第十八帖 松風


18 MATUKAZE (Ohoshima-bon)


光る源氏の内大臣時代
三十一歳秋の大堰山荘訪問の物語



Tale of Hikaru-Genji's Nai-Daijin era, to visit Ohoi-villa in fall at the age of 31

2
第二章 明石の物語 上洛後、源氏との再会


2  Tale of Akashi  Meeting again and beginning new life in Kyouto

2.1
第一段 大堰山荘での生活始まる


2-1  Akashi bigins new life in Ohoi-villa

2.1.1  家のさまもおもしろうて、年ごろ経つる海づらにおぼえたれば、所変へたる心地もせず。 昔のこと思ひ出でられて、あはれなること多かり。造り添へたる廊など、ゆゑあるさまに、水の流れもをかしうしなしたり。まだこまやかなるにはあらねども、 住みつかばさてもありぬべし
 山荘の様子も風情あって、長年住み慣れた海辺に似ていたので、場所が変わった気もしない。昔のことが自然と思い出されて、しみじみと感慨を催すことが多かった。造り加えた廊など、風流な様子で、遣水の流れも風流に作ってあった。まだ細かな造作は出来上がっていないが、住み慣れればそのままでも住めるであろう。
 山荘は風流にできていて、大井川が明石でながめた海のように前を流れていたから、住居すまいの変わった気もそれほどしなかった。明石の生活がなお近い続きのように思われて、悲しくなることが多かった。増築した廊なども趣があって園内に引いた水の流れも美しかった。欠点もあるが住みついたならきっとよくなるであろうと明石の人々は思った。
  Ihe no sama mo omosirou te, tosigoro he turu umidura ni oboye tare ba, tokoro kahe taru kokoti mo se zu. Mukasi no koto omohiide rare te, ahare naru koto ohokari. Tukuri sohe taru rau nado, yuwe aru sama ni, midu no nagare mo wokasiu si nasi tari. Mada komayaka naru ni ha ara ne domo, sumituka ba, satemo ari nu besi.
2.1.2  親しき家司に仰せ賜ひて、 御まうけのことせさせたまひけり。渡りたまはむことは、とかう思したばかるほどに、日ごろ経ぬ。
 腹心の家司にお命じになって、祝宴のご準備をおさせになっていたのであった。おいでになることは、あれこれと口実をお考えになっているうちに、数日がたってしまった。
 源氏は親しい家司けいしに命じて到着の日の一行の饗応きょうおうをさせたのであった。自身でたずねて行くことは、機会を作ろう作ろうとしながらもおくれるばかりであった。
  Sitasiki keisi ni ohose tamahi te, ohom-mauke no koto se sase tamahi keri. Watari tamaha m koto ha, tokau obosi tabakaru hodo ni, higoro he nu.
2.1.3   なかなかもの思ひ続けられて、捨てし家居も恋しう、つれづれなれば、かの御形見の琴を掻き鳴らす。 折の、いみじう忍びがたければ、人離れたる方にうちとけてすこし弾くに、 松風はしたなく響きあひたり。尼君、もの悲しげにて寄り臥したまへるに、起き上がりて、
 かえって物思いの日々が続いて、捨てた家も恋しく、所在ないので、あのお形見の琴の琴を弾き鳴らす。折柄、たいそう堪えがたいので、人里から離れた所で、気ままに少し弾いてみると、松風がきまりわるいほど音を合わせて吹いてきた。尼君、もの悲しそうに物に寄り掛かっていらっしゃったが、起き上がって、
 源氏に近い京へ来ながら物思いばかりがされて、女は明石あかしの家も恋しかったし、つれづれでもあって、源氏の形見のきんいとを鳴らしてみた。非常に悲しい気のする日であったから、人の来ぬ座敷で明石がそれを少しいていると、松風の音が荒々しく合奏をしかけてきた。横になっていた尼君が起き上がって言った。
  Nakanaka monoomohi tuduke rare te, sute si ihewi mo kohisiu, turedure nare ba, kano ohom-katami no kin wo kaki-narasu. Wori no, imiziu sinobi gatakere ba, hito hanare taru kata ni utitoke te sukosi hiku ni, matukaze hasitanaku hibiki ahi tari. Amagimi, mono-kanasige nite yorihusi tamahe ru ni, okiagari te,
2.1.4  「 身を変へて一人帰れる山里に
   聞きしに似たる松風ぞ吹く
 「尼姿となって一人帰ってきた山里に
  昔聞いたことがあるような松風が吹いている
  身を変へて一人帰れる山里に
  聞きしに似たる松風ぞ吹く
    "Mi wo kahe te hitori kahere ru yamazato ni
    Kiki si ni ni taru matukaze zo huku
2.1.5  御方、
 御方は、
 むすめが言った。
  Ohom-kata,
2.1.6  「 故里に見し世の友を恋ひわびて
   さへづることを誰れか分くらむ
 「故里で昔親しんだ人を恋い慕って弾く
  田舎びた琴の音を誰が分かってくれようか
  ふるさとに見し世の友を恋ひわびて
  さへづることをたれか分くらん
    "Hurusato ni mi si yo no tomo wo kohi wabi te
    saheduru koto wo tare ka waku ram
注釈86昔のこと思ひ出でられて主語は尼君。「られ」自発の助動詞。『万水一露』は「祖父の旧跡なるゆゑなり」と注す。2.1.1
注釈87住みつかばさてもありぬべし『完訳』は「住みなれてみればどうやらこれでも間に合いそうである」と訳す。2.1.1
注釈88御まうけのこと明石一行の無事到着を祝う宴の準備。2.1.2
注釈89なかなかもの思ひ続けられて明石君について語る。2.1.3
注釈90折のいみじう忍びがたければ『完訳』は「季節も秋の折柄、寂しさが心にしみてこらえかねるので」と訳す。2.1.3
注釈91松風はしたなく響きあひたり「琴の音に峯の松風通ふらしいづれの緒より調べそめけむ」(拾遺集雑上、四五一、斎宮女御)を踏まえる。2.1.3
注釈92身を変へて一人帰れる山里に--聞きしに似たる松風ぞ吹く尼君の歌。2.1.4
注釈93故里に見し世の友を恋ひわびて--さへづることを誰れか分くらむ明石の君の唱和歌。『集成』は「「故里」は「山里」に応じ、「見し世」は「身をかへて」に応ずる。「見し世の友」は、昔幼時を過した都の知り人の意。「さへづること」は、意味の分らぬ方言、「こと(言)」に「琴」を掛ける」と注す。2.1.6
校訂10 帰れる 帰れる--かく(く/$へ<朱>)れる 2.1.4
2.2
第二段 大堰山荘訪問の暇乞い


2-2  Genji takes his leave of Murasaki to visit Akashi in Ohoi-villa

2.2.1   かやうにものはかなくて 明かし暮らすに、大臣、なかなか静心なく思さるれば、人目をもえ憚りあへたまはで、渡りたまふを、 女君は、かくなむとたしかに知らせたてまつりたまはざりけるを、例の、聞きもや合はせたまふとて、消息聞こえたまふ。
 このように頼りない状態で毎日過ごしているが、内大臣、かえって落ち着いていらっしゃれないので、人目を憚ることもおできになれず、お出掛けになるのを、女君は、これこれであるとはっきりとお知らせ申していらっしゃらなかったのを、例によって、外からお耳になさることもあろうかと思って、ご挨拶申し上げる。
 こんなふうにはかながって暮らしていた数日ののちに、以前にもましていがたい苦しさを切に感じる源氏は、人目もはばからずに大井へ出かけることにした。夫人にはまだ明石の上京したことは言ってなかったから、ほかから耳にはいっては気まずいことになると思って、源氏は女房を使いにして言わせた。
  Kayau ni mono-hakanaku te akasi kurasu ni, Otodo, nakanaka sidukokoro naku obosa rure ba, hitome wo mo e habakari ahe tamaha de, watari tamahu wo, Womnagimi ha, kaku nam to tasika ni sirase tatematuri tamaha zari keru wo, rei no, kiki mo ya ahase tamahu tote, seusoko kikoye tamahu.
2.2.2  「 桂に見るべきことはべるを、 いさや、心にもあらでほど経にけり。訪らはむと言ひし人さへ、かのわたり近く来ゐて、 待つなれば、心苦しくてなむ。嵯峨野の御堂にも、飾りなき仏の御訪らひすべければ、二、三日ははべりなむ」
 「桂に用事がございますが、いやはや、心ならずも日が過ぎてしまった。訪問しようと約束した人までが、あの辺り近くに来ていて、待っているというので、気の毒でなりません。嵯峨野の御堂にも、まだ飾り付けのできていない仏像のお世話をしなければなりませんので、二三日は逗留することになりましょう」
 「かつらに私が行って指図さしずをしてやらねばならないことがあるのですが、それをそのままにして長くなっています。それに京へ来たら訪ねようという約束のしてある人もその近くへ上って来ているのですから、済まない気がしますから、そこへも行ってやります。嵯峨野さがの御堂みどうに何もそろっていない所にいらっしゃる仏様へも御挨拶あいさつに寄りますから二、三日は帰らないでしょう」
  "Katura ni miru beki koto haberu wo, isaya, kokoro ni mo ara de hodo he ni keri. Toburaha m to ihi si hito sahe, kano watari tikaku ki wi te, matu nare ba, kokorogurusiku te nam. Sagano no midau ni mo, kazari naki Hotoke no ohom-toburahi su bekere ba, hutuka, mika ha haberi na m."
2.2.3  と聞こえたまふ。
 と申し上げなさる。

  to kikoye tamahu.
2.2.4  「 桂の院といふ所にはかに造らせたまふ と聞くは、そこに据ゑたまへるにや」と思すに、心づきなければ、「 斧の柄さへ改めたまはむほどや、待ち遠に 」と、心ゆかぬ御けしきなり。
 「桂の院という所を、急にご造営なさっていると聞いているが、そこに住まわせなさっているのだろうか」とお思いになと、おもしろくないので、「斧の柄まで付け替えるほどになるのであろうか、待ち遠しいこと」と、不機嫌のご様子である。
 夫人は桂の院という別荘の新築されつつあることを聞いたが、そこへ明石の人を迎えたのであったかと気づくとうれしいこととは思えなかった。「おのの柄を新しくなさらなければ(仙人せんにんの碁を見物している間に、時がたって気がついてみるとその樵夫きこりの持っていた斧の柄は朽ちていたという話)ならないほどの時間はさぞ待ち遠いことでしょう」不愉快そうなこんな夫人の返事が源氏に伝えられた。
  "Katuranowin to ihu tokoro, nihaka ni tukura se tamahu to kiku ha, soko ni suwe tamahe ru ni ya?" to obosu ni, kokorodukinakere ba, "Ono no ye sahe aratame tamaha m hodo ya, matidoho ni." to, kokoroyuka nu mikesiki nari.
2.2.5  「 例の、比べ苦しき御心、いにしへのありさま、名残なしと、世人も言ふなるものを」、何やかやと御心とりたまふほどに、日たけぬ。
 「例によって、調子を合わせにくいお心で、昔の好色がましい心は、すっかりなくなったと、世間の人も言っているというのに」、何かやとご機嫌をとっていらっしゃるうちに、日が高くなってしまった。
 「また意外なことをお言いになる。私はもうすっかり昔の私でなくなったと世間でも言うではありませんか」などと言わせて夫人の機嫌きげんを直させようとするうちに昼になった。
  "Rei no, kurabe kurusiki mikokoro, inisihe no arisama, nagori nasi to, yohito mo ihu naru mono wo.", naniyakaya to mikokoro tori tamahu hodo ni, hi take nu.
注釈94かやうにものはかなくて明石の君、上京の後、すぐには源氏の訪れもなく所在ない日々を過ごす。2.2.1
注釈95明かし暮らすに大島本は「あかしくらすに」とある。『新大系』は底本のままとする。『集成』『古典セレクション』は諸本に従って「明かし暮らす」と校訂する。2.2.1
注釈96桂に見るべきこと以下「二、三日ははべりなむ」まで、源氏の紫の君に手紙で言った内容。「桂」は桂の院の造営のことをさす。2.2.2
注釈97いさや『完訳』は「ためらう気持の発語」と注す。2.2.2
注釈98待つなれば「なれ」伝聞推定の助動詞。主語は明石の君。2.2.2
注釈99桂の院といふ所以下「据ゑたまへるにや」まで、紫の君の心中。2.2.4
注釈100にはかに造らせたまふ大島本は「つくらせ給ふ」とある。他本は「つくろはせ」(横為氏池三)とある。陽明文庫本と肖柏本と書陵部は大島本と同文。河内本は「つくろはせ」とある。『集成』『新大系』は底本のままとする。『古典セレクション』は諸本に従って「つくろはせ」と校訂する。2.2.4
注釈101斧の柄さへ改めたまはむほどや待ち遠に紫の君の詞。「斧の柄は朽ちなばまたもすげ替へむ憂き世の中に帰らずもがな」(古今六帖、二)。『述異記』の爛柯の故事に基づく。2.2.4
注釈102例の比べ苦しき以下「世人も言ふなるものを」まで、源氏の詞。引用句「と」がなく地の文に流れている。『集成』は「源氏の心中を以て地の文としたものと思われる」。『完訳』は「源氏の言葉だが、地の文に流れる」と注す。2.2.5
出典8 斧の柄さへ改め 斧の柄は朽ちなばまたもすげ換へむ憂き世の中に帰らずもがな 古今六帖二-一〇一九 2.2.4
校訂11 女君は 女君は--女君に(に/$)は 2.2.1
校訂12 にはかに にはかに--にはかにて(て/#) 2.2.4
2.3
第三段 源氏と明石の再会


2-3  Genji visits to meet again Akashi and spends his time with her all night

2.3.1   忍びやかに、御前疎きは混ぜで御心づかひして渡りたまひぬ。たそかれ時におはし着きたり。狩の御衣に やつれたまへりしだに世に知らぬ心地せしを、まして、さる御心してひきつくろひたまへる御直衣姿、世になくなまめかしうまばゆき心地すれば、思ひむせべる心の闇も晴るるやうなり。
 ひっそりと、御前駆の親しくない者は加えないで、十分気を配っておいでになった。黄昏時にお着きになった。狩衣のご装束で質素になさっていたお姿でさえ、またとなく美しい心地がしたのに、なおさらのこと、そのお心づかいをして装っていらっしゃる御直衣姿、世になく優美でまぶしい気がするので、嘆き悲しんでいた心の闇も晴れるようである。
 微行しのびで、しかも前駆には親しい者だけを選んで源氏は大井へ来た。夕方前である。いつも狩衣かりぎぬ姿をしていた明石時代でさえも美しい源氏であったのが、恋人に逢うがために引き繕った直衣のうし姿はまばゆいほどまたりっぱであった。女のした長いうれいもこれに慰められた。源氏は今さらのようにこの人に深い愛を覚えながら、二人の中に生まれた子供を見てまた感動した。
  Sinobiyaka ni, gozen utoki ha maze de, mikokorodukahi si te watari tamahi nu. Tasokaredoki ni ohasi tuki tari. Kari no ohom-zo ni yature tamahe ri si dani yo ni sira nu kokoti se si wo, masite, saru mikokoro si te hiki-tukurohi tamahe ru ohom-nahosi sugata, yo ni naku namamekasiu mabayuki kokoti sure ba, omohi musebe ru kokoro no yami mo haruru yau nari.
2.3.2   めづらしう、あはれにて、若君を見たまふも、 いかが浅く思されむ。今まで隔てける年月だに、あさましく悔しきまで思ほす。
 久しぶりで、感慨無量となって、若君を御覧になるにも、どうして通り一遍にお思いになれようか。今まで離れていた年月の間でさえ、あきれるほど悔しいまでお思いになる。
 今まで見ずにいたことさえも取り返されない損失のように思われる。左大臣家で生まれた子の美貌びぼうを世人はたたえるが、それは権勢に目がくらんだ批評である。
  Medurasiu, ahare ni te, Wakagimi wo mi tamahu mo, ikaga asaku obosa re m? Ima made hedate keru tosituki dani, asamasiku kuyasiki made omohosu.
2.3.3  「 大殿腹の君をうつくしげなりと、世人もて騒ぐは、なほ時世によれば、人の見なすなりけり。かくこそは、すぐれたる人の 山口はしるかりけれ」
 「大殿腹の若君をかわいらしいと、世間の人がもてはやすのは、やはり時流におもねってそのように見做すのであった。こんなふうに、優れた人の将来は、今からはっきりしているものを」
 これこそ真の美人になる要素の備わった子供であると源氏は思った。
  "Ohotonobara no Kimi wo utukusige nari to, yohito mote-sawagu ha, naho tokiyo ni yore ba, hito no minasu nari keri. Kaku koso ha, sugure taru hito no yamaguti ha sirukari kere."
2.3.4  と、 うち笑みたる顔の何心なきが、愛敬づき、匂ひたるを、 いみじうらうたしと思す。
 と、微笑んでいる顔の無邪気さが、愛くるしく、つややかなのを、たいそうかわいらしいとお思いになる。
 無邪気な笑顔えがお愛嬌あいきょうの多いのを源氏は非常にかわいく思った。
  to, uti-wemi taru kaho no nanigokoro naki ga, aigyauduki, nihohi taru wo, imiziu rautasi to obosu.
2.3.5  乳母の、下りしほどは衰へたりし容貌、ねびまさりて、月ごろの御物語など、馴れ聞こゆるを、あはれに、さる塩屋のかたはらに過ぐしつらむことを、思しのたまふ。
 乳母が、下行した時は痩せ衰えていた容貌、立派になって、何か月もの間のお話など、親しく申し上げるのを、しみじみと、あのような漁村の一角で過ごしてきたろうことを、おねぎらいになる。
 乳母めのとも明石へ立って行ったころの衰えた顔はなくなって美しい女になっている。今日までのことをいろいろとなつかしいふうに話すのを聞いていた源氏は、塩焼き小屋に近い田舎いなかの生活をしいてさせられてきたのに同情するというようなことを言った。
  Menoto no, kudari si hodo ha otorohe tari si katati, nebi masari te, tukigoro no ohom-monogatari nado, nare kikoyuru wo, ahare ni, saru sihoya no katahara ni sugusi tu ram koto wo, obosi notamahu.
2.3.6  「 ここにも、いと里離れて、渡らむこともかたきを、なほ、かの本意ある所に移ろひたまへ」
 「ここでも、たいそう人里離れて、出向いて来ることも難しいので、やはり、あのかねて考えてある所にお引っ越しなさいませ」
 「ここだってまだずいぶんと遠すぎる。したがって私が始終は来られないことになるから、やはり私があなたのために用意した所へお移りなさい」
  "Koko ni mo, ito sato hanare te, watara m koto mo kataki wo, naho, kano ho'i aru tokoro ni uturohi tamahe."
2.3.7  とのたまへど、
 とおっしゃるが、
 と源氏は明石に言うのであったが、
  to notamahe do,
2.3.8  「 いとうひうひしきほど過ぐして
 「とてもまだ慣れない期間をもうしばらく過ごしましてから」
 「こんなふうに田舎者であることが少し直りましてから」
  "Ito uhiuhisiki, hodo sugusi te."
2.3.9  と聞こゆるも、ことわりなり。夜一夜、よろづに契り語らひ、明かしたまふ。
 とお答え申し上げるのも、もっともなことである。一晩中、いといろと睦言を交わされて、夜をお明かしなさる。
 と女の言うのも道理であった。源氏はいろいろに明石の心をいたわったり、将来を堅く誓ったりしてその夜は明けた。
  to kikoyuru mo, kotowari nari. Yo hitoyo, yorodu ni tigiri katarahi, akasi tamahu.
注釈103忍びやかに御前疎きは混ぜで源氏、腹心の家来と共に大堰山荘訪問。2.3.1
注釈104御心づかひして『集成』は「人目をお憚りになって」と訳す。2.3.1
注釈105やつれたまへりしだに世に知らぬ心地せしをまして「だに」--「まして」という構文。「し」過去の助動詞。明石の地で源氏と逢った時の明石の君の体験に即した語り方。2.3.1
注釈106めづらしうあはれにて以下、源氏の心中描写。2.3.2
注釈107いかが浅く思されむ語り手の源氏の心中を忖度した感情移入表現。2.3.2
注釈108大殿腹の君を以下「山口はしるかりけれ」まで、源氏の心中。夕霧、時に十歳。2.3.3
注釈109うち笑みたる顔の何心なきが愛敬づき匂ひたる明石の姫君の描写。2.3.4
注釈110いみじうらうたし源氏の心中。2.3.4
注釈111ここにもいと里離れて以下「移ろひたまへ」まで、源氏の詞。明石の君に二条東院への移転を勧める。2.3.6
注釈112いとうひうひしきほど過ぐして明石の君の詞。今しばらくここに過ごして都の生活になれてからと、辞退する。2.3.8
出典9 山口はしるかり 人よりも思ひのぼれる君なればうべ山口はしるくなりけり 河海抄所引、出典未詳 2.3.3
2.4
第四段 源氏、大堰山荘で寛ぐ


2-4  Genji makes himself at home in Ohoi-villa

2.4.1   繕ふべき所、所の預かり、今加へたる家司などに仰せらる。桂の院に渡りたまふべしとありければ、近き御荘の人びと、 参り集まりたりけるも、皆尋ね参りたり。前栽どもの折れ伏したるなど、繕はせたまふ。
 修繕なさるべき所を、ここの宿守りや、新たに加えた家司などにお命じになる。桂の院にお出ましになるご予定とあったので、近くの荘園の人々で、参集していたのも、みなこちらに尋ねて参った。前栽の折れ臥しているのなど、お直させなさる。
 なお修繕を加える必要のある所を、源氏はもとの預かり人や新たに任命した家職の者に命じていた。源氏が桂の院へ来るというしらせがあったために、この近くの領地の人たちの集まって来たのは皆そこから明石の家のほうへ来た。そうした人たちに庭の植え込みの草木を直させたりなどした。
  Tukurohu beki tokoro, tokoro no adukari, ima kuhahe taru keisi nado ni ohose raru. Katuranowin ni watari tamahu besi to ari kere ba, tikaki misau no hitobito, mawiri atumari tari keru mo, mina tadune mawiri tari. Sensai-domo no wore husi taru nado, tukuroha se tamahu.
2.4.2  「 ここかしこの立石どもも皆転び失せたるを、情けありてしなさば、をかしかりぬべき所かな。かかる所をわざと繕ふも、あいなきわざなり。さても過ぐし果てねば、立つ時もの憂く、心とまる、苦しかりき」
 「あちらこちらの立石もみな倒れたり無くなったりしているが、風情あるように造ったならば、きっと見栄えのする庭園ですね。このような庭をわざわざ修繕するのも、つまらないことです。そうしたところで一生を過ごすわけでないから、立ち去る時に気が進まず、心引かれるのも、つらいことであった」
 「流れの中にあった立石たていしが皆倒れて、ほかの石といっしょに紛れてしまったらしいが、そんな物を復旧させたり、よく直させたりすればずいぶんおもしろくなる庭だと思われるが、しかしそれは骨を折るだけかえってあとでいけないことになる。そこに永久いるものでもないから、いつか立って行ってしまう時に心が残って、どんなに私は苦しかったろう、帰る時に」
  "Kokokasiko no tateisi-domo mo mina marobi use taru wo, nasake ari te si nasa ba, wokasikari nu beki tokoro kana! Kakaru tokoro wo wazato tukurohu mo, ainaki waza nari. Satemo sugusi hate ne ba, tatu toki monouku, kokoro tomaru, kurusikari ki."
2.4.3  など、来し方のことものたまひ出でて、泣きみ笑ひみ、うちとけのたまへる、いとめでたし。
 などと、昔のこともお口に出しになさって、泣いたり笑ったりして、くつろいでお話になっているのが、実に素晴らしい。
 源氏はまた昔を言い出して、泣きもし、笑いもして語るのであった。こうした打ち解けた様子の見える時に源氏はいっそう美しいのであった。
  nado, kisikata no koto mo notamahi ide te, nakimi warahimi, utitoke notamahe ru, ito medetasi.
2.4.4   尼君、のぞきて見たてまつるに、老いも忘れ、もの思ひも晴るる心地してうち笑みぬ。
 尼君、のぞいて拝すると、老いも忘れて、物思いも晴れるような心地がして、思わずにっこりしてしまった。
 のぞいて見ていた尼君は老いも忘れ、物思いも跡かたなくなってしまう気がして微笑ほほえんでいた。
  Amagimi, nozoki te mi tatematuru ni, oyi mo wasure, monoomohi mo haruru kokoti si te uti-wemi nu.
2.4.5   東の渡殿の下より出づる水の心ばへ、繕はせたまふとて、いとなまめかしき袿姿うちとけたまへるを、 いとめでたううれしと見たてまつるに、 閼伽の具などのあるを見たまふに、思し出でて、
 東の渡殿の下から湧き出る遣水の趣、修繕させなさろうとして、たいそう優美な袿姿でくつろいでいらっしゃるのを、まことに立派で嬉しく拝見していると、閼伽の道具類があるのを御覧になると、お思い出しになって、
 東の渡殿わたどのの下をくぐって来る流れの筋を仕変えたりする指図さしずに、源氏はうちぎを引き掛けたくつろぎ姿でいるのがまた尼君にはうれしいのであった。仏の閼伽あかの具などが縁に置かれてあるのを見て、源氏はその中が尼君の部屋であることに気がついた。
  Himgasi no watadono no sita yori iduru midu no kokorobahe, tukurohase tamahu tote, ito namamekasiki utikisugata utitoke tamahe ru wo, ito medetau uresi to mi tatematuru ni, aka no gu nado no aru wo mi tamahu ni, obosiide te,
2.4.6  「 尼君は、こなたにか。いとしどけなき姿なりけりや
 「尼君は、こちらにいらっしゃるのか。まことみっともない姿であったよ」
 「尼君はこちらにおいでになりますか。だらしのない姿をしています」
  "Amagimi ha, konata ni ka? Ito sidokenaki sugata nari keri ya!"
2.4.7  とて、 御直衣召し出でて、たてまつる几帳のもとに寄りたまひて
 とおっしゃって、御直衣をお取り寄せになって、お召しになる。几帳の側にお近寄りになって、
 と言って、源氏は直衣のうしを取り寄せて着かえた。几帳きちょうの前にすわって、
  tote, ohom-nahosi mesiide te, tatematuru. Kityau no moto ni yori tamahi te,
2.4.8  「 罪軽く生ほし立てたまへる、人のゆゑは 、御行なひのほどあはれにこそ、思ひなしきこゆれ。いといたく思ひ澄ましたまへりし御住みかを捨てて、憂き世に帰りたまへる心ざし、浅からず。 またかしこには、いかにとまりて、思ひおこせたまふらむと、さまざまになむ」
 「罪を軽めてお育てなさった、その人の原因は、お勤行のほどをありがたくお思い申し上げます。たいそう深く心を澄まして住んでいらっしゃったお家を捨てて、憂き世にお帰りになられたお気持ち、深く感謝します。またあちらには、どのように居残って、こちらを思っていらっしゃるのだろうと、あれこれと思われることです」
 「子供がよい子に育ちましたのは、あなたの祈りを仏様がいれてくだすったせいだろうとありがたく思います。俗をお離れになった清い御生活から、私たちのためにまた世の中へ帰って来てくだすったことを感謝しています。明石ではまた一人でお残りになって、どんなにこちらのことを想像して心配していてくださるだろうと済まなく私は思っています」
  "Tumi karoku ohosi tate tamahe ru, hito no yuwe ha, ohom-okonahi no hodo ahare ni koso, omohinasi kikoyure. Ito itaku omohi sumasi tamahe ri si ohom-sumika wo sute te, ukiyo ni kaheri tamahe ru kokorozasi, asakara zu. Mata kasiko ni ha, ikani tomari te, omohiokose tamahu ram to, samazama ni nam."
2.4.9  と、いとなつかしうのたまふ。
 と、たいそう優しくおっしゃる。
 となつかしいふうに話した。
  to, ito natukasiu notamahu.
2.4.10  「 捨てはべりし世を、今さらにたち帰り、思ひたまへ乱るるを、推し量らせたまひければ、命長さのしるしも、思ひたまへ知られぬる」と、うち泣きて、「 荒磯蔭に、心苦しう思ひきこえさせはべりし二葉の松も、今は頼もしき御生ひ先と、祝ひきこえさするを、浅き根ざしゆゑや、いかがと、かたがた心尽くされはべる」
 「いったん捨てました世の中を、今さら帰って来て、思い悩みますのを、ご推察くださいましたので、長生きした甲斐があると、嬉しく存じられます」と、泣き出して、「田舎の海辺にひっそりとお育ちになったことを、お気の毒にお思い申していた姫君も、今では将来頼もしくと、お祝い申しておりますが、素性賤しさゆえに、どのようなものかと、あれこれと心配せずにはいられません」
 「一度捨てました世の中へ帰ってまいって苦しんでおります心も、お察しくださいましたので、命の長さもうれしく存ぜられます」尼君は泣きながらまた、「荒磯あらいそかげに心苦しく存じました二葉ふたばの松もいよいよ頼もしい未来が思われます日に到達いたしましたが、御生母がわれわれ風情ふぜいの娘でございますことが、御幸福のさわりにならぬかと苦労にしております」
  "Sute haberi si yo wo, imasara ni tati-kaheri, omohi tamahe midaruru wo, osihakara se tamahi kere ba, inoti nagasa no sirusi mo, omohi tamahe sira re nuru." to, uti-naki te, "Araisokage ni, kokorogurusiu omohi kikoye sase haberi si hutaba no matu mo, ima ha tanomosiki ohom-ohisaki to, ihahi kikoye sasuru wo, asaki nezasi yuwe ya, ikaga to, katagata kokoro tukusa re haberu."
2.4.11  など聞こゆるけはひ、よしなからねば、昔物語に、親王の住みたまひけるありさまなど、 語らせたまふに、繕はれたる水の音なひ、 かことがましう聞こゆ
 などと申し上げる感じ、風情がなくもないので、昔話に、親王が住んでいらっしゃった様子など、お話させなさっていると、手入れした遣水の音が、訴えるかのように聞えて来る。
 などという様子に品のよさの見える婦人であったから、源氏はこの山荘の昔のあるじの親王のことなどを話題にして語った。直された流れの水はこの話に言葉を入れたいように、前よりも高い音を立てていた。
  nado kikoyuru kehahi, yosinakara ne ba, mukasimonogatari ni, Miko no sumi tamahi keru arisama nado, katara se tamahu ni, tukuroha re taru midu no otonahi, kakotogamasiu kikoyu.
2.4.12  「 住み馴れし人は帰りてたどれども
   清水は宿の主人顔なる
 「かつて住み慣れていたわたしは帰って来て、昔のことを思い出そうとするが
  遣水はこの家の主人のような昔ながらの音を立てています
  住みれし人はかへりてたどれども
  清水しみづぞ宿の主人あるじがほなる
    "Sumi nare si hito ha kaheri te tadore domo
    simidu ha yado no aruzigaho naru
2.4.13   わざとはなくて、言ひ消つさま、みやびかによし、と聞きたまふ。
 わざとらしくはなくて、言い切らない様子、優雅で品がある、とお聞きになる。
 歌であるともなくこう言う様子に、源氏は風雅を解する老女であると思った。
  Wazato ha naku te, ihi ketu sama, miyabika ni yosi, to kiki tamahu.
2.4.14  「 いさらゐははやくのことも忘れじを
   もとの主人や面変はりせる
 「小さな遣水は昔のことも忘れないのに
  もとの主人は姿を変えてしまったからであろうか
  「いさらゐははやくのことも忘れじを
  もとの主人あるじおも変はりせる
    "Isarawi ha hayaku no koto mo wasure zi wo
    moto no aruzi ya omogahari se ru
2.4.15  あはれ」
 ああ、懐かしい」
 悲しいものですね」
  Ahare!"
2.4.16  と、うち眺めて、 立ちたまふ姿、にほひ、世に知らず、とのみ思ひきこゆ。
 と、ちょっと眺めて、お立ちになる姿、美しさを、世の中に見たこともない、とばかり思い申し上げる。
 と歎息たんそくして立って行く源氏の美しいとりなしにも尼君は打たれてぼうとなっていた。
  to, uti-nagame te, tati tamahu sugata, nihohi, yo ni sira zu, to nomi omohi kikoyu.
注釈113繕ふべき所所の預かり今加へたる家司「所の預かり」は明石の山荘の宿守り。「家司」は源氏が新たに任命した者。
【所所の預かり】−『集成』は「所々のあづかり」と校訂。
2.4.1
注釈114参り集まりたりけるも桂の院に。2.4.1
注釈115ここかしこの以下「苦しかりき」まで、源氏の詞。後半は明石の土地を離れがたく思ったことを回想する。2.4.2
注釈116尼君のぞきて見たてまつるに東の渡殿近くの母屋の中から源氏を見る。2.4.4
注釈117東の渡殿の下より出づる水の心ばへ『集成』は「遣水を東の渡殿の下から庭に流して南の池に導くのが、当時の一般の作庭法である」と注す。2.4.5
注釈118いとめでたううれし尼君の心中。2.4.5
注釈119閼伽の具などのあるを見たまふに東の渡殿に居る源氏から尼君の方を見る。2.4.5
注釈120尼君はこなたにかいとしどけなき姿なりけりや源氏の詞。袿姿を恥じる。2.4.6
注釈121御直衣召し出でてたてまつる「たてまつる」は「着る」の尊敬語。2.4.7
注釈122几帳のもとに寄りたまひて源氏、東の渡殿から尼君の居る母屋の几帳の前に移動。2.4.7
注釈123罪軽く生ほし立てたまへる人のゆゑは以下「さまざまになむ」まで、源氏の詞。『集成』は「「罪軽く」は、前世の罪の軽いこと、果報によってこの世に美しく生れ育つ意。「ゆゑ」は、理由。尼君の勤行ゆえに、前世の罪が軽くなったという」と注す。「人」は姫君をさす。2.4.8
注釈124またかしこには明石に残った入道をさす。2.4.8
注釈125捨てはべりし世を大島本は「すてはへりし世」とある。『新大系』は底本のままとする。『集成』『古典セレクション』は諸本に従って「捨てはべりにし」と完了助動詞「に」を補訂する。以下「思ひたまへ知られぬ」まで、尼君の詞。2.4.10
注釈126荒磯蔭に以下「心尽くされはべる」まで、尼君の詞。「荒磯蔭」「二葉の松」「生ひ」「浅き根ざし」は歌語かつ縁語。和歌的修辞。尼君の人柄、教養を窺わせるもの。下に「よしなからねば」とある。2.4.10
注釈127語らせたまふに「せ」使役の助動詞。源氏が尼君に。2.4.11
注釈128かことがましう聞こゆ『集成』は「昔恋しさを訴えるかのように聞える」と訳す。2.4.11
注釈129住み馴れし人は帰りてたどれども--清水は宿の主人顔なる尼君の歌。大島本は「しミつは」とある。『新大系』『古典セレクション』は底本のままとする。『集成』は諸本に従って「清水ぞ」と校訂する。「帰りて」「却りて」の掛詞。『完訳』は「時の推移を思う」と注す。2.4.12
注釈130わざとはなくて言ひ消つさま『集成』は「さりげなく謙遜するさま」。『完訳』「わざとらしくはなく中途で声をひそめるその様子を」と訳す。2.4.13
注釈131いさらゐははやくのことも忘れじを--もとの主人や面変はりせる源氏の歌。「主人」の語句を用いて返す。『完訳』は「尼君を家の主とたたえながら、これも時の推移を詠んだ歌」と注す。2.4.14
注釈132立ちたまふ姿にほひ世に知らず大島本は「にほひ」とある。『新大系』は底本のままとする。『集成』『古典セレクション』は諸本に従って「にほひを」と「を」を補訂する。2.4.16
校訂13 たまへる たまへる--(/+た)まへる 2.4.8
2.5
第五段 嵯峨御堂に出向き大堰山荘に宿泊


2-5  Genji geoes to his temple in Saga and comebacks to Ohoi-villa at night

2.5.1   御寺に渡りたまうて、月ごとの十四、五日、晦日の日、行はるべき普賢講、阿弥陀、釈迦の 念仏の三昧をばさるものにて、またまた加へ行はせたまふべき ことなど、定め置かせたまふ。堂の飾り、仏の御具など、めぐらし仰せらる。月の明きに帰りたまふ。
 お寺にお出向きになって、毎月の十四、五日、晦日の日行われるはずの普賢講、阿彌陀、釈迦の念仏の三昧のことは言うまでもなく、さらにまたお加えになるべきことなど、お定めさせなさる。堂の飾り付け、仏像の道具類、お触れを回してお命じになる。月の明るいうちにお戻りになる。
 源氏は御堂みどうへ行って毎月十四、五日と三十日に行なう普賢講ふげんこう阿弥陀あみだ釈迦しゃかの念仏の三昧さんまいのほかにも日を決めてする法会ほうえのことを僧たちに命じたりした。堂の装飾や仏具の製作などのことも御堂の人々へ指図さしずしてから、月明のみちを川沿いの山荘へ帰って来た。
  Mi-tera ni watari tamau te, tukigoto no zihusi, zihugo, tugomori no hi, okonaha ru beki Hugenkau, Amida, Saka no nenbutu no sammai wo ba saru mono nite, matamata kuhahe okonaha se tamahu beki koto nado, sadame oka se tamahu. Dau no kazari, Hotoke no ohom-gu nado, megurasi ohose raru. Tuki no akaki ni kaheri tamahu.
2.5.2   ありし夜のこと、思し出でらるる、 折過ぐさず、かの琴の御琴さし出でたり。そこはかとなくものあはれなるに、え忍びたまはで、掻き鳴らしたまふ。まだ調べも変はらず、 ひきかへし、その折今の心地したまふ。
 かつての明石での夜のこと、お思い出しになっていらっしゃる、その時を逃さず、あの琴のお琴をお前に差し出した。どことなくしみじみと感慨が込み上げてくるので、我慢がおできになれず、掻き鳴らしなさる。絃の調子もまだもとのままで、当時に戻って、あの時のことが今のようなお感じがなさる。
 明石の別離の夜のことが源氏の胸によみがえって感傷的な気分になっている時に女はその夜の形見の琴を差し出した。きたい欲求もあって源氏は琴を弾き始めた。まだいとが変わっていなかった。その夜が今であるようにも思われる。
  Arisi yo no koto, obosiide raruru, wori sugusa zu, kano kin no ohom-koto sasiide tari. Sokohakatonaku mono ahare naru ni, e sinobi tamaha de, kaki-narasi tamahu. Mada sirabe mo kahara zu, hikikahesi, sono wori ima no kokoti si tamahu.
2.5.3  「 契りしに変はらぬ琴の調べにて
   絶えぬ心のほどは知りきや
 「約束したとおり、琴の調べのように変わらない
  わたしの心をお分かりいただけましたか
  契りしに変はらぬ琴のしらべにて
  絶えぬ心のほどは知りきや
    "Tigiri si ni kahara nu koto no sirabe nite
    taye nu kokoro no hodo ha siri ki ya
2.5.4  女、
 女は、
 と言うと、女が、
  Womna,
2.5.5  「 変はらじと契りしことを頼みにて
   松の響きに音を添へしかな
 「変わらないと約束なさったことを頼みとして
  松風の音に泣く声を添えていました
  変はらじと契りしことを頼みにて
  松の響にを添へしかな
    "Kahara zi to tigiri si koto wo tanomi nite
    matu no hibiki ni ne wo sohe si kana
2.5.6  と聞こえ交はしたるも、 似げなからぬこそは、身にあまりたるありさまなめれ。こよなうねびまさりにける容貌、けはひ、え思ほし捨つまじう、若君、はた、尽きもせず まぼられたまふ
 と詠み交わし申し上げたのも、不釣り合いでないのは、身に余る幸せのようである。すっかりと立派になった器量、雰囲気、とても見捨てがたく、若君、言うまでもなく、いつまでもじっと見守らずにはいらっしゃれない。
 と言う。こんなことが不つりあいに見えないのは女からいえば過分なことであった。明石時代よりも女の美に光彩が加わっていた。源氏は永久に離れがたい人になったと明石を思っている。姫君の顔からもまた目は離せなかった。
  to kikoye kahasi taru mo, nigenakara nu koso ha, mi ni amari taru arisama na' mere. Koyonau nebimasari ni keru katati, kehahi, e omohosi sutu maziu, Wakagimi, hata, tuki mo se zu mabora re tamahu.
2.5.7  「 いかにせまし。隠ろへたるさまにて生ひ出でむが、心苦しう口惜しきを、 二条の院に渡して、心のゆく限りもてなさば、 後のおぼえも罪免れなむかし」
 「どうしたらよいだろう。日蔭者としてお育ちになることが、気の毒で残念に思われるが、二条の院に引き取って、思いどおりに世話したならば、後になって世間の人々から非難も受けなくてすむだろう」
 日蔭ひかげの子として成長していくのが、堪えられないほど源氏はかわいそうで、これを二条の院へ引き取ってできる限りにかしずいてやることにすれば、成長後の肩身の狭さも救われることになるであろうとは源氏の心に思われることであったが、
  "Ikani se masi? Kakurohe taru sama nite ohiide m ga, kokorogurusiu kutiwosiki wo, Nideunowin ni watasi te, kokoro no yuku kagiri motenasa ba, noti no oboye mo tumi manukare na m kasi."
2.5.8  と思ほせど、また、思はむこといとほしくて、えうち出でたまはで、涙ぐみて見たまふ。 幼き心地に、すこし恥ぢらひたりしが、やうやううちとけて、もの言ひ笑ひなどして、むつれたまふを 見るままに、匂ひまさりてうつくし。抱きておはするさま、 見るかひありて、宿世こよなしと見えたり
 とお考えになるが、また一方で、悲しむことも気の毒で、お口に出すこともできず、涙ぐんで御覧になる。幼い心で、少し人見知りしていたが、だんだん打ち解けてきて、何か言ったり笑ったりして、親しみなさるのを見るにつれて、ますます美しくかわいらしく感じられる。抱いていらっしゃる様子、いかにも立派で、将来この上ないと思われた。
 また引き放される明石の心が哀れに思われて口へそのことは出ずにただ涙ぐんで姫君の顔を見ていた。子心にはじめは少し恥ずかしがっていたが、今はもうよくれてきて、ものを言って、笑ったりもしてみせた。甘えて近づいて来る顔がまたいっそう美しくてかわいいのである。源氏に抱かれている姫君はすでに類のない幸運に恵まれた人と見えた。
  to omohose do, mata, omoha m koto itohosiku te, e uti-ide tamaha de, namidagumi te mi tamahu. Wosanaki kokoti ni, sukosi hadirahi tari si ga, yauyau utitoke te, mono ihi warahi nado si te, muture tamahu wo, miru mama ni, nihohi masari te utukusi. Idaki te ohasuru sama, miru kahi ari te, sukuse koyonasi to miye tari.
注釈133御寺に渡りたまうて源氏、嵯峨野の御堂に出かけ、仏具等指図する。2.5.1
注釈134ありし夜のこと大堰山荘の夜。源氏、形見の琴を弾き、明石の君と歌を唱和する。2.5.2
注釈135折過ぐさず主語は明石の君。2.5.2
注釈136ひきかへし「弾き返し」と「引き返し」の両意をこめた表現。2.5.2
注釈137契りしに変はらぬ琴の調べにて--絶えぬ心のほどは知りきや源氏の歌。「琴」と「言」の掛詞。「琴」「絶えぬ」は縁語。『完訳』は「己が誠実さを哀訴」と注す。2.5.3
注釈138変はらじと契りしことを頼みにて--松の響きに音を添へしかな明石の君の返歌。「変はらぬ」を受けて「変らじと」と返す。「言」と「琴」、「松」と「待つ」「ね」は「琴の音」と「泣く音」の掛詞。2.5.5
注釈139似げなからぬこそは身にあまりたるありさまなめれ語り手の感情移入を加えた表現。「な(る)」断定の助動詞。連体形「めれ」推量の助動詞。その主観的推量は語り手のもの。2.5.6
注釈140まぼられたまふ大島本は「まほられ」とある。『新大系』は底本のままとする。『集成』『古典セレクション』は諸本に従って「まもられ」と校訂する。2.5.6
注釈141いかにせまし以下「罪免かれなむかし」まで、源氏の心中。二条院へ姫を迎え取ることを考える。2.5.7
注釈142二条の院に渡して『集成』は「紫の上の養女にして、という含み」と注す。2.5.7
注釈143後のおぼえも罪免れ『完訳』は「姫君が入内する時の世評。「罪」は田舎育ちという悪評」と注す。2.5.7
注釈144幼き心地に姫君、三歳。2.5.8
注釈145見るままに匂ひまさりてうつくし主語は源氏か。「うつくし」という評言は語り手のもの。敬語を省いて直叙した表現であろう。『完訳』は「源氏の心内に即した地の文」「女君が見るにつけ、いよいよ美しさも増してかわいらしく思うのである」と注して訳す。2.5.8
注釈146見るかひありて宿世こよなしと見えたり『完訳』は「語り手の言葉」と注す。2.5.8
校訂14 念仏 念仏--念(念/&念)仏 2.5.1
校訂15 ことなど ことなど--(/+事なと) 2.5.1
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渋谷栄一校訂(C)
Last updated 10/20/2009(ver.2-2)
渋谷栄一注釈(C)
Last updated 7/8/2001
渋谷栄一訳(C)(ver.1-2-2)
現代語訳
与謝野晶子
電子化
上田英代(古典総合研究所)
底本
角川文庫 全訳源氏物語
校正・
ルビ復活
kumi(青空文庫)

2003年6月9日

渋谷栄一訳
との突合せ
若林貴幸、宮脇文経

2008年3月22日

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Written in Japanese roman letters
by Eiichi Shibuya(C)
Picture "Eiri Genji Monogatari"(1650 1st edition)
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