空は、とてもたいそう霞んで、山の鳥どもがどこかしことなく囀り合っている。名も知らない木や草の花々が、色とりどりに散り混じり、錦を敷いたと見える所に、鹿があちこちと立ち止まったり歩いたりしているのも、珍しく御覧になると、気分の悪いのもすっかり忘れてしまった。
 夜明けの空は十二分に霞んで、山の鳥声がどこで啼くとなしに多く聞こえてきた。都人には名のわかりにくい木や草の花が多く咲き多く地に散っていた。こんな深山の錦の上へ鹿が出て来たりするのも珍しいながめで、源氏は病苦からまったく解放されたのである。
  Ake yuku sora ha, ito itau kasumi te, yama no tori-domo sokohakatonau saheduri ahi tari. Na mo sira nu ki kusa no hana-domo mo, iroiro ni tiri maziri, nisiki wo sike ru to miyuru ni, sika no tatazumi ariku mo, medurasiku mi tamahu ni, nayamasisa mo magire hate nu.
1.5.2  聖、 動きもえせねど、とかうして護身参らせたまふ。 かれたる声の、いといたうすきひがめるも、あはれに功づきて、陀羅尼誦みたり。
 聖は、身動きも不自由だが、やっとのことで護身法をして差し上げなさる。しわがれた声で、とてもひどく歯の間から洩れて聞きにくいのも、しみじみと年功を積んだようで、陀羅尼を誦していた。
 聖人は動くことも容易でない老体であったが、源氏のために僧都の坊へ来て護身の法を行なったりしていた。嗄々な所々が消えるような声で経を読んでいるのが身にしみもし、尊くも思われた。経は陀羅尼である。
  Hiziri, ugoki mo e sene do, tokau si te gosin mawirase tamahu. Kare taru kowe no, ito itau suki higame ru mo, ahare ni kuuduki te, darani yomi tari.
1.5.3   御迎への人びと参りて、おこたりたまへる喜び聞こえ、内裏よりも御とぶらひあり。僧都、 世に見えぬさまの御くだもの、何くれと、谷の底まで堀り出で、いとなみきこえたまふ。
 お迎えの人々が参って、ご回復されたお祝いを申し上げ、帝からもお見舞いがある。僧都は、見慣れないような果物を、あれこれと、谷の底から採ってきては、ご接待申し上げなさる。
 京から源氏の迎えの一行が山へ着いて、病気の全快された喜びが述べられ、御所のお使いも来た。僧都は珍客のためによい菓子を種々作らせ、渓間へまでも珍しい料理の材料を求めに人を出して饗応に骨を折った。
  Ohom-mukahe no hitobito mawiri te, okotari tamahe ru yorokobi kikoye, Uti yori mo ohom-toburahi ari. Soudu, yo ni miye nu sama no ohom-kudamono, nanikureto, tani no soko made hori ide, itonami kikoye tamahu.
1.5.4  「 今年ばかりの誓ひ深うはべりて、御送りにもえ参りはべるまじきこと。 なかなかにも思ひたまへらるべきかな
 「今年いっぱいの誓いが固うございまして、お見送りに参上できませぬ次第。かえって残念に存じられてなりません」
 「まだ今年じゅうは山籠りのお誓いがしてあって、お帰りの際に京までお送りしたいのができませんから、かえって御訪問が恨めしく思われるかもしれません」
  "Kotosi bakari no tikahi hukau haberi te, ohom-okuri ni mo e mawiri haberu maziki koto. Nakanaka ni mo omohi tamahe raru beki kana!"
1.5.5  など聞こえたまひて、 大御酒参りたまふ
 などと申し上げなさって、お酒を差し上げなさる。
 などと言いながら僧都は源氏に酒をすすめた。
  nado kikoye tamahi te, ohomiki mawiri tamahu.
1.5.6  「 山水に 心とまりはべりぬれど内裏よりもおぼつかながらせたまへるもかしこければなむ今、この花の折過ぐさず参り来む
 「山や谷川に心惹かれましたが、帝にご心配あそばされますのも、恐れ多いことですので。そのうち、この花の時期を過ごさずに参りましょう。
 「山の風景に十分愛着を感じているのですが、陛下に御心配をおかけ申すのももったいないことですから、またもう一度、この花の咲いているうちに参りましょう、
  "Yamamidu ni kokoro tomari haberi nure do, Uti yori mo obotukanagara se tamahe ru mo, kasikokere ba nam. Ima, kono hana no wori sugusa zu mawiri ko m.
1.5.7    宮人に行きて語らむ山桜
   風よりさきに来ても見るべく
 大宮人に帰って話して聞かせましょう、この山桜の美しいことを
 風の吹き散らす前に来て見るようにと
  宮人に行きて語らん山ざくら
  風よりさきに来ても見るべく」
    Miyabito ni yuki te katara m yamazakura
    kaze yori saki ni ki te mo miru beku
1.5.8   とのたまふ御もてなし声づかひさへ、目もあやなるに
 とおっしゃる態度や、声づかいまでが、眩しいくらい立派なので、
 歌の発声も態度もみごとな源氏であった、僧都が、
  to notamahu ohom-motenasi, kowadukahi sahe, me mo aya naru ni,
1.5.9  「 優曇華の花待ち得たる心地して
   深山桜に目こそ移らね
 「三千年に一度咲くという優曇華の花の
  咲くのにめぐり逢ったような気がして深山桜には目も移りません
  優曇華の花まち得たるここちして
  深山桜に目こそ移らね
    "Udonge no hana mati e taru kokoti si te
    miyamazakura ni me koso utura ne
1.5.10  と聞こえたまへば、ほほゑみて、「 時ありて、一度開くなるは、 かたかなるものを」とのたまふ。
 と申し上げなさると、君は微笑みなさって、「その時節に至って、一度咲くという花は、難しいといいますのに」とおっしゃる。
 と言うと源氏は微笑しながら、
 「長い間にまれに一度咲くという花は御覧になることが困難でしょう。私とは違います」
 と言っていた。
  to kikoye tamahe ba, hohowemi te, "Toki ari te, hitotabi hiraku naru ha, kataka' naru monowo." to notamahu.
1.5.11   聖、御土器賜はりて
 聖は、お杯を頂戴して、
 巌窟の聖人は酒杯を得て、
  Hiziri, ohom-kaharake tamahari te,
1.5.12  「 奥山の松のとぼそをまれに開けて
   まだ見ぬ花の顔を見るかな
 「奥山の松の扉を珍しく開けましたところ
  まだ見たこともない花のごとく美しいお顔を拝見致しました
  奥山の松の戸ぼそを稀に開けて
  まだ見ぬ花の顔を見るかな
    "Okuyama no matu no toboso wo mare ni ake te
    mada mi nu hana no kaho wo miru kana
1.5.13  と、うち泣きて見たてまつる。聖、 御まもりに、独鈷たてまつる。見たまひて、僧都、 聖徳太子の百済より得たまへりける金剛子の数珠の、玉の装束したる、 やがてその国より入れたる筥の、唐めいたるを、透きたる袋に入れて、 五葉の枝に付けて、紺瑠璃の壺どもに、御薬ども入れて、藤、桜などに付けて、所につけたる御贈物ども、ささげたてまつりたまふ。
 と、ちょっと感涙に咽んで君を拝し上げる。聖は、ご守護に、独鈷を差し上げる。それを御覧になって、僧都は、聖徳太子が百済から得られた金剛子の数珠で、玉の飾りが付いているのを、そのままその国から入れてあった箱で、唐風なのを、透かし編みの袋に入れて、五葉の松の枝に付けて、紺瑠璃の壺々に、お薬類を入れて、藤や 桜などに付けて、場所柄に相応しいお贈物類を、捧げて差し上げなさる。
 と言って泣きながら源氏をながめていた。聖人は源氏を護る法のこめられてある独鈷を献上した。それを見て僧都は聖徳太子が百済の国からお得になった金剛子の数珠に宝玉の飾りのついたのを、その当時のいかにも日本の物らしくない箱に入れたままで薄物の袋に包んだのを五葉の木の枝につけた物と、紺瑠璃などの宝石の壼へ薬を詰めた幾個かを藤や桜の枝につけた物と、山寺の僧都の贈り物らしい物を出した。
  to, uti-naki te mi tatematuru. Hiziri, ohom-mamori ni, toko tatematuru. Mi tamahi te, Soudu, Sautokutaisi no Kudara yori e tamahe ri keru komgauzi no zuzu no, tama no sauzoku si taru, yagate sono kuni yori ire taru hako no, karamei taru wo, suki taru hukuro ni ire te, goehu no ede ni tuke te, konruri no tubo-domo ni, ohom-kusuri-domo ire te, hudi, sakura nado ni tuke te, tokoro ni tuke taru ohom-okurimono-domo, sasage tatematuri tamahu.
1.5.14  君、 聖よりはじめ、読経 しつる 法師の布施ども、まうけの物ども、さまざまに取りにつかはしたりければ、そのわたりの山がつまで、さるべき物ども賜ひ、御誦経などして 出でたまふ
 源氏の君は、聖をはじめとして、読経した法師へのお布施類、用意の品々を、いろいろと京へ取りにやっていたので、その近辺の樵人にまで、相応の品物をお与えになり、御誦経の布施をしてお出になる。
 源氏は巌窟の聖人をはじめとして、上の寺で経を読んだ僧たちへの布施の品々、料理の詰め合わせなどを京へ取りにやってあったので、それらが届いた時、山の仕事をする下級労働者までが皆相当な贈り物を受けたのである。なお僧都の堂で誦経をしてもらうための寄進もして、
  Kimi, Hiziri yori hazime, dokyau si turu hohusi no huse-domo, mauke no mono-domo, samazama ni tori ni tukahasi tari kere ba, sono watari no yamagatu made, sarubeki mono-domo tamahi, mizukyau nado si te ide tamahu.
1.5.15  内に僧都入りたまひて、 かの聞こえたまひしことまねびきこえたまへど
 室内に僧都はお入りになって、あの君が申し上げなさったことを、そのままお伝え申し上げなさるが、
 山を源氏の立って行く前に、僧都は姉の所に行って源氏から頼まれた話を取り次ぎしたが、
  Uti ni Soudu iri tamahi te, kano kikoye tamahi si koto, manebi kikoye tamahe do,
1.5.16  「 ともかくも、ただ今は、聞こえむかたなし。もし、御志あらば、 いま四、五年を過ぐしてこそはともかくも」とのたまへば、「 さなむ」と同じさまにのみあるを、 本意なしと思す
 「何ともこうとも、今すぐには、お返事申し上げようがありません。もし、君にお気持ちがあるならば、もう四、五年たってから、ともかくも」とおっしゃると、「しかじか」と同じようにばかりあるので、つまらないとお思いになる。
 「今のところでは何ともお返辞の申しようがありません。御縁がもしありましたならもう四、五年して改めておっしゃってくだすったら」
 と尼君は言うだけだった。源氏は前夜聞いたのと同じような返辞を僧都から伝えられて自身の気持ちの理解されないことを歎いた。
  "Tomokakumo, tadaima ha, kikoye m kata nasi. Mosi, mikokorozasi ara ba, ima yotose, itutose wo sugusi te koso ha, tomokakumo" to notamahe ba, "Sa nam." to onazi sama ni nomi aru wo, ho'i nasi to obosu.
1.5.17   御消息、僧都のもとなる小さき童して
 お手紙は、僧都のもとに仕える小さい童にことづけて、
 手紙を僧都の召使の小童に持たせてやった。
  Ohom-seusoko, Soudu no moto naru tihisaki waraha site,
1.5.18  「 夕まぐれほのかに花の色を見て
   今朝は霞の立ちぞわづらふ
 「昨日の夕暮時にわずかに美しい花を見ましたので
  今朝は霞の空に立ち去りがたい気がします
  夕まぐれほのかに花の色を見て
  今朝は霞の立ちぞわづらふ
    "Yuhumagure honoka ni hana no iro wo mi te
    kesa ha kasumi no tati zo wadurahu
1.5.19   御返し
 お返事、
 という歌である。返歌は、
  Ohom-kahesi,
1.5.20  「 まことにや花のあたりは立ち憂きと
   霞むる空の気色をも見む
 「本当に花の辺りを立ち去りにくいのでしょうか
 そのようなことをおっしゃるお気持ちを見たいものです
  まことにや花のほとりは立ち憂きと
  霞むる空のけしきをも見ん
    "Makoto ni ya hana no atari ha tati uki to
    kasumuru sora no kesiki wo mo mi m
1.5.21   と、よしある手のいとあてなるを、うち捨て書いたまへり。
 と、教養ある筆跡で、とても上品であるのを、無造作にお書きになっている。
こうだった。貴女らしい品のよい手で飾りけなしに書いてあった。
  to, yosi aru te no, ito ate naru wo, uti-sute kai tamahe ri.
1.5.22   御車にたてまつるほど、大殿より、「 いづちともなくて、おはしましにけること」とて、御迎への人びと、君達などあまた参りたまへり。 頭中将、左中弁、さらぬ君達も慕ひきこえて、
 お車にお乗りになるころに、左大臣邸から、「どちらへ行くともおっしゃらなくて、お出かけあそばしてしまったこと」と言って、お迎えの供人、ご子息たちなどが大勢参上なさった。頭中将、左中弁、その他のご子息もお慕い申して、
 ちょうど源氏が車に乗ろうとするころに、左大臣家から、どこへ行くともなく源氏が京を出かけて行ったので、その迎えとして家司の人々や、子息たちなどがおおぜい出て来た。頭中将、左中弁またそのほかの公達もいっしょに来たのである。
  Mikuruma ni tatematuru hodo, Ohoidono yori, "Iduti to mo naku te, ohasimasi ni keru koto." tote, ohom-mukahe no hitobito, kimitati nado amata mawiri tamahe ri. Tounotyuuzyau, Satyuuben, saranu kimitati mo sitahi kikoye te,
1.5.23  「 かうやうの御供には、仕うまつりはべらむ、 と思ひたまふるを、あさましく、 おくらさせたまへること 」と恨みきこえて、「 いといみじき花の蔭に、しばしもやすらはず、 立ち帰りはべらむは、飽かぬわざかな」とのたまふ。
 「このようなお供には、お仕え申しましょうと、存じておりますのに、あまりにも、お置き去りあそばして」とお怨み申して、「とても美しい桜の花の下に、しばしの間も足を止めずに、引き返しますのは、もの足りない気がしますね」とおっしゃる。
 「こうした御旅行などにはぜひお供をしようと思っていますのに、お知らせがなくて」
 などと恨んで、
 「美しい花の下で遊ぶ時間が許されないですぐにお帰りのお供をするのは惜しくてならないことですね」
 とも言っていた。
  "Kauyau no ohom-tomo ni ha, tukaumaturi habera m, to omohi tamahuru wo, asamasiku, okurasa se tamahe ru koto." to urami kikoye te, "Ito imiziki hana no kage ni, sibasi mo yasuraha zu, tatikaheri habera m ha, aka nu waza kana!" to notamahu.
1.5.24  岩隠れの苔の上に並みゐて、 土器参る。落ち来る水のさまなど、ゆゑある滝のもとなり。頭中将、懐なりける笛取り出でて、吹きすましたり。弁の君、扇はかなううち鳴らして、 豊浦の寺の、西なるや」と歌ふ。 人よりは異なる君達を源氏の君、いといたううち悩みて、岩に寄りゐたまへるは、 たぐひなくゆゆしき御ありさまにぞ何ごとにも目移るまじかりける。例の、篳篥吹く随身、笙の 持たせたる好き者などあり。
 岩蔭の苔の上に並び座って、お酒を召し上がる。落ちて来る水の様子など、風情のある滝のほとりである。頭中将は、懐にしていた横笛を取り出して、吹き澄ましている。弁の君は、扇を軽く打ち鳴らして、「豊浦の寺の、西なるや」と謡う。普通の人よりは優れた公達であるが、源氏の君の、とても苦しそうにして、岩に寄り掛かっておいでになるのは、またとなく不吉なまでに美しいご様子に、他の何人にも目移りしそうにないのであった。いつものように、篳篥を吹く随身、笙の笛を持たせている風流人などもいる。
 岩の横の青い苔の上に新しく来た公達は並んで、また酒盛りが始められたのである。前に流れた滝も情趣のある場所だった。頭中将は懐に入れてきた笛を出して吹き澄ましていた。弁は扇拍子をとって、「葛城の寺の前なるや、豊浦の寺の西なるや」という歌を歌っていた。この人たちは決して平凡な若い人ではないが、悩ましそうに岩へよりかかっている源氏の美に比べてよい人はだれもなかった。いつも篳篥を吹く役にあたる随身がそれを吹き、またわざわざ笙の笛を持ち込んで来た風流好きもあった。
  Ihagakure no koke no uhe ni nami wi te, kaharake mawiru. Oti kuru midu no sama nado, yuwe aru taki no moto nari. Tounotyuuzyau, hutokoro nari keru hue tori ide te, huki sumasi tari. Bennokimi, ahugi hakanau uti-narasi te, "Toyoranotera no, nisi naru ya" to utahu. Hito yori ha kotonaru kimitati wo, GenzinoKimi, ito itau uti-nayami te, iha ni yori wi tamahe ru ha, taguhi naku yuyusiki ohom-arisama ni zo, nanigoto ni mo me uturu mazikari keru. Rei no, Hitiriki huku zuizin, syaunohue mota se taru sukimono nado ari.
1.5.25  僧都、 をみづから 持て参りて
 僧都は、七絃琴を自分で持って参って、
 僧都が自身で琴(七絃の唐風の楽器)を運んで来て、
  Soudu, kim wo midukara mo'te mawiri te,
1.5.26  「 これ、ただ御手一つあそばして、同じうは、山の鳥もおどろかしはべらむ」
 「これで、ちょっとひと弾きあそばして、同じことなら、山の鳥をも驚かしてやりましょう」
 「これをただちょっとだけでもお弾きくだすって、それによって山の鳥に音楽の何であるかを知らせてやっていただきたい」
  "Kore, tada ohom-te hitotu asobasi te, onaziu ha, yama no tori mo odorokasi habera m."
1.5.27   と切に聞こえたまへば
 と熱心にご所望申し上げなさるので、
 こう熱望するので、
  to seti ni kikoye tamahe ba,
1.5.28  「 乱り心地、いと堪へがたきものを」と聞こえたまへど、 けに憎からずかき鳴らして、 皆立ちたまひぬ
 「気分が悪いので、とてもできませんのに」とお答え申されるが、ことに無愛想にはならない程度に琴を掻き鳴らして、一行はお立ちになった。
 「私はまだ病気に疲れていますが」
 と言いながらも、源氏が快く少し弾いたのを最後として皆帰って行った。
  "Midarigokoti, ito tahe gataki monowo." to kikoye tamahe do, keni nikukara zu kaki-narasi te, mina tati tamahi nu.
1.5.29   飽かず口惜しと、言ふかひなき法師、童べも、涙を落としあへり。まして、内には、年老いたる尼君たちなど、まださらにかかる人の御ありさまを見ざりつれば、「 この世のものともおぼえたまはず」と聞こえあへり。僧都も、
 名残惜しく残念だと、取るに足りない法師や、童子も、涙を落とし合っていた。彼ら以上に、室内では、年老いた尼君たちなどは、まだこのようにお美しい方の姿を見たことがなかったので、「この世の人とは思われなさらない」とお噂申し上げ合っていた。僧都も、
 名残惜しく思って山の僧俗は皆涙をこぼした。家の中では年を取った尼君主従がまだ源氏のような人に出逢ったことのない人たちばかりで、その天才的な琴の音をも現実の世のものでないと評し合った。僧都も、
  Akazu kutiwosi to, ihukahinaki hohusi, warahabe mo, namida wo otosi ahe ri. Masite, uti ni ha, tosi oyi taru Amagimi-tati nado, mada sarani kakaru hito no ohom-arisama wo mi zari ture ba, "Konoyo no mono to mo oboye tamaha zu." to kikoye ahe ri. Soudu mo,
1.5.30  「 あはれ、何の契りにてかかる御さまながら、いとむつかしき日本の末の世に 生まれたまへらむと見るに、いとなむ悲しき」とて、目おしのごひたまふ。
 「ああ、どのような因縁で、このような美しいお姿でもって、まことにむさ苦しい日本国の末世にお生まれになったのであろうと思うと、まことに悲しい」と言って、目を押し拭いなさる。
 「何の約束事でこんな未世にお生まれになって人としてのうるさい束縛や干渉をお受けにならなければならないかと思ってみると悲しくてならない」
 と源氏の君のことを言って涙をぬぐっていた。
  "Ahare, nani no tigiri nite, kakaru ohom-sama nagara, ito mutukasiki Hinomoto no suwe no yo ni mumare tamahe ra m to miru ni, ito nam kanasiki." tote, me osinogohi tamahu.
1.5.31   この若君、幼な心地に、「めでたき人かな」と 見たまひて、
 この若君は、子供心に、「素晴らしい人だわ」と御覧になって、
 兵部卿の宮の姫君は子供心に美しい人であると思って、
  Kono Wakagimi, wosanagokoti ni, "Medetaki hito kana!" to mi tamahi te,
1.5.32  「 宮の御ありさまよりも、まさりたまへる かな」などのたまふ。
 「父宮のお姿よりも、優れていらっしゃいますわ」などとおっしゃる。
 「宮様よりも御様子がごりっぱね」
 などとほめていた。
  "Miya no ohom-arisama yori mo, masari tamahe ru kana!" nado notamahu.
1.5.33  「 さらば、かの人の御子に なりておはしませよ
 「それでは、あの方のお子様におなりあそばせな」
 「ではあの方のお子様におなりなさいまし」
  "Saraba, kano hito no miko ni nari te ohasimase yo!"
1.5.34  と聞こゆれば、うちうなづきて、「 いとようありなむ」と思したり。雛遊びにも、絵描いたまふにも、「源氏の君」と作り出でて、きよらなる衣着せ、かしづきたまふ。
 と申し上げると、こっくりと頷いて、「とてもすてきなことだわ」とお思いになっている。お人形遊びにも、お絵描きなさるにも、「源氏の君」と作り出して、美しい衣装を着せ、お世話なさる。
 と女房が言うとうなずいて、そうなってもよいと思う顔をしていた。それからは人形遊びをしても絵をかいても源氏の君というのをこしらえて、それにはきれいな着物を着せて大事がった。
  to kikoyure ba, uti-unaduki te, "Ito you ari na m." to obosi tari. Hihinaasobi ni mo, we kai tamahu ni mo, "Genzinokimi" to tukuri ide te, kiyora naru kinu kise, kasiduki tamahu.
注釈343明けゆく空は夜の明けていく様子と源氏の心が晴れやかになっていくのが象徴的に重なって描かれている景情一致の表現。1.5.1
注釈344そこはかとなう『集成』『古典セレクション』は諸本に従って「そこはかとなく」と校訂する。『新大系』は底本のまま。1.5.1
注釈345木草の花どもも大島本「はなとも・ゝ」とある。・(朱点)は後のものである。踊り字(ゝ)と読める文字が存在する。『集成』『古典セレクション』『新大系』は「ゝ」を無視して「木草の花ども」と校訂する。1.5.1
注釈346錦を敷けると見ゆるに格助詞「に」場所を表す。「見ゆる」と「に」の間に「所」などの語が省略。1.5.1
注釈347めづらしく見たまふに接続助詞「に」順接を表す。御覧になると、の意。1.5.1
注釈348動きもえせねど副詞「え」、打消の助動詞「ね」已然形と呼応して不可能の意を表す。1.5.2
注釈349かれたる声の格助詞「の」同格を表す。しわがれた声で、の意。1.5.2
注釈350御迎への人びと参りて源氏邸の家臣たち。1.5.3
注釈351世に見えぬ大島本「世にみえぬ」とある。『古典セレクション』は諸本に従って「見えぬ」と「世に」を削除する。『集成』『新大系』は底本のままとする。1.5.3
注釈352今年ばかりの誓ひ以下「思ひたまへらるべきかな」まで、僧都の詞。前に「某僧都のこの二年籠りはべるかたに」とあった。とすると、もう一年、すなわち、千日籠もりの修業である。1.5.4
注釈353なかなかにも思ひたまへらるべきかな『集成』は「かえって執心が残りそうにおもわれることでございます」と解し、『完訳』は「なまじ源氏と会ったために、かえって別れがたくつらい気持」と注し、「かえってお名残り惜しゅう存ぜられるしだいでございます」と解す。「たまへ」(下二段、謙譲の補助動詞)「らる」(自発の助動詞)「べき」(推量の助動詞)「かな」(詠嘆の終助詞)。1.5.4
注釈354大御酒参りたまふ「大御酒」(接頭語「大御」)は神や天皇・主君に差し上げる酒。1.5.5
注釈355山水に以下「来ても見るべく」まで、源氏の詞と歌。1.5.6
注釈356心とまりはべりぬれど丁寧の補助動詞「はべり」連用形、完了の助動詞「ぬれ」已全然形+接続助詞「ど」逆接を表す。1.5.6
注釈357内裏よりもおぼつかながらせたまへるも「内裏」は帝をさす。格助詞「より」起点を表す。係助詞「も」同類を表す。尊敬の助動詞「せ」連用形+尊敬の補助動詞「たまふ」連体形、最高敬語。『集成』『古典セレクション』は諸本に従って「内裏より」と「も」を削除する。『新大系』は底本のままとする。1.5.6
注釈358かしこければなむ係助詞「なむ」の下に「まからむ」連体形などの語句が省略。帰らねばなりません、の意が省略。1.5.6
注釈359今この花の折過ぐさず参り来む辞去の挨拶。改めてお礼に参りましょうという意であるが、本人自身がではなく使者が代わって参上することであろう。1.5.6
注釈360宮人に行きて語らむ山桜--風よりさきに来ても見るべく源氏の贈歌。当山の桜の美しさを讃えて、もう一度訪れたいという当地を讃える挨拶の歌。1.5.7
注釈361とのたまふ御もてなし以下、源氏の様子。1.5.8
注釈362声づかひさへ目もあやなるに副助詞「さへ」添加の意。断定の動詞「なる」連体形+接続助詞「に」順接、原因理由を表す。1.5.8
注釈363優曇華の花待ち得たる心地して--深山桜に目こそ移らね僧都の唱和歌。源氏の和歌中より「山桜」の語句を用いて返す。いえ、あなたさまは山桜ではなく優曇華の花のように美しいという挨拶の歌。係助詞「こそ」、打消の助動詞「ね」已然形、係結びの法則。強調のニュアンス。1.5.9
注釈364時ありて以下「かたかなるものを」まで、源氏の詞。『集成』『完訳』共に『法華経』「方便品」の「かくの如きの妙法は諸仏如来の、時に乃ち之を説きたまふこと、優曇鉢華の時に一たび現るるが如きのみ」を踏まえた当意即妙の返答と指摘する。『集成』は「時あって一度咲くというその花は、めったに出会えぬということですのに」、『完訳』は「時あって、ただ一度咲くと言いますが、それはめったにないことだそうですのに」と、「なる」を共に伝聞推定の助動詞と解す。1.5.10
注釈365かたかなるものを「かたか」は形容詞「かたかる」連体形の「る」が撥音便化しさらに無表記の形。伝聞推定の助動詞「なる」連体形+接続助詞「ものを」逆接を表す。難しいというのに。1.5.10
注釈366聖御土器賜はりて聖が源氏から素焼きの盃に酒をいただく、意。上位の者から下位の者へと順に流れていく。1.5.11
注釈367奥山の松のとぼそをまれに開けて--まだ見ぬ花の顔を見るかな聖の唱和歌。源氏の和歌中の言葉「山」「見る」、僧都の和歌中の言葉「花」を引用して詠む。聖も僧都同様に源氏を讃美する。1.5.12
注釈368御まもりに独鈷たてまつる「独鈷」は真言密教で用いる煩悩を払い悟りを求める仏具。1.5.13
注釈369聖徳太子の百済より得たまへりける金剛子の数珠の「聖徳太子の」の「の」は格助詞、主格を表し、「数珠の」の「の」は格助詞、同格を表す。『岩波古語辞典』に「室町時代までクタラと清音か」とあり、図書寮本「類聚名義抄」に「百済瑟、久太良古度」とあり明確に清点があるという。なお、書陵部本は「くたらく」とある。御物本も書陵部本同様に「くたらく」とあり後出の「く」をミセケチにする。一方、横山本は「くたらく」と後出の「く」を補入、榊原家本、池田本、三条西家本は「ふたらく」とある。1.5.13
注釈370やがてその国より入れたる筥の「筥の」の「の」は格助詞、同格を表す。1.5.13
注釈371五葉の枝に付けて「藤、桜などに付けて」と共に贈り物を時節や場所柄に応じて植物の枝に結んで贈る。1.5.13
注釈372聖よりはじめ格助詞「より」起点を表す。1.5.14
注釈373法師の布施どもまうけの物どもさまざまに取りにつかはしたりければ語られてはいないが、源氏は昨日京に帰した供人に迎えに来るときに、お礼のお布施の品々を持参するよう申し伝えていた。『古典セレクション』は「さまざまに取り遣はしたりければ」としている。1.5.14
注釈374出でたまふいったん「出でたまふ」といってからその間の内容を後から詳しく語る。1.5.14
注釈375かの聞こえたまひしこと源氏が僧都に少女を後見したいと言ったこと。「聞こえ」は「言ふ」の謙譲語。1.5.15
注釈376まねびきこえたまへど謙譲の補助動詞「聞こえ」連用形、尊敬の補助動詞「たまへ」已然形+接続助詞「ど」逆接を表す。僧都がそっくりそのまま尼君に申し上げなさるが。1.5.15
注釈377ともかくも『集成』『古典セレクション』は諸本に従って「ともかうも」とウ音便形表記。『新大系』は底本のまま。以下「ともかくも」まで、尼君の詞。兄の僧都に対して言った詞。1.5.16
注釈378いま四五年を過ぐしてこそは大島本「四五年」と表記。尼君の詞中の語句なので、「よとせ、いつとせ」と読んでおく。係助詞「こそ」、「ともかくも」の下に「考えめ」已然形などの語句が省略。1.5.16
注釈379さなむ尼君の詞を源氏に伝言。語り手がそれを省略して「さなむ」と表現したもの。係助詞「なむ」、下に「はべりき」連体形などの語句が省略。1.5.16
注釈380本意なしと思す『集成』は「がっかりなさる」と解し、『完訳』は「はがゆい気持」と解す。1.5.16
注釈381御消息僧都のもとなる小さき童して源氏から尼君への手紙。1.5.17
注釈382夕まぐれほのかに花の色を見て--今朝は霞の立ちぞわづらふ源氏の贈歌。「黄昏 ユフマクレ」(名義抄)「ユウマグレ [Yumagure] 夕暮れと着あるいは夜の初め」(日葡辞書)「花の色」は少女を喩える。「霞」「立ち」は縁語。「立ちぞわづらふ」は「霞立つ」を響かす。1.5.18
注釈383御返し「御」は客体の源氏に対する敬語表現。1.5.19
注釈384まことにや花のあたりは立ち憂きと--霞むる空の気色をも見む尼君の返歌。「花」「霞」「立つ」の語句を用いて返す。「花」に孫娘を、「霞むる空」に源氏を喩える。なお下二段「霞むる」連体形の用例は中古では珍しい。下二段の「かすむ」は「掠むる」なので(「帚木」に用例がある)、源氏が少女を奪おうとする、の意が響かされている。源氏の真意を確かめたいという返歌。1.5.20
注釈385とよしある手の格助詞「の」同格を表す。1.5.21
注釈386いとあてなるを『集成』『古典セレクション』は「気品のある文字を」と格助詞「を」目的格で訳す。接続助詞「を」逆接、とても上品であるが、とも訳せよう。1.5.21
注釈387御車にたてまつるほど「たてまつる」は「乗る」の尊敬表現。主語は源氏。1.5.22
注釈388いづちともなくておはしましにけること左大臣の詞を迎えの人々が言上した間接話法的詞。「おはします」は「おはす」よりさらに一段高い尊敬語。1.5.22
注釈389頭中将左中弁頭中将は「桐壺」巻に蔵人少将として初出、「帚木」巻に頭中将、「夕顔」巻に三位中将。左中弁は「夕顔」巻に蔵人弁として初出。頭中将の異母の弟。1.5.22
注釈390かうやうの御供には『集成』『古典セレクション』は諸本に従って「御供は」と「に」を削除する。『新大系』は底本のままとする。以下「させたまへること」まで、迎えの公達の詞。1.5.23
注釈391と思ひたまふるを謙譲の補助動詞「たまふる」連体形、接続助詞「を」逆接を表す。1.5.23
注釈392おくらさせたまへること大島本「おくらせ」の「ら」と「せ」の間に朱筆で「さ」を補入。なお「後る」は自ラ下二段動詞であって、四段動詞ではない。その他動詞形は「後(おく)らす」(他サ四)「後(おく)らかす」(他サ四)である。よって「後らさ」未然形+尊敬の助動詞「せ」連用形+尊敬の補助動詞「たまへ」已然形+完了の助動詞「る」連体形。1.5.23
注釈393いといみじき花の蔭に以下「飽かぬわざかな」まで、迎えの公達の詞。「花の蔭」は歌語。桜の花の咲いている木の蔭。『新大系』は「いざ今日は春の山辺にまじりなむ暮れなばなげの花の蔭かは」(古今集・春下・素性)を参考として指摘。他に「春来れば木隠れ多き夕月夜おぼつかなしも花蔭にして」(後撰集・春中・読人しらず)などがある。1.5.23
注釈394立ち帰りはべらむは丁寧の補助動詞「はべら」未然形+推量の助動詞「む」連体形、仮定の意を表す。1.5.23
注釈395土器参る「参る」は「呑む」の尊敬語。1.5.24
注釈396豊浦の寺の西なるや催馬楽「葛城」の一節。「葛城(かづらき)の 寺の前なるや 豊浦(とよら)の寺の 西なるや 榎(え)の葉井に 白璧(しらたま)沈(しづ)くや 真白璧沈くや おおしとと おしとど しかしては 国ぞ栄えむや 我家(わいへ)らぞ 富せむや おおしとと としとんど おおしとんど としとんど」。源氏の資質を讃美した。1.5.24
注釈397人よりは異なる君達を接続助詞「を」逆接を表す。この二人は普通の公達以上に優れた方であるが、それでも源氏の君の素晴しさには、という文脈。1.5.24
注釈398源氏の君いといたううち悩みて岩に寄りゐたまへる国宝『源氏物語絵巻』「若紫」断簡(東京国立博物館蔵)に描かれている。1.5.24
注釈399たぐひなくゆゆしき御ありさまにぞこの世にまたとなく不吉なまでに美しいお姿なのでの意。1.5.24
注釈400大島本「きむ」とある。七絃琴をさす。1.5.25
注釈401持て参りて「持て」は「持ちて」の約。1.5.25
注釈402これただ御手一つ以下「おどろかしはべらん」まで、僧都の詞。1.5.26
注釈403と切に聞こえたまへば「聞こえ」は「言ふ」の謙譲語。尊敬の補助動詞「たまへ」已然形+接続助詞「ば」順接の確定条件。1.5.27
注釈404乱り心地いと堪へがたきものを源氏の詞。「乱り心地」の下に格助詞「に」などの語が省略。接続助詞「ものを」逆接の意を表す。1.5.28
注釈405けに憎からず大島本は「けにゝ(ゝ+く<朱>)からす」とある。『集成』『古典セレクション』共に「けにくからず」と本文を改める。『新大系』は「げににくからず」と整定する。1.5.28
注釈406皆立ちたまひぬ一行は北山を出発なさった。1.5.28
注釈407飽かず口惜しと以下、場面変わって残った人々の様子を語る。1.5.29
注釈408この世のものともおぼえたまはず尼君たちの噂の詞。「たまふ」(四段尊敬の補助動詞)は、源氏に対する敬語表現。思われなさらないの意。仏菩薩の化身かと思う、という意。1.5.29
注釈409あはれ何の契りにて以下「悲しき」まで、僧都の源氏賛嘆の詞。1.5.30
注釈410かかる御さまながら接続助詞「ながら」連用修飾をする。そのままで、の意。1.5.30
注釈411生まれたまへらむと尊敬の補助動詞「たまへ」已然形+完了の助動詞「ら」未然形+推量の助動詞「む」連体形、推量の意。1.5.30
注釈412この若君紫の君をさす。1.5.31
注釈413宮の御ありさまよりも以下「まさりたまへるかな」まで、紫の君の詞。宮は父兵部卿宮をさす。紫の君は「宮」とだけいうが、それで当事者には、父宮をさすことが分かる。1.5.32
注釈414さらばかの人の以下「おはしませよ」まで、女房の詞。接続詞「さらば」それでは。「かの人」は源氏をさす。1.5.33
注釈415なりておはしませよ接続助詞「て」順接、「おはしませ」命令形+終助詞「よ」強調のニュアンス。1.5.33
注釈416いとようありなむ紫の君の心中。「よう」は形容詞「よく」連用形のウ音便形。ラ変「あり」連用形+完了の助動詞「な」未然形+推量の助動詞「む」終止形。1.5.34
出典3 「豊浦の寺の、西なるや」 葛城の 寺の前なるや 豊浦の寺の 西なるや 榎の葉井に 白璧沈くや 真白璧沈くや おおしとど おしとど しかしてば 国ぞ栄えむや 我家らぞ 富せむや おおしとど としとんど おおしとど としとんど 催馬楽 葛城 1.5.24
校訂36 賜はりて 賜はりて--*給て 1.5.11
校訂37 しつる しつる--しつか(か/$る<朱>) 1.5.14
校訂38 おくらさせ おくらさせ--おくら(ら/+さ<朱>)せ 1.5.23
校訂39 何ごとにも 何ごとにも--なに事に(に/+も<朱>) 1.5.24
校訂40 笛--ふえ(え/$え<朱>) 1.5.24
校訂41 けに憎からず けに憎からず--けにゝ(ゝ/+く<朱>)からす 1.5.28
校訂42 見たまひ 見たまひ--みた(た/+ま)ひて 1.5.31
校訂43 かな」など かな」など--かなら(ら/$な<朱>)と 1.5.32
1.6
第六段 内裏と左大臣邸に参る


1-6  Genji makes a report to Mikado and his wife in Sa-Daijin's

1.6.1   君は、まづ内裏に参りたまひて、日ごろの御物語など聞こえたまふ。「 いといたう衰へにけり」とて、 ゆゆしと思し召したり。聖の 尊かりけることなど、 問はせたまふ。詳しく奏したまへば、
 源氏の君は、まず内裏に参内なさって、ここ数日来のお話などを申し上げなさる。「とてもひどくお痩せになってしまったものよ」とおっしゃって、ご心配あそばした。聖の霊験あらたかであったことなどを、お尋ねあそばす。詳しく奏上なさると、
 帰京した源氏はすぐに宮中へ上がって、病中の話をいろいろと申し上げた。ずいぶん痩せてしまったと仰せられて帝はそれをお気におかけあそばされた。聖人の尊敬すべき祈祷カなどについての御下問もあったのである。詳しく申し上げると、
  Kimi ha, madu Uti ni mawiri tamahi te, higoro no ohom-monogatari nado kikoye tamahu. "Ito itau otorohe ni keri!" tote, yuyusi to obosimesi tari. Hiziri no tahutokari keru koto nado, toha se tamahu. Kuhasiku sousi tamahe ba,
1.6.2  「 阿闍梨などにも なるべき者にこそあなれ行ひの労は積もりて朝廷にしろしめされざりけること」と、 尊がりのたまはせけり
 「阿闍梨などにも任ぜられてもよい人であったのだな。修行の功績は大きいのに、朝廷からご存知になられなかったことよ」と、尊重なさりたく仰せられるのであった。
 「阿闍梨にもなっていいだけの資格がありそうだね。名誉を求めないで修行一方で来た人なんだろう。それで一般人に知られなかったのだ」
 と敬意を表しておいでになった。
  "Azari nado ni mo naru beki mono ni koso a' nare! Okonahi no rau ha tumori te, ohoyake ni sirosimesa re zari keru koto." to, tahutogari notamahase keri.
1.6.3   大殿、参りあひたまひて
 大殿が、参内なさっておられて、
 左大臣も御所に来合わせていて、
  Ohoidono, mawiri ahi tamahi te,
1.6.4  「 御迎へにもと 思ひたまへつれど忍びたる御歩きにいかがと思ひ憚りてなむ。のどやかに 一、二日うち休みたまへ」とて、「 やがて、御送り仕うまつらむ」と申したまへば、 さしも思さねど引かされてまかでたまふ
 「お迎えにもと存じましたが、お忍びの外出なので、どんなものかと遠慮して。のんびりと、一、二日、お休みなさい」と言って、「このまま、お供申しましょう」と申し上げなさるので、そうしたいとはお思いにならないが、連れられて退出なさる。
 「私もお迎えに参りたく思ったのですが、御微行の時にはかえって御迷惑かとも思いまして違慮をしました。しかしまだ一日二日は静かにお休みになるほうがよろしいでしょう」
 と言って、また、
 「ここからのお送りは私がいたしましょう」
 とも言ったので、その家へ行きたい気もなかったが、やむをえず源氏は同道して行くことにした。
  "Ohom-mukahe ni mo to omohi tamahe ture do, sinobi taru ohom-ariki ni, ikaga to omohi habakari te nam. Nodoyaka ni iti, niniti uti-yasumi tamahe." tote, "Yagate, ohom-okuri tukaumatura m." to mausi tamahe ba, sasimo obosa ne do, hikasare te makade tamahu.
1.6.5   我が御車に乗せたてまつりたまうて自らは引き入りてたてまつれり。もてかしづききこえたまへる御心ばへのあはれなるをぞ、 さすがに 心苦しく思しける
 ご自分のお車にお乗せ申し上げなさって、自分は遠慮してお乗りになる。大切にお世話申し上げなさるお気持ちの有り難いことを、やはり胸のつまる思いがなさるのであった。
 自分の車へ乗せて大臣自身はからだを小さくして乗って行ったのである。娘のかわいさからこれほどまでに誠意を見せた待遇を自分にしてくれるのだと思うと、大臣の親心なるものに源氏は感動せずにはいられなかった。
  Waga mikuruma ni nose tatematuri tamau te, midukara ha hiki iri te tatemature ri. Mote-kasiduki kikoye tamahe ru mikokorobahe no ahare naru wo zo, sasuga ni kokorogurusiku obosi keru.
1.6.6  殿にも、 おはしますらむと心づかひしたまひて久しく見たまはぬほど、いとど玉の台に磨きしつらひ、よろづをととのへたまへり。
 大殿邸でも、おいであそばすだろうとご用意なさって、久しくお見えにならなかった間に、ますます玉の台のように磨き上げ飾り立て、用意万端ご準備なさっていた。
 こちらへ退出して来ることを予期した用意が左大臣家にできていた。しばらく行って見なかった源氏の目に美しいこの家がさらに磨き上げられた気もした。
  Tono ni mo, ohasimasu ram to kokorodukahi si tamahi te, hisasiku mi tamaha nu hodo, itodo tamanoutena ni migaki siturahi, yorodu wo totonohe tamahe ri.
1.6.7   女君、例の、はひ隠れてとみにも出でたまはぬを、大臣、切に聞こえたまひて、 からうして 渡りたまへりただ絵に描きたるものの姫君のやうにし据ゑられて、うちみじろきたまふこともかたく、うるはしうてものしたまへば、 思ふこともうちかすめ、山道の物語をも聞こえむ、 言ふかひありて、をかしういらへたまはばこそ、あはれならめ 世には心も解けず うとく恥づかしきものに思して 年のかさなるに添へて、御心の隔てもまさるを、 いと苦しく、思はずに
 女君は、例によって、物蔭に隠れて、すぐには出ていらっしゃらないのを、父大臣が、強くご催促申し上げなさって、やっと出ていらっしゃった。まるで絵に描いた姫君のように、座らされて、ちょっと身体をお動かしになることも難しく、きちんと行儀よく座っていらっしゃるので、心の中の思いを話したり、北山行きの話をもお聞かせたりするにも、話のしがいがあって、興味をもってお返事をなさって下さろうものなら、情愛もわこうが、少しも打ち解けず、源氏の君をよそよそしく気づまりな相手だとお思いになって、年月を重ねるにつれて、お気持ちの隔たりが増さるのを、とても辛く、心外なので、
 源氏の夫人は例のとおりにほかの座敷へはいってしまって出て来ようとしない。大臣がいろいろとなだめてやっと源氏と同席させた。絵にかいた何かの姫君というようにきれいに飾り立てられていて、身動きすることも自由でないようにきちんとした妻であったから、源氏は、山の二日の話をするとすればすぐに同感を表してくれるような人であれば情味が覚えられるであろう、いつまでも他人に対する羞恥と同じものを見せて、同棲の歳月は重なってもこの傾向がますます目だってくるばかりであると思うと苦しくて、
  Womnagimi, rei no, hahi-kakure te, tomi ni mo ide tamaha nu wo, Otodo, seti ni kikoye tamahi te, karausite watari tamahe ri. Tada we ni kaki taru mono no himegimi no yau ni, si suwe rare te, uti-miziroki tamahu koto mo kataku, uruhasiu te monosi tamahe ba, omohu koto mo uti-kasume, yamamiti no monogatari wo mo kikoye m, ihu kahi ari te, wokasiu irahe tamaha ba koso, ahare nara me, yoni ha kokoro mo toke zu, utoku hadukasiki mono ni obosi te, tosi no kasanaru ni sohe te, mikokoro no hedate mo masaru wo, ito kurusiku, omohazu ni,
1.6.8  「 時々は世の常なる御気色を見ばや。堪へがたうわづらひはべりしをも、 いかがとだに問ひたまはぬこそ、めづらしからぬことなれど、 なほうらめしう
 「時々は、世間並みの妻らしいご様子を見たいですね。私がひどく苦しんでおりました時にも、せめてどうですかとだけでも、お見舞い下さらないのは、今に始まったことではありませんが、やはり残念で」
 「時々は普通の夫婦らしくしてください。ずいぶん病気で苦しんだのですから、どうだったかというぐらいは問うてくだすっていいのに、あなたは問わない。今はじめてのことではないが私としては恨めしいことですよ」
  "Tokidoki ha, yo no tune naru mikesiki wo mi baya! Tahe gatau wadurahi haberi si wo mo, ikaga to dani, tohi tamaha nu koso, medurasikara nu koto nare do, naho uramesiu."
1.6.9  と聞こえたまふ。からうして、
 と申し上げなさる。ようやくのことで、
 と言った。
  to kikoye tamahu. Karausite,
1.6.10  「 問はぬは、つらきものにやあらむ
 「『尋ねないのは、辛いものなの』でしょうか」
 「問われないのは恨めしいものでしょうか」
  "Toha nu ha, turaki mono ni ya ara m?"
1.6.11  と、 後目に見おこせたまへるまみ、 いと恥づかしげに、気高ううつくしげなる御容貌なり。
 と、流し目に御覧になっている目もとは、とても気後れがしそうで、気品高く美しそうなご容貌である。
 こう言って横に源氏のほうを見た目つきは恥ずかしそうで、そして気高い美が顔に備わっていた。
  to, sirime ni mi okose tamahe ru mami, ito hadukasige ni, kedakau utukusige naru ohom-katati nari.
1.6.12  「 まれまれは、あさましの 御ことや。 訪はぬ、など言ふ際は異にこそはべるなれ。心憂くものたまひなすかな。世とともに はしたなき御もてなしを、もし、思し直る折もやと、 とざまかうさまに 試みきこゆるほどいとど思ほし疎むなめりかしよしや、命だに
 「たまさかにおっしゃるかと思えば、心外なお言葉ですね。訪ねない、などという間柄は、他人が使う言葉でございましょう。嫌なふうにおっしゃいますね。いつまでたっても変わらない体裁の悪い思いをさせるお振る舞いを、もしや、お考え直しになるときもあろうかと、あれやこれやとお試し申しているうちに、ますますお疎んじなられたようですね。仕方ない、長生きさえしたら」
 「たまに言ってくださることがそれだ。情けないじゃありませんか。訪うて行かぬなどという間柄は、私たちのような神聖な夫婦の間柄とは違うのですよ。そんなことといっしょにして言うものじゃありません。時がたてばたつほどあなたは私を露骨に軽蔑するようになるから、こうすればあなたの心持ちが直るか、そうしたら効果があるだろうかと私はいろんな試みをしているのですよ。そうすればするほどあなたはよそよそしくなる。まあいい。長い命さえあればよくわかってもらえるでしょう」
  "Mare mare ha, asamasi no ohom-koto ya! Toha nu, nado ihu kiha ha, koto ni koso haberu nare! Kokorouku mo notamahi nasu kana! Yo to tomoni hasitanaki ohom-motenasi wo, mosi, obosi nahoru wori mo ya to, tozamakausama ni kokoromi kikoyuru hodo, itodo omohosi utomu na' meri kasi. Yosi ya, inoti dani."
1.6.13  とて、夜の御座に入りたまひぬ。女君、ふとも入りたまはず、 聞こえわづらひたまひて、うち嘆きて臥したまへるもなま心づきなきにやあらむねぶたげにもてなしてとかう世を思し乱るること多かり。
 と言って、夜のご寝所にお入りになった。女君は、すぐにもお入りにならず、お誘い申しあぐねなさって、溜息をつきながら横になっているものの、何となくおもしろくないのであろうか、眠そうなふりをなさって、あれやこれやと夫婦仲を思い悩まれることが多かった。
 と言って源氏は寝室のほうへはいったが、夫人はそのままもとの座にいた。就寝を促してみても聞かぬ人を置いて、歎息をしながら源氏は枕についていたというのも、夫人を動かすことにそう骨を折る気にはなれなかったのかもしれない。ただくたびれて眠いというふうを見せながらもいろいろな物思いをしていた。
  tote, yoru no omasi ni iri tamahi nu. Womnagimi, huto mo iri tamaha zu, kikoye wadurahi tamahi te, uti-nageki te husi tamahe ru mo, nama-kokorodukinaki ni ya ara m, nebutage ni motenasi te, tokau yo wo obosi midaruru koto ohokari.
1.6.14   この若草の生ひ出でむほどの なほゆかしきを、「 似げないほどと思へりしも、道理ぞかし。言ひ寄りがたきことにもあるかな。いかにかまへて、ただ心やすく迎へ取りて、明け暮れの慰めに見む。兵部卿宮は、いとあてになまめいたまへれど、 匂ひやかになどもあらぬを、いかで、 かの一族おぼえたまふらむひとつ后腹なればにや」など思す。ゆかりいとむつましきに、いかでかと、深うおぼゆ。
 この若草の君が成長していく間がやはり気にかかるので、「まだ相応しくない年頃と思っているのも、もっともである。申し込みにくいものだなあ。何とか手段を講じて、ほんの気楽に迎え取って、毎日の慰めとして一緒に暮らしたい。父兵部卿宮は、とても上品で優美でいらっしゃるが、つややかなお美しさはないのに、どうして、あの一族に似ていらっしゃるのだろう。父宮が同じお后様からお生まれになったからだろうか」などとお考えになる。血縁がとても親しく感じられて、何とかしてと、深く思われる。
 若草と祖母に歌われていた兵部卿の宮の小王女の登場する未来の舞台がしきりに思われる。年の不つりあいから先方の人たちが自分の提議を問題にしようとしなかったのも道理である。先方がそうでは積極的には出られない。しかし何らかの手段で自邸へ入れて、あの愛らしい人を物思いの慰めにながめていたい。兵部卿の宮は上品な艶なお顔ではあるがはなやかな美しさなどはおありにならないのに、どうして叔母君にそっくりなように見えたのだろう、宮と藤壷の宮とは同じお后からお生まれになったからであろうか、などと考えるだけでもその子と恋人との縁故の深さがうれしくて、ぜひとも自分の希望は実現させないではならないものであると源氏は思った。
  Kono Wakakusa no ohi ide m hodo no naho yukasiki wo, "Nigenai hodo to omohe ri simo, kotowari zo kasi. Ihiyori gataki koto ni mo aru kana! Ika ni kamahe te, tada kokoroyasuku mukahe tori te, akekure no nagusame ni mi m. Hyaubukyaunomiya ha, ito ate ni namamei tamahe re do, nihohiyaka ni nado mo ara nu wo, ikade, kano hitozou ni oboye tamahu ram? Hitotu kisakibara nare ba ni ya?" nado obosu. Yukari ito mutumasiki ni, ikade ka to, hukau oboyu.
注釈417君はまづ内裏に参りたまひて段落変わって、京に帰ってからの物語。1.6.1
注釈418いといたう衰へにけり桐壺帝の詞。「いたう」は形容詞「いたく」連用形のウ音便形。完了の助動詞「に」連用形+過去の助動詞「けり」終止形、詠嘆の意。1.6.1
注釈419ゆゆしと思し召したり「思し召し」は「思ふ」の最高敬語。1.6.1
注釈420問はせたまふ尊敬の助動詞「せ」連用形+尊敬の補助動詞「たまふ」終止形、二重敬語。1.6.1
注釈421阿闍梨などにも以下「しろしめされざりけること」まで、帝の詞。1.6.2
注釈422なるべき者にこそあなれ推量の助動詞「べき」連体形、適当の意。断定の助動詞「に」連用形、係り助詞「こそ」。「あなれ」は「あるなれ」の「る」が撥音便化しさらに無表記の形。推定の助動詞「なれ」已然形、係結びの法則。強調のニュアンス。1.6.2
注釈423行ひの労は積もりて接続助詞「て」逆接の意。1.6.2
注釈424朝廷にしろしめされざりけること「しろしめさ」未然形は「知る」の最高敬語。受身の助動詞「れ」未然形+打消の助動詞「ざり」連用形+過去の助動詞「ける」連体形、詠嘆の意。1.6.2
注釈425尊がりのたまはせけり「のたまはせ」連用形は「言ふ」の最高敬語。1.6.2
注釈426大殿参りあひたまひて左大臣がちょうど出仕していて来合わせなさっての意。1.6.3
注釈427御迎へにもと以下「うち休みたまへ」まで、左大臣の詞。源氏の来訪を勧める。1.6.4
注釈428思ひたまへつれど謙譲の補助動詞「たまへ」連用形+完了の助動詞「つれ」已然形+接続助詞「ど」逆接を表す。1.6.4
注釈429忍びたる御歩きに格助詞「に」事の起こるもとを示す。によって、の意。1.6.4
注釈430いかがと思ひ憚りてなむ係助詞「なむ」、下に「はべり」+過去の助動詞「き」連体形などの語句が省略。1.6.4
注釈431一二日大島本に「一二日」と漢字表記である。いま「いち、ににち」と字音で読んでおく。和読み「ひとひ、ふつか」。1.6.4
注釈432やがて御送り仕うまつらむ左大臣の詞。ラ四動詞「仕うまつら」未然形+推量の助動詞「む」終止形、意志。1.6.4
注釈433さしも思さねど主語は源氏。副詞「さしも」。「思さ」未然形+打消の助動詞「ね」已然形+接続助詞「ど」確定逆接。1.6.4
注釈434引かされてまかでたまふラ下二動詞「引かされ」連用形+接続助詞「て」。1.6.4
注釈435我が御車に乗せたてまつりたまうて左大臣は源氏を。謙譲の補助動詞「たてまつり」連用形、尊敬の補助動詞「たまう」は「たまひ」連用形のウ音便形、接続助詞「て」。1.6.5
注釈436自らは引き入りてたてまつれり男性の場合、牛車の最上席は前方右側である。第二席がその向かいの左側、第三席は左側後ろ、第四席は右側後ろ席となる。時計の反対回り。女性の場合は、前方左側の席が最上席で、反対の時計回りの順。男女相乗りの場合は前方右側が男性、左側が女性となる。ラ四「たてまつれ」已然形(「乗る」の尊敬語)+完了の助動詞「り」終止形。1.6.5
注釈437さすがにやはりの意。『完訳』は「葵の上には気がすすまないが、それでも左大臣に対しては」と解す。1.6.5
注釈438心苦しく思しける胸のつまる思い、気の毒なの意。『古典セレクション』は「おいたわしくお思いになるのだった」と訳す。1.6.5
注釈439おはしますらむと心づかひしたまひて「おはします」終止形は最高敬語。推量の助動詞「らむ」終止形、視界外推量を表す。尊敬の助動詞「たまひ」連用形+接続助詞「て」。1.6.6
注釈440久しく見たまはぬほど主語は源氏。『集成』『古典セレクション』は諸本に従って「久しう」とウ音便形に改める。『』は底本のまま。1.6.6
注釈441女君例のはひ隠れて正妻の葵の上。「例の」とあるように習慣化している。1.6.7
注釈442とみにも出でたまはぬを係助詞「も」強調のニュアンス。格助詞「を」目的格を表す。1.6.7
注釈443からうして『集成』『新大系』は「からうして」と清音、『古典セレクション』は「からうじて」と濁音で読む。『岩波古語辞典』は「古くは清音か」といい、語源と『日葡辞書』の用例を典拠にあげる。1.6.7
注釈444渡りたまへり主語は葵の上。大殿邸の源氏の部屋に葵の上のほうが出て来たという意。『完訳』は「女君の部屋から源氏の前へ」と解す。1.6.7
注釈445ただ絵に描きたるものの姫君のやうに当時の物語絵の中の姫君のように美しく着飾られているがじっとしていて動かない。1.6.7
注釈446し据ゑられてワ下二動詞「し据ゑ」未然形+受身の助動詞「られ」連用形、接続助詞「て」。1.6.7
注釈447思ふこともうちかすめ以下「御心の隔てもまさるを」まで、源氏の心中と地の文とが融合したような叙述である。その長文が源氏の屈曲した心の綾を表現する。「思ふこともうちかすめ」と「山道の物語をも聞こえむ」は並列の構文。1.6.7
注釈448言ふかひありてをかしういらへたまはばこそあはれならめ挿入句。係助詞「こそ」推量の助動詞「め」已然形、係結びの法則、逆接用法で下文に続く。1.6.7
注釈449世には心も解けず『古典セレクション』「「世には」は強調の語法。じつにまあ、ことのほかに、の意」と注す。副詞「世に」実に。1.6.7
注釈450うとく恥づかしきものに思して主語は葵の上。1.6.7
注釈451年のかさなるに添へて源氏と葵の上の結婚は「桐壺」巻の源氏十二歳の元服の夜であった。当「若紫」巻は、新年立によれば、源氏十八歳。六年の歳月が流れる。1.6.7
注釈452いと苦しく思はずに主語は源氏。「思はずに」は連語「思はず」連用形、意外だの意+断定の助動詞「に」連用形。いわゆる形容動詞「思はずなり」の連用形。1.6.7
注釈453時々は以下「めづらしう」まで、源氏の詞。1.6.8
注釈454世の常なる御気色を見ばや「世」は夫婦仲。終助詞「ばや」話者の願望を表す。1.6.8
注釈455いかがとだに副助詞「だに」最小限を表す。せめて--だけでも。1.6.8
注釈456問ひたまはぬこそ御物本、榊原家本、池田本、三条西家本は「とはせ給はぬこそ」という二重敬語表現。横山本は「とうたまはぬこそ」、肖柏本は「とふらひ給はぬこそ」とある。書陵部本が大島本と同文。河内本は「とはせ給はぬも」とある。『集成』は「とはせ給はぬこそ」と本文を改める。『古典セレクション』『新大系』は底本のままとする。係助詞「こそ」は断定の助動詞「なれ」已然形に係るが、下に接続助詞「ど」逆接が続いたために、結びの流れとなっている。1.6.8
注釈457なほうらめしう「うらめしく」のウ音便形。言いさした形で余意余情表現。1.6.8
注釈458問はぬはつらきものにやあらむ葵の上の詞。『源氏釈』は「君をいかで思はむ人に忘らせてとはぬはつらきものとしらせむ」(源氏釈所引、出典未詳)を指摘。その他「とはぬはつらきもの」という句を含む和歌として、「忘れねと言ひしにかなふ君なれど問はぬはつらきものにぞありける」(後撰集 恋五 九二八 本院のくら)、「言も尽きほどはなけれど片時も問はぬはつらきものにぞありける」(古今六帖五)などもある。尋ねないというのは本当に辛いことなのでしょうか、もしそうなら、訪ねてくださらないわたしの辛い気持ちもお分かりでしょう、と「問ふ(見舞う)」を「訪ふ」の意に変えて切り返した。『古典セレクション』は「心を開いて素直に源氏を待ち迎えることのできない葵の上は、かろうじて古歌によりつつ恨みを述べる」と注す。1.6.10
注釈459いと恥づかしげに『集成』は「近づきがたい感じ」と解す。1.6.11
注釈460まれまれは以下「よしや命だに」まで、源氏の詞。「まれまれは」は、たまさかにおっしゃるかと思えばの意。1.6.12
注釈461訪はぬなど言ふ際は葵の上の「問はぬはつらき」を受けて切り返す。『古典セレクション』は「「問はぬはつらき」などという言葉は、忍んで通う程度の関係ならともかく、世間公認の夫婦である源氏と葵の上との仲で言うべきことではない、といなした」と注す。1.6.12
注釈462異にこそはべるなれ「異」は他の夫婦。係助詞「こそ」、丁寧語「はべる」連体形、断定の助動詞「なれ」已然形、係結びの法則。強調のニュアンス。1.6.12
注釈463はしたなき御もてなし『集成』は「取り付く島もないお仕打ち」と解す。1.6.12
注釈464とざまかうさまに「左之右之、トザマカウサマ、自由自在義也(文明本節用集)」(岩波古語辞典)。1.6.12
注釈465いとど思ほし疎むなめりかし『集成』『古典セレクション』は諸本に従って「思し」と校訂。『新大系』は底本のまま。「思ほし」のまま。「なめり」は断定の助動詞「なる」連体形の「る」が撥音便化しさらに無表記形+推量の助動詞「めり」終止形、主観的推量、終助詞「かし」念押し。1.6.12
注釈466よしや命だに『奥入』は「命だに心にかなふものならば何か別れの悲しからまし」(古今集 離別 三八七 しろめ)を指摘する。生きているうちにいつか直る時があろうの意。『集成』は「引歌があろうが、明らかでない」と注す。『完訳』は「やや不審」という。1.6.12
注釈467聞こえわづらひたまひて、うち嘆きて臥したまへるも主語は源氏。『集成』は「〔源氏は〕誘いあぐねなさって」「よこになられたが」と解すが、『古典セレクション』は「「聞こえ…臥したまへるも」は、葵の上の動作と解す」と注し、「申し上げる言葉もさがしあぐねられて、ため息をついて横におなりになるが」と訳す。1.6.13
注釈468なま心づきなきにやあらむ語り手が源氏の心情を想像した挿入句。『休聞抄』に「双也」とあり草子地と指摘。1.6.13
注釈469ねぶたげにもてなして『古典セレクション』は「源氏の、葵の上を避ける態度」と注す。1.6.13
注釈470この横山本、榊原家本、池田本、三条西家本は「かの」とある。御物本と肖柏本、書陵部本が大島本と同文。河内本は「かの」とある。1.6.14
注釈471この若草の『集成』は「以下、源氏の心中」と解す。「この若草」という呼び方は源氏の心中に即したような表現。『完訳』は「似げないほど」以下「ひとつ后腹なればにや」までを源氏の心中と解す。1.6.14
注釈472なほゆかしきを接続助詞「を」順接、原因理由を表す。ので。1.6.14
注釈473似げないほどと思へりしも主語は尼君。尼君の態度に対して特に敬語を使っていない。1.6.14
注釈474匂ひやかになどもあらぬを接続助詞「を」逆接を表す。1.6.14
注釈475かの一族先帝の一族。具体的には叔母の藤壺宮。大島本「ひとそう」と訓読した仮名表記。1.6.14
注釈476おぼえたまふらむ主語は紫の上。「おぼえ」は、似る意。1.6.14
注釈477ひとつ后腹なればにや主語は兵部卿宮。断定の助動詞「なれ」已然形+接続助詞「ば」順接の確定条件を表す。断定の助動詞「に」連用形+係助詞「や」疑問を表す。1.6.14
出典4 問はぬは、つらきものにや 君をいかで思はむ人に忘らせて訪はぬはつらきものと知らせむ 出典未詳、源氏釈所引 1.6.10
忘れねと言ひしにかなふ君なれど問はぬはつらきものにぞありける 後撰集恋五-九二八 本院のくら
校訂44 尊かり 尊かり--たうと(と/$と<朱>)かり 1.6.1
校訂45 言ふかひ 言ふかひ--は(は/$い<朱>)ふかひ 1.6.7
校訂46 解けず 解けず--とけ(け/$け<朱>)す 1.6.7
校訂47 思して 思して--おほし(し/+て<朱>) 1.6.7
校訂48 後目に 後目に--しりめかり(かり/$に<朱>) 1.6.11
校訂49 御こと 御こと--(/+御<朱>)事 1.6.12
校訂50 試みきこゆるほど 試みきこゆるほど--心みきこゆるを(を/$ほ)と 1.6.12
校訂51 とかう とかう--と(と/+か<朱>)う 1.6.13
1.7
第七段 北山へ手紙を贈る


1-7  Genji mails to Mursasaki in Kita-yama

1.7.1   またの日御文たてまつれたまへり僧都にもほのめかしたまふべし。尼上には、
 翌日、お手紙を差し上げなさった。僧都にもそれとなくお書きになったのであろう。尼上には、
 源氏は翌日北山へ手紙を送った。僧都へ書いたものにも女王の問題をほのめかして置かれたに違いない。尼君のには、
  Matanohi, ohom-humi tatemature tamahe ri. Soudu ni mo honomekasi tamahu besi. Amauhe ni ha,
1.7.2  「 もて離れたりし御気色のつつましさに、 思ひたまふるさまをもえあらはし果てはべらずなりにしをなむ。かばかり聞こゆるにても、 おしなべたらぬ志のほどを 御覧じ知らばいかにうれしう
 「取り合って下さらなかったご様子に気がひけますので、思っておりますことをも、十分に申せずじまいになりましたことを。これほどに申し上げておりますことにつけても、並々ならぬ気持ちのほどを、お察しいただけたら、どんなに嬉しいことでしょうか」
 問題にしてくださいませんでしたあなた様に気おくれがいたしまして、思っておりますこともことごとくは言葉に現わせませんでした。こう申しますだけでも並み並みでない執心のほどをおくみ取りくださいましたらうれしいでしょう。
  "Mote-hanare tari si mikesiki no tutumasisa ni, omohi tamahuru sama wo mo, e arahasi hate habera zu nari ni si wo nam. Kabakari kikoyuru ni te mo, osinabe tara nu kokorozasi no hodo wo goranzi sira ba, ikani uresiu."
1.7.3  などあり。中に、 小さく引き結びて
 などと書いてある。中に、小さく結んで、
 などと書いてあった。別に小さく結んだ手紙が入れてあって、
  nado ari. Naka ni, tihisaku hiki-musubi te,
1.7.4  「 面影は身をも離れず山桜
   心の限りとめて来しかど
 「あなたの山桜のように美しい面影はわたしの身から離れません
  心のすべてをそちらに置いて来たのですが
 「面かげは身をも離れず山ざくら、
  心の限りとめてこしかど
    "Omokage ha mi wo mo hanare zu yamazakura
    kokoro no kagiri tome te ko sika do
1.7.5   夜の間の風も、うしろめたくなむ
 夜間に吹く風が、心配に思われまして」
 どんな風が私の忘れることのできない花を吹くかもしれないと思うと気がかりです」
  Yo no ma no kaze mo, usirometaku nam."
1.7.6  とあり。御手などはさるものにて、ただはかなうおし包みたまへるさまも、 さだすぎたる御目どもには、目もあやにこのましう見ゆ。
 と書いてある。ご筆跡などはさすがに素晴らしくて、ほんの無造作にお包みになった様子も、年配の人々のお目には、眩しいほどに素晴らしく見える。
 内容はこうだった。源氏の字を美しく思ったことは別として、老人たちは手紙の包み方などにさえ感心していた。、
  to ari. Ohom-te nado ha saru mono nite, tada hakanau osi-tutumi tamahe ru sama mo, sada sugi taru ohom-me-domo ni ha, me mo aya ni konomasiu miyu.
1.7.7  「 あな、かたはらいたや。いかが聞こえむ」と、思しわづらふ。
 「まあ、困ったこと。どのようにお返事申し上げましょう」と、お困りになる。
 困ってしまう。こんな問題はどうお返事すればいいことかと尼君は当惑していた。
  "Ana, kataharaita ya! Ikaga kikoye m?" to, obosi wadurahu.
1.7.8  「 ゆくての御ことは、なほざりにも 思ひたまへなされしを、ふりはへさせたまへるに、聞こえさせむかたなくなむ。 まだ「難波津」をだに はかばかしう続けはべらざめればかひなくなむさても
 「行きがかりのお話は、ご冗談ごとと存じられましたが、わざわざお手紙を頂戴いたしましたのに、お返事の申し上げようがなくて。まだ「難波津」をさえ、ちゃんと書き続けませんようなので、お話になりません。それにしても、
 あの時のお話は遠い未来のことでございましたから、ただ今何とも申し上げませんでもと存じておりましたのに、またお手紙で仰せになりましたので恐縮いたしております。まだ手習いの難波津の歌さえも続けて書けない子供でございますから失礼をお許しくださいませ、それにいたしましても、
  "Yukute no ohom-koto ha, nahozari ni mo omohi tamahe nasa re si wo, hurihahe sase tamahe ru ni, kikoyesase m kata naku nam. Mada 'Nanihadu' wo dani, hakabakasiu tuduke habera za' mere ba, kahinaku nam. Satemo,
1.7.9    嵐吹く尾の上の桜散らぬ間を
   心とめけるほどのはかなさ
  激しい山風が吹いて散ってしまう峰の桜に
  その散る前にお気持ちを寄せられたように頼りなく思われます
  嵐吹く尾上のさくら散らぬ間を、
  心とめけるほどのはかなさ
    Arasi huku wonohe no sakura tira nu ma wo
    kokoro tome keru hodo no hakanasa
1.7.10  いとど うしろめたう」
 ますます気がかりでございまして」
 こちらこそたよりない気がいたします。
というのが尼君からの返事である。
  itodo usirometau."
1.7.11  とあり。僧都の御返りも同じさまなれば、口惜しくて、 二、三日ありて惟光をぞたてまつれたまふ
 とある。僧都のお返事も同じようなので、残念に思って、二、三日たって、惟光を差し向けなさる。
 僧都の手紙にしるされたことも同じようであったから源氏は残念に思って二、三日たってから惟光を北山へやろうとした。
  to ari. Soudu no ohom-kaheri mo onazi sama nare ba, kutiwosiku te, ni, samniti ari te, Koremitu wo zo tatemature tamahu.
1.7.12  「 少納言の乳母 と言ふ人あべし。尋ねて、詳しう語らへ」などのたまひ知らす。「 さも、かからぬ隈なき御心かな。 さばかりいはけなげなりしけはひを」と、まほならねども、見しほどを思ひやるもをかし。
 「少納言の乳母という人がいるはずだ。その人を尋ねて、詳しく相談せよ」などとお言い含めなさる。「何とも、どのようなことにもご関心を寄せられる好き心だなあ。あれほど子供じみた様子であった様子なのに」と、はっきりとではないが、少女を見た時のことを思い出すとおかしい。
 「少納言の乳母という人がいるはずだから、その人に逢って詳しく私のほうの心持ちを伝えて来てくれ」
 などと源氏は命じた。どんな女性にも関心を持つ方だ、姫君はまだきわめて幼稚であったようだのにと惟光は思って、真正面から見たのではないが、自身がいっしょに隙見をした時のことを思ってみたりもしていた。
  "Seunagonnomenoto to ihu hito a' besi. Tadune te, kuhasiu katarahe." nado notamahi sirasu. "Samo, kakara nu kumanaki mikokoro kana! Sabakari ihakenage nari si kehahi wo." to, maho nara ne domo, mi si hodo wo omohiyaru mo wokasi.
1.7.13  わざと、 かう御文あるを、僧都もかしこまり聞こえたまふ。少納言に消息して会ひたり。 詳しく、思しのたまふさま、おほかたの御ありさまなど語る言葉多かる人にて、つきづきしう言ひ続くれど、「 いとわりなき御ほどを、いかに思すにか」と、ゆゆしうなむ、 誰も誰も思しける
 わざわざ、このようにお手紙があるので、僧都も恐縮の由申し上げなさる。少納言の乳母に申し入れて面会した。詳しく、お考えになっておっしゃったご様子や、日頃のご様子などを話す。多弁な人なので、もっともらしくいろいろ話し続けるが、「とても無理なお年なのに、どのようにお考えなのか」と、大変心配なことと、どなたもどなたもお思いになるのであった。
 今度は五位の男を使いにして手紙をもらったことに僧都は恐縮していた。惟光は少納言に面会を申し込んで逢った。源氏の望んでいることを詳しく伝えて、そのあとで源氏の日常の生活ぶりなどを語った。多弁な惟光は相手を説得する心で上手にいろいろ話したが、僧都も尼君も少納言も稚い女王への結婚の申し込みはどう解釈すべきであろうとあきれているばかりだった。
  Wazato, kau ohom-humi aru wo, Soudu mo kasikomari kikoye tamahu. Seunagon ni seusoko si te, ahi tari. Kuhasiku, obosi notamahu sama, ohokata no ohom-arisama nado kataru. Kotoba ohokaru hito nite, tukidukisiu ihi tudukure do, "Ito warinaki ohom-hodo wo, ikani obosu ni ka?" to, yuyusiu nam, tare mo tare mo obosi keru.
1.7.14  御文にも、いとねむごろに書いたまひて、例の、中に、「 かの御放ち書きなむ、 なほ見たまへまほしき」とて、
 お手紙にも、とても心こめてお書きになって、例によって、その中に、「あの一字一字のお書きなのを、やはり拝見したいのです」とあって、
手紙のほうにもねんごろに申し入れが書かれてあって、
 一つずつ離してお書きになる姫君のお字をぜひ私に見せていただきたい。
 ともあった。例の中に封じたほうの手紙には、
  Ohom-humi ni mo, ito nemgoro ni kai tamahi te, rei no, naka ni, "Kano ohom-hanatigaki nam, naho mi tamahe mahosiki." tote,
1.7.15  「 あさか山浅くも人を思はぬに
   など山の井のかけ離るらむ
 「浅香山のように浅い気持ちで思っているのではないのに
  どうしてわたしからかけ離れていらっしゃるのでしょう
  浅香山浅くも人を思はぬに、
  など山の井のかけ離るらん
    "Asakayama asaku mo hito wo omoha nu ni
    nado yamanowi no kake hanaru ram
1.7.16  御返し、
 お返事、
 この歌が書いてある。返事、
  Ohom-kahesi,
1.7.17  「 汲み初めてくやしと聞きし山の井の
   浅きながらや影を見るべき
 「うっかり薄情な人と契りを結んで後悔したと聞きました山の井のような
  浅いお心のままどうして孫娘を御覧に入れられましょう
  汲み初めてくやしと聞きし山の井の、
  浅きながらや影を見すべき
 尼君が書いたのである。、
    "Kumi some te kuyasi to kiki si yamanowi no
    asaki nagara ya kage wo miru beki
1.7.18  惟光も同じことを聞こゆ。
 惟光も同じ意味のご報告を申し上げる。
 惟光が聞いて来たのもその程度の返辞であった。
  Koremitu mo onazi koto wo kikoyu.
1.7.19  「 このわづらひたまふことよろしくはこのごろ過ぐして、京の殿に渡りたまひてなむ、 聞こえさすべきとあるを、心もとなう思す
 「このご病気が多少回復したら、しばらく過ごして、京のお邸にお帰りになってから、改めてお返事申し上げましょう」とあるのを、待ち遠しくお思いになる。
 「尼様の御容体が少しおよろしくなりましたら京のお邸へ帰りますから、そちらから改めてお返事を申し上げることにいたします」
 と言っていたというのである。源氏はたよりない気がしたのであった。
  "Kono wadurahi tamahu koto yorosiku ha, konogoro sugusi te, kyau no tono ni watari tamahi te nam, kikoyesasu beki." to aru wo, kokoromotonau obosu.
注釈478またの日北山から帰っての翌日。1.7.1
注釈479御文たてまつれたまへり他下二「たてまつれ」連用形。人をして手紙を差し上げ、の意。尊敬の補助動詞「たまへ」已然形、完了の助動詞「り」終止形。1.7.1
注釈480僧都にもほのめかしたまふべし推量の助動詞「べし」終止形、語り手の想像。1.7.1
注釈481もて離れたりし以下「いかにうれしう」まで、源氏の手紙文。相手の態度に対して特に敬語を付けていない。1.7.2
注釈482思ひたまふるさまをも主語は源氏。謙譲の補助動詞「たまふる」連体形。1.7.2
注釈483えあらはし果てはべらずなりにしをなむ副詞「え」は打消の助動詞「ず」連用形と呼応して不可能の意を表す。丁寧の補助動詞「はべら」未然形、手紙文中の用例。官僚の助動詞「に」連用形+過去の助動詞「し」連体形+格助詞「を」目的格+係助詞「なむ」。下に「口惜しう思ひ給ふる」などの語句が省略。言いさした形で、余意余情表現。1.7.2
注釈484おしなべたらぬ志のほどをバ下二「おしなべ」連用形+完了の助動詞「たら」未然形+打消の助動詞「ぬ」連体形。並々ならない、の意。1.7.2
注釈485御覧じ知らば「知ら」未然形+接続助詞「ば」順接の仮定条件を表す。1.7.2
注釈486いかにうれしう「うれしう」連用中止法。下に「思はむ」などの語句が省略。1.7.2
注釈487小さく引き結びて尼君への正式な立て文の書状の中に結び文を鋏み込んだもの。結び文は恋文の形式。少女宛てなので小さく結んだ。1.7.3
注釈488面影は身をも離れず山桜--心の限りとめて来しかど源氏の贈歌。「面影」は少女の面影、「山桜」に喩える。「とめて」は「止めて」の意。大島本は仮名表記「こしかと」。カ変「来(こ)」未然形+過去の助動詞「しか」已然形+接続助詞「ど」逆接。過去の助動詞「き」は本来連用形に続くが、カ変「来」の場合、「し」連体形及び「しか」已然形は「こし」「こしか」、「きし」「きしか」と、未然形「こ」と連用形「き」の両方に続く。中世になると「こし」「こしか」が普通となる。1.7.4
注釈489夜の間の風もうしろめたくなむ和歌に添えた言葉。『異本紫明抄』は「朝まだき起きてぞ見つる梅の花夜の間の風の後めたさに」(拾遺集 春 二九 元良親王)を指摘。『古典セレクション』は「山桜にたとえられる紫の上が今にもどこかへ引き取られはせぬかと危惧する気持」と注す。1.7.5
注釈490さだ大島本は「また」とある。大島本の独自異文。変体仮名の字母「左」と「万」の類似から生じた誤写であろう。諸本によって改める。1.7.6
注釈491あなかたはらいたやいかが聞こえむ尼君の心中。「かたはらいた」は形容詞「かたはらいたし」の語幹。間投助詞「や」詠嘆。推量の助動詞「む」連体形。1.7.7
注釈492ゆくての御ことは以下「うしろめたう」まで、尼君の返書。「ゆくて」は行きががりの意。1.7.8
注釈493思ひたまへなされしを謙譲の補助動詞「たまへ」連用形、自発の助動詞「れ」連用形、過去の助動詞「し」連体形+接続助詞「を」逆接を表す。1.7.8
注釈494まだ難波津をだに『紫明抄』は「難波津に咲くやこの花冬ごもり今は春べと咲くやこの花」(古今集仮名序)を指摘。初心者の手習い歌である。副助詞「だに」最小限を表す。1.7.8
注釈495はかばかしう続けはべらざめれば仮名文字を連綿体で書くこと。「ざめれ」は「打消の助動詞「ざる」連体形「る」が撥音便化しさらに無表記形+推量の助動詞「めれ」已然形、主観的推量+接続助詞「ば」順接の確定条件を表す。1.7.8
注釈496かひなくなむ係助詞「なむ」、下に「はべる」連体形などの語が省略。1.7.8
注釈497さても連語(副詞「さて」+係助詞「も」)そんな状態でもやはり。1.7.8
注釈498嵐吹く尾の上の桜散らぬ間を--心とめけるほどのはかなさ尼君の返歌。源氏の歌に添えた「夜の間の風」を「嵐吹く」と受け、また「山桜」を「尾の上の桜」と受けて応える。束の間の心寄せではないかとして切り返す。1.7.9
注釈499いとどうしろめたうとあり【いとどうしろめたう】−歌に添えた言葉。源氏が気掛かりに思う以上にこちらは一層心配だ、の意。形容詞「うしろめたう」連用形、ウ音便形。連用中止法。言い切らない余意余情表現。1.7.10
注釈500二三日ありて大島本は漢字表記で「二三日」とある。字音で「にさむにち」と読んでおく。1.7.11
注釈501惟光をぞたてまつれたまふ係助詞「ぞ」は尊敬の補助動詞「たまふ」連体形に係る、係結びの法則。強調のニュアンス。下二「たてまつれ」連用形、使者を差し上げる、意。1.7.11
注釈502少納言の乳母以下「詳しう語らへ」まで、源氏の詞。前に「少納言の乳母とぞ人いふめるはこの子の後見なるべし」とあった。1.7.12
注釈503と言ふ人あべし「あべし」はラ変「ある」連体形「る」が撥音便化しさらに無表記形+推量の助動詞「べし」終止形。1.7.12
注釈504さもかからぬ隈なき以下「いはけなげなかりしけはひを」まで、惟光の心中。副詞「さも」まったく、いかにも。「かから」未然形は「関る・係る・懸る・掛る」の意+打消の助動詞「ぬ」連体形。抜け目ない。1.7.12
注釈505さばかりいはけなげなりしけはひを副詞「さばかり」。過去の助動詞「し」連体形。接続助詞「を」逆接を表す。あれほど幼げな様子だったのに。1.7.12
注釈506かう御文あるを接続助詞「を」順接を表す。お手紙があったので。1.7.13
注釈507詳しく思しのたまふさまおほかたの御ありさまなど語る主語は惟光。「詳しく」は「語る」に掛かる。「思しのたまふさま」と「おほかたの御ありさま」は並列の構文。1.7.13
注釈508言葉多かる人にて惟光の人柄。『集成』は「多弁な人物で」と解し、『完訳』は「口の達者な男」と解す。1.7.13
注釈509いとわりなき御ほどをいかに思すにか尼君と僧都の心中。源氏の心を思う。1.7.13
注釈510誰も誰も思しける「誰も誰も」は「思す」という敬語表現なので、僧都と尼上のこと。過去の助動詞「ける」連体形、係助詞「なむ」の係結びの法則。1.7.13
注釈511かの御放ち書き尼君の返書に「まだ「難波津」をだにはかばかしう続けはべらざめれば」とあったのを受ける。1.7.14
注釈512なほ見たまへまほしき謙譲の補助動詞「たまへ」連用形、希望の助動詞「まほしき」連体形、係助詞「なむ」の係結びの法則。1.7.14
注釈513あさか山浅くも人を思はぬに--など山の井のかけ離るらむ源氏の贈歌。『紫明抄』は「浅香山影さへ見ゆる山の井の浅き心を我が思はなくに」(古今集仮名序)を指摘。尼君の「難波津」に寄せて、和歌の手習い歌である「浅香山」の歌を踏まえた歌を贈った。「かけ離る」は「影離る」との掛詞。当時は濁音表記がないので文字表記だけから見れば共に「かけはなれ」となる。1.7.15
注釈514汲み初めてくやしと聞きし山の井の--浅きながらや影を見るべき尼君の返歌。『異本紫明抄』は「悔しくぞ汲みそめてける浅ければ袖のみ濡るる山の井の水」(古今六帖二 山の井)を指摘。係助詞「や」、推量の助動詞「べき」連体形、係結びの法則。反語表現。「影」は孫娘をさす。孫娘をお見せすることができましょうか、いえできませんの意。1.7.17
注釈515このわづらひたまふことよろしくは以下「聞こえさすべき」まで、少納言の乳母の詞。「この」は尼君をさす。「よろしく」未然形+接続助詞「は」、順接の仮定条件を表す。多少よくなったら。1.7.19
注釈516このごろ『古典セレクション』は「このごろ」と濁音に読む。『集成』『新大系』は清音に読んでいる。「今来・比日・今属、コノゴロ」(名義抄)。「奈良時代にはコノコロと清音。平安時代以後コノゴロ」(岩波古語辞典)。1.7.19
注釈517聞こえさすべき「聞こえさす」終止形は「言ふ」の最も丁重な謙譲語。推量の助動詞「べき」連体形、係助詞「なむ」と係結びの法則。1.7.19
注釈518とあるを心もとなう思す助詞「を」について、『今泉忠義訳』は「と少納言からの口上なので」と接続助詞、順接の意に、『古典セレクション』は「少納言の乳母の返事があるのを」と格助詞、目的格の意に、それぞれ訳す。1.7.19
出典5 夜の間の風も、うしろめたく 浅まだき起きてぞ見つる梅の花夜の間の風のうしろめたさに 拾遺集春-二九 元良親王 1.7.5
出典6 「難波津」 難波津に咲くやこの花冬ごもり今は春べと咲くやこの花 古今六帖六-四〇三二 1.7.8
出典7 あさか山浅くも人を思はぬに あさ山影さへ見ゆる山の井の浅くは人を思ふものかは 古今六帖二-九八五 1.7.15
出典8 汲み初めてくやし 悔しくぞ汲みそめてける浅ければ袖のみ濡るる山の井の水 古今六帖二-九八七 1.7.17
校訂52 離れず 離れず--はな(な/+れ<朱>)す 1.7.4
校訂53 さだ さだ--*ま(ま/=さイ) 1.7.6
校訂54 うしろめたう」 うしろめたう」と--うしろめたかう(か/$<朱>、う/+と<朱>) 1.7.10
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渋谷栄一校訂(C)
Last updated 3/7/2009(ver.2-1)
渋谷栄一注釈
Last updated 11/21/2013
渋谷栄一訳(C)(ver.1-3-2)
現代語訳
与謝野晶子
電子化
上田英代(古典総合研究所)
底本
角川文庫 全訳源氏物語
渋谷栄一訳
との突合せ
宮脇文経

2003年8月14日

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Written in Japanese roman letters
by Eiichi Shibuya (C)
Picture "Eiri Genji Monogatari"(1650 1st edition)
このページは再編集プログラムによって2015/1/12に出力されました。
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