第四十七帖 総角


47 AGEMAKI (Ohoshima-bon)


薫君の中納言時代
二十四歳秋から歳末までの物語



Tale of Kaoru's Chunagon era, from fall to the end of the year at the age of 24

5
第五章 大君の物語 匂宮たちの紅葉狩り


5  Tale of Ohoi-kimi  Nio-no-miya and the others go to sightseeing of red leaves in Uji

5.1
第一段 十月朔日頃、匂宮、宇治に紅葉狩り


5-1  About October 1, Nio-no-miya and the others go to sightseeing of red leaves in Uji

5.1.1   十月朔日ころ網代もをかしきほどならむと、そそのかしきこえたまひて、 紅葉御覧ずべく 申したまふ。親しき宮人ども、殿上人の睦ましく思す限り、「いと忍びて」と思せど、所狭き御勢なれば、おのづからこと広ごりて、 左の大殿の宰相中将参りたまふ。さては、 この中納言殿ばかりぞ、上達部は仕うまつりたまふ。ただ人は多かり。
 十月上旬ごろ、網代もおもしろい時期だろうと、お誘い申し上げなさって、紅葉を御覧になるよう申し上げなさる。側近の宮家の人びとや、殿上人で親しくなさっている人だけで、「たいそうこっそりと」とお思いになるが、たいへんなご威勢なので、自然と計画が広まって、左の大殿の宰相中将も参加なさる。それ以外では、この中納言殿だけが、上達部としてお供なさる。臣下の者は多かった。
 十月の一日ごろは網代あじろの漁も始まっていて、宇治へ遊ぶのに最も興味の多い時であることを申して中納言が宮をお誘いしたために、兵部卿の宮は紅葉見もみじみの宇治行きをお思い立ちになった。宮にお付きしていて親しく思召おぼしめされる役人のほかに殿上役人の中で特に宮のお愛しになる人たちだけを数にして微行のお遊びのつもりであったのであるが、大きな勢いを負っておいでになる宮でおありになったから、いつとなくたいそうな催しになっていき、予定の人数のほかに左大臣家の宰相中将がお供申し上げた。高官としては源中納言だけがしたがいたてまつった。殿上役人の数は多かった。
  Zihugwati tuitati-koro, aziro mo wokasiki hodo nara m to, sosonokasi kikoye tamahi te, momidi goranzu beku mausi tamahu. Sitasiki miyabito-domo, tenzyaubito no mutumasiku obosu kagiri, "Ito sinobi te." to obose do, tokoroseki ohom-ikihohi nare ba, onodukara koto hirogori te, Hidari-no-Ohoidono no Saisyau-no-Tiuzyau mawiri tamahu. Sateha, kono Tiunagon-dono bakari zo, Kamdatime ha tukaumaturi tamahu. Tadaudo ha ohokari.
5.1.2  かしこには、「 論なく、中宿りしたまはむを、さるべきさまに思せ。 さきの春も、花見に尋ね参り来しこれかれ、かかるたよりにことよせて、時雨の紛れに見たてまつり表すやうもぞはべる」など、こまやかに聞こえたまへり。
 あちらには、「無論、休憩をなさるでしょうから、そのようにお考えください。昨年の春にも、花見に尋ねて参った誰彼が、このような機会にことよせて、時雨の紛れに拝見するようなこともございましょう」などと、こまごまとご注意申し上げなさった。
 必ず女王にょおうたちの山荘へお寄りになることを信じている薫から、
「宮のお供をして相当な数の客が来ることを考えてお置きください。先年の春のお遊びに私と伺った人たちもまた参邸を望んで、不意におたずねしようとするかもしれません。」
 などとこまごま注意をしてきたために、
  Kasiko ni ha, "Ron naku, nakayadori si tamaha m wo, sarubeki sama ni obose. Saki no haru mo, hanami ni tadune mawiri ko si kore kare, kakaru tayori ni koto yose te, sigure no magire ni mi tatematuri arahasu yau mo zo haberu." nado, komayakani kikoye tamahe ri.
5.1.3   御簾掛け替へ、ここかしこかき払ひ、岩隠れに積もれる 紅葉の朽葉すこしはるけ、遣水の水草払はせなどぞしたまふ。よしあるくだもの、肴など、さるべき人なども たてまつれたまへりかつはゆかしげなけれど、「 いかがはせむ。これもさるべきにこそは」と思ひ許して、心まうけしたまへり。
 御簾を掛け替え、あちらこちら掃除をし、岩蔭に積もっている紅葉の朽葉を少し取り除き、遣水の水草を払わせなどなさる。風流な果物や、肴など、手伝いに必要な者たちを差し上げなさった。一方では奥ゆかしさもないが、「どうすることもできない。これも前世からの宿縁なのか」と諦めて、お心積もりしていらっしゃった。
御簾みすを掛け変えさせ、あちこちの座敷の掃除そうじをさせ、庭の岩蔭いわかげにたまった紅葉もみじの朽ち葉を見苦しくない程度に払わせ、小流れの水草をかき取らせなど女王はさせた。薫のほうからは菓子のよいのなども持たせて来、また接待役に出す若い人たちも来させてあった。こんなにもする薫の世話を平気で受けていることは気づらいことに姫君は思っていたが、たよるところはほかにないのであるから、こうした因縁と思いあきらめて好意を受けることにし、兵部卿の宮をお迎えする用意をととのえた。
  Misu kake kahe, koko kasiko kaki-harahi, ihagakure ni tumore ru momidi no kutiba sukosi haruke, yarimidu no mikusa haraha se nado zo si tamahu. Yosi aru kudamono, sakana nado, sarubeki hito nado mo tatemature tamahe ri. Katuha yukasige nakere do, "Ikagaha se m? Kore mo sarubeki ni koso ha." to omohi yurusi te, kokoro mauke si tamahe ri.
5.1.4  舟にて上り下り、おもしろく遊びたまふも聞こゆ。ほのぼのありさま見ゆるを、そなたに立ち出でて、若き人びと見たてまつる。 正身の御ありさまは、それと見わかねども、紅葉を葺きたる舟の飾りの、錦と見ゆるに、声々吹き出づる物の音ども、 風につけておどろおどろしきまでおぼゆ。
 舟で上ったり下ったりして、おもしろく合奏なさっているのも聞こえる。ちらほらとその様子が見えるのを、そちらに立って出て、若い女房たちは拝見する。ご本人のお姿は、その人と見分けることはできないが、紅葉を葺いた舟の飾りが、錦に見えるところへ、声々に吹き立てる笛の音が、風に乗って仰々しいまでに聞こえる。
 遊びの一行は船でかわを上り下りしながらおもしろい音楽を奏する声も山荘へよく聞こえた。目にも見えないことではなかった。若い女房らは河に面した座敷のほうから皆のぞいていた。宮がどこにおいでになるのかはよくわからないのであるが、それらしく紅葉の枝の厚く屋形にいた船があって、よい吹奏楽はそこから水の上へ流れていた。河風がはなやかに誘っているのである。   Hune nite nobori kudari, omosiroku asobi tamahu mo kikoyu. Honobono arisama miyuru wo, sonata ni tatiide te, wakaki hitobito mi tatematuru. Sauzimi no ohom-arisama ha, sore to miwaka ne domo, momidi wo huki taru hune no kazari no, nisiki to miyuru ni, kowegowe huki iduru mono no ne-domo, kaze ni tuke te odoroodorosiki made oboyu.
5.1.5  世人のなびきかしづきたてまつるさま、かく忍びたまへる道にも、いとことにいつくしきを 見たまふにも、「 げに、七夕ばかりにても、かかる彦星の光をこそ待ち出でめ」とおぼえたり。
 世人が追従してお世話申し上げる様子が、このようにお忍びの旅先でも、たいそう格別に盛んなのを御覧になるにつけても、「なるほど、七夕程度であっても、このような彦星の光をお迎えしたいもの」と思われた。
だれもが敬愛しておかしずきしていることはこうした微行のお遊びの際にもいかめしくうかがわれる宮を、年に一度の歓会しかない七夕たなばた彦星ひこぼしに似たまれなおとずれよりも待ちえられないにしても、婿君と見ることは幸福に違いないと思われた。
  Yohito no nabiki kasiduki tatematuru sama, kaku sinobi tamahe ru miti ni mo, ito kotoni itukusiki wo mi tamahu ni mo, "Geni, tanabata bakari nite mo, kakaru hikobosi no hikari wo koso mati ide me." to oboye tari.
5.1.6   文作らせたまふべき心まうけに、 博士などもさぶらひけり。たそかれ時に、 御舟さし寄せて遊びつつ文作りたまふ。紅葉を薄く濃くかざして、「 海仙楽」といふものを吹きて、おのおの心ゆきたるけしきなるに、 宮は、近江の海の心地して 遠方人の恨みいかにと のみ、御心そらなり。時につけたる題出だして、うそぶき誦じあへり。
 漢詩文をお作らせになるつもりで、博士なども伺候しているのであった。黄昏時に、お舟をさし寄せて音楽を奏しながら漢詩をお作りになる。紅葉を薄く濃くかざして、「海仙楽」という曲を吹いて、それぞれ満足した様子であるが、宮は、近江の湖の気がして、対岸の方の恨みはどんなにかとばかり、上の空である。時節にふさわしい題を出して、朗誦し合っていた。
 宮は詩をお作りになる思召おぼしめしで文章博士もんじょうはかせなどをしたがえておいでになるのである。夕方に船は皆岸へ寄せられて、奏楽は続いて行なわれたが、船中で詩のえんは開かれたのであった。音楽をする人は紅葉の小枝の濃いのうすいのを冠にして海仙楽かいせんらくの合奏を始めた。だれもだれも楽しんでいる中で、宮だけは「いかなれば近江あふみの海ぞかかるてふ人をみるめの絶えてなければ」という歌の気持ちを覚えておいでになって、遠方人おちかたびとの心(七夕のあまのと渡るこよひさへ遠方人のつれなかるらん)はどうであろうとお思いになり、ただ一人茫然ぼうぜんとしておいでになるのであった。おりに合った題が出されて、詩の人は創作をするのに興奮していた。   Humi tukura se tamahu beki kokoromauke ni, hakase nado mo saburahi keri. Tasokaredoki ni, ohom-hune sasi-yose te asobi tutu humi tukuri tamahu. Momidi wo usuku koku kazasi te, Kaisenraku to ihu mono wo huki te, onoono kokoroyuki taru kesiki naru ni, Miya ha, Ahumi-no-umi no kokoti si te, wotikatabito no urami ikani to nomi, mi-kokoro sora nari. Toki ni tuke taru dai idasi te, usobuki zuzi ahe ri.
5.1.7   人の迷ひすこししづめておはせむと、中納言も思して、さるべきやうに聞こえたまふほどに、内裏より、中宮の仰せ言にて、 宰相の御兄の衛門督、ことことしき随身ひき連れて、うるはしきさまして参りたまへり。 かうやうの御ありきは、忍びたまふとすれど、おのづからこと広ごりて、後の例にもなるわざなるを、重々しき人数あまたもなくて、にはかにおはしましにけるを、 聞こしめしおどろきて殿上人あまた具して参りたるに、はしたなくなりぬ。宮も中納言も、苦しと思して、物の興もなくなりぬ。御心のうちをば知らず、 酔ひ乱れ遊び明かしつ
 人びとの騷ぎが少し静まってからおいでになろうと、中納言もお思いになって、そのようにお話申し上げていらっしゃったところに、内裏から、中宮の仰せ言として、宰相の御兄君の衛門督が、仰々しい随身を引き連れて、正装をして参上なさった。このようなご外出は、こっそりなさろうとしても、自然と広まって、後の例にもなることなので、重々しい身分の人も大していなくて、急にお出かけになったのを、お耳にあそばしびっくりして、殿上人を大勢連れて参ったので、具合悪くなってしまった。宮も中納言も、困ったとお思いになって、遊楽の興も冷めてしまった。ご心中を知らないで、酔い乱れて遊び明かした。
船中の人の動きの少し静まっていくころを待って山荘へ行こうと薫も思い、そのことを宮へお耳打ちしていたうちに、御所から中宮のお言葉を受けて宰相の兄の衛門督えもんのかみがはなばなしく随身ずいじんを引き連れ、正装姿でお使いにまいった。こうした御遊行はひそかになされたことであっても、自然に世間へうわさに伝わり、あとの例にもなることであるのに、重々しい高官の御随行のわずかなままでお出かけになったことがお耳にはいって、衛門督が派遣され、ほかにも殿上役人を多く伴わせて御一行に加えられたのである。こんなためにもまた騒がしくなって、思う人を持つお二人は目的の所へ行かれぬ悲哀が苦痛にまでなって、どんなこともおもしろくは思われなくなった。宮のお心などは知らずに酔い乱れて、だれも音楽などに夢中になった姿で夜を明かした。   Hito no mayohi sukosi sidume te ohase m to, Tiunagon mo obosi te, sarubeki yau ni kikoye tamahu hodo ni, Uti yori, Tiuguu no ohose-goto nite, Saisyau no ohom-ani no Wemon-no-Kami, kotokotosiki zuizin hiki-ture te, uruhasiki sama si te mawiri tamahe ri. Kau yau no ohom-ariki ha, sinobi tamahu to sure do, onodukara koto hirogori te, noti no tamesi ni mo naru waza naru wo, omoomosiki hitokazu amata mo naku te, nihakani ohasimasi ni keru wo, kikosimesi odoroki te, Tenzyaubito amata gusi te mawiri taru ni, hasitanaku nari nu. Miya mo Tiunagon mo, kurusi to obosi te, mono no kyou mo naku nari nu. Mi-kokoro no uti wo ba sira zu, wehi midare asobi akasi tu.
注釈757十月朔日ころ神無月の上旬頃。初冬の季節。5.1.1
注釈758網代もをかしきほどならむ薫が匂宮を宇治へ誘う詞。『花鳥余情』は「宇治山の紅葉を見ずは長月の行く日をも知らずぞあらまし」(後撰集秋下、四四〇、千兼が女)を指摘。5.1.1
注釈759申したまふ大島本は「申給ふ」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「申し定めたまふ」と「定め」を補訂する。『新大系』は底本のままとする。5.1.1
注釈760左の大殿の宰相中将「竹河」巻(第一章三段)に登場した蔵人少将、現在宰相(参議)兼中将。『集成』は「右の大殿」と校訂する。『完本』『新大系』は底本のままとする。5.1.1
注釈761この中納言大島本は「中納言殿」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「中納言」と「殿」を削除する。『新大系』は底本のままとする。5.1.1
注釈762論なく以下「表すやうもぞはべる」まで、薫の詞。宇治の姫君たちへの指図。5.1.2
注釈763さきの春も、花見に尋ね参り来しこれかれ昨年の春、匂宮の初瀬詣での帰途に宇治の山荘に立ち寄った人々。「椎本」巻(第一章一段)に語られている。5.1.2
注釈764御簾掛け替へここかしこかき払ひ以下、匂宮一行を迎える準備。5.1.3
注釈765紅葉の朽葉すこしはるけ遣水の水草払はせなどぞしたまふ「やり」は「はるけやり」と「遣水」の懸詞的表現。5.1.3
注釈766たてまつれたまへり薫が差し上げた、の意。5.1.3
注釈767かつはゆかしげなけれど薫から何から何まで援助されたのでは奥ゆかしさもない、という。『完訳』は「一方では、あまりに手もとを見すかされような気もなさるけれども」と訳す。5.1.3
注釈768いかがはせむこれもさるべきにこそは大君の心中。前世からの宿縁と諦める。5.1.3
注釈769正身の御ありさまは匂宮の姿をいう。5.1.4
注釈770風につけて大島本は「つけて」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「つきて」と校訂する。『新大系』は底本のままとする。5.1.4
注釈771見たまふにも主語は姫君たち。5.1.5
注釈772げに七夕ばかりにても以下「待ち出でめ」まで、姫君たちの心中。『花鳥余情』は「年にありて一夜妹に逢ふ彦星も我にまさりて思ふらめやも」(万葉集巻十五)「彦星に恋はまさりぬ天の川隔つる関を今はやめてよ」(伊勢物語)を指摘。『完訳』は「天の川紅葉を橋にわたせばや七夕つめの秋をしも待つ」(古今集秋上、一七五、読人しらず)を指摘。5.1.5
注釈773文作らせたまふべき漢詩文。5.1.6
注釈774博士なども文章博士。5.1.6
注釈775御舟さし寄せて宇治の宮邸の対岸、夕霧の別荘側に。5.1.6
注釈776海仙楽黄鐘調の舟楽。5.1.6
注釈777宮は近江の海の心地して『源氏釈』は「いかなれば近江の海のかかりてふ人を見る目の絶えて生ひねば」(出典未詳)を指摘。淡水では「みるめ」(海草)が生えない。「見る目」の懸詞。中君に逢えない嘆き。5.1.6
注釈778遠方人の恨みいかにと『花鳥余情』は「七夕の天の戸わたる今宵さへ遠方のつれなかるらむ」(後撰集秋上、二三八、読人しらず)を指摘。中君が恨めしく思っているだろうことを、匂宮は思いやる。5.1.6
注釈779人の迷ひ騷ぎ、乱れの意。5.1.7
注釈780宰相の御兄の衛門督夕霧の長男。5.1.7
注釈781かうやうの御ありきは親王の微行。5.1.7
注釈782聞こしめしおどろきて主語は明石中宮。5.1.7
注釈783殿上人あまた具して主語は衛門督。5.1.7
注釈784酔ひ乱れ遊び明かしつ大島本は「えひミたれ」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「酔ひ乱れて」と「て」を補訂する。『新大系』は底本のままとする。5.1.7
出典38 紅葉御覧ずべく 宇治山の紅葉を見ずは長月の過ぎ行く日をも知らずぞあらまし 後撰集秋下-四四〇 千兼が女 5.1.1
出典39 近江の海の心地 いかなれば近江の海のかかりてふ人を見る目の絶えて生ひねば 奥入所引-出典未詳 5.1.6
出典40 遠方人の恨み 七夕の天の戸渡る今宵さへ遠方人のつれなかるらむ 後撰集秋上-二三八 読人しらず 5.1.6
5.2
第二段 一行、和歌を唱和する


5-2  Nio-no-miya and the others compose waka together

5.2.1   今日は、かくてと思すに、また、 宮の大夫、さらぬ殿上人など、 あまたたてまつりたまへり。心あわたたしく口惜しくて、帰りたまはむそらなし。 かしこには御文をぞたてまつれたまふ。 をかしやかなることもなく、いとまめだちて、思しけることどもを、こまごまと 書き続けたまへれど、「 人目しげく騒がしからむに」とて、御返りなし。
 今日は、このままとお思いになるが、また、宮の大夫、その他の殿上人などを、大勢差し上げなさっていた。気ぜわしく残念で、お帰りになる気もしない。あちらにはお手紙を差し上げなさる。風流なこともなく、たいそう真面目に、お思いになっていたことを、こまごまと書き綴りなさっていたが、「人目が多く騒がしいだろう」とて、お返事はない。
それでも次の日になればという期待を宮は持っておいでになったが、また朝になってから中宮大夫だゆうとまた多くの殿上役人が来た。宮は落ちいぬ心になっておいでになって、このまま帰る気などにはおなりになれなかった。
 山荘の中の君の所へはおふみが送られた。風流なことなどは言っておいでになる余裕がお心になく、ただまじめにこまごまとお心持ちをお伝えになったものであったが、人が多く侍している際であるからと思って女王は返事をしてこなかった。
  Kehu ha, kakute to obosu ni, mata, Miya-no-Daibu, saranu Tenzyaubito nado, amata tatematuri tamahe ri. Kokoroawatatasiku kutiwosiku te, kaheri tamaha m sora nasi. Kasiko ni ha ohom-humi wo zo tatemature tamahu. Wokasiyaka naru koto mo naku, ito mamedati te, obosi keru koto-domo wo, komagoma to kaki tuduke tamahe re do, "Hitome sigeku sawagasikara m ni." tote, ohom-kaheri nasi.
5.2.2  「 数ならぬありさまにては、めでたき御あたりに交じらはむ、かひなきわざかな」と、いとど思し知りたまふ。 よそにて隔たる月日は、おぼつかなさもことわりに、 さりともなど慰めたまふを、 近きほどにののしりおはして、 つれなく過ぎたまひなむ、つらくも口惜しくも思ひ乱れたまふ。
 「人数にも入らない身の上では、ご立派な方とお付き合いするのは、詮ないことであったのだ」と、ますますお思い知りなさる。逢わずに過す月日は、心配も道理であるが、いくら何でも後にはなどと慰めなさるが、近くで大騒ぎしていらして、何もなくて去っておしまいになるのが、つらく残念にも思い乱れなさる。
自身のような哀れな身の上の者が愛人となっているのに、不釣合ふつりあいな方であると女は深く思ったに違いない。遠い道が間にある時は相見る日のまれなのも道理なことに思われ、こんな状態に置かれていても忘られてはいないのであろうとみずから慰めることもできた中の君であったが、近い所に来て派手はでなお遊びぶりを見せられただけで、立ち寄ろうとされない宮をお恨めしく思い、くちおしくも思ってもだえずにはいられなかった。
  "Kazu nara nu arisama nite ha, medetaki ohom-atari ni maziraha m, kahinaki waza kana!" to, itodo obosi-siri tamahu. Yoso nite hedataru tukihi ha, obotukanasa mo kotowari ni, saritomo nado nagusame tamahu wo, tikaki hodo ni nonosiri ohasi te, turenaku sugi tamahi na m, turaku mo kutiwosiku mo omohi midare tamahu.
5.2.3   宮は、まして、いぶせくわりなしと思すこと、限りなし。 網代の氷魚も心寄せたてまつりて 、いろいろの木の葉にかきまぜもてあそぶを、下人などはいとをかしきことに思へれば、 人に従ひつつ、心ゆく御ありきにみづからの御心地は、胸のみつとふたがりて、空をのみ眺め たまふに、この古宮の梢は、いとことにおもしろく、 常磐木にはひ混じれる蔦の色なども、もの深げに見えて、遠目さへすごげなるを、中納言の君も、「 なかなか頼めきこえけるを、憂はしきわざかな」とおぼゆ。
 宮は、それ以上に、憂鬱でやるせないとお思いになること、この上ない。網代の氷魚も心寄せ申して、色とりどりの木の葉にのせて賞味なさるを、下人などはまことに美しいことと思っているので、人それぞれに従って、満足しているようなご外出に、ご自身のお気持ちは、胸ばかりがいっぱいになって、空ばかりを眺めていらっしゃるが、この故宮邸の梢は、たいそう格別に美しく、常磐木に這いかかっている蔦の色なども、何となく深味があって、遠目にさえ物淋しそうなのを、中納言の君も、「なまじご依頼申し上げなさっていたのが、かえってつらいことになったな」と思われる。
 宮はまして憂鬱ゆううつな気持ちにおなりになって、恋しい人にわれぬ不愉快さをどうしようもなく思召された。網代あじろ氷魚ひおの漁もことに多くて、きれいないろいろの紅葉にそれを混ぜて幾つとなくかごにしつらえるのに侍などは興じていた。上下とも遊山ゆさんの喜びに浸っている時に、宮だけは悲しみに胸を満たせて空のほうばかりを見ておいでになった。そうするとお目につくのは女王の山荘の木立ちであった。大木の常磐木ときわぎへおもしろくかかった蔦紅葉つたもみじの色さえも高雅さの現われのように見え、遠くからはすごくさえ思われる一構えがそれであるのを、中納言も船にながめて、自分がたいそうに前触れをしておいたことがかえって物思いを深くさせる結果を見ることになったかと歎かわしく思った。
  Miya ha, masite, ibuseku wari nasi to obosu koto, kagiri nasi. Aziro no hiwo mo kokoroyose tatematuri te, iroiro no konoha ni kaki-maze mote-asobu wo, simobito nado ha ito wokasiki koto ni omohe re ba, hito ni sitagahi tutu, kokoroyuku ohom-ariki ni, midukara no mi-kokoti ha, mune nomi tuto hutagari te, sora wo nomi nagame tamahu ni, kono huru-Miya no kozuwe ha, ito koto ni omosiroku, tokihagi ni hahi mazire ru tuta no iro nado mo, mono-hukage ni miye te, towome sahe sugoge naru wo, Tiunagon-no-Kimi mo, "Nakanaka tanome kikoye keru wo, urehasiki waza kana!" to oboyu.
5.2.4  去年の春、御供なりし君たちは、花の色を思ひ出でて、 後れてここに眺めたまふらむ心細さを言ふ。かく忍び忍びに通ひたまふと、 ほの聞きたるもあるべし。心知らぬも混じりて、おほかたにとやかくやと、人の御上は、かかる山隠れなれど、おのづから聞こゆるものなれば、
 去年の春、お供した公達は、花の美しさを思い出して、先立たれてここで悲しんでいらっしゃるだろう心細さを噂する。このように忍び忍びにお通いになると、ちらっと聞いている者もいるのであろう。事情を知らない者も混じって、だいたいが何やかやと、人のお噂は、このような山里であるが、自然と聞こえるものなので、
 一昨年の春薫に伴われて八の宮の山荘をお訪ねした公達きんだちは、その時の川べの桜を思い出して、父宮を失われた女王たちがなおそこにおられることはどんなに心細いことであろうと同情し合っていた。一人を兵部卿の宮が隠れた愛人にしておいでになるという噂を聞いている人もあったであろうと思われる。事情を知らぬ人も多いのであるから、ただ孤女になられた女王のことを、こうした山里に隠れていても、若い麗人のことは自然に世間が知っているものであるから、
  Kozo no haru, ohom-tomo nari si Kimitati ha, hana no iro wo omohi ide te, okure te koko ni nagame tamahu ram kokorobososa wo ihu. Kaku sinobi sinobi ni kayohi tamahu to, hono-kiki taru mo aru besi. Kokorosira nu mo maziri te, ohokatani toya kakuya to, hito no ohom-uhe ha, kakaru yamagakure nare do, onodukara kikoyuru mono nare ba,
5.2.5  「 いとをかしげにこそものしたまふなれ」
 「とても素晴らしくいらっしゃるそうな」
「非常な美人だということですよ。   "Ito wokasige ni koso monosi tamahu nare."
5.2.6  「 箏の琴上手にて、故宮の明け暮れ遊びならはしたまひければ」
 「箏の琴が上手で、故宮が明け暮れお弾きになるようしつけていらしたので」
十三げんの琴の名手だそうです。故人の宮様がそのほうの教育をよくされておいたために」
  "Sau-no-koto zyauzu nite, ko-Miya no akekure asobi narahasi tamahi kere ba."
5.2.7  など、口々言ふ。
 などと、口々に言う。
 などと口々に言っていた。   nado, kutiguti ihu.
5.2.8  宰相の中将、
 宰相中将が、
宰相の中将が、
  Saisyau-no-Tiuzyau,
5.2.9  「 いつぞやも花の盛りに一目見し
   木のもとさへや秋は寂しき
 「いつだったか花の盛りに一目見た木のもとまでが
  秋はお寂しいことでしょう
 「いつぞやも花の盛りに一目見し
  木のもとさへや秋はさびしき」
    "Ituzo ya mo hana no sakari ni hitome mi si
    ko no moto sahe ya aki ha sabisiki
5.2.10   主人方と思ひて言へば、中納言、
 主人方と思って詠みかけてくるので、中納言は、
 八の宮に縁故の深い人であるからと思って薫にこう言った。その人、
  Aruzigata to omohi te ihe ba, Tiunagon,
5.2.11  「 桜こそ思ひ知らすれ咲き匂ふ
   花も紅葉も常ならぬ世を
 「桜は知っているでしょう
  咲き匂う花も紅葉も常ならぬこの世を
 「桜こそ思ひ知らすれ咲きにほふ
  花も紅葉もみぢも常ならぬ世に」
    "Sakura koso omohi sirasure saki nihohu
    hana mo momidi mo tune nara nu yo wo
5.2.12  衛門督、
 衛門督、
 衛門督えもんのかみ
  Wemon-no-Kami,
5.2.13  「 いづこより秋は行きけむ山里の
   紅葉の蔭は過ぎ憂きものを
 「どこから秋は去って行くのでしょう
  山里の紅葉の蔭は立ち去りにくいのに
 「いづこより秋は行きけん山里の
  紅葉のかげは過ぎうきものを」
    "Iduko yori aki ha yuki kem yamazato no
    momidi no kage ha sugi uki monowo
5.2.14  宮の大夫、
 宮の大夫、
 中宮大夫、
  Miya-no-Daibu,
5.2.15  「 見し人もなき山里の岩垣に
   心長くも這へる葛かな
 「お目にかかったことのある方も亡くなった
  山里の岩垣に気の長く這いかかっている蔦よ
 「見し人もなき山里の岩がきに
  心長くもへるくずかな」
    "Mi si hito mo naki yamazato no ihakaki ni
    kokoronagaku mo hahe ru kuzu kana
5.2.16  中に老いしらひて、うち泣きたまふ。 親王の若くおはしける世のことなど、思ひ出づるなめり
 その中で年老いていて、お泣きになる。親王が若くいらっしゃった当時のことなどを、思い出したようである。
 だれよりも老人であるから泣いていた。八の宮がお若かったころのことを思い出しているのであろう。   Naka ni oyisirahi te, uti-naki tamahu. Miko no wakaku ohasi keru yo no koto nado, omohi iduru na' meri.
5.2.17  宮、
 宮、
兵部卿ひょうぶきょうの宮が、
  Miya,
5.2.18  「 秋はてて寂しさまさる木のもとを
   吹きな過ぐしそ峰の松風
 「秋が終わって寂しさがまさる木のもとを
  あまり烈しく吹きなさるな、峰の松風よ
 「秋はてて寂しさまさるもと
  吹きな過ぐしそみねの松風」
    "Aki hate te sabisisa masaru ko no moto wo
    huki na sugusi so mine no matukaze
5.2.19  とて、いといたく涙ぐみたまへるを、ほのかに知る人は、
 と詠んで、とてもひどく涙ぐんでいらっしゃるのを、うすうす事情を知っている人は、
 とお歌いになって、ひどく悲しそうに涙ぐんでおいでになるのを見て、秘密を知っている人は、   tote, ito itaku namidagumi tamahe ru wo, honokani siru hito ha,
5.2.20  「 げに、深く思すなりけり。今日のたよりを過ぐしたまふ心苦しさ」
 「なるほど、深いご執心なのだ。今日の機会をお逃しになるおいたわしさ」
評判どおりに宮はその人を深く愛しておいでになるらしい、こんな機会にさえそこへおいでになることがおできにならないのはお気の毒である   "Geni, hukaku obosu nari keri. Kehu no tayori wo sugusi tamahu kokorogurusisa."
5.2.21  と見たてまつる人あれど、ことことしく引き続きて、 えおはしまし寄らず。作りける文のおもしろき所々うち誦じ、大和歌もことにつけて多かれど、 かうやうの酔ひの紛れに、ましてはかばかしきことあらむやは。片端書きとどめてだに見苦しくなむ。
 と拝し上げる人もいるが、仰々しく行列をつくっては、お立ち寄りになることはできない。作った漢詩文の素晴らしい所々を朗誦し、和歌も何やかやと多かったが、このような酔いの紛れには、それ以上に良い作があろうはずがない。一部分を書き留めてさえ見苦しいものである。
と思っているのであるが、そうした人たちだけをつれて山荘へおはいりになることも御実行のできないことであった。人々の作った詩のおもしろい一節などを皆口ずさんだりしていて、歌のほうも平生とは違った旅のことであるから相当に多くできていたが、酒酔いをした頭から出たものであるから、少しを採録したところで、佳作はなくつまらぬから省く。
  to mi tatematuru hito are do, kotokotosiku hiki-tuduki te, e ohasimasi yora zu. Tukuri keru humi no omosiroki tokorodokoro uti-zuzi, Yamatouta mo kotoni tuke te ohokare do, kauyau no wehi no magire ni, masite hakabakasiki koto ara m yaha. Katahasi kaki todome te dani migurusiku nam.
注釈785今日はかくてと思すに今日は、このまま宇治の泊まろうと思っていたところに、の意。5.2.1
注釈786宮の大夫中宮大夫。5.2.1
注釈787あまたたてまつりたまへり大島本は「たてまつり」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「たてまつれ」と校訂する。『新大系』は底本のままとする。5.2.1
注釈788かしこには中君。5.2.1
注釈789をかしやかなることもなく『集成』は「恋文らしい風流めいたことも書かず」。『完訳』は「艶書らしくきどる余裕もなく、真剣な弁解につとめる」と注す。5.2.1
注釈790人目しげく騒がしからむに中君の判断。返事を書かない理由。5.2.1
注釈791数ならぬありさまにては以下「かひなきわざかな」まで、中君の心中の思い。5.2.2
注釈792よそにて隔たる月日は以下、中君の心中にそった叙述。5.2.2
注釈793さりともいくら何でも後には逢えよう、の意。5.2.2
注釈794近きほどに前文の「よそにて」と呼応する構文。5.2.2
注釈795つれなく過ぎたまひなむ大島本は「すき給ひなむ」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「過ぎたまふなむ」と校訂する。『新大系』は底本のままとする。5.2.2
注釈796宮はまして匂宮は中君以上に。5.2.3
注釈797網代の氷魚も心寄せたてまつりて擬人法。網代の氷魚が匂宮に心寄せて、という。『河海抄』は「紅葉葉の流れてとまる網代には白波も又寄らぬ日ぞなき」(古今六帖三、網代)を指摘、花鳥余情「いかでなほ網代の氷魚に言問はむ何によりてか我をとはぬと」(拾遺集雑秋、一一三四、修理)を指摘。5.2.3
注釈798人に従ひつつ心ゆく御ありきに『集成』は「皆に調子を合せて(表面は)楽しそうなご遊覧だが」。『完訳』は「人それぞれに満ち足りた行楽であるのに」「匂宮の、表面は調子を合せて楽しそうな遊覧ぶりだが」と注す。5.2.3
注釈799みづからの御心地は胸のみつとふたがりて空をのみ眺め『評釈』は「大空は恋しき人の形見かはもの思ふごとに眺めらるらむ」(古今集恋四、七四三、酒井人真)を指摘。5.2.3
注釈800常磐木にはひ混じれる大島本は「はひましれる」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「這ひかかれる」と校訂する。『新大系』は底本のままとする。5.2.3
注釈801なかなか頼めきこえけるを憂はしきわざかな薫の心中の思い。匂宮の来訪を告げておいたのに、それが取り止めになってしまったので。5.2.3
注釈802後れてここに眺めたまふらむ心細さを言ふ父宮に先立たれた姫君たちの心寂しさを話題にする。昨年の春の花の季節には、八宮はまだ在世中であった。その秋に逝去。5.2.4
注釈803ほの聞きたるもあるべし推量の助動詞「べし」は語り手の推量。湖月抄「草子地」と指摘。5.2.4
注釈804いとをかしげに以下「遊びならはしたまひければ」まで、人々の詞。姫君たちの噂をする。5.2.5
注釈805箏の琴上手にて箏の琴は中君、大君は琵琶を得意とした。5.2.6
注釈806いつぞやも花の盛りに一目見し--木のもとさへや秋は寂しき宰相中将の詠歌。「木のもと」に「子(姫君たち)」を響かせる。5.2.9
注釈807主人方と思ひて言へば宰相中将が薫のこの姫君たちの主人側と思って読み掛けてくるので、の意。5.2.10
注釈808桜こそ思ひ知らすれ咲き匂ふ--花も紅葉も常ならぬ世を薫の唱和歌。この世の無常を詠む。「花」「寂し」からの連想。5.2.11
注釈809いづこより秋は行きけむ山里の--紅葉の蔭は過ぎ憂きものを衛門督の唱和歌。転じて、「紅葉」の美しさから、この場を去りがたい気持ちを詠む。5.2.13
注釈810見し人もなき山里の岩垣に--心長くも這へる葛かな中宮大夫の唱和歌。『河海抄』は「奥山のいはがき紅葉散りぬべし照る日の光見る時なくて」(古今集秋下、二八二、藤原関雄)。『花鳥余情』は「見し人も忘れのみゆくふる里に心長くも来たる春かな」(後拾遺集雑三、一〇三四、藤原義懐)を指摘。5.2.15
注釈811親王の若くおはしける世のことなど思ひ出づるなめり連語「なめり」語り手の主観的推量。5.2.16
注釈812秋はてて寂しさまさる木のもとを--吹きな過ぐしそ峰の松風匂宮の唱和歌。「木」に「子」を懸ける。5.2.18
注釈813げに深く以下「心苦しさ」まで、事情を知っている人々の思い。『細流抄』は「げに深く思すなりけり」を「草子地也」と解す。5.2.20
注釈814えおはしまし寄らず中君のもとに立ち寄ることができない。5.2.21
注釈815かうやうの酔ひの紛れにましてはかばかしきことあらむやは大島本は「かうやう」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「かやう」と「う」を削除する。『新大系』は底本のままとする。以下「見苦しくなむ」まで、語り手の省筆の弁。『林逸抄』は「双紙の詞」と指摘。『集成』は「省筆をことわり、先にあげた五首の歌について言い訳する草子地」と注す。5.2.21
出典41 網代の氷魚 いかでなほ網代の氷魚に言問はむ何によりてか我を問はぬと 拾遺集雑秋-一一三四 修理 5.2.3
出典42 空をのみ眺め 大空は恋しき人の形見かは物思ふごとに眺めらるらむ 古今集恋四-七四三 酒井人真 5.2.3
出典43 木のもとさへや秋は寂しき 散る花を嘆きし人は木のもとの寂しきことやかねて知りけむ 紫式部集-四三 5.2.9
出典44 見し人もなき山里 見し人も忘れのみ行く古里に心長くも来たる春かな 後拾遺集雑三-一〇三四 藤原義懐 5.2.15
校訂31 書き続け 書き続け--かきつ(つ/+ゝ<朱>)け 5.2.1
5.3
第三段 大君と中の君の思い


5-3  The thinking of Ohoi-kimi and Naka-no-kimi

5.3.1   かしこには、過ぎたまひぬるけはひを、遠くなるまで聞こゆる前駆の声々、ただならずおぼえたまふ。 心まうけしつる人びとも、いと口惜しと思へり。 姫宮は、まして
 あちらでは、お素通りになってしまった様子を、遠くなるまで聞こえる前駆の声々を、ただならずお聞きになる。心積もりしていた女房も、まことに残念に思っていた。姫宮は、それ以上に、
 山荘では宮の一行が宇治を立って行かれた気配けはいを相当に遠ざかるまで聞こえた前駆の声で知り、うれしい気持ちはしなかった。御歓待の仕度したくをしていた人たちは皆はなはだしく失望をした。大姫君はましてこの感を深く覚えているのであった。   Kasiko ni ha, sugi tamahi nuru kehahi wo, tohoku naru made kikoyuru saki no kowegowe, tada nara zu oboye tamahu. Kokoromauke si turu hitobito mo, ito kutiwosi to omohe ri. Hime-Miya ha, masite,
5.3.2  「 なほ、音に聞く月草の色なる御心なりけり 。ほのかに人の言ふを聞けば、男といふものは、虚言をこそいとよくすなれ。思はぬ人を思ふ顔にとりなす言の葉多かるものと、この人数ならぬ女ばらの、昔物語に言ふを、さるなほなほしきなかにこそは、けしからぬ心あるもまじるらめ。
 「やはり、噂に聞く月草のような移り気なお方なのだわ。ちらちら人の言うのを聞くと、男というものは、嘘をよくつくという。愛していない人を愛している顔でだます言葉が多いものだと、この人数にも入らない女房連中が、昔話として言うのを、そのような身分の低い階層には、よくないこともあるのだろう。
やはり噂されるように多情でわがままな恋の生活を事とされる宮様らしい、よそながら恋愛談を人のするのを聞いていると、男というものは女に向かってうそ上手じょうずに言うものであるらしい、愛していない人を愛しているふうに巧みな言葉を使うものであると、自分の家にいるつまらぬ女たちが身の上話にしているのを聞いていた時は、身分のない人たちの中にだけはそうしたふまじめな男もあるのであろう、   "Naho, oto ni kiku tukikusa no iro naru mi-kokoro nari keri. Honokani hito no ihu wo kike ba, wotoko to ihu mono ha, soragoto wo koso ito yoku su nare. Omoha nu hito wo omohugaho ni torinasu kotonoha ohokaru mono to, kono hitokazu nara nu womnabara no, mukasimonogatari ni ihu wo, saru nahonahosiki naka ni koso ha, kesikara nu kokoro aru mo maziru rame.
5.3.3   何ごとも筋ことなる際になりぬれば、人の聞き思ふことつつましく、所狭かるべきものと思ひしは、さしもあるまじきわざなりけり。あだめきたまへるやうに、 故宮も聞き伝へたまひて、 かやうに気近きほどまでは、思し寄らざりしものを。あやしきまで心深げにのたまひわたり、思ひの外に 見たてまつるにつけてさへ、身の憂さを思ひ添ふるが、あぢきなくもあるかな
 何事も高貴な身分になれば、人が聞いて思うことも遠慮されて、自由勝手には振る舞えないはずのものと思っていたのは、そうとも限らなかったのだわ。浮気でいらっしゃるように、故宮も伝え聞いていらっしゃって、このように身近な関係にまでは、お考えでなかったのに。不思議なほど熱心にずっと求婚なさり続け、意外にも婿君として拝するにつけてさえ、身のつらさが思い加わるのが、つまらないことであるよ。
貴族として立っている人は、世間の批評もはばかって慎むところもあるのであろうと思っていたのは、自分の認識が足りなかったのである、多情な方のように父宮も聞いておいでになって、交際はおさせになったがこの家の婿になどとはお考えにならなかったものらしかったのに、不思議なほど熱心に求婚され、すでにもう縁は結ばれてしまい、それによっていっそう自分までが心の苦労を多くし不幸さを加えることになったのは歎かわしいことである。   Nanigoto mo sudi koto naru kiha ni nari nure ba, hito no kiki omohu koto tutumasiku, tokorosekaru beki mono to omohi si ha, sasimo arumaziki waza nari keri. Adameki tamahe ru yau ni, ko-Miya mo kikitutahe tamahi te, kayau ni kedikaki hodo made ha, obosiyora zari si mono wo. Ayasiki made kokorobukage ni notamahi watari, omohi no hoka ni mi tatematuru ni tuke te sahe, mi no usa wo omohi sohuru ga, adikinaku mo aru kana!
5.3.4  かく見劣りする御心を、かつはかの中納言も、いかに思ひたまふらむ。ここにもことに恥づかしげなる人はうち混じらねど、おのおの思ふらむが、人笑へにをこがましきこと」
 このように期待はずれの宮のお心を、一方ではあの中納言も、どのように思っていらっしゃるのだろう。ここには特に立派そうな女房はいないが、それぞれ何と思うか、物笑いになって馬鹿らしいこと」
接近して愛の薄くおなりになった宮のお相手の妹を、中納言は軽蔑けいべつして考えないであろうか、りっぱな女房がいるのではないが、それでもその人たちがどう思うかも恥ずかしい。人笑われな運命になった   Kaku miotori suru mi-kokoro wo, katu ha kano Tiunagon mo, ikani omohi tamahu ram. Koko ni mo kotoni hadukasige naru hito ha uti-mazira ne do, onoono omohu ram ga, hitowarahe ni wokogamasiki koto."
5.3.5  と思ひ乱れたまふに、心地も違ひて、いと悩ましくおぼえたまふ。
 とお心を悩ましなさると、気分も悪くなって、ほんとうに苦しく思われなさる。
煩悶はんもんすることによって姉女王は健康をさえもそこねるようになった。   to omohi midare tamahu ni, kokoti mo tagahi te, ito nayamasiku oboye tamahu.
5.3.6   正身は、たまさかに対面したまふ時、限りなく深きことを 頼め契りたまひつれば、「 さりとも、こよなうは思し変らじ」と、「おぼつかなきも、わりなき障りこそは、ものしたまふらめ」と、心のうちに思ひ慰めたまふかたあり。
 ご本人は、たまにお会いなさる時、この上なく深い愛情をお約束なさっていたので、「そうはいっても、すっかりご変心なさるまい」と、「訪れがないのも、やむをえない支障が、おありなのだろう」と、心中に思い慰めなさることがある。
当の中の君はたまさかにしかおいしない良人おっとであるが、熱情的な愛をささやかれていて、今眼前にどんなことがあろうともお心のまったく変わるようなことはあるまい、常においでになることのできないのも余儀ないさわりがあるからに相違ないとたのむところもあるのであった。   Sauzimi ha, tamasakani taimen si tamahu toki, kagirinaku hukaki koto wo tanome tigiri tamahi ture ba, "Saritomo, koyonau ha obosi kahara zi." to, "Obotukanaki mo, warinaki sahari koso ha, monosi tamahu rame." to, kokoro no uti ni omohi nagusame tamahu kata ari.
5.3.7   ほど経にけるが思ひ焦れられたまはぬにしもあらぬに、 なかなかにてうち過ぎたまひぬるを、つらくも口惜しくも思ほゆるに、いとどものあはれなり。 忍びがたき御けしきなるを
 久しく日がたったのを気になさらないこともないが、なまじ近くまで来ながら素通りしてお帰りになったことを、つらく口惜しく思われるので、ますます胸がいっぱいになる。堪えがたいご様子なのを、
ここしばらくおいでにならなかったのであるから切なく思わぬはずもないのに、近くへお姿をお現わしになっただけで行っておしまいになったことでは恨めしく残念な思いをして気をめいらせているのが、総角あげまきの姫君には堪えられぬほど哀れに見えた。   Hodo he ni keru ga omohi ire rare tamaha nu ni simo ara nu ni, nakanaka nite uti-sugi tamahi nuru wo, turaku mo kutiwosiku mo omohoyuru ni, itodo mono ahare nari. Sinobi gataki mi-kesiki naru wo,
5.3.8  「 人なみなみにもてなして、例の人めきたる住まひならば、かうやうに、 もてなしたまふまじきを
 「世間並みの姫君にして上げて、ひとかどの貴族らしい暮らしならば、このようには、お扱いなさるまいものを」
世間並みの姫君らしい宮殿にかしずかれていたならば、このやしきがこんな貧弱なものでなければ宮は素通りをなされなかったはずであるのに   "Hitonaminami ni motenasi te, rei no hitomeki taru sumahi nara ba, kau yau ni, motenasi tamahu maziki wo."
5.3.9  など、姉宮は、いとどしくあはれと見たてまつりたまふ。
 などと、姉宮は、ますますお気の毒にと拝し上げなさる。
と思われるのである。   nado, Ane-Miya ha, itodosiku ahare to mi tatematuri tamahu.
注釈816かしこには河の対岸。宇治の姫君たち。5.3.1
注釈817心まうけしつる人びとも女房たち。5.3.1
注釈818姫宮は、まして大君。女房たち以上に。5.3.1
注釈819なほ音に聞く月草の色なる御心なりけり以下「人笑へにをこがましきこと」まで、大君の心中。「御心」は匂宮の心。『源氏釈』は「いで人は言のみぞよき月草の移し心は色ことにして」(古今集恋四、七一一、読人しらず)を指摘。「月草」は移ろいやすい心を譬える。5.3.2
注釈820何ごとも筋ことなる際になりぬれば『完訳』は「皇族のような高貴な身分。大君は貴人を、下世話に語られる男とは別に考えていたが、自分の現実認識の浅さを知り、愕然とする」と注す。5.3.3
注釈821故宮も亡き父八宮。5.3.3
注釈822かやうに気近きほどまでは思し寄らざりしものを八宮は中君に一通りの返書を書くことは勧めていたが、結婚することまでは考えていなかった。5.3.3
注釈823見たてまつるにつけてさへ身の憂さを思ひ添ふるがあぢきなくもあるかな「さへ--添ふる」という、もともと我が身の薄幸を感じ取っていた上にさらに妹君の結婚の不幸までが加わってさらい辛い思いをする。5.3.3
注釈824正身は中君。5.3.6
注釈825頼め契りたまひつれば大島本は「給つれは」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「たまへれば」と校訂する。『新大系』は底本のままとする。5.3.6
注釈826さりとも以下「ものしたまふらめ」まで、中君の心中に添った叙述。「思し変らじと」の格助詞「と」で、いったん地の文になり再び「おぼつかなさも」から心中文。5.3.6
注釈827ほど経にけるが思ひ焦れられ大島本は「思ひゐれられ」とある。『集成』『完本』は「思ひいられ」と「れ」を削除する。『新大系』は底本のままとする。匂宮の訪れが間遠になったことをいう。5.3.7
注釈828なかなかにてうち過ぎたまひぬるをなまじ近くまで来ながら素通りされたこと。5.3.7
注釈829忍びがたき御けしきなるを中君の様子。5.3.7
注釈830人なみなみに以下「もてなしたまふまじきを」まで、大君の心中。世の姫君並みに、の意。5.3.8
注釈831もてなしたまふまじきを「を」間投助詞、詠嘆の意。接続助詞「を」の逆接のニュンスも響いて反実仮想的余韻を残す。5.3.8
出典45 月草の色なる御心 いで人は言のみぞよき月草のうつし心は色ことにして 古今集恋四-七一一 読人しらず 5.3.2
5.4
第四段 大君の思い


5-4  The thinking of Ohoi-kimi

5.4.1  「 我も世にながらへば、かうやうなること見つべきにこそはあめれ。中納言の、とざまかうざまに言ひありきたまふも、 人の心を見むとなりけり。心一つにもて離れて思ふとも、こしらへやる限りこそあれ。 ある人の こりずまにかかる筋のことをのみ、いかでと思ひためれば、心より外に、 つひにもてなされぬべかめりこれこそは、返す返す、さる心して世を過ぐせ、とのたまひおきしは、かかることもやあらむの 諌めなりけり
 「わたしも生き永らえたら、このようなことをきっと経験することだろう。中納言が、あれやこれやと言い寄りなさるのも、わたしの気を引いてみようとのつもりだったのだわ。自分一人が相手になるまいと思っても、言い逃れるには限度がある。ここに仕える女房が性懲りもなく、この結婚をばかりを、何とか成就させたいと思っているようなので、心外にも、結局は結婚させられてしまうかもしれない。この事だけは、繰り返し繰り返し、用心して過ごしなさいと、ご遺言なさったのは、このようなことがあろう時の忠告だったのだわ。
自分もまだ生きているとすれば、こうした目にあわされるであろう、中納言がいろいろな言葉で清い恋を求めるというのも、自分をためそうとする心だけであって、自分一人は友情以上に出まいとしていても、あの人の本心がそれでないのでは行くところは知れきったことで、自分のしりぞけるのにも力の限度がある、家にいる女たちは媒介役の失敗に懲りもせず、今もどうかして中納言を自分の良人おっとにさせたいと望まない者もないのであるから、自分の気持ちは尊重されず、結果としては自分があの人の妻にされてしまうことになるのであろう、これが取りも直さず父君が、みずからをよくまもっていくようにと仰せられたことに違いない、   "Ware mo yo ni nagarahe ba, kau yau naru koto mi tu beki ni koso ha a' mere. Tiunagon no, tozama kauzama ni ihi ariki tamahu mo, hito no kokoro wo mi m to nari keri. Kokoro hitotu ni mote-hanare te omohu tomo, kosirahe yaru kagiri koso are. Aru hito no korizuma ni, kakaru sudi no koto wo nomi, ikade to omohi ta' mere ba, kokoro yori hoka ni, tuhini motenasa re nu bekameri. Kore koso ha, kahesugahesu, saru kokoro si te yo wo suguse, to notamahi oki si ha, kakaru koto mo ya ara m no isame nari keri.
5.4.2   さもこそは、憂き身どもにて、さるべき人にも 後れたてまつらめ。やうのものと人笑へなることを添ふるありさまにて、亡き御影をさへ悩ましたてまつらむが いみじさなるを、我だに、さるもの思ひに沈まず、 罪などいと深からぬさきに、いかで亡くなりなむ」
 このような、不幸な運命の二人なので、しかるべき親にもお先立たれ申したのだ。姉妹とも同様に物笑いになることを重ねた様子で、亡き両親までをお苦しめ申すのが情けないのを、わたしだけでも、そのような物思いに沈まず、罪などたいして深くならない前に、何とか亡くなりたい」
不幸な自分たちは母君をも早く失い、父宮にもお別れしてしまったが、薄命な者であるからどうなってもよいと自身を軽く扱って、見苦しい捨てられた妻というものになり、おくなりになったあとの父君のお心までをお悩ましさせることになるのは悲しい。自分一人だけでもそうした物思いに沈まないで済む処女を保ったままで病死をしてしまいたい   Samo koso ha, uki mi-domo nite, sarubeki hito ni mo okure tatematura me. Yau no mono to hitowarahe naru koto wo sohuru arisama nite, naki mi-kage wo sahe nayamasi tatematura m ga imizisa naru wo, ware dani, saru monoomohi ni siduma zu, tumi nado ito hukakara nu saki ni, ikade nakunari na m."
5.4.3  と思し沈むに、心地もまことに苦しければ、 物もつゆばかり参らず、ただ、亡からむ後のあらましごとを、明け暮れ 思ひ続けたまふにも心細くて、この君を見たてまつりたまふも、いと心苦しく、
 と思い沈むと、気分もほんとうに苦しいので、食べ物を少しも召し上がらず、ただ、亡くなった後のあれこれを、明け暮れ思い続けていらっしゃると、心細くなって、この君をお世話申し上げなさるのも、とてもおいたわしく、
と、こんなことを明け暮れ思い続ける大姫君は、心細い死の予感をさえ覚えて、中の君を見ても哀れで、   to obosi sidumu ni, kokoti mo makoto ni kurusikere ba, mono mo tuyu bakari mawira zu, tada, nakara m noti no aramasigoto wo, ake kure omohi tuduke tamahu ni mo, kokorobosoku te, ko no Kimi wo mi tatematuri tamahu mo, ito kokorogurusiku,
5.4.4  「 我にさへ後れたまひて、いかにいみじく慰む方なからむ。あたらしくをかしきさまを、明け暮れの見物にて、いかで人びとしくも見なしたてまつらむ、と思ひ扱ふをこそ、人知れぬ行く先の頼みにも思ひつれ、 限りなき人にものしたまふとも、かばかり人笑へなる目を見てむ人の、世の中に立ちまじり、例の人ざまにて経たまはむは、たぐひすくなく心憂からむ」
 「わたしにまで先立たれなさって、どんなにひどく慰めようがないことだろう。惜しくかわいい様子を、明け暮れの慰みとして、何とかして一人前にして差し上げたいと思って世話するのを、誰にも言わず将来の生きがいと思ってきたが、この上ない方でいらっしゃっても、これほど物笑いになった目に遭ったような人が、世間に出てお付き合いをし、普通の人のようにお過ごしになるのは、例も少なくつらいことだろう」
自分にまで死に別れたあとではいっそう慰みどころのない人になるであろう、美しいこの人をながめることが自分の唯一の慰安で、どうかして幸福な女にさせたいとばかり願っていた、どんなに高貴な方を良人に持ったといっても、今度のような侮辱を受けながらなお尼にもならず妻として孤閨こけいを守っていくことは例もないほど恥ずかしいことに違いない   "Ware ni sahe okure tamahi te, ikani imiziku nagusamu kata nakara m. Atarasiku wokasiki sama wo, ake kure no mimono nite, ikade hitobitosiku mo minasi tatematura m, to omohi atukahu wo koso, hito sire nu yukusaki no tanomi ni mo omohi ture, kagirinaki hito ni monosi tamahu tomo, kabakari hitowarahe naru me wo mi te m hito no, yononaka ni tati-maziri, rei no hitozama nite he tamaha m ha, taguhi sukunaku kokoroukara m."
5.4.5  など思し続くるに、「 いふかひもなく、この世にはいささか思ひ慰む方なくて、過ぎぬべき 身どもなりけり」と心細く思す。
 などとお考え続けると、「何とも言いようなく、この世には少しも慰めることができなくて、終わってしまいそうな二人らしい」と、心細くお思いになる。
と、それからそれへと思い続けていく大姫君は、自分ら姉妹きょうだいは現世で少しの慰めも得られないままで終わる運命を持つものらしいと心細くなるのであった。
  nado obosi tudukuru ni, "Ihukahi mo naku, konoyo ni ha isasaka omohi nagusamu kata naku te, sugi nu beki mi-domo nari keri." to kokorobosoku obosu.
注釈832我も世にながらへば以下「いかで亡くなりなむ」まで、大君の心中。自分も生き永らえたら中君と同様のつらい思いをすることだろう、と思う。結婚を躊躇する気持ち。5.4.1
注釈833人の心を見むとなりけり「人」はわたし大君をさす。過去の助動詞「けり」詠嘆の意。今初めて気がついたというニュアンス。『完訳』は「薫はこちらの気を引いて反応を試すつもりだったのだと忖度」と注す。5.4.1
注釈834ある人のここに仕えている者が。5.4.1
注釈835こりずまに歌語。性懲りもなく。5.4.1
注釈836かかる筋のことをのみ縁談話ばかり。5.4.1
注釈837つひにもてなされぬべかめりしまいには結婚させられてしまいそうだ、の意。5.4.1
注釈838これこそは、返す返す、さる心して世を過ぐせ父宮の遺言。間接話法で引用。結婚に関しては慎重に用心しなさい、の意。『集成』は「これこそは、繰り返し繰り返し、父宮がその積もりで用心して生きてゆくように」と訳す。5.4.1
注釈839諌めなりけり過去の助動詞「けり」詠嘆の意。今初めて気がついたというニュアンス。5.4.1
注釈840さもこそは--後れたてまつらめ『集成』は「こんな不幸な運命に生れついた二人ゆえ、頼みとする父母にも先立たれ申すようなことになるのだろうが」。『完訳』は「姉妹とも早くに両親を死別する不幸な宿命の身だから、どうせ結婚しても夫に先立たれよう」と訳す。5.4.2
注釈841いみじさなるを大島本は「いミしさなる越」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「いみじさ、なほ」と校訂する。『新大系』は底本のままとする。5.4.2
注釈842罪などいと深からぬさきに『完訳』は「愛執など仏教上の罪をさす。思い屈するあまり死を意識する」と注す。5.4.2
注釈843物もつゆばかり参らずただ亡からむ後のあらましごとを大君の死への助走が始まる。5.4.3
注釈844思ひ続けたまふにも大島本は「給にも」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「たまふに」と「も」を削除する。『新大系』は底本のままとする。5.4.3
注釈845心細くて死に向かっての孤独な心情、心細さが湧出。以下にも「心細し」の語句が頻出してくる。5.4.3
注釈846我にさへ後れたまひて主語は中君。両親にさきだたれ、さらに私姉にまで先立たれる。以下「心憂からむ」まで、大君の心中。5.4.4
注釈847限りなき人にものしたまふとも匂宮を念頭においていう。5.4.4
注釈848いふかひもなく以下「身どもなりけり」まで、大君の心中。5.4.5
注釈849身どもなりけり大島本は「なりけり」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「なめり」と校訂する。『新大系』は底本のままとする。自分たち姉妹をさしていう。5.4.5
出典46 こりずまに こりずまにまたもなき名は立ちぬべし人にくからぬ世にし住まへば 古今集雑三-六三一 読人しらず 5.4.1
5.5
第五段 匂宮の禁足、薫の後悔


5-5  Nio-no-miya is forbiden to go out, and Kaoru regrets that he did

5.5.1  宮は、立ち返り、 例のやうに忍びて出で立ちたまひけるを、内裏に、
 宮は、すぐその後、いつものように人目に隠れてとご出立なさったが、内裏で、
 兵部卿の宮は御帰京になったあとでまたすぐに微行で宇治へお行きになろうとしたのであったが、
  Miya ha, tati-kaheri, rei no yau ni sinobi te to idetati tamahi keru wo, Uti ni,
5.5.2  「 かかる御忍びごとにより、山里の御ありきも、ゆくりかに思し立つなりけり。軽々しき御ありさまと、世人も下に そしり申すなり
 「このようなお忍び事によって、山里へのご外出も、簡単にお考えになるのです。軽々しいお振舞いだと、世間の人も蔭で非難申しているそうです」
「兵部卿の宮様は宇治の八の宮の姫君とひそかな関係を結んでおいでになりまして、突然に時々近郊の御旅行と申すようなことをお思い立ちになるのでございます。御軽率すぎることだと世間でもよろしくはおうわさいたしません」
  "Kakaru ohom-sinobigoto ni yori, yamazato no ohom-ariki mo, yukurikani obositatu nari keri. Karogarosiki ohom-arisama to, yohito mo sita ni sosiri mausu nari."
5.5.3  と、衛門督の漏らし申したまひければ、中宮も聞こし召し嘆き、主上もいとど許さぬ御けしきにて、
 と、衛門督がそっとお耳に入れ申し上げなさったので、中宮もお聞きになって困り、主上もますますお許しにならない御様子で、
 と左大臣の息子むすこ衛門督えもんのかみがそっと中宮へ申し上げたために、中宮も御心配をあそばし、みかども常から宮のお身持ちを気づかわしく思召していられたのであったから、   to, Wemon-no-Kami no morasi mausi tamahi kere ba, Tiuguu mo kikosimesi nageki, Uhe mo itodo yurusa nu mi-kesiki nite,
5.5.4  「 おほかた心にまかせたまへる御里住みの悪しきなり
 「だいたいが気まま放題の里住みが悪いのである」
これによっていっそう監視が厳重になり、   "Ohokata kokoro ni makase tamahe ru ohom-satozumi no asiki nari."
5.5.5  と、厳しきことども出で来て、内裏につとさぶらはせたてまつりたまふ。左の大臣殿の六の君を、うけひかず思したることなれど、 おしたちて参らせたまふべく、皆定めらる。
 と、厳しいことが出てきて、内裏にぴったりとご伺候させ申し上げなさる。左の大殿の六の君を、ご承知せず思っていらっしゃることだが、無理にも差し上げなさるよう、すべて取り決められる。
兵部卿の宮を宮中から一歩もお出しにならぬような計らいをあそばされた。そして左大臣の六女との結婚はおゆるしにならなかった宮へ、強制的にその人を夫人になさしめたもうというようなこともお定めになった。   to, kibisiki koto-domo ideki te, Uti ni tuto saburaha se tatematuri tamahu. Hidari-no-Ohoidono no Roku-no-Kimi wo, ukehika zu obosi taru koto nare do, ositati te mawira se tamahu beku, mina sadame raru.
5.5.6  中納言殿聞きたまひて、あいなくものを思ひありきたまふ。
 中納言殿がお聞きになって、他人事ながらどうにもならないと思案なさる。
中納言はそれを聞いて憂鬱ゆううつになっていた。   Tiunagon-dono kiki tamahi te, ainaku mono wo omohi ariki tamahu.
5.5.7  「 わがあまり異様なるぞや。さるべき契りやありけむ。 親王のうしろめたしと思したりしさまも、あはれに忘れがたく、この君たちの御ありさまけはひも、ことなることなくて世に衰へたまはむことの、惜しくもおぼゆるあまりに、 人びとしくもてなさばやと、あやしきまでもて扱はるるに、 宮もあやにくにとりもちて責めたまひしかば、わが思ふ方は異なるに、譲らるるありさまもあいなくて、かくもてなしてしを。
 「自分があまりに変わっていたのだ。そのようになるはずの運命であったのだろうか。親王が不安であるとご心配になっていた様子も、しみじみと忘れがたく、この姫君たちのご様子や人柄も、格別なことはなくて世に朽ちてゆきなさることが、惜しくも思われるあまりに、人並みにして差し上げたいと、不思議なまでお世話せずにはいられなかったところ、宮もあいにくに身を入れてお責めになったので、自分の思いを寄せている人は別なのだが、お譲りなさるのもおもしろくないので、このように取り計らってきたのに。
自分があまりに人と変わり過ぎているのである、どんな宿命でか八の宮が姫君たちを気がかりに仰せられた言葉も忘られなかったし、またその女王たちもすぐれた女性であるのを発見してからは、世間に無視されていることがあまりに不合理に惜しいことに思われ、人の幸福な夫人にさせたいことが念頭を去らなかったし、ちょうど兵部卿の宮も熱心に希望あそばされたことであったために、自分の対象とする姫君は違っているのに、今一人の女王を自分にめとらせようと当の人がされるのをうれしくなく思うところから、宮とその方とを結ばせてしまった。   "Waga amari kotoyau naru zo ya. Sarubeki tigiri ya ari kem. Miko no usirometasi to obosi tari si sama mo, ahare ni wasure gataku, kono Kimitati no ohom-arisama kehahi mo, koto naru koto naku te yo ni otorohe tamaha m koto no, wosiku mo oboyuru amari ni, hitobitosiku motenasa baya to, ayasiki made mote-atukaha ruru ni, Miya mo ayaniku ni torimoti te seme tamahi sika ba, waga omohu kata ha koto naru ni, yudura ruru arisama mo ainaku te, kaku motenasi te si wo.
5.5.8  思へば、悔しくもありけるかな。 いづれもわがものにて見たてまつらむに、咎むべき人もなしかし」
 考えてみれば、悔しいことだ。どちらも自分のものとしてお世話するのを、非難するような人はいないのだ」
今思うとそれは軽率なことであった。二人とも自分の妻にしても非難する人はなかったはずである、今さら取り返されるものではないが、愚かしい行動をした   Omohe ba, kuyasiku mo ari keru kana! Idure mo waga mono nite mi tatematura m ni, togamu beki hito mo nasi kasi."
5.5.9  と、 取り返すものならねど、をこがましく、心一つに思ひ乱れたまふ。
 と、元に戻ることはできないが、馬鹿らしく、自分一人で思い悩んでいらっしゃる。
煩悶はんもんをしているのである。
  to, torikahesu mono nara ne do, wokogamasiku, kokoro hitotu ni omohi midare tamahu.
5.5.10   宮は、まして、御心にかからぬ折なく、恋しくうしろめたしと思す。
 宮は、薫以上に、お心にかからない折はなく、恋しく気がかりだとお思いになる。
 宮はまして宇治の女王にょおうがお心にかからぬ時とてもなかった。恋しくお思いになり、知らぬまにどんなことになっているかもしれぬという不安もお覚えになるのである。
  Miya ha, masite, mi-kokoro ni kakara nu wori naku, kohisiku usirometasi to obosu.
5.5.11  「 御心につきて思す人あらば、 ここに参らせて、例ざまにのどやかにもてなしたまへ。 筋ことに思ひきこえたまへるに、軽びたるやうに人の聞こゆべかめるも、いとなむ口惜しき」
 「お心に気に入ってお思いの人がいるならば、ここに参らせて、普通通りに穏やかになさりなさい。格別なことをお考え申し上げておいであそばすのに、軽々しいように人がお噂申すようなのも、まことに残念です」
「非常にお気に入った人がおありになるのだったら、私の女房の一人にしてここへ来させて、目だたない愛しようをしていればいいでしょう。あなたは東宮様、二の宮さんに続いて特別なものとして未来の地位をおかみはお考えになっていらっしゃるのですから、軽率な恋愛問題などを起こして、人から指弾されるのはよろしくありませんからね」
  "Mi-kokoro ni tuki te obosu hito ara ba, koko ni mawira se te, reizama ni nodoyakani motenasi tamahe. Sudi koto ni omohi kikoye tamahe ru ni, karobi taru yau ni hito no kikoyu beka' meru mo, ito nam kutiwosiki."
5.5.12  と、大宮は明け暮れ聞こえたまふ。
 と、大宮は明け暮れご注意申し上げなさる。
 こんなふうに中宮ちゅうぐうは始終御忠告をあそばされるのであった。
  to, Oho-Miya ha akekure kikoye tamahu.
注釈850例のやうに忍びて匂宮の思い。5.5.1
注釈851出で立ちたまひけるを出立なさろうとしたが。出立していない。5.5.1
注釈852かかる御忍び以下「そしり申すなり」まで、衛門督の詞。『集成』は「「もらし申し--」とあるので、衛門の督は取次ぎの女房にそれとなく言ったのであろう」と注す。5.5.2
注釈853そしり申すなり「なり」伝聞推定の助動詞。5.5.2
注釈854おほかた心にまかせたまへる御里住みの悪しきなり帝の詞。5.5.4
注釈855おしたちて参らせたまふべく『完訳』は「無理にも縁づけよう。将来の立坊を考え、軽率な微行など慎ませるための策」と注す。5.5.5
注釈856わがあまり異様なるぞや以下「咎むべき人もなしかし」まで、薫の心中。『集成』は「以下、六の君との結婚の結果、予想される中の君の悲境を思って、初めから自分のものにしておけばよかったと後悔する薫の心」と注す。5.5.7
注釈857親王の故宇治八宮をさす。5.5.7
注釈858人びとしく大島本は「人々しく」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「人々しくも」と「も」を補訂する。『新大系』は底本のままとする。5.5.7
注釈859宮もあやにくにとりもちて責めたまひしかば『完訳』は「匂宮もあいにくに身を入れて中の君への仲介に私をせきたてるし、一方、自分の心を寄せる大君がまた、中の君を自分に譲ろうとするのも不本意なので、匂宮を中の君に導いた。「あやにく」「あいなく」とあり、不本意な事態への苦肉の対処と、自らを合理化」と注す。5.5.7
注釈860いづれもわがものにて見たてまつらむに大君も中君も。「見たてまつる」は結婚する意。推量の助動詞「む」仮定の意。5.5.8
注釈861取り返すものならねど『源氏釈』は「とり返す物にもがなや世の中をありしながらの我が身と思はむ」(出典未詳)を指摘。5.5.9
注釈862宮はまして匂宮は薫以上に。5.5.10
注釈863御心につきて以下「いとなむ口惜しき」まで、中宮の詞。5.5.11
注釈864ここに参らせて『集成』は「私の所に宮仕えさせて、普通におだやかにお扱いなさい。女房として情けをかけて、忍び歩きなどはなさるな」。『完訳』は「私のもとに宮仕えさせて。忍び歩きの相手としてではなく召人の扱いとせよの戒め」と注す。「例ざまに」は召人、すなわち愛人関係をさす。5.5.11
注釈865筋ことに思ひきこえたまへるに主語は帝。匂宮を将来東宮にとのお考え。5.5.11
出典47 取り返すものならねど とり返すものにもがなや世の中をありしながらの我が身と思はむ 源氏釈所引-出典未詳 5.5.9
5.6
第六段 時雨降る日、匂宮宇治の中の君を思う


5-6  In early winter rainy days, Nio-no-miya sympathizes with Naka-no-kimi in Uji

5.6.1   時雨いたくしてのどやかなる日、 女一の宮の御方に参りたまひつれば、御前に人多くもさぶらはず、しめやかに、 御絵など 御覧ずるほどなり。
 時雨がひどく降ってのんびりとした日、女一の宮の御方に参上なさったところ、御前に女房も多く伺候していず、ひっそりとして、御絵などを御覧になっている時である。
 はげしく時雨しぐれが降って御所へまいる者も少ない日、兵部卿の宮は姉君の女一にょいちみやの御殿へおいでになった。お居間に侍している女房の数も多くなくて、姫君は今静かに絵などを御覧になっているところであった。   Sigure itaku si te nodoyaka naru hi, Womna-Iti-no-Miya no ohom-kata ni mawiri tamahi ture ba, omahe ni hito ohoku mo saburaha zu, simeyakani, ohom-we nado goranzuru hodo nari.
5.6.2   御几帳ばかり隔てて、御物語聞こえたまふ。限りもなくあてに気高きものから、なよびかにをかしき御けはひを、年ごろ二つなきものに思ひきこえたまひて、
 御几帳だけを隔てて、お話を申し上げなさる。この上もなく上品で気高い一方で、たおやかでかわいらしいご様子を、長年二人といないものとお思い申し上げなさって、
几帳きちょうだけを隔てにしてお二方はお話しになった。限りもない気品のある貴女きじょらしさとともに、なよなよとした柔らかさを備えたもうた姫宮を、この世にこれ以上の高華な美を持つ女性はなかろうと、昔から兵部卿の宮は思っておいでになって、   Mi-kityau bakari hedate te, ohom-monogatari kikoye tamahu. Kagiri mo naku ateni kedakaki monokara, nayobikani wokasiki ohom-kehahi wo, tosigoro hutatu naki mono ni omohi kikoye tamahi te,
5.6.3  「 また、この御ありさまになずらふ人 世にありなむや冷泉院の姫宮ばかりこそ、御おぼえのほど、うちうちの御けはひも心にくく聞こゆれど、うち出でむ方もなく 思しわたるにかの山里人は、らうたげにあてなる方の、劣りきこゆまじきぞかし」
 「他に、このご様子に似た人がこの世にいようか。冷泉院の姫宮だけが、ご寵愛の深さや内々のご様子も奥ゆかしく聞こえるけれど、口に出すすべもなくお思い続けていたが、あの山里の人は、かわいらしく上品なところはお劣り申さない」
これに近い人というのは冷泉れいぜい院の内親王だけであろうと信じておいでになり、世間から受けておいでになる尊敬の度も、御容姿も、御聡明そうめいさも人のお噂する言葉から想像されて、宮の覚えておいでになる院の宮への恋を、なんらお通じになる機会というものがなく、しかも忘れる時なく心に持っておいでになる兵部卿の宮なのであるが、あの宇治の山里の人の可憐かれんで高い気品の備わったところなどは、これらの最高の貴女に比べても劣らないであろう   "Mata, kono ohom-arisama ni nazurahu hito yo ni ari na m ya? Reizei-Win no Hime-Miya bakari koso, ohom-oboye no hodo, utiuti no ohom-kehahi mo kokoronikuku kikoyure do, uti-ide m kata mo naku obosi wataru ni, kano Yamazatobito ha, rautageni ate naru kata no, otori kikoyu maziki zo kasi."
5.6.4  など、まづ思ひ出づるに、いとど恋しくて、慰めに、御絵どものあまた散りたるを見たまへば、をかしげなる 女絵どもの、恋する男の住まひなど描きまぜ、山里のをかしき家居など、 心々に世のありさま描きたるを、よそへらるること多くて、御目とまりたまへば、すこし聞こえたまひて、「 かしこへたてまつらむ」と思す。
 などと、まっさきにお思い出しになると、ますます恋しくて、気紛らわしに、御絵類がたくさん散らかっているのを御覧になると、おもしろい女絵の類で、恋する男の住まいなどが描いてあって、山里の風流な家などや、さまざまな恋する男女の姿を描いてあるのが、わが身につまされることが多くて、お目が止まりなさるので、少しお願い申し上げなさって、「あちらへ差し上げたい」とお思いになる。
と、姉君のお姿からも中の君が聯想れんそうされて、恋しくてならず思召す心の慰めに、そこに置かれてあったたくさんな絵を見ておいでになると、美しい彩色絵の中に、恋する男の住居すまいなどを描いたのがあって、いろいろな姿の山里の風景も添っていた。恋人の宇治の山荘の景色けしきに似たものへお目がとまって、姫君の御了解を得てこの絵は中の君へ送ってやりたいと宮はお思いになった。   nado, madu omohi iduru ni, itodo kohisiku te, nagusame ni, ohom-we-domo no amata tiri taru wo mi tamahe ba, wokasige naru womna-we-domo no, kohi suru wotoko no sumahi nado kakimaze, yamazato no wokasiki ihewi nado, kokorogokoro ni yo no arisama kaki taru wo, yosohe raruru koto ohoku te, ohom-me tomari tamahe ba, sukosi kikoye tamahi te, "Kasiko he tatematura m." to obosu.
5.6.5   在五が物語を描きて、妹に琴教へたる所の、「 人の結ばむ」と言ひたるを 見て、 いかが思すらむ、すこし近く参り寄りたまひて、
 在五中将の物語を絵に描いて、妹に琴を教えているところの、「人の結ばむ」と詠みかけているのを見て、どのようにお思いになったのであろうか、少し近くにお寄りなさって、
伊勢いせ物語を描いた絵もあって、妹に琴を教えていて、「うら若みねよげに見ゆる若草を人の結ばんことをしぞ思ふ」と業平なりひらが言っている絵をどんなふうに御覧になるかと、お心を引く気におなりになり、少し近くへお寄りになって、
  Zaigo-ga-monogatari wo kaki te, imouto ni kin wosihe taru tokoro no, "Hito no musuba m." to ihi taru wo mi te, ikaga obosu ram, sukosi tikaku mawiri yori tamahi te,
5.6.6  「 いにしへの人もさるべきほどは、隔てなくこそならはしてはべりけれ。いと疎々しくのみ もてなさせたまふこそ
 「昔の人も、こういう間柄では、隔てなくしているものでございます。たいそうよそよそしくばかりおあしらいになるのがたまりません」
「昔の人も同胞きょうだいは隔てなく暮らしたものですよ。あなたは物足らないお扱いばかりをなさいますが」
  "Inisihe no hito mo, sarubeki hodo ha, hedate naku koso narahasi te haberi kere. Ito utoutosiku nomi motenasa se tamahu koso."
5.6.7  と、忍びて聞こえたまへば、「 いかなる絵にか」と思すに、 おし巻き寄せて、御前にさし入れたまへるを、うつぶして御覧ずる御髪のうちなびきて、 こぼれ出でたるかたそばばかりほのかに見たてまつりたまへる飽かずめでたく、「 すこしももの隔てたる人と思ひきこえましかば」と思すに、忍びがたくて、
 と、こっそりと申し上げなさると、「どのような絵であろうか」とお思いになると、巻き寄せて、御前に差し入れなさったのを、うつ伏して御覧になる御髪がうねうねと流れて、几帳の端からこぼれ出ている一部分を、わずかに拝見なさるのが、どこまでも素晴らしく、「少しでも血の遠い人とお思い申せるのであったら」とお思いになると、堪えがたくて、
 とお言いになったのを、姫宮はどんな絵のことかと思召すふうであったから、兵部卿の宮はそれを巻いて几帳きちょうの下から中へお押しやりになった。下向きになってその絵を御覧になる一品いっぽんみやのおぐしが、なびいて外へもこぼれ出た片端に面影を想像して、この美しい人が兄弟でなかったならという心持ちに匂宮におうみやはなっておいでになった。おさえがたいそうした気分から、
  to, sinobi te kikoye tamahe ba, "Ikanaru we ni ka." to obosu ni, osi-maki yose te, omahe ni sasi-ire tamahe ru wo, utubusi te goranzuru migusi no uti-nabiki te, kobore ide taru katasoba bakari, honokani mi tatematuri tamaheru, aka zu medetaku, "Sukosi mo mono hedate taru hito to omohi kikoye masika ba." to obosu ni, sinobi gataku te,
5.6.8  「 若草のね見むものとは思はねど
   むすぼほれたる心地こそすれ
 「若草のように美しいあなたと共寝をしてみようとは思いませんが
  悩ましく晴れ晴れしない気がします
 「若草のねみんものとは思はねど
  結ぼほれたるここちこそすれ」
    "Wakakusa no ne mi m mono to ha omoha ne do
    musubohore taru kokoti koso sure
5.6.9   御前なる人びとは、この宮をばことに恥ぢきこえて、もののうしろに隠れたり。「 ことしもこそあれ、うたてあやし」と思せば、 ものものたまはずことわりにて、「 うらなくものを」と言ひたる姫君も、されて 憎く思さる
 御前に伺候している女房たちは、この宮を特に恥ずかしくお思い申し上げて、物の背後に隠れていた。「こともあろうに嫌な変なことを」とお思いになって、何ともお返事なさらない。もっともなことで、「考えもなく口を」と言った姫君もふざけて憎らしく思われなさる。
 こんなことを申された。姫宮に侍している女房たちは匂宮の前へ出るのをことに恥じて皆何かの後ろへはいって隠れているのである。ことにもよるではないか、不快なことを言うものであると思召す姫宮は、何もお言いにならないのであった。この理由から「うらなく物の思はるるかな」と答えた妹の姫も蓮葉はすはな気があそばされて好感をお持ちになることができなかった。   Omahe naru hitobito ha, kono Miya wo ba kotoni hadi kikoye te, mono no usiro ni kakure tari. "Koto simo koso are, utate ayasi." to obose ba, mono mo notamaha zu. Kotowari nite, "Uranaku mono wo." to ihi taru Hime-Gimi mo, sare te nikuku obosa ru.
5.6.10  紫の上の、取り分きて この二所をばならはしきこえたまひしかば、あまたの御中に、隔てなく思ひ交はしきこえたまへり。世になくかしづききこえたまひて、さぶらふ人びとも、かたほにすこし飽かぬところあるは、はしたなげなり。やむごとなき人の御女などもいと多かり。
 紫の上が、特にこのお二方を仲よくお育て申されたので、大勢のご姉弟の中で、隔て心なく親しくお思い申し上げていらっしゃった。又とないほど大切にお育て申し上げなさって、伺候する女房たちも、どこか少しでも欠点がある人は、恥ずかしそうである。高貴な人の娘などもとても多かった。
六条院の紫夫人が宮たちの中で特にこのお二人を手もとでおいつくしみしたのであったから、最も親しいものにして双方で愛しておいでになった。姫宮を中宮は非常にお大事にあそばして、よきが上にもよくおかしずきになるならわしから、侍女なども精選して付けておありになった。少しの欠点でもある女房は恥ずかしくてお仕えができにくいのである。貴族の令嬢が多く女房になっていた。   Murasaki-no-Uhe no, toriwaki te kono hutatokoro wo ba narahasi kikoye tamahi sika ba, amata no ohom-naka ni, hedate naku omohi-kahasi kikoye tamahe ri. Yo ni naku kasiduki kikoye tamahi te, saburahu hitobito mo, kataho ni sukosi aka nu tokoro aru ha, hasitanage nari. Yamgotonaki hito no ohom-musume nado mo ito ohokari.
5.6.11   御心の移ろひやすきはめづらしき人びとに、はかなく語らひつきなどしたまひつつ、 かのわたりを思し忘るる折なきものから、訪れたまはで日ごろ経ぬ。
 お心の移りやすい方は、新参の女房に、ちょっと物を言いかけなどなさっては、あの山里辺りをお忘れになる時もない一方で、お訪ねなさることもなく数日がたった。
移りやすい心の兵部卿ひょうぶきょうの宮は、そうした中に物新しい感じのされる人を情人にお持ちになりなどして、宇治の人をお忘れになるのではないながらも、いに行こうとはされずに日がたった。
  Mi-kokoro no uturohi yasuki ha, medurasiki hitobito ni, hakanaku katarahituki nado si tamahi tutu, kano watari wo obosi wasururu wori naki monokara, otodure tamaha de higoro he nu.
注釈866時雨いたくして先の宇治遊覧は「十月朔日ころ」とあった。5.6.1
注釈867女一の宮の御方に参りたまひつれば大島本は「給つれハ」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「たまへれば」と校訂する。『新大系』は底本のままとする。主語は匂宮。「女一宮」は同腹の姉。5.6.1
注釈868御絵など大島本は「御ゑなむと」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「御絵など」と校訂する。『新大系』は底本のまま「御絵なむど」とする。5.6.1
注釈869御几帳ばかり隔てて同腹の姉女一宮と弟匂宮の間に。5.6.2
注釈870またこの御ありさまに以下「劣りきこゆまじきぞかし」まで、匂宮の心中。敬語表現が混在し地の文と融合した叙述。5.6.3
注釈871世にありなむや反語表現。5.6.3
注釈872冷泉院の姫宮冷泉院の女一宮。弘徽殿女御腹。5.6.3
注釈873思しわたるに「思す」という敬語表現が混じる。5.6.3
注釈874かの山里人は宇治中君。5.6.3
注釈875女絵ども女性の愛玩する絵。男女の恋物語を主題にした大和絵。5.6.4
注釈876心々に世のありさま描きたる『完訳』は「さまざまな恋をする男女の姿を」と注す。5.6.4
注釈877かしこへ宇治の中君のもとへ。5.6.4
注釈878在五が物語を描きて大島本は「さい五かものかたりを」とある。『完本』は諸本に従って『在五が物語』と「を」を削除する。『集成』『新大系』は底本のままとする。在五の物語を絵にして。『伊勢物語』第四十九段の内容。5.6.5
注釈879人の結ばむと言ひたるを「うら若み寝よげに見ゆる若草を人の結ばむことをしぞ思ふ」という『伊勢物語』四十九段中の男の歌。5.6.5
注釈880いかが思すらむ挿入句。語り手の匂宮の心中を忖度した表現。5.6.5
注釈881いにしへの人も以下「もてなさせたまふこそ」まで、匂宮の詞。5.6.6
注釈882さるべきほどは姉弟の間柄では、の意。5.6.6
注釈883もてなさせたまふこそ「こそ」の下に「つらけれ」などの語句が省略されている。5.6.6
注釈884いかなる絵にか女一宮の心中。5.6.7
注釈885おし巻き寄せて匂宮が絵を手もとに巻き寄せて。絵巻の形態。5.6.7
注釈886こぼれ出でたるかたそばばかり几帳の端からこぼれ出ているわずかばかりの髪を。5.6.7
注釈887ほのかに見たてまつりたまへる大島本は「給る」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「たまふが」と校訂する。『新大系』は底本のまま「給(たまへ)る」とする。5.6.7
注釈888飽かずめでたく以下「思ひきこえましかば」まで、匂宮の心中。初めの方は地の文的、次第に心中文となる。反実仮想の構文。5.6.7
注釈889すこしももの隔てたる人少しでも血の繋がりの遠い人、の意。5.6.7
注釈890若草のね見むものとは思はねど--むすぼほれたる心地こそすれ匂宮から実の姉女一宮への贈歌。「若草」「根(寝)見む」は『伊勢物語』の作中歌を踏まえた表現。『完訳』は「姉弟だから共寝をとは思わぬが、悩ましく晴れやらぬ心地だと訴える。好色心躍如たる歌」と注す。5.6.8
注釈891御前なる人びとは大島本は「御まへなる」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「御まへなりつる」と校訂する。『新大系』は底本のままとする。5.6.9
注釈892ことしもこそあれうたてあやし女一宮の心中。5.6.9
注釈893ものものたまはず返歌をなさらない。5.6.9
注釈894ことわりにて--憎く思さる匂宮の思い。『源氏釈』は「初草のなどめづらしき言の葉ぞうらなくものを思ひけるかな」(伊勢物語)を指摘。5.6.9
注釈895うらなくものをと言ひたる姫君もされて『伊勢物語』の姫君をさす。5.6.9
注釈896この二所をば女一宮と匂宮。5.6.10
注釈897御心の移ろひやすきは匂宮の好色心をいう。花鳥余情「世の中の人の心は花ぞめの移ろひやすき色にぞありける」(古今集恋五、七九五、読人しらず)。5.6.11
注釈898めづらしき人びとに『集成』は「新参の女房たちに」。『完訳』は「そうした中のこれはと目に立つ女房と」と注す。5.6.11
注釈899かのわたりを宇治中君をさす。5.6.11
出典48 人の結ばむ うら若みねよげに見ゆる若草を人の結ばむことをしぞ思ふ 伊勢物語-九〇 5.6.5
出典49 若草のね見むものとは うら若みねよげに見ゆる若草を人の結ばむことをしぞ思ふ 伊勢物語-九〇 5.6.8
出典50 うらなくものを 初草のなど珍しき言の葉ぞうらなく人を思ひけるかな 伊勢物語-九一 5.6.9
校訂32 など など--*なむと 5.6.1
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渋谷栄一校訂(C)
Last updated 4/21/2011(ver.2-2)
渋谷栄一注釈(C)
Last updated 3/28/2002
渋谷栄一訳(C)(ver.1-2-2)
現代語訳
与謝野晶子
電子化
上田英代(古典総合研究所)
底本
角川文庫 全訳源氏物語
校正・
ルビ復活
kompass(青空文庫)

2004年5月3日

渋谷栄一訳
との突合せ
宮脇文経

2004年9月21日

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Written in Japanese roman letters
by Eiichi Shibuya(C)
Picture "Eiri Genji Monogatari"(1650 1st edition)
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