第二十五帖 蛍


25 HOTARU (Ohoshima-bon)


光る源氏の太政大臣時代
三十六歳の五月雨期の物語



Tale of Hikaru-Genji's Daijo-Daijin era, rainy days in May at the age of 36

3
第三章 光る源氏の物語 光る源氏の物語論


3  Tale of Hikaru-Genji  On monogatari by Hikaru-Genji

3.1
第一段 玉鬘ら六条院の女性たち、物語に熱中


3-1  Tamakazura and the other women in Rokujoin are crazy about reading monogatari

3.1.1  長雨例の年よりもいたくして、 晴るる方なくつれづれなれば、御方々、 絵物語などのすさびにて、明かし暮らしたまふ。明石の御方は、さやうのことをもよしありてしなしたまひて、姫君の御方にたてまつりたまふ。
 長雨が例年よりもひどく降って、晴れる間もなく所在ないので、御方々は、絵や物語などを遊び事にして、毎日お暮らしになっていらっしゃる。明石の御方は、そのようなことも優雅な趣向を凝らして仕立てなさって、姫君の御方に差し上げなさる。
 梅雨つゆが例年よりも長く続いていつ晴れるとも思われないころの退屈さに六条院の人たちも絵や小説を写すのに没頭した。明石あかし夫人はそんなほうの才もあったから写し上げた草紙などを姫君へ贈った。
  Nagaame rei no tosi yori mo itaku si te, haruru kata naku turedure nare ba, ohom-katagata, we monogatari nado no susabi nite, akasikurasi tamahu. Akasi-no-Ohomkata ha, sayau no koto wo mo yosi ari te si nasi tamahi te, Himegimi-no-Ohomkata ni tatematuri tamahu.
3.1.2   西の対には、ましてめづらしくおぼえたまふことの筋なれば、明け暮れ書き読みいとなみおはす。 つきなからぬ若人あまたあり。さまざまにめづらかなる人の上などを、真にや偽りにや、言ひ集めたるなかにも、「 わがありさまのやうなるはなかりけり」と見たまふ。
 西の対では、まして珍しく思われなさることの遊び事なので、毎日写したり読んだりしていらっしゃる。そのうってつけの若い女房たちが大勢いる。いろいろと珍しい人の身の上などを、本当のことか嘘のことかと、たくさんある物語の中でも、「自分の身の上と同じようなのはなかった」と御覧になる。
 若い玉鬘たまかずらはまして興味を小説に持って、毎日写しもし、読みもすることに時を費やしていた。こうしたことの相手を勤めるのに適した若い女房が何人もいるのであった。数奇な女の運命がいろいろと書かれてある小説の中にも、事実かどうかは別として、自身の体験したほどの変わったことにあっている人はないと玉鬘は思った。
  Nisi-no-Tai ni ha, masite medurasiku oboye tamahu koto no sudi nare ba, akekure kaki yomi itonami ohasu. Tukinakara nu wakaudo amata ari. Samazama ni meduraka naru hito no uhe nado wo, makoto ni ya ituhari ni ya, ihi atume taru naka ni mo, "Waga arisama no yau naru ha nakari keri!" to mi tamahu.
3.1.3  『住吉』の姫君の、 さしあたりけむ折はさるものにて、今の世のおぼえも なほ心ことなめるに、主計頭が、ほとほとしかりけむなどぞ、かの監がゆゆしさを思しなずらへたまふ。
 『住吉物語』の姫君が、物語中での評判もさることながら、現実での評判もやはり格別のようだが、主計頭が、もう少しで奪うところであったことなどを、あの監の恐しさと思い比べて御覧になる。
 住吉すみよしの姫君がまだ運命に恵まれていたころは言うまでもないが、あとにもなお尊敬されているはずの身分でありながら、今一歩で卑しい主計頭かずえのかみの妻にされてしまう所などを読んでは、恐ろしかったげんのことが思われた。
  Sumiyosino Himegimi no, sasiatari kem wori ha saru mono nite, ima no yo no oboye mo naho kokoro koto na' meru ni, Kazohenokami ga, hotohotosikari kem nado zo, kano Gen ga yuyusisa wo obosi nazurahe tamahu.
3.1.4  殿も、こなたかなたにかかるものどもの散りつつ、御目に離れねば、
 殿も、あちらこちらでこのような絵物語が散らかっていて、お目につくので、
 源氏はどこの御殿にも近ごろは小説類が引き散らされているのを見て玉鬘に言った。
  Tono mo, konata kanata ni kakaru mono-domo no tiri tutu, ohom-me ni hanare ne ba,
3.1.5  「 あな、むつかし。女こそ、ものうるさがらず、人に欺かれむと生まれたるものなれ。ここらのなかに、真はいと少なからむを、かつ知る知る、かかるすずろごとに心を移し、はかられたまひて、暑かはしき 五月雨の、髪の乱るるも知らで、書きたまふよ」
 「ああ、困ったものだ。女性というものは、面倒がりもせず、人にだまされようとして生まれついたものですね。たくさんの中にも真実は少ないだろうに、そうとは知りながら、このようなつまらない話にうつつをぬかし、だまされなさって、蒸し暑い五月雨の、髪の乱れるのも気にしないで、お写しになることよ」
 「いやなことですね。女というものはうるさがらずに人からだまされるために生まれたものなんですね。ほんとうの語られているところは少ししかないのだろうが、それを承知で夢中になって作中へ同化させられるばかりに、この暑い五月雨さみだれの日に、髪の乱れるのも知らずに書き写しをするのですね」
  "Ana, mutukasi! Womna koso, mono urusagara zu, hito ni azamuka re m to mumare taru mono nare. Kokora no naka ni, makoto ha ito sukunakara m wo, katu siru siru, kakaru suzurogoto ni kokoro wo utusi, hakara re tamahi te, atukahasiki samidare no, kami no midaruru mo sira de, kaki tamahu yo."
3.1.6  とて、笑ひたまふものから、また、
 と言って、お笑いになる一方で、また、
 笑いながらまた、
  tote, warahi tamahu monokara, mata,
3.1.7  「 かかる世の古言ならでは、げに、何をか紛るることなきつれづれを 慰めまし。さても、この 偽りどものなかに、げにさもあらむとあはれを見せ、つきづきしく続けたる、はた、はかなしごとと知りながら、いたづらに心動き、らうたげなる姫君のもの思へる見るに、 かた心つくかし
 「このような古物語でなくては、なるほど、どうして気の紛らしようのない退屈さを慰めることができようか。それにしても、この虚構の物語の中に、なるほどそうもあろうかと人情を見せ、もっともらしく書き綴ったのは、それはそれで、たわいもないこととは知りながらも、無性に興をそそられて、かわいらしい姫君が物思いに沈んでいるのを見ると、何程か心引かれるものです。
 「けれどもそうした昔の話を読んだりすることがなければ退屈は紛れないだろうね。このうそごとの中にほんとうのことらしく書かれてあるところを見ては、小説であると知りながら興奮をさせられますね。可憐かれんな姫君が物思いをしているところなどを読むとちょっと身にしむ気もするものですよ。
  "Kakaru yo no hurukoto nara de ha, geni, nani wo ka magiruru koto naki turedure wo nagusame masi. Satemo, kono ituhari-domo no naka ni, geni samo ara m to ahare wo mise, tukidukisiku tuduke taru, hata, hakanasigoto to siri nagara, itadura ni kokoro ugoki, rautage naru Himegimi no mono omohe ru miru ni, katakokoro tuku kasi.
3.1.8  また、 いとあるまじきことかなと見る見る、おどろおどろしくとりなしけるが目おどろきて、静かにまた聞くたびぞ、憎けれど、ふとをかしき節、あらはなるなどもあるべし。
 また、けっしてありそうにないことだと思いながらも、大げさに誇張して書いてあるところに目を見張る思いがして、落ち着いて再び聞く時には、憎らしく思うが、とっさには面白いところなどがきっとあるのでしょう。
 また不自然な誇張がしてあると思いながらつり込まれてしまうこともあるし、またまずい文章だと思いながらおもしろさがある個所にあることを否定できないようなのもあるようですね。
  Mata, ito arumaziki koto kana to miru miru, odoroodorosiku torinasi keru ga me odoroki te, siduka ni mata kiku tabi zo, nikukere do, huto wokasiki husi, araha naru nado mo aru besi.
3.1.9  このころ、 幼き人の女房などに時々読まするを立ち聞けば、ものよく言ふものの世にあるべきかな。 虚言をよくしなれたる口つきよりぞ言ひ出だすらむとおぼゆれど、さしもあらじや」
 最近、幼い姫が女房などに時々読ませているのを立ち聞きすると、何と口のうまい者がいるものですね。根も葉もない嘘をつき馴れた者の口から言い出すのだろうと思われますが、そうではないありませんか」
 このごろあちらの子供が女房などに時々読ませているのを横で聞いていると、多弁な人間があるものだ、嘘を上手じょうずに言いれた者が作るのだという気がしますが、そうじゃありませんか」
  Konokoro, wosanaki hito no nyoubau nado ni tokidoki yoma suru wo tatikike ba, mono yoku ihu mono no yo ni aru beki kana! Soragoto wo yoku si nare taru kutituki yori zo, ihiidasu ram to oboyure do, sasimo ara zi ya?"
3.1.10  とのたまへば、
 とおっしゃると、
 と言うと、
  to notamahe ba,
3.1.11  「 げに、偽り馴れたる人や、さまざまにさも汲みはべらむ。ただ いと真のこととこそ思うたまへられけれ」
 「おっしゃるとおり、嘘をつくことに馴れた人は、いろいろとそのようにご想像なさるでしょう。ただどうしても真実のことと思われるのです」
 「そうでございますね。嘘を言い馴れた人がいろんな想像をして書くものでございましょうが、けれど、どうしてもほんとうとしか思われないのでございますよ」
  "Geni, ituhari nare taru hito ya, samazama ni samo kumi habera m. Tada ito makoto no koto to koso omou tamahe rare kere!"
3.1.12  とて、硯をおしやりたまへば、
 と言って、硯を押しやりなさるので、
 こう言いながら玉鬘たまかずらすずりを前へ押しやった。
  tote, suduri wo osiyari tamahe ba,
3.1.13  「 こちなくも聞こえ落としてけるかな。神代より世にあることを、 記しおきけるななり。『 日本紀』などは、ただかたそばぞかし。これらにこそ道々しく詳しきことはあらめ」
 「失礼にもけなしてしまいましたね。神代から世の中にあることを、書き記したものだそうだ。『日本紀』などは、ほんの一面にしか過ぎません。物語にこそ道理にかなった詳細な事柄は書いてあるのでしょう」
 「不風流に小説の悪口を言ってしまいましたね。神代以来この世であったことが、日本紀にほんぎなどはその一部分に過ぎなくて、小説のほうに正確な歴史が残っているのでしょう」
  "Kotinaku mo kikoye otosi te keru kana! Kamiyo yori yo ni aru koto wo, sirusi oki keru na' nari. Nihonginado ha, tada katasoba zo kasi. Korera ni koso mitimitisiku kuhasiki koto ha ara me."
3.1.14  とて、笑ひたまふ。
 と言って、お笑いになる。
 と源氏は言うのであった。
  tote, warahi tamahu.
注釈125晴るる方なく『集成』は「空も心も」と注す。五月雨時期の景情一致、心象風景の描写。3.1.1
注釈126絵物語『集成』は「絵物語(挿絵のついた物語)」。『完訳』は「絵や物語。一説に、絵物語」と注す。3.1.1
注釈127西の対にはまして玉鬘をさす。筑紫の田舎育ちゆえに絵や物語に対して一層の興味と関心をしめす。3.1.2
注釈128つきなからぬ若人あまたあり『集成』は「(物語の蒐集、書写、挿絵かきなどに)うってつけの若い女房は大勢いる」と注す。3.1.2
注釈129わがありさまのやうなるはなかりけり玉鬘の心中。3.1.2
注釈130さしあたりけむ折はさるものにて『集成』は「その当時の評判のすばらしかったことは当然として」。『完訳』は「いろいろなめにあったその時の話は話として」「玉鬘が物語の世界と現実の世界をやや混同するところを、次に源氏がからかう」と注す。3.1.3
注釈131なほ心ことなめるに推量の助動詞「めり」の主観的推量は語り手の玉鬘の心中に即した叙述。3.1.3
注釈132あなむつかし以下「書きたまふよ」まで、源氏の詞。3.1.5
注釈133五月雨の、髪「ほととぎすをち返り鳴けうなゐ子がうち垂れ髪の五月雨の空」(拾遺集夏、一一六、躬恒)。3.1.5
注釈134かかる世の古言ならでは以下「さしもあらじや」まで、源氏の詞。3.1.7
注釈135慰めまし推量の助動詞「まし」反実仮想の意。3.1.7
注釈136偽りども『完訳』は「女たちの理解に即して「いつはり」としたが、文意からは「そらごと」とあるべき。作り事が、人を勘当させる真実味や説得力をはらみうる、虚構の真実をいう」と注す。3.1.7
注釈137かた心つくかし『集成』は「多少とも心がひかれるものですよ。以上、主人公が物思いに沈むといった情緒的な場面。物語の一つの要素である」と注す。3.1.7
注釈138いとあるまじきことかなと『集成』は「以下、奇抜な人目を驚かすような物語の趣向。伝奇的な要素。これも物語の持つもう一つの要素である」と注す。3.1.8
注釈139幼き人の女房などに時々読まするを立ち聞けば明石姫君をさす。格助詞「の」主格を表す。当時の物語の観賞法が窺える。3.1.9
注釈140虚言をよくしなれたる口つきよりぞ言ひ出だすらむとおぼゆれど『集成』は「根も葉もない嘘をつきなれた口から言い出すのであろうとおもわれますが」。『完訳』は「こんな物語も、さぞかし巧みにありもせぬ作り事を言いなれた人の、口からの出まかせなのだろうと思うのですが」と訳す。3.1.9
注釈141げに偽り馴れたる人や以下「お思うたまへられけれ」まで、玉鬘の詞。「たまへ」謙譲の補助動詞。「られ」自発の助動詞。「けれ」過去の助動詞、詠嘆の意。3.1.11
注釈142こちなくも以下「詳しきことはあらめ」まで、源氏の詞。3.1.13
注釈143記しおきけるななり「な」断定の助動詞、連体形。「なり」伝聞推定の助動詞。『集成』は「伝承の記録という意味では国史と変らない、むしろ国史よりも委しいと次に言う」と注す。3.1.13
注釈144日本紀などはただかたそばぞかし『集成』は「『日本書紀』。わが国最初の正史」「ほんの片端にすぎないものです」。『完訳』は「六国史など官製国史の総称」「日本紀などはほんの一面にすぎないものです」と注す。3.1.13
出典7 五月雨の、髪の乱るる ほととぎすをち返り鳴けうなゐ子がうち垂れ髪の五月雨の空 拾遺集夏-一一六 凡河内躬恒 3.1.5
校訂7 いと いと--(/+いと) 3.1.11
3.2
第二段 源氏、玉鬘に物語について論じる


3-2  Genji estimates the value of monogatari to Tamakazura

3.2.1  「 その人の上とて、ありのままに言ひ出づることこそなけれ、善きも悪しきも、世に経る人のありさまの、 見るにも飽かず、聞くにもあまることを、後の世にも言ひ伝へさせまほしき節々を、心に籠めがたくて、言ひおき始めたるなり。 善きさまに言ふとては、善きことの限り選り出でて、人に従はむとては、また悪しきさまの珍しきことを取り集めたる、皆かたがたにつけたる、この世の他のことならずかし。
 「誰それの話といって、事実どおりに物語ることはありません。善いことも悪いことも、この世に生きている人のことで、見飽きず、聞き流せないことを、後世に語り伝えたい事柄を、心の中に籠めておくことができず、語り伝え初めたものです。善いように言おうとするあまりには、善いことばかりを選び出して、読者におもねろうとしては、また悪いことでありそうにもないことを書き連ねているのは、皆それぞれのことで、この世の他のことではないのですよ。
 「だれの伝記とあらわに言ってなくても、いこと、悪いことを目撃した人が、見ても見飽かぬ美しいことや、一人が聞いているだけでは憎み足りないことを後世に伝えたいと、ある場合、場合のことを一人でだけ思っていられなくなって小説というものが書き始められたのだろう。よいことを言おうとすればあくまで誇張してよいことずくめのことを書くし、また一方を引き立てるためには一方のことを極端に悪いことずくめに書く。全然架空のことではなくて、人間のだれにもある美点と欠点が盛られているものが小説であると見ればよいかもしれない。
  "Sono hito no uhe tote, ari no mama ni ihiiduru koto koso nakere, yoki mo asiki mo, yo ni huru hito no arisama no, miru ni mo aka zu, kiku ni mo amaru koto wo, noti no yo ni mo ihitutahe sase mahosiki husibusi wo, kokoro ni kome gataku te, ihioki hazime taru nari. Yoki sama ni ihu tote ha, yoki koto no kagiri eriide te, hito ni sitagaha m tote ha, mata asiki sama no medurasiki koto wo toriatume taru, mina katagata ni tuke taru, konoyo no hoka no koto nara zu kasi.
3.2.2   人の朝廷の才、作りやう変はる、同じ大和の国のことなれば、昔今のに変はるべし、 深きこと浅きことのけぢめこそあらめ、ひたぶるに虚言と言ひ果てむも、ことの心違ひてなむありける。
 異朝の作品は、記述のしかたが変わっているが、同じ日本の国のことなので、昔と今との相違がありましょうし、深いものと浅いものとの違いがありましょうが、一途に作り話だと言い切ってしまうのも、実情にそぐわないことです。
 支那しなの文学者が書いたものはまた違うし、日本のも昔できたものと近ごろの小説とは相異していることがあるでしょう。深さ浅さはあるだろうが、それを皆嘘であると断言することはできない。
  Hito no mikado no zae, tukuri yau kaharu, onazi Yamatonokuni no koto nare ba, mukasi ima no ni kaharu besi, hukaki koto asaki koto no kedime koso ara me, hitaburu ni soragoto to ihihate m mo, koto no kokoro tagahi te nam ari keru.
3.2.3  仏の、いとうるはしき心にて説きおきたまへる御法も、方便といふことありて、悟りなきものは、ここかしこ違ふ疑ひを置きつべくなむ。『方等経』の中に多かれど、言ひもてゆけば、ひとつ旨にありて、菩提と煩悩との隔たりなむ、この、人の善き悪しきばかりのことは変はりける。
 仏教で、まことに立派なお心で説きおかれた御法文も、方便ということがあって、分からない者は、あちこちで矛盾するという疑問を持つに違いありません。『方等経』の中に多いが、詮じつめていくと、同一の主旨に落ち着いて、菩提と煩悩との相違とは、物語の、善人と悪人との相違程度に過ぎません。
 仏が正しい御心みこころで説いてお置きになった経の中にも方便ということがあって、大悟しない人間はそれを見ると疑問が生じるだろうと思われる。方等経ほうとうきょうの中などにはことに方便が多く用いられています。結局は皆同じことになって、菩提ぼだい心はよくて、煩悩ぼんのうは悪いということが言われてあるのです。つまり小説の中に善悪を書いてあるのがそれにあたるのですよ。
  Hotoke no, ito uruhasiki kokoro nite toki oki tamahe ru minori mo, hauben to ihu koto ari te, satori naki mono ha, kokokasiko tagahu utagahi wo oki tu beku nam. Haudou-kyau no naka ni ohokare do, ihi mote yuke ba, hitotu mune ni ari te, bodai to bonnau to no hedatari nam, kono, hito no yoki asiki bakari no koto ha kahari keru.
3.2.4  よく言へば、すべて何ごとも空しからずなりぬや」
 よく解釈すれば、全て何事も無駄でないことはなくなってしまうものですね」
 だから好意的に言えば小説だって何だって皆結構なものだということになる」
  Yoku ihe ba, subete nanigoto mo munasikara zu nari nu ya?"
3.2.5  と、物語をいとわざとのことにのたまひなしつ。
 と、物語を実にことさらに大したもののようにおっしゃった。
 と源氏は言って、小説が世の中に存在するのを許したわけである。
  to, monogatari wo ito wazato no koto ni notamahi nasi tu.
3.2.6  「 さて、かかる古言の中にまろがやうに実法なる痴者の物語はありや。いみじく気遠きものの姫君も、御心のやうにつれなく、 そらおぼめきしたるは世にあらじな。いざ、たぐひなき物語にして、世に伝へさせむ」
 「ところで、このような昔物語の中に、わたしのような律儀な愚か者の物語はありませんか。ひどく親しみにくい物語の姫君も、あなたのお心のように冷淡で、そらとぼけている人はまたとありますまいな。さあ、二人の仲を世にも珍しい物語にして、世間に語り伝えさせましょう」
 「それにしてもね、古いことの書いてある小説の中に私ほどまじめな愚直過ぎる男の書いてあるものがありますか。それからまた人間離れのしたような小説の姫君だってあなたのように恋する男へ冷淡で、知って知らぬ顔をするようなのはないでしょう。だからありふれた小説の型を破った小説にあなたと私のことをさせましょう」
  "Sate, kakaru hurukoto no naka ni, maro ga yau ni zihohu naru siremono no monogatari ha ari ya? Imiziku kedohoki mono-no-himegimi mo, mi-kokoro no yau ni turenaku, sora-obomeki si taru ha yo ni ara zi na! Iza, taguhinaki monogatari ni si te, yo ni tutahe sase m."
3.2.7  と、さし寄りて聞こえたまへば、顔を引き入れて、
 と、近づいて申し上げなさるので、顔を引き入れて、
 近々と寄って来て源氏は玉鬘たまかずらにこうささやくのであった。玉鬘はえりの中へ顔を引き入れるようにして言う。
  to, sasiyori te kikoye tamahe ba, kaho wo hikiire te,
3.2.8  「 さらずともかく珍かなることは、世語りにこそはなりはべりぬべかめれ」
 「そうでなくても、このように珍しいことは、世間の噂になってしまいそうなことでございます」
 「小説におさせにならないでも、こんな奇怪なことは話になって世間へ広まります」
  "Sarazutomo, kaku meduraka naru koto ha, yogatari ni koso ha nari haberi nu beka' mere."
3.2.9  とのたまへば、
 とおっしゃるので、

  to notamahe ba,
3.2.10  「 珍かにやおぼえたまふ。げにこそ、またなき心地すれ」
 「珍しくお思いですか。なるほど、またとない気持ちがします」
 「珍しいことだというのですか。そうです。私の心は珍しいことにときめく」
  "Meduraka ni ya oboye tamahu. Geni koso, matanaki kokoti sure."
3.2.11  とて、寄りゐたまへるさま、 いとあざれたり
 と言って、寄り添っていらっしゃる態度は、たいそうふざけている。
 ひたひたと寄り添ってこんな戯れを源氏は言うのである。
  tote, yoriwi tamahe ru sama, ito azare tari.
3.2.12  「 思ひあまり昔の跡を訪ぬれど
   親に背ける子ぞたぐひなき
 「思いあまって昔の本を捜してみましたが
  親に背いた子供の例はありませんでしたよ
  「思ひ余り昔のあとを尋ぬれど
  親にそむける子ぞたぐひなき
    "Omohi amari mukasi no ato wo tadunure do
    oya ni somuke ru ko zo taguhi naki
3.2.13   不孝なるは、仏の道にもいみじくこそ言ひたれ」
 親不孝なのは、仏の道でも厳しく戒めています」
 不孝は仏の道でも非常に悪いことにして説かれています」
  Hukeu naru ha, Hotoke no miti ni mo imiziku koso ihi tare."
3.2.14  とのたまへど、顔ももたげたまはねば、 御髪をかきやりつつ、いみじく怨みたまへば、からうして、
 とおっしゃるが、顔もお上げにならないので、お髪を撫でながら、ひどくお恨みなさるので、やっとのことで、
 と源氏が言っても、玉鬘は顔を上げようともしなかった。源氏は女の髪をなでながら恨み言を言った。やっと玉鬘は、
  to notamahe do, kaho mo motage tamaha ne ba, mi-gusi wo kakiyari tutu, imiziku urami tamahe ba, karausite,
3.2.15  「 古き跡を訪ぬれどげになかりけり
   この世にかかる親の心は
 「昔の本を捜して読んでみましたが、おっしゃるとおりありませんでした。
  この世にこのような親心の人は
  古き跡を尋ぬれどげになかりけり
  この世にかかる親の心は
    "Huruki ato wo tadunure do geni nakari keri
    kono yo ni kakaru oya no kokoro ha
3.2.16  と聞こえたまふも、 心恥づかしければ、いといたくも乱れたまはず。
 とお申し上げなさるにつけても、気恥ずかしいので、そうひどくもお戯れにならない。
 こう言った。源氏は気恥ずかしい気がしてそれ以上の手出しはできなかった。
  to kikoye tamahu mo, kokorohadukasikere ba, ito itaku mo midare tamaha zu.
3.2.17   かくして、いかなるべき御ありさまならむ
 こうして、どうなって行くお二方の仲なのであろう。
 どうこの二人はなっていくのであろう。
  Kaku si te, ikanaru beki ohom-arisama nara m?
注釈145その人の上とて以下「空しからずなりぬや」まで、源氏の詞。『集成』は「以下、物語の細論。物語には誇張はあるが、この世の人間の姿を伝える点では国史と変らないという主旨を展開する」と注す。3.2.1
注釈146見るにも飽かず聞くにもあまることを『完訳』は「人を感動させてやまぬ内容をいう」と注す。3.2.1
注釈147善きさまに言ふとては以下、物語の誇張表現についていう。3.2.1
注釈148人の朝廷の才、作りやう変はる、同じ大和の国のことなれば『集成』は「異朝(中国の朝廷)では、学問(歴史についての考え)も記述の体裁もわが国と違います。この一句、解しがたく、異文も多く、諸説も多い」「(国史と物語とでは)同じ日本の国のことですから、昔からの国史と今出来の物語とでは違いがあるはずですし」。『完訳』は「異朝の物語でさえも--国が違うから書き方は変っているが、また日本の物語でも同じ国のことだから、昔のは今のと違っていて当然ですし」と注す。3.2.2
注釈149深きこと浅きことのけぢめこそあらめ『集成』は「意味深い国史と浅はかな物語という差はありましょうが」。『完訳』は「その内容に深い浅いの相違はあるでしょうが」と訳す。3.2.2
注釈150さてかかる古言の中に以下「世に伝へさせむ」まで、源氏の詞。3.2.6
注釈151まろがやうに実法なる痴者の物語はありや『完訳』は「源氏は、自ら誠実を尽すが女に顧みられぬ男として、玉鬘へ哀訴」と注す。3.2.6
注釈152さらずとも以下「はべりぬべかめれ」まで、玉鬘の詞。3.2.8
注釈153かく珍かなることは父親が娘に言い寄ることをさす。3.2.8
注釈154珍かにや以下「またなき心地すれ」まで、源氏の詞。『集成』は「(私も)ほんとにこれほどまでにひとを思ったことはありません。玉鬘の言葉をそらして、からんでゆく」。『完訳』は「いかにもあなたのように冷淡な娘はまたとないような気がいたします」「玉鬘の「めづらか」に納得するかにみせ、「またなき心地」に親に冷淡な、の意をこめて歌に続ける」と注す。3.2.10
注釈155いとあざれたり語り手の批評の文。3.2.11
注釈156思ひあまり昔の跡を訪ぬれど--親に背ける子ぞたぐひなき源氏から玉鬘への贈歌。3.2.12
注釈157不孝なるは以下「いみじくこそ言ひけれ」まで、歌に続けた源氏の詞。3.2.13
注釈158御髪をかきやりつつ源氏が玉鬘の御髪を。3.2.14
注釈159古き跡を訪ぬれどげになかりけり--この世にかかる親の心は玉鬘の返歌。「昔」を「古き」に変え、「跡」「訪ぬ」「親」の語句はそのまま受けて返す。3.2.15
注釈160心恥づかしければ以下、主語は源氏。3.2.16
注釈161かくしていかなるべき御ありさまならむ語り手の弁。『集成』は「草子地」。『完訳』は「物語の後続に、読者の期待をつなぐ語り手の弁」と注す。3.2.17
校訂8 そらおぼめき そらおぼめき--そ(そ/+ら)おほめき 3.2.6
3.3
第三段 源氏、紫の上に物語について述べる


3-3  Genji advises to Murasaki on readingmonogatari

3.3.1  紫の上も、姫君の御あつらへにことつけて、物語は捨てがたく思したり。『 くまのの物語』の絵にてあるを、
 紫の上も、姫君のご注文にかこつけて、物語は捨てがたく思っていらっしゃった。『くまのの物語』の絵の箇所を、
 紫夫人も姫君に託してやはり物語を集める一人であった。「こま物語」の絵になっているのを手に取って、
  Murasaki-no-Uhe mo, Himegimi no ohom-aturahe ni kototuke te, monogatari ha sute gataku obosi tari. Kumano-no-monogatari no we nite aru wo,
3.3.2  「いと よく描きたる絵かな
 「とてもよく描いた絵だわ」
 「上手じょうずにできただこと」
  "Ito yoku kaki taru we kana!"
3.3.3  とて御覧ず。小さき女君の、何心もなくて昼寝したまへるところを、昔のありさま思し出でて、女君は見たまふ。
 と御覧になる。小さい女君が、あどけなく昼寝をしていらっしゃる所を、昔の様子をご回想なさって、女君は御覧になる。
 と言いながら夫人は見ていた。小さい姫君が無邪気なふうで昼寝をしているのが昔の自分のような気がするのであった。
  tote goranzu. Tihisaki Womnagimi no, nanigokoro-mo-naku te hirune si tamahe ru tokoro wo, mukasi no arisama obosi ide te, Womnagimi ha mi tamahu.
3.3.4  「 かかる童どちだに、いかにされたりけり。まろこそ、なほ 例にしつべく、心のどけさは人に似ざりけれ」
 「このような子供どうしでさえ、なんとませたことなのでしょう。わたしなど、やはり語り草になるほど、気の長さは誰にも負けませんね」
 「こんな子供どうしでも悪い関係がすぐにできるじゃありませんか。昔を言えば私などは模範にしてよいまれな物堅さだった」
  "Kakaru waraha-doti dani, ikani sare tari keri. Maro koso, naho tamesi ni si tu beku, kokoro nodokesa ha hito ni ni zari kere!"
3.3.5  と聞こえ出でたまへり。 げに、たぐひ多からぬことどもは、好み集めたまへりけりかし
 と申し上げなさる。なるほど、世間に例の多くない恋愛を、数々なさってこられたことよ。
 と源氏は夫人に言った。そのかわりにまれなことも好きであったはずである。
  to kikoyeide tamahe ri. Geni, taguhi ohokara nu koto-domo ha, konomi atume tamahe ri keri kasi.
3.3.6  「 姫君の御前にて、この世馴れたる物語など、な読み聞かせたまひそ。みそか心つきたるものの娘などは、をかしとにはあらねど、かかること世にはありけりと、見馴れたまはむぞ、ゆゆしきや」
 「姫君の御前で、この色恋沙汰の物語など、読み聞かせなさいますな。秘め事をする物語の娘などは、おもしろいと思わぬまでも、このようなことが世間にはあるのものだと、当たり前のように思われるのが、困ったことなのですよ」
 「姫君の前でこうした男女関係の書かれた小説は読んで聞かせないようにするほうがいい。恋をし始めた娘などというものが、悪いわけではないが、世間にはこんなことがあるのだと、それを普通のことのように思ってしまわれるのが危険ですからね」
  "Himegimi no omahe nite, kono yo nare taru monogatari nado, na yomi kikase tamahi so. Misokagokoro tuki taru mono no musume nado ha, wokasi to ni ha ara ne do, kakaru koto yo ni ha ari keri to, minare tamaha m zo, yuyusiki ya!"
3.3.7  とのたまふも、 こよなしと、対の御方聞きたまはば、心置きたまひつべくなむ
 とおっしゃるにつけても、格段に違うと、対の御方がお聞きになったら、きっとひがまれよう。
 こんな周到な注意が実子の姫君には払われているのを、対の姫君が聞いたら恨むかもしれない。
  to notamahu mo, koyonasi to, Tai-no-Ohomkata kiki tamaha ba, kokorooki tamahi tu beku nam.
3.3.8  上、
 紫の上は、

  Uhe,
3.3.9  「 心浅げなる人まねどもは、見るにもかたはらいたくこそ。『 宇津保』の藤原君の女こそ、いと重りかにはかばかしき人にて、過ちなかめれど、すくよかに言ひ出でたる こともしわざも 、女しきところなかめるぞ、 一様なめる
 「軽率な物語の人の物真似の類は、見ていてもたまりません。『宇津保物語』の藤原の君の娘は、とても思慮深くしっかりした人で、間違いはないようですが、そっけない返事もそぶりも、女性らしいところがないようなのが、同じようですね」
 「浅はかな、ある型を模倣したにすぎないような女は読んでいましてもいやになります。空穂うつぼ物語の藤原ふじわらの君の姫君は重々しくて過失はしそうでない性格ですが、あまり真直まっすぐな線ばかりで、しまいまで女らしく書かれてないのが悪いと思うのですよ」
  "Kokoro-asage naru hitomane domo ha, miru ni mo kataharaitaku koso. Utuhono Hudiharagimi no musume koso, ito omorika ni hakabakasiki hito nite, ayamati naka' mere do, sukuyoka ni ihiide taru koto mo siwaza mo, womnasiki tokoro naka' meru zo, hitoyau na' meru."
3.3.10  とのたまへば、
 と、おっしゃると、
 と夫人が言うと、
  to notamahe ba,
3.3.11  「 うつつの人も、さぞあるべかめる。人びとしく立てたる趣きことにて、 よきほどにかまへぬや。よしなからぬ 親の、心とどめて生ほしたてたる人の、子めかしきを生けるしるしにて、後れたること多かるは、何わざしてかしづきしぞと、親のしわざさへ思ひやらるるこそ、いとほしけれ。
 「実際の人も、そういうもののようです。一人前にそれぞれ主義主張を異にして、加減というものを知りません。悪くはない親が、気をつかって育てた娘が、無邪気さだけがただ一つのとりえで、劣ったところが多いのは、いったいどんなふうにして育ててきたのかと、親の育て方までが想像されるのは、気の毒です。
 「現実の人でもそのとおりですよ。風変わりな一本調子で押し通して、いいかげんに転向することを知らない人はかわいそうだ。見識のある親が熱心に育てた娘がただ子供らしいところにだけ大事がられた跡が見えて、そのほかは何もできないようなのを見ては、どんな教育をしたのかと親までも軽蔑けいべつされるのが気の毒ですよ。
  "Ututu no hito mo, sazo aru beka' meru. Hitobitosiku tate taru omomuki koto nite, yoki hodo ni kamahe nu ya! Yosi nakara nu oya no, kokoro todome te ohositate taru hito no, komekasiki wo ikeru sirusi nite, okure taru koto ohokaru ha, naniwaza si te kasiduki si zo to, oya no siwaza sahe omohiyara ruru koso, itohosikere.
3.3.12  げに、さいへど、その人のけはひよと見えたるは、かひあり、おもだたしかし。言葉の限りまばゆくほめおきたるに、し出でたるわざ、言ひ出でたることのなかに、げにと見え聞こゆることなき、いと見劣りするわざなり。
 なるほど、そうは言っても、身分にふさわしい感じがすると思えるのは、育てがいもあり、名誉なことです。口をきわめて気恥ずかしいほど誉めていたのに、しでかしたことや、口に出した言葉の中に、なるほどと見えたり聞こえたりすることがないのは、まことに見劣りがするものです。
 なんといってもあの親が育てたらしいよいところがあると思われるような娘があれば親の名誉になるのです。作者のめちぎってある女のすること、言うことの中に首肯されることのない小説はだめですよ。
  Geni, sa ihe do, sono hito no kehahi yo to miye taru ha, kahi ari, omodatasi kasi. Kotoba no kagiri mabayuku home oki taru ni, siide taru waza, ihiide taru koto no naka ni, geni to miye kikoyuru koto naki, ito miotori suru waza nari.
3.3.13   すべて、善からぬ人に、いかで人ほめさせじ
 だいたい、つまらない人には、どうか娘を誉めさせたくないものです」
 いったいつまらない人に自分の愛する人は賞めさせたくない」
  Subete, yokara nu hito ni, ikade hito home sase zi."
3.3.14  など、ただ「この姫君の、点つかれたまふまじく」と、よろづに思しのたまふ。
 などと、ひたすら「この姫君が非難されないように」と、あれやこれやといろいろ考えておっしゃる。
 などと言って、源氏は姫君を完全な女性に仕上げることに一所懸命であった。
  nado, tada "Kono Himegimi no, tentuka re tamahu maziku." to, yorodu ni obosi notamahu.
3.3.15  継母の腹ぎたなき昔物語も多かるを、 このころ、「心見えに心づきなし 」と思せば、いみじく選りつつなむ、書きととのへさせ、絵などにも描かせたまひける。
 継母の意地悪な昔物語も多いが、最近は、「心が見透かされ底意地悪い」と思われなさるので、厳しく選んでは選んでは、清書させたり、絵などにもお描かせなさるのだった。
 継母ままははが意地悪をする小説も多かったから、その反対な継母のよさを見せつける気がして夫人はそんなものをいっさい省いて選択に選択をしたよいものだけを姫君のために写させたり絵にかせたりした。
  Mamahaha no haragitanaki mukasi-monogatari mo ohokaru wo, konokoro, "Kokoro miye ni kokorodukinasi." to obose ba, imiziku eri tutu nam, kaki totonohe sase, we nado ni mo kaka se tamahi keru.
注釈162くまのの物語河内本と別本は「こまののものかたり」あるいは「こまのものかたり」とある。『枕草子』には「こまのの物語」と見える。3.3.1
注釈163よく描きたる絵かな紫の上の感想。3.3.2
注釈164かかる童どちだに以下「人に似ざりけれ」まで、源氏の詞。3.3.4
注釈165例にしつべく『完訳』は「好色の経験がないとする冗談」と注す。3.3.4
注釈166げにたぐひ多からぬことどもは好み集めたまへりけりかし語り手の批評。『集成』は「草子地」。『完訳』は「語り手の評。「源氏の「なほ例に--」を、類例の少ない好色事の意に解して、皮肉る」と注す。3.3.5
注釈167姫君の御前にて以下「ゆゆしきや」まで、源氏の詞。3.3.6
注釈168こよなしと対の御方聞きたまはば心置きたまひつべくなむ『完訳』は「以下、語り手の推測。玉鬘がこれを知れば、源氏の姫君への処遇は段違いだ、とひがまれよう」と注す。3.3.7
注釈169心浅げなる人まねどもは以下「一様なめる」まで、紫の上の詞。3.3.9
注釈170宇津保の藤原君の女こそ大島本は「うつほのふちハら君」とある。『集成』『新大系』は底本のままとする。『古典セレクション』は諸本によって「藤原の君」と「の」を補訂する。『集成』は「現存の『宇津保物語』には、巻名も「藤原の君」とあるが、幼名としては「の」を入れないのが慣例であるから、本来は底本(大島本)のように「の」のない表記が正しいであろう」と注す。3.3.9
注釈171こともしわざも大島本は「(+事も<朱>)しわさも」とある。すなわち朱筆で「事も」を補入する。『新大系』は底本の補訂に従う。『集成』『古典セレクション』は諸本と底本の訂正以前本文に従って「しわざも」と校訂する。3.3.9
注釈172一様なめる『集成』は「どうにも一本調子にすぎるように思われます。お手本にならない人物だという批評」。『完訳』は「「心浅げなる人まねども」と同様、魅力に欠ける」と注す。3.3.9
注釈173うつつの人も以下「人ほめさせじ」まで、源氏の詞。3.3.11
注釈174よきほどにかまへぬや終助詞「や」詠嘆の意。3.3.11
注釈175親の心とどめて格助詞「の」主格を表す。3.3.11
注釈176すべて善からぬ人にいかで人ほめさせじ『集成』は「下手の人間に下手な評判は立ててもらいたくないという気持」と注す。3.3.13
注釈177このころ心見えに心づきなし大島本は「(+此比<朱>)心みえに」とある。すなわち朱筆で「このころ」を補入する。『新大系』は底本の補入に従う。『集成』『古典セレクション』は諸本と底本の訂正以前本文に従って「此比」を削除する。『集成』は「そういう継母の心底がよく分って、気に入らぬとお思いになるので。紫の上の間柄を考慮した、姫君への教育的な配慮」と注す。3.3.15
校訂9 ことも ことも--(/+事も<朱>) 3.3.9
校訂10 このころ このころ--(/+此比<朱>) 3.3.15
3.4
第四段 源氏、子息夕霧を思う


3-4  Genji considers his education policy for his son

3.4.1  中将の君を、 こなたには気遠くもてなしきこえたまへれど、姫君の御方には、さしもさし放ちきこえたまはずならはしたまふ。
 中将の君を、こちらにはお近づけ申さないようにしていらっしゃったが、姫君の御方には、そんなにも遠ざけ申しなさらず、親しくさせていらっしゃる。
 中将を源氏は夫人の住居すまいへ接近させないようにしていたが、姫君の所へは出入りを許してあった。
  Tyuuzyau-no-Kimi wo, konata ni ha kedohoku motenasi kikoye tamahe re do, Himegimi no ohom-kata ni ha, sasimo sasi-hanati kikoye tamaha zu narahasi tamahu.
3.4.2  「 わが世のほどは、とてもかくても同じことなれど、なからむ世を思ひやるに、なほ見つき、思ひしみぬることどもこそ、取り分きてはおぼゆべけれ」
 「自分が生きている間は、どちらにせよ同じことだが、死んだ後を想像すると、やはり平生から、馴染んでおいた方が、格別親しく思内側われるに違いない」
 自分が生きている間は異腹の兄弟でも同じであるが、死んでからのことを思うと早くから親しませておくほうが双方に愛情のできることである
  "Waga yo no hodo ha, totemo-kakutemo onazi koto nare do, nakara m yo wo omohiyaru ni, naho mituki, omohisimi nuru koto-domo koso, toriwaki te ha oboyu bekere."
3.4.3  とて、南面の 御簾の内は許したまへり台盤所、女房のなかは許したまはず。あまたおはせぬ御仲らひにて、 いとやむごとなくかしづききこえたまへり
 と考えて、南面の御簾の内側に入ることはお許しになっていた。台盤所、女房の中はお許しにならない。何人もいらっしゃらないお子たちの間柄なので、とても大切にお世話申し上げていらっしゃった。
 と思って、姫君のほうの南側の座敷の御簾みすの中へ来ることを許したのであるが台盤所だいばんどころの女房たちの集まっているほうへはいることは許してないのである。源氏のためにただ二人だけの子であったから兄妹を源氏は大事にしていた。
  tote, minami-omote no mi-su no uti ha yurusi tamahe ri. Daibandokoro, nyoubau no naka ha yurusi tamaha zu. Amata ohase nu ohom-nakarahi nite, ito yamgotonaku kasiduki kikoye tamahe ri.
3.4.4  おほかたの心もちゐなども、いとものものしく、まめやかにものしたまふ君なれば、 うしろやすく思し譲れりまだいはけたる御雛遊びなどのけはひの見ゆればかの人の、もろともに遊びて過ぐしし年月の、まづ思ひ出でらるれば、雛の殿の宮仕へ、いとよくしたまひて、折々にうちしほたれたまひけり。
 だいたいの性格なども、たいそう慎重で、真面目でいらっしゃる君なので、安心してお任せになっていらっしゃった。まだ幼いお人形遊びなどの様子が見えるので、あの人が、一緒に遊んで過ごした昔の月日が、真先に思い出されるので、人形の殿の宮仕を、とても熱心になさりながら、時々は涙ぐんでいらっしゃるのであった。
 中将は落ち着いた重々しいところのある性質であったから、源氏は安心して姫君の介添え役をさせた。幼いひな遊びの場にもよく出会うことがあって、中将は恋人とともに遊んで暮らした年月をそんな時にはよく思い出されるので、妹のためにもよい相手役になりながらも時々はしおしおとした気持ちになった。
  Ohokata no kokoromotiwi nado mo, ito monomonosiku, mameyaka ni monosi tamahu Kimi nare ba, usiroyasuku obosi yudure ri. Mada ihaketaru ohom-hihinaasobi nado no kehahi no miyure ba, kano hito no, morotomoni asobi te sugusi si tosituki no, madu omohiide rarure ba, hihina no tono no miyadukahe, ito yoku si tamahi te, woriwori ni uti-sihotare tamahi keri.
3.4.5   さもありぬべきあたりには、はかなしごとものたまひ触るるはあまたあれど、 頼みかくべくもしなさずさる方になどかは見ざらむと、心とまりぬべきをも、強ひてなほざりごとにしなして、 なほ「かの、緑の袖を見え直してしがな」と思ふ心のみぞ、やむごとなき節にはとまりける。
 そうしてもよさそうなあたりには、軽い気持ちで言い寄ったりなさる女は大勢いるが、望みを懸けてくるようには仕向けない。愛人にしてもよさそうだと、思い寄られそうな女も、無理に一時の浮気沙汰にして、やはり「あの、緑の袖よと馬鹿にされたのを見返してやりたいものだ」と思う気持ちだけが、重大事として忘れられないのであった。
 若い女性たちに恋の戯れを言いかけても、将来に希望をつながせるようなことは絶対にしなかった。妻の一人にしたいと心のかれるような人も、しいて一時的の対象とみなして、それ以上関係を進行させることもなかった。今でも緑のそでとはずかしめられた人との関係だけを尊重して、その人以外の人を妻に擬して考えることは不可能であった。
  Samo ari nu beki atari ni ha, hakanasigoto mo notamahi hururu ha amata are do, tanomi kaku beku mo si nasa zu. Saru kata ni nadokaha mi zara m to, kokoro tomari nu beki wo mo, sihite nahozarigoto ni sinasi te, naho "Kano, midori no sode wo miye nahosi te si gana!" to omohu kokoro nomi zo, yamgotonaki husi ni ha tomari keru.
3.4.6  あながちになどかかづらひまどはば、倒ふるる方に許したまひもしつべかめれど、「 つらしと思ひし折々、いかで人にもことわらせたてまつらむ」と思ひおきし、忘れがたくて、正身ばかりには、おろかならぬあはれを尽くし見せて、 おほかたには焦られ思へらず
 無理にでも何とかつきまとったならば、根負けしてお許しになるかも知れないが、「つらいと思った折々のことを、何とか内大臣にもお分りになっていただこう」と考えていたこと、忘れられないので、ご本人に対してだけは、並々ならぬ愛情の限りを表して、表面では恋い焦がれているようには見せない。
 許されようと熱心ぶりを見せれば伯父おじの大臣も夫婦にしてくれるであろうが、恨めしかったころに、どんなことがあっても伯父が哀願するのでなければ結婚はすまいと思ったことが忘られなかった。
  Anagati ni nado kakadurahi madoha ba, tahururu kata ni yurusi tamahi mo si tu beka' mere do, "Turasi to omohi si woriwori, ikade hito ni mo kotowara se tatematura m." to omohioki si, wasure gataku te, sauzimi bakari ni ha, oroka nara nu ahare wo tukusi mise te, ohokata ni ha ira re omohe ra zu.
3.4.7  兄の君達なども、なまねたしなどのみ思ふこと多かり。対の姫君の御ありさまを、 右中将は、いと深く思ひしみて、言ひ寄るたよりもいとはかなければ、 この君をぞかこち寄りけれど、
 ご兄弟の公達なども、小憎らしいなどとばかり思う事が多かった。対の姫君のご様子を、右中将は、たいそう深く思いつめて、言い寄る手引きもたいそう頼りなかったので、この中将の君に泣きついて来たが、
 雲井くもいかりの所へは情けをこめた手紙を常に送っていても、表面はあくまでも冷静な態度を保っているのである。この態度をまた雲井の雁の兄弟たちは恨んでいた。玉鬘たまかずらに右近中将は深く恋をして仲介役をするのは童女のみるこだけであったから、たよりなさにこの中将を味方に頼むのであった。
  Seuto no kimdati nado mo, nama netasi nado nomi omohu koto ohokari. Tai-no-Himegimi no ohom-arisama wo, Migi-no-Tyuuzyau ha, ito hukaku omohisimi te, ihiyoru tayori mo ito hakanakere ba, kono Kimi wo zo kakoti yori kere do,
3.4.8  「 人の上にては、もどかしきわざなりけり
 「他人事となると、感心できないことですね」
 「人のことではそう熱心になれない問題だから」
  "Hito no uhe nite ha, modokasiki waza nari keri."
3.4.9  と、つれなく応へてぞものしたまひける。昔の父大臣たちの御仲らひに似たり。
 と素っ気なく答えていらっしゃるのだった。その昔の父大臣たちの御仲に似ていた。
 などと左中将は冷淡に言っていた。
  to, turenaku irahe te zo monosi tamahi keru. Mukasi no titi-Otodo-tati no ohom-nakarahi ni ni tari.
注釈178こなたには紫の上方をさす。3.4.1
注釈179わが世のほどは以下「おぼゆべけれ」まで、源氏の心中。3.4.2
注釈180御簾の内は許したまへり御簾の内側(南の廂間)に出入りすることは許していたの意。3.4.3
注釈181台盤所女房のなかは許したまはず大島本は「たいはむ所女はうのなか」とある。『集成』『新大系』は底本のままとする。『古典セレクション』は諸本に従って「台盤所の」と「の」を補訂する。紫の上付きの女房の詰所への入室及びそれらの人との接触は禁じた。3.4.3
注釈182いとやむごとなくかしづききこえたまへり主語について、『集成』は源氏と解し、『完訳』は夕霧と解す。3.4.3
注釈183うしろやすく思し譲れり源氏は夕霧に明石姫君の相手を安心して任せていたの意。3.4.4
注釈184まだいはけたる御雛遊びなどのけはひの見ゆれば明石姫君八歳。3.4.4
注釈185かの人のもろともに雲居雁をさす。格助詞「の」主格を表す。3.4.4
注釈186さもありぬべきあたりには『完訳』は「恋の相手にしてもよさそうな」と注す。3.4.5
注釈187頼みかくべくもしなさず夕霧は相手の女に期待を抱かせるようには仕向けない意。3.4.5
注釈188さる方になどかは見ざらむと『集成』は「夫人あるいは愛人として世話してもよいなと」。『完訳』は「中には、この女なら自分の思い人としてもどこが悪かろうと」と訳す。3.4.5
注釈189なほかの緑の袖を見え直してしがな夕霧の心中。「緑の袖」はかつて夕霧が六位であった時に雲居雁の乳母から「六位宿世」と軽蔑されたことをさす(「少女」第五章五段)。3.4.5
注釈190つらしと思ひし折々以下「たてまつらむ」まで、夕霧の心中。3.4.6
注釈191おほかたには焦られ思へらず『集成』は「表向きはあせらずおっとり構えている」。『完訳』は「大方の人々には焦ったところを見せようとはしない」と訳す。3.4.6
注釈192右中将柏木。3.4.7
注釈193この君をぞ夕霧をさす。3.4.7
注釈194人の上にてはもどかしきわざなりけり夕霧の詞。3.4.8
3.5
第五段 内大臣、娘たちを思う


3-5  Naidaiji considers his education policy for his daughters

3.5.1  内の大臣は、御子ども腹々いと多かるに、 その生ひ出でたるおぼえ人柄に従ひつつ心にまかせたるやうなるおぼえ、御勢にて 、皆なし立てたまふ。女はあまたもおはせぬを、 女御も、かく思ししことのとどこほりたまひ姫君も、かくこと違ふさまにてものしたまへば、いと口惜しと思す。
 内大臣は、お子様方が夫人たちに大勢いたが、その母方の血筋の良さや、子供の性質に応じて、思いどおりのような世間の声望や、御権勢に任せて、皆一人前に引き立てなさる。女の子はたくさんはいないが、女御も、あのようにご期待していたこともうまくゆかず、姫君も、またあのように思惑と違うようなことでいらっしゃるので、とても残念だとお思いになる。
 内大臣は腹々はらばらに幾人もの子があって、大人おとなになったそれぞれの子息の人柄にしたがって政権の行使が自由なこの人は皆適した地位につかせていた。女の子は少なくてきさきの競争に負け失意の人になっている女御にょごと恋の過失をしてしまった雲井の雁だけなのであったから、大臣は残念がっていた。
  Uti-no-Otodo ha, ohom-kodomo harabara ito ohokaru ni, sono ohiide taru oboye, hitogara ni sitagahi tutu, kokoro ni makase taru yau naru oboye, ohom-ikihohi nite, mina nasi tate tamahu. Womna ha amata mo ohase nu wo, Nyougo mo, kaku obosi si koto no todokohori tamahi, Himegimi mo, kaku koto tagahu sama nite monosi tamahe ba, ito kutiwosi to obosu.
3.5.2   かの撫子を忘れたまはず、 ものの折にも語り出でたまひしことなれば
 あの撫子のことがお忘れになれず、何かのついでにもお口になさったことなので、
 この人は今も撫子なでしこの歌を母親がんできた女の子を忘れなかった。
  Kano Nadesiko wo wasure tamaha zu, mono no wori ni mo katariide tamahi si koto nare ba,
3.5.3  「 いかになりにけむ。ものはかなかりける親の心に引かれて、らうたげなりし人を、行方知らず なりにたること。すべて女子といはむものなむ、いかにもいかにも目放つまじかりける。さかしらにわが子と言ひて、あやしきさまにてはふれやすらむ。とてもかくても、聞こえ出で来ば」
 「どうなったのだろう。頼りない親の心のままに、かわいらしかった子を、行く方不明にしてしまったことよ。だいたい女の子というものは、どんなことがあっても目を放してはならないものであった。勝手に自分の子供と名乗って、みじめな境遇でさまよっているのだろうか。どのような恰好でいるにせよ、噂が聞こえて来たならば」
 かつて人にも話したほどであるから、どうしたであろう、たよりない性格の母親のために、あのかわいかった人を行方ゆくえ不明にさせてしまった、女というものは少しも目が放されないものである、親の不名誉を思わずに卑しく零落をしながら自分の娘であると言っているのではなかろうか、それでもよいから出て来てほしいと大臣は恋しがっていた。
  "Ikani nari ni kem? Mono-hakanakari keru oya no kokoro ni hika re te, rautage nari si hito wo, yukuhe sira zu nari ni taru koto. Subete womnago to iha m mono nam, ikani mo ikani mo me hanatu mazikari keru. Sakasira ni waga ko to ihi te, ayasiki sama nite hahure ya su ram? Totemo-kakutemo, kikoyeide koba."
3.5.4  と、あはれに思しわたる。 君達にも
 と、しみじみとずっと思い続けていらっしゃる。ご子息たちにも、
 息子むすこたちにも、
  to, ahare ni obosi wataru. Kimi-tati ni mo,
3.5.5  「 もし、さやうなる名のりする人あらば、耳とどめよ。 心のすさびにまかせて、さるまじきことも多かりしなかに、 これは、いとしか、おしなべての際にも思はざりし人の、はかなき もの倦むじをして、かく少なかりける もののくさはひ一つを、失ひたることの口惜しきこと」
 「もし、そのように名乗り出る人があったら、聞き逃すな。気紛れから、感心できない女性関係も多かった中で、あの人は、とても並々の愛人程度とは思われなかった人で、ちょっとした愛想づかしをして、このように少なかった娘一人を、行方不明にしてしまったことの残念なことよ」
 「もしそういうことを言っている女があったら、気をつけて聞いておいてくれ。放縦な恋愛もずいぶんしていた中で、その母である人はただ軽々しく相手にしていた女でもなく、ほんとうに愛していた人なのだが、何でもないことで悲観して、私に少ない女の子一人をどこにいるかもしれなくされてしまったのが残念でならない」
  "Mosi, sayau naru nanori suru hito ara ba, mimi todome yo. Kokoro no susabi ni makase te, sarumaziki koto mo ohokari si naka ni, kore ha, ito sika, osinabete no kiha ni mo omoha zari si hito no, hakanaki mono-umzi wo si te, kaku sukunakari keru mono no kusahahi hitotu wo, usinahi taru koto no kutiwosiki koto."
3.5.6  と、常にのたまひ出づ。中ごろなどはさしもあらず、うち忘れたまひけるを、 人の、さまざまにつけて、女子かしづきたまへるたぐひどもに、わが思ほすにしもかなはぬが、いと心憂く、本意なく思すなりけり。
 と、いつもお口に出される。ひところなどは、そんなにでもなく、ついお忘れになっていたが、他人が、さまざまに娘を大切になさっている例が多いので、ご自分のお思いどおりにならないのが、とても情けなく、残念にお思いになるのであった。
 とよく話していた。中ほどには忘れていもしたのであるが、他人がすぐれたふうに娘をかしずく様子を見ると、自身の娘がどれも希望どおりにならなかったことで失望を感じることが多くなって、近ごろは急に別れた女の子を思うようになったのである。
  to, tune ni notamahi idu. Nakagoro nado ha sasimo ara zu, uti-wasure tamahi keru wo, hito no, samazama ni tuke te, womnago kasiduki tamahe ru taguhi-domo ni, waga omohosu ni simo kanaha nu ga, ito kokorouku, ho'i naku obosu nari keri.
3.5.7  夢見たまひて、いとよく合はする者召して、合はせたまひけるに、
 夢を御覧になって、たいそうよく占う者を召して、夢の意味をお解かせになったところ、
 ある夢を見た時に、上手じょうずな夢占いをする男を呼んで解かせてみると、
  Yume mi tamahi te, ito yoku ahasuru mono mesi te, ahase tamahi keru ni,
3.5.8  「 もし、年ごろ御心に知られたまはぬ御子を、人のものになして、聞こしめし出づることや」
 「もしや、長年あなた様に知られずにいらっしゃるお子様を、他人の子として、お耳にあそばすことはございませんか」
 「長い間忘れておいでになったお子さんで、人の子になっていらっしゃる方のお知らせをお受けになるというようなことはございませんか」
  "Mosi, tosigoro mi-kokoro ni sira re tamaha nu mi-ko wo, hito no mono ni nasi te, kikosimesi iduru koto ya?"
3.5.9  と聞こえたりければ、
 と申し上げたので、
 と言った。
  to kikoye tari kere ba,
3.5.10  「 女子の人の子になることは、をさをさなしかし。いかなることにかあらむ」
 「女の子が他人の養女となることは、めったにないことだ。どのようなことだろうか」
 「男は養子になるが、女というものはそう人に養われるものではないのだが、どういうことになっているのだろう」
  "Womnago no hito no ko ni naru koto ha, wosawosa nasi kasi. Ikanaru koto ni ka ara m?"
3.5.11  など、このころぞ、 思しのたまふべかめる
 などと、このころになって、お考えになったりおっしゃっているようである。
 と、それからは時々内大臣はこのことを家庭で話題にした。
  nado, konokoro zo, obosi notamahu beka' meru.
注釈195その生ひ出でたるおぼえ『集成』は「母方の身分による声望や」と訳す。3.5.1
注釈196人柄に従ひつつ子供本人の性質に応じて。3.5.1
注釈197心にまかせたるやうなるおぼえ、御勢にて大島本は「(+御<朱>)いきほひ」とある。すなわち朱筆で「御」を補入する。『新大系』は底本の補訂に従う。『集成』『古典セレクション』は諸本と底本の訂正以前本文に従って「勢い」と校訂する。『集成』は「子供たちそれぞれ思い通りというに近い声望や権勢の身の上で」。『完訳』は「それに大臣の何事も思いどおりになる声望や御権勢にまかせて」と訳す。3.5.1
注釈198女御も、かく思ししことのとどこほりたまひ弘徽殿女御、「澪標」巻で冷泉帝に逸早く入内して、后の地位を望んでいたが、「少女」巻で、後から入内した源氏の養女梅壷女御に立后されたことをさす。3.5.1
注釈199姫君もかくこと違ふさまに雲居雁を春宮妃にと志していたにもかかわらず、夕霧との恋仲になってしまったことをさす。3.5.1
注釈200かの撫子を夕顔との間にできた遺児、玉鬘をさす。3.5.2
注釈201ものの折にも語り出でたまひしことなれば「帚木」巻の「雨夜の品定め」の段で頭中将が常夏の女について語ったことをさす。3.5.2
注釈202いかになりにけむ以下「聞こえ出で来ば」まで、内大臣の心中。3.5.3
注釈203君達にも内大臣の御子息たち。3.5.4
注釈204もしさやうなる名のりする人あらば以下「口惜しきこと」まで、内大臣の詞。3.5.5
注釈205心のすさびにまかせて内大臣の若いころの女遊びをさす。3.5.5
注釈206これはいとしかおしなべての際にも思はざりし人の夫人の一人に数える待遇を考えていたことをいう。3.5.5
注釈207もの倦むじをして下に、姿を隠したの意が省略されている。3.5.5
注釈208もののくさはひ大切に世話すべき種としての娘の意。3.5.5
注釈209人のさまざまにつけて『集成』は「源氏などが、あれこれと」。『完訳』は「他の人々がさまざまに」と訳す。3.5.6
注釈210もし年ごろ御心に以下「聞こし召し出づることや」まで、夢解きの詞。3.5.8
注釈211女子の人の子になることは以下「いかなることにかあらむ」まで、内大臣の詞。3.5.10
注釈212思しのたまふべかめる語り手の主観的推量のニュアンスでこの巻を語り収める。3.5.11
校訂11 御勢 御勢--(/+御<朱>)いきほひ 3.5.1
校訂12 なりに なりに--なり(り/+に) 3.5.3
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渋谷栄一注釈(C)
Last updated 8/20/2001
渋谷栄一訳(C)(ver.1-2-2)
現代語訳
与謝野晶子
電子化
上田英代(古典総合研究所)
底本
角川文庫 全訳源氏物語
校正・
ルビ復活
砂場清隆(青空文庫)

2003年7月19日

渋谷栄一訳
との突合せ
若林貴幸、宮脇文経

2009年12月18日

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Picture "Eiri Genji Monogatari"(1650 1st edition)
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