第四十三帖 紅梅


43 KOUBAI (Ohoshima-bon)


匂宮と紅梅大納言家の物語


Tale of Nio-no-Miya and Kobai-Dainagon's

2
第二章 匂兵部卿の物語 宮の御方に執心


2  Tale of Nio-no-Miya  Nio-no-Miya sets his heart on Miya-no-onkata

2.1
第一段 按察使大納言、匂宮に和歌を贈る


2-1  Kobai composes and gifts waka to Nio-no-Miya

2.1.1   若君、内裏へ参らむと、宿直姿にて参りたまへる、わざとうるはしきみづらよりも、いとをかしく見えて、いみじううつくしと思したり。 麗景殿に、御ことづけ聞こえたまふ。
 若君は、宮中へ参内しようと、宿直姿で参上なさったが、特別にきちんとした角髪よりも、とても美しく見えて、たいそうかわいいとお思いになっていた。麗景殿に、おことづけを申し上げなさる。
 若君が御所へ上がろうとして直衣のうし姿で父の所へ来た。正装をしてみずらを結った形よりも美しく見える子を、大納言は非常にかわいく思うふうであった。夫人も行っている麗景殿れいげいでんへすることづてを大納言はするのであった。
  Waka-Gimi, Uti he mawira m to, tonowi-sugata nite, mawiri tamahe ru, wazato uruhasiki midura yori mo, ito wokasiku miye te, imiziu utukusi to obosi tari. Reikei-den ni, ohom-kotoduke kikoye tamahu.
2.1.2  「 譲りきこえて、今宵もえ参るまじく、悩ましく、など聞こえよ」とのたまひて、「 笛すこし仕うまつれ。ともすれば、御前の御遊びに召し出でらるる、 かたはらいたしや。まだいと 若き笛を
 「お任せ申して、今夜も参ることができない、気分が悪いのだ、などと申し上げよ」とおっしゃって、「笛を少しおつとめ申せ。どうかすると、御前の御合奏に召し出されるが、はらはらさせられることだ。まだとても未熟な笛なので」
 「お任せしておいて、今夜も私は失礼するだろうと思う、と言うのだよ。気分が少し悪いからと申してくれ」と言ったあとで、「笛を少し吹け、何かというと御前の音楽の集まりにお呼ばれするではないか。困るね。幼稚な芸のものを」
  "Yuduri kikoye te, koyohi mo e mawiru maziku, nayamasiku, nado kikoye yo." to notamahi te, "Hue sukosi tukau-mature. Tomosureba, o-mahe no ohom-asobi ni mesi-ide raruru, kataharaitasi ya! Mada ito wakaki hue wo."
2.1.3  とうち笑みて、 双調吹かせたまふ。いとをかしう吹いたまへば、
 とほほ笑んで、双調を吹かせなさる。たいそう美しくお吹きになるので、
 微笑をしながらこう言って、双調を子に吹かせた。一人息子がおもしろく笛を吹き出すのを待っていて、
  to uti-wemi te, Saudeu huka se tamahu. Ito wokasiu hui tamahe ba,
2.1.4  「 けしうはあらずなりゆくはこのわたりにて、おのづから物に合はするけなり。なほ、掻き合はせさせたまへ」
 「まままあになって行くのは、この辺りで、何かの折りに合奏するからであろう。ぜひ、お琴をお弾き合わせ頂きたい」
 「悪くはなくなってゆくのも、こちらのお姉様の所で、自然合わさせていただくことになるからだろうね。ぜひただ今もき合わせてやってください」
  "Kesiu ha ara zu nari-yuku ha, kono watari nite, onodukara mono ni ahasuru ke nari. Naho, kaki-ahase sase tamahe."
2.1.5  と責めきこえたまへば、苦しと思したるけしきながら、爪弾きにいとよく合はせて、ただすこし掻き鳴らいたまふ。 皮笛、ふつつかに馴れたる声して、この東のつまに、軒近き紅梅の、いとおもしろく匂ひたるを見たまひて、
 とお責め申し上げなさるので、辛いとお思いの様子であるが、爪弾きにとてもよく合わせて、ただ少し掻き鳴らしなさる。口笛を、太い音で物馴れた声して吹いて、この東の端に、軒に近い紅梅が、たいそう美しく咲き匂っているのを御覧になって、
 と責められて、女王は困っているふうであったが、爪弾つまびきで琵琶をよく合うように少し鳴らした。大納言は口笛で上手じょうずな拍子をとるのだった。この座敷の東の側に沿って、軒に近く立った紅梅の美しく咲いたのを大納言は見て、
  to seme kikoye tamahe ba, kurusi to obosi taru kesiki nagara, tuma-biki ni ito yoku ahase te, tada sukosi kaki-narai tamahu. Kahabue, hututuka ni nare taru kowe si te, kono himgasi no tuma ni, noki tikaki koubai no, ito omosiroku nihohi taru wo mi tamahi te,
2.1.6  「 御前の花、心ばへありて見ゆめり。兵部卿宮、内裏におはすなり。一枝折りて参れ。 知る人ぞ知る」とて、「 あはれ、光る源氏、といはゆる御盛りの大将などにおはせしころ、童にて、かやうにてまじらひ馴れきこえしこそ、世とともに恋しうはべれ。
 「お庭先の梅が、風情あるように見える。兵部卿宮は、宮中にいらっしゃるそうだ。一枝折って差し上げよ。知る人は知っている」と言って、「ああ、光る源氏、といわれたお盛りの大将などでいらしたころ、子供で、このようにしてお仕え馴れ申したのが、年とともに恋しいことです。
 「こちらの梅はことによい。兵部卿ひょうぶきょうの宮は宮中においでになるだろうから、一枝折らせてお持ちするがいい。『知る人ぞ知る』(色をも香をも)」こう子供に言いながらまた、大納言は、「光源氏がいわゆる盛りの大将でいられた時代に、子供でちょうどこの子のようにして始終お近づきしたことが今でも私には恋しくてなりません。
  "O-mahe no hana, kokoro-bahe ari te miyu meri. Hyaubukyau-no-Miya, Uti ni ohasu nari. Hito-eda wori te mawire. Siru hito zo siru." tote, "Ahare, Hikaru-Genzi, to ihayuru ohom-sakari no Daisyau nado ni ohase si koro, waraha nite, kayau nite mazirahi nare kikoye si koso, yo to tomoni kohisiu habere.
2.1.7   この宮たちを、世人も、いとことに思ひきこえ、げに人にめでられむとなりたまへる御ありさまなれど、端が端にもおぼえたまはぬは、 なほたぐひあらじと思ひきこえし心のなしにやありけむ。
 この宮たちを、世間の人も、たいそう格別にお思い申し上げ、なるほど誰からも誉められるようにおなりになったご様子であるが、まったく問題に思われなさらないのは、やはり絶世の方だとお思い申し上げた気持ちのせいでしょうか。
 この宮がたを世間の人はおめするし、実際愛さるべく作られて来た人のような風采ふうさいはお持ちになりますが、光源氏の片端の片端にもお当たりにならないように私の思うのは、すばらしいと子供心にお見上げしたころの深い印象によるものなのかもしれません。
  Kono Miya-tati wo, yohito mo, ito koto ni omohi kikoye, geni hito ni mede rare m to nari tamahe ru ohom-arisama nare do, hasi-ga-hasi ni mo oboye tamaha nu ha, naho taguhi ara zi to omohi kikoye si kokoro no nasi ni ya ari kem.
2.1.8  おほかたにて、思ひ出でたてまつるに、胸あく世なく悲しきを、気近き人の後れたてまつりて、生きめぐらふは、おぼろけの命長さなりかし、とこそおぼえはべれ」
 世間一般の立場から、お思い出し申し上げるのに、胸の晴れる時もなく悲しいので、身近な人に先立たれ申して、生き残っているのは、並々でなく長生きを辛いことであろう、と思われます」
 われわれでさえ院をお思い出しするとお別れしたことは慰みようもない悲しみになるのですから、家族の方がたでお死に別れをしたあとに生き残らねばならなかった人たちは不幸な宿命を負っているのだという気がします」
  Ohokata ni te, omohi-ide tatematuru ni, mune aku yo naku kanasiki wo, kedikaki hito no okure tatematuri te, iki megurahu ha, oboroke no inoti nagasa nari kasi, to koso oboye habere."
2.1.9  など、聞こえ出でたまひて、ものあはれにすごく思ひめぐらししをれたまふ。
 などと、申し上げなさって、しみじみと索漠とした子持ちで回想し沈んでいらっしゃる。
 こんなことを女王に語って、大納言は深く身にしむふうでしおれかえってしまった。
  nado, kikoye-ide tamahi te, mono ahare ni sugoku omohi-megurasi siwore tamahu.
2.1.10   ついでの忍びがたきにや、花折らせて、急ぎ参らせたまふ。
 折が折とて堪えることができなかったのか、花を折らせて、急いで参上させなさる。
 この気持ちが促しもして大納言は、梅の枝を折らせるとすぐに若君を御所へ上がらせることにした。
  Tuide no sinobi-gataki ni ya, hana wora se te, isogi mawira se tamahu.
2.1.11  「 いかがはせむ。昔の恋しき御形見には、この宮ばかりこそは。仏の隠れたまひけむ御名残には、阿難が光放ちけむを、二度出でたまへるかと疑ふさかしき聖のありけるを、闇に惑ふはるけ所に、聞こえをかさむかし」とて、
 「しかたない。昔の恋しい形見としては、この宮だけだ。釈迦のお隠れになった後には、阿難が光を放ったというが、再来されたかと疑う賢い聖がいたが、闇に迷う悲しみを払うよすがとして、申し上げてみよう」とおっしゃって、
 「しかたがない。阿難あなん身体からだから光を放った時に、釈迦しゃかがもう一度出現されたと解釈したなま賢い僧があったということだから、院を悲しむ心の慰めにはせめて匂宮へでも消息を奉ることだ」と言って、
  "Ikaga ha se m. Mukasi no kohisiki ohom-katami ni ha, kono Miya bakari koso ha. Hotoke no kakure tamahi kem ohom-nagori ni ha, Anan ga hikari hanati kem wo, hutatabi ide tamahe ru ka to utagahu sakasiki hiziri no ari keru wo, yami ni madohu haruke-dokoro ni, kikoye wokasa m kasi." tote,
2.1.12  「 心ありて風の匂はす園の梅に
   まづ鴬の訪はずやあるべき
 「考えがあって風が匂わす園の梅に
  さっそく鴬が来ないことがありましょうか
  心ありて風のにほはす園の梅に
  まづうぐひすはずやあるべき
    "Kokoro ari te kaze no nihohasu sono no mume ni
    madu uguhisu no toha zu ya aru beki
2.1.13  と、紅の紙に若やぎ書きて、この君の懐紙に取りまぜ、押したたみて出だしたてたまふを、幼き心に、いと馴れきこえまほしと思へば、急ぎ参りたまひぬ。
 と、紅の紙に若々しく書いて、この君の懐紙にまぜて、押したたんでお出しになるのを、子供心に、とてもお親しくしたいと思うので、急いで参上なさった。
 この歌を紅の紙に、青年らしい書きようにしたためたのを、若君の懐紙ふところがみの中へはさんで行かせるのを、少年は親しみたく思う宮であったから、喜んで御所へ急いだ。
  to, kurenawi no kami ni wakayagi kaki te, kono Kimi no hutokoro-gami ni tori-maze, osi-tatami te idasi-tate tamahu wo, wosanaki kokoro ni, ito nare kikoye mahosi to omohe ba, isogi mawiri tamahi nu.
注釈51若君紅梅大納言と真木柱の子、宮の御方の異父弟。2.1.1
注釈52麗景殿に紅梅大納言の大君。2.1.1
注釈53譲りきこえて以下「聞こえよ」まで、紅梅大納言の詞。若君への伝言。「譲りきこえ」の相手は、大君に付き添っている北の方。2.1.2
注釈54笛すこし以下「若き笛を」まで、紅梅大納言の詞。2.1.2
注釈55かたはらいたしや『完訳』は「卑下しながらも自慢する」と注す。2.1.2
注釈56若き笛を「を」間投助詞、詠嘆の気持ち。2.1.2
注釈57双調吹かせたまふ「せ」使役の助動詞。紅梅大納言が若君に。2.1.3
注釈58けしうはあらずなりゆくは以下「掻き合はせさせたまへ」まで、紅梅大納言の詞、後半は宮の御方への詞。2.1.4
注釈59このわたりにて宮の御方をさす。2.1.4
注釈60皮笛ふつつかに馴れたる声して主語は紅梅大納言。口笛を吹く。2.1.5
注釈61御前の花以下「知る人ぞ知る」まで、大納言の若君(大夫の君)への詞。2.1.6
注釈62知る人ぞ知る『源氏釈』は「君ならで誰にか見せむ梅の花色をも香をも知る人ぞ知る」(古今集春上、三八、紀友則)を指摘。2.1.6
注釈63あはれ光る源氏以下「とこそおぼえはべれ」まで、大納言の詞。2.1.6
注釈64この宮たちを匂宮や薫。2.1.7
注釈65なほたぐひあらじ源氏をさす。2.1.7
注釈66ついでの忍びがたきにや語り手の推測。2.1.10
注釈67いかがはせむ以下「聞こえをかさむかし」まで、大納言の詞。2.1.11
注釈68心ありて風の匂はす園の梅に--まづ鴬の訪はずやあるべき大納言の詠歌。『完訳』は「「梅」は大納言の中の君、「鴬」は匂宮。二人の縁組を望む歌」と注す。『河海抄』は「あらたまの年行きかへり春立たばまづ我が家戸に鴬は鳴け」(万葉集二十、大伴家持)を指摘。『休聞抄』は「花の香を風の便りにたぐへてぞ鴬誘ふしるべにやせむ」(古今集春上、一三、紀友則)を指摘。2.1.12
出典1 知る人ぞ知る 君ならで誰にか見せむ梅の花色をも香をも知る人ぞ知る 古今集春上-三八 紀友則 2.1.6
出典2 鴬の訪はずや 花の香を風のたよりにたぐへてぞ鴬誘ふしるべにはやる 古今集春上-一三 紀友則 2.1.12
2.2
第二段 匂宮、若君と語る


2-2  Nio-no-Miya talks with Miya-no-onkata's brother

2.2.1  中宮の上の御局より、御宿直所に出でたまふほどなり。 殿上人あまた御送りに参る中に見つけたまひて
 中宮の上の御局から、ご宿直所にお出になるところである。殿上人が大勢お送りに参上する中から、お見つけになって、
 兵部卿の宮が中宮のお宿直とのい座敷から御自身の曹司ぞうしのほうへ行こうとしていられるところへ按察使あぜち大納言家の若君は来た。殿上役人がおおぜいあとからお供して来た中へ混じって来た子供を、宮はお見つけになって、
  Tyuuguu no Uhe-no-mitubone yori, ohom-tonowidokoro ni ide tamahu hodo nari. Tenzyaubito amata ohom-okuri ni mawiru naka ni, mituke tamahi te,
2.2.2  「 昨日は、などいと疾くはまかでにし。いつ参りつるぞ」などのたまふ。
 「昨日は、どうしてとても早く退出したのだ。いつ参ったのか」などとおっしゃる。
 「昨日きのうはなぜ早く退出したの、今日きょうはいつごろから来ていた」などとお尋ねになった。
  "Kinohu ha, nado ito toku ha makade ni si? Itu mawiri turu zo?" nado notamahu.
2.2.3  「 疾くまかではべりにし悔しさに、まだ内裏におはしますと人の申しつれば、急ぎ参りつるや」
 「早く退出いたしましたのが残念で、まだ宮中にいらっしゃると人が申しましたので、急いで参上したのですよ」
 「昨日はあまり早く退さがりましたのが残念だったものですから、まだ宮様が御所にいらっしゃると人が言うものですから、急いで」
  "Toku makade haberi ni si kuyasisa ni, mada Uti ni ohasimasu to hito no mawosi ture ba, isogi mawiri turu ya."
2.2.4  と、幼げなるものから、馴れきこゆ。
 と、子供らしいものの、なれなれしく申し上げる。
 子供らしくはあるが、若君は親しい調子で申し上げた。
  to, wosanage naru monokara, nare kikoyu.
2.2.5  「 内裏ならで心やすき所にも、時々は遊べかし。若き人どもの、そこはかとなく集まる所ぞ」
 「宮中でなく、気楽な所でも、時々は遊びなさい。若い人たちが、誰彼となく集まる所だ」
 「御所でなくても時々はもっと気楽な家のほうへも遊びに来るがいいよ。若い人がどこからともなくたくさん集まって来る所だよ」
  "Uti nara de, kokoro-yasuki tokoro ni mo, toki-doki ha asobe kasi. Wakaki hito-domo no, sokohakatonaku atumaru tokoro zo."
2.2.6  とのたまふ。この君召し放ちて語らひたまへば、人びとは、近うも参らず、まかで散りなどして、しめやかになりぬれば、
 とおっしゃる。この君を一人だけ呼んでお話になるので、他の人びとは、近くには参らず、退出して散って行ったりして、静かになったので、
 と宮はお言いになる。この子一人を相手にお話をあそばされるので、他の人たちは遠慮をしてやや遠くへのいていたり、ほかへ行ってしまったりして、静かになった時に、宮が、
  to notamahu. Kono Kimi mesi-hanati te katarahi tamahe ba, hito-bito ha, tikau mo mawira zu, makade tiri nado si te, simeyaka ni nari nure ba,
2.2.7  「 春宮には、暇すこし許されためりな。いとしげう思しまとはすめりしを、時取られて人悪ろかめり」
 「春宮におかれては、お暇を少し許されたようだね。とてもひどくお目をかけられてお側離さずにいらっしゃったようだが、寵愛を奪われて体裁が悪いようだね」
 「東宮様から少し暇がいただけたのだね、君をおかわいがりになってお放しにならないようだったのに、私の所へ来ている間に御寵愛ちょうあいを人に奪われては恥だろう」
  "Touguu ni ha, itoma sukosi yurusa re ta' meri na. Ito sigeu obosi-matohasu meri si wo, toki tora re te hito-waroka' meri."
2.2.8  とのたまへば、
 とおっしゃるので、
 とおからかいになると、
  to notamahe ba,
2.2.9  「 まつはさせたまひしこそ苦しかりしか。御前にはしも」
 「お側から離してくださらず困ってしまいました。あなた様のお側でしたら」
 「あまりおまつわりになるので苦しくてなりませんでした。あなた様は」
  "Matuhasa se tamahi si koso kurusikari sika. O-mahe ni ha simo."
2.2.10  と、聞こえさしてゐたれば、
 と、途中まで申し上げて座っているので、
 と子供は言いさして黙ってしまったのをまた宮は冗談じょうだんにして、
  to, kikoye-sasi te wi tare ba,
2.2.11  「 我をば、人げなしと 思ひ離れたるとな。ことわりなり。されどやすからずこそ。 古めかしき同じ筋にて、東と聞こゆなるは、あひ思ひたまひてむやと、忍びて語らひきこえよ」
 「わたしを、一人前でないと敬遠しているのだな。もっともだ。けれどおもしろくないな。古くさい同じ血筋で、東の御方と申し上げる方は、わたしと思い合ってくださろうかと、こっそりとよく申し上げてくれ」
 「私を貧弱な無勢力なものだと思って、きらいになったって、そうなの。もっともだけれど少しくちおしいね。昔の宮様のお嬢様で、東の姫君という方にね私を愛してくださらないかって、そっとお話ししてくれないか」
  "Ware wo ba, hitogenasi to omohi-hanare taru to na. Kotowari nari. Saredo yasukara zu koso. Hurumekasiki onazi sudi nite, Himgasi to kikoyu naru ha, ahi-omohi tamahi te m ya to, sinobi te katarahi kikoye yo."
2.2.12  などのたまふついでに、 この花をたてまつれば、うち笑みて、
 などとおっしゃる折に、この花を差し上げると、ほほ笑んで、
 こんなことをお言いだしになったのをきっかけにして、若君は紅梅の枝を差し上げた。
  nado notamahu tuide ni, kono hana wo tatemature ba, uti-wemi te,
2.2.13  「 怨みてのちならましかば
 「こちらから恨み言を言った後からだったら」
 「私の意志を通じたあとでこれがもらえたのならよかったろう」
  "Urami te noti nara masika ba."
2.2.14  とて、うちも置かず御覧ず。枝のさま、花房、色も香も世の常ならず。
 とおっしゃって、下にも置かず御覧になる。枝の様子や、花ぶさが、色も香も普通のとは違っている。
 とお言いになって、宮は珍重あそばすように、いつまでも花の枝を見ておいでになった。枝ぶりもよく花弁の大きさもすぐれた美しい梅であった。
  tote, uti mo oka zu go-ran-zu. Yeda no sama, hana-busa, iro mo ka mo yo no tune nara zu.
2.2.15  「 園に匂へる紅の、色に取られて、香なむ、白き梅には劣れるといふめるを、いとかしこく、とり並べても咲きけるかな」
 「園に咲き匂っている紅梅は、色に負けて、香は、白梅に劣ると言うようだが、とても見事に、色も香も揃って咲いているな」
 「色はむろん紅梅がはなやかでよいが、香は白梅に劣るとされているのだが、これは両方とも備わっているね」
  "Sono ni nihohe ru kurenawi no, iro ni tora re te, ka nam, siroki mume ni ha otore ru to ihu meru wo, ito kasikoku, tori-narabe te mo saki keru kana!"
2.2.16  とて、御心とどめたまふ花なれば、 かひありて、もてはやしたまふ。
 とおっしゃって、お心をとめていらっしゃる花なので、効があって、ご賞美なさる。
 宮がことにお好みになる花であったから、差し上げがいのあるほど大事にあそばすのであった。
  tote, mi-kokoro todome tamahu hana nare ba, kahi ari te, motehayasi tamahu.
注釈69殿上人あまた御送りに参る中に殿上人が匂宮を送る。2.2.1
注釈70見つけたまひて匂宮が若君を。2.2.1
注釈71昨日はなど以下「参りつるぞ」まで、匂宮の詞。2.2.2
注釈72疾くまかではべりにし以下「参りつるや」まで、若君の詞。2.2.3
注釈73内裏ならで以下「集まる所ぞ」まで、匂宮の詞。2.2.5
注釈74心やすき所にも匂宮の私邸の二条院。2.2.5
注釈75春宮には以下「人悪ろかめり」まで、匂宮の詞。2.2.7
注釈76まつはさせたまひしこそ以下「御前にはしも」まで、若君の詞。2.2.9
注釈77我をば人げなしと以下「語らひきこえよ」まで、匂宮の詞。主語は大君。2.2.11
注釈78思ひ離れたるとな「とな」は、「と」格助詞、引用の意と「な」終助詞、詠嘆の意。2.2.11
注釈79古めかしき同じ筋にて、東と聞こゆなるは『集成』は「世間にもてはやされぬ同じ宮家で、「東」とか、申し上げる方は」。『完訳』は「わたしと同じ古めかしい皇族筋の、東の君と申し上げるというお方が」と訳す。2.2.11
注釈80この花を紅梅。2.2.12
注釈81怨みてのちならましかば匂宮の心。『異本紫明抄』は「恨みての後さへ人のつらからばいかにいひてかねをもなかまし」(拾遺集恋五、九八五、読人しらず)を引歌として指摘。2.2.13
注釈82園に匂へる紅の以下「咲きけるかな」まで、匂宮の詞。『異本紫明抄』は「紅に色をばかへて梅の花香にぞことごと匂はざりける」(後撰集春上、四四、躬恒)。『源注拾遺』は「梅の花香はことごとに匂はねど薄く濃くこそ色は咲きけれ」(後拾遺集春上、五四、清原元輔)を引歌として指摘する。2.2.15
出典3 園に匂へる紅の、色に取られて、香なむ 紅に色をば変へて梅の花香ぞことごとに匂はざりける 後撰集春上-四四 凡河内躬恒 2.2.15
校訂7 かひありて かひありて--かひあり(り/+て) 2.2.16
2.3
第三段 匂宮、宮の御方を思う


2-3  Nio-no-Miya loves Miya-no-onkata

2.3.1  「 今宵は宿直なめり。やがてこなたにを
 「今夜は宿直のようだ。そのままこちらに」
 「今夜は御所に宿直とのいをするのだろう。このまま私の所にいるがいいよ」
  "Koyohi ha tonowi na' meri. Yagate konata ni wo!"
2.3.2  と、召し籠めつれば、春宮にもえ参らず、花も恥づかしく思ひぬべく香ばしくて、気近く臥せたまへるを、若き心地には、たぐひなくうれしくなつかしう思ひきこゆ。
 と、呼んだままお離しにならないので、春宮にも参上できず、花も恥ずかしく思うくらい香ばしい匂いで、お側近くに寝かせなさったので、子供心に、またとなく嬉しく慕わしくお思い申し上げる。
 こうお言いになってお放しにならぬために、若君は東宮へ伺うこともできずに兵部卿の宮のお曹司ぞうしへ泊まることにした。花も羞恥しゅうちを感じるであろうと思われるにおいの高い宮のおそば近くにやすんでいることを、若君は子供心に非常にうれしく思っていた。
  to, mesi-kome ture ba, Touguu ni mo e mawira zu, hana mo hadukasiku omohi nu beku kaubasiku te, kedikaku huse tamahe ru wo, wakaki kokoti ni ha, taguhinaku uresiku natukasiu omohi kikoyu.
2.3.3  「 この花の主人は、など春宮には移ろひたまはざりし
 「この花の主人は、どうして春宮には行かれなかったのだ」
 「この花の持ち主の方はなぜ東宮へお上がりにならなかったのかね」
  "Kono hana no aruzi ha, nado Touguu ni ha uturohi tamaha zari si."
2.3.4  「 知らず。心知らむ人になどこそ、聞きはべりしか
 「存じません。ものの分かる方になどと、聞いておりました」
 「よく存じませんけれど、宮仕えよりも普通の結婚を父母は望んでいるのではございませんでしょうか」
  "Sira zu. Kokoro sira m hito ni nado koso, kiki haberi sika."
2.3.5  など語りきこゆ。「大納言の御心ばへは、 わが方ざまに思ふべかめれ」と聞き合はせたまへど、思ふ心は 異にしみぬれば、この返りこと、けざやかにものたまひやらず。
 などとお答え申し上げる。「大納言のお気持ちは、実の娘を考えているようだ」と思い合わせなさるが、思っていらっしゃる心は別のほうなので、このお返事は、はっきりとはおっしゃらない。
 などと若君はお答えしていた。大納言の希望は自身の娘のほうであることも宮は他から聞き込んでおいでになるのであるが、憧憬あこがれをお持ちになるのは東の女王にょおうのほうであったから、花の返事も明瞭めいりょうにあそばしたくないお気持ちがあって、
  nado katari kikoyu. "Dainagon no mi-kokoro-bahe ha, waga kata zama ni omohu beka' mere." to kiki ahase tamahe do, omohu kokoro ha koto ni simi nure ba, kono kaheri-koto, kezayaka ni mo notamahi-yara zu.
2.3.6  翌朝、この君のまかづるに、なほざりなるやうにて、
 翌朝、この君が退出する時に、気のりしない態度で、
 翌朝若君の帰る時に、感激のないただ事のようにして、
  Tutomete, kono Kimi no makaduru ni, nahozari naru yau ni te,
2.3.7  「 花の香に誘はれぬべき身なりせば
   風のたよりを過ぐさましやは
 「花の香に誘われそうな身であったら
  風の便りをそのまま黙っていましょうか
  花の香に誘はれぬべき身なりせば
  花のたよりを過ぐさましやは
    "Hana no ka ni sasoha re nu beki mi nari se ba
    kaze no tayori wo sugusa masi ya ha
2.3.8  さて、「 なほ今は、翁どもにさかしら せさせで、忍びやかに」と、返す返すのたまひて、この君も、 東のをば、やむごとなく睦ましう思ひましたり。
 そうして、「やはり今は、老人たちに出しゃばらせずに、こっそりと」と、繰り返しおっしゃって、この君も、東の御方を、大切に親しく思う気持ちが増した。
 こんな歌をおことづてになるのであった。「大人おとななどには話さないで、そっと女王さんに私の言ったことを取り次ぐのだよ」と返す返す宮は仰せられた。
  Sate, "Naho ima ha, okina-domo ni sakasira se sase de, sinobiyaka ni." to, kahesu-gahesu notamahi te, kono Kimi mo, Himgasi no wo ba, yamgotonaku mutumasiu omohi masi tari.
2.3.9   なかなか異方の姫君は、見えたまひなどして、例の兄弟のさまなれど、童心地に、 いと重りかにあらまほしうおはする心ばへを、「 かひあるさまにて見たてまつらばや」と思ひありくに、 春宮の御方の、いとはなやかにもてなしたまふにつけて、同じこととは思ひながら、いと飽かず口惜しければ、「 この宮をだに、気近くて見たてまつらばや」と思ひありくに、うれしき花のついでなり。
 かえって他の姫君たちは、お顔をお見せになったりして、普通の姉弟みたいな様子であるが、子供心に、とても重々しく理想的でいらっしゃるご性質を、「お世話しがいのある方と結婚させてあげたいものだ」と日頃思っていたが、春宮の御方が、たいそう華やかなお暮らしでいらっしゃるのにつけて、同じ嬉しいこととは思うものの、とてもたまらなく残念なので、「せめてこの宮だけでも身近に拝見したいものだ」と思ってうろうろしている時に、嬉しい花の便りのきっかけである。
 若君も東の姉君を他の姉よりも愛しているのであって、かえって他の姉たちは顔も見せるほどにして近づかせ、普通の家の兄弟と変わらないのであるが、重々しい上品さのある女王を、幸福の多い、はなやかな境遇に置いてみたいと常に望んでいるのに、太子の後宮へはいった姉が両親からはなばなしく扱われるのを見て、それも姉なのであるからよいわけであっても、不満足な気がするために、せめてこの宮を東の女王の良人おっとにしてみたいと心がけている時に、うれしい花の使いをすることになったのである。
  Naka-naka koto-kata no Hime-Gimi ha, miye tamahi nado si te, rei no harakara no sama nare do, waraha-gokoti ni, ito omorika ni aramahosiu ohasuru kokoro-bahe wo, "Kahi aru sama nite mi tatematura baya!" to omohi-ariku ni, Touguu-no-Ohomkata no, ito hanayaka ni motenasi tamahu ni tuke te, onazi koto toha omohi nagara, ito akazu kutiwosikere ba, "Kono Miya wo dani, kedikaku te mi tatematura baya." to omohi-ariku ni, uresiki hana no tuide nari.
注釈83今宵は宿直なめりやがてこなたにを匂宮の詞。若君の装束を見ていう。2.3.1
注釈84この花の主人はなど春宮には移ろひたまはざりし匂宮の詞。『集成』は「大納言は、中の君を(私でなく)どうして東宮にさし上げる気におなりでなかったのだろう。「花」は紅梅(中の君)、その「主人(あるじ)」は、大納言と見るべきであろう」。『完訳』は「宮の御方はなぜ東宮に参らないのか」と注す。『河海抄』は「春来てぞ人もとひける山里は花こそやどの主人なりけれ」(拾遺集雑春、一〇一五、右衛門督公任)。『孟津抄』は「東風吹かば匂ひおこせよ梅の花主人なしとて春を忘るな」(拾遺集雑春、一〇〇六、菅原道真)「菊の露わかゆばかりに袖濡れて花の主人に千代は譲らむ」(紫式部集)を引歌として指摘。「花」「移ろふ」は縁語。2.3.3
注釈85知らず心知らむ人になどこそ聞きはべりしか若君の返事。『源氏釈』は「あたら夜の月と花とを同じくは心知れらむ人に見せばや」(後撰集春下、一〇三、源信明)。『花鳥余情』は「色も香もまづ我が宿の梅をこそ心知れらむ人は見に来め」(信明集)を引歌として指摘する。2.3.4
注釈86わが方ざまに実の娘本意に、の意。2.3.5
注釈87花の香に誘はれぬべき身なりせば--風のたよりを過ぐさましやは匂宮の大納言の贈歌への返歌。『集成』は「一応卑下して見せた体。贈歌と同じ『古今集』の歌(花の香を風のたよりにたぐへてぞ鴬さそふしるべにはやる)による」。『完訳』は「不似合いな自分だからとして断った歌」と注す。2.3.7
注釈88なほ今は翁どもに以下「忍びやかに」まで、匂宮の詞。こっそりと宮の御方にわたりをつけてほしい、意。2.3.8
注釈89東のをば宮の御方をさす。2.3.8
注釈90なかなか異方の姫君は異腹の大君、中君をさす。2.3.9
注釈91いと重りかにあらまほしう宮の御方の性質をさす。2.3.9
注釈92かひあるさまにて見たてまつらばや若君の心。宮の御方と匂宮の結婚を望む。2.3.9
注釈93春宮の御方紅梅大納言の大君。麗景殿女御。2.3.9
注釈94この宮をだに気近くて見たてまつらばや若君の心中。匂宮を姉宮の御方の婿君として拝したい、意。2.3.9
出典4 心知らむ人に あたら夜の月と花とを同じくはあはれ知れらむ人に見せばや 後撰集春下-一〇三 源信明 2.3.4
校訂8 異に 異に--こと(と/+に<朱>) 2.3.5
校訂9 せさせで せさせで--せま(ま/$さ<朱>)せて 2.3.8
2.4
第四段 按察使大納言と匂宮、和歌を贈答


2-4  Kobai and Nio-no-Miya compose and exchange waka

2.4.1   これは、昨日の御返りなれば見せたてまつる
 これは、昨日のお返事なのでお見せ申し上げる。
 昨日は大納言から歌をお贈りしたのであるから、まず宮のお返事を若君は父に見せた。
  Kore ha, kinohu no ohom-kaheri nare ba mise tatematuru.
2.4.2  「 ねたげにものたまへるかなあまり好きたる方にすすみたまへるを、許しきこえずと聞きたまひて、右の大臣、われらが見たてまつるには、いとものまめやかに、御心をさめたまふこそをかしけれ。 あだ人とせむに、足らひたまへる御さまを、しひてまめだちたまはむも、見所少なくやならまし」
 「憎らしくもおっしゃるなあ。あまりに好色な方面に度が過ぎていらっしゃるのを、お許し申し上げないとお聞きになって、右大臣や、わたしどもが拝見するには、とてもまじめに、お心を抑えていらっしゃるのがおもしろい。好色人というのに、資格十分なご様子を、無理してまじめくさっていらっしゃるのも、見所が少なくなることになろうに」
 「おじらしになる歌だね。あまりに多情な御生活をされることに感心しないでいることをお聞きになって、左大臣や自分などに対しては慎しみ深くお見せになるのがおかしい。浮気うわき男におなりになるのもやむをえないほどきれいに生まれておいでになる方が、まじめ顔をされてはかえってお価値ねうちも下がるだろうが」
  "Netage ni mo notamahe ru kana! Amari suki taru kata ni susumi tamahe ru wo, yurusi kikoye zu to kiki tamahi te, Migi-no-Otodo, warera ga mi tatematuru ni ha, ito mono-mameyaka ni, mi-kokoro wosame tamahu koso wokasikere. Ada-bito to se m ni, tarahi tamahe ru ohom-sama wo, sihite mame-dati tamaha m mo, mi-dokoro sukunaku ya nara masi."
2.4.3  など、しりうごちて、 今日も参らせたまふに、また、
 などと、悪口を言って、今日も参らせなさる折に、また、
 などと陰口かげぐちをしながら、今日も御所へ出す若君にまた、
  nado, siriu-goti te, kehu mo mawira se tamahu ni, mata,
2.4.4  「 本つ香の匂へる君が袖触れば
   花もえならぬ名をや散らさむ
 「もともとの香りが匂っていらっしゃるあなたが袖を振ると
  花も素晴らしい評判を得ることでしょう
  もとつ香のにほへる君がそでなれば
  花もえならぬ名をや散らさん
    "Moto tu ka no nihohe ru kimi ga sode hure ba
    hana mo e nara nu na wo ya tirasa m
2.4.5  とすきずきしや。あなかしこ」
 と好色がましく、恐縮です」
 風流狂のようでございますがお許しください。
  to suki-zukisi ya! Ana kasiko."
2.4.6  と、まめやかに聞こえたまへり。 まことに言ひなさむと思ふところあるにやと、さすがに御心ときめきしたまひて、
 と、本気にお申し込みになった。本当に結婚させようと考えているところがあるのだろうかと、そうはいってもお心をときめかしなさって、
 こんなふうな消息をあかずに書いて持たせてあげた。遊びの気分でなくまじめに娘の所へ自分を誘おうとするのであろうかと、さすがに宮は興奮をお感じになった。
  to, mameyaka ni kikoye tamahe ri. Makoto ni ihi-nasa m to omohu tokoro aru ni ya to, sasuga ni mi-kokoro tokimeki si tamahi te,
2.4.7  「 花の香を匂はす宿に訪めゆかば
   色にめづとや人の咎めむ
 「花の香を匂わしていらっしゃる宿に訪ねていったら
  好色な人だと人が咎めるのではないでしょうか
  花の香を匂はす宿にめ行かば
  色にづとや人のとがめん
    "Hana no ka wo nihohasu yado ni tome-yuka ba
    iro ni medu to ya hito no togame m
2.4.8  など、なほ心とけずいらへたまへるを、 心やましと思ひゐたまへり
 など、やはり胸の内を明かさないでお答えなさるので、憎らしいと思っていらっしゃった。
 と、まだ受け入れがたい気持ちを書いてお返しになったのを、大納言は飽き足らず思った。
  nado, naho kokoro-toke zu irahe tamahe ru wo, kokoro-yamasi to omohi wi tamahe ri.
2.4.9   北の方まかでたまひて、内裏わたりのことのたまふついでに、
 北の方が退出なさって、宮中辺りのことをおっしゃる折に、
 真木柱まきばしら夫人が帰って来て、御所であった話をした時に、
  Kitanokata makade tamahi te, Uti watari no koto notamahu tuide ni,
2.4.10  「 若君の、一夜、宿直して、まかり出でたりし匂ひの、いとをかしかりしを、人はなほと思ひしを、 宮の、いと思ほし寄りて、『 兵部卿宮に近づききこえにけり。うべ、我をばすさめたり』と、けしきとり、怨じたまへりしか。 ここに、御消息やありし。さも見えざりしを」
 「若君が、先夜、宿直をして、退出した時の匂いが、とても素晴らしかったので、人は普通の香と思ったが、東宮が、よくお気づきなさって、『兵部卿宮にお近づき申したのだ。なるほど、わたしを嫌ったわけだ』と、様子を理解して、恨んでいらっしゃった。こちらに、お手紙がありましたか。そのようにも見えませんでしたが」
「若君がいつかおかみのお宿直をいたしまして、翌朝東宮様へまいりました時に、よい香がついておりましたのを、だれもそんなことを気づかずにおりましたのに東宮様はすぐお悟りになりまして、兵部卿の宮の所へ伺っていたのだろう、だから冷淡にして私の所へは来なかったのだと冗談じょうだんをおっしゃいまして、おかしゅうございました。宮様からお手紙でもまいったのでございますか」
  "Waka-Gimi no, hito-yo, tonowi si te, makari-ide tari si nihohi no, ito wokasikari si wo, hito ha naho to omohi si wo, Miya no, ito omohosi yori te, 'Hyaubukyau-no-Miya ni tikaduki kikoye ni keri. Ube, ware wo ba susame tari.' to, kesiki tori, wen-zi tamahe ri sika. Koko ni, ohom-seusoko ya ari si. Samo miye zari si wo."
2.4.11  とのたまへば、
 とおっしゃると、
 こんなことを良人に問うた。
  to notamahe ba,
2.4.12  「 さかし。梅の花めでたまふ君なれば、あなたのつまの紅梅、いと盛りに見えしを、ただならで、折りてたてまつれたりしなり。移り香は、げにこそ心ことなれ。 晴れまじらひしたまはむ女などは、さはえしめぬかな
 「その通り。梅の花を賞美なさる君なので、あちらの建物の端の紅梅が、たいそう盛りに見えたのを、放っておけず、折って差し上げたのです。移り香は、なるほど格別です。晴れがましい宮中勤めをなさるような女君などは、あのようには焚きしめられないな。
 「そう。梅の花がお好きな方だから、あちらの座敷の前の紅梅が盛りで、あまりきれいだったから折って差し上げたのです。宮のお移り香は実際馥郁ふくいくたるものだね。後宮の方たちだってああも巧妙にきしめることはできないらしいがね。
  "Sakasi. Mume no hana mede tamahu Kimi nare ba, anata no tuma no koubai, ito sakari ni miye si wo, tada nara de, wori te tatemature tari si nari. Uturi-ga ha, geni koso kokoro-kotonare. Hare mazirahi si tamaha m womna nado ha, sa ha e sime nu kana!
2.4.13   源中納言は、かうざまに好ましうはたき匂はさで、人柄こそ世になけれ。あやしう、前の世の契りいかなりける報いにかと、ゆかしきことにこそあれ。
 源中納言は、このように風流に焚きしめて匂わすのではなく、人柄が世に又とない。不思議と、前世の宿縁がどんなであったのかと、知りたいほどだ。
 源中納言のはそうした人工的の香ではなくて、自身の持っている芳香が高いのですよ。どんなすぐれた前生の因縁で生まれた人なのだろう。
  Gen-Tyuunagon ha, kau zama ni konomasiu ha taki nihohasa de, hitogara koso yo ni nakere. Ayasiu, saki-no-yo no tigiri ika nari keru mukuyi ni ka to, yukasiki koto ni koso are.
2.4.14  同じ花の名なれど、 梅は生ひ出でけむ根こそあはれなれ。この宮などのめでたまふ、さることぞかし」
 同じ花の名であるが、梅は生え出た根ざしが大したものだ。この宮などが賞美なさるのは、もっもなことだ」
 同じ花だがどんな根があって高い香の花は咲くのかと思うと梅にも敬意を表したくなるからね。梅は匂宮におうみやがお好みになる花にできていますね」
  Onazi hana no na nare do, mume ha ohi-ide kem ne koso ahare nare. Kono Miya nado no mede tamahu, saru koto zo kasi."
2.4.15  など、花によそへても、まづかけきこえたまふ。
 などと、花にかこつけて、まずはお噂申し上げなさる。
 花の話からもまた兵部卿の宮のことを言う大納言であった。
  nado, hana ni yosohe te mo, madu kake kikoye tamahu.
注釈95これは、昨日の御返りなれば見せたてまつる『集成』は「心進まぬながら、の気持」と注す。2.4.1
注釈96ねたげにものたまへるかな以下「見所少なくやならまし」まで、大納言の詞。2.4.2
注釈97あまり好きたる方にすすみたまへるを『集成』は「あまりに風流好みの度が過ぎていらっしゃるのを」。『完訳』は「あまりに好色がましくいらっしゃるのを」と訳す。2.4.2
注釈98あだ人とせむに『集成』は「粋人と申しても」。『完訳』は「好色人の資格も」と注す。2.4.2
注釈99今日も参らせたまふに大納言が若君を匂宮のもとへ。2.4.3
注釈100本つ香の匂へる君が袖触れば--花もえならぬ名をや散らさむ大納言から匂宮への贈歌。「花」は娘の中君を喩える。『花鳥余情』は「元の香のあるだにあるを梅の花いとど匂ひの遥かなるかな」(兼輔集)を引歌として指摘する。2.4.4
注釈101まことに以下「あるにや」まで、匂宮の心中。2.4.6
注釈102花の香を匂はす宿に訪めゆかば--色にめづとや人の咎めむ匂宮の返歌。2.4.7
注釈103心やましと思ひゐたまへり主語は大納言。『集成』は「不満に思っていられる」。『完訳』は「もどかしいお気持でいらっしゃる」と訳す。2.4.8
注釈104北の方まかでたまひて真木柱。継娘の大君に付き添っていた。2.4.9
注釈105若君の以下「見えざりしを」まで、北の方の詞。2.4.10
注釈106宮の、いと思ほし寄りて東宮がすばやく気がついて、の意。2.4.10
注釈107兵部卿宮に以下「我をばすさめたり」まで、東宮の詞を引用。2.4.10
注釈108ここに御消息やありしこちらから匂宮に手紙を差し上げなかったか、の意。2.4.10
注釈109さかし以下「さることぞかし」まで、大納言の詞。2.4.12
注釈110晴れまじらひしたまはむ女などはさはえしめぬかな『完訳』は「晴れがましい宮廷勤めをなさるような女なども、あんなにはたきしめられない。やや不審の行文」と注す。2.4.12
注釈111源中納言は薫。2.4.13
注釈112梅は生ひ出でけむ根こそあはれなれ『集成』は「(芳香のある)梅は、生い出たものとねざしがゆかしく思われることです。薫の前世の因縁ということから、梅はどうしてあれほどの芳香あるのだろうか、と言う」と注す。『完訳』は「梅は生き立ちの素姓が殊勝ですね」と訳す。2.4.14
2.5
第五段 匂宮、宮の御方に執心


2-5  Nio-no-Miya sets his heart on Miya-no-onkata

2.5.1  宮の御方は、もの思し知るほどにねびまさりたまへれば、何ごとも見知り、聞きとどめたまはぬにはあらねど、 「人に見え、世づきたらむありさまは、さらに」と思し離れたり
 宮の御方は、物の分別がおつきになるくらいご成人なさっているので、どのようなことでもお分りになり、噂を耳になさっていらっしゃらないではないが、「人と結婚し、普通の生活を送ることは、けっして」と思い離れていた。
 東の女王は細かい感情ももう皆備わる妙齢になっているのであるから、匂宮がお寄せになる好意を気づかないのではないが、結婚をして世間並みな生活をすることなどは断念していた。
  Miya-no-Ohomkata ha, mono obosi-siru hodo ni nebi masari tamahe re ba, nanigoto mo mi-siri, kiki todome tamaha nu ni ha ara ne do, "Hito ni miye, yo-duki tara m arisama ha, sarani." to obosi hanare tari.
2.5.2   世の人も、時に寄る心ありてにやさし向ひたる御方々には、心を尽くし聞こえわび、今めかしきこと多かれど、こなたは、よろづにつけ、ものしめやかに引き入りたまへるを、宮は、 御ふさひの方に聞き伝へたまひて、深う、いかで、と思ほしなりにけり。
 世間の男性も、時の権勢に追従する心があってだろうか、本妻の姫君たちには熱心に申し込み、はなやかな事が多いが、こちらの方には、何かにつけて、ひっそりと引き籠もっていらっしゃったのを、宮は、おふさわしい方と伝え聞きなさって、心底、何とかして、とお思いになってしまった。
 世間もまのあたり勢力のある父の子である方を好都合であるように思うのか、西の姫君のほうへは求婚者が次ぎ次ぎ現われてきて、はなやかな空気もそこでは作られるが、こちらはかげの国のように引っ込んで暮らしている様子を、匂宮はお聞きになって、御自身の趣味にかなった相手とますますお思いになることになり、
  Yo no hito mo, toki ni yoru kokoro ari te ni ya, sasi-mukahi taru ohom-kata-gata ni ha, kokoro wo tukusi kikoye wabi, imamekasiki koto ohokare do, konata ha, yorodu ni tuke, mono simeyaka ni hiki-iri tamahe ru wo, Miya ha, ohom-husahi no kata ni kiki tutahe tamahi te, hukau, ikade, to omohosi nari ni keri.
2.5.3  若君を、常にまつはし寄せたまひつつ、忍びやかに御文あれど、 大納言の君、深く心かけきこえたまひて、「さも思ひたちてのたまふことあらば」と、けしきとり、心まうけしたまふを見るに、いとほしう、
 若君を、いつも側を離さず近づけなさっては、こっそりとお手紙をやるが、大納言の君が、心からお望みになって、「そのようにお考えになってお申し込まれることがあるならば」と、様子を理解して、準備なさっているのを見ると、気の毒になって、
 始終大納言家の若君をお呼び寄せになっては、そっと手紙をおことづてになるのを、大納言はこの宮を二女の婿に擬して、お申し込みさえあればと用意もしていることで夫人は心苦しく思って、
  Waka-Gimi wo, tune ni matuhasi yose tamahi tutu, sinobiyaka ni ohom-humi are do, Dainagon-no-Kimi, hukaku kokoro kake kikoye tamahi te, "Samo omohi-tati te notamahu koto ara ba." to, kesiki tori, kokoro-mauke si tamahu wo miru ni, itohosiu,
2.5.4  「 ひき違へて、かう思ひ寄るべうもあらぬ方にしも、なげの言の葉を尽くしたまふ、かひなげなること」
 「予想に反して、このように結婚を考えてもいない方に、かりそめにせよ、お手紙をたくさんくださるが、効のなさそうなこと」
 「行き違いになって、そんな気持ちなどをまったく持っていない人のほうへいろいろと好意を寄せた手紙をくだすってもむだなことなのに」
  "Hiki-tagahe te, kau omohi-yoru beu mo ara nu kata ni simo, nage no kotonoha wo tukusi tamahu, kahi-nage naru koto."
2.5.5  と、北の方も思しのたまふ。
 と、北の方もお思いになりおっしゃる。
 こんなことを言うことがあった。
  to, Kitanokata mo obosi notamahu.
2.5.6  はかなき御返りなどもなければ、負けじの御心添ひて、思ほしやむべくもあらず。「 何かは、人の御ありさま、などかは、さても見たてまつらまほしう、生ひ先遠くなどは 見えさせたまふに」など、北の方思ほし寄る時々あれど、いといたう色めきたまひて、通ひたまふ忍び所多く、 八の宮の姫君にも、御心ざしの浅からで、いとしげうまうでありきたまふ。頼もしげなき御心の、あだあだしさなども、いとどつつましければ、 まめやかには思ほし絶えたるをかたじけなきばかりに、忍びて、母君ぞ、たまさかにさかしらがり聞こえたまふ。
 ちょっとしたお返事などもないので、負けてたまるかとのお考えも加わって、お諦めになることもおできになれない。「何の遠慮がいるものか、宮のお人柄に何の不足があろう、そのように結婚させてお世話申し上げたい、将来有望にお見えになるのだから」など、北の方はお思いになることも時々あるが、とてもたいそう好色人でいらして、お通いになる所がたくさんあって、八の宮の姫君にも、お気持ちが並々でなく、たいそう足しげくお通いになっている。頼りがいのないお心で、浮気っぽさなども、ますます躊躇されるので、本気になってはお考えになっていないが、恐れ多いばかりに、こっそりと、母君が時折さし出てお返事申し上げなさる。
 少しのお返事すらも女王のせぬことでいよいよ宮はおいらだちになって、負けたくないお気持ちも出て、より多く熱の加わった手紙を書いてお送りになるのであった。良人おっとを失望させてもしかたがない、婿にしてみたい気のする輝かしい未来も予想される方であると思って、夫人は時々どうしようかという気になることもあるのであるが、あまり多情で、恋人を多くお持ちになり、八の宮の姫君にも執心されてたびたび宇治にまでお出かけになることもうわさされるのであるから、女王のために頼もしい良人になっていただけるとは思われない、不幸な境遇の娘であるから、もし結婚をさせることになれば万全の縁でなければ人笑われになるばかりであると、だいたいの心はお断わりすることにきめてしまって、御身分柄のもったいなさに、母として夫人が時々お返事を出したりだけはしていた。
  Hakanaki ohom-kaheri nado mo nakere ba, make zi no mi-kokoro sohi te, omohosi yamu beku mo ara zu. "Nanikaha, hito no mi-arisama, nadokaha, satemo mi tatematura mahosiu, ohi-saki tohoku nado ha miye sase tamahu ni." nado, Kitanokata omohosi-yoru toki-doki are do, ito itau iro-meki tamahi te, kayohi tamahu sinobi-dokoro ohoku, Hati-no-Miya no Hime-Gimi ni mo, mi-kokorozasi no asakara de, ito sigeu maude-ariki tamahu. Tanomosigenaki mi-kokoro no, ada-adasisa nado mo, itodo tutumasikere ba, mameyaka ni ha omohosi taye taru wo, katazikenaki bakari ni, sinobi te, Haha-Gimi zo, tamasaka ni sakasira-gari kikoye tamahu.
注釈113「人に見え、世づきたらむありさまは、さらに」と思し離れたり『完訳』は「結婚して世間並に暮すのは。連れ子のきびしい状況に置かれてもいるが、控え目すぎる性格からも結婚には無関心」と注す。2.5.1
注釈114世の人も時に寄る心ありてにや「にや」語り手の推測を介在させた句。2.5.2
注釈115さし向ひたる御方々には両親揃っている姫君たちの意。大納言の大君・中君には継母ではあるが二親揃っている。しかし宮の御方は連れ子で片親であるという文脈。『集成』は「現に父君のいらっしゃる姫君たちには」。『完訳』は「本妻腹の御方々には」と訳す。2.5.2
注釈116御ふさひの方に「ふさひ」は、ふさわしい意。2.5.2
注釈117大納言の君深く心かけきこえたまひて『集成』は「夫の大納言は。以下、匂宮の文通のことを知っての北の方(真木柱)の思い。それで「大納言の君」という」と注す。2.5.3
注釈118ひき違へて以下「かひなげなること」まで、北の方の詞。2.5.4
注釈119何かは人の以下「見えさせたまふに」まで、北の方の心中。匂宮と宮の御方を許す気持ち。2.5.6
注釈120八の宮の姫君にも宇治八の宮の中君。『新大系』は「桐壺院の第八皇子であることが橋姫巻で紹介される。ここで唐突にも「八の宮の姫君」に匂宮が通うことが記されていることで、当巻の成立・巻序・年立などでさまざまな問題を生む」と注す。2.5.6
注釈121まめやかには思ほし絶えたるを主語は北の方。2.5.6
注釈122かたじけなきばかりに『完訳』は「匂宮の高貴な身が畏れ多いとだけ。体よく断る口実である」と注す。2.5.6
校訂10 見えさせ 見えさせ--(/+見<朱>)えさせ 2.5.6
Last updated 2/17/2002
渋谷栄一校訂(C)(ver.1-2-2)
Last updated 2/17/2002
渋谷栄一注釈(ver.1-1-2)
Last updated 2/17/2002
渋谷栄一訳(C)(ver.1-2-2)
現代語訳
与謝野晶子
電子化
上田英代(古典総合研究所)
底本
角川文庫 全訳源氏物語
校正・
ルビ復活
砂場清隆(青空文庫)

2004年3月17日

渋谷栄一訳
との突合せ
若林貴幸、宮脇文経

2005年10月4日

Last updated 10/15/2002
Written in Japanese roman letters
by Eiichi Shibuya (C) (ver.1-3-2)
Picture "Eiri Genji Monogatari"(1650 1st edition)
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