第六帖 末摘花


06 SUWETUMUHANA (Ohoshima-bon)


光る源氏の十八歳春正月十六日頃から十九歳春正月八日頃までの物語


Tale of Hikaru-Genji's Konoe-Chujo from January at the age of 18 to January at the age of 19

2
第二章 若紫の物語


2  Tale of Murasaki

2.1
第一段 紫の君と鼻を赤く塗って戯れる


2-1  Genji paints playfully his nose red with Murasaki

2.1.1   二条院におはしたれば紫の君、いともうつくしき片生ひにて、「 紅はかうなつかしきもありけり」と見ゆるに、無紋の桜の細長、 なよらかに着なして、何心もなくてものしたまふさま、いみじうらうたし。古代の祖母君の御なごりにて、歯黒めも まだしかりけるを、ひきつくろはせたまへれば、眉のけざやかになりたるも、うつくしうきよらなり。「 心からなどか、かう憂き世を見あつかふらむ。かく心苦しきものをも見てゐたらで」と、思しつつ、例の、もろともに雛遊びしたまふ。
 二条の院にお帰りになると、紫の君、とてもかわいらしい幼な娘で、「紅色でもこうも慕わしいものもあるものだ」と見える着物の上に、無紋の桜襲の細長、しなやかに着こなして、あどけない様子でいらっしゃる姿、たいそうかわいらしい。古風な祖母君のお躾のままで、お歯黒もまだであったのを、お化粧をさせなさったので、眉がくっきりとなっているのも、かわいらしく美しい。「自ら求めて、どうして、こうもうっとうしい事にかかずらっているのだろう。こんなにかわいい人とも一緒にいないで」と、お思いになりながら、例によって、一緒にお人形遊びをなさる。
 二条の院へ帰って源氏の見た、半分だけ大人のような姿の若紫がかわいかった。あかい色の感じはこの人からも受け取れるが、こんなになつかしい紅もあるのだったと見えた。無地の桜色の細長を柔らかに着なした人の無邪気な身の取りなしが美しくかわいいのである。昔風の祖母の好みでまだ染めてなかった歯を黒くさせたことによって、美しいまゆも引き立って見えた。自分のすることであるがなぜつまらぬいろいろな女を情人に持つのだろう、こんなに可憐かれんな人とばかりいないでと源氏は思いながらいつものようにひな遊びの仲間になった。
  Nideunowin ni ohasi tare ba, Murasakinokimi, ito mo utukusiki kataohi nite, "Kurenawi ha kau natukasiki mo ari keri." to miyuru ni, mumon no sakura no hosonaga, nayoraka ni ki nasi te, nanigokoro mo naku te monosi tamahu sama, imiziu rautasi. Kotai no Obagimi no ohom-nagori nite, hagurome mo madasikari keru wo, hiki-tukuroha se tamahe re ba, mayu no kezayaka ni nari taru mo, utukusiu kiyora nari. "Kokorokara, nadoka, kau ukiyo wo mi atukahu ram? Kaku kokorogurusiki mono wo mo mi te wi tara de." to, obosi tutu, rei no, morotomoni hihinaasobi si tamahu.
2.1.2  絵など描きて、色どりたまふ。よろづにをかしうすさび散らしたまひけり。我も描き添へたまふ。髪いと長き女を描きたまひて、鼻に紅をつけて見たまふに、画に描きても見ま憂きさましたり。わが御影の鏡台にうつれるが、いときよらなるを見たまひて、手づからこの 赤鼻を描きつけ、にほはして見たまふに、かくよき顔だに、さてまじれらむは見苦しかるべかりけり。姫君、見て、いみじく笑ひたまふ。
 絵などを描いて、色をお付けになる。いろいろと美しくお描き散らしになるのであった。自分もお描き加えになる。髪のとても長い女性をお描きになって、鼻に紅を付けて御覧になると、絵に描いても見るのも嫌な感じがした。ご自分の姿が鏡台に映っているのが、たいそう美しいのを御覧になって、自分で紅鼻に色づけして、赤く染めて御覧になると、これほど美しい顔でさえ、このように赤い鼻が付いているようなのは当然醜いにちがいないのであった。姫君、見て、ひどくお笑いになる。
 紫の君は絵をかいて彩色したりもしていた。何をしても美しい性質がそれにあふれて見えるようである。源氏もいっしょに絵をかいた。髪の長い女をかいて、鼻に紅をつけて見た。絵でもそんなのは醜い。源氏はまた鏡に写る美しい自身の顔を見ながら、筆で鼻を赤く塗ってみると、どんな美貌びぼうにも赤い鼻の一つ混じっていることは見苦しく思われた。若紫が見て、おかしがって笑った。
  We nado kaki te, irodori tamahu. Yorodu ni wokasiu susabi tirasi tamahi keri. Ware mo kaki sohe tamahu. Kami ito nagaki womna wo kaki tamahi te, hana ni beni wo tuke te mi tamahu ni, kata ni kaki te mo mimauki sama si tari. Waga mikage no kyaudai ni uture ru ga, ito kiyora naru wo mi tamahi te, tedukara kono akahaha wo kaki-tuke, nihohasi te mi tamahu ni, kaku yoki kaho dani, sate mazire ra m ha migurusikaru bekari keri. Himegimi, mi te, imiziku warahi tamahu.
2.1.3  「 まろが、かくかたはになりなむ時、いかならむ」とのたまへば、
 「わたしが、もしこのように不具になってしまったら、どうですか」と、おっしゃると、
 「私がこんな不具者になったらどうだろう」と言うと、
  "Maro ga, kaku kataha ni nari na m toki, ika nara m?" to notamahe ba,
2.1.4  「 うたてこそあらめ
 「嫌ですわ」
 「いやでしょうね」
  "Utate koso ara me."
2.1.5  とて、 さもや染みつかむと、あやふく思ひたまへり。そら拭ごひをして、
 と言って、そのまま染み付かないかと、心配していらっしゃる。うそ拭いをして、
 と言って、しみ込んでしまわないかと紫の君は心配していた。源氏は真似まねだけをして見せて、
  tote, samoya simi tuka m to, ayahuku omohi tamahe ri. Sora-nogohi wo si te,
2.1.6  「 さらにこそ、白まね。用なきすさびわざなりや。 内裏にいかに のたまはむとすらむ」
 「少しも、白くならないぞ。つまらないいたずらをしたものよ。帝にはどんなにお叱りになられることだろう」
 「どうしても白くならない。ばかなことをしましたね。陛下はどうおっしゃるだろう」
  "Sarani koso, siroma ne. Younaki susabi waza nari ya! Uti ni ikani notamaha m to su ram?"
2.1.7  と、いとまめやかにのたまふを、 いといとほしと思して、寄りて、拭ごひたまへば、
 と、とても真剣におっしゃるのを、本気で気の毒にお思いになって、近寄ってお拭いになると、
 まじめな顔をして言うと、かわいそうでならないように同情して、そばへ寄ってすずりの水入れの水を檀紙だんしにしませて、若紫が鼻の紅を拭く。
  to, ito mameyaka ni notamahu wo, ito itohosi to obosi te, yori te, nogohi tamahe ba,
2.1.8  「 平中がやうに 色どり添へたまふな。赤からむはあへなむ」
 「平中のように墨付けなさるな。赤いのはまだ我慢できましょうよ」
 「平仲へいちゅうの話のように墨なんかをこの上に塗ってはいけませんよ。赤いほうはまだ我慢ができる」
  "Heityuu ga yau ni irodori sohe tamahu na. Akakara m ha ahe na m."
2.1.9  と、戯れたまふさま、いと をかしき妹背と見えたまへり。
 と、ふざけていらっしゃる様子、とても睦まじい兄妹とお見えである。
 こんなことをしてふざけている二人は若々しく美しい。
  to, tahabure tamahu sama, ito wokasiki imose to miye tamahe ri.
2.1.10   日のいとうららかなるにいつしかと霞みわたれる梢どもの、心もとなきなかにも、梅はけしきばみ、ほほ笑みわたれる、とりわきて見ゆ。階隠のもとの紅梅、いととく咲く花にて、色づきにけり。
 日がとてもうららかで、もうさっそく一面に霞んで見える梢などは、花の待ち遠しい中でも、梅は蕾みもふくらみ、咲きかかっているのが、特に目につく。階隠のもとの紅梅、とても早く咲く花なので、もう色づいていた。
  初春らしくかすみを帯びた空の下に、いつ花を咲かせるのかとたよりなく思われる木の多い中に、梅だけが美しく花を持っていて特別なすぐれた木のように思われたが、緑の階隠はしかくしのそばの紅梅はことに早く咲く木であったから、枝がもう真赤まっかに見えた。
  Hi no ito uraraka naru ni, itusika to kasumi watare ru kozuwe-domo no, kokoromotonaki naka ni mo, mume ha kesikibami, hohowemi watare ru, toriwaki te miyu. Hasikakusi no moto no koubai, ito toku saku hana nite, iroduki ni keri.
2.1.11  「 紅の花ぞあやなくうとまるる
   梅の立ち枝はなつかしけれど
 「紅の花はわけもなく嫌な感じがする
  梅の立ち枝に咲いた花は慕わしく思われるが
 くれなゐの花ぞあやなくうとまるる
  梅の立枝たちえはなつかしけれど
    "Kurenawi no hana zo ayanaku utoma ruru
    mume no tatiye ha natukasi kere do
2.1.12  いでや」
 いやはや」

  Ide ya!"
2.1.13  と、 あいなくうちうめかれたまふ。
 と、不本意に溜息をお吐かれになる。
 そんなことをだれが予期しようぞと源氏は歎息たんそくした。
  to, ainaku uti-umeka re tamahu.
2.1.14   かかる人びとの末々、いかなりけむ
 このような人たちの将来は、どうなったことだろうか。
 末摘花、若紫、こんな人たちはそれからどうなったか。
  Kakaru hitobito no suwezuwe, ika nari kem?
注釈424二条院におはしたれば場面変わって、二条院、源氏と紫の君対座。2.1.1
注釈425紫の君紫の上の現在の呼称は「紫の君」。2.1.1
注釈426紅はかうなつかしきもありけり源氏の心。2.1.1
注釈427なよらかに『集成』『古典セレクション』は諸本に従って「なよゝか」と校訂する。『新大系』は底本のままとする。2.1.1
注釈428心から以下「ゐたらで」まで、源氏の心。2.1.1
注釈429赤鼻を描きつけ『集成』は「赤い鼻を」の意に解すが、『完訳』は「紅花からとった染料。絵具にも用いる。「赤鼻」をひびかす」と注して、「この紅粉を塗りつけ赤く染めてごらんになると」の文意に解す。2.1.2
注釈430まろがかく以下「いかならむ」まで、源氏の詞。源氏は自称を「まろ」という。2.1.3
注釈431うたてこそあらめ紫の君の返答。2.1.4
注釈432さもや染みつかむ紫の君の心。2.1.5
注釈433さらにこそ以下「すらむ」まで、源氏の詞。2.1.6
注釈434内裏に源氏は帝を「内裏」と呼称する。2.1.6
注釈435いといとほしと思して主語は紫の君。2.1.7
注釈436平中がやうに以下「あへなむ」まで、源氏の詞。2.1.8
注釈437色どり添へたまふな赤い色の上にさらに墨を付け加えなさるなの意。2.1.8
注釈438をかしき妹背『集成』は「夫婦」。『完訳』は「兄妹の仲。夫婦の仲とする説はとらない」と注す。源氏と紫の君はまだ結婚の儀を経ていない。「若紫」巻に「後の親」とあったが、世話をする人という立場である。2.1.9
注釈439日のいとうららかなるに「に」(格助詞、時または添加)、『完訳』は「日がじつにうららかなうえに」の意に解す。2.1.10
注釈440いつしかと霞みわたれる『集成』は「昨日こそ年は暮れしか春霞春日の山にはや立ちにけり」(拾遺集、春上、三、山部赤人)「吉野山峯の白雪いつ消えて今朝は霞の立ちかはるらむ」(同、四、源重之)等の『拾遺集』巻第一の春上の巻頭歌数首を指摘する。2.1.10
注釈441紅の花ぞあやなくうとまるる--梅の立ち枝はなつかしけれど源氏の独詠歌。「はな」は「花」と「鼻」の意を掛ける。「たち」には梅の「立ち枝」と末摘花の長く垂れ下がった鼻を想像させる。末摘花には好意を感じるがその赤鼻だけは妙に嫌だの意。2.1.11
注釈442あいなく関係のないことながらの意。『集成』は「(梅に文句をいっても)どうにもならないことながら」の意に解し、『完訳』は「紫の上の前では関係ないのに」の意に解す。2.1.13
注釈443かかる人びとの末々いかなりけむ『花鳥余情』は「物語の作者の詞」と指摘。『集成』は「物語の語り手が読者に期待を持たせようとしていう言葉」。『完訳』は「読者の興味を誘う語り手の言」と指摘。「かかる人びと」は、末摘花、空蝉、軒端荻などの「帚木」「空蝉」「夕顔」の諸巻に登場した人々。これらの物語は一応ここで終了という体裁をとる。2.1.14
校訂34 まだしかり まだしかり--さ(さ/$ま)たしかり 2.1.1
校訂35 などか などか--なと(と/+か) 2.1.1
校訂36 のたまはむと のたまはむと--の給はむ(む/+と) 2.1.6
Last Updated 9/11/2009(ver.2-3)
渋谷栄一校訂(C)
Last updated 3/28/2009(ver.2-2)
渋谷栄一注釈
Latest Updated 4/26/2001
渋谷栄一訳(C)(ver.1-2-2)
現代語訳
与謝野晶子
電子化
上田英代(古典総合研究所)
底本
角川文庫 全訳源氏物語
校正・
ルビ復活
門田裕志(青空文庫)

2003年7月12日

渋谷栄一訳
との突合せ
若林貴幸、宮脇文経

2005年10月18日

Last updated 3/28/2009 (ver.2-2)
Written in Japanese roman letters
by Eiichi Shibuya (C)
Picture "Eiri Genji Monogatari"(1650 1st edition)
このページは再編集プログラムによって2015/1/12に出力されました。
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