第五十一帖 浮舟


51 UKIHUNE (Meiyu-rinmo-bon)


薫君の大納言時代
二十六歳十二月から二十七歳の春雨の降り続く三月頃までの物語



Tale of Kaoru's Dainagon era, from December at the age of 26 to rainy days in March at the age of 27

4
第四章 浮舟と匂宮の物語 匂宮と浮舟、橘の小島の和歌を詠み交す


4  Tale of Ukifune and Niou-no-miya  Niou-no-miya and Ukifune compose and exchange waka on Tachibana-island

4.1
第一段 二月十日、宮中の詩会催される


4-1  A meeting to compse Chinese-poet is hold at February 10

4.1.1  如月の十日のほどに、内裏に文作らせたまふとて、この宮も大将も参りあひたまへり。折に合ひたる物の調べどもに、宮の御声はいとめでたくて、「梅が枝」など謡ひたまふ。 何ごとも人よりはこよなうまさりたまへる御さまにて、 すずろなること思し焦らるるのみなむ、罪深かりける
 二月の十日ころに、内裏で作文会を開催あそばすということで、この宮も大将も参内なさった。季節に適った楽器の響きに、宮のお声は実に素晴らしく、「梅が枝」などを謡いなさる。何事も誰よりもこの上なく上手でいらっしゃるご様子で、つまらないことに熱中なさることだけが、罪深いことであった。
 二月の十日に宮中で詩会があって、兵部卿ひょうぶきょうの宮もお出になり、右大将もまいった。この季節によくかなった音楽の感じは皆よくて、兵部卿の宮の御美声は人に深い感銘をお与えになるものであって、曲は梅が枝を歌われたのである。何事にも天才を持っておいでになる方であったが、よこしまな恋に心を打ち込んでおいでになるだけは罪の深いことである。
  Kisaragi no towoka no hodo ni, uti ni humi tukura se tamahu tote, kono Miya mo Daisyau mo mawiri ahi tamahe ri. Wori ni ahi taru mono no sirabe-domo ni, Miya no ohom-kowe ha ito medetaku te, mumegae nado utahi tamahu. Nanigoto mo hito yori ha koyonau masari tamahe ru ohom-sama nite, suzuro naru koto obosiira ruru nomi nam, tumi hukakari keru.
4.1.2  雪にはかに降り乱れ、風など烈しければ、御遊びとくやみぬ。この宮の御宿直所に、人びと参りたまふ。もの参りなどして、うち休みたまへり。
 雪が急に降り乱れ、風などが烈しく吹いたので、御遊会は早く終わりになった。この宮の御宿直部屋に、人びとがお集まりになる。食事を召し上がったりして、休んでいらっしゃった。
 にわかに雪が大降りになって、風もはげしく出てきたので、音楽遊びは予定より早く終わりを告げた。兵部卿の宮の宿直所とのいどころに今日の参会者たちは集まって行き夜の食事をいただいたりしていた。
  Yuki nihakani huri midare, kaze nado hagesikere ba, ohom-asobi toku yami nu. Kono Miya no ohom-tonowidokoro ni, hitobito mawiri tamahu. Mono mawiri nado si te, uti-yasumi tamahe ri.
4.1.3  大将、人にもののたまはむとて、すこし端近く出でたまへるに、雪のやうやう積もるが、星の光におぼおぼしきを、「 闇はあやなし」と おぼゆる匂ひありさまにて、
 大将、誰かに何かおっしゃろうとして、少し端近くにお出になったが、雪がだんだんと降り積もったのが、星の光ではっきりとしないので、「闇はわけが分からない」と思われる匂いや姿で、
 右大将は部下の者か何かに命じることがあって少し縁側に近い所へ出ていたが、やや深く積もった雪が星の光にほのめいている夜であって「春の夜のやみはあやなし梅の花色こそ見えねやはかくるる」かおるの身からこんな気が放たれるような時
  Daisyau, hito ni mono notamaha m tote, sukosi hasi tikaku ide tamahe ru ni, yuki no yauyau tumoru ga, hosi no hikari ni oboobosiki wo, "Yami ha ayanasi" to oboyuru nihohi arisama nite,
4.1.4  「 衣片敷き今宵もや
 「小さい筵に衣を独り敷いて今夜も宇治の姫君はで待っていることだろう」
 「衣かたしきこよひもや」(われを待つらん宇治の橋姫)
  "Koromo katasiki koyohi mo ya"
4.1.5  と、うち誦じたまへるも、 はかなきことを口ずさびにのたまへるも、あやしくあはれなるけしき添へる人ざまにて、いともの深げなり。
 と、ふと口ずさみなさったのも、ちょっとしたことを口ずさんだのだが、妙にしみじみとした情感をそそる人柄なので、たいそう奥ゆかしく見える。
 と口ずさんでいるのがしめやかな世界へ人を誘う力があった。
  to, uti-zuzi tamahe ru mo, hakanaki koto wo kutizusabi ni notamahe ru mo, ayasiku ahare naru kesiki sohe ru hitozama nite, ito mono-hukage nari.
4.1.6   言しもこそあれ、宮は寝たるやうにて、御心騒ぐ。
 他に歌はいくらでもあろうに、宮は寝入っていたようだが、お心が騒ぐ。
 宇治の橋姫を言っているではないかと、さっきから転寝うたたねをしておいでになった宮のお心は騒いだ。
  Koto simo koso are, Miya ha ne taru yau nite, mi-kokoro sawagu.
4.1.7  「 おろかには思はぬなめりかし片敷く袖を、我のみ思ひやる心地しつるを、同じ心なるもあはれなり。侘しくもあるかな。 かばかりなる本つ人をおきて、我が方にまさる思ひは、いかでつくべきぞ」
 「いい加減には思っていないようだ。独り寂しくいるだろうと、わたしだけが思いやっていると思ったのに、同じ気持ちでいるとは憎らしい。やるせない話だ。あれほどの元からの人をおいて、自分の方にいっそうの愛情を、どうして向けることができようか」
 深く愛していないことはないらしい、橋姫の一人臥ひとりねそでを自分だけの思いやるものとしていたが、
  "Orokani ha omoha nu na' meri kasi. Katasiku sode wo, ware nomi omohiyaru kokoti si turu wo, onazi kokoro naru mo ahare nari. Wabisiku mo aru kana! Kabakari naru mototuhito wo oki te, waga kata ni masaru omohi ha, ikade tuku beki zo."
4.1.8  とねたう思さる。
 と悔しく思わずにはいらっしゃれない。
 同じ思いを運ぶ人もあるのかと身にんでお思いになった。
  to netau obosa ru.
4.1.9  明朝、雪のいと高う積もりたるに、 文たてまつりたまはむとて、御前に参りたまへる御容貌、このころいみじく盛りにきよげなり。 かの君も同じほどにて、今二つ、三つまさるけぢめにや、すこしねびまさるけしき用意などぞ、ことさらにも作りたらむ、あてなる男の本にしつべくものしたまふ。「帝の御婿にて飽かぬことなし」とぞ、世人もことわりける。 才なども、おほやけおほやけしき方も、後れずぞおはすべき
 早朝、雪が深く積もったので、詩文を献上しようとして、御前に参上なさったご器量は、最近特に男盛りで美しそうに見える。あの君も同じくらいの年齢で、もう二、三歳年長の違いからか、少し老成した態度や心配りなどは、特別に作り出したような、上品な男の手本のようでいらっしゃる。「帝の婿君として不足がない」と、世間の人も判断している。詩文の才能なども、政治向きの才能も、誰にも負けないでいらっしゃったのだろう。
 わびしいことである、これほどりっぱな男を持っている女が、自分のほうへ多く好意をもってくれようとは信じられないと、ねたましくもまた思召おぼしめされた。雪が高く積もったこの翌朝、御前へ創作の詩を御持参になる宮のお姿は、今が美しい真盛りの方と見えた。右大将も同じ年ごろであった。二つ三つ上ではないかと思われるところにまたまったいような美があって、わざと作り出した若い貴人の手本かとも思われる。みかどの御婿としてこれほどふさわしい人はないと世人も大将のことを言っていた。学才も高く、政治家としての素養に欠けたところもない人であった。
  Tutomete, yuki no ito takau tumori taru ni, humi tatematuri tamaha m tote, omahe ni mawiri tamahe ru ohom-katati, konokoro imiziku sakari ni kiyoge nari. Kano Kimi mo onazi hodo nite, ima hutatu, mitu masaru kedime ni ya, sukosi nebi masaru kesiki youi nado zo, kotosarani mo tukuri tara m, ate naru wotoko no hon ni situ beku monosi tamahu. "Mikado no ohom-muko nite aka nu koto nasi." to zo, yohito mo kotowari keru. Zae nado mo, ohoyakeohoyakesiki kata mo, okure zu zo ohasu beki.
4.1.10  文講じ果てて、皆人まかでたまふ。宮の御文を、「すぐれたり」と誦じののしれど、 何とも聞き入れたまはず、「 いかなる心地にて、かかることをもし出づらむ」と、そらにのみ思ほしほれたり。
 詩文の披講がすっかり終わって、参会者皆が退出なさる。宮の詩文を「優れていた」と朗誦して誉めるが、何ともお感じにならず、「どのような気持ちで、こんなことをしているのか」と、ぼんやりとばかりしていらっしゃった。
 各人の詩がどれも講じられ参会者は皆退散した。兵部卿の宮の詩が、ことに傑作であったと人々の賞讃しょうさんするのも宮にはうれしいことともお思われにならない。詩作などがどんな気でできたのであろうとぼんやりしておいでになるのである。
  Humi kauzi hate te, minahito makade tamahu. Miya no ohom-humi wo, "Sugure tari." to zuzi nonosire do, nani to mo kikiire tamaha zu, "Ikanaru kokoti nite, kakaru koto wo mo si idu ram?" to, sora ni nomi omohosi hore tari.
注釈388何ごとも以下、『一葉抄』は「草子詞也」と指摘。『評釈』は「何もかもすぐれている宮、と、改めて作者はほめる。それでいて女のことで乱れるのが困りもの、と。--このところ余りひどすぎる宮さまのおんふるまいと、読者が思うであろう。それを、さきまわりして弁解しておくのである」と注す。4.1.1
注釈389すずろなること思し焦らるるのみなむ罪深かりける『完訳』は「語り手の評」と注す。4.1.1
注釈390闇はあやなしと明融臨模本、朱合点、付箋「春のよのやみはあやなし梅のはな色こそみえね香やはかくるる」(古今集春上、四一、凡河内躬恒)を指摘。4.1.3
注釈391衣片敷き今宵もやと『源氏釈』、明融臨模本、朱合点、付箋「さむしろに衣かたしき今夜もやわれを待らんうちの橋姫」(古今集恋四、六八九、読人しらず)を指摘。4.1.4
注釈392はかなきことを『集成』は「漢詩に対して、和歌を「はかなきこと」という」と注す。4.1.5
注釈393言しもこそあれ『全集』は「語り手の短評」と注す。4.1.6
注釈394おろかには思はぬなめりかし以下「いかでつくべきぞ」まで、匂宮の心中の思い。「おろかには思はぬ」の主語は薫。4.1.7
注釈395片敷く袖を「古今集」歌の歌語。独り寝の寂しい気持ち。4.1.7
注釈396かばかりなる本つ人をおきて薫をさす。4.1.7
注釈397文たてまつりたまはむとて昨夜賜った詩題について作った漢詩。帝の御前に献上する。4.1.9
注釈398かの君も同じほどにて今二つ三つまさるけぢめ『集成』は「実は、薫は匂宮より年下のはず。匂宮誕生は、源氏四十七歳以前。薫は、源氏四十八歳の時の子である。老成した薫の人物像を強調しようとしてわざとこうしたのであろう」。『完訳』は「薫の老成のイメージを強調するために不用意に誤ったか」と注す。4.1.9
注釈399才などもおほやけおほやけしき方も後れずぞおはすべき『集成』は「女の語り手らしい語尾」と注す。4.1.9
注釈400何とも聞き入れたまはず詩文のことは念頭になく、浮舟のことばかりを思っている。4.1.10
注釈401いかなる心地にてかかることをもし出づらむ匂宮の心中。4.1.10
出典9 闇はあやなし 春の夜の闇はあやなし梅の花色こそ見えね香やは隠るる 古今集春上-四一 凡河内躬恒 4.1.3
出典10 衣片敷き今宵もや さむしろに衣片敷き今宵もや我を待つらむ宇治の橋姫 古今集恋四-六八九 読人しらず 4.1.4
4.2
第二段 匂宮、雪の山道の宇治へ行く


4-2  Niou-no-miya goes to Uji in spite of the snow

4.2.1   かの人の御けしきにも、いとど驚かれたまひければ、あさましうたばかりておはしましたり。 京には、友待つばかり消え残りたる雪 、山深く入るままに、やや降り埋みたり。
 あの方のご様子からも、ますますはっとなさったので、無理な算段をしてお出かけになった。京では、わずかばかり消え残っている雪が、山深く入って行くにつれて、だんだんと深く積もって道を埋めていた。
 薫に宇治の人を思うふうの見えたことで驚かされたようにも思っておいでになるのであったから、無理な策をあそばして宇治へお出かけになることになった。京の中ではあとから来る仲間を待っているほどに消え残った雪も、山路に深くおはいりになるにしたがって厚く積もっているのに気がおつきになった。
  Kano hito no mi-kesiki ni mo, itodo odoroka re tamahi kere ba, asamasiu tabakari te ohasimasi tari. Kyau ni ha, tomo matu bakari kiye nokori taru yuki, yama hukaku iru mama ni, yaya huri udumi tari.
4.2.2  常よりもわりなき まれの細道を分けたまふほど、御供の人も、泣きぬばかり恐ろしう、わづらはしきことをさへ思ふ。しるべの内記は、式部少輔なむ掛けたりける。 いづ方もいづ方もことことしかるべき官ながら、 いとつきづきしく、引き上げなどしたる姿もをかしかりけり
 いつもよりひどい人影も稀な細道を分け入って行きなさるとき、お供の人も、泣き出したいほど恐ろしく、厄介なことが起こる場合まで心配する。案内役の大内記は、式部少輔を兼官していた。どちらの官も重々しくしていなければならない官職であるが、とても似合わしく指貫の裾を引き上げたりしている姿はおかしかった。
 平生以上に見わけがたい細路をおいでになるのであったから、供の人たちも泣き出さんばかりに恐ろしがっていて、山賊の出ることなどをあやぶんでいた。案内役の内記は式部少輔しょうゆうを兼任する官吏であった。二つともりゅうとした文事の役であるのが、しなれたようにはかまを高くくくり上げたりしてお付きして行くのもおかしかった。
  Tune yori mo warinaki mare no hosomiti wo wake tamahu hodo, ohom-tomo no hito mo, naki nu bakari osorosiu, wadurahasiki koto wo sahe omohu. Sirube no Naiki ha, Sikibu-no-Sehu nam kake tari keru. Idukata mo idukata mo, kotokotosikaru beki tukasa nagara, ito tukidukisiku, hikiage nado si taru sugata mo wokasikari keri.
4.2.3  かしこには、おはせむとありつれど、「かかる雪には」とうちとけたるに、夜更けて右近に消息したり。「あさましう、あはれ」と、 君も思へり。右近は、「いかになり果てたまふべき御ありさまにか」と、かつは苦しけれど、 今宵はつつましさも忘れぬべし。言ひ返さむ方もなければ、 同じやうに睦ましくおぼいたる若き人の、心ざまも奥なからぬを語らひて、
 あちらでは、いらっしゃるという知らせはあったが、「このような雪ではまさか」と気を許していたところに、夜が更けてから右近に到着の旨を伝えた。「驚いたわ、まあ」と、女君までが感動した。右近は、「どのようにしまいにはおなりになるお身の上であろうか」と、一方では心配だが、今夜は人目を憚る気持ちも忘れてしまいそうだ。お断りするすべもないので、同じように親しくお思いになっている若い女房で、思慮も浅くない者と相談して、
 山荘では宮のほうから出向くからというおしらせを受けていたが、こうした深い雪にそれは御実行あそばせないことと思って気を許していると、夜がふけてから、右近を呼び出して従者が宮のおいでになったことを伝えた。うれしいお志であると姫君は感激を覚えていた。右近はこんなことが続出して、行く末はどうおなりになるかと姫君のために苦しくも思うのであるが、こうした夜によくもと思う心はこの人にもあった。お断わりのしようもないとして、自身と同じように姫君からむつまじく思われている若い女房で、少し頭のよい人を一人相談相手にしようとした。
  Kasiko ni ha, ohase m to ari ture do, "Kakaru yuki ni ha." to utitoke taru ni, yohuke te Ukon ni seusoko si tari. "Asamasiu, ahare!" to, Kimi mo omohe ri. Ukon ha, "Ikani nari hate tamahu beki ohom-arisama ni ka?" to, katuha kurusikere do, koyohi ha tutumasisa mo wasure nu besi. Ihi-kahesa m kata mo nakere ba, onazi yau ni mutumasiku oboyi taru wakaki hito no, kokorozama mo aunakara nu wo katarahi te,
4.2.4  「 いみじくわりなきこと。同じ心に、もて隠したまへ」
 「大変に困りましたこと。同じ気持ちで、秘密にしてください」
 「少しめんどうな問題なのですが、その秘密を私といっしょに姫君のために隠すことに骨を折ってくださいな」
  "Imiziku warinaki koto. Onazi kokoro ni, mote-kakusi tamahe."
4.2.5  と言ひてけり。 もろともに入れたてまつる。道のほどに濡れたまへる香の、所狭う匂ふも、もてわづらひぬべけれど、 かの人の御けはひに似せてなむ、もて紛らはしける。
 と言ったのであった。一緒になってお入れ申し上げる。道中で雪にお濡れになった薫物の香りが、あたりせましと匂うのも、困ってしまいそうだが、あの方のご様子に似せて、ごまかしたのであった。
 と言ったのであった。そして二人で宮を姫君の所へ御案内した。途中で濡れておいでになった宮のお衣服から立つ高いにおいに困るわけであったが、大将のにおいのように紛らわせた。
  to ihi te keri. Morotomoni ire tatematuru. Miti no hodo ni nure tamahe ru kano, tokoroseu nihohu mo, mote-wadurahi nu bekere do, kano hito no ohom-kehahi ni nise te nam, mote magirahasi keru.
注釈402かの人の御けしきにも薫。4.2.1
注釈403京には友待つばかり消え残りたる雪『全集』は「白雪の色わきがたき梅が枝に友待つ雪ぞ消え残りたる」(家持集)。『集成』は「梅の花咲くとも知らずみ吉野の山に友待つ雪の見ゆるらむ」(貫之集)を指摘。4.2.1
注釈404いづ方もいづ方も本官の大内記も兼官の式部少輔も。4.2.2
注釈405いとつきづきしく引き上げなどしたる姿もをかしかりけり『完訳』は「不似合いな恋の案内訳を、逆説的に似合いと評して皮肉った。学者のかいがいしく仕える滑稽さ」と注す。4.2.2
注釈406君も思へり浮舟。係助詞「も」は、右近はもとより浮舟も、というニュアンス。4.2.3
注釈407今宵はつつましさも忘れぬべし『湖月抄』は「地」と指摘。『完訳』は「語り手の推測による」と注す。4.2.3
注釈408同じやうに睦ましくおぼいたる若き人浮舟が右近同様に親しく思っている若い女房。敬語「思す」とあるので、主語は浮舟。4.2.3
注釈409いみじく以下「もて隠したまへ」まで、右近の詞。4.2.4
注釈410かの人の御けはひに薫。4.2.5
出典11 友待つばかり消え残りたる雪 白雪の色分きがたき梅が枝に友待つ雪ぞ消え残りたる 家持集-二八四 4.2.1
出典12 まれの細道 冬ごもり人も通はぬ山里のまれの細道ふたぐ雪かな 賀茂保憲女-一二三 4.2.2
校訂11 ことことしかるべき ことことしかるべき--こと/\しか(か/+る)へき 4.2.2
校訂12 もろともに もろともに--もろとと(と<前出>/$)もに 4.2.5
4.3
第三段 宮と浮舟、橘の小島の和歌を詠み交す


4-3  Niou-no-miya and Ukifune compose and exchange waka on Tachibana-island

4.3.1  夜のほどにて立ち帰りたまはむも、なかなかなべければ、ここの人目もいとつつましさに、時方にたばからせたまひて、「川より遠方なる人の家に率ておはせむ」と構へたりければ、先立てて遣はしたりける、夜更くるほどに参れり。
 夜のうちにお帰りになるのも、かえって来なかったほうがましなくらいだから、こちらの人目もとても憚れるので、時方に計略をめぐらせなさって、「川向こうの人の家に連れて行こう」と考えていたので、先立って遣わしておいたのが、夜の更けるころに参上した。
 夜のうちにお帰りになることは、逢いえぬ悲しさに別れの苦しさを加えるだけのものになるであろうからと思召した宮は、この家にとどまっておいでになる窮屈さもまたおつらくて、時方ときかたに計らわせて、川向いのある家へ恋人を伴って行く用意をさせるために先へそのほうへおやりになった内記が夜ふけになってから山荘へ来た。
  Yo no hodo nite tati-kaheri tamaha m mo, nakanaka na' bekere ba, koko no hitome mo ito tutumasisa ni, Tokikata ni tabakara se tamahi te, "Kaha yori woti naru hito no ihe ni wi te ohase m." to kamahe tari kere ba, sakidate te tukahasi tari keru, yo hukuru hodo ni mawire ri.
4.3.2  「 いとよく用意してさぶらふ
 「とてもよく準備してございます」
 「すべて整いましてございます」
  "Ito yoku youi si te saburahu."
4.3.3   と申さす。「 こは、いかにしたまふことにか」と、右近もいと心あわたたしければ、寝おびれて起きたる心地も、わななかれて、あやし。童べの雪遊びしたるけはひのやうにぞ、震ひ上がりにける。
 と申し上げさせる。「これは、どうなさることか」と、右近もとても気がそぞろなので、寝惚けて起きている気持ちも、ぶるぶると震えて、正体もない。子供が雪遊びをしている時のように、震え上がってしまった。
 と時方は取り次がせた。にわかに何事を起こそうとあそばすのであろうと右近の心は騒いで、不意に眠りからさまされたのでもあったから身体がふるえてならなかった。子供が雪遊びをしているようにわなわなとふるえていた。
  to mausa su. "Koha, ikani si tamahu koto ni ka?" to, Ukon mo ito kokoroawatatasikere ba, neobire te oki taru kokoti mo, wananaka re te, ayasi. Warahabe no yukiasobi si taru kehahi no yau ni zo, huruhi agari ni keru.
4.3.4  「いかでか」
 「どうしてそのようなことが」
 どうしてそんなことを
  "Ikadeka."
4.3.5  なども言ひあへさせたまはず、かき抱きて出でたまひぬ。 右近はこの後見にとまりて、侍従をぞたてまつる。
 などという余裕もお与えにならず、抱いてお出になった。右近はこちらの留守居役に残って、侍従をお供申させる。
 と異議をお言わせになるひまもお与えにならず宮は姫君を抱いて外へお出になった。右近はあとを繕うために残り、侍従に供をさせて出した。
  nado mo ihi ahe sase tamaha zu, kaki-idaki te ide tamahi nu. Ukon ha kono usiromi ni tomari te, Zizyuu wo zo tatematuru.
4.3.6  いとはかなげなるものと、明け暮れ見出だす小さき舟に乗りたまひて、さし渡りたまふほど、遥かならむ岸にしも漕ぎ離れたらむやうに心細くおぼえて、つとつきて抱かれたるも、 いとらうたしと思す
 実に頼りないものと、毎日眺めている小さい舟にお乗りになって、漕ぎ渡りなさるとき、遥か遠い岸に向かって漕ぎ離れて行ったような心細い気持ちがして、ぴたりとくっついて抱かれているのを、とてもいじらしいとお思いになる。
 はかないあぶなっかしいものであると山荘の人が毎日ながめていた小舟へ宮は姫君をお乗せになり、船が岸を離れた時にははるかにも知らぬ世界へ伴って行かれる気のした姫君は、心細さに堅くお胸へすがっているのも可憐に宮は思召された。
  Ito hakanage naru mono to, akekure miidasu tihisaki hune ni nori tamahi te, sasi-watari tamahu hodo, haruka nara m kisi ni simo kogi hanare tara m yau ni kokorobosoku oboye te, tuto tuki te idaka re taru mo, ito rautasi to obosu.
4.3.7   有明の月澄み昇りて、水の面も曇りなきに、
 有明の月が澄み上って、川面も澄んでいるところに、
 有明ありあけの月が澄んだ空にかかり、水面も曇りなく明るかった。
  Ariake no tuki sumi nobori te, midu no omote mo kumori naki ni,
4.3.8  「 これなむ、橘の小島
 「これが、橘の小島です」
 「これがたちばなの小嶋でございます」
  "Kore nam, Tatibana-no-kozima."
4.3.9  と申して、御舟しばしさしとどめたるを見たまへば、大きやかなる岩のさまして、 されたる常磐木の蔭茂れり
 と申して、お舟をしばらくお止めになったので御覧になると、大きな岩のような恰好をして、しゃれた常磐木が茂っていた。
 と言い、船のしばらくとどめられた所を御覧になると、大きい岩のような形に見えて常磐木ときわぎのおもしろい姿に繁茂した嶋が倒影もつくっていた。
  to mausi te, ohom-hune sibasi sasi-todome taru wo mi tamahe ba, ohokiyaka naru iha no sama site, sare taru tokihagi no kage sigere ri.
4.3.10  「 かれ見たまへ。いとはかなけれど、千年も経べき緑の深さを」
 「あれをご覧なさい。とても頼りなさそうですが、千年も生きるにちがいない緑の深さです」
 「あれを御覧なさい。川の中にあってはかなくは見えますが千年の命のある緑が深いではありませんか」
  "Kare mi tamahe. Ito hakanakere do, titose mo hu beki midori no hukasa wo."
4.3.11  とのたまひて、
 とおっしゃって、
 とお言いになり、
  to notamahi te,
4.3.12  「 年経とも変はらむものか橘の
   小島の崎に契る心は
 「何年たとうとも変わりません
  橘の小島の崎で約束するわたしの気持ちは
  年とも変はらんものか橘の
  小嶋のさきに契るこころは
    "Tosi hu tomo kahara m mono ka tatibana no
    kozima no saki ni tigiru kokoro ha
4.3.13  女も、めづらしからむ道のやうにおぼえて、
 女も、珍しい所へ来たように思われて、
 とお告げになった。女も珍しい楽しいみちのような気がして、
  Womna mo, medurasikara m miti no yau ni oboye te,
4.3.14  「 橘の小島の色は変はらじを
   この浮舟ぞ行方知られぬ
 「橘の小島の色は変わらないでも
  この浮舟のようなわたしの身はどこへ行くのやら
  橘の小嶋は色も変はらじを
  この浮舟ぞ行くへ知られぬ
    "Tatibana no kozima no iro ha kahara zi wo
    kono ukihune zo yukuhe sira re nu
4.3.15  折から、 人のさまに、をかしくのみ何事も思しなす。
 折柄、女も美しいので、ただもう素晴らしくお思いになる。
 こんなお返辞をした。月夜の美と恋人のえんな容姿が添って、宇治川にこんな趣があったかと宮は恍惚こうこつとしておいでになった。
  Wori kara, hito no sama ni, wokasiku nomi nanigoto mo obosi nasu.
4.3.16   かの岸にさし着きて降りたまふに、人に抱かせたまはむは、いと心苦しければ、抱きたまひて、助けられつつ入りたまふを、いと見苦しく、「 何人を、かくもて騷ぎたまふらむ」と 見たてまつる時方が叔父の因幡守なるが領ずる荘に、はかなう造りたる家なりけり
 あちらの岸に漕ぎ着いてお降りになるとき、供人に抱かせなさるのは、とてもつらいので、お抱きになって、助けられながらお入りになるのを、とても見苦しく、「どのような人を、こんなに大騒ぎなさっているのだろう」と拝見する。時方の叔父で因幡守である人が所領する荘園に、かりそめに建てた家なのであった。
 対岸に着いた時、船からお上がりになるのに、浮舟うきふねの姫君を人に抱かせることは心苦しくて、宮が御自身でおかかえになり、そしてまた人が横から宮のお身体からだをささえて行くのであった。見苦しいことをあそばすものである、何人なにびとをこれほどにも大騒ぎあそばすのであろうと従者たちはながめた。
 時方の叔父おじ因幡守いなばのかみをしている人の荘園の中に小さい別荘ができていて、それを宮はお用いになるのである。
  Kano kisi ni sasi-tuki te ori tamahu ni, hito ni idaka se tamaha m ha, ito kurusikere ba, idaki tamahi te, tasuke rare tutu iri tamahu wo, ito migurusiku, "Nanibito wo, kaku mote sawagi tamahu ram?" to mi tatematuru. Tokikata ga wodi no Inaba-no-Kami naru ga rauzuru sau ni, hakanau tukuri taru ihe nari keri.
4.3.17  まだいと粗々しきに、網代屏風など、御覧じも知らぬしつらひにて、風もことに障らず、垣のもとに雪むら消えつつ、今もかき曇りて降る。
 まだとても手入れが行き届いていず、網代屏風など、御覧になったこともない飾り付けで、風も十分に防ぎきれず、垣根のもとに雪がまだらに消え残っていて、今でも曇っては雪が降る。
 まだよく家の中の装飾などもととのっていず、網代屏風あじろびょうぶなどという宮はお目にもあそばしたことのないような荒々しい物が立ててある。風を特に防ぐ用をするとも思われない。かきのあたりにはむら消えの雪がたまり、今もまた空が曇ってきて小降りに降る雪もある。
  Mada ito araarasiki ni, azirobyaubu nado, goranzi mo sira nu siturahi nite, kaze mo kotoni sahara zu, kaki no moto ni yuki muragiye tutu, ima mo kaki-kumori te huru.
注釈411いとよく用意してさぶらふ時方の詞。4.3.2
注釈412と申さす時方が右近をして匂宮に。4.3.3
注釈413こはいかにしたまふことにか右近の心中。4.3.3
注釈414右近はこの後見にとまりて明融臨模本は「このうしろみにとまりて」とある。『完本』は諸本に従って「ここの後見にとどまりて」と校訂する。『集成』『新大系』は底本のまま「この後見にとまりて」とする。4.3.5
注釈415いとらうたしと思す匂宮の感想。4.3.6
注釈416有明の月澄み昇り『集成』は「陰暦二十日以後の月で、夜半に出る。これによれば、匂宮の宇治来訪は、宮中詩宴(二月十日頃)の十日ほど後となる」と注す。4.3.7
注釈417これなむ橘の小島船頭の詞。『河海抄』は「今もかも咲き匂ふらむ橘の小島の崎の山吹の花」(古今集春下、一二一、読人しらず)を指摘。4.3.8
注釈418されたる常磐木の蔭茂れり『岷江入楚』は「橘は実さへ花さへその葉さへ枝に霜置けまして常磐木」(出典未詳、万葉集に類歌あり)を指摘。4.3.9
注釈419かれ見たまへ以下「緑の深さを」まで、匂宮の詞。4.3.10
注釈420年経とも変はらむものか橘の--小島の崎に契る心は匂宮の浮舟への贈歌。4.3.12
注釈421橘の小島の色は変はらじを--この浮舟ぞ行方知られぬ浮舟の返歌。「橘の小島」「変はる」の語句を受けて返す。4.3.14
注釈422人のさまに『集成』は「女も美しいので」と注す。4.3.15
注釈423かの岸に対岸。4.3.16
注釈424何人を、かくもて騷ぎたまふらむ供人たちの感想。『集成』は「大したこともない山里の女なのに、という気持」と注す。4.3.16
注釈425見たてまつる主語は供人。4.3.16
注釈426時方が叔父の因幡守なるが領ずる荘に、はかなう造りたる家なりけり『岷江入楚』は「此家の注なり」と指摘。『集成』は「用意した家の説明」と注す。語り手の説明的叙述。4.3.16
出典13 橘の小島 今もかも咲き匂ふらむ橘の小島の崎の山吹の花 古今集春下-一二一 読人しらず 4.3.8
4.4
第四段 匂宮、浮舟に心奪われる


4-4  Niou-no-miya's mind is blind in love to Ukifune

4.4.1  日さし出でて、軒の垂氷の光りあひたるに、 人の御容貌もまさる心地す。宮も、所狭き道のほどに、軽らかなるべきほどの御衣どもなり。 女も、脱ぎすべさせたまひてしかば、細やかなる姿つき、いとをかしげなり。ひきつくろふこともなくうちとけたるさまを、「いと恥づかしく、 まばゆきまで きよらなる人にさしむかひたるよ」と思へど、紛れむ方もなし。
 日が差し出て、軒の氷柱が光り合っていて、宮のご容貌もいちだんと立派に見える気がする。宮も、人目を忍ぶやっかいな道中で、身軽なお召物である。女も、上着を脱がさせなさっていたので、ほっそりとした姿つきがたいそう魅力的である。身づくろいすることもなくうちとけている様子を、「とても恥ずかしく、眩しいほどに美しい方に向かい合っていることだわ」と思うが、隠れる所もない。
 そのうち日が雲から出て軒の垂氷つららの受ける朝の光とともに人の容貌ようぼうも皆ひときわ美しくなったように見えた。宮は人目をお避けになるために軽装のお狩衣姿であった。浮舟の姫君の着ていた上着は抱いておいでになる時お脱がせになったので、繊細きゃしゃな身体つきが見えて美しかった。自分は繕いようもないこんな姿で、高雅なまぶしいほどの人と向かい合っているのではないかと浮舟は思うのであるが、隠れようもなかった。
  Hi sasi-ide te, noki no taruhi no hikari ahi taru ni, hito no ohom-katati mo masaru kokoti su. Miya mo, tokoroseki miti no hodo ni, karuraka naru beki hodo no ohom-zo-domo nari. Womna mo, nugi sube sase tamahi te sika ba, hosoyaka naru sugatatuki, ito wokasige nari. Hiki-tukurohu koto mo naku utitoke taru sama wo, "Ito hadukasiku, mabayuki made kiyora naru hito ni sasi-mukahi taru yo." to omohe do, magire m kata mo nasi.
4.4.2   なつかしきほどなる白き限りを五つばかり、袖口、裾のほどまでなまめかしく、色々にあまた重ねたらむよりも、をかしう着なしたり。 常に見たまふ人とても、かくまでうちとけたる姿などは見ならひたまはぬを、かかるさへぞ、なほめづらかにをかしう思されける。
 やさしい感じの白い衣だけを五枚ほど、袖口、裾のあたりまで優美で、色とりどりにたくさん重ねたのよりも美しく着こなしていた。いつも御覧になっている方でも、こんなにまでうちとけている姿などは御覧になったことがないので、こんなことまでが、やはり珍しく興趣深く思われなさるのであった。
 少し着らした白い衣服を五枚ばかり重ねているだけであるが、袖口から裾のあたりまで全体が優美に見えた。いろいろな服を多く重ねた人よりも上手じょうずに着こなしていた。宮は御妻妾でもこれほど略装になっているのはお見馴れにならないことであったから、こんなことさえも感じよく美しいとばかりお思われになった。
  Natukasiki hodo naru siroki kagiri wo itutu bakari, sodeguti, suso no hodo made namamekasiku, iroiro ni amata kasane tara m yori mo, wokasiu ki nasi tari. Tuneni mi tamahu hito tote mo, kaku made utitoke taru sugata nado ha minarahi tamaha nu wo, kakaru sahe zo, naho medurakani wokasiu obosa re keru.
4.4.3  侍従も、いとめやすき若人なりけり。「 これさへ、かかるを残りなう見るよ 」と、女君は、いみじと思ふ。宮も、
 侍従も、大して悪くはない若い女房なのであった。「この人までが、このような姿をすっかり見ているわ」と、女君は、たまらなく思う。宮も、
 侍従もきれいな若女房であった。右近だけでなくこの人にまで自分の秘密を残りなく見られることになったのを浮舟は苦しく思った。宮も右近のほかのこの女房のことを、
  Zizyuu mo, ito meyasuki wakaudo nari keri. "Kore sahe, kakaru wo nokori nau miru yo." to, WomnaGimi ha, imizi to omohu. Miya mo,
4.4.4  「 これはまた誰そ。わが名漏らすなよ
 「この人は誰ですか。わたしの名前を漏らしてはなりませんよ」
 「何という名かね。自分のことを言うなよ」
  "Kore ha mata taso? Waga na morasu na yo."
4.4.5  と口がためたまふを、「 いとめでたし」と思ひきこえたり。ここの宿守にて住みける者、時方を主と思ひてかしづきありけば、このおはします遣戸を隔てて、所得顔に居たり。声ひきしじめ、かしこまりて 物語しをるをいらへもえせず、をかしと思ひけり
 と口がためなさるのを、「とても素晴らしい」と思い申し上げていた。ここの宿守として住んでいた者、時方を主人と思ってお世話してまわるので、このいらっしゃるところの遣戸を隔てて、得意顔をして座っている。声を緊張させて、恐縮して話しているのを、返事もできないで、おかしいと思うのであった。
 と仰せられた。侍従はこれを身に余る喜びとした。別荘もりの男から主人と思って大事がられるために、時方は宮のお座敷には遣戸やりど一重隔てたで得意にふるまっていた。声を縮めるようにしてかしこまって話す男に、時方は宮への御遠慮で返辞もよくすることができず心で滑稽こっけいのことだと思っていた。
  to kutigatame tamahu wo, "Ito medetasi." to omohi kikoye tari. Koko no yadomori nite sumi keru mono, Tokikata wo syuu to omohi te kasiduki arike ba, kono ohasimasu yarido wo hedate te, tokoroegaho ni wi tari. Kowe hiki-sizime, kasikomari te monogatari si woru wo, irahe mo e se zu, wokasi to omohi keri.
4.4.6  「 いと恐ろしく占ひたる物忌により、京の内をさへ去りて慎むなり。他の人、寄すな」
 「たいそう恐ろしい占いが出た物忌によって、京の内をさえ避けて慎むのだ。他の人を、近づけるな」
 「恐ろしいような占いを出されたので、京を出て来てここで謹慎をしているのだから、だれも来させてはならないよ」
  "Ito osorosiku uranahi taru monoimi ni yori, kyau no uti wo sahe sari te tutusimu nari. Hoka no hito, yosu na."
4.4.7  と言ひたり。
 と言っていた。
 と内記は命じていた。
  to ihi tari.
注釈427人の御容貌も『集成』は「二人のお顔立ちのお美しさも」。『完訳』は「浮舟の目にする匂宮の容姿」と注す。4.4.1
注釈428女も脱ぎすべさせたまひてしかば「脱ぎさせ給ひて」の主語は匂宮。「させ」は使役の助動詞、「たまふ」は匂宮に対する敬意。4.4.1
注釈429まばゆきまで以下「さしむかひたるよ」まで、浮舟の心中。4.4.1
注釈430なつかしきほどなる白き限りを手触りも柔らかい白い衣だけを。4.4.2
注釈431常に見たまふ人主語は匂宮。中君や六君をさす。4.4.2
注釈432これさへかかるを残りなう見るよ浮舟の思い。匂宮だけでなく侍従までが、のニュアンス。4.4.3
注釈433これはまた誰そわが名漏らすなよ匂宮の詞。『源氏釈』は「犬上の鳥篭の山なるいさや川いさと答えよ我が名洩らすな」(古今集、墨滅歌、一一〇八、読人しらず)を指摘。4.4.4
注釈434いとめでたしと思ひきこえたり主語は侍従。4.4.5
注釈435物語しをるを『完訳』は「「--をり」はさげすむ気持を表す語法」と注す。4.4.5
注釈436いらへもえせずをかしと思ひけり主語は時方。『完訳』は「宮への遠慮から返事できない」と注す。4.4.5
注釈437いと恐ろしく以下「他の人寄すな」まで、時方の詞。4.4.6
出典14 わが名漏らすな 犬上やとこの山なるいさら川いさと答へて我が名漏らすな 古今六帖五-三〇六一 4.4.4
校訂13 まばゆき まばゆき--ま(ま/+は)ゆき 4.4.1
校訂14 これさへ これさへ--これ(れ/+さ)へ 4.4.3
4.5
第五段 匂宮、浮舟と一日を過ごす


4-5  Niou-no-miya passes all day with Ukifune

4.5.1  人目も絶えて、心やすく語らひ暮らしたまふ。「 かの人のものしたまへりけむに、かくて見えてむかし」と、思しやりて、いみじく怨みたまふ。 二の宮をいとやむごとなくて、持ちたてまつりたまへるありさまなども語りたまふかの耳とどめたまひし一言は、のたまひ出でぬぞ憎きや
 人目も絶えて、気楽に話し合って一日お過ごしになる。「あの方がいらっしゃったときに、このようにお会いになっているのだろう」と、ご想像になって、ひどくお恨みになる。二の宮をとても大切に扱って、北の方としていらっしゃるご様子などもお話しになる。あのお耳に止めなさった一言は、おっしゃらないのは憎いことであるよ。
 だれも来ぬ所で宮はお気楽に浮舟と時をお過ごしになった。この間大将が来た時にもこうしたふうにして逢ったのであろうとお思いになり、宮は恨みごとをいろいろと仰せられた。夫人の女二にょにみやを大将がどんなに尊重して暮らしているかというようなこともお聞かせになった。宇治の橋姫を思いやった口ずさみはお伝えにならぬのも利己的だと申さねばならない。
  Hitome mo taye te, kokoroyasuku katarahi kurasi tamahu. "Kano hito no monosi tamahe ri kem ni, kaku te miye te m kasi." to, obosiyari te, imiziku urami tamahu. Ni-no-Miya wo ito yamgotonaku te, moti tatematuri tamahe ru arisama nado mo katari tamahu. Kano mimi todome tamahi si hitokoto ha, notamahi ide nu zo nikuki ya!
4.5.2  時方、御手水、御くだものなど、取り次ぎて参るを御覧じて、
 時方が、御手水や、果物などを、取り次いで差し上げるのを御覧になって、
 時方がお手水ちょうずや菓子などを取り次いで持って来るのを御覧になり、
  Tokikata, mi-teudu, ohom-kudamono nado, toritugi te mawiru wo goranzi te,
4.5.3  「 いみじくかしづかるめる客人の主、さてな見えそや」
 「たいそう大切にされている客人は、そのような姿を他人に見られるでないぞ」
 「大事にされているお客の旦那だんな。ここへ来るのを見られるな」
  "Imiziku kasiduka ru meru marauto no nusi, sate na miye so ya!"
4.5.4  と戒めたまふ。侍従、色めかしき若人の心地に、いとをかしと思ひて、この大夫とぞ物語して暮らしける。
 と戒めなさる。侍従は、好色っぽい若い女の考えから、とても素晴らしいと思って、この大夫と話をして一日暮らしたのであった。
 と宮はお言いになった。侍従は若い色めかしい心から、こうした日をおもしろく思い、内記と話をばかりしていた。
  to imasime tamahu. Zizyuu, iromekasiki wakaudo no kokoti ni, ito wokasi to omohi te, kono Taihu to zo monogatari si te kurasi keru.
4.5.5  雪の降り積もれるに、 かのわが住む方を見やりたまへれば、霞の絶え絶えに梢ばかり見ゆ。山は鏡を懸けたるやうに、きらきらと夕日に輝きたるに、昨夜、分け来し道のわりなさなど、あはれ多う添へて語りたまふ。
 雪が降り積もっているので、あのご自分が住む家の方を眺望なさると、霞の絶え間に梢だけが見える。山は鏡を懸けたように、きらきらと夕日に輝いているところに、昨夜、踏み分けて来た道のひどさなどを、同情を誘うようにお話しになる。
 浮舟の姫君は雪の深く積もった中から自身の住居すまいのほうを望むと、霧の絶え間絶え間から木立ちのほうばかりが見えた。鏡をかけたようにきらきらと夕日に輝いている山をさして、昨夜の苦しいみちのことを誇張も加えて宮が語っておいでになった。
  Yuki no huri tumore ru ni, kano waga sumu kata wo miyari tamahe re ba, kasumi no taye daye ni kozuwe bakari miyu. Yama ha kagami wo kake taru yau ni, kirakira to yuhuhi ni kakayaki taru ni, yobe, wake ko si miti no warinasa nado, ahare ohou sohe te katari tamahu.
4.5.6  「 峰の雪みぎはの氷踏み分けて
   君にぞ惑ふ道は惑はず
 「峰の雪や水際の氷を踏み分けて
  あなたに心は迷いましたが、道中では迷いません
  峰の雪みぎはの氷踏み分けて
  君にぞ惑ふ道にまどはず
    "Mine no yuki migiha no kohori humi wake te
    Kimi ni zo madohu miti ha madoha zu
4.5.7   木幡の里に馬はあれど
 木幡の里に馬はあるが」
 「木幡こばたの里に馬はあれど」(かちよりぞ来る君を思ひかね)
  Kohata-no-sato ni muma ha are do."
4.5.8  など、あやしき硯召し出でて、 手習ひたまふ
 などと、見苦しい硯を召し出して、手習いなさる。
 などと、別荘に備えられてあるそまつなすずりなどをお出させになり、無駄むだ書きを宮はしておいでになった。
  nado, ayasiki suzuri mesiide te, tenarahi tamahu.
4.5.9  「 降り乱れみぎはに凍る雪よりも
   中空にてぞ我は消ぬべき
 「降り乱れて水際で凍っている雪よりも
  はかなくわたしは中途で消えてしまいそうです
  降り乱れみぎはこほる雪よりも
  中空なかぞらにてぞわれはぬべき
    "Huri midare migiha ni kohoru yuki yori mo
    nakazora nite zo ware ha ke nu beki
4.5.10  と書き消ちたり。 この「中空」をとがめたまふ。「 げに、憎くも書きてけるかな」と、恥づかしくて引き破りつ。 さらでだに見るかひある 御ありさまを、いよいよあはれにいみじと、 人の心にしめられむと、尽くしたまふ言の葉、けしき、 言はむ方なし
 と書いて消した。この「中空」をお咎めになる。「なるほど、憎いことを書いたものだわ」と、恥ずかしくて引き破った。そうでなくても見る効のあるご様子を、ますます感激して素晴らしいと、相手が心に思い込むようにと、あらん限りの言葉を尽くすご様子、態度は、何とも表現のしようがない。
 とその上へ浮舟は書いた。中空という言葉は一方にも牽引けんいん力のあることを言うのであろうと宮のお恨みになるのを聞いていて、誤解されやすいことを書いたと思い、女は恥ずかしくて破ってしまった。そうでなくてさえ美しい魅力のある方が、より多く女の心を得ようとしていろいろとお言いになる言葉も御様子も若い姫君を動かすに十分である。
  to kaki-keti tari. Kono "Nakazora" wo togame tamahu. "Geni, nikuku mo kaki te keru kana!" to, hadukasiku te hiki-yaburi tu. Sarade dani miru kahi aru ohom-arisama wo, iyoiyo ahareni imizi to, hito no kokoro ni sime rare m to, tukusi tamahu kotonoha, kesiki, ihamkatanasi.
注釈438かの人の以下「見えてむかし」まで、匂宮の心中。「かの人」は薫。4.5.1
注釈439二の宮をいとやむごとなくて持ちたてまつりたまへるありさまなども語りたまふ匂宮は薫が女二宮を北の方として大切にしているのを話す。『集成』は「浮舟との仲に水を差したい気持」と注す。4.5.1
注釈440かの耳とどめたまひし一言は、のたまひ出でぬぞ憎きや詩会の夜、薫を浮舟を思って、「衣かたしき今宵もや」と古歌を誦したことをさす。『細流抄』は「草子地也」と指摘。『完訳』は「語り手の匂宮評」と注す。4.5.1
注釈441いみじくかしづかるめる以下「さてな見えそや」まで、匂宮の詞。『集成』は「時方を冷やかしての言葉。「主」は軽い敬称」と注す。4.5.3
注釈442かのわが住む方を明融臨模本、朱合点有り。『河海抄』は「晴るる夜の星か河辺の螢かも我が住む方の海人のたく火か」(伊勢物語)を指摘。4.5.5
注釈443峰の雪みぎはの氷踏み分けて--君にぞ惑ふ道は惑はず匂宮の浮舟への贈歌。4.5.6
注釈444木幡の里に馬はあれど匂宮の歌に続けて書いた文句。明融臨模本、朱合点と付箋「山しろのこわたの里に馬はあれと君をおもへはかちよりそゆく」(拾遺集雑恋、一二四三、人麿)を指摘。『源氏釈』も同文指摘。「拾遺集」は、初句「山科の」、下句「徒歩よりぞ来る君を思へば」とある。4.5.7
注釈445手習ひたまふ『集成』は「お心に浮ぶままに、歌などをお書きになる」と注す。4.5.8
注釈446降り乱れみぎはに凍る雪よりも--中空にてぞ我は消ぬべき浮舟の返歌。「氷」「雪」の語句を受けて返す。4.5.9
注釈447この中空をとがめたまふ『集成』は「匂宮と薫の中に立って迷っているように聞えることを咎める」と注す。4.5.10
注釈448げに憎くも書きてけるかな浮舟の心中。匂宮の詞に納得する気持ち。4.5.10
注釈449さらでだに--言はむ方なし『湖月抄』は「草子地にいふ也」と指摘する。4.5.10
注釈450御ありさまを匂宮の風姿。4.5.10
注釈451人の心に浮舟の心に。4.5.10
出典15 木幡の里に馬はあれど 山科の木幡の里に馬はあれど徒歩(かち)よりぞ来る君を思へば 拾遺集雑恋-一二四三 柿本人麿 4.5.7
4.6
第六段 匂宮、京へ帰り立つ


4-6  Niou-no-miya leaves Uji for Kyoto at the eary morning

4.6.1  御物忌、二日とたばかりたまへれば、心のどかなるままに、かたみにあはれとのみ、深く思しまさる。 右近は、よろづに例の、言ひ紛らはして、御衣などたてまつりたり。今日は、乱れたる すこし削らせて、濃き衣に紅梅の織物など、あはひをかしく着替へてゐたまへり。侍従も、あやしき褶着たりしを、あざやぎたれば、 その裳を取りたまひて、君に着せたまひて、御手水参らせたまふ。
 御物忌を、二日とおだましになっていたので、のんびりとしたまま、お互いに愛しいとばかり、深くご愛情がまさって行く。右近は、いろいろと例によって、言い紛らして、お召物などを差し上げた。今日は、乱れた髪を少し梳かせて、濃い紫の袿に紅梅の織物などを、ちょうどよい具合に着替えていらっしゃった。侍従も、見苦しい褶を着ていたが、美しいのに着替えたので、その裳をお取りになって、女君にお着せになって、御手水の世話をおさせになる。
 謹慎日を二日間ということにしておありになったので、あわただしいこともなくゆっくりと暮らしておいでになるうちに相思の情は深くなるばかりであった。右近は例のように姫君のためにその場その場を取り繕い、言い紛らして衣服などを持たせてよこした。次の日は乱れた髪を少し解かさせて、深い紅の上に紅梅色の厚織物などの取り合わせのよい服装を浮舟はしていた。侍従も平常ふだん用のを締めたまま来ていたのが、あとから送ってこられたきれいなものにすべて脱ぎ変えたので、脱いだほうの裳を宮は浮舟にお掛けさせになり手水を使わせておいでになった。
  Ohom-monoimi, hutuka to tabakari tamahe re ba, kokoro nodoka naru mama ni, katamini ahare to nomi, hukaku obosi masaru. Ukon ha, yoroduni rei no, ihi magirahasi te, ohom-zo nado tatematuri tari. Kehu ha, midare taru kami sukosi kedura se te, koki kinu ni koubai no orimono nado, ahahi wokasiku kigahe te wi tamahe ri. Zizyuu mo, ayasiki sibira ki tari si wo, azayagi tare ba, sono mo wo tori tamahi te, Kimi ni kise tamahi te, mi-teudu mawirase tamahu.
4.6.2  「 姫宮にこれをたてまつりたらば、 いみじきものにしたまひてむかし。いとやむごとなき際の人多かれど、かばかりのさましたるは難くや」
 「姫宮にこの女を出仕させたら、どんなにか大事になさるだろう。とても高貴な身分の女性が多いが、これほどの様子をした女性はいないのではないか」
 女一にょいちみやの女房にこの人を上げたらどんなにお喜びになって大事にされることであろう、大貴族の娘も多く侍しているのであるが、これほどの容貌きりょうの人はほかにないであろう
  "Hime-Miya ni kore wo tatematuri tara ba, imiziki mono ni si tamahi te m kasi. Ito yamgotonaki kiha no hito ohokare do, kabakari no sama si taru ha kataku ya!"
4.6.3  と見たまふ。かたはなるまで遊び戯れつつ暮らしたまふ。忍びて率て隠してむことを、返す返すのたまふ。「そのほど、 かの人に見えたらば」と、 いみじきことどもを誓はせたまへば、「いとわりなきこと」と思ひて、いらへもやらず、涙さへ落つるけしき、「 さらに目の前にだに思ひ移らぬなめり」と胸痛う思さる。 怨みても泣きても、よろづのたまひ明かして、 夜深く率て帰りたまふ。例の、抱きたまふ。
 と御覧になる。みっともないほど遊び戯れながら一日お過ごしになる。こっそりと連れ出して隠そうということを、繰り返しおっしゃる。「その間に、あの方に逢ったら承知しない」と、厳しいことを誓わせなさるので、「実に困ったこと」と思って、返事もできず、涙までが落ちる様子、「全然目の前にいるときでさえもわたしに愛情が移らないようだ」と胸が痛く思われなさる。恨んだり泣いたり、いろいろとおっしゃって夜を明かして、夜深く連れてお帰りになる。例によって、お抱きになる。
 と、裳を着けた姿からふとこんなことも宮はお思いになった。見苦しいまでに戯れ暮らしておいでになり、忍んでほかへ隠してしまう計画について繰り返し繰り返し宮はお話しになるのである。それまでに大将が来ても兄弟以上の親しみを持たぬというようなことを誓えとお言いになるのを、女は無理なことであると思い、返辞をすることができず、涙までもこぼれてくる様子を御覧になり、自分の目前ですらその人に引かれる心を隠すことができぬかと胸の痛くなるようなねたましさも宮はお覚えになった。恨み言も言い、御自身のお心もちを泣いてお告げになりもしたあとで、第三日めの未明に北岸の山荘へおもどりになろうとして、例のように抱いて船から姫君をお伴いになるのであったが、
  to mi tamahu. Kataha naru made asobi tahabure tutu kurasi tamahu. Sinobi te wi te kakusi te m koto wo, kahesugahesu notamahu. "Sono hodo, kano hito ni miye tara ba." to, imiziki koto-domo wo tikaha se tamahe ba, "Ito warinaki koto." to omohi te, irahe mo yara zu, namida sahe oturu kesiki, "Sarani me no mahe ni dani omohi utura nu na' meri." to mune itau obosa ru. Urami te mo naki te mo, yorodu notamahi akasi te, yo hukaku wi te kaheri tamahu. Rei no, idaki tamahu.
4.6.4  「 いみじく思すめる人は、かうは、よもあらじよ。見知りたまひたりや」
 「大切にお思いの方は、このようには、なさるまいよ。お分かりになりましたか」
 「あなたが深く愛している人も、こんなにまで奉仕はしないでしょう。わかりましたか」
  "Imiziku obosu meru hito ha, kau ha, yo mo ara zi yo! Mi siri tamahi tari ya!"
4.6.5  とのたまへば、げに、と思ひて、うなづきて居たる、いとらうたげなり。右近、妻戸放ちて入れたてまつる。やがて、これより別れて出でたまふも、飽かずいみじと思さる。
 とおっしゃると、お言葉のとおりだ、と思って、うなずいて座っているのは、たいそういじらしげである。右近が、妻戸を開け放ってお入れ申し上げる。そのまま、ここで別れてお帰りになるのも、あかず悲しいとお思いになる。
 とお言いになると、そうであったというように思って、浮舟がうなずいているのが可憐かれんであった。右近は妻戸を開いて姫君を中へ迎えた。そのまま別れてお帰りにならねばならぬのも、飽き足らぬ悲しいことに宮は思召した。
  to notamahe ba, geni, to omohi te, unaduki te wi taru, ito rautage nari. Ukon, tumado hanati te ire tatematuru. Yagate, kore yori wakare te ide tamahu mo, akazu imizi to obosa ru.
注釈452右近はよろづに例の言ひ紛らはして御衣など留守居役の右近は周囲の女房に言い繕って、浮舟のもとに着替えを差し上げた。4.6.1
注釈453その裳を取りたまひて君に着せたまひて『集成』は「(匂宮は)その褶をお取りになって、浮舟に着せられて、宮のご洗面のお世話をおさせになる。身近に世話をさせて玩弄したい気持。女房扱いになる」と注す。4.6.1
注釈454姫宮にこれを以下「さましたるは難くや」まで、匂宮の心中の思い。。「姫宮」は女一宮、匂宮の姉宮をさす。『集成』は「浮舟に対する薫の気持との、基本的な相違を示すところ」。『完訳』は「女一の宮に浮舟を出仕させて、召人として情交を保とうと考える」と注す。4.6.2
注釈455いみじきものにしたまひてむかし主語は女一の宮。『集成』は「きっと秘蔵の女房になさるだろう」。『完訳』は「どんなにか大事に扱ってくださることだろう」と訳す。4.6.2
注釈456かの人に薫をさす。4.6.3
注釈457いみじきことどもを『集成』は「とても無理なことを」。『完訳』は「薫に逢ったら承知しない意」と注す。4.6.3
注釈458さらに目の前にだに思ひ移らぬなめり匂宮の心中の思い。『集成』は「いくら自分が目の前にいても、(薫から)心を移そうとしないようだ。匂宮の思い」と注す。4.6.3
注釈459怨みても泣きても『源氏釈』は「恨みても泣きても言はむ方ぞなき鏡に見ゆる影ならずして」(古今集恋五、八一四、藤原興風)を指摘。4.6.3
注釈460夜深く率て帰りたまふ宇治川対岸の隠れ家から浮舟の邸へ。4.6.3
注釈461いみじく思すめる人は以下「見知りたまひたりや」まで、匂宮の詞。「いみじく思す人」は、浮舟が愛する人、すなわち薫をさす。4.6.4
出典16 怨みても泣きても 恨みても泣きても言はむ方ぞなき鏡に見ゆる影ならずして 古今集恋五-八一四 藤原興風 4.6.3
校訂15 髪--(/+か)み 4.6.1
4.7
第七段 匂宮、二条院に帰邸後、病に臥す


4-7  Niou-no-miya is sick in bed after coming back to home

4.7.1   かやうの帰さは、なほ二条にぞおはします。いと悩ましうしたまひて、物など絶えてきこしめさず、日を経て青み痩せたまひ、御けしきも変はるを、 内裏にもいづくにも、思ほし嘆くに、いとどもの騒がしくて、御文だにこまかには書きたまはず。
 このような時の帰りは、やはり二条院においでになる。とても気分が悪くおなりになって、食事なども召し上がらず、日がたつにつれて青くお痩せになって、ご様子も変わるので、帝におかせられてもどちら様におかれても、お嘆きになり、ますます大騒ぎになって、お手紙さえこまごまと書くことがおできになれない。
 こんなお帰りの場合などはやはり二条の院へおはいりになるのが例であった。宮はそれ以来健康をおそこねになり、召し上がり物などは少しもおとりにならなかった。日がたつにしたがいお顔色が青んでゆき、おせになるのを、御所でもその他の所々でも非常に気づかわれ、お見舞いの人が多くまいるために人目の隙に宇治へおやりになるお手紙もこまごまとはお書きになれなかった。
  Kayau no kahesa ha, naho Nideu ni zo ohasimasu. Ito nayamasiu si tamahi te, mono nado taye te kikosimesa zu, hi wo he te awomi yase tamahi, mi-kesiki mo kaharu wo, Uti ni mo iduku ni mo, omohosi nageku ni, itodo mono-sawagasiku te, ohom-humi dani komakani ha kaki tamaha zu.
4.7.2   かしこにも、かのさかしき乳母、娘の子産む所に出でたりける、帰り来にければ、 心やすくもえ見ず。かくあやしき住まひを、ただ かの殿のもてなしたまはむさまを ゆかしく待つことにて母君も思ひ慰めたるに、 忍びたるさまながらも、近く渡してむことを思しなりにければ、いとめやすくうれしかるべきことに思ひて、やうやう人求め、童のめやすきなど迎へておこせたまふ。
 あちらでも、あの利口ぶった乳母は、その娘が子供を産む所に行っていたのが、帰って来たので、気安く手紙を見ることもできない。このように見すぼらしい生活を、ただあの殿がお世話くださるのを期待することで、母君も思い慰めていたが、日蔭の存在ながらも、近くにお移しになることをお考えになっていたので、とても安心で嬉しかろうことと思って、だんだんと女房を求め、童女の無難な者などを迎えてお寄越しになる。
 山荘のほうでもあのやかましやの乳母めのとのままが娘の産でしばらくほかへ行っていたのがこのごろは帰っているために、宮のおふみを心おきなく読むことはできなくなった。姫君の寂しい生活も、今後どんなふうに大将がよき待遇をしようとするかという夢を持つことで母の常陸ひたち夫人も心を慰めていたのであったが、公然ではないようであるが、近いうちに京へ迎えることにかおるのきめたことで、世間への体裁もよくなるとうれしく思い、新しい女房を捜し始め、童女の見よいのがあると宇治へ送るようにしていた。
  Kasiko ni mo, kano sakasiki Menoto, musume no ko umu tokoro ni ide tari keru, kaheri ki ni kere ba, kokoroyasuku mo e mi zu. Kaku ayasiki sumahi wo, tada kano Tono no motenasi tamaha m sama wo yukasiku matu koto nite, HahaGimi mo omohi nagusame taru ni, sinobi taru sama nagara mo, tikaku watasi te m koto wo obosi nari ni kere ba, ito meyasuku uresikaru beki koto ni omohi te, yauyau hito motome, waraha no meyasuki nado mukahe te okose tamahu.
4.7.3   わが心にも、「それこそは、あるべきことに、初めより待ちわたれ」とは思ひながら、 あながちなる人の御ことを思ひ出づるに、怨みたまひしさま、のたまひしことども、面影につと添ひて、いささかまどろめば、 夢に見えたまひつつ、いとうたてあるまでおぼゆ。
 自分自身でも、「それこそが、理想だと、初めからずっと待っていた」とは思いながらも、無理をなさる方のお事を思い出すと、お恨みになった様子、おっしゃった言葉などが、面影にぴったりと添ったまま、わずかにお寝みになると、夢に現れなさって、とても嫌なまでに思われる。
 浮舟自身もようやく開かれていく光明の運命の見えだしたことで、初めから望んだのはこのほかのことではなかった、この日を待ち続けていたのであると思いながらも、一方で熱情をお寄せになる宮のことを思い出し、愛が足らぬとお恨みになったこと、その時あの時のお言葉と面影が始終つきまとって離れず、少し眠るともう夢に見る、困ったことであると思った。
  Waga kokoro ni mo, "Sore koso ha, aru beki koto ni, hazime yori mati watare." to ha omohi nagara, anagatinaru hito no ohom-koto wo omohiiduru ni, urami tamahi si sama, notamahi si koto-domo, omokage ni tuto sohi te, isasaka madorome ba, yume ni miye tamahi tutu, ito utate aru made oboyu.
注釈462かやうの帰さは忍び歩きの後の帰り。4.7.1
注釈463内裏にもいづくにも『集成』は「帝后をはじめどちらにも。夕霧方でも、の意」と注す。4.7.1
注釈464かしこにも宇治の浮舟方。4.7.2
注釈465かの殿のもてなし薫。4.7.2
注釈466ゆかしく待つことにて主語は乳母。4.7.2
注釈467母君も浮舟の母。4.7.2
注釈468忍びたるさまながらも近く渡してむことを『完訳』は「表だった結婚の扱いではないとしても、薫の本邸三条宮近くに」と注す。4.7.2
注釈469わが心にも浮舟。4.7.3
注釈470あながちなる人の匂宮。4.7.3
出典17 夢に見え 思ひつつ()ればや人の見えつらむ夢と知りせば覚めざらましを 古今集恋二-五五二 小野小町 4.7.3
校訂16 心やすく 心やすく--心や(や/+すく) 4.7.2
Last updated 8/8/2011(ver.2-2)
渋谷栄一校訂(C)
Last updated 8/8/2011(ver.2-2)
渋谷栄一注釈(ver.1-1-2)
Last updated 4/30/2002
渋谷栄一訳(C)(ver.1-2-2)
現代語訳
与謝野晶子
電子化
上田英代(古典総合研究所)
底本
角川文庫 全訳源氏物語
校正・
ルビ復活
柳沢成雄(青空文庫)

2005年2月23日

渋谷栄一訳
との突合せ
若林貴幸、宮脇文経

2005年9月15日

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Written in Japanese roman letters
by Eiichi Shibuya(C)
Picture "Eiri Genji Monogatari"(1650 1st edition)
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