第三十六帖 柏木


36 KASIHAGI (Teika-jihitsu-bon)


光る源氏の准太上天皇時代
四十八歳春一月から夏四月までの物語



Tale of Hikaru-Genji's Daijo Tenno era, from January in spring to April in summer, at the age of 48

2
第二章 女三の宮の物語 女三の宮の出家


2  Tale of Omna-Sam-no-Miya  Omna-Sam-no-Miya becmes a nun

2.1
第一段 朱雀院、夜闇に六条院へ参上


2-1  Suzaku visits to Rokujo-in in the night

2.1.1  山の帝は、めづらしき御こと平かなりと聞こし召して、あはれにゆかしう思ほすに、
 山の帝は、初めてのご出産が無事であったとお聞きあそばして、しみじみとお会いになりたくお思いになるが、
 御寺みてらの院は、珍しい出産を女三にょさんみやが無事にお済ませになったという報をお聞きになって、非常においになりたく思召したところへ、
  Yama-no-Mikado ha, medurasiki ohom-koto tahiraka nari to kikosimesi te, ahare ni yukasiu omohosu ni,
2.1.2  「かく悩みたまふよしのみあれば、いかにものしたまふべきにか」
 「このようにご病気でいらっしゃるという知らせばかりなので、どうおなりになることか」
 続いて御容体のよろしくないたよりばかりがあるために、
  "Kaku nayami tamahu yosi nomi are ba, ikani monosi tamahu beki ni ka?"
2.1.3  と、御行なひも乱れて思しけり。
 と、御勤行も乱れて御心配あそばすのであった。
 専心に仏勤めもおできにならなくなった。
  to, ohom-okonahi mo midare te obosi keri.
2.1.4  さばかり弱りたまへる人の、ものを聞こし召さで、日ごろ経たまへば、いと頼もしげなくなりたまひて、 年ごろ見たてまつらざりしほどよりも院のいと恋しくおぼえたまふを
 あれほどお弱りになった方が、何もお召し上がりにならないで、何日もお過ごしになったので、まことに頼りなくおなりになって、幾年月もお目にかからなかった時よりも、院を大変恋しく思われなさるので、
 衰弱しきった方がまた幾日も物を召し上がらないでおいでになったのであるから、いっそう頼み少なくお見えになる宮が、
  Sabakari yowari tamahe ru hito no, mono wo kikosimesa de, higoro he tamahe ba, ito tanomosige naku nari tamahi te, tosigoro mi tatematura zari si hodo yori mo, Win no ito kohisiku oboye tamahu wo,
2.1.5  「 またも見たてまつらずなりぬるにや
 「再びお目にかかれないで終わってしまうのだろうか」
 「長いことお目にかかれずに暮らしておりましたころよりも、もっともっと私はお父様が恋しくてなりませんのに、もうお目にかかれないまま死んでしまうのでしょうか」
  "Mata mo mi tatematura zu nari nuru ni ya?"
2.1.6  と、いたう泣いたまふ。 かく聞こえたまふさま、さるべき人して伝へ奏せさせたまひければ、いと堪へがたう悲しと思して、 あるまじきこととは思し召しながら、夜に隠れて出でさせたまへり。
 と、ひどくお泣きになる。このように申し上げなさるご様子、しかるべき人からお伝え申し上げさせなさったので、とても我慢できず悲しくお思いになって、あってはならないこととはお思いになりながら、夜の闇に隠れてお出ましになった。
 と言って、非常にお泣きになったので、六条院はそのことを人から法皇にお伝えさせになると、法皇は堪えがたく悲しく思召して、よろしくない行動であるとは思召しながら、人目をはばかって夜になってから六条院へにわかに御幸あそばされた。
  to, itau nai tamahu. Kaku kikoye tamahu sama, sarubeki hito site tutahe souse sase tamahi kere ba, ito tahe gatau kanasi to obosi te, arumaziki koto to ha obosimesi nagara, yo ni kakure te ide sase tamahe ri.
2.1.7  かねてさる御消息もなくて、にはかにかく渡りおはしまいたれば、主人の院、おどろきかしこまりきこえたまふ。
 前もってそのようなお手紙もなくて、急にこのようにお越しになったので、主人の院、驚いて恐縮申し上げなさる。
 御主人の院はお驚きになって、恐懼きょうくの意を表しておいでになった。
  Kanete saru ohom-seusoko mo naku te, nihakani kaku watari ohasimai tare ba, Aruzi-no-Win, odoroki kasikomari kikoye tamahu.
2.1.8  「 世の中を顧み すまじう思ひはべりしかど、なほ惑ひ覚めがたきものは、 子の道の闇になむ はべりければ、行なひも懈怠して、もし 後れ先立つ道の道理のままならで別れなば、やがてこの恨みもやかたみに残らむと、あぢきなさに、この世のそしりをば知らで、かくものしはべる」
 「世俗の事を顧みすまいと思っておりましたが、やはり煩悩を捨て切れないのは、子を思う親心の闇でございましたが、勤行も懈怠して、もしも親子の順が逆になって先立たれるようなことになったら、そのまま会わずに終わった怨みがお互いに残りはせぬかと、情けなく思われたので、世間の非難を顧みず、こうして参ったのです」
 「もうこの世のことは顧みますまいと決心していたのですが、こうなってもまだ迷うのは子を思う道のやみだけで宮が重態だと聞くと仏のお勤めも怠るばかりで恥ずかしくてなりませんが、だれが先ともあととも定まらない人の命であれば、逢いたがる子に逢ってやらずに死なせましたら、親の心残りが道の妨げになる気がするので、人間世界のそしりも無視して出て来たのです」
  "Yononaka wo kaherimi su maziu omohi haberi sika do, naho madohi same gataki mono ha, ko no miti no yami ni nam haberi kere ba, okonahi mo ketai si te, mosi okure sakidatu miti no dauri no mama nara de wakare na ba, yagate kono urami mo ya katami ni nokora m to, adikinasa ni, konoyo no sosiri wo ba sira de, kaku monosi haberu."
2.1.9  と聞こえたまふ。御容貌、異にても、なまめかしうなつかしきさまに、うち忍びやつれたまひて、うるはしき御法服ならず、墨染の御姿、あらまほしうきよらなるも、うらやましく見たてまつりたまふ。例の、まづ涙落としたまふ。
 とお申し上げになる。御姿、僧形であるが、優雅で親しみやすいお姿で、目立たないように質素な身なりをなさって、正式な法服ではなく、墨染の御法服姿で、申し分なく素晴らしいのにつけても、羨ましく拝見なさる。例によって、まっさきに涙がこぼれなさる。
 法皇はこう仰せられた。御僧形ではあるがえんなところがなお残ってなつかしいお姿にたいそうな御法服などは召さずに墨染め衣の簡単なのを御身にお着けあそばされたのがことに感じよくお美しいのを、院はうらやましく拝見されて、例のようにまず落涙をあそばされた。
  to kikoye tamahu. Ohom-katati, koto nite mo, namamekasiu natukasiki sama ni, uti-sinobi yature tamahi te, uruhasiki ohom-hohubuku nara zu, sumizome no ohom-sugata, aramahosiu kiyora naru mo, urayamasiku mi tatematuri tamahu. Rei no, madu namida otosi tamahu.
2.1.10  「 患ひたまふ御さま、ことなる御悩みにもはべらず。ただ月ごろ弱りたまへる御ありさまに、はかばかしう物なども参らぬ積もりにや、かくものしたまふにこそ」
 「患っていらっしゃるご様子、特別どうというご病気ではありません。ただここ数月お弱りになったご様子で、きちんとお食事なども召し上がらない日が続いたせいか、このようなことでいらっしゃるのです」
 「御容体は何という名のある病気ではないのでございますが、今まで衰弱がはなはだしゅうございましたところへ、お食慾のないことが重態に導いたのでございます」
  "Wadurahi tamahu ohom-sama, koto naru ohom-nayami ni mo habera zu. Tada tuki-goro yowari tamahe ru ohom-arisama ni, hakabakasiu mono nado mo mawira nu tumori ni ya, kaku monosi tamahu ni koso."
2.1.11  など聞こえたまふ。
 などと申し上げなさる。
 などと六条院はお話しになって、
  nado kikoye tamahu.
注釈115年ごろ見たてまつらざりしほどよりも『集成』は「宮は源氏に嫁して七年、父院との対面がなかったが、昨年暮れの御賀でお会いして、恋しさがかえってつのるという気持」と注す。2.1.4
注釈116院のいと恋しくおぼえたまふを『集成』は「「たまふ」は、院に対する敬語」「父院がとても恋しく思われなさるのに」。『完訳』は「宮は、対面後かえって父院が。一説には、「おぼえたまふ」の主語を院と解し、前の「年ごろ」以下を宮の言葉とする」と注す。2.1.4
注釈117またも見たてまつらずなりぬるにや女三の宮の心中。2.1.5
注釈118かく聞こえたまふさま『完訳』は「「かく」は前行「またも--なりぬるにや」の内容か。一説には、出家を訴えたこと」と注す。2.1.6
注釈119あるまじきこととは思し召しながら出家の身でありながら親子の情の執着に引かれることをいう。2.1.6
注釈120世の中を以下「ものしはべる」まで、朱雀院の詞。2.1.8
注釈121子の道の闇になむ大島本、朱合点。『異本紫明抄』は「人の親の心は闇にあらねども子を思ふ道に惑ひぬるかな」(後撰集雑一、一一〇二、兼輔朝臣)を指摘し、現行の注釈書でも指摘する。2.1.8
注釈122後れ先立つ道の道理『異本紫明抄』は「末の露もとの雫や後れ先立つためしなるらむ」(古今六帖、露・和漢朗詠集、無常、良僧正)を指摘。2.1.8
注釈123患ひたまふ御さま以下「かくものしたまふ」まで、源氏の詞。女三の宮の容態をさしていう。2.1.10
出典6 子の道の闇 人の親の心は闇にあらねども子を思ふ道に惑ひぬるかな 後撰集雑一-一一〇二 藤原兼輔 2.1.8
校訂6 すまじう すまじう--すまし(し/+う) 2.1.8
2.2
第二段 朱雀院、女三の宮の希望を入れる


2-2  Suzaku accepts Omna-Sam-no-Miya's desire for a nun

2.2.1  「 かたはらいたき御座なれども」
 「はなはだ恐縮な御座所ではありますが」
 「失礼な場所でございますが」
  "Kataharaitaki o-masi nare do mo."
2.2.2  とて、御帳の前に、御茵参りて入れたてまつりたまふ。宮をも、とかう人びと繕ひきこえて、 床のしもに下ろしたてまつる。御几帳すこし押しやらせたまひて、
 と言って、御帳台の前に、御褥を差し上げてお入れ申し上げなさる。宮を、あれこれと女房たちが身なりをお整い申して、浜床の下方にお下ろし申し上げる。御几帳を少し押し除けさせなさって、
 と、宮のおやすみになった帳台の前へお敷き物の座を作って法皇を御案内された。宮を女房たちがいろいろとお引き繕いして御介抱をしながら、宮をもお床の下へお降ろしした。法皇は間の几帳きちょうを少し横へお押しになって、
  tote, mi-tyau no mahe ni, ohom-sitone mawiri te ire tatematuri tamahu. Miya wo mo, tokau hitobito tukurohi kikoye te, yuka no simo ni orosi tatematuru. Mi-kityau sukosi osi-yara se tamahi te,
2.2.3  「 夜居加持僧などの心地 すれど、まだ験つくばかりの行なひにもあらねば、かたはらいたけれど、ただおぼつかなく おぼえたまふらむさまを、さながら見たまふべきなり」
 「夜居の加持僧などのような気がするが、まだ効験が現れるほどの修業もしていないので、恥ずかしいけれど、ただお会いしたく思っていらっしゃるわたしの姿を、そのままとくと御覧になるがよい」
 「夜居の加持かじの僧のような気はしても、まだ効験を現わすだけの修行ができていないから恥ずかしいが、逢いたがっておいでになった顔をそこでよく見るがいい」
  "Yowi kadisou nado no kokoti sure do, mada gen tuku bakari no okonahi ni mo ara ne ba, kataharaitakere do, tada obotukanaku oboye tamahu ram sama wo, sanagara mi tamahu beki nari."
2.2.4  とて、御目おし拭はせたまふ。宮も、いと弱げに泣いたまひて、
 とおっしゃって、お目をお拭いあそばす。宮も、とても弱々しくお泣きになって、
 と法皇は仰せられて目をおふきになった。宮も弱々しくお泣きになって、
  tote, ohom-me osi-nogoha se tamahu. Miya mo, ito yowage ni nai tamahi te,
2.2.5  「 生くべうもおぼえはべらぬを、かくおはしまいたるついでに、尼になさせたまひてよ」
 「生き永らえそうにも思われませんので、このようにお越しになった機会に、尼になさって下さいませ」
 「私の命はもう助かるとは思えないのでございますから、おいでくださいましたこの機会に私を尼にあそばしてくださいませ」
  "Iku beu mo oboye habera nu wo, kaku ohasimai taru tuide ni, ama ni nasa se tamahi te yo."
2.2.6  と聞こえたまふ。
 と申し上げなさる。
 こうお言いになるのであった。
  to kikoye tamahu.
2.2.7  「 さる御本意あらば、いと尊きことなるを、さすがに、限らぬ命のほどにて、行く末遠き人は、かへりてことの乱れあり、世の人に誹らるるやう ありぬべき
 「そのようなご希望があるならば、まことに尊いことであるが、そうはいえ、人の寿命は分からないものゆえ、生き先長い人は、かえって後で間違いを起こして、世間の非難を受けるようなことになりかねないだろう」
 「その志は結構だが、命は予測することを許されないものだから、あなたのような若い人は今後長く生きているうちに、迷いが起こって、世間の人にそしられるようなことにならぬとは限らない。慎重に考えてからのことにしては」
  "Saru ohom-ho'i ara ba, ito tahutoki koto naru wo, sasuga ni, kagira nu inoti no hodo nite, yukusuwe tohoki hito ha, kaheri te koto no midare ari, yo no hito ni sosira ruru yau ari nu beki."
2.2.8  などのたまはせて、大殿の君に、
 などと仰せられて、大殿の君に、
 などと法皇はお言いになって、六条院に、
  nado notamaha se te, Otodo-no-Kimi ni,
2.2.9  「 かくなむ進みのたまふを、今は限りのさまならば、片時のほどにても、その助けあるべきさまにてとなむ、思ひたまふる」
 「このように自分から進んでおっしゃるので、もうこれが最期の様子ならば、ちょっとの間でも、その功徳があるようにして上げたい、と存じます」
 「こう進んで言いますが、すでに危篤な場合とすれば、しばらくもその志を実現させることによって仏の冥助みょうじょを得させたいと私は思う」
  "Kaku nam susumi notamahu wo, ima ha kagiri no sama nara ba, katatoki no hodo nite mo, sono tasuke aru beki sama nite to nam, omohi tamahuru."
2.2.10  とのたまへば、
 と仰せになるので、
 と仰せられた。
  to notamahe ba,
2.2.11  「 日ごろもかくなむのたまへど、邪気などの、人の心たぶろかして、 かかる方にて進むるやうもはべなるをとて、聞きも入れはべらぬなり」
 「この日頃もそのようにおっしゃいますが、物の怪などが、宮のお心を惑わして、このような方面に勧めるようなこともございますこととて、お聞き入れ致さないのです」
 「この間からそのことをよくお話しになるのですが、物怪もののけが人の心をたぶらかして、そんなふうのことを勧めるのでしょうと申して私は御同意をしないのでございます」
  "Higoro mo kaku nam notamahe do, zake nado no, hito no kokoro taburokasi te, kakaru kata nite susumuru yau mo habe' naru wo tote, kiki mo ire habera nu nari."
2.2.12  と聞こえたまふ。
 とお申し上げになる。

  to kikoye tamahu.
2.2.13  「 もののけの教へにても、それに負けぬとて、悪しかるべきことならばこそ憚らめ、弱りにたる人の、限りとてものし たまはむことを、聞き 過ぐさむは、後の悔い心苦しうや」
 「物の怪の教えであっても、それに負けたからといって、悪いことになるのならば控えねばならないが、衰弱した人が、最期と思って願っていらっしゃるのを、聞き過ごすのは、後々になって悔やまれ辛い思いをするのではないか」
 「物怪の勧めでそれを行なうと言っても、悪いことはとめなければなりませんが、衰弱してしまった人が最後の希望として言っていることを無視しては、後悔することがあるかもしれぬと私は思う」
  "Mononoke no wosihe nite mo, sore ni make nu tote, asikaru beki koto nara ba koso habakara me, yowari ni taru hito no, kagiri tote monosi tamaha m koto wo, kiki sugusa m ha, noti no kuyi kokorogurusiu ya!"
2.2.14  とのたまふ。
 と仰せになる。
 法皇の仰せはこうであった。
  to notamahu.
注釈124かたはらいたき御座なれど源氏の詞。朱雀院を女三の宮の病床近くに招き入れる。2.2.1
注釈125床のしもに御帳台の下の浜床に。2.2.2
注釈126夜居加持僧などの以下「さながら見たまふべきなり」まで、朱雀院の詞。2.2.3
注釈127おぼえたまふらむ主語は女三の宮。2.2.3
注釈128生くべうも以下「尼になさせたまひてよ」まで、女三の宮の詞。僧形姿の父に出家の受戒を懇願。2.2.5
注釈129さる御本意あらば以下「やうありぬべき」まで、朱雀院の詞。2.2.7
注釈130ありぬべき--など定家筆本と明融臨模本は「ありぬへきなと」とある。大島本は「ありぬへきなんと」とある。『集成』と『新大系』はそれぞれ底本のまま「…ありうべき」など」「…ありぬべき」なんど」とする。『完本』は諸本に従って「…ありぬべきことになん、なほ憚りぬべき」など」と「ことになんなほ憚りぬべき」を補訂する。2.2.7
注釈131かくなむ進み以下「となむ思ひたまふる」まで、朱雀院の詞。2.2.9
注釈132日ごろもかく以下「聞きも入れはべらぬなり」まで、源氏の詞。2.2.11
注釈133かかる方にて定家筆本と明融臨模本、大島本は「かゝるかたにて」とある。『集成』と『新大系』はそれぞれ底本のままとする。『完本』は諸本に従って「かかる方に」と「て」を削除する。2.2.11
注釈134もののけの以下「心苦しうや」まで、朱雀院の詞。2.2.13
校訂7 すれど すれど--すれ△(△/#と)も 2.2.3
校訂8 たまはむ たまはむ--た(た/$)給はむ 2.2.13
校訂9 過ぐさむは 過ぐさむは--すくさむい(い/#は) 2.2.13
2.3
第三段 源氏、女三の宮の出家に狼狽


2-3  Genji flusters himself by Omna-Sam-no-Miya's expression to be a nun

2.3.1  御心の内、 限りなううしろやすく譲りおきし御ことを、受けとりたまひて、さしも心ざし深からず、わが思ふやうにはあらぬ御けしきを、ことに触れつつ、年ごろ聞こし召し思しつめけること、色に出でて恨みきこえたまふべきにもあらねば、 世の人の思ひ言ふらむところも口惜しう思しわたるに、
 御心中、この上なく安心に思ってお任せ申した姫宮の御ことを、お引き受けなさったが、それほど愛情も深くなく、自分の思っていたのとは違ったご様子を、何かにつけて、ここ幾年もお聞きあそばして積もりに積もったご不満、顔色に現してお恨み申し上げなさるべきことでもないので、世間の人が想像したり噂したりすることも残念にお思い続けていられたので、
 お心のうちでは限りもない信頼をもって託しておいた内親王を妻にしてからのこの院の愛情に飽き足らぬところのあるのを何かの場合によく自分は聞いていたが、恨みを自分から言い出すこともできぬ問題であって、しかも世間に取り沙汰されるのも忍ばねばならぬことを始終残念に思っているのであるから、
  Mi-kokoro no uti, kagirinau usiroyasuku yuduri oki si ohom-koto wo, uketori tamahi te, sasimo kokorozasi hukakara zu, waga omohu yau ni ha ara nu mi-kesiki wo, koto ni hure tutu, tosigoro kikosimesi obosi tume keru koto, iro ni ide te urami kikoye tamahu beki ni mo ara ne ba, yo no hito no omohi ihu ram tokoro mo kutiwosiu obosi wataru ni,
2.3.2  「 かかる折に、もて離れなむも、何かは、 人笑へに、世を恨みたるけしきならで、さもあらざらむ。おほかたの後見には、なほ頼まれぬべき御おきてなるを、ただ預けおきたてまつりししるしには思ひなして、憎げに背くさまにはあらずとも、御処分に 広くおもしろき宮賜はりたまへるを繕ひて住ませたてまつらむ
 「このような機会に、出家するのが、どうしてか、物笑いになるような、夫婦仲を恨んでのことのようでなく、それで不都合があろうか。一通りのお世話は、やはり頼りになれそうなお気持ちであるから、ただそれだけをお預け申し上げた甲斐と思うことにして、面当てつけがましく出家した恰好ではなくとも、ご遺産に広くて美しい宮邸をご伝領なさっていたのを、修繕してお住ませ申そう。
 この機会に決断して尼にさせてしまうとしても、良人おっとに捨てられたのだと、世間から嘲罵ちょうばされるわけのものではない。少しも遠慮はいらぬ。現在において宮の望みは遂げさせなくてはならない、夫婦関係の解消したのちに、単に兄の子として保護してくれる好意はあるはずであるから、せめてそれだけを自分から寄託された最後の義務に負ってもらうことにして反抗的にここを出て行くふうでなくして、自分からかつて宮に分配した財産のうちに広くてりっぱな邸宅もあるのであるから、そこを修繕して住ませよう、
  "Kakaru wori ni, mote-hanare na m mo, nanikaha, hitowarahe ni, yo wo urami taru kesiki nara de, samo ara zara m? Ohokata no usiromi ni ha, naho tanoma re nu beki ohom-okite naru wo, tada aduke oki tatematuri si sirusi ni ha omohi nasi te, nikuge ni somuku sama ni ha ara zu tomo, ohom-soubun ni hiroku omosiroki miya tamahari tamahe ru wo, tukurohi te suma se tatematura m.
2.3.3   わがおはします世に、さる方にても、うしろめたからず聞きおき、またかの大殿も、さいふとも、いとおろかにはよも思ひ放ちたまはじ、その 心ばへをも見果てむ」
 自分の生きている間に、そのようにしてでも、不安がないようにしておき、またあの大殿も、そうは言っても、冷淡には決してお見捨てなさるまい。その気持ちも見届けよう」
 自分がまだ生きておられるうちにそれらの処置を皆しておくことにしたい。この院も妻としては冷ややかに見ても、今からの宮を不人情に放ってはおくまい。自分はその態度を見きわめておく必要がある
  Waga ohasimasu yo ni, saru kata nite mo, usirometakara zu kiki oki, mata kano Otodo mo, sa ihu tomo, ito oroka ni ha yo mo omohi hanati tamaha zi, sono kokorobahe wo mo mi hate m."
2.3.4  と思ほし取りて、
 とお考え決めなさって、
 と思召して、
  to omohosi tori te,
2.3.5  「 さらば、かくものしたるついでに、忌むこと受け たまはむをだに、結縁にせむかし」
 「それでは、このように参った機会に、せめて出家の戒をお受けになることだけでもして、仏縁を結ぶことにしよう」
 「では私がこちらへ来たついでにあなたの授戒を実行させることにして、それを私は御仏みほとけから義務の一つを果たしたことと見ていただくことにする」
  "Saraba, kaku monosi taru tuide ni, imu koto uke tamaha m wo dani, ketien ni se m kasi."
2.3.6  とのたまはす。
 と仰せになる。
 と仰せられた。
  to notamaha su.
2.3.7  大殿の君、 憂しと思す方も忘れて、こはいかなるべきことぞと、悲しく口惜しければ、え堪へたまはず、内に 入りて
 大殿の君、厭わしいとお思いになる事も忘れて、これはどうなることかと、悲しく残念でもあったので、堪えることがおできになれず、御几帳の中に入って、
 六条院は遺憾にお思いになった宮の御過失のこともお忘れになって、なんとなることかと心をお騒がせになって、悲しみにお堪えにならずに、几帳の中へおはいりになって、
  Otodo-no-Kimi, usi to obosu kata mo wasure te, ko ha ikanaru beki koto zo to, kanasiku kutiwosi kere ba, e tahe tamaha zu, uti ni iri te,
2.3.8  「 などか、いくばくもはべるまじき身をふり捨てて、かうは思しなりにける。なほ、しばし心を静めたまひて、御湯参り、物 などをも聞こし召せ。尊きことなりとも、御身弱うては、行なひもしたまひてむや。かつは、つくろひたまひてこそ」
 「どうしてか、そう長くはないわたしを捨てて、そのようにお考えになったのですか。やはり、もう暫く心を落ち着けなさって、御薬湯を上がり、食べ物を召し上がりなさい。尊い事ではあるが、お身体が弱くては、勤行もおできになれようか。ともかくも、養生なさってから」
 「なぜそういうことをなさろうというのですか。もう長くも生きていない老いた良人おっとをお捨てになって、尼になどなる気になぜおなりになったのですか。もうしばらく気を静めて、湯をお飲みになったり、物を召し上がったりすることに努力なさい。出家をすることは尊いことでも、身体からだが弱ければ仏勤めもよくできないではありませんか。ともかくも病気の回復をお計りになった上でのことになさい」
  "Nadoka, ikubaku mo haberu maziki mi wo huri-sute te, kau ha obosi nari ni keru? Naho, sibasi kokoro wo sidume tamahi te, ohom-yu mawiri, mono nado wo mo kikosimese. Tahutoki koto nari tomo, ohom-mi yowau te ha, okonahi mo si tamahi te m ya? Katu ha, tukurohi tamahi te koso."
2.3.9  と聞こえたまへど、頭ふりて、いとつらうのたまふと思したり。 つれなくて、恨めしと思すこともありけるにやと見たてまつりたまふに、いとほしうあはれなり。とかく聞こえ 返さひ、思しやすらふほどに、夜明け方になりぬ。
 と申し上げなさるが、頭を振って、とても辛いことをおっしゃると思っておいでである。表面ではさりげなく振る舞っているが、心中恨めしいとお思いになっていらしたことがあったのかと拝見なさると、不憫でおいたわしい。あれやこれやと反対を申して、ためらっていらっしゃるうちに、夜明け近くなってしまいまった。
 とお話しになるのであるが、宮はかしらをお振りになって、おとめになるのを恨めしくお思いになるふうであった。何もお言いにはならなかったが、自分を恨めしくお思いになったこともあるのではないかとお気がつくと、かわいそうでならない気があそばされたのであった。いろいろと宮の御意志をひるがえさせようと院が言葉を尽くしておいでになるうちに夜明け方になった。
  to kikoye tamahe do, kasira huri te, ito turau notamahu to obosi tari. Turenaku te, uramesi to obosu koto mo ari keru ni ya to mi tatematuri tamahu ni, itohosiu ahare nari. Tokaku kikoye kahesahi, obosi yasurahu hodo ni, yo ake-gata ni nari nu.
注釈135限りなう以下「その心ばへをも見果てむ」まで、朱雀院の心中に即した文章。2.3.1
注釈136世の人の思ひ言ふらむところも源氏と女三の宮の結婚について。2.3.1
注釈137かかる折にもて離れなむも『完訳』は「どうせ離れるのなら、重病の現在出家するのが最良、の気持」と注す。2.3.2
注釈138人笑へに『完訳』は「健康の身で出家しては、世間の物笑いにもなり、源氏を恨んで行為ともみられようが、の気持」と注す。2.3.2
注釈139広くおもしろき宮賜はりたまへるを三条宮(院)をさす。『集成』は「女三の宮が朱雀院から」。『完訳』は「父桐壺院からの伝領」と注す。2.3.2
注釈140繕ひて住ませたてまつらむ朱雀院は女三の宮を六条院から三条宮に引き取って別居させようとする。2.3.2
注釈141わがおはします世に『集成』は「「おはします」は、筆者の朱雀院に対する敬意が文面に現れたもの」と注す。2.3.3
注釈142さらばかく以下「結縁にせむかし」まで、朱雀院の詞。2.3.5
注釈143憂しと思す方も忘れて柏木と女三の宮の密通事件をさす。かつて六条御息所の生霊事件も源氏にとって「憂し」とあった。2.3.7
注釈144などかいくばくも明融臨模本、付箋「いく世しもあらしわか身をなそもかくあまのかるもに思みたるゝ」(古今集雑下、九三四、読人しらず)。大島本、行間書入れ「古今 いく世しもあらし我身をなそもかく海人のかるもに思みたるゝ」とある。古注では『河海抄』が指摘する。現行の注釈書では指摘されない。以下「つくろひたまひてこそ」まで、源氏から女三の宮への詞。2.3.8
注釈145つれなくて以下「ありけるにや」まで、源氏の心中を間接的に叙述。『集成』は「宮の思い詰めた様子に、源氏も悔恨に似た思いを抱く」と注す。2.3.9
校訂10 心ばへをも 心ばへをも--心はへ(へ/+を)も 2.3.3
校訂11 たまはむ たまはむ--給はら(ら/$)む 2.3.5
校訂12 入りて 入りて--ま(ま/$)いりて 2.3.7
校訂13 などをも などをも--なと(と/+を)も 2.3.8
校訂14 返さひ 返さひ--*かへさむ 2.3.9
2.4
第四段 朱雀院、夜明け方に山へ帰る


2-4  Suzaku comes back to temple at dawn

2.4.1  帰り入らむに、道も昼ははしたなかるべしと急がせたまひて、御祈りにさぶらふ中に、やむごとなう尊き限り召し入れて、御髪下ろさせたまふ。いと盛りにきよらなる御髪を削ぎ捨てて、忌むこと受けたまふ作法、悲しう口惜しければ、大殿はえ忍びあへたまはず、いみじう泣いたまふ。
 山に帰って行くのに、道中が昼間では不体裁であろうとお急がせあそばして、御祈祷に伺候している中で、位が高く有徳の僧だけを召し入れて、お髪を下ろさせなさる。まことに女盛りで美しいお髪を削ぎ落として、戒をお受けになる儀式、悲しく残念なので、大殿は堪えることがおできになれず、ひどくお泣きになる。
 御寺みてらへお帰りになるのが明るくなってからでは見苦しいと法皇はお急ぎになって、祈祷きとうのために侍している僧の中から尊敬してよい人格者ばかりをお選びになり、産室うぶやへお呼びになって、宮のおぐしを切ることをお命じになった。若い盛りの美しいおぐしを切って仏のかいをお受けになる光景は悲しいものであった。残念に思召して六条院は非常にお泣きになった。
  Kaheri ira m ni, miti mo hiru ha hasitanakaru besi to isoga se tamahi te, ohom-inori ni saburahu naka ni, yamgotonau tahutoki kagiri mesi ire te, mi-gusi orosa se tamahu. Ito sakari ni kiyora naru mi-gusi wo sogi sute te, imu koto uke tamahu sahohu, kanasiu kutiwosikere ba, Otodo ha e sinobi ahe tamaha zu, imiziu nai tamahu.
2.4.2  院はた、もとより取り分きてやむごとなう、 人よりもすぐれて見たてまつらむと思ししを、この世には甲斐なきやうにないたてまつるも、飽かず悲しければ、うちしほたれたまふ。
 院は院で、もとから特別大切に、誰よりも幸福にしてさし上げたいとお思いになっていたのだが、この世ではその甲斐もないようにおさせ申し上げるのも、どんなに考えても悲しいので、涙ぐみなさる。
 また法皇におかせられては、御子の中でもとりわけお大事に思召された内親王で、だれよりも幸福な生涯しょうがいを得させたいとお思いあそばされた方を、未来の世は別としてこの世でははかない姿にお変えさせになったことでしおれておいでになって、
  Win hata, motoyori toriwaki te yamgotonau, hito yori mo sugure te mi tatematura m to obosi si wo, konoyo ni ha kahinaki yau ni nai tatematuru mo, aka zu kanasikere ba, uti-sihotare tamahu.
2.4.3  「 かくても、平かにて、 同じうは念誦をも勤めたまへ」
 「こうした姿にしたが、健康になって、同じことなら念仏誦経をもお勤めなさい」
 「たとえこうおなりになっても、健康が回復すればそれを幸福にお思いになって、できれば念誦ねんずだけでもよくお唱えしているようになさい」
  "Kakute mo, tahiraka nite, onaziu ha nenzu wo mo tutome tamahe."
2.4.4  と聞こえ置きたまひて、明け果てぬるに、急ぎて出でさせたまひぬ。
 と申し上げなさって、夜が明けてしまうので、急いでお帰りになった。
 とお言いになった院は、まだ暗いうちに六条院をお去りになることにあそばされた。
  to kikoye oki tamahi te, ake hate nuru ni, isogi te ide sase tamahi nu.
2.4.5  宮は、なほ弱う消え入るやうにしたまひて、はかばかしうもえ見たてまつらず、ものなども聞こえたまはず。大殿も、
 宮は、今も弱々しく息も絶えそうでいらっしゃって、はっきりともお顔も拝見なさらず、ご挨拶も申し上げなさらない。大殿も、
 宮は今もなおお命がおぼつかない御様子で、はかばかしく御父法皇を目送あそばすこともおできにならず、ものもお言われにならなかった。
  Miya ha, naho yowau kiye iru yau ni si tamahi te, hakabakasiu mo e mi tatematura zu, mono nado mo kikoye tamaha zu. Otodo mo,
2.4.6  「 夢のやうに思ひたまへ乱るる心惑ひに、かう 昔おぼえたる御幸かしこまりをも、え御覧ぜられぬらうがはしさは、ことさらに参りはべりてなむ」
 「夢のように存じられて心が乱れておりますので、このように昔を思い出させます御幸のお礼を、御覧に入れられない御無礼は、後日改めて参上致しまして」
 「夢を見ておりますようなことが起こりまして、心が混乱しております際で、昔の御厚情をまたお見せくださいました御幸みゆきに感謝の意もまだ表してお目にかけることができませんような不都合さも、また私が伺っておびすることにいたしましょう」
  "Yume no yau ni omohi tamahe midaruru kokoromadohi ni, kau mukasi oboye taru miyuki no kasikomari wo mo, e goranze rare nu raugahasisa ha, kotosarani mawiri haberi te nam."
2.4.7  と聞こえたまふ。御送りに人びと参らせたまふ。
 と申し上げなさる。お帰りのお供に家臣を差し上げなさる。
 と六条院は御挨拶あいさつをあそばされた。そしてこの院の役人たちを御寺へお見送りにお出しになるのであった。
  to kikoye tamahu. Ohom-okuri ni hitobito mawira se tamahu.
2.4.8  「 世の中の、今日か明日かにおぼえはべりしほどに、 また知る人もなくて、漂はむことの、あはれに避りがたうおぼえはべしかば、 御本意にはあらざりけめど、かく聞こえつけて、年ごろは心やすく思ひたまへつるを、 もしも生きとまりはべらば、さま異に変りて、人しげき住まひはつきなかるべきを、さるべき山里などにかけ離れたらむありさまも、またさすがに心細かるべくや。さまに従ひて、なほ、思し放つまじく」
 「わたしの寿命も、今日か明日かと思われました時に、また他に面倒を見る人もなくて、寄るべもなく暮らすことが、気の毒で放っておけないように思われましたので、あなたの本意ではなかったでしょうが、このようにお願い申して、今まではずっと安心しておりましたが、もしも宮が命を取り留めましたら、普通とは変わった尼姿で、人の大勢いる中で生活するのは不都合でしょうが、適当な山里などに離れ住む様子も、またそうはいっても心細いことでしょう。尼の身の上相応に、やはり、今まで通りお見捨てなさらずに」
 「もう今日か明日かに終わるように自分の命の危険さが思われた際に、あとに残して保護者もなく寂しくこの世を渡らせることがあわれまれてならぬ時に、御本意ではなかったでしょうが、あなたへお託しさせていただいて、今までは安心していたのですが、万一かれの命の助かることがありますれば、もう普通の人ではなくなりました者が、人出入りの多い宮殿にいますことは似合わしく思われませんし、郊外の寂しい所へ住ませるのもさすがにまた心細く思うことでしょうから、その点をあなたがお考えくだすって住居すまいを移させることにしていただきたい。どうか今後もかれを念頭にお置きください」
  "Yononaka no, kehu ka asu ka ni oboye haberi si hodo ni, mata siru hito mo naku te, tadayoha m koto no, ahare ni sari gatau oboye haberi sika ba, ohom-ho'i ni ha ara zari keme do, kaku kikoye tuke te, tosigoro ha kokoroyasuku omohi tamahe turu wo, mosi mo iki tomari habera ba, sama koto ni kahari te, hito sigeki sumahi ha tuki nakaru beki wo, sarubeki yamazato nado ni kake-hanare tara m arisama mo, mata sasuga ni kokorobosokaru beku ya! Sama ni sitagahi te, naho, obosi hanatu maziku."
2.4.9  など聞こえたまへば、
 などとお頼み申し上げなさると、
 と法皇がお言いになると、
  nado kikoye tamahe ba,
2.4.10  「 さらにかくまで仰せらるるなむ、かへりて恥づかしう思ひたまへらるる。乱り心地、とかく乱れはべりて、何事もえわきまへはべらず」
 「改めてこのようにまで仰せ下さいましたことが、かえってこちらが恥ずかしく存じられます。乱れ心地に、何やかやと思い乱れまして、何事も判断がつきかねております」
 「そんな仰せまでも受けましてはかえって私が恥じ入ります。自分の精神がよく統一されていくのを待ちましてすべてのことに善処いたしましょう」
  "Sarani kaku made ohose raruru nam, kaheri te hadukasiu omohi tamahe raruru. Midarigokoti, tokaku midare haberi te, nanigoto mo e wakimahe habera zu."
2.4.11  とて、げに、いと堪へがたげに思したり。
 と答えて、なるほど、とても辛そうに思っていらっしゃった。
 院は実際悲しみに堪えぬ御様子であった。
  tote, geni, ito tahe gatage ni obosi tari.
2.4.12  後夜の御加持に、御もののけ出で来て、
 後夜の御加持に、御物の怪が現れ出て、
 後夜ごやの加持の時に物怪もののけが人にうつって来て、
  Goya no ohom-kadi ni, ohom-mononoke ideki te,
2.4.13  「 かうぞあるよ。いとかしこう取り返しつと、 一人をば思したりしが、いとねたかりしかば、このわたりに、さりげなくてなむ、日ごろさぶらひつる。今は帰りなむ」
 「それごらん。みごとに取り返したと、一人はそうお思いになったのが、まことに悔しかったので、この辺に、気づかれないようにして、ずっと控えていたのだ。今はもう帰ろう」
 「どう、こんなことになってしまったではないか。上手じょうずに一人を取り返したと思っておいでになる様子がくやしかったから、それからは気のつかぬようにしてこちらへ私は来ていたのだ。もう帰りますよ」
  "Kau zo aru yo! Ito kasikou torikahesi tu to, hitori woba obosi tari si ga, ito netakari sika ba, kono watari ni, sarigenaku te nam, higoro saburahi turu. Ima ha kaheri na m."
2.4.14  とて、 うち笑ふ。いとあさましう、
 と言って、ちょっと笑う。まことに驚きあきれて、
 と笑った。
  tote, uti-warahu. Ito asamasiu,
2.4.15  「 さは、このもののけのここにも、離れざりけるにやあらむ
 「それでは、この物の怪がここにも、離れずにいたのか」
 これによれば紫夫人を悩ました物怪が、それ以来こちらへ憑いていたのであったか、
  "Saha, kono mononoke no koko ni mo, hanare zari keru ni ya ara m?"
2.4.16  と思すに、 いとほしう悔しう思さる。宮、すこし生き出でたまふやうなれど、なほ頼みがたげに見えたまふ。さぶらふ人びとも、いといふかひなうおぼゆれど、「かうても、平かにだにおはしまさば」と、念じつつ、御修法また延べて、たゆみなく行なはせなど、よろづにせさせたまふ。
 とお思いになると、お気の毒に悔しく思わずにはいらっしゃれない。宮は、少し生き返ったようだが、やはり頼りなさそうにお見えになる。伺候する女房たちも、まことに何とも言いようもなく思われるが、「こうしてでも、せめてご無事でいらっしゃったならば」と、祈りながら、御修法をさらに延長して、休みなく行わせたりなど、いろいろとおさせになる。
 あらゆる不祥事はかれがなさしめたのかもしれぬとお気づきになった時、女三の宮がおかわいそうでならぬ気のされる院でおありになった。宮の御容体は少し持ち直したようであったが、まだ危険状態を脱したとはお見えにならないのである。女房たちも御出家をあそばしたことで失望した様子であったが、たとえこうおなりになっても御健康さえ取りもどすことができればと、今はそれを院もお念じになって、修法もまた延ばさせて、油断なく祈らせることもあそばしたし、そのほかのあらゆる方法もおとりになって、宮のお命の助かるようにとばかり苦心あそばされるのであった。
  to obosu ni, itohosiu kuyasiu obosa ru. Miya, sukosi iki ide tamahu yau nare do, naho tanomi-gatage ni miye tamahu. Saburahu hitobito mo, ito ihukahinau oboyure do, "Kau te mo, tahiraka ni dani ohasimasa ba." to, nenzi tutu, mi-suhohu mata nobe te, tayumi naku okonaha se nado, yorodu ni se sase tamahu.
注釈146人よりも『集成』は「誰よりもしあわあせな生涯を送らせようとお思いだったのに。そのために、源氏を婿に選んだのである」と注す。2.4.2
注釈147かくても以下「念誦をも勤めたまへ」まで、朱雀院の詞。2.4.3
注釈148同じうは出家姿でいるなら、何もせずにいるのでなく、の気持。『完訳』は「出家したうえは来世の救済に期待して精進しなさい」と訳す。2.4.3
注釈149夢のやうに以下「参りはべりてなむ」まで、源氏の詞。2.4.6
注釈150昔おぼえたる御幸九年前の六条院行幸をさす。「藤裏葉」巻に語られていた。2.4.6
注釈151かしこまり『集成』は「恐懼の気持。具体的には、饗応、贈り物その他のしかるべきもてなしをいう」と注す。2.4.6
注釈152世の中の以下「思し放つまじうなむ」まで、朱雀院の詞。2.4.8
注釈153また知る人もなくて大島本、朱合点、行間書入「古今 枕より又しる人も」とある。古注では『異本紫明抄』が「枕よりまた知る人もなき恋を涙せきあへず漏らしつるかな」(古今集恋三、六七〇、平貞文)を指摘。女三の宮の身の上をさす。2.4.8
注釈154御本意にはあらざりけめど『完訳』は「この言葉、院自身には他意がなくとも、源氏には痛烈な皮肉」と注す。2.4.8
注釈155もしも生きとまりはべらば主語は女三の宮。2.4.8
注釈156さらにかくまで以下「えわきまへはべらず」まで、源氏の詞。2.4.10
注釈157かうぞあるよ以下「今は帰りなむ」まで、物の怪の詞。女三の宮の出家は物の怪のしわざであった。2.4.13
注釈158一人をば思したりしが「一人」は紫の上をさし、「思す」の主語は源氏。2.4.13
注釈159うち笑ふ明融臨模本、付箋「栄花小一条院女御<顕光女>の邪気にて御堂の御女のひさしく患給ひてつゐに御くしおろさせ給ふその時邪気人に付て今こそうれしけれとて手をうちて笑けるよしみえたり」とある。『河海抄』にほぼ同文の内容が見える。小一条院女御(道長女、寛子)が危篤に陥ったとき、藤原顕光とその女小一条院女御延子が死霊となって現れ出て、手を打って喝采をさけんだという話。『栄華物語』「峰の月」に見える。2.4.14
注釈160さは、このもののけのここにも、離れざりけるにやあらむ源氏の心中。物の怪の正体を六条御息所と知る。2.4.15
注釈161いとほしう悔しう思さる『集成』は「おいたわしく残念にお思いになる」。『完訳』は「宮がいじらしくもあり、また尼にしてさしあげたことを悔まずにはいらっしゃれない」「物の怪の出現は、宮出家の種明かしでもあるが、源氏の人生を根源的に捉え直す視点ともなろう」と注す。2.4.16
Last updated 9/22/2010(ver.2-3)
渋谷栄一校訂(C)
Last updated 5/27/2010(ver.2-2)
渋谷栄一注釈(C)
Last updated 1/13/2002
渋谷栄一訳(C)(ver.1-2-2)
現代語訳
与謝野晶子
電子化
上田英代(古典総合研究所)
底本
角川文庫 全訳源氏物語
校正・
ルビ復活
鈴木厚司(青空文庫)

2004年2月7日

渋谷栄一訳
との突合せ
若林貴幸、宮脇文経

2005年7月31日

Last updated 5/27/2010 (ver.2-2)
Written in Japanese roman letters
by Eiichi Shibuya (C)
Picture "Eiri Genji Monogatari"(1650 1st edition)
このページは再編集プログラムによって2015/1/12に出力されました。
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