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<再編集版>
<テキスト type="本文">
<帖 no="01" name="桐壺">
<底本>明融臨模本</底本>
<Acknowledgements>Last updated 6/25/2003<BR /> 渋谷栄一校訂(C)（ver.1-4-1）</Acknowledgements>
<章 no="1" name="第一章　光る源氏前史の物語">
<段 no="1" name="第一段　父帝と母桐壺更衣の物語">
<行 no="1">いづれの御時にか、女御、更衣あまたさぶらひたまひけるなかに、いとやむごとなき際にはあらぬが、すぐれて時めきたまふありけり。</行>
<行 no="2">はじめより我はと思ひ上がりたまへる御方がた、めざましきものにおとしめ嫉みたまふ。同じほど、それより下臈の更衣たちは、ましてやすからず。朝夕の宮仕へにつけても、人の心をのみ動かし、恨みを負ふ積もりにやありけむ、いと篤しくなりゆき、もの心細げに里がちなるを、いよいよあかずあはれなるものに思ほして、人のそしりをもえ憚らせたまはず、世のためしにもなりぬべき御もてなしなり。</行>
<行 no="3">上達部、上人なども、あいなく目を側めつつ、「いとまばゆき人の御おぼえなり。唐土にも、かかる事の起こりにこそ、世も乱れ、悪しかりけれ」と、やうやう天の下にもあぢきなう、人のもてなやみぐさになりて、楊貴妃の例も引き出でつべくなりゆくに、いとはしたなきこと多かれど、かたじけなき御心ばへのたぐひなきを頼みにてまじらひたまふ。</行>
<行 no="4">父の大納言は亡くなりて、母北の方なむいにしへの人のよしあるにて、親うち具し、さしあたりて世のおぼえはなやかなる御方がたにもいたう劣らず、なにごとの儀式をももてなしたまひけれど、とりたててはかばかしき後見しなければ、事ある時は、なほ拠り所なく心細げなり。</行>
</段>
<段 no="2" name="第二段　御子誕生（一歳）">
<行 no="1">先の世にも御契りや深かりけむ、世になく清らなる玉の男御子さへ生まれたまひぬ。いつしかと心もとながらせたまひて、急ぎ参らせて御覧ずるに、めづらかなる稚児の御容貌なり。</行>
<行 no="2">一の皇子は、右大臣の女御の御腹にて、寄せ重く、疑ひなき儲の君と、世にもてかしづききこゆれど、この御にほひには並びたまふべくもあらざりければ、おほかたのやむごとなき御思ひにて、この君をば、私物に思ほしかしづきたまふこと限りなし。</行>
<行 no="3">初めよりおしなべての上宮仕へしたまふべき際にはあらざりき。おぼえいとやむごとなく、上衆めかしけれど、わりなくまつはさせたまふあまりに、さるべき御遊びの折々、何事にもゆゑある事のふしぶしには、まづ参う上らせたまふ。ある時には大殿籠もり過ぐして、やがてさぶらはせたまひなど、あながちに御前去らずもてなさせたまひしほどに、おのづから軽き方にも見えしを、この御子生まれたまひて後は、いと心ことに思ほしおきてたれば、「坊にも、ようせずは、この御子の居たまふべきなめり」と、一の皇子の女御は思し疑へり。人より先に参りたまひて、やむごとなき御思ひなべてならず、皇女たちなどもおはしませば、この御方の御諌めをのみぞ、なほわづらはしう心苦しう思ひきこえさせたまひける。</行>
<行 no="4">かしこき御蔭をば頼みきこえながら、落としめ疵を求めたまふ人は多く、わが身はか弱くものはかなきありさまにて、なかなかなるもの思ひをぞしたまふ。御局は桐壺なり。あまたの御方がたを過ぎさせたまひて、ひまなき御前渡りに、人の御心を尽くしたまふも、げにことわりと見えたり。参う上りたまふにも、あまりうちしきる折々は、打橋、渡殿のここかしこの道に、あやしきわざをしつつ、御送り迎への人の衣の裾、堪へがたく、まさなきこともあり。またある時には、え避らぬ馬道の戸を鎖しこめ、こなたかなた心を合はせて、はしたなめわづらはせたまふ時も多かり。事にふれて数知らず苦しきことのみまされば、いといたう思ひわびたるを、いとどあはれと御覧じて、後涼殿にもとよりさぶらひたまふ更衣の曹司を他に移させたまひて、上局に賜はす。その恨みましてやらむ方なし。</行>
</段>
<段 no="3" name="第三段　若宮の御袴着（三歳）">
<行 no="1">この御子三つになりたまふ年、御袴着のこと一の宮のたてまつりしに劣らず、内蔵寮、納殿の物を尽くして、いみじうせさせたまふ。それにつけても、世の誹りのみ多かれど、この御子のおよすげもておはする御容貌心ばへありがたくめづらしきまで見えたまふを、え嫉みあへたまはず。ものの心知りたまふ人は、「かかる人も世に出でおはするものなりけり」と、あさましきまで目をおどろかしたまふ。</行>
</段>
<段 no="4" name="第四段　母御息所の死去">
<行 no="1">その年の夏、御息所、はかなき心地にわづらひて、まかでなむとしたまふを、暇さらに許させたまはず。年ごろ、常の篤しさになりたまへれば、御目馴れて、「なほしばしこころみよ」とのみのたまはするに、日々に重りたまひて、ただ五六日のほどにいと弱うなれば、母君泣く泣く奏して、まかでさせたてまつりたまふ。かかる折にも、あるまじき恥もこそと心づかひして、御子をば留めたてまつりて、忍びてぞ出でたまふ。</行>
<行 no="2">限りあれば、さのみもえ留めさせたまはず、御覧じだに送らぬおぼつかなさを、言ふ方なく思ほさる。いとにほひやかにうつくしげなる人の、いたう面痩せて、いとあはれとものを思ひしみながら、言に出でても聞こえやらず、あるかなきかに消え入りつつものしたまふを御覧ずるに、来し方行く末思し召されず、よろずのことを泣く泣く契りのたまはすれど、御いらへもえ聞こえたまはず、まみなどもいとたゆげにて、いとどなよなよと、我かの気色にて臥したれば、いかさまにと思し召しまどはる。輦車の宣旨などのたまはせても、また入らせたまひて、さらにえ許させたまはず。</行>
<行 no="3">「限りあらむ道にも、後れ先立たじと、契らせたまひけるを。さりとも、うち捨てては、え行きやらじ」</行>
<行 no="4">とのたまはするを、女もいといみじと、見たてまつりて、</行>
<行 no="5">「限りとて別るる道の悲しきに</行>
<行 no="6">いかまほしきは命なりけり</行>
<行 no="7">いとかく思ひたまへましかば」</行>
<行 no="8">と、息も絶えつつ、聞こえまほしげなることはありげなれど、いと苦しげにたゆげなれば、かくながら、ともかくもならむを御覧じはてむと思し召すに、「今日始むべき祈りども、さるべき人びとうけたまはれる、今宵より」と、聞こえ急がせば、わりなく思ほしながらまかでさせたまふ。</行>
<行 no="9">御胸つとふたがりて、つゆまどろまれず、明かしかねさせたまふ。御使の行き交ふほどもなきに、なほいぶせさを限りなくのたまはせつるを、「夜半うち過ぐるほどになむ、絶えはてたまひぬる」とて泣き騒げば、御使もいとあへなくて帰り参りぬ。聞こし召す御心まどひ、何ごとも思し召しわかれず、籠もりおはします。</行>
<行 no="10">御子は、かくてもいと御覧ぜまほしけれど、かかるほどにさぶらひたまふ、例なきことなれば、まかでたまひなむとす。何事かあらむとも思したらず、さぶらふ人びとの泣きまどひ、主上も御涙のひまなく流れおはしますを、あやしと見たてまつりたまへるを、よろしきことにだに、かかる別れの悲しからぬはなきわざなるを、ましてあはれに言ふかひなし。</行>
</段>
<段 no="5" name="第五段　故御息所の葬送">
<行 no="1">限りあれば、例の作法にをさめたてまつるを、母北の方、同じ煙にのぼりなむと、泣きこがれたまひて、御送りの女房の車に慕ひ乗りたまひて、愛宕といふ所にいといかめしうその作法したるに、おはし着きたる心地、いかばかりかはありけむ。「むなしき御骸を見る見る、なほおはするものと思ふが、いとかひなければ、灰になりたまはむを見たてまつりて、今は亡き人と、ひたぶるに思ひなりなむ」と、さかしうのたまひつれど、車よりも落ちぬべうまろびたまへば、さは思ひつかしと、人びともてわづらひきこゆ。</行>
<行 no="2">内裏より御使あり。三位の位贈りたまふよし、勅使来てその宣命読むなむ、悲しきことなりける。女御とだに言はせずなりぬるが、あかず口惜しう思さるれば、いま一階の位をだにと、贈らせたまふなりけり。これにつけても憎みたまふ人びと多かり。もの思ひ知りたまふは、様、容貌などのめでたかりしこと、心ばせのなだらかにめやすく、憎みがたかりしことなど、今ぞ思し出づる。さま悪しき御もてなしゆゑこそ、すげなう嫉みたまひしか、人柄のあはれに情けありし御心を、主上の女房なども恋ひしのびあへり。なくてぞとは、かかる折にやと見えたり。</行>
</段>
</章>
<章 no="2" name="第二章　父帝悲秋の物語">
<段 no="1" name="第一段　父帝悲しみの日々">
<行 no="1">はかなく日ごろ過ぎて、後のわざなどにもこまかにとぶらはせたまふ。ほど経るままに、せむ方なう悲しう思さるるに、御方がたの御宿直なども絶えてしたまはず、ただ涙にひちて明かし暮らさせたまへば、見たてまつる人さへ露けき秋なり。「亡きあとまで、人の胸あくまじかりける人の御おぼえかな」とぞ、弘徽殿などにはなほ許しなうのたまひける。一の宮を見たてまつらせたまふにも、若宮の御恋しさのみ思ほし出でつつ、親しき女房、御乳母などを遣はしつつ、ありさまを聞こし召す。</行>
</段>
<段 no="2" name="第二段　靫負命婦の弔問">
<行 no="1">野分立ちて、にはかに肌寒き夕暮のほど、常よりも思し出づること多くて、靫負命婦といふを遣はす。夕月夜のをかしきほどに出だし立てさせたまひて、やがて眺めおはします。かうやうの折は、御遊びなどせさせたまひしに、心ことなる物の音を掻き鳴らし、はかなく聞こえ出づる言の葉も、人よりはことなりしけはひ容貌の、面影につと添ひて思さるるにも、闇の現にはなほ劣りけり。</行>
<行 no="2">命婦、かしこに参で着きて、門引き入るるより、けはひあはれなり。やもめ住みなれど、人一人の御かしづきに、とかくつくろひ立てて、めやすきほどにて過ぐしたまひつる、闇に暮れて臥し沈みたまへるほどに、草も高くなり、野分にいとど荒れたる心地して、月影ばかりぞ八重葎にも障はらず差し入りたる。南面に下ろして、母君も、とみにえものものたまはず。</行>
<行 no="3">「今までとまりはべるがいと憂きを、かかる御使の蓬生の露分け入りたまふにつけても、いと恥づかしうなむ」</行>
<行 no="4">とて、げにえ堪ふまじく泣いたまふ。</行>
<行 no="5">「『参りては、いとど心苦しう、心肝も尽くるやうになむ』と、典侍の奏したまひしを、もの思ひたまへ知らぬ心地にも、げにこそいと忍びがたうはべりけれ」</行>
<行 no="6">とて、ややためらひて、仰せ言伝へきこゆ。</行>
<行 no="7">「『しばしは夢かとのみたどられしを、やうやう思ひ静まるにしも、覚むべき方なく堪へがたきは、いかにすべきわざにかとも、問ひあはすべき人だになきを、忍びては参りたまひなむや。若宮のいとおぼつかなく、露けき中に過ぐしたまふも、心苦しう思さるるを、とく参りたまへ』など、はかばかしうものたまはせやらず、むせかへらせたまひつつ、かつは人も心弱く見たてまつるらむと、思しつつまぬにしもあらぬ御気色の心苦しさに、承り果てぬやうにてなむ、まかではべりぬる」</行>
<行 no="8">とて、御文奉る。</行>
<行 no="9">「目も見えはべらぬに、かくかしこき仰せ言を光にてなむ」とて、見たまふ。</行>
<行 no="10">「ほど経ばすこしうち紛るることもやと、待ち過ぐす月日に添へて、いと忍びがたきはわりなきわざになむ。いはけなき人をいかにと思ひやりつつ、もろともに育まぬおぼつかなさを。今は、なほ昔のかたみになずらへて、ものしたまへ」</行>
<行 no="11">など、こまやかに書かせたまへり。</行>
<行 no="12">「宮城野の露吹きむすぶ風の音に</行>
<行 no="13">小萩がもとを思ひこそやれ」</行>
<行 no="14">とあれど、え見たまひ果てず。</行>
<行 no="15">「命長さの、いとつらう思ひたまへ知らるるに、松の思はむことだに、恥づかしう思ひたまへはべれば、百敷に行きかひはべらむことは、ましていと憚り多くなむ。かしこき仰せ言をたびたび承りながら、みづからはえなむ思ひたまへたつまじき。若宮は、いかに思ほし知るにか、参りたまはむことをのみなむ思し急ぐめれば、ことわりに悲しう見たてまつりはべるなど、うちうちに思ひたまふるさまを奏したまへ。ゆゆしき身にはべれば、かくておはしますも、忌ま忌ましうかたじけなくなむ」</行>
<行 no="16">とのたまふ。宮は大殿籠もりにけり。</行>
<行 no="17">「見たてまつりて、くはしう御ありさまも奏しはべらまほしきを、待ちおはしますらむに、夜更けはべりぬべし」とて急ぐ。</行>
<行 no="18">「暮れまどふ心の闇も堪へがたき片端をだに、はるくばかりに聞こえまほしうはべるを、私にも心のどかにまかでたまへ。年ごろ、うれしく面だたしきついでにて立ち寄りたまひしものを、かかる御消息にて見たてまつる、返す返すつれなき命にもはべるかな。</行>
<行 no="19">生まれし時より、思ふ心ありし人にて、故大納言、いまはとなるまで、『ただ、この人の宮仕への本意、かならず遂げさせたてまつれ。我れ亡くなりぬとて、口惜しう思ひくづほるな』と、返す返す諌めおかれはべりしかば、はかばかしう後見思ふ人もなき交じらひは、なかなかなるべきことと思ひたまへながら、ただかの遺言を違へじとばかりに、出だし立てはべりしを、身に余るまでの御心ざしの、よろづにかたじけなきに、人げなき恥を隠しつつ、交じらひたまふめりつるを、人の嫉み深く積もり、安からぬこと多くなり添ひはべりつるに、横様なるやうにて、つひにかくなりはべりぬれば、かへりてはつらくなむ、かしこき御心ざしを思ひたまへられはべる。これもわりなき心の闇になむ」</行>
<行 no="20">と、言ひもやらずむせかへりたまふほどに、夜も更けぬ。</行>
<行 no="21">「主上もしかなむ。『我が御心ながら、あながちに人目おどろくばかり思されしも、長かるまじきなりけりと、今はつらかりける人の契りになむ。世にいささかも人の心を曲げたることはあらじと思ふを、ただこの人のゆゑにて、あまたさるまじき人の恨みを負ひし果て果ては、かううち捨てられて、心をさめむ方なきに、いとど人悪ろうかたくなになり果つるも、前の世ゆかしうなむ』とうち返しつつ、御しほたれがちにのみおはします」と語りて尽きせず。泣く泣く、「夜いたう更けぬれば、今宵過ぐさず、御返り奏せむ」と急ぎ参る。</行>
<行 no="22">月は入り方の、空清う澄みわたれるに、風いと涼しくなりて、草むらの虫の声ごゑもよほし顔なるも、いと立ち離れにくき草のもとなり。</行>
<行 no="23">「鈴虫の声の限りを尽くしても</行>
<行 no="24">長き夜あかずふる涙かな」</行>
<行 no="25">えも乗りやらず。</行>
<行 no="26">「いとどしく虫の音しげき浅茅生に</行>
<行 no="27">露置き添ふる雲の上人</行>
<行 no="28">かごとも聞こえつべくなむ」</行>
<行 no="29">と言はせたまふ。をかしき御贈り物などあるべき折にもあらねば、ただかの御形見にとて、かかる用もやと残したまへりける御装束一領、御髪上げの調度めく物添へたまふ。</行>
<行 no="30">若き人びと、悲しきことはさらにも言はず、内裏わたりを朝夕にならひて、いとさうざうしく、主上の御ありさまなど思ひ出できこゆれば、とく参りたまはむことをそそのかしきこゆれど、「かく忌ま忌ましき身の添ひたてまつらむも、いと人聞き憂かるべし、また、見たてまつらでしばしもあらむは、いとうしろめたう」思ひきこえたまひて、すがすがともえ参らせたてまつりたまはぬなりけり。　</行>
</段>
<段 no="3" name="第三段　命婦帰参">
<行 no="1">命婦は、「まだ大殿籠もらせたまはざりける」と、あはれに見たてまつる。御前の壺前栽のいとおもしろき盛りなるを御覧ずるやうにて、忍びやかに心にくき限りの女房四五人さぶらはせたまひて、御物語せさせたまふなりけり。このころ、明け暮れ御覧ずる長恨歌の御絵、亭子院の描かせたまひて、伊勢、貫之に詠ませたまへる、大和言の葉をも、唐土の詩をも、ただその筋をぞ、枕言にせさせたまふ。いとこまやかにありさま問はせたまふ。あはれなりつること忍びやかに奏す。御返り御覧ずれば、</行>
<行 no="2">「いともかしこきは置き所もはべらず。かかる仰せ言につけても、かきくらす乱り心地になむ。</行>
<行 no="3">荒き風ふせぎし蔭の枯れしより</行>
<行 no="4">小萩がうへぞ静心なき」</行>
<行 no="5">などやうに乱りがはしきを、心をさめざりけるほどと御覧じ許すべし。いとかうしも見えじと、思し静むれど、さらにえ忍びあへさせたまはず、御覧じ初めし年月のことさへかき集め、よろづに思し続けられて、「時の間もおぼつかなかりしを、かくても月日は経にけり」と、あさましう思し召さる。</行>
<行 no="6">「故大納言の遺言あやまたず、宮仕への本意深くものしたりしよろこびは、かひあるさまにとこそ思ひわたりつれ。言ふかひなしや」とうちのたまはせて、いとあはれに思しやる。「かくても、おのづから若宮など生ひ出でたまはば、さるべきついでもありなむ。命長くとこそ思ひ念ぜめ」</行>
<行 no="7">などのたまはす。かの贈り物御覧ぜさす。「亡き人の住処尋ね出でたりけむしるしの釵ならましかば」と思ほすもいとかひなし。</行>
<行 no="8">「尋ねゆく幻もがなつてにても</行>
<行 no="9">魂のありかをそこと知るべく」</行>
<行 no="10">絵に描ける楊貴妃の容貌は、いみじき絵師といへども、筆限りありければいとにほひ少なし。大液芙蓉未央柳も、げに通ひたりし容貌を、唐めいたる装ひはうるはしうこそありけめ、なつかしうらうたげなりしを思し出づるに、花鳥の色にも音にもよそふべき方ぞなき。朝夕の言種に、「翼をならべ、枝を交はさむ」と契らせたまひしに、かなはざりける命のほどぞ、尽きせず恨めしき。</行>
<行 no="11">風の音、虫の音につけて、もののみ悲しう思さるるに、弘徽殿には、久しく上の御局にも参う上りたまはず、月のおもしろきに、夜更くるまで遊びをぞしたまふなる。いとすさまじう、ものしと聞こし召す。このごろの御気色を見たてまつる上人、女房などは、かたはらいたしと聞きけり。いとおし立ちかどかどしきところものしたまふ御方にて、ことにもあらず思し消ちてもてなしたまふなるべし。月も入りぬ。</行>
<行 no="12">「雲の上も涙にくるる秋の月</行>
<行 no="13">いかですむらむ浅茅生の宿」</行>
<行 no="14">思し召しやりつつ、灯火をかかげ尽くして起きおはします。右近の司の宿直奏の声聞こゆるは、丑になりぬるなるべし。人目を思して、夜の御殿に入らせたまひても、まどろませたまふことかたし。朝に起きさせたまふとても、「明くるも知らで」と思し出づるにも、なほ朝政は怠らせたまひぬべかめり。</行>
<行 no="15">ものなども聞こし召さず、朝餉のけしきばかり触れさせたまひて、大床子の御膳などは、いと遥かに思し召したれば、陪膳にさぶらふ限りは、心苦しき御気色を見たてまつり嘆く。すべて、近うさぶらふ限りは、男女、「いとわりなきわざかな」と言ひ合はせつつ嘆く。「さるべき契りこそはおはしましけめ。そこらの人の誹り、恨みをも憚らせたまはず、この御ことに触れたることをば、道理をも失はせたまひ、今はた、かく世の中のことをも、思ほし捨てたるやうになりゆくは、いとたいだいしきわざなり」と、人の朝廷の例まで引き出で、ささめき嘆きけり。</行>
</段>
</章>
<章 no="3" name="第三章　光る源氏の物語">
<段 no="1" name="第一段　若宮参内（四歳）">
<行 no="1">月日経て、若宮参りたまひぬ。いとどこの世のものならず清らにおよすげたまへれば、いとゆゆしう思したり。</行>
<行 no="2">明くる年の春、坊定まりたまふにも、いと引き越さまほしう思せど、御後見すべき人もなく、また世のうけひくまじきことなりければ、なかなか危く思し憚りて、色にも出ださせたまはずなりぬるを、「さばかり思したれど、限りこそありけれ」と、世人も聞こえ、女御も御心落ちゐたまひぬ。</行>
<行 no="3">かの御祖母北の方、慰む方なく思し沈みて、おはすらむ所にだに尋ね行かむと願ひたまひししるしにや、つひに亡せたまひぬれば、またこれを悲しび思すこと限りなし。御子六つになりたまふ年なれば、このたびは思し知りて恋ひ泣きたふ。年ごろ馴れ睦びきこえたまひつるを、見たてまつり置く悲しびをなむ、返す返すのたまひける。</行>
</段>
<段 no="2" name="第二段　読書始め（七歳）">
<行 no="1">今は内裏にのみさぶらひたまふ。七つになりたまへば、読書始めなどせさせたまひて、世に知らず聡う賢くおはすれば、あまり恐ろしきまで御覧ず。</行>
<行 no="2">「今は誰れも誰れもえ憎みたまはじ。母君なくてだにらうたうしたまへ」とて、弘徽殿などにも渡らせたまふ御供には、やがて御簾の内に入れたてまつりたまふ。いみじき武士、仇敵なりとも、見てはうち笑まれぬべきさまのしたまへれば、えさし放ちたまはず。女皇女たち二ところ、この御腹におはしませど、なずらひたまふべきだにぞなかりける。御方々も隠れたまはず、今よりなまめかしう恥づかしげにおはすれば、いとをかしううちとけぬ遊び種に、誰れも誰れも思ひきこえたまへり。</行>
<行 no="3">わざとの御学問はさるものにて、琴笛の音にも雲居を響かし、すべて言ひ続けば、ことごとしう、うたてぞなりぬべき人の御さまなりける。</行>
</段>
<段 no="3" name="第三段　高麗人の観相、源姓賜わる">
<行 no="1">そのころ、高麗人の参れる中に、かしこき相人ありけるを聞こし召して、宮の内に召さむことは、宇多の帝の御誡めあれば、いみじう忍びて、この御子を鴻臚館に遣はしたり。御後見だちて仕うまつる右大弁の子のやうに思はせて率てたてまつるに、相人驚きて、あまたたび傾きあやしぶ。</行>
<行 no="2">「国の親となりて、帝王の上なき位に昇るべき相おはします人の、そなたにて見れば、乱れ憂ふることやあらむ。朝廷の重鎮となりて、天の下を輔くる方にて見れば、またその相違ふべし」と言ふ。</行>
<行 no="3">弁も、いと才かしこき博士にて、言ひ交はしたることどもなむ、いと興ありける。文など作り交はして、今日明日帰り去りなむとするに、かくありがたき人に対面したるよろこび、かへりては悲しかるべき心ばへをおもしろく作りたるに、御子もいとあはれなる句を作りたまへるを、限りなうめでたてまつりて、いみじき贈り物どもを捧げたてまつる。朝廷よりも多くの物賜はす。</行>
<行 no="4">おのづから事広ごりて、漏らさせたまはねど、春宮の祖父大臣など、いかなることにかと思し疑ひてなむありける。</行>
<行 no="5">帝、かしこき御心に、倭相を仰せて、思しよりにける筋なれば、今までこの君を親王にもなさせたまはざりけるを、「相人はまことにかしこかりけり」と思して、「無品の親王の外戚の寄せなきにては漂はさじ。わが御世もいと定めなきを、ただ人にて朝廷の御後見をするなむ、行く先も頼もしげなめること」と思し定めて、いよいよ道々の才を習はさせたまふ。</行>
<行 no="6">際ことに賢くて、ただ人にはいとあたらしけれど、親王となりたまひなば、世の疑ひ負ひたまひぬべくものしたまへば、宿曜の賢き道の人に勘へさせたまふにも、同じさまに申せば、源氏になしたてまつるべく思しきおきてたり。</行>
</段>
<段 no="4" name="第四段　先代の四宮（藤壺）入内">
<行 no="1">年月に添へて、御息所の御ことを思し忘るる折なし。「慰むや」と、さるべき人びと参らせたまへど、「なずらひに思さるるだにいとかたき世かな」と、疎ましうのみよろづに思しなりぬるに、先帝の四の宮の、御容貌すぐれたまへる聞こえ高くおはします、母后世になくかしづききこえたまふを、主上にさぶらふ典侍は、先帝の御時の人にて、かの宮にも親しう参り馴れたりければ、いはけなくおはしましし時より見たてまつり、今もほの見たてまつりて、「亡せたまひにしに御息所の御容貌に似たまへる人を、三代の宮仕へに伝はりぬるに、え見たてまつりつけぬを、后の宮の姫宮こそ、いとようおぼえて生ひ出でさせたまへりけれ。ありがたき御容貌人になむ」と奏しけるに、「まことにや」と、御心とまりて、ねむごろに聞こえさせたまひけり。</行>
<行 no="2">母后、「あな恐ろしや。春宮の女御のいとさがなくて、桐壺の更衣の、あらはにはかなくもてなされにし例もゆゆしう」と、思しつつみて、すがすがしうも思し立たざりけるほどに、后も亡せたまひぬ。</行>
<行 no="3">心細きさまにておはしますに、「ただ、わが女皇女たちの同じ列に思ひきこえむ」と、いとねむごろに聞こえさせたまふ。さぶらふ人びと、御後見たち、御兄の兵部卿の親王など、「かく心細くておはしまさむよりは、内裏住みせさせたまひて、御心も慰むべく」など思しなりて、参らせたてまつりたまへり。</行>
<行 no="4">藤壺と聞こゆ。げに、御容貌ありさま、あやしきまでぞおぼえたまへる。これは、人の御際まさりて、思ひなしめでたく、人もえおとしめきこえたまはねば、うけばりて飽かぬことなし。かれは、人の許しきこえざりしに、御心ざしあやにくなりしぞかし。思し紛るとはなけれど、おのづから御心移ろひて、こよなう思し慰むやうなるも、あはれなるわざなりけり。</行>
</段>
<段 no="5" name="第五段　源氏、藤壺を思慕">
<行 no="1">源氏の君は、御あたり去りたまはぬを、ましてしげく渡らせたまふ御方は、え恥ぢあへたまはず。いづれの御方も、われ人に劣らむと思いたるやはある、とりどりにいとめでたけれど、うち大人びたまへるに、いと若ううつくしげにて、切に隠れたまへど、おのづから漏り見たてまつる。</行>
<行 no="2">母御息所も、影だにおぼえたまはぬを、「いとよう似たまへり」と、典侍の聞こえけるを、若き御心地にいとあはれと思ひきこえたまひて、常に参らまほしく、「なづさひ見たてまつらばや」とおぼえたまふ。</行>
<行 no="3">主上も限りなき御思ひどちにて、「な疎みたまひそ。あやしくよそへきこえつべき心地なむする。なめしと思さで、らうたくしたまへ。つらつき、まみなどは、いとよう似たりしゆゑ、かよひて見えたまふも、似げなからずなむ」など聞こえつけたまへれば、幼心地にも、はかなき花紅葉につけても心ざしを見えたてまつる。こよなう心寄せきこえたまへれば、弘徽殿の女御、またこの宮とも御仲そばそばしきゆゑ、うち添へて、もとよりの憎さも立ち出でて、ものしと思したり。</行>
<行 no="4">世にたぐひなしと見たてまつりたまひ、名高うおはする宮の御容貌にも、なほ匂はしさはたとへむ方なく、うつくしげなるを、世の人、「光る君」と聞こゆ。藤壺ならびたまひて、御おぼえもとりどりなれば、「かかやく日の宮」と聞こゆ。</行>
</段>
<段 no="6" name="第六段　源氏元服（十二歳）">
<行 no="1">この君の御童姿、いと変へまうく思せど、十二にて御元服したまふ。居起ち思しいとなみて、限りある事に事を添えさせたまふ。</行>
<行 no="2">一年の春宮の御元服、南殿にてありし儀式、よそほしかりし御響きに落とさせたまはず。所々の饗など、内蔵寮、穀倉院など、公事に仕うまつれる、おろそかなることもぞと、とりわき仰せ言ありて、清らを尽くして仕うまつれり。</行>
<行 no="3">おはします殿の東の廂、東向きに椅子立てて、冠者の御座、引入の大臣の御座、御前にあり。申の時にて源氏参りたまふ。角髪結ひたまへるつらつき、顔のにほひ、さま変へたまはむこと惜しげなり。大蔵卿、蔵人仕うまつる。いと清らなる御髪を削ぐほど、心苦しげなるを、主上は、「御息所の見ましかば」と、思し出づるに、堪へがたきを、心強く念じかへさせたまふ。</行>
<行 no="4">かうぶりしたまひて、御休所にまかでたまひて、御衣奉り替へて、下りて拝したてまつりたまふさまに、皆人涙落としたまふ。帝はた、ましてえ忍びあへたまはず、思し紛るる折もありつる昔のこと、とりかへし悲しく思さる。いとかうきびはなるほどは、あげ劣りやと疑はしく思されつるを、あさましううつくしげさ添ひたまへり。</行>
<行 no="5">引入の大臣の皇女腹にただ一人かしづきたまふ御女、春宮よりも御けしきあるを、思しわづらふことありける、この君に奉らむの御心なりけり。内裏にも、御けしき賜はらせたまへりければ、「さらば、この折の後見なかめるを、添ひ臥しにも」ともよほさせたまひければ、さ思したり。</行>
<行 no="6">さぶらひにまかでたまひて、人びと大御酒など参るほど、親王たちの御座の末に源氏着きたまへり。大臣気色ばみきこえたまふことあれど、もののつつましきほどにて、ともかくもあへしらひきこえたまはず。</行>
<行 no="7">御前より、内侍、宣旨うけたまはり伝へて、大臣参りたまふべき召しあれば、参りたまふ。御禄の物、主上の命婦取りて賜ふ。白き大袿に御衣一領、例のことなり。</行>
<行 no="8">御盃のついでに、</行>
<行 no="9">「いときなき初元結ひに長き世を</行>
<行 no="10">契る心は結びこめつや」</行>
<行 no="11">御心ばへありて、おどろかさせたまふ。</行>
<行 no="12">「結びつる心も深き元結ひに</行>
<行 no="13">濃き紫の色し褪せずは」</行>
<行 no="14">と奏して、長橋より下りて舞踏したまふ。</行>
<行 no="15">左馬寮の御馬、蔵人所の鷹据ゑて賜はりたまふ。御階のもとに親王たち上達部つらねて、禄ども品々に賜はりたまふ。</行>
<行 no="16">その日の御前の折櫃物、籠物など、右大弁なむ承りて仕うまつらせける。屯食、禄の唐櫃どもなど、ところせきまで、春宮の御元服の折にも数まされり。なかなか限りもなくいかめしうなむ。</行>
</段>
<段 no="7" name="第七段　源氏、左大臣家の娘（葵上）と結婚">
<行 no="1">その夜、大臣の御里に源氏の君まかでさせたまふ。作法世にめづらしきまで、もてかしづききこえたまへり。いときびはにておはしたるを、ゆゆしううつくしと思ひきこえたまへり。女君はすこし過ぐしたまへるほどに、いと若うおはすれば、似げなく恥づかしと思いたり。</行>
<行 no="2">この大臣の御おぼえいとやむごとなきに、母宮、内裏の一つ后腹になむおはしければ、いづ方につけてもいとはなやかなるに、この君さへかくおはし添ひぬれば、春宮の御祖父にて、つひに世の中を知りたまふべき右大臣の御勢ひは、ものにもあらず圧されたまへり。</行>
<行 no="3">御子どもあまた腹々にものしたまふ。宮の御腹は、蔵人少将にていと若うをかしきを、右大臣の、御仲はいと好からねど、え見過ぐしたまはで、かしづきたまふ四の君にあはせたまへり。劣らずもてかしづきたるは、あらまほしき御あはひどもになむ。</行>
<行 no="4">源氏の君は、主上の常に召しまつはせば、心安く里住みもえしたまはず。心のうちには、ただ藤壺の御ありさまを、類なしと思ひきこえて、「さやうならむ人をこそ見め。似る人なくもおはしけるかな。大殿の君、いとをかしげにかしづかれたる人とは見ゆれど、心にもつかず」おぼえたまひて、幼きほどの心一つにかかりて、いと苦しきまでぞおはしける。</行>
</段>
<段 no="8" name="第八段　源氏、成人の後">
<行 no="1">大人になりたまひて後は、ありしやうに御簾の内にも入れたまはず。御遊びの折々、琴笛の音に聞こえかよひ、ほのかなる御声を慰めにて、内裏住みのみ好ましうおぼえたまふ。五六日さぶらひたまひて、大殿に二三日など、絶え絶えにまかでたまへど、ただ今は幼き御ほどに、罪なく思しなして、いとなみかしづききこえたまふ。</行>
<行 no="2">御方々の人びと、世の中におしなべたらぬを選りととのへすぐりてさぶらはせたまふ。御心につくべき御遊びをし、おほなおほな思しいたつく。</行>
<行 no="3">内裏には、もとの淑景舎を御曹司にて、母御息所の御方の人びとまかで散らずさぶらはせたまふ。</行>
<行 no="4">里の殿は、修理職、内匠寮に宣旨下りて、二なう改め造らせたまふ。もとの木立、山のたたずまひ、おもしろき所なりけるを、池の心広くしなして、めでたく造りののしる。</行>
<行 no="5">「かかる所に思ふやうならむ人を据ゑて住まばや」とのみ、嘆かしう思しわたる。</行>
<行 no="6">「光る君といふ名は、高麗人のめできこえてつけたてまつりける」とぞ、言ひ伝へたるとなむ。</行>
</段>
</章>
</帖>
</テキスト>
<テキスト type="現代語訳">
<帖 no="01" name="桐壺">
<Acknowledgements>Last updated 6/25/2003<BR /> 渋谷栄一訳(C)（ver.1-4-1）</Acknowledgements>
<章 no="1" name="第一章　光る源氏前史の物語">
<段 no="1" name="第一段　父帝と母桐壺更衣の物語">
<行 no="1">どの帝の御代であったか、女御や更衣が大勢お仕えなさっていたなかに、たいして高貴な身分ではない方で、きわだって御寵愛をあつめていらっしゃる方があった。</行>
<行 no="2">最初から自分こそはと気位い高くいらっしゃった女御方は、不愉快な者だと見くだしたり嫉んだりなさる。同じ程度の更衣や、その方より下の更衣たちは、いっそう心穏やかでない。朝晩のお側仕えにつけても、他の妃方の気持ちを不愉快ばかりにさせ、嫉妬を受けることが積もり積もったせいであろうか、とても病気がちになってゆき、何となく心細げに里に下がっていることが多いのを、ますますこの上なく不憫な方とおぼし召されて、誰の非難に対してもおさし控えあそばすことがおできになれず、後世の語り草にもなってしまいそうなお扱いぶりである。</行>
<行 no="3">上達部や殿上人なども、人ごとながら目をそらしそらしして、「とても眩しいほどの御寵愛である。唐国でも、このようなことが原因となって、国も乱れ、悪くなったのだ」と、しだいに国中でも困ったことの、人々のもてあましの種となって、楊貴妃の例までも引き合いに出されそうになってゆくので、たいそういたたまれないことが数多くなっていくが、もったいない御愛情の類のないのを頼みとして、宮仕え生活をしていらっしゃる。</行>
<行 no="4">父親の大納言は亡くなって、母親の北の方が古い家柄の人の教養ある人なので、両親とも揃っていて、今現在の世間の評判が勢い盛んな方々にもたいしてひけをとらず、どのような事柄の儀式にも対処なさっていたが、これといったしっかりとした後見人がいないので、こと改まった儀式の行われるときには、やはり頼りとする人がなく心細い様子である。</行>
</段>
<段 no="2" name="第二段　御子誕生（一歳）">
<行 no="1">前世でも御宿縁が深かったのであろうか、この世にまたとなく美しい玉のような男の御子までがお生まれになった。早く早くとじれったくおぼし召されて、急いで参内させて御覧あそばすと、たぐい稀な嬰児のお顔だちである。</行>
<行 no="2">第一皇子は、右大臣の娘の女御がお生みになった方なので、後見がしっかりしていて、正真正銘の皇太子になられる君だと、世間でも大切にお扱い申し上げるが、この御子の輝く美しさにはお並びになりようもなかったので、一通りの大切なお気持ちであって、この若君の方を、自分の思いのままにおかわいがりあそばされることはこの上ない。</行>
<行 no="3">最初から女房並みの帝のお側用をお勤めなさらねばならない身分ではなかった。評判もとても高く、上流人の風格があったが、むやみにお側近くにお召しあそばされ過ぎて、しかるべき管弦の御遊の折々や、どのような催事でも雅趣ある催しがあるたびごとに、まっさきに参上させなさる。ある時にはお寝過ごしなされて、そのまま伺候させておきなさるなど、むやみに御前から離さずに御待遇あそばされたうちに、自然と身分の低い女房のようにも見えたが、この御子がお生まれになって後は、たいそう格別にお考えおきあそばされるようになっていたので、「東宮坊にも、ひょっとすると、この御子がおなりになるかもしれない」と、第一皇子の母女御はお疑いになっていた。誰よりも先に御入内なされて、大切にお考えあそばされることは一通りでなく、皇女たちなども生まれていらっしゃるので、この御方の御諌めだけは、さすがにやはりうるさいことだが無視できないことだと、お思い申し上げあそばされるのであった。</行>
<行 no="4">もったいない御庇護をお頼り申してはいるものの、軽蔑したり落度を探したりなさる方々は多く、ご自身はか弱く何となく頼りない状態で、なまじ御寵愛を得たばっかりにしなくてもよい物思いをなさる。お局は桐壺である。おおぜいのお妃方の前をお素通りあそばされて、そのひっきりなしのお素通りあそばしに、お妃方がお気をもめ尽くしになるのも、なるほどごもっともであると見えた。参上なさるにつけても、あまり度重なる時々には、打橋や、渡殿のあちこちの通路に、けしからぬことをたびたびして、送り迎えの女房の着物の裾が、がまんできないような、とんでもないことがある。またある時には、どうしても通らなければならない馬道の戸を鎖して閉じ籠め、こちら側とあちら側とで示し合わせて、進むも退くもならないように困らせなさることも多かった。何かにつけて数知れないほど辛いことばかりが増えていくので、たいそうひどく思い悩んでいるのを、ますますお気の毒におぼし召されて、後凉殿に以前から伺候していらっしゃった更衣の部屋を他に移させなさって、上局として御下賜あそばす。その方の恨みはなおいっそうに晴らしようがない。</行>
</段>
<段 no="3" name="第三段　若宮の御袴着（三歳）">
<行 no="1">この御子が三歳におなりの年に、御袴着の儀式を一宮がお召しになったのに劣らず、内蔵寮や納殿の御物をふんだんに使って、大変に盛大におさせあそばす。そのことにつけても、世人の非難ばかりが多かったが、この御子が成長なさって行かれるお顔だちやご性質が世間に類なく素晴らしいまでにお見えになるので、お憎みきれになれない。ものごとの情理がお分かりになる方は、「このような方もこの末世にお生まれになるものであったよ」と、驚きあきれる思いで目を見張っていらっしゃる。</行>
</段>
<段 no="4" name="第四段　母御息所の死去">
<行 no="1">その年の夏、御息所が、頼りない感じに落ち入って、退出しようとなさるのを、お暇を少しもお許しあそばさない。ここ数年来、いつもの病状になっていらっしゃるので、お見慣れになって、「このまましばらく様子を見よ」とばかり仰せられるているうちに、日々に重くおなりになって、わずか五、六日のうちにひどく衰弱したので、母君が涙ながらに奏上して、退出させ申し上げなさる。このような時にも、あってはならない失態を演じてはならないと配慮して、御子はお残し申して、人目につかないようにして退出なさる。</行>
<行 no="2">決まりがあるので、お気持ちのままにお留めあそばすこともできず、お見送りさえままならない心もとなさを、言いようもなく無念におぼし召される。たいそう照り映えるように美しくかわいらしい人が、ひどく顔がやつれて、まことにしみじみと物思うことがありながらも、言葉には出して申し上げることもできずに、生き死にもわからないほどに息も絶えだえでいらっしゃるのを御覧になると、あとさきもお考えあそばされず、すべてのことを泣きながらお約束あそばされるが、お返事を申し上げることもおできになれず、まなざしなどもとてもだるそうで、常よりいっそう弱々しくて、意識もないような状態で臥せっていたので、どうしたらよいものかとお惑乱あそばされる。輦車の宣旨などを仰せ出されても、再びお入りあそばしては、どうしてもお許しあさばされることができない。</行>
<行 no="3">「死出の旅路にも、後れたり先立ったりするまいと、お約束あそばしたものを。いくらそうだとしても、おいてけぼりにしては、行ききれまい」</行>
<行 no="4">と仰せになるのを、女もたいそう悲しいと、お顔を拝し上げて、</行>
<行 no="5">「人の命には限りがあるものと、今、別れ路に立ち、悲しい気持ちでいますが、</行>
<行 no="6">わたしが行きたいと思う路は、生きている世界への路でございます。</行>
<行 no="7">ほんとうにこのようにと存じておりましたならば」</行>
<行 no="8">と、息も絶えだえに、申し上げたそうなことはありそうな様子であるが、たいそう苦しげに気力もなさそうなので、このままの状態で、最期となってしまうようなこともお見届けしたいと、お考えあそばされるが、「今日始める予定の祈祷などを、しかるべき僧たちの承っておりますのが、今宵から始めます」と言って、おせき立て申し上げるので、やむを得なくお思いあそばしながら退出させなさる。</行>
<行 no="9">お胸がひしと塞がって、少しもうとうとなされず、夜を明かしかねあそばす。勅使が行き来する間もないうちに、しきりに気がかりなお気持ちをこの上なくお漏らしあそばしていらしたところ、「夜半少し過ぎたころに、お亡くなりになりました」と言って泣き騒ぐので、勅使もたいそうがっかりして帰参した。お耳にあそばす御心の転倒、どのような御分別をも失われて、引き籠もっておいであそばす。</行>
<行 no="10">御子は、それでもとても御覧になっていたいが、このような折に宮中に伺候していらっしゃるのは、先例のないことなので、退出なさろうとする。何事があったのだろうかともお分かりにならず、お仕えする人々が泣き惑い、父主上もお涙が絶えずおこぼれあそばしているのを、変だなと拝し上げなさっているのを、普通の場合でさえ、このような別れの悲しくないことはない次第なのを、いっそうに悲しく何とも言いようがない。</行>
</段>
<段 no="5" name="第五段　故御息所の葬送">
<行 no="1">しきたりがあるので、先例の葬法どおりにお営み申すのを、母北の方は、娘と同じく煙となって死んでしまいたいと、泣きこがれなさって、御葬送の女房の車に後を追ってお乗りになって、愛宕という所でたいそう厳かにその葬儀を執り行っているところに、お着きになったお気持ちは、どんなであったであろうか。「お亡骸を見ながら、なおも生きていらっしゃるものと思われるのが、たいして何にもならないので、遺灰におなりになるのを拝見して、今はもう死んだ人なのだと、きっぱりと思い諦めよう」と、分別あるようにおっしゃっていたが、車から落ちてしまいそうなほどにお取り乱しなさるので、やはり思ったとおりだと、女房たちも手をお焼き申す。</行>
<行 no="2">内裏からお勅使が参る。従三位の位を追贈なさる旨を、勅使が到着してその宣命を読み上げるのが、悲しいことであった。せめて女御とだけでも呼ばせずに終わったのが、心残りで無念に思し召されたので、せめてもう一段上の位階だけでもと、御追贈あそばすのであった。このことにつけても非難なさる方々が多かった。人の情理をお分かりになる方は、姿態や容貌などが素晴しかったことや、気立てがおだやかで欠点がなく、憎み難い人であったことなどを、今となってお思い出しになる。見苦しいまでの御寵愛ゆえに、冷たくお妬みなさったのだが、性格がしみじみと情愛こまやかでいらっしゃったご性質を、主上づきの女房たちも互いに恋い偲びあっていた。亡くなってから人はと言うことは、このような時のことかと思われた。</行>
</段>
</章>
<章 no="2" name="第二章　父帝悲秋の物語">
<段 no="1" name="第一段　父帝悲しみの日々">
<行 no="1">いつのまにか日数は過ぎて、後の法要などの折にも情愛こまやかにお見舞いをお遣わしあそばす。時が過ぎて行くにしたがって、どうしようもなく悲しく思われなさるので、女御更衣がたの夜の御伺候などもすっかりお命じにならず、ただ涙に濡れて日をお送りあそばされているので、拝し上げる人までが露っぽくなる秋である。「亡くなった後まで、人の心を晴ればれさせなかった御寵愛の方だこと」と、弘徽殿女御などにおかれては今もなお容赦なくおっしゃるのであった。一の宮を拝し上げあそばされるにつけても、若宮の恋しさだけがお思い出されお思い出されして、親しく仕える女房や御乳母などをたびたびお遣わしになっては、ご様子をお尋ねあそばされる。</行>
</段>
<段 no="2" name="第二段　靫負命婦の弔問">
<行 no="1">野分めいて、急に肌寒くなった夕暮どき、いつもよりもお思い出しになることが多くて、靫負命婦という者をお遣わしになる。夕月夜の美しい時刻に出立させなさって、そのまま物思いに耽ってておいであそばす。このような折には、管弦の御遊などをお催しあそばされたが、とりわけ優れた琴の音を掻き鳴らし、ついちょっと申し上げる言葉も、人とは格別であった雰囲気や顔かたちが、面影となってひたとわが身に添うように思し召されるにつけても、闇の中の現実にはやはり及ばないのであった。</行>
<行 no="2">命婦は、あちらに参着して、門を潜り入るなり、しみじみと哀れ深い。未亡人暮らしであるが、娘一人を大切にお世話するために、あれこれと手入れをきちんとして、見苦しくないようにしてお暮らしになっていたが、亡き子を思う悲しみに暮れて臥せっていらっしゃったうちに、雑草も高くなり、野分のためにいっそう荒れたような感じがして、月の光だけが八重葎にも遮られずに差し込んでいた。寝殿の南面で車から下ろして、母君も、すぐにはご挨拶できない。</行>
<行 no="3">「今まで生きながらえておりましたのがとても情けないのに、このようなお勅使が草深い宿の露を分けてお訪ね下さるにつけても、とても恥ずかしうございます」</行>
<行 no="4">と言って、ほんとうに身を持ちこらえられないくらいにお泣きになる。</行>
<行 no="5">「『お訪ねいたしたところ、ひとしおお気の毒で、心も魂も消え入るようでした』と、典侍が奏上なさったが、物の情趣を理解いたさぬ者でも、なるほどまことに忍びがとうございます」</行>
<行 no="6">と言って、少し気持ちを落ち着かせてから、仰せ言をお伝え申し上げる。</行>
<行 no="7">「『しばらくの間は夢かとばかり思い辿られずにはいられなかったが、だんだんと心が静まるにつれてかえって、覚めるはずもなく堪えがたいのは、どのようにしたらよいものかとも、相談できる相手さえいないので、人目につかないようにして参内なさらぬか。若宮がたいそう気がかりで、湿っぽい所でお過ごしになっているのも、おいたわしくお思いあそばされますから、早く参内なさい』などと、はきはきとは最後まで仰せられず、涙に咽ばされながら、また一方では人びともお気弱なと拝されるだろうと、お憚りあそばされないわけではない御様子がおいたわしくて、最後まで承らないようなかっこうで、退出いたして参りました」</行>
<行 no="8">と言って、お手紙を差し上げる。</行>
<行 no="9">「目も見えませんが、このような畏れ多いお言葉を光といたしまして」と言って、御覧になる。</行>
<行 no="10">「時がたてば少しは気持ちの紛れることもあろうかと、心待ちに過す月日がたつにつれて、たいそうがまんができなくなるのはどうにもならないことである。幼い人をどうしているかと案じながら、一緒にお育てしていない気がかりさよ。今は、やはり故人の形見と思って、参内なされよ」</行>
<行 no="11">などと、心こまやかにお書きあそばされていた。</行>
<行 no="12">「宮中の萩に野分が吹いて露を結ばせたり散らそうとする風の音を聞くにつけ、</行>
<行 no="13">幼子の身が思いやられる」</行>
<行 no="14">とあるが、最後までお読みきれになれない。</行>
<行 no="15">「長生きが、とても辛いことだと存じられますうえに、高砂の松がどう思うかさえも、恥ずかしう存じられますので、内裏にお出入りいたしますことは、さらにとても遠慮いたしたい気持ちでいっぱいです。畏れ多い仰せ言をたびたび承りながらも、わたし自身はとても思い立つことができません。若宮は、どのようにお考えなさっているのか、参内なさることばかりお急ぎになるようなので、ごもっともだと悲しく拝見しておりますなどと、ひそかに存じております由をご奏上なさってください。不吉な身でございますので、こうして若宮がおいでになるのも、忌まわしくもあり畏れ多いことでございます」</行>
<行 no="16">とおっしゃる。若宮はもうお寝みになっていた。</行>
<行 no="17">「拝見して、詳しくご様子も奏上いたしたいのですが、帝がお待ちあそばされていることでしょうし、夜も更けてしまいましょう」と言って急ぐ。</行>
<行 no="18">「子を思う親心の悲しみの堪えがたいその一部だけでも、晴らすほどに申し上げとうございますので、個人的にでもゆっくりとお出くださいませ。数年来、おめでたく晴れがましい時にお立ち寄りくださいましたのに、このようなお悔やみのお使いとしてお目にかかるとは、返す返すも情けない運命でございますこと。</行>
<行 no="19">生まれた時から、心中に期待するところのあった人で、亡き夫大納言が、臨終の際となるまで、『ともかく、わが娘の宮仕えの宿願を、きっと実現させ申しなさい。わたしが亡くなったからといって、落胆して挫けてはならぬ』と、繰り返し戒め遺かれましたので、これといった後見人のない宮仕え生活は、かえってしないほうがましだと存じながらも、ただあの遺言に背くまいとばかりに、出仕させましたところ、身に余るほどのお情けが、いろいろともったいないので、人にあるまじき恥を隠し隠ししては、宮仕え生活をしていられたようでしたが、人の嫉みが深く積もり重なり、心痛むことが多く身に添わってまいりましたところ、横死のようなありさまで、とうとうこのようなことになってしまいましたので、かえって辛いことだと、その畏れ多いお情けを存じております。このような愚痴も理屈では割りきれない親心の迷いです」</行>
<行 no="20">と、最後まで言えないで涙に咽んでいらっしゃるうちに、夜も更けてしまった。</行>
<行 no="21">「主上様もご同様でございまして。『御自分のお心ながら、強引に周囲の人が目を見張るほど御寵愛なさったのも、長くは続きそうにない運命だったからなのだなあと、今となってはかえって辛い人との宿縁であった。決して少しも人の心を傷つけたようなことはあるまいと思うのに、ただこの人との縁が原因で、たくさんの恨みを負うなずのない人の恨みをもかったあげくには、このように先立たれて、心静めるすべもないところに、ますます体裁悪く愚か者になってしまったのも、前世がどんなであったのかと知りたい』と何度も仰せられては、いつもお涙がちばかりでいらっしゃいます」と話しても尽きない。泣く泣く、「夜がたいそう更けてしまったので、今夜のうちに、ご報告を奏上しよう」と急いで帰参する。</行>
<行 no="22">月は入り方で、空が清く澄みわたっているうえに、風がとても涼しくなって、草むらの虫の声ごえが、涙を誘わせるようなのも、まことに立ち去りがたい庭の風情である。</行>
<行 no="23">「鈴虫が声をせいいっぱい鳴き振るわせても</行>
<行 no="24">長い秋の夜を尽きることなく流れる涙でございますこと」</行>
<行 no="25">お車に乗りかねている。</行>
<行 no="26">「ただでさえ虫の音のように泣き暮らしておりました荒れ宿に</行>
<行 no="27">さらに涙をもたらします内裏からのお使い人よ</行>
<行 no="28">恨み言もつい申し上げてしまいそうで」</行>
<行 no="29">と言わせなさる。趣きのあるような御贈物などあらねばならない時でもないので、ただ亡き更衣のお形見にと、このような入用もあろうかとお残しになった御衣装一揃いに、御髪上げの調度のような物をお添えになる。</行>
<行 no="30">若い女房たちは、悲しいことは言うまでもない、内裏の生活を朝な夕なと馴れ親しんでいるので、たいそう物足りなく、主上のご様子などをお思い出し申し上げると、早く参内なさるようにとお勧め申し上げるが、「このように忌まわしい身が付き随って参内申すようなのも、まことに世間の聞こえが悪いであろうし、また、しばしも拝さずにいることも気がかりに」お思い申し上げなさって、気分よくさっぱりとは参内させなさることがおできになれないのであった。</行>
</段>
<段 no="3" name="第三段　命婦帰参">
<行 no="1">命婦は、「まだお寝みあそばされなかったのだわ」と、しみじみと拝し上げる。御前にある壺前栽がたいそう美しい盛りに咲いているのを御覧あそばされるようにして、しめやかにおくゆかしい女房ばかり四、五人を伺候させなさって、お話をさせておいであそばすのであった。最近、毎日御覧なさる「長恨歌」の御絵、それは亭子院がお描きあそばされて、伊勢や貫之に和歌を詠ませなさったものだが、わが国の和歌や唐土の漢詩などをも、ひたすらその方面の事柄を、日常の話題にあそばされている。たいそう詳しく里の様子をお尋ねあそばす。しみじみとした趣きをひそかに奏上する。お返事を御覧になると、</行>
<行 no="2">「たいへんに畏れ多いお手紙を頂戴いたしましてはどうしてよいか分かりません。このような仰せ言を拝見いたしましても、心の中はまっくら闇に思い乱れておりまして。</行>
<行 no="3">荒い風を防いでいた木が枯れてからは</行>
<行 no="4">小萩の身の上が気がかりでなりません」</行>
<行 no="5">などと言うようにやや不謹慎なのを、気持ちが静まらない時だからとお見逃しになるのであろう。決してこう取り乱した姿を見せまいと、お静めなさるが、まったく堪えることがおできあそばされず、初めてお召しあそばした年月のことまであれこれと思い出され、何から何まで自然とお思い続けられて、「片時の間も離れてはいられなかったのに、よくこうも月日を過せたものだ」と、あきれてお思いあそばされる。</行>
<行 no="6">「故大納言の遺言に背かず、宮仕えの宿願をよく果たしたお礼には、その甲斐があったようにと思い続けていたが。詮ないことだ」とふと仰せになって、たいそう気の毒にと思いを馳せられる。「そうではあるが、いずれ若宮がご成長されたならば、しかるべき機会がきっとあろう。長生きをしてそれまでじっと辛抱するがよい」</行>
<行 no="7">などと仰せになる。あの贈物を帝のお目に入れる。「亡くなった人の住処を探し当てたという証拠の釵であったならば」とお思いあそばしても、まったく甲斐がない。</行>
<行 no="8">「亡き更衣を探し行ける幻術士がいてくれればよいのだがな、人づてにでも</行>
<行 no="9">魂のありかをどこそこと知ることができるように」</行>
<行 no="10">絵に描いてある楊貴妃の容貌は、上手な絵師と言っても、筆力には限界があったのでまったく生気が少ない。「大液の芙蓉、未央の柳」の句にも、なるほど似ていた容貌だが、唐風の装いをした姿は端麗ではあったろうが、慕わしさがあって愛らしかったのをお思い出しになると、花や鳥の色や音にも喩えようがない。朝夕の口癖に「比翼の鳥となり、連理の枝となろう」とお約束あそばしていたのに、思うようにならなかった人の運命が、永遠に尽きることなく恨めしかった。</行>
<行 no="11">風の音や、虫の音を聞くにつけて、何とはなく一途に悲しく思われなさるが、弘徽殿女御におかれては、久しく上の御局にもお上がりにならず、月が美しいので、夜が更けるまで管弦の遊びをなさっているようである。実に興ざめで、不愉快だ、とお聞きあそばす。最近のご様子を拝する殿上人や女房などは、はらはらする思いで聞いていた。たいへんに気が強くてとげとげしい性質をお持ちの方なので、何ともお思いなさらず無視して振る舞っていらっしゃるのであろう。月も沈んでしまった。</行>
<行 no="12">「雲の上の宮中までも涙に曇って見える秋の月だ</行>
<行 no="13">ましてやどうして澄んで見えようか、草深い里で」</行>
<行 no="14">お思いやりになりながら、灯芯をかき立てて油の尽きるまで起きておいであそばす。右近衛府の官人の宿直申しの声が聞こえるのは、丑の刻になったのであろう。人目をお考えになって、夜の御殿にお入りあそばしても、うとうととまどろみあそばすことも難しい。朝になってお起きあそばそうとしても、「夜の明けるのも分からないで」とお思い出しになられるにつけても、やはり政治をお執りになることは怠りがちになってしまいそうである。</行>
<行 no="15">お食物などもお召し上がりにならず、朝餉には形だけお箸をおつけになって、大床子の御膳などは、まったくお心に入らぬかのように手をおつけあそばさないので、お給仕の人たちは皆、おいたわしいご様子を拝して嘆く。総じて、お側近くお仕えする人たちは、男も女も、「たいそう困ったことですね」とお互いに言い合っては溜息をつく。「こうなるはずの前世からの宿縁がおありあそばしたのでしょう。大勢の人びとの非難や嫉妬をもお憚りあそばさず、あの方の事に関しては、御分別をお失いあそばされ、今は今で、このように政治をお執りになることも、お捨てになったようになって行くのは、たいへんに困ったことである」と、唐土の朝廷の例まで引き合いに出して、ひそひそと嘆息するのであった。</行>
</段>
</章>
<章 no="3" name="第三章　光る源氏の物語">
<段 no="1" name="第一段　若宮参内（四歳）">
<行 no="1">月日がたって、若宮が参内なさった。ますますこの世の人とは思われず美しくご成長なさっているので、たいへん不吉なまでにお感じになった。</行>
<行 no="2">翌年の春に、東宮がお決まりになる折にも、とても第一皇子を超えさせたく思し召されたが、ご後見すべき人もなく、また世間が承知するはずもないことだったので、かえって危険であるとお差し控えになって、顔色にもお出しあそばされずに終わったので、「あれほどおかわいがっていらっしゃったが、限界があったのだなあ」と、世間の人びともお噂申し上げ、弘徽殿女御もお心を落ち着けなさった。</行>
<行 no="3">あの祖母北の方は、悲しみを晴らすすべもなく沈んでいらっしゃって、せめて死んだ娘のいらっしゃる所にでも尋ねて行きたいと願っていらっしゃった現れか、とうとうお亡くなりになってしまったので、またこのことを悲しく思し召されること、この上もない。御子は六歳におなりのお年なので、今度はお分かりになって、恋い慕ってお泣きになる。長年お親しみ申し上げなさってきたのに、後に残して先立つ悲しみを、繰り返し繰り返しおっしゃっていたのであった。</行>
</段>
<段 no="2" name="第二段　読書始め（七歳）">
<行 no="1">今は内裏にばかりお暮らしになっている。七歳におなりになったので、読書始めなどをおさせになったところ、この世に類を知らないくらい聡明で賢くいらっしゃるので、空恐ろしいまでにお思いあそばされる。</行>
<行 no="2">「今はどなたもどなたもお憎みなされまい。母君がいないということだけでもおかわいがりください」と仰せになって、弘徽殿などにもお渡りあそばすお供としては、そのまま御簾の内側にお入れ申し上げなさる。恐ろしい武士や仇敵であっても、見るとつい微笑まずにはいられない様子でいらっしゃるので、放っておくこともおできになれない。姫皇女たちがお二方、この御方にはいらっしゃったが、お並びになりようもないのであった。他の女御がたもお隠れにならずに、今から優美で立派でいらっしゃるので、たいそう趣きがある一方で気のおける遊び相手だと、どなたもどなたもお思い申し上げていらっしゃった。</行>
<行 no="3">本格的な御学問はもとよりのこと、琴や笛の才能でも宮中の人びとを驚かせ、すべて一つ一つ数え上げていったら、仰々しく嫌になってしまうくらい、優れた才能のお方なのであった。</行>
</段>
<段 no="3" name="第三段　高麗人の観相、源姓賜わる">
<行 no="1">その当時、高麗人が来朝していた中に、優れた人相見がいたのをお聞きあそばして、内裏の内に召し入れることは宇多帝の御遺誡があるので、たいそう人目を忍んで、この御子を鴻臚館にお遣わしになった。後見役のようにしてお仕えする右大弁の子供のように思わせてお連れ申し上げると、人相見は目を見張って、何度も首を傾け不思議がる。</行>
<行 no="2">「国の親となって、帝王の最高の地位につくはずの相をお持ちでいらっしゃる方で、そういう人として占うと、国が乱れ民の憂えることが起こるかも知れません。朝廷の重鎮となって、政治を補佐する人として占うと、またその相ではないようです」と言う。</行>
<行 no="3">右大弁も、たいそう優れた学識人なので、語り合った事柄は、たいへんに興味深いものであった。漢詩文などを作り交わして、今日明日のうちにも帰国する時に、このようにめったにない人に対面した喜びや、かえって悲しい思いがするにちがいないという気持ちを趣き深く作ったのに対して、御子もたいそう心を打つ詩句をお作りになったので、この上なくお褒め申して、素晴らしいいくつもの贈物を差し上げる。朝廷からもたくさんの贈物を御下賜なさる。</行>
<行 no="4">自然と噂が広がって、お漏らしあそばさないが、東宮の祖父大臣などは、どのようなわけでかとお疑いになっているのであった。</行>
<行 no="5">帝は、畏れ多い考えから、倭相をお命じになって、既にお考えになっていたところなので、今までこの若君を親王にもなさらなかったが、「相人はほんとうに優れていた」とお思いになって、「無品の親王で外戚の後見のない状態で彷徨わすまい。わが御代もいつまで続くか分からないものだから、臣下として朝廷のご補佐役をするのが、将来も頼もしそうに思われることだ」とお決めになって、ますます諸道の学問を習わせなさる。</行>
<行 no="6">才能は格別聡明なので、臣下とするにはたいそう惜しいけれど、親王とおなりになったら、世間の人から立坊の疑いを持たれるにちがいなさそうにいらっしゃるので、宿曜道の優れた人に占わせなさっても、同様に申すので、源氏にして上げるのがよいとお決めになっていた。</行>
</段>
<段 no="4" name="第四段　先代の四宮（藤壺）入内">
<行 no="1">年月がたつにつれて、御息所のことをお忘れになる折がない。「心慰めることができようか」と、しかるべき婦人方をお召しになるが、「せめて準ずる程に思われなさる人さえめったにいない世の中だ」と、厭わしいばかりに万事が思し召されていたところ、先帝の四の宮で、ご容貌が優れておいでであるという評判が高くいらっしゃる方で、母后がまたとなく大切にお世話申されていられる方を、主上にお仕えする典侍は、先帝の御代からの人で、あちらの宮にも親しく参って馴染んでいたので、ご幼少でいらっしゃった時から拝見し、今でもちらっと拝見して、「お亡くなりになった御息所のご容貌に似ていらっしゃる方を、三代の帝にわたって宮仕えいたしてまいりまして、一人も拝見できませんでしたが、后の宮の姫宮さまは、たいそうよく似てご成長あそばしていますわ。世にもまれなご器量よしのお方でございます」と奏上したところ、「ほんとうにか」と、お心が止まって、丁重に礼を尽くしてお申し込みあそばしたのであった。</行>
<行 no="2">母后は、「まあ怖いこと。東宮の母女御がたいそう意地が悪くて、桐壺の更衣が、露骨に亡きものにされてしまった例も不吉で」と、おためらいなさって、すらすらとご決心もつかなかったうちに、母后もお亡くなりになってしまった。</行>
<行 no="3">心細い有様でいらっしゃるので、「ただ、わが姫皇女たちと同列にお思い申そう」と、たいそう丁重に礼を尽くしてお申し上げあそばす。お仕えする女房たちや、御後見人たち、ご兄弟の兵部卿の親王などは、「こうして心細くおいでになるよりは、内裏でお暮らしあそばして、きっとお心が慰むように」などとお考えになって、参内させ申し上げなさった。</行>
<行 no="4">藤壺と申し上げる。なるほど、ご容貌や姿は不思議なまでによく似ていらっしゃった。この方は、ご身分も一段と高いので、そう思って見るせいか素晴らしくて、お妃方もお貶み申すこともおできになれないので、誰に憚ることなく何も不足ない。あの方は、周囲の人がお許し申さなかったところに、御寵愛が憎らしいと思われるほど深かったのである。ご愛情が紛れるというのではないが、自然とお心が移って行かれて、格段にお慰みになるようなのも、人情の性というものであった。</行>
</段>
<段 no="5" name="第五段　源氏、藤壺を思慕">
<行 no="1">源氏の君は、お側をお離れにならないので、誰より頻繁にお渡りあそばす御方は、恥ずかしがってばかりいらっしゃれない。どのお妃方も自分が人より劣っていると思っていらっしゃる人があろうか、それぞれにとても素晴らしいが、お年を召しておいでになるのに対して、とても若くかわいらしい様子で、頻りにお姿をお隠しなさるが、自然と漏れ拝見する。</行>
<行 no="2">母御息所は、顔かたちすらご記憶でないのを、「大変によく似ていらっしゃる」と、典侍が申し上げたのを、幼心にとても慕わしいとお思い申し上げなさって、いつもお側に参りたく、「親しく拝見したい」と思われなさる。</行>
<行 no="3">主上もこの上なくおかわいがりのお二方なので、「お疎みなさいますな。不思議と若君の母君となぞらえ申してもよいような気持ちがする。失礼だとお思いなさらず、いとおしみなさい。顔だちや、目もとなど、大変によく似ているため、母君のようにお見えになるのも、母子として似つかわしくなくはない」などと、お頼み申し上げなさっているので、幼心にも、ちょっとした花や紅葉にことつけても、お気持ちを表し申す。この上なく好意をお寄せ申していらっしゃるので、弘徽殿の女御は、またこの宮ともお仲が好ろしくないので、それに加えて、もとからの憎しみももり返して、不愉快だとお思いになっていた。</行>
<行 no="4">世の中にまたとないお方だと拝見なさり、評判高くおいでになる宮のご容貌に対しても、やはり照り映える美しさにおいては比較できないほど美しそうなので、世の中の人は、「光る君」とお呼び申し上げる。藤壺もお並びになって、御寵愛がそれぞれに厚いので、「輝く日の宮」とお呼び申し上げる。</行>
</段>
<段 no="6" name="第六段　源氏元服（十二歳）">
<行 no="1">この君の御童子姿を、とても変えたくなくお思いであるが、十二歳で御元服をなさる。御自身お世話を焼かれて、作法どおりの上にさらにできるだけの事をお加えあそばす。</行>
<行 no="2">先年の東宮の御元服が、紫宸殿で執り行われた儀式が、いかめしく立派であった世の評判にひけをおとらせにならない。各所での饗宴などにも、内蔵寮や穀倉院など、規定どおり奉仕するのでは、行き届かないことがあってはいけないと、特別に勅命があって、善美を尽くしてお勤め申した。</行>
<行 no="3">おいでになる清涼殿の東廂の間に、東向きに椅子を立てて、元服なさる君のお席と加冠役の大臣のお席とが、御前に設けられている。儀式は申の時で、その時刻に源氏が参上なさる。角髪に結っていらっしゃる顔つきや、童顔の色つやは、髪形をお変えになるのは惜しい感じである。大蔵卿が理髪役を奉仕する。たいへん美しい御髪を削ぐ時、いたいたしそうなのを、主上は、「亡き母の御息所が見たならば」と、お思い出しになると、涙が抑えがたいのを、思い返してじっとお堪えあそばす。</行>
<行 no="4">加冠なさって、御休息所にお下がりになって、ご装束をお召し替えなさって、東庭に下りて拝舞なさる様子に、一同涙を落としなさる。帝は帝で、誰にもまして堪えきれなされず、お悲しみの紛れる時もあった一時のことを、立ち返って悲しく思われなさる。たいそうこのように幼い年ごろでは、髪上げして見劣りをするのではないかと御心配なさっていたが、驚くほどかわいらしさも加わっていらっしゃった。</行>
<行 no="5">加冠役の大臣が皇女でいらっしゃる方との間に儲けた一人娘で大切に育てていらっしゃる姫君を、東宮からも御所望があったのを、ご躊躇なさることがあったのは、この君に差し上げようとのお考えからなのであった。帝からの御内意を頂戴させていただいたところ、「それでは、元服の後の後見する人がいないようなので、その添い臥しにでも」とお促しあそばされたので、そのようにお考えになっていた。</行>
<行 no="6">御休息所に退出なさって、参会者たちが御酒などをお召し上がりになる時に、親王方のお席の末席に源氏はお座りになった。大臣がそれとなく仄めかし申し上げなさることがあるが、気恥ずかしい年ごろなので、どちらともはっきりお答え申し上げなさらない。</行>
<行 no="7">御前から掌侍が宣旨を承り伝えて、大臣に御前に参られるようにとのお召しがあるので、参上なさる。御禄の品物を、主上づきの命婦が取りついで賜わる。白い大袿に御衣装一領、例のとおりである。</行>
<行 no="8">お盃を賜る折に、</行>
<行 no="9">「幼子の元服の折、末永い仲を</行>
<行 no="10">そなたの姫との間に結ぶ約束はなさったか」</行>
<行 no="11">お心づかいを示されて、はっとさせなさる。</行>
<行 no="12">「元服の折、約束した心も深いものとなりましょう</行>
<行 no="13">その濃い紫の色さえ変わらなければ」</行>
<行 no="14">と奏上して、長橋から下りて拝舞なさる。</行>
<行 no="15">左馬寮の御馬、蔵人所の鷹を留まり木に据えて頂戴なさる。御階のもとに親王方や上達部が立ち並んで、禄をそれぞれの身分に応じて頂戴なさる。</行>
<行 no="16">その日の御前の折櫃物や、籠物などは、右大弁が仰せを承って調えさせたのであった。屯食や禄用の唐櫃類など、置き場もないくらいで、東宮の御元服の時よりも数多く勝っていた。かえっていろいろな制限がなくて盛大であった。</行>
</段>
<段 no="7" name="第七段　源氏、左大臣家の娘（葵上）と結婚">
<行 no="1">その夜、大臣のお邸に源氏の君を退出させなさる。婿取りの儀式は世に例がないほど立派におもてなし申し上げなさった。とても若くおいでなのを、不吉なまでにかわいいとお思い申し上げなさった。女君は少し年長でおいでなのに対して、婿君がたいそうお若くいらっしゃるので、似つかわしくなく恥ずかしいとお思いでいらっしゃった。</行>
<行 no="2">この大臣は帝のご信任が厚い上に、姫君の母宮が帝と同じ母后のお生まれでいらっしゃったので、どちらから言っても立派な上に、この君までがこのように婿君としてお加わりになったので、東宮の御祖父で、最後には天下を支配なさるはずの右大臣のご威勢も、敵ともなく圧倒されてしまった。</行>
<行 no="3">ご子息たちが大勢それぞれの夫人方にいらっしゃる。宮がお生みの方は、蔵人少将でたいそう若く美しい方なので、右大臣が、左大臣家とのお間柄はあまりよくないが、他人として放っておくこともおできになれず、大切になさっている四の君に婿取りなさっていた。劣らず大切にお世話なさっているのは、両家とも理想的な婿舅の間柄である。</行>
<行 no="4">源氏の君は、主上がいつもお召しになって放さないので、気楽に私邸で過すこともおできになれない。心中では、ひたすら藤壺のご様子を、またといない方とお慕い申し上げて、「そのような女性こそ妻にしたいものだ、似た方もいらっしゃらないな。大殿の姫君は、たいそう興趣ありそうに大切に育てられている方だと思われるが、少しも心惹かれない」というように感じられて、幼心一つに思いつめて、とても苦しいまでに悩んでいらっしゃるのであった。</行>
</段>
<段 no="8" name="第八段　源氏、成人の後">
<行 no="1">元服なさってから後は、かつてのように御簾の内側にもお入れにならない。管弦の御遊の時々、琴と笛の音に心通わし合い、かすかに漏れてくるお声を慰めとして、内裏の生活ばかりを好ましく思っていらっしゃる。五、六日は内裏に伺候なさって、大殿邸には二、三日程度、途切れ途切れに退出なさるが、まだ今はお若い年頃であるので、つとめて咎めだてすることなくお許しになって、婿君として大切にお世話申し上げなさる。</行>
<行 no="2">お二方の女房たちは、世間から並々でない人たちをえりすぐってお仕えさせなさる。お気に入りそうなお遊びをし、せいいっぱいにお世話していらっしゃる。</行>
<行 no="3">内裏では、もとの淑景舎をお部屋にあてて、母御息所にお仕えしていた女房を退出して散り散りにさせずに引き続いてお仕えさせなさる。</行>
<行 no="4">実家のお邸は、修理職や内匠寮に宣旨が下って、またとなく立派にご改造させなさる。もとからの木立や、築山の様子、趣きのある所であったが、池をことさら広く造って、大騷ぎして立派に造営する。</行>
<行 no="5">「このような所に、理想とするような女性を迎えて一緒に暮らしたい」とばかり、胸を痛めてお思い続けていらっしゃる。</行>
<行 no="6">「光る君という名前は、高麗人がお褒め申してお付けしたものだ」と、言い伝えているとのことである。</行>
</段>
</章>
</帖>
</テキスト>
<テキスト type="与謝野晶子訳">
<帖 no="01" name="桐壺">
<Acknowledgements>現代語訳：与謝野晶子<BR />電子化：古典総合研究所<BR />底本：角川文庫 全訳源氏物語 全3巻<BR />校正・ルビ復活：青空文庫 光の君再興プロジェクト<BR />渋谷栄一訳との突合せ：宮脇文経</Acknowledgements>
<章 no="1" name="第一章　光る源氏前史の物語">
<段 no="1" name="第一段　父帝と母桐壺更衣の物語">
<行 no="1">どの天皇様の御代であったか、女御とか更衣とかいわれる後宮がおおぜいいた中に、最上の貴族出身ではないが深い御愛寵を得ている人があった。</行>
<行 no="2">最初から自分こそはという自信と、親兄弟の勢力に恃む所があって宮中にはいった女御たちからは失敬な女としてねたまれた。その人と同等、もしくはそれより地位の低い更衣たちはまして嫉妬の焔を燃やさないわけもなかった。夜の御殿の宿直所から退る朝、続いてその人ばかりが召される夜、目に見耳に聞いて口惜しがらせた恨みのせいもあったかからだが弱くなって、心細くなった更衣は多く実家へ下がっていがちということになると、いよいよ帝はこの人にばかり心をお引かれになるという御様子で、人が何と批評をしようともそれに御遠慮などというものがおできにならない。御聖徳を伝える歴史の上にも暗い影の一所残るようなことにもなりかねない状態になった。</行>
<行 no="3">高官たちも殿上役人たちも困って、御覚醒になるのを期しながら、当分は見ぬ顔をしていたいという態度をとるほどの御寵愛ぶりであった。唐の国でもこの種類の寵姫、楊家の女の出現によって乱が醸されたなどと蔭ではいわれる。今やこの女性が一天下の煩いだとされるに至った。馬嵬の駅がいつ再現されるかもしれぬ。その人にとっては堪えがたいような苦しい雰囲気の中でも、ただ深い御愛情だけをたよりにして暮らしていた。</行>
<行 no="4">父の大納言はもう故人であった。母の未亡人が生まれのよい見識のある女で、わが娘を現代に勢カのある派手な家の娘たちにひけをとらせないよき保護者たりえた。それでも大官の後援者を持たぬ更衣は、何かの場合にいつも心細い思いをするようだった。</行>
</段>
<段 no="2" name="第二段　御子誕生（一歳）">
<行 no="1">前生の縁が深かったか、またもないような美しい皇子までがこの人からお生まれになった。寵姫を母とした御子を早く御覧になりたい思召しから、正規の日数が立つとすぐに更衣母子を宮中へお招きになった。小皇子はいかなる美なるものよりも美しいお顔をしておいでになった。</行>
<行 no="2">帝の第一皇子は右大臣の娘の女御からお生まれになって、重い外戚が背景になっていて、疑いもない未来の皇太子として世の人は尊敬をささげているが、第二の皇子の美貌にならぶことがおできにならぬため、それは皇家の長子として大事にあそばされ、これは御自身の愛子として非常に大事がっておいでになった。</行>
<行 no="3">更衣は初めから普通の朝廷の女官として奉仕するほどの軽い身分ではなかった。ただお愛しになるあまりに、その人自身は最高の貴女と言ってよいほどのりっぱな女ではあったが、始終おそばへお置きになろうとして、殿上で音楽その他のお催し事をあそばす際には、だれよりもまず先にこの人を常の御殿へお呼びになり、またある時はお引き留めになって更衣が夜の御殿から朝の退出ができずそのまま昼も侍しているようなことになったりして、やや軽いふうにも見られたのが、皇子のお生まれになって以後目に立って重々しくお扱いになったから、東宮にもどうかすればこの皇子をお立てになるかもしれぬと、第一の皇子の御生母の女御は疑いを持っていた。この人は帝の最もお若い時に入内した最初の女御であった。この女御がする批難と恨み言だけは無関心にしておいでになれなかった。この女御へ済まないという気も十分に持っておいでになった。</行>
<行 no="4">帝の深い愛を信じながらも、悪く言う者と、何かの欠点を捜し出そうとする者ばかりの宮中に、病身な、そして無カな家を背景としている心細い更衣は、愛されれば愛されるほど苦しみがふえるふうであった。　住んでいる御殿は御所の中の東北の隅のような桐壼であった。幾つかの女御や更衣たちの御殿の廊を通い路にして帝がしばしばそこへおいでになり、宿直をする更衣が上がり下がりして行く桐壼であったから、始終ながめていねばならぬ御殿の住人たちの恨みが量んでいくのも道理と言わねばならない。召されることがあまり続くころは、打ち橋とか通い廊下のある戸口とかに意地の悪い仕掛けがされて、送り迎えをする女房たちの着物の裾が一度でいたんでしまうようなことがあったりする。またある時はどうしてもそこを通らねばならぬ廊下の戸に錠がさされてあったり、そこが通れねばこちらを行くはずの御殿の人どうしが言い合わせて、桐壼の更衣の通り路をなくして辱しめるようなことなどもしばしばあった。数え切れぬほどの苦しみを受けて、更衣が心をめいらせているのを御覧になると帝はいっそう憐れを多くお加えになって、清涼殿に続いた後涼殿に住んでいた更衣をほかへお移しになって桐壼の更衣へ休息室としてお与えになった。移された人の恨みはどの後宮よりもまた深くなった。</行>
</段>
<段 no="3" name="第三段　若宮の御袴着（三歳）">
<行 no="1">第二の皇子が三歳におなりになった時に袴着の式が行なわれた。前にあった第一の皇子のその式に劣らぬような派手な準傭の費用が宮廷から支出された。それにつけても世問はいろいろに批評をしたが、成長されるこの皇子の美貌と聡明さとが類のないものであったから、だれも皇子を悪く思うことはできなかった。有識者はこの天才的な美しい小皇子を見て、こんな人も人間世界に生まれてくるものかと皆驚いていた。</行>
</段>
<段 no="4" name="第四段　母御息所の死去">
<行 no="1">その年の夏のことである。御息所−皇子女の生母になった更衣はこう呼ばれるのである−はちょっとした病気になって、実家へさがろうとしたが帝はお許しにならなかった。どこかからだが悪いということはこの人の常のことになっていたから、帝はそれほどお驚きにならずに、　「もうしばらく御所で養生をしてみてからにするがよい」　と言っておいでになるうちにしだいに悪くなって、そうなってからほんの五、六日のうちに病は重体になった。母の未亡人は泣く泣くお暇を願って帰宅させることにした。こんな場合にはまたどんな呪詛が行なわれるかもしれない、皇子にまで禍いを及ぼしてはとの心づかいから、皇子だけを宮中にとどめて、目だたぬように御息所だけが退出するのであった。</行>
<行 no="2">この上留めることは不可能であると帝は思召して、更衣が出かけて行くところを見送ることのできぬ御尊貴の御身の物足りなさを堪えがたく悲しんでおいでになった。　はなやかな顔だちの美人が非常に痩せてしまって、心の中には帝とお別れして行く無限の悲しみがあったがロヘは何も出して言うことのできないのがこの人の性質である。あるかないかに弱っているのを御覧になると帝は過去も未来も真暗になった気があそばすのであった。泣く泣くいろいろな頼もしい将来の約束をあそばされても更衣はお返辞もできないのである。目つきもよほどだるそうで、平生からなよなよとした人がいっそう弱々しいふうになって寝ているのであったから、これはどうなることであろうという不安が大御心を襲うた。更衣が宮中から輦車で出てよい御許可の宣旨を役人へお下しになったりあそばされても、また病室へお帰りになると今行くということをお許しにならない。</行>
<行 no="3">「死の旅にも同時に出るのがわれわれ二人であるとあなたも約束したのだから、私を置いて家へ行ってしまうことはできないはずだ」</行>
<行 no="4">と、帝がお言いになると、そのお心持ちのよくわかる女も、非常に悲しそうにお顔を見て、</行>
<行 no="5">「限りとて別るる道の悲しきに</行>
<行 no="6">いかまほしきは命なりけり</行>
<行 no="7">死がそれほど私に迫って来ておりませんのでしたら」</行>
<行 no="8">これだけのことを息も絶え絶えに言って、なお帝にお言いしたいことがありそうであるが、まったく気カはなくなってしまった。死ぬのであったらこのまま自分のそばで死なせたいと帝は思召したが、今日から始めるはずの祈祷も高僧たちが承っていて、それもぜひ今夜から始めねばなりませぬというようなことも申し上げて方々から更衣の退出を促すので、別れがたく思召しながらお帰しになった。</行>
<行 no="9">帝はお胸が悲しみでいっぱいになってお眠りになることが困難であった。帰った更衣の家へお出しになる尋ねの使いはすぐ帰って来るはずであるが、それすら返辞を聞くことが待ち遠しいであろうと仰せられた帝であるのに、お使いは、　「夜半過ぎにお卒去になりました」　と言って、故大納言家の人たちの泣き騒いでいるのを見ると力が落ちてそのまま御所へ帰って来た。　更衣の死をお聞きになった帝のお悲しみは非常で、そのまま引きこもっておいでになった。</行>
<行 no="10">その中でも忘れがたみの皇子はそばへ置いておきたく思召したが、母の忌服中の皇子が、穢れのやかましい宮中においでになる例などはないので、更衣の実家へ退出されることになった。皇子はどんな大事があったともお知りにならず、侍女たちが泣き騒ぎ、帝のお顔にも涙が流れてばかりいるのだけを不思議にお思いになるふうであった。父子の別れというようなことはなんでもない場合でも悲しいものであるから、この時の帝のお心持ちほどお気の毒なものはなかった。</行>
</段>
<段 no="5" name="第五段　故御息所の葬送">
<行 no="1">どんなに惜しい人でも遺骸は遺骸として扱われねばならぬ、葬儀が行なわれることになって、母の未亡人は遺骸と同時に火葬の煙になりたいと泣きこがれていた。そして葬送の女房の車にしいて望んでいっしょに乗って愛宕の野にいかめしく設けられた式場へ着いた時の未亡人の心はどんなに悲しかったであろう。　「死んだ人を見ながら、やはり生きている人のように思われてならない私の迷いをさますために行く必要があります」　と賢そうに言っていたが、車から落ちてしまいそうに泣くので、こんなことになるのを恐れていたと女房たちは思った。</行>
<行 no="2">宮中からお使いが葬場へ来た。更衣に三位を贈られたのである。勅使がその宣命を読んだ時ほど未亡人にとって悲しいことはなかった。三位は女御に相当する位階である。生きていた日に女御とも言わせなかったことが帝には残り多く思召されて贈位を賜わったのである。こんなことででも後宮のある人々は反感を持った。同情のある人は故人の美しさ、性格のなだらかさなどで憎むことのできなかった人であると、今になって桐壼の更衣の真価を思い出していた。あまりにひどい御殊寵ぶりであったからその当時は嫉妬を感じたのであるとそれらの人は以前のことを思っていた。優しい同情深い女性であったのを、帝付きの女官たちは皆恋しがっていた。「なくてぞ人は恋しかりける」とはこうした場合のことであろうと見えた。</行>
</段>
</章>
<章 no="2" name="第二章　父帝悲秋の物語">
<段 no="1" name="第一段　父帝悲しみの日々">
<行 no="1">時は人の悲しみにかかわりもなく過ぎて七日七日の仏事が次々に行なわれる、そのたびに帝からはお弔いの品々が下された。　愛人の死んだのちの日がたっていくにしたがってどうしようもない寂しさばかりを帝はお覚えになるのであって、女御、更衣を宿直に召されることも絶えてしまった。ただ涙の中の御朝タであって、拝見する人までがしめっぽい心になる秋であった。　「死んでからまでも人の気を悪くさせる御寵愛ぶりね」　などと言って、右大臣の娘の弘徽殿の女御などは今さえも嫉妬を捨てなかった。帝は一の皇子を御覧になっても更衣の忘れがたみの皇子の恋しさばかりをお覚えになって、親しい女官や、御自身のお乳母などをその家へおつかわしになって若宮の様子を報告させておいでになった。</行>
</段>
<段 no="2" name="第二段　靫負命婦の弔問">
<行 no="1">野分ふうに風が出て肌寒の覚えられる日の夕方に、平生よりもいっそう故人がお思われになって、靫負の命婦という人を使いとしてお出しになった。夕月夜の美しい時刻に命婦を出かけさせて、そのまま深い物思いをしておいでになった。以前にこうした月夜は音楽の遊びが行なわれて、更衣はその一人に加わってすぐれた音楽者の素質を見せた。またそんな夜に詠む歌なども平凡ではなかった。彼女の幻は帝のお目に立ち添って少しも消えない。しかしながらどんなに濃い幻でも瞬間の現実の価値はないのである。</行>
<行 no="2">命婦は故大納言家に着いて車が門から中へ引き入れられた刹那からもう言いようのない寂しさが味わわれた。末亡人の家であるが、一人娘のために住居の外見などにもみすぼらしさがないようにと、りっぱな体裁を保って暮らしていたのであるが、子を失った女主人の無明の日が続くようになってからは、しばらくのうちに庭の雑草が行儀悪く高くなった。またこのごろの野分の風でいっそう邸内が荒れた気のするのであったが、月光だけは伸びた草にもさわらずさし込んだその南向きの座敷に命婦を招じて出て来た女主人はすぐにもものが言えないほどまたも悲しみに胸をいっぱいにしていた。</行>
<行 no="3">「娘を死なせました母親がよくも生きていられたものというように、運命がただ恨めしゅうございますのに、こうしたお使いが荒ら屋へおいでくださるとまたいっそう自分が恥ずかしくてなりません」</行>
<行 no="4">と言って、実際堪えられないだろうと思われるほど泣く。</行>
<行 no="5">「こちらへ上がりますと、またいっそうお気の毒になりまして、魂も消えるようでございますと、先日典侍は陛下へ申し上げていらっしゃいましたが、私のようなあさはかな人間でもほんとうに悲しさが身にしみます」</行>
<行 no="6">と言ってから、しばらくして命婦は帝の仰せを伝えた。</行>
<行 no="7">「当分夢ではないであろうかというようにばかり思われましたが、ようやく落ち着くとともに、どうしようもない悲しみを感じるようになりました。こんな時はどうすればよいのか、せめて話し合う人があればいいのですがそれもありません。目だたぬようにして時々御所へ来られてはどうですか。若宮を長く見ずにいて気がかりでならないし、また若宮も悲しんでおられる人ばかりの中にいてかわいそうですから、彼を早く宮中へ入れることにして、あなたもいっしょにおいでなさい」　「こういうお言葉ですが、涙にむせ返っておいでになって、しかも人に弱さを見せまいと御遠慮をなさらないでもない御様子がお気の毒で、ただおおよそだけを承っただけでまいりました」</行>
<行 no="8">と言って、また帝のお言づてのほかの御消息を渡した。</行>
<行 no="9">「涙でこのごろは目も暗くなっておりますが、過分なかたじけない仰せを光明にいたしまして」　未亡人はお文を拝見するのであった。</行>
<行 no="10">時がたてば少しは寂しさも紛れるであろうかと、そんなことを頼みにして日を送っていても、日がたてばたつほど悲しみの深くなるのは困ったことである。どうしているかとばかり思いやっている小児も、そろった両親に育てられる幸福を失ったものであるから、子を失ったあなたに、せめてその子の代わりとして面倒を見てやってくれることを頼む。</行>
<行 no="11">などこまごまと書いておありになった。</行>
<行 no="12">宮城野の露吹き結ぶ風の音に</行>
<行 no="13">小萩が上を思ひこそやれ</行>
<行 no="14">という御歌もあったが、未亡人はわき出す涙が妨げて明らかには拝見することができなかった。</行>
<行 no="15">「長生きをするからこうした悲しい目にもあうのだと、それが世間の人の前に私をきまり悪くさせることなのでございますから、まして御所へ時々上がることなどは思いもよらぬことでございます。もったいない仰せを伺っているのですが、私が伺候いたしますことは今後も実行はできないでございましょう。若宮様は、やはり御父子の情というものが本能にありますものと見えて、御所へ早くおはいりになりたい御様子をお見せになりますから、私はごもっともだとおかわいそうに思っておりますということなどは、表向きの奏上でなしに何かのおついでに申し上げてくださいませ。良人も早く亡くしますし、娘も死なせてしまいましたような不幸ずくめの私が御いっしょにおりますことは、若宮のために縁起のよろしくないことと恐れ入っております」</行>
<行 no="16">などと言った。そのうち若宮ももうお寝みになった。</行>
<行 no="17">「またお目ざめになりますのをお待ちして、若宮にお目にかかりまして、くわしく御様子も陛下へ御報告したいのでございますが、使いの私の帰りますのをお待ちかねでもいらっしゃいますでしょうから、それではあまりおそくなるでございましょう」　と言って命婦は帰りを急いだ。</行>
<行 no="18">「子をなくしました母親の心の、悲しい暗さがせめて一部分でも晴れますほどの話をさせていただきたいのですから、公のお使いでなく、気楽なお気持ちでお休みがてらまたお立ち寄りください。以前はうれしいことでよくお使いにおいでくださいましたのでしたが、こんな悲しい勅使であなたをお迎えするとは何ということでしょう。返す返す運命が私に長生きさせるのが苦しゅうございます。</行>
<行 no="19">故人のことを申せば、生まれました時から親たちに輝かしい未来の望みを持たせました子で、父の大納言はいよいよ危篤になりますまで、この人を宮中へ差し上げようと自分の思ったことをぜひ実現させてくれ、自分が死んだからといって今までの考えを捨てるようなことをしてはならないと、何度も何度も遺言いたしましたが、確かな後援者なしの宮仕えは、かえって娘を不幸にするようなものではないだろうかとも思いながら、私にいたしましてはただ遺言を守りたいばかりに陛下へ差し上げましたが、過分な御寵愛を受けまして、そのお光でみすぼらしさも隠していただいて、娘はお仕えしていたのでしょうが、皆さんの御嫉妬の積もっていくのが重荷になりまして、寿命で死んだとは思えませんような死に方をいたしましたのですから、陛下のあまりに深い御愛情がかえって恨めしいように、盲目的な母の愛から私は思いもいたします」</行>
<行 no="20">こんな話をまだ全部も言わないで未亡人は涙でむせ返ってしまったりしているうちにますます深更になった。</行>
<行 no="21">「それは陛下も仰せになります。自分の心でありながらあまりに穏やかでないほどの愛しようをしたのも前生の約束で長くはいっしょにおられぬ二人であることを意識せずに感じていたのだ。自分らは恨めしい因縁でつながれていたのだ、自分は即位してから、だれのためにも苦痛を与えるようなことはしなかったという自信を持っていたが、あの人によって負ってならぬ女の恨みを負い、ついには何よりもたいせつなものを失って、悲しみにくれて以前よりももっと愚劣な者になっているのを思うと、自分らの前生の約束はどんなものであったか知りたいとお話しになって湿っぽい御様子ばかりをお見せになっています」　どちらも話すことにきりがない。命婦は泣く泣く、　「もう非常に遅いようですから、復命は今晩のうちにいたしたいと存じますから」　と言って、帰る仕度をした。</行>
<行 no="22">落ちぎわに近い月夜の空が澄み切った中を涼しい風が吹き、人の悲しみを促すような虫の声がするのであるから帰りにくい。</行>
<行 no="23">鈴虫の声の限りを尽くしても</行>
<行 no="24">長き夜飽かず降る涙かな</行>
<行 no="25">車に乗ろうとして命婦はこんな歌を口ずさんだ。</行>
<行 no="26">「いとどしく虫の音しげき浅茅生に</行>
<行 no="27">露置き添ふる雲の上人</行>
<行 no="28">かえって御訪問が恨めしいと申し上げたいほどです」</行>
<行 no="29">と未亡人は女房に言わせた。意匠を凝らせた贈り物などする場合でなかったから、故人の形見ということにして、唐衣と裳の一揃えに、髪上げの用具のはいった箱を添えて贈った。</行>
<行 no="30">若い女房たちの更衣の死を悲しむのはむろんであるが、宮中住まいをしなれていて、寂しく物足らず思われることが多く、お優しい帝の御様子を思ったりして、若宮が早く御所へお帰りになるようにと促すのであるが、不幸な自分がごいっしょに上がっていることも、また世間に批難の材料を与えるようなものであろうし、またそれかといって若宮とお別れしている苦痛にも堪えきれる自信がないと未亡人は思うので、結局若宮の宮中入りは実行性に乏しかった。</行>
</段>
<段 no="3" name="第三段　命婦帰参">
<行 no="1">御所へ帰った命婦は、まだ宵のままで御寝室へはいっておいでにならない帝を気の毒に思った。中庭の秋の花の盛りなのを愛していらっしゃるふうをあそばして凡庸でない女房四、五人をおそばに置いて話をしておいでになるのであった。このごろ始終帝の御覧になるものは、玄宗皇帝と楊貴妃の恋を題材にした白楽天の長恨歌を、亭子院が絵にあそばして、伊勢や貫之に歌をお詠ませになった巻き物で、そのほか日本文学でも、支那のでも、愛人に別れた人の悲しみが歌われたものばかりを帝はお読みになった。帝は命婦にこまごまと大納言家の様子をお聞きになった。身にしむ思いを得て来たことを命婦は外へ声をはばかりながら申し上げた。未亡人の御返事を帝は御覧になる。</行>
<行 no="2">もったいなさをどう始末いたしてよろしゅうございますやら。こうした仰せを承りましても、愚か者はただ悲しい悲しいとばかり思われるのでございます。</行>
<行 no="3">荒き風防ぎし蔭の枯れしより</行>
<行 no="4">小萩が上ぞしづ心無き</行>
<行 no="5">というような、歌の価値の疑わしいようなものも書かれてあるが、悲しみのために落ち着かない心で詠んでいるのであるからと寛大に御覧になった。帝はある程度まではおさえていねばならぬ悲しみであると思召すが、それが御困難であるらしい。はじめて桐壼の更衣の上がって来たころのことなどまでがお心の表面に浮かび上がってきてはいっそう暗い悲しみに帝をお誘いした。その当時しばらく別れているということさえも自分にはつらかったのに、こうして一人でも生きていられるものであると思うと自分は偽り者のような気がするとも帝はお思いになった。</行>
<行 no="6">「死んだ大納言の遺言を苦労して実行した未亡人への酬いは、更衣を後宮の一段高い位置にすえることだ、そうしたいと自分はいつも思っていたが、何もかも皆夢になった」　とお言いになって、未亡人に限りない同情をしておいでになった。　「しかし、あの人はいなくても若宮が天子にでもなる日が来れば、故人に后の位を贈ることもできる。それまで生きていたいとあの夫人は思っているだろう」</行>
<行 no="7">などという仰せがあった。命婦は贈られた物を御前へ並べた。これが唐の幻術師が他界の楊貴妃に逢って得て来た玉の簪であったらと、帝はかいないこともお思いになった。</行>
<行 no="8">尋ね行くまぼろしもがなつてにても</行>
<行 no="9">魂のありかをそこと知るべく</行>
<行 no="10">絵で見る楊貴妃はどんなに名手の描いたものでも、絵における表現は限りがあって、それほどのすぐれた顔も持っていない。太液の池の蓮花にも、未央宮の柳の趣にもその人は似ていたであろうが、また唐の服装は華美ではあったであろうが、更衣の持った柔らかい美、艶な姿態をそれに思い比べて御覧になると、これは花の色にも鳥の声にもたとえられぬ最上のものであった。お二人の間はいつも、天に在っては比翼の鳥、地に生まれれば連理の枝という言葉で永久の愛を誓っておいでになったが、運命はその一人に早く死を与えてしまった。</行>
<行 no="11">秋風の音にも虫の声にも帝が悲しみを覚えておいでになる時、弘徽殿の女御はもう久しく夜の御殿の宿直にもお上がりせずにいて、今夜の月明に更けるまでその御殿で音楽の合奏をさせているのを帝は不愉快に思召した。このころの帝のお心持ちをよく知っている殿上役人や帝付きの女房なども皆弘徽殿の楽音に反感を持った。負けぎらいな性質の人で更衣の死などは眼中にないというふうをわざと見せているのであった。　月も落ちてしまった。</行>
<行 no="12">雲の上も涙にくるる秋の月</行>
<行 no="13">いかですむらん浅茅生の宿</行>
<行 no="14">命婦が御報告した故人の家のことをなお帝は想像あそばしながら起きておいでになった。　右近衛府の士官が宿直者の名を披露するのをもってすれば午前二時になったのであろう。人目をおはばかりになって御寝室へおはいりになってからも安眠を得たもうことはできなかった。　朝のお目ざめにもまた、夜明けも知らずに語り合った昔の御追憶がお心を占めて、寵姫の在った日も亡いのちも朝の政務はお怠りになることになる。</行>
<行 no="15">お食欲もない。簡単な御朝食はしるしだけお取りになるが、帝王の御朝餐として用意される大床子のお料理などは召し上がらないものになっていた。それには殿上役人のお給仕がつくのであるが、それらの人は皆この状態を歎いていた。すべて側近する人は男女の別なしに困ったことであると歎いた。よくよく深い前生の御縁で、その当時は世の批難も後宮の恨みの声もお耳には留まらず、その人に関することだけは正しい判断を失っておしまいになり、また死んだあとではこうして悲しみに沈んでおいでになって政務も何もお顧みにならない、国家のためによろしくないことであるといって、支那の歴朝の例までも引き出して言う人もあった。</行>
</段>
</章>
<章 no="3" name="第三章　光る源氏の物語">
<段 no="1" name="第一段　若宮参内（四歳）">
<行 no="1">幾月かののちに第二の皇子が宮中へおはいりになった。ごくお小さい時ですらこの世のものとはお見えにならぬ御美貌の備わった方であったが、今はまたいっそう輝くほどのものに見えた。</行>
<行 no="2">その翌年立太子のことがあった。帝の思召しは第二の皇子にあったが、だれという後見の人がなく、まただれもが肯定しないことであるのを悟っておいでになって、かえってその地位は若宮の前途を危険にするものであるとお思いになって、御心中をだれにもお洩らしにならなかった。東宮におなりになったのは第一親王である。この結果を見て、あれほどの御愛子でもやはり太子にはおできにならないのだと世間も言い、弘徽殿の女御も安心した。</行>
<行 no="3">その時から宮の外祖母の未亡人は落胆して更衣のいる世界へ行くことのほかには希望もないと言って一心に御仏の来迎を求めて、とうとう亡くなった。帝はまた若宮が祖母を失われたことでお悲しみになった。これは皇子が六歳の時のことであるから、今度は母の更衣の死に逢った時とは違い、皇子は祖母の死を知ってお悲しみになった。今まで始終お世話を申していた宮とお別れするのが悲しいということばかりを未亡人は言って死んだ。</行>
</段>
<段 no="2" name="第二段　読書始め（七歳）">
<行 no="1">それから若宮はもう宮中にばかりおいでになることになった。七歳の時に書初めの式が行なわれて学問をお始めになったが、皇子の類のない聡明さに帝はお驚きになることが多かった。</行>
<行 no="2">「もうこの子をだれも憎むことができないでしょう。母親のないという点だけででもかわいがっておやりなさい」　と帝は些言いになって、弘徽殿へ昼間おいでになる時もいっしょにおつれになったりしてそのまま御簾の中にまでもお入れになった。どんな強さ一方の武士だっても仇敵だってもこの人を見ては笑みが自然にわくであろうと思われる美しい少童でおありになったから、女御も愛を覚えずにはいられなかった。この女御は東宮のほかに姫宮をお二人お生みしていたが、その方々よりも第二の皇子のほうがおきれいであった。姫宮がたもお隠れにならないで賢い遊び相手としてお扱いになった。</行>
<行 no="3">学問はもとより音楽の才も豊かであった。言えぼ不自然に聞こえるほどの天才児であった。</行>
</段>
<段 no="3" name="第三段　高麗人の観相、源姓賜わる">
<行 no="1">その時分に高麗人が来朝した中に、上手な人相見の者が混じっていた。帝はそれをお聞きになったが、宮中へお呼びになることは亭子院のお誡めがあっておできにならず、だれにも秘密にして皇子のお世話役のようになっている右大弁の子のように思わせて、皇子を外人の旅宿する鴻臚館へおやりになった。　相人は不審そうに頭をたびたび傾けた。</行>
<行 no="2">「国の親になって最上の位を得る人相であって、さてそれでよいかと拝見すると、そうなることはこの人の幸福な道でない。国家の柱石になって帝王の輔佐をする人として見てもまた違うようです」　と言った。</行>
<行 no="3">弁も漢学のよくできる官人であったから、筆紙をもってする高麗人との問答にはおもしろいものがあった。詩の贈答もして高麗人はもう日本の旅が終わろうとする期に臨んで珍しい高貴の相を持つ人に逢ったことは、今さらにこの国を離れがたくすることであるというような意味の作をした。若宮も送別の意味を詩にお作りになったが、その詩を非常にほめていろいろなその国の贈り物をしたりした。　朝廷からも高麗の相人へ多くの下賜品があった。</行>
<行 no="4">その評判から東宮の外戚の右大臣などは第二の皇子と高麗の相人との関係に疑いを持った。好遇された点が腑に落ちないのである。</行>
<行 no="5">聡明な帝は高麗人の言葉以前に皇子の将来を見通して、幸福な道を選ぼうとしておいでになった。それでほとんど同じことを占った相人に価値をお認めになったのである。四品以下の無品親王などで、心細い皇族としてこの子を置きたくない、自分の代もいつ終わるかしれぬのであるから、将来に最も頼もしい位置をこの子に設けて置いてやらねばならぬ、臣下の列に入れて国家の柱石たらしめることがいちばんよいと、こうお決めになって、以前にもましていろいろの勉強をおさせになった。</行>
<行 no="6">大きな天才らしい点の現われてくるのを御覧になると人臣にするのが惜しいというお心になるのであったが、親王にすれば天子に変わろうとする野心を持つような疑いを当然受けそうにお思われになった。上手な運命占いをする者にお尋ねになっても同じような答申をするので、元服後は源姓を賜わって源氏の某としようとお決めになった。</行>
</段>
<段 no="4" name="第四段　先代の四宮（藤壺）入内">
<行 no="1">年月がたっても帝は桐壼の更衣との死別の悲しみをお忘れになることができなかった。慰みになるかと思召して美しい評判のある人などを後宮へ召されることもあったが、結果はこの世界には故更衣の美に準ずるだけの人もないのであるという失望をお味わいになっただけである。そうしたころ、先帝−帝の従兄あるいは叔父君−の第四の内親王でお美しいことをだれも言う方で、母君のお后が大事にしておいでになる方のことを、帝のおそばに奉仕している典侍は先帝の宮廷にいた人で、后の宮へも親しく出入りしていて、内親王の御幼少時代をも知り、現在でもほのかにお顔を拝見する機会を多く得ていたから、帝へお話しした。　「お亡れになりました御息所の御容貌に似た方を、三代も宮廷におりました私すらまだ見たことがございませんでしたのに、后の宮様の内親王様だけがあの方に似ていらっしゃいますことにはじめて気がつきました。非常にお美しい方でございます」　もしそんなことがあったらと大御心が動いて、先帝の后の宮へ姫宮の御入内のことを懇切にお申し入れになった。</行>
<行 no="2">お后は、そんな恐ろしいこと、東宮のお母様の女御が並みはずれな強い性格で、桐壷の更衣が露骨ないじめ方をされた例もあるのに、と思召して話はそのままになっていた。そのうちお后もお崩れになった。</行>
<行 no="3">姫宮がお一人で暮らしておいでになるのを帝はお聞きになって、　「女御というよりも自分の娘たちの内親王と同じように思って世話がしたい」　となおも熱心に入内をお勧めになった。こうしておいでになって、母宮のことばかりを思っておいでになるよりは、宮中の御生活にお帰りになったら若いお心の慰みにもなろうと、お付きの女房やお世話係の者が言い、兄君の兵部卿親王もその説に御賛成になって、それで先帝の第四の内親王は当帝の女御におなりになった。</行>
<行 no="4">御殿は藤壼である。典侍の話のとおりに、姫宮の容貌も身のおとりなしも不思議なまで、桐壼の更衣に似ておいでになった。この方は御身分に批の打ち所がない。すべてごりっぱなものであって、だれも貶める言葉を知らなかった。桐壼の更衣は身分と御愛寵とに比例の取れぬところがあった。お傷手が新女御の宮で癒されたともいえないであろうが、自然に昔は昔として忘れられていくようになり、帝にまた楽しい御生活がかえってきた。あれほどのこともやはり永久不変でありえない人間の恋であったのであろう。</行>
</段>
<段 no="5" name="第五段　源氏、藤壺を思慕">
<行 no="1">源氏の君−まだ源姓にはなっておられない皇子であるが、やがてそうおなりになる方であるから筆者はこう書く。−はいつも帝のおそばをお離れしないのであるから、自然どの女御の御殿へも従って行く。帝がことにしばしばおいでになる御殿は藤壼であって、お供して源氏のしばしば行く御殿は藤壼である。宮もお馴れになって隠れてばかりはおいでにならなかった。どの後宮でも容貌の自信がなくて入内した者はないのであるから、皆それぞれの美を備えた人たちであったが、もう皆だいぶ年がいっていた。その中へ若いお美しい藤壼の宮が出現されてその方は非常に恥ずかしがってなるべく顔を見せぬようにとなすっても、自然に源氏の君が見ることになる場合もあった。</行>
<行 no="2">母の更衣は面影も覚えていないが、よく似ておいでになると典侍が言ったので、子供心に母に似た人として恋しく、いつも藤壼へ行きたくなって、あの方と親しくなりたいという望みが心にあった。</行>
<行 no="3">帝には二人とも最愛の妃であり、最愛の御子であった。　「彼を愛しておやりなさい。不思議なほどあなたとこの子の母とは似ているのです。失礼だと思わずにかわいがってやってください。この子の目つき顔つきがまたよく母に似ていますから、この子とあなたとを母と子と見てもよい気がします」　など帝がおとりなしになると、子供心にも花や紅葉の美しい枝は、まずこの宮へ差し上げたい、自分の好意を受けていただきたいというこんな態度をとるようになった。現在の弘徽殿の女御の嫉妬の対象は藤壼の宮であったからそちらへ好意を寄せる源氏に、一時忘れられていた旧怨も再燃して憎しみを持つことになった。</行>
<行 no="4">女御が自慢にし、ほめられてもおいでになる幼内親王方の美を遠くこえた源氏の美貌を世間の人は言い現わすために光の君と言った。女御として藤壼の宮の御寵愛が並びないものであったから対句のように作って、輝く日の宮と一方を申していた。</行>
</段>
<段 no="6" name="第六段　源氏元服（十二歳）">
<行 no="1">源氏の君の美しい童形をいつまでも変えたくないように帝は思召したのであったが、いよいよ十二の歳に元服をおさせになることになった。その式の準備も何も帝御自身でお指図になった。</行>
<行 no="2">前に東宮の御元服の式を紫宸殿であげられた時の派手やかさに落とさず、その日官人たちが各階級別々にさずかる饗宴の仕度を内蔵寮、穀倉院などでするのはつまり公式の仕度で、それでは十分でないと思召して、特に仰せがあって、それらも華麗をきわめたものにされた。</行>
<行 no="3">清涼殿は東面しているが、お庭の前のお座敷に玉座の椅子がすえられ、元服される皇子の席、加冠役の大臣の席がそのお前にできていた。午後四時に源氏の君が参った。上で二つに分けて耳の所で輸にした童形の礼髪を結った源氏の顔つき、少年の美、これを永久に保存しておくことが不可能なのであろうかと惜しまれた。理髪の役は大蔵卿である。美しい髪を短く切るのを惜しく思うふうであった。帝は御息所がこの式を見たならばと、昔をお思い出しになることによって堪えがたくなる悲しみをおさえておいでになった。</行>
<行 no="4">加冠が終わって、いったん休息所に下がり、そこで源氏は服を変えて庭上の拝をした。参列の諸員は皆小さい大宮人の美に感激の涙をこぼしていた。帝はまして御自制なされがたい御感情があった。藤壼の宮をお得になって以来、紛れておいでになることもあった昔の哀愁が今一度にお胸へかえって来たのである。まだ小さくて大人の頭の形になることは、その人の美を損じさせはしないかという御懸念もおありになったのであるが、源氏の君には今驚かれるほどの新彩が加わって見えた。</行>
<行 no="5">加冠の大臣には夫人の内親王との間に生まれた令嬢があった。東宮から後宮にとお望みになったのをお受けせずにお返辞を躊躇していたのは、初めから源氏の君の配偶者に擬していたからである。大臣は帝の御意向をも伺った。　「それでは元服したのちの彼を世話する人もいることであるから、その人をいっしょにさせればよい」　という仰せであったから、大臣はその実現を期していた。</行>
<行 no="6">今日の侍所になっている座敷で開かれた酒宴に、親王方の次の席へ源氏は着いた。娘の件を大臣がほのめかしても、きわめて若い源氏は何とも返辞をすることができないのであった。</行>
<行 no="7">帝のお居間のほうから仰せによって内侍が大臣を呼びに来たので、大臣はすぐに御前へ行った。加冠役としての下賜品はおそばの命婦が取り次いだ。白い大袿に帝のお召し料のお服が一襲で、これは昔から定まった品である。</行>
<行 no="8">酒杯を賜わる時に、次の歌を仰せられた。</行>
<行 no="9">いときなき初元結ひに長き世を</行>
<行 no="10">契る心は結びこめつや</行>
<行 no="11">大臣の女との結婚にまでお言い及ぼしになった御製は大臣を驚かした。</行>
<行 no="12">結びつる心も深き元結ひに</行>
<行 no="13">濃き紫の色しあせずば</行>
<行 no="14">と返歌を奏上してから大臣は、清涼殿の正面の階段を下がって拝礼をした。</行>
<行 no="15">左馬寮の御馬と蔵人所の鷹をその時に賜わった。そのあとで諸員が階前に出て、官等に従ってそれぞれの下賜品を得た。</行>
<行 no="16">この日の御饗宴の席の折り詰めのお料理、籠詰めの菓子などは皆右大弁が御命令によって作った物であった。一般の官吏に賜う弁当の数、一般に下賜される絹を入れた箱の多かったことは、東宮の御元服の時以上であった。</行>
</段>
<段 no="7" name="第七段　源氏、左大臣家の娘（葵上）と結婚">
<行 no="1">その夜源氏の君は左大臣家へ婿になって行った。この儀式にも善美は尽くされたのである。高貴な美少年の婿を大臣はかわいく思った。姫君のほうが少し年上であったから、年下の少年に配されたことを、不似合いに恥ずかしいことに思っていた。</行>
<行 no="2">この大臣は大きい勢力を持った上に、姫君の母の夫人は帝の御同胞であったから、あくまでもはなやかな家である所へ、今度また帝の御愛子の源氏を婿に迎えたのであるから、東宮の外祖父で未来の関白と思われている右大臣の勢カは比較にならぬほど気押されていた。</行>
<行 no="3">左大臣は何人かの妻妾から生まれた子供を幾人も持っていた。内親王腹のは今蔵人少将であって年少の美しい貴公子であるのを左右大臣の仲はよくないのであるが、その蔵人少将をよその者に見ていることができず、大事にしている四女の婿にした。これも左大臣が源氏の君をたいせつがるのに劣らず右大臣から大事な婿君としてかしずかれていたのはよい一対のうるわしいことであった。</行>
<行 no="4">源氏の君は帝がおそばを離しにくくあそばすので、ゆっくりと妻の家に行っていることもできなかった。源氏の心には藤壼の宮の美が最上のものに思われてあのような人を自分も妻にしたい、宮のような女性はもう一人とないであろう、左大臣の令嬢は大事にされて育った美しい貴族の娘とだけはうなずかれるがと、こんなふうに思われて単純な少年の心には藤壼の宮のことばかりが恋しくて苦しいほどであった。</行>
</段>
<段 no="8" name="第八段　源氏、成人の後">
<行 no="1">元服後の源氏はもう藤壼の御殿の御簾の中へは入れていただけなかった。琴や笛の音の中にその方がお弾きになる物の声を求めるとか、今はもう物越しにより聞かれないほのかなお声を聞くとかが、せめてもの慰めになって宮中の宿直ばかりが好きだった。五、六日御所にいて、二、三日大臣家へ行くなど絶え絶えの通い方を、まだ少年期であるからと見て大臣はとがめようとも思わず、相も変わらず婿君のかしずき騒ぎをしていた。</行>
<行 no="2">新夫婦付きの女房はことにすぐれた者をもってしたり、気に入りそうな遊びを催したり、一所懸命である。</行>
<行 no="3">御所では母の更衣のもとの桐壼を源氏の宿直所にお与えになって、御息所に侍していた女房をそのまま使わせておいでになった。</行>
<行 no="4">更衣の家のほうは修理の役所、内匠寮などへ帝がお命じになって、非常なりっぱなものに改築されたのである。もとから築山のあるよい庭のついた家であったが、池なども今度はずっと広くされた。二条の院はこれである。</行>
<行 no="5">源氏はこんな気に入った家に自分の理想どおりの妻と暮らすことができたらと思って始終歎息をしていた。</行>
<行 no="6">光の君という名は前に鴻臚館へ来た高麗人が、源氏の美貌と天才をほめてつけた名だとそのころ言われたそうである。</行>
</段>
</章>
</帖>
</テキスト>
<テキスト type="ひらがな版">
<帖 no="01" name="桐壺">
<章 no="1" name="第一章　光る源氏前史の物語">
<段 no="1" name="第一段　父帝と母桐壺更衣の物語">
<行 no="1">いづれのおほんときにか、にょうご、かういあまたさぶらひたまひけるなかに、いとやんごとなききはにはあらぬが、すぐれてときめきたまふありけり。</行>
<行 no="2">はじめよりわれはとおもひあがりたまへるおほんかたがた、めざましきものにおとしめそねみたまふ。おなじほど、それよりげらふのかういたちは、ましてやすからず。あさゆふのみやづかへにつけても、ひとのこころをのみうごかし、うらみをおふつもりにやありけん、いとあづしくなりゆき、ものこころぼそげにさとがちなるを、いよいよあかずあはれなるものにおもほして、ひとのそしりをもえはばからせたまはず、よのためしにもなりぬべきおほんもてなしなり。</行>
<行 no="3">かんだちめ、うへびとなども、あいなくめをそばめつつ、"いとまばゆきひとのおほんおぼえなり。もろこしにも、かかることのおこりにこそ、よもみだれ、あしかりけれ"と、やうやうあめのしたにもあぢきなう、ひとのもてなやみぐさになりて、やうきひのためしもひきいでつべくなりゆくに、いとはしたなきことおほかれど、かたじけなきみこころばへのたぐひなきをたのみにてまじらひたまふ。</行>
<行 no="4">ちちのだいなごんはなくなりて、ははきたのかたなんいにしへのよしあるにて、おやうちぐし、さしあたりてよのおぼえはなやかなるおほんかたがたにもいたうおとらず、なにごとのぎしきをももてなしたまひけれど、とりたててはかばかしきうしろみしなければ、ことあるときは、なほよりどころなくこころぼそげなり。</行>
</段>
<段 no="2" name="第二段　御子誕生（一歳）">
<行 no="1">さきのよにもおほんちぎりやふかかりけん、よになくきよらなるたまのをのこみこさへむまれたまひぬ。いつしかとこころもとながらせたまひて、いそぎまゐらせてごらんずるに、めづらかなるちごのおほんかたちなり。</行>
<行 no="2">いちのみこは、うだいじんのにょうごのおほんはらにて、よせおもく、うたがひなきまうけのきみと、よにもてかしづききこゆれど、このおほんにほひにはならびたまふべくもあらざりければ、おほかたのやんごとなきおほんおもひにて、このきみをば、わたくしものにおもほしかしづきたまふことかぎりなし。</行>
<行 no="3">はじめよりおしなべてのうへみやづかへしたまふべききはにはあらざりき。おぼえいとやんごとなく、じゃうずめかしけれど、わりなくまつはさせたまふあまりに、さるべきおほんあそびのをりをり、なにごとにもゆゑあることのふしぶしには、まづまうのぼらせたまふ。あるときにはおほとのごもりすぐして、やがてさぶらはせたまひなど、あながちにおまへさらずもてなさせたまひしほどに、おのづからかろきかたにもみえしを、このみこむまれたまひてのちは、いとこころことにおもほしおきてたれば、"ばうにも、ようせずは、このみこのゐたまふべきな'めり。"と、いちのみこのにょうごはおぼしうたがへり。ひとよりさきにまゐりたまひて、やんごとなきおほんおもひなべてならず、みこたちなどもおはしませば、このおほんかたのおほんいさめをのみぞ、なほわづらはしうこころぐるしうおもひきこえさせたまひける。</行>
<行 no="4">かしこきみかげをばたのみきこえながら、おとしめきずをもとめたまふひとはおほく、わがみはかよわくものはかなきありさまにて、なかなかなるものおもひをぞしたまふ。みつぼねはきりつぼなり。あまたのおほんかたがたをすぎさせたまひて、ひまなきおまへわたりに、ひとのみこころをつくしたまふも、げにことわりとみえたり。まうのぼりたまふにも、あまりうちしきるをりをりは、うちはし、わたどののここかしこのみちに、あやしきわざをしつつ、おほんおくりむかへのひとのきぬのすそ、たへがたく、まさなきこともあり。またあるときには、えさらぬめだうのとをさしこめ、こなたかなたこころをあはせて、はしたなめわづらはせたまふときもおほかり。ことにふれてかずしらずくるしきことのみまされば、いといたうおもひわびたるを、いとどあはれとごらんじて、こうらうでんにもとよりさぶらひたまふかういのざうしをほかにうつさせたまひて、うへつぼねにたまはす。そのうらみましてやらんかたなし。</行>
</段>
<段 no="3" name="第三段　若宮の御袴着（三歳）">
<行 no="1">このみこみつになりたまふとし、おほんはかまぎのこといちのみやのたてまつりしにおとらず、くらづかさ、をさめどののものをつくして、いみじうせさせたまふ。それにつけても、よのそしりのみおほかれど、このみこのおよすげもておはするおほんかたちこころばへありがたくめづらしきまでみえたまふを、えそねみあへたまはず。もののこころしりたまふひとは、"かかるひともよにいでおはするものなりけり"と、あさましきまでめをおどろかしたまふ。</行>
</段>
<段 no="4" name="第四段　母御息所の死去">
<行 no="1">そのとしのなつ、みやすんどころ、はかなきここちにわづらひたまひて、まかでなんとしたまふを、いとまさらにゆるさせたまはず。としごろ、つねのあづしさになりたまへれば、おほんめなれて、"なほしばしこころみよ"とのみのたまはするに、ひびにおもりたまひて、ただいつかむいかのほどにいとよわうなれば、ははぎみなくなくそうして、まかでさせたてまつりたまふ。かかるをりにも、あるまじきはぢもこそとこころづかひして、みこをばとどめたてまつりて、しのびてぞいでたまふ。</行>
<行 no="2">かぎりあれば、さのみもえとどめさせたまはず、ごらんじだにおくらぬおぼつかなさを、いふかたなくおもほさる。いとにほひやかにうつくしげなるひとの、いたうおもやせて、いとあはれとものをおもひしみながら、ことにいでてもきこえやらず、あるかなきかにきえいりつつものしたまふをごらんずるに、きしかたゆくすゑおぼしめされず、よろづのことをなくなくちぎりのたまはすれど、おほんいらへもえきこえたまはず、まみなどもいとたゆげにて、いとどなよなよと、われかのけしきにてふしたれば、いかさまにとおぼしめしまどはる。てぐるまのせんじなどのたまはせても、またいらせたまひて、さらにえゆるさせたまはず。</行>
<行 no="3">"かぎりあらんみちにも、おくれさきだたじと、ちぎらせたまひけるを。さ'りとも、うちすてては、えゆきやらじ"</行>
<行 no="4">とのたまはするを、をんなもいといみじと、みたてまつりて、</行>
<行 no="5">"かぎりとてわかるるみちのかなしきに</行>
<行 no="6">いかまほしきはいのちなりけり</行>
<行 no="7">いとかくおもひたまへましかば"</行>
<行 no="8">と、いきもたえつつ、きこえまほしげなることはありげなれど、いとくるしげにたゆげなれば、かくながら、ともかくもならんをごらんじはてんとおぼしめすに、"けふはじむべきいのりども、さ'るべきひとびとうけたまはれる、こよひより"と、きこえいそがせば、わりなくおもほしながらまかでさせたまふ。</行>
<行 no="9">おほんむねつとふたがりて、つゆまどろまれず、あかしかねさせたまふ。おほんつかひのゆきかふほどもなきに、なほいぶせさをかぎりなくのたまはせつるを、"よなかうちすぐるほどになんたえはてたまひぬる"とてなきさわげば、おほんつかひもいとあへなくてかへりまゐりぬ。きこしめすみこころまどひ、なにごともおぼしめしわかれず、こもりおはします。</行>
<行 no="10">みこは、かくてもいとごらんぜまほしけれど、かかるほどにさぶらひたまふ、れいなきことなれば、まかでたまひなんとす。なにごとかあらんともおぼしたらず、さぶらふひとびとのなきまどひ、うへもおほんなみだのひまなくながれおはしますを、あやしとみたてまつりたまへるを、よろしきことにだに、かかるわかれのかなしからぬはなきわざなるを、ましてあはれにいふかひなし。</行>
</段>
<段 no="5" name="第五段　故御息所の葬送">
<行 no="1">かぎりあれば、れいのさほふにをさめたてまつるを、ははきたのかた、おなじけぶりにのぼりなんと、なきこがれたまひて、おほんおくりのにょうばうのくるまにしたひのりたまひて、おたぎといふところにいといかめしうそのさほふしたるに、おはしつきたるここち、いかばかりかはありけん。"むなしきおほんからをみるみる、なほおはするものとおもふが、いとかひなければ、はひになりたまはんをみたてまつりて、いまはなきひとと、ひたぶるにおもひなりなん"と、さかしうのたまひつれど、くるまよりもおちぬべうまろびたまへば、さはおもひつかしと、ひとびともてわづらひきこゆ。</行>
<行 no="2">うちよりおほんつかひあり。みつのくらゐおくりたまふよし、ちょくしきてそのせんみゃうよむなん、かなしきことなりけり。にょうごとだにいはせずなりぬるが、あかずくちをしうおぼさるれば、いまひときざみのくらゐをだにと、おくらせたまふなりけり。これにつけてもにくみたまふひとびとおほかり。ものおもひしりたまふは、さまかたちなどのめでたかりしこと、こころばせのなだらかにめやすく、にくみがたかりしことなど、いまぞおぼしいづる。さまあしきおほんもてなしゆゑこそ、すげなうそねみたまひしか、ひとがらのあはれになさけありしみこころを、うへのにょうばうなどもこひしのびあへり。なくてぞとは、かかるをりにやとみえたり。</行>
</段>
</章>
<章 no="2" name="第二章　父帝悲秋の物語">
<段 no="1" name="第一段　父帝悲しみの日々">
<行 no="1">はかなくひごろすぎて、のちのわざなどにもこまかにとぶらはせたまふ。ほどふるままに、せんかたなうかなしうおぼさるるに、おほんかたがたのおほんとのゐなどもたえてしたまはず、ただなみだにひちてあかしくらさせたまへば、みたてまつるひとさへつゆけきあきなり。"なきあとまで、ひとのむねあくまじかりけるひとのおほんおぼえかな"とぞ、こうきでんなどにはなほゆるしなうのたまひける。いちのみやをみたてまつらせたまふにも、わかみやのおほんこひしさのみおもほしいでつつ、したしきにょうばう、おほんめのとなどをつかはしつつ、ありさまをきこしめす。</行>
</段>
<段 no="2" name="第二段　靫負命婦の弔問">
<行 no="1">のわきたちて、にはかにはださむきゆふぐれのほど、つねよりもおぼしいづることおほくて、ゆげひのみゃうぶといふをつかはす。ゆふづくよのをかしきほどにいだしたてさせたまひて、やがてながめおはします。かうやうのをりは、おほんあそびなどせさせたまひしに、こころことなるもののねをかきならし、はかなくきこえいづることのはも、ひとよりはことなりしけはひかたちの、おもかげにつとそひておぼさるるにも、やみのうつつにはなほおとりけり。</行>
<行 no="2">みゃうぶ、かしこにま'でつきて、かどひきいるるより、けはひあはれなり。やもめずみなれど、ひとひとりのおほんかしづきに、とかくつくろひたてて、めやすきほどにてすぐしたまひつる、やみにくれてふししづみたまへるほどに、くさもたかくなり、のわきにいとどあれたるここちして、つきかげばかりぞやへむぐらにもさはらずさしいりたる。みなみおもてにおろして、ははぎみも、とみにえものものたまはず。</行>
<行 no="3">"いままでとまりはべるがいとうきを、かかるおほんつかひのよもぎふのつゆわけいりたまふにつけても、いとはづかしうなん。"</行>
<行 no="4">とて、げにえたふまじくないたまふ。</行>
<行 no="5">"'まゐりては、いとどこころぐるしう、こころぎももつくるやうになん'と、ないしのすけのそうしたまひしを、ものおもひたまへしらぬここちにも、げにこそいとしのびがたうはべりけれ。"</行>
<行 no="6">とて、ややためらひて、おほせごとつたへきこゆ。</行>
<行 no="7">"'しばしはゆめかとのみたどられしを、やうやうおもひしづまるにしも、さむべきかたなくたへがたきは、いかにすべきわざにかとも、とひあはすべきひとだになきを、しのびてはまゐりたまひなんやわかみやのいとおぼつかなく、つゆけきなかにすぐしたまふも、こころぐるしうおぼさるるを、とくまゐりたまへ'など、はかばかしうものたまはせやらず、むせかへらせたまひつつ、かつはひともこころよわくみたてまつるらんと、おぼしつつまぬにしもあらぬみけしきのこころぐるしさに、うけたまはりもはてぬやうにてなん、まかではべりぬる。"</行>
<行 no="8">とて、おほんふみたてまつる。</行>
<行 no="9">"めもみえはべらぬに、かくかしこきおほせごとをひかりにてなん。"とて、みたまふ。</行>
<行 no="10">"ほどへばすこしうちまぎるることもやと、まちすぐすつきひにそへて、いとしのびがたきはわりなきわざになん。いはけなきひとをいかにとおもひやりつつ、もろともにはぐくまぬおぼつかなさを。いまは、なほむかしのかたみになずらへて、ものしたまへ。"</行>
<行 no="11">など、こまやかにかかせたまへり。</行>
<行 no="12">"みやぎののつゆふきむすぶかぜのおとに</行>
<行 no="13">こはぎがもとをおもひこそやれ"</行>
<行 no="14">とあれど、えみたまひはてず。</行>
<行 no="15">"いのちながさの、いとつらうおもひたまへしらるるに、まつのおもはんことだに、はづかしうおもひたまへはべれば、ももしきにゆきかひはべらんことは、ましていとはばかりおほくなん。かしこきおほせごとをたびたびうけたまはりながら、みづからはえなんおもひたまへたつまじき。わかみやは、いかにおもほししるにか、まゐりたまはんことをのみなんおぼしいそぐめれば、ことわりにかなしうみたてまつりはべるなど、うちうちにおもひたまふるさまをそうしたまへ。ゆゆしきみにはべれば、かくておはしますも、いまいましうかたじけなくなん。"</行>
<行 no="16">とのたまふ。みやはおほとのごもりにけり。</行>
<行 no="17">"みたてまつりて、くはしうおほんありさまもそうしはべらまほしきを、まちおはしますらんに、よふけはべりぬべし。"とていそぐ。</行>
<行 no="18">"くれまどふこころのやみもたへがたきかたはしをだに、はるくばかりにきこえまほしうはべるを、わたくしにもこころのどかにまかでたまへ。としごろ、うれしくおもだたしきついでにてたちよりたまひしものを、かかるおほんせうそこにてみたてまつる、かへすがへすつれなきいのちにもはべるかな</行>
<行 no="19">むまれしときより、おもふこころありしひとにて、こだいなごん、いまはとなるまで、'ただ、このひとのみやづかへのほんい、かならずとげさせたてまつれ。われなくなりぬとて、くちをしうおもひくづほるな。'と、かへすがへすいさめおかれはべりしかば、はかばかしううしろみおもふひともなきまじらひは、なかなかなるべきこととおもひたまへながら、ただかのゆいごんをたがへじとばかりに、いだしたてはべりしを、みにあまるまでのみこころざしの、よろづにかたじけなきに、ひとげなきはぢをかくしつつ、まじらひたまふめりつるを、ひとのそねみふかくつもり、やすからぬことおほくなりそひはべりつるに、よこさまなるやうにて、つひにかくなりはべりぬれば、かへりてはつらくなん、かしこきみこころざしをおもひたまへられはべる。これもわりなきこころのやみになん。"</行>
<行 no="20">と、いひもやらずむせかへりたまふほどに、よもふけぬ。</行>
<行 no="21">"うへもしかなん。'わがみこころながら、あながちにひとめおどろくばかりおぼされしも、ながかるまじきなりけりと、いまはつらかりけるひとのちぎりになん。よにいささかもひとのこころをまげたることはあらじとおもふを、ただこのひとのゆゑにて、あまたさるまじきひとのうらみをおひしはてはては、かううちすてられて、こころをさめんかたなきに、いとどひとわろうかたくなになりはつるも、さきのよゆかしうなん。'とうちかへしつつ、おほんしほたれがちにのみおはします。"とかたりてつきせず。なくなく、"よいたうふけぬれば、こよひすぐさず、おほんかへりそうせん"といそぎまゐる。</行>
<行 no="22">つきはいりがたの、そらきようすみわたれるに、かぜいとすずしくなりて、くさむらのむしのこゑごゑもよほしがほなるも、いとたちはなれにくきくさのもとなり。</行>
<行 no="23">"すずむしのこゑのかぎりをつくしても</行>
<行 no="24">ながきよあかずふるなみだかな"</行>
<行 no="25">えものりやらず。</行>
<行 no="26">"いとどしくむしのねしげきあさぢふに</行>
<行 no="27">つゆおきそふるくものうへびと</行>
<行 no="28">かごともきこえつべくなん。"</行>
<行 no="29">といはせたまふ。をかしきおほんおくりものなどあるべきをりにもあらねば、ただかのおほんかたみにとて、かかるようもやとのこしたまへりけるおほんしゃうぞくひとくだり、みぐしあげのてうどめくものそへたまふ。</行>
<行 no="30">わかきひとびと、かなしきことはさらにもいはず、うちわたりをあさゆふにならひて、いとさうざうしく、うへのおほんありさまなどおもひいできこゆれば、とくまゐりたまはんことをそそのかしきこゆれど、"かくいまいましきみのそひたてまつらんも、いとひとぎきうかるべし、また、みたてまつらでしばしもあらんは、いとうしろめたう"おもひきこえたまひて、すがすがともえまゐらせたてまつりたまはぬなりけり。</行>
</段>
<段 no="3" name="第三段　命婦帰参">
<行 no="1">みゃうぶは、"まだおほとのごもらせたまはざりける"と、あはれにみたてまつる。おまへのつぼせんざいのいとおもしろきさかりなるをごらんずるやうにて、しのびやかにこころにくきかぎりのにょうばうし、ごにんさぶらはせたまひて、おほんものがたりせさせたまふなりけり。このころ、あけくれごらんずるちゃうごんかのおほんゑ、ていじのゐんのかかせたまひて、いせ、つらゆきによませたまへる、やまとことのはをも、もろこしのうたをも、ただそのすぢをぞ、まくらごとにせさせたまふ。いとこまやかにありさまとはせたまふ。あはれなりつることしのびやかにそうす。おほんかへりごらんずれば、</行>
<行 no="2">"いともかしこきはおきどころもはべらず。かかるおほせごとにつけても、かきくらすみだりごこちになん。</行>
<行 no="3">あらきかぜふせぎしかげのかれしより</行>
<行 no="4">こはぎがうへぞしづこころなき"</行>
<行 no="5">などやうにみだりがはしきを、こころをさめざりけるほどとごらんじゆるすべし。いとかうしもみえじと、おぼししづむれど、さらにえしのびあへさせたまはず、ごらんじはじめしとしつきのことさへかきあつめ、よろづにおぼしつづけられて、"ときのまもおぼつかなかりしを、かくてもつきひはへにけり。"と、あさましうおぼしめさる。</行>
<行 no="6">"こだいなごんのゆいごんあやまたず、みやづかへのほ'いふかくものしたりしよろこびは、かひあるさまにとこそおもひわたりつれ。いふかひなしや"とうちのたまはせて、いとあはれにおぼしやる。"かくても、おのづからわかみやなどおひいでたまはば、さるべきついでもありなん。いのちながくとこそおもひねんぜめ。"</行>
<行 no="7">などのたまはす。かのおくりものごらんぜさす。"なきひとのすみかたづねいでたりけんしるしのかんざしならましかば。"とおもほすもいとかひなし。</行>
<行 no="8">"たづねゆくまぼろしもがなつてにても</行>
<行 no="9">たまのありかをそことしるべく"</行>
<行 no="10">ゑにかけるやうきひのかたちは、いみじきゑしといへども、ふでかぎりありければいとにほひすくなし。"たいえきのふようびおうのやなぎ"も、げにかよひたりしかたちを、からめいたるよそひはうるはしうこそありけめ、なつかしうらうたげなりしをおぼしいづるに、はなとりのいろにもねにもよそふべきかたぞなき。あさゆふのことぐさに、"はねをならべ、えだをかはさん"とちぎらせたまひしに、かなはざりけるいのちのほどぞ、つきせずうらめしき。</行>
<行 no="11">かぜのおと、むしのねにつけて、もののみかなしうおぼさるるに、こうきでんには、ひさしくうへのみつぼねにもなうのぼりたまはず、つきのおもしろきに、よふくるまであそびをぞしたまふなる。いとすさまじう、ものしときこしめす。このごろのみけしきをみたてまつるうへびと、にょうばうなどは、かたはらいたしとききけり。いとおしたちかどかどしきところものしたまふおほんかたにて、ことにもあらずおぼしけちてもてなしたまふなるべし。つきもいりぬ。</行>
<行 no="12">"くものうへもなみだにくるるあきのつき</行>
<行 no="13">いかですむらんあさぢふのやど"</行>
<行 no="14">おぼしめしやりつつ、ともしびをかかげつくしておきおはします。うこんのつかさのとのゐまうしのこゑきこゆるは、うしになりぬるなるべし。ひとめをおぼして、よるのおとどにいらせたまひても、まどろませたまふことかたし。あしたにおきさせたまふとても、"あくるもしらで"とおぼしいづるにも、なほあさまつりごとはおこたらせたまひぬべか'めり。</行>
<行 no="15">ものなどもきこしめさず、あさがれひのけしきばかりふれさせたまひて、だいしゃうじのおものなどは、いとはるかにおぼしめしたれば、はいぜんにさぶらふかぎりは、こころぐるしきみけしきをみたてまつりなげく。すべて、ちかうさぶらふかぎりは、をとこをんな、"いとわりなきわざかな"といひあはせつつなげく。"さるべきちぎりこそはおはしましけめ。そこらのひとのそしり、うらみをもはばからせたまはず、このおほんことにふれたることをば、だうりをもうしなはせたまひ、いまはた、かくよのなかのことをも、おもほしすてたるやうになりゆくは、いとたいだいしきわざなり。"と、ひとのみかどのためしまでひきいで、ささめきなげきけり。</行>
</段>
</章>
<章 no="3" name="第三章　光る源氏の物語">
<段 no="1" name="第一段　若宮参内（四歳）">
<行 no="1">つきひへて、わかみやまゐりたまひぬ。いとどこのよのものならずきよらにおよすけたまへれば、いとゆゆしうおぼしたり。</行>
<行 no="2">あくるとしのはる、ばうさだまりたまふにも、いとひきこさまほしうおぼせど、おほんうしろみすべきひともなく、またよのうけひくまじきことなりければ、なかなかあやふくおぼしはばかりて、いろにもいださせたまはずなりぬるを、"さばかりおぼしたれど、かぎりこそありけれ"と、よひともきこえ、にょうごもみこころおちゐたまひぬ。</行>
<行 no="3">かのおほんおばきたのかた、なぐさむかたなくおぼししづみて、おはすらんところにだにたづねゆかんとねがひたまひししるしにや、つひにうせたまひぬれば、またこれをかなしびおぼすことかぎりなし。みこむつになりたまふとしなれば、このたびはおぼししりてこひなきたまふ。としごろなれむつびきこえたまひつるを、みたてまつりおくかなしびをなん、かへすがへすのたまひける。</行>
</段>
<段 no="2" name="第二段　読書始め（七歳）">
<行 no="1">いまはうちにのみさぶらひたまふ。ななつになりたまへば、ふみはじめなどせさせたまひて、よにしらずさとうかしこくおはすれば、あまりおそろしきまでごらんず。</行>
<行 no="2">"いまはたれもたれもえにくみたまはじ。ははぎみなくてだにらうたうしたまへ。"とて、こうきでんなどにもわたらせたまふおほんともには、やがてみすのうちにいれたてまつりたまふ。いみじきもののふ、あたかたきなりとも、みてはうちゑまれぬべきさまのしたまへれば、えさしはなちたまはず。をんなみこたちふたところ、このおほんはらにおはしませど、なずらひたまふべきだにぞなかりける。おほんかたがたもかくれたまはず、いまよりなまめかしうはづかしげにおはすれば、いとをかしううちとけぬあそびぐさに、たれもたれもおもひきこえたまへり。</行>
<行 no="3">わざとのごがくもんはさるものにて、ことふえのねにもくもゐをひびかし、すべていひつづけば、ことごとしう、うたてぞなりぬべきひとのおほんさまなりける。</行>
</段>
<段 no="3" name="第三段　高麗人の観相、源姓賜わる">
<行 no="1">そのころ、こまうどのまゐれるなかに、かしこきさうにんありけるをきこしめして、みやのうちにめさんことは、うだのみかどのおほんいましめあれば、いみじうしのびて、このみこをこうろkわんにつかはしたり。おほんうしろみだちてつかうまつるうだいべんのこのやうにおもはせてゐてたてまつるに、さうにんおどろきて、あまたたびかたぶきあやしぶ。</行>
<行 no="2">"くにのおやとなりて、ていわうのかみなきくらゐにのぼるべきさうおはしますひとの、そなたにてみれば、みだれうれふることやあらんおほやけのかためとなりて、あめのしたをたすくるかたにてみれば、またそのさうたがふべし。"といふ。</行>
<行 no="3">べんも、いとざえかしこきはかせにて、いひかはしたることどもなん、いときょうありける。ふみなどつくりかはして、けふあすかへりさりなんとするに、かくありがたきひとにたいめんしたるよろこび、かへりてはかなしかるべきこころばへをおもしろくつくりたるに、みこもいとあはれなるくをつくりたまへるを、かぎりなうめでたてまつりて、いみじきおくりものどもをささげたてまつる。おほやけよりもおほくのものたまはす。</行>
<行 no="4">おのづからことひろごりて、もらさせたまはねど、とうぐうのおほぢおとどなど、いかなることにかとおぼしうたがひてなんありける。</行>
<行 no="5">みかど、かしこきみこころに、やまとさうをおほせて、おぼしよりにけるすぢなれば、いままでこのきみをみこにもなさせたまはざりけるを、"さうにんはまことにかしこかりけり。"とおぼして、"むほんのしんわうのげしゃくのよせなきにてはただよはさじ。わがみよもいとさだめなきを、ただうどにておほやけのおほんうしろみをするなん、ゆくさきもたのもしげな'めること。"とおぼしさだめて、いよいよみちみちのざえをならはさせたまふ。</行>
<行 no="6">きはことにかしこくて、ただうどにはいとあたらしけれど、みことなりたまひなば、よのうたがひおひたまひぬべくものしたまへば、すくえうのかしこきみちのひとにかんがへさせたまふにも、おなじさまにまうせば、げんじになしたてまつるべくおぼしおきてたり。</行>
</段>
<段 no="4" name="第四段　先代の四宮（藤壺）入内">
<行 no="1">としつきにそへて、みやすんどころのおほんことをおぼしわするるをりなし。"なぐさむや"と、さ'るべきひとびとまゐらせたまへど、"なずらひにおぼさるるだにいとかたきよかな"と、うとましうのみよろづにおぼしなりぬるに、せんだいのしのみやの、おほんかたちすぐれたまへるきこえたかくおはします、ははぎさきよになくかしづききこえたまふを、うへにさぶらふないしのすけは、せんだいのおほんときのひとにて、かのみやにもしたしうまゐりなれたりければ、いはけなくおはしまししときよりみたてまつり、いまもほのみたてまつりて、"うせたまひにしみやすんどころのおほんかたちににたまへるひとを、さんだいのみやづかへにつたはりぬるに、えみたてまつりつけぬを、きさいのみやのひめみやこそいとようおぼえておひいでさせたまへりけれ。ありがたきおほんかたちびとになん。"とそうしけるに、"まことにや"と、みこころとまりて、ねんごろにきこえさせたまひけり。</行>
<行 no="2">ははぎさき、"あなおそろしやとうぐうのにょうごのいとさがなくて、きりつぼのかういの、あらはにはかなくもてなされにしためしもゆゆしう。"と、おぼしつつみて、すがすがしうもおぼしたたざりけるほどに、きさきもうせたまひぬ。</行>
<行 no="3">こころぼそきさまにておはしますに、"ただ、わがをんなみこたちのおなじつらにおもひきこえん。"と、いとねんごろにきこえさせたまふ。さぶらふひとびと、おほんうしろみたち、おほんせうとのひゃうぶきゃうのみこなど、"かくこころぼそくておはしまさんよりは、うちずみせさせたまひて、みこころもなぐさむべく。"などおぼしなりて、まゐらせたてまつりたまへり。</行>
<行 no="4">ふぢつぼときこゆ。げに、おほんかたちありさまあやしきまでぞおぼえたまへる。これは、ひとのおほんきはまさりて、おもひなしめでたく、ひともえおとしめきこえたまはねば、うけばりてあかぬことなし。かれは、ひとのゆるしきこえざりしに、みこころざしあやにくなりしぞかし。おぼしまぎるとはなけれど、おのづからみこころうつろひて、こよなうおぼしなぐさむやうなるも、あはれなるわざなりけり。</行>
</段>
<段 no="5" name="第五段　源氏、藤壺を思慕">
<行 no="1">げんじのきみは、おほんあたりさりたまはぬを、ましてしげくわたらせたまふおほんかたは、えはぢあへたまはず。いづれのおほんかたも、われひとにおとらんとおぼいたるやはある、とりどりにいとめでたけれど、うちおとなびたまへるに、いとわかううつくしげにて、せちにかくれたまへど、おのづからもりみたてまつる。</行>
<行 no="2">ははみやすんどころも、かげだにおぼえたまはぬを、"いとようにたまへり"と、ないしのすけのきこえけるを、わかきみここちにいとあはれとおもひきこえたまひて、つねにまゐらまほしく、"なづさひみたててまつらばや"とおぼえたまふ。</行>
<行 no="3">うへもかぎりなきおほんおもひどちにて、"なうとみたまひそ。あやしくよそへきこえつべきここちなんする。なめしとおぼさで、らうたくしたまへ。つらつき、まみなどは、いとようにたりしゆゑ、かよひてみえたまふも、にげなからずなん。"などきこえつけたまへれば、をさなごこちにも、はかなきはなもみぢにつけてもこころざしをみえたてまつる。こよなうこころよせきこえたまへれば、こうきでんのにょうご、またこのみやともおほんなかそばそばしきゆゑ、うちそへてもとよりのにくさもたちいでて、ものしとおぼしたり。</行>
<行 no="4">よにたぐひなしとみたてまつりたまひ、なだかうおはするみやのおほんかたちにも、なほにほはしさはたとへんかたなく、うつくしげなるを、よのひと、"ひかるきみ"ときこゆ。ふぢつぼならびたまひて、おほんおぼえもとりどりなれば、"かかやくひのみや"ときこゆ。</行>
</段>
<段 no="6" name="第六段　源氏元服（十二歳）">
<行 no="1">このきみのおほんわらはすがた、いとかへまうくおぼせど、じふににてごげんぷくしたまふ。ゐたちおぼしいとなみて、かぎりあることにことをそへさせたまふ。</行>
<行 no="2">ひととせのとうぐうのごげんぷく、な'でんにてありしぎしき、よそほしかりしおほんひびきにおとさせたまはず。ところどころのきゃうなど、くらづかさ、こくさうゐんなど、おほやけごとにつかうまつれる、おろそかなることもぞと、とりわきおほせごとありて、きよらをつくしてつかうまつれり。</行>
<行 no="3">おはしますでんのひんがしのひさし、ひんがしむきにいしたてて、kわんざのござ、ひきいれのおとどのござ、おまへにあり。さるのときにてげんじまゐりたまふ。みづらゆひたまへるつらつき、かほのにほひ、さまかへたまはんことをしげなり。おほくらきゃう、くらびとつかうまつる。いときよらなるみぐしをそぐほど、こころぐるしげなるを、うへは、"みやすんどころのみましかば。"と、おぼしいづるに、たへがたきを、こころづよくねんじかへさせたまふ。</行>
<行 no="4">かうぶりしたまひて、おほんやすみどころにまかでたまひて、おほんぞたてまつりかへて、おりてはいしたてまつりたまふさまに、みなひとなみだおとしたまふ。みかどはた、ましてえしのびあへたまはず、おぼしまぎるるをりもありつるむかしのこと、とりかへしかなしくおぼさる。いとかうきびはなるほどは、あげおとりやとうたがはしくおぼされつるを、あさましううつくしげさそひたまへり。</行>
<行 no="5">ひきいれのおとどのみこばらにただひとりかしづきたまふおほんむすめ、とうぐうよりもみけしきあるを、おぼしわづらふことありける、このきみにたてまつらんのみこころなりけり。うちにも、みけしきたまはらせたまへりければ、"さ'らば、このをりのうしろみなか'めるを、そひぶしにも。"ともよほさせたまひければ、さおぼしたり。</行>
<行 no="6">さぶらひにまかでたまひて、ひとびとおほみきなどまゐるほど、みこたちのおほんざのすゑにげんじつきたまへり。おとどけしきばみきこえたまふことあれど、もののつつましきほどにて、ともかくもあへしらひきこえたまはず。</行>
<行 no="7">おまへより、ないし、せんじうけたまはりつたへて、おとどまゐりたまふべきめしあれば、まゐりたまふ。おほんろくのもの、うへのみゃうぶとりてたまふ。しろきおほうちきにおほんぞひとくだり、れいのことなり。</行>
<行 no="8">おほんさかづきのついでに、</行>
<行 no="9">"いときなきはつもとゆひにながきよを</行>
<行 no="10">ちぎるこころはむすびこめつや"</行>
<行 no="11">みこころばへありて、おどろかさせたまふ。</行>
<行 no="12">"むすびつるこころもふかきもとゆひに</行>
<行 no="13">こきむらさきのいろしあせずは"</行>
<行 no="14">とそうして、ながはしよりおりてぶたふしたまふ。</行>
<行 no="15">ひだりのつかさのおほんむま、くらうどどころのたかすゑてたまはりたまふ。みはしのもとにみこたちかんだちめつらねて、ろくどもしなじなにたまはりたまふ。</行>
<行 no="16">そのひのおまへのをりびつもの、こものなど、うだいべんなんうけたまはりてつかうまつらせける。とんじき、ろくのからびつどもなど、ところせきまで、とうぐうのごげんぷくのをりにもかずまされり。なかなかかぎりもなくいかめしうなん。</行>
</段>
<段 no="7" name="第七段　源氏、左大臣家の娘（葵上）と結婚">
<行 no="1">そのよ、おとどのおほんさとにげんじのきみまかでさせたまふ。さほふよにめづらしきまで、もてかしづききこえたまへり。いときびはにておはしたるを、ゆゆしううつくしとおもひきこえたまへり。をんなぎみはすこしすぐしたまへるほどに、いとわかうおはすれば、にげなくはづかしとおぼいたり。</行>
<行 no="2">このおとどのおほんおぼえいとやんごとなきに、ははみや、うちのひとつきさいばらになんおはしければ、いづかたにつけてもいとはなやかなるに、このきみさへかくおはしそひぬれば、とうぐうのおほんおほぢにて、つひによのなかをしりたまふべきみぎのおとどのおほんいきほいは、ものにもあらずおされたまへり。</行>
<行 no="3">みこどもあまたはらばらにものしたまふ。みやのおほんはらは、くらうどのせうしゃうにていとわかうをかしきを、みぎのおとどの、おほんなかはいとよからねど、えみすぐしたまはで、かしづきたまふしのきみにあはせたまへり。おとらずもてかしづきたるは、あらまほしきおほんあはひどもになん。</行>
<行 no="4">げんじのきみは、うへのつねにめしまつはせば、こころやすくさとずみもえしたまはず。こころのうちには、ただふぢつぼのおほんありさまを、たぐひなしとおもひきこえて、"さやうならんひとをこそみめ。にるひとなくもおはしけるかなおほいどののきみ、いとをかしげにかしづかれたるひととはみゆれど、こころにもつかず。"おぼえたまひて、をさなきほどのこころひとつにかかりて、いとくるしきまでぞおはしける。</行>
</段>
<段 no="8" name="第八段　源氏、成人の後">
<行 no="1">おとなになりたまひてのちは、ありしやうにみすのうちにもいれたまはず。おほんあそびのをりをり、ことふえのねにきこえかよひ、ほのかなるおほんこゑをなぐさめにて、うちずみのみこのましうおぼえたまふ。いつかむいかさぶらひたまひて、おほいどのにふつかみかなど、たえだえにまかでたまへど、ただいまは、をさなきおほんほどに、つみなくおぼしなして、いとなみかしづききこえたまふ。</行>
<行 no="2">おほんかたがたのひとびと、よのなかにおしなべたらぬをえりととのへすぐりてさぶらはせたまふ。みこころにつくべきおほんあそびをし、おほなおほなおぼしいたつく。</行>
<行 no="3">うちには、もとのしげいしゃをおほんざうしにて、ははみやすんどころのおほんかたのひとびとまかでちらずさぶらはせたまふ。</行>
<行 no="4">さとのとのは、しゅりしき、たくみづかさにせんじくだりて、になうあらためつくらせたまふ。もとのこだち、やまのたたずまひ、おもしろきところなりけるを、いけのこころひろくしなして、めでたくつくりののしる。</行>
<行 no="5">"かかるところにおもふやうならんひとをすゑてすまばや"とのみ、なげかしうおぼしわたる。</行>
<行 no="6">"ひかるきみといふなは、こまうどのめできこえてつけたてまつりける。"とぞ、いひつたへたるとなん。</行>
</段>
</章>
</帖>
</テキスト>
<notes for="本文">
<帖 no="01" name="桐壺" type="コメント:注釈">
<章 no="1" name="第一章　光る源氏前史の物語">
<段 no="1" name="第一段　父帝と母桐壺更衣の物語">
<注釈 id="注釈1" pos="1:0-8" kw="いづれの御時にか">「御」は「おほむ」と読む。「御　オヽム　オホム」（色葉字類抄〔院政期〕）。「御時」は、ご治世の意味。「帝の」の意が省略されている。係助詞「か」（疑問の意、自問のニュアンス）は下に「ありけむ」などの語句が省略された形。 </注釈>
<注釈 id="注釈2" pos="1:9-14" kw="女御、更衣">この物語では、「女御（にようご）」は大臣（従二位）や親王の娘が、「更衣（かうい）」には大納言（正三位）以下の殿上人（昇殿を許された五位及び六位蔵人）以上の娘がなる。皇后または中宮について触れられていないことは、まだそれが空位であることをほのめかす。 </注釈>
<注釈 id="注釈3" pos="1:17-29" kw="さぶらひたまひけるなかに">「さぶらふ」は「あり」の謙譲語。お仕えする。伺候する。尊敬の補助動詞「たまふ」（四段）は「女御」にあわせて付けられたもの。 </注釈>
<注釈 id="注釈4" pos="1:30-45" kw="いとやむごとなき際にはあらぬが">「いと---ぬ」（打消の助動詞）は、「たいして--ではない」の意になる。「ぬ」は打消の助動詞「ず」の連体形。「が」（格助詞）は主格の意で、以下の「時めきたまふ」の主語となるので、その間に「方」などの語が省略された形。文脈上、「--で」と同格のようになる。 </注釈>
<注釈 id="注釈5" pos="1:50-60" kw="時めきたまふありけり">「たまふ」（連体形）の下には、「方」などの語が省略されている。『新大系』は「「ありけり」は竹取物語や伊勢物語の冒頭部にも見え、「おったという」あるいは「今にありきたる」と、人物の登場を示す言い回し。桐壺更衣の紹介である」と注す。「けり」（過去の助動詞）は、同じく過去の助動詞「き」がその事象が過去にあったことまたはその人にとって過去に体験されたことなどを表すことに重点があるのに対して、過去の事象や記憶というものを現在に呼び起こし、それをそうと認識するとともにまた他人の前にそれをそうと提示しようとする意識の反映があることに重点のある表現である。「寵愛を蒙っていらっしゃる人がいたのである」というニュアンス。そして、以下の文章は、「けり」の付かない、いわゆる現在時制で語られていくというしくみである。 </注釈>
<注釈 id="注釈6" pos="2:0-5" kw="はじめより">入内当初から。 </注釈>
<注釈 id="注釈7" pos="2:8-21" kw="思ひ上がりたまへる御方がた">「思ひ上がる」は「古くは、自惚れる、つけ上がるの意はなく、誇りを高く持って、低俗なるものを排し、より高貴であろうとする意欲を持つ意に用いられた」（小学館古語大辞典）。「御方がた」は女御たちをさす。 </注釈>
<注釈 id="注釈8" pos="2:22-39" kw="めざましきものにおとしめ嫉みたまふ">目的語は「いとやむごとなき際にはあらぬがすぐれて時めきたまふ」方を。以下、助動詞「けり」を伴わない文が続き、一気に物語の渦中に入る。 </注釈>
<注釈 id="注釈9" pos="2:40-56" kw="同じほど、それより下臈の更衣たち">この物語の女主人公は中臈以上の更衣と知られる。 </注釈>
<注釈 id="注釈10" pos="2:58-61" kw="まして">「やすからず」の度合についていう。女御たち以上に心穏やかでない。女御たちのような寵愛を期待できないからである。 </注釈>
<注釈 id="注釈11" pos="2:67-78" kw="朝夕の宮仕へにつけても">「明ければ退下、暮れればまた参上とお側仕へをするにつけても」（今泉忠義訳）。帝の寝所に侍ること。「入内」（宮中に入ること、すなわち結婚）を「宮仕へ」といった。 </注釈>
<注釈 id="注釈12" pos="2:89-103" kw="恨みを負ふ積もりにやありけむ">「負ふ」（連体形）＋「積もり」（名詞）。「恨みを負うことが、積もり積もった」という意。『休聞抄』は「あしかれと思はぬ山の峰にだにおふなる物を人の嘆きは」（悪いやつだと思ってもいない山の峰にさえ人の嘆き（＝木）は生えると言いうのに）（詞花集雑上　三三二 和泉式部）を指摘したが、別本の陽明文庫本には「うらみ」に対して「なけき」という異文があり、それならばことばが一致する。 【積もりにやありけむ】−「に」（断定の助動詞）、「や」（係助詞、疑問）、「けむ」（過去推量の助動詞）、「積もり積もったのであろうか」の推量する人は、語り手。前の「恨みを負う」までが、物語の伝承的事実。「にやありけむ」は、この物語筆記編集者の物語世界に対する推量。読点で区切って文意の相違を示した。 </注釈>
<注釈 id="注釈13" pos="2:106-109" kw="篤しく">衰弱がひどいさま。明融臨模本は「異例也」という注記と「つ」の左下に後世の筆になる濁点を表す二つの丸印が付いている。『岩波古語辞典』では、「金剛般若経集験記」の平安初期訓「アツシ」の他に院政期の「三蔵法師伝点」と『名義抄』の訓点「アヅシ」を掲載し、「その頃、アヅシの形もあった」と指摘。『小学館古語大辞典』でも「当時第二音節は濁音であったようだ」と記す。『古典セレクション』では「あつしく」と読むが、『新大系』では「あづしく」と読む。 </注釈>
<注釈 id="注釈14" pos="2:127-146" kw="いよいよあかずあはれなるものに思ほして">主語は帝。 </注釈>
<校訂 id="校訂01" pos="2:149-154" kw="そしりをも">そしりをも--そしりをも（も/=も）</校訂>
<注釈 id="注釈15" pos="2:154-162" kw="え憚らせたまはず">副詞「え」は下に打消の語を伴って、不可能の意を表す。「せたまはず」は帝に対して用いられた最高敬語。 </注釈>
<注釈 id="注釈16" pos="2:170-175" kw="なりぬべき">「ぬ」（完了の助動詞、確述）＋「べし」（推量の助動詞、推量）、「きっとなってしまいそうな」の意。予想される結果や事態が無作為的・自然的に起こるニュアンス。 </注釈>
<注釈 id="注釈17" pos="3:0-6" kw="上達部、上人">「上達部（かんだちめ）」は大臣・大中納言・参議および三位以上の人。「上人（うへびと）」は殿上人のことで、清涼殿の殿上の間に上がることを許された人。さらに院の御所・春宮御所に上がることを許された人をもいう。普通、上達部以外の四位・五位の者の一部、六位の蔵人をいう。 </注釈>
<注釈 id="注釈18" pos="3:10-20" kw="あいなく目を側めつつ">「あいなく」（本来何の関係もないのに、の意）は、この物語筆記編集者の感想が交えられた表現。『異本紫明抄』は「目を側め」の表現に「京師長吏為之側目」＜京師の長吏之が為に目を側む＞（白氏文集巻第十二　長恨歌伝　陳鴻）を指摘。「そばめ」は、横目で睨む意と視線を逸らす意とがある。ここでは横目でちらりと注視したり、あるいは目を逸らしたり、という両義があろう。 </注釈>
<詞 id="詞1" pos="3:22-65" kw="いとまばゆき人の御おぼえなり。唐土にも、かかる事の起こりにこそ、世も乱れ、悪しかりけれ">
<注釈 id="注釈19" pos="3:22-28" kw="いとまばゆき">以下「悪しかりけれ」まで、上達部や殿上人の噂。 </注釈>
<注釈 id="注釈20" pos="3:28-36" kw="人の御おぼえなり">「御おぼえの人なり」と同じだが、特に「御おほえ」を強調させた表現。 </注釈>
<注釈 id="注釈21" pos="3:37-65" kw="唐土にも、かかる事の起こりにこそ、世も乱れ、悪しかりけれ">