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<TITLE>蓬生(大島本)</TITLE> <TITLE>蓬生(大島本)</TITLE>
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First updated 9/20/1996(ver.1-1)<BR> First updated 9/20/1996(ver.1-1)<BR>
Last updated 10/9/2009(ver.2-2)<BR> Last updated 10/9/2009(ver.2-2)<BR>
渋谷栄一校訂(C)<BR> 渋谷栄一校訂(C)<BR>
<P> <P>
  <H3>蓬生</H3>   <H3>蓬生</H3>
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光る源氏の須磨明石離京時代から帰京後までの末摘花の物語<BR> 光る源氏の須磨明石離京時代から帰京後までの末摘花の物語<BR>
<BR> <BR>
 [主要登場人物]<BR>  [主要登場人物]<BR>
<DL> <DL>
<DT> 光る源氏<ひかるげんじ> <DT> 光る源氏<ひかるげんじ>
<DD>呼称---大将殿・権大納言殿・殿・大殿・君、二十八歳から二十九歳<BR> <DD>呼称---大将殿・権大納言殿・殿・大殿・君、二十八歳から二十九歳<BR>
<DT> 末摘花<すえつむはな> <DT> 末摘花<すえつむはな>
<DD>呼称---常陸宮の君・姫君・宮・君、故常陸親王の娘<BR> <DD>呼称---常陸宮の君・姫君・宮・君、故常陸親王の娘<BR>
<DT> 禅師の君<ぜんじのきみ> <DT> 禅師の君<ぜんじのきみ>
<DD>呼称---前師の君、末摘花の兄<BR> <DD>呼称---前師の君、末摘花の兄<BR>
<DT> 北の方<きたのかた> <DT> 北の方<きたのかた>
<DD>呼称---御叔母・大弐の北の方、末摘花の母方の叔母<BR> <DD>呼称---御叔母・大弐の北の方、末摘花の母方の叔母<BR>
<DT> 侍従の君<じじゅうのきみ> <DT> 侍従の君<じじゅうのきみ>
<DD>呼称---侍従、末摘花の乳母子<BR> <DD>呼称---侍従、末摘花の乳母子<BR>
<DT> 惟光<これみつ> <DT> 惟光<これみつ>
<DD>呼称---惟光、光る源氏の乳母子<BR> <DD>呼称---惟光、光る源氏の乳母子<BR>
<DT> 花散里<はなちるさと> <DT> 花散里<はなちるさと>
<DD>呼称---花散里、源氏の愛人<BR> <DD>呼称---花散里、源氏の愛人<BR>
<DT> 紫の上<むらさきのうえ> <DT> 紫の上<むらさきのうえ>
<DD>呼称---二条の上・対の上、光る源氏の妻<BR> <DD>呼称---二条の上・対の上、光る源氏の妻<BR>
</DL> </DL>
<P> <P>
第一章 末摘花の物語 光る源氏の須磨明石離京時代<BR> 第一章 末摘花の物語 光る源氏の須磨明石離京時代<BR>
<OL> <OL>
<LI>末摘花の孤独---<A HREF="#in11">藻塩たれつつわびたまひしころほひ</A> <LI>末摘花の孤独---<A HREF="#in11">藻塩たれつつわびたまひしころほひ</A>
<LI>常陸宮邸の窮乏---<A HREF="#in12">もとより荒れたりし宮の内</A> <LI>常陸宮邸の窮乏---<A HREF="#in12">もとより荒れたりし宮の内</A>
<LI>常陸宮邸の荒廃---<A HREF="#in13">はかなきことにても、見訪らひきこゆる人は</A> <LI>常陸宮邸の荒廃---<A HREF="#in13">はかなきことにても、見訪らひきこゆる人は</A>
<LI>末摘花の気紛らし---<A HREF="#in14">はかなき古歌、物語などやうのすさびごとにて</A> <LI>末摘花の気紛らし---<A HREF="#in14">はかなき古歌、物語などやうのすさびごとにて</A>
<LI>乳母子の侍従と叔母---<A HREF="#in15">侍従などいひし御乳母子のみこそ</A> <LI>乳母子の侍従と叔母---<A HREF="#in15">侍従などいひし御乳母子のみこそ</A>
</OL> </OL>
第二章 末摘花の物語 光る源氏帰京後<BR> 第二章 末摘花の物語 光る源氏帰京後<BR>
<OL> <OL>
<LI>顧みられない末摘花---<A HREF="#in21">さるほどに、げに世の中に赦されたまひて</A> <LI>顧みられない末摘花---<A HREF="#in21">さるほどに、げに世の中に赦されたまひて</A>
<LI>法華御八講---<A HREF="#in22">冬になりゆくままに、いとど、かき付かむかたなく</A> <LI>法華御八講---<A HREF="#in22">冬になりゆくままに、いとど、かき付かむかたなく</A>
<LI>叔母、末摘花を誘う---<A HREF="#in23">例はさしもむつびぬを、誘ひ立てむの心にて</A> <LI>叔母、末摘花を誘う---<A HREF="#in23">例はさしもむつびぬを、誘ひ立てむの心にて</A>
<LI>侍従、叔母に従って離京---<A HREF="#in24">されど、動くべうもあらねば</A> <LI>侍従、叔母に従って離京---<A HREF="#in24">されど、動くべうもあらねば</A>
<LI>常陸宮邸の寂寥---<A HREF="#in25">霜月ばかりになれば、雪、霰がちにて</A> <LI>常陸宮邸の寂寥---<A HREF="#in25">霜月ばかりになれば、雪、霰がちにて</A>
</OL> </OL>
第三章 末摘花の物語 久しぶりの再会の物語<BR> 第三章 末摘花の物語 久しぶりの再会の物語<BR>
<OL> <OL>
<LI>花散里訪問途上---<A HREF="#in31">卯月ばかりに、花散里を思ひ出できこえたまひて</A> <LI>花散里訪問途上---<A HREF="#in31">卯月ばかりに、花散里を思ひ出できこえたまひて</A>
<LI>惟光、邸内を探る---<A HREF="#in32">惟光入りて、めぐるめぐる人の音する方やと</A> <LI>惟光、邸内を探る---<A HREF="#in32">惟光入りて、めぐるめぐる人の音する方やと</A>
<LI>源氏、邸内に入る---<A HREF="#in33">「などかいと久しかりつる。いかにぞ</A> <LI>源氏、邸内に入る---<A HREF="#in33">「などかいと久しかりつる。いかにぞ</A>
<LI>末摘花と再会---<A HREF="#in34">姫君は、さりともと待ち過ぐしたまへる</A> <LI>末摘花と再会---<A HREF="#in34">姫君は、さりともと待ち過ぐしたまへる</A>
</OL> </OL>
第四章 末摘花の物語 その後の物語<BR> 第四章 末摘花の物語 その後の物語<BR>
<OL> <OL>
<LI>末摘花への生活援助---<A HREF="#in41">祭、御禊などのほど、御いそぎどもに</A> <LI>末摘花への生活援助---<A HREF="#in41">祭、御禊などのほど、御いそぎどもに</A>
<LI>常陸宮邸に活気戻る---<A HREF="#in42">今は限りと、あなづり果てて、さまざまに</A> <LI>常陸宮邸に活気戻る---<A HREF="#in42">今は限りと、あなづり果てて、さまざまに</A>
<LI>末摘花のその後---<A HREF="#in43">二年ばかりこの古宮に眺めたまひて</A> <LI>末摘花のその後---<A HREF="#in43">二年ばかりこの古宮に眺めたまひて</A>
</OL> </OL>
<P> <P>
<A HREF="#in51">【出典】</A><BR> <A HREF="#in51">【出典】</A><BR>
<A HREF="#in52">【校訂】</A><BR> <A HREF="#in52">【校訂】</A><BR>
<P> <P>
 <H4>第一章 末摘花の物語 光る源氏の須磨明石離京時代</H4>  <H4>第一章 末摘花の物語 光る源氏の須磨明石離京時代</H4>
 <A NAME="in11">[第一段 末摘花の孤独]</A><BR>  <A NAME="in11">[第一段 末摘花の孤独]</A><BR>
<P> <P>
 <A HREF="#no1">藻塩垂れつつわびたまひしころほひ</A><A NAME="te1"></A>都にも、さまざまに思し嘆く人多かりしを、さても、わが御身の拠り所あるは、一方の思ひこそ苦しげなりしか、二条の上なども、のどやかにて、旅の御住みかをもおぼつかなからず、聞こえ通ひたまひつつ、位を去りたまへる仮の御よそひをも、<A HREF="#no2">竹の子の世の憂き節</A><A NAME="te2"></A>、時々につけてあつかひきこえたまふに、慰めたまひけむ、なかなか、その数と人にも知られず、立ち別れたまひしほどの御ありさまをも、よそのことに思ひやりたまふ人びとの、下の心くだきたまふたぐひ多かり。<BR>  <A HREF="#no1">藻塩垂れつつわびたまひしころほひ</A><A NAME="te1"></A>都にも、さまざまに思し嘆く人多かりしを、さても、わが御身の拠り所あるは、一方の思ひこそ苦しげなりしか、二条の上なども、のどやかにて、旅の御住みかをもおぼつかなからず、聞こえ通ひたまひつつ、位を去りたまへる仮の御よそひをも、<A HREF="#no2">竹の子の世の憂き節</A><A NAME="te2"></A>、時々につけてあつかひきこえたまふに、慰めたまひけむ、なかなか、その数と人にも知られず、立ち別れたまひしほどの御ありさまをも、よそのことに思ひやりたまふ人びとの、下の心くだきたまふたぐひ多かり。<BR>
<P> <P>
 常陸宮の君は、父親王の亡せたまひにし名残に、また思ひあつかふ人もなき御身にて、いみじう心細げなりしを、思ひかけぬ御ことの出で来て、訪らひきこえたまふこと絶えざりしを、いかめしき御勢にこそ、ことにもあらず、はかなきほどの御情けばかりと思したりしかど、待ち受けたまふ袂の狭きに、大空の星の光を盥の水に映したる心地して過ぐしたまひしほどに、かかる世の騷ぎ出で来て、なべての世憂く思し乱れしまぎれに、わざと深からぬ方の心ざしはうち忘れたるやうにて、遠くおはしましにしのち、ふりはへてしもえ尋ねきこえたまはず。その名残に、しばしは、泣く泣くも過ぐしたまひしを、年月経るままに、あはれにさびしき御ありさまなり。<BR>  常陸宮の君は、父親王の亡せたまひにし名残に、また思ひあつかふ人もなき御身にて、いみじう心細げなりしを、思ひかけぬ御ことの出で来て、訪らひきこえたまふこと絶えざりしを、いかめしき御勢にこそ、ことにもあらず、はかなきほどの御情けばかりと思したりしかど、待ち受けたまふ袂の狭きに、大空の星の光を盥の水に映したる心地して過ぐしたまひしほどに、かかる世の騷ぎ出で来て、なべての世憂く思し乱れしまぎれに、わざと深からぬ方の心ざしはうち忘れたるやうにて、遠くおはしましにしのち、ふりはへてしもえ尋ねきこえたまはず。その名残に、しばしは、泣く泣くも過ぐしたまひしを、年月経るままに、あはれにさびしき御ありさまなり。<BR>
<P> <P>
 古き女ばらなどは、<BR>  古き女ばらなどは、<BR>
<P> <P>
 「いでや、いと口惜しき御宿世なりけり。おぼえず神仏の現はれたまへらむやうなりし御心ばへに、かかるよすがも人は出でおはするものなりけりと、ありがたう見たてまつりしを、おほかたの世の事といひながら、また頼む方なき御ありさまこそ、悲しけれ<BR>  「いでや、いと口惜しき御宿世なりけり。おぼえず神仏の現はれたまへらむやうなりし御心ばへに、かかるよすがも人は出でおはするものなりけりと、ありがたう見たてまつりしを、おほかたの世の事といひながら、また頼む方なき御ありさまこそ、悲しけれ<BR>
<P> <P>
 と、つぶやき嘆く。さる方にありつきたりしあなたの年ごろは、いふかひなきさびしさに目なれて過ぐしたまふを、なかなかすこし世づきてならひにける年月に、いと堪へがたく思ひ嘆くべし。すこしも、さてありぬべき人びとは、おのづから参りつきてありしを、皆次々に従ひて行き散りぬ。女ばらの命堪へぬもありて、月日に従ひては、上下人数少なくなりゆく。<BR>  と、つぶやき嘆く。さる方にありつきたりしあなたの年ごろは、いふかひなきさびしさに目なれて過ぐしたまふを、なかなかすこし世づきてならひにける年月に、いと堪へがたく思ひ嘆くべし。すこしも、さてありぬべき人びとは、おのづから参りつきてありしを、皆次々に従ひて行き散りぬ。女ばらの命堪へぬもありて、月日に従ひては、上下人数少なくなりゆく。<BR>
<P> <P>
 <A NAME="in12">[第二段 常陸宮邸の窮乏]</A><BR>  <A NAME="in12">[第二段 常陸宮邸の窮乏]</A><BR>
<P> <P>
 もとより荒れたりし宮の内、いとど<A HREF="#no3">狐の棲みか</A><A NAME="te3"></A>なりて、うとましう、気遠き木立に、梟の声を朝夕に耳ならしつつ、人気にこそ、さやうのものもせかれて影隠しけれ、木霊など、けしからぬものども、所得て、やうやう<A HREF="#k01"></A><A NAME="t01"></A>現はし、ものわびしきことのみ数知らぬに、まれまれ残りてさぶらふ人は、<BR>  もとより荒れたりし宮の内、いとど<A HREF="#no3">狐の棲みか</A><A NAME="te3"></A>なりて、うとましう、気遠き木立に、梟の声を朝夕に耳ならしつつ、人気にこそ、さやうのものもせかれて影隠しけれ、木霊など、けしからぬものども、所得て、やうやう<A HREF="#k01"></A><A NAME="t01"></A>現はし、ものわびしきことのみ数知らぬに、まれまれ残りてさぶらふ人は、<BR>
<P> <P>
 「なほ、いとわりなし。この受領どもの、おもしろき家造り好むが、この宮の木立を心につけて、放ちたまはせてむやと、ほとりにつきて、案内し申さするを、さやうにせさせたまひて、いとかう、もの恐ろしからぬ御住まひに、思し移ろはなむ。立ちとまりさぶらふ人も、いと<A HREF="#k02">堪へ</A><A NAME="t02"></A>たし」<BR>  「なほ、いとわりなし。この受領どもの、おもしろき家造り好むが、この宮の木立を心につけて、放ちたまはせてむやと、ほとりにつきて、案内し申さするを、さやうにせさせたまひて、いとかう、もの恐ろしからぬ御住まひに、思し移ろはなむ。立ちとまりさぶらふ人も、いと<A HREF="#k02">堪へ</A><A NAME="t02"></A>たし」<BR>
<P> <P>
 など聞こゆれど、<BR>  など聞こゆれど、<BR>
<P> <P>
 「あな、いみじや。人の聞き思はむこともあり。生ける世に、しか名残なきわざ、いかがせむ。かく恐ろしげに荒れ果てぬれど、親の御影とまりたる心地する古き住みかと思ふに、慰みてこそあれ」<BR>  「あな、いみじや。人の聞き思はむこともあり。生ける世に、しか名残なきわざ、いかがせむ。かく恐ろしげに荒れ果てぬれど、親の御影とまりたる心地する古き住みかと思ふに、慰みてこそあれ」<BR>
<P> <P>
 と、うち泣きつつ、思しもかけず。<BR>  と、うち泣きつつ、思しもかけず。<BR>
 御調度どもを、いと古代になれたるが、昔やうにてうるはしきを、なまもののゆゑ知らむと思へる人、さるもの要じて、わざとその人かの人にせさせたまへると尋ね聞きて<A HREF="#k03">案内</A><A NAME="t03"></A>るも、おのづからかかる貧しきあたりと思ひあなづりて言ひ来るを、例の女ばら、<BR>  御調度どもを、いと古代になれたるが、昔やうにてうるはしきを、なまもののゆゑ知らむと思へる人、さるもの要じて、わざとその人かの人にせさせたまへると尋ね聞きて<A HREF="#k03">案内</A><A NAME="t03"></A>るも、おのづからかかる貧しきあたりと思ひあなづりて言ひ来るを、例の女ばら、<BR>
<P> <P>
 「いかがはせむ。そこそは世の常のこと」<BR>  「いかがはせむ。そこそは世の常のこと」<BR>
<P> <P>
 とて、取り紛らはしつつ、目に近き今日明日の見苦しさを繕はむとする時もあるを、いみじう諌めたまひて、<BR>  とて、取り紛らはしつつ、目に近き今日明日の見苦しさを繕はむとする時もあるを、いみじう諌めたまひて、<BR>
<P> <P>
 「見よと思ひたまひてこそ、しおかせたまひけめ。などてか、軽々しき人の家の飾りとはなさむ。亡き人の御本意違はむが、あはれなること」<BR>  「見よと思ひたまひてこそ、しおかせたまひけめ。などてか、軽々しき人の家の飾りとはなさむ。亡き人の御本意違はむが、あはれなること」<BR>
<P> <P>
 とのたまひて、さるわざはせさせたまはず。<BR>  とのたまひて、さるわざはせさせたまはず。<BR>
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 <A NAME="in13">[第三段 常陸宮邸の荒廃]</A><BR>  <A NAME="in13">[第三段 常陸宮邸の荒廃]</A><BR>
<P> <P>
 はかなきことにても、見訪らひきこゆる人はなき御身なり。ただ、御兄の禅師の君ばかりぞ、まれにも京に出でたまふ時は、さしのぞきたまへど、それも、世になき古めき人にて、同じき法師といふなかにも、たづきなく、この世を離れたる聖にものしたまひて、しげき草、蓬をだに、かき払はむものとも思ひ寄りたまはず。<BR>  はかなきことにても、見訪らひきこゆる人はなき御身なり。ただ、御兄の禅師の君ばかりぞ、まれにも京に出でたまふ時は、さしのぞきたまへど、それも、世になき古めき人にて、同じき法師といふなかにも、たづきなく、この世を離れたる聖にものしたまひて、しげき草、蓬をだに、かき払はむものとも思ひ寄りたまはず。<BR>
<P> <P>
 かかるままに、浅茅は庭の面も見えず、しげき蓬は軒を争ひて生ひのぼる。葎は西東の御門を閉ぢこめたるぞ頼もしけれど、崩れがちなるめぐりの垣を馬、牛などの踏みならしたる道にて、春夏になれば、放ち飼ふ総角の心さへぞ、めざましき。<BR>  かかるままに、浅茅は庭の面も見えず、しげき蓬は軒を争ひて生ひのぼる。葎は西東の御門を閉ぢこめたるぞ頼もしけれど、崩れがちなるめぐりの垣を馬、牛などの踏みならしたる道にて、春夏になれば、放ち飼ふ総角の心さへぞ、めざましき。<BR>
<P> <P>
 八月、野分荒かりし年、廊どもも倒れ伏し、下の屋どもの、はかなき板葺なりしなどは、骨のみわづかに残りて、立ちとまる下衆だになし。煙絶えて、あはれにいみじきこと多かり。<BR>  八月、野分荒かりし年、廊どもも倒れ伏し、下の屋どもの、はかなき板葺なりしなどは、骨のみわづかに残りて、立ちとまる下衆だになし。煙絶えて、あはれにいみじきこと多かり。<BR>
<P> <P>
 盗人などいふひたぶる心ある者も、思ひやりの寂しければにや、この宮をば不要のものに踏み過ぎて、寄り来ざりければ、かくいみじき野良、薮なれども、さすがに寝殿のうちばかりは、ありし御しつらひ変らず、つややかに掻い掃きなどする人もなし。塵は積もれど、紛るることなきうるはしき御住まひにて、明かし暮らしたまふ。<BR>  盗人などいふひたぶる心ある者も、思ひやりの寂しければにや、この宮をば不要のものに踏み過ぎて、寄り来ざりければ、かくいみじき野良、薮なれども、さすがに寝殿のうちばかりは、ありし御しつらひ変らず、つややかに掻い掃きなどする人もなし。塵は積もれど、紛るることなきうるはしき御住まひにて、明かし暮らしたまふ。<BR>
<P> <P>
 <A NAME="in14">[第四段 末摘花の気紛らし]</A><BR>  <A NAME="in14">[第四段 末摘花の気紛らし]</A><BR>
<P> <P>
 はかなき古歌、物語などやうのすさびごとにてこそ、つれづれをも紛らはし、かかる住まひをも思ひ慰むるわざなめれ、さやうのことにも心遅くものしたまふ。わざと好ましからねど、おのづからまた急ぐことなきほどは、同じ心なる文通はしなどうちしてこそ、若き人は木草につけても心を慰めたまふべけれど、親のもてかしづきたまひし御心掟のままに、世の中をつつましきものに思して、まれにも言通ひたまふべき御あたりをも、さらに馴れたまはず、古りにたる御厨子開けて、『<A HREF="#k04">唐守</A><A NAME="t04"></A>、『藐姑射の刀自』、『かぐや姫の物語』の絵に描きたるをぞ、時々のまさぐりものにしたまふ。<BR>  はかなき古歌、物語などやうのすさびごとにてこそ、つれづれをも紛らはし、かかる住まひをも思ひ慰むるわざなめれ、さやうのことにも心遅くものしたまふ。わざと好ましからねど、おのづからまた急ぐことなきほどは、同じ心なる文通はしなどうちしてこそ、若き人は木草につけても心を慰めたまふべけれど、親のもてかしづきたまひし御心掟のままに、世の中をつつましきものに思して、まれにも言通ひたまふべき御あたりをも、さらに馴れたまはず、古りにたる御厨子開けて、『<A HREF="#k04">唐守</A><A NAME="t04"></A>、『藐姑射の刀自』、『かぐや姫の物語』の絵に描きたるをぞ、時々のまさぐりものにしたまふ。<BR>
<P> <P>
 古歌とても、をかしきやうに選り出で、題をも読人をもあらはし心得たるこそ見所もありけれ、うるはしき紙屋紙、陸奥紙などのふくだめるに、古言どもの目馴れたるなどは、いとすさまじげなるを、せめて眺めたまふ折々は、ひき広げたまふ。今の世の人のすめる、経うち読み、行なひなどいふことは、いと恥づかしくしたまひて、見たてまつる人もなけれど、数珠など取り寄せたまはず。かやうにうるはしくぞものしたまひける<BR>  古歌とても、をかしきやうに選り出で、題をも読人をもあらはし心得たるこそ見所もありけれ、うるはしき紙屋紙、陸奥紙などのふくだめるに、古言どもの目馴れたるなどは、いとすさまじげなるを、せめて眺めたまふ折々は、ひき広げたまふ。今の世の人のすめる、経うち読み、行なひなどいふことは、いと恥づかしくしたまひて、見たてまつる人もなけれど、数珠など取り寄せたまはず。かやうにうるはしくぞものしたまひける<BR>
<P> <P>
 <A NAME="in15">[第五段 乳母子の侍従と叔母]</A><BR>  <A NAME="in15">[第五段 乳母子の侍従と叔母]</A><BR>
<P> <P>
 侍従などいひし御乳母子のみこそ、年ごろあくがれ果てぬ者にてさぶらひつれど、通ひ参りし斎院亡せたまひなどして、いと堪へがたく心細きに、この姫君の母<A HREF="#k05">北の方の</A><A NAME="t05"></A>らから、世におちぶれて受領の北の方になりたまへるありけり。<BR>  侍従などいひし御乳母子のみこそ、年ごろあくがれ果てぬ者にてさぶらひつれど、通ひ参りし斎院亡せたまひなどして、いと堪へがたく心細きに、この姫君の母<A HREF="#k05">北の方の</A><A NAME="t05"></A>らから、世におちぶれて受領の北の方になりたまへるありけり。<BR>
<P> <P>
 娘どもかしづきて、よろしき若人どもも、「むげに知らぬ所よりは、親どももまうで通ひしを」と思ひて、時々行き通ふ。この姫君は、かく人疎き御癖なれば、むつましくも言ひ通ひたまはず。<BR>  娘どもかしづきて、よろしき若人どもも、「むげに知らぬ所よりは、親どももまうで通ひしを」と思ひて、時々行き通ふ。この姫君は、かく人疎き御癖なれば、むつましくも言ひ通ひたまはず。<BR>
<P> <P>
 「おのれをばおとしめたまひて、面伏せに思したりしかば、姫君の御ありさまの心苦しげなるも、え訪らひきこえず」<BR>  「おのれをばおとしめたまひて、面伏せに思したりしかば、姫君の御ありさまの心苦しげなるも、え訪らひきこえず」<BR>
<P> <P>
 など、なま憎げなる言葉ども言ひ聞かせつつ、時々聞こえけり。<BR>  など、なま憎げなる言葉ども言ひ聞かせつつ、時々聞こえけり。<BR>
 もとよりありつきたるさやうの並々の人は、なかなかよき人の真似に心をつくろひ、思ひ上がるも多かるを、やむごとなき筋ながらも、かうまで落つべき宿世ありければにや、心すこしなほなほしき御叔母にぞありける。<BR>  もとよりありつきたるさやうの並々の人は、なかなかよき人の真似に心をつくろひ、思ひ上がるも多かるを、やむごとなき筋ながらも、かうまで落つべき宿世ありければにや、心すこしなほなほしき御叔母にぞありける。<BR>
<P> <P>
 「わがかく劣りのさまにて、あなづらはしく思はれたりしを、いかで、かかる世の末に、この君を、わが娘どもの使人になしてしがな。心ばせなどの古びたる方こそあれ、いとうしろやすき後見ならむ」と思ひて、<BR>  「わがかく劣りのさまにて、あなづらはしく思はれたりしを、いかで、かかる世の末に、この君を、わが娘どもの使人になしてしがな。心ばせなどの古びたる方こそあれ、いとうしろやすき後見ならむ」と思ひて、<BR>
<P> <P>
 「時々ここに渡らせたまひて。御琴の音もうけたまはらまほしがる人なむはべる」<BR>  「時々ここに渡らせたまひて。御琴の音もうけたまはらまほしがる人なむはべる」<BR>
<P> <P>
 と聞こえけり。この侍従も、常に言ひもよほせど、人にいどむ心にはあらで、ただこちたき御ものづつみなれば、さもむつびたまはぬを、ねたしとなむ思ひける。<BR>  と聞こえけり。この侍従も、常に言ひもよほせど、人にいどむ心にはあらで、ただこちたき御ものづつみなれば、さもむつびたまはぬを、ねたしとなむ思ひける。<BR>
<P> <P>
 かかるほどに、かの家主人、大弐になりぬ。娘どもあるべきさまに<A HREF="#k06">見置きて</A><A NAME="t06"></A>下りなむとす。この君を、なほも誘はむの心深くて<BR>  かかるほどに、かの家主人、大弐になりぬ。娘どもあるべきさまに<A HREF="#k06">見置きて</A><A NAME="t06"></A>下りなむとす。この君を、なほも誘はむの心深くて<BR>
<P> <P>
 「はるかに、かく<A HREF="#k07">まかり</A><A NAME="t07"></A>むとするに、心細き御ありさまの、常にしも訪らひきこえねど、近き頼みはべりつるほどこそあれ、いとあはれにうしろめたくなむ」<BR>  「はるかに、かく<A HREF="#k07">まかり</A><A NAME="t07"></A>むとするに、心細き御ありさまの、常にしも訪らひきこえねど、近き頼みはべりつるほどこそあれ、いとあはれにうしろめたくなむ」<BR>
<P> <P>
 など、言よがるを、さらに受け引きたまはねば、<BR>  など、言よがるを、さらに受け引きたまはねば、<BR>
 「あな、憎。ことことしや。心一つに思し上がるとも、さる薮原に年経たまふ人を、大将殿も、やむごとなくしも思ひきこえたまはじ」<BR>  「あな、憎。ことことしや。心一つに思し上がるとも、さる薮原に年経たまふ人を、大将殿も、やむごとなくしも思ひきこえたまはじ」<BR>
 など、怨じうけひけり。<BR>  など、怨じうけひけり。<BR>
<P> <P>
 <H4>第二章 末摘花の物語 光る源氏帰京後</H4>  <H4>第二章 末摘花の物語 光る源氏帰京後</H4>
 <A NAME="in21">[第一段 顧みられない末摘花]</A><BR>  <A NAME="in21">[第一段 顧みられない末摘花]</A><BR>
<P> <P>
 さるほどに、げに世の中に赦されたまひて、都に帰りたまふと、天の下の喜びにて立ち騒ぐ。我もいかで、人より先に、深き心ざしを御覧ぜられむとのみ、思ひきほふ男、女につけて、高きをも下れるをも、人の心ばへを見たまふに、あはれに思し知ること、さまざまなり。かやうに、あわたたしきほどに、さらに思ひ出でたまふけしき見えで月日経ぬ。<BR>  さるほどに、げに世の中に赦されたまひて、都に帰りたまふと、天の下の喜びにて立ち騒ぐ。我もいかで、人より先に、深き心ざしを御覧ぜられむとのみ、思ひきほふ男、女につけて、高きをも下れるをも、人の心ばへを見たまふに、あはれに思し知ること、さまざまなり。かやうに、あわたたしきほどに、さらに思ひ出でたまふけしき見えで月日経ぬ。<BR>
<P> <P>
 「今は限りなりけり。年ごろ、あらぬさまなる御さまを、悲しういみじきことを思ひながらも、<A HREF="#no4">萌え出づる春に</A><A NAME="te4"></A>ひたまはなむと念じわたりつれど、<A HREF="#k08">たびしかはら</A><A NAME="t08"></A>どまで喜び思ふなる、御位改まりなどするを、よそにのみ聞くべきなりけり。悲しかりし折のうれはしさは、ただ<A HREF="#no5">わが身一つのためになれる</A><A NAME="te5"></A>おぼえし、かひなき世かな」と、心くだけて、つらく悲しければ、人知れず音をのみ泣きたまふ。<BR>  「今は限りなりけり。年ごろ、あらぬさまなる御さまを、悲しういみじきことを思ひながらも、<A HREF="#no4">萌え出づる春に</A><A NAME="te4"></A>ひたまはなむと念じわたりつれど、<A HREF="#k08">たびしかはら</A><A NAME="t08"></A>どまで喜び思ふなる、御位改まりなどするを、よそにのみ聞くべきなりけり。悲しかりし折のうれはしさは、ただ<A HREF="#no5">わが身一つのためになれる</A><A NAME="te5"></A>おぼえし、かひなき世かな」と、心くだけて、つらく悲しければ、人知れず音をのみ泣きたまふ。<BR>
<P> <P>
 大弐の北の方、<BR>  大弐の北の方、<BR>
 「さればよ。まさに、かくたづきなく、人悪ろき御ありさまを、数まへたまふ人はありなむや。仏、聖も、罪軽きをこそ導きよくしたまふなれ、かかる御ありさまにて、たけく世を思し、宮、上などのおはせし時のままにならひたまへる、御心おごりの、いとほしきこと」<BR>  「さればよ。まさに、かくたづきなく、人悪ろき御ありさまを、数まへたまふ人はありなむや。仏、聖も、罪軽きをこそ導きよくしたまふなれ、かかる御ありさまにて、たけく世を思し、宮、上などのおはせし時のままにならひたまへる、御心おごりの、いとほしきこと」<BR>
 と、いとどをこがましげに思ひて、<BR>  と、いとどをこがましげに思ひて、<BR>
<P> <P>
 「なほ、思ほし立ちね。<A HREF="#no6">世の憂き時は、見えぬ山路を</A><A NAME="te6"></A>そは尋ぬなれ。田舎などは、むつかしきものと思しやるらめど、ひたぶるに人悪ろげには、よも、もてなしきこえじ」<BR>  「なほ、思ほし立ちね。<A HREF="#no6">世の憂き時は、見えぬ山路を</A><A NAME="te6"></A>そは尋ぬなれ。田舎などは、むつかしきものと思しやるらめど、ひたぶるに人悪ろげには、よも、もてなしきこえじ」<BR>
<P> <P>
 など、いと言よく言へば、むげに屈んじにたる女ばら、<BR>  など、いと言よく言へば、むげに屈んじにたる女ばら、<BR>
<P> <P>
 「さもなびきたまはなむ。たけきこともあるまじき御身を、いかに思して、かく立てたる御心ならむ」<BR>  「さもなびきたまはなむ。たけきこともあるまじき御身を、いかに思して、かく立てたる御心ならむ」<BR>
<P> <P>
 と、もどきつぶやく。<BR>  と、もどきつぶやく。<BR>
 侍従も、かの大弐の甥だつ人、語らひつきて、とどむべくもあらざりければ、心よりほかに出で立ちて、<BR>  侍従も、かの大弐の甥だつ人、語らひつきて、とどむべくもあらざりければ、心よりほかに出で立ちて、<BR>
<P> <P>
 「見たてまつり置かむが、いと心苦しきを」<BR>  「見たてまつり置かむが、いと心苦しきを」<BR>
<P> <P>
 とて、そそのかしきこゆれど、なほ、かくかけ離れて久しうなりたまひぬる人に頼みをかけたまふ。御心のうちに、「さりとも、あり経ても、思し出づるついであらじやは。あはれに心深き契りをしたまひしに、わが身は憂くて、かく忘られ<A HREF="#k09">たるに</A><A NAME="t09"></A>そあれ、風のつてにても、我かくいみじきありさまを聞きつけたまはば、かならず訪らひ出でたまひてむ」と、年ごろ思しければ、おほかたの御家居も、ありしよりけにあさましけれど、わが心もて、はかなき御調度どもなども取り失はせたまはず、心強く同じさまにて念じ過ごしたまふなりけり。<BR>  とて、そそのかしきこゆれど、なほ、かくかけ離れて久しうなりたまひぬる人に頼みをかけたまふ。御心のうちに、「さりとも、あり経ても、思し出づるついであらじやは。あはれに心深き契りをしたまひしに、わが身は憂くて、かく忘られ<A HREF="#k09">たるに</A><A NAME="t09"></A>そあれ、風のつてにても、我かくいみじきありさまを聞きつけたまはば、かならず訪らひ出でたまひてむ」と、年ごろ思しければ、おほかたの御家居も、ありしよりけにあさましけれど、わが心もて、はかなき御調度どもなども取り失はせたまはず、心強く同じさまにて念じ過ごしたまふなりけり。<BR>
<P> <P>
 音泣きがちに、いとど思し沈みたるは、ただ山人の赤き木の実一つを顔に放たぬと見えたまふ、御側目などは、おぼろけの人の見たてまつりゆるすべきにもあらずかし。詳しくは聞こえじ。いとほしう、もの言ひさがなきやうなり。<BR>  音泣きがちに、いとど思し沈みたるは、ただ山人の赤き木の実一つを顔に放たぬと見えたまふ、御側目などは、おぼろけの人の見たてまつりゆるすべきにもあらずかし。詳しくは聞こえじ。いとほしう、もの言ひさがなきやうなり。<BR>
<P> <P>
 <A NAME="in22">[第二段 法華御八講]</A><BR>  <A NAME="in22">[第二段 法華御八講]</A><BR>
<P> <P>
 冬になりゆくままに、いとど、かき付かむかたなく、悲しげに眺め過ごしたまふ。かの殿には、故院の御料の御八講、世の中ゆすりてしたまふ。ことに僧などは、なべてのは召さず、才すぐれ行なひにしみ、尊き限りを選らせたまひければ、この禅師の君参りたまへりけり。<BR>  冬になりゆくままに、いとど、かき付かむかたなく、悲しげに眺め過ごしたまふ。かの殿には、故院の御料の御八講、世の中ゆすりてしたまふ。ことに僧などは、なべてのは召さず、才すぐれ行なひにしみ、尊き限りを選らせたまひければ、この禅師の君参りたまへりけり。<BR>
 帰りざまに立ち寄りたまひて、<BR>  帰りざまに立ち寄りたまひて、<BR>
<P> <P>
 「しかしか。権大納言殿の御八講に参りてはべるなり。いとかしこう、生ける浄土の飾りに劣らず、いかめしうおもしろきことどもの限りをなむしたまひつる。仏菩薩の変化の身にこそものしたまふめれ。五つの濁り深き世に、などて生まれたまひけむ」<BR>  「しかしか。権大納言殿の御八講に参りてはべるなり。いとかしこう、生ける浄土の飾りに劣らず、いかめしうおもしろきことどもの限りをなむしたまひつる。仏菩薩の変化の身にこそものしたまふめれ。五つの濁り深き世に、などて生まれたまひけむ」<BR>
<P> <P>
 と言ひて、やがて出でたまひぬ。<BR>  と言ひて、やがて出でたまひぬ。<BR>
 言少なに、世の人に似ぬ御あはひにて、かひなき世の物語をだにえ聞こえ合はせたまはず。「さても、かばかりつたなき身のありさまを、あはれにおぼつかなくて過ぐしたまふは、心憂の仏菩薩や」と、つらうおぼゆるを、「げに、限りなめり」と、やうやう思ひなりたまふに、大弐の北の方、にはかに来たり。<BR>  言少なに、世の人に似ぬ御あはひにて、かひなき世の物語をだにえ聞こえ合はせたまはず。「さても、かばかりつたなき身のありさまを、あはれにおぼつかなくて過ぐしたまふは、心憂の仏菩薩や」と、つらうおぼゆるを、「げに、限りなめり」と、やうやう思ひなりたまふに、大弐の北の方、にはかに来たり。<BR>
<P> <P>
 <A NAME="in23">[第三段 叔母、末摘花を誘う]</A><BR>  <A NAME="in23">[第三段 叔母、末摘花を誘う]</A><BR>
<P> <P>
 例はさしもむつびぬを、誘ひ立てむの心にて、たてまつるべき御装束など調じて、よき車に乗りて、面もち、けしき、ほこりかにもの思ひなげなるさまして、ゆくりもなく走り来て、門開けさするより、人悪ろく寂しきこと、限りもなし。左右の戸もみなよろぼひ倒れにければ、男ども助けてとかく開け騒ぐ。いづれか、この寂しき宿にもかならず分けたる跡あなる三つの径と、たどる。<BR>  例はさしもむつびぬを、誘ひ立てむの心にて、たてまつるべき御装束など調じて、よき車に乗りて、面もち、けしき、ほこりかにもの思ひなげなるさまして、ゆくりもなく走り来て、門開けさするより、人悪ろく寂しきこと、限りもなし。左右の戸もみなよろぼひ倒れにければ、男ども助けてとかく開け騒ぐ。いづれか、この寂しき宿にもかならず分けたる跡あなる三つの径と、たどる。<BR>
<P> <P>
 わづかに南面の格子上げたる間に寄せたれば、いとどはしたなしと思したれど、あさましう煤けたる几帳さし出でて、侍従出で来たり。容貌など、衰へにけり。年ごろいたうつひえたれど、なほものきよげによしあるさまして、かたじけなくとも、取り変へつべく見ゆ。<BR>  わづかに南面の格子上げたる間に寄せたれば、いとどはしたなしと思したれど、あさましう煤けたる几帳さし出でて、侍従出で来たり。容貌など、衰へにけり。年ごろいたうつひえたれど、なほものきよげによしあるさまして、かたじけなくとも、取り変へつべく見ゆ。<BR>
<P> <P>
 「出で立ちなむことを思ひながら、心苦しきありさまの見捨てたてまつりがたきを。侍従の迎へになむ参り来たる。心憂く思し隔てて、御みづからこそあからさまにも渡らせたまはね、この人をだに許させたまへとてなむ。などかうあはれげなるさまには」<BR>  「出で立ちなむことを思ひながら、心苦しきありさまの見捨てたてまつりがたきを。侍従の迎へになむ参り来たる。心憂く思し隔てて、御みづからこそあからさまにも渡らせたまはね、この人をだに許させたまへとてなむ。などかうあはれげなるさまには」<BR>
<P> <P>
 とて、うちも泣くべきぞかし。されど、行く道に心をやりて、いと心地よげなり。<BR>  とて、うちも泣くべきぞかし。されど、行く道に心をやりて、いと心地よげなり。<BR>
<P> <P>
 「故宮おはせしとき、おのれをば面伏せなりと思し捨てたりしかば、疎々しきやうになりそめにしかど、年ごろも、何かは。やむごとなきさまに思しあがり、大将殿などおはしまし通ふ御宿世のほどを、かたじけなく思ひたまへられしかばなむ、むつびきこえさせむも、憚ること多くて、過ぐしはべるを、世の中のかく定めもなかりければ、数ならぬ身は、なかなか心やすくはべるものなりけり。及びなく見たてまつりし御ありさまの、いと悲しく心苦しきを、近きほどはおこたる折も、のどかに頼もしくなむはべりけるを、かく遥かにまかりなむとすれば、うしろめたくあはれになむおぼえたまふ」<BR>  「故宮おはせしとき、おのれをば面伏せなりと思し捨てたりしかば、疎々しきやうになりそめにしかど、年ごろも、何かは。やむごとなきさまに思しあがり、大将殿などおはしまし通ふ御宿世のほどを、かたじけなく思ひたまへられしかばなむ、むつびきこえさせむも、憚ること多くて、過ぐしはべるを、世の中のかく定めもなかりければ、数ならぬ身は、なかなか心やすくはべるものなりけり。及びなく見たてまつりし御ありさまの、いと悲しく心苦しきを、近きほどはおこたる折も、のどかに頼もしくなむはべりけるを、かく遥かにまかりなむとすれば、うしろめたくあはれになむおぼえたまふ」<BR>
<P> <P>
 など語らへど、心解けても応へたまはず。<BR>  など語らへど、心解けても応へたまはず。<BR>
<P> <P>
 「いとうれしきことなれど、世に似ぬさまにて、何かは。かうながらこそ朽ちも失せめとなむ思ひはべる」<BR>  「いとうれしきことなれど、世に似ぬさまにて、何かは。かうながらこそ朽ちも失せめとなむ思ひはべる」<BR>
 とのみのたまへば、<BR>  とのみのたまへば、<BR>
<P> <P>
 「げに、しかなむ思さるべけれど、生ける身を捨て、かくむくつけき住まひするたぐひははべらずやあらむ。大将殿の造り磨きたまはむにこそは、引きかへ玉の台にもなりかへらめとは、頼もしうははべれど、ただ今は、式部卿宮の御女よりほかに、心分けたまふ方もなかなり。昔より好き好きしき御心にて、なほざりに通ひたまひける所々、皆思し離れにたなり。まして、かうものはかなきさまにて、薮原に過ぐしたまへる人をば、心きよく我を頼みたまへるありさまと尋ねきこえたまふこと、いとかたくなむあるべき」<BR>  「げに、しかなむ思さるべけれど、生ける身を捨て、かくむくつけき住まひするたぐひははべらずやあらむ。大将殿の造り磨きたまはむにこそは、引きかへ玉の台にもなりかへらめとは、頼もしうははべれど、ただ今は、式部卿宮の御女よりほかに、心分けたまふ方もなかなり。昔より好き好きしき御心にて、なほざりに通ひたまひける所々、皆思し離れにたなり。まして、かうものはかなきさまにて、薮原に過ぐしたまへる人をば、心きよく我を頼みたまへるありさまと尋ねきこえたまふこと、いとかたくなむあるべき」<BR>
<P> <P>
 など言ひ知らするを、げにと思すも、いと悲しくて、つくづくと泣きたまふ。<BR>  など言ひ知らするを、げにと思すも、いと悲しくて、つくづくと泣きたまふ。<BR>
<P> <P>
 <A NAME="in24">[第四段 侍従、叔母に従って離京]</A><BR>  <A NAME="in24">[第四段 侍従、叔母に従って離京]</A><BR>
<P> <P>
 されど、動くべうもあらねば、よろづに言ひわづらひ暮らして、<BR>  されど、動くべうもあらねば、よろづに言ひわづらひ暮らして、<BR>
 「さらば、侍従をだに」<BR>  「さらば、侍従をだに」<BR>
 と、日の暮るるままに急げば、心あわたたしくて、泣く泣く、<BR>  と、日の暮るるままに急げば、心あわたたしくて、泣く泣く、<BR>
<P> <P>
 「さらば、まづ今日は。かう責めたまふ送りばかりにまうではべらむ。かの聞こえたまふもことわりなり。また、思しわづらふもさることにはべれば、中に見たまふるも心苦しくなむ」<BR>  「さらば、まづ今日は。かう責めたまふ送りばかりにまうではべらむ。かの聞こえたまふもことわりなり。また、思しわづらふもさることにはべれば、中に見たまふるも心苦しくなむ」<BR>
<P> <P>
 と、忍びて聞こゆ。<BR>  と、忍びて聞こゆ。<BR>
 この人さへうち捨ててむとするを、恨めしうもあはれにも思せど、言ひ止むべき方もなくて、いとど音をのみたけきことにてものしたまふ。<BR>  この人さへうち捨ててむとするを、恨めしうもあはれにも思せど、言ひ止むべき方もなくて、いとど音をのみたけきことにてものしたまふ。<BR>
<P> <P>
 形見に添へたまふべき身馴れ衣も、しほなれたれば、年経ぬるしるし見せたまふべきものなくて、わが御髪の落ちたりけるを取り集めて、鬘にしたまへるが、九尺余ばかりにて、いときよらなるを、をかしげなる箱に入れて、昔の薫衣香のいとかうばしき、一壺具して賜ふ。<BR>  形見に添へたまふべき身馴れ衣も、しほなれたれば、年経ぬるしるし見せたまふべきものなくて、わが御髪の落ちたりけるを取り集めて、鬘にしたまへるが、九尺余ばかりにて、いときよらなるを、をかしげなる箱に入れて、昔の薫衣香のいとかうばしき、一壺具して賜ふ。<BR>
<P> <P>
 「絶ゆまじき筋を頼みし玉かづら<BR>  「絶ゆまじき筋を頼みし玉かづら<BR>
  思ひのほかにかけ離れぬる<BR>   思ひのほかにかけ離れぬる<BR>
<P> <P>
 故ままの、のたまひ置きしこともありしかば、かひなき身なりとも、見果ててむとこそ思ひつれ。うち捨てらるるもことわりなれど、誰に見ゆづりてかと、恨めしうなむ」<BR>  故ままの、のたまひ置きしこともありしかば、かひなき身なりとも、見果ててむとこそ思ひつれ。うち捨てらるるもことわりなれど、誰に見ゆづりてかと、恨めしうなむ」<BR>
<P> <P>
 とて、いみじう泣いたまふ。この人も、ものも聞こえやらず。<BR>  とて、いみじう泣いたまふ。この人も、ものも聞こえやらず。<BR>
<P> <P>
 「ままの遺言は、さらにも聞こえさせず、年ごろの忍びがたき世の憂さを過ぐしはべりつるに、かくおぼえぬ道にいざなはれて、遥かにまかりあくがるること」とて、<BR>  「ままの遺言は、さらにも聞こえさせず、年ごろの忍びがたき世の憂さを過ぐしはべりつるに、かくおぼえぬ道にいざなはれて、遥かにまかりあくがるること」とて、<BR>
<P> <P>
 「玉かづら絶えてもやまじ行く道の<BR>  「玉かづら絶えてもやまじ行く道の<BR>
  手向の神もかけて誓はむ<BR>   手向の神もかけて誓はむ<BR>
 命こそ知りはべらね」<BR>  命こそ知りはべらね」<BR>
<P> <P>
 など言ふに、<BR>  など言ふに、<BR>
 「いづら。暗うなりぬ」<BR>  「いづら。暗うなりぬ」<BR>
 と、つぶやかれて、心も空にて引き出づれば、<A HREF="#no7">かへり見のみ</A><A NAME="te7"></A>られける。<BR>  と、つぶやかれて、心も空にて引き出づれば、<A HREF="#no7">かへり見のみ</A><A NAME="te7"></A>られける。<BR>
<P> <P>
 年ごろわびつつも行き離れざりつる人の、かく別れぬることを、いと心細う思すに、世に用ゐらるまじき老人さへ、<BR>  年ごろわびつつも行き離れざりつる人の、かく別れぬることを、いと心細う思すに、世に用ゐらるまじき老人さへ、<BR>
 「いでや、ことわりぞ。いかでか立ち止まりたまはむ。われらも、えこそ<A HREF="#k10">念じ</A><A NAME="t10"></A>つまじけれ」<BR>  「いでや、ことわりぞ。いかでか立ち止まりたまはむ。われらも、えこそ<A HREF="#k10">念じ</A><A NAME="t10"></A>つまじけれ」<BR>
 と、おのが身々につけたるたよりども思ひ出でて、止まるまじう思へるを、人悪ろく聞きおはす。<BR>  と、おのが身々につけたるたよりども思ひ出でて、止まるまじう思へるを、人悪ろく聞きおはす。<BR>
<P> <P>
 <A NAME="in25">[第五段 常陸宮邸の寂寥]</A><BR>  <A NAME="in25">[第五段 常陸宮邸の寂寥]</A><BR>
<P> <P>
 霜月ばかりになれば、雪、霰がちにて、ほかには消ゆる間もあるを、朝日、夕日をふせぐ蓬葎の蔭に深う積もりて、<A HREF="#no8">越の白山思ひやらるる</A><A NAME="te8"></A>のうちに、出で入る下人だになくて、つれづれと眺めたまふ。はかなきことを聞こえ慰め、泣きみ笑ひみ紛らはしつる人さへなくて、夜も塵がましき御帳のうちも、かたはらさびしく、もの悲しく思さる。<BR>  霜月ばかりになれば、雪、霰がちにて、ほかには消ゆる間もあるを、朝日、夕日をふせぐ蓬葎の蔭に深う積もりて、<A HREF="#no8">越の白山思ひやらるる</A><A NAME="te8"></A>のうちに、出で入る下人だになくて、つれづれと眺めたまふ。はかなきことを聞こえ慰め、泣きみ笑ひみ紛らはしつる人さへなくて、夜も塵がましき御帳のうちも、かたはらさびしく、もの悲しく思さる。<BR>
<P> <P>
 かの殿には、<A HREF="#k11">めづらし人</A><A NAME="t11"></A>、いとどもの騒がしき御ありさまにて、いとやむごとなく思されぬ所々には、わざともえ訪れたまはず。まして、「その人はまだ世にやおはすらむ」とばかり思し出づる折もあれど、尋ねたまふべき<A HREF="#k12">御心ざし</A><A NAME="t12"></A>急がであり経るに、年変はりぬ。<BR>  かの殿には、<A HREF="#k11">めづらし人</A><A NAME="t11"></A>、いとどもの騒がしき御ありさまにて、いとやむごとなく思されぬ所々には、わざともえ訪れたまはず。まして、「その人はまだ世にやおはすらむ」とばかり思し出づる折もあれど、尋ねたまふべき<A HREF="#k12">御心ざし</A><A NAME="t12"></A>急がであり経るに、年変はりぬ。<BR>
<P> <P>
 <H4>第三章 末摘花の物語 久しぶりの再会の物語</H4>  <H4>第三章 末摘花の物語 久しぶりの再会の物語</H4>
 <A NAME="in31">[第一段 花散里訪問途上]</A><BR>  <A NAME="in31">[第一段 花散里訪問途上]</A><BR>
<P> <P>
 卯月ばかりに、花散里を思ひ出できこえたまひて、忍びて対の上に御暇聞こえて出でたまふ。日ごろ降りつる名残の雨、いますこしそそきて、をかしきほどに、月さし出でたり。昔の御ありき思し出でられて、艶なるほどの夕月夜に、道のほど、よろづのこと思し出でておはするに、形もなく荒れたる家の、木立しげく森のやうなるを過ぎたまふ<BR>  卯月ばかりに、花散里を思ひ出できこえたまひて、忍びて対の上に御暇聞こえて出でたまふ。日ごろ降りつる名残の雨、いますこしそそきて、をかしきほどに、月さし出でたり。昔の御ありき思し出でられて、艶なるほどの夕月夜に、道のほど、よろづのこと思し出でておはするに、形もなく荒れたる家の、木立しげく森のやうなるを過ぎたまふ<BR>
<P> <P>
 大きなる<A HREF="#no9">松に藤の咲きかかり</A><A NAME="te9"></A>、月影になよびたる、<A HREF="#no10">風につきてさと匂ふ</A><A NAME="te10"></A><A NAME="t13"></A>つかしく、そこはかとなき香りなり。橘に変はりてをかしければ、さし出でたまへるに、柳もいたうしだりて、築地も障はらねば、乱れ伏したり。<BR>  大きなる<A HREF="#no9">松に藤の咲きかかり</A><A NAME="te9"></A>、月影になよびたる、<A HREF="#no10">風につきてさと匂ふ</A><A NAME="te10"></A><A NAME="t13"></A>つかしく、そこはかとなき香りなり。橘に変はりてをかしければ、さし出でたまへるに、柳もいたうしだりて、築地も障はらねば、乱れ伏したり。<BR>
<P> <P>
 「見し心地する木立かな」と思すは、早う、この宮なりけり。いとあはれにて、おし止めさせたまふ。例の、惟光はかかる御忍びありきに後れねば、さぶらひけり。召し寄せて、<BR>  「見し心地する木立かな」と思すは、早う、この宮なりけり。いとあはれにて、おし止めさせたまふ。例の、惟光はかかる御忍びありきに後れねば、さぶらひけり。召し寄せて、<BR>
 「ここは、常陸の宮ぞかしな」<BR>  「ここは、常陸の宮ぞかしな」<BR>
 「しかはべる」<BR>  「しかはべる」<BR>
 と聞こゆ。<BR>  と聞こゆ。<BR>
 「ここにありし人は、まだや眺むらむ。訪らふべきを、わざとものせむも所狭し。かかるついでに、入りて消息せよ。よく尋ね入りてを、うち出でよ。人違へしては、をこならむ」<BR>  「ここにありし人は、まだや眺むらむ。訪らふべきを、わざとものせむも所狭し。かかるついでに、入りて消息せよ。よく尋ね入りてを、うち出でよ。人違へしては、をこならむ」<BR>
 とのたまふ。<BR>  とのたまふ。<BR>
<P> <P>
 ここには、いとど眺めまさるころにて、つくづくとおはしけるに、昼寝の夢に故宮の見えたまひければ、覚めて、いと名残悲しく思して、漏り濡れたる廂の端つ方おし拭はせて、ここかしこの御座引きつくろはせなどしつつ、例ならず世づきたまひて、<BR>  ここには、いとど眺めまさるころにて、つくづくとおはしけるに、昼寝の夢に故宮の見えたまひければ、覚めて、いと名残悲しく思して、漏り濡れたる廂の端つ方おし拭はせて、ここかしこの御座引きつくろはせなどしつつ、例ならず世づきたまひて、<BR>
<P> <P>
 「亡き人を恋ふる袂のひまなきに<BR>  「亡き人を恋ふる袂のひまなきに<BR>
  荒れたる軒のしづくさへ添ふ」<BR>   荒れたる軒のしづくさへ添ふ」<BR>
<P> <P>
 も、心苦しきほどになむありける。<BR>  も、心苦しきほどになむありける。<BR>
<P> <P>
 <A NAME="in32">[第二段 惟光、邸内を探る]</A><BR>  <A NAME="in32">[第二段 惟光、邸内を探る]</A><BR>
<P> <P>
 惟光入りて、めぐるめぐる人の音する方やと見るに、いささかの人気もせず。「さればこそ、往き来の道に見入るれど、人住みげもなきものを」と思ひて、帰り参るほどに、月明くさし出でたるに、見れば、格子二間ばかり上げて、簾動くけしきなり。わづかに見つけたる心地、恐ろしくさへおぼゆれど、寄りて、声づくれば、いともの古りたる声にて、まづしはぶきを先にたてて、<BR>  惟光入りて、めぐるめぐる人の音する方やと見るに、いささかの人気もせず。「さればこそ、往き来の道に見入るれど、人住みげもなきものを」と思ひて、帰り参るほどに、月明くさし出でたるに、見れば、格子二間ばかり上げて、簾動くけしきなり。わづかに見つけたる心地、恐ろしくさへおぼゆれど、寄りて、声づくれば、いともの古りたる声にて、まづしはぶきを先にたてて、<BR>
<P> <P>
 「かれは誰れぞ。何人ぞ」<BR>  「かれは誰れぞ。何人ぞ」<BR>
 と問ふ。名のりして、<BR>  と問ふ。名のりして、<BR>
 「侍従の君と聞こえし人に、対面賜はらむ」<BR>  「侍従の君と聞こえし人に、対面賜はらむ」<BR>
 と言ふ。<BR>  と言ふ。<BR>
 「それは、ほかになむものしたまふ。されど、思しわくまじき女なむはべる」<BR>  「それは、ほかになむものしたまふ。されど、思しわくまじき女なむはべる」<BR>
 と言ふ声、いたうねび過ぎたれど、聞きし老人と聞き知りたり。<BR>  と言ふ声、いたうねび過ぎたれど、聞きし老人と聞き知りたり。<BR>
<P> <P>
 内には、思ひも寄らず、狩衣姿なる男、忍びやかにもてなし、なごやかなれば、見ならはずなりにける目にて、「もし、狐などの変化にや」とおぼゆれど、近う寄りて、<BR>  内には、思ひも寄らず、狩衣姿なる男、忍びやかにもてなし、なごやかなれば、見ならはずなりにける目にて、「もし、狐などの変化にや」とおぼゆれど、近う寄りて、<BR>
<P> <P>
 「たしかになむ、うけたまはら<A HREF="#k14">まほしき</A><A NAME="t14"></A>変はらぬ御ありさまならば、尋ねきこえさせたまふべき御心ざしも、絶えずなむおはしますめるかし。今宵も行き過ぎがてに、止まらせたまへるを、いかが聞こえさせむ。うしろやすくを」<BR>  「たしかになむ、うけたまはら<A HREF="#k14">まほしき</A><A NAME="t14"></A>変はらぬ御ありさまならば、尋ねきこえさせたまふべき御心ざしも、絶えずなむおはしますめるかし。今宵も行き過ぎがてに、止まらせたまへるを、いかが聞こえさせむ。うしろやすくを」<BR>
<P> <P>
 と言へば、女どもうち笑ひて、<BR>  と言へば、女どもうち笑ひて、<BR>
<P> <P>
 「変はらせたまふ御ありさまならば、かかる浅茅が原を移ろひたまはでははべりなむや。ただ推し量りて聞こえさせたまへかし。年経たる人の心にも、たぐひあらじとのみ、めづらかなる世をこそは見たてまつり過ごし<A HREF="#k15">はべれ</A><A NAME="t15"></A><BR>  「変はらせたまふ御ありさまならば、かかる浅茅が原を移ろひたまはでははべりなむや。ただ推し量りて聞こえさせたまへかし。年経たる人の心にも、たぐひあらじとのみ、めづらかなる世をこそは見たてまつり過ごし<A HREF="#k15">はべれ</A><A NAME="t15"></A><BR>
<P> <P>
 と、ややくづし出でて、問はず語りもしつべきが、<A HREF="#k16">むつかしけれ</A><A NAME="t16"></A><BR>  と、ややくづし出でて、問はず語りもしつべきが、<A HREF="#k16">むつかしけれ</A><A NAME="t16"></A><BR>
<P> <P>
 「よしよし。まづ、かくなむ、聞こえさせむ」<BR>  「よしよし。まづ、かくなむ、聞こえさせむ」<BR>
 とて参りぬ。<BR>  とて参りぬ。<BR>
<P> <P>
 <A NAME="in33">[第三段 源氏、邸内に入る]</A><BR>  <A NAME="in33">[第三段 源氏、邸内に入る]</A><BR>
<P> <P>
 「などかいと久しかりつる。いかにぞ。昔のあとも見えぬ蓬のしげさかな」<BR>  「などかいと久しかりつる。いかにぞ。昔のあとも見えぬ蓬のしげさかな」<BR>
 とのたまへば、<BR>  とのたまへば、<BR>
 「しかしかなむ、たどり寄りてはべりつる。侍従が叔母の少将といひはべりし老人なむ、変はらぬ声にてはべりつる」<BR>  「しかしかなむ、たどり寄りてはべりつる。侍従が叔母の少将といひはべりし老人なむ、変はらぬ声にてはべりつる」<BR>
 と、ありさま聞こゆ。<BR>  と、ありさま聞こゆ。<BR>
<P> <P>
 いみじうあはれに、<BR>  いみじうあはれに、<BR>
 「かかるしげき中に、何心地して過ぐしたまふらむ。今まで訪はざりけるよ」<BR>  「かかるしげき中に、何心地して過ぐしたまふらむ。今まで訪はざりけるよ」<BR>
 と、わが御心の情けなさも思し知らる。<BR>  と、わが御心の情けなさも思し知らる。<BR>
<P> <P>
 「いかがすべき。かかる忍びあるきも難かるべきを、かかるついでならでは、え立ち寄らじ。変はらぬありさまならば、げにさこそはあらめと、推し量らるる人ざまになむ<BR>  「いかがすべき。かかる忍びあるきも難かるべきを、かかるついでならでは、え立ち寄らじ。変はらぬありさまならば、げにさこそはあらめと、推し量らるる人ざまになむ<BR>
<P> <P>
 とはのたまひながら、ふと入りたまはむこと、なほつつましう思さる。ゆゑある御消息もいと聞こえまほしけれど、見たまひしほどの口遅さも、まだ変らずは、御使の立ちわづらはむもいとほしう、思しとどめつ。惟光も、<BR>  とはのたまひながら、ふと入りたまはむこと、なほつつましう思さる。ゆゑある御消息もいと聞こえまほしけれど、見たまひしほどの口遅さも、まだ変らずは、御使の立ちわづらはむもいとほしう、思しとどめつ。惟光も、<BR>
<P> <P>
 「さらにえ分けさせたまふまじき、蓬の露けさになむはべる。露すこし払はせてなむ、入らせたまふべき」<BR>  「さらにえ分けさせたまふまじき、蓬の露けさになむはべる。露すこし払はせてなむ、入らせたまふべき」<BR>
<P> <P>
 と聞こゆれば、<BR>  と聞こゆれば、<BR>
<P> <P>
 「尋ねても我こそ訪はめ道もなく<BR>  「尋ねても我こそ訪はめ道もなく<BR>
  深き蓬のもとの心を」<BR>   深き蓬のもとの心を」<BR>
<P> <P>
 と独りごちて、なほ下りたまへば、御先の露を、馬の鞭して払ひつつ入れたてまつる<BR>  と独りごちて、なほ下りたまへば、御先の露を、馬の鞭して払ひつつ入れたてまつる<BR>
 雨そそきも、なほ秋の時雨めきてうちそそけば、<BR>  雨そそきも、なほ秋の時雨めきてうちそそけば、<BR>
<P> <P>
 「<A HREF="#no11">御傘さぶらふ。げに、木の下露は、雨にまさりて</A><A NAME="te11"></A><BR>  「<A HREF="#no11">御傘さぶらふ。げに、木の下露は、雨にまさりて</A><A NAME="te11"></A><BR>
 と聞こゆ。御指貫の裾は、いたうそほちぬめり。昔だにあるかなきかなりし中門など、まして形もなくなりて、入りたまふにつけても、いと無徳なるを、立ちまじり見る人なきぞ心やすかりける。<BR>  と聞こゆ。御指貫の裾は、いたうそほちぬめり。昔だにあるかなきかなりし中門など、まして形もなくなりて、入りたまふにつけても、いと無徳なるを、立ちまじり見る人なきぞ心やすかりける。<BR>
<P> <P>
 <A NAME="in34">[第四段 末摘花と再会]</A><BR>  <A NAME="in34">[第四段 末摘花と再会]</A><BR>
<P> <P>
 姫君は、さりともと待ち過ぐしたまへる心もしるく、うれしけれど、いと恥づかしき御ありさまにて対面せむも、いとつつましく思したり。大弐の<A HREF="#k17">北の方</A><A NAME="t17"></A>たてまつり置きし御衣どもをも、心ゆかず思されしゆかりに、見入れたまはざりけるを、この人びとの、香の御唐櫃に入れたりけるが、いとなつかしき香したるをたてまつりければ、いかがはせむに、着替へたまひて、かの煤けたる御几帳引き寄せておはす。<BR>  姫君は、さりともと待ち過ぐしたまへる心もしるく、うれしけれど、いと恥づかしき御ありさまにて対面せむも、いとつつましく思したり。大弐の<A HREF="#k17">北の方</A><A NAME="t17"></A>たてまつり置きし御衣どもをも、心ゆかず思されしゆかりに、見入れたまはざりけるを、この人びとの、香の御唐櫃に入れたりけるが、いとなつかしき香したるをたてまつりければ、いかがはせむに、着替へたまひて、かの煤けたる御几帳引き寄せておはす。<BR>
<P> <P>
 入りたまひて、<BR>  入りたまひて、<BR>
<P> <P>
 「年ごろの隔てにも、心ばかりは変はらずなむ、思ひやりきこえつるを、さしもおどろかいたまはぬ恨めしさに、今までこころみきこえつるを、<A HREF="#no12">杉ならぬ木立</A><A NAME="te12"></A>しるさに、え過ぎでなむ、負けきこえにける」<BR>  「年ごろの隔てにも、心ばかりは変はらずなむ、思ひやりきこえつるを、さしもおどろかいたまはぬ恨めしさに、今までこころみきこえつるを、<A HREF="#no12">杉ならぬ木立</A><A NAME="te12"></A>しるさに、え過ぎでなむ、負けきこえにける」<BR>
<P> <P>
 とて、帷子をすこしかきやりたまへれば、例の、いとつつましげに、とみにも応へきこえたまはず。かくばかり分け入りたまへるが浅からぬに、思ひ起こしてぞ、ほのかに聞こえ出でたまひける。<BR>  とて、帷子をすこしかきやりたまへれば、例の、いとつつましげに、とみにも応へきこえたまはず。かくばかり分け入りたまへるが浅からぬに、思ひ起こしてぞ、ほのかに聞こえ出でたまひける。<BR>
<P> <P>
 「かかる草隠れに過ぐしたまひける年月のあはれも、おろかならず、また変はらぬ心ならひに、人の御心のうちもたどり知らずながら、分け入りはべりつる露けさなどを、いかが思す。年ごろのおこたり、はた、なべての世に思しゆるすらむ。今よりのちの御心にかなはざらむなむ、<A HREF="#no13">言ひしに違ふ罪</A><A NAME="te13"></A>負ふべき」<BR>  「かかる草隠れに過ぐしたまひける年月のあはれも、おろかならず、また変はらぬ心ならひに、人の御心のうちもたどり知らずながら、分け入りはべりつる露けさなどを、いかが思す。年ごろのおこたり、はた、なべての世に思しゆるすらむ。今よりのちの御心にかなはざらむなむ、<A HREF="#no13">言ひしに違ふ罪</A><A NAME="te13"></A>負ふべき」<BR>
<P> <P>
 など、さしも思されぬことも、情け情けしう聞こえなしたまふことども、<A HREF="#k18">あむめり</A><A NAME="t18"></A><BR>  など、さしも思されぬことも、情け情けしう聞こえなしたまふことども、<A HREF="#k18">あむめり</A><A NAME="t18"></A><BR>
<P> <P>
 立ちとどまりたまはむも、所のさまよりはじめ、まばゆき御ありさまなれば、つきづきしうのたまひすぐして、出でたまひなむとす。<A HREF="#no14">引き植ゑしならねど、松の木高くなりにける</A><A NAME="te14"></A>月のほどもあはれに、夢のやうなる御身のありさまも思し続けらる。<BR>  立ちとどまりたまはむも、所のさまよりはじめ、まばゆき御ありさまなれば、つきづきしうのたまひすぐして、出でたまひなむとす。<A HREF="#no14">引き植ゑしならねど、松の木高くなりにける</A><A NAME="te14"></A>月のほどもあはれに、夢のやうなる御身のありさまも思し続けらる。<BR>
<P> <P>
 「藤波のうち過ぎがたく見えつるは<BR>  「藤波のうち過ぎがたく見えつるは<BR>
  松こそ宿のしるしなりけれ<BR>   松こそ宿のしるしなりけれ<BR>
<P> <P>
 数ふれば、こよなう積もりぬらむかし。都に変はりにけることの多かりけるも、さまざまあはれになむ。今、のどかにぞ<A HREF="#no15">鄙の別れに衰へし</A><A NAME="te15"></A>の物語も聞こえ尽くすべき。年経たまへらむ春秋の暮らしがたさなども、誰にかは愁へたまはむと、うらもなくおぼゆるも、かつは、あやしうなむ」<BR>  数ふれば、こよなう積もりぬらむかし。都に変はりにけることの多かりけるも、さまざまあはれになむ。今、のどかにぞ<A HREF="#no15">鄙の別れに衰へし</A><A NAME="te15"></A>の物語も聞こえ尽くすべき。年経たまへらむ春秋の暮らしがたさなども、誰にかは愁へたまはむと、うらもなくおぼゆるも、かつは、あやしうなむ」<BR>
<P> <P>
 など聞こえたまへば、<BR>  など聞こえたまへば、<BR>
<P> <P>
 「年を経て待つしるしなきわが宿を<BR>  「年を経て待つしるしなきわが宿を<BR>
  花のたよりに過ぎぬばかりか」<BR>   花のたよりに過ぎぬばかりか」<BR>
<P> <P>
 と忍びやかにうちみじろきたまへるけはひも、袖の香も、「昔よりはねびまさりたまへるにや」と思さる。<BR>  と忍びやかにうちみじろきたまへるけはひも、袖の香も、「昔よりはねびまさりたまへるにや」と思さる。<BR>
<P> <P>
 月入り方になりて、西の妻戸の開きたるより、障はるべき渡殿だつ屋もなく、軒のつまも残りなければ、いとはなやかにさし入りたれば、あたりあたり見ゆるに、昔に変はらぬ御しつらひのさまなど、<A HREF="#no16">忍草にやつれたる</A><A NAME="te16"></A>の見るめよりは、みやびかに見ゆるを、昔物語に塔こぼちたる人もありけるを思しあはするに、同じさまにて年古りにけるもあはれなり。ひたぶるにものづつみしたるけはひの、さすがにあてやかなるも、心にくく思されて、さる方にて忘れじと心苦しく思ひしを、年ごろさまざまのもの思ひに、ほれぼれしくて隔てつるほど、つらしと思はれつらむと、いとほしく思す。<BR>  月入り方になりて、西の妻戸の開きたるより、障はるべき渡殿だつ屋もなく、軒のつまも残りなければ、いとはなやかにさし入りたれば、あたりあたり見ゆるに、昔に変はらぬ御しつらひのさまなど、<A HREF="#no16">忍草にやつれたる</A><A NAME="te16"></A>の見るめよりは、みやびかに見ゆるを、昔物語に塔こぼちたる人もありけるを思しあはするに、同じさまにて年古りにけるもあはれなり。ひたぶるにものづつみしたるけはひの、さすがにあてやかなるも、心にくく思されて、さる方にて忘れじと心苦しく思ひしを、年ごろさまざまのもの思ひに、ほれぼれしくて隔てつるほど、つらしと思はれつらむと、いとほしく思す。<BR>
<P> <P>
 かの花散里も、あざやかに今めかしうなどは<A HREF="#k19">花やぎ</A><A NAME="t19"></A>まはぬ所にて、御目移しこよなからぬに、咎多う隠れにけり。<BR>  かの花散里も、あざやかに今めかしうなどは<A HREF="#k19">花やぎ</A><A NAME="t19"></A>まはぬ所にて、御目移しこよなからぬに、咎多う隠れにけり。<BR>
<P> <P>
 <H4>第四章 末摘花の物語 その後の物語</H4>  <H4>第四章 末摘花の物語 その後の物語</H4>
 <A NAME="in41">[第一段 末摘花への生活援助]</A><BR>  <A NAME="in41">[第一段 末摘花への生活援助]</A><BR>
<P> <P>
 祭、御禊などのほど、御いそぎどもにことつけて、人のたてまつりたる物いろいろに多かるを、さるべき限り御心加へたまふ。中にもこの宮にはこまやかに思し寄りて、むつましき人びとに仰せ言賜ひ、下部どもなど遣はして、蓬払はせ、めぐりの見苦しきに、板垣といふもの、うち堅め繕はせたまふ。かう尋ね出でたまへりと、聞き伝へむにつけても、わが御ため面目なければ、渡りたまふことはなし。御文いとこまやかに書きたまひて、二条院近き所を造らせたまふを、<BR>  祭、御禊などのほど、御いそぎどもにことつけて、人のたてまつりたる物いろいろに多かるを、さるべき限り御心加へたまふ。中にもこの宮にはこまやかに思し寄りて、むつましき人びとに仰せ言賜ひ、下部どもなど遣はして、蓬払はせ、めぐりの見苦しきに、板垣といふもの、うち堅め繕はせたまふ。かう尋ね出でたまへりと、聞き伝へむにつけても、わが御ため面目なければ、渡りたまふことはなし。御文いとこまやかに書きたまひて、二条院近き所を造らせたまふを、<BR>
<P> <P>
 「そこになむ渡したてまつるべき。よろしき童女など、求めさぶらはせたまへ」<BR>  「そこになむ渡したてまつるべき。よろしき童女など、求めさぶらはせたまへ」<BR>
<P> <P>
 など、人びとの上まで思しやりつつ、訪らひきこえたまへば、かくあやしき蓬のもとには、置き所なきまで、女ばらも空を仰ぎてなむ、そなたに向きて喜びきこえける。<BR>  など、人びとの上まで思しやりつつ、訪らひきこえたまへば、かくあやしき蓬のもとには、置き所なきまで、女ばらも空を仰ぎてなむ、そなたに向きて喜びきこえける。<BR>
<P> <P>
 なげの御すさびにても、おしなべたる世の常の人をば、目止め耳立てたまはず、世にすこしこれはと思ほえ、心地にとまる節あるあたりを尋ね寄りたまふものと、人の知りたるに、かく引き違へ、何ごともなのめにだにあらぬ御ありさまを、ものめかし出でたまふは、いかなりける御心にかありけむ。これも昔の契りなめりかし。<BR>  なげの御すさびにても、おしなべたる世の常の人をば、目止め耳立てたまはず、世にすこしこれはと思ほえ、心地にとまる節あるあたりを尋ね寄りたまふものと、人の知りたるに、かく引き違へ、何ごともなのめにだにあらぬ御ありさまを、ものめかし出でたまふは、いかなりける御心にかありけむ。これも昔の契りなめりかし。<BR>
<P> <P>
 <A NAME="in42">[第二段 常陸宮邸に活気戻る]</A><BR>   <A NAME="in42">[第二段 常陸宮邸に活気戻る]</A><BR> 
<P> <P>
 今は限りと、あなづり果てて、さまざまに迷ひ散りあかれし<A HREF="#k20">上下</A><A NAME="t20"></A>人びと、我も我も参らむと争ひ出づる人もあり。心ばへなど、はた、埋もれいたきまでよくおはする御ありさまに、心やすくならひて、ことなることなきなま受領などやうの家にある人は、ならはずはしたなき心地するもありて、うちつけの心みえに参り帰り、君は、いにしへにもまさりたる御勢のほどにて、ものの思ひやりもまして添ひたまひにければ、こまやかに思しおきてたるに、にほひ出でて、宮の内やうやう人目見え、木草の葉もただすごくあはれに見えなされしを、遣水かき払ひ、前栽のもとだちも涼しうしなしなどして、ことなるおぼえなき下家司の、こと<A HREF="#k21">仕へ</A><A NAME="t21"></A>ほしきは、かく御心とどめて思さるることなめりと<A HREF="#k22">見取り</A><A NAME="t22"></A>、御けしき賜はりつつ、追従し仕うまつる。<BR>  今は限りと、あなづり果てて、さまざまに迷ひ散りあかれし<A HREF="#k20">上下</A><A NAME="t20"></A>人びと、我も我も参らむと争ひ出づる人もあり。心ばへなど、はた、埋もれいたきまでよくおはする御ありさまに、心やすくならひて、ことなることなきなま受領などやうの家にある人は、ならはずはしたなき心地するもありて、うちつけの心みえに参り帰り、君は、いにしへにもまさりたる御勢のほどにて、ものの思ひやりもまして添ひたまひにければ、こまやかに思しおきてたるに、にほひ出でて、宮の内やうやう人目見え、木草の葉もただすごくあはれに見えなされしを、遣水かき払ひ、前栽のもとだちも涼しうしなしなどして、ことなるおぼえなき下家司の、こと<A HREF="#k21">仕へ</A><A NAME="t21"></A>ほしきは、かく御心とどめて思さるることなめりと<A HREF="#k22">見取り</A><A NAME="t22"></A>、御けしき賜はりつつ、追従し仕うまつる。<BR>
<P> <P>
 <A NAME="in43">[第三段 末摘花のその後]</A><BR>  <A NAME="in43">[第三段 末摘花のその後]</A><BR>
<P> <P>
 二年ばかりこの古宮に眺めたまひて、東の院といふ所になむ、後は渡したてまつりたまひける。対面したまふことなどは、いとかたけれど、近きしめのほどにて、おほかたにも渡りたまふに、さしのぞきなどしたまひつつ、いとあなづらはしげにもてなしきこえたまはず。<BR>  二年ばかりこの古宮に眺めたまひて、東の院といふ所になむ、後は渡したてまつりたまひける。対面したまふことなどは、いとかたけれど、近きしめのほどにて、おほかたにも渡りたまふに、さしのぞきなどしたまひつつ、いとあなづらはしげにもてなしきこえたまはず。<BR>
<P> <P>
 かの大弐の北の方、上りて驚き思へるさま、侍従が、うれしきものの、今しばし待ちきこえざりける心浅さを、恥づかしう思へるほどなどを、今すこし問はず語りもせまほしけれど、いと頭いたう、うるさく、もの憂ければなむ。今またもついであらむ折に、思ひ出でて聞こゆべき、とぞ。<BR>  かの大弐の北の方、上りて驚き思へるさま、侍従が、うれしきものの、今しばし待ちきこえざりける心浅さを、恥づかしう思へるほどなどを、今すこし問はず語りもせまほしけれど、いと頭いたう、うるさく、もの憂ければなむ。今またもついであらむ折に、思ひ出でて聞こゆべき、とぞ。<BR>
   
<P> <P>
 <a name="in51">【出典】<BR>  <a name="in51">【出典】<BR>
</a><A NAME="no1">出典1</A> わくらばに問ふ人あらば須磨の浦に藻塩垂れつつわぶと答へよ(古今集雑下-九六二 在原行平)<A HREF="#te1">(戻)</A><BR> </a><A NAME="no1">出典1</A> わくらばに問ふ人あらば須磨の浦に藻塩垂れつつわぶと答へよ(古今集雑下-九六二 在原行平)<A HREF="#te1">(戻)</A><BR>
<A NAME="no2">出典2</A> 今さらに何に生ひ出づらむ竹の子の憂き節しげき世とは知らずや(古今集雑下-九五七 凡河内躬恒)<A HREF="#te2">(戻)</A><BR> <A NAME="no2">出典2</A> 今さらに何に生ひ出づらむ竹の子の憂き節しげき世とは知らずや(古今集雑下-九五七 凡河内躬恒)<A HREF="#te2">(戻)</A><BR>
<A NAME="no3">出典3</A> 梟鳴松桂枝 狐蔵蘭菊叢(白氏文集巻一- 凶宅詩)<A HREF="#te3">(戻)</A><BR> <A NAME="no3">出典3</A> 梟鳴松桂枝 狐蔵蘭菊叢(白氏文集巻一- 凶宅詩)<A HREF="#te3">(戻)</A><BR>
<A NAME="no4">出典4</A> 岩そそく垂氷の上の早蕨の萌え出づる春になりにけるかな(古今六帖一-七 志貴皇子)<A HREF="#te4">(戻)</A><BR> <A NAME="no4">出典4</A> 岩そそく垂氷の上の早蕨の萌え出づる春になりにけるかな(古今六帖一-七 志貴皇子)<A HREF="#te4">(戻)</A><BR>
<A NAME="no5">出典5</A> 世の中は昔よりやは憂かりけむわが身一つのためになれるか(古今集雑下-九四八 読人しらず)<A HREF="#te5">(戻)</A><BR> <A NAME="no5">出典5</A> 世の中は昔よりやは憂かりけむわが身一つのためになれるか(古今集雑下-九四八 読人しらず)<A HREF="#te5">(戻)</A><BR>
<A NAME="no6">出典6</A> 世の憂き目見えぬ山路へ入らむには思ふ人こそほだしなりけれ(古今集雑下-九五五 物部吉名)み吉野の山のあなたに宿もがな世の憂き時の隠れがにせむ(古今集雑下-九五〇 読人しらず)<A HREF="#te6">(戻)</A><BR> <A NAME="no6">出典6</A> 世の憂き目見えぬ山路へ入らむには思ふ人こそほだしなりけれ(古今集雑下-九五五 物部吉名)み吉野の山のあなたに宿もがな世の憂き時の隠れがにせむ(古今集雑下-九五〇 読人しらず)<A HREF="#te6">(戻)</A><BR>
<A NAME="no7">出典7</A> 君が住む宿の梢のゆくゆくと隠るるまでにかへり見しはや(拾遺集別-三五一 菅原道真)<A HREF="#te7">(戻)</A><BR> <A NAME="no7">出典7</A> 君が住む宿の梢のゆくゆくと隠るるまでにかへり見しはや(拾遺集別-三五一 菅原道真)<A HREF="#te7">(戻)</A><BR>
<A NAME="no8">出典8</A> 君が行く越の白山知らねども雪のまにまに跡は訪ねむ(古今集別-三九一 藤原兼輔)音に聞く越の白山白雪の降り積もりてのことにぞありける(公任集-一七八)<A HREF="#te8">(戻)</A><BR> <A NAME="no8">出典8</A> 君が行く越の白山知らねども雪のまにまに跡は訪ねむ(古今集別-三九一 藤原兼輔)音に聞く越の白山白雪の降り積もりてのことにぞありける(公任集-一七八)<A HREF="#te8">(戻)</A><BR>
<A NAME="no9">出典9</A> 夏にこそ咲きかかりけれ藤の花松にとのみも思ひけるかな(拾遺集夏-八三 源重之)<A HREF="#te9">(戻)</A><BR> <A NAME="no9">出典9</A> 夏にこそ咲きかかりけれ藤の花松にとのみも思ひけるかな(拾遺集夏-八三 源重之)<A HREF="#te9">(戻)</A><BR>
<A NAME="no10">出典10</A> 人もなき宿に匂へる藤の花風にのみこそみだるべらなれ(貫之集-七一)<A HREF="#te10">(戻)</A><BR> <A NAME="no10">出典10</A> 人もなき宿に匂へる藤の花風にのみこそみだるべらなれ(貫之集-七一)<A HREF="#te10">(戻)</A><BR>
<A NAME="no11">出典11</A> みさぶらひみかさと申せ宮城野の木の下露は雨にまされり(古今集東歌-一〇九一 陸奥歌)<A HREF="#te11">(戻)</A><BR> <A NAME="no11">出典11</A> みさぶらひみかさと申せ宮城野の木の下露は雨にまされり(古今集東歌-一〇九一 陸奥歌)<A HREF="#te11">(戻)</A><BR>
<A NAME="no12">出典12</A> わが宿は三輪の山もと恋しくはとぶらひ来ませ杉立てる門(古今集雑下-九八二 読人しらず)わが宿の松はしるしもなかりけり杉村ならば訪ね来なまし(匡衡集-五三)<A HREF="#te12">(戻)</A><BR> <A NAME="no12">出典12</A> わが宿は三輪の山もと恋しくはとぶらひ来ませ杉立てる門(古今集雑下-九八二 読人しらず)わが宿の松はしるしもなかりけり杉村ならば訪ね来なまし(匡衡集-五三)<A HREF="#te12">(戻)</A><BR>
<A NAME="no13">出典13</A> いとどこそまさりにまされ忘れじといひしに違ふ言のつらさは(奥入所引-出典未詳)<A HREF="#te13">(戻)</A><BR> <A NAME="no13">出典13</A> いとどこそまさりにまされ忘れじといひしに違ふ言のつらさは(奥入所引-出典未詳)<A HREF="#te13">(戻)</A><BR>
<A NAME="no14">出典14</A> 引きて植ゑし人はむべこそ老いにけれ松の木高くなりにけるかな(後撰集雑一-一一〇七 凡河内躬恒)<A HREF="#te14">(戻)</A><BR> <A NAME="no14">出典14</A> 引きて植ゑし人はむべこそ老いにけれ松の木高くなりにけるかな(後撰集雑一-一一〇七 凡河内躬恒)<A HREF="#te14">(戻)</A><BR>
<A NAME="no15">出典15</A> 思ひきや鄙の別れに衰へて海人の縄たきいさりせむとは(古今集雑下-九六一 小野篁)<A HREF="#te15">(戻)</A><BR> <A NAME="no15">出典15</A> 思ひきや鄙の別れに衰へて海人の縄たきいさりせむとは(古今集雑下-九六一 小野篁)<A HREF="#te15">(戻)</A><BR>
<A NAME="no16">出典16</A> 君しのぶ草にやつるる故郷は松虫の音ぞ悲しかりける(古今集秋上-二〇〇 読人しらず)<A HREF="#te16">(戻)</A><BR> <A NAME="no16">出典16</A> 君しのぶ草にやつるる故郷は松虫の音ぞ悲しかりける(古今集秋上-二〇〇 読人しらず)<A HREF="#te16">(戻)</A><BR>
   
<p> <a name="in52">【校訂】<BR> <p> <a name="in52">【校訂】<BR>
備考--/) ミセケチ--$ 抹消--# 補入--+ 傍書--= ナゾリ--& 独自異文等--* 朱筆--<> 不明--<BR> 備考--/) ミセケチ--$ 抹消--# 補入--+ 傍書--= ナゾリ--& 独自異文等--* 朱筆--<> 不明--<BR>
</a><A NAME="k01">校訂1</A> 形--かた(かた/<>)かたち<A HREF="#t01">(戻)</A><BR> </a><A NAME="k01">校訂1</A> 形--かた(かた/<>)かたち<A HREF="#t01">(戻)</A><BR>
<A NAME="k02">校訂2</A> 堪へ--たえ(え/$へ)<A HREF="#t02">(戻)</A><BR> <A NAME="k02">校訂2</A> 堪へ--たえ(え/$へ)<A HREF="#t02">(戻)</A><BR>
<A NAME="k03">校訂3</A> 案内--あん(ん/+ない)<A HREF="#t03">(戻)</A><BR> <A NAME="k03">校訂3</A> 案内--あん(ん/+ない)<A HREF="#t03">(戻)</A><BR>
<A NAME="k04">校訂4</A> 唐守--からもりて(て/<><A HREF="#t04">(戻)</A><BR> <A NAME="k04">校訂4</A> 唐守--からもりて(て/<><A HREF="#t04">(戻)</A><BR>
<A NAME="k05">校訂5</A> 北の方の--/+き)か(か/$)たの(/+かたの)<A HREF="#t05">(戻)</A><BR> <A NAME="k05">校訂5</A> 北の方の--/+き)か(か/$)たの(/+かたの)<A HREF="#t05">(戻)</A><BR>
<A NAME="k06">校訂6</A> 見置きて--見せ(せ/$を)きて<A HREF="#t06">(戻)</A><BR> <A NAME="k06">校訂6</A> 見置きて--見せ(せ/$を)きて<A HREF="#t06">(戻)</A><BR>
<A NAME="k07">校訂7</A> まかり--*まか(か/#)か(か/$)り<A HREF="#t07">(戻)</A><BR> <A NAME="k07">校訂7</A> まかり--*まか(か/#)か(か/$)り<A HREF="#t07">(戻)</A><BR>
<A NAME="k08">校訂8</A> たびしかはら--たひ(ひ/+し)かはら<A HREF="#t08">(戻)</A><BR> <A NAME="k08">校訂8</A> たびしかはら--たひ(ひ/+し)かはら<A HREF="#t08">(戻)</A><BR>
<A NAME="k09">校訂9</A> たるに--たるにに(に/<><A HREF="#t09">(戻)</A><BR> <A NAME="k09">校訂9</A> たるに--たるにに(に/<><A HREF="#t09">(戻)</A><BR>
<A NAME="k10">校訂10</A> 念じ--ねつ(つ/$む<>)し<A HREF="#t10">(戻)</A><BR> <A NAME="k10">校訂10</A> 念じ--ねつ(つ/$む<>)し<A HREF="#t10">(戻)</A><BR>
<A NAME="k11">校訂11</A> めづらし人--めつらら(ら/<>しひ(ひ/+と)<A HREF="#t11">(戻)</A><BR> <A NAME="k11">校訂11</A> めづらし人--めつらら(ら/<>しひ(ひ/+と)<A HREF="#t11">(戻)</A><BR>
<A NAME="k12">校訂12</A> 御心ざし--御心(心/+さ)し<A HREF="#t12">(戻)</A><BR> <A NAME="k12">校訂12</A> 御心ざし--御心(心/+さ)し<A HREF="#t12">(戻)</A><BR>
<A NAME="k13">校訂13</A> さと--さとに(に/<><A HREF="#t13">(戻)</A><BR> <A NAME="k13">校訂13</A> さと--さとに(に/<><A HREF="#t13">(戻)</A><BR>
<A NAME="k14">校訂14</A> まほしき--/+<>)ほしき<A HREF="#t14">(戻)</A><BR> <A NAME="k14">校訂14</A> まほしき--/+<>)ほしき<A HREF="#t14">(戻)</A><BR>
<A NAME="k15">校訂15</A> はべれ--*はへる<A HREF="#t15">(戻)</A><BR> <A NAME="k15">校訂15</A> はべれ--*はへる<A HREF="#t15">(戻)</A><BR>
<A NAME="k16">校訂16</A> むつかしけれ--むへ(へ/$つ<>かしけれ<A HREF="#t16">(戻)</A><BR> <A NAME="k16">校訂16</A> むつかしけれ--むへ(へ/$つ<>かしけれ<A HREF="#t16">(戻)</A><BR>
<A NAME="k17">校訂17</A> 北の方--きた(た/+の)かた<A HREF="#t17">(戻)</A><BR> <A NAME="k17">校訂17</A> 北の方--きた(た/+の)かた<A HREF="#t17">(戻)</A><BR>
<A NAME="k18">校訂18</A> あむめり--*あへめり<A HREF="#t18">(戻)</A><BR> <A NAME="k18">校訂18</A> あむめり--*あへめり<A HREF="#t18">(戻)</A><BR>
<A NAME="k19">校訂19</A> 花やぎ--はなやな(な/<>)き<A HREF="#t19">(戻)</A><BR> <A NAME="k19">校訂19</A> 花やぎ--はなやな(な/<>)き<A HREF="#t19">(戻)</A><BR>
<A NAME="k20">校訂20</A> 上下--*うへしも<A HREF="#t20">(戻)</A><BR> <A NAME="k20">校訂20</A> 上下--*うへしも<A HREF="#t20">(戻)</A><BR>
<A NAME="k21">校訂21</A> 仕へ--つか(か/+<><A HREF="#t21">(戻)</A><BR> <A NAME="k21">校訂21</A> 仕へ--つか(か/+<><A HREF="#t21">(戻)</A><BR>
<A NAME="k22">校訂22</A> 見取り--み(み/+と)り<A HREF="#t22">(戻)</A><BR> <A NAME="k22">校訂22</A> 見取り--み(み/+と)り<A HREF="#t22">(戻)</A><BR>
</p> </p>
<p><a href="index.html">源氏物語の世界ヘ</a><BR> <p><a href="index.html">源氏物語の世界ヘ</a><BR>
<a href="roman15.html">ローマ字版 </a><BR> <a href="roman15.html">ローマ字版 </a><BR>
<a href="version15.html">現代語訳 </a><BR> <a href="version15.html">現代語訳 </a><BR>
<a href="note15.html">注釈</a><BR> <a href="note15.html">注釈</a><BR>
<a href="data15.html">大島本</a><BR> <a href="data15.html">大島本</a><BR>
<a href="okuiri15.html">自筆本奥入</a><BR> <a href="okuiri15.html">自筆本奥入</a><BR>
</p> </p>
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