第三十二帖 梅枝


32 MUMEGAYE (Ohoshima-bon)


光る源氏の太政大臣時代
三十九歳一月から二月までの物語



Tale of Hikaru-Genji's Daijo-Daijin era, from January to February at the age of 39

2
第二章 光る源氏の物語 明石の姫君の裳着


2  Tale of Hikaru-Genji  Genji's daughter, Akashi-Hime, grows up to be a woman

2.1
第一段 明石の姫君の裳着


2-1  Akashi-Hime grows up to be a woman

2.1.1   かくて、西の御殿に戌の時に渡りたまふ。宮のおはします西の放出をしつらひて、御髪上の内侍なども、 やがてこなたに参れり上も、このついでに、中宮に御対面あり。御方々の女房、押しあはせたる、数しらず見えたり。
 こうして、西の御殿に、戌の刻にお渡りになる。中宮のいらっしゃる西の放出を整備して、御髪上の内侍なども、そのままこちらに参上した。紫の上も、この機会に、中宮にご対面なさる。お二方の女房たちが、一緒に来合わせているのが、数えきれないほど見えた。
 裳着もぎの式を行なう西の町へ源氏夫婦と姫君は午後八時に行った。中宮のおいでになる御殿の西の離れに式の設けがされてあって、姫君のお髪上ぐしあげ役の(正装の場合には前髪を少しくくるのである)内侍などもこちらへ来たのである。紫夫人もこのついでに中宮へお目にかかった。中宮付き、夫人付き、姫君付きの盛装した女房のすわっているのが数も知れぬほどに見えた。
  Kakute, nisi no otodo ni, inu no toki ni watari tamahu. Miya no ohasimasu nisi no Hanatiide wo siturahi te, mi-gusiage no Naisi nado mo, yagate konata ni mawire ri. Uhe mo, kono tuide ni, Tyuuguu ni ohom-taimen ari. Ohom-katagata no nyoubau, osi-ahase taru, kazu sira zu miye tari.
2.1.2   子の時に御裳たてまつる。大殿油ほのかなれど、御けはひいとめでたしと、宮は見たてまつれたまふ。大臣、
 子の刻に御裳をお召しになる。大殿油は微かであるが、御器量がまことに素晴らしいと、中宮はご拝見あそばす。大臣は、
 裳を付ける式は十二時に始まったのである。ほのかなの光で御覧になったのであるが、姫君を美しく中宮は思召おぼしめした。
  Ne no toki ni ohom-mo tatematuru. Ohotonabura honoka nare do, ohom-kehahi ito medetasi to, Miya ha mi tatemature tamahu. Otodo,
2.1.3  「 思し捨つまじきを頼みにてなめげなる姿を、進み御覧ぜられはべるなり。 後の世のためしにやと、心狭く忍び思ひたまふる」
 「お見捨てになるまいと期待して、失礼な姿を、進んでお目にかけたのでございます。後世の前例になろうかと、狭い料簡から密かに考えております」
 「お愛しくださいますことを頼みにいたしまして、失礼な姿も御前へ出させましたのです。尊貴なあなた様がかようなお世話をくださいますことなどは例もないことであろうと感激に堪えません」
  "Obosi sutu maziki wo tanomi nite, namege naru sugata wo, susumi goranze rare haberu nari. Notinoyo no tamesi ni ya to, kokorosebaku sinobi omohi tamahuru."
2.1.4  など聞こえたまふ。宮、
 などと申し上げなさる。中宮、
 と源氏は申し上げていた。
  nado kikoye tamahu. Miya,
2.1.5  「 いかなるべきこととも思うたまへ分きはべらざりつるを、かうことことしうとりなさせたまふになむ、なかなか心おかれぬべく」
 「どのようなこととも判断せず致したことを、このように大層におっしゃって戴きますと、かえって気が引けてしまいます」
 「経験の少ない私が何もわからずにいたしておりますことに、そんな御挨拶あいさつをしてくださいましてはかえって困ります」
  "Ikanaru beki koto to mo omou tamahe waki habera zari turu wo, kau kotokotosiu torinasa se tamahu ni nam, nakanaka kokoro oka re nu beku."
2.1.6  と、 のたまひ消つほどの御けはひ、いと若く愛敬づきたるに、大臣も、思すさまにをかしき御けはひどもの、さし集ひたまへるを、あはひめでたく思さる。 母君の、かかる折だにえ見たてまつらぬを、いみじと思へりしも心苦しうて、 参う上らせやせましと思せど、人のもの言ひをつつみて、過ぐしたまひつ。
 と、否定しておっしゃる御様子、とても若々しく愛嬌があるので、大臣も、理想通りに立派なご様子の婦人方が、集まっていらっしゃるのを、お互いの間柄も素晴らしいとお思いになる。母君が、このような機会でさえお目にかかれないのを、たいそう辛い事と思っているのも気の毒なので、参列させようかしらと、お考えになるが、世間の悪口を慮って、見送った。
 と御謙遜けんそんして仰せられる中宮の御様子は若々しくて愛嬌あいきょうに富んでおいでになるのを見て、この美しい人たちは皆自身の一家族であるという幸福を源氏は感じた。明石あかしかげにいてこの晴れの式も見ることのできないことを悲しむふうであったのを哀れに思って、こちらへ呼ぼうかとも源氏は思ったのであるが、やはり外聞をはばかって実行はしなかった。
  to, notamahi ketu hodo no ohom-kehahi, ito wakaku aigyauduki taru ni, Otodo mo, obosu sama ni wokasiki ohom-kehahi-domo no, sasi-tudohi tamahe ru wo, ahahi medetaku obosa ru. HahaGimi no, kakaru wori dani e mi tatematura nu wo, imizi to omohe ri simo kokorogurusiu te, maunobora se ya se masi to obose do, hito no monoihi wo tutumi te, sugusi tamahi tu.
2.1.7   かかる所の儀式は、よろしきにだに、いとこと多くうるさきを、片端ばかり、例のしどけなくまねばむもなかなかにやとて、こまかに書かず。
 このような邸での儀式は、まあまあのものでさえ、とても煩雑で面倒なのだが、一部分だけでも、例によってまとまりなくお伝えするのも、かえってどうかと思い、詳細には書かない。
 こうした式についての記事は名文で書かれていてもうるさいものであるのを、自分などがだらしなく書いていっては、かえってきれいなりっぱなことをこわしてしまう結果になるのを恐れて、細かにはしるさない。
  Kakaru tokoro no gisiki ha, yorosiki ni dani, ito koto ohoku urusaki wo, katahasi bakari, rei no sidokenaku maneba m mo nakanaka ni ya tote, komaka ni kaka zu.
注釈100かくて西の御殿に六条院の秋の町の寝殿。2.1.1
注釈101戌の時に渡りたまふ午後七時から九時までの頃。主語は明石姫君。2.1.1
注釈102やがてこなたに参れり御髪上の内侍たちが中宮に従って六条院西の御殿に参上していた、の意。2.1.1
注釈103上もこのついでに中宮に御対面あり「上」は紫の上をいう。明石姫君の養母という立場。「このついで」とはその姫君の御裳着の儀式の折の意。初対面。2.1.1
注釈104子の時に御裳たてまつる中宮が腰結役を務める。2.1.2
注釈105思し捨つまじきを頼みにて以下「忍びたまふる」まで、源氏の詞。「思し捨つ」の主語は中宮、目的語は明石姫君。2.1.3
注釈106なめげなる姿を娘の童女姿を親として失礼な姿と謙っていう。2.1.3
注釈107後の世のためしにやと『集成』は「中宮の行啓を仰いで、腰結役をお願いするのは、前例がない名誉という」と注す。2.1.3
注釈108いかなるべきこととも思うたまへ分きはべらざりつるを以下「心おかれぬべく」まで、中宮の返事。2.1.5
注釈109のたまひ消つほどの御けはひ『集成』は「何でもないことのようにおっしゃるご様子が」。『完訳』は「こともなげに仰せになる」と解す。2.1.6
注釈110母君のかかる折だにえ見たてまつらぬを明石御方が娘の姫君を裳着の儀式に。2.1.6
注釈111参う上らせやせまし源氏の心。儀式に参列させようかしら、の意。2.1.6
注釈112かかる所の儀式は以下「こまかに書かず」まで、語り手の省筆の弁。『評釈』は「作者の言葉。「書く」という言葉を用いるのは珍しい。普通は「語る」「言ふ」である。この所は私の物語音読論の立場からすると困る例と見られようが、これは我々に語ってくれる女房に資料を提供してくれる女房がいて、それが現実に前の「御方々の女房、おし合せたる、数しらず見えたり」の中にいて、後々の例になるようにと思ってこの儀式のことを書き記した。それにこのように「こまかに書かず」という断わり書があった。それを物語り手が我々にそのまま語ってくれると解したい」と注す。『集成』は「物語筆記者が省筆をことわる草子地」と注す。2.1.7
2.2
第二段 明石の姫君の入内準備


2-2  Genji prepares that he marries Akashi-Hime to Togu

2.2.1   春宮の御元服は、二十余日のほどになむありける。いと大人しくおはしませば、人の女ども競ひ参らすべきことを、 心ざし思すなれど、この殿の思しきざすさまの、いとことなれば、なかなかにてや交じらはむと、 左の大臣なども思しとどまるなるを聞こしめして、
 春宮の御元服は、二十日過ぎの頃に行われたのであった。たいそう大人でおいであそばすので、人々が娘たちを競争して入内させることを、希望していらっしゃるというが、この殿がご希望していらっしゃる様子が、まことに格別なので、かえって中途半端な宮仕えはしないほうがましだと、左大臣なども、お思い留まりになっているということをお耳になさって、
 東宮の御元服は二十幾日にあった。もうりっぱな大人のようでいらせられたから、だれも令嬢たちを後宮へ入れたい志望を持ったが、源氏がある自信を持って、姫君を東宮へ奉ろうとしているのを知っては、強大な競争者のあるこの宮仕えはかえって娘を不幸にすることではなかろうかと、左大臣、左大将などもまた躊躇ちゅうちょしていることを源氏は聞いて、
  Touguu no ohom-genpuku ha, nizihu-yo-hi no hodo ni nam ari keru. Ito otonasiku ohasimase ba, hito no musume-domo kihohi mawirasu beki koto wo, kokorozasi obosu nare do, kono Tono no obosi kizasu sama no, ito koto nare ba, nakanaka nite ya maziraha m to, Hidari-no-Otodo nado mo, obosi todomaru naru wo kikosimesi te,
2.2.2  「 いとたいだいしきことなり宮仕への筋は、あまたあるなかに、すこしのけぢめを挑まむこそ本意ならめ。そこらの警策の姫君たち、引き籠められなば、世に映えあらじ」
 「じつにもってのほかのことだ。宮仕えの趣旨は、大勢いる中で、僅かの優劣の差を競うのが本当だろう。たくさんの優れた姫君たちが、家に引き籠められたならば、何ともおもしろくないだろう」
 「それではおかみへ済まないことになる。宮仕えは多数のうちで、ただ少しの御愛寵あいちょうの差を競うのに意義があるのだ。貴族がたのりっぱな姫君がお出にならないではこちらも張り合いのないことになる」
  "Ito taidaisiki koto nari. Miyadukahe no sudi ha, amata aru naka ni, sukosi no kedime wo idoma m koso hoi nara me. Sokora no kyauzaku no HimeGimi tati, hiki-kome rare na ba, yo ni haye ara zi."
2.2.3  とのたまひて、 御参り延びぬ。次々にもとしづめたまひけるを、かかるよし所々に聞きたまひて、 左大臣殿の三の君参りたまひぬ。麗景殿と聞こゆ
 とおっしゃって、御入内が延期になった。その次々にもと差し控えていらっしゃったが、このようなことをあちこちでお聞きになって、左大臣の三の君がご入内なさった。麗景殿女御と申し上げる。
 と言って、姫君の宮仕えの時期を延ばした。たとえ娘を出すにしてもあとのことにしようとしていた人たちはそれを聞いて、最初に左大臣が三女を東宮へ入れた。麗景殿れいげいでんと呼ばれることになった。
  to notamahi te, ohom-mawiri nobi nu. Tugitugi ni mo to sidume tamahi keru wo, kakaru yosi tokorodokoro ni kiki tamahi te, Sa-Daizin-dono no Sam-no-Kimi mawiri tamahi nu. Reikeiden to kikoyu.
2.2.4   この御方は、昔の御宿直所、淑景舎を改めしつらひて、御参り延びぬるを、 宮にも心もとながらせたまへば四月にと定めさせたまふ。御調度どもも、もとあるよりもととのへて、御みづからも、ものの下形、絵様などをも御覧じ入れつつ、すぐれたる道々の上手どもを召し集めて、こまかに磨きととのへさせたまふ。
 こちらの御方は、昔の御宿直所の、淑景舎を改装して、ご入内が延期になったのを、春宮におかれても待ち遠しくお思いあそばすので、四月にとお決めあそばす。ご調度類も、もとからあったのを整えて、御自身でも、道具類の雛形や図案などを御覧になりながら、優れた諸道の専門家たちを呼び集めて、こまかに磨きお作らせになる。
 源氏のほうは昔の宿直所とのいどころ桐壺きりつぼの室内装飾などを直させることなどで時日が延びているのを、東宮は待ち遠しく思召す御様子であったから、四月に参ることに定めた。姫君の手道具類なども、もとからあるのにまた新しく作り添えて、源氏自身が型を考えたり、図案をこしらえたりしては専門家の名人を集めて、美術的な製作を命じていた。
  Kono ohom-Kata ha, mukasi no ohom-tonowidokoro, Sigeisa wo aratame siturahi te, ohom-mawiri nobi nuru wo, Miya ni mo kokoro motonagara se tamahe ba, Uduki ni to sadame sase tamahu. Ohom-teudo-domo mo, moto aru yori mo totonohe te, ohom-midukara mo, mono no sitakata, we-yau nado wo mo goranzi ire tutu, sugure taru mitimiti no zyauzu-domo wo mesi atume te, komaka ni migaki totonohe sase tamahu.
2.2.5  草子の筥に入るべき草子どもの、やがて本にもしたまふべきを選らせたまふ。いにしへの上なき際の御手どもの、世に名を残したまへるたぐひのも、いと多くさぶらふ。
 冊子の箱に入れるべき冊子類を、そのまま手本になさることのできるのを選ばせなさる。昔のこの上もない名筆家たちが、後世にお残しになった筆跡類も、たいそうたくさんある。
 草紙の箱というような物に入れる草紙で、いずれは製本もさせて書物になるようなものを源氏は選んでいた。故人で、書道のほうの大家と言われている人たちの書いた物も源氏のところにはたくさんあった。
  Sausi no hako ni iru beki sausi-domo no, yagate hon ni mo si tamahu beki wo era se tamahu. Inisihe no kami naki kiha no ohom-te-domo no, yo ni na wo nokosi tamahe ru taguhi no mo, ito ohoku saburahu.
注釈113春宮の御元服は二十余日のほどになむありける東宮の御元服も同じ二月の二十日過ぎに行われた。「けり」過去の助動詞。儀式の終わった後から語るという語り口。2.2.1
注釈114心ざし思すなれど「なれ」伝聞推定の助動詞。2.2.1
注釈115左の大臣なども系図不詳の人。「行幸」「真木柱」に登場。2.2.1
注釈116思しとどまるなるを「なる」伝聞推定の助動詞。2.2.1
注釈117いとたいだいしきことなり以下「世に映えあらじ」まで、源氏の詞。2.2.2
注釈118宮仕への筋はあまたあるなかにすこしのけぢめを挑まむこそ本意ならめ宮仕えというものは大勢の妃方の中でわずかの優劣を競うのが本当だという考え。作者紫式部の後宮に対する考え方である。2.2.2
注釈119御参り延びぬ『集成』は「ほかの人々に譲る気持。余裕のある態度」と注す。2.2.3
注釈120左大臣殿の三の君参りたまひぬ。麗景殿と聞こゆ「真木柱」巻の冷泉帝の後宮に「中宮、弘徽殿の女御、この宮の女御、左の大殿の女御などさぶらひたまふ」(第四章一段)とあるから、冷泉帝の左大臣の女御の妹三の君であろう。麗景殿女御。後の「宿木」巻に藤壷女御と呼称される。『集成』は「元服の副臥(春宮、皇子などの元服の夜、選ばれて添い寝する姫)である。権勢のある公卿の娘が選ばれ、皇妃の中では重い地位を占める」と注す。なお花散里が三の君でその姉が桐壺帝の麗景殿女御とあったという設定同じである。2.2.3
注釈121この御方は昔の御宿直所淑景舎を改めしつらひて明石の姫君は源氏の昔の宿直所、淑景舎を修繕して局とする。東宮は梨壷にいるので、桐壺はその北隣の殿舎である。2.2.4
注釈122宮にも心もとながらせたまへば春宮も明石姫君の入内を待ち遠しく思っている。2.2.4
注釈123四月にと定めさせたまふ「させ」「たまふ」(最高敬語)、主語は春宮。明石姫君の入内を四月にと春宮が御決定あそばすという意。2.2.4
校訂10 左大臣殿の 左大臣殿の--*左大臣殿 2.2.3
校訂11 聞こゆ 聞こゆ--*きこゆる 2.2.3
2.3
第三段 源氏の仮名論議


2-3  Genji criticizes a late kana

2.3.1  「 よろづのこと、昔には劣りざまに、浅くなりゆく世の末なれど、仮名のみなむ、今の世はいと際なくなりたる。 古き跡は、定まれるやうにはあれど、広き心ゆたかならず、一筋に通ひてなむありける
 「すべての事が、昔に比べて劣って、浅くなって行く末世だが、仮名だけは、現代は際限もなく発達したものだ。昔の字は、筆跡が定まっているようではあるが、ゆったりした感じがあまりなくて、一様に似通った書法であった。
 「すべてのことは昔より悪くなっていく末世ではあっても、仮名の字だけは、どこまでおもしろくなっていくかと思われるほど、近ごろのほうがよくなった。昔の仮名は正確ではあるが、融通がきかないで、変化の妙がなく単調だ。
  "Yorodu no koto, mukasi ni ha otorizama ni, asaku nari yuku yo no suwe nare do, kamna nomi nam, ima no yo ha ito kiha naku nari taru. Huruki ato ha, sadamare ru yau ni ha are do, hiroki kokoro yutaka nara zu, hitosudi ni kayohi te nam ari keru.
2.3.2  妙にをかしきことは、 外よりてこそ書き出づる人びとありけれど、 女手を心に入れて習ひし盛りに、こともなき手本多く集へたりしなかに、 中宮の母御息所の、心にも入れず走り書いたまへりし一行ばかり、わざとならぬを得て、際ことにおぼえしはや。
 見事で上手なものは、近頃になって書ける人が出て来たが、平仮名を熱心に習っていた最中に、特に難点のない手本を数多く集めていた中で、中宮の母御息所が何気なくさらさらとお書きになった一行ほどの、無造作な筆跡を手に入れて、格段に優れていると感じたものです。
 巧妙な仮名を書く人は近代になってふえたが、私も仮名を習うのに熱心だったころ、無難な仮名字を手本にいろいろ集めたものだが、中宮の母君の御息所みやすどころが何ともなしに書かれた一行か二行の字が手にはいって、最上の仮名字はこれだと心酔してしまったものです。
  Tahe ni wokasiki koto ha, to yori te koso kaki iduru hitobito ari kere do, womnade wo kokoro ni ire te narahi si sakari ni, koto mo naki tehon ohoku tudohe tari si naka ni, Tyuuguu no haha-Miyasumdokoro no, kokoro ni mo ire zu hasiri kai tamahe ri si hitokudari bakari, wazato nara nu wo e te, kiha koto ni oboye si haya!
2.3.3   さて、あるまじき御名も立てきこえしぞかし。悔しきことに思ひしみたまへりしかど、 さしもあらざりけり。宮にかく後見仕うまつることを、心深うおはせしかば、亡き御影にも見直したまふらむ。
 そういうことで、とんでもない浮名までもお流し申してしまったことよ。残念なことと思い込んでいらっしゃったが、それほど薄情ではなかったのだ。中宮にこのように御後見申し上げていることを、思慮深くいらっしゃったので、亡くなった後にも見直して下さることだろう。
 それがもとになって浮き名を立てることになり、私との関係をにがい経験だったように思って、くやしがったままでくなられたが、必ずしもそうではなかったのだ。今は中宮をおたすけしていることで、聡明そうめいな人だったから、あの世ででも私の誠意を認めておいでになることだろう。
  Sate, aru maziki ohom-na mo tate kikoye si zo kasi. Kuyasiki koto ni omohisimi tamahe ri sika do, sasimo ara zari keri. Miya ni kaku usiromi tukaumaturu koto wo, kokorohukau ohase sika ba, naki ohom-kage ni mo minahosi tamahu ram.
2.3.4   宮の御手は、こまかにをかしげなれど、かどや後れたらむ」
 中宮の御筆跡は、こまやかで趣はあるが、才気は少ないようだ」
 中宮のお字はきれいなようだけれど才気が少ない」
  Miya no ohom-te ha, komaka ni wokasige nare do, kado ya okure tara m."
2.3.5  と、うちささめきて聞こえたまふ。
 と、ひそひそと申し上げなさる。
 と源氏は夫人にささやいていた。
  to, uti-sasameki te kikoye tamahu.
2.3.6  「 故入道宮の御手は、いとけしき深うなまめきたる筋はありしかど、弱きところありて、にほひぞすくなかりし。
 「故入道宮の御筆跡は、たいそう深味もあり優美な手の筋はおありだったが、なよなよした点があって、はなやかさが少なかった。
 「入道の中宮様は最上の貴婦人らしい品のある字をお書きになったが、弱い所があって、はなやかな気分はない。
  "Ko-Nihudau-no-Miya no ohom-te ha, ito kesiki hukau namameki taru sudi ha ari sika do, yowaki tokoro ari te, nihohi zo sukunakari si.
2.3.7   院の尚侍こそ、今の世の上手におはすれど、あまりそぼれて癖ぞ添ひためる。さはありとも、 かの君と、前斎院と、ここにとこそは、書きたまはめ
 朱雀院の尚侍は、当代の名人でいらっしゃるが、あまりにしゃれすぎて欠点があるよだ。そうは言っても、あの尚侍君と、前斎院と、あなたは、上手な方だと思う」
院の尚侍ないしのかみは現代の最もすぐれた書き手だが、奔放すぎて癖が出てくる。しかし、ともかくも院の尚侍と前斎院と、あなたをこの草紙の書き手に擬していますよ」
  Win no Kam-no-Kimi koso, ima no yo no zyauzu ni ohasure do, amari sobore te kuse zo sohi ta' meru. Saha ari tomo, kano Kimi to, saki-no-Saiwin to, koko ni to koso ha, kaki tamaha me."
2.3.8  と、聴しきこえたまへば、
 と、お認め申し上げなさるので、
 源氏から認められたことで、夫人は、
  to, yurusi kikoye tamahe ba,
2.3.9  「 この数には、まばゆくや
 「この方々に仲間入りするのは、恥ずかしいですわ」
 「そんな方たちといっしょになすっては恥ずかしくてなりませんよ」
  "Kono kazu ni ha, mabayuku ya!"
2.3.10  と聞こえたまへば、
 と申し上げなさると、
 と言っていた。
  to kikoye tamahe ba,
2.3.11  「 いたうな過ぐしたまひそ。にこやかなる方のなつかしさは、ことなるものを。 真名のすすみたるほどに、仮名はしどけなき文字こそ混じるめれ
 「ひどく謙遜なさってはいけません。柔和という点の好ましさは、格別なものですよ。漢字が上手になってくると、仮名は整わない文字が交るようですがね」
 「謙遜けんそんをしすぎますよ。柔らかな調子のとてもいい所がある。漢字は上手じょうずに書けますが、仮名には時々力の抜けた字の混じる欠点はありますね」
  "Itau na sugusi tamahi so. Nikoyaka naru kata no natukasisa ha, koto naru mono wo! Mana no susumi taru hodo ni, kamna ha sidokenaki mozi koso maziru mere."
2.3.12  とて、まだ書かぬ草子ども作り加へて、表紙、紐などいみじうせさせたまふ。
 とおっしゃって、まだ書写してない冊子類を作り加えて、表紙や、紐など、たいへん立派にお作らせになる。
  などとも源氏は言っていて、書かない無地の草紙もまた何帳か新しくじさせた。表紙やひもなどを細かく精選したことは言うまでもない。
  tote, mada kaka nu sausi-domo tukuri kuhahe te, heusi, himo nado imiziu se sase tamahu.
2.3.13  「 兵部卿宮、左衛門督などにものせむ 。みづから一具は書くべし。けしきばみいますがりとも、え書き並べじや」
 「兵部卿宮、左衛門督などに書いてもらおう。わたし自身も二帖は書こう。いくら自信がおありでも、並ばないことはあるまい」
 「兵部卿ひょうぶきょうの宮とか左衛門督さえもんのかみとかにもお頼みしよう。私も一冊書く。気どっておられても私といっしょに書くことは晴れがましいだろう」
  "Hyaubukyau-no-Miya, Sawemon-no-Kami nado ni monose m. Midukara hitoyorohi ha kaku besi. Kesikibami imasugari tomo, e kaki narabe zi ya."
2.3.14  と、われぼめをしたまふ。
 と、自賛なさる。
 と源氏は自讃じさんしていた。
  to, warebome wo si tamahu.
注釈124よろづのこと以下「かどや後れたらむ」まで、源氏の詞。当代の女性の仮名論。尚古思想。仮名だけは現代の方が優れているという。2.3.1
注釈125古き跡は定まれるやうにはあれど広き心ゆたかならず一筋に通ひてなむありける昔の書は一定の書法があるが、窮屈で一様で、個性的な豊さがないと批判。2.3.1
注釈126外よりてこそ『集成』は「近頃になってから」、『完訳』は「後の時代になってはじめて」の意に解す。文字は「外によりて」と当てる。2.3.2
注釈127女手『集成』は「「女手」は、一般に「男手」(漢字)に対する語で、女の書く文字、すなわち平仮名のこととされるが、後文によると、仮名の一体とすべきもののようである」と注す。2.3.2
注釈128中宮の母御息所の六条御息所の筆跡について、「際ことにおぼえしはや」と感想を述べる。2.3.2
注釈129さてあるまじき御名も立てきこえしぞかし源氏は、御息所の筆跡の見事さに引かれて恋するようになったと、紫の上を前にしていう。2.3.3
注釈130さしもあらざりけり源氏の自己弁護。それほど冷淡ではなかったのだ、という。2.3.3
注釈131宮の御手は秋好中宮の筆跡について、「こまかにをかしげなれど、才や遅れたらむ」と批評。2.3.4
注釈132故入道宮の御手は以下「ここにとこそは書きたまはめ」まで、源氏の詞。藤壷の筆跡について、「いと気色深くなまめいたる筋はありしかど弱き所つきてにほひぞ少なかりし」と批評。2.3.6
注釈133院の尚侍こそ朧月夜の筆跡について、「今の世の上手にはおはすれど、あまりそぼれて癖ぞ添ひためる」と批評。2.3.7
注釈134かの君と、前斎院と、ここにとこそは、書きたまはめ朧月夜君と朝顔姫君と紫の上は上手に書く人だ、の意。2.3.7
注釈135この数にはまばゆくや紫の上の謙遜の詞。2.3.9
注釈136いたうな過ぐしたまひそ以下「しどけなき文字こそ混じるめれ」まで、源氏の詞。紫の上の筆跡について、「にこやかなるかたの御なつかしさはことなるものを」と批評。2.3.11
注釈137真名のすすみたるほどに、仮名はしどけなき文字こそ混じるめれ漢字と仮名文字を用いる男性への一般論。「ほどに」を、『集成』は「すればするだけ」の意に、『完訳』は「するわりには」の意に解す。2.3.11
注釈138兵部卿宮左衛門督などにものせむ以下「え書き並べじや」まで、源氏の詞。「兵部卿宮」は蛍宮、「左衛門督」はここだけに登場する系図不明の人。2.3.13
校訂12 兵部卿宮 兵部卿宮--兵部卿の宮の(の/$) 2.3.13
2.4
第四段 草子執筆の依頼


2-4  Genji requests young men to copy by all sorts of wrighting

2.4.1  墨、筆、並びなく選り出でて、例の所々に、ただならぬ御消息あれば、人びと、難きことに思して、返さひ申したまふもあれば、まめやかに聞こえたまふ。高麗の紙の薄様だちたるが、せめてなまめかしきを、
 墨、筆、最上の物を選び出して、いつもの方々に、特別のご依頼のお手紙があると、方々は、難しいこととお思いになって、ご辞退申し上げなさる方もあるので、懇ろにご依頼申し上げなさる。高麗の紙の薄様風なのが、はなはだ優美なのを、
 墨も筆も選んだのを添えて、いつもそうした交渉のある所々へ執筆を源氏は頼んだのであったが、だれもこの委嘱に応じるのを困難なことに思って、その中には辞退してくる人もあったが、そんな時に源氏は再三懇切な言葉で執筆を望んだ。朝鮮紙の薄様うすよう風な非常にえんな感じのする紙のじられた帳を源氏は見て、
  Sumi, hude, narabi naku eriide te, rei no tokorodokoro ni, tada nara nu ohom-seusoko are ba, hitobito, kataki koto ni obosi te, kahesahi mausi tamahu mo are ba, mameyaka ni kikoye tamahu. Koma no kami no usuyaudati taru ga, semete namamekasiki wo,
2.4.2  「 この、もの好みする若き人びと、試みむ
 「あの、風流好みの若い人たちを、試してみよう」
 「風流好きな青年たちにこれを書かせてみよう」
  "Kono, mono-gonomi suru wakaki hitobito, kokoromi m."
2.4.3  とて、宰相中将、式部卿宮の兵衛督、内の大殿の頭中将などに、
 とおっしゃって、宰相中将、式部卿宮の兵衛督、内の大殿の頭中将などに、
 と言った。宰相中将、式部卿しきぶきょうの宮の兵衛督ひょうえのかみ、内大臣家のとうの中将などに、
  tote, Saisyau-no-Tyuuzyau, Sikibukyau-no-Miya no Hyauwe-no-Kami, Uti-no-Ohoidono no Tou-no-Tyuuzyau nado ni,
2.4.4  「 葦手、歌絵を、思ひ思ひに書け
 「葦手、歌絵を、各自思い通りに書きなさい」
 蘆手あしでとか、歌絵とか、何でも思い思いに書くように
  "Aside, utawe wo, omohi omohi ni kake."
2.4.5  とのたまへば、皆心々に挑むべかめり。
 とおっしゃると、皆それぞれ工夫して競争しているようである。
 と源氏は言ったのであった。若い人たちは競って製作にかかった。
  to notamahe ba, mina kokoro gokoro ni idomu beka' meri.
2.4.6   例の寝殿に離れおはしまして書きたまふ花ざかり過ぎて、浅緑なる空うららかなるに 、古き言どもなど思ひすましたまひて、御心のゆく限り、 草のも、ただのも、女手も、いみじう書き尽くしたまふ
 いつもの寝殿に独り離れていらっしゃってお書きになる。花盛りは過ぎて、浅緑色の空がうららかなので、いろいろ古歌などを心静かに考えなさって、ご満足のゆくまで、草仮名も、普通の仮名も、女手も、たいそう見事にこの上なくお書きになる。
  いつもこんな時にするように、源氏は寝殿のほうへ行っていて書いた。花の盛りが過ぎて淡い緑色がかった空のうららかな日に、源氏は古い詩歌を静かに選びながら、みずから満足のできるだけの字を書こうと、漢字のも仮名のも熱心に書いていた。
  Rei no sinden ni hanare ohasimasi te kaki tamahu. Hanazakari sugi te, asamidori naru sora uraraka naru ni, huruki koto-domo nado omohi-sumasi tamahi te, mi-kokoro no yuku kagiri, sau no mo, tada no mo, womnade mo, imiziu kaki tukusi tamahu.
2.4.7  御前に人しげからず、女房二、三人ばかり、墨など擦らせたまひて、ゆゑある古き集の歌など、いかにぞやなど選り出でたまふに、口惜しからぬ限りさぶらふ。
 御前に人は多くいず、女房が二、三人ほどで、墨などをお擦らせになって、由緒ある古い歌集の歌など、どんなものだろうかなどと、選び出しなさるので、相談相手になれる人だけが伺候している。
 その部屋へやには女房も多くは置かずにただ二、三人、墨をすらせたり、古い歌集の歌を命ぜられたとおりに捜し出したりするのに役にたつような者を呼んであった。
  Omahe ni hito sigekara zu, nyoubau hutari, mitari bakari, sumi nado sura se tamahi te, yuwe aru huruki sihu no uta nado, ikani zo ya nado eriide tamahu ni, kutiwosikara nu kagiri saburahu.
2.4.8  御簾上げわたして、脇息の上に草子うち置き、端近くうち乱れて、筆の尻くはへて、思ひめぐらしたまへるさま、 飽く世なくめでたし。白き赤きなど、掲焉なる枚は、筆とり直し、用意したまへるさまさへ、 見知らむ人は、げにめでぬべき御ありさまなり
 御簾を上げ渡して、脇息の上に冊子をちょっと置いて、端近くに寛いだ姿で、筆の尻をくわえて、考えめぐらしていらっしゃる様子、いつまでも見飽きない美しさである。白や赤などの、はっきりした色の紙は、筆を取り直して、注意してお書きになっていらっしゃる様子までが、情趣を解せる人は、なるほど感心せずにはいられないご様子である。
 部屋の御簾みすは皆上げて、脇息きょうそくの上に帳を置いて、縁に近い所でゆるやかな姿で、筆の柄を口にくわえて思案する源氏はどこまでも美しかった。白とか赤とかきわだったひらは、筆を取り直して特に注意して書いたりする態度なども、心のある者は敬意を払わずにいられないことであった。
  Misu age watasi te, kehusoku no uhe ni sausi uti-oki, hasi tikaku uti-midare te, hude no siri kuhahe te, omohi megurasi tamahe ru sama, aku yo naku medetasi. Siroki akaki nado, ketien naru hira ha, hude tori nahosi, youi si tamahe ru sama sahe, misira m hito ha, geni mede nu beki ohom-arisama nari.
注釈139このもの好みする若き人びと試みむ源氏の詞。2.4.2
注釈140葦手、歌絵を、思ひ思ひに書け源氏の詞。2.4.4
注釈141例の寝殿に離れおはしまして書きたまふ源氏、寝殿で草子を書く。「例の」は薫物合せの時と同様にの意。2.4.6
注釈142花ざかり過ぎて、 浅緑なる空うららかなるに「花」は桜の花。晩春の景色。2.4.6
注釈143草のもただのも女手もいみじう書き尽くしたまふ「草」は草仮名。しかし、「ただ」と「女手」の相違がはっきりしない。『集成』は「「女手」は、一般に「男手」(漢字)に対する語で、女の書く文字、すなわち平仮名のこととされるが、後文(この箇所)によると、仮名の一体とすべきもののようである」という。『完訳』は「「ただ」は普通の仮名、平仮名か。「女て」も平仮名とすると、「ただ」との違いが不明。「ただ」と「女て」を同格とみるべきか」と注す。2.4.6
注釈144飽く世なくめでたしその場を見聞した語り手の感想。『評釈』は「作者はその姿を「あく世なくめでたし」と賞賛する」という。2.4.8
注釈145見知らむ人はげにめでぬべき御ありさまなりその場を見聞した語り手の感想。『評釈』は「作者はその姿を「見しらむ人は、げにめでぬべき御有様なり」と賞賛した」という。2.4.8
校訂13 浅緑 浅緑--あさみとか(か/$り<朱>) 2.4.6
校訂14 げに げに--(/+けに) 2.4.8
2.5
第五段 兵部卿宮、草子を持参


2-5  Hyobukyo brings a copy of requested to Rokujo-in

2.5.1  「 兵部卿宮渡りたまふ」と聞こゆれば、おどろきて、御直衣たてまつり、御茵参り添へさせたまひて、やがて待ち取り、入れたてまつりたまふ。この宮もいときよげにて、御階さまよく歩み昇りたまふほど、内にも人びとのぞきて見たてまつる。うちかしこまりて、かたみにうるはしだちたまへるも、いときよらなり。
 「兵部卿宮がお越しになりました」と申し上げたので、驚いて御直衣をお召しになって、御敷物を持って来させなさって、そのまま待ち受けて、お入れ申し上げなさる。この宮もたいそう美しくて、御階を体裁よく歩いて上がっていらっしゃるところを、御簾の中からも女房たちが覗いて拝見する。丁重に挨拶して、お互いに威儀を正していらっしゃるのも、たいそう美しい。
 兵部卿の宮がおいでになったということを聞いて源氏は驚いて上に直衣のうしを着たり、座敷へさらにしとねを取り寄せたりしてお迎えした。この宮もきれいなお姿で、階段をえんに上っておいでになるのを、女房たちは御簾みすからのぞいていた。互いに正しい礼儀で御挨拶あいさつがかわされた。
  "Hyaubukyau-no-Miya watari tamahu." to kikoyure ba, odoroki te, ohom-nahosi tatematuri, ohom-sitone mawiri sohe sase tamahi te, yagate mati tori, ire tatematuri tamahu. Kono Miya mo ito kiyoge nite, mi-hasi sama yoku ayumi nobori tamahu hodo, uti ni mo hitobito nozoki te mi tatematuru. Uti-kasikomari te, katamini uruhasidati tamahe ru mo, ito kiyora nari.
2.5.2  「 つれづれに籠もりはべるも、苦しきまで思うたまへらるる 心ののどけさに、折よく渡らせたまへる」
 「することもなく邸に籠もっておりますのも、辛く存じられますこの頃ののんびりとした折に、ちょうどよくお越し下さいました」
 「引きこもっていますのが苦しいほど退屈なおりからでしたよ。よくおいでくださいました」
  "Turedure ni komori haberu mo, kurusiki made omou tamahe raruru kokoro no nodokesa ni, wori yoku watara se tamahe ru."
2.5.3  と、よろこびきこえたまふ。 かの御草子待たせて渡りたまへるなりけりやがて御覧ずればすぐれてしもあらぬ御手をただかたかどにいといたう筆澄みたるけしきありて書きなしたまへり。 歌も、ことさらめき、そばみたる古言どもを選りて、ただ三行ばかりに、 文字少なに好ましくぞ書きたまへる。大臣、御覧じ驚きぬ。
 と、歓迎申し上げなさる。あの御依頼の冊子を持たせてお越しになったのであった。その場で御覧になると、たいして上手でもないご筆跡を、ただ一本調子に、たいそう垢抜けした感じにお書きになってある。和歌も、技巧を凝らして、風変わりな古歌を選んで、わずか三行ほどに、文字を少なくして好ましく書いていらっしゃった。大臣、御覧になって驚いた。
 と源氏は言っていた。お頼まれになった書き物を宮は持っておいでになったのである。すぐこの席で源氏は拝見した。非常に巧妙な字というのではないが、一部分に澄み切った芸術味の見えるものだった。歌も常識的なものは避けて、変わったものが選ばれてあって、ただ三行ほどに字数を少なく感じよく書かれてあった。源氏は予想に越えたおできばえに驚いた。
  to, yorokobi kikoye tamahu. Kano ohom-sausi motase te watari tamahe ru nari keri. Yagate goranzure ba, sugure te simo ara nu ohom-te wo, tada katakado ni, ito itau hude sumi taru kesiki ari te kaki nasi tamahe ri. Uta mo, kotosarameki, sobami taru hurukoto-domo wo eri te, tada mikudari bakari ni, mozi sukuna ni konomasiku zo kaki tamahe ru. Otodo, goranzi odoroki nu.
2.5.4  「 かうまでは思ひたまへずこそありつれ。さらに筆投げ捨てつべしや」
 「こんなにまで上手にお書きになるとは存じませんでした。まったく筆を投げ出してしまいたいほどですね」
 「これほどにもとは思いませんでした。自分の書くことなどはいやになるほどです」
  "Kau made ha omohi tamahe zu koso ari ture. Sarani hude nage sute tu besi ya!"
2.5.5  と、ねたがりたまふ。
 と、悔しがりなさる。
 とも言っていた。
  to, netagari tamahu.
2.5.6  「 かかる御中に面なくくだす筆のほど、さりともとなむ思う たまふる
 「このような名手の中で臆面もなく書く筆跡の具合は、いくら何でもさほどまずくはないと存じます」
 「大家たちの中へ混じって書く自信だけはえらいものだと思っていますよ」
  "Kakaru ohom-naka ni omonaku kudasu hude no hodo, saritomo to nam omou tamahuru."
2.5.7  など、戯れたまふ。
 などと、冗談をおっしゃる。
 と宮は戯談じょうだんを言っておいでになる。
  nado, tahabure tamahu.
2.5.8  書きたまへる草子どもも、隠したまふべきならねば、取う出たまひて、かたみに御覧ず。
 お書きになった冊子類を、お隠しすべきものでもないので、お取り出しになって、お互いに御覧になる。
 すでにできた源氏の帳などもお隠しすべきでないから出して宮の御覧に入れた。
  Kaki tamahe ru sausi-domo mo, kakusi tamahu beki nara ne ba, toude tamahi te, katamini goranzu.
2.5.9   唐の紙の、いとすくみたるに、草書きたまへる、すぐれてめでたしと見たまふに、 高麗の紙の、肌こまかに和うなつかしきが、色などははなやかならで、なまめきたるに、おほどかなる女手の、うるはしう心とどめて書きたまへる、たとふべきかたなし。
 唐の紙で、たいそう堅い材質に、草仮名をお書きになっている、まことに結構であると、御覧になると、高麗の紙で、きめが細かで柔らかく優しい感じで、色彩などは派手でなく、優美な感じのする紙に、おっとりした女手で、整然と心を配って、お書きになっている、喩えようもない。
 支那しなの紙のじみな色をしたのへ、漢字を草書で書かれたのがすぐれて美しいと宮は見ておいでになったが、またそのあとで、朝鮮紙の地のきめの細かい柔らかな感じのする、色などは派手はででないえんなのへ、仮名文字が、しかも正しく熱の見える字で書かれてある絶妙な物をお見つけになった。
  Kara no kami no, ito sukumi taru ni, sau kaki tamahe ru, sugure te medetasi to mi tamahu ni, Koma no kami no, hada komaka ni nagou natukasiki ga, iro nado ha hanayaka nara de, namameki taru ni, ohodoka naru womnade no, uruhasiu kokoro todome te kaki tamahe ru, tatohu beki kata nasi.
2.5.10  見たまふ人の 涙さへ、水茎に流れ添ふ心地して、飽く世あるまじきに、また、ここの紙屋の色紙の、 色あひはなやかなるに、乱れたる草の歌を、筆にまかせて乱れ書きたまへる、見所限りなし。 しどろもどろに愛敬づき、見まほしければ、さらに残りどもに目も見やりたまはず。
 御覧になる方の涙までが、筆跡に沿って流れるような感じがして、見飽きることのなさそうなところへ、さらに、わが国の紙屋院の色紙の、色合いが派手なのに、乱れ書きの草仮名の和歌を、筆にまかせて散らし書きになさったのは、見るべき点が尽きないほどである。型にとらわれず自在に愛嬌があって、ずっと見ていたい気がしたので、他の物にはまったく目もおやりにならない。
 それは見る人の感動した涙も添って流れる気のする墨蹟ぼくせきで、いつまでも目をお放しになることができないのであったが、また日本製の紙屋紙かんやがみの色紙の、はなやかな色をしたのへ奔放に散らし書きをした物には無限のおもしろさがあるようにもお思われになって、乱れ書きにした端々にまで人を酔わせるような愛嬌がこもっているこのひら以外の物はもう見ようともされないのであった。
  Mi tamahu hito no namida sahe, miduguki ni nagare sohu kokoti si te, aku yo aru maziki ni, mata, koko no Kamya no sikisi no, iroahi hanayaka naru ni, midare taru sau no uta wo, hude ni makase te midare kaki tamahe ru, midokoro kagiri nasi. Sidoromodoro ni aigyauduki, mi mahosikere ba, sarani nokori-domo ni me mo miyari tamaha zu.
注釈146兵部卿宮渡りたまふ女房の詞。2.5.1
注釈147つれづれに籠もり以下「渡らせたまへる」まで、源氏の詞。歓迎の挨拶言葉。2.5.2
注釈148心ののどけさに大島本は「こゝろの」とある。『新大系』は底本のままとする。『集成』『古典セレクション』は諸本に従って「ころの」と校訂する。2.5.2
注釈149かの御草子待たせて渡りたまへるなりけり蛍宮が来訪した事情を説明した文。『細流抄』は「草子地」と指摘。「せ」(使役の助動詞)、供人に持たせての意。2.5.3
注釈150やがて御覧ずれば人々の仮名を批評する。源氏の目(批評眼)を通して語る。2.5.3
注釈151すぐれてしもあらぬ御手を蛍宮の筆跡についての批評。2.5.3
注釈152ただかたかどに『集成』は「未熟ながら才気にまかせて」の意に解し、『完訳』は「それが一つの才能だが、の意。具体的には、次の「いといたう--けしき」(じつにすっきりと、あかぬけた感じ、の意)」と注す。2.5.3
注釈153いといたう筆澄みたるけしきありて蛍宮の筆跡についての批評。2.5.3
注釈154歌も、ことさらめき、そばみたる古言どもを選りて『完訳』は「技巧をこらして、変った好みの古歌。風流人らしい撰歌である」という。2.5.3
注釈155文字少なに「文字」について『集成』は「仮名だけで書かず、漢字まじりにしたので、字数が少なくなっているのであろう」と字数の意に解し、『完訳』は「ほとんど全部仮名で」と漢字の意に解す。2.5.3
注釈156かうまでは以下「投げ捨てつべしや」まで、源氏のお世辞の詞。2.5.4
注釈157かかる御中に以下「思うたまふる」まで、蛍宮の冗談をまじえた返答。自負も窺える。2.5.6
注釈158唐の紙のいとすくみたるに草書きたまへる中国舶来の紙、ぱりっとした紙に草仮名で書いた。「いとすぐれてめでたし」と批評する。2.5.9
注釈159高麗の紙の肌こまかに和うなつかしきが色などははなやかならでなまめきたるにおほどかなる女手のうるはしう心とどめて書きたまへる高麗舶来の紙、紙質がきめこまやかで柔らかく温かい感じのする紙で、色も落ち着いた優雅な感じのする紙に女手で書いた。「たとふべきかたなし」と批評する。2.5.9
注釈160色あひはなやかなるに大島本は「色あひ」とある。『集成』『新大系』は底本のままとする。『古典セレクション』は諸本に従って「色あはひ」と校訂する。2.5.10
注釈161しどろもどろに「よしとてもよき名も立たず刈萱のいざ乱れなむしどろもどろに」(紫明抄所引、出典未詳)「まめなれどよき名も立たず刈萱のいざ乱れなむしどろもどろに」(古今六帖六、かるかや、三七八五)2.5.10
出典6 涙さへ、水茎に流れ 亡き人の書きとどめけむ水茎はうち見るよりぞ流れそめける 歌仙家集本伊勢集-三八五 2.5.10
亡き人の影だに見えぬ遣水の底は涙に流してぞ来し 後撰集哀傷-一四〇二 伊勢
出典7 しどろもどろに まめなれど良き名も立たず刈萱のいざ乱れなむしどろもどろに 古今六帖六-三七八五 2.5.10
校訂15 たまふる たまふる--たも(も/$ま)ふる 2.5.6
2.6
第六段 他の人々持参の草子


2-6  The other men bring copies of requested too

2.6.1  左衛門督は、ことことしうかしこげなる筋をのみ好みて書きたれど、筆の掟て澄まぬ心地して、いたはり加へたるけしきなり。歌なども、ことさらめきて、選り書きたり。
 左衛門督は、仰々しくえらそうな書風ばかりを好んで書いているが、筆法の垢抜けしない感じで、技巧を凝らした感じである。和歌なども、わざとらしい選び方をして書いていた。
 左衛門督さえもんのかみの字は本格的に書いてあるのであるが、俗気ぞくけが抜け切らずに、技巧が技巧として目についた。歌などもわざとらしいものが選ばれてある。
  Sawemon-no-Kami ha, kotokotosiu kasikoge naru sudi wo nomi konomi te kaki tare do, hude no okite suma nu kokoti si te, itahari kuhahe taru kesiki nari. Uta nado mo, kotosarameki te, eri kaki tari.
2.6.2   女の御は、まほにも取り出でたまはず。斎院のなどは、まして取う出たまはざりけり。葦手の草子どもぞ、心々に はかなうをかしき
 女君たちのは、そっくりお見せにならない。斎院のなどは、言うまでもなく取り出しなさらないのであった。葦手の冊子類が、それぞれに何となく趣があった。
 女の手になったほうの帳は少しよりお見せしなかった。ことに斎院のなどはまったく隠してお出ししない源氏であった。青年たちによって蘆手あしでの書かれた幾冊かの帳はとりどりにおもしろかった。
  Womna no ohom ha, maho ni mo toriide tamaha zu. Saiwin no nado ha, masite toude tamaha zari keri. Aside no sausi-domo zo, kokorogokoro ni hakanau wokasiki.
2.6.3  宰相中将のは、水の勢ひ豊に書きなし、そそけたる葦の生ひざまなど、難波の浦に通ひて、 こなたかなたいきまじりて、いたう澄みたるところあり。また、 いといかめしう、ひきかへて、文字やう、石などのたたずまひ、好み書きたまへる枚もあめり。
 宰相中将のは、水の勢いを豊富に書いて、乱れ生えている葦の様子など、難波の浦に似ていて、あちこちに入り混じって、たいそうすっきりした所がある。また、たいそう大仰に趣を変えて、字体、石などの様子、風流にお書きになった紙もあるようだ。
 源中将のは水を豊かに描いて、そそけた蘆のはえた景色けしき浪速なにわの浦が思われるのへ、そちらへあちらへ美しい歌の字が配られているような、澄んだ調子のものがあるかと思うと、また全然変わった奇岩の立った風景に相応した雄健な仮名の書かれてあるひらもあるというような蘆手であった。
  Saisyau-no-Tyuuzyau no ha, midu no ikihohi yutaka ni kaki nasi, sosoke taru asi no ohizama nado, Naniha no ura ni kayohi te, konata kanata iki maziri te, itau sumi taru tokoro ari. Mata, ito ikamesiu, hikikahe te, moziyau, isi nado no tatazumahi, konomi kaki tamahe ru hira mo a' meri.
2.6.4  「 目も及ばず。これは暇いりぬべきものかな
 「目も及ばぬ素晴らしさだ。これは手間のかかったにちがいない代物だね」
 「驚いたものですね。これは見るのに時間を要するものですね」
  "Me mo oyoba zu. Kore ha itoma iri nu beki mono kana!"
2.6.5  と、興じめでたまふ。何事ももの好みし、艶がりおはする親王にて、いといみじうめできこえたまふ。
 と、興味深くお誉めになる。どのようなことにも趣味を持って、風流がりなさる親王なので、とてもたいそうお誉め申し上げなさる。
 と宮はおもしろがっておいでになった。芸術家風の風流気に富んだ方であったから、お気にいったものはどこまでもおほめになるのである。
  to, kyouzi mede tamahu. Nanigoto mo mono-gonomi si, engari ohasuru Miko nite, ito imiziu mede kikoye tamahu.
注釈162女の御は大島本は「女の御ハ」とある。『新大系』は底本のままとする。『集成』『古典セレクション』は諸本に従って「女のは」と校訂する。2.6.2
注釈163はかなうをかしき『集成』は「整った正式の書体に対して下絵に合せて乱れ書いたものについての感じ」という。2.6.2
注釈164こなたかなた『集成』は「〔流れや葦が〕あちらこちらと」と解し、『完訳』は「葦と文字があちこち入り交じり」と解す。2.6.3
注釈165いといかめしう大島本は「いかめかしう」とある。『新大系』は底本のままとする。『集成』『古典セレクション』は諸本に従って「いまめかしう」と校訂する。2.6.3
注釈166目も及ばずこれは暇いりぬべきものかな蛍宮の讃辞。『集成』は「手間のかかりそうなものですね」の意に解し、『完訳』は「観賞に時間がかかるの意。一説に葦手書きするのに、とする」と注す。2.6.4
2.7
第七段 古万葉集と古今和歌集


2-7  Genji makes a son of Hyobukyo to bring ko-Manyoshu and Kokin-wakasyu

2.7.1  今日はまた、手のことどものたまひ暮らし、さまざまの継紙の本ども、選り出でさせたまへるついでに、御子の侍従して、宮にさぶらふ本ども取りに遣はす。
 今日はまた、書のことなどを一日中お話しになって、いろいろな継紙をした手本を、何巻かお選び出しになった機会に、御子息の侍従をして、宮邸に所蔵の手本類を取りにおやりになる。
 この日はまた書の話ばかりをしておいでになって、色紙の継いだ巻き物が幾本となく席上へ現われるのであったが、宮は子息の侍従をやしきへおやりになって、御蔵品もお取り寄せになった。
  Kehu ha mata, te no koto-domo notamahi kurasi, samazama no tugikami no hon-domo, eriide sase tamahe ru tuide ni, miko no Zizyuu site, Miya ni saburahu hon-domo tori ni tukahasu.
2.7.2  嵯峨の帝の、『 古万葉集』を選び書かせたまへる四巻、延喜の帝の、『古今和歌集』を、唐の浅縹の紙を継ぎて、同じ色の濃き紋の綺の表紙、同じき玉の軸、緞の唐組の紐など、なまめかしうて、巻ごとに御手の筋を変へつつ、いみじう書き尽くさせたまへる、大殿油短く参りて御覧ずるに、
 嵯峨の帝が、『古万葉集』を選んでお書かせあそばした四巻。延喜の帝が、『古今和歌集』を、唐の浅縹の紙を継いで、同じ色の濃い紋様の綺の表紙、同じ玉の軸、だんだら染に組んだ唐風の組紐など、優美で、巻ごとに御筆跡の書風を変えながら、あらん限りの書の美をお書き尽くしあそばしたのを、大殿油を低い台に燈して御覧になると、
 嵯峨さが帝が古万葉集からえらんでお置きになった四巻、延喜えんぎみかどが古今集を支那しな薄藍うすあい色の色紙を継いだ、同じ色の濃く模様の出た唐紙とうしの表紙、同じ色の宝石の軸の巻き物へ、巻ごとに書風を変えてお書きになったものなどがそれであった。台を短くしたを置いて二人で見ておいでになったが、
  Saga-no-Mikado no, Ko-Man'ehusihu wo erabi kaka se tamahe ru yo-maki, Engi-no-Mikado no, Kokinwakasihu wo, kara no asahanada no kami wo tugi te, onazi iro no koki mon no ki no heusi, onaziki tama no ziku, dan no karakumi no himo nado, namamekasiu te, maki goto ni ohom-te no sudi wo kahe tutu, imiziu kaki tukusa se tamahe ru, ohotonabura mizikaku mawiri te goranzuru ni,
2.7.3  「 尽きせぬものかな。このころの人は、ただかたそばをけしきばむにこそありけれ」
 「いつまで見ていても見飽きないものだ。最近の人は、ただ部分的に趣向を凝らしているだけにすぎない」
 「よくこんなにいろいろなふうにお書きになれたものですね。近ごろの人はほんのこの一部分の仕事をするのに骨を折っているという形ですね」
  "Tuki se nu mono kana! Konokoro no hito ha, tada katasoba wo kesikibamu ni koso ari kere!"
2.7.4  など、めでたまふ。やがてこれはとどめたてまつりたまふ。
 などと、お誉めになる。そのままこれらはこちらに献上なさる。
 などと源氏はおほめしていた。この二種の物は宮から源氏へ御寄贈になった。
  nado, mede tamahu. Yagate kore ha todome tatematuri tamahu.
2.7.5  「 女子などを持てはべらましにだに、をさをさ見はやすまじきには伝ふまじきを、まして、朽ちぬべきを」
 「女の子などを持っていましたにしても、たいして見る目を持たない者には、伝えたくないのですが、まして、埋もれてしまいますから」
 「女の子を持っていたとしましても、たいしてこうした物の価値のわからないような子には残してやりたくない気のする物ですからね。それに私には娘もありませんから、お手もとへ置いていただいたほうがよい」
  "Womnago nado wo mote habera masi ni dani, wosawosa mi hayasu maziki ni ha tutahu maziki wo, masite, kuti nu beki wo."
2.7.6  など聞こえてたてまつれたまふ。侍従に、唐の本などのいとわざとがましき、沈の筥に入れて、いみじき高麗笛添へて、奉れたまふ。
 などと申し上げて差し上げなさる。侍従に、唐の手本などの特に念入りに書いてあるのを、沈の箱に入れて、立派な高麗笛を添えて、差し上げなさる。
 などと宮はお言いになったのである。源氏は侍従へ唐本のりっぱなのをじんの木の箱に入れたものへ高麗こま笛を添えて贈った。
  nado kikoye te tatemature tamahu. Zizyuu ni, Kara no hon nado no ito wazatogamasiki, din no hako ni ire te, imiziki Komabue sohe te, tatemature tamahu.
2.7.7   またこのころは、ただ仮名の定めをしたまひて、世の中に手書くとおぼえたる、上中下の人びとにも、さるべきものども思しはからひて、 尋ねつつ書かせたまふ。この御筥には、立ち下れるをば混ぜたまはず、わざと、人のほど、品分かせたまひつつ、草子、巻物、皆書かせたてまつりたまふ。
 またこの頃は、ひたすら仮名の論評をなさって、世間で能書家だと聞こえた、上中下の人々にも、ふさわしい内容のものを見計らって、探し出してお書かせになる。この御箱には、身分の低い者のはお入れにならず、特別に、その人の家柄や、地位を区別なさりなさり、冊子、巻物、すべてお書かせ申し上げなさる。
 近ごろの源氏は書道といってもことに仮名の字を鑑賞することに熱中して、よい字を書くと言われる人は上中下の階級にわたってそれぞれの物を選んで書を頼んでいた。源氏の書いた帳のはいる箱には、高い階級に属した人たちの手になった書だけを、帳も巻き物も珍しい装幀そうていを加えて納めることにしていた。
  Mata konokoro ha, tada kamna no sadame wo sitamahi te, yononaka ni te kaku to oboye taru, kami naka simo no hitobito ni mo, sarubeki mono-domo obosi hakarahi te, tadune tutu kaka se tamahu. Kono ohom-hako ni ha, tati-kudare ru wo ba maze tamaha zu, wazato, hito no hodo, sina wakase tamahi tutu, sausi, makimono, mina kaka se tatematuri tamahu.
2.7.8  よろづにめづらかなる御宝物ども、人の朝廷までありがたげなる中に、この本どもなむ、ゆかしと心動きたまふ若人、世に多かりける。御絵どもととのへさせたまふ中に、 かの『須磨の日記』は、末にも伝へ知らせむと思せど、「今すこし世をも思し知りなむに」と思し返して、まだ取り出でたまはず。
 何もかも珍しい御宝物類、外国の朝廷でさえめったにないような物の中で、この何冊かの本を見たいと心を動かしなさる若い人たちが、世間に多いことであった。御絵画類をご準備なさる中で、あの『須磨の日記』は、子孫代々に伝えたいとお思いになるが、「もう少し世間がお分りになったら」とお思い返しなさって、まだお取り出しなさらない。
 他の国の宮廷にもないと思われる華奢かしゃを尽くした姫君の他の調度品よりも、この墨蹟ぼくせきの箱を若い人たちはうかがいたく思った。源氏は絵なども整理して姫君に与えるのであったが、須磨すまで日記のようにして書いた絵巻は姫君へ伝えたいとは思っていたが、もう少し複雑な人生がわかるまではそれをしないほうがよいという見解をもってその中へは加えなかった。
  Yorodu ni meduraka naru ohom-takaramono-domo, hito no mikado made arigatage naru naka ni, kono hon-domo nam, yukasi to kokoro ugoki tamahu wakaudo, yo ni ohokari keru. Ohom-we-domo totonohe sase tamahu naka ni, kano 'Suma no niki' ha, suwe ni mo tutahe sira se m to obose do, "Ima sukosi yo wo mo obosi siri na m ni." to obosi kahesi te, mada toriide tamaha zu.
注釈167古万葉集『万葉集』をさす。『万葉集』の古称。2.7.2
注釈168尽きせぬものかな以下「こそありけれ」まで、源氏の詞。2.7.3
注釈169女子などを持てはべらましにだにをさをさ見はやすまじきには伝ふまじきをまして朽ちぬべき蛍宮の詞。「まし」(推量の助動詞、反実仮想)、「だに」は打消や反語の表現を伴って、述語の表す動作・状態に対して、例外的、逆接的な事物、事態であることを示す。〜でさえ、〜さえもの意。女の子を仮にもっていましたにしても、その時でさえも、見る目を持たない者には、伝えないでしょうが、まして、女の子がいないのだから、このまま持っているのは、埋もれさせてしまうことだから、の意。2.7.5
注釈170またこのころはただ仮名の定めをしたまひて源氏、姫君のための書画類を調える。2.7.7
注釈171尋ねつつ書かせたまふ大島本は「尋つゝ」とある。『新大系』は底本のままとする。『集成』『古典セレクション』は諸本に従って「尋ねて」と校訂する。2.7.7
注釈172かの須磨の日記は末にも伝へ知らせむと思せど今すこし世をも思し知りなむにと思し返して源氏の心中を叙述。2.7.8
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渋谷栄一校訂(C)
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渋谷栄一注釈
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渋谷栄一訳(C)(ver.1-2-2)
現代語訳
与謝野晶子
電子化
上田英代(古典総合研究所)
底本
角川文庫 全訳源氏物語
校正・
ルビ復活
鈴木厚司(青空文庫)

2003年9月3日

渋谷栄一訳
との突合せ
若林貴幸、宮脇文経

2008年3月22日

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by Eiichi Shibuya (C)
Picture "Eiri Genji Monogatari"(1650 1st edition)
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