第三十九帖 夕霧


39 YUHUGIRI (Ohoshima-bon)


光る源氏の准太上天皇時代
五十歳秋から冬までの物語



Tale of Hikaru-Genji's Daijo Tenno era, from fall to winter, at the age of 50

7
第七章 雲居雁の物語 夕霧の妻たちの物語


7  Tale of Kumoinokari  Yugiri's wives

7.1
第一段 雲居雁、実家へ帰る


7-1  Kumoinokari goes back to her father's home

7.1.1  かくせめても見馴れ顔に 作りたまふほど、三条殿、
 このように無理して馴染んだ顔をしていらっしゃるので、三条殿は、
 実質はともかくも、この家の主人らしい生活を大将が一条で始めている数日間を、三条の夫人はもう捨てられ果てたもののように見て、
  Kaku semete mo minaregaho ni tukuri tamahu hodo, Samdeu-dono,
7.1.2  「 限りなめりと、さしもやはとこそ、かつは頼みつれ、まめ人の心変はるは名残なくなむと聞きしは、まことなりけり」
 「これが最後のようだと、まさかそんなことはあるまいと、一方では信頼していたが、実直な人が浮気したら跡形もなくなると聞いていたことは、本当のことであった」
 これほど愛をことごとく新しい人に移すこともしないであろうと信頼していたのは自分の誤解であった、忠実であった良人がほかに恋人のできた時は、愛の痕跡こんせきも残さず変わってしまうものだ
  "Kagiri na' meri to, sasimo yaha to koso, katuha tanomi ture, mamebito no kokoro kaharu ha nagori naku nam to kiki si ha, makoto nari keri."
7.1.3  と、 世を試みつる心地して、「いかさまにしてこのなめげさを見じ」と思しければ、大殿へ、方違へむとて、渡りたまひにけるを、 女御の里におはするほどなどに、対面したまうて、すこしもの思ひはるけどころに思されて、例のやうにも 急ぎ渡りたまはず
 と、夫婦の仲を見届けてしまった感じがして、「どうにしてこの侮辱を味わっていようか」とお思いになったので、大殿邸へ、方違えしようと思って、お移りになったところ、弘徽殿の女御が里にいらっしゃる時でもあり、お会いなさって、少し悩みが晴れることとお思いになって、いつものように急いでお帰りにならない。
 と人の言うのはうそでないと、苦しい体験をはじめてするという気もしてこの侮辱にじっと堪えていることはできないことであると思って、父の大臣家へ方角けに行くと言ってやしきを出て行った。女御にょごが実家に帰っている時でもあったから、姉君にもって、悩ましい気持ちの少し紛らすこともできた雲井くもいかり夫人は、平生のようにすぐ翌日に邸へ帰るようなこともせず父の家の客になっていた。
  to, yo wo kokoromi turu kokoti si te, "Ikasamani si te kono namegesa wo mi zi." to obosi kere ba, Ohoi-dono he, katatagahe m tote, watari tamahi ni keru wo, Nyougo no sato ni ohasuru hodo nado ni, taimen si tamau te, sukosi mono-omohi haruke dokoro ni obosa re te, rei no yau ni mo isogi watari tamaha zu.
7.1.4  大将殿も聞きたまひて、
 大将殿もお聞きになって、
 これはすぐに左大将へも聞こえて行った。
  Daisyau-dono mo kiki tamahi te,
7.1.5  「 さればよ。いと急にものしたまふ本性なり。この大臣もはた、おとなおとなしうのどめたるところ、さすがになく、いとひききりにはなやいたまへる人びとにて、めざまし、見じ、聞かじなど、 ひがひがしきことどもし出でたまうつべき
 「やはりそうであったか。まことせかっちでいらっしゃる性格だ。この大殿の方も、また、年輩者らしくゆったりと落ち着いているところが、何といってもなく、実に性急で派手でいらっしゃる方々だから、気にくわない、見るものか、聞くものかなどと、不都合なことをおっしゃり出すかも知れない」
 そんなことがあるようにも予感されたことである、はげしい性質の人であるからと大将は思った。大臣もまたりっぱな人物でありながら大人たいじんらしい寛大さの欠けた性格であるから、一徹に目にものを見せようとされないものでもない、失敬である、もう絶交するというような態度をとられて、家庭の醜態が外へ知られることになってはならぬ
  "Sarebayo! Ito kihuni monosi tamahu honzyau nari. Kono Otodo mo hata, otonaotonasiu nodome taru tokoro, sasugani naku, ito hikikiri ni hanayai tamahe ru hitobito nite, mezamasi, mi zi, kika zi nado, higahigasiki koto-domo si ide tamau tu beki."
7.1.6  と、驚かれたまうて、三条殿に渡りたまへれば、君たちも、片へは止まりたまへれば、 姫君たち、さてはいと幼きとをぞ率ておはしにける、見つけてよろこびむつれ、あるは 上を恋ひたてまつりて、愁へ泣きたまふを、心苦しと思す。
 と、驚きなさって、三条殿にお帰りになると、子供たちも、半ばは残っていらっしゃって、姫君たちと、それからとても幼い子は連れていらっしゃっていたのだが、見つけて喜んで纏わりつき、ある者は母上を恋い慕い申して、悲しんで泣いていらっしゃるのを、かわいそうにとお思いになる。
 と驚いて、三条へ帰って見ると、子供は半分ほどあとに残されているのであった。姫君たちと幼少な子だけを夫人はつれて行ったのである。父を見つけて喜んでまつわりに来る子もあれば、母を恋しがって泣く子もあるのを、大将は心苦しく思った。
  to, odoroka re tamau te, Samdeu-dono ni watari tamahe re ba, Kimi-tati mo, katahe ha tomari tamahe re ba, HimeGimi-tati, sateha ito wosanaki to wo zo wi te ohasi ni keru, mituke te yorokobi muture, aruha Uhe wo kohi tatematuri te, urehe naki tamahu wo, kokorogurusi to obosu.
7.1.7  消息たびたび聞こえて、 迎へにたてまつれたまへど、御返りだになし。かくかたくなしう軽々しの世やと、ものしうおぼえたまへど、大臣の見聞きたまはむところもあれば、暮らして、みづから参りたまへり。
 手紙を頻繁に差し上げて、お迎えに参上なさるが、お返事すらない。このように頑固で軽率な夫婦仲だと、嫌に思われなさるが、大殿が見たり聞いたりなさる手前もあるので、日が暮れてから、自分自身で参上なさった。
 手紙をたびたびやって迎えの車を出すが、夫人からは返事もして来なかった。こうして妻に意地を張られるようなことは、自分らの貴族の間にはないことであるがと、うとましく思いながらも、大臣へ対しての義理を思って、日の暮れるのを待って自身で夕霧は迎えに行った。
  Seusoko tabitabi kikoye te, mukahe ni tatemature tamahe do, ohom-kaheri dani nasi. Kaku katakunasiu karugarusi no yo ya to, monosiu oboye tamahe do, Otodo no mi kiki tamaha m tokoro mo are ba, kurasi te, midukara mawiri tamahe ri.
注釈917作りたまふほど主語は夕霧。7.1.1
注釈918限りなめりと以下「まことなりけり」まで、雲居雁の心中、地の文に織り交ぜて叙述。7.1.2
注釈919世を試みつる心地して『集成』は「夫婦の仲を見届けてしまった気がして」。『完訳』は「男女の仲らいの定めなさがすっかり分ってしまったような心地がして」と訳す。7.1.3
注釈920女御の里におはするほどなどに弘徽殿の女御。雲居雁とは異母姉妹。7.1.3
注釈921急ぎ渡りたまはず三条邸に急いで帰らない。7.1.3
注釈922さればよいと急に以下「し出でたまうつべき」まで、夕霧の心中。7.1.5
注釈923ひがひがしきことどもし出でたまうつべき『集成』は「相手が相手だから、離縁話に発展しかねない、とあやぶむ」。「し出でつべき」連体中止法、余情余意表現。7.1.5
注釈924姫君たちさてはいと幼きとをぞ率ておはしにける挿入句。直前の「止まりたまへれば」はこの句の下の「見つけて」に続く。7.1.6
注釈925上を恋ひたてまつりて母上を恋しがって。7.1.6
注釈926迎へにたてまつれたまへど人をして迎えに差し向けなさるが、の意。7.1.7
7.2
第二段 夕霧、雲居雁の実家へ行く


7-2  Yugiri goes Kumoinokari's father's home

7.2.1   寝殿になむおはするとて、 例の渡りたまふ方は、御達のみさぶらふ。若君たちぞ、乳母に添ひておはしける。
 寝殿にいらっしゃると聞いて、いつもお帰りの時に使う部屋は、年配の女房たちだけが控えている。若君たちは、乳母と一緒にいらっしゃった。
 「寝殿にいらっしゃいます」ということで、平生行って使っている座敷のほうには女房だけがいた。男の子供たちだけは乳母めのとに添ってここにいた。
  Sinden ni nam ohasuru tote, rei no watari tamahu kata ha, gotati nomi saburahu. WakaGimi-tati zo, Menoto ni sohi te ohasi keru.
7.2.2  「 今さらに若々しの御まじらひや。かかる人を、ここかしこに落しおきたまひて。 など寝殿の御まじらひはふさはしからぬ御心の筋とは、年ごろ見知りたれど、 さるべきにや、昔より心に離れがたう思ひきこえて、今はかく、 くだくだしき人の数々あはれなるを、 かたみに見捨つべきにやはと、頼みきこえける。 はかなき一節に、かうはもてなしたまふべくや」
 「今になって若々しいお付き合いをなさることだ。このような子を、あちらやこちらにほって置きなさって。どうして寝殿でお話に熱中なさっているのですか。不似合いなご性格とは、長年見知っていたが、前世からの宿縁だろうか、昔から忘れられない人とお思い申し上げて、今ではこのように、手のかかった子供たちも大勢かわいくなっているのを、お互いに見捨ててよいものかと、お頼み申しているのです。ちょっとしたことで、こんなふうになさってよいものでしょうか」
 今さら若々しい態度をとるあなたではありませんか。かわいい人たちをあちらこちらへ置きはなしにして、自身は寝殿でお姫様に帰った気でいられるあなたの気持ちは解釈に苦しむ。私への愛情がそんなふうに少ないとは私にもわかっているのですが、昔からあなたにばかりかれる心を私は持っているし、今ではおおぜいのかわいそうな子供ができているのですから、二人の結合のゆるむことはないと信じていたのに、ちょっとしたことにこだわって、こんな扱いを私になさることはいいことだろうか」
  "Imasara ni wakawakasi no ohom-mazirahi ya! Kakaru hito wo, kokokasiko ni otosi oki tamahi te. Nado sinden no ohom-mazirahi ha. Husahasikara nu mi-kokoro no sudi to ha, tosigoro misiri tare do, sarubeki ni ya, mukasi yori kokoro ni hanare gatau omohi kikoye te, ima ha kaku, kudakudasiki hito no kazukazu ahare naru wo, katamini misutu beki ni yaha to, tanomi kikoye keru. Hakanaki hitohusi ni, kau ha motenasi tamahu beku ya!"
7.2.3  と、いみじうあはめ恨み申したまへば、
 と、ひどく非難しお恨み申し上げなさると、
 取り次ぎによって夕霧はこう妻を責めた。
  to, imiziu ahame urami mausi tamahe ba,
7.2.4  「 何ごとも、今はと 見飽きたまひにける身なれば、今はた、直るべきにもあらぬを、 何かはとてあやしき人びとは、思し捨てずは、うれしうこそはあらめ」
 「何もかも、もう飽き飽きしたと見限られてしまった身ですので、今さらまた、直るものでないのを、どうして直そうかと思いまして。見苦しい子供たちは、お忘れにならなければ、嬉しく思いましょう」
 「もうすべてのことがお気に入らないものになってしまったのですから、お困りになる私の性質は今さら直す必要もないと思います。かわいそうな子供たちだけを愛してくださればうれしく思います」
  "Nanigoto mo, ima ha to mi aki tamahi ni keru mi nare ba, ima hata, nahoru beki ni mo ara nu wo, nani kaha tote. Ayasiki hitobito ha, obosi sute zu ha, uresiu koso ha ara me."
7.2.5  と聞こえたまへり。
 とお答え申し上げなさった。
 と夫人は返事をさせた。
  to kikoye tamahe ri.
7.2.6  「 なだらかの御いらへや。言ひもていけば、誰が名か惜しき
 「穏やかなお返事ですね。言い続けていったら、誰が悪く言われるでしょう」
 「おとなしい御挨拶あいさつだ。結局はだれの不名誉になることとお思いになるのだろう」
  "Nadaraka no ohom-irahe ya! Ihi mote ike ba, taga na ka wosiki."
7.2.7  とて、しひて渡りたまへともなくて、その夜はひとり臥したまへり。
 と言って、無理にお帰りになりなさいとも言わずに、その夜は独りでお寝みになった。
 と言って、しいて夫人の出て来ることも求めずに、この晩は一人で寝ることにした。
  tote, sihite watari tamahe to mo naku te, sono yo ha hitori husi tamahe ri.
7.2.8  「 あやしう中空なるころかな」と思ひつつ、君たちを前に臥せたまひて、 かしこにまた、いかに思し乱るらむさま、思ひやりきこえ、やすからぬ心尽くしなれば、「 いかなる人、かうやうなることをかしうおぼゆらむ」など、物懲りしぬべうおぼえたまふ。
 「変に中途半端なこのごろだ」と思いながら、子供たちを前にお寝せになって、あちらではまた、どんなにお悩みになっていらっしゃるだろう様子を、ご想像申し上げ、気の安まらない心地なので、「どのような人が、このようなことを興味もつのだろう」などと、懲り懲りした感じがなさる。
 どちらつかずの境遇になったと思いながら、子供たちをそばへ寝させて大将は女二にょにみやの御様子も想像するのであった。どんなにまた煩悶はんもんをしておいでになる夜であろうなどと考えると苦しくなって、こんなない苦しみばかりをせねばならぬ恋というものをなぜおもしろいことに人は思うのであろうと、懲りてしまいそうな気もした。
  "Ayasiu nakazora naru koro kana!" to omohi tutu, Kimi-tati wo mahe ni huse tamahi te, kasiko ni mata, ikani obosi midaru ram sama, omohiyari kikoye, yasukara nu kokorodukusi nare ba, "Ikanaru hito, kau yau naru koto wokasiu oboyu ram?" nado, mono-gori si nu beu oboye tamahu.
7.2.9  明けぬれば、
 夜が明けたので、
 夜が明けた時に、
  Ake nure ba,
7.2.10  「 人の見聞かむも若々しきを限りとのたまひ果てばさて試みむかしこなる人びとも、らうたげに恋ひきこゆめりしを、 選り残したまへる、やうあらむとは見ながら、思ひ捨てがたきを、ともかくももてなしはべりなむ」
 「誰が見聞きしても大人げないことですから、もう最後だとおっしゃるならば、そのようにしましょう。あちらにいる子供たちも、かわいらしそうに恋い慕い申しているようでしたが、選び残されたのには、何かわけがあるのかと思いながら、放っておくことができませんから、どうなりともいたしましょう」
 「こんなことを若夫婦のように言い合っているのも恥ずかしいことですから、だめならだめとあきらめますが、もう一度だけもとどおりになってほしいという私の希望をいれたらどうですか。三条にいる小さい人たちもかわいそうな顔をして母を恋しがっていましたが、って残しておいでになったのにはそれだけの考えがあるのでしょうから、あなたに愛されない子供達を私の手でどうにか育てましょう」
  "Hito no mi kika m mo wakawakasiki wo, kagiri to notamahi hate ba, sate kokoromi m. Kasiko naru hitobito mo, rautage ni kohi kikoyu meri si wo, eri nokosi tamahe ru, yau ara m to ha mi nagara, omohi sute gataki wo, tomo-kakumo motenasi haberi na m."
7.2.11  と、脅しきこえたまへば、 すがすがしき御心にてこの君達をさへや、 知らぬ所に率て渡したまはむ、と危ふし。姫君を、
 と、脅し申し上げなさると、いかにもきっぱりしたご性格なので、この子供たちまで、知らない所へお連れなさるのだろうか、と心配になる。姫君を、
 とまた多少威嚇いかく的なことを夫人へ言ってやった。一本気なこの人は自分の生んだ子供たちまでもほかの家へつれて行くかもしれぬという不安を夫人は覚えた。
  to, odosi kikoye tamahe ba, sugasugasiki mi-kokoro nite, kono Kimi-tati wo sahe ya, sira nu tokoro ni wi te watasi tamaha m, to ayahusi. HimeGimi wo,
7.2.12  「 いざ、たまへかし 。見たてまつりに、かく参り来ることもはしたなければ、常にも参り来じ。 かしこにも人びとのらうたきを、同じ所にてだに見たてまつらむ」
 「さあ、いらっしゃい。お目にかかるために、このように参上するのも体裁が悪いので、いつも参上できません。あちらにも子供たちがかわいいので、せめて同じ所でお世話申そう」
 「姫君を本邸のほうへ帰してください。顔を見に来ることもこうしたきまりの悪い思いを始終しなければならないことですから、たびたびはようしません。あちらに残っている子供たちも寂しくてかわいそうですから、せめていっしょに置いてやりたいと思います」
  "Iza, tamahe kasi. Mi tatematuri ni, kaku mawiri kuru koto mo hasitanakere ba, tuneni mo mawiri ko zi. Kasiko ni mo hitobito no rautaki wo, onazi tokoro nite dani mi tatematura m."
7.2.13  と聞こえたまふ。まだいといはけなく、をかしげにておはす、いとあはれと見たてまつりたまひて、
 と申し上げなさる。まだとても小さく、かわいらしくいらっしゃるのを、しみじみといとしいと拝見なさって、
 とまた大将は言ってよこした。そうしてから小さくてきれいな顔をした姫君たちが父のいる座敷へつれられて来た。夕霧はかわいく思って女の子たちを見た。
  to kikoye tamahu. Mada ito ihakenaku, wokasige nite ohasu, ito ahare to mi tatematuri tamahi te,
7.2.14  「 母君の御教へにな叶ひたまうそ。いと心憂く、思ひとる方なき心あるは、いと悪しきわざなり」
 「母君のお言葉にお従いになってはなりませんよ。とても情けなく、物事の分別がつかないのは、とても良くないことです」
 「お母様の言うとおりになってはいけませんよ。ものの判断のできない女になっては悪いからね」
  "HahaGimi no ohom-wosihe ni na kanahi tamau so. Ito kokorouku, omohi toru kata naki kokoro aru ha, ito asiki waza nari."
7.2.15  と、言ひ知らせたてまつりたまふ。
 と、お教え申し上げなさる。
 などと教えていた。
  to, ihi sirase tatematuri tamahu.
注釈927寝殿になむおはする弘徽殿女御が里下りの時に用いる寝殿の部屋に雲居雁も一緒にいる。7.2.1
注釈928例の渡りたまふ方は御達のみさぶらふ雲居雁が実家に帰った時に用いる部屋は女房たちがいる。7.2.1
注釈929今さらに若々しの御まじらひや以下「もてなしたまふべくや」まで、夕霧の詞。女房を介して雲居雁に伝える。弘徽殿の女御と一緒にいることをさす。当時の若い女性は宮廷に仕える人からその有様や情報などを聞くのを喜んだ。7.2.2
注釈930など寝殿の御まじらひは女御と話しこんで子供をほったらかしているのを非難。「は」終助詞、詠嘆の意。7.2.2
注釈931ふさはしからぬ御心の筋とはわたし夕霧には似合わなしくないあなたのご気性は、の意。7.2.2
注釈932さるべきにや前世からの宿縁か、の意。7.2.2
注釈933くだくだしき人の数々夕霧と雲居雁の間にできた大勢の子供たち。7.2.2
注釈934かたみに見捨つべきにやは「やは」反語表現。お互いに見捨ててよいはずでない。7.2.2
注釈935はかなき一節に落葉の宮との一件をいう。7.2.2
注釈936何ごとも今はと以下「うれしうこそはあらめ」まで、雲居雁の詞。7.2.4
注釈937見飽きたまひにける身なれば主語は夕霧。夕霧がわたし雲居雁を見飽きた、の意。7.2.4
注釈938何かはとて『集成』は「何もおとなしくしているに及ぶまいと思いまして。夕霧の非難に答えて、勝手にこうしていますと、居直った言いぶり」と注す。「なにかは」の下に「直さむ」などの語句が省略。反語表現。7.2.4
注釈939あやしき人びとは子供たちをいう。自分の生んだ子なので「あやしき」とへりくだって言う。夕霧の「くだくだしき人」に対応した言い方。7.2.4
注釈940なだらかの御いらへや。言ひもていけば、 誰が名か惜しき皮肉。『完訳』は「あなたが悪く噂されるのがおち、の気持」と注す。『奥入』は「言ひ立てば誰が名か惜しき信濃なる木曾路の橋のふみし絶えなば」(出典未詳)。『異本紫明抄』は「恋ひ死なば誰が名は立たじ世の中の常なきものと言ひはなすとも」(古今集恋二、六〇三、清原深養父)。『源注拾遺』は「里人も語り継ぐがねよしゑやし恋ひても誰が名ならめや」(万葉集巻十二)「人目多みただに逢はずてけだしくも我が恋ひ死なば誰が名あらむも」(万葉集巻十二)を指摘。7.2.6
注釈941あやしう中空なるころかな夕霧の心中。7.2.8
注釈942かしこにまたいかに落葉宮を思う。7.2.8
注釈943いかなる人かうやうなることをかしうおぼゆらむ夕霧の心中。「人」は一般男性をす。「かうやうのこと」は色恋沙汰をさす。推量の助動詞「らむ」原因推量のニュアンス。7.2.8
注釈944人の見聞かむも若々しきを以下「もてなしはべりなむ」まで、夕霧の詞。7.2.10
注釈945限りとのたまひ果てば主語はあなた雲居雁が。7.2.10
注釈946さて試みむ「さて」は雲居雁が言うように、「試みむ」は自分夕霧がしよう、の意。7.2.10
注釈947かしこなる人びともらうたげに三条邸に残っている子供たち。7.2.10
注釈948選り残したまへるやうあらむとは『集成』は「出来の悪いのだけを残して行ったのだろうという嫌味」と注す。7.2.10
注釈949すがすがしき御心にて以下「渡したまはむ」まで、雲居雁の心中。『集成』は「まっすぐなご性分だから。以下、雲居の雁の心中。子供を全部取られはしないかと恐れる」。『完訳』は「夕霧の思いきりのよい性格。一説に、雲居雁は素直な性格」と注す。7.2.11
注釈950この君達をさへ副助詞「さへ」は三条邸に残してきた子供たちに加えてこの連れて来た子供たちまでが、のニュアンス。7.2.11
注釈951知らぬ所に率て渡したまはむ落葉宮の一条邸へ。7.2.11
注釈952いざたまへかし以下「見たてまつらむ」まで、夕霧の詞。7.2.12
注釈953かしこにも人びとのらうたきを三条邸にいる兄弟たちをさす。7.2.12
注釈954母君の御教へに以下「いと悪しきわざなり」まで、夕霧の詞。7.2.14
出典21 誰が名か惜しき 言ひたてば誰が名か惜しき信濃なる木曽路の橋の踏みし絶えなば 奥入所引-出典未詳 7.2.6
校訂26 たまへかし たまへかし--たまへり(り/$か<朱>)し 7.2.12
7.3
第三段 蔵人少将、落葉宮邸へ使者


7-3  Yugiri orders Kurodo-Syosyo to go to Ochiba-no-Miya's residence

7.3.1   大臣、かかることを聞きたまひて、人笑はれなるやうに思し嘆く。
 大殿は、このようなことをお聞きになって、物笑いになることとお嘆きになる。
 大臣は娘と婿のこの事件を聞いて外聞を悪がっていた。
  Otodo, kakaru koto wo kiki tamahi te, hitowarahare naru yau ni obosi nageku.
7.3.2  「 しばしは、さても見たまはでおのづから思ふところものせらるらむものを。女のかくひききりなるも、かへりては軽くおぼゆるわざなり。 よし、かく言ひそめつとならば何かは愚れて、ふとしも帰りたまふ。おのづから人のけしき心ばへは見えなむ」
 「もう少しの間、そのまま様子を見ていらっしゃらないで。自然と反省するところも生じてこようものを。女がこのように性急であるのも、かえって軽く思われるものだ。仕方ない、このように言い出したからには、どうして間抜け顔をして、おめおめとお帰りになれよう。自然と相手の様子や考えが分かるだろう」
 「しばらく静観をしているべきだった。大将にも考えがあってしていたことだろうからね。婦人が反抗的に家を出て来るようなことは軽率なことに見られて、かえって人の同情を失ってしまう。しかしもうそうした態度を取りかけた以上は、すぐに負けて出てはならない。そのうちに先方の誠意のありなしもわかることだから」
  "Sibasi ha, satemo mi tamaha de. Onodukara omohu tokoro monose raru ram mono wo. Womna no kaku hikikiri naru mo, kaheriteha karuku oboyuru waza nari. Yosi, kaku ihi some tu to nara ba, nanikaha ore te, huto simo kaheri tamahu. Onodukara hito no kesiki kokorobahe ha miye na m."
7.3.3  と のたまはせてこの宮に蔵人少将の君を御使にてたてまつりたまふ。
 と仰せになって、この一条宮邸に、蔵人少将の君をお使いとして差し向けなさる。
 と娘に言って、一条の宮へ蔵人くろうど少将を使いにして大臣は手紙をお送りするのであった。
  to notamahase te, kono Miya ni, Kuraudo-no-Seusyau no Kimi wo ohom-tukahi nite tatematuri tamahu.
7.3.4  「 契りあれや君を心にとどめおきて
   あはれと思ふ恨めしと聞く
 「前世からの因縁があってか、あなたのことを
  お気の毒にと思う一方で、恨めしい方だと聞いております
  ちぎりあれや君を心にとどめおきて
  哀れと思ひ恨めしと聞く
    "Tigiri are ya Kimi wo kokoro ni todome oki te
    ahare to omohu uramesi to kiku
7.3.5   なほ、え思し放たじ
 やはり、お忘れにはなれないでしょう」
 無関心にはなれません因縁があるのでございますね。
  naho, e obosi hanata zi."
7.3.6  とある御文を、少将持ておはして、 ただ入りに入りたまふ
 とあるお手紙を、少将が持っていらっしゃって、ただずんずんとお入りになる。
 この手紙を持って、少将はずんずん宮家へはいって来た。
  to aru ohom-humi wo, Seusyau mote ohasi te, tada iri ni iri tamahu.
7.3.7   南面の簀子に円座さし出でて人びと、もの聞こえにくし。宮は、ましてわびしと思す。
 南面の簀子に円座をさし出したが、女房たちは、応対申し上げにくい。宮は、それ以上に困ったことだとお思いになる。
 南の縁側に敷き物を出したが、女房たちは応接に出るのを気づらく思った。まして宮はわびしい気持ちになっておいでになった。
  Minamiomote no sunoko ni warahuda sasi-ide te, hitobito, mono kikoye nikusi. Miya ha, masite wabisi to obosu.
7.3.8   この君は、なかにいと容貌よく、めやすきさまにて、のどやかに見まはして、 いにしへを思ひ出でたるけしきなり
 この君は、兄弟の中でとても器量がよく、難のない態度で、ゆったりと見渡して、昔を思い出している様子である。
 この人は兄弟の中で最も風采ふうさいのよい人で、落ち着いた態度でやしきの中を見まわしながらも、き兄のことを思い出しているふうであった。
  Kono Kimi ha, naka ni ito katati yoku, meyasuki sama nite, nodoyakani mi mahasi te, inisihe wo omohi ide taru kesiki nari.
7.3.9  「 参り馴れにたる心地して、うひうひしからぬに、 さも御覧じ許さずやあらむ
 「参上し馴れた気がして、久しぶりの感じもしませんが、そのようにはお認めいただけないでしょうか」
 「始終伺っている所のような気になって私はいるのですが、そちらでは親しい者とお認めくださらないかもしれませんね」
  "Mawiri nare ni taru kokoti si te, uhiuhisikara nu ni, samo goranzi yurusa zu ya ara m?"
7.3.10  などばかりぞかすめたまふ。御返りいと聞こえにくくて、
 などとだけそれとなくおっしゃる。お返事はとても申し上げにくくて、
 などと皮肉を少し言う。大臣への返事をしにくく宮は思召して、
  nado bakari zo kasume tamahu. Ohom-kaheri ito kikoye nikuku te,
7.3.11  「 われはさらにえ書くまじ
 「わたしはとても書くことできない」
 「私にはどうしても書かれない」
  "Ware ha sarani e kaku mazi."
7.3.12  とのたまへば、
 とおっしゃるので、
 こうお言いになると、
  to notamahe ba,
7.3.13  「 御心ざしも隔て若々しきやうに。宣旨書き、はた聞こえさすべきにやは」
 「お気持ちも通じず子供っぽいように思われます。代筆のお返事は、差し上げるべきではありません」
 「お返事をなさいませんと、あちらでは礼儀のないようにお思いになるでございましょうし、私どもが代わって御挨拶あいさつをいたしておいてよい方でもございませんから」
  "Mi-kokorozasi mo hedate wakawakasiki yau ni. Senzigaki, hata kikoyesasu beki ni yaha."
7.3.14  と、集りて聞こえさすれば、まづうち泣きて、
 と寄ってたかって申し上げるので、何より先涙がこぼれて、
 女房たちが集まって、なおもお書きになることをお促しすると、宮はまずお泣きになって、
  to, atumari te kikoyesasure ba, madu uti-naki te,
7.3.15  「 故上おはせましかば、いかに心づきなし、と思しながらも、罪を隠いたまはまし」
 「亡くなった母上が生きていらっしゃったら、どんなに気にくわない、とお思いになりながらも、罪を庇ってくれたであろうに」
 御息所みやすどころが生きていたなら、どんなに不愉快なことと自分の今日のことを思っても、身に代えて罪は隠してくれるであろう
  "Ko-Uhe ohase masika ba, ikani kokorodukinasi, to obosi nagara mo, tumi wo kakui tamaha masi."
7.3.16  と思ひ出でたまふに、涙のみつらきに先だつ心地して、書きやりたまはず。
 とお思い出しなさると、涙ばかりが辛さに先走る気がして、お書きになれない。
 と母君の大きな愛を思い出しながら、お書きになる紙の上には、墨よりも涙のほうが多く伝わって来てお字が続かない。
  to omohi ide tamahu ni, namida nomi turaki ni sakidatu kokoti si te, kaki yari tamaha zu.
7.3.17  「 何ゆゑか世に数ならぬ身ひとつを
   憂しとも思ひかなしとも聞く
 「どういうわけで、世の中で人数にも入らないわたしのような身を
  辛いとも思い愛しいともお聞きになるのでしょう
  何故なにゆゑか世に数ならぬ身一つを
  しとも思ひ悲しとも聞く
    "Nani yuwe ka yo ni kazu nara nu mi hitotu wo
    usi to mo omohi kanasi to mo kiku
7.3.18  とのみ、思しけるままに、書きもとぢめたまはぬやうにて、 おしつつみて出だしたまうつ。少将は、人びと物語して、
 とだけ、お心にうかんだままに、終わりまで書かなかったような書きぶりで、ざっと包んでお出しになった。少将は、女房と話して、
 と実感のままお書きになり、それだけにして包んでお出しになった。少将は女房たちとしばらく話をしていたが、
  to nomi, obosi keru mama ni, kaki mo todime tamaha nu yau nite, osi-tutumi te idasi tamau tu. Seusyau ha, hitobito monogatari si te,
7.3.19  「 時々さぶらふに、かかる御簾の前は、たづきなき心地しはべるを、 今よりはよすがある心地して、常に参るべし。 内外なども許されぬべき年ごろのしるし現はれはべる心地なむしはべる
 「時々お伺いしますのに、このような御簾の前では、頼りない気がいたしますが、今からは御縁のある気がして、常に参上しましょう。御簾の中にもお許しいただけそうな、長年の忠勤の結果が現れましたような気がいたします」
 「時々伺っている私が、こうした御簾みすの前にお置かれすることは、あまりに哀れですよ。これからはあなたがたを友人と思って始終まいりますから、お座敷の出入りも許していただければ、今日までの志がむくいられた気がするでしょう」
  "Tokidoki saburahu ni, kakaru misu no mahe ha, tadukinaki kokoti si haberu wo, ima yori ha yosuga aru kokoti si te, tuneni mawiru besi. Naige nado mo yurusa re nu beki, tosigoro no sirusi arahare haberu kokoti nam si haberu."
7.3.20  など、けしきばみおきて出でたまひぬ。
 などと、思わせぶりな態度を見せてお帰りになった。
 などという言葉を残して蔵人少将は帰った。
  nado, kesikibami oki te ide tamahi nu.
注釈955大臣かかることを聞きたまひて致仕の太政大臣。雲居雁の父、夕霧の舅。7.3.1
注釈956しばしはさても見たまはで以下「心ばへも見えなむ」まで、致仕の太政大臣の詞。ここで文が切れる。「見たまはで」の下に「かく渡りたまふ」などの語句が省略。雲居雁の短慮に対する諌めの言葉。7.3.2
注釈957おのづから思ふところものせらるらむものを夕霧の行動についていう。7.3.2
注釈958よしかく言ひそめつとならば「言ひそめつ」の主語は雲居雁。ただし敬語はない。娘の立場にたっていう。7.3.2
注釈959何かは愚れてふとしも帰りたまふ「何かは」--「たまふ」連体形、反語表現。7.3.2
注釈960のたまはせて大臣に対する重い敬語表現。7.3.3
注釈961この宮に一条宮邸の落葉の宮へ。7.3.3
注釈962蔵人少将の君を御使にて致仕太政大臣の子息、柏木の弟。7.3.3
注釈963契りあれや君を心にとどめおきて--あはれと思ふ恨めしと聞く致仕太政大臣から故柏木の妻の落葉宮への贈歌。『完訳』は「「あはれ」は宮が長男柏木の妻だったから、「うらめし」は宮が娘雲居雁の夫を奪ったから。怒りを皮肉に言い込めた」と注す。『異本紫明抄』は「よそに我人々ごとを聞きしかばあはれとも思ふあな憂とも思ふ」(朝忠集)を指摘。7.3.4
注釈964なほえ思し放たじ歌に添えた言葉。『完訳』は「こちらをも顧みよ、の気持」と注す。7.3.5
注釈965ただ入りに入りたまふ『集成』は「もの馴れた様子でずんずん入って行かれる。一条の宮には以前から出入りし馴れた様子」。『完訳』は「門内まで乗り入れる。普通、貴人の邸では門前で挨拶して下車」と注す。7.3.6
注釈966南面の簀子に円座さし出でて寝殿の南面の簀子。普通の応対待遇。接続助詞「て」逆接のニュアンス。7.3.7
注釈967人びともの聞こえにくし女房たち。7.3.7
注釈968この君はなかにいと容貌よくめやすきさまにて蔵人少将。柏木の兄弟の中で。7.3.8
注釈969いにしへを思ひ出でたるけしきなり柏木在世中を。7.3.8
注釈970参り馴れにたる心地して以下「許さずやあらむ」まで、少将の詞。7.3.9
注釈971さも御覧じ許さずやあらむ『完訳』は「来なれた者として大目には見ていただけないのか、の意」と注す。7.3.9
注釈972われはさらにえ書くまじ落葉宮の詞。女房たちに言ったもの。7.3.11
注釈973御心ざしも以下「聞こえさすべきにやは」まで、女房の詞。反語表現。7.3.13
注釈974故上おはせましかば以下「隠いたまはまし」まで、落葉宮の心中。「ましかば」--「まし」反実仮想の構文。7.3.15
注釈975何ゆゑか世に数ならぬ身ひとつを--憂しとも思ひかなしとも聞く落葉宮の返歌。『完訳』は「「数ならぬ身ひとつ」と、夕霧とは無関係に、一人を強調。下の句は、大臣の歌の下句に照応」と注す。『奥入』は「月やあらぬ春や昔の春ならぬ我が身一つはもとの身にして」(古今集恋五、七四七、在原業平)を指摘。7.3.17
注釈976おしつつみて上包みに包んで。7.3.18
注釈977時々さぶらふに以下「心地なむしはべる」まで、少将の詞。7.3.19
注釈978今よりはよすがある心地して『完訳』は「暗に、姉婿の夕霧が夫になった縁から訪れやすく、常に参上しよう、といやがらせに言う」と注す。7.3.19
注釈979内外なども許されぬべき御簾の内側と外側、御簾の中への自由な出入りをいう。7.3.19
注釈980年ごろのしるし現はれはべる心地なむしはべる『完訳』は「自分も夕霧同様にしばしば参上して忠勤に励んだので、同じように扱ってもらえそう。宮を好色の女と言わんばかりのいやみ」と注す。7.3.19
校訂27 ひとつを ひとつを--ひとつに(に/$を<朱>) 7.3.17
7.4
第四段 藤典侍、雲居雁を慰める


7-4  Tou-Naishinosuke comforts Kumoinokari

7.4.1   いとどしく心よからぬ御けしきあくがれ惑ひたまふほど大殿の君は、日ごろ経るままに、思し嘆くことしげし。 典侍、かかることを聞くに
 ますますおもしろからぬご気分に、気もそぞろにうろうろなさっているうちに、大殿邸にいる女君は、何日も経るうちに、お悲しみ嘆くことしばしばである。藤典侍は、このようなことを聞くと、
 こんなことから宮の御感情はまたまた硬化していくのに対して、夕霧が煩悶はんもん焦躁しょうそうで夢中になっている間、一方で雲井の雁夫人の苦悶くもんは深まるばかりであった。こんなうわさを聞いている典侍ないしのすけは、
  Itodosiku kokoro yokara nu mi-kesiki, akugare madohi tamahu hodo, Ohoidono-no-Kimi ha, higoro huru mama ni, obosi nageku koto sigesi. Naisi-no-Suke, kakaru koto wo kiku ni,
7.4.2  「 われを世とともに許さぬものにのたまふなるに、 かくあなづりにくきことも出で来にけるを」
 「わたしを長年ずっと許さないとおっしゃっていたと聞いているが、このように馬鹿にできない相手が現れたこと」
 自分を許しがたい存在として嫉妬しっとし続ける夫人にとって今度こそ侮りがたい相手が出現したではないか
  "Ware wo yo to tomoni yurusa nu mono ni notamahu naru ni, kaku anaduri nikuki koto mo ideki ni keru wo."
7.4.3  と思ひて、 文などは時々たてまつれば、聞こえたり。
 と思って、手紙などは時々差し上げていたので、お見舞い申し上げた。
 と思って、手紙などは時々送っているのであったから、見舞いを書いて出した。
  to omohi te, humi nado ha tokidoki tatemature ba, kikoye tari.
7.4.4  「 数ならば身に知られまし世の憂さを
   人のためにも濡らす袖かな
 「わたしが人数にも入る女でしたら夫婦仲の悲しみを思い知られましょうが
  あなたのために涙で袖をぬらしております
  数ならば身に知られまし世のさを
  人のためにもらすそでかな
    "Kazu nara ba mi ni sira re masi yo no usa wo
    hito no tame ni mo nura su sode kana
7.4.5   なまけやけしとは見たまへど、もののあはれなるほどのつれづれに、「 かれもいとただにはおぼえじ」と思す片心ぞ、つきにける。
 何となく出過ぎた手紙だとは御覧になったが、何となくしみじみと物思いに沈んでいる時の所在なさに、「あの人もとても平気ではいられまい」とお思いになる気にも、幾分おなりになった。
 失敬なというような気も夫人はするのであったが、物の身にしむころで、しかも退屈な中にいてはこれにも哀れは覚えないでもなかった。
  Nama keyakesi to ha mi tamahe do, mono no ahare naru hodo no turedure ni, "Kare mo ito tada ni ha oboye zi." to obosu kata-gokoro zo, tuki ni keru.
7.4.6  「 人の世の憂きをあはれと見しかども
   身にかへむとは思はざりしを
 「他人の夫婦仲の辛さをかわいそうにと思って見てきたが
  わが身のこととまでは思いませんでした
  人の世の憂きを哀れと見しかども
  身に代へんとは思はざりしを
    "Hito no yo no uki wo ahare to mi sika domo
    mi ni kahe m to ha omoha zari si wo
7.4.7  とのみあるを、 思しけるままとあはれに見る
 とだけあるのを、お思いになったままだと、しみじみと見る。
 とだけ書かれた返事に、典侍はそのとおりに思うことであろうと同情した。
  to nomi aru wo, obosi keru mama to, ahare ni miru.
7.4.8   この、昔、御中絶えのほどには、この 内侍のみこそ、人知れぬものに思ひとめたまへりしか、 こと改めて後は、いとたまさかに、つれなくなりまさりたまうつつ、さすがに君達はあまたになりにけり。
 あの、昔、二人のお仲が遠ざけられていた期間は、この典侍だけを、密かにお目をかけていらっしゃったのだが、事情が変わってから後は、とてもたまさかに、冷たくおなりになるばかりであったが、そうは言っても、子供たちは大勢になったのであった。
 夫人と結婚のできた以前の青春時代には、この典侍だけを隠れた愛人にして慰められていた大将であったが、夫人を得てからは来ることもたまさかになってしまった。さすがに子供の数だけはふえていった。
  Kono, mukasi, ohom-nakadaye no hodo ni ha, kono Naisi nomi koso, hito sire nu mono ni omohi tome tamahe ri sika, koto aratame te noti ha, ito tamasakani, turenaku nari masari tamau tutu, sasugani Kimdati ha amata ni nari ni keri.
7.4.9   この御腹には太郎君、三郎君、五郎君、六郎君、中の君、四の君、五の君とおはす。内侍は、大君、三の君、六の君、次郎君、四郎君とぞおはしける。すべて十二人が中に、かたほなるなく、いとをかしげに、 とりどりに生ひ出でたまひける
 こちらがお生みになったのは、太郎君、三郎君、五郎君、六郎君、中の君、四の君、五の君といらっしゃる。藤典侍は、大君、三の君、六の君、二郎君、四郎君といらっしゃった。全部で十二人の中で、出来の悪い子供はなく、とてもかわいらしく、それぞれに大きくおなりになっていた。
 夫人の生んだのは、長男、三男、四男、六男と、長女、二女、四女、五女で、典侍は三女、六女、二男、五男を持っていた。大将の子は皆で十二人であるが、皆よい子で、それぞれの特色を持って成長していった。
  Kono ohom-hara ni ha, Tarau-Gimi, Saburau-Gimi, Gorau-Gimi, Rokurau-Gimi, Naka-no-Kimi, Si-no-Kimi, Go-no-Kimi to ohasu. Naisi ha, Ohoi-Kimi, Sam-no-Kimi, Roku-no-Kimi, Zirau-Gimi, Sirau-Gimi to zo ohasi keru. Subete zihuni-nin ga naka ni, kataho naru naku, ito wokasige ni, toridori ni ohi ide tamahi keru.
7.4.10  内侍腹の君達しもなむ、容貌をかしう、心ばせかどありて、皆すぐれたりける。 三の君、次郎君は、東の御殿にぞ、取り分きてかしづきたてまつりたまふ院も見馴れたまうて、いとらうたくしたまふ。
 藤典侍のお生みになった子供は、特に器量がよく、才気が見えて、みな立派であった。三の君と、二郎君は、六条院の東の御殿で、特別に引き取ってお世話申していらっしゃる。院も日頃御覧になって、とてもかわいがっていらっしゃる。
 典侍の生んだ男の子は顔もよく、才もあって皆すぐれていた。三女と二男は六条院の花散里はなちるさと夫人が手もとへ引き取って世話をしていた。その子供たちは院も始終御覧になって愛しておいでになった。
  Naisibara no Kimdati simo nam, katati wokasiu, kokorobase kado ari te, mina sugure tari keru. Sam-no-Kimi, Zirau-Gimi ha, Himgasi-no-Otodo ni zo, toriwaki te kasiduki tatematuri tamahu. Win mo mi nare tamau te, ito rautaku si tamahu.
7.4.11   この御仲らひのこと、言ひやるかたなく、とぞ
 このお二方の話は、いろいろとあって語り尽くせない、とのことである。
 それはまったく理想的にいっているわけである。
  Kono ohom-nakarahi no koto, ihiyaru kata naku, to zo.
注釈981いとどしく心よからぬ御けしき落葉宮の機嫌。致仕太政大臣からの手紙によってますます不機嫌となる。7.4.1
注釈982あくがれ惑ひたまふほど主語は夕霧。7.4.1
注釈983大殿の君は雲居雁。大殿邸にいる女君のニュアンス。7.4.1
注釈984典侍かかることを聞くに藤典侍。惟光の娘、「少女」巻に初出、「藤裏葉」「若菜下」巻にも登場。7.4.1
注釈985われを世とともに以下「出で来にけるを」まで、藤典侍の心中。7.4.2
注釈986かくあなづりにくきことも『完訳』は「雲居雁は北の方とはいえ、皇女の身の宮を軽視できない。藤典侍の同情の裏には、今まで雲居雁に見下げられてきた恨みがこもる」と注す。7.4.2
注釈987文などは時々たてまつれば挿入句。今までに文通はしていたので。直前の「思ひて」はこの句の下の「聞こえたり」に続く。7.4.3
注釈988数ならば身に知られまし世の憂さを--人のためにも濡らす袖かな藤典侍から雲居雁への贈歌。「身」は我が身、「人」はあなた雲居雁。『異本紫明抄』は「我が身にはきにけるものを憂き事は人の上とも思ひけるかな」(小町集)を指摘。7.4.4
注釈989なまけやけしとは見たまへど主語は雲居雁。7.4.5
注釈990かれもいとただにはおぼえじ雲居雁の心中。「かれ」は藤典侍をさす。7.4.5
注釈991人の世の憂きをあはれと見しかども--身にかへむとは思はざりしを雲居雁の返歌。「身」「世」「憂」「人」の語句を用いて返す。『集成』は「よく同情して下さいました、の意」と注す。7.4.6
注釈992思しけるままと藤典侍は雲居雁がお心のままに詠んだ歌と理解する。7.4.7
注釈993あはれに見る『集成』は「同情する」。『完訳』は「しみじみお気の毒に思っている」と訳す。7.4.7
注釈994この昔御中絶えのほどに夕霧と雲居雁の仲が父大臣によって妨げられていた間、「少女」巻から「藤裏葉」巻で結婚するまで、六年間あった。7.4.8
注釈995内侍のみこそ「思ひとめたまへりしか」にかかる。逆接用法。7.4.8
注釈996こと改めて後は夕霧と雲居雁が結婚して後。7.4.8
注釈997この御腹には雲居雁腹をさす。7.4.9
注釈998太郎君『完訳』は「以下の子供の人数、雲居雁腹と藤典侍腹の割り振りは諸本によっても異同が多く、そのいずれによっても他の巻の記述と矛盾する」と注す。7.4.9
注釈999とりどりに生ひ出でたまひける大島本は「たま(ま+ウ<朱>)ける」とある。すなわち朱筆で「う」を補入する。『集成』は「たまひける」と整定する。『完本』『新大系』は底本の訂正以前の「たまける」と整定する。7.4.9
注釈1000三の君次郎君は東の御殿にぞ取り分きてかしづきたてまつりたまふ六条院の東町、花散里の御殿で養育。7.4.10
注釈1001院も見馴れたまうて源氏も日頃御覧になって、の意。7.4.10
注釈1002この御仲らひのこと言ひやるかたなくとぞ『弄花抄』は「紫式部か語也巻々如此」。『細流抄』は「例の作者の語也」。『評釈』は「いま姫君に語って聞かせる女房(この物語の本文をよみあげる女房)の言葉となる。「言ひやる方なく」とは、昔の、源氏を見た古女房の言葉であり、それをここに伝えるのだ、と、ことわるのである」。『集成』は「このご一統のお話は、とても語り尽せたものではないとのことです。語り手の口ぶりをそのまま伝える草子地の筆法」「夕霧と落葉の宮の物語を、夕霧の家庭に生じた一波瀾という印象で収束しようとする語り手の意図がうかがえる」。『完訳』は「問題が複雑すぎて語り尽せないとする。語り手の省筆の弁」「律儀者の子沢山を印象づけながら、ほろ苦い家庭喜劇の幕が閉じられる。次巻からは本筋へ復帰」。7.4.11
Last updated 9/22/2010(ver.2-3)
渋谷栄一校訂(C)
Last updated 7/20/2010(ver.2-2)
渋谷栄一注釈(C)
Last updated 1/31/2002
渋谷栄一訳(C)(ver.1-2-2)
現代語訳
与謝野晶子
電子化
上田英代(古典総合研究所)
底本
角川文庫 全訳源氏物語
校正・
ルビ復活
柳沢成雄(青空文庫)

2003年5月16日

渋谷栄一訳
との突合せ
若林貴幸、宮脇文経

2005年7月20日

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Written in Japanese roman letters
by Eiichi Shibuya (C) (ver.1-3-2)
Picture "Eiri Genji Monogatari"(1650 1st edition)
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