第三十四帖 若菜上


34 WAKANA-NO-ZYAU (Meiyu-rinmo-bon)


光る源氏の准太上天皇時代
三十九歳暮から四十一歳三月までの物語



Tale of Hikaru-Genji's Daijo Tenno era, from the end of 39 to March the age of 41

6
第六章 光る源氏の物語 女三の宮の六条院降嫁


6  Tale of Genji  Sam-no-Miya moves into Rokujo-in

6.1
第一段 女三の宮、六条院に降嫁


6-1  Sam-no-Miya moves into Rokujo-in

6.1.1   かくて、如月の十余日に、朱雀院の姫宮、六条院へ渡りたまふ。この院にも、 御心まうけ世の常ならず。若菜参りし西の放出に 御帳立てて そなたの一、二の対、渡殿かけて、女房の局々まで、こまかにしつらひ磨かせたまへり。内裏に参りたまふ人の作法をまねびて、 かの院よりも御調度など運ばる。 渡りたまふ儀式、言へばさらなり。
 こうして、二月の十日過ぎに、朱雀院の姫宮、六条院へお輿入れになる。こちらの院におかれても、ご準備は並々でない。若菜を召し上がった西の放出に御帳台を設けて、そちらの西の第一、第二の対、渡殿にかけて、女房の局々に至るまで、念入りに整え飾らせなさっていた。宮中に入内なさる姫君の儀式に似せて、あちらの院からも御調度類が運ばれて来る。お移りになる儀式の盛大さは、今さら言うまでもない。
 二月の十幾日に朱雀すざく院の女三にょさんみやは六条院へおはいりになるのであった。六条院でもその準備がされて、若菜の賀に使用された寝殿の西の離れに帳台を立て、そこに属した一二の対の屋、渡殿わたどのへかけて女房の部屋へやも割り当てた華麗な設けができていた。宮中へはいる人の形式が取られて、朱雀院からもお道具類は運び込まれた。その夜の儀装の列ははなやかなものであった。
  Kakute, Kisaragi no towo-yo-ka ni, Suzyakuwin-no-Himemiya, Rokudeuwin he watari tamahu. Kono Win ni mo, mi-kokoro mauke yo no tune nara zu. Wakana mawiri si nisi no hanatiide ni mi-tyau tate te, sonata no iti, ni no tai, watadono kake te, nyoubau no tubone tubone made, komaka ni siturahi migaka se tamahe ri. Uti ni mawiri tamahu hito no sahohu wo manebi te, kano Win yori mo mi-teudo nado hakoba ru. Watari tamahu gisiki, ihe ba sara nari.
6.1.2  御送りに、上達部などあまた参りたまふ。かの家司望みたまひし大納言も、やすからず思ひながらさぶらひたまふ。 御車寄せたる所に、院渡りたまひて、下ろしたてまつりたまふなども、 例には違ひたることどもなり
 御供奉に、上達部などが大勢お供なさる。あの家司をお望みになった大納言も、面白らかず思いながらも供奉なさっている。お車を寄せた所に、院がお出になって、お下ろし申し上げなさるなども、例には無いことである。
 供奉ぐぶ者には高官も多数に混じっていた。姫宮を主公として結婚をしたいと望んだ大納言も失敗した恨みの涙を飲みながらお付きして来た。お車の寄せられた所へ六条院が出てお行きになって、宮をお抱きおろしになったことなどは新例であった。
  Ohom-okuri ni, Kamdatime nado amata mawiri tamahu. Kano keisi nozomi tamahi si Dainagon mo, yasukara zu omohi nagara saburahi tamahu. Ohom-kuruma yose taru tokoro ni, Win watari tamahi te, orosi tatematuri tamahu nado mo, rei ni ha tagahi taru koto-domo nari.
6.1.3   ただ人におはすれば、よろづのこと限りありて内裏参りにも似ず、婿の大君といはむにもこと違ひて 、めづらしき御仲のあはひどもになむ。
 臣下でいらっしゃるので、何もかも制限があって、入内の儀式とも違うし、婿の大君と言うのとも事情が違って、珍しいご夫婦の関係である。
 天子でおいでになるのではないから入内じゅだいの式とも違い、親王夫人の入輿にゅうよとも違ったものである。
  Tadaudo ni ohasure ba, yorodu no koto kagiri ari te, utimawiri ni mo ni zu, muko no ohokimi to iha m ni mo koto tagahi te, medurasiki ohom-naka no ahahi-domo ni nam.
注釈322かくて如月の十余日に二月十余日に朱雀院の女三の宮が六条院に降嫁。6.1.1
注釈323御帳立てて御帳台を設けて。6.1.1
注釈324そなたの一二の対渡殿かけて六条院の南の御殿には西の対が二棟あり、寝殿に近いほうから第一、第二の対と呼んだ。その対と渡殿にかけて、女三の宮に付き従って来た女房の局を設けた。6.1.1
注釈325渡りたまふ儀式お輿入れの格式、作法。6.1.1
注釈326御車寄せたる所に院渡りたまひて女三の宮の御車は六条院の南の御殿の寝殿南面の階段に着けられる。源氏はそこまで迎えに出る。6.1.2
注釈327例には違ひたることどもなり通常の宮中の入内の儀式作法とは違うという意。6.1.2
注釈328ただ人におはすればよろづのこと限りありて源氏は准太上天皇となったとはいえ、皇族には復帰しておらず、臣下の身分のままであった。『細流抄』は「草子地也」と指摘。『全集』は「准太上天皇という源氏の位は、史実にはない虚構であり、読者が奇異に感じるおそれがある。物語に現実感を与えるために、語り手に批評させた」と注す。6.1.3
注釈329内裏参りにも似ず、 婿の大君といはむにもこと違ひて入内の儀式とも違うしまた普通の結婚すなわち婿が女の家に通うのとも違う。「婿の大君」は、催馬楽「我家」の「我家は 帷帳も 垂れたるを 大君来ませ 婿にせむ 御肴に 何よけむ 鮑栄螺か 石陰子よけむ」を連想させる表現。6.1.3
出典8 婿の大君 我家は (とばり)(ちやう)も 垂れたるを 大君来ませ 聟にせむ 御肴に 何よけむ (あはび)栄螺(さだを)か 石陰子(かせ)よけむ 鮑栄螺か 石陰子よけむ 催馬楽-我家 6.1.3
校訂81 御心 御心--御(御/$)御心 6.1.1
校訂82 御帳 御帳--御帳丁(丁/$) 6.1.1
校訂83 かの院 かの院--こ(こ/=か)の院 6.1.1
6.2
第二段 結婚の儀盛大に催さる


6-2  The wedding celebrations are held splendidly

6.2.1   三日がほど、かの院よりも、主人の院方 よりも、いかめしくめづらしきみやびを尽くしたまふ。
 三日の間は、あちらの院からも、主人である院からも、盛大でまたとないほどの優雅な催しをお尽くしになる。
 三日の間は御しゅうとの院のほうからも、また主人の院からも派手はでな伺候者へのおもてなしがあった。
  Mi-ka ga hodo, kano Win yori mo, aruzi no Winkata yori mo, ikamesiku medurasiki miyabi wo tukusi tamahu.
6.2.2   対の上も、ことに触れてただにも思されぬ世のありさまなり。 げに、かかるにつけて、こよなく 人に劣り消たるることも あるまじけれど、また 並ぶ人なくならひたまひてはなやかに生ひ先遠く、あなづりにくきけはひにて移ろひたまへるに、 なまはしたなく思さるれど、つれなくのみもてなして、御渡りのほども、もろ心にはかなきこともし出でたまひて、 いとらうたげなる御ありさまを、いとどありがたしと思ひきこえたまふ。
 対の上も何かにつけて、平静ではいらっしゃれないお身の回りである。なるほど、このようなことになったからと言って、すっかりあちらに負けて影が薄くなってしまうこともあるまいけれど、また一方でこれまで揺ぎない地位にいらしたのに、華やかでお年も若く、侮りがたい勢いでお輿入れになったので、何となく居心地が悪くお思いになるが、何気ないふうにばかり装って、お輿入れの時も、ご一緒に細々とした事までお世話なさって、まことにかいがいしいご様子を、ますます得がたい人だとお思い申し上げなさる。
 紫の女王にょおうもこうした雰囲気ふんいきの中にいては寂しい気のすることであろうと思われた。夫人は静かにながめていながらも、院との間柄が不安なものになろうとは思わないのであるが、だれよりも愛される妻として動きのない地位をこれまで持った人も、若くて将来の長い内親王が競争者におなりになったのであるから、次第に自分が自分をはずかしめていく気がしないでもない心を、おさえて、おおように姫宮の移っておいでになる前の仕度したくなども院とごいっしょになってしたような可憐かれんな態度に院は感激しておいでになった。
  Tainouhe mo, koto ni hure te tada ni mo obosa re nu yo no arisama nari. Geni, kakaru ni tuke te, koyonaku hito ni otori keta ruru koto mo aru mazikere do, mata narabu hito naku narahi tamahi te, hanayaka ni ohisaki tohoku, anaduri nikuki kehahi nite uturohi tamahe ru ni, nama-hasitanaku obosa rure do, turenaku nomi motenasi te, ohom-watari no hodo mo, moro-kokoro ni hakanaki koto mo si ide tamahi te, ito rautage naru ohom-arisama wo, itodo arigatasi to omohi kikoye tamahu.
6.2.3  姫宮は、げに、まだいと小さく、片なりにおはするうちにも、いといはけなきけしきして、ひたみちに若びたまへり。
 姫宮は、なるほど、まだとても小さく、大人になっていらっしゃらないうえ、まことにあどけない様子で、まるきり子供でいらっしゃった。
 女三の宮はかねて話のあったようにまだきわめて小さくて、幼い人といってもあまりにまでお子供らしいのである。
  Himemiya ha, geni, mada ito tihisaku, katanari ni ohasuru uti ni mo, ito ihakenaki kesiki site, hitamiti ni wakabi tamahe ri.
6.2.4   かの紫のゆかり尋ね取りたまへりし折思し出づるに、
 あの紫のゆかりを探し出しなさった時をお思い出しなさると、
 紫の女王を二条の院へお迎えになった時と院は思い比べて御覧になっても、
  Kano Murasaki no yukari tadune tori tamahe ri si wori obosi iduru ni,
6.2.5  「 かれはされていふかひ ありしを、これは、いといはけなくのみ見えたまへば、 よかめり。憎げにおしたちたることなどはあるまじかめり
 「あちらは気が利いていて手ごたえがあったが、こちらはまことに幼くだけお見えでいらっしゃるので、まあ、よかろう。憎らしく強気に出ることなどもあるまい」
 その時の女王は才気が見えて、相手にしていておもしろい少女おとめであったのに、これは単に子供らしいというのに尽きる方であったから、これもいいであろう、自尊心の多過ぎず出過ぎたことのできない点だけが安心である
  "Kare ha sare te ihukahi ari si wo, kore ha, ito ihakenaku nomi miye tamahe ba, yoka' meri. Nikuge ni ositati taru koto nado ha aru mazika' meri."
6.2.6  と思すものから、「 いとあまりものの栄なき御さまかな」と見たてまつりたまふ。
 とお思いになる一方で、「あまり張り合いのないご様子だ」と拝見なさる。
 と、院はつとめて善意で見ようとされながらも、あまりに言いがいのない新婦であるとおなげかれになった。
  to obosu monokara, "Ito amari mono no hayenaki ohom-sama kana!" to mi tatematuri tamahu.
注釈330三日がほど結婚の三日間の儀礼。6.2.1
注釈331対の上も紫の上。『集成』は「東の対に住むところから出た呼称」。『完訳』は「必ずしも正妻を表す呼称ではない」と注す。6.2.2
注釈332げにかかるにつけて「げに」は以前に源氏が言ったことを受ける。『集成』は「紫の上の心中。以下自然に地の文になる」。『完訳』は「以下、紫の上の心」と注す。心中文と地の文が融合した文章。6.2.2
注釈333人に女三の宮をさす。6.2.2
注釈334あるまじけれど「まじ」打消推量の助動詞。紫の上が推量。6.2.2
注釈335並ぶ人なくならひたまひて紫の上の今までをいう。尊敬の補助動詞「たまふ」が混入するところに、心中文と地の文が融合した表現といえる。「て」接続助詞、逆接。6.2.2
注釈336はなやかに生ひ先遠くあなづりにくきけはひにて女三の宮をいう。6.2.2
注釈337なまはしたなく思さるれどこのあたりまで、心中文と地の文が融合。6.2.2
注釈338いとらうたげなる御ありさまを『集成』は「本当に何の下心もないご様子なのを」。『完訳』は「いかにもいじらしいご様子なのを」と訳す。6.2.2
注釈339かの紫のゆかり尋ね取りたまへりし折紫の上のことをいうのだが、「紫のゆかり」という表現に注意しなければならない。今度の女三の宮も「紫のゆかり」として関心を抱いたのである。すなわち「藤壷」ということが、依然と源氏の心底に行動原理としてあるのである。6.2.4
注釈340よかめり。憎げにおしたちたることなどはあるまじかめり源氏の心中。『完訳』は「幼稚な宮ゆえ紫の上と対抗すまいと安心する一方で、期待を裏切られる気持」と注す。6.2.5
注釈341いとあまりものの栄なき御さまかな源氏の心中。女三の宮に失望。6.2.6
校訂84 よりも よりも--よ(よ/+り)も 6.2.1
校訂85 かれは かれは--かれはかれは(かれは<後出>/$) 6.2.5
校訂86 ありしを ありしを--ありしに(に/$)を 6.2.5
6.3
第三段 源氏、結婚を後悔


6-3  Genji regrets having consented the marriage

6.3.1   三日がほどは、夜離れなく渡りたまふを年ごろさもならひたまはぬ心地に、忍ぶれど、なほものあはれなり。 御衣どもなど、いよいよ薫きしめさせたまふものから、うち眺めてものしたまふけしき、いみじくらうたげにをかし。
 三日間は、毎晩お通いになるのを、今までにこのようなことは経験がおありでないので、堪えはするが、やはり胸が痛む。お召し物などを、いっそう念入りに香を薫きしめさせなさりながら、物思いに沈んでいらっしゃる様子は、たいそういじらしく美しい。
 三日の間は続いてそちらへおいでになるのを、今日までそうしたことにれぬ女王であったから、忍ぼうとしても底から底から寂しさばかりがいてきた。新婚時代の新郎の衣服として宮のほうへおいでになる院のお召し物へ女房に命じて薫香たきものをたきしめさせながら、自身は物思いにとらわれている様子が非常に美しく感ぜられた。
  Mi-ka ga hodo ha, yogare naku watari tamahu wo, tosigoro samo narahi tamaha nu kokoti ni, sinobure do, naho mono ahare nari. Ohom-zo-domo nado, iyoiyo takisime sase tamahu monokara, uti-nagame te monosi tamahu kesiki, imiziku rautage ni wokasi.
6.3.2  「 などて、よろづのことありとも、また人をば並べて見るべきぞ。 あだあだしく、心弱くなりおきにけるわがおこたりに、かかることも出で来るぞかし。若けれど、 中納言をばえ思しかけずなりぬめりしを
 「どうして、どんな事情があるにもせよ、他に妻を迎える必要があったのだろうか。浮気っぽく、気弱になっていた自分の失態から、このような事も出てきたのだ。若いけれど、中納言をお考えに入れずじまいだったようなのに」
 何事があっても自分はもう一人の妻を持つべきではなかったのである。この問題だけを謝絶しきれずに締まりがなく受け入れた自分の弱さからこんな悲しい思いをすることにもなったと、
  "Nadote, yorodu no koto ari tomo, mata hito wo ba narabe te miru beki zo. Adaadasiku, kokoroyowaku nari oki ni keru waga okotari ni, kakaru koto mo idekuru zo kasi. Wakakere do, Tyuunagon wo ba e obosi kake zu nari nu meri si wo."
6.3.3  と、 われながらつらく思し続くるに、涙ぐまれて、
 と、自分ながら情けなくお思い続けられて、つい涙ぐんで、
 院は御自身の心が恨めしくばかりおなりになって、涙ぐんで、
  to, ware nagara turaku obosi tudukuru ni, namidaguma re te,
6.3.4  「 今宵ばかりは、ことわりと許したまひてむな。 これより後のとだえあらむこそ、身ながらも心づきなかるべけれ。 また、さりとて 、かの院に聞こし召さむことよ」
 「今夜だけは、無理もないこととお許しくださいな。これから後に来ない夜があったら、我ながら愛想が尽きるだろう。だが、とは言っても、あちらの院には何とお聞きになろうやら」
 「もう一晩だけは世間並みの義理を私に立てさせてやると思って、行くのを許してください。今日からあとに続けてあちらへばかり行くようなことをする私であったなら、私自身がまず自身を軽蔑けいべつするでしょうね。しかしまた院がどうお思いになることだか」
  "Koyohi bakari ha, kotowari to yurusi tamahi te m na. Kore yori noti no todaye ara m koso, mi nagara mo kokorodukinakaru bekere. Mata, saritote, kano Win ni kikosimesa m koto yo!"
6.3.5  と、思ひ乱れたまへる御心のうち、苦しげなり。 すこしほほ笑みて
 と言って、思い悩んでいらっしゃるご心中、苦しそうである。少しほほ笑んで、
 と、お言いになりながら煩悶はんもんをされる様子がお気の毒であった。夫人は少し微笑をして、
  to, omohi midare tamahe ru mi-kokoro no uti, kurusige nari. Sukosi hohowemi te,
6.3.6  「 みづからの御心ながらだに、え定めたまふまじかなるを、ましてことわりも何も、いづこにとまるべきにか」
 「ご自身のお考えでさえ、お決めになれないようですのに、ましてわたしは無理からぬことやら何やら、どちらに決められましょう」
 「それ御覧なさいませ。御自身のお心だってお決まりにならないのでしょう。ですもの、道理のあるのが強味ともいっておられませんわ」
  "Midukara no mi-kokoro nagara dani, e sadame tamahu mazika' naru wo, masite kotowari mo nani mo, iduko ni tomaru beki ni ka?"
6.3.7  と、いふかひなげにとりなしたまへば、 恥づかしうさへおぼえたまひて、つらづゑをつきたまひて、寄り臥したまへれば、 硯を引き寄せたまひて
 と、取りつく島もないように話を逸らされるので、恥ずかしいまでに思われなさって、頬杖をおつきになって、寄り臥していらっしゃると、硯を引き寄せて、
 絶望的にこう女王に言われては、恥ずかしくさえ院はお思われになって、頬杖ほおづえを突きながらうっとりと横になっておいでになった。紫の女王はすずりを引き寄せて無駄むだ書きを始めていた。
  to, ihukahinage ni torinasi tamahe ba, hadukasiu sahe oboye tamahi te, turaduwe wo tuki tamahi te, yorihusi tamahe re ba, suzuri wo hikiyose tamahi te,
6.3.8  「 目に近く移れば変はる世の中を
   行く末遠く頼みけるかな
 「眼のあたりに変われば変わる二人の仲でしたのに
  行く末長くとあてにしていましたとは
  目に近くうつれば変はる世の中を
  行く末遠く頼みけるかな
    "Me ni tikaku uture ba kaharu yononaka wo
    yukusuwe tohoku tanomi keru kana
6.3.9   古言など書き交ぜたまふを、取りて見たまひて、はかなき言なれど、げにと、ことわりにて、
 古歌などを書き交えていらっしゃるのを、取って御覧になって、何でもない歌であるが、いかにもと、道理に思って、
 と書き、またそうした意味の古歌なども書かれていく紙を、院は手に取ってお読みになり夫人の気持ちをおあわれみになった。
  Hurukoto nado kaki maze tamahu wo, tori te mi tamahi te, hakanaki koto nare do, geni to, kotowari nite,
6.3.10  「 命こそ絶ゆとも絶えめ定めなき
   世の常ならぬ仲の契りを
 「命は尽きることがあってもしかたのないことだが
  無常なこの世とは違う変わらない二人の仲なのだ
  命こそ絶ゆとも絶えめ定めなき
  世の常ならぬ中の契りを
    "Inoti koso tayu to mo taye me sadame naki
    yo no tune nara nu naka no tigiri wo
6.3.11  とみにもえ渡りたまはぬを、
 すぐにはお出かけになれないのを、
 こんな歌を書いて、急に立って行こうともされないのを見て、夫人が、
  Tomini mo e watari tamaha nu wo,
6.3.12  「 いとかたはらいたきわざかな
 「まこと不都合なことです」
 「おそくなっては済みませんことですよ」
  "Ito kataharaitaki waza kana!"
6.3.13  と、そそのかしきこえたまへば、なよよかにをかしきほどに、えならず匂ひて渡りたまふを、見出だしたまふも、 いとただにはあらずかし
 と、お促し申し上げなさると、柔らかで優美なお召し物に、たいそうよい匂いをさせてお出かけになるのを、お見送りなさるのも、まことに平気ではいられないだろう。
 と催促したのを機会に、柔らかな直衣のうしの、えん薫香たきものの香をしませたものに着かえて院が出てお行きになるのを見ている女王の心は平静でありえまいと思われた。
  to, sosonokasi kikoye tamahe ba, nayoyoka ni wokasiki hodo ni, e nara zu nihohi te watari tamahu wo, miidasi tamahu mo, ito tada ni ha ara zu kasi.
注釈342三日がほどは夜離れなく渡りたまふを結婚三日間。源氏は東の対の屋から女三の宮を迎えた寝殿へ通う。6.3.1
注釈343年ごろさもならひたまはぬ心地に紫の上の心地。6.3.1
注釈344御衣どもなどいよいよ薫きしめさせたまふものから「真木柱」巻の鬚黒大将の北の方が夫が雪もよいの夜に玉鬘のもとに通って行こうとするのを送り出す場面と類似する。6.3.1
注釈345などてよろづのことありとも以下「え思しかけずなりぬめりしを」まで、源氏の心中。「などて--みるべきぞ」反語表現。6.3.2
注釈346あだあだしく、心弱くなりおきにけるわがおこたりに源氏の反省。好色心とその気弱さになっている気の緩みとする。「おき(置)」と「き(来)」の相違は重要。後者は頽齢による変化となる。前者は源氏の性格の意になる。6.3.2
注釈347中納言をばえ思しかけずなりぬめりしを「え思しかけずなりぬ」の主語は朱雀院。「めり」推量の助動詞、源氏の主観的推量。「し」過去の助動詞、連体形。「を」接続助詞、逆接。その下に、自分が婿になってしまった、という意が含まれている。『集成』は「夕霧を(朱雀院は)婿にとはお考えにならなかったようなのにと」。『完訳』は「中納言を婿にとはお考えになれずじまいだったらしいものを」と訳す。6.3.2
注釈348われながらつらく思し続くるに明融臨模本と大島本は「おほしつゝくるに」とある。『集成』『新大系』は底本のままとする。『完本』は諸本に従って「思しつづけらるるに」と校訂する。6.3.3
注釈349今宵ばかりは以下「院に聞こし召さむことよ」まで、源氏から紫の上への詞。6.3.4
注釈350これより後のとだえあらむこそ紫の上との夫婦関係をいう。6.3.4
注釈351またさりとて女三の宮との夫婦仲を疎略に扱うことをいう。6.3.4
注釈352すこしほほ笑みて主語は紫の上。6.3.5
注釈353みづからの御心ながらだに以下「いづこにとまるべきにか」まで、紫の上の詞。突き放した物の言い方。6.3.6
注釈354恥づかしうさへおぼえたまひて主語は源氏。6.3.7
注釈355硯を引き寄せたまひて主語は紫の上。6.3.7
注釈356目に近く移れば変はる世の中を--行く末遠く頼みけるかな紫の上の独詠歌。源氏に裏切られ夫婦仲に絶望した意。6.3.8
注釈357古言など書き交ぜたまふを『集成』は「古歌などをまぜてお書きになるのを。自分の心を託す古歌を思いつくままに書く、いわゆる手習である」。『完訳』は「自作歌と同内容の伝承古歌。ありふれた古歌ながら、源氏をして合点させる。この場合の真実のこもる歌として再評価される」と注す。古歌が紫の上の心情に客観的正当性と真実性を賦与する。6.3.9
注釈358命こそ絶ゆとも絶えめ定めなき--世の常ならぬ仲の契りを源氏の返歌。夫婦仲の意の「世の中」を受けて、「定めなき世」という世間一般の世の中の意で切り返し、夫婦仲は変わらないという。6.3.10
注釈359いとかたはらいたきわざかな紫の上の詞。6.3.12
注釈360いとただにはあらずかし語り手の感情移入表現。6.3.13
出典9 目に近く 秋萩の下葉につけて目に近くよそなる人の心をぞ見る 拾遺集雑秋-一一一六 女 6.3.8
校訂87 また また--又△△(△△/#) 6.3.4
6.4
第四段 紫の上、眠れぬ夜を過ごす


6-4  Murasaki doesn't sleep all night

6.4.1  年ごろ、 さもやあらむと思ひしことどもも、今はとのみもて離れたまひつつ、 さらばかくにこそはとうちとけゆく末に、ありありて、かく世の聞き耳も なのめならぬことの出で来ぬるよ。思ひ定むべき世のありさまにもあらざりければ、今より後も うしろめたくぞ思しなりぬる。
 長い間には、もしかしたらと思っていたいろいろな事も、今は終わりとすっかりお絶ちになって、ではこれで大丈夫と、安心なさるようになった今頃になって、とどのつまり、このような世間に外聞の悪い事が出て来るとは。安心できる二人の仲ではなかったのだから、これから先も不安にお思いになるのであった。
 これまでにさらに新婦を得ようとされるらしいぶりはあっても、いよいよことが進行しそうな時に反省しておしまいになる院でおありになったから、ただもう何でもなく順調に幸福が続いていくとばかり信じていた末に、世間のものにも自分の位置をあやぶませるようなことがいてきた。永久に不変なものなどはないこうしたこの世ではまたどんな運命に自分は遭遇するかもしれないと女王は思うようになった。
  Tosigoro, samoya ara m to omohi si koto-domo mo, ima ha to nomi mote-hanare tamahi tutu, saraba kaku ni koso ha to utitoke yuku suwe ni, ari ari te, kaku yo no kikimimi mo nanome nara nu koto no ideki nuru yo. Omohi sadamu beki yo no arisama ni mo ara zari kere ba, ima yori noti mo usirometaku zo obosi nari nuru.
6.4.2  さこそつれなく紛らはしたまへど、さぶらふ人びとも、
 あのようにさりげなく装ってはいらっしゃるが、伺候している女房たちも、
 表面にこの動揺した気持ちは見せないのであるが、女房たちも、
  Sakoso turenaku magirahasi tamahe do, saburahu hitobito mo,
6.4.3  「 思はずなる世なりや。あまたものしたまふやうなれど、いづ方も、皆こなたの御けはひにはかたさり憚るさまにて 過ぐしたまへばこそ、ことなくなだらかにもあれ、 おしたちてかばかりなるありさまに消たれてもえ過ぐしたまふまじ
 「思いがけない事になりましたわね。大勢いらっしゃるようですが、どの方も、皆こちらのご威勢には一歩譲って遠慮なさって来たからこそ、何事もなく平穏でしたのに、誰憚らないこのようなやり方に、負けておしまいになったままではお過ごしになれまい」
 「意外なことになるものですね。ほかの奥様がたはおいでになってもこちらの奥様の競争者などという自信を持つ方もなくて、御遠慮をしていらっしゃるから無事だったのですが、こんなふうにこの奥様をすら眼中にお置きあそばさないような方が出ていらっしってはどうなることでしょう。だれよりも優越性のある方に劣等者の役はお勤まりにはならないでしょう。
  "Omoha zu naru yo nari ya! Amata monosi tamahu yau nare do, idukata mo, mina konata no ohom-kehahi ni ha kata sari habakaru sama nite sugusi tamahe ba koso, koto naku nadaraka ni mo are, ositati te kabakari naru arisama ni, keta re te mo e sugusi tamahu mazi."
6.4.4  「また、さりとて、はかなきことにつけても、安からぬことのあらむ折々、かならずわづらはしきことども出で来なむかし」
 「でも、それはそれとして、ちょっとした事でも、穏やかならぬことがいろいろと起こったら、きっと面倒な事が持ち上がって来ましょうよ」
 そしてまたあちらから申せば、何でもないことに神経をおたかぶらせになるようなこともないとは言われませんから、そこで苦しい争闘が起こって奥様は御苦労をなさるでしょうね」
  "Mata, saritote, hakanaki koto ni tuke te mo, yasukara nu koto no ara m woriwori, kanarazu wadurahasiki koto-domo ideki nam kasi."
6.4.5  など、おのがじしうち語らひ嘆かしげなるを、 つゆも見知らぬやうにいとけはひをかしく物語などしたまひつつ、夜更くるまで おはす
 などと、朋輩同士話し合って嘆いているふうなのを、少しも知らないふうに、まことに感じも優雅にお話などをなさりながら、夜が更けるまで起きていらっしゃる。
 などと語ってなげいているのであったが、少しも気にせぬふうで、機嫌きげんよく夫人は皆と話をして夜がふけるまで座敷に出ていたが、
  nado, onogazisi uti-katarahi nagekasige naru wo, tuyu mo mi sira nu yau ni, ito kehahi wokasiku monogatari nado si tamahi tutu, yo hukuru made ohasu.
注釈361さもやあらむ『集成』は「自分を上廻る地位の正夫人が迎えられるのでないかと思ったこと」。以下、紫の上の心中に即した地の文。6.4.1
注釈362さらばかくにこそは朝顔の姫君との事件が落着したことを受ける。6.4.1
注釈363なのめならぬこと『集成』は「外聞の悪いこと」。『完訳』は「不都合なこと」と訳す。6.4.1
注釈364思はずなる世なりや以下「出で来なむかし」まで、女房たちの詞。6.4.3
注釈365過ぐしたまへばこそ「こそ」--「なだらかにもあれ」係結び、逆接用法。6.4.3
注釈366おしたちてかばかりなるありさまに『集成』は「(女三の宮方の)誰憚らぬこうしたやり方に。女三の宮の婚儀のさまを、紫の上づきの女房の視点で言う」と注す。6.4.3
注釈367消たれてもえ過ぐしたまふまじ明融臨模本と大島本は「たまふまし」とある。『集成』『新大系』は底本(明融臨模本・大島本)のままとする。『完本』は諸本に従って「たまはじ」と校訂する。主語は紫の上。6.4.3
注釈368つゆも見知らぬやうに紫の上の態度。6.4.5
注釈369いとけはひをかしく『集成』は「いかにも優雅な風情で」。『完訳』は「まことにご機嫌よく」と訳す。6.4.5
校訂88 うしろめたく うしろめたく--うしろめたな(な/$)く 6.4.1
校訂89 おはす おはす--おも(も/$)はす 6.4.5
6.5
第五段 六条院の女たち、紫の上に同情


6-5  Women in Rokujo-in sympathize with Murasaki

6.5.1  かう人のただならず言ひ思ひたるも、聞きにくしと思して、
 このように女房たちが容易ならぬことを言ったり思ったりしているのも、聞きにくいことだとお思いになって、
 女房たちの中にあるそうした空気が外へ知れては醜いように思って言った。
  Kau hito no tadanarazu ihi omohi taru mo, kikinikusi to obosi te,
6.5.2  「 かく、これかれあまたものしたまふめれど御心にかなひて、今めかしくすぐれたる際にもあらずと、目馴れてさうざうしく思したりつるに、 この宮のかく渡りたまへるこそ、めやすけれ
 「このように、だれかれと大勢いらっしゃるようですが、お気持ちにかなった、華やかな高い身分ではないと、目馴れて物足りなくお思いになっていたところに、この宮がこのようにお輿入れなさったことは、本当に結構なことです。
 「院には何人もの女性が侍しておられるのだけれど、理想的な御配偶とお認めになるはなやかな身分の人はないとお思いになって、物足らず思召していらっしゃったのだから、宮様がおいでになってこれで完全になったのよ。
  "Kaku, korekare amata monosi tamahu mere do, mi-kokoro ni kanahi te, imamekasiku sugure taru kiha ni mo ara zu to, menare te sauzausiku obosi tari turu ni, kono Miya no kaku watari tamahe ru koso, meyasukere!
6.5.3  なほ、童心の失せぬにやあらむ、われも睦びきこえてあらまほしきを、 あいなく隔てあるさまに人びとやとりなさむとすらむ。 ひとしきほど、劣りざまなど思ふ人にこそ、ただならず耳たつことも、おのづから出で来るわざなれかたじけなく、心苦しき御ことなめれば、いかで心おかれたてまつらじとなむ思ふ」
 まだ、子供心が抜けないのでしょうか、わたしもお親しくさせていただきたいのですが、困ったことにこちらに隔て心があるかのように皆が考えようとするのかしら。同じ程度の人とか、劣っていると思う人に対しては、黙って聞き流すわけに行かないことも、ついつい起こるものですが、恐れ多く、お気の毒な御事情がおありらしいので、何とか親しくさせていただきたいと思っています」
 私はまだ子供の気持ちがなくなっていないと見えて、いっしょに遊んで楽しく暮らしたくばかり思っているのに、皆が私の気持ちを忖度そんたくして面倒な関係にしてしまわないかと心配よ。自分と同じほどの人とか、もっと下の人とかには、あの人が自分より多く愛されることは不愉快だというような気持ちは自然起こるものだけれど、あちらは高貴な方で、お気の毒な事情でこうしておいでになったのだから、その方に悪くお思われしたくないと私は努めているのよ」
  Naho, warahagokoro no use nu ni ya ara m, ware mo mutubi kikoye te aramahosiki wo, ainaku hedate aru sama ni hitobito ya torinasa m to su ram. Hitosiki hodo, otorizama nado omohu hito ni koso, tada nara zu mimi tatu koto mo, onodukara idekuru waza nare, katazikenaku, kokorogurusiki ohom-koto na' mere ba, ikade kokorooka re tatematura zi to nam omohu."
6.5.4  などのたまへば、中務、中将の君などやうの人びと、目をくはせつつ、
 などとおっしゃると、中務、中将の君などといった女房たちは、目くばせしながら、
 中将とか中務なかつかさとかいう女房は目を見合わせて、
  nado notamahe ba, Nakatukasa, Tyuuzyau-no-Kimi nado yau no hitobito, me wo kuhase tutu,
6.5.5  「 あまりなる御思ひやりかな
 「あまりなお心づかいですこと」
 「あまりに思いやりがおありになり過ぎるようね」
  "Amari naru ohom-omohiyari kana!"
6.5.6   など言ふべし。昔は、ただならぬさまに使ひならしたまひし人どもなれど、 年ごろはこの御方にさぶらひて、皆 心寄せきこえたるなめり
 などと、きっと言っているであろう。昔は、普通の女房よりは親しく使っていらした女房たちであるが、ここ何年かはこちらの御方にお仕えして、皆お味方申しているようである。
 ともひそかに言っていた。この人たちは若いころに院の御愛人であったが、須磨すまへおいでになった留守中から夫人付きになっていて、皆女王を愛していた。
  nado ihu besi. Mukasi ha, tada nara nu sama ni tukahi narasi tamahi si hito-domo nare do, tosigoro ha kono ohom-Kata ni saburahi te, mina kokoroyose kikoye taru na' meri.
6.5.7  異御方々よりも、
 他の御方々からも、
 他の夫人の中には、
  Koto ohom-katagata yori mo,
6.5.8  「 いかに思すらむ。もとより思ひ離れたる人びとは、なかなか心安きを
 「どのようなお気持ちでしょう。初めから諦めているわたしたちには、かえって平気ですが」
 どんなお気持ちがなさることでしょう、愛されない者のあきらめが平生からできている自分らとは違っておいでになったのであるから
  "Ikani obosu ram? Moto yori omohi hanare taru hitobito ha, nakanaka kokoroyasuki wo."
6.5.9  など、おもむけつつ、とぶらひきこえたまふもあるを、
 などと、こちらの気を引きながら、お慰め申される方もあるが、
 という意味の慰問をする人もあるので、
  nado, omomuke tutu, toburahi kikoye tamahu mo aru wo,
6.5.10  「 かく推し量る人こそ、なかなか苦しけれ。世の中もいと常なきものを、などてかさのみは思ひ悩まむ
 「このように推量する人こそ、かえって厄介なこと。世の中もまことに無常なものなのに、どうしてそんなにばかり思い悩んでいよう」
 女王はそんな同情をされることがかえって自分には苦痛になる。無常のこの世にいてそう夫婦愛に執着している自分でもないもの
  "Kaku osihakaru hito koso, nakanaka kurusikere. Yononaka mo ito tune naki mono wo, nadote ka sa nomi ha omohi nayama m?"
6.5.11  など思す。
 などとお思いになる。
 と思っていた。
  nado obosu.
6.5.12  あまり久しき 宵居も、例ならず人やとがめむと、心の鬼に思して、入りたまひぬれば、 御衾参りぬれどげにかたはらさびしき夜な夜な経にけるも、なほ、ただならぬ心地すれど、かの須磨の御別れの折などを思し出づれば、
 あまり遅くまで起きているのも、いつにないことと、皆が変に思うだろうと気が咎めて、お入りになったので、御衾をお掛けしたが、なるほど独り寝の寂しい夜々を過ごしてきたのも、やはり、穏やかならぬ気持ちがするが、あの須磨のお別れの時などをお思い出しになると、
 あまりに長く寝ずにいるのも人が異様に思うであろうと我と心にとがめられて、帳台へはいると、女房は夜着を掛けてくれた。人からあわれまれているとおりに確かに自分は寂しい、自分のめているものはにがいほかの味のあるものではないと夫人は思ったが、須磨すまへ源氏の君の行ったころを思い出して
  Amari hisasiki yohiwi mo, rei nara zu hito ya togame m to, kokoro-no-oni ni obosi te, iri tamahi nure ba, ohom-husuma mawiri nure do, geni katahara sabisiki yonayona he ni keru mo, naho, tada nara nu kokoti sure do, kano Suma no ohom-wakare no wori nado wo obosi idure ba,
6.5.13  「 今はと、かけ離れたまひても、ただ 同じ世のうちに 聞きたてまつらましかばと、わが身までのことはうち置き、 あたらしく悲しかりしありさまぞかし。さて、その紛れに、われも人も 命堪へずなりなましかば、いふかひあらまし世かは
 「もう最後だと、お離れになっても、ただ同じこの世に無事でいらっしゃるとお聞き申すのであったらと、自分の身の上までのことはさておいて、惜しみ悲しく思ったことだわ。あのまま、あの騷ぎの中に、自分も殿も死んでしまったならば、お話にもならない二人の仲であったろうに」
 遠くに隔たっていようとも同じ世界に生きておいでになることで心を慰めようとそのころはした、自分がどんなにみじめであるかは心で問題にせず源氏の君のせめて健在でいることだけを喜んだではないか、その時の悲しみがもとで源氏の君なり自分なりが死んでいたとしたら、それからのち今日までの幸福はけられなかったのである
  "Ima ha to, kake-hanare tamahi te mo, tada onazi yo no uti ni kiki tatematura masika ba to, waga mi made no koto ha uti-oki, atarasiku kanasikari si arisama zo kasi. Sate, sono magire ni, ware mo hito mo inoti tahe zu nari na masika ba, ihu kahi ara masi yo kaha."
6.5.14  と思し直す。
 とお思い直される。
 ともまた思い直されもするのであった。
  to obosi nahosu.
6.5.15   風うち吹きたる夜のけはひ冷やかにて、ふとも 寝入られたまはぬを、近くさぶらふ人びと、 あやしとや聞かむと、うちも身じろきたまはぬも、なほいと苦しげなり。 夜深き鶏の声の聞こえたるも、ものあはれなり。
 風が吹いている夜の様子が冷やかに感じられて、急には寝つかれなされないのを、近くに伺候している女房たち、変に思いはせぬかと、身動き一つなさらないのも、やはりまことにつらそうである。夜深いころの鶏の声が聞こえるのも、しみじみと哀れを感じさせる。
 外には風の吹いている夜の冷えで急には眠れない。近くに寝ている女房が寝返りの音を聞いて気をもむことがあるかもしれぬと思うことで、床の中でじっとしているのもまた女王に苦しいことであった。一番どりの声も身にんで聞かれた。
  Kaze uti-huki taru yo no kehahi hiyayaka nite, huto mo ne ira re tamaha nu wo, tikaku saburahu hitobito, ayasi to ya kika m to, uti mo miziroki tamaha nu mo, naho ito kurusige nari. Yobukaki tori no kowe no kikoye taru mo, mono ahare nari.
注釈370かくこれかれあまたものしたまふめれど以下「心おかれたてまつらじとなむ思ふ」まで、紫の上の詞。源氏の夫人方をさしていう。6.5.2
注釈371御心にかなひて源氏の心に叶って。紫の上からの推測。6.5.2
注釈372この宮のかく渡りたまへるこそ、めやすけれ『集成』は「准太上天皇にふさわしい身分の北の方であることをいう」と注す。「こそ」係助詞は、「めやすけれ」に係り、強調のニュアンスを表す。6.5.2
注釈373あいなく隔てあるさまに『完訳』は「口さがない女房たちの陰口に釘をさす」と注す。6.5.3
注釈374ひとしきほど、劣りざまなど思ふ人にこそ、ただならず耳たつことも、おのづから出で来るわざなれ同程度の身分や劣った身分に対しては、つい張り合って黙っていられないこともあるものだ、とする当時の貴族社会の人情をいう。6.5.3
注釈375かたじけなく心苦しき御ことなめれば皇女であるにもかかわらず、後見人がいない事情をいう。6.5.3
注釈376あまりなる御思ひやりかな中務や中将の君の詞。間接話法。かつての源氏の召人だった、すなわちお手つきの女房たち。源氏が須磨明石へと流離した際に、紫の上付きの女房となった人たち。6.5.5
注釈377など言ふべし『休聞抄』は「双」と指摘。「べし」推量の助動詞。語り手の強い推量のニュアンス。6.5.6
注釈378年ごろは源氏が須磨へ流離して以後。6.5.6
注釈379心寄せきこえたるなめり「な」伝聞推定の助動詞。「めり」推量の助動詞。『紹巴抄』は「双注」と指摘。語り手の主観的推量。6.5.6
注釈380いかに思すらむもとより思ひ離れたる人びとはなかなか心安きを花散里や明石御方からのお見舞い。間接話法。『集成』は「こういう場合は、見舞うのが当時の妻妾間の礼儀であった」。『蜻蛉日記』の作者から時姫へのお見舞いが想起される。『完訳』の「このあたりの同情には、紫の上の不幸を喜ぶ気持さえあろう」と注すのは、花散里や明石御方の人柄からして、いかがなものか。6.5.8
注釈381かく推し量る人こそ、なかなか苦しけれ。世の中もいと常なきものを、などてかさのみは思ひ悩まむ紫の上の心中。『完訳』は「「世の中」は夫婦仲の意にとどまらず世間一般。人間世界の無常の自覚から、男女間の愛憎を超えようとする。彼女の新しい境地」と注す。
【などてかさのみは思ひ悩まむ】−「などて」--「悩まむ」反語表現。『集成』は「なぜそう執着することがあろう」。『完訳』は「どうしてあの方たちのようにくよくよしてばかりいられよう」と訳す。
6.5.10
注釈382御衾参りぬれど主語は女房。6.5.12
注釈383げにかたはらさびしき夜な夜な経にけるも『完訳』は「御方々の慰めの言葉どおりに」。女三の宮に通う新婚三日間の夜がれをいう。6.5.12
注釈384今はとかけ離れたまひても以下「あらまし世かは」まで、紫の上の心中。6.5.13
注釈385同じ世のうちにこの世をいう。6.5.13
注釈386聞きたてまつらましかばと無事でいると、という内容が含まれる。「ましかば」は仮想表現。6.5.13
注釈387あたらしく悲しかりしありさまぞかし源氏の身についていう。6.5.13
注釈388命堪へずなりなましかばいふかひあらまし世かは「命堪へず」すなわち、死んでしまったらの意。「ましかば--まし」反実仮想構文。「かは」係助詞、反語の意。実際は死ななかったので、かいのある二人の仲であった、の意。6.5.13
注釈389風うち吹きたる夜のけはひ冷やかにて紫の上の心象風景、また心中の象徴表現。6.5.15
注釈390寝入られたまはぬを「れ」可能の助動詞。寝つくことがおできになれないの意。6.5.15
注釈391あやしとや聞かむ「や」係助詞、疑問。「む」推量の助動詞、連体形。『完訳』は「様子が変だと思われはせぬかと」と注す。6.5.15
注釈392夜深き鶏の声の聞こえたるも夜明けにはまだ間のある暗いうち、一番鶏が鳴きだす。紫の上が眠らずに朝を迎えたことを語る。6.5.15
校訂90 心寄せ 心寄せ--心よ(よ/+せ) 6.5.6
校訂91 宵居 宵居--よ(よ/+ひ)ゐ 6.5.12
6.6
第六段 源氏、夢に紫の上を見る


6-6  Genji sees Murasaki in his dream

6.6.1   わざとつらしとにはあらねど、かやうに思ひ乱れたまふけにや かの御夢に見えたまひければ、うちおどろきたまひて、いかにと心騒がしたまふに、 鶏の音待ち出でたまへれば、夜深きも知らず顔に、急ぎ出でたまふ。いといはけなき御ありさまなれば、乳母たち近くさぶらひけり。
 特別に恨めしいというのではないが、このように思い乱れなさったためであろうか、あちらの御夢に現れなさったので、ふと目をお覚ましになって、どうしたのかと胸騷ぎがなさるので、鶏の声をお待ちになっていたので、まだ夜の深いのも気づかないふりをして、急いでお帰りになる。とても子供子供したご様子なので、乳母たちが近くに伺候していた。
 恨んでばかりいるのでもなかったが、夫人のこんなに苦しんでいたことのあちらへ通じたのか、院は夫人の夢を御覧になった。目がさめて胸騒ぎのあそばされる院は鶏の鳴くのを聞いておいでになって、その声が終わるとすぐに宮の御殿をお出になるのであったが、お若い宮であるために乳母たちが近くにやすんでいて、
  Wazato turasi to ni ha ara ne do, kayau ni omohi midare tamahu ke ni ya, kano ohom-yume ni miye tamahi kere ba, uti-odoroki tamahi te, ikani to kokoro sawagasi tamahu ni, tori no ne mati ide tamahe re ba, yobukaki mo sirazugaho ni, isogi ide tamahu. Ito ihakenaki ohom-arisama nare ba, menoto-tati tikaku saburahi keri.
6.6.2  妻戸押し開けて出でたまふを、見たてまつり送る。 明けぐれの空に、雪の光見えておぼつかなし。名残までとまれる御匂ひ、
 妻戸を押し開けてお出になるのを、お見送り申し上げる。明け方の暗い空に、雪の光が見えてぼんやりとしている。後に残っている御匂いに、
 その人たちが院の妻戸をあけて外へ出られるのをお見送りした。夜明け前のしばらくだけことさらに暗くなる時間で、わずかな雪の光で院のお姿がその人たちに見えるのである。院のお服から発散された香気がまだあとに濃く漂っているのに乳母たちは気づいて
  Tumado osiake te ide tamahu wo, mi tatematuri okuru. Akegure no sora ni, yuki no hikari miye te obotukanasi. Nagori made tomare ru ohom-nihohi,
6.6.3  「 闇はあやなし
 「闇はあやなし」
 「春の夜のやみはあやなし梅の花」
  "Yami ha ayanasi"
6.6.4  と 独りごたる
 とつい独り言が出る。
 などとも古歌が思わず口に上りもした。
  to hitorigota ru.
6.6.5  雪は所々消え残りたるが、いと白き庭の、ふと けぢめ見えわかれぬほどなるに、
 雪は所々に消え残っているのが、真白な庭と、すぐには見分けがつかぬほどなので、
 院は所々にたまった雪の色も砂子の白さと差別のつきにくい庭をながめながら対のほうへ向いてお歩きになりながら
  Yuki ha tokorodokoro kiye nokori taru ga, ito siroki niha no, huto kedime miye wakare nu hodo naru ni,
6.6.6  「 なほ残れる雪
 「今も残っている雪」
 なお「残れる雪」
  "Naho nokore ru yuki"
6.6.7  と忍びやかに口ずさびたまひつつ、御格子うち叩きたまふも、久しくかかることなかりつるならひに、 人びとも空寝をしつつ、やや待たせたてまつりて、引き上げたり。
 とひっそりとお口ずさみなさりながら、御格子をお叩きなさるのも、長い間こうしたことがなかったのが常となって、女房たちも空寝をしては、ややお待たせ申してから、引き上げた。
 と口ずさんでおいでになった。対の格子をおたたきになったが、久しく夜明けの帰りなどをあそばされなかったのであったから、女房たちはくやしい気になってしばらく寝入ったふうをしていてやっとあとに格子をお上げした。
  to sinobiyaka ni kutizusabi tamahi tutu, mi-kausi uti-tataki tamahu mo, hisasiku kakaru koto nakari turu narahi ni, hitobito mo sorane wo si tutu, yaya mata se tatematuri te, hikiage tari.
6.6.8  「 こよなく久しかりつるに、身も冷えにけるは。 懼ぢきこゆる心のおろかならぬにこそあめれ。さるは、罪もなしや」
 「ずいぶん長かったので、身もすっかり冷えてしまったよ。お恐がり申す気持ちが並々でないからでしょう。とは言っても、別に私には罪はないのだがね」
 「長く外に待たされて、身体からだが冷え通る気がしたのも、それは私の心が済まぬとあなたを恐れる内部のせいで、女房に罪はなかったのかもしれない」
  "Koyonaku hisasikari turu ni, mi mo hiye ni keru ha. Odi kikoyuru kokoro no oroka nara nu ni koso a' mere. Saruha, tumi mo nasi ya!"
6.6.9  とて、 御衣ひきやりなどしたまふに、すこし濡れたる御単衣の袖をひき隠して、 うらもなくなつかしきものから、うちとけてはたあらぬ御用意などいと恥づかしげにをかし
 と言って、御衾を引きのけなどなさると、少し涙に濡れた御単衣の袖を引き隠して、素直でやさしいものの、仲直りしようとはなさらないお気持ちなど、とてもこちらが恥ずかしくなるくらい立派である。
 と、院はお言いになりながら、夫人の夜着を引きあけて御覧になると、少し涙でれている下の単衣ひとえそでを隠そうとする様子が美しく心へお受け取られになった。しかも打ち解けぬものが夫人の心にあって品よくえんな趣なのである。
  tote, ohom-zo hiki-yari nado si tamahu ni, sukosi nure taru ohom-hitohe no sode wo hiki-kakusi te, ura mo naku natukasiki monokara, utitoke te hata ara nu ohom-youi nado, ito hadukasige ni wokasi.
6.6.10  「 限りなき人と聞こゆれど、難かめる世を
 「この上ない身分の人と申しても、これほどの人はいまい」
 最高の貴女きじょといっても完全にもののととのわぬうらみがあるのに
  "Kagirinaki hito to kikoyure do, kataka' meru yo wo."
6.6.11  と、 思し比べらる
 と、ついお比べにならずにはいられない。
 と院は新婦の宮と紫の女王を心にくらべておいでになった。
  to, obosi kurabe raru.
6.6.12  よろづいにしへのことを思し出でつつ、とけがたき御けしきを怨みきこえたまひて、その日は暮らしたまひつれば、え渡りたまはで、寝殿には御消息を聞こえたまふ。
 いろいろと昔のことをお思い出しになりながら、なかなか機嫌を直してくださらないのをお恨み申し上げなさって、その日はお過ごしになったので、お渡りになれず、寝殿にはお手紙を差し上げなさる。
 二人が来た道を振り返ってお話しになりながら、恨みの解けぬふうな夫人をなだめて翌日はずっとそばを離れずにおいでになったあとでは、夜になっても宮のほうへお行きになれずに手紙だけをお送りになった。
  Yorodu inisihe no koto wo obosi ide tutu, toke gataki mi-kesiki wo urami kikoye tamahi te, sono hi ha kurasi tamahi ture ba, e watari tamaha de, sinden ni ha ohom-seusoko wo kikoye tamahu.
6.6.13  「 今朝の雪に心地あやまりて、いと悩ましくはべれば、心安き方にためらひはべる」
 「今朝の雪で気分を悪くして、とても苦しゅうございますので、気楽な所で休んでおります」
 今暁けさの雪に健康をそこねて苦しい気がしますから、気楽な所で養生をしようと思います。
  "Kesa no yuki ni kokoti ayamari te, ito nayamasiku habere ba, kokoroyasuki kata ni tamerahi haberu."
6.6.14  とあり。御乳母、
 とある。御乳母は、
 というのであった。乳母めのとの、
  to ari. Ohom-menoto,
6.6.15  「 さ聞こえさせはべりぬ
 「さように申し上げました」
 「そのとおりに申し上げました」
  "Sa kikoyesase haberi nu."
6.6.16   とばかり、言葉に聞こえたり
 とだけ、口上で申し上げた。
 という言葉を使いが聞いて来た。
  to bakari, kotoba ni kikoye tari.
6.6.17  「 異なることなの御返りや」と思す。「 院に聞こし召さむこともいとほし。このころばかりつくろはむ」と思せど、えさもあらぬを、「 さは思ひしことぞかし。あな苦し」と、みづから思ひ続けたまふ。
 「そっけないお返事だ」とお思いになる。「院がお耳にあそばすこともおいたわしい、しばらくの間は人前を取り繕う」とお思いになるが、そうもできないので、「それは思ったとおりだった。ああ困ったことだ」と、ご自身お思い続けなさる。
 平凡な返事であると院はお思いになった。朱雀すざく院がどうお思いになるかということが気がかりであるから、当分はあちらを立てるようにしておきたいと院はお思いになっても、実行に伴う苦痛が堪えがたく、なんということであろうと悲しんでおいでになった。
  "Kotonaru koto na no ohom-kaheri ya!" to obosu. "Win ni kikosimesa m koto mo itohosi. Konokoro bakari tukuroha m." to obose do, e samo ara nu wo, "Saha omohi si koto zo kasi. Ana kurusi!" to, midukara omohi tuduke tamahu.
6.6.18  女君も、「 思ひやりなき御心かな」と、苦しがりたまふ。
 女君も、「お察しのないお方だ」と、迷惑がりなさる。
 夫人も、「あちらへ御同情心の欠けたことでございますよ」と言いつつ自分の立場を苦しんでいた。
  Womnagimi mo, "Omohiyari naki ohom-kokoro kana!" to, kurusigari tamahu.
注釈393わざとつらしとにはあらねどかやうに思ひ乱れたまふけにや『湖月抄』は「草子地よりいふ也」と指摘。語り手の推測。挿入句。場面は、寝殿の女三の宮の閨、源氏のいる場面に移る。6.6.1
注釈394かの御夢に見えたまひければ源氏の夢の中に紫の上が現れた。『完訳』は「紫の上の迷乱する魂が、その意志を超えて、現れ出たかとする」と注す。6.6.1
注釈395鶏の音待ち出でたまへれば『集成』は「心待ちしていた鶏の鳴くのをお聞きになったので。さきほどの「夜深き鶏の声」を源氏も聞き、鶏の音にかこつけて、まだ暗いのに帰る」と注す。6.6.1
注釈396闇はあやなし「春の夜の闇はあやなし梅の花色こそ見えね香やは隠るる」(古今集春上、四一、凡河内躬恒)。『完訳』は「深夜のうちに帰るのはひどい、の寓意」と注す。6.6.3
注釈397けぢめ見えわかれぬほど白い砂と雪との見分けがつかないの意。6.6.5
注釈398なほ残れる雪と「子城の陰なる処には猶残れる雪あり衙鼓の前には未だ塵有らず」(白氏文集巻十六、*楼暁望 *=广+臾)6.6.6
注釈399人びとも空寝をしつつ『集成』は「源氏を懲らしめようというつもり」。『完訳』は「女房たちの、源氏への意地悪」と注す。6.6.7
注釈400こよなく久しかりつるに以下「さるは罪もなしや」まで、源氏の詞。6.6.8
注釈401懼ぢきこゆる心の源氏が紫の上に対して。6.6.8
注釈402御衣ひきやりなどしたまふに主語は源氏。「御衣」について、『集成』は「お召し物」。『完訳』は「御夜着」と訳す。6.6.9
注釈403うらもなくなつかしきものからうちとけてはたあらぬ御用意など『集成』は「すねたりもなさらずやさしいものの、仲直りしようとはなさらぬお心配りなど」。『完訳』は「何のお恨みもなくやさしくしていらっしゃるものの、といってすっかり許しておしまいになるのでもないお心づかいなど」と訳す。6.6.9
注釈404いと恥づかしげにをかし『集成』は「とても気がひけるほどで風情がある」。『完訳』は「まったく殿にとっては顔向けもならぬくらいゆかしいお方である」と訳す。6.6.9
注釈405限りなき人と聞こゆれど難かめる世を源氏の心中。紫の上の人柄を賞賛。6.6.10
注釈406思し比べらる紫の上と女三の宮を。「らる」自発の助動詞。6.6.11
注釈407今朝の雪に心地あやまりて以下「心安き方にためらひはべる」まで、源氏から女三の身への手紙文。6.6.13
注釈408さ聞こえさせはべりぬ女三の宮の乳母の返事。6.6.15
注釈409とばかり言葉に聞こえたり乳母が源氏に。「ばかり」副助詞。限定の意とその強調のニュアンス。「言葉」は口頭での意。本来、宮自筆の手紙があってしかるべきという含み。6.6.16
注釈410異なることなの御返りや源氏の感想。以下、源氏の感想を交えて語っていく。6.6.17
注釈411院に聞こし召さむことも以下「つくろはむ」まで、源氏の心中。6.6.17
注釈412さは思ひしことぞかしあな苦し源氏の心中。6.6.17
注釈413思ひやりなき御心かな紫の上の心中。『集成』は「紫の上が引き止めているのではないかと、誤解される立場にあることを察してほしいと思う」。『完訳』は「自分が源氏を引き止めていると誤解されるのを恐れる」と注す。6.6.18
出典10 明けぐれの空 あけぐれの空にぞ我は迷ひぬる思ふ心のゆかぬまにまに 拾遺集恋二-七三六 源順 6.6.2
出典11 闇はあやなし 春の夜の闇はあやなし梅の花色こそ見えね香やはかくるる 古今集春上-四一 凡河内躬恒 6.6.3
出典12 なほ残れる雪 子城陰處猶残雪 衙鼓声前未有塵 白氏文集巻十六-九一一 6.6.6
校訂92 つらし つらし--つく(く/$ら)し 6.6.1
校訂93 独りごたる 独りごたる--ひとりみ(み/$こ)たる 6.6.4
6.7
第七段 源氏、女三の宮と和歌を贈答


6-7  Genji and Sam-no-Miya exchange waka in the morning

6.7.1   今朝は、例のやうに大殿籠もり起きさせたまひて、宮の御方に御文たてまつれたまふ。 ことに恥づかしげもなき御さまなれど、御筆などひきつくろひて、 白き紙に
 今朝は、いつものようにこちらでお目覚めになって、宮の御方にお手紙を差し上げなさる。特別に気の張らないご様子であるが、お筆などを選んで、白い紙に、
 次の日はこれまでのとおりに自室でお目ざめになって、宮の御殿へ手紙をお書きになるのであった。晴れがましくは少しもお思いにならぬ相手ではあったが、筆を選んで白い紙へ、
  Kesa ha, rei no yau ni ohotonogomori oki sase tamahi te, Miya no ohom-kata ni ohom-humi tatemature tamahu. Koto ni hadukasige mo naki ohom-sama nare do, ohom-hude nado hiki-tukurohi te, siroki kami ni,
6.7.2  「 中道を隔つるほどはなけれども
   心乱るる今朝のあは雪
 「わたしたちの仲を邪魔するほどではありませんが
 降り乱れる今朝の淡雪にわたしの心も乱れています
  中道を隔つるほどはなけれども
  心乱るる今朝けさのあは雪
    "Nakamiti wo hedaturu hodo ha nakere domo
    kokoro midaruru kesa no ahayuki
6.7.3  梅に付けたまへり。人召して、
 梅の枝にお付けなさった。人を呼び寄せて、
 と書いて、梅の枝へお付けになった。侍をお呼びになって、
  Mume ni tuke tamahe ri. Hito mesi te,
6.7.4  「 西の渡殿よりたてまつらせよ
 「西の渡殿から差し上げなさい」
 「西の渡殿のほうから参って差し上げるように」
  "Nisi no watadono yori tatematura se yo."
6.7.5  とのたまふ。やがて見出だして、端近くおはします。白き御衣どもを着たまひて、花をまさぐりたまひつつ、「 友待つ雪」のほのかに残れる上に 、うち散り添ふ空を眺めたまへり。鴬の若やかに、近き紅梅の末にうち鳴きたるを、
 とおっしゃる。そのまま外を見出して、端近くにいらっしゃる。白い御衣類を何枚もお召しになって、花を玩びなさりながら、「友待つ雪」がほのかに残っている上に、雪の降りかかる空をながめていらっしゃった。鴬が初々しい声で、軒近い紅梅の梢で鳴いているのを、
 とお命じになった。そして院はそのまま縁に近い座敷で庭をながめておいでになった。白い服をお召しになって、梅の枝の残りを手にまさぐっておいでになるのである。仲間を待つ雪がほのかに白く残っている上に新しい雪も散っていた。若やかな声でうぐいすが近いところの紅梅のこずえで鳴くのがお耳にはいって、
  to notamahu. Yagate miidasi te, hasi tikaku ohasimasu. Siroki ohom-zo-domo wo ki tamahi te, hana wo masaguri tamahi tutu, tomo matu yuki no honokani nokore ru uhe ni, uti-tiri sohu sora wo nagame tamahe ri. Uguhisu no wakayaka ni, tikaki koubai no suwe ni uti-naki taru wo,
6.7.6  「 袖こそ匂へ
 「袖が匂う」
 「そでこそにほへ」(折りつれば袖こそ匂へ梅の花ありとやここに鶯ぞく)
  "Sode koso nihohe"
6.7.7  と花をひき隠して、御簾押し上げて眺めたまへるさま、 夢にも、かかる人の親にて、重き位と見えたまはず、若うなまめかしき御さまなり。
 と花を手で隠して、御簾を押し上げて眺めていらっしゃる様子は、少しも、このような人の親で重い地位のお方とはお見えでなく、若々しく優美なご様子である。
 と口ずさんで、花をお持ちになった手を袖に引き入れながら、御簾みすを掲げて外を見ておいでになる姿は、ゆめにも院などという御位みくらいの方とは見えぬ若々しさである。
  to hana wo hiki-kakusi te, mi-su osiage te nagame tamahe ru sama, yume ni mo, kakaru hito no oya nite, omoki kurawi to miye tamaha zu, wakau namamekasiki ohom-sama nari.
6.7.8   御返り、すこしほど経る心地すれば、入りたまひて、女君に花見せたてまつりたまふ。
 お返事が、少し暇どる感じなので、お入りになって、女君に花をお見せ申し上げなさる。
 寝殿から来るお返事が手間どるふうであったから、院は居室いまのほうへおいでになって夫人に梅の花をお見せになった。
  Ohom-kaheri, sukosi hodo huru kokoti sure ba, iri tamahi te, Womnagimi ni hana mise tatematuri tamahu.
6.7.9  「 花といはば、かくこそ匂はまほしけれな桜に移しては、また塵ばかりも心分くる方なくやあらまし」
 「花と言ったら、このように匂いがあってよいものだな。桜に移したら、少しも他の花を見る気はしないだろうね」
 「花であればこれだけの香気を持ちたいものですね。桜の花にこのかおりがあればその他の花は皆捨ててしまうでしょうね。こればかりがよくなって」
  "Hana to iha ba, kaku koso nihoha mahosikere na! Sakura ni utusi te ha, mata tiri bakari mo kokoro wakuru kata naku ya ara masi."
6.7.10  などのたまふ。
 などとおっしゃる。

  nado notamahu.
6.7.11  「 これも、あまた移ろはぬほど、目とまるにやあらむ。 花の盛りに並べて見ばや
 「この花も、多くの花に目移りしないうちに咲くから、人目を引くのであろうか。桜の花の盛りに比べてみたいものだ」
 「この花もただ今でこそ唯一の花で、梅はよいものだと思われるのですよ。春の百花の盛りにほかのものと比較したらどうでしょうかしら」
  "Kore mo, amata uturoha nu hodo, me tomaru ni ya ara m. Hana no sakari ni narabe te mi baya!"
6.7.12  などのたまふに、御返りあり。紅の薄様に、あざやかにおし包まれたるを、胸つぶれて、御手のいと若きを、
 などとおっしゃっているところに、お返事がある。紅の薄様に、はっきりと包まれているので、どきりとして、ご筆跡のまことに幼稚なのを、
 などと夫人が言っている時に、宮のお返事が来た。あか薄様うすように包まれたおふみが目にたつので院ははっとお思いになった。幼稚な宮の手跡は当分女王に隠しておきたい。
  nado notamahu ni, ohom-kaheri ari. Kurenawi no usuyau ni, azayaka ni osi-tutuma re taru wo, mune tubure te, ohom-te no ito wakaki wo,
6.7.13  「 しばし見せたてまつらであらばや。隔つとはなけれど、あはあはしきやうならむは、人のほどかたじけなし」
 「しばらくの間はお見せしないでおきたいものだ。隠すというのではないが、軽々しく人に見せたら、身分柄恐れ多いことだ」
 この人に隔て心はないがさげすむ思いをさせることがあっては宮の身分に対して済まない
  "Sibasi mise tatematura de ara baya! Hedatu to ha nakere do, ahaahasiki yau nara m ha, hito no hodo katazikenasi."
6.7.14  と思すに、ひき隠したまはむも心おきたまふべければ、かたそば広げたまへるを、 しりめに見おこせて添ひ臥したまへり。
 とお思いになると、お隠しになるというのもきっと気を悪くするだろうから、片端を広げていらっしゃるのを、横目で御覧になりながら、物に寄り臥していらっしゃった。
 と院はお思いになるのであるが、隠しておしまいになることも夫人の不快がることであろうからと、半分は見せてもよいというようにおひろげになったふみを、女王は横目に見ながら横たわっていた。
  to obosu ni, hiki-kakusi tamaha m mo kokorooki tamahu bekere ba, katasoba hiroge tamahe ru wo, sirime ni miokose te sohi husi tamahe ri.
6.7.15  「 はかなくてうはの空にぞ消えぬべき
   風にただよふ春のあは雪
 「頼りなくて中空に消えてしまいそうです
  風に漂う春の淡雪のように
  はかなくてうはの空にぞ消えぬべき
  風に漂ふ春のあは雪
    "Hakanaku te uhanosora ni zo kiye nu beki
    kaze ni tadayohu haru no ahayuki
6.7.16   御手、げにいと若く幼げなり。「 さばかりのほどになりぬる人は、いとかくはおはせぬものを」と、目とまれど、見ぬやうに紛らはして、止みたまひぬ。
 ご筆跡は、なるほどまことに未熟で幼稚である。「これほどの年になった人は、とてもこんなではいらっしゃらないものを」と、目につくが、見ないふりをなさって、お止めになった。
 文字は実際幼稚なふうであった。十五にもおなりになればこんなものではないはずであるがと目にとまらぬことでもなかったが、見ぬふりをしてしまった。
  Ohom-te, geni ito wakaku wosanage nari. "Sabakari no hodo ni nari nuru hito ha, ito kaku ha ohase nu mono wo!" to, me tomare do, mi nu yau ni magirahasi te, yami tamahi nu.
6.7.17   異人の上ならば、「 さこそあれ」などは、忍びて聞こえたまふべけれど、いとほしくて、ただ、
 他人のことならば、「こんなに下手な」などとは、こっそり申し上げなさるにちがいないのだが、気の毒で、ただ、
 他の女性のことであれば批評的な言葉も院は口にせられたであろうが御身分に敬意をお払いになって、
  Kotohito no uhe nara ba, "Sa koso are." nado ha, sinobi te kikoye tamahu bekere do, itohosiku te, tada,
6.7.18  「 心安くを、思ひなしたまへ
 「ご安心して、お思いなさい」
 「あなたは安心していてよいとお思いなさいよ」
  "Kokoroyasuku wo, omohi nasi tamahe."
6.7.19  とのみ聞こえたまふ。
 とだけ申し上げなさる。
 とだけ夫人に言っておいでになった。
  to nomi kikoye tamahu.
注釈414今朝は例のやうに大殿籠もり起きさせたまひて結婚後五日目の朝。昨日は気分の悪いことを理由に女三の宮のもとに出かけず、紫の上方に一日過ごしたその翌朝。「例のように」と語られている。6.7.1
注釈415ことに恥づかしげもなき御さまなれど『完訳』は「気の張らない、姫宮の幼稚さ」と注す。6.7.1
注釈416白き紙に季節や天候の白梅や雪による趣向。6.7.1
注釈417中道を隔つるほどはなけれども--心乱るる今朝のあは雪源氏から女三の宮への贈歌。「乱るる」は「心乱るる」と「乱るるあは雪」に掛かる。「かつ消えて空に乱るる淡雪はもの思ふ人の心なりけり」(後撰集冬、四七九、藤原蔭基)を踏まえる。6.7.2
注釈418西の渡殿よりたてまつらせよ源氏の詞。西の渡殿の女房の局から差し上げるようにとの伝言。6.7.4
注釈419友待つ雪のほのかに残れる上に「白雪の色わきがたき梅が枝に友待つ雪ぞ消え残りたる」(家持集、二八四)を踏まえた表現。6.7.5
注釈420袖こそ匂へと源氏は「折りつれば袖こそ匂へ梅の花ありとやここに鴬の鳴く」(古今集春上、三二、読人しらず)の歌を想起して、梅の枝を鴬から隠すしぐさをする。6.7.6
注釈421夢にもかかる人の親にて重き位と見えたまはず源氏の若々しさを強調、暗に、女三の宮との結婚も相応しいことを匂わす。6.7.7
注釈422御返りすこしほど経る心地すれば返事が遅いのは好ましいことではない。女三の宮の欠点。6.7.8
注釈423花といはばかくこそ匂はまほしけれな以下「心分くる方なくやあらまし」まで、源氏の詞。紫の上の機嫌をとる。6.7.9
注釈424これもあまた以下「並べて見ばや」まで、源氏の詞。6.7.11
注釈425花の盛りに並べて見ばや『完訳』は「桜の盛りに、桜と白梅を。暗に女三の宮と紫の上を並べたら好一対になろう、の意。このあたり、紫の上が応じない源氏の独り相撲」と注す。6.7.11
注釈426しばし見せたてまつらであらばや以下「人のほどかたじけなし」まで、源氏の心中。女三の宮の返事に、驚愕失望。女三の宮の返事を紫の上に。6.7.13
注釈427しりめに見おこせて主語は紫の上。6.7.14
注釈428はかなくてうはの空にぞ消えぬべき--風にただよふ春のあは雪女三の宮の返歌。「あは雪」の語句を受けて、それを我が身に喩えて返す。『集成』は「乳母たちの代作であろう」と注す。6.7.15
注釈429御手げにいと若く幼げなり紫の上の視点から語った表現。「げに」は前に「御手のいと若きを」とあったのと呼応。紫の上の感想。6.7.16
注釈430さばかりのほどになりぬる人はいとかくはおはせぬものを紫の上の感想。6.7.16
注釈431異人の上ならば皇女である女三の宮以外の他の女性。6.7.17
注釈432さこそあれ源氏の詞。『集成』は「こんなに下手だ」。『完訳』は「この程度なのですよ」と訳す。6.7.17
注釈433心安くを思ひなしたまへ源氏の詞。6.7.18
出典13 今朝のあは雪 かつ消えて空に乱るる淡雪はもの思ふ人の心なりけり 後撰集冬-四七九 藤原蔭基 6.7.2
出典14 友待つ雪 白雪の色分きがたき梅が枝に友待つ雪ぞ消え残りたる 家持集-二八四 6.7.5
出典15 袖こそ匂へ 折りつれば袖こそ匂へ梅の花ありとやここに鴬の鳴く 古今集春上-三二 読人しらず 6.7.6
出典16 桜に移して 梅が香を桜の花に匂はせて柳が枝に咲かせてしかな 後拾遺集春上-八二 中原致時 6.7.9
6.8
第八段 源氏、昼に宮の方に出向く


6-8  Genji goes to Sam-no-Miya in the daytime

6.8.1   今日は、宮の御方に昼渡りたまふ。心ことにうち化粧じたまへる御ありさま、今見たてまつる女房などは、 まして見るかひありと思ひきこゆらむかし。御乳母などやうの老いしらへる人びとぞ、
 今日は、宮の御方に昼お渡りになる。特別念入りにお化粧なさっているご様子、今初めて拝見する女房などは、宮以上に素晴らしいとお思い申し上げることであろう。御乳母などの年とった女房たちは、
 今日は昼間に宮のほうへおいでになった。特にきれいに化粧をお施しになった院のお美しさに、この日はじめて近づいた女房は興奮していた。老いた女房などの中には、
  Kehu ha, Miya no ohom-kata ni hiru watari tamahu. Kokoro kotoni uti-kesauzi tamahe ru ohom-arisama, ima mi tatematuru nyoubau nado ha, masite miru kahi ari to omohi kikoyu ram kasi. Ohom-Menoto nado yau no oyisirahe ru hitobito zo,
6.8.2  「 いでや。この御ありさま一所 こそめでたけれ、めざましきことはありなむかし」
 「さあ、どうでしょう。このお一方はご立派ですが、癪にさわるようなことがきっと起こることでしょう」
 なんといっても幸福な奥様はあちらのお一方だけで、宮は御不快な目にもおあいになるのであろう
  "Ide ya! Kono ohom-arisama hitotokoro koso medetakere, mezamasiki koto ha ari na m kasi."
6.8.3  と、 うち混ぜて思ふもありける
 と、嬉しいなかにも心配する者もいるのだった。
 と、こんなことを思う者もあった。
  to, uti-maze te omohu mo ari keru.
6.8.4  女宮は、いとらうたげに幼きさまにて、 御しつらひなどのことことしく 、よだけくうるはしきに、みづからは何心もなく、ものはかなき御ほどにて、いと御衣がちに、身もなく、あえかなり。ことに恥ぢなどもしたまはず、ただ稚児の面嫌ひせぬ心地して、心安くうつくしきさましたまへり。
 女宮は、たいそうかわいらしげに子供っぽい様子で、お部屋飾りなどが仰々しく。堂々と整然としているが、ご自身は無心に、頼りないご様子で、まったくお召し物に埋まって、身体もないかのように、か弱くいらっしゃる。特に恥ずかしがりもなさらず、まるで子供が人見知りしないような感じがして、気の張らないかわいい感じでいらっしゃった。
 姫宮は可憐かれんで、たいそうなお居間の装飾などとは調和のとれぬ何でもない無邪気な少女おとめで、お召し物の中にうずもれておしまいになったような小柄な姿を持っておいでになるのである。格別恥ずかしがってもおいでにならない。人見知りをせぬ子供のようであつかいやすい気を院はお覚えになった。
  Womnamiya ha, ito rautage ni wosanaki sama nite, ohom-siturahi nado no kotokotosiku, yodakeku uruhasiki ni, midukara ha nanigokoro mo naku, mono-hakanaki ohom-hodo nite, ito ohom-zo-gati ni, mi mo naku, ayeka nari. Kotoni hadi nado mo si tamaha zu, tada tigo no omogirahi se nu kokoti si te, kokoroyasuku utukusiki sama si tamahe ri.
6.8.5  「 院の帝はををしくすくよかなる方の御才などこそ、心もとなくおはしますと、世人思ひためれ、 をかしき筋、なまめきゆゑゆゑしき方は、人にまさりたまへるを、などて、かくおいらかに生ほしたてたまひけむ。さるは、いと御心とどめたまへる皇女と聞きしを」
 「院の帝は、男らしく理屈っぽい方面のご学問などは、しっかりしていらっしゃらないと、世間の人は思っていたようだが、趣味の方面では、優美で風雅なことでは、人一倍勝れていらっしゃったのに、どうして、このようにおっとりとお育てになったのだろう。とはいえ、たいそうお心にとめていらっしゃった内親王と聞いたのだが」
 朱雀すざく院は重い学問のほうは奥をきわめておいでになると言われておいでにならないが、芸術的な趣味の豊かな方としてすぐれておいでになりながら、どうして御愛子をこう凡庸に思われるまでの女にお育てになったか
  "Win-no-Mikado ha, wowosiku sukuyoka naru kata no ohom-zae nado koso, kokoromotonaku ohasimasu to, yohito omohi ta' mere, wokasiki sudi, namameki yuweyuwesiki kata ha, hito ni masari tamahe ru wo, nadote, kaku oyiraka ni ohosi tate tamahi kem? Saruha, ito mi-kokoro todome tamahe ru Miko to kiki si wo."
6.8.6  と思ふも、なま口惜しけれど、 憎からず見たてまつりたまふ
 と思うと、何やら残念な気がするが、それもかわいいと拝見なさる。
 と院は残念な気もあそばされたのであるが、御愛情が起こらないのでもなかった。
  to omohu mo, nama kutiwosikere do, nikukara zu mi tatematuri tamahu.
6.8.7  ただ 聞こえたまふままに、なよなよとなびきたまひて、御いらへなどをも、おぼえたまひけることは、いはけなくうち のたまひ出でて、 え見放たず見えたまふ
 ただ申し上げるままに、柔らかくお従いになって、お返事なども、お心に浮かんだことは、何の考えもなくお口に出されて、とても見捨てられないご様子にお見えになる。
 院のお言いになるままになってなよなよとおとなしい。お返辞なども習っておありになることだけは子供らしく皆言っておしまいになって、自発的には何もおできにならぬらしい。
  Tada kikoye tamahu mama ni, nayonayo to nabiki tamahi te, ohom-irahe nado wo mo, oboye tamahi keru koto ha, ihakenaku uti notamahi ide te, e mihanata zu miye tamahu.
6.8.8   昔の心ならましかば、うたて心劣りせましを、今は、世の中を皆さまざまに思ひなだらめて、
 若いころの考えであったなら、嫌になってがっかりしたろうが、今では、世の中を人それぞれだと穏やかに考えて、
 昔の自分であれば厭気いやきのさしてしまう相手であろうが、今日になっては完全なものは求めても得がたい、足らぬところを心で補って平凡なものに満足すべきであるという教訓を、多くの経験から得てしまった自分であるから、
  Mukasi no kokoro nara masika ba, utate kokorootori se masi wo, ima ha, yononaka wo mina samazama ni omohi nadarame te,
6.8.9  「 とあるもかかるも、際離るることは難きものなりけり。とりどりにこそ 多うはありけれ、 よその思ひは、いとあらまほしきほどなりかし
 「あれやこれやといろいろな女がいるが、飛び抜けて立派な女はいないものだなあ。それぞれいろいろな特色があるものだが、はたから見れば、まったく申し分のない方なのだ」
 これをすら妻の一人と見ることができる。第三者は自分のことを好適な配偶を得たと見ることであろう
  "Toarumo-kakarumo, kiha hanaruru koto ha kataki mono nari keri. Toridori ni koso ohou ha ari kere, yoso no omohi ha, ito aramahosiki hodo nari kasi."
6.8.10  と思すに、 差し並び目離れず見たてまつりたまへる年ごろよりも、対の上の御ありさまぞなほありがたく、「 われながらも生ほしたてけり」と思す。一夜のほど、朝の間も、恋しくおぼつかなく、いとどしき御心ざしのまさるを、「 などかくおぼゆらむ」と、 ゆゆしきまでなむ
 とお思いになると、二人一緒にいつも離れずお暮らし申して来られた年月からも、対の上のご様子がやはり立派で、「自分ながらもよく教育したものだ」とお思いになる。一晩の間、朝の間も、恋しく気にかかって、いっそうのご愛情が増すので、「どうしてこんなに思われるのだろう」と、不吉な予感までなさる。
 とお考えになると、離れる日もなく見ておいでになった紫の女王にょおうの価値が今になってよくおわかりになる気がされて、御自身のお与えになった教育の成功したことをお認めにならずにはおられなかった。ただ一夜別れておいでになる翌朝の心はその人の恋しさに満たされ、しばらくして逢いうる時間がもどかしくお思われになって、院の愛はその人へばかり傾いていった。なぜこんなにまで思うのであろうかと院は御自身をお疑いになるほどであった。
  to obosu ni,sasi-narabi me kare zu mi tatematuri tamahe ru tosigoro yori mo, Tai-no-Uhe no ohom-arisama zo naho arigataku, "Ware nagara mo ohosi tate keri!" to obosu. Hitoyo no hodo, asita no ma mo, kohisiku obotukanaku, itodosiki mi-kokorozasi no masaru wo, "Nado kaku oboyu ram?" to, yuyusiki made nam.
注釈434今日は宮の御方に昼渡りたまふ同じく新婚五日目の昼、源氏、女三の宮方に出かける。6.8.1
注釈435まして既に拝見していた女房と比較して、それ以上に。6.8.1
注釈436いでやこの御ありさま以下「めざましきことはありなむかし」まで、老乳母の心中。源氏の立派さに対し、女三の宮の未熟さを熟知するので、将来の夫婦関係に、紫の上よりも寵愛が劣ることになるのではないかと、懸念する。6.8.2
注釈437こそめでたけれ「こそ」係助詞、「めでたけれ」已然形、逆接用法。6.8.2
注釈438うち混ぜて思ふもありける明融臨模本と大島本は「ありける」とある。『集成』『新大系』は底本(明融臨模本・大島本)のままとする。『完本』は諸本に従って「ありけり」と校訂する。『完訳』は「喜びのなかに不安をまじえて心配する者もいるのだった」と訳す。6.8.3
注釈439御しつらひなどのことことしく以下、女三の宮の高貴な身分と幼稚な人柄が対比的に語られている。6.8.4
注釈440院の帝は以下「皇女と聞きしを」まで、源氏の心中。『完訳』は「朱雀院の女三の宮への教育について批判的」と指摘する。6.8.5
注釈441ををしくすくよかなる方の御才などこそ漢学をさす。係助詞「こそ」は「思ひためれ」已然形に掛かる、逆接用法。6.8.5
注釈442をかしき筋趣味の方面。音楽や和歌などをさす。6.8.5
注釈443憎からず見たてまつりたまふ『集成』は「それもかわいいとお思いになる」。『完訳』は「憎めないお方とお思い申しあげなさる」と訳す。6.8.6
注釈444聞こえたまふままに主語は源氏。6.8.7
注釈445え見放たず見えたまふ女三の宮の、父朱雀院に対してもまた源氏に対しても同じような思いを抱かせる人柄をいう。6.8.7
注釈446昔の心ならましかば『集成』は「以下「いとあらまほしきほどなりかし」まで、源氏の心中の思い」と注す。6.8.8
注釈447とあるもかかるも『完訳』は、以下「いとあらまほしきほどなりかし」まで、源氏の心中とする。「帚木」巻の女性論と同主旨。6.8.9
注釈448よその思ひはいとあらまほしきほどなりかし『集成』は「身分の点で、外見から見れば正室としてふさわしい、と思い直す」。『完訳』は「女三の宮も、外からみれば、妻として申し分ない、の意。皇女ゆえの理想性をいう」と注す。6.8.9
注釈449差し並び目離れず見たてまつりたまへる年ごろよりも対の上の御ありさまぞ『完訳』は「反転して、紫の上について思う。女宮降嫁以前と以後に区別し、後者の彼女に感動を抱き直す」と注す。6.8.10
注釈450われながらも生ほしたてけり前の朱雀の女三の宮の教育を批判したことと対応する。6.8.10
注釈451などかくおぼゆらむ源氏の紫の上を思う気持ち。6.8.10
注釈452ゆゆしきまでなむ後に、紫の上がこの事件が心労となって亡くなる伏線。6.8.10
校訂95 ことことしく ことことしく--うと(うと/=こと)/\しく 6.8.4
校訂96 のたまひ のたまひ--の給て(給て/$)たまひ 6.8.7
校訂97 多うは 多うは--おほゆれ(ゆれ/$)うは 6.8.9
6.9
第九段 朱雀院、紫の上に手紙を贈る


6-9  Suzaku send a letter to Murasaki

6.9.1   院の帝は、月のうちに御寺に移ろひたまひぬ。この院に、あはれなる御消息ども聞こえたまふ。姫宮の御ことはさらなり。
 院の帝は、その月のうちにお寺にお移りになった。こちらの院に、情のこもったお手紙を何度も差し上げなさる。姫宮の御事は言うまでもない。
 朱雀院はそのうちに御寺みてらへお移りになるのであって、このころは御親心のこもったお手紙をたびたび六条院へつかわされた。姫宮のことをお頼みになるお言葉とともに、
  Win-no-Mikado ha, tuki no uti ni mi-tera ni uturohi tamahi nu. Kono Win ni, ahare naru ohom-seusoko-domo kikoye tamahu. Himemiya no ohom-koto ha sara nari.
6.9.2   わづらはしく、いかに聞くところやなど憚りたまふことなくて、ともかくも、ただ御心にかけてもてなしたまふべくぞ、たびたび聞こえたまひける。されど、あはれにうしろめたく、幼くおはするを思ひきこえたまひけり。
 気を遣って、どのように思うかなどと、遠慮なさることもなく、どうなりと、ただお心次第にお世話くださいますように、度々お申し上げなさるのであった。けれども、身にしみて後ろ髪引かれる思いで、幼くていらっしゃるのを御心配申し上げなさるのでもあった。
 自分がどう思うかと心にお置きになるようなことはないようにして、ともかくもお心にかけていてくださればよいという意味の仰せがあるのであった。そうは仰せられながらも御幼稚な宮がお気がかりでならぬ御様子が見えるおふみであった。
  Wadurahasiku, ikani kiku tokoro ya nado, habakari tamahu koto naku te, tomokakumo, tada mi-kokoro ni kake te motenasi tamahu beku zo, tabitabi kikoye tamahi keru. Saredo, ahare ni usirometaku, wosanaku ohasuru wo omohi kikoye tamahi keri.
6.9.3  紫の上にも、御消息ことにあり。
 紫の上にも、お手紙が特別にあった。
 紫夫人へもお手紙があった。
  Murasaki-no-Uhe ni mo, ohom-seusoko kotoni ari.
6.9.4  「 幼き人の、心地なきさまにて移ろひものすらむを、罪なく思しゆるして、後見たまへ。 尋ねたまふべきゆゑもやあらむとぞ
 「幼い人が、何のわきまえもない有様でそちらへ参っておりますが、罪もないものと大目に見ていただき、お世話ください。お心にかけてくださるはずの縁もあろうかと存じます。
 幼い娘が、何を理解することもまだできぬままでそちらへ行っておりますが、邪気のないものとしてお許しになってお世話をおやきください。あなたには縁故がないわけでもないのですから。
  "Wosanaki hito no, kokotinaki sama nite uturohi monosu ram wo, tumi naku obosi yurusi te, usiromi tamahe. Tadune tamahu beki yuwe mo ya ara m to zo.
6.9.5    背きにしこの世に残る心こそ
   入る山路のほだしなりけれ
  捨て去ったこの世に残る子を思う心が
  山に入るわたしの妨げなのです
  そむきにしこの世に残る心こそ
  入る山みちのほだしなりけれ
    Somuki ni si kono yo ni nokoru kokoro koso
    iru yamamiti no hodasi nari kere
6.9.6   闇をえはるけで聞こゆるも、をこがましくや」
 親心の闇を晴らすことができずに申し上げるのも、愚かなことですが」
 親の心のやみを隠そうともしませんでこの手紙を差し上げるのもはばかり多く思われます。
  Yami wo e haruke de kikoyuru mo, wokogamasiku ya!"
6.9.7  とあり。大殿も見たまひて、
 とある。殿も御覧になって、
 というのであった。院も御覧になって、
  to ari. Otodo mo mi tamahi te,
6.9.8  「 あはれなる御消息を。かしこまり聞こえたまへ
 「お気の毒なお手紙よ。謹んでお承りした旨を差し上げなさい」
 「御同情すべきお手紙ですから、あなたからも丁寧にお返事を書いておあげなさい」
  "Ahare naru ohom-seusoko wo! Kasikomari kikoye tamahe."
6.9.9  とて、御使にも、女房して、土器さし出でさせたまひて、しひさせたまふ。「御返りはいかが」など、 聞こえにくく思したれど、ことことしくおもしろかるべき折のことならねば、ただ心をのべて、
 とおっしゃって、お使いにも、女房を通じて、杯をさし出させなさって、何杯もお勧めになる。「お返事はどのように」などと、申し上げにくくお思いになったが、仰々しく風流めかすべき時のことでないので、ただ心のままを書いて、
 こうお言いになって、そのお使いへは女房を出して酒をお勧めになった。「どう書いてよろしいのかわかりません。お返事がいたしにくうございます」と女王は言っていたが、言葉を飾る必要のある場合のお返事でもなかったから、ただ感じただけを、
  tote, ohom-tukahi ni mo, nyoubau site, kaharake sasi-ide sase tamahi te, sihi sase tamahu. "Ohom-kaheri ha ikaga?" nado, kikoye nikuku obosi tare do, kotokotosiku omosirokaru beki wori no koto nara ne ba, tada kokoro wo nobe te,
6.9.10  「 背く世のうしろめたくはさりがたき
   ほだしをしひてかけな離れそ
 「お捨て去りになったこの世が御心配ならば
  離れがたいお方を無理に離れたりなさいますな
  そむく世のうしろめたくばさりがたき
  ほだしひてかけなはなれそ
    "Somuku yo no usirometaku ha sari gataki
    hodasi wo sihite kake na hanare so
6.9.11   などやうにぞあめりし
 などというようにあったらしい。
 こんな歌にして書いた。
  nado yau ni zo a' meri si.
6.9.12   女の装束に、細長添へてかづけたまふ。御手などのいとめでたきを、院御覧じて、 何ごともいと恥づかしげなめるあたりに、いはけなくて見えたまふらむこと、いと心苦しう思したり。
 女の装束に、細長を添えてお与えになる。ご筆跡などがとても立派なのを、院が御覧になって、万事気後れするほど立派なような所で、幼稚にお見えになるだろうこと、まことにお気の毒に、お思いになっていた。
 女の装束に細長衣ほそながを添えた纏頭てんとうをお使いへ出した。女王の書いたお返事の字のりっぱであるのを院は御覧になって、こんなにも物事の整った夫人もある六条院へ、一人の夫人となって幼稚な姫宮が行っておられることを心苦しく思召した。
  Womna no sauzoku ni, hosonaga sohe te kaduke tamahu. Ohom-te nado no ito medetaki wo, Win goranzi te, nanigoto mo ito hadukasige na' meru atari ni, ihakenaku te miye tamahu ram koto, ito kokorogurusiu obosi tari.
注釈453院の帝は、月のうちに御寺に移ろひたまひぬ朱雀院、二月のうちに御寺に入山。6.9.1
注釈454わづらはしくいかに聞くところやなど『集成』は「以下「もてなしたまふべく」まで、朱雀院の消息の大意をいう」と注す。「聞く」の主語は朱雀院。6.9.2
注釈455憚りたまふことなくて主語は源氏。6.9.2
注釈456幼き人の以下「おこがましくや」まで、朱雀院から紫の上への消息。女三の宮の後見を依頼する内容。6.9.4
注釈457尋ねたまふべきゆゑもやあらむとぞ紫の上と女三の宮は先帝の孫、紫の上の父式部卿宮と女三の宮の母藤壷女御は異母兄妹の関係。すなわち、従姉妹同士であることをいう。6.9.4
注釈458背きにしこの世に残る心こそ--入る山路のほだしなりけれ朱雀院から紫の上への贈歌。女三の宮が気ががりであるという感懐を詠む。「この世」に「子」を懸ける。「世の憂き目見えぬ山路に入らむには思ふ人こそほだしなりけれ」(古今集雑下、九五五、物部良名)を踏まえる。6.9.5
注釈459闇をえはるけで明融臨模本は「(+え)はるけて」とある。すなわち「え」を補入する。大島本は「えハるけて」とある。『集成』『完本』は底本(明融臨模本)の訂正以前本文に従う。『新大系』は底本(大島本)のままとする。人の親の心は闇にあらねども子を思ふ道に惑ひぬるかな」(後撰集雑一、一一〇二、藤原兼輔)による。6.9.6
注釈460あはれなる御消息をかしこまり聞こえたまへ源氏の詞。『完訳』は「おいたわしいお手紙ではありませんか。謹んでお引き受け申しあげる旨をご返事なされ」と訳す。6.9.8
注釈461背く世のうしろめたくはさりがたき--ほだしをしひてかけな離れそ紫の上の返歌。「背きにし世」「ほだしなりけれ」を受けて「背く世」「ほだしをしひてかけな離れそ」と切り返して返歌する。『完訳』は「贈答歌の、相手を切り返す返歌の作法によりながら、朱雀院の出家に対して批判的な気持もまじる」と注す。6.9.10
注釈462などやうにぞあめりし『林逸抄』は「双紙詞也」と指摘。『評釈』は「物語りのすべてが、作られたものではなくて、事実を紫の上づきの女房が語り伝えたのであるという体裁をとっているため、このような言い方をしたのである」と注す。6.9.11
注釈463何ごともいと恥づかしげなめるあたりに以下、朱雀院の心中だが、その引用句がなく、地の文と融合したような表現。6.9.12
出典17 入る山路のほだし 世の憂き目見えぬ山路へ入らむには思ふ人こそほだしなりけれ 古今集雑下-九五五 物部吉名 6.9.5
出典18 闇をえはるけで 人の親の心は闇にあらねども子を思ふ道に惑ひぬるかな 後撰集雑一-一一〇二 藤原兼輔 6.9.6
校訂98 わづらはしく、いかに聞くところやなど、憚り わづらはしく、いかに聞くところやなど、憚り--かゝり(かゝり/$わつらはしくいかにきくところやなとはゝかり) 6.9.2
校訂100 聞こえにくく 聞こえにくく--きこえ(え/+に)くゝ 6.9.9
校訂101 うしろめたくは うしろめたくは--うしろめたくも(も/$は) 6.9.10
校訂102 女の装束 女の装束--女はう(はう/$のさ)うそく 6.9.12
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渋谷栄一校訂(C)
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渋谷栄一注釈(C)
Last updated 11/15/2001
渋谷栄一訳(C)(ver.1-2-2)
現代語訳
与謝野晶子
電子化
上田英代(古典総合研究所)
底本
角川文庫 全訳源氏物語
校正・
ルビ復活
門田裕志、小林繁雄(青空文庫)

2004年3月9日

渋谷栄一訳
との突合せ
若林貴幸、宮脇文経

2005年9月4日

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by Eiichi Shibuya (C)
Picture "Eiri Genji Monogatari"(1650 1st edition)
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