第四十三帖 紅梅


43 KOUBAI (Ohoshima-bon)


匂宮と紅梅大納言家の物語


Tale of Nio-no-Miya and Kobai-Dainagon's

1
第一章 紅梅大納言家の物語 娘たちの結婚を思案


1  Tale of Kobai's  Kobai considers his daughters marriages

1.1
第一段 按察使大納言家の家族


1-1  Kobai-Dainagon's families

1.1.1   そのころ、按察使大納言と聞こゆるは、故致仕の大臣の二郎なり。亡せたまひにし右衛門督の さしつぎよ童よりらうらうじう、はなやかなる心ばへものしたまひし人にて、なりのぼりたまふ年月に添へて、まいていと世にあるかひあり、あらまほしうもてなし、 御おぼえいとやむごとなかりける。
 そのころ、按察使大納言と申し上げる方は、故致仕の大臣の次男である。お亡くなりになった衛門督のすぐ次の方であるよ。子供の時から利発で、はなやかな性質をお持ちだった人で、ご出世なさるに年月とともに、今まで以上にいかにも羽振りがよく、理想的なお暮らしぶりで、帝の御信望もまことに厚いものであった。
 今按察使あぜち大納言といわれている人は、故人になった太政大臣の次男であった。柏木かしわぎ衛門督えもんのかみのすぐの弟である。子供のころから頭角を現わしていて、朗らかで派手はでなところのある人だったため、月日とともに地位が進んで、今では自然に権力もできて世間の信望を負っていた。
  Sono-koro, Azeti-no-Dainagon to kikoyuru ha, ko-Tizi-no-Otodo no zirou nari. Use tamahi ni si U-wemon-no-Kami no sasitugi yo. Waraha yori rau-rauziu, hanayaka naru kokoro-bahe monosi tamahi si hito nite, nari-nobori tamahu tosi-tuki ni sohe te, maite ito yo ni aru kahi ari, aramahosiu motenasi, ohom-oboye ito yamgotonakari keru.
1.1.2  北の方二人ものしたまひしを、 もとよりのは亡くなりたまひて、今ものしたまふは、 後の太政大臣の御女、真木柱離れがたくしたまひし君を、 式部卿宮にて故兵部卿親王にあはせたてまつりたまへりしを、親王亡せたまひてのち、忍びつつ通ひたまひしかど、年月経れば、えさしも憚りたまはぬなめり。
 北の方が二人いらっしゃったが、最初の方はお亡くなりになって、今いらっしゃる方は、後太政大臣の姫君で、真木柱を離れがたくなさった姫君を、式部卿宮家の姫として、故兵部卿の親王に御縁づけ申し上げなさったが、親王がお亡くなりになって後、人目を忍んではお通いになったが、年月がたったので、世間に遠慮することもなくなったようである。
 夫人は二人あったが、初めからの妻はくなって、現在の夫人は最近までいた太政大臣の長女で、真木柱まきばしらを離れて行くのに悲しんだ姫君を、式部卿しきぶきょうの宮家で、これもお亡くなりになった兵部卿ひょうぶきょうの宮と結婚をおさせになった人なのである。宮がおかくれになったあとで大納言が忍んで通うようになっていたが、年月のたつうちには夫婦として公然に同棲どうせいすることにもなった。
  Kitanokata hutari monosi tamahi si wo, motoyori no ha nakunari tamahi te, ima monosi tamahu ha, noti no Ohoki-otodo no ohom-musume, makibasira hanare gataku si tamahi si Kimi wo, Sikibukyau-no-Miya nite, ko-Hyaubukyau-no-Miko ni ahase tatematuri tamahe ri si wo, Miko use tamahi te noti, sinobi tutu kayohi tamahi sika do, tosi-tuki hure ba, e sasimo habakari tamaha nu na' meri.
1.1.3  御子は、故北の方の御腹に、 二人のみぞおはしければ、さうざうしとて、神仏に祈りて、今の御腹にぞ、 男君一人まうけたまへる。 故宮の御方に、 女君一所おはす。隔てわかず、いづれをも同じごと、思ひきこえ交はしたまへるを、おのおの御方の人などは、 うるはしうもあらぬ心ばへうちまじり、なまくねくねしきことも出で来る時々あれど、北の方、いと晴れ晴れしく今めきたる人にて、罪なく取りなし、 わが御方ざまに苦しかるべきことをも、なだらかに聞きなし、思ひ直したまへば、聞きにくからでめやすかりけり。
 お子様は、亡くなった北の方に、二人だけいらっしゃったので、寂しいと思って、神仏に祈って、今の北の方に、男君を一人お儲けになっていた。故宮との間に、女君がお一人いらっしゃる。分け隔てをせず、どちらも同じようにかわいがり申し上げなさっているが、それぞれの御方の女房などは、きれい事には行かない気持ちも交じって、厄介なもめ事も出てくる時があるが、北の方が、とても明朗で現代的な人で、無難にとりなし、ご自分に辛いようなことも、穏やかに聞き入れ、よく解釈し直していらっしゃるので、世間に聞き苦しい事なく無難に過ごしているのであった。
 子供は前の夫人から生まれた二人の娘だけであったのを、寂しがって神仏にも祈って今の夫人との間に一人の男の子を設けた。夫人は兵部卿の宮の形見の姫君を一人持っているのである。隔てを置かずに夫婦は母の違った娘と、父のない娘を愛撫あいぶしているのであったが、そちらこちらの姫君付きの女房などの間にうるさい争いなどの起こる時もあるのを、夫人はきわめて明るい快活な性質であったから、継娘ままむすめのほうの女房の罪をつまびらかにしようとはせず、自身の娘のために不利なこともそのまま荒だてずに済ますよう骨を折ったから、家庭はきわめて平和であった。
  Miko ha, ko-Kitanokata no ohom-hara ni, hutari nomi zo ohasikere ba, sau-zausi tote, Kami Hotoke ni inori te, ima no ohom-hara ni zo, Wotoko-Gimi hitori mauke tamahe ru. Ko-Miya no Ohom-Kata ni, Womna-Gimi hito-tokoro ohasu. Hedate waka zu, idure wo mo onazi goto, omohi kikoye kahasi tamahe ru wo, ono-ono ohom-kata no hito nado ha, uruhasiu mo ara nu kokoro-bahe uti-maziri, nama-kune-kunesiki koto mo ide-kuru toki-doki are do, Kitanokata, ito hare-baresiku imameki taru hito nite, tumi naku torinasi, waga ohom-kata zama ni kurusikaru beki koto wo mo, nadaraka ni kiki-nasi, omohi-nahosi tamahe ba, kiki-nikukara de meyasukari keri.
注釈1そのころ『集成』は「漠然と時を指定する書き方。物語の冒頭の形式「今は昔」「昔」などに准ずるもので、後の橋姫、宿木、手習に同じ書き出しが見られる」。『完訳』は「語り出しの常套句。後文から、前巻より三、四年後と分る」。『新大系』は「匂宮巻と同じころで、夕霧右大臣の時代。「その比」で始まる巻として、他に橋姫・宿木・手習巻があり、続篇物語の際立った特徴。前帖に対して全く新しい人間関係の提示の際の常套句」と注す。1.1.1
注釈2さしつぎよ「よ」間投助詞。語り手の口吻。1.1.1
注釈3童より「賢木」巻に初登場、以後、「行幸」「夕霧」巻にも登場。1.1.1
注釈4御おぼえ帝の御信望。1.1.1
注釈5もとよりのは系図不詳の人。1.1.2
注釈6後の太政大臣鬚黒。彼の太政大臣への昇進と死去の年月は不明。1.1.2
注釈7式部卿宮にて祖父の式部卿宮が引き取って、宮家の姫君として、の意。1.1.2
注釈8故兵部卿親王に蛍兵部卿宮に。1.1.2
注釈9二人のみぞ大君(麗景殿女御)と中の君。1.1.3
注釈10男君一人大夫の君と呼称される。1.1.3
注釈11故宮の故蛍兵部卿宮と真木柱姫君との間に。1.1.3
注釈12女君一所宮の御方と呼称される。1.1.3
注釈13うるはしうもあらぬ心ばへ『集成』は「きれい事では割り切れぬ思い」。『完訳』は「公正に物事を処理できぬ身びいき。嫉妬し不信を抱き合う」と注す。1.1.3
注釈14わが御方ざまに苦しかるべきことをも連れ子の宮の御方に関する事。1.1.3
1.2
第二段 按察使大納言家の三姫君


1-2  Three sisters of Kobai's

1.2.1  君たち、同じほどに、すぎすぎおとなびたまひぬれば、御裳など着せたてまつりたまふ。七間の寝殿、広く大きに造りて、南面に、大納言殿、大君、西に中の君、東に宮の御方と、住ませたてまつりたまへり。
 姫君は、同じ年頃で、次々と大きくおなりになったので、御裳着などお着せ申し上げなさる。七間の寝殿を、広く大きく造って、南面に、大納言殿と大君、西面に中の君、東面に宮の御方と、お住ませ申し上げなさるのであった。
 姫君たちが皆同じほど大人おとなになったから裳着もぎの式などを大納言は行なった。七間の寝殿を広く大きく造って、南の座敷には大納言の長女、西のほうには二女、東の座敷には宮の姫君を住ませているのであった。
  Kimi-tati, onazi hodo ni, sugi-sugi otonabi tamahi nure ba, ohom-mo nado kise tatematuri tamahu. Siti-ken no sinden, hiroku ohoki ni tukuri te, minami-omote ni, Dainagon-dono, Ohoi-Kimi, nisi ni Naka-no-Kimi, himgasi ni Miya-no-Ohomkata to, suma se tatematuri tamahe ri.
1.2.2  おほかたにうち思ふほどは、 父宮のおはせぬ心苦しきやうなれどこなたかなたの御宝物多くなどして、うちうちの儀式ありさまなど、心にくく気高くなどもてなして、けはひあらまほしくおはす。
 おおかたの想像では、父宮がいらしゃらないお気の毒なようであるが、祖父宮方と父宮方とからの御宝物がたくさんあったりして、内々の儀式や普段の生活など、奥ゆかしく気品のあるお暮らしぶりで、その様子は申し分なくいらっしゃる。
 ちょっと思うとこの姫君は心細い身の上のようで気の毒だが、曾祖父そうそふの宮、祖父の太政大臣、父宮などの遺産の分配されたのが多くて、夫人は、高級の貴女の生活の様式をくずさず愛女をかしずくことができて、奥ゆかしい佳人の存在と人から認められていた。
  Ohokata ni uti-omohu hodo ha, Titi-Miya no ohase nu kokoro-gurusiki yau nare do, konata-kanata no ohom-takara-mono ohoku nado si te, uti-uti no gisiki arisama nado, kokoro-nikuku kedakaku nado motenasi te, kehahi aramahosiku ohasu.
1.2.3  例の、かくかしづきたまふ聞こえありて、次々に従ひつつ聞こえたまふ人多く、「 内裏、春宮より御けしきあれど、内裏には中宮おはします。いかばかりの人かは、かの御けはひに並びきこえむ。さりとて、思ひ劣り卑下せむもかひなかるべし。春宮には、 右大臣殿の女御、並ぶ人なげにてさぶらひたまふは、きしろひにくけれど、さのみ言ひてやは。人にまさらむと思ふ女子を、宮仕へに思ひ絶えては、何の本意かはあらむ」と思したちて、参らせたてまつりたまふ。十七、八のほどにて、うつくしう、匂ひ多かる容貌したまへり。
 例によって、このように大切になさっているという評判が立って、次々と申し込みなさる方が多く、「帝や、春宮からも御内意はあるが、帝には中宮がいらっしゃる。どれほどの方が、あのお方にご比肩申せよう。そうかといって、及ばないと諦めて卑下するのも、宮仕えする甲斐がないだろう。春宮には、右大臣殿の女御が、並ぶ人がないように伺候していらっしゃるのは、競い合いにくいが、そうとばかり言っていられようか。人よりすぐれているだろうと思う姫君を、宮仕えに出すことを諦めてしまっては、何の望みがあろうか」とご決意なさって、入内させ申し上げなさる。十七、八歳のほどで、かわいらしく、派手やかな器量をしていらっしゃった。
 妙齢の娘のある家の常で、大納言家へは求婚者が続々現われてきたし、宮中や東宮からお話があるようにもなったが、陛下のおそばには中宮ちゅうぐうがおいでになる、どんな人が出て行ってもその方と同じだけの御寵愛ちょうあいが得られるわけもない、そう言って身を卑下して後宮の一員に備わっているだけではつまらない、東宮には夕霧の左大臣の長女が侍していて、太子の寵をもっぱらにしているのであるから、競争することは困難であっても、そんなふうにばかり考えていては、人にまさった幸福を得させたいと思う女の子に宮仕えをさせるのを断念しなければならぬことになって、未来の楽しみがいもなかったことになると大納言は思って、長女を東宮へ奉ることにした。年はもう十七、八で美しいはなやかな気のする姫君であった。
  Rei no, kaku kasiduki tamahu kikoye ari te, tugi-tugi ni sitagahi tutu kikoye tamahu hito ohoku, "Uti, Touguu yori mi-kesiki are do, Uti ni ha Tyuuguu ohasimasu. Ikabakari no hito ka ha, kano ohom-kehahi ni narabi kikoye m. Saritote, omohi otori hige se m mo kahi nakaru besi. Touguu ni ha, U-Daizin-dono no Nyougo, narabu hito nage ni te saburahi tamahu ha, kisirohi nikukere do, sanomi ihi te ya ha. Hito ni masara m to omohu womna-go wo, Miya-dukahe ni omohi taye te ha, nani no ho'i ka ha ara m." to obosi-tati te, mawira se tatematuri tamahu. Zihu-siti, hati no hodo ni te, utukusiu, nihohi ohokaru katati si tamahe ri.
1.2.4  中の君も、うちすがひて、あてになまめかしう、澄みたるさまはまさりて、をかしうおはすめれば、ただ人にては、あたらしく見せま憂き御さまを、「 兵部卿宮の、さも思したらば」など思したる。 この若君を内裏にてなど見つけたまふ時は、召しまとはし、戯れ敵にしたまふ。心ばへありて、奥 推し量らるるまみ額つきなり。
 中の君も、引き続いて、上品で優美で、すっきり落ち着いた点では大君に勝って、美しくいらっしゃるようなので、臣下の人では、惜しく気が進まないご器量なのを、「兵部卿宮が、そのように望んでくださったら」などとお思いになっていた。この若君を、宮中などで御覧になる時は、お召しまとわせ、遊び相手になさっている。利発であって、将来の期待される目もとや額つきである。
 二女も近い年で、上品な澄みきったような美は姉君にもまさった人であったから、普通の人と結婚させることは惜しく、兵部卿の宮が求婚されたならばと、大納言はそんな望みを持っていた。大納言の一人息子むすこの若君を匂宮におうみやは御所などでお見つけになる時があると、そばへお呼びになってよくおかわいがりになった。聡明そうめいらしいよい額つきをした子である。
  Naka-no-Kimi mo, uti-sugahi te, ate ni namamekasiu, sumi taru sama ha masari te, wokasiu ohasu mere ba, tadaudo nite ha, atarasiku mise ma uki ohom-sama wo, "Hyaubukyau-no-Miya no, samo obosi tara ba." nado obosi taru. Kono Waka-Gimi wo, Uti ni te nado mituke tamahu toki ha, mesi-matohasi, tahabure-gataki ni si tamahu. Kokoro-bahe ari te, oku osihakara ruru mami hitahi-tuki nari.
1.2.5  「 せうとを見てのみはえやまじと、大納言に申せよ」などのたまひかくるを、「さなむ」と聞こゆれば、うち笑みて、「 いとかひあり」と思したり。
 「弟と付き合うだけでは終わりたくないと、大納言に申し上げよ」などとお話しかけになるので、「しかじか」と申し上げると、微笑んで、「まことにその甲斐があった」と思いになっていた。
 「弟だけを見ていて満足ができないと大納言に言ってくれ」などとお言いになるのを、そのまま父に話すと、大納言は笑顔えがおを見せてうれしそうにした。
  "Seuto wo mi te nomi ha e yama zi to, Dainagon ni mawose yo." nado notamahi kakuru wo, "Sa nam." to kikoyure ba, uti-wemi te, "Ito kahi ari" to obosi tari.
1.2.6  「 人に劣らむ宮仕ひよりは、この宮にこそは、よろしからむ女子は見せたてまつらまほしけれ。心ゆくにまかせて、かしづきて見たてまつらむに、命延びぬべき宮の御さまなり」
 「人に負けるような宮仕えよりは、この宮にこそ、人並みの姫君は差し上げたいものだ。思いのままにまかせて、お世話申し上げることになったら、寿命もきっと延びる気がする宮のご様子である」
 「人にけおされるような宮仕えよりは兵部卿の宮などにこそ自信のある娘は差し上げるのがいいと私は思う。一所懸命におかしずきすれば命も延びるような気のする宮様だから」
  "Hito ni otora m Miya-dukahi yori ha, kono Miya ni koso ha, yorosikara m womnago ha mise tatematura mahosikere. Kokoro-yuku ni makase te, kasiduki te mi tatematura m ni, inoti nobi nu beki Miya no ohom-sama nari."
1.2.7  とのたまひながら、まづ、 春宮の御ことをいそぎたまひて、「 春日の神の御ことわりも、わが世にやもし出で来て、 故大臣の、院の女御の御ことを、胸いたく思してやみにし慰めのこともあらなむ」と、心のうちに祈りて、参らせたてまつりたまひつ。いと時めきたまふよし、人びと聞こゆ。
 とおっしゃりながら、まず、春宮への御入内の事をお急ぎになって、「春日の神の御神託も、わが世にもしや現れ出て、故大臣が、院の女御の御事を、無念にお思いのまま亡くなってしまったお心を慰めることがあってほしい」と、心中に祈って、入内させなさった。たいそう御寵愛である由を、人びとはお噂申す。
 と言いながらも大納言はまず長女を東宮の後宮へ入れる準備をして、春日かすがの神意どおりに藤原ふじわら氏の皇后を自分の代に出すことができて、父の大臣は院の女御にょごを后位の競争に失敗させ、苦い思いをしたままでくなったのであるから、霊の慰むようにもなればいいと心の中では祈っていた。その人は間もなく太子きゅうへはいった。付き添いの女房から御寵愛ちょうあいがあるという報告が大納言へあった。
  to notamahi nagara, madu, Touguu no ohom-koto wo isogi tamahi te, "Kasuga-no-Kami no ohom-kotowari mo, waga yo ni ya mosi ide-ki te, ko-Otodo no, Win-no-Nyougo no ohom-koto wo, mune itaku obosi te yami ni si nagusame no koto mo ara nam." to, kokoro no uti ni inori te, mawira se tatematuri tamahi tu. Ito toki-meki tamahu yosi, hito-bito kikoyu.
1.2.8  かかる御まじらひの馴れたまはぬほどに、はかばかしき御後見なくてはいかがとて、 北の方添ひてさぶらひたまへば、まことに限りもなく思ひかしづき、後見きこえたまふ。
 このような後宮生活にお馴れにならないうちは、しっかりしたご後見がなくてはどんなものかと、北の方が付き添っていらっしゃるので、ほんとうにこの上もなく大切に思って、ご後見申し上げなさる。
 後宮の生活にれないうちは親身の者が付いていなくてはといって、真木柱夫人がいっしょに御所へ行っていた。優しいこの継母ままはははよく世話をして周囲にも気を配ることを怠らないのであった。
  Kakaru ohom-mazirahi no nare tamaha nu hodo ni, haka-bakasiki ohom-usiromi naku te ha ikaga tote, Kitanokata sohi te saburahi tamahe ba, makoto ni kagiri mo naku omohi-kasiduki, usiromi kikoye tamahu.
注釈15父宮のおはせぬ心苦しきやうなれど宮の御方には父螢兵部卿宮がいない気の毒さ。1.2.2
注釈16こなたかなたの御宝物父蛍宮や母方の曾祖父式部卿宮から贈られた宝物。1.2.2
注釈17内裏春宮より今上帝(朱雀院の皇子)と東宮(今上の第一皇子、母明石の中宮)。以下「何の本意かはあらむ」まで、紅梅大納言の心中。1.2.3
注釈18兵部卿宮の、さも思したらば紅梅大納言の心中。1.2.4
注釈19この若君を紅梅大納言と真木柱の子、大夫の君。大君や中君とは異腹の兄弟。1.2.4
注釈20内裏にてなど見つけたまふ時は主語は匂宮。1.2.4
注釈21せうとを見て以下「大納言に申せよ」まで、匂宮の詞。姉にも逢いたい、の意。大夫の君には異腹の姉の大君(東宮の麗景殿女御)、中君と同父の姉の宮の御方とがいる。匂宮は連れ子の宮の御方に関心がある。1.2.5
注釈22いとかひあり紅梅大納言の心中。匂宮が中君に関心を寄せているものと思い喜ぶ。しかし、匂宮は宮の御方に関心がある。1.2.5
注釈23人に劣らむ宮仕ひよりは以下「宮の御さまなり」まで、紅梅大納言の詞。1.2.6
注釈24春宮の御ことをいそぎたまひて大君の東宮への入内。1.2.7
注釈25春日の神の御ことわりも以下「慰めのこともあらなむ」まで、紅梅大納言の心中。藤原氏から皇后が立后するという神託。1.2.7
注釈26故大臣の院の女御紅梅大納言の父、故太政大臣の娘の冷泉帝の弘徽殿女御は、源氏の養女の秋好中宮に立后された悔しい思いがある。1.2.7
注釈27北の方添ひて紅梅大納言の北の方、真木柱。継母が後見。1.2.8
校訂1 右大臣殿の女御 右大臣殿の女御--*右大(大/+臣<朱>)の 1.2.3
校訂2 推し量らるる 推し量らるる--おしは(は/+から<朱>)るゝ 1.2.4
1.3
第三段 宮の御方の魅力


1-3  Miya-no-onkata's talent

1.3.1  殿は、つれづれなる心地して、 西の御方は一つに慣らひたまひて、いとさうざうしくながめたまふ。 東の姫君も、うとうとしくかたみにもてなしたまはで、夜々は一所に大殿籠もり、よろづの御こと習ひ、はかなき御遊びわざをも、 こなたを師のやうに思ひきこえてぞ、 誰れも習ひ遊びたまひける。
 殿は、所在ない心地がして、西の御方は、一緒でいることに馴れていらっしゃたので、とても寂しく物思いに沈んでいらっしゃる。東の姫君も、よそよそしくお互いになさらず、夜々は同じ所にお寝みになり、いろいろなお稽古事を習い、ちょっとしたお遊び事なども、こちらを先生のようにお思い申し上げて、大君も中の君も習ったり遊んだりしていらっしゃった。
 大納言家の内が急に寂しくなった気がして、西の姫君などは始終いっしょに暮らした姉妹きょうだいなのであるから、物足らぬ寂しい思いをしていた。東の姫君も大納言の実子の姉妹とは親しくむつび合ってきたのであって、夜分などは皆一つの寝室で休むことにしていて、音楽の稽古けいこをはじめ、遊戯ごとにもいつも東の姫君を師のようにして習ったものである。
  Tono ha, ture-dure naru kokoti si te, Nisi-no-Ohomkata ha, hitotu ni narahi tamahi te, ito sau-zausiku nagame tamahu. Himgasi-no-Hime-Gimi mo, uto-utosiku katami ni motenasi tamaha de, yoru-yoru ha hito-tokoro ni ohotono-gomori, yorodu no ohom-koto narahi, hakanaki ohom-asobi-waza wo mo, konata wo si no yau ni omohi kikoye te zo, tare mo narahi asobi tamahi keru.
1.3.2   もの恥ぢを世の常ならずしたまひて、母北の方にだに、さやかにはをさをささし向ひたてまつりたまはず、かたはなるまでもてなしたまふものから、心ばへけはひの埋れたるさまならず、愛敬づきたまへること、はた、人よりすぐれたまへり。
 人見知りを世間の人以上になさって、母北の方にさえ、ちゃんとお顔をお見せ申し上げることもなさらず、おかしなほど控え目でいらっしゃる一方で、気立てや雰囲気が陰気なところはなく、愛嬌がおありであることは、それは、誰よりも優れていらっしゃった。
 東の女王にょおうは非常な内気で、母の夫人にさえも顔を向けて話すことなどはなく、病気と思われるほどに恥ずかしがるところはあるが、性質が明るくて愛嬌あいきょうのある点はだれよりもすぐれていた。
  Mono-hadi wo yo no tune nara zu si tamahi te, Haha-Kitanokata ni dani, sayaka ni ha wosa-wosa sasi-mukahi tatematuri tamaha zu, kataha naru made motenasi tamahu monokara, kokoro-bahe kehahi no mumore taru sama nara zu, aigyau-duki tamahe ru koto, hata, hito yori sugure tamahe ri.
1.3.3  かく、内裏参りや何やと、 わが方ざまをのみ思ひ急ぐやうなるも、心苦しなど思して
 このように、春宮への入内や何やかやと、ご自分の姫君のことばかり考えてご準備するのも、お気の毒だとお思いになって、
 こんなふうに東宮へ長女を奉ったり、二女の将来の目算をしたりして、自身の娘にだけ力を入れているように見られぬかと大納言は恥じて、
  Kaku, Uti-mawiri ya naniya to, waga kata zama wo nomi omohi-isogu yau naru mo, kokoro-gurusi nado obosi te,
1.3.4  「 さるべからむさまに思し定めてのたまへ。同じこととこそは、仕うまつらめ」
 「適当なご縁談をお考えになっておっしゃってください。同じように、お世話いたしましょう」
 「姫君にどういうふうな結婚をさせようという方針をきめて言ってください。二人の娘に変わらぬ尽力を私はするつもりなのだから」
  "Saru-bekara m sama ni obosi-sadame te notamahe. Onazi koto to koso ha, tukau-matura me."
1.3.5  と、母君にも聞こえたまひけれど、
 と、母君にも申し上げなさったが、
 と大納言は夫人に言ったのであるが、
  to, Haha-Gimi ni mo kikoye tamahi kere do,
1.3.6  「 さらにさやうの世づきたるさま、思ひ立つべきにもあらぬけしきなれば、なかなかならむことは、心苦しかるべし。御宿世にまかせて、 世にあらむ限りは見たてまつらむ。後ぞあはれにうしろめたけれど、 世を背く方にても、おのづから人笑へに、あはつけきことなくて、過ぐしたまはなむ」
 「まったくそのような結婚の事は、考えようともしない様子なので、なまじっかの結婚は、気の毒でしょう。ご運命にまかせて、自分が生きている間はお世話申そう。死後はかわいそうで心配ですが、出家してなりとも、自然と人から笑われ、軽薄なことがなくて、お過ごしになってほしい」
 「結婚などという人並みな空想をあの人に持つことはできませんほど弱い気質なのでございます、それで普通の計らいをしましてはかえって不幸を招くことになると思いますから、運命に任せておくことにしまして、私の生きております間は手もとへ置くことにいたします。それから先は非常に心細く想像されますが、尼になるという道もあるのですし、その時にはもう自身の処置を誤らないだけになっていると思います」
  "Sarani sayau no yo-duki taru sama, omohi-tatu beki ni mo ara nu kesiki nare ba, naka-naka nara m koto ha, kokoro-gurusikaru besi. Ohom-sukuse ni makase te, yo ni ara m kagiri ha mi tatematura m. Noti zo ahare ni usirometakere do, yo wo somuku kata nite mo, onodukara hito-warahe ni, ahatukeki koto naku te, sugusi tamaha nam."
1.3.7  など、うち泣きて、 御心ばせの思ふやうなることをぞ聞こえたまふ。
 などと、ちょっと泣いて、宮のご性質が立派なことを申し上げなさる。
 などと夫人は泣きながら言って、大納言の好意を謝していた。
  nado, uti-naki te, mi-kokoro-base no omohu yau naru koto wo zo kikoye tamahu.
1.3.8   いづれも分かず親がりたまへど、御容貌を見ばやとゆかしう思して、「隠れたまふこそ心憂けれ」と恨みて、「人知れず、見えたまひぬべしや」と、覗きありきたまへど、絶えてかたそばをだに、え見たてまつりたまはず。
 どの娘も分け隔てなく親らしくなさるが、ご器量を見たいと心動かされて、「お顔をお見せにならないのが辛いことだ」と恨んで、「こっそりと、お見えにならないか」と、覗いて回りなさるが、全然ちらりとさえお見せにならない。
 東の姫君にも同じように父親らしくふるまっている大納言ではあったが、どんな容貌ようぼうなのかを見たく思って、「いつもお隠れになるのは困ったことだ」と恨みながら、人知れず見る機会をうかがっていたが、絶対と言ってもよいほど、姫君は影すらも継父に見せないのであった。
  Idure mo waka zu oya-gari tamahe do, ohom-katati wo mi baya to yukasiu obosi te, "Kakure tamahu koso kokoro-ukere." to urami te, "Hito sire zu, miye tamahi nu besi ya." to, nozoki-ariki tamahe do, tayete katasoba wo dani, e mi tatematuri tamaha zu.
1.3.9  「 上おはせぬほどは、立ち代はりて参り来べきを、うとうとしく思し分くる御けしきなれば、心憂くこそ」
 「母上がいらっしゃらない間は、代わってわたしが参りますが、よそよそしく分け隔てなさるご様子なので、辛いことです」
 「お母様の留守の間は私が代理になって、どんな用の時にも私はこちらへ来るつもりなのだが、まだ親と認めないお扱いを受けるのに悲観されます」
  "Uhe ohase nu hodo ha, tati-kahari te mawiri ku beki wo, uto-utosiku obosi-wakuru mi-kesiki nare ba, kokoro-uku koso."
1.3.10  など聞こえ、御簾の前にゐたまへば、御いらへなど、ほのかに聞こえたまふ。御声けはひなど、あてにをかしう、さま容貌思ひやられて、あはれにおぼゆる人の御ありさまなり。わが 御姫君たちを、人に劣らじと思ひおごれど、「 この君に、えしもまさらずやあらむ。かかればこそ、 世の中の広きうちはわづらはしけれ。たぐひあらじと思ふに、まさる方も、おのづからありぬべかめり」など、いとどいぶかしう思ひきこえたまふ。
 などと申し上げて、御簾の前にお座りになるので、お返事などを、かすかに申し上げなさる。お声、様子など、上品で美しく、容姿や器量が想像されて、立派だと感じられるご様子の人である。ご自分の姫君たちを、誰にも負けないだろうと自慢に思っているが、「この姫君には、とても勝てないだろうか。こうだからこそ、世間付き合いの広い宮中は厄介なのだ。二人といまいと思うのに、それ以上の方も自然といることだろう」などと、ますます気がかりにお思い申し上げになさる。
 などと、御簾みすの前にすわって言っている時、姫君はほのかに返辞くらいはしていた。声やら、気配けはいやらの品のよさに美しい容貌も想像される可憐かれんな人であった。大納言は自分の娘たちをすぐれたものと見て慢心しているが、この人には劣っているかもしれぬ、だから世界の広いことは個人を安心させないことになる、類がないと思っていても、それ以上な価値の備わったものが他にあることにもなるのであろうなどと思って、いっそう好奇心がかれた。
  nado kikoye, mi-su no mahe ni wi tamahe ba, ohom-irahe nado, honoka ni kikoye tamahu. Ohom-kowe kehahi nado, ate ni wokasiu, sama katati omohi-yara re te, ahare ni oboyuru hito no mi-arisama nari. Waga ohom-Hime-Gimi-tati wo, hito ni otora zi to omohi ogore do, "Kono Kimi ni, e simo masara zu ya ara m? Kakare ba koso, yononaka no hiroki uti ha wadurahasikere. Taguhi ara zi to omohu ni, masaru kata mo, onodukara ari nu beka' meri." nado, itodo ibukasiu omohi kikoye tamahu.
注釈28西の御方は中君。1.3.1
注釈29一つに慣らひたまひて姉の大君と一緒にいることに慣れていた。1.3.1
注釈30東の姫君も宮の御方。継母の真木柱と先夫蛍兵部卿宮との間の娘、連れ子。1.3.1
注釈31こなたを師のやうに宮の御方を師匠のようにして。1.3.1
注釈32誰れも大君や中君をさす。1.3.1
注釈33もの恥ぢを世の常ならずしたまひて主語は宮の御方。以下、宮の御方の性格描写が続く。1.3.2
注釈34わが方ざまをのみ思ひ急ぐやうなるも心苦しなど思して主語は紅梅大納言。1.3.3
注釈35さるべからむさまに以下「仕うまつらめ」まで、紅梅大納言の詞。1.3.4
注釈36さらにさやうの以下「過ぐしたまはなむ」まで、母北の方真木柱の詞。1.3.6
注釈37世にあらむ限りは自分が生きているうちは。1.3.6
注釈38世を背く方にても宮の御方が。『集成』は「出家して尼になるなりして、それなりに、人の物笑いになるような、軽はずみな失態を犯すことなくお過しになってほしいものです。つまらぬ男と浮き名の立つようなことはあってほしくない、と言う。父兵部卿の宮がいないというひけ目が、母にも適当な縁組を断念させているのであろう」と注す。1.3.6
注釈39御心ばせの思ふやうなることをぞ宮の御方のすぐれた性質をいう。1.3.7
注釈40いづれも分かず親がりたまへど紅梅大納言は実子も連れ子も同じように扱う。1.3.8
注釈41上おはせぬほどは以下「心憂くこそ」まで、紅梅大納言の詞。母上は大君と共に宮中にいる。1.3.9
注釈42この君にえしも以下「ありぬべかめり」まで、紅梅大納言の心中。1.3.10
注釈43世の中の広きうちは『集成』は「この広い世間の内は、気を許せないものなのだ。どんな強敵がいるか分らない、意」。『完訳』は「世間付き合いの多い宮中では。後宮には予測しがたい、すぐれた妃の出現しがちなことを危ぶむ」と注す。1.3.10
校訂3 御姫君 御姫君--(/+御<朱>)姫君 1.3.10
1.4
第四段 按察使大納言の音楽談義


1-4  Kobai talks about biwa to Miya-no-onkata

1.4.1  「 月ごろ、何となくもの騒がしきほどに、御琴の音をだにうけたまはらで久しうなりはべりにけり。西の方にはべる人は、 琵琶を心に入れてはべる、さもまねび取りつべくやおぼえはべらむ。なまかたほにしたるに、聞きにくきものの音がらなり。同じくは、御心とどめて教へさせたまへ。
 「ここ幾月、何となくごたごたしていたが、お琴の音さえ聴かせて戴かないで久しくなってしまった。西の方におります人は、琵琶に熱心でございますが、そのように上手に習得できると思っているのでしょうか。中途半端にしたのでは、聞きにくい楽器の音色です。同じことなら、十分に念を入れて教えて上げてください。
 「ここ数月の間はなんとなく家の中がざわついていまして、あなたの琴の音を長く聞くこともありませんでしたよ。西にいる人は琵琶びわ稽古けいこを熱心にしていますよ。上達する自信があるのでしょうか。琵琶はまずくかれると我慢のならないものです。できますればよく教えてやってください。
  "Tuki-goro, nanitonaku mono-sawagasiki hodo ni, ohom-koto no ne wo dani uketamahara de hisasiu nari haberi ni keri. Nisi no kata ni haberu hito ha, biha wo kokoro ni ire te haberu, samo manebi tori tu beku ya oboye habera m. Nama-kataho ni si taru ni, kiki-nikuki mono no ne-gara nari. Onaziku ha, mi-kokoro todome te wosihe sase tamahe.
1.4.2  翁は、とりたてて習ふものはべらざりしかど、そのかみ、盛りなりし世に遊びはべりし力にや、聞き知るばかりのわきまへは、何ごとにもいとつきなうはべらざりしを、 うちとけても遊ばさねど、時々うけたまはる御琵琶の音なむ、 昔おぼえはべる
 老人は、特別に習ったものはございませんでしたが、その昔、盛りだったころに合奏に加わったお蔭でしょうか、演奏の上手下手を聞き分ける程度の区別は、どのような楽器にもひどく不案内ということはございませんでしたが、気を許してお弾きになりませんが、時々お聴きするあなたの琵琶の音色は、昔が思い出されます。
 この老人はどの芸といって特に深く稽古をしたものといってはないのですが、昔の黄金時代に行なわれた音楽の遊びに参加しただけの功徳で、すべての音楽を通じて耳だけはよく発達しているのです。たくさんはお聞かせになりませんが、時々お聞きするあなたの琵琶の音にはよく昔のその時代を思い出させるものがありますよ。
  Okina ha, tori-tate te narahu mono habera zari sika do, sono-kami, sakari nari si yo ni asobi haberi si tikara ni ya, kiki-siru bakari no wakimahe ha, nanigoto ni mo ito tuki-nau habera zari si wo, utitoke te mo asoba sa ne do, toki-doki uketamaharu ohom-biha no ne nam, mukasi oboye haberu.
1.4.3  故六条院の御伝へにて、右の大臣なむ、このころ世に 残りたまへる。源中納言、兵部卿宮、何ごとにも、昔の人に劣るまじう、いと契りことにものしたまふ人びとにて、遊びの方は、取り分きて心とどめたまへるを、手づかひすこしなよびたる撥音などなむ、大臣には及びたまはずと思うたまふるを、 この御琴の音こそ 、いとよくおぼえたまへれ。
 故六条院のご伝授では、右大臣が、今でも世に残っていらっしゃいます。源中納言、兵部卿宮は、どのようなことでも、昔の人に負けないほど、まことに前世からの因縁が格別でいらっしゃる方々で、音楽の方面は、特別に熱心でいらっしゃるので、手さばきの少し弱々しい撥の音などが、大臣には負けていらっしゃると存じておりますが、このお琴の音色は、とてもよく似ていらっしゃいます。
 現在では六条院からお譲りになった芸で、左大臣だけが名手として残しておいでになりますが、かおる中納言、匂宮の若いお二人はすべての点で昔の盛りの御代みよの人に劣らないと思われる天才的な人たちで、熱心におやりになる音楽のほうで言えば、宮様の撥音ばちおとの少し弱い点は六条院に及ばぬところであると私は思っているのです。ところがあなたのは非常に院のお撥音に似ています。
  Ko-Rokudeu-no-Win no ohom-tutahe nite, Migi-no-Otodo nam, kono-koro yo ni nokori tamahe ru. Gen-Tyuunagon, Hyaubukyau-no-Miya, nani-goto ni mo, mukasi no hito ni otoru maziu, ito tigiri koto ni monosi tamahu hito-bito ni te, asobi no kata ha, tori-waki te kokoro todome tamahe ru wo, tedukahi sukosi nayobi taru bati-oto nado nam, Otodo ni ha oyobi tamaha zu to omou tamahuru wo, kono ohom-koto no ne koso, ito yoku oboye tamahe re.
1.4.4  琵琶は、押手しづやかなるをよきにするものなるに、柱さすほど、撥音のさま変はりて、なまめかしう聞こえ たるなむ、女の御ことにて、なかなかをかしかりける。いで、遊ばさむや。御琴参れ」
 琵琶は、押し手を静かにするのを上手とする都言いますが、柱を据えた時、撥の音の様子が変わって、優美に聞こえるのが、女性のお琴としては、かえって結構なものです。さあ、合奏なさいませんか。お琴を持って参れ」
 琵琶はいとのおさえ方の確かなのがよいということになっていますが、をさす間だけ撥音の変わる時の艶な響きは女の弾き手のみが現わしうるもので、かえって女の名手の琵琶のほうを私はおもしろく思いますよ。今からお弾きになりませんか。女房たち、お楽器を」
  Biha ha, osite siduyaka naru wo yoki ni suru mono naru ni, dyuu sasu hodo, bati-oto no sama kahari te, namamekasiu kikoye taru nam, womna no ohom-koto nite, naka-naka wokasikari keru. Ide, asoba sa m ya? Ohom-koto mawire."
1.4.5  とのたまふ。女房などは、 隠れたてまつるもをさをさなし。いと若き上臈だつが、見えたてまつらじと思ふはしも、心にまかせてゐたれば、「 さぶらふ人さへかくもてなすが、やすからぬ」と腹立ちたまふ。
 とおっしゃる。女房などは、お隠れ申している者はほとんどいない。たいそう若い上臈ふうの女房が、姿をお見せ申し上げまいと思っているのは、勝手に奥に座っているので、「お側の女房までがこのように気ままに振る舞うのが、おもしろくない」と腹をお立てになる。
 と大納言は言った。女房らは大納言に対してあまり隠れようとはしないのであるが、若い高級の女房の一人で、顔を見せたがらないのが、じっとして動かないのを大納言は、「お付きの人たちさえも私を他人扱いするのがくやしい」と腹をたてて見せたりもした。
  to notamahu. Nyoubau nado ha, kakure tatematuru mo wosa-wosa nasi. Ito wakaki zyaurahu-datu ga, miye tatematura zi to omohu ha simo, kokoro ni makase te wi tare ba, "Saburahu hito sahe kaku motenasu ga, yasukara nu." to hara-dati tamahu.
注釈44月ごろ何となく以下「御琴参れ」まで、紅梅大納言の詞。1.4.1
注釈45琵琶を心に入れてはべる中君は宮の御方から琵琶を習っている。『源氏物語』では琵琶は皇族の血を引く人がよく弾く楽器として登場。源典侍、明石御方、蛍兵部卿宮、宇治大君など。1.4.1
注釈46うちとけても遊ばさねど主語は、あなた宮の御方。敬語表現。1.4.2
注釈47昔おぼえはべる『集成』は「昔の世の音色そのままと思われます。昔の名手にも劣らないと、ほめる。尚古思想である」。『完訳』は「往年の琵琶の第一人者は宮の御方の実父蛍宮。ここはそれを回顧しない」と注す。1.4.2
注釈48この御琴の音こそあなたの琴の音色は。琴は総称、琵琶をさす。1.4.3
注釈49隠れたてまつるも紅梅大納言に対しての敬意。1.4.5
注釈50さぶらふ人さへかくもてなすがやすからぬ紅梅大納言の詞。『完訳』は「宮の御方への当てつけがましい言葉」と注す。1.4.5
校訂4 残り 残り--のこる(る/$り<朱>) 1.4.3
校訂5 この この--(/+此<朱>) 1.4.3
校訂6 たるなむ たるなむ--*たる 1.4.4
Last updated 2/17/2002
渋谷栄一校訂(C)(ver.1-2-2)
Last updated 2/17/2002
渋谷栄一注釈(ver.1-1-2)
Last updated 2/17/2002
渋谷栄一訳(C)(ver.1-2-2)
現代語訳
与謝野晶子
電子化
上田英代(古典総合研究所)
底本
角川文庫 全訳源氏物語
校正・
ルビ復活
砂場清隆(青空文庫)

2004年3月17日

渋谷栄一訳
との突合せ
若林貴幸、宮脇文経

2005年10月4日

Last updated 10/15/2002
Written in Japanese roman letters
by Eiichi Shibuya (C) (ver.1-3-2)
Picture "Eiri Genji Monogatari"(1650 1st edition)
このページは再編集プログラムによって2015/1/12に出力されました。
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