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 1<HTML>⏎1 
 2<HEAD>⏎2 
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 6<TITLE>末摘花(大島本)</TITLE>⏎6 
 7</HEAD>⏎7 
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First updated 9/20/1996(ver.1-1)<BR>⏎
Last Updated 9/
11/2009(ver.2-3)<BR>⏎
渋谷栄一校訂(C)<BR>⏎
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8-10<BODY>⏎
<ADDRESS>Last Updated 9/11/2009(ver.2-3)<BR>⏎
渋谷栄一校訂(C)</ADDRESS>⏎
 13  <H3>末摘花</H3>⏎11 
d114<P>⏎
 15光る源氏の十八歳春正月十六日頃から十九歳春正月八日頃までの物語<BR>⏎12 
 16<BR>⏎13 
i014
 17 [主要登場人物]<BR>⏎14 
 18<DL>⏎15 
 19<DT> 光る源氏<ひかるげんじ>⏎16 
 20<DD>呼称---君、十八歳から十九歳 参議兼近衛中将<BR>⏎17 
 21<DT> 紫の上<むらさきのうえ>⏎18 
 22<DD>呼称---紫のゆかり・紫の君・姫君、兵部卿宮の娘、藤壺宮の姪<BR>⏎19 
 23<DT> 末摘花<すえつむはな>⏎20 
 24<DD>呼称---御女・姫君・常陸宮・女君、常陸親王の一人娘<BR>⏎21 
 25<DT> 頭中将<とうのちゅうじょう>⏎22 
 26<DD>呼称---頭の君・中将・君、葵の上の兄<BR>⏎23 
 27<DT> 大輔の命婦<たいふのみょうぶ>⏎24 
 28<DD>呼称---命婦<BR>⏎25 
 29</DL>⏎26 
d130<P>⏎
 31第一章 末摘花の物語<BR>⏎27 
d232-33

 34<OL>⏎28 
 35 <LI>亡き夕顔追慕---<A HREF="#in11">思へどもなほ飽かざりし夕顔の露に後れし心地を</A>⏎29 
 36<LI>故常陸宮の姫君の噂---<A HREF="#in12">左衛門の乳母とて、大弐のさしつぎに思いたるが女、大輔の命婦とて</A>⏎30 
 37<LI>新春正月十六日の夜に姫君の琴を聴く---<A HREF="#in13">のたまひしもしるく、十六夜の月をかしきほどにおはしたり</A>⏎31 
 38<LI>頭中将とともに左大臣邸へ行く---<A HREF="#in14">おのおの契れる方にも、あまえて、え行き別れたまはず</A>⏎32 
 39<LI>秋八月二十日過ぎ常陸宮の姫君と逢う---<A HREF="#in15">秋のころほひ、静かに思しつづけて</A>⏎33 
 40<LI>その後、訪問なく秋が過ぎる---<A HREF="#in16">二条院におはして、うち臥したまひても</A>⏎34 
 41<LI>冬の雪の激しく降る日に訪問---<A HREF="#in17">行幸近くなりて、試楽などののしるころぞ、命婦は参れる</A>⏎35 
 42<LI>翌朝、姫君の醜貌を見る---<A HREF="#in18">からうして明けぬるけしきなれば、格子手づから上げたまひて</A>⏎36 
 43<LI>歳末に姫君から和歌と衣箱が届けられる---<A HREF="#in19">年も暮れぬ。内裏の宿直所におはしますに、大輔の命婦参れり</A>⏎37 
 44<LI>正月七日夜常陸宮邸に泊まる---<A HREF="#in110">朔日のほど過ぎて、今年、男踏歌あるべければ</A>⏎38 
 45</OL>⏎39 
 46第二章 若紫の物語<BR>⏎40 
d147<P>⏎
 48 紫の君と鼻を赤く塗って戯れる---<A HREF="#in21">二条院におはしたれば、紫の君、いともうつくしき片生ひにて</A>⏎41 
d149<P>⏎
 50<A HREF="#in31">【出典】</A><BR>⏎42 
 51<A HREF="#in32">【校訂】</A><BR>⏎43 
d152<P>⏎
text0653 <H4>第一章 末摘花の物語</H4>44 
text0654 <A NAME="in11">[第一段 亡き夕顔追慕]</A><BR>45 
d155<P>⏎
 56 思へどもなほ飽かざりし夕顔の露に後れし心地を、年月経れど、思し忘れず、ここもかしこも、うちとけぬ限りの、気色ばみ心深きかたの御いどましさに、け近くうちとけたりしあはれに、似るものなう恋しく思ほえたまふ。<BR>⏎46 
d157<P>⏎
 58 いかで、ことことしきおぼえはなく、いとらうたげならむ人の、つつましきことなからむ、見つけてしがなと、こりずまに思しわたれば、すこしゆゑづきて聞こゆるわたりは、御耳とどめたまはぬ隈なきに、さてもやと、思し寄るばかりのけはひあるあたりにこそ、一行をもほのめかしたまふめるに、なびききこえずもて離れたるは、をさをさあるまじきぞ、いと目馴れたるや。<BR>⏎47 
 59<P> つれなう心強きは、たとしへなう情けおくるるまめやかさなど、あまりもののほど知らぬやうに、さてしも過ぐしはてず、名残なくくづほれて、なほなほしき方に定まりなどするもあれば、のたまひさしつるも多かりける。<BR>⏎48 
d160<P>⏎
 61 かの空蝉を、ものの折々には、ねたう思し出づ。荻の葉も、さりぬべき風のたよりある時は、おどろかしたまふ折もあるべし。火影の乱れたりしさまは、またさやうにても見まほしく思す。おほかた、名残なきもの忘れをぞ、えしたまはざりける。<BR>⏎49 
d162<P>⏎
text0663 <A NAME="in12">[第二段 故常陸宮の姫君の噂]</A><BR>50 
d164<P>⏎
 65 左衛門の乳母とて、大弐のさしつぎに思いたるが女、大輔の命婦とて、<A HREF="#k01">内裏に</A><A NAME="t01">さ</A>ぶらふ、わかむどほりの兵部大輔なる女なりけり。いといたう色好める若人にてありけるを、君も召し使ひなどしたまふ。母は筑前守の妻にて、下りにければ、父君のもとを里にて行き通ふ。<BR>⏎51 
d166<P>⏎
 67 故常陸親王の、末にまうけていみじうかなしうかしづきたまひし御女、心細くて残りゐたるを、もののついでに語りきこえければ、あはれのことやとて、御心とどめて問ひ聞きたまふ。<BR>⏎52 
d168<P>⏎
 69 「心ばへ容貌など、深き方はえ知りはべらず。かいひそめ、人疎うもてなしたまへば、さべき宵など、物越しにてぞ、語らひはべる。琴をぞなつかしき語らひ人と思へる」と聞こゆれば、<BR>⏎53 
d170<P>⏎
 71 「<A HREF="#no1">三つの友</A><A NAME="te1">に</A>て、今一種やうたてあらむ」とて、「我に聞かせよ。父親王の、さやうの方にいとよしづきてものしたまうければ、おしなべての手にはあらじ、となむ思ふ」とのたまへば、<BR>⏎54 
d172<P>⏎
 73 「さやうに聞こし召すばかりにはあらずやはべらむ」<BR>⏎55 
 74 と言へど、御心とまるばかり聞こえなすを、<BR>⏎56 
 75 「いたうけしきばましや。このころのおぼろ月夜に忍びてものせむ。まかでよ」<BR>⏎57 
d176<P>⏎
 77 とのたまへば、わづらはしと思へど、内裏わたりものどやかなる春のつれづれにまかでぬ。<BR>⏎58 
d178<P>⏎
 79 父の大輔の君は他にぞ住みける。ここには時々ぞ通ひける。命婦は、継母のあたりは住みもつかず、姫君の御あたりをむつびて、ここには来るなりけり。<BR>⏎59 
d180<P>⏎
text0681 <A NAME="in13">[第三段 新春正月十六日の夜に姫君の琴を聴く]</A><BR>60 
d182<P>⏎
 83 のたまひしもしるく、十六夜の月をかしきほどにおはしたり。<BR>⏎61 
d184<P>⏎
 85 「いと、かたはらいたきわざかな。ものの音澄むべき夜のさまにもはべらざめるに」と聞こゆれど、<BR>⏎62 
d186<P>⏎
 87 「なほ、あなたにわたりて、ただ一声も、もよほしきこえよ。むなしくて帰らむが、ねたかるべきを」<BR>⏎63 
d188<P>⏎
 89 とのたまへば、うちとけたる住み処に据ゑたてまつりて、うしろめたうかたじけなしと思へど、寝殿に参りたれば、まだ格子もさながら、梅の香をかしきを見出だしてものしたまふ。よき折かな、と思ひて、<BR>⏎64 
d190<P>⏎
 91 「御琴の音、いかにまさりはべらむと、思ひたまへらるる夜のけしきに、誘はれはべりてなむ。心あわたたしき出で入りに、えうけたまはらぬこそ口惜しけれ」と言へば、<BR>⏎65 
d192<P>⏎
 93 「<A HREF="#no2">聞き知る人</A><A NAME="te2">こ</A>そあなれ。百敷に行き交ふ人の聞くばかりやは」<BR>⏎66 
d194<P>⏎
 95 とて、召し寄するも、あいなう、いかが聞きたまはむと、胸つぶる。<BR>⏎67 
d196<P>⏎
 97 ほのかに掻き鳴らしたまふ、をかしう聞こゆ。何ばかり深き手ならねど、ものの音がらの筋ことなるものなれば、聞きにくくも思されず。<BR>⏎68 
d198<P>⏎
 99 「いといたう荒れわたりて寂しき所に、さばかりの人の、古めかしう、ところせく、かしづき据ゑたりけむ名残なく、いかに思ほし残すことなからむ。かやうの所にこそは、昔物語にもあはれなることどもありけれ」など思ひ続けても、ものや言ひ寄らまし、と思せど、うちつけにや思さむと、心恥づかしくて、やすらひたまふ。<BR>⏎69 
d1100<P>⏎
 101 命婦、かどある者にて、いたう耳ならさせたてまつらじ、と思ひければ、<BR>⏎70 
d1102<P>⏎
 103 「曇りがちにはべるめり。客人の来むとはべりつる、いとひ顔にもこそ。いま心のどかにを。御格子参りなむ」<BR>⏎71 
d1104<P>⏎
 105 とて、いたうもそそのかさで帰りたれば、<BR>⏎72 
d1106<P>⏎
 107 「なかなかなるほどにても止みぬるかな。もの聞き分くほどにもあらで、ねたう」<BR>⏎73 
d1108<P>⏎
 109 とのたまふけしき、をかしと思したり。<BR>⏎74 
d1110<P>⏎
 111 「同じくは、け近きほどの立ち聞きせさせよ」<BR>⏎75 
d1112<P>⏎
 113 とのたまへど、「心にくくて」と思へば、<BR>⏎76 
d1114<P>⏎
 115 「いでや、いとかすかなるありさまに思ひ消えて、心苦しげにものしたまふめるを、うしろめたきさまにや」<BR>⏎77 
d1116<P>⏎
 117 と言へば、「げに、さもあること。にはかに我も人もうちとけて語らふべき人の際は、際とこそあれ」など、あはれに思さるる人の御ほどなれば、<BR>⏎78 
d1118<P>⏎
 119 「なほ、さやうのけしきをほのめかせ」と、語らひたまふ。<BR>⏎79 
d1120<P>⏎
 121 また契りたまへる方やあらむ、いと忍びて帰りたまふ。<BR>⏎80 
d1122<P>⏎
 123 「主上の、まめにおはしますと、もてなやみきこえさせたまふこそ、をかしう思うたまへらるる折々はべれ。かやうの御やつれ姿を、<A HREF="#k02">いかでかは</A><A NAME="t02">御</A>覧じつけむ」<BR>⏎81 
d1124<P>⏎
 125 と聞こゆれば、たち返り、うち笑ひて、<BR>⏎82 
d1126<P>⏎
 127 「異人の言はむやうに、咎なあらはされそ。これをあだあだしきふるまひと言はば、女のありさま苦しからむ」<BR>⏎83 
d1128<P>⏎
 129 とのたまへば、「あまり色めいたりと思して、折々かうのたまふを、恥づかし」と思ひて、ものも言はず。<BR>⏎84 
d1130<P>⏎
 131 寝殿の方に、人のけはひ聞くやうもやと思して、やをら立ち退きたまふ。透垣のただすこし折れ残りたる隠れの方に、立ち寄りたまふに、もとより立てる男ありけり。「誰れならむ。心かけたる好き者ありけり」と思して、蔭につきて立ち隠れたまへば、頭中将なりけり。<BR>⏎85 
d1132<P>⏎
 133 この夕つ方、内裏よりもろともにまかでたまひける、やがて大殿にも寄らず、二条院にもあらで、引き別れたまひけるを、いづちならむと、ただならで、我も行く方あれど、後につきてうかがひけり。あやしき馬に、狩衣姿のないがしろにて来ければ、え知りたまはぬに、さすがに、かう異方に入りたまひぬれば、心も得ず思ひけるほどに、ものの音に聞きついて立てるに、帰りや出でたまふと、下待つなりけり。<BR>⏎86 
d1134<P>⏎
 135 君は、誰ともえ見分きたまはで、我と知られじと、抜き足に歩みたまふに、ふと寄りて、<BR>⏎87 
d1136<P>⏎
 137 「ふり捨てさせたまへるつらさに、御送り仕うまつりつるは。<BR>⏎88 
cd3:1138-140  もろともに大内山は出でつれど<BR>⏎
  入る方見せぬいさよひの月」<BR>⏎
<P>⏎
89  もろともに大内山は出でつれど<BR>  入る方見せぬいさよひの月」<BR>⏎
 141 と恨むるもねたけれど、この君と見たまふ、すこしをかしうなりぬ。<BR>⏎90 
d1142<P>⏎
 143 「人の思ひよらぬことよ」と憎む憎む、<BR>⏎91 
cd4:1144-147 「里わかぬかげをば見れどゆく月の<BR>⏎
  いるさの山を誰れか尋ぬる」<BR>⏎

<P>⏎
92 「里わかぬかげをば見れどゆく月の<BR>  いるさの山を誰れか尋ぬる」<BR>⏎
 148 「かう慕ひありかば、いかにせさせたまはむ」と聞こえたまふ。<BR>⏎93 
 149 「まことは、かやうの御歩きには、随身からこそはかばかしきこともあるべけれ。後らさせたまはでこそあらめ。やつれたる御歩きは、軽々しき事も出で来<A HREF="#k03">なむ」<BR>⏎94 
cd5:1150-154</A>⏎
<p><A HREF="#k03"> と</A></p>⏎
<P
><A NAME="t03">、</A>おし返しいさめたてまつる。かうのみ見つけらるるを、ねたしと思せど、かの撫子はえ尋ね知らぬを、重き功に、御心のうちに思し出づ。<BR>⏎

<P>⏎
95 と</A><A NAME="t03">、</A>おし返しいさめたてまつる。かうのみ見つけらるるを、ねたしと思せど、かの撫子はえ尋ね知らぬを、重き功に、御心のうちに思し出づ。<BR>⏎
text06155 <A NAME="in14">[第四段 頭中将とともに左大臣邸へ行く]</A><BR>96 
d2156-157
<P>⏎
 158 おのおの契れる方にも、あまえて、え行き別れたまはず、一つ車に乗りて、月のをかしきほどに雲隠れたる道のほど、笛吹き合せて大殿におはしぬ。<BR>⏎97 
d2159-160
<P>⏎
 161 前駆なども追はせたまはず、忍び入りて、人見ぬ廊に御直衣ども召して、着替へたまふ。つれなう、今来るやうにて、御笛ども吹きすさびておはすれば、大臣、例の聞き過ぐしたまはで、高麗笛取り出でたまへり。いと上手におはすれば、いとおもしろう吹きたまふ。御琴召して、内にも、この方に心得たる人びとに弾かせたまふ。<BR>⏎98 
d2162-163
<P>⏎
 164 中務の君、わざと琵琶は弾けど、頭の君心かけたるをもて離れて、ただこのたまさかなる御けしきのなつかしきをば、え背ききこえぬに、おのづから隠れなくて、大宮などもよろしからず思しなりたれば、もの思はしく、はしたなき心地して、すさまじげに寄り臥したり。絶えて見たてまつらぬ所に、かけ離れなむも、さすがに心細く思ひ乱れたり。<BR>⏎99 
d2165-166
<P>⏎
 167 君たちは、ありつる琴の音を思し出でて、あはれげなりつる住まひのさまなども、やう変へてをかしう思ひつづけ、「あらましごとに、いとをかしうらうたき人の、さて年月を重ねゐたらむ時、見そめて、いみじう心苦しくは、人にももて騒がるばかりや、わが心もさま悪しからむ」などさへ、中将は思ひけり。この君のかう気色ばみありきたまふを、「まさに、さては、過ぐしたまひてむや」と、なまねたう危ふがりけり。<BR>⏎100 
d2168-169
<P>⏎
 170 その後、こなたかなたより、文などやりたまふべし。いづれも返り事見えず、おぼつかなく<A HREF="#k04">心やましきに</A><A NAME="t04">、</A>「あまりうたてもあるかな。さやうなる住まひする人は、もの思ひ知りたるけしき、はかなき木草、空のけしきにつけても、とりなしなどして、心ばせ推し測らるる折々あらむこそあはれなるべけれ、重しとても、いとかうあまり埋もれたらむは、心づきなく、悪びたり」と、中将は、まいて心焦られしけり。例の、隔てきこえたまはぬ心にて、<BR>⏎101 
d2171-172
<P>⏎
 173 「しかしかの返り事は見たまふや。試みにかすめたりしこそ、はしたなくて止みにしか」<BR>⏎102 
d2174-175
<P>⏎
 176 と、憂ふれば、「さればよ、言ひ寄りにけるをや」と、ほほ笑まれて、<BR>⏎103 
d2177-178
<P>⏎
 179 「いさ、見むとしも思はねばにや、見るとしもなし」<BR>⏎104 
d2180-181
<P>⏎
 182 と、答へたまふを、「<A HREF="#k05">人わきしける</A><A NAME="t05">」</A>と思ふに、いとねたし。<BR>⏎105 
d2183-184
<P>⏎
 185 君は、深うしも思はぬことの、かう情けなきを、すさまじく思ひなりたまひにしかど、かうこの中将の言ひありきけるを、「言多く言ひなれたらむ方にぞ靡かむかし。したり顔にて、もとのことを思ひ放ちたらむけしきこそ、憂はしかるべけれ」と思して、命婦をまめやかに語らひたまふ。<BR>⏎106 
d2186-187
<P>⏎
 188 「おぼつかなく、もて離れたる御けしきなむ、いと心憂き。好き好きしき方に疑ひ寄せたまふにこそあらめ。<A HREF="#k06">さりとも</A><A NAME="t06">、</A>短き心ばへつかはぬものを。人の心ののどやかなることなくて、思はずにのみあるになむ、おのづからわがあやまちにもなりぬべき。心のどかにて、親はらからのもてあつかひ恨むるもなう、心やすからむ人は、なかなかなむらうたかるべきを」とのたまへば、<BR>⏎107 
d2189-190
<P>⏎
 191 「いでや、さやうにをかしき方の<A HREF="#no3">御笠宿り</A><A NAME="te3">に</A>は、<A HREF="#k07">えしもや</A><A NAME="t07">と</A>、つきなげにこそ見えはべれ。ひとへにものづつみし、ひき入りたる方はしも、ありがたうものしたまふ人になむ」<BR>⏎108 
 192 と、見るありさま語りきこゆ。「らうらうじう、かどめきたる心はなきなめり。いと子めかしうおほどかならむこそ、らうたくはあるべけれ」と思し忘れず、のたまふ。<BR>⏎109 
d2193-194
<P>⏎
 195 瘧病みにわづらひたまひ、人知れぬもの思ひの紛れも、御心のいとまなきやうにて、春夏過ぎぬ。<BR>⏎110 
d2196-197
<P>⏎
text06198 <A NAME="in15">[第五段 秋八月二十日過ぎ常陸宮の姫君と逢う]</A><BR>111 
d2199-200
<P>⏎
 201 秋のころほひ、静かに思しつづけて、かの砧の音も耳につきて聞きにくかりしさへ、恋しう思し出でらるるままに、常陸宮にはしばしば聞こえたまへど、なほおぼつかなうのみあれば、世づかず、心やましう、負けては止まじの御心さへ添ひて、命婦を責めたまふ。<BR>⏎112 
d2202-203
<P>⏎
 204 「いかなるやうぞ。いとかかる事こそ、まだ知らね」<BR>⏎113 
d2205-206
<P>⏎
 207 と、いとものしと思ひてのたまへば、いとほしと思ひて、<BR>⏎114 
d2208-209
<P>⏎
 210 「もて離れて、似げなき御事とも、おもむけはべらず。ただ、おほかたの御ものづつみのわりなきに、<A HREF="#k08">手を</A><A NAME="t08">え</A>さし出でたまはぬとなむ見たまふる」と聞こゆれば、<BR>⏎115 
d2211-212
<P>⏎
 213 「それこそは世づかぬ事なれ。物思ひ知るまじきほど、独り身をえ心にまかせぬほどこそ、ことわりなれ、何事も思ひしづまりたまへらむ、と思ふこそ。そこはかとなく、つれづれに心細うのみおぼゆるを、同じ心に答へたまはむは、願ひかなふ心地なむすべき。何やかやと、世づける筋ならで、その荒れたる簀子にたたずままほしきなり。いとうたて心得ぬ心地するを、かの<A HREF="#k09">御許しなくとも</A><A NAME="t09">、</A>たばかれかし。心苛られし、うたてあるもてなしには、よもあらじ」<BR>⏎116 
 214 など、語らひたまふ。<BR>⏎117 
d2215-216
<P>⏎
 217 なほ世にある人のありさまを、おほかたなるやうにて聞き集め、耳とどめたまふ癖のつきたまへるを、さうざうしき宵居<A HREF="#k10">など</A><A NAME="t10">、</A>はかなきついでに、さる人こそとばかり聞こえ出でたりしに、かくわざとがましうのたまひわたれば、「なまわづらはしく、女君の御ありさまも、世づかはしく、よしめきなどもあらぬを、なかなかなる導きに、いとほしき事や見えむなむ」と思ひけれど、君のかうまめやかにのたまふに、「聞き入れざらむも、ひがひがしかるべし。父親王おはしける折にだに、旧りにたるあたりとて、おとなひきこゆる人もなかりけるを、まして、今は浅茅分くる人も跡絶えたるに」。<BR>⏎118 
d1218
 219<P> かく世にめづらしき御けはひの、漏りにほひくるをば、なま女ばらなども笑み曲げて、「なほ聞こえたまへ」と、そそのかしたてまつれど、あさましうものづつみしたまふ心にて、ひたぶるに見も入れたまはぬなりけり。<BR>⏎119 
d2220-221
<P>⏎
 222 命婦は、「さらば、さりぬべからむ折に、物越しに聞こえたまはむほど、御心につかずは、さても止みねかし。また、さるべきにて、仮にもおはし通はむを、とがめたまふべき人なし」など、あだめきたるはやり心はうち思ひて、父君にも、かかる事なども言はざりけり。<BR>⏎120 
d2223-224
<P>⏎
 225 八月二十余日、宵過ぐるまで待たるる月の心もとなきに、星の光ばかりさやけく、松の梢吹く風の音心細くて、いにしへの事語り出でて、うち泣きなどしたまふ。「いとよき折かな」と思ひて、御消息や聞こえつらむ、例のいと忍びておはしたり。<BR>⏎121 
d2226-227
<P>⏎
 228 月やうやう出でて、荒れたる籬のほどうとましくうち眺めたまふに、琴そそのかされて、ほのかにかき鳴らしたまふほど、けしうはあらず。「すこし、け近う今めきたる気をつけ<A HREF="#k11">ばや」とぞ</A><A NAME="t11">、</A>乱れたる心には、心もとなく思ひゐたる。人目しなき所なれば、心やすく入りたまふ。命婦を呼ばせたまふ。今しもおどろき顔に、<BR>⏎122 
d2229-230
<P>⏎
 231 「いとかたはらいたきわざかな。しかしかこそ、おはしましたなれ。常に、かう恨みきこえたまふを、心にかなはぬ由をのみ、いなびきこえはべれば、『みづからことわりも聞こえ知らせむ』と、のたまひわたるなり。いかが聞こえ返さむ。なみなみのたはやすき御ふるまひならねば、心苦しきを。物越しにて、聞こえたまはむこと、聞こしめせ」<BR>⏎123 
d2232-233
<P>⏎
 234 と言へば、いと恥づかしと思ひて、<BR>⏎124 
d2235-236
<P>⏎
 237 「人にもの聞こえむやうも知らぬを」<BR>⏎125 
d2238-239
<P>⏎
 240 とて、奥ざまへゐざり入りたまふさま、いとうひうひしげなり。うち笑ひて、<BR>⏎126 
d2241-242
<P>⏎
 243 「いと若々しうおはしますこそ、心苦しけれ。限りなき人も、親などおはしてあつかひ後見きこえたまふほどこそ、若びたまふもことわりなれ、かばかり心細き御ありさまに、なほ世を尽きせず思し憚るは、つきなうこそ」と教へきこゆ。<BR>⏎127 
d2244-245
<P>⏎
 246 さすがに、人の言ふことは強うもいなびぬ御心にて、<BR>⏎128 
 247 「答へきこえで、ただ聞け、とあらば。格子など鎖してはありなむ」とのたまふ。<BR>⏎129 
d2248-249
<P>⏎
 250 「簀子などは便なうはべりなむ。おしたちて、あはあはしき御心などは、よも」<BR>⏎130 
 251 など、いとよく言ひなして、二間の際なる障子、手づからいと強く鎖して、御茵うち置きひきつくろふ。<BR>⏎131 
d2252-253
<P>⏎
 254 いとつつましげに思したれど、かやうの人にもの言ふらむ心ばへなども、夢に知りたまはざりければ、命婦のかう言ふを、あるやうこそはと思ひてものしたまふ。乳母だつ老い人などは、曹司に入り臥して、夕まどひしたるほどなり。若き人、二、三人あるは、世にめでられたまふ御ありさまを、ゆかしきものに思ひきこえて、心げさうしあへり。よろしき御衣たてまつり変へ、つくろひきこゆれば、正身は、何の心げさうもなくておはす。<BR>⏎132 
d2255-256
<P>⏎
 257 <A HREF="#k12">男は</A><A NAME="t12">、</A>いと尽きせぬ御さまを、うち忍び用意したまへる御けはひ、いみじうなまめきて、「見知らむ人にこそ見せめ、栄えあるまじきわたりを、あな、いとほし」と、命婦は思へど、ただおほどかにものしたまふをぞ、「うしろやすう、さし過ぎたることは見えたてまつりたまはじ」と思ひける。「わが常に責められたてまつる罪さりごとに、心苦しき人の御もの思ひや出でこむ」など、やすからず思ひゐたり。<BR>⏎133 
d2258-259
<P>⏎
 260 君は、人の御ほどを思せば、「されくつがへる今様のよしばみよりは、こよなう奥ゆかしう」と思さるるに、いたうそそのかされて、ゐざり寄りたまへるけはひ、忍びやかに、衣被の香いとなつかしう薫り出でて、おほどかなるを、「さればよ」と思す。年ごろ思ひわたるさまなど、いとよくのたまひつづくれど、まして近き御答へは絶えてなし。「わりなのわざや」と、うち嘆きたまふ。<BR>⏎134 
d2261-262
<P>⏎
cd2:1263-264 「いくそたび君がしじまに<A HREF="#k13">まけ</A><A NAME="t13">ぬ</A>らむ<BR>⏎
  ものな言ひそと言はぬ頼みに<BR>⏎
135 「いくそたび君がしじまに<A HREF="#k13">まけ</A><A NAME="t13">ぬ</A>らむ<BR>  ものな言ひそと言はぬ頼みに<BR>⏎
 265 のたまひも捨ててよかし。<A HREF="#no4">玉だすき</A><A NAME="te4">苦</A>し」<BR>⏎136 
d2266-267
<P>⏎
 268 とのたまふ。女君の御乳母子、侍従とて、はやりかなる若人、「いと心もとなう、かたはらいたし」と思ひて、さし寄りて、聞こゆ。<BR>⏎137 
d2269-270
<P>⏎
cd4:1271-274 「鐘つきてとぢめむことはさすがにて<BR>⏎
  答へまうきぞかつはあやなき」<BR>⏎

<P>⏎
138 「鐘つきてとぢめむことはさすがにて<BR>  答へまうきぞかつはあやなき」<BR>⏎
 275 いと若びたる声の、ことに重りかならぬを、人伝てにはあらぬやうに聞こえなせば、「ほどよりはあまえて」と聞きたまへど、<BR>⏎139 
 276 「めづらしきが、なかなか<A HREF="#k14">口</A><A NAME="t14">ふ</A>たがるわざかな<BR>⏎140 
cd4:1277-280  言はぬをも言ふにまさると知りながら<BR>⏎
  おしこめたるは苦しかりけり」<BR>⏎

<P>⏎
141  言はぬをも言ふにまさると知りながら<BR>  おしこめたるは苦しかりけり」<BR>⏎
 281 何やかやと、はかなきことなれど、をかしきさまにも、まめやかにものたまへど、何のかひなし。<BR>⏎142 
 282 「いとかかるも、さまかはり、思ふ方ことにものしたまふ人にや」と、ねたくて、やをら押し開けて入りたまひにけり。<BR>⏎143 
d2283-284
<P>⏎
 285 命婦、「あな、うたて。たゆめたまへる」と、いとほしければ、知らず顔にて、わが方へ往にけり。この若人ども、はた、世にたぐひなき御ありさまの音聞きに、罪ゆるしきこえて、おどろおどろしうも嘆かれず、ただ、思ひもよらずにはかにて、さる御心もなきをぞ、思ひける。<BR>⏎144 
d2286-287
<P>⏎
 288 正身は、ただ我にもあらず、恥づかしくつつましきよりほかのことまたなければ、「今はかかるぞあはれなるかし、まだ世馴れぬ人、うちかしづかれたる」と、見ゆるしたまふものから、心得ず、なまいとほしとおぼゆる御さまなり。何ごとにつけてかは御心のとまらむ、うちうめかれて、夜深う出でたまひぬ。<BR>⏎145 
d2289-290
<P>⏎
 291 命婦は、「いかならむ」と、目覚めて、聞き臥せりけれど、「知り顔ならじ」<A HREF="#k15">とて</A><A NAME="t15">、</A>「御送りに」とも、声づくらず。君も、やをら忍びて出でたまひにけり。<BR>⏎146 
d2292-293
<P>⏎
text06294 <A NAME="in16">[第六段 その後、訪問なく秋が過ぎる]</A><BR>147 
d2295-296
<P>⏎
 297 二条院におはして、うち臥したまひても、「なほ思ふにかなひがたき世にこそ」と、思しつづけて、軽らかならぬ人の<A HREF="#k16">御ほどを</A><A NAME="t16">、</A>心苦しとぞ思しける。思ひ乱れておはするに、頭中将おはして、<BR>⏎148 
d2298-299
<P>⏎
 300 「こよなき御朝寝かな。ゆゑあらむかしとこそ、思ひたまへらるれ」<BR>⏎149 
 301 と言へば、起き上がりたまひて、<BR>⏎150 
 302 「心やすき独り寝の床にて、ゆるびにけりや。内裏よりか」<BR>⏎151 
 303 とのたまへば、<BR>⏎152 
 304 「しか。まかではべるままなり。朱雀院の行幸、今日なむ、楽人、舞人定めらるべきよし、昨夜うけたまはりしを、大臣にも伝へ申さむとてなむ、まかではべる。やがて帰り参りぬべうはべり」<BR>⏎153 
 305 と、いそがしげなれば、<BR>⏎154 
 306 「さらば、<A HREF="#k17">もろともに</A><A NAME="t17">」</A><BR>⏎155 
 307 とて、御粥、強飯召して、客人にも参りたまひて、引き続けたれど、一つにたてまつりて、<BR>⏎156 
 308 「なほ、いとねぶたげなり」<BR>⏎157 
 309 と、とがめ出でつつ、<BR>⏎158 
 310 「隠いたまふこと多かり」<BR>⏎159 
 311 とぞ、恨みきこえたまふ。<BR>⏎160 
d2312-313
<P>⏎
 314 事ども多く定めらるる日にて、内裏にさぶらひ暮らしたまひつ。<BR>⏎161 
 315 かしこには、文をだにと、いとほしく思し出でて、夕つ方ぞありける。雨降り出でて、ところせくもあるに、笠宿りせむと、はた、思されずやありけむ。かしこには、待つほど過ぎて、命婦も、「いといとほしき御さまかな」と、心憂く思ひけり。正身は、御心のうちに恥づかしう思ひたまひて、今朝の御文の暮れぬれど、なかなか、咎とも思ひわきたまはざりけり。<BR>⏎162 
d2316-317
<P>⏎
cd4:1318-321 「夕霧の晴るるけしきもまだ見ぬに<BR>⏎
  いぶせさそふる宵の雨かな<BR>⏎

<P>⏎
163 「夕霧の晴るるけしきもまだ見ぬに<BR>  いぶせさそふる宵の雨かな<BR>⏎
 322 雲間待ち出でむほど、いかに心もとなう」<BR>⏎164 
 323 とあり。おはしますまじき御けしきを、人びと胸つぶれて思へど、<BR>⏎165 
 324 「なほ、聞こえさせたまへ」<BR>⏎166 
 325 と、そそのかしあへれど、いとど思ひ乱れたまへるほどにて、え型のやうにも続けたまはねば、「夜更けぬ」とて、侍従ぞ、例の教へきこゆる。<BR>⏎167 
d2326-327
<P>⏎
cd4:1328-331 「晴れぬ夜の月待つ里を思ひやれ<BR>⏎
  同じ心に眺めせずとも」<BR>⏎

<P>⏎
168 「晴れぬ夜の月待つ里を思ひやれ<BR>  同じ心に眺めせずとも」<BR>⏎
 332 口々に責められて、紫の紙の、年経にければ灰おくれ古めいたるに、手はさすがに文字強う、中さだの筋にて、上下等しく書いたまへり。見るかひなううち置きたまふ。<BR>⏎169 
d2333-334
<P>⏎
 335 いかに思ふらむと思ひやるも、安からず。<BR>⏎170 
 336 「かかることを、悔しなどは言ふにやあらむ。さりとていかがはせむ。我は、さりとも、心長く見果ててむ」と、思しなす御心を知らねば、かしこにはいみじうぞ嘆いたまひける。<BR>⏎171 
d2337-338
<P>⏎
 339 大臣、夜に入りてまかでたまふに、引かれたてまつりて、大殿におはしましぬ。行幸のことを興ありと思ほして、君たち集りて、のたまひ、おのおの舞ども習ひたまふを、そのころのことにて過ぎゆく。<BR>⏎172 
d2340-341
<P>⏎
 342 ものの音ども、常よりも耳かしかましくて、かたがたいどみつつ、例の御遊びならず、大篳篥、尺八の笛などの大声を吹き上げつつ、太鼓をさへ高欄のもとにまろばし寄せて、手づからうち鳴らし、遊びおはさうず。<BR>⏎173 
d2343-344
<P>⏎
 345 御いとまなきやうにて、せちに思す所ばかりにこそ、盗まはれ<A HREF="#k18">たまへれ</A><A NAME="t18">、</A>かのわたりには、いと<A HREF="#k19">おぼつかなくて</A><A NAME="t19">、</A>秋暮れ果てぬ。なほ頼み来しかひなくて過ぎゆく。<BR>⏎174 
d2346-347
<P>⏎
text06348 <A NAME="in17">[第七段 冬の雪の激しく降る日に訪問]</A><BR>175 
d2349-350
<P>⏎
 351 行幸近くなりて、試楽などののしるころぞ、命婦は参れる。<BR>⏎176 
 352 「いかにぞ」など、問ひたまひて、いとほしとは思したり。ありさま聞こえて、<BR>⏎177 
 353 「いとかう、もて離れたる御心ばへは、見たまふる人さへ、心苦しく」<BR>⏎178 
 354 など、泣きぬばかり思へり。「心にくくもてなして止みなむと思へりしことを、くたいてける、心もなくこの人の思ふらむ」をさへ思す。正身の、ものは言はで、思しうづもれたまふらむさま、思ひやりたまふも、いとほしければ、<BR>⏎179 
 355 「いとまなきほどぞや。わりなし」と、うち嘆いたまひて、「もの思ひ知らぬやうなる心ざまを、懲らさむと思ふぞかし」<BR>⏎180 
 356 と、ほほ笑みたまへる、若ううつくしげなれば、我もうち笑まるる心地して、「わりなの、人に恨みられたまふ御齢や。思ひやり少なう、御心のままならむも、ことわり」と思ふ。<BR>⏎181 
 357 この御いそぎのほど過ぐしてぞ、時々おはしける。<BR>⏎182 
d2358-359
<P>⏎
 360 かの紫のゆかり、尋ねとりたまひて、そのうつくしみに心入りたまひて、六条わたりにだに、離れまさりたまふめれば、まして荒れたる宿は、あはれに思しおこたらずながら、もの憂きぞ、わりなかりけると、ところせき御もの恥ぢを見あらはさむの御心も、ことになうて過ぎゆくを、またうちかへし、「見まさりするやうもありかし。手さぐりのたどたどしきに、あやしう、心得ぬこともあるにや。見てしがな」と思ほせど、けざやかにとりなさむもまばゆし。うちとけたる宵居のほど、やをら入りたまひて、格子のはさまより見たまひけり。<BR>⏎183 
d2361-362
<P>⏎
 363 されど、みづからは見えたまふべくもあらず。几帳など、いたく損なはれたるものから、年経にける立ちど変はらず、おしやりなど乱れねば、心もとなくて、御達四、五人ゐたり。御台、秘色やうの唐土のものなれど、人悪ろきに、何のくさはひもなくあはれげなる、まかでて人びと食ふ。<BR>⏎184 
d2364-365
<P>⏎
 366 隅の間ばかりにぞ、いと寒げなる女ばら、白き衣のいひしらず煤けたるに、きたなげなる褶引き結ひつけたる腰つき、かたくなしげなり。さすがに櫛おし垂れて挿したる額つき、内教坊、内侍所のほどに、かかる者どもあるはやと、をかし。かけても、人のあたりに近うふるまふ者とも知りたまはざりけり。<BR>⏎185 
d2367-368
<P>⏎
 369 「あはれ、さも寒き年かな。<A HREF="#no5">命長ければ</A><A NAME="te5">、</A>かかる世にもあふものなりけり」<BR>⏎186 
 370 とて、うち泣くもあり。<BR>⏎187 
 371 「故宮おはしましし世を、などてからしと思ひけむ。かく頼みなくても過ぐるものなりけり」<BR>⏎188 
 372 とて、<A HREF="#no6">飛び立ちぬべく</A><A NAME="te6">ふ</A>るふもあり。<BR>⏎189 
d2373-374
<P>⏎
 375 さまざまに人悪ろきことどもを、愁へあへるを聞きたまふも、かたはらいたければ、たちのきて、ただ今おはするやうにて、うちたたきたまふ。<BR>⏎190 
 376 「そそや」など言ひて、火とり直し、格子放ちて入れたてまつる。<BR>⏎191 
d2377-378
<P>⏎
 379 侍従は、斎院に参り通ふ若人にて、この頃はなかりけり。いよいよあやしうひなびたる限りにて、見ならはぬ心地ぞする。<BR>⏎192 
d2380-381
<P>⏎
 382 いとど、愁ふなりつる雪、かきたれいみじう降りけり。空の気色はげしう、風吹き荒れて、大殿油消えにけるを、ともしつくる人もなし。かの、ものに襲はれし折思し出でられて、荒れたるさまは劣らざめるを、ほどの狭う、人気のすこしあるなどに慰めたれど、すごう、うたていざとき心地する夜のさまなり。<BR>⏎193 
d2383-384
<P>⏎
 385 をかしうもあはれにも、やうかへて、心とまりぬべきありさまを、いと埋れすくよかにて、何の栄えなきをぞ、口惜しう思す。<BR>⏎194 
d2386-387
<P>⏎
text06388 <A NAME="in18">[第八段 翌朝、姫君の醜貌を見る]</A><BR>195 
d2389-390
<P>⏎
 391 からうして明けぬるけしきなれば、格子手づから上げたまひて、前の前栽の雪を見たまふ。踏みあけたる跡もなく、はるばると荒れわたりて、いみじう寂しげなるに、ふり出でて行かむこともあはれにて、<BR>⏎196 
 392 「をかしきほどの空も見たまへ。尽きせぬ御心の隔てこそ、わりなけれ」<BR>⏎197 
 393 と、恨みきこえたまふ。まだほの暗けれど、雪の光にいとどきよらに若う見えたまふを、老い人ども笑みさかえて見たてまつる。<BR>⏎198 
d2394-395
<P>⏎
 396 「はや出でさせたまへ。あぢきなし。心うつくしきこそ」<BR>⏎199 
 397 など教へきこゆれば、さすがに、人の聞こゆることをえいなびたまはぬ御心にて、とかう引きつくろひて、ゐざり出でたまへり。<BR>⏎200 
d2398-399
<P>⏎
 400 見ぬやうにて、外の方を眺めたまへれど、後目はただならず。「いかにぞ、うちとけまさりの、いささかもあらばうれしからむ」と思すも、あながちなる御心なりや。<BR>⏎201 
d2401-402
<P>⏎
 403 まづ、居丈の高く、を背長に見えたまふに、「さればよ」と、胸つぶれぬ。うちつぎて、あなかたはと見ゆるものは、鼻なりけり。ふと目ぞとまる。普賢菩薩の乗物とおぼゆ。あさましう高うのびらかに、先の方すこし垂りて色づきたること、ことのほかにうたてあり。色は雪恥づかしく白うて真青に、額つきこよなうはれたるに、なほ下がちなる面やうは、おほかたおどろおどろしう長きなるべし。痩せたまへること、いとほしげにさらぼひて、肩のほどなどは、いたげなるまで衣の上まで見ゆ。「何に残りなう見あらはしつらむ」と思ふものから、めづらしきさまのしたれば、さすがに、うち<A HREF="#k20">見やられ</A><A NAME="t20">た</A>まふ。<BR>⏎202 
d2404-405
<P>⏎
 406 頭つき、髪のかかりはしも、うつくしげにめでたしと思ひきこゆる人びとにも、をさをさ劣るまじう、袿の裾にたまりて引かれたるほど、一尺ばかりあまりたらむと見ゆ。着たまへるものどもをさへ言ひたつるも、もの言ひさがなきやうなれど、昔物語にも、人の御装束をこそまづ言ひためれ。<BR>⏎203 
d2407-408
<P>⏎
 409 聴し色のわりなう上白みたる一襲、なごりなう黒き袿重ねて、表着には黒貂の皮衣、いときよらに香ばしきを着たまへり。古代のゆゑづきたる御装束なれど、なほ若やかなる女の御よそひには、似げなうおどろおどろしきこと、いともてはやされたり。されど、げに、この皮なうて、はた、寒からましと見ゆる御顔ざまなるを、心苦しと見たまふ。<BR>⏎204 
d1410
 411<P> 何ごとも言はれたまはず、我さへ口閉ぢたる心地したまへど、例のしじまも心みむと、とかう聞こえたまふに、いたう恥ぢらひて、口おほひしたまへるさへ、ひなび古めかしう、ことことしく、儀式官の練り出でたる臂もちおぼえて、さすがにうち笑みたまへるけしき、はしたなうすずろびたり。いとほしくあはれにて、いとど急ぎ出でたまふ。<BR>⏎205 
d2412-413
<P>⏎
 414 「頼もしき人なき御ありさまを、見そめたる人には、疎からず思ひむつびたまはむこそ、本意ある心地すべけれ。ゆるしなき御けしきなれば、つらう」など、ことつけて、<BR>⏎206 
d2415-416
<P>⏎
cd4:1417-420 「朝日さす軒の垂氷は解けながら<BR>⏎
  などかつららの結ぼほるらむ」<BR>⏎

<P>⏎
207 「朝日さす軒の垂氷は解けながら<BR>  などかつららの結ぼほるらむ」<BR>⏎
 421 とのたまへど、ただ「<A HREF="#k21">むむ</A><A NAME="t21">」</A>とうち笑ひて、いと口重げなるもいとほしければ、出でたまひぬ。<BR>⏎208 
d2422-423
<P>⏎
 424 御車寄せたる中門の、いといたうゆがみよろぼひて、夜目にこそ、しるきながらもよろづ隠ろへたること多かりけれ、いとあはれにさびしく荒れまどへるに、松の雪のみ暖かげに降り積める、山里の心地して、ものあはれなるを、「かの人びとの言ひし葎の門は、かうやうなる所なりけむかし。げに、心苦しくらうたげならむ人をここに据ゑて、うしろめたう恋しと思はばや。あるまじきもの思ひは、それに紛れなむかし」と、「思ふやうなる住みかに合はぬ御ありさまは、取るべきかたなし」と思ひながら、「我ならぬ人は、まして見忍びてむや。わがかうて見馴れけるは、故親王のうしろめたしとたぐへ置きたまひけむ魂のしるべなめり」とぞ思さるる。<BR>⏎209 
d2425-426
<P>⏎
 427 橘の木の埋もれたる、御随身召して払はせたまふ。うらやみ顔に、松の木のおのれ起きかへりて、さとこぼるる雪も、<A HREF="#no7">「名に立つ末の」</A><A NAME="te7">と</A>見ゆるなどを、「いと深からずとも、なだらかなるほどにあひしらはむ人もがな」と見たまふ。<BR>⏎210 
d2428-429
<P>⏎
 430 御車出づべき門は、まだ開けざりければ、鍵の預かり尋ね出でたれば、翁のいといみじきぞ出で来たる。娘にや、孫にや、はしたなる大きさの女の、衣は雪にあひて煤けまどひ、寒しと思へるけしき、<A HREF="#k22">深うて</A><A NAME="t22">、</A>あやしきものに火をただほのかに入れて袖ぐくみに持たり。翁、門をえ開けやらねば、寄りてひき助くる、いとかたくななり。御供の人、寄りてぞ開けつる。<BR>⏎211 
d2431-432
<P>⏎
cd2:1433-434 「降りにける頭の雪を見る人も<BR>⏎
  劣らず濡らす朝の袖かな<BR>⏎
212 「降りにける頭の雪を見る人も<BR>  劣らず濡らす朝の袖かな<BR>⏎
 435 <A HREF="#no8">『幼き者は形蔽れず』</A><A NAME="te8">」</A><BR>⏎213 
d2436-437
<P>⏎
 438 とうち誦じたまひても、鼻の色に出でて、いと寒しと見えつる御面影、ふと思ひ出でられて、ほほ笑まれたまふ。「頭中将に、これを見せたらむ時、いかなることをよそへ言はむ、常にうかがひ来れば、今見つけられなむ」と、術なう思す。<BR>⏎214 
d2439-440
<P>⏎
 441 世の常なるほどの、異なることなさならば、思ひ捨てても止みぬべきを、さだかに見たまひて後は、なかなかあはれにいみじくて、まめやかなるさまに、常に訪れたまふ。<BR>⏎215 
d2442-443
<P>⏎
 444 黒貂の皮ならぬ、<A HREF="#k23">絹</A><A NAME="t23">、</A>綾、綿など、老い人どもの着るべきもののたぐひ、かの翁のためまで、上下思しやりてたてまつりたまふ。かやうのまめやかごとも恥づかしげならぬを、心やすく、「さる方の後見にて育まむ」と思ほしとりて、さまことに、さならぬうちとけわざもしたまひけり。<BR>⏎216 
d2445-446
<P>⏎
 447 「かの空蝉の、うちとけたりし宵の側目には、いと悪ろかりし容貌ざまなれど、もてなしに隠されて、口惜しうはあらざりきかし。劣るべきほどの人なりやは。げに品にもよらぬわざなりけり。<A HREF="#k24">心ばせの</A><A NAME="t24">な</A>だらかに、ねたげなりしを、負けて止みにしかな」と、ものの折ごとには思し出づ。<BR>⏎217 
d2448-449
<P>⏎
text06450 <A NAME="in19">[第九段 歳末に姫君から和歌と衣箱が届けられる]</A><BR>218 
d2451-452
<P>⏎
 453 年も暮れぬ。内裏の宿直所におはしますに、大輔の命婦参れり。御梳櫛などには、懸想だつ筋なく、心やすきものの、さすがにのたまひたはぶれなどして、使ひならしたまへれば、召しなき時も、聞こゆべき事ある折は、参う上りけり。<BR>⏎219 
d2454-455
<P>⏎
 456 「あやしきことのはべるを、聞こえさせざらむもひがひがしう、思ひたまへわづらひて」<BR>⏎220 
 457 と、ほほ笑みて聞こえやらぬを、<BR>⏎221 
 458 「何ざまのことぞ。我にはつつむことあらじと、なむ思ふ」とのたまへば、<BR>⏎222 
 459 「いかがは。みづからの愁へは、かしこくとも、まづこそは。これは、いと聞こえさせにくくなむ」<BR>⏎223 
 460 と、いたう言籠めたれば、<BR>⏎224 
 461 「例の、艶なる」と憎みたまふ。<BR>⏎225 
d2462-463
<P>⏎
 464 「かの宮よりはべる御文」とて、取り出でたり。<BR>⏎226 
 465 「まして、これは取り隠すべきことかは」<BR>⏎227 
 466 とて、取りたまふも、胸つぶる。<BR>⏎228 
 467 陸奥紙の厚肥えたるに、匂ひばかりは深うしめたまへり。いとよう書きおほせたり。歌も、<BR>⏎229 
d2468-469
<P>⏎
cd4:1470-473 「唐衣君が心のつらければ<BR>⏎
  袂はかくぞそぼちつつのみ」<BR>⏎

<P>⏎
230 「唐衣君が心のつらければ<BR>  袂はかくぞそぼちつつのみ」<BR>⏎
 474 心得ずうちかたぶきたまへるに、包みに、衣筥の重りかに古代なるうち置きて、おし出でたり。<BR>⏎231 
d2475-476
<P>⏎
 477 「これを、いかでかは、かたはらいたく思ひたまへざらむ。されど、朔日の御よそひとて、わざとはべるめるを、はしたなうは<A HREF="#k25">え返し</A><A NAME="t25">はべら</A>ず。ひとり引き籠めはべらむも、人の御心違ひはべるべければ、御覧ぜさせてこそは」と聞こゆれば、<BR>⏎232 
d2478-479
<P>⏎
 480 「引き籠められなむは、からかりなまし。<A HREF="#no9">袖まきほさむ人もなき</A><A NAME="te9">身</A>にいと<A HREF="#k26">うれしき心ざしにこそは」<BR>⏎233 
 481 と</A><A NAME="t26">の</A>たまひて、ことにもの言はれたまはず。「さても、あさましの口つきや。これこそは手づからの御ことの限りなめれ。侍従こそとり直すべかめれ。また、筆のしりとる博士ぞなかべき」と、言ふかひなく思す。心を尽くして詠み出でたまひつらむほどを思すに、<BR>⏎234 
 482 「いともかしこき方とは、これをも言ふべかりけり」<BR>⏎235 
 483 と、ほほ笑みて見たまふを、命婦、面赤みて見たてまつる。<BR>⏎236 
d2484-485
<P>⏎
 486 今様色の、えゆるすまじく艶なう古めきたる直衣の、裏表ひとしうこまやかなる、いとなほなほしう、つまづまぞ見えたる。「あさまし」と思すに、この文をひろげながら、端に手習ひすさびたまふを、側目に見れば、<BR>⏎237 
d2487-488
<P>⏎
cd2:1489-490 「なつかしき色ともなしに何にこの<BR>⏎
  すゑつむ花を袖に触れけむ<BR>⏎
238 「なつかしき色ともなしに何にこの<BR>  すゑつむ花を袖に触れけむ<BR>⏎
 491 <A HREF="#no10">色濃き花と見しかども</A><A NAME="te10">」</A><BR>⏎239 
d2492-493
<P>⏎
 494 など、書きけがしたまふ。花のとがめを、<A HREF="#k27">なほ</A><A NAME="t27">あ</A>るやうあらむと、思ひ合はする折々の、月影などを、いとほしきものから、をかしう思ひなりぬ。<BR>⏎240 
d2495-496
<P>⏎
cd2:1497-498 「紅のひと花衣うすくとも<BR>⏎
  ひたすら朽す名をし立てずは<BR>⏎
241 「紅のひと花衣うすくとも<BR>  ひたすら朽す名をし立てずは<BR>⏎
 499 心苦しの世や」<BR>⏎242 
d2500-501
<P>⏎
 502 と、いといたう馴れてひとりごつを、よきにはあらねど、「かうやうのかいなでにだにあらましかば」と、返す返す口惜し。人のほどの心苦しきに、名の朽ちなむはさすがなり。人びと参れば、<BR>⏎243 
 503 「取り隠さむや。かかるわざは人のするものにやあらむ」<BR>⏎244 
 504 と、うちうめきたまふ。「何に御覧ぜさせつらむ。我さへ心なきやうに」と、いと恥づかしくて、やをら下りぬ。<BR>⏎245 
d2505-506
<P>⏎
 507 またの日、上にさぶらへば、台盤所にさしのぞきたまひて、<BR>⏎246 
 508 「くはや。昨日の返り事。あやしく心ばみ過ぐさるる」<BR>⏎247 
 509 とて、投げたまへり。女房たち、何ごとならむと、ゆかしがる。<BR>⏎248 
d2510-511
<P>⏎
 512 「<A HREF="#no11">ただ梅の花の色のごと</A><A NAME="te11">、</A>三笠の山のをとめをば捨てて」<BR>⏎249 
d2513-514
<P>⏎
 515 と、歌ひすさびて出でたまひぬるを、命婦は「いとをかし」と思ふ。心知らぬ人びとは、<BR>⏎250 
 516 「なぞ、<A HREF="#k28">御ひとりゑみは」と</A><A NAME="t28">、</A>とがめあへり。<BR>⏎251 
d2517-518
<P>⏎
 519 「あらず。寒き霜朝に、掻練好める花の色あひや見えつらむ。御つづしり歌のいとほしき」と言へば、<BR>⏎252 
 520 「あながちなる御ことかな。このなかには、にほへる鼻もなかめり」<BR>⏎253 
 521 「左近の命婦、肥後の<A HREF="#k29">采女</A><A NAME="t29">や</A>混じらひつらむ」<BR>⏎254 
 522 など、心も得ず言ひしろふ。<BR>⏎255 
d2523-524
<P>⏎
 525 御返りたてまつりたれば、宮には、女房つどひて、見めでけり。<BR>⏎256 
d2526-527
<P>⏎
cd4:1528-531 「逢はぬ夜をへだつるなかの衣手に<BR>⏎
  重ねていとど見もし見よとや」<BR>⏎

<P>⏎
257 「逢はぬ夜をへだつるなかの衣手に<BR>  重ねていとど見もし見よとや」<BR>⏎
 532 白き紙に、捨て書いたまへるしもぞ、なかなかをかしげなる。<BR>⏎258 
d2533-534
<P>⏎
 535 晦日の日、夕つ方、かの御衣筥に、「御料」とて、人のたてまつれる御衣<A HREF="#k30">一領</A><A NAME="t30">、</A>葡萄染の織物の御衣、また山吹か何ぞ、いろいろ見えて、命婦ぞたてまつりたる。「ありし色あひを悪ろしとや見たまひけむ」と思ひ知らるれど、「かれはた、紅の重々しかりしをや。さりとも消えじ」と、ねび人どもは定むる。<BR>⏎259 
d2536-537
<P>⏎
 538 「御歌も、これよりのは、道理聞こえて、したたかにこそあれ」<BR>⏎260 
 539 「御返りは、ただをかしき方にこそ」<BR>⏎261 
 540 など、口々に言ふ。姫君も、おぼろけならでし出でたまひつるわざなれば、ものに書きつけて置きたまへりけり。<BR>⏎262 
d2541-542
<P>⏎
text06543 <A NAME="in110">[第十段 正月七日夜常陸宮邸に泊まる]</A><BR>263 
d2544-545
<P>⏎
 546 朔日のほど過ぎて、今年、男踏歌あるべければ、例の、所々遊びののしりたまふに、もの騒がしけれど、寂しき所のあはれに思しやらるれば、七日の日の節会果てて、夜に入りて、御前よりまかでたまひけるを、御宿直所にやがてとまりたまひぬるやうにて、夜更かしておはしたり。<BR>⏎264 
d2547-548
<P>⏎
 549 例のありさまよりは、けはひうちそよめき、<A HREF="#k31">世づいたり</A><A NAME="t31">。</A>君も、すこしたをやぎたまへるけしきもてつけたまへり。「いかにぞ、改めてひき変へたらむ時」とぞ、思しつづけらるる。<BR>⏎265 
d2550-551
<P>⏎
 552 日さし出づるほどに、やすらひなして、出でたまふ。東の妻戸、おし開けたれば、向ひたる廊の、上もなくあばれたれば、日の脚、ほどなくさし入りて、雪すこし降りたる光に、いとけざやかに見入れらる。<BR>⏎266 
d2553-554
<P>⏎
 555 御直衣などたてまつるを見出だして、すこしさし出でて、かたはら臥したまへる頭つき、こぼれ出でたるほど、いとめでたし。「生ひなほりを見出でたらむ時」と思されて、格子引き上げたまへり。<BR>⏎267 
d2556-557
<P>⏎
 558 いとほしかりしもの懲りに、上げも果てたまはで、脇息をおし寄せて、うちかけて、<A HREF="#k32">御鬢ぐき</A><A NAME="t32">の</A>しどけなきをつくろひたまふ。わりなう古めきたる鏡台の、唐櫛笥、掻上の筥など、取り出でたり。さすがに、男の御具さへほのぼのあるを、されてをかしと見たまふ。<BR>⏎268 
d2559-560
<P>⏎
 561 女の御装束、「今日は世づきたり」と見ゆるは、ありし筥の心葉を、さながらなりけり。さも思しよらず、興ある紋つきてしるき表着ばかりぞ、あやしと思しける。<BR>⏎269 
d2562-563
<P>⏎
 564 「今年だに、声すこし聞かせたまへかし。<A HREF="#no12">侍たるるものは</A><A NAME="te12">さ</A>し置かれて、御けしきの改まらむなむゆかしき」とのたまへば、<BR>⏎270 
 565 <A HREF="#no13">「さへづる春は」</A><A NAME="te13"><BR>⏎271 
 566 と</A>、<A HREF="#k33">からうして</A><A NAME="t33">わ</A>ななかし出でたり。<BR>⏎272 
 567 「さりや。年経ぬるしるしよ」と、うち笑ひたまひて、<A HREF="#no14">「夢かとぞ見る」</A><A NAME="te14"><BR>⏎273 
 568 と</A>、うち誦じて出でたまふを、見送りて添ひ臥したまへり。口おほひの側目より、なほ、かの末摘花、いとにほひやかにさし出でたり。見苦しのわざやと思さる。<BR>⏎274 
d3569-571
<P>⏎

text06572<H4>第二章 若紫の物語</H4>275 
text06573 <A NAME="in21">[第一段 紫の君と鼻を赤く塗って戯れる]</A><BR>276 
d1574<P>⏎
 575 二条院におはしたれば、紫の君、いともうつくしき片生ひにて、「紅はかうなつかしきもありけり」と見ゆるに、無紋の桜の細長、なよらかに着なして、何心もなくてものしたまふさま、いみじうらうたし。古代の祖母君の御なごりにて、歯黒めも<A HREF="#k34">まだしかり</A><A NAME="t34">け</A>るを、ひきつくろはせたまへれば、眉のけざやかになりたるも、うつくしうきよらなり。「心から、<A HREF="#k35">などか</A><A NAME="t35">、</A>かう憂き世を見あつかふらむ。かく心苦しきものをも見てゐたらで」と、思しつつ、例の、もろともに雛遊びしたまふ。<BR>⏎277 
d1576<P>⏎
 577 絵など描きて、色どりたまふ。よろづにをかしうすさび散らしたまひけり。我も描き添へたまふ。髪いと長き女を描きたまひて、鼻に紅をつけて見たまふに、画に描きても見ま憂きさましたり。わが御影の鏡台にうつれるが、いときよらなるを見たまひて、手づからこの赤鼻を描きつけ、にほはして見たまふに、かくよき顔だに、さてまじれらむは見苦しかるべかりけり。姫君、見て、いみじく笑ひたまふ。<BR>⏎278 
d1578<P>⏎
 579 「まろが、かくかたはになりなむ時、いかならむ」とのたまへば、<BR>⏎279 
 580 「うたてこそあらめ」<BR>⏎280 
 581 とて、さもや染みつかむと、あやふく思ひたまへり。そら拭ごひをして、<BR>⏎281 
 582 「さらにこそ、白まね。用なきすさびわざなりや。内裏にいかに<A HREF="#k36">のたまはむと</A><A NAME="t36">す</A>らむ」<BR>⏎282 
 583 と、いとまめやかにのたまふを、いといとほしと思して、寄りて、拭ごひたまへば、<BR>⏎283 
 584 「平中がやうに色どり添へたまふな。赤からむはあへなむ」<BR>⏎284 
 585 と、戯れたまふさま、いとをかしき妹背と見えたまへり。<BR>⏎285 
d1586<P>⏎
 587 日のいとうららかなるに、いつしかと霞みわたれる梢どもの、心もとなきなかにも、梅はけしきばみ、ほほ笑みわたれる、とりわきて見ゆ。階隠のもとの紅梅、いととく咲く花にて、色づきにけり。<BR>⏎286 
d1588<P>⏎
cd2:1589-590 「紅の花ぞあやなくうとまるる<BR>⏎
  梅の立ち枝はなつかしけれど<BR>⏎
287 「紅の花ぞあやなくうとまるる<BR>  梅の立ち枝はなつかしけれど<BR>⏎
 591 いでや」<BR>⏎288 
d1592<P>⏎
 593 と、あいなくうちうめかれたまふ。<BR>⏎289 
 594 かかる人びとの末々、いかなりけむ。<BR>⏎290 
d2595-596
<P>⏎
text06597 <a name="in31">【出典】<BR>291 
c1598</a><A NAME="no1">出典1</A> 欣然得三友 三友者為誰 琴罷*挙酒 酒罷*吟詩 三友逓相引 循環無已時(白氏文集巻六二-二九八五 北窓三友 *「すなはち」)<A HREF="#te1">(戻)</A><BR>⏎
292<A NAME="no1">出典1</A> 欣然得三友 三友者為誰 琴罷*挙酒 酒罷*吟詩 三友逓相引 循環無已時(白氏文集巻六二-二九八五 北窓三友 *「すなはち」)<A HREF="#te1">(戻)</A><BR>⏎
 599<A NAME="no2">出典2</A> 伯牙善鼓琴 鐘子期善聴(列子、湯問篇)<A HREF="#te2">(戻)</A><BR>⏎293 
 600<A NAME="no3">出典3</A> 婦が門 夫が門 行き過ぎかねてや 我が行かば 肱笠の 肱笠の 雨も降らなむ 郭公 雨やどり 笠やどり 舎りてまからむ 郭公(催馬楽 婦が門)<A HREF="#te3">(戻)</A><BR>⏎294 
 601<A NAME="no4">出典4</A> ことならば思はずとやは言ひはてぬなぞ世の中の玉だすきなる(古今集俳諧歌-一〇三七 読み人しらず)<A HREF="#te4">(戻)</A><BR>⏎295 
 602<A NAME="no5">出典5</A> 寿則辱多(荘子、天地)<A HREF="#te5">(戻)</A><BR>⏎296 
 603<A NAME="no6">出典6</A> 世の中を憂しとやさしと思へども飛び立ちかねつ鳥にしあらねば(万葉集五-八九七 山上憶良)<A HREF="#te6">(戻)</A><BR>⏎297 
 604<A NAME="no7">出典7</A> わが袖は名に立つ末の松山か空より浪の越えぬ日はなし(後撰集恋二-六八三 土左)<A HREF="#te7">(戻)</A><BR>⏎298 
 605<A NAME="no8">出典8</A> 夜深烟火尽 霰雪白紛々 幼者形不蔽 老者体無温 悲端与寒気 併入鼻中辛(白氏文集巻二-七六 秦中吟)<A HREF="#te8">(戻)</A><BR>⏎299 
 606<A NAME="no9">出典9</A> あは雪は今朝はな降りそ白妙の袖まきほさむ人もあらなくに(古今六帖一-七五五)<A HREF="#te9">(戻)</A><BR>⏎300 
 607<A NAME="no10">出典10</A> 紅を色濃き花と見しかども人の飽くにはかへらざりけり(出典未詳、源氏釈所引)<A HREF="#te10">(戻)</A><BR>⏎301 
 608<A NAME="no11">出典11</A> たたらめの花の如 かい練好むや 実に紫の色好むや(風俗歌 たたらめ)<A HREF="#te11">(戻)</A><BR>⏎302 
 609<A NAME="no12">出典12</A> あらたまの年たちかへる朝より待たるるものは鴬の声(拾遺集春-五 素性法師)<A HREF="#te12">(戻)</A><BR>⏎303 
 610<A NAME="no13">出典13</A> 百千鳥さへづる春はものごとに改まれども我ぞふりゆく(古今集春上-二八 読人しらず)<A HREF="#te13">(戻)</A><BR>⏎304 
 611<A NAME="no14">出典14</A> 忘れては夢かとぞ思ふ思ひきや雪踏み分けて君を見むとは(古今集雑下-九七〇 在原業平)<A HREF="#te14">(戻)</A><BR>⏎305 
d1612
text06613<p> <a name="in32">【校訂】<BR>306 
 614備考--(/) ミセケチ--$ 抹消--# 補入--+ 傍書--= ナゾリ--& 独自異文等--* 朱筆--<朱> 不明--△<BR>⏎307 
c1615</a><A NAME="k01">校訂1</A> 内裏に--(/+うちに)<A HREF="#t01">(戻)</A><BR>⏎
308<A NAME="k01">校訂1</A> 内裏に--(/+うちに)<A HREF="#t01">(戻)</A><BR>⏎
 616<A NAME="k02">校訂2</A> いかでかは--いかてか(か/+は)<A HREF="#t02">(戻)</A><BR>⏎309 
 617<A NAME="k03">校訂3</A> なむ」と--*なと<A HREF="#t03">(戻)</A><BR>⏎310 
 618<A NAME="k04">校訂4</A> 心やましきに--心やましき(き/+に)<A HREF="#t04">(戻)</A><BR>⏎311 
 619<A NAME="k05">校訂5</A> 人わきしける--人わきゝ(ゝ/#し)ける<A HREF="#t05">(戻)</A><BR>⏎312 
 620<A NAME="k06">校訂6</A> さりとも--*さりと<A HREF="#t06">(戻)</A><BR>⏎313 
 621<A NAME="k07">校訂7</A> えしもや--えに(に/&<朱>)しもや<A HREF="#t07">(戻)</A><BR>⏎314 
 622<A NAME="k08">校訂8</A> 手を--て(て/+を)<A HREF="#t08">(戻)</A><BR>⏎315 
 623<A NAME="k09">校訂9</A> 御許しなくとも--御ゆるしなう(う/$く)とも<A HREF="#t09">(戻)</A><BR>⏎316 
 624<A NAME="k10">校訂10</A> など--なとに(に/$<朱>)<A HREF="#t10">(戻)</A><BR>⏎317 
 625<A NAME="k11">校訂11</A> ばや」とぞ--はや(や/+と)そ<A HREF="#t11">(戻)</A><BR>⏎318 
 626<A NAME="k12">校訂12</A> 男は--おとゝ(ゝ/&)こは<A HREF="#t12">(戻)</A><BR>⏎319 
 627<A NAME="k13">校訂13</A> まけ--さ(さ/ま<朱>)<A HREF="#t13">(戻)</A><BR>⏎320 
 628<A NAME="k14">校訂14</A> 口--くれ(れ/$ち)<A HREF="#t14">(戻)</A><BR>⏎321 
 629<A NAME="k15">校訂15</A> とて--と(と/+て)<A HREF="#t15">(戻)</A><BR>⏎322 
 630<A NAME="k16">校訂16</A> 御ほどを--御ほと(と/+を)<A HREF="#t16">(戻)</A><BR>⏎323 
 631<A NAME="k17">校訂17</A> もろともに--もろと(と/+も)に<A HREF="#t17">(戻)</A><BR>⏎324 
 632<A NAME="k18">校訂18</A> たまへれ--たまへ(へ/+れ)<A HREF="#t18">(戻)</A><BR>⏎325 
 633<A NAME="k19">校訂19</A> おぼつかなくて--をほつかなく(く/+て)<A HREF="#t19">(戻)</A><BR>⏎326 
 634<A NAME="k20">校訂20</A> 見やられ--みや(や/+ら)れ<A HREF="#t20">(戻)</A><BR>⏎327 
 635<A NAME="k21">校訂21</A> むむ--むく(く/$む)<A HREF="#t21">(戻)</A><BR>⏎328 
 636<A NAME="k22">校訂22</A> 深うて--ふかう(う/+て)<A HREF="#t22">(戻)</A><BR>⏎329 
 637<A NAME="k23">校訂23</A> 絹--(/+きぬ)<A HREF="#t23">(戻)</A><BR>⏎330 
 638<A NAME="k24">校訂24</A> 心ばせの--心はせ(せ/+の)<A HREF="#t24">(戻)</A><BR>⏎331 
 639<A NAME="k25">校訂25</A> え返し--は(は/$え<朱>)かへし<A HREF="#t25">(戻)</A><BR>⏎332 
 640<A NAME="k26">校訂26</A> うれしき心ざしにこそは」と--(/+うれしき心さしにこそはと<朱>)<A HREF="#t26">(戻)</A><BR>⏎333 
 641<A NAME="k27">校訂27</A> なほ--(/+なを)<A HREF="#t27">(戻)</A><BR>⏎334 
 642<A NAME="k28">校訂28</A> 御ひとりゑみは」と--御ひとりゑみは(は/+と)<A HREF="#t28">(戻)</A><BR>⏎335 
 643<A NAME="k29">校訂29</A> 采女--うねゑ(ゑ/$へ)<A HREF="#t29">(戻)</A><BR>⏎336 
 644<A NAME="k30">校訂30</A> 一領--ひとく(く/+たり)<A HREF="#t30">(戻)</A><BR>⏎337 
 645<A NAME="k31">校訂31</A> 世づいたり--(/+よ)ついたり<A HREF="#t31">(戻)</A><BR>⏎338 
 646<A NAME="k32">校訂32</A> 御鬢ぐき--御ひん(ん/$)くき<A HREF="#t32">(戻)</A><BR>⏎339 
 647<A NAME="k33">校訂33</A> からうして--かし(し/$らイ)うして<A HREF="#t33">(戻)</A><BR>⏎340 
 648<A NAME="k34">校訂34</A> まだしかり--さ(さ/$ま)たしかり<A HREF="#t34">(戻)</A><BR>⏎341 
 649<A NAME="k35">校訂35</A> などか--なと(と/+か)<A HREF="#t35">(戻)</A><BR>⏎342 
 650<A NAME="k36">校訂36</A> のたまはむと--の給はむ(む/+と)<A HREF="#t36">(戻)</A><BR>⏎343 
d1651</p>⏎
 652<p><a href="index.html">源氏物語の世界ヘ</a><BR>⏎344 
 653<a href="roman06.html">ローマ字版 </a><BR>⏎345 
 654<a href="version06.html">現代語訳 </a><BR>⏎346 
 655<a href="note06.html">注釈</a><BR>⏎347 
 656<a href="data06.html">大島本</a><BR>⏎348 
 657<a href="okuiri06.html">自筆本奥入</a><BR>⏎349 
d1658</p>⏎
 659<hr size="4">⏎350 
 660</body>⏎351 
 661</HTML>⏎352 
i0354