第十帖 賢木


10 SAKAKI (Ohoshima-bon)


光る源氏の二十三歳秋九月から二十五歳夏まで近衛大将時代の物語


Tale of Hikaru-Genji's Konoe-Daisho era from September at the age of 23 to summer at the age of 25

7
第七章 朧月夜の物語 村雨の紛れの密会露見


7  Tale of Oborozukiyo  Their secret meeting in summer-rain is discovered by Udaijin

7.1
第一段 源氏、朧月夜と密会中、右大臣に発見される


7-1  Genji and Oborozukiyo's secret meeting is discovered by her father

7.1.1   そのころ、尚侍の君まかでたまへり。瘧病に久しう悩みたまひて、まじなひなども心やすくせむとてなりけり。修法など始めて、おこたりたまひぬれば、誰も誰も、うれしう思すに、 例の、めづらしき隙なるをと、聞こえ交はしたまひて、わりなきさまにて、 夜な夜な対面したまふ
 そのころ、尚侍の君が退出なさっていた。瘧病に長く患いなさって、加持祈祷なども気楽に行おうとしてであった。修法など始めて、お治りになったので、どなたもどなたも、喜んでいらっしゃる時に、例によって、めったにない機会だからと、お互いに示し合わせなさって、無理を押して、毎夜毎夜お逢いなさる。
 その時分に尚侍ないしのかみが御所から自邸へ退出した。前から瘧病わらわやみにかかっていたので、禁厭まじないなどの宮中でできない療法も実家で試みようとしてであった。修法しゅほうなどもさせて尚侍の病の全快したことで家族は皆喜んでいた。こんなころである、得がたい機会であると恋人たちはしめし合わせて、無理な方法を講じて毎夜源氏は逢いに行った。
  Sonokoro, Kam-no-Kimi makade tamahe ri. Warahayami ni hisasiu nayami tamahi te, mazinahi nado mo kokoroyasuku se m tote nari keri. Suhohu nado hazime te, okotari tamahi nure ba, tare mo tare mo, uresiu obosu ni, rei no, medurasiki hima naru wo to, kikoye kahasi tamahi te, warinaki sama nite, yonayona taimen si tamahu.
7.1.2  いと盛りに、 にぎははしきけはひしたまへる人の、すこしうち悩みて、痩せ痩せになりたまへるほど、いとをかしげなり。
 まことに女盛りで、豊かで派手な感じがなさる方が、少し病んで痩せた感じにおなりでいらっしゃるところ、実に魅力的である。
 若い盛りのはなやかな容貌ようぼうを持った人の病で少しせたあとの顔は非常に美しいものであった。
  Ito sakari ni, nigihahasiki kehahi si tamahe ru hito no, sukosi uti-nayami te, yase yase ni nari tamahe ru hodo, ito wokasige nari.
7.1.3   后の宮も一所におはするころなれば、けはひいと恐ろしけれど、 かかることしもまさる御癖なればいと忍びて、たび重なりゆけば、けしき見る人びとも あるべかめれど、わづらはしうて、宮には、 さなむと啓せず
 后宮も同じ邸にいらっしゃるころなので、感じがとても恐ろしい気がしたが、このような危険な逢瀬こそかえって思いの募るご性癖なので、たいそうこっそりと、度重なってゆくと、気配を察知する女房たちもきっといたにちがいないだろうが、厄介なことと思って、宮には、そうとは申し上げない。
 皇太后も同じやしきに住んでおいでになるころであったから恐ろしいことなのであるが、こんなことのあればあるほどその恋がおもしろくなる源氏は忍んで行く夜を多く重ねることになったのである。こんなにまでなっては気がつく人もあったであろうが、太后に訴えようとはだれもしなかった。
  Kisai-no-Miya mo hitotokoro ni ohasuru koro nare ba, kehahi ito osorosikere do, kakaru koto simo masaru ohom-kuse nare ba, ito sinobi te, tabikasanari yuke ba, kesiki miru hitobito mo aru beka' mere do, wadurahasiu te, Miya ni ha, sa nam to keise zu.
7.1.4  大臣、はた思ひかけたまはぬに、雨にはかにおどろおどろしう降りて、神いたう鳴りさわぐ暁に、殿の君達、宮司など立ちさわぎて、こなたかなたの人目しげく、女房どもも怖ぢまどひて、近う集ひ参るに、いとわりなく、出でたまはむ方なくて、明け果てぬ。
 大臣は、もちろん思いもなさらないが、雨が急に激しく降り出して、雷がひどく鳴り轟いていた暁方に、殿のご子息たちや、后宮職の官人たちなど立ち騒いで、ここかしこに人目が多く、女房どももおろおろ恐がって、近くに参集していたので、まことに困って、お帰りになるすべもなくて、すっかり明けてしまった。
 大臣もむろん知らなかった。雨がにわかに大降りになって、雷鳴が急にはげしく起こってきたある夜明けに、公子たちや太后付きの役人などが騒いであなたこなたと走り歩きもするし、そのほか平生この時間に出ていない人もその辺に出ている様子がうかがわれたし、
  Otodo, hata omohikake tamaha nu ni, ame nihakani odoroodorosiu huri te, Kami itau nari sawagu akatuki ni, Tono no Kimdati, Miyadukasa nado tati-sawagi te, konata kanata no hitome sigeku, nyoubau-domo mo odi madohi te, tikau tudohi mawiru ni, ito warinaku, ide tamaha m kata naku te, ake hate nu.
7.1.5   御帳のめぐりにも、人びとしげく並みゐたれば、いと胸つぶらはしく思さる。 心知りの人二人ばかり、心を惑はす。
 御帳台のまわりにも、女房たちがおおぜい並び伺候しているので、まことに胸がどきどきなさる。事情を知っている女房二人ほど、どうしたらよいか分からないでいる。
 また女房たちも恐ろしがって帳台の近くへ寄って来ているし、源氏は帰って行くにも行かれぬことになって、どうすればよいかと惑った。秘密に携わっている二人ほどの女房が困りきっていた。
  Mityau no meguri ni mo, hitobito sigeku nami wi tare ba, ito mune tuburahasiku obosa ru. Kokorosiri no hito hutari bakari, kokoro wo madoha su.
7.1.6  神鳴り止み、雨すこしを止みぬるほどに、 大臣渡りたまひて、まづ、宮の御方におはしけるを、村雨のまぎれにて え知りたまはぬに、軽らかにふとはひ入りたまひて、御簾引き上げたまふままに、
 雷が鳴りやんで、雨が少し小降りになったころに、大臣が渡っていらして、まず最初、宮のお部屋にいらしたが、村雨の音に紛れてご存知でなかったところへ、気軽にひょいとお入りになって、御簾を巻き上げなさりながら、
 雷鳴がやんで、雨が少し小降りになったころに、大臣が出て来て、最初に太后の御殿のほうへ見舞いに行ったのを、ちょうどまた雨がさっと音を立てて降り出していたので、源氏も尚侍も気がつかなかった。大臣は軽輩がするように突然座敷の御簾みすを上げて顔を出した。
  Kami nari yami, ame sukosi woyami nuru hodo ni, Otodo watari tamahi te, madu, Miya no ohom-kata ni ohasi keru wo, murasame no magire nite e siri tamaha nu ni, karoraka ni huto hahiiri tamahi te, misu hikiage tamahu mama ni,
7.1.7  「 いかにぞ。いとうたてありつる夜のさまに、思ひやりきこえながら、参り来でなむ。 中将、宮の亮など、さぶらひつや」
 「いががですか。とてもひどい昨夜の荒れ模様を、ご心配申し上げながら、お見舞いにも参りませんでしたが。中将、宮の亮などは、お側にいましたか」
 「どうだね、とてもこわい晩だったから、こちらのことを心配していたが出て来られなかった。中将や宮のすけは来ていたかね」
  "Ikani zo? Ito utate ari turu yo no sama ni, omohiyari kikoye nagara, mawiri ko de nam. Tyuuzyau, Miya-no-Suke nado, saburahi tu ya?"
7.1.8  など、のたまふけはひの、 舌疾にあはつけきを、大将は、もののまぎれにも、左の大臣の御ありさま、ふと思し比べられて、たとしへなうぞ、ほほ笑まれたまふ。 げに、入り果ててものたまへかしな
 などと、おっしゃる様子が、早口で軽率なのを、大将は、危険な時にでも、左大臣のご様子をふとお思い出しお比べになって、比較しようもないほど、つい笑ってしまわれる。なるほど、すっかり入ってからおっしゃればよいものを。
 などという様子が、早口で大臣らしい落ち着きも何もない。源氏は発見されたくないということに気をつかいながらも、この大臣を左大臣に比べて思ってみるとおかしくてならなかった。せめて座敷の中へはいってからものを言えばよかったのである。
  nado, notamahu kehahi no, sitado ni ahatukeki wo, Daisyau ha, mononomagire ni mo, Hidari-no-Otodo no ohom-arisama, huto, obosi-kurabe rare te, tatosihe nau zo, hohowema re tamahu. Geni, iri hate te mo notamahe kasi na.
7.1.9  尚侍の君、いとわびしう思されて、やをらゐざり出でたまふに、面のいたう赤みたるを、「 なほ悩ましう思さるるにや」と 見たまひて
 尚侍の君、とてもやりきれなくお思いになって、静かにいざり出なさると、顔がたいそう赤くなっているのを、「まだ苦しんでいられるのだろうか」と御覧になって、
 尚侍は困りながらいざり出て来たが、顔の赤くなっているのを大臣はまだ病気がまったくくはなっていないのかと見た。熱があるのであろうと心配したのである。
  Kam-no-Kimi, ito wabisiu obosa re te, yawora wizari ide tamahu ni, omote no itau akami taru wo, "Naho nayamasiu obosa ruru ni ya?" to mi tamahi te,
7.1.10  「 など、御けしきの例ならぬ。もののけなどのむつかしきを、修法 延べさすべかりけり
 「どうして、まだお顔色がいつもと違うのか。物の怪などがしつこいから、修法を続けさせるべきだった」
 「なぜあなたはこんな顔色をしているのだろう。しつこい物怪もののけだからね。修法しゅほうをもう少しさせておけばよかった」
  "Nado, mikesiki no rei nara nu? Mononoke nado no mutukasiki wo, Suhohu nobe sasu bekari keri."
7.1.11  とのたまふに、 薄二藍なる帯の、御衣にまつはれて引き出でられたるを見つけたまひて、あやしと思すに、また、畳紙の手習ひなどしたる、 御几帳のもとに 落ちたり。「これはいかなる物どもぞ」と、 御心おどろかれて
 とおっしゃると、薄二藍色の帯が、お召物にまつわりついて出ているのをお見つけになって、変だとお思いになると、また一方に、懐紙に歌など書きちらしたものが、御几帳のもとに落ちていた。「これはいったいどうしたことか」と、驚かずにはいらっしゃれなくて、
 こう言っている時に、うす納戸なんど色の男の帯が尚侍の着物にまといついてきているのを大臣は見つけた。不思議なことであると思っていると、また男の懐中紙ふところがみにむだ書きのしてあるものが几帳きちょうの前に散らかっているのも目にとまった。なんという恐ろしいことが起こっているのだろうと大臣は驚いた。
  to notamahu ni, usu hutaawi naru obi no, ohom-zo ni matuha re te hikiide rare taru wo mituke tamahi te, ayasi to obosu ni, mata, tatamugami no tenarahi nado si taru, mikityau no moto ni oti tari. "Kore ha ikanaru mono-domo zo?" to, mikokoro odoroka re te,
7.1.12  「 かれは、誰れがぞ。けしき異なるもののさまかな。たまへ。それ取りて誰がぞと見はべらむ」
 「あれは、誰のものか。見慣れない物だね。見せてください。それを手に取って誰のものか調べよう」
 「それはだれが書いたものですか、変なものじゃないか。ください。だれの字であるかを私は調べる」
  "Kare ha, tare ga zo? Kesiki koto naru mono no sama kana! Tamahe. Sore tori te taga zo to mi habera m."
7.1.13  とのたまふにぞ、 うち見返りて、我も見つけたまへる。紛らはすべきかたもなければ、いかがは応へきこえたまはむ。 我にもあらでおはするを、「子ながらも恥づかしと思すらむかし」と、 さばかりの人は、思し憚るべきぞかし。されど、いと急に、のどめたるところおはせぬ大臣の、 思しもまはさずなりて、畳紙を取りたまふままに、几帳より見入れたまへるに、 いといたうなよびて、慎ましからず添ひ臥したる 男もあり今ぞ、やをら顔ひき隠して、とかう紛らはす。 あさましう、めざましう心やましけれど、直面には、 いかでか現はしたまはむ。目もくるる心地すれば、この畳紙を取りて、寝殿に渡りたまひぬ。
 とおっしゃるので、振り返ってみて、ご自分でもお見つけになった。ごまかすこともできないので、どのようにお応え申し上げよう。呆然としていらっしゃるのを、「我が子ながら恥ずかしいと思っていられるのだろう」と、これほどの方は、お察しなさって遠慮すべきである。しかし、まことに性急で、ゆったりしたところがおありでない大臣で、後先のお考えもなくなって、懐紙をお持ちになったまま、几帳から覗き込みなさると、まことにたいそうしなやかな恰好で、臆面もなく添い臥している男もいる。今になって、そっと顔をひき隠して、あれこれと身を隠そうとする。あきれて、癪にさわり腹立たしいけれど、面と向かっては、どうして暴き立てることがおできになれようか。目の前がまっ暗になる気がするので、この懐紙を取って、寝殿にお渡りになった。
 と言われて振り返った尚侍は自身もそれを見つけた。もう紛らわすすべはないのである。返事のできることでもないのである。尚侍が失心したようになっているのであるから、大臣ほどの貴人であれば、娘が恥に堪えぬ気がするであろうという上品な遠慮がなければならないのであるが、そんな思いやりもなく、気短な、落ち着きのない大臣は、自身で紙を手で拾った時に几帳のすきから、なよなよとした姿で、罪を犯している者らしく隠れようともせず、のんびりと横になっている男も見た。大臣に見られてはじめて顔を夜着の中に隠して紛らわすようにした。大臣は驚愕きょうがくした。無礼ぶれいだと思った。くやしくてならないが、さすがにその場で面と向かって怒りを投げつけることはできなかったのである。目もくらむような気がして歌の書かれた紙を持って寝殿へ行ってしまった。
  to notamahu ni zo, uti-mikaheri te, ware mo mituke tamahe ru. Magirahasu beki kata mo nakere ba, ikaga ha irahe kikoye tamaha m. Ware ni mo ara de ohasuru wo, "Ko nagara mo hadukasi to obosu ram kasi." to, sabakari no hito ha, obosi habakaru beki zo kasi. Saredo, ito kihuni, nodome taru tokoro ohase nu Otodo no, obosi mo mahasa zu nari te, tataugami wo tori tamahu mama ni, kityau yori miire tamahe ru ni, ito itau nayobi te, tutumasikara zu sohihusi taru wotoko mo ari. Ima zo, yawora kaho hiki-kakusi te, tokau magirahasu. Asamasiu, mezamasiu kokoroyamasikere do, hitaomote ni ha, ikadeka arahasi tamaha m? Me mo kururu kokoti sure ba, kono tatamugami wo tori te, sinden ni watari tamahi nu.
7.1.14  尚侍の君は、我かの心地して、 死ぬべく思さる。大将殿も、「 いとほしう、つひに用なき振る舞ひのつもりて、人のもどきを負はむとすること」と思せど、女君の心苦しき御けしきを、とかく慰めきこえたまふ。
 尚侍の君は、呆然自失して、死にそうな気がなさる。大将殿も、「困ったことになった、とうとう、つまらない振る舞いが重なって、世間の非難を受けるだろうことよ」とお思いになるが、女君の気の毒なご様子を、いろいろとお慰め申し上げなさる。
 尚侍は気が遠くなっていくようで、死ぬほどに心配した。源氏も恋人がかわいそうで、不良な行為によって、ついに恐るべき糺弾きゅうだんを受ける運命がまわって来たと悲しみながらもその心持ちを隠して尚侍をいろいろに言って慰めた。
  Kam-no-Kimi ha, wareka no kokoti si te, sinu beku obosa ru. Daisyaudono mo, "Itohosiu, tuhini you naki hurumahi no tumori te, hito no modoki wo oha m to suru koto." to obose do, Omnagimi no kokorogurusiki mikesiki wo, tokaku nagusame kikoye tamahu.
注釈507そのころ尚侍の君まかでたまへり朧月夜尚侍、宮中から里邸に下がる。7.1.1
注釈508例の「聞こえ交はしたまひて」にかかる。「交はし」があることによって、源氏と朧月夜が互いに示し合わしての意。7.1.1
注釈509夜な夜な対面したまふ毎夜毎夜お逢いになるの意。7.1.1
注釈510にぎははしきけはひ朧月夜尚侍の感じ。『集成』は「ゆたかではなやかな感じ」の意に解す。7.1.2
注釈511后の宮弘徽殿大后をいう。7.1.3
注釈512かかることしもまさる御癖なれば源氏の性癖。無理な状況ほど恋情が募る。7.1.3
注釈513いと忍びてたび重なりゆけば密会が度重なってゆく。7.1.3
注釈514あるべかめれど「べか」「めり」は語り手の推量。7.1.3
注釈515さなむと啓せず大島本は「さなむとけいせす」とある。『新大系』は底本のまま。『集成』は諸本に従って「さなどは」と校訂する。『古典セレクション』も諸本に従って「さなむとは」と校訂する。「啓す」は、太皇太后、皇太后、皇后、東宮に対して申し上げる場合に用いる謙譲語。7.1.3
注釈516御帳御帳台のこと。7.1.5
注釈517心知りの人二人ばかり源氏と朧月夜尚侍の関係を知る女房、二人。中納言の君など。7.1.5
注釈518大臣右大臣。朧月夜の父。7.1.6
注釈519え知りたまはぬに主語は朧月夜尚侍。7.1.6
注釈520いかにぞ以下「さぶらひつや」まで、右大臣の詞。7.1.7
注釈521中将宮の亮など中将は右大臣の子息、宮の亮は皇太后宮司の一人。7.1.7
注釈522舌疾にあはつけき早口で落ち着きのないさま。7.1.8
注釈523げに入り果ててものたまへかしな語り手の感想。『一葉抄』が「草子の詞也」と指摘。「げに」は源氏が思うことをさし、なるほどの意。「かし」(終助詞)は語り手が読者に念を押すニュアンス。7.1.8
注釈524なほ悩ましう思さるるにや右大臣の心中。7.1.9
注釈525見たまひて大島本は「みたまて」とある。『新大系』は底本のままとする。『集成』『古典セレクション』は諸本に従って「見たまひて」と「ひ」を補訂する。7.1.9
注釈526など御けしきの以下「修法延べさすべかりけり」まで、右大臣の詞。7.1.10
注釈527延べさすべかりけり延長すべきであったのニュアンス。7.1.10
注釈528薄二藍なる帯二藍の薄い色の帯。夏の直衣用の帯。男物の帯。7.1.11
注釈529御几帳のもとに御帳台の三方の入口の前に置かれている御几帳。7.1.11
注釈530落ちたり大島本は「おちたり」(落ちていた)とあるが、独自異文。他の青表紙諸本は「おちたりけり」とある。『新大系』は底本のままとする。『集成』『古典セレクション』は諸本に従って「おちたりけり」と校訂する。「けり」過去の助動詞、詠嘆の意。はっと気づき驚くニュアンス。7.1.11
注釈531御心おどろかれて「れ」自発の助動詞。7.1.11
注釈532かれは誰れがぞ以下「見はべらむ」まで、右大臣の詞。「かれ」は帯をさす。7.1.12
注釈533うち見返りて主語は朧月夜尚侍。7.1.13
注釈534我にもあらでおはするを以下「されどいと急に」まで、語り手の右大臣の態度に対する非難の感情をこめた文脈。「思し憚るべきぞかし」は語り手の直接的な表明。『湖月抄』は「草子地也」と指摘。『全書』は「子ながらも」以下に「作者の評」と指摘。7.1.13
注釈535さばかりの人右大臣ほどの高貴な人ならばの意。7.1.13
注釈536思しもまはさずなりて『集成』は「前後の見さかいもなくなられて」、『完訳』は「思慮分別を失った様子」の意に解す。7.1.13
注釈537いといたうなよびて慎ましからず源氏の姿態、態度。「慎ましからず」は右大臣の目を通した感情移入の語句。『完訳』は「右大臣の気持に即した叙述」と注す。7.1.13
注釈538男もあり「も」副助詞、強調にニュアンスを添える。7.1.13
注釈539今ぞやをら顔ひき隠して主語は源氏。7.1.13
注釈540あさましうめざましう心やましけれど右大臣の気持ち。『完訳』は「男の妙に落ち着いた態度への、右大臣の驚き、憤怒する気持」と注す。7.1.13
注釈541いかでか現はしたまはむ大島本は「いかてかあらハしたまはむ」とある。『新大系』は底本のままとする。『集成』『古典セレクション』は諸本に従って「いかでかは」と「は」を補訂する。反語表現。語り手の感情移入の文脈。源氏の「顔ひき隠してとかう紛らわ」したのを「顕す」という文意。7.1.13
注釈542いとほしうつひに以下「負はむとすること」まで、源氏の心中。7.1.14
校訂53 見たまひて 見たまひて--*みたまて 7.1.9
校訂54 死ぬべく 死ぬべく--しぬへし(し/$く<朱>) 7.1.14
7.2
第二段 右大臣、源氏追放を画策する


7-2  Udaijin wants to banish Genji from the Court

7.2.1   大臣は、思ひのままに、籠めたるところおはせぬ本性に、いとど老いの御ひがみさへ 添ひたまふに、これは 何ごとにかはとどこほりたまはむ。ゆくゆくと、宮にも愁へきこえたまふ。
 大臣は、思ったままに、胸に納めて置くことのできない性格の上に、ますます老寄の僻みまでお加わりになっていたので、これはどうしてためらったりなさろうか。ずけずけと、宮にも訴え申し上げなさる。
 大臣は思っていることを残らず外へ出してしまわねば我慢のできないような性質である上に老いのひがみも添って、ある点は斟酌しんしゃくして言わないほうがよいなどという遠慮もなしに雄弁に、源氏と尚侍の不都合を太后に訴えるのであった。
  Otodo ha, omohi no mama ni, kome taru tokoro ohase nu honzyau ni, itodo oyi no ohom-higami sahe sohi tamahu ni, kore ha nanigoto ni ka ha todokohori tamaha m. Yukuyuku to, Miya ni mo urehe kikoye tamahu.
7.2.2  「 かうかうのことなむはべる。この畳紙は、右大将の御手なり。昔も、心宥されでありそめにけることなれど、人柄によろづの罪を宥して、 さても見むと、言ひはべりし折は、心もとどめず、めざましげにもてなされにしかば、やすからず思ひたまへしかど、 さるべきにこそはとて世に穢れたりとも、思し捨つまじきを頼みにて、かく 本意のごとくたてまつりながら、なほ、その憚りありて、 うけばりたる女御なども言はせたまはぬをだに 、飽かず口惜しう思ひたまふるに、また、かかることさへはべりければ、さらにいと心憂くなむ思ひなりはべりぬる。
 「これこれしかじかのことがございました。この懐紙は、右大将のご筆跡である。以前にも、許しを受けないで始まった仲であるが、人品の良さに免じていろいろ我慢して、それでは婿殿にしようかと、言いました時は、心にも止めず、失敬な態度をお取りになったので、不愉快に存じましたが、前世からの宿縁なのかと思って、決して清らかでなくなったからといっても、お見捨てになるまいことを信頼して、このように当初どおり差し上げながら、やはり、その遠慮があって、晴れ晴れしい女御などともお呼ばせになれませんでしたことさえ、物足りなく残念に存じておりましたのに、再び、このような事までがございましたのでは、改めてたいそう情けない気持ちになってしまいました。
 まず目撃した事実を述べた。
 「この畳紙の字は右大将の字です。以前にも彼女は大将の誘惑にかかって情人関係が結ばれていたのですが、人物に敬意を表して私は不服も言わずに結婚もさせようと言っていたのです。その時にはいっこうに気がないふうを見せられて、私は残念でならなかったのですが、これも因縁であろうと我慢して、寛容な陛下はまた私への情誼じょうぎで過去の罪はお許しくださるであろうとお願いして、最初の目的どおりに宮中へ入れましても、あの関係がありましたために公然と女御にょごにはしていただけないことででも、私は始終寂しく思っているのです。それにまたこんな罪を犯すではありませんか、私は悲しくてなりません。
  "Kaukau no koto nam haberu. Kono tatamugami ha, Udaisyau no mite nari. Mukasi mo, kokoro yurusa re de arisome ni keru koto nare do, hitogara ni yorodu no tumi wo yurusi te, satemo mi m to, ihi haberi si wori ha, kokoro mo todome zu, mezamasige ni motenasa re ni sika ba, yasukara zu omohi tamahe sika do, saru beki ni koso ha tote, yo ni kegare tari tomo, obosi sutu maziki wo tanomi nite, kaku ho'i no gotoku tatematuri nagara, naho, sono habakari ari te, ukebari taru Nyougo nado mo ihase tamaha nu wo dani, akazu kutiwosiu omohi tamahuru ni, mata, kakaru koto sahe haberi kere ba, sarani ito kokorouku nam omohi nari haberi nuru.
7.2.3   男の例とはいひながら、大将もいとけしからぬ御心なりけり。 斎院をもなほ聞こえ犯しつつ、忍びに御文通はしなどして、けしきあることなど、人の語りはべりしをも、世のためのみにもあらず、我がためもよかるまじきことなれば、よもさる思ひやりなきわざ、し出でられじとなむ、 時の有職と天の下をなびかしたまへるさま、ことなめれば、大将の御心を、疑ひはべらざりつる」
 男の習性とは言いながら、大将もまことにけしからんご性癖であるよ。斎院にもやはり手を出し手を出ししては、こっそりとお手紙のやりとりなどをして、怪しい様子だなどと、人が話しましたのも、国家のためばかりでなく、自分にとっても決して良いことではないので、まさかそのような思慮分別のないことは、し出かさないだろうと、当代の知識人として、天下を風靡していらっしゃる様子、格別のようなので、大将のお心を、疑ってもみなかった」
 男は皆そうであるとはいうものの大将もけしからん方です。神聖な斎院に恋文を送っておられるというようなことを言う者もありましたが、私は信じることはできませんでした。そんなことをすれば世の中全体が神罰をこうむるとともに、自分自身もそのままではいられないことはわかっていられるだろうと思いますし、学問知識で天下をなびかしておいでになる方はまさかと思って疑いませんでした」
  Wotoko no rei to ha ihi nagara, Daisyau mo ito kesikara nu mikokoro nari keri. Saiwin wo mo naho kikoye wokasi tutu, sinobi ni ohom-humi kayohasi nado si te, kesiki aru koto nado, hito no katari haberi si wo mo, yo no tame nomi ni mo ara zu, waga tame mo yokaru maziki koto nare ba, yo mo saru omohi-yari naki waza, si ide rare zi to nam, toki no iusoku to amenosita wo nabikasi tamahe ru sama, koto na' mere ba, Daisyau no mikokoro wo, utagahi habera zari turu."
7.2.4  などのたまふに、宮は、 いとどしき御心なれば、いとものしき御けしきにて、
 などとおっしゃると、宮は、さらにきついご気性なので、とてもお怒りの態度で、
 聞いておいでになった太后の源氏をお憎みになることは大臣の比ではなかったから、非常なお腹だちがお顔の色に現われてきた。
  nado, notamahu ni, Miya ha, itodosiki mikokoro nare ba, ito monosiki mikesiki nite,
7.2.5  「 帝と聞こゆれど、昔より皆人思ひ落としきこえて、 致仕の大臣もまたなくかしづく一つ女を、兄の坊にておはするにはたてまつらで、弟の源氏にて、 いときなきが元服の副臥にとり分き、また、この君をも宮仕へにと心ざしてはべりしに、 をこがましかりしありさまなりしを、 誰れも誰れもあやしとやは思したりし皆、かの御方にこそ御心寄せはべるめりしを、 その本意違ふさまにてこそは、 かくてもさぶらひたまふめれど、いとほしさに、 いかでさる方にても、人に劣らぬさまにもてなしきこえむ、さばかり ねたげなりし人の見るところもあり、などこそは思ひはべりつれど、 忍びて我が心の入る方に、なびきたまふにこそははべらめ。斎院の御ことは、 ましてさもあらむ。何ごとにつけても、 朝廷の御方にうしろやすからず見ゆるは春宮の御世、心寄せ殊なる人なれば、ことわりになむあめる」
 「帝と申し上げるが、昔からどの人も軽んじお思い申し上げて、致仕の大臣も、またとなく大切に育てている一人娘を、兄で東宮でいっしゃる方には差し上げないで、弟で源氏で、まだ幼い者の元服の時の添臥に取り立てて、また、この君を宮仕えにという心づもりでいましたところを、きまりの悪い様子になったのを、誰もが皆、不都合であるとはお思いになったでしょうか。皆が、あのお方にお味方していたようなのを、その当てが外れたことになって、こうして出仕していらっしゃるようだが、気の毒で、何とかそのような宮仕えであっても、他の人に負けないようにして差し上げよう、あれほど憎らしかった人の手前もあるし、などと思っておりましたが、こっそりと自分の気に入った方に、心を寄せていらっしゃるのでしょう。斎院のお噂は、ますますもってそうなのでしょうよ。どのようなことにつけても、帝にとって安心できないように見えるのは、東宮の御治世を、格別期待している人なので、もっともなことでしょう」
 「陛下は陛下であっても昔から皆に軽蔑けいべつされていらっしゃる。致仕の大臣も大事がっていた娘を、兄君で、また太子でおありになる方にお上げしようとはしなかった。その娘は弟で、貧弱な源氏で、しかも年のゆかない人にめあわせるために取っておいたのです。またあの人も東宮の後宮こうきゅうに決まっていた人ではありませんか。それだのに誘惑してしまってそれをその時両親だってだれだって悪いことだと言った人がありますか。皆大将をひいきにして、結婚をさせたがっておいでになった。不本意なふうで陛下にお上げなすったじゃありませんか。私は妹をかわいそうだと思って、ほかの女御にょごたちに引けを取らせまい、後宮の第一の名誉を取らせてやろう、そうすれば薄情な人への復讐ふくしゅうができるのだと、こんな気で私は骨を折っていたのですが、好きな人の言うとおりになっているほうがあの人にはよいと見える。斎院を誘惑しようとかかっていることなどはむろんあるべきことですよ。何事によらず当代をのろってかかる人なのです。それは東宮の御代みよが一日も早く来るようにと願っている人としては当然のことでしょう」
  "Mikado to kikoyure do, mukasi yori minahito omohi otosi kikoye te, Tizi-no-Otodo mo, matanaku kasiduku hitotu Musume wo, konokami no Bau nite ohasuru ni ha tatematura de, otouto no Genzi nite, itokinaki ga genpuku no sohibusi ni toriwaki, mata, kono Kimi wo mo miyadukahe ni to kokorozasi te haberi si ni, wokogamasikari si arisama nari si wo, tare mo tare mo ayasi to yaha obosi tari si. Mina, kano mikata ni koso mikokoroyose haberu meri si wo, sono ho'i tagahu sama nite koso ha, kaku te mo saburahi tamahu mere do, itohosisa ni, ikade saru kata nite mo, hito ni otora nu sama ni motenasi kikoye m, sabakari netage nari si hito no miru tokoro mo ari, nado koso ha omohi haberi ture do, sinobi te waga kokoro no iru kata ni, nabiki tamahu ni koso ha habera me. Saiwin no ohom-koto ha, masite samo ara m. Nanigoto ni tuke te mo, ohoyake no ohom-kata ni usiro yasukara zu miyuru ha, Touguu no miyo, kokoroyose koto naru hito nare ba, kotowari ni nam a' meru."
7.2.6  と、すくすくしうのたまひ続くるに、さすがに いとほしう、「 など、聞こえつることぞ」と、 思さるれば
 と、容赦なくおっしゃり続けるので、そうはいうものの聞き苦しく、「どうして、申し上げてしまったのか」と、思わずにいられないので、
 きつい調子で、だれのこともぐんぐん悪くお言いになるのを、聞いていて大臣は、ののしられている者のほうがかわいそうになった。なぜお話ししたろうと後悔した。
  to, sukusukusiu notamahi tudukuru ni, sasugani itohosiu, "Nado, kikoye turu koto zo." to, obosa rure ba,
7.2.7  「 さはれ、しばし、このこと漏らしはべらじ。 内裏にも奏せさせたまふな。かくのごと、罪はべりとも、思し捨つまじきを頼みにて、 あまえてはべるなるべしうちうちに制しのたまはむに聞きはべらずは、その罪に、ただみづから当たりはべらむ」
 「まあ仕方ない。暫くの間、この話を漏らすまい。帝にも奏上あそばすな。このように、罪がありましても、お捨てにならないのを頼りにして、いい気になっているのでしょう。内々にお諌めなさっても、聞きませんでしたら、その責めは、ひとえにこのわたしが負いましょう」
 「でもこのことは当分秘密にしていただきましょう。陛下にも申し上げないでください。どんなことがあっても許してくださるだろうと、あれは陛下の御愛情に甘えているだけだと思う。私がいましめてやって、それでもあれが聞きません時は私が責任を負います」
  "Sahare, sibasi, kono koto morasi habera zi. Uti ni mo souse sase tamahu na. kaku no goto, tumi haberi tomo, obosi sutu maziki wo tanomi nite, amaye te haberu naru besi. Utiuti ni seisi notamaha m ni, kiki habera zu ha, sono tumi ni, tada midukara atari habera m."
7.2.8  など、聞こえ直したまへど、 ことに御けしきも直らず
 などと、お取りなし申されるが、別にご機嫌も直らない。
 などと大臣は最初の意気込みに似ない弱々しい申し出をしたが、もう太后の御機嫌きげんは直りもせず、源氏に対する憎悪ぞうおの減じることもなかった。
  nado, kikoye nahosi tamahe do, kotoni mikesiki mo nahora zu.
7.2.9  「 かく、一所に おはして隙もなきに、 つつむところなく、さて入り ものせらるらむは、ことさらに軽め 弄ぜらるるにこそは」と思しなすに、いとどいみじうめざましく、「 このついでにさるべきことども構へ出でむに、よきたよりなり」と、 思しめぐらすべし
 「このように、同じ邸にいらして隙間もないのに、遠慮会釈もなく、あのように忍び込んで来られるというのは、わざと軽蔑し愚弄しておられるのだ」とお思いになると、ますますひどく腹立たしくて、「この機会に、しかるべき事件を企てるのには、よいきっかけだ」と、いろいろとお考えめぐらすようである。
 皇太后である自分もいっしょに住んでいる邸内に来て不謹慎きわまることをするのも、自分をいっそう侮辱して見せたい心なのであろうとお思いになると、残念だというお心持ちがつのるばかりで、これを動機にして源氏の排斥を企てようともお思いになった。
  "Kaku, hitotokoro ni ohasi te hima mo naki ni, tutumu tokoro naku, sate iri monose raru ram ha, kotosarani karome rouze raruru ni koso ha." to obosi nasu ni, itodo imiziu mezamasiku, "Kono tuide ni, saru beki koto-domo kamahe ide m ni, yoki tayori nari." to, obosi megurasu besi.
注釈543大臣は思ひのままに右大臣。『集成』は「勝手気ままで」の意に解す。『完訳』は「思ったままを口に出し、胸に収めておくことのできない性格」と注す。7.2.1
注釈544添ひたまふにこれは大島本は「そひ給にこれは」とある。『新大系』は底本のままとする。『集成』『古典セレクション』は諸本に従って「添ひたまひにたれば」と校訂する。「こ(己)」と「た(多)」の類似から生じた異文であろう。7.2.1
注釈545何ごとにかはとどこほりたまはむ『集成』は句点だが、『完訳』は読点で、挿入句と解す。反語表現。語り手の感情移入の挿入句。7.2.1
注釈546かうかうのこと以下「うたがひはべらざりつる」まで、右大臣の詞。7.2.2
注釈547さても見むと言ひはべりし折右大臣は源氏を朧月夜尚侍の婿にしようと言ったという。「葵」巻に語られている。7.2.2
注釈548さるべきにこそはとて前世からの宿縁をいう。7.2.2
注釈549世に穢れたりとも思し捨つまじきを「世に」は「まじき」にかかる。強い打消しのニュアンス。「穢れ」は源氏と関係したことをさす。「思し捨つまじき」の主語は朱雀帝。7.2.2
注釈550本意のごとく最初の望みの意。入内することをさす。7.2.2
注釈551うけばりたる女御なども言はせたまはぬをだに大島本は「給ら(良#)ぬ」とある。「給はぬ」。『新大系』は底本のままとする。『集成』『古典セレクション』は諸本に従って「はべらぬ」と校訂する。7.2.2
注釈552男の例とはいひながら男は好色なものだという考え。7.2.3
注釈553斎院をもなほ聞こえ犯しつつ斎院に対する恋は禁じられているので、「聞こえ犯す」といったもの。斎院への懸想は、時の帝への冒涜でもあるという考え。7.2.3
注釈554時の有職と以下「ことなめれば」まで、挿入句。右大臣の源氏観。7.2.3
注釈555いとどしき御心『集成』は「(右大臣よりも)もっとひどく源氏をお憎しみになるので」と注す。7.2.4
注釈556帝と聞こゆれど以下「ことわりになむあめる」まで、弘徽殿大后の詞。7.2.5
注釈557致仕の大臣も左大臣をいう。7.2.5
注釈558またなくかしづく一つ女を葵の上をいう。以下の内容は「桐壺」巻に語られている。7.2.5
注釈559いときなきが『集成』は「「が」は、目下の者に対して用いる格助詞」と注す。軽蔑のニュアンスを含んだ言い方。7.2.5
注釈560をこがましかりしありさま『集成』は「恥さらしな有様だったのを」の意に、『完訳』は「ぶざまな事態」の意に解す。7.2.5
注釈561誰れも誰れもあやしとやは思したりし弘徽殿大后以外、右大臣をはじめ誰一人も源氏を疑わなかった、という意。7.2.5
注釈562皆かの御方にこそ右大臣らが源氏に心寄せたことをいう。7.2.5
注釈563その本意違ふさまに『集成』は「源氏を婿という希望が」と解し、また一方、『完訳』は「入内させ、後の立后をと希望」の意に解す。前者の説に従う。7.2.5
注釈564かくてもさぶらひたまふめれど尚侍として入内したことをいう。7.2.5
注釈565いかでさる方にても以下「見るところもあり」まで、弘徽殿大后の考え。7.2.5
注釈566ねたげなりし人源氏をさす。7.2.5
注釈567忍びて我が心の入る方に主語は朧月夜尚侍。こっそりと自分の気に入った人にの意。7.2.5
注釈568ましてさもあらむ帝の御妻に通じるくらいだから斎院の噂もきっと事実だの意。7.2.5
注釈569朝廷の御方にうしろやすからず見ゆるは源氏が帝にとって不安な存在に見えるという意。7.2.5
注釈570春宮の御世心寄せ殊なる人春宮の即位後の御代に期待を寄せる人の意。7.2.5
注釈571いとほしう『集成』は「聞き苦しく」の意に解す。『完訳』は「右大臣は、源氏に同情もし、これを大后に話したことを後悔」と注す。7.2.6
注釈572など聞こえつることぞ右大臣の心。弘徽殿大后に話したことを後悔。7.2.6
注釈573思さるれば「るれ」自発の助動詞。7.2.6
注釈574さはれしばしこのこと以下「当たりはべらむ」まで、右大臣の詞。7.2.7
注釈575内裏にも奏せさせたまふな「させ」(尊敬の助動詞)「たまふ」(尊敬の補助動詞)、最高敬語。会話文中での用法。7.2.7
注釈576あまえてはべるなるべし主語は朧月夜尚侍。「なる」(断定の助動詞)「べし」(推量の助動詞)は、話し手右大臣のもの。7.2.7
注釈577うちうちに制しのたまはむに弘徽殿大后が朧月夜尚侍に内々に意見するの意。7.2.7
注釈578聞きはべらずは主語は朧月夜尚侍。7.2.7
注釈579ことに御けしきも直らず弘徽殿大后の機嫌をいう。7.2.8
注釈580かく、一所に以下「弄ぜらるるにこそは」まで、弘徽殿大后の心中。7.2.9
注釈581おはして弘徽殿大后の心中に敬語があるのは、語り手の敬意が混入したもの。7.2.9
注釈582つつむところなく主語は源氏。7.2.9
注釈583ものせらるらむは「らる」尊敬の助動詞。敬意が「たまふ」より軽い。7.2.9
注釈584弄ぜらるるにこそは「らるる」尊敬の助動詞。「に」断定の助動詞。7.2.9
注釈585このついでに以下「よきたよりなり」まで、弘徽殿大后の心中。7.2.9
注釈586さるべきことども『完訳』は「源氏や東宮を失脚させることを暗示する表現」と注す。7.2.9
注釈587思しめぐらすべし「べし」推量の助動詞、語り手の推量。『岷江入楚』所引三光院実枝説「太后の御心を推量てかける詞也」。また『万水一露』は「かの式部后の御心を察して筆をとゝめたる也」と指摘する。7.2.9
校訂55 たまはぬ たまはぬ--給ら(ら/#)ぬ 7.2.2
Last updated 9/20/2010(ver.2-3)
渋谷栄一校訂(C)
Last updated 9/5/2009(ver.2-2)
渋谷栄一注釈(C)
Last updated 5/19/2001
渋谷栄一訳(C)(ver.1-2-2)
現代語訳
与謝野晶子
電子化
上田英代(古典総合研究所)
底本
角川文庫 全訳源氏物語
校正・
ルビ復活
小林繁雄(青空文庫)

2003年7月13日

渋谷栄一訳
との突合せ
若林貴幸、宮脇文経

2005年10月30日

Last updated 9/5/2009 (ver.2-2)
Written in Japanese roman letters
by Eiichi Shibuya(C)
Picture "Eiri Genji Monogatari"(1650 1st edition)
このページは再編集プログラムによって2015/1/12に出力されました。
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