第三十五帖 若菜下


35 WAKANA-NO-GE (Meiyu-rinmo-bon)


光る源氏の准太上天皇時代
四十一歳三月から四十七歳十二月までの物語



Tale of Hikaru-Genji's Daijo Tenno era, from Mar. of 41 to Dec. the age of 47

7
第七章 柏木の物語 女三の宮密通の物語


7  Tale of Kashiwagi  An adultery between Kashiwagi and Omna-Sam-no-Miya

7.1
第一段 柏木、女二の宮と結婚


7-1  Kashiwagi gets married with Omna-Ni-no-Miya

7.1.1   まことや、衛門督は、中納言になりにきかし。今の御世には、いと親しく思されて、いと時の人なり。身のおぼえまさるにつけても、思ふことのかなはぬ愁はしさを思ひわびて、 この宮の御姉の二の宮をなむ得たてまつりてける。 下臈の更衣腹におはしましければ、心やすき方まじりて思ひきこえたまへり。
 そうであったよ、衛門督は、中納言になったのだ。今上の御治世では、たいそう御信任厚くて、今を時めく人である。わが身の声望が高まるにつけても、思いが叶わない悲しさを嘆いて、この宮の御姉君の二の宮を御降嫁頂いたのであった。身分の低い更衣腹でいらっしゃったので、多少軽んじる気持ちもまじってお思い申し上げていらっしゃった。
 あの衛門督えもんのかみは中納言になっていた。衛門督の官も兼ねたままである。当代の天子の御信任を受けてはなやかな勢力のついてくるにつけても、失恋の苦を忘れかねて、女三の宮の姉君の二の宮と結婚をした。これは低い更衣こうい腹の内親王であったから、心安い気がして格別の尊敬を妻に払う必要もないと思って、院からお引き受けをしたのである。
  Makoto ya, Wemon-no-Kami ha, Tyuunagon ni nari ni ki kasi. Ima no mi-yo ni ha, ito sitasiku obosa re te, ito toki no hito nari. Mi no oboye masaru ni tuke te mo, omohu koto no kanaha nu urehasisa wo omohi wabi te, kono Miya no ohom-ane no Ni-no-Miya wo nam e tatematuri te keru. Gerahu no kauibara ni ohasimasi kere ba, kokoroyasuki kata maziri te omohi kikoye tamahe ri.
7.1.2  人柄も、なべての人に思ひなずらふれば、けはひこよなくおはすれど、 もとよりしみにし方こそなほ深かりけれ慰めがたき姨捨にて 、人目に咎めらるまじきばかりに、もてなしきこえたまへり。
 人柄も、普通の人に比較すれば、感じはこの上なくよくていらっしゃるが、はじめから思い込んでいた方がやはり深かったのであろう、慰められない姨捨で、人に見咎められない程度に、お世話申し上げていらっしゃった。
 普通の人に比べてはすぐれた女性ではおありになったが初めから心にんだ人に変えるだけの愛情は衛門督に起こらなかった。ただ人目に不都合でないだけの良人おっとの義務を尽くしているに過ぎないのであった。
  Hitogara mo, nabete no hito ni omohi nazurahure ba, kehahi koyonaku ohasure do, motoyori simi ni si kata koso naho hukakari kere, nagusame gataki wobasute nite, hitome ni togame raru maziki bakari ni, motenasi kikoye tamahe ri.
7.1.3  なほ、かの下の心忘られず、小侍従といふ語らひ人は、宮の御侍従の乳母の娘なりけり。 その乳母の姉ぞ、かの督の君の御乳母なりければ、早くより気近く聞きたてまつりて、まだ宮幼くおはしましし時より、 いときよらになむおはします 、帝のかしづきたてまつりたまふさまなど、聞きおきたてまつりて、かかる思ひもつきそめたるなりけり。
 今なお、あの内心の思いを忘れることができず、小侍従という相談相手は、宮の御侍従の乳母の娘だった。その乳母の姉があの衛門督の君の御乳母だったので、早くから親しくご様子を伺っていて、まだ宮が幼くいらっしゃった時から、とてもお美しくいらっしゃるとか、帝が大事にしていらっしゃるご様子など、お聞き申していて、このような思いもついたのであった。
 今も以前の恋の続きにその方のことを聞き出す道具に使っている女三の宮の小侍従という女は、宮の侍従の乳母めのとの娘なのである。その乳母の姉が衛門督の乳母であったから、この人は少年のころから宮のおうわさを聞いていた。お美しいこと、父帝が溺愛できあいしておいでになることなどを始終聞かされていたのがこの恋の萌芽きざしになったのである。
  Naho, kano sita no kokoro wasura re zu, Ko-Zizyuu to ihu katarahibito ha, Miya no ohom-Zizyuu no menoto no musume nari keri. Sono menoto no ane zo, kano Kam-no-Kimi no ohom-menoto nari kere ba, hayaku yori kedikaku kiki tatematuri te, mada Miya wosanaku ohasimasi si toki yori, ito kiyora ni nam ohasimasu, Mikado no kasiduki tatematuri tamahu sama nado, kiki oki tatematuri te, kakaru omohi mo tuki some taru nari keri.
注釈495まことや話題を転じて、以前に途中のままになっていた物語を語り起こす発語。『完訳』は「話題を呼び返す語り口」と注す。7.1.1
注釈496この宮の御姉の二の宮女三の宮の姉宮、女二の宮。落葉宮と呼ばれる人。7.1.1
注釈497下臈の更衣一条御息所をさす。7.1.1
注釈498もとよりしみにし方こそなほ深かりけれ挿入句。係助詞「こそ」--「深かりけれ」已然形、読点。逆接用法。7.1.2
注釈499慰めがたき姨捨にて『源氏釈』と明融臨模本、付箋「わか心なくさめかねつさらしなやをはすて山にてる月をみて」(古今集雑上、八七八、読人しらず)を指摘。7.1.2
注釈500その乳母の姉ぞかの督の君の御乳母なりければ女三の宮の乳母と柏木の乳母は姉妹。女三の宮の乳母子は柏木の乳母の姪。7.1.3
注釈501いときよらになむおはします『集成』は「はじめは乳母が柏木に向って語る直接話法のような書き方で、すぐ間接話法に転じる」。『完訳』は「「--おはします」は、次の「帝の--たまふ」と並列。美貌とともに、帝最愛の姫宮である点に注意。その恋慕は彼の権勢志向に始まる」と注す。7.1.3
出典19 慰めがたき姨捨 我が心慰めかねつ更級や姨捨山に照る月を見て 古今集雑上-八七八 読人知らず 7.1.2
校訂24 きよらに きよらに--きよらぬ(ぬ/$に) 7.1.3
7.2
第二段 柏木、小侍従を語らう


7-2  Kashiwagi asks Ko-Ziju to lead him to Omna-Sam-no-Miya

7.2.1   かくて、院も離れおはしますほど、人目少なくしめやかならむを推し量りて、小侍従を迎へ取りつつ、いみじう語らふ。
 こうして、院も離れていらっしゃる時、人目が少なくひっそりした時を推量して、小侍従を度々迎えては、懸命に相談をもちかける。
 六条院が病夫人と二条の院へお移りになっていて、ひまであろうことを思って小侍従を衛門督は自邸へ迎えて、熱心に話すのはまたそのことについてであった。
  Kaku te, Win mo hanare ohasimasu hodo, hitome sukunaku simeyaka nara m wo osihakari te, Ko-Zizyuu wo mukahe tori tutu, imiziu katarahu.
7.2.2  「 昔より、かく命も堪ふまじく思ふことを、かかる親しきよすがありて、御ありさまを聞き伝へ、堪へぬ心のほどをも 聞こし召させて頼もしきに、さらにそのしるしのなければ、いみじくなむつらき。
 「昔から、このように寿命も縮むほどに思っていることを、このような親しい手づるがあって、ご様子を伝え聞いて、抑え切れない気持ちをお聞き頂いて、心丈夫にしているのに、全然その甲斐がないので、ひどく辛い。
 「昔から命にもかかわるほどの恋をしていて、しかも都合のよいあなたという手蔓てづるを持っていて、宮様の御様子も聞くことができ、私の煩悶はんもんしていることも相当にお伝えしてもらっているはずなのだが、少しも見るに足る効果がないから残念でならない。
  "Mukasi yori, kaku inoti mo tahu maziku omohu koto wo, kakaru sitasiki yosuga ari te, ohom-arisama wo kikitutahe, tahe nu kokoro no hodo wo mo kikosimesa se te, tanomosiki ni, sarani sono sirusi no nakere ba, imiziku nam turaki.
7.2.3   院の上だに、『 かくあまたにかけかけしくて、 人に圧されたまふやうにて、一人大殿籠もる夜な夜な多く、つれづれにて 過ぐしたまふなり』など、 人の奏しけるついでにも、すこし悔い思したる御けしきにて、
 院の上でさえ、『あのように大勢の方々と関わっていらっしゃって、他人に負けておいでのようで、独りでお寝みになる夜々が多く、寂しく過ごしていらっしゃるそうです』などと、人が奏上した時にも、少し後悔なさっている御様子で、
 あなたが恨めしくなるよ。法皇様さえも、宮様が幾人もの妻の中の一人におなりになって、第一の愛妻はほかの方であるというわけで、一人おやすみになる夜が多く、つれづれに暮らしておいでになるのをお聞きになって、御後悔をあそばしたふうで、
  Win-no-Uhe dani, "Kaku amata ni kakekakesiku te, hito ni osa re tamahu yau nite, hitori ohotonogomoru yonayona ohoku, turedure nite sugusi tamahu nari." nado, hito no sousi keru tuide ni mo, sukosi kuyi obosi taru mi-kesiki nite,
7.2.4  『 同じくは、ただ人の心やすき後見を定めむには、まめやかに仕うまつるべき人をこそ、定むべかりけれ』と、のたまはせて、『 女二の宮の、なかなかうしろやすく、行く末長きさまにてものしたまふなること』
 『同じ降嫁させるなら、臣下で安心な後見を決めるには、誠実にお仕えするような人を決めるべきであった』と、仰せになって、『女二の宮が、かえって安心で、将来長く幸福にお暮らしなさるようだ』
 結婚をさせるのであったら普通人の忠実な良人おっとを宮のために選ぶべきだったとお言いになり、女二にょにみやはかえって幸福で将来が頼もしく見えるではないか
  'Onaziku ha, tadaudo no kokoro yasuki usiromi wo sadame m ni ha, mameyaka ni tukaumaturu beki hito wo koso, sadamu bekari kere." to, notamahase te, "Womna-Ni-no-Miya no, nakanaka usiroyasuku, yukusuwe nagaki sama nite monosi tamahu naru koto.'
7.2.5  と、のたまはせけるを伝へ聞きしに。いとほしくも、口惜しくも、いかが思ひ乱るる。
 と、仰せになったのを伝え聞いたが。お気の毒にも、残念にも、どんなに思い悩んだことだろうか。
 と仰せられたということを私は聞いて、お気の毒にも、残念にも思って煩悶しないではいられないではないか。
  to, notamahase keru wo tutahe kiki si ni. Itohosiku mo, kutiwosiku mo, ikaga omohi midaruru?
7.2.6   げに、同じ御筋とは尋ねきこえしかどそれはそれとこそおぼゆるわざなりけれ
 なるほど、同じご姉妹を頂戴したが、それはそれで別のことに思えるのだ」
 私の宮さんも御姉妹きょうだいではあるが、それはそれだけの方としておくのだよ」
  Geni, onazi sudi to ha tadune kikoye sika do, sore ha sore to koso oboyuru waza nari kere."
7.2.7  と、うちうめきたまへば、小侍従、
 と、思わず溜息をお漏らしになるので、小侍従は、
 と衛門督えもんのかみ歎息たんそくをしてみせると、小侍従は、
  to, uti-umeki tamahe ba, Ko-Zizyuu,
7.2.8  「 いで、あな、おほけな。それをそれとさし置きたてまつりたまひて、また、いかやうに限りなき御心ならむ」
 「まあ、何と、大それたことを。その方を別事とお置き申し上げなさって、さらにまた、なんと途方もないお考えをお持ちなのでしょう」
 「まあもったいない。それはそれとしてお置きになって、また何をどうしようというのでしょう」
  "Ide, ana, ohokena! Sore wo sore to sasioki tatematuri tamahi te, mata, ikayau ni kagirinaki mi-kokoro nara m?"
7.2.9  と言へば、うちほほ笑みて、
 と言うと、ちょっとほほ笑んで、
 ととがめた。衛門督は微笑を見せて、
  to ihe ba, uti-hohowemi te,
7.2.10  「 さこそはありけれ宮にかたじけなく聞こえさせ及びけるさまは、 院にも内裏にも聞こし召しけり。 などてかは、さてもさぶらはざらましとなむ、ことのついでにはのたまはせける。いでや、ただ、今すこしの 御いたはりあらましかば
 「そうではあった。宮に恐れ多くも求婚申し上げたことは、院にも帝にもお耳にあそばしていらっしゃるのだ。どうして、そうとして相応しからぬことがあろうと、何かの機会に仰せになったのだ。いやなに、ただ、もう少しご慈悲を掛けて下さったならば」
 「まあ世の中のことは皆そうしたもので、表も裏もあるものなのだよ。私が三の宮さんの熱心な求婚者であったことは、法皇様も陛下もよく御承知で、陛下はその時代に十分見込みはありそうだよ、とも仰せられたものなのだが、もう少しの御好意が不足していたわけだと私は思っている」
  "Sakoso ha ari kere. Miya ni katazikenaku kikoyesase oyobi keru sama ha, Win ni mo Uti ni mo kikosimesi keri. Nadote kaha, satemo saburaha zara masi to nam, koto no tuide ni ha notamaha se keru. Ideya, tada, ima sukosi no ohom-itahari ara masika ba."
7.2.11  など言へば、
 などと言うと、
 などと言う。
  nado ihe ba,
7.2.12  「 いと難き御ことなりや。御宿世とかいふことはべなるを、もとにて、 かの院の言出でてねむごろに聞こえたまふに、立ち並び妨げきこえさせたまふべき 御身のおぼえとや思されし。このころこそ、すこしものものしく、 御衣の色も深くなりたまへれ
 「とてもお難しいことですわ。ご宿運とか言うことがございますのに、それが本となって、あの院が言葉に出して丁重に求婚申し上げなさったのに、同じように張り合ってお妨げ申し上げることがおできになるほどのご威勢であったとお思いでしたか。最近は、少し貫祿もつき、ご衣装の色も濃くおなりになりましたが」
 「それはだめですよ。むずかしいことですよ。運命もありますし、六条院様が求婚者になって現われておいでになっては、どの競争者だって勝ち味はないと思いますけれど、あなただけはたいへんな御自信があったのですね。近ごろになりましてこそ御官服の色が濃くおなりになったようでございますがね」
  "Ito kataki ohom-koto nari ya! Ohom-sukuse to ka ihu koto habe' naru wo, moto nite, kano Win no koto ide te nemgoroni kikoye tamahu ni, tati-narabi samatage kikoyesase tamahu beki ohom-mi no oboye to ya obosa re si. Konokoro koso, sukosi monomonosiku, ohom-zo no iro mo hukaku nari tamahe re."
7.2.13  と言へば、いふかひなくはやりかなる口強 さに、え言ひ果てたまはで、
 と言うので、言いようもなく遠慮のない口達者さに、最後までおっしゃり切れないで、
 こんなふうにまくし立てる小侍従の攻撃にはかなわないことを衛門督は思った。
  to ihe ba, ihukahinaku hayarika naru kutigohasa ni, e ihi hate tamaha de,
7.2.14  「 今はよし。過ぎにし方をば聞こえじや。ただ、かくありがたきものの隙に、気近きほどにて、 この心のうちに 思ふことの端、すこし聞こえさせつべくたばかりたまへ。おほけなき心は、すべて、よし見たまへ、いと恐ろしければ、思ひ離れてはべり」
 「今はもうよい。過ぎたことは申し上げまい。ただ、このようにめったにない人目のない機会に、お側近くで、わたしの心の中に思っていることを、少しでも申し上げられるようにとり計らって下さい。大それた考えは、まったく、まあ見て下さい、たいそう恐ろしいので、思ってもおりません」
 「もう昔のことは言わないよ。ただね、このごろのようなまたとない好機会にせめてお居間の近くへまで行って、私の苦しんでいる心を少しだけお話しさせてくれることを計らってくれないか。もったいない欲念よくねんなどは見ていてごらん、もういっさい起こさないことにあきらめているのだから、いいだろう」
  "Ima ha yosi. Sugi ni si kata wo ba kikoye zi ya! Tada, kaku arigataki mono no hima ni, kedikaki hodo nite, kono kokoro no uti ni omohu koto no hasi, sukosi kikoyesase tu beku tabakari tamahe. Ohokenaki kokoro ha, subete, yosi mi tamahe, ito osorosikere ba, omohi hanare te haberi."
7.2.15  とのたまへば、
 とおっしゃると、

  to notamahe ba,
7.2.16  「 これよりおほけなき心は、いかがはあらむ。いとむくつけきことをも思し寄りけるかな。何しに参りつらむ」
 「これ以上大それた考えは、他に考えられますか。何とも恐ろしいことをお考えになったことですよ。どうして伺ったのでしょう」
 「それ以上のもったいない欲心がありますかしら。恐ろしい望みをお起こしになったものですね、私は出てまいらなければよかった」
  "Kore yori ohokenaki kokoro ha, ikaga ha ara m? Ito mukutukeki koto wo mo obosiyori keru kana! Nani si ni mawiri tu ram?"
7.2.17  と、はちふく。
 と、口を尖らせる。
 強硬に小侍従は拒む。
  to, hatihuku.
注釈502かくて院も離れおはしますほど紫の上が病気療養のため二条院におり、源氏もそちらにいっているという意。7.2.1
注釈503昔より以下「おぼゆるわざなりけれ」まで、柏木の詞。7.2.2
注釈504聞こし召させて「聞く」の「聞こし召す」最高敬語。主語は女三の宮。7.2.2
注釈505頼もしきに接続助詞「に」逆接。7.2.2
注釈506院の上だに朱雀院をいう。柏木の会話中での呼称。「すこし悔い思したる」に係る。7.2.3
注釈507かくあまたにかけかけしく『集成』は「以下、ある人の朱雀院への報告」と注す。源氏の態度についていう。7.2.3
注釈508人に圧されたまふやう女三の宮のことをいう。7.2.3
注釈509過ぐしたまふなり「たまふ」終止形+伝聞推定の助動詞「なり」。7.2.3
注釈510人の奏しける朱雀院への奏上。7.2.3
注釈511同じくはただ人の以下「定むべかりけれ」まで、朱雀院の詞引用。7.2.4
注釈512女二の宮の以下「ものしたまふなること」まで、朱雀院の詞引用。「たまふ」終止形+伝聞推定の助動詞「なり」の連体形。7.2.4
注釈513げに同じ御筋とは尋ねきこえしかど同じお血筋の姉妹だが違う人だという。母方の身分の違い(下臈の更衣腹)に基づくのである。7.2.6
注釈514それはそれとこそおぼゆるわざなりけれ『完訳』は「女二の宮と女三の宮では、実際には姉妹とも思われぬ、の気持」と注す。7.2.6
注釈515いであなおほけな以下「御心ならむ」まで、小侍従の詞。7.2.8
注釈516さこそはありけれ以下「あらましかば」まで、柏木の詞。7.2.10
注釈517宮にかたじけなく聞こえさせ及びけるさま『集成』は「女三の宮との結婚を、恐れ多いことながら若輩の私がお望み申し上げた次第は。「及ぶ」は、手を届かせる。柏木としては、背伸びして望んだというほどの気持がある」と注す。7.2.10
注釈518院にも内裏にも朱雀院と今上帝。7.2.10
注釈519などてかはさてもさぶらはざらまし朱雀院の詞を間接的引用。反語表現。7.2.10
注釈520御いたはりあらましかば朱雀院の柏木への恩顧。反実仮想の構文。7.2.10
注釈521いと難き御ことなりや以下「深くなりたまへれ」まで、小侍従の詞。7.2.12
注釈522かの院の言出でてねむごろに聞こえたまふに明融臨模本と大島本は「きこえ給に」とある。『集成』『新大系』は底本(明融臨模本・大島本)のままとする。『完本』は諸本に従って「たまはんに」と校訂する。源氏が言葉に出して熱心に求婚したと、小侍従はいう。7.2.12
注釈523御身のおぼえとや思されし係助詞「や」--過去の助動詞「し」連体形、疑問の意だが、裏に反語的意をこめる。7.2.12
注釈524御衣の色も深くなりたまへれ中納言は従三位相当官。袍の色は浅紫。7.2.12
注釈525今はよし以下「思ひ離れてはべり」まで、柏木の詞。7.2.14
注釈526この心のうちに明融臨模本は「このころ」とある。大島本は「このころ(ころ$<朱墨>心<墨>)」とある。『集成』『新大系』は底本(明融臨模本・大島本)のまますなわち、朱筆と墨筆で「ころ」をミセケチにして「心」と訂正する。『集成』『完本』は諸本に従って「この心」と校訂する。『新大系』はミセケチ訂正に従う。7.2.14
注釈527これよりおほけなき心は以下「参りつらむ」まで、小侍従の詞。反語表現。7.2.16
校訂25 さに、え言ひ果てたまはで、 さに、え言ひ果てたまはで、「今はよし。過ぎにし--(/+さにえいひはてたまはていまはよしすきにし) 7.2.13
校訂26 心--*ころ 7.2.14
7.3
第三段 小侍従、手引きを承諾


7-3  Ko-Ziju accepts his request

7.3.1  「 いで、あな、聞きにく 。あまりこちたくものをこそ言ひなしたまふべけれ。 世はいと定めなきものを、女御、后も、 あるやうありて、ものしたまふたぐひなくやは。まして、その御ありさまよ。思へば、いとたぐひなくめでたけれど、うちうちは心やましきことも多かるらむ。
 「まあ、何と、聞きにくいことを。あまり大げさな物の言い方をなさるというものだ。男女の縁は分からないものだから、女御、后と申しても、事情がって、情を交わすことがないわけではあるまい。まして、その宮のご様子よ。思えば、たいそう又となく立派であるが、内情は面白くないことが多くあることだろう。
 「ひどいことを言うものではないよ。たいそうらしく何を言うのだ。后といっても恋愛問題をかつてお起こしになった人もないわけではないよ。まして宮中のことではなしさ、ほかからは結構なお身の上に見られておいでになっても、口惜くちおしいこともあれでは多かろうじゃないか。
  "Ide, ana, kiki niku! Amari kotitaku mono wo koso ihi nasi tamahu bekere. Yo ha ito sadame naki mono wo, Nyougo, Kisaki mo, aru yau ari te, monosi tamahu taguhi naku yaha! Masite, sono ohom-arisama yo! Omohe ba, ito taguhi naku medetakere do, utiuti ha kokoroyamasiki koto mo ohokaru ram.
7.3.2  院の、あまたの御中に、また並びなきやうにならはしきこえたまひしに、さしも ひとしからぬ際の御方々にたち混じり、めざましげなることもありぬべくこそ。いとよく聞きはべりや。 世の中はいと常なきものを、ひときはに思ひ定めて、はしたなく、突き切りなることなのたまひそよ」
 院が、大勢のお子様方の中で、他に肩を並べる者がないほど大切にお育て申し上げておいででしたのに、さほど同列とは思えないご夫人方の中にたち混じって、失礼に思うようなことがあるに違いない。何もかも知っておりますよ。世の中は無常なものですから、一概に決めつけて、取り付く島もなく、ぶっきらぼうにおっしゃるものではないよ」
 法皇様からはどのお子様よりも大事がられて御成人なすって、今は同じだけの御身分でない方と同等の一人の夫人で、しかも最愛の方としてはお扱われにならないというくわしいことを私は知っているのだよ。人は無常の世界にいるのだから、君が宮の御幸福をこうして守ろうとしていることが皆むだなことになるかもしれないからね。私に冷酷なことを言っておかないほうがいいよ」
  Win no, amata no ohom-naka ni, mata narabi naki yau ni narahasi kikoye tamahi si ni, sasimo hitosikara nu kiha no ohom-katagata ni tati-maziri, mezamasige naru koto mo ari nu beku koso. Ito yoku kiki haberi ya! Yononaka ha ito tune naki mono wo, hitokiha ni omohi sadame te, hasitanaku, tukikiri naru koto na notamahi so yo."
7.3.3  とのたまへば、
 とおっしゃるので、

  to notamahe ba,
7.3.4  「 人に落とされたまへる御ありさまとて、めでたき方に 改めたまふべきにやははべらむ。これは世の常の御ありさまにもはべらざめり。ただ、御後見なくて漂はしくおはしまさむよりは、親ざまに、と譲りきこえたまひしかば、かたみにさこそ思ひ交はしきこえさせたまひためれ。あいなき御落としめ言になむ」
 「他の人から負かされていらっしゃるご境遇だからと言って、今さら別の結構な縁組をなさるというわけにも行きますまい。このご結婚は世間一般の結婚ではございませんでしょう。ただ、ご後見がなくて頼りなくお暮らしになるよりは、親代わりになって頂こう、というお譲り申し上げなさったご結婚なので、お互いにそのように思い合っていらっしゃるようです。つまらない悪口をおっしゃるものです」
 「人ほど大事がられない奥様だとお言いになって、それをあなたの力でよくしていただけるというのですか。六条院様と宮様は普通の夫婦というのでもありませんよ。保護者もなく一人でおいでになりますよりはという思召おぼしめしで親代わりにお頼みになったのですもの。院がお引き受けになりましたのもその気持ちでなすったことですもの、つまらないことを言って、結局は宮様を悪くあなたはおっしゃるのですね」
  "Hito ni otosa re tamahe ru ohom-arisama tote, medetaki kata ni aratame tamahu beki ni yaha habera m? Kore ha yo no tune no ohom-arisama ni mo habera za' meri. Tada, ohom-usiromi naku te tadayohasiku ohasimasa m yori ha, oyazama ni, to yuduri kikoye tamahi sika ba, katamini sa koso omohikahasi kikoye sase tamahi ta' mere. Ainaki ohom-otosimegoto ni nam."
7.3.5  と、果て果ては腹立つを、よろづに言ひこしらへて、
 と、しまいには腹を立てるが、いろいろと言いなだめて、
 ついには腹をたててしまった小侍従の機嫌きげん衛門督えもんのかみはとっていた。
  to, hate hate ha haradatu wo, yorodu ni ihi kosirahe te,
7.3.6  「 まことは、さばかり世になき御ありさまを見たてまつり馴れたまへる御心に、 数にもあらずあやしきなれ姿を 、うちとけて御覧ぜられむとは、さらに思ひかけぬことなり。ただ一言、物越にて聞こえ知らすばかりは、何ばかりの 御身のやつれにかはあらむ。 神仏にも思ふこと申すは、罪あるわざかは」
 「本当は、そのように世に又とないご様子を日頃拝見していらっしゃるお方に、人数でもない見すぼらしい姿を、気を許して御覧に入れようとは、まったく考えていないことです。ただ一言、物越しに申し上げたいだけで、どれほどのご迷惑になることがありましょう。神仏にも思っていることを申し上げるのは、罪になることでしょうか」
 「ほんとうのことを言えば、あのまれな美貌びぼうの六条院様を良人おっとにお持ちになる宮様に、お目にかかって自身が好意を持たれようとは考えても何もいないのだよ。ただ一言を物越しに私がお話しするだけのことで、宮様の尊厳をそこねることはないじゃないか。神や仏にでも思っていることを言ってとがや罰を受けはしないじゃないか」
  "Makoto ha, sa bakari yo ni naki ohom-arisama wo mi tatematuri nare tamahe ru mi-kokoro ni, kazu ni mo ara zu ayasiki naresugata wo, utitoke te goranze rare m to ha, sarani omohi kake nu koto nari. Tada hitokoto, monogosi ni te, kikoye sirasu bakari ha, nani bakari no ohom-mi no yature ni ka ha ara m? Kami Hotoke ni mo omohu koto mausu ha, tumi aru waza ka ha."
7.3.7  と、いみじき 誓言をしつつのたまへば、 しばしこそ、いとあるまじきことに言ひ返しけれ、もの深からぬ若人は、人のかく身に代へていみじく思ひのたまふを、え否び果てで、
 と、大変な誓言を繰り返しおっしゃるので、暫くの間は、まったくとんでもないことだと断っていたが、思慮の足りない若い女は、男がこのように命に代えてたいそう熱心にお頼みになるので、断り切れずに、
 こう言って衛門督は絶対に不浄なことは行なわないという誓いまでも立てて、ひそかに御訪問をするだけの手引きを頼むのを、初めのうちは強硬にあるまじいことであると小侍従は突きはねていたが、もともとあさはかな若い女房であるから、こうまでも思い込むものかと、熱心な頼みに動かされて、
  to, imiziki tikagoto wo si tutu notamahe ba, sibasi koso, ito aru maziki koto ni ihikahesi kere, mono hukakara nu wakaudo ha, hito no kaku mi ni kahe te imiziku omohi notamahu wo, e inabi hate de,
7.3.8  「 もし、さりぬべき隙あらば、たばかりはべらむ。院のおはしまさぬ夜は、御帳のめぐりに人多くさぶらひて、御座のほとりに、さるべき人かならずさぶらひたまへば、いかなる折をかは、隙を見つけはべるべからむ」
 「もし、適当な機会があったら、手立ていたしましょう。院がいらっしゃらない夜は、御帳台の回りに女房が大勢仕えていて、お寝みになる所には、しかるべき人が必ず伺候していらっしゃるので、どのような機会に、隙を見つけたらよいのだろう」
 「もしそんなことによいようなすきが見つかりましたら御案内いたしましょう。院がおいでにならぬ晩はお几帳きちょうのまわりに女房がたくさんいます。お帳台には必ずだれかが一人お付きしているのですから、どんな時にそうしたよいおりがあるものでしょうかね」
  "Mosi, sarinubeki hima ara ba, tabakari habera m. Win no ohasimasa nu yo ha, mi-tyau no meguri ni hito ohoku saburahi te, omasi no hotori ni, sarubeki hito kanarazu saburahi tamahe ba, ikanaru wori wo ka ha, hima wo mituke haberu bekara m."
7.3.9  と、わびつつ参りぬ。
 と、困りながら帰参した。
 と困ったように言いながら小侍従は帰って行った。
  to, wabi tutu mawiri nu.
注釈528いであな聞きにく以下「なのたまひそよ」まで、柏木の詞。7.3.1
注釈529世はいと定めなきものを「世」は男女の縁。男と女の縁というのは定めない、という思想。7.3.1
注釈530あるやうありてものしたまふたぐひなくやは反語表現。『集成』は「わけがあって男と情けをかわされるようなお方がないわけでもあるまい」と訳す。7.3.1
注釈531ひとしからぬ際の御方々に六条院の夫人方。7.3.2
注釈532世の中はいと常なき明融臨模本、朱合点、付箋「恋しなはたか名はたゝし世中のつねなき物といひはなすとも」(古今集恋二、六〇三、深養父)。『源氏釈」が初指摘(第二句「誰が名か惜しき」)。『岷江入楚」は「私此引うたに及ばず」と注す。7.3.2
注釈533人に落とされたまへる以下「御落としめ言になむ」まで、小侍従の詞。7.3.4
注釈534改めたまふべきにやははべらむ反語表現。7.3.4
注釈535まことは以下「罪あるわざかは」まで、柏木の詞。7.3.6
注釈536数にもあらずあやしきなれ姿を柏木の謙辞。『源氏釈』は「これを見よ人もすさめぬ恋すとて音を泣く虫のなれる姿を」(後撰集恋三、七九四、源重光朝臣)を指摘(第二句「人もとがめぬ」)。『岷江入楚』は「君が門今ぞ過ぎ行く出でて見よ恋する人のなれる姿を」(住吉物語)を指摘。「なれ姿」は歌語的表現。7.3.6
注釈537御身のやつれ『集成』は「「やつれ」は、身を落すというほどの意」。『完訳』は「宮の御身の疵になるまいの意」と注す。7.3.6
注釈538神仏仏神(大・横・池) 「柏木」にも明融臨模本と大島本とでは語順を逆にする例がある。7.3.6
注釈539誓言をしつつ副助詞「つつ」同じ動作も繰り返し。7.3.7
注釈540しばしこそいとあるまじきことに言ひ返しけれ挿入句。係結び「こそ」--「けれ」逆接用法。7.3.7
注釈541もしさりぬべき以下「見つけはべらむ」まで、小侍従の詞。柏木の願いを聞きいれ、手引することを約束する。7.3.8
出典20 なれ姿 これを見よ人もすさめぬ恋すとて音を泣く虫のなれ姿を 後撰集恋三-七九三 源重光 7.3.6
校訂27 聞きにく 聞きにく--きゝにくの(の/$) 7.3.1
7.4
第四段 小侍従、柏木を導き入れる


7-4  Ko-Ziju leads Kashiwagi to Omna-Sam-no-Miya's room

7.4.1  いかに、いかにと、日々に責められ 極じて、さるべき折うかがひつけて、 消息しおこせたり。喜びながら、いみじくやつれ忍びておはしぬ。
 どうなのか、どうなのかと、毎日催促され困って、適当な機会を見つけ出して、手紙をよこした。喜びながら、ひどく粗末で目立たない姿でいらっしゃった。
 どうだろう、どうだろうと毎日のように衛門督から責めて来られる小侍従は困りながらしまいにあるすきのある日を見つけて衛門督へ知らせてやった。督は喜びながら目だたぬふうを作って小侍従をたずねて行った。
  Ikani, ikani to, hibi ni seme rare kouzi te, sarubeki wori ukagahi tuke te, seusoko si okose tari. Yorokobi nagara, imiziku yature sinobi te ohasi nu.
7.4.2  まことに、わが心にもいとけしからぬことなれば、 気近く、なかなか思ひ乱るることもまさるべきことまでは、思ひも寄らず、ただ、
 本当に、自分ながらまことに善くないことなので、お側近くに参って、かえって煩悶が勝ることまでは、考えもしないで、ただ、
 衛門督自身もこの行動の正しくないことは知っているのであるが、物越しの御様子に触れては物思いがいっそうつのるはずの明日までは考えずに、ただ
  Makoto ni, waga kokoro ni mo ito kesikara nu koto nare ba, kedikaku, nakanaka omohi midaruru koto mo masaru beki koto made ha, omohi mo yora zu, tada,
7.4.3  「いとほのかに御衣のつまばかりを見たてまつりし春の夕の、飽かず世とともに思ひ出でられたまふ御ありさまを、すこし気近くて見たてまつり、思ふことをも 聞こえ知らせては、一行の御返りなどもや見せたまふ、あはれとや思し知る」
 「ほんの微かにお召し物の端だけを拝見した春の夕方が、いつまでも思い出されなさるご様子を、もう少しお側近くで拝見し、思っている気持ちをもお聞かせ申し上げたら、ほんの一くだりほどのお返事だけでも下さりはしまいか、かわいそういと思っては下さらないだろうか」
 ほのかに宮のお召し物の褄先つまさきの重なりを見るにすぎなかったかつての春の夕べばかりを幻に見る心を慰めるためには、接近して行って自身の胸中をお伝えして、それからは一行のふみのお返事を得ることにもなればというほどの考えで、宮があわれんでくださるかもしれぬ
  "Ito honoka ni ohom-zo no tuma bakari wo mi tatematuri si haru no yuhube no, aka zu yo to tomoni omohi ide rare tamahu ohom-arisama wo, sukosi kedikaku te mi tatematuri, omohu koto wo mo kikoye sirase te ha, hito-kudari no ohom-kaheri nado mo ya mise tamahu, ahare to ya obosi siru?"
7.4.4  とぞ思ひける。
 と思うのであった。
 というはかない希望をいだいている衛門督でしかなかった。
  to zo omohi keru.
7.4.5   四月十余日ばかりのことなり。御禊明日とて斎院にたてまつりたまふ女房十二人ことに上臈にはあらぬ若き人、童女など、おのがじしもの縫ひ、化粧などしつつ、物見むと思ひまうくるも、とりどりに暇なげにて、御前の方しめやかにて、人しげからぬ折なりけり。
 四月十日過ぎのことである。御禊が明日だと言って、斎院に差し上げなさる女房を十二人、特別に上臈ではない若い女房、女の童など、それぞれ裁縫をしたり、化粧などをしいしい、見物をしようと準備するのも、それぞれに忙しそうで、御前の方がひっそりとして、人が多くない時であった。
 これは四月十幾日のことである。明日は賀茂かもの斎院の御禊みそぎのある日で、御姉妹きょうだいの斎院のために儀装車に乗せてお出しになる十二人の女房があって、その選にあたった若い女房とか、童女とかが、縫い物をしたり、化粧をしたりしている一方では、自身らどうしで明日の見物に出ようとする者もあって、仕度したくに大騒ぎをしていて、宮のお居間のほうにいる女房の少ない時で、
  Si-gwatu zihu-yo-niti bakari no koto nari. Misogi asu tote, Saiwin ni tatematuri tamahu nyoubau zihuni-nin, kotoni zyaurahu ni ha ara nu wakaki hito, warahabe nado, onogazisi mono nuhi, kesau nado si tutu, mono mi m to omohi maukuru mo, toridori ni itoma nage nite, omahe no kata simeyaka nite, hito sigekara nu wori nari keri.
7.4.6  近くさぶらふ 按察使の君も、時々通ふ源中将、責めて呼び出ださせければ下りたる間に、ただこの侍従ばかり、近くはさぶらふなりけり。よき折と思ひて、やをら御帳の東面の御座の端に据ゑつ。 さまでもあるべきことなりやは
 側近くに仕えている按察の君も、時々通って来る源中将が、無理やり呼び出させたので、下がっている間に、ただこの小侍従だけが、お側近くには伺候しているのであった。ちょうど良い機会だと思って、そっと御帳台の東面の御座所の端に座らせた。そんなにまですべきことであろうか。
 おそばにいるはずの按察使あぜちの君も時々通って来る源中将が無理に部屋のほうへ呼び寄せたので、この小侍従だけがお付きしているのであった。よいおりであると思って、静かに小侍従はお帳台の中の東の端へ衛門督の席を作ってやった。これは乱暴な計らいである。
  Tikaku saburahu Azeti-no-Kimi mo, tokidoki kayohu Gen-Tyuuzyau, semete yobiida sase kere ba, ori taru ma ni, tada kono Zizyuu bakari, tikaku ha saburahu nari keri. Yoki wori to omohi te, yawora mi-tyau no himgasi-omote no omasi no hasi ni suwe tu. Sa made mo aru beki koto nari yaha!
注釈542極じて明融臨模本は「功」と傍書。『集成』『新大系』は「極じて」。『完訳』は「困じて」と宛てる。7.4.1
注釈543消息しおこせたり主語は小侍従。7.4.1
注釈544気近く『集成』は「このあたり、柏木の気持を、その心事に即して書いているので、敬語がない」。『完訳』は「柏木の心情に即した文脈ながら、語り手が、恋ゆえの想外の事態の出来を想像」と注す。7.4.2
注釈545聞こえ知らせては「は」について、『集成』は係助詞「は」、「自分の気持もお話し申し上げたら」。『完訳』は接続助詞「ば」仮定条件の意、「この意中をもお打ち明け申し上げたならば」と訳す。7.4.3
注釈546四月十余日ばかりのことなり御禊明日とて賀茂祭(四月中酉の日)の前の御禊、吉日を選んで行う。7.4.5
注釈547斎院にたてまつりたまふ女房十二人女三の宮方から賀茂祭の奉仕のために女房を十二人差し出した。後文から上臈の女房と推量される。7.4.5
注釈548ことに上臈にはあらぬ若き人、童女など祭の奉仕には関係ない中臈の女房や若い女房そして童女ら、祭見物する側の人たち。7.4.5
注釈549按察使の君も、時々通ふ源中将、責めて呼び出ださせければ女三の宮の側近の女房に通ってくる源中将。源中将は系図不詳の人だが、若い中将といえば、出世コースにある人。7.4.6
注釈550下りたる間に局に下がっている間に。7.4.6
注釈551さまでもあるべきことなりやは『一葉抄』は「双紙詞也」と指摘。『集成』は「小侍従の軽率さを批判する草子地」「そんな所にまで引き入れてよいものだろうか」。『完訳』は「小侍従への語り手の評言」「じっさいそんなことまですべきだったのだろうか」と注す。7.4.6
7.5
第五段 柏木、女三の宮をかき抱く


7-5  Kashiwagi meets and hugs Omna-Sam-no-Miya

7.5.1  宮は、何心もなく大殿籠もりにけるを、近く男のけはひのすれば、院のおはすると思したるに、 うちかしこまりたるけしき見せて床の下に抱き下ろしたてまつるに、物に襲はるるかと、 せめて見上げたまへれば、あらぬ人なりけり。
 宮は、無心にお寝みになっていらっしゃったが、近くに男性の感じがするので、院がいらっしゃったとお思いになったが、かしこまった態度で、浜床の下に抱いてお下ろし申したので、魔物に襲われたのかと、やっとの思いで目を見開きなさると、違う人なのであった。
 宮は何心もなく寝ておいでになったのであるが、男が近づいて来た気配けはいをお感じになって、院がおいでになったのかとお思いになると、その男はかしこまった様子を見せて、帳台の床の上から宮を下へ抱きおろそうとしたから、夢の中でものに襲われているのかとお思いになって、しいてその者を見ようとあそばすと、それは男であるが院とは違った男であった。
  Miya ha, nanigokoro mo naku ohotonogomori ni keru wo, tikaku wotoko no kehahi no sure ba, Win no ohasuru to obosi taru ni, uti-kasikomari taru kesiki mise te, yuka no simo ni idaki orosi tatematuru ni, mono ni osoha ruru ka to, semete miage tamahe re ba, ara nu hito nari keri.
7.5.2   あやしく聞きも知らぬことどもをぞ聞こゆるや。あさましくむくつけくなりて、人召せど、近くもさぶらはねば、聞きつけて参るもなし。わななきたまふさま、水のやうに汗も流れて、ものもおぼえたまはぬけしき、いとあはれにらうたげなり。
 妙なわけも分からないことを申し上げるではないか。驚いて恐ろしくなって、女房を呼ぶが、近くに控えていないので、聞きつけて参上する者もいない。震えていらっしゃる様子、水のように汗が流れて、何もお考えになれない様子、とてもいじらしく可憐な感じである。
 これまで聞いたこともおありにならぬような話を、その男はくどくどと語った。宮は気味悪くお思いになって、女房をお呼びになったが、お居間にはだれもいなかったからお声を聞きつけて寄って来る者もない。宮はおふるい出しになって、水のような冷たい汗もお身体からだに流しておいでになる。失心したようなこの姿が非常に御可憐かれんであった。
  Ayasiku kiki mo sira nu koto-domo wo zo kikoyuru ya! Asamasiku mukutukeku nari te, hito mese do, tikaku mo saburaha ne ba, kikituke te mawiru mo nasi. Wananaki tamahu sama, midu no yau ni ase mo nagare te, mono mo oboye tamaha nu kesiki, ito ahare ni rautage nari.
7.5.3  「 数ならねど、いとかうしも思し召さるべき身とは、 思うたまへられずなむ
 「人数の者ではありませんが、まことにこんなにまでも軽蔑されるべき身の上ではないと、存ぜずにはいられません。
 「私はつまらぬ者ですが、それほどお憎まれするのが至当だとは思われません。
  "Kazu nara ne do, ito kau simo obosimesa ru beki mi to ha, omou tamahe rare zu nam.
7.5.4  昔よりおほけなき心のはべりしを、ひたぶるに籠めて 止みはべなましかば、心のうちに朽たして過ぎぬべかりけるを、 なかなか、漏らしきこえさせて院にも聞こし召されにしを、こよなくもて離れても のたまはせざりけるに、頼みをかけそめはべりて、 身の数ならぬひときはに、人より深き心ざしを空しくなしはべりぬることと、 動かしはべりにし心なむ、よろづ今はかひなきことと思うたまへ返せど、いかばかりしみはべりにけるにか、年月に添へて、口惜しくも、つらくも、むくつけくも、あはれにも、いろいろに深く思うたまへまさるに、せきかねて、かくおほけなきさまを御覧ぜられぬるも、かつは、いと思ひやりなく恥づかしければ、罪重き心もさらにはべるまじ」
 昔から身分不相応の思いがございましたが、一途に秘めたままにしておきましたら、心の中に朽ちて過ぎてしまったでしょうが、かえって、少し願いを申し上げさせていただいたところ、院におかせられても御承知おきあそばされましたが、まったく問題にならないように仰せにはならなかったので、望みを繋ぎ始めまして、身分が一段劣っていたがために、誰よりも深くお慕いしていた気持ちを無駄なものにしてしまったことと、残念に思うようになりました気持ちが、すべて今では取り返しのつかないことと思い返しはいたしますが、どれほど深く取りついてしまったことなのか、年月と共に、残念にも、辛いとも、気味悪くも、悲しくも、いろいろと深く思いがつのることに、堪えかねて、このように大それた振る舞いをお目にかけてしまいましたのも、一方では、まことに思慮浅く恥ずかしいので、これ以上大それた罪を重ねようという気持ちはまったくございません」
 昔からもったいない恋を私はいだいておりましたが、結局そのままにしておけばやみの中で始末もできたのですが、あなた様をお望み申すことを発言いたしましたために、院のお耳にはいり、その際はもってのほかのこととも院は仰せられませんでした。それも私の地位の低さにあなた様を他へお渡しする結果になりました時、私の心に受けました打撃はどんなに大きかったでしょう。もうただ今になってはかいのないことを知っておりまして、こうした行動に出ますことは慎んでいたのですが、どれほどこの失恋の悲しみは私の心に深く食い入っていたのか、年月がたてばたつほど口惜くちおしく恨めしい思いがつのっていくばかりで、恐ろしいことも考えるようになりました。またあなた様を思う心もそれとともに深くなるばかりでございました。私はもう感情を抑制することができなくなりまして、こんな恥ずかしい姿であるまじい所へもまいりましたが、一方では非常に思いやりのないことを自責しているのですから、これ以上の無礼はいたしません」
  Mukasi yori ohokenaki kokoro no haberi si wo, hitaburu ni kome te yami habe' na masika ba, kokoro no uti ni kutasi te sugi nu bekari keru wo, nakanaka, morasi kikoyesase te, Win ni mo kikosimesa re ni si wo, koyonaku mote-hanare te mo notamaha se zari keru ni, tanomi wo kake some haberi te, mi no kazu nara nu hitokiha ni, hito yori hukaki kokorozasi wo munasiku nasi haberi nuru koto to, ugokasi haberi ni si kokoro nam, yorodu ima ha kahinaki koto to omou tamahe kahese do, ikabakari simi haberi ni keru ni ka, tosituki ni sohe te, kutiwosiku mo, turaku mo, mukutukeku mo, ahare ni mo, iroiro ni hukaku omou tamahe masaru ni, seki kane te, kaku ohokenaki sama wo goranze rare nuru mo, katu ha, ito omohiyari naku hadukasikere ba, tumi omoki kokoro mo sarani haberu mazi."
7.5.5  と言ひもてゆくに、この人なりけりと思すに、いとめざましく恐ろしくて、つゆいらへもしたまはず。
 と言い続けるうちに、この人だったのだとお分りになると、まことに失礼な恐ろしいことに思われて、何もお返事なさらない。
 こんな言葉をお聞きになることによって、宮は衛門督えもんのかみであることをお悟りになった。非常に不愉快にお感じにもなったし、おそろしくもまた思召おぼしめされもして少しのお返辞もあそばさない。
  to ihi mote yuku ni, kono hito nari keri to obosu ni, ito mezamasiku osorosiku te, tuyu irahe mo si tamaha zu.
7.5.6  「 いとことわりなれど、世に例なきことにもはべらぬを、めづらかに情けなき御心ばへならば、いと心憂くて、なかなかひたぶるなる 心もこそつきはべれ、あはれとだにのたまはせば、それをうけたまはりてまかでなむ」
 「まことにごもっともなことですが、世間に例のないことではございませんのに、又とないほどな無情なご仕打ちならば、まことに残念で、かえって向こう見ずな気持ちも起こりましょうから、せめて不憫な者よとだけでもおっしゃって下されば、その言葉を承って退出しましょう」
 「あなた様がこうした冷ややかなお扱いをなさいますのはごもっともですが、しかしこんなことは世間に例のないことではないのでございますよ。あまりに御同情の欠けたふうをお見せになれば、私は情けなさに取り乱してどんなことをするかもしれません。かわいそうだとだけ言ってください。そのお言葉を聞いて私は立ち去ります」
  "Ito kotowari nare do, yo ni tamesi naki koto ni mo habera nu wo, meduraka ni nasakenaki mi-kokorobahe nara ba, ito kokorouku te, nakanaka hitaburu naru kokoro mo koso tuki habere, ahare to dani notamahase ba, sore wo uketamahari te makade na m."
7.5.7  と、よろづに聞こえたまふ。
 と、さまざまに申し上げなさる。
 とも、手を変え品を変え宮のお心を動かそうとして説く衛門督であった。
  to, yorodu ni kikoye tamahu.
注釈552うちかしこまりたるけしき見せて柏木の態度。7.5.1
注釈553床の下に抱き下ろしたてまつるに御帳台の浜床の下に。『河海抄』によれば、浜床の高さは三尺という。また『類聚雑要抄』には一尺あるいは九寸の例が見えるという。7.5.1
注釈554せめて見上げたまへれば『集成』は「見上げ」。『完訳』は「見開け」と宛てる。7.5.1
注釈555あやしく聞きも知らぬことどもをぞ聞こゆるや語り手の挿入句。『完訳』は「宮の、柏木への反応に即した叙述。「聞こゆる」の主語は柏木」と注す。7.5.2
注釈556数ならねど以下「心もさらにはべるまじ」まで、柏木の詞。7.5.3
注釈557思うたまへられずなむ「たまへ」謙譲の補助動詞、未然形。「られ」自発の助動詞、未然形。「ず」打消の助動詞、終止形。「なむ」係助詞、下に「ある」などの語句が省略されて、強調と余意のニュアンス。--と存ぜずにはいられない、の意。7.5.3
注釈558止みはべなましかば明融臨模本は「はへなましかは」とある。大島本は「侍なましかハ」とある。『集成』は底本のままとする。『新大系』は明融臨模本の読みに従う。『完本』は諸本に従って「はべりなましかば」と校訂する。反実仮想の構文。「過ぎぬべかりけるを」に係る。7.5.4
注釈559なかなか漏らしきこえさせて主語は柏木。女三の宮への求婚を願い申し上げたことをいう。「きこえさす」は「きこゆ」よりも一段と敬意の深い謙譲語。7.5.4
注釈560院にも聞こし召されにしを朱雀院も承知していたことをいう。「聞こし召す」は「聞く」の最高敬語。7.5.4
注釈561のたまはせざりけるに「のたまはす」は「言ふ」の最高敬語。7.5.4
注釈562身の数ならぬひときはに身分が源氏より劣っていたことをいう。7.5.4
注釈563動かしはべりにし心なむ『集成』は「無念に思うようになりました気持が」。『完訳』は「その口惜しさを静めることのできません一念が」と訳す。7.5.4
注釈564いとことわりなれど以下「たまはりてまかでなむ」まで、柏木の詞。女三の宮を安心させ脅し懇願する。7.5.6
注釈565心もこそつきはべれ「もこそ」係助詞の連語。--しては大変だ、という懸念の構文。7.5.6
7.6
第六段 柏木、猫の夢を見る


7-6  Kashiwagi dreams that he presents a cat to Omna-Sam-no-Miya

7.6.1  よその思ひやりはいつくしく、もの馴れて見えたてまつらむも恥づかしく推し量られたまふに、「ただかばかり思ひつめたる片端聞こえ知らせて、なかなかかけかけしきことはなくて止みなむ」と思ひしかど、いとさばかり気高う恥づかしげにはあらで、 なつかしくらうたげに、やはやはとのみ見えたまふ御けはひの、あてにいみじくおぼゆることぞ、人に似させたまはざりける。
 はたから想像すると威厳があって、馴れ馴れしくお逢い申し上げるのもこちらが気が引けるように思われるようなお方なので、「ただこのように思い詰めているほんの一部を申し上げて、なまじ色めいた振る舞いはしないでおこう」と思っていたが、実際それほど気品高く恥ずかしくなるような様子ではなくて、やさしくかわいらしくて、どこまでももの柔らかな感じにお見えになるご様子で、上品で素晴らしく思えることは、誰とも違う感じでいらっしゃるのであった。
 想像しただけでは非常な尊厳さが御身を包んでいて、目前で恋の言葉などは申し上げられないもののように思われ、熱情の一端だけをお知らせし、その他の無礼を犯すことなどは思いも寄らぬことにしていた督であったにかかわらず、それほど高貴な女性とも思われない、たぐいもない柔らかさと可憐かれんな美しさがすべてであるような方を目に見てからは、衛門督の欲望はおさえられぬものになり、
  Yoso no omohiyari ha itukusiku, mono-nare te miye tatematura m mo hadukasiku osihakara re tamahu ni, "Tada kabakari omohitume taru katahasi kikoye sirase te, nakanaka kakekakesiki koto ha naku te yami na m." to omohi sika do, ito sabakari kedakau hadukasige ni ha ara de, natukasiku rautage ni, yahayaha to nomi miye tamahu ohom-kehahi no, ate ni imiziku oboyuru koto zo, hito ni ni sase tamaha zari keru.
7.6.2  賢しく思ひ鎮むる心も失せて、「 いづちもいづちも率て隠したてまつりて、わが身も世に経るさまならず、跡絶えて止みなばや」とまで思ひ乱れぬ。
 賢明に自制していた分別も消えて、「どこへなりとも連れて行ってお隠し申して、自分もこの世を捨てて、姿を隠してしまいたい」とまで思い乱れた。
 どこへでも宮を盗み出して行って夫婦になり、自分もそれとともに世間を捨てよう、世間から捨てられてもよいと思うようになった。
  Sakasiku omohi sidumuru kokoro mo use te, "Iduti mo iduti mo wi te kakusi tatematuri te, waga mi mo yo ni huru sama nara zu, ato taye te yami na baya!" to made omohi midare nu.
7.6.3   ただいささかまどろむともなき夢にこの手馴らしし猫の、いとらうたげにうち鳴きて来たるを、この宮に奉らむとて、わが率て来たるとおぼしきを、 何しに奉りつらむと思ふほどに、おどろきて、 いかに見えつるならむ、と思ふ。
 ただちょっとまどろんだとも思われない夢の中に、あの手なずけた猫がとてもかわいらしく鳴いてやって来たのを、この宮にお返し申し上げようとして、自分が連れて来たように思われたが、どうしてお返し申し上げようとしたのだろうと思っているうちに、目が覚めて、どうしてあんな夢を見たのだろう、と思う。
 少し眠ったかと思うと衛門督は夢に自分の愛しているねこの鳴いている声を聞いた。それは宮へお返ししようと思ってつれて来ていたのであったことを思い出して、よけいなことをしたものだと思った時に目がさめた。この時にはじめて衛門督は自身の行為を悟ったのである。
  Tada isasaka madoromu to mo naki yume ni, kono te narasi si neko no, ito rautage ni uti-naki te ki taru wo, kono Miya ni tatematura m tote, waga wi te ki taru to obosiki wo, nani si ni tatematuri tu ram to omohu hodo ni, odoroki te, ikani miye turu nara m, to omohu.
7.6.4  宮は、いとあさましく、うつつともおぼえたまはぬに、胸ふたがりて、 思しおぼほるるを
 宮は、あまりにも意外なことで、現実のことともお思いになれないので、胸がふさがる思いで、途方に暮れていらっしゃるのを、
 が宮はあさましい過失をして罪にちたことで悲しみにおぼれておいでになるのを見て、
  Miya ha, ito asamasiku, ututu to mo oboye tamaha nu ni, mune hutagari te, obosi obohoruru wo,
7.6.5  「 なほ、かく逃れぬ御宿世の、浅からざりけると 思ほしなせ。みづからの心ながらも、うつし心にはあらずなむ、おぼえはべる」
 「やはり、このように逃れられないご宿縁が、浅くなかったのだとお思い下さい。自分ながらも、分別心をなくしたように、思われます」
 「こうなりましたことによりましても、前生の縁がどんなに深かったかを悟ってくださいませ。私の犯した罪ですが、私自身も知らぬ力がさせたのです」
  "Naho, kaku nogare nu ohom-sukuse no, asakara zari keru to omohosi nase. Midukara no kokoro nagara mo, utusigokoro ni ha ara zu nam, oboye haberu."
7.6.6  かのおぼえなかりし御簾のつまを、猫の綱引きたりし 夕べのことも聞こえ出でたり。
 あの身に覚えのなかった御簾の端を、猫の綱が引いた夕方のこともお話し申し上げた。
 不意に猫が端を引き上げた御簾みすの中に宮のおいでになった春の夕べのことも衛門督えもんのかみは言い出した。
  Kano oboye nakari si misu no tuma wo, neko no tuna hiki tari si yuhube no koto mo kikoye ide tari.
7.6.7  「 げに、さはたありけむよ
 「なるほど、そうであったことなのか」
 そんなことがこの悲しい罪にちる因をなしたのか
  "Geni, sa hata ari kem yo!"
7.6.8  と、口惜しく、 契り心憂き御身なりけり。「 院にも、今はいかでかは見えたてまつらむ」と、悲しく心細くて、いと幼げに泣きたまふを、いとかたじけなく、あはれと見たてまつりて、 人の御涙をさへ拭ふ袖は、いとど露けさのみまさる。
 と、残念に、前世からの宿縁が辛い御身の上なのであった。「院にも、今はどうしてお目にかかることができようか」と、悲しく心細くて、まるで子供のようにお泣きになるのを、まことに恐れ多く、いとしく拝見して、相手のお涙までを拭う袖は、ますます露けさがまさるばかりである。
 と思召おぼしめすと、宮は御自身の運命を悲しくばかり思召されるのであった。もう六条院にはお目にかかれないことをしてしまった自分であるとお思いになることは、非常に悲しく心細くて、子供らしくお泣きになるのを、もったいなくもあわれにも思って、自分の悲しみと同時に恋人の悲しむのを見るのは堪えがたい気のする督であった。
  to, kutiwosiku, tigiri kokorouki ohom-mi nari keri. "Win ni mo, ima ha ikadekaha miye tatematura m." to, kanasiku kokorobosoku te, ito wosanage ni naki tamahu wo, ito katazikenaku, ahare to mi tatematuri te, hito no ohom-namida wo sahe nogohu sode ha, itodo tuyukesa nomi masaru.
注釈566なつかしくらうたげにやはやはとのみ見えたまふ御けはひ女三の宮の感じ。「なつかし」「らうたげなり」は桐壺更衣にも「なつかしうらうたげなりしを思し出づるにも」(桐壺)とあった。「やはやは」が女三の宮の特徴。7.6.1
注釈567いづちもいづちも「跡絶えて止みなばや」まで、柏木の思念。『伊勢物語』六段、『大和物語』百五十四段、百五十五段に男が女を盗み出すという同じ発想の物語がある。『更級日記』にも、そのような話への憧れが書かれている。7.6.2
注釈568ただいささかまどろむともなき夢に情交の最中の夢。『集成』は「この前後、宮との間に密通のことがあったことを暗示する」。『完訳』は「情交の象徴的表現」と注す。7.6.3
注釈569この手馴らしし猫の以下、夢の中の描写。柏木が夢の中で不思議に思いながら見た夢という描写。『細流抄』は「懐妊の事也」。『岷江入楚』は「獣を夢みるは懐胎の相なり」と指摘する。当時の俗信。7.6.3
注釈570何しに奉りつらむと思ふほどに夢の中の自分の行動をどうしてそういうことをするのだろうと、不審不思議に思いながらその夢を見ている。7.6.3
注釈571いかに見えつるならむ夢から覚めて後の柏木の反省。7.6.3
注釈572思しおぼほるるを「を」接続助詞。『集成』は「悲しみに沈んでいられるのに」。『完訳』は「正気もなくいらっしゃるが」と訳す。7.6.4
注釈573なほかく以下「おぼえはべる」まで、柏木の詞。引用句なし。7.6.5
注釈574げにさはたありけむよ女三の宮の心中。7.6.7
注釈575契り心憂き御身なりけり『一葉抄』は「双紙の詞也」と指摘。『全集』は「柏木のいう「のがれぬ御宿世」関係づけて、女三の宮のありようを評した草子地」。『集成』は「女三の宮の気持を、地の文で代弁した筆致」と注す。7.6.8
注釈576院にも今はいかでかは見えたてまつらむ女三の宮の心中。反語表現。7.6.8
注釈577人の御涙をさへ拭ふ袖は副助詞「さへ」添加の意。自分の涙を拭う上に宮の涙までを拭う袖は、の意。7.6.8
校訂28 思ほし 思ほし--お(お/+も)ほし 7.6.5
校訂29 夕べの 夕べの--ゆふへ(へ/+の) 7.6.6
7.7
第七段 きぬぎぬの別れ


7-7  A parting after the meeting at morning

7.7.1  明けゆくけしきなるに、出でむ方なく、 なかなかなり
 夜が明けてゆく様子であるが、帰って行く気にもなれず、かえって逢わないほうがましであったほどである。
 夜が明けていきそうなのであるが、帰って行けそうにも男は思われない。
  Ake yuku kesiki naru ni, ide m kata naku, nakanaka nari.
7.7.2  「 いかがはしはべるべき。いみじく憎ませたまへば、また聞こえさせむことも ありがたきを、ただ一言御声を聞かせたまへ」
 「いったい、どうしたらよいのでしょう。ひどくお憎みになっていらっしゃるので、再びお話し申し上げることも難しいでしょうが、ただ一言だけでもお声をお聞かせ下さい」
 「どうすればよいのでしょう。私を非常にお憎みになっていますから、もうこれきりってくださらないことも想像されますが、ただ一言を聞かせてくださいませんか」
  "Ikagaha si haberu beki. Imiziku nikuma se tamahe ba, mata kikoyesase m koto mo arigataki wo, tada hito-koto ohom-kowe wo kika se tamahe."
7.7.3  と、よろづに聞こえ悩ますも、うるさくわびしくて、もののさらに言はれたまはねば、
 と、さまざまに申し上げて困らせるのも、煩わしく情けなくて、何もまったくおしゃれないので、
 宮はいろいろとこの男からお言われになるのもうるさく、苦しくて、ものなどは言おうとしてもお口へ出ない。
  to, yorodu ni kikoye nayamasu mo, urusaku wabisiku te, mono no sarani ihare tamaha ne ba,
7.7.4  「 果て果ては、むくつけくこそなりはべりぬれ。また、かかるやうはあらじ」
 「しまいには、薄気味悪くさえなってしまいました。他に、このような例はありますまい」
 「何だか気味が悪くさえなりましたよ。こんな間柄というものがあるでしょうか」
  "Hatehate ha, mukutukeku koso nari haberi nure. Mata, kakaru yau ha ara zi."
7.7.5  と、いと憂しと思ひきこえて、
 と、まことに辛いとお思い申し上げて、
 男は恨めしいふうである。
  to, ito usi to omohi kikoye te,
7.7.6  「 さらば不用なめり 身をいたづらにやはなし果てぬ。いと捨てがたきによりてこそ、かくまでもはべれ。今宵に限りはべりなむもいみじくなむ。つゆにても御心ゆるしたまふさま ならばそれに代へつるにても捨てはべりなまし
 「それでは生きていても無用のようですね。いっそ死んでしまいましょう。生きていたいからこそ、こうしてお逢いもしたのです。今晩限りの命と思うとたいそう辛うございます。少しでもお心を開いて下さるならば、それを引き換えにして命を捨てもしましょうが」
 「私のお願いすることはだめなのでしょう。私は自殺してもいい気にもとからなっているのですが、やはりあなたに心が残って生きていましたものの、もうこれで今夜限りで死ぬ命になったかと思いますと、多少の悲しみはございますよ。少しでも私を愛してくださるお心ができましたら、これに命を代えるのだと満足して死ねます」
  "Saraba huyou na' meri. Mi wo itadura ni yaha nasi hate nu. Ito sute gataki ni yori te koso, kaku made mo habere. Koyohi ni kagiri haberi na m mo imiziku nam. Tuyu nite mo mi-kokoro yurusi tamahu sama nara ba, sore ni kahe turu nite mo sute haberi na masi."
7.7.7  とて、 かき抱きて出づるに果てはいかにしつるぞと、あきれて思さる。
 と言って、抱いて外へ出るので、しまいにはどうするのだろうと、呆然としていらっしゃる。
 と言って、衛門督は宮をお抱きして帳台を出た。
  tote, kaki-idaki te iduru ni, hate ha ikani si turu zo to, akire te obosa ru.
7.7.8   隅の間の屏風をひき広げて戸を押し開けたれば、渡殿の南の戸の、昨夜入りしがまだ開きながらあるに、 まだ明けぐれのほどなるべし、ほのかに見たてまつらむの心あれば、格子をやをら引き上げて、
 隅の間の屏風を広げて、妻戸を押し開けると、渡殿の南の戸の、昨夜入った所がまだ開いたままになっているが、まだ夜明け前の暗いころなのであろう、ちらっと拝見しようとの気があるので、格子を静かに引き上げて、
 すみ屏風びょうぶを引きひろかげを作っておいて、妻戸をあけると、渡殿わたどのの南の戸がまだ昨夜ゆうべはいった時のままにあいてあるのを見つけ、渡殿の一室へ宮をおおろしした。まだ外は夜明け前のうすやみであったが、ほのかにお顔を見ようとする心で、静かに格子をあげた。
  Sumi no ma no byaubu wo hiki-hiroge te, to wo osiake tare ba, watadono no minami no to no, yobe iri si ga mada aki nagara aru ni, mada akegure no hodo naru besi, honokani mi tatematura m no kokoro are ba, kausi wo yawora hiki-age te,
7.7.9  「 かう、いとつらき御心に、うつし心も失せはべりぬ。すこし思ひのどめよと思されば、あはれとだにのたまはせよ」
 「このように、まことに辛い無情なお仕打ちなので、正気も消え失せてしまいました。少しでも気持ちを落ち着けるようにとお思いならば、せめて一言かわいそうにとおっしゃって下さい」
 「あまりにあなたが冷淡でいらっしゃるために、私の常識というものはすっかりなくされてしまいました。少し落ち着かせてやろうと思召すのでしたら、かわいそうだとだけのお言葉をかけてください」
  "Kau, ito turaki mi-kokoro ni, utusigokoro mo use haberi nu. Sukosi omohi nodome yo to obosa re ba, ahare to dani notamaha se yo."
7.7.10  と、脅しきこゆるを、 いとめづらかなりと思して物も言はむとしたまへど、わななかれて、いと若々しき御さまなり。
 と、脅して申し上げると、とんでもないとお思いになって、何かおっしゃろうとなさったが、震えるばかりで、ほんとうに子供っぽいご様子である。
 衛門督が威嚇いかくするように言うのを、宮は無礼だとお思いになって、何かとがめる言葉を口から出したく思召したが、ただふるえられるばかりで、どこまでも少女らしいお姿と見えた。
  to, odosi kikoyuru wo, ito meduraka nari to obosi te mono mo iha m to si tamahe do, wananaka re te, ito wakawakasiki ohom-sama nari.
7.7.11  ただ明けに明けゆくに、いと心あわたたしくて、
 ただ夜が明けて行くので、とても気が急かれて、
 ずんずん明るくなっていく。あわただしい気になっていながら、男は、
  Tada ake ni ake yuku ni, ito kokoro awatatasiku te,
7.7.12  「 あはれなる夢語りも聞こえさすべきを、かく憎ませたまへばこそ。さりとも、 今思し合はすることもはべりなむ
 「しみじみとした夢語りも申し上げたいのですが、このようにお憎みになっていらっしゃるので。そうは言っても、やがてお思い当たりなさることもございましょう」
 「理由のありそうな夢の話も申し上げたかったのですけれど、あくまで私をお憎みになりますのもお恨めしくてよしますが、どんなに深い因縁のある二人であるかをお悟りになることもあなたにあるでしょう」
  "Ahare naru yume-gatari mo kikoyesasu beki wo, kaku nikuma se tamahe ba koso. Saritomo, ima obosi ahasuru koto mo haberi nam."
7.7.13  とて、のどかならず立ち出づる明けぐれ、 秋の空よりも心尽くしなり
 と言って、気ぜわしく出て行く明けぐれ、秋の空よりも物思いをさせるのである。
 と言って出て行こうとする男の気持ちに、この初夏の朝も秋のもの悲しさに過ぎたものが覚えられた。
  tote, nodoka nara zu tati iduru akegure, aki no sora yori mo kokorodukusi nari.
7.7.14  「 起きてゆく空も知られぬ明けぐれに
   いづくの露のかかる袖なり
 「起きて帰って行く先も分からない明けぐれに
  どこから露がかかって袖が濡れるのでしょう
  おきて行く空も知られぬ明けぐれに
  いづくの露のかかるそでなり
    "Oki te yuku sora mo sira re nu akegure ni
    iduku no tuyu no kakaru sode nari
7.7.15  と、ひき出でて愁へきこゆれば、出でなむとするに、すこし慰めたまひて、
 と、袖を引き出して訴え申し上げるので、帰って行くのだろうと、少しほっとなさって、
 宮のお袖を引いてかみのこう言った時、宮のお心はいよいよ帰って行きそうな様子に楽になって、
  to, hikiide te urehe kikoyure ba, ide na m to suru ni, sukosi nagusame tamahi te,
7.7.16  「 明けぐれの空に憂き身は消えななむ
   夢なりけりと見てもやむべく
 「明けぐれの空にこの身は消えてしまいたいものです
  夢であったと思って済まされるように
  あけぐれの空にうき身は消えななん
  夢なりけりと見てもやむべく
    "Akegure no sora ni uki mi ha kiye na nam
    Yume nari keri to mi te mo yamu beku
7.7.17  と、はかなげにのたまふ声の、若くをかしげなるを、聞きさすやうにて 出でぬる魂は、まことに身を離れて止まりぬる心地す。
 と、力弱くおっしゃる声が、若々しくかわいらしいのを、聞きも果てないようにして出てしまった魂は、ほんとうに身を離れて後に残った気がする。
 とはかなそうにお言いになる声も、若々しく美しいのを聞きさしたままのようにして、出て行く男は魂だけ離れてあとに残るもののような気がした。
  to, hakanage ni notamahu kowe no, wakaku wokasige naru wo, kiki sasu yau nite ide nuru tamasihi ha, makoto ni mi wo hanare te tomari nuru kokoti su.
注釈578なかなかなり語り手の評言。『集成』は「柏木の気持を述べたもの」。『完訳』は「前の語り手の想像「なかなか思ひ乱ることもまさるべきことまでは思ひもよらず」どおり、逆の事態に陥った」と注す。7.7.1
注釈579いかがはしはべるべき以下「御声を聞かせたまへ」まで、柏木の詞。宮の「あはれ」の一言を所望。7.7.2
注釈580ありがたきを接続助詞「を」弱い順接の意。間投助詞「を」の詠嘆のニュアンスも添う。7.7.2
注釈581果て果ては以下「かかるやうはあらじ」まで、柏木の詞。末摘花の無口が想起される。7.7.4
注釈582さらば不用なめり以下「捨てはべりなまし」まで、柏木の詞。明融臨模本「不用」の傍書がある。『集成』は「あなたの気持を得ることはできないのですね、という気持」と注す。7.7.6
注釈583身をいたづらに明融臨模本、朱合点あり。『河海抄』は「夏虫の身をいたづらになすことも一つ思ひによりてなりけり」(古今集恋一、五四四、読人しらず)を引く。しかし『岷江入楚』が「不及此歌」と批判して、現行の注釈書では引歌として指摘されない。7.7.6
注釈584それに代へつるにても捨てはべりなまし反実仮想の構文。『集成』は「その代りということで命を捨てても何の惜しいこともありません」。『完訳』は「そのお情けとひきかえに命を捨ててしまうこともできましょうに」と訳す。7.7.6
注釈585かき抱きて出づるに柏木が女三の宮を抱いて御帳台の浜床の下から端の方へ出る。7.7.7
注釈586果てはいかにしつるぞ宮の心中。7.7.7
注釈587隅の間の屏風をひき広げて寝殿の西側の西南の隅の柱と柱の間に屏風を広げる。人目を避けるため。7.7.8
注釈588戸を押し開けたれば寝殿の西南の隅の妻戸。外の光で宮の顔をみるため。7.7.8
注釈589まだ明けぐれのほどなるべし語り手の挿入句。7.7.8
注釈590かういとつらき御心に以下「あはれとだにのたまはせよ」まで、柏木の詞。7.7.9
注釈591いとめづらかなり女三の宮の心中。『集成』は「何ということを言う人かと」。『完訳』は「なんと無体なことをと」と訳す。7.7.10
注釈592あはれなる夢語りも以下「思し合はすることもはべりなむ」まで、柏木の詞。猫の夢をさす。7.7.12
注釈593今思し合はすることもはべりなむ懐妊の事実となって知られよう、という意。「な」完了の助動詞、確述。「む」推量の助動詞、推量。きっと--するだろう、という気持ちを込めたニュアンス。7.7.12
注釈594秋の空よりも心尽くしなり「木の間より漏り来る月の影見れば心尽くしの秋は来にけり」(古今集秋上、一八四、読人しらず)を踏まえる。『集成』は「柏木の心事を述べたもの」と注す。7.7.13
注釈595起きてゆく空も知られぬ明けぐれに--いづくの露のかかる袖なり柏木の贈歌。「起き」と「置き」の掛詞。「置く」と「露」は縁語。「露」は涙を象徴。「空も知られぬ」と「いづくの露」が響き合う。7.7.14
注釈596明けぐれの空に憂き身は消えななむ--夢なりけりと見てもやむべく女三の宮の返歌。「あけぐれ」「空」の語句を受け、また「露」「置く」の語句を「夢」「消え」と返す。『完訳』は「「夢」は柏木のいう夢ともひびくが、源氏・藤壺の密会の贈答歌(若紫)にも発想が類似」と注す。7.7.16
出典21 身をいたづらに 夏虫の身をいたづらになすことも一つ思ひによりてなりけり 古今集恋一-五四四 読人しらず 7.7.6
出典22 秋の空よりも心尽くし 木の間より漏り来る月の影見れば心尽くしの秋は来にけり 古今集秋上-一八四 読人知らず 7.7.13
出典23 出でぬる魂 飽かざりし袖の中にや入りにけむ我が魂のなき心地する 古今集雑下-九九二 陸奥 7.7.17
校訂30 ならば ならば--なと(と/$ら)は 7.7.6
7.8
第八段 柏木と女三の宮の罪の恐れ


7-8  Kashiwagi and Omna-Sam-no-Miya are feaful of being noticed by Genji

7.8.1   女宮の御もとにも参うでたまはで、大殿へぞ忍びておはしぬる。うち臥したれど目も合はず、見つる 夢のさだかに合はむことも難きをさへ思ふに、かの猫のありしさま、いと恋しく思ひ出でらる。
 女宮のお側にもお帰りにならないで、大殿へこっそりとおいでになった。横にはなったが目も合わず、あの見た夢が当たるかどうか難しいことを思うと、あの夢の中の猫の様子が、とても恋しく思い出さずにはいられない。
 夫人の宮の所へは行かずに、父の太政大臣家へそっと衛門督えもんのかみは来たのであった。夢と言ってよいほどのはかない逢う瀬が、なおありうることとは思えないとともに、夢の中に見た猫の姿も恋しく思い出された。
  Womnamiya no ohom-moto ni mo maude tamaha de, Ohotono he zo sinobi te ohasi nuru. Uti-husi tare do me mo aha zu, mi turu yume no sadaka ni aha m koto mo kataki wo sahe omohu ni, kano neko no ari si sama, ito kohisiku omohi ide raru.
7.8.2  「 さてもいみじき過ちしつる 身かな世にあらむことこそ、まばゆくなりぬれ
 「それにしても大変な過ちを犯したものだな。この世に生きて行くことさえ、できなくなってしまった」
 大きな過失を自分はしてしまったものである。生きていることがまぶしく思われる自分になった
  "Satemo imiziki ayamati si turu mi kana! Yo ni ara m koto koso, mabayuku nari nure."
7.8.3  と、恐ろしくそら恥づかしき心地して、ありきなどもしたまはず。 女の御ためは さらにもいはず、わが心地にもいとあるまじきことといふ中にも、むくつけくおぼゆれば、思ひのままにもえ紛れありかず。
 と、恐ろしく何となく身もすくむ思いがして、外歩きなどもなさらない。女のお身の上は言うまでもなく、自分を考えてもまことにけしからぬ事という中でも、恐ろしく思われるので、気ままに出歩くことはとてもできない。
 と恐ろしく、恥ずかしく思って、督はずっとそのまま家に引きこもっていた。恋人の宮のためにも済まないことであるし、自身としてもやましい罪人になってしまったことは取り返しのつかぬことであると思うと、自由に外へ出て行ってよい自分とは思われなかったのである。
  to, osorosiku sora-hadukasiki kokoti si te, ariki nado mo si tamaha zu. Womna no ohom-tame ha sarani mo iha zu, waga kokoti ni mo ito arumaziki koto to ihu naka ni mo, mukutukeku oboyure ba, omohi no mama ni mo e magire arika zu.
7.8.4   帝の御妻をも取り過ちて、ことの聞こえあらむに、 かばかりおぼえむことゆゑは、身のいたづらにならむ、苦しく おぼゆまじ。しか、いちじるき罪にはあたらずとも、この院に目をそばめられたてまつらむことは、いと恐ろしく 恥づかしくおぼゆ
 帝のお妃との間に間違いを起こして、それが評判になったような時に、これほど苦しい思いをするなら、そのために死ぬことも、苦しくないことだろう。それほど、ひどい罪に当たらなくても、この院に睨まれ申すことは、まことに恐ろしく目も合わせられない気がする。
 陛下の寵姫ちょうきを盗みたてまつるようなことをしても、これほどの熱情で愛している相手であったなら、処罰を快く受けるだけで、このやましさはないはずである。そうしたとがは受けないであろうが、六条院が憎悪ぞうおの目で自分を御覧になることを想像することは非常な恐ろしい、恥ずかしいことであると衛門督は思っていた。
  Mikado no mi-me wo mo tori-ayamati te, koto no kikoye ara m ni, kabakari oboye m koto yuwe ha, mi no itadura ni nara m, kurusiku oboyu mazi. Sika, itiziruki tumi ni ha atara zu tomo, kono Win ni me wo sobame rare tatematura m koto ha, ito osorosiku hadukasiku oboyu.
7.8.5  限りなき女と聞こゆれど、すこし世づきたる心ばへ混じり、上はゆゑあり子めかしきにも、従はぬ下の心添ひたるこそ、とあることかかることにうちなびき、心交はしたまふたぐひもありけれ、これは深き心もおはせねど、ひたおもむきにもの懼ぢしたまへる御心に、ただ今しも、人の見聞きつけたらむやうに、まばゆく、恥づかしく思さるれば、明かき所にだにえゐざり出でたまはず。 いと口惜しき身なりけり と、みづから思し知るべし
 この上ない高貴な身分の女性とは申し上げても、少し夫婦馴れした所もあって、表面は優雅でおっとりしていても、心中はそうでもない所があるのは、あれやこれやの男の言葉に靡いて、情けをお交わしなさる例もあるのだが、この方は深い思慮もおありでないが、ひたすら恐がりなさるご性質なので、もう今にも誰かが見つけたり聞きつけたりしたかのように、目も上げられず、後ろめたくお思いなさるので、明るい所へいざり出なさることさえおできになれない。まことに情けないわが身の上だと、自分自身お分りになるのであろう。
 貴女きじょと言っても少し蓮葉はすっぱな心が内にあって、表面が才女らしくもあり、無邪気でもあるような見かけとは違った人は誘惑にもかかりやすく、無理な恋の会合を相手としめし合わせてすることにもなりやすいのであるが、女三にょさんみやは深さもないお心ではあるが、臆病おくびょう一方な性質から、もう秘密を人に発見されてしまったようにも恐ろしがりもし、恥じもしておいでになって、明るいほうへいざって出ることすらおできにならぬまでになっておいでになって、悲しい運命を負った自分であるともお悟りになったであろうと思われる。
  Kagirinaki womna to kikoyure do, sukosi yoduki taru kokorobahe maziri, uhe ha yuwe ari komekasiki ni mo, sitagaha nu sita no kokoro sohi taru koso, to aru koto kakaru koto ni uti-nabiki, kokoro kahasi tamahu taguhi mo ari kere, kore ha hukaki kokoro mo ohase ne do, hita-omomuki ni mono-odi si tamahe ru mi-kokoro ni, tada ima simo, hito no mi kiki tuke tara m yau ni, mabayuku, hadukasiku obosa rure ba, akaki tokoro ni dani e wizari ide tamaha zu. Ito kutiwosiki mi nari keri to, midukara obosi siru besi.
7.8.6   悩ましげになむ、とありければ、大殿聞きたまひて、 いみじく御心を尽くしたまふ御事にうち添へて、またいかにと驚かせたまひて、 渡りたまへり
 ご気分がすぐれない、とあったので、大殿はお聞きになって、たいそうお心をお尽くしになるご看病に加えて、またどうしたことかとお驚きあそばして、お渡りになった。
 宮が御病気のようであるという知らせをお受けになって、六条院は、はなはだしく悲しんでおいでになる夫人の病気のほかに、またそうした心痛すべきことが起こったかと驚いて見舞いにおいでになった
  Nayamasige ni nam, to ari kere ba, Otodo kiki tamahi te, imiziku mi-kokoro wo tukusi tamahu ohom-koto ni uti-sohe te, mata ikani to nageka se tamahi te, watari tamahe ri.
7.8.7  そこはかと苦しげなることも見えたまはず、いといたく恥ぢらひしめりて、さやかにも見合はせたてまつりたまはぬを、「久しくなりぬる絶え間を恨めしく思すにや」と、いとほしくて、 かの御心地のさまなど聞こえたまひて、
 どこそこと苦しそうな事もお見えにならず、とてもひどく恥ずかしがり沈み込んで、まともにお顔をお合わせ申されないのを、「長くなった絶え間を恨めしくお思いになっていらっしゃるのか」と、お気の毒に思って、あちらのご病状などをお話し申し上げなさって、
 が、宮は別にどこがお悪いというふうにも見えなかった。ただ非常に恥ずかしそうにして、そしてめいっておいでになった。院のお目を避けるようにばかりして、下を向いておいでになるのを、久しくたずねなかった自分を恨めしく思っているのであろうと、院のお目にそれがあわれにも、いたいたしいようにも映って、紫夫人の容体などをお話しになり、
  Sokohaka to kurusige naru koto mo miye tamaha zu, ito itaku hadirahi simeri te, sayaka ni mo mi ahase tatematuri tamaha nu wo, "Hisasiku nari nuru tayema wo uramesiku obosu ni ya?" to, itohosiku te, kano mi-kokoti no sama nado kikoye tamahi te,
7.8.8  「 今はのとぢめにもこそあれ。今さらにおろかなるさまを見えおかれじとてなむ。いはけなかりしほどより扱ひそめて、見放ちがたければ、かう月ごろよろづを知らぬさまに過ぐしはべるぞ。おのづから、このほど過ぎば、見直したまひてむ」
 「もう最期かも知れません。今になって薄情な態度だと思われまいと思いましてね。幼いころからお世話して来て、放って置けないので、このように幾月も何もかもうち忘れて看病して来たのですよ。いつか、この時期が過ぎたら、きっとお見直し頂けるでしょう」
 「もうだめになるのでしょう。最後になって冷淡に思わせてやりたくないと考えるものですから付いていっているのですよ。少女時代から始終そばに置いて世話をした妻ですから、捨てておけない気もして、こんなに幾月もほかのことは放擲ほうてきしたふうで付ききりで看護もしていますが、またその時期が来ればあなたによく思ってもらえる私になるでしょう」
  "Imaha no todime ni mo koso are. Imasara ni oroka naru sama wo miye oka re zi tote nam. Ihakenakari si hodo yori atukahi some te, mihanati gatakere ba, kau tukigoro yorodu wo sira nu sama ni sugusi haberu zo. Onodukara, kono hodo sugi ba, minahosi tamahi te m."
7.8.9  など聞こえたまふ。かくけしきも知りたまはぬも、 いとほしく心苦しく思されて、宮は人知れず涙ぐましく思さる。
 などと申し上げなさる。このようにお気づきでないのも、お気の毒にも心苦しくもお思いになって、宮は人知れずつい涙が込み上げてくる。
 などとお言いになるのを、宮は聞いておいでになって、あの罪はぶりにもご存じないことを、お気の毒なことのようにも、済まないことのようにもお思いになって、人知れず泣きたい気持ちでおいでになった。
  nado kikoye tamahu. Kaku kesiki mo siri tamaha nu mo, itohosiku kokorogurusiku obosa re te, Miya ha hito sire zu namidagumasiku obosa ru.
注釈597女宮の御もとにも参うでたまはで大殿へぞ忍びておはしぬる柏木の正室女二の宮邸へは行かず、父の大殿邸にこっそりと帰る。7.8.1
注釈598さてもいみじき以下「まばゆくなりぬれ」まで、柏木の心中。罪におののく。7.8.2
注釈599世にあらむことこそまばゆくなりぬれ『集成』は「胸を張ってこの世に生きてゆくこともできなくなってしまった」。『完訳』は「まともな顔をしてこの世に生きてはいられなくなった」と訳す。7.8.2
注釈600女の御ためは明融臨模本は「ためは」とある。大島本は「御ためは」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「御ためは」と「御」を補訂する。『新大系』は底本(大島本)のままとする。以下、柏木に即した叙述。途中から徐々に間接的叙述から直接的叙述、柏木の心中文的表現になり再び間接的叙述に戻る。7.8.3
注釈601帝の御妻をも取り過ちてこのあたりから柏木の心中文的様相をおびてくる。7.8.4
注釈602かばかりおぼえむことゆゑは「おぼゆ」の内容について、『集成』は「これほど不埒なと思われることのためなら」。『完訳』は「今の自分のように苦しい思いを味わわせられるのだったら」と訳す。7.8.4
注釈603おぼゆまじ主体は柏木。打消推量の助動詞「まじ」意志の打消は、柏木自身のもの。7.8.4
注釈604恥づかしくおぼゆ柏木の心中を地の文に韜晦させた表現。7.8.4
注釈605いと口惜しき身なりけり女三の宮の心中。7.8.5
注釈606とみづから思し知るべし語り手の挿入句。宮の心中を推測。7.8.5
注釈607悩ましげになむ源氏のもとに伝えられた使者の詞。7.8.6
注釈608いみじく御心を尽くしたまふ御事紫の上の看病をさす。7.8.6
注釈609渡りたまへり二条院から六条院へ。7.8.6
注釈610かの御心地のさま紫の上の病状をさす。7.8.7
注釈611今はのとぢめにもこそあれ以下「見直したまひてむ」まで、源氏の詞。「もこそあれ」係結び。懸念の意。7.8.8
注釈612いとほしく心苦しく思されて「れ」自発の助動詞。下文の「おぼさる」の「る」も同じ。『集成』は「申しわけなくつらく」。『完訳』は「宮はおいたわしくも申し訳なくもお思いになって」と訳す。7.8.9
出典24 夢のさだかに合はむ むばたまの闇の現はさだかなる夢にいくらもまさらざりけり 古今集恋三-六四七 読人知らず 7.8.1
校訂31 身かな 身かな--みかなき(き/$) 7.8.2
校訂32 御ため 御ため--*ため 7.8.3
7.9
第九段 柏木と女二の宮の夫婦仲


7-9  Kashiwagi and Omna-Ni-no-Miya's married life

7.9.1   督の君は、まして、なかなかなる心地のみまさりて、起き臥し明かし暮らしわびたまふ。祭の日などは、物見に争ひ行く君達かき連れ来て言ひそそのかせど、悩ましげにもてなして、眺め臥したまへり。
 督の君は、宮以上に、かえって苦しさがまさって、寝ても起きても明けても暮れても日を暮らしかねていらっしゃる。祭の日などは、見物に先を争って行く公達が連れ立って誘うが、悩ましそうにして物思いに沈んで横になっていらっしゃった。
 衛門督の恋はあのことがあって以来、ますますつのるばかりで、はげしい煩悶はんもんを日夜していた。賀茂祭りの日などは見物に出る公達きんだちがおおぜいで来て誘い出そうとするのであったが、病気であるように見せて寝室を出ずに物思いを続けていた。
  Kam-no-Kimi ha, masite, nakanaka naru kokoti nomi masari te, okihusi akasi kurasi wabi tamahu. Maturi no hi nado ha, monomi ni arasohi yuku Kimdati kaki-ture ki te ihi sosonokase do, nayamasige ni motenasi te, nagame husi tamahe ri.
7.9.2  女宮をば、かしこまりおきたるさまにもてなしきこえて、をさをさうちとけても見えたてまつりたまはず、 わが方に離れゐて、いとつれづれに心細く眺めゐたまへるに、童べの持たる葵を見たまひて、
 女宮を、丁重にお扱い申しているが、親しくお逢い申されることもほとんどなさらず、ご自分の部屋に離れて、とても所在なさそうに心細く物思いに耽っていらっしゃるところに、女童が持っている葵を御覧になって、
 夫人の女二にょにみやには敬意を払うふうに見せながらも、打ち解けた良人おっとらしい愛は見せないのである。督は夫人の宮のそばでつれづれな時間をつぶしながらも心細く世の中を思っているのであった。童女が持っているあおいを見て、
  Womnamiya wo ba, kasikomari oki taru sama ni motenasi kikoye te, wosawosa utitoke te mo miye tatematuri tamaha zu, waga kata ni hanare wi te, ito turedure ni kokorobosoku nagame wi tamahe ru ni, warahabe no mo' taru ahuhi wo mi tamahi te,
7.9.3  「 悔しくぞ摘み犯しける葵草
   神の許せるかざしならぬに
 「悔しい事に罪を犯してしまったことよ
  神が許した仲ではないのに
  くやしくもつみをかしけるあふひ
    "Kuyasiku zo tumi wokasi keru ahuhi gusa
    Kami no yuruse ru kazasi nara nu ni
7.9.4  と思ふも、いとなかなかなり。
 と思うにつけても、まことになまじ逢わないほうがましな思いである。
  神の許せる挿頭かざしならぬに
 こんな歌が口ずさまれた。後悔とともに恋の炎はますます立ちぼるようなわけである。
  to omohu mo, ito nakanaka nari.
7.9.5  世の中静かならぬ車の音などを、よそのことに聞きて、人やりならぬつれづれに、暮らしがたくおぼゆ。
 世間のにぎやかな車の音などを、他人事のように聞いて、我から招いた物思いに、一日が長く思われる。
 町々から聞こえてくる見物車の音も遠い世界のことのように聞きながら、退屈に苦しんでもいるのであった。
  Yononaka siduka nara nu kuruma no oto nado wo, yoso no koto ni kiki te, hitoyari nara nu turedure ni, kurasi gataku oboyu.
7.9.6   女宮も、かかるけしきのすさまじげさも見知られたまへば、何事とは知りたまはねど、 恥づかしくめざましきに、もの思はしくぞ思されける
 女宮も、このような様子のつまらなさそうなのがお分かりになるので、どのような事情とはお分かりにならないが、気が引け心外なと思われるにつけ、面白くない思いでいられるのであった。
 女二の宮も衛門督えもんのかみの態度の誠意のなさをお感じになって、それは何がどうとはおわかりにならないのであるが、御自尊心が傷つけられているようで、物思わしくばかり思召された。
  Womnamiya mo, kakaru kesiki no susamazigesa mo misira re tamahe ba, nanigoto to ha siri tamaha ne do, hadukasiku mezamasiki ni, mono omohasiku zo obosa re keru.
7.9.7  女房など、物見に皆出でて、人少なにのどやかなれば、うち眺めて、箏の琴なつかしく弾きまさぐりておはするけはひも、 さすがにあてになまめかしけれど、「 同じくは今ひと際及ばざりける宿世よ」と、なほおぼゆ。
 女房などは、見物に皆出かけて、人少なでのんびりしているので、物思いに耽って、箏の琴をやさしく弾くともなしに弾いていらっしゃるご様子も、内親王だけあって高貴で優雅であるが、「同じ皇女を頂くなら、もう一段及ばなかった運命よ」と、今なお思われる。
 女房などは皆祭りの見物に出て人少なな昼に、寂しそうな表情をあそばして十三げんの琴を、なつかしい音にいておいでになる宮は、さすがに高貴な方らしいお美しさとえんな趣は備わってお見えになるのであるが、ただもう少しの運が足りなかったのだと衛門督は自身のことを思っていた。
  Nyoubau nado, mono-mi ni mina ide te, hitozukuna ni nodoyaka nare ba, uti-nagame te, sau-no-koto natukasiku hiki masaguri te ohasuru kehahi mo, sasuga ni ate ni namamekasikere do, "Onaziku ha ima hitokiha oyoba zari keru sukuse yo!" to, naho oboyu.
7.9.8  「 もろかづら落葉を何に拾ひけむ
   名は睦ましきかざしなれども
 「劣った落葉のような方をどうして娶ったのだろう
  同じ院のご姉妹ではあるが
  もろかづら落ち葉を何に拾ひけん
  名はむつまじき挿頭かざしなれども
    "Morokadura otiba wo nani ni hirohi kem
    na ha mutumasiki kazasi nare domo
7.9.9  と 書きすさびゐたる、いとなめげなるしりう言なりかし
 と遊び半分に書いているのは、まこと失礼な蔭口である。
 こんな歌をむだ書きにしていた。もったいないことである。
  to kaki susabi wi taru, ito namege naru siriugoto nari kasi.
注釈613督の君はまして柏木。「まして」は女三の宮に比較してそれ以上にの意。7.9.1
注釈614わが方に離れゐて自分の部屋をさす。柏木は宮の居間とは別に自分用の部屋があり、そこにばかりいることをいう。7.9.2
注釈615悔しくぞ摘み犯しける葵草--神の許せるかざしならぬに柏木の独詠歌。柏木、女三の宮との密通を罪と自覚する。「摘み犯す」と「罪犯す」。「葵」と「逢ふ日」の掛詞。『集成』は「あのお方に無理無体にお逢いするという大それたあやまちを犯して、くやまれることだ、神様が大目に見て下さる--世間に許される--挿頭(葵草)ではないのに」と訳す。7.9.3
注釈616女宮も柏木の正室女二の宮をさす。7.9.6
注釈617恥づかしくめざましきにもの思はしくぞ思されける妻として夫に疎んじられ、また皇女として誇りを傷つけられた思い。7.9.6
注釈618さすがにあてに『完訳』は「「さすがに--なほ--」と感情の起伏に注意」と注す。7.9.7
注釈619同じくは以下「宿世よ」まで、柏木の心中。7.9.7
注釈620もろかづら落葉を何に拾ひけむ--名は睦ましきかざしなれども柏木の独詠歌。「もろかづら」は葵と桂の挿頭、「かざし」は姉妹、女三の宮と二の宮の姉妹をいう。7.9.8
注釈621書きすさびゐたるいとなめげなるしりう言なりかし『一葉抄』は「双紙詞」と指摘。『集成』は「女二の宮をずいぶん馬鹿にした陰口というものだ。皇女に対して斟酌を加える意味合いもある草子地」。『完訳』は「柏木の蔑視を、語り手が評す」と注す。7.9.9
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渋谷栄一校訂(C)
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渋谷栄一注釈(C)
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渋谷栄一訳(C)(ver.1-2-2)
現代語訳
与謝野晶子
電子化
上田英代(古典総合研究所)
底本
角川文庫 全訳源氏物語
校正・
ルビ復活
門田裕志、小林繁雄(青空文庫)

2004年2月6日

渋谷栄一訳
との突合せ
若林貴幸、宮脇文経

2005年8月14日

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Written in Japanese roman letters
by Eiichi Shibuya (C)
Picture "Eiri Genji Monogatari"(1650 1st edition)
このページは再編集プログラムによって2015/1/12に出力されました。
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