第三十六帖 柏木


36 KASIHAGI (Teika-jihitsu-bon)


光る源氏の准太上天皇時代
四十八歳春一月から夏四月までの物語



Tale of Hikaru-Genji's Daijo Tenno era, from January in spring to April in summer, at the age of 48

5
第五章 夕霧の物語 柏木哀惜


5  Tale of Yugiri  Kashiwagi was mourned over

5.1
第一段 夕霧、一条宮邸を訪問


5-1  Yugiri visits Ochiba-no-Miya in Ichijo-palace

5.1.1  一条の宮には、まして、おぼつかなうて別れたまひにし恨みさへ添ひて、日ごろ経るままに、広き宮の内、人気少なう心細げにて、 親しく使ひ慣らしたまひし人は、なほ参り訪らひきこゆ。
 一条宮におかれては、それ以上に、お目にかかれぬままご逝去なさった心残りまでが加わって、日数が過ぎるにつれて、広い宮の邸内も、人数少なく心細げになって、親しく使い馴らしていらした人は、やはりお見舞いに参上する。
 一条の宮はまして終わりの病床に見ることもおできにならないままで良人おっとを死なせておしまいになったというお悲しみもあって、その後の日の重なるにつけて広いおやしきはますます寂しいものになって、お召使いの人たちも減っていくばかりであった。大納言の恩顧を受けていた人たちだけは、故人の未亡人の宮に今も敬意を表しに来ることを忘れなかった。
  Itideu-no-Miya ni ha, masite, obotukanau te wakare tamahi ni si urami sahe sohi te, higoro huru mama ni, hiroki miya no uti, hitoke sukunau kokorobosoge nite, sitasiku tukahi narasi tamahi si hito ha, naho mawiri toburahi kikoyu.
5.1.2  好み たまひし鷹、馬など、その方の預りどもも、皆つくところなう思ひ倦じて、かすかに 出で入るを見たまふも、ことに触れて あはれは尽きぬものになむありける 。もて使ひたまひし御調度ども、常に弾きたまひし琵琶、和琴 などの緒も取り放ちやつされて、音を立てぬも、 いと埋れいたきわざなりや
 お好きであった鷹、馬など、その係の者たちも、皆主人を失ってしょんぼりとして、ひっそりと出入りしているのを御覧になるにつけても、何かにつけてしみじみと悲しみの尽きないものであった。お使いになっていらしたご調度類で、いつもお弾きになった琵琶、和琴などの絃も取り外されて、音を立てないのも、あまりにも引き籠もり過ぎていることであるよ。
 愛していたたか狩りの鷹とか、馬とかを預かっていた侍たちはたよる所を失ったように力を落としながらも寂しい姿で出仕しているのがお目にはいったりすることなども宮のお心を悲しくさせた。手らしていた居間の道具類、始終いていた琵琶びわ和琴わごんなどの、今はいとの張られていないものなども御覧になるのが苦しかった。
  Konomi tamahi si taka, muma nado, sono kata no adukari-domo mo, mina tuku tokoro nau omohi u'zi te, kasukani ide iru wo mi tamahu mo, koto ni hure te ahare ha tuki nu mono ni nam ari keru. Mote-tukahi tamahi si ohom-deudo-domo, tuneni hiki tamahi si biha, wagon nado no wo mo tori-hanati yatusa re te, ne wo tate nu mo, ito mumore itaki waza nari ya.
5.1.3   御前の木立いたう煙りて、花は時を忘れぬけしきなるを眺めつつ、もの悲しく、さぶらふ人びとも、鈍色にやつれつつ、寂しうつれづれなる昼つ方、前駆はなやかに追ふ音して、ここに止まりぬる人あり。
 御前の木立がすっかり芽をふいて、花は季節を忘れない様子なのを眺めながら、何となく悲しく、伺候する女房たちも、鈍色の喪服に身をやつしながら、寂しく所在ない昼間に、先払いを派手にする声がして、この邸の前に止まる人がいる。
 庭の木立ちがけむり、時を忘れずに花の咲こうとするのをおながめになっていて寂しかった。女房たちも皆喪服姿になっていて、あらゆるものから受ける印象が物哀れであったある日の昼ごろに、高い前駆の声がしておやしきの門にとまった車があった。
  Omahe no kodati itau keburi te, hana ha toki wo wasure nu kesiki naru wo nagame tutu, mono-ganasiku, saburahu hitobito mo, nibiiro ni yature tutu, sabisiu turedure naru hiru tu kata, saki hanayaka ni ohu oto si te, koko ni tomari nuru hito ari.
5.1.4  「 あはれ、故殿の御けはひとこそ、うち忘れては思ひつれ」
 「ああ、亡くなられた殿のおいでかと、ついうっかり思ってしまいました」
 「ぼんやりしていますとおくなりになった殿様がおいでになったのかと思いますよ」
  "Ahare, ko-Tono no ohom-kehahi to koso, uti-wasure te ha omohi ture."
5.1.5  とて、泣くもあり。 大将殿のおはしたるなりけり。御消息聞こえ入れたまへり。例の 弁の君、宰相などのおはしたると思しつるを、いと恥づかしげにきよらなるもてなしにて入りたまへり。
 と言って、泣く者もいる。大将殿がいらっしゃったのであった。ご案内を申し入れなさった。いつものように弁の君や、宰相などがいらっしゃったものかとお思いになったが、たいそう気おくれのするほど立派な美しい物腰でお入りになった。
 と言って泣く女房もあった。それは左大将が訪問して来たのであった。まず訪問の意を通じて来た。いつものように大納言の弟の左大弁とか、参議とかの来訪したのかと邸の人は思っていた所へ、品がよくてきれいな風采ふうさいで身の取りなしのすぐれてりっぱな大将がはいって来たのであった。
  tote, naku mo ari. Daisyau-dono no ohasi taru nari keri. Ohom-seusoko kikoye ire tamahe ri. Rei no Ben-no-Kimi, Saisyau nado no ohasi taru to obosi turu wo, ito hadukasige ni kiyora naru motenasi nite iri tamahe ri.
5.1.6   母屋の廂に御座よそひて入れたてまつる。おしなべたるやうに、人びとのあへしらひきこえむは、かたじけなきさまのし たまへれば御息所ぞ対面したまへる
 母屋の廂間に御座所を設けてお入れ申し上げなさる。普通の客人と同様に、女房たちがご応対申し上げるのでは、恐れ多い感じのなさる方でいらっしゃるので、御息所がご対面なさった。
 中央のに続いた南向きの座敷に席を作って客は迎えられた。普通の人たちのように女房だけが出て応接をするのは失礼であるといって、宮の母君の御息所みやすどころが逢った。
  Moya no hisasi ni omasi yosohi te ire tatematuru. Osinabe taru yau ni, hitobito no ahe sirahi kikoye m ha, katazikenaki sama no si tamahe re ba, Miyasumdokoro zo taimen si tamahe ru.
5.1.7  「 いみじきことを思ひたまへ嘆く心は、 さるべき人びとにも越えてはべれど、限りあれば、聞こえさせやる方なうて、 世の常になりはべりにけり。今はのほどにも、のたまひ置くことはべりしかば、おろかならずなむ。
 「悲しい気持ちでおりますことは、身内の方々以上のものがございますが、世のしきたりもありますから、お見舞いの申し上げようもなくて、世間並になってしまいました。臨終の折にも、ご遺言なさったことがございましたので、いいかげんな気持ちでいたわけではありません。
 「あの不幸な友人を悲しみます心は身内の人たち以上ですが、形式的にはそれだけの志も見せられないのでございました。臨終のころ私へ託しましたこともありますから、宮様に対して十分の好意を私はお持ちしております。
  "Imiziki koto wo omohi tamahe nageku kokoro ha, sarubeki hitobito ni mo koye te habere do, kagiri are ba, kikoyesase yaru kata nau te, yo no tune ni nari haberi ni keri. Imaha no hodo ni mo, notamahi oku koto haberi sika ba, orokanara zu nam.
5.1.8  誰ものどめがたき世なれど、後れ先立つほどのけぢめには、思ひたまへ及ばむに従ひて、深き心のほどをも御覧ぜられにしがなとなむ。 神事などのしげきころほひ、私の心ざしにまかせて、つくづくと籠もりゐはべらむも、例ならぬことなりければ、 立ちながらはた、なかなかに飽かず思ひたまへらるべうてなむ、日ごろを過ぐしはべりにける。
 誰でも安心してはいられない人生ですが、生き死にの境目までは、自分の考えが及ぶ限りは、浅からぬ気持ちを御覧いただきたいものだと思っております。神事などの忙しいころは、私的な感情にまかせて、家に籠もっておりますことも、例のないことでしたので、立ったままではこれまた、かえって物足りなく存じられましょうと思いまして、日頃ご無沙汰してしまったのです。
 だれにも死はめぐってくるはずですが、しばらくでもあとへ残りました以上は友人の縁故でできますだけのお世話を申し上げたいと思いまして、もう少し早く伺うつもりだったのですが神事などで御所の中の忙しいころに触穢しょくえのはばかりに引きこもらなければならなくなりますのもいかがと遠慮がいたされましたし、またお庭へ立たせていただくような伺い方は私の心も満足できることでないと思いまして、つい日をたたせてしまったのでございます。
  Tare mo nodome gataki yo nare do, okure sakidatu hodo no kedime ni ha, omohi tamahe oyoba m ni sitagahi te, hukaki kokoro no hodo wo mo goranze rare ni si gana to nam. Kamiwaza nado no sigeki korohohi, watakusi no kokorozasi ni makase te, tukuduku to komori wi habera m mo, rei nara nu koto nari kere ba, tati nagara hata, nakanaka ni aka zu omohi tamahe raru beu te nam, higoro wo sugusi haberi ni keru.
5.1.9  大臣などの心を乱りたまふさま、見聞きはべるにつけても、親子の道の闇をばさるものにて、かかる御仲らひの、深く思ひとどめたまひけむほどを、推し量りきこえさするに、いと尽きせずなむ」
 大臣などが悲嘆に暮れていらっしゃるご様子、見たり聞いたり致すにつけても、親子の恩愛の情は当然のことですが、ご夫婦の仲では、深いご無念がおありだったでしょうことを、推量致しますと、まことにご同情に堪えません」
 大臣などのおなげきの深いのを聞いておりますが、親子の愛情とは別な御夫婦の間でいらっしゃった宮様を、故人があんなに気がかりに考えておりましたことを思いますと、宮様のほうでもお悲しみになっていらっしゃる程度もどれほどのことかと恐察されまして御同情に堪えません」
  Otodo nado no kokoro wo midari tamahu sama, mi kiki haberu ni tuke te mo, oyako no miti no yami wo ba saru mono nite, kakaru ohom-nakarahi no, hukaku omohi todome tamahi kem hodo wo, osihakari kikoyesasuru ni, ito tuki se zu nam."
5.1.10  とて、しばしばおし拭ひ、鼻うちかみたまふ。あざやかに気高きものから、なつかしうなまめいたり。
 と言って、しばしば涙を拭って、鼻をおかみになる。きわだって気高い一方で、親しみが感じられ優雅な物腰である。
 こう語っているうちにも大将はたびたび流れる涙をふいていた。清明な気高けだかさがあって、しかも美しくえんな姿を大将は持っていた。
  tote, sibasiba osi-nogohi, hana uti-kami tamahu. Azayaka ni kedakaki monokara, natukasiu namamei tari.
注釈273親しく使ひ慣らしたまひし主語は柏木。5.1.1
注釈274出で入るを見たまふも主語は落葉宮。5.1.2
注釈275あはれは尽きぬものになむ ありける過去の助動詞「ける」詠嘆の意。『完訳』は「「ける」に注意。邸内の返歌一つ一つに、はっと気づかせられる」と注す。5.1.2
注釈276いと埋れいたきわざなりや終助詞「や」詠嘆。語り手の感慨。5.1.2
注釈277御前の木立いたう煙りて、花は時を忘れぬけしきなるを『完訳』は「梢の芽ぶく様子。このあたり三月の情景に寂寥の気分が際だつ。季節の甦りに対して、不帰の生命のはかなさが痛感される」と注す。5.1.3
注釈278あはれ故殿の以下「思ひつれ」まで、女房の詞。5.1.4
注釈279大将殿のおはしたるなりけり『弄花抄』は「注の心也」と指摘。『集成』も「草子地」と指摘。5.1.5
注釈280弁の君宰相などのおはしたると『集成』は「柏木の弟たち。柏木の遺言で、今までに何度か弔問に訪れている趣」と注す。5.1.5
注釈281母屋の廂に御座よそひて入れたてまつる寝殿の南廂の間。5.1.6
注釈282御息所ぞ対面したまへる一条宮邸の主人、母御息所。5.1.6
注釈283いみじきことを以下「いと尽きせずなむ」まで、夕霧の詞。5.1.7
注釈284さるべき人びと『集成』は「身内の人々」。『完訳』は「死を当然悲しむ血縁の者」と注す。5.1.7
注釈285世の常に明融臨模本、付箋「恋しさもうき世のつねに成行を心は猶そもの思ひける」(出典未詳)。大島本、合点、行間書入「恋しきはうき世のつねに成ゆくを心は猶そ物思ひける」。古注では、『異本紫明抄』が指摘するが、現行の注釈書では指摘されない。5.1.7
注釈286神事などのしげきころほひ二月には春日祭、大原野祭、祈年祭などの神事がある。今、三月になった。5.1.8
注釈287立ちながらはた『集成』は「お庭先で失礼いたしますのでは、これまた。「立ちながら」は上にあがらないこと。神事に出仕する身として、その時期に訪問しても、死の穢れに触れるのを避けねばならない、という意」と注す。5.1.8
校訂25 たまひし たまひし--給(給/+し) 5.1.2
校訂26 ありける ありける--あ(あ/+り)ける 5.1.2
校訂27 などの などの--なと(と/+の) 5.1.2
校訂28 たまへれば たまへれば--*給つれは 5.1.6
5.2
第二段 母御息所の嘆き


5-2  A grief of Ochiba-no-Miya's mother

5.2.1  御息所も鼻声になりたまひて、
 御息所も鼻声におなりになって、
 御息所も鼻声になって、
  Miyasumdokoro mo hanagowe ni nari tamahi te,
5.2.2  「 あはれなることは、その常なき世のさがにこそは。いみじとても、またたぐひなきことにやはと、 年積もりぬる人は、しひて心強うさましはべるを、 さらに思し入りたるさまの、いとゆゆしきまで、しばしも立ち後れたまふまじきやうに見えはべれば、 すべていと心憂かりける身の、今までながらへはべりて、 かくかたがたにはかなき世の末のありさまを見たまへ過ぐすべきにやと、いと静心なくなむ。
 「死別の悲しみは、この無常の世の習いでございましょう。どんなに悲しいといっても、世間に例のないことではないと、この年寄りは、無理に気強く冷静に致しておりますが、すっかり悲しみに暮れたご様子が、とても不吉なまでに、今にも後を追いなさるように見えますので、すべてまことに辛い身の上であったわたしが、今まで生き永らえまして、このようにそれぞれに無常な世の末の様子を拝見致して行くのかと、まことに落ち着かない気持ちでございます。
 「悲しいのが無常の世の常と存じまして、悲しいことはまだほかにもいろいろあるのを思いまして、私たち年のいった者はしいて気を強く持とうと努めることもいたしますが、宮様はまだお若いのでございますから、悲しみに沈みきっておしまいになりまして、同じ世界へ行っておしまいになるのではないかと危険でなりませんほどのお歎きをしておいでになります。不幸な生まれの私が今まで生きておりまして、大納言をお死なせしたり、宮様を未亡人におさせしたりしていく運命をじっとそばでながめていねばならぬかと苦しゅうございます。
  "Ahare naru koto ha, sono tune naki yo no saga ni koso ha. Imizi tote mo, mata taguhi naki koto ni yaha to, tosi tumori nuru hito ha, sihite kokoroduyou samasi haberu wo, sarani obosi iri taru sama no, ito yuyusiki made, sibasi mo tati-okure tamahu maziki yau ni miye habere ba, subete ito kokoroukari keru mi no, ima made nagarahe haberi te, kaku katagata ni hakanaki yo no suwe no arisama wo mi tamahe sugusu beki ni ya to, ito sidukokoro naku nam.
5.2.3  おのづから近き御仲らひにて、聞き及ばせたまふやうもはべりけむ。初めつ方より、 をさをさうけひききこえざりし御ことを、大臣の御心むけも心苦しう、院にもよろしきやうに思し許いたる御けしきなどのはべしかば、さらばみづからの心おきての及ばぬなりけりと、思ひたまへなしてなむ、 見たてまつりつるを、かく夢のやうなることを見たまふるに、思ひたまへ合はすれば、 みづからの心のほどなむ、同じうは強うも あらがひきこえましを、と思ひはべるに、なほいと悔しう。それは、かやうにしも思ひ寄りはべらざりきかし。
 自然と親しいお間柄ゆえで、お聞き及んでいらっしゃるようなこともございましたでしょう。最初のころから、なかなかご承知申し上げなかったご縁組でしたが、大臣のご意向もおいたわしく、院におかれても結構な縁組のようにお考えであった御様子などがございましたので、それではわたしの考えが至らなかったのだと、自ら思い込ませまして、お迎え申し上げたのですが、このように夢のような出来事を目に致しまして、考え会わせてみますと、自分の考えを、同じことなら強く押し通し反対申せばよかったものを、と思いますと、やはりとても残念で。それは、こんなに早くとは思いも寄りませんでした。
 近い御親戚しんせき関係でいらっしゃいますから、もうお聞き及びでもございましょうが、私はこの御結婚談の最初から御賛成は申し上げていなかったのでございますが、大臣が熱心に御運動をなさいましたし、また法皇様もお許しになる様子でございましたから、それではそのほうがよろしいことで、私の考え方は間違っていたのかと考え直しまして、とうとう御結婚をおさせ申したのでございますが、こんな夢のような不幸が起こってくるのでございましたら、もっと自分の信じましたところを強く主張しておれば、宮様をこうした目におあわせせずに済んだはずであると残念でなりません。
  Onodukara tikaki ohom-nakarahi nite, kiki oyoba se tamahu yau mo haberi kem. Hazime tu kata yori, wosawosa ukehiki kikoye zari si ohom-koto wo, Otodo no mi-kokoromuke mo kokorogurusiu, Win ni mo yorosiki yau ni obosi yurui taru mi-kesiki nado no habe' sika ba, saraba midukara no kokorookite no oyoba nu nari keri to, omohi tamahe nasi te nam, mi tatematuri turu wo, kaku yume no yau naru koto wo mi tamahuru ni, omohi tamahe ahasure ba, midukara no kokoro no hodo nam, onaziu ha tuyou mo aragahi kikoye masi wo, to omohi haberu ni, naho ito kuyasiu. Sore ha, kayau ni simo omohiyori habera zari ki kasi.
5.2.4  皇女たちは、おぼろけのことならで、悪しくも善くも、かやうに世づきたまふことは、 え心にくからぬことなりと、古めき心には思ひはべしを、いづかたにもよらず、中空に憂き 御宿世なりければ、何かは、かかるついでに煙にも紛れたまひなむは、この御身のための人聞きなどは、ことに口惜しかるまじけれど、さりとても、しかすくよかに、え思ひ静むまじう、悲しう見たてまつりはべるに、いとうれしう、浅からぬ 御訪らひのたびたびになりはべめるを有り難うもと聞こえはべるも、さらば、かの御契りありけるにこそはと、思ふやうにしも見えざりし 御心ばへなれど、今はとて、これかれにつけおきたまひける御遺言の、あはれなるになむ、 憂きにもうれしき瀬はまじりはべりける」
 内親王たちは、並大抵のことでは、よかれあしかれ、このように結婚なさることは、感心しないことだと、老人の考えでは思っていましたが、結婚するしないにかかわらず、中途半端な中空にさまよった辛い運命のお方であったので、いっそのこと、このような時にでも後をお慕い申したところで、このお方にとって外聞などは、特に気にしないでよろしいでしょうが、そうかといっても、そのようにあっさりとも、諦め切れず、悲しく拝し上げておりますが、まことに嬉しいことに、懇ろなお見舞いを重ね重ね頂戴しましたようで、有り難いこととお礼申し上げますが、それでは、あのお方とのお約束があったゆえと、願っていたようには見えなかったお気持ちでしたが、今はの際に、誰彼にお頼みなさったご遺言が、身にしみまして、辛い中にも嬉しいことはあるものでございました」
私は初めから宮様がたはよくよくの御因縁のあることでなければ結婚などはあそばしてはならないものである、神聖なものとしてお置き申し上げたいと昔風な心に願っていたのでございますから、こんなどちらつかずの御不幸なお身の上におなりあそばした以上は、いっそ悲しみでおくなりになるのもよろしかろう、不幸な宮様としてお残りになるよりはなどとも思いますが、さてそうもあきらめきれるものではございませんから、やはり悲しんでばかりおりましたうちにも、御親切な御慰問のお手紙を始終おいただきになるようでございますから、ありがたいことと存じておりまして、こうしていただけるのも故人が特に宮様のことでお頼みされたことがあったのかと、必ずしも御愛情の見える御良人ごりょうじんではなかったのですが、最後にどなたへも宮様についての遺言をなさいましたことで、悲しみにもまた慰めというもののあるのを発見いたしたのでございます」
  Miko-tati ha, oboroke no koto nara de, asiku mo yoku mo, kayau ni yoduki tamahu koto ha, e kokoronikukara nu koto nari to, hurumeki gokoro ni ha omohi habe' si wo, idukata ni mo yora zu, nakazora ni uki ohom-sukuse nari kere ba, nanikaha, kakaru tuide ni keburi ni mo magire tamahi na m ha, kono ohom-mi no tame no hitogiki nado ha, kotoni kutiwosikaru mazikere do, saritote mo, sika sukuyoka ni, e omohi sidumu maziu, kanasiu mi tatematuri haberu ni, ito uresiu, asakara nu ohom-toburahi no tabitabi ni nari habe' meru wo, arigatau mo to kikoye haberu mo, saraba, kano ohom-tigiri ari keru ni koso ha to, omohu yau ni simo miye zari si mi-kokorobahe nare do, imaha tote, korekare ni tuke oki tamahi keru ohom-yuigon no, ahare naru ni nam, uki ni mo uresiki se ha maziri haberi keru."
5.2.5  とて、いといたう泣いたまふけはひなり。
 と言って、とてもひどくお泣きになる様子である。
 と言って、御息所みやすどころはひどく泣き入る様子であった。
  tote, ito itau nai tamahu kehahi nari.
注釈288あはれなることは以下「瀬はまじりはべりける」まで、御息所の詞。5.2.2
注釈289年積もりぬる人は自分のことを謙遜していう。5.2.2
注釈290さらに思し入りたる自分以上に。落葉宮をさしていう。5.2.2
注釈291すべていと心憂かりける身の『完訳』は「以下、娘の不幸をもかみしめながら、わが身を回顧。朱雀院の更衣として苦悩が多かったか」と注す。5.2.2
注釈292かくかたがたに『完訳』は「柏木が早世し、宮は気力を失う。自分も朱雀院出家後は孤独な晩年を送る」と注す。5.2.2
注釈293をさをさうけひききこえざりし御ことを宮と柏木の縁組をさす。5.2.3
注釈294見たてまつりつるを『集成』は「お世話申し上げたのですが。柏木を夫として迎えた宮をお世話した、の意」と注す。5.2.3
注釈295みづからの心のほどなむ『集成』は「そうした私の存じよりのほどを、どうせなら強く反対して申し上げればよかったのにと思いますと」。『完訳』は「こんなことになるくらいなら、強く反対して、この私の存じよりのほどを申しあげればよかったものをと思いますにつけても」と訳す。5.2.3
注釈296あらがひきこえましを「まし」反実仮想の助動詞。「を」間投助詞、詠嘆の意。5.2.3
注釈297え心にくからぬこと定家筆本と明融臨模本は「え心にくからぬこと」とある。大島本は「心にくからぬこと」とある。『集成』『新大系』はそれぞれ底本(定家本・大島本)のままとする。『完本』は諸本に従って「心にくからぬこと」と「え」を削除する。5.2.4
注釈298御訪らひのたびたびになりはべめるを『集成』は「自身の訪問ははじめてだが、今まで何度も弔問の使者がさし向けられていた趣」と注す。5.2.4
注釈299御心ばへ柏木の気持をさす。5.2.4
注釈300憂きにもうれしき瀬は明融臨模本、朱合点、付箋「うれしきもうきも心はひとつにて別ぬものは泪なりけり」(後撰集雑二、一一八九、読人しらず)。大島本、朱合点、行間書入「うれしきもうきも心は一にてわすれぬ物は涙なりけり」とある。古注では、『異本紫明抄』が指摘するが、現行の注釈書では指摘されない。5.2.4
出典17 憂きにもうれしき瀬はまじり うれしきも憂きも心は一つにて別れぬ物は涙なりけり 後撰集雑二-一一八八 読人しらず 5.2.4
校訂29 御宿世 御宿世--御すくせを(を/$) 5.2.4
校訂30 有り難うもと 有り難うもと--ありかたうも(も/+と) 5.2.4
5.3
第三段 夕霧、御息所と和歌を詠み交わす


5-3  Yugiri and Ochiba-no-Miya's mother compose and change waka each other

5.3.1  大将も、とみにえためらひたまはず。
 大将も、すぐには涙をお止めになれない。
 大将もそぞろに誘われて泣いた。
  Daisyau mo, tomi ni e tamerahi tamaha zu.
5.3.2  「 あやしう、いとこよなく およすけたまへりし人の、かかるべうてや、この二、三年のこなたなむ、いたうしめりて、もの心細げに見えたまひしかば、あまり世のことわりを思ひ知り、もの深うなりぬる人の、 澄み過ぎて、かかる例、心うつくしからず、かへりては、 あざやかなる方のおぼえ薄らぐものなりとなむ 、常にはかばかしからぬ心に諌めきこえしかば、 心浅しと思ひたまへりし。よろづよりも、人にまさりて、げに、 かの思し嘆くらむ御心の内の、かたじけなけれど、いと心苦しうもはべるかな」
 「どうしたわけか、実に申し分なく老成していらっしゃった方が、このようになる運命だったからでしょうか、ここ二、三年の間、ひどく沈み込んで、どことなく心細げにお見えになったので、あまりに世の無常を知り、考え深くなった人が、悟りすまし過ぎて、このような例で、心が素直でなくなり、かえって逆に、てきぱきしたところがないように人に思われるものだと、いつも至らない自分ながらお諌め申していたので、思慮が浅いとお思いのようでした。何事にもまして、人に優れて、おっしゃる通り、宮のお悲しみのご心中、恐れ多いことですが、まことにおいたわしゅうございます」
 「昔は不思議な冷静な人でしたが、短命で亡くなるせいか、この二、三年は非常にめいって見える時が多くて、心細いふうを見せられましたから、あまりに人生を考えた末に悟ってしまった清澄な心境というものかもしれぬが、それでは今までに持っていたすぐれたよさが消えてしまうことにならないかとも不安に思われると、小賢しく私が時々忠告らしいことをしますと、あの人は私をあわれむような表情で見ていました。何よりも宮様のお悲しみになっていらっしゃいます御様子を伺いまして、もったいないことですが、おいたわしく存じ上げます」
  "Ayasiu, ito koyonaku oyosuke tamahe ri si hito no, kakaru beu te ya, kono ni, sam-nen no konata nam, itau simeri te, mono-kokorobosoge ni miye tamahi sika ba, amari yo no kotowari wo omohi siri, monohukau nari nuru hito no, sumi sugi te, kakaru tamesi, kokoro utukusikara zu, kaherite ha, azayaka naru kata no oboye usuragu mono nari to nam, tuneni hakabakasikara nu kokoro ni isame kikoye sika ba, kokoroasasi to omohi tamahe ri si. Yorodu yori mo, hito ni masari te, geni, kano obosi nageku ram mi-kokoro no uti no, katazikenakere do, ito kokorogurusiu mo haberu kana!"
5.3.3  など、なつかしうこまやかに聞こえたまひて、ややほど経てぞ出でたまふ。
 などと、優しく情愛こまやかに申し上げなさって、やや長居してお帰りになる。
 などとなつかしいふうに話して、しばらくして大将は去って行こうとした。
  nado, natukasiu komayaka ni kikoye tamahi te, yaya hodo he te zo ide tamahu.
5.3.4   かの君は、五、六年のほどのこのかみなりしかど、なほ、いと若やかに、なまめき、あいだれてものしたまひし。 これは、いとすくよかに重々しく、男々しきけはひして、顔のみぞいと若うきよらなること、人にすぐれたまへる。若き人びとは、もの悲しさもすこし紛れて見出だしたてまつる。
 あの方は、五、六歳くらい年上であったが、それでも、とても若々しく、優雅で、人なつっこいところがおありであった。この方は、実にきまじめで重々しく、男性的な感じがして、お顔だけがとても若々しく美しいことは、誰にも勝っていらっしゃった。若い女房たちは、もの悲しい気持ちも少し紛れてお見送り申し上げる。
 衛門督えもんのかみはこの人より五つ六つの年長であったが、彼はきわめて若々しく見えて、女性的な柔らかさの見える人であったが、これは重々しく端正で、しかも顔だけはあくまでも美しいのを、若女房などは悲しさも少し紛れたように興奮して、帰って行こうとする大将の姿にながめ入った。
  Kano-Kimi ha, go, roku-nen no hodo no konokami nari sika do, naho, ito wakayaka ni, namameki, aidare te monosi tamahi si. Kore ha, ito sukuyoka ni omoomosiku, wowosiki kehahi si te, kaho nomi zo ito wakau kiyora naru koto, hito ni sugure tamahe ru. Wakaki hitobito ha, mono-ganasisa mo sukosi magire te miidasi tatematuru.
5.3.5  御前近き桜のいとおもしろきを、「 今年ばかりは」と、うちおぼゆるも、いまいましき筋なりければ、
 御前に近い桜がたいそう美しく咲いているのを、「今年ばかりは」と、ふと思われるのも、縁起でもないことなので、
 前の庭の桜の美しいのをながめて、「深草の野べの桜し心あらば今年ばかりは墨染めに咲け」と口へ出てくる大将であったが、尼姿を言うようなことはここで言うべきでないと遠慮がされて、
  Omahe tikaki sakura no ito omosiroki wo, "Kotosi bakari ha" to, uti-oboyuru mo, imaimasiki sudi nari kere ba,
5.3.6  「 あひ見むことは
 「再びお目にかかれるのは」
 「春ごとに花の盛りはありなめどひ見んことは命なりける」
  "Ahi mi m koto ha"
5.3.7  と口ずさびて、
 と口ずさみなさって、
 と歌って、
  to kutizusabi te,
5.3.8  「 時しあれば変はらぬ色に匂ひけり
   片枝枯れにし宿の桜も
 「季節が廻って来たので変わらない色に咲きました
  片方の枝は枯れてしまったこの桜の木にも
  時しあれば変はらぬ色ににほひけり
  片枝かたえ折れたる宿の桜も
    "Toki si are ba kahara nu iro ni nihohi keri
    Katae kare ni si yado no sakura mo
5.3.9  わざとならず誦じなして立ちたまふに、いととう、
 さりげないふうに口ずさんでお立ちになると、とても素早く、
 と自然なふうに口ずさんで、花の下に立ちどまっていると、御息所はすぐに、
  Wazato nara zu zuzi nasi te tati tamahu ni, ito tou,
5.3.10  「 この春は柳の芽にぞ玉はぬく
   咲き散る花の行方知らねば
 「今年の春は柳の芽に露の玉が貫いているように泣いております
  咲いて散る桜の花の行く方も知りませんので
  この春は柳の芽にぞ玉は
  咲き散る花の行くへ知らねば
    "Kono haru ha yanagi no me ni zo tama ha nuku
    saki tiru hana no yukuhe sira ne ba
5.3.11  と聞こえたまふ。 いと深きよしにはあらねど、今めかしう、かどありとは言はれたまひし更衣なりけり。「 げに、めやすきほどの用意なめり」と見たまふ。
 と申し上げなさる。格別深い情趣があるわけではないが、当世風で、才能があると言われていらした更衣だったのである。「なるほど、無難なお心づかいのようだ」と御覧になる。
 という返しを書いてきた。高い才識の見えるほどの人ではないが、前には才女と言われた更衣こういであったのを思って、評判どおりに気のきいた人であると大将は思った。
  to kikoye tamahu. Ito hukaki yosi ni ha ara ne do, imamekasiu, kado ari to ha iha re tamahi si Kaui nari keri. "Geni, meyasuki hodo no youi na' meri" to mi tamahu.
注釈301あやしういとこよなく以下「心苦しうもはべるかな」まで、夕霧の詞。5.3.2
注釈302およすけたまへりし人柏木をさす。5.3.2
注釈303澄み過ぎて明融臨模本、付箋「とにかくに物は思はすひたゝくみうつすみなはのたゝ一筋に」(拾遺集恋五、九六〇、人麿)。大島本、朱合点、行間書入「とにかくに物はおもはすひたゝくみうつすみなはのたゝ一すちに」とある。古注では、『異本紫明抄』が指摘するが、現行の注釈書では指摘されない。5.3.2
注釈304あざやかなる方のおぼえ薄らぐものなりとなむ『集成』は「はきはきしたところがないように人に思われるようになるものだと」。『完訳』は「その人らしいと噂される面が」「かえってその人らしさが見えなくなってしまうものだと」と注す。5.3.2
注釈305心浅しと思ひたまへりし主語は柏木。柏木は夕霧を。5.3.2
注釈306かの思し嘆くらむ御心の内の落葉宮の心をさす。5.3.2
注釈307かの君は五六年のほどのこのかみなりしかど柏木は夕霧よりも五、六歳年長であった意。夕霧、二十七歳。柏木、三十二、三歳。5.3.4
注釈308これはいとすくよかに夕霧をさす。『集成』は「きりりとして」。『完訳』は「じつにきまじめで」と訳す。5.3.4
注釈309今年ばかりは明融臨模本、朱合点、付箋「深草の野への桜し心あらはことしはかりは墨染にさけ」(古今集哀傷、八三二、上野岑雄)。大島本、朱合点、行間書入「古今深草野ゝへの」。中山家本、朱合点。古注では、『源氏釈』(吉川家本勘物)が指摘し、現行の注釈書でも指摘する。5.3.5
注釈310あひ見むことは夕霧の詞。口ずさみ。尊経閣文庫本、付箋「春ことに花のさかりはありなめとあひみん事は命なりけり」(古今集春下、九七、読人しらず)。明融臨模本、朱合点、付箋「春毎に花のさかりはありなめとあひ見むことはいのちなりけり」。大島本、朱合点、行間書入「古今春ことに花のさかりは」。中山家本、朱合点、奥入に同歌を指摘。古注では『源氏釈』が指摘し、現行の注釈書でも指摘する。5.3.6
注釈311時しあれば変はらぬ色に匂ひけり--片枝枯れにし宿の桜も夕霧の贈歌。5.3.8
注釈312この春は柳の芽にぞ玉はぬく--咲き散る花の行方知らねば御息所の返歌。贈歌の「時」「桜」を「春」「柳」と趣向を変えて返す。「芽」に「目」を響かす。尊経閣文庫本、付箋「よりあはせてなくなるこゑをいとにしてわかなみたをはたまにぬかなむ」(伊勢集)。明融臨模本、付箋「あさみとり糸よりかけてー/よりあはせてなくなる聲をいとにしてわか涙をは玉にぬかなん」。古注では『源氏釈』が指摘。5.3.10
注釈313いと深きよしにはあらねど『完訳』は「即座に返歌しえた嗜みを評す」と注す。5.3.11
注釈314げにめやすきほどの用意なめり夕霧の一条御息所の返歌に対する感想。5.3.11
出典18 今年ばかりは 深草の野辺の桜し心あらば今年ばかりは墨染めに咲け 古今集哀傷-八三二 上野岑雄 5.3.5
出典19 あひ見むことは 春ごとに花の盛りはありなめどあひ見むことは命なりけり 古今集春下-九七 読人しらず 5.3.6
出典20 柳の芽にぞ玉はぬく より合はせて泣くなる声を糸にして我が涙をば玉にぬかなむ 古今六帖四-二四八〇 伊勢 5.3.10
校訂31 おぼえ おぼえ--*おほく 5.3.2
5.4
第四段 夕霧、太政大臣邸を訪問


5-4  Yugiri visits the residence of Kashiwagi's father

5.4.1  致仕の大殿に、やがて参り たまへれば、君たちあまたものしたまひけり。
 致仕の大殿に、そのまま参上なさったところ、弟君たちが大勢いらっしゃっていた。
 大将はそれから太政大臣家を訪問したが、子息たちの幾人かが出て、
   Tizi-no-Ohotono ni, yagate mawiri tamahe re ba, Kimi-tati amata monosi tamahi keri.
5.4.2  「 こなたに入らせたまへ
 「こちらにお入りあそばせ」
 こちらへと案内をしたので、
  "Konata ni ira se tamahe."
5.4.3  とあれば、 大臣の御出居の方に入りたまへり。 ためらひて対面したまへり。古りがたうきよげなる御容貌、いたう痩せ衰へて、御髭などもとりつくろひたまはねば、しげりて、 親の孝よりも、けにやつれたまへり見たてまつりたまふより、いと忍びがたければ、「 あまりにをさまらず乱れ落つる涙こそ、はしたなけれ」と思へば、せめてぞもて隠したまふ。
 と言うので、大臣の御客間の方にお入りになった。悲しみを抑えてご対面なさった。いつまでも若く美しいご容貌、ひどく痩せ衰えて、お髭などもお手入れなさらないので、いっぱい生えて、親の喪に服するよりも憔悴していらっしゃった。お会いなさるや、とても堪え切れないので、「あまりだらしなくこぼす涙は体裁が悪い」と思うので、無理にお隠しになる。
 大臣の離れ座敷のほうへ行っては無遠慮でないかと躊躇ちゅうちょをしながらはいって行ってしゅうとに逢った。いつまでも端麗な大臣の顔も非常にせ細ってしまって、ひげなどもらせないで伸びて、親を失った時に比べて子を死なせたあとの大臣は衰え方がひどいと世間で言われるとおりに見えた。顔を見た瞬間から悲しくなって流れ出した涙がいつまでも続いて流れてくるのを恥ずかしく思って大将は押し隠しながら、
  to are ba, Otodo no ohom-idewi no kata ni iri tamahe ri. Tamerahi te taimen si tamahe ri. Huri gatau kiyoge naru ohom-katati, itau yase otorohe te, ohom-hige nado mo tori-tukurohi tamaha ne ba, sigeri te, oya no keu yori mo, keni yature tamahe ri. Mi tatematuri tamahu yori, ito sinobi gatakere ba, "Amari ni wosamara zu midare oturu namida koso, hasitanakere." to omohe ba, semete zo mote-kakusi tamahu.
5.4.4  大臣も、「 取り分きて御仲よくものしたまひしを」と見たまふに、ただ降りに降り落ちて、えとどめたまはず、尽きせぬ御事どもを聞こえ交はしたまふ。
 大臣も、「特別仲好くいらしたのに」とお思いになると、ただ涙がこぼれこぼれて、お止めになることができず、語り尽きせぬ悲しみを互いにお話しなさる。
 
  Otodo mo, "Toriwaki te ohom-naka yoku monosi tamahi si wo." to mi tamahu ni, tada huri ni huri oti te, e todome tamaha zu, tuki se nu ohom-koto-domo wo kikoye kahasi tamahu.
5.4.5  一条の宮に参でたりつるありさまなど聞こえたまふ。いとどしう、 春雨かと見ゆるまで、軒の雫に異ならず、濡らし添へたまふ。 畳紙に、かの「 柳の芽にぞ」とありつるを、書い たまへるをたてまつりたまへば、「 目も見えずや」と、おし絞りつつ見たまふ。
 一条宮邸に参上した様子などを申し上げなさる。ますます、春雨かと思われるまで、軒の雫と違わないほど、いっそう涙をお流しになる。畳紙に、あの「柳の芽に」とあったのを、お書き留めになっていたのを差し上げなさると、「目も見えませんよ」と、涙を絞りながら御覧になる。
 一条の宮をおたずねして来た話などをした。初めからしめっぽいふうであった大臣はさらに多くの涙を見せて、故人の話を婿とし合った。懐紙ふところがみへ一条の御息所が書いて渡した歌を大将が見せようとすると、「目もよく見えないが」と涙の目をしばたたきながらそれを読もうとした。
  Itideu-no-Miya ni ma'de tari turu arisama nado kikoye tamahu. Itodosiu, harusame ka to miyuru made, noki no siduku ni kotonara zu, nurasi sohe tamahu. Tatamgami ni, kano "Yanagi no me ni zo" to ari turu wo, kai tamahe ru wo tatematuri tamahe ba, "Me mo miye zu ya" to, osi-sibori tutu mi tamahu.
5.4.6  うちひそみつつぞ見たまふ御さま、例は心強うあざやかに、誇りかなる御けしき名残なく、人悪ろし。さるは、異なることなかめれど、この「 玉はぬく」とある節の、げにと思さるるに、心乱れて、久しうえためらひたまはず。
 泣き顔をして御覧になるご様子、いつもは気丈できっぱりして、自信たっぷりのご様子もすっかり消えて、体裁が悪い。実のところ、特別良い歌ではないようだが、この「玉が貫く」とあるところが、なるほどと思わずにはいらっしゃれないので、心が乱れて、暫くの間、涙を堪えることができない。
 見栄みえも思わず目のためにしかめている顔は、平生の誇りに輝いた時の面影を失って見苦しかった。歌は平凡なものであったが、「玉はく」ということばは大臣自身にも痛切に感じていることであったから、相あわれむ涙が流れ出るふうで、すぐにまた言うのであった。
  Uti-hisomi tutu zo mi tamahu ohom-sama, rei ha kokoroduyou azayaka ni, hokorika naru mi-kesiki nagori naku, hitowarosi. Saruha, koto naru koto naka' mere do, kono "Tama ha nuku" to aru husi no, geni to obosa ruru ni, kokoro midare te, hisasiu e tamerahi tamaha zu.
5.4.7  「 君の御母君の隠れたまへりし秋なむ、世に悲しきことの際にはおぼえはべりしを、女は限りありて、見る人少なう、とあることもかかることもあらはならねば、悲しびも隠ろへてなむありける。
 「あなたの母上がお亡くなりになった秋は、本当に悲しみの極みに思われましたが、女性というものはきまりがって、知る人も少なく、あれこれと目立つこともないので、悲しみも表立つことはないのであった。
 「あなたのお母さんがくなられた時に、私はこれほど悲しいことはないと思ったが、女の人は世間と交渉を持つことが少ないために、不意にいろんな言葉が自分の痛い傷にさわるというようなこともなくて、今度のような苦しみをそのあとで感じることはなかったものです。
  "Kimi no ohom-Hahagimi no kakure tamahe ri si aki nam, yo ni kanasiki koto no kiha ni ha oboye haberi si wo, womna ha kagiri ari te, miru hito sukunau, to aru koto mo kakaru koto mo ara ha nara ne ba, kanasibi mo kakurohe te nam ari keru.
5.4.8   はかばかしからねど、朝廷も捨てたまはず、やうやう人となり、官位につけて、 あひ頼む人びと、おのづから次々に多うなりなどして、おどろき口惜しがるも、類に触れてあるべし。
 ふつつかな者でしたが、帝もお見捨てにならず、だんだんと一人前になって、官位も昇るにつれて、頼りとする人々が、自然と次々に多くなってきたりして、驚いたり残念に思う者も、いろいろな関係でいることでしょう。
 賢くもありませんでしたが、朝廷の御恩を受けて地位を得てゆくにしたがって彼の庇護を受けようとするものが次第に多くなっていたのですから、彼の死に失望をした者もずいぶんあるでしょう。
  Hakabakasikara ne do, Ohoyake mo sute tamaha zu, yauyau hito to nari, tukasa kurawi ni tuke te, ahi tanomu hitobito, onodukara tugitugini ohou nari nado si te, odoroki kutiwosigaru mo, rui ni hure te aru besi.
5.4.9  かう深き思ひは、その大方の世のおぼえも、 位も思ほえず。ただことなることなかりし みづからのありさまのみこそ、堪へがたく恋しかりけれ。 何ばかりのことにてか、思ひさますべからむ」
 このように深い嘆きは、その世間一般の評判も、官位のことは考えていません。ただ格別人と変わったところもなかった本人の有様だけが、堪え難く恋しいのです。いったいどのようにして、この悲しみが忘れられるのでしょう」
 しかし親である私は、そんなふうに勢力を得ていたのに惜しいとか、官位がどうなっていたかというようなことではなくて、平凡な息子むすこである裸の彼が堪えがたく恋しいのです。どんなことが私のこの悲しみを慰めるようになるのでしょう。それはありうることとは思われません」
  Kau hukaki omohi ha, sono ohokata no yo no oboye mo, tukasa kurawi mo omohoye zu. Tada koto naru koto nakari si midukara no arisama nomi koso, tahe gataku kohisikari kere. Nani bakari no koto nite ka, omohi samasu bekara m."
5.4.10  と、空を仰ぎて眺めたまふ。
 と言って、空を仰いで物思いに耽っていらっしゃる。
 大臣は空間に向いて歎息たんそくをした。
  to, sora wo ahugi te nagame tamahu.
5.4.11   夕暮の雲のけしき、鈍色に霞みて、花の散りたる梢どもをも、今日ぞ目とどめたまふ。 この御畳紙に、
 夕暮の雲の様子、鈍色に霞んで、花の散った梢々を、今日初めて目をお止めになる。さきほどの御畳紙に、
 夕方の雲がにび色にかすんで、桜の散ったあとのこずえにもこの時はじめて大臣は気づいたくらいである。御息所の歌の紙へ、
  Yuhugure no kumo no kesiki, nibiiro ni kasumi te, hana no tiri taru kozuwe-domo wo mo, kehu zo me todome tamahu. Kono ohom-tatamgami ni,
5.4.12  「 木の下の雫に濡れてさかさまに
   霞の衣着たる春かな
 「木の下の雫に濡れて逆様に
  親が子の喪に服している春です
  このもとの雪にれつつさかしまに
  かすみの衣着たる春かな
    "Ko no sita no siduku ni nure te sakasama ni
    kasumi no koromo ki taru haru kana
5.4.13  大将の君、
 大将の君、
 と書いた。大将も、
  Daisyau-no-Kimi,
5.4.14  「 亡き人も思はざりけむうち捨てて
   夕べの霞君着たれとは
 「亡くなった人も思わなかったことでしょう
  親に先立って父君に喪服を着て戴こうとは
  き人も思はざりけん打ち捨てて
  夕べの霞君着たれとは
    "Naki hito mo omoha zari kem uti-sute te
    yuhube no kasumi Kimi ki tare to ha
5.4.15  弁の君、
 弁の君、
 と書く。左大弁も、
  Ben-no-Kimi,
5.4.16  「 恨めしや霞の衣誰れ着よと
   春よりさきに花の散りけむ
 「恨めしいことよ、墨染の衣を誰が着ようと思って
  春より先に花は散ってしまったのでしょう
  恨めしや霞の衣たれ着よと
  春よりさきに花の散りけん
    "Uramesi ya kasumi no koromo tare ki yo to
    haru yori saki ni hana no tiri kem
5.4.17  御わざなど、世の常ならず、いかめしうなむありける。 大将殿の北の方をばさるものにて、殿は心ことに、誦経なども、あはれに深き心ばへを加へたまふ。
 ご法要などは、世間並でなく、立派に催されたのであった。大将殿の北の方はもちろんのこと、殿は特別に、誦経なども手厚くご趣向をお加えなさる。
 と書いた。大納言の法事は非常に盛んなものであった。左大将夫人が兄のためにささげ物をしたのはいうまでもないが、大将自身も真心のこもったささげ物をしたし、誦経ずきょうの寄付などにも並み並みならぬ友情を示した。
  Ohom-waza nado, yo no tune nara zu, ikamesiu nam ari keru. Daisyau-dono no Kitanokata wo ba saru mono nite, Tono ha kokoro koto ni, zukyau nado mo, ahare ni hukaki kokorobahe wo kuhahe tamahu.
注釈315こなたに入らせたまへ「君たち」(柏木の弟たち)の詞。5.4.2
注釈316大臣の御出居の方『集成』は「主人の、来客との対面所のような所。廂の間である」。『完訳』は「寝殿の表座敷のほうに」と注す。5.4.3
注釈317ためらひて対面したまへり『集成』は「かたちを改めて。悲嘆にくれていた涙を収めて、の意」。『完訳』は「大臣は悲しいお気持を静めて大将とご対面になった」と訳す。5.4.3
注釈318親の孝よりも、 けにやつれたまへり子が親の喪に服する以上のお悲しみようである、の意。
【けにやつれたまへり】−明融臨模本、付箋「孝経/哭弗依礼亡容」とある。
5.4.3
注釈319見たてまつりたまふより主語は夕霧。夕霧が致仕太政大臣を。5.4.3
注釈320あまりにをさまらず以下「はしたなけれ」まで、夕霧の心中。5.4.3
注釈321取り分きて御仲よくものしたまひしを定家筆本と明融臨模本は「とりわきて」とある。大島本は「とりわき」とある。『集成』『新大系』はそれぞれ底本定家筆本・大島本)のままとする。『完本』は諸本に従って「とりわき」と「て」を削除する。大臣の心中。夕霧と柏木の仲を思う。5.4.4
注釈322春雨かと見ゆるまで軒の雫に『集成』は「「春雨」「軒の雫」は歌語」。『完訳』は「「ただ降りに降り落ちて」とある縁で、涙を季節の雨と見立てた」と注す。5.4.5
注釈323畳紙に夕霧は御息所の返歌を自分の畳紙に書付けておいた。5.4.5
注釈324柳の芽にぞ御息所の返歌の第二句の文句。5.4.5
注釈325目も見えずや大臣の詞。終助詞「や」詠嘆。5.4.5
注釈326玉はぬく御息所の返歌の第三句の文句。5.4.6
注釈327君の御母君の以下「思ひさますべからむ」まで、大臣の詞。夕霧の母葵の上の死去の際を回想。5.4.7
注釈328はかばかしからねど話題転じて、柏木についていう。5.4.8
注釈329あひ頼む人びと『完訳』は「追従する者の多いのは、柏木が権勢家の道を歩んでいた証拠」と注す。5.4.8
注釈330みづからのありさま柏木の身の上をいう。5.4.9
注釈331何ばかりのことにてか定家筆本と明融臨模本、大島本は「ことにてか」とある。『集成』『新大系』は底本のままとする。『完本』は諸本に従って「ことにてかは」と「は」を補訂する。5.4.9
注釈332夕暮の雲のけしき明融臨模本、朱合点、付箋「夕暮の雲の気色を見るからになかめしとそおもふ心こそつけ/大空は恋しき人のかたみかは物おもふことに詠らるらん」(新古今集雑下、一八〇六、和泉式部と古今集恋四、七四三、酒井人真)。大島本、朱合点、行間書入「夕暮の雲の気しきをみるからになかめしとそおもふ心こそつけ」。古注では、新古今集歌は、『異本紫明抄』が指摘するが、現行の注釈書では指摘されない。古今集歌は旧注の『休聞抄』が指摘し、現行の注釈書でも指摘する。5.4.11
注釈333この御畳紙夕霧が差し上げた御息所の和歌を書いてある懐紙。5.4.11
注釈334木の下の雫に濡れてさかさまに--霞の衣着たる春かな大臣の歌。親が子の喪に服すことを「さかさまに」と言った。「霞の衣」は喪服を喩える。「木の下の雫」は亡き子を偲ぶ涙の意をこめる。5.4.12
注釈335亡き人も思はざりけむうち捨てて--夕べの霞君着たれとは夕霧の唱和歌。「亡き人」は柏木、「君」は父の大臣をさす。「着る」はそのまま用いるが、「霞の衣」を「夕の霞」と趣向を変える。5.4.14
注釈336恨めしや霞の衣誰れ着よと--春よりさきに花の散りけむ柏木の弟の弁の君の唱和歌。大臣の「霞の衣」「着る」「春」をそのまま用いるが、夕霧の「君」は「誰」と趣向を変える。「花」に柏木を喩える。5.4.16
注釈337大将殿の北の方雲居雁をさす。5.4.17
校訂32 たまへれば たまへれば--*給つれは 5.4.1
校訂33 たまへる たまへる--*給つる 5.4.5
校訂34 官--(/+つかさ) 5.4.9
5.5
第五段 四月、夕霧の一条宮邸を訪問


5-5  Yugiri visits Ichijo-palace in April

5.5.1  かの一条の宮にも、 常に訪らひきこえたまふ卯月ばかりの卯の花は、そこはかとなう心地よげに、 一つ色なる四方の梢もをかしう見えわたるを、 もの思ふ宿は、よろづのことにつけて静かに心細う、暮らしかねたまふに、例の渡りたまへり。
 あの一条宮邸にも、常にお見舞い申し上げなさる。四月ごろの卯の花は、どこそことなく心地よく、一面新緑に覆われた四方の木々の梢が美しく見わたされるが、物思いに沈んでいる家は、何につけてもひっそりと心細く、暮らしかねていらっしゃるところに、いつものように、お越しになった。
 左大将は一条の宮へ始終見舞いを言い送っていた。四月の初夏の空はどことなくさわやかで、あらゆる木立ちが一色の緑をつくっているのも、寂しい家ではすべて心細いことに見られて、宮の御母子おんぼしが悲しい退屈を覚えておいでになるころにまた左大将が来訪した。
  Kano Itideu-no-Miya ni mo, tuneni toburahi kikoye tamahu. Uduki bakari no unohana ha, sokohakatonau kokoti yoge ni, hitotuiro naru yomo no kozuwe mo wokasiu miye wataru wo, mono omohu yado ha, yorodu no koto ni tuke te siduka ni kokorobosou, kurasi kane tamahu ni, rei no watari tamahe ri.
5.5.2  庭もやうやう青み出づる若草見えわたり、ここかしこの砂子薄きものの隠れの方に、蓬も所得顔なり。前栽に心入れてつくろひたまひしも、心にまかせて茂りあひ、 一村薄も 頼もしげに広ごりて、虫の音添へむ秋 思ひやらるるより 、いとものあはれに露けくて、分け入りたまふ。
 庭もだんだんと青い芽を出した若草が一面に見えて、あちらこちらの白砂の薄くなった物蔭の所に、雑草がわが物顔に茂っている。前栽を熱心に手入れなさっていたのも、かって放題に茂りあって、一むらの薄も思う存分に延び広がって、虫の音が加わる秋が想像されると、もうとても悲しく涙ぐまれて、草を分けてお入りになる。
 植え込みの草などもすでに青く伸びて、敷き砂の間々には強いよもぎが広がりかえっていた。林泉に対する趣味を大納言は持っていて、美しくさせていたものであるが、そうした植え込みの灌木かんぼく類や花草の類もがさつに枝を伸ばすばかりになって、一むらすすきはそのかげに鳴く秋の虫のが今から想像されるほどはびこって見えるのも、大将の目には物哀れでしめっぽい気分がまず味わわれた。
  Niha mo yauyau awomi iduru wakakusa miye watari, kokokasiko no sunago usuki mono no kakure no kata ni, yomogi mo tokoroegaho nari. Sensai ni kokoro ire te tukurohi tamahi si mo, kokoro ni makase te sigeriahi, hitomura-susuki mo tanomosige ni hirogori te, musi no ne sohe m aki omohiyara ruru yori, ito mono ahare ni tuyukeku te, wakeiri tamahu.
5.5.3  伊予簾かけ渡して、 鈍色の几帳の衣更へしたる透影、涼しげに見えて 、よき童女の、こまやかに鈍ばめる汗衫のつま、頭つきなどほの見えたる、をかしけれど、なほ目おどろかるる色なりかし。
 伊予簾を一面に掛けて、鈍色の几帳を衣更えした透き影が、涼しそうに見えて、けっこうな童女の、濃い鈍色の汗衫の端、頭の恰好などがちらっと見えているのも、趣があるが、やはりはっとさせられる色である。
 喪の家として御簾みすに代えて伊予簾いよすが掛け渡され夏のに代えられたのもにび色の几帳きちょうがそれに透いて見えるのが目には涼しかった。姿のよいきれいな童女などの濃い鈍色の汗袗かざみの端とか、後ろ向きの頭とかが少しずつ見えるのは感じよく思われたが、何にもせよ鈍色というものは人をはっとさせる色であると思われた。
  Iyosu kake watasi te, nibiiro no kityau no koromogahe si taru sukikage, suzusige ni miye te, yoki waraha no, komayaka ni nibame ru kazami no tuma, kasiratuki nado hono-miye taru, wokasikere do, naho me odoroka ruru iro nari kasi.
5.5.4  今日は簀子にゐたまへば、茵さし出でたり。「 いと軽らかなる御座なり」とて、例の、御息所おどろかしきこゆれど、このごろ、悩ましとて寄り臥したまへり。とかく聞こえ紛らはすほど、 御前の木立ども、 思ふことなげなるけしきを見たまふも、いとものあはれなり。
 今日は簀子にお座りになったので、褥をさし出した。「まことに軽々しいお座席です」と言って、いつものように、御息所に応対をお促し申し上げるが、最近、気分が悪いといって物に寄り臥していらっしゃった。あれこれと座をお取り持ちする間、御前の木立が、何の悩みもなさそうに茂っている様子を御覧になるにつけても、とてもしみじみとした思いがする。
 今日は宮のお座敷の縁側にすわろうとしたので敷き物が内から出された。例の話し相手をする御息所みやすどころに出てくれと女房たちは勧めているのであったが、このころは身体からだが悪くて今日も寝ていた。御息所の出て来るまで、何かと女房が挨拶あいさつをしている時に、人間の思いとは関係のないふうに快く青々とした庭の木立ちに大将はながめ入っていたが、気持ちは悲しかった。
  Kehu ha sunoko ni wi tamahe ba, sitone sasi-ide tari. "Ito karuraka naru omasi nari." tote, rei no, Miyasudokoro odorokasi kikoyure do, konogoro, nayamasi tote yori husi tamahe ri. Tokaku kikoye magirahasu hodo, omahe no kodati-domo, omohu koto nage naru kesiki wo mi tamahu mo, ito mono-ahare nari.
5.5.5  柏木と楓との、ものよりけに若やかなる色して、枝さし交はしたるを、
 柏木と楓とが、他の木々よりも一段と若々しい色をして、枝をさし交わしているのを、
 かしわの木とかえでが若々しい色をして枝を差しかわして立っているのを指さして、大将は女房に、
  Kasihagi to kahede to no, mono yori keni wakayaka naru iro si te, eda sasi-kahasi taru wo,
5.5.6  「 いかなる契りにか、末逢へる頼もしさよ
 「どのような前世の縁でか、枝先が繋がっている頼もしさだ」
 「どんな因縁のある木どうしでしょう。枝が交じり合って信頼をしきっているようなのがいい」
  "Ikanaru tigiri ni ka, suwe ahe ru tanomosisa yo!"
5.5.7  などのたまひて、忍びやかに さし寄りて
 などとおっしゃって、目立たないように近寄って、
 などと言い、さらにみすのほうへ寄って、
  nado notamahi te, sinobiyaka ni sasi-yori te,
5.5.8  「 ことならば馴らしの枝にならさなむ
   葉守の神の許しありきと
 「同じことならばこの連理の枝のように親しくして下さい
  葉守の神の亡き方のお許があったのですからと
  「ことならばならしの枝にならさなん
  葉守はもりの神の許しありきと
    "Koto nara ba narasi no eda ni narasa nam
    Hamori-no-Kami no yurusi ari ki to
5.5.9  御簾の外の隔てあるほどこそ、恨めしけれ」
 御簾の外に隔てられているのは、恨めしい気がします」
 まだ御簾みすの隔てをお除きくださらないのが遺憾です」
  Misu no to no hedate aru hodo koso, uramesikere."
5.5.10  とて、長押に寄りゐたまへり。
 と言って、長押に寄りかかっていらっしゃった。
 と言った。一段高くなったへや長押なげしへ外から寄りかかっているのである。
  tote, nagesi ni yoriwi tamahe ri.
5.5.11  「 なよび姿はた、いといたう たをやぎけるをや」
 「くだけたお姿もまた、とてもたいそうしなやかでいらっしゃること」
 「柔らかい形をしていらっしゃる時に、また別な美しさがおありになりますよ」
  "Nayobi sugata hata, ito itau tawoyagi keru wo ya!"
5.5.12  と、これかれつきしろふ。この御あへしらひきこゆる少将の君といふ人して、
 と、お互いにつつき合っている。お相手を申し上げる少将の君という人を使って、
 と女房らはささやき合うのであった。今まで話していた少将という女房を取り次ぎにして宮はお返辞をおさせになった。
  to, korekare tukisirohu. Kono ohom-ahesirahi kikoyuru Seusyau-no-Kimi to ihu hito site,
5.5.13  「 柏木に葉守の神はまさずとも
   人ならすべき宿の梢か
 「柏木に葉守の神はいらっしゃらなくても
  みだりに人を近づけてよい梢でしょうか
  「柏木に葉守の神はいますとも
  人らすべき宿のこずゑ
    "Kasihagi ni Hamori-no-Kami ha masa zu tomo
    hito narasu beki yado no kozuwe ka
5.5.14   うちつけなる御言の葉になむ、浅う思ひたまへなりぬる」
 唐突なお言葉で、いい加減なお方と思えるようになりました」
 突然にそうしたお恨みをお言いかけになりますことで御好意が疑われます」
  Utituke naru ohom-kotonoha ni nam, asau omohi tamahe nari nuru."
5.5.15  と聞こゆれば、げにと思すに、すこしほほ笑みたまひぬ。
 と申し上げたので、なるほどとお思いになると、少し苦笑なさった。
 と伝えられたお言葉に道理があると思って大将は微笑した。
  to kikoyure ba, geni to obosu ni, sukosi hohowemi tamahi nu.
注釈338常に訪らひきこえたまふ主語は夕霧。5.5.1
注釈339卯月ばかりの卯の花は定家筆本と明融臨模本、大島本は「う月はかりのうのはなは」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「四月ばかりの空は」と校訂する。『新大系』は底本のままとする。5.5.1
注釈340一つ色なる大島本、合点、行間書入「みとりなる一色とそ春はみし」。「緑なるひとつ草とぞ春は見し秋は色々の花にぞありける」(古今集秋上、二四五、読人しらず)。古注では『河海抄』が指摘する。現行の注釈書では指摘しない。『完訳』は「一面新緑に彩られる。以下、その初夏の明るさが、悲傷のうちに荒廃した邸内を照らし出す趣」と注す。5.5.1
注釈341もの思ふ宿は大島本、朱合点、行間書入「古今 鳴わたるかりの涙や」と指摘。「鳴きわたる雁の涙や落ちつらむもの思ふ宿の萩の上の露」(古今集秋上、二二一、読人しらず)。古注では『異本紫明抄』が指摘する。5.5.1
注釈342一村薄も明融臨模本、朱合点、付箋「夕暮の一村薄露ちりて虫のねそはぬ秋かせそ吹□□僧正」。大島本、朱合点、行間書入「古今 君かうへし一むらすゝき虫の音の」と指摘。「君が植ゑし一むら薄虫の音のしげき野辺ともなりにけるかな」(古今集哀傷、八五三、御春有輔)。古注では『異本紫明抄』が指摘し、現行の注釈書でも指摘する。5.5.2
注釈343思ひやらるるより「るる」自発の助動詞。格助詞「より」起点を表す。『集成』は「思いやられるともう」。『完訳』は「さぞかしと思いやらずにはいられないので」と訳す。5.5.2
注釈344鈍色の几帳の衣更へしたる透影涼しげに見えて『集成』は「ここは几帳の帷を夏向きにしたのが、伊予簾の隙から見える趣」と注す。5.5.3
注釈345いと軽らかなる御座なり女房の詞。5.5.4
注釈346思ふことなげなるけしきを擬人法。木立が何の悩みもなさそうに生い茂る風情を夕霧がご覧になるにつけても、の意。5.5.4
注釈347いかなる契りにか末逢へる頼もしさよ夕霧の詞。独言。連理の枝を見ての感想。5.5.6
注釈348さし寄りて御簾の際に近づいて、の意。5.5.7
注釈349ことならば馴らしの枝にならさなむ--葉守の神の許しありきと明融臨模本、付箋「柏木に葉守の神のましけるをしらてそおりしたゝりなさるな/大和ニ枇杷殿<左大臣仲平>よりとしこか家に柏木のありけるを折におこせたりけるを/我やとはいつならしてかならのはのならしかほには折にをこする」。大島本、行間書入「我やとをいつかは君かならの葉のならしかほにもおりにおこするとしこ返事/かしは木に葉もりの神のましけるをしらてそおりしたゝりなさるな左大臣仲平」と指摘。「我が宿をいつならしてか楢の葉をならし顔には折りておこする」(後撰集雑二、一一八三、俊子)「楢の葉の葉守の神のましけるを知らで折りしたたりなさるな」(後撰集雑二、一一八四、枇杷左大臣)。古注では『異本紫明抄』が指摘する。5.5.8
注釈350なよび姿以下「たをやぎけるをや」まで、女房の噂。5.5.11
注釈351柏木に葉守の神はまさずとも--人ならすべき宿の梢か少将の君の返歌。「葉守の神」は柏木に宿るということから、「柏木」「葉守の神」を用い、「神の許し」に対して、「神はまさずとも」「なさすべき」という反語表現で切り返す。5.5.13
注釈352うちつけなる以下「思ひたまへなりぬる」まで、歌に添えた詞。5.5.14
出典21 一村薄 君が植ゑし一村薄虫の音しげき野辺ともなりにけるかな 古今集哀傷-八五三 三春有助 5.5.2
出典22 葉守の神 楢の葉の葉守の神のましけるを知らで折りし祟りなさるな 後撰集雑二-一一八三 藤原仲平 5.5.8
校訂35 やらるる やらるる--やられ(れ/$)るゝ 5.5.2
校訂36 鈍色 鈍色--にひ(ひ/+い)ろ 5.5.3
校訂37 御前 御前--を(を/#お)まへ 5.5.4
校訂38 たをやぎける たをやぎける--たをや(や/+き)ける 5.5.11
5.6
第六段 夕霧、御息所と対話


5-6  A dialogue between Yugiri and Ochiba-no-Miya's mother

5.6.1  御息所ゐざり出でたまふけはひすれば、やをらゐ直りたまひぬ。
 御息所のいざり出でなさるご様子がするので、静かに居ずまいを正しなさった。
 その時に御息所がいざって来る気配けはいがしたので大将は少しいずまいを直した。
  Miyasumdokoro wizari ide tamahu kehahi sure ba, yawora winahori tamahi nu.
5.6.2  「 憂き世の中を、思ひたまへ沈む月日の積もるけぢめにや、乱り心地も、あやしうほれぼれしうて過ぐしはべるを、かくたびたび重ねさせたまふ御訪らひの、いとかたじけなきに、思ひたまへ起こしてなむ」
 「嫌な世の中を、悲しみに沈んで月日を重ねてきたせいでしょうか、気分の悪いのも、妙にぼうっとして過ごしておりますが、このように度々重ねてお見舞い下さるのが、まことにもったいので、元気を奮い起こしまして」
 「世の中のことをあまりに悲しく思い過ぐしますせいですか、身体からだのぐあいが悪うございまして、ぼけたようにもなって暮らしておりますが、こうしてたびたびの御親切な御訪問に力づけられまして出てまいりました」
  "Uki yononaka wo, omohi tamahe sidumu tukihi no tumoru kedime ni ya, midarigokoti mo, ayasiu horeboresiu te sugusi haberu wo, kaku tabitabi kasane sase tamahu ohom-toburahi no, ito katazikenaki ni, omohi tamahe okosi te nam."
5.6.3  とて、げに悩ましげなる御けはひなり。
 と言って、本当に苦しそうなご様子である。
 と御息所は言ったが、言葉どおりに病気らしく感じられた。
  tote, geni nayamasige naru ohom-kehahi nari.
5.6.4  「 思ほし嘆くは世のことわりなれど、またいとさのみはいかが。よろづのこと、さるべきにこそはべめれ。 さすがに限りある世になむ
 「お嘆きになるのは、世間の道理ですが、またそんなに悲しんでばかりいられるのもいかがなものかと。何事も、前世からの約束事でございましょう。何といっても限りのある世の中です」
 「故人をお悲しみになりますことはごもっとも至極なことですが、しかしそんなにまで深くおなげきになってはよろしくないでしょう。この世のことはみな前生からのきまっている因縁の現われですから、そう思えばさすがに際限もなく悲しみばかりの続くものでないことがわかると思いますが」
  "Omohosi nageku ha, yo no kotowari nare do, mata ito sa nomi ha ikaga? Yorodu no koto, sarubeki ni koso habe' mere. Sasugani kagiri aru yo ni nam."
5.6.5  と、慰めきこえたまふ。
 と、お慰め申し上げなさる。
 などと大将は慰めていた。
  to, nagusame kikoye tamahu.
5.6.6  「 この宮こそ、聞きしよりは心の奥見えたまへ、あはれ、 げに、いかに人笑はれなることを取り添へて思すらむ
 「この宮は、聞いていたよりも奥ゆかしいところがお見えになるが、お気の毒に、なるほど、どんなにか外聞の悪い事を加えてお嘆きになっていられることだろう」
 この宮は以前うわさに聞いていたよりも優美な女性らしいが、お気の毒にも良人おっとにお別れになった悲しみのほかに、世間から不幸な人におなりになったことをあわれまれるのを苦しく思っておいでになるのであろう
  "Kono Miya koso, kiki si yori ha kokoro no oku miye tamahe, ahare, geni, ikani hitowaraha re naru koto wo torisohe te obosu ram."
5.6.7  と思ふもただならねば、いたう心とどめて、御ありさまも問ひきこえたまひけり。
 と思うと心が動くので、たいそう心をこめて、ご様子をもお尋ね申し上げなさった。
 と思う同情の念がいつかその方を恋しく思う心に変わってゆくのをみずから認めるようになった大将は熱心に宮の御近状などを御息所に尋ねていた。
  to omohu mo tadanara ne ba, itau kokoro todome te, ohom-arisama mo tohi kikoye tamahi keri.
5.6.8  「 容貌ぞいとまほにはえものしたまふまじけれど、いと見苦しうかたはらいたきほどにだにあらずは、などて、 見る目により 人をも思ひ飽き、また、さるまじきに心をも惑はすべきぞ。さま悪しや。ただ、心ばせのみこそ、言ひもてゆかむには、やむごとなかるべけれ」と思ほす。
 「器量などはとても十人並でいらっしゃるまいけれども、ひどくみっともなくて見ていられない程でなければ、どうして、見た目が悪いといって相手を嫌いになったり、また、大それたことに心を迷わすことがあってよいものか。みっともないことだ。ただ、気立てだけが、結局は、大切なのだ」とお考えになる。
 御容貌きりょうはそうよくはおありでならないであろうが、醜くて気の毒な気持ちのする程度でさえなければ、外見だけのことでその人がいやになるようなことがあったり、ほかの人に心を移すようなことは自分にできるはずがない、そんな恥知らずなことは自分の趣味でない、性格のよしあしで尊重すべき女と、そうでない女はけらるべきであるなどと思っていた。
  "Katati zo ito maho ni ha e monosi tamahu mazikere do, ito migurusiu kataharaitaki hodo ni dani ara zu ha, nadote, mirume ni yori hito wo mo omohi-aki, mata, sarumaziki ni kokoro wo mo madohasu beki zo. Sama asi ya! Tada, kokorobase nomi koso, ihi mote yuka m ni ha, yamgotonakaru bekere." to omohosu.
5.6.9  「 今はなほ昔に思ほしなずらへて、疎からずもてなさせたまへ」
 「今はやはり故人と同様にお考え下さって、親しくお付き合い下さいませ」
 「もうお心安くなったのですから、衛門督えもんのかみをお取り扱いになりましたごとく、私を他人らしくなく御待遇くださいますように」
  "Ima ha naho mukasi ni omohosi nazurahe te, utokara zu motenasa se tamahe."
5.6.10  など、わざと懸想びてはあらねど、ねむごろにけしきばみて聞こえたまふ。直衣姿いとあざやかにて、丈だちものものしう、 そぞろかに ぞ見えたまひける。
 などと、特に色めいたおっしゃりようではないが、心を込めて気のある申し上げ方をなさる。直衣姿がとても鮮やかで、背丈も堂々と、すらりと高くお見えであった。
 などと、恋を現わして言うのではないが、持ってほしい好意をねんごろに要求する大将であった。
  nado, wazato kesaubi te ha ara ne do, nemgoro ni kesikibami te kikoye tamahu. Nahosi sugata ito azayaka nite, takedati monomonosiu, sozoroka ni zo miye tamahi keru.
5.6.11  「 かの大殿は、よろづのことなつかしうなまめき、あてに愛敬づきたまへることの並びなきなり」
 「お亡くなりになった殿は、何事にもお優しく美しく、上品で魅力的なところがおありだったことは無類でした」
 その直衣のうし姿は清楚せいそで、背が高くりっぱに見えた。六条院様はなつかしくえん美貌びぼうで、そしてお品のよい愛嬌あいきょうが無類なのですよ。
  "Kano Otodo ha, yorodu no koto natukasiu namameki, ate ni aigyauduki tamahe ru koto no narabinaki nari."
5.6.12  「これは、男々しうはなやかに、あなきよらと、ふと見えたまふにほひぞ、人に似ぬや」
 「こちらは、男性的で派手で、何と美しいのだろうと、直ぐにお見えになる美しさは、ずば抜けています」
 この方は男らしくはなやかで、ああきれいだと思う第一印象がだれよりもすぐれておいでになりますよ」
  "Kore ha, wowosiu hanayaka ni, ana kiyora to, huto miye tamahu nihohi zo, hito ni ni nu ya!"
5.6.13  と、うち ささめきて、
 と、ささやいて、
 などと女房たちは言って、
  to, uti sasameki te,
5.6.14  「 同じうは、かやうにても出で入りたまはましかば
 「同じことなら、このようにしてお出入りして下さったならば」
 「かなうことなら宮様の殿様におなりになって始終おいでくださることになればいい」
  "Onaziu ha, kayau nite mo ideiri tamaha masika ba."
5.6.15  など、人びと言ふめり。
 などと、女房たちは言っているようである。
 こんなことまでも思ったに違いない。
  nado, hitobito ihu meri.
5.6.16  「 右将軍が墓に草初めて青し
 「右将軍の墓に草初めて青し」
 「右将軍が墓に草はじめて青し」
  "Iusyaugun ga tuka ni kusa hazime te awosi"
5.6.17  と、うち口ずさびて、 それもいと近き世のことなれば、さまざまに近う遠う、心乱るやうなりし世の中に、高きも下れるも、惜しみあたらしがらぬはなきも、 むべむべしき方をばさるものにて、あやしう情けを立てたる人にぞものしたまひければ、さしもあるまじき公人、女房などの年古めき たるどもさへ、恋ひ悲しびきこゆる。まして、上には、御遊びなどの折ごとにも、まづ思し出でてなむ、しのばせたまひける。
 と口ずさんで、それも最近の事だったので、あれこれと近頃も昔も、人の心を悲しませるような世の中の出来事に、身分の高い人も低い人も、惜しみ残念がらない者がないのも、もっともらしく格式ばった事柄はそれとして、不思議と人情の厚い方でいらっしゃったので、大したこともない役人、女房などの年取った者たちまでが、恋い悲しみ申し上げた。それ以上に、主上におかせられては、管弦の御遊などの折毎に、まっさきにお思い出しになって、お偲びあそばされた。
 と大将は口ずさみながらも、この詩も近ごろった人をいたんだ詩であることから、詩の中の右将軍の惜しまれたと同じように、世人が上下こぞって惜しんだ幾月か前の友人の死を思うのであった。みかども音楽の遊びを催される時などには、いつの場合にも衛門督えもんのかみを御追憶あそばすのであった。
  to, uti-kutizusabi te, sore mo ito tikaki yo no koto nare ba, samazama ni tikau tohou, kokoro midaru yau nari si yononaka ni, takaki mo kudare ru mo, wosimi atarasigara nu ha naki mo, mubemubesiki kata wo ba saru mono nite, ayasiu nasake wo tate taru hito ni zo monosi tamahi kere ba, sasimo arumaziki ohoyakebito, nyoubau nado no tosi hurumeki taru domo sahe, kohi kanasibi kikoyuru. Masite, Uhe ni ha, ohom-asobi nado no wori goto ni mo, madu obosi ide te nam, sinoba se tamahi keru.
5.6.18  「 あはれ、衛門督
 「ああ、衛門督よ」
 「ああ衛門督が」
  "Ahare, Wemon-no-Kami!"
5.6.19  といふ言種、何ごとにつけても言はぬ人なし。六条院には、ましてあはれと思し出づること、月日に添へて多かり。
 と言う口癖を、何事につけても言わない人はいない。六条院におかれては、まして気の毒にとお思い出しになること、月日の経つにつれて多くなっていく。
 という言葉を何につけても言わない人はないのである。六条院はまして故人をおあわれみになることが月日に添えてまさっていった。
  to ihu kotogusa, nanigoto ni tuke te mo iha nu hito nasi. Rokudeu-no-Win ni ha, masite ahare to obosi iduru koto, tukihi ni sohe te ohokari.
5.6.20  この若君を、御心一つには形見と見なしたまへど、人の思ひ寄らぬことなれば、いとかひなし。秋つ方になれば、 この君は、ゐざりなど
 この若君を、お心の中では形見と御覧になるが、誰も知らないことなので、まことに何の張り合いもない。秋頃になると、この若君は、這い這いをし出したりなどして。
 宮の若君を院のお心だけでは衛門督の形見と見ておいでになるのであるが、だれも、この形見のあるのは知らぬことであったから、何ものからも面影をとらえることは不可能だと思って衛門督を悲しんでいるのであった。秋になったころからこの若君はいなどなさる様子が言いようもないくらいかわいいので、院は人前ばかりでなく、しんからいとしくて、いつも抱いて大事になさるのであった。
  Kono Wakagimi wo, ohom-kokoro hitotu ni ha katami to mi nasi tamahe do, hito no omohiyora nu koto nare ba, ito kahinasi. Aki tu kata ni nare ba, kono Kimi ha, wizari nado.
注釈353憂き世の中を以下「思ひたまへ起こしてなむ」まで、御息所の詞。5.6.2
注釈354思ほし嘆くは以下「限りある世になむ」まで、夕霧の詞。5.6.4
注釈355世のことわりなれど大島本、朱合点、行間書入「松風のふけはさすかにわひしはた世のことはりと思ふ物から」と指摘。「秋風の吹けばさすがに侘しきは世のことわりと思ふ物から」(後撰集秋上、二五〇、読人しらず)。古注では『異本紫明抄』が指摘するが、現行の注釈書では指摘されない。5.6.4
注釈356さすがに限りある世になむ『集成』は「やはり世間とはそうしたものでございます。いくら悲しくても、いつまでも悲しんではいられない、というほどの意」と注す。5.6.4
注釈357この宮こそ以下「取り添へて思すらむ」まで、夕霧の心中。落葉宮を思う。5.6.6
注釈358げにいかに人笑はれなることを取り添へて思すらむ『集成』は「ほんとに、どんなにか世間の笑いものになることを、死別の悲しみに加えて、お悩みのことだろう。皇女としての体面を苦にしておいでだろう、の意」と注す。5.6.6
注釈359容貌ぞいとまほには以下「やむごとなかるべけれ」まで、夕霧の心中。『完訳』は「ご器量はそれほど申し分のないというほどではいらっしゃらないようだけれど」「柏木の情愛の薄さを根拠に推量」と注す。5.6.8
注釈360見る目により明融臨模本、朱合点。大島本、朱合点、行間書入「伊勢の海人の朝な夕なに」。「伊勢の海人の朝な夕なにかづくてふみるめに人をあくよしもがな」(古今集恋四、六八三、読人しらず)。古注では『異本紫明抄』が指摘する。5.6.8
注釈361人をも思ひ飽き、また、さるまじきに心をも惑はすべきぞ『集成』は「柏木のことを思うのである」と注す。5.6.8
注釈362今はなほ以下「もてなさせたまへ」まで、夕霧の詞。5.6.9
注釈363そぞろかに定家筆本と明融臨模本は「そろゝかに」とある。大島本は「そゝろかに」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「そぞろかに」と校訂する。『新大系』は底本(大島本)のままとする。5.6.10
注釈364かの大殿は以下「人に似ぬや」まで、女房の詞。「かの大殿」は柏木をさす。夕霧との比較。5.6.11
注釈365同じうは、かやうにても出で入りたまはましかば女房の詞。反実仮想がやがて本物の事態となる。5.6.14
注釈366右将軍が墓に草初めて青し夕霧の詞。口ずさみ。明融臨模本、付箋「右大将保忠カ事ヲ作レル也/天與善人吾不信/右将軍墓草初青(秋)紀在昌」。大島本、行間書入「時平子右大将保忠墓ヲシテ紀在昌作詩右将軍カ墓草初秋ナリ」。中山家本、朱合点、奥入「天與善人吾不信右将軍墓草初青」と指摘。古注では『源氏釈』が「天與善人吾不信右将軍墓草初青(秋)」と指摘する。紀在昌の詩句は『本朝秀句』所収。現在逸書。『河海抄』所引によれば、原詩は「初青」ではなく「初秋」とあった。夕霧が言い換えたものか。5.6.16
注釈367それもいと近き世のことなれば右大将藤原保忠の死去は朱雀天皇の承平六年(九三六)七月十四日。四十七歳。5.6.17
注釈368むべむべしき方をばさるものにて『集成』は「人柄の表立った面は言うまでもないとして」「公人としての才幹、学識、技芸といった面をいう」。『完訳』は「もっともらしく格式ばった事柄。公人としての才学、技芸」と注す。5.6.17
注釈369あはれ衛門督『新し大系』は「あああ、衛門督よ。物語の読者は前の女三宮へことづけた柏木の「あはれとだにのたまはせよ」という遺志が残されたみなに行き渡っている感じを受け取る」と注す。5.6.18
注釈370この君はゐざりなど河内本はこの後にさらに五十八字の文章が続く。別本では御物本と保坂本に同文がある。大島本は切り裂いて削除した跡が見られる。言いさした終わり方である。5.6.20
出典23 見る目により人をも思ひ飽き 伊勢の海人の朝な夕なにかづくてふみるめに人を飽くよしもがな 古今集恋四-六八三 読人しらず 5.6.8
出典24 右将軍が墓に草初めて青し 天与善人吾不信 右将軍墓草初秋 本朝秀句-河海抄所引 5.6.16
校訂39 そぞろか そぞろか--*そろゝか 5.6.10
校訂40 ささめき ささめき--△△(△△/#さゝ)めき 5.6.13
校訂41 たるども たるども--たる(る/+と)も 5.6.17
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渋谷栄一校訂(C)
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渋谷栄一注釈(C)
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渋谷栄一訳(C)(ver.1-2-2)
現代語訳
与謝野晶子
電子化
上田英代(古典総合研究所)
底本
角川文庫 全訳源氏物語
校正・
ルビ復活
鈴木厚司(青空文庫)

2004年2月7日

渋谷栄一訳
との突合せ
若林貴幸、宮脇文経

2005年7月31日

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Written in Japanese roman letters
by Eiichi Shibuya (C)
Picture "Eiri Genji Monogatari"(1650 1st edition)
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