第十二帖 須磨


12 SUMA (Ohoshima-bon)


光る源氏の二十六歳春三月下旬から二十七歳春三月上巳日まで無位無官時代の都と須磨の物語


Tale of Hikaru-Genji's commoner era in Kyoto and Suma from March at the age of 26 to March at the age of 27

1
第一章 光る源氏の物語 逝く春と離別の物語


1  Tale of Hikaru-Genji  A parting in departing spring

1.1
第一段 源氏、須磨退去を決意


1-1  Genji determines to leave Kyoto for Suma

1.1.1   世の中、いとわづらはしく、はしたなきことのみまされば、「 せめて知らず顔にあり経ても、これよりまさることもや」と思しなりぬ。
 世の中、まことに厄介で、体裁の悪いことばかり増えていくので、「無理にそ知らぬふりをして過ごしていても、これより厄介なことが増えていくのでは」とお思いになった。
 当帝の外戚の大臣一派が極端な圧迫をして源氏に不愉快な目を見せることが多くなって行く。つとめて冷静にはしていても、このままで置けば今以上なわざわいが起こって来るかもしれぬと源氏は思うようになった。
  Yononaka, ito wadurahasiku, hasitanaki koto nomi masare ba, "Semete sirazugaho ni ari he te mo, kore yori masaru koto mo ya?" to obosi nari nu.
1.1.2  「 かの須磨は、昔こそ人の住みかなどもありけれ、今は、いと里離れ心すごくて、海人の家だにまれに」など聞きたまへど、「 人しげく、ひたたけたらむ住まひは、いと 本意なかるべし。さりとて、都を遠ざからむも、故郷おぼつかなかるべきを」、人悪くぞ思し乱るる。
 「あの須磨は、昔こそ人の住居などもあったが、今では、とても人里から離れ物寂しくて、漁師の家さえまれで」などとお聞きになるが、「人が多く、ごみごみした住まいは、いかにも本旨にかなわないであろう。そうといって、都から遠く離れるのも、家のことがきっと気がかりに思われるであろう」と、人目にもみっともなくお悩みになる。
 源氏が隠栖いんせいの地に擬している須磨すまという所は、昔は相当に家などもあったが、近ごろはさびれて人口も稀薄きはくになり、漁夫の住んでいる数もわずかであると源氏は聞いていたが、田舎いなかといっても人の多い所で、引き締まりのない隠栖になってしまってはいやであるし、そうかといって、京にあまり遠くては、人には言えぬことではあるが夫人のことが気がかりでならぬであろうしと、煩悶はんもんした結果須磨へ行こうと決心した。
  "Kano suma ha, mukasi koso hito no sumika nado mo ari kere, ima ha, ito sato hanare kokorosugoku te, ama no ihe dani mare ni." nado kiki tamahe do, "Hito sigeku, hitatake tara m sumahi ha, ito ho'i nakaru besi. Saritote, miyako wo tohozakara m mo, hurusato obotukanakaru beki wo", hitowaruku zo obosi midaruru.
1.1.3  よろづのこと、来し方行く末、思ひ続けたまふに、悲しきこといとさまざまなり。 憂きものと思ひ捨てつる世も、今はと住み離れなむことを思すには、いと捨てがたきこと多かるなかにも、姫君の、明け暮れにそへては、思ひ嘆きたまへるさまの、心苦しうあはれなるを、
 すべてのこと、今までのこと将来のこと、お思い続けなさると、悲しいことさまざまである。嫌な世だとお捨てになった世の中も、今は最後と住み離れるようなことお思いになると、まことに捨てがたいことが多いなかでも、姫君が、明け暮れ日の経つにつれて、思い悲しんでいられる様子が、気の毒で悲しいので、
 この際は源氏の心に上ってくる過去も未来も皆悲しかった。いとわしく思った都も、いよいよ遠くへ離れて行こうとする時になっては、捨て去りがたい気のするものの多いことを源氏は感じていた。その中でも若い夫人が、近づく別れを日々に悲しんでいる様子の哀れさは何にもまさっていたましかった。
  Yorodu no koto, kisikata yukusuwe, omohi tuduke tamahu ni, kanasiki koto ito samazama nari. Uki mono to omohi sute turu yo mo, ima ha to sumi hanare na m koto wo obosu ni ha, ito sute gataki koto ohokaru naka ni mo, Himegimi no, akekure ni sohe te ha, omohi nageki tamahe ru sama no, kokorogurusiu ahare naru wo,
1.1.4 行きめぐりても、また逢ひ見むことをかならず」と、思さむにてだに、 なほ一、二日のほど、よそよそに明かし暮らす折々だに、おぼつかなきものにおぼえ、女君も心細うのみ思ひたまへるを、「 幾年そのほどと限りある道にもあらず逢ふを限りに隔たりゆかむも 、定めなき世に、 やがて別るべき門出にもや 」と、いみじうおぼえたまへば、「忍びてもろともにもや」と、思し寄る折あれど、 さる心細からむ海づらの、 波風よりほかに立ちまじる人もなからむに、かくらうたき御さまにて、引き具し たまへらむも、いとつきなく、わが心にも、「なかなか、もの思ひのつまなるべきを」など思し返すを、女君は、「 いみじからむ道にも、後れきこえずだにあらば」と、おもむけて、恨めしげに思いたり。
「別れ別れになても、再び逢えることは必ず」と、お思いになる場合でも、やはり一、二日の間、別々にお過ごしになった時でさえ、気がかりに思われ、女君も心細いばかりに思っていらっしゃるのを、「何年間と期限のある旅路でもなく、再び逢えるまであてどもなく漂って行くのも、無常の世に、このまま別れ別れになってしまう旅立ちにでもなりはしまいか」と、たいそう悲しく思われなさるので、「こっそりと一緒にでは」と、お思いよりになる時もあるが、そのような心細いような海辺の、波風より他に訪れる人もないような所に、このようないじらしいご様子で、お連れなさるのも、まことに不似合いで、自分の心にも、「かえって、物思いの種になるにちがいなかろう」などとお考え直しになるが、女君は、「どんなにつらい旅路でも、ご一緒申し上げることができたら」と、それとなくほのめかして、恨めしそうに思っていらっしゃった。
この人とはどんなことがあっても再会を遂げようという覚悟はあっても、考えてみれば、一日二日の外泊をしていても恋しさに堪えられなかったし、女王にょおうもその間は同じように心細がっていたそんな間柄であるから、幾年と期間の定まった別居でもなし、無常の人世では、仮の別れが永久の別れになるやも計られないのであると、源氏は悲しくて、そっといっしょに伴って行こうという気持ちになることもあるのであるが、そうした寂しい須磨のような所に、海岸へ波の寄ってくるほかは、人の来訪することもない住居すまいに、この華麗な貴女きじょ同棲どうせいしていることは、あまりに不似合いなことではあるし、自身としても妻のいたましさに苦しまねばならぬであろうと源氏は思って、それはやめることにしたのを、夫人は、「どんなひどい所だって、ごいっしょでさえあれば私はいい」と言って、行きたい希望のこばまれるのを恨めしく思っていた。
"Yuki meguri te mo, mata ahi mi m koto wo kanarazu." to, obosa m nite dani, naho hitohi, hutuka no hodo, yosoyoso ni akasi kurasu woriwori dani, obotukanaki mono ni oboye, Womnagimi mo kokorobosou nomi omohi tamahe ru wo, "Ikutose sono hodo to kagiri aru miti ni mo ara zu, ahu wo kagiri ni hedatari yuka m mo, sadame naki yo ni, yagate wakaru beki kadode ni mo ya?" to, imiziu oboye tamahe ba, "Sinobi te morotomoni mo ya?" to, obosi yoru wori are do, saru kokorobosokara m umidura no, namikaze yori hoka ni tatimaziru hito mo nakara m ni, kaku rautaki ohom-sama nite, hiki-gusi tamahe ra m mo, ito tukinaku, waga kokoro ni mo, "Nakanaka, monoomohi no tuma naru beki wo." nado obosi kahesu wo, Womnagimi ha, "Imizikara m miti ni mo, okure kikoye zu dani ara ba." to, omomuke te, uramesige ni oboi tari.
1.1.5  かの花散里にも、 おはし通ふことこそまれなれ、心細くあはれなる御ありさまを、この御蔭に隠れてものしたまへば、思し嘆きたるさまも、いとことわりなり。なほざりにても、ほのかに見たてまつり通ひたまひし所々、人知れぬ心をくだきたまふ人ぞ多かりける。
 あの花散里にも、お通いになることはまれであるが、心細く気の毒なご様子を、この君のご庇護のもとに過ごしていらっしゃるので、お嘆きになる様子も、いかにもごもっともである。かりそめであっても、わずかにお逢い申しお通いにった所々では、人知れず心をお痛めになる方々が多かったのである。
花散里はなちるさとの君も、源氏の通って来ることは少なくても、一家の生活は全部源氏の保護があってできているのであるから、この変動の前に心をいためているのはもっともなことと言わねばならない。源氏の心にたいした愛があったのではなくても、とにかく情人として時々通って来ていた所々では、人知れず心をいためている女も多数にあった。
  Kano Hanatirusato ni mo, ohasi kayohu koto koso marenare, kokorobosoku ahare naru ohom-arisama wo, kono ohom-kage ni kakure te monosi tamahe ba, obosi nageki taru sama mo, ito kotowari nari. Nahozari nite mo, honoka ni mi tatematuri kayohi tamahi si tokorodokoro, hito sire nu kokoro wo kudaki tamahu hito zo ohokari keru.
1.1.6  入道の宮よりも、「 ものの聞こえや、またいかがとりなさむ」と、わが御ためつつましけれど、忍びつつ御とぶらひ常にあり。「 昔、かやうに相思し、あはれをも見せたまはましかば」と、 うち思ひ出でたまふにも、「 さも、さまざまに、心をのみ尽くすべかりける人の御契りかな」と、つらく思ひきこえたまふ。
 入道の宮からも、「世間の噂は、またどのように取り沙汰されるだろうか」と、ご自身にとっても用心されるが、人目に立たないよう立たないようにしてお見舞いが始終ある。「昔、このように互いに思ってくださり、情愛をもお見せくださったのであったならば」と、ふとお思い出しになるにつけても、「そのようにも、あれやこれやと、心の限りを尽くさなければならない宿縁のお方であった」と、辛くお思い申し上げなさる。
 入道の宮からも、またこんなことで自身の立場を不利に導く取り沙汰が作られるかもしれぬという遠慮を世間へあそばしながらの御慰問が始終源氏にあった。昔の日にこの熱情が見せていただけたことであったならと源氏は思って、この方のために始終物思いをせねばならぬ運命が恨めしかった。
  Nihudau-no-Miya yori mo, "Mono no kikoye ya, mata ikaga torinasa m?" to, waga ohom-tame tutumasikere do, sinobi tutu ohom-toburahi tune ni ari. "Mukasi, kayau ni ahi obosi, ahare wo mo mise tamaha masika ba." to, uti-omohi ide tamahu ni mo, "Samo, samazama ni, kokoro wo nomi tukusu bekari keru hito no ohom-tigiri kana!" to, turaku omohi kikoye tamahu.
注釈1世の中いとわづらはしくはしたなきことのみまされば政治的社会的情勢が源氏にとって不利な事ばかりが生じてきた。1.1.1
注釈2せめて知らず顔にあり経ても、これよりまさることもや源氏の心中を間接叙述。「これ」は『完訳』「除名処分以上のこと。流罪」と指摘する。1.1.1
注釈3かの須磨は昔こそ人の住みかなどもありけれ「須磨」は歌枕の地。「こそ」「ありけれ」の係結びは、逆接用法。「わくらばに問ふ人あらば須磨の浦に藻塩垂れつつわぶと答へよ(古今集雑下、九六二、在原行平)。「人」は身分のある人の意、「住みか」はその別荘をさす。以下「まれに」まで、人の言の間接引用。1.1.2
注釈4人しげくひたたけたらむ住まひは以下、「おぼつかなかるべきを」まで、源氏の心中の間接的叙述であるが、それを受ける引用の格助詞「と」などがない。「ひたたく」は、『集成』は「みだりがわしい、しまりがないなどの意」と解し、『完訳』は「にぎやかなさま」の意に解す。1.1.2
注釈5本意なかるべし『集成』は「本心にかなわぬことであろう」の意に解し、『完訳』は「心底にある出家遁世への本願」の意に解す。1.1.2
注釈6憂きものと『完訳』は「ここも前巻花散里冒頭に照応。葵の上の死を契機とする道心を発条として、離京を決意するが、絆ゆえに躊躇」という。1.1.3
注釈7行きめぐりても『岷江入楚』は「下の帯の道はかたがたに別るとも行きめぐりても逢はむとぞ思ふ(古今集離別、四〇五、紀友則)を指摘する。1.1.4
注釈8なほ一二日『完訳』は「「なほ--おぼえ」は、源氏の雲林院への短期間の参篭などを具体例に、直前の叙述を補強する」と指摘。1.1.4
注釈9幾年そのほどと限りある道にもあらず以下「門出にもや」まで、源氏の心中叙述。『獄令』には流罪の人は六年または三年後復任を許されるとある。源氏は自主的に退去したので、何年と限ることができない。『完訳』「「--だに--だに」の文脈を受けて、まして--の気持」と注す。1.1.4
注釈10逢ふを限りに隔たりゆかむも『河海抄』は「わが恋は行方も知らず果てもなし逢ふを限りと思ふばかりぞ」(古今集恋二、六一一、凡河内躬恒)を指摘する。その第四句の文句による表現。1.1.4
注釈11やがて別るべき門出にもや『紫明抄』は「かりそめの行きかひ路とぞ思ひこし今は限りの門出なりけり」(古今集哀傷、八六二、在原滋春)を指摘する。1.1.4
注釈12さる心細からむ以下、源氏の心中に添った叙述。「なかなかもの思ひのつまなるべきを」は直接的叙述。1.1.4
注釈13波風よりほかに立ちまじる人「立ち」は「波風」の縁語。「立ち交じる人」は文飾表現。1.1.4
注釈14たまへらむ給つ(つ$へ<朱>)らむ大−給つらむ飯−給へらむ横池肖三。青表紙本は「たまへ」(尊敬の補助動詞)「ら」(完了の助動詞、完了)「む」(推量の助動詞、仮定)という語法。源氏の心中叙述の中に語り手の敬語表現が交じった文型。1.1.4
注釈15いみじからむ道にも後れきこえずだにあらば紫の君の心中。1.1.4
注釈16おはし通ふことこそまれなれ「こそ--まれなれ」係結び表現。読点で逆接用法。1.1.5
注釈17ものの聞こえやまたいかがとりなさむ藤壺の心中。
【とりなさむ】−とりなさむ大−とりなれむ飯−とりなさむ横池肖三書 大島本は河内本(高松宮家本を除く)、別本(御物本と陽明文庫本)と同文である。『集成』は「とりなさむ」のまま。『完訳』は「とりなされむ」と訂正。底本の「れ」受身の助動詞。「れ」の有無によって主語が藤壺または噂と変化する。
1.1.6
注釈18昔かやうに相思しあはれをも見せたまはましかば源氏の心中。「相思し」とあることに注意。「ましかば」は反実仮想の表現。1.1.6
注釈19うち思ひ出でたまふにも大島本は「うちおもひいて給にも」とある。『新大系』は底本のままとする。『集成』『古典セレクション』は諸本に従って「たまふに」と校訂する。1.1.6
注釈20さもさまざまに心をのみ尽くすべかりける人の御契りかな源氏の心中。藤壺との恋を回顧する。『集成』は「「さまざまに」とは、これまで藤壺との恋で味わった嘆きと、今せっかくやさしくして下さっても、もうどうにもならぬ嘆きとをさす」と注す。1.1.6
出典1 逢ふを限りに 我が恋は行方も知らず果てもなし逢ふを限りと思ふばかりぞ 古今集恋二-六一一 凡河内躬恒 1.1.4
出典2 別るべき門出 かりそめの行き通ひ路とぞ思ひこし今は限りの門出なりけり 古今集哀傷-八六二 在原滋春 1.1.4
校訂1 たまへらむ たまへらむ--給つ(つ/$へ<朱>)らむ 1.1.4
1.2
第二段 左大臣邸に離京の挨拶


1-2  Parting greeting to Sadaijin

1.2.1   三月二十日あまりのほどになむ、都を離れたまひける人にいつとしも知らせたまはず、ただ いと近う仕うまつり馴れたる限り、七、八人ばかり御供にて、いとかすかに出で立ちたまふ。さるべき所々に、御文ばかりうち忍びたまひしにも、あはれと忍ばるばかり尽くいたまへるは、見どころもありぬべかりしかど、 その折の、心地の紛れに、はかばかしうも聞き置かずなりにけり
 三月二十日過ぎのころに、都をお離れになった。誰にもいつとはお知らせなさらず、わずかにごく親しくお仕え申し馴れている者だけ、七、八人ほどをお供として、たいそうひっそりとご出発になる。しかるべき所々には、お手紙だけをそっと差し上げなさったが、しみじみと偲ばれるほど言葉をお尽くしになったのは、きっと素晴らしいものであっただろうが、その時の、気の動転で、はっきりと聞いて置かないままになってしまったのであった。
 三月の二十幾日に京を立つことにしたのである。世間へは何とも発表せずに、きわめて親密に思っている家司けいし七、八人だけを供にして、簡単な人数で出かけることにしていた。恋人たちの所へは手紙だけを送って、ひそかに別れを告げた。形式的なものでなくて、真情のこもったもので、いつまでも自分を忘れさすまいとした手紙を書いたのであったから、きっと文学的におもしろいものもあったに違いないが、その時分に筆者はこのいたましい出来事に頭を混乱させていて、それらのことを注意して聞いておかなかったのが残念である。
  Yayohi hatuka amari no hodo ni nam, miyako wo hanare tamahi keru. Hito ni itu to si mo sirase tamaha zu, tada ito tikau tukaumaturi nare taru kagiri, siti, hatinin bakari ohom-tomo nite, ito kasuka ni idetati tamahu. Sarubeki tokorodokoro ni, ohom-humi bakari uti-sinobi tamahi si ni mo, ahare to sinobaru bakari tukui tamahe ru ha, midokoro mo ari nu bekari sika do, sono wori no, kokoti no magire ni, hakabakasiu mo kiki oka zu nari ni keri.
1.2.2  二、三日かねて、夜に隠れて、大殿に渡りたまへり。網代車のうちやつれたるにて、女車のやうにて隠ろへ 入りたまふも、いとあはれに、夢とのみ見ゆ。御方、いと寂しげにうち荒れたる心地して、若君の御乳母ども、昔さぶらひし人のなかに、まかで散らぬ限り、かく渡りたまへるを めづらしがりきこえて、参う上り集ひて見たてまつるにつけても、ことにもの深からぬ若き人びとさへ、世の常なさ思ひ知られて、涙にくれたり。
 二、三日前に、夜の闇に隠れて、大殿にお渡りになった。網代車の粗末なので、女車のようにひっそりとお入りになるのも、実にしみじみと、夢かとばかり思われる。お部屋は、とても寂しそうに荒れたような感じがして、若君の御乳母どもや、生前から仕えていた女房の中で、お暇を取らずにいた人は皆、このようにお越しになったのを珍しくお思い申して、参集して拝し上げるにつけても、たいして思慮深くない若い女房でさえ、世の中の無常が思い知られて、涙にくれた。
 出発前二、三日のことである、源氏はそっと左大臣家へ行った。簡単な網代車あじろぐるまで、女の乗っているようにして奥のほうへ寄っていることなども、近侍者には悲しい夢のようにばかり思われた。昔使っていた住居すまいのほうは源氏の目に寂しく荒れているような気がした。若君の乳母めのとたちとか、昔の夫人の侍女で今も残っている人たちとかが、源氏の来たのを珍しがって集まって来た。今日の不幸な源氏を見て、人生の認識のまだ十分できていない若い女房なども皆泣く。
  Hutuka, mika kanete, yo ni kakure te, Ohoidono ni watari tamahe ri. Amziroguruma no uti-yature taru nite, womnaguruma no yau nite kakurohe iri tamahu mo, ito ahare ni, yume to nomi miyu. Ohom-kata, ito sabisige ni uti-are taru kokoti si te, Wakagimi no ohom-menoto-domo, mukasi saburahi si hito no naka ni, makade tira nu kagiri, kaku watari tamahe ru wo medurasigari kikoye te, maunobori tudohi te mi tatematuru ni tuke te mo, kotoni mono-hukakara nu wakaki hitobito sahe, yo no tune nasa omohi sira re te, namida ni kure tari.
1.2.3   若君はいとうつくしうて、され走りおはしたり。
 若君はとてもかわいらしく、はしゃいで走っていらっしゃった。
 かわいい顔をした若君がふざけながら走って来た。
  Wakagimi ha ito utukusiu te, sare hasiri ohasi tari.
1.2.4  「 久しきほどに、忘れぬこそ、あはれなれ
 「長い間逢わないのに、忘れていないのが、感心なことだ」
 「長く見ないでいても父を忘れないのだね」
  "Hisasiki hodo ni, wasure nu koso, ahare nare!"
1.2.5  とて、膝に据ゑたまへる御けしき、忍びがたげなり。
 と言って、膝の上にお乗せになったご様子、堪えきれなさそうである。
 と言って、ひざの上へ子をすわらせながらも源氏は悲しんでいた。
  tote, hiza ni suwe tamahe ru mikesiki, sinobi gatage nari.
1.2.6  大臣、こなたに渡りたまひて、対面したまへり。
 大臣、こちらにお越しになって、お会いになった。
 左大臣がこちらへ来て源氏にった。
  Otodo, konata ni watari tamahi te, taimen si tamahe ri.
1.2.7  「 つれづれに籠もらせたまへらむほど、何とはべらぬ昔物語も、 参りて、聞こえさせむと思うたまへれど、身の病重きにより、朝廷にも仕うまつらず、 位をも返したてまつりて はべるに、私ざまには 腰のべてなむと、ものの聞こえひがひがしかるべきを、 今は世の中憚るべき身 にもはべらねど、いちはやき世のいと恐ろしうはべるなり。 かかる御ことを見たまふるに つけて、 命長きは心憂く思うたまへらるる世の末にもはべるかな。天の下をさかさまになしても、思うたまへ寄らざりし御ありさまを見たまふれば、よろづいとあぢきなくなむ」
 「所在なくお引き籠もりになっていらっしゃる間、何ということもない昔話でも、参上して、お話し申し上げようと存じておりましたが、わが身の病気が重い理由で、朝廷にもお仕え申さず、官職までもお返し申し上げておりますのに、私事には腰を伸ばして勝手にと、世間の風評も悪く取り沙汰されるにちがいないので、今では世間に遠慮しなければならない身の上ではございませんが、厳しく性急な世の中がとても恐ろしいのでございます。このようなご悲運を拝見するにつけても、長生きは厭わしく存じられる末世でございますね。天地を逆様にしても、存じよりませんでしたご境遇を拝見しますと、万事がまことにおもしろくなく存じられます」
 「おひまな間に伺って、なんでもない昔の話ですがお目にかかってしたくてなりませんでしたものの、病気のために御奉公もしないで、官庁へ出ずにいて、私人としては暢気のんきに人の交際もすると言われるようでは、それももうどうでもいいのですが、今の社会はそんなことででもなんらかの危害が加えられますからこわかったのでございます。あなたの御失脚を拝見して、私は長生きをしているから、こんな情けない世の中も見るのだと悲しいのでございます。末世です。天地をさかさまにしてもありうることでない現象でございます。何もかも私はいやになってしまいました」
  "Turedure ni komora se tamahe ra m hodo, nani to habera nu mukasimonogatari mo, mawiri te, kikoye sase m to omou tamahe re do, mi no yamahi omoki ni yori, ohoyake ni mo tukaumatura zu, kurawi wo mo kahesi tatematuri te haberu ni, watakusizama ni ha kosi nobe te nam to, mono no kikoye higahigasikaru beki wo, ima ha yononaka habakaru beki mi ni mo habera ne do, itihayaki yo no ito osorosiu haberu nari. Kakaru ohom-koto wo mi tamahuru ni tuke te, inoti nagaki ha kokorouku omou tamahe raruru yo no suwe ni mo haberu kana! Amenosita wo sakasama ni nasi te mo, omou tamahe yora zari si ohom-arisama wo mi tamahure ba, yorodu ito adikinaku nam."
1.2.8  と聞こえたまひて、いたうしほたれたまふ。
 とお申し上げになって、ひどく涙にくれていらっしゃる。
 としおれながら言う大臣であった。
  to kikoye tamahi te, itau sihotare tamahu.
1.2.9  「 とあることも、かかることも、前の世の報いにこそはべるなれば、言ひもてゆけば、ただ、みづからのおこたりになむはべる。 さして、かく、官爵を取られず、あさはかなることにかかづらひてだに、朝廷のかしこまりなる人の、うつしざまにて世の中にあり経るは、咎重きわざに人の国にもしはべるなるを、 遠く放ちつかはすべき定めなども はべるなるはさま異なる罪に当たるべきにこそはべるなれ。濁りなき心にまかせて、つれなく過ぐしはべらむも、いと憚り多く、これより大きなる恥にのぞまぬさきに、世を逃れなむと思うたまへ立ちぬる」
 「このようなことも、あのようなことも、前世からの因果だということでございますから、せんじつめれば、ただ、わたくしの宿運のつたなさゆえでございます。これと言った理由で、このように、官位を剥奪されず、ちょっとした科に関係しただけでも、朝廷のお咎めを受けた者が、普段と変わらない様子で世の中に生活をしているのは、罪の重いことに唐土でも致しておるということですが、遠流に処すべきだという決定などもございますというのは、容易ならぬ罪科に当たることになっているのでしょう。潔白な心のままで、素知らぬ顔で過ごしていますのも、まことに憚りが多く、これ以上大きな辱めを受ける前に、都を離れようと決意致した次第です」
 「何事も皆前生の報いなのでしょうから、根本的にいえば自分の罪なのです。私のように官位を剥奪はくだつされるほどのことでなくても、勅勘ちょっかんの者は普通人と同じように生活していることはよろしくないとされるのはこの国ばかりのことでもありません。私などのは遠くへ追放するという条項もあるのですから、このまま京におりましてはなおなんらかの処罰を受けることと思われます。冤罪えんざいであるという自信を持って京に留まっていますことも朝廷へ済まない気がしますし、今以上の厳罰にあわない先に、自分から遠隔の地へ移ったほうがいいと思ったのです」
  "Toaru koto mo, kakaru koto mo, sakinoyo no mukuyi ni koso haberu nare ba, ihi mote yuke ba, tada, midukara no okotari ni nam haberu. Sasite, kaku, kwansaku wo tora re zu, asahaka naru koto ni kakadurahi te dani, ohoyake no kasikomari naru hito no, utusizama nite yononaka ni ari huru ha, toga omoki waza ni hitonokuni ni mo si haberu naru wo, tohoku hanati tukahasu beki sadame nado mo haberu naru ha, sama koto naru tumi ni ataru beki ni koso haberu nare. Nigori naki kokoro ni makase te, turenaku sugusi habera m mo, ito habakari ohoku, kore yori ohoki naru hadi ni nozoma nu saki ni, yo wo nogare na m to omou tamahe tati nuru."
1.2.10  など、こまやかに聞こえたまふ。
 などと、詳しくお話し申し上げなさる。
 などと、こまごま源氏は語っていた。
  nado, komayaka ni kikoye tamahu.
1.2.11  昔の御物語、院の御こと、思しのたまはせし御心ばへなど 聞こえ出でたまひて御直衣の袖もえ引き放ちたまはぬに、君も、え心強くもてなしたまはず。若君の何心なく紛れありきて、これかれに馴れきこえたまふを、いみじと思いたり。
 昔のお話、院の御事、御遺言あそばされた御趣旨などをお申し上げなさって、お直衣の袖もお引き放しになれないので、君も、気丈夫に我慢がおできになれない。若君が無邪気に走り回って、二人にお甘え申していらっしゃるのを、悲しくお思いになる。
 大臣は昔の話をして、院がどれだけ源氏を愛しておいでになったかと、その例を引いて、涙をおさえる直衣のうしそでを顔から離すことができないのである。源氏も泣いていた。若君が無心に祖父と父の間を歩いて、二人に甘えることを楽しんでいるのに心が打たれるふうである。
  Mukasi no ohom-monogatari, Win no ohom-koto, obosi notamahase si mikokorobahe nado kikoye ide tamahi te, ohom-nahosi no sode mo e hiki-hanati tamaha nu ni, Kimi mo, e kokoro-duyoku motenasi tamaha zu. Wakagimi no nanigokoro naku magire ariki te, korekare ni nare kikoye tamahu wo, imizi to oboi tari.
1.2.12  「 過ぎはべりにし人を、世に思うたまへ忘るる世なくのみ、今に悲しびはべるを、この御ことになむ、もしはべる世ならましかば、いかやうに思ひ嘆きはべらまし。よくぞ短くて、かかる夢を見ずなりにけると、思うたまへ慰めはべり。幼くものしたまふが、かく齢過ぎぬるなかにとまりたまひて、なづさひきこえぬ月日や隔たりたまはむと思ひたまふるをなむ、よろづのことよりも、悲しうはべる。いにしへの人も、 まことに犯しあるにてしも、かかることに当たらざりけり。 なほさるべきにて、人の朝廷にもかかるたぐひ多うはべりけり。されど、 言ひ出づる節ありてこそ、さることもはべりけれ、とざまかうざまに、思ひたまへ寄らむかたなくなむ」
 「亡くなりました人を、まことに忘れる時とてなく、今でも悲しんでおりますのに、この度の出来事で、もし生きていましたら、どんなに嘆き悲しんだことでしょう。よくぞ短命で、このような悪夢を見ないで済んだことだと、存じて僅かに慰めております。あどけなくいらっしゃるのが、このように年寄たちの中に後に残されなさって、お甘え申し上げられない月日が重なって行かれるのであろうと存じますのが、何事にもまして、悲しうございます。昔の人も、本当に犯した罪があったからといっても、このような罪科には処せられたわけではありませんでした。やはり前世からの宿縁で、異国の朝廷にもこのような冤罪に遭った例は数多くございました。けれど、言い出す根拠があって、そのようなことにもなったのでございますが、どのような点から見ても、思い当たるような節がございませんのに」
 「くなりました娘のことを、私は少しも忘れることができずに悲しんでおりましたが、今度の事によりまして、もしあれが生きておりましたなら、どんなになげくことであろうと、短命で死んで、この悪夢を見ずに済んだことではじめて慰めたのでございます。小さい方が老祖父母の中に残っておいでになって、りっぱな父君に接近されることのない月日の長かろうと思われますことが私には何よりも最も悲しゅうございます。昔の時代には真実罪を犯した者も、これほどの扱いは受けなかったものです。宿命だと見るほかはありません。外国の朝廷にもずいぶんありますように冤罪にお当たりになったのでございます。しかし、それにしてもなんとか言い出す者があって、世間が騒ぎ出して、処罰はそれからのものですが、どうも訳がわかりません」
  "Sugi haberi ni si hito wo, yo ni omou tamahe wasururu yo naku nomi, ima ni kanasibi haberu wo, kono ohom-koto ni nam, mosi haberu yo nara masika ba, ikayauni omohi nageki habera masi. Yoku zo mizikaku te, kakaru yume wo mi zu nari ni keru to, omou tamahe nagusame haberi. Wosanaku monosi tamahu ga, kaku yohahi sugi nuru naka ni tomari tamahi te, nadusahi kikoye nu tukihi ya hedatari tamaha m to omohi tamahuru wo nam, yorodu no koto yori mo, kanasiu haberu. Inisihe no hito mo, makoto ni wokasi aru nite simo, kakaru koto ni atara zari keri. Naho sarubeki nite, hito no mikado ni mo kakaru taguhi ohou haberi keri. Saredo, ihi iduru husi ari te koso, saru koto mo haberi kere, tozamakauzama ni, omohi tamahe yora m kata naku nam."
1.2.13   など、多くの御物語聞こえたまふ。
 などと、数々お話をお申し上げになる。
 大臣はいろいろな意見を述べた。
  nado, ohoku no ohom-monogatari kikoye tamahu.
1.2.14  三位中将も参りあひたまひて、大御酒など参りたまふに、夜更けぬれば、泊まりたまひて、人びと御前にさぶらはせたまひて、物語などせさせたまふ。人よりはこよなう忍び思す 中納言の君 言へばえに悲しう思へるさまを、人知れずあはれと思す。人皆静まりぬるに、とりわきて語らひたまふ。 これにより泊まりたまへるなるべし
 三位中将も参上なさって、お酒などをお上がりになっているうちに、夜も更けてしまったので、お泊まりになって、女房たちを御前に伺候させなさって、お話などをおさせになる。誰よりも特に密かに情けをかけていらっしゃる中納言の君、言葉に尽くせないほど悲しく思っている様子を、人知れずいじらしくお思いになる。女房たちが皆寝静まったころ、格別に睦言をお交わしになる。この人のためにお泊まりになったのであろう。
 三位さんみ中将も来て、酒が出たりなどして夜がふけたので源氏は泊まることにした。女房たちをその座敷に集めて話し合うのであったが、源氏の隠れた恋人である中納言の君が、人には言えない悲しみを一人でしている様子を源氏は哀れに思えてならないのである。皆が寝たあとに源氏は中納言を慰めてやろうとした。源氏の泊まった理由はそこにあったのである。
  Samwi-no-Tyuuzyau mo mawiri ahi tamahi te, ohomiki nado, mawiri tamahu ni, yo huke nure ba, tomari tamahi te, hitobito omahe ni saburaha se tamahi te, monogatari nado se sase tamahu. Hito yori ha koyonau sinobi obosu Tyuunagon-no-Kimi, ihebae ni kanasiu omohe ru sama wo, hito sire zu ahare to obosu. Hito mina sidumari nuru ni, toriwaki te katarahi tamahu. Kore ni yori tomari tamahe ru naru besi.
1.2.15   明けぬれば、夜深う出でたまふに、 有明の月いとをかし花の木どもやうやう盛り過ぎて、わづかなる木蔭の、いと白き庭に薄く霧りわたりたる、そこはかとなく霞みあひて、秋の夜のあはれにおほくたちまされり。隅の高欄におしかかりて、とばかり、眺めたまふ。
 夜が明けてしまいそうなので、まだ夜の深いうちにお帰りになると、有明の月がとても美しい。花の樹々がだんだんと盛りを過ぎて、わずかに残っている花の木蔭が、とても白い庭にうっすらと朝霧が立ちこめているが、どことなく霞んで見えて、秋の夜の情趣よりも数段勝っていた。隅の高欄に寄り掛かって、しばらくの間、物思いにふけっていらっしゃる。
 翌朝は暗い間に源氏は帰ろうとした。明け方の月が美しくて、いろいろな春の花の木が皆盛りを失って、少しの花が若葉のかげに咲き残った庭に、淡く霧がかかって、花を包んだかすみがぼうとその中を白くしている美は、秋の夜の美よりも身にしむことが深い。すみの欄干によりかかって、しばらく源氏は庭をながめていた。
  Ake nure ba, yobukau ide tamahu ni, ariakenotuki ito wokasi. Hana no ki-domo yauyau sakari sugi te, waduka naru kokage no, ito siroki niha ni usuku kiri watari taru, sokohakatonaku kasumi ahi te, aki no yo no ahare ni ohoku tati-masare ri. Sumi no kauran ni osi-kakari te, tobakari, nagame tamahu.
1.2.16   中納言の君、見たてまつり送らむとにや、妻戸おし開けてゐたり
 中納言の君、お見送り申し上げようとしてであろうか、妻戸を押し開けて座っている。
 中納言の君は見送ろうとして妻戸をあけてすわっていた。
  Tyuunagon-no-Kimi, mi tatematuri okura m to ni ya, tumado osi-ake te wi tari.
1.2.17  「 また対面あらむことこそ、思へばいと難けれ。 かかりける世を知らで、心やすくも ありぬべかりし月ごろ、さしも急がで、隔てしよ」
 「再びお会いしようことを、思うとまことに難しい。このようなことになろうとは知らず、気安く逢えた月日があったのに、そのように思わず、ご無沙汰してしまったことよ」
 「あなたとまた再会ができるかどうか。むずかしい気のすることだ。こんな運命になることを知らないで、逢えば逢うことのできたころにのんきでいたのが残念だ」
  "Mata taimen ara m koto koso, omohe ba ito katakere. Kakari keru yo wo sira de, kokoroyasuku mo ari nu bekari si tukigoro, sasimo isoga de, hedate si yo!"
1.2.18  などのたまへば、ものも聞こえず泣く。
 などとおっしゃると、何とも申し上げられず泣く。
 と源氏は言うのであったが、女は何も言わずに泣いているばかりである。
  nado notamahe ba, mono mo kikoye zu naku.
1.2.19  若君の御乳母の宰相の君して、宮の御前より御消息聞こえたまへり。
 若君の御乳母の宰相の君をお使いとして、宮の御前からご挨拶を申し上げなさった。
 若君の乳母めのとの宰相の君が使いになって、大臣夫人の宮の御挨拶あいさつを伝えた。
  Wakagimi no ohom-menoto no Saisyau-no-Kimi site, Miya no omahe yori ohom-seusoko kikoye tamahe ri.
1.2.20  「 身づから聞こえまほしきを、かきくらす乱り心地ためらひはべるほどに、いと夜深う出でさせたまふなるも、さま変はりたる心地のみしはべるかな。心苦しき人のいぎたなきほどは、しばしもやすらはせたまはで」
 「わたくし自身でご挨拶申し上げたいのですが、目の前が眩むほど悲しみに取り乱しておりますうちに、たいそう暗いうちにお帰りあそばすというのも、以前とは違った感じばかり致しますこと。不憫な子が眠っているうちを、少しもゆっくりともなさらず」
 「お目にかかってお話も伺いたかったのですが、悲しみが先だちまして、どうしようもございませんでしたうちに、もうこんなに早くお出かけになるそうです。そうなさらないではならないことになっておりますことも何という悲しいことでございましょう。哀れな人が眠りからさめますまでお待ちになりませんで」
  "Midukara kikoye mahosiki wo, kakikurasu midari gokoti tamerahi haberu hodo ni, ito yobukau ide sase tamahu naru mo, sama kahari taru kokoti nomi si haberu kana! Kokorogurusiki hito no igitanaki hodo ha, sibasi mo yasuraha se tamaha de."
1.2.21  と聞こえたまへれば、うち泣きたまひて、
 とお申し上げになさったので、ふと涙をお洩らしになって、
 聞いていて源氏は、泣きながら、
  to kikoye tamahe re ba, uti-naki tamahi te,
1.2.22  「 鳥辺山燃えし煙もまがふやと
   海人の塩焼く浦見にぞ行く
 「あの鳥辺山で焼いた煙に似てはいないかと
  海人が塩を焼く煙を見に行きます
  鳥部とりべ山燃えし煙もまがふやと
  海人あまの塩焼く浦見にぞ行く
    "Toribeyama moye si keburi mo magahu ya to
    ama no siho yaku ura mi ni zo yuku
1.2.23  御返りともなくうち誦じたまひて、
 お返事というわけでもなく口ずさみなさって、
 これをお返事のことばともなく言っていた。
  Ohom-kaheri to mo naku uti-zuzi tamahi te,
1.2.24  「 暁の別れは、かうのみや心尽くしなる。思ひ知りたまへる人もあらむかし」
 「暁の別れは、こんなにも心を尽くさせるものなのか。お分かりの方もいらっしゃるでしょう」
 「夜明けにする別れはみなこんなに悲しいものだろうか。あなた方は経験を持っていらっしゃるでしょう」
  "Akatuki no wakare ha, kau nomi ya kokorodukusi naru. Omohi siri tamahe ru hito mo ara m kasi."
1.2.25  とのたまへば、
 とおっしゃると、

  to notamahe ba,
1.2.26  「 いつとなく、別れといふ文字こそうたてはべるなるなかにも、今朝はなほたぐひあるまじう思うたまへらるるほどかな」
 「いつとなく、別れという文字は嫌なものだと言います中でも、今朝はやはり例があるまいと存じられますこと」
 「どんな時にも別れは悲しゅうございますが、今朝けさの悲しゅうございますことは何にも比較ができると思えません」
  "Itu to naku, wakare to ihu mozi koso utate haberu naru naka ni mo, kesa ha naho taguhi aru maziu omou tamahe raruru hodo kana!"
1.2.27  と、鼻声にて、げに浅からず思へり。
 と、鼻声になって、なるほど深く悲しんでいる。
 宰相の君の声は鼻声になっていて、言葉どおり深く悲しんでいるふうであった。
  to, hanagowe nite, geni asakara zu omohe ri.
1.2.28  「 聞こえさせまほしきことも、返す返す思うたまへながら、ただに結ぼほれはべるほど、推し量らせたまへ。いぎたなき人は、見たまへむにつけても、なかなか、憂き世逃れがたう思うたまへられぬべければ、心強う思うたまへなして、急ぎまかではべり」
 「お話し申し上げたい事も、何度も胸の中で考えておりましたが、ただ胸がつまって申し上げられずにおりましたこと、お察しください。眠っている子は、顔を拝見するにつけても、かえって、辛い都を離れがたく思われるにちがいありませんので、気をしっかりと取り直して、急いで退出致します」
 「ぜひお話ししたく存じますこともあるのでございますが、さてそれも申し上げられませんで煩悶はんもんをしております心をお察しください。ただ今よく眠っております人に今朝また逢ってまいることは、私の旅の思い立ちを躊躇ちゅうちょさせることになるでございましょうから、冷酷であるでしょうがこのまままいります」
  "Kikoyesase mahosiki koto mo, kahesugahesu omou tamahe nagara, tadani musubohore haberu hodo, osihakara se tamahe. Igitanaki hito ha, mi tamahe m ni tuke te mo, nakanaka, uki yo nogare gatau omou tamahe rare nu bekere ba, kokoroduyou omou tamahe nasi te, isogi makade haberi."
1.2.29  と聞こえたまふ。
 とお申し上げになる。
 と源氏は宮へ御挨拶あいさつを返したのである。
  to kikoye tamahu.
1.2.30  出でたまふほどを、人びと覗きて見たてまつる。
 お出ましになるところを、女房たちが覗いてお見送り申し上げる。
 帰って行く源氏の姿を女房たちは皆のぞいていた。
  Ide tamahu hodo wo, hitobito nozoki te mi tatematuru.
1.2.31   入り方の月いと明きに、いとどなまめかしうきよらにて、ものを思いたるさま、虎、狼だに泣きぬべし。まして、 いはけなくおはせしほどより見たてまつりそめてし人びとなれば、 たとしへなき御ありさまをいみじと思ふ。
 入り方の月がとても明るいので、ますます優雅に清らかで、物思いされているご様子、虎、狼でさえ、泣くにちがいない。まして、お小さくいらした時からお世話申し上げてきた女房たちなので、譬えようもないご境遇をひどく悲しいと思う。
 落ちようとする月が一段明るくなった光の中を、清艶せいえんな容姿で、物思いをしながら出て行く源氏を見ては、とらおおかみも泣かずにはいられないであろう。ましてこの人たちは源氏の少年時代から侍していたのであるから、言いようもなくこの別れを悲しく思ったのである。
  Irigata no tuki ito akaki ni, itodo namamekasiu kiyora ni te, mono wo oboi taru sama, tora, ohokami dani naki nu besi. Masite, ihakenaku ohasesi hodo yori mi tatematuri some te si hitobito nare ba, tatosihe naki ohom-arisama wo imizi to omohu.
1.2.32   まことや、御返り、
 そうそう、ご返歌は、
 源氏の歌に対して宮のお返しになった歌は、
  Makoto ya, ohom-kaheri,
1.2.33  「 亡き人の別れやいとど隔たらむ
   煙となりし雲居ならでは
 「亡き娘との仲もますます遠くなってしまうでしょう
  煙となった都の空のではないのでは
  き人の別れやいとど隔たらん
  煙となりし雲井ならでは
    "Naki hito no wakare ya itodo hedatara m
    keburi to nari si kumowi nara de ha
1.2.34  取り添へて、あはれのみ尽きせず、出でたまひぬる名残、ゆゆしきまで泣きあへり。
 とり重ねて、悲しさだけが尽きせず、お帰りになった後、不吉なまで泣き合っていた。
 というのである。今の悲しみに以前の死別の日の涙も添って流れる人たちばかりで、左大臣家は女のむせび泣きの声に満たされた。
  Tori-sohe te, ahare nomi tuki se zu, ide tamahi nuru nagori, yuyusiki made naki ahe ri.
注釈21三月二十日あまりのほどになむ都を離れたまひける大島本は「みやこを」とある。『新大系』は底本のままとする。『集成』『古典セレクション』は諸本に従って「を」を削除する。「三月二十日余り」という設定は、安和二年(九六九)三月二十六日、左大臣源高明が大宰権帥に左遷された事件を準拠とするとされる。「離れたまひける」と、その後から語ったいう語り口だが、以下に、離京までの経緯や経過を詳細に語る。1.2.1
注釈22人にいつとしも知らせたまはず大島本は「いつ」とある。『新大系』は底本のままとする。『集成』『古典セレクション』は諸本に従って「いま」を校訂する。『完訳』は「源氏の離京計画が右大臣方に漏れると、すぐにも流罪が決定しかねないので、秘密裡に事を運ぶ」と注す。1.2.1
注釈23いと近う仕うまつり馴れたる限り七八人ばかり御供にて『完訳』は「通常なら、参議大将は、随身六人で、供人は二、三十人に及ぶ」という。1.2.1
注釈24その折の心地の紛れにはかばかしうも聞き置かずなりにけり語り手の文章。『弄花抄』は「例の紫式部詞也」と指摘。また『評釈』は「この語り手は、光る源氏須磨下向を、その目で見ずとも、その耳に聞いた生き残りなのである。老人の問わず語り、思い出話、それを筆記編集したのが、この物語である」という。『集成』は「主人公の身辺の事件を実際に見聞きした女房の話を筆録したものという建て前による草子地」という。1.2.1
注釈25若君はいとうつくしうて夕霧五歳。1.2.3
注釈26久しきほどに忘れぬこそあはれなれ源氏の詞。「ぬ」打消の助動詞。1.2.4
注釈27つれづれに籠もらせたまへらむほど以下「いとあぢきなくなむ」まで、左大臣の詞。「籠もる」の主語は源氏。「せ」(尊敬の助動詞)「給ふ」(尊敬の補助動詞)二重敬語。1.2.7
注釈28参りて聞こえさせむ大島本は「まいりてきこえさせむ」とある。『新大系』は底本のままとする。『集成』『古典セレクション』は諸本に従って「参り来て」と「来て」を補訂する。1.2.7
注釈29位をも返したてまつりて「位」は官職をさす。位階ではない。1.2.7
注釈30腰のべて『集成』は「勝手な振舞いをして」の意に解し、『完訳』は「気ままに出歩いて」の意に解す。1.2.7
注釈31今は世の中憚るべき身大島本は「いまは世中はかるへき身」とある。独自異文である。諸本に従って「憚る」校訂する。1.2.7
注釈32かかる御ことを見たまふるに大島本は「見たまふに」とある。独自異文である。諸本に従って「たまふる」(下二段活用)と校訂する。源氏の除名処分と自主的須磨退去をさす。「たまふ」は謙譲の補助動詞。1.2.7
注釈33命長きは心憂く古来「寿ければ則ち辱多し」(荘子、外篇、天地)が指摘される。1.2.7
注釈34とあることもかかることも以下「思うたまへ立ちぬる」まで、源氏の詞。1.2.9
注釈35さして、かく、官爵を取られず「さして」は、特定して、はっきりとしての意。『集成』は「これと言った理由で私のように官位を剥奪されるというのではなく」の意に解し、『完訳』も「はっきりと私のように官位を取りあげられるのでなく」の意に解す。1.2.9
注釈36遠く放ちつかはすべき定め遠流をいう。1.2.9
注釈37はべるなるは「なり」伝聞推定の助動詞。宮廷には源氏を遠流に処すべきだという意見も流れている。1.2.9
注釈38さま異なる罪『集成』は「容易ならぬ罪」の意に、『完訳』は「特別の重罪」の意に解す。1.2.9
注釈39聞こえ出でたまひて主語は左大臣。1.2.11
注釈40御直衣の袖もえ引き放ちたまはぬに『集成』は「〔お目から〕お離しになれないのに」の意に、『完訳』は「袖に顔を当てて泣く様子」の意に解す。1.2.11
注釈41過ぎはべりにし人を以下「思ひたまへ寄らむかたなく」まで、左大臣の詞。「過ぎはべりにし人」は葵の上をさす。1.2.12
注釈42まことに犯しあるにてしも本当に犯した罪があって罪科に処せられたわけでない、中には讒言や策略によって、無実の罪に落とされた者もいたのだ、の意。1.2.12
注釈43なほさるべきにてやはり前世からの宿縁で、と思考する。1.2.12
注釈44言ひ出づる節ありてこそさることもはべりけれ『集成』は「謀叛の嫌疑などは、誰かの讒言によるものだが、源氏の場合は、そういうこともない無実の罪だという、政道への批判」と注す。1.2.12
注釈45中納言の君葵の上づきの女房。源氏の召人。1.2.14
注釈46言へばえに『奥入』は「言へばえに深く悲しき笛竹の夜声や誰と問ふ人もがな」(古今六帖四、笛)を指摘する。また『異本紫明抄』は「言へばえに言はねば胸に騒がれて心一つに嘆くころかな」(伊勢物語)を指摘する。1.2.14
注釈47これにより泊まりたまへるなるべし語り手の推量。『細流抄』は「草子地也」と指摘。『完訳』は「以下、語り手の推測」と注す。源氏が左大臣邸に泊まった理由をいう。1.2.14
注釈48明けぬれば『完訳』は「まもなく明けてしまうので」の意に解す。1.2.15
注釈49有明の月いとをかし『完訳』は「下旬、夜明け後も空に残る月。後朝の別れの典型的な景物」と注す。1.2.15
注釈50花の木どもやうやう盛り過ぎて、わづかなる木蔭の、いと白き庭に薄く霧りわたりたる、そこはかとなく霞みあひて、秋の夜のあはれにおほくたちまされり晩春三月の情景描写。源氏の失意のさまと景情一致。1.2.15
注釈51中納言の君、見たてまつり送らむとにや、妻戸おし開けてゐたり「夕顔」巻の源氏が六条御息所邸を辞去する段に相似。あちらは秋の早朝であった。
【見たてまつり送らむとにや】−語り手の想像を介在させた挿入句。
1.2.16
注釈52また対面あらむことこそ以下「隔てしよ」まで、源氏の詞。1.2.17
注釈53かかりける世を知らでこんな別れになる仲とは思いもしないで。「世」は男女の仲、の意。1.2.17
注釈54ありぬべかりし月ごろさしも大島本は「月ころさしも」とあある。『新大系』は底本のままとする。『集成』『古典セレクション』は諸本に従って「月ごろを」と「を」を補訂する。1.2.17
注釈55身づから聞こえまほしきを大島本は「身つからきこえまほしきを」とある。『新大系』は底本のままとする。『集成』『古典セレクション』は諸本に従って「みづからも」と「も」を補訂する。以下「やすらはせたまはで」まで、大宮の消息。1.2.20
注釈56鳥辺山燃えし煙もまがふやと--海人の塩焼く浦見にぞ行く源氏の贈歌。「鳥辺山」は火葬の地。「浦見」に「怨み」を掛ける。『集成』は「大宮の心中を思いやった歌」と注し、『完訳』は「須磨下向に、死者の世界に近づく思いをこめる」と注す。1.2.22
注釈57暁の別れは以下「あらむかし」まで、源氏の詞。『全集』は「いかで我人にも問はむ暁のあかぬ別れや何に似たりと」(後撰集恋三、七一九、紀貫之)を引歌として指摘する。1.2.24
注釈58いつとなく以下「ほどに」まで、宰相の君の返事。1.2.26
注釈59聞こえさせまほしきことも以下「急ぎまかではべり」まで、源氏の大宮への返事。「聞こえさす」という丁重な謙譲表現。1.2.28
注釈60入り方の月いと明きにいとどなまめかしうきよらにてものを思いたるさま虎狼だに泣きぬべし源氏の暁の月の光に照らされた優雅な姿を写し出す。非情な動物の虎や狼でさえ泣こうという。『完訳』は「釈迦涅槃の時に泣き悲しんだ獣を思わせ、偉大な王者の死のイメージ」と注す。1.2.31
注釈61いはけなくおはせしほどより見たてまつりそめてし源氏が左大臣家へ婿入したのは元服した年の十二歳であった。現在二十六歳の春である。1.2.31
注釈62まことや語り手の話題転換の語法。『孟津抄』は「草子地」と指摘。『集成』は「話の筋をもとに戻した時の発語。草子地」と注す。1.2.32
注釈63亡き人の別れやいとど隔たらむ--煙となりし雲居ならでは大宮の返歌。『異本紫明抄』は「恋ふる間に年の暮れなば亡き人の別れやいとど遠くなりなむ」(後撰集哀傷、一四二五、紀貫之)を引歌として指摘する。『完訳』は「源氏の離京を、幽明を隔てた源氏と葵の上の間がさらに遠のくと嘆く歌」と注す。1.2.33
出典3 命長きは心憂く 寿則多辱 荘子-天地 1.2.7
出典4 言へばえに いへばえに深く悲しき笛竹の夜声や誰と問ふ人もがな 古今六帖五-三四〇九 1.2.14
出典5 亡き人の別れやいとど 恋ふる間に年の暮れなば亡き人の別れやいとど遠くなりなむ 後撰集哀傷-一四二五 紀貫之 1.2.33
校訂2 入り 入り--け(け/#い)り 1.2.2
校訂3 めづらしがりきこえて めづらしがりきこえて--めつらしかりし(し/#き)こえて 1.2.2
校訂4 返し 返し--かつ(つ/$へ<朱>)し 1.2.7
校訂5 憚る 憚る--*はかる 1.2.7
校訂6 たまふる たまふる--*たまふ 1.2.7
校訂7 など など--なに(に/$と<朱>) 1.2.13
校訂8 たとしへ たとしへ--たとして(て/$へ) 1.2.31
1.3
第三段 二条院の人々との離別


1-3  Parting greeting to Nijoin

1.3.1   殿におはしたればわが御方の人びとも、まどろまざりけるけしきにて、所々に群れゐて、あさましとのみ世を思へるけしきなり。侍には、親しう仕まつる限りは、御供に参るべき心まうけして、 私の別れ惜しむほどにや人もなし。さらぬ人は、とぶらひ参るも重き咎めあり、わづらはしきことまされば、所狭く集ひし馬、車の方もなく、寂しきに、「 世は憂きものなりけり」と、思し知らる。
 殿にお帰りになると、ご自分方の女房たちも、眠らなかった様子で、あちこちにかたまっていて、驚くばかりだとご境遇の変化を思っている様子である。侍所では、親しくお仕えしている者だけは、お供に参るつもりをして、個人的な別れを惜しんでいるころなのであろうか、人影も見えない。その他の人は、お見舞いに参上するにも重い処罰があり、厄介な事が増えるので、所狭しと集まっていた馬、車が跡形もなく、寂しい気がするので、「世の中とは嫌なものだ」と、お悟りになる。
 源氏が二条の院へ帰って見ると、ここでも女房はよいからずっとなげき明かしたふうで、所々にかたまって世の成り行きを悲しんでいた。家職の詰め所を見ると、親しい侍臣は源氏について行くはずで、その用意と、家族たちとの別れを惜しむために各自が家のほうへ行っていてだれもいない。家職以外の者も始終集まって来ていたものであるが、たずねて来ることは官辺の目が恐ろしくてだれもできないのである。これまで門前に多かった馬や車はもとより影もないのである。人生とはこんなに寂しいものであったのだと源氏は思った。
  Tono ni ohasi tare ba, waga ohom-kata no hitobito mo, madoroma zari keru kesiki nite, tokorodokoro ni mure wi te, asamasi to nomi yo wo omohe ru kesiki nari. Saburahi ni ha, sitasiu tukamaturu kagiri ha, ohom-tomo ni mawiru beki kokoromauke si te, watakusi no wakare wosimu hodo ni ya, hito mo nasi. Saranu hito ha, toburahi mawiru mo omoki togame ari, wadurahasiki koto masare ba, tokoroseku tudohi si muma, kuruma no kata mo naku, sabisiki ni, "Yo ha uki mono nari keri!" to, obosi sira ru.
1.3.2  台盤なども、かたへは塵ばみて、畳、所々引き返したり。「 見るほどだにかかり。ましていかに荒れゆかむ」と思す。
 台盤所なども、半分は塵が積もって、畳も所々裏返ししてある。「見ているうちでさえこんなである。ましてどんなに荒れてゆくのだろう」とお思いになる。
 食堂の大食卓なども使用する人数が少なくて、半分ほどはちりを積もらせていた。畳は所々裏向けにしてあった。自分がいるうちにすでにこうである、まして去ってしまったあとの家はどんなに荒涼たるものになるだろうと源氏は思った。
  Daiban nado mo, katahe ha tiribami te, tatami, tokorodokoro hiki-kahesi tari. "Miru hodo dani kakari. Masite ikani are yuka m." to obosu.
1.3.3  西の対に渡りたまへれば、 御格子も参らで、眺め明かしたまひければ、簀子などに、若き童女、所々に臥して、今ぞ起き騒ぐ。宿直姿どもをかしうてゐるを見たまふにも、心細う、「 年月経ば、かかる人びとも、えしもあり果てでや、行き散らむ」など、 さしもあるまじきことさへ 、御目のみとまりけり。
 西の対にお渡りになると、御格子もお下ろしにならないで、物思いに沈んで夜を明かしていられたので、簀子などに、若い童女が、あちこちに臥せっていて、急に起き出し騒ぐ。宿直姿がかわいらしく座っているのを御覧になるにつけても、心細く、「歳月が重なったら、このような子たちも、最後まで辛抱しきれないで、散りじりに辞めていくのではなかろうか」などと、何でもないことまで、お目が止まるのであった。
 西のたいへ行くと、格子こうしを宵のままおろさせないで、物思いをする夫人が夜通し起きていたあとであったから、縁側の所々に寝ていた童女などが、この時刻にやっと皆起き出して、夜の姿のままで往来するのも趣のあることであったが、気の弱くなっている源氏はこんな時にも、何年かの留守るすの間にはこうした人たちも散り散りにほかへ移って行ってしまうだろうと、そんなはずのないことまでも想像されて心細くなるのであった。
  Nisinotai ni watari tamahe re ba, mikausi mo mawira de, nagame akasi tamahi kere ba, sunoko nado ni, wakaki warahabe, tokorodokoro ni husi te, ima zo oki sawagu. Tonowisugata-domo wokasiu te wiru wo mi tamahu ni mo, kokorobosou, "Tosituki he ba, kakaru hitobito mo, e simo ari hate de ya, yuki tira m." nado, sasimo arumaziki koto sahe, ohom-me nomi tomari keri.
1.3.4  「 昨夜は、しかしかして更けにしかばなむ。例の思はずなるさまにや思しなしつる。かくてはべるほどだに御目離れずと思ふを、かく世を離るる際には、心苦しきことのおのづから 多かりけるひたやごもりにてやは。常なき世に、人にも情けなきものと 心おかれ果てむと、いとほしうてなむ」
 「昨夜は、これこれの事情で夜を明かしてしまいました。いつものように心外なふうに邪推でもなさっていたのでは。せめてこうしている間だけでも離れないようにと思うのが、このように京を離れる際には、気にかかることが自然と多かったので、籠もってばかりいるわけにも行きましょうか。無常の世に、人からも薄情な者だとすっかり疎まれてしまうのも、辛いのです」
 源氏は夫人に、左大臣家を別れにたずねて、夜がふけて一泊したことを言った。「それをあなたはほかの事に疑って、くやしがっていませんでしたか。もうわずかしかない私の京の時間だけは、せめてあなたといっしょにいたいと私は望んでいるのだけれど、いよいよ遠くへ行くことになると、ここにもかしこにも行っておかねばならない家が多いのですよ。人間はだれがいつ死ぬかもしれませんから、恨めしいなどと思わせたままになっては悪いと思うのですよ」
  "Yobe ha, sikasika si te yohuke ni sika ba nam. Rei no omohazu naru sama ni ya obosi nasi turu? Kakute haberu hodo dani ohom-me kare zu to omohu wo, kaku yo wo hanaruru kiha ni ha, kokorogurusiki koto no onodukara ohokari keru, hitayagomori ni te yaha! Tune naki yo ni, hito ni mo nasake naki mono to kokorooka re hate m to, itohosiu te nam."
1.3.5  と聞こえたまへば、
 とお申し上げになると、

  to kikoye tamahe ba,
1.3.6  「 かかる世を見るよりほかに、 思はずなることは、何ごとにか」
 「このような悲しい目を見るより他に、もっと心外な事とは、どのような事でしょうか」
 「あなたのことがこうなった以外のくやしいことなどは私にない」
  "Kakaru yo wo miru yori hoka ni, omohazu naru koto ha, nanigoto ni ka?"
1.3.7  とばかりのたまひて、いみじと思し入れたるさま、人よりことなるを、 ことわりぞかし父親王、いと おろかにもとより思しつきにけるに、まして、世の聞こえをわづらはしがりて、訪れきこえたまはず、御とぶらひにだに渡りたまはぬを、人の見るらむことも恥づかしく、なかなか知られたてまつらでやみなましを、継母の北の方などの、
 とだけおっしゃって、悲しいと思い込んでいらっしゃる様子、人一倍であるのは、もっともなことで、父親王は、実に疎遠にはじめからお思いになっていたが、まして今は、世間の噂を煩わしく思って、お便りも差し上げなさらず、お見舞いにさえお越しにならないのを、人の手前も恥ずかしく、かえってお知られ頂かないままであればよかったのに、継母の北の方などが、
 とだけ言っている夫人の様子にも、他のだれよりも深い悲しみの見えるのを、源氏はもっともであると思った。父の親王は初めからこの女王にょおうに、手もとで育てておいでになる姫君ほどの深い愛を持っておいでにならなかったし、また現在では皇太后派をはばかって、よそよそしい態度をおとりになり、源氏の不幸も見舞いにおいでにならないのを、夫人は人聞きも恥ずかしいことであると思って、存在を知られないままでいたほうがかえってよかったとも悔やんでいた。継母である宮の夫人が、ある人に、
  to bakari notamahi te, imizi to obosi ire taru sama, hito yori koto naru wo, kotowari zo kasi, titi-Miko, ito oroka ni motoyori obosi tuki ni keru ni, masite, yo no kikoye wo wadurahasigari te, otodure kikoye tamaha zu, ohom-toburahi ni dani watari tamaha nu wo, hito no miru ram koto mo hadukasiku, nakanaka sira re tatematura de yami na masi wo, mamahaha no Kitanokata nado no,
1.3.8  「 にはかなりし幸ひのあわたたしさ。あな、ゆゆしや。思ふ人、方々につけて別れたまふ人かな」
 「束の間であった幸せの急がしさ。ああ、縁起でもない。大事な人が、それぞれに別れなさる人だわ」
 「あの人が突然幸福な女になって出現したかと思うと、すぐにもうその夢は消えてしまうじゃないか。おかあさん、お祖母ばあさん、今度は良人おっとという順にだれにも短い縁よりない人らしい」
  "Nihaka nari si saihahi no awatatasisa. Ana, yuyusi ya! Omohu hito, katagata ni tuke te wakare tamahu hito kana!"
1.3.9  とのたまひけるを、さる便りありて漏り聞きたまふにも、いみじう心憂ければ、これよりも絶えて訪れきこえたまはず。また頼もしき人もなく、 げにぞ、あはれなる御ありさまなる
 とおっしゃったのを、ある筋から漏れ聞きなさるにつけても、ひどく情けないので、こちらからも少しもお便りを差し上げなさらない。他に頼りとする人もなく、なるほど、お気の毒なご様子である。
 と言った言葉を、宮のおやしきの事情をよく知っている人があって話したので、女王は情けなく恨めしく思って、こちらからも音信をしない絶交状態であって、そのほかにはだれ一人たよりになる人を持たない孤独の女王であった。
  to notamahi keru wo, saru tayori ari te mori kiki tamahu ni mo, imiziu kokoroukere ba, kore yori mo tayete otodure kikoye tamaha zu. Mata tanomosiki hito mo naku, geni zo, ahare naru ohom-arisama naru.
1.3.10  「 なほ世に許されがたうて、年月を経ば、 巌の中にも迎へたてまつらむ。ただ今は、人聞きのいとつきなかるべきなり。朝廷にかしこまりきこゆる人は、明らかなる月日の影をだに見ず、安らかに身を振る舞ふことも、いと罪重かなり。 過ちなけれど、さるべきにこそかかることもあらめと思ふに、まして思ふ人具するは、例なきことなるを、ひたおもむきにものぐるほしき世にて、立ちまさることもありなむ」
 「いつまでたっても赦免されずに、歳月が過ぎるようなら、巌の中でもお迎え申そう。今すぐでは、人聞きがまことに悪いであろう。朝廷に謹慎申し上げている者は、明るい日月の光をさえ見ず、思いのままに身を振る舞うことも、まことに罪の重いことである。過失はないが、前世からの因縁でこのようなことになったのであろうと思うが、まして愛する人を連れて行くのは、先例のないことなので、一方的で道理を外れた世の中なので、これ以上の災難もきっと起ころう」
 「私がいつまでも現状に置かれるのだったら、どんなひどい住居ずまいであってもあなたを迎えます。今それを実行することは人聞きが穏やかでないから、私は遠慮してしないだけです。勅勘の人というものは、明るい日月の下へ出ることも許されていませんからね。のんきになっていては罪を重ねることになるのです。私は犯した罪のないことは自信しているが、前生の因縁か何かでこんなことにされているのだから、まして愛妻といっしょに配所へ行ったりすることは例のないことだから、常識では考えることもできないようなことをする政府にまた私を迫害する口実を与えるようなものですからね」
  "Naho yo ni yurusa re gatau te, tosituki wo he ba, ihaho no naka ni mo mukahe tatematura m. Tada ima ha, hitogiki no ito tukinakaru beki nari. Ohoyake ni kasikomari kikoyuru hito ha, akiraka naru tukihi no kage wo dani mi zu, yasuraka ni mi wo hurumahu koto mo, ito tumi omoka' nari. Ayamati nakere do, sarubeki ni koso kakaru koto mo ara me to omohu ni, masite omohu hito gusuru ha, rei naki koto naru wo, hitaomomuki ni monoguruhosiki yo nite, tatimasaru koto mo ari na m."
1.3.11  など聞こえ知らせたまふ。
 などと、お話し申し上げなさる。
 などと源氏は語っていた。
  nado kikoye sira se tamahu.
1.3.12  日たくるまで大殿籠もれり。 帥宮、三位中将などおはしたり。対面したまはむとて、御直衣などたてまつる。
 日が高くなるまでお寝みになっていた。帥宮や三位中将などがいらっしゃった。お会いなさろうとして、お直衣などをお召しになる。
 昼に近いころまで源氏は寝室にいたが、そのうちにそつの宮がおいでになり、三位中将も来邸した。面会をするために源氏は着がえをするのであったが、
  Hi takuru made ohotonogomore ri. Soti-no-Miya, Samwi-no-Tyuuzyau nado ohasi tari. Taimen si tamaha m tote, ohom-nahosi nado tatematuru.
1.3.13  「 位なき人は
 「無位無官の者は」
 「私は無位の人間だから」
  "Kurawi naki hito ha."
1.3.14  とて、 無紋の直衣 、なかなか、いとなつかしきを着たまひて、うちやつれたまへる、いとめでたし。御鬢かきたまふとて、鏡台に寄りたまへるに、面痩せたまへる影の、我ながらいとあてにきよらなれば、
 と言って、無紋の直衣、かえって、とても優しい感じなのをお召しになって、地味にしていらっしゃるのが、たいそう素晴らしい。鬢の毛を掻きなでなさろうとして、鏡台に近寄りなさると、面痩せなさった顔形が、自分ながらとても気品あって美しいので、
 と言って、無地の直衣のうしにした。それでかえってえんな姿になったようである。びんくために鏡台に向かった源氏は、せの見える顔が我ながらきれいに思われた。
  tote, mumon no nahosi, nakanaka, ito natukasiki wo ki tamahi te, uti-yature tamahe ru, ito medetasi. Ohom-bin kaki tamahu tote, kyaudai ni yori tamahe ru ni, omoyase tamahe ru kage no, ware nagara ito ate ni kiyora nare ba,
1.3.15  「 こよなうこそ、衰へにけれ。この影のやうにや痩せてはべる。あはれなるわざかな」
 「すっかり、衰えてしまったな。この影のように痩せていますか。ああ、悲しいことだ」
 「ずいぶん衰えたものだ。こんなに痩せているのが哀れですね」
  "Koyonau koso, otorohe ni kere! Kono kage no yau ni ya yase te haberu? Ahare naru waza kana!"
1.3.16  とのたまへば、 女君、涙一目うけて、見おこせたまへる、いと忍びがたし。
 とおっしゃると、女君、涙を目にいっぱい浮かべて、こちらを御覧になるが、とても堪えきれない。
 と源氏が言うと、女王は目に涙を浮かべて鏡のほうを見た。源氏の心は悲しみに暗くなるばかりである。
  to notamahe ba, Womnagimi, namida hitome uke te, mi okose tamahe ru, ito sinobi gatasi.
1.3.17  「 身はかくてさすらへぬとも君があたり
   去らぬ鏡の影は離れじ
 「わが身はこのように流浪しようとも
  鏡に映った影はあなたの元を離れずに残っていよう
  身はかくてさすらへぬとも君があたり
  去らぬ鏡のかげははなれじ
    "Mi ha kakute sasurahe nu tomo Kimi ga atari
    saranu kagami no kage ha hanare zi
1.3.18  と、聞こえたまへば、
 と、お申し上げになると、
 と源氏が言うと、
  to, kikoye tamahe ba,
1.3.19  「 別れても影だにとまるものならば
   鏡を見ても慰めてまし
 「お別れしても影だけでもとどまっていてくれるものならば
  鏡を見て慰めることもできましょうに
  別れても影だにとまるものならば
  鏡を見てもなぐさめてまし
    "Wakare te mo kage dani tomaru mono nara ba
    kagami wo mi te mo nagusame te masi
1.3.20  柱隠れにゐ隠れて、涙を紛らはしたまへるさま、「 なほ、ここら見るなかにたぐひなかりけり」と、思し知らるる人の 御ありさまなり。
 柱の蔭に隠れて座って、涙を隠していらっしゃる様子、「やはり、おおぜいの妻たちの中で類のない人だ」と、思わずにはいらっしゃれないご様子の方である。
 言うともなくこう言いながら、柱に隠されるようにして涙を紛らしている若紫の優雅な美は、なおだれよりもすぐれた恋人であると源氏にも認めさせた。
  Hasira gakure ni wi kakure te, namida wo magirahasi tamahe ru sama, "Naho, kokora miru naka ni taguhi nakari keri." to, obosi sira ruru hito no ohom-arisama nari.
1.3.21  親王は、あはれなる御物語聞こえたまひて、暮るるほどに帰りたまひぬ。
 親王は、心のこもったお話を申し上げなさって、日の暮れるころにお帰りになった。
 親王と三位中将は身にしむ話をして夕方帰った。
  Miko ha, ahare naru ohom-monogatari kikoye tamahi te, kururu hodo ni kaheri tamahi nu.
注釈64殿におはしたれば源氏、二条院に帰宅、紫の君と別れを惜しむ。1.3.1
注釈65わが御方の人びとも東の対の源氏づきの女房たちをいう。1.3.1
注釈66私の別れ惜しむほどにや語り手の推量を交えた挿入句。1.3.1
注釈67人もなし大島本は「人もなし」とある。『新大系』は底本のままとする。『集成』『古典セレクション』は諸本に従って「人目もなし」と校訂する。なお河内本は「人かけもなし」、陽明文庫本、御物(各筆)本は「人けもなし」とある。1.3.1
注釈68世は憂きものなりけり源氏の心中。1.3.1
注釈69見るほどだにかかりましていかに荒れゆかむ源氏の心中。1.3.2
注釈70御格子も参らで御格子を下ろさずにの意。1.3.3
注釈71年月経ばかかる人びともえしもあり果てでや行き散らむ源氏の心中。1.3.3
注釈72さしもあるまじきことさへ『集成』は「そんな些細なことまで」、『完訳』は「常は気にかからぬことまで」のニュアンスに解す。1.3.3
注釈73昨夜はしかしかして以下「いとほしう」まで、源氏の詞。昨夜左大臣邸に泊まった弁解。1.3.4
注釈74更けにしかばなむ「なむ」(係助詞)、下に「泊まりぬる」などの語句が省略。1.3.4
注釈75多かりける大島本は「おほかりける」とある。『新大系』は底本のままとする。『集成』『古典セレクション』は諸本に従って「多かりけるを」と接続助詞「を」を補訂する。1.3.4
注釈76ひたやごもりにてやは「やは」(係助詞)反語。「あらむ」などの語句が下に省略。1.3.4
注釈77かかる世を以下「何ごとにかは」まで、紫の君の詞。1.3.6
注釈78思はずなること『完訳』は「源氏の「思はず--」を、源氏が自分を疎んずる意に、切り返した」と注す。1.3.6
注釈79ことわりぞかし語り手の読者に共感を求める語句。『集成』は「草子地の文」と指摘。1.3.7
注釈80父親王大島本は「ちゝみこ」とある。『新大系』は底本のままとする。『集成』『古典セレクション』は諸本に従って「父親王は」と係助詞「は」を補訂する。1.3.7
注釈81おろかにもとより思しつきにけるに『集成』は「ひどく冷淡にもともと〔紫上のことを〕思っていられただけに」の意に解し、『完訳』は「おろかに」の下に読点を付けて、「父親王はほんとに疎々しくて、この女君はもともと君になじんでいらっしゃったのだが」の意に解す。1.3.7
注釈82にはかなりし幸ひの以下「別れたまふ人かな」まで、兵部卿宮の北の方の詞。1.3.8
注釈83げにぞあはれなる御ありさまなる継母が言うように、という語り手のあいづち。『岷江入楚』所引三光院実枝説が「草子地」と指摘。1.3.9
注釈84なほ世に許されがたうて以下「立ちまさることもありなむ」まで、源氏の詞。1.3.10
注釈85巌の中にも『岷江入楚』は「いかならむ巌の中に住まばかは世の憂きことの聞こえこざらむ」(古今集雑下、九五二、読人しらず)を引歌として指摘する。1.3.10
注釈86過ちなけれどさるべきにこそ前世からの宿縁で、と源氏は考える。1.3.10
注釈87帥宮三位中将などおはしたり源氏の弟帥宮と三位中将(左大臣嫡男)。1.3.12
注釈88位なき人は「無位無官の者は」と言って。源氏は官位を剥奪されている。1.3.13
注釈89無紋の直衣平絹(模様のない絹)の直衣。1.3.14
注釈90こよなうこそ衰へにけれ以下「あはれなるわざかな」まで、源氏の詞。1.3.15
注釈91女君涙一目うけて大島本は「女君なミたひとめうけて」とある。『新大系』は底本のままとする。『集成』『古典セレクション』は諸本に従って「涙を」と格助詞「を」を補訂する。1.3.16
注釈92身はかくてさすらへぬとも君があたり--去らぬ鏡の影は離れじ源氏の贈歌。『全集』は「身を分くることの難さは真澄鏡影ばかりをぞ君に添へつる」(後撰集離別、一三一四、大窪則春)を引歌として指摘する。1.3.17
注釈93別れても影だにとまるものならば--鏡を見ても慰めてまし紫の君の返歌。「鏡」「影」の語句を用いて返す。1.3.19
注釈94なほここら見るなかにたぐひなかりけり源氏の心中。1.3.20
出典6 巌の中にも いかならむ巌の中に住まばかは憂き事の聞こえ来ざらむ 古今集雑下-九五二 読人しらず 1.3.10
校訂9 こと こと--(/+こ<朱>)と 1.3.3
校訂10 心おかれ 心おかれ--心をう(う/#)かれ 1.3.4
校訂11 無紋の 無紋の--無紋(紋/+の<朱>) 1.3.14
校訂12 御ありさま 御ありさま--(/+御)ありさま 1.3.20
1.4
第四段 花散里邸に離京の挨拶


1-4  Parting greeting to Hanachirusato

1.4.1   花散里の心細げに思して、常に聞こえたまふもことわりにて、「 かの人も、今ひとたび見ずは、つらしとや思はむ」と思せば、その夜は、また出でたまふものから、 いともの憂くて、いたう更かしておはしたれば、女御、
 花散里邸が心細そうにお思いになって、常にお便り差し上げなさるのも無理からぬことで、「あの方も、もう一度お会いしなかったら、辛く思うだろうか」とお思いになると、その夜は、また一方でお出かけになるものの、とても億劫なので、たいそう夜が更けてからいらっしゃると、女御が、
 花散里はなちるさとが心細がって、今度のことが決まって以来始終手紙をよこすのも、源氏にはもっともなことと思われて、あの人ももう一度逢いに行ってやらねば恨めしく思うであろうという気がして、今夜もまたそこへ行くために家を出るのを、源氏は自身ながらも物足らず寂しく思われて、気が進まなかったために、ずっとふけてから来たのを、
  Hanatirusato no kokorobosoge ni obosi te, tuneni kikoye tamahu mo kotowari nite, "Kano hito mo, ima hitotabi mi zu ha, turasi to ya omoha m?" to obose ba, sono yo ha, mata ide tamahu monokara, ito monouku te, itau hukasi te ohasi tare ba, Nyougo,
1.4.2  「 かく数まへたまひて、立ち寄らせたまへること
 「このように人並みに扱っていただいて、お立ち寄りくださいましたこと」
 「ここまでも別れにお歩きになる所の一つにしてお寄りくださいましたとは」
  "Kaku kazumahe tamahi te, tatiyora se tamahe ru koto."
1.4.3  と、よろこびきこえたまふさま、 書き続けむもうるさし
 と、感謝申し上げるご様子、書き綴るのも煩わしい。
 こんなことを言って喜んだ女御にょごのことなどは少し省略して置く。
  to, yorokobi kikoye tamahu sama, kaki tuduke m mo urusasi.
1.4.4  いといみじう心細き御ありさま、 ただ御蔭に隠れて過ぐいたまへる年月、いとど荒れまさらむほど思しやられて、殿の内、いとかすかなり。
 とてもひどく心細いご様子で、まったくこの方のご庇護のもとにお過ごしになってきた歳月、ますます荒れていくだろうことが、ご想像されて、邸内は、まことにひっそりとしている。
 この心細い女兄弟は源氏の同情によってわずかに生活の体面を保っているのであるから、今後はどうなって行くかというような不安が、寂しい家の中に漂っているように源氏は見た。
  Ito imiziu kokorobosoki ohom-arisama, tada ohom-kage ni kakure te sugui tamahe ru tosituki, itodo are masara m hodo obosi yara re te, tono no uti, ito kasuka nari.
1.4.5   月おぼろにさし出でて、池広く、山木深きわたり、心細げに見ゆるにも、住み離れたらむ巌のなか、思しやらる
 月が朧ろに照らし出して、池が広く、築山の木深い辺り、心細そうに見えるにつけても、人里離れた巌の中の生活が、お思いやられる。
 おぼろな月がさしてきて、広い池のあたり、木の多い築山つきやまのあたりが寂しく見渡された時、まして須磨の浦は寂しいであろうと源氏は思った。
  Tuki oboro ni sasi-ide te, ike hiroku, yama kobukaki watari, kokorobosoge ni miyuru ni mo, sumi hanare tara m ihaho no naka, obosi yara ru.
1.4.6   西面は、「 かうしも渡りたまはずや」と、うち屈して思しけるに、あはれ添へたる月影の、なまめかしうしめやかなるに、 うち振る舞ひたまへるにほひ、似るものなくて、いと忍びやかに入りたまへば、 すこしゐざり出でて、やがて月を見ておはす。またここに御物語のほどに、明け方近うなりにけり。
 西面では、「こうしたお越しもあるまいか」と、塞ぎこんでいらっしゃったが、一入心に染みる月の光が、美しくしっとりとしているところに、身動きなさると匂う薫物の香が、他に似るものがなくて、とても人目に立たぬように部屋にお入りになると、少し膝行して出て来て、そのまま月を御覧になる。またここでお話なさっているうちに、明け方近くになってしまった。
 西座敷にいる姫君は、出発の前二日になってはもう源氏の来訪は受けられないものと思って、気をめいらせていたのであったが、しめやかな月の光の中を、源氏がこちらへ歩いて来たのを知って、静かに膝行いざって出た。そしてそのまま二人は並んで月をながめながら語っているうちに明け方近い時になった。
  Nisiomote ha, "Kau simo watari tamaha zu ya?" to, uti-ku'si te obosi keru ni, ahare sohe taru tukikage no, namamekasiu simeyaka naru ni, uti-hurumahi tamahe ru nihohi, niru mono naku te, ito sinobiyaka ni iri tamahe ba, sukosi wizari ide te, yagate tuki wo mi te ohasu. Mata koko ni ohom-monogatari no hodo ni, akegata tikau nari ni keri.
1.4.7  「 短夜のほどや。かばかりの対面も、または えしもや思ふこそことなしにて過ぐしつる年ごろも悔しう、来し方行く先のためしになるべき身にて、何となく心のどまる世なくこそありけれ」
 「短い夜ですね。このようにお会いすることも、再びはとてもと思うと、何事もなく過ごしてきてしまった歳月が残念に思われ、過去も未来も先例となってしまいそうな身の上で、何となく気持ちのゆっくりする間もなかったね」
 「夜が短いのですね。ただこんなふうにだけでもいっしょにいられることがもうないかもしれませんね。私たちがまだこんないやな世の中の渦中かちゅうに巻き込まれないでいられたころを、なぜむだにばかりしたのでしょう。過去にも未来にも例の少ないような不幸な男になるのを知らないで、あなたといっしょにいてよい時間をなぜこれまでにたくさん作らなかったのだろう」
  "Mizikayo no hodo ya! Kabakari no taimen mo, mata ha e simo ya to omohu koso, kotonasi nite sugusi turu tosigoro mo kuyasiu, kisikata yukusaki no tamesi ni naru beki mi nite, nani to naku kokoro nodomaru yo naku koso ari kere."
1.4.8  と、過ぎにし方のことどものたまひて、鶏もしばしば鳴けば、世につつみて急ぎ出でたまふ。例の、月の入り果つるほど、よそへられて、あはれなり。女君の濃き御衣に映りて、 げに、漏るる顔なれば
 と、過ぎ去った事のあれこれをおっしゃって、鶏もしきりに鳴くので、人目を憚って急いでお帰りになる。例によって、月がすっかり入るのになぞらえられて、悲しい。女君の濃いお召物に映えて、なるほど、濡るる顔の風情なので、
 恋の初めから今日までのことを源氏が言い出して、感傷的な話の尽きないのであるが、鶏ももうたびたび鳴いた。源氏はやはり世間をはばかって、ここからも早暁に出て行かねばならないのである。月がすっとはいってしまう時のような気がして女心は悲しかった。月の光がちょうど花散里はなちるさとの袖の上にさしているのである。「宿る月さへるる顔なる」という歌のようであった。
  to, sugi ni si kata no koto-domo notamahi te, tori mo sibasiba nake ba, yo ni tutumi te isogi ide tamahu. Rei no, tuki no iri haturu hodo, yosohe rare te, ahare nari. Womnagimi no koki ohom-zo ni uturi te, geni, nururu gaho nare ba,
1.4.9  「 月影の宿れる袖はせばくとも
   とめても見ばやあかぬ光を
 「月の光が映っているわたしの袖は狭いですが
  そのまま留めて置きたいと思います、見飽きることのない光を
  月影の宿れるそでは狭くとも
とめてぞ見ばや飽かぬ光を
    "Tukikage no yadore ru sode ha sebaku tomo
    tome te mo mi baya aka nu hikari wo
1.4.10  いみじと思いたるが、心苦しければ、かつは慰めきこえたまふ。
 悲しくお思いになっているのが、おいたわしいので、一方ではお慰め申し上げなさる。
 こう言って、花散里の悲しがっている様子があまりに哀れで、源氏のほうから慰めてやらねばならなかった。
  Imizi to oboi taru ga, kokorogurusikere ba, katu ha nagusame kikoye tamahu.
1.4.11  「 行きめぐりつひにすむべき月影の
   しばし雲らむ空な眺めそ
 「大空を行きめぐって、ついには澄むはずの月の光ですから
  しばらくの間曇っているからといって悲観なさいますな
 「行きめぐりつひにすむべき月影の
  しばし曇らん空なながめそ
    "Yuki meguri tuhini sumu beki tukikage no
    sibasi kumora m sora na nagame so
1.4.12   思へば、はかなしや。ただ、 知らぬ涙のみこそ、心を昏らすものなれ」
 考えてみれば、はかないことよ。ただ、行方を知らない涙ばかりが、心を暗くさせるものですね」
 はかないことだ。私は希望を持っているのだが、反対に涙が流れてきて心を暗くされますよ」
  Omohe ba, hakanasi ya! Tada, sira nu namida nomi koso, kokoro wo kurasu mono nare."
1.4.13  などのたまひて、明けぐれのほどに出でたまひぬ。
 などとおっしゃって、まだ薄暗いうちにお帰りになった。
 と源氏は言って、夜明け前の一時的に暗くなるころに帰って行った。
  nado notamahi te, akegure no hodo ni ide tamahi nu.
注釈95花散里の心細げに思して源氏、花散里を訪問。「花散里」は邸宅をさす。1.4.1
注釈96かの人も今ひとたび見ずはつらしとや思はむ源氏の心中。「かの人」は妹三の君をさす。1.4.1
注釈97いともの憂くて紫の君を思う気持ちから。1.4.1
注釈98かく数まへたまひて立ち寄らせたまへること麗景殿女御のお礼の詞。1.4.2
注釈99書き続けむもうるさし語り手の省筆の文。『林逸抄』が「双紙の詞也」と指摘。1.4.3
注釈100ただ御蔭に隠れて大島本は「たゝ御かけにかくれて」とある。『新大系』は底本のままとする。『集成』『古典セレクション』は諸本に従って「この御蔭」と「この」を補訂する。1.4.4
注釈101月おぼろにさし出でて、池広く、山木深きわたり、心細げに見ゆるにも、住み離れたらむ巌のなか、思しやらる春三月下旬の月。『紫明抄』は「いかならむ巌の中に住まばかは世の憂きことの聞こえこざらむ」(古今集雑下、九五二、読人しらず)を引歌として指摘する。1.4.5
注釈102西面は寝殿の西側に住む三の君(花散里)をいう。1.4.6
注釈103かうしも渡りたまはずや花散里の心中。「しも」強調の副助詞。「や」詠嘆の終助詞。1.4.6
注釈104うち振る舞ひたまへる主語は源氏。1.4.6
注釈105すこしゐざり出でて主語は花散里。1.4.6
注釈106短夜のほどや大島本は「みしかよのほとや」とある。『新大系』は底本のままとする。『集成』『古典セレクション』は諸本に従って「短の夜のほどや」と格助詞「の」を補訂する。以下「ありけれ」まで、源氏の詞。1.4.7
注釈107えしもや「え」副詞。下に打消の語句が来るが、ここではそれが省略され、言いさした形になっている。1.4.7
注釈108思ふこそ『集成』は読点、『完訳』は句点。下に「悔しけれ」とあるべきところが「悔しう」と係結びが消失している。1.4.7
注釈109ことなしにて過ぐしつる『奥入』は「君見ずて程の古屋の廂には逢ふことなしの草ぞ生ひける」(新勅撰集恋五、読人しらず)を引歌として指摘する。1.4.7
注釈110げに漏るる顔なれば「げに」は語り手の同意の気持ちを表出。『源氏釈』は「あひにあひて物思ふころの我が袖に宿る月さへ濡るる顔なる」(古今集恋五、七五六、伊勢)を引歌として指摘する。1.4.8
注釈111月影の宿れる袖はせばくとも--とめても見ばやあかぬ光を花散里の贈歌。「袖」は自分を喩え、「飽かぬ光」を源氏に喩える。1.4.9
注釈112行きめぐりつひにすむべき月影の--しばし雲らむ空な眺めそ源氏の返歌。「月影」の語句を用いて返す。「すむ」に「住む」と「澄む」を掛ける。1.4.11
注釈113思へばはかなしや以下「心を昏らすものなれ」まで、返歌に添えた詞。『河海抄』は「行く先を知らぬ涙の悲しきはただ目の前に落つるなりけり」(後撰集離別、一三三三、源済)を引歌として指摘する。1.4.12
出典7 漏るる顔 逢ひに逢ひて物思ふころのわが袖に宿る月さへ濡るる顔なる 古今集恋五-七五六 伊勢 1.4.8
出典8 知らぬ涙 行く先を知らぬ涙のかなしきはただ目の前に落つるなりけり 後撰集離別-一三三三 源済 1.4.12
1.5
第五段 旅生活の準備と身辺整理


1-5  Preparation for life in Suma

1.5.1   よろづのことどもしたためさせたまふ。親しう仕まつり、世になびかぬ限りの人びと、殿の事とり行なふべき上下、定め置かせたまふ。御供に慕ひきこゆる限りは、また選り出でたまへり。
 何から何まで整理をおさせになる。親しくお仕えし、時勢に靡かない家臣たちだけの、邸の事務を執り行うべき上下の役目、お決め置きになる。お供に随行申し上げる者は皆、別にお選びになった。
 源氏はいよいよ旅の用意にかかった。源氏に誠意を持って仕えて、現在の権勢にびることを思わない人たちを選んで、家司けいしとして留守るす中の事務を扱う者をまず上から下まで定めた。随行するのは特にまたその中から選ばれた至誠の士である。
  Yorodu no koto-domo sitatame sase tamahu. Sitasiu tukamaturi, yo ni nabika nu kagiri no hitobito, tono no koto tori-okonahu beki kami simo, sadame oka se tamahu. Ohom-tomo ni sitahi kikoyuru kagiri ha, mata eriide tamahe ri.
1.5.2  かの山里の御住みかの具は、えさらずとり使ひたまふべきものども、ことさらよそひもなくことそぎて、 さるべき書ども『文集』など入りたる箱、さては 琴一つぞ持たせたまふ。所狭き御調度、はなやかなる御よそひなど、さらに具したまはず、 あやしの山賤めきてもてなしたまふ。
 あの山里の生活の道具は、どうしてもご必要な品物類を、特に飾りけなく簡素にして、しかるべき漢籍類、『白氏文集』などの入った箱、その他には琴を一張を持たせなさる。大げさなご調度類や、華やかなお装いなどは、まったくお持ちにならず、賎しい山里人のような振る舞いをなさる。
 隠栖いんせいの用に持って行くのは日々必要な物だけで、それも飾りけのない質素な物を選んだ。それから書籍類、詩集などを入れた箱、そのほかには琴を一つだけ携えて行くことにした。たくさんにある手道具や華奢かしゃな工芸品は少しも持って行かない。一平民の質素な隠栖者になろうとするのである。
  Kano yamazato no ohom-sumika no gu ha, e sara zu tori-tukahi tamahu beki mono-domo, kotosara yosohi mo naku kotosogi te, sarubeki humi-domo 'Bunsyu' nado iri taru hako, sate ha kin hitotu zo mota se tamahu. Tokoroseki miteudo, hanayaka naru ohom-yosohi nado, sarani gusi tamaha zu, ayasi no yamagatu meki te motenasi tamahu.
1.5.3   さぶらふ人びとよりはじめ、 よろづのこと、みな西の対に聞こえわたしたまふ。領じたまふ御荘、御牧よりはじめて、 さるべき所々、券など、みなたてまつり置きたまふ。それよりほかの 御倉町、納殿などいふことまで、 少納言をはかばかしきものに見置きたまへれば、親しき家司ども具して、 しろしめすべきさまどものたまひ預く。
 お仕えしている女房たちをはじめ、万事、すべて西の対にお頼み申し上げなさる。ご所領の荘園、牧場をはじめとして、しかるべき領地、証文など、すべて差し上げ置きなさる。その他の御倉町、納殿などという事まで、少納言を頼りになる者と見込んでいらっしゃるので、腹心の家司たちを付けて、取りしきられるように命じて置きなさる。
 源氏は今まで召し使っていた男女をはじめ、家のこと全部を西の対へ任せることにした。私領の荘園、牧場、そのほか所有権のあるものの証券も皆夫人の手もとへ置いて行くのであった。なおそのほかに物資の蓄蔵されてある幾つの倉庫、納殿おさめどのなどのことも、信用する少納言の乳母めのとを上にして何人かの家司をそれにつけて、夫人の物としてある財産の管理上の事務を取らせることに計らったのである。
  Saburahu hitobito yori hazime, yorodu no koto, mina Nisinotai ni kikoye watasi tamahu. Ryauzi tamahu misau, mimaki yori hazime te, sarubeki tokorodokoro, ken nado, mina tatematuri oki tamahu. Sore yori hoka no mikuramati, wosamedono nado ihu koto made, Seunagon wo hakabakasiki mono ni mi oki tamahe re ba, sitasiki Keisi-domo gusi te, sirosimesu beki sama-domo notamahi aduku.
1.5.4   わが御方の中務、中将などやうの人びと、つれなき御もてなしながら、見たてまつるほど こそ慰めつれ、「 何ごとにつけてか」と思へども、
 ご自身方の中務、中将などといった女房たち、何気ないお扱いとはいえ、お身近にお仕えしていた間は慰めることもできたが、「何を期待してか」と思うが、
 これまで東の対の女房として源氏に直接使われていた中の、中務なかつかさ、中将などという源氏の愛人らは、源氏の冷淡さに恨めしいところはあっても、接近して暮らすことに幸福を認めて満足していた人たちで、今後は何を楽しみに女房勤めができようと思ったのであるが、
  Waga ohom-kata no Nakatukasa, Tyuuzyau nado yau no hitobito, turenaki ohom-motenasi nagara, mi tatematuru hodo koso nagusame ture, "Nanigoto ni tuke te ka?" to omohe domo,
1.5.5  「 命ありてこの世にまた帰るやうもあらむを、待ちつけむと思はむ人は、こなたにさぶらへ」
 「生きてこの世に再び帰って来るようなこともあろうから、待っていようと思う者は、こちらに伺候しなさい」
 「長生きができてまた京へ帰るかもしれない私の所にいたいと思う人は西の対で勤めているがいい」
  "Inoti ari te konoyo ni mata kaheru yau mo ara m wo, matituke m to omoha m hito ha, konata ni saburahe."
1.5.6  とのたまひて、上下、皆参う上らせたまふ。
 とおっしゃって、上下の女房たち、皆参上させなさる。
 と源氏は言って、上から下まですべての女房を西の対へ来させた。
  to notamahi te, kami simo, mina maunobora se tamahu.
1.5.7  若君の御乳母たち、 花散里なども、をかしきさまのはさるものにて、まめまめしき筋に思し寄らぬことなし。
 若君の乳母たち、花散里などにも、風情のある品物はもちろんのこと、実用品までお気のつかない事がない。
 そして女の生活に必要な絹布類を豊富に分けて与えた。左大臣家にいる若君の乳母たちへも、また花散里へもそのことをした。華美な物もあったが、何年間かに必要な実用的な物も多くそろえて贈ったのである。
  Wakagimi no ohom-menoto-tati, Hanatirusato nado mo, wokasiki sama no ha sarumono nite, mamemamesiki sudi ni obosi yora nu koto nasi.
1.5.8   尚侍の御もとにわりなくして聞こえたまふ。
 尚侍の君の御許に、困難をおかしてお便りを差し上げなさる。
 源氏はまた途中の人目を気づかいながら尚侍ないしのかみの所へも別れの手紙を送った。
  Naisi-no-Kami no ohom-moto ni, warinaku si te kikoye tamahu.
1.5.9  「 問はせたまはぬも、ことわりに思ひたまへながら、今はと、世を思ひ果つる ほどの憂さもつらさも、たぐひなきことにこそはべりけれ。
 「お見舞いくださらないのも、ごもっともに存じられますが、今は最後と、この世を諦めた時の嫌で辛い思いも、何とも言いようがございません。
 あなたから何とも言ってくださらないのも道理なようには思えますが、いよいよ京を去る時になってみますと、悲しいと思われることも、恨めしさも強く感ぜられます。
  "Toha se tamaha nu mo, kotowari ni omohi tamahe nagara, ima ha to, yo wo omohi haturu hodo no usa mo turasa mo, taguhi naki koto ni koso haberi kere.
1.5.10    逢ふ瀬なき涙の河に沈みしや
   流るる澪の初めなりけむ
  あなたに逢えないことに涙を流したことが
  流浪する身の上となるきっかけだったのでしょうか
  逢瀬あふせなき涙の川に沈みしや
  流るるみをの初めなりけん
    Ahuse naki namida no kaha ni sidumi si ya
    nagaruru miwo no hazime nari kem
1.5.11  と 思ひたまへ出づるのみなむ、 罪逃れがたうはべりける」
 と思い出される事だけが、罪も逃れ難い事でございます」
 こんなに人への執着が強くては仏様に救われる望みもありません。
  to omohi tamahe iduru nomi nam, tumi nogare gatau haberi keru."
1.5.12  道のほども危ふければ、こまかには聞こえたまはず。
 届くかどうか不安なので、詳しくはお書きにならない。
 間で盗み見されることがあやぶまれて細かには書けなかったのである。
  Miti no hodo mo ayahukere ba, komaka ni ha kikoye tamaha zu.
1.5.13   女、いといみじうおぼえたまひて、忍びたまへど、御袖よりあまるも所狭うなむ。
 女、大層悲しく思われなさって、堪えていらしたが、お袖から涙がこぼれるのもどうしようもない。
 手紙を読んだ尚侍は非常に悲しがった。流れて出る涙はとめどもなかった。
  Womna, ito imiziu oboye tamahi te, sinobi tamahe do, ohom-sode yori amaru mo tokoroseu nam.
1.5.14  「 涙河浮かぶ水泡も消えぬべし
   流れて後の瀬をも待たずて
 「涙川に浮かんでいる水泡も消えてしまうでしょう
  生きながらえて再びお会いできる日を待たないで
  涙川浮ぶ水沫みなわも消えぬべし
  別れてのちの瀬をもまたずて
    "Namidagaha ukabu minaha mo kiye nu besi
    nagare te noti no se wo mo mata zu te
1.5.15  泣く泣く乱れ書きたまへる御手、いとをかしげなり。 今ひとたび対面なくやと思すは、なほ口惜しけれど、思し返して、 憂しと思しなすゆかり多うて、おぼろけならず忍びたまへば、 いとあながちにも聞こえたまはずなりぬ
 泣く泣く心乱れてお書きになったご筆跡、まことに深い味わいがある。もう一度お逢いできないものかとお思いになるのは、やはり残念に思われるが、お考え直して、ひどいとお思いになる一族が多くて、一方ならず人目を忍んでいらっしゃるので、あまり無理をしてまでお便り申し上げることもなさらずに終わった。
 泣き泣き乱れ心で書いた、乱れ書きの字の美しいのを見ても、源氏の心は多くかれて、この人と最後の会見をしないで自分は行かれるであろうかとも思ったが、いろいろなことが源氏を反省させた。恋しい人の一族が源氏の排斥を企てたのであることを思って、またその人の立場の苦しさも推し量って、手紙を送る以上のことはしなかった。
  Nakunaku midare kaki tamahe ru ohom-te, ito wokasige nari. Ima hitotabi taimen naku ya to obosu ha, naho kutiwosikere do, obosi kahesi te, usi to obosi nasu yukari ohou te, oboroke nara zu sinobi tamahe ba, ito anagatini mo kikoye tamaha zu nari nu.
注釈114よろづのことども源氏、旅立ちの準備と整理をする。1.5.1
注釈115さるべき書ども大島本は「さるへきふミとも」とある。『新大系』は底本のままとする。『集成』『古典セレクション』は諸本に従って「またさるべき書ども」と「また」を補訂する。1.5.2
注釈116琴一つ琴の琴、一張。書籍楽器類の持参品は『白氏文集』の「草堂記」に記された退隠生活に似る。1.5.2
注釈117さぶらふ人びと源氏付きの女房をいう。1.5.3
注釈118よろづのことみな西の対に聞こえわたしたまふ紫の君をさす。『完訳』は「源氏の留守をあずかるれっきとした女主人へと格上げ」と注す。1.5.3
注釈119さるべき所々券など大島本は「さるへき所/\券なと」とある。『新大系』は底本のままとする。『集成』『古典セレクション』は「さるべき所々の券など」と諸本に従って格助詞「の」を補訂する。しかるべき領地の地券。『集成』は「桐壺帝から譲られたものなのであろう」という。1.5.3
注釈120御倉町納殿など二条院内にある御倉の並んだ一画や納殿の管理をいう。1.5.3
注釈121少納言紫の君の乳母。「若紫」巻に初出の人。1.5.3
注釈122しろしめすべき主語は紫の君。1.5.3
注釈123わが御方の中務、中将などやうの人びと源氏の召人たち。1.5.4
注釈124こそ慰めつれ係結び。逆接用法。読点で続く。1.5.4
注釈125何ごとにつけてか女房の心中。『集成』は「(源氏がいらっしゃらなくなれば)何につけてご奉公の楽しみがあろうかと思うが。いっそ、お暇を頂こうかと思うのである」と注す。1.5.4
注釈126命ありて以下「こなたにさぶらへ」まで、源氏の詞。1.5.5
注釈127花散里なども大島本は「花ちるさとなとも」とある。『新大系』は底本のままとする。『集成』『古典セレクション』は諸本に従って「花散里などにも」と格助詞「に」を補訂する。1.5.7
注釈128尚侍の御もとに朧月夜と消息を交わす。1.5.8
注釈129わりなくして『集成』は「困難をおかして」の意に、『完訳』は「無理を押して」の意に解す。1.5.8
注釈130問はせたまはぬも以下「逃れがたうはべりける」まで、源氏の消息。1.5.9
注釈131逢ふ瀬なき涙の河に沈みしや--流るる澪の初めなりけむ源氏の贈歌。「流るる」に「泣かるる」を掛け、「みを」に「澪(水脈)」と「身を」を掛ける。「瀬」「川」「流るる」「澪(水脈)」は縁語。『完訳』は「実際には逢瀬があったのに「なき」とする。他者の目を危惧する切実な恋の常套手段」と注す。1.5.10
注釈132思ひたまへ出づる大島本は「思給いつる」とある。「給」を「たまへ」(下二段活用)と読んでおく。1.5.11
注釈133罪逃れがたう『集成』は「朧月夜に思いを懸けたこと以外は無実であるという気持が下にある」と解し、『完訳』は「前世からの因縁による仏罰か。公的な罪を認めたのではあるまい」と解す。1.5.11
注釈134女、いといみじう朧月夜をさす。『集成』は「敬語を付けないで、「女」と呼び捨てにするのは、感情の高潮した場面に多い」と注す。1.5.13
注釈135涙河浮かぶ水泡も消えぬべし--流れて後の瀬をも待たずて朧月夜の返歌。「涙の河」「瀬」「流る」の語句を用いて返す。「流れて」に「泣かれて」を掛ける。「涙川」「水泡」「瀬」が縁語。1.5.14
注釈136今ひとたび対面なくや大島本は「なくや」とある。『新大系』は底本のままとする。『集成』『古典セレクション』は諸本に従って「なくてや」と「て」を補訂する。『全集』は「あらざらむこの世のほかの思ひ出に今一たびの逢ふこともがな」(後拾遺集恋三、七六三、和泉式部)を引歌として指摘する。1.5.15
注釈137憂しと思しなすゆかり多うて朧月夜にとってひどいと思う縁者、すなわち、姉の弘徽殿大后、父右大臣などをさす。1.5.15
注釈138いとあながちにも聞こえたまはずなりぬ『集成』は「大層な無理をしてまで逢おうともおっしゃらずに終った」の意に解し、『完訳』は「そうそう無理にお便り申し上げることもなさらずじまいになった」の意に解す。1.5.15
校訂13 あやしの あやしの--あや(や/+し)の 1.5.2
校訂14 ほどの ほどの--ほう(う/#と<朱>)の 1.5.9
1.6
第六段 藤壺に離京の挨拶


1-6  Parting greeting to Fujitsubo

1.6.1   明日とて、暮には、院の御墓拝みたてまつりたまふとて、北山へ詣でたまふ。暁かけて月出づるころなれば、まづ、入道の宮に参うでたまふ。近き御簾の前に御座参りて、御みづから聞こえさせたまふ。春宮の御事をいみじううしろめたきものに思ひきこえたまふ。
 明日という日、夕暮には、院のお墓にお参りなさろうとして、北山へ参拝なさる。明け方近くに月の出るころなので、最初、入道の宮にお伺いさる。近くの御簾の前にご座所をお設けになって、ご自身でご応対あそばす。東宮のお身の上をたいそうご心配申し上げなさる。
 出立の前夜に源氏は院のお墓へ謁するために北山へ向かった。明け方にかけて月の出るころであったから、それまでの時間に源氏は入道の宮へお暇乞いとまごいに伺候した。お居間の御簾みすの前に源氏の座が設けられて、宮御自身でお話しになるのであった。宮は東宮のことを限りもなく不安に思召おぼしめす御様子である。
  Asu tote, kure ni ha, Win no mihaka wogami tatematuri tamahu tote, Kitayama he maude tamahu. Akatuki kake te iduru koro nare ba, madu, Nihudau-no-Miya ni maude tamahu. Tikaki misu no mahe ni omasi mawiri te, ohom-midukara kikoye sase tamahu. Touguu no ohom-koto wo imiziu usirometaki mono ni omohi kikoye tamahu.
1.6.2   かたみに心深きどちの 御物語は、よろづあはれまさりけむかし。なつかしうめでたき御けはひの昔に変はらぬに、つらかりし 御心ばへも、かすめきこえさせまほしけれど、 今さらにうたてと思さるべし、わが御心にも、なかなか今ひときは乱れまさりぬべければ、念じ返して、ただ、
 お互いに感慨深くお感じになっている者同士のお話は、何事もしみじみと胸に迫るものがさぞ多かったことであろう。慕わしく素晴らしいご様子が変わらないので、恨めしかったお気持ちも、それとなく申し上げたいが、いまさら嫌なこととお思いになろうし、自分自身でも、かえって一段と心が乱れるであろうから、思い直して、ただ、
 聡明そうめいな男女が熱を内に包んで別れの言葉をかわしたのであるが、それには洗練された悲哀というようなものがあった。昔に少しも変わっておいでにならないなつかしい美しい感じの受け取れる源氏は、過去の十数年にわたる思慕に対して、冷たい理智りちの一面よりお見せにならなかった恨みも言ってみたい気になるのであったが、今は尼であって、いっそう道義的になっておいでになる方にうとましいと思われまいとも考え、自分ながらもその口火を切ってしまえば、どこまで頭が混乱してしまうかわからない恐れもあって心をおさえた。
  Katamini kokorohukaki-doti no ohom-monogatari ha, yorodu ahare masari kem kasi. Natukasiu medetaki ohom-kehahi no mukasi ni kahara nu ni, turakari si mikokorobahe mo, kasume kikoye sase mahosikere do, imasara ni utate to obosa ru besi, waga mikokoro ni mo, nakanaka ima hitokiha midare masari nu bekere ba, nenzi kahesi te, tada,
1.6.3  「 かく思ひかけぬ罪に当たりはべるも、 思うたまへあはすることの一節になむ、空も恐ろしうはべる。惜しげなき身はなきになしても、 宮の御世にだに、ことなくおはしまさば」
 「このように思いもかけない罪に問われますにつけても、思い当たるただ一つのことのために、天の咎めも恐ろしゅうございます。惜しくもないわが身はどうなろうとも、せめて東宮の御世だけでも、ご安泰でいらっしゃれば」
 「こういたしました意外な罪に問われますことになりましても、私は良心に思い合わされることが一つございまして空恐ろしく存じます。私はどうなりましても東宮が御無事に即位あそばせば私は満足いたします」
  "Kaku omohikake nu tumi ni atari haberu mo, omou tamahe ahasuru koto no hitohusi ni nam, sora mo osorosiu haberu. Wosige naki mi ha naki ni nasi te mo, Miya no miyo ni dani, koto naku ohasi masa ba."
1.6.4  とのみ聞こえたまふぞ、 ことわりなるや
 とだけ申し上げなさるのも、もっともなことである。
 とだけ言った。それは真実の告白であった。
  to nomi kikoye tamahu zo, kotowari naru ya!
1.6.5  宮も、みな思し知らるることにしあれば、御心のみ動きて、聞こえやりたまはず。大将、よろづのことかき集め思し続けて、泣きたまへるけしき、いと尽きせずなまめきたり。
 宮も、すっかりご存知のことであるので、お心がどきどきするばかりで、お返事申し上げられない。大将、あれからこれへとお思い続けられて、お泣きになる様子、とても言いようのないほど優艷である。
 宮も皆わかっておいでになることであったから源氏のこの言葉で大きな衝動をお受けになっただけで、何ともお返辞はあそばさなかった。初恋人への怨恨えんこん、父性愛、別離の悲しみが一つになって泣く源氏の姿はあくまでも優雅であった。
  Miya mo, mina obosi sira ruru koto ni si are ba, mikokoro nomi ugoki te, kikoye yari tamaha zu. Daisyau, yorodu no koto kaki-atume obosi tuduke te, naki tamahe ru kesiki, ito tukise zu namameki tari.
1.6.6  「 御山に参りはべるを、御ことつてや
 「山陵に詣でますが、お言伝は」
 「これから御陵へ参りますが、おことづてがございませんか」
  "Miyama ni mawiri haberu wo, ohom-kototute ya?"
1.6.7  と聞こえたまふに、とみにものも聞こえたまはず、わりなくためらひたまふ御けしきなり。
 と申し上げなさるが、すぐにはお返事なさらず、ひたすらお気持ちを鎮めようとなさるご様子である。
 と源氏は言ったが、宮のお返辞はしばらくなかった。躊躇ちゅうちょをしておいでになる御様子である。
  to kikoye tamahu ni, tomi ni mono mo kikoye tamaha zu, warinaku tamerahi tamahu mikesiki nari.
1.6.8  「 見しはなくあるは悲しき世の果てを
   背きしかひもなくなくぞ経る
 「院は亡くなられ生きておいでの方は悲しいお身の上の世の末を
  出家した甲斐もなく泣きの涙で暮らしています
  見しは無く有るは悲しき世のはてを
  そむきしかひもなくなくぞ
    "Mi si ha naku aru ha kanasiki yo no hate wo
    somuki si kahi mo naku naku zo huru
1.6.9   いみじき御心惑ひどもに、思し集むることどもも、えぞ続けさせたまはぬ。
 ひどくお悲しみの二方なので、お思いになっていることがらも、十分にお詠みあそばされない。
 宮はお悲しみの実感が余って、歌としては完全なものがおできにならなかった。
  Imiziki mikokoromadohi-domo ni, obosi atumuru koto-domo mo, e zo tuduke sase tamaha nu.
1.6.10  「 別れしに悲しきことは尽きにしを
   またぞこの世の憂さはまされる
 「故院にお別れした折に悲しい思いを尽くしたと思ったはずなのに
  またもこの世のさらに辛いことに遭います
  別れしに悲しきことは尽きにしを
  またもこの世のさはまされる
    "Wakare si ni kanasiki koto ha tuki ni si wo
    mata zo konoyo no usa ha masare ru
1.6.11   これは源氏の作である。
注釈139明日とて暮には院の御墓拝みたてまつりたまふとて大島本は「あすとて」とある。諸本「あすとての」(横飯肖三書)とある。池田本は大島本と同文。『新大系』は底本のままとする。『集成』『古典セレクション』は諸本に従って「明日とての」と校訂する。源氏、離京の前日に父桐壺院の御陵に参拝する。1.6.1
注釈140かたみに以下「よろづあはれまさりけむかし」まで、語り手の推量。『孟津抄』が「地也」と草子地であることを指摘。1.6.2
注釈141御物語は大島本は「御ものかたりハ」とある。諸本「御ものかたりはた」(横飯肖三書)とある。池田本は大島本と同文。『集成』『新大系』は底本のままとする。『古典セレクション』は「御物語はた」と校訂する。1.6.2
注釈142今さらにうたてと思さるべし以下「まさりぬべければ」まで、『完訳』は「藤壺の反発を推測する源氏の心。直接話法の混じった文脈」と注す。1.6.2
注釈143かく思ひかけぬ罪に以下「おはしまさば」まで、源氏の詞。1.6.3
注釈144思うたまへあはすることの一節になむ、空も恐ろしうはべる『集成』は「思い当るただ一つのことのために、天の咎めも恐ろしゅうございます。藤壺と密通して、春宮が生まれたことさす」と注し、『完訳』は「密通によって誕生した東宮の存在から、わが宿世の恐ろしさを思う。無実の公的罪を、宿世の仏罰によって必然化しているか」と注す。1.6.3
注釈145宮の御世にだに大島本は「御世にたに」とある。『新大系』は底本のままとする。『集成』『古典セレクション』は諸本に従って「御世だに」と「に」を削除する。1.6.3
注釈146ことわりなるや語り手の批評。『孟津抄』が「地也」と草子地であることを指摘。1.6.4
注釈147御山に参りはべるを御ことつてや源氏の詞。1.6.6
注釈148見しはなくあるは悲しき世の果てを--背きしかひもなくなくぞ経る藤壺の贈歌。「見し」は桐壺院、「有る」は源氏、「背きし」は藤壺をさす。「なく」に「泣く」と「無く」とを掛ける。『異本紫明抄』は「あるはなく無きは数そふ世の中にあはれいづれの日まで嘆かむ」(新古今集哀傷、八五〇、小野小町)を引歌として指摘する。1.6.8
注釈149いみじき御心惑ひどもに「ども」複数を表す接尾語。藤壺と源氏の心。『細流抄』は「草子地」と指摘。『全書』も「作者の評と見るべきであろう」という。1.6.9
注釈150別れしに悲しきことは尽きにしを--またぞこの世の憂さはまされる源氏の返歌。「悲しき」の語句を用いて返す。「この」に「子の」を響かせ、東宮を暗示する。1.6.10
校訂15 御心ばへ 御心ばへ--御(御/+心<朱>)はへ 1.6.2
1.7
第七段 桐壺院の御墓に離京の挨拶


1-7  Parting greeting to his father's grave

1.7.1  月待ち出でて出でたまふ。御供にただ五、六人ばかり、下人もむつましき限りして、御馬にてぞおはする。さらなることなれど、 ありし世の御ありきに異なり、皆いと 悲しう思ふなり。なかにかの御禊の日、仮の御随身にて仕うまつりし右近の将監の蔵人得べきかうぶりもほど過ぎつるを、つひに 御簡削られ、官も取られて、はしたなければ、御供に参るうちなり。
 月を待ってお出かけになる。お供にわずか五、六人ほど、下人も気心の知れた者だけを連れて、お馬でいらっしゃる。言うまでもないことだが、以前のご外出と違って、皆とても悲しく思うのである。その中で、あの御禊の日、仮の御随身となってご奉仕した右近将監の蔵人、当然得るはずの五位の位にも時期が過ぎてしまったが、とうとう殿上の御簡も削られ、官職も剥奪されて、面目がないので、お供に参る一人である。
 やっと月が出たので、三条の宮を源氏は出て御陵へ行こうとした。供はただ五、六人つれただけである。下の侍も親しい者ばかりにして馬で行った。今さらなことではあるが以前の源氏の外出に比べてなんという寂しい一行であろう。家従たちも皆悲しんでいたが、その中に昔の斎院の御禊みそぎの日に大将の仮の随身になって従って出た蔵人くろうどを兼ねた右近衛将曹うこんえしょうそうは、当然今年は上がるはずの位階も進められず、蔵人所の出仕は止められ、官を奪われてしまったので、これも進んで須磨へ行く一人になっているのであるが、
  Tuki matiide te ide tamahu. Ohom-tomo ni tada go, rokunin bakari, simobito mo mutumasiki kagiri site, ohom-muma nite zo ohasuru. Saranaru koto nare do, arisi yo no ohom-ariki ni kotonari, mina ito kanasiu omohu nari. Naka ni, kano misogi no hi, kari no mizuizin nite tukaumaturi si Ukon-no-Zou no kuraudo, u beki kauburi mo hodo sugi turu wo, tuhi ni mihuda kedura re, tukasa mo tora re te, hasitanakere ba, ohom-tomo ni mawiru uti nari.
1.7.2  賀茂の下の御社を、かれと見渡すほど、ふと思ひ出でられて、 下りて、御馬の口を取る
 賀茂の下の御社を、それと見渡せる辺りで、ふと思い出されて、下りて、お馬の轡を取る。
 この男が下加茂しもがもやしろがはるかに見渡される所へ来ると、ふと昔が目に浮かんで来て、馬から飛びおりるとすぐに源氏の馬の口を取って歌った。
  Kamo no simo no Miyasiro wo, kare to miwatasu hodo, huto omohi ide rare te, ori te, ohom-muma no kuti wo toru.
1.7.3  「 ひき連れて葵かざししそのかみを
   思へばつらし賀茂の瑞垣
 「お供をして葵を頭に挿した御禊の日のことを思うと
  御利益がなかったのかとつらく思われます、賀茂の神様
  ひきつれてあふひかざせしそのかみを
  思へばつらし加茂のみづがき
    "Hikiture te ahuhi kazasi si sonokami wo
    omohe ba turasi Kamo no midugaki
1.7.4  と言ふを、「 げに、いかに思ふらむ。人よりけにはなやかなりしものを」と思すも、心苦し。
 と詠むのを、「本当に、どんなに悲しんでいることだろう。誰よりも羽振りがよく振る舞っていたのに」とお思いになると、気の毒である。
 どんなにこの男の心は悲しいであろう、その時代にはだれよりもすぐれてはなやかな青年であったのだから、と思うと源氏は苦しかった。
  to ihu wo, "Geni, ikani omohu ram? Hito yori keni hanayaka nari si mono wo." to obosu mo, kokorogurusi.
1.7.5  君も、御馬より下りたまひて、御社のかた拝みたまふ。 神にまかり申したまふ
 君も御馬から下りなさって、御社の方、拝みなさる。神にお暇乞い申し上げなさる。  自身もまた馬からおりて加茂のやしろ遥拝ようはいしてお暇乞いとまごいを神にした。
  Kimi mo, ohom-muma yori ori tamahi te, Miyasiro no kata wogami tamahu. Kami ni makarimausi tamahu.
1.7.6  「 憂き世をば今ぞ別るるとどまらむ
   名をば糺の神にまかせて
 「辛い世の中を今離れて行く、後に残る
  噂の是非は、糺の神に委ねて
  うき世をば今ぞ離るるとどまらん
  名をばただすの神に任せて
    "Uki yo wo ba ima zo wakaruru todomara m
    na wo ba Tadasunokami ni makase te
1.7.7  とのたまふさま、 ものめでする若き人にて、身にしみてあはれにめでたしと見たてまつる。
 とお詠みになる様子、感激しやすい若者なので、身にしみてご立派なと拝する。
 と歌う源氏の優美さに文学的なこの青年は感激していた。
  to notamahu sama, mono-mede suru wakaki hito nite, mi ni simi te ahare ni medetasi to mi tatematuru.
1.7.8  御山に詣うでたまひて、 おはしましし御ありさま、ただ目の前のやうに思し出でらる。限りなきにても、 世に亡くなりぬる人ぞ、言はむかたなく口惜しきわざなりける。よろづのことを 泣く泣く申したまひても、そのことわりをあらはに 承りたまはねば、「 さばかり思しのたまはせしさまざまの御遺言は、いづちか消え失せにけむ」と、いふかひなし。
 御陵に参拝なさって、御在世中のお姿、まるで眼前の事にお思い出しになられる。至尊の地位にあった方でも、この世を去ってしまった人は、何とも言いようもなく無念なことであった。何から何まで泣く泣く申し上げなさっても、その是非をはっきりとお承りにならないので、「あれほどお考え置かれたいろいろなご遺言は、どこへ消え失せてしまったのだろうか」と、何とも言いようがない。
 父帝の御陵に来て立った源氏は、昔が今になったように思われて、御在世中のことが目の前に見える気がするのであったが、しかし尊い君王も過去の方になっておしまいになっては、最愛の御子の前へも姿をお出しになることができないのは悲しいことである。いろいろのことを源氏は泣く泣く訴えたが、何のお答えも承ることができない。
  Miyama ni maude tamahi te, ohasimasi si ohom-arisama, tada me no mahe no yau ni obosi ide raru. Kagirinaki ni te mo, yo ni nakunari nuru hito zo, ihamkatanaku kutiwosiki waza nari keru. Yorodu no koto wo nakunaku mausi tamahi te mo, sono kotowari wo araha ni uketamahari tamaha ne ba, "Sabakari obosi notamahase si samazama no ohom-yuigon ha, iduti ka kiye use ni kem." to, ihukahinasi.
1.7.9   御墓は、道の草茂くなりて、分け入りたまふほど、いとど露けきに、月も隠れて、森の木立、木深く心すごし。帰り出でむ方もなき 心地して、拝みたまふに、 ありし御面影、さやかに見えたまへる、そぞろ寒きほどなり
 御陵は、参道の草が生い茂って、かき分けてお入りになって行くうちに、ますます露に濡れると、月も雲に隠れて、森の木立は木深くぞっとする。帰る道も分からない気がして、参拝なさっているところに、御生前の御姿、はっきりと現れなさった、鳥肌の立つ思いである。
 自分のためにあそばされた数々の御遺言はどこへ皆失われたものであろうと、そんなことがまたここで悲しまれる源氏であった。御墓のある所は高い雑草がはえていて、分けてはいる人は露に全身が潤うのである。この時は月もちょうど雲の中へ隠れていて、前方の森が暗く続いているためにきわまりもなくものすごい。もうこのまま帰らないでもいいような気がして、一心に源氏が拝んでいる時に、昔のままのお姿が幻に見えた。それは寒けがするほどはっきりと見えた幻であった。
  Mihaka ha, miti no kusa sigeku nari te, wakeiri tamahu hodo, itodo tuyukeki ni, tuki mo kakure te, mori no kodati, kobukaku kokorosugosi. Kaheri ide m kata mo naki kokoti si te, wogami tamahu ni, arisi ohom-omokage, sayaka ni miye tamahe ru, sozoro samuki hodo nari.
1.7.10  「 亡き影やいかが見るらむよそへつつ
   眺むる月も雲隠れぬる
 「亡き父上はどのように御覧になっていられることだろうか
  父上のように思って見ていた月の光も雲に隠れてしまった
  き影やいかで見るらんよそへつつ
  ながむる月も雲隠れぬる
    "Naki kage ya ikaga miru ram yosohe tutu
    nagamuru tuki mo kumogakure nuru
注釈151ありし世の御ありきに参議兼大将の源氏は六人の公的随身を賜る。それに親しい殿上人や私的随身などが供回りを務めた。1.7.1
注釈152悲しう思ふなりなかに大島本は「思なりなかに」とある。諸本には「おもふなかに」(池)−「おもふ中に」(横肖三書)−「思ふになかに」(飯)とある。『新大系』は底本のままとする。『集成』は「思ふなかに」と文を続け、『古典セレクション』は「思ふ。中に」と校訂する。1.7.1
注釈153かの御禊の日、仮の御随身にて仕うまつりし右近の将監の蔵人「葵」巻、斎院の御禊の日に源氏の仮の随身を務めた右近尉兼蔵人。1.7.1
注釈154得べきかうぶりも『完訳』は以下「参るうちなり」まで、挿入句と解す。六位蔵人の中から上席の者が従五位下に叙せられることを「爵得」(かうぶりう)という。1.7.1
注釈155御簡削られ官も取られて殿上人の「日給の簡」(にっきゅうのふだ・ひだまいのふだ)から除籍され、右近将監の官職からも外された意。1.7.1
注釈156下りて御馬の口を取る右近将監が馬から下りて、源氏の馬の轡をとる。1.7.2
注釈157ひき連れて葵かざししそのかみを--思へばつらし賀茂の瑞垣右近将監の贈歌。「そのかみ」に「神」を掛ける。1.7.3
注釈158げにいかに思ふらむ人よりけにはなやかなりしものを源氏の心中。1.7.4
注釈159神にまかり申したまふ『古典セレクション』は「神に罷申ししたまふ」と整定する。1.7.5
注釈160憂き世をば今ぞ別るるとどまらむ--名をば糺の神にまかせて源氏の独詠歌。「ただす」に正邪を糺す意と地名の糺の森の意を掛ける。1.7.6
注釈161ものめでする若き人にて右近将監をいう。1.7.7
注釈162おはしましし御ありさま故桐壺院の姿。1.7.8
注釈163世に亡くなりぬる人桐壺院をいう。1.7.8
注釈164泣く泣く申したまひても主語は源氏。1.7.8
注釈165承りたまはねば大島本は「うけ給はりたまはねは」とあるが、独自異文。他の青表紙諸本は「えうけ給たまはねは」とある。『新大系』は底本のままとする。『集成』『古典セレクション』は諸本に従って「え」を補訂する。1.7.8
注釈166さばかり思しのたまはせし以下「消え失せにけむ」まで、源氏の心中。1.7.8
注釈167御墓は、道の草茂くなりて、分け入りたまふほど、いとど露けきに、月も隠れて、森の木立、木深く心すごし『河海抄』は「古き墓何れの世の人ぞ姓と名とを知らず化して路の傍らの土と作る年々春の草生る」(白氏文集、続古詩)を指摘。
【月も隠れて】−大島本は「月もかくれて」とあるが、独自異文。他の青表紙諸本は「月のくもかくれて」とある。『新大系」は底本のままとする。『集成』『古典セレクション』は諸本に従って「月も雲隠れて」と校訂する。なお『完訳』は「「月」は皇統の象徴。「雲隠れて」は、故院の霊魂が反応した証」と注す。
1.7.9
注釈168ありし御面影さやかに見えたまへるそぞろ寒きほどなり故桐壺院が亡霊となって源氏の眼前に出現。「見え」は、客体が現れるというニュアンス。『完訳』は「故院の幻影が生前の面影のまま出現し、それと交感する趣」と注す。1.7.9
注釈169亡き影やいかが見るらむよそへつつ--眺むる月も雲隠れぬる源氏の独詠歌。「亡き影」は故桐壺院をいう。「月」は故院を象徴。「月も雲隠れぬる」とは、譬喩表現で、故院が涙で目を曇らせという意。『完訳』は「霊との感応をふまえた歌」と注す。1.7.10
校訂16 心地 心地--*心 1.7.9
1.8
第八段 東宮に離京の挨拶


1-8  Parting greeting to Tougu

1.8.1   明け果つるほどに帰りたまひて、春宮にも御消息聞こえたまふ。 王命婦を御代はりにてさぶらはせたまへば、「その 御局に」とて、
 すっかり明けたころにお帰りになって、東宮にもお便りを差し上げなさる。王命婦をお身代わりとして伺候させていらしたので、「そのお部屋に」と言って、
 もう朝になるころ源氏は二条の院へ帰った。源氏は東宮へもお暇乞いの御挨拶あいさつをした。中宮は王命婦おうみょうぶを御自身の代わりに宮のおそばへつけておありになるので、その部屋のほうへ手紙を持たせてやったのである。
  Ake haturu hodo ni kaheri tamahi te, Touguu ni mo ohom-seusoko kikoye tamahu. Waumyaubu wo ohom-kahari nite saburaha se tamahe ba, "Sono mi-tubone ni." tote,
1.8.2  「 今日なむ、都離れはべる。また参りはべらずなりぬるなむ、あまたの憂へにまさりて思うたまへられはべる。よろづ推し量りて啓したまへ。
 「今日、都を離れます。もう一度参上せぬままになってしまったのが、数ある嘆きの中でも最も悲しく存じられます。すべてご推察いただき、啓上してください。
 いよいよ今日京を立ちます。もう一度伺って宮に拝顔を得ませぬことが、何の悲しみよりも大きい悲しみに私は思われます。何事も胸中を御推察くだすって、よろしきように宮へ申し上げてください。
  "Kehu nam, miyako hanare haberu. Mata mawiri habera zu nari nuru nam, amata no urehe ni masari te omou tamahe rare haberu. Yorodu osihakarite keisi tamahe.
1.8.3   いつかまた春の都の花を見む
  時失へる山賤にして
  いつ再び春の都の花盛りを見ることができようか
  時流を失った山賤のわが身になって
  いつかまた春の都の花を見ん
  時うしなへる山がつにして
    Ituka mata haru no miyako no hana wo mi m
    toki usinahe ru yamagatu ni si te
1.8.4   桜の散りすきたる枝につけたまへり。「 かくなむ」と御覧ぜさすれば、 幼き御心地にもまめだちておはします。
 桜の散ってまばらになった枝に結び付けていらっしゃった。「しかじかです」と御覧に入れると、幼心にも真剣な御様子でいらっしゃる。
 この手紙は、桜の花の大部分は散った枝へつけてあった。命婦は源氏の今日の出立を申し上げて、この手紙を東宮にお目にかけると、御幼年ではあるがまじめになって読んでおいでになった。
  Sakura no tiri suki taru eda ni tuke tamahe ri. "Kaku nam." to goranze sasure ba, wosanaki mikokoti ni mo mamedati te ohasimasu.
1.8.5  「 御返りいかがものしたまふらむ
 「お返事はどのように申し上げましょうか」
 「お返事はどう書きましたらよろしゅうございましょう」
  "Ohom-kaheri ikaga monosi tamahu ram?"
1.8.6  と啓すれば、
 と啓上すると、

  to keisure ba,
1.8.7  「 しばし見ぬだに恋しきものを、遠くはましていかに、と言へかし」
 「少しの間でさえ見ないと恋しく思われるのに、まして遠くに行ってしまったらどんなにか、と言いなさい」
 「しばらく逢わないでも私は恋しいのであるから、遠くへ行ってしまったら、どんなに苦しくなるだろうと思うとお書き」
  "Sibasi mi nu dani kohisiki mono wo, tohoku ha masite ikani, to ihe kasi."
1.8.8  とのたまはす。「 ものはかなの御返りや」と、あはれに見たてまつる。 あぢきなきことに御心をくだきたまひし昔のこと、折々の御ありさま、思ひ続けらるるにも、もの思ひなくて 我も人も過ぐいたまひつべかりける世を、心と思し嘆きけるを悔しう、 わが心ひとつにかからむことのやうにぞおぼゆる。御返りは、
 と仰せになる。「あっけないお返事だこと」と、いじらしく拝する。どうにもならない恋にお心のたけを尽くされた昔のこと、季節折々のご様子、次から次へと思い出されるにつけても、何の苦労もなしに自分も相手もお過ごしになれたはずの世の中を、ご自分から求めてお苦しみになったのを悔しくて、自分一人の責任のように思われる。お返事は、
 と宮は仰せられる。なんという御幼稚さだろうと思って命婦はいたましく宮をながめていた。苦しい恋に夢中になっていた昔の源氏、そのある日の場合、ある夜の場合を命婦は思い出して、その恋愛がなかったならお二人にあの長い苦労はさせないでよかったのであろうと思うと、自身に責任があるように思われて苦しかった。返事は、
  to notamahasu. "Mono-hakana no ohom-kaheri ya!" to, ahare ni mi tatematuru. Adikinaki koto ni mikokoro wo kudaki tamahi si mukasi no koto, woriwori no ohom-arisama, omohi-tuduke raruru ni mo, mono-omohi naku te ware mo hito mo sugui tamahi tu bekari keru yo wo, kokoro to obosi nageki keru wo kuyasiu, waga kokoro hitotu ni kakara m koto no yau ni zo oboyuru. Ohom-kaheri ha,
1.8.9  「 さらに聞こえさせやりはべらず。御前には啓しはべりぬ。心細げに思し召したる御けしきもいみじくなむ」
 「とても言葉に尽くして申し上げられません。御前には啓上致しました。心細そうにお思いでいらっしゃる御様子もおいたわしうございます」
 何とも申しようがございません。宮様へは申し上げました。お心細そうな御様子を拝見いたします私も非常に悲しゅうございます。
  "Sarani kikoyesase yari habera zu. Omahe ni ha keisi haberi nu. Kokorobosoge ni obosimesi taru mikesiki mo imiziku nam."
1.8.10  と、そこはかとなく、 心の乱れけるなるべし
 と、とりとめなく、心が動揺しているからであろう。
 と書いたあとは、悲しみに取り乱してよくわからぬ所があった。
  to, sokohakatonaku, kokoro no midare keru naru besi.
1.8.11  「 咲きてとく散るは憂けれどゆく春は
   花の都を立ち帰り見よ
 「咲いたかと思うとすぐに散ってしまう桜の花は悲しいけれども
  再び都に戻って春の都を御覧ください
  咲きてとく散るはけれど行く春は
  花の都を立ちかへり見よ
    "Saki te toku tiru ha ukere do yuku haru ha
    hana no miyako wo tati-kaheri mi yo
1.8.12   時しあらば
 季節がめぐり来れば」
 また御運の開けることがきっとございましょう。
  toki si ara ba."
1.8.13  と聞こえて、名残もあはれなる物語をしつつ、 一宮のうち、忍びて泣きあへり。
 と申し上げて、その後も悲しいお話をしいしい、御所中、声を抑えて泣きあっていた。
 とも書いて出したが、そのあとでも他の女房たちといっしょに悲しい話をし続けて、東宮の御殿は忍び泣きの声に満ちていた。
  to kikoye te, nagori mo ahare naru monogatari wo si tutu, hitomiya no uti, sinobi te naki ahe ri.
1.8.14  一目も見たてまつれる人は、かく思しくづほれぬる御ありさまを、嘆き惜しみきこえぬ人なし。まして、常に参り馴れたりしは、知り及びたまふまじき長女、御厠人まで、ありがたき 御顧みの下なりつるを、「 しばしにても、見たてまつらぬほどや経む」と、思ひ嘆きけり。
 一目でも拝し上げた者は、このようにご悲嘆のご様子を、嘆き惜しまない人はいない。まして、平素お仕えしてきた者は、ご存知になるはずもない下女、御厠人まで、世にまれなほどの手厚いご庇護であったのを、「少しの間にせよ、拝さぬ月日を過すことになるのか」と、思い嘆くのであった。
 一日でも源氏を見た者は皆不幸な旅に立つことを悲しんで惜しまぬ人もないのである。まして常に源氏の出入りしていた所では、源氏のほうへは知られていない長女おさめ御厠人みかわやうどなどの下級の女房までも源氏の慈愛を受けていて、たとえ短い期間で悪夢は終わるとしても、その間は源氏を見ることのできないのをなげいていた。
  Hitome mo mi tatemature ru hito ha, kaku obosi kuduhore nuru ohom-arisama wo, nageki wosimi kikoye nu hito nasi. Masite, tuneni mawiri nare tari si ha, siri oyobi tamahu maziki wosame, mikahayaudo made, arigataki ohom-kaherimi no sita nari turu wo, "Sibasi ni te mo, mi tatematura nu hodo ya he m." to, omohi nageki keri.
1.8.15  おほかたの世の人も、誰かはよろしく思ひきこえむ。 七つになりたまひしこのかた 、帝の御前に夜昼さぶらひたまひて、 奏したまふことのならぬはなかりしかば、この御いたはりにかからぬ人なく、 御徳をよろこばぬやはありし。やむごとなき上達部、弁官などのなかにも多かり。それより下は数知らぬを、思ひ知らぬにはあらねど、さしあたりて、いちはやき世を思ひ憚りて、参り寄るもなし。世ゆすりて惜しみ きこえ下に朝廷をそしり、恨みたてまつれど、「 身を捨ててとぶらひ参らむにも、何のかひかは」と思ふにや、かかる折は人悪ろく、恨めしき人多く、「 世の中はあぢきなきものかな」とのみ、よろづにつけて思す。
 世間一般の人々も、誰が並大抵に思い申し上げたりなどしようか。七歳におなりになった時から今まで、帝の御前に昼夜となくご伺候なさって、ご奏上なさることでお聞き届けられぬことはなかったので、このご功労にあずからない者はなく、ご恩恵を喜ばない者がいたであろか。高貴な上達部、弁官などの中にも多かった。それより下では数も分からないが、ご恩を知らないのではないが、当面は、厳しい現実の世を憚って、寄って参る者はいない。世を挙げて惜しみ申し、内心では朝廷を批判し、お恨み申し上げたが、「身を捨ててお見舞いに参上しても、何になろうか」と思うのであろうか、このような時には体裁悪く、恨めしく思う人々が多く、「世の中というものはおもしろくないものだな」とばかり、万事につけてお思いになる。
 世間もだれ一人今度の当局者の処置を至当と認める者はないのであった。七歳から夜も昼も父帝のおそばにいて、源氏の言葉はことごとく通り、源氏の推薦はむだになることもなかった。官吏はだれも源氏の恩をこうむらないものはないのである。源氏に対して感謝の念のない者はないのである。大官の中にも弁官の中にもそんな人は多かった。それ以下は無数である。皆が皆恩を忘れているのではないが、報復に手段を選ばない恐ろしい政府をはばかって、現在の源氏に好意を表示しに来る人はないのである。社会全体が源氏を惜しみ、陰では政府をそしる者、恨む者はあっても、自己を犠牲にしてまで、源氏に同情しても、それが源氏のために何ほどのことにもならぬと思うのであろうが、恨んだりすることは紳士らしくないことであると思いながらも、源氏の心にはつい恨めしくなる人たちもさすがに多くて、人生はいやなものであると何につけても思われた。
  Ohokata no yo no hito mo, tare kaha yorosiku omohi kikoye m. Nanatu ni nari tamahi si konokata, Mikado no omahe ni yoruhiru saburahi tamahi te, sousi tamahu koto no nara nu ha nakari sika ba, kono ohom-itahari ni kakara nu hito naku, ohom-toku wo yorokoba nu ya ha ari si. Yamgotonaki kamdatime, benkwan nado no naka ni mo ohokari. Sore yori simo ha kazu sira nu wo, omohi sira nu ni ha ara ne do, sasiatarite, itihayaki yo wo omohi habakari te, mawiri yoru mo nasi. Yo yusuri te wosimi kikoye, sita ni Ohoyake wo sosiri, urami tatemature do, "Mi wo sute te toburahi mawira m ni mo, nani no kahi kaha." to omohu ni ya, kakaru wori ha hitowaroku, uramesiki hito ohoku, "Yononaka ha adikinaki mono kana!" to nomi, yorodu ni tuke te obosu.
注釈170明け果つるほどに帰りたまひて源氏、北山の故桐壺院の御陵から帰り、宮中の東宮に離京の挨拶文を贈る。1.8.1
注釈171王命婦を御代はりにて大島本は「御かハりにて」とあある。『新大系』は底本のままとする。『集成』『古典セレクション』は諸本に従って「御かはりとて」と校訂する。王命婦を藤壺の代わりとしての意。『完訳』は「出家して東宮への伺候は不審」ともいう。1.8.1
注釈172御局に大島本は「御つほ(△&ほ)ね(ね+に)」とある。『新大系』は底本のままとする。『集成』『古典セレクション』は諸本に従って「局に」として「御」を削除する。1.8.1
注釈173今日なむ都離れはべる以下「山賤にして」まで、源氏の文。1.8.2
注釈174いつかまた春の都の花を見む--時失へる山賤にして源氏の贈歌。「春の都の花」は東宮の即位した治世をいう。「山賤」は須磨へ退去する自分を卑下していう。1.8.3
注釈175桜の散りすきたる『集成』は「桜の散り過ぎたる」、『完訳』は「桜の散りすきたる」と読む。『新大系』は「「散り過ぎ」か。「ちりすきたるとは散透也」(細流抄)という説あるも、「散り透く」の確例を見ない」と注す。1.8.4
注釈176かくなむ王命婦の詞。間接話法。1.8.4
注釈177幼き御心地にも東宮八歳である。1.8.4
注釈178御返りいかがものしたまふらむ王命婦の詞。大島本は「ものし給らむ」とある。『新大系』は底本のままとする。『集成』『古典セレクション』は諸本に従って「ものしはべらむ」と校訂する。1.8.5
注釈179しばし見ぬだに以下「と言へかし」まで、東宮の詞。七七五の和歌的な言葉遣い。和歌にならなかったものか。「賢木」巻にも「久しうおはせぬは恋しきものを」という似た表現があった。1.8.7
注釈180ものはかなの御返りや王命婦の感想。1.8.8
注釈181あぢきなきことに以下「やうにぞおぼゆる」まで、王命婦の心中を語る。1.8.8
注釈182我も人も「我」は源氏、「人」は藤壺をさす。1.8.8
注釈183わが心ひとつに王命婦の心をいう。1.8.8
注釈184さらに聞こえさせやりはべらず以下「いみじうなむ」まで、王命婦の詞。1.8.9
注釈185心の乱れけるなるべし語り手の推量。『一葉抄』は「草子の詞也」と指摘。『評釈』は「期待する読者に対する、これは釈明である」という。1.8.10
注釈186咲きてとく散るは憂けれどゆく春は--花の都を立ち帰り見よ王命婦の返歌。『完訳』は「「咲きてとく散る」は、源氏の栄枯盛衰、引歌によるか。その「花の都」への復帰を願う歌」と注す。『異本紫明抄』は「光なき谷には春もよそなれば咲きてとく散るもの思ひもなし」(古今集雑下、九六七、清原深養父)を引歌として指摘する。1.8.11
注釈187時しあらば歌に添えた詞。引歌があるらしいが不明。1.8.12
注釈188一宮のうち東宮御所全体がの意。1.8.13
注釈189御顧みの下なりつるを源氏の御恩顧の下に過ごしてきた意。1.8.14
注釈190しばしにても以下「ほどや経む」まで、下女たちの心中。1.8.14
注釈191七つになりたまひしこのかた大島本は「このかみゝ(ゝ#<朱>)」とある。大島本は「そのかみ」の誤りか。諸本に従って「このかた」と校訂する。源氏七歳の時、読書始めの儀があった。1.8.15
注釈192奏したまふことのならぬはなかりしかば源氏が帝に奏上することで実現しないことがなかったという意。1.8.15
注釈193御徳をよろこばぬやはありし語り手の感情移入による表現。1.8.15
注釈194下に朝廷をそしり大島本は「したにおほやけ越」とある。『新大系』は底本のままとする。『集成』『古典セレクション』は諸本に従って「下には」と「に」を補訂する。1.8.15
注釈195身を捨ててとぶらひ参らむにも何のかひかは人々の心中。1.8.15
注釈196世の中はあぢきなきものかな源氏の感想。1.8.15
出典9 咲きてとく散る 光なき谷には春もよそなれば咲きてとく散るもの思ひもなし 古今集雑下-一〇一二 清原深養父 1.8.11
校訂17 御局に 御局に--語局(局/+に) 1.8.1
校訂18 このかた このかた--*このかみ 1.8.15
校訂19 きこえ きこえ--きこええ(え/$) 1.8.15
1.9
第九段 離京の当日


1-9  The day of leaving at Kyoto

1.9.1   その日は、女君に御物語のどかに聞こえ暮らしたまひて例の、夜深く出でたまふ。狩の御衣など、旅の 御よそひ、いたくやつしたまひて、
 出発の当日は、女君にお話を一日中のんびりとお過ごし申し上げなさって、旅立ちの例で、夜明け前にお立ちになる。狩衣のご衣装など、旅のご装束、たいそう質素なふうになさって、
 当日は終日夫人と語り合っていて、そのころの例のとおりに早暁に源氏は出かけて行くのであった。狩衣かりぎぬなどを着て、簡単な旅装をしていた。
  Sono hi ha, Womnagimi ni ohom-monogatari nodoka ni kikoye kurasi tamahi te, rei no, yobukaku ide tamahu. Kari no ohom-zo nado, tabi no ohom-yosohi, itaku yatusi tamahi te,
1.9.2  「 月出でにけりな。なほすこし出でて、見だに送りたまへかし。いかに聞こゆべきこと多くつもりにけりとおぼえむとすらむ。一日、二日たまさかに 隔たる折だに、あやしういぶせき心地するものを」
 「月も出たなあ。もう少し端に出て、せめて見送ってください。どんなにお話申し上げたいことがたくさん積もったと思うことでしょう。一日、二日まれに離れている時でさえ、不思議と気が晴れない思いがしますものを」
 「月が出てきたようだ。もう少し端のほうへ出て来て、見送ってだけでもください。あなたに話すことがたくさん積もったと毎日毎日思わなければならないでしょうよ。一日二日ほかにいても話がたまり過ぎる苦しい私なのだ」
  "Tuki ide ni keri na! Naho sukosi ide te, mi dani okuri tamahe kasi. Ikani kikoyu beki koto ohoku tumori ni keri to oboye m to sura m. Hitohi, hutuka tamasaka ni hedataru wori dani, ayasiu ibuseki kokoti suru mono wo!"
1.9.3  とて、御簾巻き上げて、端にいざなひきこえたまへば、女君、泣き沈み たまへるを、ためらひて、ゐざり出でたまへる、月影に、いみじうをかしげにてゐたまへり。「 わが身かくてはかなき世を別れなば、いかなるさまにさすらへたまはむ」と、うしろめたく悲しけれど、 思し入りたるに、いとどしかるべければ、
 とおっしゃって、御簾を巻き上げて、端近にお誘い申し上げなさると、女君、泣き沈んでいらっしゃたが、気持ちを抑えて、膝行して出ていらっしゃったのが、月の光にたいそう美しくお座りになった。「わが身がこのようにはかない世の中を離れて行ったら、どのような状態でさすらって行かれるのであろうか」と、不安で悲しく思われるが、深いお悲しみの上に、ますます悲しませるようなので、
 と言って、御簾みすを巻き上げて、縁側に近く女王にょおうを誘うと、泣き沈んでいた夫人はためらいながら膝行いざって出た。月の光のさすところに非常に美しく女王はすわっていた。自分が旅中に死んでしまえばこの人はどんなふうになるであろうと思うと、源氏は残して行くのが気がかりになって悲しかったが、そんなことを思い出せば、いっそうこの人を悲しませることになると思って、
  tote, misu makiage te, hasi ni izanahi kikoye tamahe ba, Womnagimi, naki sidumi tamahe ru wo, tamerahi te, wizari ide tamahe ru, tukikage ni, imiziu wokasige nite wi tamahe ri. "Wagami kakute hakanaki yo wo wakare na ba, ikanaru sama ni sasurahe tamaha m." to, usirometaku kanasikere do, obosi iri taru ni, itodosikaru bekere ba,
1.9.4  「 生ける世の別れを知らで契りつつ
   命を人に限りけるかな
 「生きている間にも生き別れというものがあるとは知らずに
  命のある限りは一緒にと信じていたことよ
 「生ける世の別れを知らで契りつつ
  命を人に限りけるかな
    "Ike ru yo no wakare wo sira de tigiri tutu
    inoti wo hito ni kagiri keru kana
1.9.5   はかなし
 はかないことだ」
 はかないことだった」
  Hakanasi."
1.9.6  など、 あさはかに聞こえなしたまへば、
 などと、わざとあっさりと申し上げなさったので、
 とだけ言った。悲痛な心の底は見せまいとしているのであった。
  nado, asahaka ni kikoye nasi tamahe ba,
1.9.7  「 惜しからぬ命に代へて目の前の
   別れをしばしとどめてしがな
 「惜しくもないわたしの命に代えて、今のこの
  別れを少しの間でも引きとどめて置きたいものです
  惜しからぬ命に代へて目の前の
  別れをしばしとどめてしがな
    "Wosikara nu inoti ni kahe te me no mahe no
    wakare wo sibasi todome te si gana
1.9.8  「 げに、さぞ思さるらむ」と、いと見捨てがたけれど、明け果てなば、はしたなかるべきにより、急ぎ出でたまひぬ。
 「なるほど、そのようにもお思いだろう」と、たいそう見捨てて行きにくいが、夜がすっかり明けてしまったら、きまりが悪いので、急いでお立ちになった。
 と夫人は言う。それが真実の心の叫びであろうと思うと、立って行けない源氏であったが、夜が明けてから家を出るのは見苦しいと思って別れて行った。
  "Geni, sazo obosa ru ram." to, ito misute gatakere do, ake hate na ba, hasitanakaru beki ni yori, isogi ide tamahi nu.
1.9.9  道すがら、面影につと添ひて、胸もふたがりながら、 御舟に乗りたまひぬ。日長きころなれば、追風さへ添ひて、 まだ申の時ばかりに、かの浦に着きたまひぬかりそめの道にても、かかる旅をならひたまはぬ心地に、心細さもをかしさもめづらかなり。 大江殿と言ひける所は、いたう荒れて、 松ばかりぞしるしなる
 道中、面影のようにありありとまぶたに浮かんで、胸もいっぱいのまま、お舟にお乗りになった。日の長いころなので、追い風までが吹き加わって、まだ申の時刻に、あの浦にお着きになった。ほんのちょっとのお出ましであっても、こうした旅路をご経験のない気持ちで、心細さも物珍しさも並大抵ではない。大江殿と言った所は、ひどく荒れて、松の木だけが形跡をとどめているだけである。
 道すがらも夫人の面影が目に見えて、源氏は胸を悲しみにふさがらせたまま船に乗った。日の長いころであったし、追い風でもあって午後四時ごろに源氏の一行は須磨に着いた。旅をしたことのない源氏には、心細さもおもしろさも皆はじめての経験であった。大江殿という所は荒廃していて松だけが昔の名残なごりのものらしく立っていた。
  Mitisugara, omokage ni tuto sohi te, mune mo hutagari nagara, ohom-hune ni nori tamahi nu. Hi nagaki koro nare ba, ohikaze sahe sohi te, mada saru no toki bakari ni, kano ura ni tuki tamahi nu. Karisome no miti nite mo, kakaru tabi wo narahi tamaha nu kokoti ni, kokorobososa mo wokasisa mo meduraka nari. Ohoyedono to ihi keru tokoro ha, itau are te, matu bakari zo sirusi naru.
1.9.10  「 唐国に名を残しける人よりも
   行方知られぬ家居をやせむ
 「唐国で名を残した人以上に
  行方も知らない侘住まいをするのだろうか
  唐国からくにに名を残しける人よりも
  ゆくへ知られぬ家居いへゐをやせん
    "Karakuni ni na wo nokosi keru hito yori mo
    yukuhe sira re nu ihewi wo ya se m
1.9.11  渚に寄る波のかつ返るを見たまひて、「 うらやましくも」と、うち誦じたまへるさま、さる世の古言なれど、珍しう聞きなされ、悲しとのみ御供の人びと思へり。うち顧みたまへるに、来し方の山は霞はるかにて、まことに「 三千里の外」の心地する に、 櫂の雫も 堪へがたし。
 渚に打ち寄せる波の寄せては返すのを御覧になって、「うらやましくも」と口ずさみなさっているご様子、誰でも知っている古歌であるが、珍しく聞けて、悲しいとばかりお供の人々は思っている。振り返って御覧になると、来た方角の山は霞が遠くにかかって、まことに、「三千里の外」という心地がすると、櫂の滴も耐えきれない。
 と源氏は口ずさまれた。なぎさへ寄る波がすぐにまた帰る波になるのをながめて、「いとどしく過ぎ行く方の恋しきにうらやましくも帰る波かな」これも源氏の口に上った。だれも知った業平朝臣なりひらあそんの古歌であるが、感傷的になっている人々はこの歌に心を打たれていた。来たほうを見ると山々が遠くかすんでいて、三千里外の旅を歌って、かいしずくに泣いた詩の境地にいる気もした。
  Nagisa ni yoru nami no katu kaheru wo mi tamahi te, "Urayamasiku mo" to, uti-zuzi tamahe ru sama, saru yo no hurukoto nare do, medurasiu kiki nasa re, kanasi to nomi ohom-tomo no hitobito omohe ri. Uti-kaherimi tamahe ru ni, kosikata no yama ha kasumi haruka nite, makoto ni "Samzenri no hoka" no kokoti suru ni, kai no siduku mo tahe gatasi.
1.9.12  「 故郷を峰の霞は隔つれど
   眺むる空は同じ雲居か
 「住みなれた都を峰の霞は遠く隔てるが
  悲しい気持ちで眺めている空は同じ空なのだ
  ふる里を峯のかすみは隔つれど
  ながむる空は同じ雲井か
    "Hurusato wo mine no kasumi ha hedature do
    Nagamuru sora ha onazi kumowi ka
1.9.13  つらからぬものなくなむ。
 辛くなく思われないものはないのであった。
 総てのものが寂しく悲しく見られた。
  Turakara nu mono naku nam.
注釈197その日は女君に御物語のどかに聞こえ暮らしたまひて源氏、離京の当日。1.9.1
注釈198例の夜深く出でたまふ「夜深し」は、明け方から見て夜が深い、という意。旅立ちの通例によって、朝早く出立する。1.9.1
注釈199月出でにけりな以下「心地するものを」まで、源氏の詞。「二十日余り」の月の出は、午前零時過ぎ。1.9.2
注釈200隔たる折だに大島本は「へたゝるおり」とある。『新大系』は底本のままとする。『集成』『古典セレクション』は諸本に従って「隔つる」と校訂する。1.9.2
注釈201わが身かくてはかなき世を別れなばいかなるさまにさすらへたまはむ源氏の心中。「さすらへ」の主語は、「たまは」の敬語がついているので、紫の上。1.9.3
注釈202思し入りたる主語は紫の君。1.9.3
注釈203生ける世の別れを知らで契りつつ--命を人に限りけるかな源氏の贈歌。1.9.4
注釈204はかなし和歌に添えた言葉。1.9.5
注釈205あさはかに聞こえなし『集成』は「大したことではないかのように」の意に解し、『完訳』は「生き別れに気づかぬ自分の浅慮と、相手の悲嘆を紛らす」という。1.9.6
注釈206惜しからぬ命に代へて目の前の--別れをしばしとどめてしがな紫の君の返歌。「別れ」「命」の語句を用いて返す。『集成』は「がな」(願望の終助詞)と濁音、『完訳』は「かな」(詠嘆の終助詞)と清音に読む。1.9.7
注釈207げにさぞ思さるらむ源氏の心中。1.9.8
注釈208御舟に乗りたまひぬ『集成』は「当時は普通、山崎で乗船し、淀川を下る」と注し、『完訳』は「馬か徒歩で伏見まで至り、そこから川船で難波(大阪)に至る」「翌日、難波から須磨に航行」と注す。1.9.9
注釈209まだ申の時ばかりにかの浦に着きたまひぬ午後四時頃に須磨に到着。1.9.9
注釈210かりそめの道にても時間を遡って道中を詳しく語る。1.9.9
注釈211大江殿と言ひける所は現在、大江橋の地名が残っている大阪市東区天満橋の付近。1.9.9
注釈212松ばかりぞしるしなる『完訳』は「引歌があるらしいが未詳」という。1.9.9
注釈213唐国に名を残しける人よりも--行方知られぬ家居をやせむ源氏の独詠歌。中国の屈原の故事を想起。屈原は讒言により追放され汨羅の淵に見を投じた。1.9.10
注釈214うらやましくも『源氏釈』は「いとどしく過ぎ行く方の恋しきにうらやましくも返る波かな」(後撰集羈旅、位置三五二、在原業平・伊勢物語)1.9.11
注釈215三千里の外の心地する『源氏釈』は「三千里外随行李十九年間任転蓬」(扶桑集、巻七、紀在昌)を指摘。『異本紫明抄』以後は「十一月中長至夜三千里外遠行人」(白氏文集巻十三、冬至宿楊梅館)を指摘する。1.9.11
注釈216櫂の雫も『紫明抄』は「わが上に露ぞ置くなる天の川門渡る舟の櫂の雫か」(古今集雑上、八六三、読人しらず・伊勢物語)を指摘する。1.9.11
注釈217故郷を峰の霞は隔つれど--眺むる空は同じ雲居か源氏の独詠歌。1.9.12
出典10 うらやましくも いとどしく過ぎ行く方の恋しきにうらやましくも返る波かな 後撰集羈旅-一三五二 在原業平 1.9.11
出典11 三千里の外 十一月中長至夜 三千里外遠行人 白氏文集十三-六九五 1.9.11
出典12 櫂の雫 わが上に露ぞ置くなる天の川門渡る舟の櫂の雫か 古今集雑上-八六三 読人しらず 1.9.11
校訂20 御よそひ 御よそひ--御△(△/#)よそひ 1.9.1
校訂21 たまへるを たまへるを--たまへる(る/+を) 1.9.3
Last updated 9/21/2010(ver.2-3)
渋谷栄一校訂(C)
Last updated 9/15/2009(ver.2-2)
渋谷栄一注釈(C)
Last updated 1/1/2003
渋谷栄一訳(C)(ver.1-2-3)
現代語訳
与謝野晶子
電子化
上田英代(古典総合研究所)
底本
角川文庫 全訳源氏物語
校正・
ルビ復活
砂場清隆(青空文庫)

2003年7月2日

渋谷栄一訳
との突合せ
若林貴幸、宮脇文経

2005年11月8日

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Written in Japanese roman letters
by Eiichi Shibuya (C)
Picture "Eiri Genji Monogatari"(1650 1st edition)
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