第五十四帖 夢浮橋


54 YUME-NO-UKIHASI (Ohoshima-bon)


薫君の大納言時代
二十八歳の夏の物語



Tale of Kaoru's Dainagon era, in summer at the age of 28

1
第一章 薫の物語 横川僧都、薫の依頼を受け浮舟への手紙を書く


1  Tale of Kaoru  Yokawa-souzu mails to Ukifune on Kaoru's request

1.1
第一段 薫、横川に出向く


1-1  Kaoru goes to Yokawa to meet Souzu

1.1.1   山におはして例せさせたまふやうに、経仏など供養ぜさせたまふ。またの日は、横川におはしたれば、僧都驚きかしこまりきこえたまふ。
 比叡山においでになって、いつもおさせになるように、お経や仏像などをご供養させになる。翌日は、横川においでになったので、僧都は恐縮してご挨拶申し上げなさる。
 かおるは山の延暦寺えんりゃくじに着いて、常のとおりに経巻と仏像の供養を営んだ。横川よかわの寺へは翌日行ったのであるが、僧都そうずは大将の親しい来駕らいがを喜んで迎えた。
  Yama ni ohasi te, rei se sase tamahu yau ni, kyau Hotoke nado kuyauze sase tamahu. Matanohi ha, Yokawa ni ohasi tare ba, Soudu odoroki kasikomari kikoye tamahu.
1.1.2  年ごろ、 御祈りなどつけ語らひたまひけれど、ことにいと親しきことはなかりけるを、このたび、一品の宮の御心地のほどにさぶらひたまへるに、「 すぐれたまへる験ものしたまひけり」と見たまひてより、こよなう尊びたまひて、今すこし深き契り 加へたまひてければ、「 重々しうおはする殿の、かくわざとおはしましたること」と、もて騷ぎきこえたまふ。御物語など、こまやかにしておはすれば、御湯漬など参りたまふ。
 何年も、ご祈祷などお頼みなさっていたが、特別に親密ということはなかったが、先般、一品の宮のご不快の折に伺候なさっていたときに、「格別すぐれた効験がおありであった」と御覧になってから、この上なく尊敬なさって、もう少し深いご縁をお結びになったので、「重々しくおいでになる殿が、このようにわざわざ訪ねていらしたこと」と、大仰にお持てなし申し上げなさる。お話など、親密になさっているので、御湯漬などを差し上げなさる。
 これまでからも祈祷きとうに関した用でつきあっていたのであるが、特に親しいという間柄にはなっていなかったところが、今度の一品いっぽんみやの御病気の際に、この僧都が修法を申し上げて著るしい効果を上げたのを見た時から、大きな尊敬を払うようになって、以前に増した交情を生じたために、重々しい身でわざわざこの山寺へ訪ねて来てくれたとしてあらんかぎりの歓待もてなしをした。ゆるりと落ち着いて話などをしている客に湯漬ゆづけなどが出された。
  Tosigoro, ohom-inori nado tuke katarahi tamahi kere do, kotoni ito sitasiki koto ha nakari keru wo, konotabi, Ippon-no-Miya no mi-kokoti no hodo ni saburahi tamahe ru ni, "Sugure tamahe ru gen monosi tamahi keri." to mi tamahi te yori, koyonau tahutobi tamahi te, ima sukosi hukaki tigiri kuhahe tamahi te kere ba, "Omoomosiu ohasuru Tono no, kaku wazato ohasimasi taru koto." to, mote-sawagi kikoye tamahu. Ohom-monogatari nado, komayakani si te ohasure ba, ohom-yuduke nado mawiri tamahu.
1.1.3  すこし人びと静まりぬるに、
 少し人びとが静かになったので、
 あたりのやや静かになったころ、
  Sukosi hitobito sidumari nuru ni,
1.1.4  「 小野のわたりに、知りたまへる宿りやはべる
 「小野の辺りに、お持ちの家はございませんか」
 「小野の辺にお知り合いの所がありますか」
  "Wono no watari ni, siri tamahe ru yadori ya haberu?"
1.1.5  と、問ひたまへば、
 と、お尋ねになると、
 と薫は尋ねた。
  to, tohi tamahe ba,
1.1.6  「 しかはべる。いと異様なる所になむ。なにがしが母なる朽尼のはべるを、京にはかばかしからぬ住処もはべらぬうちに、かくて籠もりはべるあひだは、夜中、暁にも、あひ訪らはむ、と思ひたまへおきてはべる」
 「さようでございます。ひどくみすぼらしい家です。拙僧の母親の老尼がおりますが、京にしっかりした家もございませんうえに、こうして籠もっております間は、夜中、暁でも、お見舞いしよう、と存じております」
 「そうです。それは古くなった家なのでございます。私に朽尼くちあまとも申すべき母がありまして、京にたいしたやしきがあるのでもありませんから、私が寺にこもっております間は、近くに来ておれば夜中でも暁でも何かの時に私が役だつことになるかと思いまして小野に住ませてあるのでございます」
  "Sika haberu. Ito kotoyau naru tokoro ni nam. Nanigasi ga haha naru Kuti-Ama no haberu wo, kyau ni hakabakasikara nu sumika mo habera nu uti ni, kakute komori haberu ahida ha, yonaka, akatuki ni mo, ahi-toburaha m, to omohi tamahe oki te haberu."
1.1.7  など申したまふ。
 などと申し上げなさる。

  nado mausi tamahu.
1.1.8  「 そのわたりには、ただ近きころほひまで、人多う住みはべりけるを、今は、いとかすかにこそなりゆくめれ」
 「その近辺には、つい最近まで、人が多く住んでおりましたが、今では、たいそうひっそりとなって行くようですね」
 「あの辺は近年まで住宅も相応にあったそうですが、このごろは家が少なくなったそうですね」
  "Sono watari ni ha, tada tikaki korohohi made, hito ohou sumi haberi keru wo, ima ha, ito kasukani koso nariyuku mere."
1.1.9  などのたまひて、今すこし近くゐ寄りて、忍びやかに、
 などとおっしゃって、もう少し近寄って、小声で、
 と言ったあとで、薫は座を進めて低い声になり、
  nado notamahi te, ima sukosi tikaku wi yori te, sinobiyakani,
1.1.10  「 いと浮きたる心地もしはべる、また、尋ねきこえむにつけては、いかなりけることにかと、心得ず思されぬべきに、かたがた、憚られはべれど、かの山里に、 知るべき人の隠ろへてはべるやうに聞きはべりしを。確かにてこそは、いかなるさまにて、なども漏らしきこえめ、など思ひたまふるほどに、 御弟子になりて、忌むことなど授けたまひてけり、と聞きはべるは、まことか。まだ年も若く、親などもありし人なれば、 ここに失ひたるやうに、 かことかくる人なむはべるを
 「まことにとりとめのない気のする話ですが、また一方、お尋ね申し上げるにつけては、どのようなことでかと、合点が行かず思われなさるでしょうが、どちらにしても、遠慮されますが、あの山里に、世話しなければならない人が隠れていますように聞きましたが。はっきりと確かめてからなら、どのような様子で、などとお漏らし申し上げましょう、などと考えておりますうちに、お弟子になって、戒律などをお授けになった、と聞きましたのは、本当ですか。まだ年齢も若く、親などもいた人なので、わたしが死なせてしまったように、恨み言を申す人がおりますので」
 「確かなこととも思われませんし、またあなたへお尋ねしましては、なぜ私がそれを深く知ろうとするのかと不思議にお思いになるであろうしとはばかられるのですが、その山里のおうちで私に関係のある人がお世話になっているということを聞きましたが、事実であるとすれば、そうなるまでの経路などもお話し申しておきたいと考えていましたうちに、あなたのお弟子にしていただいて尼の戒を授けられたということが伝わってきましたが、真実でしょうか。まだ年も若くて親などもある人ですから、私の行き届かない所からなくしたように恨まれてもしかたのない人なのですが」
  "Ito uki taru kokoti mo si haberu, mata, tadune kikoye m ni tuke te ha, ikanari keru koto ni ka to, kokoroe zu obosa re nu beki ni, katagata, habakara re habere do, kano yamazato ni, siru beki hito no kakurohe te haberu yau ni kiki haberi si wo. Tasika nite koso ha, ikanaru sama nite, nado mo morasi kikoye me, nado omohi tamahuru hodo ni, mi-desi ni nari te, imu koto nado saduke tamahi te keri, to kiki haberu ha, makoto ka? Mada tosi mo wakaku, oya nado mo ari si hito nare ba, koko ni usinahi taru yau ni, kakoto kakuru hito nam haberu wo."
1.1.11  などのたまふ。
 などとおっしゃる。
 と薫は言った。
  nado notamahu.
注釈1山におはして主語は薫。薫が比叡山に行く。翌日、根本中堂に出向く。前巻「手習」の末尾に続く叙述。1.1.1
注釈2例せさせたまふやうに「させ」使役助動詞。1.1.1
注釈3御祈りなどつけ語らひ『集成』は「ご祈祷など依頼なさる付合いはおありになった。「つけ」は付託する意」と注す。1.1.2
注釈4すぐれたまへる験ものしたまひけり薫の心中の思い。僧都に対する評価。1.1.2
注釈5重々しう以下「おはしましたること」まで、僧都の心中。1.1.2
注釈6小野のわたりに知りたまへる宿りやはべる薫の詞。1.1.4
注釈7しかはべる以下「思ひたまへおきてはべる」まで、僧都の詞。1.1.6
注釈8そのわたりには以下「なりゆくめれ」まで、薫の詞。1.1.8
注釈9いと浮きたる心地も以下「人なむはべるを」まで、薫の詞。1.1.10
注釈10知るべき人の浮舟をさす。1.1.10
注釈11御弟子になりて浮舟が出家したことをさす。1.1.10
注釈12ここに薫自身をさしていう。1.1.10
注釈13かことかくる人なむはべるを『集成』は「親などからの苦情もある、とそれとなく圧力をかける」と注す。1.1.10
校訂1 加へたまひ 加へたまひ--くはへ(へ/+給<朱>) 1.1.2
1.2
第二段 僧都、薫に宇治での出来事を語る


1-2  Souzu talks Kaoru what he has experienced at Uji

1.2.1  僧都、「 さればよ。ただ人と見えざりし人のさまぞかし。かくまでのたまふは、軽々しくは思されざりける人にこそあめれ」と思ふに、「 法師といひながら、心もなく、たちまちに容貌をやつしてけること」と、胸つぶれて、いらへきこえむやう思ひまはさる。
 僧都は、「やはりそうであったか。普通の女とは見えなかった様子であった。このようにまでおっしゃるのは、並々にはお思いでいらっしゃらなかった人なのであろう」と思うと、「法師の役目とは言いながらも、考えもなく、すぐに尼姿いしてしまったことよ」と、胸がどきりとして、お答え申し上げることに思案なさる。
 僧都は予期のとおりあの人はただの家の娘ではなかった。貴女きじょであろうとは初めから考えられたことであった。自身で来てこれほどに言っておられる人であれば、深く愛された人に違いないと思うと、自分は僧であるにせよ、あまりに分別なくあの人の望みにまかせて出家をさせてしまったものであると胸がふさがり、返辞をどうすればさわりなく聞こえるであろうと考えられるのであった。
  Soudu, "Sarebayo! Tadaudo to miye zari si hito no sama zo kasi. Kaku made notamahu ha, karogarosiku ha obosa re zari keru hito ni koso a' mere." to omohu ni, "Hohusi to ihi nagara, kokoro mo naku, tatimatini katati wo yatusi te keru koto." to, mune tubure te, irahe kikoye m yau omohi mahasa ru.
1.2.2  「 確かに聞きたまへるにこそあめれ。かばかり心得たまひて、うかがひ尋ねたまはむに、隠れあるべきことにもあらず。なかなかあらがひ隠さむに、あいなかるべし」など、とばかり思ひ得て、
 「確かなことを聞いていらっしゃるのだろう。これほどご承知で、お尋ねなさるのに、隠しきれるものでない。なまじ無理に隠そうとするのも、つまらないことであろう」などと、しばらく考えを決めて、
 事実をもう皆知っておられるらしい、これだけのことがすでにわかっている上で、探りにかかられては何も何も暴露してしまうはずである、隠してはかえって迷惑が起こるであろうという結論を僧都は得て、
  "Tasikani kiki tamahe ru ni koso a' mere. Kabakari kokoroe tamahi te, ukagahi tadune tamaha m ni, kakure aru beki koto ni mo ara zu. Nakanaka aragahi kakusa m ni, ainakaru besi." nado, to bakari omohi e te,
1.2.3  「 いかなることにかはべりけむ。この月ごろ、うちうちにあやしみ思うたまふる人の御ことにや」とて、
 「どのようなことでございましょうか。ここ何か月か、内々に不審に存じておりました女のお身の上のことでしょうか」と言って、
 「どういうことでこんなことが起こりましたかと、昨年来不思議にばかり思われていました方のことかと思われます」と言い、
  "Ikanaru koto ni ka haberi kem? Kono tukigoro, utiuti ni ayasimi omou tamahuru hito no ohom-koto ni ya?" tote,
1.2.4  「 かしこにはべる尼どもの、初瀬に願はべりて、詣でて帰りける道に、宇治の院といふ所に留まりてはべりけるに、母の尼の労気にはかに起こりて、いたくなむわづらふと告げに、人の参うで来たりしかば、まかり向かひたりしに、まづ妖しき ことなむ
 「あちらにおります尼たちが、初瀬に祈願がございまして、参詣して帰って来た道中で、宇治院という所に泊まりましたところ、母親の尼の疲労が急に起こって、ひどく患っているという報せを、人が報告して来たので、下山して出向きましたところに、さっそく不思議なことが」
 「小野の母と妹の尼が初瀬はせ寺に願がございまして参詣さんけいいたしました帰りに宇治の院という所に休んでおりますうちに、母の尼が旅疲れで発病いたしまして、重そうに見えると申すしらせが私の所へあったものですから、私も宇治へ出かけたのです。そうしますとあちらで不思議なことが起こった
  "Kasiko ni haberu Ama-domo no, Hatuse ni gwan haberi te, maude te kaheri keru miti ni, Udi-no-win to ihu tokoro ni todomari te haberi keru ni, Haha-no-Ama no rauge nihakani okori te, itaku nam wadurahu to tuge ni, hito no maude ki tari sika ba, makari mukahi tari si ni, madu ayasiki koto nam."
1.2.5  とささめきて、
 と声をひそめて、
 と言いだしまして、
  to sasameki te,
1.2.6  「 親の死に返るをばさし置きて、もて扱ひ嘆きてなむはべりし。 この人も、亡くなりたまへるさまながら、さすがに息は通ひておはしければ、 昔物語に、魂殿に置きたりけむ人のたとひを思ひ出でて、さやうなることにや、と珍しがりはべりて、弟子ばらの中に験ある者どもを呼び寄せつつ、代はり代はりに加持せさせなどなむしはべりける。
 「母親が今にも死にそうなのは差し置いて、介抱して心配しておりました。この人も、お亡くなりになったような様子ながら、やはり息はしていらっしゃいましたので、昔物語に、霊殿に置いておいた人の話を思い出して、そのようなことであろうかと、珍しがりまして、弟子の僧の中で効験のある者どもを呼び寄せては、交替で加持させたりしました。
 母の介抱かいほうもさしおきまして、妹の尼はどうしてもこの方の命を助けたいと騒ぎ出しました。その若い病人も死人同様になっていましたがさすがに呼吸いきはあったのですから、昔の小説の殯殿ひんでんに置いた死骸しがい蘇生そせいしたという話を妹は思い出しまして、そんなことかと私の弟子の中の祈祷きとう上手じょうずな僧を呼び寄せましてかわるがわる加持をさせなどしておりました。
  "Oya no sinikaheru wo ba sasioki te, mote-atukahi nageki te nam haberi si. Kono hito mo, nakunari tamahe ru sama nagara, sasugani iki ha kayohi te ohasi kere ba, mukasimonogatari ni, tamadono ni oki tari kem hito no tatohi wo omohi ide te, sayau naru koto ni ya, to medurasigari haberi te, desi-bara no naka ni gen aru mono-domo wo yobiyose tutu, kahari gahari ni kadi se sase nado nam si haberi keru.
1.2.7  なにがしは、 惜しむべき齢ならねど、母の旅の空にて病重きを助けて、念仏をも心乱れずせさせむと、仏を念じたてまつり思うたまへしほどに、その人のありさま、詳しうも見たまへずなむはべりし。ことの心推し量り思うたまふるに、天狗木霊などやうのものの、欺き率てたてまつりたりけるにや、となむ 承りし。
 拙僧は、惜しむほどの年齢ではないが、母親が旅の途上で病気が重いのを助けて、念仏を一心不乱にしようと、仏にお祈り申しておりましたときなので、その人の様子、詳しくは拝見せずにおりました。事情を推察しますに、天狗や木霊などのようなものが、誑かしてお連れ申したのか、と理解しておりました。
 私は、惜しむべき年齢としではないのですが、旅の途中で病みました母に、正念に念仏もさせて終わらせたいと仏のお助けをうておりましてその人のほうはくわしく見ませんでした。何がそうさせていたかと思ってみますと、天狗てんぐ木精こだまなどというものが欺いて伴って来たものらしく解釈がされます。
  Nanigasi ha, wosimu beki yohahi nara ne do, Haha no tabi no sora nite yamahi omoki wo tasuke te, Nenbutu wo mo kokoro midare zu se sase m to, Hotoke wo nenzi tatematuri omou tamahe si hodo ni, sono hito no arisama, kuhasiu mo mi tamahe zu nam haberi si. Koto no kokoro osihakari omou tamahuru ni, tengu kodama nado yau no mono no, azamuki wi te tatematuri tari keru ni ya, to nam uketamahari si.
1.2.8  助けて、京に率てたてまつりて後も、三月ばかりは亡き人にてなむものしたまひけるを、 なにがしが妹、故衛門督の北の方にてはべりしが、尼になりてはべるなむ、一人持ちてはべりし女子を失ひて後、月日は多く隔てはべりしかど、悲しび堪へず嘆き 思ひたまへはべるに、同じ年のほどと見ゆる人の、かく容貌いとうるはしくきよらなるを見出でたてまつりて、 観音の賜へると喜び思ひて、この人いたづらになしたてまつらじと、惑ひ焦られて、泣く泣くいみじきことどもを 申されしかば
 助けて、京にお連れ申して後も、三か月間は死んだ人のようでいらっしゃいましたが、拙僧の妹で、故衛門督の北の方でございました者が、尼になっておりますのが、一人持っていた女の子を亡くして後、月日はたくさん過ぎましたが、悲しみを忘れず嘆いておりましたところ、同じ年くらいに見える人で、このように器量もとても端整で美しい方を発見申して、観音が授けてくださったと喜んで、この人をお死なせ申すまいと、一生懸命になりまして、泣きながら熱心に救ってほしいと懇願申されたので。
 助けて京へ伴って来ましたあとも三月くらいは死んだ人と変わらぬようだったのですが、以前の衛門督えもんのかみの妻でございました私の妹の尼は、一人より持っておりませんでした女の子をなくしましてから時はたっても、悲しみに沈んでおりましたのが、同じほどの年恰好としかっこうではありましたし、非常に美しい人でもある人を拾うことのできましたのは、観音が自分へ下すったのだと言って喜びまして、気も狂わんばかりに私へこの人の命を救えと頼むものですから、
  Tasuke te, kyau ni wi te tatematuri te noti mo, mituki bakari ha naki hito nite nam monosi tamahi keru wo, nanigasi ga Imouto, ko-Wemon-no-Kami no Kitanokata nite haberi si ga, ama ni nari te haberu nam, hitori moti te haberi si womnago wo usinahi te noti, tukihi ha ohoku hedate haberi sika do, kanasibi tahe zu nageki omohi tamahe haberu ni, onazi tosi no hodo to miyuru hito no, kaku katati ito uruhasiku kiyora naru wo miide tatematuri te, Kwan'on no tamahe ru to yorokobi omohi te, kono hito itadura ni nasi tatematura zi to, madohi ira re te, nakunaku imiziki koto-domo wo mausa re sika ba.
1.2.9  後になむ、かの坂本にみづから下りはべりて、護身など仕まつりしに、やうやう生き出でて人となりたまへりけれど、『 なほ、この領じたりけるものの、身に離れぬ心地なむする。この悪しきものの妨げを逃れて、後の世を思はむ』など、悲しげにのたまふ ことどものはべりしかば、法師にては、勧めも申しつべきことにこそはとて、まことに出家せしめたてまつりてしになむはべる。
 後に、あの坂本に拙僧自身で下山して行きまして、護身などを修法いたしましたところ、だんだんと生き返って普通にお戻りになりましたが、『やはり、このとり憑いた物の怪が、身から離れないような気がする。この悪霊の妨げから逃れて、来世を祈りたい』などと、悲しそうにおっしゃることがございましたので、法師の勤めとしては、お勧め申すべきことと存じまして、本当に出家させ申し上げてしまったのでございます。
 私も坂本さかもとへ下ってまいり、その時は私自身で祈祷をし、護身法も行なってあげました。それからは失心状態でも放心状態でもなくなり、次第によろしくなられたのでございますが、自身ではまだ憑かれたものの離れてしまわない気がする、これに妨げられずに未来の世界を思うようになりたいと私へ悲しいお話があったものですから、出家は自分のほうからお勧めもしたいことであるからと申して授戒を行なわせてさしあげたのでございます。
  Noti ni nam, kano Sakamoto ni midukara ori haberi te, gosin nado tukamaturi si ni, yauyau ikiide te hito to nari tamahe ri kere do, 'Naho, kono rauzi tari keru mono no, mi ni hanare nu kokoti nam suru. Kono asiki mono no samatage wo nogare te, noti no yo wo omoha m' nado, kanasigeni notamahu koto-domo no haberi sika ba, hohusi nite ha, susume mo mausi tu beki koto ni koso ha tote, makotoni suke se sime tatematuri te si ni nam haberu.
1.2.10  さらに、 しろしめすべきこととは、いかでかそらにさとりはべらむ。珍しきことのさまにもあるを、世語りにもしはべりぬべかりしかど、聞こえありて、わづらはしかるべきことにもこそと、 この老い人どものとかく申して、この月ごろ、音なくてはべりつるになむ」
 まったく、お世話なさるはずの方とは、どうして何もなしに分かりましょう。珍しい事の様子ですので、世間話の種にもなりそうですが、噂になって、厄介なことになってはいけないと、この老女どもがあれこれ申して、この何か月間は、黙っておりました」
 あなたに御関係のある方などとは、空では悟りようもありませんでした。不思議な出来事なのですから、人にも話せば捜しておいでになる方の注意を引くことになったかもしれないのでしたが、世間に聞こえては煩わしいことになるであろうと申して、妹の尼はそれをとめましたので、長く秘密にいたしてまいったのでございます」
  Sarani, sirosimesu beki koto to ha, ikadeka sora ni satori habera m. Medurasiki koto no sama ni mo aru wo, yogatari ni mo si haberi nu bekari sika do, kikoye ari te, wadurahasikaru beki koto ni mo koso to, kono oyibito-domo no tokaku mausi te, kono tukigoro, oto naku te haberi turu ni nam."
1.2.11  と申したまへば、
 と申し上げなさると、
 こう物語った。
  to mausi tamahe ba,
注釈14さればよ以下「人にこそあめれ」まで、僧都の心中の思い。1.2.1
注釈15法師といひながら以下「やつしてけること」まで、僧都の心中の思い。浮舟を出家させたことを反省。1.2.1
注釈16確かに聞きたまへるにこそ以下「あひなかるべし」まで、僧都の心中の思い。1.2.2
注釈17いかなることにか以下「御ことにや」まで、僧都の詞。1.2.3
注釈18かしこにはべる尼どもの以下「妖しきことなむ」まで、僧都の詞。1.2.4
注釈19ことなむ係助詞「なむ」の下に「はべりける」などの語句が省略。1.2.4
注釈20親の死に返るを以下「はべりつるになむ」まで、僧都の詞。1.2.6
注釈21この人も浮舟をさす。1.2.6
注釈22昔物語に魂殿に置きたりけむ人の散逸物語に蘇生譚の物語があったらしい。1.2.6
注釈23惜しむべき齢ならねど挿入句。母尼の年齢についていう。1.2.7
注釈24なにがしが妹「この人いたづらに」に続く。「故衛門督の北の方にて」以下「喜び思ひて」まで挿入句。妹尼についての説明。1.2.8
注釈25観音の賜へる長谷観音。1.2.8
注釈26申されしかば妹尼が拙僧に。1.2.8
注釈27なほこの領じたりける以下「後の世を思はむ」まで、浮舟の詞。僧都が引用して言う。1.2.9
注釈28しろしめすべきこととは主語は薫。あなたがお世話はなさるべき方であるとは、の意。1.2.10
注釈29この老い人どもの妹尼たち。1.2.10
校訂2 承り 承り--うけ給ひ(ひ/$はり)し 1.2.7
校訂3 思ひたまへはべる 思ひたまへはべる--*おもひ給へる 1.2.8
校訂4 ことども ことども--こと(と/+と<朱>)も 1.2.9
1.3
第三段 薫、僧都に浮舟との面会を依頼


1-3  Kaoru asks Souzu to meet Ukifune

1.3.1  「 さてこそあなれ」と、 ほの聞きて、かくまでも 問ひ出でたまへることなれど、「 むげに亡き人と思ひ果てにし人を、さは、まことにあるにこそは」と思すほど、夢の心地してあさましければ、つつみもあへず涙ぐまれたまひぬるを、僧都の恥づかしげなるに、「 かくまで見ゆべきことかは」と思ひ返して、つれなくもてなしたまへど、「 かく思しけることを、この世には亡き人と同じやうになしたること」と、過ちしたる心地して、罪深ければ、
 「そうであったのか」と、ちらっと聞いて、ここまで尋ね出しなさったことではあるが、「てっきり死んだ人として思い諦めていた人だが、それでは、本当は生きていたのだ」とお思いになる、その気持ちは、夢のような気がしてあきれるほどのことなので、抑えることもできずに涙ぐまれなさったのを、僧都が立派な態度なので、「こんな気弱い態度を見せてよいものか」と反省して、さりげなく振る舞いなさるが、「このようにお愛しになっていたのを、この世では死んだ人と同然にしてしまったことよ」と、過ったことをした気がして、罪障深いので、
 いよいよ事実であったのかと薫は、小宰相から少し聞いた話から山へまで遠く僧都を尋ねて来たのではあるが、全然死んだと思っていた人が、確かにこの世に存在していたのかという驚きをまたも覚えて、夢の中の気持ちがし、心の打たれたことによって涙ぐまれるのを、高僧を前に置いてこんな弱さを見せるものでないと反省され、冷静なふうを作っていたが僧都には、薫の感じていることがわかり、これほどにも愛していた人を、生きていても死んだのと同じような尼の身に自分はしてしまったと過失をした気になり、罪を作ったという自責も覚えて、
  "Sate koso a' nare." to, hono-kiki te, kaku made mo tohi ide tamahe ru koto nare do, "Mugeni naki hito to omohi hate ni si hito wo, saha, makotoni aru ni koso ha." to obosu, hodo, yume no kokoti si te asamasikere ba, tutumi mo ahe zu namidaguma re tamahi nuru wo, Soudu no hadukasige naru ni, "Kaku made miyu beki koto kaha!" to omohi-kahesi te, turenaku motenasi tamahe do, "Kaku obosi keru koto wo, konoyo ni ha naki hito to onazi yau ni nasi taru koto." to, ayamati sitaru kokoti si te, tumi hukakere ba,
1.3.2  「 悪しきものに領ぜられたまひけむも、さるべき前の世の契りなり。思ふに、高き家の子にこそものしたまひけめ、いかなる誤りにて、かくまではふれたまひけむにか」
 「悪霊にとり憑かれていらしたのも、そうなるはずの前世からの因縁なのです。思うに、高貴な家柄の姫君でいらしたのでしょうが、どのような過ちによって、このようにまで身を落としなさったのだろうか」
 「悪いものに魅入みいられになったということも前生の約束事なのですよ。必ず高い家の子でおありになったのでしょう。前生のどんなあやまちでさすらいの身などにおなりになったのでしょうか」
  "Asiki mono ni rauze rare tamahi kem mo, sarubeki sakinoyo no tigiri nari. Omohu ni, takaki ihenoko ni koso monosi tamahi keme, ikanaru ayamari nite, kaku made hahure tamahi kem ni ka?"
1.3.3  と、問ひ申したまへば、
 と、お尋ね申し上げなさると、
 と僧都は問うてみた。
  to, tohi mausi tamahe ba,
1.3.4  「 なま王家流などいふべき筋にやありけむ。 ここにも、もとより わざと思ひしことにもはべらず。ものはかなくて見つけそめてははべりしかど、また、いとかくまで落ちあふるべき際と思ひたまへざりしを。珍かに、跡もなく消え失せにしかば、身を投げたるにやなど、さまざまに疑ひ多くて、確かなることは、え聞きはべらざりつるになむ。
 「皇族の末裔と申す血筋であったでしょうか。わたしも、初めから特別に正妻にと考えた人ではございません。ちょっとしたことでお世話し始めるようになりましたが、また一方で、このようにまで落ちぶれる身分の方とは存じませんでした。珍しく、跡形もなく消えてしまったので、身を投げたのかなどと、いろいろとはっきりしないことが多くて、確実なことは、聞くことができませんでした。
 「王族の端とまあいうほどの人です。私も妻として結婚をしたのではありません。あることが動機になって恋愛がそこへまで進んでしまった間柄でした。がしかし、そんなにまで人の好意にすがって養われねばならぬような待遇を私はしていたのではありませんのに、不思議に跡かたもなくなってしまったものですから、身を投げたかなどと、それによってまたいろいろな想像もしていたわけです。
  "Nama-wakamdohori nado ihu beki sudi ni ya ari kem? Koko ni mo, motoyori wazato omohi si koto ni mo habera zu. Mono-hakanaku te mituke some te ha haberi sika do, mata, ito kaku made oti ahuru beki kiha to omohi tamahe zari si wo. Medurakani, ato mo naku kiye use ni sika ba, mi wo nage taru ni ya nado, samazama ni utagahi ohoku te, tasika naru koto ha, e kiki habera zari turu ni nam.
1.3.5   罪軽めてものすれば、いとよしと心やすくなむ、みづからは思ひたまへなりぬるを、母なる人なむ、いみじく恋ひ悲しぶなるを、かくなむ聞き出でたると、告げ知らせまほしくはべれど、 月ごろ隠させたまひける本意違ふやうに、 もの騒がしくやはべらむ。親子の仲の思ひ絶えず、悲しびに堪へで、訪らひものしなどしはべりなむかし」
 罪障を軽くしていらっしゃるならば、とても良いことだと安心して、わたし自身は存じましたが、その母親に当たる人が、ひどく慕って悲しんでいるというを、このように聞き出したと、知らせてやりたく存じますが、何か月も隠していらっしゃったご趣旨に背くようで、何となく騒々しくなりましょうか。親子の間の恩愛は絶ち切れず、悲しみを堪えることができずに、きっと尋ねて来ますでしょう」
 罪の軽くなる御処置をお取りくだすったのですから、安心のできたことと私は思うのですが、母親である人が非常に恋しがり悲しがっておりますから、それだけには知らせてもやりたく思いますものの、その結果長く隠しておいでになりました尼様の御本意に違い、断ち切れぬ親子の情で訪ねて行ったりすることになるかもしれぬと思われます」
  Tumi karome te monosure ba, ito yosi to kokoroyasuku nam, midukara ha omohi tamahe nari nuru wo, haha naru hito nam, imiziku kohi kanasibu naru wo, kaku nam kiki ide taru to, tuge sira se mahosiku habere do, tukigoro, kakusa se tamahi keru ho'i tagahu yau ni, mono-sawagasiku ya habera m? Oyako no naka no omohi taye zu, kanasibi ni tahe de, toburahi monosi nado si haberi na m kasi."
1.3.6  などのたまひて、 さて
 などとおっしゃって、そうして、
 などと薫は言ったあとで、
  nado notamahi te, sate,
1.3.7  「 いと便なきしるべとは思すとも、かの坂本に下りたまへ。かばかり聞きて、 なのめに思ひ過ぐすべくは思ひはべらざりし人なるを、夢のやうなることどもも、今だに語り合はせむ、となむ思ひたまふる」
 「まことに不都合な案内役とはお思いになりましょうが、あの坂本に下山なさってください。このように聞いて、いい加減に知らないふりのできるとは存じません人ですので、夢のようなことも、せめて今なりと話し合おう、と存じております」
 「御迷惑なことと思いますが、その坂本までいっしょにお下りくださいませんでしょうか。細かい事実を承ることができましたあとで、なおそのまま捨てておいてよい人では初めからなかったのですから、夢のようなことを、この話を承った時を機としても話し合いたいと私は思うのです」
  "Ito binnaki sirube to ha obosu tomo, kano Sakamoto ni ori tamahe. Kabakari kiki te, nanomeni omohi sugusu beku ha omohi habera zari si hito naru wo, yume no yau naru koto-domo mo, ima dani katari ahase m, to nam omohi tamahuru."
1.3.8  とのたまふけしき、いとあはれと思ひたまへれば、
 とおっしゃる様子が、実にしみじみとお思いになっているので、
 こう言う様子に、その人を深く思うことのうかがわれるため、
  to notamahu kesiki, ito ahare to omohi tamahe re ba,
1.3.9  「 容貌を変へ、世を背きにきと おぼえたれど、髪鬚を剃りたる法師だに、 あやしき心は失せぬもあなり。まして、女の御身はいかがあらむ。いとほしう、罪得ぬべきわざにもあるべきかな」
 「尼姿になり、出家をしたと思っていても、髪や鬢を剃った法師でさえ、けしからぬ欲望に消えない者もいるという。まして、女人の身ではどのようなものであろうか。お気の毒にも、罪障を作ることになりはしないだろうか」
 出家遁世とんせいの姿になり、髪もひげった僧たちでさえ恋愛の心のおさえられぬ者があるのである、まして女というものに戒行が保てるものかどうかあぶないものである、かえって罪におとすことに
  "Katati wo kahe, yo wo somuki ni ki to oboye tare do, kami hige wo sori taru hohusi dani, ayasiki kokoro ha use nu mo a' nari. Masite, womna no ohom-mi ha ikaga ara m? Itohosiu, tumi e nu beki waza ni mo aru beki kana!"
1.3.10  と、あぢきなく心乱れぬ。
 と、つまらないことを引き受けたものだと心が乱れた。
 自分は携わってしまったと僧都は煩悶はんもんした。そして、
  to, adikinaku kokoro midare nu.
1.3.11  「 まかり下りむこと、今日明日は障りはべり。 月たちてのほどに、御消息を申させはべらむ」
 「下山することは、今日明日は差し支えがあります。来月になって、お手紙を差し上げましょう」
 「下山しますことは今日明日さしつかえます。日が変わりましたらまいりまして、あちらからお手紙をお差し上げになるように計らいましょう」
  "Makari ori m koto, kehu asu ha sahari haberi. Tuki tati te no hodo ni, ohom-seusoko wo mausa se habera m."
1.3.12  と申したまふ。いと心もとなけれど、「なほ、なほ」と、うちつけに焦られむも、さま悪しければ、「さらば」とて、帰りたまふ。
 と申し上げなさる。まことに頼りないが、「ぜひ、ぜひ」と、急に焦れったく思うのも、みっともないので、「それでは」と言って、お帰りになる。
 こう答えた。薫はたよりない気もするのであったが、ぜひなどとしいることは、にわかにあせりだしたことに見られて恥ずかしいと思い、それではと言って帰ろうとした。
  to mausi tamahu. Ito kokoromotonakere do, "Naho, naho." to, utitukeni ira re m mo, sama asikere ba, "Saraba." tote, kaheri tamahu.
注釈30さてこそあなれ薫の心中。小宰相君から聞いたことと一致。1.3.1
注釈31問ひ出でたまへること主語は薫。1.3.1
注釈32むげに亡き人と以下「まことにあるにこそは」まで、薫の心中の思い。1.3.1
注釈33かくまで見ゆべきことかは薫の心中の思い。『完訳』は「僧都の立派な態度に対して、自分が取り乱したのを恥じる」と注す。1.3.1
注釈34かく思しけることを以下「なしたること」まで、僧都の心中の思い。浮舟を出家させたことを後悔。1.3.1
注釈35悪しきものに以下「ふれたまひけむにか」まで、僧都の詞。1.3.2
注釈36なま王家流など以下「しはべりなむかし」まで、薫の詞。八宮の庶腹の娘であることをぼかして言う。1.3.4
注釈37ここにも薫自身をさす。1.3.4
注釈38わざと思ひしことにもはべらず正妻にと考えたのではない、の意。1.3.4
注釈39罪軽めてものすれば『完訳』は「浮舟の出家の境涯。出家によって在俗時の諸々の罪が軽減する。それを薫自身、結構で安心だと冷静にかまえるが、本音でない」と注す。1.3.5
注釈40月ごろ隠させたまひける本意主語は僧都や妹尼君。浮舟をかくまってきたこと。1.3.5
注釈41もの騒がしくやはべらむ『完訳』は「自らの執心を隠蔽し、母の悲嘆にかこつけて事情を追求する」と注す。1.3.5
注釈42さて地の文。『集成』は「その上で。母親には知らせまいと前置きした上で直接の交渉の仲介を僧都に頼む」と注す。1.3.6
注釈43いと便なきしるべとは以下「となむ思ひたまふる」まで、薫の詞。1.3.7
注釈44なのめに思ひ過ぐすべくは思ひはべらざりし人『完訳』は「尼になったらなったで、知らぬ顔のできる相手ではない」と注す。1.3.7
注釈45容貌を変へ以下「あるべきかな」まで、僧都の心中の思い。1.3.9
注釈46おぼえたれど主語は浮舟。1.3.9
注釈47あやしき心淫欲。1.3.9
注釈48まかり下りむこと以下「申させはべらむ」まで、僧都の詞。1.3.11
注釈49月たちて『集成』は「「今日明日は」と言ってこう言うのだから、今は月末らしい。後文に螢が出てくるので、五月末と見ておく」。『完訳』は「今日は九日。来月はほど遠い」と注す。1.3.11
校訂5 ほの聞きて ほの聞きて--ほのきゝ給(給/$<朱>)て 1.3.1
1.4
第四段 僧都、浮舟への手紙を書く


1-4  Souzu mails to Ukifune on Kaoru's request

1.4.1   かの御弟の童、御供に率ておはしたりけり。異兄弟どもよりは、容貌もきよげなるを、呼び出でたまひて、
 あのご姉弟の童を、お供として連れておいでになっていた。他の兄弟たちよりは、器量も小ざっぱりとしているのを、呼び出しなさって、
 姫君の異父弟は供の中にいた。他の兄弟よりも美しいその子を大将は近くへ呼んで、
  Kano ohom-seuto no waraha, ohom-tomo ni wi te ohasi tari keri. Kotoharakara-domo yori ha, katati mo kiyoge naru wo, yobiide tamahi te,
1.4.2  「 これなむ、その人の近きゆかりなるを、これをかつがつものせむ。御文一行賜へ。 その人とはなくて、ただ、尋ねきこゆる人なむある、とばかりの心を知らせたまへ」
 「この子が、あの女人の近親なのですが、この子をとりあえず遣わしましょう。お手紙をちょっとお書きください。誰それとはなくて、ただ、お探し申し上げる人がいる、という程度の気持ちをお知らせください」
 「これがその人と近い身内の者です。この少年をせめて使いに出しましょう、短いお手紙を一つお書きください。私とは初めからお言いにならずに、だれか尋ね求めている人があるということをお書きください」
  "Kore nam, sono hito no tikaki yukari naru wo, kore wo katugatu monose m. Ohom-humi hitokudari tamahe. Sono hito to ha naku te, tada, tadune kikoyuru hito nam aru, to bakari no kokoro wo sira se tamahe."
1.4.3  とのたまへば、
 とおっしゃると、
 と薫が言うと、
  to notamahe ba,
1.4.4  「 なにがし、このしるべにて、かならず罪得はべりなむ。ことのありさまは、詳しくとり申しつ。今は、 御みづから立ち寄らせたまひて、あるべからむことはものせさせたまはむに、何の咎かはべらむ」
 「拙僧が、この案内役になって、きっと罪障を負いましょう。事情は、詳しく申し上げました。今は、ご自身でお立ち寄りあそばして、なさるべきことをなさるのに、何の差し支えがございましょう」
 「そのお手引きをいたすことで私は必ず罪にちましょう。事実は申し上げたとおりです。もうあなたが今すぐお寄りになって、お話しになることをお話しになる、それは何の罪にもあなたのおなりになることではありません」
  "Nanigasi, kono sirube nite, kanarazu tumi e haberi na m. Koto no arisama ha, kuhasiku tori mausi tu. Ima ha, ohom-midukara tatiyora se tamahi te, aru bekara m koto ha monose sase tamaha m ni, nani no toga ka habera m."
1.4.5  と申したまへば、うち笑ひて、
 と申し上げなさると、にっこりして、
 僧都はこう言うのであった。薫は笑って、
  to mausi tamahe ba, uti-warahi te,
1.4.6  「 罪得ぬべきしるべと思ひなしたまふらむこそ、恥づかしけれ。ここには、俗の形にて、今まで過ぐすなむいとあやしき。
 「罪障を負う案内役とお考えになるのは、気恥ずかしいことです。わたしは、在俗の姿で、今まで過ごして来たのがまことに不思議なくらいです。
 「あなたの罪になるようなお手引きを願ったと取っておいでになるのは誤解ですよ。私は今日まで俗の姿でおりますだけでも怪しいほど信仰を深く持つ男です。
  "Tumi e nu beki sirube to omohinasi tamahu ram koso, hadukasikere. Koko ni ha, zoku no katati nite, ima made sugusu nam ito ayasiki.
1.4.7  いはけなかりしより、思ふ心ざし深くはべるを、 三条の宮の、心細げにて、頼もしげなき身一つをよすがに思したるが、避りがたきほだしにおぼえはべりて、かかづらひはべりつるほどに、おのづから位などいふことも高くなり、身のおきても心にかなひがたくなどして、思ひながら過ぎはべるには、また え避らぬことも、数のみ添ひつつは過ぐせど、公私に、逃れがたきことにつけてこそ、さもはべらめ、さらでは、仏の制したまふ方のことを、わづかにも聞き及ばむことは、いかで過たじと、慎しみて、心の内は聖に劣りはべらぬものを。
 幼い時から、出家を願う気持ちは強くございましたが、母三条宮が、心細い様子で、頼りがいもないわが身一人を頼りにお思いになっているのが、逃れられない足手まといに思われまして、世俗にかかずらっておりますうちに、自然と官位なども高くなり、身の処置も思うようにならなくなったりして、出家を願いながら過ごして来て、また断れない事も、次々と多く加わって来て、過ごしておりますが、公私ともに、止むを得ない事情によって、こうしていますが、それ以外のところでは、仏がお制止になる方面のことを、少しでもお聞き及びになるようなことは、何とか守り抜こう、身を慎んで、心中では聖に負けません。
 少年の時代から遁世の志を持っているのですが、三条の宮様がお一人きりで、私のような者一人をたよりに思召すのが断ち切れぬきずなになりまして、そのまま今も世に交わっておりますうちに自然に位などというものも高くなり、自身の意志にかなった生活もできないことになりますと、心は仏の道に傾きながら、行為は罪になるほうへ引かれても行っておりましたが、それは公私のやむをえぬことに生じた枝葉ともいうべきことです。そのほかではこれは仏の戒めであると教えられましたことは、いささかのこともそれに触れたくないと心がけ、慎んでいまして、心の中は僧に変わりはないと信じる私です。
  Ihakenakari si yori, omohu kokorozasi hukaku haberu wo, Samdeu-no-Miya no, kokorobosoge nite, tanomosige naki mi hitotu wo yosuga ni obosi taru ga, sarigataki hodasi ni oboye haberi te, kakadurahi haberi turu hodo ni, onodukara kurawi nado ihu koto mo takaku nari, mi no okite mo kokoro ni kanahi gataku nado si te, omohi nagara sugi haberu ni ha, mata e sara nu koto mo, kazu nomi sohi tutu ha suguse do, ohoyake watakusi ni, nogare gataki koto ni tuke te koso, samo habera me, sarade ha, Hotoke no seisi tamahu kata no koto wo, wadukani mo kiki oyoba m koto ha, ikade ayamata zi to, tutusimi te, kokoro no uti ha hiziri ni otori habera nu mono wo.
1.4.8  まして、 いとはかなきことにつけてしも重き罪得べきことは、などてか思ひたまへむ。さらにあるまじきことにはべり。疑ひ思すまじ。ただ、いとほしき親の思ひなどを、聞きあきらめはべらむばかりなむ、うれしう心やすかるべき」
 ましてや、ちょっとしたことで、重い罪障を負うようなことは、どうして考えましょうか。まったく有りえないことでございます。お疑いなさいますな。ただ、お気の毒な母親の思いなどを、聞いて晴らしてやろうというほどで、きっと嬉しく気が休まりましょう」
 ましてそれは不善のはなはだしいものですから、どうして道にはいった人を誘惑したりすることをしましょう。お信じください。ただ逢いまして気の毒な母親の話などをよくしてやりますことができれば私の心が楽になることと思うからです」
  Masite, ito hakanaki koto ni tuke te simo, omoki tumi u beki koto ha, nadote ka omohi tamahe m. Sarani arumaziki koto ni haberi. Utagahi obosu mazi. Tada, itohosiki oya no omohi nado wo, kiki akirame habera m bakari nam, uresiu kokoroyasukaru beki."
1.4.9  など、昔より深かりし方の心を語りたまふ。
 などと、昔から深かった道心をお話しなさる。
 と、昔から仏の教えを奉じることの深さをかおるは告げた。
  nado, mukasi yori hukakari si kata no kokoro wo katari tamahu.
1.4.10  僧都も、げにと、うなづきて、
 僧都も、なるほどと、うなずいて、
 僧都そうずも道理であるとうなずき、
  Soudu mo, geni to, unaduki te,
1.4.11  「 いとど尊きこと
 「ますます尊いことだ」
 尊い心がけである
  "Itodo tahutoki koto."
1.4.12  など聞こえたまふほどに、日も暮れぬれば、
 などと申し上げなさるうちに、日も暮れてしまったので、
 ことをほめなどするうちに日も暮れたため、
  nado kikoye tamahu hodo ni, hi mo kure nure ba,
1.4.13  「 中宿りもいとよかりぬべけれど、うはの空にてものしたらむこそ、なほ便なかるべけれ」
 「途中の休憩所としても大変に都合のよいはずだが、考えも決まらないうちに立ち寄るのも、やはり不都合であろう」
 中宿りに小野へ寄ることはふさわしい道順であると薫は思ったが、突然に行くのはやはりよろしくなかろう
  "Nakayadori mo ito yokari nu bekere do, uhanosora nite monosi tara m koso, naho binnakaru bekere."
1.4.14  と、思ひわづらひて帰りたまふに、この弟の童を、僧都、目止めてほめたまふ。
 と、思いあぐねてお帰りになるときに、この姉弟の童を、僧都が、目を止めておほめになる。
 と考え、帰ることにきめた時、この常陸ひたちの子を僧都は愛らしいとほめた。
  to, omohi wadurahi te kaheri tamahu ni, kono seuto no waraha wo, Soudu, me tome te home tamahu.
1.4.15  「 これにつけて、まづほのめかしたまへ
 「この子に託して、とりあえずほのめかしてください」
 「この少年に持たせてやります手紙に彼女の昔の知人のことをほのめかしておいてください」
  "Kore ni tuke te, madu honomekasi tamahe."
1.4.16  と聞こえたまへば、文書きて取らせたまふ。
 と申し上げなさると、手紙を書いてお与えなさる。
 と薫が言ったので、僧都はさっそく手紙を書いた。
  to kikoye tamahe ba, humi kaki te tora se tamahu.
1.4.17  「 時々は山におはして遊びたまへよ」と「 すずろなるやうには思すまじきゆゑもありけり」
 「時々は山においでになって遊んで行きなさいね」と「いわれのないことのようには思われないわけもありのです」
 「ときどきは山へも登って来て遊んで行きなさい。私にあなたは縁がないのでもないからね」
  "Tokidoki ha yama ni ohasi te asobi tamahe yo." to "Suzuro naru yau ni ha obosu maziki yuwe mo ari keri."
1.4.18  と、うち語らひたまふ。この子は心も得ねど、文取りて御供に出づ。坂本になれば、御前の人びとすこし立ちあかれて、「 忍びやかにを」とのたまふ。
 と、お話しなさる。この子は理解できないが、手紙を受け取ってお供して出る。坂本になると、ご前駆の人びとが少し離れ離れになって、「目立たないように」とおっしゃる。
 などとも言った。少年は縁のあるという理由がわからないのであるが、手紙を受け取ってすぐに供の中へまじった。坂本へ近くなった所で、「前駆の者は列を分かれ分かれにして声も低くして行くように」と大将は注意した。
  to, uti-katarahi tamahu. Kono ko ha kokoro mo e ne do, humi tori te ohom-tomo ni idu. Sakamoto ni nare ba, gozen no hitobito sukosi tati-akare te, "Sinobiyaka ni wo." to notamahu.
注釈50かの御弟の童浮舟の異父弟の小君。1.4.1
注釈51これなむ以下「心を知らせたまへ」まで、薫の詞。1.4.2
注釈52その人とはなくて自分薫の名は伏せて。1.4.2
注釈53なにがしこのしるべにて以下「何の咎かはべらむ」まで、僧都の詞。1.4.4
注釈54御みづから立ち寄らせたまひて薫ご自身で小野の草庵に。1.4.4
注釈55罪得ぬべきしるべと以下「心やすかるべき」まで、薫の詞。『完訳』は「以下、自分の生来の道心にふれる。浮舟の道心を邪魔だてするなどありえない、との論法を導く」と注す。1.4.6
注釈56三条の宮の母女三の宮。1.4.7
注釈57え避らぬことも数のみ添ひつつは女二の宮の降嫁など。1.4.7
注釈58いとはかなきことにつけてしも浮舟との男女関係。1.4.8
注釈59重き罪得べきこと『集成』は「出家した浮舟に不淫欲の戒を破らせるようなこと」と注す。1.4.8
注釈60いとど尊きこと僧都の詞。1.4.11
注釈61中宿りも以下「便なかるべき」まで、薫の心中の思い。横川からの帰途に小野の草庵に宿泊することを考えてみる。1.4.13
注釈62これにつけて、まづほのめかしたまへ薫の詞。「これ」は浮舟の弟の小君をさす。1.4.15
注釈63時々は以下「ゆゑもありけり」まで、僧都の詞。途中、地の文「と」が挿入されている。1.4.17
注釈64すずろなるやうには思すまじきゆゑ僧都と小君との関係。自分は小君の姉の浮舟を出家させた師僧である、という意。1.4.17
注釈65忍びやかにを薫の詞。小野草庵の人々に気づかれないように配慮。1.4.18
1.5
第五段 浮舟、薫らの帰りを見る


1-5  Ukifune looks on Kaoru going back to Kyoto

1.5.1  小野には、いと深く茂りたる青葉の山に向かひて、 紛るることなく、遣水の蛍ばかりを、昔おぼゆる慰めにて 眺めゐたまへるに、例の、遥かに見やらるる 谷の軒端より、前駆心ことに追ひて、いと多う灯したる火の、のどかならぬ光を見るとて、尼君たちも端に出でゐたり。
 小野では、たいそう青々と茂っている青葉の山に向かって、気の紛れることなく、遣水の螢だけを、昔が偲ばれる慰めとして眺めていらっしゃると、いつものように、遥か遠くに谷の見やられる軒端から、前駆が格別の先払いして、たいそうたくさん灯している火の、あわただしい光が見えるといって、尼君たちも端に出て座っていた。
 小野では深くしげった夏山に向かい、流れのほたるだけを昔に似たものと慰めに見ている浮舟うきふねの姫君であったが、軒の間から見える山の傾斜の道をたくさんの炬火たいまつが続いておりて来るのを見るために尼たちは縁の端へ出ていた。
  Wono ni ha, ito hukaku sigeri taru awoba no yama ni mukahi te, magiruru koto naku, yarimidu no hotaru bakari wo, mukasi oboyuru nagusame nite nagame wi tamahe ru ni, rei no, haruka ni miyara ruru tani no nokiba yori, saki kokoro koto ni ohi te, ito ohou tomosi taru hi no, nodoka nara nu hikari wo miru tote, AmaGimi-tati mo hasi ni ide wi tari.
1.5.2  「 誰がおはするにかあらむ。御前などいと多くこそ見ゆれ」
 「どなたがおいでになるのだろう。ご前駆などもとても大勢に見える」
 「どなたがお通りになるのでしょう。前駆の人がたくさんなように見えますね。
  "Taga ohasuru ni ka ara m? Gozen nado ito ohoku koso miyure."
1.5.3  「 昼、あなたに引干し奉れたりつる返り事に、『 大将殿おはしまして、御饗応のことにはかにするを、いとよき折なり』と、こそありつれ」
 「昼、あちらに引干しを差し上げた返事に、『大将殿がいらして、ご饗応の事が急になったので、ちょうどよい時であった』と、言ったが」
 昼間横川よかわの方へ海布引乾ひきぼしを差し上げた時に、大将さんがおいでになって、にわかに饗応きょうおう仕度したくをしている時で、いいおりだったというお返事がありましたよ」
  "Hiru, anata ni hikibosi tatemature tari turu kaherigoto ni, 'Daisyau-dono ohasimasi te, ohom-aruzi no koto nihakani suru wo, ito yoki wori nari' to, koso ari ture."
1.5.4  「 大将殿とは、この女二の宮の御夫にやおはしつらむ」
 「大将殿とは、今上の女二の宮の夫君のことでいらっしゃろうか」
 「大将さんというのは今の女二にょにみやのたしか御良人ごりょうじんでいらっしゃる方ですね」
  "Daisyau-dono to ha, kono Womna-Ni-no-Miya no ohom-wotoko ni ya ohasi tu ram."
1.5.5  など言ふも、 いとこの世遠く、田舎びにたりやまことにさにやあらむ。時々、かかる山路分けおはせし時、いとしるかりし随身の声も、うちつけにまじりて聞こゆ。
 などと言うのも、とてもこの世から隔絶して、田舎じみたことよ。ほんとうにそうであろうか。時々、このような山路を分けていらしたとき、とてもはっきりしていた随身の声も、ふと中に混じって聞こえる。
 などと言っているのも、世間に通じない田舎いなかめいたことであった。あの人たちが言うように実際大将が通るのであろうかと浮舟が思っている時に、かつてこれに似た山路やまみちを薫の通って来たころ、特色のある声を出した随身の声が他の声にまじって聞こえてきた。
  nado ihu mo, ito konoyo tohoku, winakabi ni tari ya! Makotoni sa ni ya ara m? Tokidoki, kakaru yamadi wake ohase si toki, ito sirukari si zuizim no kowe mo, utituke ni maziri te kikoyu.
1.5.6  月日の過ぎゆくままに、昔のことのかく思ひ忘れぬも、「今は何にすべきことぞ」と心憂ければ、阿弥陀仏に思ひ紛らはして、いとどものも言はでゐたり。横川に通ふ人のみなむ、このわたりには 近きたよりなりける
 月日の過ぎ行くままに、昔のことがこのように忘れられないでいるのも、「今さらどうなることでもない」と嫌な気持ちになるので、阿弥陀仏に思いを紛らわして、ますます無口になっていた。横川に行き来する人だけが、この近辺では身近な人なのであった。
 月日が過ぎれば過ぎるほど昔を恋しく思ったりすることは何にもならぬむだなことであると情けなく姫君は思い、阿弥陀仏あみだぶつ讃仰さんごうすることに紛らせ、平生よりも物数を言わずにいた。
  Tukihi no sugi yuku mama ni, mukasi no koto no kaku omohi wasure nu mo, "Ima ha nani ni su beki koto zo?" to kokoroukere ba, Amida-Hotoke ni omohi magirahasi te, itodo mono mo iha de wi tari. Yokawa ni kayohu hito nomi nam, kono watari ni ha tikaki tayori nari keru.
注釈66紛るることなく草庵の人々の気持ちが。1.5.1
注釈67眺めゐたまへるに主語は浮舟。1.5.1
注釈68谷の軒端より『集成』は「谷のはずれから」。『完訳』は「谷あいに」。『新大系』は「谷が眺められる軒の下から」と注す。以下、地の文が自然と会話文に移っていく。1.5.1
注釈69誰がおはするにかあらむ以下「多くこそ見ゆれ」まで、尼の詞。1.5.2
注釈70昼あなたに以下「こそありつれ」まで、妹尼の詞。1.5.3
注釈71大将殿おはしまして以下「いとよき折なり」まで、僧都の詞を引用。1.5.3
注釈72大将殿とは以下「おはしつらむ」まで、尼の詞。1.5.4
注釈73いとこの世遠く田舎びにたりや以下「近きたよりなりける」まで、語り手の批評とも浮舟の心中とも読める混然とした視点からの叙述。『一葉抄』は「双紙詞也」と指摘。『集成』は「聞いている浮舟の心中を代弁した形の草子地」。『完訳』は「浮舟の心中に即した地の文。京の貴族世界から絶縁した尼たちの物言いに、複雑な感慨を催す」と注す。1.5.5
注釈74まことにさにやあらむ『集成』は「浮舟の心中を地の文で直叙する」と注す。1.5.5
注釈75近きたよりなりける『集成』「親しく目にする人なのであった」。『完訳』は「俗世を身近に知る頼りなのであった」と注す。1.5.6
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渋谷栄一校訂(C)
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渋谷栄一注釈
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渋谷栄一訳(C)(ver.1-2-2)
現代語訳
与謝野晶子
電子化
上田英代(古典総合研究所)
底本
角川文庫 全訳源氏物語
校正・
ルビ復活
柳沢成雄(青空文庫)

2003年3月23日

渋谷栄一訳
との突合せ
若林貴幸、宮脇文経

2005年10月13日

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Written in Japanese roman letters
by Eiichi Shibuya(C)
Picture "Eiri Genji Monogatari"(1650 1st edition)
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