第十七帖 絵合


17 WEAHASE (Ohoshima-bon)


光る源氏の内大臣時代
三十一歳春の後宮制覇の物語



Tale of Hikaru-Genji's Nai-Daijin era, March in spring at the age of 31

2
第二章 後宮の物語 中宮の御前の物語絵合せ


2  Tale of ladies on Court of Reizei  A contest of pictures in monogatari in front of Cyugu

2.1
第一段 権中納言方、絵を集める


2-1  Gon-Cyunagon gathers pictures

2.1.1   主上は、よろづのことに、すぐれて絵を興あるものに思したり。立てて好ませたまへばにや、二なく描かせたまふ。斎宮の女御、いと をかしう描かせたまふべければ、これに御心移りて、渡らせたまひつつ、 描き通はさせたまふ
 主上は、いろいろのことの中でも、特に絵に興味をお持ちでいらっしゃった。取り立ててお好みあそばすせいか、並ぶ者がなく上手にお描きあそばす。斎宮の女御、たいそう上手にお描きあそばすことができるので、この方にお心が移って、しじゆうお渡りになっては、互いに絵を描き心を通わせ合っていらっしゃる。
 帝は何よりも絵に興味を持っておいでになった。特別にお好きなせいかおきになることもお上手じょうずであった。斎宮の女御は絵をよく描くのでそれがお気に入って、女御の御殿へおいでになってはごいっしょに絵をお描きになることを楽しみにあそばした。
  Uhe ha, yorodu no koto ni, sugurete we wo kyou aru mono ni obosi tari. Tate te konoma se tamahe ba ni ya, ninaku kaka se tamahu. Saiguu-no-Nyougo, ito wokasiu kaka se tamahu bekere ba, kore ni mikokoro uturi te, watara se tamahi tutu, kaki kayoha sase tamahu.
2.1.2  殿上の若き人びとも、このこと まねぶをば、御心とどめてをかしきものに思ほしたれば、 まして、をかしげなる人の、心ばへあるさまに、まほならず描きすさび、なまめかしう添ひ臥して、とかく筆うちやすらひたまへる御さま、らうたげさに御心しみて、いとしげう渡らせたまひて、ありしよりけに御思ひまされるを、権中納言、聞きたまひて、 あくまでかどかどしく今めきたまへる御心にて、「 われ人に劣りなむや」と思しはげみて、すぐれたる上手どもを召し取りて、いみじくいましめて、またなきさまなる絵どもを、二なき紙どもに描き集めさせたまふ。
 殿上の若い公達でも、この事を習う者をお目に掛けになり、お気に入りにあそばしたので、なおさらのこと、お美しい方が、趣のあるさまに、型にはまらずのびのびと描き、優美に物に寄り掛かって、ああかこうかと筆を止めて考えていらっしゃるご様子、そのかわいらしさにお心捉えられて、たいそう頻繁にお渡りあそばして、以前にもまして格段に御寵愛が深くなったのを、権中納言、お聞きになって、どこまでも才気煥発な現代風なご性分で、「自分は人に負けるものか」と心を奮い立てて、優れた名人たちを呼び集めて、厳重な注意を促して、またとない素晴らしい絵の数々を、またとない立派な幾枚もの紙に描き集めさせなさる。
 殿上の若い役人の中でも絵の描ける者を特にお愛しになる帝であったから、まして美しい人が、雅味がみのある絵を上手に墨で描いて、からだを横たえながら、次の筆のろしようを考えたりしている可憐かれんさが御心みこころんで、しばしばこちらへおいでになるようになり、御寵愛ちょうあいが見る見る盛んになった。権中納言がそれを聞くと、どこまでも負けぎらいな性質から有名な画家の幾人を家にかかえて、よい絵をよい紙に、描かせることをひそかにさせていた。
  Tenzyau no wakaki hitobito mo, kono koto manebu wo ba, mikokoro todome te wokasiki mono ni omohosi tare ba, masite, wokasige naru hito no, kokorobahe aru sama ni, maho nara zu kaki susabi, namamekasiu sohi husi te, tokaku hude uti-yasurahi tamahe ru ohom-sama, rautagesa ni mikokoro simi te, ito sigeu watara se tamahi te, ari si yori keni ohom-omohi masare ru wo, Gon-Tyuunagon, kiki tamahi te, akumade kadokadosiku imameki tamahe ru mikokoro nite, "Ware hito ni otori na m ya?" to obosi hagemi te, sugure taru zyauzu-domo wo mesi tori te, imiziku imasime te, matanaki sama naru we-domo wo, ninaki kami-domo ni kaki atume sase tamahu.
注釈49主上はよろづのことにすぐれて絵を冷泉帝は絵を好み、後宮では絵の蒐集に競い合う。2.1.1
注釈50をかしう描かせたまふべければ大島本は「かゝせ給へけれは」とある。『新大系』は底本に従って「給べければ」と整定する。『集成』『古典セレクション』は諸本に従って「たまひければ」と校訂する。斎宮女御に対しても「せたまふ」という最高敬語が地の文で使われている。2.1.1
注釈51描き通はさせたまふ「通はす」は心を通わす意。親密さがまして行く様子。2.1.1
注釈52まして副詞「まして」の係る語句について、『集成』は「まして美しいご様子のお方が」と解し、『完訳』は「御心しみて」に係る、と解す。2.1.2
注釈53あくまでかどかどしく今めきたまへる御心にて権中納言の性格。2.1.2
注釈54われ人に劣りなむや権中納言の心中。負けてなるものか、という気持ち。2.1.2
校訂5 まねぶ まねぶ--(/+ま)ねふ 2.1.2
2.2
第二段 源氏方、須磨の絵日記を準備


2-2  Genji prepares pictures of Suma and Akashi

2.2.1  「 物語絵こそ、心ばへ見えて、見所あるものなれ
 「とりわけ物語絵は、趣向も現れて、見所のあるものだ」
 「小説を題にして描いた絵が最もおもしろい」
  "Monogatariwe koso, kokorobahe miye te, midokoro aru mono nare."
2.2.2  とて、おもしろく心ばへある限りを選りつつ描かせたまふ。例の 月次の絵も、見馴れぬさまに、言の葉を書き続けて、御覧ぜさせたまふ。
 と言って、おもしろく興趣ある場面ばかりを選んでは描かせなさる。普通の月次の絵も、目新しい趣向に、詞書を書き連ねて、御覧に供される。
 と言って、権中納言は選んだよい小説の内容を絵にさせているのである。一年十二季の絵も平凡でない文学的価値のあることば書きをつけて帝のお目にかけた。
  tote, omosiroku kokorobahe aru kagiri wo eri tutu kaka se tamahu. Rei no tukinami no we mo, mi nare nu sama ni, kotonoha wo kaki tuduke te, goranze sase tamahu.
2.2.3  わざとをかしうしたれば、また、 こなたにてもこれを御覧ずるに、心やすくも取り出でたまはず、いといたく秘めて、この御方へ持て渡らせたまふを惜しみ、領じたまへば、大臣、聞き たまひて
 特別に興趣深く描いてあるので、また、こちらで御覧あそばそうとすると、気安くお取り出しにならず、ひどく秘密になさって、こちらの御方へ御持参あそばそうとするのを惜しんで、お貸しなさらないので、内大臣、お聞きになって、
 おもしろい物であるがそれは非常に大事な物らしくして、帝のおいでになっている間にも、長くは御前へ出して置かずにしまわせてしまうのである。帝が斎宮の女御に見せたく思召して、お持ちになろうとするのを弘徽殿の人々は常にはばむのであった。源氏がそれを聞いて、
  Wazato wokasiu si tare ba, mata, konata nite mo kore wo goranzuru ni, kokoroyasuku mo toriide tamaha zu, ito itaku hime te, kono ohom-kata he mote watara se tamahu wo wosimi, ryauzi tamahe ba, Otodo, kiki tamahi te,
2.2.4  「 なほ、権中納言の 御心ばへの若々しさこそ、改まりがたかめれ」
 「相変わらず、権中納言のお心の大人げなさは、変わらないな」
 「中納言の競争心はいつまでも若々しく燃えているらしい」
  "Naho, Gon-Tyuunagon no mikokorobahe no wakawakasisa koso, aratamari gataka' mere."
2.2.5  など笑ひたまふ。
 などとお笑いになる。
 などと笑った。
  nado warahi tamahu.
2.2.6  「 あながちに隠して、心やすくも御覧ぜさせず、悩ましきこゆる、いとめざましや。古代の御絵どものはべる、参らせむ」
 「むやみに隠して、素直に御覧に入れず、お気を揉ませ申すのは、ひどくけしからぬことだ。古代の御絵の数々ございます、差し上げましょう」
 「隠そう隠そうとしてあまり御前へ出さずに陛下をお悩ましするなどということはけしからんことだ」
  "Anagati ni kakusi te, kokoroyasuku mo goranze sase zu, nayamasi kikoyuru, ito mezamasi ya! Kotai no ohom-we-domo no haberu, mawira se m."
2.2.7  と奏したまひて、殿に古きも新しきも、絵ども入りたる御厨子ども開かせたまひて、女君ともろともに、「 今めかしきは、それそれ」と、選り調へさせたまふ。
 と奏上なさって、殿に古いのも新しいのも、幾つもの絵の入っている御厨子の数々を開けさせになさって、女君と一緒に、「現代風なのは、これだあれだ」と、お選び揃えなさる。
 と源氏は言って、帝へは「私の所にも古い絵はたくさんございますから差し上げることにいたしましょう」と奏して、源氏は二条の院の古画新画のはいったたなをあけて夫人といっしょに絵を見分けた。古い絵に属する物と現代的な物とを分類したのである。
  to sousi tamahi te, Tono ni huruki mo atarasiki mo, we-domo iri taru midusi-domo hiraka se tamahi te, Womnagimi to morotomoni, "Imamekasiki ha, sore sore." to, eri totonohe sase tamahu.
2.2.8  「長恨歌」「王昭君」などやうなる絵は、おもしろくあはれなれど、「 事の忌みあるは、こたみはたてまつらじ」と選り止めたまふ。
 「長恨歌」「王昭君」などのような絵は、おもしろく感銘深いものだが、「縁起でないものは、このたびは差し上げまい」とお見合わせになる。
 長恨歌、王昭君などを題目にしたのはおもしろいが縁起はよろしくない。そんなのを今度は省くことに源氏は決めたのである。
  Tyaugonka Wausyoukun nado yau naru we ha, omosiroku ahare nare do, "Koto no imi aru ha, kotami ha tatematura zi." to eri todome tamahu.
2.2.9   かの旅の御日記の箱をも 取り出でさせたまひて、このついでにぞ、女君にも見せたてまつりたまひける。 御心深く知らで 今見む 人だに、すこしもの思ひ知らむ人は、涙惜しむまじくあはれなり。まいて、忘れがたく、その世の夢を思し覚ます折なき 御心どもには、取りかへし悲しう思し出でらる。今まで見せたまはざりける恨みをぞ聞こえたまひける。
 あの旅の御日記の箱をもお取り出しになって、この機会に、女君にもお見せ申し上げになったのであった。ご心境を深く知らなくて今初めて見る人でさえ、多少物の分かるような人ならば、涙を禁じえないほどのしみじみと感銘深いものである。まして、忘れがたく、その当時の夢のような体験をお覚ましになる時とてないお二方にとっては、当時に戻ったように悲しく思い出さずにはいらっしゃれない。今までお見せにならなかった恨み言を申し上げなさるのであった。
 旅中に日記代わりに描いた絵巻のはいった箱を出して来て源氏ははじめて夫人にも見せた。何の予備知識を備えずに見る者があっても、少し感情の豊かな者であれば泣かずにはいられないだけの力を持った絵であった。まして忘れようもなくその悲しかった時代を思っている源氏にとって、夫人にとって今また旧作がどれほどの感動を与えるものであるかは想像するにかたくはない。夫人は今まで源氏の見せなかったことを恨んで言った。
  Kano tabi no ohom-niki no hako wo mo toriide sase tamahi te, kono tuide ni zo, Womnagimi ni mo mise tatematuri tamahi keru. Mikokoro hukaku sira de ima mi m hito dani, sukosi monoomohi sira m hito ha, namida wosimu maziku ahare nari. Maite, wasure gataku, sono yo no yume wo, obosi samasu wori naki mikokoro-domo ni ha, torikahesi kanasiu obosi ide raru. Ima made mise tamaha zari keru urami wo zo kikoye tamahi keru.
2.2.10  「 一人ゐて嘆きしよりは海人の住む
   かたをかくてぞ見るべかりける
 「独り京に残って嘆いていた時よりも、海人が住んでいる
  干潟を絵に描いていたほうがよかったわ
  「一人ながめしよりは海人あまの住む
  かたを書きてぞ見るべかりける
    "Hitori wi te nageki si yori ha ama no sumu
    kata wo kaku te zo miru bekari keru
2.2.11  おぼつかなさは、 慰みなましものを
 頼りなさも、慰められもしましたでしょうに」
 あなたにはこんな慰めがおありになったのですわね」
  Obotukanasa ha, nagusami na masi mono wo!"
2.2.12  とのたまふ。 いとあはれと、思して
 とおっしゃる。まことにもっともだと、お思いになって、
 源氏は夫人の心持ちを哀れに思って言った。
  to notamahu. Ito ahare to, obosi te,
2.2.13  「 憂きめ見しその折よりも今日はまた
   過ぎにしかたにかへる涙か
 「辛い思いをしたあの当時よりも、今日はまた
  再び過去を思い出していっそう涙が流れて来ます
  「うきめ見しそのをりよりは今日はまた
  過ぎにし方に帰る涙か
    "Uki me mi si sono wori yori mo kehu ha mata
    sugi ni si kata ni kaheru namida ka
2.2.14  中宮ばかりには、見せたてまつるべきものなり。かたはなるまじき一帖づつ、さすがに浦々のありさまさやかに見えたるを、選りたまふついでにも、かの明石の家居ぞ、まづ、「いかに」と思しやらぬ時の間なき。
 中宮だけにはぜひともお見せ申し上げなければならないものである。不出来でなさそうなのを一帖ずつ、何といっても浦々の景色がはっきりと描き出されているのを、お選びになる折にも、あの明石の住居のことが、まっさきに、「どうしているだろうか」とお思いやりにならない時がない。
 中宮ちゅうぐうにだけはお目にかけねばならない物ですよ」源氏はその中のことにできのよいものでしかも須磨すま明石あかしの特色のよく出ている物を一じょうずつ選んでいながらも、明石の家のかれてある絵にも、どうしているであろうと、恋しさが誘われた。
  Tyuuguu bakari ni ha, mise tatematuru beki mono nari. Kataha naru maziki itidehu dutu, sasugani uraura no arisama sayaka ni miye taru wo, eri tamahu tuide ni mo, kano Akasi no ihewi zo, madu, "Ikani?" to obosiyara nu toki no ma naki.
注釈55物語絵こそ心ばへ見えて見所あるものなれ権中納言の詞。物語絵が見応えするといって、絵師に描かせる。2.2.1
注釈56月次の絵一年十二か月の風物や年中行事を描いた絵。2.2.2
注釈57こなたにても『集成』は「弘徽殿方」と解し、『完訳』は「斎宮の女御方」と解す。2.2.3
注釈58なほ権中納言の以下「改まりがたかめれ」まで、源氏の詞。2.2.4
注釈59あながちに隠して以下「参らせむ」まで、源氏の詞。2.2.6
注釈60今めかしきはそれそれ源氏と紫の君が絵を選んでいる様子。当世風な絵を選んでいる。2.2.7
注釈61事の忌みあるはこたみはたてまつらじ源氏の考え。「長恨歌」の楊貴妃や王昭君は帝と死別する、縁起でない内容。2.2.8
注釈62かの旅の御日記源氏が須磨・明石のに流浪したころに書いた絵日記。「明石」巻第三章四段参照。2.2.9
注釈63取り出でさせたまひて「させ」使役の助動詞。女房をして取り出させる意。2.2.9
注釈64御心深く知らで大島本は「(+御)心ふかくしらて」と「御」を補訂する。『集成』『新大系』は底本の補訂に従う。『古典セレクション』は諸本に従って「心深く知らで」と底本の補訂以前の形にする。2.2.9
注釈65御心どもには大島本は「御心とともにハ」とある。『集成』『新大系』『古典セレクション』共に諸本に従って「御心どもには」と「と」を削除する。2.2.9
注釈66一人ゐて嘆きしよりは海人の住む--かたをかくてぞ見るべかりける紫の君から源氏への贈歌。「絵(かた)」と「潟」の掛詞。「見る」に「海松(みる)」を響かせ、「海人」「潟」「海松」が縁語。2.2.10
注釈67慰みなましものを「な」完了の助動詞、未然形。「まし」反実仮想の助動詞、連体形。「を」詠嘆の間投助詞。心細さも慰められたでしょうに、しかし、一緒でなかったから、そうではなかった、の意。2.2.11
注釈68いとあはれと思して『集成』は「まことにもっともだと」。『完訳』は「まことにいとおしくお思いになって」と訳す。2.2.12
注釈69憂きめ見しその折よりも今日はまた--過ぎにしかたにかへる涙か源氏の紫の君への返歌。「潟」「海松」の語句を受けて、「憂き目」「浮海布(うきめ)」、「方」「潟」の掛詞、「涙」に「波」を響かせ、「浮海布」「潟」「波」の縁語を用い、自分もその当時を思い出して、同じ気持ちでいると応える。2.2.13
校訂6 たまひて たまひて--たま(ま/+ひ))て 2.2.3
校訂7 御心ばへ 御心ばへ--み心(心/+はへ) 2.2.4
校訂8 御心 御心--(/+御)心 2.2.9
校訂9 人だに 人だに--人た(た/+に) 2.2.9
校訂10 御心どもには 御心どもには--*御心とともには 2.2.9
2.3
第三段 三月十日、中宮の御前の物語絵合せ


2-3  There is a picture-contest in front of Cyugu at March 10

2.3.1  かう絵ども 集めらると聞きたまひて、権中納言、 いと心を尽くして、軸、表紙、紐の飾り、いよいよ調へたまふ。
 このように幾つもの絵を集めていらっしゃるとお聞きになって、権中納言、たいそう対抗意識を燃やして、軸、表紙、紐の飾りをいっそう調えなさる。
 源氏が絵を集めていると聞いて、権中納言はいっそう自家で傑作をこしらえることに努力した。巻物の軸、ひも装幀そうていにも意匠を凝らしているのである。
  Kau we-domo atume raru to kiki tamahi te, Gon-Tyuunagon, ito kokoro wo tukusi te, diku, heusi, himo no kazari, iyoiyo totonohe tamahu.
2.3.2   弥生の十日のほどなれば、空もうららかにて、人の心ものび、ものおもしろき折なるに、内裏わたりも、節会どものひまなれば、ただかやうのことどもにて、御方々暮らしたまふを、同じくは、 御覧じ所もまさりぬべくてたてまつらむの 御心つきて、いとわざと集め参らせたまへり。
 三月の十日ころなので、空もうららかで、人の心ものびのびとし、ちょうどよい時期なので、宮中あたりでも、節会と節会の合間なので、ただこのようなことをして、どなたもどなたもお過ごしになっていらっしゃるのを、同じことなら、いっそう興味深く御覧あそばされるようにして差し上げようとのお考えになって、たいそう特別に集めて献上させなさった。
 それは三月の十日ごろのことであったから、最もうららかな好季節で、人の心ものびのびとしておもしろくばかり物が見られる時であったし、宮廷でも定まった行事の何もない時で、絵画や文学の傑作をいかにして集めようかと苦心をするばかりが仕事になっていた。これを皆陛下へ差し上げることにして公然の席で勝負を決めるほうが興味のあってよいことであると源氏がまず言い出した。
  Yayohi no towoka no hodo nare ba, sora mo uraraka nite, hito no kokoro mo nobi, mono-omosiroki wori naru ni, Uti watari mo, setiwe-domo no hima nare ba, tada kayau no koto-domo nite, ohom-katagata kurasi tamahu wo, onaziku ha, goranzi dokoro mo masari nu beku te tatematura m no mikokoro tuki te, ito wazato atume mawira se tamahe ri.
2.3.3  こなたかなたと、さまざまに多かり。物語絵は、こまやかになつかしさまさるめるを、 梅壺の御方は、いにしへの物語、名高くゆゑある限り、弘徽殿は、そのころ世にめづらしく、をかしき限りを選り描かせたまへれば、うち見る目の今めかしきはなやかさは、いとこよなくまされり。
 こちら側からとあちら側からと、いろいろと多くあった。物語絵は、精巧でやさしみがまさっているようなのを、梅壷の御方では、昔の物語、有名で由緒ある絵ばかり、弘徽殿の女御方では、現代のすばらしい新作で、興趣ある絵ばかりを選んで描かせなさったので、一見したところの華やかさでは、実にこの上なく勝っていた。
 双方から出すのであるから宮中へ集まった絵巻の数は多かった。小説を絵にした物は、見る人がすでに心に作っている幻想をそれに加えてみることによって絵の効果が倍加されるものであるからその種類の物が多い。梅壺うめつぼ王女御おうにょごのほうのは古典的な価値の定まった物を絵にしたのが多く、弘徽殿のは新作として近ごろの世間に評判のよい物を描かせたのが多かったから、見た目のにぎやかで派手はでなのはこちらにあった。
  Konatakanata to, samazama ni ohokari. Monogatariwe ha, komayaka ni natukasisa masaru meru wo, Mumetubo-no-Ohomkata ha, inisihe no monogatari, nadakaku yuwe aru kagiri, Koukiden ha, sonokoro yo ni medurasiku, wokasiki kagiri wo eri kaka se tamahe re ba, uti-miru me no imamekasiki hanayakasa ha, ito koyonaku masare ri.
2.3.4  主上の女房なども、よしある限り、「これは、かれは」など定めあへるを、このころのことにすめり。
 主上付きの女房なども、絵に嗜みのある人々はすべて、「これはどうの、あれはどうの」などと批評し合うのを、近頃の仕事にしているようである。
典侍ないしのすけ内侍ないし命婦みょうぶも絵の価値を論じることに一所懸命になっていた。
  Uhe no nyoubau nado mo, yosi aru kagiri, "Kore ha, kare ha." nado sadame ahe ru wo, konokoro no koto ni su meri.
注釈70いと心を尽くして大島本は「いと」とある。『新大系』は底本のままとする。『集成』『古典セレクション』は諸本に従って「いとど」と校訂する。2.3.1
注釈71弥生の十日のほどなれば空もうららかにて人の心ものびものおもしろき折なるに内裏わたりも節会どものひまなれば三月十日ころ、気候と宮中の人心の延び延びとした様子。景情一致の描写。2.3.2
注釈72御覧じ所もまさりぬべく主語は帝。2.3.2
注釈73御心つきて主語は源氏。2.3.2
注釈74梅壺の御方は斎宮女御の局、凝香舎。初めて局名が明かされる。2.3.3
校訂11 集めらる 集めらる--あつ(つ/+め)らる 2.3.1
2.4
第四段 「竹取」対「宇津保」


2-4  Taketori vsersus Utsufo

2.4.1   中宮も参らせたまへるころにて、方々、 御覧じ捨てがたく思ほすことなれば、御行なひも怠りつつ御覧ず。この人びとのとりどりに論ずるを聞こし召して、左右と方分かたせたまふ。
 中宮も参内あそばしていらっしゃる時なので、あれやこれや、お見逃しになれなくお思いのことなので、御勤行も怠りながら御覧になる。この人々が銘々に議論しあうのをお聞きあそばして、左右の組にお分けあそばす。
 女院も宮中においでになるころであったから、女官たちの論議する者を二つにして説をたたかわせて御覧になった。左右に分けられたのである。
  Tyuuguu mo mawira se tamahe ru koro nite, katagata, goranzi sute gataku omohosu koto nare ba, ohom-okonahi mo okotari tutu goranzu. Kono hitobito no toridori ni ronzuru wo kikosimesi te, hidari migi to kata wakata se tamahu.
2.4.2  梅壺の御方には、平典侍、侍従の内侍、少将の命婦。右には、大弐の典侍、中将の命婦、兵衛の命婦を、ただ今は心にくき有職どもにて、心々に争ふ口つきどもを、をかしと聞こし召して、まづ、物語の出で来はじめの祖なる『竹取の翁』に『宇津保の俊蔭』を合はせて争ふ。
 梅壷の御方には、平典侍、侍従内侍、少将命婦。右方には、大弍典侍、中将命婦、兵衛命婦を、当時のすぐれた識者たちとして、思い思いに論争する弁舌の数々を、興味深くお聞きになって、最初、物語の元祖である『竹取の翁』と『宇津保の俊蔭』を番わせて争う。
 梅壺方は左で、平典侍へいてんじ、侍従の内侍、少将の命婦などで、右方は大弐だいにの典侍、中将の命婦、兵衛ひょうえの命婦などであった。皆世間から有識者として認められている女性である。思い思いのことを主張する弁論を女院は興味深く思召おぼしめして、まず日本最初の小説である竹取のおきな空穂うつぼ俊蔭としかげの巻を左右にして論評をお聞きになった。
  Mumetubo-no-Ohomkata ni ha, Hei-Naisinosuke, Zizyuu-no-Naisi, Seusyau-no-Myaubu. Migi ni ha, Daini-no-Naisinosuke, Tyuuzyau-no-Myaubu, Hyauwe-no-Myaubu wo, tada ima ha kokoronikuki iusoku-domo nite, kokorogokoro ni arasohu kutituki-domo wo, wokasi to kikosimesi te, madu, monogatari no ideki hazime no oya naru Taketori-no-Okina ni Utuho-no-Tosikage wo ahase te arasohu.
2.4.3  「 なよ竹の世々に古りにけること、をかしきふしもなけれど、かくや姫のこの世の濁りにも穢れず、はるかに思ひのぼれる契り高く、神代のことなめれば、あさはかなる女、目及ばぬならむかし」
 「なよ竹の代々に歳月を重ねたこと、特におもしろいことはないけれども、かぐや姫がこの世の濁りにも汚れず、遥かに気位も高く天に昇った運勢は立派で、神代のことのようなので、思慮の浅い女には、きっと分らないでしょう」
 「竹取の老人と同じように古くなった小説ではあっても、思い上がった主人公の赫耶かぐや姫の性格に人間の理想の最高のものが暗示されていてよいのです。卑近なことばかりがおもしろい人にはわからないでしょうが」
  "Nayotake no yoyo ni huri ni keru koto, wokasiki husi mo nakere do, Kakuyahime no konoyo no nigori ni mo kegare zu, haruka ni omohi nobore ru tigiri takaku, Kamiyo no koto na' mere ba, asahaka naru womna, me oyoba nu nara m kasi."
2.4.4  と言ふ。右は、
 と言う。右方は、
 と左は言う。右は、
  to ihu. Migi ha,
2.4.5  「 かぐや姫ののぼりけむ雲居は、げに、及ばぬことなれば、誰も知りがたし。この世の契りは竹の中に結びければ、下れる人のこととこそは見ゆめれ。ひとつ家の内は照らしけめど、百敷のかしこき御光には並ばずなりにけり。阿部のおほしが千々の黄金を捨てて、火鼠の思ひ片時に消えたるも、いと あへなし。車持の親王の、まことの蓬莱の深き心も知りながら、いつはりて 玉の枝に疵をつけたるをあやまち」となす。
 「かぐや姫が昇ったという雲居は、おっしゃるとおり、及ばないことなので、誰も知ることができません。この世での縁は、竹の中に生まれたので、素性の卑しい人と思われます。一つの家の中は照らしたでしょうが、宮中の恐れ多い光と並んで妃にならずに終わってしまいました。阿部の御主人が千金を投じて、火鼠の裘に思いを寄せて片時の間に消えてしまったのも、まことにあっけないことです。車持の親王が、真実の蓬莱の神秘の事情を知りながら、偽って玉の枝に疵をつけたのを欠点とします」
 「赫耶姫の上った天上の世界というものは空想の所産にすぎません。この世の生活の写してある所はあまりに非貴族的で美しいものではありません。宮廷の描写などは少しもないではありませんか。赫耶姫は竹取の翁の一つの家を照らすだけの光しかなかったようですね。安部あべおおしが大金で買った毛皮がめらめらと焼けたと書いてあったり、あれだけ蓬莱ほうらいの島を想像して言える倉持くらもち皇子みこ贋物にせものを持って来てごまかそうとしたりするところがとてもいやです」
  "Kaguyahime no nobori kem kumowi ha, geni, oyoba nu koto nare ba, tare mo siri gatasi. Konoyo no tigiri ha take no naka ni musubi kere ba, kudare ru hito no koto to koso ha miyu mere. Hitotu ihe no uti ha terasi keme do, momosiki no kasikoki ohom-hikari ni ha naraba zu nari ni keri. Abe-no-Ohosi ga tidi no kogane wo sute te, hinezumi no omohi katatoki ni kiye taru mo, ito ahenasi. Kuramoti-no-Miko no, makoto no Hourai no hukaki kokoro mo siri nagara, ituhari te tama no eda ni kizu wo tuke taru wo ayamati." to nasu.
2.4.6  絵は、巨勢相覧、手は、紀貫之書けり。紙屋紙に唐の綺をばいして、赤紫の表紙、紫檀の軸、世の常の装ひなり。
 絵は、巨勢相覧、書は、紀貫之が書いたものであった。紙屋紙に唐の綺を裏張りして、赤紫の表紙、紫檀の軸、ありふれた表装である。
 この竹取の絵は巨勢こせ相覧おうみの筆で、ことば書きは貫之つらゆきがしている。紙屋紙かんやがみ唐錦からにしきの縁が付けられてあって、赤紫の表紙、紫檀したんの軸で穏健な体裁である。
  We ha, Kose-no-Ahumi, te ha, Ki-no-Turayuki kake ri. Kamyagami ni kara no ki wo baisi te, akamurasaki no heusi, sitan no diku, yo no tune no yosohi nari.
2.4.7  「 俊蔭は、はげしき波風におぼほれ、知らぬ国に放たれしかど、なほ、さして行きける方の心ざしもかなひて、つひに、人の朝廷にもわが国にも、ありがたき才のほどを広め、名を残しける古き心を言ふに、絵のさまも、唐土と日の本とを取り並べて、おもしろきことども、なほ並びなし」
 「俊蔭は、激しい波風に溺れ、知らない国に流されましたが、やはり、目ざしていた目的を叶えて、遂に、外国の朝廷にもわが国にも、めったにない音楽の才能を知らせ、名を残した昔の伝えからいうと、絵の様子も、唐土と日本とを取り合わせて、興趣深いこと、やはり並ぶものがありません」
 「俊蔭は暴風と波にもてあそばれて異境を漂泊しても芸術を求める心が強くて、しまいには外国にも日本にもない音楽者になったという筋が竹取物語よりずっとすぐれております。それに絵も日本と外国との対照がおもしろく扱われている点ですぐれております」
  "Tosikage ha, hagesiki nami kaze ni obohore, sira nu kuni ni hanata re sika do, naho, sasite yuki keru kata no kokorozasi mo kanahi te, tuhini, hitonomikado ni mo waga kuni ni mo, arigataki zae no hodo wo hirome, na wo nokosi keru huruki kokoro wo ihu ni, we no sama mo, Morokosi to Hinomoto to wo tori narabe te, omosiroki koto-domo, naho narabi nasi."
2.4.8  と言ふ。白き 色紙、青き表紙、黄なる玉の軸なり。絵は、常則、手は、道風なれば、 今めかしうをかしげに、目もかかやくまで見ゆ。 左は、そのことわりなし
 と言う。白い色紙、青い表紙、黄色の玉の軸である。絵は、飛鳥部常則、書は、小野道風なので、現代風で興趣深そうで、目もまばゆいほどに見える。左方には、反論の言葉がない。
 と右方は主張するのであった。これは式紙地しきしじの紙に書かれ、青い表紙と黄玉おうぎょくの軸が付けられてあった。絵は常則つねのり、字は道風であったから派手はでな気分に満ちている。左はその点が不足であった。
  to ihu. Siroki sikisi, awoki heusi, ki naru tama no diku nari. We ha, Tunenori, te ha, Mitikaze nare ba, imamekasiu wokasige ni, me mo kakayaku made miyu. Hidari ha, sono kotowari nasi.
注釈75中宮も参らせたまへるころにて藤壺の宮が宮中に参内している。出家しても宮中に参内することはある。「中宮」という呼称。2.4.1
注釈76なよ竹の以下「目及ばぬならむかし」まで、左方の『竹取りの翁』を推奨する詞。枕詞「なよたけ」、縁語「ふし」を使って朗々と、その素晴らしさをいう。2.4.3
注釈77かぐや姫の以下「あやまちとなす」まで、『集成』は「右方(弘徽殿方)の反論の大略を述べる」といい、地の文にし、『完訳』は「 」に括り、訳文は「と言う」という言葉を補って、直接話法的に解す。竹の中から生まれた素性の卑しいこと、帝の妃とならなかったこと、その他、登場人物の失敗と欠点をいう。2.4.5
注釈78あへなし「あへなし」(形容詞)に「阿倍なし」を掛ける。議論の中にことば遊びを交える。2.4.5
注釈79玉の枝に疵をつけたる「玉に疵」の格言に合わせて欠点とする。2.4.5
注釈80俊蔭は『集成』は「以下、右方が俊蔭の巻の主人公のすぐれた点を挙げる」と注し、地の文扱い。『完訳』は、以下「なほ並びなし」まで、「 」に括り、右方の直接話法とする。2.4.7
注釈81左はそのことわりなし大島本は「みきハ」とある。文脈から「左は」とあるべきところ。池田本は「みき($左)には」とある。肖は柏本「ひたりには」とある。河内本は「又左に」とある。『集成』は河内本に従って『また左に』と校訂する。『新大系』『古典セレクション』は底本のまま「右は」とする。『集成』は「反論する言葉がない」。『完訳』は「反論の決め手がない」と訳す。2.4.8
校訂12 御覧じ捨て 御覧じ捨て--こらむして(て/#)すて 2.4.1
校訂13 色紙 色紙--しる(る/$き)し 2.4.8
校訂14 今めかしう 今めかしう--いまめ(め/+か)しう 2.4.8
校訂15 左は 左は--*みきは 2.4.8
2.5
第五段 「伊勢物語」対「正三位」


2-5  Ise-monogatari vsersus Jozanmi

2.5.1  次に、『伊勢物語』に『 正三位』を合はせて、また定めやらず。これも、右はおもしろくにぎははしく、内裏わたりよりうちはじめ、近き世のありさまを描きたるは、をかしう見所まさる。
 次に、『伊勢物語』と『正三位』を番わせて、また結論がでない。これも、右方は興味深く華やかで、宮中あたりをはじめとして、近頃の様子を描いたのは、興趣深く見応えがする。
 次は伊勢いせ物語と正三位しょうさんみが合わされた。この論争も一通りでは済まない。今度も右は見た目がおもしろくて刺戟しげき的で宮中の模様も描かれてあるし、現代に縁の多い場所や人が写されてある点でよさそうには見えた。
  Tugi ni, Isemonogatari ni Zyauzammi wo ahase te, mata sadame yara zu. Kore mo, migi ha omosiroku nigihahasiku, Uti watari yori uti-hazime, tikaki yo no arisama wo kaki taru ha, wokasiu midokoro masaru.
2.5.2  平内侍、
 平典侍は、
 平典侍が言った。
  Hei-Naisi,
2.5.3  「 伊勢の海の深き心をたどらずて
   ふりにし跡と波や消つべき
 「『伊勢物語』の深い心を訪ねないで
  単に古い物語だからといって価値まで落としめてよいものでしょうか
  「伊勢の海の深き心をたどらずて
  りにし跡と波や消つべき
    "Ise no umi no hukaki kokoro wo tadora zu te
    huri ni si ato to nami ya ketu beki
2.5.4   世の常のあだことのひきつくろひ飾れるに圧されて、業平が名をや朽たすべき」
 世間普通の色恋事のおもしろおかしく書いてあることに気押されて、業平の名を汚してよいものでしょうか」
 ただの恋愛談を技巧だけでつづってあるような小説に業平朝臣なりひらあそんを負けさせてなるものですか」
  Yo no tune no adakoto no hiki-tukurohi kazare ru ni osa re te, Narihira ga na wo ya kutasu beki."
2.5.5  と、争ひかねたり。右の典侍、
 と、反論しかねている。右方の大弍の典侍は、
 右の典侍が言う。
  to, arasohi kane tari. Migi no Suke,
2.5.6  「 雲の上に思ひのぼれる心には
   千尋の底もはるかにぞ見る
 「雲居の宮中に上った『正三位』の心から見ますと
 『伊勢物語』の千尋の心も遥か下の方に見えます
  雲の上に思ひのぼれる心には
  千尋ちひろの底もはるかにぞ見る
    "Kumo no uhe ni omohi nobore ru kokoro ni ha
    tihiro no soko mo haruka ni zo miru
2.5.7  「 兵衛の大君の心高さは、げに捨てがたけれど、在五中将の名をば、え朽たさじ」
 「兵衛の大君の心高さは、なるほど捨てがたいものですが、在五中将の名は、汚すことはできますまい」
 女院が左の肩をお持ちになるお言葉を下された。「兵衛王ひょうえおうの精神はりっぱだけれど在五中将以上のものではない。
  "Hyauwe-no-Ohokimi no kokorotakasa ha, geni sute gatakere do, Zaigo-Tyuuzyau no na wo ba, e kutasa zi."
2.5.8  とのたまはせて、宮、
 と仰せになって、中宮は、

  to notamahase te, Miya,
2.5.9  「 みるめこそうらふりぬらめ年経にし
   伊勢をの海人の名をや沈めむ
 「ちょっと見た目には古くさく見えましょうが
  昔から名高い『伊勢物語』の名を落とすことができましょうか
  見るめこそうらぶれぬらめ年経にし
  伊勢をの海人あまの名をや沈めん」
    "Miru me koso ura huri nu rame tosi he ni si
    Isewonoama no na wo ya sidume m
2.5.10  かやうの女言にて、乱りがはしく争ふに、 一巻に言の葉を尽くして、えも言ひやらず。ただ、あさはかなる若人どもは、死にかへりゆかしがれど、主上のも、宮のも片端をだにえ見ず、 いといたう秘めさせたまふ
 このような女たちの論議で、とりとめもなく優劣を争うので、一巻の判定に数多くの言葉を尽くしても容易に決着がつかない。ただ、思慮の浅い若い女房たちは、死ぬほど興味深く思っているが、主上づきの女房も、中宮づきの女房も、その一部分さえ見ることができないほど、たいそう隠していらっしゃった。
 婦人たちの言論は長くかかって、一回分の勝負が容易につかないで時間がたち、若い女房たちが興味をそれに集めている陛下と梅壺うめつぼの女御の御絵はいつ席上に現われるか予想ができないのであった。
  Kayau no womnagoto nite, midarigahasiku arasohu ni, hitomaki ni kotonoha wo tukusi te, e mo ihi yara zu. Tada, asahaka naru wakaudo-domo ha, sinikaheri yukasigare do, Uhe no mo, Miya no mo katahasi wo dani e mi zu, ito itau hime sase tamahu.
注釈82正三位散逸物語。2.5.1
注釈83伊勢の海の深き心をたどらずて--ふりにし跡と波や消つべき左方の平典侍の歌。「海」「深き」「波」が縁語。『伊勢物語』の「深き心」といって、その価値を弁護強調する。2.5.3
注釈84世の常のあだことのひきつくろひ飾れるに以下「名をや朽たすべき」まで、歌に続けた平典侍の詞。「世の常のあだこと」とは『正三位』物語に対する批判。2.5.4
注釈85雲の上に思ひのぼれる心には--千尋の底もはるかにぞ見る大島本は「ちいろ」と表記する。正しく「ちひろ」と改める。右方の大弍典侍の歌。平典侍の言った『伊勢物語』の「深き心」を受けて、『正三位』物語の「雲の上に思ひのほれる心」から見れば、「千尋の底も遥か」だと批判した。2.5.6
注釈86兵衛の大君の以下「え朽たさじ」まで、藤壺の詞。兵衛大君の心も素晴らしいが、在五中将業平の名を汚すことはできない、という。2.5.7
注釈87みるめこそうらふりぬらめ年経にし--伊勢をの海人の名をや沈めむ藤壺の歌。『集成』は「藤壺が、歌で判定を下し、左方を支持したのである」と注す。「海松布(みるめ)」と「見る目」、「浦古り」と「心(うら)古り」の掛詞。「海松布」「浦」「海人」「沈む」が縁語。2.5.9
注釈88一巻に言の葉を尽くして『集成』は「物語絵一巻の判定に、あらん限りの論陣を張って」。『完訳』は「一巻の勝負に詞の限りを尽し」と訳す。2.5.10
注釈89いといたう秘めさせたまふ主語は藤壺。中宮御前における物語絵合せを大層内密にしていらした、という意。2.5.10
出典1 伊勢の海の深き心を 伊勢の海の千尋の底も限りあれば深き心を何にたとへむ 古今六帖三-一七五七 2.5.3
Last updated 10/14/2009(ver.2-2)
渋谷栄一校訂(C)
Last updated 10/14/2009(ver.2-2)
渋谷栄一注釈(C)
Last updated 3/10/2002
渋谷栄一訳(C)(ver.1-2-3)
現代語訳
与謝野晶子
電子化
上田英代(古典総合研究所)
底本
角川文庫 全訳源氏物語
校正・
ルビ復活
kumi(青空文庫)

2003年5月9日

渋谷栄一訳
との突合せ
若林貴幸、宮脇文経

2008年3月22日

Last updated 10/14/2009 (ver.2-2)
Written in Japanese roman letters
by Eiichi Shibuya (C)
Picture "Eiri Genji Monogatari"(1650 1st edition)
このページは再編集プログラムによって2015/1/12に出力されました。
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