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渋谷栄一注釈

  

夕 顔


 [底本]
財団法人古代学協会・古代学研究所編 角田文衛・室伏信助監修『大島本 源氏物語』第一巻 一九九六年 角川書店

 [参考文献]
池田亀鑑編著『源氏物語大成』第一巻「校異篇」一九五六年 中央公論社

阿部秋生・秋山 虔・今井源衛・鈴木日出男校注・訳『古典セレクション 源氏物語』第一巻 一九九八年 小学館
柳井 滋・室伏信助・大朝雄二・鈴木日出男・藤井貞和・今西祐一郎校注『新日本古典文学大系 源氏物語』第一巻 一九九三年 岩波書店
阿部秋生・秋山 虔・今井源衛・鈴木日出男校注・訳『完訳日本の古典 源氏物語』第一巻 一九八三年 小学館
石田穣二・清水好子校注『新潮日本古典集成 源氏物語』第一巻 一九七六年 新潮社
阿部秋生・秋山 虔・今井源衛校注・訳『日本古典文学全集 源氏物語』第一巻 一九七〇年 小学館
玉上琢弥著『源氏物語評釈』第一巻 一九六四年 角川書店
山岸徳平校注『日本古典文学大系 源氏物語』第一巻 一九五八年 岩波書店
池田亀鑑校注『日本古典全書 源氏物語』第一巻 一九四六年 朝日新聞社

伊井春樹編『源氏物語引歌索引』一九七七年 笠間書院
榎本正純篇著『源氏物語の草子地 諸注と研究』一九八二年 笠間書院

 [本文について]

 本文は、定家本系統の最善本の大島本である。当帖の大島本は、奥入は有するが、付箋は伴わない。引き歌の存する箇所には朱合点を打って、行間に朱筆で書き入れている。単純な誤脱や誤写などが見られる。

 [注釈]

第一章 夕顔の物語 夏の物語

  1. 源氏、五条の大弐乳母を見舞う---六条わたりの御忍び歩きのころ
  2. 数日後、夕顔の宿の報告---惟光、日頃ありて参れり
第二章 空蝉の物語
 空蝉の夫、伊予国から上京す---さて、かの空蝉のあさましくつれなきを

第三章 六条の貴婦人の物語 初秋の物語
 霧深き朝帰りの物語---秋にもなりぬ。人やりならず、心づくしに

第四章 夕顔の物語(2) 仲秋の物語

  1. 源氏、夕顔の宿に忍び通う---まことや、かの惟光が預かりのかいま見は
  2. 八月十五夜の逢瀬---君も、「かくうらなくたゆめてはひ隠れなば
  3. なにがしの院に移る---いさよふ月に、ゆくりなくあくがれむことを
  4. 夜半、もののけ現われる---宵過ぐるほど、すこし寝入りたまへるに
  5. 源氏、二条院に帰る---からうして、惟光朝臣参れり
  6. 十七日夜、夕顔の葬送---日暮れて、惟光参れり。かかる穢らひありとのたまひて
  7. 忌み明ける---九月二十日のほどにぞ、おこたり果てたまひて
第五章 空蝉の物語(2)
 紀伊守邸の女たちと和歌の贈答---かの、伊予の家の小君、参る折あれど

第六章 夕顔の物語(3)
 四十九日忌の法要---かの人の四十九日、忍びて比叡の法華堂にて

第七章 空蝉の物語(3)
 空蝉、伊予国に下る---伊予介、神無月の朔日ごろに下る

 

第一章 夕顔の物語 夏の物語

 [第一段 源氏、五条の大弐乳母を見舞う]

【六条わたりの御忍び歩きのころ】−源氏の六条辺りの女性へのお忍び通いのころの物語。夏の最も暑い六月ころの物語。六条は、当時都の場末といった感じの所。
【中宿】−途中の休憩所。旅や遠出の折に使用した知人の家や邸宅。
【大弍の乳母】−源氏の乳母の一人。大弍は従四位下相当官。その人の妻。なお源氏にはもう一人の乳母がいる。「末摘花」巻に登場する左衛門の乳母。
【尼になりにける】−諸本すべて格助詞「を」を持たない。尼になった、その人を、というニュアンスの構文。
【五条なる家尋ねて】−源氏はこの家をしばらく訪問していなかった趣きである。あるいは初めての訪問か。

【御車入るべき門】−賓客の出入りする門。表門。普段は使用されない。家人は通用門を使用。
【惟光召させて】−大弍の乳母の子、すなわち源氏の乳母子。使役の助動詞「せ」連用形。
【待たせたまひけるほど】−主語は源氏。尊敬の助動詞「せ」連用形+尊敬の補助動詞「たまひ」連用形、最高敬語。
【むつかしげなる大路のさま】−五条大路であろう。
【見わたしたまへるに】−主語は源氏。接続助詞「に」順接。--していると、の意。以下、源氏の目を通して語る叙述。
【桧垣といふもの】−檜の薄い板を網代形に組んで作った垣。庶民の家の作り物。桧垣の絵が「春日権現験記絵」(宮内庁三の丸尚蔵館)に見える。上流貴族には縁遠い物なので「といふもの」と語られる。しかしここでは垣としてではなく下半分のはめ込み戸代わりに使用したものであろう。「扇面古写経」にその絵が見られる。その図が『評釈』に掲載されている。
【上は半蔀四五間ばかり上げわたして】−半蔀は戸の一種。下半分は桧垣戸をはめ込み、上半分は蔀戸を外側に釣り上げていた。
【簾など】−身分の低い者の家では「簾」といい、高貴な家では「御簾」といって、使い分けられている。
【涼しげなるに】−「涼しげなる」の下に「所」などの語が省略されている。格助詞「に」場所を表す。
【をかしき額つきの透影】−美しい額つきをした女の影が簾の内側に見える、という意。
【見えて覗く】−透き影が外の源氏の方を覗いている意。
【立ちさまよふらむ下つ方】−下半分が桧垣によって見えない。推量の助動詞「らむ」連体形、視界外推量のニュアンス。
【あながちに丈高き心地ぞする】−女たちは踏み台の上などに乗って外を覗いているのだろう。
【いかなる者の集へるならむ】−源氏の心。

【御車もいたくやつしたまへり】−この文は、以下「同じことなり」まで、読点によって続く一文である。源氏の気持ちが重ね合わされた表現である。
【前駆も追はせたまはず】−「御車もいたくやつしたまへり」と並列する。
【誰れとか知らむ】−反語表現。右の二文の並列を受けて、それゆえ、わたしを誰と分かろうか、誰とも分かるまい、という意の構文。
【すこしさし覗きたまへれば】−源氏が牛車の窓から。完了の助動詞「れ」存続の意。しばらく覗いているニュアンス。
【門は蔀のやうなる押し上げたる見入れのほどなく】−蔀戸を棒などで押し上げてある門。「春日権現験記」に竹を格子状に編んだ形の門の絵が見られる。断定の助動詞「なる」連体形の下に目的格を表す格助詞「を」ナシ。半蔀のような、それを押し上げてあり、その奥行きもなく、という一続きの視点で語られている構文。
【何処かさして】−『源氏釈』は「世の中はいづれかさしてわがならむ行きとまるをぞ宿と定むる」(古今集雑下 九八七 読人しらず」を指摘する。
【玉の台も同じことなり】−『河海抄』は「何せむに玉の台も八重葎はべらむ中に二人こそ寝め」(古今六帖六 葎)を指摘する。「玉の台」は歌語。金殿玉楼の立派な御殿に住むことも卑しい宿に住むことも同じく無常の世に住むことだ、違いはない。引歌の「二人こそ寝め」に源氏と夕顔の物語の将来を暗示させる。

【切懸だつ物に】−瓦屋根の葺き方のように横板を下から少しずつ立て重ねて作った板塀。
【いと青やかなる葛の心地よげに】−格助詞「の」主格を表す。
【這ひかかれるに】−格助詞「に」場所を表す。
【おのれひとり笑みの眉開けたる】−擬人法。係助詞「ぞ」--「完了の助動詞「たる」連体形、存続の意。係り結びの法則。強調のニュアンス。

【遠方人にもの申す】−源氏の独り言。『源氏釈』は「うち渡す遠方人に物申す我そのそこに白く咲けるは何の花ぞも」(古今集旋頭歌 一〇〇七 読人しらず)を指摘する。その和歌の語句を引用したもの。「何の花ぞも」と問うのが真意。

【独りごちたまふを】−主語は源氏。接続助詞「を」順接を表す。
【御隋身ついゐて】−中将の源氏には四人の随身が付く。

【かの白く咲けるをなむ】−以下「咲きはべりける」まで、御随身の返答。源氏の引歌を理解して適切に答える。「白く咲ける」は、その『古今集』歌の語句を踏まえて答えたもの。嗜みのある風雅な返答。係助詞「なむ」、丁寧の補助動詞「はべる」連体形、係り結びの法則。
【人めきて】−「顔」という言葉が付くので人のようだという意と、「人めく」の人並みの身分、すなわち貴族のようなという意を掛けた返答になっている。接続助詞「て」逆接を表す。
【垣根になむ咲きはべりける】−係助詞「なむ」、過去の助動詞「ける」連体形、詠嘆の意。係り結びの法則。

【げにいと小家がちに】−「げに」という言葉は源氏と語り手のどちらの感想ともとれる表現。
【むつかしげなるわたりの】−格助詞「の」同格を表す。
【このもかのも】−『源氏釈』は「筑波嶺のこのもかのもに蔭はあれど君が御蔭にます蔭はなし」(古今集東歌 一〇九五 常陸歌)を指摘。他に『河海抄』は「山風の吹きのまにまに紅葉ばはこのもかのもに散りぬべらなり」(後撰集秋下 四〇六 読人しらず)を指摘する。「このもかのも」は歌語。

【口惜しの花の契りや一房折りて参れ】−源氏の詞。夕顔という花の名は、ひとかどの身分を持っていながら卑しい界隈に身を落として咲くという花だから。非運な花よ。後に登場してくる女主人公夕顔の身の上を象徴する。

【門に入りて折る】−主語は御隋身。夕顔の花を手折る。
【さすがにされたる】−「さすがに」という言葉は源氏と語り手のどちらの目から見た感想ともとれる表現。粗末な家とはいうものの、の意。
【遣戸口】−遣戸は身分の低い者の家の戸。立派な寝殿造りでは妻戸。遣戸は寝殿の北側や裏手に付けられている。
【童の】−女の童。格助詞「の」同格を表す。
【をかしげなる】−連体形、主語となって下文に係る。
【うち招く】−『完訳』は「秋の野の草の袂か花薄ほに出でて招く袖と見ゆらむ」(古今集秋上 二四三 在原棟梁)や唐代伝奇『任氏伝』を指摘する。
【白き扇の】−格助詞「の」同格を表す。

【これに置きて】−以下「情けなげなめる花を」まで、女童の詞。
【情けなげなめる花を】−「なめる」は「なるめる」が撥音便化して「なんめる」さらに「ん」の無表記形。断定の助動詞「なる」連体形+推量の助動詞「める」連体形、主観的推量を表す。間投助詞「を」詠嘆の意を表す。

【取らせたれば】−緩やかな順接。与えたところ、門をあけて云々と続く。
【惟光朝臣出で来たるして】−格助詞「して」--に命じて、--を使って、の意。御随身は、ちょうどそこへ惟光朝臣が出て来たので、惟光から源氏に、という意。「出て来たる惟光の朝臣して」の語順を転換した構文。惟光の登場を強調した表現である。

【鍵を置きまどはしはべりて】−以下「立ちおはしまして」まで、惟光の挨拶。表門は普段は使用しないので、鍵がどこにあるか分からなかった、という言い訳。
【いと不便なるわざなりや】−終助詞「や」詠嘆。

【引き入れて下りたまふ】−惟光の邸宅に牛車を引き入れて、建物の入り口で下りる。
【惟光が兄の阿闍梨婿の三河守娘など】−惟光の兄の阿闍梨、尼君の娘婿の三河守、尼君の娘など、大弐乳母の子供たちが集まっている。

【尼君も起き上がりて】−病床から身を起こして。貴人を迎える礼儀。

【惜しげなき身なれど】−以下「待たれはべるべき」まで、尼君の詞。源氏のお見舞いに対する感謝の挨拶。
【捨てがたく思うたまへつること】−大島本「すてかたくおもふたまへつる事」とある。「思う」は「思ひ」(連用形)のウ音便化。謙譲の補助動詞「たまへ」(下二段活用、連用形)。完了の助動詞「つる」(連体形)。存じておりました。『集成』は「思うたまへ」と整定。『新大系』は「思ふ(う)たまへ」と底本を生かし、『古典セレクション』は他本に従って「思ひたまへ」と改める。
【かく御前にさぶらひ】−「御前」は源氏をさす。「さぶらひ」の主語は自分尼君。
【御覧ぜらるること】−受身の助動詞「らるる」連体形。源氏から見られる、意。
【変りはべりなむこと】−完了の助動詞「な」未然形、確述、推量の助動詞「む」連体形、推量の意。
【よみがへりてなむ】−係助詞「なむ」は下に「はべる」などの語が省略されていると解される。
【見たまへはべりぬれば】−謙譲の補助動詞「たまへ」連用形、丁寧の補助動詞「はべり」連用形、完了の助動詞「ぬれ」已然形、原因理由を表す。
【今なむ】−係助詞「なむ」は「待たれはべるべき」連体形に係る。係り結びの法則。
【阿弥陀仏】−底本の大島本には「あみた仏」とある。読みは「あみだぼとけ」か、または「あみだぶつ」か不明。『集成』『新大系』『古典セレクション』は「あみだほとけ」と読んでいる。
【待たれはべるべき】−可能の助動詞「れ」連用形。

【日ごろおこたりがたく】−以下「悪ろきわざとなむ聞く」まで、源氏の見舞いの詞。
【ものせらるるを】−主語はあなた尼君。尊敬の補助動詞「らるる」連体形。尊敬の補助動詞「たまふ」四段活用よりも軽い敬意。「おられる」くらいの意。
【安からず嘆きわたりつるに】−主語は自分源氏。接続助詞「に」弱い逆接を表す。お姿を拝して少しは安心したが、しかしこのように、というニュアンスで下文に続く。
【口惜しうなむ】−係助詞「なむ」の下には「思ふ」また「思ひ給ふる」などの語(連体形)が省略されている。
【なほ位高くなど】−わたしの位が高くなるのなどをの意。「高く」の下に「なりなむを」などの語句が省略された形。大島本「なと」とあるが、『集成』『古典セレクション』は他本に従って「なども」と改める。『新大系』は底本のまま。
【さてこそ】−副詞「さて」そうじう状態で、そうあって、の意。係助詞「こそ」と共に「生まれたまはめ」已然形に係る係り結びの法則。
【九品の上にも】−九品浄土の最上位、極楽浄土の上品上生。

【かたほなるをだに】−以下「すずろに涙がちなり」まで、語り手の乳母に対する批評を含んだ表現。「--だに--まして--」という構文。副助詞「だに」最小限を表す。「べき」「べかめる」は語り手の感情移入の語。『岷江入楚』は「草子の地歟」と注す。
【いと面立たしう】−源氏の君の乳母となったことを光栄だと思う。
【思ほゆべかめれば】−「べかめる」は推量の助動詞「べかる」連体形+推量の助動詞「める」連体形、話者の主観的推量の形。「べかる」の「る」が撥音便化し、さらに「ん」が無表記の形。

【子どもは】−大弐の乳母の子供たち。
【背きぬる世の】−以下「御覧ぜられたまふ」まで、乳母の子供たちの詞。
【御覧ぜられたまふ】−受身の助動詞「られ」連用形、尊敬の補助動詞「たまふ」、話者(子供たち)の乳母(母親)に対する敬意。「御覧ず」は源氏の君を想定した表現。

【いとあはれと思ほして】−「あはれ」は、しみじみといたわしい気持ち。「思ほす」は「思ふ」の尊敬表現。

【いはけなかりけるほどに】−以下「なくもがな」まで、源氏の詞。源氏は三歳で母桐壺更衣に死別、六歳で祖母に死別。
【思ふべき人びと】−母親や祖母をさす。
【あるやうなりしかど】−過去の助動詞「しか」已然形+接続助詞「ど」逆接を表す。
【またなくなむ思ほえし】−あなた(大弐の乳母)以外にはいない。係助詞「なむ」、過去の助動詞「し」連体形に係る係り結びの法則。「思ほゆ」自発の意味がこもる。
【限りあれば】−高貴な身分から生じるさまざまな制約、きまり。
【朝夕にしもえ見たてまつらず】−副助詞「しも」強調の意。副助詞「え」は打消の助動詞「ず」と呼応して不可能の意を表す。
【さらぬ別れはなくもがな】−「さらぬ」は避けられない、の意。「避る」の未然形+打消の助動詞「ぬ」連体形。「世の中にさらぬ別れのなくもがな千代もと嘆く人の子のため」(伊勢物語・古今集雑上 九〇一 在原業平)の第二句第三句の文句を助詞を変えて引用する。

【なくもがなとなむ】−大島本「なくもかなとなん」とある。『集成』『古典セレクション』は諸本に従って「など」の語句を補う。『新大系』は底本のまま。係助詞「なむ」は「語らふ」に係るが、下文に続いて係り結びの流れとなっている。
【げによに思へば】−以下「人の御宿世ぞかし」まで、語り手と尼君の子供たちの心理が一体化した表現である。副詞「げに」は源氏がいかに大弐の乳母を大事な人と思っていたかという発言をうける。副詞「よに」は、程度のはなはだしいさま。ほんとうに、とりわけ、の意。
【御宿世】−大島本「みすくせ」と仮名表記。よって「御」は「み」と読む。

【修法】−大島本「すほう」と表記し、「修法也シユワウトヨムヘシ」と注記する。「従来第一音節を濁って「ずほふ」とするものが多いが、「修」の字音が漢音シウ・呉音シュで、清音であること(中国の中古音でも清音)、「しゅほふ」の場合の「しゅ」も清音であること、接頭語「み」を冠した形が転じて「みしほ」となる場合の「し」も清音であること、濁音表記の比較的に多い首書源氏物語の中の仮名書きの用例三一例がすべて清音表記であることなどからみて、古くは、「ふほふ」と清んでいたらしい。なお源氏物語湖月抄には「ずほふ」<夕霧>などのように、濁った形が認められるから、江戸初期ごろに濁音形が成立したものと思われる(岡崎正継)」(小学館古語大辞典)。『集成』『古典セレクション』は「ずほふ」と濁音に読んでいるが、『新大系』は「すほふ」と清音に読む。
【ありつる扇】−夕顔の花の咲いていた宿の女から贈られた扇。
【すさみ書きたり】−大島本「すさみかきたり」とある。『集成』『古典セレクション』は「すさび書きたり」と諸本に従って校訂。『新大系』は底本のまま。大島本において「すさむ」は多く下二段活用語として使用されている。四段活用語「すさむ」は複合語で用いられ、「すさみ書く」は「夕顔」1例。「書きすさむ」は「初音」「浮舟」に各1例ずつあるのみ。「書きすさぶ」は「空蝉」「紅葉賀」「葵」「須磨」「絵合」「蜻蛉」に各1例ずつ、計6例あるが、「すさび書く」の用例はない。

【心あてにそれかとぞ見る白露の光そへたる夕顔の花】−女の贈歌。『異本紫明抄』は「心あてに折らばや折らむ初霜の置き惑はせる白菊の花」(古今集秋下 二七七 凡河内躬恒)を指摘する。「白露の光そへたる」という言葉から、光源氏を暗示する。この和歌をめぐっては諸説ある。『新大系』は「この歌の詠み手は夕顔その人ではないとする説、末句を「夕顔の花は」と解して夕顔自身が名告っているとする説、花は女性の隠喩であるとしてこの歌に挑発の気持がこもると見る説、男を元の愛人(頭中将)かと女が推量していると取る説など、諸説がある」と注す。いずれとも解せるところに和歌特有の表現機能がある。

【ゆゑづきたれば】−「ゆゑづく」は趣きがそなわっている、奥ゆかしい、意。

【この西なる家は】−以下「問ひ聞きたりや」まで、源氏の詞。助動詞「なる」連体形は「にあり」の約。存在を表す。
【何人の住むぞ】−係助詞「ぞ」は疑問の語(「何人」)と共に用いて問いただす意を表す。
【問ひ聞きたりや】−完了の助動詞「たり」終止形、存続の意。係助詞「や」疑問の意を表す。

【例のうるさき御心】−「例の」とあることによって、源氏と惟光の親密な関係や普段の源氏の行動が過去に遡って想像される表現である。
【えさは申さで】−大島本「えさハ申さて」とある。副詞「え」は打消の語「で」(否定の接続助詞)と呼応して、不可能の意を表す。『集成』『古典セレクション』は諸本に従って「え」を削除する。『新大系』は底本のまま。惟光は源氏と親しい乳母子の関係にあるとはいえ、はっきりそうと明言することはできないで、というニュアンスがある。

【この五六日ここに】−以下「え聞きはべらず」まで、惟光の返答。惟光も日頃は源氏と行動を共にしていて、実家にここ五、六日は帰ってきているとは言っても近所のことはよく知らないという状況。
【病者】−大島本「はうさ」と表記し、「病者也ヒヤウシヤトヨムヘシ」と注記する。「ばうざ」は「びょうじゃ」の直音表記。
【思うたまへ扱ひはべる】−「思う」は「思ひ」(連用形)がイ音便化し、さらに「う」と表記された形。謙譲の補助動詞「たまへ」下二段活用、連用形。丁寧の補助動詞「はべる」連体形。

【はしたなやかに】−取りつく島もない、無愛想だ、という意。

【憎しとこそ思ひたれな】−以下「召して問へ」まで、源氏の詞。係助詞「こそ」は完了の助動詞「たれ」已然形に係る。係結びの法則。終助詞「な」詠嘆を表す。「憎し」は気に入らない、見苦しい、などの意。わたしの言うことがあなたは気に入らないのだな、あるいは、わたしの言うことがみっともないというのだな、というニュアンス。
【されどこの扇の】−逆接の接続助詞。格助詞「の」動作の対象を表す。この扇について、の意。
【見ゆるを】−間投助詞「を」詠嘆の意を表す。
【心知れらむ者を】−四段動詞「心知れ」已然形(あるいは命令形)+完了の助動詞「ら」未然形、存続の意+推量の助動詞「む」連体形。

【入りて】−主語は惟光。奥に入っていって、母の家の管理人(宿守)に尋ねる。
【この宿守なる男】−乳母の家の管理人。

【揚名介なる人の】−以下「にやあらむ」まで、惟光の返答。「揚名介」は名前だけで実務や俸給も伴わない地方官の次官で、名誉職。裕福な者がお金を収めてその名をもらった。
【男は田舎にまかりて】−以下「宮仕人にて来通ふ」まで下人の報告を惟光が引用して報告。西隣の家の主人。「田舎にまかりて」は商用などのために地方に下っているのであろう。
【え知りはべらぬにやあらむ】−副詞「え」打消の語「ぬ」と共に用いられて不可能の意を表す。打消の助動詞「ぬ」連体形、断定の助動詞「に」連用形。係助詞「や」疑問の意で、推量の助動詞「む」連体形に係る。

【さらばその】−以下「際にやあらむ」まで、源氏の心に添った叙述。
【宮仕人ななり】−断定の助動詞「なる」連体形「る」の撥音便化さらに無表記の形+伝聞推定の助動詞「なり」終止形。宮仕え人であるらしいの意。
【言へるかな】−「言ふ」は歌を詠むこと。「言へ」已然形、完了の助動詞「る」連体形、存続の意、終助詞「かな」詠嘆の意。
【めざましかるべき際にやあらむ】−形容詞「目覚まし」は「本来は、単に目が覚めるほど意外だという意だったが、平安文学などの用例では、階級意識・上下意識に支えられており、上者から見て、下者の言動に身分・分際を越えたものがあると感じられた場合に、用いられている。従って、けなすときには、身の程を知らない失敬なことだという感じ、また、ほめるときには、身分の低いわりには大したものだという感じを伴う」(小学館古語大辞典)。ここでは、興味がそがれる、意。断定の助動詞「に」連用形、係助詞「や」疑問、推量の助動詞「む」連体形。『新大系』は「源氏は、宮仕え人だとしても低い分際の女だろうと思い、興ざめしている」と注す。
【例の】−以下「御心なめるかし」まで、語り手の源氏の性格に対する批評を交えた表現。「なめる」は断定の助動詞「なる」連体形「る」が撥音便化さらに無表記の形+推量の助動詞「める」連体形、話者の主観的推量の意。終助詞「かし」念押しの意。『岷江入楚』所引の三光院実枝説は「作者の評なり」と指摘する。『評釈』は「君がこう思って、それでやめてしまったら、物語にならない。「例の、このかたに」と、ことわって、作者は君に返歌さすのである」と注す。
【あらぬさまに書き変へ】−返歌の主が源氏と知られないように書き紛らす。『新大系』は「あらぬ筆跡の返歌をさっきの随身に持たせることによって、この随身が仕える人は女が考えるような光源氏ではない、という重要なアピールになる」と注す。

【寄りてこそそれとも見めたそかれにほのぼの見つる花の夕顔】−源氏の返歌。「それかとぞ見る」を「それかとも見め」、「夕顔の花」を「花の夕顔」と言い換えて返す。「見る」及び「花の夕顔」の主体また客体を誰と解するかによって解釈が別れる。和歌とはそもそも多義性をはらんだ表現世界である。したがって、第一義的には何をいい、副次的また裏の意で何と言っているのか、考えておく必要がある。『古典セレクション』は「見る」の主語を自分とし「夕顔」を相手と解して「もっと近くに寄って、はっきりお目にかかろうと思います。夕暮時にぼんやりと見た花の夕顔を」と訳す。反対に『新大系』は「見る」の主語を相手とし「夕顔」を自分と解して「近くに寄って見て誰それかと分かろうものですよ、黄昏時にぼんやりとご覧になったばかりの花の(花みたいに美しい)夕顔(夕方の顔)をね」と訳す。贈答歌の返歌は相手の言葉を引用しながらそれをずらして用いて切り返すのが常套。相手にもっと近づいてはっきりわたしをみたらどうですか、という挑み返した歌。

【ありつる御随身して】−花を折りに夕顔の宿に入っていって女童から扇を受け取った随身。

【まだ見ぬ御さまなりけれどいとしるく思ひあてられたまへる御側目を見過ぐさで】−視点は夕顔の宿の女に移り、源氏が返歌してくるまでの間を語る。「御さま」「御側目」は源氏をさす。「見過ぐす」の主語は夕顔の宿の女。夕顔の宿の女方は、まだ見たこともない源氏の姿であっが、実にはっきりと、その人と推察して歌を詠みかけたが、というふうに語り手は叙述する。
【言ひしろふべかめれど】−「べか」は推量の助動詞「べかる」連体形の「る」が撥音便化しさらに無表記の形。推量の助動詞「めれ」已然形、主観的推量の主体者は御随身。

【松明ほのかにて】−目立たぬように配慮したもの。
【いと忍びて出でたまふ】−源氏一行は大弐乳母の家を出て六条辺りのお忍び所に向かう。
【半蔀は下ろしてけり】−前に「半蔀四五間ばかり上げわたして」とあった夕顔の宿の半蔀。完了の助動詞「て」連用形。過去の助動詞「けり」終止形。見る者からは軽い失望のニュアンスが伝わってくる。
【蛍よりけにほのかに】−『河海抄』は「夕されば蛍よりけに燃ゆれども光見ねばや人のつれなき」(古今集 恋二 五六二 紀友則)を指摘する。五条界隈の単なる風景描写に留まらず、この引歌の語句から背後に源氏のこの宿の女に対する恋の思いが裏打ちされている。

【御心ざしの所】−冒頭の「六条わたりの御忍びありき」の女性。
【前栽】−「平安時代にはセンサイと清音」(岩波古語辞典)。『集成』『新大系』『古典セレクション』は「せんざい」と濁音に読む。
【うちとけぬ御ありさま】−打消の助動詞「ぬ」連体形。近寄りがたい、気骨が折れる、意。
【ありつる垣根】−さきほどの夕顔の宿の女。譬喩表現。
【思ほし出でらるべくもあらずかし】−自発の助動詞「らる」終止形、推量の助動詞「べく」連用形、当然の意、係助詞「も」強調の意、打消の助動詞「ず」終止形、終助詞「かし」念押しの意。語り手の口吻が伝わってくる。

【翌朝すこし寝過ぐしたまひて】−六条辺りの貴婦人の邸に泊まった。「寝過ごす」とは夫婦きどりの愛人宅である。
【朝明の姿】−朝の光の中に映し出された姿形。まぶしいほど美しい様子。『河海抄』は「わがせこが朝明の姿よく見ずて今日の間を恋ひ暮らすかも」(万葉集巻十二 二八五二)を指摘する。歌語。

【今日もこの蔀の前渡りしたまふ】−「この蔀」は夕顔の宿の半蔀。その前を素通りする。
【来し方も過ぎたまひけむわたり】−今までにも六条辺りへのお忍び通いの折には通った所、の意。
【ただはかなき一ふしに】−夕顔の宿の女が扇に和歌を書き付けて寄こしたことをさす。
【いかなる人の住み処ならむ】−源氏の心。

 [第二段 数日後、夕顔の宿の報告]

【わづらひはべる人】−以下「あつかひてなむ」まで、惟光の挨拶。「わづらひはべる人」とは惟光の母親のこと。
【見たまへあつかひてなむ】−大島本「見たまひあつかひてなむ」とある。主語は話者の惟光であるから「たまひ」(四段活用、尊敬の補助動詞)は不適切。誤写と認めて謙譲の補助動詞「たまへ」(下二段活用)に改める。『新大系』『古典セレクション』は底本のまま。『集成』は「見たまへあつかひてなむ」と校訂する。複合語「見あつかふ」の間に謙譲の補助動詞「たまへ」下二段の連用形が介在した形。係助詞「なむ」の下に「はべりける」あるいは「えまうで来ざりける」などの語句が省略。言いさした形。

【近く参り寄りて聞こゆ】−内緒話のおもむき。

【仰せられしのちなむ】−以下「しるく見えはべる」まで、惟光の報告。「仰せ」の主語は源氏。仰せ言。過去の助動詞「し」連体形。係助詞「なむ」は「呼びて問はせ」に係るが、下文に続いて結びの流れ。
【いと忍びて】−以下「知らせず」まで、隣の事情を知っている者の話を間接的に惟光が語る。前の、宿守の揚名介の家で宮仕え人が行き来しているという情報とどう関わるのか、やや不分明。あれは誤情報で、これが真実ということか。
【人なむあるべけれど】−係助詞「なむ」は「ある」連体形に係るが、下文「べけれど」に続いて結びの流れ。
【さらに家の内の人にだに知らせず】−副詞「さらに」は打消の助動詞「ず」終止形、と呼応して、ぜんぜん、まったく--ない、の意を表す。副助詞「だに」最小限、--にさえ、の意を表す。
【となむ申す】−係助詞「なむ」は「申す」連体形に係る、係り結びの法則。
【時々中垣のかいま見しはべるに】−以下、惟光の観察の報告である。丁寧の補助動詞「はべり」は謙譲のニュアンス。接続助詞「に」順接、--すると、の意。
【げに若き女どもの】−副詞「げに」は隣のことを知っている者が申したとおり、の意。
【褶だつもの】−褶<しびら>は上裳。主人の前に出る時に下裳の上に付けるという。それを付けていたというので、主人のいることが分かる。
【かことばかり】−大島本「かう(う$こ<朱>)とハかり」とある。「かこと」は「カコト」[Cacoto]「カゴト」[Cagoto](日葡辞書)両方ある。『集成』『新大系』は「かことばかり」と清音で読む。『古典セレクション』は「かごとばかり」と濁音で読んでいる。
【引きかけて】−接続助詞「て」順接、原因・理由を表す。--ところから、--ので。
【かしづく人はべるなめり】−若い女たちがお仕えしている主人。「なめり」は断定の助動詞「なる」連体形の「る」が撥音便化しさらに無表記の形と推量の助動詞「めり」終止形は話者惟光の主観的のニュアンス。
【さし入りてはべりしに】−「はべり」連用形は「あり」の丁寧語。過去の助動詞「し」連体形、下に「時」などの語が省略。格助詞「に」は時を表す。
【顔こそいとよくはべりしか】−係助詞「こそ」は過去の助動詞「しか」已然形に係る、係り結びの法則。強調のニュアンスを添える。
【ある人びとも】−「ある」は、側にいる意。
【さまなどなむしるく見えはべる】−係助詞「なむ」は「はべる」連体形に係る、係り結びの法則。強調のニュアンスを添える。

【知らばや】−終助詞「ばや」は自分の願望を表す。
【思ほしたり】−「思ほし」連用形は「思ふ」の尊敬表現。完了の助動詞「たり」終止形。

【おぼえこそ重かるべき御身のほどなれど】−以下「おぼゆるものを」まで、惟光の心に即した視点からの叙述。源氏に対する感想。係助詞「こそ」は「なれ」已然形に係るが、接続助詞「ど」に続いて結びの流れとなっている。
【さまなど思ふには】−主語は惟光。自問自答。
【好きたまはざらむも】−主語は源氏。源氏がそのような女性達を。自分惟光のことには敬語はつかない。
【さうざうしかるべしかし】−推量の助動詞「べし」終止形、終助詞「かし」。句点でもよいところであるが、惟光の心中に沿った一連の文章なので、読点で処理した。
【人のうけひかぬほどにてだに】−「人」は世間の人、貴族一般。打消の助動詞「ぬ」連体形。「ほど」は低い身分の女性。副助詞「だに」最低限を表し、後文に、まして源氏の君は、というニュアンスを生む。
【なほさりぬべきあたりのことは】−貴族の女性としてある程度の身分の女性には、という意。
【このましうおぼゆるものを】−主語は惟光自身、一般論。上文の「だに」と呼応して、まして源氏の君はわたし以上に関心を寄せられることだろう、の意。接続助詞「を」順接、原因・理由を表す。
【と思ひをり】−主語は惟光。

【もし見たまへ得ることもやはべると】−以下「若人どもなむはべるめる」まで、惟光の詞。「見たまへ得る」の「たまへ」連用形は謙譲補助動詞。複合動詞「見得る」の間に介在した形。係助詞「も」強調、係助詞「や」疑問の意。「はべる」連体形は「あり」の丁寧語。わたし惟光が何か発見できることがございましょうかと、の意。
【はかなきついで作り出でて】−夕顔の宿の別の女に関係をつけたことをいう。
【消息など遣はしたりき】−完了の助動詞「たり」連用形、過去の助動詞「き」終止形、自分の過去の体験のニュアンス。以下にも「しはべりき」と出てくる。
【口とく返り事などしはべりき】−返歌の反応が早いということは上出来。
【いと口惜しうはあらぬ若人どもなむはべるめる】−仕えてる女房たちが優れていれば、その女主人の人柄教養も想像され保証される。係助詞「なむ」は推量の助動詞「める」連体形、話者の主観的推量の意に係る、係り結びの法則。強調のニュアンスを添える。

【なほ言ひ寄れ】−以下「さうざうしかりなむ」まで、源氏の詞。惟光に更に探索を命じる。
【さうざうしかりなむ】−形容「さうざうしかり」連用形。「なむ」は、完了の助動詞「な」未然形、確述の意と推量の助動詞「む」終止形、強調の意を表す。

【かの下が下と】−以下「見つけたらば」まで、源氏の心。「帚木」巻に「下のきざみといふ際になれば、ことに耳たたずかし」とあったことを受ける。「人の思ひ捨てし」の「人」は頭中将である(「帚木」第一章二段)。
【その中にも思ひのほかに口惜しからぬを見つけたらば】−同じく「帚木」巻に「さびしくあばれたらむ葎の門に、思ひの外にらうたげならむ人の閉ぢられたらむこそ、限りなくめづらしくはおぼえめ」(第一章三段)を受ける。
【めづらしく思ほすなりけり】−「めづらしく」連用形は、賞美する価値がある、心が惹かれる、意。「おもほす」連体形は「思ふ」の尊敬表現。断定の助動詞「なり」連用形、「過去の助動詞「けり」終止形。

 

第二章 空蝉の物語

 [第一段 空蝉の夫、伊予国から上京す]

【さてかの空蝉の】−「さて」は話題転換。ところで話は変わって、の意。後出の格助詞「の」は、のようにの意。『集成』は「あの、蝉の脱殻のように、小袿だけを残して逃げていった女」と注す。
【あさましくつれなきを】−格助詞「を」目的格を表す。
【違ひて思すに】−接続助詞「に」順接を表す。--と、の意。
【おいらかならましかば】−以下「やみぬべきを」まで、源氏の心に添った語り方。「オイは老いの意。ラカは状態を示す接尾語。年老いて感情が淡く、気持の波立ちが少なくなるように、執心が少なく平静なこと。多く人の性質や態度にいう」(岩波古語辞典)。「ましかば」は反実仮想。
【心苦しき過ちにて】−『集成』は「出来心からの過ちとしてすませてしまうはずのところを。空蝉がそののち二度も自分を拒んだので、自尊心が許さず、諦められないのである」と注す。
【やみぬべきを】−接続助詞「を」逆接を表す。
【かやうの並々までは】−空蝉のような受領の後妻の身分の女性。
【ありし雨夜の品定め】−「帚木」巻の「雨夜の品定め」の段をさす。語り手自身このように呼称する。
【御心なめりかし】−「御心」は源氏の御心。性癖。「なめり」は断定の助動詞「なる」連体形の「る」が撥音便化しさらに無表記の形+推量の助動詞「めり」終止形、話者の主観的推量を表す。終助詞「かし」念押しの意。この話者は語り手。『岷江入楚』所引「三光院実枝説」は「かやうの」から「草子の地」と指摘。『首書源氏物語』所引「或抄」は「いとど」から「地よりいへり」と指摘する。

【片つ方人】−軒端荻。
【あはれと思さぬにしもあらねど】−主語は源氏。「思さ」未然形は「思ふ」の尊敬表現。打消の助動詞「ぬ」連体形、断定の助動詞「に」連用形、副助詞「しも」強調のニュアンス、「あら」ラ変未然形、打消の助動詞「ね」已然形。
【つれなくて聞きゐたらむこと】−空蝉が何くわぬ顔で聞いていたろうこと。
【まづこなたの心見果てて】−源氏の心。空蝉の本心を。
【伊予介上りぬ】−空蝉の夫。任期中に都に用向きがあって上京したもの。

【まづ急ぎ参れり】−源氏のお世話で任官したのであろう。源氏一派の人。上京の折には手土産を持参してまずは挨拶に参上。
【いとふつつかに心づきなし】−語り手の評。女房の視点からの批評であろう。「ふつつか」は「太く強い意が、情趣に乏しい意を帯びるに至るのは、平安時代の優美繊細を美とする思潮の所産で、源氏物語の時代は、太く強い意に、場面や文脈によって非情趣性が意識される段階であり、平安末期までは大した変化はなかったであろう。中世以降は、たしなみのなさ、無教養さ、心の浅さが意味の中核となったと思われる。近世語では無教養や不調法の意味のものがほとんどである」(小学館古語大辞典)。
【人もいやしからぬ筋に】−人品卑しからぬ血筋。
【気色よしづきてなどぞありける】−「よしづく」は風雅のたしなみがそなわっている。係助詞「ぞ」は過去の助動詞「ける」連体形に係る、係り結びの法則。強調のニュアンス。

【物語など申すに】−接続助詞「に」順接を表す。
【湯桁はいくつ】−伊予国の様子を尋ねてみたい。「空蝉」巻に軒端荻が碁を打ち終えて「十、二十、三十、四十」と数えていた言葉を思い出して、このように語ったもの。
【問はまほしく思せど】−願望の助動詞「まほしく」連用形。
【あいなくまばゆくて】−大島本「あひなく」と表記する。「古写本には「あいなし」「あひなし」の二つの表記があるが、おそらく語源は「あひ(合)なし(無)」であろう。はじめは、本来何も関係がない、筋ちがいである、という意で使われたが、筋ちがいで気持がよくない、違和感があっていやな気持である、など微妙な感情をこめて使われるようになり、副詞的には、本来何の関係もないのに、の意から、ひとごとながら、よそながら、などの意に発展した。平安時代末期にはすでに「愛無し」とも書かれ、かまくら時代には「愛無し」「間(あひ)無し」という二つの言葉が合流したものかと考えられるほど意味が不分明になっていた」(岩波古語辞典)。『集成』『古典セレクション』は「あいなく」と整定。『新大系』は「あひ(い)なく」と「い」を傍記する。源氏の伊予介に対する後ろめたい気持ちの現れ。
【御心のうちに思し出づることもさまざまなり】−空蝉や軒端荻に対する気持ち。

【ものまめやかなる大人を】−以下「片はなべかりける」まで、源氏の心。『完訳』は「げにをこがましく」以下を、「以下、源氏の反省」と注す。
【かく思ふも】−空蝉との一件から後ろめたく思う気持ち。
【片はなべかりける】−「なべかりける」は断定の助動詞「なる」連体形の「る」が撥音便化し無表記化された形+推量の助動詞「べかり」連用形+過去の助動詞「ける」連体形、「ぞ」の係り結びの法則、という語形。
【馬頭の諌め】−「帚木」巻の左馬頭の言葉。「なにがしがいやしき諌めにて、好きたわめらむ女に心おかせたまへ。過ちして、見む人のかたくななる名をも立てつべきものなり」(第二章第二段)をさす。妻の不実は夫の恥になるという意見。
【いとほしきに】−伊予介が気の毒。接続助詞「に」順接を表す。
【つれなき心はねたけれど人のためにはあはれ】−源氏の心。空蝉の態度を悔しいが夫のためには立派だと褒める。

【娘をばさるべき人に預けて】−以下「下りぬべし」まで、伊予介の詞を間接話法的に叙述したもの。「娘」は軒端荻。「預く」は人手に任せる、すなわち結婚させる意。
【北の方】−空蝉をさす。
【今一度はえあるまじきことにや】−源氏の心。副詞「え」は打消の推量の助動詞「まじき」連体形と呼応して不可能の意を表す。「にや」は断定の助動詞「に」連体形+係助詞「や」疑問の意。下に「あらむ」などの語句が省略されている形。
【人の心を合せたらむことにてだに】−「--だに--まして」の構文。相手が示し合わせた場合でさえ難しい、まして相手が避けようとしているからさらに困難だ。前半は源氏の心に沿った叙述で敬語「たまふ」があり、後半は空蝉の心に沿った叙述に移って敬語がない。
【似げなきこと】−空蝉の心を叙述。
【今さらに見苦しかるべし】−空蝉の心を叙述。

【さすがに】−直前の「思ひ離れたり」を受ける。きっぱり思いきっている、とはいえ、という文脈で、空蝉にも源氏に惹かれるところがあることを語る。初めは空蝉の心に沿った叙述の仕方であるが、最後は「忘れがたきに思す」という源氏の視点で結ばれる。
【絶えて】−以下「憂かるべきこと」まで、空蝉の心。
【思ほし忘れなむこと】−完了の助動詞「な」未然形、確述+推量の助動詞「む」連体形。源氏がわたしのことをすかっかりお忘れになってしまうこと。
【なつかしく】−以下、空蝉の源氏の和歌に対する返歌のしかたをいう。
【目とまるべき】−源氏の目にとまるよう。
【あはれと思しぬべき】−源氏が恋しく思わずにはいられない。
【つれなくねたきものの忘れがたきに思す】−源氏の空蝉に対する印象。「忘れがたき」連体形と格助詞「に」の間に「女」などの語が省略されている形。

【いま一方は】−軒端荻。
【主強くなるとも】−たとえ夫が決まったとしてもの意。接続助詞「とも」仮定条件のもと意志を表す。たとえ--ても、の意。
【とかく聞きたまへど】−あれこれと婿取りの噂をお聞きになるが。
【御心も動かずぞありける】−主語は源氏。係助詞「ぞ」、過去の助動詞「ける」連体形、係り結びの法則。

 

第三章 六条の貴婦人の物語 初秋の物語

 [第一段 霧深き朝帰りの物語]

【心づくしに思し乱るることどもありて】−『河海抄』は「木の間より漏り来る月の影見れば心づくしの秋は来にけり」(古今集 秋上 一八四 読人しらず)を指摘する。一般にも秋は物思いの季節である。源氏にとっては人一倍、という意。主として藤壺への物思いをさすとされている。
【大殿には絶え間置きつつ】−主語は源氏。以下、主語は女君に転換し、二人の夫婦関係を源氏側からと女君側からとの両面から語る。接続助詞「つつ」の下に「あれば」などの原因理由を表す語句が省略されている。
【恨めしくのみ思ひ聞こえたまへり】−主語は女君。葵の上。

【六条わたりにも】−『古典セレクション』は諸本に従って「六条わたりも」と校訂する。『集成』『新大系』は底本のまま。前に「六条わたりの御忍びありきのころ」「御心ざしの所」とあった女君。後の「葵」巻で、故前坊妃で六条御息所と呼称される人。ここでは、まだ「六条わたりの人」といった漠然とした表現。
【とけがたかりし御気色】−前に「うちとけぬ御ありさまなどの気色ことなるに」とあった。なかなか源氏を受け入れてくれなかったご様子。
【おもむけ聞こえたまひて】−源氏がお靡かし申し上げなさって。源氏の動作について「きこゆ」という謙譲の補助動詞が使われていることから、相手の女性がかなり高貴な方であると想像される。
【いとほしかし】−語り手の評言。『源氏物語玉の小櫛』は「冊子地よりいへる也」と指摘する。『完訳』は「語り手の評言を混じえて叙述」と注す。
【いかなることにかと見えたり】−語り手の評言。『休聞抄』は「よそなりし」から「双紙地也」と指摘。萩原広道『源氏物語評釈』は「あなかちなる」から「草子地より評していへるなり」と指摘。『一葉抄』は「いかなる」以下を「双紙詞也」と指摘する。

【女はいとものをあまりなるまで思ししめたる御心ざまにて】−六条の御方の性格。ものを深く思い詰める性格の女性。「女」という呼称は恋の場面の常套表現。身分や地位などを一切切り捨てた男と女との関係を強調する。
【齢のほども似げなく】−源氏と年齢も釣り合わない。後の「賢木」巻で「三十」とあり、源氏より七歳年長となる。この巻では二十四歳くらい。源氏は十七歳。
【人の漏り聞かむに】−推量の助動詞「む」連体形、接続助詞「に」順接続、人がもし漏れ聞いたら、のニュアンス。この語の下に「つらきに」など、何か省略された語句がある。

【いたくそそのかされたまひて】−主語は源氏。受身の助動詞「れ」連用形。女房からせかされる。
【中将のおもと】−六条の御方の女房。
【見たてまつり送りたまへ】−中将のおもとの心。主人の女君に源氏の君をお見送り申し上げなさいませという心遣い。
【とおぼしく】−形容詞「おぼしく」連用形。
【見出だしたまへり】−主語は女君。完了の助動詞「り」存続の意。外の方を御覧になっていらっしゃるというニュアンス。

【前栽の色々】−以下、語り手の視点は室内の女君の方から外を見る。
【過ぎがてにやすらひたまへるさま】−女君が見た源氏の姿。源氏が立ち去り難げにためらっている様子。「本来、こらえられずの意の「かて(克)に」であったが、すでに奈良時代からその語源意識がうすれ、カテはカタシ(難)の語幹と混同され、ニは格助詞と意識され、ガテニが成立した」(岩波古語辞典)。
【げに】−女君の、なるほど、評判どおりという感想と語り手の感想が一致した表現。
【廊の方へおはするに】−主語は源氏。中門廊の方へ行く。語り手の視点は、簀子に出て、二人の姿を後から追う。接続助詞「に」順接、原因理由を表す。
【中将の君】−中将のおもとと同人。女房。
【紫苑色の】−以下、中将の君の服装の描写。
【たをやかになまめきたり】−主語は中将のおもと。「たり」は完了の助動詞、存続の意。物柔らかで優美でいるというニュアンス。

【見返りたまひて】−主語は源氏。
【隅の間の高欄に】−ここは室内の女君の目からは見えない場所。
【ひき据ゑたまへり】−「据ゑ」は他動詞。完了の助動詞「り」完了の意。『古典セレクション』は「手をかけてすわらせる動作」と注す。
【うちとけたらぬもてなし】−主語は中将の君。打消の助動詞「ぬ」連体形。気を許さず、きちんとした態度である。
【めざましくも】−源氏の感想。この場合の「めざまし」は、見事なという賞賛の感想。

【咲く花に移るてふ名はつつめども折らで過ぎ憂き今朝の朝顔】−源氏から中将の君への贈歌。「てふ」は「といふ」の約まった語。「移る」は心を移す。しいていえば、主人の女君からその女房のあなたに心を移す、という意が含まれる。中将の君を「咲く花」「朝顔」に喩える。「折る」とは自分のものとするという意。社交辞令的に褒めた歌。
【いかがすべき】−和歌に添えた詞。

【手をとらへたまへれば】−源氏が中将の君の手を。完了の助動詞「れ」完了の意。
【いと馴れてとく】−主語は中将の君。「いと馴れて」は次の「とく」に係る。源氏に馴れ馴れし態度での意ではない。返歌を素早く詠み返す態度が「馴れて」の意である。『集成』は「あわてずに」と訳し、『完訳』も「あわてず落ち着いた様子で」と訳す。

【朝霧の晴れ間も待たぬ気色にて花に心を止めぬとぞ見る】−中将の君の返歌。源氏の歌の中から「花」の語を受けて、「心を止めぬ」というように、朝霧が晴れる間も待たずにお帰りになるとは、お心を止めなさらないのでしょう、と切り返し、「とぞ見る」と他人事のように答えて、「咲く花」「朝顔」を自分ではなく主人の女君のことに移し変えた点に機転の働いた返歌となっている。女房の優れた態度からその女主人までが想像される。

【おほやけごとにぞ聞こえなす】−「公事」は主人のこと。「聞こえなす」という表現にあえてそのような形でというニュアンスを添える。

【侍童の】−男の子。格助詞「の」同格。
【ことさらめきたる】−完了の助動詞「たる」連体形、主語となる。とともに下の「指貫」をも修飾している。
【絵に描かまほしげなり】−語り手の評言。『首書源氏物語』所引「或抄」は「花の中に」から「地より云也」と指摘する。『評釈』は「庭上の侍い童、高欄による源氏と中将の君。まさに一幅の絵だ、と作者はいう」と指摘する。

【大方に】−以下「思ふべかめり」まで、語り手の評言。源氏の美しさと魅力を絶賛。『細流抄』は「草子地也」と注す。『評釈』は「この作者には理屈っぽいところがある。(中略)この場面では、中将の君や六条の女君が立派に見える。源氏のほうがワキ役である。読者のそういう印象を訂正しておきたい。作者は、こう思って、この一節をおいたのである」と指摘する。
【うち見たてまつる人だに】−副助詞「だに」最小限を表す。次段落の「ましてさりぬべきついでの」と呼応して、「--だに--まして--」という構文。
【物の情け知らぬ山がつも花の蔭には】−『集成』『完訳』は「古今集」仮名序の「大友黒主はそのさまいやし、いはば薪負へる山人の花の蔭に休めるがごとし」を指摘する。
【なほやすらはまほしきにや】−希望の助動詞「まほしき」連体形、断定の助動詞「に」連用形、係助詞「や」疑問の意を表す。語り手の推測。
【この御光を】−源氏をさす。「光」は美しさの最高の形容。

【まして】−前段落の「うち見たてまつる人だに--」を受けて、「まして」とこの段落が始まる。
【見たてまつる人の】−格助詞「の」同格を表す。
【いかがはおろかに思ひきこえむ】−反語表現。連語「いかがは」(副詞「いかが」+係助詞「は」)、推量の助動詞「む」連体形。係り結びの法則。
【明け暮れうちとけてしもおはせぬを】−中将の君から見た六条の女君の邸における源氏の態度をいう。
【心もとなきことに思ふべかめり】−「思ふ」とあるので、主語が中将の君とわかる。「べかめり」は推量の助動詞「べかる」連体形の「る」が撥音便化しさらに無表記の形、推量の助動詞「めり」語り手の主観的推量を表す。『評釈』は「気が気でなく」と訳し、『新大系』では「気掛かりなこと」と訳す。

   

第四章 夕顔の物語(2) 仲秋の物語

 [第一段 源氏、夕顔の宿に忍び通う]

【まことや】−感動詞。語り手の話題転換の語句。この物語の常套句。忘れていたことを思い出したり、話の途中で別の話題を思いついたときなどに発する語。
【かの惟光が預かりのかいま見は】−格助詞「が」主格を表す。「預かり」は名詞。受け持ち。「預かりし」(過去の助動詞「し」連体形)とあるべきところを「預かりの」(格助詞「の」)とねじれて続ける。

【その人とは】−以下「言ひはべりし」まで、惟光の報告。西隣の女の情報については、実のところまったく不明。今までの情報も誤りがあったりほんの一部であったりして、読者はすべてを知っているが、この物語の登場人物たちには徐々に真実が判明してくる、という仕組み。
【え思ひえはべらず】−打消の助動詞「ず」のまえに「え」が二度使われ、不可能の意を強調したニュアンス。『新大系』は「誤りがあろう。底本「み」を消して右に「え」(朱)。異文が多い」と注す。
【なむ見えはべるを】−係助詞「なむ」は「はべる」に係るが、接続助詞「を」が下接してさらに文が続くので、係り結びの法則が消滅した構文。
【来つつ】−接続助詞「つつ」は「来る」という動作が繰り返される意を表す。
【べかめるに】−「べかる」(推量の助動詞「べし」の連体形)「める」(推量の助動詞、視界内推量)「に」(接続助詞)。自分が覗き見したというニュアンス。
【主】−大島本「しう」と仮名表記する。
【はひわたる時はべかめる】−大島本「はべかめる」は「はべるべかるめる」(自ラ変「はべる」連体形、「あり」「をり」の丁寧語の「る」が撥音便化し無表記形「はべ」、推量の助動詞「べかる」連体形の「べ」が促音便化し無表記形、かつ「る」が撥音便化し無表記形、推量の助動詞「める」連体中止法で、余韻余情を表す)の詰まった形。なお他の青表紙本系諸本は「はべべかめる」とある。『集成』『古典セレクション』は他本に従って「はべべかめる」と校訂する。『新大系』は底本のままとする。会話文中の用例なので実際の発音どおりの表記なのであろう。
【いとらうたげにはべる】−「はべる」(連体形)は「あり」「をり」の丁寧語。連体形で言いさした形、余韻余情効果がある。

【車のはべりしを】−過去の助動詞「し」連体形、格助詞「を」目的格を表す。自ら見たというニュアンス。
【覗きて童女の急ぎて】−「覗く」の主語は童女。「童女の覗きて急ぎて」。
【右近の君こそ】−以下、女童の詞を引用。「こそ」は接尾語、呼び掛けに使用。相手を自分と対等以下ととらえて呼び掛ける。また子どもなどが無頓着に使用する。
【中将殿こそ】−頭中将をさす。係助詞「こそ」は「渡りたまひぬれ」(已然形)に係る、係結びの法則。
【渡りたまひぬれ】−完了の助動詞「ぬれ」確述の意。今、まさに通ろうとしている意。
【あなかま】−女房の詞を引用、間接話法。
【いかでさは知るぞいで見む】−女房の詞を引用。「いで」は、感動詞。どれ、見てみようの意。
【はひ渡る】−もともとは膝ではって行く意であるが、這うようにそっと歩く、気軽に歩いて行く、わずかの距離を行く、などの意味もある。室内とはいえ、このような折に打橋や廊下などのあるところを膝行して行くと考えるのは非現実的である。はうようにそっと行く、の意であろう。
【なむ通ひはべる】−係助詞「なむ」は「はべる」連体形に係る、係結びの法則。強調のニュアンスが加わる。
【急ぎ来るものは】−接続助詞「ものは」。「者は」でない。活用形の連体形に付いて、「--と、まあ」「--ところが、なんとまあ」などの意を表す。順接・逆接の両用がある。偶発といってよい接続のニュアンス。また下に「けり」で結び、不測の事態などの生じたことを表すとされる。せっかく急いで来たから、さあ大変、落ちてしまいそうになった、というニュアンス。完了の助動詞「ぬ」終止形、確述の意。推量の助動詞「べけれ」已然形、推量の意。落ちてしまいそうになったので、の意。
【いでこの】−以下「しおきたれ」まで、女房の詞を間接話法的に引用する。
【葛城の神こそ】−「かづらきのかみ」と読む。葛城の神が金峯山から葛城山まで岩橋を掛けたが完成しなかったという伝説にもとづく。係助詞「こそ」は完了の助動詞「たれ」已然形に係る、係り結びの法則。
【さがしう】−『集成』は「さかしう」と清音で読む。『古典セレクション』『新大系』は「さがしう」と濁音で読む。「古事記」仁徳・歌謡七〇に「佐賀斯」とあり、また『名義抄』にも「峻 サガシ」とあるので、後者が適切である。
【物覗きの心も冷めぬめりき】−完了の助動詞「ぬ」終止形、推量の助動詞「めり」連用形、話者の主観的推量の意、過去の助動詞「き」終止形、話者の体験を表す。
【君は御直衣姿にて】−頭中将をさしていう。
【御随身どももありし】−過去の助動詞「し」連体形。連体中止法で余韻余情効果を表す。
【なむしるしに言ひはべりし】−係助詞「なむ」、過去の助動詞「し」連体形に係る、係結びの法則。強調のニュアンスを添える。

【たしかにその車をぞ見まし】−係助詞「ぞ」。推量の助動詞「まし」連体形。反実仮想の意。係結びの法則。確かにその車を確認したのならよかったのにの意。『新大系』「しっかりとその車が頭中将のそれであるかを見られるなら見たいもの、の意」と注す。

【もしかのあはれに忘れざりし人にや】−源氏の心。頭中将が雨夜の品定め(「帚木」巻)の折に話していた女ではないか、と疑う。
【思ほしよるもいと知らまほしげなる御気色を見て】−「思ほしよる」の主語は源氏だが、「見て」の主語は源氏から惟光へと移っている。源氏の心中が惟光からから見てとられる、という語り方。しかし惟光は雨夜の品定めの折に居合わせていないので、源氏が「思ほしよる」内容は知らない。ただ源氏が夕顔の宿の女に関心を寄せているということだけを理解して次の説明に入る。

【私の懸想も】−以下「強ひてつくりはべる」まで、惟光の詞。「私」は「公」に対する言葉。惟光は、主人源氏の恋に対して、自分の恋という意味でこう表現した。「懸想」は語源不明の語。「懸想」と表記した古例はない。『色葉字類抄』は「気装」と表記、『今昔物語集』は「仮借」と表記、中世の『温故知新書』は「懸相 ケサウ」と表記。近世の『書言字考節用集』に「懸想」と見えるという(古語大辞典)。『新大系』は「案内も残るところなく」以下を惟光の詞とする。
【案内も残るところなく見たまへおきながら】−主語は惟光。
【ただ我れどちと知らせて】−主語は、相手方の女。ここにいるのは皆同じ女房どうしである、主人はいない、と惟光に思わせての意。
【若きおもとのはべるを】−接続助詞「を」原因・理由を表す。惟光の語らい人。
【そらおぼれしてなむ】−主語は惟光。係助詞「なむ」は「まかり歩く」(連体形)に係る、係結びの法則。
【言ひ紛らはして】−主語は「若きおもと」。
【また人なきさまを】−「人」は女主人をいう。
【強ひてつくりはべる】−大島本「しゐてつくり侍」と表記する。『新大系』『古典セレクション』は「はべり」と終止形で読み、『集成』は「はべる」と連体形で読む。「はべる」連体中止法、余韻余情効果を表す。
【など語りて笑ふ】−主語は惟光。

【尼君の】−以下「かいま見せさせよ」まで、源氏の詞。
【ものせむついでに】−主語は話者の源氏。「ものす」は「行く」の婉曲表現。

【これこそ】−以下「をかしきこともあらば」まで、源氏の心。「これ」は夕顔の宿の女をさす。
【かの人の定めあなづりし】−「帚木」巻の雨夜の品定めの折の頭中将が下の品の女と貶んだことをさす。
【下の品ならめ】−断定の助動詞「なら」未然形、推量の助動詞「め」已然形。係助詞「こそ」の係結びの法則。
【思ひの外に】−「帚木」巻の「さびしくあばれたらむ葎の門に、思ひの外にらうたげならむ人の閉ぢられたらむこそ、限りなくめづらしくはおぼえめ」(第一章三段)とあった。またこの巻にも「かの、下が下と、人の思ひ捨てし住まひなれど、その中にも、思ひのほかに口惜しからぬを見つけたらばと、めづらしく思ほすなりけり」(第一章二段)とあった。
【など思すなりけり】−語り手が読者に対して、源氏の心中について、はっと気付かせるようなあるいは注意の喚起を促すようなの説明的な叙述の仕方。以下、語り手の文章表現。

【御心に違はじと思ふに】−「御心」は源氏の御心、お考え。接続助詞「に」逆接を表す。
【たばかりまどひ歩きつつ】−接続助詞「つつ」は同じ動作、「たばかりまどひ歩く」の繰り返しのニュアンスを添える。
【おはしまさせ初めてけり】−「おはしまさ」(未然形)は「おはす」よりさらに高い敬語表現。使役の助動詞「せ」連用形、完了の助動詞「て」連用形、確述の意、過去の助動詞「けり」。
【このほどのことくだくだしければ例のもらしつ】−『細流抄』は「草子地也」と指摘。『評釈』は「いつもの通り省略する、と、作者はいう」。『全集』は「物語の筆録者を装って、話を省略する際の常套的な手法」と注す。「もらす」は省略する意。

【女さしてその人と】−源氏が女の素性をはっきり誰それと、の意。「女」と表現され、恋の場面に変わる。
【尋ね出でたまはねば】−打消の助動詞「ね」已然形は、源氏が素性を明らかにしようとしてもお出来になれないニュアンス。後文の「我も名のりしたまはで」となる。
【やつれたまひつつ】−接続助詞「つつ」動作の並行を表す。身を「やつす」という動作と「下りたち歩く」という行動が並行して行われるニュアンス。
【例ならず下り立ちありきたまふは】−源氏の並々ならぬ熱の入れよう。『評釈』は「いつもになく(車にも召れず)お徒歩(ひろい)なさるのは」と訳す。「下り立つ」(自タ四)は、身を入れてそのことをする、意。
【おろかに思されぬなるべし】−断定の助動詞「なる」終止形、推量の助動詞「べし」終止形、惟光が源氏の心を推量したもの。視点が惟光に移動。
【我が馬をばたてまつりて】−惟光の身分は既に隣の懸想相手の女には知られていよう。惟光ふぜいの男が乗る馬に乗って通って来る男、彼より身分が上の友人くらいに見えたことであろう。

【懸想人の】−以下「あるべきかな」まで、惟光の愚痴。
【あるべきかな」と】−大島本「あるへかなと(ゝ&と)わふれと」。「ゝ」を摺り消して「と」と訂正する。本文と一筆に見える。『集成』『古典セレクション』は諸本に従って「あるべきかななど」と校訂。『新大系』は底本「あるべきかなと」のまま。
【かの夕顔のしるべせし随身】−『完訳』は「顔を知られているはずの随身を従えるのは不自然。作者の不注意か」と注す。『新大系』では「源氏らしからぬ筆跡の返歌を女がたへ取り次いだから、この随身を連れていることにより、通う男は女がたの推測する光源氏という人ではない、というメッセージを送っていることになる」と注す。
【もし思ひよる気色もや】−源氏の懸念。連語「もや」(係助詞「も」+係助詞「や」)疑問の意を表す。また多くは危ぶむ気持ちを含む。--かもしれない、意。
【隣に中宿をだにしたまはず】−副助詞「だに」最小限を表す。隣の家に足を止めることさえなさらない。

【御使に人を添へ】−源氏のきぬぎぬの文を届けにきた使者の跡を付けさせる。
【暁の道をうかがはせ】−源氏の朝帰りの道を探らせる。
【まどはしつつ】−接続助詞「つつ」動作の反復を表す。惑わす行動が繰り返されるニュアンスを添える。
【さすがにあはれに見ではえあるまじく】−以下、主語は源氏に移る。源氏は姿を晦ます一方で愛しく思わずにはいられないという心境。副詞「え」は打消推量の助動詞「まじく」連用形と呼応して不可能の意を表す。
【この人の御心にかかりたれば】−この女夕顔のことが源氏のお心にかかって離れないので、の意。
【便なく軽々しきこと】−源氏の反省。
【思ほし返しつつ】−接続助詞「つつ」動作の並行を表す。反省する一方では「いとしばしばおはします」という二つの動作が並行して行われる意。

【かかる筋は】−恋の道。源氏の夕顔への恋狂いの内容が語られる。
【まめ人の乱るる折もあるを】−接続助詞「を」逆接を表す。源氏は一般の「まめ人」とは違うと語る。
【振る舞ひはしたまはざりつるを】−接続助詞「を」逆接を表す。源氏が夕顔にのめり込んでいくさまを、逆接の接続助詞を続けて「--を、--を、」と語っていく。
【今朝のほど昼間の隔てもおぼつかなく】−源氏の夕顔への思い。
【思ひわづらはれたまへば】−自発の助動詞「れ」連用形。
【いともの狂ほしく】−以下「さまにもあらす」まで、源氏の反省。
【いみじく思ひさましたまふに】−接続助詞「に」逆接を表す。
【人のけはひ】−以下「とまる心ぞ」まで、源氏の目から見た夕顔の印象と思い。夕顔のもっている雰囲気や感じは驚くほどやわやわとした感じでおっとりとしている。
【もの深く重き方はおくれて】−物事に思慮深く慎重であるという点は劣っている、またはないといったような感じ。
【ひたぶるに若びたるものから世をまだ知らぬにもあらず】−接続助詞「ものから」逆接の確定条件を表す。打消の助動詞「ぬ」連体形、断定の助動詞「に」連用形、係助詞「も」。まったくの幼ない処女のような感じがする一方でまだ結婚の経験がないではないような感じがする。源氏は夕顔が頭中将の女らしいとは感じ取っているが、まだ確証は得ていない。
【いとやむごとなきにはあるまじ】−たいして高貴な身分の家の姫君ではあるまいという印象。ただし、源氏のような身分から見た場合である。
【いづくにいとかうしもとまる心ぞ】−大島本「いつくに」と表記する。『集成』『古典セレクション』は諸本に従って「いづこに」と校訂。『新大系』は底本のまま。副助詞「しも」強調、係助詞「ぞ」文末にあってその文全体を強調する。

【いとことさらめきて】−主語は源氏。
【狩の御衣をたてまつり】−「たてまつり」連用形は「着る」の尊敬表現。
【顔をもほの見せたまはず】−『完訳』は「覆面と解されているが、いかが。相手からまともに見られぬよう務めているというのではないか」と注す。『新大系』でも「顔を袖などで隠し続けて正体を見せないでいる。布などどによる覆面ではあるまい」と注す。
【人をしづめて】−「しづめ」(他下二)、寝静まらせる。女房たちが寝静まるのを待っての意。
【昔ありけむものの変化めきて】−三輪山神婚説話が知られていた。過去推量の助動詞「けむ」連体形。
【うたて思ひ嘆かるれど】−主語は女。自発の助動詞「るれ」已然形。接続助詞「ど」逆接の確定条件を表す。
【手さぐりもしるべきわざなりければ】−大島本「てさくりもしるへきわさなりけれハ」とある。『集成』『古典セレクション』は諸本に従って「しるき」と校訂。『新大系』は「知るべき」のまま。女が源氏を手で触っただけでも高貴な方とはっきりと知ることができる状態であったから。
【誰ればかりにかはあらむ】−以下「わざなめり」まで、女の思い。断定の助動詞「に」連用形、係助詞「か」疑問を表す、係助詞「は」、推量の助動詞「む」連体形、係結びの法則。
【し出でつるわざなめり】−「なめり」は「なるめり」の断定の助動詞「なる」の「る」が撥音便化しさらに無表記の形、推量の助動詞「めり」終止形、話者の主観的推量を表す。
【大夫を疑ひながら】−「大夫」は惟光をさす。五位なのでこう呼ぶ。接続助詞「ながら」逆接を表す。
【せめてつれなく知らず顔にて】−以下、主語は惟光に移る。
【かけて思ひよらぬさまに】−女方があの男は源氏ではないかと鎌かけてくることに対して、惟光は全く的外れだという態度をさすのであろう。
【もの思ひをなむしける】−係助詞「なむ」は過去の助動詞「ける」連体形に係る、係り結びの法則。強調のニュアンスを添える。

 [第二段 八月十五夜の逢瀬]

【かくうらなくたゆめて】−以下「いつとも知らせじ」まで、源氏の心。主語は女。
【いづこをはかりとか我も尋ねむ】−「はかり」は目処、目当て。係助詞「か」疑問、推量の助動詞「む」連体形。係結びの法則。反語表現。探し当てることができない。
【いつとも知らじと思すに】−打消推量の助動詞「じ」終止形。接続助詞「に」順接。
【追ひまどはして】−『完訳』は以下「思されず」までを挿入句と解す。跡を追っているうちに見逃す、取り逃がす。
【なのめに思ひなしつべくは】−完了の助動詞「つ」確述、推量の助動詞「べく」連用形+係助詞「は」順接の仮定条件を表す。
【過ぎぬべきことを】−完了の助動詞「ぬ」確述、推量の助動詞「べき」連体形。接続助詞「を」逆接、体言を受けて「なるを」の意を表し、--なのに、--であるのに。
【さらにさて過ぐしてむ】−源氏の心を叙述する。副詞「さらに」は打消の助動詞「ず」に係り、まったく--でない、意。

【いと忍びがたく】−主語は源氏。
【おぼえたまへば】−大島本「おほえ給へは」とある。『古典セレクション』は諸本に従って「思ほえ」と校訂。『集成』『新大系』は底本のまま「おぼえ」とする
【なほ誰れとなくて二条院に迎へてむ】−以下「いかなる契りにかはありけむ」まで、源氏の思い。「誰れとなくて」は二条院の人たちにこの女性がどのような素性の女であるかを知らせず、の意。完了の助動詞「て」未然形、確述+推量の助動詞「む」終止形、意志。強い意志を表す。
【さるべきにこそは】−そうなる前世からの宿縁だったのだ、の意。下に「あれ」(已然形)などの語が省略。
【いとかく人にしむことはなきを】−接続助詞「を」逆接を表す。
【いかなる契りにかはありけむ】−連語「かは」(係助詞「か」+係助詞「は」)疑問を表す、過去の助動詞「けむ」連体形、係結びの法則。
【思ほしよる】−「二条院に迎へてむ」ことを。

【いざいと心安き所にてのどかに聞こえむ】−源氏の詞。女を誘い出す。

【なほあやしう】−以下「こそあれ」まで、女の返事。この句を受ける述語がない。下に「おぼゆる」(連体中止法)などの語が省略。
【もの恐ろしくこそあれ】−係助詞「こそ」、「あれ」(已然形)、係結びの法則。

【いと若びて言へば】−子どもじみて言う。
【げにとほほ笑まれたまひて】−源氏が素性も教えず顔も見せないようにして連れ出そうとするのを、女が普通の扱いとは変だと言ったことに対して、もっともだと思う。

【げにいづれか狐なるらむな】−源氏の詞。相手の言葉を「なるほど」といったんは受け止める。しかし相手も素性も名前も明かしてくれない。同じだと考える。そこで「いづれか」となる。推量の助動詞「らむ」視界外推量、目前にしながら、さあどちらが化かすことで有名な狐なのでしょうね、と言う。終助詞「な」詠嘆の気持ちを表す。
【ただはかられたまへかし】−受身の助動詞「れ」連用形、終助詞「かし」念押しの意。

【さもありぬべく思ひたり】−副詞「さ」上の叙述を指示する。そのように、の意。連語「ぬべく」(完了の助動詞「ぬ」終止形、確述の意+推量の助動詞「べし」)当然の意を表す。
【世になく】−以下「あはれげなる人」まで、源氏の心。
【かの頭中将の常夏疑はしく】−あの頭中将が雨夜の品定めの折に語った常夏の花を詠んで贈ったという女ではないかの意。「常夏」は渾名になっている。
【語りし心ざま】−過去の助動詞「し」連体形。頭中将が語った、意。
【まづ思ひ出でられたまへど】−自発の助動詞「られ」連用形。接続助詞「ど」逆接の確定条件を表す。
【忍ぶるやうこそは】−係助詞「こそ」、下に「あれ」(已然形)などの語が省略、係結びの省略。

【気色ばみて】−夕顔の態度。
【かれがれに】−以下「あはれなるべけれ」まで、源氏の心。
【折こそはさやうに思ひ変ることもあらめ】−「さやうに」は「気色ばみてふと背き隠る」ことをさす。係助詞「こそ」は「あらめ」(已然形)に係る、係結の法則、下文に逆接で続く、逆接用法。
【心ながらもすこし移ろふことあらむこそあはれなるべけれ】−「心ながら」を源氏の「心ながら」と解す説と夕顔の「心ながら」と解す説とがある。『集成』は「(源氏は)わが心ながら、(こんなにいちずに溺れ込むのではなく)少し飽きでもきた方が、(女のひたむきな従順さに)いとしさがまさるであろうとまで思われた。夕顔の人柄をもっと味わい楽しみたい気持」と注す。『新大系』も「自分の心と言いながら少々心が外の女に移るようなことがことがあるとしたら気の毒であろうよ」と注す。一方、島津久基『源氏物語講話』は「いや自分勝手の妙な注文かも知れぬけれど、却って女の方でちょっとぐらいは移り気でも見せてくれる方が、張合があって、別の興味が湧くだろうに。あんまり素直過ぎて曲が無い、とさえ思ったりされるのであった」と訳す。『古典セレクション』も「我ながら(変なことを考えるようだが)、少しは女のほうでほかの男に心を移すようなようなことがあったほうがかえっていとしさが募るだろう。「移ろふ」を男の心ととる説もある」と注す。
【とさへ思しけり】−副助詞「さへ」添加の意を表す。

【八月十五夜】−大島本は「八月十五夜」と表記し、「ハツキトモヨム」と注記している。したがって「はちがつ」と読むことをいう。「月 ぐゎち 呉音」(岩波古語辞典)。中秋の名月の夜。以下、助詞を省略した表現法に留意。非散文的叙述。
【住まひのさまも珍しきに】−接続助詞「に」弱い逆接で下文に続ける。
【暁近くなりにけるなるべし】−語り手の時間の経過をいう挿入句。

【あはれいと寒しや】−隣の男の声。「寒し」はまだ秋の季節であるし次の言葉からも、ここは生業のうまくいかないこと、貧しいことの意であろう。

【今年こそ】−以下「聞きたまふや」まで、もう一人の男の声。係助詞「こそ」は「心細けれ」(已然形)に係る、係結びの法則。
【思ひかけねば】−打消の助動詞「ね」已然形+接続助詞「ば」順接の確定条件を表す。
【北殿こそ】−接尾語「こそ」呼び掛け。

【女いと恥づかしく思ひたり】−他人事ながらこのような界隈に身を置く自分を恥じたものであろう。

【艶だち気色ばまむ人は】−推量の助動詞「む」婉曲の意。『評釈』は「作者の批評の言葉であろうか」と注し、『完訳』は「語り手の一般的な感想に発して、「されど」以下の夕顔評へ転ずる」と注す。
【消えも入りぬべき】−係助詞「も」強調、連語「ぬべき」当然の意。
【さまなめりかし】−語り手の感想を交えた表現。「なめり」は断定の助動詞「なる」連体形の「る」が撥音便化しさらに無表記の形、推量の助動詞「めり」終止形、話者すなわち語り手の主観的推量を表す。終助詞「かし」念押し。
【思ひ入れたるさまならで】−夕顔の態度。前に「恥づかしく思ひたり」とあった。ここは、苦にする、ふさぎこむ、という意であろう。
【我がもてなしありさまは】−夕顔の態度。このような中にあっても気品を失わない態度。
【いかなる事とも聞き知りたるさまならねば】−下情に通じていない、ということは上流の人のさま。
【罪許されてぞ見えける】−源氏の感想。係助詞「ぞ」。過去の助動詞「ける」連体形、係結びの法則。

【鳴る神】−名詞。「鳴る」は前の「ごほごほ」を受け、掛け詞的に使用されている。
【枕上とおぼゆる】−格助詞「と」状態を指示して下へ続ける。--のように、--というふうに。「おぼゆる」連体形、連体中止法、余情・余韻を表す。
【あな耳かしかまし】−源氏の感想。「かしかまし」は清音。「姦 カシカマシ」(名義抄)「カシカマシイ」(日葡辞書)。第三音節が濁音化するのは近世以後のこと(小学館古語大辞典)。『集成』『新大系』は清音で読むが、『古典セレクション』は「かしがまし」と濁音で読んでいる。
【いとあやしうめざましき音なひ】−源氏の心を叙述する。
【くだくだしきことのみ多かり】−語り手の批評。『岷江入楚』は「作者のかきのこしたるとなり」と指摘。『評釈』は「読み手たる女房は(中略)地声を出して、読み手個人の批評をさしはさむ」と注す。『集成』は「身分の高い読者に対して、下層の話題を提供したことを弁解する草子地」と注す。

【白妙の衣うつ砧の音】−以下、『和漢朗詠集』の「北斗の星の前に旅雁を横たふ 南楼の月の下に寒衣を擣つ」(巻上、秋)や『白氏文集』の「月は新霜の色を帯び 砧は遠雁の声に和す」(巻第六十六)を踏まえる。「白妙の」は「衣」の枕詞。したがって特に訳し出さなくともよい語。
【忍びがたきこと多かり】−秋の情趣。「大底四時は心惣べて苦(ねんごろ)なり 就中(このうち)腸の断ゆることは是れ秋の天なり」(白氏文集・和漢朗詠集)。
【前栽】−大島本「せむさい」と表記。前田本「字類抄」に「センサイ」とある。「平安時代はセンサイと清音」(岩波古語辞典)。『集成』『新大系』『古典セレクション』は「せむざい」と濁音で読む。
【かかる所も同じごときらめきたり】−前に「門は蔀のやうなる、押し上げたる、見入れのほどなく、ものはかなき住まひを、あはれに「何処かさして」と思ほしなせば、玉の台も同じことなり」(第一章一段)とあった。
【壁のなかの蟋蟀】−『礼記』月令の「季夏(中略)蟋蟀壁に居る」。出典の季節は「季夏」(六月)で「八月十五夜」(中秋)と異なるが、こおろぎの鳴く声が壁の内側から聞こえてくる、という趣。季節の推移とともに、夏の壁の外側(庭)で鳴いていたこおろぎがやがて季節が秋ともなると壁の内側(室内)で鳴くようになる、という変化が記されている。
【御心ざし一つの浅からぬによろづの罪許さるるなめりかし】−「なめり」は断定の助動詞「なる」連体形の「る」が撥音便化しさらに無表記の形+推量の助動詞「めり」終止形、話者すなわち語り手の主観的推量を表す。終助詞「かし」念押し。『岷江入楚』所引「三光院実枝説」は「なかなか」からを「草子地と見るべし又只も見るべし」とあり、『岷江入楚』(中院通勝)は「罪許さるる」以下を「草子地なり」と指摘する。

【白き袷薄色の】−以下、夕顔の服装の描写。当時、「薄色」といえば薄紫色をいった。「濃き色」といえば、濃い紫色または濃い紅色をいった。
【あな心苦し】−源氏の惑溺した感情。
【心ばみたる方をすこし添へたらば】−源氏の夕顔に対する誂えの気持ち。夕顔に気取った感じがもう少しあったら、の意。
【見まほしく思さるれば】−自発の助動詞「るれ」已然形+接続助詞「ば」順接の確定条件を表す。

【いざただこのわたり近き所に】−以下「いと苦しかりけり」まで、源氏の詞。夕顔を誘い出す。
【いと苦しかりけり】−過去の助動詞「けり」終止形、詠嘆の意。

【いかでか】−反語表現。下に「行かむ」などの語句が省略。
【にはかならむ】−推量の助動詞「む」終止形。

【言ひてゐたり】−ワ上一動詞「ゐ」連用形、座っている。じっとしている。『古典セレクション』は「動こうともしない」と訳す。
【頼めたまふに】−タ下二動詞「頼め」連用形、頼りにさせる、期待させる、意。接続助詞「に」原因理由を表す。
【え憚りたまはで】−副詞「え」は打消の接続助詞「で」と呼応して不可能の意を表す。
【右近を召し出でて】−夕顔付きの女房。主語は源氏。
【随身を召させたまひて】−使役の助動詞「させ」連用形。右近をして随身を呼び出させる。
【御車引き入れさせたまふ】−使役の助動詞「させ」連用形。随身をして牛車を縁先に付けさせる。
【このある人びとも】−この家に居合わせた女房たち。
【おぼめかしながら】−形容詞「おぼめかし」。『岩波古語辞典』では「オボメキの形容詞形。状態・知識・記憶・態度などがはっきりしない、曖昧で判断がつけにくい意」という。

【御嶽精進にやあらむ】−吉野の金峰山に参籠するのに先立って行う精進潔斎。千日間行うという。断定の助動詞「に」連用形、係助詞「や」疑問、推量の助動詞「む」連体形。語り手が介入して推測。
【ぬかづくぞ聞こゆる】−係助詞「ぞ」「聞こゆる」連体形、係結びの法則。
【朝の露に異ならぬ世を何を貪る身の祈りにか】−『白氏文集』巻二に「朝露貪名利 夕陽憂子孫<朝の露に名利を貪り夕の陽に子孫を憂ふ>」(秦中吟「不致仕」)を踏まえる。源氏の思い。この「夕顔」巻全体を支配する無常観の基調。
【南無当来導師】−「南無当来導師」は弥勒菩薩のこと。弥勒菩薩が出現して衆生を救う、という信仰。
【とぞ拝むなる】−係助詞「ぞ」、「拝む」終止形、伝聞推定の助動詞「なる」連体形、係結びの法則。

【かれ聞きたまへ】−以下「思はざりけり」まで、源氏の詞。
【あはれがりたまひて】−接尾語「がる」は、そのように感じる、そのように振る舞うの意。『古典セレクション』は「感慨をもよおされて」、『新大系』は「感銘を受けなさって」と訳す。

【優婆塞が行ふ道をしるべにて来む世も深き契り違ふな】−源氏の贈歌。優婆塞は在俗のまま仏道修業する人。隣の老人の御嶽精進の声を聞きながら詠んだ和歌。来世でも約束に背かないでください、と現世来世の二世を契った歌である。

【長生殿の古き例はゆゆしくて翼を交はさむとは引きかへて】−『白氏文集」巻十二に「七月七日長生殿 夜半無人私語時 在天願作比翼鳥 在地願為連理枝<七月七日長生殿に夜半に人無くして私語せし時天に在らば願はくは比翼の鳥作らむ地に在らば願はくは連理の枝為らむ>」(長恨歌)を踏まえる。しかし、楊貴妃は殺されたので、今はそれは不吉であるとする。
【弥勒の世をかねたまふ】−「かね」連用形、将来のことを心配する、未来のことを考える、意。弥勒菩薩は、釈迦入滅後、五十六億七千万年後に出現するという。その出現までの永い約束をする。
【行く先の御頼めいとこちたし】−語り手の評言。源氏の将来までの約束があまりに大袈裟だという、作者の弁解でもある。『首書源氏物語』は「長生殿の」から「地也」と指摘し、『湖月抄』は「行先の」から「地」と指摘する。いずれもいわゆる「草子地」であるとの指摘である。

【前の世の契り知らるる身の憂さに行く末かねてた頼みがたさよ】−夕顔の返歌。わが身の不運を前世からの因縁だと嘆き、したがってとても来世までは信頼できないとする歌。

【かやうの筋などもさるは心もとなかめり】−接続詞「さるは」補足的説明をする。実のところ、それというのは、の意。「なかめり」は形容詞「心もとなかる」連体形の「る」が撥音便化しさらに無表記の形+推量の助動詞「めり」終止形、主観的推量。語り手の推量。『古典セレクション』は「夕顔の歌を受けつつ、しかし実際のところは頼りなさそうだ、と語り手の感想を述べる」と注す。

 [第三段 なにがしの院に移る]

【いさよふ月に】−山の端に入りそうでなかなか入らない月。時刻の経過を表す。『評釈』は「たゆとう月とともに」と訳す。『新大系』は「(山の端に)入りかねる月(に誘われるよう)に」と注す。格助詞「に」のように。下文の「思ひやすらひ」に係る。
【とかくのたまふ】−主語は源氏。あれこれと説得なさる。
【にはかに雲隠れて明け行く空いとをかし】−月が急に雲に隠れたかと思うと、東の空が明けて行くのがとても美しい。明けて十六日の朝となる。
【例の急ぎ出でたまひて】−六条の貴婦人の邸から帰る折とは対照的。
【うち乗せたまへれば】−完了の助動詞「れ」已然形、完了の意。源氏が夕顔を車に乗せてしまったので、というニュアンス。
【右近ぞ乗りぬる】−係助詞「ぞ」「乗る」連体形、係結びの法則。誰が同乗するかといえば、右近が乗ったのだ、というニュアンス。

【そのわたり近きなにがしの院に】−五条から近い某の院。古来、源融の河原院が想定されている。「院」という呼称の邸と建物は皇室の御領。
【預り】−某院の管理人。
【見上げられたる】−完了の助動詞「たる」連体形、存続の意。主格となって下文に続く。
【露けきに】−形容詞「露けき」連体形、接続助詞「に」順接を表す。
【御袖もいたく濡れにけり】−牛車の簾を上げ、袖を外に出していたので草露に濡れた。

【まだかやうなることも】−以下「慣らひたまへりや」まで、源氏の詞。
【慣らはざりつるを】−完了の助動詞「つる」連体形、接続助詞「を」逆接的な意を表す。
【心尽くしなることにもありけるかな】−断定の助動詞「なる」連体形、格助詞「に」動作の対象、係助詞「も」強調の意、過去の助動詞「ける」詠嘆の意、終助詞「かな」詠嘆の意を表す。

【いにしへもかくやは人の惑ひけむ我まだ知らぬしののめの道】−源氏の贈歌。副詞「かく」は「惑ひけむ」に係る。係助詞「やは」疑問の意を表す。過去推量の助動詞「けむ」連体形。昔の人もこのように恋の道に迷ったのだろうか、わたしには初めての経験だという歌。『新大系』は「「人」は頭中将を暗示して言う」と注す。

【慣らひたまへりや】−尊敬の補助動詞「たまへ」已然形、完了の助動詞「り」終止形、係助詞「や」疑問の意を表す。

【女恥ぢらひて】−「女」は恋の場面の呼称。自ハ四「恥ぢらひ」連用形。

【山の端の心も知らで行く月はうはの空にて影や絶えなむ】−夕顔の返歌。係助詞「や」疑問、完了の助動詞「な」未然形、推量の助動詞「む」連体形。「山の端の心」を源氏の心、「月」を自分に喩える。不安な気持ちを表明した歌。
【心細く】−歌に添えた言葉。「心細く」連用中止法、余情を表す。

【かのさし集ひたる住まひの慣らひならむ】−断定の助動詞「なら」未然形、推量の助動詞「む」終止形。夕顔は今まで狭く立て込んだ小家に住み慣れているためだろうという、源氏の推察。

【御車入れさせて】−某院の中門内に。使役の助動詞「させ」連用形。某院の人をして、の意。
【高欄に御車ひきかけて立ちたまへり】−牛車から牛を外して、轅(ながえ)を高欄に掛けた形で、源氏一行は車の中で準備の整うまで待つ。
【艶なる心地】−大島本「ゑんある心ち」とある。「縁ある心地」ではあるまい。諸本に従って「艶なる心地」と改める。『集成』は「はなやいだ気分になって」と解し、『完訳』は「傍観者ながら、浮き立つ気持」と解す。
【来し方のことなども人知れず思ひ出でけり】−かつて主人の夕顔のもとに頭中将が通ってきたころのこと。
【預りいみじく経営しありく気色に】−院の管理人が一生懸命に準備に奔走する様子。
【この御ありさま知りはてぬ】−この男君の身分を皇室関係の方だと知った。『集成』は「皇室御領の院を自由に使い、管理人が懸命にご接待するのを見て、源氏だとはっきり分った」と注す。

【ほのぼのと物見ゆるほどに下りたまひぬめり】−完了の助動詞「ぬ」終止形、完了の意。推量の助動詞「めり」主観的推量。語り手の視点である。同じく十六日の朝、物の形がほのぼのと見える時刻である。
【かりそめなれど清げにしつらひたり】−仮ごしらえの御座所。

【御供に】−以下「不便なるわざかな」まで、管理人の詞。
【さぶらはざりけり】−過去の助動詞「けり」詠嘆、気付いて驚きを表す。
【殿にも仕うまつる者】−『集成』は「二条の院にも仕えている者」と解し、『古典セレクション』『新大系』は「左大臣(葵の上の父)家」と解す。
【参りよりて】−簀子または廂間まで、長押の外であろう。源氏は母屋の中、御帳台にいる。
【さるべき人召すべきにや】−管理人の詞。断定の助動詞「に」連用形、係助詞「や」疑問の意。
【申さすれど】−使役の助動詞「すれ」已然形。管理人が右近をして申し上げさせるが、の意。

【ことさらに】−以下「漏らすな」まで、源氏の詞。
【さらに心よりほかに漏らすな】−副詞「さらに」は下に打消しの語を伴って、全然、決しての意。終助詞「な」禁止の意。
【口がためさせたまふ】−使役の助動詞「させ」。右近をして管理人に言わせる。

【御粥】−朝食である。『新大系』は「ご飯。固粥(かたかゆ)であろう」と注す。
【息長川】−『奥入』は「鳰鳥の息長川は絶えぬとも君に語らふこと尽きめやも」(古今六帖第三 鳰 一四九九)を指摘する。いついつまでもの意。

【日たくるほどに起きたまひて】−源氏は、朝粥を摂った後、いったん眠って、日が高くなったころに起きた。
【いといたく荒れて】−以下、源氏の目を通して語る。
【秋の野らにて】−大島本「秋のゝ(ゝ+ら)にて」とある。大島本の補入は墨筆で丸印を付けて行間に小さく「羅」と書いたもの。夕顔の訂正跡を見ると、朱筆によるものと墨筆によるものとがある。元の文字を摺り消してその上に墨筆で訂正した筆跡は本文と一筆である。朱筆による訂正は字形を正したものや訂正したもので、後からのものと見られる。この箇所には行間に朱筆で引き歌「里ハアレテ」(古今集)歌がカタカナ表記で指摘されている。その注記は補入文字「ら」を避けて書いているので、この補入はそれよりも古いものである。御物本も「ら」を補入。横山本、榊原家本、池田本は「秋のゝ」とある。なお、別本の陽明文庫本は「あきのゝへ」とある。『異本紫明抄』は「秋のゝらにて」云々の本文を引用して「里は荒れて人はふりにし宿なれや庭も籬も秋の野らなる」(古今集 秋上 二四八 僧正遍昭)を指摘する。「ら」が無ければ「里は荒れて」の引き歌は発生しない。
【いとけうとげになりにける所かな】−以下「離れたり」まで、源氏の心中を語る。しかし、終わりは地の文になっている。終助詞「かな」詠嘆は、源氏の感想。『集成』は「格子を上げて、外を見渡している源氏の視線を追って、木立や前栽の様を叙べてきたので、源氏の心中の感想が、そのまま地の文になっているのであろう。あとに、ほとんど同文が源氏の言葉として出る」と注す。『完訳』は「ほぼ同文が次行に重出。不審」と注す。『新大系』は「源氏の心内である。すぐあとに会話文でも繰り返される」と注す。
【別納の方にぞ】−別納は母屋などから離れた雑舎などの建物。
【人住むべかめれど】−「べかめれ」は推量の助動詞「べかる」の「る」が撥音便化しさらに無表記形+推量の助動詞「めれ」已然形、主観的推量。源氏の判断と推測。

【けうとくもなりにける所かな】−以下「見許してむ」まで、源氏の詞。夕顔に向かって言ったものであろう。
【鬼なども我をば見許してむ】−完了の助動詞「て」連用形、確述の意。推量の助動詞「む」終止形。『新大系』は「死者の霊魂など超自然的な存在で、人に危害を加えることがある。気味悪さを打ち消すために言ってみる源氏の言葉はかえって屋敷に棲息する鬼を呼び起こすことになる危険を伴う」と注す。

【顔はなほ隠したまへれど】−袖で顔を隠している。
【げにかばかりにて】−以下「違ひたり」まで、源氏の心。
【ことのさまに違ひたり】−恋の成就した男女のあるべきさまと違っている。

【夕露に紐とく花は玉鉾のたよりに見えし縁にこそありけれ】−源氏の贈歌。「夕露に」というが、まだ夕方にはなっていない。「夕顔」の花の縁で、こう詠みだ出す。「紐とく花」は花が開く意と顔を見せる意を込める。自分が今顔を見せる意。「玉鉾の」は「道」に係る枕詞。ここでは「道」の意で使う。今、わたしがこうして顔を見せるのは、五条大路で出会った縁によるのですよ、の意。源氏は初めて、歌言葉を多用する。『新大系』は「夕べの露を待って開く花は花のかんばせは、あの道すがらにあなたによって見られたご縁であったことよ。(中略)あの夕べに見られた顔はわたし(源氏)であったと明かす」と注す。一方『古典セレクション』は「「夕露」は源氏。「花」は女。「紐とく」は下紐を解いて契りを交すの意で、二人が深い仲となったのは、五条の宿の通りすがりに見かけた奇縁によるのだ、の意」と注す。両義解釈可能である。
【露の光やいかに】−歌に添えた源氏の言葉。「露の光」は源氏の顔をいう。前に女の歌に「白露の光」の語句を受けてこう言う。自分で自分の顔を「光」と褒めた言い方するのは戯れた言い方。また「光」の語に「光る源氏」であることを名乗ってもいる。

【後目に見おこせて】−夕顔は流し目にこちらを見て。色っぽさが含まれていよう。

【光ありと見し夕顔のうは露はたそかれ時のそら目なりけり】−「夕顔のうは露」は源氏の顔をいう。素晴らしいと思ったのは夕暮時の見間違いで、たいしたことありませんよという意。切り返して答えた歌。『評釈』は「あれは間違い、そんな光るなんて、と甘えて、うちけす」と解す。『新大系』では「比較を絶する美しさである、というメッセージにもなろう」と注す。『古典セレクション』では「さほどとは思えないと、わざと本心とは逆のことを言って戯れる媚態。前の扇の歌と同じく、機知に富み、夕顔の感性、才気が見える」と評す。

【思しなす】−「なす」は、源氏が夕顔の返事をことさらおもしろいと思い込むというニュアンス。
【げに】−「げに」は語り手の同意。以下「見えたまふ」まで、語り手の感想を交えた表現。
【うちとけたまへるさま】−源氏の態度。尊敬の補助動詞「たまへ」已然形、完了の助動詞「る」連体形、存続の意。
【所から】−『集成』『新大系』は「所から」と清音に読み、『古典セレクション』は「所がら」と濁音に読む。
【ゆゆしきまで見えたまふ】−源氏の不吉なまでに美しい姿態。

【尽きせず隔てたまへるつらさに】−以下「いとむくつけし」まで、源氏の詞。サ変動詞「尽きせ」未然形。
【思ひつるものを】−接続助詞「を」逆接を表す。

【海人の子なれば】−『異本紫明抄』は「白浪の寄する渚に世を過ぐす海人の子なれば宿も定めず」(和漢朗詠集下 遊女 七二二)を指摘する。卑しい身分なので、名乗るほどでもありませんの意。
【さすがにうちとけぬさま】−形容動詞「さすがに」連用形、上の事柄と食い違うさま、矛盾するさま。そうはいうものの、それとは違う様子だ、の意。打消の助動詞「ぬ」連体形。『新大系』「(名のるとまでは)さすがにうちとけない」と注す。
【あいだれたり】−『集成』は「甘えている」と解し、『完訳』は「なよやかに色っぽい様子」と解す。

【よしこれも我からなめり】−大島本「我からなめり」とある。肖柏本は「なめり」。御物本は「な〔な−補入〕なり」。横山本、榊原家本、池田本と書陵部本は「なり」。三条西家本は「なゝり」とある。河内本は「ななり」。別本の陽明文庫本は「なり」。『集成』は「ななり」と本文を改める。『古典セレクション』は「なり」と本文を改める。『新大系』は底本のまま。「ななり」は断定の助動詞「なる」連体形の「る」が撥音便化しさらに無表記の形+伝聞推定の助動詞「なり」終止形で、であるようだというやや婉曲的なニュアンス。「なめり」は断定の助動詞「なる」連体形の「る」が撥音便化しさらに無表記の形+推量の助動詞「めり」終止形、主観的推量を表し、もっとも柔らかいニュアンスとなる。源氏の詞。「海人」に因んで「われから」(海草にすむ虫)という語を用いる。『源氏釈』は「海人の刈る藻にすむ虫のわれからと音にこそ泣かめ世をば恨みじ」(古今集恋五 八〇七 藤原直子)を指摘する。
【怨みかつは語らひ暮らしたまふ】−こうして、一日が過ぎていく。

【御くだものなど参らす】−使役の助動詞「す」。惟光が右近をして差し上げさせる意。
【えさぶらひ寄らず】−副詞「え」は打消の助動詞「ず」と呼応して不可能の意を表す。惟光は源氏のお側に伺候することもできない。
【かくまでたどり歩きたまふも】−以下「ありさまにこそは」まで、惟光の心。
【さもありぬべきありさまにこそは】−係助詞「こそ」「は」の下に「あらめ」已然形などの語句が省略されている。『新大系』は「美しい女のさまなのだろうと推測する」と注す。
【我がいとよく】−以下「心ひろさよ」まで、惟光の心中の思い。夕顔を源氏に譲ったことを寛大な心だとうぬぼれる。
  【めざましう思ひをる】−語り手が惟光は不埒なことを考えているという批評。『完訳』は「「めざましう」は語り手の評言」と注す。

【たとしへなく静かなる夕べの空を】−時刻は夕方に移る。不気味なまでの静けさ。
【つと御かたはらに】−源氏のお側に。
【名残りなく】−以下「つらき」まで、源氏の詞。

【内裏にいかに求めさせたまふらむを】−以下「尋ぬらむ」まで、源氏の心。「内裏」は帝をさす。尊敬の助動詞「させ」連用形+尊敬の補助動詞「たまふ」終止形、最高敬語。推量の助動詞「らむ」終止形、視界外推量を表す。接続助詞「を」順接、--のでの意。
【いづこに尋ぬらむ】−主語は探索者たち。「尋ぬ」終止形、下に敬語がない。推量の助動詞「らむ」終止形、視界外推量を表す。
【あやしの心や】−以下「ことわりなり」まで、源氏の心。
【六条わたりにも】−「六条わたりの御忍び歩き」「御心ざしの所」「六条わたりにもとけがたかりし御けしきを」とあった方。六条御息所。
【いかに思ひ乱れたまふらむ】−主語は六条御息所。尊敬の補助動詞「たまふ」終止形、推量の助動詞「らむ」終止形、視界外推量を表す。
【恨みられむに】−受身の助動詞「られ」未然形、推量の助動詞「む」連体形、接続助詞「に」順接を表す。
【あまり心深く】−以下「取り捨てばや」まで、源氏の心。この夕顔と比較した六条わたりの女についての感想。
【思ひ比べられたまひける】−自発の助動詞「られ」連用形、尊敬の補助動詞「たまひ」連用形、過去の助動詞「ける」連体形、余韻を残した表現。

 [第四段 夜半、もののけ現われる]
【宵過ぐるほど】−時刻は夜に移る。宵は日没から午後十時ころまでの間。それを少し過ぎたころ。
【寝入りたまへるに】−完了の助動詞「る」連体形、存続の意。接続助詞「に」順接。『古典セレクション』は「少しとろとろとなさると」と訳す。少し寝入りなさると、の意。現実か夢か不分明な源氏の意識の世界。

【己がいとめでたしと見たてまつるをば尋ね思ほさで】−以下「いとめざましくつらけれ」まで、夢の中の女の声。『今泉訳』では「私はあなたさまをほんとにお立派なお方だとお慕ひ申しあげてをりますのに、その私を、尋ねてやろうともお思ひにならないどころか」と訳す。連語「をば」(格助詞「を」+係助詞「は」)を、「をりますのに、その私を」と意訳する。『評釈』は「ほんとに御立派とお見あげ申しておりますわたくしを尋ねようともなさらないで」と冒頭の「己が」の語順を移動させて「わたしを」と訳す。なお『集成』が「私が大層ご立派なお方とお慕い申していますのに」とだけ注しているのは不十分。『古典セレクション』も「この私が、まことにご立派なお方とお慕い申しているのに、訪ねようともお思いにならず」と訳すのも同じ。「をば」を逆接の接続助詞のように解すには語法的に問題がある(今泉訳のように「その私を」と補えば問題ない)。「そのわたしを」とあれば、『今泉訳』『評釈』と同じになる。また、「おのが」は「見たてまつるをば」に係る構文とも解せる。『新大系』では「われがいかにもめでたしと見申すお方をば心してお求めにもなることなく、かかる格別のことなき女を率いてここにおわしてご寵愛になることはまことに心外に恨めしいことよ。「をば」の下に「人」が略されていると見ておく」と訳し注す(「下に」は「上に」の誤りで、「お方をば」の個所をさすか)。すなわち「尋ね」の対象を「お方(六条の貴婦人)をば」と解す。そうすると、「おせっかいなもののけになってしまう」(評釈)とも評される。「夢の中でもののけが言う言葉なのだから、少しは変でもしようがなかろうか」(評釈)といえるが、女の怨み嫉妬の言葉である。よって、もののけの言葉は、整然とした文章語として解すよりも源氏と対峙して怨み言をいう口語として解すべきだろう。「をば」の上には「そのわたし」が省略されているとみる。「おのが(あなたを)いとめでたしと見たてまつる(そのおのれ)をば尋ね思ほさで」という構文である。

【この御かたはらの人】−夕顔をさす。
【と見たまふ】−以上、「御枕上に」から夢の中の出来事である。この「見たまふ」も夢の中で見ていること。下文に「おどろきたまへれば」とある。

【おどろきたまへれば】−完了の助動詞「れ」已然形、存続、目を覚まして暫く見回すと、というニュアンス。
【消えにけり】−完了の助動詞「に」連用形、完了の意。過去の助動詞「けり」終止形。既に消えていたのであった。
【うたて思さるれば】−自発の助動詞「るれ」已然形+接続助詞「ば」順接の確定条件を表す。
【太刀を引き抜きて】−魔除けのための行為。
【参り寄れり】−右近は源氏と夕顔の寝所からは少し離れた所に寝ていた。完了の助動詞「り」完了の意。

【渡殿なる】−以下「参れと言へ」まで、源氏の詞。右近に命じた言葉。

【いかでかまからむ暗うて】−右近の返事。連語「いかでか」(副詞「いかで」+係助詞「か」)反語表現。推量の助動詞「む」連体形。できません、と答える。

【あな若々し】−源氏の詞。
【手をたたきたまへば】−人を呼ぶ合図。
【参らぬに】−打消の助動詞「ぬ」連体形、接続助詞「に」順接について、『集成』は「参上しない上に」と訳し、『古典セレクション』は「まいる者もいないが、その間」と訳す。
【いかさまにせむと思へり】−『新大系』は「源氏から判断する女君のさま」と注す。

【物怖ぢをなむ】−以下「思さるるにか」まで、右近の詞。夕顔の性格を心配して言う。係助詞「なむ」は「せさせたまふ」に係るが、下文に続くため、結びの流れ。
【いかに思さるるにか】−自発の助動詞「るる」連体形。断定の助動詞「に」連用形。係助詞「か」疑問、下に「おはさむ」(連体形)などの語句が省略。
【いとか弱くて】−以下「いとほし」まで、源氏の心。
【昼も空をのみ見つるものを】−副助詞「のみ」限定。完了の助動詞「つる」連体形、終助詞「ものを」詠嘆を表す。

【我人を起こさむ】−以下「しばし近く」まで、源氏の詞。推量の助動詞「む」意志を表す。
【山彦の答ふる】−「答ふる」連体形。

【西の妻戸に出でて】−月光の明るい方へ出ようとしたものであろう。
【押し開けたまへれば】−完了の助動詞「れ」已然形、完了の意+接続助詞「ば」順接の確定条件を表す。

【この院の預りの子むつましく使ひたまふ若き男】−「この院の預りの子」と「むつましく使ひたまふ若き男」とは同一人物。同格。
【また上童一人】−前に「顔むげに知るまじき童一人ばかり」とあった殿上童。
【例の随身ばかりぞありける】−前に「かの夕顔のしるべせし随身ばかり」とあった随身。係助詞「ぞ」、過去の助動詞「ける」連体形、係結びの法則。強調のニュアンス。以上、「若き男」「上童」「随身」の三人。
【御答へして起きたれば】−起きて来たのは、預りの子。下文に「随身も弦打して絶えず声づくれと仰せよ」と命じているので、随身以外の人。「滝口なりければ」とあるので上童でもない。

【紙燭さして参れ】−以下「惟光朝臣の来たりつらむは」まで、源氏の詞。
【心とけて寝ぬるものか】−「寝ぬる」連体形、「ものか」は連語(形式名詞+終助詞)また終助詞、感動を表す。
【来たりつらむは】−下に「いかに」などの語句が省略。動詞「来たり」連用形、完了の助動詞「つ」終止形、存続の意、推量の助動詞「らむ」連体形、視界外推量を表す。「来たり」は漢文訓読系で使う語とされる。やや堅い表現。
【問はせたまへば】−尊敬の助動詞「せ」連用形、尊敬の補助動詞「たまへ」連用形、最高敬語。源氏の高貴さを際立たせた表現。

【さぶらひつれど】−以下「まかではべりぬる」まで、管理人の子の答え。『新大系』は「直接話法と間接話法とがまじる」と注す。
【滝口なりければ】−清涼殿の滝口の武士。「なり」(断定の助動詞)「けれ」(過去の助動詞)。滝口の武士だったので。後から気づいたというニュアンス。
【弓弦いとつきづきしくうち鳴らして】−警戒と魔除けの行為。
【火あやふし】−夜の見張りの時に使う言葉。慣用句。火の用心、の意。
【去ぬなり】−「去ぬ」終止形、伝聞推定の助動詞「なり」終止形。滝口の声がだんだん小さく遠ざかって行ったニュアンス。
【内裏を思しやりて】−主語は源氏。
【名対面は】−以下「今こそ」まで、源氏の想像。亥の一刻(午後九時)に行われる宿直の名乗り。
【滝口の宿直奏し】−名対面の後に行われる滝口の武士の名乗り。
【いたう更けぬにこそは】−打消の助動詞「ぬ」連体形。たいして夜が更けていないのでは、の意。「こそは」の下に「あらめ」已然形などの語句が省略された形。

【帰り入りて】−主語は源氏。簀子あたりから寝所に戻る。

【こはなぞ】−以下「脅されじ」まで、源氏の詞。右近に対して言ったもの。連語「なぞ」、「な」は副詞「なに」の約。「ぞ」は係助詞の終止的用法。文末に用いられる。強い疑問や非難の気持ち。
【もの狂ほしの物怖ぢや】−終助詞「や」詠嘆の意。
【人を脅やかさむとて】−大島本「人をおひやかさんとて」とある。『集成』『古典セレクション』は諸本に従って「人おびやかさむとて」と校訂する。『新大系』は底本のまま。
【思はするならむ】−使役の助動詞「する」連体形、断定の助動詞「なら」未然形、推量の助動詞「む」終止形、推量の意。思わせるのであろう。
【まろあれば】−「あれ」已然形+接続助詞「ば」順接の確定条件を表す。わたしがいるので。
【引き起こしたまふ】−源氏が右近を。

【いとうたて】−以下「思さるらめ」まで、右近の返事。
【乱り心地の悪しうはべれば】−丁寧の補助動詞「はべれ」已然形は自分の容態をいう。
【御前にこそ】−右近が主人の夕顔をさして言う。
【思さるらめ】−「思さ」は「思う」の尊敬表現の位相語。自発の助動詞「る」終止形、推量の助動詞「らめ」已然形、視界外推量。上の係助詞「こそ」との、係結びの法則。恐がっておいででしょう。暗くて見えないのでこう言っている。

【そよなどかうは】−源氏の詞。感動詞「そよ」相づち。
【いといたく】−以下「ぬるなめり」まで、源氏の心。
【物にけどられぬるなめり】−完了の助動詞「ぬる」連体形、完了の意。「なめり」の「な」は断定の助動詞「なる」連体形の「る」が撥音便化しさらに無表記の形、推量の助動詞「めり」終止形、視界内推量。魔性の物に魅入られてしまったものらしい。

【紙燭持て参れり】−預りの子が。前に「紙燭さして参れ」とあった。
【右近も動くべきさまにもあらねば】−推量の助動詞「べき」連体形、可能の意。断定の助動詞「に」連用形、係助詞「も」。打消の助動詞「ね」已然形+接続助詞「ば」順接の確定条件。

【なほ持て参れ】−源氏の詞。紙燭を持って来た預りの子に対する言葉。

【例ならぬことにて】−断定の助動詞「に」連用形。従者主人と女がいる寝所近くまで呼び寄せられるのは異例。
【長押にもえ上らず】−下長押。母屋と廂間の境。副詞「え」、打消の助動詞「ず」終止形と呼応して不可能の意を表す。

【なほ持て来や所に従ひてこそ】−源氏の詞。カ変動詞「来(こ)」命令形。終助詞「や」詠嘆の意。係助詞「こそ」、下に「あれ」已然形などの語が省略されている。

【召し寄せて見たまへば】−源氏が預りの子を召し寄せて紙燭を受け取って夕顔を御覧になると。
【夢に見えつる容貌したる女】−「見え」は、現れる、客体の方から出現するニュアンス。完了の助動詞「つる」連体形、完了の意。完了の助動詞「たる」連体形、存続の意。
【面影に見えて】−「面影」幻影、幻。格助詞「に」状態を指示してしたへ修飾的に続ける、〜として、〜のように。「見え」は、現れて。客体の方から出現するニュアンス。見た人は源氏。
【消え失せぬ】−完了の助動詞「ぬ」終止形、完了の意。自然に消えてしまった、というニュアンス。

【昔の物語などにこそ】−大島本「むかしの物かたり」とある。『集成』『古典セレクション』は諸本に従って「昔物語」と校訂する。『新大系』は底本のまま。以下「ことは聞け」まで、源氏の心中を語る。昔、河原院に宇多法皇が京極御息所を連れて一夜を明かした時、その院の元の主、源融の霊が現れて、御息所が気絶したという話が伝えられていた。後に『江談抄』に記載されている。
【ことは聞け】−係助詞「こそ」「聞け」已然形の係結びの法則。文脈的には逆接で続く。格助詞「と」は引用の意。
【この人いかになりぬるぞ】−係助詞「ぞ」文末にあって、文全体を強調。
【身の上も知られたまはず】−自発の助動詞「れ」連用形。もののけに取りつかれた人に近付く危険。
【思すべけれど】−係助詞「こそ」は「べけれ」已然形に係るが、接続助詞「ど」逆接に続き、この句を受ける句がないので句点。下の文「さこそ強がりたまへど」と並列の構文とも見られるが、前文「頼もしくいかにと言ひ触れたまふべき人もなし」の補足説明的な一文と見る。
【さこそ強がりたまへど】−係助詞「こそ」は「たまへ」已然形に係るが、接続助詞「ど」逆接に続き、結びの流れ。「さ」は口に出して強がりを言うこと。

【あが君】−以下「見せたまひそ」まで、源氏の詞。夕顔に呼び掛けた言葉。
【な見せたまひそ】−副詞「な」終助詞「そ」と呼応して禁止を表す。

【冷え入りにたれば】−完了の助動詞「に」連用形、完了の意。完了の助動詞「たれ」已然形、存続の意。すっかり冷たくなってしまっている様子。
【けはひものうとくなりゆく】−死相が窺われる様子。

【南殿の鬼のなにがしの大臣脅やかしけるたとひを】−藤原忠平が紫宸殿で鬼と出会ったが、一喝して退散させたという話。同時代の『大鏡』に記載されている。

【さりとも】−以下「あなかま」まで、源氏の詞。
【いたづらになり果てたまはじ】−「いたづら」は死ぬこと。打消推量の助動詞「じ」終止形。
【あなかま】−感動詞「あな」+「かま」「かま」は形容詞「かまし」の語幹。人の発言を制止することば。

【諌めたまひて】−主語は源氏。右近が取り乱して大声で泣くのを制した。

【いとあわたたしきに】−接続助詞「に」原因理由を表す。

【この男を召して】−源氏は管理人の子供を呼び寄せて右近を介してではなく直接命じる。

【ここにいとあやしう】−以下「許さぬ人なり」まで、源氏の詞。
【物に襲はれたる人のなやましげなるを】−格助詞「の」主格、接続助詞「を」原因理由を表す。
【惟光朝臣の宿る所にまかりて】−五条にある大弐乳母の家。「まかり」の主語は管理人の子ではなく源氏の随身。
【言へと仰せよ】−惟光に言えと随身に命じなさい。
【なにがし阿闍梨】−惟光の兄。実際は実名を言っているところを語り手が「某」と言い換えたもの。
【かの尼君などの聞かむに】−源氏の乳母、大弍の乳母。推量の助動詞「む」仮定を表す。接続助詞「に」順接を表す。

【胸塞がりて】−大島本「むねふたかりて」とある。『古典セレクション』は諸本に従って「胸はふたがりて」と校訂する。『集成』『新大系』は底本のままとする。
【この人を空しくしなしてむことの】−完了の助動詞「て」未然形、完了の意、推量の助動詞「む」連体形、仮定の意。格助詞「の」対象を表す。
【思さるるに添へて】−自発の助動詞「るる」連体形。

【夜中も過ぎにけむかし】−完了の助動詞「に」連用形、完了の意。過去推量の助動詞「けむ」終止形、終助詞「かし」強調。下の「風の荒々しう吹きたるは」と語順が倒置されている。「けむかし」は語り手の推量。時刻の経過が語られる。
【松の響き】−下の「梟はこれにや」など、『白氏文集』凶宅詩の「梟は松桂の枝に鳴き 狐は蘭菊の叢に蔵る 蒼苔紅葉の地 日暮れて旋風多し」の表現に基づく。
【うち思ひめぐらすに】−この句は「悔しさもやらむ方なし」に係る。
【けどほく疎ましきに】−接続助詞「に」そのうえ、という意で下に続ける。
【人声はせず】−打消の助動詞「ず」連体形、下文に続く。
【などてかくはかなき宿りは取りつるぞ】−源氏の後悔。

【死ぬべし】−「べし」(推量の助動詞)は語り手の見た推量。
【またこれもいかならむ】−源氏の不安な気持ち。「これ」は右近をさす。
【思しやる方ぞなきや】−係助詞「ぞ」形容詞「なき」連体形、係結びの法則。間投助詞「や」詠嘆は語り手の詠嘆。

【隈々しくおぼえたまふに】−接続助詞「に」順接、添加の意を表す。
【惟光とく参らなむ】−源氏の思い。「まゐら」未然形+終助詞「なむ」他に対する願望。惟光早く来てほしいの意。
【ありか定めぬ者にて】−下二動詞「定め」未然形+打消の助動詞「ぬ」連体形。断定の助動詞「に」連用形、接続助詞「て」順接の確定条件。
【千夜を過ぐさむ心地】−『源氏釈』は「暮るる間は千歳を過ぐす心地して待つは誠に久しかりけり」(後拾遺集恋二 六六七 藤原隆方)を指摘。『大系』他は「秋の夜の千夜を一夜になせりとも言葉残りて鶏や鳴きなむ」(伊勢物語二十二段)を指摘する。

【からうして】−清音。「カラウシテ[Caroxite]」(日葡辞書)。『集成』『新大系』は清音に読むが、『古典セレクション』は「からうじて」と濁音に読んでいる。
【命をかけて】−以下「名をとるべきかな」まで、源氏の後悔の思い。
【かかる目を見るらむ】−推量の助動詞「らむ」終止形、原因理由推量。
【かかる筋におほけなくあるまじき心の報いに】−「かかる筋」とは恋愛事をいう。「おほけなくあるまじき」とは身分を弁えずあってはならないという意。その「心の報い」というので、夕顔などの身分の女に対する恋心ではなく、また六条辺りの御方に対する恋心でもない。次の「若紫」巻で、藤壺宮にする恋心と判明する。
【なりぬべきことはあるなめり】−「ぬべき」は完了の助動詞「ぬ」終止形、確述の意+推量の助動詞「べき」連体形、当然の意。きっとなってしまいそうなの意。「なめり」は断定の助動詞「なる」連体形の「る」が撥音便化しさらに無表記の形+推量の助動詞「めり」終止形、主観的推量の意。
【口ずさびになるべきなめり】−推量の助動詞「べき」連体形、当然の意。「なめり」は断定の助動詞「なる」連体形の「る」が撥音便化しさらに無表記の形+推量の助動詞「めり」終止形、主観的推量の意。
【をこがましき名をとるべきかな】−推量の助動詞「べき」連体形、当然の意。終助詞「かな」詠嘆の意。

 [第五段 源氏、二条院に帰る]

【からうして】−清音。「カラウシテ[Caroxite]」(日葡辞書)。『集成』『新大系』は清音に読むが、『古典セレクション』は「からうじて」と濁音に読んでいる。
【御心に従へる者の】−格助詞「の」主格を表す。「おこたりつるを」に係る。
【召しにさへおこたりつるを】−副助詞「さへ」添加を表す。控えていなかった上に遅刻までしたことを。
【憎しと思すものから】−接続助詞「ものから」逆接の確定条件を表す。
【ふとも物言はれたまはず】−大島本「ふともゝのいはれ給ハす」とある。『集成』『新大系』は底本のまま。『古典セレクション』は諸本に従って「ふとものも言はれたまはず」と校訂する。可能の助動詞「れ」連用形。とっさにお言葉も出ないほどである、の意。
【右近大夫のけはひ聞くに】−右近は惟光大夫が参上した様子を耳にすると、の意。「右近」は「初めよりのことうち思ひ出でられて」に続く。
【うち思ひ出でられて泣くを】−自発の助動詞「られ」連用形。接続助詞「を」順接。--すると。
【君もえ堪へたまはで】−係助詞「も」同類を表す。右近が泣き、源氏も泣き出す。「えもとどめず泣きたまふ」に係る。
【我一人】−以下「思されける」まで、『完訳』は挿入句と解す。
【抱き持たまへりけるに】−大島本「いたきも給へりけるに」とある。『集成』『古典セレクション』は諸本に従って「抱き持ちたまへりけるに」と校訂。『新大系』は底本のままとする。源氏が夕顔を。今泉訳では「右近を」とする。接続助詞「に」順接。
【この人に息をのべたまひてぞ】−惟光をさす。係助詞「ぞ」、過去の助動詞「ける」連体形、係結びの法則。
【えもとどめず泣きたまふ】−副詞「え」打消の助動詞「ず」連用形と呼応して不可能の意を表す。尊敬の補助動詞「たまふ」終止形。

【ここにいとあやしきことの】−以下「と言ひつるは」まで、源氏の詞。源氏の言葉の末尾、大島本のみ「やり」ナシ。『集成』『古典セレクション』は「言ひやりつるは」と本文を改める。「つる」(完了の助動詞完了)「は」(係助詞)。下に「いかに」などの語句が省略された形。
【誦経などをこそはすなれとて】−「誦経」の「ず」は「じゅ」の直音表記。係助詞「こそ」、サ変動詞「す」終止形、伝聞推定の助動詞「なれ」已然形、係結びの法則。
【その事どももせさせむ】−使役の助動詞「させ」未然形、推量の助動詞「む」終止形。阿闍梨に誦経をさせよう、の趣旨。
【阿闍梨】−「阿闍梨」の「ざ」は「じゃ」の直音表記。
【言ひつるは】−大島本「いひつるハ」とある。『集成』『古典セレクション』は諸本に従って「言ひやりつるは」と校訂。『新大系』は底本のままとする。

【昨日山へまかり上りにけり】−以下「はべりつらむ」まで、惟光の返事。「山」は比叡山をさす。完了の助動詞「に」連用形、過去の助動詞「けり」終止形。
【ことにもはべるかな】−断定の助動詞「に」連用形、係助詞「も」強調のニュアンス、終助詞「かな」詠嘆を表す。
【御心地ものせさせたまふことやはべりつらむ】−夕顔の健康状態についていう。尊敬の助動詞「させ」連用形、尊敬の補助動詞「たまふ」連用形、最高敬語の形。会話文中なのでこのような言い方をする。係助詞「や」疑問の意、完了の助動詞「つ」終止形、推量の助動詞「らむ」連体形、原因推量の意、係結びの法則。

【さることもなかりつ】−源氏の詞。
【見たてまつる人も】−惟光。
【よよと泣きぬ】−副詞「よよ」はしゃくりあげて泣くさま。おいおいと泣く。完了の助動詞「ぬ」終止形。

【さいへど】−惟光が来たとはいえ。
【年うちねび】−惟光をいう。惟光は源氏と乳母兄弟とはいえ、必ずしも同い年ではない。『評釈』は「同年である」と注す。
【頼もしかりけれ】−前の「人こそ」〜「けれ」(過去の助動詞、詠嘆、已然形)の係結びであるが、文は逆接で以下に続く。いわゆる係結びの逆接用法。
【いづれもいづれも】−『新大系』は源氏と惟光の二人とする。『古典セレクション』は源氏、惟光、右近の三人とする。

【この院守などに】−以下「出でおはしましね」まで、惟光の詞。
【聞かせむことは】−下二段動詞「聞かせ」未然形、推量の助動詞「む」連体形、婉曲の意。『集成』は「相談する」と解し、『完訳』は「耳に入ったら」と解す。『新大系』「評判が立つことを恐れる」と注す。聞かせるようなことは、の意。
【この人一人こそ】−前に「むつましき下家司にて、殿にも仕うまつる者なりければ」とあった。係助詞「こそ」は「あらめ」已然形に係る、係結びの逆接用法。
【言ひ漏らしつべき】−完了の助動詞「つ」終止形、確述の意、推量の助動詞「べき」連体形、当然の意。きっと言い漏らしてしまうにちがいない、というニュアンス。
【眷属】−大島本は「くゑそく」と表記し、「ケンソクトヨム」と注記する。
【この院を出でおはしましね】−完了の助動詞「ね」命令形。

【さて】−以下「あらむ」まで、源氏の詞。
【いかでかあらむ】−連語「いかでか」(副詞「いかで」+係助詞「か」)反語表現。どうしてあろうか、ここしかない、の意。

【げにさぞはべらむ】−以下「ことはべらめ」まで、惟光の詞。副詞「げに」は源氏の言葉を受ける。係助詞「ぞ」推量の助動詞「む」連体形、係結びの法則。
【かの故里は】−夕顔の宿の実家をさしていう。『新大系』は「惟光は五条の夕顔の宿りに知らせてもやはり最後には世間に評判になろう、と心配する。やや不自然な設定ながら、夕顔の死は「古里」に秘密にされることによって玉鬘の物語への長編化が試みられる。構想上の要請である」と注す。
【泣き惑ひはべらむに】−「多くはべらむに」と並列の構文。接続助詞「に」順接、原因理由を表す。
【おのづから聞こえはべらむを】−推量の助動詞「む」終止形、推量の意。接続助詞「を」逆接を表す。
【昔見たまへし女房の】−以下「いとかごかにはべり」まで、惟光の詞。「見たまへし」は、謙譲の補助動詞「たまへ」連用形、過去の助動詞「し」連体形。格助詞「の」同格を表す。自分の過去の体験をいう。知己あるいは良く知った、の意。後文から父親の乳母であった女性とわかる。
【女房】−大島本は「女房」と表記する。御物本、榊原家本、池田本、三条西家本は「女はら」とある。肖柏本は大島本と同文。『集成』は「女ばら」と本文を改める。
【惟光が父の朝臣の乳母にはべりし者の】−自分の名前を言って、こう言う。他のところでは「某の」と表現されることが多いが、実際はこのように言ったのである。惟光が「昔見たまへし女房」とこの「父朝臣の乳母」は同一人物をさす。父親の乳母だった女であるから相当な老尼である。
【みづはぐみて】−大島本は「みつわくみて」と表記する。御物本は「は」の傍らに「わ」とある。「支離 ミツハサス ミツワクム」(黒川本色葉字類抄)。『集成』は「みつはくみて」と清音で読む。一般には「みづは(瑞歯)ぐみて」と濁音で読む。
【住みはべるなり】−断定の助動詞「なり」終止形。「昔見たまへし女房」の詳細な説明だから。
【いとかごかにはべり】−「かごか」は「かごやか」と同義(接尾語「やか」が付くと、それよりもやや強調された語気が伴う)。「静寂などの静か静かではなくこぢんまりとして人の出入りが少なく、人目に触れない、ざわざわしない意に中心があることは「かごか」「かごやか」の全用例を通じて認められる。普通、第二音節を濁るが、あるいは「かこやか」で「かこむ」「かこふ」と同根であり、四方を囲まれて、静かに籠る状態をいったものか」(小学館古語大辞典)。

【明けはなるるほどの紛れに】−夜が明けて人通りが増えて来るころに紛れて源氏の車を某院に引き入れる。

【この人】−夕顔をさす。
【え抱きたまふまじければ】−副詞「え」は打消推量の助動詞「まじけれ」已然形と呼応して不可能の意を表す。
【上蓆におしくくみて】−「上蓆(うはむしろ)」は御帳台に敷く上等な敷物。「おしくくむ」は、包む、くるむ、意。上等な敷物の上に寝かせて、それでくるんだような形にして牛車に乗せたものか。
【したたかにしもえせねば】−死者に対して手荒に扱えないので、しっかりとしたさまにつつむことができない、意。
【あさましう悲し】−源氏の気持ち。
【なり果てむさまを見む】−源氏の思い。火葬の場に立ち会って、最後の様子を見届けようとする気持ち。

【はや御馬にて】−以下「ほどに」まで、惟光の詞。
【おはしまさむ】−推量の助動詞「む」終止形、適当の意。お帰りあそばすのがよいでしょう。

【右近を添へて乗すれば徒歩より】−惟光は右近を夕顔と共に牛車に乗せて、自分は徒歩で、の意。
【君に馬をたてまつりて】−挿入句。
【おぼえぬ送りなれど】−野辺送り。惟光が付き随った。
【御気色のいみじきを見たてまつれば】−挿入句。
【身を捨てて行くに】−接続助詞「に」弱い逆接の意。
【我かのさまにておはし着きたり】−二条院にお帰りになった。源氏単独ではない。物語には語られていないが必ず前出の随身などが随行している。

【人びと】−二条院の女房たち。場面は、二条院に変わる。
【いづこよりおはしますにか】−以下「見えさせたまふ」まで、女房たち同士の詞。「申す」「きこゆ」などの敬意表現がない。ひそひそ話の趣き。断定の助動詞「に」連用形。係助詞「か」疑問を表す。結びの省略。
【見えさせたまふ】−「させ」(尊敬の助動詞)「たまふ」(尊敬の補助動詞)、二重敬語。会話文中で使用される。
【御帳の内に】−寝室。
【胸をおさへて思ふに】−接続助詞「に」順接を表す。
【などて】−以下「思はむ」まで、源氏の心。後悔。
【行かざりつらむ】−打消の助動詞「ざり」連用形。完了の助動詞「つ」終止形、完了の意。推量の助動詞「らむ」連体形、理由を表す。反語表現の構文。どうして自分は行かなかったのだろう、行けばよかったの意。
【生き返りたらむ】−完了の助動詞「たら」未然形、完了の意。推量の助動詞「む」連体形、仮定の意。夕顔がもし生き返ったなら、というニュアンス。
【いかなる心地せむ】−主語は夕顔。
【つらくや思はむ】−係助詞「や」疑問、推量の助動詞「む」連体形、係結びの法則。
【惑はれたまへば】−自発の助動詞「れ」連体形。接続助詞「ば」順接の確定条件を表す。
【かくはかなくて】−以下「いたづらになりぬるなめり」まで、源氏の思い。
【なりぬるなめり】−完了の助動詞「ぬる」連体形、完了の意、「な」は断定の助動詞「なる」連体形「る」が撥音便化しさらに無表記の形。推量の助動詞「めり」終止形、主観的推量を表す。死んでしまいそうだ、というニュアンス。

【いと心細く思さるるに】−自発の助動詞「るる」連体形。接続助詞「に」順接、--と、たところ、の意。
【昨日】−以下「おぼつかながらせたまふ」まで、『完訳』は挿入句と解す。内裏からの使者の詞のようにも思われる一文である。「たてまつらざりし」の過去の助動詞「し」は自分の体験をいう時に使う言葉だからである。
【え尋ね出でたてまつらざりしより】−謙譲の補助動詞「たてまつら」未然形は、源氏に対する敬意の表れ。主語は探索者。お訪ね申し上げられなかったので。
【おぼつかながらせたまふ】−主語は帝。尊敬の助動詞「せ」連用形+尊敬の補助動詞「たまふ」終止形、最高敬語。地の文における使用は、原則として、帝、中宮、春宮、院などの方々だけ。
【立ちながらこなたに入りたまへ】−源氏の詞。「立ちながら」と言うのは、座ると死穢に触れるので、それを避けるために配慮してこう言ったもの。
【御簾の内ながら】−御帳台の御簾。接続助詞「ながら」--のままで、の意。

【乳母にてはべる者の】−以下「聞こゆること」まで、源氏の詞。源氏の乳母、大弍の乳母をいう。前半は真実、後半は虚偽。格助詞「の」同格を表す。
【わづらひはべりしが】−「が」は格助詞、主格を表す。患っておりました者が、の意。
【このごろ】−「比日 コノゴロ」(図書寮本名義抄)。
【弱くなむなりにたる】−係助詞「なむ」は「たる」連体形に係るが、この句が主格となって、以下の文に続く。完了の助動詞「に」連用形、完了の助動詞「たる」連体形、存続の意。
【申したりしかば】−完了の助動詞「たり」連用形、存続、過去の助動詞「しか」已然形+接続助詞「ば」順接の確定条件を表す。申していたので、「まかれりしに」に係る。
【いときなきよりなづさひし者の今はのきざみにつらしとや思はむと思うたまへて】−挿入句。主語は話者の源氏。過去の助動詞「し」連体形、自分の体験。格助詞「の」主格を表す。係助詞「や」疑問、推量の助動詞「む」連体形、係結びの法則。「思うたまへて」は動詞「思ひ」連用形の音便形+謙譲の補助動詞「たまへ」連用形+接続助詞「て」順接を表す。
【まかれりしに】−完了の助動詞「り」連用形、存続の意。過去の助動詞「し」連体形、接続助詞「に」順接、--していたところ。退出いたしておりましたところ。
【その家なりける下人の】−「なり」「ける」は、その家にいたの意。格助詞「の」同格を表す。以下は源氏の虚言である。
【病しけるが】−過去の助動詞「ける」連体形、格助詞「が」は主格を表す。病気だった者が。
【出であへで】−横山本は「え〔え−補入〕いてあへて」、肖柏本と三条西家本は「えいてあへて」とある。河内本も「えいてあへて」、別本の陽明文庫本は「えいてあはす」とある。いずれも副詞「え」がある。家から出る余裕もなくの意。死の穢れを避けるために主人の家からその前に退出させるのが通例であった。
【怖ぢ憚りて】−客人の源氏に遠慮した。
【取り出ではべりけるを】−下人の死骸を運び出しましたのを。過去の助動詞「ける」連体形は係助詞「なむ」の結びであるが、下文に続き係結びの流れ。格助詞「を」目的格を表す。
【聞きつけはべりしかば】−丁寧の補助動詞「はべり」、過去の助動詞「しか」已然形+接続助詞「ば」順接の確定条件を表す。「え参らぬなり」に係る。
【神事なるころ】−『古典セレクション』では「かむわざ」と振り仮名を付ける。大島本「神事」と表記。『新大系』「「かむわざ」と訓むか」と注す。神事の多い時期。今九月である。
【思うたまへかしこまりて】−大島本「思たまへ・かしこまりて」とある。送り仮名が無い。『古典セレクション』は「思ひたまへ」と読み、『集成』『新大系』は「思うたまへ」と読む。「思うたまへ」は動詞「思ひ」連用形の音便形+謙譲の補助動詞「たまへ」連用形。接続助詞「て」順接を表す。
【え参らぬなり】−副詞「え」は打消の助動詞「ぬ」連体形と呼応して不可能の意を表す。断定の助動詞「なり」終止形。
【しはぶき病みにやはべらむ】−挿入句。係助詞「や」疑問、推量の助動詞「む」連体形、係結びの法則。
【いと無礼にて聞こゆること】−御帳台の中から簾越しで申し上げることを大変に失礼なことで、と詫びる。下に「許したまへ」などの語句が省略されている。

【さらばさるよしをこそ奏しはべらめ】−以下「御気色悪しくはべりき」まで、頭中将の詞。接続詞「さらば」それでは、そうであるならば、の意。係助詞「こそ」は「はべらめ」(已然形に係る、係結びの法則。「奏す」は帝に申し上げるときに使用する語。推量の助動詞「め」已然形は意志を表す。
【求めたてまつらせたまひて】−謙譲の補助動詞「たてまつら」未然形は源氏に対する敬意、尊敬の助動詞「せ」連用形、尊敬の補助動詞「たまひ」連用形の二重敬語は、帝に対する最高敬語。接続助詞「て」は順接を表す。お探しになって、しかし探し当てられなかったので、とう内容が省略されて、「御気色悪しくはべりき」に続く。
【立ち返り】−『新大系』は「一度去るしぐさをして引き返す。内裏のお使いとしての口上と別に、とってかえして真相を聞き出そうとする」と注す。
【いかなる行き触れに】−以下「思うたまへられね」まで、頭中将の詞。
【かからせたまふぞや】−尊敬の助動詞「せ」連用形、尊敬の補助動詞「たまふ」終止形の二重敬語は、会話文中における使用。係助詞「ぞ」文末に置かれて文全体を強調、係助詞「や」疑問の意。
【述べやらせたまふことこそ】−尊敬の助動詞「せ」連用形、尊敬の補助動詞「たまふ」連体形の二重敬語は、会話文中における使用。係助詞「こそ」は打消の助動詞「ね」已然形に係る、係結びの法則。
【まことと思うたまへられね】−大島本「まことゝ思給へられね」とある。送り仮名が無い。『古典セレクション』は「思ひたまへ」と読み、『集成』『新大系』は「思うたまへ」と読む。「思うたまへ」は「思ひ」連用形の音便形+謙譲の補助動詞「たまへ」未然形。可能の助動詞「られ」未然形。打消の助動詞「ね」已然形。

【と言ふに】−接続助詞「に」原因理由を表す。
【胸つぶれたまひて】−源氏は頭中将から嘘を見破られたのでどきりとした。

【かくこまかにはあらで】−以下「たいだいしくはべれ」まで、源氏の詞。
【たいだいしくはべれ】−『集成』は「不都合な次第でございます」と訳し、『古典セレクション』は「まったくもってのほかの申し訳ないことでございます」と訳す。係助詞「こそ」「はべれ」已然形の係結びの法則。

【蔵人弁】−蔵人で弁官を兼官する者。蔵人は天皇に近侍して取り次いで奏上する。頭中将の弟と後の巻々からわかる。
【かかるよし】−ある穢れに触れてしばらく謹慎するという内容。
【奏せさせたまふ】−「奏す」は帝に対して申し上げる時だけ使う語。使役の助動詞「させ」連用形、尊敬の補助動詞「たまふ」終止形。源氏が蔵人の弁をして帝に奏上させなさる意。
【大殿などにも】−左大臣家をさす。『集成』はそのルビに「おほいとの」と付けるが、御物本に「い」を補入している例がある。

 [第六段 十七日夜、夕顔の葬送]

【日暮れて】−場面は夕方となる。
【参れり】−完了の助動詞「り」完了、参上して控えている、というニュアンス。
【かかる穢らひありとのたまひて】−接続助詞「て」確定条件で続ける。--ので。主語は源氏。
【参る人びと】−二条院にお見舞いに参上する人々。
【皆立ちながらまかづれば】−「まかづれ」已然形+接続助詞「ば」順接の確定条件を表す。
【召し寄せて】−源氏が惟光を呼び寄せて。

【いかにぞ今はと見果てつや】−源氏の質問。どうだ、夕顔は亡くなってしまったのか、というニュアンス。係助詞「ぞ」文全体の強調、係助詞「や」疑問。

【のたまふままに】−連語「ままに」(名詞「まま」+格助詞「に」)と同時にの意。おっしゃるやいなやというニュアンス。

【今は限りにこそは】−以下「言ひ語らひつけはべりぬる」まで、惟光の答え。係助詞「こそ」「めれ」已然形に係る係結びの法則。
【ものしたまふめれ】−推量の助動詞「めれ」已然形、惟光の主観の加わった想像。のようでいらっしゃいます、というニュアンス。
【長々と籠もりはべらむも便なきを】−推量の助動詞「む」連体形、婉曲の意。係助詞「も」強調のニュアンス。接続助詞「を」順接、ので、から、の意で下文に続ける。「言ひ語らひつけはべりぬる」に係る。
【明日なむ日よろしくはべれば】−葬儀を行うのに日柄がよいの意。大島本のみ「侍らは」(仮定形)とある。榊原家本は「侍は」とある。諸本に従って「はべれば」(順接続の確定条件)と本文を改める。係助詞「なむ」は「はべれ」に係るが、下文に続き結びの流れとなっている。
【とかくの事】−葬儀に関する事。
【いと尊き老僧のあひ知りてはべるに】−格助詞「の」同格を表す。--で、の意。丁寧の補助動詞「はべる」連体形と格助詞「に」の間に「者」が省略されている形。
【言ひ語らひつけはべりぬる】−完了の助動詞「ぬる」連体形、連体中止法。余情。

【添ひたりつる女はいかに】−源氏の質問。「女」は右近をさす。完了の助動詞「たり」連用形、存続の意。完了の助動詞「つる」連体形、完了の意。

【それなむまたえ生くまじくはべるめる】−以下「こしらへおきはべりつる」まで、惟光の返事。係助詞「なむ」は「はべるめる」連体形に係る、係り結びの法則。強調のニュアンス。副詞「え」は打消の助動詞「まじく」連用形と呼応して不可能の意を表す。推量の助動詞「める」連体形は話者惟光の主観的推量、--のようだ、--らしい、の意を表す。
【我も後れじと惑ひはべりて】−「我」は右近をさす。
【谷に落ち入りぬとなむ見たまへつる】−『河海抄』は「世の中の憂きたびごとに身を投げば深き谷こそ浅くなりなめ」(古今集俳諧歌 一〇六一 読人知らず)を指摘する。完了の助動詞「ぬ」終止形、確述の意。落ち入ってしまいかねないほどと。係助詞「なむ」は完了の助動詞「つる」連体形に係る、係結びの法則。
【かの故里人に告げやらむ】−右近の詞を惟光が間接話法で言ったもの。「故里人」は夕顔の宿に残った女房たち。
【しばし思ひしづめよと】−大島本「しハし思ひしつめよと」とある。他の青表紙本は引用の格助詞「と」ナシ。『集成』『古典セレクション』は「しばし思ひしづめよ」と校訂。『新大系』は底本のままとする。以下「思ひめぐらして」まで、惟光が右近に言った言葉を引用。
【となむこしらへおきはべりつる】−係助詞「なむ」は完了の助動詞「つる」連体形に係る、係結びの法則。

【と語りきこゆるままに】−主語は惟光。連語「ままに」時間的経過、--につれて。
【いといみじと思して】−主語は源氏。

【我もいと心地悩ましく】−以下「おぼゆる」まで、源氏の詞。
【いかなるべきにかとなむおぼゆる】−推量の助動詞「べき」連体形、推量の意。断定の助動詞「に」連用形。係助詞「か」疑問。係助詞「なむ」「おぼゆる」連体形に係る、係結びの法則。

【何かさらに】−以下「ものしはべる」まで、惟光の詞。感動詞「何か」なんの、なんですか。
【ものせさせたまふ】−尊敬の助動詞「させ」連用形+尊敬の補助動詞「たまふ」終止形、二重敬語。源氏に対する最高敬語、会話文中での使用。
【さるべきにこそよろづのことはべらめ】−「さるべき」は前世からの約束事。格助詞「に」指定。係助詞「こそ」は「はべらめ」已然形に係る、係結びの法則。
【人にも漏らさじと思うたまふれば】−打消推量の助動詞「じ」終止形、話者惟光の--するまいという打消しの意志。「思う」は「思ひ」連用形のウ音便形、謙譲の補助動詞「たまふれ」已然形+接続助詞「ば」順接の確定条件、-存じますので。
【惟光おり立ちて】−会話文中で自分の名前をいう例である。「なにがし」などと表現されることもあるが、身分の下の者が上の者に向かって言う場合は、はっきりこう言った。また責任をもって事に当たります、という表明。
【よろづはものしはべる】−丁寧の補助動詞「はべる」連体形、連体中止法。

【さかし】−以下「おぼゆべき」まで、源氏の詞。
【人をいたづらになしつるかごと負ひぬべきが】−完了の助動詞「つる」連体形。完了の助動詞「ぬ」終止形、確述の意+推量の助動詞「べき」連体形、当然の意。格助詞「が」主格を表す。
【少将の命婦などにも聞かすな】−惟光の姉妹か。下に「尼君まして」とあるので、惟光の縁者であろう。終助詞「な」強い禁止を表す。
【尼君】−大弍の乳母をさす。
【諌めらるるを】−尊敬の助動詞「らるる」連体形、軽い敬意。接続助詞「を」順接、--ので、から。
【心恥づかしくなむおぼゆべき】−係助詞「なむ」は「推量の助動詞「べき」連体形、当然の意に係る、係結びの法則。
【口かためたまふ】−「口堅 クチカタメ」(易林本節用集)「クチガタメ[Cuchigatame]ヲスル」(日葡辞書)。『集成』『古典セレクション』は「口がため」と濁音に読み、『新大系』は清音に読む。『岩波古語辞典』では動詞(下二段)の場合は清音、名詞の場合は濁音としている。今、清音で読んでおく。

【さらぬ法師ばら】−以下「異にはべる」まで、惟光の詞。連語「さらぬ」(動詞「さら」未然形+打消の助動詞「ぬ」連体形)その他の。接尾語「ばら」複数を表す。「殿ばら」「宮ばら」「法師ばら」など、身分の高い者にもついたが、時代が下るとともに軽蔑する者につくようになっていった。「奴ばら」「海賊ばら」など。
【言ひなすさま異にはべる】−「はべる」連体形、連体中止法。

【と聞こゆるにぞかかりたまへる】−係助詞「ぞ」は完了の助動詞「る」連体形に係る、係結びの法則、強調。『古典セレクション』は「「かかる」は、生死がかかっている、の意。ただ一つの頼りとしてすがりつく思いだ」と注す。

【ほの聞く女房など】−源氏と惟光とのひそひそ話をかすかに聞く、ちょっと聞く意。
【あやしく】−以下「嘆きたまふ」まで、女房たちのひそひそ声。

【さらに事なくしなせ】−源氏の詞。副詞「さらに」重ねて、引き続き、の意。また下に打消しの語を伴って決して--ないようにの意を表す。ここは重ねて無難に取り計らえ、の意。
【そのほどの作法】−葬儀。火葬に付する儀礼。

【何かことことしくすべきにもはべらず】−惟光の返事。感動詞「何か」なんですか、なんの、にの意。源氏があれこれとこまかく指図したことに対して否定する言葉。推量の助動詞「べき」連体形、当然の意は下の打消の助動詞「ず」終止形と呼応して、--する必要はない。大げさにする必要はございません、と惟光は言う。

【とて立つが】−格助詞「が」希望や好悪などの主観的な意味の対象を表す。と言って席を立つのが悲しく思われる、の意。接続助詞「が」は平安末期に成立。源氏物語では格助詞とされる。
【いと悲しく思さるれば】−自発の助動詞「るれ」已然形+接続助詞「ば」順接の確定条件を表す。思わずにはいられないのニュアンス。惟光が側を離れるのを寂しく思うと共に、夕顔の葬儀が簡略に行われるのを悲しむ。

【便なしと】−以下「馬にてものせむ」まで、源氏の詞。
【思ふべけれど】−主語はあなた、惟光。推量の助動詞「べけれ」已然形、当然の意+接続助詞「ど」逆接の確定条件を表す。きっと思うだろうが。
【かの亡骸を見ざらむが】−推量の助動詞「む」連体形、婉曲の意。格助詞「が」対象を表す。見ないのが、心の残りである。
【いといぶせかるべきを】−接続助詞「を」順接を表す。--ので。
【馬にてものせむ】−格助詞「にて」手段を表す。馬で。推量の助動詞「む」終止形、意志。

【とのたまふを】−接続助詞「を」順接を表す。おっしゃるので。
【いとたいだいしきことと思へど】−主語は惟光。「たいだいし」は軽々しくあるまじきことだ、の意。『集成』は「全くおだやかならぬことだとは思うが」と解し、『完訳』は「軽率きわまりない、の意」と解す。

【さ思されむは】−以下「おはしませ」まで、惟光の詞。自発の助動詞「れ」未然形、推量の助動詞「む」連体形、仮定の意。係助詞「は」仮定条件を表す。そのようにお思いになられるようでしたらの意。
【いかがせむ】−連語「いかがはせむ」(副詞「いかが」+係助詞「は」+サ変動詞「せ」未然形+推量の助動詞「む」連体形)反語表現。どうしよう、どうすることもできない。
【夜更けぬ先に帰らせおはしませ】−尊敬の助動詞「せ」連用形、尊敬の意+「おはしませ」(「おはす」よりさらに高い敬語表現)。会話文中の最高敬語表現。

【このごろの御やつれに】−「比日 コノゴロ」(図書寮本名義抄)。上代には清音「このころ」。

【かくあやしき道に出で立ちても】−係助詞「も」強調を表す。
【危かりし物懲りに】−過去の助動詞「し」連体形、自分の体験。昨夜十六日の夜、某院で怪異に遭遇した経験。格助詞「に」動作の原因・理由を表す。--のために。
【ただ今の骸を見では】−以下「容貌をも見む」まで、源氏の気持ちを叙述する。係助詞「は」否定の語の下に付いて、接続助詞的に順接の仮定条件を表す。見なくては、見なければ。
【またいつの世にかありし容貌をも見む】−再び来世で、の意。係助詞「か」「見む」連体形、係結びの法則。反語表現。見ることができようか、できまい。

【道遠くおぼゆ】−二条院から五条辺までの距離。早く逢いたいという、心理的な遠さ。
【十七日の月】−別名、立ち待ちの月。宵のうちに出る。
【河原のほど】−二条院から清水寺の方へ向かう途中の鴨川の辺り。
【御前駆の火もほのかなるに】−御前駆が持っている松明の火。微行なので松明の火も弱くしている。接続助詞「に」順接を表す。添加の意はない。
【鳥辺野の方】−鳥辺野は当時の火葬場。五条から七条辺にかけて東山麓をさす。
【ものむつかしきも】−係助詞「も」強調の意。

【すごきに】−接続助詞「に」弱い逆接の意。--だが、の意。
【女一人泣く声】−右近の泣き声をいう。
【物語りしつつ】−「つつ」は同じ動作の繰り返しの意。話をしては念仏を唱え、また念仏を唱えては話をするということであろう。
【わざと声立てぬ念仏】−無言念仏、声を出さないで唱える念仏。葬送の前に行う。
【寺々の初夜もみな行ひ果てて】−午後六時から十時ころまでに行う勤行。
【清水の方】−清水寺の方角。千手観音を本尊とし、当時から信仰が篤かった。
【経うち読みたるに】−接続助詞「に」順接。原因・理由を表す。

【火取り背けて右近は屏風隔てて】−燈火を夕顔から離して屏風を間に立てて右近が横になっている様子。すなわち夕顔を死人として扱っている様子を源氏は見る。
【いかにわびしからむ】−源氏の気持ち。夕顔に対して、また右近に対してという両説あるが、死者であっても差し支えない。『古典セレクション』は「死人がこうした感情を抱くはずはないが、薄暗い中に一人ぼっちで捨てておかれた姿を見ると、源氏の心が痛むのである」と注す。

【我に今一度】−以下「いみじきこと」まで、源氏の詞。
【声をだに聞かせたまへ】−副助詞「だに」最小限を表す。せめて--だけでも。「せたまへ」は尊敬の助動詞「せ」連用形+尊敬の補助動詞「たまへ」命令形、最高敬語。
【いかなる昔の契りにかありけむ】−「昔の契り」は前世からの因縁、の意。断定の助動詞「に」連用形、係助詞「か」疑問、過去推量の助動詞「けむ」連体形、係結びの法則。
【あはれに思ほえしを】−過去の助動詞「し」連体形、接続助詞「を」逆接を表す。
【惑はしたまふが】−格助詞「が」主格を表す。

【と声も惜しまず】−係助詞「も」強調の意。

【大徳たちも誰とは知らぬに】−夕顔や源氏を誰とも知らない。惟光は他の大徳たちにはそれぞれ異なった説明をして事情を隠していた。係助詞「も」同類を表す。源氏が泣いたのと同様に。接続助詞「に」逆接を表す。

【いざ二条へ】−青表紙本系の御物本、榊原家本、池田本は「二条」。大島本は「院」を朱筆で補入、横山本も「院」を補入する。肖柏本と三条西家本と書陵部本は「二条院」とある。定家本には「院」が無かったものであろう。『集成』『古典セレクション』は「二条」の本文を採用する。『新大系』は「二条院」の補入本文を採用。

【年ごろ】−以下「いみじきこと」まで、右近の返事。
【幼くはべりしより】−主人の夕顔に自分が幼かった時から。「はべり」は自分に対して用いた丁寧語表現。過去の助動詞「し」連体形、自己の体験を表す。右近は夕顔の乳母子であるらしいことが分かる。
【離れたてまつらず】−「たてまつる」(謙譲の補助動詞)、主人の夕顔にお離れ申さず。
【馴れきこえつる人に】−主語は右近。謙譲の補助動詞「きこえ」連用形、完了の助動詞「つる」連体形、完了。「人」は主人の夕顔をさしていう。右近がお親しみ申し上げてきた方(夕顔)に。
【いづこにか帰りはべらむ】−「いづこにか--む」(係助詞「か」疑問、推量の助動詞「む」連体形、係結びの法則)は、疑問また反語表現。途方に暮れている気持ち。どこに帰ったらよいのでございましょうか、どこにも帰る所はございませんの意。
【いかになりたまひにき】−主語は夕顔。完了の助動詞「に」連用形、完了の意。過去の助動詞「き」終止形。
【とか人にも言ひはべらむ】−係助詞「か」疑問、推量の助動詞「む」連体形、係結び、反語表現。何と言いましょうか、何とも言えません。
【人に言ひ騒がれはべらむが】−受身の助動詞「れ」連用形、推量の助動詞「む」連体形、格助詞「が」主格を表す。
【煙にたぐひて慕ひ参りなむ】−右近の詞。現在、荼毘にふしているところである。「まゐり」連用形、完了の助動詞「な」未然形、確述の意、推量の助動詞「む」終止形、意志。後を追ってしまおうの意。自分の意志、希望を言う。なお終助詞「なむ」は他に対するあつらえの願望を表し、自分の願望は「ばや」で表す。

【道理なれど】−以下「我を頼め」まで、源氏の詞。力強く右近を諌め励ます。
【さなむ世の中はある】−倒置表現。係助詞「なむ」「ある」連体形、係結びの法則、強調。
【とあるもかかるも】−『古典セレクション』は「長生きするのも、あるいは早死にをするのも、結局は、どちらにしても」と注す。
【のたまひこしらへて】−大島本「の給こしらへて」とある。『集成』『古典セレクション』は諸本に従って「のたまひこしらへても」と「も」を補う。『新大系』は底本のまま。
【かく言ふ我が身こそは】−以下「心地すれ」まで、源氏の詞。係助詞「こそ」「すれ」已然形の係結びの法則。

【とのたまふも頼もしげなしや】−語り手の評言。『岷江入楚』所引三光院実枝説に「右近か心なり又草子の地歟云々」と指摘。終助詞「や」詠嘆の意。

【夜は明け方になりはべりぬらむ】−以下「はや帰らせたまひなむ」まで、惟光の詞。夕顔の火葬は終了に近づく。完了の助動詞「ぬ」終止形、推量の助動詞「らむ」終止形、視界外推量を表す。
【はや帰らせたまひなむ】−尊敬の助動詞「せ」連用形+尊敬の補助動詞「たまひ」連用形、最高敬語。会話文中での用法。完了の助動詞「な」未然形、確述の意。推量の助動詞「む」終止形、勧誘の意。早くお帰りあそばしますように。

【返りみのみせられて】−副助詞「のみ」限定と強調。自発の助動詞「られ」連用形。

【道いと露けきにいとどしき朝霧に】−景情一致の描写。露は源氏の涙を象徴し、朝霧は源氏の心の状態を象徴する。自然の景色が源氏の心象風景となっている。源氏物語の表現世界における特色の一つ。「露けきに」の「に」は接続助詞、添加の意。露っぽいうえに。「朝霧に」の「に」は格助詞、事の起こるもとを表す。朝霧によって。
【うち交はしたまへりしが】−夜共寝する時に、着物を互いに着せ掛け合って寝たのが。『集成』は「か」を削除する。『古典セレクション』は底文のままで、「「が」は衍字と見て、「たまへりしわが」の意にとっておく」と注す。「が」格助詞、主格を表す。「道すがら思さる」と続く。「我が御紅の」云々と並列の構文。
【着られたりつるなど】−自発の助動詞「られ」連用形、完了の助動詞「たり」連用形、存続の意、完了の助動詞「つる」連体形、完了の意。『完訳』は「「られ」は自発の意。おのずから着たように遺骸に掛けてある」と注し、さらに『古典セレクション』では「古代日本語では無生物を主語として受身の述語を用いることはない」と注して本居宣長の「源氏物語玉の小櫛」の注を引用する。『今泉訳』でも「御自分のあの紅の御着物が、あのまま着せてあつたさまなど」と訳している。
【いかなりけむ契りにか】−源氏の心。
【道すがら思さる】−自発の助動詞「る」終止形。
【おはしまさするに】−使役の助動詞「する」連体形。惟光が源氏をして、の意。接続助詞「に」順接。
【堤のほどにて】−清水から二条院へ帰る途上の鴨川の土手。
【御馬よりすべり下りて】−『集成』『古典セレクション』は諸本に従って「馬よりすべり下りて」と「御」を削除する。『新大系』は底本のままとする。

【かかる道の空にて】−以下「心地なむする」まで、源氏の詞。
【はふれぬべきにやあらむ】−完了の助動詞「ぬ」終止形、完了の意、推量の助動詞「べき」連体形、当然の意、断定の助動詞「に」連用形、係助詞「や」疑問の意、ラ変動詞「あら」未然形、推量の助動詞「む」連体形、係結びの法則。野たれ死んでしまうのであろうかの意。「はふる」について、『小学館古語大辞典』では「第二音節の清濁から「棄」「葬」の意の「はぶる」とは一応区別したが、意味の共通性、および清濁の明白な用例が少ないことから、「はふ(放)る」「はぶ(棄)る」を別語とすることにはなお疑問が残る。平安時代以後、四段活用「はふる」に代わって、「はふらす」「はふらかす」が下二段活用「はふる」に対する他動詞として用いられた」という。『岩波古語辞典』では「殯 ハブル」(名義抄)を挙げ、「はぶる」「はぶらかす」共に濁音とする。『集成』『新大系』は清音で読むが、『古典セレクション』は「はぶれ」と濁音で読み、「「はぶれ」は、放ち捨てる意の「はふる」(他動詞四段)の自動詞形(下二段)。野たれ死にする、の意」と注す。
【さらにえ行き着くまじき心地なむする】−副詞「さらに」打消の推量の助動詞「まじき」連体形を伴って、全然--ない、の意を表す。副詞「え」も「まじき」に係って不可能の意を表す。係助詞「なむ」サ変動詞「する」連体形に係る、係り結びの法則、強調の意を表す。

【我がはかばかしくは】−以下「たてまつるべきかは」まで、惟光の反省と後悔。形容詞「はかばかしく」未然形+係助詞「は」順接の仮定条件を表す。自分がしっかりしていたら。
【さのたまふとも】−主語は源氏。「さ」は「今一度かの亡骸を」さす。接続助詞「とも」逆接の仮定条件を表す。
【率て出でたてまつるべきかは】−推量の助動詞「べき」連体形、当然の意、係助詞「かは」(疑問の係助詞「か」+係助詞「は」の連語)反語。お連れ申し上げてよいものであったか、いや、お連れ申し上げるべきではなかった、の意。
【川の水に手を洗ひて清水の観音を】−鴨川の水で手を洗い清めて、清水寺御本尊の千手観音を祈る。主語は惟光。

【君もしひて御心を起こして】−係助詞「も」同類を表す。惟光同様に源氏の君も、の意。
【とかく助けられたまひてなむ】−惟光に助けられて。受身の助動詞「られ」連用形。係助詞「なむ」、過去の助動詞「ける」連体形に係る、係結びの法則。

【夜深き御歩き】−「夜深し」は明け方から見て夜が深いの意。夕方から見た場合は「夜更く」と表現する。
【見苦しきわざかな】−以下「たどり歩きたまふらむ」まで、二条院の女房たちのささやき。終助詞「かな」詠嘆を表す。
【御忍び歩きの】−格助詞「の」主格を表す。
【昨日の御気色の】−「昨日の」の格助詞「の」は連体修飾語、「御気色の」の格助詞「の」は主語を表す。
【いと悩ましう思したりしに】−完了の助動詞「たらい」連用形、存続の意。過去の助動詞「し」連体形。接続助詞「に」逆接の意。文は下に続いていると解せるが、女房たちが「嘆きあへり」という場面なので、複数の会話としてとらえて、句点とした。
【いかでかくたどり歩きたまふらむ】−推量の助動詞「らむ」終止形、原因推量の意。どうしてこのようにうろうろお出歩きなさるのでしょうかの意。

【二三日になりぬるに】−完了の助動詞「ぬる」連体形、完了の意。接続助詞「に」順接の確定条件。寝込んでから二、三日になってしまったので。源氏は、十五日の夜、夕顔の家で一夜を共にした。十六日の早朝、某の院に連れ出し、その日の夜の宵過ぎに物の怪に襲われて夕顔頓死。十七日朝、いったん二条院に帰り、いろいろと見舞いを受けた後、日が暮れて、夕顔の亡骸に会いに行き、その夜火葬に付して、十八日朝、鳥辺野から帰ってきた。それ以来すっかり寝込んでしまっている。
【修法】−大島本「すほう」と表記し、「法<ワウ>トヨム」と注記する。「ス」は「シュ」の直音化。「シュホフ」(色葉字類抄)。「しゅほふ」と清音で読む。『新大系』は清音で読むが、『集成』『古典セレクション』は「ずほふ」と濁音で読んでいる。
【ゆゆしき御ありさま】−不吉なまでに美し過ぎるご様子。
【世に長くおはしますまじきにや】−世の人々の噂。「おはします」は、「神仏、上皇、皇族、皇族待遇の人の動作にいう。オハシより一層高い尊敬の意を表わす」(岩波古語辞典)。打消推量の助動詞「まじき」連体形、断定の助動詞「に」連用形、係助詞「や」疑問を表す。

【かの右近を召し寄せて】−その後、右近が二条院に入ったことがわかる。
【さぶらはせたまふ】−使役の助動詞「せ」連用形、尊敬の補助動詞「たまふ」終止形。右近に部屋を与えて、源氏付きの女房として仕えさせる、意。
【惟光心地も騒ぎ惑へど思ひのどめて】−惟光は主人の源氏の大変な病気衰弱ということで気が気でないが、気を落ち着けて、という意。
【この人のたづきなしと思ひたるを】−右近が主人の夕顔を亡くして心細く思っているのを。格助詞「を」目的格を表す。

【召し出でて使ひなどすれば】−源氏は右近を呼び出して女房として召し使ったりなどしたので。
【服いと黒くして】−右近の喪服姿をいう。主人の服喪なので特に黒色を着用。なお『集成』『古典セレクション』は諸本に従って「黒う」と校訂するが、『新大系』は底本のまま「黒く」とする。
【かたはに見苦しからぬ若人】−右近は夕顔の乳母子らしいので、年齢も同じか少し上であろう。

【あやしう】−以下「口惜しくもあるべきかな」まで、源氏の詞。
【あるまじきなめり】−打消推量の助動詞「まじき」連体形、「なめり」は断定の助動詞「なる」連体形の「る」が撥音便化しさらに無表記形+推量の助動詞「めり」終止形、主観的推量の意。生きていられないような気がする。
【心細く思ふらむ慰めにも】−推量の助動詞「らむ」連体形、視界外推量の意。源氏が右近の心中を想像するニュアンス。
【もしながらへばよろづに育まむ】−源氏が夕顔を。ハ行下二「ながらへ」未然形+接続助詞「ば」は順接の仮定条件を表す。推量の助動詞「む」終止形、意志。もし生き長らえることができたらいろいろと世話をしよう。
【とこそ思ひしか】−係助詞「こそ」過去の助動詞「しか」已然形、係結びの逆接用法。読点で下文に続く。と思っていたが、の意。
【ほどなくまたたち添ひぬべきが】−大島本「ほとなく」とある。『集成』『古典セレクション』は諸本に従って「ほどもなく」と「も」を補う。『新大系』は底本のまま。「たち添ふ」とは夕顔の後を追う意。完了の助動詞「ぬ」終止形、確述、推量の助動詞「べき」連体形、推量の意。格助詞「が」動作の対象を表す。後を追ってしまいそうだ。
【口惜しくもあるべきかな】−係助詞「も」強調。推量の助動詞「べき」連体形、当然の意。終助詞「かな」詠嘆の意。

【弱げに泣きたまへば】−尊敬の補助動詞「たまへ」已然形+接続助詞「ば」順接の確定条件を表す。主語は源氏。
【言ふかひなきことをばおきて】−言ってもはじまらないこと。すなわち、夕顔の死をさす。主語は右近に移る。連語「をば」(格助詞「を」+係助詞「は」の濁音化)動作の対象を特に取り立てて強調。
【思ひきこゆ】−右近が源氏を、お思い申し上げる。

【殿のうちの人】−源氏の二条院の人々。女房や家人たち。
【雨の脚よりもけにしげし】−係助詞「も」強調。副詞「けに(異)」はいっそう、いよいよ、の意。
【思し嘆きおはしますを聞きたまふに】−「思し嘆き」の主語は帝。「思し」は「思ふ」の尊敬語。「おはします」は「おはす」よりさらに一段高い敬語表現。二重敬語、お嘆きあそばしていらっしゃるのを、の意。「聞きたまふ」の主語は源氏。接続助詞「に」順接。
【せめて強く思しなる】−主語は源氏。
【大殿も経営したまひて】−大島本に「ヲホイトノトモヲホトノトモヨム」と注記する。源氏の舅の左大臣家。「経営」は結婚や饗応、葬送などの行事のために奔走すること。ここでは病気平癒のために奔走して世話を焼くこと。
【日々に渡りたまひつつ】−接続助詞「つつ」同じ動作の繰り返し。毎日毎日繰り返し二条院にお越しになっては、の意。
【さまざまのこと】−「こと」は加持祈祷の類をいう。
【せさせたまふしるしにや】−使役の助動詞「させ」連用形、尊敬の補助動詞「たまふ」連体形、名詞「しるし」に係る。断定の助動詞「に」連用形、係助詞「や」疑問の意。左大臣が僧をしてさせなさる、そのかいあってか。
【二十余日】−底本の大島本には「廿よ日」とある。音訓混ぜずに音読みして「にじゅうよにち」と読んでおく。病気の期間。
【わづらひたまひつれど】−大島本「わつらひ給つれと」とある。「つ」は「へ」とも紛らわしい字体である。『集成』『新大系』は「つ」と読み、『古典セレクション』は「へ」と読んでいる。

【穢らひ忌みたまひしも一つに満ちぬる夜なれば】−死穢の謹慎期間の忌明けと病気回復の時期が同時になったの意。夕顔の死は、八月十六日の夜、それから三十日忌中となる。今は、九月十五、六日ころ。
【おぼつかながらせたまふ御心わりなくて】−尊敬の助動詞「せ」連用形、尊敬の補助動詞「たまふ」連体形、最高敬語。帝が。「わりなくて」と思う主体は源氏。
【内裏の御宿直所】−源氏は淑景舎(桐壺)を宿直所とする。
【迎へたてまつりたまひて】−左大臣は参内した源氏を自邸に迎える。
【慎ませたてまつりたまふ】−使役の助動詞「せ」連用形、謙譲の補助動詞「たてまつり」連用形、左大臣の源氏に対する敬意、尊敬の補助動詞「たまふ」終止形、左大臣に対する敬意。左大臣は自邸で源氏をして慎みをさせ申し上げなさるというニュアンス。

 [第七段 忌み明ける]

【九月二十日のほどにぞ】−忌明けからさらに数日経過して、九月二十日ころ。季節は晩秋のころとなる。係助詞「ぞ」は「おこたり果てたまひ」に係るが、下文に続き、結びの流れとなっている。
【御物の怪なめり】−「なめり」は断定の助動詞「なる」連体形の「る」が撥音便化しさらに無表記の形+推量の助動詞「めり」終止形、主観的推量を表す。源氏の身近で見ている女房のひそひそ声。

【右近を召し出でて】−主語は源氏。

【なほいとなむあやしき】−以下「つらかりし」まで、源氏の詞。係助詞「なむ」は「あやしき」連体形に係る、係結びの法則、強調のニュアンス。
【知られじ】−主語は夕顔。受身の助動詞「れ」連用形、打消推量の助動詞「じ」終止形、意志の打消し。誰とも知られまいの意。
【隠いたまへりしぞ】−「隠い」は「隠し」のイ音便形。尊敬の補助動詞「たまへ」已然形、完了の助動詞「り」連用形、過去の助動詞「し」連体形、係助詞「ぞ」文末にあって文全体を強調。
【海人の子なりとも】−前に夕顔の返事「海人の子なれば」とあったのをさす。断定の助動詞「なり」終止形、接続助詞「とも」既定の事態を仮定条件として下文に続ける。
【さばかりに思ふを知らで】−「思ふ」は源氏が愛する意。「知らで」は夕顔が理解しないで、の意。接続助詞「で」活用語の未然形に接続して打消の意を表す。
【隔てたまひしかばなむ】−尊敬の補助動詞「たまひ」連用形。過去の助動詞「しか」已然形+接続助詞「ば」順接の確定条件を表す。係助詞「なむ」は「つらかりし」の過去の助動詞「し」連体形に係る、係結びの法則。

【などてか】−以下「思したりし」まで、右近の返事。「などてか」の主語は夕顔。「--はべらむ」反語表現の構文。
【いつのほどにてかは】−知り合って日も浅いのに、いつの機会に、の意。係助詞「か」疑問の意、係助詞「は」取り立てて強調するニュアンス。
【聞こえたまはむ】−推量の助動詞「む」連体形、「いつのほどにてかは」「たまはむ」連体形の係結び。反語表現。「などてか」の文と並列される。
【現ともおぼえずなむある】−夕顔の言を右近が代弁する。
【御名隠しもさばかりにこそは】−夕顔の言を右近が代弁する。下に「おはすらめ」などの語句が省略された形。「さばかり」の「さ」は源氏をさす。おおかた源氏の君でいらっしゃるからにちがいなかろう、という意。はっきり明言はしないのが当時の作法。
【聞こえたまひながら】−主語は夕顔。「聞こえ」は、夕顔の源氏に対する敬語。接続助詞「ながら」逆接を表す。
【なほざりにこそ紛らはしたまふらめ】−夕顔の言を右近が代弁する。主語は源氏。係助詞「こそ」推量の助動詞「らめ」已然形、原因推量の意、の係結び。源氏の心中を推量するニュアンス。
【思したりし】−主語は夕顔。「思し」は「思ふ」の尊敬語、完了の助動詞「たり」連体形、存続。過去の助動詞「し」連体形、係助詞「なむ」との係結び。身近に見てきた体験として語るニュアンス。

【あいなかりける心比べどもかな】−以下「心のうちにも思はむ」まで、源氏の詞。
【我はしか隔つる心もなかりき】−副詞「しか」そのように、の意。「なほざりにこそ紛らはしたまふらめ」を受ける。係助詞「も」強調を表す。過去の助動詞「き」終止形、自己の体験。
【まだ慣らはぬことなる】−断定の助動詞「なる」連体形は、係助詞「なむ」の係結び。
【内裏に諌めのたまはするをはじめ】−帝をさす。源氏は右近を前にして父帝を「内裏」と言っている。
【はかなく人にたはぶれごとを言ふも】−接続助詞「も」逆接の仮定条件を表す。
【取りなしうるさき身のありさまになむあるを】−係助詞「なむ」、「ある」連体形、係結の法則。接続助詞「を」順接を表す。--ので。「あながちに見たてまつりしも」に係る。
【はかなかりし夕べより】−「夕顔」巻冒頭の出会いをさす。
【見たてまつりしも】−主語は源氏。謙譲の補助動詞「たてまつり」連用形は源氏の夕顔に対する敬語。過去の助動詞「し」連体形、自らの体験をいうニュアンス。
【ものしたまひけめ】−尊敬の補助動詞「たまひ」連用形は夕顔に対する敬語。係助詞「こそ」過去推量の助動詞「けめ」已然形の係結び。おありだったのだろうの意。
【と思ふもあはれになむ】−係助詞「も」強調を表す。係助詞「なむ」、下に「ある」などの語句が省略された形。最後まで言い切らない、余情及び悲しみの深さを表す。
【かう長かるまじきにては】−打消推量の助動詞「まじき」連体形、断定の助動詞「に」連用形、連語「ては」(接続助詞「て」+係助詞「は」)特に取り立てて提示する。上の事実が実現した場合、確定的事実、恒常的事実、仮定的事実の三通りがある。『今泉訳』は「かう永くつづきさうもない御縁だつたのに」と確定的事実に、『古典セレクション』は「こうして長続きするはずのなかった縁だったにしては」と仮定的事実に訳す。
【などさしも心に染みてあはれとおぼえたまひけむ】−「心に染みて」「あはれと」思う人は源氏だが、尊敬の補助動詞「たまひ」連用形はその思われた人、夕顔に対する敬語。過去推量の助動詞「けむ」終止形。『今泉訳』「どうしてあれ程奥底からかはいくお思はれになつたのだらう」と訳す。しかし「心に染みて」以下を夕顔を主語とする節もある。『古典セレクション』は「どうしてあの人はあんなにも胸にしみて、いとしく思われなさったのだろう」と訳す。
【今は何ごとを隠すべきぞ】−推量の助動詞「ぞ」連体形、係助詞「ぞ」文の終わりにあって文全体を強調。
【七日七日に仏描かせても】−七日毎の法事をいう。三十日の忌明け過ぎは、五七日、六七日、七七日をさす。使役の助動詞「せ」連用形、絵師をして仏画を描かせる意。

【なにか隔てきこえさせはべらむ】−以下「御覧ぜられたてまつりたまふめりし」まで、右近の返事。連語「なにか」(代名詞「なに」+係助詞「か」)強い反語を表す。「きこえさせ」は補助動詞的用法、「きこゆ」よりも一段と深い謙譲表現。推量の助動詞「む」連体形、係結びの法則。
【自ら忍び過ぐしたまひしことを】−主語は夕顔。過去の助動詞「し」連体形、以下、右近が身近で見てきたニュアンスで語る。
【口さがなくやは】−「言ひ漏らさむは」などの語句が省略。また係助詞「やは」の下に「はべらむ」連体形などの語句が省略されている。
【と思うたまふばかりになむ】−「思う」は「思ひ」がウ音便化した形。謙譲の補助動詞「たまふ」下二段、終止形。断定の助動詞「に」連用形、係助詞「なむ」。下に「はべる」連体形などの語が省略された形。

【三位中将】−「三位」は上達部に入る。夕顔は上の品の出身ということになる。
【いとらうたきものに思ひきこえたまへりしかど】−父親の三位中将が娘の夕顔を。謙譲の補助動詞「きこえ」連用形、父親の娘に対する敬意。尊敬の補助動詞「たまへ」已然形、右近の三位中将に対する敬意。完了の助動詞「り」連用形、過去の助動詞「しか」已然形+接続助詞「ど」逆接の確定条件を表す。
【我が身のほどの】−父三位中将ご自身の出世。
【思すめりしに】−「思す」は「思ふ」の尊敬語、三位中将に対する敬語。推量の助動詞「めり」連用形、視界内推量。右近が側で見てきたニュアンス。過去の助動詞「し」連体形、接続助詞「に」弱い順接を表す。右近の観察として語る。
【命さへ】−副助詞「さへ」は「我が身のほどの心もとなさ」の上に、「命」(寿命)まで「堪へたまはず」というニュアンス。
【頭中将】−左大臣家の嫡男。右大臣家の四の君の婿君。また、葵の上の兄。源氏の従兄弟で義兄弟。以上が右近の承知しているところであろう。
【見初めたてまつらせたまひて】−謙譲の補助動詞「たてまつら」未然形は夕顔を敬った表現、尊敬の助動詞「せ」連用形、尊敬の補助動詞「たまひ」連用形は二重敬語、頭中将を敬った表現。会話文中の通例。お通い申し上げあそばすようになって、の意。
【去年の秋ごろかの右の大殿より】−「帚木」巻の雨夜の品定めの頭中将の話と符合する。
【聞こえ参で来しに】−「参(ま)で」は「まゐりいで」が縮まった形。過去の助動詞「し」連体形、接続助詞「に」順接、原因理由を表す。
【物怖ぢをわりなくしたまひし御心に】−夕顔の性質を語る挿入句。
【せむかたなく思し怖ぢて】−主語は夕顔に移る。
【西の京に御乳母住みはべる所に】−朱雀大路を境にして西側。右京。西の京は、当時寂しい所であった。「御」とあるので、夕顔のもう一人の乳母をさす。
【はひ隠れたまへりし】−完了の助動詞「り」連用形、存続の意。過去の助動詞「し」連体形、係助詞「なむ」との係結びの法則。こっそりと隠れていらっしゃった。
【それもいと見苦しきに】−接続助詞「に」順接、原因理由を表す。
【山里に移ろひなむと】−ハ四段「移ろひ」連用形+完了の助動詞「な」未然形、確述+推量の助動詞「む」終止形、意志の意。引っ越してしまおうというニュアンス意。
【今年より塞がりける方に】−今年から方角が悪くなった。『完訳』は「三年塞がり・大塞がり」と注す。
【違ふとて】−方違えをしようとしての意。
【あやしき所に】−五条の夕顔の宿をさす。
【見あらはされたてまつりぬること】−受身の助動詞「され」連用形、謙譲の補助動詞「たてまつり」連用形、夕顔を敬った表現、完了の助動詞「ぬる」連体形、完了の意。あなた様から発見申されてしまった、の意。夕顔の言を代わって右近がいう。
【思し嘆くめりし】−主語は夕顔。推量の助動詞「めり」連用形、主観的推量を表す。過去の助動詞「し」連体形、連体中止法、余情表現。身近で見てきたというニュアンス。
【人に物思ふ気色を見えむを】−ヤ下二段「見え」未然形、見られる意。推量の助動詞「む」連体形、婉曲を表す。
【御覧ぜられたてまつりたまふめりしか】−一語一語見れば、「御覧ぜ」未然形は「見る」の尊敬語で、その動作の主体者源氏を敬った表現。受身の助動詞「られ」連用形は、「御覧になられる」人すなわち夕顔。謙譲の補助動詞「たてまつり」連用形は、夕顔を謙らせて源氏を敬った表現であろう。とすると、夕顔が源氏に「御覧ぜられ」「たてまつり」「たまふ」ということで、「御覧ぜらる」全体の主体者は夕顔ということになる。尊敬の補助動詞「たまふ」終止形は、「たてまつる」人すなわち夕顔を敬った表現。推量の助動詞「めり」連用形、主観的推量、過去の助動詞「しか」已然形。係助詞「こそ」が無くて已全然形止めは異例。『今泉訳』は「あなた様にも何気ない風を装つて御覧になつておいただきの御様子に見えました」と訳す。『古典セレクション』では「たださりげないふうにして、お目にかかっていらっしゃるようでございました」と訳す。右近の見聞きした体験として語る。

【と語り出づるに】−「語り出づる」連体形+接続助詞「に」順接を表す。
【さればよ】−源氏の心。連語「さればよ」(感動詞「されば」+間投助詞「よ」)予想が適中した気持ちを「表す。頭中将が雨夜の品定めで語った「常夏の女」と同人かと思い当たる。

【幼き人惑はしたりと中将の愁へしはさる人や】−源氏の問い。娘のことを尋ねる。完了の助動詞「たり」終止形。「中将」は頭中将。過去の助動詞「し」連体形、係助詞「は」取り立てて強調のニュアンス。連体詞「さる」。係助詞「や」の下に「ありし」連体形などの語句が省略。

【しか】−以下「いとらうたげになむ」まで、右近の返事。副詞「しか」相手の言葉を受けて肯定して相づちをうつ。
【一昨年の春ぞものしたまへりし】−「ものし」は生まれるの意。尊敬の補助動詞「たまへ」已然形、完了の助動詞「り」連用形、完了の意、過去の助動詞「し」連体形、係助詞「ぞ」の係り結び。一昨年の春に生まれたという。
【女にていとらうたげになむ】−後の玉鬘。数え年三歳。係助詞「なむ」の下に「はべりし」連体形などの語句が省略。

【さていづこにぞ】−以下「うれしかるべくなむ」まで、源氏の問い。接続詞「さて」そして、それで、の意。係助詞「ぞ」の下に「ものする」連体形などの語が省略。
【いとうれしかるべくなむ】−推量の助動詞「べく」連用形、当然の意。係助詞「なむ」の下に「思ふ」連体形などの語が省略。
【かの中将にも】−以下「ものせよかし」まで、続けて源氏の詞。頭中将をさしていう。
【伝ふべけれど】−推量の助動詞「べけれ」已然形、当然の意。接続助詞「ど」逆接を表す。伝えるべきだが、の意。
【かこと負ひなむ】−ハ四動詞「負ひ」連用形+完了の助動詞「な」未然形、確述の意。推量の助動詞「む」連体形。きっと負うことになろう。「かこと」は「カコト」[Cacoto]「カゴト」[Cagoto](日葡辞書)両方ある。『集成』『新大系』は「かこと」と清音で読む。『古典セレクション』は「かごと」と濁音で読んでいる。
【育まむに咎あるまじきを】−推量の助動詞「む」連体形、婉曲の意。接続助詞「に」順接を表す。間投助詞「を」詠嘆の意。
【そのあらむ乳母など】−玉鬘の乳母。

【さらばいとうれしくなむはべるべき】−以下「かしこに」まで、右近の返事。接続詞「さらば」そうであるならば。係助詞「なむ」は推量の助動詞「べき」連体形、当然の意に係る、係結びの法則。
【生ひ出でたまはむは心苦しくなむ】−主語は夕顔の娘。推量の助動詞「む」連体形、婉曲の意。お育ちなさるようなことはのニュアンス。係助詞「なむ」の下には「はべるべき」連体形などの語句が省略。
【はかばかしく扱ふ人なしとて】−五条の家ではしっかりした養育者もいないということで、の意。
【かしこに】−西の京の乳母の家をさしていう。
【など】−大島本と御物本は「なと」とある。横山本は「なん〔ん−補入〕と」、他は「なんと」とある。『集成』『古典セレクション』は「なむと」と改める。『新大系』は「など」のまま。

【夕暮の静かなるに空の気色もいとあはれに御前の前栽枯れ枯れに虫の音も鳴きかれて紅葉のやうやう色づくほど】−晩秋の物寂しい様子。源氏、右近の心象風景となって語られる。景情一致の描写。人を亡くした悲しみや寂しさ、それと時の推移が風景描写に象徴的に語られている。
【見わたして】−主語は右近。
【心よりほかにをかしき交じらひかな】−右近の感慨。
【かの夕顔の宿りを思ひ出づるも恥づかし】−作者は夕顔のいた五条の家を「夕顔の宿り」と名付けている。
【恥づかし】−右近と語り手が一体となった感想。
【聞きたまひて】−主語は源氏。
【かのありし院に】−某の院をさす。
【この鳥の鳴きしを】−家鳩をさす。某の院では梟の鳴き声が語られていたが、家鳩が鳴いたという描写はない。『古典セレクション』では「昼間その声がしたのであろう」と注す。
【いと恐ろしと思ひたりしさまの】−主語は夕顔。完了の助動詞「たり」連用形、存続の意。過去の助動詞「し」連体形。この描写もない。新たに付加したもの。
【面影にらうたく思し出でらるれば】−大島本「おほしいてらるれハ」とある。『集成』『古典セレクション』は諸本に従って「思ほし出でらるれば」と校訂する。『新大系』は底本のまま。『古典セレクション』は「夕顔が幻となって。実体のないものが目に見えることを、「面影に見ゆ」などという」と注す。ここは下に「思し出でらる」とあるので、まぶたに思い浮かぶぐらいの意であろう。自発の助動詞「るれ」已然形+接続助詞「ば」順接の確定条件を表す。

【年はいくつにかものしたまひし】−以下「なりけり」まで、源氏の問い。夕顔の年齢を尋ねる。係助詞「か」は、過去の助動詞「し」連体形に係る、係結びの法則。
【かく長かるまじくてなりけり】−接続助詞「て」。このように長生きできなくて、そういうわけだったのだね、というニュアンス。「なりけり」の前に副詞「さ」などの語が省略されたものか。

【十九にやなりたまひけむ】−以下「年ごろならひはべりけること」まで、右近の返事。夕顔は十九歳であったろうかと答える。断定の助動詞「に」連用形、係助詞「や」疑問の意は、過去推量の助動詞「けむ」連体形に係る、係結びの法則。
【右近は】−目上の人の前では自分の呼称は、例えば「右近」と名乗るのが作法であった。
【亡くなりにける御乳母の捨て置きてはべりければ】−右近の母をさしていう。「亡くなり」は死ぬの意。完了の助動詞「に」連用形、完了の意。過去の助動詞「ける」連体形。「御乳母」とは夕顔の乳母という意味で敬語が使われている。「捨て置き」は後に遺すの意。丁寧の補助動詞「はべり」連用形、過去の助動詞「けれ」已然形+接続助詞「ば」順接の確定条件を表す。丁寧語が使われ尊敬語でないところに自分の母親である関係がうかがえる。右近の母親、夕顔の乳母は早く亡くなってしまったが、右近はそのまま乳母子として夕顔に仕え、一緒に育って来たという経緯がわかる。
【三位の君の】−右近は夕顔の父親を「三位の君」と呼んでいる。
【らうたがりたまひて】−右近を。
【かの御あたり去らず】−夕顔の側をさしていう。
【思ひたまへ出づれば】−ハ四動詞「思ひ」連用形、謙譲の補助動詞「たまへ」連用形。「出づれ」已然形+接続助詞「ば」順接を表す。
【いかでか世にはべらむずらむ】−連語「いかでか」(副詞「いかで」+係助詞「か」)、動詞「はべら」未然形、推量の助動詞「むず」終止形、意志を表す。推量の助動詞「らむ」連体形、視界外推量。どうして生きていられましょうか、生きてはいられない。なお他の青表紙本系諸本は「はへらんとすらん」とある。『集成』『古典セレクション』は「はべらんとすらん」と改める。『新大系』は底本のまま。
【いとしも人にと】−『源氏釈』に「思ふとていとしも人にむつれけむしかならひてぞ見ねば恋しき」(出典未詳)を指摘する。『拾遺集』には「思ふとていとこそ人に馴れざらめしか習ひてぞ見ねば恋しき」(恋四、九〇〇、読人しらず)の類歌がある。引歌として、『集成』は『源氏釈』所引の歌を指摘し、『古典セレクション』では『拾遺抄』巻第八、恋下、三二六、読人知らず歌を指摘する。『拾遺抄』歌が『源氏釈』所引歌と一致する。
【悔しくなむ】−係助詞「なむ」の下に「思ひたまふる」連体形などの語句が省略。

【はかなびたるこそは】−以下「おぼゆべき」まで、源氏の詞。源氏の女性論が語られる。係助詞「こそ」は「らうたけれ」已然形に係る、係結びの法則。強調を表す。
【自らはかばかしくすくよかならぬ心ならひに】−自分自身、すなわち、源氏自身をさしていう。「心ならひに」まで挿入句。
【人に欺かれぬべきが】−受身の助動詞「れ」連用形、完了の助動詞「ぬ」終止形、確述を表す。推量の助動詞「べき」連体形、推当然の意。格助詞「が」主格を表す。男にだまされてしまいそうなのが、の意。
【見む人の心には従はむなむ】−「見」未然形、推量の助動詞「む」連体形、婉曲の意。結婚相手すなわち夫をいう。「従は」未然形、推量の助動詞「む」連体形、婉曲の意。係助詞「なむ」は「おぼゆべき」連体形に係る、係結びの法則。

【この方の御好みには】−以下「はべるわざかな」まで、右近の詞。「この方」は源氏をさす。
【もて離れたまはざりけり】−主語は夕顔。外れていらっしゃらなかった、の意。
【と思ひたまふるにも】−謙譲の補助動詞「たまふる」連体形。

【空のうち曇りて風冷やかなるにいといたく眺めたまひて】−晩秋の天候描写は、源氏と右近の心象風景でもある。「風冷やかなるに」の「に」は格助詞、時間を表す。

【見し人の煙を雲と眺むれば夕べの空もむつましきかな】−源氏の独詠歌。夕顔を偲ぶ歌。「見し人」は夕顔をさす。火葬の煙を雲に見立てる。『岷江入楚』は「見し人の煙となりし夕べより名もむつましき塩釜の浦」(紫式部集)を指摘する。また『源注余滴』は「見し人の雲となりにし空なれば降る雪さへも珍しきかな」(斎宮集)を指摘する。

【えさし答へも聞こえず】−主語は右近。副詞「え」は打消の助動詞「ず」と呼応して不可能の意を表す。
【かやうにておはせましかば】−夕顔が。推量の助動詞「ましか」未然形、反実仮想を表す+接続助詞「ば」、下に「うれしからまし」などの語句が省略。反実仮想の構文。右近の心。「かやうにて」は源氏と夕顔が二人並んでいる様を仮想する。
【耳かしかましかりし砧の音を】−「白妙の衣うつ砧の音も、かすかにこなたかなた聞きわたされ」(第四章二段)とあった。「かしかましか」ったのは「ごほごほと、鳴る神よりも、おどろおどろしく踏み轟かす唐臼の音」(同)であった。第三音は清音。近世以降「かしがまし」と濁音化した。『集成』『新大系』は清音に読むが、『古典セレクション』は「かしがまし」と濁音に読んでいる。
【思し出づるさへ恋しくて】−副助詞「さへ」一つを挙げて他を類推させる意。思い出すだけでも夕顔のことが恋しく思われるので。
【正に長き夜】−『白氏文集』巻十九の「八月九月正に長き夜 千声万声了む時なし」(聞夜砧)の詩句。

 

第五章 空蝉の物語(2)

 [第一段 紀伊守邸の女たちと和歌の贈答]

【かの伊予の家の小君参る折あれど】−物語は「空蝉の物語」に変わる。「伊予の家の小君」、すなわち伊予介の妻空蝉の弟小君のこと。源氏のもとに「参る」。こう語り出す。
【ことにありしやうなる事伝てもしたまはねば】−主語は源氏。
【憂しと思し果てにけるをいとほしと思ふに】−「憂しと思し果てにける」の主語は源氏。「いとほしと思ふ」の主語は空蝉。自分自身に対して、つらいと思う意。「思ふに」の「に」は格助詞。時間を表す。思っていた折柄。
【かくわづらひたまふを聞きて】−「わづらひたまふ」の主語は源氏。病気であることをさす。「聞きて」の主語は空蝉。
【嘆き】−御物本、横山本、榊原家本、池田本は「なき」とある。大島本、肖柏本、三条西家本、書陵部本は「なけき」とある。なお、河内本は「なき」とあり、別本の陽明文庫本は「なけき」とある。『古典セレクション』は諸本に従って「泣き」と校訂する。『集成』『新大系』は底本のまま「嘆き」とする。
【遠く下りなどするを】−前に「娘をばさるべき人に預けて、北の方をば率て下りぬべし」(第二章)とあったことを受ける。夫の伊予介は空蝉を伴って任国に下る。以下、空蝉をの心を視点にして語る。
【下りなど】−大島本のみ「くたりなと」とある。副助詞「など」婉曲のニュアンスを添える。他は「くたりなむと」とある。『集成』『古典セレクション』共に本文を「なむと」と改める。『新大系』は底本のまま。完了の助動詞「な」未然形、確述の意、推量の助動詞「む」終止形、意志の意。
【思し忘れぬるか】−完了の助動詞「ぬる」連体形、源氏の君はわたしのことをお忘れになってしまっただろうか、の意。空蝉の心。

【承り悩むを】−以下「まことになむ」まで、空蝉の手紙文。「悩むを」「承り」と倒置されたような文であるが、「承り」の前に「御病気と」などの内容が省略され、「悩むを」案じておりますが、と後から具体的に書いた文と考えられる。
【えこそ】−副詞「え」は打消しの語句と呼応して不可能の意を表す。係助詞「こそ」の下に「問はね」已然形などの語句が続くところを、次の和歌に続かせた文脈。

【問はぬをもなどかと問はでほどふるにいかばかりかは思ひ乱るる】−空蝉の贈歌。「問はぬ」の主語は空蝉、「などかと問はぬ」の主語は源氏、「いかばかりかは思ひ乱るる」の主語は再び空蝉。
【益田はまことになむ】−空蝉の和歌に添えた文句。『源氏釈』は「ねぬなはの苦しかるらむ人よりもわれも益田の生けるかひなき」(拾遺集、恋四、八九四、読人しらず)を指摘。「生けるかひなき」(生きている甲斐がない)を言おうとする。

【めづらしきに】−主語は源氏に転じる。久しぶりでうれしい気持ち。

【生けるかひなきや】−以下「はかなしや」まで、源氏の返信。引歌「ねぬなはの」の文句「生けるかひなき」を引用して言う。
【誰が言はましことか】−推量の助動詞「まし」連体形、反実仮想を表す。誰の言う言葉でしょうか、あなたではなく、わたしが言いたい言葉です、の意。『新大系』『古典セレクション』は「言はましごと」と濁音に読み、『集成』は「言はましこと」と清音に読む。

【空蝉の世は憂きものと知りにしをまた言の葉にかかる命よ】−源氏の返歌。「空蝉の」は「世」の枕詞。また空蝉が脱ぎ置いていった薄衣をさし、「世」は源氏と空蝉との男女の仲。完了の助動詞「に」連用形、過去の助動詞「し」連体形+接続助詞「を」逆接を表す。
【はかなしや】−源氏の返歌に添えた文句。

【御手もうちわななかるるに】−自発の助動詞「るる」連体形+接続助詞「に」順接、原因理由を表す。
【なほかのもぬけを】−主語は空蝉。脱ぎ捨てた小袿をさす。
【いとほしうもをかしうも】−主語は空蝉。「いとほし」は源氏に対する気の毒なという同情の感情、「をかし」は源氏から今でも思われていることに心ときめかす感情。

【言ふかひなからずは見えたてまつりてやみなむ】−空蝉の心。『集成』は「木石のような女だと思われてしまいたくない」と解す。「やみ」連用形+完了の助動詞「な」未然形、推量の助動詞「む」終止形、意志を表す。

【かの片つ方は】−軒端荻をいう。
【蔵人少将をなむ通はす】−系図不詳の人。軒端荻は蔵人少将と結婚。係助詞「なむ」は「通はす」連体形に係る、係結びの法則。
【あやしやいかに思ふらむ】−源氏の心。源氏が蔵人少将の心中を推測している文。間投助詞「や」詠嘆の意。「あやしや」は源氏の心とも、また蔵人少将の心ともとれる。「いかに思ふらむ」の主語は蔵人少将。推量の助動詞「らむ」連体形、視界外推量。『新大系』は「女が心を通わせているらしい別の男がいる、と疑う少将の心を推し量る」と注す。『古典セレクション』では「軒端荻が意外にも処女ではなかったことを知って変だと思うだろう、の意」と注す。
【かの人の気色も】−軒端荻をさす。
【死に返り思ふ心は知りたまへりや】−源氏の消息。その主旨。係助詞「や」疑問の意。

【ほのかにも軒端の荻を結ばずは露のかことを何にかけまし】−源氏の贈歌。「荻を結ぶ」は契りを結ぶの象徴表現。「結ぶ」「掛く」は「露」の縁語。打消の助動詞「ず」連用形+係助詞「は」仮定条件を表す。カ下二「かけ」未然形+仮想の助動詞「まし」終止形。
【かこと】−『集成』『新大系』は「かこと」と清音で読む。『岩波古語辞典』は「かこと」、『小学館古語大辞典』は「かごと」を見出語とする。『日葡辞書』にも両方の表記がある。『古典セレクション』は「かごと」と濁音に読む。

【取り過ちて】−以下「罪ゆるしてむ」まで、源氏の心。
【我なりけりと思ひあはせば】−「我」は源氏をさす。「思ひあはせ」未然形+接続助詞「ば」順接の仮定条件を表す。
【さりとも罪ゆるしてむ】−接続詞「さりとも」逆接を表す。いくらなんでも、そうはいっても。完了の助動詞「て」未然形、確述+推量の助動詞「む」終止形、当然の意。きっと許すことだろうというニュアンス。
【御心おごりぞあいなかりける】−『岷江入楚』所引「三光院実枝説」は「草子地なり」と指摘。語り手の源氏の態度に対する評言。係助詞「ぞ」過去の助動詞「ける」連体形、係結びの法則。強調のニュアンス。

【心憂しと思へど】−主語は軒端荻。
【かく思し出でたるもさすがにて】−「思し出でたる」の主語は源氏。副詞「さすが」、それでも、やはり、の意。断定の助動詞「に」連用形+接続助詞「て」。その間に形容詞「うれしく」連用形などの語が省略。
【かこと】−『集成』『新大系』は「かこと」と清音で読む。『岩波古語辞典』は「かこと」、『小学館古語大辞典』は「かごと」を見出語とする。『日葡辞書』にも両方の表記がある。『古典セレクション』は「かごと」と濁音に読む。

【ほのめかす風につけても下荻の半ばは霜にむすぼほれつつ】−軒端荻の返歌。源氏の贈歌の語句を「ほのかにも」を「ほのめかす」に、「軒端荻の」を「下荻」に、「露」を「霜」に、「結ぶ」は「結ぼほる」と巧みに少しずつ変えて返す。「風」と「荻」、「霜」と「結ぼほる」は縁語。源氏の便りを「風」に、自分を「下荻」に喩える。

【手は悪しげなるを】−「手」は筆跡。格助詞「を」目的格を表す。
【品なし】−語り手の軒端荻の筆跡に対する評言。
【思し出でらる】−「らる」自発の助動詞。
【うちとけで】−以下「誇りたりしよ」まで、源氏の心。空蝉と軒端荻の人柄を比較する。カ下二「うちとけ」連用形+接続助詞「で」打消の意。
【向ひゐたる人】−空蝉をさす。
【え疎み果つまじきさまもしたりしかな】−副詞「え」打消推量の助動詞「まじき」連体形と呼応して不可能の意を表す。過去の助動詞「し」連体形+終助詞「かな」詠嘆。自己の体験。
【何の心ばせありげもなく】−軒端荻についていう。
【なほこりずまにまたもあだ名立ちぬべき御心のすさびなめり】−完了の助動詞「ぬ」終止形、確述+推量の助動詞「べき」連体形、当然の意。「なめり」は断定の助動詞「なる」連体形の「る」が撥音便化しさらに無表記の形+推量の助動詞「めり」終止形、主観的推量を表す。『湖月抄』は「地」(草子地)と指摘。語り手の物語の今後の展開を推測した文である。
【こりずまに】−『源氏釈』は「こりずまにまたもなき名は立ちぬべし人にくからぬ世にし住まへば」(古今集、恋三、六三一、 読人しらず)を指摘する。

 

第六章 夕顔の物語(3)

 [第一段 四十九日忌の法要]

【かの人の四十九日】−大島本に「ナヽナヌカトヨム」と注記する。故夕顔の四十九日の法事。
【比叡の法華堂にて】−比叡山延暦寺の法華三昧堂。
【装束よりはじめて】−お布施としての供物。
【さるべきものどもこまかに誦経などせさせたまひぬ】−文末を『集成』『古典セレクション』は諸本に従って「せさせたまふ」と校訂する。『新大系』は底本のままとする。しかるべきお布施の物どもを心こめて準備して読経などをおさせなさった。
【惟光が兄の阿闍梨】−この巻の冒頭に登場。

【御書の師】−源氏の御学問の先生。
【文章博士】−大島本「もんさうはかせ」と表記し、「文章博士<モンジヤウハカセ>トヨム」と注記する。御物本、池田本、肖柏本は「もんしやうはかせ」、横山本は「文章博士」と表記する。初出の人。源氏には文章博士が親しく学問の指導をしていたことがわかる。
【あはれと思ひし人のはかなきさまになりにたるを】−格助詞「の」主格を表す。完了の助動詞「に」連用形、完了の意+完了の助動詞「たる」連体形、存続の意。
【あはれげに書き出でたまへれば】−主語は源氏。その草稿をさす。尊敬の補助動詞「たまへ」已然形+完了の助動詞「れ」已然形、完了の意+接続助詞「ば」順接の確定条件を表す。『完訳』は「胸迫るように君が草案をお書き出しになると」と、その場で書いているように解す。

【ただかくながら加ふべきことはべらざめり】−文章博士の詞。ハ四段「加ふ」終止形、推量の助動詞「べき」連体形、当然の意、「ざ」は打消の助動詞「ざる」連体形の「る」が撥音便化しさらに無表記の形+推量の助動詞「めり」終止形、主観的推量の意を表す。

【いみじく思したれば】−ひどく悲しく思う。完了の助動詞「たれ」已然形、存続の意+接続助詞「ば」順接の確定条件を表す。

【何人ならむ】−以下「宿世の高さ」まで、文章博士の詞。
【かう思し嘆かすばかりなりけむ】−使役の助動詞「す」終止形+副助詞「ばかり」、断定の助動詞「なり」連用形、過去推量の助動詞「けむ」連体形、「宿世」に係る。。お嘆かせになるほどであったようなというニュアンス。

【忍びて調ぜさせたまへりける装束の袴】−使役の助動詞「させ」連用形、尊敬の補助動詞「たまへ」已然形、完了の助動詞「り」連用形、過去の助動詞「ける」連体形。お布施用の袴。

【泣く泣くも今日は我が結ふ下紐をいづれの世にかとけて見るべき】−源氏の独詠歌。「とけて」に下紐を「解いて」と心「解けて」の意を掛ける。また「見る」に「逢う」の意を掛ける。

【このほどまでは漂ふなるを】−以下「赴くらむ」まで、源氏の心。「このほど」は四十九日忌。ハ四段「漂ふ」終止形+伝聞推定の助動詞「なる」連体形+接続助詞「を」逆接を表す。
【いづれの道に定まりて赴くらむ】−六道すなわち、地獄、餓鬼、畜生、修羅、人、天の道。カ四段「赴く」終止形+推量の助動詞「らむ」終止形、視界外推量を表す。
【念誦】−『岩波古語辞典』に「心に念じ、口に仏の名号・経文などを唱えること」「念誦 ネンジュ」(色葉字類抄)とある。
【あいなく胸騒ぎて】−『完訳』は「「あいなく」は語り手の評。動じなくともよいのに、あいにくと」と注す。
【かの撫子】−夕顔の遺児、後の玉鬘。「帚木」巻で、頭中将が女の歌の中に「撫子」と詠んでよこしたという話を踏まえて、「撫子」と呼ぶ。
【聞かせまほしけれど】−使役の助動詞「せ」未然形、希望の助動詞「まほしけれ」已然形+接続助詞「ど」逆接を表す。
【かことに怖ぢて】−『集成』『新大系』は「かこと」と清音に読むが、『古典セレクション』は「かごと」と濁音に読んでいる。

【かの夕顔の宿りには】−夕顔が仮住まいしていた五条の家を「夕顔の宿り」と呼ぶ。
【そのままにえ尋ねきこえず】−副詞「え」は打消の助動詞「ず」と呼応して不可能の意を表す。謙譲の補助動詞「きこえ」未然形は間接的に夕顔を敬った表現。
【右近だに訪れねば】−副助詞「だに」は下に打消の助動詞「ね」已然形を伴って、せめてそれだけでもと思うのにそれさえない、という気持ちを表す。
【確かならねどけはひをさばかりにや】−「さばかり」を『集成』『完訳』共に「源氏」と解す。
【ささめきしかば】−過去の助動詞「しか」已然形+接続助詞「ば」順接の確定条件を表す。
【いとかけ離れ】−主語は惟光。
【もし受領の子どもの】−以下「下りにけるにや」まで、女房たちの想像。完了の助動詞「に」連用形、完了の意、過去の助動詞「ける」連体形、断定の助動詞「に」連用形、係助詞「や」疑問の意。下ってしまったのではないかという、事態が強調されるニュアンス。

【この家主人ぞ西の京の乳母の女なりける】−夕顔の宿の主人、揚名介の妻をさす。夕顔には右近の母と西の京の乳母の二人がいた。係助詞「ぞ」--「なりける」(断定の助動詞、連用形+過去の助動詞、連体形)係結びの法則。もう一人の乳母の娘が夕顔の宿の女主人であった、明かされる。
【右近は他人なりければ】−右近はもう一人の乳母の子で他人。
【思ひ隔てて】−以下「なりけり」まで、残された女房たちの嘆き。
【御ありさまを】−夕顔の様子をさす。主人にあたるので「御」という敬語が付く。
【かしかましく言ひ騒がむを思ひて】−大島本「いひさハかんを」とある。『集成』『新大系』は諸本に従って「言ひ騒がれむを」と校訂。『古典セレクション』は底本のまま。右近は他の女房や乳母子たちが非難するだろうことを思って。推量の助動詞「む」連体形、推量の意。「カシカマシイ」(和英語林集成)。『集成』『新大系』は清音に読むが、『古典セレクション』は「かしがましく」と濁音に読む。
【若君の上をだにえ聞かず】−前に「撫子」とあった玉鬘をさす。主語は右近。「上」は噂の意。副助詞「だに」最小限を表す。撫子の噂さえ聞くことができない、というニュアンス。

【夢をだに見ばや】−副助詞「だに」最小限を表す。せめて--だけでも。終助詞「ばや」自らの願望を表す。せめて夢の中でも逢いたい。
【思しわたるに】−接続助詞「に」順接を表す。
【ありし院ながら】−夕顔が亡くなった某院をさす。
【添ひたりし女のさま】−枕上に現れた女の姿。前に「御枕上にいとをかしげなる女ゐて」とあった。厳密には「添ひ」ではなく「居」である。
【荒れたりし所に住みけむ物の】−以下「かくなりぬること」まで、源氏の心。「けむ」は過去推量の助動詞。住んでいたのであろう、というニュアンス。源氏は某院の「物の怪」を荒れた邸に住みついた霊魂と考えている。
【ゆゆしくなむ】−係助詞。結びの省略。「ありける」などの語句が省略。余情を残して言いさしたかたち。

 

第七章 空蝉の物語(3)

 [第一段 空蝉、伊予国に下る]

【伊予介神無月の朔日ごろに下る】−物語は空蝉物語に転じる。十月の上旬、初冬のころになる。
【女房の下らむにとて】−北の方(空蝉)とその女房を含めた女方をさす。推量の助動詞「む」連体形、接続助詞「に」順接。『古典セレクション』は「上長者としての源氏の表向きの言葉を直叙する」と注す。
【心ことにせさせたまふ】−尊敬の助動詞「させ」連用形+尊敬の補助動詞「たまふ」終止形。源氏と伊予介では身分の格差が違い過ぎるので、二重敬語で表現したのであろう。
【かの小袿】−源氏が持ち帰った空蝉の小袿。「うちき」と清音で読む。図書寮本『類聚名義抄』による。

【逢ふまでの形見ばかりと見しほどにひたすら袖の朽ちにけるかな】−源氏の贈歌。副助詞「ばかり」程度を表す。過去の助動詞「し」連体形。完了の助動詞「に」連用形+過去の助動詞「ける」連体形+終助詞「かな」詠嘆を表す。『異本紫明抄』は「逢ふまでの形見とてこそとどめけめ涙に浮かぶ藻屑なりけり」(古今集 恋四 四二〇 藤原興風)を指摘。『集成』は「この歌は、空蝉の巻の筋立てに影響を与えたと考えられる」という。

【こまかなることどもあれどうるさければ書かず】−語り手の省筆の文。『細流抄』は「草子地也」と指摘、『全集』は「草子地。物語の筆録者の弁という体裁」という。

【御使帰りにけれど】−源氏からの使者。完了の助動詞「に」連用形+過去の助動詞「けれ」已然形+接続助詞「ど」逆接を表す。
【小君して】−主語は空蝉。後から私的に弟の小君を使者として。
【小袿の御返りばかりは聞こえさせたり】−副助詞「ばかり」程度を表す。「聞こえさせ」連用形、「聞こゆ」よりさらに謙った表現。完了の助動詞「たり」終止形。

【蝉の羽もたちかへてける夏衣かへすを見てもねは泣かれけり】−空蝉の返歌。「たち」は衣を「裁つ」と冬「立つ」の掛詞。「かへす」は「衣」の縁語。自発の助動詞「れ」連用形+過去の助動詞「けり」終止形、詠嘆の意。『集成』は「鳴く声はまだ聞かねども蝉の羽のうすき衣は裁ちぞ着てける」(拾遺集 夏 七九 大中臣能宣)と「忘らるる身を空蝉の唐衣返すはつらき心なりけり」(後撰集 恋四 八〇四 源巨城)の二首を指摘する。

【思へどあやしう】−以下「ふり離れぬるかな」まで、源氏の心。空蝉の意志の強さ。
【ふり離れぬるかな】−完了の助動詞「ぬる」連体形+終助詞「かな」詠嘆の意。振り切って去っていってしまったなあ。
【今日ぞ冬立つ日なりけるもしるく】−係助詞「ぞ」は過去の助動詞「ける」連体形に係るが、文が係助詞「も」と続き、いわゆる結びの消滅。今日は立冬の日であったが、いかにもその日らしく。
【眺め暮らしたまひて】−主語は源氏。

【過ぎにしも今日別るるも二道に行く方知らぬ秋の暮かな】−源氏の独詠歌。「過ぎにしも」(完了の助動詞「に」連用形+過去の助動詞「し」連体形+係助詞「も」)は夕顔、「今日別るるも」は空蝉をさす。「二道」は死出の道と旅路。『河海抄』は「過ぎにしも今行く末も二道になべて別れのなき世なりせば」(斎宮女御集)を指摘する。

【なほかく人知れぬことは】−以下の叙述は、語り手の感想を交えた文章。『細流抄』は「これより草子地也」と指摘。萩原広道の『評釈』は「地。空蝉と夕顔との事を一つにすべて結びたる詞也。苦しかりけりとおぼし知ぬらんとは心しらひの多くて苦しき事とこれらによりて知り給ふべしと地より評じたる也」とある。
【思し知りぬらむかし】−完了の助動詞「ぬ」終止形、確述。推量の助動詞「らむ」終止形、視界外推量。終助詞「かし」念押しの意。きっとお分かりになったことであろう。
【かやうのくだくだしきことは】−以下の文、『花鳥余情』は「物語の作者の詞也」と指摘。『評釈』は「語り伝えた古女房が筆記編集者に語った言葉である。自己批判であり自己弁護である」とある。
【いとほしくてみな漏らしとどめたるを】−主語は語り手。接続助詞「を」逆接を表す。
【など帝の御子ならむからに】−以下「ものほめがちなる」まで、読者の声を引用。断定の助動詞「なら」未然形、推量の助動詞「む」連体形、婉曲。格助詞「から」原因理由を表す。御子であるからといって。
【見む人さへ】−源氏を実際見知っている人、すなわち第一次の語り手。副助詞「さへ」添加の意。
【ものしたまひければなむ】−係助詞「なむ」。下に「ものしはべりぬる」などの語句が省略。源氏の裏話を書いたのです、の意。余情を残して言いさした形。
【あまりもの言ひさがなき罪さりどころなく】−自己批判めかした文。余韻を残して言いさした形でこの巻を語り収める。「帚木」冒頭文章と呼応して、中品の物語にいったんけりをつけた。

源氏物語の世界ヘ
本文
ローマ字版
現代語訳
大島本
自筆本奥入