第二十二帖 玉鬘


22 TAMAKADURA (Ohoshima-bon)


玉鬘の筑紫時代と光る源氏の太政大臣時代
三十五歳の夏四月から冬十月までの物語



Tale of Hikaru-Genji's Daijo-Daijin era, from April in the summer to October in the winter at the age of 35, and the tale of Tamakazura in the life of Tsukushi

1
第一章 玉鬘の物語 筑紫流離の物語


1  Tale of Tamakazura  The life of Tsukushi

1.1
第一段 源氏と右近、夕顔を回想


1-1  Genji and Ukon remember Yugao

1.1.1   年月隔たりぬれど、飽かざりし夕顔を、つゆ忘れたまはず、心々なる人のありさまどもを、見たまひ重ぬるにつけても、「 あらましかば」と 、あはれに口惜しくのみ思し出づ。
 年月がたってしまったが、諦めてもなお諦めきれなかった夕顔を、少しもお忘れにならず、人それぞれの性格を、次々に御覧になって来たのにつけても、「もし生きていたならば」と、悲しく残念にばかりお思い出しになる。
 年月はどんなにたっても、源氏は死んだ夕顔のことを少しも忘れずにいた。個性の違った恋人を幾人も得た人生の行路に、その人がいたならばと遺憾に思われることが多かった。
  Tosituki hedatari nure do, aka zari si Yuhugaho wo, tuyu wasure tamaha zu, kokorogokoro naru hito no arisama-domo wo, mi tamahi kasanuru ni tuke te mo, "Ara masika ba." to, ahare ni kutiwosiku nomi obosi idu.
1.1.2  右近は、何の人数ならねど、なほ、その形見と見たまひて、らうたきものに思したれば、古人の数に仕うまつり馴れたり。須磨の御移ろひのほどに、 対の上の御方に、皆人びと聞こえ渡したまひしほどより、そなたにさぶらふ。心よくかいひそめたるものに、 女君も思したれど心のうちには
 右近は、物の数にも入らないが、やはり、その形見と御覧になって、お目を掛けていらっしゃるので、古参の女房の一人として長くお仕えしていた。須磨へのご退去の折に、対の上に女房たちを皆お仕え申させなさったとき以来、あちらでお仕えしている。気立てのよく控え目な女房だと、女君もお思いになっていたが、心の底では、
 右近は何でもない平凡な女であるが、源氏は夕顔の形見と思って庇護するところがあったから、今日では古い女房の一人になって重んぜられもしていた。須磨すまへ源氏の行く時に夫人のほうへ女房を皆移してしまったから、今では紫夫人の侍女になっているのである。善良なおとなしい女房と夫人も認めて愛していたが、右近の心の中では、
  Ukon ha, nani no hitokazu nara ne do, naho, sono katami to mi tamahi te, rautaki mono ni obosi tare ba, huruhito no kazu ni tukaumaturi nare tari. Suma no ohom-uturohi no hodo ni, Tai-no-Uhe no Ohom-kata ni, mina hitobito kikoye watasi tamahi si hodo yori, sonata ni saburahu. Kokoroyoku kai-hisome taru mono ni, Womnagimi mo obosi tare do, kokoro no uti ni ha,
1.1.3  「 故君ものしたまはましかば明石の御方ばかりのおぼえには劣りたまはざらまし。さしも深き御心ざしなかりけるをだに、落としあぶさず、取りしたためたまふ御心長さなりければ、まいて、やむごとなき列に こそあらざらめ、この御殿移りの数のうちには交じらひたまひなまし」
 「亡くなったご主人が生きていられたならば、明石の御方くらいのご寵愛に負けはしなかったろうに。それほど深く愛していられなかった女性でさえ、お見捨てにならず、めんどうを見られるお心の変わらないお方だったのだから、まして、身分の高い人たちと同列とはならないが、この度のご入居者の数のうちには加わっていたであろうに」
 夕顔夫人が生きていたなら、明石あかし夫人が愛されているほどには源氏から思われておいでになるであろう、たいした恋でもなかった女性たちさえ、余さず将来の保証をつけておいでになるような情け深い源氏であるから、紫夫人などの列にははいらないでも、六条院へのわたましの夫人の中にはおいでになるはずである
  "Ko-Gimi monosi tamaha masika ba, Akasi-no-Ohomkata bakari no oboye ni ha otori tamaha zara masi. Sasimo hukaki mi-kokorozasi nakari keru wo dani, otosi abusa zu, tori sitatame tamahu mi-kokoronagasa nari kere ba, maite, yamgotonaki tura ni koso ara za' rame, kono ohom-tonouturi no kazu no uti ni ha mazirahi tamahi na masi."
1.1.4  と思ふに、飽かず悲しくなむ思ひける。
 と思うと、悲しんでも悲しみきれない思いであった。
 といつも悲しんでいた。
  to omohu ni, aka zu kanasiku nam omohi keru.
1.1.5   かの西の京にとまりし若君をだに行方も知らず、ひとへにものを思ひつつみ、また、「 今さらにかひなきことによりて、我が名漏らすな 」と、口がためたまひしを憚りきこえて、尋ねても訪づれきこえざりしほどに、その御乳母の 男、少弐になりて、行きければ、下りにけり。かの若君の四つになる年ぞ、筑紫へは行きける。
 あの西の京に残っていた若君の行方をすら知らず、ひたすら世をはばかり、又、「今更いっても始まらないことだから、しゃべってうっかり私の名を世間に漏らすな」と、口止めなさったことにご遠慮申して、安否をお尋ね申さずにいたうちに、若君の乳母の夫が、大宰少弍になって、赴任したので、下ってしまった。あの若君が四歳になる年に、筑紫へは行ったのであった。
 西の京へ別居させてあった姫君がどうなったかも右近は知らずにいた。夕顔の死が告げてやりにくい心弱さと、今になって相手の自分であったことは知らせないようにと源氏から言われたことでの遠慮とが、右近のほうから尋ね出すことをさせなかった。そのうちに、乳母めのと良人おっとが九州の少弐しょうにに任ぜられたので、一家は九州へ下った。姫君の四つになる年のことである。
  Kano nisinokyau ni tomari si Wakagimi wo dani yukuhe mo sira zu, hitohe ni mono wo omohi tutumi, mata, "Imasara ni kahinaki koto ni yori te, waga na morasu na." to, kutigatame tamahi si wo habakari kikoye te, tadune te mo otodure kikoye zari si hodo ni, sono ohom-menoto no wotoko, Seuni ni nari te, iki kere ba, kudari ni keri. Kano Wakagimi no yotu ni naru tosi zo, Tukusi he ha iki keru.
注釈1年月隔たりぬれど飽かざりし夕顔をつゆ忘れたまはず夕顔追慕で語り始められる。「末摘花」巻の冒頭(「思へどもなほ飽かざりし夕顔の露に後れし心地を、年月経れども思し忘れず」)に類似。「夕顔」「露」は縁語。「夕顔」は人名であるが、「夕顔」巻の女主人公の意。夕顔の死から十七年を経過。1.1.1
注釈2あらましかばと『源氏釈』は「世の中にあらましかばと思ふ人なきが多くもなりにけるかな」(拾遺集哀傷、一二九九、藤原為頼)を引歌として指摘。1.1.1
注釈3対の上の御方に紫の上をさす。1.1.2
注釈4女君も思したれど紫の上。1.1.2
注釈5心のうちには右近の心の中ではの意。1.1.2
注釈6故君ものしたまはましかば以下「交じらひさぶらひたまひなまし」まで、右近の心中。「ましかば--まし」反実仮想の構文。「故君」は夕顔をさす。1.1.3
注釈7明石の御方ばかりの右近の心中に意識される「明石の御方」の「御方」という呼称に注意される。1.1.3
注釈8こそあらざらめ係助詞「こそ」--「め」已然形の係結びは逆接用法。1.1.3
注釈9かの西の京にとまりし若君をだに玉鬘をさす。副助詞「だに」の訳しかた、『集成』は「あの西の京に残された若君ですら、その後の行方も分らず」(否定構文中の逆接的意)。『完訳』は「右近は、せめてあの西の京に残された若君だけでも--その行方も分らないし」(最小限の願望)。意中、死後の夕顔の行方と生存者の玉鬘の行方の比較されていよう。1.1.5
注釈10今さらにかひなきことによりて我が名漏らすな「犬上の鳥籠の山なるいさら川いさと答へてわが名もらすな」(古今集墨滅歌、一一〇八、読人しらず)を踏まえる。1.1.5
注釈11男少弐になりて行きければ下りにけり乳母の夫が大宰少弐になったので、その妻の乳母も玉鬘を伴って下向してしまったの意。1.1.5
出典1 あらましかば 1.1.1
出典2 我が名漏らすな 犬上の鳥籠の山なる名取川いさと答へよ我が名漏らすな 古今集墨滅歌-一一〇八 読人しらず 1.1.5
1.2
第二段 玉鬘一行、筑紫へ下向


1-2  Tamakazura goes to Tsukushi with her nursemaid's family

1.2.1   母君の御行方を知らむと、よろづの神仏に申して、夜昼泣き恋ひて、 さるべき所々を尋ねきこえけれど、つひにえ聞き出でず。
 母君のお行方を知りたいと思って、いろいろの神仏に願掛け申して、夜昼となく泣き恋い焦がれて、心当たりの所々をお探し申したが、結局お訪ね当てることができない。
 乳母たちは母君の行くえを知ろうといろいろの神仏に願を立て、夜昼泣いて恋しがっていたが何のかいもなかった。
  Hahagimi no ohom-yukuhe wo sira m to, yorodu no Kami Hotoke ni mausi te, yoru hiru naki kohi te, sarubeki tokorodokoro wo tadune kikoye kere do, tuhini e kikiide zu.
1.2.2  「 さらばいかがはせむ。若君をだにこそは、御形見に見たてまつらめ。あやしき道に添へたてまつりて、遥かなるほどにおはせむことの悲しきこと。なほ、 父君にほのめかさむ」
 「それではどうしようもない。せめて若君だけでも、母君のお形見としてお世話申しそう。鄙の道にお連れ申して、遠い道中をおいでになることもおいたわしいこと。やはり、父君にそれとなくお話し申し上げよう」
 しかたがない、姫君だけでも夫人の形見に育てていたい、卑しい自分らといっしょに遠国へおつれすることを悲しんでいると父君のほうへほのめかしたい
  "Saraba ikagaha se m? Wakagimi wo dani koso ha, ohom-katami ni mi tatematura me. Ayasiki miti ni sohe tatematuri te, haruka naru hodo ni ohase m koto no kanasiki koto. Naho, Titigimi ni honomekasa m."
1.2.3  と思ひけれど、 さるべきたよりもなきうちに
 と思ったが、適当なつてもないうちに、
 とも思ったが、よいつてはなかった。
  to omohi kere do, sarubeki tayori mo naki uti ni,
1.2.4  「 母君のおはしけむ方も知らず、尋ね問ひたまはば、いかが聞こえむ」
 「母君のいられる所も知らないで、お訪ねになられたら、どのようにお返事申し上げられようか」
 その上母君の所在を自分らが知らずにいては、問われた場合に返辞へんじのしようもない。
  "Hahagimi no ohasi kem kata mo sira zu, tadune tohi tamaha ba, ikaga kikoye m?"
1.2.5  「 まだ、よくも見なれたまはぬに、幼き人をとどめたてまつりたまはむも、 うしろめたかるべし
 「まだ、十分に見慣れていられないのに、幼い姫君をお手許にお引き取り申すされるのも、やはり不安でしょう」
 よく馴染なじんでおいでにならない姫君を、父君へ渡して立って行くのも、自分らの気がかり千万なことであろうし、
  "Mada, yoku mo mi nare tamaha nu ni, wosanaki hito wo todome tatematuri tamaha m mo, usirometakaru besi."
1.2.6  「 知りながら、はた、率て下りねと許したまふべきにもあらず
 「お知りになりながら、またやはり、筑紫へ連れて下ってよいとは、お許しになるはずもありますまい」
 話をお聞きになった以上は、いっしょにつれて行ってもよいと父君が許されるはずがない
  "Siri nagara, hata, wi te kudari ne to yurusi tamahu beki ni mo ara zu."
1.2.7  など、おのがじし語らひあはせて、いとうつくしう、ただ今から気高くきよらなる御さまを、ことなるしつらひなき舟に乗せて漕ぎ出づるほどは、いとあはれになむおぼえける。
 などと、お互いに相談し合って、とてもかわいらしく、今から既に気品があってお美しいご器量を、格別の設備もない舟に乗せて漕ぎ出す時は、とても哀れに思われた。
 などと言い出す者もあって、美しくて、すでにもう高貴な相の備わっている姫君を、普通の旅役人の船に乗せて立って行く時、その人々は非常に悲しがった。
  nado, onogazisi katarahi ahase te, ito utukusiu, tada ima kara kedakaku kiyora naru ohom-sama wo, koto naru siturahi naki hune ni nose te kogi iduru hodo ha, ito ahare ni nam oboye keru.
1.2.8  幼き心地に、母君を忘れず、折々に、
 子供心にも、母君のことを忘れず、時々、
 幼い姫君も母君を忘れずに、
  Wosanaki kokoti ni, Hahagimi wo wasure zu, woriwori ni,
1.2.9  「 母の御もとへ行くか
 「母君様の所へ行くの」
 「お母様の所へ行くの」
  "Haha no ohom-moto he yuku ka?"
1.2.10  と問ひたまふにつけて、涙絶ゆる時なく、 娘どもも 思ひこがるるを、「舟路ゆゆし」と、かつは諌めけり。
 とお尋ねになるにつけて、涙の止まる時がなく、娘たちも思い焦がれているが、「舟路に不吉だ」と、泣く一方では制すのであった。
 と時々尋ねることが人々の心をより切なくした。涙の絶え間もないほど夕顔夫人を恋しがって娘たちの泣くのを、「船の旅は縁起を祝って行かなければならないのだから」とも親たちは小言こごとを言った。
  to tohi tamahu ni tuke te, namida tayuru toki naku, musume-domo mo omohi kogaruru wo, "Hunamiti yuyusi." to, katu ha isame keri.
1.2.11   おもしろき所々を見つつ、
 美しい場所をあちこち見ながら、
 美しい名所名所を見物する時、
  Omosiroki tokorodokoro wo mi tutu,
1.2.12  「 心若うおはせしものを、かかる路をも見せたてまつるものにもがな」
 「気の若い方でいらしたが、こうした道中をお見せ申し上げたかったですね」
 「若々しいお気持ちの方で、お喜びになるでしょうから、こんな景色けしきをお目にかけたい。
  "Kokorowakau ohase si mono wo, kakaru miti wo mo mise tatematuru mono ni mo gana!"
1.2.13  「 おはせましかば、われらは下らざらまし」
 「いいえ、いらっしゃいましたら、私たちは下ることもなかったでしょうに」
けれども奥様がおいでになったら私たちは旅に出てないわけですね」
  "Ohase masika ba, warera ha kudara zara masi."
1.2.14  と、京の方を思ひやらるるに、 帰る浪もうらやましく、心細きに、舟子どもの荒々しき声にて、
 と、都の方ばかり思いやられて、寄せては返す波も羨ましく、かつ心細く思っている時に、舟子たちが荒々しい声で、
 こんなことを言って、京ばかりの思われるこの人たちの目には帰って行く波もうらやましかった。心細くなっている時に、船夫かこたちは荒々しい声で
  to, Kyou no kata wo omohiyara ruru ni, kaheru nami mo urayamasiku, kokorobosoki ni, hunako-domo no araarasiki kowe nite,
1.2.15  「 うらがなしくも、遠く来にけるかな
 「物悲しくも、こんな遠くまで来てしまったよ」
 「悲しいものだ、遠くへ来てしまった」
  "Uraganasiku mo, tohoku ki ni keru kana!"
1.2.16  と、歌ふを 聞くままに、二人さし向ひて泣きけり。
 と謡うのを聞くと、とたんに二人とも向き合って泣いたのであった。
 という意味のうたを唄う声が聞こえてきて、姉妹きょうだいは向かい合って泣いた。
  to, utahu wo kiku mama ni, hutari sasimukahi te naki keri.
1.2.17  「 舟人もたれを恋ふとか大島の
   うらがなしげに声の聞こゆる
 「舟人も誰を恋い慕ってか大島の浦に
  悲しい声が聞こえます
  船人もたれを恋ふるや大島の
  うら悲しくも声の聞こゆる
    "Hunabito mo tare wo kohu to ka Ohosima no
    uraganasige ni kowe no kikoyuru
1.2.18  「 来し方も行方も知らぬ沖に出でて
   あはれいづくに君を恋ふらむ
 「来た方角もこれから進む方角も分からない沖に出て
  ああどちらを向いて女君を恋い求めたらよいのでしょう
  し方も行方ゆくへも知らぬ沖にでて
  あはれ何処いづこに君を恋ふらん
    "Kosikata mo yukuhe mo sira nu oki ni ide te
    ahare iduku ni Kimi wo kohu ram
1.2.19   鄙の別れに 、おのがじし心をやりて言ひける。
 遠く都を離れて、それぞれに気慰めに詠むのであった。
 海の景色を見てはこんな歌も作っていた。
  Hina no wakare ni, onogazisi kokoro wo yari te ihi keru.
1.2.20   金の岬過ぎて、「われは忘れず」など、世とともの言種になりて、かしこに到り着きては、まいて遥かなるほどを思ひやりて、恋ひ泣きて、この君をかしづきものにて、明かし暮らす。
 金の岬を過ぎても、「我は忘れず」などと、明けても暮れても口ぐせになって、あちらに到着してからは、まして遠くに来てしまったことを思いやって、恋い慕い泣いては、この姫君を大切にお世話申して、明かし暮らしている。
 かねみさきを過ぎても「千早ちはや振る金の御崎みさきを過ぐれどもわれは忘れずしがのすめ神」という歌のように夕顔夫人を忘れることができずに娘たちは恋しがった。少弐一家は姫君をかしずき立てることだけを幸福に思って任地で暮らしていた。
  Kanenomisaki sugi te, "Ware ha wasure zu." nado, yo to tomo no kotogusa ni nari te, kasiko ni itari tuki te ha, maite haruka naru hodo wo omohiyari te, kohi naki te, kono Kimi wo kasiduki mono nite, akasi kurasu.
1.2.21  夢などに、いとたまさかに見えたまふ時などもあり。 同じさまなる女など、添ひたまうて見えたまへば、名残心地悪しく悩みなどしければ
 夢などに、ごく稀に現れなさる時などもある。同じ姿をした女などが、ご一緒にお見えになるので、その後に気分が悪く具合悪くなったりなどしたので、
 夢などにたまさか夕顔の君を見ることもあった。同じような女が横に立っているような夢で、その夢を見たあとではいつもその人が病気のようになることから、
  Yume nado ni, ito tamasaka ni miye tamahu toki nado mo ari. Onazi sama naru womna nado, sohi tamau te miye tamahe ba, nagori kokoti asiku nayami nado si kere ba,
1.2.22  「 なほ、世に亡くなりたまひにけるなめり
 「やはり、亡くなられたのだろう」
 もう死んでおしまいになったのであろう
  "Naho, yo ni nakunari tamahi ni keru na' meri."
1.2.23  と思ひなるも、いみじくのみなむ。
 と諦める気持ちになるのも、とても悲しい思いである。
 と、悲しいが思うようになった。
  to omohi naru mo, imiziku nomi nam.
注釈12母君の御行方を知らむ推量の助動詞「む」は意志、知りたいの意。1.2.1
注釈13さるべき所々『集成』は「心当りの諸方」。『完訳』は「しかるべき所」と訳す。1.2.1
注釈14さらばいかがはせむ以下「ほのめかさむ」まで、乳母の心中。「いかがはせむ」は反語表現。もはやどうしようもない、の意。1.2.2
注釈15父君にかつての頭中将(「帚木」巻)、現在は内大臣(「少女」巻に昇進)。1.2.2
注釈16さるべきたよりもなきうちに格助詞「に」の訳しかた、『集成』は「お知らせする適当なつてもない上に」(添加の意)。『完訳』は「しかるべきつてもないうちに」(時間の意)。1.2.3
注釈17母君のおはしけむ方も以下「たまふべきにもあらず」まで乳母たちの詞。「尋ね問ひたまはば」の主語は内大臣。1.2.4
注釈18まだよくも見なれたまはぬに主語は内大臣。1.2.5
注釈19うしろめたかるべし自分たち乳母らの気持ち。1.2.5
注釈20知りながらはた率て下りねと許したまふべきにもあらず「知りながら」の主語は内大臣。「下りね」は完了の助動詞「ぬ」の命令形。1.2.6
注釈21母の御もとへ行くか玉鬘の詞。あどけない表現。1.2.9
注釈22娘どもも乳母の娘たち。大宰少弍との間の子。玉鬘には乳母子、乳姉妹の関係になるが、既に娘盛りに近い。1.2.10
注釈23思ひこがるるを夕顔を。1.2.10
注釈24心若うおはせしものを以下「下らざらまし」まで、娘たちの詞。夕顔の人柄について語る。1.2.12
注釈25おはせましかば以下、姉の詞か。「ましかば--まし」反実仮想の構文。1.2.13
注釈26帰る浪もうらやましく『源氏釈』は「いとどしく過ぎ行く方の恋しきに羨ましくも帰る波かな」(後撰集羈旅、一三五二、在原業平・伊勢物語、七段)を指摘。1.2.14
注釈27うらがなしくも遠く来にけるかな舟子の唄。1.2.15
注釈28聞くままに「ままに」(名詞「まま」+格助詞「に」)〜するや否や、〜するなりすぐに、のニュアンス。1.2.16
注釈29舟人もたれを恋ふとか大島の--うらがなしげに声の聞こゆる姉の歌。「大島の浦」と「心(うら)悲し」の掛詞。『完訳』は「夕顔追慕の歌」と注す。1.2.17
注釈30来し方も行方も知らぬ沖に出でて--あはれいづくに君を恋ふらむ妹の唱和歌。『完訳』は「亡き夕顔に呼びかける歌」と注す。1.2.18
注釈31鄙の別れに『源氏釈』は「思ひきや鄙の別れに衰へて海人の縄たき漁りせむとは」(古今集雑下、九六一、小野篁)を指摘。1.2.19
注釈32金の岬過ぎて、われは忘れず「ちはやぶる金の岬を過ぎぬとも我は忘れず志賀の皇神」(万葉集巻七)。『集成』は「「我は忘れず」(夕顔のことはいつまでもわすれない)などということが」と注す。1.2.20
注釈33同じさまなる女など、添ひたまうて見えたまへば、名残心地悪しく悩みなどしければ『集成』は「夢に見えた女が魔性のものだからで、乳母も夕顔の身の上に何か変事が起ったのだろうと思う。某の院で枕上に立った女である」。『完訳』は「夕顔頓死の折、枕上に現れた女。源氏の夢にも現れた。乳母は真相を知らないが、語り手が理解して語る。尊敬語に注意、女は高貴」と注す。1.2.21
注釈34なほ世に亡くなりたまひにけるなめり乳母の心中。夕顔の死を思う。1.2.22
出典3 帰る浪もうらやましく いとどしく過ぎ行く方の恋しきにうらやましくも帰る浪かな 後撰集羈旅-一三五二 在原業平 1.2.14
出典4 鄙の別れ 思ひきや鄙の別に衰へて海人の縄たき漁りせむとは 古今集雑下-九六一 小野篁 1.2.19
出典5 金の岬過ぎて、「われは忘れず」 ちはやぶる金の岬を過ぐるとも我は忘れず志賀の皇神 万葉集巻七-一二三四 1.2.20
1.3
第三段 乳母の夫の遺言


1-3  The last will of nursemaid's husband

1.3.1   少弐、任果てて 上りなどするに、遥けきほどに、 ことなる勢ひなき人は、たゆたひつつ、すがすがしくも出で立たぬほどに、重き病して、死なむとする心地にも、 この君の十ばかりにもなりたまへるさまの、ゆゆしきまでをかしげなるを見たてまつりて、
 少弍は、任期が終わって上京などするのに、遠い旅路である上に、格別の財力もない人では、ぐずぐずしたまま思い切って旅立ちしないでいるうちに、重い病に罹って、死にそうな気持ちでいた時にも、姫君が十歳ほどにおなりになった様子が、不吉なまでに美しいのを拝見して、
 少弐は任期が満ちた時に出京しようと思ったが、出京して失職しているより、地方にこのままいるほうが生活の楽な点があって、思いきって上京することもようしなかった。その間に当人は重い病気になった。少弐は死ぬまぎわにも、もう十歳とおぐらいになっていて、非常に美しい姫君を見て、
  Seuni, nin hate te nobori nado suru ni, harukeki hodo ni, koto naru ikihohi naki hito ha, tayutahi tutu, sugasugasiku mo idetata nu hodo ni, omoki yamahi si te, si na m to suru kokoti ni mo, kono Kimi no towo bakari ni mo nari tamahe ru sama no, yuyusiki made wokasige naru wo mi tatematuri te,
1.3.2  「 我さへうち捨てたてまつりて、いかなるさまにはふれたまはむとすらむ。あやしき所に生ひ出でたまふも、かたじけなく思ひきこゆれど、いつしかも京に率てたてまつりて、さるべき人にも知らせたてまつりて、御宿世にまかせて見たてまつらむにも、都は広き所なれば、いと心やすかるべしと、思ひいそぎつるを、ここながら命堪へずなりぬること」
 「自分までがお見捨て申しては、どんなに落ちぶれなさろうか。辺鄙な田舎で成長なさるのも、恐れ多いことと存じているが、早く都にお連れ申して、しかるべき方にもお知らせ申し上げて、ご運勢にお任せ申し上げるにも、都は広い所だから、とても安心であろうと、準備していたが、自分はこの地で果ててしまいそうなことだ」
 「私までもお見捨てすることになれば、どんなに御苦労をなされることだろう、卑しい田舎いなかでお育ちになっていることももったいないことと思っておりましたが、そのうち京へお供して参って、御肉身のかたがたへお知らせ申し、その先はあなた様の運命に任せるといたしましても、京は広い所ですから、よいこともきっとあって、安心がさせていただけると思いまして、その実行を早く早くとあせるように思っておりましたが、希望の実現どころか、私はもうここで死ぬことになりました」
  "Ware sahe uti-sute tatematuri te, ikanaru sama ni hahure tamaha m to su ram? Ayasiki tokoro ni ohiide tamahu mo, katazikenaku omohi kikoyure do, itusika mo kyou ni wi te tatematuri te, sarubeki hito ni mo sira se tatematuri te, ohom-sukuse ni makase te mi tatematura m ni mo, miyako ha hiroki tokoro nare ba, ito kokoroyasukaru besi to, omohi isogi turu wo, koko nagara inoti tahe zu nari nuru koto."
1.3.3  と、うしろめたがる。男子三人あるに、
 と、心配している。男の子が三人いるので、
 と悲痛なことを言っていた。三人の男の子に、
  to, usirometagaru. Wonokogo mitari aru ni,
1.3.4  「 ただこの姫君、京に率てたてまつるべきことを思へ。わが身の孝をば、な思ひそ」
 「ただこの姫君を、都へお連れ申し上げることだけを考えなさい。私の供養など、考えなくてもよい」
 「おまえたちは何よりせねばならぬことを、姫君を京へお供することと思え。私のための仏事などはするに及ばん」
  "Tada kono Himegimi, kyau ni wi te tatematuru beki koto wo omohe. Waga mi no keu wo ba, na omohi so."
1.3.5  となむ言ひ置きける。
 と遺言していたのであった。
 と遺言をした。
  to nam ihioki keru.
1.3.6   その人の御子とは、館の人にも知らせず、ただ「孫のかしづくべきゆゑある」とぞ言ひなしければ、人に見せず、限りなくかしづききこゆるほどに、にはかに亡せぬれば、あはれに心細くて、ただ京の出で立ちをすれど、この少弐の仲悪しかりける国の人多くなどして、とざまかうざまに、懼ぢ憚りて、われにもあらで年を過ぐすに、この君、ねびととのひたまふままに、 母君よりもまさりてきよらに、父大臣の筋さへ加はればにや、品高くうつくしげなり。心ばせおほどかにあらまほしうものしたまふ。
 どなたのお子であるとは、館の人たちにも知らせず、ひたすら「孫で大切にしなければならない訳のある子だ」とだけ言いつくろっていたので、誰にも見せないで、大切にお世話申しているうちに、急に亡くなってしまったので、悲しく心細くて、ひたすら都へ出立しようとしたが、亡くなった少弍と仲が悪かった国の人々が多くいて、何やかやと、恐ろしく気遅れしていて、不本意にも年を越しているうちに、この君は、成人して立派になられていくにつれて、母君よりも勝れて美しく、父大臣のお血筋まで引いているためであろか、上品でかわいらしげである。気立てもおっとりとしていて申し分なくいらっしゃる。
 父君のだれであるかは自身の家の者にも言わずに、ただ大切にする訳のある孫であると言ってあって、大事にかしずいているうちに、こんなふうでにわかに死んだのであったから、家族は心細がって京への出立を急ぐのであるが、この国には故人の少弐に反感を持っていた人が多かったから、そんな際に報復を受けることが恐ろしくて、今しばらく今しばらくとはばかって暮らしている間にも、年月がどんどんたってしまった。妙齢になった姫君の容貌ようぼうは母の夕顔よりも美しかった。父親のほうの筋によるのか、気高けだかい美がこの人には備わっていた、性質も貴女きじょらしくおおようであった。
  Sono hito no mi-ko to ha, tati no hito ni mo sira se zu, tada "Mumago no kasiduku beki yuwe aru." to zo ihi nasi kere ba, hito ni mi se zu, kagirinaku kasiduki kikoyuru hodo ni, nihakani use nure ba, ahare ni kokorobosoku te, tada kyau no idetati wo sure do, kono Seuni no naka asikari keru kuni no hito ohoku nado si te, tozamakauzama ni, odi habakari te, ware ni mo ara de tosi wo sugusu ni, kono Kimi, nebi totonohi tamahu mama ni, Hahagimi yori mo masari te kiyora ni, titi-Otodo no sudi sahe kuhahare ba ni ya, sina takaku utukusige nari. Kokorobase ohodoka ni aramahosiu monosi tamahu.
注釈35少弐任果てて大宰少弐の任期は五年。1.3.1
注釈36上りなどするに大島本は「なと」とある。『新大系』は底本のままとする。『集成』『古典セレクション』は諸本に従って「なむと」と校訂する。1.3.1
注釈37ことなる勢ひなき人はたゆたひつつ『完訳』は「格別の勢力も財力もなく、旅費に困る。清貧潔白の行政官であったらしい」と注す。1.3.1
注釈38この君の十ばかりにもなりたまへるさまの玉鬘十歳に成長。1.3.1
注釈39我さへうち捨てたてまつりて以下「堪へずなりぬること」まで、少弐の心中。1.3.2
注釈40ただこの姫君以下「な思ひそ」まで、少弐の詞。男の子たちへの遺言。1.3.4
注釈41その人の御子とは内大臣を意識した敬語法。1.3.6
注釈42母君よりもまさりてきよらに母の夕顔よりも美人である。この物語で最高の美を表す「きよら」が使用されている。1.3.6
1.4
第四段 玉鬘への求婚


1-4  The proposals for Tamakazura

1.4.1   聞きついつつ、好いたる田舎人ども、心かけ消息がる、いと多かり。ゆゆしくめざましくおぼゆれば、誰も誰も聞き入れず。
 聞きつけ聞きつけては、好色な田舎の男どもが、懸想をして手紙をよこしたがる者が、多くいた。滅相もない身のほど知らずなと思われるので、誰も誰も相手にしない。
 故人の少弐の家に美しい娘のいるうわさを聞いて、好色な地方人などが幾人いくたりも結婚を申し込んだり、手紙を送って来たりする。失敬なことであるとも、とんでもないことであるとも思って、だれ一人これに好意を持ってやる者はなかった。
  Kikitui tutu, sui taru winakabito-domo, kokorokake seusoko-garu, ito ohokari. Yuyusiku mezamasiku oboyure ba, tare mo tare mo kikiire zu.
1.4.2  「 容貌などは、さてもありぬべけれど、いみじきかたはのあれば、人にも見せで尼になして、わが世の限りは持たらむ」
 「顔かたちなどは、まあ十人並と言えましょうが、ひどく不具なところがありますので、結婚させないで尼にして、私の生きているうちは面倒をみよう」
 「容貌はまず無難でも、不具なところが身体からだにある孫ですから、結婚はさせずに尼にして自分の生きている間は手もとへ置く」
  "Katati nado ha, satemo ari nu bekere do, imiziki kataha no are ba, hito ni mo mise de ama ni nasi te, waga yo no kagiri ha mo' tara m."
1.4.3  と言ひ散らしたれば、
 と言い触らしていたので、
 乳母めのとはこんなことを宣伝的に言っているのである。
  to ihitirasi tare ba,
1.4.4  「 故少弐の孫は、かたはなむあんなる」
 「亡くなった少弍殿の孫は、不具なところがあるそうだ」
 「少弐の孫は片輪かたわだそうだ、
  "Ko-Seuni no mumago ha, kataha nam an' naru."
1.4.5  「あたらものを」
 「惜しいことだわい」
 惜しいものだ、かわいそうに」
  "Atara mono wo!"
1.4.6  と、 言ふなるを聞くも ゆゆしく、
 と、人々が言っているらしいのを聞くのも忌まわしく、
 と人が言うのを聞くと、乳母はまた済まない気がして、
  to, ihu naru wo kiku mo yuyusiku,
1.4.7  「 いかさまにして、都に率てたてまつりて、父大臣に知らせたてまつらむ。いときなきほどを、いとらうたしと思ひきこえたまへりしかば、さりともおろかには思ひ捨てきこえたまはじ」
 「どのようにして、都にお連れ申して、父大臣にお知らせ申そう。幼い時分を、とてもかわいいとお思い申していられたから、いくら何でもいいかげんにお見捨て申されることはあるまい」
 「どんなにしても京へおつれしてお父様の殿様にお知らせしよう、まだごくお小さい時にも非常におかわいがりになっていたのだから、今になっても決してそまつにはあそばすまい」
  "Ikasama ni si te, miyako ni wi te tatematuri te, titi-Otodo ni sirase tatematura m? Itokinaki hodo wo, ito rautasi to omohi kikoye tamahe ri sika ba, saritomo oroka ni ha omohi sute kikoye tamaha zi."
1.4.8  など言ひ嘆くほど、仏神に願を立ててなむ念じける。
 などと言って嘆くとき、仏神に願かけ申して祈るのであった。
 と乳母は興奮する。それの実現されるように神や仏に願を立てていた。
  nado ihi nageku hodo, Hotoke Kami ni gwan wo tate te nam nenzi keru.
1.4.9  娘どもも男子どもも、所につけたるよすがども出で来て、住みつきにたり。心のうちにこそ急ぎ思へど、京のことはいや遠ざかるやうに隔たりゆく。 もの思し知るままに、世をいと憂きものに思して、 年三などしたまふ。 二十ばかりになりたまふままに、生ひととのほりて、いとあたらしくめでたし。
 娘たちも息子たちも、場所相応の縁も生じて住み着いてしまっていた。心の中でこそ急いでいたが、都のことはますます遠ざかるように隔たっていく。分別がおつきになっていくにつれて、わが身の運命をとても不幸せにお思いになって、年三の精進などをなさる。二十歳ほどになっていかれるにつれて、すっかり美しく成人されて、たいそうもったいない美人である。
 娘たちも息子むすこたちも土地の者と縁組みをして土着せねばならぬように傾いていく。心の中では忘れないが京はいよいよ遠い所になっていった。大人おとなになった姫君は、自身の運命を悲しんで一年の三度の長精進などもしていた。二十はたちぐらいになるとすべての美が完成されて、まばゆいほどの人になった。
  Musume-domo mo wonoko-domo mo, tokoro ni tuke taru yosuga-domo ideki te, sumituki ni tari. Kokoro no uti ni koso isogi omohe do, kyau no koto ha iya tohozakaru yau ni hedatari yuku. Mono obosi siru mama ni, yo wo ito uki mono ni obosi te, nensau nado si tamahu. Hatati bakari ni nari tamahu mama ni, ohi totonohori te, ito atarasiku medetasi.
1.4.10  この住む所は、肥前国とぞいひける。そのわたりにもいささか由ある人は、まづこの少弐の孫のありさまを聞き伝へて、なほ、絶えず訪れ来るも、いといみじう、耳かしかましきまでなむ。
 姫君の住んでいる所は、肥前の国と言った。その周辺で少しばかり風流な人は、まずこの少弍の孫娘の様子を聞き伝えて、断られても断られても、なおも絶えずやって来る者がいるのは、とても大変なもので、うるさいほどである。
 この少弐しょうに一家のいる所は肥前の国なのである。その辺での豪族などは、少弐の孫のうわさを聞いて、今でも絶えず結婚を申し込んでくる、うるさいほどに。
  Kono sumu tokoro ha, Hizennokuni to zo ihi keru. Sono watari ni mo isasaka yosi aru hito ha, madu kono Seuni no mumago no arisama wo kiki tutahe te, naho, taye zu otodure kuru mo, ito imiziu, mimi kasikamasiki made nam.
注釈43聞きついつつ『集成』は「姫君の評判をそれからそれへと聞き伝えて。「聞き継ぎつつ」の音便形」と注す。1.4.1
注釈44容貌などは以下「限りは持たらむ」まで、乳母の詞。1.4.2
注釈45故少弐の孫は以下「あたらものを」まで、人々の詞。1.4.4
注釈46言ふなるを聞くも大島本は「いふ(ふ+なる越)きくも」とある。すなわち「なるを」を補入する。『集成』『新大系』は底本の補入に従う。『古典セレクション』は底本の訂正以前と諸本に従って「言ふ」と校訂する。1.4.6
注釈47いかさまにして以下「きこえたまはじ」まで、乳母の詞。1.4.7
注釈48もの思し知るままに主語は玉鬘。1.4.9
注釈49年三一年のうち正月五月九月の三月のそれぞれ前半十五日間、持戒精進して仏菩薩の名号を唱えること。1.4.9
注釈50二十ばかりになりたまふままに玉鬘は筑紫に来て十六年たった。1.4.9
校訂1 なるを なるを--(/+なるを) 1.4.6
Last updated 9/21/2010(ver.2-3)
渋谷栄一校訂(C)
Last updated 11/19/2009(ver.2-2)
渋谷栄一注釈(C)
Last updated 11/25/2013
渋谷栄一訳(C)(ver.1-2-3)
現代語訳
与謝野晶子
電子化
上田英代(古典総合研究所)
底本
角川文庫 全訳源氏物語
校正・
ルビ復活
kompass(青空文庫)

2003年7月31日

渋谷栄一訳
との突合せ
若林貴幸、宮脇文経

2009年12月18日

Last updated 11/19/2009 (ver.2-2)
Written in Japanese roman letters
by Eiichi Shibuya (C)
Picture "Eiri Genji Monogatari"(1650 1st edition)
このページは再編集プログラムによって2015/1/12に出力されました。
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