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 1<HTML>⏎1 
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d33-5<meta ...>⏎
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 6<TITLE>玉鬘(大島本)</TITLE>⏎3 
 7</HEAD>⏎4 
cd2:18-9<body background="wallppr062.gif">⏎
First updated 8/8/2001(ver.1-2)<BR>⏎
5<BODY>⏎
cd3:210-12Last updated 11/19/2009(ver.2-2)<BR>⏎
渋谷栄一注釈(C)<BR>⏎
<P
>⏎
6-7<ADDRESS>Last updated 11/19/2009(ver.2-2)<BR>⏎
渋谷栄一注釈(C)</ADDRESS>⏎
 13  <H3>玉 鬘</H3><BR>⏎8 
d114<P>⏎
 15 [底本]<BR>⏎9 
 16財団法人古代学協会・古代学研究所編 角田文衛・室伏信助監修『大島本 源氏物語』第四巻 一九九六年 角川書店<BR>⏎10 
d117<P>⏎
 18 [参考文献]<BR>⏎11 
 19池田亀鑑編著『源氏物語大成』第二巻「校異篇」一九五六年 中央公論社<BR>⏎12 
d120<P>⏎
 21阿部秋生・秋山 虔・今井源衛・鈴木日出男校注・訳『古典セレクション 源氏物語』第六巻 一九九八年 小学館<BR>⏎13 
 22柳井 滋・室伏信助・大朝雄二・鈴木日出男・藤井貞和・今西祐一郎校注『新日本古典文学大系 源氏物語』第二巻 一九九四年 岩波書店<BR>⏎14 
 23阿部秋生・秋山 虔・今井源衛・鈴木日出男校注・訳『完訳日本の古典 源氏物語』第四巻 一九八五年 小学館<BR>⏎15 
 24石田穣二・清水好子校注『新潮日本古典集成 源氏物語』第三巻 一九七八年 新潮社<BR>⏎16 
 25阿部秋生・秋山 虔・今井源衛校注・訳『日本古典文学全集 源氏物語』第三巻 一九七二年 小学館<BR>⏎17 
 26玉上琢弥著『源氏物語評釈』第五巻 一九六五年 角川書店<BR>⏎18 
 27山岸徳平校注『日本古典文学大系 源氏物語』第二巻 一九五九年 岩波書店<BR>⏎19 
 28池田亀鑑校注『日本古典全書 源氏物語』第三巻 一九五〇年 朝日新聞社<BR>⏎20 
d129<P>⏎
 30伊井春樹編『源氏物語引歌索引』一九七七年 笠間書院<BR>⏎21 
 31榎本正純篇著『源氏物語の草子地 諸注と研究』一九八二年 笠間書院<BR>⏎22 
d132<P>⏎
 33第一章 玉鬘の物語 筑紫流離の物語<BR>⏎23 
 34<OL>⏎24 
 35<LI>源氏と右近、夕顔を回想---<A HREF="#in11">年月隔たりぬれど、飽かざりし夕顔を</A>⏎25 
 36<LI>玉鬘一行、筑紫へ下向---<A HREF="#in12">母君の御行方を知らむと、よろづの神仏に申して</A>⏎26 
 37<LI>乳母の夫の遺言---<A HREF="#in13">少弐、任果てて上りなむとするに、遥けきほどに</A>⏎27 
 38<LI>玉鬘への求婚---<A HREF="#in14">聞きついつつ、好いたる田舎人ども、心かけ消息がる</A>⏎28 
 39</OL>⏎29 
 40第二章 玉鬘の物語 大夫監の求婚と筑紫脱出<BR>⏎30 
 41<OL>⏎31 
 42<LI>大夫の監の求婚---<A HREF="#in21">大夫監とて、肥後国に族広くて</A>⏎32 
 43<LI>大夫の監の訪問---<A HREF="#in22">三十ばかりなる男の、丈高くものものしく太りて</A>⏎33 
 44<LI>大夫の監、和歌を詠み贈る---<A HREF="#in23">下りて行く際に、歌詠ままほしかりければ</A>⏎34 
 45<LI>玉鬘、筑紫を脱出---<A HREF="#in24">次郎が語らひ取られたるも、いと恐ろしく</A>⏎35 
 46<LI>都に帰着---<A HREF="#in25">「かく、逃げぬるよし、おのづから言ひ出で</A>⏎36 
 47</OL>⏎37 
 48第三章 玉鬘の物語 玉鬘、右近と椿市で邂逅<BR>⏎38 
 49<OL>⏎39 
 50<LI>岩清水八幡宮へ参詣---<A HREF="#in31">九条に、昔知れりける人の残りたりけるを</A>⏎40 
 51<LI>初瀬の観音へ参詣---<A HREF="#in32">「うち次ぎては、仏の御なかには、初瀬なむ</A>⏎41 
 52<LI>右近も初瀬へ参詣---<A HREF="#in33">これも徒歩よりなめり。よろしき女二人</A>⏎42 
 53<LI>右近、玉鬘に再会す---<A HREF="#in34">からうして、「おぼえずこそはべれ。筑紫の国に</A>⏎43 
 54<LI>右近、初瀬観音に感謝---<A HREF="#in35">日暮れぬと、急ぎたちて、御燈明の事ども</A>⏎44 
 55<LI>三条、初瀬観音に祈願---<A HREF="#in36">国々より、田舎人多く詣でたりけり</A>⏎45 
 56<LI>右近、主人の光る源氏について語る---<A HREF="#in37">明けぬれば、知れる大徳の坊に下りぬ</A>⏎46 
 57<LI>乳母、右近に依頼---<A HREF="#in38">「かかる御さまを、ほとほとあやしき所に</A>⏎47 
 58<LI>右近、玉鬘一行と約束して別れる---<A HREF="#in39">参り集ふ人のありさまども、見下さるる方なり</A>⏎48 
 59</OL>⏎49 
 60第四章 光る源氏の物語 玉鬘を養女とする物語<BR>⏎50 
 61<OL>⏎51 
 62<LI>右近、六条院に帰参する---<A HREF="#in41">右近は、大殿に参りぬ。このことをかすめ聞こゆる</A>⏎52 
 63<LI>右近、源氏に玉鬘との邂逅を語る---<A HREF="#in42">大殿籠もるとて、右近を御脚参りに召す</A>⏎53 
 64<LI>源氏、玉鬘を六条院へ迎える---<A HREF="#in43">かく聞きそめてのちは、召し放しつつ</A>⏎54 
 65<LI>玉鬘、源氏に和歌を返す---<A HREF="#in44">正身は、「ただかことばかりにても</A>⏎55 
 66<LI>源氏、紫の上に夕顔について語る---<A HREF="#in45">上にも、今ぞ、かのありし昔の世の物語</A>⏎56 
 67<LI>玉鬘、六条院に入る---<A HREF="#in46">かくいふは、九月のことなりけり</A>⏎57 
 68<LI>源氏、玉鬘に対面する---<A HREF="#in47">その夜、やがて大臣の君渡りたまへり</A>⏎58 
 69<LI>源氏、玉鬘の人物に満足する---<A HREF="#in48">めやすくものしたまふを、うれしく思して</A>⏎59 
 70<LI>玉鬘の六条院生活始まる---<A HREF="#in49">中将の君にも、「かかる人を尋ね出でたるを</A>⏎60 
 71</OL>⏎61 
 72第五章 光る源氏の物語 末摘花の物語と和歌論<BR>⏎62 
 73<OL>⏎63 
 74<LI>歳末の衣配り---<A HREF="#in51">年の暮に、御しつらひのこと、人々の装束など</A>⏎64 
 75<LI>末摘花の返歌---<A HREF="#in52">皆、御返りどもただならず。御使の禄</A>⏎65 
 76<LI>源氏の和歌論---<A HREF="#in53">「古代の歌詠みは、『唐衣』、『袂濡るる』</A>⏎66 
 77</OL>⏎67 
d178<P>⏎
note2279 <H4>第一章 玉鬘の物語 筑紫流離の物語</H4>68 
note2280 <A NAME="in11">[第一段 源氏と右近、夕顔を回想]</A><BR>69 
d181<P>⏎
 82【年月隔たりぬれど飽かざりし夕顔をつゆ忘れたまはず】−夕顔追慕で語り始められる。「末摘花」巻の冒頭(「思へどもなほ飽かざりし夕顔の露に後れし心地を、年月経れども思し忘れず」)に類似。「夕顔」「露」は縁語。「夕顔」は人名であるが、「夕顔」巻の女主人公の意。夕顔の死から十七年を経過。<BR>⏎70 
 83【あらましかばと】−『源氏釈』は「世の中にあらましかばと思ふ人なきが多くもなりにけるかな」(拾遺集哀傷、一二九九、藤原為頼)を引歌として指摘。<BR>⏎71 
d184<P>⏎
 85【対の上の御方に】−紫の上をさす。<BR>⏎72 
 86【女君も思したれど】−紫の上。<BR>⏎73 
 87【心のうちには】−右近の心の中ではの意。<BR>⏎74 
d188<P>⏎
 89【故君ものしたまはましかば】−以下「交じらひさぶらひたまひなまし」まで、右近の心中。「ましかば--まし」反実仮想の構文。「故君」は夕顔をさす。<BR>⏎75 
 90【明石の御方ばかりの】−右近の心中に意識される「明石の御方」の「御方」という呼称に注意される。<BR>⏎76 
 91【こそあらざらめ】−係助詞「こそ」--「め」已然形の係結びは逆接用法。<BR>⏎77 
d192<P>⏎
 93【かの西の京にとまりし若君をだに】−玉鬘をさす。副助詞「だに」の訳しかた、『集成』は「あの西の京に残された若君ですら、その後の行方も分らず」(否定構文中の逆接的意)。『完訳』は「右近は、せめてあの西の京に残された若君だけでも--その行方も分らないし」(最小限の願望)。意中、死後の夕顔の行方と生存者の玉鬘の行方の比較されていよう。<BR>⏎78 
 94【今さらにかひなきことによりて我が名漏らすな】−「犬上の鳥籠の山なるいさら川いさと答へてわが名もらすな」(古今集墨滅歌、一一〇八、読人しらず)を踏まえる。<BR>⏎79 
 95【男少弐になりて行きければ下りにけり】−乳母の夫が大宰少弐になったので、その妻の乳母も玉鬘を伴って下向してしまったの意。<BR>⏎80 
d196<P>⏎
note2297 <A NAME="in12">[第二段 玉鬘一行、筑紫へ下向]</A><BR>81 
d198<P>⏎
c299-100【母君の御行方を知らむ】−推量の助動詞「む」は意志、知りたいの意。<BR>⏎
【さるき所々】−『集成』は「心当りの諸方」。『完訳』は「しかるべき所」と訳す。<BR>⏎
82-83【母君の御行方を知らむ】−推量の助動詞「む」は意志、知りたいの意。<BR>⏎
【さるき所々】−『集成』は「心当りの諸方」。『完訳』は「しかるべき所」と訳す。<BR>⏎
 101【さらばいかがはせむ】−以下「ほのめかさむ」まで、乳母の心中。「いかがはせむ」は反語表現。もはやどうしようもない、の意。<BR>⏎84 
 102【父君に】−かつての頭中将(「帚木」巻)、現在は内大臣(「少女」巻に昇進)。<BR>⏎85 
 103【さるべきたよりもなきうちに】−格助詞「に」の訳しかた、『集成』は「お知らせする適当なつてもない上に」(添加の意)。『完訳』は「しかるべきつてもないうちに」(時間の意)。<BR>⏎86 
d1104<P>⏎
 105【母君のおはしけむ方も】−以下「たまふべきにもあらず」まで乳母たちの詞。「尋ね問ひたまはば」の主語は内大臣。<BR>⏎87 
 106【まだよくも見なれたまはぬに】−主語は内大臣。<BR>⏎88 
 107【うしろめたかるべし】−自分たち乳母らの気持ち。<BR>⏎89 
 108【知りながらはた率て下りねと許したまふべきにもあらず】−「知りながら」の主語は内大臣。「下りね」は完了の助動詞「ぬ」の命令形。<BR>⏎90 
d1109<P>⏎
 110【母の御もとへ行くか】−玉鬘の詞。あどけない表現。<BR>⏎91 
d1111<P>⏎
 112【娘どもも】−乳母の娘たち。大宰少弍との間の子。玉鬘には乳母子、乳姉妹の関係になるが、既に娘盛りに近い。<BR>⏎92 
 113【思ひこがるるを】−夕顔を。<BR>⏎93 
d1114<P>⏎
 115【心若うおはせしものを】−以下「下らざらまし」まで、娘たちの詞。夕顔の人柄について語る。<BR>⏎94 
 116【おはせましかば】−以下、姉の詞か。「ましかば--まし」反実仮想の構文。<BR>⏎95 
d1117<P>⏎
 118【帰る浪もうらやましく】−『源氏釈』は「いとどしく過ぎ行く方の恋しきに羨ましくも帰る波かな」(後撰集羈旅、一三五二、在原業平・伊勢物語、七段)を指摘。<BR>⏎96 
d1119<P>⏎
 120【うらがなしくも遠く来にけるかな】−舟子の唄。<BR>⏎97 
d1121<P>⏎
 122【聞くままに】−「ままに」(名詞「まま」+格助詞「に」)〜するや否や、〜するなりすぐに、のニュアンス。<BR>⏎98 
d1123<P>⏎
cd4:2124-127【舟人もたれを恋ふとか大島のうらがなしげに声の聞こゆる】−姉の歌。「大島の浦」と「心(うら)悲し」の掛詞。『完訳』は「夕顔追慕の歌」と注す。<BR>⏎
<P>⏎
【来し方も行方も知らぬ沖に出でてあはれいづくに君を恋ふらむ】−妹の唱和歌。『完訳』は「亡き夕顔に呼びかける歌」と注す。<BR>⏎
<P>⏎
99-100【舟人もたれを恋ふとか大島の--うらがなしげに声の聞こゆる】−姉の歌。「大島の浦」と「心(うら)悲し」の掛詞。『完訳』は「夕顔追慕の歌」と注す。<BR>⏎
【来し方も行方も知らぬ沖に出でて--あはれいづくに君を恋ふらむ】−妹の唱和歌。『完訳』は「亡き夕顔に呼びかける歌」と注す。<BR>⏎
 128【鄙の別れに】−『源氏釈』は「思ひきや鄙の別れに衰へて海人の縄たき漁りせむとは」(古今集雑下、九六一、小野篁)を指摘。<BR>⏎101 
d1129<P>⏎
c2130-131【金の岬過ぎてわれは忘れず】−「ちはやぶる金の岬を過ぎぬとも我は忘れず志賀の皇神」(万葉集巻七)。『集成』は「「我は忘れず」(夕顔のことはいつまでもわすれない)などということが」と注す。<BR>⏎
【同じさまなる女など添ひたまうて見えたまへば名残心地悪し悩みなどしければ】−『集成』は「夢に見えた女が魔性のものだからで、乳母も夕顔の身の上に何か変事が起ったのだろうと思う。某の院で枕上に立った女である」。『完訳』は「夕顔頓死の折、枕上に現れた女。源氏の夢にも現れた。乳母は真相を知らないが、語り手が理解して語る。尊敬語に注意、女は高貴」と注す。<BR>⏎
102-103【金の岬過ぎてわれは忘れず】−「ちはやぶる金の岬を過ぎぬとも我は忘れず志賀の皇神」(万葉集巻七)。『集成』は「「我は忘れず」(夕顔のことはいつまでもわすれない)などということが」と注す。<BR>⏎
【同じさまなる女など添ひたまうて見えたまへば名残心地悪し悩みなどしければ】−『集成』は「夢に見えた女が魔性のものだからで、乳母も夕顔の身の上に何か変事が起ったのだろうと思う。某の院で枕上に立った女である」。『完訳』は「夕顔頓死の折、枕上に現れた女。源氏の夢にも現れた。乳母は真相を知らないが、語り手が理解して語る。尊敬語に注意、女は高貴」と注す。<BR>⏎
 132【なほ世に亡くなりたまひにけるなめり】−乳母の心中。夕顔の死を思う。<BR>⏎104 
d1133<P>⏎
note22134 <A NAME="in13">[第三段 乳母の夫の遺言]</A><BR>105 
d1135<P>⏎
 136【少弐任果てて】−大宰少弐の任期は五年。<BR>⏎106 
 137【上りなどするに】−大島本は「なと」とある。『新大系』は底本のままとする。『集成』『古典セレクション』は諸本に従って「なむと」と校訂する。<BR>⏎107 
 138【ことなる勢ひなき人はたゆたひつつ】−『完訳』は「格別の勢力も財力もなく、旅費に困る。清貧潔白の行政官であったらしい」と注す。<BR>⏎108 
 139【この君の十ばかりにもなりたまへるさまの】−玉鬘十歳に成長。<BR>⏎109 
d1140<P>⏎
 141【我さへうち捨てたてまつりて】−以下「堪へずなりぬること」まで、少弐の心中。<BR>⏎110 
d1142<P>⏎
 143【ただこの姫君】−以下「な思ひそ」まで、少弐の詞。男の子たちへの遺言。<BR>⏎111 
d1144<P>⏎
 145【その人の御子とは】−内大臣を意識した敬語法。<BR>⏎112 
 146【母君よりもまさりてきよらに】−母の夕顔よりも美人である。この物語で最高の美を表す「きよら」が使用されている。<BR>⏎113 
d1147<P>⏎
note22148 <A NAME="in14">[第四段 玉鬘への求婚]</A><BR>114 
d1149<P>⏎
 150【聞きついつつ】−『集成』は「姫君の評判をそれからそれへと聞き伝えて。「聞き継ぎつつ」の音便形」と注す。<BR>⏎115 
d1151<P>⏎
 152【容貌などは】−以下「限りは持たらむ」まで、乳母の詞。<BR>⏎116 
d1153<P>⏎
 154【故少弐の孫は】−以下「あたらものを」まで、人々の詞。<BR>⏎117 
 155【言ふなるを聞くも】−大島本は「いふ(ふ+なる越)きくも」とある。すなわち「なるを」を補入する。『集成』『新大系』は底本の補入に従う。『古典セレクション』は底本の訂正以前と諸本に従って「言ふ」と校訂する。<BR>⏎118 
d1156<P>⏎
 157【いかさまにして】−以下「きこえたまはじ」まで、乳母の詞。<BR>⏎119 
d1158<P>⏎
 159【もの思し知るままに】−主語は玉鬘。<BR>⏎120 
 160【年三】−一年のうち正月五月九月の三月のそれぞれ前半十五日間、持戒精進して仏菩薩の名号を唱えること。<BR>⏎121 
 161【二十ばかりになりたまふままに】−玉鬘は筑紫に来て十六年たった。<BR>⏎122 
d1162<P>⏎
note22163 <H4>第二章 玉鬘の物語 大夫監の求婚と筑紫脱出</H4>123 
note22164 <A NAME="in21">[第一段 大夫の監の求婚]</A><BR>124 
d1165<P>⏎
 166【大夫監】−大宰府の判官。大弐、少弐に次ぐ三等官で正六位下。特に従五位下に叙れたので「大夫」という。<BR>⏎125 
c1167【いみじきはありとも】−以下「見隠して持たらむ」まで、大夫監の詞。<BR>⏎
126【いみじきかたはありとも】−以下「見隠して持たらむ」まで、大夫監の詞。<BR>⏎
 168【いかでかかることを】−以下「尼になりなむとす」まで、乳母の返事。<BR>⏎127 
 169【この国に】−肥前国に。<BR>⏎128 
d1170<P>⏎
 171【この男子どもを】−乳母の息子たち。<BR>⏎129 
 172【思ふさまになりなば】−以下「交はすべきこと」まで、大夫監の詞。<BR>⏎130 
d1173<P>⏎
 174【しばしこそ】−以下「せぬことどももしてむ」まで、二人の詞。<BR>⏎131 
 175【いと頼もしき人なり】−大夫監をさす。<BR>⏎132 
c1176【これに悪しせられては】−大夫監をさす。<BR>⏎
133【これに悪しせられては】−大夫監をさす。<BR>⏎
 177【世に知らでは】−大島本は「よにしらてハ」とある。『新大系』は底本のままとする。『集成』『古典セレクション』は諸本に従って「世に知られでは」と受身の助動詞「れ」を補訂する。<BR>⏎134 
 178【世界にもおはしけめ】−大島本は「おハしけめ」とある。『新大系』は底本のままとする。『集成』『古典セレクション』は諸本に従って「おはしましけめ」と「まし」を補訂する。<BR>⏎135 
 179【せぬことどもしてむ】−大島本は「せぬ事ともしてん」とある。『新大系』は底本のままとする。『集成』『古典セレクション』は諸本に従って「せぬことどももしてむ」と係助詞「も」を補訂する。<BR>⏎136 
d1180<P>⏎
 181【と言ひ脅せば】−次男三男が長兄や母に説得。<BR>⏎137 
 182【中の兄なる豊後介】−兄弟三人の中の長男の豊後介の意。『完訳』は「この豊後介は任国に住んでいないらしい。任期が終って肥前国の小土豪と化しているか」と注す。<BR>⏎138 
d1183<P>⏎
 184【なほいとたいだいしく】−以下「京へ上げたてまつりてむ」まで、豊後介の詞。<BR>⏎139 
d1185<P>⏎
 186【母君の】−以下「混じりたまひなむこと」まで、娘たちの心中。「母君」は夕顔をさす。<BR>⏎140 
d1187<P>⏎
 188【我はいと】−大夫監の振る舞いについて語る。<BR>⏎141 
 189【いとたみたりける】−「迂 タミタリ・マガル・メグル」(名義抄)。「訛(た)む」と清音で読む。<BR>⏎142 
d1190<P>⏎
note22191 <A NAME="in22">[第二段 大夫の監の訪問]</A><BR>143 
d1192<P>⏎
 193【三十ばかり】−河内本と別本(陽保)は「四十はかり」とある。<BR>⏎144 
 194【懸想人は】−以下、語り手の挿入句。『集成』は「夜こっそりやって来るはずの求婚者が夕暮にやって来たというのだが、大夫の監をいかにも馬鹿にしきった感じの草子地」。『完訳』は「「見ゆ」まで、監の求婚ぶりを揶揄する語り手の評」と注す。<BR>⏎145 
 195【秋ならねどもあやしかりけり】−『源氏釈』は「いつとても恋しからずはあらねども秋の夕はあやしかりけり」(古今集恋一、五四六、読人しらず)を指摘。<BR>⏎146 
d1196<P>⏎
 197【祖母おとど】−乳母をいう。世間体には祖母と触れているのでこういう。『集成』は「やや諧謔の気味がある」と注す。<BR>⏎147 
d1198<P>⏎
 199【故少弐の】−以下「たてまつらじものをや」まで、大夫監の詞。<BR>⏎148 
 200【いと情けび】−『集成』は「いかにも風雅のたしなみ深く」。『完訳』は「人情深く立派であられたので」と訳す。<BR>⏎149 
 201【私の君と思ひ申して】−内々の主君、個人的な主君。「公の主君」に対することば。⏎150 
 202【おとども】−乳母をさす。婦人に対する敬称である。<BR>⏎151 
 203【よからぬ女どもあまたあひ知りてはべるを】−大夫監の妻妾たちをさす。<BR>⏎152 
 204【疎むななり】−「ななり」は断定助動詞(連体形)+伝聞推定助動詞。<BR>⏎153 
 205【人並みにはしはべりなむや】−大島本は「ひとなみにハ」とある。『新大系』は底本のままとする。『集成』『古典セレクション』は諸本に従って「等しなみには」と校訂する。<BR>⏎154 
d1206<P>⏎
 207【いかがは】−以下「わづらひぬる」まで、乳母の詞。<BR>⏎155 
cd4:2208-211【いかでか人に御覧ぜられむ】−玉鬘の思い。「御覧ず」は結婚する意。<BR>⏎
<P>⏎
【さらにな思し憚りそ】(七二六D)−以下「靡きたまへる」まで、大夫監の詞。不具な身体は神仏に祈って治してやるという。<BR>⏎
<P>⏎
156-157【いかでか人に御覧ぜられむ】−玉鬘の思い。「御覧ず」は結婚する意。<BR>⏎
【さらにな思し憚りそ】−以下「靡きたまへる」まで、大夫監の詞。不具な身体は神仏に祈って治してやるという。<BR>⏎
 212【その日ばかり】−大夫監の詞、間接話法、実際は何月何日にと言ったものである。<BR>⏎158 
 213【この月は季の果てなり】−乳母の詞、間接話法であろう。今三月である。季節の末の月は結婚を忌む風習があった。<BR>⏎159 
d1214<P>⏎
note22215 <A NAME="in23">[第三段 大夫の監、和歌を詠み贈る]</A><BR>160 
d1216<P>⏎
c1217【君にもし心違はば松浦なる鏡の神をかけて誓はむ】−大夫監の贈歌。「鏡」と「掛く」は縁語。<BR>⏎
161【君にもし心違はば松浦なる--鏡の神をかけて誓はむ】−大夫監の贈歌。「鏡」と「掛く」は縁語。<BR>⏎
 218【この和歌は】−以下「思ひたまふる」まで、歌に添えた詞。『集成』は「「歌」と言わないで、「和歌」と言ったのは耳馴れぬ言葉づかいで、無骨な田舎者らしい感じであろう」と注す。<BR>⏎162 
d1219<P>⏎
c1220【世づかうひうひしや】−語り手の評語。『集成』は「恋の道には不馴れで場違いな感じだ。嘲弄気味の草子地」。『完訳』「語り手の揶揄」と注す。<BR>⏎
163【世づかうひうひしや】−語り手の評語。『集成』は「恋の道には不馴れで場違いな感じだ。嘲弄気味の草子地」。『完訳』「語り手の揶揄」と注す。<BR>⏎
 221【まろはましてものもおぼえず】−乳母の娘の詞。<BR>⏎164 
 222【思ひわびて】−大島本は「思わひて」とある。『新大系』は底本のままとする。『集成』『古典セレクション』は諸本に従って「思ひわづらひて」と校訂する。<BR>⏎165 
d1223<P>⏎
cd2:1224-225【年を経て祈る心の違ひなば鏡の神をつらしとや見む】−乳母の返歌。監の「心違はば」「鏡の神」の語句を受けて「心違ひなば」「鏡の神をつらしとや見む」と詠み返す。「年を経て祈る心」とは、大夫監との結婚ではなく上京のことをさす。<BR>⏎
<P>⏎
166【年を経て祈る心の違ひなば--鏡の神をつらしとや見む】−乳母の返歌。監の「心違はば」「鏡の神」の語句を受けて「心違ひなば」「鏡の神をつらしとや見む」と詠み返す。「年を経て祈る心」とは、大夫監との結婚ではなく上京のことをさす。<BR>⏎
 226【待てや】−以下「仰せらるる」まで、大夫監の詞。『集成』は「これはいかなおっしゃりよう」。『完訳』は「これはなんと仰せられたか」と訳す。<BR>⏎167 
d1227<P>⏎
 228【この人の】−以下「ひがめたまふなめりや」まで、娘たちの詞。玉鬘が不具者であることをいう。<BR>⏎168 
cd2:1229-230き違へいづらは】−大島本は「ひきたかへい(△&い)つらハ」とある。すなわち元の文字「△」(判読不明、あるいは「へ」とあったか)を摺り消してその上に「い」と重ね書きする。『集成』は「引き違へば、つらく」と校訂し「このご縁談が駄目になったら、ひどいとお思いであろう気持を。「引き違へば」、歌の「違ひなば」を無理に解釈したもの。「れ」は軽い敬語」と注す。『新大系』『古典セレクション』は諸本に従って「ひき違へはべらば」と校訂する。『完訳』は「監との縁談がこわれたら、乳母が後悔するだろうという意味を。乳母の歌の「たがひなば」を、監に都合よく解釈して、老耄の人乳母の言いそこないだと、とりなす」と注す。<BR>⏎
<P>⏎
169き違へいづらは】−大島本は「ひきたかへい(△&い)つらハ」とある。すなわち元の文字「△」(判読不明、あるいは「へ」とあったか)を摺り消してその上に「い」と重ね書きする。『集成』は「引き違へば、つらく」と校訂し「このご縁談が駄目になったら、ひどいとお思いであろう気持を。「引き違へば」、歌の「違ひなば」を無理に解釈したもの。「れ」は軽い敬語」と注す。『新大系』『古典セレクション』は諸本に従って「ひき違へはべらば」と校訂する。『完訳』は「監との縁談がこわれたら、乳母が後悔するだろうという意味を。乳母の歌の「たがひなば」を、監に都合よく解釈して、老耄の人乳母の言いそこないだと、とりなす」と注す。<BR>⏎
 231【おいさりさり】−大夫監の詞。納得の気持ち。<BR>⏎170 
 232【をかしき御口つきかな】−以下「あなづりそ」まで、大夫監の詞。<BR>⏎171 
d1233<P>⏎
 234【堪へずやありけむ往ぬめり】−語り手の推測。『完訳』は「語り手の辛辣な気持をこめた叙述」と注す。<BR>⏎172 
d1235<P>⏎
note22236 <A NAME="in24">[第四段 玉鬘、筑紫を脱出]</A><BR>173 
d1237<P>⏎
cd2:1238-239【いかがは仕まつるべからむ】−以下「なかなかなる目をや見む」まで、豊後介の心中。<BR>⏎
<P>⏎
174【いかがは仕まつるべからむ】−以下「なかなかなる目をや見む」まで、豊後介の心中。<BR>⏎
 240【生きたらじ】−監と結婚するくらいなら生きていたくない、意。<BR>⏎175 
d1241<P>⏎
c1242【いみじきことを思ひかまへて出で立つ】−『集成』は「思い切った計略をめぐらして」と訳す。<BR>⏎
176【いみじきことを思ひへて出で立つ】−『集成』は「思い切った計略をめぐらして」と訳す。<BR>⏎
 243【年ごろ経ぬるよるべを捨ててこの御供に出で立つ】−長年連れ添ってきた夫を捨てて出立する。<BR>⏎177 
d1244<P>⏎
 245【あてきと言ひしは】−『集成』は「「妹たち」のうちの一人。乳母の娘二人のうちの妹方だけが上京する。昔、童女としての名を「あてき」(貴君)といった娘が今は兵部の君と名乗っている、とここで説明する。父の少弐が、昔、京で兵部省に勤めていたのに因んだ呼び名であろう」。『完訳』は「後文で、兄豊後介の旧名が兵藤太と知られるので、これは兄の旧官職名によるか」と注す。<BR>⏎178 
d1246<P>⏎
 247【姉のおもとは】−大島本は「あねのおもとハ」とある。『新大系』は底本のままとする。『集成』『古典セレクション』は諸本に従って「姉おもとは」と「の」を削除する。『集成』は「姉者人。兵部の君の姉。「おもと」は、婦人に対する敬称」と注す。<BR>⏎179 
 248【年経つる故里とて】−九州の地に十六年を過す。兵部の君の心に即した叙述。<BR>⏎180 
d1249<P>⏎
cd4:2250-253【浮島を漕ぎ離れても行く方やいづく泊りと知らずもあるかな】−兵部の君の歌。将来の不安をいう。「浮き」に「憂き」を響かす。<BR>⏎
<P>⏎
【行く先も見えぬ路に舟出して風にまかする身こそ浮きたれ】−玉鬘の返歌。「浮島」の語句を受けて「身こそ浮きたれ」と返す。「浮き」に「憂き」を響かす。<BR>⏎
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181-182【浮島を漕ぎ離れても行く方や--いづく泊りと知らずもあるかな】−兵部の君の歌。将来の不安をいう。「浮き」に「憂き」を響かす。<BR>⏎
【行く先も見えぬ路に舟出して--風にまかする身こそ浮きたれ】−玉鬘の返歌。「浮島」の語句を受けて「身こそ浮きたれ」と返す。「浮き」に「憂き」を響かす。<BR>⏎
note22254 <A NAME="in25">[第五段 都に帰着]</A><BR>183 
 255【かく逃げぬるよし】−以下「追ひ来なむ」まで、乳母たちの心中。<BR>⏎184 
 256【言ひ出で伝へば】−「言ひ伝ふ」(下二段)の未然形+係助詞「ば」の仮定条件を表す。<BR>⏎185 
 257【追ひ来なむ】−「なむ」は、完了助動詞「な」+推量助動詞「む」。確述の意を表し、きっと〜するにちがいないのニュアンス。<BR>⏎186 
 258【響の灘も】−「音に聞き目にはまだ見ぬ播磨なる響きの灘と聞くはまことか」(忠見集)。「響灘」は、今の播磨灘、当時の歌枕。<BR>⏎187 
d1259<P>⏎
 260【海賊の舟にや】−以下「飛ぶやうにて来る」まで、舟子などの詞。<BR>⏎188 
d1261<P>⏎
cd2:1262-263【憂きことに胸のみ騒ぐ響きには響の灘もさはらざりけり】−乳母の歌。<BR>⏎
<P>⏎
189【憂きことに胸のみ騒ぐ響きには--響の灘もさはらざりけり】−乳母の歌。<BR>⏎
 264【川尻といふ所近づきぬ】−舟子などの詞。「川尻」は淀川の河口。<BR>⏎190 
d1265<P>⏎
 266【唐泊より川尻おすほどは】−舟子の唄う船歌。「唐泊」は今の姫路市的形町福泊かとされる。ここから淀川の河口まで三日の行程。<BR>⏎191 
 267【歌ひすさみて】−大島本は「うたひすさみて」とある。『新大系』は底本の表記のままとする。『集成』『古典セレクション』は諸本に従って「歌ひすさびて」と校訂する。<BR>⏎192 
d1268<P>⏎
c1269【いとかなしき妻子も忘れぬ】−豊後介の歌。『集成』は「「韓泊より、川尻おすほどは」に続く歌詞と思われる」と注す。<BR>⏎
193【いとかなしき妻子も忘れぬ】−豊後介の歌。『集成』は「「韓泊より、川尻おすほどは」に続く歌詞と思われる」と注す。<BR>⏎
 270【げにぞ皆】−以下「いかがしなすらむ」まで、豊後介の心中。「げに」は舟唄に納得する気持ち。<BR>⏎194 
 271【追ひまどはして】−九州の地に残してきた妻子縁者を大夫監が、の意。<BR>⏎195 
d1272<P>⏎
 273【胡の地の妻児をば虚しく棄て捐てつ】−豊後介の口ずさみ。「涼源の郷井をば見ること得ずなりぬ胡の地の妻児をば虚しく棄て捐てつ」(白氏文集巻三、縛戎人)。彼の漢籍に対する教養が窺える。『完訳』は「豊後介の、筑紫の妻子を捨てて都人にも迎えられぬのに重ねられる」と注す。<BR>⏎196 
d1274<P>⏎
 275【げにあやしのわざや】−以下「いかに思ふらむ」まで、兵部の君の心中。女房ながらも『白氏文集』「縛戎人」の詩句が理解できるとは、かなりの教養である。<BR>⏎197 
 276【年ごろ従ひ来つる人】−筑紫の地で結婚した夫をさす。<BR>⏎198 
d1277<P>⏎
 278【ただ一所の御ためにより】−玉鬘をさす。<BR>⏎199 
d1279<P>⏎
 280【あきれておぼゆれど】−『集成』は「成行きに任せるほかないという気持」と注す。<BR>⏎200 
d1281<P>⏎
note22282 <H4>第三章 玉鬘の物語 玉鬘、右近と椿市で邂逅</H4>201 
note22283 <A NAME="in31">[第一段 岩清水八幡宮へ参詣]</A><BR>202 
d1284<P>⏎
 285【秋にもなりゆくままに】−上京したのが四月二十日前、「延喜式」によれば、都まで海路三十日とあるが、「思ふ方の風さへ進みて、あやふきまで走り上りぬ」とあったから四月の末ないし五月の初めには都に着いていたものと思われる。七月になった。<BR>⏎203 
d1286<P>⏎
 287【何かこの身は】−以下「何心ちかせまし」まで、豊後介の詞。<BR>⏎204 
d1288<P>⏎
 289【語らひ慰めて】−豊後介が母乳母を。<BR>⏎205 
d1290<P>⏎
 291【神仏こそは】−以下「早く申したまへ」まで、豊後介の詞。<BR>⏎206 
 292【八幡の宮】−岩清水八幡宮。<BR>⏎207 
d1293<P>⏎
 294【八幡に詣でさせたてまつる】−豊後介が玉鬘を岩清水八幡宮に参詣させる。<BR>⏎208 
 295【親の語らひし大徳】−故父大宰少弐が親しくしていた大徳の意。<BR>⏎209 
d1296<P>⏎
note22297 <A NAME="in32">[第二段 初瀬の観音へ参詣]</A><BR>210 
d1298<P>⏎
 299【うち次ぎては】−以下「恵みたまひてむ」まで、豊後介の詞。<BR>⏎211 
 300【年経たまへれば】−大島本は「としへ給えれハ」と表記する。『新大系』は「年経え(へ)れば」と整定する。『集成』『古典セレクション』は諸本に従って「年経たまひつれば」と校訂する。<BR>⏎212 
d1301<P>⏎
 302【いかなる罪深き身にて】−以下「顔見せたまへ」まで、玉鬘の心中。<BR>⏎213 
d1303<P>⏎
 304【椿市といふ所に四日といふ巳の時ばかりに】−京から椿市までは牛車で三日の行程であった。玉鬘は徒歩で四日目の巳の刻(午前十時頃)に到着した。<BR>⏎214 
d1305<P>⏎
 306【足のうら動かれず】−『集成』は「もう一歩も踏み出せず」。『完訳』は「足の裏が動こうにも動かれず」と訳す。<BR>⏎215 
d1307<P>⏎
 308【人宿したてまつらむと】−以下「心にまかせて」まで、家主の詞。<BR>⏎216 
 309【げに人びと来ぬ】−家主の言葉通りの意。<BR>⏎217 
d1310<P>⏎
note22311 <A NAME="in33">[第三段 右近も初瀬へ参詣]</A><BR>218 
d1312<P>⏎
 313【人びとは奥に入り他に隠しなどして】−先客の玉鬘一行の人々をさす。<BR>⏎219 
d1314<P>⏎
 315【軟障】−部屋を仕切る幕。<BR>⏎220 
 316【おはします】−主語は玉鬘。<BR>⏎221 
d1317<P>⏎
 318【この来る人も恥づかしげもなし】−右近一行をさす。『完訳』は「このやってきた人たちは、こちらで気のおけるほどの客でもなさそうである」。玉鬘一行と同程度ぐらいという意。<BR>⏎222 
 319【さるはかの世とともに恋ひ泣く右近なりけり】−語り手の真相を明かす挿入文。当事者同士はまだ気づいていない。予め読者に知らせて登場人物たちがそれにいつ気づくかきたを持たせた語り口。『集成』は「この巻の冒頭に右近のことを書いた作者の用意がここに至って知られる」。『完訳』は「じつは--、として、語り手が新来の客の素姓に気づいて語る体。文末の「けり」の重畳にも注意」と注す。<BR>⏎223 
d1320<P>⏎
 321【参り物なるべし】−語り手の挿入句。<BR>⏎224 
d1322<P>⏎
 323【これは御前に】−以下「かたはらいたしや」まで、豊後介の詞。<BR>⏎225 
d1324<P>⏎
 325【三条ここに召す】−女房の詞。<BR>⏎226 
d1326<P>⏎
 327【故御方に下人なれど】−「故御方」は夕顔をさす。以下「ありし者なりけり」まで、右近の心中。<BR>⏎227 
d1328<P>⏎
 329【この女に問はむ】−以下「おはするにや」まで、右近の心中。<BR>⏎228 
d1330<P>⏎
cd2:1331-332【いと憎しおぼゆるもうちつけなりや】−語り手の挿入句。『集成』は「「うちつけなりや」は草子地」。『完訳』は「右近のせっかちぶりを評す」と注す。<BR>⏎
<P>⏎
229【いと憎しおぼゆるもうちつけなりや】−語り手の挿入句。『集成』は「「うちつけなりや」は草子地」。『完訳』は「右近のせっかちぶりを評す」と注す。<BR>⏎
note22333 <A NAME="in34">[第四段 右近、玉鬘に再会す]</A><BR>230 
d1334<P>⏎
 335【おぼえずこそはべれ】−以下「人違へにやはべらむ」まで、三条の詞。<BR>⏎231 
 336【筑紫の国に二十年ばかり経にける】−実際は十六年間である。<BR>⏎232 
d1337<P>⏎
 338【わが齢もいとどおぼえて】−『完訳』は「右近は夕顔の乳母子。同年齢とすれば三十七歳ぐらい」と注す。<BR>⏎233 
d1339<P>⏎
 340【なほさし覗け】−以下「見知りたりや」まで、右近の詞。<BR>⏎234 
d1341<P>⏎
 342【顔さし出でたり】−大島本は「かほ」とある。『新大系』は底本のままとする。『集成』『古典セレクション』は諸本に従って「顔を」と「を」を補訂する。<BR>⏎235 
d1343<P>⏎
 344【あが御許にこそ】−以下「おはしますか」まで、三条の詞。<BR>⏎236 
d1345<P>⏎
 346【まづおとどは】−以下「聞こえしは」まで、右近の詞。<BR>⏎237 
d1347<P>⏎
 348【君の御こと】−夕顔のこと。<BR>⏎238 
d1349<P>⏎
 350【皆おはします】−以下「聞こえむ」まで、三条の詞。<BR>⏎239 
d1351<P>⏎
 352【夢の心地もするかな】−以下「対面しぬべきこと」まで、玉鬘一行の人々の詞。<BR>⏎240 
 353【いとつらく言はむかたなく思ひきこゆる人に】−『集成』は「ほんとにひどい、何という人かと恨めしくお思いする人に」と訳す。<BR>⏎241 
d1354<P>⏎
 355【老い人は】−乳母をさす。<BR>⏎242 
d1356<P>⏎
 357【わが君はいかがなりたまひにし】−以下「またたきはべる」まで、乳母の詞。<BR>⏎243 
c1358【遥かなる世界にて】−筑紫の地をさす。<BR>⏎
244【遥かなる世界にて】−筑紫の地をさす。<BR>⏎
 359【うち捨てたてまつりたまへる】−主語は夕顔、目的語は玉鬘。<BR>⏎245 
 360【またたきはべる】−目をしばたたいている。死なずに生きているという意。『集成』は「まだ目も瞑れないでいます」。『完訳』は「どうやらまだ目をつぶらずに長らえております」と訳す。<BR>⏎246 
d1361<P>⏎
 362【いふかひなかりしこと】−夕顔の頓死をさす。<BR>⏎247 
d1363<P>⏎
 364【いでや聞こえてもかひなし】−以下「はや亡せたまひにき」まで、右近の詞。夕顔の死去を告げる。<BR>⏎248 
 365【二三人ながら】−乳母、三条、右近らをさす。<BR>⏎249 
d1366<P>⏎
note22367 <A NAME="in35">[第五段 右近、初瀬観音に感謝]</A><BR>250 
d1368<P>⏎
 369【立ち別る】−室内で自分たちの部屋に戻ったことをいう。<BR>⏎251 
 370【この介にもことのさまだに言ひ知らせあへず】−『集成』は「右近とめぐり合った事情も話して聞かせられない」。『完訳』は「あの豊後介にもこうした事情を話して聞かせる暇さえなく」と訳す。出立の忙しさのため豊後介に事の詳細を話す余裕がないことをいう。<BR>⏎252 
 371【われも人もことに恥づかしくはあらで皆下り立ちぬ】−大島本は「はつかしくハあらて」とある。『新大系』は底本のままとする。『集成』『古典セレクション』は諸本に従って「恥づかしもあらで」とと校訂する。『集成』は「どちらも(乳母方も右近も)お互い格別気を遣うでもなく。昔馴染みであることが分ったから、姿を隠したりしないのである」。『完訳』は「気心の知れた心安さで、の意」と注す。<BR>⏎253 
d1372<P>⏎
 373【すこし足なれたる人は】−右近をさす。<BR>⏎254 
 374【この御師は】−玉鬘一行が祈祷を依頼した僧侶をさす。<BR>⏎255 
d1375<P>⏎
 376【なほここにおはしませ】−右近の詞。玉鬘一行を誘う。<BR>⏎256 
d1377<P>⏎
 378【尋ね交はし】−右近と乳母らとが互いに探し合っての意。<BR>⏎257 
 379【こなたに移したてまつる】−右近の部屋に玉鬘を。<BR>⏎258 
d1380<P>⏎
 381【かくあやしき身なれど】−以下「かたじけなきわざなり」まで、右近の詞。<BR>⏎259 
 382【今の大殿に】−源氏、太政大臣である。<BR>⏎260 
d1383<P>⏎
 384【この人を】−以下「幸ひあらせたてまつりたまへ」まで、右近の心中。<BR>⏎261 
 385【大臣の君の】−源氏をさす。<BR>⏎262 
d1386<P>⏎
note22387 <A NAME="in36">[第六段 三条、初瀬観音に祈願]</A><BR>263 
d1388<P>⏎
 389【この国の守の北の方】−長谷寺のある大和国の国司の北の方。<BR>⏎264 
d1390<P>⏎
 391【大悲者には】−以下「返り申しは仕うまつらむ」まで、三条の詞。「大悲者」は観音菩薩の慈悲を称えて呼ぶ語。<BR>⏎265 
 392【三条らも】−仏や貴人の前では自分の実名を名乗る。<BR>⏎266 
d1393<P>⏎
 394【いとゆゆしくも言ふかな】−右近の心中。<BR>⏎267 
d1395<P>⏎
 396【いといたくこそ】−以下「おはしまさむよ」まで、右近の詞。すっかり田舎者になった三条を非難して言う。<BR>⏎268 
 397【中将殿は】−昔の頭中将。玉鬘の父。<BR>⏎269 
 398【御おぼえ】−「御」は帝からの「おぼえ」の意。帝の御信任の意。<BR>⏎270 
 399【大臣にて】−内大臣である。<BR>⏎271 
 400【いかばかりいつかしき御仲に】−内大臣とその実娘という関係をいう。<BR>⏎272 
 401【御方】−玉鬘をさす。<BR>⏎273 
d1402<P>⏎
 403【あなかまたまへ】−以下「あなむくつけ」まで、三条の詞。<BR>⏎274 
d1404<P>⏎
 405【さやうの人は】−大徳をさす。<BR>⏎275 
d1406<P>⏎
 407【例の藤原の瑠璃君といふが】−以下「たてまつるべし」まで、右近の詞。『集成』は「「瑠璃君」は、姫君の幼名かともいうが、恐らく右近の作った仮名であろう」と注す。<BR>⏎276 
 408【その願も果たしたてまつるべし】−後に改めてお礼参りはしましょう、という主旨。<BR>⏎277 
d1409<P>⏎
 410【いとかしこきことかな】−以下「こそはべれ」まで、法師の詞。<BR>⏎278 
 411【たゆみなく祈り申しはべる験】−主語は法師。<BR>⏎279 
d1412<P>⏎
 413【いと騒がしう夜一夜行なふなり】−「なり」伝聞推定の助動詞。『集成』は「局から、僧たちの仏前の礼拝のさまをうかがう趣旨」と注す。<BR>⏎280 
d1414<P>⏎
note22415 <A NAME="in37">[第七段 右近、主人の光る源氏について語る]</A><BR>281 
d1416<P>⏎
 417【物語心やすくとなるべし】−「なるべし」は語り手の推測。<BR>⏎282 
d1418<P>⏎
c1419【おぼえぬ高き交らひをして】−以下「聞こゆべきなめりかし」まで、右近の詞。六条院での宮仕えをいう。<BR>⏎
283【おぼえぬ高き交らひをして】−以下「聞こゆべきなめりかし」まで、右近の詞。六条院での宮仕えをいう。<BR>⏎
 420【殿の上の御容貌に】−紫の上をさす。<BR>⏎284 
 421【生ひ出でたまふ姫君の御さま】−明石姫君をさす。この時、七歳。<BR>⏎285 
 422【かしづきたてまつりたまふさまも】−源氏が明石姫君を。<BR>⏎286 
 423【かうやつれたまへる御さまの】−大島本は「御さま」とある。『新大系』は底本のままとする。『集成』『古典セレクション』は諸本に従って「さま」とし「御」を削除する。玉鬘をさす。<BR>⏎287 
d1424<P>⏎
 425【大臣の君】−源氏をさす。<BR>⏎288 
c1426【当代の御母后とこえしとこの姫君の御容貌と】−「当代の御母后」とは冷泉帝の母后すなわち藤壺。藤壺と明石姫君をさす。<BR>⏎
289【当代の御母后とこえしとこの姫君の御容貌と】−「当代の御母后」とは冷泉帝の母后すなわち藤壺。藤壺と明石姫君をさす。<BR>⏎
 427【よき人とはこれを言ふにやあらむとおぼゆる】−源氏の詞を引用。<BR>⏎290 
d1428<P>⏎
 429【見たてまつり並ぶるに】−主語は右近。藤壺や明石姫君と玉鬘を比較。<BR>⏎291 
 430【かの后の宮をば】−藤壺をさす。<BR>⏎292 
d1431<P>⏎
 432【上の御容貌は】−紫の上をさす。<BR>⏎293 
 433【殿も】−源氏をさす。<BR>⏎294 
 434【我に並びたまへるこそ君はおほけなけれ】−源氏の詞を引用。冗談である。<BR>⏎295 
d1435<P>⏎
 436【見たてまつるに】−右近が源氏や紫の上を。<BR>⏎296 
 437【御ありさまどもを】−接尾語「ども」複数を表し、源氏と紫の上をいう。<BR>⏎297 
 438【いづくか劣りたまはむ】−主語は玉鬘。<BR>⏎298 
 439【頂きを離れたる光やはおはする】−仏の光背に喩えた。『完訳』は「玉鬘の明るいさまを予感させる軽妙な話しぶり」と注す。<BR>⏎299 
 440【ただこれを】−紫の上や玉鬘をさす。<BR>⏎300 
d1441<P>⏎
note22442 <A NAME="in38">[第八段 乳母、右近に依頼]</A><BR>301 
d1443<P>⏎
 444【かかる御さまを】−以下「思し構えよ」まで、乳母の詞。<BR>⏎302 
c2445-446【家かまどを捨て】−『集成』は「せっかくの生活の根拠をも捨て、の意」。『完訳』は「家財道具のいっさいを置き去りにして」と訳す。<BR>⏎
【男女の頼むべき子どもに引き別れ】−乳母の息子二郎三郎そして娘二人のうち長女は筑紫に残った。<BR>⏎
303-304【家かまどを捨て】−『集成』は「せっかくの生活の根拠をも捨て、の意」。『完訳』は「家財道具のいっさいを置き去りにして」と訳す。<BR>⏎
【男女の頼むべき子どもに引き別れ】−乳母の息子二郎三郎そして娘二人のうち長女は筑紫に残った。<BR>⏎
 447【あが御許はやくよきさまに】−大島本は「はやく」とある。『新大系』は底本のままとする。『集成』『古典セレクション』は諸本に従って「はや」とし「く」を削除する。<BR>⏎305 
 448【父大臣に】−玉鬘の父内大臣。<BR>⏎306 
d1449<P>⏎
 450【恥づかしう思いてうしろ向きたまへり】−主語は玉鬘。敬語表現に注意。<BR>⏎307 
d1451<P>⏎
 452【いでや身こそ数ならねど】−大島本は「かすならねと」とある。『新大系』は底本のままとする。『集成』『古典セレクション』は諸本に従って「数ならねども」とし「も」を補訂する。以下「のたまはする」まで、右近の詞。<BR>⏎308 
 453【いかにならせたまひにけむ】−右近の、源氏への詞を引用。主語は玉鬘。<BR>⏎309 
c1454【聞こしめしきて】−主語は源氏。<BR>⏎
310【聞こしめしきて】−主語は源氏。<BR>⏎
 455【われいかで尋ねきこえむと思ふを聞き出でたてまつりたらば】−源氏の詞を引用。「われに知らせよ」などの主旨の語句が省略。<BR>⏎311 
d1456<P>⏎
 457【大臣の君は】−以下「知らせたてまつりたまへ」まで、乳母の詞。<BR>⏎312 
 458【おはしますなり】−「なり」伝聞推定の助動詞。<BR>⏎313 
d1459<P>⏎
 460【世に忘れがたく】−以下「おはしまさましよ」まで、右近の詞。<BR>⏎314 
 461【思して】−主語は源氏。<BR>⏎315 
 462【かの御代はりに】−以下「人には知らせて」まで、源氏の詞を引用。亡き夕顔の代わりに。<BR>⏎316 
c1463【心幼かりけることは】−『集成』は「以下、自分の消息を乳母に伝えなかった右近の弁解」と注す。<BR>⏎
317【心幼かりけることは】−『集成』は「以下、自分の消息を乳母に伝えなかった右近の弁解」と注す。<BR>⏎
 464【過ごししほどに】−大島本は「すこし」とある。『新大系』は底本のままとする。『集成』『古典セレクション』は諸本に従って「過ぐし」と校訂する。<BR>⏎318 
 465【さりとも】−筑紫に赴任することにはなっても、の意。<BR>⏎319 
 466【かのありし夕顔の五条にぞ】−『古典セレクション』は「玉鬘は、夕顔が急死した当時、西の京の乳母の家におり、五条の宿には行っていない。右近は、五条の宿にいたから、当然これを知っているはず。また「夕顔の五条」という言い方は、源氏または読者の印象によるものであり、右近の言葉としては不自然である。作者の錯誤と考えられる」と注す。<BR>⏎320 
 467【田舎人にておはしまさましよ】−「まし」反実仮想の助動詞。『集成』は「(姫君が)田舎人でお過しになったかもしれない」。『完訳』は「田舎人になるところだった」と訳す。<BR>⏎321 
d1468<P>⏎
 469【日一日】−大島本は「ひひとい」と表記する。すなわち「い」は「ひ」のイ音便化である。『集成』『新大系』『古典セレクション』は諸本に従って「ひひとひ」と整定する。<BR>⏎322 
d1470<P>⏎
note22471 <A NAME="in39">[第九段 右近、玉鬘一行と約束して別れる]</A><BR>323 
d1472<P>⏎
c1473【二本の杉のたちどを尋ねずは古川野辺に君を見ましや】−右近の玉鬘への贈歌。「初瀬川古川の辺に二本ある杉年を経てまたもあひ見む二本ある杉」(古今集雑体歌、旋頭歌、一〇〇九、読人しらず)を踏まえる。<BR>⏎
324【二本の杉のたちどを尋ねずは--古川野辺に君を見ましや】−右近の玉鬘への贈歌。「初瀬川古川の辺に二本ある杉年を経てまたもあひ見む二本ある杉」(古今集雑体歌、旋頭歌、一〇〇九、読人しらず)を踏まえる。<BR>⏎
 474【うれしき瀬にも】−歌に添えた詞。「祈りつつ頼みぞわたる初瀬川うれしき瀬にも流れ合ふやと」(古今六帖、川、藤原兼輔)を引歌とする。<BR>⏎325 
d1475<P>⏎
cd2:1476-477【初瀬川はやくのことは知らねども今日の逢ふ瀬に身さへ流れぬ】−玉鬘の返歌。右近の引歌二首の「初瀬川」「流れ」及び「古川」「見ましや」の語句を受けて「初瀬川」「逢瀬」「流れ(泣かれ)」と返す。「早い」に流れの速さと時間の早い時期すなわち昔の意、「流れ」と「泣かれ」を掛ける。「瀬」「流れ」は「川」の縁語。玉鬘の教養をうかがわせる技巧的な和歌である。『完訳』は「右近の用いた二首の引歌を了解しえた応じ方に注意。玉鬘の和歌への精通を証す」と注す。<BR>⏎
<P>⏎
326【初瀬川はやくのことは知らねども--今日の逢ふ瀬に身さへ流れぬ】−玉鬘の返歌。右近の引歌二首の「初瀬川」「流れ」及び「古川」「見ましや」の語句を受けて「初瀬川」「逢瀬」「流れ(泣かれ)」と返す。「早い」に流れの速さと時間の早い時期すなわち昔の意、「流れ」と「泣かれ」を掛ける。「瀬」「流れ」は「川」の縁語。玉鬘の教養をうかがわせる技巧的な和歌である。『完訳』は「右近の用いた二首の引歌を了解しえた応じ方に注意。玉鬘の和歌への精通を証す」と注す。<BR>⏎
 478【容貌はいとかく】−以下「いかでかく生ひ出でたまひにけむ」まで、右近の心中。<BR>⏎327 
 479【おはせましかば】−「ましかば」--「まし」反実仮想の構文。<BR>⏎328 
d1480<P>⏎
 481【母君はただいと若やかにおほどかにてやはやはとぞたをやぎたまへりし】−夕顔の姿態と性格をいう。<BR>⏎329 
 482【これは気高くもてなしなど恥づかしげによしめきたまへり】−玉鬘の態度と性格をいう。<BR>⏎330 
d1483<P>⏎
 484【人並々ならむことも】−主語は玉鬘。<BR>⏎331 
 485【この人の物語の】−右近の話をさす。<BR>⏎332 
 486【下草】−玉鬘を譬喩。<BR>⏎333 
 487【頼もしくぞ思しなりぬる】−主語は玉鬘。敬語表現に注意。<BR>⏎334 
d1488<P>⏎
cd2:1489-490【右近家は六条の院近きわたりなりければほど遠からで言ひ交はすもたつき出で来ぬる心地しけり】−右近の家は五条、玉鬘一行の宿は九条である。<BR>⏎
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335【右近家は六条の院近きわたりなりければほど遠からで言ひ交はすもたつき出で来ぬる心地しけり】−右近の家は五条、玉鬘一行の宿は九条である。<BR>⏎
note22491 <H4>第四章 光る源氏の物語 玉鬘を養女とする物語</H4>336 
note22492 <A NAME="in41">[第一段 右近、六条院に帰参する]</A><BR>337 
d1493<P>⏎
c1494【大殿】−六条院をさす。<BR>⏎
338【大殿】−六条院をさす。<BR>⏎
 495【御門引き入るるよりけはひことに広々として】−六条院の門内の様子。『集成』は「格別立派な様子で」。『完訳』は「二条院と比べ「広々」。六条院転居まもない時期とみられる叙述。少女巻末と時期的に重なろう」と注す。<BR>⏎339 
 496【御前にも参らで】−紫の上のもとへ。<BR>⏎340 
d1497<P>⏎
 498【右近を召し出づれば】−紫の上が。<BR>⏎341 
d1499<P>⏎
 500【などか里居は久しくしつるぞ】−大島本は「しつるそ」とある。『新大系』は底本のままとする。『集成』『古典セレクション』は諸本に従って「しつる」とし「そ」を削除する。以下「などありつらむ」まで、源氏の詞。<BR>⏎342 
 501【例ならずやまめ人の】−『集成』『新大系』は「例ならず、やまめ人の」と整定する。『古典セレクション』は「例ならずや。まめ人の」と整定する。「やまめ人」は「やもめ人」、寡婦の意。<BR>⏎343 
 502【こまがへる】−若返る意。右近四十歳くらい。<BR>⏎344 
d1503<P>⏎
 504【まかでて七日に】−以下「見たまへつけたりし」まで、右近の詞。<BR>⏎345 
 505【あはれなる人を】−『集成』は「可憐なお人を」。『完訳』は「お懐かしい人を」と訳す。<BR>⏎346 
d1506<P>⏎
 507【何人ぞ】−源氏の詞。<BR>⏎347 
d1508<P>⏎
 509【ふと聞こえ出でむも】−以下「思さむ」まで、右近の心中。<BR>⏎348 
d1510<P>⏎
 511【今聞こえさせはべらむ】−右近の詞。源氏に対する敬語表現。<BR>⏎349 
d1512<P>⏎
 513【女君は二十七八にはなりたまひぬらむかし】−紫の上の年齢、二十七八歳。語り手の挿入句的説明。<BR>⏎350 
 514【またこのほどに】−以下「加はりたまひにけれ」まで、右近の目を通して見た感想。<BR>⏎351 
d1515<P>⏎
 516【かの人を】−以下「あるべきわざかな」まで、右近の心中。「かの人」は玉鬘をさす。<BR>⏎352 
 517【なほこよなきに】−紫の上の美質をいう。<BR>⏎353 
d1518<P>⏎
note22519 <A NAME="in42">[第二段 右近、源氏に玉鬘との邂逅を語る]</A><BR>354 
d1520<P>⏎
 521【若き人は】−以下「睦びよかりけれ」まで、源氏の詞。<BR>⏎355 
d1522<P>⏎
 523【さりや】−以下「わづらはしきに」まで、女房の詞。<BR>⏎356 
 524【上も】−以下「危ふし」まで、源氏の詞。<BR>⏎357 
 525【うちとけ過ぎ】−大島本は「うちとけすき」とある。『新大系』は底本のままとする。『集成』『古典セレクション』は諸本に従って「うちとけ過ぎば」とし「ば」を補訂する。⏎358 
d1526<P>⏎
 527【右近に語らひて笑ひたまふ】−『集成』は「ひそひそおっしゃって」。『完訳』は「右近をお相手にお笑いになる」と訳す。<BR>⏎359 
d1528<P>⏎
 529【かかる古人】−右近をさす。<BR>⏎360 
d1530<P>⏎
 531【かの尋ね出でたりけむや】−以下「率て来たるか」まで、源氏の詞。<BR>⏎361 
d1532<P>⏎
 533【あな見苦しや】−以下「見たまへつけたりし」まで、右近の詞。「たまへ」謙譲の補助動詞。<BR>⏎362 
d1534<P>⏎
 535【げにあはれなりけることかな】−以下「いづこにかは」まで、源氏の詞。<BR>⏎363 
d1536<P>⏎
 537【あやしき山里になむ】−以下「堪へがたく思ひたまへられし」まで、右近の詞。係助詞「なむ」の下文には「おはしましける」などの語句が省略されている。<BR>⏎364 
d1538<P>⏎
 539【よし心知りたまはぬ御あたりに】−源氏の詞。敬語表現は紫の上に対する敬意。格助詞「に」は原因理由を表す。<BR>⏎365 
d1540<P>⏎
 541【あなわづらはし】−以下「あらぬものを」まで、紫の上の詞。<BR>⏎366 
d1542<P>⏎
 543【容貌などは】−以下「劣らじや」まで、源氏の詞。「夕顔」という人物呼称は作品中の人物が命名し使用している呼称である。<BR>⏎367 
d1544<P>⏎
 545【かならずさしも】−以下「見えたまひしか」まで、右近の詞。母夕顔の美しさと比較。<BR>⏎368 
 546【思ひたまへりしを】−右近の謙譲表現。<BR>⏎369 
d1547<P>⏎
 548【をかしのことや】−以下「この君と」まで、源氏の詞。「この君」は紫の上をさす。<BR>⏎370 
d1549<P>⏎
 550【とのたまへば】−大島本は「のた給へは」とある。「た」は衍字であろう。<BR>⏎371 
d1551<P>⏎
 552【いかでかさまでは】−右近の詞。<BR>⏎372 
d1553<P>⏎
 554【したり顔にこそ】−以下「うしろやすしかし」まで、源氏の詞。<BR>⏎373 
d1555<P>⏎
note22556 <A NAME="in43">[第三段 源氏、玉鬘を六条院へ迎える]</A><BR>374 
d1557<P>⏎
 558【召し放ちつつ】−源氏が右近を他の女房から離して召す。<BR>⏎375 
d1559<P>⏎
 560【さらばかの人】−以下「いたうもてなさむ」まで、源氏の詞。<BR>⏎376 
 561【何か知られむ】−反語表現。「れ」受身助動詞。<BR>⏎377 
d1562<P>⏎
 563【ただ御心になむ】−以下「罪軽ませたまはめ」まで、右近の詞。<BR>⏎378 
 564【誰れかは伝へほのめかしたまはむ】−反語表現。源氏をおいて他にいない、意。<BR>⏎379 
d1565<P>⏎
 566【いたうもかこちなすかな】−源氏の詞。<BR>⏎380 
d1567<P>⏎
 568【あはれにはかなかりける】−以下「心地すべけれ」まで、源氏の詞。<BR>⏎381 
 569【かくて集へる方々のなかに】−大島本は「つとへ(へ+る)」とある。すなわち「る」を補入する。『新大系』は底本の補入に従う。『集成』『古典セレクション』は諸本に従って「集へたる」と校訂する。<BR>⏎382 
 570【口惜しくなむ】−係助詞「なむ」の下に「ある」などの語句が省略。<BR>⏎383 
 571【さてものしたまはば】−主語は玉鬘。<BR>⏎384 
d1572<P>⏎
 573【御消息たてまつれたまふ】−大島本は「たてまつれ給」とある。『集成』『新大系』は底本のままとする。『古典セレクション』は諸本に従って「奉(たてまつ)りたまふ」と校訂する。<BR>⏎385 
 574【かの末摘花の】−地の文中での呼称。作者命名の人物呼称。<BR>⏎386 
d1575<P>⏎
 576【かく聞こゆるを】−源氏の手紙の端書。<BR>⏎387 
cd2:1577-578【知らずとも尋ねて知らむ三島江に生ふる三稜の筋は絶えじを】−源氏から玉鬘への贈歌。「三島江」は歌枕。「三島江に生ふる三稜の」は「筋」に係る序詞。<BR>⏎
<P>⏎
388【知らずとも尋ねて知らむ三島江に--生ふる三稜の筋は絶えじを】−源氏から玉鬘への贈歌。「三島江」は歌枕。「三島江に生ふる三稜の」は「筋」に係る序詞。<BR>⏎
 579【御文みづからまかでて】−右近自身がの意。<BR>⏎389 
 580【のたまふさま】−主語は源氏。源氏からの伝言を玉鬘に伝える。<BR>⏎390 
 581【上にも語らひきこえたまへるなるべし】−語り手の推測を挿入。<BR>⏎391 
d1582<P>⏎
note22583 <A NAME="in44">[第四段 玉鬘、源氏に和歌を返す]</A><BR>392 
d1584<P>⏎
 585【正身は】−玉鬘をさす。<BR>⏎393 
 586【ただかことばかりにても】−以下「交じらはむ」まで、玉鬘の心中。<BR>⏎394 
 587【こそうれしからめ】−係結び、逆接用法。<BR>⏎395 
 588【おもむけて】−『集成』は「お思いで。「おもむけ」は、相手をこちらの方に向けさせる意で、ここは、自分の意向を示す、もらすというほどの意」。『完訳』は「というお気持なので」と注す。<BR>⏎396 
 589【人びとも】−乳母をはじめ女房たちをさす。<BR>⏎397 
d1590<P>⏎
 591【おのづから】−以下「おはしまさば」まで、乳母たちの詞。<BR>⏎398 
 592【いかでか御覧じつけられむと思ひたまへしだに】−『集成』は「どうぞして姫のお目に止りますようにと思っておりましたのさえ」。『完訳』は「どうぞして姫君にお目にかかれますようにと願っておりましたのでさえ」と訳す。<BR>⏎399 
 593【誰れも誰れも】−内大臣と玉鬘をさす。<BR>⏎400 
d1594<P>⏎
 595【まづ御返りを】−乳母たちの詞。<BR>⏎401 
 596【いとこよなく田舎びたらむものを】−玉鬘の心中。<BR>⏎402 
d1597<P>⏎
cd2:1598-599【数ならぬ三稜や何の筋なれば憂きにしもかく根をとどめけむ】−玉鬘の返歌。「三稜」「筋」の語句を受けて返す。「三稜」に「身」、「憂き」に「泥(うき)」を掛ける。「三稜」と「泥」は縁語。玉鬘の教養をうかがわせる返歌。<BR>⏎
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403【数ならぬ三稜や何の筋なれば--憂きにしもかく根をとどめけむ】−玉鬘の返歌。「三稜」「筋」の語句を受けて返す。「三稜」に「身」、「憂き」に「泥(うき)」を掛ける。「三稜」と「泥」は縁語。玉鬘の教養をうかがわせる返歌。<BR>⏎
 600【手ははかなだち】−大島本は「はかなたち」とある。『新大系』は底本のままとする。『集成』『古典セレクション』は諸本に従って「はかなだちて」とし「て」を補訂する。<BR>⏎404 
d1601<P>⏎
 602【南の町には】−以下「聞きなさむ」まで、源氏の心中。<BR>⏎405 
 603【対どもなどなし】−大島本は「たいともなと△(△#)なし」とある。すなわち「と」の次の文字(判読不明)を抹消する。『新大系』は底本の抹消に従う。『集成』『古典セレクション』は諸本に従って「対どもなどもなし」とし「も」を補訂する。<BR>⏎406 
 604【中宮おはします】−大島本は「中宮」とある。『新大系』は底本のままとする。『集成』『古典セレクション』は諸本に従って「中宮の」とし「の」を補訂する。<BR>⏎407 
 605【さてさぶらふ人の列にや聞きなさむ】−大島本は「聞なさむ」とある。『新大系』は底本のままとする。『集成』『古典セレクション』は諸本に従って「聞きなされむ」とし受身助動詞「れ」を補訂する。<BR>⏎408 
 606【すこし埋れたれど】−以下「異方に移して」まで、源氏の心中。<BR>⏎409 
 607【あひ住みにも】−以下「語らひてもありなむ」まで、源氏の心中。<BR>⏎410 
d1608<P>⏎
note22609 <A NAME="in45">[第五段 源氏、紫の上に夕顔について語る]</A><BR>411 
d1610<P>⏎
 611【わりなしや】−以下「思ひきこゆるなれ」まで、源氏の詞。『集成』は「もう死んでしまった人のことを、聞かれもしないのにお話しすることがありましょうか。(亡き人のことを)世にある人のことのように--の意」。『完訳』は「生きている人のことだって、尋ねられもせぬのにこちらから進んで話をきり出すことがありましょうか」と訳す。<BR>⏎412 
 612【人の上とてや】−係助詞「や」反語表現。亡くなってしまた人のことだから話すのだ、の意。<BR>⏎413 
 613【人にはことには】−大島本は「ことにハ」とある。『新大系』は底本のままとする。『集成』『古典セレクション』は諸本に従って「ことに」とし「は」を削除する。<BR>⏎414 
cd2:1614-615【思ひきこゆれ】−「なれ」は断定の助動詞。<BR>⏎
<P>⏎
415【思ひきこゆれ】−「なれ」は断定の助動詞。<BR>⏎
 616【人の上にても】−以下「ありしかな」まで、源氏の詞。<BR>⏎416 
 617【おのづからさるまじきをもあまた見しなかに】−『集成』は「ついかかわり合ってはならぬ人とも数多く付き合ったなかで」。『完訳』は「ついそうばかりもならぬ女と数多くかかわりあうことになりましたが、そのなかで」と訳す。<BR>⏎417 
 618【北の町にものする人の列には】−明石の御方が六条院に移転するのは十月(乙女)、この話の九月にはまだ移転していないはず。矛盾がある。<BR>⏎418 
 619【などか見ざらまし】−反語表現。<BR>⏎419 
d1620<P>⏎
 621【さりとも明石の列には立ち並べたまはざらまし】−紫の上の詞。「明石」「波」「立ち」は和歌の縁語。<BR>⏎420 
d1622<P>⏎
 623【なほ北の御殿をばめざましと心置きたまへり】−紫の上は依然として明石の御方を許してないという設定で語られる。<BR>⏎421 
 624【姫君のいとうつくしげにて何心もなく】−明石姫君、七歳。<BR>⏎422 
d1625<P>⏎
note22626 <A NAME="in46">[第六段 玉鬘、六条院に入る]</A><BR>423 
d1627<P>⏎
 628【かくいふは九月のことなりけり】−語り手の物語の時間進行についての説明的文章。なお、「乙女」巻の明石御方の六条院移転の記述と時間的齟齬がある。<BR>⏎424 
 629【いかでかはあらむ】−反語表現。語り手の口吻の感じられる文章。<BR>⏎425 
cd2:1630-631【にはかに惑ひ出でたまひしぎに】−筑紫出奔の騒動をいう。<BR>⏎
<P>⏎
426【にはかに惑ひ出でたまひしぎに】−筑紫出奔の騒動をいう。<BR>⏎
 632【右近が里の五条に】−『完訳』は「右近の五条の住いが昔からのそれであるなら、玉鬘や乳母の消息を知らなかったのは不自然。玉鬘はここに逗留し、転居を準備」と注す。<BR>⏎427 
 633【東の御方に聞こえつけたてまつりたまふ】−花散里に玉鬘を預ける。<BR>⏎428 
d1634<P>⏎
 635【あはれと思ひし人の】−以下「ことに触れて教へたまへ」まで、源氏の詞。花散里には実子のようにいう。<BR>⏎429 
 636【中将を】−夕霧をさす。中将昇進は初出。<BR>⏎430 
 637【悪しくやはある】−反語表現。『集成』は「夕霧のお世話をお願いしたのですが、結果は上々です。同じようにお世話ください」と注す。<BR>⏎431 
d1638<P>⏎
 639【げにかかる人の】−以下「よきことかな」まで、花散里の詞。<BR>⏎432 
d1640<P>⏎
 641【かの親なりし人は】−以下「思ひきこゆれば」まで、源氏の詞。<BR>⏎433 
 642【御心もうしろやすく】−「親なりし人」すなわち夕顔に対しては敬語表現を使用していない。ここで「御心」とあるのは対面している花散里に対する敬語表現。係助詞「も」は同類の意。あなたも同様にの意。<BR>⏎434 
d1643<P>⏎
 644【つきづきしく】−以下「うれしかるべきことになむ」まで、花散里の詞。夕霧への後見を謙遜していう。<BR>⏎435 
 645【うれしかるべきことになむのたまふ】−大島本は「なむの給」とある。『新大系』は底本のままとする。『集成』『古典セレクション』は諸本に従って「なむとのたまふ」とし「と」を補訂する。<BR>⏎436 
d1646<P>⏎
 647【何人また尋ね出でたまへるならむ】−以下「古者扱ひかな」まで、女房たちの詞。『集成』は「源氏が昔の恋人でも引き取って世話するのだろうと臆測する体」と注す。<BR>⏎437 
d1648<P>⏎
note22649 <A NAME="in47">[第七段 源氏、玉鬘に対面する]</A><BR>438 
d1650<P>⏎
 651【光る源氏などいふ御名は】−大島本は「御な」とある。『新大系』は底本のままとする。『集成』『古典セレクション』は諸本に従って「名」とし「御」を削除する。<BR>⏎439 
 652【年ごろのうひうひしさに】−長年都の生活には縁がなかったの意。<BR>⏎440 
 653【はつかに見たてまつる】−兵部が源氏の姿を。<BR>⏎441 
 654【おぼゆるや】−兵部の驚きと語り手のそれが一体化したような叙述。<BR>⏎442 
d1655<P>⏎
 656【この戸口に入るべき人は心ことにこそ】−源氏の詞。『集成』は「恋人を迎え入れるような右近の戸の開け方に、冗談をいう」と注す。<BR>⏎443 
d1657<P>⏎
 658【燈こそいと】−以下「さも思さぬか」まで、源氏の詞。「ほのかなる大殿油」とあったように、薄暗い明かりは、かえって恋人どうしの対面のようだという。<BR>⏎444 
d1659<P>⏎
 660【今すこし光見せむやあまり心にくし】−源氏の詞。『集成』は「これでは、もったいぶりすぎる」と注す。<BR>⏎445 
d1661<P>⏎
 662【おもなの人や】−源氏の詞。『集成』は「遠慮のない人だね。右近のこと。自分の顔がはっきり見えることを気にしていう」と注す。<BR>⏎446 
d1663<P>⏎
 664【げにとおぼゆる御まみの恥づかしげさなり】−『集成』は「なるほどと思われるお目もとのご立派さだ。燈火にはっきり照らし出された源氏の容貌」。『完訳』は「いかにもあの女の面影を思い出さずにはいられないお目もとの、こちらが気おくれするほどのお美しさである」と注す。<BR>⏎447 
d1665<P>⏎
 666【年ごろ御行方を知らで】−以下「聞こえられざりける」まで、源氏の詞。<BR>⏎448 
d1667<P>⏎
 668【御年のほど数へたまひて】−玉鬘、二十一歳。<BR>⏎449 
d1669<P>⏎
 670【親子の仲の】−以下「おぼつかなくは」まで、源氏の詞。<BR>⏎450 
 671【年ごろの御物語など】−大島本は「なと」とある。『新大系』は底本のままとする。『集成』『古典セレクション』は諸本に従って「なども」とし「も」を補訂する。<BR>⏎451 
 672【などかおぼつかなくは】−『集成』は「どうして何もおっしゃらぬのか」。『完訳』は「なぜ打ち解けてくれないのか」と訳す。<BR>⏎452 
d1673<P>⏎
 674【脚立たず沈みそめ】−以下「あるかなきかになむ」まで、玉鬘の返事。三歳で母に別れた玉鬘は「かぞいろはあはれと見ずや蛭の子は三年になりぬ足立たずして」(日本紀竟宴和歌、大江朝綱)の和歌を踏まえて応える。<BR>⏎453 
d1675<P>⏎
 676【沈みたまひけるを】−大島本は「しつミ給ける越」とある。『新大系』は底本のままとする。『集成』『古典セレクション』は諸本に従って「沈みたまへりけるを」と校訂する。以下「また誰れかは」まで、源氏の詞。<BR>⏎454 
d1677<P>⏎
note22678 <A NAME="in48">[第八段 源氏、玉鬘の人物に満足する]</A><BR>455 
d1679<P>⏎
 680【さる山賤の】−以下「見集めむ」まで、源氏の詞。<BR>⏎456 
 681【なほうちあはぬ】−『集成』は「なほうちあらぬ」と校訂し「平気には見過せない男たちの様子を見てやろう。「なほあり」は、そのままでいる、ここは平気でいるというほどの意」。『完訳』は「なほうちあはぬ」のまま「すましていても、やはり本性を表す人々の姿を」と注す。<BR>⏎457 
d1682<P>⏎
 683【あやしの人の親や】−以下「けしからず」まで、紫の上の詞。<BR>⏎458 
d1684<P>⏎
 685【まことに君をこそ】−以下「わざぞかし」まで、源氏の詞。<BR>⏎459 
 686【いと無心にしなしてしわざぞかし】−『集成』は「全く心ないやり方をしてしまったものです。しゃにむに妻としてわが物にしてしまった、という」。『完訳』は「平凡にも妻にしてしまった、の意。紫の上頌の気持もこもる」と注す。<BR>⏎460 
d1687<P>⏎
c1688【恋ひわたる身はそれなれど玉かづらいかなる筋をたづね来つらむ】−源氏の手習歌。「いづくとて尋ね来つらむ玉かづら我は昔の我ならなくに」(後撰集雑四、一二五三、源善朝臣)を踏まえる。「玉鬘」「筋」は縁語。<BR>⏎
461【恋ひわたる身はそれなれど玉かづら--いかなる筋をね来つらむ】−源氏の手習歌。「いづくとて尋ね来つらむ玉かづら我は昔の我ならなくに」(後撰集雑四、一二五三、源善朝臣)を踏まえる。「玉鬘」「筋」は縁語。<BR>⏎
 689【あはれ】−『完訳』は「母娘二代との因縁を思う」と注す。<BR>⏎462 
d1690<P>⏎
 691【げに深く思しける人の名残なめり】−紫の上の心中。<BR>⏎463 
d1692<P>⏎
note22693 <A NAME="in49">[第九段 玉鬘の六条院生活始まる]</A><BR>464 
d1694<P>⏎
 695【かかる人を尋ね出でたるを用意して睦び訪らへ】−源氏の詞。<BR>⏎465 
d1696<P>⏎
 697【人数ならずとも】−以下「参り仕うまつらざりけること」まで、夕霧の詞。<BR>⏎466 
d1698<P>⏎
 699【心知れる人】−玉鬘が源氏の実子でないすなわち夕霧と姉弟ではないという事情をしっている女房。<BR>⏎467 
d1700<P>⏎
 701【心の限り尽くしたりし】−以下、乳母らの視点を通して語る叙述。<BR>⏎468 
 702【御住まひなりしかど】−過去助動詞「しか」に注意。かつて過ごした筑紫の館をさす。<BR>⏎469 
 703【思ひ比べらるるや】−「らるる」自発の助動詞。「や」詠嘆の終助詞。<BR>⏎470 
cd2:1704-705【親はらからと睦びきこえたまふ御さま】−源氏や夕霧をさす。主語は玉鬘。<BR>⏎
<P>⏎
471【親はらからと睦びきこえたまふ御さま】−源氏や夕霧をさす。主語は玉鬘。<BR>⏎
 706【君も思し知り】−「君」は玉鬘。<BR>⏎472 
 707【おほぞうなるはことも怠りぬべし】−源氏の心中。『集成』は「いい加減にしておいては、十分に行き届かぬこともあろうということで」。『完訳』は「いいかげんなことでは姫君のお暮しに不行届きも生じようと」と訳す。<BR>⏎473 
d1708<P>⏎
 709【いかでか仮にても】−以下「いみじき面目」まで、豊後介の心中。『集成』は「「いかでか」の呼応は、「よすがなく」のところで消えている」。『完訳』は「「いかでか」は「--見るべき」にかかるか」と注す。<BR>⏎474 
 710【事行なふ身となれば】−大島本は「身となれ△(△#)は」とある。すなわち「れ」の次の文字(判読不明)を抹消する。『新大系』は底本の抹消に従う。『集成』『古典セレクション』は諸本に従って「なれるは」とし「る」を補訂する。<BR>⏎475 
d1711<P>⏎
note22712 <H4>第五章 光る源氏の物語 末摘花の物語と和歌論</H4>476 
note22713 <A NAME="in51">[第一段 歳末の衣配り]</A><BR>477 
d1714<P>⏎
 715【かかりとも田舎びたることや】−大島本は「ことや」とある。『新大系』は底本のままとする。『集成』『古典セレクション』は諸本に従って「ことなどや」とし「など」を補訂する。源氏の心中。『集成』は「こちらでそうした配慮はしても、(衣裳の新調など)泥臭いところもあろうかと」。『完訳』は「いくら器量などはよくても、やはり垢ぬけしないところもあろうかと」と訳す。<BR>⏎478 
 716【いと多かりける】−以下「ものすべかりけれ」まで、源氏の詞。<BR>⏎479 
 717【ありがたしと思ひきこえたまふ】−源氏が紫の上を。<BR>⏎480 
d1718<P>⏎
 719【いづれも劣りまさるけぢめも】−以下「ひがひがしくもありかし」まで、紫の上の詞。<BR>⏎481 
d1720<P>⏎
 721【つれなくて】−以下「いづれをとか思す」まで、源氏の詞。<BR>⏎482 
 722【さてはいづれをとか思す】−大島本は「さてハ」とある。『新大系』は底本のままとする。『集成』『古典セレクション』は諸本に従って「さて」とし「は」を削除する。<BR>⏎483 
d1723<P>⏎
 724【それも鏡にてはいかでか】−紫の上の詞。選択を源氏に任せる。<BR>⏎484 
d1725<P>⏎
 726【さすが恥ぢらひておはす】−大島本は「さすか」とある。『新大系』は底本のままとする。『集成』『古典セレクション』は諸本に従って「さすがに」とし「に」を補訂する。<BR>⏎485 
d1727<P>⏎
 728【かの西の対に】−玉鬘をさす。<BR>⏎486 
 729【内の大臣の】−以下「似たるなめり」まで、紫の上に心中に即した叙述。<BR>⏎487 
d1730<P>⏎
 731【いでこの容貌の】−以下「あるものを」まで、源氏の詞。<BR>⏎488 
 732【あるものを】−格助詞「を」原因理由を表す。<BR>⏎489 
 733【人知れずほほ笑まれたまふ】−『集成』は「末摘花には似合わぬ色合いのものをわざと選ぶ趣」。『完訳』は「似合わぬ立派さに苦笑する」と注す。<BR>⏎490 
d1734<P>⏎
note22735 <A NAME="in52">[第二段 末摘花の返歌]</A><BR>491 
d1736<P>⏎
 737【今すこしさし離れ艶なるべきを】−『集成』は「もう少し他人行儀に、しゃれた趣向があるべきなのだが、内輪じみず、恋人ふうであるべきだ、の意」と注す。<BR>⏎492 
cd2:1738-739【うつほにてうちけたまへり】−下に衣を重ねないで、使者に与えたの意。<BR>⏎
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493【うつほにてうちけたまへり】−下に衣を重ねないで、使者に与えたの意。<BR>⏎
 740【いでや賜へるは】−以下、和歌の終わりまで、末摘花から源氏への手紙。<BR>⏎494 
 741【なかなかにこそ】−『集成』は「源氏の日頃の疎遠を恨む気持」と注す。<BR>⏎495 
 742【恥づかしきまみなり】−源氏についての描写。<BR>⏎496 
d2743-744いと(七五五G)−ナシ大横池肖三明⏎
<P>⏎
note22745 <A NAME="in53">[第三段 源氏の和歌論]</A><BR>497 
d1746<P>⏎
 747【古代の歌詠みは】−以下「心地すべかめり」まで、源氏の詞。歌論。<BR>⏎498 
 748【ねたきことははたあれ】−『集成』「ご立派と言えばご立派なものです」と訳す。皮肉。<BR>⏎499 
 749【やすめどころにうち置きて】−和歌の第三句をいう。<BR>⏎500 
d1750<P>⏎
 751【よろづの草子】−以下「こそあれ」まで、源氏の詞。歌論の続き。<BR>⏎501 
 752【常陸の親王の書き置きたまへりける】−末摘花の父故常陸宮が書き写し残しておいたの意。自ら創作執筆した意ではない。<BR>⏎502 
c1753【おこせたまへりしか】−過去助動詞「しか」已然形。「こそ」の係結び。過去の出来事をいう。<BR>⏎
503【おこせたりしか】−過去助動詞「しか」已然形。「こそ」の係結び。過去の出来事をいう。<BR>⏎
 754【よく案内知りたまへる人】−末摘花をさす。<BR>⏎504 
d1755<P>⏎
 756【いとほしきや】−『完訳』は「語り手の末摘花への憐愍を挿入しながら、末摘花を批判」と注す。<BR>⏎505 
d1757<P>⏎
 758【などて返したまひけむ】−以下「け遠かりけれ」まで、紫の上の詞。<BR>⏎506 
 759【見ぬ人はた】−紫の上自身をさす。<BR>⏎507 
d1760<P>⏎
 761【姫君の御学問に】−以下「めやすかるべかりけれ」まで、源氏の詞。<BR>⏎508 
 762【立てて好めることまうけてしみぬるは】−『集成』は「表看板にするものをわざわざ作ってそれに打ち込んだのは」と訳す。<BR>⏎509 
 763【何ごともいとつきなからむは口惜しからむ】−『集成』は「全く不案内というのでは仕方がないでしょう」。『完訳』は「どんなことでもまったく無調法というのも感心しないでしょう」と訳す。<BR>⏎510 
d1764<P>⏎
 765【返しは思しもかけねば】−大島本は「返し(△&し)ハ」とある。すなわち元の文字(判読不明)を摺り消してその上に重ねて「し」と訂正する。『新大系』は底本の訂正に従う。『集成』『古典セレクション』は諸本に従って「返事」と校訂する。<BR>⏎511 
d1766<P>⏎
 767【返しやりてむと】−以下「ひがひがしからむ」まで、紫の上の詞。『完訳』は「語呂を合せた洒落」と注す。<BR>⏎512 
d1768<P>⏎
cd4:2769-772【情け捨ぬ御心にて書きたまふ】−源氏をいう。『集成』は「諧謔の筆を弄したもの」と注す。<BR>⏎
<P>⏎
【返さむと言ふにつけても片敷の夜の衣を思ひやるかな】−源氏の返歌。「返し」「衣」の語句を用いて返す。「いとせめて恋しき時はむばたまの夜の衣を返してぞ着る」(古今集恋二、五五四、小野小町)を踏まえる。<BR>⏎
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513-514【情け捨ぬ御心にて書きたまふ】−源氏をいう。『集成』は「諧謔の筆を弄したもの」と注す。<BR>⏎
【返さむと言ふにつけても片敷の--夜の衣を思ひこそ】−源氏の返歌。「返し」「衣」の語句を用いて返す。「いとせめて恋しき時はむばたまの夜の衣を返してぞ着る」(古今集恋二、五五四、小野小町)を踏まえる。<BR>⏎
 773【とぞあめる】−推量の助動詞「めり」は語り手の主観的推量のニュアンス。『新大系』は「語り手が伝聞した内容を語り伝えるという趣で、この巻をしめくくる。類型的な巻末表現」と注す。<BR>⏎515 
d2774-775
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 776<A HREF="index.html">源氏物語の世界ヘ</A><BR>⏎516 
 777<A HREF="text22.html">本文</A><BR>⏎517 
 778<A HREF="roman22.html">ローマ字版</A><BR>⏎518 
 779<A HREF="version22.html">現代語訳 </A><BR>⏎519 
 780<A HREF="data22.html">大島本</A><BR>⏎520 
 781<A HREF="okuiri22.html">自筆本奥入</A><BR>⏎521 
d1782
 783<hr size="4">⏎522 
 784</body>⏎523 
 785</HTML>⏎524 
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