第七帖 紅葉賀


07 MOMIDI-NO-GA (Ohoshima-bon)


光る源氏の十八歳冬十月から十九歳秋七月までの宰相兼中将時代の物語


Tale of Hikaru-Genji's Konoe-Chujo era from October in winter at the age of 18 to July in fall at the age of 19

5
第五章 藤壺の物語(三) 秋、藤壺は中宮、源氏は宰相となる


5  Tale of Fujitsubo (3)   Fujitsubo ascends the empress, and Genji is promoted Saisho in July

5.1
第一段 七月に藤壺女御、中宮に立つ


5-1  Fujitsubo ascends the empress in July

5.1.1   七月にぞ后ゐたまふめりし源氏の君、宰相になりたまひぬ。帝、下りゐさせたまはむの御心づかひ近うなりて、この若宮を坊に、と思ひきこえさせたまふに、御後見したまふべき人おはせず。 御母方の、みな親王たちにて、源氏の公事しりたまふ筋ならねば母宮をだに動きなきさまにしおきたてまつりて、強りにと思すになむありける。
 七月に、后がお立ちになるようであった。源氏の君、宰相におなりになった。帝、御譲位あそばすお心づもりが近くなって、この若君を春宮に、とお考えあそばされるが、御後見なさるべき方がいらっしゃらない。御母方が、みな親王方で、皇族が政治を執るべき筋合ではないので、せめて母宮だけでも不動の地位におつけ申して、お力にとお考えあそばすのであった。
 この七月に皇后の冊立さくりつがあるはずであった。源氏は中将から参議にのぼった。帝が近く譲位をあそばしたい思召おぼしめしがあって、藤壺ふじつぼの宮のお生みになった若宮を東宮にしたくお思いになったが将来御後援をするのに適当な人がない。母方の御伯父おじは皆親王で実際の政治に携わることのできないのも不文律になっていたから、母宮をだけでも后の位にえて置くことが若宮の強味になるであろうと思召して藤壺の宮を中宮ちゅうぐうに擬しておいでになった。
  Sitigwati ni zo Kisaki wi tamahu meri si. Genzinokimi, saisyau ni nari tamahi nu. Mikado, oriwi sase tamaha m no mikokorodukahi tikau nari te, kono Wakamiya wo bau ni, to omohi kikoye sase tamahu ni, ohom-usiromi si tamahu beki hito ohase zu. Ohom-hahagata no, mina Miko-tati nite, Genzi no ohoyakegoto siri tamahu sudi nara ne ba, Hahamiya wo dani ugoki naki sama ni si oki tatematuri te, tuyori ni to obosu ni nam ari keru.
5.1.2  弘徽殿、いとど御心動きたまふ、ことわりなり。されど、
 弘徽殿、ますますお心穏やかでない、道理である。けれども、
 弘徽殿の女御がこれにたいらかでないことに道理はあった。
  Koukiden, itodo mikokoro ugoki tamahu, kotowari nari. Saredo,
5.1.3  「 春宮の御世、いと近うなりぬれば、疑ひなき御位なり。思ほしのどめよ
 「春宮の御世が、もう直ぐになったのだから、疑いない御地位である。ご安心されよ」
 「しかし皇太子の即位することはもう近い将来のことなのだから、その時は当然皇太后になりうるあなたなのだから、気をひろくお持ちなさい」
  "Touguu no miyo, ito tikau nari nure ba, utagahi naki mikurawi nari. Omohosi nodome yo."
5.1.4  とぞ聞こえさせたまひける。「 げに、春宮の御母にて二十余年になりたまへる女御をおきたてまつりては、引き越したてまつりたまひがたきことなりかし」と、 例の、やすからず世人も聞こえけり。
 とお慰め申し上げあそばすのであった。「なるほど、春宮の御母堂として二十余年におなりの女御を差し置き申して、先にお越し申されることは難しいことだ」と、例によって、穏やかならず世間の人も噂するのであった。
 帝はこんなふうに女御を慰めておいでになった。皇太子の母君で、入内して二十幾年になる女御をさしおいて藤壺を后にあそばすことは当を得たことであるいはないかもしれない。例のように世間ではいろいろに言う者があった。
  to zo kikoye sase tamahi keru. "Geni, Touguu no ohom-haha nite nizihuyonen ni nari tamahe ru Nyougo wo oki tatematuri te ha, hiki-kosi tatematuri tamahi gataki koto nari kasi." to, rei no, yasukara zu yohito mo kikoye keri.
5.1.5   参りたまふ夜の 御供に宰相君も仕うまつりたまふ。 同じ宮と聞こゆるなかにも、后腹の皇女、玉光りかかやきて、たぐひなき御おぼえにさへものしたまへば、人もいとことに思ひかしづききこえたり。 まして、わりなき御心には、御輿のうちも思ひやられて、いとど及びなき心地したまふに、 すずろはしきまでなむ。
 参内なさる夜のお供に、宰相君もお仕え申し上げなさる。同じ宮と申し上げる中でも、后腹の内親王で、玉のように美しく光り輝いて、類ない御寵愛をさえ蒙っていらっしゃるので、世間の人々もとても特別に御奉仕申し上げた。言うまでもなく、切ないお心の中では、御輿の中も思いやられて、ますます手も届かない気持ちがなさると、じっとしてはいられないまでに思われた。
 儀式のあとで御所へおはいりになる新しい中宮のお供を源氏の君もした。后と一口に申し上げても、この方の御身分は后腹の内親王であった。まったい宝玉のように輝やくお后と見られたのである。それに帝の御寵愛ちょうあいもたいしたものであったから、満廷の官人がこの后に奉仕することを喜んだ。道理のほかまでの好意を持った源氏は、御輿みこしの中の恋しいお姿を想像して、いよいよ遠いはるかな、手の届きがたいお方になっておしまいになったと心になげかれた。気が変になるほどであった。
  Mawiri tamahu yo no ohom-tomo ni, Saisyaunokimi mo tukaumaturi tamahu. Onazi Miya to kikoyuru naka ni mo, Kisakibara no Miko, tama hikari kakayaki te, taguhinaki ohom-oboye ni sahe monosi tamahe ba, hito mo ito koto ni omohi kasiduki kikoye tari. Masite, warinaki mikokoro ni ha, mikosi no uti mo omohiyara re te, itodo oyobi naki kokoti si tamahu ni, suzurohasiki made nam.
5.1.6  「 尽きもせぬ心の闇に暮るるかな
   雲居に人を見るにつけても
 「尽きない恋の思いに何も見えない
  はるか高い地位につかれる方を仰ぎ見るにつけても
  つきもせぬ心のやみにくるるかな
    "Tuki mo se nu kokoro no yami ni kururu kana
    kumowi ni hito wo miru ni tuke te mo
5.1.7  とのみ、独りごたれつつ、ものいとあはれなり。
 とだけ、独言が口をついて出て、何につけ切なく思われる。
  雲井に人を見るにつけても
  こう思われて悲しいのである。
  to nomi, hitorigota re tutu, mono ito ahare nari.
5.1.8   皇子は、およすけたまふ月日に従ひて、いと見たてまつり分きがたげなるを、宮、 いと苦し、と思せど、 思ひ寄る人なきなめりかしげに、いかさまに作り変へてかは、劣らぬ御ありさまは、世に出でものしたまはまし。月日の光の空に通ひたる やうに、ぞ世人も思へる
 皇子は、ご成長なさっていく月日につれて、とてもお見分け申しがたいほどでいらっしゃるのを、宮は、まこと辛い、とお思いになるが、気付く人はいないらしい。なるほど、どのように作り変えたならば、負けないくらいの方がこの世にお生まれになろうか。月と日が似通って光り輝いているように、世人も思っていた。
 若宮のお顔は御生育あそばすにつれてますます源氏に似ておいきになった。だれもそうした秘密に気のつく者はないようである。何をどう作り変えても源氏と同じ美貌びぼうを見うることはないわけであるが、この二人の皇子は月と日が同じ形で空にかかっているように似ておいでになると世人も思った。
  Miko ha, oyosuke tamahu tukihi ni sitagahi te, ito mi tatematuri waki gatage naru wo, Miya, ito kurusi, to obose do, omohiyoru hito naki na'meri kasi. Geni, ika sama ni tukurikahe te ka ha, otora nu ohom-arisama ha, yo ni ide monosi tamaha masi. Tukihi no hikari no sora ni kayohi taru yau ni, zo yohito mo omohe ru.
注釈338七月にぞ后ゐたまふめりし大島本「七月」と表記する。『古典セレクション』は「ふみづき」と振り仮名を付けている。今音読みしておく。『集成』は「后がお立ちになったようだ。物語作者として重大な国事に関する記述を遠慮して、ぼかした書き方」と注す。『完訳』は「七月には、后がお立ちになるようであった」と訳す。5.1.1
注釈339源氏の君宰相になりたまひぬ源氏、参議(宰相)に昇進。位階は昨秋の朱雀院行幸の折に正三位に昇進。5.1.1
注釈340御母方のみな親王たちにて源氏の公事しりたまふ筋ならねば『集成』『古典セレクション』は諸本に従って「御母方」と「の」を削除する。『新大系』は底本のまま。「御母方」は外戚をさす。「親王」は皇族の意。この場合の「源氏」は狭義の源氏ではなく広い意味での源氏、すなわち皇族一般をさす。「公事」は国政の意。「知り」は治める、司る意。「源氏の公事知り給ふ筋ならねば」というところに、この物語作者または当時一般の政治観が現れている。5.1.1
注釈341母宮をだに動きなきさまにしおきたてまつりて強りに帝の考え。「動きなきさま」は后の地位に立てることをさす。5.1.1
注釈342春宮の御世いと近うなりぬれば疑ひなき御位なり思ほしのどめよ帝の弘徽殿女御に対する慰めの詞。「疑ひなき位」とは帝の母、すなわち皇太后の地位をさす。「皇后」も「皇太后」も「后」の地位に相違はないとする。5.1.3
注釈343げに春宮の御母にて二十余年になりたまへる女御「げに」は語り手の感情移入の表現で作中人物と共に共感を表し、なるほどの意。また「ことなりかし」まで、世人の噂でもある。『完訳』は「「いとど御心動きたまふ、ことわりなり」を受けて「げに」と納得、世人の思惑を語る文脈に続く」と注す。弘徽殿女御が春宮の母女御として、二十数年になったことを明らかにする。ただし、立坊後ではない。5.1.4
注釈344例のやすからず『完訳』は「政治的な話題にはいつも世人が敏感に反応」と指摘。5.1.4
注釈345参りたまふ夜の主語は藤壺。立后後の最初の参内の儀式。5.1.5
注釈346宰相君源氏をさす。以後、公人としての呼称となる。三位の宰相。5.1.5
注釈347同じ宮と聞こゆるなかにも、后腹の皇女、玉光りかかやきて、たぐひなき御おぼえにさへものしたまへば大島本は「宮」とあるが、榊原家本、池田本、肖柏本、三条西家本、書陵部本は「后」とある。横山本と陽明文庫本は「くらゐ」とある。河内本や別本の御物本も「后」とある。『集成』『古典セレクション』は諸本に従って「后」と校訂する。『新大系』は底本のままとする。藤壺の出自についていう。「桐壺」巻と重複するところがある。5.1.5
注釈348ましてわりなき御心には源氏をさす。5.1.5
注釈349すずろはしき大島本と池田本は「すゝろはしき」。その他の青表紙本諸本は「そゝろはしき」。意味は同じ。『小学館古語大辞典』に「動詞「すずろふ」の形容詞形で、喜び、悲しみ、不愉快さのために、(そうするつもりはないのに)平常の落ち着きを失って、じっとしていられない状態を表す。なお、「すぞろはし」「そぞろはし」などの変化形もあるが、用例は少ない」とある。5.1.5
注釈350尽きもせぬ心の闇に暮るるかな--雲居に人を見るにつけても源氏の独詠歌。『完訳』は「人の親の心は闇にあらねども子を思ふ道にまどひぬるかな」(後撰集、雑一、一一〇二、藤原兼輔)と「かきくらす心の闇にまどひにき夢うつつとは今宵さだめよ」(伊勢物語、六十九段)を引歌として指摘し、「「心の闇」は、若宮ゆえの親心の闇に、藤壺恋慕ゆえの心の闇が重なる」とし、また「「雲居」に、雲の上の人として遠のいた藤壺への及びがたい思いをこめる。このあたり『伊勢物語』の、二条后関係の小塩山の段(七十六段)も投影」と指摘する。5.1.6
注釈351皇子はおよすけたまふ月日に従ひて若宮の成長、源氏に酷似した美しさを語る。5.1.8
注釈352いと苦し藤壺の心。わが子の顔だちが源氏に酷似しているのを苦慮する。5.1.8
注釈353思ひ寄る人なきなめりかし「な(る)」(断定の助動詞)「めり」(推量の助動詞)は、語り手の判断や推量。5.1.8
注釈354げにいかさまに以下「通ひたるやうにぞ」まで、世人の思い。5.1.8
注釈355やうに、ぞ世人も思へる心中文が地の文に移行する。「ぞ」(係助詞)は「思へる」に係る。『完訳』は「二人は、桐壺帝かに寵愛されるのにとどまらず、世人一般からも支持されている」と注す。『新大系』は「二人とも皇統に連なるのにふさわしい美質と讃えられる」と注す。5.1.8
校訂29 御供に 御供に--御とん(ん/$も<朱>)に 5.1.5
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渋谷栄一校訂(C)
Last updated 4/15/2009(ver.2-3)
渋谷栄一注釈
Last updated 5/1/2001
渋谷栄一訳(C)(ver.1-2-1)
現代語訳
与謝野晶子
電子化
上田英代(古典総合研究所)
底本
角川文庫 全訳源氏物語
校正・
ルビ復活
kompass(青空文庫)

2003年7月12日

渋谷栄一訳
との突合せ
若林貴幸、宮脇文経

2005年10月19日

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Written in Japanese roman letters
by Eiichi Shibuya (C)
Picture "Eiri Genji Monogatari"(1650 1st edition)
このページは再編集プログラムによって2015/1/12に出力されました。
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