第三十五帖 若菜下


35 WAKANA-NO-GE (Meiyu-rinmo-bon)


光る源氏の准太上天皇時代
四十一歳三月から四十七歳十二月までの物語



Tale of Hikaru-Genji's Daijo Tenno era, from Mar. of 41 to Dec. the age of 47

2
第二章 光る源氏の物語 住吉参詣


2  Tale of Genji  Visiting to Sumiyoshi-shrine

2.1
第一段 冷泉帝の退位


2-1  Reizei-Mikado abdicates from the throne

2.1.1   はかなくて、年月もかさなりて、内裏の帝、御位に即かせたまひて、十八年にならせたまひぬ
 これという事もなくて、年月が過ぎて行き、今上の帝、御即位なさってから十八年におなりあそばした。
 歳月としつきが重なり、みかどが即位をあそばされてから十八年になった。
  Hakanaku te, tosituki mo kasanari te, Uti-no-Mikado, mi-kurawi ni tuka se tamahi te, zihuhati-nen ni nara se tamahi nu.
2.1.2  「 嗣の君とならせたまふべき御子おはしまさず、ものの栄なきに、 世の中はかなくおぼゆるを、心やすく、思ふ人びとにも対面し、私ざまに心をやりて、 のどかに過ぎまほしくなむ
 「後を嗣いで次の帝におなりになる皇子がいらっしゃらず、物寂しい上に、寿命がいつまで続くか分からない気がするので、気楽に、会いたい人たちと会い、私人として思うままに振る舞って、のんびりと過ごしたい」
 「将来の天子になる子のないことで自分には人生が寂しい。せめて気楽な身の上になって自分の愛する人たちと始終出逢うこともできるようにして、私人として楽しい生活がしてみたい」
  "Tugi no kimi to nara se tamahu beki miko ohasimasa zu, mono no haye naki ni, yononaka hakanaku oboyuru wo, kokoroyasuku, omohu hitobito ni mo taimen si, watakusizama ni kokoro wo yari te, nodoka ni sugi mahosiku nam."
2.1.3  と、年ごろ思しのたまはせつるを、日ごろいと重く悩ませたまふことありて、にはかに下りゐさせたまひぬ。世の人、「 飽かず盛りの御世を、かく逃れたまふこと」と惜しみ嘆けど、 春宮もおとなびさせたまひにたれば、うち嗣ぎて、 世の中の政事など、ことに変はるけぢめもなかりけり
 と、長年お思いになりおっしゃりもしていたが、最近たいそう重くお悩みあそばすことがあって、急に御退位あそばした。世間の人は、「惜しい盛りのお年を、このようにお退きになること」と、惜しみ嘆いたが、東宮もご成人あそばしているので、お嗣ぎになって、世の中の政治など、特別に変わることもなかった。
 以前からよくこう帝は仰せられたのであったが、重く御病気をあそばされた時ににわかに譲位を行なわせられた。世人は盛りの御代みよをお捨てあそばされることを残念がってなげいたが、東宮ももう大人おとなになっておいでになったから、お変わりになっても特別変わったこともなかった。ゆるぎない大御代おおみよと見えた。
  to, tosigoro obosi notamahase turu wo, higoro ito omoku nayama se tamahu koto ari te, nihaka ni oriwi sase tamahi nu. Yo no hito, "Aka zu sakari no mi-yo wo, kaku nogare tamahu koto." to wosimi nageke do, Touguu mo otonabi sase tamahi ni tare ba, uti-tugi te, yononaka no maturigoto nado, koto ni kaharu kedime mo nakari keri.
2.1.4   太政大臣、致仕の表たてまつりて、籠もりゐたまひぬ。
 太政大臣は致仕の表を奉って、ご引退なさった。
 太政大臣は関白職の辞表を出して自邸を出なかった。
  Ohokiotodo, tizi no heu tatematuri te, komori wi tamahi nu.
2.1.5  「 世の中の常なきにより、かしこき帝の君も、位を去りたまひぬるに、年深き身の 冠を挂けむ、何か惜しからむ」
 「世間の無常によって、恐れ多い帝の君も、御位をお下りになったのに、年老いた自分が冠を掛けるのは、何の惜しいことがあろうか」
 「人生の頼みがたさから賢明な帝王さえ御位みくらいをお去りになるのであるから、老境に達した自分が挂冠けいかんするのに惜しい気持ちなどは少しもない」
  "Yononaka no tune naki ni yori, kasikoki Mikado-no-Kimi mo, kurawi wo sari tamahi nuru ni, tosi hukaki mi no kauburi wo kake m, nani ka wosikara m."
2.1.6   と思しのたまひて、左大将、右大臣になりたまひてぞ、世の中の政事仕うまつりたまひける。 女御の君は、かかる御世をも待ちつけたまはで、亡せたまひにければ限りある御位を得たまへれど、ものの後ろの心地して、かひなかりけり。
 とお考えになりおっしゃって、左大将が、右大臣におなりになって、政務をお勤めになったのであった。承香殿女御の君は、このような御世にお会いにならず、お亡くなりになったので、規定のご称号を奉られたが、光の当たらない感じがして、何にもならなかった。
 と言っていたに違いない。左大将が右大臣になって関白の仕事もした。御母君の女御にょごは新帝の御代を待たずにくなっていたから、きさきの位におのぼされになっても、それはもう物の背面のことになって寂しく見えた。
  to obosi notamahi te, Sadaisyau, Udaizin ni nari tamahi te zo, yononaka no maturigoto tukaumaturi tamahi keru. Nyougo-no-Kimi ha, kakaru mi-yo wo mo matituke tamaha de, use tamahi ni kere ba, kagiri aru mi-kurawi wo e tamahe re do, mono no usiro no kokoti si te, kahi nakari keri.
2.1.7   六条の女御の御腹の一の宮、坊にゐたまひぬ。さるべきこととかねて思ひしかど、さしあたりてはなほめでたく、目おどろかるるわざなりけり。右大将の君、大納言になりたまひぬ。 いよいよあらまほしき御仲らひなり
 六条院の女御腹の一の宮、東宮におつきになった。当然のこととは以前から思っていたが、実現して見るとやはり素晴らしく、目を見張るようなことであった。右大将の君、大納言におなりになった。ますます理想的なお間柄である。
 六条の女御のお生みした今上第一の皇子が東宮におなりになった。そうなるはずのことはだれも知っていたが、目前にそれが現われてみればまた一家の幸福さに驚きもされるのであった。右大将が大納言を兼ねて順序のままに左大将に移り、この人も幸福に見えた。
  Rokudeu-no-Nyougo no ohom-hara no Iti-no-Miya, Bau ni wi tamahi nu. Sarubeki koto to kanete omohi sika do, sasiatarite ha naho medetaku, me odoroka ruru waza nari keri. Udaisyau-no-Kimi, Dainagon ni nari tamahi nu. Iyoiyo aramahosiki ohom-nakarahi nari.
2.1.8  六条院は、下りゐたまひぬる 冷泉院の、 御嗣おはしまさぬを、飽かず御心のうちに思す同じ筋なれど思ひ悩ましき御ことならで過ぐしたまへるばかりに、罪は隠れて、末の世まではえ伝ふまじかりける御宿世口惜しくさうざうしく思せど、人にのたまひあはせぬことなれば、いぶせくなむ。
 六条院は、御退位あそばした冷泉院が、御後嗣がいらっしゃらないのを、残念なこととご心中ひそかにお思いになる。同じ自分の血統であるが、御煩悶なさることなくて、無事にお過ごしなっただけに、罪は現れなかったが、子孫まで皇位を伝えることができなかった御運命を、口惜しく物足りなくお思いになるが、人と話し合えないことなので、気持ちが晴れない。
六条院は御譲位になった冷泉れいぜい院に御後嗣こうしのないのを御心の中では遺憾に思召おぼしめされた。実は新東宮だって六条院の御血統なのだが、冷泉院の御在位中には御煩悶はんもんもなくて過ごされたほど、例の密通の秘密は隠しおおされたが、そのかわりにこの御系統が末まで続かぬように運命づけられておしまいになったのを六条院は寂しくお思いになったが、御口外あそばすことでもないのでただお心で味けなくお感じになるだけであった。
  Rokudeu-no-Win ha, oriwi tamahi nuru Reizei-Win no, ohom-tugi ohasimasa nu wo, aka zu mi-kokoro no uti ni obosu. Onazi sudi nare do, omohi nayamasiki ohom-koto nara de, sugusi tamahe ru bakari ni, tumi ha kakure te, suwe no yo made ha e tutahu mazikari keru ohom-sukuse, kutiwosiku sauzausiku obose do, hito ni notamahi ahase nu koto nare ba, ibuseku nam.
2.1.9   春宮の女御は、御子たちあまた数添ひたまひて、いとど御おぼえ並びなし。 源氏の、うち続き后にゐたまふべきことを、世人飽かず思へるにつけても、 冷泉院の后はゆゑなくて、あながちにかくしおきたまへる御心を思すに、いよいよ六条院の御ことを、年月に添へて、限りなく思ひきこえたまへり。
 東宮の母女御は、御子たちが大勢いらっしゃって、ますます御寵愛は並ぶ者がいない。源氏が、引き続いて皇后におなりになることを、世間の人は不満に思っているのにつけても、冷泉院の皇后は、格別の理由もないのに、強引にこのようにして下さったお気持ちをお思いになると、ますます六条院の御事を、年月と共に、この上なく有り難くお思い申し上げになっていらっしゃった。
 東宮の御母女御は皇子たちが多くお生まれになってみかどの御ちょうはますます深くなるばかりであった。またも王氏の人が后にお立ちになることになっていることで、今度で三代にもなっていたから何かと飽き足らぬらしい世論があるのをお知りになった時、冷泉院の中宮ちゅうぐうは以前もこうした場合に六条院の強い御支持があって、自分の后の位はきまったのであると過去を回想あそばしてますます院の恩をお感じになった。
  Touguu-no-Nyougo ha, miko-tati amata kazu sohi tamahi te, itodo ohom-oboye narabi nasi. Genzi no, uti-tuduki Kisaki ni wi tamahu beki koto wo, yohito aka zu omohe ru ni tuke te mo, Reizei-Win no Kisaki ha, yuwe naku te, anagati ni kaku si oki tamahe ru mi-kokoro wo obosu ni, iyoiyo Rokudeu-Win no ohom-koto wo, tosituki ni sohe te, kagirinaku omohi kikoye tamahe ri.
2.1.10   院の帝、思し召ししやうに、御幸も、所狭からで渡りたまひなどしつつ、かくてしも、げにめでたくあらまほしき御ありさまなり。
 院の帝は、お考えになっていたように、御幸も、気軽にお出かけなさったりして、御退位後はかえって、確かに素晴らしく申し分ない御生活である。
 冷泉院の帝は御期待あそばされたとおりに、御窮屈なお思いもなしに御幸みゆきなどもおできになることになって、あちらこちらと御遊幸あそばされて、今日の御境遇ほどお楽しいものはないようにお見受けされるのであった。
  Win-no-Mikado, obosimesi si yau ni, miyuki mo, tokorosekara de watari tamahi nado si tutu, kakute simo, geni medetaku aramahosiki ohom-arisama nari.
注釈102はかなくて年月もかさなりて内裏の帝御位に即かせたまひて十八年にならせたまひぬその後四年を経て、冷泉帝は譲位する。冷泉帝は十一歳で即位(澪標)。したがって現在二十八歳。源氏は四十六歳。つまり、源氏四十二歳から四十五歳までの四年間の空白がある。2.1.1
注釈103嗣の君とならせたまふべき御子以下「過ぎまほしくなむ」まで、冷泉帝の詞。次の帝となるべき男皇子もいない寂しさを嘆く。2.1.2
注釈104世の中はかなくおぼゆるを『完訳』は「この寿命もいつまで続くのか頼りなく思われてならないので」と訳す。2.1.2
注釈105のどかに過ぎまほしくなむ明融臨模本と大島本は「すきまほしく」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「過ぐさまほしく」と校訂する。『新大系』は底本(大島本)のままとする。2.1.2
注釈106飽かず盛りの御世をかく逃れたまふこと世の中の人の詞。冷泉帝の御譲位を惜しむ。2.1.3
注釈107春宮もおとなびさせたまひにたれば東宮は二十歳。朱雀院の皇子、母承香殿女御で左大将鬚黒の妹。三歳で立坊(澪標)、十三歳で元服(梅枝)、源氏の娘明石女御が入内(藤裏葉)、第一皇子誕生(若菜上)。2.1.3
注釈108世の中の政事などことに変はるけぢめもなかりけり冷泉帝から今上帝へ御世替わりがあったが、格別政治や政界の人事に大きな異動がなかったことをいう。2.1.3
注釈109太政大臣致仕の表たてまつりて太政大臣が致仕し、鬚黒が右大臣となる。2.1.4
注釈110世の中の常なきにより以下「何か惜しからむ」まで、太政大臣の詞。2.1.5
注釈111と思しのたまひて明融臨模本と大島本は「おほしの給て」とある。『完本』は諸本に従って「思しのたまふ」と校訂する。『集成』『新大系』は底本(明融臨模本・大島本)のままとする。2.1.6
注釈112女御の君はかかる御世をも待ちつけたまはで亡せたまひにければ東宮の母承香殿女御はこれまでに死去。はじめてここに語られる。2.1.6
注釈113限りある御位を得たまへれど皇太后の位を追贈されたことをいう。2.1.6
注釈114六条の女御の御腹の一の宮坊にゐたまひぬ明石女御の第一皇子が皇太子となる。今年六歳。2.1.7
注釈115いよいよあらまほしき御仲らひなり鬚黒右大臣と夕霧大納言の関係をいう。2.1.7
注釈116冷泉院初めての呼称。退位後、冷泉院を院の御所としたことがわかる。またこの帝の呼称にもなる。2.1.8
注釈117御嗣おはしまさぬを、飽かず御心のうちに思す源氏は、冷泉院に御継嗣のいないことを心中に残念に思う。2.1.8
注釈118同じ筋なれど冷泉院と東宮をさす。2.1.8
注釈119思ひ悩ましき御ことならで明融臨模本は「御事ならて」とある。大島本は「御事なくて」とある。『集成』『新大系』はそれぞれ底本(明融臨模本・大島本)のままとする。『完本』は諸本に従って「御事なうて」と校訂する。2.1.8
注釈120過ぐしたまへるばかりに罪は隠れて末の世まではえ伝ふまじかりける御宿世接続助詞「て」逆接の意。『完訳』は「世間に知られずにすんだが、そのかわり帝のお血筋を」と訳す。2.1.8
注釈121口惜しくさうざうしく思せど源氏の心中。間接的叙述。2.1.8
注釈122春宮の女御は御子たちあまた数添ひたまひて明石女御は帝の寵愛が厚く御子たちも大勢いる。「春宮の女御」は東宮の母女御の意。帝の女御は複数いる。東宮の母女御は一人。そのほうが重々しい呼称。2.1.9
注釈123源氏のうち続き后にゐたまふべきことを藤壺(先帝の四宮)、秋好(故前坊の姫、源氏の養女)をさす。「源氏」は皇族の意で使われている。2.1.9
注釈124冷泉院の后は秋好中宮。2.1.9
注釈125ゆゑなくてあながちにかくしおきたまへる秋好中宮は、立后がかなり強引で無理になったものだ、と思っている。2.1.9
注釈126院の帝冷泉院の日常。上皇を「院の帝」と呼称する。2.1.10
出典4 冠を挂けむ 逢萌字子康 北海都昌人也  中略 2.1.5
 即解冠挂東都城門 帰 将家属浮海 客於遼東 後漢書-逢萌伝
2.2
第二段 六条院の女方の動静


2-2  About movement of ladys in Rokujo-in

2.2.1   姫宮の御ことは、帝、御心とどめて思ひきこえたまふ。おほかたの世にも、あまねくもてかしづかれたまふを、対の上の御勢ひには、えまさりたまはず。 年月経るままに、御仲いとうるはしく睦びきこえ交はしたまひていささか飽かぬことなく、隔ても見えたまはぬものから
 姫宮の御事は、帝が、御配慮になってお気をつけて差し上げなさる。世間の人々からも、広く重んじられていらっしゃるが、対の上のご威勢には、勝ることがおできになれない。年月がたつにつれて、ご夫婦仲は互いにたいそうしっくりと睦まじくいらして、少しも不満なところなく、よそよそしさもお見えでないが、
 帝は六条院においでになる御妹の姫宮に深い関心をお持ちになったし、世間がその方に払う尊敬も大きいのであるが、なお紫夫人以上の夫人として六条院の御寵を受けておいでになるのではなかった。年月のたつにしたがって女王と宮の御中にこまやかな友情が生じて、六条院の中は理想的な穏やかな空気に満たされているが、紫夫人は、
  Hime-Miya no ohom-koto ha, Mikado, mi-kokoro todome te omohi kikoye tamahu. Ohokata no yo ni mo, amaneku mote-kasiduka re tamahu wo, Tai-no-Uhe no ohom-ikihohi ni ha, e masari tamaha zu. Tosituki huru mama ni, ohom-naka ito uruhasiku mutubi kikoye kahasi tamahi te, isasaka aka nu koto naku, hedate mo miye tamaha nu monokara,
2.2.2  「 今は、かうおほぞうの住まひならで、のどやかに行なひをも、となむ思ふ。 この世はかばかりと、見果てつる心地する齢にもなりにけり。さりぬべきさまに思し許してよ」
 「今は、このような普通の生活ではなく、のんびりと仏道生活に入りたい、と思います。この世はこれまでと、すっかり見終えた気がする年齢にもなってしまいました。そのようにお許し下さいませ」
 「もう私はこうした出入りの多い住居すまいから退きまして、静かな信仰生活がしたいと思います。人生とはこんなものということも経験してしまったような年齢としにもなっているのですもの、もう尼になることを許してくださいませんか」
  "Ima ha, kau ohozou no sumahi nara de, nodoyaka ni okonahi wo mo, to nam omohu. Konoyo ha kabakari to, mihate turu kokoti suru yohahi ni mo nari ni keri. Sarinubeki sama ni obosi yurusi te yo."
2.2.3  と、 まめやかに聞こえたまふ折々あるを
 と、真剣に申し上げなさることが度々あるが、
 と、時々まじめに院へお話しするのであるが、
  to, mameyaka ni kikoye tamahu woriwori aru wo,
2.2.4  「 あるまじく、つらき御ことなり。みづから、深き本意あることなれど、 とまりてさうざうしくおぼえたまひある世に変はらむ御ありさまの、うしろめたさによりこそ、ながらふれ。つひにそのこと遂げなむ後に、ともかくも思しなれ」
 「とんでもない、酷いおっしゃりようです。わたし自身、強く希望するところですが、後に残って寂しいお気持ちがなさり、今までと違ったようにおなりになるのが、気がかりなばかりに、生き永らえているのです。とうとう出家した後に、どうなりとお考え通りになさるがよい」
 「もってのほかですよ。そんな恨めしいことをあなたは思うのですか。それは私自身が実行したいことなのだが、あなたがあとに残って寂しく思ったり、私といっしょにいる時と違った世間の態度を悲しく感じたりすることになってはという気がかりがあるために現状のままでいるだけなのですよ。それでもいつか私の実行の日が来るでしょう、あなたはそのあとのことになさい」
  "Aru maziku, turaki ohom-koto nari. Midukara, hukaki ho'i aru koto nare do, tomari te sauzausiku oboye tamahi, aru yo ni kahara m ohom-arisama no, usirometasa ni yori koso, nagarahure. Tuhini sono koto toge na m noti ni, tomokakumo obosi nare."
2.2.5  などのみ、妨げきこえたまふ。
 などとばかり、ご制止申し上げなさる。
 などとばかり院はお言いになって、夫人の志を妨げておいでになった。
  nado nomi, samatage kikoye tamahu.
2.2.6  女御の君、ただこなたを、まことの御親にもてなしきこえたまひて、 御方は隠れがの御後見にて、卑下しものしたまへるしもぞ、なかなか、行く先頼もしげにめでたかりける。
 女御の君、ひたすらこちらを、本当の母親のようにお仕え申し上げなさって、御方は蔭のお世話役として、謙遜していらっしゃるのが、かえって、将来頼もしげで、立派な感じであった。
 女御は今も女王を真実の母として敬愛していて、明石夫人は隠れた女御の後見をするだけの人になって謙遜けんそんさを失わないでいることは、かえって将来のために頼もしく思われた。
  Nyougo-no-Kimi, tada konata wo, makoto no mi-oya ni motenasi kikoye tamahi te, Ohom-kata ha kakurega no ohom-usiromi nite, hige si monosi tamahe ru simo zo, nakanaka, yukusaki tanomosige ni medetakari keru.
2.2.7  尼君も、ややもすれば、堪へぬよろこびの涙、ともすれば落ちつつ、目をさへ拭ひただして、命長き、うれしげなる例になりてものしたまふ。
 尼君も、ややもすれば感激に堪えない喜びの涙、ともすれば、落とし落としして、目まで拭い爛れさせて、長生きした、幸福者の例になっていらっしゃる。
 尼君もうれし泣きの涙を流す日が多くて、目もふきただれて幸福な老婆の見本になっていた。
  Amagimi mo, yaya mo sure ba, tahe nu yorokobi no namida, tomosureba oti tutu, me wo sahe nogohi tadasi te, inoti nagaki, uresige naru tamesi ni nari te monosi tamahu.
注釈127姫宮の御ことは、帝、御心とどめて女三の宮をさす。2.2.1
注釈128年月経るままに御仲いとうるはしく睦びきこえ交はしたまひて女三の宮降嫁後、五年を経ている。「麗はしく睦び交はす」とは外見的な振る舞いをいうのであろう。『集成』は「源氏とのお間柄はまことにしっくりと仲むつまじくいらして」。『完訳』は「院の殿と対の上とのご夫婦仲はまったく毛筋ほどの乱れもなく、お互いに仲睦まじくお過しになって」と訳す。2.2.1
注釈129いささか飽かぬことなく隔ても見えたまはぬものから紫の上の源氏から心の乖離が語られる。2.2.1
注釈130今はかうおほぞうの住まひならで以下「思し許してよ」まで、紫の上の詞。出家の希望を述べる。『完訳』は「このような通り一遍の暮しでなく」「ありふれた物思いがちな愛人なみの生活」と注す。2.2.2
注釈131この世はかばかりと見果てつる心地する齢にもなりにけり紫の上、三十六歳。後文の翌年の記事に「今年は三十七にぞなりたまふ」(第六章二段)とある。2.2.2
注釈132まめやかに聞こえたまふ折々あるを紫の上は出家の希望を真剣に度々源氏に願っている。2.2.3
注釈133あるまじくつらき御ことなり以下「ともかくも思しなれ」まで、源氏の詞。紫の上の出家の希望を阻止する。出家後の紫の身の上が心配、自分の出家後に出家するのがよい、という。2.2.4
注釈134とまりてさうざうしくおぼえたまひ主語は紫の上。源氏が出家した場合を想定した発言。2.2.4
注釈135ある世に変はらむ御ありさまの『集成』は「今までとは打って変ったお暮しが」。『完訳』は「わたしといっしょの時と比べてどんなに変ったお身の上になろうかと」と訳す。2.2.4
注釈136御方は隠れがの明石御方をさす。2.2.6
2.3
第三段 源氏、住吉に参詣


2-3  Genji's family visit to Sumiyoshi-shrine

2.3.1   住吉の御願、かつがつ果たしたまはむとて、春宮女御の御祈りに詣でたまはむとて、かの箱開けて御覧ずれば、さまざまのいかめしきことども多かり。
 住吉の神に懸けた御願、そろそろ果たそうとなさって、春宮の女御の御祈願に参詣なさろうとして、あの箱を開けて御覧になると、いろいろな盛大な願文が多かった。
 住吉すみよしの神への願果たしを思い立って参詣さんけいする女御は、以前に入道から送って来てあった箱をあけて、神へ約した条件を調べてみたが、それにはかなり大がかりなことを多く書き立ててあった。
  Sumiyosi no go-gwan, katugatu hatasi tamaha m tote, Touguu-no-Nyougo no ohom-inori ni ma'de tamaha m tote, kano hako ake te goranzure ba, samazama no ikamesiki koto-domo ohokari.
2.3.2  年ごとの春秋の神楽に、かならず 長き世の祈りを加へたる願ども、げに、かかる御勢ひならでは、果たしたまふべきこととも思ひおきてざりけり。ただ走り書きたる趣きの、才々しくはかばかしく、仏神も聞き入れたまふべき言の葉明らかなり。
 毎年の春秋に奏する神楽に、必ず子孫の永遠の繁栄を祈願した願文類が、なるほど、このようなご威勢でなければ果たすことがおできになれないように考えていたのであった。ただ走り書きしたような文面で、学識が見え論旨も通り、仏神もお聞き入れになるはずの文意が明瞭である。
 年々の春秋の神楽かぐらとともに必ず長久隆運の祈りをすることなどは、今日の女御の境遇になっていなければ実行のできぬことであった。ただ走り書きにした文章にも入道の学問と素養が見え、仏も神も聞き入れるであろうことが明らかに知られた。
  Tosi goto no haru aki no kagura ni, kanarazu nagaki yo no inori wo kuhahe taru gwan-domo, geni, kakaru ohom-ikihohi nara de ha, hatasi tamahu beki koto to mo omohi oki te zari keri. Tada hasirigaki taru omomuki no, zaezaesiku hakabakasiku, Hotoke Kami mo kikiire tamahu beki kotonoha akiraka nari.
2.3.3  「 いかでさる山伏の聖心に、かかることどもを思ひよりけむ」と、あはれにおほけなくも御覧ず。「 さるべきにて、しばしかりそめに身をやつしける、 昔の世の行なひ人にやありけむ」など思しめぐらすに、いとど軽々しくも思されざりけり。
 「どうしてあのような山伏の聖心で、このような事柄を思いついたのだろう」と、感服し分を過ぎたことだと御覧になる。「前世の因縁で、ほんの少しの間、仮に身を変えた前世の修行者であったのだろうか」などとお考えめぐらすと、ますます軽んじることはできなかった。
 どうしてそんな世捨て人の心にこんな望みの楼閣が建てられたのであろうと、子孫への愛の深さが思われもし、神や仏に済まぬ気もされた。並みの人ではなくてしばらく自分の祖父になってこの世へ姿を現わしただけの、功徳を積んだ昔の聖僧ではなかったかなどと思われ、女御に明石あかしの入道を畏敬いけいする心が起こった。
  "Ikade saru yamabusi no hiziri-gokoro ni, kakaru koto-domo wo omohiyori kem?" to, ahare ni ohokenaku mo goranzu. "Sarubeki nite, sibasi karisome ni mi wo yatusi keru, mukasi no yo no okonahi-bito ni ya ari kem?" nado obosi megurasu ni, itodo karugarusiku mo obosa re zari keri.
2.3.4  このたびは、この心をば表はしたまはず、ただ、院の御物詣でにて出で立ちたまふ。 浦伝ひのもの騒がしかりしほど、そこらの御願ども、 皆果たし尽くしたまへれども、なほ世の中にかくおはしまして、かかるいろいろの栄えを見たまふにつけても、神の御助けは忘れがたくて、対の上も 具しきこえさせたまひて、詣でさせたまふ、響き世の常ならず。いみじくことども 削ぎ捨てて、世の煩ひあるまじく、と省かせたまへど、 限りありければ、めづらかによそほしくなむ。
 今回は、この趣旨は表にお立てにならず、ただ、院の物詣でとしてご出立なさる。浦から浦へと流離した事変の当時の数多くの御願は、すっかりお果たしなさったが、やはりこの世にこうお栄えになっていらっしゃって、このようないろいろな栄華を御覧になるにつけても、神の御加護は忘れることができず、対の上もご一緒申し上げなさって、ご参詣あそばす、その評判、大変なものである。たいそう儀式を簡略にして、世間に迷惑があってはならないように、と省略なさるが、仕来りがあることゆえ、またとない立派さであった。
 今度はまだ女御の行なうことにはせずに、六条院の参詣におつれになる形式で京を立ったのであった。須磨すま明石時代に神へお約しになったことは次々に果たされたのであるが、その以後もまた長く幸運が続き、一門子孫の繁栄を御覧になることによっても神の冥助めいじょは忘られずに六条院は紫の女王にょおうも伴って御参詣あそばされるのであって、はなやかな一行である。簡素を旨として国の煩いになることはお避けになったのであるが、この御身分であってはある所までは必ず備えられねばならぬ旅の形式があって、自然に大きなことにもなった。
  Kono tabi ha, kono kokoro wo ba arahasi tamaha zu, tada, Win no ohom-mono-maude nite idetati tamahu. Uradutahi no mono-sawagasikari si hodo, sokora no ohom-gwan-domo, mina hatasi tukusi tamahe re domo, naho yononaka ni kaku ohasimasi te, kakaru iroiro no sakaye wo mi tamahu ni tuke te mo, Kami no ohom-tasuke ha wasure gataku te, Tai-no-Uhe mo gusi kikoye sase tamahi te, maude sase tamahu, hibiki yo no tune nara zu. Imiziku koto-domo sogi sute te, yo no wadurahi aru maziku, to habuka se tamahe do, kagiri ari kere ba, meduraka ni yosohosiku nam.
注釈137住吉の御願かつがつ果たしたまはむとて源氏、住吉詣でを思い立つ。2.3.1
注釈138長き世の祈りを加へたる願ども『集成』は「明石の上の将来を祈願した上に、その度に遠い行く末まで(姫君や東宮のこと)祈って立てた数多くの願は」。『完訳』は「子々孫々の繁栄をという祈りの添えてある願文は」と訳す。2.3.2
注釈139いかでさる山伏の以下「思ひよりけむ」まで、源氏の感想。2.3.3
注釈140さるべきにて以下「行なひ人にやありけむ」まで、源氏の感想。2.3.3
注釈141昔の世の行なひ人『集成』は「遠い昔のすぐれた修行僧」。『完訳』は「前の世の行者」と訳す。2.3.3
注釈142浦伝ひの「浦伝ひ」は歌語。源氏の和歌にも詠まれる(明石)。2.3.4
注釈143皆果たし尽くしたまへれども「澪標」巻の住吉詣での段に語られている。2.3.4
注釈144具しきこえさせたまひて詣でさせたまふ「きこえさせ」謙譲の補助動詞。紫の上に対する敬意。「きこゆ」より一段と深い敬意。「たまひ」尊敬の補助動詞。源氏の動作に対する敬意。「させ」尊敬の助動詞、「たまふ」尊敬の補助動詞、最高敬語。2.3.4
注釈145限りありければいくら簡略にするといっても院としての格式があるので、という意。2.3.4
校訂2 削ぎ 削ぎ--そ(そ/+き) 2.3.4
2.4
第四段 住吉参詣の一行


2-4  About appearance of visitors

2.4.1  上達部も、大臣二所をおきたてまつりては、皆仕うまつりたまふ。 舞人は、衛府の次将どもの、容貌きよげに、丈だち等しき限りを選らせたまふ。この選びに入らぬをば恥に、愁へ嘆きたる好き者どもありけり。
 上達部も、大臣お二方をお除き申しては、皆お供奉申し上げなさる。舞人は、近衛府の中将たちで器量が良くて、背丈の同じ者ばかりをお選びあそばす。この選に漏れたことを恥として、悲しみ嘆いている芸熱心の者たちもいるのだった。
 公卿こうけいも二人の大臣以外は全部供奉ぐぶした。神前の舞い人は各衛府えふの次将たちの中の容貌ようぼうのよいのを、さらに背丈せたけをそろえてとられたのであった。落選してなげく風流公子もあった。
  Kamdatime mo, Otodo huta-tokoro wo oki tatematuri te ha, mina tukaumaturi tamahu. Mahibito ha, Wehu no Suke-domo no, katati kiyoge ni, takedati hitosiki kagiri wo era se tamahu. Kono erabi ni ira nu wo ba hadi ni, urehe nageki taru sukimono-domo ari keri.
2.4.2   陪従も、石清水、賀茂の臨時の祭などに召す人びとの、道々のことにすぐれたる限りを整へさせたまへり。 加はりたる二人なむ、近衛府の名高き限りを召したりける。
 陪従も、岩清水、賀茂の臨時の祭などに召す人々で、諸道に殊に勝れた者ばかりをお揃えになっていらっしゃった。それに加わった二人も、近衛府の世間に名高い者ばかりをお召しになっているのだった。
 奏楽者も石清水いわしみず賀茂かもの臨時祭に使われる専門家がより整えられたのであるが、ほかから二人加えられたのは近衛府このえふの中で音楽の上手じょうずとして有名になっている人であった。
  Beiziu mo, Ihasimidu, Kamo no rinzi-no-maturi nado ni mesu hitobito no, mitimiti no koto ni sugure taru kagiri wo totonohe sase tamahe ri. Kuhahari taru hutari nam, Konowe-dukasa no nadakaki kagiri wo mesi tari keru.
2.4.3  御神楽の方には、いと多く仕うまつれり。内裏、春宮、院の殿上人、方々に分かれて、心寄せ仕うまつる。数も知らず、いろいろに尽くしたる上達部の御馬、鞍、馬副、随身、 小舎人童、次々の舎人などまで、整へ飾りたる見物、またなきさまなり。
 御神楽の方には、たいそう数多くの人々がお供申していた。帝、東宮、院の殿上人、それぞれに分かれて、進んで御用をお勤めになる。その数も知れず、いろいろと善美を尽くした上達部の御馬、鞍、馬添、随身、小舎人童、それ以下の舎人などまで、飾り揃えた見事さは、またとないほどである。
 また神楽のほうを受け持つ人も多数に行った。宮中、院、東宮の殿上役人が皆御命令によって供奉ぐぶの中にいるのも無数にあった。華奢かしゃを尽くした高官たちの馬、くら、馬添い侍、随身、小侍の服装までもきらびやかな行列であった。
  Mi-kagura no kata ni ha, ito ohoku tukaumature ri. Uti, Touguu, Win no Tenzyaubito, katagata ni wakare te, kokoroyose tukaumaturu. Kazu mo sira zu, iroiro ni tukusi taru Kamdatime no ohom-muma, kura, mumazohi, zuizin, kodoneriwaraha, tugitugi no toneri nado made, totonohe kazari taru mimono, matanaki sama nari.
2.4.4  女御殿、対の上は、一つに奉りたり。次の御車には、明石の御方、尼君忍びて乗りたまへり。女御の御乳母、心知りにて乗りたり。方々のひとだまひ、上の御方の五つ、女御殿の五つ、明石の御あかれの三つ、目もあやに飾りたる装束、ありさま、言へばさらなり。さるは、
 女御殿と、対の上は、同じお車にお乗りになっていた。次のお車には、明石の御方と、尼君がこっそりと乗っていらっしゃった。女御の御乳母、事情を知る者として乗っていた。それぞれお供の車は、対の上の御方のが五台、女御殿のが五台、明石のご一族のが三台、目も眩むほど美しく飾り立てた衣装、様子は、言うまでもない。一方では、
 院の御車みくるまには紫夫人と女御をいっしょに乗せておいでになって、次の車には明石夫人とその母の尼とが目だたぬふうに乗っていた。それには古い知り合いの女御の乳母めのとが陪乗したのである。女房たちの車は夫人付きの者のが五台、女御のが五台、明石夫人に属したのが三台で、それぞれに違った派手はでな味のある飾りと服装が人目に立った。明石の尼君がいっしょに来たのは、
  Nyougo-dono, Tai-no-Uhe ha, hito-tu ni tatematuri tari. Tugi no mi-kuruma ni ha, Akasi-no-Ohomkata, Amagimi sinobi te nori tamahe ri. Nyougo-no-ohom-menoto, kokorosiri nite nori tari. Katagata no hitodamahi, Uhe-no-Ohomkata no itu-tu, Nyougo-dono no itu-tu, Akasi no ohom-akare no mi-tu, me mo aya ni kazari taru sauzoku, arisama, ihe ba sara nari. Saruha,
2.4.5  「 尼君をば、同じくは、老の波の皺延ぶばかりに、 人めかしくて詣でさせむ」
 「尼君をば、どうせなら、老の波の皺が延びるように、立派に仕立てて参詣させよう」
 「今度の参詣に尼君を優遇して同伴しよう。老人の心に満足ができるほどにして」
  "Amagimi wo ba, onaziku ha, oyi no nami no siha nobu bakari ni, hitomekasiku te maude sase m."
2.4.6  と、院はのたまひけれど、
 と、院はおっしゃったが、
 と院がお言い出しになったのであって、はじめ明石夫人は、
  to, Win ha notamahi kere do,
2.4.7  「 このたびは、かくおほかたの響きに立ち交じらむもかたはらいたし。もし 思ふやうならむ世の中を待ち出でたらば」
 「今回は、このような世を挙げての参詣に加わるのも憚られます。もし希望通りの世まで生き永らえていましたら」
 「今度は院と女王様が主になっての御参詣なんですから、あなたなどが混じっておいでになっては私の立場も苦しくなりますからね、女御さんがもう一段御出世をなすったあとで、その時に私たちだけでお参りをいたしましょう」
  "Konotabi ha, kaku ohokata no hibiki ni tati-mazira m mo kataharaitasi. Mosi omohu yau nara m yononaka wo mati ide tara ba."
2.4.8  と、御方はしづめたまひけるを、残りの命うしろめたくて、かつがつものゆかしがりて、慕ひ参りたまふなりけり。さるべきにて、もとよりかく 匂ひたまふ御身どもよりも、いみじかりける契り、あらはに思ひ知らるる人の御ありさまなり。
 と、御方はお抑えなさったが、余命が心配で、もう一方では見たくて、付いていらっしゃったのであった。前世からの因縁で、もともとこのようにお栄えになるお身の上の方々よりも、まことに素晴らしい幸運が、はっきり分かるご様子の方である。
 と言って、尼君をとどめていたのであるが、老人はそれまで長命で生きておられる自信もなく心細がってそっと一行に加わって来たのである。運命の寵児ちょうじであることがしかるべきことと思われる女王や女御よりも、明石の母と娘の前生の善果がこの日ほどあざやかに見えたこともなかった。
  to, Ohom-kata ha sidume tamahi keru wo, nokori no inoti usirometaku te, katugatu mono-yukasigari te, sitahi mawiri tamahu nari keri. Sarubeki nite, moto yori kaku nihohi tamahu ohom-mi-domo yori mo, imizikari keru tigiri, araha ni omohi sira ruru hito no mi-arisama nari.
注釈146舞人は衛府の次将ども六衛府(左右近衛府・左右兵衛府・左右衛門府)の次官たち。東遊の舞人は十人である。2.4.1
注釈147陪従も石清水賀茂の臨時の祭などに召す人びとの石清水の臨時の祭(三月中または下の午の日)、賀茂の臨時の祭(十一月下の酉の日)に東遊を奏する楽人(陪従)は、いずれも十二人(四位、五位、六位から各四人ずつ出る)。2.4.2
注釈148加はりたる二人加陪従といい、臨時に加えた楽人。2.4.2
注釈149小舎人童「小舎人 コドネリ」(禁中方名目抄)。近衛の中将・少将が召し連れる少年。2.4.3
注釈150尼君をば以下「詣でさせむ」まで、源氏の詞。2.4.5
注釈151人めかしくて『集成』は「家族の一人として」。『完訳』は「女御の祖母君らしく立派に仕立てて」と訳す。2.4.5
注釈152このたびはかくおほかたの以下「世の中を待ち出でたらば」まで、明石御方の詞。2.4.7
注釈153思ふやうならむ世の中を東宮の即位をいう。2.4.7
注釈154匂ひたまふ御身ども紫の上、明石の女御、明石の君をさす。2.4.8
2.5
第五段 住吉社頭の東遊び


2-5  Azuma-asobi at Sumiyoshi-shrine

2.5.1   十月中の十日なれば、 神の斎垣にはふ葛も色変はりて、 松の下紅葉など、 音にのみ秋を聞かぬ顔なり。 ことことしき高麗、唐土の楽よりも、東遊の耳馴れたるは、なつかしくおもしろく、波風の声に響きあひて、さる木高き松風に吹き立てたる笛の音も、ほかにて聞く調べには変はりて身にしみ、 御琴に打ち合はせたる拍子も、鼓を離れて調へとりたるかた、おどろおどろしからぬも、なまめかしくすごうおもしろく、所からは、まして聞こえけり。
 十月の二十日なので、社の玉垣に這う葛も色が変わって、松の下紅葉などは、風の音にだけ秋を聞き知っているのではないというふうである。仰々しい高麗、唐土の楽よりも、東遊の耳馴れているのは、親しみやすく美しく、波風の音に響き合って、あの木高い松風に吹き立てる笛の音も、他で聞く調べに変わって身にしみて感じられ、お琴に合わせた拍子も、鼓を用いないで調子をうまく合わせた趣が、大げさなところがないのも、優美でぞっとするほど面白く、場所が場所だけに、いっそう素晴らしく聞こえるのであった。
十月の二十日はつかのことであったから、中の忌垣いがきくずの葉も色づく時で、松原の下の雑木の紅葉もみじが美しくて波の音だけ秋であるともいわれない浜のながめであった。本格的な支那しな高麗こうらい楽よりもあずま遊びの音楽のほうがこんな時にはぴったりと、人の心にも波の音にも合っているようであった。高いこずえで鳴る松風の下で吹く笛の音もほかの場所で聞く音とは変わって身にしみ、松風が琴に合わせる拍子は鼓を打ってするよりも柔らかでそして寂しくおもしろかった。
  Zihu-gwatu naka-no-towo-ka nare ba, Kami no igaki ni hahu kuzu mo iro kahari te, matu no sitamomidi nado, oto ni nomi aki wo kika nu kaho nari. Kotokotosiki Koma, Morokosi no gaku yori mo, Adumaasobi no mimi nare taru ha, natukasiku omosiroku, nami kaze no kowe ni hibiki ahi te, saru kodakaki matukaze ni huki tate taru hue no ne mo, hoka nite kiku sirabe ni ha kahari te mi ni simi, ohom-koto ni uti-ahase taru hyausi mo, tudumi wo hanare te totonohe tori taru kata, odoroodorosikara nu mo, namamekasiku sugou omosiroku, tokorokara ha, masite kikoye keri.
2.5.2   山藍に摺れる竹の節は、松の緑に見えまがひ、 插頭の色々は、秋の草に異なるけぢめ分かれで、何ごとにも目のみまがひいろふ。
 山藍で摺り出した竹の模様の衣装は、松の緑に見間違えて、插頭の色とりどりなのは、秋の草と見境がつかず、どれもこれも目先がちらつくばかりである。
伶人れいじんの着けた小忌衣おみごろも竹の模様と松の緑が混じり、挿頭かざしの造花は秋の草花といっしょになったように見えるが、
  Yamaawi ni sure ru take no husi ha, matu no midori ni miye magahi, kazasi no iroiro ha, aki no kusa ni kotonaru kedime wakare de, nanigoto ni mo me nomi magahi irohu.
2.5.3  「 求子」果つる末に、若やかなる上達部は、肩ぬぎて下りたまふ。 匂ひもなく黒き袍に蘇芳襲の、葡萄染の袖を、にはかに引きほころばしたるに、紅深き衵の袂の、うちしぐれたるにけしきばかり濡れたる、松原をば忘れて、紅葉の散るに思ひわたさる。
 「求子」が終わった後に、若い上達部は、肩脱ぎしてお下りになる。光沢のない黒の袍衣から、蘇芳襲で、葡萄染の袖を急に引き出したところ、紅の濃い袙の袂が、はらはらと降りかかる時雨にちょっとばかり濡れたのは、松原であることを忘れて、紅葉が散ったのかと思われる。
 「もとめこ」の曲が終わりに近づいた時に、若い高官たちが正装のほうの肩を脱いで舞の場へ加わった。黒の上着の下から臙脂えんじ、紅紫の下襲したがさねそでをにわかに出し、それからまた下のあこめの赤いたもとの見えるそれらの人の姿を通り雨が少しぬらした時には、松原であることも忘れて紅葉のいろいろが散りかかるように思われた。
  Motomego haturu suwe ni, wakayaka naru Kamdatime ha, kata nugi te ori tamahu. Nihohi mo naku kuroki uhenokinu ni, suhau gasane no, ebizome no sode wo, nihaka ni hiki-hokorobasi taru ni, kurenawi hukaki akome no tamoto no, uti-sigure taru ni kesiki bakari nure taru, matubara woba wasure te, momidi no tiru ni omohi watasa ru.
2.5.4  見るかひ多かる姿どもに、いと白く枯れたる荻を、高やかにかざして、ただ一返り舞ひて入りぬるは、いとおもしろく飽かずぞありける。
 皆見栄えのする容姿で、たいそう白く枯れた荻を、高々と插頭に挿して、ただ一さし舞って入ってしまったのは、実に面白くもっといつまでも見ていたい気がするのであった。
 その派手はでな姿に白くほおけたおぎの穂をしてほんの舞の一節ひとふしだけを見せてはいったのがきわめておもしろかった。
  Miru kahi ohokaru sugata-domo ni, ito siroku kare taru wogi wo, takayaka ni kazasi te, tada hito-kaheri mahi te iri nuru ha, ito omosiroku akazu zo ari keru.
注釈155十月中の十日源氏一行、十月二十日に住吉参詣する。2.5.1
注釈156神の斎垣に明融臨模本に合点と付箋「ちはやふる神のいかきにはふくすも秋にはあへすもみちしにけり」(古今集秋下、二六二、紀貫之)とある。2.5.1
注釈157松の下紅葉『集成』は「松の下葉の紅葉。「下紅葉」は歌語」と注す。『完訳』は「下紅葉するをば知らで松の木の上の緑を頼みけるかな」(拾遺集恋三、八四四、読人しらず)を指摘。2.5.1
注釈158音にのみ秋を聞かぬ顔明融臨模本は合点と付箋「もみちせぬときはの山は吹風のをとにや秋をきゝわたるらん」(古今集秋下、二五一、紀淑望)とある。『集成』は「音だけでなく、色にも秋を知らぬ顔である、の意」。『完訳』は「風の音にだけそれを聞くとは限らない秋の風情である」と注す。2.5.1
注釈159ことことしき高麗唐土の楽よりも東遊の耳馴れたるはなつかしくおもしろく仰々しい高麗や唐土の楽より日本の東遊のほうが耳馴れて「なつかしくおもしろ」いという。「桐壺」巻の楊貴妃と桐壺更衣の容貌を比較した文章が想起される。2.5.1
注釈160御琴明融臨模本は「しみゝ(ゝ$御)こと(こと=琴)に」とある。すなわち「御琴」とする。大島本は「こと」とある。『集成』は底本(明融臨模本)の訂正に従う。『完本』は諸本に従って「琴」と校訂する。『新大系』は底本(大島本)のままとする。2.5.1
注釈161山藍に摺れる竹の節は東遊の舞人の衣裳。山藍で摺った竹の葉も紋様の衣裳を着る。2.5.2
注釈162插頭の色々は明融臨模本と大島本は「かさしの」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「插頭の花の」と「花の」を補訂する。『新大系』は底本(大島本)のままとする。2.5.2
注釈163匂ひもなく黒き袍に四位以上の黒の袍。平安中期の服飾の色を反映する。2.5.3
注釈164蘇芳襲の葡萄染の袖を『完訳』は「蘇芳襲や葡萄染の袖を」と訳す。
【蘇芳襲の】−『集成』は「蘇芳襲」と校訂。河内本と別本が「の」ナシ。
2.5.3
出典5 神の斎垣にはふ葛も色変はり 千早振る神の忌垣に這ふ葛も秋にはあへず移ろひにけり 古今集秋下-二六二 紀貫之 2.5.1
出典6 松の下紅葉 紅葉せぬ常盤の山は吹く風の音にや秋を聞きわたるらむ 古今集秋下-二五一 紀淑望 2.5.1
下紅葉するをば知らで松の木の上の緑を頼みけるかな 拾遺集恋三-八四四 読人しらず
出典7 求子 あはれ ちはやぶる 賀茂の社の 姫小松 あはれ 姫小松 よろづ世経とも 色はかは あはれ 色は変はらじ 求子 2.5.3
校訂3 御琴 御琴--こ(こ/$御)こと 2.5.1
2.6
第六段 源氏、往時を回想


2-6  Genji recalls his dark years

2.6.1   大殿、昔のこと 思し出でられ、中ごろ沈みたまひし世のありさまも、目の前のやうに思さるるに、その世のこと、 うち乱れ語りたまふべき人もなければ、致仕の大臣をぞ、恋しく思ひきこえたまひける。
 大殿、昔の事が思い出されて、ひところご辛労なさった当時の有様も、目の前のように思い出されなさるが、その当時の事、遠慮なく語り合える相手もいないので、致仕の大臣を、恋しくお思い申し上げなさるのであった。
 院は昔を追憶しておいでになった。中途で不幸な日のあったことも目の前のことのように思われて、それについては語る人もお持ちにならぬ院は、関白を退いた太政大臣を恋しく思召おぼしめされた。
  Otodo, mukasi no koto obosiide rare, nakagoro sidumi tamahi si yo no arisama mo, me no mahe no yau ni obosa ruru ni, sono yo no koto, uti-midare katari tamahu beki hito mo nakere ba, Tizi-no-Otodo wo zo, kohisiku omohi kikoye tamahi keru.
2.6.2  入りたまひて、 二の車に忍びて、
 お入りになって、二の車に目立たないように、
 車へお帰りになった院は第二の車へ、
  Iri tamahi te, ni-no-kuruma ni sinobi te,
2.6.3  「 誰れかまた心を知りて住吉の
   神代を経たる松にこと問ふ
 「わたしの外に誰がまた昔の事情を知って住吉の
  神代からの松に話しかけたりしましょうか
  たれかまた心を知りて住吉すみよし
  神代を経たる松にこと問ふ
    "Tare ka mata kokoro wo siri te Sumiyosi no
    Kamiyo wo he taru matu ni koto tohu
2.6.4  御畳紙に書きたまへり。尼君うちしほたる。かかる世を見るにつけても、かの浦にて、今はと別れたまひしほど、 女御の君のおはせしありさまなど 思ひ出づるも、いとかたじけなかりける身の宿世のほどを思ふ。 世を背きたまひし人も恋しく、さまざまにもの悲しきを、かつはゆゆしと 言忌して
 御畳紙にお書きになっていた。尼君、感涙にむせぶ。このような時世を見るにつけても、あの明石の浦で、これが最後とお別れになった時の事、女御の君が御方のお腹に中にいらっしゃった時の様子などを思い出すにつけても、まことにもったいない運勢の程を思う。出家なさった方も恋しく、あれこれと物悲しく思われるので、一方では涙は縁起でもないと思い直して言葉を慎んで、
 という歌を懐中紙ふところがみに書いたのを持たせておやりになった。尼君は心を打たれたようにしおれてしまった。今日のはなやかな光景を見るにつけても、明石を源氏のお立ちになったころのなげかわしかったこと、女御が幼児であったころにした悲しい思いが追想されて、運命に恵まれていることを知った。そしてまた山へはいった良人おっとも恋しく思われて涙のこぼれる気持ちをおさえて
  Ohom-tatamgami ni kaki tamahe ri. Amagimi uti-sihotaru. Kakaru yo wo miru ni tuke te mo, kano ura nite, ima ha to wakare tamahi si hodo, Nyougo-no-Kimi no ohase si arisama nado omohi-iduru mo, ito katazikenakari keru mi no sukuse no hodo wo omohu. Yo wo somuki tamahi si hito mo kohisiku, samazama ni mono-ganasiki wo, katuha yuyusi to kotoimi si te,
2.6.5  「 住の江をいけるかひある渚とは
   年経る尼も今日や知るらむ
 「住吉の浜を生きていた甲斐がある渚だと
  年とった尼も今日知ることでしょう
  すみの江を生けるかひあるなぎさとは
  年ふるあまも今日や知るらん
    "Suminoe wo ike ru kahi aru nagisa to ha
    tosi huru Ama mo kehu ya siru ram
2.6.6  遅くは便なからむと、ただうち思ひけるままなりけり。
 遅くなっては不都合だろうと、ただ思い浮かんだままにお返ししたのであった。
 と書いた。お返事がおそくなっては見苦しいと思い、感じたままの歌をもってしたのである。
  Osoku ha bin nakara m to, tada uti-omohi keru mama nari keri.
2.6.7  「 昔こそまづ忘られね住吉の
   神のしるしを見るにつけても
 「昔の事が何よりも忘れられない
  住吉の神の霊験を目の当たりにするにつけても
  昔こそづ忘られね住吉の
  神のしるしを見るにつけても
    "Mukasi koso madu wasurare ne Sumiyosi no
    Kami no sirusi wo miru ni tuke te mo
2.6.8  と独りごちけり。
 とひとり口ずさむのであった。
 とまた独言ひとりごともしていた。
  to hitorigoti keri.
注釈165大殿源氏をいう。2.6.1
注釈166思し出でられ「られ」自発の助動詞。下文にも「思さるるに」と自発の助動詞が使用されている。2.6.1
注釈167うち乱れ語りたまふべき人も『集成』は「遠慮なく」。『完訳』は「打ち解けてお話し合いになれそうな人も」。推量の助動詞「べし」可能・適当の両意。2.6.1
注釈168二の車に第二番目の車の意。明石御方と尼君が乗っている車。2.6.2
注釈169誰れかまた心を知りて住吉の--神代を経たる松にこと問ふ源氏の贈歌。「神代を経る」は遠い昔の意。「松」は尼君をさす。2.6.3
注釈170女御の君のおはせしありさまなど『集成』は「姫君が明石でお暮しだった様子」。『完訳』は「女御の君が御腹に宿っておられた様子などを」と訳す。2.6.4
注釈171思ひ出づるも主語は尼君。2.6.4
注釈172世を背きたまひし人も恋しく明石入道をさす。主語は尼君。入道が深い山に入ってから五年の歳月がたつ。2.6.4
注釈173言忌して『集成』は「言葉を選んで」。『完訳』は「言葉を慎んで」と訳す。2.6.4
注釈174住の江をいけるかひある渚とは--年経る尼も今日や知るらむ尼君の返歌。「貝」と「効」、「尼」と「海人」の掛詞。2.6.5
注釈175昔こそまづ忘られね住吉の--神のしるしを見るにつけても尼君の独詠歌。2.6.7
2.7
第七段 終夜、神楽を奏す


2-7  There are playing Kagura all through the night

2.7.1  夜一夜遊び明かしたまふ。 二十日の月はるかに澄みて、海の面おもしろく見えわたるに、霜のいとこちたく置きて、松原も色まがひて、よろづのこと そぞろ寒く、おもしろさもあはれさも立ち添ひたり。
 一晩中神楽を奏して夜をお明かしなさる。二十日の月が遥かかなたに澄み照らして、海面が美しく見えわたっているところに、霜がたいそう白く置いて、松原も同じ色に見えて、何もかもが寒気をおぼえる素晴らしさで、風情や情趣の深さも一入に感じられる。
 一行は終夜を歌舞に明かしたのである。二十日はつかの月の明りではるかに白く海が見え渡り、霜が厚く置いて松原の昨日とは変わった色にも寒さが感じられて、快く身にしむ社前の朝ぼらけであった。
  Yo-hito-yo asobi akasi tamahu. Hatuka no tuki haruka ni sumi te, umi no omote omosiroku miye wataru ni, simo no ito kotitaku oki te, matubara mo iro magahi te, yorodu no koto sozoro samuku, omosirosa mo aharesa mo tati-sohi tari.
2.7.2  対の上、常の垣根のうちながら、時々につけてこそ、興ある朝夕の遊びに、耳古り目馴れたまひけれ、 御門より外の物見、をさをさしたまはず、ましてかく都のほかのありきは、まだ慣らひたまはねば、珍しくをかしく思さる。
 対の上は、いつものお邸の内にいらしたまま、季節季節につけて、興趣ある朝夕の遊びに、耳慣れ目馴れていらっしゃったが、御門から外の見物を、めったになさらず、ましてこのような都の外へお出になることは、まだご経験がないので、物珍しく興味深く思わずにはいらっしゃれない。
 自邸での遊びにはれていても、あまり外の見物に出ることを好まなかった紫の女王は京の外の旅もはじめての経験であったし、すべてのことが興味深く思われた。
  Tai-no-Uhe, tune no kakine no uti nagara, tokidoki ni tuke te koso, kyou aru asayuhu no asobi ni, mimi huri me nare tamahi kere, mi-kado yori to no monomi, wosawosa si tamaha zu, masite kaku miyako no hoka no ariki ha, mada narahi tamaha ne ba, medurasiku wokasiku obosa ru.
2.7.3  「 住の江の松に夜深く置く霜は
   神の掛けたる木綿鬘かも
 「住吉の浜の松に夜深く置く霜は
  神様が掛けた木綿鬘でしょうか
  住の江の松に夜深く置く霜は
  神のけたる木綿ゆふかづらかも
    "Suminoye no matu ni yobukaku oku simo ha
    Kami no kake taru yuhukadura kamo
2.7.4   篁の朝臣の、「比良の山さへ」と言ひける 雪の朝を思しやれば、 祭の心うけたまふしるしにやと、いよいよ頼もしくなむ。女御の君、
 篁朝臣が、「比良の山さえ」と言った雪の朝をお思いやりになると、ご奉納の志をお受けになった証だろうかと、ますます頼もしかった。女御の君、
 紫夫人の作である。小野篁おののたかむらの「比良ひらの山さへ」と歌った雪の朝を思って見ると、奉った祭りを神が嘉納かのうされたあかしの霜とも思われて頼もしいのであった。女御にょご
  Takamura-no-Asom no, "Hira no yama sahe" to ihi keru yuki no asita wo obosi yare ba, maturi no kokoro uke tamahu sirusi ni ya to, iyoiyo tanomosiku nam. Nyougo-no-Kimi,
2.7.5  「 神人の手に取りもたる榊葉に
   木綿かけ添ふる深き夜の霜
 「神主が手に持った榊の葉に
  木綿を掛け添えた深い夜の霜ですこと
  神人かんびとの手に取り持たる榊葉さかきば
  木綿ゆふかけ添ふる深き夜の霜
    "Kamibito no te ni tori-mo' taru sakakiba ni
    yuhu kake sohuru hukaki yo no simo
2.7.6   中務の君
 中務の君、
 中務なかつかさの君、
  Nakatukasa-no-Kimi,
2.7.7  「 祝子が木綿うちまがひ置く霜は
   げにいちじるき神のしるしか
 「神に仕える人々の木綿鬘と見間違えるほどに置く霜は
  仰せのとおり神の御霊験の証でございましょう
  祝子はふりこ木綿ゆふうち紛ひ置く霜は
  にいちじるき神のしるしか
    "Hahuriko ga yuhu uti-magahi oku simo ha
    geni itiziruki Kami no sirusi ka
2.7.8   次々数知らず多かりけるを、何せむにかは聞きおかむ 。かかるをりふしの歌は、例の上手めきたまふ男たちも、なかなか出で消えして、 松の千歳より離れて、今めかしきことなければ、うるさくてなむ。
 次々と数え切れないほど多かったのだが、どうして覚えていられようか。このような時の歌は、いつもの上手でいらっしゃるような殿方たちも、かえって出来映えがぱっとしないで、松の千歳を祝う決まり文句以外に、目新しい歌はないので、煩わしくて省略した。
 そのほかの人々からも多くの歌はまれたが、書いておく必要がないと思って筆者は省いた。こんな場合の歌は文学者らしくしている男の人たちの作も、平生よりできの悪いのが普通で、松の千歳ちとせから解放されて心の琴線に触れるようなものはないからである。
  Tugitugi kazu sira zu ohokari keru wo, nani se m ni kaha kiki oka m. Kakaru worihusi no uta ha, rei no zyauzu-meki tamahu wotoko-tati mo, nakanaka idekiye si te, matu no titose yori hanare te, imamekasiki koto nakere ba, urusaku te nam.
注釈176二十日の月はるかに澄みて十月二十日の月。月の出は午後十時ころ。2.7.1
注釈177そぞろ寒くおもしろさも『完訳』は「寒気をおぼえるすばらしさなので」と訳す。2.7.1
注釈178御門より外の物見、をさをさしたまはず、ましてかく都のほかのありきは、まだ慣らひたまはねば当時の高貴な女性がめったに外出しないこと、また都以外の地にも行かないことをいう。「御門」は「みかど」と読む。2.7.2
注釈179住の江の松に夜深く置く霜は--神の掛けたる木綿鬘かも紫の上の和歌。住吉の神の神慮をうたう。「住の江」は歌語。「霜」を「木綿鬘」に見立てる。2.7.3
注釈180篁の朝臣の比良の山さへと言ひける小野篁(八〇二〜八五二)。漢詩と和歌両面にすぐれた平安前期の文人。「ひもろぎは神の心にうけつらし比良の山さへゆふかづらせり」(河海抄所引、出典未詳)。なお『河海抄』は「文時卿歌也」と注記する。『花鳥余情』は「名違へか」ともいう。作者紫式部の記憶違いかまた別伝があったか。2.7.4
注釈181祭の心うけたまふしるしにや紫の上の心中。『完訳』は「この霜景色も神が奉納の志をお受けになった証であろうかと」と訳す。2.7.4
注釈182神人の手に取りもたる榊葉に--木綿かけ添ふる深き夜の霜明石女御の紫の上の和歌への唱和歌。「神」「木綿」「霜」を詠み込む。2.7.5
注釈183中務の君紫の上づきの女房。もと左大臣家の葵の上の女房だが、源氏の召人でもあった(帚木・末摘花)。主人葵の上の死後、源氏の女房となり二条院に移り、須磨退去にあたり紫の上の女房となる(須磨)。2.7.6
注釈184祝子が木綿うちまがひ置く霜は--げにいちじるき神のしるしか中務君の紫の上の和歌への唱和歌。「木綿」「霜」「神」を詠み込む。2.7.7
注釈185次々数知らず多かりけるを何せむにかは聞きおかむ以下「うるさくてなむ」まで、語り手の言辞。『細流抄』は「草子地也」と指摘。『集成』は「省筆をことわる草子地。一行中の女房の語る言葉をそのまま伝える体」。『完訳』は「語り手の、数多く詠まれた和歌を省筆する弁」と注す。2.7.8
注釈186松の千歳より離れて今めかしきことなければ『集成』は「「松の千歳」といった決り文句以外に目新しい趣向の歌もないので」と注す。2.7.8
出典8 比良の山さへ ひもろぎは神の心にうけつらむ比良の高嶺に木綿鬘せり 袋草子-一四〇 2.7.4
校訂4 何せむに 何せむに--なにせむ(む/+に) 2.7.8
2.8
第八段 明石一族の幸い


2-8  Akashi's clan had a feeling of happiness

2.8.1   ほのぼのと明けゆくに、霜はいよいよ深くて、 本末もたどたどしきまで、酔ひ過ぎにたる神楽おもてどもの、おのが顔をば知らで、おもしろきことに心はしみて、庭燎も影しめりたるに、なほ、「 万歳、万歳」と、 榊葉を取り返しつつ、祝ひきこゆる御世の末、 思ひやるぞいとどしきや
 夜がほのぼのと明けて行くと、霜はいよいよ深く、本方と末方とがその分担もはっきりしなくなるほど、酔い過ぎた神楽面が、自分の顔がどんなになっているか知らないで、面白いことに夢中になって、庭燎も消えかかっているのに、依然として、「万歳、万歳」と、榊の葉を取り直し取り直して、お祝い申し上げる御末々の栄えを、想像するだけでもいよいよめでたい限りである。
 朝の光がさし上るころにいよいよ霜は深くなって、夜通し飲んだ酒のために神楽かぐらの面のようになった自身の顔も知らずに、もう篝火かがりびも消えかかっている社前で、まだ万歳万歳とさかきを振って祝い合っている。この祝福は必ず院の御一族の上に形となって現われるであろうとますますはなばなしく未来が想像されるのであった。
  Honobono to ake yuku ni, simo ha iyoiyo hukaku te, moto suwe mo tadotadosiki made, wehi sugi ni taru kagura omote-domo no, onoga kaho wo ba sira de, omosiroki koto ni kokoro ha simi te, nihabi mo kage simeri taru ni, naho, "Manzai, manzai" to, sakakiba wo torikahesi tutu, ihahi kikoyuru mi-yo no suwe, omohiyaru zo itodosiki ya!
2.8.2  よろづのこと飽かずおもしろきままに、 千夜を一夜になさまほしき夜の 、何にもあらで明けぬれば、返る波にきほふも口惜しく、若き人びと思ふ。
 万事が尽きせず面白いまま、千夜の長さをこの一夜の長さにしたいほどの今夜も、何という事もなく明けてしまったので、返る波と先を争って帰るのも残念なことと、若い人々は思う。
 非常におもしろくて千夜の時のあれと望まれた一夜がむぞうさに明けていったのを見て、若い人たちはなぎさの帰る波のようにここを去らねばならぬことを残念がった。
  Yorodu no koto akazu omosiroki mama ni, tiyo wo hitoyo ni nasa mahosiki yo no, nani ni mo ara de ake nure ba, kaheru nami ni kihohu mo kutiwosiku, wakaki hitobito omohu.
2.8.3   松原に、はるばると立て続けたる御車どもの、風にうちなびく下簾の隙々も、常磐の蔭に、花の錦を引き加へたると見ゆるに、 袍の色々けぢめおきてをかしき懸盤取り続きて、もの参りわたすをぞ、下人などは目につきて、めでたしとは思へる。
 松原に、遥か遠くまで立て続けた幾台ものお車が、風に靡く下簾の間々も、常磐の松の蔭に、花の錦を引き並べたように見えるが、袍の色々な色が位階の相違を見せて、趣きのある懸盤を取って、次々と食事を一同に差し上げるのを、下人などは目を見張って、立派だと思っている。
 はるばると長い列になって置かれた車の、れ絹の風に開く中から見える女衣装は花のにしきを松原に張ったようであったが、男の人たちの位階によって変わった色の正装をして、美しい膳部を院の御車みくるまへ運び続けるのが布衣ほいたちには非常にうらやましく見られた。
  Matubara ni, harubaru to tate tuduke taru mi-kuruma-domo no, kaze ni uti-nabiku sitasudare no himahima mo, tokiha no kage ni, hana no nisiki wo hiki-kuhahe taru to miyuru ni, uhenokinu no iroiro kedime oki te, wokasiki kakeban tori-tuduki te, mono mawiri watasu wo zo, simobito nado ha me ni tuki te, medetasi to ha omohe ru.
2.8.4  尼君の御前にも、 浅香の折敷に、青鈍の表折りて、精進物を参るとて、「めざましき女の宿世かな」と、おのがじしはしりうごちけり。
 尼君の御前にも、浅香の折敷に、青鈍の表を付けて、精進料理を差し上げるという事で、「驚くほどの女性のご運勢だ」と、それぞれ陰口を言ったのであった。
 明石の尼君の分も浅香の折敷おしきにび色の紙を敷いて精進物で、院の御家族並みに運ばれるのを見ては、「すばらしい運を持った女というものだね」などと彼らは仲間で言い合った。
  Amagimi no omahe ni mo, senkau no wosiki ni, awonibi no omote wori te, sauzinmono wo mawiru tote, "Mezamasiki womna no sukuse kana!" to, onogazisi ha siriugoti keri.
2.8.5  詣でたまひし道は、ことことしくて、わづらはしき神宝、さまざまに所狭げなりしを、帰さはよろづの逍遥を尽くしたまふ。 言ひ続くるもうるさく、むつかしきことどもなれば
 御参詣なさった道中は、ものものしいことで、もてあますほどの奉納品が、いろいろと窮屈げにあったが、帰りはさまざまな物見遊山の限りをお尽くしになる。それを語り続けるのも煩わしく、厄介な事柄なので。
 おいでになった時は神前へささげられる、持ち運びの面倒な物を守る人数も多くて、途中の見物も十分におできにならなかったのであったが、帰途は自由なおもしろい旅をされた。この楽しい旅行に山へはいりきりになった入道をあずからせることのできなかったことを院は物足らず思召されたが、それまでは無理なことであろう。
  Maude tamahi si miti ha, kotokotosiku te, wadurahasiki kamdakara, samazama ni tokorosege nari si wo, kahesa ha yorodu no seueu wo tukusi tamahu. Ihi tudukuru mo urusaku, mutukasiki koto-domo nare ba.
2.8.6   かかる御ありさまをも、かの入道の、聞かず見ぬ世にかけ離れたうべるのみなむ、飽かざりける。 難きことなりかし 、交じらはましも見苦しくや。 世の中の人、これを例にて、心高くなりぬべきころなめり。よろづのことにつけて、めであさみ、世の言種にて、「明石の尼君」とぞ、幸ひ人に言ひける。かの致仕の大殿の 近江の君は、双六打つ時の言葉にも、「明石の尼君、明石の尼君」とぞ、賽は乞ひける
 このようなご様子をも、あの入道が、聞こえないまた見えない山奥に離れ去ってしまわれたことだけが、不満に思われた。それも難しいことだろう、出てくるのは見苦しいことであろうよ。世の中の人は、これを例として、高望みがはやりそうな時勢のようである。万事につけて、誉め驚き、世間話の種として、「明石の尼君」と、幸福な人の例に言ったのであった。あの致仕の大殿の近江の君は、双六を打つ時の言葉にも、「明石の尼君、明石の尼君」と言って、賽を祈ったのである。
 実際老入道がこの一行に加わっているとしたら見苦しいことでなかったであろうか。その人の思い上がった空想がことごとく実現されたのであるから、だれも心は高く持つべきであると教訓をされたようである。いろいろな話題になって明石の人たちがうらやまれ、幸福な人のことを明石の尼君という言葉もはやった。太政大臣家の近江おうみの君は双六すごろくの勝負のさいを振る前には、「明石あかしの尼様、明石の尼様」と呪文じゅもんを唱えた。
  Kakaru ohom-arisama wo mo, kano Nihudau no, kika zu mi nu yo ni kake-hanare taube ru nomi nam, aka zari keru. Kataki koto nari kasi, maziraha masi mo migurusiku ya! Yononaka no hito, kore wo tamesi nite, kokoro takaku nari nu beki koro na' meri. Yorodu no koto ni tuke te, mede asami, yo no kotogusa nite, "Akasi-no-Amagimi" to zo, saihahibito ni ihi keru. Kano Tizi-no-Ohotono no Ahumi-no-Kimi ha, suguroku utu toki no kotoba ni mo, "Akasi-no-Amagimi, Akasi-no-Amagimi!" to zo, sai ha kohi keru.
注釈187ほのぼのと明けゆくに翌朝を迎える霜の白さ鮮明。2.8.1
注釈188本末もたどたどしきまで神楽を歌う本方と末方とが混乱するほどまでの意。2.8.1
注釈189万歳万歳神楽「千歳法」の歌詞の一部。2.8.1
注釈190榊葉を取り返しつつ『完訳』は「神楽は舞人が榊葉を持ち去ると終るが、終りそうで終らない」と注す。2.8.1
注釈191思ひやるぞいとどしきや『湖月抄』は「地」(草子地の意)と指摘。語り手の詠嘆と讃辞。2.8.1
注釈192千夜を一夜になさまほしき夜の明融臨模本、合点と付箋「秋の夜のちよを一夜になせりともこと葉のこりて鳥やなきなん」(伊勢物語)がある。『源氏釈』が初指摘(ただし、第一句「あきのよの」、第五句「とりやなきてん」)。『岷江入楚』は「私不用之」と注す。2.8.2
注釈193松原にはるばると立て続けたる御車どもの翌朝の明るくなってからの松原の景色。2.8.3
注釈194袍の色々けぢめおきて袍衣の色。令制では、一位深紫、二位・三位浅紫、四位深緋、五位浅緋、六位深緑、七位浅緑、八位深縹、初位浅縹。ただし、一条天皇のころから、四位以上は黒袍。前に「匂ひもなく黒き袍に」(第二章五段)とあった。この住吉詣でには四位以上は黒袍で供奉していた。2.8.3
注釈195をかしき懸盤取り続きて、もの参りわたすをぞ五位以下の者が食膳を準備している様子。2.8.3
注釈196浅香の折敷に青鈍の表折りて尼君は出家者なので、浅香の折敷に青鈍色の絹を折り畳んで敷いた上に精進料理が特別に用意された。2.8.4
注釈197言ひ続くるもうるさくむつかしきことどもなれば『一葉抄』は「作者語也」と指摘。『集成』は「以上、省筆をことわる草子地」と注す。語り手の省筆と盛大さをいう言辞。2.8.5
注釈198かかる御ありさまをも『集成』は「尼君や明石の上の心中を察して書いたもの」。『完訳』は「「見苦しくや」まで、明石の君の心情に即して入道を語る」と注す。2.8.6
注釈199難きことなりかし『一葉抄』は「記者語也」と指摘。『全集』は「このあたり、地の文ながら、「--飽かざりける」「難きことなりかし」「まじらはしくも見苦しくや」と、異なる視点から入道を捉えなおしている点に注意」と注す。明石の君と語り手が一体化した表現。2.8.6
注釈200世の中の人これを例にて心高くなりぬべきころなめり『細流抄』は「草子地也」と指摘。語り手の主観的推量。2.8.6
注釈201近江の君は双六打つ時の言葉にも明石の尼君明石の尼君とぞ賽は乞ひける近江君は双六が好き。「常夏」巻にもその場面が語られていた。2.8.6
出典9 万歳、万歳 (本方)千歳 千歳 千歳や 千年の 千歳や
(末方)万歳 万歳 万歳や 万代の 万歳や
(本方)なほ千歳
(末方)なほ万歳
神楽歌-千歳法 2.8.1
出典10 千夜を一夜に 秋の夜の千夜を一夜になせりとも言葉残りて鶏や鳴くらむ 伊勢物語-四六 2.8.2
校訂5 難き 難き--かた(た/+き) 2.8.6
Last updated 9/21/2010(ver.2-3)
渋谷栄一校訂(C)
Last updated 5/12/2010(ver.2-2)
渋谷栄一注釈(C)
Last updated 12/29/2001
渋谷栄一訳(C)(ver.1-2-2)
現代語訳
与謝野晶子
電子化
上田英代(古典総合研究所)
底本
角川文庫 全訳源氏物語
校正・
ルビ復活
門田裕志、小林繁雄(青空文庫)

2004年2月6日

渋谷栄一訳
との突合せ
若林貴幸、宮脇文経

2005年8月14日

Last updated 5/12/2010 (ver.2-2)
Written in Japanese roman letters
by Eiichi Shibuya (C)
Picture "Eiri Genji Monogatari"(1650 1st edition)
このページは再編集プログラムによって2015/1/12に出力されました。
源氏物語の世界 再編集プログラム Ver 3.38: Copyright (c) 2003,2015 宮脇文経