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第九帖 葵
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09 AHUHI (Ohoshima-bon)
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光る源氏の二十二歳春から二十三歳正月まで近衛大将時代の物語
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Tale of Hikaru-Genji's Konoe-Daisho era from January at the age of 22 to January at the age of 23
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2 |
第二章 葵の上の物語 六条御息所がもののけとなってとり憑く物語
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2 Tale of Aoi Aoi is possessed by Lady Rokujo's evil spirit
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2.1 |
第一段 車争い後の六条御息所
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2-1 Lady Rokujo gets ill after not viewing the parade
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2.1.1 |
御息所は、ものを思し乱るること、年ごろよりも多く添ひにけり。つらき方に思ひ果てたまへど、 今はとてふり離れ 下りたまひなむは、「 いと心細かりぬべく、世の人聞きも人笑へにならむこと」と思す。 さりとて立ち止まるべく 思しなるには、「 かくこよなきさまに皆思ひくたすべかめるも、やすからず ★、 釣する海人の浮けなれや ★」と、起き臥し思しわづらふけにや、 御心地も浮きたるやうに思されて、悩ましうしたまふ。
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御息所は、心魂の煩悶なさること、ここ数年来よりも多く加わってしまった。薄情な方とすっかりお諦めになったが、今日を最後と振り切ってお下りになるのは、「とても心細いだろうし、世間の人の噂にも、物笑いの種になるだろうこと」とお思いになる。それだからといって、京に留まるようなお気持ちになるためには、「あの時のようなこれ以上の恥はないほどに誰もが見下げることであろうのも穏やかでなく、釣する海人の浮きか」と、寝ても起きても悩んでいられるせいか、魂も浮いたようにお感じになられて、お具合が悪くいらっしゃる。
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御息所の煩悶はもう過去何年かの物思いとは比較にならないほどのものになっていた。信頼のできるだけの愛を持っていない人と源氏を決めてしまいながらも、断然別れて斎宮について伊勢へ行ってしまうことは心細いことのようにも思われたし、捨てられた女と見られたくない世間体も気になった。そうかと言って安心して京にいることも、全然無視された車争いの日の記憶がある限り可能なことではなかった。自身の心を定めかねて、寝てもさめても煩悶をするせいか、次第に心がからだから離れて行き、自身は空虚なものになっているという気分を味わうようになって、病気らしくなった。
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Miyasumdokoro ha, mono wo obosi midaruru koto, tosigoro yori mo ohoku sohi ni keri. Turaki kata ni omohi hate tamahe do, ima ha tote, huri hanare kudari tamahi na m ha, "Ito kokorobosokari nu beku, yo no hitogiki mo hitowarahe ni nara m koto." to obosu. Saritote tati-tomaru beku obosi naru ni ha, "Kaku koyonaki sama ni mina omohi kutasu beka' meru mo, yasukara zu, turi suru ama no uke nare ya." to, okihusi obosi wadurahu ke ni ya, mikokoti mo uki taru yau ni obosa re te, nayamasiu si tamahu.
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2.1.2 |
大将殿には、下りたまはむことを、「 もて離れてあるまじきこと ★」なども、妨げきこえたまはず、
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大将殿におかれては、お下りになろうとしていることを、「まったくとんでもないことだ」などとも、お引き止め申し上げず、
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源氏は初めから伊勢へ行くことに断然不賛成であるとも言い切らずに、
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Daisyaudono ni ha, kudari tamaha m koto wo, "Mote-hanare te aru maziki koto." nado mo, samatage kikoye tamaha zu,
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2.1.3 |
「 数ならぬ身を、見ま憂く思し捨てむもことわりなれど、今はなほ、いふかひなきにても、御覧じ果てむや、浅からぬにはあらむ」
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「わたしのようなつまらない者を、見るのも嫌だとお思い捨てなさるのもごもっともですが、今はやはり つまらない男でも、最後までお見限りなさらないのが、浅からぬ情愛というものではないでしょうか」
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「私のようなつまらぬ男を愛してくだすったあなたが、いやにおなりになって、遠くへ行ってしまうという気になられるのはもっともですが、寛大な心になってくだすって変わらぬ恋を続けてくださることで前生の因縁を全くしたいと私は願っている」
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"Kazu nara nu mi wo, mimauku obosi sute m mo kotowari nare do, ima ha naho, ihukahinaki nite mo, goranzi hate m ya, asakara nu ni ha ara m."
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2.1.4 |
と、 聞こえかかづらひたまへば ★、 定めかねたまへる御心もや慰むと、立ち出でたまへりし 御禊河の荒かりし瀬に、いとど、よろづいと憂く 思し入れたり。
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と、絡んで申し上げなさるので、決心しかねていらしたお気持ちも紛れることがあろうかと、外出なさった御禊見物の辛い経験から、いっそう、万事がとても辛くお思いつめになっていた。
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こんなふうにだけ言って留めているのであったから、そうした物思いも慰むかと思って出た御禊川に荒い瀬が立って不幸を見たのである。
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to, kikoye kakadurahi tamahe ba, sadame kane tamahe ru mikokoro mo ya nagusamu to, tatiide tamahe ri si misogigaha no arakari si se ni, itodo, yorodu ito uku obosi ire tari.
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2.1.5 |
大殿には、御もののけめきて、いたうわづらひたまへば、誰も誰も思し嘆くに、 御歩きなど便なきころなれば、二条院にも時々ぞ渡りたまふ。 さはいへど、 やむごとなき方は、ことに思ひきこえたまへる人の、 めづらしきことさへ添ひたまへる御悩みなれば、 心苦しう思し嘆きて、御修法や何やなど、 わが御方にて、多く行はせたまふ。
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大殿邸では、御物の怪のようで、ひどく患っていらっしゃるので、どなたもどなたもお嘆きになっている時で、お忍び歩きなども不都合な時なので、二条院にも時々はお帰りになる。何と言っても、正妻として重んじている点では、特別にお思い申し上げていっしゃった方が、おめでたまでがお加わりになったお悩みなので、おいたわしいこととお嘆きになって、御修法や何やかやと、ご自分の部屋で、多く行わせなさる。
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葵夫人は物怪がついたふうの容体で非常に悩んでいた。父母たちが心配するので、源氏もほかへ行くことが遠慮される状態なのである。二条の院などへもほんの時々帰るだけであった。夫婦の中は睦まじいものではなかったが、妻としてどの女性よりも尊重する心は十分源氏にあって、しかも妊娠しての煩いであったから憐みの情も多く加わって、修法や祈祷も大臣家でする以外にいろいろとさせていた。
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Ohotono ni ha, ohom-mononoke meki te, itau wadurahi tamahe ba, tare mo tare mo obosi nageku ni, ohom-ariki nado binnaki koro nare ba, Nideunowin ni mo tokidoki zo watari tamahu. Saha ihe do, yamgotonaki kata ha, koto ni omohi kikoye tamahe ru hito no, medurasiki koto sahe sohi tamahe ru ohom-nayami nare ba, kokorogurusiu obosi nageki te, misuhohu ya nani ya nado, waga ohom-kata nite, ohoku okonaha se tamahu.
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2.1.6 |
もののけ、生すだまなどいふもの多く出で来て、さまざまの名のりするなかに、 人にさらに移らず、ただみづからの御身につと添ひたるさまにて、ことにおどろおどろしうわづらはしきこゆることもなけれど、また、片時離るる折もなきもの一つあり。いみじき験者どもにも従はず、執念きけしき、おぼろけのものにあらずと見えたり。
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物の怪、生霊などというものがたくさん出てきて、いろいろな名乗りを上げる中で、憑坐にも一向に移らず、ただご本人のお身体にぴったりと憑いた状態で、特に大変にお悩ませ申すこともないが、その一方で、暫しの間も離れることのないのが一つある。すぐれた験者どもにも調伏されず、しつこい様子は並の物の怪ではない、と見えた。
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物怪、生霊というようなものがたくさん出て来て、いろいろな名乗りをする中に、仮に人へ移そうとしても、少しも移らずにただじっと病む夫人にばかり添っていて、そして何もはげしく病人を悩まそうとするのでもなく、また片時も離れない物怪が一つあった。どんな修験僧の技術ででも自由にすることのできない執念のあるのは、並み並みのものであるとは思われなかった。
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Mononoke, ikisudama nado ihu mono ohoku ideki te, samazama no nanori suru naka ni, hito ni sarani utura zu, tada midukara no ohom-mi ni tuto sohi taru sama nite, koto ni odoroodorosiu wadurahasi kikoyuru koto mo nakere do, mata, katatoki hanaruru wori mo naki mono hitotu ari. Imiziki genza-domo ni mo sitagaha zu, sihuneki kesiki, oboroke no mono ni ara zu to miye tari.
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2.1.7 |
大将の君の御通ひ所、ここかしこと 思し当つるに、
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大将の君のお通いになっている所、あちらこちらと見当をつけて御覧になるに、
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左大臣家の人たちは、源氏の愛人をだれかれと数えて、それらしいのを求めると、
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Daisyaunokimi no ohom-kayohi dokoro, koko kasiko to obosi aturu ni,
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2.1.8 |
「 この御息所、二条の君などばかりこそは、おしなべてのさまには思したらざめれば、怨みの心も深からめ」
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「あの御息所、二条の君などだけは、並々のご寵愛の方ではないようだから、恨みの気持ちもきっと深いだろう」
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結局六条の御息所と二条の院の女は源氏のことに愛している人であるだけ夫人に恨みを持つことも多いわけであると、
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"Kono Miyasumdokoro, Nideunokimi nado bakari koso ha, osinabete no sama ni ha obosi tara za' mere ba, urami no kokoro mo hukakara me."
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2.1.9 |
とささめきて、 ものなど問はせたまへど、さして聞こえ当つることもなし。もののけとても、わざと深き御かたきと聞こゆるもなし。 過ぎにける御乳母だつ人、もしは 親の御方につけつつ伝はりたるものの、弱目に出で来たるなど、 むねむねしからずぞ乱れ現はるる。ただつくづくと、音をのみ泣きたまひて、折々は胸をせき上げつつ、いみじう堪へがたげに惑ふわざをしたまへば、いかにおはすべきにかと、ゆゆしう悲しく思しあわてたり。
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とささやいて、占師に占わせなさるが、特にお当て申すこともない。物の怪といっても、特別に深いお敵と申す人もいない。亡くなったおん乳母のような人、もしくは親の血筋に代々祟り続けてきた怨霊が、弱みにつけこんで現れ出たものなど、大したものではないのがばらばらに出て来る。たださめざめと 声を上げてお泣きになるばかりで、時々は胸をせき上げせき上げして、ひどく堪え難そうにもだえていられるので、どのようにおなりになるのかと、不吉に悲しくお慌てになっていた。
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こう言って、物怪に言わせる言葉からその主を知ろうとしても、何の得るところもなかった。物怪といっても、育てた姫君に愛を残した乳母というような人、もしくはこの家を代々敵視して来た亡魂とかが弱り目につけこんでくるような、そんなのは決して今度の物怪の主たるものではないらしい。夫人は泣いてばかりいて、おりおり胸がせき上がってくるようにして苦しがるのである。どうなることかとだれもだれも不安でならなかった。
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to sasameki te, mono nado toha se tamahe do, sasite kikoye aturu koto mo nasi. Mononoke tote mo, wazato hukaki ohom-kataki to kikoyuru mo nasi. Sugi ni keru ohom-menoto datu hito, mosiha, oya no ohom-kata ni tuke tutu tutahari taru mono no, yowame ni ideki taru nado, munemunesikara zu zo, midare araha ruru. Tada tukuduku to, ne wo nomi naki tamahi te, woriwori ha mune wo seki age tutu, imiziu tahe gatage ni madohu waza wo si tamahe ba, ikani ohasu beki ni ka to, yuyusiu kanasiku obosi awate tari.
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2.1.10 |
院よりも、御とぶらひ隙なく、御祈りのことまで思し寄らせたまふさまのかたじけなきにつけても、いとど惜しげなる人の御身なり。
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院からも、お見舞いがひっきりなしにあり、御祈祷のことまでお心づかいあそばされることの恐れ多いことにつけても、ますます惜しく思われるご様子の方である。
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院の御所からも始終お見舞いの使いが来る上に祈祷までも別にさせておいでになった。こんな光栄を持つ夫人に万一のことがなければよいとだれも思った。
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Win yori mo, ohom-toburahi hima naku, ohom-inori no koto made obosi yora se tamahu sama no katazikenaki ni tuke te mo, itodo wosige naru hito no ohom-mi nari.
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2.1.11 |
世の中あまねく惜しみきこゆるを 聞きたまふにも、御息所は ただならず思さる。年ごろはいとかくしもあらざりし御いどみ心を、はかなかりし 所の車争ひに、 人の御心の動きにけるを、かの殿には、さまでも思し寄らざりけり。
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世間の人々がみな惜しみ申し上げているのをお聞きになるにつけても、御息所はおもしろからずお思いになる。ここ数年来はとてもこのようなことはなかった張り合うお心を、ちょっとした車の場所取り争いで、御息所のお気持ちに怨念が生じてしまったのを、あちらの殿では、そこまでとはお気づきにならないのであった。
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世間じゅうが惜しんだり歎いたりしているこの噂も御息所を不快な気分にした。これまでは決してこうではなかったのである。競争心を刺戟したのは車争いという小さいことにすぎないが、それがどれほど大きな恨みになっているかを左大臣家の人は想像もしなかった。
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Yononaka amaneku wosimi kikoyuru wo kiki tamahu ni mo, Miyasumdokoro ha tada nara zu obosa ru. Tosigoro ha ito kaku simo ara zari si ohom-idomi gokoro wo, hakanakari si tokoro no kuruma arasohi ni, hito no mikokoro no ugoki ni keru wo, kano Tono ni ha, sa made mo obosi yora zari keri.
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出典3 |
釣する海人の浮け |
伊勢の海に釣する海人の浮けなれや心一つを定めかねつる |
古今集恋一-五〇九 読人しらず |
2.1.1 |
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2.2 |
第二段 源氏、御息所を旅所に見舞う
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2-2 Genji visits to Lady Rokujo
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2.2.1 |
かかる御もの思ひの乱れに、御心地、なほ例ならずのみ思さるれば、 ほかに渡りたまひて、御修法などせさせたまふ。大将殿聞きたまひて、いかなる御心地にかと、いとほしう、 思し起して渡りたまへり。
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このようなお悩みのせいで、お加減が、やはり普段のようではなくばかりお感じになるので、別の御殿にお移りになって、御修法などをおさせになる。大将殿はお聞きになって、どのようなお加減でいられるのかと、おいたわしく、ご決意なさってお見舞いにいらっしゃった。
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物思いは御息所の病をますます昂じさせた。斎宮をはばかって、他の家へ行って修法などをさせていた。源氏はそれを聞いてどんなふうに悪いのかと哀れに思って訪ねて行った。
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Kakaru ohom-monoomohi no midare ni, mikokoti, naho rei nara zu nomi obosa rure ba, hoka ni watari tamahi te, misuhohu nado se sase tamahu. Daisyaudono kiki tamahi te, ika naru mikokoti ni ka to, itohosiu, obosi okosi te watari tamahe ri.
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2.2.2 |
例ならぬ旅所なれば、いたう忍びたまふ。心よりほかなるおこたりなど、罪ゆるされぬべく聞こえつづけたまひて、 悩みたまふ人の御ありさまも、憂へきこえたまふ。
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いつもと違った仮のご宿所なので、たいそう忍んでいらっしゃる。心ならずもご無沙汰していることなど、許してもらえるよう詫び言を縷々申し上げなさって、お悩みでいらっしゃるご様子についても、訴え申される。
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自邸でない人の家であったから、人目を避けてこの人たちは逢った。本意ではなくて長く逢いに来なかったことを御息所の気も済むほどこまごまと源氏は語っていた。妻の病状も心配げに話すのである。
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Rei nara nu tabidokoro nare ba, itau sinobi tamahu. Kokoro yori hoka naru okotari nado, tumi yurusa re nu beku kikoye tuduke tamahi te, nayami tamahu hito no ohom-arisama mo, urehe kikoye tamahu.
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2.2.3 |
「 みづからはさしも 思ひ入れはべらねど、親たちのいと ことことしう思ひまどはるるが心苦しさに、 かかるほどを見過ぐさむとてなむ。よろづを思しのどめたる御心ならば、いとうれしうなむ」
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「自分ではそれほども心配しておりませんが、親たちがとても大変な心配のしようなのが気の毒で、そのような時が過ぎてからと存じておりましたもので。万事おおらかにお許しいただけるお気持ちならば、まこと嬉しいのですが」
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「私はそれほど心配しているのではないのですが、親たちがたいへんな騒ぎ方をしていますから、気の毒で、少し容体がよくなるまでは謹慎を表していようと思うだけなのです。あなたが心を大きく持って見ていてくだすったら私は幸福です」
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"Midukara ha sasimo omohi ire habera ne do, oya-tati no ito kotokotosiu omohi madoha ruru ga kokorogurusisa ni, kakaru hodo wo mi sugusa m tote nam. Yorodu wo obosi nodome taru mikokoro nara ba, ito uresiu nam."
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2.2.4 |
など、語らひきこえたまふ。常よりも心苦しげなる御けしきを、ことわりに、あはれに見たてまつりたまふ。
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などと、こまごまとお話し申し上げなさる。いつもよりも痛々しげなご様子を、無理もないことと、しみじみ哀れに拝見なさる。
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などと言う。女に平生よりも弱々しいふうの見えるのを、もっともなことに思って源氏は同情していた。
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nado, katarahi kikoye tamahu. Tune yori mo kokorogurusige naru mikesiki wo, kotowari ni, ahare ni mi tatematuri tamahu.
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2.2.5 |
うちとけぬ朝ぼらけに、出でたまふ御さまのをかしきにも、なほふり離れなむことは 思し返さる。
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打ち解けぬままの明け方に、お帰りになるお姿の美しさにつけても、やはり振り切って別れることは、考え直さずにはいらっしゃれない。
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疑いも恨みも氷解したわけでもなく源氏が帰って行く朝の姿の美しいのを見て、自分はとうていこの人を離れて行きうるものではないと御息所は思った。
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Utitoke nu asaborake ni, ide tamahu ohom-sama no wokasiki ni mo, naho huri hanare na m koto ha obosi kahesa ru.
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2.2.6 |
「 やむごとなき方に、いとど 心ざし添ひたまふべきことも出で来にたれば、一つ方に思ししづまりたまひなむを、かやうに 待ちきこえつつあらむも、心のみ尽きぬべきこと」
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「正妻の方に、ますますご愛情がお増しになるに違いないおめでたが生じたので、お一方の所に納まってしまわれるに違いないのを、このようにお待ち申しお待ち申しているのも、物思いも尽くし果ててしまうに違いないこと」
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正夫人である上に子供が生まれるとなれば、その人以外の女性に持っている愛などはさめて淡いものになっていくであろう時、今のように毎日待ち暮らすことも、その辛抱に命の続かなくなることであろうと、
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"Yamgotonaki kata ni, itodo kokorozasi sohi tamahu beki koto mo ideki ni tare ba, hitotu kata ni obosi sidumari tamahi na m wo, kayau ni mati kikoye tutu ara m mo, kokoro nomi tuki nu beki koto."
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2.2.7 |
なかなかもの思ひのおどろかさるる心地したまふに、 御文ばかりぞ、暮れつ方ある。
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かえって物思いを新たになさっていたところに、後朝の文だけが、夕方にある。
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それでいてまた思われもして、たまたま逢って物思いの決して少なくはならない御息所へ、次の日は手紙だけが暮れてから送られた。
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Nakanaka monoomohi no odorokasa ruru kokoti si tamahu ni, ohom-humi bakari zo, kuretukata aru.
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2.2.8 |
「 日ごろ、すこしおこたるさまなりつる心地の、にはかにいといたう苦しげにはべるを、 え引きよかでなむ」
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「ここ数日来、少し回復して来たようだった気分が、急にとてもひどく苦しそうに見えましたので、どうしても目を放すことができませんで」
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この間うち少し癒くなっていたようでした病人にまたにわかに悪い様子が見えてきて苦しんでいるのを見ながら出られないのです。
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"Higoro, sukosi okotaru sama nari turu kokoti no, nihaka ni ito itau kurusige ni haberu wo, e hiki-yoka de nam."
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2.2.9 |
とあるを、「例のことつけ」と、 見たまふものから、
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とあるのを、「例によって言い訳を」と、御覧になるものの、
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とあるのを、例の上手な口実である、と見ながらも御息所は返事を書いた。
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to aru wo, "Rei no kototuke" to, mi tamahu monokara,
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2.2.10 |
「 袖濡るる恋路とかつは知りながら おりたつ田子のみづからぞ憂き |
「袖を濡らす恋とは分かっていながら そうなってしまうわが身の疎ましいことよ |
袖濡るるこひぢとかつは知りながら 下り立つ田子の自らぞ憂き
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"Sode nururu kohidi to katu ha siri nagara ori tatu tago no midukara zo uki |
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2.2.11 |
『 山の井の水』もことわりに ★」
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『山の井の水』も、もっともなことです」
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古い歌にも「悔しくぞ汲みそめてける浅ければ袖のみ濡るる山の井の水」とございます。
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'Yamanowi no midu' mo kotowari ni."
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2.2.12 |
とぞある。「 御手は、なほここらの人のなかにすぐれたりかし」と 見たまひつつ、「 いかにぞやもある世かな。心も容貌も、とりどりに捨つべくもなく、 また思ひ定むべきもなきを」苦しう思さる。 御返り、いと暗うなりにたれど、
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とある。「ご筆跡は、やはり数多い女性の中で抜きん出ている」と御覧になりながら、「どうしてこうも思うようにならないのかなあ。気立ても容貌も、それぞれに捨ててよいものでなく、その反面これぞと思える人もいないことだ」苦しくお思いになる。お返事は、たいそう暗くなってしまったが、
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というのである。幾人かの恋人の中でもすぐれた字を書く人であると、源氏は御息所の返事をながめて思いながらも、理想どおりにこの世はならないものである。性質にも容貌にも教養にもとりどりの長所があって、捨てることができず、ある一人に愛を集めてしまうこともできないことを苦しく思った。そのまた返事を、もう暗くなっていたが書いた。
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to zo aru. "Ohom-te ha, naho kokora no hito no naka ni sugure tari kasi." to mi tamahi tutu, "Ikanizoya mo aru yo kana! Kokoro mo katati mo, toridori ni sutu beku mo naku, mata omohi sadamu beki mo naki wo." Kurusiu obosa ru. Ohom-kaheri, ito kurau nari ni tare do,
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2.2.13 |
「 袖のみ濡るるや、いかに。 深からぬ御ことになむ。
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「袖ばかり濡れるとは、どうしたことで。愛情がお深くないこと。
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袖が濡れるとお言いになるのは、深い恋を持ってくださらない方の恨みだと思います。
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"Sode nomi nururu ya, ikani? Hukakara nu ohom-koto ni nam.
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2.2.14 |
浅みにや人はおりたつわが方は 身もそぼつまで深き恋路を |
袖が濡れるとは浅い所にお立ちだからでしょう わたしは全身ずぶ濡れになるほど深い所に立っております |
あさみにや人は下り立つわが方は 身もそぼつまで深きこひぢを
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Asami ni ya hito ha ori tatu waga kata ha mi mo sobotu made hukaki kohidi wo |
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2.2.15 |
おぼろけにてや、この御返りを、みづから聞こえさせぬ」
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並々の気持ちで、このお返事を、直接に訴え申し上げずにいられましょうか」
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この返事を口ずから申さないで、筆をかりてしますことはどれほど苦痛なことだかしれません。
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Oboroke ni te ya, kono ohom-kaheri wo, midukara kikoye sase nu."
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2.2.16 |
などあり。
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などとある。
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などと言ってあった。
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nado ari.
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出典4 |
山の井の水 |
悔しくぞ汲みそめてける浅ければ袖のみ濡るる山の井の水 |
古今六帖二-九八七 |
2.2.11 |
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2.3 |
第三段 葵の上に御息所のもののけ出現する
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2-3 Lady Rokujo's evil spirit appears on Aoi
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2.3.1 |
大殿には、御もののけいたう起こりて、いみじうわづらひたまふ。「 この御生きすだま、故父大臣の御霊など言ふものあり」と 聞きたまふにつけて、思しつづくれば、
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大殿邸では、御物の怪がひどく起こって、大変にお苦しみになる。「自分の生霊や、故大臣の死霊だなどと言う人がいる」とお聞きになるにつけて、お考え続けになると、
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葵の君の容体はますます悪い。六条の御息所の生霊であるとも、その父である故人の大臣の亡霊が憑いているとも言われる噂の聞こえて来た時、
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Ohotono ni ha, ohom-mononoke itau okori te, imiziu wadurahi tamahu. "Kono ohom-ikisudama, ko-titi Otodo no goryau nado ihu mono ari." to kiki tamahu ni tuke te, obosi tudukure ba,
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2.3.2 |
「 身一つの憂き嘆きよりほかに、 人を悪しかれなど思ふ心もなけれど、 もの思ひにあくがるなる魂は ★、さもやあらむ」
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「我が身一人の不運を嘆いているより他には、他人を悪くなれと呪う気持ちはないのだが、悩み事があると抜け出て行くという魂は、このようなことなのだろうか」
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御息所は自分自身の薄命を歎くほかに人を咀う心などはないが、物思いがつのればからだから離れることのあるという魂はあるいはそんな恨みを告げに源氏の夫人の病床へ出没するかもしれないと、
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"Mi hitotu no uki nageki yori hoka ni, hito wo asikare nado omohu kokoro mo nakere do, mono-omohi ni akugaru naru tamasihi ha, sa mo ya ara m."
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2.3.3 |
と思し知らるることもあり。
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と、お気づきになることもある。
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こんなふうに悟られることもあるのであった。
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to obosi sira ruru koto mo ari.
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2.3.4 |
年ごろ、よろづに思ひ残すことなく過ぐしつれど、 かうしも砕けぬを、はかなきことの折に、人の思ひ消ち、なきものに もてなすさまなりし御禊の後、ひとふしに 思し浮かれにし心、鎮まりがたう思さるるけにや、すこしうちまどろみたまふ夢には、 かの姫君とおぼしき人の、 いときよらにてある所に 行きて、とかく引きまさぐり、うつつにも似ず、 たけくいかきひたぶる心出で来て、うちかなぐるなど 見えたまふこと、度かさなりにけり。
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数年来、何かと物思いの限りを尽くしてきたが、こんなにも苦しい思いをしたことはなかったのに、ちょっとした事の折に、相手が無視し、蔑ろにした態度をとった御禊の後は、あの一件によって抜け出るようになった魂、鎮まりそうもなく思われるせいか、少しうとうととなさる夢には、あの姫君と思われる人の、とても清浄にしている所に行って、あちこち引き掻き廻し、普段とは違い、猛々しく激しい乱暴な心が出てきて、荒々しく叩くのなどが現れなさること、度重なった。
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物思いの連続といってよい自分の生涯の中に、いまだ今度ほど苦しく思ったことはなかった。御禊の日の屈辱感から燃え立った恨みは自分でももう抑制のできない火になってしまったと思っている御息所は、ちょっとでも眠ると見る夢は、姫君らしい人が美しい姿ですわっている所へ行って、その人の前では乱暴な自分になって、武者ぶりついたり撲ったり、現実の自分がなしうることでない荒々しい力が添う、こんな夢で、幾度となく同じ筋を見る、情けないことである、魂がからだを離れて行ったのであろうかと思われる。失神状態に御息所がなっている時もあった。
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Tosigoro, yorodu ni omohi nokosu koto naku sugusi ture do, kau simo kudake nu wo, hakanaki koto no wori ni, hito no omohi keti, naki mono ni motenasu sama nari si misogi no noti, hitohusi ni obosi ukare ni si kokoro, sidumari gatau obosa ruru ke ni ya, sukosi uti-madoromi tamahu yume ni ha, kano Himegimi to obosiki hito no, ito kiyora ni te aru tokoro ni iki te, tokaku hiki-masaguri, ututu ni mo ni zu, takeku ikaki hitaburu kokoro ideki te, uti-kanaguru nado miye tamahu koto, tabi kasanari ni keri.
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2.3.5 |
「 あな、心憂や。 げに、身を捨ててや、往にけむ ★」と、うつし心ならずおぼえたまふ折々もあれば、「 さならぬことだに、人の御ためには、よさまのことをしも言ひ出でぬ世なれば、ましてこれは、いとよう言ひなしつべきたよりなり」と思すに、いと 名だたしう、
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「ああ、何と忌まわしいことか。なるほど、身体を抜け出して 出て行ったのだろう」と、正気を失ったように思われなさる時が度々あるので、「何でもないことでさえも、他人の事では、よいような噂は立てないのが世間の常なので、ましてこのことは、何とでも噂立てられる絶好の種だ」とお思いになると、とても評判になりそうで、
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ないことも悪くいうのが世間である、ましてこの際の自分は彼らの慢罵欲を満足させるのによい人物であろうと思うと、御息所は名誉の傷つけられることが苦しくてならないのである。
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"Ana, kokorou ya! Geni, mi wo sute te ya, ini kem." to, utusigokoro nara zu oboye tamahu woriwori mo are ba, "Sa nara nu koto dani, hito no ohom-tame ni ha, yosama no koto wo simo ihi ide nu yo nare ba, masite kore ha, ito you ihi nasi tu beki tayori nari." to obosu ni, ito nadatasiu,
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2.3.6 |
「 ひたすら世に亡くなりて、後に怨み残すは世の常のことなり。それだに、人の上にては、罪深うゆゆしきを、うつつのわが身ながら、さる疎ましきことを言ひつけらるる宿世の憂きこと。すべて、つれなき人にいかで心もかけきこえじ」
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「もう亡くなってしまって、後に怨みを残すのは世間にもあることだ。それでさえ、人の身の上については、罪深く忌まわしいのに、生きている身でありながら、そのような忌まわしいことを、噂される因縁の辛いこと。もう一切、薄情な方に決して心をお掛け申すまい」
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死んだあとにこの世の人へ恨みの残った霊魂が現われるのはありふれた事実であるが、それさえも罪の深さの思われる悲しむべきことであるのに、生きている自分がそうした悪名を負うというのも、皆源氏の君と恋する心がもたらした罪である、その人への愛を今自分は根柢から捨てねばならぬと御息所は考えた。
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"Hitasura yo ni nakunari te, noti ni urami nokosu ha yo no tune no koto nari. Sore dani, hito no uhe nite ha, tumi hukau yuyusiki wo, ututu no waga mi nagara, saru utomasiki koto wo ihi tuke raruru sukuse no uki koto. Subete, turenaki hito ni ikade kokoro mo kake kikoye zi."
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2.3.7 |
と思し返せど、 思ふもものをなり ★。
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とお考え直しになるが、思うまいと思うのも物思うことである。
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努めてそうしようとしても実現性のないむずかしいことに違いない。
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to obosi kahese do, omohu mo mono wo nari.
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出典5 |
もの思ひにあくがるなる魂 |
物思へば沢の蛍も我が身よりあくがれ出づる魂かとぞ見る |
後拾遺集神祇-一一六二 和泉式部 |
2.3.2 |
出典6 |
身を捨ててや |
身を捨てて行きやしにけむ思ふより外なる物は心なりけり |
古今集雑下-九七七 凡河内躬恒 |
2.3.5 |
出典7 |
思ふもものを |
思はじと思ふも物を思ふなり言はじと言ふもこれも言ふなり |
源氏釈所引、出典未詳 |
2.3.7 |
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2.4 |
第四段 斎宮、秋に宮中の初斎院に入る
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2-4 In this fall, Saigu moves her plase
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2.4.1 |
斎宮は、去年内裏に入りたまふべかりしを、さまざま障はることありて、この秋入りたまふ。九月には、やがて野の宮に移ろひたまふべければ、ふたたびの御祓へのいそぎ、とりかさねてあるべきに、ただあやしうほけほけしうて、つくづくと臥し悩みたまふを、宮人、いみじき大事にて、御祈りなど、さまざま仕うまつる。
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斎宮は、去年内裏にお入りになるはずであったが、さまざまに差し障ることがあって、この秋にお入りになる。九月には、そのまま野の宮にお移りになる予定なので、二度目の御禊の準備、引き続いて行うはずのところ、まるで妙にぼうっとして、物思いに沈んで悩んでいらっしゃるのを、斎宮寮の官人たち、ひどく重大視して、御祈祷など、あれこれと致す。
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斎宮は去年にもう御所の中へお移りになるはずであったが、いろいろな障りがあって、この秋いよいよ潔斎生活の第一歩をお踏み出しになることとなった。そしてもう九月からは嵯峨の野の宮へおはいりになるのである。それとこれと二度ある御禊の日の仕度に邸の人々は忙殺されているのであるが御息所は頭をぼんやりとさせて、寝て暮らすことが多かった。邸の男女はまたこのことを心配して祈祷を頼んだりしていた。
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Saiguu ha, kozo uti ni iri tamahu bekari si wo, samazama saharu koto ari te, kono aki iri tamahu. Nagatuki ni ha, yagate Nonomiya ni uturohi tamahu bekere ba, hutatabi no ohom-harahe no isogi, tori kasane te aru beki ni, tada ayasiu hokehokesiu te, tukuduku to husi nayami tamahu wo, miyabito, imiziki daizi ni te, ohom-inori nado, samazama tukaumaturu.
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2.4.2 |
おどろおどろしきさまにはあらず、そこはかとなくて、月日を過ぐしたまふ。大将殿も、常に とぶらひきこえたまへど、 まさる方のいたうわづらひたまへば、御心のいとまなげなり。
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ひどく苦しいという様子ではなく、どこが悪いということもなくて、月日をお過ごしになる。大将殿も 欠かさずお見舞い申し上げなさるが、さらに大事な方がひどく患っていられるので、お気持ちの余裕がないようである。
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何病というほどのことはなくて、ぶらぶらと病んでいるのである。源氏からも始終見舞いの手紙は来るが、愛する妻の容体の悪さは、自分でこの人を訪ねて来ることなどをできなくしているようであった。
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Odoroodorosiki sama ni ha ara zu, sokohakatonaku te, tukihi wo sugusi tamahu. Daisyaudono mo, tune ni, toburahi kikoye tamahe do, masaru kata no itau wadurahi tamahe ba, mikokoro no itoma nage nari.
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2.4.3 |
まださるべきほどにもあらずと、皆人もたゆみたまへるに、にはかに御けしきありて、悩みたまへば、いとどしき御祈り、数を尽くしてせさせたまへれど、例の執念き御もののけ一つ、さらに動かず、 やむごとなき験者ども、めづらかなりともてなやむ。さすがに、 いみじう調ぜられて、心苦しげに泣きわびて、
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まだその時期ではないと、誰も彼もが油断していられたところ、急に産気づかれて お苦しみになるので、これまで以上の御祈祷の 有りったけを尽くしておさせになるが、例の執念深い物の怪が一つだけ 全然動かず、霊験あらたかな験者どもは、珍しいことだと困惑する。とはいっても、たいそう調伏されて、いたいたしげに泣き苦しんで、
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まだ産期には早いように思って一家の人々が油断しているうちに葵の君はにわかに生みの苦しみにもだえ始めた。病気の祈祷のほかに安産の祈りも数多く始められたが、例の執念深い一つの物怪だけはどうしても夫人から離れない。名高い僧たちもこれほどの物怪には出あった経験がないと言って困っていた。さすがに法力におさえられて、哀れに泣いている。
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Mada saru beki hodo ni mo ara zu to, minahito mo tayumi tamahe ru ni, nihakani mikesiki ari te, nayami tamahe ba, itodosiki ohom-inori, kazu wo tukusi te se sase tamahe re do, rei no sihuneki ohom-mononoke hitotu, sarani ugoka zu, yamgotonaki genzya-domo, meduraka nari to mote-nayamu. Sasugani, imiziu teuze rare te, kokorokurusige ni naki wabi te,
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2.4.4 |
「 すこしゆるべたまへや。大将に聞こゆべきことあり」 とのたまふ。
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「少し緩めてください。大将に申し上げる事がある」とおっしゃる。
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「少しゆるめてくださいな、大将さんにお話しすることがあります」そう夫人の口から言うのである。
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"Sukosi yurube tamahe ya! Daisyau ni kikoyu beki koto ari." to notamahu.
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2.4.5 |
「 さればよ。あるやうあらむ」
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「やはりそうであったか。何かわけがあるのだろう」
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「あんなこと。わけがありますよ。私たちの想像が当たりますよ」
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"Sare ba yo! Aru yau ara m."
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2.4.6 |
とて、近き御几帳のもとに 入れたてまつりたり。むげに 限りのさまにものしたまふを、 聞こえ置かまほしきこともおはするにやとて、 大臣も宮もすこし 退きたまへり。加持の僧ども、声しづめて法華経を誦みたる、 いみじう尊し。
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と言って、近くの御几帳の側にお入れ申し上げた。とてももうだめかと思われるような容態でいられるので、ご遺言申し上げて置きたいことでもあるのだろうかと思って、大臣も宮も少しお下がりになった。加持の僧どもは、声を低めて法華経を読んでいる、たいそう尊い。
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女房はこんなことも言って、病床に添え立てた几帳の前へ源氏を導いた。父母たちは頼み少なくなった娘は、良人に何か言い置くことがあるのかもしれないと思って座を避けた。この時に加持をする僧が声を低くして法華経を読み出したのが非常にありがたい気のすることであった。
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tote, tikaki mikityau no moto ni ire tatematuri tari. Muge ni kagiri no sama ni monosi tamahu wo, kikoye oka mahosiki koto mo ohasuru ni ya tote, Otodo mo Miya mo sukosi sirizoki tamahe ri. Kadi no sou-domo, kowe sidume te Hokekyau wo yomi taru, imiziu tahutosi.
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2.4.7 |
御几帳の帷子 引き上げて見たてまつりたまへば、いとをかしげにて、御腹はいみじう高うて臥したまへるさま、 よそ人だに、見たてまつらむに心乱れぬべし。 まして惜しう悲しう思す、ことわりなり。白き御衣に、色あひいとはなやかにて、御髪のいと長うこちたきを、引き結ひてうち添へたるも、「 かうてこそ、らうたげになまめきたる方添ひてをかしかりけれ」と見ゆ。 御手をとらへて、
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御几帳の帷子を引き上げて拝見なさると、とても美しいお姿で、お腹はたいそう大きくて臥していられる様子、他人であっても、拝見しては心動かさずにはいられないであろう。まして惜しく悲しくお思いになるのは、もっともである。白いお着物に、色合いがとてもくっきりとして、髪がとても長くて豊かなのを、引き結んで横に添えてあるのも、「こうあってこそ かわいらしげで優美な点が加わり美しいのだなあ」と見える。お手を取って、
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几帳の垂れ絹を引き上げて源氏が中を見ると、夫人は美しい顔をして、そして腹部だけが盛り上がった形で寝ていた。他人でも涙なしには見られないのを、まして良人である源氏が見て惜しく悲しく思うのは道理である。白い着物を着ていて、顔色は病熱ではなやかになっている。たくさんな長い髪は中ほどで束ねられて、枕に添えてある。美女がこんなふうでいることは最も魅惑的なものであると見えた。源氏は妻の手を取って、
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Mikityau no katabira hikiage te mi tatematuri tamahe ba, ito wokasige ni te, ohom-hara ha imiziu takau te husi tamahe ru sama, yosobito dani, mi tatematura m ni kokoro midare nu besi. Masite wosiu kanasiu obosu, kotowari nari. Siroki ohom-zo ni, iroahi ito hanayaka ni te, migusi no ito nagau kotitaki wo, hiki-yuhi te uti-sohe taru mo, "Kau te koso, rautage ni namameki taru kata sohi te wokasikari kere!" to miyu. Mite wo torahe te,
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2.4.8 |
「 あな、いみじ。心憂きめを見せたまふかな」
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「ああ、ひどい。辛い思いをおさせになるとは」
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「悲しいじゃありませんか。私にこんな苦しい思いをおさせになる」
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"Ana, imizi! Kokorouki me wo mise tamahu kana!"
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2.4.9 |
とて、ものも聞こえたまはず泣きたまへば、 例はいとわづらはしう恥づかしげなる御まみを、いとたゆげに見上げて、うちまもりきこえたまふに、 涙のこぼるるさまを見たまふは、 いかがあはれの浅からむ。
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と言って、何も申し上げられずにお泣きになると、いつもはとても煩わしく気が引けて近づきがたいまなざしを、とても苦しそうに見上げて、じっとお見つめ申していらっしゃると、涙がこぼれる様子を御覧になるのは、どうして情愛を浅く思うであろうか。
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多くものが言われなかった。ただ泣くばかりである。平生は源氏に真正面から見られるととてもきまりわるそうにして、横へそらすその目でじっと良人を見上げているうちに涙がそこから流れて出るのであった。それを見て源氏が深い憐みを覚えたことはいうまでもない。
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tote, mono mo kikoye tamaha zu naki tamahe ba, rei ha ito wadurahasiu hadukasige naru ohom-mami wo, ito tayuge ni miage te, uti-mamori kikoye tamahu ni, namida no koboruru sama wo mi tamahu ha, ikaga ahare no asakara m.
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2.4.10 |
あまりいたう泣きたまへば、「 心苦しき親たちの御ことを思し、また、かく見たまふにつけて、口惜しうおぼえたまふにや」と思して、
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あまりひどくお泣きになるので、「気の毒なご両親のことをご心配され、また、このように御覧になるにつけても、残念にお思いになってのことだろうか」とお思いになって、
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あまりに泣くのを見て、残して行く親たちのことを考えたり、また自分を見て、別れの堪えがたい悲しみを覚えるのであろうと源氏は思った。
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Amari itau naki tamahe ba, "Kokorogurusiki oya-tati no ohom-koto wo obosi, mata, kaku mi tamahu ni tuke te, kutiwosiu oboye tamahu ni ya?" to obosi te,
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2.4.11 |
「 何ごとも、いとかうな思し入れそ。 さりともけしうはおはせじ。いかなりとも、かならず 逢ふ瀬あなれば、対面はありなむ。大臣、宮なども、深き契りある仲は、めぐりても 絶えざなれば、あひ見るほどありなむと思せ」
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「何事につけても、ひどくこんなに思いつめなさるな。いくら何でも大したことはありません。万が一のことがあっても、必ず逢えるとのことですから、きっとお逢いできましょう。大臣、宮なども、深い親子の縁のある間柄は、転生を重ねても切れないと言うから、お逢いできる時があるとご安心なさい」
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「そんなに悲しまないでいらっしゃい。それほど危険な状態でないと私は思う。またたとえどうなっても夫婦は来世でも逢えるのだからね。御両親も親子の縁の結ばれた間柄はまた特別な縁で来世で再会ができるのだと信じていらっしゃい」
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"Nanigoto mo, ito kau na obosi ire so. Saritomo kesiu ha ohase zi. Ika nari to mo, kanarazu ahuse a' nare ba, taimen ha ari na m. Otodo, Miya nado mo, hukaki tigiri aru naka ha, meguri te mo taye za' nare ba, ahi miru hodo ari na m to obose."
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2.4.12 |
と、慰めたまふに、
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と、お慰めになると、
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と源氏が慰めると、
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to, nagusame tamahu ni,
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2.4.13 |
「 いで、あらずや。身の上のいと苦しきを、しばしやすめたまへと聞こえむとてなむ。かく参り来むともさらに思はぬを、もの思ふ人の魂は、げにあくがるるものになむありける」
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「いえ、そうではありません。身体がとても苦しいので、少し休めて下さいと申そうと思って。このように参上しようとはまったく思わないのに、物思いする人の魂は、なるほど抜け出るものだったのですね」
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「そうじゃありません。私は苦しくてなりませんからしばらく法力をゆるめていただきたいとあなたにお願いしようとしたのです。私はこんなふうにしてこちらへ出て来ようなどとは思わないのですが、物思いをする人の魂というものはほんとうに自分から離れて行くものなのです」
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"Ide, ara zu ya! Minouhe no ito kurusiki wo, sibasi yasume tamahe to kikoye m tote nam. Kaku mawiri ko m to mo sarani omoha nu wo, mono omohu hito no tamasihi ha, geni akugaruru mono ni nam ari keru."
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2.4.14 |
と、 なつかしげに言ひて、
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と、親しげに言って、
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なつかしい調子でそう言ったあとで、
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to, natukasige ni ihi te,
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2.4.15 |
「 嘆きわび空に乱るるわが魂を 結びとどめよしたがへのつま」 |
「悲しみに堪えかねて抜け出たわたしの魂を 結び留めてください、下前の褄を結んで」 |
歎きわび空に乱るるわが魂を 結びとめてよ下がひの褄
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"Nageki wabi sora ni midaruru waga tama wo musubi todome yo sitagahe no tuma |
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2.4.16 |
とのたまふ声、けはひ、 その人にもあらず、変はりたまへり。「 いとあやし」と思しめぐらすに、 ただ、かの御息所なりけり。あさましう、人のとかく 言ふを、よからぬ者どもの 言ひ出づることも ★、聞きにくく思して、のたまひ消つを、目に見す見す、「 世には、かかることこそはありけれ」と、疎ましうなりぬ。「 あな、心憂」と思されて、
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とおっしゃる声、雰囲気、この人ではなく、変わっていらっしゃった。「たいそう変だ」とお考えめぐらすと、まったく、あの御息所その人なのであった。あきれて、人が何かと噂をするのを、下々の者たちが言い出したことも、聞くに耐えないとお思いになって、無視していられたが、目の前にまざまざと、「本当に、このようなこともあったのだ」と、気味悪くなった。「ああ、嫌な」と思わずにはいらっしゃれず、
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という声も様子も夫人ではなかった。まったく変わってしまっているのである。怪しいと思って考えてみると、夫人はすっかり六条の御息所になっていた。源氏はあさましかった。人がいろいろな噂をしても、くだらぬ人が言い出したこととして、これまで源氏の否定してきたことが眼前に事実となって現われているのであった。こんなことがこの世にありもするのだと思うと、人生がいやなものに思われ出した。
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to notamahu kowe, kehahi, sono hito ni mo ara zu, kahari tamahe ri. "Ito ayasi." to obosi megurasu ni, tada, kano Miyasumdokoro nari keri. Asamasiu, hito no tokaku ihu wo, yokara nu mono-domo no ihi iduru koto mo, kiki nikuku obosi te, notamahi ketu wo, me ni misu misu, "Yo ni ha, kakaru koto koso ha ari kere." to, utomasiu nari nu. "Ana, kokorou!" to obosa re te,
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2.4.17 |
「 かくのたまへど、誰とこそ知らね。たしかにのたまへ」
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「そのようにおっしゃるが、誰とも分からぬ。はっきりと名乗りなさい」
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「そんなことをお言いになっても、あなたがだれであるか私は知らない。確かに名を言ってごらんなさい」
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"Kaku notamahe do, tare to koso sira ne. Tasika ni notamahe."
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2.4.18 |
とのたまへば、ただそれなる御ありさまに、 あさましとは世の常なり。人々近う参るも、かたはらいたう思さる。
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とおっしゃると、まったく、その方そっくりのご様子なので、あきれはてるという言い方では平凡である。女房たちがお側近くに参るのも、気が気ではない。
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源氏がこう言ったのちのその人はますます御息所そっくりに見えた。あさましいなどという言葉では言い足りない悪感を源氏は覚えた。女房たちが近く寄って来る気配にも、源氏はそれを見現わされはせぬかと胸がとどろいた。
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to notamahe ba, tada sore naru ohom-arisama ni, asamasi to ha yo no tune nari. Hitobito tikau mawiru mo, kataharaitau obosa ru.
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2.5 |
第五段 葵の上、男子を出産
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2-5 Aoi gives birth to a boy
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2.5.1 |
すこし御声もしづまりたまへれば、 隙おはするにやとて、宮の御湯持て寄せたまへるに、 かき起こされたまひて、 ほどなく生まれたまひぬ。うれしと思すこと限りなきに、人に駆り移したまへる御もののけども、ねたがりまどふけはひ、いともの騒がしうて、 後の事、またいと心もとなし。
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少しお声も静かになられたので、一時収まったのかと、宮がお薬湯を持って来させになったので、抱き起こされなさって、間もなくお生まれになった。嬉しいとお思いになることこの上もないが、憑坐にお移しになった物の怪どもが、悔しがり大騷ぎする様子、とても騒々しくて、後産の事も、またとても心配である。
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病苦にもだえる声が少し静まったのは、ちょっと楽になったのではないかと宮様が飲み湯を持たせておよこしになった時、その女房に抱き起こされて間もなく子が生まれた。源氏が非常にうれしく思った時、他の人間に移してあったのが皆口惜しがって物怪は騒ぎ立った。それにまだ後産も済まぬのであるから少なからぬ不安があった。
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Sukosi ohom-kowe mo sidumari tamahe re ba, hima ohasuru ni ya tote, Miya no ohom-yu mote-yose tamahe ru ni, kaki-okosa re tamahi te, hodo naku mumare tamahi nu. Uresi to obosu koto kagirinaki ni, hito ni kari utusi tamahe ru ohom-mononoke-domo, netagari madohu kehahi, ito mono sahagasiu te, noti no koto, mata ito kokoromotonasi.
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2.5.2 |
言ふ限りなき願ども立てさせたまふけにや、たひらかに事なり果てぬれば、 山の座主、何くれやむごとなき僧ども、したり顔に汗おしのごひつつ、急ぎまかでぬ。
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数え切れないほどの願文どもを立てさせなさったからか、無事に後産も終わったので、山の座主、誰彼といった尊い僧どもが、得意顔に汗を拭いながら、急いで退出した。
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良人と両親が神仏に大願を立てたのはこの時である。そのせいであったかすべてが無事に済んだので、叡山の座主をはじめ高僧たちが、だれも皆誇らかに汗を拭い拭い帰って行った。
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Ihu kagiri naki gwan-domo tate sase tamahu ke ni ya, tahiraka ni koto nari hate nure ba, Yama no zasu, nanikure yamgotonaki sou-domo, sitarigaho ni ase osi-nogohi tutu, isogi makade nu.
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2.5.3 |
多くの人の心を尽くしつる日ごろの 名残、すこしうちやすみて、「今はさりとも」と思す。御修法などは、またまた始め添へさせたまへど、まづは、興あり、めづらしき御かしづきに、皆人ゆるべり。
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大勢の人たちが心を尽くした幾日もの看病の後の緊張が、少し解けて、「今はもう大丈夫」とお思いになる。御修法などは、再びお始めさせなさるが、差し当たっては、楽しくあり、おめでたいお世話に、皆ほっとしている。
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これまで心配をし続けていた人はほっとして、危険もこれで去ったという安心を覚えて恢復の曙光も現われたとだれもが思った。修法などはまた改めて行なわせていたが、今目前に新しい命が一つ出現したことに対する歓喜が大きくて、左大臣家は昨日に変わる幸福に満たされた形である。
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Ohoku no hito no kokoro wo tukusi turu higoro no nagori, sukosi uti-yasumi te, "Ima ha saritomo." to obosu. Misuhohu nado ha, mata mata hazime sohe sase tamahe do, madu ha, kyou ari, medurasiki ohom-kasiduki ni, minahito yurube ri.
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2.5.4 |
院をはじめたてまつりて、親王たち、上達部、残るなき 産養どもの、めづらかにいかめしきを、夜ごとに見ののしる。男にてさへおはすれば、そのほどの作法、にぎははしくめでたし。
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院をお始め申して、親王方、上達部が、残らず誕生祝いの贈り物、珍しく立派なのを、夜毎に見て大騷ぎする。男の子でさえあったので、そのお祝いの儀式、盛大で立派である。
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院をはじめとして親王方、高官たちから派手な産養の賀宴が毎夜持ち込まれた。出生したのは男子でさえもあったからそれらの儀式がことさらはなやかであった。
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Win wo hazime tatematuri te, miko-tati, kamdatime, nokoru naki ubuyasinahi-domo no, meduraka ni ikamesiki wo, yo-goto ni mi nonosiru. Wotoko ni te sahe ohasure ba, sono hodo no sahohu, nigihahasiku medetasi.
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2.5.5 |
かの御息所は、かかる御ありさまを聞きたまひても、ただならず。「 かねては、いと危ふく聞こえしを、たひらかにもはた」と、うち思しけり。
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あの御息所は、このようなご様子をお聞きになっても、おもしろくない。「以前には、とても危ないとの噂であったのに、安産であったとは」と、お思いになった。
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六条の御息所はそういう取り沙汰を聞いても不快でならなかった。
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Kano Miyasumdokoro ha, kakaru ohom-arisama wo kiki tamahi te mo, tada nara zu. "Kanete ha, ito ayahuku kikoye si wo, tahiraka ni mo hata." to, uti-obosi keri.
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2.5.6 |
あやしう、我にもあらぬ御心地を思しつづくるに、 御衣なども、ただ芥子の香に 染み返りたるあやしさに、御ゆする参り、御衣着替へなどしたまひて、 試みたまへど、なほ同じやうにのみあれば、わが身ながらだに疎ましう思さるるに、まして、人の言ひ思はむことなど、人にのたまふべきことならねば、心ひとつに思し嘆くに、いとど御心変はりもまさりゆく。
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不思議に、自分が自分でないようなご気分を思い辿って御覧になると、お召物なども、すっかり芥子の香が滲み着いている奇妙さに、髪をお洗いになり、着物をお召し替えになったりなどして、お試しになるが、依然として前と同じようにばかり臭いがするので、自分の身でさえありながら疎ましく思わずにはいらっしゃれないのに、それ以上に、他人が噂し推量するだろう事など、誰にもおっしゃれるような内容でないので、心一つに収めてお嘆きになっていると、ますます気が変になって行く。
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夫人はもう危いと聞いていたのに、どうして子供が安産できたのであろうと、こんなことを思って、自身が失神したようにしていた幾日かのことを、静かに考えてみると、着た衣服などにも祈りの僧が焚く護摩の香が沁んでいた。不思議に思って、髪を洗ったり、着物を変えたりしても、やはり改まらない。御息所は世間で言う生霊の説の否認しがたいことを悲しんで、人がどう批評するであろうかと、だれに話してみることでもないだけに心一つで苦しんでいた。
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Ayasiu, ware ni mo ara nu mikokoti wo obosi tudukuru ni, ohom-zo nado mo, tada kesi no ka ni simi kaheri taru ayasisa ni, ohom-yusuru mawiri, ohom-zo kikahe nado si tamahi te, kokoromi tamahe do, naho onazi yau ni nomi are ba, waga mi nagara dani utomasiu obosa ruru ni, masite, hito no ihi omoha m koto nado, hito ni notamahu beki koto nara ne ba, kokoro hitotu ni obosi nageku ni, itodo mikokorogahari mo masari yuku.
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2.5.7 |
大将殿は、心地すこしのどめたまひて、あさましかりしほどの問はず語りも、心憂く思し出でられつつ、「 いとほど経にけるも心苦しう、また気近う見たてまつらむには、いかにぞや。うたておぼゆべきを、人の御ためいとほしう」、よろづに思して、御文ばかりぞありける。
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大将殿は、気持ちが少し落ち着きなさって、何とも言いようのなかったあの時の問わず語りを、何度も不愉快にお思い出しになられて、「まこと日数が経ってしまったのも気の毒だし、また身近にお逢いすることは、どうであろうか。きっと不愉快に思われようし、相手の方のためにも気の毒だろうし」と、いろいろとお考えになって、お手紙だけがあるのだった。
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いよいよ自分の恋愛を清算してしまわないではならないと、それによってまた強く思うようになった。少し安心を得た源氏は、生霊をまざまざと目で見、御息所の言葉を聞いた時のことを思い出しながらも、長く訪ねて行かない心苦しさを感じたり、また今後御息所に接近してもあの醜い記憶が心にある間は、以前の感情でその人が見られるかということは自身の心ながらも疑わしくて、苦悶をしたりしながら、御息所の体面を傷つけまいために手紙だけは書いて送った。
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Daisyaudono ha, kokoti sukosi nodome tamahi te, asamasikari si hodo no tohazugatari mo, kokorouku obosi ide rare tutu, "Ito hodo he ni keru mo kokorogurusiu, mata kedikau mi tatematura m ni ha, ikani zo ya? Utate oboyu beki wo, hito no ohom-tame itohosiu.", yorodu ni obosi te, ohom-humi bakari zo ari keru.
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2.5.8 |
いたうわづらひたまひし人の御名残ゆゆしう、心ゆるびなげに、誰も思したれば、ことわりにて、御歩きもなし。なほいと悩ましげにのみしたまへば、例のさまにてもまだ対面したまはず。若君のいとゆゆしきまで見えたまふ御ありさまを、 今から、いとさまことにもてかしづききこえたまふさま、 おろかならず、 ことあひたる心地して、大臣もうれしういみじと思ひきこえたまへるに、ただ、この御心地おこたり果てたまはぬを、心もとなく思せど、「 さばかりいみじかりし名残にこそは」と思して、いかでかは、 さのみは心をも惑はしたまはむ。
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ひどくお患いになった方の病後が心配で、気を緩めずに、皆がお思いであったので、当然のことなので、お忍び歩きもしない。依然としてひどく悩ましそうにばかりなさっているので、普段のようにはまだお会いになさらない。若君がとても恐いまでにかわいらしくお見えになるお姿を、今から、とても特別にお育て申し上げなさる様子、並大抵でなく、願い通りの感じがして、大臣も嬉しく幸せにお思い申していられるが、ただ、このご気分がすっかりご回復なさらないのを、ご心配になっているが、「あれほど重く患った後だから」とお思いになって、どうして、それほどご心配ばかりなっていられようか。
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産前の重かった容体から、油断のできないように両親たちは今も見て、心配しているのが道理なことに思えて、源氏はまだ恋人などの家を微行で訪うようなことをしないのである。夫人はまだ衰弱がはなはだしくて、病気から離れたとは見えなかったから、夫婦らしく同室で暮らすことはなくて、源氏は小さいながらもまばゆいほど美しい若君の愛に没頭していた。非常に大事がっているのである。自家の娘から源氏の子が生まれて、すべてのことが理想的になっていくと、大臣は喜んでいるのであるが、葵夫人の恢復が遅々としているのだけを気がかりに思っていた。しかしあんなに重体でいたあとはこれを普通としなければならないと思ってもいるであろうから、大臣の幸福感はたいして割引きしたものではないのである。
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Itau wadurahi tamahi si hito no ohom-nagori yuyusiu, kokoroyurubi nage ni, tare mo obosi tare ba, kotowari ni te, ohom-ariki mo nasi. Naho ito nayamasige ni nomi si tamahe ba, rei no sama nite mo mada taimen si tamaha zu. Wakagimi no ito yuyusiki made miye tamahu ohom-arisama wo, ima kara, ito sama koto ni mote-kasiduki kikoye tamahu sama, oroka nara zu, koto ahi taru kokoti si te, Otodo mo uresiu imizi to omohi kikoye tamahe ru ni, tada, kono mikokoti okotari hate tamaha nu wo, kokoromotonaku obose do, "Sabakari imizikari si nagori ni koso ha." to obosi te, ikadekaha, sa nomi ha kokoro wo mo madohasi tamaha m.
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2.5.9 |
若君の御まみのうつくしさなどの、春宮にいみじう似たてまつりたまへるを、 見たてまつりたまひても、まづ、恋しう 思ひ出でられさせたまふに、忍びがたくて、参りたまはむとて、
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若君のお目もとのかわいらしさなどが、春宮にそっくりお似申していられるのを、拝見なされても、まっ先に、恋しくお思い出しにならずにはいらっしゃれなくて、堪えがたくて、参内なさろうとして、
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若君の目つきの美しさなどが東宮と非常によく似ているのを見ても、何よりも恋しく幼い皇太弟をお思いする源氏は、御所のそちらへ上がらないでいることに堪えられなくなって、出かけようとした。
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Wakagimi no ohom-mami no utukusisa nado no, Touguu ni imiziu ni tatematuri tamahe ru wo, mi tatematuri tamahi te mo, madu, kohisiu omohiide rare sase tamahu ni, sinobi gataku te, mawiri tamaha m tote,
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2.5.10 |
「 内裏などにもあまり久しう参りはべらねば、いぶせさに、今日なむ初立ちしはべるを、すこし気近きほどにて聞こえさせばや。あまり おぼつかなき御心の隔てかな」
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「宮中などにもあまり長いこと参っておりませんので、気がかりゆえに、今日初めて外出致しますが、もう少し近い所でお話し申したいものです。あまりにも気がかりな他人行儀なお愛想ですから」
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「御所などへあまり長く上がらないで気が済みませんから、今日私ははじめてあなたから離れて行こうとするのですが、せめて近い所に行って話をしてからにしたい。あまりよそよそし過ぎます。こんなのでは」
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"Uti nado ni mo amari hisasiu mawiri habera ne ba, ibusesa ni, kehu nam uhidati si haberu wo, sukosi kedikaki hodo nite kikoye sase baya. Amari obotukanaki mikokoro no hedate kana!"
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2.5.11 |
と、恨みきこえたまへれば、
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と お怨み申し上げなさると、
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と源氏は夫人へ取り次がせた。
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to, urami kikoye tamahe re ba,
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2.5.12 |
「 げに、ただひとへに 艶にのみあるべき御仲にもあらぬを、いたう衰へたまへりと言ひながら、 物越にてなどあべきかは」
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「仰せのとおりですわ、ただひたすら優美にばかり振る舞うお仲ではありませんが、ひどくおやつれになっていらっしゃるとは申しても、物を隔ててお会いになる間柄ではございませんわ」
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「ほんとうにそうでございますよ。体裁を気にあそばすあなた様がたのお間柄ではないのでございますから。あなた様が御衰弱していらっしゃいましても、物越しなどでお話しになればいかがでしょう」
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"Geni, tada hitohe ni en ni nomi aru beki ohom-naka ni mo ara nu wo, itau otorohe tamahe ri to ihi nagara, monogosi nite nado a' beki kaha."
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2.5.13 |
とて、臥したまへる所に、御座近う参りたれば、 入りてものなど聞こえたまふ。
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と言って、臥せっていられる所に、お席を近く設けたので、中に入ってお話など申し上げなさる。
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こう女房が夫人に忠告をして、病床の近くへ座を作ったので、源氏は病室へはいって行って話をした。夫人は時々返辞もするがまだずいぶん様子が弱々しい。
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tote, husi tamahe ru tokoro ni, omasi tikau mawiri tare ba, iri te mono nado kikoye tamahu.
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2.5.14 |
御いらへ、時々聞こえたまふも、なほいと弱げなり。されど、むげに亡き人と思ひきこえし御ありさまを思し出づれば、夢の心地して、ゆゆしかりしほどのことどもなど聞こえたまふついでにも、かのむげに息も絶えたるやうにおはせしが、 引き返し、つぶつぶとのたまひしことども思し出づるに、心憂ければ、
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お返事、時々申し上げなさるが、やはりとても弱々しそうである。けれど、もう助からない人とお思い申したご様子をお思い出しになると、夢のような気がして、危なかった時の事などをお話し申し上げなさる中でも、あのすっかり息も止まったかのようになったのが、急に人が変わって、ぽつりぽつりとお話し出されたことをお思い出しになると、不愉快に思われるので、
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それでも絶望状態になっていたころのことを思うと、夢のような幸福にいると源氏は思わずにはいられないのである。不安に堪えられなかったころのことを話しているうちに、あの呼吸も絶えたように見えた人が、にわかにいろんなことを言い出した光景が目に浮かんできて、たまらずいやな気がするので源氏は話を打ち切ろうとした。
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Ohom-irahe, tokidoki kikoye tamahu mo, naho ito yowage nari. Saredo, muge ni nakihito to omohi kikoye si ohom-arisama wo obosi idure ba, yume no kokoti si te, yuyusikari si hodo no koto-domo nado kikoye tamahu tuide ni mo, kano muge ni iki mo taye taru yau ni ohase si ga, hikikahesi, tubutubu to notamahi si koto-domo obosi iduru ni, kokoroukere ba,
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2.5.15 |
「 いさや、聞こえまほしきこといと多かれど、まだいとたゆげに思しためればこそ」
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「いや、お話し申したいことはとてもたくさんあるが、まだとても大儀そうなご気分でいられるようですから」
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「まああまり長話はよしましょう。いろいろと聞いてほしいこともありますがね。まだまだあなたはだるそうで気の毒だから」
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"Isaya, kikoye mahosiki koto ito ohokare do, mada ito tayuge ni obosi ta' mere ba koso."
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2.5.16 |
とて、「 御湯参れ」などさへ、扱ひきこえたまふを、 いつならひたまひけむと、人びとあはれがりきこゆ。
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と言って、「お薬湯をお飲みなさい」などとまで、お世話申し上げなさるのを、いつの間にお覚えになったのだろう、と女房たちは感心申し上げる。
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こう言ったあとで、「お湯をお上げするがいい」と女房に命じた。病妻の良人らしいこんな気のつかい方をする源氏に女房たちは同情した。
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tote, "Ohom-yu mawire." nado sahe, atukahi kikoye tamahu wo, itu narahi tamahi kem to, hitobito aharegari kikoyu.
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2.5.17 |
いとをかしげなる人の、いたう弱りそこなはれて、あるかなきかのけしきにて臥したまへるさま、いとらうたげに心苦しげなり。御髪の乱れたる筋もなく、はらはらとかかれる枕のほど、ありがたきまで見ゆれば、「 年ごろ、何ごとを飽かぬことありて思ひつらむ」と、あやしきまでうち まもられたまふ。
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まことに美しい方が、たいそう衰弱しやつれて、生死の境を彷徨っているような感じで臥せっていられる様子、とてもいじらしげに痛々しい。お髪の一筋の乱れ毛もなく、さらさらと掛かっている枕の辺り、めったにないくらい素晴らしく見えるので、「何年も、何を物足りないことがあると思っていたのだろう」と、不思議なまでにじっと目を凝らさずにはいらっしゃれない。
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非常な美人である夫人が、衰弱しきって、あるかないかのようになって寝ているのは痛々しく可憐であった。少しの乱れもなくはらはらと枕にかかった髪の美しさは男の魂を奪うだけの魅力があった。なぜ自分は長い間この人を飽き足らない感情を持って見ていたのであろうかと、不思議なほど長くじっと源氏は妻を見つめていた。
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Ito wokasige naru hito no, itau yowari sokonaha re te, arukanakika no kesiki nite husi tamahe ru sama, ito rautage ni kokorogurusige nari. Migusi no midare taru sudi mo naku, harahara to kakare ru makura no hodo, arigataki made miyure ba, "Tosigoro, nanigoto wo aka nu koto ari te omohi tu ram." to, ayasiki made uti-mamora re tamahu.
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2.5.18 |
「 院などに参りて、いととうまかでなむ。かやうにて、おぼつかなからず見たてまつらば、うれしかるべきを、宮のつとおはするに、 心地なくやと、つつみて過ぐしつるも苦しきを、なほやうやう心強く思しなして、例の御座所にこそ。 あまり 若くもてなしたまへば、かたへは、かくもものしたまふぞ」
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「院などに参って、すぐに下がって来ましょう。このようにして、隔てなくお会い申すことができるならば、嬉しいのですが、宮がぴったりと付いていらっしゃるので、不躾ではないかしらと 遠慮して来ましたのも辛いが、やはりだんだんと気を強くお持ちになって、いつものご座所に。あまり幼く甘えていられると、一方では、いつまでもこのようなままでいらっしゃいますよ」
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「院の御所などへ伺って、早く帰って来ましょう。こんなふうにして始終逢うことができればうれしいでしょうが、宮様がじっと付いていらっしゃるから、ぶしつけにならないかと思って御遠慮しながら蔭で煩悶をしていた私にも同情ができるでしょう。だから自分でも早くよくなろうと努めるようにしてね、これまでのように私たちでいっしょにいられるようになってください。あまりお母様にあなたが甘えるものだから、あちらでもいつまでも子供のようにお扱いになるのですよ」
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"Win nado ni mawiri te, ito tou makade na m. Kayau ni te, obotukanakara zu mi tatematura ba, uresikaru beki wo, Miya no tuto ohasuru ni, kokotinaku ya to, tutumi te sugusi turu mo kurusiki wo, naho yauyau kokoroduyoku obosi nasi te, rei no omasidokoro ni koso. Amari wakaku motenasi tamahe ba, katahe ha, kaku mo monosi tamahu zo."
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2.5.19 |
など、聞こえおきたまひて、いときよげにうち装束きて出でたまふを、常よりは 目とどめて、見出だして臥したまへり。
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などと、申し上げ置きなさって、とても美しく装束をお召しになってお出かけになるのを、いつもよりは目を凝らして、お見送りしながら臥せっていらっしゃった。
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などと言い置いてきれいに装束した源氏の出かけるのを病床の夫人は平生よりも熱心にながめていた。
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nado, kikoye oki tamahi te, ito kiyoge ni uti-sauzoki te ide tamahu wo, tune yori ha me todome te, miidasi te husi tamahe ri.
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2.6 |
第六段 秋の司召の夜、葵の上死去する
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2-6 Aoi deies on the personnel changes naight in the fall
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2.6.1 |
秋の司召あるべき定めにて、大殿も参りたまへば、君達も 労はり望みたまふことどもありて、殿の御あたり離れたまはねば、皆ひき続き出でたまひぬ。
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秋の司召が行われるはずの予定なので、大殿も参内なさると、ご子息たちも昇進をお望みになる事がいろいろあって、殿のご身辺をお離れにならないので、皆後に続いてお出かけになった。
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秋の官吏の昇任の決まる日であったから、大臣も参内したので、子息たちもそれぞれの希望があってこのごろは大臣のそばを離れまいとしているのであるから皆続いてそのあとから出て行った。
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Aki no tukasamesi aru beki sadame nite, Ohotono mo mawiri tamahe ba, Kimitati mo itahari nozomi tamahu koto-domo ari te, Tono no ohom-atari hanare tamaha ne ba, mina hiki-tuduki ide tamahi nu.
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2.6.2 |
殿の内、人少なにしめやかなるほどに、にはかに例の御胸をせきあげて、いといたう惑ひたまふ。内裏に御消息聞こえたまふほどもなく、 絶え入りたまひぬ。足を空にて、誰も誰も、まかでたまひぬれば、除目の夜なりけれど、かくわりなき御障りなれば、 みな事破れたるやうなり。
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殿の内では、人少なでひっそりとしている時、急にいつものようにお胸をつまらせて、とてもひどくお苦しみになる。宮中にお知らせ申し上げなさる間もなく、お亡くなりになってしまった。足も地に着かない感じで、皆が皆、退出なさったので、除目の夜であったが、このようによんどころのないご支障なので、万事ご破算といったような具合である。
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いる人数が少なくなって、邸内が静かになったころに、葵の君はにわかに胸がせきあげるようにして苦しみ出したのである。御所へ迎えの使いを出す間もなく夫人の息は絶えてしまった。左大臣も源氏もあわてて退出して来たので、除目の夜であったが、この障りで官吏の任免は決まらずに終わった形である。
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Tono no uti, hito zukuna ni simeyaka naru hodo ni, nihaka ni rei no ohom-mune wo sekiage te, ito itau madohi tamahu. Uti ni ohom-seusoko kikoye tamahu hodo mo naku, taye iri tamahi nu. Asi wo sora nite, tare mo tare mo, makade tamahi nure ba, dimoku no yo nari kere do, kaku wari naki ohom-sahari nare ba, mina koto yabure taru yau nari.
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2.6.3 |
ののしり騒ぐほど、夜中ばかりなれば、山の座主、何くれの僧都たちも、え請じあへたまはず。今はさりとも、と思ひたゆみたりつるに、あさましければ、殿の内の人、 ものにぞあたる。所々の御とぶらひの使など、立ちこみたれど、え聞こえつかず、ゆすりみちて、いみじき御心惑ひども、いと恐ろしきまで見えたまふ。
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大騒ぎになったのは、夜半頃なので、山の座主、誰それといった僧都たちも、お迎えになれない。いくら何でも、もう大丈夫、と気を緩めていたところに、大変なことになったので、邸の内の人々、まごついている。方々からのご弔問の使者など、立て込んだが、とても取り次ぎできず、上を下への大騷ぎになって、大変なご悲嘆は、まことに恐ろしいまでに見えなさる。
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若い夫人の突然の死に左大臣邸は混乱するばかりで、夜中のことであったから叡山の座主も他の僧たちも招く間がなかった。もう危篤な状態から脱したものとして、だれの心にも油断のあった隙に、死が忍び寄ったのであるから、皆呆然としている。所々の慰問使が集まって来ていても、挨拶の取り次ぎを託されるような人もなく、泣き声ばかりが邸内に満ちていた。大臣夫婦、故人の良人である源氏の歎きは極度のものであった。
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Nonosiri sawagu hodo, yonaka bakari nare ba, Yama no zasu, nanikure no soudu-tati mo, e sauzi ahe tamaha zu. Ima ha saritomo, to omohi tayumi tari turu ni, asamasikere ba, Tono no uti no hito, mono ni zo ataru. Tokorodokoro no ohom-toburahi no tukahi nado, tati-komi tare do, e kikoye tuka zu, yusuri miti te, imiziki mikokoro madohi-domo, ito osorosiki made miye tamahu.
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2.6.4 |
御もののけのたびたび取り入れたてまつりしを思して、御枕などもさながら、二、三日見たてまつりたまへど、 やうやう変はりたまふことどものあれば、限り、と思し果つるほど、誰も誰もいといみじ。
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物の怪が度々お取り憑き申したことをお考えになって、お枕などもそのままにして、二、三日拝見なさったが、だんだんとお変わりになることどもが現れて来たので、もうこれまで、とお諦めになる時、誰も彼も、本当に悲しい。
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これまで物怪のために一時的な仮死状態になったこともたびたびあったのを思って、死者として枕を直すこともなく、二、三日はなお病夫人として寝させて、蘇生を待っていたが、時間はすでに亡骸であることを証明するばかりであった。もう死を否定してみる理由は何一つないことをだれも認めたのである。
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Ohom-mononoke no tabitabi tori-ire tatematuri si wo obosi te, ohom-makura nado mo sanagara, hutuka, mika mi tatematuri tamahe do, yauyau kahari tamahu koto-domo no are ba, kagiri, to obosi haturu hodo, tare mo tare mo ito imizi.
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2.6.5 |
大将殿は、 悲しきことに、ことを添へて、 世の中をいと憂きものに思し染みぬれば、 ただならぬ御あたりの弔ひどもも、 心憂しとのみぞ、なべて思さるる。院に、思し嘆き、弔ひきこえさせたまふさま、かへりて面立たしげなるを、うれしき 瀬もまじりて、大臣は御涙のいとまなし。
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大将殿は、悲しい事に、もう一件が加わって、男女の仲を本当に嫌なものと身にしみて感じられたので、並々ならぬ方々からのご弔問にも、ただ辛いとばかり、総じて思わずにはいらっしゃれない。院におかれても、お悲しみになられ、御弔問申し上げあそばされる様子、かえって面目を施すことなので、嬉しい気も混じって、大臣はお涙の乾く間もない。
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源氏は妻の死を悲しむとともに、人生の厭わしさが深く思われて、所々から寄せてくる弔問の言葉も、どれもうれしく思われなかった。院もお悲しみになってお使いをくだされた。大臣は娘の死後の光栄に感激する涙も流しているのである。
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Daisyaudono ha, kanasiki koto ni, koto wo sohe te, yononaka wo ito uki mono ni obosi simi nure ba, tada nara nu ohom-atari no toburahi-domo mo, kokorousi to nomi zo, nabete obosa ruru. Win ni, obosi nageki, toburahi kikoye sase tamahu sama, kaheri te omodatasige naru wo, uresiki se mo maziri te, Otodo ha ohom-namida no itoma nasi.
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2.6.6 |
人の申すに従ひて、いかめしきことどもを、生きや返りたまふと、さまざまに残ることなく、かつ 損なはれたまふことどものあるを見る見るも、尽きせず思し惑へど、かひなくて 日ごろになれば、いかがはせむとて、鳥辺野に率てたてまつるほど、 いみじげなること、多かり。
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人の申すことに従って、大がかりなご祈祷によって、生き返りなさらないかと、さまざまにあらゆる方法を試み、また一方では傷んで行かれる様子を見ながらも、なおもお諦め切れずにいられたが、その効もなく何日にもなったので、もはや仕方がないと、鳥辺野にお送り申す時、ご悲嘆の極み、万端であった。
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人の忠告に従い蘇生の術として、それは遺骸に対して傷ましい残酷な方法で行なわれることまでも大臣はさせて、娘の息の出てくることを待っていたが皆だめであった。もう幾日かになるのである。いよいよ夫人を鳥辺野の火葬場へ送ることになった。
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Hito no mausu ni sitagahi te, ikamesiki koto-domo wo, iki ya kaheri tamahu to, samazama ni nokoru koto naku, katu sokonaha re tamahu koto-domo no aru wo miru miru mo, tuki se zu obosi-madohe do, kahinaku te higoro ni nare ba, ikagaha se m tote, Toribeno ni wi te tatematuru hodo, imizige naru koto, ohokari.
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2.7 |
第七段 葵の上の葬送とその後
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2-7 Aoi's funeral and ever since
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2.7.1 |
こなたかなたの御送りの人ども、寺々の念仏僧など、そこら広き野に所もなし。院をばさらにも申さず、后の宮、春宮などの御使、さらぬ所々のも参りちがひて、飽かずいみじき御とぶらひを聞こえたまふ。大臣はえ立ち上がりたまはず、
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あちらこちらのご葬送の人々や、寺々の念仏僧などが、大変広い野辺に隙間もない。院からは今さら申すまでもなく、后の宮、東宮などのご弔問の使者、その他所々の使者も代わる代わる参って、尽きない悲しみのご弔問を申し上げなさる。大臣は立ち上がることもおできになれず、
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こうしてまた人々は悲しんだのである。左大臣の愛嬢として、源氏の夫人として葬送の式に列る人、念仏のために集められた寺々の僧、そんな人たちで鳥辺野がうずめられた。院はもとよりのこと、お后方、東宮から賜わった御使いが次々に葬場へ参着して弔詞を読んだ。悲しみにくれた大臣は立ち上がる力も失っていた。
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Konata kanata no ohom-okuri no hito-domo, tera dera no nenbutusou nado, sokora hiroki no ni tokoro mo nasi. Win wo ba sarani mo mausa zu, Kisainomiya, Touguu nado no, ohom-tukahi, saranu tokoro dokoro no mo mawiri tigahi te, aka zu imiziki ohom-toburahi wo kikoye tamahu. Otodo ha e tatiagari tamaha zu,
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2.7.2 |
「 かかる齢の末に、若く盛りの子に後れたてまつりて、もごよふこと」
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「このようにな晩年に、若くて盛りの娘に先立たれ申して、よろよろと這い回るとは」
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「こんな老人になってから、若盛りの娘に死なれて無力に私は泣いているじゃないか」
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"Kakaru yohahi no suwe ni, wakaku sakari no ko ni okure tatematuri te, mogoyohu koto."
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2.7.3 |
と恥ぢ泣きたまふを、ここらの人悲しう見たてまつる。
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と恥じ入ってお泣きになるのを、大勢の人々が悲しく拝する。
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恥じてこう言って泣く大臣を悲しんで見ぬ人もなかった。
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to hadi naki tamahu wo, kokora no hito kanasiu mi tatematuru.
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2.7.4 |
夜もすがらいみじうののしりつる儀式なれど、いともはかなき御屍ばかりを御名残にて、暁深く帰りたまふ。
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一晩中たいそうな騷ぎの盛大な葬儀だが、まことにはかないご遺骨だけを後に残して、夜明け前早くにお帰りになる。
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夜通しかかったほどの大がかりな儀式であったが、終局は煙にすべく遺骸を広い野に置いて来るだけの寂しいことになって皆早暁に帰って行った。
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Yomosugara imiziu nonosiri turu gisiki nare do, ito mo hakanaki ohom-kabane bakari wo ohom-nagori ni te, akatuki hukaku kaheri tamahu.
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2.7.5 |
常のことなれど、 人一人か、あまたしも見たまはぬことなればにや、類ひなく 思し焦がれたり。 八月二十余日の有明なれば、 空もけしきもあはれ少なからぬに、大臣の ▼ 闇に暮れ惑ひたまへるさまを見たまふも、ことわりにいみじければ、 空のみ眺められたまひて ★、
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世の常のことだが、人一人か、多くは御覧になっていないから、譬えようもなくお悲しみになった。八月二十日余りの有明のころなので、空も風情も情趣深く感じられるところに、大臣が親心の闇に悲しみに沈んで取り乱していられる様子を御覧になるのも、ごもっともなことと痛ましいので、空ばかりが自然と眺められなさって、
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死はそうしたものであるが、前に一人の愛人を死なせただけの経験よりない源氏は今また非常な哀感を得たのである。八月の二十日過ぎの有明月のあるころで、空の色も身にしむのである。亡き子を思って泣く大臣の悲歎に同情しながらも見るに忍びなくて、源氏は車中から空ばかりを見ることになった。
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Tune no koto nare do, hito hitori ka, amata simo mi tamaha nu koto nare ba ni ya, taguhinaku obosi kogare tari. Hatigwati nizihuyo niti no ariake nare ba, sora mo kesiki mo ahare sukunakara nu ni, Otodo no yami ni kure madohi tamahe ru sama wo mi tamahu mo, kotowari ni imizikere ba, sora nomi nagame rare tamahi te,
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2.7.6 |
「 のぼりぬる煙はそれとわかねども なべて雲居のあはれなるかな」 |
「空に上った煙は雲と混ざり合ってそれと区別がつかないが おしなべてどの雲もしみじみと眺められることよ」 |
昇りぬる煙はそれと分かねども なべて雲井の哀れなるかな
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"Nobori nuru keburi ha sore to waka ne domo nabete kumowi no ahare naru kana |
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2.7.7 |
殿におはし着きて、つゆまどろまれたまはず。年ごろの御ありさまを思し出でつつ、
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殿にお帰りになっても、少しもお眠りになれない。年来のご様子をお思い出しになりながら、
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源氏はこう思ったのである。家へ帰っても少しも眠れない。故人と二人の長い間の夫婦生活を思い出して、
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Tono ni ohasi tuki te, tuyu madoroma re tamaha zu. Tosigoro no ohom-arisama wo obosi ide tutu,
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2.7.8 |
「 などて、つひにはおのづから見直したまひてむと、のどかに思ひて、なほざりのすさびにつけても、つらしと おぼえられたてまつりけむ。世を経て、疎く恥づかしきものに思ひて 過ぎ果てたまひぬる」
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「どうして、最後には自然と分かってくれようと、のんびりと考えて、かりそめの浮気につけても、ひどいと思われ申してしまったのだろう。結婚生活中、親しめない気の置けるものと思って、お亡くなりになってしまったことよ」
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なぜ自分は妻に十分の愛を示さなかったのであろう、信頼していてさえもらえば、異性に対する自分の愛は妻に帰るよりほかはないのだと暢気に思って、一時的な衝動を受けては恨めしく思わせるような罪をなぜ自分は作ったのであろう。そんなことで妻は生涯心から打ち解けてくれなかったのだ
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"Nado te, tuhi ni ha onodukara minahosi tamahi te m to, nodoka ni omohi te, nahozari no susabi ni tuke te mo, turasi to oboye rare tatematuri kem. Yo wo he te, utoku hadukasiki mono ni omohi te sugi hate tamahi nuru."
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2.7.9 |
など、悔しきこと多く、 思しつづけらるれど、かひなし。にばめる御衣たてまつれるも、夢の心地して、「 われ先立たましかば、深くぞ染めたまはまし」と、思すさへ、
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などと、悔やまれることが多く、次々とお思い出しにならずにはいらっしゃれないが、効がない。鈍色の喪服をお召しになるのも、夢のような気がして、「自分が先立ったのならば、色濃くお染めになったろうに」と、お思いになるのまでが、
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などと、源氏は悔やむのであるが今はもう何のかいのある時でもなかった。淡鈍色の喪服を着るのも夢のような気がした。もし自分が先に死んでいたら、妻はこれよりも濃い色の喪服を着て歎いているであろうと思ってもまた源氏の悲しみは湧き上がってくるのであった。
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nado, kuyasiki koto ohoku, obosi tuduke rarure do, kahi nasi. Nibame ru ohom-zo tatemature ru mo, yume no kokoti si te, "Ware sakidata masika ba, hukaku zo some tamaha masi." to, obosu sahe,
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2.7.10 |
「 限りあれば薄墨衣浅けれど 涙ぞ袖を淵となしける」 |
「きまりがあるので薄い色の喪服を着ているが 涙で袖は淵のように深く悲しみに濡れている」 |
限りあればうす墨衣浅けれど 涙ぞ袖を淵となしける
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"Kagiri are ba usuzumigoromo asakere do namida zo sode wo huti to nasi keru |
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2.7.11 |
とて、念誦したまへるさま、いとどなまめかしさまさりて、経忍びやかに誦みたまひつつ、
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と詠んで、念仏読経なさっている様子、ますます優美な感じが勝って、お経を声をひそめてお読みになりながら、
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と歌ったあとでは念誦をしている源氏の様子は限りもなく艶であった。経を小声で読んで
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tote, nenzu si tamahe ru sama, itodo namamekasisa masari te, kyau sinobiyaka ni yomi tamahi tutu,
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2.7.12 |
「法界三昧普賢大士」とうちのたまへる、行ひ馴れたる法師よりはけなり。若君を見たてまつりたまふにも、「 何に忍ぶの」と ★、 いとど露けけれど、「 かかる形見さへなからましかば」と、思し慰む。
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「法界三昧普賢大士」とお唱えになるのは、勤行慣れした法師よりも殊勝である。若君を拝見なさるにつけても、「何を忍ぶよすがに」と、ますます涙がこぼれ出て来たが、「このような子までがいなかったら」と、気をお紛らしになる。
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「法界三昧普賢大士」と言っている源氏は、仏勤めをし馴れた僧よりもかえって尊く思われた。若君を見ても「結び置くかたみの子だになかりせば何に忍ぶの草を摘ままし」こんな古歌が思われていっそう悲しくなったが、この形見だけでも残して行ってくれたことに慰んでいなければならないとも源氏は思った。
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"Hohukai zanmai Hugen daisi" to uti-notamahe ru, okonahi nare taru hohusi yori ha ke nari. Wakagimi wo mi tatematuri tamahu ni mo, "Nani ni sinobu no" to, itodo tuyuke kere do, "Kakaru katami sahe nakara masika ba." to, obosi nagusa mu.
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2.7.13 |
宮はしづみ入りて、そのままに起き上がりたまはず、危ふげに見えたまふを、また思し騒ぎて、御祈りなどせさせたまふ。
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宮は沈み込んで、そのまま起き上がりなさらず、命も危なそうにお見えになるので、またお慌てになって、ご祈祷などをおさせになる。
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左大臣の夫人の宮様は、悲しみに沈んでお寝みになったきりである。お命も危く見えることにまた家の人々はあわてて祈祷などをさせていた。
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Miya ha sidumi iri te, sono mama ni okiagari tamaha zu, ayahuge ni miye tamahu wo, mata obosi sawagi te, ohom-inori nado se sase tamahu.
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2.7.14 |
はかなう過ぎゆけば、御わざのいそぎなどせさせたまふも、思しかけざりしことなれば、尽きせずいみじうなむ。なのめにかたほなるをだに、人の親はいかが思ふめる、ましてことわりなり。また、類ひおはせぬをだに、さうざうしく思しつるに、 袖の上の玉の砕けたりけむよりも、あさましげなり。
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とりとめもなく月日が過ぎて行くので、ご法事の準備などをおさせになるのも、思いもなさらなかったことなので、悲しみは尽きず大変である。取るに足らない不出来な子供でさえ、人の親はどんなに辛く思うことだろう、まして、当然である。また、他に姫君がいらっしゃらないのさえ、物足りなくお思いになっていたのに、袖の上の玉が砕けたという事よりも 残念である。
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寂しい日がずんずん立っていって、もう四十九日の法会の仕度をするにも、宮はまったく予期あそばさないことであったからお悲しかった。欠点の多い娘でも死んだあとでの親の悲しみはどれほど深いものかしれない、まして母君のお失いになったのは、貴女として完全に近いほどの姫君なのであるから、このお歎きは至極道理なことと申さねばならない。ただ姫君が一人であるということも寂しくお思いになった宮であったから、その唯一の姫君をお失いになったお心は、袖の上に置いた玉の砕けたよりももっと惜しく残念なことでおありになったに違いない。
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Hakanau sugi yuke ba, ohom-waza no isogi nado se sase tamahu mo, obosi kake zari si koto nare ba, tuki se zu imiziu nam. Nanome ni kataho naru wo dani, hito no oya ha ikaga omohu meru, masite kotowari nari. Mata, taguhi ohase nu wo dani, sauzausiku obosi turu ni, sode no uhe no tama no kudake tari kem yori mo, asamasige nari.
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2.7.15 |
大将の君は、二条院にだに、あからさまにも渡りたまはず、あはれに心深う思ひ嘆きて、行ひをまめにしたまひつつ、明かし暮らしたまふ。所々には、御文ばかりぞたてまつりたまふ。
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大将の君は、二条院にさえ、ほんの暫しの間もお行きにならず、しみじみと心深くお嘆きになって、勤行を几帳面になさりなさり、日夜お過ごしになる。所々の方々には、お手紙だけを差し上げなさる。
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源氏は二条の院へさえもまったく行かないのである。専念に仏勤めをして暮らしているのであった。恋人たちの所へ手紙だけは送っていた。
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Daisyaunokimi ha, Nideunowin ni dani, akarasama ni mo watari tamaha zu, ahare ni kokorohukau omohi nageki te, okonahi wo mame ni si tamahi tutu, akasi kurasi tamahu. Tokoro dokoro ni ha, ohom-humi bakari zo tatematuri tamahu.
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2.7.16 |
かの御息所は、 斎宮は左衛門の司に入りたまひにければ、いとどいつくしき御きよまはりにことつけて、 聞こえも通ひたまはず。 憂しと思ひ染みにし世も、なべて厭はしうなりたまひて、「 かかるほだしだに添はざらましかば、 願はしきさまにもなりなまし」と 思すには、まづ 対の姫君の、さうざうしくてものしたまふらむありさまぞ、ふと思しやらるる。
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あの御息所には、斎宮は左衛門の司にお入りになったので、ますます厳重なご潔斎を理由にして、お手紙も差し上げたりいただたりなさらない。嫌なと心底から感じられた世の中も、一切厭わしくなられて、「このような幼い子供さえいなかったなら、念願どおりになれように」と、お思いになるにつけては、まずは対の姫君が寂しくしていらっしゃるだろう様子を、ふとお思いやらずにはいらっしゃれない。
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六条の御息所は左衛門の庁舎へ斎宮がおはいりになったので、いっそう厳重になった潔斎的な生活に喪中の人の交渉を遠慮する意味に託してその人へだけは消息もしないのである。早くから悲観的に見ていた人生がいっそうこのごろいとわしくなって、将来のことまでも考えてやらねばならぬ幾人かの情人たち、そんなものがなければ僧になってしまうがと思う時に、源氏の目に真先に見えるものは西の対の姫君の寂しがっている面影であった。
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Kano Miyasumdokoro ha, Saiguu ha Sawemon no tukasa ni iri tamahi ni kere ba, itodo itukusiki ohom-kiyomahari ni kototuke te, kikoye mo kayohi tamaha zu. Usi to omohi-simi ni si yo mo, nabete itohasiu nari tamahi te, "Kakaru hodasi dani soha zara masika ba, negahasiki sama ni mo nari na masi." to obosu ni ha, madu tai no Himegimi no, sauzausiku te monosi tamahu ram arisama zo, huto obosi yara ruru.
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2.7.17 |
夜は、御帳の内に一人臥したまふに、宿直の人びとは近うめぐりてさぶらへど、かたはら寂しくて、「 ▼ 時しもあれ」と寝覚めがちなるに、声すぐれたる限り選りさぶらはせたまふ念仏の、暁方など、忍びがたし。
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夜は、御帳台の中に独りでお寝みになると、宿直の女房たちは近くを囲んで伺候しているが、独り寝は寂しくて、「折柄もまことだ」と寝覚めがちなので、声のよい僧ばかりを選んで伺候させていらっしゃる念仏が、暁方など、堪え難い思いである。
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夜は帳台の中へ一人で寝た。侍女たちが夜の宿直におおぜいでそれを巡ってすわっていても、夫人のそばにいないことは限りもない寂しいことであった。「時しもあれ秋やは人の別るべき有るを見るだに恋しきものを」こんな思いで源氏は寝ざめがちであった。声のよい僧を選んで念仏をさせておく、こんな夜の明け方などの心持ちは堪えられないものであった。
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Yoru ha, mityau no uti ni hitori husi tamahu ni, tonowi no hitobito ha tikau meguri te saburahe do, katahara sabisiku te, "Toki simo are" to nezame gati naru ni, kowe sugure taru kagiri eri saburaha se tamahu nenbutu no, akatukigata nado, sinobi gatasi.
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2.7.18 |
「 深き秋のあはれまさりゆく風の音、身にしみけるかな」と、ならはぬ御独寝に明かしかねたまへる朝ぼらけの霧りわたれるに、菊のけしきばめる枝に、濃き青鈍の紙なる文つけて、さし置きて往にけり。「 今めかしうも」とて、見たまへば、御息所の御手なり。
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「晩秋の情趣を増して行く風の音、身にしみて感じられることよ」と、慣れないお独り寝に、明かしかねていらっしゃる朝ぼらけの霧が立ちこめている時に、菊の咲きかけた枝に、濃い青鈍色の紙の文を結んで、ちょっと置いて去っていった。「優美な感じだ」と思って、御覧になると、御息所のご筆跡である。
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秋が深くなったこのごろの風の音が身にしむのを感じる、そうしたある夜明けに、白菊が淡色を染めだした花の枝に、青がかった灰色の紙に書いた手紙を付けて、置いて行った使いがあった。「気どったことをだれがするのだろう」と源氏は言って、手紙をあけて見ると御息所の字であった。
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"Hukaki aki no ahare masari yuku kaze no oto, mi ni simi keru kana!" to, naraha nu ohom-hitorine ni akasi kane tamahe ru asaborake no kiri watare ru ni, kiku no kesikibame ru eda ni, koki awonibi no kami naru humi tuke te, sasi-oki te ini keri. "Imamekasiu mo" tote, mi tamahe ba, Miyasumdokoro no ohom-te nari.
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2.7.19 |
「 聞こえぬほどは、思し知るらむや ★。
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「お手紙差し上げなかった間のことは、お察しいただけましょうか。
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今まで御遠慮してお尋ねもしないでおりました私の心持ちはおわかりになっていらっしゃることでしょうか。
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"Kikoye nu hodo ha, obosi siru ram ya?
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2.7.20 |
人の世をあはれと聞くも露けきに 後るる袖を思ひこそやれ |
人の世の無常を聞くにつけ涙がこぼれますが 先立たれなさってさぞかしお袖を濡らしてとお察しいたします |
人の世を哀れときくも露けきに おくるる露を思ひこそやれ
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Hito no yo wo ahare to kiku mo tuyukeki ni okururu sode wo omohi koso yare |
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2.7.21 |
ただ今の空に思ひたまへあまりてなむ」
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ちょうど今朝の空の模様を見るにつけ、偲びかねまして」
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あまりに身にしむ今朝の空の色を見ていまして、つい書きたくなってしまったのです。
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Tada ima no sora ni omohi tamahe amari te nam."
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2.7.22 |
とあり。「 常よりも優にも書いたまへるかな」と、さすがに置きがたう見たまふものから、「 つれなの御弔ひや」と心憂し。さりとて、かき絶え音なう聞こえざらむもいとほしく、人の御名の朽ちぬべきことを思し乱る。
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とある。「いつもよりも優美にお書きになっているなあ」と、やはり下に置きにくく御覧になるものの、「誠意のないご弔問だ」と嫌な気がする。そうかといって、お返事を差し上げないのもお気の毒で、ご名誉にも傷がつくことになるに違いない事だと、いろいろとお案じになる。
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平生よりもいっそうみごとに書かれた字であると源氏はさすがにすぐに下へも置かれずにながめながらも、素知らぬふりの慰問状であると思うと恨めしかった。たとえあのことがあったとしても絶交するのは残酷である、そしてまた名誉を傷つけることになってはならないと思って源氏は煩悶した。
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to ari. "Tune yori mo iu ni mo kai tamahe ru kana!" to, sasuga ni oki gatau mi tamahu monokara, "Turena no ohom-toburahi ya!" to kokoro-usi. Saritote, kaki-taye oto nau kikoye zara m mo itohosiku, hito no ohom-na no kuti nu beki koto wo obosi midaru.
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2.7.23 |
「 過ぎにし人は、とてもかくても、さるべきにこそはものしたまひけめ、何にさることを、さださだとけざやかに見聞きけむ」と悔しきは、 わが御心ながら、なほえ思し直すまじきなめりかし。
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「亡くなった人は、いずれにせよ、そうなるべき運命でいらしたのだろうが、どうしてあのようなことを、まざまざと明瞭に見たり聞いたりしたのだろう」と悔しいのは、ご自分の気持ちながらも、やはりお思い直しになることはできないようである。
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死んだ人はとにかくあれだけの寿命だったに違いない。なぜ自分の目はああした明らかな御息所の生霊を見たのであろうとこんなことを源氏は思った。源氏の恋が再び帰りがたいことがうかがわれるのである。
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"Sugi ni si hito ha, totemo kakutemo, sarubeki ni koso ha monosi tamahi keme, nani ni saru koto wo, sadasada to kezayaka ni mi kiki kem." to kuyasiki ha, waga mikokoro nagara, naho e obosi nahosu maziki na' meri kasi.
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2.7.24 |
「 斎宮の御きよまはりもわづらはしくや」など、久しう思ひわづらひたまへど、「 わざとある御返りなくは、情けなくや」とて、紫のにばめる紙に、
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「斎宮のご潔斎につけても憚り多いことだろうか」などと、長い間お考えあぐねていらっしゃるが、「わざわざ下さった手紙のお返事しないのは、情愛がないのではないか」と思って、紫色の鈍色がかった紙に、
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斎宮の御潔斎中の迷惑にならないであろうかとも久しく考えていたが、わざわざ送って来た手紙に返事をしないのは無情過ぎるとも思って、紫の灰色がかった紙にこう書いた。
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"Saiguu no ohom-kiyomahari mo wadurahasiku ya." nado, hisasiu omohi wadurahi tamahe do, "Wazato aru ohom-kaheri naku ha, nasake naku ya." tote, murasaki no nibame ru kami ni,
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2.7.25 |
「 こよなうほど経はべりにけるを、思ひたまへおこたらずながら、 つつましきほどは、さらば、 思し知るらむやとてなむ。
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「すっかりご無沙汰いたしましたが、常に心にお掛け申し上げておりながら、喪中の間は、そのようなわけで、お察しいただけようかと存じまして。
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ずいぶん長くお目にかかりませんが、心で始終思っているのです。謹慎中のこうした私に同情はしてくださるでしょうと思いました。
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"Koyonau hodo he haberi ni keru wo, omohi tamahe okotara zu nagara, tutumasiki hodo ha, saraba, obosi siru ram ya tote nam.
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2.7.26 |
とまる身も消えしもおなじ露の世に 心置くらむほどぞはかなき |
生き残った者も死んだ者も同じ露のようにはかない世に 心の執着を残して置くことはつまらないことです |
とまる身も消えしも同じ露の世に 心置くらんほどぞはかなき
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Tomaru mi mo kiye si mo onazi tuyu no yo ni kokoro oku ram hodo zo hakanaki |
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2.7.27 |
かつは思し消ちてよかし。 御覧ぜずもやとて、誰れにも」
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お互いに執着をお捨てになって下さい。御覧いただけないかしらと、どなたにも」
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ですから憎いとお思いになることなどもいっさい忘れておしまいなさい。忌中の者の手紙などは御覧にならないかと思いまして私も御無沙汰をしていたのです。
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Katu ha obosi keti te yo kasi. Goranze zu mo ya tote, tare ni mo."
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2.7.28 |
と聞こえたまへり。
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と差し上げなさった。
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to kikoye tamahe ri.
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2.7.29 |
里におはするほどなりければ、忍びて見たまひて、 ほのめかしたまへるけしきを、心の鬼にしるく見たまひて、「さればよ」と思すも、いといみじ。
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里においでになる時だったので、こっそりと御覧になって、ほのめかしておっしゃっている様子を、内心気にとがめていることがあったので、はっきりとご理解なさって、「やはりそうであったのか」とお思いになるにつけ、とても堪らない。
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御息所は自宅のほうにいた時であったから、そっと源氏の手紙を読んで、文意にほのめかしてあることを、心にとがめられていないのでもない御息所はすぐに悟ったのである。
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Sato ni ohasuru hodo nari kere ba, sinobi te mi tamahi te, honomekasi tamahe ru kesiki wo, kokoronooni ni siruku mi tamahi te, "Sareba yo!" to obosu mo, ito imizi.
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2.7.30 |
「 なほ、いと限りなき身の憂さなりけり。かやうなる聞こえありて、院にもいかに思さむ。 故前坊の、同じき御はらからと言ふなかにも、いみじう思ひ交はしきこえさせたまひて、この斎宮の御ことをも、ねむごろに聞こえつけ させたまひしかば、『 その御代はりにも、やがて見たてまつり 扱はむ』など、常にのたまはせて、『 やがて内裏住みしたまへ』と、たびたび聞こえさせたまひしをだに、 いとあるまじきこと、と思ひ離れにしを、 かく心よりほかに若々しきもの思ひをして、つひに憂き名をさへ流し果てつべきこと」
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「やはり、とてもこの上なく情けない身の上であったよ。このような噂が立って、院におかれてもどのようにお考えあそばされよう。故前坊の、同腹のご兄弟という中でも、たいそうお互いに仲好くあそばして、わが斎宮のご将来のことをも、こまごまとお頼み申し上げあそばしたので、『そのおん代わりに、そのままお世話申そう』などと、いつも仰せられて、『そのまま宮中にお住みなさい』と、度々お勧め申し上げあそばしたことだけでも、まことに恐れ多いこと、と考えてもみなかったのに、このように意外にも年がいもなく物思いをして、遂には面目ない評判まで流してしまうに違いないこと」
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これも皆自分の薄命からだと悲しんだ。こんな生霊の噂が伝わって行った時に院はどう思召すだろう。前皇太弟とは御同胞といっても取り分けお睦まじかった、斎宮の将来のことも院へお頼みになって東宮はお薨れになったので、その時代には第二の父になってやろうという仰せがたびたびあって、そのまままた御所で後宮生活をするようにとまで仰せになった時も、あるまじいこととして自分は御辞退をした。それであるのに若い源氏と恋をして、しまいには悪名を取ることになるのか
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"Naho, ito kagirinaki mi no usa nari keri. Kayau naru kikoye ari te, Win ni mo ikani obosa m? Ko-Zenbau no, onaziki ohom-harakara to ihu naka ni mo, imiziu omohi-kahasi kikoye sase tamahi te, kono Saiguu no ohom-koto wo mo, nemgoro ni kikoye tuke sase tamahi sika ba, 'Sono ohom-kahari ni mo, yagate mi tatematuri atukaha m.' nado, tune ni notamaha se te, 'Yagate utizumi si tamahe.' to, tabitabi kikoye sase tamahi si wo dani, ito aru maziki koto, to omohi hanare ni si wo, kaku kokoro yori hoka ni wakawakasiki mono-omohi wo si te, tuhi ni ukina wo sahe nagasi hate tu beki koto."
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2.7.31 |
と、思し乱るるに、なほ例のさまにもおはせず。
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と、お悩みになると、やはりいつものような状態でおいでではない。
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と御息所は重苦しい悩みを心にして健康もすぐれなかった。
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to, obosi midaruru ni, naho rei no sama ni mo ohase zu.
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2.7.32 |
さるは、おほかたの世につけて、心にくくよしある聞こえありて、昔より名高くものしたまへば、野の宮の御移ろひのほどにも、をかしう今めきたること多くしなして、「 殿上人どもの好ましきなどは、朝夕の露分けありくを、そのころの役になむする」など聞きたまひても、大将の君は、「 ことわりぞかし。ゆゑは飽くまでつきたまへるものを。もし、世の中に飽き果てて下りたまひなば、さうざうしくもあるべきかな」と、 さすがに思されけり。
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とはいえ、世間一般のことにつけては、奥ゆかしく趣味の豊かな方としての評判があって、昔から高名でいらしたので、野の宮へのお移りの時にも、興趣ある当世風のことを多く考案し出して、「殿上人どもで風流な者などは、朝に夕べに露を分けて訪れるのを、その頃の仕事としている」などとお聞きになっても、大将の君は、「もっともなことだ。風雅を解することでは、どこまでも十分備わっていられる方だ。もし、愛想をつかされてお下りになってしまわれたら、どんなにか寂しいに違いないだろう」と、やはりお思いになるのであった。
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この人は昔から、教養があって見識の高い、趣味の洗練された貴婦人として、ずいぶん名高い人になっていたので、斎宮が野の宮へいよいよおはいりになると、そこを風流な遊び場として、殿上役人などの文学好きな青年などは、はるばる嵯峨へまで訪問に出かけるのをこのごろの仕事にしているという噂が源氏の耳にはいると、もっともなことであると思った。すぐれた芸術的な存在であることは否定できない人である。悲観してしまって伊勢へでも行かれたらずいぶん寂しいことであろうと、さすがに源氏は思ったのである。
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Saruha, ohokata no yo ni tuke te, kokoronikuku yosi aru kikoye ari te, mukasi yori nadakaku monosi tamahe ba, Nonomiya no ohom-uturohi no hodo ni mo, wokasiu imameki taru koto ohoku sinasi te, "Tenzyaubito-domo no konomasiki nado ha, asayuhu no tuyu wake ariku wo, sonokoro no yaku ni nam suru." nado kiki tamahi te mo, Daisyaunokimi ha, "Kotowari zo kasi. Yuwe ha aku made tuki tamahe ru mono wo. Mosi, yononaka ni aki hate te kudari tamahi na ba, sauzausiku mo aru beki kana!" to, sasuga ni obosa re keri.
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出典8 |
闇に暮れ惑ひ |
人の親の心は闇にあらねども子を思ふ道に惑ひにけるかな |
後撰集雑一-一一〇二 藤原兼輔 |
2.7.5 |
出典9 |
空のみ眺められ |
大空は恋しき人の形見かは物思ふごとに眺めらるらむ |
古今集恋四-七四三 酒井人真 |
2.7.5 |
出典10 |
何に忍ぶの |
結びおきし形見の子だになかりせば何に忍の草を摘ままし |
後撰集雑二-一一八七 兼忠が母の乳母 |
2.7.12 |
出典11 |
時しもあれ |
時しもあれ秋やは人の別るべきあるを見るだに恋しきものを |
古今集哀傷-八九三 壬生忠岑 |
2.7.17 |
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2.8 |
第八段 三位中将と故人を追慕する
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2-8 Genji grieves over Aoi's death with her brother
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2.8.1 |
御法事など過ぎぬれど、正日までは、なほ籠もりおはす。ならはぬ御つれづれを、 心苦しがりたまひて、 三位中将は常に参りたまひつつ、世の中の御物語など、まめやかなるも、また例の乱りがはしきことをも聞こえ出でつつ、慰めきこえたまふに、 かの内侍ぞ、うち笑ひたまふくさはひにはなるめる。大将の君は、
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ご法事など次々と過ぎていったが、正日までは、やはり引き籠もっていらっしゃる。経験したことのない所在なさを、お気の毒に思われなさって、三位の中将は、毎日お部屋に参上なさっては、世間話など、真面目な話や、また例の好色めいた話などをも申し上げて、お気持ちをお慰め申し上げなさる中で、あの典侍の話は、お笑い種になるようである。大将の君は、
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日を取り越した法会はもう済んだが、正しく四十九日まではこの家で暮らそうと源氏はしていた。過去に経験のない独り棲みをする源氏に同情して、現在の三位中将は始終訪ねて来て、世間話も多くこの人から源氏に伝わった。まじめな問題も、恋愛事件もある。滑稽な話題にはよく源典侍がなった。源氏は、
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Ohom-hohuzi nado sugi nure do, syauniti made ha, naho komori ohasu. Naraha nu ohom-turedure wo, kokorogurusigari tamahi te, Samwi no Tyuuzyau ha, tune ni mawiri tamahi tutu, yononaka no ohom-monogatari nado, mameyaka naru mo, mata rei no midari gahasiki koto wo mo kikoye ide tutu, nagusame kikoye tamahu ni, kano Naisi zo, uti-warahi tamahu kusahahi ni ha naru meru. Daisyaunokimi ha,
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|
2.8.2 |
「あな、いとほしや。 祖母殿の上、ないたう軽めたまひそ」
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「ああ、お気の毒な。おばば殿のことを、ひどく軽蔑なさるな」
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「かわいそうに、お祖母様を安っぽく言っちゃいけないね」
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"Ana, itohosi ya! Oba Otodo no Uhe, na itau karome tamahi so."
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2.8.3 |
といさめたまふものから、常にをかしと思したり。
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とお諌めになる一方で、いつも面白いと思っていられた。
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と言いながらも、典侍のことは自身にもおかしくてならないふうであった。
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to isame tamahu monokara, tune ni wokasi to obosi tari.
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2.8.4 |
かの十六夜の、さやかならざりし秋のことなど、さらぬも、さまざまの好色事どもを、かたみに隈なく言ひあらはしたまふ、果て果ては、あはれなる世を言ひ言ひて、うち泣きなどもしたまひけり。
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あの十六夜の、はっきりしなかった秋の事件など、その他の事などの、いといろな浮気話を 互いに暴露なさい合う、しまいには、世の無常を言い言いして、涙をお漏らしになったりするのであった。
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常陸の宮の春の月の暗かった夜の話も、そのほかの互いの情事の素破抜きもした。長く語っているうちにそうした話は皆影をひそめてしまって、人生の寂しさを言う源氏は泣きなどもした。
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Kano izayohi no, sayaka nara zari si aki no koto nado, saranu mo, samazama no sukigoto-domo wo, katamini kumanaku ihi arahasi tamahu, hate hate ha, ahare naru yo wo ihi ihi te, uti-naki nado mo si tamahi keri.
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|
2.8.5 |
時雨うちして、ものあはれなる暮つ方、中将の君、鈍色の直衣、指貫、うすらかに 衣更へして、いと雄々しうあざやかに、心恥づかしきさまして参りたまへり。
|
時雨が降って、何となくしみじみとした夕方、中将の君が、鈍色の直衣、指貫を、薄い色に衣更えして、まことに男らしくすっきりとして、こちらが気後れするような感じをし参上なさった。
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さっと通り雨がした後の物の身にしむ夕方に中将は鈍色の喪服の直衣指貫を今までのよりは淡い色のに着かえて、力強い若さにあふれた、公子らしい風采で出て来た。
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Sigure uti-si te, monoahare naru yuhutukata, Tyuuzyaunokimi, nibiiro no nahosi, sasinuki, usuraka ni koromogahe si te, ito wowosiu azayaka ni, kokorohadukasiki sama si te mawiri tamahe ri.
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2.8.6 |
君は、西のつまの高欄におしかかりて、霜枯れの前栽見たまふほどなりけり。風荒らかに吹き、時雨さとしたるほど、涙もあらそふ心地して、
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君は、西の妻戸の高欄に寄り掛かって、霜枯れの前栽を御覧になっているところであった。風が荒々しく吹き、時雨がさっと降ってきた時は、涙も雨と競うような心地がして、
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源氏は西側の妻戸の前の高欄にからだを寄せて、霜枯れの庭をながめている時であった。荒い風が吹いて、時雨もばらばらと散るのを見ると、源氏は自分の涙と競うもののように思った。
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Kimi ha, nisi no tuma no kauran ni osi-kakari te, simogare no sensai mi tamahu hodo nari keri. Kaze araraka ni huki, sigure sato si taru hodo, namida mo arasohu kokoti si te,
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2.8.7 |
「 ▼ 雨となり雲とやなりにけむ、今は知らず」
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「雨となり、雲とやなりにけむ、今は知らず」
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「相逢相失両如夢、為雨為雲今不知」
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"Ame to nari kumo to ya nari ni kem, ima ha sira zu."
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2.8.8 |
と、うちひとりごちて、頬杖つきたまへる御さま、「 女にては、見捨てて亡くならむ魂かならずとまりなむかし」と、色めかしき心地に、うちまもられつつ、近うついゐたまへれば、しどけなくうち乱れたまへるさまながら、紐ばかりをさし直したまふ。
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と、独り言をいって、頬杖を突いていられるお姿、「女であったら、先立った魂もきっと留まろう」と、色っぽい気持ちで、ついじっと見つめられながら、近くにお座りになると、おくつろぎの姿でいられながらも、入れ紐だけをさし直しなさる。 |
と口ずさみながら頬杖をついた源氏を、女であれば先だって死んだ場合に魂は必ず離れて行くまいと好色な心に中将を思って、じっとながめながら近づいて来て一礼してすわった。源氏は打ち解けた姿でいたのであるが、客に敬意を表するために、直衣の紐だけは掛けた。
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to, uti-hitorigoti te, turaduwe tuki tamahe ru ohom-sama, "Womna nite ha, misute te naku nara m tamasihi kanarazu tomari na m kasi." to, iromekasiki kokoti ni, uti-mamora re tutu, tikau tui-wi tamahe re ba, sidokenaku uti-midare tamahe ru sama nagara, himo bakari wo sasi nahosi tamahu.
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2.8.9 |
これは、今すこしこまやかなる夏の御直衣に、紅のつややかなるひき重ねて、やつれたまへるしも、見ても飽かぬ心地ぞする。
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こちらは、もう少し濃い鈍色の夏のお直衣に、紅色の光沢のある袿を下襲して、地味なお姿でいらっしゃるのが、かえって見飽きない感じがする。
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源氏のほうは中将よりも少し濃い鈍色にきれいな色の紅の単衣を重ねていた。こうした喪服姿はきわめて艶である。
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Kore ha, ima sukosi komayaka naru natu no ohom-nahosi ni, kurenawi no tuyayaka naru hiki-kasane te, yature tamahe ru simo, mi te mo aka nu kokoti zo suru.
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2.8.10 |
中将も、いとあはれなるまみに眺めたまへり。
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中将も、とても悲しそうなまなざしでぼんやりと見ていらっしゃる。
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中将も悲しい目つきで庭のほうをながめていた。
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Tyuuzyau mo, ito ahare naru mami ni nagame tamahe ri.
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2.8.11 |
「 雨となりしぐるる空の浮雲を いづれの方とわきて眺めむ |
「妹が時雨となって降る空の浮雲を どちらの方向の雲と眺めようか |
雨となりしぐるる空の浮き雲を いづれの方と分きてながめん
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"Ame to nari sigururu sora no ukigumo wo idure no kata to waki te nagame m |
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2.8.12 |
行方なしや」
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行く方も分からないな」
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どこだかわからない。
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Yukuhe nasi ya!"
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2.8.13 |
と、独り言のやうなるを、
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と 独り言のようなのを、
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と独言のように言っているのに源氏は答えて、
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to, hitorigoto no yau naru wo,
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2.8.14 |
「 見し人の雨となりにし雲居さへ いとど時雨にかき暮らすころ」 |
「妻が雲となり雨となってしまった空までが ますます時雨で暗く泣き暮らしている今日この頃だ」 |
見し人の雨となりにし雲井さへ いとど時雨に掻きくらす頃
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"Mi si hito no ame to nari ni si kumowi sahe itodo sigure ni kaki-kurasu koro |
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2.8.15 |
とのたまふ御けしきも、浅からぬほどしるく見ゆれば、
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とお詠みになるご様子も、浅くない気持ちがはっきりと窺えるので、
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というのに、故人を悲しむ心の深さが見えるのである。
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to notamahu mikesiki mo, asakara nu hodo siruku miyure ba,
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2.8.16 |
「 あやしう、年ごろはいとしもあらぬ御心ざしを、院など、居立ちてのたまはせ、大臣の御もてなしも心苦しう、大宮の御方ざまに、もて離るまじきなど、かたがたにさしあひたれば、えしも ふり捨てたまはで、もの憂げなる御けしきながら、あり経たまふなめりかしと、いとほしう見ゆる折々ありつるを、まことに、やむごとなく重きかたは、ことに思ひきこえたまひけるなめり」
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「妙にここ数年来は、さほどではなかったご愛情を、院などにおかれても、じっとしてはおれず御教訓あそばし、大臣のご待遇もお気の毒であり、大宮のお血筋からいっても、切れない縁であるなど、どちらからいっても関係が深いので、お捨てになることができずに、何となく気の進まないご様子のままで、今まで過ごして来られたようだと、気の毒に見えたことも時々あったが、ほんとうに、正妻としては、格別にお考え申されていらしたようだ」
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中将はこれまで、院の思召しと、父の大臣の好意、母宮の叔母君である関係、そんなものが源氏をここに引き止めているだけで、妹を熱愛するとは見えなかった、自分はそれに同情も表していたつもりであるが、表面とは違った動かぬ愛を妻に持っていた源氏であったのだ
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"Ayasiu, tosigoro ha ito simo ara nu mikokorozasi wo, Win nado, witati te notamaha se, Otodo no ohom-motenasi mo kokorogurusiu, Ohomiya no ohom-kata zama ni, mote-hanaru maziki nado, katagata ni sasi-ahi tare ba, e simo huri-sute tamaha de, monouge naru mikesiki nagara, ari he tamahu na' meri kasi to, itohosiu miyuru woriwori ari turu wo, makoto ni, yamgotonaku omoki kata ha, koto ni omohi kikoye tamahi keru na' meri."
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2.8.17 |
と見知るに、いよいよ口惜しうおぼゆ。よろづにつけて 光失せぬる心地して、屈じ いたかりけり。
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と分かると、ますます惜しまれてならない。何かにつけて光が消えたような気がして、元気をなくしていた。
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とこの時はじめて気がついた。それによってまた妹の死が惜しまれた。ただ一人の人がいなくなっただけであるが、家の中の光明をことごとく失ったようにだれもこのごろは思っているのである。
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to mi siru ni, iyoiyo kutiwosiu oboyu. Yorodu ni tuke te hikari use nuru kokoti si te, kunzi itakari keri.
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2.8.18 |
枯れたる下草のなかに、龍胆、撫子などの、咲き出でたるを 折らせたまひて、中将の立ちたまひぬる後に、 若君の御乳母の宰相の君して、
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枯れた下草の中に、龍胆、撫子などが 咲き出したのを折らせなさって、中将がお帰りになった後に、若君の御乳母の宰相の君に持たせて、
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源氏は枯れた植え込みの草の中に竜胆や撫子の咲いているのを見て、折らせたのを、中将が帰ったあとで、若君の乳母の宰相の君を使いにして、宮様のお居間へ持たせてやった。
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Kare taru sitakusa no naka ni, rindau, nadesiko nado no, saki ide taru wo wora se tamahi te, Tyuuzyau no tati tamahi nuru noti ni, Wakagimi no ohom-menoto no Saisyaunokimi site,
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2.8.19 |
「 草枯れのまがきに残る撫子を 別れし秋のかたみとぞ見る |
「草の枯れた垣根に咲き残っている撫子の花を 秋に死別れた方の形見と思います |
草枯れの籬に残る撫子を 別れし秋の形見とぞ見る
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"Kusa gare no magaki ni nokoru nadesiko wo wakare si aki no katami to zo miru |
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2.8.20 |
にほひ劣りてや御覧ぜらるらむ」
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美しさは劣ると御覧になりましょうか」
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この花は比較にならないものとあなた様のお目には見えるでございましょう。
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Nihohi otori te ya goranze raru ram."
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2.8.21 |
と聞こえたまへり。げに何心なき御笑み顔ぞ、いみじううつくしき。宮は、吹く風につけてだに、木の葉よりけにもろき御涙は、 まして、とりあへたまはず。
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と差し上げなさった。なるほど無邪気な微笑み顔は たいそうかわいらしい。宮は、吹く風につけてさえ、木の葉よりも脆いお涙は、それ以上で、手に取ることさえおできになれない。
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こう挨拶をさせたのである。撫子にたとえられた幼児はほんとうに花のようであった。宮様の涙は風の音にも木の葉より早く散るころであるから、まして源氏の歌はお心を動かした。
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to kikoye tamahe ri. Geni nanigokoro naki ohom-wemigaho zo, imiziu utukusiki. Miya ha, huku kaze ni tuke te dani, konoha yori keni moroki ohom-namida ha, masite, tori ahe tamaha zu.
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2.8.22 |
「 今も見てなかなか袖を朽たすかな ▼ 垣ほ荒れにし大和撫子」 |
「ただ今見てもかえって袖を涙で濡らしております 垣根も荒れはてて母親に先立たれてしまった撫子なので」 |
今も見てなかなか袖を濡らすかな 垣ほあれにしやまと撫子
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"Ima mo mi te nakanaka sode wo kutasu kana kakiho are ni si yamatonadesiko |
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2.8.23 |
なほ、いみじうつれづれなれば、 朝顔の宮に、「 今日のあはれは、さりとも見知りたまふらむ」と推し量らるる御心ばへなれば、暗きほどなれど、聞こえたまふ。絶え間遠けれど、 さのものとなりにたる御文なれば、咎なくて御覧ぜさす。 空の色したる唐の紙に、
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依然として、ひどく所在のない気がするので、朝顔の宮に、「今日の物悲しさは、そうはいってもお分りになられるであろう」と推察されるお心の方なので、暗くなった時分であるが、差し上げなさる。たまにしかないが、それが普通になってしまったお便りなので、気にも止めず御覧に入れる。空の色をした唐の紙に、
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というお返辞があった。源氏はまだつれづれさを紛らすことができなくて、朝顔の女王へ、情味のある性質の人は今日の自分を哀れに思ってくれるであろうという頼みがあって手紙を書いた。もう暗かったが使いを出したのである。親しい交際はないが、こんなふうに時たま手紙の来ることはもう古くからのことで馴れている女房はすぐに女王へ見せた。秋の夕べの空の色と同じ唐紙に、
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Naho, imiziu turedure nare ba, Asagahonomiya ni, "Kehu no ahare ha, saritomo misiri tamahu ram." to osihakara ruru mikokorobahe nare ba, kuraki hodo nare do, kikoye tamahu. Tayema tohokere do, sa no mono to nari ni taru ohom-humi nare ba, toga naku te goranze sasu. Sora no iro si taru kara no kami ni,
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2.8.24 |
「 わきてこの暮こそ袖は露けけれ もの思ふ秋はあまた経ぬれど |
「とりわけ今日の夕暮れは涙に袖を濡らしております 今までにも物思いのする秋はたくさん経験してきたのですが |
わきてこの暮こそ袖は露けけれ 物思ふ秋はあまた経ぬれど
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"Waki te kono kure koso sode ha tuyuke kere mono omohu aki ha amata he nure do |
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2.8.25 |
▼ いつも時雨は」
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いつも時雨の頃は」
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「神無月いつも時雨は降りしかど」
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Itumo sigure ha."
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2.8.26 |
とあり。御手などの心とどめて書きたまへる、常よりも見どころありて、「 過ぐしがたきほどなり」と 人も聞こえ、みづからも思されければ、
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とある。ご筆跡などの入念にお書きになっているのが、いつもより見栄えがして、「放って置けない時です」と女房も申し上げ、ご自身もそのようにお思いになったので、
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というように。と書いてあった。ことに注意して書いたらしい源氏の字は美しかった。これに対してもと女房たちが言い、女王自身もそう思ったので返事は書いて出すことになった。
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to ari. Ohom-te nado no kokoro todome te kaki tamahe ru, tune yori mo midokoro ari te, "Sugusi gataki hodo nari." to hito mo kikoye, midukara mo obosa re kere ba,
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2.8.27 |
「 大内山を、思ひやりきこえながら、えやは ★」とて、
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「お引き籠もりのご様子を、お察し申し上げながら、とても」とあって、
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このごろのお寂しい御起居は想像いたしながら、お尋ねすることもまた御遠慮されたのでございます。
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"Ohoutiyama wo, omohiyari kikoye nagara, e yaha." tote,
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2.8.28 |
「 秋霧に立ちおくれぬと聞きしより しぐるる空もいかがとぞ思ふ」 |
「秋霧の立つころ、先立たれなさったとお聞き致しましたが それ以来時雨の季節につけいかほどお悲しみのことかとお察し申し上げます」 |
秋霧に立ちおくれぬと聞きしより 時雨るる空もいかがとぞ思ふ
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"Akigiri ni tati-okure nu to kiki si yori sigururu sora mo ikaga to zo omohu |
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2.8.29 |
とのみ、ほのかなる墨つきにて、思ひなし心にくし。
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とだけ、かすれた墨跡で、気のせいか奥ゆかしい。
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とだけであった。ほのかな書きようで、心憎さの覚えられる手紙であった。
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to nomi, honoka naru sumi tuki nite, omohinasi kokoronikusi.
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2.8.30 |
何ごとにつけても、 見まさりはかたき世なめるを、つらき人しもこそと、あはれにおぼえたまふ人の御心ざまなる。
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どのような事柄につけても、見勝りがするのは難しいのが世の常のようなのに、冷たい人にかえって、お心が惹かれなさるご性質の方なのである。
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結婚したあとに以前恋人であった時よりも相手がよく思われることは稀なことであるが、源氏の性癖からもまだ得られない恋人のすることは何一つ心を惹かないものはないのである。冷静は冷静でもその場合場合に同情を惜しまない朝顔の女王とは永久に友愛をかわしていく可能性があるとも源氏は思った。
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Nanigoto ni tuke te mo, mimasari ha kataki yo na' meru wo, turaki hito simo koso to, ahare ni oboye tamahu hito no mikokorozama naru.
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2.8.31 |
「 つれなながら、さるべき折々のあはれを過ぐしたまはぬ、これこそ、かたみに情けも見果つべきわざなれ。 なほ、ゆゑづきよしづきて、人目に見ゆばかりなるは、あまりの難も出で来けり。 対の姫君を、さは生ほし立てじ」と思す。「 つれづれにて恋しと思ふらむかし」と、忘るる折なけれど、ただ女親なき子を、置きたらむ心地して、見ぬほど、うしろめたく、「 いかが思ふらむ」とおぼえぬぞ、心やすきわざなりける。
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「すげないお扱いながらも、しかるべき時節折々の情趣はお見逃しなさらない、こういう間柄こそ、お互いに情愛を最後まで交わし合うことができるものだ。やはり、教養があり風流好みで、人目にも付くくらいなのは、よけいな欠点も出て来るものだ。対の姫君を、決してそのようには育てまい」とお考えになる。「所在なく恋しく思っていることだろう」と、お忘れになることはないが、まるで母親のない子を、一人残して来ているような気がして、会わない間は、気がかりで、「どのように嫉妬しているだろうか」と心配がないのは、気楽なことであった。
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あまりに非凡な女は自身の持つ才識がかえって禍いにもなるものであるから、西の対の姫君をそうは教育したくないとも思っていた。自分が帰らないことでどんなに寂しがっていることであろうと、紫の女王のあたりが恋しかったが、それはちょうど母親を亡くした娘を家に置いておく父親に似た感情で思うのであって、恨まれはしないか、疑ってはいないだろうかと不安なようなことはなかった。
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"Turena nagara, sarubeki woriwori no ahare wo sugusi tamaha nu, kore koso, katami ni nasake mo mi hatu beki waza nare. Naho, yuweduki yosiduki te, hitome ni miyu bakari naru ha, amari no nan mo ideki keri. Tainohimegimi wo, saha ohosi tate zi." to obosu. "Turedure nite kohi si to omohu ram kasi." to, wasururu wori nakere do, tada meoya naki ko wo, oki tara m kokoti si te, mi nu hodo, usirometaku, "Ikaga omohu ram?" to oboye nu zo, kokoroyasuki waza nari keru.
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2.8.32 |
暮れ果てぬれば、御殿油近く参らせたまひて、 さるべき限りの人びと、御前にて物語などせさせたまふ。
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日がすっかり暮れたので、大殿油を近くに燈させなさって、しかるべき女房たちばかり、御前で話などをおさせになる。
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すっかり夜になったので、源氏は灯を近くへ置かせてよい女房たちだけを皆居間へ呼んで話し合うのであった。
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Kure hate nure ba, ohotonabura tikaku mawira se tamahi te, sarubeki kagiri no hitobito, omahe nite monogatari nado se sase tamahu.
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2.8.33 |
中納言の君といふは、年ごろ忍び思ししかど、この御思ひのほどは、なかなかさやうなる筋にもかけたまはず。「 あはれなる御心かな」と見たてまつる。おほかたにはなつかしううち語らひたまひて、
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中納言の君というのは、数年来こっそりとご寵愛なさっていたが、この喪中の間は、かえってそのような色めいた相手にもお考えにならない。「やさしいお心の方だわ」と拝している。その他のことでは親しくお話しかけになって、
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中納言の君というのはずっと前から情人関係になっている人であったが、この忌中はかえってそうした人として源氏が取り扱わないのを、中納言の君は夫人への源氏の志としてそれをうれしく思った。ただ主従としてこの人ともきわめて睦じく語っているのである。
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Tiunagonnokimi to ihu ha, tosigoro sinobi obosi sika do, kono ohom-omohi no hodo ha, nakanaka sayau naru sudi ni mo kake tamaha zu. "Ahare naru mikokoro kana!" to mi tatematuru. Ohokata ni ha natukasiu uti-katarahi tamahi te,
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|
2.8.34 |
「 かう、この日ごろ、ありしよりけに、誰も誰も紛るるかたなく、 ▼ 見なれ見なれて、えしも常にかからずは、恋しからじや。 いみじきことをばさるものにて、ただ うち思ひめぐらすこそ、耐へがたきこと多かりけれ」
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「こうして、ここ数日は、以前にも増して、誰も彼も他に気を紛らすこともなく、互いに毎日顔を会わせ顔を会わせしていたから、今後いつもこうすることができないのは、恋しいと思わないだろうか。まこと悲しいことはしかたがないとして、あれこれと考えめぐらしてみると、悲しくて堪らないことがたくさんあるなあ」
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「このごろはだれとも毎日こうしていっしょに暮らしているのだから、もうすっかりこの生活に馴れてしまった私は、皆といっしょにいられなくなったら、寂しくないだろうか。奥さんの亡くなったことは別として、ちょっと考えてみても人生にはいろいろな悲しいことが多いね」
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"Kau, kono higoro, ari si yori keni, tare mo tare mo magiruru kata naku, minare minare te, e simo tune ni kakara zu ha, kohisi kara zi ya. Imiziki koto wo ba saru mono nite, tada uti-omohi megurasu koso, tahe gataki koto ohokari kere."
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|
2.8.35 |
とのたまへば、いとどみな泣きて、
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とおっしゃると、ますます皆が泣いて、
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と源氏が言うと、初めから泣いているものもあった女房たちは、皆泣いてしまって、
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to notamahe ba, itodo mina naki te,
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|
2.8.36 |
「 いふかひなき御ことは、ただかきくらす心地しはべるは、さるものにて、 名残なきさまにあくがれ果てさせたまはむ ★ほど、思ひたまふるこそ」
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「今さら申してもしかたのないおん方の事は、ただ心も真っ暗に閉ざされた心地がいたしますのは、それはそれとして、すっかりお離れになってしまわれると、存じられますことが」
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「奥様のことは思い出しますだけで世界が暗くなるほど悲しゅうございますが、今度またあなた様がこちらから行っておしまいになって、すっかりよその方におなりあそばすことを思いますと」
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"Ihukahinaki ohom-koto ha, tada kaki-kurasu kokoti si haberu ha, saru mono nite, nagori naki sama ni akugare hate sase tamaha m hodo, omohi tamahuru koso."
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|
2.8.37 |
と、聞こえもやらず。 あはれと見わたしたまひて、
|
と、最後まで申し上げきれない。かわいそうにとお見渡しになって、
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言う言葉が終わりまで続かない。源氏はだれにも同情の目を向けながら、
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to, kikoye mo yara zu. Ahare to miwatasi tamahi te,
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|
2.8.38 |
「 名残なくは、いかがは。心浅くも取りなしたまふかな。心長き人だにあらば、見果てたまひなむものを。命こそはかなけれ」
|
「すっかり見限るようなことは、どうして。薄情者とお思いだな。気長な人さえいてくれたら、いつかは分かってくださろうものを。寿命は無常だからね」
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「すっかりよその人になるようなことがどうしてあるものか。私をそんな軽薄なものと見ているのだね。気長に見ていてくれる人があればわかるだろうがね。しかしまた私の命がどうなるだろう、その自信はない」
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"Nagori naku ha, ikaga ha? Kokoroasaku mo torinasi tamahu kana! Kokoronagaki hito dani ara ba, mihate tamahi na m mono wo. Inoti koso hakanakere."
|
|
2.8.39 |
とて、灯をうち眺めたまへるまみの、うち濡れたまへるほどぞ、めでたき。
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と言って、燈火を眺めていらっしゃる目もとが、濡れていらっしゃるのが、素晴らしい。
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と言って、灯を見つめている源氏の目に涙が光っていた。
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tote, hi wo uti-nagame tamahe ru mami no, uti-nure tamahe ru hodo zo, medetaki.
|
|
2.8.40 |
とりわきてらうたくしたまひし小さき童の、親どももなく、いと心細げに思へる、ことわりに見たまひて、
|
とりわけかわいがっていらした小さい童女で、両親もいなくて、とても心細く思っているのを、もっともだと御覧になって、
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特別に夫人がかわいがっていた親もない童女が、心細そうな顔をしているのを、もっともであると源氏は哀れに思った。
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Toriwaki te rautaku si tamahi si tihisaki waraha no, oya-domo mo naku, ito kokorobosoge ni omohe ru, kotowari ni mi tamahi te,
|
|
2.8.41 |
「 あてきは、今は我をこそは思ふべき人なめれ」
|
「あてきは、今からはわたしを頼らねばならない人のようだね」
|
「あてきはもう私にだけしかかわいがってもらえない人になったのだね」
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"Ateki ha, ima ha ware wo koso ha omohu beki hito na' mere."
|
|
2.8.42 |
とのたまへば、いみじう泣く。ほどなき衵、人よりは黒う染めて、黒き汗衫、萱草の袴など着たるも、をかしき姿なり。
|
とおっしゃると、たいそう泣く。小さい衵、誰よりも濃く染めて、黒い汗衫、萱草色の袴などを着ているのも、かわいらしい姿である。
|
源氏がこう言うと、その子は声を立てて泣くのである。からだ相応な短い袙を黒い色にして、黒い汗袗に樺色の袴という姿も可憐であった。
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to notamahe ba, imiziu naku. Hodo naki akome, hito yori ha kurou some te, kuroki kazami, kwanzau no hakama nado ki taru mo, wokasiki sugata nari.
|
|
2.8.43 |
「 昔を忘れざらむ人は、つれづれを忍びても、幼なき人を見捨てず、ものしたまへ。見し世の名残なく、人びとさへ離れなば、たづきなさもまさりぬべくなむ」
|
「故人を忘れない人は、寂しさを我慢してでも、幼君を見捨てないで、お仕えして下さい。生前の面影もなく、女房たちまでが出て行ってしまったなら、訪ね来るよすがもない思いがますますしようから」
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「奥さんのことを忘れない人は、つまらなくても我慢して、私の小さい子供といっしょに暮らしていてください。皆が散り散りになってしまってはいっそう昔が影も形もなくなってしまうからね。心細いよそんなことは」
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"Mukasi wo wasure zara m hito ha, turedure wo sinobi te mo, wosanaki hito wo misute zu, monosi tamahe. Mi si yo no nagori naku, hitobito sahe kare na ba, taduki nasa mo masari nu beku nam."
|
|
2.8.44 |
など、みな心長かるべきことどもをのたまへど、「 いでや、いとど待遠にぞなりたまはむ」と思ふに、いとど心細し。
|
などと、皆に気長く留まることをおっしゃるが、「さあ、ますます間遠になられることだろう」と思うと、ますます心細い。
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源氏が互いに長く愛を持っていこうと行っても、女房たちはそうだろうか、昔以上に待ち遠しい日が重なるのではないかと不安でならなかった。
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nado, mina kokoronagakaru beki koto-domo wo notamahe do, "Ide ya, itodo matidoho ni zo nari tamaha m." to omohu ni, itodo kokorobososi.
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2.8.45 |
大殿は、人びとに、際々ほど置きつつ、はかなきもてあそびものども、また、まことにかの御形見なるべきものなど、わざとならぬさまに取りなしつつ、皆配らせたまひけり。
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大殿は、女房たちに、身分身分に応じて、ちょっとした趣味的な道具や、また、本当のお形見となるような物などを、改まった形にならないように心づかいして、一同にお配らせになるのであった。
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大臣は女房たちに、身分や年功で差をつけて、故人の愛した手まわりの品、それから衣類などを、目に立つほどにはしないで上品に分けてやった。
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Ohotono ha, hitobito ni, kiha giha hodo oki tutu, hakanaki mote-asobi mono-domo, mata, makoto ni kano ohom-katami naru beki mono nado, wazato nara nu sama ni torinasi tutu, mina kubara se tamahi keri.
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出典12 |
雨となり雲とやなりにけむ、今は知らず |
旦為朝雲 暮為行雨 |
文選十九-五六 高唐賦 宋玉 |
2.8.7 |
相逢相笑尽如夢 為雨為雲今不知 |
劉夢得外集一-有所嗟 |
出典13 |
垣ほ荒れにし大和撫子 |
あな恋し今も見てしが山賤の垣ほに咲ける大和撫子 |
古今集恋四-六九五 読人しらず |
2.8.22 |
出典14 |
いつも時雨は |
神無月いつも時雨は降りしかどかく袖くたす折はなかりき |
源氏釈所引、出典未詳 |
2.8.25 |
出典15 |
大内山を |
白雲の九重に立つ峰なれば大内山といふにぞありける |
新勅撰集雑四-一二六五 藤原兼輔 |
2.8.27 |
出典16 |
見なれ見なれて |
みなれ木の見慣れそなれて離れなば恋しからむや恋しからじや |
源氏釈所引、出典未詳 |
2.8.34 |
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2.9 |
第九段 源氏、左大臣邸を辞去する
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2-9 Genji leaves Sadaijin's residence
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2.9.1 |
君は、かくてのみも、いかでかはつくづくと過ぐしたまはむとて、院へ参りたまふ。御車さし出でて、御前など参り集るほど、折知り顔なる時雨うちそそきて、木の葉さそふ風、あわたたしう吹き払ひたるに、 御前にさぶらふ人びと、ものいと心細くて、すこし隙ありつる袖ども湿ひわたりぬ。
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君は、こうしてばかりも、どうしてぼんやりと日を送っていらっしゃれようかと思って、院へ参内なさる。お車を引き出して、前駆の者などが参上する間に、悲しみを知っているかのような時雨がはらはらと降って、木の葉を散らす風、急に吹き払って、御前に伺候している女房たち、何となくとても心細くて、少し乾く間もあった袖が再び湿っぽくなってしまった。
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源氏はこうした籠居を続けていられないことを思って、院の御所へ今日は伺うことにした。車の用意がされて、前駆の者が集まって来た時分に、この家の人々と源氏の別れを同情してこぼす涙のような時雨が降りそそいだ。木の葉をさっと散らす風も吹いていた。源氏の居間にいた女房は非常に皆心細く思って、夫人の死から日がたって、少し忘れていた涙をまた滝のように流していた。
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Kimi ha, kakute nomi mo, ikadekaha tukuduku to sugusi tamaha m tote, Win he mawiri tamahu. Mikuruma sasi-ide te, gozen nado mawiri atumaru hodo, worisirigaho naru sigure uti-sosoki te, konoha sasohu kaze, awatatasiu huki-harahi taru ni, omahe ni saburahu hitobito, mono ito kokorobosoku te, sukosi hima ari turu sode-domo uruhi watari nu.
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2.9.2 |
夜さりは、やがて二条院に泊りたまふべしとて、侍ひの人びとも、かしこにて待ちきこえむとなるべし、おのおの立ち出づるに、今日にしもとぢむまじきことなれど、またなくもの悲し。
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晩は、そのまま二条の院にお泊まりになる予定とあって、侍所の人々も、あちらでお待ち申し上げようというのであろう、それぞれ出立するので、今日が最後というのではないが、またとなく物悲しい。
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今夜から二条の院に源氏の泊まることを予期して、家従や侍はそちらで主人を迎えようと、だれも皆仕度をととのえて帰ろうとしているのである。今日ですべてのことが終わるのではないが非常に悲しい光景である。
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Yosari ha, yagate Nideu no win ni tomari tamahu besi tote, saburahi no hitobito mo, kasiko nite mati kikoye m to naru besi, onoono tati-iduru ni, kehu ni simo todimu maziki koto nare do, mata naku mono-ganasi.
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2.9.3 |
大臣も宮も、今日のけしきに、また悲しさ改めて思さる。宮の御前に御消息聞こえたまへり。
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大臣も宮も、今日の様子に、悲しみを新たにされる。宮のおん許へお手紙を差し上げなさった。
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大臣も宮もまた新しい悲しみを感じておいでになった。宮へ源氏は手紙で御挨拶をした。
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Otodo mo Miya mo, kehu no kesiki ni, mata kanasisa aratame te obosa ru. Miya no omahe ni ohom-seusoko kikoye tamahe ri.
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2.9.4 |
「 院におぼつかながりのたまはするにより、今日なむ参りはべる。あからさまに立ち出ではべるにつけても、今日までながらへはべりにけるよと、乱り心地のみ動きてなむ、聞こえさせむもなかなかにはべるべければ、そなたにも参りはべらぬ」
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「院におかれても御心配あそばされおっしゃりますので、今日参内致します。ちょっと外出致しますにつけても、よくぞ今日まで生き永らえて来られたものよと、悲しみに掻き乱されるばかりの気がするので、ご挨拶申し上げるのも、かえって悲しく思われるに違いないので、そちらにはお伺い致しません」
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院が非常に逢いたく思召すようですから、今日はこれからそちらへ伺うつもりでございます。かりそめにもせよ私がこうして外へ出かけたりいたすようになってみますと、あれほどの悲しみをしながらよくも生きていたというような不思議な気がいたします。お目にかかりましてはいっそう悲しみに取り乱しそうな不安がございますから上がりません。
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"Win ni obotukanagari notamahasuru ni yori, kehu nam mawiri haberu. Akarasama ni tati-ide haberu ni tuke te mo, kehu made nagarahe haberi ni keru yo to, midarigokoti nomi ugoki te nam, kikoye sase m mo nakanaka ni haberu bekere ba, sonata ni mo mawiri habera nu."
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2.9.5 |
とあれば、いとどしく宮は、目も見えたまはず、沈み入りて、御返りも聞こえたまはず。
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とあるので、ますます宮は、目もお見えにならず、沈み込んで、お返事も差し上げなされない。
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というのである。宮様のお心に悲しみがつのって涙で目もお見えにならない。お返事はなかった。
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to are ba, itodosiku Miya ha, me mo miye tamaha zu, sidumi iri te, ohom-kaheri mo kikoye tamaha zu.
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2.9.6 |
大臣ぞ、やがて渡りたまへる。いと堪へがたげに思して、 御袖も引き放ちたまはず。見たてまつる人びともいと悲し。
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大臣が、さっそくお越しになった。とても我慢できそうになくお悲しみで、お袖から顔をお放しなさらない。拝見している女房たちもまことに悲しい。
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しばらくして源氏の居間へ大臣が出て来た。非常に悲しんで、袖を涙の流れる顔に当てたままである。それを見る女房たちも悲しかった。
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Otodo zo, yagate watari tamahe ru. Ito tahe gatage ni obosi te, ohom-sode mo hiki-hanati tamaha zu. Mi tate maturu hitobito mo ito kanasi.
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2.9.7 |
大将の君は、 世を思しつづくること、いとさまざまにて、泣きたまふさま、あはれに心深きものから、いとさまよくなまめきたまへり。大臣、久しうためらひたまひて、
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大将の君は、世の中をお思い続けなさること、とてもあれこれとあって、お泣になる様子、しみじみと心深いものがあるが、たいして取り乱したところなく優美でいらっしゃる。大臣は、長い間かかって涙をお抑えになって、
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人生の悲哀の中に包まれて泣く源氏の姿は、そんな時も艶であった。大臣はやっとものを言い出した。
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Daisyaunokimi ha, yo wo obosi tudukuru koto, ito samazama nite, naki tamahu sama, ahare ni kokorohukaki monokara, ito sama yoku namameki tamahe ri. Otodo, hisasiu tamerahi tamahi te,
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2.9.8 |
「 齢のつもりには、さしもあるまじきことにつけてだに、涙もろなるわざにはべるを、まして、干る世なう思ひたまへ惑はれはべる心を、えのどめはべらねば、人目も、いと乱りがはしう、心弱きさまにはべるべければ、院などにも 参りはべらぬなり。ことのついでには、さやうにおもむけ奏せさせたまへ。いくばくもはべるまじき老いの末に、うち捨てられたるが、つらうもはべるかな」
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「年をとると、たいしたことでもないことに対してさえ、涙もろくなるものでございますのに。まして、涙の乾く間もなくかきくらされている心を、とても鎮めることができませんので、人の目にも、とても取り乱して、気の弱い恰好にきっと見えましょうから、院などにも参内できないのでございます。お話のついでには、そのように取りなして奏上なさって下さい。いくらもありそうにない年寄の身で、先立たれたのが 辛いのでございますよ」
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「年を取りますと、何でもないことにもよく涙が出るものですが、ああした打撃がやって来たのですから、もう私は涙から解放される時間といってはございません。私がこんな弱い人間であることを人に見せたくないものですから、院の御所へも伺候しないのでございます。お話のついでにあなたからよろしくお取りなしになっておいてください。もう余命いくばくもない時になって、子に捨てられましたことが恨めしゅうございます」
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"Yohahi no tumori ni ha, sasimo aru maziki koto ni tuke te dani, namidamoro naru waza ni haberu wo. Masite, hiru yo nau omohi tamahe madoha re haberu kokoro wo, e nodome habera ne ba, hitome mo, ito midarigahasiu, kokoroyowaki sama ni haberu bekere ba, Win nado ni mo mawiri habera nu nari. Koto no tuide ni ha, sayau ni omomuke souse sase tamahe. Ikubaku mo haberu maziki oyi no suwe ni, uti-sute rare taru ga, turau mo haberu kana!"
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2.9.9 |
と、せめて思ひ静めてのたまふけしき、いとわりなし。君も、たびたび鼻うちかみて、
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と 無理に抑えておっしゃる様子、まことに痛々しい。君も 何度も鼻をかんで、
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一所懸命に悲しみをおさえながら言うことはこれであった。源氏も幾度か涙を飲みながら言った。
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to, semete omohi sidume te notamahu kesiki, ito warinasi. Kimi mo, tabitabi hana uti-kami te,
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2.9.10 |
「 ▼ 後れ先立つほどの定めなさは、世のさがと見たまへ知りながら、さしあたりておぼえはべる心惑ひは、類ひあるまじき わざとなむ。院にも、ありさま奏しはべらむに、推し量らせたまひてむ」と聞こえたまふ。
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「遺されたり先立ったりする老少不定は、世の習いとはよく承知致しておりますものの、直接我が身のこととして感じられます悲しみは、譬えようもないものだと。院におかれても、ご様子を奏上致しますれば、きっとお察しあそばされることでしょう」とお答え申し上げになる。
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「いつだれが死に取られるかしれないのが人生の相であると承知しておりましても、目前にそれを体験しましたわれわれの悲しみは理窟で説明も何もできません。院にもあなたの御様子をよく申し上げます。必ず御同情をあそばすでしょう」
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"Okure sakidatu hodo no sadame nasa ha, yo no saga to mi tamahe siri nagara, sasi-atari te oboye haberu kokoromadohi ha, taguhi arumaziki waza to nam. Win ni mo, arisama sousi habera m ni, osihakara se tamahi te m." to kikoye tamahu.
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2.9.11 |
「 さらば、時雨も隙なくはべるめるを、暮れぬほどに」と、そそのかしきこえたまふ。
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「それでは、時雨も止む間もなさそうでございすから、暮れないうちに」と、お促し申し上げなさる。
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それではもうお出かけなさいませ。時雨があとからあとから追っかけて来るようですから、せめて暮れないうちにおいでになるがよい」と大臣は勧めた。
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"Saraba, sigure mo hima naku haberu meru wo, kure nu hodo ni." to, sosonokasi kikoye tamahu.
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2.9.12 |
うち見まはしたまふに、御几帳の後、障子のあなたなどのあき 通りたるなどに、女房三十人ばかりおしこりて、濃き、薄き鈍色どもを着つつ、皆いみじう心細げにて、うちしほたれつつゐ集りたるを、いとあはれ、と見たまふ。
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お見回しなさると、御几帳の後、襖障子の向こうなどの開け放された所などに、女房たちが三十人ほどかたまって、濃い、薄い鈍色の喪服をめいめい着て、一同にひどく心細げにして、涙ぐみながら集まっているのを、とてもかわいそうに、と御覧になる。
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源氏が座敷の中を見まわすと几帳の後ろとか、襖子の向こうとか、ずっと見える所に女房の三十人ほどが幾つものかたまりを作っていた。濃い喪服も淡鈍色も混じっているのである。皆心細そうにめいったふうであるのを源氏は哀れに思った。
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Uti-mimahasi tamahu ni, mikityau no usiro, sauzi no anata nado no aki tohori taru nado ni, nyoubau samzihunin bakari osikori te, koki, usuki nibiiro-domo wo ki tutu, mina imiziu kokorobosoge nite, uti-sihotare tutu wi atumari taru wo, ito ahare, to mi tamahu.
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2.9.13 |
「 思し捨つまじき人もとまりたまへれば、さりとも、もののついでには立ち寄らせたまはじやなど、慰めはべるを、 ひとへに思ひやりなき女房などは、今日を限りに、思し捨てつる故里と思ひ屈じて、長く別れぬる悲しびよりも、ただ時々馴れ仕うまつる年月の名残なかるべきを、嘆きはべるめるなむ、ことわりなる。うちとけおはしますことははべらざりつれど、さりともつひにはと、 あいな頼めしはべりつるを。げにこそ、心細き夕べにはべれ」
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「お見捨てになるはずもない人が残っていらっしゃるので、いくら何でも、何かの機会にはお立ち寄りあそばさないはずがないなどと、自ら慰めておりますが、もっぱら思慮の浅い女房などは、今日を最後の日と、お捨てになった過去の家と悲観して、永遠の別れとなった悲しみよりも、ただちょっと時々親しくお仕えした歳月の跡形もなくなってしまうのを、嘆いているようなのが、もっともに思われます。くつろいでいらしたことはございませんでしたが、それでもいつかはと、空頼みしてまいりましたが。なるほど、心細く感じられる夕べでございますね」
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「御愛子もここにいられるのだから、今後この邸へお立ち寄りになることも決してないわけでないと私どもはみずから慰めておりますが、単純な女たちは、今日限りこの家はあなた様の故郷にだけなってしまうのだと悲観しておりまして、生死の別れをした時よりも、時々おいでの節御用を奉仕させていただきました幸福が失われたようにお別れを悲しがっておりますのももっともに思われます。長くずっと来てくださるようなことはございませんでしたが、そのころ私はいつかはこうでない幸いが私の家へまわって来るものと信じたり、その反対な寂しさを思ってみたりしたものですが、とにかく今日の夕方ほど寂しいことはございません」
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"Obosi sutu maziki hito mo tomari tamahe re ba, saritomo, mono no tuide ni ha tatiyora se tamaha zi ya nado, nagusame haberu wo, hitohe ni omohiyari naki nyoubau nado ha, kehu wo kagiri ni, obosi sute turu hurusato to omohi kunzi te, nagaku wakare nuru kanasibi yori mo, tada tokidoki nare tukaumaturu tosituki no nagori nakaru beki wo, nageki haberu meru nam, kotowari naru. Uti-toke ohasimasu koto ha habera zari ture do, saritomo tuhini ha to, ainadanome si haberi turu wo. Geni koso, kokorobosoki yuhube ni habere."
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2.9.14 |
とても、泣きたまひぬ。
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と言いながら、お泣きになった。
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と大臣は言ってもまた泣くのである。
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tote mo, naki tamahi nu.
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2.9.15 |
「 いと浅はかなる人びとの嘆きにもはべるなるかな。まことに、 いかなりともと、のどかに思ひたまへつるほどは、おのづから御目離るる折もはべりつらむを、なかなか今は、何を頼みにてかはおこたりはべらむ。今御覧じてむ」
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「とても思慮の浅い女房たちの嘆きでございますな。仰せのとおり、どうあろうともいずれはと、気長に存じておりました間は、自然とご無沙汰致した時もございましたが、かえって今では、何を心頼みしてご無沙汰ができましょうか。いずれお分りになろう」
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「つまらない忖度をして悲しがる女房たちですね。ただ今のお言葉のように、私はどんなことも自分の信頼する妻は許してくれるものと暢気に思っておりまして、わがままに外を遊びまわりまして御無沙汰をするようなこともありましたが、もう私をかばってくれる妻がいなくなったのですから私は暢気な心などを持っていられるわけもありません。すぐにまた御訪問をしましょう」
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"Ito asahaka naru hitobito no nageki ni mo haberu naru kana! Makoto ni, ikanari tomo to, nodoka ni omohi tamahe turu hodo ha, onodukara ohom-me karuru wori mo haberi tura m wo, nakanaka ima ha, nani wo tanomi nite kaha okotari habera m. Ima goranzi te m."
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2.9.16 |
とて出でたまふを、大臣見送りきこえたまひて、 入りたまへるに、御しつらひよりはじめ、ありしに変はることもなけれど、 空蝉のむなしき心地ぞしたまふ。
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と言ってお出になるのを、大臣はお見送り申し上げなさって、お入りになると、お飾りをはじめとして、昔のころと変わったところはないが、蝉の脱殻のような心地がなさる。
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と言って、出て行く源氏を見送ったあとで、大臣は今日まで源氏の住んでいた座敷、かつては娘夫婦の暮らした所へはいって行った。物の置き所も、してある室内の装飾も、以前と何一つ変わっていないが、はなはだしく空虚なものに思われた。
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tote ide tamahu wo, Otodo miokuri kikoye tamahi te, iri tamahe ru ni, ohom-siturahi yori hazime, arisi ni kaharu koto mo nakere do, utusemi no munasiki kokoti zo si tamahu.
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2.9.17 |
御帳の前に、御硯などうち散らして、手習ひ捨てたまへるを取りて、目をおししぼりつつ見たまふを、若き人びとは、悲しきなかにも、 ほほ笑むあるべし。あはれなる古言ども、唐のも大和のも書きけがしつつ、 草にも真名にも、さまざまめづらしきさまに書き混ぜたまへり。
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御帳台の前に、お硯などが散らかしてあって、手習いのお捨てになっていたのを拾って、目を絞めて涙を堪えながら御覧になるのを、若い女房たちは、悲しい気持ちでいながらも、ついほほ笑んでいるのもいるのだろう。しみじみと心を打つ古人の詩歌、唐土のも日本のも書き散らし書き散らしてあり、草仮名でも漢字でも、さまざまに珍しい書体で書き交ぜていらっしゃった。
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帳台の前には硯などが出ていて、むだ書きをした紙などもあった。涙をしいて払って、目をみはるようにして大臣はそれを取って読んでいた。若い女房たちは悲しんでいながらもおかしがった。古い詩歌がたくさん書かれてある。草書もある、楷書もある。
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Mityau no mahe ni, ohom-suzuri nado uti-tirasi te, tenarahi sute tamahe ru wo tori te, me wo osi-sibori tutu mi tamahu wo, wakaki hitobito ha, kanasiki naka ni mo, hohowemu aru besi. Ahare naru hurukoto-domo, kara no mo yamato no mo kaki kegasi tutu, sau ni mo mana ni mo, samazama medurasiki sama ni kaki maze tamahe ri.
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2.9.18 |
「 かしこの御手や」
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「みごとなご筆跡だ」
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「上手な字だ」
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"Kasiko no ohom-te ya!"
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2.9.19 |
と、空を仰ぎて眺めたまふ。よそ人に見たてまつりなさむが、 惜しきなるべし。「 ▼ 旧き枕故き衾、誰と共にか」とある所に、
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と、空を仰いでぼんやりとしていらっしゃる。他人として拝見することになるのが、残念に思われるのだろう。「旧き枕故き衾、誰と共にか」とあるところに、
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歎息をしたあとで、大臣はじっと空間をながめて物思わしいふうをしていた。源氏が婿でなくなったことが老大臣には惜しんでも惜しんでも足りなく思えるらしい。「旧枕故衾誰与共」という詩の句の書かれた横に、
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to, sora wo ahugi te nagame tamahu. Yosobito ni mi tatematuri nasa m ga, wosiki naru besi. "Huruki makura huruki husuma, tare to tomoni ka?" to aru tokoro ni,
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2.9.20 |
「 なき魂ぞいとど悲しき寝し床の あくがれがたき心ならひに」 |
「亡くなった人の魂もますます離れがたく悲しく思っていることだろう 共に寝た床をわたしも離れがたく思うのだから」 |
亡き魂ぞいとど悲しき寝し床の あくがれがたき心ならひに
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"Naki tama zo itodo kanasiki nesi toko no akugare gataki kokoro narahi ni |
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2.9.21 |
また、「 霜の花白し」とある所に、
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また、「霜の華白し」とあるところに、
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と書いてある。「鴛鴦瓦冷霜花重」と書いた所にはこう書かれてある。
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mata, "Simo no hana sirosi" to aru tokoro ni,
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2.9.22 |
「 君なくて塵つもりぬる常夏の ★ 露うち払ひいく夜寝ぬらむ」 |
「あなたが亡くなってから塵の積もった床に 涙を払いながら幾晩独り寝したことだろうか」 |
君なくて塵積もりぬる床なつの 露うち払ひいく夜寝ぬらん
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"Kimi naku te tiri tumori nuru tokonatu no tuyu uti-harahi ikuyo ne nu ram |
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2.9.23 |
一日の花なるべし、枯れて混じれり。
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先日の花なのであろう、枯れて混じっていた。
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ここにはいつか庭から折らせて源氏が宮様へ贈ったのと同じ時の物らしい撫子の花の枯れたのがはさまれていた。
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Hitohi no hana naru besi, kare te mazire ri.
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2.9.24 |
宮に御覧ぜさせたまひて、
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宮に御覧に入れなさって、
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大臣は宮にそれらをお見せした。
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Miya ni goranze sase tamahi te,
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2.9.25 |
「 いふかひなきことをばさるものにて、かかる悲しき類ひ、世になくやはと、思ひなしつつ、契り長からで、かく心を惑はすべくてこそはありけめと、かへりてはつらく、前の世を思ひやりつつなむ、覚ましはべるを、ただ、日ごろに添へて、恋しさの堪へがたきと、この大将の君の、今はとよそになりたまはむなむ、飽かずいみじく思ひたまへらるる。一日、二日も 見えたまはず、かれがれにおはせしをだに、飽かず胸いたく思ひはべりしを、朝夕の光失ひては、いかでかながらふべからむ」
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「今さら言ってもしかたのないことはさておいて、このような悲しい逆縁の例は、世間にないことではないと、しいて思いながら、親子の縁も長く続かず、このように心を悲しませるために生まれて来たのであろうかと、かえって辛く、前世の因縁に思いを馳せながら、覚まそうとしていますが、ただ、日が経てば経つほど、恋しさが堪えきれないのと、この大将の君が、今日を限りに他人になってしまわれるのが、何とも残念に思わずにはいられません。一日、二日もお見えにならず、途絶えがちにいらしたのでさえ、物足りなく胸を痛めておりましたのに、朝夕の光を失っては、どうして生き永らえて行けようか」
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「私がこれほどかわいい子供というものがあるだろうかと思うほどかわいかった子は、私と長く親子の縁を続けて行くことのできない因縁の子だったかと思うと、かえってなまじい親子でありえたことが恨めしいと、こんなふうにしいて思って忘れようとするのですが、日がたつにしたがって堪えられなく恋しくなるのをどうすればいいかと困っている。それに大将さんが他人になっておしまいになることがどうしても悲しくてならない。一日二日と中があき、またずっとおいでにならない日のあったりした時でさえも、私はあの方にお目にかかれないことで胸が痛かったのです。もう大将を一家の人と見られなくなって、どうして私は生きていられるか」
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"Ihukahinaki koto wo ba saru mono nite, kakaru kanasiki taguhi, yo ni naku yaha to, omohinasi tutu, tigiri nagakara de, kaku kokoro wo madohasu beku te koso ha ari keme to, kaheri te ha turaku, sakinoyo wo omohiyari tutu nam, samasi haberu wo, tada, higoro ni sohe te, kohisisa no tahe gataki to, kono Daisyaunokimi no, ima ha to yoso ni nari tamaha m nam, akazu imiziku omohi tamahe raruru. Hitohi, hutuka mo miye tamaha zu, karegare ni ohase si wo dani, akazu mune itaku omohi haberi si wo, asayuhu no hikari usinahi te ha, ikadeka nagarahu bekara m."
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2.9.26 |
と、御声もえ忍びあへたまはず泣いたまふに、 御前なるおとなおとなしき人など、いと悲しくて、さとうち泣きたる、 そぞろ寒き夕べのけしきなり。
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と、お声も抑えきれずお泣きになると、御前に控えている年輩の女房など、とても悲しくて、わっと泣き出すのは、何となく寒々とした夕べの情景である。
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とうとう声を惜しまずに大臣は泣き出したのである。部屋にいた少し年配な女房たちが皆同時に声を放って泣いた。この夕方の家の中の光景は寒気がするほど悲しいものであった。
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to, ohom-kowe mo e sinobi ahe tamaha zu nai tamahu ni, omahe naru otonaotonasiki hito nado, ito kanasiku te, sato uti-naki taru, sozoro-samuki yuhube no kesiki nari.
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2.9.27 |
若き人びとは、所々に群れゐつつ、おのがどち、あはれなることどもうち語らひて、
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若い女房たちは、あちこちにかたまって、お互いに 悲しいことを話し合って、
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若い女房たちはあちらこちらにかたまって、それはまた自身たちの悲しみを語り合っていた。
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Wakaki hitobito ha, tokorodokoro ni mure wi tutu, onoga-doti, ahare naru koto-domo uti-katarahi te,
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2.9.28 |
「 殿の思しのたまはするやうに、 若君を見たてまつりてこそは、慰むべかめれと思ふも、いとはかなきほどの御形見にこそ」
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「殿がお考えになりおっしゃるように、若君をお育て申して、慰めることができようとは思いますが、とても幼いお形見で」
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「殿様がおっしゃいますようにして、若君にお仕えして、私はそれを悲しい慰めにしようと思っていますけれど、あまりにお形見は小さい公子様ですわね」
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"Tono no obosi notamaha suru yau ni, Wakagimi wo mi tatematuri te koso ha, nagusamu beka' mere to omohu mo, ito hakanaki hodo no ohom-katami ni koso."
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2.9.29 |
とて、おのおの、「 あからさまにまかでて、参らむ」と言ふもあれば、かたみに別れ惜しむほど、 おのがじしあはれなることども多かり。
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と言って、それぞれが、「しばらく里に下がって、また参上しよう」と言う者もいるので、互いに別れを惜しんだりする折、それぞれ物悲しい事が多かった。
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と言う者もあった。「しばらく実家へ行っていて、また来るつもりです」こんなふうに希望している者もあった。自分らどうしの別れも相当に深刻に名残惜しがった。
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tote, onoono, "Akarasama ni makade te, mawira m." to ihu mo are ba, katamini wakare wosimu hodo, onogazisi ahare naru koto-domo ohokari.
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2.9.30 |
院へ参りたまへれば、
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院へ参上なさると、
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院では源氏を御覧になって、
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Win he mawiri tamahe re ba,
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2.9.31 |
「 いといたう面痩せにけり。精進にて日を経るけにや ★」
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「とてもひどく面やつれしたな。御精進の日々を過ごしたからか」
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「たいへん痩せた。毎日精進をしていたせいかもしれない」
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"Ito itau omoyase ni keri! Sauzin nite hi wo huru ke ni ya?"
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2.9.32 |
と、心苦しげに思し召して、 御前にて物など参らせたまひて、とやかくやと思し扱ひきこえさせたまへるさま、あはれにかたじけなし。
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と、お気の毒に御心配あそばして、御前においてお食事などを差し上げなさって、あれやこれやとお心を配ってお世話申し上げあそばす様子、身にしみてもったいない。
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と御心配をあそばして、お居間で食事をおさせになったりした。いろいろとおいたわりになる御親心を源氏はもったいなく思った。
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to, kokorogurusige ni obosimesi te, omahe nite mono nado mawira se tamahi te, toya kakuya to obosi atukahi kikoye sase tamahe ru sama, ahare ni katazikenasi.
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2.9.33 |
中宮の御方に参りたまへれば、人びと、めづらしがり見たてまつる。命婦の君して、
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中宮の御方に参上なさると、女房たちが、珍しく思ってお目にかかる。命婦の君を通じて、
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中宮の御殿へ行くと、女房たちは久しぶりの源氏の伺候を珍しがって、皆集まって来た。中宮も命婦を取り次ぎにしてお言葉があった。
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Tyuuguu no ohom-kata ni mawiri tamahe re ba, hitobito, medurasigari mi tatematuru. Myaubunokimi site,
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2.9.34 |
「 思ひ尽きせぬことどもを、ほど経るにつけてもいかに」
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「悲しみの尽きないことですが、日が経つにつけてもご心中いかばかりかと」
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「大きな打撃をお受けになったあなたですから、時がたちましてもなかなかお悲しみはゆるくなるようなこともないでしょう」
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"Omohi tuki se nu koto-domo wo, hodo huru ni tuke te mo ikani?"
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2.9.35 |
と、御消息聞こえたまへり。
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と、お伝え申し上げあそばした。
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to, ohom-seusoko kikoye tamahe ri.
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2.9.36 |
「 常なき世は、おほかたにも思うたまへ知りにしを、目に近く見はべりつるに、厭はしきこと多く 思うたまへ乱れしも、たびたびの御消息に慰めはべりてなむ、今日までも」
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「無常の世は、一通りは存じておりましたが、身近に体験致しますと、嫌なことが多く思い悩みましたのも、度々のご弔問に慰められまして、今日までも」
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「人生の無常はもうこれまでにいろいろなことで教訓されて参った私でございますが、目前にそれが証明されてみますと、厭世的にならざるをえませんで、いろいろと煩悶をいたしましたが、たびたびかたじけないお言葉をいただきましたことによりまして、今日までこうしていることができたのでございます」
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"Tune naki yo ha, ohokata ni mo omou tamahe siri ni si wo, me ni tikaku mi haberi turu ni, itohasiki koto ohoku omou tamahe midare si mo, tabitabi no ohom-seusoko ni nagusame haberi te nam, kehu made mo."
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2.9.37 |
とて、 さらぬ折だにある 御けしき取り添へて、いと心苦しげなり。無紋の表の御衣に、鈍色の御下襲、 纓巻きたまへるやつれ姿、はなやかなる御装ひよりも、なまめかしさまさりたまへり。
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と言って、何でもない時でさえ持っているお悩みを取り重ねて、とてもおいたわしそうである。無紋の袍のお召物に、鈍色の御下襲、巻纓をなされた喪服のお姿は、華やかな時よりも、優美さが勝っていらっしゃった。
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と源氏は挨拶をした。こんな時でなくても心の湿ったふうのよく見える人が、今日はまたそのほかの寂しい影も添って人々の同情を惹いた。無紋の袍に灰色の下襲で、冠は喪中の人の用いる巻纓であった。こうした姿は美しい人に落ち着きを加えるもので艶な趣が見えた。
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tote, saranu wori dani aru mikesiki tori-sohe te, ito kokorogurusige nari. Mumon no uhe no ohom-zo ni, nibiiro no ohom-sitagasane, ei maki tamahe ru yature sugata, hanayaka naru ohom-yosohi yori mo, namamekasisa masari tamahe ri.
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2.9.38 |
春宮にも久しう参らぬおぼつかなさなど、聞こえたまひて、夜更けてぞ、まかでたまふ。
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春宮にも、久しく参上致さなかった気がかりさなど、お申し上げなさって、夜が更けてからご退出なさる。
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東宮へも久しく御無沙汰申し上げていることが心苦しくてならぬというような話を源氏は命婦にして夜ふけになってから退出した。
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Touguu ni mo hisasiu mawira nu obotukanasa nado, kikoye tamahi te, yo huke te zo, makade tamahu.
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出典17 |
後れ先立つほどの定めなさ |
末の露もとの滴や世の中の後れ先立つためしなるらむ |
新古今集哀傷-七五七 僧正遍昭 |
2.9.10 |
出典18 |
旧き枕故き衾、誰と共にか |
鴛鴦瓦冷霜花重 旧枕故衾誰与共 |
白氏文集十二-五九六 長恨歌 |
2.9.19 |
出典19 |
塵つもりぬる常夏 |
塵をだに据ゑじとぞ思ふ咲きしより妹とわが寝る常夏の花 |
古今集夏-一六七 凡河内躬恒 |
2.9.22 |
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Last updated 5/16/2009(ver.2-2) 渋谷栄一校訂(C) Last updated 5/16/2009(ver.2-1) 渋谷栄一注釈 |
Last updated 5/6/2001 渋谷栄一訳(C)(ver.1-2-2) |
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Last updated 5/16/2009 (ver.2-2) Written in Japanese roman letters by Eiichi Shibuya (C) |
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Picture "Eiri Genji Monogatari"(1650 1st edition)
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