第二十九帖 行幸


29 MIYUKI (Ohoshima-bon)


光る源氏の太政大臣時代
三十六歳十二月から三十七歳二月までの物語



Tale of Hikaru-Genji's Daijo-Daijin era, from December at the age of 36 to February at the age of 37

1
第一章 玉鬘の物語 冷泉帝の大原野行幸


1  Tale of Tamakazura  Mikado goes to Ohoharano at the west of Kyoto

1.1
第一段 大原野行幸


1-1  Mikado goes to Ohoharano

1.1.1   かく思しいたらぬことなくいかでよからむことはと、思し扱ひたまへど、 この音無の滝こそ、うたていとほしく 南の上の御推し量りごとにかなひて、軽々しかるべき御名なれ。 かの大臣、何ごとにつけても、きはぎはしう、すこしもかたはなるさまのことを、思し忍ばずなどものしたまふ御心ざまを、「 さて思ひ隈なく、けざやかなる御もてなしなどのあらむにつけては、をこがましうもや」など、思し返さふ。
 このようにお考えの行き届かないことなく、何とかよい案はないかと、ご思案なさるが、あの音無の滝ではないが、嫌で気の毒なことなので、南の上のご想像通り、身分にふさわしくないご醜聞である。あの内大臣が、何ごとにつけても、はっきりさせ、少しでも中途半端なことを、我慢できずにいらっしゃるようなご気性なので、「そうなったら誰はばからず、はっきりとしたお婿扱いなどなされたりしたら、世間の物笑いになるのではないか」などと、お考え直しなさる。
 源氏は玉鬘たまかずらに対してあらゆる好意を尽くしているのであるが、人知れぬ恋を持つ点で、南の女王にょおうの想像したとおりの不幸な結末を生むのでないかと見えた。すべてのことに形式を重んじる癖があって、少しでもその点の不足したことは我慢のならぬように思う内大臣の性格であるから、思いやりもなしに婿として麗々しく扱われるようなことになっては今さら醜態で、気恥ずかしいことであると、その懸念けねんがいささか源氏を躊躇ちゅうちょさせていた。
  Kaku obosi itara nu koto naku, ikade yokara m koto ha to, obosi atukahi tamahe do, kono Otonasi-no-taki koso, utate itohosiku, Minami-no-Uhe no ohom-osihakarigoto ni kanahi te, karugarusikaru beki ohom-na nare. Kano Otodo, nanigoto ni tuke te mo, kihagihasiu, sukosi mo kataha naru sama no koto wo, obosi sinoba zu nado monosi tamahu mi-kokorozama wo, "Sate omohi gumanaku, kezayaka naru ohom-motenasi nado no ara m ni tuke te ha, wokogamasiu mo ya." nado, obosi kahesahu.
1.1.2   その師走に、大原野の行幸とて、世に残る人なく見騒ぐを、六条院よりも、御方々引き出でつつ見たまふ。 卯の時に出でたまうて、朱雀より五条の大路を、西ざまに折れたまふ。桂川のもとまで、物見車隙なし。
 その年の十二月に、大原野の行幸とあって、世の中の人は一人残らず見物に騒ぐのを、六条院からも御夫人方が引き連ねて御覧になる。卯の刻に御出発になって、朱雀大路から五条大路を西の方に折れなさる。桂川の所まで、見物の車がびっしり続いている。
 この十二月に洛西らくさいの大原野の行幸みゆきがあって、だれも皆お行列の見物に出た。六条院からも夫人がたが車で拝見に行った。みかどは午前六時に御出門になって、朱雀すざく大路から五条通りを西へ折れてお進みになった。道路は見物車でうずまるほどである。
  Sono Sihasu ni, Ohoharano no gyaugau tote, yo ni nokoru hito naku mi sawagu wo, Rokudeu-no-win yori mo, ohom-katagata hikiide tutu mi tamahu. U no toki ni ide tamau te, Suzyaku yori Godeu-no-ohodi wo, nisizama ni wore tamahu. Katuragaha no moto made, monomiguruma hima nasi.
1.1.3  行幸といへど、かならずかうしもあらぬを、今日は親王たち、上達部も、皆心ことに、御馬鞍をととのへ、随身、馬副の容貌丈だち、装束を飾りたまうつつ、めづらかにをかし。左右大臣、内大臣、納言より下はた、まして残らず仕うまつりたまへり。 青色の袍、葡萄染の下襲を、殿上人、五位六位まで着たり。
 行幸といっても、かならずしもこんなにではないのだが、今日は親王たちや、上達部も、皆特別に気をつかって、御馬や鞍を整え、随身、馬副人の器量や背丈、衣装をお飾りお飾りになっては、見事で美しい。左右の大臣、内大臣、大納言以下、いうまでもなく一人残らず行幸に供奉なさった。麹塵の袍に、葡萄染の下襲を、殿上人から五位六位までの人々が着ていた。
 行幸と申しても必ずしもこうではないのであるが、今日は親王がた、高官たちも皆特別に馬ぐらを整えて、随身、馬副男うまぞいおとこ背丈せたけまでもよりそろえ、装束に風流を尽くさせてあった。左右の大臣、内大臣、納言以下はことごとく供奉ぐぶしたのである。浅葱あさぎの色のほうに紅紫の下襲したがさねを殿上役人以下五位六位までも着ていた。
  Gyaugau to ihe do, kanarazu kau simo ara nu wo, kehu ha Miko-tati, Kamdatime mo, mina kokoro koto ni, ohom-muma kura wo totonohe, zuizin, mumazohi no katati take-dati, sauzoku wo kazari tamau tutu, meduraka ni wokasi. Saiu-no-Otodo, Uti-no-Otodo, Nahugon yori simo hata, masite nokora zu tukaumaturi tamahe ri. Awoiro no uhe-no-kinu, ebizome no sitagasane wo, Tenzyaubito, go-wi roku-wi made ki tari.
1.1.4  雪ただいささかづつうち散りて、道の空さへ艶なり。親王たち、上達部なども、鷹にかかづらひたまへるは、めづらしき狩の御よそひどもをまうけたまふ。近衛の鷹飼どもは、まして世に目馴れぬ 摺衣を乱れ着つつ、けしきことなり。
 雪がほんの少し降って、道中の空までが優美に見えた。親王たち、上達部なども、鷹狩に携わっていらっしゃる方は、見事な狩のご装束類を用意なさっている。近衛の鷹飼どもは、それ以上に見たことのない摺衣を思い思いに着て、その様子は格別である。
 時々少しずつの雪が空から散ってえんな趣を添えた。親王がた、高官たちもたか使いのたしなみのある人は、野に出てからの用にきれいな狩衣かりぎぬを用意していた。左右の近衛このえ、左右の衛門えもん、左右の兵衛ひょうえに属した鷹匠たかじょうたちは大柄な、目だつ摺衣すりぎぬを着ていた。
  Yuki tada isasaka dutu uti-tiri te, miti no sora sahe en nari. Miko-tati, Kamdatime nado mo, taka ni kakadurahi tamahe ru ha, medurasiki kari no ohom-yosohi-domo wo mauke tamahu. Konowe no takagahi-domo ha, masite yo ni me nare nu surigoromo wo midare ki tutu, kesiki koto nari.
1.1.5  めづらしうをかしきことに競ひ出でつつ、その人ともなく、かすかなる足弱き車など、輪を押しひしがれ、あはれげなるもあり。 浮橋のもとなどにも、好ましう立ちさまよふよき車多かり。
 素晴らしく美しい見物をと競って出て来ては、大した身分でもなく、お粗末な脚の弱い車など、車輪を押しつぶされて、気の毒なのもある。舟橋の辺りなどにも優美にあちこちする立派な車が多かった。
 女の目には平生見れない見物事であったから、だれかれとなしに競って拝観をしようとしたが、貧弱にできた車などは群衆に輪をこわされて哀れな姿で立っていた。かつら川の船橋のほとりが最もよい拝観場所で、よい車がここには多かった。
  Medurasiu wokasiki koto ni kihohiide tutu, sono hito to mo naku, kasuka naru asi yowaki kuruma nado, wa wo osi-hisiga re, aharege naru mo ari. Ukihasi no moto nado ni mo, konomasiu tati samayohu yoki kuruma ohokari.
注釈1かく思しいたらぬことなく主語は源氏。「かく」は下文の内容をさす。1.1.1
注釈2いかでよからむことは源氏の心中。『完訳』は「玉鬘の将来によかれと思う方途をと。自らの恋の関係を持続させたい気持もこもっていよう」と注す。1.1.1
注釈3この音無の滝こそ、うたていとほしく「とにかくに人目つつみをせきかねて下に流るる音無しの滝」(源氏釈所引、出典未詳)。『完訳』は「語り手の、玉鬘への同情の評」と注す。係助詞「こそ」は「御名なれ」に係る。1.1.1
注釈4南の上紫の上をさす。1.1.1
注釈5かの大臣内大臣をさす。1.1.1
注釈6さて思ひ隈なく以下「をこがましうもや」まで、源氏の心中。地の文から自然と心中文になる。1.1.1
注釈7その師走に大原野の行幸とて大原野神社は藤原氏の氏神。醍醐天皇の延長六年(九二八)十二月五日の大原野行幸がその準拠とされる。『新大系』は「「野の行幸」で、大原野神社への行幸ではない」と注す。1.1.2
注釈8卯の時に出でたまうて、朱雀より五条の大路を、西ざまに折れたまふ『李部王記』延長六年十二月五日の大原野行幸の記事に一致する。1.1.2
注釈9青色の袍麹塵の袍。天皇の日常着だが、晴れの儀式には天皇は赤色の袍を召し、諸臣が麹塵の袍を着る。1.1.3
注釈10摺衣を乱れ着つつ「春日野の若紫の摺衣しのぶの乱れ限り知られず」(伊勢物語一段)。1.1.4
注釈11浮橋のもとなど舟の上に板を渡して橋としたもの。『李部王記』の大原野行幸の記事に同じ。1.1.5
出典1 音無の滝 とにかくに人目堤を堰きかねて下に流るる音無の滝 源氏釈所引-出典未詳 1.1.1
1.2
第二段 玉鬘、行幸を見物


1-2  Tamakazura goes sightseeing Mikado's parade to Ohoharano

1.2.1   西の対の姫君も立ち出でたまへり。そこばく挑み尽くしたまへる人の御容貌ありさまを見たまふに、 帝の、赤色の御衣たてまつりて、うるはしう動きなき御かたはらめに、なずらひきこゆべき人なし。
 西の対の姫君もお出かけになった。大勢の我こそはと綺羅を尽くしていらっしゃる方々のご器量や様子を御覧になると、帝が赤色の御衣をお召しになって、凛々しく微動だになさらない御横顔に、ご比肩申し上げる人もいない。
 六条院の玉鬘たまかずらの姫君も見物に出ていた。きれいな身なりをして化粧をした朝臣あそんたちをたくさん見たが、のお上着を召した端麗な鳳輦ほうれんの中の御姿みすがたになぞらえることのできるような人はだれもない。
  Nisinotai-no-Himegimi mo tatiide tamahe ri. Sokobaku idomi tukusi tamahe ru hito no ohom-katati arisama wo mi tamahu ni, Mikado no, akairo no ohom-zo tatematuri te, uruhasiu ugoki naki ohom-kataharame ni, nazurahi kikoyu beki hito nasi.
1.2.2   わが父大臣を、人知れず目をつけたてまつりたまへど、きらきらしうものきよげに、盛りにはものしたまへど、限りありかし。いと人にすぐれたるただ人と見えて、御輿のうちよりほかに、目移るべくもあらず。
 わが父内大臣を、こっそりとお気をつけて拝見なさったが、派手で美しく、男盛りでいらっしゃるが、限界があった。たいそう人よりは優れた臣下と見えて、御輿の中以外の人には、目が移りそうもない。
 玉鬘は人知れず父の大臣に注意を払ったが、うわさどおりにはなやかな貫禄かんろくのある盛りの男とは見えたが、それも絶対なりっぱさとはいえるものでなくて、だれよりも優秀な人臣と見えるだけである。
  Waga titi-Otodo wo, hitosirezu me wo tuke tatematuri tamahe do, kirakirasiu mono-kiyoge ni, sakari ni ha monosi tamahe do, kagiri ari kasi. Ito hito ni sugure taru tadaudo to miye te, mi-kosi no uti yori hoka ni, me uturu beku mo ara zu.
1.2.3  まして、容貌ありや、をかしやなど、若き御達の消えかへり心うつす 中少将、何くれの殿上人やうの人は、何にもあらず消えわたれるは、 さらに類ひなうおはしますなりけり。源氏の大臣の御顔ざまは、異ものとも見えたまはぬを、思ひなしの 今すこしいつかしう、かたじけなくめでたきなり
 ましてや、美男だとか、素敵な方よなどと、若い女房たちが死ぬほど慕っている中将、少将、何とかいう殿上人などの人は、何ほどのこともなく眼中にないのは、まったく群を抜いていらっしゃるからなのであった。源氏の太政大臣のお顔の様子は、別人とはお見えにならないが、気のせいかもう少し威厳があって、恐れ多く立派である。
 きれいであるとか、美男だとかいって、若い女房たちがかげで大騒ぎをしている中将や少将、殿上役人のだれかれなどはまして目にもたたず無視せざるをえないのである。帝は源氏の大臣にそっくりなお顔であるが、思いなしか一段崇高な御美貌びぼうと拝されるのであった。
  Masite, katati ari ya, wokasi ya nado, wakaki gotati no kiyekaheri kokoro utusu Tyuu Seusyau, nanikure no Tenzyaubito yau no hito ha, nani ni mo ara zu kiye watare ru ha, sarani taguhi nau ohasimasu nari keri. Genzi-no-Otodo no ohom-kahozama ha, kotomono to mo miye tamaha nu wo, omohinasi no ima sukosi itukasiu, katazikenaku medetaki nari.
1.2.4   さは、かかる類ひはおはしがたかりけりあてなる人は、皆ものきよげにけはひ異なべいものとのみ、大臣、中将などの御にほひに目馴れたまへるを、 出で消えどものかたはなるにやあらむ、同じ目鼻とも見えず、口惜しうぞ圧されたるや。
 そうしてみると、このような方はいらっしゃりにくいのであった。身分の高い人は、皆美しく感じも格別よいはずのものとばかり、大臣や、中将などのお美しさに見慣れていたので、見劣りした者たちでまともな者はないのであろうか、同じ人の目鼻とも見えず、悔しいほど圧倒されていることだ。
 でこれを人間世界の最もすぐれた美と申さねばならないのである。貴族の男は皆きれいなものであるように玉鬘は源氏や中将を始終見て考えていたのであるが、こんな正装の姿は平生よりも悪く見えるのか、多数の朝臣たちは同じ目鼻を持つ顔とも玉鬘には見えなかった。
  Saha, kakaru taguhi ha ohasi gatakari keri. Ate naru hito ha, mina mono-kiyoge ni kehahi koto na' bei mono to nomi, Otodo, Tyuuzyau nado no ohom-nihohi ni menare tamahe ru wo, idegiye-domo no kataha naru ni ya ara m, onazi mehana to mo miye zu, kutiwosiu zo osa re taru ya!
1.2.5   兵部卿宮もおはす右大将の、さばかり重りかによしめくも、今日のよそひいとなまめきて、やなぐひなど負ひて、仕うまつりたまへり。色黒く鬚がちに見えて、 いと心づきなしいかでかは、女の つくろひたてたる顔の色あひには似たらむ。いとわりなきことを、若き御心地には、見おとしたまうてけり。
 兵部卿宮もいらっしゃる。右大将が、あれほど重々しく気取っているのも、今日の衣装がたいそう優美で、やなぐいなどを背負って供奉なさっていた。色黒く鬚が多い感じに見えて、とても好感がもてない。どうして、女性の化粧した顔の色に男が似たりしようか。とても無理なことを、お若い方の考えとて、軽蔑なさったのであった。
 兵部卿ひょうぶきょうの宮もおいでになった。右大将は羽振りのよい重臣ではあるが今日の武官姿のえいを巻いて胡簶やなぐいを負った形などはきわめて優美に見えた。色が黒く、ひげの多い顔に玉鬘は好感を持てなかった。男は化粧した女のような白い顔をしているものでないのに、若い玉鬘の心はそれを軽蔑けいべつした。
  Hyaubukyau-no-Miya mo ohasu. Udaisyau no, sabakari omorika ni yosimeku mo, kehu no yosohi ito namameki te, yanaguhi nado ohi te, tukaumaturi tamahe ri. Iro kuroku higegati ni miye te, ito kokorodukinasi. Ikadekaha, womna no tukurohi tate taru kaho no iroahi ni ha ni tara m? Ito warinaki koto wo, wakaki mi-kokoti ni ha, miotosi tamau te keri.
1.2.6  大臣の君の思し寄りてのたまふことを、「 いかがはあらむ、宮仕へは、心にもあらで、見苦しきありさまにや」と思ひつつみたまふを、「 馴れ馴れしき筋などをばもて離れて、おほかたに仕うまつり御覧ぜられむは、をかしうもありなむかし」とぞ、思ひ寄りたまうける。
 大臣の君がお考えになっておっしゃっることを、「どうしたものか、宮仕えは、不本意なことで見苦しいことではないかしら」と躊躇していらっしゃったが、「帝の寵愛ということを離れて、一般の宮仕えしてお目通りするならば、きっと結構なことであろう」という、お気持ちになった。
 源氏はこのごろ玉鬘に宮仕えを勧めているのであった。今までは自発的にお勤めを始めるのでもなしにやむをえずに御所の人々の中に混じって新しい苦労を買うようなことはと躊躇する玉鬘であったが、後宮の一人でなく公式の高等女官になって陛下へお仕えするのはよいことであるかもしれないと思うようになった。
  Otodo-no-Kimi no obosiyori te notamahu koto wo, "Ikagaha ara m, Miyadukahe ha, kokoro ni mo ara de, migurusiki arisama ni ya?" to omohi tutumi tamahu wo, "Narenaresiki sudi nado wo ba mote-hanare te, ohokata ni tukaumaturi goranze rare m ha, wokasiu mo ari na m kasi." to zo, omohiyori tamau keru.
注釈12西の対の姫君も玉鬘をいう。1.2.1
注釈13帝の赤色の御衣たてまつりてうるはしう動きなき御かたはらめに「人主の躰は山岳の如し、高峻にして動かず」(帝範)。1.2.1
注釈14わが父大臣を玉鬘の視点に立っての叙述。1.2.2
注釈15中少将何くれの殿上人やうの人『集成』は「中将、少将。ともに近衛府の次官。多く名門の子弟の容姿端麗な者が選ばれる。今日の護衛として帝のお側近くに供奉している」。『完訳』は「中将は柏木、少将は弁少将。ともに内大臣の子息。二人は弓箭を帯して左右の列に分れて行進」と注す。1.2.3
注釈16さらに類ひなうおはしますなりけり冷泉帝をさす。1.2.3
注釈17今すこしいつかしう、かたじけなくめでたきなり思いなしかか、源氏より帝の方が威厳もあり畏れ多くも見える。1.2.3
注釈18さはかかる類ひはおはしがたかりけり『集成』は「帝に心ひかれた玉鬘の心中と草子地が一体になった書き方」と注す。1.2.4
注釈19あてなる人は皆以下、玉鬘の視点を通しての叙述。1.2.4
注釈20出で消えどものかたはなるにやあらむ語り手の推測を交えた挿入句。1.2.4
注釈21兵部卿宮もおはす蛍兵部卿宮をさす。1.2.5
注釈22右大将のさばかり鬚黒大将をさす。1.2.5
注釈23いと心づきなし『集成』は「玉鬘の思い」と注す。1.2.5
注釈24いかでかは女の大島本は「いかてかハ(ハ+女の<朱>)」とある。すなわち底本は朱筆で「女の」を補入する。玉上『評釈』によれば「女の」の語は「関戸本」(定家本)なし」という。『新大系』は底本の補訂に従う。『評釈』『集成』『古典セレクション』は諸本と底本の訂正以前本文に従って「いかでかは」と校訂する。『集成』は「以下「見おとしたまうけり」まで、草子地」。『完訳』は「男の顔は女の化粧した顔とは異なるとして、語り手が玉鬘の感想を批判。鬚黒の雄々しさを刻印」と注す。1.2.5
注釈25いかがはあらむ以下「ありさまにや」まで、玉鬘の心中。1.2.6
注釈26馴れ馴れしき筋などをば以下「ありなむかし」まで、玉鬘の心中。『完訳』は「男女の情愛、帝寵。それと無関係な宮仕えをと思う。この願望は、おのずと源氏の希望と重なる」と注す。1.2.6
校訂1 女の 女の--(/+女の<朱>) 1.2.5
1.3
第三段 行幸、大原野に到着


1-3  The parade arrives in Ohoharano

1.3.1  かうて、 野におはしまし着きて、御輿とどめ、上達部の平張にもの参り、御装束ども、直衣、狩のよそひなどに改めたまふほどに、 六条院より、御酒、御くだものなどたてまつらせたまへり。今日仕うまつり たまふべく、かねて御けしきありけれど、御物忌のよしを奏せさせたまへりけるなりけり。
 こうして、大原野に御到着あそばして、御輿を止め、上達部の平張の中で食事を召し上がり、御衣装を直衣や、狩衣の装束に改めたりなさる時に、六条院からお酒やお菓子類などが献上された。今日供奉なさる予定だと、前もってご沙汰があったのだが、御物忌の理由を奏上なさったのであった。
 大原野で鳳輦ほうれんとどめられ、高官たちは天幕の中で食事をしたり、正装を直衣のうしや狩衣に改めたりしているころに、六条院の大臣から酒や菓子の献上品が届いた。源氏にも供奉ぐぶすることを前に仰せられたのであるが、謹慎日であることによって御辞退をしたのである。
  Kaute, no ni ohasimasi tuki te, mi-kosi todome, Kamdatime no hirabari ni mono mawiri, ohom-sauzoku-domo, nahosi, kari no yosohi nado ni aratame tamahu hodo ni, Rokudeu-no-Win yori, ohom-miki, ohom-kudamono nado tatematura se tamahe ri. Kehu tukau-maturi tamahu beku, kanete mi-kesiki ari kere do, ohom-monoimi no yosi wo souse sase tamahe ri keru nari keri.
1.3.2   蔵人の左衛門尉 御使にて雉一枝たてまつらせたまふ仰せ言には何とかや、さやうの折のことまねぶに、わづらはしくなむ
 蔵人で左衛門尉を御使者として、雉をつけた一枝を献上あそばしなさった。仰せ言にはどのようにあったか、そのような時のことを語るのは、わずらわしいことなので。
 蔵人くろうど左衛門尉さえもんのじょう御使みつかいにして、木の枝に付けた雉子きじを一羽源氏へ下された。この仰せのお言葉は女である筆者が採録申し上げて誤りでもあってはならないから省く。
  Kuraudo no Sawemon-no-Zeu wo ohom-tukahi nite, kizi hito-eda tatematura se tamahu. Ohosegoto ni ha nani to ka ya, sayau no wori no koto manebu ni, wadurahasiku nam.
1.3.3  「 雪深き小塩山にたつ雉の
   古き跡をも今日は尋ねよ
 「雪の深い小塩山に飛び立つ雉のように
  古例に従って今日はいらっしゃればよかったのに
  雪深きをしほの山に立つ雉子の
  古き跡をも今日けふはたづねよ
    "Yuki hukaki Wosiho-no-yama ni tatu kizi no
    huruki ato wo mo kehu ha tadune yo
1.3.4   太政大臣の、かかる野の行幸に仕うまつりたまへる例などやありけむ。大臣、御使をかしこまりもてなさせたまふ。
 太政大臣が、このような野の行幸に供奉なさった先例があったのであろうか。大臣は、御使者を恐縮しておもてなしなさる。
 御製はこうであった。これは太政大臣が野の行幸にお供申し上げた先例におよりになったことであるかもしれない。源氏の大臣は御使いをかしこんで扱った。お返事は、
  Ohokiotodo no, kakaru no no gyaugau ni tukaumaturi tamahe ru tamesi nado ya ari kem? Otodo, ohom-tukahi wo kasikomari motenasa se tamahu.
1.3.5  「 小塩山深雪積もれる松原に
   今日ばかりなる跡やなからむ
 「小塩山に深雪が積もった松原に
  今日ほどの盛儀は先例がないでしょう
  小塩をしほ山みゆき積もれる松原に
  今日ばかりなる跡やなからん
    "Wosiho-yama miyuki tumore ru matubara ni
    kehu bakari naru ato ya nakara m
1.3.6  と、 そのころほひ聞きしことの、そばそば思ひ出でらるるは、ひがことにやあらむ
 と、その当時に伝え聞いたことで、ところどころ思い出されるのは、聞き間違いがあるかもしれない。
 という歌であったようである。筆者は覚え違いをしているかもしれない。
  to, sono korohohi kiki si koto no, sobasoba omohiide raruru ha, higakoto ni ya ara m?
注釈27野に大原野に。1.3.1
注釈28六条院より御酒御くだものなどたてまつらせたまへり源氏から。なお。『李部王記』のその日の記事にも「六条院」(宇多法皇カ)から酒や炭などが献上されたことが記されている。1.3.1
注釈29蔵人の左衛門尉大島本は「右(右$左<朱>)衛門のせう」とある。すなわち朱筆で「右」を「左」に改めている。玉上『評釈』によれば関戸本「右衛門」とあるよし。『集成』は関戸本及び大島本の訂正以前本文に従う。『評釈』『新大系』『古典セレクション』は諸本と大島本の訂正に従って「左衛門尉」と校訂する。1.3.2
注釈30御使にて帝から源氏への返礼の使者。1.3.2
注釈31雉一枝たてまつらせたまふ『九条右大臣集』(藤原師輔)に、朱雀院の野の行幸に不参して雉一双を賜った例が見られる。雉の一双を左右の枝に上下して付けるのが作法という(河海抄)。1.3.2
注釈32仰せ言には何とかやさやうの折のことまねぶにわづらはしくなむ『集成』は「帝の仰せ言には何とあったか、このような場合のことをお話しするのは、女の身に憚りが多いので(やめておきます)。歌以外は省略することをことわる草子地」。『完訳』は「その仰せ言には何とあったか、そのような折のことをつぶさに記しとどめるのもわずらわしいことで--」「女が朝廷儀式の詳細を語るのを避けるための、語り手の省筆」と注す。1.3.2
注釈33雪深き小塩山にたつ雉の--古き跡をも今日は尋ねよ帝から源氏への贈歌。『集成』は「源氏の不参を残念がられた歌」と注す。1.3.3
注釈34太政大臣の、かかる野の行幸に仕うまつりたまへる例などやありけむ仁和二年(八八六)十二月十四日の光孝天皇の芹川行幸に太政大臣藤原基経が供奉した例がある(河海抄)。1.3.4
注釈35小塩山深雪積もれる松原に--今日ばかりなる跡やなからむ「行幸」「み雪」の掛詞。「や」間投助詞、詠嘆の意。今日ほどの盛儀はないことでしょう、の意。1.3.5
注釈36そのころほひ聞きしことのそばそば思ひ出でらるるはひがことにやあらむ『集成』は「語り手の女房の言葉をそのまま伝えた体の草子地」。『完訳』は「以下も、源氏の本心にふれまいとする語り手の言辞」と注す。1.3.6
校訂2 たまふべく たまふべく--給へて(て/$く<朱>) 1.3.1
校訂3 左衛門尉 左衛門尉--(右/$左<朱>)衛門のせう 1.3.2
1.4
第四段 源氏、玉鬘に宮仕えを勧める


1-4  Genji advises Tamakazura to work under Mikado

1.4.1  またの日、大臣、西の対に、
 翌日、大臣は、西の対に、
 その翌日、源氏は西の対へ手紙を書いた。
  Matanohi, Otodo, Nisinotai ni,
1.4.2  「 昨日、主上は見たてまつりたまひきや。 かのことは、思しなびきぬらむや」
 「昨日、主上は拝見なさいましたか。あの件は、その気におなりになりましたか」
 昨日きのう陛下をお拝みになりましたか。お話ししていたことはどう決めますか。
  "Kinohu, Uhe ha mi tatematuri tamahi ki ya? Kano koto ha, obosi nabiki nu ram ya?"
1.4.3  と聞こえたまへり。白き色紙に、 いとうちとけたる文、こまかにけしきばみてもあらぬが、をかしきを見たまうて、
 と申し上げなさった。白い色紙に、たいそう親しげな手紙で、こまごまと色めいたことも含まれてないのが、素晴らしいのを御覧になって、
 白い紙へ、簡単に気どった跡もなく書かれているのであるが、美しいのをながめて、
  to kikoye tamahe ri. Siroki sikisi ni, ito utitoke taru humi, komaka ni kesikibami te mo ara nu ga, wokasiki wo mi tamau te,
1.4.4  「あいなのことや」
 「いやなことを」
 「ひどいことを」
  "Aina no koto ya!"
1.4.5  と笑ひたまふものから、「 よくも推し量らせたまふものかな」と思す。御返りに、
 とお笑いなさるものの、「よくも人の心を見抜いていらっしゃるわ」とお思いになる。お返事には、
 と玉鬘たまかずらは笑っていたが、よくも心が見透かされたものであるという気がした。
  to warahi tamahu monokara, "Yoku mo osihakara se tamahu mono kana!" to obosu. Ohom-kaheri ni,
1.4.6  「 昨日は
 「昨日は、
 昨日は、
  "Kinohu ha,
1.4.7    うちきらし朝ぐもりせし行幸には
  さやかに空の光やは見し
  雪が散らついて朝の間の行幸では
  はっきりと日の光は見えませんでした
  うちきらし朝曇りせしみゆきには
  さやかに空の光やは見し
    Uti-kirasi asagumori se si miyuki ni ha
    sayaka ni sora no hikari yaha mi si
1.4.8   おぼつかなき御ことどもになむ
 はっきりしない御ことばかりで」
 何が何でございますやら私などには。
  Obotukanaki ohom-koto-domo ni nam."
1.4.9  とあるを、 上も見たまふ
 とあるのを、紫の上も御覧になる。
 と書いて来た返事を紫の女王にょおうもいっしょに見た。源氏は宮仕えを玉鬘に勧めた話をした。
  to aru wo, Uhe mo mi tamahu.
1.4.10  「 ささのことを そそのかししかど中宮かくておはすここながらのおぼえには、便なかるべしかの大臣に知られても女御かくてまたさぶらひたまへばなど、 思ひ乱るめりし筋なり若人の、さも馴れ仕うまつらむに、憚る思ひなからむは、主上をほの見たてまつりて、えかけ離れて思ふはあらじ」
 「しかじかのことを勧めたのですが、中宮がああしていらっしゃるし、わたしの娘という扱いのままでは不都合であろう。あの内大臣に知られても、弘徽殿の女御がまたあのようにいらっしゃるのだからなどと、思い悩んでいたことです。若い女性で、そのように親しくお仕えするのに、何も遠慮する必要がないのは、主上をちらとでも拝見して、宮仕えを考えない者はないでしょう」
 「中宮ちゅうぐうが私の子になっておいでになるのだから、同じ家からそれ以上のことがなくて出て行くのをあの人は躊躇することだろうと思うし、大臣の子として出て行くのも女御にょごがいられるのだから不都合だしと煩悶はんもんしているそのことも言っているのですよ。若い女で宮中へ出る資格のある者が陛下を拝見しては御所の勤仕を断念できるものでないはずだ」
  "Sasa no koto wo sosonokasi sika do, Tyuuguu kaku te ohasu, koko nagara no oboye ni ha, bin nakaru besi. Kano Otodo ni sira re te mo, Nyougo kaku te mata saburahi tamahe ba nado, omohi midaru meri si sudi nari. Wakaudo no, samo nare tukaumatura m ni, habakaru omohi nakara m ha, Uhe wo hono-mi tatematuri te, e kakehanare te omohu ha ara zi."
1.4.11  とのたまへば、
 とおっしゃると、
 と源氏が言うと、
  to notamahe ba,
1.4.12  「 あな、うたて。めでたしと見たてまつるとも、心もて 宮仕ひ思ひ立たむこそ、いとさし過ぎたる心ならめ」
 「あら、嫌ですわ。いくら御立派だと拝見しても、自分から進んで宮仕えを考えるなんて、とても出過ぎた考えでしょう」
 「いやなあなた。お美しいと拝見しても恋愛的に御奉公を考えるのは失礼すぎたことじゃありませんか」
  "Ana, utate! Medetasi to mi tatematuru tomo, kokoro mote miyadukahi omohitata m koso, ito sasisugi taru kokoro nara me."
1.4.13  とて、笑ひたまふ。
 と言って、お笑いになる。
 と女王は笑った。
  tote, warahi tamahu.
1.4.14  「 いで、そこにしもぞ、めできこえたまはむ
 「さあ、そういうあなたこそ、きっと熱心になることでしょう」
 「そうでもない。あなただって拝見すれば陛下のおそばへ上がりたくなりますよ」
  "Ide, soko ni simo zo, mede kikoye tamaha m."
1.4.15  などのたまうて、また御返り、
 などとおっしゃって、改めてお返事に、
 などと言いながら源氏はまた西の対へ書いた。
  nado notamau te, mata ohom-kaheri,
1.4.16  「 あかねさす光は空に曇らぬを
   などて行幸に目をきらしけむ
 「日の光は曇りなく輝いていましたのに
  どうして行幸の日に雪のために目を曇らせたのでしょう
  あかねさす光は空に曇らぬを
  などてみゆきに目をきらしけん
    "Akanesasu hikari ha sora ni kumora nu wo
    nadote miyuki ni me wo kirasi kem
1.4.17   なほ、思し立て
 やはり、ご決心なさい」
 ぜひ決心をなさるように。
  Naho, obositate."
1.4.18  など、絶えず勧めたまふ。
 などと、ひっきりなしにお勧めになる。
 こんなふうに言って源氏は絶えず勧めていた。
  nado, taye zu susume tamahu.
注釈37昨日主上は以下「なびきぬらむや」まで、源氏の詞。1.4.2
注釈38かのことは宮仕えの件をさす。1.4.2
注釈39いとうちとけたる文大島本は「ふミ」とある。玉上『評釈』によれば関戸本「文」とあるよし。『集成』『新大系』は関戸本と底本に従う。『評釈』『古典セレクション』は諸本に従って「御文」と校訂する。1.4.3
注釈40よくも推し量らせたまふものかな玉鬘の心中。1.4.5
注釈41昨日は以下「御ことどもになむ」まで、玉鬘の返事。1.4.6
注釈42うちきらし朝ぐもりせし行幸には--さやかに空の光やは見し大島本は「うちきえし」とある。「え」は「ら」の誤字と認められる。玉鬘の和歌。「光」は帝の姿を譬喩する。「やは」反語表現。1.4.7
注釈43おぼつかなき御ことどもになむ歌に添えた言葉。接尾語「ども」複数は帝の顔や宮仕えのことを意味する。1.4.8
注釈44上も見たまふ紫の上をさす。1.4.9
注釈45ささのことを以下「思ふにはあらじ」まで、源氏の詞。指示代名詞「ささ」は、宮仕えのことをさす。1.4.10
注釈46そそのかししかど大島本「そゝのかしかと」とある。「し」脱字と見られる。玉上『評釈』によれば関戸本にも「し」が無いよし。1.4.10
注釈47中宮かくておはす秋好中宮をさす。1.4.10
注釈48ここながらのおぼえには、便なかるべし『完訳』は「源氏の娘という扱いでは。養女の中宮と競うのが不都合」と注す。1.4.10
注釈49かの大臣に知られても内大臣をさす。「知られ」の「れ」は受身の助動詞。1.4.10
注釈50女御かくてまたさぶらひたまへば弘徽殿女御をさす。玉鬘の姉妹に当たる。1.4.10
注釈51思ひ乱るめりし筋なり主語は玉鬘。推量の助動詞「めり」の主体は源氏。「し」過去の助動詞。源氏の観察体験にもとづくニュアンス。1.4.10
注釈52若人の若い女性一般をいう。1.4.10
注釈53あなうたて以下「心ならめ」まで、紫の上の詞。1.4.12
注釈54宮仕ひ思ひ立たむ大島本「思たゝむ」とある。『集成』は「ゝ」と判読。『評釈』『新大系』『古典セレクション』は「ら」と判読する。1.4.12
注釈55いでそこにしもぞめできこえたまはむ源氏の詞。「そこ」は二人称、紫の上をさす。1.4.14
注釈56あかねさす光は空に曇らぬを--などて行幸に目をきらしけむ源氏の返歌。「きらす」「みゆき」「空の光」の語句を受けて返す。「あかねさす」は「光」の枕詞。「みゆき」に「行幸」と「み雪」の意を掛ける。1.4.16
注釈57なほ思し立て歌に添えた言葉。1.4.17
校訂4 きらし きらし--*きえし 1.4.7
校訂5 そそのかししかど そそのかししかど--*そゝのかしかと 1.4.10
1.5
第五段 玉鬘、裳着の準備


1-5  Genji prepares the ceremony for Tamakazura to grow up to be a woman

1.5.1  「 とてもかうても、まづ 御裳着のことをこそは」と思して、その御まうけの御調度の、こまかなるきよらども加へさせたまひ、何くれの儀式を、御心にはいとも 思ほさぬことをだに、おのづからよだけくいかめしくなるを、まして、「 内の大臣にも、やがて このついでにや知らせたてまつりてまし」と思し寄れば、 いとめでたくなむ 。「 年返りて、二月に」と思す
 「何はともあれ、まずは御裳着の儀式を」とお思いになって、そのご用意の御調度類の、精巧で立派な品々をお加えになり、どういった儀式であれ、ご自分では大して考えていらっしゃらないことでも、自然と大げさに立派になるのを、まして、「内大臣にも、このまま儀式の機会にお知らせ申そうか」とお考え寄りになったので、たいそう立派である。「年が明けて、二月に」とお考えになる。
 ともかくも裳着もぎの式を行なおうと思って、その儀式の日の用意を始めさせた。自身ではたいしたことにしようとしないことでも、源氏の家で行なわれることは自然にたいそうなものになってしまうのであるが、今度のことはこれを機会に内大臣へほんとうのことを知らせようと期している式であったから、きわめて華美な支度したくになっていった。来春の二月にしようと源氏は思っているのであった。
  "Totemo-kautemo, madu ohom-mogi no koto wo koso ha." to obosi te, sono ohom-mauke no ohom-teudo no, komaka naru kiyora-domo kuhahe sase tamahi, nanikure no gisiki wo, mi-kokoro ni ha ito mo omohosa nu koto wo dani, onodukara yodakeku ikamesiku naru wo, masite, "Uti-no-Otodo ni mo, yagate kono tuide ni ya sirase tatematuri te masi?" to obosiyore ba, ito medetaku nam. "Tosi kaheri te, Kisaragi ni." to obosu.
1.5.2  「 女は、聞こえ高く、名隠したまふべきほどならぬも、人の御女とて、籠もりおはするほどは、かならずしも、氏神の御つとめなど、あらはならぬほどなれば こそ、年月はまぎれ過ぐしたまへ、この、もし 思し寄ることもあらむには、 春日の神の御心違ひぬべきも、つひには隠れてやむまじきものから、あぢきなく、わざとがましき後の名まで、うたたあるべし。なほなほしき人の際こそ、今様とては、氏改むることのたはやすきもあれ」など思しめぐらすに、「 親子の御契り、絶ゆべきやうなし。同じくは、わが心許してを、知らせたてまつらむ」
 「女性というものは、評判が高く、名をお隠しできる年頃ではなくとも、誰かの姫君として、深窓にこもっていらっしゃる間は、必ずしも氏神への参詣なども、表立ってしないので、今までは分からないように過ごしていらっしゃったが、この、もし今考えていることが実現したら、春日明神の御心に背いてしまうし、結局は隠しおおせるものではないから、つまらないことに、格別の計略があったことのように後々まで取り沙汰されては、おもしろからぬことだろう。並の人の身分なら、当世ふうとしては、氏を改めることも簡単なものだが」などとご思案なさるが、「親子のご縁は、絶えるようなことはないものだ。同じことなら、こちらから進んで、お知らせ申そう」
 女は世間から有名な人にされていても、まだ姫君である間は必ずしも親の姓氏を明らかに掲げている必要もないから、今までは藤原ふじわらの内大臣の娘とも、源氏の娘とも明確にしないで済んだが、源氏の望むように宮仕えに出すことにすれば春日かすがの神の氏の子を奪うことになるし、ついに知れるはずのものをしいて当座だけ感情の上からごまかしをするのも自身の不名誉であると源氏は考えた。平凡な階級の人は安易に姓氏を変えたりもするが、内に流れた親子の血が人為的のことで絶えるものでないから、自然のままに自分の寛大さを大臣に知らしめよう
  "Womna ha, kikoye takaku, na kakusi tamahu beki hodo nara nu mo, hito no ohom-musume tote, komori ohasuru hodo ha, kanarazusimo, udigami no ohom-tutome nado, araha nara nu hodo nare ba koso, tosituki ha magire sugusi tamahe, kono, mosi obosiyoru koto mo ara m ni ha, Kasuga-no-Kami no mi-kokoro tagahi nu beki mo, tuhini ha kakure te yamu maziki monokara, adikinaku, wazatogamasiki noti no na made, utata aru besi. Nahonahosiki hito no kiha koso, imayau tote ha, udi aratamuru koto no tahayasuki mo are." nado obosi megurasu ni, "Oyako no ohom-tigiri, tayu beki yau nasi. Onaziku ha, waga kokoro yurusi te wo, sirase tatematura m."
1.5.3  など思し定めて、この御腰結には、かの大臣をなむ、御消息聞こえたまうければ、 大宮、去年の冬つ方より悩みたまふこと、さらにおこたりたまはねば、かかるに合はせて、便なかるべきよし、聞こえたまへり。
 などとご決心なさって、この儀式の御腰結役には、その内大臣をと、お手紙を差し上げなさったところ、大宮が、去年の冬頃から病気をなさっていたが、一向によくおなりにならないので、このような場合では、都合がつかない旨を、お返事申された。
 と源氏は決めて、ひもを結ぶ役を大臣へ依頼することにしたが、大臣は、去年の冬ごろから御病気をしておいでになる大宮が、いつどうおなりになるかもしれぬ場合であるから、祝儀のことに出るのは遠慮をすると辞退してきた。
  nado, obosi-sadame te, kono ohom-kosiyuhi ni ha, kano Otodo wo nam, ohom-seusoko kikoye tamau kere ba, Ohomiya, kozo no huyutukata yori nayami tamahu koto, sarani okotari tamaha ne ba, kakaru ni ahase te, bin nakaru beki yosi, kikoye tamahe ri.
1.5.4  中将の君も、夜昼、三条にぞさぶらひたまひて、心の隙なくものしたまうて、折悪しきを、 いかにせましと思す。
 中将の君も、昼夜、三条宮邸に伺候なさっていて、心に余裕もなくいらっしゃるので、時機が悪いのを、どうしたものか、とお考えになる。
 中将も夜昼三条の宮へ行って付ききりのようにして御介抱かいほうをしていて、何の余裕も心にないふうな時であるから、裳着は延ばしたものであろうかとも源氏は考えたが、
  Tyuuzyau-no-Kimi mo, yoru hiru, Samdeu ni zo saburahi tamahi te, kokoro no hima naku monosi tamau te, wori asiki wo, ikani se masi to obosu.
1.5.5  「 世も、いと定めなし。宮も亡せさせたまはば、御服 あるべきを知らず顔にてものしたまはむ、罪深きこと多からむ。おはする世に、このこと表はしてむ」
 「世の中も、まことに無常なものだ。大宮がお亡くなりにあそばしたら、御喪に服さなければならないのに、知らない顔をしていらっしゃったら、罪深いことが多かろう。生きていらっしゃるうちに、このことを打ち明けよう」
 宮がもしおかくれになれば玉鬘たまかずらは孫としての服喪の義務があるのを、知らぬ顔で置かせては罪の深いことにもなろうから、宮の御病気を別問題として裳着を行ない、大臣へ真相を知らせることも宮の生きておいでになる間にしよう
  "Yo mo, ito sadame nasi. Miya mo use sase tamaha ba, ohom-buku aru beki wo, sirazugaho nite monosi tamaha m, tumi hukaki koto ohokara m. Ohasuru yo ni, kono koto arahasi te m."
1.5.6  と思し取りて、三条の宮に、御訪らひがてら渡りたまふ。
 とお考えになって、三条宮邸に、お見舞いかたがたお出かけになる。
 と源氏は決心して、三条の宮をお見舞いしがてらにおたずねした。
  to obosi tori te, Samdeu-no-miya ni, ohom-toburahi gatera watari tamahu.
注釈58とてもかうても以下「こそは」まで、源氏の心中。1.5.1
注釈59御裳着のことを玉鬘は女の成人式である裳着の儀式をまだ挙げてなかった。1.5.1
注釈60内の大臣にも大島本「うちのおとゝ(+に<朱>)も」とある。すなわち朱筆で「に」を補入する。玉上『評釈』によれば関戸本「も」あとあるよし。大島本の訂正以前本文と同文。以下「知らせたてまつりてまし」まで、源氏の心中。1.5.1
注釈61このついでにや玉鬘の裳着の儀式の折をさす。係助詞「や」は推量の助動詞「まし」に係る。1.5.1
注釈62いとめでたくなむ大島本「いとめてたう所せきまて(う所せきまて$く<朱>)なむ」とある。すなわち朱筆で「う所せきまて」をミセケチにして「く」と訂正する。玉上『評釈』によれば関戸本は「いとめでたく所せきまでなむ」とあるよしである。『新大系』は大島本の訂正に従う。『評釈』『集成』『古典セレクション』は関戸本をはじめとする諸本及び大島本の訂正以前本文に従う。1.5.1
注釈63年返りて二月にと思す源氏は玉鬘の裳着を明年二月に予定。1.5.1
注釈64女は聞こえ高く以下「たはやすきもあれ」まで、源氏の心中。1.5.2
注釈65こそ年月はまぎれ過ぐしたまへ係助詞「こそ」は「たまへ」已然形に係るが、逆接で文脈を続ける。1.5.2
注釈66思し寄ること玉鬘の尚侍としての出仕をさす。1.5.2
注釈67春日の神の御心違ひぬべきも源氏の娘として出仕したら、藤原氏の氏神である春日の神慮に背くことになろう、の意。1.5.2
注釈68親子の御契り以下「知らせたてまつらむ」まで、源氏の心中。1.5.2
注釈69大宮去年の冬つ方より内大臣の母。また源氏の妻故葵の上の母。夕霧には祖母にあたる。昨冬より病気。1.5.3
注釈70いかにせまし源氏の心中。1.5.4
注釈71世もいと定めなし以下「表はしてむ」まで、源氏の心中。1.5.5
注釈72あるべきを接続助詞「を」逆接の意。1.5.5
注釈73知らず顔にてものしたまはむ罪深き主語は玉鬘。「たまふ」尊敬の補助動詞が付く。大宮は玉鬘の祖母でもある。父方の祖母の服喪期間は五か月。1.5.5
校訂6 思ほさぬ 思ほさぬ--お(お/+も)ほさぬ 1.5.1
校訂7 内の大臣にも 内の大臣にも--うちのおとゝ(ゝ/+に<朱>)も 1.5.1
校訂8 めでたく めでたく--めてたう所せきまて(う所せきまて/$く<朱>) 1.5.1
Last updated 9/21/2010(ver.2-3)
渋谷栄一校訂(C)
Last updated 12/15/2009(ver.2-2)
渋谷栄一注釈(C)
Last updated 9/10/2001
渋谷栄一訳(C)(ver.1-2-2)
現代語訳
与謝野晶子
電子化
上田英代(古典総合研究所)
底本
角川文庫 全訳源氏物語
校正・
ルビ復活
伊藤時也(青空文庫)

2003年9月8日

渋谷栄一訳
との突合せ
若林貴幸、宮脇文経

2009年12月18日

Last updated 12/15/2009 (ver.2-2)
Written in Japanese roman letters
by Eiichi Shibuya (C)
Picture "Eiri Genji Monogatari"(1650 1st edition)
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