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渋谷栄一注釈
  

若 紫


 [底本]
財団法人古代学協会・古代学研究所編 角田文衛・室伏信助監修『大島本 源氏物語』第一巻 一九九六年 角川書店
 [参考文献]
池田亀鑑編著『源氏物語大成』第一巻「校異篇」一九五六年 中央公論社
阿部秋生・秋山 虔・今井源衛・鈴木日出男校注・訳『古典セレクション 源氏物語』第二巻 一九九八年 小学館
柳井 滋・室伏信助・大朝雄二・鈴木日出男・藤井貞和・今西祐一郎校注『新日本古典文学大系 源氏物語』第一巻 一九九三年 岩波書店
阿部秋生・秋山 虔・今井源衛・鈴木日出男校注・訳『完訳日本の古典 源氏物語』第一巻 一九八三年 小学館
石田穣二・清水好子校注『新潮日本古典集成 源氏物語』第一巻 一九七六年 新潮社
阿部秋生・秋山 虔・今井源衛校注・訳『日本古典文学全集 源氏物語』第一巻 一九七〇年 小学館
玉上琢弥著『源氏物語評釈』第二巻 一九六五年 角川書店
山岸徳平校注『日本古典文学大系 源氏物語』第一巻 一九五八年 岩波書店
池田亀鑑校注『日本古典全書 源氏物語』第一巻 一九四六年 朝日新聞社
伊井春樹編『源氏物語引歌索引』一九七七年 笠間書院
榎本正純篇著『源氏物語の草子地 諸注と研究』一九八二年 笠間書院
 [本文について]
 本文は、定家本系統の最善本の大島本である。特に最終丁の五十九丁表の一面は藤原俊成の筆跡に似た字体である。藤本孝一氏は、藤原定家自筆本「土左日記」の帖末に定家が紀貫之自筆本「土左日記」の書体を臨模している例を根拠に、この定家本「若紫」帖末の一面も親本の書体を臨模したのではないかと見ておられる。そうすると、この大島本「若紫」は俊成本「源氏物語 若紫」帖を親本にしたものかとなる。また墨筆及び朱筆によって訂正跡を数多く残している。当帖の大島本は、奥入は有するが、付箋は伴わない。引き歌の存する箇所には朱合点を打って、行間に朱筆で書き入れている。
 [注釈]
第一章 紫上の物語 若紫の君登場、三月晦日から初夏四月までの物語
  1. 三月晦日、加持祈祷のため、北山に出向く---瘧病にわづらひたまひて
  2. 山の景色や地方の話に気を紛らす---すこし立ち出でつつ見渡したまへば
  3. 源氏、若紫の君を発見す---人なくて、つれづれなれば
  4. 若紫の君の素性を聞く---「あはれなる人を見つるかな
  5. 翌日、迎えの人々と共に帰京---明けゆく空は、いといたう霞みて
  6. 内裏と左大臣邸に参る---君は、まづ内裏に参りたまひて
  7. 北山へ手紙を贈る---またの日、御文たてまつれたまへり
第二章 藤壺の物語 夏の密通と妊娠の苦悩物語
  1. 夏四月の短夜の密通事件---藤壺の宮、悩みたまふことありて
  2. 妊娠三月となる---宮も、なほいと憂き身なりけりと
  3. 初秋七月に藤壺宮中に戻る---七月になりてぞ参りたまひける
第三章 紫上の物語(2) 若紫の君、源氏の二条院邸に盗み出される物語
  1. 紫の君、六条京極の邸に戻る---かの山寺の人は、よろしうなりて
  2. 尼君死去し寂寥と孤独の日々---十月に朱雀院の行幸あるべし
  3. 源氏、紫の君を盗み取る---君は大殿におはしけるに
 

第一章 紫上の物語 若紫の君登場、三月晦日から初夏四月までの物語

 [第一段 三月晦日、加持祈祷のため、北山に出向く]
【瘧病にわづらひたまひて】−大島本「わらハやミに・わ(わ+つ<朱>)らひ給て」とある。今から見れば明らかな「つ」の脱字であるが、大島本「若紫」にはもう1例「わらハやみにわ(わ+つ<朱墨>)らひ侍る越」(12丁表2行)と「つ」の脱字がある。大島本「若紫」の親本には「わらひたまひて」とあったものか。それを忠実に書写しながらも「つ」の誤脱と考えて朱筆で後から補入したものであろう。大島本「若紫」の親本の性格と朱筆訂正を考える上で重要な事例となる。主語は源氏。以下、途中会話文を挿入して、「まだ暁におはす」まで、くどくどと経緯を述べた冒頭文である。空蝉や夕顔と会った翌年の春三月晦。
【参らせたまへど】−「参ら」未然形(して差し上げる、謙譲の意を含む動詞)、使役の助動詞「せ」連用形、尊敬の補助動詞「たまへ」已然形。受手(源氏)尊敬で、おさせなさるが、の意になる。
【ある人】−以下会話文が挿入され、「など聞こゆれば」に係る。
【北山になむ、なにがし寺といふ所に】−以下「試みさせたまはめ」まで、「ある人」の言葉。実際は「何々寺」と実名を言ったものを、語り手がおぼめかして表現したもの。古来鞍馬寺や何々寺かとモデルが詮索されてきたが、漠然と北山方面にある行者が住んでいる寺というぐらいの意。わざと読む人それぞれが勝手にイメージしたり想定したりするように配慮した語り方。係助詞「なむ」は「はべる」連体形に係る、係結びの法則。
【まじなひわづらひしを】−過去の助動詞「し」連体形は「ある人」の身近な体験を語るニュアンス。
【あまたはべりき】−過去の助動詞「き」終止形も同じく身近な体験を語るニュアンス。
【うたてはべるを】−丁寧の補助動詞「はべる」連体形+接続助詞「を」順接、原因理由を表す。やっかいでございますから。
【とくこそ試みさせたまはめ】−係助詞「こそ」は推量の助動詞「め」已然形、適当の意に係る、係結びの法則。尊敬の助動詞「させ」連用形+尊敬の補助動詞「たまは」未然形、二重敬語。会話文中の用例。
【召しに遣はしたるに】−主語は源氏にもどる。源氏が「かしこき行ひ人」を。完了の助動詞「たる」連体形+接続助詞「に」弱い順接。--すると。
【老いかがまりて、室の外にもまかでず】−「かしこき行ひ人」の言葉を、使者が伝える。
【まかでず】−「まかづ」は「出る」の謙譲語。外出いたしません、というニュアンス。
【申したれば】−主語は使者。完了の助動詞「たれ」已然形+接続助詞「ば」順接の確定条件。この段は「たり」(完了の助動詞)を基調にして語られる。
【いかがはせむいと忍びてものせむ】−源氏の詞。「ものせむ」は、行こう、の意。
【やや深う入る所なりけり】−場面は北山に変わる。断定の助動詞「なり」連用形+過去の助動詞「けり」終止形。一転して簡潔な文章で情景描写も鮮明な表現へと変わる。
【三月のつごもりなれば】−季節が語られる。三月晦、晩春の山景。
【京の花盛りはみな過ぎにけり山の桜はまだ盛りにて】−「京の花」と「山の桜」とが対比された対句じたての文。完了の助動詞「に」連用形+過去の助動詞「けり」終止形。『異本紫明抄』は引歌として、「里はみな散り果てにしを足引の山の桜はまだ盛りなりけり」(玉葉集春下 二二七 躬恒)を指摘する。
【入りもておはするままに】−主語は源氏。「おはす」は「行く」の尊敬語。
【霞のたたずまひ】−春の景物として霞が描かれる。
【をかしう見ゆれば】−「をかしう見ゆれば」は「めづらしう思されけり」に続く。「かかるありさまも」から「御身にて」までは、源氏の体験や日常の生活状況を説明した挿入句。
【所狭き御身にて】−断定の助動詞「に」連用形。
【めづらしう思されけり】−「思さ」未然形は「思ふ」の尊敬表現。自発の助動詞「れ」連用形。過去の助動詞「けり」終止形。
【巖屋の中にぞ】−大島本は「いは(は+屋)の中にそ」とあり、墨筆による「屋」の補入がある。『大成』は「やハ補入シテミセケチニセリ」と注す。確かにDVD-ROMでその箇所を拡大して見れば「屋」の文字上に朱色が確認できる。指摘どおりミセケチであれば後に削除したとなろう。またあるいは最初朱書したのを再度重ねて「屋」と墨書したものであっても補入の意義は変わらない。御物本と横山本は「いはのなかにそ」とある。
【聖入りゐたりける】−大島本は「ゐ」と表記する。完了の助動詞「たり」連用形。過去の助動詞「ける」連体形、係助詞「ぞ」の係結びの法則。強調を表す。聖は岩屋の中に座っていたのであった、というニュアンス。源氏たち一行が見た描写。
【登りたまひて、誰とも知らせたまはず】−主語は源氏。
【あなかしこや】−以下「おはしましつらむ」まで、聖の詞。
【召しはべりしにやおはしますらむ】−「召しはべりし方にや」の意。断定の助動詞「に」連用形、係助詞「や」疑問の意、推量の助動詞「らむ」連体形に係る、係結びの法則。「おはします」は「おはす」よりさらに高い敬語表現。源氏の姿を眼前にしながら「らむ」(視界外推量)というのは、心理的距離感を表す。
【思ひたまへねば】−謙譲の補助動詞「たまへ」未然形+打消の助動詞「ね」已然形+接続助詞「ば」順接の確定条件を表す。
【捨て忘れてはべるを】−丁寧の補助動詞「はべる」連体形+接続助詞「を」逆接。
【いかでかうおはしましつらむ】−「おはします」は「おはす」より高い敬語表現。完了の助動詞「つ」終止形。推量の助動詞「らむ」連体形(原因推量)は、上に副詞「いかで」疑問の意があるので。
【うち笑みつつ見たてまつる】−主語は聖。源氏の姿を。
【いと尊き大徳なりけり】−『首書源氏物語』は「地」といわゆる「草子地」であると指摘。『評釈』も「男君の美を認める目は持ち続けたこの老僧に、作者は、読者とともに讃辞を呈している」と注す。
【すかせたてまつり】−『古典セレクション』は諸本に従って「すかせたてまつる」と終止形に改める。『集成』『新大系』は底本のまま。
 [第二段 山の景色や地方の話に気を紛らす]
【すこし立ち出でつつ】−主語は源氏。「つつ」は単に前件を後件につなぐ接続助詞。以下、再び長文が続く。ここは源氏一行の視点を通して語る。あたかもカメラの眼が移動しながら流れていくような描写である。
【見おろさるる】−語り手と源氏の目とが一体化した表現。可能の助動詞「るる」連体形。
【ただこのつづら折の下に】−以下「何人の住むにか」までを源氏の詞とみる説もある。
【うるはしくし渡して】−『集成』『古典セレクション』は諸本に従って「うるわしう」とウ音便形に改める。『新大系』は底本のまま。
【何人の住むにか】−源氏の詞。しかし、前の文章との関係から、源氏の詞を間接話法的に要約したものか。直接話法ならば、「ただこのつづら折の下に」からを源氏の詞とすべきだが、やや冗長で、語り手の説明的な感じが交じる。いずれにしても、地の文と会話文とが融合したような文章が続き、最後にはっきりと会話文的な文があるというもの。地の文がだんだんとせりあがっていき、ついに本人の詞となるという表現法。「住む」連体形、断定の助動詞「に」連用形、係助詞「か」疑問の意。
【御供なる人】−断定の助動詞「なる」連体形。「御供人」といわず「御供なる人」とわざわざもってまわった言い方をしている。
【これなむなにがし僧都の】−以下「方にはべるなる」まで、供人の返事。榊原家本と池田本は「なにかしのそうつ」とある。実際には実名を答えているのであるが、語り手がそれを「なにがし」と言い換えた。係助詞「なむ」は「なる」連体形に係る、係結びの法則。
【二年】−『集成』『古典セレクション』は諸本に従って「この二年」と改める。『新大系』は底本のままとする。
【籠もりはべる方にはべるなる】−前者の「はべる」は丁寧の補助動詞、連体形。後者の「はべる」は丁寧の動詞、連体形+伝聞推定の助動詞「なる」連体形、係結びの法則。
【心恥づかしき人】−以下「聞きもこそすれ」まで、源氏の詞。「心恥づかし」はこちらが気おくれするほど相手が立派だ、の意。
【住むなる所にこそあなれ】−マ四動詞「住む」終止形+伝聞推定の助動詞「なる」連体形。「あなれ」の「あ」はラ変動詞「ある」連体形の「る」が撥音便化しさらに無表記+伝聞推定の助動詞「なれ」已然形、係結びの法則。
【聞きもこそすれ】−連語「もこそ」(助詞「も」+係助詞「こそ」)懸念を表す。聞き付けられたら大変だ、困ったな、というニュアンス。サ変動詞「すれ」已然形。係結びの法則。
【かしこに女こそありけれ】−以下「いかなる人ならむ」まで、供人たちの詞。係助詞「こそ」、過去の助動詞「けれ」已然形、詠嘆の意、係結び。山奥の僧坊に女人がいることに対する驚きのニュアンスを表す。
【僧都はよもさやうには据ゑたまはじを】−副詞「よも」下に打消推量の語を伴って、まさか--まい、の意を表す。断定の助動詞「に」連用形。ワ下二動詞「据ゑ」連用形。尊敬の補助動詞「たまは」未然形。打消推量の助動詞「じ」連体形。接続助詞「を」逆接を表す。
【いかなる人ならむ】−断定の助動詞「なら」未然形、推量の助動詞「む」連体形、推量の意。
【をかしげなる】−以下「なむ見ゆる」まで、供人の詞。間接話法的にその要旨を述べたものか。『集成』は括弧を付けない。
【童女なむ見ゆる】−係助詞「なむ」--ヤ下二動詞「見ゆる」連体形、係結びの法則。
【行ひしたまひつつ】−接続助詞「つつ」動作の並行を表す。--しながらの意。「いかならむと思したるを」に続く。
【日たくるままに】−前に「日高くさし上がりぬ」とあった。時間の推移を表す。
【いかならむと思したるを】−完了の助動詞「たる」連体形、存続の意。接続助詞「を」弱い順接。
【とかう紛らはさせたまひて】−以下「なむよくはべる」まで、供人の詞。尊敬の助動詞「せ」連用形+尊敬の補助動詞「たまひ」連用形。二重敬語、会話文中の使用。
【思し入れぬなむ】−打消の助動詞「ぬ」連体形。係助詞「なむ」は「はべる」連体形に係る、係結び。
【と聞こゆれば】−ヤ下二「聞こゆれ」已然形+接続助詞「ば」順接の確定条件を表す。--ので。
【はるかに霞みわたりて】−以下「あらじかし」までを、源氏の詞とみる説(待井『文法全解』)もある。地の文から会話文(源氏の発言)へと移っていく文章である。
【絵にいとよくも似たるかな】−以下「あらじかし」まで源氏の、源氏の詞。『古典セレクション』『新大系』はここから詞とする。一方『集成』は「かかる所に住む人」以下を源氏の詞とし、「絵にいとよくも似たるかな」は地の文と解し「「かな」は、普通地の文には使われないが、ここは、見渡している源氏の気持をそのまま地の文としたものであろう」と注す。この絵は大和絵。神護寺蔵山水屏風などが参考になる。
【あらじかし】−ラ変「あら」未然形+打消推量の助動詞「じ」終止形+終助詞「かし」念押し、を表す。
【これはいと浅くはべり】−以下「なにがしの嶽」まで、供人の詞。
【御覧ぜさせてはべらば】−使役の助動詞「させ」連用形+接続助詞「て」+丁寧の補助動詞「はべら」未然形+接続助詞「ば」順接の仮定条件を表す。人をして(誰かが)源氏に(それらの景色を)御覧に入れさせましたならば、の意。
【富士の山なにがしの嶽】−「なにがしの嶽」は、古来浅間山かとされる。とすると、いずれも当時は噴煙を上げていた活火山である。
【西国】−底本の大島本には仮名表記で「にしくに」とある。
【紛らはしきこゆ】−主語は供人。謙譲の補助動詞「きこゆ」終止形。
【近き所には】−以下「人になむはべりける」まで、供人の詞。その内容から良清と呼ばれる人。
【明石の浦こそなほことにはべれ】−係助詞「こそ」--「はべれ」已然形、係結びの法則。強調の意。副詞「なほ」やはり。『古典セレクション』は「もともと名所だが、やはり格別で」と注す。「明石」は播磨国の歌枕。「あまさかる鄙(ひな)の長道(ながぢ)ゆ恋ひ来れば明石の門(と)より大和島見ゆ」(万葉集巻三)「ほのぼのと明石の浦の朝霧に島隠れ行く舟をしぞ思ふ」(古今集、羇旅)などが有名。
【女かしづきたる家】−完了の助動詞「たる」連体形、存続の意。娘を大切に育てているの意。娘の年齢に問題があるが、良清が求婚した経緯から、過去から今現在に続く話と解す。後に明石の御方と呼ばれる人。
【大臣の後にて】−後に、源氏の祖父按察使大納言(母桐壺更衣の父親)の兄に当たる人であることが「明石」巻で判明する。しかし、この巻でその構想があれば、源氏の縁者にあたる人の噂を以下に語るように何の考慮せずに語ったろうか、不審。
【出で立ちもすべかりける人の】−サ変「す」終止形+推量の助動詞「べかり」連用形、可能+過去の助動詞「ける」連体形、格助詞「の」主格を表す。できたはずの人がの意。「世のひがものにて」を挿入句として、以下の文の総主語のような形になっている。いかにも会話文的表現である。
【近衛の中将】−従四位下相当の官職。若い貴公子の京官(太政官)出世コース。一方、播磨守は従五位上相当の地方官(受領)。ただし、大国であり、物質的利益には大変に恵まれた国。実益は大いに期待できる。
【申し賜はれりける司なれど】−主語は「かの国の前の守」。「申し」連用形、謙譲語、「賜はれ」已然形、謙譲語、完了の助動詞「り」連用形、過去の助動詞「ける」連体形。断定の助動詞「なれ」已然形+接続助詞「ど」逆接の確定条件を表す。自分から申し出て頂戴した官職であるが、の意。
【かの国の人にもすこしあなづられて】−係助詞「も」同類を表す。都の人のみならず明石の住人からも。受身の助動詞「られ」連用形。
【何の面目にてかまた都にも帰らむ】−前播磨守の詞を引用。「何の--か--帰らむ」は反語表現。再び都には帰れないの意。
【頭も下ろしはべりにけるを】−丁寧の補助動詞「はべり」連用形、完了の助動詞「に」連用形、過去の助動詞「ける」連体形、接続助詞「を」逆接を表す。髪を下ろしてしまった、すなわち出家してしまった、のでございますが、の意。
【さる海づらに出でゐたる】−完了の助動詞「たる」連体形。上文を受け、それは、と下文に続ける。
【げに】−語り手の入道の出家生活に納得する気持ち。
【さも】−「さ」は「すこし奥まりたる山住み」をさす。
【籠もりゐぬべき所々はありながら】−完了の助動詞「ぬ」終止形、確述+推量の助動詞「べき」連体形、適当の意。籠もってしまうに相応しい所々はのニュアンス。
【思ひわびぬべきにより】−完了の助動詞「ぬ」終止形、確述、推量の助動詞「べき」連体形、当然の意。格助詞「に」起点を表す、ラ四「より」連用形。きっと心細がるにちがいないことによって、の意。
【見たまへに寄りてはべりしかば】−謙譲の補助動詞「たまへ」連用形、格助詞「に」動作の目的を表す。拝見するためにの意。過去の助動詞「しか」已然形+接続助詞「ば」--したところ、--であった、という構文。
【京にてこそ】−係助詞「こそ」は「やうなりけれ」已然形に係るが、係結びの逆接用法で、下文に続く。
【そこらはるかに】−『新大系』は「見渡す限りいっぱい大規模に土地を所有して造営しているさまは、の意。長者屋敷の感じがある」と注す。
【さは言へど】−「さ」は「かの国の人にもすこしあなづられ」をさす。
【さてその女は】−源氏の問い。接続詞「さて」話題転換を表す。
【けしうはあらず】−以下「遺言しおきてはべるなる」まで、良清の答え。
【容貌心ばせなどはべるなり】−「はべる」連体形(ラ変型活用)+伝聞推定の助動詞「なり」終止形。『例解古語辞典』ではこの例文をあげて「明石の入道という人物の娘の話を、光源氏に、家来が申しあげていることば。娘の容貌などが「けしうはあらず」とか、父入道が「遺言しおきて侍る」とかいうことは、直接知っていることではなくて、女房などからの話などで得ているものだということが、それぞれ「なり」「なる」を添えるということで明らかにされている。話し手はこれで責任のがれにもなるわけである。もし、「けしうはあらず侍り」とか、「遺言しおきて侍る」とか言えば、ことばの上では、直接知っている事がらと理解され、その言に責任をおわされてもやむをえないはずのところ」と解説する。「容貌心ばせなどけしうはあらずはべるなり」の倒置表現。
【代々の国の司など】−明石入道が国司を辞して後、播磨国の国司が二、三代交替する。国司の任期は四年だが必ずしも任期満了とは限らない。
【さる心ばへ見すなれど】−「さる心ばへ」とは求婚の意志をいう。伝聞推定の助動詞「なれ」已然形。
【さらにうけひかず】−副詞「さらに」は打消の助動詞「ず」終止形と呼応して、全然承知しないの意。
【我が身の】−以下「海に入りね」まで、前国司の詞を引用。
【かくいたづらに沈めるだにあるを】−連語「だにある」は副助詞「だに」+ラ変「ある」連体形の形。「ある」の前に無念であるなど語が省略されている形。落ちぶれているのさえ無念であるのに、の意。『新大系』は「明石巻、さらには若菜巻で明かされる大きな構想が早くもここにあるらしい」と指摘。しかし、それにしては明石の君の年齢や明石の入道の系譜などの点で不自然さがある。
【この人ひとりにこそあれ】−前の副助詞「だに」を受けて、「まして」の気持ちが加わる。「この人」は娘をさす。子供はこの娘一人だの意。期待するところの大きさをいう。『集成』『新大系』はこの文を、前後読点で、はさみ込まれた挿入句のごとく解す。『完訳』は前後句点で、独立した一文と解すが、『古典セレクション』では読点に改める。
【思ふさまことなり】−断定の助動詞「なり」終止形。
【宿世違はば海に入りね】−「違は」未然形+接続助詞「ば」仮定条件を表す。完了の助動詞「ね」命令形。
【しおきてはべるなる】−丁寧の補助動詞「はべる」連体形(ラ変型活用)+伝聞推定の助動詞「なる」連体形。連体中止法、余情表現。まだ話の続きがあるというニュアンス。
【海龍王の后になるべきいつき女ななり】−供人の詞。海龍王の后とは、からかった表現。「ななり」は断定の助動詞「なる」連体形「る」が撥音便化しさらに無表記形(ラ変型活用)+伝聞推定の助動詞「なり」終止形。大切な娘なのでしょうの意。
【心高さ苦しや】−「人びと」とあるので、別人の詞とみる。「苦しや」について『集成』と『古典セレクション』は「つらいものよ」と解す。『新大系』は「厄介なことよ」と解す。
【かく言ふは播磨守の子の蔵人より今年かうぶり得たるなりけり】−「須磨」巻で良清という名であることがわかる。六位蔵人から従五位下に叙された。『湖月抄』は「草子地」と注す。
【いと好きたる者なれば】−以下「さてたたずみ寄るならむ」まで、供人たちの詞。断定の助動詞「なれ」+接続助詞「ば」順接の確定条件を表す。--なので。--だから。
【破りつべき心はあらむかし】−連語「つべき」(完了の助動詞「つ」終止形、確述の意+推量の助動詞「べき」連体形、当然の意)確実な推量を表す。きっと--するにちがいない。ラ変「あら」未然形+推量の助動詞「む」終止形+終助詞「かし」念押し。
【さてたたずみ寄るならむ】−接続詞「さて」それで。「たたずみ寄る」連体形+断定の助動詞「なら」未然形+推量の助動詞「む」終止形。それで、うろうろしているのであろう。
【いでさ言ふとも】−以下「従ひたらむは」まで、供人の詞。『集成』は「いでや、さいふとも」と本文を改め、『古典セレクション』は「いで、なにしに。さいふとも」と本文を改める。『新大系』は底本のままとする。感動詞「いで」さあ、いやもう。
【田舎びたらむ】−バ上二「田舎び」連用形+完了の助動詞「たら」未然形+推量の助動詞「む」終止形。
【親にのみ従ひたらむは】−副助詞「のみ」限定・強調、完了の助動詞「たら」未然形+推量の助動詞「む」連体形+終助詞「は」詠嘆の意、また「従ひたらむは、田舎びたらむ」という倒置法による係助詞「は」とも解せる。
【母こそゆゑあるべけれ】−以下「もてなすなれ」まで、良清の詞。係助詞「こそ」、ラ変「ある」連体形+推量の助動詞「べけれ」已然形、係結びの法則。強調のニュアンス。
【まばゆくこそもてなすなれ】−係助詞「こそ」、「もてなす」終止形+伝聞推定の助動詞「なれ」已然形、係結びの法則。強調のニュアンス。
【情けなき人なりて行かば】−御物本は「人に(に−補入)なりて(て−ミセケチ)ゆかは」、横山本、榊原家本、三条西家本は「人になりてゆかは」、池田本は「人になりて(て−ミセケチ)ゆかは」、肖柏本は「人に成ゆかは」とある。河内本も七毫源氏と鳳来寺本は「人になりゆかは」、高松宮家本と尾州家本は「人になりてゆかは」、河内本の大島本は「人なりてゆかは」とある。『集成』は「人になりてゆかば」に本文を改め、「娘が風情のない人間に育っていったなら」と解し、同じ供人の詞とする。『古典セレクション』『新大系』は「人なりてゆかば」で、「心ない人が国司になって赴任したら」と解す。
【え置きたらじをや】−副詞「え」は打消推量の助動詞「じ」終止形と呼応して不可能の意を表す。連語「をや」(間投助詞「を」詠嘆+間投助詞「や」詠嘆)強い感動を表す。
【何心ありて】−以下「ものむつかしう」まで、源氏の詞。
【海の底まで深う思ひ入るらむ】−「深う」連用形「く」のウ音便形。ラ四「入る」終止形+推量の助動詞「らむ」終止形、原因推量の意。なぜ--なのだろうか。
【底のみるめ】−「みるめ」に「見る目」と「海松布」を掛ける。ちゃかした言い方。
【かやうにても】−以下「とどまらむをや」まで、供人の心中。
【もてひがみたること好みたまふ御心なれば】−『古典セレクション』は「風変りを好む性癖があるとして、語り手が源氏の関心を強調する」と注す。
【御耳とどまらむをや】−推量の助動詞「む」終止形+連語「をや」(間投助詞「を」詠嘆+間投助詞「や」詠嘆)強い感動を表す。
【暮れかかりぬれど】−以下「帰らせたまひなむ」まで、供人の詞。完了の助動詞「ぬれ」已然形+接続助詞「ど」逆接を表す。
【おこらせたまはずなりぬるにこそはあめれ】−「せたまは」は尊敬の助動詞「せ」連用形+「尊敬の補助動詞「たまは」未然形の最高敬語、会話文中の使用。打消の助動詞「ず」連用形。ラ四「なり」連用形、完了の助動詞「ぬる」連体形、格助詞「に」動作の帰着を表す。係助詞「こそ」、係助詞「は」、「あめれ」はラ変「ある」連体形「る」が撥音便化しさらに無表記形+推量の助動詞「めれ」已然形、主観的推量の意、係結びの法則。強調のニュアンス。
【はや帰らせたまひなむ】−副詞「はや」。「たまひ」は尊敬の助動詞「せ」連用形+尊敬の補助動詞「たまひ」連用形、二重敬語。「なむ」は完了の助動詞「な」未然形+推量の助動詞「む」終止形、適当の意。
【とあるを大徳】−ラ変「ある」連体形+格助詞「を」目的格を表す。
【御もののけなど】−以下「いでさせたまへ」まで、行者(大徳)の詞。
【加持など参りて出でさせたまへ】−「参り」は尊敬語。加持などを奉仕させる、加持などなさる。「させたまへ」は尊敬の助動詞「させ」連用形+尊敬の補助動詞「たまへ」命令形、二重敬語。
【さもあること】−供人の詞。
【慣らひたまはねば】−尊敬の補助動詞「たまは」未然形、打消の助動詞「ね」已然形+接続助詞「ば」順接の確定条件を表す。
【さらば暁に】−源氏の詞。以下に「帰らむ」などの語句が省略。行者や供人の言葉に同意する。「さらば」接続詞、それならばの意。
 [第三段 源氏、若紫の君を発見す]
【人なくて】−大島本と伏見天皇本は「人なくて」とある。他の青表紙本諸本は「日もいとなかきに」とある。『評釈』『集成』『古典セレクション』等は「日もいと長きに」と本文を改める。『新大系』は「人なくて」のまま、「相手になる人もなくて」と注す。
【かの小柴垣のほどに】−前に「同じ小柴なれどうるはしくし渡して」とあったのをさす。『集成』『古典セレクション』は「かの小柴垣のもとに」と校訂する。『新大系』は底本のままとする。
【人びとは帰したまひて】−供人を京に帰す。
【惟光朝臣と】−榊原家本、池田本、三条西家本は「これみつはかり御ともにて」とある。河内本も「惟光はかり御ともにて」とある。源氏の乳母子。「夕顔」巻に初出。
【ただこの西面にしも】−以下、源氏の目を通して語られる叙述。
【仏据ゑたてまつりて行ふ尼なりけり】−『集成』『古典セレクション』は「持仏すゑたてまつりて」と校訂する。『新大系』は底本のままとする。「行ふ」連体形は、間合いを置いて下文に続く。それは、--なのであったという構文。断定の助動詞「なり」連用形、過去の助動詞「けり」終止形、詠嘆の意。源氏の目を通して語られた描写。驚きの気持ち。敬語が省略され臨場感がある。『首書源氏物語』所引或抄は「地よりことはりたる也」と注す。『完訳』は「源氏の視覚にもとづく推量。「けり」「めり」「見えず」は源氏の視線にそう表現。「あはれに見たまふ」などは語り手を通した表現。両様の視点の重層によって、かいま見の奥行が深められる」と注す。
【花たてまつるめり】−推量の助動詞「めり」終止形、視界内推量。源氏の主観的推量のニュアンス。
【とあはれに見たまふ】−源氏の視点から語り手の視点に戻る。
【清げなる大人】−以下、再び源氏の目を通して語られる描写。
【さては童女ぞ出で入り遊ぶ】−接続詞「さては」そして、その他には。係助詞「ぞ」「遊ぶ」連体形、係結びの法則。
【中に十ばかりやあらむと見えて】−後の紫の上の初登場。
【萎えたる】−『集成』は「なれたる」と本文を改め「糊気の落ちた表着を着て。ふだん着の感じである」と注し、『完訳』は「萎えたる」とし「「萎ゆ」は糊気が落ちる意」と注す。
【何ごとぞや】−以下「腹立ちたまへるか」まで、尼君の詞。
【とて尼君の見上げたるに】−尼君が紫の君を見上げる。紫の君は立っているので、座っている尼君よりも背が高い。格助詞「に」対象を示す。見上げた顔に、少女の顔が少し似ている、という文意。
【子なめり】−「なめり」は断定の助動詞「なる」連体形「る」が撥音便化しさらに無表記+推量の助動詞「めり」終止形、主観的推量を表す。源氏の推測である。
【雀の子を】−以下「籠めたりつるものを」まで、紫の君の詞。
【犬君が逃がしつる】−童女の名。完了の助動詞「つる」連体形、連体中止法。余意余情表現。
【籠めたりつるものを】−完了の助動詞「たり」連用形、存続の意+完了の助動詞「つる」連体形、完了の意+終助詞「ものを」。ずっと閉じ籠めておいたのになあ、の意。
【このゐたる大人】−少納言の乳母。後から名が明かされる。
【例の心なしの】−以下「見つくれ」まで、少納言乳母の詞。格助詞「の」主格を表す。
【さいなまるるこそいと心づきなけれ】−受身の助動詞「るる」連体形。係助詞「こそ」「心づきなけれ」已然形、係結びの法則。
【いづ方へかまかりぬる】−係助詞「か」疑問、完了の助動詞「ぬる」連体形、係結びの法則。
【いとをかしうやうやうなりつるものを】−「やうやういとをかしうなりつるものを」という文を「いとをかしう」を強調した倒置表現。完了の助動詞「つる」連体形、完了の意+終助詞「ものを」。
【烏などもこそ見つくれ】−係助詞「も」+係助詞「こそ」--カ下二「見つくれ」已然形、危惧の念を表す。烏などが見つけたら大変だ。
【めやすき人なめり】−源氏の視覚を通じて語る描写。「なめり」は断定の助動詞「なる」連体形の「る」が撥音便化しさらに無表記の形+推量の助動詞「めり」主観的推量を表す。
【少納言の乳母とこそ人言ふめるはこの子の後見なるべし】−源氏の推量。物語には語られていないが、周囲の人たちがこの人を少納言の乳母と呼んでいるのを源氏は耳にしていて、今眼前の人をその人かと判断した。係助詞「こそ」は結びの流れ。断定の助動詞「なる」連体形+推量の助動詞「べし」終止形は、源氏の推測。なお大島本のみ「とこそ」とある。『集成』『古典セレクション』共に諸本に従って「とぞ」と本文を改める。『新大系』は底本のままとする。
【いであな幼や】−以下「心憂く」まで、尼君の詞。感動詞「いで」何とまあ。形容詞「幼し」の語幹+間投助詞「や」詠嘆の意。
【おのがかく】−『新大系』は「重々しい尼君らしい言い方。夕顔巻に出てきた物の怪が「おのがいとめでたしと見たてまつるをば尋ね思ほさで」と言うのと似るところがある言いざまである」と注す。
【罪得ることぞと】−生き物を捕えることは仏教の教えからは罪に当る。
【常に聞こゆるを心憂く】−接続助詞「を」逆接で続ける。--なのに、残念なことです。
【こちや】−尼君の詞。間投助詞「や」詠嘆。
【ついゐたり】−主語は紫の君。完了の助動詞「たり」終止形。膝をついて座った、の意。
【眉のわたりうちけぶり】−成人女性の引き眉ではなくまだ剃り落してない眉毛の様。
【ねびゆかむさまゆかしき人かな】−源氏の感想。
【さるは】−接続詞「さるは」下の文や句が補足的説明をする。それと言うのも。語り手の、その実は、という文脈。少女の将来像を想像すると、それが自然と藤壺の姿に重なってくるという意識の流れ。地の文からスライドして源氏の心内に立ち入った語り口。
【限りなう心を尽くしきこゆる人に】−藤壺をさす。以下、源氏の心内。
【まもらるる】−大島本のみ「まもらる」とある。断定の助動詞「なり」連用形が下接するので、「まもらるる」と連体形に本文を改める。ラ四「まもら」未然形+自発の助動詞「るる」連体形。過去の助動詞「けり」終止形、詠嘆の意。自らそうだったからなのだなあと気づくニュアンス。
【思ふにも涙ぞ落つる】−係助詞「も」強調のニュアンス。係助詞「ぞ」--タ上二「落つる」連体形、係結びの法則。強調のニュアンス。
【梳ることをうるさがりたまへど】−以下「おはせむとすらむ」まで、尼君の詞。
【故姫君は】−自分の娘でありまた幼い紫の君の母君をさしていう。当時は自分の娘に対しても「君」「たまふ」などと敬語を使う。
【十ばかりにて】−榊原家本、肖柏本、三条西家本と書陵部本は「十二にて」とある。池田本は「十二(二、ミセケチ、はかりト訂正)にて」とある。御物本と横山本が大島本と同文。河内本も「とをはかりにて」とある。
【殿に後れたまひしほど】−尼君の夫。故姫君の父親。紫の君の祖父。
【おのれ見捨てたてまつらば】−謙譲の補助動詞「たてまつら」未然形+接続助詞「ば」仮定条件を表す。
【いかで世におはせむとすらむ】−サ変「おはせ」未然形+推量の助動詞「む」終止形、意志の意。サ変「す」終止形+推量の助動詞「らむ」連体形、視界外推量を表す。
【見たまふもすずろに悲し】−視点が源氏に戻り、源氏の心内を語る。
【うつぶしたるにこぼれかかりたる髪】−完了の助動詞「たる」連体形+格助詞「に」場所を表す。
【生ひ立たむありかも知らぬ若草を--おくらす露ぞ消えむそらなき】−尼君の歌。「若草」は少女を、「露」は自分をそれぞれ喩える。それぞれ歌語。「若草」には「若草の新手枕をまきそめて夜をや隔てむ憎くあらなくに」(万葉集巻十)「うら若みねよげに見ゆる若草を人の結ばむことをしぞ思ふ」(伊勢物語・四十九段)等の若い女性、乙女のイメージがある。「露」には「濡れてほす山路の菊の露の間にいつか千歳を我は経にけむ」(古今集秋下・素性法師)「侘びわたる我が身は露と同じくは君が垣根の草に消えなむ」(後撰集恋一)等のはかない寿命というイメージがある。また「草」と「露」と「おく」は縁語。少女の将来が不安で死ぬに死ねないの意。
【初草の生ひ行く末も知らぬまに--いかでか露の消えむとすらむ】−女房の返歌。「若草」を「初草」と変え、「生ふ」「露」「消ゆ」の語を受けて応じる。「初草」は姫君を、「露」は尼君を喩える。ともに歌語。「初草のなどめづらしき言の葉ぞうらなく物を思ひけるかな」(伊勢物語・四十九段)、若い女性の意。連語「いかでか」(副詞「いかで」+係助詞「か」)--サ変「す」終止形+推量の助動詞「らむ」連体形、原因推量の意。反語表現。長生きあそばしませ、の意。
【こなたはあらはにやはべらむ】−以下「までざりける」まで、僧都の詞。係助詞「や」、丁寧の補助動詞「はべら」未然形、推量の助動詞「む」連体形、係結びの法則。
【源氏の中将の】−僧都は「源氏の中将」「光る源氏」と呼称する。
【ただ今なむ聞きつけはべる】−係助詞「なむ」、丁寧の補助動詞「はべる」連体形、係結びの法則。
【までざりける】−「まで」はダ下二「まうで」未然形の縮。他の青表紙諸本は「まうて」とある。『古典セレクション』は「まうで」と改める。『集成』『新大系』は底本のまま。
【あないみじや】−以下「人や見つらむ」まで、尼君の詞。
【人や見つらむ】−係助詞「や」疑問、マ上一「見」連用形、完了の助動詞「つ」終止形、推量の助動詞「らむ」連体形、視界外推量。係結びの法則。
【この世に】−以下「聞こえむ」まで、僧都の詞。
【見たてまつりたまはむや】−謙譲の補助動詞「たてまつり」連用形、源氏に対する敬語表現。尊敬の補助動詞「たまは」未然形、尼君に対する敬語表現。推量の助動詞「む」終止形、勧誘の意。終助詞「や」疑問。拝見なさいませんかの意。
【世の憂へ忘れ齢延ぶる人】−源氏のすぐれた魅力の一つ。その姿を拝見すると、世の物思いは消え寿命も延びる気持ちになる。あたかも仏様のような人柄。
【とて立つ音すれば帰りたまひぬ】−僧都の立ち上がる音がするので、源氏は庵室にお戻りになった、の意。
 [第四段 若紫の君の素性を聞く]
【あはれなる人を】−以下「思ひのほかなることを見るよ」まで、源氏の心内。
【さるまじき人】−普通なら見つけられないような人、すなわち意外な人。
【たまさかに立ち出づるだに】−副助詞「だに」最小限を表す。--だけでも。
【さても】−以下「慰めにも見ばや」まで、再び源氏の心内。
【かの人の御代はりに】−藤壺宮をさす。
【明け暮れの慰めにも見ばや】−「明け暮れ」は毎日の意。「慰め」は気持ちを紛らしたり慰めたりする意だが、藤壺に対する思いが叶えられない代償行為として。「見ばや」は結婚する、一緒に暮らす意。
【うち臥したまへるに】−源氏が庵室で横になっていらっしゃると。尊敬の補助動詞「たまへ」已然形、完了の助動詞「る」連体形、接続助詞「に」順接。
【惟光を呼び出でさす】−使役の助動詞「さす」終止形。惟光を呼び出させる意。
【過りおはしましけるよし】−以下「いと本意なきこと」まで、僧都の詞。「過り」は、古くは「よきり」と清音、室町以後「よぎり」と濁音化する。平安末期の『名義抄』には「過、ヨキル」、室町時代の『和玉篇』では「過、ヨギル」とある。『完古典セレクション』『新大系』は「よきり」と清音のルビを付ける。
【ただ今なむ人申すに】−係助詞「なむ」は「申す」に係るが、接続助詞「に」が続き、結びの流れとなっている。
【おどろきながらさぶらべきを】−主語は自分。僧都。接続助詞「ながら」一つの動作と同時に他の動作を行うことを表す。接続助詞「を」逆接。気がつくと同時にさっそく伺うべきところを。
【しろしめしながら忍びさせたまへるを】−主語は源氏。御存知でいらっしゃりながら。尊敬の助動詞「させ」連用形+尊敬の補助動詞「たまへ」已然形、二重敬語。完了の助動詞「る」連体形+格助詞「を」目的格を表す。
【憂はしく思ひたまへてなむ】−主語は僧都に変わる。謙譲の補助動詞「たまへ」連用形、接続助詞「て」、係助詞「なむ」、結びの省略。お恨みに存じまして。下に、今まで控えておりましたの意をこめる。
【草の御むしろも】−お宿泊の御座所を、という意を、旅にかけて風流にかつ謙虚に申し出たもの。
【この坊にこそ設けはべるべけれ】−係助詞「こそ」--推量の助動詞「べけれ」已然形、当然の意。係結びの法則。こちらで御準備いたすべきでした。実際は、しなかったの意。
【申したまへり】−「申し」(「言う」の謙譲語、源氏に対する敬意)連用形、尊敬の補助動詞「たまへ」已然形、僧都に対する敬意、完了の助動詞「り」終止形。敬語が付いていることによって、僧都の伝言という趣。
【いぬる十余日のほどより】−以下「今そなたにも」まで、源氏が惟光をして言わせた詞。あたかも直接話法のような表現(「はべり」「たまへ」、丁寧の補助動詞、謙譲の補助動詞)であるが、伝言である。
【瘧病にわづらひはべるを】−接続助詞「を」弱い順接。
【堪へがたく】−『集成』『古典セレクション』は諸本に従って「堪えがたう」と改める。『新大系』は底本のまま。
【人の教へのまま】−。『集成』『古典セレクション』は諸本に従って「人の教へのままに」と改める。『新大系』は底本のまま。
【かやうなる人】−源氏に験方の行をした聖をさす。
【ただなるよりは】−普通の行者。
【世に思はれたまへる人なれば】−受身の助動詞「れ」連用形+尊敬の補助動詞「たまへ」已然形+完了の助動詞「る」連体形、存続の意。断定の助動詞「なれ」已然形+接続助詞「ば」順接の確定条件を表す。
【軽々しき御ありさまをはしたなう思す】−主語は源氏。
【同じ柴の庵なれど】−以下「御覧ぜさせむ」まで、僧都の詞。「柴の庵」は、自分の庵を謙って言った表現。
【御覧ぜさせむ】−サ変「御覧ぜ」未然形+使役の助動詞「させ」未然形+推量の助動詞「む」終止形、意志を表す。
【かのまだ見ぬ人びと】−まだ源氏の姿を見てない尼君や女房たちの意。
【ことことしう】−『集成』『新大系』は清音に読むが、『古典セレクション』は「ことごとしう」と濁音に読む。
【言ひ聞かせつるをつつましう思せど】−完了の助動詞「つる」連体形+格助詞「を」目的格を表す。「思せ」已然形(「思ふ」の尊敬語)+接続助詞「ど」逆接を表す。
【いと心ことによしありて同じ木草をも植ゑなしたまへり】−語順転換がある。「同じ木草をも心ことによしありて植ゑなしたまへり」が普通の語順。「心ことによしありて」を強調した表現である。
【月もなきころなれば】−前に「三月の晦なれば」とあった。旧暦では月のないころである。
【灯籠なども】−大島本「とゝ(ゝ$う<朱>)ろなとも」とある。『集成』『古典セレクション』は諸本に従って「灯籠などにも」と「に」を補う。『新大系』は底本のまま。
【いと心にくく】−『集成』『古典セレクション』は諸本に従って「心にくく」と「いと」を削除する。『新大系』は底本のまま。
【心づかひすべかめり】−サ変「す」終止形+「べかめり」は推量の助動詞「べかる」連体形の「る」が撥音便化しさらに無表記形+推量の助動詞「めり」終止形、視界内推量の意。語り手の推量。
【後世のこと】−大島本「のち世の事」と表記する。『集成』『古典セレクション』は諸本に従って「後の世のこと」と「の」を補訂する。『新大系』は底本のまま「のち世のこと」とする。
【我が罪のほど】−以下「いみじかるへきこと」まで、源氏の心内を間接的に叙述。「我が罪」とは、継母である藤壺の宮を恋慕することをさす。
【あぢきなきことに心をしめて生ける限りこれを思ひ悩むべきなめり】−「あぢきなきこと」とは継母の藤壺恋慕の不可能な恋。愛執の罪。源氏は「生ける限りこれを思ひ悩む」「べき」(推量の助動詞)「な」(断定の助動詞)「めり」(推量の助動詞、視界内推量)と自制自覚する。
【いみじかるべき】−推量の助動詞「べき」連体形の下に、御物本は「ことゝ」があり、横山本は「を」を補入。河内本は「ことゝ」とある。「こと」は「を」に誤写される可能性もある。大島本等はナシ。源氏の心内文が地の文に融合して続く。『古典セレクション』は「源氏の心内語。その末尾が切れ目なく地の文に続く」と注す。『源氏物語』には心内文が自然と地の文に変化したり、逆に地の文が競り上がって心内文になっていく叙述法がある。そうした表現世界として鑑賞すべき。
【かうやうなる住まひ】−物思いを断ち切った出家生活、草庵生活。
【おぼえたまふものから】−逆接の接続助詞「ものから」によって、源氏の心の両面を語る叙述。この語句によって理不尽複雑な人間心理を語り、この物語に深みを出すことに成功。
【ここにものしたまふは誰れにか】−以下「思ひあはせつる」まで、源氏の問い。断定の助動詞「に」連用形、係助詞「か」疑問。下に「おはする」などの語が省略。夢の話は源氏の虚偽であろう。
【尋ねきこえまほしき夢を見たまへしかな】−謙譲の補助動詞「きこえ」未然形。マ上一「見」連用形+謙譲の補助動詞「たまへ」連用形+過去の助動詞「し」連体形+終助詞「かな」詠嘆。
【今日なむ思ひあはせつる】−係助詞「なむ」--完了の助動詞「つる」連体形、係結びの法則。強調のニュアンス。
【うちつけなる御夢語りにぞはべるなる】−以下「ものしはべるなり」まで、僧都の返事。断定の助動詞「に」連用形、係助詞「ぞ」、丁寧の動詞「はべる」連体形+断定の助動詞「なる」連体形、係結びの法則。
【尋ねさせたまひても】−尊敬の助動詞「させ」連用形+尊敬の補助動詞「たまひ」連用形、二重敬語。接続助詞「て」+係助詞「も」含みをもたせて表現を和らげる。逆接的文脈となる。
【御心劣りせさせたまひぬべし】−サ変「せ」未然形+尊敬の助動詞「させ」連用形+尊敬の補助動詞「たまひ」連用形、二重敬語、完了の助動詞「ぬ」終止形、確述の意+推量の助動詞「べし」終止形。
【えしろしめさじかし】−副詞「え」は打消推量の助動詞「じ」終止形と呼応して不可能の意を表す。「しろしめす」は「知る」の尊敬語。
【世を背きてはべるが】−この「が」は格助詞とも接続助詞とも解せる。
【このごろ】−『集成』は「このころ」と清音、『古典セレクション』『新大系』は「このごろ」と濁音で読む。『岩波古語辞典』には「奈良時代にはコノコロと清音。平安時代にはコノゴロ」とあり、『名義抄』に「今来・比日・今属、コノゴロ」とあるのを典拠とする。
【かく京にもまかでねば】−主語は僧都。期限を限って山籠もりしている最中。
【かの大納言の御女】−以下「聞こゆるなり」まで、源氏の問い。「御女」は大島本「ミむすめ」と仮名表記する。
【聞きたまへしは】−謙譲の補助動詞「たまへ」連用形+過去の助動詞「し」連体形。下に「方はこの姫君か」という内容が省略。『古典セレクション』は「源氏は例の少女を、尼君の娘であると思っているから、このように聞き尋ねる」と注す。
【女ただ一人はべりし】−以下「近く見たまへし」まで、僧都の返事。過去助動詞「し」連体形、連体形止めで文をいったん中止して、かつ、「その者が」の意をこめて、下文の主語となってつながる構文。話者の口調をよく表している。
【この十余年にやなりはべりぬらむ】−断定の助動詞「に」連用形+係助詞「や」疑問。完了の助動詞「ぬ」終止形、推量の助動詞「らむ」視界外推量。
【過ぎはべりにしかば】−丁寧の補助動詞「はべり」連用形、完了の助動詞「に」連用形、過去の助動詞「しか」已然形+接続助詞「ば」順接の確定条件を表す。亡くなってしまいましたので。
【兵部卿宮なむ】−藤壺の宮の兄。「桐壺」巻に初出。係助詞「なむ」は「語らひつきたまへりける」に係るが、下に接続助詞「を」弱い逆接が続き、結びの流れとなっている。
【なむ亡くなりはべりにし】−係助詞「なむ」--過去の助動詞「し」連体形、係結びの法則。丁寧の補助動詞「はべり」連用形、完了の助動詞「に」連用形。
【目に近く見たまへし】−過去の助動詞「し」連体形、連体中止法。下に体言または感動を表す終助詞「かな」などを言いさした余韻を残した言い方。
【さらばその子なりけり】−源氏の心内。断定の助動詞「なり」連用形+過去の助動詞「けり」終止形、詠嘆の意。尼君の孫娘、兵部卿宮の娘で藤壺の宮には姪に当たる女の子と感動をもって理解。
【親王の御筋にて】−以下「かよひきこえたるにや」まで、源氏の心内。「かの人」は藤壺の宮をさす。
【見まほし】−「見る」は異性を世話する、結婚する意。マ上一「見」未然形+希望の助動詞「まほし」終止形。養女としたいまたは妻としたいの意。
【人のほども】−以下「うち語らひて心のままに教へ生ほし立てて見ばや」まで、源氏の心内。マ上一「見」未然形+終助詞「ばや」願望を表す。地の文が自然と心中文に移っていく。
【いとあはれに】−以下「形見もなきか」まで、源氏の問い。兵部卿宮が尼君の娘に通うようになったことまではわかった。しかし、昼間見た少女がその子どもなのか否かまではまだ聞いていない。そこで確認のために尋ねる。
【亡くなりはべりしほどに】−以下「嘆きはべるめる」まで、僧都の返事。「し」「しか」共に過去の助動詞。「はべりしか」の「はべり」は生まれるの意、死ぬと同時に生まれたというニュアンス。出産後まもなく亡くなったの意。
【女にてぞ】−係助詞「ぞ」、下に「ものせ」「し」連体形などの語句が省略。
【なむ齢の末に思ひたまへ嘆きはべるめる】−係助詞「なむ」--推量の助動詞「める」連体形、主観的推量の意、係結びの法則。謙譲の補助動詞「たまへ」連用形、丁寧の補助動詞「はべる」連体形。『古典セレクション』は「謙譲の「たまふ」が、第三者の尼君の動作につけて用いられているのは、僧都が尼君の立場に身をおいて代弁しているから」と注す。
【さればよ】−源氏の心内。予想が適中したときに用いる。後見人のない女の子の不幸なことを思う。
【あやしきことなれど】−以下「はしたなくや」まで、源氏の詞。「幼き御後見に思すべく」とは、養女とする、または妻とする、ということを意味する。
【聞こえたまひてむや】−あなたから尼君に。「聞こえ」は「言ふ」の謙譲語。尊敬の補助動詞「たまひ」連用形、完了の助動詞「て」未然形、確述の意、推量の助動詞「む」終止形、勧誘の意、係助詞「や」疑問の意。お話し申し上げてくださいませんか。
【思ふ心ありて】−「独り住みにてのみなむ」に係る。途中「行きかかづらふ方もはべりながら世に心の染まぬにやあらむ」は挿入句。妻(左大臣家の娘の葵の上)はいるが、意に添わない、の意。
【まだ似げなきほどと】−女の子の年齢(十歳くらい)が結婚にはまだ早すぎる意。
【はしたなくや】−主語は自分、源氏をさす。結婚するにはまだ幼い十歳くらいの女の子を迎え取るなど、中途半端なことであろうか、そうではない、親代りになるつもりだ、という決意。『岩波古語辞典』は「ナシは甚だしいの意。落度や失礼・欠点などがあって無作法・ぶしつけであるの意。その結果、体裁がわるくて引込みがつかない状態。また、まともな愛想や情が欠けている意」と解説する。『評釈』は「いても立ってもいられない、穴があったら入りたい、という気持」と注す。
【いとうれしかるべき仰せ言なるを】−以下「聞こえさせむ」まで、僧都の返事。推量の助動詞「べき」連体形、当然の意。断定の助動詞「ねる」連体形、接続助詞「を」逆接を表す。
【いはきなき】−大島本「いはきなき」とあり。他の青表紙諸本「いはけなき」とある。多くの校訂本は「いはけなき」とするが、『新大系』は「いはきなき」のままとする。
【御覧じがたくや】−接尾語ク型「がたく」連用形+係助詞「や」疑問の意。下に「あらむ」(連体形)などの語句が省略。
【そもそも女人は人にもてなされて大人にもなりたまふものなれば】−大島本「そも/\女人は」とある。『集成』『古典セレクション』は諸本に従って「そもそも女は」と「人」を削除する。『新大系』は底本のままとする。女性は男性(父親または夫)に世話されて一人前の人(女)となる、という当時の考えを引く。断定の助動詞「なれ」已然形+接続助詞「ば」順接の確定条件を表す。
【詳しくはえとり申さず】−副詞「え」打消の助動詞「ず」終止形と呼応して不可能の意を表す。わたしは僧侶の手前男女関係の事柄には立ち入ることはできないが、という意。挿入句。
【かの祖母に語らひはべりて聞こえさせむ】−「祖母(おば)」は「おほば」の約。使役の助動詞「させ」未然形、推量の助動詞「む」終止形。祖母からお返事をさせましょう、の意。
【すくよかに言ひて】−僧侶らしい振る舞い。
【ものごはきさましたまへれば】−『集成』は「取りつく島もないご様子なので」と解し、『古典セレクション』は「堅苦しい様子をしておられるので」と解す。尊敬の補助動詞「たまへ」已然形、完了の助動詞「れ」已然形+接続助詞「ば」順接の確定条件。
【阿弥陀仏ものしたまふ堂に】−以下「過ぐしてさぶらはむ」まで、僧都の詞。中座する挨拶。
【することはべるころになむ】−係助詞「なむ」下に「なりぬ」(連体形)などの語句が省略、係結びの結びの省略。
【初夜いまだ勤めはべらず】−「初夜」の勤行は、午後六時頃から十時頃までに行う勤行。
【君は心地もいと悩ましきに】−係助詞「は」題目を提示。源氏の君はどうかといえば、のニュアンス。格助詞「に」時間を表す。
【雨すこしうちそそき】−時は弥生の晦、月のないころ、しかも雨が降り出した夜。外は漆黒の闇。外の滝の音に混じって室内のかすかな物音が源氏の耳に入ってくる。
【そそき】−清音。『岩波古語辞典』に「江戸時代初期頃からソソギと濁音化した」という。
【山風ひややかに吹きたるに】−格助詞「に」時間を表す。
【滝のよどみもまさりて】−『河海抄』は「滝つ瀬の中にも淀はありてふをなど我が恋の淵瀬ともなき」(古今集、恋一、四九三 読人しらず)を指摘する。『完訳』も引歌として引用する。
【所からものあはれなり】−「所から」は『易林本節用集』に「所柄 トコロカラ」とあり、『日葡辞書』には「トコロカラ トコロガラ」の両方がある。なお『古典セレクション』はこの句、読点。「神妙な思いにもなるが、まして君は」と文を続けて訳す。『集成』『新大系』は清音に読むが、『古典セレクション』は「所がら」と濁音に読んでいる。
【まして】−以下、主語は源氏。
【まどろませたまはず】−尊敬の助動詞「せ」連用形+尊敬の補助動詞「たまは」未然形、二重敬語。他の青表紙諸本「まとろまれ給はす」。『集成』『古典セレクション』は「まどろまれたまはず」と校訂する。『新大系』は底本のままとする。
【初夜と言ひしかども】−先程、僧都が「初夜」と言ったがの意。
【人の寝ぬけはひ】−ナ下二「寝」未然形+打消の助動詞「ぬ」連体形。まだ寝ていない様子。なお「ぬ」が完了の助動詞ならば、「けはひ」(名詞)の前は連体形「ぬる」となる。
【扇を鳴らしたまへば】−主語は源氏。人を呼ぶ合図。
【おぼえなき心地すべかめれど】−主語は奥の女房。「べかめれ」は推量の助動詞「べかる」連体形の「る」が撥音便化しさらに無表記+推量の助動詞「めれ」已然形、視界内推量。源氏側からの推量。語り手と源氏の気持ちが一体化している表現。
【聞き知らぬやうにや】−打消の助動詞「ぬ」連体形、断定の助動詞「に」連用形、係助詞「や」疑問、下に「ものせむ」などの語句が省略。反語表現。知らないふりはできない、の意。語り手が奥の女房の気持ちを推測した挿入句的表現。
【ゐざり出づる人あなり】−「あなり」はラ変「ある」連体形の「る」が撥音便化しさらに無表記+推定の助動詞「なり」終止形。源氏側からの推量。語り手と源氏の気持ちが一体化している表現。
【すこし退きて】−主語は奥の女房。出てきた女房が誰も見えないので戻ろうとしたところ。
【あやしひが耳にや】−女房の詞。断定の助動詞「に」連用形+係助詞「や」疑問の意。下に「あらむ」などの語句が省略。
【仏の御しるべは】−以下「なるものを」まで、源氏の詞。
【暗きに入りても】−『源氏釈』は『法華経』の「従冥入於冥、永不聞仏名(冥きより冥きに入りて、永く仏名を聞かざりしなり)」(化城喩品)を指摘する。『古典セレクション』は「案内を頼む女房を釈尊に見立てる」と注す。
【さらに違ふまじかなるものを】−副詞「さらに」は打消推量の助動詞「まじか」と呼応して、決して--ない、全然--ない、の意を表す。「まじかなる」は打消推量の助動詞「まじかる」連体形の「る」が撥音便化しさらに無表記形+断定の助動詞「なる」連体形。接続助詞「ものを」逆接の意。下文を言いさした余意・余情表現。
【いかなる方の御しるべにか】−大島本「いかなるかたのをん(をん$御<朱>)しるへにか」とある。『集成』は「どういうご案内をいたせばよろしいものやら」と解し、『古典セレクション』は「どちらへのご案内でございましょう」と解す。いずれも諸本に従って「御しるべにかは」と「は」を補訂する。『新大系』は底本のままとする。「いかなる方」は方角や手立ての意、「しるべ」は案内や手引の意。断定の助動詞「に」連用形+係助詞「か」疑問の意。下に「はべらむ」などの語句が省略。
【げにうちつけなりと】−以下「と聞こえたまひてむや」まで、源氏の詞と和歌。
【おぼめきたまはむも】−尊敬の補助動詞「たまは」未然形+推量の助動詞「む」連体形、婉曲の意。
【初草の若葉の上を見つるより--旅寝の袖も露ぞ乾かぬ】−源氏の贈歌。「初草の若葉の上」は少女の身の上、後の紫の上をさす。「旅寝の袖」は自分を喩える。「初草」「若」「露」は、先の尼君と女房の贈答歌の語句を引用したもの。「つゆ」は「露」と副詞「つゆ」、打消の助動詞「ぬ」連体形と呼応して、まったく--ない、の意の掛詞。
【と聞こえたまひてむや】−歌に添えた源氏の詞。「てむ」は完了の助動詞「て」未然形+推量の助動詞「む」終止形の連語。終助詞「や」疑問、強い希望を述べたニュアンス。
【さらにかやうの】−以下「誰れにかは」まで、女房の詞。副詞「さらに」は「ものしたまはぬ」に係り、全然--ない、の意を表す。
【しろしめしたりげなるを】−「しろしめしたりげ」は「しろしめし」連用形(「知る」の尊敬語)+完了の助動詞「たり」終止形+接尾語「げ」。断定の助動詞「なる」連体形+間投助詞「を」詠嘆。
【誰れにかは】−係助詞「か」疑問+係助詞「は」。下に「とりつがむ」などの語句が省略。どなたに取り次いだらよろしいのでしょうか、の意。
【おのづから】−以下「思ひなしたまへかし」まで、源氏の詞。
【聞こゆるならむと】−断定の助動詞「なら」未然形+推量の助動詞「む」終止形。
【入りて聞こゆ】−女房が奥の尼君に伝える。
【あな今めかし】−以下「聞いたまへることぞ」まで、『集成』は「以下、尼君の心中である」と解し、『古典セレクション』は「」で括るが、心内とも詞とも注してない。「今めかし」について『集成』は「源氏の大胆さに驚く気持」と注し、『古典セレクション』は「隅におけない」と訳す。「今めかし」とは当世風なの意だが、ここは源氏の大胆な態度が今風だという意。尼君の価値観や時代差を窺わせる評言。
【この君や】−係助詞「や」疑問、「おはする」連体形に係る、係結びの法則。
【とぞ思すらむ】−係助詞「ぞ」、推量の助動詞「らむ」連体形、係結びの法則。
【枕結ふ今宵ばかりの露けさを--深山の苔に比べざらなむ】−尼君の返歌。「枕結ふ」は源氏の旅寝をさし、「深山の苔」は自分をさしていう。源氏の上句の恋の心を無視し、下句の「露」だけを受けて応える。打消の助動詞「ざら」未然形+終助詞「なむ」相手に対する願望。あなたの今夜だけの寂しさとわたしどもの寂しさを同じようにお考えにならないで下さい。『花鳥余情』は「奥山の苔の衣に比べ見よいづれか露の置きはまさると」(多武峯少将物語)を指摘し、『古典セレクション』でも引歌として指摘する。
【乾がたうはべるものを】−歌に添えた詞。『細流抄』は「夕さればいとど干難き我が袖に秋の露さへ置き添はりつつ」(古今集 恋一 五四五 読人しらず)を指摘、『古典セレクション』も引歌として指摘する。返歌のあとに古歌の文句を添えるのは教養ある人。終助詞「ものを」詠嘆の気持ち。
【かうやうのついでなる】−以下「聞こえさすべきことなむ」まで、源氏の詞。なお大島本は「つゐてなる」とあるが、他の青表紙諸本の多くは「つて」とある。『集成』は明融本に従って「人伝(ひとづて)なる」は校訂し、『古典セレクション』も「伝(つて)なる」と校訂するが、『新大系』は底本のままとする。
【ならはぬことになむ】−係助詞「なむ」。下に「はべる」連体形などの語が省略。
【ひがこと聞きたまへるならむ】−以下「答へきこえむ」まで、尼君の詞。尊敬の補助動詞「たまへ」已然形、完了の助動詞「る」連体形、断定の助動詞「なら」未然形、推量の助動詞「む」終止形。
【むつかしき】−大島本は「むつかしき」とある。その他の青表紙諸本は「はつかしき」とある。『評釈』『集成』『古典セレクション』等は「はづかしき」と本文を改める。『新大系』は底本のままとする。
【何ごとをかは答へきこえむ】−連語「かは」(係助詞「か」+係助詞「は」)推量の助動詞「む」連体形、反語表現の構文。どうお答えしてよいかわからない、の意。
【はしたなうもこそ思せ】−女房の詞。連語「もこそ」(係助詞「も」+係助詞「こそ」)「思せ」已然形、係結びの法則。懸念・危惧を表す。尼君に応対することを勧める。
【げに若やかなる人こそ】−以下「かたじけなし」まで、尼君の詞。
【うたてもあらめ】−係助詞「こそ」の係結び「あらめ」已然形。『集成』は読点。『古典セレクション』は句点。あなたがた若い人が応対するのは嫌でしょうが、年老いたわたしなら構わないでしょう、の気持ち。下文が省略。
【まめやかにのたまふかたじけなし】−源氏が真剣におっしゃているのは畏れ多い、応対しなければ、の気持ち。
【ゐざり寄りたまへり】−几帳のもとにいざり寄りなさった、の意。
【うちつけに】−以下「仏はおのづから」まで、源氏の詞。
【御覧ぜられぬべきついでなれど】−完了の助動詞「ぬ」終止形、確述+推量の助動詞「べき」連体形、当然の意。
【心にはさもおぼえはべらねば】−丁寧の補助動詞「はべら」未然形、打消の助動詞「ね」已然形+接続助詞「ば」順接の確定条件を表す。
【仏はおのづから】−下に「見知りたまひぬらむ」などの語句が省略された形。
【とて】−と言ったが、と言ってはみたものののニュアンス。『完訳』は「と言いさして」と訳す。
【おとなおとなしう】−尼君の態度。
【つつまれて】−遠慮されて。主語は源氏。
【とみにもえうち出でたまはず】−主語は源氏。副詞「え」は打消の助動詞「ず」終止形と呼応して不可能の意を表す。この後、少し間合いがあって、尼君の方から切り出す。
【げに思ひたまへ寄り】−以下「聞こえさするもいかが」まで、尼君の詞。
【のたまはせ聞こえさするも】−「のたまはせ」の主語は源氏、「聞こえさする」の主語は尼君。それぞれ「言ふ」の最も高い敬語表現、「言ふ」の最も謙った謙譲表現。
【いかが】−榊原家本、池田本、肖柏本、三条西家本は「あさくはいかゝ」とある。横山本は「あさくは」を補入する。御物本と書陵部本が大島本と同文。「あさくは思はむ」(反語表現)などの語句が省略されている。『集成』は「浅くはいかが」と本文を改める。『古典セレクション』は「いかが」のままとし「浅くはいかが思ひたまへむ」ぐらいの意と注す。
【あはれにうけたまはる御ありさまを】−以下「うち出ではべりぬる」まで、源氏の詞。格助詞「を」目的格を表す。「思しないて」の下に「譲りたまひて」などの語句が省略され、文脈のねじれとなっている。『古典セレクション』は「「御ありさまなるを」の意」と注し「を」接続助詞「身の上なのですから」と順接の原因理由を表す文脈に解す。
【かの過ぎたまひにけむ御かはりに】−少女の亡き母親の代りに。過去推量の助動詞「けむ」連体形の下に「人の」などの語句が省略。母親代りの後見を申し出る。
【思しないてむや】−「思しない」の「い」は「し」のイ音便化。完了の助動詞「て」未然形、確述の意+推量の助動詞「む」終止形+係助詞「や」疑問。相手の意向を問う。
【言ふかひなきほどの齢】−源氏自身の体験をいう。三歳の時に母親に死別。
【立ち後れはべりにければ】−丁寧の補助動詞「はべり」連用形、完了の助動詞「に」連用形、過去の助動詞「けれ」已全然形+接続助詞「ば」順接の確定条件を表す。先立たれてしまったので、というニュアンス。
【年月をこそ重ねはべれ】−係助詞「こそ」、丁寧の補助動詞「はべれ」已然形、係結びの法則。強調のニュアンスを添える。
【同じさまにものしたまふなるを】−尊敬の補助動詞「たまふ」終止形、伝聞推定の助動詞「なる」連体形、接続助詞「を」順接、原因理由を表す。いらっしゃるというので、の意。
【たぐひになさせたまへと】−尊敬の助動詞「せ」連用形、尊敬の補助動詞「たまへ」命令形、二重敬語。会話文中での用法。
【いと聞こえまほしきを】−接続助詞「を」逆接を表す。
【いとうれしう思ひたまへぬべき御ことながらも】−以下「とどめられざりける」まで、尼君の返答。謙譲の補助動詞「たまへ」連用形、完了の助動詞「ぬ」終止形、確述の意、推量の助動詞「べき」連体形、陶然の意。接続助詞「ながら」逆接を表す。係助詞「も」表現を和らげるニュアンスを添える。
【つつましうなむ】−係助詞「なむ」。下に「思ふたまふる」などの語句が省略。
【あやしき身一つを頼もし人にする人】−「あやしき身一つ」は尼君、自ら謙った表現。「頼もし人にする人」は孫の姫君、紫の君。
【御覧じ許さるる方もはべりがたげなれば】−「御覧じ」の主体は源氏。受身の助動詞「るる」連体形。断定の助動詞「なれ」已然形+接続助詞「ば」順接の確定条件を表す。あなた様から大目に見てもらえるところもございませんようなので。
【はべりがたげなれば】−大島本「侍りかたけなれハ」とある。御物本は「侍かたな〔な−補入〕けれは」、横山本、榊原家本、池田本、三条西家本は書陵部本は「侍りかたけれは」。肖柏本が大島本と同文。『集成』『新大系』は底本のまま。『古典セレクション』は「はべりがたければ」と本文を改める。
【えなむうけたまはりとどめられざりける】−副詞「え」は打消の助動詞「ざり」連用形と呼応して不可能の意を表す。係助詞「なむ」は過去の助動詞「ける」連体形に係る、係結びの法則。強調のニュアンスを添える。可能の助動詞「られ」未然形。
【みなおぼつかなからず】−以下「御覧ぜよ」まで、源氏の詞。
【うけたまはるものを】−接続助詞「ものを」順接、原因理由を表す。ので、のだから。
【思ひたまへ寄るさま】−謙譲の補助動詞「たまへ」連用形。
【いと似げなきことをさも知らでのたまふ】−尼君の心中。源氏の申し出について。連語「さも」(「さ」+係助詞「も」)そのようにも。
【よし】−以下「頼もしうなむ」まで、源氏の詞。
【おし立てたまひつ】−「おし立て」は、「外に立てわたしたる屏風少し引き開けて」を受ける。屏風を閉めた。
【暁方になりにければ】−時刻の推移を表す。
【聞こえくる】−「来る」(連体形)、文の連体中止であるとともに、以下の文の主語ともなる。余情を湛えて次に係ってゆく構文。
【吹きまよふ深山おろしに夢さめて--涙もよほす滝の音かな】−源氏の歌。「深山」は前の尼君の「深山の苔」とあったのを踏まえる。迷いの夢から覚める気持ちがする。『古典セレクション』は「「夢」に、煩悩の意をも含める。暁方の懺法の声をのせた音響に、紫の上への執心の浄化される思いを詠んだ歌」と注す。
【さしぐみに袖ぬらしける山水に--澄める心は騒ぎやはする】−僧都の返歌。「さしぐみ」は不意にの意と、涙が「さし汲み」の意を響かせる。「すめる」は「住める」と「澄める」の両意を掛ける。「汲み」「濡らし」「山水」「澄める」は縁語。連語「やは」(係助詞「や」+係助詞「は」)反語、サ変「する」連体形、係結びの法則。『異本紫明抄』は「古の野中の清水見るからにさしぐむものは涙なりけり」(後撰集 恋四 八一四 読人しらず)を指摘するが、『完訳』は「昔より山水にこそ袖ひづれ君がぬるらむ露はものかは」(多武峯少将物語)を引歌として指摘する。
【耳馴れはべりにけりや】−僧都の歌に添えた詞。丁寧の補助動詞「はべり」連用形、完了の助動詞「ける」連体形、間投助詞「や」詠嘆の意。
 [第五段 翌日、迎えの人々と共に帰京]
【明けゆく空は】−夜の明けていく様子と源氏の心が晴れやかになっていくのが象徴的に重なって描かれている景情一致の表現。
【そこはかとなう】−『集成』『古典セレクション』は諸本に従って「そこはかとなく」と校訂する。『新大系』は底本のまま。
【木草の花どもも】−大島本「はなとも・ゝ」とある。・(朱点)は後のものである。踊り字(ゝ)と読める文字が存在する。『集成』『古典セレクション』『新大系』は「ゝ」を無視して「木草の花ども」と校訂する。
【錦を敷けると見ゆるに】−格助詞「に」場所を表す。「見ゆる」と「に」の間に「所」などの語が省略。
【めづらしく見たまふに】−接続助詞「に」順接を表す。御覧になると、の意。
【動きもえせねど】−副詞「え」、打消の助動詞「ね」已然形と呼応して不可能の意を表す。
【かれたる声の】−格助詞「の」同格を表す。しわがれた声で、の意。
【御迎への人びと参りて】−源氏邸の家臣たち。
【世に見えぬ】−大島本「世にみえぬ」とある。『古典セレクション』は諸本に従って「見えぬ」と「世に」を削除する。『集成』『新大系』は底本のままとする。
【今年ばかりの誓ひ】−以下「思ひたまへらるべきかな」まで、僧都の詞。前に「某僧都のこの二年籠りはべるかたに」とあった。とすると、もう一年、すなわち、千日籠もりの修業である。
【なかなかにも思ひたまへらるべきかな】−『集成』は「かえって執心が残りそうにおもわれることでございます」と解し、『完訳』は「なまじ源氏と会ったために、かえって別れがたくつらい気持」と注し、「かえってお名残り惜しゅう存ぜられるしだいでございます」と解す。「たまへ」(下二段、謙譲の補助動詞)「らる」(自発の助動詞)「べき」(推量の助動詞)「かな」(詠嘆の終助詞)。
【大御酒参りたまふ】−「大御酒」(接頭語「大御」)は神や天皇・主君に差し上げる酒。
【山水に】−以下「来ても見るべく」まで、源氏の詞と歌。
【心とまりはべりぬれど】−丁寧の補助動詞「はべり」連用形、完了の助動詞「ぬれ」已全然形+接続助詞「ど」逆接を表す。
【内裏よりもおぼつかながらせたまへるも】−「内裏」は帝をさす。格助詞「より」起点を表す。係助詞「も」同類を表す。尊敬の助動詞「せ」連用形+尊敬の補助動詞「たまふ」連体形、最高敬語。『集成』『古典セレクション』は諸本に従って「内裏より」と「も」を削除する。『新大系』は底本のままとする。
【かしこければなむ】−係助詞「なむ」の下に「まからむ」連体形などの語句が省略。帰らねばなりません、の意が省略。
【今この花の折過ぐさず参り来む】−辞去の挨拶。改めてお礼に参りましょうという意であるが、本人自身がではなく使者が代わって参上することであろう。
【宮人に行きて語らむ山桜--風よりさきに来ても見るべく】−源氏の贈歌。当山の桜の美しさを讃えて、もう一度訪れたいという当地を讃える挨拶の歌。
【とのたまふ御もてなし】−以下、源氏の様子。
【声づかひさへ目もあやなるに】−副助詞「さへ」添加の意。断定の動詞「なる」連体形+接続助詞「に」順接、原因理由を表す。
【優曇華の花待ち得たる心地して--深山桜に目こそ移らね】−僧都の唱和歌。源氏の和歌中より「山桜」の語句を用いて返す。いえ、あなたさまは山桜ではなく優曇華の花のように美しいという挨拶の歌。係助詞「こそ」、打消の助動詞「ね」已然形、係結びの法則。強調のニュアンス。
【時ありて】−以下「かたかなるものを」まで、源氏の詞。『集成』『完訳』共に『法華経』「方便品」の「かくの如きの妙法は諸仏如来の、時に乃ち之を説きたまふこと、優曇鉢華の時に一たび現るるが如きのみ」を踏まえた当意即妙の返答と指摘する。『集成』は「時あって一度咲くというその花は、めったに出会えぬということですのに」、『完訳』は「時あって、ただ一度咲くと言いますが、それはめったにないことだそうですのに」と、「なる」を共に伝聞推定の助動詞と解す。
【かたかなるものを】−「かたか」は形容詞「かたかる」連体形の「る」が撥音便化しさらに無表記の形。伝聞推定の助動詞「なる」連体形+接続助詞「ものを」逆接を表す。難しいというのに。
【聖御土器賜はりて】−聖が源氏から素焼きの盃に酒をいただく、意。上位の者から下位の者へと順に流れていく。
【奥山の松のとぼそをまれに開けて--まだ見ぬ花の顔を見るかな】−聖の唱和歌。源氏の和歌中の言葉「山」「見る」、僧都の和歌中の言葉「花」を引用して詠む。聖も僧都同様に源氏を讃美する。
【御まもりに独鈷たてまつる】−「独鈷」は真言密教で用いる煩悩を払い悟りを求める仏具。
【聖徳太子の百済より得たまへりける金剛子の数珠の】−「聖徳太子の」の「の」は格助詞、主格を表し、「数珠の」の「の」は格助詞、同格を表す。『岩波古語辞典』に「室町時代までクタラと清音か」とあり、図書寮本「類聚名義抄」に「百済瑟、久太良古度」とあり明確に清点があるという。なお、書陵部本は「くたらく」とある。御物本も書陵部本同様に「くたらく」とあり後出の「く」をミセケチにする。一方、横山本は「くたらく」と後出の「く」を補入、榊原家本、池田本、三条西家本は「ふたらく」とある。
【やがてその国より入れたる筥の】−「筥の」の「の」は格助詞、同格を表す。
【五葉の枝に付けて】−「藤、桜などに付けて」と共に贈り物を時節や場所柄に応じて植物の枝に結んで贈る。
【聖よりはじめ】−格助詞「より」起点を表す。
【法師の布施どもまうけの物どもさまざまに取りにつかはしたりければ】−語られてはいないが、源氏は昨日京に帰した供人に迎えに来るときに、お礼のお布施の品々を持参するよう申し伝えていた。『古典セレクション』は「さまざまに取り遣はしたりければ」としている。
【出でたまふ】−いったん「出でたまふ」といってからその間の内容を後から詳しく語る。
【かの聞こえたまひしこと】−源氏が僧都に少女を後見したいと言ったこと。「聞こえ」は「言ふ」の謙譲語。
【まねびきこえたまへど】−謙譲の補助動詞「聞こえ」連用形、尊敬の補助動詞「たまへ」已然形+接続助詞「ど」逆接を表す。僧都がそっくりそのまま尼君に申し上げなさるが。
【ともかくも】−『集成』『古典セレクション』は諸本に従って「ともかうも」とウ音便形表記。『新大系』は底本のまま。以下「ともかくも」まで、尼君の詞。兄の僧都に対して言った詞。
【いま四五年を過ぐしてこそは】−大島本「四五年」と表記。尼君の詞中の語句なので、「よとせ、いつとせ」と読んでおく。係助詞「こそ」、「ともかくも」の下に「考えめ」已然形などの語句が省略。
【さなむ】−尼君の詞を源氏に伝言。語り手がそれを省略して「さなむ」と表現したもの。係助詞「なむ」、下に「はべりき」連体形などの語句が省略。
【本意なしと思す】−『集成』は「がっかりなさる」と解し、『完訳』は「はがゆい気持」と解す。
【御消息僧都のもとなる小さき童して】−源氏から尼君への手紙。
【夕まぐれほのかに花の色を見て--今朝は霞の立ちぞわづらふ】−源氏の贈歌。「黄昏 ユフマクレ」(名義抄)「ユウマグレ [Yumagure] 夕暮れと着あるいは夜の初め」(日葡辞書)「花の色」は少女を喩える。「霞」「立ち」は縁語。「立ちぞわづらふ」は「霞立つ」を響かす。
【御返し】−「御」は客体の源氏に対する敬語表現。
【まことにや花のあたりは立ち憂きと--霞むる空の気色をも見む】−尼君の返歌。「花」「霞」「立つ」の語句を用いて返す。「花」に孫娘を、「霞むる空」に源氏を喩える。なお下二段「霞むる」連体形の用例は中古では珍しい。下二段の「かすむ」は「掠むる」なので(「帚木」に用例がある)、源氏が少女を奪おうとする、の意が響かされている。源氏の真意を確かめたいという返歌。
【とよしある手の】−格助詞「の」同格を表す。
【いとあてなるを】−『集成』『古典セレクション』は「気品のある文字を」と格助詞「を」目的格で訳す。接続助詞「を」逆接、とても上品であるが、とも訳せよう。
【御車にたてまつるほど】−「たてまつる」は「乗る」の尊敬表現。主語は源氏。
【いづちともなくておはしましにけること】−左大臣の詞を迎えの人々が言上した間接話法的詞。「おはします」は「おはす」よりさらに一段高い尊敬語。
【頭中将左中弁】−頭中将は「桐壺」巻に蔵人少将として初出、「帚木」巻に頭中将、「夕顔」巻に三位中将。左中弁は「夕顔」巻に蔵人弁として初出。頭中将の異母の弟。
【かうやうの御供には】−『集成』『古典セレクション』は諸本に従って「御供は」と「に」を削除する。『新大系』は底本のままとする。以下「させたまへること」まで、迎えの公達の詞。
【と思ひたまふるを】−謙譲の補助動詞「たまふる」連体形、接続助詞「を」逆接を表す。
【おくらさせたまへること】−大島本「おくらせ」の「ら」と「せ」の間に朱筆で「さ」を補入。なお「後る」は自ラ下二段動詞であって、四段動詞ではない。その他動詞形は「後(おく)らす」(他サ四)「後(おく)らかす」(他サ四)である。よって「後らさ」未然形+尊敬の助動詞「せ」連用形+尊敬の補助動詞「たまへ」已然形+完了の助動詞「る」連体形。
【いといみじき花の蔭に】−以下「飽かぬわざかな」まで、迎えの公達の詞。「花の蔭」は歌語。桜の花の咲いている木の蔭。『新大系』は「いざ今日は春の山辺にまじりなむ暮れなばなげの花の蔭かは」(古今集・春下・素性)を参考として指摘。他に「春来れば木隠れ多き夕月夜おぼつかなしも花蔭にして」(後撰集・春中・読人しらず)などがある。
【立ち帰りはべらむは】−丁寧の補助動詞「はべら」未然形+推量の助動詞「む」連体形、仮定の意を表す。
【土器参る】−「参る」は「呑む」の尊敬語。
【豊浦の寺の西なるや】−催馬楽「葛城」の一節。「葛城(かづらき)の 寺の前なるや 豊浦(とよら)の寺の 西なるや 榎(え)の葉井に 白璧(しらたま)沈(しづ)くや 真白璧沈くや おおしとと おしとど しかしては 国ぞ栄えむや 我家(わいへ)らぞ 富せむや おおしとと としとんど おおしとんど としとんど」。源氏の資質を讃美した。
【人よりは異なる君達を】−接続助詞「を」逆接を表す。この二人は普通の公達以上に優れた方であるが、それでも源氏の君の素晴しさには、という文脈。
【源氏の君いといたううち悩みて岩に寄りゐたまへる】−国宝『源氏物語絵巻』「若紫」断簡(東京国立博物館蔵)に描かれている。
【たぐひなくゆゆしき御ありさまにぞ】−この世にまたとなく不吉なまでに美しいお姿なのでの意。
【琴】−大島本「きむ」とある。七絃琴をさす。
【持て参りて】−「持て」は「持ちて」の約。
【これただ御手一つ】−以下「おどろかしはべらん」まで、僧都の詞。
【と切に聞こえたまへば】−「聞こえ」は「言ふ」の謙譲語。尊敬の補助動詞「たまへ」已然形+接続助詞「ば」順接の確定条件。
【乱り心地いと堪へがたきものを】−源氏の詞。「乱り心地」の下に格助詞「に」などの語が省略。接続助詞「ものを」逆接の意を表す。
【けに憎からず】−大島本は「けにゝ(ゝ+く<朱>)からす」とある。『集成』『古典セレクション』共に「けにくからず」と本文を改める。『新大系』は「げににくからず」と整定する。
【皆立ちたまひぬ】−一行は北山を出発なさった。
【飽かず口惜しと】−以下、場面変わって残った人々の様子を語る。
【この世のものともおぼえたまはず】−尼君たちの噂の詞。「たまふ」(四段尊敬の補助動詞)は、源氏に対する敬語表現。思われなさらないの意。仏菩薩の化身かと思う、という意。
【あはれ何の契りにて】−以下「悲しき」まで、僧都の源氏賛嘆の詞。
【かかる御さまながら】−接続助詞「ながら」連用修飾をする。そのままで、の意。
【生まれたまへらむと】−尊敬の補助動詞「たまへ」已然形+完了の助動詞「ら」未然形+推量の助動詞「む」連体形、推量の意。
【この若君】−紫の君をさす。
【宮の御ありさまよりも】−以下「まさりたまへるかな」まで、紫の君の詞。宮は父兵部卿宮をさす。紫の君は「宮」とだけいうが、それで当事者には、父宮をさすことが分かる。
【さらばかの人の】−以下「おはしませよ」まで、女房の詞。接続詞「さらば」それでは。「かの人」は源氏をさす。
【なりておはしませよ】−接続助詞「て」順接、「おはしませ」命令形+終助詞「よ」強調のニュアンス。
【いとようありなむ】−紫の君の心中。「よう」は形容詞「よく」連用形のウ音便形。ラ変「あり」連用形+完了の助動詞「な」未然形+推量の助動詞「む」終止形。
 [第六段 内裏と左大臣邸に参る]
【君はまづ内裏に参りたまひて】−段落変わって、京に帰ってからの物語。
【いといたう衰へにけり】−桐壺帝の詞。「いたう」は形容詞「いたく」連用形のウ音便形。完了の助動詞「に」連用形+過去の助動詞「けり」終止形、詠嘆の意。
【ゆゆしと思し召したり】−「思し召し」は「思ふ」の最高敬語。
【問はせたまふ】−尊敬の助動詞「せ」連用形+尊敬の補助動詞「たまふ」終止形、二重敬語。
【阿闍梨などにも】−以下「しろしめされざりけること」まで、帝の詞。
【なるべき者にこそあなれ】−推量の助動詞「べき」連体形、適当の意。断定の助動詞「に」連用形、係り助詞「こそ」。「あなれ」は「あるなれ」の「る」が撥音便化しさらに無表記の形。推定の助動詞「なれ」已然形、係結びの法則。強調のニュアンス。
【行ひの労は積もりて】−接続助詞「て」逆接の意。
【朝廷にしろしめされざりけること】−「しろしめさ」未然形は「知る」の最高敬語。受身の助動詞「れ」未然形+打消の助動詞「ざり」連用形+過去の助動詞「ける」連体形、詠嘆の意。
【尊がりのたまはせけり】−「のたまはせ」連用形は「言ふ」の最高敬語。
【大殿参りあひたまひて】−左大臣がちょうど出仕していて来合わせなさっての意。
【御迎へにもと】−以下「うち休みたまへ」まで、左大臣の詞。源氏の来訪を勧める。
【思ひたまへつれど】−謙譲の補助動詞「たまへ」連用形+完了の助動詞「つれ」已然形+接続助詞「ど」逆接を表す。
【忍びたる御歩きに】−格助詞「に」事の起こるもとを示す。によって、の意。
【いかがと思ひ憚りてなむ】−係助詞「なむ」、下に「はべり」+過去の助動詞「き」連体形などの語句が省略。
【一二日】−大島本に「一二日」と漢字表記である。いま「いち、ににち」と字音で読んでおく。和読み「ひとひ、ふつか」。
【やがて御送り仕うまつらむ】−左大臣の詞。ラ四動詞「仕うまつら」未然形+推量の助動詞「む」終止形、意志。
【さしも思さねど】−主語は源氏。副詞「さしも」。「思さ」未然形+打消の助動詞「ね」已然形+接続助詞「ど」確定逆接。
【引かされてまかでたまふ】−ラ下二動詞「引かされ」連用形+接続助詞「て」。
【我が御車に乗せたてまつりたまうて】−左大臣は源氏を。謙譲の補助動詞「たてまつり」連用形、尊敬の補助動詞「たまう」は「たまひ」連用形のウ音便形、接続助詞「て」。
【自らは引き入りてたてまつれり】−男性の場合、牛車の最上席は前方右側である。第二席がその向かいの左側、第三席は左側後ろ、第四席は右側後ろ席となる。時計の反対回り。女性の場合は、前方左側の席が最上席で、反対の時計回りの順。男女相乗りの場合は前方右側が男性、左側が女性となる。ラ四「たてまつれ」已然形(「乗る」の尊敬語)+完了の助動詞「り」終止形。
【さすがに】−やはりの意。『完訳』は「葵の上には気がすすまないが、それでも左大臣に対しては」と解す。
【心苦しく思しける】−胸のつまる思い、気の毒なの意。『古典セレクション』は「おいたわしくお思いになるのだった」と訳す。
【おはしますらむと心づかひしたまひて】−「おはします」終止形は最高敬語。推量の助動詞「らむ」終止形、視界外推量を表す。尊敬の助動詞「たまひ」連用形+接続助詞「て」。
【久しく見たまはぬほど】−主語は源氏。『集成』『古典セレクション』は諸本に従って「久しう」とウ音便形に改める。『』は底本のまま。
【女君例のはひ隠れて】−正妻の葵の上。「例の」とあるように習慣化している。
【とみにも出でたまはぬを】−係助詞「も」強調のニュアンス。格助詞「を」目的格を表す。
【からうして】−『集成』『新大系』は「からうして」と清音、『古典セレクション』は「からうじて」と濁音で読む。『岩波古語辞典』は「古くは清音か」といい、語源と『日葡辞書』の用例を典拠にあげる。
【渡りたまへり】−主語は葵の上。大殿邸の源氏の部屋に葵の上のほうが出て来たという意。『完訳』は「女君の部屋から源氏の前へ」と解す。
【ただ絵に描きたるものの姫君のやうに】−当時の物語絵の中の姫君のように美しく着飾られているがじっとしていて動かない。
【し据ゑられて】−ワ下二動詞「し据ゑ」未然形+受身の助動詞「られ」連用形、接続助詞「て」。
【思ふこともうちかすめ】−以下「御心の隔てもまさるを」まで、源氏の心中と地の文とが融合したような叙述である。その長文が源氏の屈曲した心の綾を表現する。「思ふこともうちかすめ」と「山道の物語をも聞こえむ」は並列の構文。
【言ふかひありてをかしういらへたまはばこそあはれならめ】−挿入句。係助詞「こそ」推量の助動詞「め」已然形、係結びの法則、逆接用法で下文に続く。
【世には心も解けず】−『古典セレクション』「「世には」は強調の語法。じつにまあ、ことのほかに、の意」と注す。副詞「世に」実に。
【うとく恥づかしきものに思して】−主語は葵の上。
【年のかさなるに添へて】−源氏と葵の上の結婚は「桐壺」巻の源氏十二歳の元服の夜であった。当「若紫」巻は、新年立によれば、源氏十八歳。六年の歳月が流れる。
【いと苦しく思はずに】−主語は源氏。「思はずに」は連語「思はず」連用形、意外だの意+断定の助動詞「に」連用形。いわゆる形容動詞「思はずなり」の連用形。
【時々は】−以下「めづらしう」まで、源氏の詞。
【世の常なる御気色を見ばや】−「世」は夫婦仲。終助詞「ばや」話者の願望を表す。
【いかがとだに】−副助詞「だに」最小限を表す。せめて--だけでも。
【問ひたまはぬこそ】−御物本、榊原家本、池田本、三条西家本は「とはせ給はぬこそ」という二重敬語表現。横山本は「とうたまはぬこそ」、肖柏本は「とふらひ給はぬこそ」とある。書陵部本が大島本と同文。河内本は「とはせ給はぬも」とある。『集成』は「とはせ給はぬこそ」と本文を改める。『古典セレクション』『新大系』は底本のままとする。係助詞「こそ」は断定の助動詞「なれ」已然形に係るが、下に接続助詞「ど」逆接が続いたために、結びの流れとなっている。
【なほうらめしう】−「うらめしく」のウ音便形。言いさした形で余意余情表現。
【問はぬはつらきものにやあらむ】−葵の上の詞。『源氏釈』は「君をいかで思はむ人に忘らせてとはぬはつらきものとしらせむ」(源氏釈所引、出典未詳)を指摘。その他「とはぬはつらきもの」という句を含む和歌として、「忘れねと言ひしにかなふ君なれど問はぬはつらきものにぞありける」(後撰集 恋五 九二八 本院のくら)、「言も尽きほどはなけれど片時も問はぬはつらきものにぞありける」(古今六帖五)などもある。尋ねないというのは本当に辛いことなのでしょうか、もしそうなら、訪ねてくださらないわたしの辛い気持ちもお分かりでしょう、と「問ふ(見舞う)」を「訪ふ」の意に変えて切り返した。『古典セレクション』は「心を開いて素直に源氏を待ち迎えることのできない葵の上は、かろうじて古歌によりつつ恨みを述べる」と注す。
【いと恥づかしげに】−『集成』は「近づきがたい感じ」と解す。
【まれまれは】−以下「よしや命だに」まで、源氏の詞。「まれまれは」は、たまさかにおっしゃるかと思えばの意。
【訪はぬなど言ふ際は】−葵の上の「問はぬはつらき」を受けて切り返す。『古典セレクション』は「「問はぬはつらき」などという言葉は、忍んで通う程度の関係ならともかく、世間公認の夫婦である源氏と葵の上との仲で言うべきことではない、といなした」と注す。
【異にこそはべるなれ】−「異」は他の夫婦。係助詞「こそ」、丁寧語「はべる」連体形、断定の助動詞「なれ」已然形、係結びの法則。強調のニュアンス。
【はしたなき御もてなし】−『集成』は「取り付く島もないお仕打ち」と解す。
【とざまかうさまに】−「左之右之、トザマカウサマ、自由自在義也(文明本節用集)」(岩波古語辞典)。
【いとど思ほし疎むなめりかし】−『集成』『古典セレクション』は諸本に従って「思し」と校訂。『新大系』は底本のまま。「思ほし」のまま。「なめり」は断定の助動詞「なる」連体形の「る」が撥音便化しさらに無表記形+推量の助動詞「めり」終止形、主観的推量、終助詞「かし」念押し。
【よしや命だに】−『奥入』は「命だに心にかなふものならば何か別れの悲しからまし」(古今集 離別 三八七 しろめ)を指摘する。生きているうちにいつか直る時があろうの意。『集成』は「引歌があろうが、明らかでない」と注す。『完訳』は「やや不審」という。
【聞こえわづらひたまひて、うち嘆きて臥したまへるも】−主語は源氏。『集成』は「〔源氏は〕誘いあぐねなさって」「よこになられたが」と解すが、『古典セレクション』は「「聞こえ…臥したまへるも」は、葵の上の動作と解す」と注し、「申し上げる言葉もさがしあぐねられて、ため息をついて横におなりになるが」と訳す。
【なま心づきなきにやあらむ】−語り手が源氏の心情を想像した挿入句。『休聞抄』に「双也」とあり草子地と指摘。
【ねぶたげにもてなして】−『古典セレクション』は「源氏の、葵の上を避ける態度」と注す。
【この】−横山本、榊原家本、池田本、三条西家本は「かの」とある。御物本と肖柏本、書陵部本が大島本と同文。河内本は「かの」とある。
【この若草の】−『集成』は「以下、源氏の心中」と解す。「この若草」という呼び方は源氏の心中に即したような表現。『完訳』は「似げないほど」以下「ひとつ后腹なればにや」までを源氏の心中と解す。
【なほゆかしきを】−接続助詞「を」順接、原因理由を表す。ので。
【似げないほどと思へりしも】−主語は尼君。尼君の態度に対して特に敬語を使っていない。
【匂ひやかになどもあらぬを】−接続助詞「を」逆接を表す。
【かの一族】−先帝の一族。具体的には叔母の藤壺宮。大島本「ひとそう」と訓読した仮名表記。
【おぼえたまふらむ】−主語は紫の上。「おぼえ」は、似る意。
【ひとつ后腹なればにや】−主語は兵部卿宮。断定の助動詞「なれ」已然形+接続助詞「ば」順接の確定条件を表す。断定の助動詞「に」連用形+係助詞「や」疑問を表す。
 [第七段 北山へ手紙を贈る]
【またの日】−北山から帰っての翌日。
【御文たてまつれたまへり】−他下二「たてまつれ」連用形。人をして手紙を差し上げ、の意。尊敬の補助動詞「たまへ」已然形、完了の助動詞「り」終止形。
【僧都にもほのめかしたまふべし】−推量の助動詞「べし」終止形、語り手の想像。
【もて離れたりし】−以下「いかにうれしう」まで、源氏の手紙文。相手の態度に対して特に敬語を付けていない。
【思ひたまふるさまをも】−主語は源氏。謙譲の補助動詞「たまふる」連体形。
【えあらはし果てはべらずなりにしをなむ】−副詞「え」は打消の助動詞「ず」連用形と呼応して不可能の意を表す。丁寧の補助動詞「はべら」未然形、手紙文中の用例。官僚の助動詞「に」連用形+過去の助動詞「し」連体形+格助詞「を」目的格+係助詞「なむ」。下に「口惜しう思ひ給ふる」などの語句が省略。言いさした形で、余意余情表現。
【おしなべたらぬ志のほどを】−バ下二「おしなべ」連用形+完了の助動詞「たら」未然形+打消の助動詞「ぬ」連体形。並々ならない、の意。
【御覧じ知らば】−「知ら」未然形+接続助詞「ば」順接の仮定条件を表す。
【いかにうれしう】−「うれしう」連用中止法。下に「思はむ」などの語句が省略。
【小さく引き結びて】−尼君への正式な立て文の書状の中に結び文を鋏み込んだもの。結び文は恋文の形式。少女宛てなので小さく結んだ。
【面影は身をも離れず山桜--心の限りとめて来しかど】−源氏の贈歌。「面影」は少女の面影、「山桜」に喩える。「とめて」は「止めて」の意。大島本は仮名表記「こしかと」。カ変「来(こ)」未然形+過去の助動詞「しか」已然形+接続助詞「ど」逆接。過去の助動詞「き」は本来連用形に続くが、カ変「来」の場合、「し」連体形及び「しか」已然形は「こし」「こしか」、「きし」「きしか」と、未然形「こ」と連用形「き」の両方に続く。中世になると「こし」「こしか」が普通となる。
【夜の間の風もうしろめたくなむ】−和歌に添えた言葉。『異本紫明抄』は「朝まだき起きてぞ見つる梅の花夜の間の風の後めたさに」(拾遺集 春 二九 元良親王)を指摘。『古典セレクション』は「山桜にたとえられる紫の上が今にもどこかへ引き取られはせぬかと危惧する気持」と注す。
【さだ】−大島本は「また」とある。大島本の独自異文。変体仮名の字母「左」と「万」の類似から生じた誤写であろう。諸本によって改める。
【あなかたはらいたやいかが聞こえむ】−尼君の心中。「かたはらいた」は形容詞「かたはらいたし」の語幹。間投助詞「や」詠嘆。推量の助動詞「む」連体形。
【ゆくての御ことは】−以下「うしろめたう」まで、尼君の返書。「ゆくて」は行きががりの意。
【思ひたまへなされしを】−謙譲の補助動詞「たまへ」連用形、自発の助動詞「れ」連用形、過去の助動詞「し」連体形+接続助詞「を」逆接を表す。
【まだ難波津をだに】−『紫明抄』は「難波津に咲くやこの花冬ごもり今は春べと咲くやこの花」(古今集仮名序)を指摘。初心者の手習い歌である。副助詞「だに」最小限を表す。
【はかばかしう続けはべらざめれば】−仮名文字を連綿体で書くこと。「ざめれ」は「打消の助動詞「ざる」連体形「る」が撥音便化しさらに無表記形+推量の助動詞「めれ」已然形、主観的推量+接続助詞「ば」順接の確定条件を表す。
【かひなくなむ】−係助詞「なむ」、下に「はべる」連体形などの語が省略。
【さても】−連語(副詞「さて」+係助詞「も」)そんな状態でもやはり。
【嵐吹く尾の上の桜散らぬ間を--心とめけるほどのはかなさ】−尼君の返歌。源氏の歌に添えた「夜の間の風」を「嵐吹く」と受け、また「山桜」を「尾の上の桜」と受けて応える。束の間の心寄せではないかとして切り返す。
【いとどうしろめたうとあり】−【いとどうしろめたう】−歌に添えた言葉。源氏が気掛かりに思う以上にこちらは一層心配だ、の意。形容詞「うしろめたう」連用形、ウ音便形。連用中止法。言い切らない余意余情表現。
【二三日ありて】−大島本は漢字表記で「二三日」とある。字音で「にさむにち」と読んでおく。
【惟光をぞたてまつれたまふ】−係助詞「ぞ」は尊敬の補助動詞「たまふ」連体形に係る、係結びの法則。強調のニュアンス。下二「たてまつれ」連用形、使者を差し上げる、意。
【少納言の乳母】−以下「詳しう語らへ」まで、源氏の詞。前に「少納言の乳母とぞ人いふめるはこの子の後見なるべし」とあった。
【と言ふ人あべし】−「あべし」はラ変「ある」連体形「る」が撥音便化しさらに無表記形+推量の助動詞「べし」終止形。
【さもかからぬ隈なき】−以下「いはけなげなかりしけはひを」まで、惟光の心中。副詞「さも」まったく、いかにも。「かから」未然形は「関る・係る・懸る・掛る」の意+打消の助動詞「ぬ」連体形。抜け目ない。
【さばかりいはけなげなりしけはひを】−副詞「さばかり」。過去の助動詞「し」連体形。接続助詞「を」逆接を表す。あれほど幼げな様子だったのに。
【かう御文あるを】−接続助詞「を」順接を表す。お手紙があったので。
【詳しく思しのたまふさまおほかたの御ありさまなど語る】−主語は惟光。「詳しく」は「語る」に掛かる。「思しのたまふさま」と「おほかたの御ありさま」は並列の構文。
【言葉多かる人にて】−惟光の人柄。『集成』は「多弁な人物で」と解し、『完訳』は「口の達者な男」と解す。
【いとわりなき御ほどをいかに思すにか】−尼君と僧都の心中。源氏の心を思う。
【誰も誰も思しける】−「誰も誰も」は「思す」という敬語表現なので、僧都と尼上のこと。過去の助動詞「ける」連体形、係助詞「なむ」の係結びの法則。
【かの御放ち書き】−尼君の返書に「まだ「難波津」をだにはかばかしう続けはべらざめれば」とあったのを受ける。
【なほ見たまへまほしき】−謙譲の補助動詞「たまへ」連用形、希望の助動詞「まほしき」連体形、係助詞「なむ」の係結びの法則。
【あさか山浅くも人を思はぬに--など山の井のかけ離るらむ】−源氏の贈歌。『紫明抄』は「浅香山影さへ見ゆる山の井の浅き心を我が思はなくに」(古今集仮名序)を指摘。尼君の「難波津」に寄せて、和歌の手習い歌である「浅香山」の歌を踏まえた歌を贈った。「かけ離る」は「影離る」との掛詞。当時は濁音表記がないので文字表記だけから見れば共に「かけはなれ」となる。
【汲み初めてくやしと聞きし山の井の--浅きながらや影を見るべき】−尼君の返歌。『異本紫明抄』は「悔しくぞ汲みそめてける浅ければ袖のみ濡るる山の井の水」(古今六帖二 山の井)を指摘。係助詞「や」、推量の助動詞「べき」連体形、係結びの法則。反語表現。「影」は孫娘をさす。孫娘をお見せすることができましょうか、いえできませんの意。
【このわづらひたまふことよろしくは】−以下「聞こえさすべき」まで、少納言の乳母の詞。「この」は尼君をさす。「よろしく」未然形+接続助詞「は」、順接の仮定条件を表す。多少よくなったら。
【このごろ】−『古典セレクション』は「このごろ」と濁音に読む。『集成』『新大系』は清音に読んでいる。「今来・比日・今属、コノゴロ」(名義抄)。「奈良時代にはコノコロと清音。平安時代以後コノゴロ」(岩波古語辞典)。
【聞こえさすべき】−「聞こえさす」終止形は「言ふ」の最も丁重な謙譲語。推量の助動詞「べき」連体形、係助詞「なむ」と係結びの法則。
【とあるを心もとなう思す】−助詞「を」について、『今泉忠義訳』は「と少納言からの口上なので」と接続助詞、順接の意に、『古典セレクション』は「少納言の乳母の返事があるのを」と格助詞、目的格の意に、それぞれ訳す。
 

第二章 藤壷の物語 夏の密通と妊娠の苦悩物語

 [第一段 夏四月の短夜の密通事件]
【藤壺の宮悩みたまふことありて】−物語は変わって、藤壺の物語。源氏、北山帰京の後、季節は夏四月。源氏と藤壺のスリリングな逢瀬が夏の季節の短夜を背景にして語られる。
【まかでたまへり】−後の「賢木」巻に三条宮邸と知られる。尊敬の補助動詞「たまへ」已然形+完了の助動詞「り」完了の意。
【いといとほしう見たてまつりながら】−主語は源氏。父帝に対する気持ち。
【かかる折だにと】−副助詞「だに」最小限の願望。せめてこのような機会にでもと。
【つれづれと】−御物本は「つく(く$れ)つく(く$れ)と」。榊原家本、池田本、肖柏本、三条西家本、書陵部本は「つくつくと」とある。横山本は大島本と同文。河内本は「つくつくと」とある。
【王命婦】−藤壺の宮付きの女房。その呼称によって皇族出身の命婦と知られる。
【いかがたばかりけむ】−語り手の挿入句。『休聞抄』は「双書様のならひ也」と指摘。『完訳』は「語り手の言葉。「いかがたばかりけむ」で、その経過の詳細を省き、一挙に密会場面へと展開」と指摘する。過去推量の助動詞「けむ」連体形。
【わびしきや】−間投助詞「や」詠嘆。語り手の感想を交えた叙述。萩原広道『評釈』は「源氏の心を評じたる也」と指摘。『集成』は「たまさかの、はかない逢瀬を悲しむ源氏の気持」と解し、『完訳』は「予想外の事態に処しかねる気持」と解す。この逢瀬が夢ではなく現実であるにもかかわらず、それが現実のことと思えない、つらさ。
【宮もあさましかりしを思し出づるだに】−「あさましかり」連用形、過去の助動詞「し」連体形、格助詞「を」目的格、「思し出づる」連体形、副助詞「だに」最小限。源氏と藤壺宮の逢瀬が過去にも一度あったという叙述のしかたである。
【さてだにやみなむと】−藤壺の心中。副助詞「だに」最小限。完了の助動詞「な」未然形、確述の意+推量の助動詞「む」終止形、意志。せめてそれきりだけで終わりにしたい、の意。
【深う思したるに】−主語は藤壺。接続助詞「に」逆接を表す。
【いと憂くて】−『集成』『古典セレクション』は諸本に従って「心憂くて」と「心」を補訂する。『新大系』は底本のままとする。『古典セレクション』は「この「心憂し」は「憂し」とほぼ同意。「憂し」は、自分自身のせいでつらく思う意で、自らの運命を痛恨する気持。藤壺は、源氏との関係を避けがたい宿運として嘆く」と注す。
【いみじき御気色なるものからなつかしうらうたげに】−藤壺の心中叙述から源氏の見た藤壺像へと文章は変化し移ってゆく。
【さりとてうちとけず】−すっかり馴れ馴れしくはならないのは、高貴な貴族にとって品位を保つ上で大切なこと。
【なほ人に似させたまはぬを】−副詞「なほ」。尊敬の助動詞「させ」連用形+尊敬の補助動詞「たまは」未然形、最高敬語。打消の助動詞「ぬ」連体形+格助詞「を」目的格を表す。
【などか】−以下「たまはざりけむ」まで、源氏の心中。
【なのめなることだに】−「なのめ」は普通、平凡の意。副助詞「だに」最小限を表す。
【つらうさへぞ思さるる】−副助詞「さへ」添加を表す。係助詞「ぞ」、自発の助動詞「るる」連体形、係結びの法則。
【何ごとをかは聞こえ尽くしたまはむ】−以下、語り手の評言。『集成』は句点にして、文を完結する。連語「かは」(係助詞「か」+係助詞「は」)、推量の助動詞「む」連体形。反語表現の構文。
【くらぶの山に】−歌語「暗部山」。「鞍馬山」のこと。「比ぶ」「暗し」のイメージを内包する語句。ここは後者の意。『源氏釈』は「墨染の鞍馬の山に入る人はたどるたどるも帰り来ななむ」(後撰集 恋四 八三三 平中興が女)を指摘。「秋の夜の月の光し明かければ暗部の山も越えぬべらなり」(古今集・秋上・元方)。『集成』『完訳』は、歌枕として指摘する。
【あやにくなる】−語り手の感情を交えた表現。
【短夜にて】−夏四月頃の短夜。
【あさましうなかなかなり】−「あさまし」は、あきれて情けない意。副詞「なかなか」かえって--しない方がましなくらいである、の意。
【見てもまた逢ふ夜まれなる夢のうちに--やがて紛るる我が身ともがな】−源氏の贈歌。夢が実現する意味の「合ふ世」と男女の「逢ふ世」の掛詞。「見る」「あふ」「夢」は縁語。夢の中にこのまま紛れ込んでしまいたいの意。「夢」の贈答歌について、『完訳』は「『伊勢物語』六十九段の投影」と指摘する。小野小町の「思ひつつ寝ればや人の見えつらむ夢と知りせば覚めざらましを」(古今集 恋歌二 五五二)歌他の「夢」と「現」の文学伝統が通底している。連語「ともがな」(格助詞「と」+終助詞「もがな」)願望を表す。
【むせかへりたまふさまも】−源氏の振るまい。『古典セレクション』「「かへる」は動作状態の反復、転じて窮まったさまを表す」と注す。涙にひどくむせぶ。
【さすがにいみじければ】−藤壺の源氏を拒絶しきれない心情。
【世語りに人や伝へむたぐひなく--憂き身を覚めぬ夢になしても】−藤壺の返歌。源氏の「夢」「身」の語句を用いて返す。『新大系』「藤壺の返しは世間の目への恐れを全面に立てつつも、歌の贈答を成立させることによって深くも源氏の無謀な恋情を受け入れている」と注す。係助詞「や」、推量の助動詞「む」連体形、係結びの法則。
【思し乱れたるさまも】−以下、語り手の感想を交えた評言。敬語が付かない。
【かき集め持て来たる】−『集成』は「悲しみに茫然として帰ろうとしない源氏に、脱ぎ捨てておいた直衣などをかき集めて持って来て、帰り支度をうながすのである」と解す。部屋の中での出来事とする。
【殿におはして】−二条院。主語は源氏。
【御文なども】−源氏から藤壺への後朝の手紙。
【例の御覧じ入れぬよしのみあれば】−例の」は「御覧じ入れぬ」を修飾。『古典セレクション』は「藤壺は源氏の消息を受け付けない。「例の」とあり、それが習慣化している」と注す。王命婦から源氏へ、藤壺は源氏の手紙を御覧になりません、という返事の意。
【二三日】−大島本は漢字表記で「二三日」とある。今字音で「にさむにち」と読んでおく。
【またいかなるにかと】−前にわらわ病みを心配。
【御心動かせたまふべかめるも】−主語は帝。尊敬の助動詞「せ」連用形+尊敬の補助動詞「たまふ」終止形。「べかめる」は推量の助動詞「べかる」連体形の「る」が撥音便化しさらに無表記形+推量の助動詞「める」連体形、主観的推量、係助詞「も」。きっと御心配あそばすにちがいないらしいにつけてもというニュアンス。
【恐ろしうのみおぼえたまふ】−源氏の心理。『集成』は「罪深いことだ」と解す。『完訳』は「帝の自分へのいたわりにつけても、源氏は犯した罪を恐れる」と解す。源氏は再犯である。
 [第二段 妊娠三月となる]
【とく参りたまふべき御使】−桐壺帝から藤壺へ内裏に帰参するようにとの勅使。
【思しも立たず】−主語は藤壺。係助詞「も」強調のニュアンス。
【御心地例のやうにもおはしまさぬは】−妊娠二、三か月の悪阻の徴候。
【人知れず思すこと】−源氏との逢瀬。
【暑きほどは】−夏六月ころの気候。
【三月になりたまへば】−妊娠して三か月。源氏との密通事件は四月の短夜、今は、夏の最も暑い六月。密通・妊娠という主題が夏の暑苦しさを季節的背景としてかたられていく。この物語の主題と季節との類同的発想の一つ。
【人びと見たてまつりとがむるに】−注目する、不審がる、の意。女房たちは事の真実を知らないから、非難する、という意ではない。接続助詞「に」順接を表す。
【あさましき御宿世のほど心憂し】−「心憂し」とは、語り手と登場人物藤壺の心が一体化したような表現。敬語が付かない。『新大系』「子種をさずかることは前世からの宿縁によるという考え方」と注す。
【この月まで奏せさせたまはざりけること】−女房たちの詞。どうして今までめでたいことを隠していたのかという驚き。「奏す」は帝に申し上げる意。尊敬の助動詞「させ」未然形+尊敬の補助動詞「たまは」未然形+打消の助動詞「ざり」連用形+過去の助動詞「ける」連体形。
【我が御心一つにはしるう思しわくこともありけり】−源氏の子をみごもったという事をさす。王命婦を除く他の女房たちは知らない。「ありけり」というように、語り手は、読者の前に秘話を語る。
【御湯殿】−当時は入浴法は沐浴である。日光田母沢御用邸記念公園の御湯殿を見ることができる。
【御乳母子の弁命婦】−藤壺の乳母子の弁と王命婦。下文に「命婦は」とあり、弁はともかくも、源氏の手引きをした命婦は運命を感じ取っている、という叙述。
【なほ逃れがたかりける御宿世をぞ】−地の文であるが、「なほ」には王命婦の感想が交えられた表現である。
【内裏には】−以下「奏しけむかし」まで、語り手の推測として語る。『休聞抄』は「双也」と注し、『評釈』は「奏上の言葉をこの物語の語り手(作者)は知っているのではない、という気持」と注す。
【おはしましけるやうに】−主語は藤壺。
【奏しけむかし】−過去推量の助動詞「けむ」終止形+終助詞「かし」念押し。奏上したのであろうよの意。『集成』は「奏上したらしかった」と解し、『完訳』は「奏上したようである」と解す。
【見る人も】−御物本、横山本、肖柏本は「みな人も」とある。榊原家本、池田本、三条西家本は大島本と同文。『新大系』「判断する人、占いを見る人のたぐいか」と注す。
【いとどあはれに】−主語は帝。寵妃の藤壺が懐妊したことを喜ぶ気持ち。
【そら恐ろしう】−主語は藤壺。
【中将の君も】−源氏をさす。官職名で呼ぶ。公人としてのニュアンスをこめる。
【おどろおどろしうさま異なる夢】−通常の夢とは違った異様な夢、霊夢。予言的な意味のある夢。
【合はする者】−夢占いをする者。
【問はせたまへば】−使役の助動詞「せ」連用形+尊敬の補助動詞「たまへ」已然形+接続助詞「ば」順接の確定条件を表す。夢占いをして占わせなさると。
【及びなう思しもかけぬ筋のこと】−実に尊い子を授かるだろう、という内容か。当時の感覚でいえば、神の子の異常出生か将来に帝となる子ということだろう。『集成』は「源氏が天子の父となるであろうということ」と注す。『古典セレクション』も同じ。『真大系』「分に過ぎたるお思い寄りもせぬ方面の内容を合せたことだ。謎として読者に与えられる」と注す。
【その中に違ひ目ありて慎しませたまふべきことなむはべる】−夢解の詞。その夢を見た人の運勢の中には一時順調に行かないことがあるという意。のちに源氏の須磨明石流離となって現実化する。尊敬の助動詞「せ」連用形+尊敬の補助動詞「たまふ」終止形、二重敬語。推量の助動詞「べき」連体形、当然の意。しなければならない。係助詞「なむ」、「はべる」連体形、係結びの法則。
【と言ふに】−接続助詞「に」順接の意。
【みづからの夢にはあらず】−以下「人にまねぶな」まで、源氏の詞。源氏は他人の夢の話だと言いながら、一方で夢占の者に他言を制す。
【人の御ことを】−敬語「御」が付いているので帝を想定した発言。
【また人にまねぶな】−副詞「また」は他にの意。「なねぶ」は見聞きしたことを他人に言う意。
【この女宮の御こと】−藤壺の宮の御懐妊の事をさしていう。
【もしさるやうもや】−『集成』は「もしや自分のお子ではないか」と解す。『完訳』は「もしかするとあの夢はこういうわけがあってのことでもあろうか」と解す。
【さらにたばかるべきかたなし】−副詞「さらに」、形容詞「なし」と呼応して、全然ない、意。
【たまさかなりしも絶え果てにたり】−断定の助動詞「なり」連用形、過去の助動詞「し」連体形、係助詞「も」、完了の助動詞「に」連用形、完了の助動詞「たり」終止形。
 [第三段 初秋七月に藤壺宮中に戻る]
【七月になりて】−季節は初秋七月に移る。大島本は漢字表記で「七月」とあり、行間注記には「フツキ」と振り仮名がある。
【めづらしうあはれにて】−「めづらし」には四か月ぶりの参内と御懐妊の事の両方の気持ちがある。
【すこしふくらかになりたまひて】−藤壺の妊娠の具合をさしていう。接続助詞「て」弱い逆接的接続。
【はたげに似るものなくめでたし】−副詞「はた」ある一面を認めながらそれとはべつの一面について述べる。副詞「げに」帝の御寵愛が深いのももっともだという、語り手の感情移入表現。
【例の明け暮れこなたにのみおはしまして】−以下、主語は帝。「こなた」は藤壺の局である藤壺すなわち飛香舎または清涼殿の藤壺の上局。
【源氏の君も暇なく召しまつはしつつ】−係助詞「も」同類を表す。藤壺の他に源氏も。接続助詞「つつ」同じ動作の繰り返し。
【いみじうつつみたまへど忍びがたき気色の漏り出づる折々】−源氏の藤壺思慕の態度。時々は外に現れることがあったと語る。「桐壺」巻に「琴笛の音に聞こえ通ひ」とあった。
【宮もさすがなる事どもを多く思し続けけり】−藤壺の悩む態度。『完訳』は「「さすがに」は、源氏への感情を抑えようにも抑え切れない気持」と指摘。物語には帝について何とも語られていないが、やがて二人の関係を知って行くのではなかろうか。それが自然なふうに布石されているように思われる。
 

第三章 紫上の物語(2) 若紫の君、源氏の二条院邸に盗み出される物語

 [第一段 紫の君、六条京極の邸に戻る]
【かの山寺の人はよろしくなりて】−北山の尼君をさす。やや話題から遠く離れた感じを与える紹介の仕方である。物語は再び紫の上の物語に転じる。『集成』『古典セレクション』は諸本に従って「よろしう」とウ音便形にする。『新大系』は底本のまま。
【出でたまひにけり】−完了の助動詞「に」連用形、過去の助動詞「けり」終止形。その間に山から京の邸に帰って来ていたのであったというニュアンス。
【この月ごろはありしにまさる物思ひに】−藤壺の宮との事件以後の悩みをさす。
【異事なくて】−他の事を省みる間もなくての意。
【秋の末つ方】−季節は晩秋に移る。藤壺の物語は夏から初秋そして中秋まで語られていた。
【いともの心細くて嘆きたまふ】−主語は源氏。
【からうして思ひ立ちたまへるを】−接続助詞「を」弱い逆接。やっとのことで思い立って出掛けたのに、あいにく時雨が降ってきて、というニュアンス。『集成』『新大系』は清音に読むが、『古典セレクション』は「からうじて」と濁音に読む。
【おはする所は六条京極わたりにて】−「夕顔」巻に「六条わたりの御忍びありきのころ」とあった。六条の貴婦人のもと。
【すこしほど遠き心地するに】−接続助詞「に」弱い順接。--していると。
【荒れたる家の】−格助詞「の」同格を表す。荒れた邸で。
【木暗く見えたるあり】−大島本「こくらく」とある。『集成』『古典セレクション』は諸本に従って「木暗う」とウ音便形に改める。『新大系』は底本のまま。
【故按察使大納言の家にはべりて】−以下「となむ申してはべりし」まで、惟光の詞。
【はべりて】−御物本、横山本、榊原家本、池田本、三条西家本、書陵部本は「侍り一日」とある。肖柏本は「侍る」とある。河内本は「はへる一日」とある。『集成』『古典セレクション』は「はべり。一日」と本文を改める。『新大系』は大島本のまま「侍りて」とする。
【とぶらひて】−御物本は「〔せうなこん−補入〕とふらひて」、榊原家本は「少納言とふらひて」とある。
【はべりしかば】−丁寧の補助動詞「はべり」連用形、過去の助動詞「しか」已然形+接続助詞「ば」順接の確定条件を表す。ある事態を契機として、たまたま以下の事態が起きたことに気付いたことを表す。--したところ。
【かの尼上】−惟光は詞文の中では、敬意をもって「尼上」と呼称する。
【となむ申してはべりし】−主語は少納言の乳母。惟光が要約した間接話法的表現であろう。係助詞「なむ」、丁寧の補助動詞「はべり」連用形、過去の助動詞「し」連体形、係結びの法則。
【あはれのことや】−以下「消息せよ」まで、源氏の詞。間投助詞「や」詠嘆の意。
【とぶらふべかりけるを】−ハ四「とぶらふ」終止形、推量の助動詞「べかり」連用形、当然の意、過去の助動詞「ける」連体形、接続助詞「を」逆接を表す。お見舞いをすべきであったのに。
【などかさなむとものせざりし】−連語「などか」(副詞「など」+係助詞「か」疑問)、過去の助動詞「し」連体形に係る。副詞「さ」は惟光の詞を受ける。係助詞「なむ」の下に「はべる」連体形などの語が省略。サ変「ものせ」未然形、は「言ふ」「告ぐ」などの代動詞。打消の助動詞「ざり」連用形、過去の助動詞「し」連体形。
【とのたまへば人入れて案内せさす】−ハ四「のたまへ」已然形+接続助詞「ば」順接の確定条件、原因理由を表す。源氏がおっしゃるので。以下の主語は惟光。「人」は供人。使役の助動詞「さす」終止形。
【わざとかう立ち寄りたまへること】−間接話法であろう。わざわざとは、虚偽である。
【かく御とぶらひになむおはしましたる】−惟光から源氏の伝言を託された供人の挨拶詞。「かく」は「わざと」の内容を要約したもの。係助詞「なむ」、完了の助動詞「たる」連体形、係結びの法則、強調のニュアンス。
【いとかたはらいたきこと】−以下「御対面などもあるまじ」まで、女房の詞。
【ならせたまひにたれば】−尊敬の助動詞「せ」連用形+尊敬の補助動詞「たまひ」連用形、二重敬語、会話文中の用例。完了の助動詞「に」連用形、完了の助動詞「たれ」已然形+接続助詞「ば」順接の確定条件、原因理由を表す。
【南の廂ひきつくろひて】−寝殿の南の廂の間。正客を迎え入れる場所。
【いとむつかしげにはべれど】−以下「御座所になむ」まで、女房の詞。この場面、『集成』は「ぶしつけに、こうした奥まったうっとうしい御座所にご案内申し上げまして(恐縮でございます)。尼君の病床のある対の屋などに迎えたからこう言ったのであろう。普通は寝殿の南面に招じる」と注す。『完訳』は「正客を迎える寝殿南面の廂の間。尼君はその奥の母屋に病臥」「薄暗くうっとうしい雰囲気の意か。病人のいる古家の気分をいい、奥まった場所の意ではない」と注す。
【ゆくりなう】−『集成』は「ぶしつけに」と解し、『完訳』は「思いがけぬご訪問で」と解す。
【もの深き御座所になむ】−大島本は仮名表記で「おまし所」とある。係助詞「なむ」の下に「はべる」連体形などの語が省略。『古典セレクション』は「実際には源氏の御座所は建物の外側に近い廂の間だから、「もの深き」と矛盾し、古来不審とされてきた。ここでは、源氏のいる位置そのものはなく、気分的に薄暗くうっとうしい雰囲気をさすものとみておく。木立も鬱蒼とした古家で、しかも病人が近くに臥している」と注す。
【げにかかる所は例に違ひて思さる】−『集成』の説のように対の屋の部屋に招じ入れられたのであれば、そうとも一応理解されるが、源氏のような高貴な身分の人がこのようなもの古りた邸に病気の老女を見舞うなどという経験のないことをいうのであろう。
【常に思ひたまへ立ちながら】−以下「おぼつかなさ」まで、源氏の詞。謙譲の補助動詞「たまへ」連用形。
【もてなさせたまふに】−尊敬の助動詞「せ」+尊敬の補助動詞「たまふ」連体形、二重敬語。会話文中での用例。下にも「悩ませたまふ」とある。接続助詞「に」順接、原因理由を表す。
【つつまれはべりてなむ】−自発の助動詞「れ」連用形。係助詞「なむ」、下に「参らざりし」などの語句が省略。
【おぼつかなさ】−体言止め、詠嘆の気持ちを表す。「おぼつかなきことよ」に同じ。
【乱り心地は】−以下「思ひたまへられぬべき」まで、尼君の詞。実際はそれを取り次ぎの女房が言う。『完訳』は「以下、取次の女房による伝言」と注す。
【みづから聞こえさせぬこと】−直接申し上げられないこと。この言葉によって女房を介しての詞とわかる。
【のたまはすることの筋】−「あやしきことなれど、幼き御後見に思すべく、聞こえたまひてむや」(第一章第四段 「若紫の君の素性を聞く」)など、源氏が紫の君を引き取りたいという意向。
【かならず数まへさせたまへ】−尊敬の助動詞「させ」連用形+尊敬の補助動詞「たまへ」命令形。「数まふ」は人並み(皇族の一人)として扱う意だが、ここは孫女を源氏に託すと許した言葉。
【願ひはべる道のほだしに】−『古典セレクション』は「本願である極楽往生を遂げるための支障。当時、親子夫婦など人間的な絆が往生の最大の支障と考えられていた」と注す。
【思ひたまへられぬべき】−謙譲の補助動詞「たまへ」未然形、自発の助動詞「られ」連用形、完了の助動詞「ぬ」終止形、確述の意、推量の助動詞「べき」連体形、係助詞「なむ」の係結び。強調のニュアンス。
【など聞こえたまへり】−実際には女房が言っているのではあるが、尼君の伝言なので敬語が付く。
【いと近ければ】−尼君の病床が源氏の御座所から近くにある。
【いとかたじけなき】−以下「ほどならましかば」まで、尼君の詞。これは「いと近ければ心細げなる御声絶え絶え聞こえて」とあるので、直接に言ったものか。
【この君だに】−副助詞「だに」最小限の希望。
【聞こえたまつべき】−大島本「きこえたまつへき」とある。『古典セレクション』は諸本に従って「聞こえたまひつべき」と「ひ」を補訂する。『集成』『新大系』は底本のまま。
【ほどならましかば】−仮想の助動詞「ましか」未然形+接続助詞「ば」、反実仮想の構文。下に「よからまし」などの語句が省略されている。
【何か浅う思ひたまへむことゆゑ】−以下「おぼえはべらぬ」まで、源氏の詞。連語「なにか」(代名詞「なに」+係助詞「か」疑問)、「見えたてまつらむ」(連体形)に係る。反語表現の構文。どうして--お目にかけられましょうか、しません。「浅う」は連用形「く」のウ音便形。謙譲の補助動詞「たまへ」未然形、推量の助動詞「む」婉曲の意。
【この世のことにはおぼえはべらぬ】−『古典セレクション』は「現世だけの縁ではないとする。前の「契り」に照応」と注す。『集成』は「この世だけのご縁とは思われません」と訳す。すなわち、現世だけの縁とは思われない、来世までの縁、夫婦二世の縁と思われるの意。夫婦となるべく運命づけられていることをいう。
【かひなき心地のみしはべるを】−以下「御一声いかで」まで、引続いて源氏の詞。サ変「し」連用形、丁寧の補助動詞「はべる」連体形+接続助詞「を」順接、原因理由を表す。
【いかで】−副詞「いかで」、下に「聞かばや」などの願望の語句が省略。
【いでや】−以下「大殿籠もり入りて」まで、女房の詞。感動詞「いでや」いやはや、いやもう。
【大殿籠もり入りて】−「大殿籠もり入り」で一語。「寝入る」の尊敬表現。下に「おはします」などの語が省略。
【など聞こゆる折しも】−女房が源氏に申し上げている折しも。連語「しも(副助詞「し」+係助詞「も」)強調を表す。
【あなたより来る音して】−紫の君が。対の屋からであろうか。
【上こそ】−以下「など見たまはぬ」まで、紫の君の詞。「上」は祖母の尼君をさす。接尾語「こそ」呼び掛けに用いる。対等以下の人に用いるのが普通。また子供などがそれに無頓着に用いる。
【この寺にありし】−「この」は以前に話題になった物事をさす語。今の「あの」「その」に当たる。
【源氏の君こそ】−紫の君にとっての源氏の呼称。前にも「源氏の君と作り出でて」とあった。接尾語「こそ」呼び掛けを表す。
【おはしたなれ】−「たなれ」は完了の助動詞「たる」の連体形「る」が撥音便化しさらに無表記形「た」+伝聞推定の助動詞「なれ」已然形、係助詞「こそ」の係結びの法則。おいでになっているそうですね、の意。
【など見たまはぬ】−副詞「など」疑問の意。尊敬の補助動詞「たまは」未然形、打消の助動詞「ぬ」連体形。どうしてお会いなさらないの。
【とのたまふを】−「を」について、『今泉忠義訳』は「とおっしゃるので」と接続助詞、順接として訳し、『古典セレクション』は「とおっしゃるのを」と格助詞、目的格として訳す。
【あなかま】−連語「あなかま」。感動詞「あな」+形容詞「かまし」または「かまびすし」の語幹「かま」の形。制止する際に用いる語句。
【いさ見しかば心地の悪しさなぐさみき】−以下「のたまひしかばぞかし」まで、紫の君の詞。僧都の言葉に「この世に、ののしりたまふ光る源氏、かかるついでに見たてまつりたまはむや。世を捨てたる法師の心地にも、いみじう世の憂へ忘れ、齢延ぶる人の御ありさまなり」(第一章三段)とあった。尼君も同じようなことを言ったのだろう。感動詞「いさ」、ここは相手の発言に賛成しがたく、軽く否定した返答の言葉。
【見しかば心地の悪しさなぐさみき】−マ上一「見」連用形、過去の助動詞「しか」已然形+接続助詞「ば」順接の確定条件を表す。見たのでの意。『今泉忠義訳』『古典セレクション』等「見たら」と訳すが、仮定条件ではない。過去の助動詞「き」終止形、自己の体験。
【とのたまひしかばぞかし】−「のたまひ」(連用形)は「言ふ」の尊敬表現。過去の助動詞「しか」已然形+接続助詞「ば」順接の確定条件を表す。終助詞「かし」念押し。おっしゃったからですよ。
【聞こえたり】−大島本は「きこえたり」とある。その他の青表紙諸本は「きゝえたり」とある。『集成』『古典セレクション』共に「聞きえたり」と本文を改める。
【げに言ふかひなの】−以下「教へてむ」まで、源氏の心中。「言ふかひな」は形容詞「言ふかひなし」の語幹。
【さりともいとよう教へてむ】−接続詞「さりとも」逆接。下二「教へ」連用形、完了の助動詞「て」未然形、確述、推量の助動詞「む」終止形、意志。よく教育しよう。
【またの日もいとまめやかにとぶらひきこえたまふ】−翌日。この「とぶらひ」はお見舞いの手紙で、源氏本人は出向いてはいない。
【いはけなき鶴の一声聞きしより--葦間になづむ舟ぞえならぬ】−源氏の贈歌。「鶴の一声」は紫の上の昨日の声をさす。「たづ」は「つる(鶴)」の歌語。「舟」は源氏を喩える。「え」は副詞「え」と「江」の掛詞。「鶴」「葦間」「舟」「江」は縁語。『奥入』は「みなと入りの葦わけ小舟障り多みわが思ふ人に逢はぬころかな」(拾遺集 恋四 八五三 人麿)を指摘、『集成』も引歌として指摘する。
【同じ人にや】−和歌に添えた引歌の文句。『源氏釈』は「堀江漕ぐ棚なし小舟漕ぎ返り同じ人にや恋ひわたりなむ」(古今集 恋四 七三二 読人しらず)を指摘。「恋ひわたりなむ」に主旨がある。係助詞「や」疑問、「推量の助動詞「む」連体形、係結びの法則。
【少納言ぞ聞こえたる】−尼君に代わって少納言が返事申し上げる。係助詞「ぞ」、完了の助動詞「たる」連体形、係結びの法則。尼君に代わって少納言がという強調のニュアンス。
【問はせたまへるは】−以下「聞こえさせむ」まで、少納言の返信。「たまへる」と「は」の間に「方」が省略。
【山寺にまかりわたるほどにて】−北山の僧坊。尼君の死期の近いことをいう。
【この世ならでも聞こえさせむ】−「聞こえさせ」未然形は「言ふ」最も丁重な謙譲表現。推量の助動詞「む」終止形。尼君の立場になって返事を結んでいる。
【思し乱るる人の御あたり】−藤壺の宮をさす。
【ゆかりも尋ねまほしき】−紫の君をさす。「ゆかり」は縁。藤壺の姪にあたる。
【心もまさりたまふなるべし】−大島本「心もまさり給ふなるへし」とある。『古典セレクション』は諸本に従って「心まさり」と「も」を削除する。『集成』『新大系』は底本のまま。断定の助動詞「なる」連体形+推量の助動詞「べし」終止形は語り手の推測。『完訳』は読点で文を続けて読む。
【消えむ空なき】−前出の尼君の「生ひ立たむ」歌の一節。
【恋しくもまた見ば劣りやせむ】−源氏の心中。マ上一「見」未然形+接続助詞「ば」、順接の仮定条件を表す。係助詞「や」疑問、推量の助動詞「む」連体形、係結びの法則。
【さすがにあやふし】−語り手の評言。源氏の気持ちを忖度してみせる。
【手に摘みていつしかも見む紫の--根にかよひける野辺の若草】−源氏の独詠歌。「紫」は紫草。その根を染料とした。藤壺の宮をさし、「根に通ふ」はその姪に当たることを言い、「若草」は紫の君をさす。『河海抄』は「紫のひともとゆゑに武蔵野の草は見ながらあはれとぞ見る」(古今集 雑歌上 八六七 読人しらず)を指摘。
 [第二段 尼君死去し寂寥と孤独の日々]
【十月に朱雀院の行幸あるべし】−桐壺帝の朱雀院行幸は「末摘花」「紅葉賀」両巻にも語られる。推量の助動詞「べし」は予定であるの意。
【みな選らせたまへれば】−尊敬の助動詞「せ」連用形+尊敬の補助動詞「たまへ」已然形、二重敬語。帝主導による朱雀院行幸の準備である。完了の助動詞「れ」已然形+接続助詞「ば」順接の確定条件を表す。
【山里人にも久しく】−北山の尼君。『古典セレクション』は諸本に従って「久しう」とウ音便形に改める。『集成』『新大系』は底本のまま。
【ふりはへ遣はしたりければ】−副詞「ふりはへ」わざわざ。完了の助動詞「たり」連用形、過去の助動詞「けれ」已然形+接続助詞「ば」順接の確定条件、--したところ。
【立ちぬる月の二十日のほどになむ】−以下「悲しび思ひたまふる」まで、僧都の返信。九月二十日ころに尼君死去。係助詞「なむ」は「たまふる」に係る。
【世間の道理】−「世間」「道理」、僧侶の漢語仏語を多用した物の言い方。
【悲しび思ひたまふる】−語誌的には「悲しぶ」から「悲しむ」に変化していき、源氏物語には両方見られる。「悲しぶ」はやや古風で男性的な物の言い方。謙譲の補助動詞「たまふる」連体形、係助詞「なむ」の係結び。
【うしろめたげに思へりし人】−以下「後れたてまつりし」まで、源氏の心中。「うしろめたげに思へりし」の主語は尼君。「人」は孫娘の紫の君。
【故御息所に後れたてまつりし】−以下、わが身の上を引き比べて思う。「故御息所」は母桐壺更衣をさす。過去の助動詞「し」連体形、自己の体験。下に「ほど」云々の内容が省略。
【忌みなど過ぎて】−『集成』は「期間は三十日であるから、十月の二十日頃忌みが終わったものと見られる」と注し、『新大系』も『ここは三十日間であろう」と注す。『古典セレクション』は「『拾芥抄』服忌部によれば、母方の祖父母死亡の際、二十日間忌み、三月間喪服を着る。ここは前者の二十日間をいう」と注す。
【京の殿に】−京極の邸に。下に戻ったという内容が省略。
【荒れたる所の人少ななるに】−格助詞「の」同格を表す。--で。断定の助動詞「なる」連体形+接続助詞「に」順接、原因理由を表す。--ので。
【いかに幼き人恐ろしからむ】−源氏の心中。
【例の所に入れたてまつりて】−寝殿の南廂の間。前回尼君を見舞った折の御座所。
【あいなう】−他人事ながら。語り手の感情移入の語。源氏の気持ちに沿った表現。
【宮に渡したてまつらむとはべるめるを】−以下「かたはらいたくはべる」まで、少納言の詞。「宮」は紫の君の父兵部卿宮邸。推量の助動詞「める」連体形、話者の主観的推量接続助詞「を」逆接。
【故姫君の】−紫の君の母君をさす。以下「交じりたまはむ」まで、生前の尼君の言葉を引用。
【思ひきこえたまへりしに】−紫の君の母親が兵部卿宮の北の方を。謙譲の補助動詞「きこえ」連用形、母親の北の方に対する敬意。尊敬の補助動詞「たまへ」已然形、話者祖母の紫の君の母親に対する敬意。完了の助動詞「り」連用形、過去の助動詞「し」連体形、祖母の自己の体験。接続助詞「に」逆接。
【いとむげに児ならぬ齢の】−格助詞「の」同格を表す。
【まだはかばかしう】−『集成』は「まだ」と濁音で、『古典セレクション』『新大系』は「また」と清音で読む。副詞「まだ」は「見知りたまはず」に係る。
【あまたものしたまふなる中の】−北の方に大勢の子供がいる。尊敬の補助動詞「たまふ」終止形+伝聞推定の助動詞「なる」連体形、格助詞「の」同格を表す。
【あなづらはしき人にてや交じりたまはむ】−断定の助動詞「に」連用形、接続助詞「て」、係助詞「や」疑問、推量の助動詞「む」連体形に係る、係り結び。
【過ぎたまひぬるも】−尼君の亡くなったことをさしていう。完了の助動詞「ぬる」連体形と係助詞「も」の間に「方」などの語が省略。
【嘆きつること】−大島本は「なけきつること」とある。その他の青表紙諸本は「なけきつるも」とある。『集成』『古典セレクション』共に「嘆きつるも」と本文を改める。『新大系』は底本のままとする。
【かくかたじけなきなげの御言の葉は】−「なげの」はかりそめの、口先だけの、の意。「かたじけなき」とはいいながらもまだ源氏の言葉を信じ切っていない。
【いとうれしう思ひたまへられぬべき折節にはべりながら】−尼君が亡くなった矢先のことなので。謙譲の補助動詞「たまへ」未然形、自発の助動詞「られ」連用形、完了の助動詞「ぬ」終止形、推量の助動詞「べき」連体形、強調の意。
【なぞらひ】−大島本は「なそらひ」とある。横山本は「なすらへ」、その他の青表紙諸本は「なすらひ」とある。『集成』『古典セレクション』は「なずらひ」と本文を改める。『新大系』は底本のままとする。
【何か】−以下「めざましからむ」まで、源氏の詞。「何か」は「つつみたまふらむ」に係る。反語表現の構文。どうして気兼ねなさるのか、なさる必要はありません。
【御心のありさまの】−大島本は「御心のありさまの」とある。その他の青表紙諸本は「御ありさまの」とある。『集成』『古典セレクション』は「御ありさまの」と本文を改める。『新大系』は底本のままとする。「ありさまの」の格助詞「の」動作の対象を表す。
【ゆかしうおぼえたまふも】−尊敬の補助動詞「たまふ」は客体の紫の君に対する敬意。
【心ながら思ひ知られける】−自分の心には自然と。自発の助動詞「れ」連用形、過去の助動詞「ける」連体形、詠嘆の意、「なむ」の係り結び。
【あしわかの浦にみるめはかたくとも--こは立ちながらかへる波かは】−源氏の贈歌。『奥入』は「あしわかの浦に来寄する白波の知らじな君は我は言ふとも」(古今六帖五 言ひ始む)を指摘。『集成』も引歌として指摘する。「わか」は「葦若」と「和歌の浦」の掛詞。紫の君を譬える。「見る目」と「海松布」の掛詞。「立ち」「帰る」は「波」の縁語。「波」は源氏自身を譬える。「かは」は反語。わたしはこのままでは帰らないの意。
【めざましからむ】−歌に添えた言葉。『集成』は「失礼になろう。このまま帰すのはひどかろう」というニュアンスで解し、『完訳』は「このまま帰るのは不本意」というニュアンスで解す。やや脅迫めいた物言いである。
【げにこそいとかしこけれ】−少納言の詞。副詞「げに」は源氏の「めざましからむ」という言葉を受けて、おっしゃるとおり、の意。係助詞「こそ」、「かしこけれ」已然形、係結びの法則。強調のニュアンス。
【寄る波の心も知らでわかの浦に--玉藻なびかむほどぞ浮きたる】−少納言の返歌。「寄る波」に源氏を譬え、「玉藻」に紫の君を喩える。「波」「靡く」「浮く」「藻」は縁語。不安ですと言いながら、やはり従う気持ちを表出する。なお、大島本は「なひかぬ」(否定表現)とある。その他の諸本は「なひかん」とある。打消の助動詞「ぬ」では下の「浮きたる」とつじつまが合わない。『新大系』も「なびかん」と校訂。諸本に従って「なびかむ」と本文を改める。
【わりなきこと】−歌に添えた言葉。
【すこし罪ゆるされたまふ】−自発の助動詞「れ」連用形、尊敬の補助動詞「たまふ」終止形。
【なぞ越えざらむ】−大島本「なそこえさらん」とある。御物本、榊原家本、池田本、三条西家本は「なそこひさらん」、横山本は「なそこひ(ひ=え)さらん」とあり、肖柏本と書陵部本は大島本と同文。河内本では尾州家本、大島本、鳳来寺本は「なそこひさらん」、七毫源氏は「こなそひ(ひ=え)さらむ」、高松宮家本は「なそこえさらん」とある。変体仮名の「江」と「比」のくずし字体の類似から生じた誤写である。定家本では「越ゆ」(ヤ行下二)の連用形は「江」で表記されるので、それから生じたものである。「人知れぬ身は急げども年を経てなど越えがたき逢坂の関」(後撰集 恋三 七三一 伊尹朝臣)の文句を変えて口ずさんだもの。反語表現。『古典セレクション』は「なぞ恋ひざらん」と本文を改めながら、訳文では「「なぞ越えざらむ」とお口ずさみになるのを」と訳している。『集成』『新大系』は底本のままである。
【君は上を恋ひきこえたまひて】−紫の君は祖母上を。謙譲の補助動詞「きこえ」連用形、尊敬の補助動詞「たまひ」連用形。
【直衣着たる人の】−以下「なめり」まで、童女の詞。
【宮のおはしますなめり】−「おはします」連体形。「な」は断定の助動詞「なる」連体形の「る」が撥音便化しさらに無表記形+推量の助動詞「めり」終止形、話者の主観的推量。
【少納言よ】−以下「おはするか」まで、紫の君の詞。紫の君は「おはす」という。童女たちの物言いと区別されている。間投助詞「よ」呼び掛けに用いる。
【直衣着たりつらむは】−完了の助動詞「たり」連用形、完了の助動詞「つ」終止形、推量の助動詞「らむ」連体形、係助詞「は」。「らむ」と「は」の間に「人」などの語が省略。
【いとらうたし】−源氏と語り手が一体化した表現。
【宮にはあらねど】−以下「こち」まで、源氏の詞。
【とのたまふを】−「を」について、『今泉忠義訳』は「おつしやると」と接続助詞に訳し、『古典セレクション』は「おっしゃるのを」と格助詞、目的格に訳す。
【恥づかしかりし人】−紫の君の心中。源氏をさしていう。
【いざかしねぶたきに】−紫の上の詞。連語「いざかし」(感動詞「いざ」+終助詞「かし」)相手を促す意。さあ、--しよう。形ク「ねぶたき」連体形+接続助詞「に」順接、原因理由を表す。
【今さらに】−以下「すこし寄りたまへ」まで、源氏の詞。
【など忍びたまふらむ】−副詞「など」、尊敬の補助動詞「たまふ」終止形、推量の助動詞「らむ」連体形、原因推量。どうして逃げ隠れなさるのでしょう、そうする必要はありませんよ。
【さればこそ】−以下「ほどにてなむ」まで、少納言の乳母の詞。係助詞「こそ」の下に「きこえさせしか」などの語句が省略。
【御ほどにてなむ】−係助詞「なむ」の下に「おはします」などの語が省略。
【押し寄せたてまつりたれば】−少納言が紫の君を源氏の側近くへ。謙譲の補助動詞「たてまつり」連用形、完了の助動詞「たれ」已然形;接続助詞「ば」順接、--したところ。
【何心もなくゐたまへるに】−主語は紫の君。母屋の御簾または几帳の内側に座った様子である。
【手をさし入れて探りたまへれば】−主語は源氏。御簾または几帳などの下から手をさし入れて探った様子である。
【なよらかなる御衣に】−大島本「なよらかなる」とある。『集成』『古典セレクション』は諸本に従って「なよよかなる」と校訂し、『新大系』は「なよらかなる」と校訂する。糊けの落ちて柔らかくなった様子。「ら」と「ゝ」の字体の近さから生じた異文である。「艶 ナヨヨカナリ」(名義抄)。「なよらか」という語も存在する。
【探りつけられたる】−大島本は「さくりつけられたる」とある。『集成』『古典セレクション』は諸本に従って「探りつけられたるほど」と「ほど」を補訂する。『新大系』は底本のままとする。
【やらる】−大島本は「やらるる」とある。肖柏本が「やらるる」、他の青表紙諸本は「やらる」とある。諸本に従って「やらる」(「思ひやら」+自発の助動詞「る」終止形)と本文を改める。
【うたて例ならぬ人のかく近づきたまへるは恐ろしうて】−他人がこのように接近し手を握るなどということは深窓に育った姫君には経験のないことなので、気味悪く恐ろしくも思う。
【寝なむと言ふものを】−紫の上の詞。下二段「寝(ね)」連用形。完了の助動詞「な」未然形、確述の意。推量の助動詞「む」終止形、意志。接続助詞「もの」逆接を表す。
【今は】−以下「な疎みたまひそ」まで、源氏の詞。
【まろぞ】−「まろ」は親しい者どうしの間で使う一人称。男女共使用。親しみをこめていう。係助詞「ぞ」、「人」の下に「なる」(連体形)などの語が省略。
【な疎みたまひそ】−副詞「な」--終助詞「そ」禁止の構文を作る。
【いであなうたてや】−以下「はべらじものを」まで、少納言の乳母の詞。感動詞「いで」打消しの気持ち。感動詞「あな」。「うたて」は形容詞「うたてし」の語幹、間投助詞「や」。
【聞こえさせ知らせたまふとも】−姫君にあなたさま(源氏)が。「聞こえさせ」は「聞こゆ」より丁重な謙譲語。姫君を敬う。尊敬の助動詞「せ」連用形+尊敬の補助動詞「たまふ」終止形、二重敬語は源氏の動作に対する敬語。接続助詞「とも」逆接を表す。
【さらに何のしるしもはべらじものを】−副詞「さらに」打消推量の助動詞「じ」と呼応して全然--ないでしょう、の意を表す。接続助詞「ものを」逆接を表す。
【さりとも】−以下「見果てたまへ」まで、源氏の詞。接続詞「さりとも」は前文を認めながらもなお別の事態を望む気持ちで文を続ける。たとえそうであったとしても。
【いかがはあらむ】−反語表現の構文。何としようか、どうすることもない。
【見果てたまへ】−源氏が少納言の乳母に対して言った言葉。尊敬の補助動詞「たまへ」が使われている。
【霰降り荒れてすごき夜のさまなり】−季節は初冬の十月末方、霰が降り荒れる。霰は雪より非情のものとして描かれる。『完訳』は「夜の外界の点描から邸内の人々の心細さに移る」と注す。
【いかでかう】−以下「過ぐしたまふらむ」まで、源氏の心中。「いかで」は、理由と方法の両方の疑問の意がある。どうして、どのようにして。『集成』『新大系』は「どうして、こんな小人数で、頼りなくお暮らしになっているのか」と疑問の意に解し、『古典セレクション』『評釈』は「幼い方が、こんなに小人数で心細くてて、どうしてお過ごしになれるものか」と反語の意に解す。
【いと見棄てがたきほどなれば】−このまま見捨てて帰るのが気の毒な様子。
【御格子参りね】−以下「さぶらはれよかし」まで、源氏の詞。「参る」は上げる、下ろす、の両方に用いる。ここは後者の意。完了の助動詞「ね」命令形。
【夜のさまなめるを】−「なめる」は断定の助動詞「なる」の連体形「る」が撥音便化しさらに無表記形+推量の助動詞「める」連体形、視界内推量、接続助詞「を」順接、原因理由を表して下文に続ける。
【人びと近うさぶらはれよかし】−「人々」は女房たち。尊敬の助動詞「れよ」命令形、終助詞「かし」念押し。前に少納言の乳母に対しては尊敬の補助動詞「たまふ」が使われていたが、たの女房たちに対しては、やや軽い尊敬の助動詞「る」が使い分けられている。
【御帳のうちに】−紫の君の寝室が正式の御帳台であるかどうかは不明。国宝『源氏物語絵巻』に描かれている「柏木」第一段の女三宮の寝室は御帳台で、浜床が見える。それに対して「柏木」第二段の柏木が病臥している部屋や「横笛」の夕霧夫妻の寝室は回りに御帳と御簾を垂らした厚床畳の寝室である。
【あやしう思ひのほかにも】−女房の心中。少女と添い寝する源氏を、奇妙に思う。
【荒ましう聞こえ騒ぐべきならねば】−大島本「きこえさハくへきならねハ」とある。『集成』『古典セレクション』は諸本に従って「聞こえ騒ぐべきほどならねば」と「ほど」を補訂する。『新大系』は底本のままとする。
【若君は】−紫の君。以下、地の文に源氏の視点と心中がない交ぜになった叙述。
【いかならむとわななかれて】−自発の助動詞「れ」連用形。どうなるのだろうとぶるぶると震えずにはいられないで。
【単衣ばかりを押しくくみて】−『集成』は「単(肌着)だけで(若君の身体を)包みこんで」と解す。
【かつは】−もう一方ではの意。源氏の意識の両面を語り、人間性の思考と行動の不可解さに深みや奥行きを与えている。
【いざたまへよ】−以下「などする所に」まで源氏の詞。紫の上を自邸に二条院へ誘う。「たまへ」は「来たまへ」の意。倒置表現。
【いとなつかしきを】−「を」について、『今泉忠義訳』では「いかにもおやさしく感じられるので」と接続助詞に訳し、『古典セレクション』では「ほんとに優しそうなのを」と格助詞、目的格の意で訳す。
【さすがに】−「かつは」と同様に、紫の君の気持ちの両面を語り、人間性の複雑さに奥行きと幅を与えている。
【夜一夜風吹き荒るるに】−『完訳』は「荒寥の外界の点描によって邸内の人の心を照らし出す」と注す。心象風景となっている。前には「霰降り荒れてすごき夜のさまなり」とあった。接続助詞「に」順接、原因理由を表す。
【げにかう】−以下「心細からまし」まで、女房の詞。「げに」について『古典セレクション』は「他の女房の言葉を受けるか」と注す。仮想の助動詞「ましか」已然形+接続助詞「ば」--「まし」終止形、反実仮想の構文。
【同じくは】−以下「おはしまさましかば」まで、別の女房の詞。「ましかば」の下に「うれしからまし」などの語句が省略。
【夜深う出でたまふも】−「夜深し」は朝からみて、まだ夜が深い。「夜更け」は夕方からみて夜が更けていく、意。
【ことあり顔なりや】−『集成』は「草子地」と指摘。『湖月抄』は「風すこし」以下を「草子地也」と指摘。『完訳』は「夜明け直前に帰る後朝の風情から、あたかも逢瀬を遂げたかのようだとする語り手の評言」と指摘する。断定の助動詞「なり」終止形、間投助詞「や」詠嘆は、語り手の口吻を表す。
【いとあはれに】−以下「もの怖ぢしたまはざりけり」まで、源氏の詞。
【明け暮れ眺めはべる所に】−源氏の自邸二条院。
【かくてのみはいかが】−副詞「いかが」。下に「過ごされむ」などの語句が省略。反語表現。どうして過ごされましょう、できないでしょう。
【宮も御迎へに】−以下「思うたまふる」まで、少納言の乳母の詞。父兵部卿宮。
【この御四十九日過ぐして】−尼君の逝去は八月二十日。その四十九日忌は、十一月九日頃となる。
【思うたまふる】−大島本「思ふ給ふる」とある。「思ふ」の「ふ」は「思ひ」のウ音便化「う」を「ふ」と誤表記した形。『集成』『古典セレクション』は諸本に従って「思ひたまふる」と校訂する。『新大系』は底本のまま。謙譲の補助動詞「たまふる」連体形、連体中止法。言い切らない余意余情表現。
【頼もしき筋ながら】−以下「まさりぬべくなむ」まで、源氏の詞。
【浅からぬ心ざしはまさりぬべくなむ】−わたしの愛情は実の父以上だ、の意。完了の助動詞「ぬ」終止形、確述、推量の助動詞「べく」連用形、係助詞「なむ」、下に「ある」などの語が省略。
【かい撫でつつ】−接続助詞「つつ」動作の反復継続を表す。
【いみじう霧りわたれる空もただならぬに霜はいと白うおきて】−初冬の朝の様子。接続助詞「に」添加の意を表す。--の上に。
【まことの懸想もをかしかりぬべきに】−係助詞「も」仮定の意を表す。語り手の感情移入された評言である。少女の紫の君の家からの朝帰り、これが成人女性の家からの朝帰りであったら、というニュアンス。接続助詞「に」逆接で下文に続ける。
【いと忍びて通ひたまふ所の道】−『集成』は「誰か不明である。前に出た「六条京極わたり」の女性らしくもあるが、位置関係からいうと逆の位置のように読める」と解し、『完訳』でも「誰であるか不明」と注す。『新大系』は「先に「忍びたる所」とあったのとは別の女」と注す。
【朝ぼらけ霧立つ空のまよひにも--行き過ぎがたき妹が門かな】−源氏の贈歌。素通りしにくいあなたの家の前だ、ちょっと寄らせてくださいの意。『細流抄』は「妹(いも)が門(かど) 夫(せな)が門 行き過ぎかねて や 我が行かば 肱笠(ひぢがさ)の 肱笠の 雨もや降らなむ しでたをさ 雨やどり 笠やどり 宿りてまからむ しでたをさ」(催馬楽、妹が門)を指摘。
【二返りばかり歌ひたるに】−接続助詞「に」順接で下文に続ける。--したところ。
【立ちとまり霧のまがきの過ぎうくは--草のとざしにさはりしもせじ】−女の返歌。『新大系』は『立ち止まって、霧がとざす垣根が通り過ぎにくいというぐらいなら、草が覆う門に邪魔されはするまい。はいろうと思うならはいれるではないか、はいるつもりがないくせに、と言い返す女歌」と注す。「草のとざし」は歌語。「秋の夜の草のとざしのわびしきは明くれどあけぬものにぞありける」(後撰集 恋四 九〇〇 兼輔朝臣)「言ふからに辛さぞまさる秋の夜の草のとざしに障るべしやは」(同 九〇一 読人しらず)の贈答歌による。
【また人も出で来ねば】−副詞「また」他に、再び、の意。「出(い)で来(こ)」未然形、打消の助動詞「ね」已然形+接続助詞「ば」然接の確定条件を表す。もう誰も出て来ないので。
【をかしかりつる人】−少女紫の君。
【文やりたまふに】−後朝(きぬぎぬ)の文。接続助詞「に」逆接で下文に続ける。
【筆うち置きつつすさびゐたまへり】−接続助詞「つつ」動作の反復を表す。『古典セレクション』は「この「すさび」は、心がすすんで熱中する意」と注す。
【かしこには】−紫の君の六条京極邸。
【今日しも】−源氏が朝帰りして後朝の文を送った、その日。
【年ごろよりも】−以下、兵部卿宮の目を通して語られる。
【久しければ】−大島本は「ひさしけれは」とある。その他の青表紙諸本は「さひしけれは」とある。『集成』『古典セレクション』は「さびしければ」と本文を改める。
【見わたしたまひて】−主語は兵部卿宮。
【かかる所には】−以下「ものしたまひなむ」まで、兵部卿宮の詞。姫君と乳母たちを本邸に引き取ることを言う。
【いかでかしばしも幼き人の過ぐしたまはむ】−連語「いかでか」は「過ぐしたまはむ」に係る、反語表現の構文。どうしてお過ごしになれよう、できまい。
【かしこに渡したてまつりてむ】−兵部卿宮邸。謙譲の補助動詞「たてまつり」(連用形)は紫の君を敬った表現。完了の助動詞「て」未然形、確述+推量の助動詞「む」終止形、意志。きっと--しよう。
【曹司などしてさぶらひなむ】−部屋を決めて。完了の助動詞「な」未然形、確述+推量の助動詞「む」終止形、適当・勧誘。お仕えするのがよかろう。
【若き人びとあれば】−大島本「わかき人/\あれハ」とある。『集成』『古典セレクション』は諸本に従って「若き人々などあれば」と「など」を補訂する。『新大系』は底本のままとする。
【いとようものしたまひなむ】−完了の助動詞「な」未然形、確述+推量の助動詞「む」終止形、推量。
【近う呼び寄せたてまつりたまへるに】−紫の君を。謙譲の補助動詞「たてまつり」(連用形)は紫の君を敬った表現。尊敬の補助動詞「たまへ」(已然形)は兵部卿宮を敬った表現。完了の助動詞「る」連体形、接続助詞「に」順接、--したところ。
【かの御移り香の】−源氏の移り香。
【染みかへらせたまへれば】−大島本「しみかへらせ給へれハ」とある。『集成』『古典セレクション』は諸本に従って「染みかへりたまへれば」と校訂する。『新大系』は底本のままとする。補助動詞「--かへる」は程度のはなはだしいさまを表す。尊敬の助動詞「せ」連用形、尊敬の補助動詞「たまへ」已然形、完了の助動詞「れ」已然形、存続+接続助詞「ば」順接、原因理由を表し、下文に続ける。
【をかしの御匂ひや御衣はいと萎えて】−宮の心中とも詞ともとれる文。『集成』『古典セレクション』は詞と解す。接続助詞「て」逆接。
【年ごろも】−以下「心苦しう」まで、兵部卿宮の詞。
【あつしくさだ過ぎたまへる人に】−尼君をさしていう。
【添ひたまへるよ】−間投助詞「よ」詠嘆。他の青表紙諸本この語が無い。『集成』『古典セレクション』は諸本に従って「添ひたまへる」と「よ」を削除する。『新大系』は底本のまま。
【あやしう疎みたまひて】−主語は亡くなった尼君。
【人も心置くめりしを】−北の方をさしていう。推量の助動詞「めり」連用形、視界内推量の意。過去の助動詞「し」連体形、自己の体験のニュアンス。接続助詞「を」逆接で下文に続ける。
【何かは】−以下「よくははべるべけれ」まで、少納言の乳母の詞。反語表現、下に「渡らせたまはむ」などの語句が省略。どうして、お移りなさいましょうか、移りません、の意。
【おはしましなむ】−「おはします」は最も高い尊敬表現。姫君に対して使っている。完了の助動詞「な」未然形、確述+推量の助動詞「む」終止形、強調のニュアンス。
【こそよくははべるべけれ】−係り助詞「こそ」、推量の助動詞「べけれ」已然形、係結びの法則。
【夜昼恋ひきこえたまふに】−以下「きこしめさず」まで、少納言の乳母の詞。紫の君が故尼君を。接続助詞「に」順接、原因理由を表して下文に続ける。
【げに】−なるほど、という同意は語り手の感情移入の語。
【いとあてにうつくしくなかなか見えたまふ】−副詞「なかなか」は語順倒置、「なかなかいとあてにうつくしく見えたまふ」。
【何かさしも】−以下「おのれあれば」まで、兵部卿宮の詞。宮は自分のことを「おのれ」(己)という。源氏は先に「今はまろぞ思ふべき人」と言った。「まろ」は親しみをこめた言い方、「おのれ」は卑下した言い方、ややよそよそしい言い方、というニュアンスの相違。
【おのれあれば】−下に「思しわづらふな」「心頼もしからむ」などの語句が省略。
【暮るれば帰らせたまふを】−主語は兵部卿宮、尊敬の助動詞「せ」連用形+尊敬の補助動詞「たまふ」連体形、二重敬語。地の文における宮に対する使用。昨日の源氏の泊った態度と対照的に語られる。最高敬語はむしろ皮肉またはよそよそしい態度の表出。「を」について、『今泉忠義訳』は接続助詞とし「帰ろうとなさるので」、『古典セレクション』は格助詞とし「お帰りになるのを」と訳す。
【いと心細しと思いて泣いたまへば】−主語は紫の君。挿入句。
【いとかう】−以下「渡したてまつらむ」まで、兵部卿宮の詞。
【思ひな入りたまひそ】−「思ひ入る」の間に副詞「な」が介入、終助詞「そ」禁止を表す。
【なごりも慰めがたう泣きゐたまへり】−主語は紫の君。以下、父兵部卿宮が帰って後の紫の君の幼さと孤児を強調した叙述。
【立ち離るる折なうまつはしならひて】−「まつはしならひて」の主語について、『今泉忠義訳』では紫の君が「片時も離れず付き纏ふことにしていたのに」と訳し、『古典セレクション』では「尼君がいつもずっとおそばにおいてくださったのに」と訳す。
【かくてはいかでか過ごしたまはむ】−大島本「すこし給はむ」とある。『集成』『古典セレクション』は諸本に従って「過ぐしたまはむ」と校訂する。『新大系』は底本のまま。乳母の心中。主語は紫の上。副詞「いかで」+係助詞「か」疑問、推量の助動詞「む」連体形、係結び、反語表現の構文。
【たてまつれたまへり】−「たてまつれ」ラ下二の謙譲の動詞、連用形。尊敬の補助動詞「たまへ」已然形、完了の助動詞「り」終止形。
【参り来べきを】−以下「しづ心なく」まで、源氏の伝言。主語は源氏。接続助詞「を」逆接で下文に続ける。
【内裏より召あればなむ】−係助詞「なむ」の下に「え参らぬ」などの語句が省略。
【心苦しう見たてまつりしも】−過去の助動詞「し」連体形、係助詞「も」強調の意。
【あぢきなうもあるかな】−以下「きこえさせたまふな」まで、『集成』は少納言の乳母の詞と解し、『完訳』は他の女房の詞と解す。全般は他の女房の物の言い方であるが、最後の紫の上に忠告するあたりは乳母の物の言い方のような感じがする。一人の詞と解さず、複数の詞と解すべきか。
【もののはじめ】−「もの」は結婚をさす。成婚の当初からの意。
【さいなまむ】−大島本と池田本は「さいなむ」とある。主語は兵部卿宮。御物本は「さいなみ給はん」とあり敬語が付く。榊原家本と肖柏本は「さいなまれん」とあり、受身の助動詞があって、主語は女房たちとなる。横山本と書陵部本「さいなま(+れ)」、三条西家本も「さいなま(+れ)む」と「れ」を補入。
【うち出できこえさせたまふな】−紫の君に対して言った詞。「きこえさせ」(「きこゆ」よりさらに謙った謙譲語、宮を敬った表現)、尊敬の補助動詞「たまふ」終止形、紫の上に対する敬語、終助詞「な」禁止。
【それをば何とも思したらぬぞ、あさましきや】−「それ」は少納言の乳母の忠告をさす。語り手の紫の君に対する評言。『湖月抄』は「紫のさまを草子地に云也」と注す。『完訳』も「語り手の評」と注す。『集成』は「張り合いのないことである」と解す。
【あはれなる物語どもして】−「ども」とあるので、いろいろと話したニュアンス。
【あり経て後や】−以下「思ひ出でられはべりつる」まで、少納言の乳母の詞。係助詞「や」疑問の意、「あらむ」(連体形)に係る、係結びの法則。
【さるべき御宿世】−前世からの御縁、すなわち結婚。
【逃れきこえたまはぬやうもあらむ】−謙譲の補助動詞「きこえ」連用形、紫の君を謙らせて源氏を敬う、尊敬の補助動詞「たまは」未然形、紫の君に対する敬意。打消の助動詞「ぬ」連体形。推量の助動詞「む」連体形、係助詞「や」の係り結び。
【宮渡らせたまひて】−尊敬の助動詞「せ」連用形+尊敬の補助動詞「たまひ」連用形、二重敬語、会話文中の用例。
【うしろやすく】−以下「きこゆな」まで、兵部卿宮の詞を引用。横山本と肖柏本は「うしろやすう」とある。
【心幼くもてなしきこゆな】−幼稚な考え、あさはkな考え、の意。
【思ひ出でられはべりつる】−自発の助動詞「られ」連用形、完了の助動詞「つる」連体形、確述。連体中止法。思わずにはいられないという気持ちと余情または含みを残した言い方。
【この人も】−以下「思はむ」まで、乳母の心中。「この人」は惟光をさす。「ことあり顔」は、源氏と紫の君の特別の関係、すなわち夫婦関係をさす。
【あいなければ】−乳母は、源氏が来ないのを気にしているが、それを惟光に察せられたくないでいる。『完訳』は「局外者の惟光からあれこれ忖度されるのは不本意、の気持」と注す。
【大夫も】−惟光をさす。源氏の使者としての一個人というより、「大夫」という公人かつ身分ある(五位)一人格者としてのニュアンスを強調した表現。
【参りてありさまなど聞こえければ】−惟光が二条院に帰参して源氏に報告申し上げると。
【あはれに思しやらるれど】−以下、主語は源氏。自発の助動詞「るれ」已然形+接続助詞「ど」逆接で下文に続ける。
【すずろなる心地】−『集成』は「どうかと思われて」と解し、『完訳』は「行き過ぎという感じ」と解す。
【軽々しう】−以下「漏り聞かむ」まで、源氏の心中。
【人もや漏り聞かむ】−係助詞「も」仮定のニュアンス、係助詞「や」疑問、推量の助動詞「む」連体形、係結び。
【ただ迎へてむ】−完了の助動詞「て」未然形、確述+推量の助動詞「む」終止形。いっそ迎えてしまおう、という強いニュアンスを表す。
【例の大夫をぞたてまつれたまふ】−「例の」とあるように惟光がその任に当たっている。係助詞「ぞ」--尊敬の助動詞「たまふ」連体形、係結びの法則、強調のニュアンス。
【障はる事どもの】−以下「おろかにや」まで、源氏の伝言。『集成』と『新大系』は「源氏の手紙の文面」と解す。「おろかにや」の下に「思さむ」などの語句が省略。
【宮より】−以下「思ひ乱れて」まで、少納言の乳母の詞。
【心あわたたしくてなむ】−係助詞「なむ」の下には「はべる」(連体形)などの語が省略。「アワタタシイ」(日葡辞書)。
【蓬生を離れなむも】−歌語「蓬生」は自邸を謙って言った表現。「荒れたる宿をばよもぎふといふ」(能因歌枕)。「かれ」は「離れ」と「枯れ」との掛詞、「蓬生」と「枯れ」は縁語。完了の助動詞「な」未然形、確述+推量の助動詞「む」連体形、強調のニュアンス。
【さすがに心細く】−大島本「心ほそく」とある。『集成』『古典セレクション』は諸本に従って「心細う」と校訂する。『新大系』は底本のまま。
【思ひ乱れて】−接続助詞「て」の下には「はべる」(連体中止法)などの語が省略。
【をさをさあへしらはず】−少納言の乳母が惟光大夫を。
【もの縫ひいとなむけはひなどしるければ】−引越しの際の常套場面。国宝『源氏物語絵巻』「早蕨」参照。
 [第三段 源氏、紫の君を盗み取る]
【君は大殿におはしけるに】−源氏が左大臣邸に。接続助詞「に」逆接で下文に続ける。
【ものむつかしくおぼえたまひて】−主語は源氏。
【あづまを】−東琴の略、すなわち和琴をさす。
【すががきて】−主語は源氏。軽い即興的な奏法。
【常陸には田をこそ作れ】−源氏の口ずさみ。「風俗歌」の「常陸」の一節。「常陸にも 田をこそ作れ あだ心 や かぬとや君が 山を越え 雨夜来ませる」。本来、女性側から歌う内容であるが、源氏がこう歌ったのは皮肉なあてこすり。『古典セレクション』は「相手になってくれない葵の上への不満をかこつ」と注す。
【しかしかなど】−清音「しかしか」(日本書紀・用明即位前紀、ロドリゲス大文典)、江戸時代以降「しかじか」と濁音化する。明日、兵部卿宮が紫の上を迎え取りに来る、ということ。大島本と横山本、肖柏本は「なと」。御物本、榊原家本、池田本、三条西家本、書陵部は「なんと」とある。『古典セレクション』は「しかじか」と濁音に読み、「なんと」と本文を改める。『集成』『古典セレクション』は清音に読み、底本のままとする。
【かの宮に渡りなば】−以下「渡してむ」まで、源氏の心中。完了の助動詞「な」未然形+接続助詞「ば」順接の仮定条件を表す。
【もどきおひなむ】−完了の助動詞「な」未然形、確述+推量の助動詞「む」終止形、きっと--となろう、自然的事態の強調ニュアンス。
【渡してむ】−完了の助動詞「て」未然形、確述+推量の助動詞「む」終止形、きっと--してしまおう、人為的事態の強調のニュアンス。
【暁かしこに】−以下「仰せおきたれ」まで、源氏の詞。
【仰せおきたれ】−『古典セレクション』は「「おきたれ」は「おきてあれ」。「おき(掟)つ」は、計画をたてる意」と注す。
【いかにせまし】−以下「すずろなるべきを」まで、源氏の心中。仮想の助動詞「まし」連体形。
【人のほどだにものを思ひ知り】−副助詞「だに」最小限を表す。せめて--だけでも。
【女の心交はしけることと推し測られぬべくは】−女が合意の上で引き取られることになった、と推測されるようなのは。
【尋ね出でたまへらむも】−尊敬の補助動詞「たまへ」已然形、完了の助動詞「ら」未然形、推量の助動詞「む」連体形、仮定の意、係助詞「も」。
【すずろなるべきを】−『集成』は「言いわけも立たないことだと」、『古典セレクション』は「格好のつかないことになるだろう」と訳す。接続助詞「を」順接、原因理由を表す。きっと--になるだろうから。下に「いかにせむ」などの語句が省略。
【いと口惜しかべければ】−「かべけれ」は「かるべけれ」の「る」が撥音便化しさらに無表記形。推量の助動詞「べけれ」已然形、当然の意、接続助詞「ば」順接の確定条件を表す。
【心もとけず】−『集成』は「ご機嫌もよろしくない」、『完訳』は「不機嫌な御面持でいらっしゃる」と解す。
【かしこに】−以下「参り来なむ」まで、源氏の詞。「かしこ」は本邸の二条院をさしていう。
【思ひたまへ出でて】−大島本「おもひ給へいてゝ」とある。『集成』『古典セレクション』は諸本に従って「思ひたまへ出でてなむ」と「なむ」を補訂する。『新大系』は底本のままとする。
【立ちかへり参り来なむ】−カ変「来(き)」連用形、完了の助動詞「な」未然形、確述の意、推量の助動詞「む」終止形、意志。きっと帰ってまいりましょう。
【わが御方にて】−源氏は左大臣邸でも私的な部屋がある。
【御直衣などはたてまつる】−「たてまつる」は「着る」の尊敬語。
【惟光ばかりを馬に乗せておはしぬ】−源氏は牛車で。副助詞「ばかり」限定。
【門うちたたかせたまへば】−六条京極の紫の君邸の表門。使役の助動詞「せ」連用形、尊敬の補助動詞「たまへ」已然形、接続助詞「ば」順接、源氏が惟光をして門を叩かせなさると。
【妻戸を鳴らしてしはぶけば】−来訪を告げる合図。
【ここにおはします】−惟光の詞。来意を告げる挨拶詞。
【幼き人は】−以下「出でさせたまへる」まで、少納言の乳母の詞。
【御殿籠もりてなむ】−接続助詞「て」、係助詞「なむ」、下に「おはします」(連体形)などの語が省略。
【などかいと夜深うは出でさせたまへる】−連語「などか」(副詞「など」+係助詞『か」)は、「出でさせたまへる」(尊敬の助動詞「させ」連用形、尊敬の補助動詞「たまへ」已然形、二重敬語、完了の助動詞「る」連体形)に係る、係結びの法則。
【もののたよりと思ひて】−どこかの女の家からの帰りがけと思って、の意。
【宮へ渡らせたまふべかなるを】−以下「聞こえ置かむとてなむ」まで、源氏の詞。「べかなる」は「べかるなる」の「る」が撥音便化しさらに無表記形。「せたまふ」二重敬語。伝聞の助動詞「なる」連体形。
【聞こえ置かむとてなむ】−係助詞「なむ」の下に「参りぬ」などの語句が省略。
【何ごとにか】−以下「聞こえさたまはむ」まで、少納言の乳母の詞。
【いかにはかばかしき御答へ聞こえさせたまはむ】−主語は姫君、紫の君が。「きこえさせ」(「きこゆ」よりさらに丁重な謙譲語)、尊敬の補助動詞「たまは」未然形、推量の助動詞「む」連体形。反語表現の構文だが、表の意だけで言ったもの。よって、冗談なので「とて、うち笑ひてゐたり」とある。『集成』は「どんなにか、はきはきしたお返事を申し上げなさることでしょう。源氏の意図を察せず、のんきに冗談を言っている」、『古典セレクション』も「紫の上がさぞはきはきと応答するだろうと、わざと戯れて言った」と注す。
【うち笑ひてゐたり】−主語は少納言乳母。苦笑い。
【君入りたまへば】−源氏が紫の君の寝所に。
【うちとけて】−以下「はべるに」まで、乳母の詞。
【古人どものはべるに】−接続助詞「に」順接、原因理由を表す。下に「おそれおほし」などの語句が省略。
【聞こえさす】−「言ふ」の最も丁重な謙譲語。
【まだおどろいたまはじな】−以下「寝るものか」まで、源氏の詞。尊敬の補助動詞「たまは」未然形、打消推量の助動詞「じ」終止形、終助詞「な」詠嘆。
【寝るものか】−連語「ものか」意外なことに対して驚きを表す。
【やともえ聞こえず】−少納言乳母が源氏を。
【君は何心もなく寝たまへるを】−紫の君は無心に眠っていらっしゃったが。「君」は紫の君。接続助詞「を」逆接で文を続ける。「君は」の下に読点を付けて、「抱きおどろかしたまふ」に係ると見れば、源氏をさすことになる。その際に「を」は格助詞、目的格、紫の君を、の文意になる。『古典セレクション』は「君」を源氏とする。
【宮の御迎へにおはしたる】−紫の君の心。
【御髪かき繕ひなどしたまひて】−主語は源氏。
【いざたまへ】−以下「参り来つるぞ」まで、源氏の詞。虚言。係助詞「ぞ」を「にて」の下に置けば「参り来つる」(連体形)係結び。強調の意がよくわかる。
【あらざりけり】−過去の助動詞「けり」終止形、今気がついた驚きを表す。
【あな心憂まろも同じ人ぞ】−源氏の詞。「心憂」は「心憂し」の語幹。
【大輔】−大島本は「たいふ」と表記する。『集成』は「大輔」の字をあて、女房名と解す。『新大系』も「「たいふ」は大輔という名の侍女かもしれない」と注す。『古典セレクション』は「惟光。「たいふ」に「大輔」をあてて、女房の一人とみる説もある」と注す。惟光は源氏と行動を共にしているのだから、少納言乳母と同じ発言はしないだろう。
【こはいかに】−大輔と少納言の乳母の詞。
【ここには】−以下「人一人参られよかし」まで、源氏の詞。
【心やすき所にと聞こえしを】−前出「いざ給へよ。をかしき絵など多く、雛遊びなどする所に」をさす。
【心憂く渡りたまへるなれば】−大島本「心うくわたり給へるなれハ」とある。『集成』『古典セレクション』は諸本に従って「心憂く渡りたまふべかなれば」と校訂する。『新大系』は底本のままとする。紫の君が父兵部卿宮邸に。伝聞推定の助動詞「なれ」已然形、接続助詞「ば」順接の確定条件を表す。
【聞こえがたかべければ】−接続助詞「ば」順接の確定条件。下に「渡したてまつらむ」などの語句が省略。
【心あわたたしくて】−主語は乳母。
【今日は】−以下「苦しうはべるべし」まで、少納言の乳母の詞。
【いと便なくなむはべるべき】−係助詞「なむ」、推量の助動詞「べき」連体形、係結びの法則。
【宮の渡らせたまはむには】−尊敬の助動詞「せ」連用形、尊敬の補助動詞「たまふ」未然形、二重敬語。推量の助動詞「む」連体形、仮定の意。
【さるべきにおはしまさば】−大島本は「さ(さ+る)へきにおハしまさハ」とある。『古典セレクション』は諸本に従って「さべきに」と校訂する。『集成』『新大系』は「さるべきに」とする。
【いと思ひやりなきほどの】−「思ひやり」は、思いをはせること、考えおよぼすこと。あれこれ考える間もない。
【よし後にも人は参りなむ】−源氏の詞。完了の助動詞「な」未然形、確述、推量の助動詞「む」終止形、適当・勧誘の意。
【西の対に御車寄せて】−二条院の寝殿は空けてある。東の対は源氏の居室、西の対を紫の君の居室にあてる。
【かき抱きて下ろしたまふ】−源氏が紫の君を。
【なほいと夢の心地しはべるを】−以下「しはべるべきことにか」まで、乳母の詞。主語は乳母。接続助詞「を」逆接で続ける。わたしはどういたしましたらよい事なのでしょうかの意。
【いかにしはべるべきことにかとやすらへば】−紫の君と共に二条院まで来たが、それは見送りのためで到着後は帰るべきか、とどまるべきか。主人の紫の君だけでなく源氏の意向も聞かなければならない。
【そは心ななり】−以下「送りせむかし」まで、源氏の詞。「ななり」は断定の助動詞「なる」連体形の「る」が撥音便化しさらにむ表記形、伝聞推定の助動詞「なり」終止形。『完訳』は「源氏のやや居直った発言」と注す。
【御自ら渡したてまつりつれば】−「御自ら」は紫の君をさす。謙譲の補助動詞「たてまつり」連用形、完了の助動詞「つれ」已然形、接続助詞「ば」順接の確定条件、原因理由を表す。
【帰りなむとあらば】−完了の助動詞「な」未然形、確述、推量の助動詞「む」終止形、意志
【笑ひて】−肖柏本と書陵部本は「わりなくて」。三条西家本は「わらひ(らひ=りなく)て」。その他の青表紙諸本は大島本と同文。河内本は「わりなくて」とある。『集成』は「わりなくて」を採る。『完訳』は「わらひて」を採り、「苦笑して。以下、意外な事態に困惑する少納言の心中を叙述」と注す。
【宮の】−以下「いみじさ」まで、少納言の乳母の心中。
【いかになり果てたまふべき】−紫の上が。
【さすがにゆゆしければ】−新しい生活の出発にさいして、涙は縁起でもないとする考え。
【あたりあたり仕立てさせたまふ】−使役の助動詞「させ」連用形、尊敬の補助動詞「たまふ」終止形。源氏が惟光をして準備させなさる。
【御宿直物召しに遣はして大殿籠もりぬ】−源氏の寝具類か。源氏は紫の君とお寝みになった。
【いとむくつけく】−『集成』『古典セレクション』は諸本に従って「むくつけう」とウ音便形に校訂する。『新大系』は底本のまま。
【ふるはれたまへど】−自発の助動詞「れ」連用形、尊敬の補助動詞「たまへ」已然形。
【少納言がもとに寝む】−紫の君の詞。推量の助動詞「む」終止形、意志。
【いと若し】−語り手の紫の君に対して幼いとする評言。
【今はさは大殿籠もるまじきぞよ】−源氏の詞。「さ」は乳母と一緒に寝ることをさす。打消推量の助動詞「まじき」連体形、係助詞「ぞ」、間投助詞「よ」詠嘆、呼び掛け。
【乳母はうちも臥されず】−可能の助動詞「れ」未然形。
【明けゆくままに】−翌朝となる。季節は初冬、冴えわたった朝の風景である。
【見わたせば】−少納言の乳母の視点から語られる。
【かかやく心地するに】−「かかやく」の第二音節は近世前期まで清音。
【はしたなく】−『集成』は「(今までわびしい暮しに馴れてきたみすぼらしい自分など)場違いだときまり悪い思いでいたが」と解し、『完訳』は「邸にふさわしい女房も大勢いるかと恥ずかしい」と解す。
【聞く人】−『集成』『古典セレクション』は諸本に従って「ほの聞く人」と「ほの」を補訂する。『新大系』は底本のままとする。
【誰れならむおぼろけにはあらじ】−西の対の家来たちのひそひそ声。
【日高う寝起きたまひて】−時刻は日が高くなるころ、主語は源氏。
【人なくて】−以下「迎へさせたまはめ」まで、源氏の詞。少納言の乳母に言った詞であろう。
【悪しかめるを】−「悪しかるめる」の「る」が撥音便化しさらに無表記形。推量の助動詞「める」連体形、視界内推量。
【迎へさせたまはめ】−使役の助動詞「させ」連用形、尊敬の補助動詞「たまは」未然形、推量の助動詞「め」適当の意。あなたが女房たちを迎えさせなさるがよかろう。
【小さき限り、ことさらに参れ】−源氏の詞。語り手がその要旨を言った間接的な詞であろう。源氏のもとに仕えている女童。
【かう心憂くなおはせそ】−以下「心は柔らかなるなむよき」まで、源氏の詞。源氏にとって「心憂く」であり、「おはす」の主語は紫の君。「な(副詞)---そ(終助詞)」の禁止の構文。
【かうはありなむや】−完了の助動詞「な」未然形、確述、推量の助動詞「む」終止形、係助詞「や」疑問の意。反語表現の構文。こんなに親切になさいましょうか、しませんよ。『集成』は「こんなに親切にするものですか」と解す。
【清らにて】−『集成』『古典セレクション』は諸本に従って「いみじうきよらにて」と「いみじう」を補訂する。『新大系』は底本のままとする。
【取りに遣はして】−東の対の源氏の居室に。
【やうやう起きゐて見たまふに】−主語は紫の君。しかし、以下の文章の視点は源氏に移っている。
【鈍色のこまやかなるが】−外祖母の服喪は三か月。喪服の色。格助詞「が」同格を表す。「鈍色のこまやかなる」と「うち萎えたるども」が同じものをさし、共に「着て」に係る。「やむごとなき際にはあらぬが、すぐれてときめきたまふありけり」(桐壺)と同例。
【我もうち笑まれて見たまふ】−「我」は源氏をさす。自発の助動詞「れ」連用形。
【立ち出でて】−主語は紫の君。
【四位五位こきまぜに】−四位は黒色の袍、五位は赤色の袍を着る。
【隙なう出で入りつつ】−接続助詞「つつ」動作の反復を表す。下文の「いとをかしき絵を見つつ」も同じ用法。
【げにをかしき所かな】−紫の君の心中。「げに」は源氏が言っていたとおりの意。
【はかなしや】−語り手の紫の上に対する評言。『首書源氏物語』所引「或抄」に「地よりいへり」と注す。『集成』は「何といっても子供のことではある。草子地」、『完訳』は「悲しみや不安を早くも紛らわす無心な姿への、語り手の評言」と注す。
【やがて本にと思すにや】−「に」(断定の助動詞)「や」(疑問の間投助詞)、そのまま手本にとお考えでかの意か。語り手の想像を介入させた挿入文。
【さまざまに書きつつ】−接続助詞「つつ」動作の繰り返し。
【武蔵野と言へばかこたれぬ】−『源氏釈』は「知らねども武蔵野といへばかこたれぬよしやさこそは紫のゆゑ」(古今六帖第五 紫)を指摘。その第四句の文句。『集成』はさらに「紫の一本ゆゑに武蔵野の草は見ながらあはれとぞ思ふ」(古今集 雑上 八六七 読人しらず)をも引歌として指摘する。自発の助動詞「れ」連用形、完了の助動詞「ぬ」終止形、確述の意。藤壺のゆかりの人だと思うと懐かしく思われてしまうの意。しかし、紫の君はこのような事情とは知らない。
【取りて見ゐたまへり】−主語は紫の君。
【ねは見ねどあはれとぞ思ふ武蔵野の--露分けわぶる草のゆかりを】−源氏の贈歌。「ね」は「根」と「寝」の掛詞。「根」「野」「露」「草」は縁語。「露分けわぶる草」は藤壺の意を込めている。
【いで君も書いたまへ】−源氏の詞。源氏の紫の君に対する二人称は「君」。
【まだようは書かず】−紫の君の返事。
【よからねど】−以下「教へきこえむかし」まで、源氏の詞。
【心ながらあやしと思す】−主語は源氏。わが心ながら。
【書きそこなひつ】−紫の上の詞。
【かこつべきゆゑを知らねばおぼつかな--いかなる草のゆかりなるらむ】−紫の上の返歌。わたしには何のことだかわかりませんの意。『新大系』は「書かれて与えられている引歌から「かこつ」「ゆゑ」「知らぬ」という語を受け取って源氏の歌に素直に応じるとともに、女歌らしい切り返しの歌にもなっている。和歌作りの才能が豊であることが知られる」と評す。わたしはいった誰のゆかりの人なのだろう、という疑問は生涯もち続けるだろう。
【今めかしき】−以下「書いたまひてむ」まで、源氏の心中。
【いとよう書いたまひてむ】−「よう」は「よく」のウ音便形。完了の助動詞「て」連用形、確述、推量の助動詞「む」終止形、推量の意。きっと上手にお書きになるだろう。
【こよなきもの思ひの紛らはしなり】−最高の藤壺の宮の代償であるという語り手の評言。『古典セレクション』は「紫の上が藤壺の形代として実現されている」と注す。
【尋ねきこえたまひけるに】−謙譲の補助動詞「きこえ」は紫の君を敬った表現。
【しばし、人に知らせじ】−前に「しばし人にも口固めて」(第三章三段)とあったのを踏まえる。
【行方も知らず少納言が率て隠しきこえたる】−女房たちの宮に対する返事の要旨。謙譲の補助動詞「聞こえ」連用形、完了の助動詞「たる」連体形、連体中止法。言いさして余情を残した。
【故尼君も】−以下「率てはふらかしつるなめり」まで、兵部卿宮の心中。
【おいらかに渡さむを便なしなどは言はで】−「おいらかに」は「渡さむ」に係る。また「言はで」に係るとする説もある。
【心にまかせ】−『集成』『古典セレクション』は諸本に従って「心にまかせて」と「て」を補訂する。『新大系』は底本のままとする。
【もし聞き出でたてまつらば告げよ】−宮の女房たちへの詞。
【わづらはしく】−連用中止法。余情を残して言いさした文型。「わづわし」は女房と語り手の感情が一体化した表現。
【わが心にまかせつべう思しけるに】−『古典セレクション』は「ここでは、実の娘のように愛育するというよりも、紫の上の美質ゆえに、親権を行使し将来の縁組などを期待し楽しむといった気持」と注す。
【いとめづらかに今めかしき御ありさまどもなれば】−尊敬語「御」があり、接尾語「ども」とあるので、源氏と紫の君をさす。
【思ふことなくて遊びあへり】−敬語がないので、主語は「童女、児ども」。
【君は男君のおはせずなどして】−「君」は紫の上をさす。『集成』は「今まで若君と呼んで来たが、ここではじめて「君」と呼ぶ。「女君」(夫人)に准じた書きぶりで、下の「男君」(夫君)と照応する」と注す。
【夕暮などばかりぞ】−係助詞「ぞ」は「うち泣きなどしたまふ」に係るが、接続助詞「ど」が下続したために、結びの流れとなっている。
【宮をば】−父兵部卿宮をさす。
【この後の親を】−源氏をさす。親代り、という立場である。
【さるかたに】−そうした関係の意。『集成』は「実際の夫婦ではないが、という含み」と解し、『古典セレクション』は「無邪気な遊び相手という点で。親子という方面からみると、とする説もある」と注す。
【いみじう】−『集成』『古典セレクション』は諸本に従って「いみじく」と校訂。『新大系』は底本のまま。
【さかしら心あり】−『古典セレクション』は「「さかしら心」以下、源氏の心内に即した叙述。二行後の「おのづから出で来るを」までは、世間の男女関係一般についての感想であり、それと対比的に紫の上の美質をとらえている。「さかしら心」は、小賢しい心。嫉妬心などをさす」と注す。
【むつかしき筋】−夫婦関係が長くなりうっとうしく思われる関係。
【女など】−自分の実の娘でもの意。前に「後の親」とあったのを受ける。
【心やすく】−大島本は、「心やすく」以下の改丁から書体が藤原俊成ふうのものに変わる。親本の書体を参考に書きとどめたものか、とされる。
【これは】−源氏からみた紫の上。
【思ほいためり】−御物本は「おほいたり」。横山本、榊原家本、池田本、三条西家本は書陵部本は「おほいためり」。肖柏本は大島本と同文。河内本は「おほしためり」とある。『集成』『古典セレクション』は「おぼいためり」と本文を改める。『新大系』は底本のまま。主語は源氏。「ためり」の「た」は完了の助動詞「たる」連体形の「る」が撥音便化しさらに無表記形。推量の助動詞「めり」終止形、視界内推量。語り手が源氏と紫の上の側近くで見て推測しているニュアンスである。
源氏物語の世界ヘ
本文
ローマ字版
現代語訳
大島本
自筆本奥入