第九帖 葵


09 AHUHI (Ohoshima-bon)


光る源氏の二十二歳春から二十三歳正月まで近衛大将時代の物語


Tale of Hikaru-Genji's Konoe-Daisho era from January at the age of 22 to January at the age of 23

1
第一章 六条御息所の物語 御禊見物の車争いの物語


1  Tale of Lady Rokujo  Aoi and Rokujo contest for the seat to viewing a parade

1.1
第一段 朱雀帝即位後の光る源氏


1-1  New Mikado accedes, Genji feels everything changed

1.1.1   世の中かはりて後、よろづもの憂く思され、御身の やむごとなさも添ふにや、軽々しき御忍び歩きもつつましうて、ここもかしこも、おぼつかなさの嘆きを重ねたまふ、報いにや、 なほ我につれなき人の御心 を、 尽きせずのみ思し嘆く
 御代替わりがあって後、何事につけ億劫にお思いになり、ご身分の高さも加わってか、軽率なお忍び歩きも遠慮されて、あちらでもこちらでも、ご訪問のない嘆きを重ねていらっしゃる、その罰であろうか、相変わらず自分に無情な方のお心を、どこまでもお嘆きになっていらっしゃる。
 天子が新しくお立ちになり、時代の空気が変わってから、源氏は何にも興味が持てなくなっていた。官位の昇進した窮屈きゅうくつさもあって、忍び歩きももう軽々しくできないのである。あちらにもこちらにも待ってわれぬ恋人の悩みを作らせていた。そんな恨みの報いなのか源氏自身は中宮ちゅうぐうの御冷淡さをなげく苦しい涙ばかりを流していた。
  Yononaka kahari te noti, yorodu mono-uku obosa re, ohom-mi no yamgotonasa mo sohu ni ya, karugarusiki ohom-sinobiariki mo tutumasiu te, koko mo kasiko mo, obotukanasa no nageki wo kasane tamahu, mukuyi ni ya, naho ware ni turenaki hito no mikokoro wo, tuki se zu nomi obosi nageku.
1.1.2   今は、ましてひまなう、ただ人のやうにて添ひおはしますを、 今后心やましう思すにや、内裏にのみさぶらひたまへば、 立ち並ぶ人なう心やすげなり。折ふしに従ひては、御遊びなどを好ましう、 世の響くばかりせさせたまひつつ、今の御ありさましもめでたし。ただ、 春宮をぞいと恋しう思ひきこえたまふ。御後見のなきを、うしろめたう思ひきこえて、 大将の君によろづ聞こえつけたまふもかたはらいたきものから、うれしと思す
 今では、以前にも増して、臣下の夫婦のようにお側においであそばすのを、今后は不愉快にお思いなのか、宮中にばかり伺候していらっしゃるので、競争者もなく気楽そうである。折々につけては、管弦の御遊などを興趣深く、世間に評判になるほどに繰り返しお催しあそばして、現在のご生活のほうがかえって結構である。ただ、春宮のことだけをとても恋しく思い申し上げあそばす。ご後見役のいないのを、気がかりにお思い申されて、大将の君に万事ご依頼申し上げるにつけても、気の咎める思いがする一方で、嬉しいとお思いになる。
 位をお退きになった院と中宮は普通の家の夫婦のように暮らしておいでになるのである。さき弘徽殿こきでん女御にょごである新皇太后はねたましく思召おぼしめすのか、院へはおいでにならずに当帝の御所にばかり行っておいでになったから、いどみかかる競争者もなくて中宮はお気楽に見えた。おりおりは音楽の会などを世間の評判になるほど派手はでにあそばして、院の陛下の御生活はきわめて御幸福なものであった。ただ恋しく思召すのは内裏だいりにおいでになる東宮だけである。御後見をする人のないことを御心配になって、源氏へそれをお命じになった。源氏はやましく思いながらもうれしかった。
  Ima ha, masite hima nau, tadaudo no yau ni te sohi ohasimasu wo, Imagisaki ha kokoroyamasiu obosu ni ya, uti ni nomi saburahi tamahe ba, tatinarabu hito nau kokoroyasuge nari. Worihusi ni sitagahi te ha, ohom-asobi nado wo konomasiu, yo no hibiku bakari se sase tamahi tutu, ima no ohom-arisama simo medetasi. Tada, Touguu wo zo ito kohisiu omohi kikoye tamahu. Ohom-usiromi no naki wo, usirometau omohi kikoye te, Daisyaunokimi ni yorodu kikoye tuke tamahu mo, kataharaitaki monokara, uresi to obosu.
1.1.3   まことや、かの 六条御息所の御腹の 前坊の姫君斎宮にゐたまひにしかば、 大将の御心ばへもいと頼もしげなきを、「 幼き御ありさまのうしろめたさにことつけて下りやしなまし」と、かねてより思しけり。
 それはそうと、あの六条御息所のご息女の前坊の姫宮、斎宮にお決まりになったので、大将のご愛情もまことに頼りないので、「幼いありさまに託つけて下ろうかしら」と、前々からお考えになっているのだった。
 あの六条の御息所みやすどころの生んだ前皇太子の忘れ形見の女王が斎宮さいぐうに選定された。源氏の愛のたよりなさを感じている御息所は、斎宮の年少なのにたくして自分も伊勢いせへ下ってしまおうかとその時から思っていた。
  Makoto ya, kano Rokudeu no Miyasumdokoro no ohom-hara no Zenbau no Himegimi, Saiguu ni wi tamahi ni sika ba, Daisyau no mikokorobahe mo ito tanomosige naki wo, "Wosanaki ohom-arisama no usirometasa ni kototuke te kudari ya si na masi." to, kanete yori obosi keri.
1.1.4  院にも、 かかることなむと、聞こし召して、
 院におかれても、このような事情があると、お耳にあそばして、
 このうわさを院がお聞きになって、
  Win ni mo, kakaru koto nam to, kikosimesi te,
1.1.5  「 故宮のいとやむごとなく思し、時めかしたまひしものを、軽々しうおしなべたるさまに もてなすなるが、いとほしきこと。斎宮をも、この御子たちの列になむ思へば、いづかたにつけても、おろかならざらむこそよからめ。心のすさびにまかせて、かく好色わざするは、いと世のもどき負ひぬべきことなり」
 「故宮がたいそう重々しくお思いおかれ、ご寵愛なさったのに、軽々しく並の女性と同じように扱っているそうなのが、気の毒なこと。斎宮をも、わが皇女たちと同じように思っているのだから、どちらからいっても、疎略にしないのがよかろう。気まぐれにまかせて、このような浮気をするのは、まことに世間の非難を受けるにちがいない事である」
 「私の弟の東宮が非常に愛していた人を、おまえが何でもなく扱うのを見て、私はかわいそうでならない。斎宮などもめいでなく自分の内親王と同じように思っているのだから、どちらからいっても御息所を尊重すべきである。多情な心から、熱したり、冷たくなったりしてみせては世間がおまえを批難する」
  "Komiya no ito yamgotonaku obosi, tokimekasi tamahi si monowo, karugarusiu osinabe taru sama ni motenasu naru ga, itohosiki koto. Saiguu wo mo, kono miko-tati no tura ni nam omohe ba, idukata ni tuke te mo, oroka nara zara m koso yokara me. Kokoro no susabi ni makase te, kaku sukiwaza suru ha, ito yo no modoki ohi nu beki koto nari."
1.1.6  など、御けしき悪しければ、わが御心地にも、 げにと思ひ知らるれば、かしこまりてさぶらひたまふ。
 などと、御機嫌悪いので、ご自分でも、仰せのとおりだと思わずにはいられないので、恐縮して控えていらっしゃる。
 と源氏へお小言こごとをお言いになった。源氏自身の心にもそう思われることであったから、ただ恐縮しているばかりであった。
  nado, mikesiki asikere ba, waga mikokoti ni mo, geni to omohi sira rure ba, kasikomari te saburahi tamahu.
1.1.7  「 人のため、恥ぢがましきことなく、いづれをもなだらかにもてなして、女の怨みな負ひそ」
 「相手にとって、恥となるようなことはせず、どの夫人をも波風が立たないように処遇して、女の恨みを受けてはならぬぞ」
 「相手の名誉をよく考えてやって、どの人をも公平に愛して、女の恨みを買わないようにするがいいよ」
  "Hito no tame, hadigamasiki koto naku, idure wo mo nadaraka ni motenasi te, womna no urami na ohi so."
1.1.8  とのたまはするにも、「 けしからぬ心のおほけなさを聞こし召しつけたらむ時」と、恐ろしければ、かしこまりてまかでたまひぬ。
 と仰せになるにつけても、「不届きな大それた不埒さをお聞きつけあそばした時には」と、恐ろしいので、恐縮して退出なさった。
 御忠告を承りながらも、中宮を恋するあるまじい心が、こんなふうにお耳へはいったらどうしようと恐ろしくなって、かしこまりながら院を退出したのである。
  to notamahasuru ni mo, "Kesikara nu kokoro no ohokenasa wo kikosimesi tuke tara m toki." to, osorosikere ba, kasikomari te makade tamahi nu.
1.1.9  また、かく院にも聞こし召し、のたまはするに、人の御名も、わがためも、好色がましういとほしきに、いとどやむごとなく、 心苦しき筋には思ひきこえたまへど、まだ 表はれては、わざともてなしきこえたまはず
 また一方、このように院におかれてもお耳に入れられ、御訓戒あそばされるのにつけ、相手のご名誉のためにも、自分にとっても、好色がましく困ったことであるので、以前にも増して大切に思い、気の毒にお思い申し上げていられるが、まだ表面立っては、特別にお扱い申し上げなさらない。
 院までも御息所との関係を認めての仰せがあるまでになっているのであるから、女の名誉のためにも、自分のためにも軽率なことはできないと思って、以前よりもいっそうその恋人を尊重する傾向にはなっているが、源氏はまだ公然に妻である待遇はしないのである。
  Mata, kaku Win ni mo kikosimesi, notamahasuru ni, hito no ohom-na mo, waga tame mo, sukigamasiu itohosiki ni, itodo yamgotonaku, kokorogurusiki sudi ni ha omohi kikoye tamahe do, mada arahare te ha, wazato motenasi kikoye tamaha zu.
1.1.10  女も、 似げなき御年のほどを恥づかしう思して、心とけたまはぬけしきなれば、それにつつみたるさまにもてなして、 院に聞こし召し入れ、世の中の人も知らぬなくなりにたるを、深うしもあらぬ御心のほどを、いみじう思し嘆きけり。
 女も、不釣り合いなお年のほどを恥ずかしくお思いになって、気をお許しにならない様子なので、それに遠慮しているような態度をとって、院のお耳にお入りあそばし、世間の人も知らない者がいなくなってしまったのを、深くもないご愛情のほどを、ひどくお嘆きになるのだった。
 女も年長である点を恥じて、しいて夫人の地位を要求しない。源氏はいくぶんそれをよいことにしている形で、院も御承知になり、世間でも知らぬ人がないまでになってなお今も誠意を見せないと女は深く恨んでいた。
  Womna mo, nigenaki ohom-tosi no hodo wo hadukasiu obosi te, kokorotoke tamaha nu kesiki nare ba, sore ni tutumi taru sama ni motenasi te, Win ni kikosimesi ire, yononaka no hito mo sira nu naku nari ni taru wo, hukau simo ara nu mikokoro no hodo wo, imiziu obosi nageki keri.
1.1.11   かかることを聞きたまふにも、 朝顔の姫君は、「 いかで、人に似じ」と深う思せば、はかなきさまなりし御返りなども、をさをさなし。さりとて、人憎く、はしたなくはもてなしたまはぬ御けしきを、君も、「 なほことなり」と思しわたる。
 このようなことをお聞きになるにつけても、朝顔の姫君は、「何としても、人の二の舞は演じまい」と固く決心なさっているので、ちょっとしたお返事なども、ほとんどない。そうかといって、憎らしく、体裁悪い思いをさせなさらないご様子を、君も、「やはり格別である」と思い続けていらっしゃる。
 このうわさが世間から伝わってきた時、式部卿しきぶきょうの宮の朝顔の姫君は、自分だけは源氏の甘いささやきに酔って、やがてはにがい悔いの中に自己を見いだす愚を学ぶまいと心に思うところがあって、源氏の手紙に時には短い返事を書くことも以前はあったが、それももう多くの場合書かぬことになった。そうといっても露骨に反感を見せたり、軽蔑けいべつ的な態度をとったりすることのないのを源氏はうれしく思った。こんな人であるから長い年月の間忘れることもなく恋しいのであると思っていた。
  Kakaru koto wo kiki tamahu ni mo, Asagahonohimegimi ha, "Ikade, hito ni ni zi." to hukau obose ba, hakanaki sama nari si ohom-kaheri nado mo, wosawosa nasi. Saritote, hito nikuku, hasitanaku ha motenasi tamaha nu mikesiki wo, Kimi mo, "Naho koto nari." to obosi wataru.
1.1.12   大殿には、かくのみ定めなき御心を、 心づきなしと思せど、あまりつつまぬ御けしきの、 いふかひなければにやあらむ、深うも怨じきこえたまはず。 心苦しきさまの御心地に悩みたまひて、もの心細げに思いたり。 めづらしくあはれと思ひきこえたまふ。 誰れも誰れもうれしきものから、ゆゆしう思して、さまざまの御つつしみせさせたてまつりたまふ。 かやうなるほどに、いとど御心のいとまなくて、 思しおこたるとはなけれど、とだえ多かるべし。
 大殿では、このようにばかり当てにならないお心を、気にくわないとお思いになるが、あまり大っぴらなご態度が、言っても始まらないと思ってであろうか、深くもお恨み申し上げることはなさらない。苦しい気分に悩みなさって、何となく心細く思っていらっしゃる。珍しく愛しくお思い申し上げになる。どなたもどなたも嬉しいことと思う一方で、不吉にもお思いになって、さまざまな御物忌みをおさせ申し上げなさる。このような時、ますますお心の余裕がなくなって、お忘れになるというのではないが、自然とご無沙汰が多いにちがいないであろう。
 左大臣家にいるあおい夫人(この人のことをおもにして書かれた巻の名を用いて書く)はこんなふうに源氏の心が幾つにも分かれているのを憎みながらも、たいしてほかの恋愛を隠そうともしない人には、恨みを言っても言いがいがないと思っていた。夫人は妊娠していて気分が悪く心細い気になっていた。源氏はわが子の母になろうとする葵夫人にまた新しい愛を感じ始めた。そしてこれも喜びながら不安でならなく思うしゅうと夫婦とともに妊婦の加護を神仏へ祈ることにつとめていた。こうしたことのある間は源氏も心に余裕が少なくて、愛してはいながらもたずねて行けない恋人の家が多かったであろうと思われる。
  Ohotono ni ha, kaku nomi sadame naki mikokoro wo, kokorodukinasi to obose do, amari tutuma nu mikesiki no, ihukahinakere ba ni ya ara m, hukau mo we'zi kikoye tamaha zu. Kokorogurusiki sama no mikokoti ni nayami tamahi te, mono-kokorobosoge ni oboi tari. Medurasiku ahare to omohi kikoye tamahu. Tare mo tare mo uresiki monokara, yuyusiu obosi te, samazama no ohom-tutusimi se sase tatematuri tamahu. Kayau naru hodo ni, itodo mikokoro no itoma naku te, obosi okotaru to ha nakere do, todaye ohokaru besi.
注釈1世の中かはりて後御代替わりがあってから後の意。この巻は「花宴」巻から二年後、源氏大将の物語が語られる。源氏二十二歳。その間に、「紅葉賀」巻に予告された御譲位が行われ、新帝に源氏の兄、朱雀院が即位。右大臣家一派が権力を持った時代となる。まずは政治状況の変化を語る。1.1.1
注釈2やむごとなさも添ふにや「花宴」巻の宰相の中将から大将に昇進。なお書陵部本は「そひ給へは」とある。河内本が「そひ給へは」、また別本の御物本は「そひたまえは」、陽明文庫本は「そひ給ては」とあり、いずれも「給ふ」(尊敬の補助動詞)がある。書陵部本は河内本または別本によったものであろう。1.1.1
注釈3なほ我につれなき人の御心藤壺をさす。『奥入』は「我を思ふ人を思はぬむくいにやわが思ふ人の我を思はぬ」(古今集、雑体、一〇四一、読人しらず)を指摘。1.1.1
注釈4尽きせずのみ思し嘆く主語は源氏。1.1.1
注釈5今はましてひまなうただ人のやうに主語は藤壺。桐壺帝の御譲位後は、以前にもましていつもぴたりと臣下の夫婦のように桐壺院のお側にいられるの意。1.1.2
注釈6今后新帝の御即位によって皇太后になった弘徽殿の女御。新しく后になったというニュアンスがある。1.1.2
注釈7心やましう思すにや語り手の挿入句。弘徽殿女御の心中を推測。1.1.2
注釈8立ち並ぶ人なう心やすげなり藤壺をいう。1.1.2
注釈9世の響くばかりせさせたまひつつ主語は桐壺院。「つつ」は同じ動作の繰り返しを表す。たびたびお催しあそばすの意。1.1.2
注釈10春宮桐壺院の第十皇子、実は源氏と藤壺の御子。1.1.2
注釈11大将の君によろづ聞こえつけたまふも主語は桐壺院。「大将の君」は源氏をさす。初めて大将の位の昇進したことが紹介される。桐壺院は東宮の後見に源氏を付ける。1.1.2
注釈12かたはらいたきものからうれしと思す主語は源氏。気が咎めるとともにうれしくも思う複雑な気持ち。1.1.2
注釈13まことやかの『弄花抄』は「記者の詞也」と指摘。『孟津抄』は「紫式部か聞及たるやうに書也草子地也」と指摘。『集成』は「ああ、そうそう。物語の中で別の話題に移る時に用いる言葉」と注す。以下、六条御息所の物語。1.1.3
注釈14六条御息所「夕顔」巻に「六条わたりの御忍びありきのころ」、「若紫」巻に「おはする所は六条京極わたりにて」、「末摘花」巻に「六条わたりにだに離れまさり給ふめれば」とあった人。「御息所」という呼称から、天皇や皇太子の妃で、皇子や皇女を生んだ方という意が籠められる。1.1.3
注釈15前坊の姫君大島本「せむ坊のひめ君」とある。『集成』『古典セレクション』は諸本に従って「前坊の姫宮」と校訂する。『新大系』は底本のままとする。前皇太子。桐壺院の弟。立坊後、まもなく亡くなった。その姫宮。1.1.3
注釈16斎宮にゐたまひにし斎宮は伊勢へ下向するまでに三年の潔斎が必要なので、「花宴」巻から「葵」巻の間に、二年の空白が存在する。1.1.3
注釈17大将の御心ばへもいと頼もしげなきを六条御息所の心情にそった立場からの語り。1.1.3
注釈18幼き御ありさまのうしろめたさにことつけて下りやしなまし六条御息所の心と地の文とが一体化した表現だが、「下りやしなまし」は、はっきりとした御息所の心。1.1.3
注釈19かかることなむとこのようなことの意。語り手が話しの内容を要約した間接話法。1.1.4
注釈20故宮の以下「世のもどき負ひぬべきことなり」まで、桐壺院の諌めの詞。1.1.5
注釈21もてなすなるが「なる」(伝聞推定の助動詞)、桐壺院が仄聞しているニュアンス。1.1.5
注釈22げに源氏の心。なるほど仰せのとおりだの意。1.1.6
注釈23人のため以下「女の怨みな負ひそ」まで、桐壺院の御訓戒。1.1.7
注釈24けしからぬ心のおほけなさを聞こし召しつけたらむ時源氏の心中。藤壺との件をさす。1.1.8
注釈25心苦しき筋『集成』は「申しわけないこと」と解し、『完訳』は「おいたわしいこと」と解す。1.1.9
注釈26表はれてはわざともてなしきこえたまはず『集成』は「表立っては、正妻としてのお扱いをしてお上げにならない」の意に解し、『完訳』は「公然と正式な結婚の形に」と注す。1.1.9
注釈27似げなき御年のほど「賢木」巻に六条御息所は三十歳とあり、その時、源氏は二十三歳。七歳年上である。現在、源氏二十二、御息所二十九。1.1.10
注釈28院に横山本と肖柏本は「ゐんにも」とある。『完訳』は「以下「なりにたる」まで挿入句」と注す。1.1.10
注釈29かかることを以下、朝顔姫君の物語を挿入し、葵の上懐妊を語る。1.1.11
注釈30朝顔の姫君「帚木」巻に登場。源氏が朝顔に和歌を結んで贈った女性。桃園式部卿宮の姫君。1.1.11
注釈31いかで人に似じ朝顔の姫君の心。1.1.11
注釈32なほことなり源氏の感想。『集成』は「やはり人とは違っている」の意に、『完訳』は「なびかぬ姫君にかえって執心」と注す。1.1.11
注釈33大殿左大臣邸。なお、大島本は「おほ殿」とある。池田本と肖柏本は「い」を補入する。1.1.12
注釈34心づきなし葵の上の心。1.1.12
注釈35いふかひなければにやあらむ語り手の推測を交えた挿入句。1.1.12
注釈36心苦しきさまの御心地に悩みたまひて懐妊による悪阻の苦しみをさす。1.1.12
注釈37めづらしくあはれ源氏の心。『完訳』は「結婚九年目にはじめて葵の上が懐妊したことへの感動。これにより、葵の上に対する愛着が喚起」と注す。1.1.12
注釈38誰れも誰れもうれしきものから左大臣家の人々をさす。横山本は「たれたれもうれしきものから」、肖柏本は「たれも〔も−補入〕たれもうれしき物から」、三条西家本は「うれしきものからたれもたれも」とある。肖柏本は横山本系統の本文を書本としている。1.1.12
注釈39かやうなるほどに大島本「かやうなる程に」とある。『集成』『古典セレクション』は諸本に従って「かやうなるほど」と「に」を削除する。『新大系』は底本のままとする。1.1.12
注釈40思しおこたるとはなけれど六条御息所を。1.1.12
出典1 我につれなき人の 我を思ふ人を思はぬ報いにや我が思ふ人の我を思はぬ 古今集雑体-一〇四一 読人しらず 1.1.1
1.2
第二段 新斎院御禊の見物


1-2  Viewing a parade, Aoi and Rokujo contest for the seat

1.2.1   そのころ、斎院も下りゐたまひて后腹の女三宮ゐたまひぬ 帝、后と、ことに思ひきこえたまへる宮なれば、 筋ことになりたまふを、いと苦しう思したれど、 こと宮たちのさるべきおはせず。儀式など、常の 神わざなれど、いかめしうののしる。 祭のほど、限りある公事に添ふこと多く、見所こよなし。 人からと見えたり。
 そのころ、斎院も退下なさって、皇太后腹の女三の宮がおなりになった。帝、大后と、特にお思い申し上げていらっしゃる宮なので、神にお仕えする身におなりになるのを、まことに辛くおぼし召されたが、他の姫宮たちで適当な方がいらっしゃらない。儀式など、規定の神事であるが、盛大な騷ぎである。祭の時は、規定のある公事に付け加えることが多くあり、この上ない見物である。お人柄によると思われた。
 そのころ前代の加茂かも斎院さいいんがおやめになって皇太后腹の院の女三の宮が新しく斎院に定まった。院も太后もことに愛しておいでになった内親王であるから、神の奉仕者として常人と違った生活へおはいりになることを御親心に苦しく思召おぼしめしたが、ほかに適当な方がなかったのである。斎院就任の初めの儀式は古くから決まった神事の一つで簡単に行なわれる時もあるが、今度はきわめて派手はでなふうに行なわれるらしい。斎院の御勢力の多少にこんなこともよるらしいのである。
  Sonokoro, Saiwin mo oriwi tamahi te, Kisakibara no Womnasamnomiya wi tamahi nu. Mikado, Kisaki to, koto ni omohi kikoye tamahe ru Miya nare ba, sudi koto ni nari tamahu wo, ito kurusiu obosi tare do, koto miya tati no saru beki ohase zu. Gisiki nado, tune no kamwaza nare do, ikamesiu nonosiru. Maturi no hodo, kagiri aru ohoyakegoto ni sohu koto ohoku, midokoro koyonasi. Hitokara to miye tari.
1.2.2   御禊の日上達部など、数定まりて仕うまつりたまふわざなれど、おぼえことに、容貌ある限り、下襲の色、表の袴の紋、馬鞍までみな調へたり。とりわきたる宣旨にて、 大将の君も仕うまつりたまふ。かねてより、物見車心づかひしけり。
 御禊の日、上達部など、規定の人数で供奉なさることになっているが、声望が格別で、美しい人ばかりが、下襲の色、表袴の紋様、馬の鞍のまですべて揃いの支度であった。特別の宣旨が下って、大将の君も供奉なさる。かねてから、見物のための車が心待ちしているのであった。
 御禊ごけいの日に供奉ぐぶする大臣は定員のほかに特に宣旨せんじがあって源氏の右大将をも加えられた。物見車で出ようとする人たちは、その日を楽しみに思い晴れがましくも思っていた。
  Gokei no hi, kamdatime nado, kazu sadamari te tukaumaturi tamahu waza nare do, oboye koto ni, katati aru kagiri, sitagasane no iro, uhe no hakama no mon, muma kura made mina totonohe tari. Toriwaki taru senzi nite, Daisyaunokimi mo tukau maturi tamahu. Kanete yori, monomiguruma kokorodukahi si keri.
1.2.3  一条の大路、所なく、むくつけきまで騒ぎたり。所々の御桟敷、心々にし尽くしたるしつらひ、人の袖口さへ、いみじき見物なり。
 一条大路は、隙間なく、恐ろしいくらいざわめいている。ほうぼうのお桟敷に、思い思いに趣向を凝らした設定、女性の袖口までが、大変な見物である。
  二条の大通りは物見の車と人とですきもない。あちこちにできた桟敷さじきは、しつらいの趣味のよさを競って、御簾みすの下から出された女の袖口そでぐちにも特色がそれぞれあった。
  Itideu no ohodi, tokoro naku, mukutukeki made sawagi tari. Tokoro dokoro no ohom-saziki, kokorogokoro ni si tukusi taru siturahi, hito no sodeguti sahe, imiziki mimono nari.
1.2.4  大殿には、かやうの御歩きもをさをさしたまはぬに、御心地さへ悩ましければ、思しかけざりけるを、若き人びと、
 大殿におかれては、このようなご外出をめったになさらない上に、ご気分までが悪いので、考えもしなかったが、若い女房たちが、
 祭りも祭りであるがこれらは見物する価値を十分に持っている。左大臣家にいる葵夫人はそうした所へ出かけるようなことはあまり好まない上に、生理的に悩ましいころであったから、見物のことを、念頭に置いていなかったが、
  Ohotono ni ha, kayau no ohom-ariki mo wosawosa si tamaha nu ni, mikokoti sahe nayamasi kere ba, obosi kake zari keru wo, wakaki hitobito,
1.2.5  「 いでや。おのがどちひき忍びて見はべらむこそ、栄なかるべけれ。 おほよそ人だに、今日の物見には、 大将殿をこそは、あやしき山賤さへ見たてまつらむとすなれ。遠き国々より、妻子を引き具しつつも参うで来なるを。御覧ぜぬは、いとあまりもはべるかな」
 「さあ、どんなものでしょうか。わたくしどもだけでこっそり見物するのでは、ぱあっとしないでしょう。関係のない人でさえ、今日の見物には、まず大将殿をと、賎しい田舎者までが拝見しようと言うことですよ。遠い国々から、妻子を引き連れ引き連れして上京して来ると言いますのに。御覧にならないのは、あまりなことでございますわ」
 「それではつまりません。私たちどうしで見物に出ますのではみじめで張り合いがございません、今日はただ大将様をお見上げすることに興味が集まっておりまして、労働者も遠い地方の人までも、はるばると妻や子をつれて京へ上って来たりしておりますのに奥様がお出かけにならないのはあまりでございます」
  "Ide ya! Onoga-doti hiki-sinobi te mi habera m koso, haye nakaru bekere! Ohoyosobito dani, kehu no monomi ni ha, Daisyaudono wo koso ha, ayasiki yamagatu sahe mi tatematura m to su nare. Tohoki kuniguni yori, meko wo hiki-gusi tutu mo maude ku naru wo. Goranze nu ha, ito amari mo haberu kana!"
1.2.6  と言ふを、大宮聞こしめして、
 と言うのを、大宮もお聞きあそばして、
 と女房たちの言うのを母君の宮様がお聞きになって、
  to ihu wo, Ohomiya kikosimesi te,
1.2.7  「 御心地もよろしき隙なり。さぶらふ人びともさうざうしげなめり」
 「ご気分も少しよろしい折です。お仕えしている女房たちもつまらなそうです」
 「今日はちょうどあなたの気分もよくなっていることだから。出ないことは女房たちが物足りなく思うことだし、行っていらっしゃい」
  "Mikokoti mo yorosiki hima nari. Saburahu hitobito mo sauzausige na' meri."
1.2.8  とて、にはかにめぐらし仰せたまひて、見たまふ。
 と言って、急にお触れを廻しなさって、ご見物なさる。
 こうお言いになった。それでにわかに供廻ともまわりを作らせて、葵夫人は御禊みそぎの行列の物見車の人となったのである。
  tote, nihaka ni megurasi ohose tamahi te, mi tamahu.
1.2.9   日たけゆきて儀式もわざとならぬさまにて出でたまへり。隙もなう立ちわたりたるに、 よそほしう引き続きて立ちわづらふよき女房車多くて、 雑々の人なき隙を思ひ定めて、皆さし退けさするなかに、 網代のすこしなれたるが、下簾のさまなどよしばめるに、いたう引き入りて、ほのかなる袖口、裳の裾、汗衫など、ものの色、いときよらにて、ことさらにやつれたるけはひしるく見ゆる車、二つあり。
 日が高くなってから、お支度も特別なふうでなくお出かけになった。隙間もなく立ち混んでいる所に、物々しく引き連ねて場所を探しあぐねる。身分の高い女車が多いので、下々の者のいない隙間を見つけて、みな退けさせた中に、網代車で少し使い馴れたのが、下簾の様子などが趣味がよいうえに、とても奥深く乗って、わずかに見える袖口、裳の裾、汗衫などの、衣装の色合、とても美しくて、わざと質素にしている様子がはっきりと分かる車が、二台ある。
 やしきを出たのはずっと朝もおそくなってからだった。この一行はそれほどたいそうにも見せないふうで出た。車のこみ合う中へ幾つかの左大臣家の車が続いて出て来たので、どこへ見物の場所を取ろうかと迷うばかりであった。貴族の女の乗用らしい車が多くとまっていて、つまらぬ物の少ない所を選んで、じゃまになる車は皆けさせた。その中に外見そとみ網代車あじろぐるまの少し古くなった物にすぎぬが、御簾の下のとばりの好みもきわめて上品で、ずっと奥のほうへ寄って乗った人々の服装の優美な色も童女の上着の汗袗かざみの端の少しずつれて見える様子にも、わざわざ目立たぬふうにして貴女きじょの来ていることが思われるような車が二台あった。
  Hi take yuki te, gisiki mo wazato nara nu sama ni te ide tamahe ri. Hima mo nau tati watari taru ni, yosohosiu hiki-tuduki te tati wadurahu. Yoki nyoubauguruma ohoku te, zahuzahu no hito naki hima wo omohi sadame te, mina sasi-noke sasuru naka ni, amziro no sukosi nare taru ga, sitasudare no sama nado yosibame ru ni, itau hiki-iri te, honoka naru sodeguti, mo no suso, kazami nado, mono no iro, ito kiyora ni te, kotosara ni yature taru kehahi siruku miyuru kuruma, hutatu ari.
1.2.10  「 これは、さらに、さやうにさし退けなどすべき御車にもあらず
 「この車は、決して、そのように押し退けたりしてよいお車ではありませぬ」
 「このお車はほかのとは違う。けられてよいようなものじゃない」
  "Kore ha, sarani, sayau ni sasi-noke nado subeki mikuruma ni mo ara zu."
1.2.11  と、口ごはくて、手触れさせず。 いづかたにも、若き者ども酔ひ過ぎ、立ち騒ぎたるほどのことは、えしたためあへず。おとなおとなしき御前の人びとは、「かくな」など言へど、えとどめあへず。
 と、言い張って、手を触れさせない。どちらの側も、若い供人同士が酔い過ぎて、争っている事なので、制止することができない。年輩のご前駆の人々は、「そんなことするな」などと言うが、とても制止することができない。
 と言ってその車の者は手を触れさせない。双方に若い従者があって、祭りの酒に酔って気の立った時にすることははなはだしく手荒いのである。馬に乗った大臣家の老家従などが、「そんなにするものじゃない」と止めているが、勢い立った暴力を止めることは不可能である。
  to, kutigohaku te, te hure sase zu. Idukata ni mo, wakaki mono-domo wehi sugi, tati-sawagi taru hodo no koto ha, e sitatame ahe zu. Otonaotonasiki gozen no hitobito ha, "Kaku na!" nado ihe do, e todome ahe zu.
1.2.12  斎宮の御母御息所、 もの思し乱るる慰めにもやと、 忍びて出でたまへるなりけり。つれなしつくれど、おのづから見知りぬ。
 斎宮の御母御息所が、何かと悩んでいられる気晴らしにもなろうかと、こっそりとお出かけになっているのであった。何気ないふうを装っているが、自然と分かった。
 斎宮さいぐうの母君の御息所みやすどころが物思いの慰めになろうかと、これは微行で来ていた物見車であった。素知らぬ顔をしていても左大臣家の者は皆それを心では知っていた。
  Saiguu no ohom-haha Miyasumdokoro, mono-obosi midaruru nagusame ni mo ya to, sinobi te ide tamahe ru nari keri. Turenasi tukure do, onodukara mi siri nu.
1.2.13  「 さばかりにては、さな言はせそ
 「それくらいの者に、そのような口はきかせぬぞ」
 「それくらいのことでいばらせないぞ、
  "Sabakari ni te ha, sa na iha se so."
1.2.14  「 大将殿をぞ、豪家には思ひきこゆらむ
 「大将殿を、笠に着ているつもりなのだろう」
 大将さんの引きがあると思うのかい」
  "Daisyaudono wo zo, gauke ni ha omohi kikoyu ram."
1.2.15  など言ふを、 その御方の人も混じればいとほしと見ながら、用意せむもわづらはしければ、 知らず顔をつくる
 などと言うのを、その方の供人も混じっているので、気の毒にとは思いながら、仲裁するのも面倒なので、知らない顔をする。
 などと言うのを、供の中には源氏の召使も混じっているのであるから、抗議をすれば、いっそう面倒めんどうになることを恐れて、だれも知らない顔を作っているのである。
  nado ihu wo, sono ohom-kata no hito mo mazire ba, itohosi to mi nagara, youi se m mo wadurahasikere ba, sirazugaho wo tukuru.
1.2.16  つひに、御車ども立て続けつれば、ひとだまひの奥におしやられて、物も見えず。 心やましきをばさるものにてかかるやつれをそれと知られぬるが、いみじうねたきこと、限りなし。榻などもみな押し折られて、すずろなる車の筒にうちかけたれば、またなう人悪ろく、くやしう、「 何に、来つらむ」と思ふにかひなし。 物も見で帰らむとしたまへど、通り出でむ隙もなきに、
 とうとう、お車を立ち並べてしまったので、副車の奥の方に押しやられて、何も見えない。悔しい気持ちはもとより、このような忍び姿を自分と知られてしまったのが、ひどく悔しいこと、この上ない。榻などもみなへし折られて、場違いな車の轂に掛けたので、またとなく体裁が悪く、悔しく、「いったい何しに、来たのだろう」と思ってもどうすることもできない。見物を止めて帰ろうとなさるが、抜け出る隙間もないでいるところに、
 とうとう前へ大臣家の車を立て並べられて、御息所の車は葵夫人の女房が乗った幾台かの車の奥へ押し込まれて、何も見えないことになった。それを残念に思うよりも、こんな忍び姿の自身のだれであるかを見現わしてののしられていることが口惜くちおしくてならなかった。車のながええる台などもあしは皆折られてしまって、ほかの車の胴へ先を引き掛けてようやく中心を保たせてあるのであるから、体裁の悪さもはなはだしい。どうしてこんな所へ出かけて来たのかと御息所は思うのであるが今さらしかたもないのである。見物するのをやめて帰ろうとしたが、他の車をけて出て行くことは困難でできそうもない。そのうちに、
  Tuhini, mikuruma-domo tate tuduke ture ba, hitodamahi no oku ni osiyara re te, mono mo miye zu. Kokoroyamasiki wo ba saru mono nite, kakaru yature wo sore to sira re nuru ga, imiziu netaki koto, kagiri nasi. Sidi nado mo mina osi-wora re te, suzuro naru kuruma no dou ni uti-kake tare ba, mata nau hitowaroku, kuyasiu, "Nani ni, ki tura m" to omohu ni kahi nasi. Mono mo mi de kahera m to si tamahe do, tohori ide m hima mo naki ni,
1.2.17  「 事なりぬ
 「行列が来た」
 「見えて来た」
  "Koto nari nu."
1.2.18  と言へば、 さすがに、つらき人の 御前渡りの待たるるも、 心弱しや。「 笹の隈」にだにあらねばにや 、つれなく過ぎたまふにつけても、 なかなか御心づくしなり
 と言うので、そうは言っても、恨めしい方のお通り過ぎが自然と待たれるというのも、意志の弱いことよ。「笹の隈」でもないからか、そっけなくお通り過ぎになるにつけても、かえって物思いの限りを尽くされる。
 と言う声がした。行列をいうのである。それを聞くと、さすがに恨めしい人の姿が待たれるというのも恋する人の弱さではなかろうか。
 源氏は御息所の来ていることなどは少しも気がつかないのであるから、振り返ってみるはずもない。気の毒な御息所である。
  to ihe ba, sasuga ni, turaki hito no omahewatari no mata ruru mo, kokoroyowasi ya! Sasano kuma ni dani ara ne ba ni ya, turenaku sugi tamahu ni tuke te mo, nakanaka mikokorodukusi nari.
1.2.19   げに、常よりも好みととのへたる車どもの、我も我もと乗りこぼれたる下簾の隙間どもも、さらぬ顔なれど、ほほ笑みつつ後目にとどめたまふもあり。大殿のは、しるければ、まめだちて渡りたまふ。御供の人びとうちかしこまり、心ばへありつつ渡るを、おし消たれたるありさま、こよなう思さる。
 なるほど、いつもより趣向を凝らした幾台もの車が、自分こそはと競って見せている出衣の下簾の隙間隙間も、何くわぬ顔だが、ほほ笑みながら流し目に目をお止めになる者もいる。大殿の車は、それとはっきり分かるので、真面目な顔をしてお通りになる。お供の人々がうやうやしく、敬意を表しながら通るのを、すっかり無視されてしまった有様、この上なく堪らなくお思いになる。
 前から評判のあったとおりに、風流を尽くした物見車にたくさんの女の乗り込んでいる中には、素知らぬ顔は作りながらも源氏の好奇心をくのもあった。微笑ほほえみを見せて行くあたりには恋人たちの車があったことと思われる。左大臣家の車は一目で知れて、ここは源氏もきわめてまじめな顔をして通ったのである。行列の中の源氏の従者がこの一団の車には敬意を表して通った。侮辱されていることをまたこれによっても御息所はいたましいほど感じた。
  Geni, tune yori mo konomi totonohe taru kuruma-domo no, ware mo ware mo to nori kobore taru sitasudare no sukima-domo mo, saranu kaho nare do, hohowemi tutu sirime ni todome tamahu mo ari. Ohotono no ha, sirukere ba, mamedati te watari tamahu. Ohom-tomo no hitobito uti-kasikomari, kokorobahe ari tutu wataru wo, osi-keta re taru arisama, koyonau obosa ru.
1.2.20  「 影をのみ御手洗川のつれなきに
   身の憂きほどぞいとど知らるる
 「今日の御禊にお姿をちらりと見たばかりで
  そのつれなさにかえって我が身の不幸せがますます思い知られる
  影をのみみたらし川のつれなさに
  身のうきほどぞいとど知らるる
    "Kage wo nomi mitarasigaha no turenaki ni
    mi no uki hodo zo itodo sira ruru
1.2.21  と、涙のこぼるるを、人の見るもはしたなけれど、目もあやなる御さま、容貌の、「 いとどしう出でばえを見ざらましかば」と思さる。
 と、思わず涙のこぼれるのを、女房の見る目も体裁が悪いが、目映いばかりのご様子、容貌が、「一層の晴れの場でのお姿を見なかったら」とお思いになる。
 こんなことを思って、涙のこぼれるのを、同車する人々に見られることを御息所は恥じながらも、また常よりもいっそうきれいだった源氏の馬上の姿を見なかったならとも思われる心があった。
  to, namida no koboruru wo, hito no miru mo hasitanakere do, me mo aya naru ohom-sama, katati no, "Itodosiu idebaye wo mi zara masika ba." to obosa ru.
1.2.22  ほどほどにつけて、装束、人のありさま、いみじくととのへたりと見ゆるなかにも、上達部はいとことなるを、一所の御光にはおし消たれためり。 大将の御仮の随身に、殿上の将監などのすることは常のことにもあらず、めづらしき行幸などの折のわざなるを、今日は右近の蔵人の将監仕うまつれり。 さらぬ御随身どもも、容貌、姿、まばゆくととのへて、世にもてかしづかれたまへるさま、木草もなびかぬはあるまじげなり。
 身分に応じて、装束、供人の様子、たいそう立派に整えていると見える中でも、上達部はまことに格別であるが、お一方のご立派さには圧倒されたようである。大将の臨時の随身に、殿上人の将監などが務めることは通例ではなく、特別の行幸などの折にあるのだが、今日は右近の蔵人の将監が供奉申している。それ以外の御随身どもも、容貌、姿、眩しいくらいに整えて、世間から大切にされていらっしゃる様子、木や草も靡かないものはないほどである。
 行列に参加した人々は皆ぶん相応に美しい装いで身を飾っている中でも高官は高官らしい光を負っていると見えたが、源氏に比べるとだれも見栄みばえがなかったようである。大将の臨時の随身を、殿上にも勤める近衛このえじょうがするようなことは例の少ないことで、何かの晴れの行幸などばかりに許されることであったが、今日は蔵人くろうどを兼ねた右近衛うこんえの尉が源氏に従っていた。そのほかの随身も顔姿ともによい者ばかりが選ばれてあって、源氏が世の中で重んぜられていることは、こんな時にもよく見えた。この人にはなびかぬ草木もないこの世であった。
  Hodohodo ni tuke te, sauzoku, hito no arisama, imiziku totonohe tari to miyuru naka ni mo, kamdatime ha ito koto naru wo, hitotokoro no ohom-hikari ni ha osi-keta re ta'meri. Daisyau no ohom-kari no zuizin ni, tenzyau no zou nado no suru koto ha tune no koto ni mo ara zu, medurasiki gyaugau nado no wori no waza naru wo, kehu ha ukon no kuraudo no zou tukaumature ri. Saranu mizuizin-domo mo, katati, sugata, mabayuku totonohe te, yo ni mote-kasidukare tamahe ru sama, ki kusa mo nabika nu ha aru mazige nari.
1.2.23  壺装束などいふ姿にて、女房の卑しからぬや、また尼などの世を背きけるなども、 倒れまどひつつ、物見に出でたるも、例は、「 あながちなりや、あなにく」と見ゆるに、 今日はことわりに、口うちすげみて、髪着こめたるあやしの者どもの、手をつくりて、額にあてつつ見たてまつりあげたるも。 をこがましげなる賤の男まで、おのが顔のならむさまをば知らで笑みさかえたり。何とも見入れたまふまじき、えせ受領の娘などさへ、心の限り尽くしたる車どもに乗り、さまことさらび心げさうしたるなむ、をかしきやうやうの見物なりける。
 壷装束などという姿をして、女房で賎しくない者や、また尼などの世を捨てた者なども、倒れたりふらついたりしながら、見物に出て来ているのも、いつもなら、「よせばいいのに、ああみっともない」と思われるのに、今日は無理もないことで、口もとがすぼんで、髪を着込んだ下女どもが、手を合わせて、額に当てながら拝み申し上げているのも。馬鹿面した下男までが、自分の顔がどんな顔になっているのかも考えずに嬉色満面でいる。まったくお目を止めになることもない、つまらない受領の娘などまでが、精一杯飾り立てた車に乗り、わざとらしく気取っているのが、おもしろいさまざまな見物であった。
 壺装束つぼしょうぞくといって頭の髪の上から上着をつけた、相当な身分の女たちや尼さんなども、群集の中に倒れかかるようになって見物していた。平生こんな場合に尼などを見ると、世捨て人がどうしてあんなことをするかと醜く思われるのであるが、今日だけは道理である。光源氏を見ようとするのだからと同情を引いた。着物の背中を髪でふくらませた、卑しい女とか、労働者階級の者までも皆手を額に当てて源氏を仰いで見て、自身が笑えばどんなおかしい顔になるかも知らずに喜んでいた。また源氏の注意をくはずもないちょっとした地方官の娘なども、せいいっぱいに装った車に乗って、気どったふうで見物しているとか、こんないろいろな物で一条の大路おおじはうずまっていた。
  Tubosauzoku nado ihu sugata nite, nyoubau no iyasikara nu ya, mata ama nado no yo wo somuki keru nado mo, tahure madohi tutu, monomi ni ide taru mo, rei ha, "Anagati nari ya, ana niku." to miyuru ni, kehu ha kotowari ni, kuti uti-sugemi te, kami ki kome taru ayasi no mono-domo no, te wo tukuri te, hitahi ni ate tutu mi tatematuri age taru mo. Wokogamasige naru sidunowo made, onoga kaho no nara m sama wo ba sira de wemi sakaye tari. Nani to mo miire tamahu maziki, esezuryau no musume nado sahe, kokoro no kagiri tukusi taru kuruma-domo ni nori, sama kotosarabi kokorogesau si taru nam, wokasiki yauyau no mimono nari keru.
1.2.24  まして、ここかしこにうち忍びて通ひたまふ所々は、人知れずのみ数ならぬ嘆きまさるも、 多かり
 まして、あちらこちらのお忍びでお通いになる方々は、人数にも入らない嘆きを募らせる方も、多かった。
 源氏の情人である人たちは、恋人のすばらしさを眼前に見て、今さら自身の価値に反省をしいられた気がした。だれもそうであった。
  Masite, koko kasiko ni uti-sinobi te kayohi tamahu tokorodokoro ha, hito sire zu nomi kazu nara nu nageki masaru mo, ohokari.
1.2.25   式部卿の宮、桟敷にてぞ見たまひける。
 式部卿の宮は、桟敷で御覧になった。
 式部卿の宮は桟敷さじきで見物しておいでになった。
  Sikibukyaunomiya, saziki nite zo mi tamahi keru.
1.2.26  「 まばゆきまで ねびゆく人の容貌かな。神などは目もこそ めたまへ」
 「まこと眩しいほどにお美しくなって行かれるご器量よ。神などは魅入られるやも」
 まぶしい気がするほどきれいになっていく人である。あの美に神が心をかれそうな気がする
  "Ito mabayuki made nebi yuku hito no katati kana! kami nado ha me mo koso tome tamahe."
1.2.27  と、ゆゆしく思したり。 姫君は、年ごろ 聞こえわたりたまふ御心ばへの世の人に似ぬを、
 と、不吉にお思いになっていた。姫君は、数年来お手紙をお寄せ申していらっしゃるお気持ちが世間の男性とは違っているのを、
 と宮は不安をさえお感じになった。宮の朝顔の姫君はよほど以前から今日までも忘れずに愛を求めてくる源氏には普通の男性に見られない誠実さがあるのであるから、
  to, yuyusiku obosi tari. Himegimi ha, tosigoro kikoye watari tamahu mikokorobahe no yo no hito ni ni nu wo,
1.2.28  「 なのめならむにてだにあり。まして、 かうしも、いかで
 「並の男でさえこれだけ深い愛情をお持ちならば。ましてや、こんなにも、どうして」
 それほどの志を持った人は少々欠点があっても好意が持たれるのに、ましてこれほどの美貌びぼうの主であったか
  "Nanome nara m ni te dani ari. Masite, kau simo, ikade."
1.2.29  と御心とまりけり。いとど近くて見えむまでは思しよらず。若き人びとは、聞きにくきまでめできこえあへり。
 と、お心が惹かれた。それ以上近づいてお逢いなさろうとまではお考えにならない。若い女房たちは、聞き苦しいまでにお褒め申し上げていた。
 と思うと一種の感激を覚えた。けれどもそれは結婚をしてもよい、愛に報いようとまでする心の動きではなかった。宮の若い女房たちは聞き苦しいまでに源氏をほめた。
  to mikokoro tomari keri. Itodo tikaku te miye m made ha obosi yora zu. Wakaki hitobito ha, kikinikuki made mede kikoye aheri.
1.2.30   祭の日は、大殿にはもの見たまはず。 大将の君、かの御車の所争ひを、 まねび聞こゆる人ありければ、「 いといとほしう憂し」と思して、
 祭の日は、大殿におかれてはご見物なさらない。大将の君、あのお車の場所争いを、そっくりご報告する者があったので、「とても気の毒に情けない」とお思いになって、
 翌日の加茂祭りの日に左大臣家の人々は見物に出なかった。源氏に御禊みそぎの日の車の場所争いを詳しく告げた人があったので、源氏は御息所みやすどころに同情して葵夫人の態度を飽き足らず思った。
  Maturi no hi ha, Ohotono ni ha mono mi tamaha zu. Daisyaunokimi, kano mikuruma no tokoro arasohi wo, manebi kikoyuru hito ari kere ba, "Ito itohosiu usi" to obosi te,
1.2.31  「 なほ、あたら重りかにおはする人の、ものに情けおくれ、すくすくしきところつきたまへるあまりに、 みづからはさしも思さざりけめども、 かかる仲らひは情け交はすべきものとも思いたらぬ 御おきてに従ひて、 次々よからぬ人のせさせたるならむかし。御息所は、心ばせの いと恥づかしく、よしありておはするものを、いかに思し憂じにけむ」
 「やはり、惜しいことに重々しい方でいらっしゃる人が、何事にも情愛に欠けて、無愛想なところがおありになるあまり、ご自身はさほどお思いにならなかったようだが、このような妻妾の間柄では情愛を交わしあうべきだともお思いでないお考え方に従って、引き継いで下々の者が争いをさせたのであろう。御息所は、気立てがとてもこちらが気が引けるほど奥ゆかしく、上品でいらっしゃるのに、どんなに嫌な思いをされたことだろう」
 貴婦人としての資格を十分に備えながら、情味に欠けた強い性格から、自身はそれほどに憎んではいなかったであろうが、そうした一人の男を巡って愛の生活をしている人たちの間はまた一種の愛で他を見るものであることを知らない女主人の意志に習って付き添った人間が御息所を侮辱したに違いない、見識のある上品な貴女である御息所はどんなにいやな気がさせられたであろう
  "Naho, atara omorika ni ohasuru hito no, mono ni nasake okure, sukusukusiki tokoro tuki tamahe ru amari ni, midukara ha sasimo obosa zari keme domo, kakaru nakarahi ha nasake kahasu beki mono to mo oboi tara nu ohom-okite ni sitagahi te, tugitugi yokara nu hito no se sase taru nara m kasi. Miyasumdokoro ha, kokorobase no ito hadukasiku, yosi ari te ohasuru mono wo, ikani obosi umzi ni kem."
1.2.32  と、いとほしくて、参うでたまへりけれど、 斎宮のまだ本の宮におはしませば、榊の憚りにことつけて、心やすくも対面したまはず。ことわりとは思しながら、「 なぞや、かくかたみにそばそばしからでおはせかし」と、うちつぶやかれたまふ。
 と、気の毒に思って、お見舞いに参上なさったが、斎宮がまだ元の御殿にいらっしゃるので、神事の憚りを口実にして、気安くお会いなさらない。もっともなことだとはお思いになるが、「どうして、こんなにお互いによそよそしくなさらずいらっしゃればよいものを」と、ついご不満が呟かれる。
 と、気の毒に思ってすぐに訪問したが、斎宮がまだやしきにおいでになるから、神への遠慮という口実でってくれなかった。源氏には自身までもが恨めしくてならない、現在の御息所の心理はわかっていながらも、どちらもこんなに自己を主張するようなことがなくて柔らかに心が持てないのであろうかと歎息たんそくされるのであった。
  to, itohosiku te, maude tamahe ri kere do, Saiguu no mada moto no miya ni ohasimase ba, sakaki no habakari ni kototuke te, kokoroyasuku mo taimen si tamaha zu. Kotowari to ha obosi nagara, "Nazo ya, kaku katami ni sobasobasikara de ohase kasi." to, uti-tubuyaka re tamahu.
注釈41そのころ斎院も下りゐたまひて系図不詳の人。桐壺帝譲位によって斎院を退下。1.2.1
注釈42后腹の女三宮ゐたまひぬ弘徽殿大后腹の女三宮。「花宴」巻に女一宮とともに紹介された人。1.2.1
注釈43帝后とことに大島本「みかときさきとことに」とある。『集成』『古典セレクション』は諸本に従って「帝后いとことに」と「い」を補入する。『新大系』は底本のまま。桐壺院と弘徽殿大后をさす。上皇をも「帝」と呼称する。「きさき」を榊原家本、池田本、肖柏本、三条西家本では「后」と表記する。1.2.1
注釈44筋ことに神に仕える身をいう。1.2.1
注釈45こと宮たちの--神わざなれど横山本と榊原家本はナシ。両本の同系統であることを示す例である。1.2.1
注釈46祭のほど賀茂祭。四月中の酉の日に行われる。1.2.1
注釈47人から『集成』は濁音「人がら」と読み、『古典セレクション』『新大系』は「人から」と清音に読む。いずれも人徳の意とする。1.2.1
注釈48御禊の日斎院の二度目の御禊。祭に先立ち賀茂川で御禊を行い、祭の当日は上下両社に参拝し、以後紫野の斎院に入る。1.2.2
注釈49上達部など数定まりて二度目の御禊は、大納言一名、中納言一名、参議二名の計四名が供奉する(延喜式)。1.2.2
注釈50大将の君源氏。源氏はこの時、参議兼大将である。参議の一人として供奉する。1.2.2
注釈51いでやおのがどち以下「いとあまりもhべるかな」まで、女房の詞。1.2.5
注釈52おほよそ人関係のない人。源氏とは無関係の人の意。1.2.5
注釈53大将殿女房たちは源氏を「大将殿」と呼称する。1.2.5
注釈54御心地もよろしき隙なり以下「さうざうしげなめり」まで、大宮の詞。1.2.7
注釈55日たけゆきて以下、葵の上と六条御息所の車争いの物語。1.2.9
注釈56儀式もわざとならぬさまにて『集成』は「お支度も改まったふうにはなさらずに」と解し、『完訳』は「高貴な葵の上の外出の作法」と注す。1.2.9
注釈57よそほしう引き続きて立ちわづらふ葵の上一行の車をさす。『集成』は「美々しく何台も続いたまま場所を探しかねている」と解し、『完訳』は「車の装束をいかめしく整え、列をなして」と注す。相手に威圧感を与えるような様子に車の列をなしての意。1.2.9
注釈58雑々の人なき隙『完訳』は「車副などの雑人のことか」と注す。1.2.9
注釈59網代大島本は「あんしろ」とある。網代車のこと。檜の薄板や竹を網代に組んで屋形や側面を張り、彩色や文様を施した車。人目をはばかる私的な外出時に多く用いられた。1.2.9
注釈60これはさらにさやうにさし退けなどすべき御車にもあらず六条御息所方供人の詞。1.2.10
注釈61もの思し乱るる慰めにもや六条御息所の心。『完訳』は「源氏ゆえの物思いが源氏の姿を見れば慰められるかと。源氏への未練を人に知られまいとする」と注す。六条御息所はこっそりと源氏の姿を見ようと忍び姿で見物に出かけたのである。1.2.12
注釈62忍びて出でたまへるなりけり『細流抄』は「草子地の便に書也」と指摘。『完訳』も「語り手が御息所の存在にはじめて気づいたとして語る」と注す。1.2.12
注釈63さばかりにてはさな言はせそ葵の上方の従者の詞。『完訳』は「葵の上方と対等には自己主張をさせまいとする」と注す。1.2.13
注釈64大将殿をぞ豪家には思ひきこゆらむ葵の上方の従者の詞。『集成』は「源氏の愛人である御息所に対する当てこすりの言葉」と注す。1.2.14
注釈65その御方の人も混じれば源氏の従者をさす。葵の上方の従者に混じっている意。大島本に「ましれは」とある。『集成』『古典セレクション』は諸本に従って「まじれれば」と「れ」を補入する。『新大系』は底本のまま。1.2.15
注釈66いとほし「御方の人」、すなわち源氏方の供人が六条御息所を。1.2.15
注釈67知らず顔をつくる主語は「御方の人」。1.2.15
注釈68心やましきをばさるものにて『集成』は「胸のおさまらぬことはもとより」と解し、『完訳』は「憤懣の思いはもちろんだが」の意に解す。1.2.16
注釈69かかるやつれをそれと知られぬるが、いみじうねたきこと、限りなし『完訳』は「心底にある源氏への未練を、源氏の正妻に見すかされた屈辱感」と注す。1.2.16
注釈70何に来つらむ六条御息所の心。反語表現。1.2.16
注釈71物も見で帰らむ六条御息所の心。1.2.16
注釈72事なりぬ供人の詞。行列が来たの意。1.2.17
注釈73さすがに『完訳』は「以下、御息所の、反転して源氏の姿に見入ろうとする気持」と指摘。1.2.18
注釈74御前渡り『完訳』は「「前渡り」は、自分を顧みるべき人が目前を素通りすること。そうと知りながら心待ちする気弱さ」と注す。1.2.18
注釈75心弱しや語り手の六条御息所に対する評言。『岷江入楚』は「御息所の心中を察してかけり」と指摘。『評釈』は「物語を語る女房が物語を語る立場をはなれて、批評を加えた部分」と指摘する。1.2.18
注釈76笹の隈にだにあらねばにや『源氏釈』は「笹の隈桧の隈川に駒とめてしばし水かへ影をだに見む」(古今集、大歌所御歌、一〇八〇、ひるめの歌)を指摘。『集成』は「源氏の姿を見たいと思うが、ここは「笹の隈」でさえないから、源氏が馬もとめず見向きもせずに通り過ぎられるにつけても」と解す。1.2.18
注釈77なかなか御心づくしなり『完訳』は「なまじちらとお姿を拝しただけにかえって心も尽きはてる思いでいらっしゃる」の意に解す。1.2.18
注釈78げに『完訳』は「かねてより物見車心つかひしけり」を受けると指摘する。1.2.19
注釈79影をのみ御手洗川のつれなきに--身の憂きほどぞいとど知らるる六条御息所の独詠歌。「みたらし」の「み」は「見る」と「御手洗川」の掛詞。「うき」は「憂き」と「浮き」の掛詞。「影」「浮き」は「川」の縁語。『完訳』は「影を宿すだけの川の流れに、己が身の薄幸を形象。「憂し」は運命の痛恨」と指摘する。1.2.20
注釈80いとどしう以下「見ざらましかば」まで、六条御息所の心。『集成』は「一層、晴れの場でのお引き立ちになるすばらしさを見なかったら、どんなに心残りなことだろうと(御息所は)お思いになる」と注す。『完訳』は「うち砕かれた御息所の心が、源氏の麗姿を見てわずかに慰められる」と注す。1.2.21
注釈81大将の御仮の随身大将の随身は定員六名。1.2.22
注釈82さらぬ御随身どもも定員意外の随身。1.2.22
注釈83倒れまどひつつ大島本は「たうれまとひつゝ」とあるが、独自異文。他の青表紙諸本は「たふれまろひつつ」とある。『集成』『古典セレクション』は「倒れ転びつつ」と校訂する。『新大系』は底本のままとする。1.2.23
注釈84あながちなりやあなにく語り手の批評。いかにもひどすぎる、ああ、みっともないの意。1.2.23
注釈85今日はことわりに今日は源氏が供奉しているので、それを見ようとするのは無理ないことだの意。1.2.23
注釈86をこがましげなる『完訳』は「だらしない表情になっている。「をこがましげなる」は上を受ける述語で、しかも下に続く修飾語」と注す。1.2.23
注釈87多かり大島本は「おほかり」とある。横山本、池田本、肖柏本、三条西家本と書陵部本は「おほかりけり」。榊原家本が大島本と同文。河内本、別本は横山本等と同文。『古典セレクション』は「多かりけり」と「けり」を補入する。『集成』『新大系』は底本のまま。1.2.24
注釈88式部卿の宮朝顔の姫君の父宮。桃園式部卿の宮。1.2.25
注釈89いとまばゆきまで以下「目もこそとめたまへ」まで、式部卿の宮の感想。1.2.26
注釈90ねびゆく横山本は「ね(ね=を)ひゆく」と傍記。榊原家本と池田本は「おひゆく」(生ひゆく)。三条西家本は「お(お$ね)ひゆく」と訂正。肖柏本や書陵部本は大島本と同文。河内本と別本の御物本は「おひゆく」。陽明文庫本はナシ。1.2.26
注釈91とめたまへ--と横山本は「とめ(め=まり)たまへと」、池田本は「とまり(まり=め)給へ(へ=はめ)と」、肖柏本と三条西家本は「とまりたまへと」とある。榊原家本や書陵部本は大島本と同文。河内本と別本の陽明文庫本は「とゝめ給へと」とある。1.2.26
注釈92姫君は式部卿の宮の姫君、朝顔の姫君とも呼称される。「帚木」巻に初出。1.2.27
注釈93聞こえわたりたまふ主語は源氏。1.2.27
注釈94なのめならむにてだにあり以下「いかで」まで、姫君の心。『集成』は「(男の容姿が)かりに並々であっても、(あの手紙の主と思えば)心がひかれずにいられないのに」の意に解し、『完訳』は「女は平凡な相手にさえ動じやすいのに、まして相手が源氏では」と注す。1.2.28
注釈95かうしもいかで『集成』は「どうしてこんなに美しいのか」の意に解す。1.2.28
注釈96祭の日は賀茂祭の当日。源氏、葵の上と六条御息所との車争いの事件を耳にする。1.2.30
注釈97大将の君横山本、池田本、肖柏本、三条西家本は「大将の君は」と係助詞「は」がある。榊原家本や書陵部本は大島本と同文。1.2.30
注釈98まねび聞こゆる人ありければ「まねび」はそっくり、そのまま、というニュアンス。『完訳』は「逐一申し上げる者があったので」の意に解す。1.2.30
注釈99いといとほしう憂し源氏の心。『集成』は「見苦しく情けない」の意に解し、『完訳』は「「いとほしう」は、御息所への憐憫の情。「う(憂)し」は、葵の上への嫌悪の気持」と注す。1.2.30
注釈100なほ、あたら重りかに以下「思し憂じにけむ」まで、源氏の心中。『完訳』は「以下、葵の上評。「情おくる」は、細かな情愛に欠ける意。「すくすくし」は、やさしさのない意」と注す。1.2.31
注釈101みづからは『完訳』は「自分では大してひどいことをしたと思わないのだろうが。直接の文脈は「次々よからぬ人の」に続く」と注す。1.2.31
注釈102かかる仲らひ一夫多妻制の妻妾の関係。1.2.31
注釈103御おきて横山本に「御心をきて」とある。『集成』は「御心掟」と訂正する。ご意向、の意。1.2.31
注釈104次々よからぬ人のせさせたるならむかし『集成』は「段々と下々の者が起させた争いなのであろう。下々の者の中に不心得者がいたのであろうという意」と注し、『完訳』は「身分も教養もない低い女房・召使」と注す。1.2.31
注釈105斎宮のまだ本の宮におはしませば斎宮に卜定されたが、まだ初斎院に入らず、本邸(六条の自邸)にいらっしゃるという意。1.2.32
注釈106なぞやかくかたみにそばそばしからでおはせかし源氏の心。『集成』は「どうしたことだ、お二人ともよそよそしくなさらなくてもよいのに」の意に解す。1.2.32
出典2 笹の隈 笹の隈桧隈川に駒とめてしばし水かへ影だに見む 古今集大歌所御歌-一〇八〇 ひるめの歌 1.2.18
校訂1 后腹の 后腹の--きさきはし(し/$ら<朱>)の 1.2.1
校訂2 よき よき--(/+よき<朱>) 1.2.9
校訂3 いづかたにも いづかたにも--いつかた(た/+に)も 1.2.11
校訂4 さばかりにては さばかりにては--さはかりて(て/$にて)は 1.2.13
校訂5 いとど いとど--いと(と/+と<朱>) 1.2.20
校訂6 いと いと--(/+いと) 1.2.31
1.3
第三段 賀茂祭の当日、紫の君と見物


1-3  Genji views Kamo-matsuri with Murasaki

1.3.1   今日は、二条院に離れおはして、祭見に出でたまふ。西の対に渡りたまひて、惟光に車のこと仰せたり。
 今日は、二条の院に離れていらして、祭を見物にお出かけになる。西の対にお渡りになって、惟光に車のことをお命じになってある。
 祭りの日の源氏は左大臣家へ行かずに二条の院にいた。そして町へ見物に出て見る気になっていたのである。西の対へ行って、惟光これみつに車の用意を命じた。
  Kehu ha, Nideunowin ni hanare ohasi te, maturi mi ni ide tamahu. Nisinotai ni watari tamahi te, Koremitu ni kuruma no koto ohose tari.
1.3.2  「 女房出で立つや
 「女房たちも出かけますか」
 「女連も見物に出ますか」
  "Nyoubau idetatu ya?"
1.3.3  とのたまひて、姫君のいとうつくしげにつくろひたてておはするを、うち笑みて見たてまつりたまふ。
 とおっしゃって、姫君がとてもかわいらしげにおめかししていらっしゃるのを、ほほ笑みながら拝見なさる。
 と言いながら、源氏は美しく装うた紫の姫君の姿を笑顔えがおでながめていた。
  to notamahi te, Himegimi no ito utukusige ni tukurohi tate te ohasuru wo, uti-wemi te mi tatematuri tamahu.
1.3.4  「 君は、いざたまへ。もろともに見むよ
 「あなたは、さあいらっしゃい。一緒に見物しようよ」
 「あなたはぜひおいでなさい。私がいっしょにつれて行きましょうね」
  "Kimi ha, iza tamahe. Morotomoni mi m yo."
1.3.5  とて、御髪の常よりもきよらに見ゆるを、かきなでたまひて、
 と言って、お髪がいつもより美しく見えるので、かき撫でなさって、
 平生よりも美しく見える少女の髪を手でなでて、
  tote, migusi no tune yori mo kiyora ni miyuru wo, kaki nade tamahi te,
1.3.6  「 久しう削ぎたまはざめるを、今日は、吉き日ならむかし
 「長い間お切り揃えにならなかったようだが、今日は、日柄も吉いのだろうかな」
 「先を久しく切らなかったね。今日は髪そぎによい日だろう」
  "Hisasiu sogi tamaha za' meru wo, kehu ha, yoki hi nara m kasi."
1.3.7  とて、 暦の博士召して、 問はせなどしたまふほどに、
 と言って、暦の博士をお呼びになって、時刻を調べさせたりしていらっしゃる間に、
 源氏はこう言って、陰陽道おんみょうどうの調べ役を呼んでよい時間を聞いたりしながら、
  tote, koyomi no hakase mesi te, toki toha se nado si tamahu hodo ni,
1.3.8  「 まづ、女房出でね
 「まずは、女房たちから出発だよ」
 「女房たちは先に出かけるといい」
  "Madu, nyoubau ide ne."
1.3.9  とて、童の姿どものをかしげなるを御覧ず。いとらうたげなる髪どものすそ、はなやかに削ぎわたして、浮紋の表の袴にかかれるほど、けざやかに見ゆ。
 と言って、童女の姿態のかわいらしいのを御覧になる。とてもかわいらしげな髪の裾、皆こざっぱりと削いで、浮紋の表の袴に掛かっている様子が、くっきりと見える。
 と言っていた。きれいに装った童女たちを点見したが、少女らしくかわいくそろえて切られた髪のすそが紋織の派手はではかまにかかっているあたりがことに目をいた。
  tote, waraha no sugata-domo no wokasige naru wo goran zu. Ito rautage naru kami-domo no suso, hanayaka ni sogi watasi te, ukimon no uhe no hakama ni kakare ru hodo, kezayaka ni miyu.
1.3.10  「 君の御髪は、我削がむ」とて、「 うたて、所狭うもあるかな。いかに生ひやらむとすらむ
 「あなたのお髪は、わたしが削ごう」と言って、「何と嫌に、たくさんあるのだね。どんなに長くおなりになることだろう」
 「女王にょおうさんの髪は私が切ってあげよう」と言った源氏も、「あまりたくさんで困るね。大人おとなになったらしまいにはどんなになろうと髪は思っているのだろう。」
  "Kimi no migusi ha, ware soga m." tote, "Utate, tokoroseu mo aru kana! Ikani ohi yara m to su ram?"
1.3.11  と、削ぎわづらひたまふ。
 と、削ぐのにお困りになる。
 と困っていた。
  to, sogi wadurahi tamahu.
1.3.12  「 いと長き人も、額髪はすこし短うぞあめるを、むげに後れたる筋のなきや、あまり情けなからむ」
 「とても髪の長い人も、額髪は少し短めにあるようだのに、少しも後れ毛のないのも、かえって風情がないだろう」
 「長い髪の人といっても前の髪は少し短いものなのだけれど、あまりそろい過ぎているのはかえって悪いかもしれない」
  "Ito nagaki hito mo, hitahigami ha, sukosi mizikau zo a' meru wo, muge ni okure taru sudi no naki ya, amari nasake nakara m."
1.3.13  とて、削ぎ果てて、「 千尋」と祝ひきこえたまふを、 少納言、「 あはれにかたじけなし」と見たてまつる。
 と言って、削ぎ終わって、「千尋に」とお祝い言をお申し上げになるのを、少納言、「何とももったいないことよ」と拝し上げる。
 こんなことも言いながら源氏の仕事は終わりになった。「千尋ちひろ」と、これは髪そぎの祝い言葉である。少納言は感激していた。
  tote, sogi hate te, "Tihiro" to ihahi kikoye tamahu wo, Seunagon, "Ahare ni katazikenasi" to mi tatematuru.
1.3.14  「 はかりなき千尋の底の海松ぶさの
   生ひゆくすゑは我のみぞ見む
 「限りなく深い海の底に生える海松のように
  豊かに成長してゆく黒髪はわたしだけが見届けよう
  はかりなき千尋の底の海松房みるぶさ
  ひ行く末はわれのみぞ見ん
    "Hakari naki tihiro no soko no mirubusa no
    ohi yuku suwe ha ware nomi zo mi m
1.3.15  と聞こえたまへば、
 と申し上げなさると、
 源氏がこう告げた時に、女王は、
  to kikoye tamahe ba,
1.3.16  「 千尋ともいかでか知らむ定めなく
   満ち干る潮ののどけからぬに
 「千尋も深い愛情を誓われてもがどうして分りましょう
  満ちたり干いたり定めない潮のようなあなたですもの
  千尋ともいかでか知らん定めなく
  満ちる潮ののどけからぬに
    "Tihiro to mo ikade ka sira m sadame naku
    miti hiru siho no nodokekara nu ni
1.3.17  と、ものに書きつけておはするさま、 らうらうじきものから、若うをかしきを、めでたしと思す。
 と、何かに書きつけていられる様子、いかにも物慣れている感じがするが、初々しく美しいのを、素晴らしいとお思いになる。
 と紙に書いていた。貴女らしくてしかも若やかに美しい人に源氏は満足を感じていた。
  to, mono ni kaki tuke te ohasuru sama, raurauziki monokara, wakau wokasiki wo, medetasi to obosu.
1.3.18   今日も、所もなく立ちにけり馬場の御殿のほどに立てわづらひて、
 今日も、隙間のなく立ち並んでいるのであった。馬場殿の付近に止めあぐねて、
 今日も町には隙間すきまなく車が出ていた。馬場殿あたりで祭りの行列を見ようとするのであったが、都合のよい場所がない。
  Kehu mo, tokoro mo naku tati ni keri. Mumaba no otodo no hodo ni tate wadurahi te,
1.3.19  「 上達部の車ども多くて、もの騒がしげなるわたりかな
 「上達部たちの車が多くて、何となく騒がしそうな所だな」
 「大官連がこの辺にはたくさん来ていて面倒めんどうな所だ」
  "Kamdatime no kuruma-domo ohoku te, mono-sawagasige naru watari kana!"
1.3.20  と、 やすらひたまふに、よろしき女車の、 いたう乗りこぼれたるより、扇をさし出でて、 人を招き寄せて
 と、ためらっていらっしゃると、まあまあの女車で、派手に袖口を出している所から、扇を差し出して、供人を招き寄せて、
 源氏は言って、車をやるのでなく、めるのでもなく、躊躇ちゅうちょしている時に、よい女車で人がいっぱいに乗りこぼれたのから、扇を出して源氏の供を呼ぶ者があった。
  to, yasurahi tamahu ni, yorosiki womnaguruma no, itau nori kobore taru yori, ahugi wo sasi-ide te, hito wo maneki yose te,
1.3.21  「 ここにやは立たせたまはぬ。所避りきこえむ
 「ここにお止めになりませんか。場所をお譲り申しましょう」
 「ここへおいでになりませんか。こちらの場所をお譲りしてもよろしいのですよ」
  "Koko ni yaha tata se tamaha nu? Tokoro sari kikoye m."
1.3.22  と聞こえたり。「 いかなる好色者ならむ」と思されて、所もげによきわたりなれば、引き寄せさせたまひて、
 と申し上げた。「どのような好色な人だろう」とついお思われなさって、場所もなるほど適した所なので、引き寄させなさって、
 という挨拶あいさつである。どこの風流女のすることであろうと思いながら、そこは実際よい場所でもあったから、その車に並べて源氏は車をえさせた。
  to kikoye tari. "Ika naru sukimono nara m?" to obosa re te, tokoro mo geni yoki watari nare ba, hikiyose sase tamahi te,
1.3.23  「 いかで得たまへる所ぞと、ねたさになむ
 「どのようにしてお取りになった所かと、羨ましくて」
 「どうしてこんなよい場所をお取りになったかとうらやましく思いました」
  "Ikade e tamahe ru tokoro zo to, netasa ni nam."
1.3.24  とのたまへば、 よしある扇のつまを折りて
 とおっしゃると、風流な桧扇の端を折って、
 と言うと、品のよい扇の端を折って、それに書いてよこした。
  to notamahe ba, yosi aru ahugi no tuma wo wori te,
1.3.25  「 はかなしや人のかざせる葵ゆゑ
   神の許しの今日を待ちける
 「あら情けなや、他の人と同車なさっているとは
  神の許す今日の機会を待っていましたのに
  はかなしや人のかざせるあふひゆゑ
  神のしるしの今日を待ちける
    "Hakanasi ya hito no kazase ru ahuhi yuwe
    kami no yurusi no kehu wo mati keru
1.3.26   注連の内には
 神域のような所には」
 注連しめを張っておいでになるのですもの。
  Sime no uti ni ha."
1.3.27  とある手を思し出づれば、 かの典侍なりけり。「 あさましう、旧りがたくも今めくかな」と、憎さに、 はしたなう
 とある筆跡をお思い出しになると、あの典侍なのであった。「あきれた、相変わらず風流めかしているなあ」と、憎らしい気がして、無愛想に、
 源典侍げんてんじの字であることを源氏は思い出したのである。どこまで若返りたいのであろうと醜く思った源氏は皮肉に、
  to aru te wo obosi idure ba, kano Naisinosuke nari keri. "Asamasiu, huri gataku mo imameku kana!" to, nikusa ni, hasitanau,
1.3.28  「 かざしける心ぞあだにおもほゆる
   八十氏人になべて逢ふ日を
 「そのようにおっしゃるあなたの心こそ当てにならないものと思いますよ
  たくさんの人々に誰彼となく靡くものですから
  かざしける心ぞあだに思ほゆる
  八十氏やそうぢ人になべてあふひを
    "Kazasi keru kokoro zo ada ni omohoyuru
    yaso udibito ni nabete ahu hi wo
1.3.29  女は、「 つらし」と思ひきこえけり。
 女は、「ひどい」とお思い申し上げるのであった。
 と書いてやると、恥ずかしく思った女からまた歌が来た。
  Womna ha, "Turasi" to omohi kikoye keri.
1.3.30  「 悔しくもかざしけるかな名のみして
   人だのめなる草葉ばかりを
 「ああ悔しい、葵に逢う日を当てに楽しみにしていたのに
  わたしは期待を抱かせるだけの草葉に過ぎないのですか
  くやしくもかざしけるかな名のみして
  人だのめなる草葉ばかりを
    "Kuyasiku mo kazasi keru kana na nomi si te
    hito danome naru kusaba bakari wo
1.3.31  と聞こゆ。 人と相ひ乗りて、簾をだに上げたまはぬを、 心やましう思ふ人多かり
 と申し上げる。女性と同車しているので、簾をさえお上げにならないのを、妬ましく思う人々が多かった。
 今日の源氏が女の同乗者を持っていて、みすさえ上げずに来ているのをねたましく思う人が多かった。
  to kikoyu. Hito to ahinori te, sudare wo dani age tamaha nu wo, kokoroyamasiu omohu hito ohokari.
1.3.32  「 一日の御ありさまのうるはしかりしに、今日うち乱れて歩きたまふかし。誰ならむ。 乗り並ぶ人けしうはあらじはや」と、推し量りきこゆ。「 挑ましからぬ、かざし争ひかな」と、さうざうしく思せど、 かやうにいと 面なからぬ人はた、人相ひ乗りたまへるにつつまれて、はかなき御いらへも、心やすく聞こえむも、まばゆしかし。
 「先日のご様子が端麗でご立派であったのに、今日はくだけていらっしゃること。誰だろう。一緒に乗っている人は、悪くはない人に違いない」と、推量申し上げる。「張り合いのない、かざしの歌争いであったな」と、物足りなくお思いになるが、この女のように大して厚かましくない人は、やはり女性が相乗りなさっているのに自然と遠慮されて、ちょっとしたお返事も、気安く申し上げるのも、面映ゆいに違いない。
 御禊の日の端麗だった源氏が今日はくつろいだふうに物見車の主になっている、並んで乗っているほどの人は並み並みの女ではないはずであるとこんなことを皆想像したものである。源典侍では競争者と名のって出られても問題にはならないと思うと、源氏は少しの物足りなさを感じたが、源氏の愛人がいると思うと晴れがましくて、源典侍のようなあつかましい老女でもさすがに困らせるような戯談じょうだんもあまり言い出せないのである。
  "Hitohi no ohom-arisama no uruhasikari si ni, kehu uti-midare te ariki tamahu kasi. Tare nara m? Nori narabu hito, kesiu ha arazi haya!" to, osihakari kikoyu. "Idomasikara nu, kazasi arasohi kana!" to, sauzausiku obose do, kayau ni ito omonakara nu hito hata, hito ahinori tamahe ru ni tutuma re te, hakanaki ohom-irahe mo, kokoroyasuku kikoye m mo, mabayusi kasi.
注釈107今日は二条院に離れおはして「離れ」は葵の上からのニュアンスをこめる。紫の上と祭見物に出掛ける。1.3.1
注釈108女房出で立つや源氏の詞。『集成』は「女房たちは見物に行くかね。「女房」とは、紫の上づきの童女たちを戯れに大人扱いしたもの。後出の「まづ女房出でね」も同様」と注す。1.3.2
注釈109君はいざたまへもろともに見むよ源氏の詞。1.3.4
注釈110久しう削ぎたまはざめるを今日は吉き日ならむかし源氏の詞。髪の裾を切り揃えるのに吉日を選んだ。1.3.6
注釈111暦の博士陰陽寮所属の官人。暦博士。1.3.7
注釈112髪を切り揃えるのに適当な時刻。1.3.7
注釈113まづ女房出でね源氏の詞。『集成』は「出ておいで」の意に解し、『完訳』は「先に出なさい」の意に解す。1.3.8
注釈114君の御髪は我削がむ源氏の詞。1.3.10
注釈115うたて所狭うもあるかないかに生ひやらむとすらむ源氏の詞。髪は豊富で長いのを良しとした。1.3.10
注釈116いと長き人も以下「あまり情けなからむ」まで、源氏の詞。1.3.12
注釈117千尋源氏の予祝の詞。1.3.13
注釈118少納言紫の上の乳母。「若紫」巻に初出。1.3.13
注釈119あはれにかたじけなし少納言の乳母の心。1.3.13
注釈120はかりなき千尋の底の海松ぶさの--生ひゆくすゑは我のみぞ見む源氏の贈歌。あなたの豊かな将来はわたしだけだ見届けましょうの意。1.3.14
注釈121千尋ともいかでか知らむ定めなく--満ち干る潮ののどけからぬに紫の上の返歌。「千尋」の語句を受けて返す。『完訳』は「「満ち干る潮」の深浅動揺する景によって、源氏の「千尋」の情愛も頼りがたいと切り返した」と注す。1.3.16
注釈122らうらうじきものから『集成』は「大人びた様子ながら」と解し、『完訳』は「「らうらうじ」は巧者の意。返歌の機転に、手応えをおぼえる」と注す。1.3.17
注釈123今日も所もなく立ちにけり祭当日。一条大路の様子。御禊の日同様に、見物の車でびっしり埋まっている。1.3.18
注釈124馬場の御殿左近の馬場。一条西洞院にある。1.3.18
注釈125上達部の車ども多くてもの騒がしげなるわたりかな源氏の独語。1.3.19
注釈126やすらひたまふに『完訳』は「車の進みをおゆるめになると」と訳す。1.3.20
注釈127いたう乗りこぼれたるより『集成』は「派手に袖口を出したのから」の意に解し、『完訳』は「袖口などがこぼれ出てずいぶん大勢乗っている中から」の意に解す。1.3.20
注釈128人を招き寄せて源氏の従者をさす。1.3.20
注釈129ここにやは立たせたまはぬ所避りきこえむ源典侍の詞。1.3.21
注釈130いかなる好色者ならむ源氏の心。『集成』は「しゃれ物」の意に解し、『完訳』は「自分から声をかける行為を根拠に、相当の好色女と推測」と注し、「物好き」と訳す。1.3.22
注釈131いかで得たまへる所ぞとねたさになむ源氏の詞。『完訳』は「憎らしいほど好都合な場所、と声をかけて相手の反応を待つ」と注す。1.3.23
注釈132よしある扇のつまを折りて風流な桧扇の端を折って。1.3.24
注釈133はかなしや人のかざせる葵ゆゑ--神の許しの今日を待ちける源典侍の贈歌。「あふひ」は「逢ふ日」と「葵」の掛詞。「かざす」は葵祭に頭に葵を挿したことに因む。「人のかざせる」とは、既に人の物となってしまっているの意で、他の女と同車していることをいう。1.3.25
注釈134注連の内には歌に添えた言葉。注連の内側には、入って行けませんの意。1.3.26
注釈135かの典侍なりけり源典侍をいう。「紅葉賀」巻に初出。源氏の驚きを語り手が同じく驚いて語ったもの。1.3.27
注釈136あさましう旧りがたくも今めくかな源氏の感想。『集成』は「年がいもなく若やいでいることかと」の意に解す。1.3.27
注釈137はしたなうそっけなくのニュアンス。1.3.27
注釈138かざしける心ぞあだにおもほゆる--八十氏人になべて逢ふ日を源氏の返歌。「かざす」を受けて、「かざしける心」と相手(源典侍)の誰にでも靡く心だと切り返す。1.3.28
注釈139つらし『集成』は「ひどいお言葉」の意に解し、『完訳』は「恨めしいお方」の意に解す。1.3.29
注釈140悔しくもかざしけるかな名のみして--人だのめなる草葉ばかりを源典侍の返歌。期待外れでしたの意。『花鳥余情』他の旧注では「行き帰る八十氏人の玉鬘かけてぞ頼むあふひてふ名を」(後撰集、夏、一六一、読人しらず)を指摘。『集成』は「榊葉の香をかぐはしみ尋め来れば八十氏人ぞ円居せりける」(古今集、神楽歌、五七七)を指摘する。1.3.30
注釈141人と相ひ乗りて主語は源氏。1.3.31
注釈142心やましう思ふ人多かり『完訳』は「典侍もこの一人。典侍のように積極的に恨まずとも、愛人たちもそれ以上に嫉妬を強めていよう」と注す。一般の見物客の女性の心であろう。1.3.31
注釈143一日の御ありさまの以下「あらじはや」まで、「心やましうおもふ人」の推測。1.3.32
注釈144乗り並ぶ人源氏と同車する人の意。1.3.32
注釈145けしうはあらじはや『集成』は「悪くはあるまいの意」と注す。『完訳』は「それ相当のお方にちがいない」と訳す。1.3.32
注釈146挑ましからぬ、かざし争ひかな源氏の心。「かざし」は源典侍との歌の贈答の語句をさす。1.3.32
注釈147かやうに源典侍をさす。1.3.32
注釈148面なからぬ人『集成』は「あつかましくない人」と解し、『完訳』は「典侍のように恥知らずでない人。源氏の愛人たち一般をさす」と注す。1.3.32
Last updated 5/16/2009(ver.2-2)
渋谷栄一校訂(C)
Last updated 5/16/2009(ver.2-1)
渋谷栄一注釈
Last updated 5/6/2001
渋谷栄一訳(C)(ver.1-2-2)
現代語訳
与謝野晶子
電子化
上田英代(古典総合研究所)
底本
角川文庫 全訳源氏物語
校正・
ルビ復活
kompass(青空文庫)

2003年7月12日

渋谷栄一訳
との突合せ
若林貴幸、宮脇文経

2005年10月22日

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Written in Japanese roman letters
by Eiichi Shibuya (C)
Picture "Eiri Genji Monogatari"(1650 1st edition)
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