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渋谷栄一校訂(C)
  

夢浮橋

薫君の大納言時代二十八歳の夏の物語
 [主要登場人物]
 薫<かおる>
呼称---大将殿・殿、源氏の子
 女一の宮<おんないちのみや>
呼称---一品の宮、今上帝の第一内親王
 浮舟<うきふね>
呼称---入道の姫君・姫君、八の宮の三女
 中将の君<ちゅうじょうのきみ>
呼称---親・母、浮舟の母
 小君<こぎみ>
呼称---小君・御弟の童・童、浮舟の異父弟
 母尼<ははのあま>
呼称---朽尼、横川僧都の母
 横川僧都<よかわのそうず>
呼称---僧都
 妹尼<いもうとのあま>
呼称---故衛門督の北の方・尼君・妹・主人、横川僧都の妹
第一章 薫の物語 横川僧都、薫の依頼を受け浮舟への手紙を書く
  1. 薫、横川に出向く---山におはして、例せさせたまふやうに、経仏など
  2. 僧都、薫に宇治での出来事を語る---僧都、「さればよ。ただ人と見えざりし人の
  3. 薫、僧都に浮舟との面会を依頼---「さてこそあなれ」と、ほの聞きて
  4. 僧都、浮舟への手紙を書く---かの御弟の童、御供に率ておはしたりけり
  5. 浮舟、薫らの帰りを見る---小野には、いと深く茂りたる青葉の山に向かひて
第二章 浮舟の物語 浮舟、小君との面会を拒み、返事も書かない
  1. 薫、浮舟のもとに小君を遣わす---かの殿は、「この子をやがてやらむ」と思しけれど
  2. 小君、小野山荘の浮舟を訪問---あやしけれど、「これこそは、さは、確かなる
  3. 浮舟、小君との面会を拒む---まがふべくもあらず、書き明らめたまへれど
  4. 小君、薫からの手紙を渡す---この子も、さは聞きつれど、幼ければ、ふと言ひ寄らむも
  5. 浮舟、薫への返事を拒む---かくつぶつぶと書きたまへるさまの、紛らはさむ方
  6. 小君、空しく帰り来る---所につけてをかしき饗応などしたれど
【出典】
【校訂】
 

第一章 薫の物語 横川僧都、薫の依頼を受け浮舟への手紙を書く

 [第一段 薫、横川に出向く]
 山におはして、例せさせたまふやうに、経仏など供養ぜさせたまふ。またの日は、横川におはしたれば、僧都驚きかしこまりきこえたまふ。
 年ごろ、御祈りなどつけ語らひたまひけれど、ことにいと親しきことはなかりけるを、このたび、一品の宮の御心地のほどにさぶらひたまへるに、「すぐれたまへる験ものしたまひけり」と見たまひてより、こよなう尊びたまひて、今すこし深き契り加へたまひければ、「重々しうおはする殿の、かくわざとおはしましたること」と、もて騷ぎきこえたまふ。御物語など、こまやかにしておはすれば、御湯漬など参りたまふ。
 すこし人びと静まりぬるに、
 「小野のわたりに、知りたまへる宿りやはべる」
 と、問ひたまへば、
 「しかはべる。いと異様なる所になむ。なにがしが母なる朽尼のはべるを、京にはかばかしからぬ住処もはべらぬうちに、かくて籠もりはべるあひだは、夜中、暁にも、あひ訪らはむ、と思ひたまへおきてはべる」
 など申したまふ。
 「そのわたりには、ただ近きころほひまで、人多う住みはべりけるを、今は、いとかすかにこそなりゆくめれ」
 などのたまひて、今すこし近くゐ寄りて、忍びやかに、
 「いと浮きたる心地もしはべる、また、尋ねきこえむにつけては、いかなりけることにかと、心得ず思されぬべきに、かたがた、憚られはべれど、かの山里に、知るべき人の隠ろへてはべるやうに聞きはべりしを。確かにてこそは、いかなるさまにて、なども漏らしきこえめ、など思ひたまふるほどに、御弟子になりて、忌むことなど授けたまひてけり、と聞きはべるは、まことか。まだ年も若く、親などもありし人なれば、ここに失ひたるやうに、かことかくる人なむはべるを」
 などのたまふ。
 [第二段 僧都、薫に宇治での出来事を語る]
 僧都、「さればよ。ただ人と見えざりし人のさまぞかし。かくまでのたまふは、軽々しくは思されざりける人にこそあめれ」と思ふに、「法師といひながら、心もなく、たちまちに容貌をやつしてけること」と、胸つぶれて、いらへきこえむやう思ひまはさる。
 「確かに聞きたまへるにこそあめれ。かばかり心得たまひて、うかがひ尋ねたまはむに、隠れあるべきことにもあらず。なかなかあらがひ隠さむに、あいなかるべし」など、とばかり思ひ得て、
 「いかなることにかはべりけむ。この月ごろ、うちうちにあやしみ思うたまふる人の御ことにや」とて、
 「かしこにはべる尼どもの、初瀬に願はべりて、詣でて帰りける道に、宇治の院といふ所に留まりてはべりけるに、母の尼の労気にはかに起こりて、いたくなむわづらふと告げに、人の参うで来たりしかば、まかり向かひたりしに、まづ妖しきことなむ」
 とささめきて、
 「親の死に返るをばさし置きて、もて扱ひ嘆きてなむはべりし。この人も、亡くなりたまへるさまながら、さすがに息は通ひておはしければ、昔物語に、魂殿に置きたりけむ人のたとひを思ひ出でて、さやうなることにや、と珍しがりはべりて、弟子ばらの中に験ある者どもを呼び寄せつつ、代はり代はりに加持せさせなどなむしはべりける。
 なにがしは、惜しむべき齢ならねど、母の旅の空にて病重きを助けて、念仏をも心乱れずせさせむと、仏を念じたてまつり思うたまへしほどに、その人のありさま、詳しうも見たまへずなむはべりし。ことの心推し量り思うたまふるに、天狗木霊などやうのものの、欺き率てたてまつりたりけるにや、となむ承り
 助けて、京に率てたてまつりて後も、三月ばかりは亡き人にてなむものしたまひけるを、なにがしが妹、故衛門督の北の方にてはべりしが、尼になりてはべるなむ、一人持ちてはべりし女子を失ひて後、月日は多く隔てはべりしかど、悲しび堪へず嘆き思ひたまへはべる、同じ年のほどと見ゆる人の、かく容貌いとうるはしくきよらなるを見出でたてまつりて、観音の賜へると喜び思ひて、この人いたづらになしたてまつらじと、惑ひ焦られて、泣く泣くいみじきことどもを申されしかば。
 後になむ、かの坂本にみづから下りはべりて、護身など仕まつりしに、やうやう生き出でて人となりたまへりけれど、『なほ、この領じたりけるものの、身に離れぬ心地なむする。この悪しきものの妨げを逃れて、後の世を思はむ』など、悲しげにのたまふことどもはべりしかば、法師にては、勧めも申しつべきことにこそはとて、まことに出家せしめたてまつりてしになむはべる。
 さらに、しろしめすべきこととは、いかでかそらにさとりはべらむ。珍しきことのさまにもあるを、世語りにもしはべりぬべかりしかど、聞こえありて、わづらはしかるべきことにもこそと、この老い人どものとかく申して、この月ごろ、音なくてはべりつるになむ」
 と申したまへば、
 [第三段 薫、僧都に浮舟との面会を依頼]
 「さてこそあなれ」と、ほの聞きてかくまでも問ひ出でたまへることなれど、「むげに亡き人と思ひ果てにし人を、さは、まことにあるにこそは」と思すほど、夢の心地してあさましければ、つつみもあへず涙ぐまれたまひぬるを、僧都の恥づかしげなるに、「かくまで見ゆべきことかは」と思ひ返して、つれなくもてなしたまへど、「かく思しけることを、この世には亡き人と同じやうになしたること」と、過ちしたる心地して、罪深ければ、
 「悪しきものに領ぜられたまひけむも、さるべき前の世の契りなり。思ふに、高き家の子にこそものしたまひけめ、いかなる誤りにて、かくまではふれたまひけむにか」
 と、問ひ申したまへば、
 「なま王家流などいふべき筋にやありけむ。ここにも、もとよりわざと思ひしことにもはべらず。ものはかなくて見つけそめてははべりしかど、また、いとかくまで落ちあふるべき際と思ひたまへざりしを。珍かに、跡もなく消え失せにしかば、身を投げたるにやなど、さまざまに疑ひ多くて、確かなることは、え聞きはべらざりつるになむ。
 罪軽めてものすれば、いとよしと心やすくなむ、みづからは思ひたまへなりぬるを、母なる人なむ、いみじく恋ひ悲しぶなるを、かくなむ聞き出でたると、告げ知らせまほしくはべれど、月ごろ隠させたまひける本意違ふやうに、もの騒がしくやはべらむ。親子の仲の思ひ絶えず、悲しびに堪へで、訪らひものしなどしはべりなむかし」
 などのたまひて、さて、
 「いと便なきしるべとは思すとも、かの坂本に下りたまへ。かばかり聞きて、なのめに思ひ過ぐすべくは思ひはべらざりし人なるを、夢のやうなることどもも、今だに語り合はせむ、となむ思ひたまふる」
 とのたまふけしき、いとあはれと思ひたまへれば、
 「容貌を変へ、世を背きにきとおぼえたれど、髪鬚を剃りたる法師だに、あやしき心は失せぬもあなり。まして、女の御身はいかがあらむ。いとほしう、罪得ぬべきわざにもあるべきかな」
 と、あぢきなく心乱れぬ。
 「まかり下りむこと、今日明日は障りはべり。月たちてのほどに、御消息を申させはべらむ」
 と申したまふ。いと心もとなけれど、「なほ、なほ」と、うちつけに焦られむも、さま悪しければ、「さらば」とて、帰りたまふ。
 [第四段 僧都、浮舟への手紙を書く]
 かの御弟の童、御供に率ておはしたりけり。異兄弟どもよりは、容貌もきよげなるを、呼び出でたまひて、
 「これなむ、その人の近きゆかりなるを、これをかつがつものせむ。御文一行賜へ。その人とはなくて、ただ、尋ねきこゆる人なむある、とばかりの心を知らせたまへ」
 とのたまへば、
 「なにがし、このしるべにて、かならず罪得はべりなむ。ことのありさまは、詳しくとり申しつ。今は、御みづから立ち寄らせたまひて、あるべからむことはものせさせたまはむに、何の咎かはべらむ」
 と申したまへば、うち笑ひて、
 「罪得ぬべきしるべと思ひなしたまふらむこそ、恥づかしけれ。ここには、俗の形にて、今まで過ぐすなむいとあやしき。
 いはけなかりしより、思ふ心ざし深くはべるを、三条の宮の、心細げにて、頼もしげなき身一つをよすがに思したるが、避りがたきほだしにおぼえはべりて、かかづらひはべりつるほどに、おのづから位などいふことも高くなり、身のおきても心にかなひがたくなどして、思ひながら過ぎはべるには、またえ避らぬことも、数のみ添ひつつは過ぐせど、公私に、逃れがたきことにつけてこそ、さもはべらめ、さらでは、仏の制したまふ方のことを、わづかにも聞き及ばむことは、いかで過たじと、慎しみて、心の内は聖に劣りはべらぬものを。
 まして、いとはかなきことにつけてしも、重き罪得べきことは、などてか思ひたまへむ。さらにあるまじきことにはべり。疑ひ思すまじ。ただ、いとほしき親の思ひなどを、聞きあきらめはべらむばかりなむ、うれしう心やすかるべき」
 など、昔より深かりし方の心を語りたまふ。
 僧都も、げにと、うなづきて、
 「いとど尊きこと」
 など聞こえたまふほどに、日も暮れぬれば、
 「中宿りもいとよかりぬべけれど、うはの空にてものしたらむこそ、なほ便なかるべけれ」
 と、思ひわづらひて帰りたまふに、この弟の童を、僧都、目止めてほめたまふ。
 「これにつけて、まづほのめかしたまへ」
 と聞こえたまへば、文書きて取らせたまふ。
 「時々は山におはして遊びたまへよ」と「すずろなるやうには思すまじきゆゑもありけり」
 と、うち語らひたまふ。この子は心も得ねど、文取りて御供に出づ。坂本になれば、御前の人びとすこし立ちあかれて、「忍びやかにを」とのたまふ。
 [第五段 浮舟、薫らの帰りを見る]
 小野には、いと深く茂りたる青葉の山に向かひて、紛るることなく、遣水の蛍ばかりを、昔おぼゆる慰めにて眺めゐたまへるに、例の、遥かに見やらるる谷の軒端より、前駆心ことに追ひて、いと多う灯したる火の、のどかならぬ光を見るとて、尼君たちも端に出でゐたり。
 「誰がおはするにかあらむ。御前などいと多くこそ見ゆれ」
 「昼、あなたに引干し奉れたりつる返り事に、『大将殿おはしまして、御饗応のことにはかにするを、いとよき折なり』と、こそありつれ」
 「大将殿とは、この女二の宮の御夫にやおはしつらむ」
 など言ふも、いとこの世遠く、田舎びにたりや。まことにさにやあらむ。時々、かかる山路分けおはせし時、いとしるかりし随身の声も、うちつけにまじりて聞こゆ。
 月日の過ぎゆくままに、昔のことのかく思ひ忘れぬも、「今は何にすべきことぞ」と心憂ければ、阿弥陀仏に思ひ紛らはして、いとどものも言はでゐたり。横川に通ふ人のみなむ、このわたりには近きたよりなりける。
 

第二章 浮舟の物語 浮舟、小君との面会を拒み、返事も書かない

 [第一段 薫、浮舟のもとに小君を遣わす]
 かの殿は、「この子をやがてやらむ」と思しけれど、人目多くて便なければ、殿に帰りたまひて、またの日、ことさらにぞ出だし立てたまふ。睦ましく思す人の、ことことしからぬ二、三人、送りにて、昔も常に遣はしし随身添へたまへり。人聞かぬ間に呼び寄せたまひて、
 「あこが亡せにし姉の顔は、おぼゆや。今は世に亡き人と思ひ果てにしを、いと確かにこそ、ものしたまふなれ。疎き人には聞かせじと思ふを、行きて尋ねよ。母に、いまだしきに言ふな。なかなか驚き騒がむほどに、知るまじき人も知りなむ。その親の御思ひのいとほしさにこそ、かくも尋ぬれ」
 と、まだきにいと口固めたまふを、幼き心地にも、姉弟は多かれど、この君の容貌をば、似るものなしと思ひしみたりしに、亡せたまひにけりと聞きて、いと悲しと思ひわたるに、かくのたまへば、うれしきにも涙の落つるを、恥づかしと思ひて、
 「を、を」
 と荒らかに聞こえゐたり。
 かしこには、まだつとめて、僧都の御もとより、
 「昨夜、大将殿の御使にて、小君や参うでたまへりし。ことの心承りしに、あぢきなく、かへりて臆しはべりてなむ、と姫君に聞こえたまへ。みづから聞こえさすべきことも多かれど、今日明日過ぐしてさぶらふべし」
 と書きたまへり。「これは何ごとぞ」と尼君驚きて、こなたへもて渡りて見せたてまつりたまへば、面うち赤みて、「ものの聞こえのあるにや」と苦しう、「もの隠ししける」と恨みられむを思ひ続くるに、いらへむ方なくてゐたまへるに、
 「なほ、のたまはせよ。心憂く思し隔つること」
 と、いみじく恨みて、ことの心を知らねば、あわたたしきまで思ひたるほどに、
 「山より、僧都の御消息にて、参りたる人なむある」
 と言ひ入れたり。
 [第二段 小君、小野山荘の浮舟を訪問]
 あやしけれど、「これこそは、さは、確かなる御消息ならめ」とて、
 「こなたに」
 と言はせたれば、いときよげにしなやかなる童の、えならず装束きたるぞ、歩み来たる。円座さし出でたれば、簾のもとについゐて、
 「かやうにては、さぶらふまじくこそは、僧都は、のたまひしか」
 と言へば、尼君ぞ、いらへなどしたまふ。文取り入れて見れば、
 「入道の姫君の御方に、山より」
 とて、名書きたまへり。あらじなど、あらがふべきやうもなし。
 いとはしたなくおぼえて、いよいよ引き入られて、人に顔も見合はせず。
 「常にほこりかならずものしたまふ人柄なれど、いとうたて、心憂し」
 など言ひて、僧都の御文見れば、
 「今朝、ここに大将殿のものしたまひて、御ありさま尋ね問ひたまふに、初めよりありしやう詳しく聞こえはべりぬ。御心ざし深かりける御仲を背きたまひて、あやしき山賤の中に出家したまへること、かへりては、仏の責め添ふべきことなるをなむ、承り驚きはべる。
 いかがはせむ。もとの御契り過ちたまはで、愛執の罪をはるかしこえたまひて、一日の出家の功徳は、はかりなきものなれば、なほ頼ませたまへとなむ。ことごとには、みづからさぶらひて申しはべらむ。かつがつ、この小君聞こえたまひてむ」
 と書いたり。
 [第三段 浮舟、小君との面会を拒む]
 まがふべくもあらず、書き明らめたまへれど、異人は心も得ず。
 「この君は、誰れにかおはすらむ。なほ、いと心憂し。今さへ、かくあながちに隔てさせたまふ」
 と責められて、すこし外ざまに向きて見たまへば、この子は、今はと世を思ひなりし夕暮れに、いと恋しと思ひし人なりけり。同じ所にて見しほどは、いと性なく、あやにくにおごりて憎かりしかど、母のいとかなしくして、宇治にも時々率ておはせしかば、すこしおよすけしままに、かたみに思へり。
 童心を思ひ出づるにも、夢のやうなり。まづ、母のありさま、いと問はまほしく、「異人びとの上は、おのづからやうやうと聞けど、親のおはすらむやうは、ほのかにもえ聞かずかし」と、なかなかこれを見るに、いと悲しくて、ほろほろと泣かれぬ。
 いとをかしげにて、すこしうちおぼえたまへる心地もすれば、
 「御兄弟にこそおはすめれ。聞こえまほしく思すこともあらむ。内に入れたてまつらむ」
 と言ふを、「何か、今は世にあるものとも思はざらむに、あやしきさまに面変りして、ふと見えむも恥づかし」と思へば、とばかりためらひて、
 「げに、隔てありと、思しなすらむが苦しさに、ものも言はれでなむ。あさましかりけむありさまは、珍かなることと見たまひてけむを、うつし心も失せ、魂などいふらむものも、あらぬさまになりにけるにやあらむ。いかにもいかにも、過ぎにし方のことを、我ながらさらにえ思ひ出でぬに、紀伊守とかありし人の、世の物語すめりし中になむ、見しあたりのことにやと、ほのかに思ひ出でらるることある心地せし。
 その後、とざまかうざまに思ひ続くれど、さらにはかばかしくもおぼえぬに、ただ一人ものしたまひし人の、いかでとおろかならず思ひためりしを、まだや世におはすらむと、そればかりなむ心に離れず、悲しき折々はべるに、今日見れば、この童の顔は、小さくて見し心地するにも、いと忍びがたけれど、今さらに、かかる人にも、ありとは知られでやみなむ、となむ思ひはべる。
 かの人、もし世にものしたまはば、それ一人になむ、対面せまほしく思ひはべる。この僧都の、のたまへる人などには、さらに知られたてまつらじ、とこそ思ひはべりつれ。かまへて、ひがことなりけりと聞こえなして、もて隠したまへ」
 とのたまへば、
 「いと難いことかな。僧都の御心は、聖といふなかにも、あまり隈なくものしたまへば、まさに残いては、聞こえたまひてむや。後に隠れあらじ。なのめに軽々しき御ほどにもおはしまさず」
 など言ひ騷ぎて、
 「世に知らず心強くおはしますこそ」
 と、皆言ひ合はせて、母屋の際に几帳立てて入れたり。
 [第四段 小君、薫からの手紙を渡す]
 この子も、さは聞きつれど、幼ければ、ふと言ひ寄らむもつつましけれど、
 「またはべる御文、いかでたてまつらむ。僧都の御しるべは、確かなるを、かくおぼつかなくはべるこそ」
 と、伏目にて言へば、
 「そそや。あな、うつくし」
 など言ひて、
 「御文御覧ずべき人は、ここにものせさせたまふめり。見証の人なむ、いかなることにかと、心得がたくはべるを、なほのたまはせよ。幼き御ほどなれど、かかる御しるべに頼みきこえたまふやうもあらむ」
 など言へど、
 「思し隔てて、おぼおぼしくもてなさせたまふには、何事をか聞こえはべらむ。疎く思しなりにければ、聞こゆべきこともはべらず。ただ、この御文を、人伝てならで奉れ、とてはべりつる、いかでたてまつらむ」
 と言へば、
 「いとことわりなり。なほ、いとかくうたてなおはせそ。さすがにむくつけき御心にこそ」
 と聞こえ動かして、几帳のもとに押し寄せたてまつりたれば、あれにもあらでゐたまへるけはひ、異人には似ぬ心地すれば、そこもとに寄りて奉りつ。
 「御返り疾く賜はりて参りなむ」
 と、かく疎々しきを、心憂しと思ひて急ぐ。
 尼君、御文ひき解きて、見せたてまつる。ありしながらの御手にて、紙の香など、例の、世づかぬまでしみたり。ほのかに見て、例の、ものめでのさし過ぎ人、いとありがたくをかしと思ふべし。
 「さらに聞こえむ方なく、さまざまに罪重き御心をば、僧都に思ひ許しきこえて、今はいかで、あさましかりし世の夢語りをだに、と急がるる心の、我ながらもどかしきになむ。まして、人目はいかに」
 と、書きもやりたまはず。
 「法の師と尋ぬる道をしるべにて
  思はぬ山に踏み惑ふかな
 この人は、見や忘れたまひぬらむ。ここには、行方なき御形見に見る物にてなむ」
 など、こまやかなり。
 [第五段 浮舟、薫への返事を拒む]
 かくつぶつぶと書きたまへるさまの、紛らはさむ方なきに、さりとて、その人にもあらぬさまを、思ひの外に見つけられきこえたらむほどの、はしたなさなどを思ひ乱れて、いとど晴れ晴れしからぬ心は、言ひやるべき方もなし。
 さすがにうち泣きて、ひれ臥したまへれば、「いと世づかぬ御ありさまかな」と、見わづらひぬ。
 「いかが聞こえむ」
 など責められて、
 「心地のかき乱るやうにしはべるほど、ためらひて、今聞こえむ。昔のこと思ひ出づれど、さらにおぼゆることなく、あやしう、いかなりける夢にかとのみ、心も得ずなむ。すこし静まりてや、この御文なども、見知らるることもあらむ。今日は、なほ持て参りたまひね。所違へにもあらむに、いとかたはらいたかるべし」
 とて、広げながら、尼君にさしやりたまへれば、
 「いと見苦しき御ことかな。あまりけしからぬは、見たてまつる人も、罪さりどころなかるべし」
 など言ひ騒ぐも、うたて聞きにくくおぼゆれば、顔も引き入れて臥したまへり。
 主人ぞ、この君に物語すこし聞こえて、
 「もののけにやおはすらむ。例のさまに見えたまふ折なく、悩みわたりたまひて、御容貌も異になりたまへるを、尋ねきこえたまふ人あらば、いとわづらはしかるべきこと、と見たてまつり嘆きはべりしも、しるく、かくいとあはれに、心苦しき御ことどもはべりけるを、今なむ、いとかたじけなく思ひはべる。
 日ごろも、うちはへ悩ませたまふめるを、いとどかかることどもに思し乱るるにや、常よりもものおぼえさせたまはぬさまにてなむ」
 と聞こゆ。
 [第六段 小君、空しく帰り来る]
 所につけてをかしき饗応などしたれど、幼き心地は、そこはかとなくあわてたる心地して、
 「わざと奉れさせたまへるしるしに、何事をかは聞こえさせむとすらむ。ただ一言をのたまはせよかし」
 など言へば、
 「げに」
 など言ひて、かくなむ、と移し語れど、ものものたまはねば、かひなくて、
 「ただ、かく、おぼつかなき御ありさまを聞こえさせたまふべきなめり。雲の遥かにたらぬほどにもはべるめるを、山風吹くとも、またもかならず立ち寄らせたまひなむかし」
 と言へば、すずろにゐ暮らさむもあやしかるべければ、帰りなむとす。人知れずゆかしき御ありさまをも、え見ずなりぬるを、おぼつかなく口惜しくて、心ゆかずながら参りぬ。
 いつしかと待ちおはするに、かくたどたどしくて帰り来たれば、すさまじく、「なかなかなり」と、思すことさまざまにて、「人の隠し据ゑたるにやあらむ」と、わが御心の思ひ寄らぬ隈なく、落とし置きたまへりしならひに、とぞ本にはべめる。
 【出典】
出典1 逢ふことは雲居遥かに鳴る神の音に聞きつつ恋ひわたるかな(古今集恋一-四八二 紀貫之)(戻)
 【校訂】
備考--(/) ミセケチ--$ 抹消--# 補入--+ 傍書--= ナゾリ--& 独自異文等--* 朱筆--<朱> 不明--△
校訂1 加へたまひ--くはへ(へ/+給<朱>)(戻)
校訂2 承り--うけ給ひ(ひ/$はり)し(戻)
校訂3 思ひたまへはべる--*おもひ給へる(戻)
校訂4 ことども--こと(と/+と<朱>)も(戻)
校訂5 ほの聞きて--ほのきゝ給(給/$<朱>)て(戻)
校訂6 はるかし--はるか(か/+し<朱>)(戻)
校訂7 賜はりて--*給て(戻)
源氏物語の世界ヘ
ローマ字版
現代語訳
注釈
大島本
自筆本奥入