第二十二帖 玉鬘


22 TAMAKADURA (Ohoshima-bon)


玉鬘の筑紫時代と光る源氏の太政大臣時代
三十五歳の夏四月から冬十月までの物語



Tale of Hikaru-Genji's Daijo-Daijin era, from April in the summer to October in the winter at the age of 35, and the tale of Tamakazura in the life of Tsukushi

3
第三章 玉鬘の物語 玉鬘、右近と椿市で邂逅


3  Tale of Tamakazura  Tamakazura happened to meet Ukon at Tsubaichi

3.1
第一段 岩清水八幡宮へ参詣


3-1  Tamakazura visits to Iwashimizu-shrine in Kyoto

3.1.1  九条に、昔知れりける人の残りたりけるを訪らひ出でて、その宿りを占め置きて、都のうちといへど、はかばかしき人の住みたるわたりにもあらず、あやしき市女、商人のなかにて、いぶせく世の中を思ひつつ、 秋にもなりゆくままに、来し方行く先、悲しきこと多かり。
 九条に、昔知っていた人で残っていたのを訪ね出して、その宿を確保して、都の中とは言っても、れっきとした人々が住んでいる辺りではなく、卑しい市女や、商人などが住んでいる辺りで、気持ちの晴れないままに、秋に移っていくにつれて、これまでのことや今後のこと、悲しいことが多かった。
 九条に昔知っていた人の残っていたのを捜し出して、九州の人たちは足どまりにした。ここは京の中ではあるがはかばかしい人の住んでいる所でもない町である。外で働く女や商人の多い町の中で、悲しい心を抱いて暮らしていたが、秋になるといっそう物事が身にんで思われて過去からも、未来からも暗い影ばかりが投げられる気がした。
  Kudeu ni, mukasi sire ri keru hito no nokori tari keru wo toburahi ide te, sono yadori wo simeoki te, miyako no uti to ihe do, hakabakasiki hito no sumi taru watari ni mo ara zu, ayasiki itime, akibito no naka nite, ibuseku yononaka wo omohi tutu, aki ni mo nari yuku mama ni, kisikata yukusaki, kanasiki koto ohokari.
3.1.2  豊後介といふ頼もし人も、ただ水鳥の陸に惑へる心地して、つれづれにならはぬありさまのたづきなきを思ふに、帰らむにもはしたなく、心幼く出で立ちにけるを思ふに、従ひ来たりし者どもも、類に触れて逃げ去り、本の国に帰り散りぬ。
 豊後介という頼りになる者も、ちょうど水鳥が陸に上がってうろうろしているような思いで、所在なく慣れない都の生活の何のつてもないことを思うにつけ、今さら国へ帰るのも体裁悪く、幼稚な考えから出立してしまったことを後悔していると、従って来た家来たちも、それぞれ縁故を頼って逃げ去り、元の国に散りじりに帰って行ってしまった。
 信頼されている豊後介も、京では水鳥が陸へ上がったようなもので、職を求める手蔓てづるも知らないのであった。今さら肥前へ帰るのも恥ずかしくてできないことであった。思慮の足りなかったことを豊後介は後悔するばかりであるが、つれて来た郎党も何かの口実を作って一人去り二人去り、九州へ逃げて帰る者ばかりであった。
  Bungo-no-Suke to ihu tanomosibito mo, tada midutori no kuga ni madohe ru kokoti si te, turedure ni naraha nu arisama no tadukinaki wo omohu ni, kahera m ni mo hasitanaku, kokorowosanaku idetati ni keru wo omohu ni, sitagahi ki tari si mono-domo mo, rui ni hure te nige sari, moto no kuni ni kaheri tiri nu.
3.1.3  住みつくべきやうもなきを、母おとど、明け暮れ嘆きいとほしがれば、
 落ち着いて住むすべもないのを、母乳母は、明けても暮れても嘆いて気の毒がっているので、
 無力な失職者になっている長男に同情したようなことを母のおとどが言うと、
  Sumituku beki yau mo naki wo, haha-Otodo, akekure nageki itohosigare ba,
3.1.4  「 何か。この身は、いとやすくはべり。人一人の御身に代へたてまつりて、いづちもいづちもまかり失せなむに咎あるまじ。我らいみじき勢ひになりても、若君をさるものの中にはふらしたてまつりては、何心地かせまし」
 「いやどうして。我が身には、心配いりません。姫君お一方のお身代わりとなり申して、どこへなりと行って死んでも問題ありますまい。自分がどんなに豪者となっても、姫君をあのような田舎者の中に放っておき申したのでは、どのような気がしましょうか」
 「私などのことは何でもありません。姫君をまもっていることができれば、自分の郎党などは一人もなくなってもいいのですよ。どんなに自分らが強力な豪族になったっても、姫君をああした野蛮な連中に取られてしまえば、精神的に死んでしまったのも同然ですよ」
  "Nanika? Kono mi ha, ito yasuku haberi. Hito hitori no ohom-mi ni kahe tatematuri te, iduti mo iduti mo makari use na m ni toga aru mazi. Warera imiziki ikihohi ni nari te mo, Wakagimi wo saru mono no naka ni hahurasi tatematuri te ha, nanigokoti ka se masi?"
3.1.5  と 語らひ慰めて
 と心配せぬよう慰めて、
 と豊後介は慰めるのであった。
  to katarahi nagusame te,
3.1.6  「 神仏こそは、さるべき方にも導き知らせたてまつりたまはめ。近きほどに、 八幡の宮と申すは、かしこにても参り祈り申したまひし松浦、筥崎、同じ社なり。かの国を離れたまふとても、多くの願立て申したまひき。今、都に帰りて、かくなむ御験を得てまかり上りたると、早く申したまへ」
 「神仏は、しかるべき方向にお導き申しなさるでしょう。この近い所に、八幡宮と申す神は、あちらにおいても参詣し、お祈り申していらした松浦、箱崎と、同じ社です。あの国を離れ去るときも、たくさんの願をお掛け申されました。今、都に帰ってきて、このように御加護を得て無事に上洛することができましたと、早くお礼申し上げなさい」
 「神仏のお力にすがればきっと望みの所へ導いてくださるでしょうから、おまいりをなさるがいいと思います。ここから近い八幡やわたの宮は九州の松浦、箱崎はこざきと同じ神様なのですから、あちらをお立ちになる時、お立てになった願もありますから、神の庇護で無事に帰京しましたというお礼参りをなさいませ」
  "Kami Hotoke koso ha, sarubeki kata ni mo mitibiki sirase tatematuri tamaha me. Tikaki hodo ni, Yahata-no-Miya to mausu ha, kasiko nite mo mawiri inori mausi tamahi si Matura, Hakozaki, onazi yasiro nari. Kano kuni wo hanare tamahu tote mo, ohoku no gwan tate mausi tamahi ki. Ima, miyako ni kaheri te, kaku nam ohom-sirusi wo e te makari nobori taru to, hayaku mausi tamahe."
3.1.7  とて、 八幡に詣でさせたてまつる。それのわたり知れる人に言ひ尋ねて、五師とて、早く 親の語らひし大徳残れるを呼びとりて、詣でさせたてまつる。
 と言って、岩清水八幡宮に御参詣させ申し上げる。その辺の事情をよく知っている者に問い尋ねて、五師といって、以前に亡き父親が懇意にしていた社僧で残っていたのを呼び寄せて、御参詣させ申し上げる。
 と豊後介は言って、姫君に八幡詣やわたまいりをさせた。八幡のことにくわしい人に聞いておいて、御師おしという者の中に、昔親の少弐が知っていた僧の残っているのを呼び寄せて、案内をさせたのである。
  tote, Yahata ni maude sase tatematuru. Sore no watari sire ru hito ni ihi tadune te, Gosi tote, hayaku oya no katarahi si daitoku nokore ru wo yobi tori te, maude sase tatematuru.
注釈123秋にもなりゆくままに上京したのが四月二十日前、「延喜式」によれば、都まで海路三十日とあるが、「思ふ方の風さへ進みて、あやふきまで走り上りぬ」とあったから四月の末ないし五月の初めには都に着いていたものと思われる。七月になった。3.1.1
注釈124何かこの身は以下「何心ちかせまし」まで、豊後介の詞。3.1.4
注釈125語らひ慰めて豊後介が母乳母を。3.1.5
注釈126神仏こそは以下「早く申したまへ」まで、豊後介の詞。3.1.6
注釈127八幡の宮岩清水八幡宮。3.1.6
注釈128八幡に詣でさせたてまつる豊後介が玉鬘を岩清水八幡宮に参詣させる。3.1.7
注釈129親の語らひし大徳故父大宰少弐が親しくしていた大徳の意。3.1.7
3.2
第二段 初瀬の観音へ参詣


3-2  Tamakazura visits to Hase-temple in Nara

3.2.1  「 うち次ぎては、仏の御なかには、初瀬なむ、日の本のうちには、あらたなる験現したまふと、唐土にだに聞こえあむなり。まして、わが国のうちにこそ、遠き国の境とても、 年経たまへれば、若君をば、まして恵みたまひてむ」
 「次いでは、仏様の中では、初瀬に、日本でも霊験あらたかでいらっしゃると、唐土でも評判の高いといいます。まして、わが国の中で、遠い地方といっても、長年お住みになったのだから、姫君には、なおさら御利益があるでしょう」
 「このつぎには、仏様の中で長谷はせの観音様は霊験のいちじるしいものがあると支那しなにまで聞こえているそうですから、お参りになれば、遠国にいて長く苦労をなすった姫君をきっとおあわれみになってよいことがあるでしょう」
  "Utitugite ha, Hotoke no ohom-naka ni ha, Hatuse nam, Hinomoto no uti ni ha, arata naru sirusi arahasi tamahu to, Morokosi ni dani kikoye am' nari. Masite, waga kuni no uti ni koso, tohoki kuni no sakahi tote mo, tosi he tamahe re ba, Wakagimi wo ba, masite megumi tamahi te m."
3.2.2  とて、出だし立てたてまつる。ことさらに徒歩よりと定めたり。ならはぬ心地に、いとわびしく苦しけれど、人の言ふままに、ものもおぼえで歩みたまふ。
 と言って、出発させ申し上げる。わざと徒歩で参詣することにした。慣れないこととて、とても辛く苦しいけれど、人の言うのにしたがって、無我夢中で歩いて行かれる。
 また豊後介は姫君に長谷詣はせもうでを勧めて実行させた。船や車を用いずに徒歩で行くことにさせたのである。かつて経験しない長いみちを歩くことは姫君に苦しかったが、人が勧めるとおりにして、つらさを忍んで夢中で歩いて行った。
  tote, idasitate tatematuru. Kotosarani kati yori to sadame tari. Naraha nu kokoti ni, ito wabisiku kurusikere do, hito no ihu mama ni, mono mo oboye de ayumi tamahu.
3.2.3  「 いかなる罪深き身にて、かかる世にさすらふらむ。わが親、世に亡くなりたまへりとも、われをあはれと思さば、おはすらむ所に誘ひたまへ。もし、世におはせば、御顔見せたまへ」
 「どのような前世の罪業深い身であったために、このような流浪の日を送るのだろう。わたしの母親が、既にお亡くなりになっていらっしゃろうとも、わたしをかわいそうだとお思いになってくださるなら、いらっしゃるところへお連れください。もし、この世に生きていらっしゃるならば、お顔をお見せください」
 自分は前生にどんな重い罪障があってこの苦しみに堪えねばならないのであろう、母君はもう死んでおいでになるにしても、自分を愛してくださるならその国へ自分をつれて行ってほしい。しかしまだ生きておいでになるのならお顔の見られるようにしていただきたい
  "Ikanaru tumi hukaki mi nite, kakaru yo ni sasurahu ram? Waga oya, yo ni nakunari tamahe ri tomo, ware wo ahare to obosa ba, ohasu ram tokoro ni sasohi tamahe. Mosi, yo ni ohase ba, ohom-kaho mise tamahe."
3.2.4  と、仏を念じつつ、ありけむさまをだにおぼえねば、ただ、「親おはせましかば」と、ばかりの悲しさを、嘆きわたりたまへるに、かくさしあたりて、身のわりなきままに、取り返しいみじくおぼえつつ、からうして、 椿市といふ所に、四日といふ巳の時ばかりに、生ける心地もせで、行き着きたまへり。
 と、仏に願いながら、生きていらしたときの面影をすら知らないので、ただ、「母親が生きていらしたら」と、ばかりの一途な悲しい思いを、嘆き続けていらっしゃったので、こうして今、慣れない徒歩の旅で、辛くて堪らないうちに、また改めて悲しい思いをかみしめながら、やっとのことで、椿市という所に、四日目の巳の刻ごろに、生きた心地もしないで、お着きになった。
 と姫君は観音を念じていた。姫君は母の顔を覚えていなかった。ただ漠然ばくぜんと親というものの面影を今日きょうまで心に作って来ているだけであったが、こうした苦難に身を置いては、いっそう親というものの恋しさが切実に感ぜられるのであった。ようやく椿市つばいちという所へ、京を出て四日めの昼前に、生きている気もしないで着いた。
  to, Hotoke wo nenzi tutu, ari kem sama wo dani oboye ne ba, tada, "Oya ohase masika ba." to, bakari no kanasisa wo, nageki watari tamahe ru ni, kaku sasiatari te, mi no warinaki mama ni, torikahesi imiziku oboye tutu, karausite, Tubaiti to ihu tokoro ni, yoka to ihu mi no toki bakari ni, ike ru kokoti mo se de, ikituki tamahe ri.
3.2.5  歩むともなく、とかくつくろひたれど、 足のうら動かれず、わびしければ、せむかたなくて休みたまふ。この頼もし人なる介、弓矢持ちたる人二人、さては下なる者、童など三、四人、女ばらある限り三人、壺装束して、樋洗めく者、古き下衆女二人ばかりとぞある。
 歩くともいえないありさまで、あれこれとどうにかやって来たが、もう一歩も歩くこともできず、辛いので、どうすることもできずお休みになる。この一行の頼りとする豊後介、弓矢を持たせている者が二人、その他には下衆と童たち三、四人、女性たちはすべてで三人、壷装束姿で、樋洗童女らしい者と老婆の下衆女房とが二人ほどいた。
 姫君は歩行らしい歩行もできずに、しかもいろいろな方法で足を運ばせて来たが、もう足の裏がれて動かせない状態になって椿市で休息をしたのである。頼みにされている豊後介と、弓矢を持った郎党が二人、そのほかはしもべと子供侍が三、四人、姫君の付き添いの女房は全部で三人、これは髪の上から上着を着た壺装束つぼしょうぞくをしていた。それから下女が二人、
  Ayumu to mo naku, tokaku tukurohi tare do, asi no ura ugoka re zu, wabisikere ba, semkatanaku te yasumi tamahu. Kono tanomosibito naru Suke, yumiya moti taru hito hutari, sateha simo naru mono, waraha nado mitari, yotari, womnabara aru kagiri mitari, tubosauzoku si te, hisumasi meku mono, huruki gesuwomna hutari bakari to zo aru.
3.2.6  いとかすかに忍びたり。大御燈明のことなど、ここにてし加へなどするほどに日暮れぬ。家主人の法師、
 ひどく目立たないようにしていた。仏前に供えるお灯明など、ここで買い足しなどをしているうちに日が暮れた。宿の主人の法師が、
 これが一行で、派手はでな長谷詣りの一行ではなかった。寺へ燈明料を納めたりすることをここで頼んだりしているうちに日暮れ時になった。この家の主人あるじである僧が向こうで言っている。
  Ito kasuka ni sinobi tari. Ohomiakasi no koto nado, koko nite si kuhahe nado suru hodo ni hi kure nu. Ihearuzi no hohusi,
3.2.7  「 人宿したてまつらむとする所に、何人のものしたまふぞ。あやしき女どもの、心にまかせて」
 「他の方をお泊め申そうとしているお部屋に、どなたがお入りになっているのですか。下女たちが、勝手なことをして」
 「私には今夜泊めようと思っているお客があったのだのに、だれを勝手に泊めてしまったのだ、物知らずの女どもめ、相談なしに何をしたのだ」
  "Hito yadosi tatematura m to suru tokoro ni, nanibito no monosi tamahu zo? Ayasiki womna-domo no, kokoro ni makase te."
3.2.8  とむつかるを、めざましく聞くほどに、 げに、人びと来ぬ
 と不平を言うのを、失礼なと思って聞いているうちに、なるほど、その人々が来た。
  おこっているのである。
  to mutukaru wo, mezamasiku kiku hodo ni, geni, hitobito ki nu.
注釈130うち次ぎては以下「恵みたまひてむ」まで、豊後介の詞。3.2.1
注釈131年経たまへれば大島本は「としへ給えれハ」と表記する。『新大系』は「年経え(へ)れば」と整定する。『集成』『古典セレクション』は諸本に従って「年経たまひつれば」と校訂する。3.2.1
注釈132いかなる罪深き身にて以下「顔見せたまへ」まで、玉鬘の心中。3.2.3
注釈133椿市といふ所に四日といふ巳の時ばかりに京から椿市までは牛車で三日の行程であった。玉鬘は徒歩で四日目の巳の刻(午前十時頃)に到着した。3.2.4
注釈134足のうら動かれず『集成』は「もう一歩も踏み出せず」。『完訳』は「足の裏が動こうにも動かれず」と訳す。3.2.5
注釈135人宿したてまつらむと以下「心にまかせて」まで、家主の詞。3.2.7
注釈136げに人びと来ぬ家主の言葉通りの意。3.2.8
3.3
第三段 右近も初瀬へ参詣


3-3  Ukon visits to Hase-temple too

3.3.1  これも徒歩よりなめり。よろしき女二人、下人どもぞ、男女、数多かむめる。馬四つ、五つ牽かせて、いみじく忍びやつしたれど、きよげなる男どもなどあり。
 この一行も徒歩でのようである。身分の良い女性が二人、下人どもは、男女らが、大勢のようである。馬を四、五頭牽かせたりして、たいそうひっそりと人目に立たないようにしていたが、こざっぱりとした男性たちが従っている。
 九州の一行は残念な気持ちでこれを聞いていたが、僧の言ったとおりに参詣者の一団が町へはいって来た。これも徒歩で来たものらしい。主人らしいのは二人の女で召使の男女の数は多かった。馬も四、五匹引かせている。目だたぬようにしているが、きれいな顔をした侍などもついていた。
  Kore mo kati yori na' meri. Yorosiki womna hutari, simobito-domo zo, wotoko womna, kazu ohokam meru. Muma yotu, itutu hikase te, imiziku sinobi yatusi tare do, kiyoge naru wotoko-domo nado ari.
3.3.2  法師は、せめてここに宿さまほしくして、頭掻きありく。いとほしけれど、また、宿り替へむもさま悪しくわづらはしければ、 人びとは奥に入り、他に隠しなどして、かたへは片つ方に寄りぬ。 軟障などひき隔てて おはします
 法師は、無理してもこの一行を泊まらせたく思って、頭を掻きながらうろうろしている。気の毒であるが、また一方、宿を取り替えるのも体裁が悪くめんどうだったので、人々は奥の方に入り、下衆たちは目に付かないようなところに隠して、他の人たちは片端に寄った。幕などを間に引いていらっしゃる。
 主人の僧は先客があってもその上にどうかしてこの連中を泊めようとして、道に出て頭をきながら、ひょこひょこと追従ついしょうをしていた。かわいそうな気はしたが、また宿を変えるのも見苦しいことであるし、面倒めんどうでもあったから、ある人々は奥のほうへはいり、残りの人々はまた見えない部屋へやのほうへやったりなどして、姫君と女房たちとだけはもとの部屋の片すみのほうへ寄って、幕のようなもので座敷の仕切りをして済ませていた。
  Hohusi ha, semete koko ni yadosa mahosiku site, kasira kaki ariku. Itohosikere do, mata, yadori kahe m mo sama asiku wadurahasikere ba, hitobito ha oku ni iri, hoka ni kakusi nado si te, katahe ha katatukata ni yori nu. Ze'zyau nado hiki hedate te ohasimasu.
3.3.3   この来る人も恥づかしげもなし。いたうかいひそめて、かたみに心づかひしたり。
 この新客も気の置ける相手ではない。ひどくこっそりと目立たないようにして、互いに気を遣っていた。
 あとの客も無作法な人たちではなかった。遠慮深く静かで、双方ともつつましい相い客になっていた。
  Kono kuru hito mo hadukasige mo nasi. Itau kai-hisome te, katamini kokorodukahi si tari.
3.3.4   さるは、かの世とともに恋ひ泣く右近なりけり。年月に添へて、はしたなき交じらひのつきなくなりゆく身を思ひなやみて、この御寺になむたびたび詣でける。
 それが実は、あの何年も主人を恋い慕っていた右近なのであった。年月がたつにつれて、中途半端な女房仕えが似つかわしくなっていく身を思い悩んで、このお寺に度々参詣していたのであった。
 このあとから来た女というのは、姫君を片時も忘れずに恋しがっている右近であった。年月がたつにしたがって、いつまでも続けている女房勤めも気がさすように思われて、煩悶はんもんのある心の慰めに、この寺へたびたびまいっているのである。
  Saruha, kano yo to tomoni kohi naku Ukon nari keri. Tosituki ni sohe te, hasitanaki mazirahi no tukinaku nariyuku mi wo omohi nayami te, kono mi-tera ni nam tabitabi maude keru.
3.3.5  例ならひにければ、かやすく構へたりけれど、徒歩より歩み堪へがたくて、寄り臥したるに、この豊後介、隣の軟障のもとに寄り来て、 参り物なるべし、折敷手づから取りて、
 いつもの馴れたことなので、身軽な旅支度であったが、徒歩での旅は我慢のできないほど疲れて、物に寄りかかって臥していると、この豊後介が、隣の幕の側に近寄って来て、お食事なのであろう、折敷を自分で持って、
 長い間の経験で徒歩の旅を大儀とも何とも思っているのではなかったが、さすがに足はくたびれて横になっていた。こちらの豊後介は幕の所へ来て、食事なのであろう、自身で折敷おしきを持って言っていた。
  Rei narahi ni kere ba, kayasuku kamahe tari kere do, kati yori ayumi tahegataku te, yorihusi taru ni, kono Bungo-no-Suke, tonari no ze'zyau no moto ni yoriki te, mawiri mono naru besi, wosiki tedukara tori te,
3.3.6  「 これは、御前に参らせたまへ。御台などうちあはで、いとかたはらいたしや」
 「これは、御主人様に差し上げてください。お膳などが整わなくて、たいそう恐れ多いことですが」
 「これを姫君に差し上げてください。ぜんや食器なども寄せ集めのもので、まったく失礼なのです」
  "Kore ha, omahe ni mawira se tamahe. Mi-dai nado uti-aha de, ito kataharaitasi ya!"
3.3.7  と言ふを聞くに、「わが並の人にはあらじ」と思ひて、物のはさまより覗けば、この男の顔、見し心地す。誰とはえおぼえず。いと若かりしほどを見しに、太り黒みてやつれたれば、多くの年隔てたる目には、ふとしも見分かぬなりけり。
 と言うのを聞くと、「自分と同じような身分の者ではあるまい」と思って、物の間から覗くと、この男の顔、見たことのある気がする。しかし誰とも思い出せない。たいそう若かった時を見たのだが、太って色黒くなって粗末な身なりをしていたので、長い年月の間を経た目では、すぐには見分けることができなかったのであった。
 右近はこれを聞いていて、隣にいる人は自分らの階級の人ではないらしいと思った。幕の所へ寄ってのぞいて見たが、その男の顔に見覚えのある気がした。だれであるかはまだわからない。豊後介のごく若い時を知っている右近は、肥えて、そうして色も黒くなっている人を今見て、直ぐには思い出せないのである。
  to ihu wo kiku ni, "Waga nami no hito ni ha ara zi." to omohi te, mono no hasama yori nozoke ba, kono wotoko no kaho, mi si kokoti su. Tare to ha e oboye zu. Ito wakakari si hodo wo mi si ni, hutori kuromi te yature tare ba, ohoku no tosi hedate taru me ni ha, huto simo miwaka nu nari keri.
3.3.8  「 三条、ここに召す
 「三条、お呼びです」
 「三条、お召しですよ」
  "Samdeu, koko ni mesu."
3.3.9  と呼び寄する女を見れば、また見し人なり。
 と呼び寄せる女を見ると、これもまた見た人なのであった。
 と呼ばれて出て来る女を見ると、それも昔見た人であった。
  to yobiyosuru womna wo mire ba, mata mi si hito nari.
3.3.10  「 故御方に、下人なれど、久しく仕うまつりなれて、かの隠れたまへりし御住みかまでありし者なりけり」
 「亡くなったご主人に、下人であるが、長い間お仕えしていて、あの隠してお住みになった所までお供していた者であったよ」
 昔の夕顔夫人に、下の女房ではあったが、長く使われていて、あの五条の隠れ家にまでも来ていた女であることがわかった
  "Ko-ohom-kata ni, simobito nare do, hisasiku tukaumaturi nare te, kano kakure tamahe ri si ohom-sumika made arisi mono nari keri!"
3.3.11  と見なして、いみじく夢のやうなり。主とおぼしき人は、いとゆかしけれど、見ゆべくも構へず。思ひわびて、
 と見て取ると、まるで夢のような心地である。主人と思われる方は、とても見たい気がするが、とても見えるようなしつらいではない。困って、
 右近は、夢のような気がした。主人である人の顔を見たく思っても、それはのぞいて見られるようなふうにはしていなかった。思案の末に右近は三条に聞いてみよう、
  to minasi te, imiziku yume no yau nari. Siu to obosiki hito ha, ito yukasikere do, miyu beku mo kamahe zu. Omohiwabi te,
3.3.12  「 この女に問はむ。兵藤太といひし人も、これにこそあらめ。姫君のおはするにや」
 「この女に尋ねよう。兵藤太と言った人も、この男であろう。姫君がいらっしゃるのかしら」
 兵藤太ひょうとうだと昔言われた人もこの男であろう、姫君がここにおいでになるのであろうか
  "Kono womna ni toha m. Hyau-Touta to ihi si hito mo, kore ni koso ara me. Himegimi no ohasuru ni ya?"
3.3.13  と思ひ寄るに、いと心もとなくて、この中隔てなる三条を呼ばすれど、食ひ物に心入れて、とみにも来ぬ、 いと憎しとおぼゆるも、うちつけなりや
 と思い及ぶと、とても気もそぞろになって、この中仕切りの所にいる三条を呼ばせたが、食事に夢中になっていて、すぐには来ない。ひどく憎らしく思われるのも、せっかちというものである。
 と思うと、気が急いで、そしてまた不安でならないのであった。幕の所から三条を呼ばせたが、熱心に食事をしている女はすぐに出て来ないのを右近は憎くさえ思ったが、それは勝手すぎた話である。
  to omohiyoru ni, ito kokoromotonaku te, kono nakahedate naru Samdeu wo yoba sure do, kuhimono ni kokoro ire te, tomini mo ko nu, ito nikusi to oboyuru mo, utituke nari ya!
注釈137人びとは奥に入り他に隠しなどして先客の玉鬘一行の人々をさす。3.3.2
注釈138軟障部屋を仕切る幕。3.3.2
注釈139おはします主語は玉鬘。3.3.2
注釈140この来る人も恥づかしげもなし右近一行をさす。『完訳』は「このやってきた人たちは、こちらで気のおけるほどの客でもなさそうである」。玉鬘一行と同程度ぐらいという意。3.3.3
注釈141さるはかの世とともに恋ひ泣く右近なりけり語り手の真相を明かす挿入文。当事者同士はまだ気づいていない。予め読者に知らせて登場人物たちがそれにいつ気づくかきたを持たせた語り口。『集成』は「この巻の冒頭に右近のことを書いた作者の用意がここに至って知られる」。『完訳』は「じつは--、として、語り手が新来の客の素姓に気づいて語る体。文末の「けり」の重畳にも注意」と注す。3.3.4
注釈142参り物なるべし語り手の挿入句。3.3.5
注釈143これは御前に以下「かたはらいたしや」まで、豊後介の詞。3.3.6
注釈144三条ここに召す女房の詞。3.3.8
注釈145故御方に下人なれど「故御方」は夕顔をさす。以下「ありし者なりけり」まで、右近の心中。3.3.10
注釈146この女に問はむ以下「おはするにや」まで、右近の心中。3.3.12
注釈147いと憎しとおぼゆるも、うちつけなりや語り手の挿入句。『集成』は「「うちつけなりや」は草子地」。『完訳』は「右近のせっかちぶりを評す」と注す。3.3.13
3.4
第四段 右近、玉鬘に再会す


3-4  Ukon meets Tamakazura by chance at Tsubaichi

3.4.1  からうして、
 やっとして、
 やっと出て来た。
  Karausite,
3.4.2  「 おぼえずこそはべれ筑紫の国に、二十年ばかり経にける下衆の身を、知らせたまふべき京人よ。人違へにやはべらむ」
 「身に覚えのないことです。筑紫の国に、二十年ほど過ごした下衆の身を、ご存知の京の人がいようとは。人違いでございましょう」
 「どうもわかりません。九州に二十年も行っておりました卑しい私どもを知っておいでになるとおっしゃる京のお方様、お人違いではありませんか」
  "Oboye zu koso habere. Tukusi no kuni ni, hatatose bakari he ni keru gesu no mi wo, sira se tamahu beki kyaubito yo! Hitotagahe ni ya habera m."
3.4.3  とて、寄り来たり。田舎びたる掻練に など着て、いといたう太りにけり。 わが齢もいとどおぼえて恥づかしけれど、
 と言って、近寄って来た。田舎者めいた掻練の上に衣などを着て、とてもたいそう太っていた。自分の年もますます思い知らされて、恥ずかしかったが、
 と言う。田舎いなか風に真赤まっか掻練かいねりを下に着て、これも身体からだは太くなっていた。それを見ても自身の年が思われて、右近は恥ずかしかった。
  tote, yoriki tari. Winakabi taru kaineri ni kinu nado ki te, ito itau hutori ni keri. Waga yohahi mo itodo oboye te hadukasikere do,
3.4.4  「 なほ、さし覗け。われをば見知りたりや」
 「もっとよく、覗いてみなさい。私を知っていませんか」
 「もっと近くへ寄って私を見てごらん。私の顔に見覚えがありますか」
  "Naho, sasi-nozoke. Ware wo ba misiri tari ya?"
3.4.5  とて、 顔さし出でたり。この女の手を打ちて、
 と言って、顔を差し出した。この女は手を打って、
 と言って、右近は顔をそのほうへ向けた。三条は手を打って言った。
  tote, kaho sasiide tari. Kono Womna no te wo uti te,
3.4.6  「 あが御許にこそおはしましけれ。あな、うれしともうれし。いづくより参りたまひたるぞ。上はおはしますや」
 「あなた様でいらしたのですね。ああ、何とも嬉しいことよ。どこから参りなさったのですか。ご主人様はいらっしゃいますか」
 「まああなたでいらっしゃいましたね。うれしいって、うれしいって、こんなこと。まああなたはどちらからお参りになりました。奥様はいらっしゃいますか」
  "Aga Omoto ni koso ohasimasi kere! Ana, uresi to mo uresi. Iduku yori mawiri tamahi taru zo? Uhe ha ohasimasu ya?"
3.4.7  と、いとおどろおどろしく泣く。若き者にて見なれし世を思ひ出づるに、隔て来にける年月数へられて、いとあはれなり。
 と言って、とてもおおげさに泣く。まだ若いころを見慣れていたのを思い出すと、今まで過ぎてきた年月の長さが数えられて、とても感慨深いものがある。
 三条は大声をあげて泣き出した。昔は若い三条であったことを思い出すと、このなりふりにかまわぬ女になっていることが右近の心を物哀れにした。
  to, ito odoroodorosiku naku. Wakaki mono nite minare si yo wo omohiiduru ni, hedate ki ni keru tosituki kazohe rare te, ito ahare nari.
3.4.8  「 まづ、おとどはおはすや。若君は、いかがなりたまひにし。あてきと聞こえしは」
 「まずは、乳母殿はいらっしゃいますか。若君は、どうおなりになりましたか。あてきと言った人は」
 「おとどさんはいらっしゃいますか。姫君はどうおなりになりました。あてきと言った人は」
  "Madu, Otodo ha ohasu ya? Wakagimi ha, ikaga nari tamahi nisi? Ateki to kikoye si ha?"
3.4.9  とて、 君の御ことは、言ひ出でず。
 と言って、ご主人のお身の上のことは、言い出さない。
 と、右近はたたみかけて聞いた。夫人のことは失望をさせるのがつらくてまだ口に出せないのである。
  tote, Kimi no ohom-koto ha, ihiide zu.
3.4.10  「 皆おはします。姫君も大人になりておはします。まづ、おとどに、かくなむと聞こえむ」
 「皆さんいらっしゃいます。姫君も大きくおなりです。まずは、乳母殿に、これこれと申し上げましょう」
 「皆、いらっしゃいます。姫君も大人おとなになっておいでになります。何よりおとどさんにこの話を」
  "Mina ohasimasu. Himegimi mo otona ni nari te ohasimasu. Madu, Otodo ni, kaku nam to kikoye m."
3.4.11  とて入りぬ。
 と言って入って行った。
 と、言って三条は向こうへ行った。
  tote iri nu.
3.4.12  皆、驚きて、
 皆、驚いて、
 九州から来た人たちの驚いたことは言うまでもない。
  Mina, odoroki te,
3.4.13  「 夢の心地もするかな
 「夢のような心地がしますね」
 「夢のような気がします。どれほど恨んだかしれない方にお目にかかることになりました」
  "Yume no kokoti mo suru kana!"
3.4.14  「 いとつらく、言はむかたなく思ひきこゆる人に、対面しぬべきことよ」
 「とても辛く何とも言いようのないとお思い申していた人に、とうとう逢えるのだなんて」
 おとどはこう言って幕の所へ来た。
  "Ito turaku, ihamkatanaku omohi kikoyuru hito ni, taimen si nu beki koto yo!"
3.4.15  とて、この隔てに寄り来たり。気遠く隔てつる屏風だつもの、名残なくおし開けて、まづ言ひやるべき方なく泣き交はす。 老い人は、ただ、
 と言って、この中仕切りに近寄って来た。よそよそしく隔てていた屏風のような物を、すっかり払い除けて、何とも言葉にも出されず、お互いに泣き合う。年老いた乳母が、ほんのわずかに、
 もうあちらからも、こちらからも隔てにしてあった屏風びょうぶなどは取り払ってしまった。右近もおとども最初はものが言えずに泣き合った。やっとおとどが口を開いて、
  tote, kono hedate ni yori ki tari. Kedohoku hedate turu byaubu-datu mono, nagori naku osiake te, madu ihiyaru beki kata naku naki kahasu. Oyibito ha, tada,
3.4.16  「 わが君は、いかがなりたまひにし。ここらの年ごろ、夢にてもおはしまさむ所を見むと、大願を立つれど、 遥かなる世界にて、風の音にてもえ聞き伝へたてまつらぬを、いみじく悲しと思ふに、老いの身の残りとどまりたるも、いと心憂けれど、 うち捨てたてまつりたまへる若君の、らうたくあはれにておはしますを、冥途のほだしにもてわづらひきこえてなむ、 またたきはべる
 「ご主人様は、どうなさいましたか。長年、夢の中でもいらっしゃるところを見たいと大願を立てましたが、都から遠い筑紫にいたために、風の便りにも噂を伝え聞くことができませんでしたのを、たいそう悲しく思うと、老いた身でこの世に生きながらえていますのも、とてもつらいのですが、お残し申された若君が、いじらしく気の毒でいらっしゃったのを、冥途の障りになろうかとお世話に困ったままで、まだ目を瞑れないでおります」
 「奥様はどうおなりになりました。長い年月の間夢にでもいらっしゃる所を見たいと大願を立てましたがね、私たちは遠い田舎の人になっていたのですからね、何の御様子も知ることができません。悲しんで、悲しんで、長生きすることが恨めしくてならなかったのですが、奥様が捨ててお行きになった姫君のおかわいいお顔を拝見しては、このまま死んでは後世ごせさわりになると思いましてね、今でもおりしています」
  "Waga Kimi ha, ikaga nari tamahi ni si? Kokora no tosigoro, yume nite mo ohasimasa m tokoro wo mi m to, taigwan wo tature do, haruka naru sekai nite, kaze no oto nite mo e kiki tutahe tatematura nu wo, imiziku kanasi to omohu ni, oyi no mi no nokori todomari taru mo, ito kokoroukere do, uti-sute tatematuri tamahe ru Wakagimi no, rautaku ahare nite ohasimasu wo, yomidi no hodasi ni mote-wadurahi kikoye te nam, matataki haberu."
3.4.17  と言ひ続くれば、昔その折、 いふかひなかりしことよりも、応へむ方なくわづらはしと思へども、
 と言い続けるので、昔のあの当時のことを、今さら言っても詮ない事よりも、答えようがなく困ったと思うが、
 おとどの話し続ける心持ちを思っては、昔あの時に気おくれがして知らせられなかったよりも、幾倍かのつらさを味わいながらも、絶体絶命のようになって、右近は、
  to ihi tudukure ba, mukasi sono wori, ihukahinakari si koto yori mo, irahe m kata naku wadurahasi to omohe domo,
3.4.18  「 いでや、聞こえてもかひなし。御方は、はや亡せたまひにき」
 「いえもう、申し上げたところで詮ないことでございます。御方は、もうとっくにお亡くなりになりました」
 「お話ししてもかいのないことでございますよ。奥様はもう早くおかくれになったのですよ」
  "Ideya, kikoye te mo kahinasi. Ohom-kata ha, haya use tamahi ni ki."
3.4.19  と言ふままに、 二、三人ながらむせかへり、いとむつかしく、せきかねたり。
 と言うなり、二、三人皆涙が込み上げてきて、とてもどうすることもできず、涙を抑えかねていた。
 と言った。三条も混ぜて三人はそれからせ返って泣いていた。
  to ihu mama ni, hutari, mitari nagara musekaheri, ito mutukasiku, seki kane tari.
注釈148おぼえずこそはべれ以下「人違へにやはべらむ」まで、三条の詞。3.4.2
注釈149筑紫の国に二十年ばかり経にける実際は十六年間である。3.4.2
注釈150わが齢もいとどおぼえて『完訳』は「右近は夕顔の乳母子。同年齢とすれば三十七歳ぐらい」と注す。3.4.3
注釈151なほさし覗け以下「見知りたりや」まで、右近の詞。3.4.4
注釈152顔さし出でたり大島本は「かほ」とある。『新大系』は底本のままとする。『集成』『古典セレクション』は諸本に従って「顔を」と「を」を補訂する。3.4.5
注釈153あが御許にこそ以下「おはしますか」まで、三条の詞。3.4.6
注釈154まづおとどは以下「聞こえしは」まで、右近の詞。3.4.8
注釈155君の御こと夕顔のこと。3.4.9
注釈156皆おはします以下「聞こえむ」まで、三条の詞。3.4.10
注釈157夢の心地もするかな以下「対面しぬべきこと」まで、玉鬘一行の人々の詞。3.4.13
注釈158いとつらく言はむかたなく思ひきこゆる人に『集成』は「ほんとにひどい、何という人かと恨めしくお思いする人に」と訳す。3.4.14
注釈159老い人は乳母をさす。3.4.15
注釈160わが君はいかがなりたまひにし以下「またたきはべる」まで、乳母の詞。3.4.16
注釈161遥かなる世界にて筑紫の地をさす。3.4.16
注釈162うち捨てたてまつりたまへる主語は夕顔、目的語は玉鬘。3.4.16
注釈163またたきはべる目をしばたたいている。死なずに生きているという意。『集成』は「まだ目も瞑れないでいます」。『完訳』は「どうやらまだ目をつぶらずに長らえております」と訳す。3.4.16
注釈164いふかひなかりしこと夕顔の頓死をさす。3.4.17
注釈165いでや聞こえてもかひなし以下「はや亡せたまひにき」まで、右近の詞。夕顔の死去を告げる。3.4.18
注釈166二三人ながら乳母、三条、右近らをさす。3.4.19
校訂6 衣--きき(き<後出>/#<朱>)ぬ 3.4.3
3.5
第五段 右近、初瀬観音に感謝


3-5  Ukon thanks for Hase-Kan'non

3.5.1  日暮れぬと、急ぎたちて、御燈明の事どもしたため果てて、急がせば、なかなかいと心あわたたしくて 立ち別る。「もろともにや」と言へど、かたみに供の人のあやしと思ふべければ、 この介にも、ことのさまだに言ひ知らせあへずわれも人もことに恥づかしくはあらで、皆下り立ちぬ
 日が暮れてしまうと、急ぎだして、御灯明の用意を済ませて、急がせるので、かえって落ち着かない気がして別れる。「ご一緒にいらっしゃいませんか」と言うが、お互いに供の人々が不思議に思うに違いないので、この豊後介にも事情を説明することさえしない。自分も相手も格別気を遣うこともなく、皆外へ出た。
 日が暮れたと騒ぎ出し、おこもりをする人々の燈明が上げられたと宿の者が言って、寺へ出かけることを早くと急がせに来た。そのために双方ともまだ飽き足らぬ気持ちで別れねばならなかった。「ごいっしょにおまいりをしましょうか」とも言ったが、双方とも供の者の不思議に思うことを避けて、おとどのほうではまだ豊後介にも事実を話す間がないままで同時に宿坊を出た。
  Hi kure nu to, isogitati te, mi-akasi no koto-domo sitatame hate te, isogase ba, nakanaka ito kokoroawatatasiku te tatiwakaru. "Morotomoni ya?" to ihe do, katamini tomo no hito no ayasi to omohu bekere ba, kono Suke ni mo, koto no sama dani ihi sirase ahe zu. Ware mo hito mo koto ni hadukasiku ha ara de, mina ori tati nu.
3.5.2  右近は、人知れず目とどめて見るに、なかにうつくしげなるうしろでの、いといたうやつれて、卯月の単衣めくものに着こめたまへる髪の透影、いとあたらしくめでたく見ゆ。心苦しう悲しと見たてまつる。
 右近は、こっそりと注意して見ると、一行の中にかわいらしい後ろ姿をして、とてもひどく身を忍んだ旅姿で、四月ころの単衣のようなものの中に着込めていらっしゃる髪が、透き通って見えるのが、とてももったいなく立派に見える。おいたわしくかわいそうにと拝する。
 右近は人知れず九州の一行の中の姫君の姿を目に探っていた。そのうちに美しい後ろ姿をした一人の、非常に疲労した様子で、夏の初めの薄絹の単衣ひとえのような物を上から着て、隠された髪の透き影のみごとそうな人を右近は見つけた。お気の毒であるとも、悲しいことであるとも思ってながめたのである。
  Ukon ha, hitosirezu me todome te miru ni, naka ni utukusige naru usirode no, ito itau yature te, Uduki no hitohe meku mono ni kikome tamahe ru kami no sukikage, ito atarasiku medetaku miyu. Kokorogurusiu kanasi to mi tatematuru.
3.5.3   すこし足なれたる人は、とく御堂に着きにけり。この君をもてわづらひきこえつつ、初夜行なふほどにぞ上りたまへる。いと騒がしく人詣で混みてののしる。右近が局は、仏の右の方に近き間にしたり。 この御師は、まだ深からねばにや、西の間に遠かりけるを、
 少し歩きなれている人は、先に御堂に着いたのであった。この姫君を介抱するのに難渋しながら、初夜の勤行のころにお上りになった。とても騒がしく、人々の参詣で混み合って大騒ぎである。右近の部屋は仏の右側の近い間に用意してある。姫君一行の御師は、まだなじみが浅いためであろうか、西の間で遠い所だったのを、
 少し歩きれた人は皆らくらくと上の御堂みどうへ着いたが、九州の一行は姫君を介抱かいほうしながら坂を上るので、初夜の勤めの始まるころにようやく御堂へ着いた。御堂の中は非常に混雑していた。右近が取らせてあったおこも部屋べやは右側の仏前に近い所であった。九州の人の頼んでおいた僧は無勢力なのか西のほうの間で、仏前に遠かった。
  Sukosi asi nare taru hito ha, toku mi-dau ni tuki ni keri. Kono Kimi wo mote-wadurahi kikoye tutu, soya okonahu hodo ni zo nobori tamahe ru. Ito sawagasiku hito maude komi te nonosiru. Ukon ga tubone ha, Hotoke no migi no kata ni tikaki ma ni si tari. Kono ohom-si ha, mada hukakara ne ba ni ya, nisi no ma ni tohokari keru wo,
3.5.4  「 なほ、ここにおはしませ
 「もっと、こちらにいらっしゃいませ」
 「やはりこちらへおいでなさいませ」
  "Naho, koko ni ohasimase."
3.5.5  と、 尋ね交はし言ひたれば、男どもをばとどめて、介にかうかうと言ひあはせて、 こなたに移したてまつる
 と、探し合って言ったので、男たちはそこに置いて、豊後介にこれこれしかじかでと説明して、こちらにお移し申し上げる。
 と言って、右近が召使をよこしたので、男たちだけをそのほうに残して、おとどは右近との邂逅かいこうを簡単に豊後介へ語ってから、右近の部屋のほうへ姫君を移した。
  to, tadune kahasi ihi tare ba, wotoko-domo wo ba todome te, Suke ni kaukau to ihiahase te, konata ni utusi tatematuru.
3.5.6  「 かくあやしき身なれど、ただ 今の大殿になむさぶらひはべれば、かくかすかなる道にても、らうがはしきことははべらじと頼みはべる。田舎びたる人をば、かやうの所には、よからぬ生者どもの、あなづらはしうするも、かたじけなきことなり」
 「このように賤しい身ですが、今の大臣殿のお邸にお仕え致しておりますので、このように忍びの旅でも、無礼な扱いを受けるようなことはありますまいと心丈夫にしております。田舎者めいた者には、このような所では、たちの良くない者どもが、侮ったりするのも、恐れ多いことです」
 「私などつまらない女ですが、ただ今の太政大臣様にお仕えしておりますのでね、こんな所に出かけていましても不都合はだれもしないであろうと安心していられるのですよ。地方の人らしく見ますと、生意気にお寺の人などは軽蔑けいべつした扱いをしますから、姫君にもったいなくて」
  "Kaku ayasiki mi nare do, tada ima no Ohotono ni nam saburahi habere ba, kaku kasuka naru miti nite mo, raugahasiki koto ha habera zi to tanomi haberu. Winakabi taru hito wo ba, kayau no tokoro ni ha, yokara nu namamono-domo no, anadurahasiu suru mo, katazikenaki koto nari."
3.5.7  とて、物語いとせまほしけれど、おどろおどろしき行なひの紛れ、騒がしきにもよほされて、仏拝みたてまつる。右近は心のうちに、
 と言って、話をもっとしたく思ったが、仰々しい勤行の声に紛れ、騒がしさに引き込まれて、仏を拝み申し上げる。右近は、心の中で、
 右近はくわしい話もしたいのであるが、仏前の経声の大きいのに妨げられて、やむをえず仏を拝んでだけいた
  tote, monogatari ito se mahosikere do, odoroodorosiki okonahi no magire, sawagasiki ni moyohosa re te, Hotoke wogami tatematuru. Ukon ha kokoro no uti ni,
3.5.8  「 この人を、いかで尋ねきこえむと申しわたりつるに、かつがつ、かくて見たてまつれば、今は思ひのごと、 大臣の君の、尋ねたてまつらむの御心ざし深かめるに、知らせたてまつりて、幸ひあらせたてまつりたまへ」
 「この姫君を、何とかして尋ね上げたいとお願い申して来たが、何はともあれ、こうしてお逢い申せたので、今は願いのとおり、大臣の君が、お尋ね申したいというお気持ちが強いようなので、お知らせ申して、お幸せになりますように」
 の方をお捜しくださいませ、おわせくださいませとお願いしておりましたことをおかなえくださいましたから、今度は源氏の大臣おとどがこの方を子にしてお世話をなさりたいと熱心に思召おぼしめすことが実現されますようにお計らいくださいませ、そうしてこの方が幸福におなりになりますように。
  "Kono hito wo, ikade tadune kikoye m to mausi watari turu ni, katugatu, kakute mi tatemature ba, ima ha omohi no goto, Otodo-no-Kimi no, tadune tatematura m no mi-kokorozasi hukaka' meru ni, sirase tatematuri te, saihahi ara se tatematuri tamahe."
3.5.9  など申しけり。
 などとお祈り申し上げたのであった。
 と祈っているのであった。
  nado mausi keri.
注釈167立ち別る室内で自分たちの部屋に戻ったことをいう。3.5.1
注釈168この介にもことのさまだに言ひ知らせあへず『集成』は「右近とめぐり合った事情も話して聞かせられない」。『完訳』は「あの豊後介にもこうした事情を話して聞かせる暇さえなく」と訳す。出立の忙しさのため豊後介に事の詳細を話す余裕がないことをいう。3.5.1
注釈169われも人もことに恥づかしくはあらで皆下り立ちぬ大島本は「はつかしくハあらて」とある。『新大系』は底本のままとする。『集成』『古典セレクション』は諸本に従って「恥づかしもあらで」とと校訂する。『集成』は「どちらも(乳母方も右近も)お互い格別気を遣うでもなく。昔馴染みであることが分ったから、姿を隠したりしないのである」。『完訳』は「気心の知れた心安さで、の意」と注す。3.5.1
注釈170すこし足なれたる人は右近をさす。3.5.3
注釈171この御師は玉鬘一行が祈祷を依頼した僧侶をさす。3.5.3
注釈172なほここにおはしませ右近の詞。玉鬘一行を誘う。3.5.4
注釈173尋ね交はし右近と乳母らとが互いに探し合っての意。3.5.5
注釈174こなたに移したてまつる右近の部屋に玉鬘を。3.5.5
注釈175かくあやしき身なれど以下「かたじけなきわざなり」まで、右近の詞。3.5.6
注釈176今の大殿に源氏、太政大臣である。3.5.6
注釈177この人を以下「幸ひあらせたてまつりたまへ」まで、右近の心中。3.5.8
注釈178大臣の君の源氏をさす。3.5.8
3.6
第六段 三条、初瀬観音に祈願


3-6  Sanjo prays to Hase-Kan'non

3.6.1  国々より、田舎人多く詣でたりけり。 この国の守の北の方も、詣でたりけり。いかめしく勢ひたるをうらやみて、この三条が言ふやう、
 国々から、田舎の人々が大勢参詣しているのであった。大和国の守の北の方も、参詣しているのであった。たいそうな勢いなのを羨んで、この三条が言うことには、
 国々の参詣さんけい者が多かった。大和守やまとのかみの妻も来た。その派手はでな参詣ぶりをうらやんで、三条は仏に祈っていた。
  Kuniguni yori, winakabito ohoku maude tari keri. Kono kuni no kami no kitanokata mo, maude tari keri. Ikamesiku ikihohi taru wo urayami te, kono Samdeu ga ihu yau,
3.6.2  「 大悲者には、異事も申さじ。あが姫君、大弐の北の方、 ならずは、当国の受領の北の方になしたてまつらむ。 三条らも、随分に栄えて、返り申しは仕うまつらむ」
 「大慈悲の観音様には、他のことはお願い申し上げません。わが姫君様が、大弍の北の方に、さもなくば、この国の受領の北の方にして差し上げたく思います。わたくしめ三条らも、身分相応に出世して、お礼参りは致します」
 「大慈大悲の観音様、ほかのお願いはいっさいいたしません。姫君を大弐だいにの奥様でなければ、この大和の長官の夫人にしていただきたいと思います。それが事実になりまして、私どもにも幸福が分けていただけました時に厚くお礼をいたします」
  "Daihisa ni ha, kotogoto mo mausa zi. Aga Himegimi, Daini no kitanokata, nara zu ha, taugoku no zuryau no kitanokata ni nasi tatematura m. Samdeu-ra mo, zuibun ni sakaye te, kaherimausi ha tukaumatura m."
3.6.3  と、額に手を当てて念じ入りてをり。右近、「 いとゆゆしくも言ふかな」と聞きて、
 と、額に手を当てて念じている。右近は、「ひどく縁起でもないことを言うわ」と聞いて、
 額に手を当てて念じているのである。右近はつまらぬことを言うとにがにがしく思った。
  to, hitahi ni te wo ate te nenzi iri te wori. Ukon, "Ito yuyusiku mo ihu kana!" to kiki te,
3.6.4  「 いと、いたくこそ田舎びにけれな。 中将殿は、昔の 御おぼえだにいかがおはしましし。まして、今は、天の下を御心にかけたまへる 大臣にていかばかりいつかしき御仲に御方しも、受領の妻にて、品定まりておはしまさむよ」
 「とても、ひどく田舎じみてしまったのね。頭の中将殿は、当時のご信任でさえどんなでもいらしゃいました。まして、今では天下をお心のままに動かしていらっしゃる大臣で、どんなにか立派なお間柄であるのに、このお方が、受領の妻として、お定まりになるものですか」
 「あなたはとんでもないほど田舎者になりましたね。中将様は昔だってどうだったでしょう、まして今では天下の政治をお預かりになる大臣おとどですよ。そうしたお盛んなお家の方で姫君だけを地方官の奥さんという二段も三段も低いものにしてそれでいいのですか」
  "Ito, itaku koso winakabi ni kere na! Tyuuzyau-dono ha, mukasi no ohom-oboye dani ikaga ohasi masi si. Masite, ima ha, ame no sita wo mi-kokoro ni kake tamahe ru Otodo nite, ikabakari itukasiki ohom-naka ni, ohom-kata simo, zuryau no me nite, sina sadamari te ohasimasa m yo!"
3.6.5  と言へば、
 と言うと、
 と言うと、
  to ihe ba,
3.6.6  「 あなかま。たまへ。大臣たちもしばし待て。大弐の御館の上の、清水の御寺、 観世音寺に参りたまひし勢ひは、帝の行幸にやは劣れる。あな、むくつけ」
 「お静かに。言わせて頂戴。大臣とやらの話もちょっと待って。大弍のお館の奥方様が、清水のお寺や、観世音寺に参詣なさった時の勢いは、帝の行幸に劣っていましょうか。まあ、いやだこと」
 「まあお待ちなさいよあなた。大臣様だって何だってだめですよ。大弐のおやかたの奥様が清水きよみずの観世音寺へお参りになった時の御様子をご存じですか、みかど様の行幸みゆきがあれ以上のものとは思えません。あなたは思い切ったひどいことをお言いになりますね」
  "Anakama! Tamahe. Otodo-tati mo sibasi mate. Daini-no-Mitati-no-Uhe no, Simidu no mi-tera, Kwanzeonzi ni mawiri tamahi si ikihohi ha, Mikado no miyuki ni yaha otore ru? Ana, mukutuke!"
3.6.7  とて、なほさらに手をひき放たず、拝み入りてをり。
 と言って、ますます手を額から離さず、一心に拝んでいた。
 こう言って、三条はなお祈りの合掌を解こうとはしなかった。
  tote, nahosara ni te wo hikihanata zu, wogami iri te wori.
3.6.8  筑紫人は、三日籠もらむと心ざしたまへり。右近は、さしも思はざりけれど、かかるついで、のどかに聞こえむとて、籠もるべきよし、大徳呼びて言ふ。御あかし文など書きたる心ばへなど、 さやうの人はくだくだしうわきまへければ、常のことにて、
 筑紫の人たちは、三日間参籠しようとお心づもりしていらっしゃった。右近は、そうは思っていなかったが、このような機会に、ゆっくりお話しようと思って、参籠する由を、大徳を呼んで言う。願文などに書いてある趣旨などは、そのような人はこまごまと承知していたので、いつものように、
 九州の人たちは三日参籠さんろうすることにしていた。右近はそれほど長くいようとは思っていなかったが、この機会おりに昔の話も人々としたく思って、寺のほうへ三日間参籠すると言わせるために僧を呼んだ。雑用をする僧は願文がんもんのことなどもよく心得ていて、すばやくいろいろのことを済ませていく。
  Tukusibito ha, mika komora m to kokorozasi tamahe ri. Ukon ha, sasimo omoha zari kere do, kakaru tuide, nodoka ni kikoye m tote, komoru beki yosi, Daitoko yobi te ihu. Mi-akasibumi nado kaki taru kokorobahe nado, sayau no hito ha kudakudasiu wakimahe kere ba, tune no koto nite,
3.6.9  「 例の藤原の瑠璃君といふが御ためにたてまつる。よく祈り申したまへ。その人、このころなむ見たてまつり出でたる。 その願も果たしたてまつるべし
 「いつもの藤原の瑠璃君というお方のために奉ります。よくお祈り申し上げてくださいませ。その方は、つい最近お捜し申し上げました。そのお礼参りも申し上げましょう」
 「いつもの藤原瑠璃君ふじわらのるりぎみという方のためにお経をあげてよくお祈りすると書いてください。その方にね、近ごろお目にかかることができましたからね。その願果たしもさせていただきます」
  "Rei no Hudihara no Rurikimi to ihu ga ohom-tame ni tatematuru. Yoku inori mausi tamahe. Sono hito, konokoro nam mi tatematuri ide taru. Sono gwan mo hatasi tatematuru besi."
3.6.10  と言ふを聞くも、あはれなり。法師、
 と言うのを、耳にするのも嬉しい気がする。法師は、
 と右近の命じていることも九州の人々を感動させた。
  to ihu wo kiku mo, ahare nari. Hohusi,
3.6.11  「 いとかしこきことかなたゆみなく祈り申しはべる験にこそはべれ」
 「それはとてもおめでたいことですな。怠りなくお祈り申し上げたしるしでございます」
 「それは結構なことでしたね。よくこちらでお祈りしているせいでしょう」
  "Ito kasikoki koto kana! Tayumi naku inori mausi haberu sirusi ni koso habere."
3.6.12  と言ふ。 いと騒がしう、夜一夜行なふなり
 と言う。とても騒がしく、一晩中お勤めするのである。
 などとその僧は言っていた。御堂の騒ぎは夜通し続いていた。
  to ihu. Ito sawagasiu, yohitoyo okonahu nari.
注釈179この国の守の北の方長谷寺のある大和国の国司の北の方。3.6.1
注釈180大悲者には以下「返り申しは仕うまつらむ」まで、三条の詞。「大悲者」は観音菩薩の慈悲を称えて呼ぶ語。3.6.2
注釈181三条らも仏や貴人の前では自分の実名を名乗る。3.6.2
注釈182いとゆゆしくも言ふかな右近の心中。3.6.3
注釈183いといたくこそ以下「おはしまさむよ」まで、右近の詞。すっかり田舎者になった三条を非難して言う。3.6.4
注釈184中将殿は昔の頭中将。玉鬘の父。3.6.4
注釈185御おぼえ「御」は帝からの「おぼえ」の意。帝の御信任の意。3.6.4
注釈186大臣にて内大臣である。3.6.4
注釈187いかばかりいつかしき御仲に内大臣とその実娘という関係をいう。3.6.4
注釈188御方玉鬘をさす。3.6.4
注釈189あなかまたまへ以下「あなむくつけ」まで、三条の詞。3.6.6
注釈190さやうの人は大徳をさす。3.6.8
注釈191例の藤原の瑠璃君といふが以下「たてまつるべし」まで、右近の詞。『集成』は「「瑠璃君」は、姫君の幼名かともいうが、恐らく右近の作った仮名であろう」と注す。3.6.9
注釈192その願も果たしたてまつるべし後に改めてお礼参りはしましょう、という主旨。3.6.9
注釈193いとかしこきことかな以下「こそはべれ」まで、法師の詞。3.6.11
注釈194たゆみなく祈り申しはべる験主語は法師。3.6.11
注釈195いと騒がしう夜一夜行なふなり「なり」伝聞推定の助動詞。『集成』は「局から、僧たちの仏前の礼拝のさまをうかがう趣旨」と注す。3.6.12
校訂7 ならずは ならずは--なら(ら/+す)は 3.6.2
校訂8 観世音寺 観世音寺--観(観/+世)音寺 3.6.6
3.7
第七段 右近、主人の光る源氏について語る


3-7  Ukon talks about Hikaru-Genji who is her master to Tamakazura's nursemaid

3.7.1  明けぬれば、知れる大徳の坊に下りぬ。 物語、心やすくとなるべし。姫君のいたくやつれたまへる、恥づかしげに思したるさま、いとめでたく見ゆ。
 夜が明けたので、知っている大徳の坊に下がった。話を、心おきなくというのであろう。姫君がひどく質素にしていらっしゃるのを恥ずかしそうに思っていらっしゃる様子が、たいそう立派に見える。
 夜が明けたので右近は知った僧の坊へ姫君を伴って行った。静かに話したいと思うからであろう。質素なふうで来ているのを恥ずかしがっている姫君を右近は美しいと思った。
  Ake nure ba, sire ru Daitoko no bau ni ori nu. Monogatari, kokoroyasuku to naru besi. Himegimi no itaku yature tamahe ru, hadukasige ni obosi taru sama, ito medetaku miyu.
3.7.2  「 おぼえぬ高き交じらひをして、多くの人をなむ見集むれど、 殿の上の御容貌に似る人おはせじとなむ、年ごろ見たてまつるを、また、 生ひ出でたまふ姫君の御さま、いとことわりにめでたくおはします。 かしづきたてまつりたまふさまも、並びなかめるに、 かうやつれたまへる御さまの、劣りたまふまじく見えたまふは、ありがたうなむ。
 「思いもかけない高貴な方にお仕えして、大勢の方々を見てきましたが、殿の上様のご器量に並ぶ方はいらっしゃらないと、長年拝見しておりましたが、また一方に、ご成長されてゆく姫君のご器量も、当然のことながら優れていらっしゃいます。大切にお育て申し上げなさる様子も、又とないくらいですが、このように質素にしていらっしゃる姫君が、お劣りにならないくらいにお見えになりますのは、めったにないお美しさであります。
 「私は思いがけない大きなおやしきへお勤めすることになりまして、たくさんな女の方を見ましたが、殿様の奥様の御容貌ごきりょうに比べてよいほどの方はないと長い間思っていました。それにお小さいお姫様がまたお美しいことはもっともなことですが、そのお姫様はまたどんなに大事がられていらっしゃるか、まったく幸福そのもののような方ですがね、こうして御質素なふうをなすっていらっしゃる姫君を、私は拝見して、その奥様や二条院のお姫様に姫君が劣っていらっしゃるように思われませんのでうれしゅうございます。
  "Oboye nu takaki mazirahi wo si te, ohoku no hito wo nam mi atumure do, Tono-no-Uhe no ohom-katati ni niru hito ohase zi to nam, tosigoro mi tatematuru wo, mata, ohiide tamahu Himegimi no ohom-sama, ito kotowari ni medetaku ohasimasu. Kasiduki tatematuri tamahu sama mo, narabi naka' meru ni, kau yature tamahe ru ohom-sama no, otori tamahu maziku miye tamahu ha, arigatau nam.
3.7.3   大臣の君、父帝の御時より、そこらの女御、后、それより下は 残るなく見たてまつり集めたまへる御目にも、 当代の御母后と聞こえしと、この姫君の御容貌とをなむ、『 よき人とはこれを言ふにやあらむとおぼゆる』と聞こえたまふ。
 大臣の君は、御父帝の御時代から、多数の女御や、后をはじめ、それより以下の女は残るところなくご存知でいらしたお目には、今上帝の御母后と申し上げた方と、この姫君のご器量とを、『美人とはこのような方をいうのであろうかと思われる』とお口にしていらっしゃいます。
 殿様はおっしゃいますのですよ、自分の父君のみかど様の時から宮中の女御にょごやおきさき、それから以下の女性は無数に見ているが、ただ今の帝様のお母様のお后の御美貌と自分の娘の顔とが最もすぐれたもので、美人とはこれを言うのであると思われるって。
  Otodo-no-Kimi, titi-Mikado no ohom-toki yori, sokora no Nyougo, Kisaki, sore yori simo ha nokoru naku mi tatematuri atume tamahe ru ohom-me ni mo, taudai no ohom-haha-Gisaki to kikoye si to, kono Himegimi no ohom-katati to wo nam, 'Yoki hito to ha kore wo ihu ni ya ara m to oboyuru.' to kikoye tamahu.
3.7.4   見たてまつり並ぶるにかの后の宮をば知りきこえず、姫君はきよらにおはしませど、まだ、片なりにて、生ひ先ぞ推し量られたまふ。
 拝見して比べますに、あの后の宮は存じません。姫君はおきれいでいらっしゃいますが、まだ、お小さくて、これから先どんなにお美しくなられることかと思いやられます。
 私は拝見していて、そのお后様は存じませんけれど、お姫様はまだお小さくて将来は必ずすぐれた美人におなりになるでしょうが、
  Mi tatematuri naraburu ni, kano Kisaki-no-Miya wo ba siri kikoye zu, Himegimi ha kiyora ni ohasimase do, mada, katanari nite, ohisaki zo osihakara re tamahu.
3.7.5   上の御容貌は、なほ誰か並びたまはむと、なむ見えたまふ。 殿も、すぐれたりと思しためるを、言に出でては、何かは数へのうちには聞こえたまはむ。『 我に並びたまへるこそ、君はおほけなけれ』となむ、戯れきこえたまふ。
 上のご器量は、やはりどなたが及びなされましょうと、お見えになります。殿も、優れているとお思いでいらっしゃいますが、口に出しては、どうして数の中にお加え申されましょうか。『わたしと夫婦でいらっしゃるとは、あなたは分不相応ですよ』と、ご冗談を申し上げていらっしゃいます。
 奥様の御美貌に並ぶ人はないと思うのですよ。殿様も奥様のお美しさの価値を十分ご存じでいらっしゃるでしょうが、御自分のお口から最上の美人の数へお入れにはなりにくいのですよ。こんなこともお言いになることがあるのですよ、あなたは私と夫婦になれたりしてもったいなく思いませんかなどと戯談じょうだんをね。
  Uhe no ohom-katati ha, naho tare ka narabi tamaha m to, nam mie tamahu. Tono mo, sugure tari to obosi ta' meru wo, koto ni ide te ha, nanikaha kazuhe no uti ni ha kikoye tamaha m? 'Ware ni narabi tamahe ru koso, Kimi ha ohoke nakere!' to nam, tahabure kikoye tamahu.
3.7.6   見たてまつるに、命延ぶる 御ありさまどもを、またさるたぐひおはしましなむやとなむ思ひはべるに、 いづくか劣りたまはむ 。ものは限りあるものなれば、すぐれたまへりとて、 頂きを離れたる光やはおはするただ、これを、すぐれたりとは聞こゆべきなめりかし」
 拝見すると、寿命が延びるお二方のご様子を、また他にそのような例がいらっしゃるだろうかと、思っておりましたが、どこが劣ったところがございましょうか。物には限度というものがありますから、どんなに優れていらっしゃろうとも、頭上から光をお放ちになるようなことはありません。ただ、こういう方をこそ、お美しいと申し上げるべきでしょう」
 お二人のそろいもそろったお美しさを拝見しているだけで命も延びる気がするのですよ。あんな方はあるものでもありません、私がそんなに思う六条院の奥様にどこ一つ姫君は劣っていらっしゃいません。物は限りがあってすぐれた美貌と申しても円光を後ろに負っていらっしゃるわけではありませんけれど、これがほんとうに美しいお顔と申し上げていいのでございましょう」
  Mi tatematuru ni, inoti noburu ohom-arisama-domo wo, mata saru taguhi ohasimasi na m ya to nam omohi haberu ni, iduku ka otori tamaha m? Mono ha kagiri aru mono nare ba, sugure tamahe ri tote, itadaki wo hanare taru hikari ya ha ohasuru. Tada, kore wo, sugure tari to ha kikoyu beki na' meri kasi."
3.7.7  と、うち笑みて見たてまつれば、老い人もうれしと思ふ。
 と、微笑んで拝見するので、老人も嬉しく思う。
 右近は微笑ほほえんで姫君をながめていた。少弐しょうにの未亡人もうれしそうである。
  to, uti-wemi te mi tatemature ba, oyibito mo uresi to omohu.
注釈196物語心やすくとなるべし「なるべし」は語り手の推測。3.7.1
注釈197おぼえぬ高き交じらひをして以下「聞こゆべきなめりかし」まで、右近の詞。六条院での宮仕えをいう。3.7.2
注釈198殿の上の御容貌に紫の上をさす。3.7.2
注釈199生ひ出でたまふ姫君の御さま明石姫君をさす。この時、七歳。3.7.2
注釈200かしづきたてまつりたまふさまも源氏が明石姫君を。3.7.2
注釈201かうやつれたまへる御さまの大島本は「御さま」とある。『新大系』は底本のままとする。『集成』『古典セレクション』は諸本に従って「さま」とし「御」を削除する。玉鬘をさす。3.7.2
注釈202大臣の君源氏をさす。3.7.3
注釈203当代の御母后と聞こえしと、この姫君の御容貌と「当代の御母后」とは冷泉帝の母后すなわち藤壺。藤壺と明石姫君をさす。3.7.3
注釈204よき人とはこれを言ふにやあらむとおぼゆる源氏の詞を引用。3.7.3
注釈205見たてまつり並ぶるに主語は右近。藤壺や明石姫君と玉鬘を比較。3.7.4
注釈206かの后の宮をば藤壺をさす。3.7.4
注釈207上の御容貌は紫の上をさす。3.7.5
注釈208殿も源氏をさす。3.7.5
注釈209我に並びたまへるこそ君はおほけなけれ源氏の詞を引用。冗談である。3.7.5
注釈210見たてまつるに右近が源氏や紫の上を。3.7.6
注釈211御ありさまどもを接尾語「ども」複数を表し、源氏と紫の上をいう。3.7.6
注釈212いづくか劣りたまはむ主語は玉鬘。3.7.6
注釈213頂きを離れたる光やはおはする仏の光背に喩えた。『完訳』は「玉鬘の明るいさまを予感させる軽妙な話しぶり」と注す。3.7.6
注釈214ただこれを紫の上や玉鬘をさす。3.7.6
校訂9 残る 残る--のこり(り/$る) 3.7.3
校訂10 いづくか いづくか--いつくる(る/$か) 3.7.6
3.8
第八段 乳母、右近に依頼


3-8  Nursemaid asks a favor of Tamakazura's future to Ukon

3.8.1  「 かかる御さまを、ほとほとあやしき所に沈めたてまつりぬべかりしに、あたらしく悲しうて、 家かまどをも捨て男女の頼むべき子どもにも引き別れてなむ、かへりて知らぬ世の心地する京にまうで来し。
 「このようなお美しい方を、危うく辺鄙な土地に埋もれさせ申し上げてしまうところでしたのを、もったいなく悲しくて、家やかまどを捨てて、息子や娘の頼りになるはずの子どもたちにも別れて、かえって見知らない世界のような心地がする京に上って来ました。
 「こんなすぐれたお生まれつきの方を、もう一歩で暗い世界へお沈めしてしまうところでしたよ。惜しくてもったいなくて、家も財産も捨ててたよりにしてよい息子むすこにも娘にも別れて、今ではかえって知らぬ他国のような心細い気のする京へ帰って来たのですよ。
  "Kakaru ohom-sama wo, hotohoto ayasiki tokoro ni sidume tatematuri nu bekari si ni, atarasiku kanasiu te, ihe kamado wo mo sute, wotoko womna no tanomu beki kodomo ni mo hiki-wakare te nam, kaherite sira nu yo no kokoti suru kyau ni maude ko si.
3.8.2   あが御許、はやくよきさまに導ききこえたまへ。高き宮仕へしたまふ人は、おのづから行き交じりたるたよりものしたまふらむ。 父大臣に聞こしめされ、数まへられたまふべきたばかり、思し構へよ」
 あなた、早く良いようにお導きくださいまし。高い宮仕えをなさる方は、自然と交際の便宜もございましょう。父大臣のお耳に入れられて、お子様の中に数え入れてもらえるような工夫を、お計らいになってください」
 あなた、どうぞいい智慧ちえを出してくだすって、姫君の御運を開いてあげてくださいまし。貴族のお家に仕えておいでになる方は、便宜がたくさんあるでしょう。お父様の大臣が姫君をお認めくださいますように計らってくださいまし」
  Aga Omoto, hayaku yoki sama ni mitibiki kikoye tamahe. Takaki miyadukahe si tamahu hito ha, onodukara yukimaziri taru tayori monosi tamahu ram. Titi-Otodo ni kikosimesa re, kazumahe rare tamahu beki tabakari, obosi kamahe yo."
3.8.3  と言ふ。 恥づかしう思いて、うしろ向きたまへり
 と言う。恥ずかしくお思いになって、後ろをお向きになっていらっしゃった。
 とおとどは言うのであった。姫君は恥ずかしく思って後ろを向いていた。
  to ihu. Hadukasiu oboi te, usiro muki tamahe ri.
3.8.4  「 いでや、身こそ数ならねど、殿も御前近く召し使ひたまへば、ものの折ごとに、『 いかにならせたまひにけむ』と聞こえ出づるを、 聞こしめし置きて、『 われいかで尋ねきこえむと思ふを、聞き出でたてまつりたらば』となむ、のたまはする」
 「いやもう、わたしはとるにたりない身の上ですけれども、殿も御前近くにお使いになってくださいますので、何かの時毎に、『どうおなりあそばしたことでしょう』と口に出し申し上げたのを、お心にお掛けになっていらして、『わたしも何とかお捜し申したいと思うが、もしお聞き出し申したら』と、仰せになっています」
 「それがね、私はつまらない者ですけれど、殿様がおそばで使っていてくださいますからね、昔のいろいろな話を申し上げる中で、どうなさいましたろうと私が姫君のことをよく申すものですから、殿様が、ぜひ自分の所へ引き取りたく思う。居所を聞き込んだら知らせるがいいとおっしゃるのですよ」
  "Ideya, mi koso kazu nara ne do, Tono mo omahe tikaku mesitukahi tamahe ba, mono no wori goto ni, 'Ikani nara se tamahi ni kem?' to kikoye iduru wo, kikosimesi oki te, 'Ware ikade tadune kikoye m to omohu wo, kikiide tatematuri tara ba.' to nam, notamaha suru."
3.8.5  と言へば、
 と言うと、

  to ihe ba,
3.8.6  「 大臣の君は、めでたくおはしますとも、さるやむごとなき妻ども おはしますなり。まづまことの親とおはする大臣にを知らせたてまつりたまへ」
 「大臣の君は、ご立派でいらっしゃっても、そうしたれっきとした奥方様たちがいらっしゃると言います。まずは実の親でいらっしゃる内大臣様にお知らせ申し上げなさってください」
 「源氏の大臣様はどんなにおりっぱな方でも、今のお話のようなよい奥様や、そのほかの奥様も幾人いくたりかいらっしゃるのでしょう。それよりもほんとうのお父様の大臣へお知らせする方法を考えてください」
  "Otodo-no-Kimi ha, medetaku ohasimasu tomo, saru yamgotonaki me-domo ohasimasu nari. Madu makoto no oya to ohasuru Otodo ni wo sirase tatematuri tamahe."
3.8.7  など言ふに、ありしさまなど語り出でて、
 などと言うので、昔の事情などを話に出して、
 とおとどが言うのを聞いて、右近ははじめて夕顔夫人を愛して、死の床に泣いた人の源氏であったことを話した。
  nado ihu ni, arisi sama nado katari ide te,
3.8.8  「 世に忘れがたく悲しきことになむ 思して、『 かの御代はりに見たてまつらむ。子も少なきがさうざうしきに、わが子を尋ね出でたると人には知らせて』と、そのかみよりのたまふなり。
 「ほんとうに忘れられず悲しいこととお思いになって、『あの方の代わりにお育て申し上げよう。子どもも少ないのが寂しいから、自分の子を捜し出したのだと世間の人には思わせて』と、その当時から仰せになっているのです。
 「どうしてもおかくれになった奥様を忘れられなく思召おぼしめしてね。奥様の形見だと思って姫君のお世話をしたい、自分は子供も少なくて物足りないのだから、その人が捜し出せたなら、自分の子を家へ迎えたように世間へは知らせておこうと、それはずっと以前からそうおっしゃるのですよ。
  "Yo ni wasure gataku kanasiki koto ni nam obosi te, 'Kano ohom-kahari ni mi tatematura m. Ko mo sukunaki ga sauzausiki ni, waga ko wo tadune ide taru to hito ni ha sirase te.' to, sonokami yori notamahu nari.
3.8.9   心の幼かりけることは、よろづにものつつましかりしほどにて、え尋ねても聞こえで 過ごししほどに、少弐になりたまへるよしは、御名にて知りにき。まかり申しに、殿に参りたまへりし日、ほの見たてまつりしかども、え聞こえで止みにき。
 分別の足りなかったことは、いろいろと遠慮の多かった時なので、お尋ね申すこともできないでいるうちに、大宰少弍におなりになったことは、お名前で知りました。赴任の挨拶に、殿に参られた日、ちらっと拝見しましたが、声をかけることができずじまいでした。
 私の幼稚な心弱さから、奥様のおくなりになりましたことをあなたがたにお知らせすることができないでおりますうちに、御主人が少弐におなりになったでしょう。それはお名を聞いて知ったのですよ。お暇乞いとまごいに殿様の所へおいでになりましたのを、私はちらとお見かけしましたが、何をお尋ねすることもできないじまいになったのですよ。
  Kokoro no wosanakari keru koto ha, yorodu ni mono tutumasikari si hodo nite, e tadune te mo kikoye de sugosi si hodo ni, Seuni ni nari tamahe ru yosi ha, ohom-na nite siri ni ki. Makari mausi ni, Tono ni mawiri tamahe ri si hi, hono-mi tatematuri sika domo, e kikoye de yami ni ki.
3.8.10   さりとも、姫君をば、 かのありし夕顔の五条にぞとどめたてまつりたまへらむとぞ思ひし。あな、いみじや。 田舎人にておはしまさましよ
 そうはいっても、姫君は、あの昔の夕顔の五条の家にお残し申されたものと思っていました。ああ、何ともったいない。田舎者におなりになってしまうところでしたねえ」
 それでもまだ姫君をあの五条の夕顔の花の咲いた家へお置きになって赴任をなさるのだと思っていました。まあどうでしょう、もう一歩で九州の人になっておしまいになるところでございましたね」
  Saritomo, Himegimi wo ba, kano ari si Yuhugaho no Godeu ni zo todome tatematuri tamahe ra m to zo omohi si. Ana, imizi ya! Winakabito nite ohasimasa masi yo."
3.8.11  など、うち語らひつつ、 日一日、昔物語、念誦などしつつ。
 などと、お話しながら、一日中、昔話や、念誦などして。
 などと人々は終日昔の話をしたり、いっしょに念誦ねんずを行なったりしていた。
  nado, uti-katarahi tutu, hihitoi, monogatari, nenzu nado si tutu.
注釈215かかる御さまを以下「思し構えよ」まで、乳母の詞。3.8.1
注釈216家かまどをも捨て『集成』は「せっかくの生活の根拠をも捨て、の意」。『完訳』は「家財道具のいっさいを置き去りにして」と訳す。3.8.1
注釈217男女の頼むべき子どもにも引き別れ乳母の息子二郎三郎そして娘二人のうち長女は筑紫に残った。3.8.1
注釈218あが御許はやくよきさまに大島本は「はやく」とある。『新大系』は底本のままとする。『集成』『古典セレクション』は諸本に従って「はや」とし「く」を削除する。3.8.2
注釈219父大臣に玉鬘の父内大臣。3.8.2
注釈220恥づかしう思いてうしろ向きたまへり主語は玉鬘。敬語表現に注意。3.8.3
注釈221いでや身こそ数ならねど大島本は「かすならねと」とある。『新大系』は底本のままとする。『集成』『古典セレクション』は諸本に従って「数ならねども」とし「も」を補訂する。以下「のたまはする」まで、右近の詞。3.8.4
注釈222いかにならせたまひにけむ右近の、源氏への詞を引用。主語は玉鬘。3.8.4
注釈223聞こしめし置きて主語は源氏。3.8.4
注釈224われいかで尋ねきこえむと思ふを聞き出でたてまつりたらば源氏の詞を引用。「われに知らせよ」などの主旨の語句が省略。3.8.4
注釈225大臣の君は以下「知らせたてまつりたまへ」まで、乳母の詞。3.8.6
注釈226おはしますなり「なり」伝聞推定の助動詞。3.8.6
注釈227世に忘れがたく以下「おはしまさましよ」まで、右近の詞。3.8.8
注釈228思して主語は源氏。3.8.8
注釈229かの御代はりに以下「人には知らせて」まで、源氏の詞を引用。亡き夕顔の代わりに。3.8.8
注釈230心の幼かりけることは『集成』は「以下、自分の消息を乳母に伝えなかった右近の弁解」と注す。3.8.9
注釈231過ごししほどに大島本は「すこし」とある。『新大系』は底本のままとする。『集成』『古典セレクション』は諸本に従って「過ぐし」と校訂する。3.8.9
注釈232さりとも筑紫に赴任することにはなっても、の意。3.8.10
注釈233かのありし夕顔の五条にぞ『古典セレクション』は「玉鬘は、夕顔が急死した当時、西の京の乳母の家におり、五条の宿には行っていない。右近は、五条の宿にいたから、当然これを知っているはず。また「夕顔の五条」という言い方は、源氏または読者の印象によるものであり、右近の言葉としては不自然である。作者の錯誤と考えられる」と注す。3.8.10
注釈234田舎人にておはしまさましよ「まし」反実仮想の助動詞。『集成』は「(姫君が)田舎人でお過しになったかもしれない」。『完訳』は「田舎人になるところだった」と訳す。3.8.10
注釈235日一日大島本は「ひひとい」と表記する。すなわち「い」は「ひ」のイ音便化である。『集成』『新大系』『古典セレクション』は諸本に従って「ひひとひ」と整定する。3.8.11
3.9
第九段 右近、玉鬘一行と約束して別れる


3-9  Ukon says goodbye to Tamakazura making a promise

3.9.1  参り集ふ人のありさまども、見下さるる方なり。前より行く水をば、初瀬川といふなりけり。右近、
 参詣する人々の様子が、見下ろせる所である。前方を流れる川は、初瀬川というのであった。右近は、
 御堂へ参詣する人々を下に見おろすことのできる僧坊であった。前を流れて行くのが初瀬川である。右近は、
  Mawiri tudohu hito no arisama-domo, mikudasa ruru kata nari. Mahe yori yuku midu wo ba, Hatusegaha to ihu nari keri. Ukon,
3.9.2  「 二本の杉のたちどを尋ねずは
   古川野辺に君を見ましや
 「二本の杉の立っている長谷寺に参詣しなかったなら
  古い川の近くで姫君にお逢いできたでしょうか
  「二もとのすぎのたちどを尋ねずば
  布留ふる川のべに君を見ましや
    "Hutamoto no sugi no tatido wo tadune zu ha
    hurukaha nobe ni Kimi wo mi masi ya
3.9.3   うれしき瀬にも
 『嬉しき逢瀬です』」
 ここでうれしい逢瀬おうせが得られたと申すものでございます」
  uresiki se ni mo."
3.9.4  と聞こゆ。
 と申し上げる。
 と姫君に言った。
  to kikoyu.
3.9.5  「 初瀬川はやくのことは知らねども
   今日の逢ふ瀬に身さへ流れぬ
 「昔のことは知りませんが、今日お逢いできた
  嬉し涙でこの身まで流れてしまいそうです
  初瀬川はやくのことは知らねども
  今日けふの逢瀬に身さへ流れぬ
    "Hatusegaha hayaku no koto ha sira ne domo
    kehu no ahu se ni mi sahe nagare nu
3.9.6  と、うち泣きておはするさま、いとめやすし。
 とお詠みになって、泣いていらっしゃる様子、とても好感がもてる。
 と言って泣いている姫君はきわめて感じのよい女性であった。
  to, uti-naki te ohasuru sama, ito meyasusi.
3.9.7  「 容貌はいとかくめでたくきよげながら、田舎び、こちこちしう おはせましかば、いかに玉の瑕ならまし。いで、あはれ、いかでかく生ひ出でたまひけむ」
 「ご器量はとてもこのように素晴らしく美しくいらしても、田舎人めいて、ごつごつしていらっしゃったら、どんなにか玉の瑕になったことであろうに。いやもう、立派に、どうしてこのようにご成長されたのであろう」
 これだけの美貌びぼうが備わっていても、田舎いなか風のやぼな様子が添っていたなら、どんなにそれを玉のきずだと惜しまれることであろう、よくもこれほどりっぱな貴女にお育ちになったものである
  "Katati ha ito kaku medetaku kiyoge nagara, winakabi, kotikotisiu ohase masika ba, ikani tama no kizu nara masi. Ide, ahare, ikade kaku ohiide tamahi kem?"
3.9.8  と、おとどをうれしく思ふ。
 と、乳母殿に感謝する。
 と、右近は少弐未亡人に感謝したい心になった。
  to, otodo wo uresiku omohu.
3.9.9   母君は、ただいと若やかにおほどかにて、やはやはとぞ、たをやぎたまへりしこれは気高く、もてなしなど恥づかしげに、よしめきたまへり。筑紫を心にくく思ひなすに、皆、見し人は里びにたるに、心得がたくなむ。
 母君は、ただたいそう若々しくおっとりしていて、なよなよと、しなやかでいらした。この姫君は気品が高く、動作などもこちらが恥ずかしくなるくらいに、優雅でいらっしゃる。筑紫の地を奥ゆかしく思ってみるが、皆、他の人々は田舎人めいてしまったのも、合点が行かない。
 母の夕顔夫人はただ若々しくおおような柔らかい感じの豊かな女性というにすぎなかった。これは容姿に気高けだかさのあるすぐれた姫君と見えるのであった。右近はこれによって九州という所がよい所であるように思われたが、また昔の朋輩ほうばいが皆不恰好ぶかっこうな女になっているのであったから不思議でならなかった。
  Hahagimi ha, tada ito wakayaka ni ohodoka nite, yahayaha to zo, tawoyagi tamahe ri si. Kore ha kedakaku, motenasi nado hadukasige ni, yosimeki tamahe ri. Tukusi wo kokoronikuku omohi nasu ni, mina, mi si hito ha satobi ni taru ni, kokoroe gataku nam.
3.9.10  暮るれば、御堂に上りて、またの日も行なひ暮らしたまふ。
 日が暮れたので、御堂に上って、翌日も同じように勤行してお過ごしになる。
 日が暮れると御堂に行き、翌日はまた坊に帰って念誦ねんずに時を過ごした。
  Kurure ba, mi-dau ni nobori te, matanohi mo okonahi kurasi tamahu.
3.9.11  秋風、谷より遥かに吹きのぼりて、いと肌寒きに、ものいとあはれなる 心どもには、よろづ思ひ続けられて、 人並々ならむこともありがたきことと思ひ沈みつるを、 この人の物語のついでに、父大臣の御ありさま、腹々の何ともあるまじき御子ども、皆ものめかしなしたてたまふを聞けば、かかる 下草 頼もしくぞ思しなりぬる
 秋風が、谷から遥かに吹き上がってきて、とても肌寒く感じられる上に、感慨無量の人々にとっては、それからそれへと連想されて、人並みになるようなことも難しいことと沈みこんでいたが、この右近の話の中に、父内大臣のご様子、他のたいしたことのない方々が生んだご子息たちも、皆一人前になさっていることを聞くと、このような日陰者も頼もしく、お思いになるのであった。
 秋風がたにの底から吹き上がって来て肌寒はださむさの覚えられる所であったから、物寂しい人たちの心はまして悲しかった。姫君は右近の話から、人並みの運も持たないように悲観をしていた自分も、父の家の繁栄と、低い身分の人を母として生まれた子供たちさえも皆愛されて幸福になっていることがわかった上は、もう救われる時に達したのであるかもしれないという気になった。
  Akikaze, tani yori haruka ni huki nobori te, ito hadasamuki ni, mono ito ahare naru kokoro-domo ni ha, yorodu omohi-tuduke rare te, hito naminami nara m koto mo ari gataki koto to omohi sidumi turu wo, kono hito no monogatari no tuide ni, titi-Otodo no ohom-arisama, harabara no nani to mo aru maziki miko-domo, mina monomekasi nasi tate tamahu wo kike ba, kakaru sitakusa tanomosiku zo obosi nari nuru.
3.9.12  出づとても、かたみに宿る所も問ひ交はして、もしまた追ひ惑はしたらむ時と、危ふく思ひけり。 右近が家は、六条の院近きわたりなりければ、ほど遠からで、言ひ交はすもたつき出で来ぬる心地しけり
 出る時にも、互いに住所を聞き交わして、もしも再び姫君の行く方が分からなくなってしまってはと、心配に思うのであった。右近の家は、六条院の近辺だったので、程遠くないので、話し合うにも便宜ができた心地がしたのであった。
 帰る時は双方でよく宿所を尋ね合って、またわからなくなってはと互いに十分の警戒をしながら別れた。右近の自宅も六条院に近い所であったから、九州の人の宿とも遠くないことを知って、その人たちは力づけられた気がした。
  Idu tote mo, katamini yadoru tokoro mo tohi kahasi te, mosi mata ohimadohasi tara m toki to, ayahuku omohi keri. Ukon ga ihe ha, Rokudeunowin tikaki watari nari kere ba, hodo tohokara de, ihikahasu mo tatuki ideki nuru kokoti si keri.
注釈236二本の杉のたちどを尋ねずは--古川野辺に君を見ましや右近の玉鬘への贈歌。「初瀬川古川の辺に二本ある杉年を経てまたもあひ見む二本ある杉」(古今集雑体歌、旋頭歌、一〇〇九、読人しらず)を踏まえる。3.9.2
注釈237うれしき瀬にも歌に添えた詞。「祈りつつ頼みぞわたる初瀬川うれしき瀬にも流れ合ふやと」(古今六帖、川、藤原兼輔)を引歌とする。3.9.3
注釈238初瀬川はやくのことは知らねども--今日の逢ふ瀬に身さへ流れぬ玉鬘の返歌。右近の引歌二首の「初瀬川」「流れ」及び「古川」「見ましや」の語句を受けて「初瀬川」「逢瀬」「流れ(泣かれ)」と返す。「早い」に流れの速さと時間の早い時期すなわち昔の意、「流れ」と「泣かれ」を掛ける。「瀬」「流れ」は「川」の縁語。玉鬘の教養をうかがわせる技巧的な和歌である。『完訳』は「右近の用いた二首の引歌を了解しえた応じ方に注意。玉鬘の和歌への精通を証す」と注す。3.9.5
注釈239容貌はいとかく以下「いかでかく生ひ出でたまひにけむ」まで、右近の心中。3.9.7
注釈240おはせましかば「ましかば」--「まし」反実仮想の構文。3.9.7
注釈241母君はただいと若やかにおほどかにてやはやはとぞたをやぎたまへりし夕顔の姿態と性格をいう。3.9.9
注釈242これは気高くもてなしなど恥づかしげによしめきたまへり玉鬘の態度と性格をいう。3.9.9
注釈243人並々ならむことも主語は玉鬘。3.9.11
注釈244この人の物語の右近の話をさす。3.9.11
注釈245下草玉鬘を譬喩。3.9.11
注釈246頼もしくぞ思しなりぬる主語は玉鬘。敬語表現に注意。3.9.11
注釈247右近が家は、六条の院近きわたりなりければ、ほど遠からで、言ひ交はすもたつき出で来ぬる心地しけり右近の家は五条、玉鬘一行の宿は九条である。3.9.12
出典8 二本の杉 初瀬川古川野辺に二本ある杉年を経てまたも逢ひ見む二本ある杉 古今集雑体-一〇〇九 読人しらず 3.9.2
出典9 うれしき瀬にも 祈りつつ頼みぞ渡る初瀬川うれしき瀬にも流れ逢ふやと 古今六帖三-一五七〇 3.9.3
校訂11 心どもには 心どもには--心も(も/$)と(と/+も)には 3.9.11
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渋谷栄一校訂(C)
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渋谷栄一訳(C)(ver.1-2-3)
現代語訳
与謝野晶子
電子化
上田英代(古典総合研究所)
底本
角川文庫 全訳源氏物語
校正・
ルビ復活
kompass(青空文庫)

2003年7月31日

渋谷栄一訳
との突合せ
若林貴幸、宮脇文経

2009年12月18日

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Written in Japanese roman letters
by Eiichi Shibuya (C)
Picture "Eiri Genji Monogatari"(1650 1st edition)
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