第四十帖 御法


40 MINORI (Ohoshima-bon)


光る源氏の准太上天皇時代
五十一歳三月から八月までの物語



Tale of Hikaru-Genji's Daijo Tenno era, from March to August, at the age of 51

1
第一章 紫の上の物語 死期間近き春から夏の物語


1  Tale of Murasaki  From spring to summer, Murasaki's death will be soon arrived

1.1
第一段 紫の上、出家を願うが許されず


1-1  Murasaki desires to be a nun, but is not permitted by Genji

1.1.1   紫の上、いたうわづらひたまひし御心地の後、いと篤しくなりたまひて、そこはかとなく悩みわたりたまふこと久しくなりぬ。
 紫の上、ひどくお患いになったご病気の後、とても衰弱がひどくおなりになって、どこそこがお悪いというのでなくご気分がすぐれない状態が長くなった。
 紫夫人はあの大病以後病身になって、どこということもなく始終わずらっていた。
  Murasaki-no-Uhe, itau wadurahi tamahi si mi-kokoti no noti, ito atusiku nari tamahi te, sokohakatonaku nayami watari tamahu koto hisasiku nari nu.
1.1.2  いとおどろおどろしうはあらねど、年月重なれば、頼もしげなく、いとどあえかになりまさりたまへるを、 院の思ほし嘆くこと、限りなししばしにても後れきこえたまはむことをば、いみじかるべく思し、 みづからの御心地には、この世に飽かぬことなく、うしろめたきほだしだにまじらぬ御身なれば、あながちにかけとどめ まほしき御命とも 思されぬを年ごろの御契りかけ離れ思ひ嘆かせたてまつらむことのみぞ、人知れぬ御心のうちにも、ものあはれに 思されける。後の世のためにと、尊きことどもを多くせさせたまひつつ、「 いかでなほ本意あるさまになりてしばしもかかづらはむ命のほどは、行ひを紛れなく」と、たゆみなく思しのたまへど、 さらに許しきこえたまはず
 たいして重病ではないが、年月が重なるので、頼りなさそうに、ますます衰弱をお増しになったのを、院がご心痛になること、この上ない。少しの間でも先立たれ申されることは、堪えがたくお思いになり、ご自身のお気持ちは、この世に何の不足なこともなく、気がかりな子供たちさえおいででないお身の上なので、無理に生き残っていたいお命ともお思いなされないのだが、長年のご夫婦の縁を別れ、ご悲嘆申させるだろうことだけが、人知れず心の中でも、何となく悲しく思われなさるのであった。来世のためにと、尊い仏事を数多くなさりながら、「何とかしてやはり出家の本願を遂げて、暫くの間でも生きている命の限りは、勤行を一途に行いたい」と、いつもお思いになりお願いなさるが、まったくお許し申し上げなさらない。
 たいした悪い容体になるのではなかったが、すぐれない、同じような不健康さが一年余りも続いた今では目に立って弱々しい姿になったことで、院は非常に心痛をしておいでになった。しばらくでもこの人の死んだあとのこの世にいるのは悲しいことであろうと知っておいでになったし、夫人自身も人生の幸福には不足を感じるところとてもなく、気がかりな思いの残る子もない人なのであるから、こまやかに思い合った過去を持っていて自分の先に欠けてしまうことは、院をどんなに不幸なお心持ちにすることであろうという点だけを心の中で物哀れに感じているのであった。未来の世のためにと思って夫人は功徳になることを多くしながらも、やはり出家して今後しばらくでも命のある間は仏勤めを十分にしたいということを始終院へお話しして、夫人は許しを得たがっているのであるが、院は御同意をあそばさなかった。
  Ito odoroodorosiu ha ara ne do, tosituki kasanare ba, tanomosige naku, itodo ayekani nari masari tamahe ru wo, Win no omohosi nageku koto, kagiri nasi. Sibasi nite mo okure kikoye tamaha m koto wo ba, imizikaru beku obosi, midukara no mi-kokoti ni ha, konoyo ni aka nu koto naku, usirometaki hodasi dani mazira nu ohom-mi nare ba, anagatini kake todome mahosiki ohom-inoti to mo obosa re nu wo, tosigoro no ohom-tigiri kakehanare, omohi nageka se tatematura m koto nomi zo, hito-sire-nu mi-kokoro no uti ni mo, mono-ahare ni obosa re keru. Noti no yo no tame ni to, tahutoki koto-domo wo ohoku se sase tamahi tutu, "Ikade naho ho'i aru sama ni nari te, sibasi mo kakaduraha m inoti no hodo ha, okonahi wo magire naku" to, tayumi naku obosi notamahe do, sarani yurusi kikoye tamaha zu.
1.1.3   さるは、わが御心にも、しか思しそめたる筋なれば、かくねむごろに思ひたまへるついでにもよほされて、 同じ道にも入りなむ思せど一度、家を出でたまひなば、仮にもこの世を顧みむとは思しおきてず、後の世には、同じ蓮の座をも分けむと、契り交はしきこえたまひて、頼みをかけたまふ御仲なれど、ここながら勤めたまはむほどは、同じ山なりとも、峰を隔てて、あひ見たてまつらぬ住み処に かけ離れなむことをのみ 思しまうけたるに、かくいと頼もしげなきさまに 悩み篤いたまへば、いと心苦しき御ありさまを、今はと行き離れむきざみには捨てがたく、なかなか、 山水の住み処濁りぬべく、思しとどこほるほどに、 ただうちあさへたる、思ひのままの道心起こす人びとには、こよなう後れたまひぬべかめり
 そうは言うものの、ご自分のお気持ちにも、そのようにご決心なさっていることなので、このように熱心に思っていらっしゃる機会に促されて、一緒に出家生活に入ろうとお思いになるが、一度、出家をなさったらば、仮にもこの世の事を顧みようとはお思いにならず、来世では、一つの蓮の座を分け合おうと、お約束申し上げなさって、頼りにしていらっしゃるご夫婦仲であるが、この世のままで勤行なさる間は、同じ奥山であっても、峰を隔てて、お互いに顔を会わせない住まいで離れて生活することばかりをお考えになっていたので、このようにとても頼りない状態で病が篤くなってゆかれるので、とてもお気の毒なご様子を、いよいよ出家しようという時機には捨てることができず、かえって、山水の清い生活も濁ってしまいそうで、ぐずぐずしていらっしゃるうちに、ほんの浅い考えで、思うまま出家心を起こす人々に比べて、すっかり後れを取っておしまいになりそうである。
 それは院御自身にも出家は希望していられることなのであるが、夫人が熱心にそうしたいと言っている時に、御自身もいっしょにそれを断行しようかというお心もないではないものの、いったん仏道にはいった以上は、仮にもこの世を顧みることはしたくないというお考えで、未来の世では一つの蓮華れんげの上に安住しようと約束しておいでになる御夫婦であっても、この世での出家後の生活は全然区別を立てたものにせねばならぬという御本意から、こうして病弱な身体からだになってしまった夫人と、離れておしまいになることは気がかりで、悟道にはいった新生活も内から破れていくことを院は恐れて躊躇ちゅうちょをしておいでになるのである。結局は深い考えもなく簡単に出家してしまう人よりも、道にはいることが遅れるわけである。
  Saruha, waga mi-kokoro ni mo, sika obosi some taru sudi nare ba, kaku nemgoro ni omohi tamahe ru tuide ni moyohosa re te, onazi miti ni mo iri na m to obose do, hitotabi, ihe wo ide tamahi na ba, kari ni mo konoyo wo kaherimi m to ha obosi okite zu, noti no yo ni ha, onazi hatisu no za wo mo wake m to, tigiri kahasi kikoye tamahi te, tanomi wo kake tamahu ohom-naka nare do, koko nagara tutome tamaha m hodo ha, onazi yama nari tomo, mine wo hedate te, ahi mi tatematura nu sumika ni kakehanare na m koto wo nomi obosi mauke taru ni, kaku ito tanomosige naki sama ni nayami atui tamahe ba, ito kokorogurusiki ohom-arisama wo, ima ha to yuki hanare m kizami ni ha sute gataku, nakanaka, yamamidu no sumika nigori nu beku, obosi todokohoru hodo ni, tada uti-asahe taru, omohi no mama no dausin okosu hitobito ni ha, koyonau okure tamahi nu beka' meri.
1.1.4   御許しなくて、心一つに思し立たむも、さま悪しく本意なきやうなれば、 このことによりてぞ女君は、恨めしく思ひきこえたまひける。 わが御身をも、罪軽かるまじきにやと、うしろめたく思されけり。
 お許しがなくて、一存でご決心なさるのも、体裁が悪く不本意のようなので、この一事によって、女君は、恨めしくお思い申し上げていらっしゃるのであった。ご自身でも、罪障が浅くない身の上ゆえかと、気がかりに思わずにはいらっしゃれないのであった。
 院の同意されぬのを見ぬ顔にして尼になってしまうことも見苦しいことであるし、自分の心にも満足のできぬことであろうからと思って、この点で夫人は院をお恨めしく思った。また自分自身も前生の罪の深いものであろうと不安がりもした。
  Ohom-yurusi naku te, kokoro hitotu ni obosi tata m mo, sama asiku ho'i naki yau nare ba, kono koto ni yori te zo, OmnaGimi ha, uramesiku omohi kikoye tamahi keru. Waga ohom-mi wo mo, tumi karokaru maziki ni ya to, usirometaku obosa re keri.
注釈1紫の上いたうわづらひたまひし御心地の後四年前の正月の女楽の直後発病し、四月危篤状態まで陥ったが(若菜下)、その後全快せず今日にいたっている。冒頭「紫の上」、と女主人公を提示し、以下にも体言の下に格助詞や係助詞を伴わない、物語としての文章の生動に注意べき。1.1.1
注釈2院の思ほし嘆くこと限りなし源氏の悲嘆。1.1.2
注釈3しばしにても以下「いみじかるべく思し」まで、源氏の心中を地の文で語る。1.1.2
注釈4みづからの御心地には以下、紫の上の心中を地の文で語る。1.1.2
注釈5思されぬを「れ」自発の助動詞。接続助詞「を」逆接の意。1.1.2
注釈6年ごろの御契りかけ離れ『集成』は「死別によって今生の契りを断つこと」。『完訳』は「源氏との年来の縁。「契り」に注意。単なる「仲」でない。子への執着がない代りに、源氏との宿縁の仲が現世の絆となっている」と注す。1.1.2
注釈7思ひ嘆かせたてまつらむことのみぞ源氏を嘆かせる。『休聞抄』は「声をだに聞かで別るる魂よりもなき床に寝む君ぞ悲しき」(古今集哀傷、八五八、読人しらず)を指摘。1.1.2
注釈8思されける「れ」自発の助動詞。係助詞「ぞ」--「ける」係結びの構文の強調表現。1.1.2
注釈9いかでなほ本意あるさまになりて紫の上の出家願望は、「若菜下」巻に語られていた。1.1.2
注釈10しばしもかかづらはむ命のほどは『河海抄』は「ありはてぬ命待つ間の程ばかり憂きことしげく思はずもがな」(古今集雑下、九六五、平貞文)を指摘。1.1.2
注釈11さらに許しきこえたまはず主語は源氏。1.1.2
注釈12さるはわが御心にもしか思しそめたる筋なれば「さるは」反転して、また一方では。以下、源氏の心中。源氏の出家願望は、「若紫」「葵」「絵合」「藤裏葉」の諸巻に見られる。1.1.3
注釈13同じ道にも入りなむ源氏の心中。連語「なむ」(完了の助動詞、確述+推量の助動詞、意志)、源氏の強い意志を表す。1.1.3
注釈14思せど「ど」逆接の接続助詞、いったんは出家をと思うが、以下に躊躇される気持ちが語られる。1.1.3
注釈15一度家を出でたまひなば以下、源氏の心中。出家の覚悟とそれを躊躇される源氏の気持ちを地の文に語る。心情の流れに即した紆余曲折のある長文の文章表現に注意。1.1.3
注釈16かけ離れなむことをのみ連語「なむ」、完了の助動詞、確述の意+推量の助動詞、意志の意。副助詞「のみ」限定強調の意、源氏の強い決意を表す。1.1.3
注釈17思しまうけたるに接続助詞「に」順接、原因理由を表す。源氏のかねての考え方をいう。以下、逆接の文脈になり、それがかなわないことをいう。1.1.3
注釈18悩み篤いたまへば動詞「篤え」の転、連用形しか文献には見えないという(岩波古語辞典)。容態が重くなる意。1.1.3
注釈19山水の住み処濁りぬべく地の文中だが、「澄む」「住む」の掛詞、「水」と「濁る」「澄む」の縁語、という修辞が見られる。1.1.3
注釈20ただうちあさへたる思ひのままの道心起こす人びとにはこよなう後れたまひぬべかめり推量の助動詞「べかめり」は語り手が源氏の心中と行動を推測した言辞。『評釈』は「当時の貴族たちにとっては、出家は理想の生活として考えられていたらしい。(中略)それを光る源氏をめぐる婦人たちでさえ行なっているのに、光る源氏が今まで口には言いながら実行しないのはどうしたことなのか。そういった読者の疑問に答えるための、作者の弁解がこの「御法」の冒頭文ではないかと思われる」と注す。1.1.3
注釈21御許しなくて源氏の許可がなくて紫の上は出家を。1.1.4
注釈22このことによりてぞ源氏が出家を許さないことをさす。係助詞「ぞ」--「思ひきこえたまひける」、係結びの構文による強調表現。1.1.4
注釈23女君は紫の上。あえて主語を提示することによって強調したもの。1.1.4
注釈24わが御身をも罪軽かるまじきにやと紫の上自身の反省。接続助詞「に」順接、原因理由の意。我が身の罪障が深いために、出家も許されないのだろうか、と考える。『完訳』は「源氏を恨むよりも、わが運命を悲しむ」と注す。1.1.4
校訂1 まほしき まほしき--(/+ま)ほしき 1.1.2
1.2
第二段 二条院の法華経供養


1-2  Murasaki holds a Hokekyo memorial service in Nijo-in

1.2.1  年ごろ、私の御願にて書かせたてまつりたまひける『 法華経』千部、いそぎて供養じたまふ。 わが御殿と思す二条院にてぞしたまひける。 七僧の法服など、品々賜はす。物の色、縫ひ目よりはじめて、きよらなること、限りなし。おほかた何ごとも、いといかめしきわざどもをせられたり。
 長年、私的なご発願としてお書かせ申し上げなさった『法華経』一千部を、急いでご供養なさる。ご自身のお邸とお思いの二条院で催されるのであった。七僧の法服など、それぞれ身分に応じてお与えになる。法服の染色や、仕立て方をはじめとして、美しいこと、この上ない。だいたいどのようなことに対しても、実にご荘厳な法会を催された。
 以前から自身のがん果たしのために書かせてあった千部の法華ほけ経の供養を夫人はこの際することとした。自邸のような気のする二条の院でこの催しをすることにした。七僧の法服をはじめとして、以下の僧へ等差をつけて纏頭てんとうにする僧服類をことに精撰して夫人は作らせてあった。そのほかのすべてのことにも費用を惜しまぬ行き届いた仏事の準備ができているのである。
  Tosi-goro, watakusi no ohom-gwan nite kaka se tatematuri tamahi keru "Hokekyau" sen-bu, isogi te kuyauzi tamahu. Waga ohom-tono to obosu Nideu-no-win nite zo si tamahi keru. Siti-sou no hohubuku nado, sinazina tamaha su. Mono no iro, nuhime yori hazime te, kiyoranaru koto, kagiri nasi. Ohokata nanigoto mo, ito ikamesiki waza-domo wo se rare tari.
1.2.2   ことことしきさまにも聞こえたまはざりければ詳しきことどもも知らせたまはざりけるに、女の御おきてにてはいたり深く、 仏の道にさへ通ひたまひける御心のほどなどを、院はいと限りなしと見たてまつりたまひて、ただおほかたの御しつらひ、何かのことばかりをなむ、 営ませたまひける。楽人、舞人などのことは、 大将の君、取り分きて仕うまつりたまふ。
 大層な催しには致されなかったので、詳細な事柄はお教えなさらなかったのに、女性のお指図としては行き届いており、仏道にまで通じていらっしゃるお心のほどなどを、院はまことにこの上ない方だと感心なさって、ただ大体のお飾り、何やかのことだけを、お世話なさるのであった。楽人、舞人などのことは、大将の君が特別にお世話を申し上げなさる。
 内輪うちわ事のように言っていたので、院はみずから計画に参加あそばさなかったが、女の催しでこれほど手落ちなく事の運ばれることは珍しいほどに万事のととのったのをお知りになって、仏道のほうにも深い理解のあることで夫人をうれしく思召した院は、御自身の手ではただ来賓を饗応きょうおうする座敷の装飾その他のことだけをおさせになった。音楽舞曲のほうのことは左大将が好意で世話をした。
  Kotokotosiki sama ni mo kikoye tamaha zari kere ba, kuhasiki koto-domo mo sirase tamaha zari keru ni, womna no ohom-okite nite ha itari hukaku, Hotoke no miti ni sahe kayohi tamahi keru mi-kokoro no hodo nado wo, Win ha ito kagiri nasi to mi tatematuri tamahi te, tada ohokata no ohom-siturahi, nanika no koto bakari wo nam, itonama se tamahi keru. Gaku-nin, mahi-bito nado no koto ha, Daisyau-no-Kimi, toriwaki te tukaumaturi tamahu.
1.2.3   内裏、春宮、后の宮たちをはじめたてまつりて、 御方々、ここかしこに御誦経、捧物などばかりのことをうちしたまふだに所狭きに、まして、そのころ、この御いそぎを仕うまつらぬ所なければ、 いとこちたきことどもあり。「 いつのほどに、いとかくいろいろ思しまうけけむ。げに、 石上の世々経たる 御願にや」とぞ見えたる。
 帝、春宮、后宮たちをおはじめ申して、ご夫人方が、それぞれ御誦経、捧げ物など程度のことをご寄進なさるのでさえ所狭しなのに、それ以上に、その当時は、このご準備のご用をお務めしない人がないので、たいそう物々しいことがあれこれとある。「いつのまに、とてもこのようにいろいろとご用意なさったのであろう。なるほど、古い昔からの御願であろうか」と見えた。
 宮中、東宮、院のきさきの宮、中宮ちゅうぐうをはじめとして、法事へ諸家からの誦経ずきょうの寄進、ささげ物なども大がかりなものが多いばかりでなく、この法会ほうえに志を現わしたいと願わない世人もない有様であったから、華麗な仏会の式場が現出したわけである。いつの間にこの大部の経巻等を夫人が仕度したくしたかと参列者は皆驚いた。長い年月を使った夫人の志に敬服したのである。
  Uti, Touguu, Kisai-no-Miya-tati wo hazime tatematuri te, ohom-katagata, koko-kasiko ni mi-zukyau, houmoti nado bakari no koto wo uti-si tamahu dani tokoroseki ni, masite, sonokoro, kono ohom-isogi wo tukaumatura nu tokoro nakere ba, ito kotitaki koto-domo ari. "Itu no hodo ni, ito kaku iroiro obosi mauke kem? Geni, Isonokami no yoyo he taru ohom-gwan ni ya?" to zo miye taru.
1.2.4   花散里と聞こえし御方、明石なども渡りたまへり南東の戸を開けておはします寝殿の西の塗籠なりけり。北の廂に、方々の御局どもは、障子ばかりを隔てつつしたり。
 花散里と申し上げた御方、明石などもお越しになった。東南の妻戸を開けていらっしゃる。寝殿の西の塗籠であった。北の廂に、御方々のお席は、襖障子だけを仕切って設えてあった。
 花散里はなちるさと夫人、明石あかし夫人なども来会した。南と東の戸をあけて夫人は聴聞の席にした。それは寝殿の西の内蔵うちぐらであった。北側の部屋へやに各夫人の席を襖子からかみだけの隔てで設けてあった。
  Hanatirusato to kikoye si Ohom-kata, Akasi nado mo watari tamahe ri. Minami-himgasi no to wo ake te ohasimasu. Sinden no nisi no nurigome nari keri. Kita no hisasi ni, katagata no mi-tubone-domo ha, sauzi bakari wo hedate tutu si tari.
注釈25法華経千部『法華経』は全八巻、二十八品の経。それを千部写経させた。大勢の写経者が必要。大事業である。1.2.1
注釈26わが御殿と思す二条院にて「若菜上」巻にも「わが御私の殿と思す二条の院にて」(第九章二段)とあった。1.2.1
注釈27七僧の法服など講師(こうじ)・読師(とくじ)・呪願(しゅがん)・三礼(さんらい)・唄(ばい)・散花(さんげ)・堂達(どうだつ)の役僧たちの法服。1.2.1
注釈28ことことしきさまにも聞こえたまはざりければ紫の上は源氏に。1.2.2
注釈29詳しきことどもも知らせたまはざりけるに主語は源氏。『集成』は「こまかいところまで何もご存じでなかったのに」。『完訳』は「院は立ち入った数々のことをお教えにならなかったのに」。両解釈あるが、こうした表現は、二者択一的解釈より多重的解釈(掛詞的)のほうがより適切か。1.2.2
注釈30仏の道にさへ通ひたまひける『完訳』は「仏の儀式にまでよく通じて」と注す。1.2.2
注釈31営ませたまひける「せたまひ」は、主語が「院は」とあるので、最高敬語とみてよい。1.2.2
注釈32大将の君夕霧。近衛府の官人という立場から。1.2.2
注釈33内裏春宮后の宮たちをはじめ今上帝は朱雀院の御子。春宮は今上帝と明石女御の間に生まれた御子。「后宮たち」と複数形で語られているので、秋好中宮の他に明石女御が中宮になったことが暗示されている。明石女御の立后は初見の記事。1.2.3
注釈34御方々、ここかしこに六条院のご夫人方、花散里や明石御方をさす。1.2.3
注釈35いとこちたきことどもあり『評釈』は「作者の批評」と注す。1.2.3
注釈36いつのほどに以下「御願にや」まで、源氏の心中。1.2.3
注釈37石上の世々経たる「石上」は「ふる」に係る枕詞。ここは「世々経たる」にかけた修辞。古くから、の意。『源氏釈』は「塵泥(ちりひぢ)の世々のみかずにありへてぞ思ひあつむることもおほかる」(出典未詳)を指摘。1.2.3
注釈38御願にや係助詞「や」の下に「あらむ」などの語句が省略。1.2.3
注釈39花散里と聞こえし御方明石なども渡りたまへり花散里と明石御方に対する待遇の違いに注意。『完訳』は「花散里との身分差を表すべく、「明石」と呼び捨てた呼称」と注す。1.2.4
注釈40南東の戸を開けておはします主語は紫の上。1.2.4
注釈41寝殿の西の塗籠なりけり前文を補足説明した叙述。1.2.4
1.3
第三段 紫の上、明石御方と和歌を贈答


1-3  Murasaki and Akashi compose and exchange waka

1.3.1   三月の十日なれば、花盛りにて、空のけしきなども、うららかにものおもしろく仏のおはすなる所のありさま、遠からず思ひやられて、ことなり。深き心もなき人さへ、罪を失ひつべし。 薪こる讃嘆の声も そこら集ひたる響き、おどろおどろしきを、うち休みて 静まりたるほどだにあはれに思さるるをまして、このころとなりては 、何ごとにつけても、心細くのみ思し知る。 明石の御方に、三の宮して、聞こえたまへる
 三月の十日なので、花盛りで、空の様子なども、うららかで興趣あり、仏のいらっしゃる極楽浄土の有様が、身近に想像されて、格別である。信心のない人までが、罪障がなくなりそうである。薪こる行道の声も、大勢集い響き、あたりをゆるがすが、声が中断して静かになった時でさえしみじみ寂しく思わずにはいらっしゃれないのに、それ以上に、最近になっては、何につけても、心細くばかりお感じになられる。明石の御方に、三の宮を使いにして、申し上げなさる。
 三月の十日であったから花の真盛まっさかりである。天気もうららかで暖かい日なので、快くて御仏みほとけのおいでになる世界に近い感じもすることから、あさはかな人たちすらも思わず信仰にはいる機縁を得そうであった。たきぎこる(法華ほけ経はいかにして得し薪こり菜摘み水みかくしてぞ得し)歌を同音に人々が唱える声の終わって、今までと反対に式場の静まりかえる気分は物哀れなものであるが、まして病になっている夫人の心は寂しくてならなかった。明石夫人の所へ女王にょおうは三の宮にお持たせして次の歌を贈った。
  Samgwatu no towoka nare ba, hanazakari nite, sora no kesiki nado mo, urarakani monoomosiroku, Hotoke no ohasu naru tokoro no arisama, tohokara zu omohiyara re te, koto nari. Hukaki kokoro mo naki hito sahe, tumi wo usinahi tu besi. Takigi koru santan no kowe mo, sokora tudohi taru hibiki, odoroodorosiki wo, uti-yasumi te sidumari taru hodo dani ahareni obosa ruru wo, masite, konokoro to nari te ha, nanigoto ni tuke te mo, kokorobosoku nomi obosi-siru. Akasi-no-Ohomkata ni, Sam-no-Miya site, kikoye tamahe ru.
1.3.2  「 惜しからぬこの身ながらもかぎりとて
   薪尽きなむことの悲しさ
 「惜しくもないこの身ですが、これを最後として
  薪の尽きることを思うと悲しうございます
  惜しからぬこの身ながらも限りとて
  たきぎ尽きなんことの悲しさ
    "Wosikara nu kono mi nagara mo kagiri tote
    takigi tuki na m koto no kanasi sa
1.3.3   御返り、心細き筋は、後の聞こえも心後れたるわざにや、そこはかとなくぞあめる
 お返事は、心細い歌意のことは、後の非難も気にかかったのであろうか、当り障りのない詠みぶりであったようだ。
 夫人の心細い気持ちに共鳴したふうのものを返しにしては、認識不足を人からそしられることであろうと思って、明石はそれに触れなかった。
  Ohom-kaheri, kokorobosoki sudi ha, noti no kikoye mo kokoro okure taru waza ni ya, sokohakatonaku zo a' meru.
1.3.4  「 薪こる思ひは今日を初めにて
   この世に願ふ法ぞはるけき
 「仏道へのお思いは今日を初めの日として
  この世で願う仏法のために千年も祈り続けられることでしょう
  薪こる思ひは今日を初めにて
  この世に願ふのりぞはるけき
    "Takigi koru omohi ha kehu wo hazime nite
    konoyo ni negahu nori zo harukeki
1.3.5  夜もすがら、尊きことにうち合はせたる鼓の声、絶えずおもしろし。 ほのぼのと明けゆく朝ぼらけ、霞の間より見えたる花の色々、なほ春に心とまりぬべく匂ひわたりて、 百千鳥のさへづりも、笛の音に劣らぬ心地して、もののあはれもおもしろさも残らぬほどに、 陵王の舞ひ手急になるほどの末つ方の楽、はなやかににぎははしく聞こゆるに、皆人の脱ぎかけたるものの色々なども、もののをりからにをかしうのみ見ゆ。
 一晩中、尊い読経の声に合わせた鼓の音、鳴り続けておもしろい。ほのぼのと夜が明けてゆく朝焼けに、霞の間から見えるさまざまな花の色が、なおも春に心がとまりそうに咲き匂っていて、百千鳥の囀りも、笛の音に負けない感じがして、しみじみとした情趣も感興もここに極まるといった感じで、陵王の舞が急の調べにさしかかった最後のほうの楽、はなやかに賑やかに聞こえるので、一座の人々が脱いで掛けていた衣装のさまざまな色なども、折からの情景に美しく見える。
 経声も楽音も混じっておもしろく夜は明けていくのであった。朝ぼらけのもやの間にはいろいろの花の木がなお女王の心を春にきとどめようと絢爛けんらんの美を競っていたし春の小鳥のさえずりも笛の声に劣らぬ気がして、身にしむこともおもしろさもきわまるかと思われるころに、「陵王りょうおう」が舞われて、殿上の貴紳たちが舞い人へ肩から脱いで与える纏頭てんとうの衣服の色彩などもこの朝はただ美しくばかり思われた。
  Yomosugara, tahutoki koto ni uti-ahase taru tudumi no kowe, taye zu omosirosi. Honobono to ake yuku asaborake, kasumi no ma yori miye taru hana no iroiro, naho haru ni kokoro tomari nu beku nihohi watari te, momotidori no saheduri mo, hue no ne ni otora nu kokoti si te, mononoahare mo omosirosa mo nokora nu hodo ni, Ryauwau no mahite kihu ni naru hodo no suwe tu kata no gaku, hanayakani nigihahasiku kikoyuru ni, minabito no nugi kake taru mono no iroiro nado mo, mono no wori kara ni wokasiu nomi miyu.
1.3.6  親王たち、上達部の中にも、ものの上手ども、手残さず遊びたまふ。 上下心地よげに、興あるけしきどもなるを見たまふにも、残り少なしと身を思したる御心のうちには、よろづのことあはれにおぼえたまふ
 親王たち、上達部の中でも、音楽の上手な方々は、技を尽くして演奏なさる。身分の上下に関わらず気持ちよさそうに、うち興じている様子を御覧になるにも、余命少ないと身をお思いになっていらっしゃるお心の中には、万事がしみじみと悲しく思われなさる。
 親王がた、高官らも音楽に名のある人はみずからその芸を惜しまずこの場で見せて遊んだ。上から下まで来会者が歓楽に酔っているのを見ても、余命の少ないことを知っている夫人の心だけは悲しかった。
  Miko-tati, Kamdatime no naka ni mo, mono no zyauzu-domo, te nokosa zu asobi tamahu. Kami simo kokotiyoge ni, kyou aru kesiki-domo naru wo mi tamahu ni mo, nokori sukunasi to mi wo obosi taru mi-kokoro no uti ni ha, yorodu no koto ahare ni oboye tamahu.
注釈42三月の十日なれば、花盛りにて、空のけしきなども、うららかにものおもしろく三月十日の季節描写。桜の満開、空模様の麗かさ。1.3.1
注釈43仏のおはすなる所のありさま遠からず思ひやられてことなり大島本「ことなり」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「ことなる」とし「深き心」を修飾する。『新大系』は底本のままとする。極楽浄土をさす。「時に、世尊、韋提希に告げたまふ、汝今知るやいなや、阿彌陀仏、此を去ること遠からず」(観無量寿経)。1.3.1
注釈44薪こる讃嘆の声も『奥入』は「法華経を我が得しことは薪こり菜つみ水汲み仕へてぞ得し」(拾遺集哀傷、一三四六、大僧正行基)を指摘。『異本紫明抄』は「薪こる事は昨日につきにしをいざ斧の柄はここに朽たさむ」(拾遺集哀傷、一三三九、道綱母)をも指摘。1.3.1
注釈45静まりたるほどだにあはれに思さるるを『集成』は「静まり返った時でさえしみじみさびしく」。『完訳』は「静寂のおとずれるとき、それすらしみじみと寂しく思わずにはいらっしゃれないものだから」と訳す。副助詞「だに」--副詞「まして」の構文。「るる」自発の助動詞。1.3.1
注釈46ましてこのころとなりては『集成』は「死期の近きを悟るこの頃、という含み」と注す。1.3.1
注釈47明石の御方に三の宮して聞こえたまへる明石の御方に、孫の匂宮を遣いにして紫の上が和歌を贈る。1.3.1
注釈48惜しからぬこの身ながらもかぎりとて--薪尽きなむことの悲しさ『源氏釈』は「法華経を我が得しことは薪こり菜つみ水汲み仕へてぞ得し」(拾遺集哀傷、一三四六、大僧正行基)「菓(このみ)を採り水を汲み、薪を拾ひ食(じき)を設け」(法華経、提婆達多品)「薪尽て火の滅するが如し」(法華経、序品)を指摘。「この身」に「菓(このみ)」を掛け、法華経の経文を暗示する。1.3.2
注釈49御返り心細き筋は後の聞こえも心後れたるわざにやそこはかとなくぞあめる「にや」「あめる」は語り手の推測を介入させた叙述。『評釈』は「作者は、「心細き筋は、のちのきこえも心おくれたるわさにや」という。かように挨拶にすぎない歌を明石によませた弁解を試みたのである。--『源氏物語』には、作中人物が歌をよむ場合、作者はその歌に弁解的な批評を試みることが時にある。--しかし、今の明石の場合については今一つの解釈が可能である。--そこには、後世の思わくを気にする明石の御方の態度を、非難するかのような口ぶりさえみえる。明石の御方に、何事にも行きとどいた人として、礼儀正しい返歌をさせ、しかも、その礼儀正さが物足りないと非難するのである」。『集成』は「次の明石の上の歌に対する語り手の解説」と注す。1.3.3
注釈50薪こる思ひは今日を初めにて--この世に願ふ法ぞはるけき明石の御方の返歌。「于時奉事、経於千歳」(法華経、提婆達多品)。「薪尽きなむ」を「薪こる」、「この身」を「この世」と言い換え、「限り」を「はるけき」と長寿を寿ぐ歌にして返す。『異本紫明抄』は「あまたたび行き逢ふ坂の関水に今はかぎりの影ぞ悲しき」(栄華物語、鳥辺野)「年を経て行き逢ふ坂の験ありて千年の影をせきもとめなむ」(栄華物語、鳥辺野)を指摘。1.3.4
注釈51ほのぼのと明けゆく朝ぼらけ、霞の間より見えたる花の色々『休聞抄』は「山桜霞の間よりほのかにも見てし人こそ恋しかりけれ」(古今集恋一、四七九、貫之)を指摘。1.3.5
注釈52百千鳥のさへづりも『源氏釈』は「百千鳥さへづる春は色ごとにあらたまれども我ぞふりゆく」(古今集 春上、二八、読人しらず)。『源注余滴』は「わが門の榎の実もりはむ百千鳥千鳥は来れど君ぞ来まさぬ」(万葉集巻十六)を指摘。1.3.5
注釈53陵王の舞ひ手急になるほど『集成』は「陵王の場合には、終曲にテンポの早くなることか。一般には序破急の急であるが、陵王には急がない」と注す。1.3.5
注釈54上下心地よげに興あるけしきどもなるを見たまふにも残り少なしと身を思したる御心のうちにはよろづのことあはれにおぼえたまふ『完訳』は「紫の上の感懐。歌楽にふける参会者の「心地よげ」とは対照的」と注す。1.3.6
出典1 薪こる讃嘆の声 法華経をわが得しことは薪こり名摘み水汲み仕へてぞ得し 拾遺集哀傷-一三四六 大僧正行基 1.3.1
出典2 薪尽きなむ 入無余涅槃 如薪尽火滅 法華経-方便品 1.3.2
校訂2 そこら そこら--そこえ(え/$ら) 1.3.1
校訂3 なりては なりては--なりて△(△/#は) 1.3.1
1.4
第四段 紫の上、花散里と和歌を贈答


1-4  Murasaki and Hanachirusato compose and exchange waka

1.4.1   昨日、例ならず起きゐたまへりし名残にや、いと苦しうして臥したまへり。年ごろ、かかるものの折ごとに、参り集ひ遊びたまふ人びとの御容貌ありさまの、おのがじし才ども、琴笛の音をも、 今日や見聞きたまふべきとぢめなるらむ、とのみ思さるれば、さしも目とまるまじき人の顔どもも、 あはれに見えわたされたまふ
 昨日は、いつもと違って起きていらっしゃったせいであろうか、とても苦しくて臥せっていらっしゃる。長年、このような機会ごとに、参集して音楽をなさる方々のご容貌や態度が、それぞれの才能、琴笛の音色をも、今日が見たり聞いたりなさる最後になるだろう、とばかりお思いなさるので、格別に目にもとまらないはずの人達の顔も、しみじみと一人一人に目が自然とお止まりになる。
 昨日は例外に終日起きていたせいか夫人は苦しがって横になっていた。これまでこうしたおりごとに必ず集まって来て、音楽舞楽の何かの一役を勤める人たちの容貌ようぼう風采ふうさいにも、その芸にもうことが今日で終わるのかというようなことばかりが思われる夫人であったから、平生は注意の払われない顔も目にとまって、少しのことにも物哀れな気持ちが誘われて来賓席を夫人は見渡しているのであった。
  Kinohu, rei nara zu oki wi tamahe ri si nagori ni ya, ito kurusiu si te husi tamahe ri. Tosigoro, kakaru mono no wori goto ni, mawiri tudohi asobi tamahu hitobito no ohom-katati arisama no, onogazisi zae-domo, koto hue no ne wo mo, kehu ya mi kiki tamahu beki todime naru ram, to nomi obosa rure ba, sasimo me tomaru maziki hito no kaho-domo mo, ahareni miye watasa re tamahu.
1.4.2  まして、夏冬の時につけたる遊び戯れにも、なま挑ましき下の心は、 おのづから立ちまじりもすらめど、さすがに 情けを交はしたまふ方々は 誰れも久しくとまるべき世にはあらざなれど、まづ我一人行方知らずなりなむを思し続くる、いみじうあはれなり。
 それ以上に、夏冬の四季折々の音楽会や遊びなどにも、何となく張り合う気持ちは、自然と沸き起こって来るようであるが、やはりお互いに親しくしあっていらっしゃる御方々は、誰もみな永久に生きていらっしゃれる世の中ではないが、まず自分独りが先立って行くのをお考え続けなさると、ひどく悲しいのである。
 まして四季の遊び事に競争心は必ずあっても、さすがに長くつちかわれた友情というもののあった夫人たちに対しては、だれも永久に生き残る人はないであろうが、まず自分一人がこの中から消えていくのであると思われるのが女王の心に悲しかった。
  Masite, natu huyu no toki ni tuke taru asobi tahabure ni mo, nama-idomasiki sita no kokoro ha, onodukara tati-maziri mo su rame do, sasugani nasake wo kahasi tamahu katagata ha, tare mo hisasiku tomaru beki yo ni ha ara za' nare do, madu ware hitori yukuhe sira zu nari na m wo obosi tudukuru, imiziu ahare nari.
1.4.3  こと果てて、おのがじし帰りたまひなむとするも、 遠き別れめきて惜しまる。花散里の御方に、
 法会が終わって、それぞれお帰りになろうとするのも、永遠の別れのように思われて惜しまれる。花散里の御方に、
 宴が終わってそれぞれの夫人が帰って行く時なども、生死の別れほど別れが惜しまれた。花散里夫人の所へ、
  Koto hate te, onogazisi kaheri tamahi na m to suru mo, tohoki wakare meki te wosima ru. Hanatirusato-no-Ohomkata ni,
1.4.4  「 絶えぬべき御法ながらぞ頼まるる
   世々にと結ぶ中の契りを
 「これが最後と思われます法会ですが、頼もしく思われます
  生々世々にかけてと結んだあなたとの縁を
  絶えぬべき御法みのりながらぞ頼まるる
  世々にと結ぶ中の契りを
    "Taye nu beki mi-nori nagara zo tanoma ruru
    yoyo ni to musubu naka no tigiri wo
1.4.5  御返り、
 お返事は、
 と書いて紫の女王は送った。
  Ohom-kaheri,
1.4.6  「 結びおく契りは絶えじおほかたの
   残りすくなき御法なりとも
 「あなた様と御法会で結んだ御縁は未来永劫に続くでしょう
  普通の人には残り少ない命とて、多くは催せない法会でしょうとも
  結びおく契りは絶えじおほかたの
  残り少なき御法なりとも
    "Musubi oku tigiri ha taye zi ohokata no
    nokori sukunaki mi-nori nari tomo
1.4.7  やがて、このついでに、 不断の読経、懺法など、たゆみなく尊きことどもせさせたまふ。御修法は、ことなるしるしも見えで ほども経ぬれば、例のことになりて、うちはへさるべき所々、寺々にてぞせさせたまひける。
 引き続き、この機会に、不断の読経や、懺法などを、怠りなく、尊い仏事の数々をおさせになる。御修法は、格別の効験も現れないで時が過ぎたので、いつものことになって、引き続いてしかるべきあちらこちら、寺々においておさせになった。
 これは返事である。供養に続いて不断の読経どきょう懺法せんぼうなどもこの二条の院で院はおさせになるのであった。祈祷きとうは常におさせになっていたが、たいした効果も見えないために、わざわざ遠い寺々などでさせることにもお計らいになった。
  Yagate, kono tuide ni, hudan no dokyau, senbohu nado, tayumi naku, tahutoki koto-domo se sase tamahu. Mi-suhohu ha, koto naru sirusi mo miye de hodo mo he nure ba, rei no koto ni nari te, utihahe sarubeki tokorodokoro, tera dera nite zo se sase tamahi keru.
注釈55昨日、例ならず起きゐたまへりし名残にや法華経千部供養の翌日。「にや」は語り手の推測を交えた表現。『湖月抄』は「地」と注す。1.4.1
注釈56今日や見聞きたまふべきとぢめなるらむとのみ思さるれば紫の上の心中。『完訳』は「死の予感から、法会を、知人との最期の惜別だったと思い返す」と注す。副助詞「のみ」限定の意。「るれ」自発の助動詞。1.4.1
注釈57あはれに見えわたされたまふ「れ」自発の助動詞。紫の上の自然と一人一人に目がとまる気持ちが表されている。『完訳』は「平常は格別目にとまらない些細な物事にまで、深い感慨を抱く。末期の目にはすべてが印象的」と注す。1.4.1
注釈58おのづから立ちまじりもすらめど推量の助動詞「らめ」視界外推量は、語り手が紫の上の心情を推測したもの。1.4.2
注釈59情けを交はしたまふ方々は六条院の夫人方。1.4.2
注釈60誰れも久しくとまるべき世にはあらざなれどまづ我一人行方知らずなりなむを紫の上の心中を地の文に語る。一人先立つ悲しみを思う。『完訳』は「死の予感が彼女らへの親近感を強める」「死の至り着く先が分らず、往生や救済の確信も持てない絶望的な気持」と注す。1.4.2
注釈61遠き別れめきて惜しまる紫の上の気持ち。「る」自発の助動詞。1.4.3
注釈62絶えぬべき御法ながらぞ頼まるる--世々にと結ぶ中の契りを「御法」の「み」と「身」の掛詞。法会の結縁の席で同席した親近感を訴える。1.4.4
注釈63結びおく契りは絶えじおほかたの--残りすくなき御法なりとも「絶えぬ」「御法」「結ぶ」「契り」の語句を受けて、縁は絶えないでしょう、と同意した歌。『集成』は「「おほかたの」は、世間一般には、の意。そのなかに自分をこめ、しかし紫の上は特別で、末長いお命を保たれ、法会も営まれましょう、という祝意がある」と注す。1.4.6
注釈64不断の読経懺法などたゆみなく僧侶が輪番で昼夜間断なく読み続ける読経と罪障を懺悔し滅罪を願う法華懺法。1.4.7
注釈65尊きことども大島本は「たうとき事とも」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「ことどもを」と「を」を補訂する。『新大系』は底本のままとする。1.4.7
注釈66ほども経ぬれば大島本は「ほとも」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「ほど」と「も」を削除する。『新大系』は底本のままとする。1.4.7
校訂4 交はし 交はし--(/+か)はし 1.4.2
1.5
第五段 紫の上、明石中宮と対面


1-5  Murasaki meets Akashi-empress, her an adopted daughter

1.5.1   夏になりては、例の暑さにさへ、いとど消え入りたまひぬべき折々多かり。 そのことと、おどろおどろしからぬ御心地なれど、ただいと弱きさまになりたまへば、 むつかしげに所狭く悩みたまふこともなし。さぶらふ人びとも、いかにおはしまさむとするにか、と思ひよるにも、まづかきくらし、あたらしう悲しき御ありさまと見たてまつる。
 夏になってからは、いつもの暑さでさえ、ますます意識を失っておしまいになりそうな時々が多かった。どこといって、特に苦しんだりなさらないご病状であるが、ただたいそう衰弱した状態におなりになったので、いかにも病人めいてたいそうにお悩みになることもない。伺候している女房たちも、この先どうおなりになるのだろうか、と思うにつけても、もう目の前がまっくらになって、もったいなくも悲しいご様子と拝する。
 夏になると夫人は暑気のためにも死ぬようになることが多かった。病名も定まらぬ程度のものであるが、ただ衰弱がひどかった。堪えがたい苦しみをするというのでもない。女房たちの心にも、どうおなりになるのであろう、このまま危篤になっておしまいになるのではなかろうかという不安が生じてきて、惜しく悲しくばかりそれらの人々も思って歎いていた。
  Natu ni nari te ha, rei no atusisa ni sahe, itodo kiye iri tamahi nu beki woriwori ohokari. Sono koto to, odoroodorosikara nu mi-kokoti nare do, tada ito yowaki sama ni nari tamahe ba, mutukasigeni tokoroseku nayami tamahu koto mo nasi. Saburahu hitobito mo, ikani ohasimasa m to suru ni ka, to omohiyoru ni mo, madu kaki-kurasi, atarasiu kanasiki ohom-arisama to mi tatematuru.
1.5.2  かくのみおはすれば、 中宮、この院にまかでさせたまふ東の対におはしますべければ、こなたにはた待ちきこえたまふ。儀式など、例に変らねど、 この世のありさまを見果てずなりぬるなどのみ思せば、よろづにつけてものあはれなり。 名対面を聞きたまふにも、その人、かの人など、耳とどめて聞かれたまふ。上達部など、いと多く仕うまつりたまへり。
 こうした状態ばかりでいらっしゃるので、中宮が、この二条院に御退出あそばされる。東の対に御滞在あそばす予定なので、こちらでお待ち申し上げていらっしゃる。儀式など、いつもと変わらないが、この世の作法もこれが見納めだろうなどとばかりお思いになると、何かにつけても悲しい。名対面をお聞きになっても、あれは誰、これは誰などと、耳を止めてついお聞きになる。上達部なども大勢供奉なさっていた。
 こんなふうであったから院は中宮を御所から二条の院へ退出おさせになった。当分東のたいにお住みになるはずであったから、いったんこの西の対へおはいりになることにより、お迎えの儀式なども定例どおりにしていながらも、この宮のますますお栄えになる未来の日までを見ずに終わるかというように夫人は悲しんだ。お供をして来た役人たちの姓名の披露ひろうされる時にも、だれがいる、かれも来ていると、女王は深く耳にとまる気がした。高官たちも多数に来ていたのである。
  Kaku nomi ohasure ba, Tyuuguu, kono win ni makade sase tamahu. Himgasinotai ni ohasimasu bekere ba, konata ni hata mati kikoye tamahu. Gisiki nado, rei ni kahara ne do, konoyo no arisama wo mi hate zu nari nuru nado nomi obose ba, yorodu ni tuke te mono-ahare nari. Nadaimen wo kiki tamahu ni mo, sono hito, kano hito nado, mimi todome te kika re tamahu. Kamdatime nado, ito ohoku tukaumaturi tamahe ri.
1.5.3  久しき御対面のとだえを、 めづらしく思して、御物語こまやかに聞こえたまふ。院入りたまひて、
 久しく御対面なさらなかったので、珍しくお思いになって、お話をこまごまと申し上げなさる。院がお入りになって、
 しばらくぶりに、実母子以上の愛情が相互にある二人の女性はしめやかに語り合っておいでになった。院がはいっておいでになったが、
  Hisasiki ohom-taimen no todaye wo, medurasiku obosi te, ohom-monogatari komayakani kikoye tamahu. Win iri tamahi te,
1.5.4  「 今宵は、巣離れたる心地して、無徳なりや。まかりて休みはべらむ」
 「今夜は、巣をなくした鳥の思いで、まったくぶざまなさまですね。退出して寝るとしよう」
 「今夜は巣を追われた鳥のようでかわいそうな私はどこかで寝ることにしよう」
  "Koyohi ha, subanare taru kokoti si te, mutoku nari ya! Makari te yasumi habera m."
1.5.5  とて、渡りたまひぬ。 起きゐたまへるを、いとうれしと思したるも、いとはかなきほどの御慰めなり。
 と言って、お帰りになってしまった。起きていらっしゃるのを、嬉しいとお思いになるのも、まことにはかないお慰めである。
 と言って、他のへやへ行っておしまいになった。起きていた夫人の姿を御覧になったことがおうれしそうであったが、それはしいてよいように見てみずから慰めておいでになるのにすぎないのである。
  tote, watari tamahi nu. Oki wi tamahe ru wo, ito uresi to obosi taru mo, ito hakanaki hodo no ohom-nagusame nari.
1.5.6  「 方々におはしましてはあなたに渡らせたまはむもかたじけなし。参らむこと、はたわりなくなりにてはべれば」
 「別々のお部屋にいらっしゃったのでは、あちらにお越しあそばすのも恐れ多いことです。お伺いすること、それもできにくくなってしまいましたので」
 「離れた所では、こちらからあちらへ歩いてお帰りになることがたいへんですし、私もまたあちらへ上がることはもうできなくなっていますから」
  "Katagata ni ohasi masi te ha, anata ni watara se tamaha m mo katazikenasi. Mawira m koto, hata wari naku nari ni te habere ba."
1.5.7  とて、 しばらくはこなたにおはすれば、明石の御方も渡りたまひて、心深げにしづまりたる御物語ども聞こえ交はしたまふ。
 と言って、暫くの間はこちらにいらっしゃるので、明石の御方もお越しになって、心のこもった静かなお話などをお取り交わしなさる。
 と夫人は言っていて、中宮はしばらくこの病室のあるほうの対におとどまりになることになった。明石あかし夫人もこちらへ来てしんみりとした会話が日々かわされた。
  tote, sibaraku ha konata ni ohasure ba, Akasi-no-Ohomkata mo watari tamahi te, kokorobukage ni sidumari taru ohom-monogatari-domo kikoye kahasi tamahu.
注釈67夏になりては例の暑さにさへ物語は法華経千部供養の行われた三月十日から夏四月に移る。この間およそ二十日間が経過。1.5.1
注釈68そのことと、おどろおどろしからぬ御心地なれど『集成』は「どこが悪いと、ひどく苦しんだりはなさらぬ病状であるが」と注す。1.5.1
注釈69むつかしげに所狭く悩みたまふこともなし『完訳』は「いかにも重病人めいてひどくお苦しみになるといったこともない」と注す。衰弱がひどくなっていく様子。1.5.1
注釈70中宮この院にまかでさせたまふ明石中宮、二条院に養母紫の上を見舞うべく退出する。「させたまふ」最高敬語表現。1.5.2
注釈71東の対におはしますべければこなたにはた待ちきこえたまふ東の対を明石中宮の居所と予定される。紫の上は病室の西の対から東の対に移って、そこで中宮を待つ。1.5.2
注釈72この世のありさまを見果てずなりぬるなどのみ紫の上の心中を地の文に語る。見果てないで終わってしまう、が原文の逐語的表現。見納めになる、の意。1.5.2
注釈73名対面を聞きたまふにも行啓供奉の公卿などが入御の後、名を名乗ること。1.5.2
注釈74めづらしく思して主語は紫の上。1.5.3
注釈75今宵は以下「休みはべらむ」まで、源氏の詞。主語は自分源氏自身。『集成』は「今夜は、巣を無くしたような気がして、体裁の悪いことだ。紫の上は中宮と語り合っていて、側へ寄れないことを戯れて言ったもの」と注す。1.5.4
注釈76起きゐたまへるをいとうれしと思したるも紫の上が起きていらっしゃるのを源氏は嬉しくお思いになるが、の意。1.5.5
注釈77方々におはしましては以下「なりにてはべれば」まで、紫の上の詞。中宮と自分紫の上が二条院の別々の対に離れていたのでは、の意。1.5.6
注釈78あなたに渡らせたまはむも紫の上の病室である西の対へ中宮が。「せたまふ」は中宮に対する最高敬語。1.5.6
注釈79しばらくは大島本は「しハし(し$らく<朱墨>)ハ」とある。すなわち、「し」を朱筆と墨筆でミセケチにして「らく」と訂正する。『集成』『完本』は訂正以前本文と諸本に従って「しばし」と校訂する。『新大系』は底本の訂正に従う。「しばらく」は「平安時代、漢文訓読体に使われ、女流文学では一般に「しばし」を使ったが、鎌倉時代以後、区別が失われた」(岩波古語辞典)。1.5.7
校訂5 しばらくは しばらくは--しはし(し/$らく<朱>)は 1.5.7
1.6
第六段 紫の上、匂宮に別れの言葉


1-6  Murasaki says good-bye to Niou-miya

1.6.1  上は、御心の うちに思しめぐらすこと多かれど、さかしげに、 亡からむ後などのたまひ出づることもなし。ただなべての世の常なきありさまを、おほどかに言少ななるものから、 あさはかにはあらずのたまひなしたるけはひなどぞ、 言に出でたらむよりもあはれに、もの心細き御けしきは、しるう見えける。 宮たちを見たてまつりたまうても
 紫の上は、ご心中にお考えになっていらっしゃることがいろいろと多くあるが、利口そうに、亡くなった後はなどと、お口にされることもない。ただ世間一般の世の無常な有様を、おっとりと言葉少なでありながらも、並々ではないおっしゃりようをなさるご様子などを、言葉にお出しになるよりも、しみじみと何か心細いご様子は、はっきりと見えるのであった。宮たちを拝見なさっても、
 女王の心の中では頼みたく、言っておきたく思うことが幾つかあったが、賢そうに死後のことを今から言うように取られるのを恥じて、そうした問題には触れないのであった。ただ人生のはかなさをおおように、言葉少なに、しかも軽々しくはなしに話すのが、露骨に死期の近いことを言うよりもどんなに心細い気持ちでいるかを思わせた。女王にょうおうは孫である宮たちを見ても、
  Uhe ha, mi-kokoro no uti ni obosi megurasu koto ohokare do, sakasige ni, nakara m noti nado notamahi iduru koto mo nasi. Tada nabete no yo no tune naki arisama wo, ohodokani kotosukuna naru monokara, asahaka ni ha ara zu notamahi nasi taru kehahi nado zo, koto ni ide tara m yori mo ahareni, mono-kokorobosoki mi-kesiki ha, siruu miye keru. Miya-tati wo mi tatematuri tamau te mo,
1.6.2  「 おのおのの御行く末を、ゆかしく思ひきこえけるこそ、かくはかなかりける身を惜しむ心のまじりけるにや」
 「それぞれのご将来を、見たいものだとお思い申し上げていましたのは、このようにはかなかったわが身を惜しむ気持ちが交じっていたからでしょうか」
 「あなたがたがどうおなりになるだろうと、将来が見たいような気がしましたのも、私のようにつまらない者でいながら、知らず知らず命を惜しんでいたわけでしょうか」
  "Onoono no ohom-yukusuwe wo, yukasiku omohi kikoye keru koso, kaku hakanakari keru mi wo wosimu kokoro no maziri keru ni ya?"
1.6.3  とて、涙ぐみたまへる御顔の匂ひ、いみじうをかしげなり。「 などかうのみ思したらむ」と思すに、中宮、うち泣きたまひぬ。 ゆゆしげになどは聞こえなしたまはず、もののついでなどにぞ、年ごろ仕うまつり馴れたる人びとの、ことなるよるべなういとほしげなる、この人、かの人、
 と言って、涙ぐんでいらっしゃるお顔の美しさ、素晴らしく見事である。「どうしてこんなふうにばかりお思いでいらっしゃるのだろう」とお思いになると、中宮は、思わずお泣きになってしまった。縁起でもない申し上げようはなさらず、お話のついでなどに、長年お仕えし親しんできた女房たちで、特別の身寄りがなく気の毒そうな、この人、あの人を、
 こんなことを言って涙ぐむその顔が非常に美しかった。なぜそんなふうにばかり感ぜられるのであろうとお思いになって、中宮はお泣きになった。遺言のようにはせず話の中などで時々、「長く私に仕えてくれました人たちの中で、たいした身寄りのないようなかわいそうなだれだれなどを、
  tote, namidagumi tamahe ru ohom-kaho no nihohi, imiziu wokasige nari. "Nado kau nomi obosi tara m?" to obosu ni, Tyuuguu, uti-naki tamahi nu. Yuyusige ni nado ha kikoye nasi tamaha zu, mono no tuide nado ni zo, tosi-goro tukaumaturi nare taru hitobito no, koto naru yorube nau itohosige naru, kono hito, kano hito,
1.6.4  「はべらずなりなむ後に、御心とどめて、尋ね思ほせ」
 「私が亡くなりました後に、お心をとめて、お目をかけてやってください」
 私がいなくなりましたあとで、あなたから気をつけてやってください」
  "Habera zu nari na m noti ni, mi-kokoro todome te, tadune omohose."
1.6.5  などばかり聞こえたまひける。 御読経などによりてぞ例のわが御方に渡りたまふ。
 などとだけ申し上げなさるのであった。御読経などのために、いつものご座所にお帰りになる。
 などというほどにしか死後のことは言わないのである。病室で読経どきようの始められる日になってから中宮は東の対へお移りになった。
  nado bakari kikoye tamahi keru. Mi-dokyau nado ni yori te zo, rei no waga ohom-kata ni watari tamahu.
1.6.6   三の宮は、あまたの御中に、いとをかしげにて歩きたまふを、御心地の隙には、前に据ゑたてまつりたまひて、人の聞かぬ間に、
 三の宮は、大勢の皇子たちの中で、とてもかわいらしくお歩きになるのを、ご気分の好い間には、前にお座らせ申されて、人が聞いていない時に、
 三の宮は幾人もの宮様がたの中にことに愛らしいお姿でそばへ遊びにおいでになるのを、病苦の薄らいだ時などに女王は前へおすわらせして、女房たちの聞いていないのを見ると、
  Sam-no-Miya ha, amata no ohom-naka ni, ito wokasige nite ariki tamahu wo, mi-kokoti no hima ni ha, mahe ni suwe tatematuri tamahi te, hito no kika nu ma ni,
1.6.7  「 まろがはべらざらむに、思し出でなむや
 「わたしが亡くなってからも、お思い出しになってくださいましょうか」
 「私がいなくなりましたら、あなたは思い出してくださるでしょうね」
  "Maro ga habera zara m ni, obosi ide na m ya?"
1.6.8  と聞こえたまへば、
 とお尋ね申し上げなさると、
 などと言うのであったが、宮は、
  to kikoye tamahe ba,
1.6.9  「 いと恋しかりなむ。まろは、 内裏の上よりも宮よりも婆をこそまさりて思ひきこゆれば、おはせずは、心地むつかしかりなむ」
 「きっととても恋しいことでしょう。わたしは、御所の父上よりも母宮よりも、祖母様を誰よりもお慕い申し上げていますので、いらっしゃらなくなったら、機嫌が悪くなりますよ」
 「恋しいでしょう。私は御所の陛下よりも中宮様よりもお祖母ばあ様が好きなんだ。いらっしゃらなくなったら私は悲しいでしょうよ」
  "Ito kohisikari na m. Maro ha, Uti-no-Uhe yori mo Miya yori mo, Baba wo koso masari te omohi kikoyure ba, ohase zu ha, kokoti mutukasikari na m."
1.6.10  とて、目おしすりて紛らはしたまへるさま、をかしければ、ほほ笑みながら涙は落ちぬ。
 と言って、目を拭ってごまかしていらっしゃる様子、いじらしいので、ほほ笑みながらも涙は落ちた。
 とお言いになって、目をこすって涙を紛らしておいでになる宮のお姿のおかわいいために、夫人は微笑をして見ているのであったが、目からは涙がこぼれた。
  tote, me osi-suri te magirahasi tamahe ru sama, wokasikere ba, hohowemi nagara namida ha oti nu.
1.6.11  「 大人になりたまひなば、ここに住みたまひて、 この対の前なる紅梅と桜とは、花の折々に、心とどめてもて遊びたまへ。 さるべからむ折は、仏にもたてまつりたまへ
 「大人におなりになったら、ここにお住まいになって、この対の前にある紅梅と桜とは、花の咲く季節には、大切にご鑑賞なさい。何かの折には、仏前にもお供えください」
 「あなたが大人におなりになったら、ここへお住みになって、この対の前の紅梅と桜とは花の時分に十分愛しておながめなさいね。時々はまた仏様へもお供えになってね」
  "Otona ni nari tamahi na ba, koko ni sumi tamahi te, kono tai no mahe naru koubai to sakura to ha, hana no woriwori ni, kokoro todome te mote-asobi tamahe. Saru bekara m wori ha, Hotoke ni mo tatematuri tamahe."
1.6.12  と聞こえたまへば、うちうなづきて、御顔をまもりて、涙の落つべかめれば、立ちておはしぬ。取り分きて 生ほしたてまつりたまへればこの宮と姫宮とをぞ、見さしきこえたまはむこと、口惜しくあはれに思されける。
 と申し上げなさると、こっくりとうなずいて、お顔をじっと見つめて、涙が落ちそうなので、立って行っておしまいになった。特別に引き取ってお育て申し上げなさったので、この宮と姫宮とを、途中でお世話申し上げることができないままになってしまうことが、残念にしみじみとお思いなさるのであった。
 と言うと、宮はおうなずきになりながら、夫人の顔を見守っておいでになったが、涙が落ちそうになったので、立ってお行きになった。手もとでお育てしたために夫人はこの宮と姫君にお別れすることをことに悲しく思っていた。
  to kikoye tamahe ba, uti-unaduki te, ohom-kaho wo mamori te, namida no otu bekamere ba, tati te ohasi nu. Toriwaki te ohosi tatematuri tamahe re ba, kono Miya to HimeMiya to wo zo, mi sasi kikoye tamaha m koto, kutiwosiku ahareni obosa re keru.
注釈80亡からむ後などのたまひ出づることもなし『完訳』は「紫の上は、遺言したいが、死期を予知して冷静にふるまうのを、女らしからぬ態度として避ける」と注す。1.6.1
注釈81あさはかにはあらず『集成』は「おざなりなおっしゃりようではなく」。『完訳』は「心深くおっしゃる」と訳す。1.6.1
注釈82言に出でたらむよりも言葉に表して言うよりも。1.6.1
注釈83宮たちを見たてまつりたまうても明石中宮腹の皇子皇女たち。女一の宮、三の宮(匂宮)たちをさす。1.6.1
注釈84おのおのの御行く末を以下「心のまじりけるにや」まで、紫の上の詞。1.6.2
注釈85などかうのみ思したらむ明石中宮の心中。1.6.3
注釈86ゆゆしげになどは聞こえなしたまはず主語は紫の上。遺言めいた言い方。1.6.3
注釈87この人かの人はべらずなりなむ後に御心とどめて尋ね思ほせ『集成』は「地の文からすぐ紫の上の言葉に続く語り口」。『完訳』は「はべらず」以下を紫の上の詞とする。1.6.4
注釈88御読経などによりてぞ季の御読経。中宮主催の催し。中宮里邸退出の折には里邸で行う。1.6.5
注釈89例のわが御方に紫の上は西の対に戻る。1.6.5
注釈90三の宮匂宮。1.6.6
注釈91まろがはべらざらむに思し出でなむや紫の上の詞。「む」推量の助動詞、連体形、仮定の意。「に」接続助詞、単純な接続。「な」完了の助動詞、確述の意。「む」推量の助動詞、推量の意。「や」係助詞、疑問の意。1.6.7
注釈92いと恋しかりなむ以下「心地むつかしかりなむ」まで、匂宮の詞。1.6.9
注釈93内裏の上よりも宮よりも「内裏の上」は父帝、「宮」は母明石中宮をさす。1.6.9
注釈94婆をこそまさりて大島本は「はゝ」と表記する。『集成』は「はは」、『完本』は「母」、『新大系』は「ばゞ」と整定する。「婆」は祖母紫の上をさす。『集成』は「「はは」は古くから澄んで読むが、祖母の意であろう」。『新大系』は「幼児語に、祖父・祖母を「ぢぢ(爺)」「ばば(婆)」と称したろう、と推定しておく」と注す。1.6.9
注釈95大人になりたまひなば以下「仏にもたてまつりたまへ」まで、紫の上の詞。1.6.11
注釈96この対の前なる紅梅と桜とは二条院の西の対の前にある紅梅と桜の木。『集成』は「春を好む紫の上らしい遺言」と注す。1.6.11
注釈97さるべからむ折は仏にもたてまつりたまへ「仏」とは、暗に自分の供養のために、という意。1.6.11
注釈98生ほしたてまつりたまへれば大島本は「おほしたてまつり給へれハ」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「生ほしたてたてまつり」と「たて」を補訂する。『新大系』は底本のままとする。1.6.12
注釈99この宮と姫宮とをぞ匂宮と女一の宮。1.6.12
校訂6 うちに うちに--うち(ち/+に) 1.6.1
Last updated 9/22/2010(ver.2-3)
渋谷栄一校訂(C)
Last updated 7/29/2010(ver.2-2)
渋谷栄一注釈(C)
Last updated 2/3/2002
渋谷栄一訳(C)(ver.1-2-2)
現代語訳
与謝野晶子
電子化
上田英代(古典総合研究所)
底本
角川文庫 全訳源氏物語
校正・
ルビ復活
柳沢成雄(青空文庫)

2003年10月6日

渋谷栄一訳
との突合せ
若林貴幸、宮脇文経

2005年7月20日

Last updated 7/29/2010 (ver.2-2)
Written in Japanese roman letters
by Eiichi Shibuya (C)
Picture "Eiri Genji Monogatari"(1650 1st edition)
このページは再編集プログラムによって2015/1/12に出力されました。
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