第九帖 葵


09 AHUHI (Ohoshima-bon)


光る源氏の二十二歳春から二十三歳正月まで近衛大将時代の物語


Tale of Hikaru-Genji's Konoe-Daisho era from January at the age of 22 to January at the age of 23

2
第二章 葵の上の物語 六条御息所がもののけとなってとり憑く物語


2  Tale of Aoi  Aoi is possessed by Lady Rokujo's evil spirit

2.1
第一段 車争い後の六条御息所


2-1  Lady Rokujo gets ill after not viewing the parade

2.1.1   御息所は、ものを思し乱るること、年ごろよりも多く添ひにけり。つらき方に思ひ果てたまへど、 今はとてふり離れ 下りたまひなむは、「 いと心細かりぬべく、世の人聞きも人笑へにならむこと」と思す。 さりとて立ち止まるべく 思しなるには、「 かくこよなきさまに皆思ひくたすべかめるも、やすからず 釣する海人の浮けなれや 」と、起き臥し思しわづらふけにや、 御心地も浮きたるやうに思されて、悩ましうしたまふ。
 御息所は、心魂の煩悶なさること、ここ数年来よりも多く加わってしまった。薄情な方とすっかりお諦めになったが、今日を最後と振り切ってお下りになるのは、「とても心細いだろうし、世間の人の噂にも、物笑いの種になるだろうこと」とお思いになる。それだからといって、京に留まるようなお気持ちになるためには、「あの時のようなこれ以上の恥はないほどに誰もが見下げることであろうのも穏やかでなく、釣する海人の浮きか」と、寝ても起きても悩んでいられるせいか、魂も浮いたようにお感じになられて、お具合が悪くいらっしゃる。
 御息所みやすどころ煩悶はんもんはもう過去何年かの物思いとは比較にならないほどのものになっていた。信頼のできるだけの愛を持っていない人と源氏を決めてしまいながらも、断然別れて斎宮について伊勢へ行ってしまうことは心細いことのようにも思われたし、捨てられた女と見られたくない世間体も気になった。そうかと言って安心して京にいることも、全然無視された車争いの日の記憶がある限り可能なことではなかった。自身の心を定めかねて、寝てもさめても煩悶をするせいか、次第に心がからだから離れて行き、自身は空虚なものになっているという気分を味わうようになって、病気らしくなった。
  Miyasumdokoro ha, mono wo obosi midaruru koto, tosigoro yori mo ohoku sohi ni keri. Turaki kata ni omohi hate tamahe do, ima ha tote, huri hanare kudari tamahi na m ha, "Ito kokorobosokari nu beku, yo no hitogiki mo hitowarahe ni nara m koto." to obosu. Saritote tati-tomaru beku obosi naru ni ha, "Kaku koyonaki sama ni mina omohi kutasu beka' meru mo, yasukara zu, turi suru ama no uke nare ya." to, okihusi obosi wadurahu ke ni ya, mikokoti mo uki taru yau ni obosa re te, nayamasiu si tamahu.
2.1.2  大将殿には、下りたまはむことを、「 もて離れてあるまじきこと 」なども、妨げきこえたまはず、
 大将殿におかれては、お下りになろうとしていることを、「まったくとんでもないことだ」などとも、お引き止め申し上げず、
 源氏は初めから伊勢へ行くことに断然不賛成であるとも言い切らずに、
  Daisyaudono ni ha, kudari tamaha m koto wo, "Mote-hanare te aru maziki koto." nado mo, samatage kikoye tamaha zu,
2.1.3  「 数ならぬ身を、見ま憂く思し捨てむもことわりなれど、今はなほ、いふかひなきにても、御覧じ果てむや、浅からぬにはあらむ」
 「わたしのようなつまらない者を、見るのも嫌だとお思い捨てなさるのもごもっともですが、今はやはり つまらない男でも、最後までお見限りなさらないのが、浅からぬ情愛というものではないでしょうか」
 「私のようなつまらぬ男を愛してくだすったあなたが、いやにおなりになって、遠くへ行ってしまうという気になられるのはもっともですが、寛大な心になってくだすって変わらぬ恋を続けてくださることで前生ぜんしょうの因縁をまったくしたいと私は願っている」
  "Kazu nara nu mi wo, mimauku obosi sute m mo kotowari nare do, ima ha naho, ihukahinaki nite mo, goranzi hate m ya, asakara nu ni ha ara m."
2.1.4  と、 聞こえかかづらひたまへば 定めかねたまへる御心もや慰むと、立ち出でたまへりし 御禊河の荒かりし瀬に、いとど、よろづいと憂く 思し入れたり
 と、絡んで申し上げなさるので、決心しかねていらしたお気持ちも紛れることがあろうかと、外出なさった御禊見物の辛い経験から、いっそう、万事がとても辛くお思いつめになっていた。
 こんなふうにだけ言って留めているのであったから、そうした物思いも慰むかと思って出た御禊川みそぎがわに荒い瀬が立って不幸を見たのである。
  to, kikoye kakadurahi tamahe ba, sadame kane tamahe ru mikokoro mo ya nagusamu to, tatiide tamahe ri si misogigaha no arakari si se ni, itodo, yorodu ito uku obosi ire tari.
2.1.5   大殿には、御もののけめきて、いたうわづらひたまへば、誰も誰も思し嘆くに、 御歩きなど便なきころなれば、二条院にも時々ぞ渡りたまふ。 さはいへどやむごとなき方は、ことに思ひきこえたまへる人の、 めづらしきことさへ添ひたまへる御悩みなれば、 心苦しう思し嘆きて、御修法や何やなど、 わが御方にて、多く行はせたまふ。
 大殿邸では、御物の怪のようで、ひどく患っていらっしゃるので、どなたもどなたもお嘆きになっている時で、お忍び歩きなども不都合な時なので、二条院にも時々はお帰りになる。何と言っても、正妻として重んじている点では、特別にお思い申し上げていっしゃった方が、おめでたまでがお加わりになったお悩みなので、おいたわしいこととお嘆きになって、御修法や何やかやと、ご自分の部屋で、多く行わせなさる。
 あおい夫人は物怪もののけがついたふうの容体で非常に悩んでいた。父母たちが心配するので、源氏もほかへ行くことが遠慮される状態なのである。二条の院などへもほんの時々帰るだけであった。夫婦の中はむつまじいものではなかったが、妻としてどの女性よりも尊重する心は十分源氏にあって、しかも妊娠しての煩いであったからあわれみの情も多く加わって、修法しゅほう祈祷きとうも大臣家でする以外にいろいろとさせていた。
  Ohotono ni ha, ohom-mononoke meki te, itau wadurahi tamahe ba, tare mo tare mo obosi nageku ni, ohom-ariki nado binnaki koro nare ba, Nideunowin ni mo tokidoki zo watari tamahu. Saha ihe do, yamgotonaki kata ha, koto ni omohi kikoye tamahe ru hito no, medurasiki koto sahe sohi tamahe ru ohom-nayami nare ba, kokorogurusiu obosi nageki te, misuhohu ya nani ya nado, waga ohom-kata nite, ohoku okonaha se tamahu.
2.1.6  もののけ、生すだまなどいふもの多く出で来て、さまざまの名のりするなかに、 人にさらに移らず、ただみづからの御身につと添ひたるさまにて、ことにおどろおどろしうわづらはしきこゆることもなけれど、また、片時離るる折もなきもの一つあり。いみじき験者どもにも従はず、執念きけしき、おぼろけのものにあらずと見えたり。
 物の怪、生霊などというものがたくさん出てきて、いろいろな名乗りを上げる中で、憑坐にも一向に移らず、ただご本人のお身体にぴったりと憑いた状態で、特に大変にお悩ませ申すこともないが、その一方で、暫しの間も離れることのないのが一つある。すぐれた験者どもにも調伏されず、しつこい様子は並の物の怪ではない、と見えた。
 物怪もののけ生霊いきりょうというようなものがたくさん出て来て、いろいろな名乗りをする中に、仮に人へ移そうとしても、少しも移らずにただじっと病む夫人にばかり添っていて、そして何もはげしく病人を悩まそうとするのでもなく、また片時も離れない物怪もののけが一つあった。どんな修験僧しゅげんそうの技術ででも自由にすることのできない執念のあるのは、並み並みのものであるとは思われなかった。
  Mononoke, ikisudama nado ihu mono ohoku ideki te, samazama no nanori suru naka ni, hito ni sarani utura zu, tada midukara no ohom-mi ni tuto sohi taru sama nite, koto ni odoroodorosiu wadurahasi kikoyuru koto mo nakere do, mata, katatoki hanaruru wori mo naki mono hitotu ari. Imiziki genza-domo ni mo sitagaha zu, sihuneki kesiki, oboroke no mono ni ara zu to miye tari.
2.1.7  大将の君の御通ひ所、ここかしこと 思し当つるに
 大将の君のお通いになっている所、あちらこちらと見当をつけて御覧になるに、
 左大臣家の人たちは、源氏の愛人をだれかれと数えて、それらしいのを求めると、
  Daisyaunokimi no ohom-kayohi dokoro, koko kasiko to obosi aturu ni,
2.1.8  「 この御息所、二条の君などばかりこそは、おしなべてのさまには思したらざめれば、怨みの心も深からめ」
 「あの御息所、二条の君などだけは、並々のご寵愛の方ではないようだから、恨みの気持ちもきっと深いだろう」
 結局六条の御息所と二条の院の女は源氏のことに愛している人であるだけ夫人に恨みを持つことも多いわけであると、
  "Kono Miyasumdokoro, Nideunokimi nado bakari koso ha, osinabete no sama ni ha obosi tara za' mere ba, urami no kokoro mo hukakara me."
2.1.9  とささめきて、 ものなど問はせたまへど、さして聞こえ当つることもなし。もののけとても、わざと深き御かたきと聞こゆるもなし。 過ぎにける御乳母だつ人、もしは 親の御方につけつつ伝はりたるものの、弱目に出で来たるなど、 むねむねしからずぞ乱れ現はるる。ただつくづくと、音をのみ泣きたまひて、折々は胸をせき上げつつ、いみじう堪へがたげに惑ふわざをしたまへば、いかにおはすべきにかと、ゆゆしう悲しく思しあわてたり。
 とささやいて、占師に占わせなさるが、特にお当て申すこともない。物の怪といっても、特別に深いお敵と申す人もいない。亡くなったおん乳母のような人、もしくは親の血筋に代々祟り続けてきた怨霊が、弱みにつけこんで現れ出たものなど、大したものではないのがばらばらに出て来る。たださめざめと 声を上げてお泣きになるばかりで、時々は胸をせき上げせき上げして、ひどく堪え難そうにもだえていられるので、どのようにおなりになるのかと、不吉に悲しくお慌てになっていた。
 こう言って、物怪に言わせる言葉からその主を知ろうとしても、何の得るところもなかった。物怪といっても、育てた姫君に愛を残した乳母めのとというような人、もしくはこの家を代々敵視して来た亡魂とかが弱り目につけこんでくるような、そんなのは決して今度の物怪の主たるものではないらしい。夫人は泣いてばかりいて、おりおり胸がせき上がってくるようにして苦しがるのである。どうなることかとだれもだれも不安でならなかった。
  to sasameki te, mono nado toha se tamahe do, sasite kikoye aturu koto mo nasi. Mononoke tote mo, wazato hukaki ohom-kataki to kikoyuru mo nasi. Sugi ni keru ohom-menoto datu hito, mosiha, oya no ohom-kata ni tuke tutu tutahari taru mono no, yowame ni ideki taru nado, munemunesikara zu zo, midare araha ruru. Tada tukuduku to, ne wo nomi naki tamahi te, woriwori ha mune wo seki age tutu, imiziu tahe gatage ni madohu waza wo si tamahe ba, ikani ohasu beki ni ka to, yuyusiu kanasiku obosi awate tari.
2.1.10  院よりも、御とぶらひ隙なく、御祈りのことまで思し寄らせたまふさまのかたじけなきにつけても、いとど惜しげなる人の御身なり。
 院からも、お見舞いがひっきりなしにあり、御祈祷のことまでお心づかいあそばされることの恐れ多いことにつけても、ますます惜しく思われるご様子の方である。
 院の御所からも始終お見舞いの使いが来る上に祈祷までも別にさせておいでになった。こんな光栄を持つ夫人に万一のことがなければよいとだれも思った。
  Win yori mo, ohom-toburahi hima naku, ohom-inori no koto made obosi yora se tamahu sama no katazikenaki ni tuke te mo, itodo wosige naru hito no ohom-mi nari.
2.1.11  世の中あまねく惜しみきこゆるを 聞きたまふにも、御息所は ただならず思さる。年ごろはいとかくしもあらざりし御いどみ心を、はかなかりし 所の車争ひに、 人の御心の動きにけるを、かの殿には、さまでも思し寄らざりけり。
 世間の人々がみな惜しみ申し上げているのをお聞きになるにつけても、御息所はおもしろからずお思いになる。ここ数年来はとてもこのようなことはなかった張り合うお心を、ちょっとした車の場所取り争いで、御息所のお気持ちに怨念が生じてしまったのを、あちらの殿では、そこまでとはお気づきにならないのであった。
 世間じゅうが惜しんだりなげいたりしているこのうわさも御息所を不快な気分にした。これまでは決してこうではなかったのである。競争心を刺戟しげきしたのは車争いという小さいことにすぎないが、それがどれほど大きな恨みになっているかを左大臣家の人は想像もしなかった。
  Yononaka amaneku wosimi kikoyuru wo kiki tamahu ni mo, Miyasumdokoro ha tada nara zu obosa ru. Tosigoro ha ito kaku simo ara zari si ohom-idomi gokoro wo, hakanakari si tokoro no kuruma arasohi ni, hito no mikokoro no ugoki ni keru wo, kano Tono ni ha, sa made mo obosi yora zari keri.
注釈149御息所は、ものを思し乱るること六条御息所の物語。車争いの後、煩悶深まる。『完訳』は「「もの」は魂の意。接頭語ではない。心底からの物思い」と注す。2.1.1
注釈150今はとて以下、六条御息所の心にそった語り口調。語り手と登場人物の心が一体化したところ。2.1.1
注釈151下りたまひなむは「たまふ」(尊敬の補助動詞)があるので、地の文となるが、もしなければ、心中文となる文章である。2.1.1
注釈152いと心細かりぬべく以下「人笑へにならむこと」まで、御息所の心。2.1.1
注釈153さりとて以下、再び御息所の心にそった語り口調。2.1.1
注釈154思しなるには「思ふ」の尊敬語「おぼす」とあるので、地の文だが、もし「思ひ」とあれば、心中文となる文章である。なお横山本と肖柏本は「おもほしなるには」とある。2.1.1
注釈155かくこよなきさまに皆思ひくたすべかめるもやすからず以下「釣する海人の浮けなれや」まで、御息所の心。『集成』は「あんなふうに(車争いの時のように)これ以上の恥はないほど、下々の者までが自分を見下げているらしいことも、心おだやかでなく」の意に解す。『完訳』は「世間からの侮蔑にさらされているわが身が堪えがたい」と注す。2.1.1
注釈156釣する海人の浮けなれや『源氏釈』は「伊勢の海に釣する海人の浮けなれや心一つを定めかねつる」(古今集、恋一、五〇九、読人しらず)を指摘。2.1.1
注釈157御心地も浮きたるやうに前の引き歌「伊勢の海に」の語句を受けて「浮きたるやう」とある。2.1.1
注釈158もて離れてあるまじきこと『集成』は「全くとんでもないことだ」の意に解し、『完訳』は「もてはなれて」の下に読点を打ち、「あまりかかわりを持とうともなさらず、もってのほかのこと」の意に解す。2.1.2
注釈159数ならぬ身を以下「浅からぬにはあらむ」まで、源氏の詞。『完訳』は「責任転嫁のいやみな言い方」と注す。2.1.3
注釈160聞こえかかづらひたまへば主語は源氏。『完訳』は「「かかづらふ」は難癖をつける」と注して、「からんだ言い方をなさるので」と訳す。2.1.4
注釈161定めかねたまへる御心もや慰む御息所の心を地の文で語った表現。「定めかね」は前出の『古今集』歌の「心一つを定めかねつる」によった表現。なお、「たまへ」(尊敬の補助動詞)がなければ、心中文になる。2.1.4
注釈162御禊河の荒かりし瀬に斎宮御禊の日の車争いの一件をさす。それに因んで「御禊河」「荒かりし」「瀬」という、いわゆる縁語表現をしたもの。2.1.4
注釈163思し入れたり榊原家本は「おほしいれり」、池田本は「おほしいら(ら$)れたり」とミセケチにし、肖柏本と三条西家本は「おほしいられたり」とあり、池田本の元の本文と同文である。2.1.4
注釈164大殿には、御もののけめきて葵の上、物の怪に苦しむ。2.1.5
注釈165御歩きなど便なきころなれば源氏の他の女性たちへのお忍び歩きをさす。2.1.5
注釈166さはいへど『完訳』は「葵の上に薄情だとはいえ」と注す。2.1.5
注釈167やむごとなき方は正妻としての意。2.1.5
注釈168めづらしきこと懐妊をさす。2.1.5
注釈169心苦しう『集成』は「おいたわしいことと」の意に解し、『完訳』は「痛々しく」の意に解す。2.1.5
注釈170わが御方にて左大臣邸の源氏の部屋をさす。2.1.5
注釈171人にさらに移らず「人」は憑坐(よりまし)をさす。2.1.6
注釈172思し当つるに左大臣家の左大臣や大宮が源氏の通い所を。嫉妬してであろうと。2.1.7
注釈173この御息所二条の君などばかりこそは以下「深からめ」まで、左大臣や大宮の詞。2.1.8
注釈174ものなど問はせたまへど左大臣家の左大臣や大宮が陰陽師などに占わせる。2.1.9
注釈175過ぎにける御乳母だつ人葵の上の乳母。物の怪として現れ出るとは、何か事情あって死んだのであろうか。2.1.9
注釈176親の御方につけつつ伝はりたるもの左大臣家に怨みをもって代々祟る怨霊。2.1.9
注釈177むねむねしからずぞ乱れ現はるる『集成』は「重立ってたたる怨霊というのではなく、ばらばらと名乗り出る。これらは憑坐に駆り移されて、その素性を名乗ったもの」と注す。『完訳』は「誰が主だってというのではなく、とりとめもなくなく現れてくるのである」の意に訳す。2.1.9
注釈178聞きたまふにも主語は六条御息所。2.1.11
注釈179ただならず思さる『完訳』は「葵の上の厚遇に比べ、世人にまで軽視される自らの薄幸を思う」と注す。2.1.11
注釈180所の車争ひ河内本と別本は「車の所あらそひ」とある。『集成』は「車の所あらそひ」と本文を訂正する。『完訳』『新大系』は底本のまま。2.1.11
注釈181人の御心の動きにけるを『集成』は「御息所のお心に怨念がきざしたのを」の意に解し、『完訳』は「正常心を失くしておしまいになったのを」の意に解す。2.1.11
出典3 釣する海人の浮け 伊勢の海に釣する海人の浮けなれや心一つを定めかねつる 古今集恋一-五〇九 読人しらず 2.1.1
校訂7 べかめるも べかめるも--へかめに(に/$る<朱>) 2.1.1
校訂8 あるまじき あるまじき--あるし(し/$)ましき 2.1.2
校訂9 聞こえ 聞こえ--きこゆ(ゆ/$え<朱>) 2.1.4
2.2
第二段 源氏、御息所を旅所に見舞う


2-2  Genji visits to Lady Rokujo

2.2.1  かかる御もの思ひの乱れに、御心地、なほ例ならずのみ思さるれば、 ほかに渡りたまひて、御修法などせさせたまふ。大将殿聞きたまひて、いかなる御心地にかと、いとほしう、 思し起して渡りたまへり。
 このようなお悩みのせいで、お加減が、やはり普段のようではなくばかりお感じになるので、別の御殿にお移りになって、御修法などをおさせになる。大将殿はお聞きになって、どのようなお加減でいられるのかと、おいたわしく、ご決意なさってお見舞いにいらっしゃった。
 物思いは御息所の病をますますこうじさせた。斎宮をはばかって、他の家へ行って修法などをさせていた。源氏はそれを聞いてどんなふうに悪いのかと哀れに思って訪ねて行った。
  Kakaru ohom-monoomohi no midare ni, mikokoti, naho rei nara zu nomi obosa rure ba, hoka ni watari tamahi te, misuhohu nado se sase tamahu. Daisyaudono kiki tamahi te, ika naru mikokoti ni ka to, itohosiu, obosi okosi te watari tamahe ri.
2.2.2  例ならぬ旅所なれば、いたう忍びたまふ。心よりほかなるおこたりなど、罪ゆるされぬべく聞こえつづけたまひて、 悩みたまふ人の御ありさまも、憂へきこえたまふ
 いつもと違った仮のご宿所なので、たいそう忍んでいらっしゃる。心ならずもご無沙汰していることなど、許してもらえるよう詫び言を縷々申し上げなさって、お悩みでいらっしゃるご様子についても、訴え申される。
 自邸でない人の家であったから、人目を避けてこの人たちは逢った。本意ではなくて長く逢いに来なかったことを御息所の気も済むほどこまごまと源氏は語っていた。妻の病状も心配げに話すのである。
  Rei nara nu tabidokoro nare ba, itau sinobi tamahu. Kokoro yori hoka naru okotari nado, tumi yurusa re nu beku kikoye tuduke tamahi te, nayami tamahu hito no ohom-arisama mo, urehe kikoye tamahu.
2.2.3  「 みづからはさしも 思ひ入れはべらねど、親たちのいと ことことしう思ひまどはるるが心苦しさに、 かかるほどを見過ぐさむとてなむ。よろづを思しのどめたる御心ならば、いとうれしうなむ」
 「自分ではそれほども心配しておりませんが、親たちがとても大変な心配のしようなのが気の毒で、そのような時が過ぎてからと存じておりましたもので。万事おおらかにお許しいただけるお気持ちならば、まこと嬉しいのですが」
 「私はそれほど心配しているのではないのですが、親たちがたいへんな騒ぎ方をしていますから、気の毒で、少し容体がよくなるまでは謹慎を表していようと思うだけなのです。あなたが心を大きく持って見ていてくだすったら私は幸福です」
  "Midukara ha sasimo omohi ire habera ne do, oya-tati no ito kotokotosiu omohi madoha ruru ga kokorogurusisa ni, kakaru hodo wo mi sugusa m tote nam. Yorodu wo obosi nodome taru mikokoro nara ba, ito uresiu nam."
2.2.4  など、語らひきこえたまふ。常よりも心苦しげなる御けしきを、ことわりに、あはれに見たてまつりたまふ。
 などと、こまごまとお話し申し上げなさる。いつもよりも痛々しげなご様子を、無理もないことと、しみじみ哀れに拝見なさる。
 などと言う。女に平生よりも弱々しいふうの見えるのを、もっともなことに思って源氏は同情していた。
  nado, katarahi kikoye tamahu. Tune yori mo kokorogurusige naru mikesiki wo, kotowari ni, ahare ni mi tatematuri tamahu.
2.2.5   うちとけぬ朝ぼらけに、出でたまふ御さまのをかしきにも、なほふり離れなむことは 思し返さる
 打ち解けぬままの明け方に、お帰りになるお姿の美しさにつけても、やはり振り切って別れることは、考え直さずにはいらっしゃれない。
 疑いも恨みも氷解したわけでもなく源氏が帰って行く朝の姿の美しいのを見て、自分はとうていこの人を離れて行きうるものではないと御息所は思った。
  Utitoke nu asaborake ni, ide tamahu ohom-sama no wokasiki ni mo, naho huri hanare na m koto ha obosi kahesa ru.
2.2.6  「 やむごとなき方に、いとど 心ざし添ひたまふべきことも出で来にたれば、一つ方に思ししづまりたまひなむを、かやうに 待ちきこえつつあらむも、心のみ尽きぬべきこと」
 「正妻の方に、ますますご愛情がお増しになるに違いないおめでたが生じたので、お一方の所に納まってしまわれるに違いないのを、このようにお待ち申しお待ち申しているのも、物思いも尽くし果ててしまうに違いないこと」
 正夫人である上に子供が生まれるとなれば、その人以外の女性に持っている愛などはさめてうすいものになっていくであろう時、今のように毎日待ち暮らすことも、その辛抱しんぼうに命の続かなくなることであろうと、
  "Yamgotonaki kata ni, itodo kokorozasi sohi tamahu beki koto mo ideki ni tare ba, hitotu kata ni obosi sidumari tamahi na m wo, kayau ni mati kikoye tutu ara m mo, kokoro nomi tuki nu beki koto."
2.2.7  なかなかもの思ひのおどろかさるる心地したまふに、 御文ばかりぞ、暮れつ方ある
 かえって物思いを新たになさっていたところに、後朝の文だけが、夕方にある。
 それでいてまた思われもして、たまたま逢って物思いの決して少なくはならない御息所へ、次の日は手紙だけが暮れてから送られた。
  Nakanaka monoomohi no odorokasa ruru kokoti si tamahu ni, ohom-humi bakari zo, kuretukata aru.
2.2.8  「 日ごろ、すこしおこたるさまなりつる心地の、にはかにいといたう苦しげにはべるを、 え引きよかでなむ
 「ここ数日来、少し回復して来たようだった気分が、急にとてもひどく苦しそうに見えましたので、どうしても目を放すことができませんで」
 この間うち少しくなっていたようでした病人にまたにわかに悪い様子が見えてきて苦しんでいるのを見ながら出られないのです。
  "Higoro, sukosi okotaru sama nari turu kokoti no, nihaka ni ito itau kurusige ni haberu wo, e hiki-yoka de nam."
2.2.9  とあるを、「例のことつけ」と、 見たまふものから
 とあるのを、「例によって言い訳を」と、御覧になるものの、
 とあるのを、例の上手じょうずな口実である、と見ながらも御息所は返事を書いた。
  to aru wo, "Rei no kototuke" to, mi tamahu monokara,
2.2.10  「 袖濡るる恋路とかつは知りながら
   おりたつ田子のみづからぞ憂き
 「袖を濡らす恋とは分かっていながら
  そうなってしまうわが身の疎ましいことよ
  そでるるこひぢとかつは知りながら
  り立つ田子のみづからぞ
    "Sode nururu kohidi to katu ha siri nagara
    ori tatu tago no midukara zo uki
2.2.11  『 山の井の水』もことわりに
 『山の井の水』も、もっともなことです」
 古い歌にも「くやしくぞみそめてける浅ければ袖のみ濡るる山の井の水」とございます。
  'Yamanowi no midu' mo kotowari ni."
2.2.12  とぞある。「 御手は、なほここらの人のなかにすぐれたりかし」と 見たまひつつ、「 いかにぞやもある世かな。心も容貌も、とりどりに捨つべくもなく、 また思ひ定むべきもなきを」苦しう思さる。 御返り、いと暗うなりにたれど、
 とある。「ご筆跡は、やはり数多い女性の中で抜きん出ている」と御覧になりながら、「どうしてこうも思うようにならないのかなあ。気立ても容貌も、それぞれに捨ててよいものでなく、その反面これぞと思える人もいないことだ」苦しくお思いになる。お返事は、たいそう暗くなってしまったが、
 というのである。幾人かの恋人の中でもすぐれた字を書く人であると、源氏は御息所の返事をながめて思いながらも、理想どおりにこの世はならないものである。性質にも容貌ようぼうにも教養にもとりどりの長所があって、捨てることができず、ある一人に愛を集めてしまうこともできないことを苦しく思った。そのまた返事を、もう暗くなっていたが書いた。
  to zo aru. "Ohom-te ha, naho kokora no hito no naka ni sugure tari kasi." to mi tamahi tutu, "Ikanizoya mo aru yo kana! Kokoro mo katati mo, toridori ni sutu beku mo naku, mata omohi sadamu beki mo naki wo." Kurusiu obosa ru. Ohom-kaheri, ito kurau nari ni tare do,
2.2.13  「 袖のみ濡るるや、いかに。 深からぬ御ことになむ。
 「袖ばかり濡れるとは、どうしたことで。愛情がお深くないこと。
 袖が濡れるとお言いになるのは、深い恋を持ってくださらない方の恨みだと思います。
  "Sode nomi nururu ya, ikani? Hukakara nu ohom-koto ni nam.
2.2.14    浅みにや人はおりたつわが方は
   身もそぼつまで深き恋路を
  袖が濡れるとは浅い所にお立ちだからでしょう
  わたしは全身ずぶ濡れになるほど深い所に立っております
  あさみにや人はり立つわがかた
  身もそぼつまで深きこひぢを
    Asami ni ya hito ha ori tatu waga kata ha
    mi mo sobotu made hukaki kohidi wo
2.2.15   おぼろけにてや、この御返りを、みづから聞こえさせぬ」
 並々の気持ちで、このお返事を、直接に訴え申し上げずにいられましょうか」
 この返事を口ずから申さないで、筆をかりてしますことはどれほど苦痛なことだかしれません。
  Oboroke ni te ya, kono ohom-kaheri wo, midukara kikoye sase nu."
2.2.16  などあり。
 などとある。
 などと言ってあった。
  nado ari.
注釈182ほかに渡りたまひて御修法などせさせたまふ本邸には斎宮がいて、仏事は忌まれるので、他の場所に移ってさせる。2.2.1
注釈183思し起して『完訳』は「すすまぬ気を引きたてる意」と注す。2.2.1
注釈184悩みたまふ人の御ありさまも憂へきこえたまふ『完訳』は「葵の上の病状を訴え、相手にそれゆえの無沙汰と了解を求める」と注す。2.2.2
注釈185みづからはさしも以下「いとうれしうなむ」まで、源氏の詞。自分はそれほどまで葵の上については心配していないのだが、彼女の両親たちが大変なので、と言い訳する。2.2.3
注釈186思ひ入れはべらねど葵の上の病状をさして言う。2.2.3
注釈187ことことしう『集成』『新大系』は「ことことしう」と清音に読む。『古典セレクション』は「ことごとしう」と濁音に読む。2.2.3
注釈188かかるほどを見過ぐさむとてなむ『集成』は「こういう折は他出を控えようと思いまして」の意に解す。『完訳』は「この期間の容態を見守ろうと」の意に解す。2.2.3
注釈189うちとけぬ朝ぼらけに「ぬ」(打消の助動詞)、心解けぬままに迎えた早朝の意。時刻は翌朝に移る。2.2.5
注釈190思し返さる「る」(自発の助動詞)。御息所の源氏への未練。2.2.5
注釈191やむごとなき方に以下「心のみ尽きぬべきこと」まで、六条御息所の心。心内文の引用句はなく、地の文になる。『集成』は「御息所の心中の思い」と注す。「やむごとなき方」は、源氏の正妻葵の上をさす。2.2.6
注釈192心ざし添ひたまふべきことも出で来にたれば源氏の御子を懐妊したのでの意。2.2.6
注釈193御文ばかりぞ暮れつ方ある「ばかり」(副助詞)、本人は来ないでお手紙だけがのニュアンス。しかも後朝の文が時刻を失した「夕方」にである。2.2.7
注釈194日ごろすこし以下「え引きよかでなむ」まで、源氏の文。2.2.8
注釈195え引きよかでなむ『集成』は「見放しかねまして。「引きよく」は、避けて通る意」と注す。2.2.8
注釈196見たまふものから主語は御息所。2.2.9
注釈197袖濡るる恋路とかつは知りながら--おりたつ田子のみづからぞ憂き御息所の贈歌。「こひぢ」は「泥」と「恋路」の掛詞。「身づから」に「水」を響かす。「濡るる」「水」は縁語。また「泥」「田子」(農夫)は縁語。『完訳』は「泥まみれの農夫に、源氏との絶望的な恋愛から抜け出せぬ己が運命の痛恨をかたどる。「うし」に注意。女からの贈歌に注意。未練による」と注す。2.2.10
注釈198山の井の水もことわりに歌に添えた言葉。『源氏釈』は「悔しくぞ汲みそめてける浅ければ袖のみ濡るる山の井の水」(古今六帖、山の井)を指摘。源氏の心の浅さを非難の意を込める。2.2.11
注釈199御手はなほ以下「すぐれたりかし」まで、源氏の心。御息所の筆跡は大勢の女性の中でもやはり優れているという批評。2.2.12
注釈200見たまひつつ大島本と池田本は「み給ひつゝ」とある。横山本は「うち」を補入。池田本、肖柏本、三条西家本、書陵部本は「うちみ給つゝ」。河内本と別本も池田本等と同文。2.2.12
注釈201いかにぞや以下「また思ひ定むべきもなきを」まで、源氏の心。『完訳』は「この世は不可解、として、心ひかれる女の多いことをいう」と注す。ただし、この文を受ける引用の助詞「と」がなく、「を」が詠嘆を表す(間投助詞)と共に目的を表す(格助詞)機能を果たして、地の文に続くかたちになっている。2.2.12
注釈202また思ひ定むべきもなき『集成』は「わが妻と」と注す。『完訳』は「一人の妻だけに限定しがたい」と注す。2.2.12
注釈203御返り源氏からの返事。2.2.12
注釈204袖のみ濡るるや以下「みつから聞こえさせぬ」まで、源氏の文。御息所の「袖濡るる」の語句を受けて言う。2.2.13
注釈205深からぬ御ことあなたの愛情が深くないことの意。2.2.13
注釈206浅みにや人はおりたつわが方は--身もそぼつまで深き恋路を「こひぢ」を受けて、自分は「身もそぼつまで深き恋路」に下り立っていると切り返す。「人」は御息所をさす。『孟津抄』は「浅みこそ袖はひづらめ涙川身さへ流ると聞かばたのまむ」(古今集、恋三、六一八、在原業平)を指摘。『完訳』は「同発想で、御息所の歌を切り返すが、事実の根拠もなく、言葉だけの応酬」と注す。2.2.14
注釈207おぼろけにてや『集成』は「並々のことで、このお返事を直接お伺いして申し上げぬことがありましょうか。よほどの事情があるのです。葵の上の容態が重いことを暗にいう。「や」は反語」と注す。2.2.15
出典4 山の井の水 悔しくぞ汲みそめてける浅ければ袖のみ濡るる山の井の水 古今六帖二-九八七 2.2.11
校訂10 待ち 待ち--(/+待<朱>) 2.2.6
2.3
第三段 葵の上に御息所のもののけ出現する


2-3  Lady Rokujo's evil spirit appears on Aoi

2.3.1   大殿には、御もののけいたう起こりて、いみじうわづらひたまふ。「 この御生きすだま、故父大臣の御霊など言ふものあり」と 聞きたまふにつけて、思しつづくれば、
 大殿邸では、御物の怪がひどく起こって、大変にお苦しみになる。「自分の生霊や、故大臣の死霊だなどと言う人がいる」とお聞きになるにつけて、お考え続けになると、
 葵の君の容体はますます悪い。六条の御息所の生霊であるとも、その父である故人の大臣の亡霊がいているとも言われるうわさの聞こえて来た時、
  Ohotono ni ha, ohom-mononoke itau okori te, imiziu wadurahi tamahu. "Kono ohom-ikisudama, ko-titi Otodo no goryau nado ihu mono ari." to kiki tamahu ni tuke te, obosi tudukure ba,
2.3.2  「 身一つの憂き嘆きよりほかに、 人を悪しかれなど思ふ心もなけれど、 もの思ひにあくがるなる魂は 、さもやあらむ」
 「我が身一人の不運を嘆いているより他には、他人を悪くなれと呪う気持ちはないのだが、悩み事があると抜け出て行くという魂は、このようなことなのだろうか」
 御息所は自分自身の薄命をなげくほかに人をのろう心などはないが、物思いがつのればからだから離れることのあるという魂はあるいはそんな恨みを告げに源氏の夫人の病床へ出没するかもしれないと、
  "Mi hitotu no uki nageki yori hoka ni, hito wo asikare nado omohu kokoro mo nakere do, mono-omohi ni akugaru naru tamasihi ha, sa mo ya ara m."
2.3.3  と思し知らるることもあり。
 と、お気づきになることもある。
 こんなふうに悟られることもあるのであった。
  to obosi sira ruru koto mo ari.
2.3.4   年ごろ、よろづに思ひ残すことなく過ぐしつれど、 かうしも砕けぬを、はかなきことの折に、人の思ひ消ち、なきものに もてなすさまなりし御禊の後、ひとふしに 思し浮かれにし心、鎮まりがたう思さるるけにや、すこしうちまどろみたまふ夢には、 かの姫君とおぼしき人の、 いときよらにてある所に 行きて、とかく引きまさぐり、うつつにも似ず、 たけくいかきひたぶる心出で来て、うちかなぐるなど 見えたまふこと、度かさなりにけり。
 数年来、何かと物思いの限りを尽くしてきたが、こんなにも苦しい思いをしたことはなかったのに、ちょっとした事の折に、相手が無視し、蔑ろにした態度をとった御禊の後は、あの一件によって抜け出るようになった魂、鎮まりそうもなく思われるせいか、少しうとうととなさる夢には、あの姫君と思われる人の、とても清浄にしている所に行って、あちこち引き掻き廻し、普段とは違い、猛々しく激しい乱暴な心が出てきて、荒々しく叩くのなどが現れなさること、度重なった。
 物思いの連続といってよい自分の生涯しょうがいの中に、いまだ今度ほど苦しく思ったことはなかった。御禊みそぎの日の屈辱感から燃え立った恨みは自分でももう抑制のできない火になってしまったと思っている御息所は、ちょっとでも眠ると見る夢は、姫君らしい人が美しい姿ですわっている所へ行って、その人の前では乱暴な自分になって、武者ぶりついたりなぐったり、現実の自分がなしうることでない荒々しい力が添う、こんな夢で、幾度となく同じ筋を見る、情けないことである、魂がからだを離れて行ったのであろうかと思われる。失神状態に御息所がなっている時もあった。
  Tosigoro, yorodu ni omohi nokosu koto naku sugusi ture do, kau simo kudake nu wo, hakanaki koto no wori ni, hito no omohi keti, naki mono ni motenasu sama nari si misogi no noti, hitohusi ni obosi ukare ni si kokoro, sidumari gatau obosa ruru ke ni ya, sukosi uti-madoromi tamahu yume ni ha, kano Himegimi to obosiki hito no, ito kiyora ni te aru tokoro ni iki te, tokaku hiki-masaguri, ututu ni mo ni zu, takeku ikaki hitaburu kokoro ideki te, uti-kanaguru nado miye tamahu koto, tabi kasanari ni keri.
2.3.5  「 あな、心憂やげに、身を捨ててや、往にけむ 」と、うつし心ならずおぼえたまふ折々もあれば、「 さならぬことだに、人の御ためには、よさまのことをしも言ひ出でぬ世なれば、ましてこれは、いとよう言ひなしつべきたよりなり」と思すに、いと 名だたしう
 「ああ、何と忌まわしいことか。なるほど、身体を抜け出して 出て行ったのだろう」と、正気を失ったように思われなさる時が度々あるので、「何でもないことでさえも、他人の事では、よいような噂は立てないのが世間の常なので、ましてこのことは、何とでも噂立てられる絶好の種だ」とお思いになると、とても評判になりそうで、
 ないことも悪くいうのが世間である、ましてこの際の自分は彼らの慢罵欲まんばよくを満足させるのによい人物であろうと思うと、御息所は名誉の傷つけられることが苦しくてならないのである。
  "Ana, kokorou ya! Geni, mi wo sute te ya, ini kem." to, utusigokoro nara zu oboye tamahu woriwori mo are ba, "Sa nara nu koto dani, hito no ohom-tame ni ha, yosama no koto wo simo ihi ide nu yo nare ba, masite kore ha, ito you ihi nasi tu beki tayori nari." to obosu ni, ito nadatasiu,
2.3.6  「 ひたすら世に亡くなりて、後に怨み残すは世の常のことなり。それだに、人の上にては、罪深うゆゆしきを、うつつのわが身ながら、さる疎ましきことを言ひつけらるる宿世の憂きこと。すべて、つれなき人にいかで心もかけきこえじ」
 「もう亡くなってしまって、後に怨みを残すのは世間にもあることだ。それでさえ、人の身の上については、罪深く忌まわしいのに、生きている身でありながら、そのような忌まわしいことを、噂される因縁の辛いこと。もう一切、薄情な方に決して心をお掛け申すまい」
 死んだあとにこの世の人へ恨みの残った霊魂が現われるのはありふれた事実であるが、それさえも罪の深さの思われる悲しむべきことであるのに、生きている自分がそうした悪名を負うというのも、皆源氏の君と恋する心がもたらした罪である、その人への愛を今自分は根柢こんていから捨てねばならぬと御息所は考えた。
  "Hitasura yo ni nakunari te, noti ni urami nokosu ha yo no tune no koto nari. Sore dani, hito no uhe nite ha, tumi hukau yuyusiki wo, ututu no waga mi nagara, saru utomasiki koto wo ihi tuke raruru sukuse no uki koto. Subete, turenaki hito ni ikade kokoro mo kake kikoye zi."
2.3.7  と思し返せど、 思ふもものをなり
 とお考え直しになるが、思うまいと思うのも物思うことである。
 努めてそうしようとしても実現性のないむずかしいことに違いない。
  to obosi kahese do, omohu mo mono wo nari.
注釈208大殿には左大臣邸。御息所、生霊となって葵の上を苦しめる。2.3.1
注釈209この御生きすだま、故父大臣の御霊など言ふものあり御息所の聞いた噂。「この」は御息所をさす。「故父大臣」とは御息所の父大臣。『完訳』は「父大臣が左大臣を恨んで死んだとも読める。政治的敗北者か」と注す。次の「賢木」巻に御息所の父が大臣であったと語られる。2.3.1
注釈210聞きたまふ主語は御息所。2.3.1
注釈211身一つの以下「さもやあらむ」まで、御息所の心。2.3.2
注釈212人を悪しかれなど【人を悪しかれ】−葵の上をさす。『完訳』は「他人の不幸を願う気持はない」と注す。
【悪しかれなど】−横山本は「あしかれな(な$)と」と「な」をミセケチ、三条西家本は「あしかれと」。別本の御物本が「あしかれと」とある。
2.3.2
注釈213もの思ひにあくがるなる魂は「思ひあまり出でにし魂のあるならむ夜深く見えば魂結びせよ」(伊勢物語)「物思へば沢の螢も我が身よりあくがれ出づる魂かとぞ見る」(和泉式部集、後拾遺和歌集)。2.3.2
注釈214年ごろよろづに以下、御息所の心にそった語り口。2.3.4
注釈215かうしも砕けぬを「ぬ」(打消の助動詞)。『集成』は「これほどの苦しい思いをしたことはなかったが。「砕く」は、思い乱れること。このあたり敬語がなく、御息所の心中の思いをそのまま地の文とした書き方」と注す。2.3.4
注釈216もてなすさまなりし御禊の後「し」(過去の助動詞)は、自らの体験をいうニュアンスで、御息所の立場にたった主観的な語り口。2.3.4
注釈217思し浮かれにし心鎮まりがたう思さるるけにや語り手の挿入句。御息所の心を推測。「し」(過去の助動詞)は前行に同じだが、「思す」(尊敬語)という語られるので、語り手の立場にたったやや客観的な語り口。『集成』は「理性をなくされたお心が」の意に解す。2.3.4
注釈218かの姫君葵の上をさす。2.3.4
注釈219いときよらにてある所に『集成』は「美しい装いでいる所へ」、『完訳』も「まことにきれいなお姿をしていらっしゃる所に」の意に解す。この場合の「きよら」は清浄の意であろう。2.3.4
注釈220行きて横山本は「ゆ(=い)きて」と訂正、肖柏本は「ゆきて」と表記。主語は御息所の魂。2.3.4
注釈221たけくいかきひたぶる心出で来て『集成』は「烈しく猛々しいいちずな気持が湧いてきて」の意に解す。2.3.4
注釈222見えたまふ夢の中に自分の行動がお現れになるの意。主語が夢の中の自分となる。2.3.4
注釈223あな心憂や以下「往にけむ」まで、御息所の心。2.3.5
注釈224げに身を捨ててや往にけむ『源氏釈』は「身を捨てて行きやしにけむ思ふより外なるものは心なりけり」(古今集、雑下、九七七、躬恒)を指摘。2.3.5
注釈225さならぬことだに以下「たよりなり」まで、御息所の心。2.3.5
注釈226ひたすら世に亡くなりて後に以下「心もかけきこえじ」まで、御息所の心中。源氏を断念することを決意。2.3.6
注釈227思ふもものをなり『源氏釈』は「思はじと思ふも物を思ふなり言はじと言ふもこれも言ふなり」(出典未詳)を指摘。『奥入』は「思はじと思ふも物を思ふなり思はじとだに思はじやなぞ」(出典未詳)を指摘。『集成』は『奥入』所引歌を、『完訳』は『源氏釈』所引歌を引歌として指摘する。2.3.7
出典5 もの思ひにあくがるなる魂 物思へば沢の蛍も我が身よりあくがれ出づる魂かとぞ見る 後拾遺集神祇-一一六二 和泉式部 2.3.2
出典6 身を捨ててや 身を捨てて行きやしにけむ思ふより外なる物は心なりけり 古今集雑下-九七七 凡河内躬恒 2.3.5
出典7 思ふもものを 思はじと思ふも物を思ふなり言はじと言ふもこれも言ふなり 源氏釈所引、出典未詳 2.3.7
校訂11 名だたしう 名たたしう--なたら(ら/$た<朱>)しう 2.3.5
2.4
第四段 斎宮、秋に宮中の初斎院に入る


2-4  In this fall, Saigu moves her plase

2.4.1   斎宮は、去年内裏に入りたまふべかりしを、さまざま障はることありて、この秋入りたまふ。九月には、やがて野の宮に移ろひたまふべければ、ふたたびの御祓へのいそぎ、とりかさねてあるべきに、ただあやしうほけほけしうて、つくづくと臥し悩みたまふを、宮人、いみじき大事にて、御祈りなど、さまざま仕うまつる。
 斎宮は、去年内裏にお入りになるはずであったが、さまざまに差し障ることがあって、この秋にお入りになる。九月には、そのまま野の宮にお移りになる予定なので、二度目の御禊の準備、引き続いて行うはずのところ、まるで妙にぼうっとして、物思いに沈んで悩んでいらっしゃるのを、斎宮寮の官人たち、ひどく重大視して、御祈祷など、あれこれと致す。
 斎宮は去年にもう御所の中へお移りになるはずであったが、いろいろなさわりがあって、この秋いよいよ潔斎生活の第一歩をお踏み出しになることとなった。そしてもう九月からは嵯峨さがの野の宮へおはいりになるのである。それとこれと二度ある御禊の日の仕度したくやしきの人々は忙殺されているのであるが御息所は頭をぼんやりとさせて、寝て暮らすことが多かった。邸の男女はまたこのことを心配して祈祷を頼んだりしていた。
  Saiguu ha, kozo uti ni iri tamahu bekari si wo, samazama saharu koto ari te, kono aki iri tamahu. Nagatuki ni ha, yagate Nonomiya ni uturohi tamahu bekere ba, hutatabi no ohom-harahe no isogi, tori kasane te aru beki ni, tada ayasiu hokehokesiu te, tukuduku to husi nayami tamahu wo, miyabito, imiziki daizi ni te, ohom-inori nado, samazama tukaumaturu.
2.4.2  おどろおどろしきさまにはあらず、そこはかとなくて、月日を過ぐしたまふ。大将殿も、常に とぶらひきこえたまへどまさる方のいたうわづらひたまへば、御心のいとまなげなり。
 ひどく苦しいという様子ではなく、どこが悪いということもなくて、月日をお過ごしになる。大将殿も 欠かさずお見舞い申し上げなさるが、さらに大事な方がひどく患っていられるので、お気持ちの余裕がないようである。
 何病というほどのことはなくて、ぶらぶらと病んでいるのである。源氏からも始終見舞いの手紙は来るが、愛する妻の容体の悪さは、自分でこの人を訪ねて来ることなどをできなくしているようであった。
  Odoroodorosiki sama ni ha ara zu, sokohakatonaku te, tukihi wo sugusi tamahu. Daisyaudono mo, tune ni, toburahi kikoye tamahe do, masaru kata no itau wadurahi tamahe ba, mikokoro no itoma nage nari.
2.4.3   まださるべきほどにもあらずと、皆人もたゆみたまへるに、にはかに御けしきありて、悩みたまへば、いとどしき御祈り、数を尽くしてせさせたまへれど、例の執念き御もののけ一つ、さらに動かず、 やむごとなき験者ども、めづらかなりともてなやむ。さすがに、 いみじう調ぜられて、心苦しげに泣きわびて、
 まだその時期ではないと、誰も彼もが油断していられたところ、急に産気づかれて お苦しみになるので、これまで以上の御祈祷の 有りったけを尽くしておさせになるが、例の執念深い物の怪が一つだけ 全然動かず、霊験あらたかな験者どもは、珍しいことだと困惑する。とはいっても、たいそう調伏されて、いたいたしげに泣き苦しんで、
 まだ産期には早いように思って一家の人々が油断しているうちに葵の君はにわかに生みの苦しみにもだえ始めた。病気の祈祷のほかに安産の祈りも数多く始められたが、例の執念深い一つの物怪もののけだけはどうしても夫人から離れない。名高い僧たちもこれほどの物怪には出あった経験がないと言って困っていた。さすがに法力におさえられて、哀れに泣いている。
  Mada saru beki hodo ni mo ara zu to, minahito mo tayumi tamahe ru ni, nihakani mikesiki ari te, nayami tamahe ba, itodosiki ohom-inori, kazu wo tukusi te se sase tamahe re do, rei no sihuneki ohom-mononoke hitotu, sarani ugoka zu, yamgotonaki genzya-domo, meduraka nari to mote-nayamu. Sasugani, imiziu teuze rare te, kokorokurusige ni naki wabi te,
2.4.4  「 すこしゆるべたまへや。大将に聞こゆべきことありとのたまふ
 「少し緩めてください。大将に申し上げる事がある」とおっしゃる。
 「少しゆるめてくださいな、大将さんにお話しすることがあります」そう夫人の口から言うのである。
  "Sukosi yurube tamahe ya! Daisyau ni kikoyu beki koto ari." to notamahu.
2.4.5  「 さればよ。あるやうあらむ
 「やはりそうであったか。何かわけがあるのだろう」
 「あんなこと。わけがありますよ。私たちの想像が当たりますよ」
  "Sare ba yo! Aru yau ara m."
2.4.6  とて、近き御几帳のもとに 入れたてまつりたり。むげに 限りのさまにものしたまふを、 聞こえ置かまほしきこともおはするにやとて、 大臣も宮もすこし 退きたまへり。加持の僧ども、声しづめて法華経を誦みたる、 いみじう尊し
 と言って、近くの御几帳の側にお入れ申し上げた。とてももうだめかと思われるような容態でいられるので、ご遺言申し上げて置きたいことでもあるのだろうかと思って、大臣も宮も少しお下がりになった。加持の僧どもは、声を低めて法華経を読んでいる、たいそう尊い。
 女房はこんなことも言って、病床に添え立てた几帳きちょうの前へ源氏を導いた。父母たちは頼み少なくなった娘は、良人おっとに何か言い置くことがあるのかもしれないと思って座を避けた。この時に加持をする僧が声を低くして法華経ほけきょうを読み出したのが非常にありがたい気のすることであった。
  tote, tikaki mikityau no moto ni ire tatematuri tari. Muge ni kagiri no sama ni monosi tamahu wo, kikoye oka mahosiki koto mo ohasuru ni ya tote, Otodo mo Miya mo sukosi sirizoki tamahe ri. Kadi no sou-domo, kowe sidume te Hokekyau wo yomi taru, imiziu tahutosi.
2.4.7  御几帳の帷子 引き上げて見たてまつりたまへば、いとをかしげにて、御腹はいみじう高うて臥したまへるさま、 よそ人だに、見たてまつらむに心乱れぬべしまして惜しう悲しう思す、ことわりなり。白き御衣に、色あひいとはなやかにて、御髪のいと長うこちたきを、引き結ひてうち添へたるも、「 かうてこそ、らうたげになまめきたる方添ひてをかしかりけれ」と見ゆ。 御手をとらへて
 御几帳の帷子を引き上げて拝見なさると、とても美しいお姿で、お腹はたいそう大きくて臥していられる様子、他人であっても、拝見しては心動かさずにはいられないであろう。まして惜しく悲しくお思いになるのは、もっともである。白いお着物に、色合いがとてもくっきりとして、髪がとても長くて豊かなのを、引き結んで横に添えてあるのも、「こうあってこそ かわいらしげで優美な点が加わり美しいのだなあ」と見える。お手を取って、
 几帳のぎぬを引き上げて源氏が中を見ると、夫人は美しい顔をして、そして腹部だけが盛り上がった形で寝ていた。他人でも涙なしには見られないのを、まして良人である源氏が見て惜しく悲しく思うのは道理である。白い着物を着ていて、顔色は病熱ではなやかになっている。たくさんな長い髪は中ほどで束ねられて、まくらに添えてある。美女がこんなふうでいることは最も魅惑的なものであると見えた。源氏は妻の手を取って、
  Mikityau no katabira hikiage te mi tatematuri tamahe ba, ito wokasige ni te, ohom-hara ha imiziu takau te husi tamahe ru sama, yosobito dani, mi tatematura m ni kokoro midare nu besi. Masite wosiu kanasiu obosu, kotowari nari. Siroki ohom-zo ni, iroahi ito hanayaka ni te, migusi no ito nagau kotitaki wo, hiki-yuhi te uti-sohe taru mo, "Kau te koso, rautage ni namameki taru kata sohi te wokasikari kere!" to miyu. Mite wo torahe te,
2.4.8  「 あな、いみじ。心憂きめを見せたまふかな
 「ああ、ひどい。辛い思いをおさせになるとは」
 「悲しいじゃありませんか。私にこんな苦しい思いをおさせになる」
  "Ana, imizi! Kokorouki me wo mise tamahu kana!"
2.4.9  とて、ものも聞こえたまはず泣きたまへば、 例はいとわづらはしう恥づかしげなる御まみを、いとたゆげに見上げて、うちまもりきこえたまふに、 涙のこぼるるさまを見たまふは、 いかがあはれの浅からむ
 と言って、何も申し上げられずにお泣きになると、いつもはとても煩わしく気が引けて近づきがたいまなざしを、とても苦しそうに見上げて、じっとお見つめ申していらっしゃると、涙がこぼれる様子を御覧になるのは、どうして情愛を浅く思うであろうか。
 多くものが言われなかった。ただ泣くばかりである。平生は源氏に真正面から見られるととてもきまりわるそうにして、横へそらすその目でじっと良人を見上げているうちに涙がそこから流れて出るのであった。それを見て源氏が深いあわれみを覚えたことはいうまでもない。
  tote, mono mo kikoye tamaha zu naki tamahe ba, rei ha ito wadurahasiu hadukasige naru ohom-mami wo, ito tayuge ni miage te, uti-mamori kikoye tamahu ni, namida no koboruru sama wo mi tamahu ha, ikaga ahare no asakara m.
2.4.10   あまりいたう泣きたまへば、「 心苦しき親たちの御ことを思し、また、かく見たまふにつけて、口惜しうおぼえたまふにや」と思して、
 あまりひどくお泣きになるので、「気の毒なご両親のことをご心配され、また、このように御覧になるにつけても、残念にお思いになってのことだろうか」とお思いになって、
 あまりに泣くのを見て、残して行く親たちのことを考えたり、また自分を見て、別れの堪えがたい悲しみを覚えるのであろうと源氏は思った。
  Amari itau naki tamahe ba, "Kokorogurusiki oya-tati no ohom-koto wo obosi, mata, kaku mi tamahu ni tuke te, kutiwosiu oboye tamahu ni ya?" to obosi te,
2.4.11  「 何ごとも、いとかうな思し入れそ。 さりともけしうはおはせじ。いかなりとも、かならず 逢ふ瀬あなれば、対面はありなむ。大臣、宮なども、深き契りある仲は、めぐりても 絶えざなれば、あひ見るほどありなむと思せ」
 「何事につけても、ひどくこんなに思いつめなさるな。いくら何でも大したことはありません。万が一のことがあっても、必ず逢えるとのことですから、きっとお逢いできましょう。大臣、宮なども、深い親子の縁のある間柄は、転生を重ねても切れないと言うから、お逢いできる時があるとご安心なさい」
 「そんなに悲しまないでいらっしゃい。それほど危険な状態でないと私は思う。またたとえどうなっても夫婦は来世でも逢えるのだからね。御両親も親子の縁の結ばれた間柄はまた特別な縁で来世で再会ができるのだと信じていらっしゃい」
  "Nanigoto mo, ito kau na obosi ire so. Saritomo kesiu ha ohase zi. Ika nari to mo, kanarazu ahuse a' nare ba, taimen ha ari na m. Otodo, Miya nado mo, hukaki tigiri aru naka ha, meguri te mo taye za' nare ba, ahi miru hodo ari na m to obose."
2.4.12  と、慰めたまふに、
 と、お慰めになると、
 と源氏が慰めると、
  to, nagusame tamahu ni,
2.4.13  「 いで、あらずや。身の上のいと苦しきを、しばしやすめたまへと聞こえむとてなむ。かく参り来むともさらに思はぬを、もの思ふ人の魂は、げにあくがるるものになむありける」
 「いえ、そうではありません。身体がとても苦しいので、少し休めて下さいと申そうと思って。このように参上しようとはまったく思わないのに、物思いする人の魂は、なるほど抜け出るものだったのですね」
 「そうじゃありません。私は苦しくてなりませんからしばらく法力をゆるめていただきたいとあなたにお願いしようとしたのです。私はこんなふうにしてこちらへ出て来ようなどとは思わないのですが、物思いをする人の魂というものはほんとうに自分から離れて行くものなのです」
  "Ide, ara zu ya! Minouhe no ito kurusiki wo, sibasi yasume tamahe to kikoye m tote nam. Kaku mawiri ko m to mo sarani omoha nu wo, mono omohu hito no tamasihi ha, geni akugaruru mono ni nam ari keru."
2.4.14  と、 なつかしげに言ひて、
 と、親しげに言って、
 なつかしい調子でそう言ったあとで、
  to, natukasige ni ihi te,
2.4.15  「 嘆きわび空に乱るるわが魂を
   結びとどめよしたがへのつま
 「悲しみに堪えかねて抜け出たわたしの魂を
  結び留めてください、下前の褄を結んで
  なげきわび空に乱るるわがたま
  結びとめてよ下がひのつま
    "Nageki wabi sora ni midaruru waga tama wo
    musubi todome yo sitagahe no tuma
2.4.16  とのたまふ声、けはひ、 その人にもあらず、変はりたまへり。「 いとあやし」と思しめぐらすに、 ただ、かの御息所なりけり。あさましう、人のとかく 言ふを、よからぬ者どもの 言ひ出づることも 、聞きにくく思して、のたまひ消つを、目に見す見す、「 世には、かかることこそはありけれ」と、疎ましうなりぬ。「 あな、心憂」と思されて、
 とおっしゃる声、雰囲気、この人ではなく、変わっていらっしゃった。「たいそう変だ」とお考えめぐらすと、まったく、あの御息所その人なのであった。あきれて、人が何かと噂をするのを、下々の者たちが言い出したことも、聞くに耐えないとお思いになって、無視していられたが、目の前にまざまざと、「本当に、このようなこともあったのだ」と、気味悪くなった。「ああ、嫌な」と思わずにはいらっしゃれず、
 という声も様子も夫人ではなかった。まったく変わってしまっているのである。怪しいと思って考えてみると、夫人はすっかり六条の御息所になっていた。源氏はあさましかった。人がいろいろなうわさをしても、くだらぬ人が言い出したこととして、これまで源氏の否定してきたことが眼前に事実となって現われているのであった。こんなことがこの世にありもするのだと思うと、人生がいやなものに思われ出した。
  to notamahu kowe, kehahi, sono hito ni mo ara zu, kahari tamahe ri. "Ito ayasi." to obosi megurasu ni, tada, kano Miyasumdokoro nari keri. Asamasiu, hito no tokaku ihu wo, yokara nu mono-domo no ihi iduru koto mo, kiki nikuku obosi te, notamahi ketu wo, me ni misu misu, "Yo ni ha, kakaru koto koso ha ari kere." to, utomasiu nari nu. "Ana, kokorou!" to obosa re te,
2.4.17  「 かくのたまへど、誰とこそ知らね。たしかにのたまへ」
 「そのようにおっしゃるが、誰とも分からぬ。はっきりと名乗りなさい」
 「そんなことをお言いになっても、あなたがだれであるか私は知らない。確かに名を言ってごらんなさい」
  "Kaku notamahe do, tare to koso sira ne. Tasika ni notamahe."
2.4.18  とのたまへば、ただそれなる御ありさまに、 あさましとは世の常なり。人々近う参るも、かたはらいたう思さる。
 とおっしゃると、まったく、その方そっくりのご様子なので、あきれはてるという言い方では平凡である。女房たちがお側近くに参るのも、気が気ではない。
 源氏がこう言ったのちのその人はますます御息所そっくりに見えた。あさましいなどという言葉では言い足りない悪感おかんを源氏は覚えた。女房たちが近く寄って来る気配けはいにも、源氏はそれを見現わされはせぬかと胸がとどろいた。
  to notamahe ba, tada sore naru ohom-arisama ni, asamasi to ha yo no tune nari. Hitobito tikau mawiru mo, kataharaitau obosa ru.
注釈228斎宮は、去年内裏に入りたまふべかりしを齋宮は卜定されると、まず賀茂川で御禊をし、次いで宮中の初齋院に入る。そこでおよそ一年を過ごし、翌年の秋に二度めの御禊を行い、嵯峨野の野宮に移る。そして翌年の秋九月に伊勢へ向かう。齋宮は卜定から伊勢下向までおよそ足掛け三年ある。2.4.1
注釈229とぶらひきこえたまへどこのお見舞いは使者である。『完訳』は「源氏自身でなく使者を派遣」と注す。2.4.2
注釈230まさる方葵の上をさす。2.4.2
注釈231まださるべきほどにもあらずと「ほど」は出産の時期をさす。2.4.3
注釈232やむごとなき験者ども『集成』は「霊験あらたかな」と注す。『完訳』は「尊い験者衆も」と訳す。2.4.3
注釈233すこしゆるべたまへや大将に聞こゆべきことあり物の怪の詞。2.4.4
注釈234とのたまふ『集成』は「物の怪の言葉であるが、とり憑いている葵の上の口を借りて言うので、周囲の人々にはその区別がつかない。それで「のたまふ」と敬語をもちいる」と注す。2.4.4
注釈235さればよあるやうあらむ女房の詞。よって敬語がつかない。2.4.5
注釈236入れたてまつりたり源氏を葵の上のいる几帳の内側に。2.4.6
注釈237限りのさま葵の上の容態をさす。2.4.6
注釈238聞こえ置かまほしきこともおはするにや大臣や大宮の心中。葵の上が源氏に。遺言をさす。2.4.6
注釈239大臣も宮も葵の上の父左大臣と母大宮。2.4.6
注釈240いみじう尊し語り手の評言。2.4.6
注釈241引き上げて見たてまつりたまへば主語は源氏。2.4.7
注釈242よそ人だに見たてまつらむに心乱れぬべし語り手の感情移入の推測。「よそ人」を『集成』は「夫婦でなくても」と注す。『完訳』は「夫という関係にない人でさえ」と注す。
【心乱れぬべし】−『完訳』は「どうしてよいのか分らぬ気持になるにちがいない」と訳す。
2.4.7
注釈243まして惜しう悲しう思すことわりなり語り手の断言。2.4.7
注釈244かうてこそ以下「をかしかりけれ」まで、源氏の心。2.4.7
注釈245御手をとらへて主語は源氏。2.4.7
注釈246あないみじ心憂きめを見せたまふかな源氏の詞。『完訳』は「相手の死を懸念する言い方」と注す。2.4.8
注釈247例はいとわづらはしう以下、葵の上の描写。2.4.9
注釈248涙のこぼるるさま葵の上をさす。2.4.9
注釈249いかがあはれの浅からむ反語表現。「どうして浅いことがあろうか、浅くはない」。語り手の評言。『湖月抄』は「源の心中を草子の地より云也」と指摘。2.4.9
注釈250あまりいたう泣きたまへば葵の上の様子をいう。2.4.10
注釈251心苦しき親たちの以下「おぼえたまふにや」まで、源氏の推測。2.4.10
注釈252何ごとも以下「思せ」まで、源氏の詞。2.4.11
注釈253さりともけしうはおはせじ『完訳』は「確かに症状がよくないとはいえ、命にかかわることはあるまい」と注す。2.4.11
注釈254逢ふ瀬あなれば「なれ」(伝聞推定の助動詞)。『集成』は「当時の俗信で、女は三途の川を渡る時、最初に契った男に背負われて渡ると言われたいたから、そこで再会できるはずだという意」と注す。2.4.11
注釈255絶えざなれば「なれ」(伝聞推定の助動詞)。『集成』は「(この世で親子の縁を結ぶほど)前世からの深い因縁のある間柄は、未来の転生を重ねて、切れはしないということですから」と注す。2.4.11
注釈256いであらずや以下「ものになむありける」まで、物の怪の詞。『完訳』は「反発の発語。以下、御息所の言葉としか考えられない内容」と注す。2.4.13
注釈257なつかしげに『完訳』は「親しげに。源氏への未練」と注す。2.4.14
注釈258嘆きわび空に乱るるわが魂を--結びとどめよしたがへのつま大島本「したかへ」とある。『集成』『古典セレクション』は諸本に従って「したがひ」と校訂する。『新大系』は「したがへ」のままとする。平安文学には「したがひ」(宇津保物語・蜻蛉日記)「したがへ」(狭衣物語)の両用例がある。物の怪の歌。『異本紫明抄』は「思ひ余り出でにし魂のあるならむ夜深く見えば魂結びせよ」(伊勢物語)を指摘。また『河海抄』は「魂は見つぬしは誰とも知らねども結びとどめよしたがひつま」(袋草子)を指摘。2.4.15
注釈259その人にもあらず葵の上とは違う。2.4.16
注釈260いとあやし源氏の心。2.4.16
注釈261ただかの御息所なりけり源氏の驚きを地の文で語る。語り手の感情移入。2.4.16
注釈262言ひ出づることも大島本「いひいへ(へ$つ<朱>)ることも(△&も)」とある。『集成』『古典セレクション』は諸本に従って「言ひ出づることと」と校訂する。『新大系』は底本の「言ひ出づることも」に従う。2.4.16
注釈263世にはかかることこそはありけれ源氏の驚嘆の心。2.4.16
注釈264あな、心憂源氏の心。『完訳』は「この「心憂」は心底からいやに思う気持。以後の源氏に頻出」と注す。2.4.16
注釈265かくのたまへど以下「たしかにのたまへ」まで、源氏の詞。2.4.17
注釈266あさましとは世の常なり源氏の驚きを地の文で語る。語り手の感情移入による評言。2.4.18
校訂12 いみじう いみじう--(/+いみしう<朱>) 2.4.3
校訂13 退き 退き--し(し/+り<朱>)そき 2.4.6
校訂14 言ふ 言ふ--*ゆふ 2.4.16
校訂15 出づる 出づる--いへ(へ/$つ<朱>)る 2.4.16
2.5
第五段 葵の上、男子を出産


2-5  Aoi gives birth to a boy

2.5.1   すこし御声もしづまりたまへれば隙おはするにやとて、宮の御湯持て寄せたまへるに、 かき起こされたまひてほどなく生まれたまひぬ。うれしと思すこと限りなきに、人に駆り移したまへる御もののけども、ねたがりまどふけはひ、いともの騒がしうて、 後の事、またいと心もとなし。
 少しお声も静かになられたので、一時収まったのかと、宮がお薬湯を持って来させになったので、抱き起こされなさって、間もなくお生まれになった。嬉しいとお思いになることこの上もないが、憑坐にお移しになった物の怪どもが、悔しがり大騷ぎする様子、とても騒々しくて、後産の事も、またとても心配である。
 病苦にもだえる声が少し静まったのは、ちょっと楽になったのではないかと宮様が飲み湯を持たせておよこしになった時、その女房に抱き起こされて間もなく子が生まれた。源氏が非常にうれしく思った時、他の人間に移してあったのが皆口惜くちおしがって物怪は騒ぎ立った。それにまだ後産あとざんも済まぬのであるから少なからぬ不安があった。
  Sukosi ohom-kowe mo sidumari tamahe re ba, hima ohasuru ni ya tote, Miya no ohom-yu mote-yose tamahe ru ni, kaki-okosa re tamahi te, hodo naku mumare tamahi nu. Uresi to obosu koto kagirinaki ni, hito ni kari utusi tamahe ru ohom-mononoke-domo, netagari madohu kehahi, ito mono sahagasiu te, noti no koto, mata ito kokoromotonasi.
2.5.2  言ふ限りなき願ども立てさせたまふけにや、たひらかに事なり果てぬれば、 山の座主、何くれやむごとなき僧ども、したり顔に汗おしのごひつつ、急ぎまかでぬ。
 数え切れないほどの願文どもを立てさせなさったからか、無事に後産も終わったので、山の座主、誰彼といった尊い僧どもが、得意顔に汗を拭いながら、急いで退出した。
 良人と両親が神仏に大願を立てたのはこの時である。そのせいであったかすべてが無事に済んだので、叡山えいざん座主ざすをはじめ高僧たちが、だれも皆誇らかに汗をぬぐい拭い帰って行った。
  Ihu kagiri naki gwan-domo tate sase tamahu ke ni ya, tahiraka ni koto nari hate nure ba, Yama no zasu, nanikure yamgotonaki sou-domo, sitarigaho ni ase osi-nogohi tutu, isogi makade nu.
2.5.3  多くの人の心を尽くしつる日ごろの 名残、すこしうちやすみて、「今はさりとも」と思す。御修法などは、またまた始め添へさせたまへど、まづは、興あり、めづらしき御かしづきに、皆人ゆるべり。
 大勢の人たちが心を尽くした幾日もの看病の後の緊張が、少し解けて、「今はもう大丈夫」とお思いになる。御修法などは、再びお始めさせなさるが、差し当たっては、楽しくあり、おめでたいお世話に、皆ほっとしている。
 これまで心配をし続けていた人はほっとして、危険もこれで去ったという安心を覚えて恢復かいふく曙光しょこうも現われたとだれもが思った。修法などはまた改めて行なわせていたが、今目前に新しい命が一つ出現したことに対する歓喜が大きくて、左大臣家は昨日に変わる幸福に満たされた形である。
  Ohoku no hito no kokoro wo tukusi turu higoro no nagori, sukosi uti-yasumi te, "Ima ha saritomo." to obosu. Misuhohu nado ha, mata mata hazime sohe sase tamahe do, madu ha, kyou ari, medurasiki ohom-kasiduki ni, minahito yurube ri.
2.5.4  院をはじめたてまつりて、親王たち、上達部、残るなき 産養どもの、めづらかにいかめしきを、夜ごとに見ののしる。男にてさへおはすれば、そのほどの作法、にぎははしくめでたし。
 院をお始め申して、親王方、上達部が、残らず誕生祝いの贈り物、珍しく立派なのを、夜毎に見て大騷ぎする。男の子でさえあったので、そのお祝いの儀式、盛大で立派である。
 院をはじめとして親王方、高官たちから派手はで産養うぶやしないの賀宴が毎夜持ち込まれた。出生したのは男子でさえもあったからそれらの儀式がことさらはなやかであった。
  Win wo hazime tatematuri te, miko-tati, kamdatime, nokoru naki ubuyasinahi-domo no, meduraka ni ikamesiki wo, yo-goto ni mi nonosiru. Wotoko ni te sahe ohasure ba, sono hodo no sahohu, nigihahasiku medetasi.
2.5.5  かの御息所は、かかる御ありさまを聞きたまひても、ただならず。「 かねては、いと危ふく聞こえしを、たひらかにもはた」と、うち思しけり。
 あの御息所は、このようなご様子をお聞きになっても、おもしろくない。「以前には、とても危ないとの噂であったのに、安産であったとは」と、お思いになった。
 六条の御息所みやすどころはそういう取り沙汰ざたを聞いても不快でならなかった。
  Kano Miyasumdokoro ha, kakaru ohom-arisama wo kiki tamahi te mo, tada nara zu. "Kanete ha, ito ayahuku kikoye si wo, tahiraka ni mo hata." to, uti-obosi keri.
2.5.6  あやしう、我にもあらぬ御心地を思しつづくるに、 御衣なども、ただ芥子の香に 染み返りたるあやしさに、御ゆする参り、御衣着替へなどしたまひて、 試みたまへど、なほ同じやうにのみあれば、わが身ながらだに疎ましう思さるるに、まして、人の言ひ思はむことなど、人にのたまふべきことならねば、心ひとつに思し嘆くに、いとど御心変はりもまさりゆく。
 不思議に、自分が自分でないようなご気分を思い辿って御覧になると、お召物なども、すっかり芥子の香が滲み着いている奇妙さに、髪をお洗いになり、着物をお召し替えになったりなどして、お試しになるが、依然として前と同じようにばかり臭いがするので、自分の身でさえありながら疎ましく思わずにはいらっしゃれないのに、それ以上に、他人が噂し推量するだろう事など、誰にもおっしゃれるような内容でないので、心一つに収めてお嘆きになっていると、ますます気が変になって行く。
 夫人はもうあぶないと聞いていたのに、どうして子供が安産できたのであろうと、こんなことを思って、自身が失神したようにしていた幾日かのことを、静かに考えてみると、着た衣服などにも祈りの僧が護摩ごまんでいた。不思議に思って、髪を洗ったり、着物を変えたりしても、やはり改まらない。御息所は世間で言う生霊いきりょうの説の否認しがたいことを悲しんで、人がどう批評するであろうかと、だれに話してみることでもないだけに心一つで苦しんでいた。
  Ayasiu, ware ni mo ara nu mikokoti wo obosi tudukuru ni, ohom-zo nado mo, tada kesi no ka ni simi kaheri taru ayasisa ni, ohom-yusuru mawiri, ohom-zo kikahe nado si tamahi te, kokoromi tamahe do, naho onazi yau ni nomi are ba, waga mi nagara dani utomasiu obosa ruru ni, masite, hito no ihi omoha m koto nado, hito ni notamahu beki koto nara ne ba, kokoro hitotu ni obosi nageku ni, itodo mikokorogahari mo masari yuku.
2.5.7  大将殿は、心地すこしのどめたまひて、あさましかりしほどの問はず語りも、心憂く思し出でられつつ、「 いとほど経にけるも心苦しう、また気近う見たてまつらむには、いかにぞや。うたておぼゆべきを、人の御ためいとほしう」、よろづに思して、御文ばかりぞありける。
 大将殿は、気持ちが少し落ち着きなさって、何とも言いようのなかったあの時の問わず語りを、何度も不愉快にお思い出しになられて、「まこと日数が経ってしまったのも気の毒だし、また身近にお逢いすることは、どうであろうか。きっと不愉快に思われようし、相手の方のためにも気の毒だろうし」と、いろいろとお考えになって、お手紙だけがあるのだった。
 いよいよ自分の恋愛を清算してしまわないではならないと、それによってまた強く思うようになった。少し安心を得た源氏は、生霊をまざまざと目で見、御息所の言葉を聞いた時のことを思い出しながらも、長くたずねて行かない心苦しさを感じたり、また今後御息所に接近してもあの醜い記憶が心にある間は、以前の感情でその人が見られるかということは自身の心ながらも疑わしくて、苦悶くもんをしたりしながら、御息所の体面を傷つけまいために手紙だけは書いて送った。
  Daisyaudono ha, kokoti sukosi nodome tamahi te, asamasikari si hodo no tohazugatari mo, kokorouku obosi ide rare tutu, "Ito hodo he ni keru mo kokorogurusiu, mata kedikau mi tatematura m ni ha, ikani zo ya? Utate oboyu beki wo, hito no ohom-tame itohosiu.", yorodu ni obosi te, ohom-humi bakari zo ari keru.
2.5.8  いたうわづらひたまひし人の御名残ゆゆしう、心ゆるびなげに、誰も思したれば、ことわりにて、御歩きもなし。なほいと悩ましげにのみしたまへば、例のさまにてもまだ対面したまはず。若君のいとゆゆしきまで見えたまふ御ありさまを、 今から、いとさまことにもてかしづききこえたまふさま、 おろかならずことあひたる心地して、大臣もうれしういみじと思ひきこえたまへるに、ただ、この御心地おこたり果てたまはぬを、心もとなく思せど、「 さばかりいみじかりし名残にこそは」と思して、いかでかは、 さのみは心をも惑はしたまはむ。
 ひどくお患いになった方の病後が心配で、気を緩めずに、皆がお思いであったので、当然のことなので、お忍び歩きもしない。依然としてひどく悩ましそうにばかりなさっているので、普段のようにはまだお会いになさらない。若君がとても恐いまでにかわいらしくお見えになるお姿を、今から、とても特別にお育て申し上げなさる様子、並大抵でなく、願い通りの感じがして、大臣も嬉しく幸せにお思い申していられるが、ただ、このご気分がすっかりご回復なさらないのを、ご心配になっているが、「あれほど重く患った後だから」とお思いになって、どうして、それほどご心配ばかりなっていられようか。
 産前の重かった容体から、油断のできないように両親たちは今も見て、心配しているのが道理なことに思えて、源氏はまだ恋人などの家を微行で訪うようなことをしないのである。夫人はまだ衰弱がはなはだしくて、病気から離れたとは見えなかったから、夫婦らしく同室で暮らすことはなくて、源氏は小さいながらもまばゆいほど美しい若君の愛に没頭していた。非常に大事がっているのである。自家の娘から源氏の子が生まれて、すべてのことが理想的になっていくと、大臣は喜んでいるのであるが、あおい夫人の恢復かいふくが遅々としているのだけを気がかりに思っていた。しかしあんなに重体でいたあとはこれを普通としなければならないと思ってもいるであろうから、大臣の幸福感はたいして割引きしたものではないのである。
  Itau wadurahi tamahi si hito no ohom-nagori yuyusiu, kokoroyurubi nage ni, tare mo obosi tare ba, kotowari ni te, ohom-ariki mo nasi. Naho ito nayamasige ni nomi si tamahe ba, rei no sama nite mo mada taimen si tamaha zu. Wakagimi no ito yuyusiki made miye tamahu ohom-arisama wo, ima kara, ito sama koto ni mote-kasiduki kikoye tamahu sama, oroka nara zu, koto ahi taru kokoti si te, Otodo mo uresiu imizi to omohi kikoye tamahe ru ni, tada, kono mikokoti okotari hate tamaha nu wo, kokoromotonaku obose do, "Sabakari imizikari si nagori ni koso ha." to obosi te, ikadekaha, sa nomi ha kokoro wo mo madohasi tamaha m.
2.5.9   若君の御まみのうつくしさなどの、春宮にいみじう似たてまつりたまへるを、 見たてまつりたまひても、まづ、恋しう 思ひ出でられさせたまふに、忍びがたくて、参りたまはむとて、
 若君のお目もとのかわいらしさなどが、春宮にそっくりお似申していられるのを、拝見なされても、まっ先に、恋しくお思い出しにならずにはいらっしゃれなくて、堪えがたくて、参内なさろうとして、
 若君の目つきの美しさなどが東宮と非常によく似ているのを見ても、何よりも恋しく幼い皇太弟をお思いする源氏は、御所のそちらへ上がらないでいることに堪えられなくなって、出かけようとした。
  Wakagimi no ohom-mami no utukusisa nado no, Touguu ni imiziu ni tatematuri tamahe ru wo, mi tatematuri tamahi te mo, madu, kohisiu omohiide rare sase tamahu ni, sinobi gataku te, mawiri tamaha m tote,
2.5.10  「 内裏などにもあまり久しう参りはべらねば、いぶせさに、今日なむ初立ちしはべるを、すこし気近きほどにて聞こえさせばや。あまり おぼつかなき御心の隔てかな
 「宮中などにもあまり長いこと参っておりませんので、気がかりゆえに、今日初めて外出致しますが、もう少し近い所でお話し申したいものです。あまりにも気がかりな他人行儀なお愛想ですから」
 「御所などへあまり長く上がらないで気が済みませんから、今日私ははじめてあなたから離れて行こうとするのですが、せめて近い所に行って話をしてからにしたい。あまりよそよそし過ぎます。こんなのでは」
  "Uti nado ni mo amari hisasiu mawiri habera ne ba, ibusesa ni, kehu nam uhidati si haberu wo, sukosi kedikaki hodo nite kikoye sase baya. Amari obotukanaki mikokoro no hedate kana!"
2.5.11  と、恨みきこえたまへれば、
 と お怨み申し上げなさると、
 と源氏は夫人へ取り次がせた。
  to, urami kikoye tamahe re ba,
2.5.12  「 げに、ただひとへに 艶にのみあるべき御仲にもあらぬを、いたう衰へたまへりと言ひながら、 物越にてなどあべきかは
 「仰せのとおりですわ、ただひたすら優美にばかり振る舞うお仲ではありませんが、ひどくおやつれになっていらっしゃるとは申しても、物を隔ててお会いになる間柄ではございませんわ」
 「ほんとうにそうでございますよ。体裁を気にあそばすあなた様がたのお間柄ではないのでございますから。あなた様が御衰弱していらっしゃいましても、物越しなどでお話しになればいかがでしょう」
  "Geni, tada hitohe ni en ni nomi aru beki ohom-naka ni mo ara nu wo, itau otorohe tamahe ri to ihi nagara, monogosi nite nado a' beki kaha."
2.5.13  とて、臥したまへる所に、御座近う参りたれば、 入りてものなど聞こえたまふ。
 と言って、臥せっていられる所に、お席を近く設けたので、中に入ってお話など申し上げなさる。
 こう女房が夫人に忠告をして、病床の近くへ座を作ったので、源氏は病室へはいって行って話をした。夫人は時々返辞もするがまだずいぶん様子が弱々しい。
  tote, husi tamahe ru tokoro ni, omasi tikau mawiri tare ba, iri te mono nado kikoye tamahu.
2.5.14  御いらへ、時々聞こえたまふも、なほいと弱げなり。されど、むげに亡き人と思ひきこえし御ありさまを思し出づれば、夢の心地して、ゆゆしかりしほどのことどもなど聞こえたまふついでにも、かのむげに息も絶えたるやうにおはせしが、 引き返し、つぶつぶとのたまひしことども思し出づるに、心憂ければ、
 お返事、時々申し上げなさるが、やはりとても弱々しそうである。けれど、もう助からない人とお思い申したご様子をお思い出しになると、夢のような気がして、危なかった時の事などをお話し申し上げなさる中でも、あのすっかり息も止まったかのようになったのが、急に人が変わって、ぽつりぽつりとお話し出されたことをお思い出しになると、不愉快に思われるので、
 それでも絶望状態になっていたころのことを思うと、夢のような幸福にいると源氏は思わずにはいられないのである。不安に堪えられなかったころのことを話しているうちに、あの呼吸も絶えたように見えた人が、にわかにいろんなことを言い出した光景が目に浮かんできて、たまらずいやな気がするので源氏は話を打ち切ろうとした。
  Ohom-irahe, tokidoki kikoye tamahu mo, naho ito yowage nari. Saredo, muge ni nakihito to omohi kikoye si ohom-arisama wo obosi idure ba, yume no kokoti si te, yuyusikari si hodo no koto-domo nado kikoye tamahu tuide ni mo, kano muge ni iki mo taye taru yau ni ohase si ga, hikikahesi, tubutubu to notamahi si koto-domo obosi iduru ni, kokoroukere ba,
2.5.15  「 いさや、聞こえまほしきこといと多かれど、まだいとたゆげに思しためればこそ」
 「いや、お話し申したいことはとてもたくさんあるが、まだとても大儀そうなご気分でいられるようですから」
 「まああまり長話はよしましょう。いろいろと聞いてほしいこともありますがね。まだまだあなたはだるそうで気の毒だから」
  "Isaya, kikoye mahosiki koto ito ohokare do, mada ito tayuge ni obosi ta' mere ba koso."
2.5.16  とて、「 御湯参れ」などさへ、扱ひきこえたまふを、 いつならひたまひけむと、人びとあはれがりきこゆ。
 と言って、「お薬湯をお飲みなさい」などとまで、お世話申し上げなさるのを、いつの間にお覚えになったのだろう、と女房たちは感心申し上げる。
 こう言ったあとで、「お湯をお上げするがいい」と女房に命じた。病妻の良人おっとらしいこんな気のつかい方をする源氏に女房たちは同情した。
  tote, "Ohom-yu mawire." nado sahe, atukahi kikoye tamahu wo, itu narahi tamahi kem to, hitobito aharegari kikoyu.
2.5.17  いとをかしげなる人の、いたう弱りそこなはれて、あるかなきかのけしきにて臥したまへるさま、いとらうたげに心苦しげなり。御髪の乱れたる筋もなく、はらはらとかかれる枕のほど、ありがたきまで見ゆれば、「 年ごろ、何ごとを飽かぬことありて思ひつらむ」と、あやしきまでうち まもられたまふ。
 まことに美しい方が、たいそう衰弱しやつれて、生死の境を彷徨っているような感じで臥せっていられる様子、とてもいじらしげに痛々しい。お髪の一筋の乱れ毛もなく、さらさらと掛かっている枕の辺り、めったにないくらい素晴らしく見えるので、「何年も、何を物足りないことがあると思っていたのだろう」と、不思議なまでにじっと目を凝らさずにはいらっしゃれない。
 非常な美人である夫人が、衰弱しきって、あるかないかのようになって寝ているのは痛々しく可憐かれんであった。少しの乱れもなくはらはらとまくらにかかった髪の美しさは男の魂を奪うだけの魅力があった。なぜ自分は長い間この人を飽き足らない感情を持って見ていたのであろうかと、不思議なほど長くじっと源氏は妻を見つめていた。
  Ito wokasige naru hito no, itau yowari sokonaha re te, arukanakika no kesiki nite husi tamahe ru sama, ito rautage ni kokorogurusige nari. Migusi no midare taru sudi mo naku, harahara to kakare ru makura no hodo, arigataki made miyure ba, "Tosigoro, nanigoto wo aka nu koto ari te omohi tu ram." to, ayasiki made uti-mamora re tamahu.
2.5.18  「 院などに参りて、いととうまかでなむ。かやうにて、おぼつかなからず見たてまつらば、うれしかるべきを、宮のつとおはするに、 心地なくやと、つつみて過ぐしつるも苦しきを、なほやうやう心強く思しなして、例の御座所にこそ。 あまり 若くもてなしたまへば、かたへは、かくもものしたまふぞ」
 「院などに参って、すぐに下がって来ましょう。このようにして、隔てなくお会い申すことができるならば、嬉しいのですが、宮がぴったりと付いていらっしゃるので、不躾ではないかしらと 遠慮して来ましたのも辛いが、やはりだんだんと気を強くお持ちになって、いつものご座所に。あまり幼く甘えていられると、一方では、いつまでもこのようなままでいらっしゃいますよ」
 「院の御所などへ伺って、早く帰って来ましょう。こんなふうにして始終逢うことができればうれしいでしょうが、宮様がじっと付いていらっしゃるから、ぶしつけにならないかと思って御遠慮しながらかげ煩悶はんもんをしていた私にも同情ができるでしょう。だから自分でも早くよくなろうと努めるようにしてね、これまでのように私たちでいっしょにいられるようになってください。あまりお母様にあなたが甘えるものだから、あちらでもいつまでも子供のようにお扱いになるのですよ」
  "Win nado ni mawiri te, ito tou makade na m. Kayau ni te, obotukanakara zu mi tatematura ba, uresikaru beki wo, Miya no tuto ohasuru ni, kokotinaku ya to, tutumi te sugusi turu mo kurusiki wo, naho yauyau kokoroduyoku obosi nasi te, rei no omasidokoro ni koso. Amari wakaku motenasi tamahe ba, katahe ha, kaku mo monosi tamahu zo."
2.5.19  など、聞こえおきたまひて、いときよげにうち装束きて出でたまふを、常よりは 目とどめて、見出だして臥したまへり。
 などと、申し上げ置きなさって、とても美しく装束をお召しになってお出かけになるのを、いつもよりは目を凝らして、お見送りしながら臥せっていらっしゃった。
 などと言い置いてきれいに装束した源氏の出かけるのを病床の夫人は平生よりも熱心にながめていた。
  nado, kikoye oki tamahi te, ito kiyoge ni uti-sauzoki te ide tamahu wo, tune yori ha me todome te, miidasi te husi tamahe ri.
注釈267すこし御声もしづまりたまへればもののけの声が静まる。2.5.1
注釈268隙おはするにや大宮の推測。苦しみが一時収まったのか、の意。2.5.1
注釈269かき起こされたまひて主語は葵の上。当時の出産は座った姿勢でなされた。2.5.1
注釈270ほどなく生まれたまひぬ後の夕霧。2.5.1
注釈271後の事後産をさす。2.5.1
注釈272山の座主何くれやむごとなき僧ども葵の上の出産に、天台座主をはじめ幾人もの高僧たちを招いて祈祷させていた。2.5.2
注釈273名残、すこしうちやすみて『完訳』は「残っていた心配も薄らいで」と注す。2.5.3
注釈274産養どものめづらかにいかめしきを夜ごとに見ののしる誕生後の三日・五日・七日・九日目の夜に催す。2.5.4
注釈275かねては以下「たひらかにもはた」まで、御息所の心。下に「ありけるよ」などの語句が省略された文であろう。2.5.5
注釈276御衣などもただ芥子の香に御息所の衣服に芥子の香が衣服に染み込んでいたというのは、もののけとなって葵の上のもとに行っていた証拠である。2.5.6
注釈277染み返りたる大島本と榊原家本は「たる」と連体形で下にかかる。横山本は「る」ミセケチにし「り」と訂正。池田本、肖柏本、三条西家本、書陵部本は「たり」と終止形。河内本や別本は池田本等と同文。『集成』『新大系』は「たる」のまま、『古典セレクション』は諸本に従って「たり」と校訂する。2.5.6
注釈278いとほど経にけるも以下「いとほしう」まで、源氏の心中。心中文を受ける引用の格助詞「と」はなく、地の文に続く。2.5.7
注釈279おろかならず『集成』は句点で文を終止、『古典セレクション』『新大系』は読点で文を続ける。2.5.8
注釈280ことあひたる心地『集成』は「物ごとが思い通りになった気がして。源氏がお産の間、葵の上に尽してくれた上に長男の誕生に満足している様子を見て、この結婚は万事成功だと思う気持」と注す。2.5.8
注釈281さばかりいみじかりし名残にこそは左大臣の心。2.5.8
注釈282若君の御まみの夕霧の目もと。2.5.9
注釈283見たてまつりたまひても主語は源氏。『集成』は「「たてまつり」は、若君に対する尊敬語。源氏がわが子を大切に思う気持が現れている」と注す。2.5.9
注釈284思ひ出でられさせたまふに「られ」(自発の助動詞)「させ」(尊敬の助動詞)「たまふ」(尊敬の補助動詞)。「させたまふ」は春宮に対する最高敬語。2.5.9
注釈285内裏などにも以下「隔てかな」まで、源氏の詞。2.5.10
注釈286おぼつかなき御心の隔てかな『完訳』は「病気の葵の上と身近に話せなかった心もとなさを、あえて、相手がうちとけてくれない心もとなさ、と恨んだ言い方をした」と注す。2.5.10
注釈287げにただひとへに以下「あるべきかは」まで、女房の詞。2.5.12
注釈288艶にのみあるべき御仲にもあらぬを『完訳』は「お体裁をつくっていらっしゃるべき御仲でもないのですから」の意に訳す。
【御仲にもあらぬを--物越にてなど】−池田本は補入、三条西家本はナシ。池田本と三条西家本とが同系統の本である証左。
2.5.12
注釈289物越にてなどあべきかは『集成』は「几帳越しのご対面などとんでもない」の意に解す。2.5.12
注釈290入りて几帳の中に。2.5.13
注釈291引き返しつぶつぶとのたまひしことども『集成』は「急に様子が変って、こまごまとものをおっしゃったことなどを。御息所の生霊が語り出したことをいう」と注す。『完訳』は「急に持ち直して何かくどくどとおっしゃったことなどを」の意に訳す。2.5.14
注釈292いさや以下「思しためればこそ」まで、源氏の詞。2.5.15
注釈293御湯参れ源氏の詞。2.5.16
注釈294いつならひたまひけむ女房たちの心。2.5.16
注釈295年ごろ何ごとを飽かぬことありて思ひつらむ源氏の心。2.5.17
注釈296院などに参りて以下「かくもものしたまふぞ」まで、源氏の詞。父桐壺院の御所に。2.5.18
注釈297心地なくや『集成』は「(男のわたしがお側に上がっては)ぶしつけかと」の意に解す。『完訳』は「思いやりのないことか」と注す。2.5.18
注釈298若くもてなしたまへば『集成』は「子供のように甘えていられるから」の意に解し、『完訳』は「幼稚と難ずるが、源氏のいたわりの言葉である」と注す。2.5.18
注釈299目とどめて主語は葵の上。2.5.19
校訂16 試み 試み--心え(え/$み<朱>) 2.5.6
校訂17 今から 今から--いまかう(う/$ら<朱>) 2.5.8
校訂18 さのみ さのみ--さ(さ/$さ<朱>) 2.5.8
校訂19 まもられ まもられ--まも(も/+ら<朱>)れ 2.5.17
校訂20 あまり あまり--あま(ま/$ま<朱>)り 2.5.18
2.6
第六段 秋の司召の夜、葵の上死去する


2-6  Aoi deies on the personnel changes naight in the fall

2.6.1   秋の司召あるべき定めにて、大殿も参りたまへば、君達も 労はり望みたまふことどもありて、殿の御あたり離れたまはねば、皆ひき続き出でたまひぬ。
 秋の司召が行われるはずの予定なので、大殿も参内なさると、ご子息たちも昇進をお望みになる事がいろいろあって、殿のご身辺をお離れにならないので、皆後に続いてお出かけになった。
 秋の官吏の昇任の決まる日であったから、大臣も参内したので、子息たちもそれぞれの希望があってこのごろは大臣のそばを離れまいとしているのであるから皆続いてそのあとから出て行った。
  Aki no tukasamesi aru beki sadame nite, Ohotono mo mawiri tamahe ba, Kimitati mo itahari nozomi tamahu koto-domo ari te, Tono no ohom-atari hanare tamaha ne ba, mina hiki-tuduki ide tamahi nu.
2.6.2   殿の内、人少なにしめやかなるほどに、にはかに例の御胸をせきあげて、いといたう惑ひたまふ。内裏に御消息聞こえたまふほどもなく、 絶え入りたまひぬ。足を空にて、誰も誰も、まかでたまひぬれば、除目の夜なりけれど、かくわりなき御障りなれば、 みな事破れたるやうなり
 殿の内では、人少なでひっそりとしている時、急にいつものようにお胸をつまらせて、とてもひどくお苦しみになる。宮中にお知らせ申し上げなさる間もなく、お亡くなりになってしまった。足も地に着かない感じで、皆が皆、退出なさったので、除目の夜であったが、このようによんどころのないご支障なので、万事ご破算といったような具合である。
 いる人数が少なくなって、邸内が静かになったころに、葵の君はにわかに胸がせきあげるようにして苦しみ出したのである。御所へ迎えの使いを出す間もなく夫人の息は絶えてしまった。左大臣も源氏もあわてて退出して来たので、除目じもくの夜であったが、このさわりで官吏の任免は決まらずに終わった形である。
  Tono no uti, hito zukuna ni simeyaka naru hodo ni, nihaka ni rei no ohom-mune wo sekiage te, ito itau madohi tamahu. Uti ni ohom-seusoko kikoye tamahu hodo mo naku, taye iri tamahi nu. Asi wo sora nite, tare mo tare mo, makade tamahi nure ba, dimoku no yo nari kere do, kaku wari naki ohom-sahari nare ba, mina koto yabure taru yau nari.
2.6.3  ののしり騒ぐほど、夜中ばかりなれば、山の座主、何くれの僧都たちも、え請じあへたまはず。今はさりとも、と思ひたゆみたりつるに、あさましければ、殿の内の人、 ものにぞあたる。所々の御とぶらひの使など、立ちこみたれど、え聞こえつかず、ゆすりみちて、いみじき御心惑ひども、いと恐ろしきまで見えたまふ。
 大騒ぎになったのは、夜半頃なので、山の座主、誰それといった僧都たちも、お迎えになれない。いくら何でも、もう大丈夫、と気を緩めていたところに、大変なことになったので、邸の内の人々、まごついている。方々からのご弔問の使者など、立て込んだが、とても取り次ぎできず、上を下への大騷ぎになって、大変なご悲嘆は、まことに恐ろしいまでに見えなさる。
 若い夫人の突然の死に左大臣邸は混乱するばかりで、夜中のことであったから叡山えいざん座主ざすも他の僧たちも招く間がなかった。もう危篤な状態から脱したものとして、だれの心にも油断のあったすきに、死が忍び寄ったのであるから、皆呆然ぼうぜんとしている。所々の慰問使が集まって来ていても、挨拶あいさつの取り次ぎを託されるような人もなく、泣き声ばかりが邸内に満ちていた。大臣夫婦、故人の良人おっとである源氏のなげきは極度のものであった。
  Nonosiri sawagu hodo, yonaka bakari nare ba, Yama no zasu, nanikure no soudu-tati mo, e sauzi ahe tamaha zu. Ima ha saritomo, to omohi tayumi tari turu ni, asamasikere ba, Tono no uti no hito, mono ni zo ataru. Tokorodokoro no ohom-toburahi no tukahi nado, tati-komi tare do, e kikoye tuka zu, yusuri miti te, imiziki mikokoro madohi-domo, ito osorosiki made miye tamahu.
2.6.4  御もののけのたびたび取り入れたてまつりしを思して、御枕などもさながら、二、三日見たてまつりたまへど、 やうやう変はりたまふことどものあれば、限り、と思し果つるほど、誰も誰もいといみじ。
 物の怪が度々お取り憑き申したことをお考えになって、お枕などもそのままにして、二、三日拝見なさったが、だんだんとお変わりになることどもが現れて来たので、もうこれまで、とお諦めになる時、誰も彼も、本当に悲しい。
 これまで物怪もののけのために一時的な仮死状態になったこともたびたびあったのを思って、死者として枕を直すこともなく、二、三日はなお病夫人として寝させて、蘇生そせいを待っていたが、時間はすでに亡骸なきがらであることを証明するばかりであった。もう死を否定してみる理由は何一つないことをだれも認めたのである。
  Ohom-mononoke no tabitabi tori-ire tatematuri si wo obosi te, ohom-makura nado mo sanagara, hutuka, mika mi tatematuri tamahe do, yauyau kahari tamahu koto-domo no are ba, kagiri, to obosi haturu hodo, tare mo tare mo ito imizi.
2.6.5  大将殿は、 悲しきことに、ことを添へて世の中をいと憂きものに思し染みぬればただならぬ御あたりの弔ひどもも、 心憂しとのみぞ、なべて思さるる。院に、思し嘆き、弔ひきこえさせたまふさま、かへりて面立たしげなるを、うれしき もまじりて、大臣は御涙のいとまなし。
 大将殿は、悲しい事に、もう一件が加わって、男女の仲を本当に嫌なものと身にしみて感じられたので、並々ならぬ方々からのご弔問にも、ただ辛いとばかり、総じて思わずにはいらっしゃれない。院におかれても、お悲しみになられ、御弔問申し上げあそばされる様子、かえって面目を施すことなので、嬉しい気も混じって、大臣はお涙の乾く間もない。
 源氏は妻の死を悲しむとともに、人生のいとわしさが深く思われて、所々から寄せてくる弔問の言葉も、どれもうれしく思われなかった。院もお悲しみになってお使いをくだされた。大臣は娘の死後の光栄に感激する涙も流しているのである。
  Daisyaudono ha, kanasiki koto ni, koto wo sohe te, yononaka wo ito uki mono ni obosi simi nure ba, tada nara nu ohom-atari no toburahi-domo mo, kokorousi to nomi zo, nabete obosa ruru. Win ni, obosi nageki, toburahi kikoye sase tamahu sama, kaheri te omodatasige naru wo, uresiki se mo maziri te, Otodo ha ohom-namida no itoma nasi.
2.6.6  人の申すに従ひて、いかめしきことどもを、生きや返りたまふと、さまざまに残ることなく、かつ 損なはれたまふことどものあるを見る見るも、尽きせず思し惑へど、かひなくて 日ごろになれば、いかがはせむとて、鳥辺野に率てたてまつるほど、 いみじげなること、多かり。
 人の申すことに従って、大がかりなご祈祷によって、生き返りなさらないかと、さまざまにあらゆる方法を試み、また一方では傷んで行かれる様子を見ながらも、なおもお諦め切れずにいられたが、その効もなく何日にもなったので、もはや仕方がないと、鳥辺野にお送り申す時、ご悲嘆の極み、万端であった。
 人の忠告に従い蘇生の術として、それは遺骸いがいに対していたましい残酷な方法で行なわれることまでも大臣はさせて、娘の息の出てくることを待っていたが皆だめであった。もう幾日かになるのである。いよいよ夫人を鳥辺野とりべのの火葬場へ送ることになった。
  Hito no mausu ni sitagahi te, ikamesiki koto-domo wo, iki ya kaheri tamahu to, samazama ni nokoru koto naku, katu sokonaha re tamahu koto-domo no aru wo miru miru mo, tuki se zu obosi-madohe do, kahinaku te higoro ni nare ba, ikagaha se m tote, Toribeno ni wi te tatematuru hodo, imizige naru koto, ohokari.
注釈300秋の司召八月に行われる中央官の人事。なお、春には地方官の任命が行われる。2.6.1
注釈301労はり『完訳』は「自分の功労を申し立てて官位の昇進を望むこと。大臣らがそれを聞いて任免を勘案する」と注す。2.6.1
注釈302殿の内人少なに左大臣邸は男たちが宮中に出掛けていて人少なな状況。2.6.2
注釈303絶え入りたまひぬ葵の上、急死す。2.6.2
注釈304みな事破れたるやうなり万事ご破算になったようであるの意。2.6.2
注釈305ものにぞあたる『集成』は「ものにぶつかる。あわてふためく形容」と注す。2.6.3
注釈306やうやう変はりたまふことどものあれば死後、二三日も経てば、遺体もかなり腐敗してこよう。2.6.4
注釈307悲しきことにことを添へて『集成』は「(葵の上の死という)悲しいことに、(御息所の生霊という)厭わしいことが加わって」と注す。2.6.5
注釈308世の中をいと憂きものに思し染みぬれば『完訳』は「ここでは「世の中」は男女関係、「うし」は厭わしい気持。これまでも生霊を、「心憂」と思った源氏はあらためて、生霊にもなりかねぬ男女の愛執を厭うべきものと捉え直した」と注す。2.6.5
注釈309ただならぬ御あたり『完訳』は「愛人関係にある方々」と注す。2.6.5
注釈310心憂しとのみぞなべて『完訳』は「「のみぞなべて」の語勢に注意。すべての愛人たちを否定的にみる」と注す。2.6.5
注釈311日ごろになれば葵の上の死は八月十四日(「御法」巻)、葬送は二十余日で、その間七、八日くらいある。2.6.6
注釈312いみじげなる横山本は「いと〔補入〕いみしけなる」、池田本、肖柏本、三条西家本は「いといみしけなる」とある。書陵部本と榊原家本は大島本に同文。2.6.6
校訂21 瀬--を(を/$せ<朱>) 2.6.5
校訂22 損なはれ 損なはれ--そこな(な/+は<朱>)れ 2.6.6
2.7
第七段 葵の上の葬送とその後


2-7  Aoi's funeral and ever since

2.7.1  こなたかなたの御送りの人ども、寺々の念仏僧など、そこら広き野に所もなし。院をばさらにも申さず、后の宮、春宮などの御使、さらぬ所々のも参りちがひて、飽かずいみじき御とぶらひを聞こえたまふ。大臣はえ立ち上がりたまはず、
 あちらこちらのご葬送の人々や、寺々の念仏僧などが、大変広い野辺に隙間もない。院からは今さら申すまでもなく、后の宮、東宮などのご弔問の使者、その他所々の使者も代わる代わる参って、尽きない悲しみのご弔問を申し上げなさる。大臣は立ち上がることもおできになれず、
 こうしてまた人々は悲しんだのである。左大臣の愛嬢として、源氏の夫人として葬送の式につらなる人、念仏のために集められた寺々の僧、そんな人たちで鳥辺野がうずめられた。院はもとよりのこと、お后方、東宮から賜わった御使いが次々に葬場へ参着して弔詞を読んだ。悲しみにくれた大臣は立ち上がる力も失っていた。
  Konata kanata no ohom-okuri no hito-domo, tera dera no nenbutusou nado, sokora hiroki no ni tokoro mo nasi. Win wo ba sarani mo mausa zu, Kisainomiya, Touguu nado no, ohom-tukahi, saranu tokoro dokoro no mo mawiri tigahi te, aka zu imiziki ohom-toburahi wo kikoye tamahu. Otodo ha e tatiagari tamaha zu,
2.7.2  「 かかる齢の末に、若く盛りの子に後れたてまつりて、もごよふこと」
 「このようにな晩年に、若くて盛りの娘に先立たれ申して、よろよろと這い回るとは」
 「こんな老人になってから、若盛りの娘に死なれて無力に私は泣いているじゃないか」
  "Kakaru yohahi no suwe ni, wakaku sakari no ko ni okure tatematuri te, mogoyohu koto."
2.7.3  と恥ぢ泣きたまふを、ここらの人悲しう見たてまつる。
 と恥じ入ってお泣きになるのを、大勢の人々が悲しく拝する。
 恥じてこう言って泣く大臣を悲しんで見ぬ人もなかった。
  to hadi naki tamahu wo, kokora no hito kanasiu mi tatematuru.
2.7.4   夜もすがらいみじうののしりつる儀式なれど、いともはかなき御屍ばかりを御名残にて、暁深く帰りたまふ。
 一晩中たいそうな騷ぎの盛大な葬儀だが、まことにはかないご遺骨だけを後に残して、夜明け前早くにお帰りになる。
 夜通しかかったほどの大がかりな儀式であったが、終局は煙にすべく遺骸を広い野に置いて来るだけの寂しいことになって皆早暁に帰って行った。
  Yomosugara imiziu nonosiri turu gisiki nare do, ito mo hakanaki ohom-kabane bakari wo ohom-nagori ni te, akatuki hukaku kaheri tamahu.
2.7.5  常のことなれど、 人一人か、あまたしも見たまはぬことなればにや、類ひなく 思し焦がれたり八月二十余日の有明なれば、 空もけしきもあはれ少なからぬに、大臣の 闇に暮れ惑ひたまへるさまを見たまふも、ことわりにいみじければ、 空のみ眺められたまひて
 世の常のことだが、人一人か、多くは御覧になっていないから、譬えようもなくお悲しみになった。八月二十日余りの有明のころなので、空も風情も情趣深く感じられるところに、大臣が親心の闇に悲しみに沈んで取り乱していられる様子を御覧になるのも、ごもっともなことと痛ましいので、空ばかりが自然と眺められなさって、
 死はそうしたものであるが、さきに一人の愛人を死なせただけの経験よりない源氏は今また非常な哀感を得たのである。八月の二十日過ぎの有明月ありあけづきのあるころで、空の色も身にしむのである。き子を思って泣く大臣の悲歎に同情しながらも見るに忍びなくて、源氏は車中から空ばかりを見ることになった。
  Tune no koto nare do, hito hitori ka, amata simo mi tamaha nu koto nare ba ni ya, taguhinaku obosi kogare tari. Hatigwati nizihuyo niti no ariake nare ba, sora mo kesiki mo ahare sukunakara nu ni, Otodo no yami ni kure madohi tamahe ru sama wo mi tamahu mo, kotowari ni imizikere ba, sora nomi nagame rare tamahi te,
2.7.6  「 のぼりぬる煙はそれとわかねども
   なべて雲居のあはれなるかな
 「空に上った煙は雲と混ざり合ってそれと区別がつかないが
  おしなべてどの雲もしみじみと眺められることよ
  のぼりぬる煙はそれとかねども
  なべて雲井の哀れなるかな
    "Nobori nuru keburi ha sore to waka ne domo
    nabete kumowi no ahare naru kana
2.7.7   殿におはし着きて、つゆまどろまれたまはず。年ごろの御ありさまを思し出でつつ、
 殿にお帰りになっても、少しもお眠りになれない。年来のご様子をお思い出しになりながら、
 源氏はこう思ったのである。家へ帰っても少しも眠れない。故人と二人の長い間の夫婦生活を思い出して、
  Tono ni ohasi tuki te, tuyu madoroma re tamaha zu. Tosigoro no ohom-arisama wo obosi ide tutu,
2.7.8  「 などて、つひにはおのづから見直したまひてむと、のどかに思ひて、なほざりのすさびにつけても、つらしと おぼえられたてまつりけむ。世を経て、疎く恥づかしきものに思ひて 過ぎ果てたまひぬる
 「どうして、最後には自然と分かってくれようと、のんびりと考えて、かりそめの浮気につけても、ひどいと思われ申してしまったのだろう。結婚生活中、親しめない気の置けるものと思って、お亡くなりになってしまったことよ」
 なぜ自分は妻に十分の愛を示さなかったのであろう、信頼していてさえもらえば、異性に対する自分の愛は妻に帰るよりほかはないのだと暢気のんきに思って、一時的な衝動を受けては恨めしく思わせるような罪をなぜ自分は作ったのであろう。そんなことで妻は生涯しょうがい心から打ち解けてくれなかったのだ
  "Nado te, tuhi ni ha onodukara minahosi tamahi te m to, nodoka ni omohi te, nahozari no susabi ni tuke te mo, turasi to oboye rare tatematuri kem. Yo wo he te, utoku hadukasiki mono ni omohi te sugi hate tamahi nuru."
2.7.9  など、悔しきこと多く、 思しつづけらるれど、かひなし。にばめる御衣たてまつれるも、夢の心地して、「 われ先立たましかば、深くぞ染めたまはまし」と、思すさへ、
 などと、悔やまれることが多く、次々とお思い出しにならずにはいらっしゃれないが、効がない。鈍色の喪服をお召しになるのも、夢のような気がして、「自分が先立ったのならば、色濃くお染めになったろうに」と、お思いになるのまでが、
 などと、源氏は悔やむのであるが今はもう何のかいのある時でもなかった。淡鈍うすにび色の喪服を着るのも夢のような気がした。もし自分が先に死んでいたら、妻はこれよりも濃い色の喪服を着て歎いているであろうと思ってもまた源氏の悲しみはき上がってくるのであった。
  nado, kuyasiki koto ohoku, obosi tuduke rarure do, kahi nasi. Nibame ru ohom-zo tatemature ru mo, yume no kokoti si te, "Ware sakidata masika ba, hukaku zo some tamaha masi." to, obosu sahe,
2.7.10  「 限りあれば薄墨衣浅けれど
   涙ぞ袖を淵となしける
 「きまりがあるので薄い色の喪服を着ているが
  涙で袖は淵のように深く悲しみに濡れている
  限りあればうす墨衣浅けれど
  涙ぞそでふちとなしける
    "Kagiri are ba usuzumigoromo asakere do
    namida zo sode wo huti to nasi keru
2.7.11  とて、念誦したまへるさま、いとどなまめかしさまさりて、経忍びやかに誦みたまひつつ、
 と詠んで、念仏読経なさっている様子、ますます優美な感じが勝って、お経を声をひそめてお読みになりながら、
 と歌ったあとでは念誦ねんずをしている源氏の様子は限りもなくえんであった。経を小声で読んで
  tote, nenzu si tamahe ru sama, itodo namamekasisa masari te, kyau sinobiyaka ni yomi tamahi tutu,
2.7.12  「法界三昧普賢大士」とうちのたまへる、行ひ馴れたる法師よりはけなり。若君を見たてまつりたまふにも、「 何に忍ぶの」と いとど露けけれど、「 かかる形見さへなからましかば」と、思し慰む。
 「法界三昧普賢大士」とお唱えになるのは、勤行慣れした法師よりも殊勝である。若君を拝見なさるにつけても、「何を忍ぶよすがに」と、ますます涙がこぼれ出て来たが、「このような子までがいなかったら」と、気をお紛らしになる。
 「法界三昧ざんまい普賢大士」と言っている源氏は、仏勤めをしれた僧よりもかえって尊く思われた。若君を見ても「結び置くかたみの子だになかりせば何に忍ぶの草を摘ままし」こんな古歌が思われていっそう悲しくなったが、この形見だけでも残して行ってくれたことに慰んでいなければならないとも源氏は思った。
  "Hohukai zanmai Hugen daisi" to uti-notamahe ru, okonahi nare taru hohusi yori ha ke nari. Wakagimi wo mi tatematuri tamahu ni mo, "Nani ni sinobu no" to, itodo tuyuke kere do, "Kakaru katami sahe nakara masika ba." to, obosi nagusa mu.
2.7.13  宮はしづみ入りて、そのままに起き上がりたまはず、危ふげに見えたまふを、また思し騒ぎて、御祈りなどせさせたまふ。
 宮は沈み込んで、そのまま起き上がりなさらず、命も危なそうにお見えになるので、またお慌てになって、ご祈祷などをおさせになる。
 左大臣の夫人の宮様は、悲しみに沈んでおやすみになったきりである。お命もあぶなく見えることにまた家の人々はあわてて祈祷きとうなどをさせていた。
  Miya ha sidumi iri te, sono mama ni okiagari tamaha zu, ayahuge ni miye tamahu wo, mata obosi sawagi te, ohom-inori nado se sase tamahu.
2.7.14   はかなう過ぎゆけば、御わざのいそぎなどせさせたまふも、思しかけざりしことなれば、尽きせずいみじうなむ。なのめにかたほなるをだに、人の親はいかが思ふめる、ましてことわりなり。また、類ひおはせぬをだに、さうざうしく思しつるに、 袖の上の玉の砕けたりけむよりも、あさましげなり。
 とりとめもなく月日が過ぎて行くので、ご法事の準備などをおさせになるのも、思いもなさらなかったことなので、悲しみは尽きず大変である。取るに足らない不出来な子供でさえ、人の親はどんなに辛く思うことだろう、まして、当然である。また、他に姫君がいらっしゃらないのさえ、物足りなくお思いになっていたのに、袖の上の玉が砕けたという事よりも 残念である。
 寂しい日がずんずん立っていって、もう四十九日の法会ほうえ仕度したくをするにも、宮はまったく予期あそばさないことであったからお悲しかった。欠点の多い娘でも死んだあとでの親の悲しみはどれほど深いものかしれない、まして母君のお失いになったのは、貴女きじょとして完全に近いほどの姫君なのであるから、このお歎きは至極道理なことと申さねばならない。ただ姫君が一人であるということも寂しくお思いになった宮であったから、その唯一の姫君をお失いになったお心は、そでの上に置いた玉の砕けたよりももっと惜しく残念なことでおありになったに違いない。
  Hakanau sugi yuke ba, ohom-waza no isogi nado se sase tamahu mo, obosi kake zari si koto nare ba, tuki se zu imiziu nam. Nanome ni kataho naru wo dani, hito no oya ha ikaga omohu meru, masite kotowari nari. Mata, taguhi ohase nu wo dani, sauzausiku obosi turu ni, sode no uhe no tama no kudake tari kem yori mo, asamasige nari.
2.7.15  大将の君は、二条院にだに、あからさまにも渡りたまはず、あはれに心深う思ひ嘆きて、行ひをまめにしたまひつつ、明かし暮らしたまふ。所々には、御文ばかりぞたてまつりたまふ。
 大将の君は、二条院にさえ、ほんの暫しの間もお行きにならず、しみじみと心深くお嘆きになって、勤行を几帳面になさりなさり、日夜お過ごしになる。所々の方々には、お手紙だけを差し上げなさる。
 源氏は二条の院へさえもまったく行かないのである。専念に仏勤めをして暮らしているのであった。恋人たちの所へ手紙だけは送っていた。
  Daisyaunokimi ha, Nideunowin ni dani, akarasama ni mo watari tamaha zu, ahare ni kokorohukau omohi nageki te, okonahi wo mame ni si tamahi tutu, akasi kurasi tamahu. Tokoro dokoro ni ha, ohom-humi bakari zo tatematuri tamahu.
2.7.16   かの御息所は斎宮は左衛門の司に入りたまひにければ、いとどいつくしき御きよまはりにことつけて、 聞こえも通ひたまはず憂しと思ひ染みにし世も、なべて厭はしうなりたまひて、「 かかるほだしだに添はざらましかば願はしきさまにもなりなまし」と 思すには、まづ 対の姫君の、さうざうしくてものしたまふらむありさまぞ、ふと思しやらるる。
 あの御息所には、斎宮は左衛門の司にお入りになったので、ますます厳重なご潔斎を理由にして、お手紙も差し上げたりいただたりなさらない。嫌なと心底から感じられた世の中も、一切厭わしくなられて、「このような幼い子供さえいなかったなら、念願どおりになれように」と、お思いになるにつけては、まずは対の姫君が寂しくしていらっしゃるだろう様子を、ふとお思いやらずにはいらっしゃれない。
 六条の御息所みやすどころ左衛門さえもんの庁舎へ斎宮がおはいりになったので、いっそう厳重になった潔斎的な生活に喪中の人の交渉を遠慮する意味にたくしてその人へだけは消息もしないのである。早くから悲観的に見ていた人生がいっそうこのごろいとわしくなって、将来のことまでも考えてやらねばならぬ幾人かの情人たち、そんなものがなければ僧になってしまうがと思う時に、源氏の目に真先まっさきに見えるものは西の対の姫君の寂しがっている面影であった。
  Kano Miyasumdokoro ha, Saiguu ha Sawemon no tukasa ni iri tamahi ni kere ba, itodo itukusiki ohom-kiyomahari ni kototuke te, kikoye mo kayohi tamaha zu. Usi to omohi-simi ni si yo mo, nabete itohasiu nari tamahi te, "Kakaru hodasi dani soha zara masika ba, negahasiki sama ni mo nari na masi." to obosu ni ha, madu tai no Himegimi no, sauzausiku te monosi tamahu ram arisama zo, huto obosi yara ruru.
2.7.17  夜は、御帳の内に一人臥したまふに、宿直の人びとは近うめぐりてさぶらへど、かたはら寂しくて、「 時しもあれ」と寝覚めがちなるに、声すぐれたる限り選りさぶらはせたまふ念仏の、暁方など、忍びがたし。
 夜は、御帳台の中に独りでお寝みになると、宿直の女房たちは近くを囲んで伺候しているが、独り寝は寂しくて、「折柄もまことだ」と寝覚めがちなので、声のよい僧ばかりを選んで伺候させていらっしゃる念仏が、暁方など、堪え難い思いである。
 夜は帳台の中へ一人で寝た。侍女たちが夜の宿直とのいにおおぜいでそれを巡ってすわっていても、夫人のそばにいないことは限りもない寂しいことであった。「時しもあれ秋やは人の別るべき有るを見るだに恋しきものを」こんな思いで源氏は寝ざめがちであった。声のよい僧を選んで念仏をさせておく、こんな夜の明け方などの心持ちは堪えられないものであった。
  Yoru ha, mityau no uti ni hitori husi tamahu ni, tonowi no hitobito ha tikau meguri te saburahe do, katahara sabisiku te, "Toki simo are" to nezame gati naru ni, kowe sugure taru kagiri eri saburaha se tamahu nenbutu no, akatukigata nado, sinobi gatasi.
2.7.18  「 深き秋のあはれまさりゆく風の音、身にしみけるかな」と、ならはぬ御独寝に明かしかねたまへる朝ぼらけの霧りわたれるに、菊のけしきばめる枝に、濃き青鈍の紙なる文つけて、さし置きて往にけり。「 今めかしうも」とて、見たまへば、御息所の御手なり。
 「晩秋の情趣を増して行く風の音、身にしみて感じられることよ」と、慣れないお独り寝に、明かしかねていらっしゃる朝ぼらけの霧が立ちこめている時に、菊の咲きかけた枝に、濃い青鈍色の紙の文を結んで、ちょっと置いて去っていった。「優美な感じだ」と思って、御覧になると、御息所のご筆跡である。
 秋が深くなったこのごろの風のが身にしむのを感じる、そうしたある夜明けに、白菊が淡色うすいろを染めだした花の枝に、青がかった灰色の紙に書いた手紙を付けて、置いて行った使いがあった。「気どったことをだれがするのだろう」と源氏は言って、手紙をあけて見ると御息所の字であった。
  "Hukaki aki no ahare masari yuku kaze no oto, mi ni simi keru kana!" to, naraha nu ohom-hitorine ni akasi kane tamahe ru asaborake no kiri watare ru ni, kiku no kesikibame ru eda ni, koki awonibi no kami naru humi tuke te, sasi-oki te ini keri. "Imamekasiu mo" tote, mi tamahe ba, Miyasumdokoro no ohom-te nari.
2.7.19  「 聞こえぬほどは、思し知るらむや
 「お手紙差し上げなかった間のことは、お察しいただけましょうか。
 今まで御遠慮してお尋ねもしないでおりました私の心持ちはおわかりになっていらっしゃることでしょうか。
  "Kikoye nu hodo ha, obosi siru ram ya?
2.7.20    人の世をあはれと聞くも露けきに
   後るる袖を思ひこそやれ
  人の世の無常を聞くにつけ涙がこぼれますが
  先立たれなさってさぞかしお袖を濡らしてとお察しいたします
  人の世を哀れときくも露けきに
  おくるる露を思ひこそやれ
    Hito no yo wo ahare to kiku mo tuyukeki ni
    okururu sode wo omohi koso yare
2.7.21  ただ今の空に思ひたまへあまりてなむ」
 ちょうど今朝の空の模様を見るにつけ、偲びかねまして」
 あまりに身にしむ今朝けさの空の色を見ていまして、つい書きたくなってしまったのです。
  Tada ima no sora ni omohi tamahe amari te nam."
2.7.22  とあり。「 常よりも優にも書いたまへるかな」と、さすがに置きがたう見たまふものから、「 つれなの御弔ひや」と心憂し。さりとて、かき絶え音なう聞こえざらむもいとほしく、人の御名の朽ちぬべきことを思し乱る。
 とある。「いつもよりも優美にお書きになっているなあ」と、やはり下に置きにくく御覧になるものの、「誠意のないご弔問だ」と嫌な気がする。そうかといって、お返事を差し上げないのもお気の毒で、ご名誉にも傷がつくことになるに違いない事だと、いろいろとお案じになる。
 平生よりもいっそうみごとに書かれた字であると源氏はさすがにすぐに下へも置かれずにながめながらも、素知らぬふりの慰問状であると思うと恨めしかった。たとえあのことがあったとしても絶交するのは残酷である、そしてまた名誉を傷つけることになってはならないと思って源氏は煩悶はんもんした。
  to ari. "Tune yori mo iu ni mo kai tamahe ru kana!" to, sasuga ni oki gatau mi tamahu monokara, "Turena no ohom-toburahi ya!" to kokoro-usi. Saritote, kaki-taye oto nau kikoye zara m mo itohosiku, hito no ohom-na no kuti nu beki koto wo obosi midaru.
2.7.23  「 過ぎにし人は、とてもかくても、さるべきにこそはものしたまひけめ、何にさることを、さださだとけざやかに見聞きけむ」と悔しきは、 わが御心ながら、なほえ思し直すまじきなめりかし
 「亡くなった人は、いずれにせよ、そうなるべき運命でいらしたのだろうが、どうしてあのようなことを、まざまざと明瞭に見たり聞いたりしたのだろう」と悔しいのは、ご自分の気持ちながらも、やはりお思い直しになることはできないようである。
 死んだ人はとにかくあれだけの寿命だったに違いない。なぜ自分の目はああした明らかな御息所の生霊いきりょうを見たのであろうとこんなことを源氏は思った。源氏の恋が再び帰りがたいことがうかがわれるのである。
  "Sugi ni si hito ha, totemo kakutemo, sarubeki ni koso ha monosi tamahi keme, nani ni saru koto wo, sadasada to kezayaka ni mi kiki kem." to kuyasiki ha, waga mikokoro nagara, naho e obosi nahosu maziki na' meri kasi.
2.7.24  「 斎宮の御きよまはりもわづらはしくや」など、久しう思ひわづらひたまへど、「 わざとある御返りなくは、情けなくや」とて、紫のにばめる紙に、
 「斎宮のご潔斎につけても憚り多いことだろうか」などと、長い間お考えあぐねていらっしゃるが、「わざわざ下さった手紙のお返事しないのは、情愛がないのではないか」と思って、紫色の鈍色がかった紙に、
 斎宮の御潔斎中の迷惑にならないであろうかとも久しく考えていたが、わざわざ送って来た手紙に返事をしないのは無情過ぎるとも思って、紫の灰色がかった紙にこう書いた。
  "Saiguu no ohom-kiyomahari mo wadurahasiku ya." nado, hisasiu omohi wadurahi tamahe do, "Wazato aru ohom-kaheri naku ha, nasake naku ya." tote, murasaki no nibame ru kami ni,
2.7.25  「 こよなうほど経はべりにけるを、思ひたまへおこたらずながら、 つつましきほどは、さらば、 思し知るらむやとてなむ。
 「すっかりご無沙汰いたしましたが、常に心にお掛け申し上げておりながら、喪中の間は、そのようなわけで、お察しいただけようかと存じまして。
 ずいぶん長くお目にかかりませんが、心で始終思っているのです。謹慎中のこうした私に同情はしてくださるでしょうと思いました。
  "Koyonau hodo he haberi ni keru wo, omohi tamahe okotara zu nagara, tutumasiki hodo ha, saraba, obosi siru ram ya tote nam.
2.7.26    とまる身も消えしもおなじ露の世に
   心置くらむほどぞはかなき
  生き残った者も死んだ者も同じ露のようにはかない世に
  心の執着を残して置くことはつまらないことです
  とまる身も消えしも同じ露の世に
  心置くらんほどぞはかなき
    Tomaru mi mo kiye si mo onazi tuyu no yo ni
    kokoro oku ram hodo zo hakanaki
2.7.27   かつは思し消ちてよかし御覧ぜずもやとて、誰れにも
 お互いに執着をお捨てになって下さい。御覧いただけないかしらと、どなたにも」
 ですから憎いとお思いになることなどもいっさい忘れておしまいなさい。忌中の者の手紙などは御覧にならないかと思いまして私も御無沙汰ごぶさたをしていたのです。
  Katu ha obosi keti te yo kasi. Goranze zu mo ya tote, tare ni mo."
2.7.28  と聞こえたまへり。
 と差し上げなさった。

  to kikoye tamahe ri.
2.7.29  里におはするほどなりければ、忍びて見たまひて、 ほのめかしたまへるけしきを、心の鬼にしるく見たまひて、「さればよ」と思すも、いといみじ。
 里においでになる時だったので、こっそりと御覧になって、ほのめかしておっしゃっている様子を、内心気にとがめていることがあったので、はっきりとご理解なさって、「やはりそうであったのか」とお思いになるにつけ、とても堪らない。
 御息所は自宅のほうにいた時であったから、そっと源氏の手紙を読んで、文意にほのめかしてあることを、心にとがめられていないのでもない御息所はすぐに悟ったのである。
  Sato ni ohasuru hodo nari kere ba, sinobi te mi tamahi te, honomekasi tamahe ru kesiki wo, kokoronooni ni siruku mi tamahi te, "Sareba yo!" to obosu mo, ito imizi.
2.7.30  「 なほ、いと限りなき身の憂さなりけり。かやうなる聞こえありて、院にもいかに思さむ。 故前坊の、同じき御はらからと言ふなかにも、いみじう思ひ交はしきこえさせたまひて、この斎宮の御ことをも、ねむごろに聞こえつけ させたまひしかば、『 その御代はりにも、やがて見たてまつり 扱はむ』など、常にのたまはせて、『 やがて内裏住みしたまへ』と、たびたび聞こえさせたまひしをだに、 いとあるまじきこと、と思ひ離れにしを、 かく心よりほかに若々しきもの思ひをして、つひに憂き名をさへ流し果てつべきこと」
 「やはり、とてもこの上なく情けない身の上であったよ。このような噂が立って、院におかれてもどのようにお考えあそばされよう。故前坊の、同腹のご兄弟という中でも、たいそうお互いに仲好くあそばして、わが斎宮のご将来のことをも、こまごまとお頼み申し上げあそばしたので、『そのおん代わりに、そのままお世話申そう』などと、いつも仰せられて、『そのまま宮中にお住みなさい』と、度々お勧め申し上げあそばしたことだけでも、まことに恐れ多いこと、と考えてもみなかったのに、このように意外にも年がいもなく物思いをして、遂には面目ない評判まで流してしまうに違いないこと」
 これも皆自分の薄命からだと悲しんだ。こんな生霊のうわさが伝わって行った時に院はどう思召おぼしめすだろう。前皇太弟とは御同胞といっても取り分けおむつまじかった、斎宮の将来のことも院へお頼みになって東宮はおかくれになったので、その時代には第二の父になってやろうという仰せがたびたびあって、そのまままた御所で後宮生活をするようにとまで仰せになった時も、あるまじいこととして自分は御辞退をした。それであるのに若い源氏と恋をして、しまいには悪名を取ることになるのか
  "Naho, ito kagirinaki mi no usa nari keri. Kayau naru kikoye ari te, Win ni mo ikani obosa m? Ko-Zenbau no, onaziki ohom-harakara to ihu naka ni mo, imiziu omohi-kahasi kikoye sase tamahi te, kono Saiguu no ohom-koto wo mo, nemgoro ni kikoye tuke sase tamahi sika ba, 'Sono ohom-kahari ni mo, yagate mi tatematuri atukaha m.' nado, tune ni notamaha se te, 'Yagate utizumi si tamahe.' to, tabitabi kikoye sase tamahi si wo dani, ito aru maziki koto, to omohi hanare ni si wo, kaku kokoro yori hoka ni wakawakasiki mono-omohi wo si te, tuhi ni ukina wo sahe nagasi hate tu beki koto."
2.7.31  と、思し乱るるに、なほ例のさまにもおはせず。
 と、お悩みになると、やはりいつものような状態でおいでではない。
 と御息所は重苦しい悩みを心にして健康もすぐれなかった。
  to, obosi midaruru ni, naho rei no sama ni mo ohase zu.
2.7.32  さるは、おほかたの世につけて、心にくくよしある聞こえありて、昔より名高くものしたまへば、野の宮の御移ろひのほどにも、をかしう今めきたること多くしなして、「 殿上人どもの好ましきなどは、朝夕の露分けありくを、そのころの役になむする」など聞きたまひても、大将の君は、「 ことわりぞかし。ゆゑは飽くまでつきたまへるものを。もし、世の中に飽き果てて下りたまひなば、さうざうしくもあるべきかな」と、 さすがに思されけり
 とはいえ、世間一般のことにつけては、奥ゆかしく趣味の豊かな方としての評判があって、昔から高名でいらしたので、野の宮へのお移りの時にも、興趣ある当世風のことを多く考案し出して、「殿上人どもで風流な者などは、朝に夕べに露を分けて訪れるのを、その頃の仕事としている」などとお聞きになっても、大将の君は、「もっともなことだ。風雅を解することでは、どこまでも十分備わっていられる方だ。もし、愛想をつかされてお下りになってしまわれたら、どんなにか寂しいに違いないだろう」と、やはりお思いになるのであった。
 この人は昔から、教養があって見識の高い、趣味の洗練された貴婦人として、ずいぶん名高い人になっていたので、斎宮が野の宮へいよいよおはいりになると、そこを風流な遊び場として、殿上役人などの文学好きな青年などは、はるばる嵯峨さがへまで訪問に出かけるのをこのごろの仕事にしているという噂が源氏の耳にはいると、もっともなことであると思った。すぐれた芸術的な存在であることは否定できない人である。悲観してしまって伊勢いせへでも行かれたらずいぶん寂しいことであろうと、さすがに源氏は思ったのである。
  Saruha, ohokata no yo ni tuke te, kokoronikuku yosi aru kikoye ari te, mukasi yori nadakaku monosi tamahe ba, Nonomiya no ohom-uturohi no hodo ni mo, wokasiu imameki taru koto ohoku sinasi te, "Tenzyaubito-domo no konomasiki nado ha, asayuhu no tuyu wake ariku wo, sonokoro no yaku ni nam suru." nado kiki tamahi te mo, Daisyaunokimi ha, "Kotowari zo kasi. Yuwe ha aku made tuki tamahe ru mono wo. Mosi, yononaka ni aki hate te kudari tamahi na ba, sauzausiku mo aru beki kana!" to, sasuga ni obosa re keri.
注釈313かかる齢の末に以下「もごよふこと」まで、左大臣の詞。2.7.2
注釈314夜もすがらいみじうののしりつる儀式当時の葬儀は夕方に野辺送りして一晩中かけて荼毘にふし、明け方に遺骨を拾って帰る。漆黒の闇夜を焦がす火葬の炎と煙そして帰りがけの朝露は葬儀に参列した人々には心に深く残る。2.7.4
注釈315人一人かあまたしも見たまはぬことなれば『集成』は「(人の死に目に遭うのは)一人ぐらいか、その程度で、多くは経験なさらぬことだからであろうか。源氏は今まで、三歳の時に母、六歳の時に祖母に死別しているが、直接死に目に遭ったのは夕顔だけである」と指摘する。2.7.5
注釈316思し焦がれたり『完訳』は「火葬の縁語」と注す。2.7.5
注釈317八月二十余日の有明葵の上の葬送は八月二十余日。二十三夜月に近い月が空にかかり、有明の月となって西の空に残るころ。
【余日】−大島本は「よ日」とある。『集成』『古典セレクション』は「よにち」と訓じる。
2.7.5
注釈318空もけしきも『集成』『古典セレクション』は諸本に従って「空のけしきも」と校訂する。『新大系』は底本のままとする。2.7.5
注釈319闇に暮れ惑ひ「人の親の心は闇にあらねども子を思ふ道にまどひぬるかな」(後撰集、雑一、一一〇二、藤原兼輔)を踏まえた表現。2.7.5
注釈320空のみ眺められたまひて『全集』『集成』『完訳』は「大空は恋しき人の形見かは物思ふごとに眺めらるらむ」(古今集、恋四、七四三、酒井人真)を引歌として指摘。2.7.5
注釈321のぼりぬる煙はそれとわかねども--なべて雲居のあはれなるかな源氏の独詠歌。『完訳』は「形見の空という引歌の発想から連続して、火葬の煙が雲と化した空全体を哀傷風景とした歌」と注す。2.7.6
注釈322殿におはし着きて「殿」は左大臣邸をさす。なお大島本と榊原家本は「殿にをはしつきて」とあるが、その他の諸本は「殿におはしつきても」とある。『集成』『完訳』は「殿におはしつきても」と訂正する。2.7.7
注釈323などてつひには以下「過ぎ果てたまひぬる」まで、源氏の心。『集成』は「などて」は「おぼえられたてまつりけむ」に掛る」と注す。2.7.8
注釈324おぼえられたてまつりけむ「おぼえ」の主体は源氏。「られ」(受身の助動詞)「たてまつり」(謙譲の補助動詞、源氏の葵の上に対する敬意)。わたしは葵の上から思われ申したのだろうか、の意。『完訳』は「お仕向け申したのだろう」と訳す。2.7.8
注釈325過ぎ果てたまひぬる連体中止の余情を残した表現。悔恨の気持ち。2.7.8
注釈326思しつづけらるれど「らるれ」(自発の助動詞)。お思い出しにならずにはいらっしゃれない、の意。2.7.9
注釈327われ先立たましかば深くぞ染めたまはまし源氏の仮想。「ましかば--まし」は反実仮想の構文。2.7.9
注釈328限りあれば薄墨衣浅けれど--涙ぞ袖を淵となしける源氏の独詠歌。「淵」と「藤(衣)」を掛ける。2.7.10
注釈329何に忍ぶのと『源氏釈』は「結び置きし形見の子だになかりせば何に忍の草を摘ままし」(後撰集、雑二、一一八七、兼輔朝臣の母が乳母)を指摘する。2.7.12
注釈330いとど露けけれど『集成』は「秋の縁でいう」と注す。『完訳』は「「忍び草」の縁」と注す。季節は晩秋である。2.7.12
注釈331かかる形見さへなからましかば源氏の心。「形見」は若君(夕霧)をさす。2.7.12
注釈332袖の上の玉の砕けたりけむよりも『集成』は「当時の諺か。出典未詳」。『完訳』も「出典があるらしいが、未詳」と注す。『源氏釈』(書陵部本)は「捧掌上之珠 摧心中之丹」とあるが出典未詳。『白氏文集』に「何意見掌上珠化為眼中砂」(巻第二、一一七一)とある。2.7.14
注釈333かの御息所は「いとどしき御きよまりに」に掛かる。2.7.16
注釈334斎宮は左衛門の司に宮中の初齋院が左衛門府に設けられた。2.7.16
注釈335聞こえも通ひたまはず主語は源氏。「も」(副助詞)は強調の意。2.7.16
注釈336憂しと思ひ染みにし世主語は源氏。『新大系』は「この「世」は世俗一般。前には「かなしきことに事を添へて、世の中をいとうき物に」と愛憐の厭わしさを思ったが、ここでは人間世界一般への厭わしさを深刻に思う」と注す。2.7.16
注釈337かかるほだしだに添はざらましかば以下「なりなまし」まで、源氏の心中。「かかるほだし」は若君(夕霧)をさす。「ましかば--まし」の反実仮想の構文。古注では「世の憂きめ見えぬ山路へ入らむには思ふ人こそほだしなりけれ」(古今集、雑下、九五五、物部吉名)を指摘。2.7.16
注釈338願はしきさま出家生活をさす。『完訳』は「ここに端を発する源氏の道心は、生涯、意識の底にあり続ける」と注す。2.7.16
注釈339思すには横山本、池田本、三条西家本、書陵部本は「おほすに」とある。榊原家本と肖柏本は大島本と同文。河内本、別本も大島本と同文。出家生活を願う一方で現世に執着する源氏の精神構造は「若紫」巻の北山の段がまず最初に想起される。2.7.16
注釈340対の姫君紫の君をさす。西の対の屋に住んでいるのでこう呼ぶ。2.7.16
注釈341時しもあれ『源氏釈』は「時しもあれ秋やは人の別るべきあるを見るだに恋しきものを」(古今集、哀傷、八三九、壬生忠岑)を指摘、現行の注釈書でも引歌として指摘するが、他に「時しもあれ秋しも人の別るればいとど袂ぞ露けかりける」(拾遺集、別、三〇八、読人しらず)という和歌もある。2.7.17
注釈342深き秋の以下「身にしみけるかな」まで、源氏の心。晩秋、源氏と御息所、和歌を贈答しあう。2.7.18
注釈343今めかしうも源氏の感想。『集成』は「気の利いたことをすると思って。折にふさわしく、紙の色まで気を配っていることをいう」と注す。『完訳』は「新鮮で、気のきいた感じ」と注す。2.7.18
注釈344聞こえぬほどは以下「思ひたまへあまりてなむ」まで、御息所の手紙文と和歌。2.7.19
注釈345人の世をあはれと聞くも露けきに--後るる袖を思ひこそやれ御息所の贈歌。「聞く」に「菊」を響かす。「菊」「露」は縁語。2.7.20
注釈346常よりも優にも書いたまへるかな源氏の感想。『完訳』は「能筆の人」と注す。「いう」は「優」の字音。2.7.22
注釈347つれなの御弔ひや源氏の感想。『集成』は「知らぬ顔して弔問なさることだ」の意に解す。2.7.22
注釈348過ぎにし人は以下「けざやかに見聞きけむ」まで、源氏の心中。2.7.23
注釈349わが御心ながら、なほえ思し直すまじきなめりかし『湖月抄』は「草子の地也」と指摘。『完訳』も「源氏が自ら御息所への気持を変えがたいとする、語り手の推測」と注す。
【わが御心】−大島本は「我御心」。横山本は「我御心」とミセケチ、池田本と三条西家本は「我心」とあり底本と同文。
【思し直す】−御息所を厭う気持ちを元にもどすことをさす。
【なめりかし】−「な」(断定の助動詞)「めり」(推量の助動詞)「かし」(終助詞)は語り手の推測。
2.7.23
注釈350斎宮の御きよまはりもわづらはしくや源氏の心。2.7.24
注釈351わざとある御返りなくは情けなくや源氏の心。2.7.24
注釈352こよなうほど経はべりにけるを以下「誰れにも」まで、源氏の手紙文。2.7.25
注釈353思し知るらむや『古典セレクション』は諸本に従って「思し知るらむ」と「や」を削除する。『集成』『新大系』は底本のままとする。2.7.25
注釈354つつましきほど喪中の間をさす。2.7.25
注釈355とまる身も消えしもおなじ露の世に--心置くらむほどぞはかなき源氏の返歌。「止まる」「消え」「置く」は「露」の縁語。『完訳』は「生きとまる自分と死んだ葵の上を、ともに無常の身として一般化した表現。「心おく」は思いつめる意で、御息所の怨念を暗示する」と注す。2.7.26
注釈356かつは思し消ちてよかし「かつは」について、『集成』は「かたがた、あなたもその執着(私の身の上を思いやって下さること)を、おさまし下さいませ」という「かたがた」の意に解し、『完訳』は「思いつめるのも無理はないが」と解す。2.7.27
注釈357御覧ぜずもやとて誰れにも『集成』『古典セレクション』は諸本に従って「これにも」と校訂する。『新大系』は底本「たれにも」のままとする。手紙文の結び。『集成』は「(喪中の身からの手紙は)御覧にならぬかもしれないと思って、私の方も(これ以上多くは申し上げません)」の意に解す。『完訳』は「私のほうでもほんのしるしばかり」と訳す。2.7.27
注釈358ほのめかしたまへるけしきを『集成』は「源氏の返事は、表面自分の気持を述べながら「心置く」「おぼし消ちてよ」など、御息所が怨霊になったことを暗に批判している」と注す。2.7.29
注釈359なほいと限りなき身の以下「流し果てつべきこと」まで、御息所の心中。『完訳』は「以下、御息所の心情に即する」と注す。2.7.30
注釈360故前坊の同じき御はらから桐壺院と故前坊は兄弟。2.7.30
注釈361その御代はり故前坊をさす。父親代わりに。2.7.30
注釈362やがて内裏住みしたまへ『集成』は「自然、桐壺院の寵愛を受けることも含まれる」と注す。2.7.30
注釈363いとあるまじきこと桐壺院から寵愛を受けることをさす。2.7.30
注釈364かく心よりほかに若々しき『完訳』は「院の誘いを固く辞退したわりには、の気持。大人げないと思う」と注す。2.7.30
注釈365殿上人どもの以下「そのころの役になむする」まで、噂。2.7.32
注釈366ことわりぞかし以下「あるべきかな」まで、源氏の心。2.7.32
注釈367さすがに思されけり『新大系』は「御息所を「さすがに」断念できない執着」と注す。2.7.32
出典8 闇に暮れ惑ひ 人の親の心は闇にあらねども子を思ふ道に惑ひにけるかな 後撰集雑一-一一〇二 藤原兼輔 2.7.5
出典9 空のみ眺められ 大空は恋しき人の形見かは物思ふごとに眺めらるらむ 古今集恋四-七四三 酒井人真 2.7.5
出典10 何に忍ぶの 結びおきし形見の子だになかりせば何に忍の草を摘ままし 後撰集雑二-一一八七 兼忠が母の乳母 2.7.12
出典11 時しもあれ 時しもあれ秋やは人の別るべきあるを見るだに恋しきものを 古今集哀傷-八九三 壬生忠岑 2.7.17
校訂23 はかなう はかなう--はら(ら/$か<朱>)なう 2.7.14
校訂24 知るらむ 知るらむ--し(し/+る<朱>)らむ 2.7.19
校訂25 させ させ--さ(さ/$さ<朱>) 2.7.30
校訂26 扱はむ 扱はむ--あつる(つる/$つか<朱>)はむ 2.7.30
2.8
第八段 三位中将と故人を追慕する


2-8  Genji grieves over Aoi's death with her brother

2.8.1   御法事など過ぎぬれど、正日までは、なほ籠もりおはす。ならはぬ御つれづれを、 心苦しがりたまひて三位中将は常に参りたまひつつ、世の中の御物語など、まめやかなるも、また例の乱りがはしきことをも聞こえ出でつつ、慰めきこえたまふに、 かの内侍ぞ、うち笑ひたまふくさはひにはなるめる。大将の君は、
 ご法事など次々と過ぎていったが、正日までは、やはり引き籠もっていらっしゃる。経験したことのない所在なさを、お気の毒に思われなさって、三位の中将は、毎日お部屋に参上なさっては、世間話など、真面目な話や、また例の好色めいた話などをも申し上げて、お気持ちをお慰め申し上げなさる中で、あの典侍の話は、お笑い種になるようである。大将の君は、
 日を取り越した法会ほうえはもう済んだが、正しく四十九日まではこの家で暮らそうと源氏はしていた。過去に経験のないひとみをする源氏に同情して、現在の三位さんみ中将は始終たずねて来て、世間話も多くこの人から源氏に伝わった。まじめな問題も、恋愛事件もある。滑稽こっけいな話題にはよく源典侍げんてんじがなった。源氏は、
  Ohom-hohuzi nado sugi nure do, syauniti made ha, naho komori ohasu. Naraha nu ohom-turedure wo, kokorogurusigari tamahi te, Samwi no Tyuuzyau ha, tune ni mawiri tamahi tutu, yononaka no ohom-monogatari nado, mameyaka naru mo, mata rei no midari gahasiki koto wo mo kikoye ide tutu, nagusame kikoye tamahu ni, kano Naisi zo, uti-warahi tamahu kusahahi ni ha naru meru. Daisyaunokimi ha,
2.8.2  「あな、いとほしや。 祖母殿の上、ないたう軽めたまひそ」
 「ああ、お気の毒な。おばば殿のことを、ひどく軽蔑なさるな」
 「かわいそうに、お祖母ばあ様を安っぽく言っちゃいけないね」
  "Ana, itohosi ya! Oba Otodo no Uhe, na itau karome tamahi so."
2.8.3  といさめたまふものから、常にをかしと思したり。
 とお諌めになる一方で、いつも面白いと思っていられた。
 と言いながらも、典侍のことは自身にもおかしくてならないふうであった。
  to isame tamahu monokara, tune ni wokasi to obosi tari.
2.8.4   かの十六夜の、さやかならざりし秋のことなど、さらぬも、さまざまの好色事どもを、かたみに隈なく言ひあらはしたまふ、果て果ては、あはれなる世を言ひ言ひて、うち泣きなどもしたまひけり。
 あの十六夜の、はっきりしなかった秋の事件など、その他の事などの、いといろな浮気話を 互いに暴露なさい合う、しまいには、世の無常を言い言いして、涙をお漏らしになったりするのであった。
 常陸ひたちの宮の春の月の暗かった夜の話も、そのほかの互いの情事の素破すっぱ抜きもした。長く語っているうちにそうした話は皆影をひそめてしまって、人生の寂しさを言う源氏は泣きなどもした。
  Kano izayohi no, sayaka nara zari si aki no koto nado, saranu mo, samazama no sukigoto-domo wo, katamini kumanaku ihi arahasi tamahu, hate hate ha, ahare naru yo wo ihi ihi te, uti-naki nado mo si tamahi keri.
2.8.5   時雨うちして、ものあはれなる暮つ方、中将の君、鈍色の直衣、指貫、うすらかに 衣更へして、いと雄々しうあざやかに、心恥づかしきさまして参りたまへり。
 時雨が降って、何となくしみじみとした夕方、中将の君が、鈍色の直衣、指貫を、薄い色に衣更えして、まことに男らしくすっきりとして、こちらが気後れするような感じをし参上なさった。
 さっと通り雨がした後の物の身にしむ夕方に中将はにび色の喪服の直衣のうし指貫さしぬきを今までのよりはうすい色のに着かえて、力強い若さにあふれた、公子らしい風采ふうさいで出て来た。
  Sigure uti-si te, monoahare naru yuhutukata, Tyuuzyaunokimi, nibiiro no nahosi, sasinuki, usuraka ni koromogahe si te, ito wowosiu azayaka ni, kokorohadukasiki sama si te mawiri tamahe ri.
2.8.6  君は、西のつまの高欄におしかかりて、霜枯れの前栽見たまふほどなりけり。風荒らかに吹き、時雨さとしたるほど、涙もあらそふ心地して、
 君は、西の妻戸の高欄に寄り掛かって、霜枯れの前栽を御覧になっているところであった。風が荒々しく吹き、時雨がさっと降ってきた時は、涙も雨と競うような心地がして、
 源氏は西側の妻戸の前の高欄にからだを寄せて、霜枯れの庭をながめている時であった。荒い風が吹いて、時雨しぐれもばらばらと散るのを見ると、源氏は自分の涙と競うもののように思った。
  Kimi ha, nisi no tuma no kauran ni osi-kakari te, simogare no sensai mi tamahu hodo nari keri. Kaze araraka ni huki, sigure sato si taru hodo, namida mo arasohu kokoti si te,
2.8.7  「 雨となり雲とやなりにけむ、今は知らず
 「雨となり、雲とやなりにけむ、今は知らず」
 「相逢相失両如夢あひあひあひうしなふふたつながらゆめのごとし為雨為雲今不知あめとやなるくもとやなるいまはしらず
  "Ame to nari kumo to ya nari ni kem, ima ha sira zu."
2.8.8  と、うちひとりごちて、頬杖つきたまへる御さま、「 女にては、見捨てて亡くならむ魂かならずとまりなむかし」と、色めかしき心地に、うちまもられつつ、近うついゐたまへれば、しどけなくうち乱れたまへるさまながら、紐ばかりをさし直したまふ。
 と、独り言をいって、頬杖を突いていられるお姿、「女であったら、先立った魂もきっと留まろう」と、色っぽい気持ちで、ついじっと見つめられながら、近くにお座りになると、おくつろぎの姿でいられながらも、入れ紐だけをさし直しなさる。  と口ずさみながら頬杖ほおづえをついた源氏を、女であれば先だって死んだ場合に魂は必ず離れて行くまいと好色な心に中将を思って、じっとながめながら近づいて来て一礼してすわった。源氏は打ち解けた姿でいたのであるが、客に敬意を表するために、直衣のひもだけは掛けた。
  to, uti-hitorigoti te, turaduwe tuki tamahe ru ohom-sama, "Womna nite ha, misute te naku nara m tamasihi kanarazu tomari na m kasi." to, iromekasiki kokoti ni, uti-mamora re tutu, tikau tui-wi tamahe re ba, sidokenaku uti-midare tamahe ru sama nagara, himo bakari wo sasi nahosi tamahu.
2.8.9  これは、今すこしこまやかなる夏の御直衣に、紅のつややかなるひき重ねて、やつれたまへるしも、見ても飽かぬ心地ぞする。
 こちらは、もう少し濃い鈍色の夏のお直衣に、紅色の光沢のある袿を下襲して、地味なお姿でいらっしゃるのが、かえって見飽きない感じがする。
 源氏のほうは中将よりも少し濃い鈍色にきれいな色の紅の単衣ひとえを重ねていた。こうした喪服姿はきわめてえんである。
  Kore ha, ima sukosi komayaka naru natu no ohom-nahosi ni, kurenawi no tuyayaka naru hiki-kasane te, yature tamahe ru simo, mi te mo aka nu kokoti zo suru.
2.8.10  中将も、いとあはれなるまみに眺めたまへり。
 中将も、とても悲しそうなまなざしでぼんやりと見ていらっしゃる。
 中将も悲しい目つきで庭のほうをながめていた。
  Tyuuzyau mo, ito ahare naru mami ni nagame tamahe ri.
2.8.11  「 雨となりしぐるる空の浮雲を
   いづれの方とわきて眺めむ
 「妹が時雨となって降る空の浮雲を
  どちらの方向の雲と眺めようか
  雨となりしぐるる空の浮き雲を
  いづれの方ときてながめん
    "Ame to nari sigururu sora no ukigumo wo
    idure no kata to waki te nagame m
2.8.12   行方なしや
 行く方も分からないな」
 どこだかわからない。
  Yukuhe nasi ya!"
2.8.13  と、独り言のやうなるを、
 と 独り言のようなのを、
 と独言ひとりごとのように言っているのに源氏は答えて、
  to, hitorigoto no yau naru wo,
2.8.14  「 見し人の雨となりにし雲居さへ
   いとど時雨にかき暮らすころ
 「妻が雲となり雨となってしまった空までが
  ますます時雨で暗く泣き暮らしている今日この頃だ
  見し人の雨となりにし雲井さへ
  いとど時雨しぐれきくらすころ
    "Mi si hito no ame to nari ni si kumowi sahe
    itodo sigure ni kaki-kurasu koro
2.8.15  とのたまふ御けしきも、浅からぬほどしるく見ゆれば、
 とお詠みになるご様子も、浅くない気持ちがはっきりと窺えるので、
 というのに、故人を悲しむ心の深さが見えるのである。
  to notamahu mikesiki mo, asakara nu hodo siruku miyure ba,
2.8.16  「 あやしう、年ごろはいとしもあらぬ御心ざしを、院など、居立ちてのたまはせ、大臣の御もてなしも心苦しう、大宮の御方ざまに、もて離るまじきなど、かたがたにさしあひたれば、えしも ふり捨てたまはで、もの憂げなる御けしきながら、あり経たまふなめりかしと、いとほしう見ゆる折々ありつるを、まことに、やむごとなく重きかたは、ことに思ひきこえたまひけるなめり」
 「妙にここ数年来は、さほどではなかったご愛情を、院などにおかれても、じっとしてはおれず御教訓あそばし、大臣のご待遇もお気の毒であり、大宮のお血筋からいっても、切れない縁であるなど、どちらからいっても関係が深いので、お捨てになることができずに、何となく気の進まないご様子のままで、今まで過ごして来られたようだと、気の毒に見えたことも時々あったが、ほんとうに、正妻としては、格別にお考え申されていらしたようだ」
 中将はこれまで、院の思召おぼしめしと、父の大臣の好意、母宮の叔母おば君である関係、そんなものが源氏をここに引き止めているだけで、妹を熱愛するとは見えなかった、自分はそれに同情も表していたつもりであるが、表面とは違った動かぬ愛を妻に持っていた源氏であったのだ
  "Ayasiu, tosigoro ha ito simo ara nu mikokorozasi wo, Win nado, witati te notamaha se, Otodo no ohom-motenasi mo kokorogurusiu, Ohomiya no ohom-kata zama ni, mote-hanaru maziki nado, katagata ni sasi-ahi tare ba, e simo huri-sute tamaha de, monouge naru mikesiki nagara, ari he tamahu na' meri kasi to, itohosiu miyuru woriwori ari turu wo, makoto ni, yamgotonaku omoki kata ha, koto ni omohi kikoye tamahi keru na' meri."
2.8.17  と見知るに、いよいよ口惜しうおぼゆ。よろづにつけて 光失せぬる心地して、屈じ いたかりけり。
 と分かると、ますます惜しまれてならない。何かにつけて光が消えたような気がして、元気をなくしていた。
 とこの時はじめて気がついた。それによってまた妹の死が惜しまれた。ただ一人の人がいなくなっただけであるが、家の中の光明をことごとく失ったようにだれもこのごろは思っているのである。
  to mi siru ni, iyoiyo kutiwosiu oboyu. Yorodu ni tuke te hikari use nuru kokoti si te, kunzi itakari keri.
2.8.18  枯れたる下草のなかに、龍胆、撫子などの、咲き出でたるを 折らせたまひて、中将の立ちたまひぬる後に、 若君の御乳母の宰相の君して、
 枯れた下草の中に、龍胆、撫子などが 咲き出したのを折らせなさって、中将がお帰りになった後に、若君の御乳母の宰相の君に持たせて、
 源氏は枯れた植え込みの草の中に竜胆りんどう撫子なでしこの咲いているのを見て、折らせたのを、中将が帰ったあとで、若君の乳母めのとの宰相の君を使いにして、宮様のお居間へ持たせてやった。
  Kare taru sitakusa no naka ni, rindau, nadesiko nado no, saki ide taru wo wora se tamahi te, Tyuuzyau no tati tamahi nuru noti ni, Wakagimi no ohom-menoto no Saisyaunokimi site,
2.8.19  「 草枯れのまがきに残る撫子を
   別れし秋のかたみとぞ見る
 「草の枯れた垣根に咲き残っている撫子の花を
  秋に死別れた方の形見と思います
  草枯れのまがきに残る撫子を
  別れし秋の形見とぞ見る
    "Kusa gare no magaki ni nokoru nadesiko wo
    wakare si aki no katami to zo miru
2.8.20   にほひ劣りてや御覧ぜらるらむ
 美しさは劣ると御覧になりましょうか」
 この花は比較にならないものとあなた様のお目には見えるでございましょう。
  Nihohi otori te ya goranze raru ram."
2.8.21  と聞こえたまへり。げに何心なき御笑み顔ぞ、いみじううつくしき。宮は、吹く風につけてだに、木の葉よりけにもろき御涙は、 まして、とりあへたまはず
 と差し上げなさった。なるほど無邪気な微笑み顔は たいそうかわいらしい。宮は、吹く風につけてさえ、木の葉よりも脆いお涙は、それ以上で、手に取ることさえおできになれない。
 こう挨拶あいさつをさせたのである。撫子にたとえられた幼児はほんとうに花のようであった。宮様の涙は風の音にも木の葉より早く散るころであるから、まして源氏の歌はお心を動かした。
  to kikoye tamahe ri. Geni nanigokoro naki ohom-wemigaho zo, imiziu utukusiki. Miya ha, huku kaze ni tuke te dani, konoha yori keni moroki ohom-namida ha, masite, tori ahe tamaha zu.
2.8.22  「 今も見てなかなか袖を朽たすかな
   垣ほ荒れにし大和撫子
 「ただ今見てもかえって袖を涙で濡らしております
  垣根も荒れはてて母親に先立たれてしまった撫子なので
  今も見てなかなかそでらすかな
  かきほあれにしやまと撫子
    "Ima mo mi te nakanaka sode wo kutasu kana
    kakiho are ni si yamatonadesiko
2.8.23   なほ、いみじうつれづれなれば朝顔の宮に、「 今日のあはれは、さりとも見知りたまふらむ」と推し量らるる御心ばへなれば、暗きほどなれど、聞こえたまふ。絶え間遠けれど、 さのものとなりにたる御文なれば、咎なくて御覧ぜさす。 空の色したる唐の紙に、
 依然として、ひどく所在のない気がするので、朝顔の宮に、「今日の物悲しさは、そうはいってもお分りになられるであろう」と推察されるお心の方なので、暗くなった時分であるが、差し上げなさる。たまにしかないが、それが普通になってしまったお便りなので、気にも止めず御覧に入れる。空の色をした唐の紙に、
 というお返辞があった。源氏はまだつれづれさを紛らすことができなくて、朝顔の女王にょおうへ、情味のある性質の人は今日の自分を哀れに思ってくれるであろうという頼みがあって手紙を書いた。もう暗かったが使いを出したのである。親しい交際はないが、こんなふうに時たま手紙の来ることはもう古くからのことでれている女房はすぐに女王へ見せた。秋の夕べの空の色と同じ唐紙とうしに、
  Naho, imiziu turedure nare ba, Asagahonomiya ni, "Kehu no ahare ha, saritomo misiri tamahu ram." to osihakara ruru mikokorobahe nare ba, kuraki hodo nare do, kikoye tamahu. Tayema tohokere do, sa no mono to nari ni taru ohom-humi nare ba, toga naku te goranze sasu. Sora no iro si taru kara no kami ni,
2.8.24  「 わきてこの暮こそ袖は露けけれ
   もの思ふ秋はあまた経ぬれど
 「とりわけ今日の夕暮れは涙に袖を濡らしております
  今までにも物思いのする秋はたくさん経験してきたのですが
  わきてこのくれこそそでは露けけれ
  物思ふ秋はあまた経ぬれど
    "Waki te kono kure koso sode ha tuyuke kere
    mono omohu aki ha amata he nure do
2.8.25   いつも時雨は
 いつも時雨の頃は」
 「神無月いつも時雨は降りしかど」
  Itumo sigure ha."
2.8.26  とあり。御手などの心とどめて書きたまへる、常よりも見どころありて、「 過ぐしがたきほどなり」と 人も聞こえ、みづからも思されければ、
 とある。ご筆跡などの入念にお書きになっているのが、いつもより見栄えがして、「放って置けない時です」と女房も申し上げ、ご自身もそのようにお思いになったので、
 というように。と書いてあった。ことに注意して書いたらしい源氏の字は美しかった。これに対してもと女房たちが言い、女王自身もそう思ったので返事は書いて出すことになった。
  to ari. Ohom-te nado no kokoro todome te kaki tamahe ru, tune yori mo midokoro ari te, "Sugusi gataki hodo nari." to hito mo kikoye, midukara mo obosa re kere ba,
2.8.27  「 大内山を、思ひやりきこえながら、えやは 」とて、
 「お引き籠もりのご様子を、お察し申し上げながら、とても」とあって、
 このごろのお寂しい御起居は想像いたしながら、お尋ねすることもまた御遠慮されたのでございます。
  "Ohoutiyama wo, omohiyari kikoye nagara, e yaha." tote,
2.8.28  「 秋霧に立ちおくれぬと聞きしより
   しぐるる空もいかがとぞ思ふ
 「秋霧の立つころ、先立たれなさったとお聞き致しましたが
  それ以来時雨の季節につけいかほどお悲しみのことかとお察し申し上げます
  秋霧に立ちおくれぬと聞きしより
  時雨しぐるる空もいかがとぞ思ふ
    "Akigiri ni tati-okure nu to kiki si yori
    sigururu sora mo ikaga to zo omohu
2.8.29  とのみ、ほのかなる墨つきにて、思ひなし心にくし。
とだけ、かすれた墨跡で、気のせいか奥ゆかしい。
とだけであった。ほのかな書きようで、心憎さの覚えられる手紙であった。
  to nomi, honoka naru sumi tuki nite, omohinasi kokoronikusi.
2.8.30  何ごとにつけても、 見まさりはかたき世なめるを、つらき人しもこそと、あはれにおぼえたまふ人の御心ざまなる。
 どのような事柄につけても、見勝りがするのは難しいのが世の常のようなのに、冷たい人にかえって、お心が惹かれなさるご性質の方なのである。
 結婚したあとに以前恋人であった時よりも相手がよく思われることはまれなことであるが、源氏の性癖からもまだ得られない恋人のすることは何一つ心をかないものはないのである。冷静は冷静でもその場合場合に同情を惜しまない朝顔の女王とは永久に友愛をかわしていく可能性があるとも源氏は思った。
  Nanigoto ni tuke te mo, mimasari ha kataki yo na' meru wo, turaki hito simo koso to, ahare ni oboye tamahu hito no mikokorozama naru.
2.8.31  「 つれなながら、さるべき折々のあはれを過ぐしたまはぬ、これこそ、かたみに情けも見果つべきわざなれ。 なほ、ゆゑづきよしづきて、人目に見ゆばかりなるは、あまりの難も出で来けり。 対の姫君を、さは生ほし立てじ」と思す。「 つれづれにて恋しと思ふらむかし」と、忘るる折なけれど、ただ女親なき子を、置きたらむ心地して、見ぬほど、うしろめたく、「 いかが思ふらむ」とおぼえぬぞ、心やすきわざなりける。
 「すげないお扱いながらも、しかるべき時節折々の情趣はお見逃しなさらない、こういう間柄こそ、お互いに情愛を最後まで交わし合うことができるものだ。やはり、教養があり風流好みで、人目にも付くくらいなのは、よけいな欠点も出て来るものだ。対の姫君を、決してそのようには育てまい」とお考えになる。「所在なく恋しく思っていることだろう」と、お忘れになることはないが、まるで母親のない子を、一人残して来ているような気がして、会わない間は、気がかりで、「どのように嫉妬しているだろうか」と心配がないのは、気楽なことであった。
 あまりに非凡な女は自身の持つ才識がかえってわざわいにもなるものであるから、西の対の姫君をそうは教育したくないとも思っていた。自分が帰らないことでどんなに寂しがっていることであろうと、紫の女王のあたりが恋しかったが、それはちょうど母親をくした娘を家に置いておく父親に似た感情で思うのであって、恨まれはしないか、疑ってはいないだろうかと不安なようなことはなかった。
  "Turena nagara, sarubeki woriwori no ahare wo sugusi tamaha nu, kore koso, katami ni nasake mo mi hatu beki waza nare. Naho, yuweduki yosiduki te, hitome ni miyu bakari naru ha, amari no nan mo ideki keri. Tainohimegimi wo, saha ohosi tate zi." to obosu. "Turedure nite kohi si to omohu ram kasi." to, wasururu wori nakere do, tada meoya naki ko wo, oki tara m kokoti si te, mi nu hodo, usirometaku, "Ikaga omohu ram?" to oboye nu zo, kokoroyasuki waza nari keru.
2.8.32  暮れ果てぬれば、御殿油近く参らせたまひて、 さるべき限りの人びと、御前にて物語などせさせたまふ。
 日がすっかり暮れたので、大殿油を近くに燈させなさって、しかるべき女房たちばかり、御前で話などをおさせになる。
 すっかり夜になったので、源氏はを近くへ置かせてよい女房たちだけを皆居間へ呼んで話し合うのであった。
  Kure hate nure ba, ohotonabura tikaku mawira se tamahi te, sarubeki kagiri no hitobito, omahe nite monogatari nado se sase tamahu.
2.8.33   中納言の君といふは、年ごろ忍び思ししかど、この御思ひのほどは、なかなかさやうなる筋にもかけたまはず。「 あはれなる御心かな」と見たてまつる。おほかたにはなつかしううち語らひたまひて、
 中納言の君というのは、数年来こっそりとご寵愛なさっていたが、この喪中の間は、かえってそのような色めいた相手にもお考えにならない。「やさしいお心の方だわ」と拝している。その他のことでは親しくお話しかけになって、
 中納言の君というのはずっと前から情人関係になっている人であったが、この忌中はかえってそうした人として源氏が取り扱わないのを、中納言の君は夫人への源氏の志としてそれをうれしく思った。ただ主従としてこの人ともきわめてむつまじく語っているのである。
  Tiunagonnokimi to ihu ha, tosigoro sinobi obosi sika do, kono ohom-omohi no hodo ha, nakanaka sayau naru sudi ni mo kake tamaha zu. "Ahare naru mikokoro kana!" to mi tatematuru. Ohokata ni ha natukasiu uti-katarahi tamahi te,
2.8.34  「 かう、この日ごろ、ありしよりけに、誰も誰も紛るるかたなく、 見なれ見なれて、えしも常にかからずは、恋しからじや。 いみじきことをばさるものにて、ただ うち思ひめぐらすこそ、耐へがたきこと多かりけれ」
 「こうして、ここ数日は、以前にも増して、誰も彼も他に気を紛らすこともなく、互いに毎日顔を会わせ顔を会わせしていたから、今後いつもこうすることができないのは、恋しいと思わないだろうか。まこと悲しいことはしかたがないとして、あれこれと考えめぐらしてみると、悲しくて堪らないことがたくさんあるなあ」
 「このごろはだれとも毎日こうしていっしょに暮らしているのだから、もうすっかりこの生活にれてしまった私は、皆といっしょにいられなくなったら、寂しくないだろうか。奥さんのくなったことは別として、ちょっと考えてみても人生にはいろいろな悲しいことが多いね」
  "Kau, kono higoro, ari si yori keni, tare mo tare mo magiruru kata naku, minare minare te, e simo tune ni kakara zu ha, kohisi kara zi ya. Imiziki koto wo ba saru mono nite, tada uti-omohi megurasu koso, tahe gataki koto ohokari kere."
2.8.35  とのたまへば、いとどみな泣きて、
 とおっしゃると、ますます皆が泣いて、
 と源氏が言うと、初めから泣いているものもあった女房たちは、皆泣いてしまって、
  to notamahe ba, itodo mina naki te,
2.8.36  「 いふかひなき御ことは、ただかきくらす心地しはべるは、さるものにて、 名残なきさまにあくがれ果てさせたまはむ ほど、思ひたまふるこそ」
 「今さら申してもしかたのないおん方の事は、ただ心も真っ暗に閉ざされた心地がいたしますのは、それはそれとして、すっかりお離れになってしまわれると、存じられますことが」
 「奥様のことは思い出しますだけで世界が暗くなるほど悲しゅうございますが、今度またあなた様がこちらから行っておしまいになって、すっかりよその方におなりあそばすことを思いますと」
  "Ihukahinaki ohom-koto ha, tada kaki-kurasu kokoti si haberu ha, saru mono nite, nagori naki sama ni akugare hate sase tamaha m hodo, omohi tamahuru koso."
2.8.37  と、聞こえもやらず。 あはれと見わたしたまひて、
 と、最後まで申し上げきれない。かわいそうにとお見渡しになって、
 言う言葉が終わりまで続かない。源氏はだれにも同情の目を向けながら、
  to, kikoye mo yara zu. Ahare to miwatasi tamahi te,
2.8.38  「 名残なくは、いかがは。心浅くも取りなしたまふかな。心長き人だにあらば、見果てたまひなむものを。命こそはかなけれ」
 「すっかり見限るようなことは、どうして。薄情者とお思いだな。気長な人さえいてくれたら、いつかは分かってくださろうものを。寿命は無常だからね」
 「すっかりよその人になるようなことがどうしてあるものか。私をそんな軽薄なものと見ているのだね。気長に見ていてくれる人があればわかるだろうがね。しかしまた私の命がどうなるだろう、その自信はない」
  "Nagori naku ha, ikaga ha? Kokoroasaku mo torinasi tamahu kana! Kokoronagaki hito dani ara ba, mihate tamahi na m mono wo. Inoti koso hakanakere."
2.8.39  とて、灯をうち眺めたまへるまみの、うち濡れたまへるほどぞ、めでたき。
 と言って、燈火を眺めていらっしゃる目もとが、濡れていらっしゃるのが、素晴らしい。
 と言って、を見つめている源氏の目に涙が光っていた。
  tote, hi wo uti-nagame tamahe ru mami no, uti-nure tamahe ru hodo zo, medetaki.
2.8.40   とりわきてらうたくしたまひし小さき童の、親どももなく、いと心細げに思へる、ことわりに見たまひて、
 とりわけかわいがっていらした小さい童女で、両親もいなくて、とても心細く思っているのを、もっともだと御覧になって、
 特別に夫人がかわいがっていた親もない童女が、心細そうな顔をしているのを、もっともであると源氏は哀れに思った。
  Toriwaki te rautaku si tamahi si tihisaki waraha no, oya-domo mo naku, ito kokorobosoge ni omohe ru, kotowari ni mi tamahi te,
2.8.41  「 あてきは、今は我をこそは思ふべき人なめれ」
 「あてきは、今からはわたしを頼らねばならない人のようだね」
 「あてきはもう私にだけしかかわいがってもらえない人になったのだね」
  "Ateki ha, ima ha ware wo koso ha omohu beki hito na' mere."
2.8.42  とのたまへば、いみじう泣く。ほどなき衵、人よりは黒う染めて、黒き汗衫、萱草の袴など着たるも、をかしき姿なり。
 とおっしゃると、たいそう泣く。小さい衵、誰よりも濃く染めて、黒い汗衫、萱草色の袴などを着ているのも、かわいらしい姿である。
 源氏がこう言うと、その子は声を立てて泣くのである。からだ相応な短いあこめを黒い色にして、黒い汗袗かざみかば色のはかまという姿も可憐かれんであった。
  to notamahe ba, imiziu naku. Hodo naki akome, hito yori ha kurou some te, kuroki kazami, kwanzau no hakama nado ki taru mo, wokasiki sugata nari.
2.8.43  「 昔を忘れざらむ人は、つれづれを忍びても、幼なき人を見捨てず、ものしたまへ。見し世の名残なく、人びとさへ離れなば、たづきなさもまさりぬべくなむ」
 「故人を忘れない人は、寂しさを我慢してでも、幼君を見捨てないで、お仕えして下さい。生前の面影もなく、女房たちまでが出て行ってしまったなら、訪ね来るよすがもない思いがますますしようから」
 「奥さんのことを忘れない人は、つまらなくても我慢して、私の小さい子供といっしょに暮らしていてください。皆が散り散りになってしまってはいっそう昔が影も形もなくなってしまうからね。心細いよそんなことは」
  "Mukasi wo wasure zara m hito ha, turedure wo sinobi te mo, wosanaki hito wo misute zu, monosi tamahe. Mi si yo no nagori naku, hitobito sahe kare na ba, taduki nasa mo masari nu beku nam."
2.8.44  など、みな心長かるべきことどもをのたまへど、「 いでや、いとど待遠にぞなりたまはむ」と思ふに、いとど心細し。
 などと、皆に気長く留まることをおっしゃるが、「さあ、ますます間遠になられることだろう」と思うと、ますます心細い。
 源氏が互いに長く愛を持っていこうと行っても、女房たちはそうだろうか、昔以上に待ち遠しい日が重なるのではないかと不安でならなかった。
  nado, mina kokoronagakaru beki koto-domo wo notamahe do, "Ide ya, itodo matidoho ni zo nari tamaha m." to omohu ni, itodo kokorobososi.
2.8.45  大殿は、人びとに、際々ほど置きつつ、はかなきもてあそびものども、また、まことにかの御形見なるべきものなど、わざとならぬさまに取りなしつつ、皆配らせたまひけり。
 大殿は、女房たちに、身分身分に応じて、ちょっとした趣味的な道具や、また、本当のお形見となるような物などを、改まった形にならないように心づかいして、一同にお配らせになるのであった。
 大臣は女房たちに、身分や年功で差をつけて、故人の愛した手まわりの品、それから衣類などを、目に立つほどにはしないで上品に分けてやった。
  Ohotono ha, hitobito ni, kiha giha hodo oki tutu, hakanaki mote-asobi mono-domo, mata, makoto ni kano ohom-katami naru beki mono nado, wazato nara nu sama ni torinasi tutu, mina kubara se tamahi keri.
注釈368御法事など過ぎぬれど正日まではなほ籠もりおはす『完訳』は「四十九日の法事を繰りあげて行ったか。「正日」は四十九日」と注す。源氏は四十九日忌までは左大臣邸に籠っている。2.8.1
注釈369心苦しがりたまひて主語は下文の三位中将。2.8.1
注釈370三位中将葵の上の兄。三位昇進は初見。2.8.1
注釈371かの内侍ぞ源典侍をさす。2.8.1
注釈372祖母殿の上『集成』は「「祖母殿」は、源典侍のあだ名のようなものらしい」と注す。2.8.2
注釈373かの十六夜のさやかならざりし秋のこと『完訳』は「あの十六夜の月に、はっきりとは見えなかった秋の夜のこと。末摘花の巻の、源氏が初めて末摘花を訪れ、暗い中で頭の中将に見つけられた時のことをいう。「十六夜の月をかしきほどに」「曇りがちにはべるめり」「月のをかしきほどに雲隠れたる道のほど」などとあった。ただし時節は春であったが、ここではこの時の季節に合せて秋のことにした」と注す。2.8.4
注釈374時雨うちして、ものあはれなる暮つ方季節は晩秋から初冬に移る。そのある日の夕暮れ。2.8.5
注釈375衣更へして十月一日の冬の衣裳への衣更。2.8.5
注釈376雨となり雲とやなりにけむ今は知らず源氏の詞。『劉夢得外集』第一「有所嗟」の詩句「相逢相笑尽如夢 為雨為雲今不知」を口ずさむ。2.8.7
注釈377女にては以下「とまりなむかし」まで、三位中将の心。2.8.8
注釈378雨となりしぐるる空の浮雲を--いづれの方とわきて眺めむ三位中将の贈歌。「うき雲」は「憂き」を掛ける。2.8.11
注釈379行方なしや歌に添えた詞。『集成』は「(宋玉の「高唐賦序」には、神女は朝には雲となり夕には雨となって朝々暮々陽台の下におりますと言ったが)葵の上は行方も知れずになってしまったことだ、と独りごとのように言うのに」と注す。2.8.12
注釈380見し人の雨となりにし雲居さへ--いとど時雨にかき暮らすころ源氏の返歌。贈歌中の「雨」「時雨」「雲」の語句を用いて、自分の気持ちもあなたと同じだと言って返す。2.8.14
注釈381あやしう以下「きこえたまひけるなめり」まで、三位中将の感懐。2.8.16
注釈382光失せぬる心地して『完訳』は「源氏が左大臣家と縁遠くなること。「光」は、源氏の美徳の象徴」と注す。2.8.17
注釈383折らせたまひて主語は源氏。「せ」(使役の助動詞)。童あるいは女童をして。2.8.18
注釈384若君の御乳母の宰相の君若君(夕霧)の乳母。2.8.18
注釈385草枯れのまがきに残る撫子を--別れし秋のかたみとぞ見る源氏から大宮への贈歌。『完訳』は「「なでしこ」は愛児の象徴で若君を、「秋」は亡き葵の上をさす。行く秋の哀感に、逝った妻への悲傷をかたどり、咲き残る撫子に形見の子への愛着をこめた表現」と注す。2.8.19
注釈386にほひ劣りてや御覧ぜらるらむ歌に添えた詞。『完訳』は「亡き親の君よりは美しさが劣っていると御覧になりましょうか」の意に訳す。2.8.20
注釈387ましてとりあへたまはず『完訳』は「なおさらのこととて、その御文を手にとることもおできになれない」と訳す。2.8.21
注釈388今も見てなかなか袖を朽たすかな--垣ほ荒れにし大和撫子大宮の返歌。「あな恋し今も見てしが山がつの垣ほに咲ける大和撫子」(古今集、恋四、六九五、読人しらず)が引歌として指摘される。2.8.22
注釈389なほいみじうつれづれなれば源氏、朝顔の姫宮と和歌を贈答しあう。2.8.23
注釈390朝顔の宮「帚木」巻初出、「葵」巻にも「朝顔の姫君はいかで人に似じと」と「姫君は年ごろわたりきこえたまふ御心ばへの」とに登場。2.8.23
注釈391今日のあはれはさりとも見知りたまふらむ源氏の心。『完訳』は「日ごろはどんなに自分(源氏)につれない態度を示していても」の意に解す。2.8.23
注釈392さのものとなりにたる『集成』は「それが普通になってしまった」と注す。『完訳』は「時折思い起したように便りが来るような関係をいう」と注す。2.8.23
注釈393空の色ただ今の空の色。時雨時の薄墨色の意。2.8.23
注釈394わきてこの暮こそ袖は露けけれ--もの思ふ秋はあまた経ぬれど源氏の朝顔の宮への贈歌。2.8.24
注釈395いつも時雨は歌に添えた詞。『源氏釈』は「神無月いつも時雨は降りしかどかく袖くたす折はなかりき」(出典未詳)を指摘。2.8.25
注釈396過ぐしがたきほどなり女房の詞。『集成』は「ご返歌なしではすまされない場合です」の意に解す。2.8.26
注釈397人も聞こえ大島本「人もきこえ」とある。『集成』『古典セレクション』は諸本に従って「人々も」と校訂する。『新大系』は底本のままとする。2.8.26
注釈398大内山を思ひやりきこえながらえやは朝顔の返事。歌の前文。『源氏釈』は「白雲の九重にしも立ちつるは大内山といへばなりけり」(新勅撰集、雑四、一二六七、兼輔)を指摘。『集成』は「「大内山」は御室山の別称。宇多上皇が出家後篭られたので、源氏の勤行一途の生活を喩えてこういったものか。「えやは」は、「どうして--できようか、とてもできない」の意の連語。「えやは聞こゆべき」を略した言い方」と注す。2.8.27
注釈399秋霧に立ちおくれぬと聞きしより--しぐるる空もいかがとぞ思ふ朝顔の宮の返歌。『河海抄』は「色ならば移るばかりもそめてまし思ふ心をえやは見せける」(後撰集、恋二、六三一、貫之)を指摘。「霧」「たち」は縁語。2.8.28
注釈400見まさりはかたき世なめるを『集成』は「(長く付き合って)見まさりするという女性はめったにないようだのに」の意に解す。『完訳』は「見まさりのするということはなかなかむずかしいのが世の常であろうが」の意に解す。2.8.30
注釈401つれなながら以下「生ほし立てじ」まで、源氏の心中。2.8.31
注釈402なほゆゑづきよしづきて大島本「猶ゆへつきよしつきて」とある。『集成』『古典セレクション』は諸本に従って「なほゆゑづきよし過ぎて」と校訂する。『新大系』は底本のままとする。2.8.31
注釈403対の姫君紫の君をいう。2.8.31
注釈404つれづれにて恋しと思ふらむかし源氏の心。紫の君の気持ちを推測。2.8.31
注釈405いかが思ふらむ源氏の心。「思ふ」は嫉妬心をいう。2.8.31
注釈406中納言の君葵の上の女房。源氏の召人。2.8.33
注釈407あはれなる御心かな中納言の君の心。源氏賞賛。2.8.33
注釈408かうこの日ごろ以下「多かりけれ」まで、源氏の詞。2.8.34
注釈409見なれ見なれて『源氏釈』は「水(み)なれ木のみなれそなれて離れなば恋しからむや恋しからじや」(出典未詳)を指摘する。2.8.34
注釈410いみじきこと葵の上との死別をいう。2.8.34
注釈411うち思ひめぐらすこそ『完訳』は「人生の愛別陸についてあれこれ考えてみると」と注す。2.8.34
注釈412いふかひなき御ことは以下「たまふるこそ」まで、中納言の君の詞。葵の上の死をいう。2.8.36
注釈413名残なきさまにあくがれ果てさせたまはむ源氏が四十九日忌以後、左大臣邸からすっかり立ち去ってしまうことをいう。2.8.36
注釈414あはれ源氏の心。女房たちを気の毒に思う。2.8.37
注釈415名残なくは以下「はかなけれ」まで、源氏の詞。2.8.38
注釈416とりわきてらうたくしたまひし主語は故葵の上。2.8.40
注釈417あてきは以下「思ふべき人なめれ」まで、源氏の詞。葵の上付きの小童女の名、「貴君(あてき)」。両親がいないことをという。2.8.41
注釈418昔を忘れざらむ人は以下「まさりぬべくなむ」まで、源氏の詞。2.8.43
注釈419いでやいとど以下「なりたまはむ」まで、女房たちの心。2.8.44
出典12 雨となり雲とやなりにけむ、今は知らず 旦為朝雲 暮為行雨 文選十九-五六 高唐賦 宋玉 2.8.7
相逢相笑尽如夢 為雨為雲今不知 劉夢得外集一-有所嗟
出典13 垣ほ荒れにし大和撫子 あな恋し今も見てしが山賤の垣ほに咲ける大和撫子 古今集恋四-六九五 読人しらず 2.8.22
出典14 いつも時雨は 神無月いつも時雨は降りしかどかく袖くたす折はなかりき 源氏釈所引、出典未詳 2.8.25
出典15 大内山を 白雲の九重に立つ峰なれば大内山といふにぞありける 新勅撰集雑四-一二六五 藤原兼輔 2.8.27
出典16 見なれ見なれて みなれ木の見慣れそなれて離れなば恋しからむや恋しからじや 源氏釈所引、出典未詳 2.8.34
校訂27 ふり捨て ふり捨て--ふま(ま/$<朱>)りすて 2.8.16
校訂28 いたかり いたかり--いあ(あ/$たか<朱>)り 2.8.17
校訂29 さるべき さるべき--さるへ(へ/+き<朱>) 2.8.32
校訂30 果て 果て--(/+は)て 2.8.36
2.9
第九段 源氏、左大臣邸を辞去する


2-9  Genji leaves Sadaijin's residence

2.9.1   君は、かくてのみも、いかでかはつくづくと過ぐしたまはむとて、院へ参りたまふ。御車さし出でて、御前など参り集るほど、折知り顔なる時雨うちそそきて、木の葉さそふ風、あわたたしう吹き払ひたるに、 御前にさぶらふ人びと、ものいと心細くて、すこし隙ありつる袖ども湿ひわたりぬ。
 君は、こうしてばかりも、どうしてぼんやりと日を送っていらっしゃれようかと思って、院へ参内なさる。お車を引き出して、前駆の者などが参上する間に、悲しみを知っているかのような時雨がはらはらと降って、木の葉を散らす風、急に吹き払って、御前に伺候している女房たち、何となくとても心細くて、少し乾く間もあった袖が再び湿っぽくなってしまった。
 源氏はこうした籠居こもりいを続けていられないことを思って、院の御所へ今日は伺うことにした。車の用意がされて、前駆の者が集まって来た時分に、この家の人々と源氏の別れを同情してこぼす涙のような時雨しぐれが降りそそいだ。木の葉をさっと散らす風も吹いていた。源氏の居間にいた女房は非常に皆心細く思って、夫人の死から日がたって、少し忘れていた涙をまた滝のように流していた。
  Kimi ha, kakute nomi mo, ikadekaha tukuduku to sugusi tamaha m tote, Win he mawiri tamahu. Mikuruma sasi-ide te, gozen nado mawiri atumaru hodo, worisirigaho naru sigure uti-sosoki te, konoha sasohu kaze, awatatasiu huki-harahi taru ni, omahe ni saburahu hitobito, mono ito kokorobosoku te, sukosi hima ari turu sode-domo uruhi watari nu.
2.9.2   夜さりは、やがて二条院に泊りたまふべしとて、侍ひの人びとも、かしこにて待ちきこえむとなるべし、おのおの立ち出づるに、今日にしもとぢむまじきことなれど、またなくもの悲し。
 晩は、そのまま二条の院にお泊まりになる予定とあって、侍所の人々も、あちらでお待ち申し上げようというのであろう、それぞれ出立するので、今日が最後というのではないが、またとなく物悲しい。
 今夜から二条の院に源氏の泊まることを予期して、家従や侍はそちらで主人を迎えようと、だれも皆仕度したくをととのえて帰ろうとしているのである。今日ですべてのことが終わるのではないが非常に悲しい光景である。
  Yosari ha, yagate Nideu no win ni tomari tamahu besi tote, saburahi no hitobito mo, kasiko nite mati kikoye m to naru besi, onoono tati-iduru ni, kehu ni simo todimu maziki koto nare do, mata naku mono-ganasi.
2.9.3  大臣も宮も、今日のけしきに、また悲しさ改めて思さる。宮の御前に御消息聞こえたまへり。
 大臣も宮も、今日の様子に、悲しみを新たにされる。宮のおん許へお手紙を差し上げなさった。
 大臣も宮もまた新しい悲しみを感じておいでになった。宮へ源氏は手紙で御挨拶あいさつをした。
  Otodo mo Miya mo, kehu no kesiki ni, mata kanasisa aratame te obosa ru. Miya no omahe ni ohom-seusoko kikoye tamahe ri.
2.9.4  「 院におぼつかながりのたまはするにより、今日なむ参りはべる。あからさまに立ち出ではべるにつけても、今日までながらへはべりにけるよと、乱り心地のみ動きてなむ、聞こえさせむもなかなかにはべるべければ、そなたにも参りはべらぬ」
 「院におかれても御心配あそばされおっしゃりますので、今日参内致します。ちょっと外出致しますにつけても、よくぞ今日まで生き永らえて来られたものよと、悲しみに掻き乱されるばかりの気がするので、ご挨拶申し上げるのも、かえって悲しく思われるに違いないので、そちらにはお伺い致しません」
 院が非常にいたく思召おぼしめすようですから、今日はこれからそちらへ伺うつもりでございます。かりそめにもせよ私がこうして外へ出かけたりいたすようになってみますと、あれほどの悲しみをしながらよくも生きていたというような不思議な気がいたします。お目にかかりましてはいっそう悲しみに取り乱しそうな不安がございますから上がりません。
  "Win ni obotukanagari notamahasuru ni yori, kehu nam mawiri haberu. Akarasama ni tati-ide haberu ni tuke te mo, kehu made nagarahe haberi ni keru yo to, midarigokoti nomi ugoki te nam, kikoye sase m mo nakanaka ni haberu bekere ba, sonata ni mo mawiri habera nu."
2.9.5  とあれば、いとどしく宮は、目も見えたまはず、沈み入りて、御返りも聞こえたまはず。
 とあるので、ますます宮は、目もお見えにならず、沈み込んで、お返事も差し上げなされない。
 というのである。宮様のお心に悲しみがつのって涙で目もお見えにならない。お返事はなかった。
  to are ba, itodosiku Miya ha, me mo miye tamaha zu, sidumi iri te, ohom-kaheri mo kikoye tamaha zu.
2.9.6  大臣ぞ、やがて渡りたまへる。いと堪へがたげに思して、 御袖も引き放ちたまはず。見たてまつる人びともいと悲し。
 大臣が、さっそくお越しになった。とても我慢できそうになくお悲しみで、お袖から顔をお放しなさらない。拝見している女房たちもまことに悲しい。
 しばらくして源氏の居間へ大臣が出て来た。非常に悲しんで、そでを涙の流れる顔に当てたままである。それを見る女房たちも悲しかった。
  Otodo zo, yagate watari tamahe ru. Ito tahe gatage ni obosi te, ohom-sode mo hiki-hanati tamaha zu. Mi tate maturu hitobito mo ito kanasi.
2.9.7  大将の君は、 世を思しつづくること、いとさまざまにて、泣きたまふさま、あはれに心深きものから、いとさまよくなまめきたまへり。大臣、久しうためらひたまひて、
 大将の君は、世の中をお思い続けなさること、とてもあれこれとあって、お泣になる様子、しみじみと心深いものがあるが、たいして取り乱したところなく優美でいらっしゃる。大臣は、長い間かかって涙をお抑えになって、
 人生の悲哀の中に包まれて泣く源氏の姿は、そんな時もえんであった。大臣はやっとものを言い出した。
  Daisyaunokimi ha, yo wo obosi tudukuru koto, ito samazama nite, naki tamahu sama, ahare ni kokorohukaki monokara, ito sama yoku namameki tamahe ri. Otodo, hisasiu tamerahi tamahi te,
2.9.8  「 齢のつもりには、さしもあるまじきことにつけてだに、涙もろなるわざにはべるを、まして、干る世なう思ひたまへ惑はれはべる心を、えのどめはべらねば、人目も、いと乱りがはしう、心弱きさまにはべるべければ、院などにも 参りはべらぬなり。ことのついでには、さやうにおもむけ奏せさせたまへ。いくばくもはべるまじき老いの末に、うち捨てられたるが、つらうもはべるかな」
 「年をとると、たいしたことでもないことに対してさえ、涙もろくなるものでございますのに。まして、涙の乾く間もなくかきくらされている心を、とても鎮めることができませんので、人の目にも、とても取り乱して、気の弱い恰好にきっと見えましょうから、院などにも参内できないのでございます。お話のついでには、そのように取りなして奏上なさって下さい。いくらもありそうにない年寄の身で、先立たれたのが 辛いのでございますよ」
 「年を取りますと、何でもないことにもよく涙が出るものですが、ああした打撃がやって来たのですから、もう私は涙から解放される時間といってはございません。私がこんな弱い人間であることを人に見せたくないものですから、院の御所へも伺候しないのでございます。お話のついでにあなたからよろしくお取りなしになっておいてください。もう余命いくばくもない時になって、子に捨てられましたことが恨めしゅうございます」
  "Yohahi no tumori ni ha, sasimo aru maziki koto ni tuke te dani, namidamoro naru waza ni haberu wo. Masite, hiru yo nau omohi tamahe madoha re haberu kokoro wo, e nodome habera ne ba, hitome mo, ito midarigahasiu, kokoroyowaki sama ni haberu bekere ba, Win nado ni mo mawiri habera nu nari. Koto no tuide ni ha, sayau ni omomuke souse sase tamahe. Ikubaku mo haberu maziki oyi no suwe ni, uti-sute rare taru ga, turau mo haberu kana!"
2.9.9  と、せめて思ひ静めてのたまふけしき、いとわりなし。君も、たびたび鼻うちかみて、
 と 無理に抑えておっしゃる様子、まことに痛々しい。君も 何度も鼻をかんで、
 一所懸命に悲しみをおさえながら言うことはこれであった。源氏も幾度か涙を飲みながら言った。
  to, semete omohi sidume te notamahu kesiki, ito warinasi. Kimi mo, tabitabi hana uti-kami te,
2.9.10  「 後れ先立つほどの定めなさは、世のさがと見たまへ知りながら、さしあたりておぼえはべる心惑ひは、類ひあるまじき わざとなむ。院にも、ありさま奏しはべらむに、推し量らせたまひてむ」と聞こえたまふ。
 「遺されたり先立ったりする老少不定は、世の習いとはよく承知致しておりますものの、直接我が身のこととして感じられます悲しみは、譬えようもないものだと。院におかれても、ご様子を奏上致しますれば、きっとお察しあそばされることでしょう」とお答え申し上げになる。
 「いつだれが死に取られるかしれないのが人生の相であると承知しておりましても、目前にそれを体験しましたわれわれの悲しみは理窟りくつで説明も何もできません。院にもあなたの御様子をよく申し上げます。必ず御同情をあそばすでしょう」
  "Okure sakidatu hodo no sadame nasa ha, yo no saga to mi tamahe siri nagara, sasi-atari te oboye haberu kokoromadohi ha, taguhi arumaziki waza to nam. Win ni mo, arisama sousi habera m ni, osihakara se tamahi te m." to kikoye tamahu.
2.9.11  「 さらば、時雨も隙なくはべるめるを、暮れぬほどに」と、そそのかしきこえたまふ。
 「それでは、時雨も止む間もなさそうでございすから、暮れないうちに」と、お促し申し上げなさる。
 それではもうお出かけなさいませ。時雨しぐれがあとからあとから追っかけて来るようですから、せめて暮れないうちにおいでになるがよい」と大臣は勧めた。
  "Saraba, sigure mo hima naku haberu meru wo, kure nu hodo ni." to, sosonokasi kikoye tamahu.
2.9.12   うち見まはしたまふに、御几帳の後、障子のあなたなどのあき 通りたるなどに、女房三十人ばかりおしこりて、濃き、薄き鈍色どもを着つつ、皆いみじう心細げにて、うちしほたれつつゐ集りたるを、いとあはれ、と見たまふ。
 お見回しなさると、御几帳の後、襖障子の向こうなどの開け放された所などに、女房たちが三十人ほどかたまって、濃い、薄い鈍色の喪服をめいめい着て、一同にひどく心細げにして、涙ぐみながら集まっているのを、とてもかわいそうに、と御覧になる。
 源氏が座敷の中を見まわすと几帳きちょうの後ろとか、襖子からかみの向こうとか、ずっと見える所に女房の三十人ほどが幾つものかたまりを作っていた。濃い喪服も淡鈍うすにび色も混じっているのである。皆心細そうにめいったふうであるのを源氏は哀れに思った。
  Uti-mimahasi tamahu ni, mikityau no usiro, sauzi no anata nado no aki tohori taru nado ni, nyoubau samzihunin bakari osikori te, koki, usuki nibiiro-domo wo ki tutu, mina imiziu kokorobosoge nite, uti-sihotare tutu wi atumari taru wo, ito ahare, to mi tamahu.
2.9.13  「 思し捨つまじき人もとまりたまへれば、さりとも、もののついでには立ち寄らせたまはじやなど、慰めはべるを、 ひとへに思ひやりなき女房などは、今日を限りに、思し捨てつる故里と思ひ屈じて、長く別れぬる悲しびよりも、ただ時々馴れ仕うまつる年月の名残なかるべきを、嘆きはべるめるなむ、ことわりなる。うちとけおはしますことははべらざりつれど、さりともつひにはと、 あいな頼めしはべりつるを。げにこそ、心細き夕べにはべれ」
 「お見捨てになるはずもない人が残っていらっしゃるので、いくら何でも、何かの機会にはお立ち寄りあそばさないはずがないなどと、自ら慰めておりますが、もっぱら思慮の浅い女房などは、今日を最後の日と、お捨てになった過去の家と悲観して、永遠の別れとなった悲しみよりも、ただちょっと時々親しくお仕えした歳月の跡形もなくなってしまうのを、嘆いているようなのが、もっともに思われます。くつろいでいらしたことはございませんでしたが、それでもいつかはと、空頼みしてまいりましたが。なるほど、心細く感じられる夕べでございますね」
 「御愛子もここにいられるのだから、今後このやしきへお立ち寄りになることも決してないわけでないと私どもはみずから慰めておりますが、単純な女たちは、今日限りこの家はあなた様の故郷にだけなってしまうのだと悲観しておりまして、生死の別れをした時よりも、時々おいでの節御用を奉仕させていただきました幸福が失われたようにお別れを悲しがっておりますのももっともに思われます。長くずっと来てくださるようなことはございませんでしたが、そのころ私はいつかはこうでない幸いが私の家へまわって来るものと信じたり、その反対な寂しさを思ってみたりしたものですが、とにかく今日の夕方ほど寂しいことはございません」
  "Obosi sutu maziki hito mo tomari tamahe re ba, saritomo, mono no tuide ni ha tatiyora se tamaha zi ya nado, nagusame haberu wo, hitohe ni omohiyari naki nyoubau nado ha, kehu wo kagiri ni, obosi sute turu hurusato to omohi kunzi te, nagaku wakare nuru kanasibi yori mo, tada tokidoki nare tukaumaturu tosituki no nagori nakaru beki wo, nageki haberu meru nam, kotowari naru. Uti-toke ohasimasu koto ha habera zari ture do, saritomo tuhini ha to, ainadanome si haberi turu wo. Geni koso, kokorobosoki yuhube ni habere."
2.9.14  とても、泣きたまひぬ。
 と言いながら、お泣きになった。
  と大臣は言ってもまた泣くのである。
  tote mo, naki tamahi nu.
2.9.15  「 いと浅はかなる人びとの嘆きにもはべるなるかな。まことに、 いかなりともと、のどかに思ひたまへつるほどは、おのづから御目離るる折もはべりつらむを、なかなか今は、何を頼みにてかはおこたりはべらむ。今御覧じてむ」
 「とても思慮の浅い女房たちの嘆きでございますな。仰せのとおり、どうあろうともいずれはと、気長に存じておりました間は、自然とご無沙汰致した時もございましたが、かえって今では、何を心頼みしてご無沙汰ができましょうか。いずれお分りになろう」
 「つまらない忖度そんたくをして悲しがる女房たちですね。ただ今のお言葉のように、私はどんなことも自分の信頼する妻は許してくれるものと暢気のんきに思っておりまして、わがままに外を遊びまわりまして御無沙汰ごぶさたをするようなこともありましたが、もう私をかばってくれる妻がいなくなったのですから私は暢気な心などを持っていられるわけもありません。すぐにまた御訪問をしましょう」
  "Ito asahaka naru hitobito no nageki ni mo haberu naru kana! Makoto ni, ikanari tomo to, nodoka ni omohi tamahe turu hodo ha, onodukara ohom-me karuru wori mo haberi tura m wo, nakanaka ima ha, nani wo tanomi nite kaha okotari habera m. Ima goranzi te m."
2.9.16  とて出でたまふを、大臣見送りきこえたまひて、 入りたまへるに、御しつらひよりはじめ、ありしに変はることもなけれど、 空蝉のむなしき心地ぞしたまふ。
 と言ってお出になるのを、大臣はお見送り申し上げなさって、お入りになると、お飾りをはじめとして、昔のころと変わったところはないが、蝉の脱殻のような心地がなさる。
 と言って、出て行く源氏を見送ったあとで、大臣は今日まで源氏の住んでいた座敷、かつては娘夫婦の暮らした所へはいって行った。物の置き所も、してある室内の装飾も、以前と何一つ変わっていないが、はなはだしく空虚なものに思われた。
  tote ide tamahu wo, Otodo miokuri kikoye tamahi te, iri tamahe ru ni, ohom-siturahi yori hazime, arisi ni kaharu koto mo nakere do, utusemi no munasiki kokoti zo si tamahu.
2.9.17  御帳の前に、御硯などうち散らして、手習ひ捨てたまへるを取りて、目をおししぼりつつ見たまふを、若き人びとは、悲しきなかにも、 ほほ笑むあるべし。あはれなる古言ども、唐のも大和のも書きけがしつつ、 草にも真名にも、さまざまめづらしきさまに書き混ぜたまへり。
 御帳台の前に、お硯などが散らかしてあって、手習いのお捨てになっていたのを拾って、目を絞めて涙を堪えながら御覧になるのを、若い女房たちは、悲しい気持ちでいながらも、ついほほ笑んでいるのもいるのだろう。しみじみと心を打つ古人の詩歌、唐土のも日本のも書き散らし書き散らしてあり、草仮名でも漢字でも、さまざまに珍しい書体で書き交ぜていらっしゃった。
 帳台の前にはすずりなどが出ていて、むだ書きをした紙などもあった。涙をしいて払って、目をみはるようにして大臣はそれを取って読んでいた。若い女房たちは悲しんでいながらもおかしがった。古い詩歌がたくさん書かれてある。草書そうしょもある、楷書かいしょもある。
  Mityau no mahe ni, ohom-suzuri nado uti-tirasi te, tenarahi sute tamahe ru wo tori te, me wo osi-sibori tutu mi tamahu wo, wakaki hitobito ha, kanasiki naka ni mo, hohowemu aru besi. Ahare naru hurukoto-domo, kara no mo yamato no mo kaki kegasi tutu, sau ni mo mana ni mo, samazama medurasiki sama ni kaki maze tamahe ri.
2.9.18  「 かしこの御手や
 「みごとなご筆跡だ」
 「上手じょうずな字だ」
  "Kasiko no ohom-te ya!"
2.9.19  と、空を仰ぎて眺めたまふ。よそ人に見たてまつりなさむが、 惜しきなるべし。「 旧き枕故き衾、誰と共にか」とある所に、
 と、空を仰いでぼんやりとしていらっしゃる。他人として拝見することになるのが、残念に思われるのだろう。「旧き枕故き衾、誰と共にか」とあるところに、
 歎息たんそくをしたあとで、大臣はじっと空間をながめて物思わしいふうをしていた。源氏が婿でなくなったことが老大臣には惜しんでも惜しんでも足りなく思えるらしい。「旧枕故衾誰与共きうちんこきんたれとともにせん」という詩の句の書かれた横に、
  to, sora wo ahugi te nagame tamahu. Yosobito ni mi tatematuri nasa m ga, wosiki naru besi. "Huruki makura huruki husuma, tare to tomoni ka?" to aru tokoro ni,
2.9.20  「 なき魂ぞいとど悲しき寝し床の
   あくがれがたき心ならひに
 「亡くなった人の魂もますます離れがたく悲しく思っていることだろう
  共に寝た床をわたしも離れがたく思うのだから
  たまぞいとど悲しき寝しとこ
  あくがれがたき心ならひに
    "Naki tama zo itodo kanasiki nesi toko no
    akugare gataki kokoro narahi ni
2.9.21  また、「 霜の花白し」とある所に、
 また、「霜の華白し」とあるところに、
 と書いてある。「鴛鴦瓦冷霜花重ゑんあうかはらにひえてさうくわおもし」と書いた所にはこう書かれてある。
  mata, "Simo no hana sirosi" to aru tokoro ni,
2.9.22  「 君なくて塵つもりぬる常夏の
   露うち払ひいく夜寝ぬらむ
 「あなたが亡くなってから塵の積もった床に
  涙を払いながら幾晩独り寝したことだろうか
  君なくてちり積もりぬる床なつの
  露うち払ひいく夜ぬらん
    "Kimi naku te tiri tumori nuru tokonatu no
    tuyu uti-harahi ikuyo ne nu ram
2.9.23   一日の花なるべし、枯れて混じれり。
 先日の花なのであろう、枯れて混じっていた。
 ここにはいつか庭から折らせて源氏が宮様へ贈ったのと同じ時の物らしい撫子なでしこの花の枯れたのがはさまれていた。
  Hitohi no hana naru besi, kare te mazire ri.
2.9.24  宮に御覧ぜさせたまひて、
 宮に御覧に入れなさって、
 大臣は宮にそれらをお見せした。
  Miya ni goranze sase tamahi te,
2.9.25  「 いふかひなきことをばさるものにて、かかる悲しき類ひ、世になくやはと、思ひなしつつ、契り長からで、かく心を惑はすべくてこそはありけめと、かへりてはつらく、前の世を思ひやりつつなむ、覚ましはべるを、ただ、日ごろに添へて、恋しさの堪へがたきと、この大将の君の、今はとよそになりたまはむなむ、飽かずいみじく思ひたまへらるる。一日、二日も 見えたまはず、かれがれにおはせしをだに、飽かず胸いたく思ひはべりしを、朝夕の光失ひては、いかでかながらふべからむ」
 「今さら言ってもしかたのないことはさておいて、このような悲しい逆縁の例は、世間にないことではないと、しいて思いながら、親子の縁も長く続かず、このように心を悲しませるために生まれて来たのであろうかと、かえって辛く、前世の因縁に思いを馳せながら、覚まそうとしていますが、ただ、日が経てば経つほど、恋しさが堪えきれないのと、この大将の君が、今日を限りに他人になってしまわれるのが、何とも残念に思わずにはいられません。一日、二日もお見えにならず、途絶えがちにいらしたのでさえ、物足りなく胸を痛めておりましたのに、朝夕の光を失っては、どうして生き永らえて行けようか」
 「私がこれほどかわいい子供というものがあるだろうかと思うほどかわいかった子は、私と長く親子の縁を続けて行くことのできない因縁の子だったかと思うと、かえってなまじい親子でありえたことが恨めしいと、こんなふうにしいて思って忘れようとするのですが、日がたつにしたがって堪えられなく恋しくなるのをどうすればいいかと困っている。それに大将さんが他人になっておしまいになることがどうしても悲しくてならない。一日二日と中があき、またずっとおいでにならない日のあったりした時でさえも、私はあの方にお目にかかれないことで胸が痛かったのです。もう大将を一家の人と見られなくなって、どうして私は生きていられるか」
  "Ihukahinaki koto wo ba saru mono nite, kakaru kanasiki taguhi, yo ni naku yaha to, omohinasi tutu, tigiri nagakara de, kaku kokoro wo madohasu beku te koso ha ari keme to, kaheri te ha turaku, sakinoyo wo omohiyari tutu nam, samasi haberu wo, tada, higoro ni sohe te, kohisisa no tahe gataki to, kono Daisyaunokimi no, ima ha to yoso ni nari tamaha m nam, akazu imiziku omohi tamahe raruru. Hitohi, hutuka mo miye tamaha zu, karegare ni ohase si wo dani, akazu mune itaku omohi haberi si wo, asayuhu no hikari usinahi te ha, ikadeka nagarahu bekara m."
2.9.26  と、御声もえ忍びあへたまはず泣いたまふに、 御前なるおとなおとなしき人など、いと悲しくて、さとうち泣きたる、 そぞろ寒き夕べのけしきなり
 と、お声も抑えきれずお泣きになると、御前に控えている年輩の女房など、とても悲しくて、わっと泣き出すのは、何となく寒々とした夕べの情景である。
 とうとう声を惜しまずに大臣は泣き出したのである。部屋にいた少し年配な女房たちが皆同時に声を放って泣いた。この夕方の家の中の光景は寒気さむけがするほど悲しいものであった。
  to, ohom-kowe mo e sinobi ahe tamaha zu nai tamahu ni, omahe naru otonaotonasiki hito nado, ito kanasiku te, sato uti-naki taru, sozoro-samuki yuhube no kesiki nari.
2.9.27  若き人びとは、所々に群れゐつつ、おのがどち、あはれなることどもうち語らひて、
 若い女房たちは、あちこちにかたまって、お互いに 悲しいことを話し合って、
 若い女房たちはあちらこちらにかたまって、それはまた自身たちの悲しみを語り合っていた。
  Wakaki hitobito ha, tokorodokoro ni mure wi tutu, onoga-doti, ahare naru koto-domo uti-katarahi te,
2.9.28  「 殿の思しのたまはするやうに若君を見たてまつりてこそは、慰むべかめれと思ふも、いとはかなきほどの御形見にこそ」
 「殿がお考えになりおっしゃるように、若君をお育て申して、慰めることができようとは思いますが、とても幼いお形見で」
 「殿様がおっしゃいますようにして、若君にお仕えして、私はそれを悲しい慰めにしようと思っていますけれど、あまりにお形見は小さい公子様ですわね」
  "Tono no obosi notamaha suru yau ni, Wakagimi wo mi tatematuri te koso ha, nagusamu beka' mere to omohu mo, ito hakanaki hodo no ohom-katami ni koso."
2.9.29  とて、おのおの、「 あからさまにまかでて、参らむ」と言ふもあれば、かたみに別れ惜しむほど、 おのがじしあはれなることども多かり。
 と言って、それぞれが、「しばらく里に下がって、また参上しよう」と言う者もいるので、互いに別れを惜しんだりする折、それぞれ物悲しい事が多かった。
 と言う者もあった。「しばらく実家へ行っていて、また来るつもりです」こんなふうに希望している者もあった。自分らどうしの別れも相当に深刻に名残なごり惜しがった。
  tote, onoono, "Akarasama ni makade te, mawira m." to ihu mo are ba, katamini wakare wosimu hodo, onogazisi ahare naru koto-domo ohokari.
2.9.30   院へ参りたまへれば、
 院へ参上なさると、
 院では源氏を御覧になって、
  Win he mawiri tamahe re ba,
2.9.31  「 いといたう面痩せにけり。精進にて日を経るけにや
 「とてもひどく面やつれしたな。御精進の日々を過ごしたからか」
 「たいへんせた。毎日精進をしていたせいかもしれない」
  "Ito itau omoyase ni keri! Sauzin nite hi wo huru ke ni ya?"
2.9.32  と、心苦しげに思し召して、 御前にて物など参らせたまひて、とやかくやと思し扱ひきこえさせたまへるさま、あはれにかたじけなし。
 と、お気の毒に御心配あそばして、御前においてお食事などを差し上げなさって、あれやこれやとお心を配ってお世話申し上げあそばす様子、身にしみてもったいない。
  と御心配をあそばして、お居間で食事をおさせになったりした。いろいろとおいたわりになる御親心を源氏はもったいなく思った。
  to, kokorogurusige ni obosimesi te, omahe nite mono nado mawira se tamahi te, toya kakuya to obosi atukahi kikoye sase tamahe ru sama, ahare ni katazikenasi.
2.9.33   中宮の御方に参りたまへれば、人びと、めづらしがり見たてまつる。命婦の君して、
 中宮の御方に参上なさると、女房たちが、珍しく思ってお目にかかる。命婦の君を通じて、
 中宮ちゅうぐうの御殿へ行くと、女房たちは久しぶりの源氏の伺候を珍しがって、皆集まって来た。中宮も命婦みょうぶを取り次ぎにしてお言葉があった。
  Tyuuguu no ohom-kata ni mawiri tamahe re ba, hitobito, medurasigari mi tatematuru. Myaubunokimi site,
2.9.34  「 思ひ尽きせぬことどもを、ほど経るにつけてもいかに
 「悲しみの尽きないことですが、日が経つにつけてもご心中いかばかりかと」
 「大きな打撃をお受けになったあなたですから、時がたちましてもなかなかお悲しみはゆるくなるようなこともないでしょう」
  "Omohi tuki se nu koto-domo wo, hodo huru ni tuke te mo ikani?"
2.9.35  と、御消息聞こえたまへり。
 と、お伝え申し上げあそばした。

  to, ohom-seusoko kikoye tamahe ri.
2.9.36  「 常なき世は、おほかたにも思うたまへ知りにしを、目に近く見はべりつるに、厭はしきこと多く 思うたまへ乱れしも、たびたびの御消息に慰めはべりてなむ、今日までも」
 「無常の世は、一通りは存じておりましたが、身近に体験致しますと、嫌なことが多く思い悩みましたのも、度々のご弔問に慰められまして、今日までも」
 「人生の無常はもうこれまでにいろいろなことで教訓されて参った私でございますが、目前にそれが証明されてみますと、厭世えんせい的にならざるをえませんで、いろいろと煩悶はんもんをいたしましたが、たびたびかたじけないお言葉をいただきましたことによりまして、今日までこうしていることができたのでございます」
  "Tune naki yo ha, ohokata ni mo omou tamahe siri ni si wo, me ni tikaku mi haberi turu ni, itohasiki koto ohoku omou tamahe midare si mo, tabitabi no ohom-seusoko ni nagusame haberi te nam, kehu made mo."
2.9.37  とて、 さらぬ折だにある 御けしき取り添へて、いと心苦しげなり。無紋の表の御衣に、鈍色の御下襲、 纓巻きたまへるやつれ姿、はなやかなる御装ひよりも、なまめかしさまさりたまへり。
 と言って、何でもない時でさえ持っているお悩みを取り重ねて、とてもおいたわしそうである。無紋の袍のお召物に、鈍色の御下襲、巻纓をなされた喪服のお姿は、華やかな時よりも、優美さが勝っていらっしゃった。
 と源氏は挨拶あいさつをした。こんな時でなくても心の湿ったふうのよく見える人が、今日はまたそのほかの寂しい影も添って人々の同情をいた。無紋のほうに灰色の下襲したがさねで、かむりは喪中の人の用いる巻纓けんえいであった。こうした姿は美しい人に落ち着きを加えるものでえんな趣が見えた。
  tote, saranu wori dani aru mikesiki tori-sohe te, ito kokorogurusige nari. Mumon no uhe no ohom-zo ni, nibiiro no ohom-sitagasane, ei maki tamahe ru yature sugata, hanayaka naru ohom-yosohi yori mo, namamekasisa masari tamahe ri.
2.9.38   春宮にも久しう参らぬおぼつかなさなど、聞こえたまひて、夜更けてぞ、まかでたまふ。
 春宮にも、久しく参上致さなかった気がかりさなど、お申し上げなさって、夜が更けてからご退出なさる。
 東宮へも久しく御無沙汰ごぶさた申し上げていることが心苦しくてならぬというような話を源氏は命婦にして夜ふけになってから退出した。
  Touguu ni mo hisasiu mawira nu obotukanasa nado, kikoye tamahi te, yo huke te zo, makade tamahu.
注釈420君はかくてのみも源氏、参院、左大臣邸を離れる。2.9.1
注釈421御前にさぶらふ人びと大島本「おまへ」と仮名表記されている。源氏の御前に伺候する女房たち。2.9.1
注釈422夜さりはやがて二条院に泊りたまふべし源氏の従者が聞いていた内容。2.9.2
注釈423院におぼつかながりのたまはするに以下「参りはべらぬ」まで、源氏の大宮への手紙文。2.9.4
注釈424御袖も引き放ちたまはず『完訳』は「涙をぬぐう動作を繰り返す」と注す。2.9.6
注釈425世を『集成』は「人の世をさまざま思い続けられて。「世」は、葵の上との死別や、残された若君、左大臣夫妻とのこと」と注す。『完訳』は「深い道心を抱いてしまった後の、人生無常の思い」と注す。2.9.7
注釈426齢のつもりには大島本「よハひのつもるにハ」とある。『集成』『古典セレクション』は諸本に従って「齢のつもりには」と校訂する。『新大系』は底本のままとする。以下「つらうもはべるかな」まで、左大臣の詞。2.9.8
注釈427参りはべらぬなり『集成』『古典セレクション』は諸本に従って「え参りはべらぬなり」と副詞「え」を補入する。『新大系』は底本のままとする。2.9.8
注釈428後れ先立つほどの定めなさ以下「推し量らせたまひてむ」まで、源氏の詞。『源氏釈』は「末の露もとの雫や世の中の後れ先立つ例なるらむ」(新古今集、哀傷、七五七、僧正遍照)を指摘。現行の注釈書でも引歌として指摘する。2.9.10
注釈429わざとなむ『集成』『古典セレクション』は諸本に従って「わざになむ」と校訂する。『新大系』は底本のままとする。2.9.10
注釈430さらば以下「暮れぬほどに」まで、左大臣の詞。2.9.11
注釈431うち見まはしたまふに主語は源氏。以下、源氏の目を通した叙述。2.9.12
注釈432思し捨つまじき以下「夕べにはべれ」まで、左大臣の詞。若君(夕霧)のいることをさす。2.9.13
注釈433ひとへに思ひやりなき女房などは『集成』は「思い詰めてあとさきの考えられない女房などは」と注す。2.9.13
注釈434あいな頼めしはべりつるを『集成』は「(女房たちに)空しい期待を持たせていましたのに」と注す。2.9.13
注釈435いと浅はかなる人びとの以下「今御覧じてむ」まで、源氏の詞。2.9.15
注釈436いかなりとも『集成』は「どうあろうとも(いつか私の気持は分って下さるであろう)と」と注し、『完訳』は「葵の上の生前に遡り、彼女が今うちとけないにしても、やがては」と注す。2.9.15
注釈437入りたまへるに左大臣が源氏の部屋に。2.9.16
注釈438空蝉のむなしき心地『集成』は「「空蝉の」は、「むなし」に言いかかる枕詞的な用法」と注す。また「うちはへて音を鳴きくらす空蝉のむなしき恋も我はするかな」(後撰集、夏、一九二、読人しらず)を引歌として指摘する。2.9.16
注釈439ほほ笑むあるべし語り手の推量。2.9.17
注釈440草にも真名にも草仮名や漢字。2.9.17
注釈441かしこの御手や源氏のみごとな筆跡に対する左大臣の感想。2.9.18
注釈442惜しきなるべし語り手の推量。『細流抄』は「草子地也」と指摘。2.9.19
注釈443旧き枕故き衾、誰と共にか『長恨歌』の一句「鴛鴦瓦冷霜花重、旧枕故衾誰与共」の訓読。2.9.19
注釈444なき魂ぞいとど悲しき寝し床の--あくがれがたき心ならひに源氏の独詠歌。2.9.20
注釈445霜の花白し上の『長恨歌』の一句「重し」を「白し」と改めたとされる。2.9.21
注釈446君なくて塵つもりぬる常夏の--露うち払ひいく夜寝ぬらむ源氏の独詠歌。「塵をだに据ゑじとぞ思ふ咲きしより妹とわが寝る常夏の花」(古今集、夏、一六七、凡河内躬恒)が引歌として指摘される。「とこ」は「常夏」と「床」の掛詞。2.9.22
注釈447一日の花なるべし語り手の推量。『集成』は「先日、歌につけて大宮にさし上げられた時、手折られた花なのであろう」と注す。2.9.23
注釈448いふかひなきことをば以下「ながらふべからむ」まで、左大臣の詞。2.9.25
注釈449御前なる大宮の御前をいう。2.9.26
注釈450そぞろ寒き夕べのけしきなり『完訳』は「人々の悲嘆が、夕暮の寒々とした情景として捉えられる」と注す。2.9.26
注釈451殿の思しのたまはするやうに以下「御形見にこそ」まで、女房の詞。「殿」は左大臣をさすという説(集成・完訳)と源氏という説がある。源氏は女房たちに「昔を忘れざらむ人はつれづれを忍びても幼き人を見捨てずものしたまへ」と言っていた。2.9.28
注釈452あからさまにまかでて参らむ女房の詞。2.9.29
注釈453院へ桐壺院の仙洞御所をいう。2.9.30
注釈454いといたう面痩せにけり精進にて日を経るけにや院の心中。2.9.31
注釈455御前にて物など参らせたまひて大島本「おまへ」と仮名表記する。桐壺院の御前をいう。2.9.32
注釈456中宮の御方に藤壺をいう。2.9.33
注釈457思ひ尽きせぬことどもをほど経るにつけてもいかに藤壺から源氏へのお見舞いの挨拶。『集成』は「何かと悲しみの尽きぬことですが、時が経つにつけてさぞかし」の意に解すが、『完訳』は「この私も悲しみの尽きぬ思いの数々をかかえておりますが、時がたつにつけてもどれほどにかお寂しく」の意に解す。自分のことを言うので、「思ひ尽きせぬこと」に敬語が無い。2.9.34
注釈458常なき世は以下「今日まても」まで、源氏の返答。2.9.36
注釈459思うたまへ乱れしも大島本「思給へみたれしも」と表記する。『集成』は「思うたまへ」とウ音便形に整定し、『古典セレクション』『新大系』は「思ひたまへ」と連用形に整定する。会話文中の用例なのでウ音便形に整定する。2.9.36
注釈460御けしき源氏の藤壺に対する満たされない憂愁をさす。2.9.37
注釈461纓巻きたまへるやつれ姿大将としての正装である。源氏の恋にやつれた姿を「はなやかなる御装ひよりも、なまめかしさまさりたまへり」と評す。2.9.37
注釈462春宮にも久しう参らぬおぼつかなさ源氏の詞、語り手の要約による間接話法。2.9.38
出典17 後れ先立つほどの定めなさ 末の露もとの滴や世の中の後れ先立つためしなるらむ 新古今集哀傷-七五七 僧正遍昭 2.9.10
出典18 旧き枕故き衾、誰と共にか 鴛鴦瓦冷霜花重 旧枕故衾誰与共 白氏文集十二-五九六 長恨歌 2.9.19
出典19 塵つもりぬる常夏 塵をだに据ゑじとぞ思ふ咲きしより妹とわが寝る常夏の花 古今集夏-一六七 凡河内躬恒 2.9.22
校訂31 通り 通り--とおる(る/$り<朱>) 2.9.12
校訂32 見え 見え--見(見/+え) 2.9.25
校訂33 若君 若君--我(我/#わか)君 2.9.28
校訂34 おのがじし おのがじし--(/+を)のかしゝ 2.9.29
校訂35 面痩せ 面痩せ--おもひ(ひ/$<朱>)やせ 2.9.31
校訂36 さらぬ さらぬ--さな(な/$<朱>)らぬ 2.9.37
Last updated 5/16/2009(ver.2-2)
渋谷栄一校訂(C)
Last updated 5/16/2009(ver.2-1)
渋谷栄一注釈
Last updated 5/6/2001
渋谷栄一訳(C)(ver.1-2-2)
現代語訳
与謝野晶子
電子化
上田英代(古典総合研究所)
底本
角川文庫 全訳源氏物語
校正・
ルビ復活
kompass(青空文庫)

2003年7月12日

渋谷栄一訳
との突合せ
若林貴幸、宮脇文経

2005年10月22日

Last updated 5/16/2009 (ver.2-2)
Written in Japanese roman letters
by Eiichi Shibuya (C)
Picture "Eiri Genji Monogatari"(1650 1st edition)
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