第三十五帖 若菜下


35 WAKANA-NO-GE (Meiyu-rinmo-bon)


光る源氏の准太上天皇時代
四十一歳三月から四十七歳十二月までの物語



Tale of Hikaru-Genji's Daijo Tenno era, from Mar. of 41 to Dec. the age of 47

1
第一章 柏木の物語 女三の宮の結婚後


1  Tale of Kashiwagi  After Omna-Sam-no-Miya's marriage

1.1
第一段 六条院の競射


1-1  A playing archery at Rokujo-in

1.1.1   ことわりとは思へども
 もっともだとは思うけれども、
 小侍従が書いて来たことは道理に違いないが
  Kotowari to ha omohe domo,
1.1.2  「 うれたくも言へるかな。いでや、なぞ、かく異なることなきあへしらひばかりを慰めにては、いかが過ぐさむ。 かかる人伝てならで 、一言をも のたまひ聞こゆる世ありなむや」
 「いまいましい言い方だな。いや、しかし、なんでこのような通り一遍の返事だけを慰めとしては、どうして過ごせようか。このような人を介してではなく、一言でも直接おっしゃってくださり、また申し上げたりする時があるだろうか」
 また露骨なひどい言葉だとも衛門督えもんのかみには思われた。しかももう浅薄な女房などの口先だけの言葉で心が慰められるものとは思われないのである。こんな人を中へ置かずに一言でも直接恋しい方と問答のできることは望めないのであろうか
  "Uretaku mo ihe ru kana! Ideya, nazo, kaku kotonaru koto naki ahesirahi bakari wo nagusame nite ha, ikaga sugusa m? Kakaru hitodute nara de, hitokoto wo mo notamahi kikoyuru yo ari na m ya?"
1.1.3  と思ふにつけて、おほかたにては、惜しくめでたしと思ひきこゆる院の御ため、 なまゆがむ心や添ひにたらむ
 と思うにつけても、普通の関係では、もったいなく立派な方だとお思い申し上げる院の御為には、けしからぬ心が生じたのであろうか。
 と苦しんでいた。限りない尊敬の念を持っている六条院に穢辱おじょくを加えるに等しい欲望をこうして衛門督がいだくようになった。
  to omohu ni tuke te, ohokata nite ha, wosiku medetasi to omohi kikoyuru Win no ohom-tame, nama-yugamu kokoro ya sohi ni tara m.
1.1.4   晦日の日は、人びとあまた参りたまへり。なまもの憂く、すずろはしけれど、「 そのあたりの花の色をも見てや慰む」と思ひて参りたまふ。
 晦日には、人々が大勢参上なさった。何やら気が進まず、落ち着かないけれども、「あのお方のいらっしゃる辺りの桜の花を見れば気持ちが慰むだろうか」と思って参上なさる。
三月やよいの終わる日には高官も若い殿上役人たちも皆六条院へ参った。気不精になっている衛門督はこのことを皆といっしょにするのもおっくうなのであったが、恋しい方のおいでになる所の花でも見れば気の慰みになるかもしれぬと思って出て行った。
  Tugomori no hi ha, hitobito amata mawiri tamahe ri. Nama-monouku, suzurohasikere do, "Sono atari no hana no iro wo mo mi te ya nagusamu?" to omohi te mawiri tamahu.
1.1.5   殿上の賭弓、如月にとありしを過ぎて、 三月はた御忌月なれば、口惜しくと人びと思ふに、この院に、 かかるまとゐあるべしと聞き伝へて、例の集ひたまふ。 左右の大将、さる御仲らひにて参りたまへば、次将たちなど挑みかはして、 小弓とのたまひしかど歩弓のすぐれたる上手どもありければ、召し出でて射させたまふ。
 殿上の賭弓は、二月とあったが過ぎて、三月もまた御忌月なので、残念に人々は思っているところに、この院で、このような集まりがある予定と伝え聞いて、いつものようにお集まりになる。左右の大将は、お身内という間柄で参上なさるので、中将たちなども互いに競争しあって、小弓とおっしゃったが、歩弓の勝れた名人たちもいたので、お呼び出しになって射させなさる。
 賭弓かけゆみの競技が御所で二月にありそうでなかった上に、三月はみかどの母后の御忌月ぎょきづきでだめであるのを残念がっている人たちは、六条院で弓の遊びが催されることを聞き伝えて例のように集まって来た。左右の大将は院の御養女の婿であり、御子息であったから列席するのがむろんで、そのために左右の近衛府このえふの中将に競技の参加者が多くなり、小弓という定めであったが、大弓の巧者な人も来ていたために、呼び出されてそれらの手合わせもあった。
  Tenzyau no noriyumi, Kisaragi ni to ari si wo sugi te, Yayohi hata ohom-kiduki nare ba, kutiwosiku to hitobito omohu ni, kono Win ni, kakaru matowi aru besi to kiki tutahe te, rei no tudohi tamahu. Saiu-no-Daisyau, saru ohom-nakarahi nite mawiri tamahe ba, Suke-tati nado idomi kahasi te, koyumi to notamahi sika do, katiyumi no sugure taru zyauzu-domo ari kere ba, mesi ide te yi sase tamahu.
1.1.6  殿上人どもも、つきづきしき限りは、皆 前後の心、こまどりに方分きて、暮れゆくままに、 今日にとぢむる霞のけしきもあわたたしく、乱るる夕風に、 花の蔭いとど立つことやすからで 、人びといたく酔ひ過ぎたまひて、
 殿上人たちも、相応しい人は、すべて前方と後方との、交互に組分けをして、日が暮れてゆくにつれて、今日が最後の春の霞の感じも気ぜわしくて、吹き乱れる夕風に、花の蔭はますます立ち去りにくく、人々はひどく酔い過ごしなさって、
 殿上役人でも弓の芸のできる者は皆左右に分かれて勝ちを争いながら夕べに至った。春が終わる日のかすみの下にあわただしく吹く夕風に桜の散りかう庭がだれの心をも引き立てて、大将たちをはじめ、すでに酔っている高官たちが、
  Tenzyaubito-domo mo, tukidukisiki kagiri ha, mina mahe sirihe no kokoro, komadori ni kata waki te, kure yuku mama ni, kehu ni todimuru kasumi no kesiki mo awatatasiku, midaruru yuhukaze ni, hana no kage itodo tatu koto yasukara de, hitobito itaku wehi sugi tamahi te,
1.1.7  「 艶なる賭物ども、こなたかなた人びとの御心見えぬべきを。 柳の葉を百度当てつべき舎人どもの 、うけばりて射取る、無人なりや。すこしここしき手つきどもをこそ、挑ませめ」
 「しゃれた賭物の数々は、あちらこちらの御婦人方のご趣味のほどが窺えようというものを。柳の葉を百発百中できそうな舎人たちが、わがもの顔をして射取るのは、面白くないことだ。少しおっとりした手並みの人たちこそ、競争させよう」
 「奥のかたがたからお出しになった懸賞品が皆平凡な品でないのを、技術の専門家にだけ取らせてしまうのはよろしくない。少し純真な下手者へたものも競争にはいりましょう」
  "En naru kakemono-domo, konata kanata hitobito no mi-kokoro miye nu beki wo. Yanagi no ha wo momo-tabi ate tu beki toneri-domo no, ukebari te yi toru, muzin nari ya! Sukosi kokosiki tetuki-domo wo koso, idoma se me."
1.1.8  とて、大将たちよりはじめて、下りたまふに、衛門督、人よりけに眺めをしつつものしたまへば、かの片端 心知れる御目には、見つけつつ、
 といって、大将たちをはじめとして、お下りになると、衛門督、他の人より目立って物思いに耽っていらっしゃるので、あの少々は事情をご存知の方のお目には止まって、
 などと言って庭へりた。この時にも衛門督えもんのかみがめいったふうでじっとしているのがその原因を正確ではないにしても想像のできる大将の目について、
  tote, Daisyau-tati yori hazime te, ori tamahu ni, Wemon-no-Kami, hito yori keni nagame wo si tutu monosi tamahe ba, kano katahasi kokoro sire ru ohom-me ni ha, mituke tutu,
1.1.9  「 なほ、いとけしき異なり。わづらはしきこと出で来べき世にやあらむ
 「やはり、様子が変だ。厄介な事が引き起こるのだろうか」
 困ったことである。不祥事が起こってくるのではないか
  "Naho, ito kesiki koto nari. Wadurahasiki koto ideku beki yo ni ya ara m?"
1.1.10  と、われさへ思ひつきぬる心地す。この君たち、御仲いとよし。 さる仲らひといふ中にも、心交はしてねむごろなれば、はかなきことにても、 もの思はしくうち紛るることあらむを、いとほしくおぼえたまふ。
 と、自分までが悩みに取りつかれたような心地がする。この君たち、お仲が大変に良い。従兄弟同士という中でも、気心が通じ合って親密なので、ちょっとした事でも、物思いに悩んで屈託しているところがあろうものなら、お気の毒にお思いになる。
 と不安を感じだし、自分までも一つの物思いのできた気がした。この二人は非常に仲がよいのである。大将のために衛門督が妻の兄であるというばかりでなく、古くからの友情が互いにあってむつまじい青年たちであるから、一方がなんらかの煩悶はんもんにとらえられているのを、今一人が見てはかわいそうで堪えられがたくなるのである。
  to, ware sahe omohi tuki nuru kokoti su. Kono Kimi-tati, ohom-naka ito yosi. Saru nakarahi to ihu naka ni mo, kokoro kahasi te nemgoro nare ba, hakanaki koto nite mo, mono-omohasiku uti-magiruru koto ara m wo, itohosiku oboye tamahu.
1.1.11   みづからも、大殿を見たてまつるに、気恐ろしくまばゆく、
 自分でも、大殿を拝見すると、何やら恐ろしく目を伏せたくなるようで、
 衛門督自身も院のお顔を見ては恐怖に似たものを感じて、恥ずかしくなり、
  Midukara mo, Otodo wo mi tatematuru ni, ke osorosiku mabayuku,
1.1.12  「 かかる心はあるべきものか。なのめならむにてだに、けしからず、人に点つかるべき振る舞ひはせじと思ふものを。ましておほけなきこと」
 「このような考えを持ってよいものだろうか。どうでもよいことでさえ、不行き届きで、人から非難されるような振る舞いはすまいと思うものを。まして身のほどを弁えぬ大それたことを」
 誤った考えにとらわれていることはわが心ながら許すべきことでない、少しのことにも人を不快にさせ、人から批難を受けることはすまいと決心している自分ではないか、ましてこれほどおそれおおいことはないではないか
  "Kakaru kokoro ha aru beki mono ka. Nanome nara m nite dani, kesikara zu, hito ni ten tuka ru beki hurumahi ha se zi to omohu mono wo. Masite ohokenaki koto."
1.1.13  と思ひわびては、
 と思い悩んだ末に、
 と心をむちうっている人が、また慰められたくなって、
  to omohi wabi te ha,
1.1.14  「 かのありし猫をだに、得てしがな。思ふこと語らふべくはあらねど、かたはら寂しき慰めにも、なつけむ」
 「あの先日の猫でも、せめて手に入れたい。思い悩んでいる気持ちを打ち明ける相手にはできないが、独り寝の寂しい慰めを紛らすよすがにも、手なづけてみよう」
 せめてあの時に見た猫でも自分は得たい、人間の心の悩みが告げられる相手ではないが、寂しい自分はせめてその猫をつけてそばに置きたい
  "Kano arisi neko wo dani, e te si gana! Omohu koto katarahu beku ha ara ne do, katahara sabisiki nagusame ni mo, natuke m."
1.1.15  と思ふに、もの狂ほしく、「いかでかは盗み出でむ」と、それさへぞ難きことなりける。
 と思うと、気違いじみて、「どうしたら盗み出せようか」と思うが、それさえ難しいことだったのである。
 とこんな気持ちになった衛門督は、気違いじみた熱を持って、どうかしてその猫を盗み出したいと思うのであるが、それすらも困難なことではあった。
  to omohu ni, mono-guruhosiku, "Ikadekaha nusumi ide m." to, sore sahe zo kataki koto nari keru.
注釈1ことわりとは思へども主語は柏木。小侍従の返事をさす。「若菜上」巻末の小侍従の手紙の文面を直接受けた語り出し。『集成』は「「思へども」と敬語を使わないのは、「思ふ」とともに、柏木に密着した書き方」と注す。1.1.1
注釈2うれたくも言へるかな以下「世ありなむや」まで、柏木の心中。1.1.2
注釈3かかる人伝てならで「いかにしてかく思ふてふことをだに人づてならで君に語らむ」(後撰集恋五、九六一、藤原敦忠)。1.1.2
注釈4のたまひ聞こゆる「のたまひ」の主語は女三の宮、「聞こゆる」の主語は柏木。1.1.2
注釈5なまゆがむ心や添ひにたらむ疑問の係助詞「や」、推量の助動詞「む」は、語り手の言辞。1.1.3
注釈6晦日の日は三月晦日。六条院の競射。1.1.4
注釈7そのあたりの花の色をも見てや慰む柏木の心中。1.1.4
注釈8殿上の賭弓「賭弓」そのものは正月十八日に弓場殿で帝出御のもとに競射が催される。「殿上の賭弓」はそれに準じて殿上人が行う競射。二月三月に催されることが多い。1.1.5
注釈9三月はた御忌月なれば冷泉帝の母后藤壺の忌月。1.1.5
注釈10かかるまとゐあるべしと「まとゐ」は「円居」と「的射」の掛詞的表現。1.1.5
注釈11左右の大将さる御仲らひにて左大将鬚黒と右大将夕霧である。1.1.5
注釈12小弓とのたまひしかど「若菜上」(第十三章四段)の源氏の言葉に見える。1.1.5
注釈13歩弓「歩弓」は「馬弓(騎射)」の対語。十七日の射礼、十八日の賭弓なども歩射である。1.1.5
注釈14前後の心こまどりに方分きて左方の先に射る者、右方の後に射る者と、奇数偶数の二組に分けること。1.1.6
注釈15今日にとぢむる霞のけしきも今日が三月晦日で春の終わりの日であることをいう。惜春の情景。1.1.6
注釈16花の蔭いとど立つことやすからで「今日のみと春を思はぬ時だにも立つことやすき花の蔭かは」(古今集春下、一三四、躬恒)。1.1.6
注釈17艶なる賭物ども以下「こそ挑ませめ」まで、源氏の詞。1.1.7
注釈18柳の葉を百度当てつべき舎人どもの『史記』周本紀の楚の養由基の故事。1.1.7
注釈19心知れる御目には夕霧をさす。1.1.8
注釈20なほいとけしき異なりわづらはしきこと出で来べき世にやあらむ夕霧の心中。『集成』は「やっかいなことがもちあがる二人の仲なのだろうか」。『完訳』は「面倒なことがもちあがってくるのではなかろうか」と訳す。1.1.9
注釈21さる仲らひ従兄弟同士という意。1.1.10
注釈22もの思はしくうち紛るることあらむを推量の助動詞「む」仮定の意。『集成』は「思い悩んでそれに屈託するようなことがあるのを」。『完訳』は「物思いがちに心を奪われるようなことがあろうものなら」と訳す。1.1.10
注釈23みづからも柏木をさす。1.1.11
注釈24かかる心はあるべきものか以下「おほけなきこと」まで、柏木の心中。1.1.12
注釈25かのありし猫をだに以下「慰めにもなつけむ」まで、柏木の心中。1.1.14
出典1 人伝てならで いかにしてかく思ふてふことをだに人伝てならで君に語らむ 後撰集恋五-九六一 藤原敦忠 1.1.2
出典2 花の蔭 今日のみと春を思はぬ時だにも立つことやすき花の蔭かは 古今集春下-一三四 凡河内躬恒 1.1.6
出典3 柳の葉を百度当て 楚有養由基者 善射者也 去柳葉百歩而射之 百発而百中之 左右観者数千人 皆曰 善射 史記-周本紀 1.1.7
1.2
第二段 柏木、女三の宮の猫を預る


1-2  Kashiwagi gets a cat that is Omna-Sam-no-Miya's

1.2.1   女御の御方に参りて、物語など聞こえ紛らはし試みる。 いと奥深く、心恥づかしき御もてなしにて、まほに見えたまふこともなし。 かかる御仲らひにだに、気遠くならひたるを、「 ゆくりかにあやしくは、ありしわざぞかし」とは、さすがにうちおぼゆれど、おぼろけにしめたるわが心から、 浅くも思ひなされず
 弘徽殿女御の御方に参上して、お話などを申し上げて心を紛らわそうとしてみる。たいそう嗜み深く、気恥ずかしくなるようなご応対ぶりなので、直にお姿をお見せになることはない。このような姉弟の間柄でさえ、隔てを置いてきたのに、「思いがけず垣間見したのは、不思議なことであった」とは、さすがに思われるが、並々ならず思い込んだ気持ちゆえ、軽率だとは思われない。
 衛門督は妹の女御にょごの所へ行って話すことで悩ましい心を紛らせようと試みた。貴女きじょらしい慎しみ深さを多く備えた女御は、話し合っている時にも、兄の衛門督に顔を見せるようなことはなかった。同胞きょうだいですらわれわれはこうして慣らされているのであるが、思いがけないお顔を外にいる者へ宮のお見せになったことは不思議なことであると、衛門督えもんのかみもさすがに第三者になって考えれば肯定できないこととは思われるのであるが、熱愛を持つ人に対してはそれを欠点とは見なされないのである。
  Nyougo no ohom-kata ni mawiri te, monogatari nado kikoye magirahasi kokoromiru. Ito oku hukaku, kokorohadukasiki ohom-motenasi nite, maho ni miye tamahu koto mo nasi. Kakaru ohom-nakarahi ni dani, kedohoku narahi taru wo, "Yukurika ni ayasiku ha, arisi waza zo kasi." to ha, sasuga ni uti-oboyure do, oboroke ni sime taru waga kokoro kara, asaku mo omohi-nasa re zu.
1.2.2   春宮に参りたまひて、「 論なう通ひたまへるところあらむかし」と、目とどめて見たてまつるに、匂ひやかになどはあらぬ御容貌なれど、さばかりの御ありさまはた、いと異にて、 あてになまめかしくおはします
 東宮に参上なさって、「当然似ていらっしゃるところがあるだろう」と、目を止めて拝すると、輝くほどのお美しさのご容貌ではないが、これくらいのご身分の方は、また格別で、上品で優雅でいらっしゃる。
 衛門督は東宮へ伺候して、むろん御兄弟でいらせられるのであるから似ておいでになるに違いないと思って、お顔を熱心にお見上げするのであったが、東宮ははなやかな愛嬌あいきょうなどはお持ちにならぬが、高貴の方だけにある上品にえんなお顔をしておいでになった。
  Touguu ni mawiri tamahi te, "Ron-nau kayohi tamahe ru tokoro ara m kasi." to, me todome te mi tatematuru ni, nihohiyaka ni nado ha ara nu ohom-katati nare do, sabakari no ohom-arisama hata, ito koto nite, ate ni namamekasiku ohasimasu.
1.2.3  内裏の御猫の、あまた引き連れたりけるはらからどもの、所々にあかれて、この宮にも参れるが、いとをかしげにて歩くを見るに、まづ思ひ出でらるれば、
 内裏の御猫が、たくさん引き連れていた仔猫たちの兄弟が、あちこちに貰われて行って、こちらの宮にも来ているのが、とてもかわいらしく動き回るのを見ると、何よりも思い出されるので、
帝のお飼いになる猫の幾ひきかの同胞きょうだいがあちらこちらに分かれて行っている一つが東宮の御猫にもなっていて、かわいい姿で歩いているのを見ても、衛門督には恋しい方の猫が思い出されて、
  Uti no ohom-neko no, amata hikiture tari keru harakara-domo no, tokorodokoro ni akare te, kono Miya ni mo mawire ru ga, ito wokasige nite ariku wo miru ni, madu omohi ide rarure ba,
1.2.4  「 六条の院の姫宮の御方にはべる 猫こそ 、いと見えぬやうなる顔して、をかしうはべしか。はつかになむ見たまへし」
 「六条院の姫宮の御方におります猫は、たいそう見たこともないような顔をしていて、かわいらしうございました。ほんのちょっと拝見しました」
 「六条院の姫宮の御殿におりますのはよい猫でございます。珍しい顔でして感じがよろしいのでございます。私はちょっと拝見することができました」
  "Rokudeu-no-Win no Himemiya no ohom-kata ni haberu neko koso, ito miye nu yau naru kaho si te, wokasiu habe' sika. Hatukani nam mi tamahe si."
1.2.5  と啓したまへば、 わざとらうたくせさせたまふ御心にて、詳しく問はせたまふ。
 と申し上げなさると、猫を特におかわいがりあそばすご性分なので、詳しくお尋ねあそばす。
 こんなことを申し上げた。東宮は猫が非常にお好きであらせられるために、くわしくお尋ねになった。
  to, keisi tamahe ba, wazato rautaku se sase tamahu mi-kokoro nite, kuhasiku toha se tamahu.
1.2.6  「 唐猫の、ここのに違へるさましてなむはべりし。同じやうなるものなれど、心をかしく人馴れたるは、あやしくなつかしきものになむはべる」
 「唐猫で、こちらのとは違った恰好をしてございました。同じようなものですが、性質がかわいらしく人なつっこいのは、妙にかわいいものでございます」
 「支那しなの猫でございまして、こちらの産のものとは変わっておりました。皆同じように思えば同じようなものでございますが、性質の優しい人れた猫と申すものはよろしいものでございます」
  "Karaneko no, koko no ni tagahe ru sama si te nam haberi si. Onazi yau naru mono nare do, kokoro wokasiku hito nare taru ha, ayasiku natukasiki mono ni nam haberu."
1.2.7  など、ゆかしく思さるばかり、聞こえなしたまふ。
 などと、興味をお持ちになるように、特にお話し申し上げなさる。
 こんなふうに宮がお心をお動かしになるようにばかり衛門督は申すのであった。
  nado, yukasiku obosa ru bakari, kikoye nasi tamahu.
1.2.8   聞こし召しおきて桐壺の御方より伝へて 聞こえさせたまひければ参らせたまへり。「 げに、いとうつくしげなる猫なりけり」と、 人びと興ずるを、衛門督は、「 尋ねむと思したりき」と、御けしきを見おきて、日ごろ経て参りたまへり。
 お耳にお止めあそばして、桐壷の御方を介してご所望なさったので、差し上げなさった。「なるほど、たいそうかわいらしげな猫だ」と、人々が面白がるので、衛門督は、「手に入れようとお思いであった」と、お顔色で察していたので、数日して参上なさった。
 あとで東宮は淑景舎しげいしゃかたの手から所望をおさせになったために、女三にょさんみやから唐猫からねこが献上された。うわさされたとおりに美しい猫であると言って、東宮の御殿の人々はかわいがっているのであったが、衛門督は東宮は確かに興味をお持ちになってお取り寄せになりそうであると観察していたことであったから、猫のことを知りたく思って幾日かののちにまた参った。
  Kikosimesi oki te, Kiritubo-no-Ohomkata yori tutahe te kikoyesase tamahi kere ba, mawirase tamahe ri. "Geni, ito utukusige naru neko nari keri." to, hitobito kyouzuru wo, Wemon-no-Kami ha, "Tadune m to obosi tari ki." to, mi-kesiki wo mi oki te, higoro he te mawiri tamahe ri.
1.2.9  童なりしより、朱雀院の取り分きて思し使はせたまひしかば、御山住みに後れきこえては、またこの宮にも親しう参り、心寄せきこえたり。 御琴など教へきこえたまふとて、
 子供であったころから、朱雀院が特別におかわいがりになってお召し使いあそばしていたので、御入山されて後は、やはりこの東宮にも親しく参上し、お心寄せ申し上げていた。お琴などをお教え申し上げなさるついでに、
 まだ子供であった時から朱雀すざく院が特別にお愛しになってお手もとでお使いになった衛門督であって、院が山の寺へおはいりになってからは東宮へもよく伺って敬意を表していた。琴など御教授をしながら、衛門督は、
  Waraha nari si yori, Syuzyaku-Win no toriwaki te obosi tukaha se tamahi sika ba, mi-yamazumi ni okure kikoye te ha, mata kono Miya ni mo sitasiu mawiri, kokoroyose kikoye tari. Ohom-koto nado wosihe kikoye tamahu tote,
1.2.10  「 御猫どもあまた集ひはべりにけり。いづら、この見し人は」
 「御猫たちがたくさん集まっていますね。どうしたかな、わたしが見た人は」
 「お猫がまたたくさんまいりましたね。どれでしょう、私の知人は」
  "Ohom-neko-domo amata tudohi haberi ni keri. Idura, kono mi si hito ha?"
1.2.11  と尋ねて見つけたまへり。いとらうたくおぼえて、かき撫でてゐたり。宮も、
 と探してお見つけになった。とてもかわいらしく思われて、撫でていた。東宮も、
 と言いながらその猫を見つけた。非常に愛らしく思われて衛門督は手でなでていた。宮は、
  to tadune te mituke tamahe ri. Ito rautaku oboye te, kaki-nade te wi tari. Miya mo,
1.2.12  「 げに、をかしきさましたりけり。心なむ、まだなつきがたきは、見馴れぬ人を知るにやあらむ。ここなる猫ども、ことに劣らずかし」
 「なるほど、かわいい恰好をしているね。性質が、まだなつかないのは、人見知りをするのだろうか。ここにいる猫たちも、大して負けないがね」
 「実際容貌きりょうのよい猫だね。けれど私にはつかないよ。人見知りをする猫なのだね。しかし、これまで私の飼っている猫だってたいしてこれには劣っていないよ」
  "Geni, wokasiki sama si tari keri. Kokoro nam, mada natuki gataki ha, minare nu hito wo siru ni ya ara m? Koko naru neko-domo, koto ni otora zu kasi."
1.2.13  とのたまへば、
 とおっしゃるので、
 とこの猫のことを仰せられた。
  to notamahe ba,
1.2.14  「 これは、さるわきまへ心も、をさをさはべらぬものなれど、その中にも心かしこきは、おのづから魂はべらむかし」など聞こえて、「 まさるどもさぶらふめるを、これはしばし賜はり預からむ」
 「猫というものは、そのような人見知りは、普通しないものでございますが、その中でも賢い猫は、自然と性根がございますのでしょう」などとお答え申し上げて、「これより勝れている猫が何匹もございますようですから、これは暫くお預かり申しましょう」
 「猫は人を好ききらいなどあまりせぬものでございますが、しかし賢い猫にはそんな知恵があるかもしれません」などと衛門督は申して、また、「これ以上のがおそばに幾つもいるのでございましたら、これはしばらく私にお預からせください」
  "Kore ha, saru wakimahe-gokoro mo, wosawosa habera nu mono nare do, sono naka ni mo kokoro kasikoki ha, onodukara tamasihi habera m kasi." nado kikoye te, "Masaru-domo saburahu meru wo, kore ha sibasi tamahari adukara m."
1.2.15  と申したまふ。心のうちに、あながちにをこがましく、 かつはおぼゆるにこれを尋ね取りて、夜もあたり近く臥せたまふ。
 と申し上げなさる。心の中では、何とも馬鹿げた事だと、一方ではお考えになるが、この猫を手に入れて、夜もお側近くにお置きなさる。
 こんなお願いをした。心の中では愚かしい行為をするものであるという気もしているのである。結局衛門督えもんのかみは望みどおりに女三の宮の猫を得ることができて、夜などもそばへ寝させた。
  to mausi tamahu. Kokoro no uti ni, anagatini wokogamasiku, katuha oboyuru ni, kore wo tadune tori te, yoru mo atari tikaku huse tamahu.
1.2.16  明け立てば、猫のかしづきをして、撫で養ひたまふ。人気遠かりし心も、いとよく馴れて、ともすれば、衣の裾にまつはれ、寄り臥し睦るるを、まめやかにうつくしと思ふ。いといたく眺めて、端近く寄り臥したまへるに、来て、「 ねう、ねう」と、いとらうたげに鳴けば、かき撫でて、「 うたても、すすむかな」と、ほほ笑まる
 夜が明ければ、猫の世話をして、撫でて食事をさせなさる。人になつかなかった性質も、とてもよく馴れて、ともすれば、衣服の裾にまつわりついて、側に寝そべって甘えるのを、心からかわいいと思う。とてもひどく物思いに耽って、端近くに寄り臥していらっしゃると、やって来て、「ねよう、ねよう」と、とてもかわいらしげに鳴くので、撫でて、「いやに、積極的だな」と、思わず苦笑される。
 夜が明けると猫を愛撫あいぶするのに時を費やす衛門督であった。人つきの悪い猫も衛門督にはよく馴れて、どうかすると着物のすそへまつわりに来たり、身体からだをこの人に寄せて眠りに来たりするようになって、衛門督はこの猫を心からかわいがるようになった。物思いをしながら顔をながめ入っている横で、にょうにょうとかわいい声で鳴くのをでながら、愛におごる小さき者よと衛門督はほほえまれた。
  Aketate ba, neko no kasiduki wo si te, nade yasinahi tamahu. Hitoge tohokari si kokoro mo, ito yoku nare te, tomosureba, kinu no suso ni matuhare, yorihusi mutururu wo, mameyaka ni utukusi to omohu. Ito itaku nagame te, hasi tikaku yorihusi tamahe ru ni, ki te, "Neu, neu" to, ito rautage ni nake ba, kaki-nade te, "Utate mo, susumu kana!" to, hohowema ru.
1.2.17  「 恋ひわぶる人のかたみと手ならせば
   なれよ何とて鳴く音なるらむ
 「恋いわびている人のよすがと思ってかわいがっていると
  どういうつもりでそんな鳴き声を立てるのか
  「恋ひわぶる人の形見と手ならせば
  なれよ何とて鳴くなるらん
    "Kohi waburu hito no katami to tenarase ba
    nare yo nani tote naku ne naru ram
1.2.18   これも昔の契りにや
 これも前世からの縁であろうか」
 これも前生の約束なんだろうか」
  Kore mo mukasi no tigiri ni ya?"
1.2.19  と、顔を見つつのたまへば、いよいよらうたげに鳴くを、懐に入れて眺めゐたまへり。御達などは、
 と、顔を見ながらおっしゃると、ますますかわいらしく鳴くので、懐に入れて物思いに耽っていらっしゃる。御達などは、
 顔を見ながらこう言うと、いよいよ猫は愛らしく鳴くのを懐中ふところに入れて衛門督は物思いをしていた。女房などは、
  to, kaho wo mi tutu notamahe ba, iyoiyo rautage ni naku wo, hutokoro ni ire te nagame wi tamahe ri. Gotati nado ha,
1.2.20  「 あやしく、にはかなる猫のときめくかな。かやうなるもの見入れたまはぬ御心に」
 「奇妙に、急に猫を寵愛なさるようになったこと。このようなものはお好きでなかったご性分なのに」
 「おかしいことですね。にわかに猫を御寵愛ちょうあいされるではありませんか。ああしたものには無関心だった方がね」
  "Ayasiku, nihaka naru neko no tokimeku kana! Kayau naru mono miire tamaha nu mi-kokoro ni."
1.2.21  と、とがめけり。宮より召すにも参らせず、取りこめて、これを語らひたまふ。
 と、不審がるのだった。宮から返すようにとご催促があってもお返し申さず、独り占めして、この猫を話相手にしていらっしゃる。
 と不審がってささやくのであった。東宮からお取りもどしの仰せがあって、衛門督はお返しをしないのである。お預かりのものを取り込んで自身の友にしていた。
  to, togame keri. Miya yori mesu ni mo mawira se zu, torikome te, kore wo katarahi tamahu.
注釈26女御の御方に参りて柏木、妹の弘徽殿女御のもとに参上。弘徽殿女御の慎み深い態度、女三の宮の軽率さが比較される。1.2.1
注釈27いと奥深く心恥づかしき御もてなしにて弘徽殿女御の態度。女三の宮と対照的。1.2.1
注釈28かかる御仲らひにだに兄妹の関係をいう。1.2.1
注釈29ゆくりかにあやしくはありしわざぞかし柏木の心中。女三の宮を垣間見たことを想起する。1.2.1
注釈30浅くも思ひなされず女三の宮の振る舞いを。1.2.1
注釈31春宮に参りたまひて柏木、東宮のもとに参上し、女三の宮の猫を預かる。1.2.2
注釈32論なう通ひたまへるところあらむかし柏木の心中。東宮と女三の宮が兄妹ゆえに似ているだろうと注意深く見る。1.2.2
注釈33あてになまめかしくおはします東宮の器量。上文に「匂ひやかになどはあらぬ御容貌」。輝くほどの美しさではないが、東宮という心なしか、上品で優雅でいらっしゃる。参考、源氏の器量、「匂ひやかにきよら」(若菜上)とある。1.2.2
注釈34六条の院の姫宮の御方に以下「見たまふべし」まで、柏木の詞。1.2.4
注釈35猫こそ明融臨模本は「ねこそ」とある。大島本は「ねここそ」とある。文末は「をかしうはべしか」と已然形であるから「こそ」が適切。『集成』『完本』は大島本や諸本に従って「猫こそ」と校訂する。『新大系』は底本(大島本)通り。1.2.4
注釈36わざとらうたく明融臨模本と大島本は「わさとらうたく」とある。『集成』『新大系』は底本(明融臨模本・大島本)のままとする。『完本』は諸本に従って「猫わざとらうたく」と「猫」を補訂する。1.2.5
注釈37唐猫のからねこの−以下「ものになむはべる」まで、柏木の詞。1.2.6
注釈38聞こし召しおきて主語は東宮。以下、後日の話になる。1.2.8
注釈39桐壺の御方明石女御をさす。1.2.8
注釈40聞こえさせたまひければ『集成』は「その猫をご所望になったので」と訳す。1.2.8
注釈41参らせたまへり女三の宮方から東宮に猫を差し上げなさった、の意。1.2.8
注釈42げにいとうつくしげなる猫なりけり東宮方の人々の詞。「げに」は柏木の言葉に納得する気持ちの表出。1.2.8
注釈43人びと興ずるを『完訳』は「人々がおもしろがっているところへ」と訳す。1.2.8
注釈44尋ねむと思したりきと御けしきを見おきて『集成』は「あの猫を手に入れたいとお思いだったと、(その時の)東宮のお顔色を見て取った上で」。『完訳』は「東宮があの猫をもらい受けようとおぼしめしだった、と察していたので」と訳す。このあたり、時間が前後して語られている。1.2.8
注釈45御琴など教へきこえ柏木は東宮に弦楽器を教授している。太政大臣家は特に和琴の名手である。1.2.9
注釈46御猫ども以下「この見し人は」まで、柏木の詞。猫を「見し人」と喩えて言っている。『集成』は「女三の宮の身代わりというほどの気持が「人」と言わせている」と注す。1.2.10
注釈47げにをかしきさましたりけり以下「劣らずかし」まで、東宮の詞。猫の様子。1.2.12
注釈48これはさるわきまへ心も以下「魂はべらむかし」まで、柏木の詞。「これは」は猫一般をさす。1.2.14
注釈49まさるどもさぶらふめるを以下「預からむ」まで、柏木の詞。「まさるども」はこの猫より勝れている猫ども、の意。1.2.14
注釈50かつはおぼゆるに明融臨模本は「かつはおほゆるに」とある。大島本は「かつハおほゆるつゐに」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「おぼゆ。つひに」と校訂する。『新大系』は底本(大島本)のまま「おぼゆる。つひに」とする。1.2.15
注釈51これを尋ね取りて柏木、猫を手に入れて女三の宮を偲ぶ。1.2.15
注釈52ねうねう猫の鳴き声。擬音語。柏木は「寝よう、寝よう」の意に解す。1.2.16
注釈53うたてもすすむかなとほほ笑まる『集成』は「いやに積極的だなと、苦笑が浮ぶ」。『完訳』は「いやに心のはやるやつよ、と苦笑せずにはいられない」と訳す。1.2.16
注釈54恋ひわぶる人のかたみと手ならせば--なれよ何とて鳴く音なるらむ柏木の独詠歌。1.2.17
注釈55これも昔の契りにや歌の後の独り言。「これ」は猫との縁をさす。1.2.18
注釈56あやしくにはかなる猫の以下「御心かな」まで、御達の詞。1.2.20
校訂1 こそ こそ--*そ 1.2.4
1.3
第三段 柏木、真木柱姫君には無関心


1-3  Kashiwagi has no interest in Makibashira-Hime

1.3.1   左大将殿の北の方は、大殿の君たちよりも、右大将の君をば、なほ昔のままに、疎からず思ひきこえたまへり。 心ばへのかどかどしく、気近くおはする君にて、対面したまふ時々も、こまやかに隔てたるけしきなくもてなしたまへれば、大将も、淑景舎などの、 疎々しく及びがたげなる御心ざまのあまりなるに、さま異なる御睦びにて、思ひ交はしたまへり。
 左大将殿の北の方は、大殿の君たちよりも、右大将の君を、やはり昔のままに、親しくお思い申し上げていらっしゃった。気立てに才気があって、親しみやすくいらっしゃる方なので、お会いなさる時々にも、親身に他人行儀になるところはなくお振る舞いになるので、右大将も、淑景舎などが、他人行儀で近づきがたいお扱いであるので、一風変わったお親しさで、お付き合いしていらっしゃった。
 左大将夫人の玉鬘たまかずら尚侍ないしのかみは真実の兄弟に対するよりも右大将に多く兄弟の愛を持っていた。才気のあるはなやかな性質の人で、源大将の訪問を受ける時にもむつまじいふうに取り扱って、昔のとおりに親しく語ってくれるため、大将も淑景舎しげいしゃの方が羞恥しゅうちを少なくして打ち解けようとする気持ちのないようなのに比べて、風変わりな兄弟愛の満足がこの人から得られるのであった。
  Sadaisyau-dono no Kitanokata ha, Ohotono-no-Kimi-tati yori mo, Udaisyau-no-Kimi wo ba, naho mukasi no mama ni, utokara zu omohi kikoye tamahe ri. Kokorobahe no kadokadosiku, kedikaku ohasuru Kimi nite, taimen si tamahu tokidoki mo, komayaka ni hedate taru kesiki naku motenasi tamahe re ba, Daisyau mo, Sigeisa nado no, utoutosiku oyobi gatage naru mi-kokorozama no amari naru ni, sama kotonaru ohom-mutubi nite, omohi-kahasi tamahe ri.
1.3.2   男君、今はまして、かのはじめの北の方をももて離れ果てて、 並びなくもてかしづききこえたまふ。この御腹には、男君達の限りなれば、さうざうしとて、 かの真木柱の姫君を得て、かしづかまほしくしたまへど、 祖父宮など、さらに許したまはず、
 夫君は、今では以前にもまして、あの前の北の方とすっかり縁が切れてしまって、並ぶ者がないほど大切にしていらっしゃる。このお方の腹には、男のお子たちばかりなので、物足りないと思って、あの真木柱の姫君を引き取って、大切にお世話申したいとお思いになるが、祖父宮などは、どうしてもお許しにならず、
左大将は月日に添えて玉鬘を重んじていった。もう前夫人は断然離別してしまって尚侍が唯一の夫人であった。この夫人から生まれたのは男の子ばかりであるため、左大将はそれだけを物足らず思い、真木柱まきばしらの姫君を引き取って手もとへ置きたがっているのであるが、祖父の式部卿しきぶきょうの宮が御同意をあそばさない。
  Wotokogimi, ima ha masite, kano hazime no Kitanokata wo mo mote-hanare hate te, narabinaku mote-kasiduki kikoye tamahu. Kono ohom-hara ni ha, wotoko-kindati no kagiri nare ba, sauzausi tote, kano Makibasira-no-Himegimi wo e te, kasiduka mahosiku si tamahe do, ohodi-Miya nado, sarani yurusi tamaha zu,
1.3.3  「 この君をだに、人笑へならぬさまにて見む
 「せめてこの姫君だけでも、物笑いにならないように世話しよう」
 「せめてこの姫君にだけは人からそしられない結婚を自分がさせてやりたい」
  "Kono Kimi wo dani, hitowarahe nara nu sama nite mi m."
1.3.4  と思し、のたまふ。
 とお思いになり、おっしゃりもしている。
 と言っておいでになる。
  to obosi, notamahu.
1.3.5  親王の御おぼえいとやむごとなく、 内裏にも、この宮の御心寄せ、いとこよなくて、このことと奏したまふことをば、え背きたまはず、 心苦しきものに思ひきこえたまへり。おほかたも今めかしくおはする宮にて、 この院、大殿にさしつぎたてまつりては、人も参り仕うまつり、世人も重く思ひきこえけり。
 親王のご声望はたいそう高く、帝におかせられても、この宮への御信頼は、並々ならぬものがあって、こうと奏上なさることはお断りになることができず、お気づかい申していらっしゃる。だいたいのお人柄も現代的でいらっしゃる宮で、こちらの院、大殿にお次ぎ申して、人々もお仕え申し、世間の人々も重々しく申し上げているのであった。
 みかどは御伯父おじのこの宮に深い御愛情をお持ちになって、宮から奏上されることにおそむきになることはおできにならないふうであった。もとからはなやかな御生活をしておいでになって、六条院、太政大臣家に続いての権勢の見える所で、世間の信望も得ておいでになった。
  Miko no ohom-oboye ito yamgotonaku, Uti ni mo, kono Miya no mi-kokoroyose, ito koyonaku te, kono koto to sousi tamahu koto wo ba, e somuki tamaha zu, kokorogurusiki mono ni omohi kikoye tamahe ri. Ohokata mo imamekasiku ohasuru Miya nite, kono Win, Ohotono ni sasitugi tatematuri te ha, hito mo mawiri tukaumaturi, yohito mo omoku omohi kikoye keri.
1.3.6  大将も、 さる世の重鎮となりたまふべき下形なれば、姫君の御おぼえ、 などてかは軽くはあらむ聞こえ出づる人びと、ことに触れて多かれど、 思しも定めず。衛門督を、「 さも、けしきばまば」と思すべかめれど、 猫には思ひ落としたてまつるにや、かけても思ひ寄らぬぞ、口惜しかりける。
 左大将も、将来の国家の重鎮とおなりになるはずの有力者であるから、姫君のご評判、どうして軽いことがあろうか。求婚する人々、何かにつけて大勢いるが、ご決定なさらない。衛門督を、「そのような、態度を見せたら」とお思いのようだが、猫ほどにはお思いにならないのであろうか、まったく考えもしないのは、残念なことであった。
 左大将も第一人者たる将来が約束されている人であったから、式部卿の宮の御孫むすめ、左大将の長女である姫君を人は重く見ているのである。求婚者がいろいろな人の手を通じて来てすでに多数に及んでいるが、宮はまだだれを婿にと選定されるふうもなかった。かれにその気があればと宮が心でお思いになる衛門督は猫ほどにも心をかぬのかまったくの知らず顔であった。
  Daisyau mo, saru yo no omosi to nari tamahu beki sitakata nare ba, Himegimi no ohom-oboye, nadote kaha karuku ha ara m? Kikoye iduru hitobito, koto ni hure te ohokare do, obosi mo sadame zu. Wemon-no-Kami wo, "Samo, kesikibama ba." to obosu beka' mere do, neko ni ha omohi otosi tatematuru ni ya, kakete mo omohiyora nu zo, kutiwosikari keru.
1.3.7  母君の、あやしく、なほひがめる人にて、世の常のありさまにもあらず、 もて消ちたまへるを口惜しきものに思して、継母の御あたりをば、心つけてゆかしく思ひて、 今めきたる御心ざまにぞものしたまひける
 母君が、どうしたことか、今だに変な方で、普通のお暮らしぶりでなく、廃人同様になっていらっしゃるのを、残念にお思いになって、継母のお側を、いつも心にかけて憧れて、現代的なご気性でいらっしゃっるのだった。
 左大将の前夫人は今も病的な、陰気な暮らしを続けて、若い貴女のために朗らかな雰囲気ふんいきを作ろうとする努力もしてくれないために、姫君は寂しがって、人づてに聞く継母ままははの生活ぶりにあこがれを持っていた。こうした明るい娘なのである。
  Hahagimi no, ayasiku, naho higame ru hito nite, yo no tune no arisama ni mo ara zu, mote-keti tamahe ru wo, kutiwosiki mono ni obosi te, mamahaha no ohom-atari wo ba, kokorotuke te yukasiku omohi te, imameki taru mi-kokorozama ni zo monosi tamahi keru.
注釈57左大将殿の北の方は玉鬘の近況、旧に変わらず夕霧と親しく交際。1.3.1
注釈58心ばへのかどかどしく気近くおはする君にて玉鬘についていう。1.3.1
注釈59疎々しく及びがたげなる御心ざまのあまりなるに『集成』は「よそよそしくてとても近づきがたく取り澄ましていられるのが心外なので」と訳す。1.3.1
注釈60男君今はまして鬚黒大将、娘の真木柱の姫君のことを恋しく思う。1.3.2
注釈61並びなくもてかしづききこえたまふ鬚黒は玉鬘を。1.3.2
注釈62かの真木柱の姫君を「真木柱の姫君」の呼称は、巻名にもとづくものか。当時、十二、三歳であったから、現在十六、七歳になっている。1.3.2
注釈63祖父宮など式部卿宮。1.3.2
注釈64この君をだに人笑へならぬさまにて見む式部卿宮の詞。「見む」は立派な婿を迎えてやりたい、の意。1.3.3
注釈65内裏にもこの宮の御心寄せいとこよなくて式部卿宮は冷泉帝の母藤壺の兄すなわち伯父にあたり、その娘が王女御として入内もしているという関係。1.3.5
注釈66心苦しきものに思ひきこえたまへり冷泉帝が式部卿宮を。『集成』は「心にかけて大切なお方とお思い申し上げていられる」。『完訳』は「お気づかい申しておいであそばす」と訳す。1.3.5
注釈67この院大殿にさしつぎたてまつりては式部卿宮は、源氏、太政大臣家に次ぐ、第三の権勢家。「澪標」巻以来変わらない地位を確保。鬚黒左大将より上格。1.3.5
注釈68さる世の重鎮となりたまふべき下形なれば『集成』は「東宮の伯父として、国家の柱石ともおなりになるはずの有力者でいられるから」と訳す。1.3.6
注釈69などてかは軽くはあらむ「などてかは--む」反語表現。語り手の言辞。1.3.6
注釈70聞こえ出づる人びと真木柱の姫君に求婚する人々。1.3.6
注釈71思しも定めず主語は式部卿宮。真木柱の姫君の親権者は祖父式部卿宮。1.3.6
注釈72さもけしきばまば真木柱の姫君への求婚の意向。1.3.6
注釈73猫には思ひ落としたてまつるにや『一葉抄』は「双紙詞也」と指摘。『集成』は「以下、前の話題とここの話題とをつないでの諧謔気味の草子地」。『完訳』は「語り手の皮肉めいた評言」と注す。1.3.6
注釈74もて消ちたまへるを『集成』は「廃人同様のありさまでいられるのを」。『完訳』は「世間と没交渉になっている意」「世間のことは意にも介しておられないのを」と注す。1.3.7
注釈75口惜しきものに思して主語は真木柱の姫君。1.3.7
注釈76今めきたる御心ざまにぞものしたまひける主語は真木柱の姫君。継母を慕うあたりが今風といわれるゆえん。1.3.7
1.4
第四段 真木柱、兵部卿宮と結婚


1-4  Makibashira-Hime gets married to Hyobukyo-no-Miya

1.4.1   兵部卿宮、なほ一所のみおはして御心につきて思しけることどもは、皆違ひて、世の中もすさまじく、人笑へに思さるるに、「 さてのみやはあまえて過ぐすべき」と思して、このわたりにけしきばみ寄りたまへれば、大宮、
 蛍兵部卿宮は、やはり独身生活でいらっしゃって、熱心にお望みになった方々は、皆うまくいかなくて、世の中が面白くなく、世間の物笑いに思われると、「このまま甘んじていられない」とお思いになって、この宮に気持ちをお漏らしになったところ、式部卿大宮は、
 兵部卿ひょうぶきょうの宮は今も御独身で、熱心にお望みになった相手は皆ほかへ取られておしまいになる結果になって、世間体も恥ずかしくお思いになるのであったが、この姫君に興味をお感じになり、縁談をお申し入れになると、式部卿の宮は、
  Hyaubukyau-no-Miya, naho hitotokoro nomi ohasi te, mi-kokoro ni tuki te obosi keru koto-domo ha, mina tagahi te, yononaka mo susamaziku, hitowarahe ni obosa ruru ni, "Sate nomi yaha amaye te sugusu beki." to obosi te, kono watari ni kesikibami yori tamahe re ba, Ohomiya,
1.4.2  「 何かは。かしづかむと思はむ女子をば、宮仕へに次ぎては、親王たちにこそは見せたてまつらめ。 ただ人の、すくよかに、なほなほしきをのみ、今の世の人のかしこくする、品なきわざなり」
 「いや何。大切に世話しようと思う娘なら、帝に差し上げる次には、親王たちにめあわせ申すのがよい。臣下の、真面目で、無難な人だけを、今の世の人が有り難がるのは、品のない考え方だ」
 「私はそう信じているのだ。大事に思う娘は宮仕えに出すことを第一として、続いては宮たちと結婚させることがいいとね。普通の官吏と結婚させるのを頼もしいことのように思って親たちが娘の幸福のためにそれを願うのは卑しい態度だ」
  "Nanikaha! Kasiduka m to omoha m womnago wo ba, miyadukahe ni tugi te ha, Miko-tati ni koso ha mise tatematura me. Tadaudo no, sukuyoka ni, nahonahosiki wo nomi, ima no yo no hito no kasikoku suru, sina naki waza nari."
1.4.3  とのたまひて、いたくも悩ましたてまつりたまはず、受け引き申したまひつ。
 とおっしゃって、そう大してお焦らし申されることなく、ご承諾なさった。
 とお言いになって、あまり求婚期間の悩みもおさせにならずに御同意になった。
  to notamahi te, itaku mo nayamasi tatematuri tamaha zu, ukehiki mausi tamahi tu.
1.4.4  親王、あまり怨みどころなきを、さうざうしと思せど、おほかたのあなづりにくきあたりなれば、えしも言ひすべしたまはで、おはしましそめぬ。 いと二なくかしづききこえたまふ
 蛍親王は、あまりに口説きがいのないのを、物足りないとお思いになるが、大体が軽んじ難い家柄なので、言い逃れもおできになれず、お通いになるようになった。たいそうまたとなく大事にお世話申し上げなさる。
 兵部卿の宮はこの無造作な決まり方を物足らぬようにもお思いになったが、軽蔑けいべつしがたい相手であったから、ずるずる延ばしで話の解消をお待ちになることもおできにならないで、通って行くようにおなりになった。
  Miko, amari urami dokoro naki wo, sauzausi to obose do, ohokata no anaduri nikuki atari nare ba, e simo ihi subesi tamaha de, ohasimasi some nu. Ito ninaku kasiduki kikoye tamahu.
1.4.5  大宮は、女子あまたものしたまひて、
 式部卿大宮は、女の子がたくさんいらっしゃって、
 式部卿の宮はこの婿の宮を大事にあそばすのであった。宮は幾人もの女王にょおうをお持ちになって、
  Ohomiya ha, womnago amata monosi tamahi te,
1.4.6  「 さまざまもの嘆かしき折々多かるに、 物懲りしぬべけれど、なほこの君のことの思ひ放ちがたくおぼえてなむ。母君は、あやしきひがものに、年ごろに添へてなりまさりたまふ。大将はた、 わがことに従はずとて、おろかに見捨てられためれば、いとなむ心苦しき」
 「いろいろと何かにつけ嘆きの種が多いので、懲り懲りしたと思いたいところだが、やはりこの君のことが放っておけなく思えてね。母君は、奇妙な変人に年とともになって行かれる。大将は大将で、自分の言う通りにしないからと言って、いい加減に見放ちなされたようだから、まことに気の毒である」
 その宮仕え、結婚の結果によって苦労をされることの多かったのに懲りておいでになるはずであるが、最愛の御孫女のためにまたこうした婿かしずきをお始めになったのである。「母親は時がたつにしたがって病的な女になるし、父親はそちらの意志には従わない子だと言ってそまつに見ている姫君だからかわいそうでならぬ」
  "Samazama mono-nagekasiki woriwori ohokaru ni, monogori si nu bekere do, naho kono Kimi no koto no omohihanati gataku oboye te nam. Hahagimi ha, ayasiki higamono ni, tosigoro ni sohe te nari masari tamahu. Daisyau hata, waga koto ni sitagaha zu tote, oroka ni misute rare ta' mere ba, ito nam kokorogurusiki."
1.4.7  とて、御しつらひをも、立ちゐ、御手づから御覧じ入れ、よろづにかたじけなく御心に入れたまへり。
 と言って、お部屋の飾り付けも、立ったり座ったり、ご自身でお世話なさり、すべてにもったいなくも熱心でいらっしゃった。
 などとお言いになって、新夫婦の居間の装飾まで御自身で手を下してなされたり、またお指図さしずをされたりもするのであった。
  tote, ohom-siturahi wo mo, tatiwi, ohom-tedukara goranzi ire, yorodu ni katazikenaku mi-kokoro ni ire tamahe ri.
注釈77兵部卿宮なほ一所のみおはして蛍兵部卿宮は北の方を亡くして以後、独身生活。1.4.1
注釈78御心につきて思しけることどもは皆違ひて玉鬘や女三の宮を望んだことをさす。1.4.1
注釈79さてのみやはあまえて過ぐすべき蛍兵部卿宮の心中。「あまえて」について、『集成』は「こんなふうにのんびり構えてばかりもいられない」。『完訳』は「こんなふうにいい気になってばかりもいられまい」と訳す。1.4.1
注釈80何かは以下「品なきわざなり」まで、式部卿宮の詞。娘の結婚相手の第一は帝、次いで親王だ、という考え。実際、宮の中の君は王女御として入内。大君は臣下の鬚黒大将の北の方となったが、離縁となった。1.4.2
注釈81ただ人のすくよかになほなほしきをのみ鬚黒の性格が思い合わされる表現。1.4.2
注釈82いと二なくかしづききこえたまふ式部卿宮家が蛍兵部卿宮を婿として。1.4.4
注釈83さまざまもの嘆かしき以下「心苦しき」まで、式部卿宮の詞。1.4.6
注釈84物懲りしぬべけれど式部卿宮の大君は鬚黒と離縁、中の君は入内はしたものの立后が叶わなかった。1.4.6
注釈85わがことに従はず鬚黒の意見に式部卿宮が従わない、の意。1.4.6
1.5
第五段 兵部卿宮と真木柱の不幸な結婚生活


1-5  Unhappy married life between Makibashira-Hime and Hyobukyo-no-Miya

1.5.1  宮は、亡せたまひにける北の方を、世とともに恋ひきこえたまひて、「ただ、 昔の御ありさまに似たてまつりたらむ人を見む」と思しけるに、「 悪しくはあらねど、さま変はりてぞものしたまひける」と思すに、 口惜しくやありけむ、通ひたまふさま、いともの憂げなり。
 宮は、お亡くなりになった北の方を、それ以来ずっと恋い慕い申し上げなさって、「ただ、亡くなった北の方の面影にお似申し上げたような方と結婚しよう」とお思いになっていたが、「悪くはないが、違った感じでいらっしゃる」とお思いになると、残念であったのか、お通いになる様子は、まこと億劫そうである。
 兵部卿の宮はおくしになった先夫人をばかり恋しがっておいでになって、その人に似た新婦を得たいと願っておいでになったために、この姫君を、悪くはないが似た所がないと御覧になったせいか、通っておいでになるのにおっくうなふうをお見せになった。
  Miya ha, use tamahi ni keru Kitanokata wo, yo to tomoni kohi kikoye tamahi te, "Tada, mukasi no ohom-arisama ni ni tatematuri tara m hito wo mi m." to obosi keru ni, "Asiku ha ara ne do, sama kahari te zo monosi tamahi keru." to obosu ni, kutiwosiku ya ari kem, kayohi tamahu sama, ito mono-uge nari.
1.5.2  大宮、「 いと心づきなきわざかな」と思し嘆きたり。母君も、さこそひがみたまへれど、うつし心出で来る時は、「 口惜しく憂き世」と、思ひ果てたまふ
 式部卿大宮は、「まったく心外なことだ」とお嘆きになっていた。母君も、あれほど変わっていらっしゃったが、正気に返る時は、「口惜しい嫌な世の中だ」と、すっかり思いきりなさる。
 式部卿の宮は失望あそばした。病人である母君も気分の常態になっている時にはこの娘の思うようでない結婚をなげいて、いよいよ人生をいやなものにきめてしまった。
  Ohomiya, "Ito kokorodukinaki waza kana!" to obosi nageki tari. Hahagimi mo, sakoso higami tamahe re do, utusigokoro idekuru toki ha, "Kutiwosiku uki yo." to, omohi hate tamahu.
1.5.3  大将の君も、「 さればよ。いたく色めきたまへる親王を」と、 はじめよりわが御心に許したまはざりしことなればにや、ものしと思ひたまへり。
 左大将の君も、「やはりそうであったか。ひどく浮気っぽい親王だから」と、はじめからご自身お認めにならなかったことだからであろうか、面白からぬお思いでいらっしゃった。
 父親の左大将もこの話を聞いて、自分のあやぶんだとおりの結果になったではないか、多情者の宮様であるからと思って、初めから自分が賛成しなかった婿であったから困ったことであると歎いていた。
  Daisyau-no-Kimi mo, "Sarebayo! Itaku iromeki tamahe ru Miko wo." to, hazime yori waga mi-kokoro ni yurusi tamaha zari si koto nare ba ni ya, monosi to omohi tamahe ri.
1.5.4  尚侍の君も、かく頼もしげなき御さまを、 近く聞きたまふには、「 さやうなる世の中を見ましかば、こなたかなた、いかに思し見たまはまし」など、なまをかしくも、あはれにも思し出でけり。
 尚侍の君も、このように頼りがいのないご様子を、身近にお聞きになるにつけ、「そのような方と結婚をしたのだったら、こちらにもあちらにも、どんなにお思いになり御覧になっただろう」などと、少々おかしくも、また懐かしくもお思い出しになるのだった。
玉鬘たまかずら夫人は宮のお情けの薄さを継娘ままむすめの不幸として聞いていながら、自分がもし結婚をしてそうした目にあっていたなら、六条院の人々へも、実父の家族へも不名誉なことになるのであったと思った。そして左大将の妻になった運命を悲しむ気もなくなり、継娘に限りなく同情した。その自分の処女時代にも兵部卿の宮を良人おっとにしようとは少しも思わなかった。
  Kamnokimi mo, kaku tanomosige naki ohom-sama wo, tikaku kiki tamahu ni ha, "Sayau naru yononaka wo mi masika ba, konata kanata, ikani obosi mi tamaha masi." nado, nama-wokasiku mo, ahare ni mo obosi ide keri.
1.5.5  「 そのかみも、気近く見聞こえむとは、思ひ寄らざりきかし。ただ、情け情けしう、心深きさまにのたまひわたりしを、あへなくあはつけきやうにや、聞き落としたまひけむ」と、いと恥づかしく、年ごろも思しわたることなれば、「 かかるあたりにて、聞きたまはむことも、心づかひせらるべく」など思す。
 「あの当時も、結婚しようとは、考えてもいなかったのだ。ただ、いかにも優しく、情愛深くお言葉をかけ続けてくださったのに、張り合いなく軽率なように、お見下しになったであろうか」と、とても恥ずかしく、今までもお思い続けていらっしゃることなので、「あのような近いところで、わたしの噂をお聞きになることも、気をつかわねばならない」などとお思いになる。
 ただあれだけの情熱を運んでくだすった方が、左大将と平凡な夫婦になってしまったことを軽蔑けいべつしておいでにならないかとそれ以来恥ずかしく思っていたのであると玉鬘夫人は思い、その宮が継娘の婿におなりになって、自分のことをどう聞いておいでになるであろうと思うと晴れがましいような気もするのであった。この夫人からも新婚した姫君の衣裳いしょうその他の世話をした。
  "Sonokami mo, kedikaku mi kikoye m to ha, omohiyora zari ki kasi. Tada, nasakenasakesiu, kokoro hukaki sama ni notamahi watari si wo, ahenaku ahatukeki yau ni ya, kiki otosi tamahi kem." to, ito hadukasiku, tosigoro mo obosi wataru koto nare ba, "Kakaru atari nite, kiki tamaha m koto mo, kokorodukahi se raru beku." nado obosu.
1.5.6   これよりも、さるべきことは扱ひきこえたまふ。せうとの君たちなどして、かかる御けしきも知らず顔に、憎からず聞こえまつはしなどするに、心苦しくて、もて離れたる御心はなきに、 大北の方といふさがな者ぞ、常に許しなく怨じきこえたまふ。
 こちらからも、しかるべき事柄はしてお上げになる。兄弟の公達などを差し向けて、このようなご夫婦仲も知らない顔をして、親しげにお側に伺わせたりなどするので、気の毒になって、お見捨てになる気持ちはないが、大北の方という性悪な人が、いつも悪口を申し上げなさる。
 前夫人がどう恨んでいるかというようなことは知らぬふうにして、長男、次男を中にして好意を寄せる尚侍ないしのかみに前夫人は友情をすら覚えているのであるが、式部卿の宮家には大夫人という性質の曲がった人が一人いて、この人は常にだれのことも憎んで、罵言ばげんをやめないのである。
  Kore yori mo, saru beki koto ha atukahi kikoye tamahu. Seuto-no-Kimi-tati nado site, kakaru mi-kesiki mo sirazugaho ni, nikukara zu kikoye matuhasi nado suru ni, kokorogurusiku te, mote-hanare taru mi-kokoro ha naki ni, oho-Kitanokata to ihu saganamono zo, tuneni yurusi naku wenzi kikoye tamahu.
1.5.7  「 親王たちは、のどかに二心なくて、見たまはむをだにこそ、はなやかならぬ慰めには思ふべけれ」
 「親王たちは、おとなしく浮気をせず、せめて愛して下さるのが、華やかさがない代わりには思えるのだが」
 「親王がたというものは一人だけの奥さんを大事になさるということで、派手はでな生活のできない補いにもなろうというものだのに」
  "Miko-tati ha, nodoka ni hutagokoro naku te, mi tamaha m wo dani koso, hanayaka nara nu nagusame ni ha omohu bekere."
1.5.8  とむつかりたまふを、宮も漏り聞きたまひては、「 いと聞きならはぬことかな。昔、いとあはれと思ひし人をおきても、なほ、はかなき心のすさびは絶えざりしかど、かう厳しきもの怨じは、ことになかりしものを」
 とぶつぶつおっしゃるのを、宮も漏れお聞きなさっては、「まったく変な話だ。昔、とてもいとしく思っていた人を差し置いても、やはり、ちょっとした浮気はいつもしていたが、こう厳しい恨み言は、なかったものを」
 と陰口かげぐちをするのが兵部卿の宮のお耳にはいった時、不愉快なことを聞く、自分に最愛の妻があった時代にも他との恋愛の遊戯はやめなかった自分も、こうまではひどい恨み言葉は聞かないでいた
  to mutukari tamahu wo, Miya mo mori kiki tamahi te ha, "Ito kiki naraha nu koto kana! Mukasi, ito ahare to omohi si hito wo oki te mo, naho, hakanaki kokoro no susabi ha taye zari sika do, kau kibisiki mono-wenzi ha, kotoni nakari si mono wo."
1.5.9  心づきなく、いとど 昔を恋ひきこえたまひつつ、故里にうち眺めがちにのみおはします。さ言ひつつも、二年ばかりになりぬれば、かかる方に目馴れて、ただ、さる方の御仲にて過ぐしたまふ。
 と、気にくわなく、ますます故人をお慕いなさりながら、自邸に物思いに耽りがちでいらっしゃる。そうは言いながらも、二年ほどになったので、こうした事にも馴れて、ただ、そのような夫婦仲としてお過ごしになっていらっしゃる。
 とお思いになって、いっそうき夫人を恋しく思召おぼしめすことばかりがつのって、自邸で寂しく物思いをしておいでになる日が多かった。そうはいうものの二年もその状態で続いて来た今では、ただそれだけの淡い関係の夫婦として済んで行った。
  Kokorodukinaku, itodo mukasi wo kohi kikoye tamahi tutu, hurusato ni uti-nagame-gati ni nomi ohasimasu. Sa ihi tutu mo, huta-tose bakari ni nari nure ba, kakaru kata ni menare te, tada, saru kata no ohom-naka ni te sugusi tamahu.
注釈86昔の御ありさまに似たてまつりたらむ人を見む蛍兵部卿宮の心中。故北の方は、右大臣の三の君、太政大臣の北の方(四の君)や六の君(朧月夜尚侍)の姉。「花宴」に「帥宮の北の方、頭中将のすさめぬ四の君などこそよしと聞きしか」(第一章二段)とあるのが初出。「胡蝶」に「年ごろおはしける北の方も亡せたまひて、この三年ばかり独り住みにてわびたまへば」(第一章三段)とあった。「面影の人」を求めるのはこの物語の通貫したテーマ。1.5.1
注釈87悪しくはあらねどさま変はりてぞものしたまひける蛍兵部卿宮の感想。『集成』は「きれいな人ではあるが、全然感じの違うお方だった」。『完訳』は「ご器量がわるいというわけではないのだけれど、まるで感じがちがっていらっしゃる」と訳す。1.5.1
注釈88口惜しくやありけむ語り手の挿入句。蛍兵部卿宮の心中を忖度。1.5.1
注釈89いと心づきなきわざかな式部卿宮の心中。蛍宮の態度に立腹。1.5.2
注釈90口惜しく憂き世と、思ひ果てたまふ『集成』は「ままならぬ、情けないこの世だと、すっかり悲観しておしまいになる」「自分も髭黒との結婚に破れ、娘もまた、という気持」。『完訳』は「残念な情けない縁組であったと、すっかり気落ちしていらっしゃる」「母君は女の幸不幸は母親次第と考えて娘を引き取っただけに落胆が大きい」と注す。1.5.2
注釈91さればよ。いたく色めきたまへる親王を鬚黒大将の心中。蛍宮の好色風流好みの性格に対する批判。1.5.3
注釈92はじめよりわが御心に許したまはざりしことなればにや語り手の挿入句。鬚黒大将の心中を忖度。1.5.3
注釈93近く聞きたまふには継母としての立場から身近に聞くの意。1.5.4
注釈94さやうなる世の中を以下「思し見たまはまし」まで、玉鬘の心中。「ましかば--まし」反実仮想の構文。蛍宮と結婚しなくてよかったという感想。「こなたかなた」は源氏と太政大臣をさす。1.5.4
注釈95そのかみも気近く見聞こえむとは以下「聞き落としたまひけむ」まで、玉鬘の心中。1.5.5
注釈96かかるあたりにて聞きたまはむことも心づかひせらるべく玉鬘の心中。夫婦の語らいの中で、蛍宮が継娘の真木柱から玉鬘の噂を聞く、の意。1.5.5
注釈97これよりもさるべきことは玉鬘方をさす。継母としての配慮。1.5.6
注釈98大北の方といふさがな者ぞ式部卿宮の北の方。『集成』は「かつて継娘に当る紫の上の不幸を小気味よがったり(須磨)、玉鬘と髭黒の結婚について源氏をあしざまにののしったりした(真木柱)。そこにも「この大北の方ぞ、さがな者なりける」(真木柱)とあり、札付きといった扱い」と注す。この物語では、かつての右大臣の娘弘徽殿の大后とこの式部卿の北の方がつねに悪役といった感じ。1.5.6
注釈99親王たちは以下「思ふべけれ」まで、大北の方の詞。『集成』は「親王には政治的な権力がなく、婿取りしても世俗的な家の繁栄は望めないので、こうした愚痴にもなる」と注す。1.5.7
注釈100いと聞きならはぬことかな以下「なかりしものを」まで、蛍兵部卿宮の心中。末尾は地の文に続く。1.5.8
注釈101昔を恋ひきこえたまひつつ亡くなった北の方をさす。1.5.9
Last updated 9/21/2010(ver.2-3)
渋谷栄一校訂(C)
Last updated 5/12/2010(ver.2-2)
渋谷栄一注釈(C)
Last updated 12/29/2001
渋谷栄一訳(C)(ver.1-2-2)
現代語訳
与謝野晶子
電子化
上田英代(古典総合研究所)
底本
角川文庫 全訳源氏物語
校正・
ルビ復活
門田裕志、小林繁雄(青空文庫)

2004年2月6日

渋谷栄一訳
との突合せ
若林貴幸、宮脇文経

2005年8月14日

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Written in Japanese roman letters
by Eiichi Shibuya (C)
Picture "Eiri Genji Monogatari"(1650 1st edition)
このページは再編集プログラムによって2015/1/12に出力されました。
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