12 須磨(大島本)


SUMA


光る源氏の二十六歳春三月下旬から二十七歳春三月上巳日まで無位無官時代の都と須磨の物語


Tale of Hikaru-Genji's commoner era in Kyoto and Suma from March at the age of 26 to March at the age of 27

1
第一章 光る源氏の物語 逝く春と離別の物語


1  Tale of Hikaru-Genji  A parting in departing spring

1.1
第一段 源氏、須磨退去を決意


1-1  Genji determines to leave Kyoto for Suma

1.1.1   世の中、いとわづらはしく、はしたなきことのみまされば、「 せめて知らず顔にあり経ても、これよりまさることもや」と思しなりぬ。
 世の中、まことに厄介で、体裁の悪いことばかり増えていくので、「無理にそ知らぬふりをして過ごしていても、これより厄介なことが増えていくのでは」とお思いになった。
 当帝の外戚の大臣一派が極端な圧迫をして源氏に不愉快な目を見せることが多くなって行く。つとめて冷静にはしていても、このままで置けば今以上なわざわいが起こって来るかもしれぬと源氏は思うようになった。
  Yononaka, ito wadurahasiku, hasitanaki koto nomi masare ba, "Semete sira-zu-gaho ni ari-he te mo, kore yori masaru koto mo ya?" to obosi nari nu.
1.1.2  「 かの須磨は、昔こそ人の住みかなどもありけれ、今は、いと里離れ心すごくて、海人の家だにまれに」など聞きたまへど、「 人しげく、ひたたけたらむ住まひは、いと 本意なかるべし。さりとて、都を遠ざからむも、故郷おぼつかなかるべきを」、人悪くぞ思し乱るる。
 「あの須磨は、昔こそ人の住居などもあったが、今では、とても人里から離れ物寂しくて、漁師の家さえまれで」などとお聞きになるが、「人が多く、ごみごみした住まいは、いかにも本旨にかなわないであろう。そうといって、都から遠く離れるのも、家のことがきっと気がかりに思われるであろう」と、人目にもみっともなくお悩みになる。
 源氏が隠栖いんせいの地に擬している須磨すまという所は、昔は相当に家などもあったが、近ごろはさびれて人口も稀薄きはくになり、漁夫の住んでいる数もわずかであると源氏は聞いていたが、田舎いなかといっても人の多い所で、引き締まりのない隠栖になってしまってはいやであるし、そうかといって、京にあまり遠くては、人には言えぬことではあるが夫人のことが気がかりでならぬであろうしと、煩悶はんもんした結果須磨へ行こうと決心した。
  "Kano suma ha, mukasi koso hito no sumika nado mo ari kere, ima ha, ito sato hanare kokoro-sugoku te, ama no ihe dani mare ni." nado kiki tamahe do, "Hito sigeku, hitatake tara m sumahi ha, ito ho'i nakaru besi. Saritote, miyako toho-zakara m mo, hurusato obotukanakaru beki wo", hito-waruku zo obosi midaruru.
1.1.3  よろづのこと、来し方行く末、思ひ続けたまふに、悲しきこといとさまざまなり。 憂きものと思ひ捨てつる世も、今はと住み離れなむことを思すには、いと捨てがたきこと多かるなかにも、姫君の、明け暮れにそへては、思ひ嘆きたまへるさまの、心苦しうあはれなるを、「 行きめぐりても、また逢ひ見むことをかならず」と、思さむにてだに、 なほ一、二日のほど、よそよそに明かし暮らす折々だに、おぼつかなきものにおぼえ、女君も心細うのみ思ひたまへるを、「 幾年そのほどと限りある道にもあらず逢ふを限りに隔たりゆかむも 、定めなき世に、 やがて別るべき門出にもや 」と、いみじうおぼえたまへば、「忍びてもろともにもや」と、思し寄る折あれど、 さる心細からむ海づらの、 波風よりほかに立ちまじる人もなからむに、かくらうたき御さまにて、引き具し たまへらむも、いとつきなく、わが心にも、「なかなか、もの思ひのつまなるべきを」など思し返すを、女君は、「 いみじからむ道にも、後れきこえずだにあらば」と、おもむけて、恨めしげに思いたり。
 すべてのこと、今までのこと将来のこと、お思い続けなさると、悲しいことさまざまである。嫌な世だとお捨てになった世の中も、今は最後と住み離れるようなことお思いになると、まことに捨てがたいことが多いなかでも、姫君が、明け暮れ日の経つにつれて、思い悲しんでいられる様子が、気の毒で悲しいので、「別れ別れになても、再び逢えることは必ず」と、お思いになる場合でも、やはり一、二日の間、別々にお過ごしになった時でさえ、気がかりに思われ、女君も心細いばかりに思っていらっしゃるのを、「何年間と期限のある旅路でもなく、再び逢えるまであてどもなく漂って行くのも、無常の世に、このまま別れ別れになってしまう旅立ちにでもなりはしまいか」と、たいそう悲しく思われなさるので、「こっそりと一緒にでは」と、お思いよりになる時もあるが、そのような心細いような海辺の、波風より他に訪れる人もないような所に、このようないじらしいご様子で、お連れなさるのも、まことに不似合いで、自分の心にも、「かえって、物思いの種になるにちがいなかろう」などとお考え直しになるが、女君は、「どんなにつらい旅路でも、ご一緒申し上げることができたら」と、それとなくほのめかして、恨めしそうに思っていらっしゃった。
 この際は源氏の心に上ってくる過去も未来も皆悲しかった。いとわしく思った都も、いよいよ遠くへ離れて行こうとする時になっては、捨て去りがたい気のするものの多いことを源氏は感じていた。その中でも若い夫人が、近づく別れを日々に悲しんでいる様子の哀れさは何にもまさっていたましかった。この人とはどんなことがあっても再会を遂げようという覚悟はあっても、考えてみれば、一日二日の外泊をしていても恋しさに堪えられなかったし、女王にょおうもその間は同じように心細がっていたそんな間柄であるから、幾年と期間の定まった別居でもなし、無常の人世では、仮の別れが永久の別れになるやも計られないのであると、源氏は悲しくて、そっといっしょに伴って行こうという気持ちになることもあるのであるが、そうした寂しい須磨のような所に、海岸へ波の寄ってくるほかは、人の来訪することもない住居すまいに、この華麗な貴女きじょ同棲どうせいしていることは、あまりに不似合いなことではあるし、自身としても妻のいたましさに苦しまねばならぬであろうと源氏は思って、それはやめることにしたのを、夫人は、「どんなひどい所だって、ごいっしょでさえあれば私はいい」と言って、行きたい希望のこばまれるのを恨めしく思っていた。
  Yorodu no koto, kisikata yukusuwe, omohi-tuduke tamahu ni, kanasiki koto ito sama-zama nari. Uki mono to omohi-sute turu yo mo, ima ha to sumi-hanare na m koto wo obosu ni ha, ito sute gataki koto ohokaru naka ni mo, Hime-Gimi no, ake-kure ni sohe te ha, omohi-nageki tamahe ru sama no, kokoro-gurusiu ahare naru wo, "Yuki-meguri te mo, mata ahi-mi m koto wo kanarazu." to, obosa m ni te dani, naho hito-hi hutu-ka no hodo, yoso-yoso ni akasi-kurasu wori-wori dani, obotukanaki mono ni oboye, Womna-Gimi mo kokoro-bosou nomi omohi tamahe ru wo, "Iku-tosi sono hodo to kagiri aru miti ni mo ara zu, ahu wo kagiri ni hedatari yuka m mo, sadame naki yo ni, yagate wakaru beki kadode ni mo ya?" to, imiziu oboye tamahe ba, "Sinobi te morotomo ni mo ya?" to, obosi-yoru wori are do, saru kokoro-bosokara m umi-dura no, nami-kaze yori hoka ni tati-maziru hito mo nakara m ni, kaku rautaki ohom-sama ni te, hiki-gusi tamahe ra m mo, ito tukinaku, waga kokoro ni mo, "Naka-naka, mono-omohi no tuma naru beki wo." nado obosi-kahesu wo, Womna-Gimi ha, "Imizikara m miti ni mo, okure kikoye zu dani ara ba." to, omomuke te, uramesige ni oboi tari.
1.1.4  かの花散里にも、 おはし通ふことこそまれなれ、心細くあはれなる御ありさまを、この御蔭に隠れてものしたまへば、思し嘆きたるさまも、いとことわりなり。なほざりにても、ほのかに見たてまつり通ひたまひし所々、人知れぬ心をくだきたまふ人ぞ多かりける。
 あの花散里にも、お通いになることはまれであるが、心細く気の毒なご様子を、この君のご庇護のもとに過ごしていらっしゃるので、お嘆きになる様子も、いかにもごもっともである。かりそめであっても、わずかにお逢い申しお通いにった所々では、人知れず心をお痛めになる方々が多かったのである。
花散里はなちるさとの君も、源氏の通って来ることは少なくても、一家の生活は全部源氏の保護があってできているのであるから、この変動の前に心をいためているのはもっともなことと言わねばならない。源氏の心にたいした愛があったのではなくても、とにかく情人として時々通って来ていた所々では、人知れず心をいためている女も多数にあった。
  Kano Hanatirusato ni mo, ohasi-kayohu koto koso mare nare, kokoro-bosoku ahare naru ohom-arisama wo, kono mi-kage ni kakure te monosi tamahe ba, obosi-nageki taru sama mo, ito kotowari nari. Nahozari ni te mo, honoka ni mi tatematuri kayohi tamahi si tokoro-dokoro, hito sire nu kokoro wo kudaki tamahu hito zo ohokari keru.
1.1.5  入道の宮よりも、「 ものの聞こえや、またいかがとりなさむ」と、わが御ためつつましけれど、忍びつつ御とぶらひ常にあり。「 昔、かやうに相思し、あはれをも見せたまはましかば」と、うち思ひ出でたまふにも、「 さも、さまざまに、心をのみ尽くすべかりける人の御契りかな」と、つらく思ひきこえたまふ。
 入道の宮からも、「世間の噂は、またどのように取り沙汰されるだろうか」と、ご自身にとっても用心されるが、人目に立たないよう立たないようにしてお見舞いが始終ある。「昔、このように互いに思ってくださり、情愛をもお見せくださったのであったならば」と、ふとお思い出しになるにつけても、「そのようにも、あれやこれやと、心の限りを尽くさなければならない宿縁のお方であった」と、辛くお思い申し上げなさる。
 入道の宮からも、またこんなことで自身の立場を不利に導く取り沙汰が作られるかもしれぬという遠慮を世間へあそばしながらの御慰問が始終源氏にあった。昔の日にこの熱情が見せていただけたことであったならと源氏は思って、この方のために始終物思いをせねばならぬ運命が恨めしかった。
  Nihudau-no-Miya yori mo, "Mono no kikoye ya, mata ikaga tori-nasa m?" to, waga ohom-tame tutumasikere do, sinobi tutu ohom-toburahi tune ni ari. "Mukasi, kayau ni ahi-obosi, ahare wo mo mise tamaha masika ba." to, uti-omohi-ide tamahu ni mo, "Sa mo, sama-zama ni, kokoro wo nomi tukusu bekari keru hito no ohom-tigiri kana!" to, turaku omohi kikoye tamahu.
注釈1世の中いとわづらはしくはしたなきことのみまされば政治的社会的情勢が源氏にとって不利な事ばかりが生じてきた。1.1.1
注釈2せめて知らず顔にあり経ても、これよりまさることもや源氏の心中を間接叙述。「これ」は『完訳』「除名処分以上のこと。流罪」と指摘する。1.1.1
注釈3かの須磨は昔こそ人の住みかなどもありけれ「須磨」は歌枕の地。「こそ」「ありけれ」の係結びは、逆接用法。「わくらばに問ふ人あらば須磨の浦に藻塩垂れつつわぶと答へよ(古今集雑下、九六二、在原行平)。「人」は身分のある人の意、「住みか」はその別荘をさす。以下「まれに」まで、人の言の間接引用。1.1.2
注釈4人しげくひたたけたらむ住まひは以下、「おぼつかなかるべきを」まで、源氏の心中の間接的叙述であるが、それを受ける引用の格助詞「と」などがない。「ひたたく」は、『集成』は「みだりがわしい、しまりがないなどの意」と解し、『完訳』は「にぎやかなさま」の意に解す。1.1.2
注釈5本意なかるべし『集成』は「本心にかなわぬことであろう」の意に解し、『完訳』は「心底にある出家遁世への本願」の意に解す。1.1.2
注釈6憂きものと『完訳』は「ここも前巻花散里冒頭に照応。葵の上の死を契機とする道心を発条として、離京を決意するが、絆ゆえに躊躇」という。1.1.3
注釈7行きめぐりても『岷江入楚』は「下の帯の道はかたがたに別るとも行きめぐりても逢はむとぞ思ふ(古今集離別、四〇五、紀友則)を指摘する。1.1.3
注釈8なほ一二日『完訳』は「「なほ--おぼえ」は、源氏の雲林院への短期間の参篭などを具体例に、直前の叙述を補強する」と指摘。1.1.3
注釈9幾年そのほどと限りある道にもあらず以下「門出にもや」まで、源氏の心中叙述。『獄令』には流罪の人は六年または三年後復任を許されるとある。源氏は自主的に退去したので、何年と限ることができない。『完訳』「「--だに--だに」の文脈を受けて、まして--の気持」と注す。1.1.3
注釈10逢ふを限りに隔たりゆかむも『河海抄』は「わが恋は行方も知らず果てもなし逢ふを限りと思ふばかりぞ」(古今集恋二、六一一、凡河内躬恒)を指摘する。その第四句の文句による表現。1.1.3
注釈11やがて別るべき門出にもや『紫明抄』は「かりそめの行きかひ路とぞ思ひこし今は限りの門出なりけり」(古今集哀傷、八六二、在原滋春)を指摘する。1.1.3
注釈12さる心細からむ以下、源氏の心中に添った叙述。「なかなかもの思ひのつまなるべきを」は直接的叙述。1.1.3
注釈13波風よりほかに立ちまじる人「立ち」は「波風」の縁語。「立ち交じる人」は文飾表現。1.1.3
注釈14たまへらむ給つ(つ$へ<朱>)らむ大−給つらむ飯−給へらむ横池肖三。青表紙本は「たまへ」(尊敬の補助動詞)「ら」(完了の助動詞、完了)「む」(推量の助動詞、仮定)という語法。源氏の心中叙述の中に語り手の敬語表現が交じった文型。1.1.3
注釈15いみじからむ道にも後れきこえずだにあらば紫の君の心中。1.1.3
注釈16おはし通ふことこそまれなれ「こそ--まれなれ」係結び表現。読点で逆接用法。1.1.4
注釈17ものの聞こえやまたいかがとりなさむ藤壷の心中。
【とりなさむ】−とりなさむ大−とりなれむ飯−とりなさむ横池肖三書 大島本は河内本(高松宮家本を除く)、別本(御物本と陽明文庫本)と同文である。『集成』は「とりなさむ」のまま。『完訳』は「とりなされむ」と訂正。底本の「れ」受身の助動詞。「れ」の有無によって主語が藤壷または噂と変化する。
1.1.5
注釈18昔かやうに相思しあはれをも見せたまはましかば源氏の心中。「相思し」とあることに注意。「ましかば」は反実仮想の表現。1.1.5
注釈19さもさまざまに心をのみ尽くすべかりける人の御契りかな源氏の心中。藤壷との恋を回顧する。『集成』は「「さまざまに」とは、これまで藤壷との恋で味わった嘆きと、今せっかくやさしくして下さっても、もうどうにもならぬ嘆きとをさす」と注す。1.1.5
出典1 逢ふを限りに 我が恋は行方も知らず果てもなし逢ふを限りと思ふばかりぞ 古今集恋二-六一一 凡河内躬恒 1.1.3
出典2 別るべき門出 かりそめの行き通ひ路とぞ思ひこし今は限りの門出なりけり 古今集哀傷-八六二 在原滋春 1.1.3
校訂1 たまへらむ たまへらむ--給つ(つ/$へ<朱>)らむ 1.1.3
1.2
第二段 左大臣邸に離京の挨拶


1-2  Parting greeting to Sadaijin

1.2.1   三月二十日あまりのほどになむ、都を離れたまひける人にいつとしも知らせたまはず、ただ いと近う仕うまつり馴れたる限り、七、八人ばかり御供にて、いとかすかに出で立ちたまふ。さるべき所々に、御文ばかりうち忍びたまひしにも、あはれと忍ばるばかり尽くいたまへるは、見どころもありぬべかりしかど、 その折の、心地の紛れに、はかばかしうも聞き置かずなりにけり
 三月二十日過ぎのころに、都をお離れになった。誰にもいつとはお知らせなさらず、わずかにごく親しくお仕え申し馴れている者だけ、七、八人ほどをお供として、たいそうひっそりとご出発になる。しかるべき所々には、お手紙だけをそっと差し上げなさったが、しみじみと偲ばれるほど言葉をお尽くしになったのは、きっと素晴らしいものであっただろうが、その時の、気の動転で、はっきりと聞いて置かないままになってしまったのであった。
 三月の二十幾日に京を立つことにしたのである。世間へは何とも発表せずに、きわめて親密に思っている家司けいし七、八人だけを供にして、簡単な人数で出かけることにしていた。恋人たちの所へは手紙だけを送って、ひそかに別れを告げた。形式的なものでなくて、真情のこもったもので、いつまでも自分を忘れさすまいとした手紙を書いたのであったから、きっと文学的におもしろいものもあったに違いないが、その時分に筆者はこのいたましい出来事に頭を混乱させていて、それらのことを注意して聞いておかなかったのが残念である。
  Yayohi hatuka amari no hodo ni nam, miyako wo hanare tamahi keru. Hito ni itu to si mo sirase tamaha zu, tada ito tikau tukau-maturi nare taru kagiri, siti, hati-nin bakari ohom-tomo nite, ito kasuka ni ide-tati tamahu. Saru-beki tokoro-dokoro ni, ohom-humi bakari uti-sinobi tamahi si ni mo, ahare to sinoba ruru bakari tukui tamahe ru ha, mi-dokoro mo ari nu bekari sika do, sono wori no, kokoti no magire ni, haka-bakasiu mo kiki-oka zu nari ni keri.
1.2.2  二、三日かねて、夜に隠れて、大殿に渡りたまへり。網代車のうちやつれたるにて、女車のやうにて隠ろへ 入りたまふも、いとあはれに、夢とのみ見ゆ。御方、いと寂しげにうち荒れたる心地して、若君の御乳母ども、昔さぶらひし人のなかに、まかで散らぬ限り、かく渡りたまへるを めづらしがりきこえて、参う上り集ひて見たてまつるにつけても、ことにもの深からぬ若き人びとさへ、世の常なさ思ひ知られて、涙にくれたり。
 二、三日前に、夜の闇に隠れて、大殿にお渡りになった。網代車の粗末なので、女車のようにひっそりとお入りになるのも、実にしみじみと、夢かとばかり思われる。お部屋は、とても寂しそうに荒れたような感じがして、若君の御乳母どもや、生前から仕えていた女房の中で、お暇を取らずにいた人は皆、このようにお越しになったのを珍しくお思い申して、参集して拝し上げるにつけても、たいして思慮深くない若い女房でさえ、世の中の無常が思い知られて、涙にくれた。
 出発前二、三日のことである、源氏はそっと左大臣家へ行った。簡単な網代車あじろぐるまで、女の乗っているようにして奥のほうへ寄っていることなども、近侍者には悲しい夢のようにばかり思われた。昔使っていた住居すまいのほうは源氏の目に寂しく荒れているような気がした。若君の乳母めのとたちとか、昔の夫人の侍女で今も残っている人たちとかが、源氏の来たのを珍しがって集まって来た。今日の不幸な源氏を見て、人生の認識のまだ十分できていない若い女房なども皆泣く。
  Hutu-ka, mi-ka kanete, yo ni kakure te, Ohoi-dono ni watari tamahe ri. Anziro-guruma no uti-yature taru nite, womna-guruma no yau ni te kakurohe iri tamahu mo, ito ahare ni, yume to nomi miyu. Ohom-kata, ito sabisige ni uti-are taru kokoti si te, Waka-Gimi no ohom-menoto-domo, mukasi saburahi si hito no naka ni, makade-tira nu kagiri, kaku watari tamahe ru wo medurasigari kikoye te, mau-nobori tudohi te mi tatematuru ni tuke te mo, koto ni mono-hukakara nu wakaki hito-bito sahe, yo no tune nasa omohi-sira re te, namida ni kure tari.
1.2.3   若君はいとうつくしうて、され走りおはしたり。
 若君はとてもかわいらしく、はしゃいで走っていらっしゃった。
 かわいい顔をした若君がふざけながら走って来た。
  Waka-Gimi ha ito utukusiu te, sare hasiri ohasi tari.
1.2.4  「 久しきほどに、忘れぬこそ、あはれなれ
 「長い間逢わないのに、忘れていないのが、感心なことだ」
 「長く見ないでいても父を忘れないのだね」
  "Hisasiki hodo ni, wasure nu koso, ahare nare!"
1.2.5  とて、膝に据ゑたまへる御けしき、忍びがたげなり。
 と言って、膝の上にお乗せになったご様子、堪えきれなさそうである。
 と言って、ひざの上へ子をすわらせながらも源氏は悲しんでいた。
  tote, hiza ni suwe tamahe ru mi-kesiki, sinobi-gatage nari.
1.2.6  大臣、こなたに渡りたまひて、対面したまへり。
 大臣、こちらにお越しになって、お会いになった。
 左大臣がこちらへ来て源氏にった。
  Otodo, konata ni watari tamahi te, taimen si tamahe ri.
1.2.7  「 つれづれに籠もらせたまへらむほど、何とはべらぬ昔物語も、参りて、聞こえさせむと思うたまへれど、身の病重きにより、朝廷にも仕うまつらず、 位をも返したてまつりて はべるに、私ざまには 腰のべてなむと、ものの聞こえひがひがしかるべきを、今は世の中 憚るべき身にもはべらねど、いちはやき世のいと恐ろしうはべるなり。 かかる御ことを見たまふる につけて、 命長きは心憂く思うたまへらるる世の末にもはべるかな。天の下をさかさまになしても、思うたまへ寄らざりし御ありさまを見たまふれば、よろづいとあぢきなくなむ」
 「所在なくお引き籠もりになっていらっしゃる間、何ということもない昔話でも、参上して、お話し申し上げようと存じておりましたが、わが身の病気が重い理由で、朝廷にもお仕え申さず、官職までもお返し申し上げておりますのに、私事には腰を伸ばして勝手にと、世間の風評も悪く取り沙汰されるにちがいないので、今では世間に遠慮しなければならない身の上ではございませんが、厳しく性急な世の中がとても恐ろしいのでございます。このようなご悲運を拝見するにつけても、長生きは厭わしく存じられる末世でございますね。天地を逆様にしても、存じよりませんでしたご境遇を拝見しますと、万事がまことにおもしろくなく存じられます」
 「おひまな間に伺って、なんでもない昔の話ですがお目にかかってしたくてなりませんでしたものの、病気のために御奉公もしないで、官庁へ出ずにいて、私人としては暢気のんきに人の交際もすると言われるようでは、それももうどうでもいいのですが、今の社会はそんなことででもなんらかの危害が加えられますからこわかったのでございます。あなたの御失脚を拝見して、私は長生きをしているから、こんな情けない世の中も見るのだと悲しいのでございます。末世です。天地をさかさまにしてもありうることでない現象でございます。何もかも私はいやになってしまいました」
  "Ture-dure ni komora se tamahe ra m hodo, nani to habera nu mukasi-monogatari mo, mawiri te, kikoye sase m to omou tamahe re do, mi no yamahi omoki ni yori, ohoyake ni mo tukau-matura zu, kurawi wo mo kahesi tatematuri te haberu ni, watakusi-zama ni ha kosi nobe te nam to, mono no kikoye higa-higasikaru beki wo, ima ha yononaka habakaru beki mi ni mo habera ne do, itihayaki yo no ito osorosiu haberu nari. Kakaru ohom-koto wo mi tamahuru ni tuke te, inoti nagaki ha kokoro-uku omou tamahe raruru yo no suwe ni mo haberu kana! Ame no sita wo sakasama ni nasi te mo, omou tamahe yora zari si ohom-arisama wo mi tamahure ba, yorodu ito adikinaku nam."
1.2.8  と聞こえたまひて、いたうしほたれたまふ。
 とお申し上げになって、ひどく涙にくれていらっしゃる。
 としおれながら言う大臣であった。
  to kikoye tamahi te, itau sihotare tamahu.
1.2.9  「 とあることも、かかることも、前の世の報いにこそはべるなれば、言ひもてゆけば、ただ、みづからのおこたりになむはべる。 さして、かく、官爵を取られず、あさはかなることにかかづらひてだに、朝廷のかしこまりなる人の、うつしざまにて世の中にあり経るは、咎重きわざに人の国にもしはべるなるを、 遠く放ちつかはすべき定めなども はべるなるはさま異なる罪に当たるべきにこそはべるなれ。濁りなき心にまかせて、つれなく過ぐしはべらむも、いと憚り多く、これより大きなる恥にのぞまぬさきに、世を逃れなむと思うたまへ立ちぬる」
 「このようなことも、あのようなことも、前世からの因果だということでございますから、せんじつめれば、ただ、わたくしの宿運のつたなさゆえでございます。これと言った理由で、このように、官位を剥奪されず、ちょっとした科に関係しただけでも、朝廷のお咎めを受けた者が、普段と変わらない様子で世の中に生活をしているのは、罪の重いことに唐土でも致しておるということですが、遠流に処すべきだという決定などもございますというのは、容易ならぬ罪科に当たることになっているのでしょう。潔白な心のままで、素知らぬ顔で過ごしていますのも、まことに憚りが多く、これ以上大きな辱めを受ける前に、都を離れようと決意致した次第です」
 「何事も皆前生の報いなのでしょうから、根本的にいえば自分の罪なのです。私のように官位を剥奪はくだつされるほどのことでなくても、勅勘ちょっかんの者は普通人と同じように生活していることはよろしくないとされるのはこの国ばかりのことでもありません。私などのは遠くへ追放するという条項もあるのですから、このまま京におりましてはなおなんらかの処罰を受けることと思われます。冤罪えんざいであるという自信を持って京に留まっていますことも朝廷へ済まない気がしますし、今以上の厳罰にあわない先に、自分から遠隔の地へ移ったほうがいいと思ったのです」
  "To-aru koto mo, kakaru koto mo, saki-no-yo no mukuyi ni koso haberu nare ba, ihi mote yuke ba, tada, midukara no okotari ni nam haberu. Sasite, kaku, kwansyaku wo tora re zu, asahaka naru koto ni kakadurahi te dani, ohoyake no kasikomari naru hito no, utusi-zama ni te yononaka ni ari huru ha, toga omoki waza ni hito no kuni ni mo si haberu naru wo, tohoku hanati tukahasu beki sadame nado mo haberu naru ha, sama koto naru tumi ni ataru beki ni koso haberu nare. Nigori naki kokoro ni makase te, turenaku sugusi habera m mo, ito habakari ohoku, kore yori ohoki naru hadi ni nozoma nu saki ni, yo wo nogare na m to omou tamahe tati nuru."
1.2.10  など、こまやかに聞こえたまふ。
 などと、詳しくお話し申し上げなさる。
 などと、こまごま源氏は語っていた。
  nado, komayaka ni kikoye tamahu.
1.2.11  昔の御物語、院の御こと、思しのたまはせし御心ばへなど 聞こえ出でたまひて御直衣の袖もえ引き放ちたまはぬに、君も、え心強くもてなしたまはず。若君の何心なく紛れありきて、これかれに馴れきこえたまふを、いみじと思いたり。
 昔のお話、院の御事、御遺言あそばされた御趣旨などをお申し上げなさって、お直衣の袖もお引き放しになれないので、君も、気丈夫に我慢がおできになれない。若君が無邪気に走り回って、二人にお甘え申していらっしゃるのを、悲しくお思いになる。
 大臣は昔の話をして、院がどれだけ源氏を愛しておいでになったかと、その例を引いて、涙をおさえる直衣のうしそでを顔から離すことができないのである。源氏も泣いていた。若君が無心に祖父と父の間を歩いて、二人に甘えることを楽しんでいるのに心が打たれるふうである。
  Mukasi no ohom-monogatari, Win no ohom-koto, obosi notamahase si mi-kokorobahe nado kikoye-ide tamahi te, ohom-nahosi no sode mo e hiki-hanati tamaha nu ni, Kimi mo, e kokoro-duyoku motenasi tamaha zu. Waka-Gimi no nani-gokoro naku magire-ariki te, kore kare ni nare kikoye tamahu wo, imizi to oboi tari.
1.2.12  「 過ぎはべりにし人を、世に思うたまへ忘るる世なくのみ、今に悲しびはべるを、この御ことになむ、もしはべる世ならましかば、いかやうに思ひ嘆きはべらまし。よくぞ短くて、かかる夢を見ずなりにけると、思うたまへ慰めはべる。幼くものしたまふが、かく齢過ぎぬるなかにとまりたまひて、なづさひきこえぬ月日や隔たりたまはむと思ひたまふるをなむ、よろづのことよりも、悲しうはべる。いにしへの人も、 まことに犯しあるにてしも、かかることに当たらざりけり。 なほさるべきにて、人の朝廷にもかかるたぐひ多うはべりけり。されど、 言ひ出づる節ありてこそ、さることもはべりけれ、とざま、かうざまに、思ひたまへ寄らむかたなくなむ」
 「亡くなりました人を、まことに忘れる時とてなく、今でも悲しんでおりますのに、この度の出来事で、もし生きていましたら、どんなに嘆き悲しんだことでしょう。よくぞ短命で、このような悪夢を見ないで済んだことだと、存じて僅かに慰めております。あどけなくいらっしゃるのが、このように年寄たちの中に後に残されなさって、お甘え申し上げられない月日が重なって行かれるのであろうと存じますのが、何事にもまして、悲しうございます。昔の人も、本当に犯した罪があったからといっても、このような罪科には処せられたわけではありませんでした。やはり前世からの宿縁で、異国の朝廷にもこのような冤罪に遭った例は数多くございました。けれど、言い出す根拠があって、そのようなことにもなったのでございますが、どのような点から見ても、思い当たるような節がございませんのに」
 「くなりました娘のことを、私は少しも忘れることができずに悲しんでおりましたが、今度の事によりまして、もしあれが生きておりましたなら、どんなになげくことであろうと、短命で死んで、この悪夢を見ずに済んだことではじめて慰めたのでございます。小さい方が老祖父母の中に残っておいでになって、りっぱな父君に接近されることのない月日の長かろうと思われますことが私には何よりも最も悲しゅうございます。昔の時代には真実罪を犯した者も、これほどの扱いは受けなかったものです。宿命だと見るほかはありません。外国の朝廷にもずいぶんありますように冤罪にお当たりになったのでございます。しかし、それにしてもなんとか言い出す者があって、世間が騒ぎ出して、処罰はそれからのものですが、どうも訳がわかりません」
  "Sugi haberi ni si hito wo, yo ni omou tamahe wasururu yo naku nomi, ima ni kanasibi haberu wo, kono ohom-koto ni nam, mosi haberu yo nara masika ba, ika yau ni omohi nageki habera masi. Yoku zo mizikaku te, kakaru yume wo mi zu nari ni keru to, omou tamahe nagusame haberu. Wosanaku monosi tamahu ga, kaku yohahi sugi nuru naka ni tomari tamahi te, nadusahi kikoye nu tuki-hi ya hedatari tamaha m to omohi tamahuru wo nam, yorodu no koto yori mo, kanasiu haberu. Inisihe no hito mo, makoto ni wokasi aru ni te si mo, kakaru koto ni atara zari keri. Naho saru-beki ni te, hito no mikado ni mo kakaru taguhi ohou haberi keri. Saredo, ihi-iduru husi ari te koso, saru koto mo haberi kere, tozama-kauzama ni, omohi tamahe yora m kata naku nam."
1.2.13   など、多くの御物語聞こえたまふ。
 などと、数々お話をお申し上げになる。
 大臣はいろいろな意見を述べた。
  nado, ohoku no ohom-monogatari kikoye tamahu.
1.2.14  三位中将も参りあひたまひて、大御酒など参りたまふに、夜更けぬれば、泊まりたまひて、人びと御前にさぶらはせたまひて、物語などせさせたまふ。人よりはこよなう忍び思す 中納言の君 言へばえに悲しう思へるさまを、人知れずあはれと思す。人皆静まりぬるに、とりわきて語らひたまふ。 これにより泊まりたまへるなるべし
 三位中将も参上なさって、お酒などをお上がりになっているうちに、夜も更けてしまったので、お泊まりになって、女房たちを御前に伺候させなさって、お話などをおさせになる。誰よりも特に密かに情けをかけていらっしゃる中納言の君、言葉に尽くせないほど悲しく思っている様子を、人知れずいじらしくお思いになる。女房たちが皆寝静まったころ、格別に睦言をお交わしになる。この人のためにお泊まりになったのであろう。
 三位さんみ中将も来て、酒が出たりなどして夜がふけたので源氏は泊まることにした。女房たちをその座敷に集めて話し合うのであったが、源氏の隠れた恋人である中納言の君が、人には言えない悲しみを一人でしている様子を源氏は哀れに思えてならないのである。皆が寝たあとに源氏は中納言を慰めてやろうとした。源氏の泊まった理由はそこにあったのである。
  Samwi-no-Ttyuzyau mo mawiri-ahi tamahi te, oho-miki nado, mawiri tamahu ni, yo huke nure ba, tomari tamahi te, hito-bito o-mahe ni saburaha se tamahi te, monogatari nado se sase tamahu. Hito yori ha koyonau sinobi obosu Tyuunagon-no-Kimi, ihebae ni kanasiu omohe ru sama wo, hito sire zu ahare to obosu. Hito mina sidumari nuru ni, tori-waki te katarahi tamahu. Kore ni yori tomari tamahe ru naru besi.
1.2.15   明けぬれば、夜深う出でたまふに、 有明の月いとをかし花の木どもやうやう盛り過ぎて、わづかなる木蔭の、いと白き庭に薄く霧りわたりたる、そこはかとなく霞みあひて、秋の夜のあはれにおほくたちまされり隅の高欄におしかかりて、とばかり、眺めたまふ
 夜が明けてしまいそうなので、まだ夜の深いうちにお帰りになると、有明の月がとても美しい。花の樹々がだんだんと盛りを過ぎて、わずかに残っている花の木蔭が、とても白い庭にうっすらと朝霧が立ちこめているが、どことなく霞んで見えて、秋の夜の情趣よりも数段勝っていた。隅の高欄に寄り掛かって、しばらくの間、物思いにふけっていらっしゃる。
 翌朝は暗い間に源氏は帰ろうとした。明け方の月が美しくて、いろいろな春の花の木が皆盛りを失って、少しの花が若葉のかげに咲き残った庭に、淡く霧がかかって、花を包んだかすみがぼうとその中を白くしている美は、秋の夜の美よりも身にしむことが深い。すみの欄干によりかかって、しばらく源氏は庭をながめていた。
  Ake nure ba, yo-bukau ide tamahu ni, ariake-no-tuki ito wokasi. Hana no ki-domo yau-yau sakari sugi te, waduka naru kokage no, ito siroki niha ni usuku kiri-watari taru, sokohaka to naku kasumi-ahi te, aki no yo no ahare ni ohoku tati-masare ri. Sumi no kauran ni osi-kakari te, tobakari, nagame tamahu.
1.2.16  中納言の君、 見たてまつり送らむとにや、妻戸おし開けてゐたり。
 中納言の君、お見送り申し上げようとしてであろうか、妻戸を押し開けて座っている。
 中納言の君は見送ろうとして妻戸をあけてすわっていた。
  Tyuunagon-no-Kimi, mi tatematuri okura m to ni ya, tumado osi-ake te wi tari.
1.2.17  「 また対面あらむことこそ、思へばいと難けれ。 かかりける世を知らで、心やすくもありぬべかりし月ごろ、さしも急がで、隔てしよ」
 「再びお会いしようことを、思うとまことに難しい。このようなことになろうとは知らず、気安く逢えた月日があったのに、そのように思わず、ご無沙汰してしまったことよ」
 「あなたとまた再会ができるかどうか。むずかしい気のすることだ。こんな運命になることを知らないで、逢えば逢うことのできたころにのんきでいたのが残念だ」
  "Mata taimen ara m koto koso, omohe ba ito katakere. Kakari keru yo wo sira de, kokoro-yasuku mo ari nu bekari si tuki-goro, sasimo isoga de, hedate si yo!"
1.2.18  などのたまへば、ものも聞こえず泣く。
 などとおっしゃると、何とも申し上げられず泣く。
 と源氏は言うのであったが、女は何も言わずに泣いているばかりである。
  nado notamahe ba, mono mo kikoye zu naku.
1.2.19  若君の御乳母の宰相の君して、宮の御前より御消息聞こえたまへり。
 若君の御乳母の宰相の君をお使いとして、宮の御前からご挨拶を申し上げなさった。
 若君の乳母めのとの宰相の君が使いになって、大臣夫人の宮の御挨拶あいさつを伝えた。
  Waka-Gimi no ohom-menoto no Saisyau-no-Kimi site, Miya no o-mahe yori ohom-seusoko kikoye tamahe ri.
1.2.20  「 身づから聞こえまほしきを、かきくらす乱り心地ためらひはべるほどに、いと夜深う出でさせたまふなるも、さま変はりたる心地のみしはべるかな。心苦しき人のいぎたなきほどは、しばしもやすらはせたまはで」
 「わたくし自身でご挨拶申し上げたいのですが、目の前が眩むほど悲しみに取り乱しておりますうちに、たいそう暗いうちにお帰りあそばすというのも、以前とは違った感じばかり致しますこと。不憫な子が眠っているうちを、少しもゆっくりともなさらず」
 「お目にかかってお話も伺いたかったのですが、悲しみが先だちまして、どうしようもございませんでしたうちに、もうこんなに早くお出かけになるそうです。そうなさらないではならないことになっておりますことも何という悲しいことでございましょう。哀れな人が眠りからさめますまでお待ちになりませんで」
  "Midukara kikoye mahosiki wo, kaki-kurasu midari-gokoti tamerahi haberu hodo ni, ito yo-bukau ide sase tamahu naru mo, sama kahari taru kokoti nomi si haberu kana! Kokoro-gurusiki hito no igitanaki hodo ha, sibasi mo yasuraha se tamaha de."
1.2.21  と聞こえたまへれば、うち泣きたまひて、
 とお申し上げになさったので、ふと涙をお洩らしになって、
 聞いていて源氏は、泣きながら、
  to kikoye tamahe re ba, uti-naki tamahi te,
1.2.22  「 鳥辺山燃えし煙もまがふやと
 「あの鳥辺山で焼いた煙に似てはいないかと
 鳥部とりべ山燃えし煙もまがふやと
    "Toribe-yama moye si keburi mo magahu ya to
1.2.23   海人の塩焼く浦見にぞ行く
  海人が塩を焼く煙を見に行きます
 海人あまの塩焼く浦見にぞ行く
    ama no siho yaku ura mi ni zo yuku
1.2.24  御返りともなくうち誦じたまひて、
 お返事というわけでもなく口ずさみなさって、
 これをお返事のことばともなく言っていた。
  Ohom-kaheri to mo naku uti-zyu-zi tamahi te,
1.2.25  「 暁の別れは、かうのみや心尽くしなる。思ひ知りたまへる人もあらむかし」
 「暁の別れは、こんなにも心を尽くさせるものなのか。お分かりの方もいらっしゃるでしょう」
 「夜明けにする別れはみなこんなに悲しいものだろうか。あなた方は経験を持っていらっしゃるでしょう」
  "Akatuki no wakare ha, kau nomi ya kokoro-dukusi naru. Omohi-siri tamahe ru hito mo ara m kasi."
1.2.26  とのたまへば、
 とおっしゃると、

  to notamahe ba,
1.2.27  「 いつとなく、別れといふ文字こそうたてはべるなるなかにも、今朝はなほたぐひあるまじう思うたまへらるるほどかな」
 「いつとなく、別れという文字は嫌なものだと言います中でも、今朝はやはり例があるまいと存じられますこと」
 「どんな時にも別れは悲しゅうございますが、今朝けさの悲しゅうございますことは何にも比較ができると思えません」
  "Itu to naku, wakare to ihu mozi koso utate haberu naru naka ni mo, kesa ha naho taguhi aru maziu omou tamahe raruru hodo kana!"
1.2.28  と、鼻声にて、げに浅からず思へり。
 と、鼻声になって、なるほど深く悲しんでいる。
 宰相の君の声は鼻声になっていて、言葉どおり深く悲しんでいるふうであった。
  to, hana-gowe ni te, geni asakara zu omohe ri.
1.2.29  「 聞こえさせまほしきことも、返す返す思うたまへながら、ただに結ぼほれはべるほど、推し量らせたまへ。いぎたなき人は、見たまへむにつけても、なかなか、憂き世逃れがたう思うたまへられぬべければ、心強う思うたまへなして、急ぎまかではべり」
 「お話し申し上げたい事も、何度も胸の中で考えておりましたが、ただ胸がつまって申し上げられずにおりましたこと、お察しください。眠っている子は、顔を拝見するにつけても、かえって、辛い都を離れがたく思われるにちがいありませんので、気をしっかりと取り直して、急いで退出致します」
 「ぜひお話ししたく存じますこともあるのでございますが、さてそれも申し上げられませんで煩悶はんもんをしております心をお察しください。ただ今よく眠っております人に今朝また逢ってまいることは、私の旅の思い立ちを躊躇ちゅうちょさせることになるでございましょうから、冷酷であるでしょうがこのまままいります」
  "Kikoye sase mahosiki koto mo, kahesu-gahesu omou tamahe nagara, tada ni musubohore haberu hodo, osihakara se tamahe. Igitanaki hito ha, mi tamahe m ni tuke te mo, naka-naka, uki yo nogare-gatau omou tamahe rare nu bekere ba, kokoro-duyou omou tamahe nasi te, isogi makade haberi."
1.2.30  と聞こえたまふ。
 とお申し上げになる。
 と源氏は宮へ御挨拶あいさつを返したのである。
  to kikoye tamahu.
1.2.31  出でたまふほどを、人びと覗きて見たてまつる。
 お出ましになるところを、女房たちが覗いてお見送り申し上げる。
 帰って行く源氏の姿を女房たちは皆のぞいていた。
  Ide tamahu hodo wo, hito-bito nozoki te mi tatematuru.
1.2.32   入り方の月いと明きに、いとどなまめかしうきよらにて、ものを思いたるさま、虎、狼だに泣きぬべし。まして、 いはけなくおはせしほどより見たてまつりそめてし人びとなれば、 たとしへなき御ありさまをいみじと思ふ。
 入り方の月がとても明るいので、ますます優雅に清らかで、物思いされているご様子、虎、狼でさえ、泣くにちがいない。まして、お小さくいらした時からお世話申し上げてきた女房たちなので、譬えようもないご境遇をひどく悲しいと思う。
 落ちようとする月が一段明るくなった光の中を、清艶せいえんな容姿で、物思いをしながら出て行く源氏を見ては、とらおおかみも泣かずにはいられないであろう。ましてこの人たちは源氏の少年時代から侍していたのであるから、言いようもなくこの別れを悲しく思ったのである。
  Iri-gata no tuki ito akaki ni, itodo namamekasiu kiyora ni te, mono wo oboi taru sama, tora, ohokami dani naki nu besi. Masite, ihakenaku ohasesi hodo yori mi tatematuri some te si hito-bito nare ba, tatosihe naki ohom-arisama wo imizi to omohu.
1.2.33   まことや、御返り、
 そうそう、ご返歌は、
 源氏の歌に対して宮のお返しになった歌は、
  Makoto ya, ohom-kaheri,
1.2.34  「 亡き人の別れやいとど隔たらむ
 「亡き娘との仲もますます遠くなってしまうでしょう
 き人の別れやいとど隔たらん
    "Naki hito no wakare ya itodo hedatara m
1.2.35   煙となりし雲居ならでは
  煙となった都の空のではないのでは
 煙となりし雲井ならでは
    keburi to nari si kumo-wi nara de ha
1.2.36  取り添へて、あはれのみ尽きせず、出でたまひぬる名残、ゆゆしきまで泣きあへり。
 とり重ねて、悲しさだけが尽きせず、お帰りになった後、不吉なまで泣き合っていた。
 というのである。今の悲しみに以前の死別の日の涙も添って流れる人たちばかりで、左大臣家は女のむせび泣きの声に満たされた。
  Tori-sohe te, ahare nomi tuki se zu, ide tamahi nuru nagori, yuyusiki made naki-ahe ri.
注釈20三月二十日あまりのほどになむ都を離れたまひける「三月二十日余り」という設定は、安和二年(九六九)三月二十六日、左大臣源高明が大宰権帥に左遷された事件を準拠とするとされる。「離れたまひける」と、その後から語ったいう語り口だが、以下に、離京までの経緯や経過を詳細に語る。1.2.1
注釈21人にいつとしも知らせたまはず『完訳』は「源氏の離京計画が右大臣方に漏れると、すぐにも流罪が決定しかねないので、秘密裡に事を運ぶ」と注す。1.2.1
注釈22いと近う仕うまつり馴れたる限り七八人ばかり御供にて『完訳』は「通常なら、参議大将は、随身六人で、供人は二、三十人に及ぶ」という。1.2.1
注釈23その折の心地の紛れにはかばかしうも聞き置かずなりにけり語り手の文章。『弄花抄』は「例の紫式部詞也」と指摘。また『評釈』は「この語り手は、光る源氏須磨下向を、その目で見ずとも、その耳に聞いた生き残りなのである。老人の問わず語り、思い出話、それを筆記編集したのが、この物語である」という。『集成』は「主人公の身辺の事件を実際に見聞きした女房の話を筆録したものという建て前による草子地」という。1.2.1
注釈24若君はいとうつくしうて夕霧五歳。1.2.3
注釈25久しきほどに忘れぬこそあはれなれ源氏の詞。「ぬ」打消の助動詞。1.2.4
注釈26つれづれに籠もらせたまへらむほど以下「いとあぢきなくなむ」まで、左大臣の詞。「籠もる」の主語は源氏。「せ」(尊敬の助動詞)「給ふ」(尊敬の補助動詞)二重敬語。1.2.7
注釈27位をも返したてまつりて「位」は官職をさす。位階ではない。1.2.7
注釈28腰のべて『集成』は「勝手な振舞いをして」の意に解し、『完訳』は「気ままに出歩いて」の意に解す。1.2.7
注釈29かかる御ことを見たまふる源氏の除名処分と自主的須磨退去をさす。「たまふ」は謙譲の補助動詞。1.2.7
注釈30命長きは心憂く古来「寿ければ則ち辱多し」(荘子、外篇、天地)が指摘される。1.2.7
注釈31とあることもかかることも以下「思うたまへ立ちぬる」まで、源氏の詞。1.2.9
注釈32さして、かく、官爵を取られず「さして」は、特定して、はっきりとしての意。『集成』は「これと言った理由で私のように官位を剥奪されるというのではなく」の意に解し、『完訳』も「はっきりと私のように官位を取りあげられるのでなく」の意に解す。1.2.9
注釈33遠く放ちつかはすべき定め遠流をいう。1.2.9
注釈34はべるなるは「なり」伝聞推定の助動詞。宮廷には源氏を遠流に処すべきだという意見も流れている。1.2.9
注釈35さま異なる罪『集成』は「容易ならぬ罪」の意に、『完訳』は「特別の重罪」の意に解す。1.2.9
注釈36聞こえ出でたまひて主語は左大臣。1.2.11
注釈37御直衣の袖もえ引き放ちたまはぬに『集成』は「〔お目から〕お離しになれないのに」の意に、『完訳』は「袖に顔を当てて泣く様子」の意に解す。1.2.11
注釈38過ぎはべりにし人を以下「思ひたまへ寄らむかたなく」まで、左大臣の詞。「過ぎはべりにし人」は葵の上をさす。1.2.12
注釈39まことに犯しあるにてしも本当に犯した罪があって罪科に処せられたわけでない、中には讒言や策略によって、無実の罪に落とされた者もいたのだ、の意。1.2.12
注釈40なほさるべきにてやはり前世からの宿縁で、と思考する。1.2.12
注釈41言ひ出づる節ありてこそさることもはべりけれ『集成』は「謀叛の嫌疑などは、誰かの讒言によるものだが、源氏の場合は、そういうこともない無実の罪だという、政道への批判」と注す。1.2.12
注釈42中納言の君葵の上づきの女房。源氏の召人。1.2.14
注釈43言へばえに『奥入』は「言へばえに深く悲しき笛竹の夜声や誰と問ふ人もがな」(古今六帖四、笛)を指摘する。また『異本紫明抄』は「言へばえに言はねば胸に騒がれて心一つに嘆くころかな」(伊勢物語)を指摘する。1.2.14
注釈44これにより泊まりたまへるなるべし語り手の推量。『細流抄』は「草子地也」と指摘。『完訳』は「以下、語り手の推測」と注す。源氏が左大臣邸に泊まった理由をいう。1.2.14
注釈45明けぬれば『完訳』は「まもなく明けてしまうので」の意に解す。1.2.15
注釈46有明の月いとをかし『完訳』は「下旬、夜明け後も空に残る月。後朝の別れの典型的な景物」と注す。1.2.15
注釈47花の木どもやうやう盛り過ぎて、わづかなる木蔭の、いと白き庭に薄く霧りわたりたる、そこはかとなく霞みあひて、秋の夜のあはれにおほくたちまされり晩春三月の情景描写。源氏の失意のさまと景情一致。1.2.15
注釈48隅の高欄におしかかりて、とばかり、眺めたまふ以下、「妻戸おし開けてゐたり」まで、「夕顔」巻の源氏が六条御息所邸を辞去する段に相似。あちらは秋の早朝であった。1.2.15
注釈49見たてまつり送らむとにや語り手の想像を介在させた挿入句。1.2.16
注釈50また対面あらむことこそ以下「隔てしよ」まで、源氏の詞。1.2.17
注釈51かかりける世を知らでこんな別れになる仲とは思いもしないで。「世」は男女の仲、の意。1.2.17
注釈52身づから聞こえまほしきを以下「やすらはせたまはで」まで、大宮の消息。1.2.20
注釈53鳥辺山燃えし煙もまがふやと海人の塩焼く浦見にぞ行く源氏の贈歌。「鳥辺山」は火葬の地。「浦見」に「怨み」を掛ける。『集成』は「大宮の心中を思いやった歌」と注し、『完訳』は「須磨下向に、死者の世界に近づく思いをこめる」と注す。1.2.22
注釈54暁の別れは以下「あらむかし」まで、源氏の詞。『全集』は「いかで我人にも問はむ暁のあかぬ別れや何に似たりと」(後撰集恋三、七一九、紀貫之)を引歌として指摘する。1.2.25
注釈55いつとなく以下「ほどに」まで、宰相の君の返事。1.2.27
注釈56聞こえさせまほしきことも以下「急ぎまかではべり」まで、源氏の大宮への返事。「聞こえさす」という丁重な謙譲表現。1.2.29
注釈57入り方の月いと明きにいとどなまめかしうきよらにてものを思いたるさま虎狼だに泣きぬべし源氏の暁の月の光に照らされた優雅な姿を写し出す。非情な動物の虎や狼でさえ泣こうという。『完訳』は「釈迦涅槃の時に泣き悲しんだ獣を思わせ、偉大な王者の死のイメージ」と注す。1.2.32
注釈58いはけなくおはせしほどより見たてまつりそめてし源氏が左大臣家へ婿入したのは元服した年の十二歳であった。現在二十六歳の春である。1.2.32
注釈59まことや語り手の話題転換の語法。『孟津抄』は「草子地」と指摘。『集成』は「話の筋をもとに戻した時の発語。草子地」と注す。1.2.33
注釈60亡き人の別れやいとど隔たらむ煙となりし雲居ならでは大宮の返歌。『異本紫明抄』は「恋ふる間に年の暮れなば亡き人の別れやいとど遠くなりなむ」(後撰集哀傷、一四二五、紀貫之)を引歌として指摘する。『完訳』は「源氏の離京を、幽明を隔てた源氏と葵の上の間がさらに遠のくと嘆く歌」と注す。1.2.34
出典3 命長きは心憂く 寿則多辱 荘子-天地 1.2.7
出典4 言へばえに いへばえに深く悲しき笛竹の夜声や誰と問ふ人もがな 古今六帖五-三四〇九 1.2.14
出典5 亡き人の別れやいとど 恋ふる間に年の暮れなば亡き人の別れやいとど遠くなりなむ 後撰集哀傷-一四二五 紀貫之 1.2.34
校訂2 入り 入り--け(け/#い)り 1.2.2
校訂3 めづらしがりきこえて めづらしがりきこえて--めつらしかりし(し/#き)こえて 1.2.2
校訂4 返し 返し--かつ(つ/$へ<朱>)し 1.2.7
校訂5 憚る 憚る--*はかる 1.2.7
校訂6 たまふる たまふる--*たまふ 1.2.7
校訂7 など など--なに(に/$と<朱>) 1.2.13
校訂8 たとしへ たとしへ--たとして(て/$へ) 1.2.32
1.3
第三段 二条院の人々との離別


1-3  Parting greeting to Nijoin

1.3.1   殿におはしたればわが御方の人びとも、まどろまざりけるけしきにて、所々に群れゐて、あさましとのみ世を思へるけしきなり。侍には、親しう仕まつる限りは、御供に参るべき心まうけして、 私の別れ惜しむほどにや、人もなし。さらぬ人は、とぶらひ参るも重き咎めあり、わづらはしきことまされば、所狭く集ひし馬、車の方もなく、寂しきに、「 世は憂きものなりけり」と、思し知らる。
 殿にお帰りになると、ご自分方の女房たちも、眠らなかった様子で、あちこちにかたまっていて、驚くばかりだとご境遇の変化を思っている様子である。侍所では、親しくお仕えしている者だけは、お供に参るつもりをして、個人的な別れを惜しんでいるころなのであろうか、人影も見えない。その他の人は、お見舞いに参上するにも重い処罰があり、厄介な事が増えるので、所狭しと集まっていた馬、車が跡形もなく、寂しい気がするので、「世の中とは嫌なものだ」と、お悟りになる。
 源氏が二条の院へ帰って見ると、ここでも女房はよいからずっとなげき明かしたふうで、所々にかたまって世の成り行きを悲しんでいた。家職の詰め所を見ると、親しい侍臣は源氏について行くはずで、その用意と、家族たちとの別れを惜しむために各自が家のほうへ行っていてだれもいない。家職以外の者も始終集まって来ていたものであるが、たずねて来ることは官辺の目が恐ろしくてだれもできないのである。これまで門前に多かった馬や車はもとより影もないのである。人生とはこんなに寂しいものであったのだと源氏は思った。
  Tono ni ohasi tare ba, waga ohom-kata no hito-bito mo, madoroma zari keru kesiki ni te, tokoro-dokoro ni mure-wi te, asamasi to nomi yo wo omohe ru kesiki nari. Saburahi ni ha, sitasiu tuka-maturu kagiri ha, ohom-tomo ni mawiru beki kokoro-mauke si te, watakusi no wakare wosimu hodo ni ya, hito mo nasi. Saranu hito ha, toburahi mawiru mo omoki togame ari, wadurahasiki koto masare ba, tokoro-seku tudohi si muma, kuruma no kata mo naku, sabisiki ni, "Yo ha uki mono nari keri!" to, obosi-sira ru.
1.3.2  台盤なども、かたへは塵ばみて、畳、所々引き返したり。「 見るほどだにかかり。ましていかに荒れゆかむ」と思す。
 台盤所なども、半分は塵が積もって、畳も所々裏返ししてある。「見ているうちでさえこんなである。ましてどんなに荒れてゆくのだろう」とお思いになる。
 食堂の大食卓なども使用する人数が少なくて、半分ほどはちりを積もらせていた。畳は所々裏向けにしてあった。自分がいるうちにすでにこうである、まして去ってしまったあとの家はどんなに荒涼たるものになるだろうと源氏は思った。
  Daiban nado mo, katahe ha tiri-bami te, tatami, tokoro-dokoro hiki-kahesi tari. "Miru hodo dani kakari. Masite ikani are-yuka m." to obosu.
1.3.3  西の対に渡りたまへれば、 御格子も参らで、眺め明かしたまひければ、簀子などに、若き童女、所々に臥して、今ぞ起き騒ぐ。宿直姿どもをかしうてゐるを見たまふにも、心細う、「 年月経ば、かかる人びとも、えしもあり果てでや、行き散らむ」など、 さしもあるまじきことさへ 、御目のみとまりけり。
 西の対にお渡りになると、御格子もお下ろしにならないで、物思いに沈んで夜を明かしていられたので、簀子などに、若い童女が、あちこちに臥せっていて、急に起き出し騒ぐ。宿直姿がかわいらしく座っているのを御覧になるにつけても、心細く、「歳月が重なったら、このような子たちも、最後まで辛抱しきれないで、散りじりに辞めていくのではなかろうか」などと、何でもないことまで、お目が止まるのであった。
 西のたいへ行くと、格子こうしを宵のままおろさせないで、物思いをする夫人が夜通し起きていたあとであったから、縁側の所々に寝ていた童女などが、この時刻にやっと皆起き出して、夜の姿のままで往来するのも趣のあることであったが、気の弱くなっている源氏はこんな時にも、何年かの留守るすの間にはこうした人たちも散り散りにほかへ移って行ってしまうだろうと、そんなはずのないことまでも想像されて心細くなるのであった。
  Nisi-no-tai ni watari tamahe re ba, mi-kausi mo mawira de, nagame-akasi tamahi kere ba, sunoko nado ni, wakaki warahabe, tokoro-dokoro ni husi te, ima zo oki-sawagu. Tonowi-sugata-domo wokasiu te wiru wo mi tamahu ni mo, kokoro-bosou, "Tosi-tuki he ba, kakaru hito-bito mo, e simo ari-hate de ya, yuki-tira m." nado, sasimo arumaziki koto sahe, ohom-me nomi tomari keri.
1.3.4  「 昨夜は、しかしかして更けにしかばなむ。例の思はずなるさまにや思しなしつる。かくてはべるほどだに御目離れずと思ふを、かく世を離るる際には、心苦しきことのおのづから多かりける、 ひたやごもりにてやは。常なき世に、人にも情けなきものと 心おかれ果てむと、いとほしうてなむ」
 「昨夜は、これこれの事情で夜を明かしてしまいました。いつものように心外なふうに邪推でもなさっていたのでは。せめてこうしている間だけでも離れないようにと思うのが、このように京を離れる際には、気にかかることが自然と多かったので、籠もってばかりいるわけにも行きましょうか。無常の世に、人からも薄情な者だとすっかり疎まれてしまうのも、辛いのです」
 源氏は夫人に、左大臣家を別れにたずねて、夜がふけて一泊したことを言った。「それをあなたはほかの事に疑って、くやしがっていませんでしたか。もうわずかしかない私の京の時間だけは、せめてあなたといっしょにいたいと私は望んでいるのだけれど、いよいよ遠くへ行くことになると、ここにもかしこにも行っておかねばならない家が多いのですよ。人間はだれがいつ死ぬかもしれませんから、恨めしいなどと思わせたままになっては悪いと思うのですよ」
  "Yobe ha, sika-sika si te yo-huke ni sika ba nam. Rei no omohazu naru sama ni ya obosi-nasi turu? Kaku te haberu hodo dani ohom-me kare zu to omohu wo, kaku yo wo hanaruru kiha ni ha, kokoro-gurusiki koto no onodukara ohokari keru, hitaya-gomori ni te ya ha! Tune naki yo ni, hito ni mo nasake naki mono to kokoro-oka re hate m to, itohosiu te nam."
1.3.5  と聞こえたまへば、
 とお申し上げになると、

  to kikoye tamahe ba,
1.3.6  「 かかる世を見るよりほかに、 思はずなることは、何ごとにか」
 「このような悲しい目を見るより他に、もっと心外な事とは、どのような事でしょうか」
 「あなたのことがこうなった以外のくやしいことなどは私にない」
  "Kakaru yo wo miru yori hoka ni, omoha zu naru koto ha, nani-goto ni ka?"
1.3.7  とばかりのたまひて、いみじと思し入れたるさま、人よりことなるを、 ことわりぞかし、父親王、いと おろかにもとより思しつきにけるに、まして、世の聞こえをわづらはしがりて、訪れきこえたまはず、御とぶらひにだに渡りたまはぬを、人の見るらむことも恥づかしく、なかなか知られたてまつらでやみなましを、継母の北の方などの、
 とだけおっしゃって、悲しいと思い込んでいらっしゃる様子、人一倍であるのは、もっともなことで、父親王は、実に疎遠にはじめからお思いになっていたが、まして今は、世間の噂を煩わしく思って、お便りも差し上げなさらず、お見舞いにさえお越しにならないのを、人の手前も恥ずかしく、かえってお知られ頂かないままであればよかったのに、継母の北の方などが、
 とだけ言っている夫人の様子にも、他のだれよりも深い悲しみの見えるのを、源氏はもっともであると思った。父の親王は初めからこの女王にょおうに、手もとで育てておいでになる姫君ほどの深い愛を持っておいでにならなかったし、また現在では皇太后派をはばかって、よそよそしい態度をおとりになり、源氏の不幸も見舞いにおいでにならないのを、夫人は人聞きも恥ずかしいことであると思って、存在を知られないままでいたほうがかえってよかったとも悔やんでいた。継母である宮の夫人が、ある人に、
  to bakari notamahi te, imizi to obosi-ire taru sama, hito yori koto naru wo, kotowari zo kasi, titi-Miko, ito oroka ni motoyori obosi-tuki ni keru ni, masite, yo no kikoye wo wadurahasigari te, otodure kikoye tamaha zu, ohom-toburahi ni dani watari tamaha nu wo, hito no miru ram koto mo hadukasiku, naka-naka sira re tatematura de yami na masi wo, mama-haha no Kita-no-kata nado no,
1.3.8  「 にはかなりし幸ひのあわたたしさ。あな、ゆゆしや。思ふ人、方々につけて別れたまふ人かな」
 「束の間であった幸せの急がしさ。ああ、縁起でもない。大事な人が、それぞれに別れなさる人だわ」
 「あの人が突然幸福な女になって出現したかと思うと、すぐにもうその夢は消えてしまうじゃないか。おかあさん、お祖母ばあさん、今度は良人おっとという順にだれにも短い縁よりない人らしい」
  "Nihaka nari si saihahi no awatatasisa. Ana, yuyusi ya! Omohu hito, kata-gata ni tuke te wakare tamahu hito kana!"
1.3.9  とのたまひけるを、さる便りありて漏り聞きたまふにも、いみじう心憂ければ、これよりも絶えて訪れきこえたまはず。また頼もしき人もなく、 げにぞ、あはれなる御ありさまなる
 とおっしゃったのを、ある筋から漏れ聞きなさるにつけても、ひどく情けないので、こちらからも少しもお便りを差し上げなさらない。他に頼りとする人もなく、なるほど、お気の毒なご様子である。
 と言った言葉を、宮のおやしきの事情をよく知っている人があって話したので、女王は情けなく恨めしく思って、こちらからも音信をしない絶交状態であって、そのほかにはだれ一人たよりになる人を持たない孤独の女王であった。
  to notamahi keru wo, saru tayori ari te mori-kiki tamahu ni mo, imiziu kokoro-ukere ba, kore yori mo tayete otodure kikoye tamaha zu. Mata tanomosiki hito mo naku, geni zo, ahare naru ohom-arisama naru.
1.3.10  「 なほ世に許されがたうて、年月を経ば、 巌の中にも迎へたてまつらむ。ただ今は、人聞きのいとつきなかるべきなり。朝廷にかしこまりきこゆる人は、明らかなる月日の影をだに見ず、安らかに身を振る舞ふことも、いと罪重かなり。 過ちなけれど、さるべきにこそかかることもあらめと思ふに、まして思ふ人具するは、例なきことなるを、ひたおもむきにものぐるほしき世にて、立ちまさることもありなむ」
 「いつまでたっても赦免されずに、歳月が過ぎるようなら、巌の中でもお迎え申そう。今すぐでは、人聞きがまことに悪いであろう。朝廷に謹慎申し上げている者は、明るい日月の光をさえ見ず、思いのままに身を振る舞うことも、まことに罪の重いことである。過失はないが、前世からの因縁でこのようなことになったのであろうと思うが、まして愛する人を連れて行くのは、先例のないことなので、一方的で道理を外れた世の中なので、これ以上の災難もきっと起ころう」
 「私がいつまでも現状に置かれるのだったら、どんなひどい住居ずまいであってもあなたを迎えます。今それを実行することは人聞きが穏やかでないから、私は遠慮してしないだけです。勅勘の人というものは、明るい日月の下へ出ることも許されていませんからね。のんきになっていては罪を重ねることになるのです。私は犯した罪のないことは自信しているが、前生の因縁か何かでこんなことにされているのだから、まして愛妻といっしょに配所へ行ったりすることは例のないことだから、常識では考えることもできないようなことをする政府にまた私を迫害する口実を与えるようなものですからね」
  "Naho yo ni yurusa re gatau te, tosi-tuki wo he ba, ihaho no naka ni mo mukahe tatematura m. Tada ima ha, hito-giki no ito tukinakaru beki nari. Ohoyake ni kasikomari kikoyuru hito ha, akiraka naru tuki-hi no kage wo dani mi zu, yasuraka ni mi wo hurumahu koto mo, ito tumi omoka' nari. Ayamati nakere do, saru-beki ni koso kakaru koto mo ara me to omohu ni, masite omohu hito gu-suru ha, rei naki koto naru wo, hita-omomuki ni mono-guruhosiki yo nite, tati-masaru koto mo ari na m."
1.3.11  など聞こえ知らせたまふ。
 などと、お話し申し上げなさる。
 などと源氏は語っていた。
  nado kikoye sira se tamahu.
1.3.12  日たくるまで大殿籠もれり。 帥宮、三位中将などおはしたり。対面したまはむとて、御直衣などたてまつる。
 日が高くなるまでお寝みになっていた。帥宮や三位中将などがいらっしゃった。お会いなさろうとして、お直衣などをお召しになる。
 昼に近いころまで源氏は寝室にいたが、そのうちにそつの宮がおいでになり、三位中将も来邸した。面会をするために源氏は着がえをするのであったが、
  Hi takuru made ohotono-gomore ri. Soti-no-Miya, Samwi-no-Tyuuzyau nado ohasi tari. Taimen si tamaha m tote, ohom-nahosi nado tatematuru.
1.3.13  「 位なき人は
 「無位無官の者は」
 「私は無位の人間だから」
  "Kurawi naki hito ha."
1.3.14  とて、 無紋の直衣 、なかなか、いとなつかしきを着たまひて、うちやつれたまへる、いとめでたし。御鬢かきたまふとて、鏡台に寄りたまへるに、面痩せたまへる影の、我ながらいとあてにきよらなれば、
 と言って、無紋の直衣、かえって、とても優しい感じなのをお召しになって、地味にしていらっしゃるのが、たいそう素晴らしい。鬢の毛を掻きなでなさろうとして、鏡台に近寄りなさると、面痩せなさった顔形が、自分ながらとても気品あって美しいので、
 と言って、無地の直衣のうしにした。それでかえってえんな姿になったようである。びんくために鏡台に向かった源氏は、せの見える顔が我ながらきれいに思われた。
  tote, mu-mon no nahosi, naka-naka, ito natukasiki wo ki tamahi te, uti-yature tamahe ru, ito medetasi. Ohom-bin kaki tamahu tote, kyaudai ni yori tamahe ru ni, omo-yase tamahe ru kage no, ware nagara ito ate ni kiyora nare ba,
1.3.15  「 こよなうこそ、衰へにけれ。この影のやうにや痩せてはべる。あはれなるわざかな」
 「すっかり、衰えてしまったな。この影のように痩せていますか。ああ、悲しいことだ」
 「ずいぶん衰えたものだ。こんなに痩せているのが哀れですね」
  "Koyonau koso, otorohe ni kere! Kono kage no yau ni ya yase te haberu? Ahare naru waza kana!"
1.3.16  とのたまへば、女君、涙一目うけて、見おこせたまへる、いと忍びがたし。
 とおっしゃると、女君、涙を目にいっぱい浮かべて、こちらを御覧になるが、とても堪えきれない。
 と源氏が言うと、女王は目に涙を浮かべて鏡のほうを見た。源氏の心は悲しみに暗くなるばかりである。
  to notamahe ba, Womna-Gimi, namida hitome uke te, mi-okose tamahe ru, ito sinobi gatasi.
1.3.17  「 身はかくてさすらへぬとも君があたり
 「わが身はこのように流浪しようとも
 身はかくてさすらへぬとも君があたり
    "Mi ha kakute sasurahe nu to mo Kimi ga atari
1.3.18   去らぬ鏡の影は離れじ
  鏡に映った影はあなたの元を離れずに残っていよう
去らぬ鏡のかげははなれじ
    saranu kagami no kage ha hanare zi
1.3.19  と、聞こえたまへば、
 と、お申し上げになると、
 と源氏が言うと、
  to, kikoye tamahe ba,
1.3.20  「 別れても影だにとまるものならば
 「お別れしても影だけでもとどまっていてくれるものならば
 別れても影だにとまるものならば
    "Wakare te mo kage dani tomaru mono nara ba
1.3.21   鏡を見ても慰めてまし
  鏡を見て慰めることもできましょうに
 鏡を見てもなぐさめてまし
    kagami wo mi te mo nagusame te masi
1.3.22  柱隠れにゐ隠れて、涙を紛らはしたまへるさま、「 なほ、ここら見るなかにたぐひなかりけり」と、思し知らるる人の 御ありさまなり。
 柱の蔭に隠れて座って、涙を隠していらっしゃる様子、「やはり、おおぜいの妻たちの中で類のない人だ」と、思わずにはいらっしゃれないご様子の方である。
 言うともなくこう言いながら、柱に隠されるようにして涙を紛らしている若紫の優雅な美は、なおだれよりもすぐれた恋人であると源氏にも認めさせた。
  Hasira-gakure ni wi kakure te, namida wo magirahasi tamahe ru sama, "Naho, kokora miru naka ni taguhi nakari keri." to, obosi-sira ruru hito no ohom-arisama nari.
1.3.23  親王は、あはれなる御物語聞こえたまひて、暮るるほどに帰りたまひぬ。
 親王は、心のこもったお話を申し上げなさって、日の暮れるころにお帰りになった。
 親王と三位中将は身にしむ話をして夕方帰った。
  Miko ha, ahare naru ohom-monogatari kikoye tamahi te, kururu hodo ni kaheri tamahi nu.
注釈61殿におはしたれば源氏、二条院に帰宅、紫の君と別れを惜しむ。1.3.1
注釈62わが御方の人びとも東の対の源氏づきの女房たちをいう。1.3.1
注釈63私の別れ惜しむほどにや語り手の推量を交えた挿入句。1.3.1
注釈64世は憂きものなりけり源氏の心中。1.3.1
注釈65見るほどだにかかりましていかに荒れゆかむ源氏の心中。1.3.2
注釈66御格子も参らで御格子を下ろさずにの意。1.3.3
注釈67年月経ばかかる人びともえしもあり果てでや行き散らむ源氏の心中。1.3.3
注釈68さしもあるまじきことさへ『集成』は「そんな些細なことまで」、『完訳』は「常は気にかからぬことまで」のニュアンスに解す。1.3.3
注釈69昨夜はしかしかして以下「いとほしう」まで、源氏の詞。昨夜左大臣邸に泊まった弁解。1.3.4
注釈70更けにしかばなむ「なむ」(係助詞)、下に「泊まりぬる」などの語句が省略。1.3.4
注釈71ひたやごもりにてやは「やは」(係助詞)反語。「あらむ」などの語句が下に省略。1.3.4
注釈72かかる世を以下「何ごとにかは」まで、紫の君の詞。1.3.6
注釈73思はずなること『完訳』は「源氏の「思はず--」を、源氏が自分を疎んずる意に、切り返した」と注す。1.3.6
注釈74ことわりぞかし語り手の読者に共感を求める語句。『集成』は「草子地の文」と指摘。1.3.7
注釈75おろかにもとより思しつきにけるに『集成』は「ひどく冷淡にもともと〔紫上のことを〕思っていられただけに」の意に解し、『完訳』は「おろかに」の下に読点を付けて、「父親王はほんとに疎々しくて、この女君はもともと君になじんでいらっしゃったのだが」の意に解す。1.3.7
注釈76にはかなりし幸ひの以下「別れたまふ人かな」まで、兵部卿宮の北の方の詞。1.3.8
注釈77げにぞあはれなる御ありさまなる継母が言うように、という語り手のあいづち。『岷江入楚』所引三光院実枝説が「草子地」と指摘。1.3.9
注釈78なほ世に許されがたうて以下「立ちまさることもありなむ」まで、源氏の詞。1.3.10
注釈79巌の中にも『岷江入楚』は「いかならむ巌の中に住まばかは世の憂きことの聞こえこざらむ」(古今集雑下、九五二、読人しらず)を引歌として指摘する。1.3.10
注釈80過ちなけれどさるべきにこそ前世からの宿縁で、と源氏は考える。1.3.10
注釈81帥宮三位中将などおはしたり源氏の弟帥宮と三位中将(左大臣嫡男)。1.3.12
注釈82位なき人は「無位無官の者は」と言って。源氏は官位を剥奪されている。1.3.13
注釈83無紋の直衣平絹(模様のない絹)の直衣。1.3.14
注釈84こよなうこそ衰へにけれ以下「あはれなるわざかな」まで、源氏の詞。1.3.15
注釈85身はかくてさすらへぬとも君があたり去らぬ鏡の影は離れじ源氏の贈歌。『全集』は「身を分くることの難さは真澄鏡影ばかりをぞ君に添へつる」(後撰集離別、一三一四、大窪則春)を引歌として指摘する。1.3.17
注釈86別れても影だにとまるものならば鏡を見ても慰めてまし紫の君の返歌。「鏡」「影」の語句を用いて返す。1.3.20
注釈87なほここら見るなかにたぐひなかりけり源氏の心中。1.3.22
出典6 巌の中にも いかならむ巌の中に住まばかは憂き事の聞こえ来ざらむ 古今集雑下-九五二 読人しらず 1.3.10
校訂9 こと こと--(/+こ<朱>)と 1.3.3
校訂10 心おかれ 心おかれ--心をう(う/#)かれ 1.3.4
校訂11 無紋の 無紋の--無紋(紋/+の<朱>) 1.3.14
校訂12 御ありさま 御ありさま--(/+御)ありさま 1.3.22
1.4
第四段 花散里邸に離京の挨拶


1-4  Parting greeting to Hanachirusato

1.4.1   花散里の心細げに思して、常に聞こえたまふもことわりにて、「 かの人も、今ひとたび見ずは、つらしとや思はむ」と思せば、その夜は、また出でたまふものから、 いともの憂くて、いたう更かしておはしたれば、女御、
 花散里邸が心細そうにお思いになって、常にお便り差し上げなさるのも無理からぬことで、「あの方も、もう一度お会いしなかったら、辛く思うだろうか」とお思いになると、その夜は、また一方でお出かけになるものの、とても億劫なので、たいそう夜が更けてからいらっしゃると、女御が、
 花散里はなちるさとが心細がって、今度のことが決まって以来始終手紙をよこすのも、源氏にはもっともなことと思われて、あの人ももう一度逢いに行ってやらねば恨めしく思うであろうという気がして、今夜もまたそこへ行くために家を出るのを、源氏は自身ながらも物足らず寂しく思われて、気が進まなかったために、ずっとふけてから来たのを、
  Hanatirusato no kokoro-bosoge ni obosi te, tune ni kikoye tamahu mo kotowari ni te, "Kano hito mo, ima hito-tabi mi zu ha, turasi to ya omoha m?" to obose ba, sono yo ha, mata ide tamahu monokara, ito mono-uku te, itau hukasi te ohasi tare ba, Nyougo,
1.4.2  「 かく数まへたまひて、立ち寄らせたまへること
 「このように人並みに扱っていただいて、お立ち寄りくださいましたこと」
 「ここまでも別れにお歩きになる所の一つにしてお寄りくださいましたとは」
  "Kaku kazumahe tamahi te, tati-yora se tamahe ru koto."
1.4.3  と、よろこびきこえたまふさま、 書き続けむもうるさし
 と、感謝申し上げるご様子、書き綴るのも煩わしい。
 こんなことを言って喜んだ女御にょごのことなどは少し省略して置く。
  to, yorokobi kikoye tamahu sama, kaki-tuduke m mo urusasi.
1.4.4  いといみじう心細き御ありさま、ただ御蔭に隠れて過ぐいたまへる年月、いとど荒れまさらむほど思しやられて、殿の内、いとかすかなり。
 とてもひどく心細いご様子で、まったくこの方のご庇護のもとにお過ごしになってきた歳月、ますます荒れていくだろうことが、ご想像されて、邸内は、まことにひっそりとしている。
 この心細い女兄弟は源氏の同情によってわずかに生活の体面を保っているのであるから、今後はどうなって行くかというような不安が、寂しい家の中に漂っているように源氏は見た。
  Ito imiziu kokoro-bosoki ohom-arisama, tada ohom-kage ni kakure te sugui tamahe ru tosi-tuki, itodo are-masara m hodo obosi-yara re te, tono no uti, ito kasuka nari.
1.4.5   月おぼろにさし出でて、池広く、山木深きわたり、心細げに見ゆるにも、住み離れたらむ巌のなか、思しやらる
 月が朧ろに照らし出して、池が広く、築山の木深い辺り、心細そうに見えるにつけても、人里離れた巌の中の生活が、お思いやられる。
 おぼろな月がさしてきて、広い池のあたり、木の多い築山つきやまのあたりが寂しく見渡された時、まして須磨の浦は寂しいであろうと源氏は思った。
  Tuki oboro ni sasi-ide te, ike hiroku, yama kobukaki watari, kokoro-bosoge ni miyuru ni mo, sumi hanare tara m ihaho no naka, obosi-yara ru.
1.4.6   西面は、「 かうしも渡りたまはずや」と、うち屈して思しけるに、あはれ添へたる月影の、なまめかしうしめやかなるに、 うち振る舞ひたまへるにほひ、似るものなくて、いと忍びやかに入りたまへば、 すこしゐざり出でて、やがて月を見ておはす。またここに御物語のほどに、明け方近うなりにけり。
 西面では、「こうしたお越しもあるまいか」と、塞ぎこんでいらっしゃったが、一入心に染みる月の光が、美しくしっとりとしているところに、身動きなさると匂う薫物の香が、他に似るものがなくて、とても人目に立たぬように部屋にお入りになると、少し膝行して出