第三十三帖 藤裏葉


33 HUDI-NO-URABA (Ooshima-bon)


光る源氏の太政大臣時代
三十九歳三月から十月までの物語



Tale of Hikaru-Genji's Daijo-Daijin era, from March to October at the age of 39

3
第三章 光る源氏の物語 准太上天皇となる


3  Tale of Hikaru-Genji  Genji is given a equal status of abdicated from Mikado

3.1
第一段 源氏、秋に准太上天皇の待遇を得る


3-1  Genji is given a equal status of abdicated from Mikado in the fall

3.1.1  大臣も、「 長からずのみ思さるる御世のこなたに」と、思しつる 御参りの、かひあるさまに見たてまつりなしたまひて、心からなれど、世に浮きたるやうにて、見苦しかりつる宰相の君も、思ひなくめやすきさまにしづまりたまひぬれば、御心おちゐ果てたまひて、「 今は本意も遂げなむ」と、思しなる。
 大臣も、「いつまでも生きていられないと思わずにはいられない存命中に」と、お思いであったご入内を、立派な地位にお付け申し上げなさって、本人が求めてのことであるが、身の上が落ち着かず、体裁の悪かった宰相の君も、心配もなく安心した結婚生活に落ち着きなさったので、すっかりご安心なさって、「今は出家の本意を遂げよう」と、お思いになる。
 源氏も、もう長くもいられないように思う自身の生きている間に、姫君を東宮へ奉りたいと思っていたことが、予期以上に都合よく実現されたし、それは彼自身に考えのあってのことではあるが、配偶者のない、たよりない男と見えた宰相中将も結婚して幸福になったことに安心して、もう出家をしてもよい時が来たと思われるのであった。
  Otodo mo, "Nagakara zu nomi obosa ruru miyo no konata ni." to, obosi turu ohom-mawiri no, kahi aru sama ni mi tatematuri nasi tamahi te, kokorokara nare do, yo ni uki taru yau nite, migurusikari turu Saisyau-no-Kimi mo, omohi naku meyasuki sama ni sidumari tamahi nure ba, mi-kokoro oti wi hate tamahi te, "Ima ha hoi mo toge na m." to, obosi naru.
3.1.2  対の上の御ありさまの、見捨てがたきにも、「 中宮おはしませば、おろかならぬ御心寄せなり。この御方にも、世に知られたる親ざまには、まづ思ひきこえたまふべければ、さりとも」と、思し譲りけり。
 対の上のご様子の、見捨て難いのにつけても、「中宮がいらっしゃるので、並々ならぬお味方である。この姫君におかれても、表向きの親としては、真っ先にきっとお思い申し上げなさるだろうから、いくら何でも大丈夫」と、お任せになるのであった。
 紫夫人は気がかりであるが、養女の中宮がおいでになるから、何よりもそれが確かな寄りかかりである、また、姫君のためにも形式上の母は女王のほかにないわけであるから、仕えるのに誠意を持つことであろうからと源氏は思っているのであった。
  Tai-no-Uhe no ohom-arisama no, misute gataki ni mo, "Tyuuguu ohasimase ba, oroka nara nu mi-kokoroyose nari. Kono Ohom-kata ni mo, yo ni sira re taru oya zama ni ha, madu omohi kikoye tamahu bekere ba, saritomo." to, obosi yuduri keri.
3.1.3  夏の御方の、 時に花やぎたまふまじきも、「宰相のものしたまへば」と、皆とりどりにうしろめたからず思しなりゆく。
 夏の御方が、何かにつけて華やかになりそうもないのも、「宰相がいらっしゃるので」と、皆それぞれに心配はなくお考えになって行く。
 花散里はなちるさとのためには宰相中将がいるからよいとそれも安心していた。
  Natu-no-Ohomkata no, toki ni hanayagi tamahu maziki mo, "Saisyau no monosi tamahe ba." to, mina toridori ni usirometakara zu obosi nari yuku.
3.1.4   明けむ年、四十になりたまふ、御賀のことを、朝廷よりはじめたてまつりて、大きなる世のいそぎなり。
 明年、四十歳におなりになる、御賀のことを、朝廷をお初め申して、大変な世を挙げてのご準備である。
  翌年源氏は四十になるのであったから、四十の賀宴の用意は朝廷をはじめとして所々でしていた。
  Ake m tosi, yosodi ni nari tamahu, ohom-ga no koto wo, Ohoyake yori hazime tatematuri te, ohoki naru yo no isogi nari.
3.1.5   その秋、太上天皇に准らふ御位得たまうて、御封加はり、年官年爵など、皆添ひたまふ。かからでも、世の御心に叶はぬことなけれど、 なほめづらしかりける昔の例を改めで、院司どもなどなり、さまことにいつくしうなり添ひたまへば、内裏に参りたまふべきこと、難かるべきをぞ、かつは思しける。
 その年の秋、太上天皇に準じる御待遇をお受けになって、御封が増加し、年官や年爵など、全部お加わりになる。そうでなくても、世の中でご希望通りにならないことはないのが、やはりめったになかった昔の例を踏襲して、院司たちが任命され、格段に威儀厳めしくおなりになったので、宮中に参内なさることが、難しいだろうことを、一方では残念にお思いであった。
 その秋三十九歳で源氏は準太上じゅんだじょう天皇の位をお得になった。官から支給されておいでになる物が多くなり、年官年爵の特権数がおふえになったのである。それでなくても自由でないことは何一つないのでおありになったが、古例どおりに院司などが、それぞれ任命されて、しかもどの場合の院付きの役人よりも有為な、勢いのある人々が選ばれたのであった。こんなことになって心安く御所へ行くことのおできにならないことになったのを六条院は物足らずお思いになった。
  Sono aki, DaizyauTenwau ni nazurahu ohom-kurawi e tamau te, mihu kuhahari, tukasa kauburi nado, mina sohi tamahu. Kakara de mo, yo no mi-kokoro ni kanaha nu koto nakere do, naho medurasikari keru mukasi no rei wo aratame de, Winzi-domo nado nari, sama koto ni itukusiu nari sohi tamahe ba, Uti ni mawiri tamahu beki koto, katakaru beki wo zo, katuha obosi keru.
3.1.6  かくても、 なほ飽かず帝は思して、世の中を憚りて、位をえ譲りきこえぬことをなむ、朝夕の御嘆きぐさなりける。
 それでも、なおも物足りなく帝はお思いあそばして、世間に遠慮して、皇位をお譲り申し上げられないことが、朝夕のお嘆きの種であった。
 この御処置をあそばしてもまだ帝は不満足に思召おぼしめされ、世間をはばかるために位をお譲りになることのできぬことを朝夕おなげきになった。
  Kakute mo, naho aka zu Mikado ha obosi te, yononaka wo habakari te, kurawi wo e yuduri kikoye nu koto wo nam, asayuhu no ohom-nagekigusa nari keru.
3.1.7   内大臣上がりたまひて、宰相中将、中納言になりたまひぬ 。御よろこびに出でたまふ。光いとどまさりたまへるさま、容貌よりはじめて、飽かぬことなきを、主人の大臣も、「 なかなか人に圧されまし宮仕へよりは」と、思し直る。
 内大臣は太政大臣にご昇進になって、宰相中将は、中納言におなりになった。そのお礼言上にお出になる。輝きがますますお加わりになった姿、容貌をはじめとして、足りないところのないのを、主人の大臣も、「なまじ人に圧倒されるような宮仕えよりはましであった」と、お考え直しになる。
 内大臣が太政大臣になって、宰相中将は中納言になった。任官の礼廻りをするために出かける中納言はいっそう光彩の添うた気がして、身のとりなし、容貌ようぼうの美に欠けた点のないのを、しゅうとの大臣は見て、後宮の競争に負けた形になっているような宮仕えをさせるよりも、こうした婿をとるほうがよいことであるという気になった。
  Naidaizin agari tamahi te, Saisyau-no-Tyuuzyau, Tyuunagon ni nari tamahi nu. Ohom-yorokobi ni ide tamahu. Hikari itodo masari tamahe ru sama, katati yori hazime te, aka nu koto naki wo, Aruzi-no-Otodo mo, "Nakanaka hito ni osa re masi miyadukahe yori ha." to, obosi nahoru.
3.1.8  女君の大輔乳母、「 六位宿世」と、つぶやきし宵のこと、ものの折々に思し出でければ、菊のいと おもしろくて、移ろひたるを賜はせて、
 女君の大輔の乳母が、「六位の人との結婚」と、ぶつぶつ言った夜のことが、何かの機会ごとにお思い出しになったので、菊のたいそう美しくて、色の変化しているのをお与えになって、
 雲井くもいかり乳母めのと大輔たゆうが、「姫君は六位の男と結婚をなさる御運だった」とつぶやいた夜のことが中納言にはよく思い出されるのであったから、美しい白菊が紫を帯びて来た枝を大輔に渡して、
  WomnaGimi no Taihu-no-Menoto, "Rokuwi sukuse" to, tubuyaki si yohi no koto, mono no woriwori ni obosi ide kere ba, kiku no ito omosiroku te, uturohi taru wo tamaha se te,
3.1.9  「 浅緑若葉の菊を露にても
   濃き紫の色とかけきや
 「浅緑色をした若葉の菊を
  濃い紫の花が咲こうとは夢にも思わなかっただろう
  「あさみどりわか葉の菊をつゆにても
  濃き紫の色とかけきや
    "Asamidori wakaba no kiku wo tuyu nite mo
    koki murasaki no iro to kake ki ya
3.1.10   からかりし折の一言葉こそ忘られね
 辛かったあの時の一言が忘れられない」
 みじめな立場にいて聞いたあなたの言葉は忘れないよ」
  Karakari si wori no hito' kotoba koso wasura re ne."
3.1.11  と、いと匂ひやかにほほ笑みて賜へり。 恥づかしう、いとほしきものから、うつくしう見たてまつる
 と、たいそう美しくほほ笑んでお与えになった。恥ずかしく、お気の毒なことをしたと思う一方で、いとしくも、お思い申し上げる。
 と朗らかに微笑して言った。乳母めのとは恥ずかしくも思ったが、気の毒なことだったとも思いおかわいらしい恨みであるとも思った。
  to, ito nihohiyaka ni hohowemi te tamahe ri. Hadukasiu, itohosiki monokara, utukusiu mi tatematuru.
3.1.12  「 双葉より名立たる園の菊なれば
   浅き色わく露もなかりき
 「二葉の時から名門の園に育つ菊ですから
  浅い色をしていると差別する者など誰もございませんでした
  「二葉より名だたる園の菊なれば
  あさき色わく露もなかりき
    "Hutaba yori nadataru sono no kiku nare ba
    asaki iro waku tuyu mo nakari ki
3.1.13   いかに心おかせたまへりけるにか
 どのようにお気を悪くお思いになったことでしょうか」
 どんなに憎らしく思召おぼしめしたでしょう」
  Ikani kokorooka se tamaheri keru ni ka?"
3.1.14  と、 いと馴れて苦しがる
 と、いかにも物馴れた様子に言い訳をする。
 と物れたふうに言って心苦しがった。
  to, ito nare te kurusigaru.
注釈140長からずのみ思さるる御世のこなたにと思しつる『集成』は「しきりに無常の感じられるこの世にご存命のうちにとお思いだった」。『完訳』は「いつまでも生きていられるわけではないと考えずにはいらっしゃれぬ御寿命とて、その命あるうちにと思っていらっしゃった」と訳す。3.1.1
注釈141御参りのかひあるさまに大島本は「御まいりの」とある。『新大系』は底本のままとする。『集成』『古典セレクション』は諸本に従って「御参り」と「の」を削除する。3.1.1
注釈142今は本意も遂げなむ源氏の心中。明石姫君の入内、夕霧の結婚が決まり、出家願望を遂げようと思う。3.1.1
注釈143中宮おはしませば以下「さりとも」まで、源氏の心中。間接的に語る。秋好中宮は源氏の養女。紫の上には継子になる。3.1.2
注釈144時に花やぎたまふまじきも大島本は「時に」とある。『新大系』は底本のままとする。『集成』『古典セレクション』は諸本に従って「時々に」と校訂する。3.1.3
注釈145明けむ年四十になりたまふ源氏は明年四十歳になる。「桐壺」巻以来初めて源氏の年齢を語る。3.1.4
注釈146その秋太上天皇に准らふ御位得たまうて御封加はり年官年爵など皆添ひたまふ「太上天皇」は上皇の意。すなわち、臣下の域を超えて、皇族で天皇譲位者の地位と同待遇を受ける。史実にも例がない。その地位は「桐壷」巻の高麗人の予言と照応する。太上天皇の御封は二千戸、他に年官・年爵が加わる。そして院司が設けられる。3.1.5
注釈147なほめづらしかりける昔の例を改めで『集成』は「それでもやはり滅多にないことであった過去の例にもう一度倣って。藤壷を准太上天皇にしたことをさす」。『完訳』は「歴史上の嵯峨天皇時代ごろからの太上天皇の例(または物語の藤壺女院の例)を踏襲して。一説に、「改めて」と読み、太政大臣の例とは変えて、の意」。『集成』は「改めて」、『完訳』は「改めで」と読む。先例どおりに、の意。3.1.5
注釈148なほ飽かず帝は思して大島本は「おほして」とある。『新大系』は底本のままとする。『集成』『古典セレクション』は諸本に従って「思しめして」と校訂する。3.1.6
注釈149内大臣上がりたまひて、宰相中将、中納言になりたまひぬ内大臣は太政大臣に、夕霧の宰相中将は中納言に昇進。3.1.7
注釈150なかなか人に圧されまし宮仕へよりは内大臣の心中。雲居雁を中途半端な宮仕えに出すより夕霧に縁づけて良かったと満足。3.1.7
注釈151六位宿世とつぶやきし宵のこと「少女」巻(第五章五段)に見えた。3.1.8
注釈152おもしろくて大島本は「おもしろく(く+て<朱>)」とある。すなわち底本は朱筆で「て」を補入する。『新大系』は底本の補訂に従う。『集成』『古典セレクション』は底本の訂正以前と諸本に従って「おもしろく」と校訂する。3.1.8
注釈153浅緑若葉の菊を露にても--濃き紫の色とかけきや夕霧の大輔の乳母への贈歌。「浅緑」は六位の袍の色。「濃き紫の色」は中納言三位の袍の色。「菊」と「露」は縁語。「や」は詠嘆の終助詞。私が将来三位以上に出世するとは思わなかっただろう、の意。3.1.9
注釈154からかりし折の一言葉こそ忘られね歌に添えた言葉。3.1.10
注釈155恥づかしういとほしきものからうつくしう見たてまつる『集成』は「顔向けならず困惑しながら、いとしくお思い申し上げる」。『完訳』は「顔向けもならず困ったことになったと思うものの、またかわいいとも存じあげる」と訳す。3.1.11
注釈156双葉より名立たる園の菊なれば--浅き色わく露もなかりき大輔の乳母の返歌。夕霧の「浅緑」「若葉の菊」「露」の語句を受けて、「双葉より名立たる」「菊」なので「浅き色分く」「露もなかりき」と切り返す。3.1.12
注釈157いかに心おかせたまへりけるにか歌に添えた言葉。『集成』は「どんなふうに悪くおとりになったのでしょうか」。『完訳』は「どんなにかお気を悪くなさいましたことやら」。夕霧に詫びる気持ち。3.1.13
注釈158いと馴れて苦しがる『完訳』は「まったく物慣れた巧みさで苦しい言い訳をする」と注す。したたかな乳母という感じ。3.1.14
校訂19 内大臣 内大臣--内大臣に(に/#) 3.1.7
校訂20 おもしろくて おもしろくて--おもしろく(く/+て<朱>) 3.1.8
3.2
第二段 夕霧夫妻、三条殿に移る


3-2  Yugiri and his wife move to Samjo-residence

3.2.1   御勢ひまさりて、かかる御住まひも所狭ければ、三条殿に渡りたまひぬ。すこし荒れにたるを、いとめでたく修理しなして、宮のおはしましし方を改めしつらひて住みたまふ。昔おぼえて、あはれに思ふさまなる御住まひなり。
 ご威勢が増して、このようなお住まいでは手狭なので、三条殿にお移りになった。少し荒れていたのをたいそう立派に修理して、大宮がいらっしゃったお部屋を修繕してお住まいになる。昔が思い出されて、懐しく心にかなったお部屋である。
 納言になったために来客も多くなり、この住居すまいが不便になって、源中納言はおくなりになった祖母の宮の三条殿へ引き移った。少し荒れていたのをよく修理して、宮の住んでおいでになった御殿の装飾を新しくして夫婦のいる所にした。二人にとっては昔を取り返しえた気のする家である。
  Ohom-ikihohi masari te, kakaru ohom-sumahi mo tokorosekere ba, Samdeudono ni watari tamahi nu. Sukosi are ni taru wo, ito medetaku suri si nasi te, Miya no ohasimasi si kata wo aratame siturahi te sumi tamahu. Mukasi oboye te, ahare ni omohu sama naru ohom-sumahi nari.
3.2.2  前栽どもなど、小さき木どもなりしも、いとしげき蔭となり、 一村薄も 心にまかせて乱れたりける、つくろはせたまふ。遣水の水草もかき改めて、いと心ゆきたるけしきなり。
 前栽どもなど、小さい木であったのが、たいそう大きな木蔭を作り、一叢薄ものび放題になっていたのを、手入れさせなさる。遣水の水草も取り払って、とても気持ちよさそうに流れている。
 庭の木の小さかったのが大きくなって広いかげを作るようになっていたり、ひとむらすすきが思うぞんぶんにひろがってしまったりしたのを整理させ、流れの水草をき取らせもして快いながめもできるようになった。
  Sensai-domo nado, tihisaki ki-domo nari si mo, ito sigeki kage to nari, hitomurasusuki mo kokoro ni makase te midare tari keru, tukuroha se tamahu. Yarimidu no mikusa mo kaki aratame te, ito kokoroyuki taru kesiki nari.
3.2.3  をかしき夕暮のほどを、二所眺めたまひて、あさましかりし世の、御幼さの物語などしたまふに、恋しきことも多く、人の思ひけむことも恥づかしう、女君は思し出づ。 古人どもの、まかで散らず、 曹司曹司にさぶらひけるなど、参う上り集りて、いとうれしと思ひあへり。
 美しい夕暮れ時を、お二人で眺めなさって、情けなかった昔の、子供時代のお話などをなさると、恋しいことも多く、女房たちが何と思っていたかも恥ずかしく、女君はお思い出しになる。古い女房たちで、退出せず、それぞれの曹司に伺候していた人たちなど、参集して、実に嬉しく互いに思い合っていた。
美しい夕方の庭の景色けしきを二人でながめながら、冷たい手に引き分けられてしまった少年の日の恋の思い出を語っていたが、恋しく思われることもまた多かった。当時の女房たちは自分をどう思って見たであろうと雲井の雁は恥ずかしく思っていた。祖母の宮に付いていた女房で、今までまだそれぞれの部屋へやに住んでいた女房などが出て来て、新夫婦がここへ住むことになったのを喜んでいた。
  Wokasiki yuhugure no hodo wo, hutatokoro nagame tamahi te, asamasikari si yo no, ohom-wosanasa no monogatari nado si tamahu ni, kohisiki koto mo ohoku, hito no omohi kem koto mo hadukasiu, Womnagimi ha obosi idu. Hurubito-domo no, makade tira zu, zausi zausi ni saburahi keru nado, maunobori atumari te, ito uresi to omohi ahe ri.
3.2.4  男君、
 男君、
 源中納言、
  WotokoGimi,
3.2.5  「 なれこそは岩守るあるじ見し人の
   行方は知るや宿の真清水
 「おまえこそはこの家を守っている主人だ、お世話になった人の
  行方は知っているか、邸の真清水よ
  なれこそは岩もるあるじ見し人の
  行くへは知るや宿の真清水ましみづ
    "Nare koso ha iha moru aruzi mi si hito no
    yukuhe ha siru ya yado no ma-simidu
3.2.6  女君、
 女君、
 夫人、
  Womnagimi,
3.2.7  「 亡き人の影だに見えずつれなくて
   心をやれるいさらゐの水
 「亡き人の姿さえ映さず知らない顔で
  心地よげに流れている浅い清水ね
  なき人は影だに見えずつれなくて
  心をやれるいさらゐの水
    "Naki hito no kage dani miye zu turenaku te
    kokoro wo yare ru isarawi no midu
3.2.8  などのたまふほどに、 大臣、内裏よりまかでたまひけるを、紅葉の色に驚かされて渡りたまへり。
 などとおっしゃっているところに、太政大臣、宮中からご退出なさった途中、紅葉のみごとな色に驚かされてお越しになった。
 などと言い合っている時に、太政大臣は宮中から出た帰途にこの家の前を通って、紅葉もみじの色に促されて立ち寄った。
  nado notamahu hodo ni, Otodo, Uti yori makade tamahi keru wo, momidi no iro ni odoroka sare te watari tamahe ri.
注釈159御勢ひまさりてかかる御住まひも所狭ければ三条殿に渡りたまひぬ夕霧、中納言に昇進し威勢が増したので、内大臣邸から大宮の三条殿に雲居雁と共に移り住む。3.2.1
注釈160一村薄も「君が植ゑし一群薄虫の音のしげき野辺ともなりにけるかな」(古今集哀傷、八五三、御春有助)などに基づく歌語。3.2.2
注釈161古人どもの三条殿に仕えていた老女房たち。3.2.3
注釈162なれこそは岩守るあるじ見し人の--行方は知るや宿の真清水夕霧の歌。「汝」は「真清水」に呼び掛けた表現。擬人法。「見し人」は故大宮をさす。3.2.5
注釈163亡き人の影だに見えずつれなくて--心をやれるいさらゐの水雲居雁の唱和歌。「見し人」「真清水」を受けて「亡き人」「いさらいの水」と和す。「心をやれる」は擬人法。「亡き人の影だに見えぬ遣水の底に涙を流してぞ来し」(後撰集哀傷、一四〇二、伊勢)を踏まえる。『完訳』は「二人を愛育してくれた大宮への感傷を通して夕霧に共感する歌」と注す。3.2.7
注釈164大臣内裏よりまかでたまひけるを太政大臣が宮中を退出して三条殿に訪れる。3.2.8
出典17 一村薄 君が植ゑし一村薄虫の音のしげき野辺ともなりにけるかな 古今集哀傷-八五三 三春有助 3.2.2
出典18 亡き人の影 亡き人の影だに見えぬ遣水の底は涙に流してぞこし 後撰集哀傷-一四〇二 伊勢 3.2.7
校訂21 曹司曹司に 曹司曹司に--さま(ま/$うし)/\に 3.2.3
3.3
第三段 内大臣、三条殿を訪問


3-3  Naidaijin visits to Samjo-residence

3.3.1   昔おはさひし御ありさまにも、をさをさ変はることなく、あたりあたりおとなしく住まひたまへるさま、はなやかなるを見たまふにつけても、いとものあはれに思さる。中納言も、けしきことに、顔すこし赤みて、 いとどしづまりてものしたまふ
 昔大宮がお住まいだったご様子に、たいして変わるところなく、あちらこちらも落ち着いてお住まいになっている様子、若々しく明るいのを御覧になるにつけても、ひどくしみじみと感慨が込み上げてくる。中納言も、改まった表情で、顔が少し赤くなって、いつも以上にしんみりとしていらっしゃる。
 宮がお住まいになった当時にも変わらず、幾つのむねに分かれた建物を上手じょうずにはなやかに住みなしているのを見て大臣の心はしんみりとれていった。中納言は美しい顔を少し赤らめてしゅうとの前にいた。
  Mukasi ohasahi si ohom-arisama ni mo, wosawosa kaharu koto naku, atari atari otonasiku sumahi tamahe ru sama, hanayaka naru wo mi tamahu ni tuke te mo, ito mono ahare ni obosa ru. Tyuuguu mo, kesiki kotoni, kaho sukosi akami te, itodo sidumari te monosi tamahu.
3.3.2  あらまほしくうつくしげなる御あはひなれど、 女はまたかかる容貌のたぐひも、などかなからむと見えたまへり。 男は、際もなくきよらにおはす古人ども御前に所得て、神さびたることども聞こえ出づ。ありつる御手習どもの、散りたるを御覧じつけて、うちしほたれたまふ。
 理想的で初々しいご夫婦仲であるが、女は、他にこのような器量の人もいないこともなかろうと、お見えになる。男は、この上なく美しくいらっしゃる。古女房たちが御前で得意気になって、昔のことなどを申し上げる。さきほどのお二人の歌が、散らかっているのをお見つけになって、ふと涙ぐみなさる。
 美しい若夫婦ではあるが、女のほうはこれほどの容貌ようぼうがほかにないわけはないと見える程度の美人であった。男はあくまでもきれいであった。老いた女房などは大臣の来訪に得意な気持ちになって、古い古い時代の話などをし出すのであった。そこに出たままになっていた二人の歌の書いた紙を取って、大臣は読んだが、しおれたふうになった。
  Aramahosiku utukusige naru ohom-ahahi nare do, Womna ha, mata kakaru katati no taguhi mo, nadoka nakara m to miye tamahe ri. Wotoko ha, kiha mo naku kiyora ni ohasu. Hurubito-domo omahe ni tokoroe te, kamisabi taru koto-domo kikoye idu. Arituru ohom-tenarahi-domo no, tiri taru wo goranzi tuke te, uti-sihotare tamahu.
3.3.3  「 この水の心尋ねまほしけれど、翁は言忌して
 「この清水の気持ちを尋ねてみたいが、老人は遠慮して」
 「ここの水に聞きたいことが私にもあるが、今日は縁起を祝ってそれを言わないことにしよう」
  "Kono midu no kokoro tadune mahosikere do, okina ha kotoimi si te."
3.3.4  とのたまふ。
 とおっしゃる。
 と言って、大臣は、
  to notamahu.
3.3.5  「 そのかみの老木はむべも朽ちぬらむ
   植ゑし小松も苔生ひにけり
 「その昔の老木はなるほど朽ちてしまうのも当然だろう
  植えた小松にも苔が生えたほどだから
  そのかみの老い木はうべも朽ちにけり
  植ゑし小松もこけひにけり
    "Sonokami no oyiki ha mube mo kuti nu ram
    uwe si komatu mo koke ohi ni keri
3.3.6  男君の御宰相の乳母、つらかりし御心も忘れねば、したり顔に、
 男君の宰相の御乳母、冷たかったお仕打ちを忘れなかったので、得意顔に、
 この歌を告げた。中納言の乳母めのとの宰相の君は、あの当時の大臣の処置に憤慨して、今も恨めしがっているのであったから、得意な気持ちで大臣に言った。
  WotokoGimi no ohom-Saisyau-no-Menoto, turakari si mi-kokoro mo wasure ne ba, sitarigaho ni,
3.3.7  「 いづれをも蔭とぞ頼む双葉より
   根ざし交はせる松の末々
 「どちら様をも蔭と頼みにしております、二葉の時から
  互いに仲好く大きくおなりになった二本の松でいらっしゃいますから
  いづれをもかげとぞ頼む二葉より
  根ざしかはせる松の末々
    "Idure wo mo kage to zo tanomu hutaba yori
    nezasi kahase ru matu no suwe zuwe
3.3.8  老人どもも、かやうの筋に聞こえ集めたるを、中納言は、をかしと思す。女君は、あいなく面赤み、苦しと聞きたまふ。
 老女房たちも、このような話題ばかりを歌に詠むのを、中納言は、おもしろいとお思いになる。女君は、わけもなく顔が赤くなって、聞き苦しく思っていらっしゃる。
 この感想がどの女房の歌にも出てくるのを中納言は快く思った。雲井の雁はむやみに顔が赤くなって恥ずかしくてならなかった。
  Oyibito-domo mo, kayau no sudi ni kikoye atume taru wo, Tyuunagon ha, wokasi to obosu. WomnaGimi ha, ainaku omote akami, kurusi to kiki tamahu.
注釈165昔おはさひし御ありさまにも「おはさひし」は「おはしあひし」(複合形)の約。太政大臣と大宮がお暮らしになった、の意。3.3.1
注釈166いとどしづまりてものしたまふ『集成』は「いつも以上にしんみりとしていらっしゃる」。『完訳』は「いよいよ神妙にしていらっしゃる」と訳す。3.3.1
注釈167女は以下「女は--男は--」という構文。3.3.2
注釈168またかかる容貌のたぐひもなどかなからむ語り手の批評。雲居雁程の器量は他にいないこともない、絶世の美人という程でない。3.3.2
注釈169男は際もなくきよらにおはす夕霧は「きよら」で形容。源氏物語における美の最大限の讃辞である。3.3.2
注釈170古人ども大島本は「ふる人とも」とある。『新大系』は底本のままとする。『集成』『古典セレクション』は諸本に従って「古人どもも」と校訂する。3.3.2
注釈171この水の心尋ねまほしけれど、翁は言忌して大島本は「こといみしく」とある。『集成』『古典セレクション』『新大系』は諸本に従って「言忌(こといみ)して」と校訂する。太政大臣の詞。『集成』は「新婚の二人に対する斟酌。夕霧の歌の「見し人のゆくへは知るや」を受けて、水の心を辿りたい、といったもの」と注す。3.3.3
注釈172そのかみの老木はむべも朽ちぬらむ--植ゑし小松も苔生ひにけり太政大臣の歌。『集成』は「「植ゑし小松も」は、ここに新たに居を構えた若い二人に対する祝意」。『完訳』は「「老木」は故大宮、「小松」は大臣。一説では大臣、夕霧夫妻の対象とするが、「朽ち」を死とみたい」と注す。3.3.5
注釈173いづれをも蔭とぞ頼む双葉より--根ざし交はせる松の末々宰相の乳母の唱和歌。太政大臣の「小松」の語句を受けて、「双葉」「松の末々」と夕霧夫妻を寿ぐ。「いづれをも」は夕霧と雲居雁をさす。3.3.7
校訂22 言忌して 言忌して--*こといみしく 3.3.3
校訂23 朽ちぬらむ 朽ちぬらむ--くちぬれ(れ/$ら)む 3.3.5
3.4
第四段 十月二十日過ぎ、六条院行幸


3-4  Mikado visits to Rokujo-in at about October 20

3.4.1   神無月の二十日あまりのほどに、六条院に行幸あり。紅葉の盛りにて、興あるべきたびの行幸なるに、 朱雀院にも御消息ありて、院さへ渡りおはしますべければ、世にめづらしくありがたきことにて、世人も心をおどろかす。主人の院方も、御心を尽くし、目もあやなる 御心まうけをせさせたまふ
 神無月の二十日過ぎ頃に、六条院に行幸がある。紅葉の盛りで、きっと興趣あるにちがいない今回の行幸なので、朱雀院にも御手紙があって、院までがお越しあそばすので、実に珍しくめったにない盛儀なので、世間の人も心をときめかす。主人の六条院方でも、お心を尽くして、目映いばかりのご準備をあそばす。
 十月の二十日過ぎに六条院へ行幸みゆきがあった。興の多い日になることを予期されて、主人の院は朱雀すざく院をも御招待あそばされたのであったから、珍しい盛儀であると世人も思ってこの日を待っていた。六条院では遺漏のない準備ができていた。
  Kamnaduki no hatuka amari no hodo ni, Rokudeuwin ni gyaugau ari. Momidi no sakari nite, kyou aru beki tabi no gyaugau naru ni, SuzyakuWin ni mo ohom-seusoku ari te, Win sahe watari ohasimasu bekere ba, yo ni medurasiku arigataki koto nite, yohito mo kokoro wo odorokasu. Aruzi no Win gata mo, mi-kokoro wo tukusi, me mo ayanaru mi-kokoromauke wo se sase tamahu.
3.4.2  巳の時に行幸ありて、まづ、馬場殿に左右の寮の御馬牽き並べて、左右近衛立ち添ひたる作法、 五月の節にあやめわかれず通ひたり。未くだるほどに、南の寝殿に移りおはします。道のほどの反橋、渡殿には錦を敷き、あらはなるべき所には軟障を引き、いつくしうしなさせたまへり。
 巳の時に行幸があって、まず、馬場殿に左右の馬寮の御馬を牽き並べて、左右近衛府の官人が立ち並んだ儀式、五月の節句に違わずよく似ていた。未の刻を過ぎたころ、南の寝殿にお移りあそばす。途中の反橋、渡殿には錦を敷き、よそから見えるにちがいない所には軟障を引き、厳めしくおしつらわせなさった。
 午前十時に行幸があって、初めに馬場殿へ入御にゅうぎょになった。左馬寮さまりょう右馬寮うまりょうの馬が前庭に並べられ、左近衛さこんえ右近衛うこんえの武官がそれに添って列立した形は五月の節会せちえの作法によく似ていた。午後二時に南の寝殿へお移りになったのであるが、その通御の道になる反橋そりはし渡殿わたどのにはにしきを敷いて、あらわに思われる所は幕を引いて隠してあった。
  Mi no toki ni gyaugau ari te, madu, mumaba-dono ni hidari migi no tukasa no ohom-muma hiki-narabe te, hidari migi no Konowe tati-sohi taru sahohu, Satuki no seti ni ayame wakare zu kayohi tari. Hituzi kudaru hodo ni, minami no sinden ni uturi ohasimasu. Miti no hodo no sorihasi, watadono ni ha nisiki wo siki, araha naru beki tokoro ni ha zenzyau wo hiki, itukusiu si nasa se tamahe ri.
3.4.3   東の池に舟ども浮けて、 御厨子所の鵜飼の長、 院の鵜飼を召し並べて、鵜をおろさせたまへり。小さき鮒ども食ひたり。 わざとの御覧とはなけれども、過ぎさせたまふ道の興ばかりになむ。
 東の池に舟を幾隻か浮かべて、御厨子所の鵜飼の長が、院の鵜飼を召し並べて、鵜を下ろさせなさった。小さい鮒を幾匹もくわえた。特別に御覧に入れるのではないが、お通りすがりになる一興ほどにである。
東の池に船などをけて、御所の飼い役人、院の鵜飼いの者に鵜をろさせてお置きになった。小さいふななどを鵜は取った。叡覧えいらんに供えるというほどのことではなく、お通りすがりの興におさせになったのである。
  Himgasi no ike ni hune-domo uke te, miDusidokoro no ukahi no wosa, Win no ukahi wo mesi narabe te, u wo orosa se tamahe ri. Tihisaki huna-domo kuhi tari. Wazato no goran to ha nakere domo, sugi sase tamahu miti no kyou bakari ni nam.
3.4.4  山の紅葉、いづ方も劣らねど、西の御前は心ことなるを、中の廊の壁を崩し、中門を開きて、霧の隔てなくて御覧ぜさせたまふ。
 築山の紅葉、どの町のも負けない程であるが、西の御庭のは格別に素晴らしいので、中の廊の壁を崩し、中門を開いて、霧がさえぎることなく御覧にお入れあそばす。
 山の紅葉もみじはどこのも美しいのであるが、西の町の庭はことさらにすぐれた色を見せているのを、南の町との間の廊の壁をくずさせ、中門をあけて、お目をさえぎる物を省いて御覧にお供えになったのであった。
  Yama no momidi, idukata mo otora ne do, nisi no omahe ha kokoro koto naru wo, naka no rau no kabe wo kudusi, Tyuumon wo hiraki te, kiri no hedate nakute goranze sase tamahu.
3.4.5  御座、二つよそひて、主人の御座は下れるを、宣旨ありて 直させたまふほど、めでたく見えたれど、 帝は、なほ限りあるゐやゐやしさを尽くして見せたてまつりたまはぬことをなむ、思しける
 御座、二つ準備して、主人の御座は下にあるのを、宣旨があってお改めさせなさるのも、素晴らしくお見えになったが、帝は、やはり規定以上の礼をお現し申し上げられないのを、残念にお思いあそばすのであった。
 二つの御座おましが上に設けられてあって、主人の院の御座が下がって作られてあったのを、宣旨せんじがあってお直させになった。これこそ限りもない光栄であるとお見えになるのであるが、みかど御心みこころにはなお一段六条院を尊んでお扱いになれないことを残念に思召おぼしめした。
  Ohom-za, hutatu yosohi te, aruzi no ohom-za ha kudare ru wo, senzi ari te nahosa se tamahu hodo, medetaku miye tare do, Mikado ha, naho kagiri aru wiyawiyasisa wo tukusi te mise tatematuri tamaha nu koto wo nam, obosi keru.
3.4.6  池の魚を、左少将捕り、蔵人所の鷹飼の、北野に狩仕まつれる鳥一番を、右少将捧げて、寝殿の東より御前に出でて、御階の左右に膝をつきて奏す。太政大臣、仰せ言賜ひて、調じて御膳に参る。親王たち、上達部などの御まうけも、めづらしきさまに、常の事どもを変へて仕うまつらせたまへり。
 池の魚を、左少将が手に取り、蔵人所の鷹飼が、北野で狩をして参った鳥の一番を、右少将が捧げて、寝殿の東から御前に出て、御階の左右に膝まづいて奏上する。太政大臣が、お言葉を賜り伝えて、料理して御膳に差し上げる。親王方、上達部たちの御馳走も、珍しい様子に、いつものと目先を変えて差し上げさせなさった。
 池の魚を載せた台を左近少将が持ち、蔵人所くろうどどころ鷹飼たかがいが北野で狩猟してきた一つがいの鳥を右近少将がささげて、寝殿の東のほうから南の庭へ出て、階段きざはしの左右にひざをついて献上の趣を奏上した。太政大臣が命じてそれを大御肴おおみさかなに調べさせた。親王がた、高官たちの饗膳きょうぜんにも、常の様式を変えた珍しい料理が供えられたのである。
  ike no iwo wo, Hidari-no-Seusyau tori, Kuraudodokoro no Takagahi no, Kitano ni kari tukamature ru tori hito-tugahi wo, MiginoSuke sasage te, sinden no himgasi yori omahe ni ide te, mi-hasi no hidari migi ni hiza wo tuki te sousu. OhokiOtodo, ohosegoto tamahi te, teuzi te omono ni mawiru. Miko-tati, Kamdatime nado no ohom-mauke mo, medurasiki sama ni, tune no koto-domo wo kahe te tukaumatura se tamahe ri.
注釈174神無月の二十日あまりのほどに六条院に行幸あり神無月二十日過ぎ、冷泉帝、朱雀院、共に六条院に行幸。康保二年(九六五)十月二十三日の村上天皇の朱雀院行幸が準拠とされる。3.4.1
注釈175朱雀院にも御消息ありて冷泉帝から朱雀院へ御案内の手紙があって、の意。3.4.1
注釈176御心まうけをせさせたまふ主語は主人の院、源氏。「させ」「たまふ」最高敬語。3.4.1
注釈177五月の節にあやめわかれず通ひたり帝が宮中の武徳殿に行幸し騎射競馬を御覧になる儀式。「あやめ」は「五月」にちなんだ言葉遊び的表現。3.4.2
注釈178東の池に『集成』は「南の町の南庭の池。西の町の池に通じているので、こう言ったのであろう」。『完訳』は「池の東の部分(春の町の側)」と注す。3.4.3
注釈179御厨子所の鵜飼宮中の御厨子所。内膳司に属し、天皇の食事や節会の饗を調じる。膳部があり、その下に鵜飼が属し、魚類を調進する。3.4.3
注釈180院の鵜飼六条院の鵜飼。3.4.3
注釈181わざとの御覧とはなけれども大島本は「なけれとも」とある。『新大系』は底本のままとする。『集成』『古典セレクション』は諸本に従って「なけれど」と「も」を削除する。3.4.3
注釈182帝は、なほ限りあるゐやゐやしさを尽くして見せたてまつりたまはぬことをなむ、思しける『集成』は「父子として定められた礼儀を尽してお見せ申し上げられないことを残念にお思いなのであった」。『完訳』は「定め以上の礼を尽してお見せ申しあげられぬことを残念におぼしめすのであった」と訳す。3.4.5
校訂24 直させ 直させ--なを(を/+させ<朱>) 3.4.5
3.5
第五段 六条院行幸の饗宴


3-5  There is a banquet in visiting to Rokujo-in

3.5.1  皆御酔ひになりて、暮れかかるほどに、楽所の人召す。わざとの大楽にはあらず、なまめかしきほどに、殿上の童べ、舞仕うまつる。朱雀院の紅葉の賀、例の古事思し出でらる。「賀王恩」といふものを奏するほどに、太政大臣の 御弟子の十ばかりなる、切におもしろう舞ふ。内裏の帝、御衣ぬぎて賜ふ。太政大臣降りて舞踏したまふ。
 皆お酔いになって、日が暮れかかるころに、楽所の人をお召しになる。特別の大がかりの舞楽ではなく、優雅に奏して、殿上の童が、舞を御覧に入れる。朱雀院の紅葉の御賀、例によって昔の事が自然と思い出されなさる。「賀皇恩」という楽を奏する時に、太政大臣の御末子の十歳ほどになる子が、実に上手に舞う。今上の帝、御召物を脱いで御下賜なさる。太政大臣、下りて拝舞なさる。
 人々は陶然と酔って夕べに近いころ、伶人れいじんが召し出された。大楽というほどの大がかりなものでなく、感じのよいほどの奏楽の前で御所の侍童たちが舞った。朱雀すざく院の紅葉もみじの賀の日がだれにも思い出された。「賀王恩がおうおん」という曲が奏されて、太政大臣の子息の十歳ぐらいの子が非常におもしろく舞った。帝は御衣をいで賜い、父の太政大臣が階前でお礼の舞踏をした。
  Mina ohom-wehi ni nari te, kure kakaru hodo ni, gakuso no hito mesu. Wazato no ohogaku ni ha ara zu, namamekasiki hodo ni, Tenzyau no warahabe, mahi tukaumaturu. Suzyakuwin no momidinoga, rei no hurukoto obosi ide raru. Gawauon to ihu mono wo sousuru hodo ni, OhokiOtodo no ohom-wotogo no towo bakari naru, seti ni omosirou mahu. Uti-no-Mikado, ohom-zo nugi te tamahu. OhokiOtodo ori te butau si tamahu.
3.5.2  主人の院、菊を折らせたまひて、「青海波」の折を思し出づ。
 主人の院、菊を折らせなさって、「青海波」を舞った時のことをお思い出しになる。
 主人の院はお折らせになった菊を大臣へお授けになるのであったが、青海波せいがいはの時を思い出しておいでになった。
  Aruzi-no-Win, kiku wo wora se tamahi te, Seigaiha no wori wo obosi idu.
3.5.3  「 色まさる籬の菊も折々に
   袖うちかけし秋を恋ふらし
 「色濃くなった籬の菊も折にふれて
  袖をうち掛けて昔の秋を思い出すことだろう
  色まさるまがきの菊もをりをりに
  そで打ちかけし秋を恋ふらし
    "Iro masaru magaki no kiku mo woriwori ni
    sode uti-kake si aki wo kohu rasi
3.5.4  大臣、その折は、同じ舞に立ち並びきこえたまひしを、我も人にはすぐれたまへる身ながら、なほこの際はこよなかりけるほど、思し知らる。時雨、折知り顔なり。
 太政大臣、あの時は、同じ舞をご一緒申してお舞いなさったのだが、自分も人には勝った身ではあるが、やはりこの院のご身分はこの上ないものであったと、思わずにはいらっしゃれない。時雨が、時知り顔に降る。
 当時ごいっしょに舞った大臣は、自身も人にすぐれた幸福は得ていながらも、帝の御子であらせられた院の到達された所と自身とは非常な相違のあることに気がついた。時雨しぐれは彼の出て来るおりをうかがっていたようにはらはらと降りそそいだ。
  Otodo, sono wori ha, onazi mahi ni tati-narabi kikoye tamahi si wo, ware mo hito ni ha sugure tamahe ru mi nagara, naho kono kiha ha koyonakari keru hodo, obosi sira ru. Sigure, worisirigaho nari.
3.5.5  「 紫の雲にまがへる菊の花
   濁りなき世の星かとぞ見る
 「紫の雲と似ている菊の花は
  濁りのない世の中の星かと思います
  「紫の雲にまがへる菊の花
  濁りなき世の星かとぞ見る
    "Murasaki no kumo ni magahe ru kiku no hana
    nigori naki yo no hosi ka to zo miru
3.5.6   時こそありけれ
 一段とお栄えの時を」
 最もふさわしい時に咲いた花でございます」
  toki koso ari kere."
3.5.7  と聞こえたまふ。
 と申し上げなさる。
 と大臣は院へ申し上げた。
  to kikoye tamahu.
注釈183御弟子の十ばかりなる『集成』は「御男(をとこ)の」。『完訳』は「御弟子(おとこ)の」「末の子、の意か」。横山本「御おと子」とある。3.5.1
注釈184色まさる籬の菊も折々に--袖うちかけし秋を恋ふらし源氏の歌。今と変わらぬ昔の盛時を恋う歌。3.5.3
注釈185紫の雲にまがへる菊の花--濁りなき世の星かとぞ見る太政大臣の唱和歌。源氏の歌の「色」「菊」の語句を受けて「紫の雲」「菊の花」「濁りなき世」と和す。「久方の雲の上にて見る菊は天つ星とぞあやまたれける」(古今集秋下、二六九、藤原敏行)を踏まえる。3.5.5
注釈186時こそありけれ歌に添えた言葉。「秋をおきて時こそありけれ菊の花移ろふからに色のまされば」(古今集秋下、二七九、平貞文)の第二句の文句を引用したもの。『集成』は「いよいよお栄えですね」。『完訳』は「こうしていよいよ御栄えの時をお迎えあそばして」と訳す。3.5.6
出典19 紫の雲にまがへる菊の花 久方の雲の上にて見る菊は天つ星とぞ過たれける 古今集秋下-二六九 藤原敏行 3.5.5
出典20 時こそありけれ 秋をおきて時こそありけれ菊の花移ろふからに色のまされば 古今集秋下-二七九 平定文 3.5.6
3.6
第六段 朱雀院と冷泉帝の和歌


3-6  Suzaku-in, abdicated from Mikado, and Reizei, present Mikado, change wakaeach other

3.6.1   夕風の吹き敷く紅葉の色々、濃き薄き、錦を敷きたる渡殿の上、見えまがふ庭の面に、容貌をかしき童べの、やむごとなき家の子どもなどにて、 青き赤き白橡、蘇芳、葡萄染めなど、常のごと、例のみづらに、 額ばかりのけしきを見せて、短きものどもをほのかに舞ひつつ、紅葉の蔭に返り入るほど、日の暮るるも いと惜しげなり。
 夕風が吹き散らした紅葉の色とりどりの、濃いの薄いの、錦を敷いた渡殿の上、見違えるほどの庭の面に、容貌のかわいい童べの、高貴な家の子供などで、青と赤の白橡に、蘇芳と葡萄染めの下襲など、いつものように、例のみずらを結って、額に天冠をつけただけの飾りを見せて、短い曲目類を少しずつ舞っては、紅葉の葉蔭に帰って行くところ、日が暮れるのも惜しいほどである。
 夕風がき敷く紅葉のいろいろと、遠い渡殿わたどのに敷かれたにしきの濃淡と、どれがどれとも見分けられない庭のほうに、美しい貴族の家の子などが、白橡しろつるばみ臙脂えんじ、赤紫などの上着を着て、ほんの額だけにみずらを結い、短い曲をほのかに舞って紅葉の木蔭こかげへはいって行く、こんなことが夜のやみに消されてしまうかと惜しまれた。
  Yuhukaze no huki siku momidi no iroiro, koki usuki, nisiki wo siki taru watadono no uhe, miye magahu niha no omo ni, katati wokasiki warahabe no, yamgotonaki ihe no kodomo nado nite, awoki akaki siraturubami, suhau, ebizome nado, tune no goto, rei no midura ni, hitai bakari no kesiki wo mise te, midikaki mono-domo wo honoka ni mahi tutu, momidi no kage ni kaheri iru hodo, hi no kururu mo ito wosige nari.
3.6.2   楽所などおどろおどろしくはせず。上の御遊び始まりて、書司の御琴ども召す。ものの興切なるほどに、御前に皆御琴ども参れり。宇多法師の変はらぬ声も、朱雀院は、いとめづらしくあはれに聞こし召す。
 楽所など仰々しくはしない。堂上での管弦の御遊が始まって、書司の御琴類をお召しになる。一座の興が盛り上がったころに、お三方の御前にみな御琴が届いた。宇多の法師の変わらぬ音色も、朱雀院は、実に珍しくしみじみとお聞きあそばす。
 奏楽所などは大形おおぎょうに作ってはなくて、すぐに御前での管絃かんげんの合奏が始まった。御書所の役人に御物の楽器が召された。夜がおもしろくけたころに楽器類が御前にそろった。「宇陀うだの法師」の昔のままの音を朱雀すざく院は珍しくお聞きになり、身にしむようにもお感じになった。
  Gakusyo nado odoroodorosiku ha se zu. Uhe no ohom-asobi hazimari te, Huminotukasa no ohom-koto-domo mesu. Mono no kyou seti naru hodo ni, gozen ni mina ohom-koto-domo mawire ri. Uda-no-Hohusi no kahara nu kowe mo, SuzyakuWin ha, ito medurasiku ahare ni kikosimesu.
3.6.3  「 秋をへて時雨ふりぬる里人も
   かかる紅葉の折をこそ見ね
 「幾たびの秋を経て、時雨と共に年老いた里人でも
  このように美しい紅葉の時節を見たことがない
  秋をへて時雨ふりぬる里人も
  かかる紅葉もみじの折りをこそみね
    "Aki wo he te sigure huri nuru satobito mo
    kakaru momidi no wori wo koso mi ne
3.6.4   うらめしげにぞ思したるや。帝、
 恨めしくお思いになったのであろうよ。帝は、
 現今の御境遇を寂しがっておいでになるような御製である。帝が、
  Uramesige ni zo obosi taru ya! Mikado,
3.6.5  「 世の常の紅葉とや見るいにしへの
   ためしにひける庭の錦を
 「世の常の紅葉と思って御覧になるのでしょうか
  昔の先例に倣った今日の宴の紅葉の錦ですのに
  世の常の紅葉とや見るいにしへの
  ためしにひける庭の錦を
    "Yo no tune no momidi to ya miru inisihe no
    tamesi ni hike ru niha no nisiki wo
3.6.6  と、 聞こえ知らせたまふ。御容貌いよいよねびととのほりたまひて、ただ一つものと見えさせたまふを、中納言さぶらひたまふが、ことことならぬこそ、 めざましかめれ。あてにめでたきけはひや、 思ひなしに 劣りまさらむ あざやかに匂はしきところは、添ひてさへ見ゆ。
 と、おとりなし申し上げあそばす。御器量は一段と御立派におなりになって、まるでそっくりにお見えあそばすのを、中納言が控えていらっしゃるが、また別々のお顔と見えないのには、目を見張らされる。気品があって素晴らしい感じは、思いなしか優劣がつけられようか、目の覚めるような美しい点は、加わっているように見える。
 と朱雀院へ御説明的に申された。帝の御容貌はますますお美しくおなりになるばかりであった。今ではまったく六条院と同じお顔にお見えになるのであるが、侍している源中納言の顔までが同じ物に見えるのは、この人として過分なしあわせであった。気高けだかい美が思いなしによるのかいささか劣って見えた。鮮明にきわだってきれいな所などはこの人がよけいに持っているように見えた。
  to, kikoye sirase tamahu. Ohom-katati iyoiyo nebi totonohori tamahi te, tada hitotu mono to miye sase tamahu wo, Tyuunagon saburahi tamahu ga, kotokoto nara nu koso, mezamasika' mere. Ate ni medetaki kehahi ya, omohinasi ni otori masara m, azayakani nihohasiki tokoro ha, sohi te sahe miyu.
3.6.7  笛仕うまつりたまふ、いとおもしろし。唱歌の殿上人、御階にさぶらふ中に、弁少将の声すぐれたり。 なほさるべきにこそと見えたる御仲らひなめり
 笛を承ってお吹きになる、たいそう素晴らしい。唱歌の殿上人、御階に控えて歌っている中で、弁少将の声が優れていた。やはり前世からの宿縁によって優れた方々がお揃いなのだと思われるご両家のようである。
 この人は笛の役をしたのである。合奏は非常におもしろく進んでいった。歌の役を勤める殿上人は階段の所に集まっていたが、その中でべんの少将の声が最もすぐれていた。前生の善果を持って生まれてきたような人たちというべきであろう。
  Hue tukaumaturi tamahu, ito omosirosi. Sauga no Tenzyaubito, mi-hasi ni saburahu naka ni, Ben-no-Seusyau no kowe sugure tari. Naho sarubeki ni koso to miye taru ohom-nakarahi na' meri.
注釈187夕風の吹き敷く紅葉の色々濃き薄き錦を敷きたる渡殿の上日暮れて、朱雀院、冷泉帝、感慨深く、和歌を詠じる。3.6.1
注釈188青き赤き白橡蘇芳葡萄染めなど『集成』は「青白橡の袍に葡萄染(薄紫)の下襲、赤白橡の袍に蘇芳(やや暗い紅色)の下襲。それぞれ右方(高麗楽)と左方(唐楽)の舞楽の童の装束」と注す。3.6.1
注釈189額ばかりのけしきを見せて『集成』は「額に天冠を着けただけの飾りで」と訳す。3.6.1
注釈190秋をへて時雨ふりぬる里人も--かかる紅葉の折をこそ見ね朱雀院の歌。「ふり」に「降り」と「古り」を掛ける。今日の盛儀を羨む気持ち。3.6.3
注釈191うらめしげにぞ思したるや「や」詠嘆の終助詞。語り手の嘆息。3.6.4
注釈192世の常の紅葉とや見るいにしへの--ためしにひける庭の錦を冷泉帝の唱和歌。朱雀院の歌の「紅葉」「折をこそ見ね」の語句を受けて、「世の常の紅葉とや見る」と否定し、「古の例」すなわち、故桐壷院御世(朱雀院の東宮時代)の模倣だと謙遜して慰める。3.6.5
注釈193聞こえ知らせたまふ『集成』は「おとりなし申し上げる」。『完訳』は「お答え申し上げる」と訳す。3.6.6
注釈194めざましかめれ語り手の感想。3.6.6
注釈195思ひなしに語り手の「思ひなし」である。3.6.6
注釈196劣りまさらむ『完訳』は「帝がまさり、夕霧が劣る意」と注す。3.6.6
注釈197あざやかに匂はしきところは夕霧の美点。3.6.6
注釈198なほさるべきにこそと見えたる御仲らひなめり語り手の批評。『集成』は「やはり前世からのしかるべき宿縁によって、このようにすぐれた方々がお揃いなのだと思われるご両家のようだ。草子地」。『完訳』は「やはり、めでたい御果報に恵まれていらっしゃるのだろう、と思われるご一統同士のようである」と注す。3.6.7
校訂25 いと惜しげ いと惜しげ--いとほ(ほ/$を)しけ 3.6.1
校訂26 楽所 楽所--*かくしよそ 3.6.2
校訂27 まさらむ まさらむ--(/+ま<朱>)さらん 3.6.6
Last updated 9/21/2010(ver.2-3)
渋谷栄一校訂(C)
Last updated 2/27/2010(ver.2-2)
渋谷栄一注釈
Last updated 10/7/2001
渋谷栄一訳(C)(ver.1-2-2)
現代語訳
与謝野晶子
電子化
上田英代(古典総合研究所)
底本
角川文庫 全訳源氏物語
校正・
ルビ復活
kompass(青空文庫)

2003年9月8日

渋谷栄一訳
との突合せ
若林貴幸、宮脇文経

2008年3月22日

Last updated 2/27/2010 (ver.2-2)
Written in Japanese roman letters
by Eiichi Shibuya(C)
Picture "Eiri Genji Monogatari"(1650 1st edition)
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