第二十二帖 玉鬘


22 TAMAKADURA (Ohoshima-bon)


玉鬘の筑紫時代と光る源氏の太政大臣時代
三十五歳の夏四月から冬十月までの物語



Tale of Hikaru-Genji's Daijo-Daijin era, from April in the summer to October in the winter at the age of 35, and the tale of Tamakazura in the life of Tsukushi

4
第四章 光る源氏の物語 玉鬘を養女とする物語


4  Tale of Hikaru-Genji  Genji makes Tamakazura to his adopted daughter

4.1
第一段 右近、六条院に帰参する


4-1  Ukon comes back to Rokujo-in

4.1.1  右近は、 大殿に参りぬ。このことをかすめ聞こゆるついでもやとて、急ぐなりけり。 御門引き入るるより、けはひことに広々として、まかで参りする車多くまよふ。数ならで立ち出づるも、まばゆき心地する玉の台なり。その夜は 御前にも参らで、思ひ臥したり。
 右近は、大殿に参上した。このことをちらっとお耳に入れる機会もあろうかと思って、急ぐのであった。ご門を入るや、感じが格別に広々として、退出や参上する車が多く行き来している。一人前でもない者が出入りするのも、気のひける思いがする玉の御殿である。その夜は御前にも参上しないで、思案しながら寝た。
 右近は旅からすぐに六条院へ出仕した。姫君の話をする機会を早く得たいと思う心から急いだのである。門をはいるとすでにすべての空気に特別な豪華な家であることが感ぜられるのが六条院である。来る車、出て行く車が無数に目につく。自分などがこの家の一人の女房として自由に出入りをすることもまばゆい気のすることであると右近に思われた。その晩は主人夫婦の前へは出ずに、部屋へ引きこもって右近はまた物思いをした。
  Ukon ha, Ohotono ni mawiri nu. Kono koto wo kasume kikoyuru tuide mo ya tote, isogu nari keri. Mi-kado hiki-iruru yori, kehahi koto ni hirobiro to si te, makade mawiri suru kuruma ohoku mayohu. Kazu nara de tatiiduru mo, mabayuki kokoti suru tamanoutena nari. Sono yo ha omahe ni mo mawira de, omohi husi tari.
4.1.2  またの日、昨夜里より参れる上臈、若人どものなかに、取り分きて 右近を召し出づれば、おもだたしくおぼゆ。大臣も御覧じて、
 翌日、昨夜里から参上した身分の高い女房、若い女房たちの中で、特別に右近をお召しになったので、晴れがましい気がする。大臣も御覧になって、
 翌日は昨日自宅から上がって来た高級の女房が幾人いくたりもある中から、特に右近が夫人に呼び出されたのを、右近は誇らしく思った。源氏も夫人の居間にいた。
  Matanohi, yobe sato yori mawire ru zyaurahu, wakaudo-domo no naka ni, toriwaki te Ukon wo mesiidure ba, omodatasiku oboyu. Otodo mo goranzi te,
4.1.3  「 などか、里居は久しくしつるぞ例ならず、やまめ人の、引き違へ、 こまがへるやうもありかし。をかしきことなどありつらむかし」
 「どうして、里住みを長くしていたのだ。めずらしく寡婦が、うって変わって、若変ったようなことでもしたのでしょうか。きっとおもしろいことがあったのでしょう」
 「どうして長く家へ行っていたのかね。少しこれまでとは違っているのではないか。独身者はこんな所にいる時と違って、自宅では若返ることもできるのだろう。おもしろいことがきっとあったろう」
  "Nadoka, satowi ha hisasiku si turu zo? Rei nara zu, yamamebito no, hiki-tagahe, komagaheru yau mo ari kasi. Wokasiki koto nado ari tu ram kasi."
4.1.4  など、例の、むつかしう、戯れ事などのたまふ。
 などと、例によって、返事に困るような、冗談をおっしゃる。
 などと例の困らせる気の戯談じょうだんを源氏が言う。
  nado, rei no, mutukasiu, tahaburegoto nado notamahu.
4.1.5  「 まかでて、七日に過ぎはべりぬれど、をかしきことははべりがたくなむ。山踏しはべりて、 あはれなる人をなむ見たまへつけたりし」
 「お暇をいただいて、七日以上過ぎましたが、おもしろいことなどめったにございません。山路歩きしまして、懐かしい人にお逢いいたしました」
 「ちょうど七日おいとまをいただいていたのでございますが、おもしろいことなどはなかなかないのでございます。山へ参りましてね。お気の毒な方を発見いたしました」
  "Makade te, nanuka ni sugi haberi nure do, wokasiki koto ha haberi gataku nam. Yamabumi si haberi te, ahare naru hito wo nam mi tamahe tuke tari si."
4.1.6  「 何人ぞ
 「どのような人か」
 「だれ」
  "Nani bito zo?"
4.1.7  と問ひたまふ。「 ふと聞こえ出でむも、まだ上に聞かせたてまつらで、取り分き申したらむを、のちに聞きたまうては、隔てきこえけりとや思さむ」など、思ひ乱れて、
 とお尋ねになる。「ここで申し上げるのも、まだ主人にお聞かせ申さないで、特別に申し上げるようなのを、後でお聞きになったら、自分が隠しごとを申したとお思いになるのではないかしら」などと、思い悩んで、
 と源氏は尋ねた。突然その話をするのも、これまで夫人にしていない昔の話から筋を引いていることを、源氏にだけ言えば夫人があとで話をお聞きになって不快がられないかなどと右近は迷っていて、
  to tohi tamahu. "Huto kikoyeide m mo, mada Uhe ni kika se tatematura de, toriwaki mausi tara m wo, noti ni kiki tamau te ha, hedate kikoye keri to ya obosa m." nado, omohi midare te,
4.1.8  「 今聞こえさせはべらむ
 「そのうちにお話申し上げましょう」
 「またくわしくお話を申し上げます」
  "Ima kikoye sase habera m."
4.1.9  とて、人びと参れば、聞こえさしつ。
 と言って、女房たちが参上したので、中断した。
 と言って、ほかの女房たちも来たのでそのまま言いさしにした。
  tote, hitobito mawire ba, kikoye sasi tu.
4.1.10  大殿油など参りて、うちとけ並びおはします御ありさまども、いと見るかひ多かり。 女君は、二十七八にはなりたまひぬらむかし、盛りにきよらにねびまさりたまへり。すこしほど経て見たてまつるは、「 また、このほどにこそ、にほひ加はりたまひにけれ」と見えたまふ。
 大殿油などを点灯して、うちとけて並んでいらっしゃるご様子、たいそう見ごたえがあった。女君は、二十七、八歳におなりになったであろう、今を盛りといよいよ美しく成人されていらっしゃる。少し日をおいて拝見すると、「また、この間にも美しさがお加わりになった」とお見えになる。
 などをともさせてくつろいでいる源氏夫婦は美しかった。女王にょおうは二十七、八になった。盛りの美があるのである。このわずかな時日のうちにも美が新しく加わったかと右近の目に見えるのであった。
  Ohotonabura nado mawiri te, utitoke narabi ohasimasu ohom-arisama-domo, ito miru kahi ohokari. Womnagimi ha, nizihu siti hati ni ha nari tamahi nu ram kasi, sakari ni kiyora ni nebi masari tamahe ri. Sukosi hodo he te mi tatematuru ha, "Mata, kono hodo ni koso, nihohi kuhahari tamahi ni kere!" to miye tamahu.
4.1.11   かの人をいとめでたし、劣らじと見たてまつりしかど、思ひなしにや、 なほこよなきに、「幸ひのなきとあるとは、隔てあるべきわざかな」と見合はせらる。
 あの姫君をとても素晴らしい、この女君に負けないくらいだと拝見したが、思いなしか、やはりこの女君はこの上ないので、「運のある方とない方とでは、違いがあるものだわ」と自然と比較される。
 姫君を美しいと思って、夫人に劣っていないと見たものの思いなしか、やはり一段上の美が夫人にはあるようで幸福な人と不運な人とにはこれだけの相違があるものらしいなどと右近は思った。
  Kano hito wo ito medetasi, otora zi to mi tatematuri sika do, omohinasi ni ya, naho koyonaki ni, "Saihahi no naki to aru to ha, hedate aru beki waza kana!" to miahase raru.
注釈248大殿に六条院をさす。4.1.1
注釈249御門引き入るるよりけはひことに広々として六条院の門内の様子。『集成』は「格別立派な様子で」。『完訳』は「二条院と比べ「広々」。六条院転居まもない時期とみられる叙述。少女巻末と時期的に重なろう」と注す。4.1.1
注釈250御前にも参らで紫の上のもとへ。4.1.1
注釈251右近を召し出づれば紫の上が。4.1.2
注釈252などか里居は久しくしつるぞ大島本は「しつるそ」とある。『新大系』は底本のままとする。『集成』『古典セレクション』は諸本に従って「しつる」とし「そ」を削除する。以下「などありつらむ」まで、源氏の詞。4.1.3
注釈253例ならずやまめ人の『集成』『新大系』は「例ならず、やまめ人の」と整定する。『古典セレクション』は「例ならずや。まめ人の」と整定する。「やまめ人」は「やもめ人」、寡婦の意。4.1.3
注釈254こまがへる若返る意。右近四十歳くらい。4.1.3
注釈255まかでて七日に以下「見たまへつけたりし」まで、右近の詞。4.1.5
注釈256あはれなる人を『集成』は「可憐なお人を」。『完訳』は「お懐かしい人を」と訳す。4.1.5
注釈257何人ぞ源氏の詞。4.1.6
注釈258ふと聞こえ出でむも以下「思さむ」まで、右近の心中。4.1.7
注釈259今聞こえさせはべらむ右近の詞。源氏に対する敬語表現。4.1.8
注釈260女君は二十七八にはなりたまひぬらむかし紫の上の年齢、二十七八歳。語り手の挿入句的説明。4.1.10
注釈261またこのほどに以下「加はりたまひにけれ」まで、右近の目を通して見た感想。4.1.10
注釈262かの人を以下「あるべきわざかな」まで、右近の心中。「かの人」は玉鬘をさす。4.1.11
注釈263なほこよなきに紫の上の美質をいう。4.1.11
4.2
第二段 右近、源氏に玉鬘との邂逅を語る


4-2  Ukon talks about Tamakazura whom she happened to meet to Genji

4.2.1  大殿籠もるとて、右近を御脚参りに召す。
 お寝みになろうとして、右近をお足さすらせに召す。
 寝室にはいってから、あしでさせるために源氏は右近を呼んだ。
  Ohotonogomoru tote, Ukon wo mi-asimawiri ni mesu.
4.2.2  「 若き人は、苦しとてむつかるめり。なほ年経ぬるどちこそ、心交はして睦びよかりけれ」
 「若い女房は、疲れると言って嫌がるようです。やはりお互いに年配どうしは、気が合ってうまくいきますね」
 「若い人はいやな役だと迷惑がるからね。やはり昔馴染なじみの者は気心が双方でわかっていてどんなことでもしてもらえるよ」
  "Wakaki hito ha, kurusi tote mutukaru meri. Naho tosi he nuru doti koso, kokoro kahasi te mutubi yokari kere."
4.2.3  とのたまへば、人びと忍びて笑ふ。
 とおっしゃると、女房たちはひそひそと笑う。
 と源氏が言っているのを聞いて、若い女房たちは笑っていた。
  to notamahe ba, hitobito sinobi te warahu.
4.2.4  「 さりや。誰か、その使ひならいたまはむをば、むつからむ」
 「そうですわ。誰が、そのようにお使い慣らされるのを、嫌がりましょう」
 「そうですよ。どんなことでもさせていただいて私たちは結構なんですけれど、
  "Sariya! Tare ka, sono tukahi narai tamaha m wo ba, mutukara m?"
4.2.5  「うるさき戯れ事言ひかかりたまふを、わづらはしきに」
 「やっかいなご冗談をお言いかけなさるのが、煩わしいので」
 あの御戯談ごじょうだんに困るだけね」
  "Urusaki tahaburegoto ihikakari tamahu wo, wadurahasiki ni."
4.2.6  など言ひあへり。
 などと互いに言う。
 などと言っているのであった。
  nado ihiahe ri.
4.2.7  「 上も、年経ぬるどちうちとけ過ぎ、はた、むつかりたまはむとや。さるまじき心と見ねば、危ふし」
 「紫の上も、年とった者どうしが仲よくし過ぎると、それはやはり、ご機嫌を悪くされるだろうと思うよ。そのようなこともなさそうなお心とは見えないから、危険なものです」
 「奥さんも昔馴染どうしがあまり仲よくしては機嫌きげんを悪くなさらない。決して寛大な方ではないからあぶないね」
  "Uhe mo, tosi he nuru doti utitoke sugi, hata, mutukari tamaha m to ya! Sarumaziki kokoro to mi ne ba, ayahusi."
4.2.8  など、 右近に語らひて笑ひたまふ。いと愛敬づき、をかしきけさへ添ひたまへり。
 などと、右近に話してお笑いになる。たいそう愛嬌があって、冗談をおっしゃるところまでがお加わりになっていらっしゃる。
 などと言って源氏は笑っていた。愛嬌あいきょうがあって常よりもまた美しく思われた。
  nado, Ukon ni katarahi te warahi tamahu. Ito aigyauduki, wokasiki ke sahe sohi tamahe ri.
4.2.9  今は朝廷に仕へ、忙しき御ありさまにもあらぬ御身にて、世の中のどやかに思さるるままに、ただはかなき御戯れ事をのたまひ、をかしく人の心を見たまふあまりに、 かかる古人をさへぞ戯れたまふ。
 今では朝廷にお仕えし、忙しいご様子でもないお身体なので、世の中の事に対してものんびりとしたお気持ちのままに、ただとりとめもないご冗談をおっしゃって、おもしろく女房たちの気持ちをお試しになるあまりに、このような古女房をまでおからかいになる。
 このごろは公職が閑散なほうに変ってしまって、自宅でものんきに女房などにも戯談を言いかけて相手をためすことなどを楽しむ源氏であったから、右近のような古女ふるおんなにも戯れてみせるのである。
  Ima ha ohoyake ni tukahe, isogasiki ohom-arisama ni mo ara nu ohom-mi nite, yononaka nodoyaka ni obosa ruru mama ni, tada hakanaki ohom-tahaburegoto wo notamahi, wokasiku hito no kokoro wo mi tamahu amari ni, kakaru hurubito wo sahe zo tahabure tamahu.
4.2.10  「 かの尋ね出でたりけむや、何ざまの人ぞ。尊き修行者語らひて、率て来たるか」
 「あの捜し出した人というのは、どのような人か。尊い修行者と親しくして、連れて来たのか」
 「発見したって、どんな人かね。えらい修験者しゅげんじゃなどと懇意になってつれて来たのか」
  "Kano taduneide tari kem ya, nani zama no hito zo? Tahutoki sugyauza katarahi te, wi te ki taru ka?"
4.2.11  と問ひたまへば、
 とお尋ねになると、
 と源氏は言った。
  to tohi tamahe ba,
4.2.12  「 あな、見苦しや。はかなく消えたまひにし夕顔の露の御ゆかりをなむ、見たまへつけたりし」
 「まあ、人聞きの悪いことを。はかなくお亡くなりになった夕顔の露の縁のある人を、お見つけ申したのです」
 「ひどいことをおっしゃいます。あの薄命な夕顔のゆかりの方を見つけましたのでございます」
  "Ana, migurusi ya! Hakanaku kiye tamahi ni si Yuhugaho no tuyu no ohom-yukari wo nam, mi tamahe tuke tari si."
4.2.13  と聞こゆ。
 と申し上げる。

  to kikoyu.
4.2.14  「 げに、あはれなりけることかな。年ごろはいづくにか」
 「ほんとうに、思いもかけないことであるなあ。長い年月どこにいたのか」
 「そう、それは哀れな話だね、これまでどこにいたの」
  "Geni, ahare nari keru koto kana! Tosigoro ha iduku ni ka?"
4.2.15  とのたまへば、ありのままには聞こえにくくて、
 とお尋ねになるので、真実そのままには申し上げにくいので、
 と源氏に尋ねられたが、ありのままには言いにくくて、
  to notamahe ba, ari no mama ni ha kikoye nikuku te,
4.2.16  「 あやしき山里になむ。昔人もかたへは変はらではべりければ、その世の物語し出ではべりて、堪へがたく思ひたまへりし」
 「辺鄙な山里に、昔の女房も幾人かは変わらずに仕えておりましたので、その当時の話を致しまして、たまらない思いが致しました」
 「寂しい郊外に住んでおいでになったのでございます。昔の女房も半分ほどはお付きしていましてございますから、以前の話もいたしまして悲しゅうございました」
  "Ayasiki yamazato ni nam. Mukasibito mo katahe ha kahara de haberi kere ba, sono yo no monogatari siide haberi te, tahegataku omohi tamahe ri si."
4.2.17  など聞こえゐたり。
 などとお答え申した。
 と右近は言っていた。
  nado kikoye wi tari.
4.2.18  「 よし、心知りたまはぬ御あたりに
 「よし、事情をご存知でない方の前だから」
 「もうわかったよ。あの事情を知っていらっしゃらない方がいられるのだからね」
  "Yosi, kokoro siri tamaha nu ohom-atari ni."
4.2.19  と、隠しきこえたまへば、上、
 とお隠し申しなさると、紫の上は、
 と源氏が隠すように言うと、
  to, kakusi kikoye tamahe ba, Uhe,
4.2.20  「 あな、わづらはし。ねぶたきに、聞き入るべくもあらぬものを」
 「まあ、やっかいなお話ですこと。眠たいので、耳に入るはずもありませんのに」
 「私がおじゃまなの、私は眠くて何のお話だかわからないのに」
  "Ana, wadurahasi. Nebutaki ni, kikiiru beku mo ara nu mono wo."
4.2.21  とて、御袖して御耳塞ぎたまひつ。
 とおっしゃって、お袖で耳をお塞ぎになった。
 と女王にょおうそでで耳をふさいだ。
  tote, ohom-sode site ohom-mimi hutagi tamahi tu.
4.2.22  「 容貌などは、かの昔の夕顔と劣らじや」
 「器量などは、あの昔の夕顔に劣らないだろうか」
 「どんな容貌きりょう、昔の夕顔に劣っていない」
  "Katati nado ha, kano mukasi no Yuhugaho to otora zi ya?"
4.2.23  などのたまへば、
 などとおっしゃると、

  nado notamahe ba,
4.2.24  「 かならずさしもいかでかものしたまはむと 思ひたまへりしを、こよなうこそ生ひまさりて見えたまひしか」
 「きっと母君ほどでいらっしゃるまいと存じておりましたが、格別に優れてご成長なさってお見えになりました」
 「あんなにはおなりにならないかと存じておりましたけれど、とてもおきれいにおなりになったようでございます」
  "Kanarazu sasimo ikadeka monosi tamaha m to omohi tamaheri si wo, koyonau koso ohimasari te miye tamahi sika!"
4.2.25  と聞こゆれば、
 と申し上げるので、

  to kikoyure ba,
4.2.26  「 をかしのことや。誰ばかりとおぼゆ。この君と」
 「興味あることだ。誰くらいに見えますか。この紫の君とは」
 「それはいいね、だれぐらい、この人とはどう」
  "Wokasi no koto ya! Tare bakari to oboyu? Kono Kimi to."
4.2.27   とのたまへば
 とおっしゃると、

  to notamahe ba,
4.2.28  「 いかでか、さまでは
 「どうして、それほどまでは」
 「どういたしまして、そんなには」
  "Ikadeka, sa made ha."
4.2.29  と聞こゆれば、
 と申し上げるので、
 と右近が言うと、
  to kikoyure ba,
4.2.30  「 したり顔にこそ思ふべけれ。我に似たらばしも、うしろやすしかし」
 「得意になって思っているのだな。わたしに似ていたら、安心だ」
 「得意なようで恥ずかしい。何にせよ私に似ていれば安心だよ」
  "Sitarigaho ni koso omohu bekere. Ware ni ni tara ba, simo, usiroyasusi kasi."
4.2.31  と、親めきてのたまふ。
 と、実の親のようにおっしゃる。
 わざと親らしく源氏は言うのであった。
  to, oyameki te notamahu.
注釈264若き人は以下「睦びよかりけれ」まで、源氏の詞。4.2.2
注釈265さりや以下「わづらはしきに」まで、女房の詞。4.2.4
注釈266上も以下「危ふし」まで、源氏の詞。4.2.7
注釈267右近に語らひて笑ひたまふ『集成』は「ひそひそおっしゃって」。『完訳』は「右近をお相手にお笑いになる」と訳す。4.2.8
注釈268かかる古人右近をさす。4.2.9
注釈269かの尋ね出でたりけむや以下「率て来たるか」まで、源氏の詞。4.2.10
注釈270あな見苦しや以下「見たまへつけたりし」まで、右近の詞。「たまへ」謙譲の補助動詞。4.2.12
注釈271げにあはれなりけることかな以下「いづこにかは」まで、源氏の詞。4.2.14
注釈272あやしき山里になむ以下「堪へがたく思ひたまへられし」まで、右近の詞。係助詞「なむ」の下文には「おはしましける」などの語句が省略されている。4.2.16
注釈273よし心知りたまはぬ御あたりに源氏の詞。敬語表現は紫の上に対する敬意。格助詞「に」は原因理由を表す。4.2.18
注釈274あなわづらはし以下「あらぬものを」まで、紫の上の詞。4.2.20
注釈275容貌などは以下「劣らじや」まで、源氏の詞。「夕顔」という人物呼称は作品中の人物が命名し使用している呼称である。4.2.22
注釈276かならずさしも以下「見えたまひしか」まで、右近の詞。母夕顔の美しさと比較。4.2.24
注釈277思ひたまへりしを右近の謙譲表現。4.2.24
注釈278をかしのことや以下「この君と」まで、源氏の詞。「この君」は紫の上をさす。4.2.26
注釈279とのたまへば大島本は「のた給へは」とある。「た」は衍字であろう。4.2.27
注釈280いかでかさまでは右近の詞。4.2.28
注釈281したり顔にこそ以下「うしろやすしかし」まで、源氏の詞。4.2.30
4.3
第三段 源氏、玉鬘を六条院へ迎える


4-3  Genji wants to welcome Tamakazura to his Rokujo-in

4.3.1  かく聞きそめてのちは、 召し放ちつつ
 このように聞き初めてから後は、幾度もお召しになっては、
 その話を聞いた時から源氏はおりおり右近一人だけを呼び出して姫君の問題について語り合った。
  Kaku kiki some te noti ha, mesihanati tutu,
4.3.2  「 さらば、かの人、このわたりに渡いたてまつらむ。年ごろ、もののついでごとに、口惜しう惑はしつることを思ひ出でつるに、いとうれしく聞き出でながら、今までおぼつかなきも、かひなきことになむ。
 「それでは、その人を、ここにお迎え申そう。長年、何かの折ごとに、残念にも行く方がわからなくなったことを思い出していたが、とても嬉しく聞き出しながら、今まで会わないでいるのも、つまらなことだ。
 「私はあの人を六条院へ迎えることにするよ。これまでも何かの場合によく私は、あの人の行くえを失ってしまったことを思って暗い心になっていたのだからね。聞き出せばすぐにその運びにしなければならないのを、怠っていることでも済まない気がする。
  "Saraba, kano hito, kono watari ni watai tatematura m. Tosigoro, mono no tuide goto ni, kutiwosiu madohasi turu koto wo omohiide turu ni, ito uresiku kikiide nagara, ima made obotukanaki mo, kahinaki koto ni nam.
4.3.3  父大臣には、 何か知られむ。いとあまたもて騒がるめるが、数ならで、今はじめ立ち交じりたらむが、なかなかなることこそあらめ。我は、かうさうざうしきに、おぼえぬ所より尋ね出だしたるとも言はむかし。好き者どもの心尽くさするくさはひにて、いといたうもてなさむ」
 父の大臣には、どうして知らせる必要があろうか。たいそう大勢の子どもたちに大騷ぎしているようであるが、数ならぬ身で、今初めて仲間入りしたところで、かえってつらい思いをすることであろう。わたしは、このように子どもが少ないので、思いがけない所から捜し出したとでも言っておこうよ。好色者たちに気をもませる種として、たいそう大切にお世話しよう」
 お父さんの大臣に認めてもらう必要などはないよ。おおぜいの子供に大騒ぎをしていられるのだからね。たいした母から生まれたのでもない人がその中へはいって行っては、結局また苦労をさせることになる。私のほうは子供の数が少ないのだから、思いがけぬ所で発見した娘だとも世間へは言っておいて、貴公子たちが恋の対象にするほどにも私はかしずいてみせる」
  Titi-Otodo ni ha, nanika sira re m? Ito amata mote-sawaga ru meru ga, kazu nara de, ima hazime tatimaziri tara m ga, nakanaka naru koto koso ara me. Ware ha, kau sauzausiki ni, oboye nu tokoro yori tadune idasi taru to mo iha m kasi. Sukimono-domo no kokoro tukusa suru kusahahi ni te, ito itau motenasa m."
4.3.4  など語らひたまへば、かつがついとうれしく思ひつつ、
 などとうまくおっしゃるので、一方では嬉しく思うものの、
 源氏の言葉を聞いていて、右近は姫君の運がこうして開かれて行きそうであるとうれしかった。
  nado katarahi tamahe ba, katugatu ito uresiku omohi tutu,
4.3.5  「 ただ御心になむ。大臣に知らせたてまつらむとも、 誰れかは伝へほのめかしたまはむ。いたづらに過ぎものしたまひし代はりには、ともかくも引き助けさせたまはむことこそは、罪軽ませたまはめ」
 「ただお心のままにどうぞ。父大臣にお知らせ申すとしても、どなたがお耳にお入れなさいましょう。むなしくお亡くなりになった方の代わりに、何としてでもお助けあそばすことが、罪滅ぼしあそばすことになりましょう」
 「何も皆思召おぼしめし次第でございます。内大臣へお知らせいたしますのも、あなた様のお手でなくてはできないことでございます。不幸なおくなり方をなさいました奥様のかわりにもともかくも助けておあげになりましたなら罪がお軽くなります」
  "Tada mi-kokoro ni nam. Otodo ni sirase tatematura m to mo, tare ka ha tutahe honomekasi tamaha m? Itadura ni sugi monosi tamahi si kahari ni ha, tomokakumo hiki-tasuke sase tamaha m koto koso ha, tumi karoma se tamaha me."
4.3.6  と聞こゆ。
 と申し上げる。
 と右近が言うと、
  to kikoyu.
4.3.7  「 いたうもかこちなすかな
 「ひどく言いがかりをつけますね」
 「私をまだそんなふうにも責めるのだね」
  "Itau mo kakoti nasu kana!"
4.3.8  と、ほほ笑みながら、涙ぐみたまへり。
 と、苦笑いしながら、涙ぐんでいらっしゃる。
 源氏は微笑ほほえみながらも涙ぐんでいた。
  to, hohowemi nagara, namidagumi tamahe ri.
4.3.9  「 あはれに、はかなかりける契りとなむ、年ごろ思ひわたる。 かくて集へる方々のなかに 、かの折の心ざしばかり思ひとどむる人なかりしを、命長くて、わが心長さをも見はべるたぐひ多かめるなかに、いふかひなくて、右近ばかりを形見に見るは、 口惜しくなむ。思ひ忘るる時なきに、 さてものしたまはば、いとこそ本意かなふ心地すべけれ」
 「しみじみと、感慨深い関係であったと、長年思っていた。このように六条院に集っている方々の中に、あの時のように気持ちを惹かれる人はなかったが、長生きをして、自分の愛情の変わらなさを見ております人々が多くいる中で、言っても詮ないことになってしまい、右近だけを形見として見ているのは、残念なことだ。忘れる時もないが、そのようにここにいらしてくれたら、たいそう長年の願いが叶う気持ちがするに違いない」
 「短いはかない縁だったと、私はいつもあの人のことを思っている。この家に集まって来ている奥さんたちもね、あの時にあの人を思ったほどの愛を感じた相手でもなかったのが、皆あの人のように短命でないことだけで、私の忘れっぽい男でないのを見届けているのが多いのに、あの人の形見にはただ右近だけを世話していることが残念な気のすることは始終だったのに、そうして姫君を私の手もとへ引き取ることができればうれしいだろう」
  "Ahare ni, hakanakari keru tigiri to nam, tosigoro omohi wataru. Kakute tudohe ru katagata no naka ni, kano wori no kokorozasi bakari omohi todomuru hito nakari si wo, inoti nagaku te, waga kokoronagasa wo mo mi haberu taguhi ohoka' meru naka ni, ihukahinaku te, Ukon bakari wo katami ni miru ha, kutiwosiku nam. Omohi wasururu toki naki ni, sate monosi tamaha ba, ito koso ho'i kanahu kokoti su bekere."
4.3.10  とて、 御消息たてまつれたまふかの末摘花のいふかひなかりしを思し出づれば、さやうに沈みて生ひ出でたらむ人のありさまうしろめたくて、まづ、文のけしきゆかしく思さるるなりけり。ものまめやかに、あるべかしく書きたまひて、端に、
 と言って、お手紙を差し上げなさる。あの末摘花の何とも言いようもなかったのをお思い出しになると、そのように落ちぶれた境遇で育ったような人の様子が不安になって、まずは、手紙の様子がどんなものかと思わずにはいらっしゃれないのであった。きまじめに、それにふさわしくお認めになって、端の方に、
 こう言って、源氏は姫君へ最初の手紙を書いた。あの末摘花すえつむはなに幻滅を感じたことの忘れられない源氏は、そんなふうに逆境に育った麗人の娘、大臣の実子も必ずしも期待にそむかないとは思われない不安さから手紙の返事の書きようでまずその人を判断しようとしたのである。まじめにこまごまと書いた奥には、
  tote, ohom-seusoko tatemature tamahu. Kano Suwetumuhana no ihukahinakari si wo obosi idure ba, sayau ni sidumi te ohiide tara m hito no arisama usirometaku te, madu, humi no kesiki yukasiku obosa ruru nari keri. Mono mameyaka ni, arubekasiku kaki tamahi te, hasi ni,
4.3.11  「 かく聞こゆるを
 「このようにお便り申し上げますのを、
 こんなに私があなたのことを心配していますことは、
  "Kaku kikoyuru wo,
4.3.12    知らずとも尋ねて知らむ三島江に
   生ふる三稜の筋は絶えじを
  今はご存知なくともやがて聞けばおわかりになりましょう
  三島江に生えている三稜のようにわたしとあなたは縁のある関係なのですから
  知らずとも尋ねて知らん三島江に
  ふる三稜みくりのすぢは絶えじな
    Sira zu tomo tadune te sira m Misimaye ni
    ohuru mikuri no sudi ha taye zi wo
4.3.13  となむありける。
 とあったのであった。
 とも書いた。
  to nam ari keru.
4.3.14   御文、みづからまかでてのたまふさまなど聞こゆ。御装束、人びとの料などさまざまあり。 上にも語らひきこえたまへるなるべし、御匣殿などにも、設けの物召し集めて、色あひ、しざまなど、ことなるをと、選らせたまへれば、田舎びたる目どもには、まして珍らしきまでなむ思ひける。
 お手紙は、右近みずから持参して、おっしゃる様子などを申し上げる。ご装束、女房たちの物などいろいろとある。紫の上にもご相談申し上げられたのであろう、御匣殿などでも、用意してある品物を取り集めて、色あいや、出来具合などのよい物をと、選ばせなさったので、田舎じみた人々の目には、ひとしお目を見張るほどに思ったのであった。
 右近はこの手紙を自身で持って行って、源氏の意向を説明した。姫君用の衣服、女房たちの服の材料などがたくさん贈られた。源氏は夫人とも相談したものらしく、衣服係の所にできていた物も皆取り寄せて、色の調子、重ねの取り合わせの特にすぐれた物を選んで贈ったのであったから、九州の田舎いなかに長くいた人々の目に珍しくまばゆい物と映ったのはもっともなことである。
  Ohom-humi, midukara makade te, notamahu sama nado kikoyu. Ohom-sauzoku, hitobito no reu nado samazama ari. Uhe ni mo katarahi kikoye tamahe ru naru besi, mikusigedono nado ni mo, mauke no mono mesi atume te, iroahi, sizama nado, koto naru wo to, era se tamahe re ba, winakabi taru me-domo ni ha, masite medurasiki made nam omohi keru.
注釈282召し放ちつつ源氏が右近を他の女房から離して召す。4.3.1
注釈283さらばかの人以下「いたうもてなさむ」まで、源氏の詞。4.3.2
注釈284何か知られむ反語表現。「れ」受身助動詞。4.3.3
注釈285ただ御心になむ以下「罪軽ませたまはめ」まで、右近の詞。4.3.5
注釈286誰れかは伝へほのめかしたまはむ反語表現。源氏をおいて他にいない、意。4.3.5
注釈287いたうもかこちなすかな源氏の詞。4.3.7
注釈288あはれにはかなかりける以下「心地すべけれ」まで、源氏の詞。4.3.9
注釈289かくて集へる方々のなかに大島本は「つとへ(へ+る)」とある。すなわち「る」を補入する。『新大系』は底本の補入に従う。『集成』『古典セレクション』は諸本に従って「集へたる」と校訂する。4.3.9
注釈290口惜しくなむ係助詞「なむ」の下に「ある」などの語句が省略。4.3.9
注釈291さてものしたまはば主語は玉鬘。4.3.9
注釈292御消息たてまつれたまふ大島本は「たてまつれ給」とある。『集成』『新大系』は底本のままとする。『古典セレクション』は諸本に従って「奉(たてまつ)りたまふ」と校訂する。4.3.10
注釈293かの末摘花の地の文中での呼称。作者命名の人物呼称。4.3.10
注釈294かく聞こゆるを源氏の手紙の端書。4.3.11
注釈295知らずとも尋ねて知らむ三島江に--生ふる三稜の筋は絶えじを源氏から玉鬘への贈歌。「三島江」は歌枕。「三島江に生ふる三稜の」は「筋」に係る序詞。4.3.12
注釈296御文みづからまかでて右近自身がの意。4.3.14
注釈297のたまふさま主語は源氏。源氏からの伝言を玉鬘に伝える。4.3.14
注釈298上にも語らひきこえたまへるなるべし語り手の推測を挿入。4.3.14
校訂12 集へる 集へる--つとへ(へ/+る) 4.3.9
校訂13 筋は 筋は--すち(ち/+は) 4.3.12
4.4
第四段 玉鬘、源氏に和歌を返す


4-4  Tamakazura answers waka to Genji

4.4.1   正身は
 ご本人は、
 姫君自身は、
  Sauzimi ha,
4.4.2  「 ただかことばかりにても、まことの親の御けはひならば こそうれしからめ、いかでか知らぬ人の御あたりには交じらはむ」
 「ほんの申し訳程度でも、実の親のお気持ちならば、どんなにか嬉しいであろう。どうして知らない方の所に出て行けよう」
 こんなりっぱな品々でなくても、実父の手から少しの贈り物でも得られたのならうれしいであろうが、知らない人と交渉を始めようなどとは意外であるというように、
  "Tada kakoto bakari ni te mo, makoto no oya no ohom-kehahi nara ba koso uresikara me, ikadeka sira nu hito no ohom-atari ni ha maziraha m?"
4.4.3  と、 おもむけて、苦しげに思したれど、あるべきさまを、右近聞こえ知らせ、 人びとも
 と、ほのめかして、苦しそうに悩んでいたが、とるべき態度を、右近が申し上げ教え、女房たちも、
 それとなく言って、贈り物を受けることを苦しく思うふうであったが、右近は母君と源氏との間に結ばれた深い因縁を姫君に言って聞かせた。人々も横から取りなした。
  to, omomuke te, kurusige ni obosi tare do, aru beki sama wo, Ukon kikoye sira se, hitobito mo,
4.4.4  「 おのづから、さて人だちたまひなば、大臣の君も尋ね知りきこえたまひなむ。親子の御契りは、絶えて止まぬものなり」
 「自然と、そのようにしてあちらで一人前の姫君となられたら、大臣の君もお聞きつけになられるでしょう。親子のご縁は、けっして切れるものではありません」
 「そうして源氏の大臣の御厚意でごりっぱにさえおなりになりましたなら、内大臣様のほうからもごく自然に認めていただくことができます。親子の縁と申すものは絶えたようでも絶えないものでございます。
  "Onodukara, sate hitodati tamahi na ba, Otodo-no-Kimi mo tadune siri kikoye tamahi na m. Oyako no ohom-tigiri ha, tayete yama nu mono nari."
4.4.5  「右近が、数にもはべらず、 いかでか御覧じつけられむと思ひたまへしだに、仏神の御導きはべらざりけりや。まして、 誰れも誰れもたひらかにだにおはしまさば」
 「右近が、物の数ではございませんが、ぜひともお目にかかりたいと念じておりましたのさえ、仏神のお導きがございませんでしたか。まして、どなたもどなたも無事でさえいらしたら」
 右近でさえお目にかかりたいと一心に祈っていました結果はどうでございます。神仏のお導きがあったではございませんか。御双方ともお身体からださえお丈夫でいらっしゃればきっとおいになれる時がまいります」
  "Ukon ga, kazu ni mo habera zu, ikadeka goranzi tuke rare m to omohi tamahe si dani, Hotoke Kami no ohom-mitibiki habera zari keri ya? Masite, tare mo tare mo tahiraka ni dani ohasimasa ba."
4.4.6  と、皆聞こえ慰む。
 と、皆がお慰め申し上げる。
 とも慰めるのである。
  to, mina kikoye nagusamu.
4.4.7  「 まづ御返りを」と、責めて書かせたてまつる。
 「まずは、お返事を」と、無理にお書かせ申し上げる。
 まず早く返事をと言って皆がかりで姫君を責めて書かせるのであった。
  "Madu ohom-kaheri wo." to, seme te kaka se tatematuru.
4.4.8  「 いとこよなく田舎びたらむものを
 「とてもひどく田舎じみているだろう」
 自分はもうすっかり田舎者なのだからと姫君は書くのを恥ずかしく思うふうであった。
  "Ito koyonaku winakabi tara m mono wo."
4.4.9  と恥づかしく思いたり。唐の紙のいと香ばしきを取り出でて、書かせたてまつる。
 と恥ずかしくお思いであった。唐の紙でたいそうよい香りのを取り出して、お書かせ申し上げる。
 用箋ようせん薫物たきものの香をませた唐紙とうしである。
  to hadukasiku oboi tari. Kara no kami no ito kaubasiki wo toriide te, kaka se tatematuru.
4.4.10  「 数ならぬ三稜や何の筋なれば
   憂きにしもかく根をとどめけむ
 「物の数でもないこの身はどうして
  三稜のようにこの世に生まれて来たのでしょう
  数ならぬみくりや何のすぢなれば
  うきにしもかく根をとどめけん
    "Kazu nara nu mikuri ya nani no sudi nare ba
    uki ni simo kaku ne wo todome kem
4.4.11  とのみ、ほのかなり。 手は、はかなだち、よろぼはしけれど、あてはかにて口惜しからねば、御心落ちゐにけり。
 とだけ、墨付き薄く書いてある。筆跡は、かぼそげにたどたどしいが、上品で見苦しくないので、ご安心なさった。
 とほのかに書いた。字ははかない、力のないようにも見えるものであったが、品がよくて感じの悪くないのを見て源氏は安心した。
  to nomi, honoka nari. Te ha, hakanadati, yorobohasikere do, atehaka nite kutiwosikara ne ba, mi-kokoro otiwi ni keri.
4.4.12  住みたまふべき御かた御覧ずるに、
 お住まいになるべき部屋をお考えになると、
 姫君を住ます所をどこにしようかと源氏は考えたが、
  Sumi tamahu beki ohom-kata goranzuru ni,
4.4.13  「 南の町には、いたづらなる 対どもなどなし 。勢ひことに住み満ちたまへれば、顕証に人しげくもあるべし。 中宮おはします 町は、かやうの人も住みぬべく、のどやかなれど、 さてさぶらふ人の列にや聞きなさむ」と思して、「 すこし埋れたれど、丑寅の町の西の対、文殿にてあるを、異方へ移して」と思す。
 「南の町には、空いている対の屋などはない。威勢も特別でいっぱいに使っていらっしゃるので、目立つし人目も多いことだろう。中宮のいらっしゃる町は、このような人が住むのに適してのんびりしているが、そうするとそこにお仕えする女房と同じように思われるだろう」とお考えになって、「少し埋もれた感じだが、丑寅の町の西の対が、文殿になっているのを、他の場所に移して」とお考えになる。
 南の一廓はあいた御殿もない。華奢かしゃな生活のここが中心になっている所であるから、人出入りもあまりに多くて若い女性には気の毒である。中宮のお住居すまいになっている一廓の中には、そうした人にふさわしい静かな御殿もあいているが、中宮の女房になったように世間へ聞かれてもよろしくないと源氏は思って、少しじみな所ではあるが東北の花散里はなちるさとの住居の中の西の対は図書室になっているのを、書物をほかへ移してそこへ住ませようという考えになった。
  "Minami no mati ni ha, itadura naru tai-domo nado nasi. Ikihohi koto ni sumi miti tamahe re ba, ke'seu ni hito sigeku mo aru besi. Tyuuguu ohasimasu mati ha, kayau no hito mo sumi nu beku, nodoyaka nare do, sate saburahu hito no tura ni ya kiki nasa m." to obosi te, "Sukosi mumore tare do, Usitora-no-mati no nisinotai, hudono nite aru wo, kotokata he utusi te." to obosu.
4.4.14  「 あひ住みにも、忍びやかに心よくものしたまふ御方なれば、うち語らひてもありなむ」
 「一緒に住むことになっても、慎ましく気立てのよいお方だから、話相手になってよいだろう」
 近くにいる人も気だての優しい、おとなしい人であるから、花散里と親しくして暮らすのもいいであろう
  "Ahizumi ni mo, sinobiyaka ni kokoroyoku monosi tamahu ohom-kata nare ba, uti-katarahi te mo ari na m."
4.4.15  と思しおきつ。
 とお決めになった。
 と思ったのである。
  to obosi oki tu.
注釈299正身は玉鬘をさす。4.4.1
注釈300ただかことばかりにても以下「交じらはむ」まで、玉鬘の心中。4.4.2
注釈301こそうれしからめ係結び、逆接用法。4.4.2
注釈302おもむけて『集成』は「お思いで。「おもむけ」は、相手をこちらの方に向けさせる意で、ここは、自分の意向を示す、もらすというほどの意」。『完訳』は「というお気持なので」と注す。4.4.3
注釈303人びとも乳母をはじめ女房たちをさす。4.4.3
注釈304おのづから以下「おはしまさば」まで、乳母たちの詞。4.4.4
注釈305いかでか御覧じつけられむと思ひたまへしだに『集成』は「どうぞして姫のお目に止りますようにと思っておりましたのさえ」。『完訳』は「どうぞして姫君にお目にかかれますようにと願っておりましたのでさえ」と訳す。4.4.5
注釈306誰れも誰れも内大臣と玉鬘をさす。4.4.5
注釈307まづ御返りを乳母たちの詞。4.4.7
注釈308いとこよなく田舎びたらむものを玉鬘の心中。4.4.8
注釈309数ならぬ三稜や何の筋なれば--憂きにしもかく根をとどめけむ玉鬘の返歌。「三稜」「筋」の語句を受けて返す。「三稜」に「身」、「憂き」に「泥(うき)」を掛ける。「三稜」と「泥」は縁語。玉鬘の教養をうかがわせる返歌。4.4.10
注釈310手ははかなだち大島本は「はかなたち」とある。『新大系』は底本のままとする。『集成』『古典セレクション』は諸本に従って「はかなだちて」とし「て」を補訂する。4.4.11
注釈311南の町には以下「聞きなさむ」まで、源氏の心中。4.4.13
注釈312対どもなどなし大島本は「たいともなと△(△#)なし」とある。すなわち「と」の次の文字(判読不明)を抹消する。『新大系』は底本の抹消に従う。『集成』『古典セレクション』は諸本に従って「対どもなどもなし」とし「も」を補訂する。4.4.13
注釈313中宮おはします大島本は「中宮」とある。『新大系』は底本のままとする。『集成』『古典セレクション』は諸本に従って「中宮の」とし「の」を補訂する。4.4.13
注釈314さてさぶらふ人の列にや聞きなさむ大島本は「聞なさむ」とある。『新大系』は底本のままとする。『集成』『古典セレクション』は諸本に従って「聞きなされむ」とし受身助動詞「れ」を補訂する。4.4.13
注釈315すこし埋れたれど以下「異方に移して」まで、源氏の心中。4.4.13
注釈316あひ住みにも以下「語らひてもありなむ」まで、源氏の心中。4.4.14
校訂14 など など--なとゝ(ゝ/#) 4.4.13
校訂15 おはします おはします--おはし(し/+ます) 4.4.13
4.5
第五段 源氏、紫の上に夕顔について語る


4-5  Genji talks about Tamakazura's mother to Murasaki

4.5.1  上にも、今ぞ、かのありし昔の世の物語聞こえ出でたまひける。かく御心に籠めたまふことありけるを、恨みきこえたまふ。
 紫の上にも、今初めて、あの昔の話をお話し申し上げたのであった。このようお心に秘めていらしたことがあったのを、お恨み申し上げなさる。
 こうなってから夫人にも昔の夕顔の話を源氏はしたのであった。そうした秘密があったことを知って夫人は恨んだ。
  Uhe ni mo, ima zo, kano arisi mukasi no yo no monogatari kikoyeide tamahi keru. Kaku mi-kokoro ni kome tamahu koto ari keru wo, urami kikoye tamahu.
4.5.2  「 わりなしや。世にある 人の上とてや、問はず語りは聞こえ出でむ。かかるついでに隔てぬこそは、 人にはことには 思ひきこゆれ
 「困ったことですね。生きている人の身の上でも、問わず語りは申したりしましょうか。このような時に、隠さず申し上げるのは、他の人以上にあなたを愛しているからです」
 「困るね。生きている人のことでは私のほうから進んで聞いておいてもらわねばならないこともありますがね。たとえこんな時にでも昔のそうした思い出を話すのはあなたが特別な人だからですよ」
  "Warinasi ya! Yo ni aru hito no uhe tote ya, tohazugatari ha kikoyeide m? Kakaru tuide ni hedate nu koso ha, hito ni ha koto ni ha omohi kikoyure."
4.5.3  とて、いとあはれげに思し出でたり。
 と言って、とてもしみじみとお思い出しになっていた。
 こう言っている源氏には故人を思う情に堪えられない様子が見えた。
  tote, ito aharege ni obosi ide tari.
4.5.4  「 人の上にてもあまた見しに、いと思はぬなかも、女といふものの心深きをあまた見聞きしかば、さらに好き好きしき心はつかはじとなむ思ひしを、 おのづからさるまじきをもあまた見しなかに、あはれとひたぶるにらうたきかたは、またたぐひなくなむ思ひ出でらるる。世にあらましかば、 北の町にものする人の列にはなどか見ざらまし。人のありさま、とりどりになむありける。かどかどしう、をかしき筋などはおくれたりしかども、あてはかにらうたくもありしかな」
 「他人の身の上として大勢見て来たが、ほれほどにも思わなかった中でも、女性というものの愛執の深さを多数見たり聞いたりしてきましたので、少しも浮気心はつかうまいと思っていたが、いつの間にかそうあってはならなかった女を多数相手にした中で、しみじみとひたすらかわいらしく思えた方では、他に例がなく思い出されます。生きていたならば、北の町におられる人と同じくらいには、世話しないことはなかったでしょう。人の有様は、いろいろですね。才気があり趣味の深い点では劣っていたが、上品でかわいらしかったなあ」
 「自分の経験ばかりではありませんがね、他人のことででもよく見ましたがね、女というものはそれほど愛し合っている仲でなくてもずいぶん嫉妬しっとをするもので、それに煩わされている人が多いから、自分は恐ろしくて、好色な生活はすまいと念がけながらも、そのうち自然に放縦ほうしょうにもなって、幾人いくたりもの恋人を持ちましたが、その中で可憐かれんで可憐でならなく思われた女としてその人が思い出される。生きていたなら私は北の町にいる人と同じくらいには必ず愛しているでしょう。だれも同じ型の人はないものですが、その人は才女らしい、りっぱなというような点は欠けていたが、上品でかわいかった」
  "Hito no uhe nite mo amata mi si ni, ito omoha nu naka mo, womna to ihu mono no kokorohukaki wo amata mi kiki sika ba, sarani sukizukisiki kokoro ha tukaha zi to nam omohi si wo, onodukara sarumaziki wo mo amata mi si naka ni, ahare to hitaburu ni rautaki kata ha, mata taguhi naku nam omohiide raruru. Yo ni aramasika ba, Kita-no-mati ni monosuru hito no nami ni ha, nadoka mi zara masi. Hito no arisama, toridori ni nam ari keru. Kadokadosiu, wokasiki sudi nado ha okure tari sika domo, atehaka ni rautaku mo ari si kana!"
4.5.5  などのたまふ。
 などとおっしゃる。
 などと源氏が言うと、
  nado notamahu.
4.5.6  「 さりとも、明石の列には、立ち並べたまはざらまし
 「そうは言っても、明石の方と同じようには、お扱いなさらないでしょう」
 「でも、明石あかしの波にくらべるほどにはどうだか」
  "Saritomo, Akasi no nami ni ha, tatinarabe tamaha zara masi."
4.5.7  とのたまふ。 なほ北の御殿をば、めざましと心置きたまへり姫君の、いとうつくしげにて、何心もなく聞きたまふが、らうたければ、また、「ことわりぞかし」と思し返さる。
 とおっしゃる。やはり、北の殿の御方を、気にさわる者とお思いであった。姫君が、とてもかわいらしげに何心もなく聞いていらっしゃるのが、いじらしいので、また一方では、「もっともなことだわ」と思い返しなさる。
 と夫人は言った。今も北の御殿の人を、不当にすばらしく愛されている女であると夫人はねたんでいた。小さい姫君がかわいいふうをして前に聞いているのを見ると、夫人の言うほうがもっともであるかもしれないと源氏は思った。
  to notamahu. Naho Kita-no-Otodo wo ba, mezamasi to kokorooki tamahe ri. Himegimi no, ito utukusige nite, nanigokoro mo naku kiki tamahu ga, rautakere ba, mata, "Kotowari zo kasi." to obosi kahesa ru.
注釈317わりなしや以下「思ひきこゆるなれ」まで、源氏の詞。『集成』は「もう死んでしまった人のことを、聞かれもしないのにお話しすることがありましょうか。(亡き人のことを)世にある人のことのように--の意」。『完訳』は「生きている人のことだって、尋ねられもせぬのにこちらから進んで話をきり出すことがありましょうか」と訳す。4.5.2
注釈318人の上とてや係助詞「や」反語表現。亡くなってしまた人のことだから話すのだ、の意。4.5.2
注釈319人にはことには大島本は「ことにハ」とある。『新大系』は底本のままとする。『集成』『古典セレクション』は諸本に従って「ことに」とし「は」を削除する。4.5.2
注釈320思ひきこゆれ「なれ」は断定の助動詞。4.5.2
注釈321人の上にても以下「ありしかな」まで、源氏の詞。4.5.4
注釈322おのづからさるまじきをもあまた見しなかに『集成』は「ついかかわり合ってはならぬ人とも数多く付き合ったなかで」。『完訳』は「ついそうばかりもならぬ女と数多くかかわりあうことになりましたが、そのなかで」と訳す。4.5.4
注釈323北の町にものする人の列には明石の御方が六条院に移転するのは十月(乙女)、この話の九月にはまだ移転していないはず。矛盾がある。4.5.4
注釈324などか見ざらまし反語表現。4.5.4
注釈325さりとも明石の列には立ち並べたまはざらまし紫の上の詞。「明石」「波」「立ち」は和歌の縁語。4.5.6
注釈326なほ北の御殿をばめざましと心置きたまへり紫の上は依然として明石の御方を許してないという設定で語られる。4.5.7
注釈327姫君のいとうつくしげにて何心もなく明石姫君、七歳。4.5.7
4.6
第六段 玉鬘、六条院に入る


4-6  Tamakazura enters the Rokujo-in

4.6.1   かくいふは、九月のことなりけり渡りたまはむこと、すがすがしくも いかでかはあらむ。よろしき童女、若人など求めさす。筑紫にては、口惜しからぬ人びとも、京より散りぼひ来たるなどを、たよりにつけて呼び集めなどして さぶらはせしも、 にはかに惑ひ出でたまひし騷ぎに、皆おくらしてければ、また人もなし。京はおのづから広き所なれば、市女などやうのもの、いとよく求めつつ、 率て来。その人の御子などは知らせざりけり。
 こういう話は、九月のことなのであった。お渡りになることは、どうしてすらすらと事が運ぼうか。適当な童女や、若い女房たちを探させる。筑紫では、見苦しくない人々も、京から流れて下って来た人などを、縁故をたどって呼び集めなどして仕えさせていたのも、急に飛び出して上京なさった騒ぎに、皆を残して来たので、また他に女房もいない。京は自然と広い所なので、市女などのような者を、たいそううまく使っては探し出して、連れて来る。誰それの姫君などとは知らせなかったのであった。
 それらのことは皆九月のうちのことであった。姫君が六条院へ移って行くことは簡単にもいかなかった。まずきれいな若い女房と童女を捜し始めた。九州にいたころには相当な家の出でありながら、田舎へ落ちて来たような女を見つけ次第に雇って、姫君の女房に付けておいたのであるが、脱出のことがにわかに行なわれたためにそれらの人は皆捨てて来て、三人のほかにはだれもいなかった。京は広い所であるから、市女いちめというような者に頼んでおくと、上手じょうずに捜してつれて来るのである。だれの姫君であるかというようなことはだれにも知らせてないのである。
  Kaku ihu ha, Nagatuki no koto nari keri. Watari tamaha m koto, sugasugasiku mo ikadekaha ara m? Yorosiki waraha, wakaudo nado motome sasu. Tukusi nite ha, kutiwosikara nu hitobito mo, kyau yori tiribohi ki taru nado wo, tayori ni tuke te yobi atume nado si te saburaha se si mo, nihaka ni madohi ide tamahi si sawagi ni, mina okurasi te kere ba, mata hito mo nasi. Kyau ha onodukara hiroki tokoro nare ba, itime nado yau no mono, ito yoku motome tutu, wi te ku. Sono hito no mi-ko nado ha sira se zari keri.
4.6.2   右近が里の五条に、まづ忍びて渡したてまつりて、人びと選りととのへ、装束ととのへなどして、十月にぞ渡りたまふ。
 右近の実家の五条の家に、最初こっそりとお移し申し上げて、女房たちを選びすぐり、装束を調えたりして、十月に六条院にお移りになる。
 いったん右近の五条の家に姫君を移して、そこで女房をりととのえもし衣服の仕度したくも皆して、十月に六条院へはいった。
  Ukon ga sato no Godeu ni, madu sinobi te watasi tatematuri te, hitobito eri totonohe, sauzoku totonohe nado si te, Kamnaduki ni zo watari tamahu.
4.6.3  大臣、 東の御方に聞こえつけたてまつりたまふ
 大臣は、東の御方にお預け申し上げなさる。
 源氏は新しい姫君のことを花散里に語った。
  Otodo, Himgasi-no-Ohomkata ni kikoyetuke tatematuri tamahu.
4.6.4  「 あはれと思ひし人の、ものうじして、はかなき山里に隠れゐにけるを、幼き人のありしかば、年ごろも人知れず尋ねはべりしかども、え聞き出ででなむ、女に なるまで過ぎにけるを、おぼえぬかたよりなむ、聞きつけたる時にだにとて、移ろはしはべるなり」とて、「母も亡くなりにけり。 中将を聞こえつけたるに、 悪しくやはある。同じごと後見たまへ。山賤めきて生ひ出でたれば、鄙びたること多からむ。さるべく、ことにふれて教へたまへ」
 「いとしいと思っていた女が、気落ちして、たよりない山里に隠れ住んでいたのだが、幼い子がいたので、長年人に知らせず捜しておりましたが、聞き出すことが出来ませんで、年頃の女性になるまで過ぎてしまったが、思いがけない方面から、聞きつけた時には、せめてと思って、お引き取りするのでございます」と言って、「母も亡くなってしまったのです。中将をお預け申し上げましたが、不都合ありませんね。同じようにお世話なさってください。山家育ちのように成長してきたので、田舎めいたことが多くございましょう。しかるべく、機会にふれて教えてやってください」
 「私の愛していた人が、むやみに悲観して郊外のどこかへ隠れてしまっていたのですが、子供もあったので、長い間私は捜させていたのですがなんら得る所がなくて、一人前の女になるまでほかに置いたわけなのですがその子のことが耳にはいった時にすぐにも迎えておかなければと思って、こちらへ来させることにしたのです。もう母親は死んでいるのです。中将をあなたの子供にしてもらっているのですから、もう一人あったっていいでしょう。世話をしてやってください。簡単な生活をして来たのですから、田舎風なことが多いでしょう。何かにつけて教えてやってください」
  "Ahare to omohi si hito no, mono-u'zi si te, hakanaki yamazato ni kakure wi ni keru wo, wosanaki hito no ari sika ba, tosigoro mo hito sire zu tadune haberi sika domo, e kikiide de nam, wouna ni naru made sugi ni keru wo, oboye nu kata yori nam, kikituke taru toki ni dani tote, uturohasi haberu nari." tote, "Haha mo nakunari ni keri. Tyuuzyau wo kikoye tuke taru ni, asiku yaha aru? Onazi goto usiromi tamahe. Yamagatu meki te ohiide tare ba, hinabi taru koto ohokara m. Sarubeku, koto ni hure te wosihe tamahe."
4.6.5  と、いとこまやかに聞こえたまふ。
 と、とても丁寧にお頼み申し上げなさる。

  to, ito komayaka ni kikoye tamahu.
4.6.6  「 げに、かかる人のおはしけるを、知りきこえざりけるよ。姫君の一所ものしたまふがさうざうしきに、よきことかな」
 「なるほど、そのような人がいらっしゃるのを、存じませんでしたわ。姫君がお一人いらっしゃるのは寂しいので、よいことですわ」
 「ほんとうにそんな方がおありになったのですか。私は少しも知りませんでした。お嬢さんがお一人で、少し寂しすぎましたから、いいことですわね」
  "Geni, kakaru hito no ohasi keru wo, siri kikoye zari keru yo! Himegimi no hitotokoro monosi tamahu ga sauzausiki ni, yoki koto kana!"
4.6.7  と、おいらかにのたまふ。
 と、おおようにおっしゃる。
 花散里はおおように言っている。
  to, oiraka ni notamahu.
4.6.8  「 かの親なりし人は、心なむありがたきまでよかりし。 御心もうしろやすく思ひきこゆれば」
 「その母親だった人は、気立てがめったにいないまでによい人でした。あなたの気立ても安心にお思い申しておりますので」
 「母親だった人はとても善良な女でしたよ。あなたも優しい人だから安心してお預けすることができるのです」
  "Kano oya nari si hito ha, kokoro nam arigataki made yokari si. Mi-kokoro mo usiroyasuku omohi kikoyure ba."
4.6.9  などのたまふ。
 などとおっしゃる。
 などと源氏が言った。
  nado notamahu.
4.6.10  「 つきづきしく後む人なども、こと多からで、つれづれにはべるを、うれしかるべきこと」
 「相応しくお世話している人などと言っても、面倒がかからず、暇でおりますので、嬉しいことですわ」
 「母親らしく世話を焼かせていただくこともこれまではあまり少なくて退屈でしたから、いいことだと思います、ごいっしょに住むのは」
  "Tukidukisiku usiromu hito nado mo, koto ohokara de, turedure ni haberu wo, uresikaru beki koto."
4.6.11   になむのたまふ
 とおっしゃる。
 と花散里は言っていた。
  ni nam notamahu.
4.6.12  殿のうちの人は、御女とも知らで、
 殿の内の女房たちは、殿の姫君とも知らないで、
 女房たちなどは源氏の姫君であることを知らずに、
  Tono no uti no hito ha, ohom-musume to mo sira de,
4.6.13  「 何人、また尋ね出でたまへるならむ
 「どのような女を、また捜し出して来られたのでしょう」
 「またどんな方をお迎えになるのでしょう。同じ所へね。
  "Nanibito, mata taduneide tamahe ru nara m?"
4.6.14  「むつかしき古者扱ひかな」
 「厄介な昔の女性をお集めになることですわ」
 あまりに奥様を古物扱いにあそばすではありませんか」
  "Mutukasiki hurumono atukahi kana!"
4.6.15  と言ひけり。
 と言った。
 と言っていた。
  to ihi keri.
4.6.16  御車三つばかりして、人の姿どもなど、右近あれば、田舎びず仕立てたり。殿よりぞ、綾、何くれとたてまつれたまへる。
 お車を三台ほどで、お供の人々の姿などは、右近がいたので、田舎くさくないように仕立ててあった。殿から、綾や、何やかやかとお贈りなさっていた。
 姫君は三台ほどの車に分乗させた女房たちといっしょに六条院へ移って来た。女房の服装なども右近が付いていたから田舎いなかびずに調えられた。源氏の所からそうした人たちに入り用なあやそのほかの絹布類は呈供してあったのである。
  Mi-kuruma mitu bakari site, hito no sugata-domo nado, Ukon are ba, winakabi zu sitate tari. Tono yori zo, aya, nanikure to tatemature tamahe ru.
注釈328かくいふは九月のことなりけり語り手の物語の時間進行についての説明的文章。なお、「乙女」巻の明石御方の六条院移転の記述と時間的齟齬がある。4.6.1
注釈329いかでかはあらむ反語表現。語り手の口吻の感じられる文章。4.6.1
注釈330にはかに惑ひ出でたまひし騷ぎに筑紫出奔の騒動をいう。4.6.1
注釈331右近が里の五条に『完訳』は「右近の五条の住いが昔からのそれであるなら、玉鬘や乳母の消息を知らなかったのは不自然。玉鬘はここに逗留し、転居を準備」と注す。4.6.2
注釈332東の御方に聞こえつけたてまつりたまふ花散里に玉鬘を預ける。4.6.3
注釈333あはれと思ひし人の以下「ことに触れて教へたまへ」まで、源氏の詞。花散里には実子のようにいう。4.6.4
注釈334中将を夕霧をさす。中将昇進は初出。4.6.4
注釈335悪しくやはある反語表現。『集成』は「夕霧のお世話をお願いしたのですが、結果は上々です。同じようにお世話ください」と注す。4.6.4
注釈336げにかかる人の以下「よきことかな」まで、花散里の詞。4.6.6
注釈337かの親なりし人は以下「思ひきこゆれば」まで、源氏の詞。4.6.8
注釈338御心もうしろやすく「親なりし人」すなわち夕顔に対しては敬語表現を使用していない。ここで「御心」とあるのは対面している花散里に対する敬語表現。係助詞「も」は同類の意。あなたも同様にの意。4.6.8
注釈339つきづきしく以下「うれしかるべきことになむ」まで、花散里の詞。夕霧への後見を謙遜していう。4.6.10
注釈340うれしかるべきことになむのたまふ大島本は「なむの給」とある。『新大系』は底本のままとする。『集成』『古典セレクション』は諸本に従って「なむとのたまふ」とし「と」を補訂する。4.6.11
注釈341何人また尋ね出でたまへるならむ以下「古者扱ひかな」まで、女房たちの詞。『集成』は「源氏が昔の恋人でも引き取って世話するのだろうと臆測する体」と注す。4.6.13
校訂16 渡り 渡り--(/+わたり) 4.6.1
校訂17 さぶらはせ さぶらはせ--さふら(ら/+は<朱>)せ 4.6.1
校訂18 率て来 率て来--いて(て/+く) 4.6.1
校訂19 なるまで なるまで--なか(か/$る)まて 4.6.4
4.7
第七段 源氏、玉鬘に対面する


4-7  Genji meets Tamakazura

4.7.1  その夜、やがて大臣の君渡りたまへり。昔、 光る源氏などいふ御名は、聞きわたりたてまつりしかど、 年ごろのうひうひしさに、さしも思ひきこえざりけるを、ほのかなる大殿油に、御几帳のほころびより はつかに見たてまつる、いとど恐ろしくさへぞ おぼゆるや
 その夜、さっそく大臣の君がお渡りになった。その昔、光る源氏などといった評判は、始終お聞き知り申し上げていたが、長年都の生活に縁がなかったので、それほどともお思い申していなかったが、かすかな大殿油の光に、御几帳の隙間からわずかに拝見すると、ますます恐ろしいまでに思われるお美しさであるよ。
 その晩すぐに源氏は姫君の所へ来た。九州へ行っていた人たちは昔光源氏という名は聞いたこともあったが、田舎住まいをしたうちにそのまれな美貌びぼうの人がこの世に現存していることも忘れていて今ほのかなの明りに几帳きちょうほころびから少し見える源氏の顔を見ておそろしくさえなったのであった。
  Sono yo, yagate Otodo-no-Kimi watari tamahe ri. Mukasi, Hikaru-Genzi nado ihu ohom-na ha, kiki watari tatematuri sika do, tosigoro no uhiuhisisa ni, sasimo omohi kikoye zari keru wo, honoka naru ohotonabura ni, mi-kityau no hokorobi yori hatukani mi tatematuru, itodo osorosiku sahe zo oboyuru ya!
4.7.2  渡りたまふ方の戸を、右近かい放てば、
 お渡りになる方の戸を、右近が掛け金を外して開けると、
 源氏の通って来る所の戸口を右近があけると、
  Watari tamahu kata no to wo, Ukon kai-hanate ba,
4.7.3  「 この戸口に入るべき人は、心ことにこそ
 「この戸口から入れる人は、特別な気がしますね」
 「この戸口をはいる特権を私は得ているのだね」
  "Kono toguti ni iru beki hito ha, kokoro koto ni koso."
4.7.4  と笑ひたまひて、廂なる御座についゐたまひて、
 とお笑いになって、廂の間のご座所に膝をおつきになって、
 と笑いながらはいって、縁側の前の座敷へすわって、
  to warahi tamahi te, hisasi naru omasi ni tui-wi tamahi te,
4.7.5  「 燈こそ、いと懸想びたる心地すれ。親の顔はゆかしきものとこそ聞け。さも思さぬか」
 「燈火は、とても懸想人めいた心地がするな。親の顔は見たいものと聞いている。そうお思いなさらないかね」
 「灯があまりに暗い。恋人の来る夜のようではないか。親の顔は見たいものだと聞いているがこの明りではどうだろう。あなたはそう思いませんか」
  "Hi koso, ito kesaubi taru kokoti sure. Oya no kaho ha, yukasiki mono to koso kike. Samo obosa nu ka?"
4.7.6  とて、几帳すこし押しやりたまふ。わりなく恥づかしければ、そばみておはする様体など、いとめやすく見ゆれば、うれしくて、
 と言って、几帳を少し押しやりなさる。たまらなく恥ずかしいので、横を向いていらっしゃる姿態など、たいそう難なく見えるので、嬉しくて、
 と言って、源氏は几帳を少し横のほうへ押しやった。姫君が恥ずかしがって身体からだを細くしてすわっている様子に感じよさがあって、源氏はうれしかった。
  tote, kityau sukosi osiyari tamahu. Warinaku hadukasikere ba, sobami te ohasuru yaudai nado, ito meyasuku miyure ba, uresiku te,
4.7.7  「 今すこし、光見せむや。あまり心にくし
 「もう少し、明るくしてくれませんか。あまりに奥ゆかしすぎる」
 「もう少し明るくしてはどう。あまり気どりすぎているように思われる」
  "Ima sukosi, hikari mise m ya? Amari kokoronikusi."
4.7.8  とのたまへば、右近、かかげてすこし寄す。
 とおっしゃるので、右近が、燈芯をかき立てて少し近付ける。
 と源氏が言うので、右近は燈心を少しき上げて近くへ寄せた。
  to notamahe ba, Ukon, kakage te sukosi yosu.
4.7.9  「 おもなの人や
 「遠慮のない人だね」
 「きまりを悪がりすぎますね」
  "Omona no hito ya!"
4.7.10  とすこし笑ひたまふ。 げにとおぼゆる御まみの恥づかしげさなり。いささかも異人と隔てあるさまにものたまひなさず、いみじく親めきて、
 と少しお笑いになる。なるほど似ていると思われるお目もとの美しさである。少しも他人として隔て置くようにおっしゃらず、まことに実の親らしくして、
 と源氏は少し笑った。ほんとうにと思っているような姫君の目つきであった。少しも他人のようには扱わないで、源氏は親らしく言う。
  to sukosi warahi tamahu. Geni to oboyuru ohom-mami no hadukasigesa nari. Isasaka mo kotobito to hedate aru sama ni mo notamahi nasa zu, imiziku oyameki te,
4.7.11  「 年ごろ御行方を知らで、心にかけぬ隙なく嘆きはべるを、かうて見たてまつるにつけても、夢の心地して、過ぎにし方のことども取り添へ、忍びがたきに、えなむ聞こえられざりける」
 「長年お行く方も知らないで、心から忘れる間もなく嘆いておりましたが、こうしてお目にかかれたにつけても、夢のような心地がして、過ぎ去った昔のことがいろいろと思い出されて、堪えがたくて、すらすらとお話もできないほどですね」
 「長い間あなたの居所がわからないので心配ばかりさせられましたよ。こうしてうことができても、まだ夢のような気がしてね。それに昔のことが思い出されて堪えられないものが私の心にあるのです。だから話もよくできません」
  "Tosigoro ohom-yukuhe wo sira de, kokoro ni kake nu himanaku nageki haberu wo, kaute mi tatematuru ni tuke te mo, yume no kokoti si te, sugi ni si kata no koto-domo torisohe, sinobi gataki ni, e nam kikoye rare zari keru."
4.7.12  とて、御目おし拭ひたまふ。まことに悲しう思し出でらる。 御年のほど、数へたまひて
 と言って、お目をお拭いになる。ほんとうに悲しく思い出さずにはいられない。お年のほど、お数えになって、
 こう言って目をぬぐう源氏であった。それは偽りでなくて、源氏は夕顔との死別の場を悲しく思い出しているのであった。年を数えてみて、
  tote, ohom-me osi-nogohi tamahu. Makoto ni kanasiu obosi ide raru. Ohom-tosi no hodo, kazohe tamahi te,
4.7.13  「 親子の仲の、かく年経たるたぐひあらじものを。契りつらくもありけるかな。今は、ものうひうひしく、若びたまふべき御ほどにもあらじを、 年ごろの御物語など聞こえまほしきに、 などかおぼつかなくは
 「親子の仲で、このように長年会わずに過ぎた例はあるまいものを。宿縁のつらいことであったよ。今は、恥ずかしがって、子供っぽくなさるほどのお年でもあるまいから、長年のお話なども申し上げたいのだが、どうして何もおっしゃってくださらぬのか」
 「親子であってこんなに長く逢えなかったというようなことは例もないでしょう。恨めしい運命でしたね。もうあなたは少女のように恥ずかしがってばかりいてよい年でもないのですから、今日までの話も私はしたいのに、なぜあなたは黙ってばかりいますか」
  "Oyako no naka no, kaku tosi he taru taguhi ara zi mono wo. Tigiri turaku mo ari keru kana! Ima ha, mono uhiuhisiku, wakabi tamahu beki ohom-hodo ni mo ara zi wo, tosigoro no ohom-monogatari nado kikoye mahosiki ni, nadoka obotukanaku ha."
4.7.14  と恨みたまふに、聞こえむこともなく、恥づかしければ、
 とお恨みになると、申し上げることもなく、恥ずかしいので、
 と源氏が恨みを言うのを聞くと、何と言ってよいかわからぬほど姫君は恥ずかしいのであったが、
  to urami tamahu ni, kikoye m koto mo naku, hadukasikere ba,
4.7.15  「 脚立たず沈みそめ はべりにけるのち、何ごともあるかなきかになむ」
 「幼いころに流浪するようになってから後、何ごとも頼りなく過ごして来ました」
 「足立たずで(かぞいろはいかに哀れと思ふらん三とせになりぬ足立たずして)遠い国へ流れ着きましたころから、私は生きておりましたことか、死んでおりましたことかわからないのでございます」
  "Asi tata zu sidumi some haberi ni keru noti, nanigoto mo arukanakika ni nam."
4.7.16  と、ほのかに聞こえたまふ声ぞ、昔人にいとよくおぼえて若びたりける。ほほ笑みて、
 と、かすかに申し上げなさるお声が、亡くなった母にたいそうよく似て若々しい感じであった。微笑して、
 とほのかに言うのが夕顔の声そのままの語音ごいんであった。源氏は微笑を見せながら、
  to, honokani kikoye tamahu kowe zo, mukasibito ni ito yoku oboye te wakabi tari keru. Hohowemi te,
4.7.17  「 沈みたまひけるを、あはれとも、今は、また誰れかは」
 「苦労していらっしゃったのを、かわいそうにと、今は、わたしの他に誰が思いましょう」
 「あなたに人生の苦しい道をばかり通らせて来たむくいは私がしないでだれにしてもらえますか」
  "Sidumi tamahi keru wo, ahare to mo, ima ha, mata tare ka ha?"
4.7.18  とて、心ばへいふかひなくはあらぬ御応へと思す。右近に、あるべきことのたまはせて、渡りたまひぬ。
 と言って、嗜みのほどは悪くはないとお思いになる。右近に、しかるべき事柄をお命じになって、出て行かれた。
 と言って、源氏は聡明そうめいらしい姫君の物の言いぶりに満足しながら、右近にいろいろな注意を与えて源氏は帰った。
  tote, kokorobahe ihukahinaku ha ara nu ohom-irahe to obosu. Ukon ni, aru beki koto notamahase te, watari tamahi nu.
注釈342光る源氏などいふ御名は大島本は「御な」とある。『新大系』は底本のままとする。『集成』『古典セレクション』は諸本に従って「名」とし「御」を削除する。4.7.1
注釈343年ごろのうひうひしさに長年都の生活には縁がなかったの意。4.7.1
注釈344はつかに見たてまつる兵部が源氏の姿を。4.7.1
注釈345おぼゆるや兵部の驚きと語り手のそれが一体化したような叙述。4.7.1
注釈346この戸口に入るべき人は心ことにこそ源氏の詞。『集成』は「恋人を迎え入れるような右近の戸の開け方に、冗談をいう」と注す。4.7.3
注釈347燈こそいと以下「さも思さぬか」まで、源氏の詞。「ほのかなる大殿油」とあったように、薄暗い明かりは、かえって恋人どうしの対面のようだという。4.7.5
注釈348今すこし光見せむやあまり心にくし源氏の詞。『集成』は「これでは、もったいぶりすぎる」と注す。4.7.7
注釈349おもなの人や源氏の詞。『集成』は「遠慮のない人だね。右近のこと。自分の顔がはっきり見えることを気にしていう」と注す。4.7.9
注釈350げにとおぼゆる御まみの恥づかしげさなり『集成』は「なるほどと思われるお目もとのご立派さだ。燈火にはっきり照らし出された源氏の容貌」。『完訳』は「いかにもあの女の面影を思い出さずにはいられないお目もとの、こちらが気おくれするほどのお美しさである」と注す。4.7.10
注釈351年ごろ御行方を知らで以下「聞こえられざりける」まで、源氏の詞。4.7.11
注釈352御年のほど数へたまひて玉鬘、二十一歳。4.7.12
注釈353親子の仲の以下「おぼつかなくは」まで、源氏の詞。4.7.13
注釈354年ごろの御物語など大島本は「なと」とある。『新大系』は底本のままとする。『集成』『古典セレクション』は諸本に従って「なども」とし「も」を補訂する。4.7.13
注釈355などかおぼつかなくは『集成』は「どうして何もおっしゃらぬのか」。『完訳』は「なぜ打ち解けてくれないのか」と訳す。4.7.13
注釈356脚立たず沈みそめ以下「あるかなきかになむ」まで、玉鬘の返事。三歳で母に別れた玉鬘は「かぞいろはあはれと見ずや蛭の子は三年になりぬ足立たずして」(日本紀竟宴和歌、大江朝綱)の和歌を踏まえて応える。4.7.15
注釈357沈みたまひけるを大島本は「しつミ給ける越」とある。『新大系』は底本のままとする。『集成』『古典セレクション』は諸本に従って「沈みたまへりけるを」と校訂する。以下「また誰れかは」まで、源氏の詞。4.7.17
出典10 脚立たず沈み かぞいろはいかにあはれと思ふらむ三年になりぬ脚立たずして 和漢朗詠下-六六 大江朝綱 4.7.15
4.8
第八段 源氏、玉鬘の人物に満足する


4-8  Genji is satisfied with Tamakazura

4.8.1  めやすくものしたまふを、うれしく思して、上にも語りきこえたまふ。
 無難でいらっしゃったのを、嬉しくお思いになって、紫の上にもご相談申し上げなさる。
 感じのよい女性であったことをうれしく思って、源氏は夫人にもそのことを言った。
  Meyasuku monosi tamahu wo, uresiku obosi te, Uhe ni mo katari kikoye tamahu.
4.8.2  「 さる山賤のなかに年経たれば、いかにいとほしげならむとあなづりしを、かへりて心恥づかしきまでなむ見ゆる。かかる者ありと、いかで人に知らせて、兵部卿宮などの、この籬のうち好ましうしたまふ心乱りにしがな。好き者どもの、いとうるはしだちてのみ、このわたりに見ゆるも、かかる者のくさはひのなきほどなり。いたうもてなしてしがな。 なほうちあはぬ人のけしき見集めむ」
 「ある田舎に長年住んでいたので、どんなにおかわいそうなと見くびっていたのでしたが、かえってこちらが恥ずかしくなるくらいに見えます。このような姫君がいると、何とか世間の人々に知らせて、兵部卿宮などが、この邸の内に好意を寄せていらっしゃる心を騒がしてみたいものだ。風流人たちが、たいそうまじめな顔ばかりして、ここに見えるのも、こうした話の種になる女性がいないからである。たいそう世話を焼いてみたいものだ。知っては平気ではいられない男たちの心を見てやろう」
 「野蛮な地方に長くいたのだから、気の毒なものに仕上げられているだろうと私は軽蔑けいべつしていたが、こちらがかえって恥ずかしくなるほどでしたよ。娘にこうした麗人を持っているということを世間へ知らせるようにして、よくおいでになる兵部卿ひょうぶきょうの宮などに懊悩おうのうをおさせするのだね。恋愛至上主義者も私のうちではきまじめな方面しか見せないのも妙齢の娘などがないからなのだ。たいそうにかしずいてみせよう、まだ成っていない貴公子たちの懸想けそうぶりをたんと拝見しよう」
  "Saru yamagatu no naka ni tosi he tare ba, ikani itohosige nara m to anaduri si wo, kaherite kokorohadukasiki made nam miyuru. Kakaru mono ari to, ikade hito ni sirase te, Hyaubukyau-no-Miya nado no, kono magaki no uti konomasiu si tamahu kokoro midari ni si gana. Sukimono-domo no, ito uruhasidati te nomi, kono watari ni miyuru mo, kakaru mono no kusahahi no naki hodo nari. Itau motenasi te si gana! Naho uti aha nu hito no kesiki mi atume m."
4.8.3  とのたまへば、
 とおっしゃると、
 と源氏が言うと、
  to notamahe ba,
4.8.4  「 あやしの人の親や。まづ人の心励まさむことを先に思すよ。けしからず」
 「変な親ですこと。まっさきに人の心をそそるようなことをお考えになるとは。よくありませんよ」
 「変な親心ね。求婚者の競争をあおるなどとはひどい方」   "Ayasi no hito no oya ya! Madu hito no kokoro hagemasa m koto wo saki ni obosu yo! Kesikara zu."
4.8.5  とのたまふ。
 とおっしゃる。
 と女王にょおうは言う。
  to notamahu.
4.8.6  「 まことに君をこそ、今の心ならましかば、さやうにもてなして見つべかりけれ。 いと無心にしなしてしわざぞかし
 「ほんとうにあなたをこそ、今のような気持ちだったならば、そのように扱って見たかったのですがね。まったく心ない考えをしてしまったものだ」
 「そうだった、あなたを今のような私の心だったらそう取り扱うのだった。無分別に妻などにはしないで、娘にしておくのだった」
  "Makoto ni Kimi wo koso, ima no kokoro nara masika ba, sayau ni motenasi te mi tu bekari kere! Ito muzin ni si nasi te si waza zo kasi."
4.8.7  とて、笑ひたまふに、面赤みておはする、いと若くをかしげなり。硯引き寄せたまうて、手習に、
 と言って、お笑いになると、顔を赤くしていらっしゃる、とても若く美しい様子である。硯を引き寄せなさって、手習いに、
 夫人の顔を赤らめたのがいかにも若々しく見えた。源氏はすずりを手もとへ引き寄せながら、無駄むだ書きのように書いていた。
  tote, warahi tamahu ni, omote akami te ohasuru, ito wakaku wokasige nari. Suzuri hikiyose tamau te, tenarahi ni,
4.8.8  「 恋ひわたる身はそれなれど玉かづら
   いかなる筋を尋ね来つらむ
 「ずっと恋い慕っていたわが身は同じであるが
  その娘はどのような縁でここに来たのであろうか
  恋ひわたる身はそれながら玉鬘たまかづら
  いかなる筋を尋ね来つらん
    "Kohi wataru mi ha sore nare do tamakadura
    ikanaru sudi wo tadune ki tu ram
4.8.9   あはれ
 ああ、奇縁だ」
 「かわいそうに」
  Ahare!"
4.8.10  と、やがて独りごちたまへば、「 げに、深く思しける人の名残なめり」と見たまふ。
 と、そのまま独り言をおっしゃっるので、「なるほど、深くお愛しになった女の忘れ形見なのだろう」と御覧になる。
 とも独言ひとりごとしているのを見て、玉鬘の母であった人は、前に源氏の言ったとおりに、深く愛していた人らしいと女王は思った。
  to, yagate hitorigoti tamahe ba, "Geni, hukaku obosi keru hito no nagori na' meri." to mi tamahu.
注釈358さる山賤の以下「見集めむ」まで、源氏の詞。4.8.2
注釈359なほうちあはぬ『集成』は「なほうちあらぬ」と校訂し「平気には見過せない男たちの様子を見てやろう。「なほあり」は、そのままでいる、ここは平気でいるというほどの意」。『完訳』は「なほうちあはぬ」のまま「すましていても、やはり本性を表す人々の姿を」と注す。4.8.2
注釈360あやしの人の親や以下「けしからず」まで、紫の上の詞。4.8.4
注釈361まことに君をこそ以下「わざぞかし」まで、源氏の詞。4.8.6
注釈362いと無心にしなしてしわざぞかし『集成』は「全く心ないやり方をしてしまったものです。しゃにむに妻としてわが物にしてしまった、という」。『完訳』は「平凡にも妻にしてしまった、の意。紫の上頌の気持もこもる」と注す。4.8.6
注釈363恋ひわたる身はそれなれど玉かづら--いかなる筋を尋ね来つらむ源氏の手習歌。「いづくとて尋ね来つらむ玉かづら我は昔の我ならなくに」(後撰集雑四、一二五三、源善朝臣)を踏まえる。「玉鬘」「筋」は縁語。4.8.8
注釈364あはれ『完訳』は「母娘二代との因縁を思う」と注す。4.8.9
注釈365げに深く思しける人の名残なめり紫の上の心中。4.8.10
4.9
第九段 玉鬘の六条院生活始まる


4-9  Tamakazura's new life begins in rokujo-in

4.9.1  中将の君にも、
 中将の君にも、
 源氏は子息の中将にも、
  Tiuzyau-no-Kimi ni mo,
4.9.2  「 かかる人を尋ね出でたるを、用意して睦び訪らへ
 「このような人を尋ね出したので、気をつけて親しく訪れなさい」
 こうこうした娘を呼び寄せたから、気をつけて交際するがよい
  "Kakaru hito wo taduneide taru wo, youi si te mutubi toburahe."
4.9.3  とのたまひければ、こなたに参うでたまひて、
 とおっしゃったので、こちらに参上なさって、
 と言ったので、中将はすぐに玉鬘の御殿へたずねて行った。
  to notamahi kere ba, konata ni maude tamahi te,
4.9.4  「 人数ならずとも、かかる者さぶらふと、まづ召し寄すべくなむはべりける。御渡りのほどにも、参り仕うまつらざりけること」
 「つまらない者ですが、このような弟もいると、まずはお召しになるべきでございましたよ。お引っ越しの時にも、参上してお手伝い致しませんでしたことが」
 「つまらない人間ですが、こんな弟がおりますことを御念頭にお置きくださいまして、御用があればまず私をお呼びになってください。こちらへお移りになりました時も、存じないものでお世話をいたしませんでした」
  "Hitokazu nara zu tomo, kakaru mono saburahu to, madu mesiyosu beku nam haberi keru. Ohom-watari no hodo ni mo, mawiri tukaumatura zari keru koto."
4.9.5  と、いとまめまめしう聞こえたまへば、かたはらいたきまで、 心知れる人は思ふ。
 と、たいそう実直にお申し上げになるので、側で聞いているのもきまりが悪いくらいに、事情を知っている女房たちは思う。
 と忠実なふうに言うのを聞いていて、真実のことを知っている者はきまり悪い気がするほどであった。
  to, ito mamemamesiu kikoye tamahe ba, kataharaitaki made, kokoro sire ru hito ha omohu.
4.9.6   心の限り尽くしたりし 御住まひなりしかど、あさましう田舎びたりしも、たとしへなくぞ 思ひ比べらるるや。御しつらひよりはじめ、今めかしう気高くて、 親、はらからと睦びきこえたまふ御さま、容貌よりはじめ、目もあやにおぼゆるに、今ぞ、三条も大弐をあなづらはしく思ひける。まして、監が息ざしけはひ、思ひ出づるもゆゆしきこと限りなし。
 思う存分に数奇を凝らしたお住まいではあったが、あきれるくらい田舎びていたのが、何とも比べようもなく思われるよ。お部屋のしつらいをはじめとして、当世風で上品で、親、姉弟として親しくお付き合いさせていただいていらっしゃるご様子、容貌をはじめ、目もくらむほどに思われるので、今になって、三条も大弍を軽々しく思うのであった。まして、大夫の監の鼻息や態度は、思い出すのも忌ま忌ましいことこの上ない。
 物質的にも一所懸命の奉仕をしていた九州時代の姫君の住居も現在の六条院の華麗な設備に思い比べてみると、それは田舎らしいたまらないものであったようにおとどなどは思われた。すべてが洗練された趣味で飾られた気高けだかい家にいて、親兄弟である親しい人たちは風采ふうさいを始めとして、目もくらむほどりっぱな人たちなので、こうなってはじめて三条も大弐を軽蔑けいべつしてよい気になった。まして大夫たゆうげんは思い出すだけでさえ身ぶるいがされた。
  Kokoro no kagiri tukusi tari si ohom-sumahi nari sika do, asamasiu winakabi tari si mo, tatosihenaku zo omohi kurabe raruru ya! Ohom-siturahi yori hazime, imamekasiu kedakaku te, oya, harakara to mutubi kikoye tamahu ohom-sama, katati yori hazime, me mo aya ni oboyuru ni, ima zo, Samdeu mo Daini wo anadurahasiku omohi keru. Masite, Gen ga ikizasi kehahi, omohiiduru mo yuyusiki koto kagirinasi.
4.9.7  豊後介の心ばへをありがたきものに 君も思し知り、右近も思ひ言ふ。「 おほぞうなるは、ことも怠りぬべし」とて、こなたの家司ども定め、あるべきことどもおきてさせたまふ。豊後介もなりぬ。
 豊後介の心根を立派なものだと姫君もご理解なさりになり、右近もそう思って口にする。「いい加減にしていたのでは不行き届きも生じるだろう」と考えて、こちら方の家司たちを任命して、しかるべき事柄を決めさせなさる。豊後介も家司になった。
 何事も豊後介ぶんごのすけの至誠の賜物たまものであることを玉鬘も認めていたし、右近もそう言って豊後介をめた。しかとした規律のある生活をするのにはそれが必要であると言って、玉鬘付きの家従や執事が決められた時に豊後介もその一人に登用された。
  Bungo-no-Suke no kokorobahe wo arigataki mono ni Kimi mo obosi siri, Ukon mo omohi ihu. "Ohozou naru ha, koto mo okotari nu besi." tote, konata no keisi-domo sadame, aru beki koto-domo okite sase tamahu. Bungo-no-Suke mo nari nu.
4.9.8  年ごろ田舎び沈みたりし心地に、にはかに名残もなく、 いかでか、仮にても立ち出で見るべきよすがなくおぼえし大殿のうちを、朝夕に出で入りならし、人を従へ、 事行なふ身となれば 、いみじき面目と思ひけり。大臣の君の御心おきての、こまかにありがたうおはしますこと、いとかたじけなし。
 長年田舎に沈淪していた心地には、急にすっかり変わり、どうして、仮にも自分のような者が出入りできる縁さえないと思っていた大殿の内を、朝な夕なに出入りし、人を従えて、事務を行う身」となることができたのは、たいそう面目に思った。大臣の君のお心配りが、細かに行き届いて世にまたとないほどでいらっしゃることは、たいそうもったいない。
 すっかり田舎上がりの失職者になっていた豊後介はにわかに朗らかな身の上になった。かりにも出入りする便宜などを持たなかった六条院に朝夕出仕して、多数の侍を従えて執務することのできるようになったことを豊後介は思いがけぬ大幸福を得たと思っていた。これらもすべて源氏が思いやり深さから起こったことと言わねばならない。
  Tosigoro winakabi sizumi tari si kokoti ni, nihakani nagori mo naku, ikadeka, kari nite mo tatiide miru beki yosuga naku oboye si Ohotono no uti wo, asayuhu ni ideiri narasi, hito wo sitagahe, koto okonahu mi to nare ba, imiziki meiboku to omohi keri. Otodo-no-Kimi no mi-kokorookite no, komaka ni arigatau ohasimasu koto, ito katazikenasi.
注釈366かかる人を尋ね出でたるを用意して睦び訪らへ源氏の詞。4.9.2
注釈367人数ならずとも以下「参り仕うまつらざりけること」まで、夕霧の詞。4.9.4
注釈368心知れる人玉鬘が源氏の実子でないすなわち夕霧と姉弟ではないという事情をしっている女房。4.9.5
注釈369心の限り尽くしたりし以下、乳母らの視点を通して語る叙述。4.9.6
注釈370御住まひなりしかど過去助動詞「しか」に注意。かつて過ごした筑紫の館をさす。4.9.6
注釈371思ひ比べらるるや「らるる」自発の助動詞。「や」詠嘆の終助詞。4.9.6
注釈372親、はらからと睦びきこえたまふ御さま源氏や夕霧をさす。主語は玉鬘。4.9.6
注釈373君も思し知り「君」は玉鬘。4.9.7
注釈374おほぞうなるはことも怠りぬべし源氏の心中。『集成』は「いい加減にしておいては、十分に行き届かぬこともあろうということで」。『完訳』は「いいかげんなことでは姫君のお暮しに不行届きも生じようと」と訳す。4.9.7
注釈375いかでか仮にても以下「いみじき面目」まで、豊後介の心中。『集成』は「「いかでか」の呼応は、「よすがなく」のところで消えている」。『完訳』は「「いかでか」は「--見るべき」にかかるか」と注す。4.9.8
注釈376事行なふ身となれば大島本は「身となれ△(△#)は」とある。すなわち「れ」の次の文字(判読不明)を抹消する。『新大系』は底本の抹消に従う。『集成』『古典セレクション』は諸本に従って「なれるは」とし「る」を補訂する。4.9.8
校訂20 なれば なれば--なれる(る/#)は 4.9.8
Last updated 9/21/2010(ver.2-3)
渋谷栄一校訂(C)
Last updated 11/19/2009(ver.2-2)
渋谷栄一注釈(C)
Last updated 11/25/2013
渋谷栄一訳(C)(ver.1-2-3)
現代語訳
与謝野晶子
電子化
上田英代(古典総合研究所)
底本
角川文庫 全訳源氏物語
校正・
ルビ復活
kompass(青空文庫)

2003年7月31日

渋谷栄一訳
との突合せ
若林貴幸、宮脇文経

2009年12月18日

Last updated 11/19/2009 (ver.2-2)
Written in Japanese roman letters
by Eiichi Shibuya (C)
Picture "Eiri Genji Monogatari"(1650 1st edition)
このページは再編集プログラムによって2015/1/12に出力されました。
源氏物語の世界 再編集プログラム Ver 3.38: Copyright (c) 2003,2015 宮脇文経