第二十二帖 玉鬘


22 TAMAKADURA (Ohoshima-bon)


玉鬘の筑紫時代と光る源氏の太政大臣時代
三十五歳の夏四月から冬十月までの物語



Tale of Hikaru-Genji's Daijo-Daijin era, from April in the summer to October in the winter at the age of 35, and the tale of Tamakazura in the life of Tsukushi

2
第二章 玉鬘の物語 大夫監の求婚と筑紫脱出


2  Tale of Tamakazura  The denial of Gen's proposal and getting out of Tsukushi

2.1
第一段 大夫の監の求婚


2-1  Gen's proposal for Tamakazura

2.1.1   大夫監とて、肥後国に族広くて、かしこにつけてはおぼえあり、勢ひいかめしき兵ありけり。むくつけき心のなかに、いささか好きたる心混じりて、容貌ある女を集めて見むと思ひける。この姫君を聞きつけて、
 大夫の監といって、肥後の国に一族が広くいて、その地方では名声があって、勢い盛んな武士がいた。恐ろしい無骨者だがわずかに好色な心が混じっていて、美しい女性をたくさん集めて妻にしようと思っていた。この姫君の噂を聞きつけて、
 大夫たゆうげんと言って肥後に聞こえた豪族があった。その国ではずいぶん勢いのある男で、強大な武力を持っているのである。そんな田舎武士いなかざむらいの心にも、好色的な風流気があって、美人を多く妻妾さいしょうとして集めたい望みを持っているのである。少弐家の姫君のことを大夫の監は聞きつけて、
  Taihu-no-Gen tote, Higonokuni ni zou hiroku te, kasiko ni tuke te ha oboye ari, ikihohi ikamesiki tuhamono ari keri. Mukutukeki kokoro no naka ni, isasaka suki taru kokoro maziri te, katati aru womna wo atume te mi mu to omohi keru. Kono Himegimi wo kikituke te,
2.1.2  「 いみじきかたはありとも、我は見隠して持たらむ」
 「ひどい不具なところがあっても、私は大目に見て妻にしたい」
 「どんな不具なところがあっても、自分はその点を我慢することにして妻にしたい」
  "Imiziki kataha ari tomo, ware ha mi kakusi te mo' tara m."
2.1.3  と、いとねむごろに言ひかかるを、いとむくつけく思ひて、
 と、熱心に言い寄って来たが、とても恐ろしく思って、
 と懇切に求婚をしてきた。少弐の人たちは恐ろしく思った。
  to, ito nemgoro ni ihikakaru wo, ito mukutukeku omohi te,
2.1.4  「 いかで、かかることを聞かで、尼になりなむとす」
 「どうかして、このようなお話には耳をかさないで、尼になってしまおうとするのに」
 「どんないい縁談にも彼女は耳をかさないで尼になろうとしています」
  "Ikade, kakaru koto wo kika de, ama ni nari na m to su."
2.1.5  と、言はせたれば、いよいよあやふがりて、おして この国に越え来ぬ。
 と、言わせたところが、ますます気が気でなくなって、強引にこの国まで国境を越えてやって来た。
 と中に立った人から断わらせた。それを聞くと監は不安がって、自身で肥前へ出て来た。
  to, ihase tare ba, iyoiyo ayahugari te, osi te kono kuni ni koye ki nu.
2.1.6   この男子どもを呼びとりて、語らふことは、
 この男の子たちを呼び寄せて、相談をもちかけて言うことには、
 少弐家の息子たちを監は旅宿へ呼んで姫君との縁組みに助力を求めるのであった。
  Kono wonoko-domo wo yobitori te, katarahu koto ha,
2.1.7  「 思ふさまになりなば、同じ心に勢ひを交はすべきこと」
 「思い通りに結婚出来たら、同盟を結んで互いに力になろうよ」
 「成功すれば、両家は力になり合って、あなたがたに武力の後援を惜しむものですか」
  "Omohu sama ni nari na ba, onazi kokoro ni ikihohi wo kahasu beki koto."
2.1.8  など語らふに、二人は赴きにけり。
 などと持ちかけると、二人はなびいてしまった。
 などと言ってくれるげんに二人の息子だけは好意を持ちだした。
  nado katarahu ni, hutari ha omomuki ni keri.
2.1.9  「 しばしこそ、似げなくあはれと思ひきこえけれ、おのおの我が身のよるべと頼まむに、 いと頼もしき人なりこれに悪しくせられては、この近き世界にはめぐらひなむや」
 「最初のうちは、不釣り合いでかわいそうだと思い申していましたが、我々それぞれが後ろ楯と頼りにするには、とても頼りがいのある人物です。この人に悪く睨まれては、この国近辺では暮らして行けるものではないでしょう」
 「私たちも初めは不似合いな求婚者だ、お気の毒だと姫君のことを思ってましたが、考えてみると、自分たちの後ろ立てにするのには最も都合のいい有力な男ですから、この人に敵対をされては肥前あたりで何をすることも不可能だということがわかってきました。
  "Sibasi koso, nigenaku ahare to omohi kikoye kere, onoono wagami no yorube to tanoma m ni, ito tanomosiki hito nari. Kore ni asiku se rare te ha, kono tikaki sekai ni ha megurahi na m ya?"
2.1.10  「よき人の御筋といふとも、親に数まへられたてまつらず、 世に知らでは、何のかひかはあらむ。この人のかくねむごろに思ひきこえたまへるこそ、今は御幸ひなれ」
 「高貴なお血筋の方といっても、親に子として扱っていただけず、また世間でも認めてもらえなければ、何の意味がありましょうや。この人がこんなに熱心にご求婚申していられるのこそ、今ではお幸せというものでしょう」
 貴族の姫君だと言っても、父君が打っちゃってお置きになるし、世間からも認められていないではしかたがありません。こんなに熱心になっている監と結婚のできるのはかえって幸福だと思いますよ。
  "Yoki hito no sudi to ihu tomo, oya ni kazumahe rare tatematura zu, yo ni sira de ha, nani no kahi kaha ara m? Kono hito no kaku nemgoro ni omohi kikoye tamahe ru koso, ima ha ohom-saihahi nare."
2.1.11  「さるべきにてこそは、かかる 世界にもおはしけめ。逃げ隠れたまふとも、何のたけきことかはあらむ」
 「そのような前世からの縁があって、このような田舎までいらっしゃったのだろう。逃げ隠れなさろうとも、何のたいしたことがありましょうか」
 この宿命のあるために九州などへ姫君がおいでになることにもなったのでしょう。逃げ隠れをなすっても何になるものですか。
  "Sarubeki ni te koso ha, kakaru sekai ni mo ohasi keme. Nige kakure tamahu tomo, nani no takeki koto ka ha ara m?"
2.1.12  「負けじ魂に、怒りなば、 せぬことどもしてむ
 「負けん気を起こして、怒り出したら、とんでもないことをしかねません」
 負けてなんかいませんからね、監は。常識で考えられる以上の無茶なことでも監はしますよ」
  "Makezidanasihi ni, ikari na ba, se nu koto-domo si te m."
2.1.13   と言ひ脅せば、「いといみじ」と聞きて、 中の兄なる豊後介なむ、
 と脅し文句を言うので、「とてもひどい話だ」と聞いて、子供たちの中で長兄である豊後介は、
 と兄弟は家族をおどすのである。長兄の豊後介ぶんごのすけだけは監の味方でなかった。
  to ihi odose ba, "Ito imizi." to kiki te, naka no konokami naru Bungo-no-Suke nam,
2.1.14  「 なほ、いとたいだいしく、あたらしきことなり。故少弐ののたまひしこともあり。とかく構へて、京に上げたてまつりてむ」
 「やはり、とても不都合な、口惜しいことだ。故少弍殿がご遺言されていたこともある。あれこれと手段を講じて、都へお上らせ申そう」
 「もったいないことだ。少弐の御遺言があるのだから、自分はどうしてもこの際姫君を京へお供しましょう」
  "Naho, ito taidaisiku, atarasiki koto nari. Ko-Seuni no notamahi si koto mo ari. Tokaku kamahe te, kyau ni age tatematuri te m."
2.1.15  と言ふ。娘どもも泣きまどひて、
 と言う。娘たちも悲嘆に泣き暮れて、
 と母や妹に言う。女たちも皆泣いて心配していた。
  to ihu. Musume-domo mo naki madohi te,
2.1.16  「 母君のかひなくてさすらへたまひて、行方をだに知らぬかはりに、人なみなみにて見たてまつらむとこそ思ふに」
 「母君が何とも言いようのない状態でどこかへ行ってしまわれて、その行方をすら知らないかわりに、人並に結婚させてお世話申そうと思っていたのに」
 母君がどうおなりになったか知れないようなことになって、せめて姫君を人並みな幸福な方にしないではと、自分らは念じているのに、
  "Hahagimi no kahinaku te sasurahe tamahi te, yukuhe wo dani sira nu kahari ni, hito naminami nite mi tatematura m to koso omohu ni."
2.1.17  「さるものの中に混じりたまひなむこと」
 「そのような田舎者の男と一緒になろうとは」
 田舎武士いなかざむらいなどにとつがせておしまいすることなどは堪えうることでない
  "Saru mono no naka ni maziri tamahi na m koto."
2.1.18  と思ひ嘆くをも知らで、「 我はいとおぼえ高き身」と思ひて、文など書きておこす。手などきたなげなう書きて、唐の色紙、香ばしき香に入れしめつつ、をかしく書きたりと思ひたる言葉ぞ、 いとたみたりける。みづからも、この家の次郎を語らひとりて、うち連れて来たり。
 と言って嘆いているのも知らないで、「自分は大変に偉い人物と言われている身だ」と思って、懸想文などを書いてよこす。筆跡などは小奇麗に書いて、唐の色紙で香ばしい香を何度も何度も焚きしめた紙に、上手に書いたと思っている言葉が、いかにも田舎訛がまる出しなのであった。自分自身でも、この次男を仲間に引き入れて、連れ立ってやって来た。
 と思っていることも知らずに、自身の力を過信している監は、手紙を書いて送ってきたりするのである。字などもちょっときれいで、唐紙とうしに香のかおりのませたのに書いて来る手紙も、文章も物になってはいなかった。また自身も親しくなった少弐家の次男とつれ立ってたずねて来た。
  to omohi nageku wo mo sira de, "Ware ha ito oboye takaki mi." to omohi te, humi nado kaki te okosu. Te nado kitanage nau kaki te, kara no sikisi, kaubasiki ka ni ire sime tutu, wokasiku kaki tari to omohi taru kotoba zo, ito tami tari keru. Midukara mo, kono ihe no Zirou wo katarahitori te, uti-ture te ki tari.
注釈51大夫監大宰府の判官。大弐、少弐に次ぐ三等官で正六位下。特に従五位下に叙れたので「大夫」という。2.1.1
注釈52いみじきかたはありとも以下「見隠して持たらむ」まで、大夫監の詞。2.1.2
注釈53いかでかかることを以下「尼になりなむとす」まで、乳母の返事。2.1.4
注釈54この国に肥前国に。2.1.5
注釈55この男子どもを乳母の息子たち。2.1.6
注釈56思ふさまになりなば以下「交はすべきこと」まで、大夫監の詞。2.1.7
注釈57しばしこそ以下「せぬことどももしてむ」まで、二人の詞。2.1.9
注釈58いと頼もしき人なり大夫監をさす。2.1.9
注釈59これに悪しくせられては大夫監をさす。2.1.9
注釈60世に知らでは大島本は「よにしらてハ」とある。『新大系』は底本のままとする。『集成』『古典セレクション』は諸本に従って「世に知られでは」と受身の助動詞「れ」を補訂する。2.1.10
注釈61世界にもおはしけめ大島本は「おハしけめ」とある。『新大系』は底本のままとする。『集成』『古典セレクション』は諸本に従って「おはしましけめ」と「まし」を補訂する。2.1.11
注釈62せぬことどもしてむ大島本は「せぬ事ともしてん」とある。『新大系』は底本のままとする。『集成』『古典セレクション』は諸本に従って「せぬことどももしてむ」と係助詞「も」を補訂する。2.1.12
注釈63と言ひ脅せば次男三男が長兄や母に説得。2.1.13
注釈64中の兄なる豊後介兄弟三人の中の長男の豊後介の意。『完訳』は「この豊後介は任国に住んでいないらしい。任期が終って肥前国の小土豪と化しているか」と注す。2.1.13
注釈65なほいとたいだいしく以下「京へ上げたてまつりてむ」まで、豊後介の詞。2.1.14
注釈66母君の以下「混じりたまひなむこと」まで、娘たちの心中。「母君」は夕顔をさす。2.1.16
注釈67我はいと大夫監の振る舞いについて語る。2.1.18
注釈68いとたみたりける「迂 タミタリ・マガル・メグル」(名義抄)。「訛(た)む」と清音で読む。2.1.18
2.2
第二段 大夫の監の訪問


2-2  Gen's visit to Tamakazura

2.2.1   三十ばかりなる男の、丈高くものものしく太りて、きたなげなけれど、思ひなし疎ましく、荒らかなる振る舞ひなど、見るもゆゆしくおぼゆ。色あひ心地よげに、声いたう嗄れてさへづりゐたり。 懸想人は夜に隠れたるをこそ、よばひとは言ひけれ、さまかへたる春の夕暮なり。 秋ならねども、あやしかりけりと見ゆ。
 三十歳ぐらいの男で、背丈は高く堂々と太っていて、見苦しくないが、田舎者と思って見るせいか嫌らしい感じで、荒々しい動作などが、見えるのも忌まわしく思われる。色つやも元気もよく、声はひどくがらがら声でしゃべり続けている。懸想人は夜の暗闇に隠れて来てこそ、夜這いとは言うが、ずいぶんと変わった春の夕暮である。秋の季節ではないが、おかしな懸想人の来訪と見える。
 年は三十くらいの男で、背が高くて、ものものしく肥っている。きたなくは思われないが、いろいろ先入主になっていることがあって、見た感じがうとましい。荒々しい様子は見ただけでも恐ろしい気がした。血色がよくて快活ではあるが、れ声で語り散らす。求婚者は夜に訪問するものになっているが、これは風変わりな春の夕方のことであった。秋ではないが怪しい気持ち(何時いつとても恋しからずはあらねども秋の夕べは怪しかりけり)になったのかもしれない。
  Misodi bakari naru wonoko no, take takaku monomonosiku hutori te, kitanage nakere do, omohinasi utomasiku, araraka naru hurumahi nado, miru mo yuyusiku oboyu. Iroahi kokoti yoge ni, kowe itau kare te saheduri wi tari. Kesaubito ha yo ni kakure taru wo koso, yobahi to ha ihi kere, sama kahe taru haru no yuhugure nari. Aki nara ne domo, ayasikari keri to miyu.
2.2.2  心を破らじとて、 祖母おとど出で会ふ。
 機嫌を損ねまいとして、祖母殿が応対する。
 機嫌きげんをそこねまいとして未亡人のおとどが出て応接した。
  Kokoro wo yabura zi tote, oba-Otodo ide ahu.
2.2.3  「 故少弐の いと情けび、きらきらしくものしたまひしを、いかでかあひ語らひ申さむと思ひたまへしかども、さる心ざしをも見せ聞こえずはべりしほどに、いと悲しくて、隠れたまひにしを、その代はりに、一向に仕うまつるべくなむ、心ざしを励まして、今日は、いとひたぶるに、強ひてさぶらひつる。
 「故少弍殿がとても風雅の嗜み深くご立派な方でいらしたので、是非とも親しくお付き合いいただきたいと存じておりましたが、そうした気持ちもお見せ申さないうちに、たいそうお気の毒なことに、亡くなられてしまったが、その代わりにひたむきにお仕え致そうと、気を奮い立てて、今日はまことにご無礼ながら、あえて参ったのです。
 「おかくれになった少弐は人情味のたっぷりとあるりっぱなお役人でしたからぜひ御懇親を願いたいと思いながら、こちらの尊敬心をお見せできなかったうちにお気の毒に死んでおしまいになったから、そのかわりに御遺族へ敬意を表しようと思って、奮発して、一所懸命になって、しいて参りました。
  "Ko-Seuni no ito nasakebi, kirakirasiku monosi tamahi si wo, ikadeka ahikatarahi mausa m to omohi tamahe sika domo, saru kokorozasi wo mo mise kikoye zu haberi si hodo ni, ito kanasiku te, kakure tamahi ni si wo, sono kahari ni, ikkauni tukaumaturu beku nam, kokorozasi wo hagemasi te, kehu ha, ito hitaburu ni, sihite saburahi turu.
2.2.4  このおはしますらむ女君、筋ことにうけたまはれば、いとかたじけなし。ただ、なにがしらが 私の君と思ひ申して、いただきになむささげたてまつるべき。 おとどもしぶしぶにおはしげなることは、 よからぬ女どもあまたあひ知りてはべるを聞こしめし 疎むななり。さりとも、すやつばらを、 人並みにはしはべりなむや。わが君をば、后の位に落としたてまつらじものをや」
 こちらにいらっしゃるという姫君、格別高貴な血筋のお方と承っておりますので、とてももったいないことでございます。ただ、私めのご主君とお思い申し上げて、頭上高く崇め奉りましょうぞ。祖母殿がお気が進まないでいられるのは、良くない妻妾たちを大勢かかえていますのをお聞きになって嫌がられるのでございましょう。しかしながら、そんなやつらを、同じように扱いましょうか。わが姫君をば、后の地位にもお劣り申させない所存でありますものを」
 こちらにおいでになる姫君が御身分のいいことを私は聞いていて、尊敬申してますが、妻になっていただきたいのだ。我輩わがはいは一家の御主人と思って頭の上へ載せんばかりにしてですね、大事にいたしますよ。あなたがこの縁組みにあまり御賛成にならないというのは、私がこれまで幾人いくたりものつまらない女と関係してきたことで、いやがられているのではありませんか。たとえそんな女どもが私についているとしても、そいつらに姫君といっしょの扱いなどをするものですかい。我輩は姫君をきさきの位から落とすつもりはない」
  Kono ohasimasu ram Womnagimi, sudi koto ni uketamahare ba, ito katazikenasi. Tada, nanigasira ga watakusi no kimi to omohi mausi te, itadaki ni nam sasage tatematuru beki. Otodo mo sibusibu ni ohasige naru koto ha, yokara nu womna-domo amata ahisiri te haberu wo kikosimesi utomu na' nari. Saritomo, suyatubara wo, hitonami ni ha si haberi na m ya! Waga kimi wo ba, Kisaki no kurawi ni otosi tatematura zi mono wo ya!"
2.2.5  など、いとよげに言ひ続く。
 などと、とても良い話のように言い続ける。
 などと勝手なことをげんは言い続けた。
  nado, ito yoge ni ihi tuduku.
2.2.6  「 いかがは。かくのたまふを、いと幸ひありと思ひたまふるを、宿世つたなき人にやはべらむ、思ひ憚ることはべりて、 いかでか人に御覧ぜられむと、人知れず嘆きはべるめれば、心苦しう見たまへわづらひぬる」
 「いえどう致しまして。このようにおっしゃって戴きますのを、とても幸せなことと存じますが、薄幸の人なのでございましょうか、遠慮致した方が良いことがございまして、どうして人様の妻にさせて頂くことができましょうと、人知れず嘆いていますようなので、気の毒にと思ってお世話申し上げるにも困り果てているのでございます」
 「いえ、不賛成などと、そんなことはありません。非常に結構なお話だと私は思っているのですがね。何という不運なのでしょう、あの人は並み並みに一人前の女に成り切っていないところがありましてね、自分は結婚のできない身体からだだとあきらめていますが、かわいそうでも、私どもの力ではどうにもならないのでございます」
  "Ikaga ha? Kaku notamahu wo, ito saihahi ari to omohi tamahuru wo, sukuse tutanaki hito ni ya habera m, omohi habakaru koto haberi te, ikadeka hito ni goranze rare m to, hito sire zu nageki haberu mere ba, kokorogurusiu mi tamahe wadurahi nuru."
2.2.7  と言ふ。
 と言う。
 と、おとどは言った。
  to ihu.
2.2.8  「 さらに、な思し憚りそ。天下に、目つぶれ、足折れたまへりとも、なにがしは仕うまつりやめてむ。国のうちの仏神は、おのれになむ靡きたまへる」
 「またっく、そのようなことなどご遠慮なさいますな。万が一、目が潰れ、足が折れていらしても、私めが直して差し上げましょう。国中の仏神は、皆自分の言いなりになっているのだ」
 「決して遠慮をなさるには及びませんよ。どんな盲目めくらでも、いざりでも私はまもっていってあげます。我輩わがはいが人並みの身体に直してあげますよ。肥後一国の神仏は我輩の意志どおりに何事も加勢してくれますからね」
  "Sarani, na obosi habakari so. Tenka ni, me tubure, asi wore tamahe ri tomo, nanigasi ha tukaumaturi yame te m. Kuni no uti no Hotoke Kami ha, onore ni nam nabiki tamahe ru."
2.2.9  など、誇りゐたり。
 などと、大きなことを言っていた。
 などとげんは誇っていた。
  nado, hokori wi tari.
2.2.10  「 その日ばかり」と言ふに、「 この月は季の果てなり」など、田舎びたることを言ひ逃る。
 「何日の時に」と日取りを決めて言うので、「今月は春の末の月である」などと、田舎めいたことを口実に言い逃れる。
 結婚の日どりも何日いつごろというようなことを監が言うと、おとどのほうでは、今月は春の季の終わりで結婚によろしくないというような田舎めいた口実で断わる。
  "Sono hi bakari" to ihu ni, "Kono tuki ha ki no hate nari." nado, winakabi taru koto wo ihi nogaru.
注釈69三十ばかり河内本と別本(陽保)は「四十はかり」とある。2.2.1
注釈70懸想人は以下、語り手の挿入句。『集成』は「夜こっそりやって来るはずの求婚者が夕暮にやって来たというのだが、大夫の監をいかにも馬鹿にしきった感じの草子地」。『完訳』は「「見ゆ」まで、監の求婚ぶりを揶揄する語り手の評」と注す。2.2.1
注釈71秋ならねどもあやしかりけり『源氏釈』は「いつとても恋しからずはあらねども秋の夕はあやしかりけり」(古今集恋一、五四六、読人しらず)を指摘。2.2.1
注釈72祖母おとど乳母をいう。世間体には祖母と触れているのでこういう。『集成』は「やや諧謔の気味がある」と注す。2.2.2
注釈73故少弐の以下「たてまつらじものをや」まで、大夫監の詞。2.2.3
注釈74いと情けび『集成』は「いかにも風雅のたしなみ深く」。『完訳』は「人情深く立派であられたので」と訳す。2.2.3
注釈75私の君と思ひ申して内々の主君、個人的な主君。「公の主君」に対することば。2.2.4
注釈76おとども乳母をさす。婦人に対する敬称である。2.2.4
注釈77よからぬ女どもあまたあひ知りてはべるを大夫監の妻妾たちをさす。2.2.4
注釈78疎むななり「ななり」は断定助動詞(連体形)+伝聞推定助動詞。2.2.4
注釈79人並みにはしはべりなむや大島本は「ひとなみにハ」とある。『新大系』は底本のままとする。『集成』『古典セレクション』は諸本に従って「等しなみには」と校訂する。2.2.4
注釈80いかがは以下「わづらひぬる」まで、乳母の詞。2.2.6
注釈81いかでか人に御覧ぜられむと玉鬘の思い。「御覧ず」は結婚する意。2.2.6
注釈82さらに、な思し憚りそ以下「靡きたまへる」まで、大夫監の詞。不具な身体は神仏に祈って治してやるという。2.2.8
注釈83その日ばかり大夫監の詞、間接話法、実際は何月何日にと言ったものである。2.2.10
注釈84この月は季の果てなり乳母の詞、間接話法であろう。今三月である。季節の末の月は結婚を忌む風習があった。2.2.10
出典6 秋ならねども、あやしかりけり いつとても恋しからずはあらねども秋の夕べはあやしかりけり 古今集恋一-五四六 読人しらず 2.2.1
2.3
第三段 大夫の監、和歌を詠み贈る


2-3  Gen composes and sends waka to Tamakazura

2.3.1  下りて行く際に、歌詠ままほしかりければ、やや久しう思ひめぐらして、
 降りて行く際に、和歌を詠みたく思ったので、だいぶ長いこと思いめぐらして、
 縁側からりて行く時になって、監は歌を作って見せたくなった。やや長く考えてから言い出す。
  Ori te iku kiha ni, uta yoma mahosikari kere ba, yaya hisasiu omohi megurasi te,
2.3.2  「 君にもし心違はば松浦なる
   鏡の神をかけて誓はむ
 「姫君のお心に万が一違うようなことがあったら、どのような罰も受けましょうと
  松浦に鎮座まします鏡の神に掛けて誓います
  「君にもし心たがはば松浦まつらなる
  かがみの神をかけて誓はん
    "Kimi ni mosi kokoro tagaha ba Matura naru
    kagami no Kami wo kake te tikaha m
2.3.3   この和歌は、仕うまつりたりとなむ思ひたまふる」
 この和歌は、上手にお詠み申すことができたと我ながら存じます」
  この和歌は我輩の偽らない感情がうまく表現できたと思います」
  Kono waka ha, tukaumaturi tari to nam omohi tamahuru."
2.3.4  と、うち笑みたるも、 世づかずうひうひしや。あれにもあらねば、返しすべくも思はねど、娘どもに詠ますれど、
 と言って、微笑んでいるのも、不慣れで幼稚な歌であるよ。気が気ではなく、返歌をするどころではなく、娘たちに詠ませたが、
 と監は笑顔えがおを見せた。おとどはすべてのことが調子はずれな田舎武士に、返歌などをする気にはなれないのであったが、娘たちに歌をめと言うと、
  to, uti-wemi taru mo, yoduka zu uhiuhisi ya! Are ni mo ara ne ba, kahesi su beku mo omoha ne do, musume-domo ni yoma sure do,
2.3.5  「 まろは、ましてものもおぼえず
 「私は、さらに何することもできません」
 「私など、お母さんだってそうでしょう。自失しているていよ」
  "Maro ha, masite mono mo oboye zu."
2.3.6  とてゐたれば、いと久しきに 思ひわびて、うち思ひけるままに、
 と言ってじっとしていたので、とても時間が長くなってはと困って、思いつくままに、
 こう言って聞かない。おとどは興味のない返歌をやっと出まかせふうに言った。
  tote wi tare ba, ito hisasiki ni omohi wabi te, uti-omohi keru mama ni,
2.3.7  「 年を経て祈る心の違ひなば
   鏡の神をつらしとや見む
 「長年祈ってきましたことと違ったならば
  鏡の神を薄情な神様だとお思い申しましょう
  年を経て祈る心のたがひなば
  かがみの神をつらしとや見ん
    "Tosi wo he te inoru kokoro no tagahi na ba
    kagami no Kami wo turasi to ya mi m
2.3.8  とわななかし出でたるを、
 と震え声で詠み返したのを、
 先刻からの気味悪さにおとどはふるえ声になっていた。
  to wananakasi ide taru wo,
2.3.9  「 待てや。こはいかに仰せらるる」
 「待てよ。それはどういう意味なのでしょうか」
 「お待ちなさい。そのお返事の内容だが」
  "Mate ya! Ko ha ikani ohose raruru?"
2.3.10  と、ゆくりかに寄り来たるけはひに、おびえて、おとど、色もなくなりぬ。娘たち、さはいへど、心強く笑ひて、
 と、不意に近寄って来た様子に、怖くなって、乳母殿は、血の気を失った。娘たちは、さすがに、気丈に笑って、
 げんがのっそりと寄って来て、に落ちぬという顔をするのを見て、おとどは真青まっさおになってしまった。娘たちはあんなに言っていたものの、こうなっては気強く笑って出て行った。
  to, yukurika ni yoriki taru kehahi ni, obiye te, Otodo, iro mo nakunari nu. Musume-tati, sahaihe do, kokoroduyoku warahi te,
2.3.11  「 この人の、さまことにものしたまふを、 引き違へ、いづらは思はれむを、なほ、ほけほけしき人の、神かけて、聞こえひがめたまふなめりや」
 「姫君が、普通でない身体でいらっしゃるのを、せっかくのお気持ちに背きましたらなら、悔いることになりましょうものを、やはり、耄碌した人のことですから、神のお名前まで出して、うまくお答え申し上げ損ねられたのでしょう」
 「それはね、お嬢様が世間並みの方でないことから、母がこの御縁の成立した時に、恨めしくお思いにならないかということを、もうぼけております母が神様のお名などを入れて、変にんだだけの歌ですよ」
  "Kono hito no, sama koto ni monosi tamahu wo, hikitagahe, idura ha omoha re m wo, naho, hokehokesiki hito no, kami kake te, kikoye higame tamahu na' meri ya!"
2.3.12  と解き聞かす。
 と説明して上げる。
  とこじつけて聞かせた。正解したところで求婚者へのお愛想あいそ歌なのであるが、
  to toki kikasu.
2.3.13  「 おい、さり、さり」とうなづきて、
 「おお、そうか、そうか」とうなづいて、
 「ああもっとも、もっとも」とうなずいて、監は、
  "Oi, sari, sari." to unaduki te,
2.3.14  「 をかしき御口つきかな。なにがしら、田舎びたりといふ名こそはべれ、口惜しき民にははべらず。都の人とても、何ばかりかあらむ。みな知りてはべり。な思しあなづりそ」
 「なかなか素晴らしい詠みぶりであるよ。手前らは、田舎者だという評判こそござろうが、詰まらない民百姓どもではござりませぬ。都の人だからといって、何ということがあろうか。皆先刻承知でござる。けっして馬鹿にしてはなりませぬぞよ」
 「技巧が達者なものですね。我輩は田舎者ではあるが賤民じゃないのです。京の人でもたいしたものでないことを我輩は知っている。軽蔑けいべつしてはいけませんよ」
  "Wokasiki ohom-kutituki kana! Nanigasira, winakabi tari to ihu na koso habere, kutiwosiki tami ni ha habera zu. Miyako no hito tote mo, nani bakari ka ara m? Mina siri te haberi. Na obosi anaduri so."
2.3.15  とて、また、詠まむと思へれども、 堪へずやありけむ、往ぬめり
 と言って、もう一度、和歌を詠もうとしたが、とてもできなかったのであろうか、行ってしまったようである。
 と言ったが、もう一首歌を作ろうとして、できなかったのかそのまま帰って行った。
  tote, mata, yoma m to omohe re domo, tahe zu ya ari kem, inu meri.
注釈85君にもし心違はば松浦なる--鏡の神をかけて誓はむ大夫監の贈歌。「鏡」と「掛く」は縁語。2.3.2
注釈86この和歌は以下「思ひたまふる」まで、歌に添えた詞。『集成』は「「歌」と言わないで、「和歌」と言ったのは耳馴れぬ言葉づかいで、無骨な田舎者らしい感じであろう」と注す。2.3.3
注釈87世づかずうひうひしや語り手の評語。『集成』は「恋の道には不馴れで場違いな感じだ。嘲弄気味の草子地」。『完訳』「語り手の揶揄」と注す。2.3.4
注釈88まろはましてものもおぼえず乳母の娘の詞。2.3.5
注釈89思ひわびて大島本は「思わひて」とある。『新大系』は底本のままとする。『集成』『古典セレクション』は諸本に従って「思ひわづらひて」と校訂する。2.3.6
注釈90年を経て祈る心の違ひなば--鏡の神をつらしとや見む乳母の返歌。監の「心違はば」「鏡の神」の語句を受けて「心違ひなば」「鏡の神をつらしとや見む」と詠み返す。「年を経て祈る心」とは、大夫監との結婚ではなく上京のことをさす。2.3.7
注釈91待てや以下「仰せらるる」まで、大夫監の詞。『集成』は「これはいかなおっしゃりよう」。『完訳』は「これはなんと仰せられたか」と訳す。2.3.9
注釈92この人の以下「ひがめたまふなめりや」まで、娘たちの詞。玉鬘が不具者であることをいう。2.3.11
注釈93引き違へ、いづらは大島本は「ひきたかへい(△&い)つらハ」とある。すなわち元の文字「△」(判読不明、あるいは「へ」とあったか)を摺り消してその上に「い」と重ね書きする。『集成』は「引き違へば、つらく」と校訂し「このご縁談が駄目になったら、ひどいとお思いであろう気持を。「引き違へば」、歌の「違ひなば」を無理に解釈したもの。「れ」は軽い敬語」と注す。『新大系』『古典セレクション』は諸本に従って「ひき違へはべらば」と校訂する。『完訳』は「監との縁談がこわれたら、乳母が後悔するだろうという意味を。乳母の歌の「たがひなば」を、監に都合よく解釈して、老耄の人乳母の言いそこないだと、とりなす」と注す。2.3.11
注釈94おいさりさり大夫監の詞。納得の気持ち。2.3.13
注釈95をかしき御口つきかな以下「あなづりそ」まで、大夫監の詞。2.3.14
注釈96堪へずやありけむ往ぬめり語り手の推測。『完訳』は「語り手の辛辣な気持をこめた叙述」と注す。2.3.15
校訂2 堪へず 堪へず--たら(ら/$へ<朱>)す 2.3.15
2.4
第四段 玉鬘、筑紫を脱出


2-4  Tamakazura gets out of Tsukushi and goes up to Kyoto

2.4.1  次郎が語らひ取られたるも、いと恐ろしく心憂くて、この豊後介を責むれば、
 次男がまるめこまれたのも、とても怖く嫌な気分になって、この豊後介を催促すると、
 次郎がすっかりあちらがたになっているのを家族は憎みながらも、豊後介の助けを求めることが急であった。
  Zirau ga katarahi tora re taru mo, ito osorosiku kokorouku te, kono Bungo-no-Suke wo semure ba,
2.4.2  「 いかがは仕まつるべからむ。語らひあはすべき人もなし。まれまれの兄弟は、この監に同じ心ならずとて、仲違ひにたり。この監にあたまれては、いささかの身じろきせむも、所狭くなむあるべき。なかなかなる目をや見む」
 「さてどのようにして差し上げたらよいのだろうか。相談できる相手もいない。たった二人しかの弟たちは、その監に味方しないと言って仲違いしてしまっている。この監に睨まれては、ちょっとした身の動きも、思うに任せられまい。かえって酷い目に遭うことだろう」
 どうして姫君にお尽くしすればよいか、相談相手はなし、親身の兄弟までが監に反対すると言って、異端者扱いにして自分と絶交する始末である。監の敵になってはこの地方で何一つ仕事はできないだろう、手出しをしてかえって自分から不幸を招きはしまいかと豊後介は煩悶はんもんをしたのであるが、
  "Ikagaha tukamaturu bekara m? Katarahi ahasu beki hito mo nasi. Maremare no harakara ha, kono Gen ni onazi kokoro nara zu tote, nakatagahi ni tari. Kono Gen ni atamare te ha, isasaka no miziroki se m mo, tokoroseku nam aru beki. Nakanaka naru me wo ya mi m."
2.4.3  と、思ひわづらひにたれど、姫君の人知れず思いたるさまの、いと心苦しくて、 生きたらじと思ひ沈みたまへる、ことわりとおぼゆれば、 いみじきことを思ひ構へて出で立つ。妹たちも、 年ごろ経ぬるよるべを捨てて、この御供に出で立つ
 と、考えあぐんでいたが、姫君が人知れず思い悩んでいられるのが、とても痛々しくて、生きていたくないとまで思い沈んでいられるのが、ごもっともだと思われたので、思いきった覚悟をめぐらして上京する。妹たちも、長年過ごしてきた縁者を捨てて、このお供して出立する。
 姫君が口では何事も言わずにこのことで悲しんでいる様子を見ると、気の毒で、そうなれば死のうと決心している様子が道理に思われ、豊後介は苦しい策をして姫君の上京を助けることにした。妹たちも馴染なじんだ良人おっとを捨てて姫君について行くことになった。
  to, omohi wadurahi ni tare do, Himegimi no hito sire zu oboi taru sama no, ito kurusiku te, iki tara zi to omohi sidumi tamahe ru, kotowari to oboyure ba, imiziki koto wo omohi kamahe te idetatu. Imouto-tati mo, tosigoro he nuru yorube wo sute te, kono ohom-tomo ni idetatu.
2.4.4   あてきと言ひしは、今は兵部の君といふぞ、添ひて、夜逃げ出でて舟に乗りける。大夫の監は、肥後に帰り行きて、四月二十日のほどに、日取りて 来むとするほどに、かくて逃ぐるなりけり。
 あてきと言った娘は、今では兵部の君と言うが、一緒になって、夜逃げして舟に乗ったのであった。大夫の監は、肥後国に帰って行って、四月二十日のころにと、日取りを決めて嫁迎えに来ようとしているうちに、こうして逃げ出したのであった。
 あてきと言って、夕顔夫人の使っていた童女は兵部ひょうぶの君という女房になっていて、この女たちが付き添って、夜に家を出て船に乗った。大夫たゆうげんはいったん肥後へ帰って四月二十日ごろに吉日を選んで新婦を迎えに来ようとしているうちに、こうして肥前を脱出するのである。
  Ateki to ihi si ha, ima ha Hyaubu-no-kimi to ihu zo, sohi te, yo nigeide te hune ni nori keru. Taihu-no-Gen ha, Higo ni kaheri iki te, Uduki no hatuka no hodo ni, hi tori te ko m to suru hodo ni, kaku te niguru nari keri.
2.4.5   姉のおもとは、類広くなりて、え出で立たず。かたみに別れ惜しみて、あひ見むことの難きを思ふに、 年経つる故里とて、ことに見捨てがたきこともなし。ただ、松浦の宮の前の渚と、かの姉おもとの別るるをなむ、顧みせられて、悲しかりける。
 姉のおもとは、家族が多くなって、出立することができない。お互いに別れを惜しんで、再会することの難しいことを思うが、長年過ごした土地だからと言っても、格別去り難くもない。ただ、松浦の宮の前の渚と、姉おもとと別れるのが、後髪引かれる思いがして、悲しく思われるのであった。
 姉は子供もおおぜいになっていて同行ができないのである。行く人、残る人が名残なごりを惜しんで、また見る機会おりのないことを悲しむのであったが、行く人にとっては長い年月をここで送ったのではあっても、見捨てがたいほど心の残るものは何もこの土地になかった。ただ松浦の宮の前の海岸の風光と姉娘と別れることだけがだれにもつらかった。顧みもされた。
  Ane no Omoto ha, rui hiroku nari te, e idetata zu. Katamini wakare wosimi te, ahimi m koto no kataki wo omohu ni, tosi he turu hurusato tote, koto ni misute gataki koto mo nasi. Tada, Matura no Miya no mahe no nagisa to, kano ane-Omoto no wakaruru wo nam, kaherimi se rare te, kanasikari keru.
2.4.6  「 浮島を漕ぎ離れても行く方や
   いづく泊りと知らずもあるかな
 「浮き島のように思われたこの地を漕ぎ離れて行きますけれど
  どこが落ち着き先ともわからない身の上ですこと
  浮島うきしまぎ離れても行く方や
  いづくとまりと知らずもあるかな
    "Ukisima wo kogi hanare te mo yukukata ya
    iduku tomari to sira zu mo aru kana
2.4.7  「 行く先も見えぬ波路に舟出して
   風にまかする身こそ浮きたれ
 「行く先もわからない波路に舟出して
  風まかせの身の上こそ頼りないことです
  行くさきも見えぬ波路に船出して
  風に任する身こそ浮きたれ
    "Yukusaki mo miye nu namidi ni hunade si te
    kaze ni makasuru mi koso uki tare
2.4.8  いとあとはかなき心地して、うつぶし臥したまへり。
 とても心細い気がして、うつ伏していらっしゃった。
 初めのは兵部の作で、あとのは姫君の歌である。心細くて姫君は船でうつ伏しになっていた。
  Ito ato hakanaki kokoti si te, utubusi husi tamahe ri.
注釈97いかがは仕まつるべからむ以下「なかなかなる目をや見む」まで、豊後介の心中。2.4.2
注釈98生きたらじ監と結婚するくらいなら生きていたくない、意。2.4.3
注釈99いみじきことを思ひ構へて出で立つ『集成』は「思い切った計略をめぐらして」と訳す。2.4.3
注釈100年ごろ経ぬるよるべを捨ててこの御供に出で立つ長年連れ添ってきた夫を捨てて出立する。2.4.3
注釈101あてきと言ひしは『集成』は「「妹たち」のうちの一人。乳母の娘二人のうちの妹方だけが上京する。昔、童女としての名を「あてき」(貴君)といった娘が今は兵部の君と名乗っている、とここで説明する。父の少弐が、昔、京で兵部省に勤めていたのに因んだ呼び名であろう」。『完訳』は「後文で、兄豊後介の旧名が兵藤太と知られるので、これは兄の旧官職名によるか」と注す。2.4.4
注釈102姉のおもとは大島本は「あねのおもとハ」とある。『新大系』は底本のままとする。『集成』『古典セレクション』は諸本に従って「姉おもとは」と「の」を削除する。『集成』は「姉者人。兵部の君の姉。「おもと」は、婦人に対する敬称」と注す。2.4.5
注釈103年経つる故里とて九州の地に十六年を過す。兵部の君の心に即した叙述。2.4.5
注釈104浮島を漕ぎ離れても行く方や--いづく泊りと知らずもあるかな兵部の君の歌。将来の不安をいう。「浮き」に「憂き」を響かす。2.4.6
注釈105行く先も見えぬ波路に舟出して--風にまかする身こそ浮きたれ玉鬘の返歌。「浮島」の語句を受けて「身こそ浮きたれ」と返す。「浮き」に「憂き」を響かす。2.4.7
校訂3 来むと 来むと--こむ(む/+と<朱>) 2.4.4
校訂4 波路に 波路に--浪路と(と/$に<朱>) 2.4.7
2.5
第五段 都に帰着


2-5  Tamakazura arrives in Kyoto

2.5.1  「 かく、逃げぬるよし、おのづから 言ひ出で伝へば、負けじ魂にて、 追ひ来なむ」と思ふに、心も惑ひて、早舟といひて、さまことになむ構へたりければ、思ふ方の風さへ進みて、危ふきまで走り上りぬ。 響の灘もなだらかに過ぎぬ。
 「このように、逃げ出したことが、自然と人の口の端に上って知れたら、負けぬ気を起こして、後を追って来るだろう」と思うと、気もそぞろになって、早舟といって、特別の舟を用意して置いたので、その上あつらえ向きの風までが吹いたので、危ないくらい速くかけ上った。響灘も平穏無事に通過した。
 こうして逃げ出したことが肥後に知れたなら、負けぎらいな監は追って来るであろうと思われるのが恐ろしくて、この船は早船といって、普通以上の速力が出るように仕かけてある船であったから、ちょうど追い風も得て危ういほどにも早く京をさして走った。ひびきなだも無事に過ぎた。海上生活二、三日ののちである。
  "Kaku, nige nuru yosi, onodukara ihiide tutahe ba, makezidamasihi nite, ohi ki na m." to omohu ni, kokoro mo madohi te, hayabune to ihi te, sama koto ni nam kamahe tari kere ba, omohu kata no kaze sahe susumi te, ayahuki made hasiri nobori nu. Hibiki-no-nada mo nadaraka ni sugi nu.
2.5.2  「 海賊の舟にやあらむ。小さき舟の、飛ぶやうにて来る」
 「海賊船だろうか。小さい舟が、飛ぶようにしてやって来る」
 「海賊の船なんだろうか、小さい船が飛ぶように走って来る」
  "Kaizoku no hune ni ya ara m? Tihisaki hune no, tobu yau nite kuru."
2.5.3  など言ふ者あり。海賊のひたぶるならむよりも、かの恐ろしき人の追ひ来るにやと思ふに、せむかたなし。
 などと言う者がいる。海賊で向う見ずな乱暴者よりも、あの恐ろしい人が追って来るのではないかと思うと、どうすることもできない気分である。
 などと言う者がある。惨酷ざんこくな海賊よりも少弐しょうにの遺族は大夫たゆうげんをもっと恐れていて、その追っ手ではないかと胸を冷やした。
  nado ihu mono ari. Kaizoku no hitaburu nara m yori mo, kano osorosiki hito no ohi kuru ni ya to omohu ni, semkatanasi.
2.5.4  「 憂きことに胸のみ騒ぐ響きには
   響の灘もさはらざりけり
 「嫌なことに胸がどきどきしてばかりいたので
  それに比べれば響の灘も名前ばかりでした
  きことに胸のみ騒ぐひびきには
  響の灘も名のみなりけり
    "Uki koto ni mune nomi sawagu hibiki ni ha
    Hibiki-no-nada mo sahara zari keri
2.5.5  「 川尻といふ所、近づきぬ
 「河尻という所に、近づいた」
  と姫君は口ずさんでいた。川尻かわじりが近づいた
  "Kahaziri to ihu tokoro, tikaduki nu."
2.5.6  と言ふにぞ、すこし生き出づる心地する。例の、舟子ども、
 と言うので、少しは生きかえった心地がする。例によって、舟子たちが、
 と聞いた時に船中の人ははじめてほっとした。例の船子かこ
  to ihu ni zo, sukosi iki iduru kokoti suru. Rei no, hunako-domo,
2.5.7  「 唐泊より、川尻おすほどは
 「唐泊から、河尻を漕ぎ行くときは」
 「唐泊からどまりより川尻押すほどは」
  "Karadomari yori, Kahaziri osu hodo ha."
2.5.8  と歌ふ声の、情けなきも、あはれに聞こゆ。
 と謡う声が、無骨ながらも、心にしみて感じられる。
 とうたっていた。荒々しい彼らの声も身にんだ。
  to utahu kowe no, nasakenaki mo, ahare ni kikoyu.
2.5.9  豊後介、あはれになつかしう 歌ひすさみて
 豊後介がしみじみと親しみのある声で謡って、
 豊後介ぶんごのすけはしみじみする声で、
  Bungo-no-Suke, ahare ni natukasiu utahi susami te,
2.5.10  「 いとかなしき妻子も忘れぬ
 「とてもいとしい妻や子も忘れてしもた」
 愛する妻子も忘れて来た
  "Ito kanasiki meko mo wasure nu."
2.5.11  とて、思へば、
 と謡って、考えてみると、
 と歌われているとき、
  tote, omohe ba,
2.5.12  「 げにぞ、皆うち捨ててける。いかがなりぬらむ。はかばかしく身の助けと思ふ郎等どもは、皆率て来にけり。 我を悪しと思ひて、 追ひまどはして、いかがしなすらむ」と思ふに、「心幼くも、顧みせで、出でにけるかな」
 「なるほど、舟唄のとおり、皆、家族を置いて来たのだ。どうなったことだろうか。しっかりした役に立つと思われる家来たちは、皆連れて来てしまった。私のことを憎いと思って、妻子たちを放逐して、どんな目に遭わせるだろう」と思うと、「浅はかにも、後先のことも考えず、飛び出してしまったことよ」
 その歌のとおりに自分も皆捨てて来た、どうなるであろう、力になるような郎党は皆自分がつれて来てしまった。自分に対する憎悪ぞうおの念から大夫の監は彼らに復讐をしないであろうか、その点を考えないで幼稚な考えで、脱出して来た
  "Geni zo, mina utisute te keru. Ikaga nari nu ram? Hakabakasiku mi no tasuke to omohu raudou-domo ha, mina wi te ki ni keri. Ware wo asi to omohi te, ohi madohasi te, ikaga si nasu ram." to omohu ni, "Kokoro wosanaku mo, kaherimi se de, ide ni keru kana!"
2.5.13  と、すこし心のどまりてぞ、あさましき事を思ひ続くるに、心弱くうち泣かれぬ。
 と、少し心が落ち着いて初めて、とんでもないことをしたことを後悔されて、気弱に泣き出してしまった。
 と、こんなことが思われて、気の弱くなった豊後介は泣いた。
  to, sukosi kokoro nodomari te zo, asamasiki koto wo omohi tudukuru ni, kokoroyowaku uti-naka re nu.
2.5.14  「 胡の地の妻児をば虚しく棄て捐てつ
 「胡の地の妻児をば虚しく棄捐してしまった」
 「胡地妻子虚棄損こちのさいしをむなしくすつ
  "Ko no ti no seizi wo ba munasiku sute sute tu"
2.5.15  と誦ずるを、兵部の君聞きて、
 と詠じたのを、兵部の君が聞いて、
 とこう兄の歌っている声を聞いて
  to zu'zuru wo, Hyaubu-no-Kimi kiki te,
2.5.16  「 げに、あやしのわざや年ごろ従ひ来つる人の心にも、にはかに違ひて逃げ出でにしを、いかに思ふらむ」
 「ほんとうに、おかしなことをしてしまったわ。長年連れ添ってきた夫の心に、突然に背いて逃げ出したのを、どう思っていることだろう」
 兵部も悲しんだ。自分のしていることは何事であろう、愛してくれる男ににわかにそむいて出て来たことをどう思っているであろう
  "Geni, ayasi no waza ya! Tosigoro sitagahi ki turu hito no kokoro ni mo, nihaka ni tagahi te nige ide ni si wo, ikani omohu ram?"
2.5.17  と、さまざま思ひ続けらるる。
 と、さまざまに思わずにはいられない。
 と、こんなことが思われたのである。
  to, samazama omohi-tuduke raruru.
2.5.18  「帰る方とても、そこ所と行き着くべき故里もなし。知れる人と言ひ寄るべき頼もしき人もおぼえず。 ただ一所の御ためにより、ここらの年つき住み馴れつる世界を離れて、浮べる波風にただよひて、思ひめぐらす方なし。この人をも、いかにしたてまつらむとするぞ」
 「帰る所といっても、はっきりどこそこと落ち着くべき棲家もない。知り合いだといって頼りにできる人も頭に浮ばない。ただ姫君お一人のために、長い年月住み馴れた土地を離れて、あてどのない波風まかせの旅をして、何をどうしてよいのかわからない。この姫君を、どのようにして差し上げようと思っているのかしら」
 京へはいっても自分らは帰って行くやしきなどはない、知人の所といっても、たよって行ってよいほど頼もしい家もない、ただ一人の姫君のために生活の根拠のできていた土地を離れて、空想の世界へ踏み入ろうとする者であると豊後介は考えさせられた。
  "Kaheru kata tote mo, soko tokoro to ikituku beki hurusato mo nasi. Sire ru hito to ihiyoru beki tanomosiki hito mo oboye zu. Tada hitotokoro no ohom-tame ni yori, kokora no tosituki suminare turu sekai wo hanare te, ukabe ru namikaze ni tadayohi te, omohimegurasu kata nasi. Kono hito wo mo, ikani si tatematura m to suru zo?"
2.5.19  と、 あきれておぼゆれど、「いかがはせむ」とて、急ぎ入りぬ。
 と、途方に暮れているが、「今さらどうすることもできない」と思って、急いで京に入った。
 姫君をもどうするつもりでいるのであろうと自身であきれながらも今さらしかたがなくてそのまま一行は京へはいった。
  to, akire te oboyure do, "Ikagaha se m?" tote, isogi iri nu.
注釈106かく逃げぬるよし以下「追ひ来なむ」まで、乳母たちの心中。2.5.1
注釈107言ひ出で伝へば「言ひ伝ふ」(下二段)の未然形+係助詞「ば」の仮定条件を表す。2.5.1
注釈108追ひ来なむ「なむ」は、完了助動詞「な」+推量助動詞「む」。確述の意を表し、きっと〜するにちがいないのニュアンス。2.5.1
注釈109響の灘も「音に聞き目にはまだ見ぬ播磨なる響きの灘と聞くはまことか」(忠見集)。「響灘」は、今の播磨灘、当時の歌枕。2.5.1
注釈110海賊の舟にや以下「飛ぶやうにて来る」まで、舟子などの詞。2.5.2
注釈111憂きことに胸のみ騒ぐ響きには--響の灘もさはらざりけり乳母の歌。2.5.4
注釈112川尻といふ所近づきぬ舟子などの詞。「川尻」は淀川の河口。2.5.5
注釈113唐泊より川尻おすほどは舟子の唄う船歌。「唐泊」は今の姫路市的形町福泊かとされる。ここから淀川の河口まで三日の行程。2.5.7
注釈114歌ひすさみて大島本は「うたひすさみて」とある。『新大系』は底本の表記のままとする。『集成』『古典セレクション』は諸本に従って「歌ひすさびて」と校訂する。2.5.9
注釈115いとかなしき妻子も忘れぬ豊後介の歌。『集成』は「「韓泊より、川尻おすほどは」に続く歌詞と思われる」と注す。2.5.10
注釈116げにぞ皆以下「いかがしなすらむ」まで、豊後介の心中。「げに」は舟唄に納得する気持ち。2.5.12
注釈117追ひまどはして九州の地に残してきた妻子縁者を大夫監が、の意。2.5.12
注釈118胡の地の妻児をば虚しく棄て捐てつ豊後介の口ずさみ。「涼源の郷井をば見ること得ずなりぬ胡の地の妻児をば虚しく棄て捐てつ」(白氏文集巻三、縛戎人)。彼の漢籍に対する教養が窺える。『完訳』は「豊後介の、筑紫の妻子を捨てて都人にも迎えられぬのに重ねられる」と注す。2.5.14
注釈119げにあやしのわざや以下「いかに思ふらむ」まで、兵部の君の心中。女房ながらも『白氏文集』「縛戎人」の詩句が理解できるとは、かなりの教養である。2.5.16
注釈120年ごろ従ひ来つる人筑紫の地で結婚した夫をさす。2.5.16
注釈121ただ一所の御ためにより玉鬘をさす。2.5.18
注釈122あきれておぼゆれど『集成』は「成行きに任せるほかないという気持」と注す。2.5.19
出典7 胡の地の妻児をば虚しく棄て捐てつ 涼源郷井不得見 胡地妻児虚棄捐 白氏文集巻三-一四四 2.5.14
校訂5 我を 我を--我(我/+を) 2.5.12
Last updated 9/21/2010(ver.2-3)
渋谷栄一校訂(C)
Last updated 11/19/2009(ver.2-2)
渋谷栄一注釈(C)
Last updated 11/25/2013
渋谷栄一訳(C)(ver.1-2-3)
現代語訳
与謝野晶子
電子化
上田英代(古典総合研究所)
底本
角川文庫 全訳源氏物語
校正・
ルビ復活
kompass(青空文庫)

2003年7月31日

渋谷栄一訳
との突合せ
若林貴幸、宮脇文経

2009年12月18日

Last updated 11/19/2009 (ver.2-2)
Written in Japanese roman letters
by Eiichi Shibuya (C)
Picture "Eiri Genji Monogatari"(1650 1st edition)
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