第十五帖 蓬生


15 YOMOGIHU (Ohoshima-bon)


光る源氏の須磨明石離京時代から帰京後までの末摘花の物語


Tale of Suetsumu era of Hikaru-Genji in Suma and Akashi, and returned to Kyoto later

3
第三章 末摘花の物語 久しぶりの再会の物語


3  Tale of Suetsumu  Meeting again after long interval

3.1
第一段 花散里訪問途上


3-1  On a visit to Hanachirusato

3.1.1   卯月ばかりに、花散里を思ひ出できこえたまひて、忍びて対の上に御暇聞こえて出でたまふ。日ごろ降りつる名残の雨、いますこしそそきて、 をかしきほどに、月さし出でたり。昔の御ありき思し出でられて、艶なるほどの夕月夜に、道のほど、よろづのこと思し出でておはするに、形もなく荒れたる家の、木立しげく森のやうなるを過ぎたまふ。
 卯月ころに、花散里をお思い出し申されて、こっそりと対の上にお暇乞い申し上げてお出かけになる。数日来降り続いていた雨の名残、まだ少しぱらついて、風情ある折に、月が差し出ていた。昔のお忍び歩きが自然と思い出されて、優艷な感じの夕月夜に、途上、あれこれの事柄が思い出されていらっしゃるうちに、見るかたもなく荒れた邸で、木立が鬱蒼とした森のような所をお通り過ぎになる。
 四月ごろに花散里はなちるさとを訪ねて見たくなって夫人の了解を得てから源氏は二条の院を出た。幾日か続いた雨の残り雨らしいものが降ってやんだあとで月が出てきた。青春時代の忍び歩きの思い出されるえんな夕月夜であった。車の中の源氏は昔をうつらうつらと幻に見ていると、形もないほどに荒れた大木が森のようなやしきの前に来た。
  Uduki bakari ni, Hanatirusato wo omohi ide kikoye tamahi te, sinobi te Tai-no-Uhe ni ohom-itoma kikoye te ide tamahu. Higoro huri turu nagori no ame, ima sukosi sosoki te, wokasiki hodo ni, tuki sasi-ide tari. Mukasi no ohom-ariki obosi ide rare te, ennaru hodo no yuhudukuyo ni, miti no hodo, yorodu no koto obosi ide te ohasuru ni, kata mo naku are taru ihe no, kodati sigeku mori no yau naru wo sugi tamahu.
3.1.2  大きなる 松に藤の咲きかかりて 月影になよびたる、風につきてさと匂ふがなつかしく 、そこはかとなき香りなり。橘に変はりてをかしければ、さし出でたまへるに、柳もいたうしだりて、築地も障はらねば、乱れ伏したり。
 大きな松の木に藤が咲きかかって、月の光に揺れているのが、風に乗ってさっと匂うのが慕わしく、どれがそれからともない香りである。橘のとは違って風趣があるので、のり出して御覧になると、柳もたいそう長く垂れて、築地も邪魔しないから、乱れ臥していた。
 高い松にふじがかかって月の光に花のなびくのが見え、風といっしょにその香がなつかしく送られてくる。たちばなとはまた違った感じのする花の香に心がかれて、車から少し顔を出すようにしてながめると、長く枝をたれた柳も、土塀どべいのない自由さに乱れ合っていた。
  Ohoki naru matu ni hudi no saki kakari te, tukikage ni nayobi taru, kaze ni tuki te sato nihohu ga natukasiku, sokohakatonaki kawori nari. Tatibana ni kahari te wokasikere ba, sasi-ide tamahe ru ni, yanagi mo itau sidari te, tuidi mo sahara ne ba, midare husi tari.
3.1.3  「見し心地する木立かな」と思すは、 早う、この宮なりけり。いとあはれにて、おし止めさせたまふ。例の、惟光はかかる御忍びありきに後れねば、さぶらひけり。召し寄せて、
 「かつて見た感じのする木立だなあ」とお思いになると、それもそのはず、この宮邸なのであった。ひどく胸を打たれて、お車を止めさせなさる。例によって、惟光はこのようなお忍び歩きに外れることはないので、お供していたのであった。お召しになって、
 見たことのある木立ちであると源氏は思ったが、以前の常陸の宮であることに気がついた。源氏は物哀れな気持ちになって車を止めさせた。例の惟光これみつはこんな微行にはずれたことのない男で、ついて来ていた。
  "Mi si kokoti suru kodati kana!" to obosu ha, hayau, kono Miya nari keri. Ito ahare nite, osi-todome sase tamahu. Rei no, Koremitu ha kakaru ohom-sinobiariki ni okure ne ba, saburahi keri. Mesiyose te,
3.1.4  「 ここは、常陸の宮ぞかしな
 「ここは常陸宮であったな」
 「ここは常陸の宮だったね」
  "Koko ha, Hitati-no-Miya zo kasi na?"
3.1.5  「 しかはべる
 「さようでございます」
 「さようでございます」
  "Sika haberu."
3.1.6  と聞こゆ。
 と申し上げる。

  to kikoyu.
3.1.7  「 ここにありし人は、まだや眺むらむ。訪らふべきを、わざとものせむも所狭し。かかるついでに、入りて消息せよ。よく 尋ね入りてを、うち出でよ。人違へしては、をこならむ」
 「ここにいた人は、今も物思いに沈んでいるのだろうか。お見舞いすべきであるが、わざわざ訪ねるのも大げさである。このような機会に、入って便りをしてみよ。よく調べてから、言い出しなさい。人違いをしては馬鹿らしいから」
 「ここにいた人がまだ住んでいるかもしれない。私は訪ねてやらねばならないのだが、わざわざ出かけることもたいそうになるから、この機会に、もしその人がいれば逢ってみよう。はいって行って尋ねて来てくれ。住み主がだれであるかを聞いてから私のことを言わないと恥をかくよ」
  "Koko ni arisi hito ha, mada ya nagamu ram? Toburahu beki wo, wazato monose m mo tokorosesi. Kakaru tuide ni, iri te seusoko se yo. Yoku tadune iri te wo, uti-ide yo. Hitotagahe si te ha, woko nara m."
3.1.8  とのたまふ。
 とおっしゃる。
 と源氏は言った。
  to notamahu.
3.1.9   ここには、いとど眺めまさるころにて、つくづくとおはしけるに、昼寝の夢に故宮の見えたまひければ、覚めて、いと名残悲しく思して、漏り濡れたる廂の端つ方おし拭はせて、ここかしこの御座引きつくろはせなどしつつ、例ならず世づきたまひて、
 こちらでは、ひとしお物思いのまさるころで、つくづくと物思いに沈んでいらっしゃると、昼寝の夢に故宮がお見えになったので、目が覚めて、実に名残が悲しくお思いになって、雨漏りがして濡れている廂の端の方を拭かせて、あちらこちらの御座所を取り繕わせてなどしながら、いつになく人並みになられて、
 末摘花の君は物悩ましい初夏の日に、その昼間うたた寝をした時の夢に父宮を見て、さめてからも名残なごりの思いにとらわれて、悲しみながら雨のってれたひさしの室の端のほうをかせたり部屋の中を片づけさせたりなどして、平生にも似ず歌を思ってみたのである。
  Koko ni ha, itodo nagame masaru koro nite, tukuduku to ohasi keru ni, hirune no yume ni ko-Miya no miye tamahi kere ba, same te, ito nagori kanasiku obosi te, mori nure taru hisasi no hasi tu kata osi-nogohase te, kokokasiko no omasi hiki-tukuroha se nado si tutu, rei nara zu yoduki tamahi te,
3.1.10  「 亡き人を恋ふる袂のひまなきに
   荒れたる軒のしづくさへ添ふ
 「亡き父上を恋い慕って泣く涙で袂の乾く間もないのに
  荒れた軒の雨水までが降りかかる
  き人を恋ふるたもとのほどなきに
  荒れたる軒のしづくさへ添ふ
    "Naki hito wo kohuru tamoto no hima naki ni
    are taru noki no siduku sahe sohu
3.1.11  も、心苦しきほどになむありける。
 というのも、お気の毒なことであった。
 こんなふうに、寂しさを書いていた時が、源氏の車の止められた時であった。
  mo, kokoro-gurusiki hodo ni nam ari keru.
注釈84卯月ばかりに花散里を思ひ出できこえたまひて春三か月が過ぎ去って、夏四月となる。源氏が花散里を訪問する途上、たまたま末摘花邸に立ち寄るという語り方。3.1.1
注釈85をかしきほどに月さし出でたり『集成』は「風情を添えるように」。『完訳』は「風情のある空に月がさし出ている」と訳す。3.1.1
注釈86松に藤の咲きかかりて松と藤という取り合わせの構図。当時の和歌や源氏物語中に多く見られる。3.1.2
注釈87月影になよびたる風につきてさと匂ふがなつかしく【月影になよびたる風につきて】−『集成』は「月の光に揺れているのが、風に乗って」。『完訳』は「月光のなかになよなよ揺れている、それが吹く風とともにさっと匂ってくるのが」。「たる」と「風」の間に読点が入る。連体中止で、下文の主格となる。
【風につきてさと匂ふがなつかしく】−『完訳』は「人もなき宿ににほへる藤の花風にのみこそ乱るべらなれ」(貫之集)を指摘。
3.1.2
注釈88早うこの宮なりけり『集成』は「それもそのはず、例の常陸の宮だったのだ。「早う」は、「もともと」「すでに」の原義から転じた用法」。『完訳』は「もともとそのはず、の語感」「それもそのはず、常陸の宮のお邸なのだった」と注す。3.1.3
注釈89ここは常陸の宮ぞかしな源氏の詞。問いかけ。終助詞「な」は質問の意。3.1.4
注釈90しかはべる惟光の詞。返答。源氏の問いかけに間髪を入れず答える。3.1.5
注釈91ここにありし人は以下「をこならむ」まで、源氏の詞。惟光に邸の中を尋ねさせる。3.1.7
注釈92尋ね入りてを「を」について、『集成』は「驚意の助詞」。『完訳』は「感嘆の助詞」と解す。3.1.7
注釈93ここにはいとど眺めまさるころにて常陸宮邸の中。末摘花、昼寝の夢から覚めて物思いに耽っている。3.1.9
注釈94亡き人を恋ふる袂のひまなきに--荒れたる軒のしづくさへ添ふ末摘花の独詠歌。「亡き人」は父常陸宮。この和歌の末尾が地の文に続く。3.1.10
出典9 松に藤の咲きかかり 夏にこそ咲きかかりけれ藤の花松にとのみも思ひけるかな 拾遺集夏-八三 源重之 3.1.2
出典10 風につきてさと匂ふ 人もなき宿に匂へる藤の花風にのみこそみだるべらなれ 貫之集-七一 3.1.2
3.2
第二段 惟光、邸内を探る


3-2  Koremitsu searchs for in the residence

3.2.1   惟光入りて、めぐるめぐる人の音する方やと見るに、いささかの人気もせず。「 さればこそ、往き来の道に見入るれど、人住みげもなきものを」と思ひて、帰り参るほどに、月明くさし出でたるに、見れば、格子二間ばかり上げて、簾動くけしきなり。わづかに見つけたる心地、恐ろしくさへおぼゆれど、寄りて、声づくれば、いともの古りたる声にて、まづしはぶきを先にたてて、
 惟光が邸の中に入って、あちこちと人の音のする方はどこかと探すが、すこしも人影が見えない。「やはりそうだ、今までに行き帰りに覗いたことがあるが、人は住んでいないのだ」と思って、戻って参る時に、月が明るく照らし出したので、見ると、格子が二間ほど上がっていて、簾の動く気配である。やっと見つけた感じ、恐ろしくさえ思われるが、近寄って、訪問の合図をすると、ひどく老いぼれた声で、まずは咳払いしてから、
 惟光は邸の中へはいってあちらこちらと歩いて見て、人のいる物音の聞こえる所があるかと捜したのであるが、そんな物はない。自分の想像どおりにだれもいない、自分はき返りにこのやしきは見るが、人の住んでいる所とは思われなかったのだからと思って惟光が足を返そうとする時に、月が明るくさし出したので、もう一度見ると、格子こうしを二間ほど上げて、そこの御簾みすは人ありげに動いていた。これが目にはいった刹那せつなは恐ろしい気さえしたが、寄って行って声をかけると、老人らしくせきを先に立てて答える女があった。
  Koremitu iri te, meguru meguru hito no oto suru kata ya to miru ni, isasaka no hitoge mo se zu. "Sareba koso, yukiki no miti ni miirure do, hito sumige mo naki monowo." to omohi te, kaheri mawiru hodo ni, tuki akaku sasi-ide taru ni, mire ba, kausi hutama bakari age te, sudare ugoku kesiki nari. Waduka ni mituke taru kokoti, osorosiku sahe oboyure do, yori te, kowadukure ba, ito mono-huri taru kowe nite, madu sihabuki wo saki ni tate te,
3.2.2  「 かれは誰れぞ。何人ぞ
 「そこにいる人は誰ですか。どのような方ですか」
 「いらっしゃったのはどなたですか」
  "Kare ha tare zo? Nani bito zo?"
3.2.3  と問ふ。名のりして、
 と聞く。名乗りをして、
 惟光これみつは自分の名を告げてから、
  to tohu. Nanori si te,
3.2.4  「 侍従の君と聞こえし人に、対面賜はらむ
 「侍従の君と申した方に、面会させていただきたい」
 「侍従さんという方にちょっとお目にかかりたいのですが」
  "Zizyuu-no-Kimi to kikoye si hito ni, taimen tamahara m."
3.2.5  と言ふ。
 と言う。
 と言った。
  to ihu.
3.2.6  「 それは、ほかになむものしたまふ。されど、思しわくまじき女なむはべる」
 「その人は、他へ行っておられます。けれども、同じように考えてくだっさてよい女房はおります」
 「その人はよそへ行きました。けれども侍従の仲間の者がおります」
  "Sore ha, hoka ni nam monosi tamahu. Saredo, obosi waku maziki womna nam haberu."
3.2.7  と言ふ声、いたうねび過ぎたれど、聞きし老人と聞き知りたり。
 と言う声は、ひどく年とっているが、聞いたことのある老人だと聞きつけた。
 と言う声は、昔よりもずっと老人じみてきてはいるが、聞き覚えのある声であった。
  to ihu kowe, itau nebi sugi tare do, kiki si oyibito to kiki siri tari.
3.2.8  内には、思ひも寄らず、狩衣姿なる男、忍びやかにもてなし、なごやかなれば、見ならはずなりにける目にて、「 もし、狐などの変化にや」とおぼゆれど、 近う寄りて
 室内では、思いも寄らない、狩衣姿の男性が、ひっそりと振る舞い、物腰も柔らかなので、見馴れなくなってしまった目には、「もしや、狐などの変化のものではないか」と思われるが、近く寄って、
 家の中の人は惟光が何であったかを忘れていた。狩衣かりぎぬ姿の男がそっとはいって来て、柔らかな調子でものを言うのであったから、あるいはきつねか何かではないかと思ったが、惟光が近づいて行って、
  Uti ni ha, omohi mo yora zu, kariginusugata naru wotoko, sinobiyaka ni motenasi, nagoyaka nare ba, minaraha zu nari ni keru me nite, "Mosi, kitune nado no henge ni ya?" to oboyure do, tikau yori te,
3.2.9  「 たしかになむ、うけたまはら まほしき。変はらぬ御ありさまならば、 尋ねきこえさせたまふべき御心ざしも、絶えずなむおはしますめるかし。今宵も行き過ぎがてに、止まらせたまへるを、いかが聞こえさせむ。うしろやすくを」
 「はっきりと、お話を承りたい。昔と変わらないお暮らしならば、お訪ね申し上げなさるべきお気持ちも、今も変わらずにおありのようです。今宵も素通りしがたくて、お止まりあそばしたのだが、どのようにお返事申し上げましょう。どうぞご安心を」
 「確かなことをお聞かせくださいませんか。こちら様が昔のままでおいでになるかどうかお聞かせください。私の主人のほうでは変心も何もしておいでにならない御様子です。今晩も門をお通りになって、訪ねてみたく思召すふうで車を止めておいでになります。どうお返辞をすればいいでしょう、ありのままのお話を私には御遠慮なくして下さい」
  "Tasika ni nam, uketamahara mahosiki. Kahara nu ohom-arisama nara ba, tadune kikoye sase tamahu beki mikokorozasi mo, taye zu nam ohasimasu meru kasi. Koyohi mo yuki sugi gate ni, tomara se tamahe ru wo, ikaga kikoye sase m? Usiroyasuku wo!"
3.2.10  と言へば、女どもうち笑ひて、
 と言うと、女房たちは笑って、
 と言うと、女たちは笑い出した。
  to ihe ba, womna-domo uti-warahi te,
3.2.11  「 変はらせたまふ御ありさまならば、かかる浅茅が原を移ろひたまはでは はべりなむや。ただ推し量りて聞こえさせたまへかし。年経たる人の心にも、たぐひあらじとのみ、めづらかなる世をこそは見たてまつり過ごし はべれ
 「お変わりあそばす御身の上ならば、このような浅茅が原をお移りにならずにおりましょうか。ただご推察申されてお伝えください。年老いた女房にとっても、またとあるまいと思われるほどの、珍しい身の上を拝見しながら過ごしてまいったのです」
 「変わっていらっしゃればこんなお邸にそのまま住んでおいでになるはずもありません。御推察なさいましてあなたからよろしくお返辞を申し上げてください。私どものような老人でさえ経験したことのないような苦しみをなめて今日までお待ちになったのでございますよ」
  "Kahara se tamahu ohom-arisama nara ba, kakaru asadigahara wo uturohi tamaha de ha haberi na m ya? Tada osihakari te kikoye sase tamahe kasi. Tosi he taru hito no kokoro ni mo, taguhi ara zi to nomi, meduraka naru yo wo koso ha mi tatematuri sugosi habere."
3.2.12  と、ややくづし出でて、問はず語りもしつべきが、 むつかしければ、
 と、ぽつりぽつりと話し出して、問わず語りもし出しそうなのが、厄介なので、
 女たちは惟光にもっともっと話したいというふうであったが、惟光は迷惑に思って、
  to, yaya kudusi ide te, tohazugatari mo si tu beki ga, mutukasikere ba,
3.2.13  「 よしよし。まづ、かくなむ、聞こえさせむ
 「よいよい、分かった。まずは、そのように、申し上げましょう」
 「いやわかりました。ともかくそう申し上げます」
  "Yosi yosi. Madu, kaku nam, kikoyesase m."
3.2.14  とて参りぬ。
 と言って帰参した。
 と言い残して出て来た。
  tote mawiri nu.
注釈95惟光入りてめぐるめぐる惟光、邸内を探り、案内を乞う。3.2.1
注釈96さればこそ以下「なきものを」まで、惟光の心中。3.2.1
注釈97かれは誰れぞ。何人ぞ老女房の声。外の人に向かって問う。3.2.2
注釈98侍従の君と聞こえし人に、対面賜はらむ惟光の詞。案内を乞う。惟光は侍従を通じて常陸宮邸に出入りしていた。3.2.4
注釈99それはほかになむ以下「女なむはべる」まで、老女房の詞。侍従は既に筑紫国へ下っていた。3.2.6
注釈100もし、狐などの変化にや女房の心中。狐の化物かと疑う。3.2.8
注釈101近う寄りて惟光の動作。前の「おぼゆれど」の主語は、女房たち。ここで、主語が変わる。3.2.8
注釈102たしかになむ以下「うしろやすくを」まで、惟光の詞。3.2.9
注釈103尋ねきこえさせたまふべき御心ざしも「きこえさせ」(「きこゆ」より一段と謙譲の度合の高い動詞、末摘花に対する敬意)「たまふ」(尊敬の補助動詞、源氏に対する敬意)「べき」(推量の助動詞、当然の意)。3.2.9
注釈104変はらせたまふ御ありさまならば以下「すこしはべれ」まで、老女房の返事。3.2.11
注釈105はべりなむや「はべり」丁寧の動詞、「なむ」複合語(「な」完了の助動詞、確述+「む」推量の助動詞、推量)強調、「や」係助詞、反語。3.2.11
注釈106よしよしまづかくなむ聞こえさせむ惟光の詞。3.2.13
校訂14 まほしき まほしき--(/+ま<朱>)ほしき 3.2.9
校訂15 はべれ はべれ--*はへる 3.2.11
校訂16 むつかしけれ むつかしけれ--むへ(へ/$つ<朱>)かしけれ 3.2.12
3.3
第三段 源氏、邸内に入る


3-3  Genji goes in to the residence

3.3.1  「 などかいと久しかりつる。いかにぞ。昔のあとも見えぬ蓬のしげさかな」
 「どうしてひどく長くかかったのだ。どうであったか。昔の面影も見えないほど雑草の茂っていることよ」
 「なぜ長くかかったの、どうだったかね、昔のみちを見いだせない蓬原よもぎがはらになっているね」
  "Nado ka ito hisasikari turu? Ikani zo? Mukasi no ato mo miye nu yomogi no sigesa kana!"
3.3.2  とのたまへば、
 とおっしゃると、
 源氏に問われて惟光は初めからの報告をするのであった。
  to notamahe ba,
3.3.3  「 しかしかなむ、たどり寄りてはべりつる。侍従が叔母の少将といひはべりし老人なむ、変はらぬ声にてはべりつる」
 「これこれの次第で、ようやく分かりました。侍従の叔母で少将と言いました老女が、昔と変わらない様子でおりました」
 「そんなふうにして、やっと人間を発見したのでございます。侍従の叔母おばで少将とか申しました老人が昔の声で話しました」
  "Sika sika nam, tadori-yori te haberi turu. Zizyuu ga woba no Seusyau to ihi haberi si oyi-bito nam, kahara nu kowe ni te haberi turu."
3.3.4  と、ありさま聞こゆ。
 と、その様子を申し上げる。
 惟光はなお目に見た邸内の様子をくわしく言う。
  to, arisama kikoyu.
3.3.5  いみじうあはれに、
 ひどく不憫な気持ちになって、
 源氏は非常に哀れに思った。
  Imiziu ahare ni,
3.3.6  「 かかるしげき中に、何心地して過ぐしたまふらむ。今まで訪はざりけるよ」
 「このような蓬生の茂った中に、どのようなお気持ちでお過ごしになっていられたのだろう。今までお訪ねしなかったとは」
 この廃邸じみた家に、どんな気持ちで住んでいることであろう、それを自分は今まで捨てていたと思うと、
  "Kakaru sigeki naka ni, nanigokoti si te sugusi tamahu ram? Ima made toha zari keru yo!"
3.3.7  と、わが御心の情けなさも思し知らる。
 と、ご自分の薄情さを思わずにはいらっしゃれない。
 源氏は自分ながらも冷酷であったと省みられるのであった。
  to, waga mikokoro no nasakenasa mo obosi sira ru.
3.3.8  「 いかがすべき。かかる忍びあるきも難かるべきを、かかるついでならでは、え立ち寄らじ。変はらぬありさまならば、げにさこそはあらめと、推し量らるる人ざまになむ」
 「どうしたらよいものだろう。このような忍び歩きも難しいであろうから、このような機会でなかったら、立ち寄ることもできまい。昔と変わっていない様子ならば、なるほどそのようであろうと、推量されるお人柄である」
 「どうしようかね、こんなふうに出かけて来ることも近ごろは容易でないのだから、この機会でなくては訪ねられないだろう。すべてのことを綜合そうごうして考えてみても昔のままに独身でいる想像のつく人だ」
  "Ikaga su beki. Kakaru sinobiaruki mo katakaru beki wo, kakaru tuide nara de ha, e tatiyora zi. Kahara nu arisama nara ba, geni sakoso ha ara me to, osihakara ruru hitozama ni nam."
3.3.9  とはのたまひながら、ふと入りたまはむこと、なほつつましう思さる。 ゆゑある御消息もいと聞こえまほしけれど、見たまひしほどの口遅さも、まだ変らずは、御使の立ちわづらはむもいとほしう、思しとどめつ。惟光も、
 とはおっしゃるものの、すぐにお入りになること、やはり躊躇される。趣き深いご消息も差し上げたくお思いになるが、かつてご経験された返歌の遅いのも、まだ変わっていなかったなら、お使いの者が待ちあぐねるのも気の毒で、お止めになった。惟光も、
 と源氏は言いながらも、この邸へはいって行くことにはなお躊躇ちゅうちょがされた。この実感からよい歌をんでまず贈りたい気のする場合であるが、機敏に返歌のできないことも昔のままであったなら、待たされる使いがどんなに迷惑をするかしれないと思ってそれはやめることにした。惟光も源氏がすぐにはいって行くことは不可能だと思った。
  to ha notamahi nagara, huto iri tamaha m koto, naho tutumasiu obosa ru. Yuwe aru ohom-seusoko mo ito kikoye mahosikere do, mi tamahi si hodo no kuti ososa mo, mada kahara zu ha, ohom-tukahi no tati waduraha m mo itohosiu, obosi todome tu. Koremitu mo,
3.3.10  「 さらにえ分けさせたまふまじき、蓬の露けさになむはべる。露すこし払はせてなむ、入らせたまふべき」
 「とてもお踏み分けになれそうにない、ひどい蓬生の露けさでございます。露を少し払わせて、お入りあそばすよう」
 「とても中をお歩きになれないほどの露でございます。よもぎを少し払わせましてからおいでになりましたら」
  "Sarani e wake sase tamahu maziki, yomogi no tuyukesa ni nam haberu. Tuyu sukosi haraha se te nam, ira se tamahu beki."
3.3.11  と聞こゆれば、
 と申し上げるので、
 この惟光これみつの言葉を聞いて、源氏は、
  to kikoyure ba,
3.3.12  「 尋ねても我こそ訪はめ道もなく
   深き蓬のもとの心を
 「誰も訪ねませんがわたしこそは訪問しましょう
  道もないくらい深く茂った蓬の宿の姫君の変わらないお心を
  尋ねてもわれこそはめ道もなく
  深き蓬のもとの心を
    "Tadune te mo ware koso toha me miti mo naku
    hukaki yomogi no moto no kokoro wo
3.3.13  と独りごちて、 なほ下りたまへば、御先の露を、馬の鞭して払ひつつ入れたてまつる。
 と独り言をいって、やはりお車からお下りになると、御前の露を、馬の鞭で払いながらお入れ申し上げる。
 と口ずさんだが、やはり車からすぐにりてしまった。惟光は草の露を馬のむちで払いながら案内した。
  to hitorigoti te, naho ori tamahe ba, ohom-saki no tuyu wo, muma no muti site harahi tutu ire tatematuru.
3.3.14   雨そそきも、なほ秋の時雨めきてうちそそけば、
 雨の雫も、やはり秋の時雨のように降りかかるので、
 木の枝から散るしずくも秋の時雨しぐれのように荒く降るので、かさを源氏にさしかけさせた。惟光が、
  Amasosoki mo, naho aki no sigure meki te uti-sosoke ba,
3.3.15  「 御傘さぶらふ。げに、木の下露は、雨にまさりて
 「お傘がございます。なるほど、木の下露は雨にまさって」
 「木の下露は雨にまされり(みさぶらひ御笠みかさと申せ宮城野みやぎのの)でございます」
  "Mikasa saburahu. Geni, konosita tuyu ha, ame ni masari te."
3.3.16  と聞こゆ。御指貫の裾は、いたうそほちぬめり。昔だにあるかなきかなりし中門など、まして形もなくなりて、入りたまふにつけても、いと無徳なるを、立ちまじり見る人なきぞ心やすかりける。
 と申し上げる。御指貫の裾は、ひどく濡れてしまったようである。昔でさえあるかないかであった中門など、昔以上に跡形もなくなって、お入りになるにつけても、何の役に立たないのであるが、その場にいて見ている人がないのも気楽であった。
 と言う。源氏の指貫さしぬきすそはひどくれた。昔でさえあるかないかであった中門などは影もなくなっている。家の中へはいるのもむき出しな気のすることであったが、だれも人は見ていなかった。
  to kikoyu. Ohom-sasinuki no suso ha, itau sohoti nu meri. Mukasi dani aruka nakika nari si Tyuumon nado, masite kata mo naku nari te, iri tamahu ni tuke te mo, ito mutoku naru wo, tati-maziri miru hito naki zo kokoroyasukari keru.
注釈107などかいと久しかりつる以下「しけさかな」まで源氏の詞。3.3.1
注釈108しかしかなむ以下「声にてはべりける」まで、惟光の詞。3.3.3
注釈109かかるしげき中に以下「訪はざりけるよ」まで、源氏の心中。『完訳』は「荒廃の中で自分を待ち続けた末摘花への感動から、自らの冷淡な仕打ちへの反省へと、反転していく」と注す。3.3.6
注釈110いかがすべき以下「人ざまになむ」まで、源氏の詞。『完訳』は「形式的には惟光への発言ながら、心語に続く自問自答」と注す。3.3.8
注釈111ゆゑある御消息もいと聞こえまほしけれど『集成』は「きちんとしたお歌などさし上げたいのは山々だが」。『完訳』は「じっさい何か気のきいた御消息も申し上げたいけれども」と訳す。3.3.9
注釈112さらにえ分けさせたまふまじき以下「入らせたまふべき」まで、惟光の詞。3.3.10
注釈113尋ねても我こそ訪はめ道もなく--深き蓬のもとの心を源氏の独詠歌。貞淑な末摘花の真意を理解し訪問しようという意。3.3.12
注釈114なほ下りたまへば前に「なほつつましう」を受けて、躊躇しながらもやはり下車した、の意。3.3.13
注釈115雨そそきもなほ秋の時雨めきて「東屋の真屋のあまりのその雨そそき我立ち濡れぬ殿戸開かせかすがひもとざしもあらばこそその殿戸我鎖さめ押し開いて来ませ我や人妻」(催馬楽「東屋」)による描写。雨に茅屋の女を訪ねる類型。3.3.14
注釈116御傘さぶらふ。げに、木の下露は、雨にまさりて惟光の詞。「みさぶらひみかさと申せ宮城野の木の下露は雨にまさりて」(古今集東歌、一〇九一)を踏まえる。傘を差し出す。3.3.15
出典11 御傘さぶらふ。げに、木の下露は、雨にまさりて みさぶらひみかさと申せ宮城野の木の下露は雨にまされり 古今集東歌-一〇九一 陸奥歌 3.3.15
3.4
第四段 末摘花と再会


3-4  Meeting again after long interval

3.4.1   姫君は、さりともと待ち過ぐしたまへる心もしるく、うれしけれど、いと恥づかしき御ありさまにて対面せむも、いとつつましく思したり。大弐の 北の方のたてまつり置きし御衣どもをも、心ゆかず思されしゆかりに、見入れたまはざりけるを、この人びとの、香の御唐櫃に入れたりけるが、いとなつかしき香したるをたてまつりければ、いかがはせむに、着替へたまひて、かの煤けたる御几帳引き寄せておはす。
 姫君は、いくら何でもとお待ち暮らしになっていた期待どおりで、嬉しいけれど、とても恥ずかしいご様子で面会するのも、たいそうきまり悪くお思いであった。大弐の北の方が差し上げておいたお召し物類も、不愉快にお思いであった人からの物ゆえに、見向きもなさらなかったが、この女房たちが、香の唐櫃に入れておいたのが、とても懐かしい香りが付いているのを差し上げたので、どうにも仕方がなく、お着替えになって、あの煤けた御几帳を引き寄せてお座りになる。
 女王にょおうは望みをかけて来たことの事実になったことはうれしかったが、りっぱな姿の源氏に見られる自分を恥ずかしく思った。大弐だいにの夫人の贈った衣服はそれまで、いやな気がしてよく見ようともしなかったのを、女房らが香を入れる唐櫃からびつにしまって置いたからよい香のついたのに、その人々からしかたなしに着かえさせられて、すすけた几帳きちょうを引き寄せてすわっていた。
  Himegimi ha, saritomo to mati sugusi tamahe ru kokoro mo siruku, uresikere do, ito hadukasiki ohom-arisama nite taimen se m mo, ito tutumasiku obosi tari. Daini-no-Kitanokata no tatematuri oki si ohom-zo-domo wo mo, kokoroyuka zu obosa re si yukari ni, miire tamaha zari keru wo, kono hitobito no, kau no ohom-karabitu ni ire tari keru ga, ito natukasiki ka si taru wo tatematuri kere ba, ikagaha se m ni, kigahe tamahi te, kano susuke taru mikityau hikiyose te ohasu.
3.4.2  入りたまひて、
 お入りになって、
 源氏は座に着いてから言った。
  Iri tamahi te,
3.4.3  「 年ごろの隔てにも、心ばかりは変はらずなむ、思ひやりきこえつるを、さしもおどろかいたまはぬ恨めしさに、今までこころみきこえつるを、 杉ならぬ木立のしるさに 、え過ぎでなむ、負けきこえにける」
 「長年のご無沙汰にも、心だけは変わらずに、お思い申し上げていましたが、何ともおっしゃってこないのが恨めしくて、今まで様子をお伺い申し上げておりましたが、あのしるしの杉ではないが、その木立がはっきりと目につきましたので、通り過ぎることもできず、根くらべにお負け致しました」
 「長くお逢いしないでも、私の心だけは変わらずにあなたを思っていたのですが、何ともあなたが言ってくださらないものだから、恨めしくて、今までためすつもりで冷淡を装っていたのですよ。しかし、三輪みわすぎではないが、この前の木立ちを目に見ると素通りができなくてね、私から負けて出ることにしましたよ」
  "Tosigoro no hedate ni mo, kokoro bakari ha kahara zu nam, omohiyari kikoye turu wo, sasimo odorokai tamaha nu uramesisa ni, ima made kokoromi kikoye turu wo, sugi nara nu kodati no sirusa ni, e sugi de nam, make kikoye ni keru."
3.4.4  とて、帷子をすこしかきやりたまへれば、例の、いとつつましげに、とみにも応へきこえたまはず。かくばかり分け入りたまへるが浅からぬに、思ひ起こしてぞ、ほのかに聞こえ出でたまひける。
 とおっしゃって、帷子を少しかきやりなさると、例によって、たいそうきまり悪そうにすぐにも、お返事申し上げなさらない。こうまでして草深い中をお訪ねになったお心の浅くないことに、勇気を奮い起こして、かすかにお返事申し上げるのであった。
 几帳きちょうれ絹を少し手であけて見ると、女王は例のようにただ恥ずかしそうにすわっていて、すぐに返辞はようしない。こんな住居すまいにまでたずねて来た源氏の志の身にしむことによってやっと力づいて何かを少し言った。
  tote, katabira wo sukosi kakiyari tamahe re ba, rei no, ito tutumasige ni, tomini mo irahe kikoye tamaha zu. Kaku bakari wakeiri tamahe ru ga asakara nu ni, omohi-okosi te zo, honoka ni kikoye ide tamahi keru.
3.4.5  「 かかる草隠れに過ぐしたまひける年月の あはれも、おろかならずまた変はらぬ心ならひに、人の御心のうちもたどり知らずながら、分け入りはべりつる 露けさなどを、いかが思す。年ごろのおこたり、はた、なべての世に思しゆるすらむ。今よりのちの御心にかなはざらむなむ、 言ひしに違ふ罪も負ふべき」
 「このような草深い中にひっそりとお過ごしになっていらした年月のおいたわしさも、一通りではございませんが、また昔と心変わりしない性癖なので、あなたのお心中も知らないままに、分け入って参りました露けさなどを、どのようにお思いでしょうか。長年のご無沙汰は、それはまた、どなたからもお許しいただけることでしょう。今から後のお心に適わないようなことがあったら、言ったことに違うという罪も負いましょう」
 「こんな草原の中で、ほかの望みも起こさずに待っていてくだすったのだから私は幸福を感じる。またあなただって、あなたの近ごろの心持ちもよく聞かないままで、自分の愛から推して、愛を持っていてくださると信じて訪ねて来た私を何と思いますか。今日まであなたに苦労をさせておいたことも、私の心からのことでなくて、その時は世の中の事情が悪かったのだと思って許してくださるでしょう。今後の私が誠実の欠けたようなことをすれば、その時は私が十分に責任を負いますよ」
  "Kakaru kusagakure ni sugusi tamahi keru tosituki no ahare mo, oroka nara zu, mata kahara nu kokoro narahi ni, hito no mikokoro no uti mo tadori sira zu nagara, wakeiri haberi turu tuyukesa nado wo, ikaga obosu? Tosigoro no okotari, hata, nabete no yo ni obosi yurusu ram. Ima yori noti no mikokoro ni kanaha zara m nam, ihi si ni tagahu tumi mo ohu beki."
3.4.6  など、 さしも思されぬことも、情け情けしう聞こえなしたまふことども、あむめり
 などと、それほどにもお思いにならないことでも、深く愛しているふうに申し上げなさることも、いろいろあるようだ。
 などと、それほどに思わぬことも、女を感動さすべく源氏は言った。
nado, sasimo obosa re nu koto mo, nasakenasakesiu kikoye nasi tamahu koto-domo, am meri.
3.4.7  立ちとどまりたまはむも、所のさまよりはじめ、まばゆき御ありさまなれば、つきづきしうのたまひすぐして、出でたまひなむとす。 引き植ゑしならねど、松の木高くなりにける年月のほどもあはれに、夢のやうなる御身のありさまも思し続けらる。
 お泊まりになるのも、あたりの様子をはじめとして、目を背けたいご様子なので、体よく言い逃れなさって、お帰りになろうとする。ひき植えた松ではないが、松の木が高くなった長い歳月の程がしみじみと、夢のようであったお身の上の様子も自然とお思い続けられる。
 泊まって行くこともこの家の様子と自身とが調和の取れないことを思って、もっともらしく口実を作って源氏は帰ろうとした。自身の植えた松ではないが、昔に比べて高くなった木を見ても、年月の長い隔たりが源氏に思われた。そして源氏の自身の今日の身の上と逆境にいたころとが思い比べられもした。
  Tati-todomari tamaha m mo, tokoro no sama yori hazime, mabayuki ohom-arisama nare ba, tukidukisiu notamahi sugusi te, ide tamahi na m to su. Hiki-uwe si nara ne do, matu no kodakaku nari ni keru tosituki no hodo mo ahare ni, yume no yau naru ohom-mi no arisama mo obosi tuduke raru.
3.4.8  「 藤波のうち過ぎがたく見えつるは
   松こそ宿のしるしなりけれ
 「松にかかった藤の花を見過ごしがたく思ったのは
  その松がわたしを待つというあなたの家の目じるしであったのですね
  「藤波ふじなみの打ち過ぎがたく見えつるは
  まつこそ宿のしるしなりけれ
    "Hudinami no uti-sugi gataku miye turu ha
    matu koso yado no sirusi nari kere
3.4.9   数ふれば、こよなう積もりぬらむかし。都に変はりにけることの多かりけるも、さまざまあはれになむ。今、のどかにぞ 鄙の別れに衰へし世の物語も聞こえ尽くすべき。年経たまへらむ春秋の暮らしがたさなども、誰にかは愁へたまはむと、うらもなくおぼゆるも、かつは、あやしうなむ」
 数えてみると、すっかり月日が積もってしまったようだね。都で変わったことが多かったのも、あれこれと胸が痛みます。そのうち、のんびりと田舎に離別して下ったという苦労話もすべて申し上げましょう。長年過ごして来られた折節のお暮らしの辛かったことなども、わたし以外の誰に訴えることがおできになれようかと、衷心より思われますのも、一方では、不思議なくらいに思われます」
 数えてみればずいぶん長い月日になることでしょうね。物哀れになりますよ。またゆるりと悲しい旅人だった時代の話も聞かせに来ましょう。あなたもどんなに苦しかったかという辛苦の跡も、私でなくては聞かせる人がないでしょう。とまちがいかもしれぬが私は信じているのですよ」
  Kazohure ba, koyonau tumori nu ram kasi. Miyako ni kahari ni keru koto no ohokari keru mo, samazama ahare ni nam. Ima, nodoka ni zo hina no wakare ni otorohe si yo no monogatari mo kikoye tukusu beki. Tosi he tamahe ra m haruaki no kurasi gatasa nado mo, tare ni kaha urehe tamaha m to, ura mo naku oboyuru mo, katuha, ayasiu nam."
3.4.10  など聞こえたまへば、
 などとお申し上げになると、
 などと源氏が言うと、
  nado kikoye tamahe ba,
3.4.11  「 年を経て待つしるしなきわが宿を
   花のたよりに過ぎぬばかりか
 「長年待っていた甲斐のなかったわたしの宿を
  あなたはただ藤の花を御覧になるついでにお立ち寄りになっただけなのですね
  年を経て待つしるしなきわが宿は
  花のたよりに過ぎぬばかりか
    "Tosi wo he te matu sirusi naki waga yado wo
    hana no tayori ni sugi nu bakari ka
3.4.12  と忍びやかにうちみじろきたまへるけはひも、袖の香も、「昔よりはねびまさりたまへるにや」と思さる。
 とひっそりと身動きなさった気配も、袖の香りも、「昔よりは成長なされたか」とお思いになる。
 と低い声で女王は言った。身じろぎに知れる姿も、そでに含んだにおいも昔よりは感じよくなった気がすると源氏は思った。
  to sinobiyaka ni uti-miziroki tamahe ru kehahi mo, sode no ka mo, "Mukasi yori ha nebi masari tamahe ru ni ya?" to obosa ru.
3.4.13   月入り方になりて、西の妻戸の開きたるより、障はるべき渡殿だつ屋もなく、軒のつまも残りなければ、いとはなやかにさし入りたれば、あたりあたり見ゆるに、昔に変はらぬ御しつらひのさまなど、 忍草にやつれたる上の見るめよりは 、みやびかに見ゆるを、 昔物語に塔こぼちたる人もありけるを思しあはするに、同じさまにて年古りにけるもあはれなり。ひたぶるにものづつみしたるけはひの、さすがにあてやかなるも、心にくく思されて、 さる方にて忘れじと心苦しく思ひしを、年ごろさまざまのもの思ひに、ほれぼれしくて隔てつるほど、つらしと思はれつらむと、いとほしく思す。
 月は入り方になって、西の妻戸の開いている所から、さえぎるはずの渡殿のような建物もなく、軒先も残っていないので、たいそう明るく差し込んでいるため、ここかしこが見えるが、昔と変わらないお道具類の様子などが、忍ぶ草に荒れているというよりも、雅やかに見えるので、昔物語に塔を壊したという人があったのをお考え併せになると、それと同じような状態で歳月を経て来たことも胸を打たれる。ひたすら遠慮している態度が、そうはいっても上品なのも、奥ゆかしく思わずにはいらっしゃれなくて、それを取柄と思って忘れまいと気の毒に思っていたが、ここ数年のさまざまな悩み事に、うっかり疎遠になってしまった間、さぞ薄情者だと思わずにはいられなかっただろうと、不憫にお思いになる。
 落ちようとする月の光が西の妻戸の開いた口からさしてきて、その向こうにあるはずの廊もなくなっていたし、ひさしの板もすっかり取れた家であるから、明るく室内が見渡された。昔のままに飾りつけのそろっていることは、忍ぶ草のおい茂った外見よりも風流に見えるのであった。昔の小説に親の作った堂をこぼった話もあるが、これは親のしたままを長く保っていく人として心のかれるところがあると源氏は思った。この人の差恥しゅうち心の多いところもさすがに貴女きじょであるとうなずかれて、この人を一生風変わりな愛人と思おうとした考えも、いろいろなことに紛れて忘れてしまっていたころ、この人はどんなに恨めしく思ったであろうと哀れに思われた。
  Tuki irigata ni nari te, nisi no tumado no aki taru yori, saharu beki watadono-datu ya mo naku, noki no tuma mo nokori nakere ba, ito hanayaka ni sasiiri tare ba, atari atari miyuru ni, mukasi ni kahara nu ohom-siturahi no sama nado, sinobugusa ni yature taru uhe no miru me yori ha, miyabika ni miyuru wo, mukasimonogatari ni tahu koboti taru hito mo ari keru wo obosi ahasuru ni, onazi sama nite tosi huri ni keru mo ahare nari. Hitaburu ni monodutumi si taru kehahi no, sasuga ni ateyaka naru mo, kokoronikuku obosare te, saru kata nite wasure zi to kokorogurusiku omohi si wo, tosigoro samazama no monoomohi ni, horeboresiku te hedate turu hodo, turasi to omoha re tu ram to, itohosiku obosu.
3.4.14  かの花散里も、あざやかに今めかしうなどは 花やぎたまはぬ所にて、御目移しこよなからぬに、咎多う隠れにけり。
 あの花散里も、人目に立つ当世風になどはなやかになさらない所なので、比較しても大差はないので、欠点も多く隠れるのであった。
 ここを出てから源氏の訪ねて行った花散里も、美しい派手はでな女というのではなかったから、末摘花の醜さも比較して考えられることがなく済んだのであろうと思われる。
  Kano Hanatirusato mo, azayaka ni imamekasiu nado ha hanayagi tamaha nu tokoro nite, ohom-meutusi koyonakara nu ni, toga ohou kakure ni keri.
注釈117姫君はさりともと常陸宮邸の室内。3.4.1
注釈118年ごろの隔てにも以下「負けきこえにける」まで、源氏の詞。冗談を交えながら長年の無沙汰を詫びる。3.4.3
注釈119杉ならぬ木立のしるさに「我が庵は三輪の山もと恋しくはとぶらひ来ませ杉立てる門」(古今集雑下、九八二、読人しらず)を引く。3.4.3
注釈120かかる草隠れに以下「罪も負ふべき」まで、源氏の詞。3.4.5
注釈121あはれも、おろかならず末摘花を不憫と思う気持ちが並々でないという。3.4.5
注釈122また変はらぬ心ならひに末摘花同様に自分を心変わりしない性格だという。3.4.5
注釈123露けさ景情一致の表現。自分の気持ちを露に象徴する。3.4.5
注釈124言ひしに違ふ罪「いとどこそまさりにまされ忘れじと言ひしに違ふことのつらさは」(奥入所引、出典未詳)を踏まえる。3.4.5
注釈125さしも思されぬことも、情け情けしう聞こえなしたまふことども、あむめり『完訳』は「以下、語り手の評。源氏の口説の抜群な巧みさをいう」と注す。「聞こえなす」という言い方に注意。3.4.6
注釈126引き植ゑしならねど「引き植ゑし人はうべこそ老いにけれ松の木高くなりにけるかな」(後撰集雑一、一一〇七、凡河内躬恒)を踏まえる。3.4.7
注釈127藤波のうち過ぎがたく見えつるは--松こそ宿のしるしなりけれ源氏の末摘花への贈歌。「松」に「待つ」を掛ける。『完訳』は「偶然の再会と認めつつ、末摘花の誠実さへの感動を歌った」と注す。3.4.8
注釈128数ふれば以下「あやしうなむ」まで、歌に続く源氏の詞。3.4.9
注釈129鄙の別れに衰へし「思ひきや鄙の別れに衰へて海人の縄たき漁りせむとは」(古今集雑下、九六一、小野篁)。3.4.9
注釈130年を経て待つしるしなきわが宿を--花のたよりに過ぎぬばかりか末摘花の返歌。「藤波」「過ぎ」「松」「宿」「しるし」の語句を受けて、「待つ」「しるしなき」「我が宿を」「花(藤)のたよりに」「過ぎぬばかりか」と切り返す。藤の花を愛でるついでに立ち寄っただけなのですね、という意。3.4.11
注釈131月入り方になりて「艶なるほどの夕月夜に」外出した。上弦の月の入りは夜半ごろ。3.4.13
注釈132忍草にやつれたる上の見るめよりは「君忍ぶ草にやつるる故里は松虫の音ぞ悲しかりける」(古今集秋上、二〇〇、読人しらず)を踏まえる。3.4.13
注釈133昔物語に塔こぼちたる人もありけるを『集成』は「未詳。『奥入』に、昔、顔叔子という婦人が、夫の留守中、夫の疑いを避けるために、塔の壁を壊し、夜通し明りをつけていたという、貞淑な女の話をあげる」。『完訳』は「未詳。親が建てた供養塔を親不孝の子が壊す物語とも。また散佚の『桂中納言物語』の、貧女が几帳の帷子を衣に仕立てた話とも」。「塔」の語句、青表紙本異同ナシ。河内本は二本(七大)が「堂」、四本(宮尾鳳曼)が「丁」とある。別本(陽)は「丁」とある。定家は「塔」の意に解したが、「堂」「丁」の意に解釈する説もあった。3.4.13
注釈134さる方にて忘れじと心苦しく思ひしを『集成』は「末摘花をそういう人として(恋人としてではなく、庇護すべき人として)忘れずにお世話しようと、おいたわしく思っていたのに」と注す。3.4.13
出典12 杉ならぬ木立 わが宿は三輪の山もと恋しくはとぶらひ来ませ杉立てる門 古今集雑下-九八二 読人しらず 3.4.3
わが宿の松はしるしもなかりけり杉村ならば訪ね来なまし 匡衡集-五三
出典13 言ひしに違ふ罪 いとどこそまさりにまされ忘れじといひしに違ふ言のつらさは 奥入所引-出典未詳 3.4.5
出典14 引き植ゑしならねど、松の木高くなりにける 引きて植ゑし人はむべこそ老いにけれ松の木高くなりにけるかな 後撰集雑一-一一〇七 凡河内躬恒 3.4.7
出典15 鄙の別れに衰へし 思ひきや鄙の別れに衰へて海人の縄たきいさりせむとは 古今集雑下-九六一 小野篁 3.4.9
出典16 忍草にやつれたる 君しのぶ草にやつるる故郷は松虫の音ぞ悲しかりける 古今集秋上-二〇〇 読人しらず 3.4.13
校訂17 北の方 北の方--きた(た/+の)かた 3.4.1
校訂18 あむめり あむめり--*あへめり 3.4.6
校訂19 花やぎ 花やぎ--はなやな(な/$<朱>)き 3.4.14
Last updated 10/9/2009(ver.2-2)
渋谷栄一校訂(C)
Last updated 6/25/2001
渋谷栄一注釈(ver.1-1-2)
Last updated 3/24/2006
渋谷栄一訳(C)(ver.1-2-4)
現代語訳
与謝野晶子
電子化
上田英代(古典総合研究所)
底本
角川文庫 全訳源氏物語
校正・
ルビ復活
伊藤時也(青空文庫)

2003年5月9日

渋谷栄一訳
との突合せ
若林貴幸、宮脇文経

2009年12月18日

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Written in Japanese roman letters
by Eiichi Shibuya(C)
Picture "Eiri Genji Monogatari"(1650 1st edition)
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