第五帖 若紫


05 WAKAMURASAKI (Ohoshima-bon)


光る源氏の十八歳春三月晦日から冬十月までの物語


Tale of Hikaru-Genji's Konoe-Chujo era from the last day in spring to October in winter at the age of 18

2
第二章 藤壺の物語 夏の密通と妊娠の苦悩物語


2  Tale of Fujitsubo

2.1
第一段 夏四月の短夜の密通事件


2-1  In a summer short night, Genji meets with Fujitsubo secretly

2.1.1   藤壺の宮、悩みたまふことありてまかでたまへり。上の、おぼつかながり、嘆ききこえたまふ御気色も、 いといとほしう見たてまつりながらかかる折だにと、心もあくがれ惑ひて、 何処にも何処にも、まうでたまはず、内裏にても里にても、昼は つれづれと眺め暮らして、暮るれば、 王命婦を責め歩きたまふ。
 藤壺の宮に、ご不例の事があって、ご退出された。主上が、お気をもまれ、ご心配申し上げていらっしゃるご様子も、まことにおいたわしく拝見しながらも、せめてこのような機会にもと、魂も浮かれ出て、どこにもかしこにも お出かけにならず、内裏にいても里邸にいても、昼間は所在なくぼうっと物思いに沈んで、夕暮れになると、王命婦にあれこれとおせがみになる。
 藤壼の宮が少しお病気におなりになって宮中から自邸へ退出して来ておいでになった。帝が日々恋しく思召す御様子に源氏は同情しながらも、稀にしかないお実家住まいの機会をとらえないではまたいつ恋しいお顔が見られるかと夢中になって、それ以来どの恋人の所へも行かず宮中の宿直所ででも、二条の院ででも、昼間は終日物思いに暮らして、王命婦に手引きを迫ることのほかは何もしなかった。
  Huditubonomiya, nayami tamahu koto ari te, makade tamahe ri. Uhe no, obotukanagari, nageki kikoye tamahu mikesiki mo, ito itohosiu mi tatematuri nagara, kakaru wori dani to, kokoro mo akugare madohi te, iduku ni mo iduku ni mo, maude tamaha zu, Uti nite mo sato nite mo, hiru ha turedure to nagame kurasi te, kurure ba, Waumyaubu wo seme ariki tamahu.
2.1.2   いかがたばかりけむ、いとわりなくて見たてまつるほどさへ、現とはおぼえぬぞ、 わびしきや
 どのように手引したのだろうか、とても無理してお逢い申している間さえ、現実とは思われないのは、辛いことであるよ。
 王命婦がどんな方法をとったのか与えられた無理なわずかな逢瀬の中にいる時も、幸福が現実の幸福とは思えないで夢としか思われないのが、源氏はみずから残念であった。
  Ikaga tabakari kem, ito warinaku te mi tatematuru hodo sahe, ututu to ha oboye nu zo, wabisiki ya!
2.1.3   宮も、あさましかりしを思し出づるだに、世とともの御もの思ひなるを、 さてだにやみなむと 深う思したるにいと憂くていみじき御気色なるものから、なつかしうらうたげにさりとてうちとけず、心深う恥づかしげなる御もてなしなどの、 なほ人に似させたまはぬを、「 などかなのめなることだにうち交じりたまはざりけむ」と、 つらうさへぞ思さるる
 宮も、思いもしなかった出来事をお思い出しになるだけでも、生涯忘れることのできないお悩みの種なので、せめてそれきりで終わりにしたいと深く決心されていたのに、とても情けなくて、ひどく辛そうなご様子でありながらも、優しくいじらしくて、そうかといって馴れ馴れしくなく、奥ゆかしく気品のある御物腰などが、やはり普通の女人とは違っていらっしゃるのを、「どうして、わずかの欠点すら少しも混じっていらっしゃらなかったのだろう」と、辛くまでお思いになられる。
 宮も過去のある夜の思いがけぬ過失の罪悪感が一生忘れられないもののように思っておいでになって、せめてこの上の罪は重ねまいと深く思召したのであるのに、またもこうしたことを他動的に繰り返すことになったのを悲しくお思いになって、恨めしいふうでおありになりながら、柔らかな魅力があって、しかも打ち解けておいでにならない最高の貴女の態度が美しく思われる源氏は、やはりだれよりもすぐれた女性である、なぜ一所でも欠点を持っておいでにならないのであろう、それであれば自分の心はこうして死ぬほどにまで惹かれないで楽であろうと思うと源氏はこの人の存在を自分に知らせた運命さえも恨めしく思われるのである。
  Miya mo, asamasikari si wo obosi iduru dani, yo to tomo no ohom-monoomohi naru wo, sate dani yami na m to hukau obosi taru ni, ito uku te, imiziki mikesiki naru monokara, natukasiu rautage ni, saritote utitoke zu, kokorohukau hadukasige naru ohom-motenasi nado no, naho hito ni ni sase tamaha nu wo, "Nadoka, nanome naru koto dani uti-maziri tamaha zari kem?" to, turau sahe zo obosa ruru.
2.1.4   何ごとをかは聞こえ尽くしたまはむ くらぶの山に宿りも取らまほしげなれど、 あやにくなる 短夜にてあさましう、なかなかなり
 どのようなことをお話し申し上げきれようか。鞍馬の山に泊まりたいところだが、あいにくの短夜なので、情けなく、かえって辛い逢瀬である。
 源氏の恋の万分の一も告げる時間のあるわけはない。永久の夜が欲しいほどであるのに、逢わない時よりも恨めしい別れの時が至った。
  Nanigoto wo kaha kikoye tukusi tamaha m? Kurabunoyama ni yadori mo tora mahosige nare do, ayaniku naru mizikayo nite, asamasiu, nakanaka nari.
2.1.5  「 見てもまた逢ふ夜まれなる夢のうちに
   やがて紛るる我が身ともがな
 「お逢いしても再び逢うことの難しい夢のようなこの世なので
  夢の中にそのまま消えてしまいとうございます
  見てもまた逢ふ夜稀なる夢の中に
  やがてまぎるるわが身ともがな
    "Mi te mo mata ahu yo mare naru yume no uti ni
    yagate magiruru wagami tomogana
2.1.6  と、 むせかへりたまふさまもさすがにいみじければ
 と、涙にひどくむせんでいられるご様子も、何と言ってもお気の毒なので、
 涙にむせ返って言う源氏の様子を見ると、さすがに宮も悲しくて、
  to, musekaheri tamahu sama mo, sasuga ni imizikere ba,
2.1.7  「 世語りに人や伝へむたぐひなく
   憂き身を覚めぬ夢になしても
 「世間の語り草として語り伝えるのではないでしょうか、
  この上なく辛い身の上を覚めることのない夢の中のこととしても
  世語りに人やつたへん類ひなく
  憂き身をさめぬ夢になしても
 とお言いになった。
    "Yogatari ni hito ya tutahe m taguhi naku
    uki mi wo same nu yume ni nasi te mo
2.1.8   思し乱れたるさまも、いと道理にかたじけなし。命婦の君ぞ、御直衣などは、 かき集め持て来たる
 お悩みになっている様子も、まことに道理で恐れ多い。命婦の君が、お直衣などは、取り集めて持って来た。
 宮が煩悶しておいでになるのも道理なことで、恋にくらんだ源氏の目にももったいなく思われた。源氏の上着などは王命婦がかき集めて寝室の外へ持ってきた。
  Obosi-midare taru sama mo, ito kotowari ni katazikenasi. Myaubunokimi zo, ohom-nahosi nado ha, kaki-atume mote ki taru.
2.1.9   殿におはして、泣き寝に臥し暮らしたまひつ。 御文なども例の、御覧じ入れぬよしのみあれば、常のことながらも、つらういみじう思しほれて、内裏へも参らで、 二、三日籠もりおはすれば、 また、「いかなるにか」と御心動かせたまふべかめるも 恐ろしうのみおぼえたまふ
 お邸にお帰りになって、泣き臥してお暮らしになった。お手紙なども、例によって、御覧にならない旨ばかりなので、いつものことながらも、全く茫然自失とされて、内裏にも参内せず、二、三日閉じ籠もっていらっしゃるので、また、「どうかしたのだろうか」と、ご心配あそばされているらしいのも、恐ろしいばかりに思われなさる。
 源氏は二条の院へ帰って泣き寝に一日を暮らした。手紙を出しても、例のとおり御覧にならぬという王命婦の返事以外には得られないのが非常に恨めしくて、源氏は御所へも出ず二、三日引きこもっていた。これをまた病気のように解釈あそばして帝がお案じになるに違いないと思うともったいなく空恐ろしい気ばかりがされるのであった。
  Tono ni ohasi te, naki ne ni husi kurasi tamahi tu. Ohom-humi nado mo, rei no, goranzi ire nu yosi nomi are ba, tune no koto nagara mo, turau imiziu obosi hore te, Uti he mo mawira de, ni, samniti komori ohasure ba, mata, "Ika naru ni ka?" to, mikokoro ugoka se tamahu beka' meru mo, osorosiu nomi oboye tamahu.
注釈519藤壺の宮悩みたまふことありて物語は変わって、藤壺の物語。源氏、北山帰京の後、季節は夏四月。源氏と藤壺のスリリングな逢瀬が夏の季節の短夜を背景にして語られる。2.1.1
注釈520まかでたまへり後の「賢木」巻に三条宮邸と知られる。尊敬の補助動詞「たまへ」已然形+完了の助動詞「り」完了の意。2.1.1
注釈521いといとほしう見たてまつりながら主語は源氏。父帝に対する気持ち。2.1.1
注釈522かかる折だにと副助詞「だに」最小限の願望。せめてこのような機会にでもと。2.1.1
注釈523つれづれと御物本は「つく(く$れ)つく(く$れ)と」。榊原家本、池田本、肖柏本、三条西家本、書陵部本は「つくつくと」とある。横山本は大島本と同文。河内本は「つくつくと」とある。2.1.1
注釈524王命婦藤壺の宮付きの女房。その呼称によって皇族出身の命婦と知られる。2.1.1
注釈525いかがたばかりけむ語り手の挿入句。『休聞抄』は「双書様のならひ也」と指摘。『完訳』は「語り手の言葉。「いかがたばかりけむ」で、その経過の詳細を省き、一挙に密会場面へと展開」と指摘する。過去推量の助動詞「けむ」連体形。2.1.2
注釈526わびしきや間投助詞「や」詠嘆。語り手の感想を交えた叙述。萩原広道『評釈』は「源氏の心を評じたる也」と指摘。『集成』は「たまさかの、はかない逢瀬を悲しむ源氏の気持」と解し、『完訳』は「予想外の事態に処しかねる気持」と解す。この逢瀬が夢ではなく現実であるにもかかわらず、それが現実のことと思えない、つらさ。2.1.2
注釈527宮もあさましかりしを思し出づるだに「あさましかり」連用形、過去の助動詞「し」連体形、格助詞「を」目的格、「思し出づる」連体形、副助詞「だに」最小限。源氏と藤壺宮の逢瀬が過去にも一度あったという叙述のしかたである。2.1.3
注釈528さてだにやみなむと藤壺の心中。副助詞「だに」最小限。完了の助動詞「な」未然形、確述の意+推量の助動詞「む」終止形、意志。せめてそれきりだけで終わりにしたい、の意。2.1.3
注釈529深う思したるに主語は藤壺。接続助詞「に」逆接を表す。2.1.3
注釈530いと憂くて『集成』『古典セレクション』は諸本に従って「心憂くて」と「心」を補訂する。『新大系』は底本のままとする。『古典セレクション』は「この「心憂し」は「憂し」とほぼ同意。「憂し」は、自分自身のせいでつらく思う意で、自らの運命を痛恨する気持。藤壺は、源氏との関係を避けがたい宿運として嘆く」と注す。2.1.3
注釈531いみじき御気色なるものからなつかしうらうたげに藤壺の心中叙述から源氏の見た藤壺像へと文章は変化し移ってゆく。2.1.3
注釈532さりとてうちとけずすっかり馴れ馴れしくはならないのは、高貴な貴族にとって品位を保つ上で大切なこと。2.1.3
注釈533なほ人に似させたまはぬを副詞「なほ」。尊敬の助動詞「させ」連用形+尊敬の補助動詞「たまは」未然形、最高敬語。打消の助動詞「ぬ」連体形+格助詞「を」目的格を表す。2.1.3
注釈534などか以下「たまはざりけむ」まで、源氏の心中。2.1.3
注釈535なのめなることだに「なのめ」は普通、平凡の意。副助詞「だに」最小限を表す。2.1.3
注釈536つらうさへぞ思さるる副助詞「さへ」添加を表す。係助詞「ぞ」、自発の助動詞「るる」連体形、係結びの法則。2.1.3
注釈537何ごとをかは聞こえ尽くしたまはむ以下、語り手の評言。『集成』は句点にして、文を完結する。連語「かは」(係助詞「か」+係助詞「は」)、推量の助動詞「む」連体形。反語表現の構文。2.1.4
注釈538くらぶの山に歌語「暗部山」。「鞍馬山」のこと。「比ぶ」「暗し」のイメージを内包する語句。ここは後者の意。『源氏釈』は「墨染の鞍馬の山に入る人はたどるたどるも帰り来ななむ」(後撰集 恋四 八三三 平中興が女)を指摘。「秋の夜の月の光し明かければ暗部の山も越えぬべらなり」(古今集・秋上・元方)。『集成』『完訳』は、歌枕として指摘する。2.1.4
注釈539あやにくなる語り手の感情を交えた表現。2.1.4
注釈540短夜にて夏四月頃の短夜。2.1.4
注釈541あさましうなかなかなり「あさまし」は、あきれて情けない意。副詞「なかなか」かえって--しない方がましなくらいである、の意。2.1.4
注釈542見てもまた逢ふ夜まれなる夢のうちに--やがて紛るる我が身ともがな源氏の贈歌。夢が実現する意味の「合ふ世」と男女の「逢ふ世」の掛詞。「見る」「あふ」「夢」は縁語。夢の中にこのまま紛れ込んでしまいたいの意。「夢」の贈答歌について、『完訳』は「『伊勢物語』六十九段の投影」と指摘する。小野小町の「思ひつつ寝ればや人の見えつらむ夢と知りせば覚めざらましを」(古今集 恋歌二 五五二)歌他の「夢」と「現」の文学伝統が通底している。連語「ともがな」(格助詞「と」+終助詞「もがな」)願望を表す。2.1.5
注釈543むせかへりたまふさまも源氏の振るまい。『古典セレクション』「「かへる」は動作状態の反復、転じて窮まったさまを表す」と注す。涙にひどくむせぶ。2.1.6
注釈544さすがにいみじければ藤壺の源氏を拒絶しきれない心情。2.1.6
注釈545世語りに人や伝へむたぐひなく--憂き身を覚めぬ夢になしても藤壺の返歌。源氏の「夢」「身」の語句を用いて返す。『新大系』「藤壺の返しは世間の目への恐れを全面に立てつつも、歌の贈答を成立させることによって深くも源氏の無謀な恋情を受け入れている」と注す。係助詞「や」、推量の助動詞「む」連体形、係結びの法則。2.1.7
注釈546思し乱れたるさまも以下、語り手の感想を交えた評言。敬語が付かない。2.1.8
注釈547かき集め持て来たる『集成』は「悲しみに茫然として帰ろうとしない源氏に、脱ぎ捨てておいた直衣などをかき集めて持って来て、帰り支度をうながすのである」と解す。部屋の中での出来事とする。2.1.8
注釈548殿におはして二条院。主語は源氏。2.1.9
注釈549御文なども源氏から藤壺への後朝の手紙。2.1.9
注釈550例の御覧じ入れぬよしのみあれば例の」は「御覧じ入れぬ」を修飾。『古典セレクション』は「藤壺は源氏の消息を受け付けない。「例の」とあり、それが習慣化している」と注す。王命婦から源氏へ、藤壺は源氏の手紙を御覧になりません、という返事の意。2.1.9
注釈551二三日大島本は漢字表記で「二三日」とある。今字音で「にさむにち」と読んでおく。2.1.9
注釈552またいかなるにかと前にわらわ病みを心配。2.1.9
注釈553御心動かせたまふべかめるも主語は帝。尊敬の助動詞「せ」連用形+尊敬の補助動詞「たまふ」終止形。「べかめる」は推量の助動詞「べかる」連体形の「る」が撥音便化しさらに無表記形+推量の助動詞「める」連体形、主観的推量、係助詞「も」。きっと御心配あそばすにちがいないらしいにつけてもというニュアンス。2.1.9
注釈554恐ろしうのみおぼえたまふ源氏の心理。『集成』は「罪深いことだ」と解す。『完訳』は「帝の自分へのいたわりにつけても、源氏は犯した罪を恐れる」と解す。源氏は再犯である。2.1.9
出典9 くらぶの山に 墨染めの鞍馬の山に入る人はたどるたどるも帰り来ななむ 後撰集恋四-八三二 平中興女 2.1.4
校訂55 何処にも何処にも 何処にも何処にも--いつくにもゝ(ゝ/$/\<朱>) 2.1.1
校訂56 御心 御心--御(御/+心<朱>) 2.1.9
2.2
第二段 妊娠三月となる


2-2  Fujitsubo gets pregnant and three months passed

2.2.1  宮も、なほいと心憂き身なりけりと、思し嘆くに、悩ましさもまさりたまひて、 とく参りたまふべき御使、しきれど、 思しも立たず
 藤壺宮も、やはり実に情けないわが身であったと、お嘆きになると、ご気分の悪さもお加わりになって、早く参内なさるようにとの御勅使が、しきりにあるが、ご決心もつかない。
 宮も御自身の運命をお歎きになって煩悶が続き、そのために御病気の経過もよろしくないのである。宮中のお使いが始終来て御所へお帰りになることを促されるのであったが、なお宮は里居を続けておいでになった。
  Miya mo, naho ito kokorouki mi nari keri to, obosi nageku ni, nayamasisa mo masari tamahi te, toku mawiri tamahu beki ohom-tukahi, sikire do, obosi mo tata zu.
2.2.2  まことに、 御心地、例のやうにもおはしまさぬは、いかなるにかと、 人知れず思すこともありければ、心憂く、「いかならむ」とのみ思し乱る。
 本当に、ご気分が、普段のようにおいであそばさないのは、どうしたことかと、密かにお思い当たることもあったので、情けなく、「どうなることだろうか」とばかりお悩みになる。
 宮は実際おからだが悩ましくて、しかもその悩ましさの中に生理的な現象らしいものもあるのを、宮御自身だけには思いあたることがないのではなかった。情けなくて、これで自分は子を産むのであろうかと煩悶をしておいでになった。
  Makoto ni, mikokoti, rei no yau ni mo ohasimasa nu ha, ika naru ni ka to, hitosirezu obosu koto mo ari kere ba, kokorouku, "Ika nara m?" to nomi obosi midaru.
2.2.3   暑きほどは、いとど起きも上がりたまはず。 三月になりたまへば、いとしるきほどにて、 人びと見たてまつりとがむるにあさましき御宿世のほど、心憂し。人は思ひ寄らぬことなれば、「 この月まで、奏せさせたまはざりけること」と、驚ききこゆ。 我が御心一つには、しるう思しわくこともありけり
 暑いころは、ますます起き上がりもなさらない。三か月におなりになると、とてもよく分かるようになって、女房たちもそれとお気付き申すにつけ、思いもかけないご宿縁のほどが、恨めしい。他の人たちは、思いもよらないことなので、「この月まで、ご奏上あそばされなかったこと」と、意外なことにお思い申し上げる。ご自身一人には、はっきりとお分かりになる節もあるのであったのだ。
 まして夏の暑い間は起き上がることもできずにお寝みになったきりだった。御妊娠が三月であるから女房たちも気がついてきたようである。宿命の恐ろしさを宮はお思いになっても、人は知らぬことであったから、こんなに月が重なるまで御内奏もあそばされなかったと皆驚いてささやき合った。
  Atuki hodo ha, itodo oki mo agari tamaha zu. Mituki ni nari tamahe ba, ito siruki hodo nite, hitobito mi tatematuri togamuru ni, asamasiki ohom-sukuse no hodo, kokorousi. Hito ha omohiyora nu koto nare ba, "Kono tuki made, souse sase tamaha zari keru koto." to, odoroki kikoyu. Waga mikokoro hitotu ni ha, siruu obosi waku koto mo ari keri.
2.2.4   御湯殿などにも親しう仕うまつりて、何事の御気色をもしるく見たてまつり知れる、 御乳母子の弁、命婦などぞ、あやしと思へど、かたみに言ひあはすべきにあらねば、 なほ逃れがたかりける御宿世をぞ、命婦はあさましと思ふ。
 お湯殿などにも身近にお仕え申し上げて、どのようなご様子もはっきり存じ上げている、おん乳母子の弁や、命婦などは、変だと思うが、お互いに口にすべきことではないので、やはり逃れられなかったご運命を、命婦は驚きあきれたことと思う。
 宮の御入浴のお世話などもきまってしていた宮の乳母の娘である弁とか、王命婦とかだけは不思議に思うことはあっても、この二人の間でさえ話し合うべき問題ではなかった。命婦は人間がどう努力しても避けがたい宿命というもののカに驚いていたのである。
  Ohom-yudono nado ni mo sitasiu tukaumaturi te, nanigoto no mikesiki wo mo siruku mi tatematuri sire ru, ohom-menotogo no Ben, Myaubu nado zo, ayasi to omohe do, katami ni ihi ahasu beki ni ara ne ba, naho nogare gatakari keru ohom-sukuse wo zo, Myaubu ha asamasi to omohu.
2.2.5   内裏には、御物の怪の紛れにて、とみに気色なう おはしましけるやうに奏しけむかし見る人もさのみ思ひけり。 いとどあはれに限りなう思されて、御使などの ひまなきも、 そら恐ろしう、ものを思すこと、ひまなし。
 帝に対しては、おん物の怪のせいで、すぐには兆候がなくあそばしたように奏上したのであろう。周囲の人もそうとばかり思っていた。ますますこの上なく愛しくお思いあそばして、御勅使などがひっきりなしにあるにつけても、空恐ろしく、物思いの 休まる時もない。
 宮中へは御病気やら物怪やらで気のつくことのおくれたように奏上したはずである。だれも皆そう思っていた。帝はいっそうの熱愛を宮へお寄せになることになって、以前よりもおつかわしになるお使いの度数の多くなったことも、宮にとっては空恐ろしくお思われになることだった。
  Uti ni ha, ohom-mononoke no magire nite, tomi ni kesiki nau ohasimasi keru yau ni zo sousi kem kasi. Miru hito mo sa nomi omohi keri. Itodo ahare ni kagiri nau obosa re te, ohom-tukahi nado no hima naki mo, sora-osorosiu, mono wo, obosu koto, hima nasi.
2.2.6   中将の君もおどろおどろしうさま異なる夢を見たまひて、 合はする者を召して、 問はせたまへば及びなう思しもかけぬ筋のことを合はせけり。
 源氏中将の君も、ただごとではない異様な夢を御覧になって、夢解きをする者を呼んで、ご質問させなさると、及びもつかない思いもかけない方面のことを判断したのであった。
 煩悶の合い間というものがなくなった源氏の中将も変わった夢を見て夢解きを呼んで合わさせてみたが、及びもない、思いもかけぬ占いをした。そして、
  Tyuuzyounokimi mo, odoroodorosiu sama koto naru yume wo mi tamahi te, ahasuru mono wo mesi te, toha se tamahe ba, oyobi nau obosi mo kake nu sudi no koto wo ahase keri.
2.2.7  「 その中に、違ひ目ありて、慎しませたまふべきことなむはべる
 「その中に、順調に行かないところがあって、お身を慎みあそばさななければならないことがございます」
 「しかし順調にそこへお達しになろうとするのにはお慎みにならなければならぬ故障が一つございます」
  "Sono naka ni, tagahime ari te, tutusima se tamahu beki koto nam haberu."
2.2.8   と言ふに、わづらはしくおぼえて、
 と言うので、面倒に思われて、
 と言った。夢を現実にまざまざ続いたことのように言われて、源氏は恐怖を覚えた。
  to ihu ni, wadurahasiku oboye te,
2.2.9  「 みづからの夢にはあらず人の御ことを語るなり。この夢合ふまで、 また人にまねぶな
 「自分の夢ではない、他の方の夢を申すのだ。この夢が現実となるまで、誰にも話してはならぬ」
 「私の夢ではないのだ。ある人の夢を解いてもらったのだ。今の占いが真実性を帯びるまではだれにも秘密にしておけ」
  "Midukara no yume ni ha ara zu, hito no ohom-koto wo kataru nari. Kono yume ahu made, mata hito ni manebu na."
2.2.10  とのたまひて、心のうちには、「いかなることならむ」と思しわたるに、 この女宮の御こと聞きたまひて、 もしさるやうもや」と、思し合はせたまふに、いとどしくいみじき言の葉尽くしきこえたまへど、命婦も思ふに、いとむくつけう、わづらはしさまさりて、 さらにたばかるべきかたなし 。はかなき一行の御返りの たまさかなりしも、絶え果てにたり
 とおっしゃって、心中では、「どのようなことなのだろう」とお考えめぐらしていると、この女宮のご懐妊のことをお聞きになって、「あの夢はもしやそのようなことか」と、お思い合わせになると、ますます熱心に言葉のあらん限りを尽くして申し上げなさるが、命婦も考えると、まことに恐ろしく、難儀な気持ちが増してきて、まったく逢瀬を手立てする方法がない。ほんの一行のお返事がまれにはあったのも、すっかり絶えはててしまった。
 とその男に言ったのであるが、源氏はそれ以来、どんなことがおこってくるのかと思っていた。その後に源氏は藤壼の宮の御懐妊を聞いて、そんなことがあの占いの男に言われたことなのではないかと思うと、恋人と自分の間に子が生まれてくるということに若い源氏は昂奮して、以前にもまして言葉を尽くして逢瀬を望むことになったが、王命婦も宮の御懐妊になって以来、以前に自身が、はげしい恋に身を亡しかねない源氏に同情してとった行為が重大性を帯びていることに気がついて、策をして源氏を宮に近づけようとすることを避けたのである。源氏はたまさかに宮から一行足らずのお返事の得られたこともあるが、それも絶えてしまった。
  to notamahi te, kokoro no uti ni ha, "Ika naru koto nara m ?" to obosi wataru ni, kono Womnamiya no ohom-koto kiki tamahi te, "Mosi saru yau mo ya?" to, obosi ahase tamahu ni, itodosiku imiziki kotonoha tukusi kikoye tamahe do, Myaubu mo omohu ni, ito mukutukeu, wadurahasisa masari te, sarani tabakaru beki kata nasi. Hakanaki hitokudari no ohom-kaheri no tamasaka nari si mo, taye hate ni tari.
注釈555とく参りたまふべき御使桐壺帝から藤壺へ内裏に帰参するようにとの勅使。2.2.1
注釈556思しも立たず主語は藤壺。係助詞「も」強調のニュアンス。2.2.1
注釈557御心地例のやうにもおはしまさぬは妊娠二、三か月の悪阻の徴候。2.2.2
注釈558人知れず思すこと源氏との逢瀬。2.2.2
注釈559暑きほどは夏六月ころの気候。2.2.3
注釈560三月になりたまへば妊娠して三か月。源氏との密通事件は四月の短夜、今は、夏の最も暑い六月。密通・妊娠という主題が夏の暑苦しさを季節的背景としてかたられていく。この物語の主題と季節との類同的発想の一つ。2.2.3
注釈561人びと見たてまつりとがむるに注目する、不審がる、の意。女房たちは事の真実を知らないから、非難する、という意ではない。接続助詞「に」順接を表す。2.2.3
注釈562あさましき御宿世のほど心憂し「心憂し」とは、語り手と登場人物藤壺の心が一体化したような表現。敬語が付かない。『新大系』「子種をさずかることは前世からの宿縁によるという考え方」と注す。2.2.3
注釈563この月まで奏せさせたまはざりけること女房たちの詞。どうして今までめでたいことを隠していたのかという驚き。「奏す」は帝に申し上げる意。尊敬の助動詞「させ」未然形+尊敬の補助動詞「たまは」未然形+打消の助動詞「ざり」連用形+過去の助動詞「ける」連体形。2.2.3
注釈564我が御心一つにはしるう思しわくこともありけり源氏の子をみごもったという事をさす。王命婦を除く他の女房たちは知らない。「ありけり」というように、語り手は、読者の前に秘話を語る。2.2.3
注釈565御湯殿当時は入浴法は沐浴である。日光田母沢御用邸記念公園の御湯殿を見ることができる。2.2.4
注釈566御乳母子の弁命婦藤壺の乳母子の弁と王命婦。下文に「命婦は」とあり、弁はともかくも、源氏の手引きをした命婦は運命を感じ取っている、という叙述。2.2.4
注釈567なほ逃れがたかりける御宿世をぞ地の文であるが、「なほ」には王命婦の感想が交えられた表現である。2.2.4
注釈568内裏には以下「奏しけむかし」まで、語り手の推測として語る。『休聞抄』は「双也」と注し、『評釈』は「奏上の言葉をこの物語の語り手(作者)は知っているのではない、という気持」と注す。2.2.5
注釈569おはしましけるやうに主語は藤壺。2.2.5
注釈570奏しけむかし過去推量の助動詞「けむ」終止形+終助詞「かし」念押し。奏上したのであろうよの意。『集成』は「奏上したらしかった」と解し、『完訳』は「奏上したようである」と解す。2.2.5
注釈571見る人も御物本、横山本、肖柏本は「みな人も」とある。榊原家本、池田本、三条西家本は大島本と同文。『新大系』「判断する人、占いを見る人のたぐいか」と注す。2.2.5
注釈572いとどあはれに主語は帝。寵妃の藤壺が懐妊したことを喜ぶ気持ち。2.2.5
注釈573そら恐ろしう主語は藤壺。2.2.5
注釈574中将の君も源氏をさす。官職名で呼ぶ。公人としてのニュアンスをこめる。2.2.6
注釈575おどろおどろしうさま異なる夢通常の夢とは違った異様な夢、霊夢。予言的な意味のある夢。2.2.6
注釈576合はする者夢占いをする者。2.2.6
注釈577問はせたまへば使役の助動詞「せ」連用形+尊敬の補助動詞「たまへ」已然形+接続助詞「ば」順接の確定条件を表す。夢占いをして占わせなさると。2.2.6
注釈578及びなう思しもかけぬ筋のこと実に尊い子を授かるだろう、という内容か。当時の感覚でいえば、神の子の異常出生か将来に帝となる子ということだろう。『集成』は「源氏が天子の父となるであろうということ」と注す。『古典セレクション』も同じ。『真大系』「分に過ぎたるお思い寄りもせぬ方面の内容を合せたことだ。謎として読者に与えられる」と注す。2.2.6
注釈579その中に違ひ目ありて慎しませたまふべきことなむはべる夢解の詞。その夢を見た人の運勢の中には一時順調に行かないことがあるという意。のちに源氏の須磨明石流離となって現実化する。尊敬の助動詞「せ」連用形+尊敬の補助動詞「たまふ」終止形、二重敬語。推量の助動詞「べき」連体形、当然の意。しなければならない。係助詞「なむ」、「はべる」連体形、係結びの法則。2.2.7
注釈580と言ふに接続助詞「に」順接の意。2.2.8
注釈581みづからの夢にはあらず以下「人にまねぶな」まで、源氏の詞。源氏は他人の夢の話だと言いながら、一方で夢占の者に他言を制す。2.2.9
注釈582人の御ことを敬語「御」が付いているので帝を想定した発言。2.2.9
注釈583また人にまねぶな副詞「また」は他にの意。「なねぶ」は見聞きしたことを他人に言う意。2.2.9
注釈584この女宮の御こと藤壺の宮の御懐妊の事をさしていう。2.2.10
注釈585もしさるやうもや『集成』は「もしや自分のお子ではないか」と解す。『完訳』は「もしかするとあの夢はこういうわけがあってのことでもあろうか」と解す。2.2.10
注釈586さらにたばかるべきかたなし副詞「さらに」、形容詞「なし」と呼応して、全然ない、意。2.2.10
注釈587たまさかなりしも絶え果てにたり断定の助動詞「なり」連用形、過去の助動詞「し」連体形、係助詞「も」、完了の助動詞「に」連用形、完了の助動詞「たり」終止形。2.2.10
校訂57 ひま ひま--(/+ひ)ま 2.2.5
校訂58 「もしさるやうもや」と、思し合はせたまふ 「もしさるやうもや」と、思し合はせたまふ--(/+もしさるやうもやとおほしあはせたまふ) 2.2.10
校訂59 たばかる たばかる--たい(い/$は)かる 2.2.10
2.3
第三段 初秋七月に藤壺宮中に戻る


2-3  Fujitsubo comes back to the Court in July early fall

2.3.1   七月になりてぞ参りたまひける。 めづらしうあはれにて、いとどしき御思ひのほど限りなし。 すこしふくらかになりたまひて、うちなやみ、面痩せたまへる、 はた、げに似るものなくめでたし
 七月になって宮は参内なさった。珍しい事で感動深くて、以前にも増す御寵愛ぶりはこの上もない。少しふっくらとおなりになって、ちょっと悩ましげに、面痩せしていらっしゃるのは、それはそれでまた、なるほど比類なく素晴らしい。
 初秋の七月になって宮は御所へおはいりになった。最愛の方が懐妊されたのであるから、帝のお志はますます藤壼の宮にそそがれるばかりであった。少しお腹がふっくりとなって悪阻の悩みに顔の少しお痩せになった宮のお美しさは、前よりも増したのではないかと見えた。
  Huduki ni nari te zo mawiri tamahi keru. Medurasiu ahare ni te, itodosiki ohom-omohi no hodo kagiri nasi. Sukosi hukuraka ni nari tamahi te, uti-nayami, omoyase tamahe ru, hata, geni niru mono naku medetasi.
2.3.2   例の、明け暮れ、こなたにのみおはしまして、御遊びもやうやうをかしき空なれば、 源氏の君も暇なく召しまつはしつつ、御琴、笛など、さまざまに仕うまつらせたまふ。 いみじうつつみたまへど、忍びがたき気色の漏り出づる折々宮も、さすがなる事どもを多く思し続けけり
 例によって、明け暮れ、帝はこちらにばかりお出ましになって、管弦の御遊もだんだん興の乗る季節なので、源氏の君も暇のないくらいお側にたびたびお召しになって、お琴や、笛など、いろいろと君にご下命あそばす。つとめてお隠しになっているが、我慢できない気持ちが外に現れ出てしまう折々、藤壺宮も、さすがに忘れられない事どもをあれこれとお思い悩み続けていらっしゃるのであった。
 以前もそうであったように帝は明け暮れ藤壼にばかり来ておいでになって、もう音楽の遊びをするのにも適した季節にもなっていたから、源氏の中将をも始終そこへお呼び出しになって、琴や笛の役をお命じになった。物思わしさを源氏は極力おさえていたが、時々には忍びがたい様子もうかがわれるのを、宮もお感じになって、さすがにその人にまつわるものの愁わしさをお覚えになった。
  Rei no, akekure, konata ni nomi ohasimasi te, ohom-asobi mo yauyau wokasiki sora nare ba, Genzinokimi mo itoma naku mesi matuhasi tutu, ohom-koto, hue nado, samazama ni tukaumatura se tamahu. Imiziu tutumi tamahe do, sinobi gataki kesiki no mori iduru woriwori, Miya mo, sasuga naru koto-domo wo ohoku obosi tuduke keri.
注釈588七月になりて季節は初秋七月に移る。大島本は漢字表記で「七月」とあり、行間注記には「フツキ」と振り仮名がある。2.3.1
注釈589めづらしうあはれにて「めづらし」には四か月ぶりの参内と御懐妊の事の両方の気持ちがある。2.3.1
注釈590すこしふくらかになりたまひて藤壺の妊娠の具合をさしていう。接続助詞「て」弱い逆接的接続。2.3.1
注釈591はたげに似るものなくめでたし副詞「はた」ある一面を認めながらそれとはべつの一面について述べる。副詞「げに」帝の御寵愛が深いのももっともだという、語り手の感情移入表現。2.3.1
注釈592例の明け暮れこなたにのみおはしまして以下、主語は帝。「こなた」は藤壺の局である藤壺すなわち飛香舎または清涼殿の藤壺の上局。2.3.2
注釈593源氏の君も暇なく召しまつはしつつ係助詞「も」同類を表す。藤壺の他に源氏も。接続助詞「つつ」同じ動作の繰り返し。2.3.2
注釈594いみじうつつみたまへど忍びがたき気色の漏り出づる折々源氏の藤壺思慕の態度。時々は外に現れることがあったと語る。「桐壺」巻に「琴笛の音に聞こえ通ひ」とあった。2.3.2
注釈595宮もさすがなる事どもを多く思し続けけり藤壺の悩む態度。『完訳』は「「さすがに」は、源氏への感情を抑えようにも抑え切れない気持」と指摘。物語には帝について何とも語られていないが、やがて二人の関係を知って行くのではなかろうか。それが自然なふうに布石されているように思われる。2.3.2
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渋谷栄一校訂(C)
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渋谷栄一注釈
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渋谷栄一訳(C)(ver.1-3-2)
現代語訳
与謝野晶子
電子化
上田英代(古典総合研究所)
底本
角川文庫 全訳源氏物語
渋谷栄一訳
との突合せ
宮脇文経

2003年8月14日

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Written in Japanese roman letters
by Eiichi Shibuya (C)
Picture "Eiri Genji Monogatari"(1650 1st edition)
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