設定 | 番号 | 本文 | 渋谷栄一訳 | 与謝野晶子訳 | 注釈 | 挿絵 | ルビ | 罫線 | 登場人物 | 帖見出し | 章見出し | 段見出し | 列見出し | |
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この帖の主な登場人物 | |||
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登場人物 | 読み | 呼称 | 備考 |
光る源氏 | ひかるげんじ | 大将殿 |
二十五歳;参議兼近衛右大将 |
花散里 | はなちるさと | 三の君 |
麗景殿女御の妹;源氏の恋人 |
麗景殿女御 | れいけいでんのにょうご | 麗景殿 女御 |
故桐壺院の女御 |
惟光 | これみつ | 惟光 |
源氏の乳母子 |
第十帖 賢木 光る源氏の二十三歳秋九月から二十五歳夏まで近衛大将時代の物語 |
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本文 |
渋谷栄一訳 |
与謝野晶子訳 |
注釈 |
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第一章 六条御息所の物語 秋の別れと伊勢下向の物語 |
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第一段 六条御息所、伊勢下向を決意 |
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1.1.1 | やむごとなくわづらはしきものにおぼえたまへりし |
斎宮の御下向、近づくなるにつれて、御息所、何となく心細くいらっしゃる。 重々しくけむたいご本妻だと思っていらした大殿の姫君もお亡くなりになって後、いくら何でもと世間の人々もお噂申し、宮の内でも期待していたのに、それから後、すっかりお通いがなく、あまりなお仕向けを御覧になると、本当にお嫌いになる事があったのだろうと、すっかりお分かりになってしまったので、一切の未練をお捨てになって、一途にご出立なさる。 |
【斎宮の御下り、近うなりゆくままに】- 斎宮は野宮で一年間潔斎した後の九月に伊勢神宮へ向かう。 【やむごとなくわづらはしきものにおぼえたまへりし】- 御息所の生前の正妻であった葵の上に対する感情。 【さりともと世人も聞こえ】- 『集成』は「「さ」は源氏と御息所の、しっくりいっていなかった関係をさす。それが世間に知れていた」と注す。『完訳』は「これまでそうだとしても、今度こそ御息所が正妻に、の意」と注す。 【宮のうちにも】- 『集成』は「(御息所の)御殿の人々も。斎宮の邸なので「宮」という」と注す。『完訳』は「野宮にお仕えする人々も」と注す。 【あさましき御もてなし】- 源氏の御息所に対する扱い。 【まことに憂しと思すことこそありけめ】- 大島本「うして」とある。「て」を朱筆でミセケチにし、「と」と訂正する。御息所の心中。生霊事件をさす。 【出で立ちたまふ】- 『集成』は「ご出発なさろうとする」の意に、『完訳』は「ご出発をご用意になるのである」の意に解す。 |
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1.1.2 | 「 |
母親が付き添ってお下りになる先例も、特にないが、とても手放し難いご様子なのに託つけて、「嫌な世間から逃れ去ろう」とお思いになると、大将の君、そうは言っても、これが最後と遠くへ行っておしまいになるのも残念に思わずにはいらっしゃれず、お手紙だけは情のこもった書きぶりで、度々交わす。 お会いになることは、今さらありえない事と、女君も思っていらっしゃる。 「相手は気にくわないと、根に持っていらっしゃることがあろうから、自分は、今以上に悩むことがきっと増すにちがいないので、無益なこと」と、固くご決心されているのだろう。 |
斎宮に母君がついて行くような例はあまりないことでもあったが、年少でおありになるということに託して、御息所はきれいに恋から離れてしまおうとしているのであるが、源氏はさすがに冷静ではいられなかった。いよいよ御息所に行ってしまわれることは残念で、手紙だけは愛をこめてたびたび送っていた。情人として |
【親添ひて下りたまふ例も、ことになけれど】- 大島本「おやそひ」とある。諸本「おやそひて」とあるが、大島本と別本の国冬本は接続助詞「て」がない。『新大系』は大島本のままとする。大島本「れいも」の「も」の右側に「ハ」と傍記するが、朱筆でミセケチにする。「ハ」は河内本との対校である。貞元二年(九七七)九月十六日、円融天皇の御代に斎宮規子内親王に母親の徽子女王が付き添って下向した事が一例ある。「ことになけれど」とは、物語の時代設定をさらに前の延喜天暦の御代に置いているからである。 【いと見放ちがたき御ありさま】- 斎宮十四歳。 【大将の君】- 源氏をさす。 【さすがに】- 「口惜しく」にかかる。 【御消息ばかりは】- 「ばかり」(副詞、限定)「は」(係助詞、区別)。自らは出向かず、手紙だけがあるのニュアンス。 【女君も】- 「も」(係助詞、同類)。源氏も同様に考えているニュアンス。 【人は】- 以下「あいなし」まで、御息所の心中を語り手が推測して語る。『紹巴抄』は「双地をしはかりて書たるなり」と指摘。『評釈』は「「心強くおぼすなるべし」と作者の推量がはいって、間接の形にされている」と注す。「人」は源氏をさし、「我」とあった御息所と対比させた構文。 【あいなし】- 『完訳』は「逢う必要がない、の意」と注す。 【思すなるべし】- 「なる」(伝聞推定の助動詞)「べし」(推量の助動詞)、語り手の推測。 |
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1.1.3 | もとの たはやすく |
里の殿には、ほんのちょっとお帰りになる時々もあるが、たいそう内々にしていらっしゃるので、大将殿、お知りになることができない。 簡単にお心のままに参ってよいようなお住まいでは勿論ないので、気がかりに月日も経ってしまったところに、院の上、たいそう重い御病気というのではないが、普段と違って、時々お苦しみあそばすので、ますますお気持ちに余裕がないけれど、「薄情な者とお思い込んでしまわれるのも、おいたわしいし、人が聞いても冷淡な男だと思われはしまいか」とご決心されて、野宮にお伺いなさる。 |
野の宮から六条の |
【もとの殿には、あからさまに渡りたまふ折々あれど】- 野宮から六条の里邸へ。 【たはやすく御心にまかせて、参うでたまふべき御すみかにはたあらねば】- 大島本は「はた」を朱筆で補入する。『集成』『新大系』『古典セレクション』は補入に従う。野宮をさす。 【月日も隔たりぬるに】- 「に」(格助詞、時間)。 【院の上】- 桐壺院をいう。 【つらき者に思ひ果てたまひなむも、いとほしく、人聞き情けなくや】- 源氏の思念。 |
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第二段 野の宮訪問と暁の別れ |
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1.2.1 | 九月七日ころなので、「まったく今日明日だ」とお思いになると、女の方でも気忙しいが、「立ちながらでも」と、何度もお手紙があったので、「どうしたものか」とお迷いになりながらも、「あまりに控え目過ぎるから、物越しにお目にかかるのなら」と、人知れずお待ち申し上げていらっしゃるのであった。 |
九月七日であったから、もう斎宮の出発の日は迫っているのである。女のほうも今はあわただしくてそうしていられないと言って来ていたが、たびたび手紙が行くので、最後の会見をすることなどはどうだろうと |
【九月七日ばかり】- 晩秋九月上旬、七日頃の月を写しだす。 【立ちながら】- わずかの時間でもの意。源氏の手紙の要旨。 【いでや】- 御息所の躊躇の気持ち。『河海抄』は「我をのみ思ふといはばあるべきをいでや心は大幣にして」(古今集、俳諧歌、一〇四〇、読人しらず)を引歌として指摘。 【いとあまり埋もれいたきを、物越ばかりの対面は】- 御息所の応諾の気持ち。『完訳』は「引込み思案すぎても失礼かと。源氏に逢いたい本心を合理化」と注す。 【人知れず待ちきこえたまひけり】- 御息所の心底。 |
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1.2.2 | 広々とした野辺に分け入りなさるなり、いかにも物寂しい感じがする。 秋の花、みな萎れかかって、浅茅が原も枯れがれとなり虫の音も鳴き嗄らしているところに、松風、身にしみて音を添えて、いずれの琴とも聞き分けられないくらいに、楽の音が絶え絶えに聞こえて来る、まことに優艶である。 |
町を離れて広い野に出た時から、源氏は身にしむものを覚えた。もう秋草の花は皆衰えてしまって、かれがれに鳴く虫の声と松風の音が混じり合い、その中をよく耳を澄まさないでは聞かれないほどの楽音が野の宮のほうから流れて来るのであった。 |
【遥けき野辺】- 「野辺」は歌語。 【浅茅が原】- 歌語。「思ふよりいかにせよとか秋風になびく浅茅の色ことになる」(古今集恋四、七二五、読人しらず)「ふるさとは浅茅が原と荒れはてて夜もすがら虫の音をのみぞ鳴く」(後拾遺集秋上、二七〇、道命法師)など、秋風に色変わり心褪せてゆく、荒れ果てた場所などのニュアンスを伴う語句。 【枯れ枯れなる虫の音に】- 「かれがれ」は「枯れ枯れ」と「嗄れ嗄れ」とを掛ける。『完訳』は「このあたり恋の不毛の心風景」と注す。 【松風、すごく吹きあはせて、そのこととも聞き分かれぬ】- 『弄花抄』は「琴の音に峰の松風かよふらしいづれの緒より調べそめけむ」(拾遺集雑上、四五一、斎宮女御)を指摘。「凄し」は、ぞっとする感じ、もの寂しい感じを表す語句。 【艶なり】- 「艶」は、優美な感じ、華やかな風情を表す語句。「凄し」とは対比的な美感。 |
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1.2.3 | 気心の知れた御前駆の者、十余人ほど、御随身、目立たない服装で、たいそうお忍びのふうをしていられるが、格別にお気を配っていらっしゃるご様子、まことに素晴らしくお見えになるので、お供の風流者など、場所が場所だけに身にしみて感じ入っていた。 ご内心、「どうして、今まで来なかったのだろう」と、過ぎ去った日々、後悔せずにはいらっしゃれない。 |
前駆をさせるのに |
【御随身】- 参議兼大将の随身は六人である。 【ことことしき】- 『集成』『新大系』は「ことことしき」と清音、『古典セレクション』は「ことごとしき」と濁音に読む。前者の読みに従う。なお、類義語に「ものものし」「いかめし」などがある。「ことことし」は対象が広範囲にわたり美的でないもの、悪しきものを指すことが多く、それに対して、「ものものし」は個々の人間の容姿・態度・性格などについて美的なもの、良きものを表現することが多く、また「いかめし」も儀式・行事・贈り物・建物などについて美的なもの、良きものを表現することが多いという(『小学館古語大辞典』)。 【所からさへ】- 『集成』『新大系』は「所から」と清音、『古典セレクション』は「所がら」と濁音に読む。前者の読みに従う。 |
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1.2.4 | ちょっとした小柴垣を外囲いにして、板屋が幾棟もあちこちに仮普請のようである。 黒木の鳥居どもは、やはり神々しく眺められて、遠慮される気がするが、神官どもが、あちこちで咳払いをして、お互いに、何か話している様子なども、他所とは様子が変わって見える。 火焼屋、微かに明るくて、人影も少なく、しんみりとしていて、ここに物思いに沈んでいる人が、幾月日も世間から離れて過ごしてこられた間のことをご想像なさると、とてもたまらなくおいたわしい。 |
野の宮は簡単な |
【かりそめなり】- 大島本は「かりそめなり」とある。『集成』『新大系』は底本のままとするが、『古典セレクション』は諸本に従って「かりそめなめり」と校訂する。 【黒木の鳥居ども】- 大島本は「くろ木のとりゐとも」とある。『新大系』は底本のままとするが、『集成』『古典セレクション』は諸本に従って「黒木の鳥居どもは」と係助詞「は」を補入する。 【火焼屋】- 『集成』は「神饌を供するための小屋であると古注にいう」と注し、『完訳』は「警護の衛士が篝火をたく小屋」と注す。 |
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1.2.5 | 北の対の適当な場所に立ち隠れなさって、ご来訪の旨をお申し入れなさると、管弦のお遊びはみな止めて、奥ゆかしい気配、たくさん聞こえる。 |
北の対の下の目だたない所に立って案内を申し入れると音楽の声はやんでしまって、若い何人もの女の |
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1.2.6 | 何やかやと女房を通じてのご挨拶ばかりで、ご自身はお会いなさる様子もないので、「まことに面白くない」とお思いになって、 |
取り次ぎの女があとではまた変わって出て来たりしても、自身で逢おうとしないらしいのを源氏は飽き足らず思った。 |
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1.2.7 | 「このような外出も、今では相応しくない身分になってしまったことを、お察しいただければ、このような注連の外には、立たせて置くようなことはなさらないで。 胸に溜まっていますことをも、晴らしたいものです」 |
「恋しい方を |
【かうやうの歩きも】- 大島本は「かうやう」とある。『集成』『新大系』は底本のままとするが、『古典セレクション』は諸本に従って「かやう」と校訂する。以下「あきらめはべりにしがな」まで、源氏の詞。 【注連のほかには】- 野宮に因んだ表現。建物の外には、の意。 |
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1.2.8 | と、真面目に申し上げなさると、女房たち、 |
とまじめに源氏が頼むと女房たちも、 |
【人びと】- 六条御息所に仕えている女房たち。 |
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1.2.9 | 「おっしゃるとおり、とても見てはいられませんわ」 |
「おっしゃることのほうがごもっともでございます。 |
【げに、いとかたはらいたう】- 以下「いとほしう」まで、女房たちの詞。 |
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1.2.10 | 「 |
「お立ちん坊のままでいらっしゃっては、お気の毒で」 |
お気の毒なふうにいつまでもお立たせしておきましては済みません」 |
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1.2.11 | などと、お取りなし申すので、「さてどうしたものか。 ここの女房たちの目にも体裁が悪いだろうし、あの方がお思いになることも、年甲斐もなく、端近に出て行くのが、今さらに気後れして」とお思いになると、とても億劫であるが、冷淡な態度をとるほど気強くもないので、とかく溜息をつきためらって、いざり出ていらっしゃったご様子、まことに奥ゆかしい。 |
ととりなす。どうすればよいかと御息所は迷った。 |
【いさや。ここの人目も】- 以下「つつましき」まで、御息所の心。他の青表紙諸本は「ここらの人目」(大勢の人目)とある。 【かの思さむことも】- 「かの」は源氏をさす。 |
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1.2.12 | 「こちらでは、簀子に上がるくらいのお許しはございましょうか」 |
「お縁側だけは許していただけるでしょうか」 |
【こなたは、簀子ばかりの許されははべりや】- 源氏の詞。『集成』は「部屋には入れて頂けないまでも--と、他人行儀な応対を皮肉ったもの」と注す。 |
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1.2.13 | とて、 |
と言って、上がっておすわりになった。 |
と言って、上に上がっていた。 |
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1.2.14 | はなやかにさし |
明るく照り出した夕月夜に、立ち居振る舞いなさるご様子、美しさに、似るものがなく素晴らしい。 幾月ものご無沙汰を、もっともらしく言い訳申し上げなさるのも、面映ゆいほどになってしまったので、榊を少し折って持っていらしたのを、差し入れて、 |
長い時日を中にした会合に、無情でなかった言いわけを散文的に言うのもきまりが悪くて、 |
【はなやかにさし出でたる夕月夜に】- 『完訳』は「物語では、恋の訪問の場面に多用」と注す。前に「九月七日ばかり」とあったので、半月ほどの月影。 【うち振る舞ひたまへるさま、匂ひに】- 大島本は「にほひに」とある。『新大系』は底本のままとするが、『集成』『古典セレクション』は諸本に従って「にほひ」と格助詞「に」を削除する。 |
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1.2.15 | 「変わらない心に導かれて、禁制の垣根も越えて参ったのです。 何とも薄情な」 |
「私の心の |
【変らぬ色をしるべにてこそ、斎垣も越えはべりにけれ。さも心憂く】- 源氏の詞。「ちはやぶる神垣山の榊葉は時雨に色も変らざりけり」(後撰集冬、四五七、読人しらず)「置く霜に色も変らぬ榊葉の薫るや人のとめてきつらむ」(貫之集)、「ちはやぶる神の斎垣もこえぬべし今は我が身の惜しけくもなし」(拾遺集恋四、九二四、柿本人麿)「ちはやぶる神の斎垣も越えぬべし大宮人の見まくほしさに」(伊勢物語)「ちはやぶる神の斎垣も越る身は草の戸ざしに障る物かは」(古今六帖二、戸)などを踏まえる。 |
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1.2.16 | と |
と申し上げなさると、 |
と言った。 |
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1.2.17 | 「ここには人の訪ねる目印の杉もないのに どう間違えて折って持って来た榊なのでしょう」 |
いかにまがへて折れる榊ぞ |
【神垣はしるしの杉もなきものを--いかにまがへて折れる榊ぞ】- 御息所の贈歌。「我が庵は三輪の山もと恋しくは訪らひ来ませ杉立てる門」(古今集雑下、九八二、読人しらず)を踏まえる。 |
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1.2.18 | と |
と申し上げなさると、 |
御息所はこう答えたのである。 |
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1.2.19 | 「少女子がいる辺りだと思うと 榊葉が慕わしくて探し求めて折ったのです」 |
【少女子があたりと思へば榊葉の--香をなつかしみとめてこそ折れ】- 源氏の返歌。「少女子が袖振る山の瑞垣の久しき世より思ひ染めてき」(拾遺集、雑恋、一二一〇、柿本人麿)「置く霜に色も変らぬ榊葉の薫るや人のとめてきつらむ」(貫之集)「榊葉の香をかぐはしみとめて来れば八十氏人ぞまどゐせりける」(拾遺集、神楽歌、五七七)「榊葉の春さす枝のあまたあればとがむる神もあらじとぞ思ふ」(拾遺集恋一、六五八、読人しらず)を踏まえる。 |
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1.2.20 | おほかたのけはひわづらはしけれど、 |
周囲の雰囲気は憚られるが、御簾だけを引き被って、長押に持たれかかって座っていらっしゃった。 |
と源氏は言ったのであった。潔斎所の空気に威圧されながらも御簾の中へ上半身だけは入れて |
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1.2.21 | 思いのままにお目にかかることができ、相手も慕っているようにお思いになっていらっしゃった年月の間は、のんびりといい気になって、それほどまでご執心なさらなかった。 |
御息所が完全に源氏のものであって、しかも情熱の度は源氏よりも高かった時代に、源氏は慢心していた形でこの人の真価を認めようとはしなかった。 |
【さしも思されざりき】- 「き」(過去の助動詞)、源氏の心を通して語る。 |
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1.2.22 | また一方、心の中に、「いかがなものか、欠点があって」と、お思い申してから後、やはり、情愛も次第に褪めて、このように仲も離れてしまったのを、久しぶりのご対面が昔のことを思い出させるので、「ああ」と、悩ましさで胸が限りなくいっぱいになる。 今までのこと、将来のこと、それからそれへとお思い続けられて、心弱く泣いてしまった。 |
またいやな事件も起こって来た時からは、自身の心ながらも恋を成るにまかせてあった。それが昔のようにして語ってみると、にわかに大きな力が源氏をとらえて御息所のほうへ引き寄せるのを源氏は感ぜずにいられなかった。自分はこの人が好きであったのだという認識の上に立ってみると、二人の昔も恋しくなり、別れたのちの寂しさも痛切に考えられて、源氏は泣き出してしまったのである。 |
【いかにぞや、疵ありて】- 六条御息所の生霊事件をさす。 |
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1.2.23 | 女は、そうとは見せまいと気持ちを抑えていられるようだが、とても我慢がおできになれないご様子を、ますますお気の毒に、やはりお思い止まるように、お制止申し上げになるようである。 |
女は感情をあくまでもおさえていようとしながらも、堪えられないように涙を流しているのを見るといよいよ源氏は心苦しくなって、伊勢行きを思いとどまらせようとするのに身を入れて話していた。 |
【思しつつむめれど】- 「めり」(推量の助動詞)、語り手の視覚的推量のニュアンス。以下、その場に居合わせて語っている体裁。 【聞こえたまふめる】- 「めり」(推量の助動詞)、語り手の視覚的推量のニュアンス。 |
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1.2.24 | 月も入ったのであろうか、しみじみとした空を物思いに耽って見つめながら、恨み言を申し上げなさると、積もり積もっていらした恨みもきっと消えてしまうことだろう。 だんだんと、「今度が最後」と、未練を断ち切って来られたのに、「やはり思ったとおりだ」と、かえって心が揺れて、お悩みになる。 |
もう月が落ちたのか、寂しい色に変わっている空をながめながら、自身の真実の認められないことで |
【月も入りぬるにや】- 時間の経過を月の移動で表す。 【つらさも消えぬべし】- 「べし」(推量の助動詞)、語り手の強い推量のニュアンス。 【さればよ」と、なかなか心動きて】- 『集成』は「やはり思っていた通りだった(源氏に逢えば必ず決心が鈍るに違いないと案じていた通りになった)と、かえってお心が動揺して思い迷われる」と注す。 |
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1.2.25 | 殿上の若公達などが連れ立って、何かと佇んでは心惹かれたという庭の風情も、なるほど優艶という点では、どこの庭にも負けない様子である。 物のあわれの限りを尽くしたお二人の間柄で、お語らいになった内容、そのまま筆に写すことはできない。 |
若い殿上役人が始終二、三人連れで来てはここの文学的な空気に浸っていくのを喜びにしているという、この構えの中のながめは源氏の目にも確かに |
【わづらふなる】- 「なり」(伝聞推定の助動詞)。「葵」巻の「殿上人どものこのましきなどは、朝夕の露分けありくをそのころの役になむする、など聞きたまひても」とあったのをさす。 【まねびやらむかたなし】- 語り手の言葉。『休聞抄』は「双也」と指摘。『集成』は「(あまりにも普通とは違って、深くこまやかなので)そっくりそのまま語り伝えるすべもない。草子地。」と注す。『完訳』は「語り手は言語を絶した心の乱れを暗示」と注す。 |
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1.2.26 | だんだんと明けて行く空の風情、特別に作り出したかのようである。 |
ようやく白んできた空がそこにあるということもわざとこしらえた背景のようである。 |
【やうやう明けゆく空のけしき】- 時間の経過を表す。ついに夜を明かして翌日となる。 |
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1.2.27 | 「明け方の別れにはいつも涙に濡れたが 今朝の別れは今までにない涙に曇る秋の空ですね」 |
暁の別れはいつも露けきを こは世にしらぬ秋の空かな |
【暁の別れはいつも露けきを--こは世に知らぬ秋の空かな】- 源氏の贈歌。「露けし」は「秋」の縁語。秋の別の背後には「暁のなからましかば白露のおきてわびしき別れせましや」(後撰集恋四、八六三、紀貫之)「時しもあれや秋やは人の別るべきあるを見るだに恋しきものを」(古今集哀傷、八三九、壬生忠岑)などがある。 |
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1.2.28 | 帰りにくそうに、お手を捉えてためらっていられる、たいそう優しい。 |
と歌った源氏は、帰ろうとしてまた女の手をとらえてしばらく去りえないふうであった。 |
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1.2.29 | 風、とても冷たく吹いて、松虫が鳴き嗄らした声も、気持ちを知っているかのようなのを、それほど物思いのない者でさえ、聞き過ごしがたいのに、まして、どうしようもないほど思い乱れていらっしゃるお二人には、かえって、歌も思うように行かないのだろうか。 |
冷ややかに九月の風が吹いて、鳴きからした松虫の声の聞こえるのもこの恋人たちの寂しい別れの伴奏のようである。何でもない人にも身にしむ思いを与えるこうした晩秋の夜明けにいて、あまりに悲しみ過ぎたこの人たちはかえって実感をよい歌にすることができなかったと見える。 |
【松虫の鳴きからしたる】- 『完訳』は「前の「かれがれなる虫の音」が、ここでは人待つ恋の情緒をこめた「松虫」に転じて、源氏執心を断ちがたい御息所の深層にふれる」と注す。「ひぐらしの声聞くからに松虫の名にのみ人を思ふころかな」(古今集秋上、二五五、貫之)「女郎花色にもあるかな松虫をもとに宿して誰を待つらむ」(後撰集秋中、三四六、読人しらず)などがある。 【まして、わりなき御心惑ひどもに、なかなか、こともゆかぬにや】- 『紹巴抄』は「双地」と注す。『集成』は「読者への弁解にもなる」と注す。 |
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1.2.30 | 「ただでさえ秋の別れというものは悲しいものなのに さらに鳴いて悲しませてくれるな野辺の松虫よ」 |
鳴く |
【おほかたの秋の別れも悲しきに--鳴く音な添へそ野辺の松虫】- 御息所の返歌。『完訳』は「秋の別れ」は、秋の季節における人との別れ。一説には秋と人との別れ。もともと秋は悲哀の季。離別の悲情を、「野辺の松虫」の鳴きからす悲しみに象徴させた歌」と注す。『集成』は「秋の別れ」を「(何事もなくて)ただ秋が過ぎ去って行くということだけでも」と、秋と人との別れに解す。 |
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1.2.31 | 悔やまれることが多いが、しかたのないことなので、明けて行く空も体裁が悪くて、お帰りになる。 道程はまことに露っぽい。 |
【悔しきこと多かれど】- 源氏の気持ち。「出でたまふ」にかかる。 【道のほどいと露けし】- 「露」に涙を連想させる。源氏の心象風景でもある。 |
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1.2.32 | 女も、気強くいられず、その後の物思いに沈んでいらっしゃる。 ほのかに拝見なさった月の光に照らされたお姿、まだ残っている匂いなど、若い女房たちは身に染みて、心得違いをしかねないほど、お褒め申し上げる。 |
女も冷静でありえなかった。別れたのちの物思いを抱いて弱々しく秋の朝に対していた。ほのかに月の光に見た源氏の姿をなお幻に御息所は見ているのである。源氏の衣服から散ったにおい、そんなものは若い女房たちを |
【若き人びとは】- 『完訳』は「叙述が、御息所の心から女房の心へと転換。その源氏への憧れは、御息所の心の一面でもあるが、彼女は他面では自制するほかない」と注す。 |
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1.2.33 | 「いかばかりの |
「どれほどの余儀ない旅立ちだからといっても、あのようなお方をお見限って、お別れ申し上げられようか」 |
「どんないい所へだって、あの大将さんをお見上げすることのできない国へは行く気がしませんわね」 |
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1.2.34 | と、あいなく |
と、わけもなく涙ぐみ合っていた。 |
こんなことを言う女房は皆涙ぐんでいた。 |
【あいなく涙ぐみあへり】- 『完訳』は「女房たちは御息所の心情を表面的にしか理解しえないとする。語り手の評言」と注す。 |
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第三段 伊勢下向の日決定 |
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1.3.1 | 後朝の御文、いつもより情愛濃やかなのは、お気持ちも傾きそうなほどであるが、また改めて、お思い直しなさるべき事でもないので、まことにどうにもならない。 |
この日源氏から来た手紙は情がことにこまやかに出ていて、御息所に旅を断念させるに足る力もあったが、官庁への通知も済んだ今になって変更のできることでもなかった。 |
【御文、常よりもこまやかなるは】- 野宮から帰邸後の手紙。後朝の文。 |
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1.3.2 | 男は、それほどお思いでもないことでも、恋路のためには上手に言い続けなさるようなので、まして、並々の相手とはお思い申し上げていられなかったお間柄で、このようにしてお別れなさろうとするのを、残念にもおいたわしくも、お思い悩んでいられるのであろう。 |
男はそれほど思っていないことでも恋の手紙には感情を誇張して書くものであるが、今の源氏の場合は、ただの恋人とは決して思っていなかった御息所が、愛の清算をしてしまったふうに遠国へ行こうとするのであるから、残念にも思われ、気の毒であるとも反省しての |
【男は、さしも思さぬことをだに】- 以下「思し悩むべし」まで、『細流抄』は「草子地」と注す。 【よく言ひ続けたまふべかめれば】- 「べか」(推量の助動詞)「めれ」(推量の助動詞)、語り手が源氏の心を忖度した表現。 |
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1.3.3 | あはあはしう |
旅のご装束をはじめとして、女房たちの物まで、何かとご調度類など、立派で目新しいさまに仕立てて、お餞別を申し上げになさるが、何ともお思いにならない。 軽々しく嫌な評判ばかりを流してしまって、あきれはてた身の有様を、今さらのように、下向が近づくにつれて、起きても寝てもお嘆きになる。 |
御息所の旅中の衣服から、女房たちのまで、そのほかの旅の用具もりっぱな物をそろえた |
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1.3.4 | なかなか |
斎宮は、幼な心に、決定しなかったご出立が、このように決まってゆくのを、嬉しい、とばかりお思いでいた。 世間の人々は、先例のないことだと、非難も同情も、いろいろとお噂申しているようだ。 何事でも、人から非難されないような身分の者は気楽なものである。 かえって世に抜きん出た方のご身辺は窮屈なことが多いことである。 |
お若い斎宮は、いつのことともしれなかった出発の日の決まったことを喜んでおいでになった。世間では、母君がついて行くことが異例であると批難したり、ある者はまた御息所の強い母性愛に同情したりしていた。御息所が平凡な人であったら、決してこうではなかったことと思われる。傑出した人の行動は目に立ちやすくて気の毒である。 |
【若き御心地に】- 大島本は「御心ちに」とある。『集成』『新大系』は底本のままとするが、『古典セレクション』は諸本に従って「御心に」と校訂する。 【世人は】- 大島本は「世人ハ」とある。『新大系』は底本のまま「よひと」と振り仮名を付ける。『集成』『古典セレクション』は諸本に従って「世の人」と校訂する。 【さまざまに聞こゆべし】- 「べし」(推量の助動詞)は語り手の推量。したがって「世人は」以下、語り手の文章である。『湖月抄』は「草子地」と注す。 【何ごとも、人にもどきあつかはれぬ際はやすげなり。なかなか世に抜け出でぬる人の御あたりは、所狭きこと多くなむ】- 語り手の批評。『評釈』は「物語りする女房も、庶民に注目される側にある。が、「世にぬけ出でぬる人」--そういう人々に対して「所狭きこと多くなむ」と、同情する余裕が、女房には、あるのである」と注す。『集成』は「なに事も」以下を「草子地」と注す。 |
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第四段 斎宮、宮中へ向かう |
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1.4.1 | 「かけまくもかしこき |
十六日、桂川でお祓いをなさる。 慣例の儀式より立派で、長奉送使など、その他の上達部も身分高く、世間から評判の良い方をお選びさせた。 院のお心遣いもあってのことであろう。 お出になる時、大将殿から例によって名残尽きない思いのたけをお申し上げなさった。 「恐れ多くも、御前に」と言って、木綿に結びつけて、 |
十六日に桂川で斎宮の |
【十六日、桂川にて御祓へしたまふ】- 斎宮群行の日。桂川で祓いをする。「九月十六日」という設定は、歴史上の規子内親王が伊勢へ下向した日と同日である。 【選らせたまへり】- 「せ」(尊敬の助動詞)「たまへ」(尊敬の補助動詞)、主語は帝。 【院の御心寄せもあればなるべし】- 「べし」(推量の助動詞)は、語り手の推量。 |
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1.4.2 | 「 |
「雷神でさえも、 |
いかずちの神でさえ恋人の中を裂くものではないと言います。 |
【鳴る神だにこそ】- 源氏の文に付けた文句。以下「飽かぬ心地しはべるかな」まで、源氏の文。『源氏釈』は「天の原踏みとどろかし鳴る神も思ふ仲をば裂くるものかは」(古今集恋四、七〇一、読人しらず)を指摘。 |
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1.4.3 | 大八洲をお守りあそばす国つ神もお情けがあるならば 尽きぬ思いで別れなければならいわけをお聞かせ下さい |
飽かぬ別れの中をことわれ |
【八洲もる国つ御神も心あらば--飽かぬ別れの仲をことわれ】- 源氏の贈歌。 |
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1.4.4 | どう考えてみても、満足しない気が致しますよ」 |
どう考えましても神慮がわかりませんから、私は満足できません。 |
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1.4.5 | とあり。 いとさわがしきほどなれど、 |
とある。 とても取り混んでいる時だが、お返事がある。 斎宮のお返事は、女別当にお書かせになっていた。 |
と書かれてあった。取り込んでいたが返事をした。宮のお歌を |
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1.4.6 | 「国つ神がお二人の仲を裁かれることになったならば あなたの実意のないお言葉をまずは糺されることでしょう」 |
国つ神空にことわる中ならば なほざりごとを |
【国つ神空にことわる仲ならば--なほざりごとをまづや糾さむ】- 斎宮が女別当に代作させた返歌。 |
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1.4.7 | 大将は、様子を見たくて、宮中にも参内したくお思いになるが、振り捨てられて見送るようなのも、人聞きの悪い感じがなさるので、お思い止まりになって、所在なげに物思いに耽っていらっしゃった。 |
源氏は最後に宮中である式を見たくも思ったが、捨てて行かれる男が見送りに出るというきまり悪さを思って家にいた。 |
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1.4.8 | 「 かうやうに |
斎宮のお返事がいかにも成人した詠みぶりなのを、ほほ笑んで御覧になった。 「お年の割には、人情がお分かりのようでいらっしゃるな」と、お心が動く。 このように普通とは違っためんどうな事には、きっと心動かすご性分なので、「いくらでも拝見しようとすればできたはずであった幼い時を、見ないで過ごしてしまったのは残念なことであった。 世の中は無常であるから、お目にかかるようなこともきっとあろう」などと、お思いになる。 |
源氏は斎宮の |
【御年のほどよりは、をかしうもおはすべきかな】- 源氏の斎宮の返歌を見ての感想。斎宮は十四歳。源氏、斎宮に対して好き心を動かす。 【かうやうに例に違へるわづらはしさに、かならず心かかる御癖にて】- 源氏の性癖。語り手の批評、注解。斎宮という恋は禁制の女性、しかも愛人六条御息所の娘という関係の女性に好色心を動かす源氏の性癖。『完訳』は「読者の批判を先取りし、恋に生きる好色人(すきびと)としての源氏の本性をいう語り口」と注す。 【いとよう】- 以下「ありなむかし」まで、源氏の心。斎宮に対する関心。 【世の中定めなければ】- 斎宮の交替は、天皇の譲位または崩御、あるいは斎宮の親族の死去などの折。世の無常とはいうが、かなり大胆な仮想である。 |
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第五段 斎宮、伊勢へ向かう |
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1.5.1 | 奥ゆかしく風雅なお人柄の方なので、見物の車が多い日である。 申の時に宮中に参内なさる。 |
見識の高い、美しい貴婦人であると名高い存在になっている御息所の添った斎宮の出発の列をながめようとして |
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1.5.2 | 御息所、御輿にお乗りになるにつけても、父大臣が限りない地位にとお望みになって、大切にかしずきお育てになった境遇が、うって変わって、晩年に宮中を御覧になるにつけても、感慨無量で、悲しく思わずにはいらっしゃれない。 十六で故宮に入内なさって、二十で先立たれ申される。 三十で、今日再び宮中を御覧になるのであった。 |
斎宮は午後四時に宮中へおはいりになった。宮の |
【限りなき筋】- 后の位をいう。 【十六にて故宮に参りたまひて、二十にて後れたてまつりたまふ。三十にてぞ、今日また九重を見たまひける】- 六条御息所の経歴をいうのだが、年立の上で問題の一文。年立上の整合性よりも経歴を叙述することを優先した記述。 |
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1.5.3 | 「昔のことを今日は思い出すまいと堪えていたが 心の底では悲しく思われてならない」 |
そのかみを 心のうちに物ぞ悲しき |
【そのかみを今日はかけじと忍ぶれど--心のうちにものぞ悲しき】- 御息所の独詠歌。 |
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1.5.4 | いとうつくしうおはするさまを、うるはしうしたてたてまつりたまへるぞ、いとゆゆしきまで |
斎宮は、十四におなりであった。 とてもかわいらしういらっしゃるご様子を、立派に装束をお着せ申されたのが、とても恐いまでに美しくお見えになるのを、帝、お心が動いて、別れの御櫛を挿してお上げになる時、まことに心揺さぶられて、涙をお流しあそばした。 |
御息所の歌である。斎宮は十四でおありになった。きれいな方である上に、 |
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1.5.5 | お出立になるのをお待ち申そうとして、八省院に立ち続けていた女房の車から、袖口、色合いも、目新しい意匠で、奥ゆかしい感じなので、殿上人たちも私的な別れを惜しんでいる者が多かった。 |
式の終わるのを |
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1.5.6 | 暗くなってからご出発になって、二条大路から洞院の大路ヘお曲がりになる時、二条の院の前なので、大将の君、まことにしみじみと感じられて、榊の枝に挿して、 |
暗くなってから行列は動いて、二条から |
【二条より洞院の大路を折れたまふほど、二条の院の前なれば】- 洞院大路は東と西の二本がある。西の洞院であろうか。なお、斎宮の群行行路について、河内本は「二条より洞院のおほちわたり給ふほと」とある。別本は「わたり」(御物本・陽明文庫本・国冬本)と「こえ」(伝冷泉為相筆本)とある。直進したような叙述となっている。 |
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1.5.7 | 「わたしを捨てて今日は旅立って行かれるが鈴鹿川を 渡る時に袖を濡らして後悔なさいませんでしょうか」 |
ふりすてて今日は行くとも |
【振り捨てて今日は行くとも鈴鹿川--八十瀬の波に袖は濡れじや】- 源氏の贈歌。『河海抄』は「鈴鹿川八十瀬の滝をみな人の賞づるも著く時にあへる時にあへるかも」(催馬楽-鈴鹿川)「鈴鹿川八十瀬渡りて誰故か夜越えに越えむ妻もあらなくに」(万葉集巻十二、三一五六)を指摘。「ふり」は「鈴」「袖」の縁語。 |
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1.5.8 | とお申し上げになったが、たいそう暗く、何かとあわただしい時なので、翌日、逢坂の関の向こうからお返事がある。 |
その時はもう暗くもあったし、あわただしくもあったので、翌日 |
【御返しある】- 大島本「御かへり」を薄墨で抹消し傍らに「返し」と訂正する。『集成』『新大系』『古典セレクション』は訂正本文に従わず「御返り」の本行本文のままとする。 |
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1.5.9 | 「鈴鹿川の八十瀬の波に袖が濡れるか濡れないか 伊勢に行った先まで誰が思いおこしてくださるでしょうか」 |
鈴鹿川八十瀬の波に濡れ濡れず 伊勢までたれか思ひおこせん |
【鈴鹿川八十瀬の波に濡れ濡れず--伊勢まで誰れか思ひおこせむ】- 御息所の返歌。「鈴鹿川」「八十瀬の波」「濡れ」を受けて返す。 |
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1.5.10 | 言葉少なにお書きになっているが、ご筆跡はいかにも風情があって優美であるが、「優しさがもう少しおありだったらば」とお思いになる。 |
簡単に書かれてあるが、貴人らしさのある巧妙な字であった。優しさを少し加えたら最上の字になるであろうと源氏は思った。 |
【あはれなるけをすこし添へたまへらましかば】- 源氏の御息所の返歌を見ての感想。 |
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1.5.11 | 霧がひどく降りこめて、いつもと違って感じられる朝方に、物思いに耽りながら独り言をいっていらっしゃる。 |
霧が濃くかかっていて、身にしむ秋の夜明けの空をながめて、源氏は、 |
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1.5.12 | 「あの行った方角を眺めていよう、 今年の秋は逢うという逢坂山を霧よ隠さな |
行くかたをながめもやらんこの秋は 逢坂山を霧な隔てそ |
【行く方を眺めもやらむこの秋は--逢坂山を霧な隔てそ】- 源氏の独詠歌。同類の発想歌に「君があたり見つつを居らむ生駒山雲な隠しそ雨は降るとも」(伊勢物語)がある。 |
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1.5.13 | 西の対にもお渡りにならず、誰のせいというのでもなく、何とはなく寂しげに物思いに耽ってお過ごしになる。 ましてや、旅路の一行は、どんなにか物思いにお心を尽くしになること、多かったことだろうか。 |
こんな歌を口ずさんでいた。西の対へも行かずに終日物思いをして源氏は暮らした。旅人になった御息所はまして堪えがたい悲しみを味わっていたことであろう。 |
【まして、旅の空は、いかに御心尽くしなること多かりけむ】- 語り手の想像。三光院実枝は「草子の地」と指摘。『評釈』は「源氏がそう思い、作者はそう推し、読者はそう察する。この一行は、この三者の一致せる見解である」と注す。 |
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第二章 光る源氏の物語 父桐壺帝の崩御 |
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第一段 十月、桐壺院、重体となる |
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2.1.1 | 院の御病気、神無月になってからは、ひどく重くおなりあそばす。 世を挙げてお惜しみ申し上げない人はいない。 帝におかれても、御心配あそばして行幸がある。 御衰弱の御容態ながら、春宮の御事を、繰り返しお頼み申し上げあそばして、次には大将の御事を、 |
院の御病気は十月にはいってから御重体になった。この君をお惜しみしていないものはない。 |
【院の御悩み、神無月になりては、いと重くおはします】- 桐壺院、重態に陥る。 【春宮の御事】- 大島本は「春宮御事」とある。諸本によって「の」を補う。 |
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2.1.2 | 「はべりつる かならず さるによりて、わづらはしさに、 その |
「在世中と変わらず、大小の事に関わらず、何事も御後見役とお思いあそばせ。 年の割には政治を執っても、少しも遠慮するところはない人と、拝見している。 必ず天下を治める相のある人である。 それによって、煩わしく思って、親王にもなさず、臣下に下して、朝廷の補佐役とさせようと、思ったのである。 その心づもりにお背きあそばすな」 |
「私が生きていた時と同じように、大事も小事も彼を御相談相手になさい。年は若くても国家の政治をとるのに十分資格が備わっていると私は認める。一国を支配する骨相を持っている人です。だから私は彼がその点で逆に誤解を受けることがあってはならないとも思って、親王にしないで人臣の列に入れておいた。将来大臣として国務を任せようとしたのです。 |
【はべりつる世に変はらず、大小のことを隔てず、何ごとも御後見と思せ】- 以下「その心違へさせたまふな」まで、桐壺院の朱雀帝に対する御遺戒。 【世の中たもつべき相ある人なり】- 帝となれる相のある人。「桐壺」巻の高麗人の観相を踏まえて言う。 |
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2.1.3 | と、しみじみとした御遺言が多かったが、女の書くべきことではないので、その一部分を語るだけでも気の引ける思いだ。 |
【女のまねぶべきことにしあらねば、この片端だにかたはらいたし】- 語り手の言辞。『林逸抄』は「例の紫式部か詞也」と指摘。『評釈』は「「女の--」とは、この物語をするのが女であるからである。女は、政治に関与しない。主上や院のおそば近くに仕えるから、どんな秘密でも知ることがあるが、政治上の事は知らぬ顔で通すはずなのである」と注す。 |
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2.1.4 | 帝も、大層悲しいとお思いになって、決してお背き申し上げまい旨を、繰り返し申し上げあそばす。 御容貌もとても美しく御成長あそばされているのを、嬉しく頼もしくお見上げあそばす。 きまりがあるので、急いでお帰りあそばすにつけても、かえって悲しいことが多い。 |
帝もこれが最後の御会見に院のお言いになることを悲しいふうで聞いておいでになったが、御遺言を |
【さらに違へきこえさすまじきよしを、返す返す聞こえさせたまふ】- 『完訳』は「帝は院の遺言に全面的に従おうとする。この誓約は、個人的な約束とも異なり、朱雀帝治政のあり方を性格づける意味を持つ」と注す。 【限りあれば、急ぎ帰らせたまふにも】- 帝の見舞いの行幸は公的行事なので、時間を延長して個人的に振る舞うことが許されない。 |
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2.1.5 | 春宮も御一緒にとお思いあそばしたが、大層な騷ぎになるので、日を改めて、行啓なさった。 お年の割には、大人びてかわいらしい御様子で、恋しいとお思い申し上げあそばしていたあげくなので、ただもう無心に嬉しくお思いになって、お目にかかりになる御様子、まことにいじらしい。 |
東宮も同時に |
【春宮も、一度にと思し召しけれど】- 大島本は「ひとたひにも」の「も」を朱筆で抹消し傍らに「と」と訂正する。春宮は、帝の行幸と一緒に思ったが、仰々しくなるので日を改めて、見舞いの行啓をする。 【何心もなく】- 大島本は「なに」を朱筆で補う。 【うれしと思し】- 大島本は「うれしとおほし」とある。『新大系』は底本のままとするが、『集成』『古典セレクション』は諸本に従って「うれしと思して」と接続助詞「て」を補う。 |
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2.1.6 | 中宮は、涙に沈んでいらっしゃるのを、お見上げ申しあそばされるにつけても、あれこれとお心の乱れる思いでいらっしゃる。 いろいろの事をお教え申し上げなさるが、とても御幼少でいらっしゃるので、不安で悲しく御拝見あそばす。 |
その横で |
【よろづのことを聞こえ知らせたまへど】- 院が春宮に。 【いとものはかなき御ほどなれば】- 春宮はこの時五歳。七歳が学問始めである。 |
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2.1.7 | 大将にも、朝廷にお仕えなさるためのお心構えや、春宮の御後見なさるべき事を、繰り返し仰せになる。 |
源氏にも |
【この宮の御後見】- 春宮の後見をさす。 |
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2.1.8 | 夜が更けてからお帰りあそばす。 残る人なく陪従して大騷ぎする様子、行幸に劣るところがない。 満足し切れないところでお帰りおそばすのを、たいそう残念にお思いあそばす。 |
夜がふけてから東宮はお帰りになった。還啓に |
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第二段 十一月一日、桐壺院、崩御 |
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2.2.1 | 大后も、お見舞いに参ろうと思っているが、中宮がこのように付き添っていらっしゃるために、おこだわりになって、おためらいになっていらっしゃるうちに、たいしてお苦しみにもならないで、お隠れあそばした。 浮き足立ったように、お嘆き申し上げる人々が多かった。 |
皇太后もおいでになるはずであったが、中宮がずっと院に添っておいでになる点が御不満で、 |
【大后も、参りたまはむとするを】- 弘徽殿大后も帝や東宮、源氏に引き続いて、桐壺院を見舞おうと思うが。 |
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2.2.2 | お位をお退きあそばしたというだけで、世の政治をとりしきっていられたのは、御在位中と同様でいらっしゃったが、帝はまだお若ういらっしゃるし、祖父右大臣、まことに性急で意地の悪い方でいらっしゃって、その意のままになってゆく世を、どうなるのだろうと、上達部、殿上人は、皆不安に思って嘆く。 |
院の |
【御位を去らせたまふといふばかりにこそあれ、世のまつりごとをしづめさせたまへることも、我が御世の同じことにておはしまいつるを】- 桐壺帝は御譲位後も在位中と同様に政治的実権を握っていた。歴史上の院政と同じである。 【祖父大臣、いと急にさがなくおはして、その御ままになりなむ世を】- 右大臣が外戚として政権を握る。 |
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2.2.3 | 中宮、大将殿などは、まして人一倍、何もお考えられなく、後々の御法事などをご供養申し上げなさる様子も、大勢の親王たちの御中でも格別優れていらっしゃるのを、当然のことながら、まことにおいたわしく、世の人々も拝し上げる。 喪服を着て悲しみに沈んでいらっしゃるのにつけても、この上なく美しくおいたわしげである。 去年、今年と引き続いて、このような不幸にお遭いになると、世の中が本当につまらなくお思いになるが、このような機会にも、出家しようかと思わずにはいらっしゃれない事もあるが、また一方では、いろいろとお妨げとなるものが多いのであった。 |
院が最もお愛しになった中宮や源氏の君はまして悲しみの中におぼれておいでになった。崩御後の御仏事なども多くの御遺子たちの中で源氏は目だって誠意のある弔い方をした。それが道理ではあるが源氏の孝心に同情する人が多かった。喪服姿の源氏がまた限りもなく清く見えた。去年今年と続いて不幸にあっていることについても源氏の心は |
【藤の御衣にやつれたまへる】- 大島本は「藤の御そにやつれ給へる」を補入する。 【去年、今年とうち続き、かかることを見たまふに、世もいとあぢきなう思さるれど、かかるついでにも、まづ思し立たるることはあれど、また、さまざまの御ほだし多かり】- 昨年の妻葵の上の死去、今年の父桐壺院の崩御を体験し、出家の願望が起こるが、また一方でそれを妨げる事情が多い、とする語る。『花鳥余情』は「世の憂き目見えぬ山路へ入らむには思ふ人こそほだしなりけれ」(古今集雑下、九五五、物部吉名)を指摘。 【まづ思し立たるる】-大島本「た」と「る」の間に「た」を補入する。 |
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2.2.4 | 御四十九日までは、女御、御息所たち、皆、院に集まっていらっしゃったが、過ぎたので、散り散りにご退出なさる。 十二月の二十日なので、世の中一般も年の暮という空模様につけても、まして心晴れることのない、中宮のお心の中である。 大后のお心も御存知でいらっしゃるので、思いのままになさるであろう世が、体裁の悪く住みにくいことになろうことをお考えになるよりも、お親しみ申し上げなさった長い年月の御面影を、お偲び申し上げない時の間もない上に、このままここにおいでになるわけにもゆかず、皆方々へとご退出なさるに当たっては、悲しいことこの上ない。 |
四十九日までは |
【御四十九日までは】- 下に「師走の二十日なれば」とある。さらに「霜月の一日ごろ御国忌なるに」とあるので、桐壺院の崩御は十一月一日である。 【おほかたの世の中とぢむる空のけしきにつけても、まして晴るる世なき、中宮の御心のうちなり】- 景情一致の描写。『完訳』は「一年の終りと桐壺院時世の終り。歳末の冬空に藤壺の心を象徴」と注す。 |
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2.2.5 | 宮は、三条の宮にお渡りになる。 お迎えに兵部卿宮が参上なさった。 雪がひとしきり降り、風が激しく吹いて、院の中、だんだんと人数少なになっていって、しんみりとしていた時に、大将殿、こちらに参上なさって、昔の思い出話をお申し上げなさる。 お庭先の五葉の松が、雪に萎れて、下葉が枯れているのを御覧になって、親王、 |
中宮は三条の宮へお帰りになるのである。お迎えに兄君の |
【宮は、三条の宮に渡りたまふ】- 藤壺の里邸。「紅葉賀」巻に既出。 【雪うち散り、風はげしうて、院の内、やうやう人目かれゆきて、しめやかなるに】- 桐壺院の御所の蕭条とした描写。 【御前の五葉の雪にしをれて、下葉枯れたるを見たまひて】- 院の御所の藤壺の庭先。 |
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2.2.6 | 「木蔭が広いので頼りにしていた松の木は枯れてしまったのだろうか 下葉が散り行く今年の暮ですね」 |
下葉散り行く年の |
【蔭ひろみ頼みし松や枯れにけむ--下葉散りゆく年の暮かな】- 兵部卿宮の歌。「松」に桐壺院を、「下葉」に後宮の女性たちを喩える。 |
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2.2.7 | 何という歌でもないが、折柄、何となく寂しい気持ちに駆られて、大将のお袖、ひどく濡れた。 池が隙間なく凍っていたので、 |
宮がこうお歌いになった時、それが傑作でもないが、迫った実感は源氏を泣かせてしまった。すっかり凍ってしまった池をながめながら源氏は、 |
【何ばかりのことにもあらぬに】- 『完訳』は「語り手の評。上手な歌を詠出しがたいほど悲嘆が深いとする」と注す。 |
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2.2.8 | 「氷の張りつめた池が鏡のようになっているが 長年見慣れた影を見られないのが悲しい」 |
さえわたる池の鏡のさやけさに 見なれし影を見ぬぞ悲しき |
【さえわたる池の鏡のさやけきに--見なれし影を見ぬぞ悲しき】- 源氏の唱和歌。『河海抄』は「池はなほ昔ながらの鏡にて影見し君がなきぞ悲しき」(大和物語)を指摘する。 |
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2.2.9 | と、お気持ちのままに詠まれたのは、あまりに子供っぽい詠み方ではないか。 王命婦、 |
と言った。これも思ったままを三十一字にしたもので、源氏の作としては幼稚である。 |
【思すままに、あまり若々しうぞあるや】- 語り手の評言。源氏の歌を率直すぎて未熟な詠みぶりだという。 |
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2.2.10 | 「年が暮れて岩井の水も凍りついて 見慣れていた人影も見えなくなってゆきますこと」 |
年暮れて岩井の水も氷とぢ 見し人影のあせも行くかな |
【年暮れて岩井の水もこほりとぢ--見し人影のあせもゆくかな】- 王命婦の唱和歌。 |
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2.2.11 | その折に、とても多くあったが、そうばかり書き連ねてよいことか。 |
そのほかの女房の作は省略する。 |
【そのついでに、いと多かれど、さのみ書き続くべきことかは】- 語り手の省略の弁。 |
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2.2.12 | お移りあばす儀式は、従来と変わらないが、思いなしかしみじみとして、ふる里の宮は、かえって旅の宿のような心地がなさるにつけても、里下りなさらなかった歳月の長さ、あれこれと回想されて来るのだろう。 |
中宮の |
【旧き宮は、かへりて旅心地したまふにも】- 『異本紫明抄』は「古里は見しごともあらず斧の柄の朽ちし所ぞ恋しかりける(古今集雑下、九九一、紀友則)を指摘。 |
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第三段 諒闇の新年となる |
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2.3.1 | まして |
年も改まったが、世の中ははなやかなことはなく静かである。 まして大将殿は、何となく悲しくて退き籠もっていらっしゃる。 除目のころなどは、院の御在位中は言うまでもなく、ここ数年来、悪く変わることなくて、御門の周辺、隙間なく立て込んでいた馬、車が少なくなって、夜具袋などもほとんど見えず、親密な家司どもばかりが、特別に準備することもなさそうでいるのを御覧になるにつけても、「今後は、こうなるのだろう」と思いやられて、何となく味気なく思われる。 |
年が変わっても |
【年かへりぬれど】- 諒闇の新年。源氏二十四歳。 |
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2.3.2 | やむごとなくもてなし、 いと 「ものの |
御匣殿は、二月に、尚侍におなりになった。 院の御喪に服してそのまま尼におなりになった方の、替わりであった。 高貴な家の出として振る舞って、人柄もとてもよくいらっしゃるので、大勢入内なさっている中でも、格別に御寵愛をお受けになる。 后は、里邸にいらっしゃりがちで、参内なさる時のお局には、梅壷を当てていたので、弘徽殿には尚侍がお住みになる。 登花殿が陰気であったのに対して、晴ればれしくなって、女房なども数えきれないほど参集して、当世風にはなやかにおなりになったが、お心の中では、思いがけなかった事を忘れられず嘆いていらっしゃる。 ごく内密に文を通わしなさることは、以前と同様なのであろう。 「噂が立ったらどうなることだろう」とお思いになりながら、例のご性癖なので、今になってかえってご愛情が募るようである。 |
右大臣家の六の君は二月に |
【御匣殿は、二月に、尚侍になりたまひぬ】- 朧月夜の君、尚侍となる。 【院の御思ひにやがて尼になりたまへる、替はりなり】- 故桐壺院の御喪に服して尚侍が出家し、定員二名のうち、一名が空いたので、その後任としての意。 【やむごとなくもてなし】- 大島本は「もてなし」とある。『新大系』は底本のままとする。『集成』『古典セレクション』は諸本に従って「もてなして」と接続助詞「て」を補う。『集成』は「家柄の姫君らしい暮しぶりで」の意に解す。 【今めかしう花やぎたまへど、御心のうちは、思ひのほかなりしことどもを忘れがたく嘆きたまふ】- 朧月夜の華やかな周辺と裏腹に源氏を忘れ難く思う内心。 【いと忍びて通はしたまふことは、なほ同じさまなるべし】- 「なる」(断定の助動詞)「べし」(推量の助動詞)、語り手の推測。手紙を通わすこと。 【ものの聞こえもあらばいかならむ】- 源氏の懸念。『完訳』「右大臣家専横の時代に、朧月夜との不義がさらに噂されては身の破滅は必定。そう思いながらも恋の気持を高ぶらせる理不尽さが、「例の御癖」」と注す。 【思しながら、例の御癖なれば、今しも御心ざしまさるべかめり】- 「べか」(推量の助動詞)「めり」(推量の助動詞)、語り手の推測。「かやうに例に違へるわづらはしさにかならず心かかる御癖にて」とあった。 |
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2.3.3 | ことにふれて、はしたなきことのみ |
院の御在世中こそは、遠慮もなさっていたが、后の御気性は激しくて、あれこれと悔しい思いをしてきたことの仕返しをしよう、とお思いのようである。 何かにつけて、体裁の悪いことばかり生じてくるので、きっとこうなることとはお思いになっていたが、ご経験のない世間の辛さなので、立ち交じっていこうともお考えになれない。 |
院がおいでになったころは御遠慮があったであろうが、積年の怨みを源氏に |
【かたがた思しつめたることどもの報いせむ】- 弘徽殿大后の心。源氏への復讐心。 【思すべかめり】- 「べか」(推量の助動詞)「めり」(推量の助動詞)、語り手の推測。 |
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2.3.4 | 左の大殿も、面白くない気がなさって、特に内裏にも参内なさらない。 故姫君を、避けて、この大将の君に妻合わせなさったお気持ちを、后は根にお持ちになって、あまり良くはお思い申し上げていない。 大臣の御仲も、もとから疎遠でいらっしゃったうえに、故院の在世中は思い通りでいられたが、御世が替わって、得意顔でいらっしゃるのが、面白くないとお思いになるのも、もっともなことである。 |
左大臣も不愉快であまり御所へも出なかった。 |
【左の大殿も、すさまじき心地したまひて】- 政権が右大臣家に移り、左大臣家にとっては何かとおもしろからぬ時代となる。 【故姫君を、引きよきて、この大将の君に聞こえつけたまひし御心を、后は思しおきて】- 弘徽殿大后は葵の上を朱雀妃にという所望を左大臣が断って源氏に与えたのを根にもっている。 【そばそばしうおはするに】- 大島本は「おはするに」とある。『新大系』は底本のままとする。『集成』『古典セレクション』は諸本に従って「おはする」と、接続助詞「に」を削除する。 【故院の御世にはわがままにおはせしを】- 主語は左大臣。 【時移りて、したり顔におはするを】- 主語は右大臣。 |
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2.3.5 | 大将は、在世中と変わらずお通いになって、お仕えしていた女房たちをも、かえって以前以上にこまごまとお気を配りになって、若君を大切におかわいがり申されること、この上ないので、しみじみとありがたいお心だと、ますます大切にお世話申し上げなさる事ども、同様である。 この上ないご寵愛で、あまりにもうるさいまでに、お暇もなさそうにお見えになったが、お通いになっていた方々も、あちこちと途絶えなさることもあり、軽率なお忍び歩きも、つまらないようにお思いなさって、特になさらないので、とてものんびりと、今の方がかえって理想的なお暮らしぶりである。 |
源氏は昔の日に変わらずよく左大臣家を |
【大将は、ありしに変はらず渡り通ひたまひて】- 葵の上の生前同様に左大臣邸に。 【若君をかしづき思ひきこえたまへること】- 主語は源氏。夕霧は昨年の秋に誕生。現在二歳。 【いとどいたつききこえたまふことども、同じさまなり】- 主語は左大臣。左大臣が婿の源氏の世話をすること。娘の葵の上が生きていた時と同じ。 【限りなき御おぼえの、あまりもの騒がしきまで、暇なげに見えたまひしを】- 「限りなき御おぼえ」は桐壺院の源氏寵愛。「の」(格助詞、同格)、「あまりもの騒がしきまで暇なげに見えたまひし」は、女たちにちやほやされた源氏の姿をいう。 【いとのどやかに、今しもあらまほしき御ありさまなり】- 『集成』は「こんな(不遇の)時の方がかえって理想的とおもわれるご様子である」という。『完訳』は「世俗と没交渉の、心静かな篭居を理想とする。しばしば語られる出家の念願に連なってもいよう」という。前者の説は、源氏と紫の君とが常に親しくいる状態をさし、後者の説は、広く世俗との没交渉の生活と解す。語り手の評言。 |
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2.3.6 | 西の対の姫君のお幸せを、世間の人もお喜び申し上げる。 少納言なども、人知れず、「故尼上の御祈祷の効験」と拝している。 父親王とも隔意なくお文をお通わし申し上げなさる。 正妻腹の、この上なくと願っている方は、これといったこともないので、妬ましいことが多くて、継母の北の方は、きっと面白くなくお思いであろう。 物語にわざと作り出したようなご様子である。 |
【西の対の姫君の御幸ひを、世人もめできこゆ】- 二条院西の対に住む紫の君の幸福をいう。 【父親王も思ふさまに聞こえ交はしたまふ】- 紫の君の父。兵部卿の宮。この時点では源氏と睦まじく交際している。しかし、源氏の須磨明石流謫時代には冷たくなる。 【継母の北の方は、やすからず思すべし。物語にことさらに作り出でたるやうなる御ありさまなり】- 「べし」(推量の助動詞)、「なり」(断定の助動詞)は、語り手の推量や断定である。『評釈』は「継子が幸せになる話は、昔物語の『住吉物語』や『落窪物語』など現存するのにも見られるが、今の有様はちょうどそれと同じだという。このお話はそういう昔物語ではない。実際あった話なのだ、作者は、そうことわるのである」という。 |
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2.3.7 | 斎院は、御服喪のためにお下がりになったので、朝顔の姫君は、代わってお立ちになった。 賀茂の斎院には、孫王のお就きになる例、多くもなかったが、適当な内親王がいらっしゃらなかったのであろう。 大将の君は、幾歳月を経ても、依然としてお忘れになれなかったのを、このように方面がちがっておしまいになったので、残念にとお思いになる。 中将にお便りをおやりになることも、以前と同じで、お手紙などは途絶えていないのだろう。 以前と変わったご様子などを、特に何ともお考えにならず、このようなちょっとした事柄を、気の紛れることのないのにまかせて、あちらこちらと思い悩んでいらっしゃる。 |
加茂の斎院は父帝の喪のために引退されたのであって、そのかわりに |
【斎院は、御服にて下りゐたまひにしかば】- 斎院は、桐壺院の第三皇女(「葵」巻登場)であった。したがって、父の喪に服すために斎院を下りた。 【朝顔の姫君は、替はりにゐたまひにき】- 「朝顔の姫君」と呼称される。「帚木」「葵」に登場。 【賀茂のいつきには、孫王のゐたまふ例、多くもあらざりけれど、さるべき女御子やおはせざりけむ】- 語り手の推量を交えた挿入句。 【中将におとづれたまふことも】- 朝顔の姫君づきの女房。初見の人。 【ことに何とも思したらず】- 『完訳』は「ここでの源氏は、社会的不遇に低迷することなく、恋の人生に生きるべく好色人(すきびと)に徹している」と注す。 【こなたかなたと思し悩めり】- 『集成』は「あちらこちら(朧月夜の君や朝顔の姫君)と思い悩んでいらっしゃる」という。 |
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第四段 源氏朧月夜と逢瀬を重ねる |
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2.4.1 | 帝は、院の御遺言に背かず、親しくお思いであったが、お若くいらっしゃるうえにも、お心が優し過ぎて、毅然としたところがおありでないのであろう、母后、祖父大臣、それぞれになさる事に対しては、反対することがおできあそばされず、天下の政治も、お心通りに行かないようである。 |
帝は院の御遺言のとおりに源氏を愛しておいでになったが、お若い上に、きわめてお気の弱い方でいらせられて、母后や祖父の大臣の意志によって行なわれることをどうあそばすこともおできにならなくて、朝政に御不満足が多かったのである。 |
【帝は、院の御遺言違へず、あはれに思したれど、若うおはしますうちにも、御心なよびたるかたに過ぎて、強きところおはしまさぬなるべし】- 「なる」(断定の助動詞)「べし」(推量の助動詞)、語り手の推量を交えた朱雀帝の人物評。前に「帝はいと若うおはします」とあった。「院の御遺言」とは源氏を「朝廷の御後見」とするようにとの内容をいう。 【母后、祖父大臣--とりどりしたまふことは、え背かせたまはず、世のまつりごと、御心にかなはぬやうなり】- 大島本は「とり/\し給事は」とある。『新大系』は底本のままとする。『集成』『古典セレクション』は諸本に従って「とりどりにしたまふことは」と格助詞「に」を補訂する。朱雀帝の治世。母弘徽殿皇太后と祖父大臣に牛耳られているありさま。 |
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2.4.2 | わづらはしさのみまされど、 かの、 |
厄介な事ばかりが多くなるが、尚侍の君は、密かにお心を通わしているので、無理をなさりつつも、長い途絶えがあるわけではない。 五壇の御修法の初日で、お慎しみあそばす隙間を狙って、いつものように、夢のようにお逢い申し上げる。 あの、昔を思い出させる細殿の局に、中納言の君が、人目を紛らしてお入れ申し上げる。 人目の多いころなので、いつもより端近なのが、何となく恐ろしく思わずにはいられない。 |
昔よりもいっそう恋の自由のない境遇にいても尚侍は 宮中で行なわせられた五壇の |
【わりなくてと、おぼつかなくはあらず】- 大島本は「わりなくてと」とある。『新大系』は底本のままとする。『集成』『完訳』は諸本に従って「わりなくても」と訂正する。無理をなさりつつも長い途絶えがあるわけではない、の意。 【五壇の御修法】- 五大尊(不動明王・降三世明王・大威徳明王・軍荼利夜叉王・金剛夜叉王)を安置する壇を設けて行う修法。天皇や国家に重大事のある時に行う。ここでの重大事が何であるかは不明。 【かの、昔おぼえたる細殿の局に】- 源氏と朧月夜の君が初めて逢った弘徽殿の細殿(「花宴」)。 【中納言の君】- 朧月夜の君づきの女房。 【そら恐ろしうおぼゆ】- 『完訳』は「空から見られるような恐怖心」という。 |
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2.4.3 | 朝夕に拝見している人でさえ、見飽きないご様子なので、まして、まれまれにある逢瀬であっては、どうして並々のことであろうか。 女のご様子も、なるほど素晴しいお盛りである。 重々しいという点では、どうであろうか、魅力的で優美で若々しい感じがして、好ましいご様子である。 |
朝夕に見て見飽かぬ源氏と |
【朝夕に見たてまつる人だに、飽かぬ御さまなれば】- 以下「いかでかはおろかならむ」まで、『細流抄』は「草子地也」と指摘。「だに」「まして」「いかでかは」「おろかならむ」の文脈は、語り手の感情移入による表現。 【女の御さまも、げにぞめでたき御盛りなる】- 「も」「げにぞ」、語り手の他の人の意見に同意して「なるほど」というニュアンス。 【重りかなるかたは、いかがあらむ】- 語り手の批評の挿入句。『完訳』は「女の理性的な弱さとともに、男女の交感を語りこめる」と注す。 |
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2.4.4 | ほどなく |
間もなく夜も明けて行こうか、と思われるころに、ちょうどすぐ側で、 |
もうつい夜が明けていくのではないかと思われる頃、すぐ下の庭で、 |
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2.4.5 | 「宿直申しの者、ここにおります」 |
「 |
【宿直申し、さぶらふ】- 宿直奏の上司に姓名を申告する言葉。宮中の夜間の警備は、戌、亥、子までを左近衛府、丑、寅、卯までを右近衛府が担当する。ここは夜明け間近であるから、右近衛府の官人。源氏は右大将。 |
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2.4.6 | と、声を上げて申告するようである。 「自分以外にも、 この近辺で密会している近衛府の官人がいるのだろう。こ憎らしい傍輩 が教えてよこしたのだろう」と、 |
と高い声で |
【声づくるなり】- 「なり」(伝聞推定の助動詞)。源氏は細殿の中で聞いている。 【また、このわたりに隠ろへたる近衛司ぞあるべき。腹ぎたなきかたへの教へおこするぞかし】- 源氏の心中。自分以外にもこの近くに忍んで来ている近衛の官人がいるのだろう、たちの悪い同僚が教えて寄こしたのだろう、の意。 【をかしきものから、わづらはし】- 源氏の心中と語り手の批評が一体化した表現。 |
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2.4.7 | ここかしこ |
あちこちと探し歩いて、 |
また庭のあなたこなたで |
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2.4.8 | 「 |
「寅一刻」 |
「 |
【寅一つ】- 宿直奏の声。寅の刻を午前四時から六時までとすれば、寅の一刻は四時から四時半まで。 |
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2.4.9 | と申しているようだ。 女君、 |
と報じて歩いている。 |
【申すなり】- 「なり」(伝聞推定の助動詞)。源氏は細殿の中で聞いている。 |
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2.4.10 | 「自分からあれこれと涙で袖を濡らすことですわ 夜が明けると教えてくれる声につけましても」 |
心からかたがた 明くと教ふる声につけても |
【心からかたがた袖を濡らすかな--明くと教ふる声につけても】- 朧月夜の贈歌。「あく」に「明く」と「飽く」を掛け、「かたがた袖を濡らす」といって、別れの辛さと源氏の冷淡さを嘆き訴える。 |
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2.4.11 | とおっしゃる様子、いじらしくて、まことに魅力的である。 |
尚侍のこう言う様子はいかにもはかなそうであった。 |
【はかなだちて、いとをかし】- 語り手の批評の弁。 |
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2.4.12 | 「嘆きながら一生をこのように過ごせというのでしょうか 胸の思いの晴れる間もないのに」 |
胸のあくべき時ぞともなく |
【嘆きつつわが世はかくて過ぐせとや--胸のあくべき時ぞともなく】- 源氏の返歌。「よ」に「世」と「夜」、「あく」に「明く」と「飽く」を掛ける。『完訳』は「恋ゆえの無明の鬱情であるとして切り返した」という。 |
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2.4.13 | 慌ただしい思いで、お出になった。 |
落ち着いておられなくて源氏は別れて出た。 |
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2.4.14 | もどききこゆるやうもありなむかし。 |
夜の深い暁の月夜に、何ともいいようのない霧が立ちこめていて、とてもたいそうお忍び姿で、振る舞っていらっしゃるのが、他に似るものがないほどのご様子で、承香殿の兄君の藤少将が、藤壷から出て来て、月の光が少し蔭になっている立蔀の側に立っていたのを知らないで、お通り過ぎになったことはお気の毒であったなあ。 きっとご非難申し上げるようなこともあるだろうよ。 |
まだ朝に遠い暁月夜で、霧が一面に降っている中を簡単な |
【夜深き暁月夜の、えもいはず霧りわたれるに、いといたうやつれて、振る舞ひなしたまへるしも、似るものなき御ありさまにて】- 源氏の朝帰りの様。一幅の絵になる場面。夜明けにはまだ間のある残月の細くかかった空、霧が趣深く立ちこめている中を、忍び姿の源氏が帰って行く様子。 【藤壺より出でて】- 藤壺方の女房のもとにいたもの。この時の藤壺の住人は誰か不明。 【知らで過ぎたまひけむこそいとほしけれ】- 語り手の源氏への同情。 【もどききこゆるやうもありなむかし】- 語り手の推測。『岷江入楚』は「やうやう須磨の巻をかき出すへき序也草子地歟」と指摘。 |
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2.4.15 | このような事につけても、よそよそしくて冷たい方のお心を、一方では立派であるとお思い申し上げてはいるものの、自分勝手な気持ちからすれば、やはり辛く恨めしい、と思われなさる時が多い。 |
源氏は尚侍とまた新しく作ることのできた関係によっても、 |
【もて離れつれなき人の御心を】- 藤壺をさす。 |
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第三章 藤壺の物語 塗籠事件 |
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第一段 源氏、再び藤壺に迫る |
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3.1.1 | また、 |
内裏に参内なさるようなことは、物馴れない気がし、窮屈にお感じになって、東宮をご後見申し上げなされないのを、気がかりに思われなさる。 また一方、頼りとする人もいらっしゃらないので、ただこの大将の君を、いろいろとお頼り申し上げていらっしゃったが、依然として、この憎らしいご執心が止まないうえに、ややもすれば度々胸をお痛めになって、少しも関係をお気づきあそばさずじまいだったのを思うだけでも、とても恐ろしいのに、今その上にまた、そのような事の噂が立っては、自分の身はともかくも、東宮の御ためにきっとよくない事が出て来よう、とお思いになると、とても恐ろしいので、ご祈祷までおさせになって、この事をお絶ちいただこうと、あらゆるご思案をなさって逃れなさるが、どのような機会だったのだろうか、思いもかけぬことに、お近づきになった。 慎重に計画なさったことを、気づいた女房もいなかったので、夢のようであった。 |
御所へ参内することも気の進まない源氏であったが、そのために東宮にお目にかからないことを寂しく思っていた。東宮のためにはほかの後援者がなく、ただ源氏だけを中宮も力にしておいでになったが、今になっても源氏は宮を御当惑させるようなことを時々した。院が最後まで秘密の片はしすらご存じなしにお |
【内裏に参りたまはむことは、うひうひしく、所狭く思しなりて】- 主語は藤壺。以下、藤壺の心中に即した叙述。 【なほ、この憎き御心のやまぬに】- 大島本は朱筆で「猶このにくき御心のやまぬに」を補入する。 【いささかもけしきを御覧じ知らずなりにしを思ふだに】- 桐壺院が源氏との関係を少しも御存知ならずじまいであった、と藤壺は思う。以下「よからぬこと出で来なむ」まで、藤壺の心中叙述。 【春宮の御ために】- 大島本は「に」を補入する。 【御祈りをさへせさせて】- 『集成』は「『伊勢物語』六十五段の、男が、自分の恋慕の思いがなくなるようにと、仏神に祈り、祓えまでしたという話を念頭に置いたものでろう」と注す。 【いかなる折にかありけむ、あさましうて】- 語り手の挿入句。 |
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3.1.2 | 筆に写して伝えることができないくらい言葉巧みにかき口説き申し上げなさるが、宮、まことにこの上もなく冷たくおあしらい申し上げなさって、遂には、お胸をひどくお苦しみなさったので、近くに控えていた命婦、弁などは、驚きあきれてご介抱申し上げる。 男は、恨めしい、辛い、とお思い申し上げなさること、この上もないので、過去も未来も、まっ暗闇になった感じで、理性も失せてしまったので、すっかり明けてしまったが、お出にならないままになってしまった。 |
源氏が |
【まねぶべきやうなく】- 筆に尽くしがたいほど言葉巧みにという語り手の謙辞。 【命婦、弁などぞ】- 「若紫」巻で源氏を手引した王命婦と藤壺の乳母子の弁。 【男は】- 『完訳』は「理不尽な恋におぼれた源氏を「男」と呼ぶのに対し、自制的にふるまう藤壺「宮」と呼ぶ点に注意」と注す。 【来し方行く先、かきくらす心地して】- 『集成』は「過去も未来も真暗になったような気がして。激しい悲しみに心がとざされた状態の形容」と注す。 |
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3.1.3 | ご病気に驚いて、女房たちがお近くに参上して、しきりに出入りするので、茫然自失のまま、塗籠に押し込められていらっしゃる。 お召物を隠し持っている女房たちの心地も、とても気が気でない。 宮は、何もかもとても辛い、とお思いになったので、のぼせられて、なおもお苦しみあそばす。 兵部卿宮、大夫などが参上して、 |
御病気を聞き伝えて御帳台のまわりを女房が |
【押し入れられて】- 大島本は「れ」を補入する。 |
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3.1.4 | 「 |
「僧を呼べ」 |
祈りの僧を迎えよう |
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3.1.5 | など からうして、 |
などと騒ぐのを、大将は、とても辛く聞いていらっしゃる。 やっとのことで、暮れて行くころに、ご回復あそばした。 |
などと言われているのを源氏は苦しく聞いていたのである。日が暮れるころにやっと御病悩はおさまったふうであった。 |
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3.1.6 | かく よろしう |
このように籠もっていられようとはお思いにもならず、女房たちも、再びお心を乱させまいと思って、これこれしかじかでとも申し上げないのだろう。 昼の御座にいざり出ていらっしゃる。 ご回復そばしたらしいと思って、兵部卿宮もご退出などなさって、御前は人少なになった。 いつもお側近くに仕えさせなさる者は少ないので、あちらこちらの物蔭などに控えている。 命婦の君などは、 |
源氏が塗籠で一日を暮らしたとも中宮様はご存じでなかった。命婦や弁なども御心配をさせまいために申さなかったのである。宮は昼の御座へ出てすわっておいでになった。御 |
【思しもかけず】- 主語は藤壺。 【かくなむとも】- 源氏がまだいるということをさす。 【申さぬなるべし】- 「なる」(断定の助動詞)「べし」(推量の助動詞)。語り手が女房たちの気持ちを推測したもの。 【宮もまかでたまひなどして】- 「も」(係助詞)「など」は、同類のものがあるニュアンス。中宮大夫が先に帰って、最後に身内の兵部卿宮が帰ったりなどしての意。 【例もけ近くならさせたまふ人少なければ】- 藤壺の御前は常に人少なであるという。 |
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3.1.7 | 「どのように人目をくらまして、お出し申し上げよう。 今夜までも、おのぼせになられたら、おいたわしい」 |
「どう |
【いかにたばかりて、出だしたてまつらむ。今宵さへ、御気上がらせたまはむ、いとほしう】- 王命婦の心中。 【いとほしうなど】-大島本は朱筆で「なと」を補入する。 |
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3.1.8 | など、うちささめき |
などと、ひそひそとささやきもてあましている。 |
などとささやいていた。 |
【うちささめき扱ふ】- 弁にささやいたものであろう。 |
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3.1.9 | 君は、塗籠の戸が細めに開いているのを、静かに押し開けて、御屏風の隙間を伝わってお入りになった。 珍しく嬉しいにつけても、涙は落ちて拝見なさる。 |
源氏は塗籠の戸を初めから細目にあけてあった所へ手をかけて、そっとあけてから、 |
【めづらしくうれしきにも】- 明るい中で藤壺の顔を見るのは少年の日以来のことである。 |
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3.1.10 | 「やはり、とても苦しい。 死んでしまうのかしら」 |
「まだ私は苦しい。死ぬのではないかしら」 |
【なほ、いと苦しうこそあれ。世や尽きぬらむ】- 藤壺の独り言。 |
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3.1.11 | とて、 |
と言って、外の方を遠く見ていらっしゃる横顔、何とも言いようがないほど優美に見える。 お果物だけでも、といって差し上げた。 箱の蓋などにも、おいしそうに盛ってあるが、見向きもなさらない。 世の中をとても深く思い悩んでいられるご様子で、静かに物思いに耽っていらっしゃる、たいそういじらしげである。 髪の生え際、頭の恰好、御髪のかかっている様子、この上ない美しさなど、まるで、あの対の姫君に異なるところがない。 ここ数年来、少し思い忘れていらしたのを、「驚きあきれるまでよく似ていらっしゃることよ」と御覧になっていらっしゃると、少し執心の晴れる心地がなさる。 |
とも言って外のほうをながめておいでになる横顔が非常に |
【御くだものをだに】- 女房の詞を間接引用。 【なつかしきさまにて】- つい手が出したくなるようなの意。 【世の中をいたう思し悩めるけしきにて】- 源氏との仲を悩む。 【いみじうらうたげなり】- 『集成』は「とても弱々しい感じである」の意に解す。 【髪ざし、頭つき、御髪のかかりたるさま、限りなき匂はしさなど、ただ、かの対の姫君に違ふところなし】- 紫の君を「対の姫君」と呼称。『完訳』は「北山での発見以来、藤壺の形代としてきたが、あらためてその酷似を確認し感動を深める」と注す。 【年ごろ、すこし思ひ忘れたまへりつるを】- 『集成』は「長年、少し(紫の上が藤壺に似ていることを)忘れていられたのに。藤壺に対面する機会がなかったため、二人がよく似ていることを思い起さなかったのである」と注す。 【あさましきまでおぼえたまへるかな】- 大島本は「つ」をミセケチにして「へ」と訂正する。源氏の感想。 【すこしもの思ひのはるけどころある心地したまふ】- 紫の君が藤壺に酷似していることを再確認して、物思いを晴らすあてがあるようだと、源氏は思う。 |
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3.1.12 | けはひしるく、さと 「 |
気品高く気後れするような様子なども、まったく別人と区別することも難しいのを、やはり、何よりも大切に昔からお慕い申し上げてきた心の思いなしか、「たいそう格別に、お年とともにますますお美しくなってこられたなあ」と、他に比べるものがなくお思いになると、惑乱して、そっと御帳の中に纏いつくように入り込んで、御衣の褄を引き動かしなさる。 気配ははっきり分かり、さっと匂ったので、あきれて不快な気がなさって、そのまま伏せっておしまいになった。 「振り向いて下さるだけでも」と恨めしく辛くて、引き寄せなさると、お召物を脱ぎ滑らせて、いざり退きなさるが、思いがけず、御髪がお召し物と一緒に掴まえられたので、まことに情けなく、宿縁の深さ、思い知られなさって、実に辛い、とお思いになった。 |
高雅な所も別人とは思えないのであるが、初恋の宮は思いなしか一段すぐれたものに見えた。華麗な気の放たれることは昔にましたお姿であると思った源氏は前後も忘却して、そっと静かに帳台へ伝って行き、宮のお召し物の |
【気高う恥づかしげなるさまなども】- 大島本は朱筆で「かしけなる」を補入する。 【なほ、限りなく昔より思ひしめきこえてし心の思ひなしにや】- 語り手が源氏の心を推量した挿入句。 【さまことに、いみじうねびまさりたまひにけるかな】- 源氏の藤壺を見ての感想。歳月の経過を思わせる。 【かかづらひ入りて】- まつわりつくように入り込む。 【御衣の褄を引きならしたまふ】- 『集成』は「藤壺のお召し物の褄を引き動かしなさる」の意に解し、『完訳』は「自分の衣服の端を引いて衣ずれの音をさせ、藤壺に気づかせる」の意に解す。 【見だに向きたまへかし】- 源氏の心中。せめて振り向いて下さいの意。 【心やましうつらうて】- 『集成』は「うらめしう」、『完訳』は「じれったく情けない気がして」の意に解す。 【御髪の取り添へられたりければ】- 『完訳』は「御衣とともに髪の一部も源氏につかまり、逃れがたい運命を思う。「心憂し」は、わが身のつたなさを思う気持で、「宿世」に重なる。若紫以来の思念」と注す。 |
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3.1.13 | 男も、長年抑えてこられたお心、すかっり惑乱して、気でも違ったように、すべての事を泣きながらお恨み訴え申し上げなさるが、本当に厭わしい、とお思いになって、お返事も申し上げなさらない。 わずかに、 |
源氏も今日の高い地位などは皆忘れて、魂も |
【まことに心づきなし】- 藤壺の心。 |
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3.1.14 | 「気分が、とてもすぐれませんので。 このようでない時であったら、申し上げましょう」 |
「私はからだが今非常によくないのですから、こんな時でない機会がありましたら詳しくお話をしようと思います」 |
【心地の、いと悩ましきを。かからぬ折もあらば、聞こえてむ】- 藤壺の詞。 |
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3.1.15 | とのたまへど、 |
とおっしゃるが、尽きないお心のたけを言い続けなさる。 |
とお言いになっただけであるのに、源氏のほうでは苦しい思いを告げるのに千言万語を費やしていた。 |
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3.1.16 | そうは言っても、さすがにお心を打つような内容も交じっているのだろう。 以前にも関係がないではなかった仲だが、再びこうなって、ひどく情けなくお思いになるので、優しくおっしゃりながらも、とてもうまく言い逃れなさって、今夜もそのまま明けて行く。 |
さすがに身に |
【さすがに、いみじと聞きたまふふしもまじるらむ】- 藤壺の心中を推量した語り手の挿入句。『岷江入楚』所引三光院実枝が「作者のをしはかりにかけり」と指摘。 【あらざりしことにはあらねど、改めて】- 子まで生した仲をいう。『完訳』は「源氏との過失をさす。今回も情交があったらと仮定」という。 |
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3.1.17 | せめて |
しいてお言葉に従い申し上げないのも恐れ多く、奥ゆかしいご様子なので、 |
この上で力で勝つことはなすに忍びない清い |
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3.1.18 | 「わずか、この程度であっても、時々、大層深い苦しみだけでも、晴らすことができれば、何の大それた考えもございません」 |
「私はこれだけで満足します。せめて今夜ほどに接近するのをお許しくだすって、今後も時々は私の心を聞いてくださいますなら、私はそれ以上の無礼をしようとは思いません」 |
【ただ、かばかりにても、時々、いみじき愁へをだに、はるけはべりぬべくは、何のおほけなき心もはべらじ】- 源氏の訴え。 |
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3.1.19 | などと、ご安心申し上げなさるのだろう。 ありふれたことでさえも、このような間柄には、しみじみとしたことも多く付きまとうというものだが、それ以上に、匹敵するものがなさそうである。 |
こんなふうに言って油断をおさせしようとした。今後の場合のために。こうした深刻な関係でなくても、これに類したあぶない |
【など、たゆめきこえたまふべし】- 語り手の推測を交えた表現。『首書源氏物語』所引或抄は「草子の地よりをしはかりたる也」と指摘。 【なのめなることだに、かやうなる仲らひは、あはれなることも添ふなるを、まして、たぐひなげなり】- 「だに」「まして」の呼応、「添ふ」「なる」(伝聞推定の助動詞)「なり」(断定の助動詞)、語り手の感慨を交えた表現。「細流抄」は「草子地也」と指摘、『評釈』は「語り手は今宵の仕儀にも感嘆する」という。 |
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3.1.20 | 明けてしまったので、二人して、大変なことになるとご忠告申し上げ、宮は、半ば魂も抜けたような御様子なのが、おいたわしいので、 |
夜が明けてしまったので王命婦と弁とが源氏の退去をいろいろに言って頼んだ。宮様は半ば死んだようになっておいでになるのである。 |
【二人して】- 王命婦と弁とをさす。 【いみじきことどもを聞こえ】- このまでは大変な事になると帰宅を促す。 |
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3.1.21 | 「世の中にまだ生きているとお聞きあそばすのも、とても恥ずかしいので、このまま死んでしまいますのも、また、この世だけともならぬ罪障となりましょうことよ」 |
「恥知らずの男がまだ生きているかとお思われしたくありませんから、私はもうそのうち死ぬでしょう。そしたらまた死んだ魂がこの世に執着を持つことで罰せられるのでしょう」 |
【世の中にありと聞こし召されむも】- 大島本は「あり」の「り」が「可」と読める字体であるのを朱筆で抹消して傍らに「里」と訂正する。以下「罪となりはべりぬべきこと」まで、源氏の執心の限りの恨みをこめた詞。「あり」はこの世に源氏が生きていることをいう。それを聞かれるのがまことに「恥づかし」。 【やがて亡せはべりなむも】- 「む」(推量の助動詞)仮定の意。 【この世ならぬ罪となりはべりぬべきこと】- 自分にとって現世執着ゆえに往生の妨げとなる意。 |
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3.1.22 | などと申し上げなさるが、鬼気迫るまでに思いつめていらっしゃった。 |
恐ろしい気がするほど源氏は真剣になっていた。 |
【思し入れり】- 大島本は朱筆で「る」(累)を抹消し傍らに「り」(里)と訂正する。 |
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3.1.23 | 「お逢いすることの難しさが今日でおしまいでないならば いく転生にわたって嘆きながら過すことでしょうか |
「逢ふことの なほ幾世をか |
【逢ふことのかたきを今日に限らずは--今幾世をか嘆きつつ経む】- 源氏の贈歌。「かたき」に「難き」と「敵」を掛ける。「いまいく世」は生まれ変わる生々世々。 |
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3.1.24 | 御往生の妨げにもなっては」 |
どうなってもこうなっても私はあなたにつきまとっているのですよ」 |
【御ほだしにもこそ】- 和歌に添えた詞。『完訳』は「当時の仏教観では、自分の執着は相手の往生の妨げともなる」と注す。 |
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3.1.25 | と |
と申し上げなさると、そうは言うものの、ふと嘆息なさって、 |
宮は |
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3.1.26 | 「未来永劫の怨みをわたしに残したと言っても そのようなお心はまた一方ですぐに変わるものと知っていただきたい」 |
長き世の恨みを人に残しても かつは心をあだとしらなん |
【長き世の恨みを人に残しても--かつは心をあだと知らなむ】- 藤壺の返歌。『完訳』は「「ながき世」が源氏の「いま幾世」とに照応。「あだ」は源氏の「かたき」の類語「かたき」からの連想、源氏を移り気の人として切り返す」という。「なむ」(希望の助動詞)、心はまた一方ですぐに変わるものと御承知下さいの意。 |
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3.1.27 | はかなく |
わざと何でもないことのようにおっしゃる様子が、何とも言いようのない気がするが、相手のお思いになることも、ご自分のためにも苦しいので、呆然自失の心地で、お出になった。 |
とお言いになった。源氏の言葉をわざと軽く受けたようにしておいでになる御様子の優美さに源氏は心を |
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第二段 藤壺、出家を決意 |
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3.2.1 | 「いづこを いとほしと うち もの |
「何の面目があって、再びお目にかかることができようか。 気の毒だとお気づきになるだけでも」とお思いになって、後朝の文も差し上げなさらない。 すっかりもう、内裏、東宮にも参内なさらず、籠もっていらして、寝ても覚めても、「本当にひどいお気持ちの方だ」と、体裁が悪いほど恋しく悲しいので、気も魂も抜け出してしまったのだろうか、ご気分までが悪く感じられる。 何となく心細く、「どうしてか、世の中に生きていると嫌なことばかり増えていくのだろう」と、発意なさる一方では、この女君がとてもかわいらしげで、心からお頼り申し上げていらっしゃるのを、振り捨てるようなこと、とても難しい。 |
あれほど冷酷に扱われた自分はもうその方に顔もお見せしたくない。同情をお感じになるまでは沈黙をしているばかりであると源氏は思って、それ以来宮へお手紙を書かないでいた。ずっともう御所へも東宮へも出ずに引きこもっていて、夜も昼も冷たいお心だとばかり恨みながらも、自分の今の態度を裏切るように恋しさがつのった。魂もどこかへ行っているようで、病気にさえかかったらしく感ぜられた。心細くて人間的な生活を捨てないからますます悲しみが多いのである、自分などは僧房の人になるべきであると、こんな決心をしようとする時にいつも思われるのは若い夫人のことであった。優しく自分だけを頼みにして生きている妻を捨てえようとは思われないのであった。 |
【いづこを面にてかは、またも見えたてまつらむ】- 以下「思し知るばかり」まで、源氏の心中。 【籠もりおはして】- 大島本は朱筆で「る」(留)を抹消し傍らに「り」(里)と訂正する。 【いみじかりける人の御心かな】- 源氏の藤壺に対する感想。 【心魂も失せにけるにや】- 語り手の疑問また源氏自身の内省を差し挟んだような挿入句。 【なぞや、世に経れば憂さこそまされ】- 源氏の気持ち。『源氏釈』は「世に経れば憂さこそまされみ吉野の岩のかけ道踏みならしてむ(古今集雑下、九五一、読人しらず)を指摘する。 【思し立つには】- 出家をさす。 【この女君のいとらうたげにて】- 大島本は「に」を補入する。紫の君をさす。 【振り捨てむこと、いとかたし】- 紫の君を捨てて出家をすることはできない、というのが源氏の心。 |
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3.2.2 | かうことさらめきて |
宮も、あの事があとを引いて、普段通りでいらっしゃらない。 こうわざとらしく籠もっていらして、お便りもなさらないのを、命婦などはお気の毒がり申し上げる。 宮も、東宮の御身の上をお考えになると、「お心隔てをお置きになること、お気の毒であるし、世の中をつまらないものとお思いになったら、一途に出家を思い立つ事もあろうか」と、やはり苦しくお思いにならずにはいられないのだろう。 |
宮のお心も非常に動揺したのである。源氏はその時きり引きこもって手紙も送って来ないことで命婦などは気の毒がった。宮も東宮のためには源氏に好意を持たせておかねばならないのに、自分の態度から人生を悲観して僧になってしまわれることになってはならぬとさすがに思召すのであった。 |
【御心置きたまはむこと、いとほしく】- 以下「思し立つこともや」まで、藤壺の心中。 【さすがに苦しう思さるべし】- そうはいっても無碍に源氏を遠ざけることのできない藤壺の心境を、語り手が「思さるべし」と推量した文。 |
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3.2.3 | 「このようなことが止まなかったら、ただでさえ辛い世の中に、嫌な噂までが立てられるだろう。 大后が、けしからんことだとおっしゃっているという地位をも退いてしまおう」と、次第にお思いになる。 故院が御配慮あそばして仰せになったことが、並大抵のことではなかったことをお思い出しになるにも、「すべてのことが、以前と違って、変わって行く世の中のようだ。 戚夫人が受けたような辱めではなくても、きっと、世間の物嗤いになるようなことは、身の上に起こるにちがいない」などと、世の中が厭わしく、生きて行きがたく感じられずにはいられないので、出家してしまうことを御決意なさるが、東宮に、お眼にかからないで尼姿になること、悲しく思われなさるので、こっそりと参内なさった。 |
そうといってああしたことが始終あっては |
【かかること絶えずは】- 以下「位をも去りなむ」まで、藤壺の心中。 【のたまふなる】- 「なる」伝聞推定の助動詞。 【なのめならざりしを】- 並大抵の御配慮ではなかったの意。『集成』は「弘徽殿の大后を越えて藤壺を中宮に立てたのは、東宮の後楯にしようとの思し召しであった」と注す。 【よろづのこと、ありしにもあらず】- 以下「身にこそあめれ」まで、藤壺の心中。 【戚夫人の見けむ目のやうに】- 漢高祖の戚夫人は、高祖に寵愛され、子の趙王を太子に立てようとしたが、高祖が崩御して後に、呂太后の子孝恵が即位すると、母子ともに囚えられ虐殺された(史記、呂后本紀)。『完訳』は「物語の状況や人間関係なども、この史実に類似」と注す。 |
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3.2.4 | おほかたの |
大将の君は、それほどでないことでさえ、お気づきにならないことなくお仕え申し上げていらっしゃるが、ご気分がすぐれないことを理由にして、お送りの供奉にも参上なさらない。 一通りのお世話は、いつもと同じようだが、「すっかり、気落ちしていらっしゃる」と、事情を知っている女房たちは、お気の毒にお思い申し上げる。 |
源氏はそんな時でなくても十二分に好意を表する |
【むげに、思し屈しにける】- 源氏の態度をいう。 【心知るどちは】- 王命婦と弁である。 |
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3.2.5 | 宮は、たいそうかわいらしく御成長されて、珍しく嬉しいとお思いになって、おまつわり申し上げなさるのを、いとしいと拝見なさるにつけても、御決意なさったことはとても難しく思われるが、宮中の雰囲気を御覧になるにつけても、世の中のありさま、しみじみと心細く、移り変わって行くことばかりが多い。 |
東宮はしばらくの間に美しく御成長しておいでになった。ひさびさ母宮とお逢いになった喜びに夢中になって、甘えて御覧になったりもするのが非常におかわいいのである。この方から離れて信仰の生活にはいれるかどうかと御自身で疑問が起こる。しかも御所の中の空気は、時の推移に伴う人心の変化をいちじるしく見せて人生は無常であるとお教えしないではおかなかった。 |
【宮は、いみじううつくしうおとなびたまひて】- 春宮、この時六歳。 【めづらしううれし】- 春宮の気持ち。 【かなし】- 藤壺の気持ち。いとしい。 |
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3.2.6 | 大后のお心もとても煩わしくて、このようにお出入りなさるにつけても、体裁悪く、何かにつけて辛いので、東宮のお身の上のためにも危険で恐ろしく、万事につけてお思い乱れて、 |
太后の |
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3.2.7 | 「御覧にならないで、長い間のうちに、姿形が違ったふうに嫌な恰好に変わりましたら、どのようにお思いあそばしますか」 |
「長くお目にかからないでいる |
【御覧ぜで、久しからむほどに】- 以下「思さるべき」まで、藤壺の詞。 【容貌の異ざまにて】- 出家した姿をいう。 |
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3.2.8 | と |
とお申し上げなさると、お顔をじっとお見つめになって、 |
と中宮がお言いになると、じっと東宮はお顔を見つめてから、 |
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3.2.9 | 「式部のようになの。 どうして、そのようにはおなりになりましょう」 |
「式部のようにですか。そんなことはありませんよ」 |
【式部がやうにや。いかでか、さはなりたまはむ】- 春宮の詞。「いかでか--む」は反語構文。『完訳』は「東宮づきの、見なれた女房であろう。異様な格好の人物として想起されたが、老齢ゆえの異様さであることが後の叙述から分る」と注す。 |
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3.2.10 | と、笑っておっしゃる。 何とも言いようがなくいじらしいので、 |
とお笑いになった。たよりない御幼稚さがおかわいそうで、 |
【いふかひなくあはれにて】- 『集成』は「(あまりのいわけなさに)力が脱け、胸がしめつけられるようで」の意に解す。『完訳』は「出家の悲愴な決意を理解しえない東宮の幼さが頼りなく不憫」と注す。 |
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3.2.11 | 「あの人は、 年老いていますので醜いのですよ。そうではなくて、髪はそれよりも短くして、黒い衣などを着て、夜居の僧のようになりましょうと思うので、お目にかかることも、ますます間 |
「いいえ。式部は年寄りですから醜いのですよ。そうではなくて、髪なんか式部よりも短くなって、黒い着物などを着て、 |
【それは、老いてはべれば醜きぞ】- 以下「いとど久しかるべきぞ」まで、藤壺の詞。 【髪はそれよりも短くて】- 大島本は朱筆で「も」をミセケチにして傍らに「て」と訂正する。 |
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3.2.12 | とて |
と言ってお泣きになると、真剣になって、 |
宮がお泣きになると、東宮はまじめな顔におなりになって、 |
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3.2.13 | 「長い間いらっしゃらないのは、恋しいのに」 |
「長く御所へいらっしゃらないと、私はお逢いしたくてならなくなるのに」 |
【久しうおはせぬは、恋しきものを】- 春宮の詞。 |
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3.2.14 | とて、 「いと、かうしもおぼえたまへるこそ、 |
と言って、涙が落ちたので、恥ずかしいとお思いになって、それでも横をお向きになっていらっしゃる、お髪はふさふさと美しくて、目もとがやさしく輝いていらっしゃる様子、大きく成長なさっていくにつれて、まるで、あの方のお顔を移し変えなさったようである。 御歯が少し虫歯になって、口の中が黒ずんで、笑っていらっしゃる輝く美しさは、女として拝見したい美しさである。 「とても、こんなに似ていらっしゃるのが、心配だ」と、玉の疵にお思いなされるのも、世間のうるさいことが、空恐ろしくお思いになられるのであった。 |
とお言いになったあとで、涙がこぼれるのを、恥ずかしくお思いになって顔をおそむけになった。お肩にゆらゆらとするお |
【ただかの御顔を脱ぎすべたまへり】- 源氏に生き写しであるという。『古典セレクション』は「抜きすべたまへり」と整定し、「抜いて移しかえる、の意と解すべきであろう。通説は「脱ぎ」をあてて、脱いで移しかえる意。また「脱ぎ据ゑ」とする説もある。いずれにせよ、酷似するさまをいう」と注する。 【御歯のすこし朽ちて、口の内黒みて、笑みたまへる薫りうつくしきは、女にて見たてまつらまほしうきよらなり】- 子供の虫歯のかわいらしさと、美しさを「女にて」「きよら」と表現する。 【いと、かうしもおぼえたまへるこそ、心憂けれ】- 藤壺の感想。 【世のわづらはしさの、空恐ろしうおぼえたまふなりけり】- 『岷江入楚』所引三光院実枝説は「草子地なり」と指摘。 |
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第四章 光る源氏の物語 雲林院参籠 |
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第一段 秋、雲林院に参籠 |
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4.1.1 | 大将の君は、東宮をたいそう恋しくお思い申し上げになっているが、「情けないほど冷たいお心のほどを、時々は、お悟りになるようにお仕向け申そう」と、じっと堪えながらお過ごしなさるが、体裁が悪く、所在なく思われなさるので、秋の野も御覧になるついでに、雲林院に参詣なさった。 |
源氏は中宮を恋しく思いながらも、どんなに御自身が冷酷であったかを反省おさせする気で引きこもっていたが、こうしていればいるほど見苦しいほど恋しかった。この気持ちを紛らそうとして、ついでに秋の花野もながめがてらに雲林院へ行った。 |
【大将の君は、宮をいと恋しう思ひきこえたまへど】- 源氏は東宮を。 【あさましき御心のほどを、時々は、思ひ知るさまにも見せたてまつらむ】- 源氏の心中。 【秋の野も見たまひがてら、雲林院に詣でたまへり】- 紫野にある寺院。もと淳和天皇の離宮、仁明天皇の皇子常康親王が伝領し出家して寺院となった。村上天皇の時には勅願によって堂塔が建てられ、重んじられた寺。 |
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4.1.2 | 「故母御息所のご兄妹の律師が籠もっていらっしゃる坊で、法文などを読み、勤行をしよう」とお思いになって、二、三日いらっしゃると、心打たれる事柄が多かった。 |
源氏の母君の |
【故母御息所の御兄の律師】- 母桐壺更衣の兄。源氏の伯父に当たる。 |
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4.1.3 | 紅葉がだんだん一面に色づいてきて、秋の野がとても優美な様子などを御覧になって、邸のことなども忘れてしまいそうに思われなさる。 法師たちで、学才のある者ばかりを召し寄せて、論議させてお聞きあそばす。 場所柄のせいで、ますます世の中の無常を夜を明かしてお考えになっても、やはり、「つれない人こそ、恋しく思われる」と、思い出さずにはいらっしゃれない明け方の月の光に、法師たちが閼伽棚にお供え申そうとして、からからと鳴らしながら、菊の花、濃い薄い紅葉など、折って散らしてあるのも、些細なことのようだが、 |
木立ちは |
【秋の野のいとなまめきたるなど】- 『休聞抄』は「秋の野になまめき立てる女郎花あなかしがまし花も一時」(古今集俳諧、一〇一六、僧正遍昭)を指摘する。 【論議】- 問答形式による経文の義の議論。 【所からに、いとど世の中の常なさを思し明かしても】- 源氏、所柄いっそう世の無常を感じるが、藤壺が思い出され、出家には踏み切れない。藤壺執心を語る。 【憂き人しもぞ」と、思し出でらるるおし明け方の月影に】- 『源氏釈』は「天の戸を押し明け方の月見れば憂き人しもぞ恋しかりける」(新古今集恋四、一二六〇、読人しらず)を指摘。「憂き人」は藤壺をさす。やはり藤壺が恋しいの意。 【はかなげなれど】- 『集成』『古典セレクション』は諸本に従って「はかなけれど」と校訂する。 |
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4.1.4 | 「この方面のお勤めは、この世の所在なさの慰めになり、また来世も頼もしげである。 それに引き比べ、 |
こんなことは、ちょっとしたことではあるが、僧にはこんな仕事があって退屈を感じる間もなかろうし、未来の世界に希望が持てるのだと思うとうらやましい、自分は自分一人を持てあましているではないか |
【このかたのいとなみは】- 以下「もてなやむかな」まで、源氏の思念。しかし、地の文が自然と源氏の心中文となっていく形態の文章。前半は、出家生活への憧れ。 【さも、あぢきなき身をもて悩むかな】- 反転して、我が人生を顧みる。「若紫」巻にも出家生活への憧れと「わが罪のほど恐ろしう、あぢきなきことに心をしめて」という反省が語られていた。 |
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4.1.5 | など、 |
などと、お思い続けなさる。 律師が、とても尊い声で、 |
などと源氏は思っていた。律師が尊い声で |
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4.1.6 | 「 |
「念仏衆生摂取不捨」 |
「 |
【念仏衆生摂取不捨】- 律師の経文の声。『観無量寿経』の文句。念仏を唱える衆生は皆受け入れて捨てない、という意。 |
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4.1.7 | と、声を引き延ばして読経なさっているのは、とても羨ましいので、「どうして自分は」とお考えになると、まず、姫君が心にかかって思い出されなさるのは、まことに未練がましい悪い心であるよ。 |
と唱えて |
【うちのべて】- 声を長く引いての意。 【行なひたまへるは、いとうらやましければ】- 大島本は「をこなひ給へるハ」とある。『新大系』は底本のままとする。『集成』『古典セレクション』は諸本に従って「行ひたまへるが」と校訂する。源氏の出家生活への憧れ。北山以来持ち続けていた。 【なぞや」と思しなるに、まづ、姫君の心にかかりて思ひ出でられたまふぞ】- 『集成』は「なぜ出家できないのか、そんなはずはない、というお考えになられるにつけて」の意に解す。「葵」巻にも「憂しと思ひしみにし世もなべて厭はしうなりたまひて、かかる絆だに添はざらましかば、願はしきさまにもなりなましと思すには、まづ対の姫君のさうざうしくてものしたまふらむありさまぞ、ふと思しやらるる」とあった。 【いと悪ろき心なるや】- 語り手の源氏の心を批評。『岷江入楚』が「草子の評也」と指摘。『完訳』は「語り手の評。読者の非難を先取りしながら、源氏の苦衷を暗示」と注す。 |
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4.1.8 | いつにない長い隔ても、不安にばかり思われなさるので、お手紙だけは頻繁に差し上げなさるようである。 |
幾日かを外で暮らすというようなことをこれまで経験しなかった源氏は恋妻に手紙を何度も書いて送った。 |
【御文ばかりぞ、しげう聞こえたまふめる】- 源氏は雲林院から二条院の紫の君のもとに手紙を頻繁に通わしていた。「める」(推量の助動詞)、語り手の主観的推量のニュアンス。 |
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4.1.9 | 「現世を離れることができようかと、ためしにやって来たのですが、所在ない気持ちも慰めがたく、心細さが募るばかりで。 途中までしか聞いていない事があって、ぐずぐずしておりますが、いかがお過ごしですか」 |
出家ができるかどうかと試みているのですが、寺の生活は寂しくて、心細さがつのるばかりです。もう少しいて法師たちから教えてもらうことがあるので滞留しますが、あなたはどうしていますか。 |
【行き離れぬべしやと、試みはべる道なれど】- 以下「やすらひはべるほどをいかに」まで、源氏の手紙文。「行き離れぬべしや」を『集成』は「俗世が捨てられるだろうか」の意に解す。 【聞きさしたること】- まだ教えを聞き残した所があるの意。 【やすらひはべるほど、いかに】- 大島本は「やすらひ侍ほといかに」とある。『新大系』は底本のままとする。『集成』『古典セレクション』は諸本に従って「はべるほどを」と格助詞「を」を補訂する。 |
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4.1.10 | などと、陸奥紙に、気楽にお書きになっているのまでが、素晴らしい。 |
などと檀紙に飾り気もなく書いてあるのが美しかった。 |
【陸奥紙】- 白く厚ぼったい雑用向きの用紙。 |
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4.1.11 | 「浅茅生に置く露のようにはかないこの世にあなたを置いてきたので まわりから吹きつける世間の激しい風を聞くにつけ、 |
あさぢふの露の宿りに君を置きて |
【浅茅生の露のやどりに君をおきて--四方の嵐ぞ静心なき】- 源氏の贈歌。紫の君の身の上が心配でならないの意。『完訳』は「「あさぢふの露」が「四方のあらし」に吹き散る景に、世の「常なさを思しあか」す源氏の心を象徴」と指摘。 |
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4.1.12 | などと情愛こまやかに書かれているので、女君もついお泣きになってしまった。 お返事は、白い色紙に、 |
という歌もある情のこもったものであったから紫夫人も読んで泣いた。返事は白い |
【白き色紙に】- 白色の薄様の紙。陸奥紙の白色に応じたもの。 |
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4.1.13 | 「風が吹くとまっ先に乱れて色変わりするはかない浅茅生の露の上に 糸をかけてそれを頼りに生きている蜘蛛のようなわたしですから」 |
風吹けば |
【風吹けばまづぞ乱るる色変はる--浅茅が露にかかるささがに】- 紫の君の返歌。「色変はる」に源氏の心変わりをいい、「ささがに」(蜘蛛の糸)は自分をいう。源氏を頼りに生きているという意。 |
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4.1.14 | とだけあるので、「ご筆跡はとても上手になっていくばかりだなあ」と、独り言を洩らして、かわいいと微笑んでいらっしゃる。 |
とだけ書かれてあった。「字はますますよくなるようだ」と |
【とのみありて】- 大島本は「とのミありて」とある。『新大系』は底本のままとする。『集成』『古典セレクション』は諸本に従って「とのみあり」と校訂する。 【御手はいとをかしうのみなりまさるものかな】- 源氏の感想。紫の君の筆跡の上達を思う。 |
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4.1.15 | いつも手紙をやりとりなさっているので、ご自分の筆跡にとてもよく似て、さらに少しなよやかで、女らしさが書き加わっていらっしゃった。 「どのような事につけても、まあまあに育て上げたものよ」とお思いになる。 |
始終手紙や歌を書き合っている二人は、夫人の字がまったく源氏のに似たものになっていて、それよりも少し |
【常に書き交はしたまへば】- 大島本は朱筆で「に」を補入する。 【何ごとにつけても、けしうはあらず生ほし立てたりかし】- 源氏の感想。 |
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第二段 朝顔斎院と和歌を贈答 |
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4.2.1 | 吹き通う風も近い距離なので、斎院にも差し上げなさった。 中将の君に、 |
斎院のいられる加茂はここに近い所であったから手紙を送った。女房の中将あてのには、 |
【吹き交ふ風も近きほどにて、斎院にも聞こえたまひけり】- 源氏、朝顔斎院と和歌を贈答。朝顔姫君は今年春に斎院に卜定された。一年目は宮中の初斎院にいるはずだが、今、紫野にいる。本来、紫野には二年目に移るべきもの。何かの事情で早まったものか。 |
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4.2.2 | 「このように、旅の空に、物思いゆえに身も魂もさまよい出たのを、ご存知なはずはありますまいね」 |
物思いがつのって、とうとう家を離れ、こんな所に宿泊していますことも、だれのためであるかとはだれもご存じのないことでしょう。 |
【かく、旅の空になむ】- 以下「あらじかし」まで、源氏の斎院への手紙文。 |
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4.2.3 | など、 |
などと、恨み言を述べて、御前には、 |
などと恨みが述べてあった。当の斎院には、 |
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4.2.4 | 「口に上して言うことは恐れ多いことですけれど その昔の秋のころのことが思い出されます |
かけまくも 秋思ほゆる |
【かけまくはかしこけれどもそのかみの--秋思ほゆる木綿欅かな】- 源氏の朝顔斎院への贈歌。「そのかみの秋」は物語に直接語られていないが、「帚木」巻の「式部卿宮の姫君に朝顔奉り給ひし歌など」とあったことをさすか。昔が思い出されて恋しいの意。 |
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4.2.5 | 昔の仲を今に、と存じます甲斐もなく、取り返せるもののようにも」 |
昔を今にしたいと思いましてもしかたのないことですね。自分の意志で取り返しうるもののように。 |
【昔を今に】- 以下「もののやうに」まで、和歌に添えた言葉。『源氏釈』は「いにしへのしづのおだまき繰り返し昔を今になすよしもがな」(伊勢物語)を指摘する。 【とり返されむもののやうに】- 『一葉抄』は「取り返すものにもがなや世の中をありしながらのわが身と思はむ」(出典未詳)を指摘する。 |
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4.2.6 | と、親しげに、唐の浅緑の紙に、榊に木綿をつけたりなど、神々しく仕立てて差し上げさせなさる。 |
となれなれしく書いた浅緑色の手紙を、 |
【なれなれしげに】- 『集成』は「事あり顔に」の意に、また『完訳』は「いかにも心やすげに」の意に解す。 【唐の浅緑の紙に、榊に木綿つけなど】- 榊の緑色に合わせて浅緑色の唐紙を用いた。 |
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4.2.7 | お返事、中将、 |
中将の返事は、 |
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4.2.8 | 「気の紛れることもなくて、過ぎ去ったことを思い出してはその所在なさに、お偲び申し上げること、多くございますが、何の甲斐もございません事ばかりで」 |
同じような日ばかりの続きます退屈さからよく昔のことを思い出してみるのでございますが、それによってあなた様を |
【紛るることなくて】- 以下「かひなくのみなむ」まで、中将君の手紙の返事。 |
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4.2.9 | と、すこし |
と、少し丹念に多く書かれていた。 御前の歌は、木綿の片端に、 |
まだいろいろと書かれてあった。女王のは |
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4.2.10 | 「その昔どうだったとおっしゃるのでしょうか 心にかけて偲ぶとおっしゃるわけは |
そのかみやいかがはありし 心にかけて忍ぶらんゆゑ |
【そのかみやいかがはありし木綿欅--心にかけてしのぶらむゆゑ】- 朝顔斎院の返歌。「そのかみ」「木綿襷」の語句を引用して返す。 |
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4.2.11 | 近い世には」 |
【近き世に】- 返歌に添えた言葉。引歌があるらしいが不明。 |
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4.2.12 | とぞある。 |
とある。 |
とだけ書いてあった。 |
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4.2.13 | 「ご筆跡、こまやかな美しさではないが、巧みで、草書きなど美しくなったものだ。 ましてや、お顔も、いよいよ美しくなられたろう」と想像されるのも、心が騒いで、恐ろしいことよ。 |
斎院のお字には細かな味わいはないが、高雅で漢字のくずし方など以前よりももっと巧みになられたようである。ましてその人自身の美はどんなに成長していることであろうと、そんな想像をして胸をとどろかせていた。神罰を思わないように。 |
【御手、こまやかにはあらねど、らうらうじう】- 『集成』は「味わいがあるというのではないが、巧みで」の意に、また『完訳』は「繊細な美しさではないけれども、書きなれた巧みさで」の意に解す。 【草などをかしうなりにけり。まして、朝顔もねびまさりたまへらむかし】- 大島本は「ねひまさり給へらむかし」とある。『新大系』『古典セレクション』は底本のまま(「たまへ」「ら」「む」「かし」)とする。『集成』は「たまふらむかし」と校訂する。源氏の想像。「朝顔」という呼称は「帚木」巻に「式部卿宮の姫君に朝顔奉りたまひし」云々を受ける。 【思ほゆるも、ただならず、恐ろしや】- 大島本は元の文字を擦り消して「とおもほゆるも」と重ね書きをする。『新大系』は底本のままとする。『集成』『古典セレクション』は諸本に従って「思ひやるも」と校訂する。「恐ろしや」は語り手の感情移入の表現。 |
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4.2.14 | 「あはれ、このころぞかし。 わりなう |
「ああ、このころであったよ。 野宮でのしみじみとした事は」とお思い出しになって、「不思議に、同じような事だ」と、神域を恨めしくお思いになられるご性癖が、見苦しいことである。 是非にとお思いなら、望みのようにもなったはずのころには、のんびりとお過ごしになって、今となって悔しくお思いになるらしいのも、奇妙なご性質だことよ。 |
源氏はまた去年の野の宮の別れがこのころであったと思い出して、自分の恋を妨げるものは、神たちであるとも思った。むずかしい事情が間にあればあるほど情熱のたかまる癖をみずから知らないのである。それを望んだのであったら加茂の女王との結婚は困難なことでもなかったのであるが、当時は |
【あはれ、このころぞかし。野の宮のあはれなりしこと】- 源氏の心中。昨年の秋、御息所との別離を思い出す。 【あやしう、やうのもの」と、神恨めしう思さるる御癖の、見苦しきぞかし】- 「やうのもの」とは同様のものの意。『完訳』は「同じ秋に神域の女に心をうごかすという奇妙な類似」と注す。この前後、源氏の心中を語りながら、それに対する語り手の批評が語られる(以下「あいなきことなりかし」まで)。『集成』は「「あやしう」以下、草子地。「かし」は読者(聴き手)に念を押す気持を表す強意の助詞」と注す。 【今は悔しう思さるべかめるも、あやしき御心なりや】- 「べか」「める」「あやしき」「なり」「や」の語句は語り手の感情移入による表現。草子地といわれるゆえん。源氏の性格に対する批評の言である。『完訳』は「このあたり、語り手の評言を多用。非難を先取りしながら、源氏固有の色好み像を造型」と注す。 |
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4.2.15 | 齋院も、このような一通りでないお気持ちをよくお見知り申し上げていらっしゃるので、時たまのお返事などには、あまりすげなくはお応え申すこともできないようである。 少し困ったことである。 |
斎院も普通の多情で書かれる手紙でないものを、これまでどれだけ受けておいでになるかしれないのであって、源氏をよく理解したお心から手紙の返事もたまにはお書きになるのである。厳正にいえば、神聖な職を持っておいでになって、少し謹慎が足りないともいうべきことであるが。 |
【えしももて離れきこえたまふまじかめり】- 「まじか」「めり」も語り手の推量に基づく表現。 【すこしあいなきことなりかし】- 語り手の朝顔斎院の態度に対する批評の言。 |
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4.2.16 | しめやかにて、 あるべき |
六十巻という経文、お読みになり、不明な所々を解説させたりなどしていらっしゃるのを、「山寺にとっては、たいそうな光明を修行の力でお祈り出し申した」と、「仏の御面目が立つことだ」と、賎しい法師連中までが喜び合っていた。 静かにして、世の中のことをお考え続けなさると、帰ることも億劫な気持ちになってしまいそうだが、姫君一人の身の上をご心配なさるのが心にかかる事なので、長くはいらっしゃれないで、寺にも御誦経の御布施を立派におさせになる。 伺候しているすべての、身分の上下を問わない僧ども、その周辺の山賎にまで、物を下賜され、あらゆる功徳を施して、お出になる。 お見送り申そうとして、あちらこちらに、賎しい柴掻き人連中が集まっていて、涙を落としながら拝し上げる。 黒いお車の中に、喪服を着て質素にしていらっしゃるので、よくはっきりお見えにならないが、かすかなご様子を、またとなく素晴らしい人とお思い申し上げているようである。 |
天台の経典六十巻を読んで、意味の難解な所を僧たちに聞いたりなどして源氏が寺にとどまっているのを、僧たちの善行によって |
【六十巻といふ書、読みたまひ】- 「六十巻」は天台六十巻の教典をさす。『法華玄義』『法華文句』『摩訶止観』(各十巻)とその注釈『法華玄義疏記』『法華文句疏記』『止観輔行伝弘決』(各十巻)をさす。 【山寺には、いみじき光行なひ出だしたてまつれり】- 雲林院の僧たちの言葉。ただし、「山寺には」が地の文か詞の文かは不分明。『完訳』は「山寺には」の下に読点を付す。源氏の雲林院来臨を最高の言葉で表して喜んだもの。 【仏の御面目あり】- 僧侶たちの言葉。『完訳』は「仏の御面目が立つこと」の意に解す。 【人一人の御こと思しやるがほだしなれば】- 紫の君をさす。一説には藤壺をさすという説もある。世の無常を思い仏道修業に勤しむことよりも紫の君の身の上が心にかかることとして大事であるという源氏。 【御誦経いかめしうせさせたまふ】- 御誦経に対するお布施を盛大におさせになるの意。 【このもかのもに】- 歌ことばをかりた表現。『原中最秘抄』は「筑波嶺のこのもかのもに蔭はあれど君がみかげにますかげはなし」(古今集東歌、一〇九五)を指摘する。 【しはふるひどもも】- 「しはふるひともゝ」(大横池)、「しはふる人ともゝ」(榊)、「しはふるひとゝも」(三)、「しはふるい人とも」(肖書)という異同がある。語義不明。 【黒き御車のうちにて、藤の御袂にやつれたまへれば】- 源氏の父桐壺院の喪に服している姿。 |
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第三段 源氏、二条院に帰邸 |
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4.3.1 | 女君は、この数日間に、いっそう美しく成長なさった感じがして、とても落ち着いていらして、男君との仲が今後どうなって行くのだろうと思っている様子が、いじらしくお思いなさるので、困った心がさまざまに乱れているのがはっきりと目につくのだろうか、「色変わる」とあったのも、かわいらしく思われて、いつもよりも親密にお話し申し上げなさる。 |
夫人は幾日かのうちに一段ときれいになったように思われた。高雅に落ち着いている中に、源氏の愛を不安がる様子の見えるのが |
【あいなき心のさまざま乱るるや】- 以下「らうたう」まで、源氏の心中を地の文で語る。『集成』は「(藤壺に焦がれる)自分の困った心の、あれこれ思い乱れる様子がはっきり(紫の上に)分るのか」の意に解す。 【色変はる】- 紫の君の返歌「風吹けばまづぞ乱るる色変はる浅茅が露にかかるささがに」の言葉。 |
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4.3.2 | 山の土産にお持たせになった紅葉、お庭先のと比べて御覧になると、格別に一段と染めてあった露の心やりも、そのままにはできにくく、久しいご無沙汰も体裁悪いまで思われなさるので、ただ普通の贈り物として、宮に差し上げなさる。 命婦のもとに、 |
山から折って帰った |
【山づとに持たせたまへりし】- 源氏、山の紅葉を土産に持ち帰る。 【おぼつかなさも、人悪るきまでおぼえたまへば】- 大島本は「人悪るきまで」について、朱筆で「は(者)」をミセケチにして傍らに墨筆で「わ(王)」と訂正し、「る(流)」「きまて」とある。『新大系』は底本のままとする。『集成』『古典セレクション』は、諸本に従って「人わろき」と校訂する。藤壺への御無沙汰。 |
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4.3.3 | 「参内あそばしたのを、珍しい事とお聞きいたしましたが、東宮との間の事、ご無沙汰いたしておりましたので、気がかりに存じながらも、仏道修行を致そうなどと、計画しておりました日数を、不本意なことになってはと、何日にもなってしまいました。 紅葉は、独りで見ていますと、せっかくの美しさも残念に思われましたので。 よい折に御覧下さいませ」 |
珍しく御所へおはいりになりましたことを伺いまして、両宮様いずれへも |
【入らせたまひにけるを、めづらしきことと】- 以下「御覧ぜさせたまへ」まで、源氏の手紙文。「入らせたまひにける」は藤壺が宮中に参内なさったの意。 【宮の間の事】- 春宮の後見に関する事。 【心ならずや】- 「打ち切らむ」などの語句が省略。 【紅葉は、一人見はべるに、錦暗う】- 『源氏釈』は「見る人もなくて散りぬる奥山の紅葉は夜の錦なりけり」(古今集秋下、二九七、紀貫之)を指摘する。 |
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4.3.4 | などあり。 |
などとある。 |
と言うのである。 |
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4.3.5 | なるほど、立派な枝ぶりなので、お目も惹きつけられると、いつものように、ちょっとした文が結んであるのだった。 女房たちが拝見しているので、お顔の色も変わって、 |
実際珍しいほどにきれいな紅葉であったから、中宮も喜んで見ておいでになったが、その枝に小さく結んだ手紙が一つついていた。女房たちがそれを見つけ出した時、宮はお顔の色も変わって、 |
【げに、いみじき】- 「げに」は藤壺と語り手の感想が一体化した表現。 【御目とまるに】- 主語は藤壺。 【いささかなるもの】- 源氏からの手紙。 |
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4.3.6 | 「依然として、このようなお心がお止みにならないのが、ほんとうに嫌なこと。 惜しいことに思慮深くいらっしゃる方が、考えもなく、このようなこと、時々お加えなさるのを、女房たちもきっと変だと思うであろう」 |
まだあの心を捨てていない、同情心の深いりっぱな人格を持ちながら、こうしたことを突発的にする矛盾があの人にある、女房たちも不審を起こすに違いない |
【なほ、かかる心の】- 以下「見るらむかし」まで、藤壺の心中。 |
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4.3.7 | と、 |
と、気に食わなく思われなさって、瓶に挿させて、廂の柱のもとに押しやらせなさった。 |
と反感をお覚えになって、 |
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第四段 朱雀帝と対面 |
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4.4.1 | 一般の事柄で、宮の御事に関することなどは、頼りにしている様子に、素っ気ないお返事ばかりを申し上げなさるので、「なんと冷静に、どこまでも」と、愚痴をこぼしたく御覧になるが、どのような事でもご後見申し上げ馴れていらっしゃるので、「女房が変だと、怪しんだりしたら大変だ」とお思いになって、退出なさる予定の日に、参内なさった。 |
ただのこと、東宮の御上についてのことなどには信頼あそばされることを、丁寧に感情を隠して告げておよこしになる中宮を、どこまでも |
【すくよかなる】- 『集成』は「堅苦しい」の意に、また『完訳』は「他人行儀な」の意に解す。 【さも心かしこく、尽きせずも】- 源氏の感想。『集成』は「なんと冷静に、どこまでも(自分につれなくなさることか)」の意に解す。『完訳』は「源氏は、自分の恋慕を巧みに避ける藤壺の態度を、賢明で、どこまでも用心深いと受けとめる」と注す。 【人あやしと、見とがめもこそすれ】- 源氏の心中。 【まかでたまふべき日、参りたまへり】- 藤壺が宮中を退出する日に源氏は参内した。 |
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4.4.2 | まづ、 かたみにあはれと |
まず最初、帝の御前に参上なさると、くつろいでいらっしゃるところで、昔今のお話を申し上げなさる。 御容貌も、院にとてもよくお似申していらして、さらに一段と優美な点が付け加わって、お優しく穏やかでおいであそばす。 お互いに懐かしく思ってお会いなさる。 |
まず |
【まづ、内裏の御方に参りたまへれば】- 源氏、朱雀帝の御前に参上。 【御容貌も、院にいとよう似たてまつりたまひて、今すこしなまめかしき気添ひて、なつかしうなごやかにぞおはします】- 朱雀帝像。 |
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4.4.3 | 尚侍の君の御ことも、依然として仲が切れていないようにお聞きあそばし、それらしい様子を御覧になる折もあるが、 |
【尚侍の君】- 朧月夜尚侍。この二月に任官。 【絶えぬさまに聞こし召し、けしき御覧ずる折もあれど】- 主語は帝。 |
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4.4.4 | 「どうして、今に始まったことならばともかく、前から続いていたことなのだ。 そのように心を通じ合っても、おかしくはない二人の仲なのだ」 |
それもしかたがない、今はじめて成り立った間柄ではなく、自分の知るよりも早く源氏のほうがその人の情人であったのであるからと |
【何かは】- 以下「あはひなりかし」まで、帝の心中。 【今はじめたることならばこそあらめ】- 「こそ」「あらめ」は逆接の文脈。朱雀帝が源氏と朧月夜尚侍との関係を咎めない理由。 【こそあらめ】-青表紙諸本、以下「ありそめにけることなれは」とある。大島本はナシ。『新大系』は底本のままとする。『集成』『古典セレクション』等は「ありそめにけることなれば」を補入する。 |
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4.4.5 | と、しいてそうお考えになって、お咎めあそばさないのであった。 |
やむをえないともお心の中で許しておいでになって、源氏をとがめようなどとは、少しも思召さないのである。 |
【思しなして】- 「なす」があることによって、しいてそう思うというニュアンス。 【咎めさせたまはざりける】- 大島本は朱筆で「給」を補入する。 |
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4.4.6 | よろづの |
いろいろなお話、学問上で不審にお思いあそばしている点など、お尋ねあそばして、また、色めいた歌の話なども、お互いに打ち明けお話し申し上げなさる折に、あの斎宮がお下りになった日のこと、ご容貌が美しくおいであそばしたことなど、お話しあそばすので、自分も気を許して、野宮のしみじみとした明け方の話も、すっかりお話し申し上げてしまったのであった。 |
詩文のことで源氏に質問をあそばしたり、また風流な歌の話をかわしたりするうちに、斎宮の下向の式の日のこと、美しい人だったことなども帝は話題にあそばした。源氏も打ち解けた心持ちになって、野の宮の |
【文の道】- 学問上の事。漢籍の学問。 【問はせたまひて】- 大島本は朱筆で「か(可)」をミセケチにし傍らに「ハ(八)」と訂正する。帝が源氏に御下問あそばし、それに対して、源氏が帝にお答え申し上げるという形式である。 【好き好きしき歌語りなども、かたみに聞こえ交はさせたまふついでに】- 歌にまつわる恋愛話。お互いの体験談へと話が移る。『完訳』は「恋の話題、とりわけ帝と斎宮、源氏と御息所の神を恐れぬ不謹慎な秘事に及び、二人はいよいよ親密。「かたみに」の繰返しにも注意」と注す。 【みな聞こえ出でたまひてけり】- 「て」(完了の助動詞、確述)「けり」(過去の助動詞)は、そこまではしなくともよいのに、してしまったのである、という語り手の強調のニュアンスが加わる。『完訳』は「秘すべき内容なのに、の気持」と注す。 |
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4.4.7 | 二十日の月、だんだん差し昇ってきて、風情ある時分なので、 |
【二十日の月、やうやうさし出でて】- 九月二十日の月。午後十時頃に出る。 |
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4.4.8 | 「管弦の御遊なども、してみたい折だね」 |
「音楽が聞いてみたいような晩だ」 |
【遊びなども、せまほしきほどかな】- 帝の詞。 |
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4.4.9 | とのたまはす。 |
と仰せになる。 |
と仰せられた。 |
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4.4.10 | 「中宮が、今夜、御退出なさるそうで、そのお世話に参りましょう。 院の御遺言あそばしたことがございましたので。 他に、 御後見申し上げる人もございませんようなの |
「私は今晩中宮が退出されるそうですから御訪問に行ってまいります。院の御遺言を承っていまして、だれもほかにお世話をする人もない方でございますから、親切にしてさしあげております。東宮と私どもとの関係からもお捨てしておけませんのです」 |
【中宮の、今宵、まかでたまふなる】- 以下「思ひたまへられはべりて」まで、源氏の返事。帝の提案を断る。 |
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4.4.11 | とお断り申し上げになる。 |
と源氏は奏上した。 |
【と奏したまふ】- 大島本は朱筆で「こ(己)」をミセケチにし傍らに「う(宇)」と訂正する。 |
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4.4.12 | 「 |
「東宮を、わたしの養子にしてなどと、御遺言あそばされたので、とりわけ気をつけてはいるのだが、特別に区別した扱いにするのも、今さらどうかしらと思って。 お年の割に、御筆跡などが格別に立派でいらっしゃるようだ。 何事においても、ぱっとしないわたしの面目をほどこしてくれることになる」 |
「院は東宮を自分の子と思って愛するようにと仰せなすったからね、自分はどの兄弟よりも大事に思っているが、目に立つようにしてもと思って、自分で控え目にしている。東宮はもう字などもりっぱなふうにお書きになる。すべてのことが平凡な自分の不名誉をあの方が回復してくれるだろうと頼みにしている」 |
【春宮をば、今の皇子になしてなど、のたまはせ置きしかば】- 以下「面起こしに」まで、帝の詞。桐壺院が春宮を朱雀帝の養子にするようにとの遺言をいう。春宮の立派さを褒める。 【今の皇子になして】-自分の養子にするようにとの意。 【ことにさしわきたるさまにも、何ごとをかは】- 特別に何をして上げるということもなく、すでにれっきとした春宮である、の意。 【みづからの】- 大島本は朱筆で「か」を補入する。 |
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4.4.13 | と、のたまはすれば、 |
と、仰せになるので、 |
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4.4.14 | 「おおよそ、なさることなどは、とても賢く大人のような様子でいらっしゃるが、まだ、とても不十分で」 |
「それはいろんなことを大人のようになさいますが、まだ何と申しても御幼齢ですから」 |
【おほかた】- 以下「いと片なりに」まで、源氏の詞。 |
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4.4.15 | など、その |
などと、その御様子も申し上げなさって、退出なさる時に、大宮のご兄弟の藤大納言の子で、頭の弁という者が、時流に乗って、今を時めく若者なので、何も気兼ねすることのないのであろう、妹の麗景殿の御方に行くところに、大将が先払いをひそやかにすると、ちょっと立ち止まって、 |
源氏は東宮の御勉学などのことについて奏上をしたのちに退出して行く時皇太后の兄である藤大納言の |
【大宮の御兄の藤大納言の子の、頭の弁】- 右大臣方の弘徽殿大后の兄弟の藤大納言の子の頭の弁。右大臣も藤原氏であることがわかる。 【思ふことなきなるべし】- 「べし」(推量の助動詞)は語り手の推量。 【妹の麗景殿の御方に行くに】- 頭の弁の妹の麗景殿女御。「に」は格助詞、時間または所を表す。行く時に、行くところにの意。 【大将の御前駆を忍びやかに追へば】- 「の」は格助詞、主格を表す。「ば」は接続助詞、単純な順接を表す。源氏が先払いをひそやかにすると、または、して行くとの意。『集成』は「先払いをひそやかにするので」の意に解す。 【しばし立ちとまりて】- 主語は頭の弁。 |
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4.4.16 | 「白虹が日を貫いた。 太子は、 |
「 |
【白虹日を貫けり。太子畏ぢたり】- 『史記』『漢書』にある文句。源氏が皇太子を擁して帝に謀叛を企てているようだが、成功しないぞと、あてこすって言ったもの。 |
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4.4.17 | と、いとゆるるかにうち |
と、たいそうゆっくりと朗誦したのを、大将、まことに聞きにくいとお聞きになったが、何の咎め立てできることであろうか。 后の御機嫌は、ひどく恐ろしく、厄介な噂ばかり聞いているうえに、このように一族の人々までも、態度に現して非難して言うらしいことがあるのを、厄介に思われなさったが、知らないふりをなさっていた。 |
と漢書の太子丹が刺客を |
【咎むべきことかは】- 語り手の何の非難することもできないという評言。 【かう親しき人びとも、けしきだち言ふべかめることどももあるに】- 弘徽殿大后のみならず、その近親者までが態度に表して非難しているようだの意。 |
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第五段 藤壺に挨拶 |
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4.5.1 | 「御前に伺候して、今まで、夜を更かしてしまいました」 |
「ただ今まで御前におりまして、こちらへ上がりますことが深更になりました」 |
【御前にさぶらひて、今まで、更かしはべりにける】- 源氏の藤壺への詞。場面は朱雀帝の御前。そこから藤壺方へ挨拶を言上したもの。 |
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4.5.2 | と、 |
と、ご挨拶申し上げなさる。 |
と源氏は中宮に |
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4.5.3 | 月が明るく照っているので、「昔、このような時には、管弦の御遊をあそばされて、華やかにお扱いしてくださった」などと、お思い出しになると、同じ宮中ながらも、変わってしまったことが多く悲しい。 |
明るい月夜になった御所の庭を中宮はながめておいでになって、院が |
【昔、かうやうなる折は】- 以下「もてなさせたまひし」まで、藤壺の心中。 【思し出づるに】- 主語は藤壺。 |
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4.5.4 | 「宮中には霧が幾重にもかかっているのでしょうか 雲の上で見えない月をはるかにお思い申し上げますことよ」 |
月をはるかに思ひやるかな |
【九重に霧や隔つる雲の上の--月をはるかに思ひやるかな】- 藤壺から源氏への贈歌。「霧」は帝の周辺の悪意ある人々をいい、「月」は帝をいう。 |
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4.5.5 | と、 ほどなければ、 |
と、命婦を取り次ぎにして、申し上げさせなさる。 それほど離れた距離ではないので、御様子も、かすかではあるが、慕わしく聞こえるので、辛い気持ちも自然と忘れられて、まっ先に涙がこぼれた。 |
これを |
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4.5.6 | 「月の光は昔の秋と変わりませんのに 隔てる霧のあるのがつらく思われるのです |
「月影は見し世の秋に変はらねど 隔つる霧のつらくもあるかな |
【月影は見し世の秋に変はらぬを--隔つる霧のつらくもあるかな】- 源氏の返歌。「霧」「雲」「月」の語句を用い、「月」は宮中の意であるが、また、藤壺の意もこめて、よそよそしくあしらう藤壺に対して、恨めしく思われる、という意を訴える。 |
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4.5.7 | 霞も仲を隔てるとか、昔もあったことでございましょうか」 |
【霞も人の】- 『奥入』は「山桜見に行く道を隔つれば霞も人の心なるべし」(出典未詳)を指摘する。また『紫明抄』は第五句が「人の心なりけり」とある。『後拾遺集』(春上、七八、藤原隆経朝臣)は第五句「人の心ぞ霞なりける」とある。以下「はべりけることにや」まで、和歌に添えた言葉。 |
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4.5.8 | など |
などと、申し上げなさる。 |
などと源氏は言った。 |
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4.5.9 | 宮は、春宮をいつまでも名残惜しくお思い申し上げなさって、あらゆる事柄をお話し申し上げなさるが、深くお考えにならないのを、ほんとうに不安にお思い申し上げなさる。 いつもは、とても早くお寝みになるのを、「お帰りになるまでは起きていよう」とお考えなのであろう。 残念そうにお思いでいたが、そうはいうものの、後をお慕い申し上げることのおできになれないのを、とてもいじらしいと、お思い申し上げなさる。 |
中宮は悲しいお別れの時に、将来のことをいろいろ東宮へ教えて行こうとあそばすのであるが、深くもお心にはいっていないらしいのを哀れにお思いになった。平生は早くお |
【深うも思し入れたらぬを】- 主語は春宮。 【出でたまふまでは起きたらむ】- 春宮の心中。 【思すなるべし】- 「なる」「べし」は語り手の断定と推量。 |
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第六段 初冬のころ、源氏朧月夜と和歌贈答 |
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4.6.1 | 大将、頭の弁が朗誦したことを考えると、お気が咎めて、世の中が厄介に思われなさって、尚侍の君にもお便りを差し上げなさることもなく、長いことになってしまった。 |
源氏は頭の弁の言葉を思うと人知れぬ昔の秘密も恐ろしくて、尚侍にも久しく手紙を書かないでいた。 |
【大将、頭の弁の誦じつることを思ふに】- 「白虹日を貫けり、太子畏ぢたり」をさす。 |
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4.6.2 | 初時雨、早くもその気配を見せたころ、どうお思いになったのであろうか、向こうから、 |
【初時雨、いつしかとけしきだつに】- 「時雨」は晩秋から初冬の景物。季節は晩秋から初冬に移る。 【いかが思しけむ】- 挿入句。語り手の推量。『完訳』は「異例の、女からの贈歌に注目する、語り手の言辞」と注す。 |
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4.6.3 | 「木枯が吹くたびごとに訪れを待っているうちに 長い月日が経ってしまいました」 |
おぼつかなさの |
【木枯の吹くにつけつつ待ちし間に--おぼつかなさのころも経にけり】- 朧月夜尚侍から源氏への贈歌。源氏から便りがないことを嘆いた歌。 |
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4.6.4 | と差し上げなさった。 時節柄しみじみとしたころであり、無理をしてこっそりお書きになったらしいお気持ちも、いじらしいので、お使いを留めさせて、唐の紙をお入れあそばしている御厨子を開けさせなさって、特別上等なのをあれこれ選び出しなさって、筆を念入りに整えて認めていらっしゃる様子、優美なので、御前の女房たちは、「どなたのであろう」と、互いにつっ突き合っている。 |
こんな歌を送ってきた。ちょうど物の身にしむおりからであったし、どんなに人目を避けてこの手紙が書かれたかを想像しても恋人の情がうれしく思われたし、返事をするために使いを待たせて、 |
【と聞こえたまへり】- 大島本は「と」を墨筆で補入する。 【忍び書きたまへらむ】- 大島本は朱筆で「つ(川)」をミセケチにし傍らに「へ(部)」と訂正する。『新大系』は訂正に従って「たまへ」を採用する。『集成』『古典セレクション』は訂正以前の形を採用し「たまひつ」とする。 【御使とどめさせて】- 「させ」は使役の助動詞。 【誰ればかりならむ】- 女房のささやき。 【つきしろふ】- 『集成』は「つきじろふ」と濁音で読む。『新大系』『古典セレクション』は「つきしろふ」と清音で読む。 |
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4.6.5 | 「お便り差し上げても、何の役にも立たないのに懲りまして、すっかり気落ちしておりました。 自分だけが情けなく思われていたところに、 |
どんなに苦しい心を申し上げてもお返事がないので、そのかいのないのに私の心はすっかりめいり込んでいたのです。 |
【聞こえさせても】- 以下「もの忘れしはべらむ」まで、源氏の朧月夜尚侍への返書。 【身のみもの憂きほどに】- 『源氏釈』は「数ならぬ身のみもの憂くおもほえて待たるるまでもなりにけるかな」(後撰集雑四、一二六〇、読人しらず)を指摘する。 |
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4.6.6 | お逢いできずに恋い忍んで泣いている涙の雨までを ありふれた秋の時雨とお思いなのでしょうか |
あひ見ずて忍ぶる頃の涙をも なべての秋のしぐれとや見る |
【あひ見ずてしのぶるころの涙をも--なべての空の時雨とや見る】- 源氏の返歌。 |
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4.6.7 | 心が通じるならば、どんなに物思いに沈んでいる気持ちも、紛れることでしょう」 |
心が通うものでしたなら、通っても来るものでしたなら、空も寂しい色とばかりは見えないでしょう。 |
【眺めの空も】- 「ながめ」は「長雨」と「眺め」の掛詞。「時雨」の縁語。 |
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4.6.8 | など、こまやかになりにけり。 |
などと、つい情のこもった手紙になってしまった。 |
などと情熱のある文字が |
【こまやかになりにけり】- つい情がこもってしまった、という語り手の感情移入の表現。 |
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4.6.9 | このようにお便りを差し上げる人々は多いようであるが、無愛想にならないようお返事をなさって、お気持ちには深くしみこまないのであろう。 |
こんなふうに女のほうから源氏を誘い出そうとする手紙はほかからも来るが、情のある返事を書くにとどまって、深くは源氏の心にしまないものらしかった。 |
【おどろかしきこゆるたぐひ】- 朧月夜尚侍の方から。 【多かめれど】- 「めり」(推量の助動詞)は、語り手の推量。 【御心には深う染まざるべし】- 「べし」(推量の助動詞)は語り手の推測。『岷江入楚』所引三光院説が「草子地也」と指摘。源氏の心には。 |
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第五章 藤壺の物語 法華八講主催と出家 |
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第一段 十一月一日、故桐壺院の御国忌 |
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5.1.1 | 中宮は、故院の一周忌の御法事に引き続き、御八講の準備にいろいろとお心をお配りあそばすのであった。 |
中宮は院の御一周忌をお営みになったのに続いてまたあとに |
【中宮は、院の御はてのことにうち続き】- 故桐壺院の一周忌の終わり。喪が明ける。 【御八講のいそぎ】- 『法華経』全八巻を朝座・夕座の二度、四日間連続講説する法会。 |
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5.1.2 | 霜月の上旬、御国忌の日に、雪がたいそう降った。 大将殿から宮にお便り差し上げなさる。 |
十一月の初めの御命日に雪がひどく降った。源氏から中宮へ歌が送られた。 |
【霜月の朔日ごろ、御国忌なるに、雪いたう降りたり】- 故桐壺院の御命日、霜月の上旬、一日。 |
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5.1.3 | 「故院にお別れ申した日がめぐって来ましたが、 雪はふってもその人にまた行きめぐり逢える時はいつと期 |
別れにし 行き |
【別れにし今日は来れども見し人に--行き逢ふほどをいつと頼まむ】- 源氏から藤壺への贈歌。「ゆき」は「雪」と「行き」の掛詞。「行き合ふ」は来世で再会する意。桐壺院に再会しえない悲しみの歌。 |
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5.1.4 | いづこにも、 |
どちらも、今日は物悲しく思わずにいらっしゃれない日なので、お返事がある。 |
中宮のためにもお悲しい日で、すぐにお返事があった。 |
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5.1.5 | 「生きながらえておりますのは辛く嫌なことですが 一周忌の今日は、 |
ながらふるほどは 今日はその世に逢ふ |
【ながらふるほどは憂けれど行きめぐり--今日はその世に逢ふ心地して】- 藤壺の返歌。「永らふる」は「(雪が)降る」の掛詞、また「雪」の縁語。「ゆき」は「雪」と「行き」の掛詞。源氏が「いつと頼まむ」というのに対して、「今日はその世にあふ心ちして」と、いや、今日は命日で、故院に会えた気がすると答える。 |
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5.1.6 | ことにつくろひてもあらぬ |
格別に念を入れたのでもないお書きぶりだが、上品で気高いのは思い入れであろう。 書風が独特で当世風というのではないが、他の人には優れてお書きあそばしている。 今日は、宮へのご執心も抑えて、しみじみと雪の雫に濡れながら御追善の法事をなさる。 |
巧みに書こうともしてない字が雅趣に富んだ |
【思ひなしなるべし】- 「べし」(推量の助動詞)は、源氏の思い入れのせいであろう、という語り手の推量。 【筋変はり今めかしうはあらねど、人にはことに書かせたまへり】- 藤壺の筆跡を個性的で現代風ではないが、やはり人に優れて格別であるという。 【この御ことも思ひ消ちて】- 藤壺に対する思慕。 |
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第二段 十二月十日過ぎ、藤壺、法華八講主催の後、出家す |
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5.2.1 | いみじう さらぬことのきよらだに、 |
十二月の十日過ぎころ、中宮の御八講である。 たいそう荘厳である。 毎日供養なさる御経をはじめ、玉の軸、羅の表紙、帙簀の装飾も、この世にまたとない様子に御準備させなさっていた。 普通の催しでさえ、この世のものとは思えないほど立派にお作りになっていらっしゃるので、まして言うまでもない。 仏像のお飾り、花机の覆いなどまで、本当の極楽浄土が思いやられる。 |
十二月の十幾日に中宮の御八講があった。非常に |
【十二月十余日ばかり、中宮の御八講なり】- 藤壺、十二月十日過ぎに御八講を催す。 【表紙】- (へうし) 大島本は朱筆で「こし(己之)」を抹消しその傍らに「うし(宇之)」と訂正する。似た字体の誤写訂正である。 |
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5.2.2 | またの |
第一日は、先帝の御ため。 第二日は、母后の御ため。 次の日は、故院の御ため。 第五巻目の日なので、上達部なども、世間の思惑に遠慮なさってもおれず、おおぜい参上なさった。 今日の講師は、特に厳選あそばしていらっしゃるので、「薪こり」という讃歌をはじめとして、同じ唱える言葉でも、たいそう尊い。 親王たちも、さまざまな供物を捧げて行道なさるが、大将殿のお心づかいなど、やはり他に似るものがない。 いつも同じことのようだが、拝見する度毎に素晴らしいのは、どうしたらよいだろうか。 |
初めの日は中宮の父帝の御 |
【初めの日は】- 第一日は藤壺の父帝、第二日は母后、第三日は夫桐壺院のため、その朝座は『法華経』第五巻を講じる日なので、上達部他大勢参加。最終日の第四日は自分のために行う。 【世のつつましさを】- 右大臣方の権勢への遠慮。 【薪こる」ほどより】- 薪の行道と称して、薪や水桶を持ち、捧物を持って、堂や池の回りを廻り歩きながら、次の和歌を唱える。『異本紫明抄』は「法華経をわが得しことは薪こり菜摘み水汲み仕へてぞ得し」(拾遺集哀傷、一三四六、大僧正行基)を指摘する。 【なほ似るものなし】- 大島本は朱筆で「もの」を補入する。 【常におなじことのやうなれど、見たてまつるたびごとに、めづらしからむをば、いかがはせむ】- 語り手の源氏賞賛の文章。『弄花抄』が「記者詞なり」と指摘。『評釈』は「語り手は、いつもの事なのだが、やはり立派なので、と弁解する。その日その目で源氏の大将を見た女房が、こう弁解するのである」という。 |
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5.2.3 | 最終日は、御自身のことを結願として、出家なさる旨、仏に僧からお申し上げさせなさるので、参集の人々はお驚きになった。 兵部卿宮、大将がお気も動転して、驚きあきれなさる。 |
最終の日は中宮御自身が御仏に結合を誓わせられるための供養になっていて、御自身の御出家のことがこの儀式の場で仏前へ報告されて、だれもだれも意外の感に打たれた。 |
【仏に申させたまふに】- 「させ」は使役の助動詞。僧をして仏に申し上げさせなさるの意。 【あさましと思す】- 『集成』は「どうしたことかと」の意に解し、『完訳』は「あまりにも意外なこととお思いになる」の意に解す。 |
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5.2.4 | 親王は、儀式の最中に座を立って、お入りになった。 御決心の固いことをおっしゃって、終わりころに、山の座主を召して、戒をお受けになる旨、仰せになる。 御伯父の横川の僧都、お近くに参上なさって、お髪を下ろしなさる時、宮邸中どよめいて、不吉にも泣き声が満ちわたった。 たいしたこともない老い衰えた人でさえ、今は最後と出家をする時は、不思議と感慨深いものなのだが、まして、前々からお顔色にもお出しにならなかったことなので、親王もひどくお泣きになる。 |
宮は式の半ばで席をお立ちになって |
【山の座主】- 天台座主。比叡山の最高位の僧侶。 【御伯父の横川の僧都】- 藤壺は先帝の四宮であるから、母方の伯父(叔父)であろう。 【御髪下ろしたまふほどに】- 大島本は朱筆で「おろし」を補入する。 |
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5.2.5 | 参集なさった方々も、大方の成り行きも、しみじみ尊いので、皆、袖を濡らしてお帰りになったのであった。 |
参列していた人々も同情の禁ぜられない中宮のお立場と、この寂しい結末の場を拝して泣く者が多かった。 |
【あはれに尊ければ】- 大島本は「あはれたうとけれは」とある。『新大系』『集成』『古典セレクション』は諸本に従って「あはれに」と「に」を補訂する。 |
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5.2.6 | 故院の皇子たちは、在世中の御様子をお思い出しになると、ますます、しみじみと悲しく思わずにはいらっしゃれなくて、皆、お見舞いの詞をお掛け申し上げなさる。 大将は、お残りになって、お言葉かけ申し上げるすべもなく、目の前がまっ暗闇に思われなさるが、「どうして、そんなにまで」と、人々がお見咎め申すにちがいないので、親王などがお出になった後に、御前に参上なさった。 |
院の皇子方は、父帝がどれほど御 |
【故院の御子たちは】- 桐壺院の御子息たち。 【大将は、立ちとまりたまひて】- 『集成』は「お残りになって」の意に解し、『完訳』は「源氏だけは、茫然自失のあまり、その席を動くことも、言葉をかけることもできない」と注す。 【などか、さしも】- 大島本は朱筆で「なと」を補入する。どうしてそんなにまで深く悲しんでいるのだろうの意。 【親王など】- 「親王」は藤壺の兄兵部卿親王を代表的に語ったもの。 |
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5.2.7 | だんだんと人の気配が静かになって、女房連中、鼻をかみながら、あちこちに群れかたまっていた。 月は隈もなく照って、雪が光っている庭の様子も、昔のことが遠く思い出されて、とても堪えがたく思われなさるが、じっとお気持ちを鎮めて、 |
落ち着かれずに人々がうろうろしたことや、すすり泣きの声もひとまずやんで、女房は涙をふきながらあなたこなたにかたまっていた。明るい月が空にあって、雪の光と照り合っている庭をながめても、院の御在世中のことが目に浮かんできて堪えがたい気のするのを源氏はおさえて、 |
【月は隈なきに、雪の光りあひたる庭のありさまも、昔のこと思ひやらるるに】- 「十二月十余日ばかり」とあった。満月に近い月である。藤壺の心境と冬の夜の清澄な月の光に照らし出された雪の庭の描写は景情一致の表現。後の「朝顔」巻にも見られる。 【いと堪へがたう思さるれど】- 大島本は朱筆で「ほ」を補入する。 |
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5.2.8 | 「どのように御決意あそばして、このように急な」 |
「何が御動機になりまして、こんなに突然な御出家をあそばしたのですか」 |
【いかやうに思し立たせたまひて、かうにはかには】- 源氏の藤壺への詞。急に出家した理由を尋ねる。 |
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5.2.9 | と |
とお尋ね申し上げになる。 |
と挨拶を取り次いでもらった。 |
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5.2.10 | 「今初めて、決意致したのではございませんが、何となく騒々しいようになってしまったので、決意も揺らいでしまいそうで」 |
「これはただ今考えついたことではなかったのですが、昨年の悲しみがありました時、すぐにそういたしましては人騒がせにもなりますし、それでまた私自身も取り乱しなどしてはと思いまして」 |
【今はじめて、思ひたまふることにもあらぬを、ものさわがしきやうなりつれば、心乱れぬべく】- 藤壺の返事。ずっと以前から考えていたことであるという。物さはかしきやうなりつれは-先程の藤壺出家の折とみる説と、桐壺院崩御の折と見る説とがある。『集成』『完訳』は前者の説に従って解す。 |
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5.2.11 | など、 |
などと、いつものように、命婦を通じて申し上げなさる。 |
例の |
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5.2.12 | 御簾の中の様子、おおぜい伺候している女房の衣ずれの音、わざとひっそりと気をつけて、振る舞い身じろぎながら、悲しみが慰めがたそうに外へ漏れくる様子、もっともなことで、悲しいと、お聞きになる。 |
源氏は |
【振る舞ひなして】- 「なす」があることによって、ことさら気をつけてのニュアンス。 |
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5.2.13 | 風、激しく吹き吹雪いて、御簾の内の匂い、たいそう奥ゆかしい黒方に染み込んで、名香の煙もほのかである。 大将の御匂いまで薫り合って、素晴らしく、極楽浄土が思いやられる今夜の様子である。 |
風がはげしく吹いて、御簾の中の |
【風、はげしう吹きふぶきて】- 風と雪が烈しく吹雪く夜のさま。 【黒方】- 黒方の香。冬の香。「いと物ふかき」香とある。 【名香】- 仏に供える香。「煙もほのかなり」とある。 |
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5.2.14 | 春宮からの御使者も参上した。 仰せになった時のこと、お思い出しあそばされると、固い御決意も堪えがたくて、お返事も最後まで十分にお申し上げあそばされないので、大将が、言葉をお添えになったのであった。 |
東宮のお使いも来た。お別れの前に東宮のお言いになった言葉などが宮のお心にまた新しくよみがえってくることによって、冷静であろうとあそばすお気持ちも乱れて、お返事の御挨拶を完全にお与えにならないので、源氏がお言葉を補った。 |
【のたまひしさま】- 藤壺が出家の意向を伝えたときに、東宮が「式部がやうにや。いかでか、さはなりたまはむ」「久しうおはせぬは、恋しきものを」と言ったことをさす。 |
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5.2.15 | どなたもどなたも、皆が悲しみに堪えられない時なので、思っていらっしゃる事なども、おっしゃれない。 |
だれもだれも常識を失っているといってもよいほど悲しみに心を乱しているおりからであるから、不用意に秘密のうかがわれる恐れのある言葉などは発せられないと源氏は思った。 |
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5.2.16 | 「月のように心澄んだ御出家の境地をお慕い申しても なおも子どもゆえのこの世の煩悩に迷い続けるのであろうか |
「月のすむ雲井をかけてしたふとも このよの |
【月のすむ雲居をかけて慕ふとも--この世の闇になほや惑はむ】- 源氏の藤壺への贈歌。「すむ」は「澄む」と「住む」、「この」は「此の」と「子の」、「よ」は「夜」と「世」の掛詞。「人のおやの心は闇にあらねども子を思ふ道に惑ひぬるかな(後撰集雑一、一一〇二、藤原兼輔)。『完訳』は「出家の跡を慕いつつも、実子東宮ゆえの心の闇から現世の妄執に迷うとする歌」と注す。 |
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5.2.17 | と存じられますのが、どうにもならないことで。 出家を御決意なさった恨めしさは、この上もなく」 |
私にはそう思えますが、御出家のおできになったお心持ちには敬服いたされます」 |
【と思ひたまへらるるこそ】- 大島本は「と思給ハらるゝ」とある。『新大系』は「と思給はるるこそ」のままとし、語法不審。青表紙諸本多くの「思ひ給うへらるるこそ」に訂正して解すべきか」と注す。『集成』『古典セレクション』は諸本に従って「と思ひたまへらるるこそ」と校訂する。以下「限りなう」まで、歌に添えた言葉。 【恨めしさは、限りなう】- 大島本は「うらめしさハ」とある。『新大系』は底本のままとする。『集成』『古典セレクション』は諸本に従って「うらやましさは」と校訂する。 |
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5.2.18 | とばかり |
とだけお申し上げになって、女房たちがお側近くに伺候しているので、いろいろと乱れる心中の思いさえ、お表し申すことができないので、気が晴れない。 |
とだけ言って、お居間に女房たちも多い様子であったから源氏は捨てられた男の悲痛な心持ちを簡単な言葉にして告げることもできなかった。 |
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5.2.19 | 「世間一般の嫌なことからは離れたが、 子どもへの煩悩はいつになったらすっかり離れ切ること |
「 いつかこの世を |
【おほふかたの憂きにつけては厭へども--いつかこの世を背き果つべき】- 大島本は「おほふかたの」とある。『新大系』は底本のままとする。『集成』『古典セレクション』は諸本に従って「おほかたの」と校訂する。藤壺の返歌。源氏の「この世」を受けて、「此の」に「子の」を掛け、自分もわが子のことが気掛かりでならないと返す。 |
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5.2.20 | 一方では、 |
りっぱな信仰を持つようにはいつなれますやら」 |
【かつ、濁りつつ】- 歌に添えた言葉。引歌があるらしいが、未詳。『完訳』は「一方では悟りすましつつも、一方では煩悩に悩みつつ」の意に解す。 |
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5.2.21 | などと、半分は取次ぎの女房のとりなしであろう。 悲しみの気持ちばかりが尽きないので、胸の苦しい思いで退出なさった。 |
宮の御挨拶は東宮へのお返事を兼ねたお心らしかった。悲しみに堪えないで源氏は退出した。 |
【かたへは御使の心しらひなるべし】- 語り手の挿入句。『細流抄』は「草子地也」と指摘。『評釈』は「期待する読者に対し、作者がこう弁解するのである。宮の御自作ではない、と」と注す。『完訳』は「女らしからぬ論理的な歌いぶりに注目」という。 |
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第三段 後に残された源氏 |
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5.3.1 | お邸でも、ご自分のお部屋でただ独りお臥せりになって、お眠りになることもできず、世の中が厭わしく思われなさるにつけても、春宮の御身の上のことばかりが気がかりである。 |
二条の院へ帰っても西の対へは行かずに、自身の居間のほうに一人 |
【殿にても、わが御方に一人うち臥したまひて】- 藤壺出家後、源氏、情勢を思いめぐらす。 |
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5.3.2 | 「せめて母宮だけでも表向きの御後見役にと、お考えおいておられたのに、世の中の嫌なことに堪え切れず、このようにおなりになってしまったので、もとの地位のままでいらっしゃることもおできになれまい。 自分までがご後見申し上げなくなってしまったら」などと、お考え続けなさり、夜を明かすこと、一再でない。 |
せめて母宮だけを最高の地位に置いておけばと院は思召したのであったが、その地位も好意を持たぬ者の苦しい圧迫のためにお捨てになることになった。尼におなりになっては |
【母宮をだに】- 以下「見たてまつり捨てては」まで、源氏の心中。 【朝廷がたざまにと、思しおきしを】- 大島本は「おほしをきし越」とある。『新大系』は底本のままとする。『集成』『古典セレクション』は諸本に従って「思しおきてしを」と校訂する。故桐壺院が藤壺を。 【見たてまつり捨てては】- 春宮を。 |
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5.3.3 | 「 さるは、かうやうの |
「今となっては、こうした方面の御調度類などを、さっそくに」とお思いになると、年内にと考えて、お急がせなさる。 命婦の君もお供して出家してしまったので、その人にも懇ろにお見舞いなさる。 詳しく語ることも、仰々しいことになるので、省略したもののようである。 実のところ、このような折にこそ、趣の深い歌なども出てくるものだが、物足りないことよ。 |
最後に源氏は中宮のために尼僧用のお調度、お衣服を作ってさしあげる善行をしなければならぬと思って、年内にすべての物を調えたいと急いだ。 |
【詳しう言ひ続けむに、ことことしきさまなれば、漏らしてけるなめり】- 語り手の弁。「漏らしてける」人は、この語り手の前の語り手。『弄花抄』は「記者筆也」と指摘。『集成』は「源氏がどんな贈り物をしたか、どんなやりとりがあったを書かないことに対する物語筆記者の女房の言い訳。草子地の文」と注す。『完訳』は「以下、語り手が語り漏したとする言辞。省筆により、かえって読者の想像力を喚起」と注す。 【かうやうの折こそ、をかしき歌など出で来るやうもあれ、さうざうしや】- 語り手の弁。前語り手が歌を伝えてくれなかったことは不満である、という物語作者のポーズ。 |
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5.3.4 | 参上なさっても、今は遠慮も薄らいで、御自身でお話を申し上げなさる時もあるのであった。 ご執心であったことは、全然お心からなくなってはないが、言うまでもなく、あってはならないことである。 |
源氏が三条の宮邸を御訪問することも気楽にできるようになり、宮のほうでも御自身でお話をあそばすこともあるようになった。少年の日から思い続けた源氏の恋は御出家によって解消されはしなかったが、これ以上に御接近することは源氏として、今日考えるべきことでなかったのである。 |
【参りたまふも、今はつつましさ薄らぎて】- 藤壺のもとに参上するにも、出家した身なので、気兼ねも薄らいだという意。 |
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第六章 光る源氏の物語 寂寥の日々 |
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第一段 諒闇明けの新年を迎える |
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6.1.1 | 年も改まったので、宮中辺りは賑やかになり、内宴、踏歌などとお聞きになっても、何となくしみじみとした気持ちばかりせられて、御勤行をひっそりとなさりながら、来世のことばかりをお考えになると、末頼もしく、厄介に思われたこと、遠い昔の事に思われる。 いつもの御念誦堂は、それはそれとして、特別に建立された御堂の、西の対の南に当たって、少し離れた所にお渡りあそばして、格別に心をこめた御勤行をあそばす。 |
春になった。御所では内宴とか、 |
【年も変はりぬれば】- 源氏二十五歳、桐壺院の諒闇が明ける。 【内宴、踏歌など】- 内宴は正月下旬の宮廷における公宴。踏歌は、男踏歌が正月十四日の夜、女踏歌が正月十六日夜に、帝の御前を出発して院の御所、中宮御所、春宮御所の順に廻って、宮中に明け方帰ってくる。出家した藤壺には無関係。 |
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6.1.2 | 大将、参賀に上がった。 新年らしく感じられるものもなく、宮邸の中はのんびりとして、人目も少なく、中宮職の者で親しい者だけ、ちょっとうなだれて、思いなしであろうか、思い沈んだふうに見える。 |
源氏が伺候した。正月であっても来訪者は |
【見なしにやあらむ】- 語り手の挿入句。 |
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6.1.3 | 白馬の節会だけは、やはり昔に変わらないものとして、女房などが見物した。 所狭しと参賀に参集なさった上達部など、道を避け避けして通り過ぎて、向かいの大殿に参集なさるのを、こういうものであるが、しみじみと感じられるところに、一人当千といってもよいご様子で、志深く年賀に参上なさったのを見ると、無性に涙がこぼれる。 |
【白馬ばかりぞ、なほ牽き変へぬものにて、女房などの見ける】- 白馬の節会。正月七日の年中行事。 【上達部など】- 大島本は朱筆で「たち」を補入する。 【向かひの大殿に】- 二条大路を挟んで、南側に藤壺の三条宮邸、北側に右大臣邸が向かい合っているという設定。 |
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6.1.4 | さま 「 |
客人も、たいそうしみじみとした様子に、見回しなさって、直ぐにはお言葉も出ない。 様変わりしたお暮らしぶりで、御簾の端、御几帳も青鈍色になって、隙間隙間から微かに見えている薄鈍色、くちなし色の袖口など、かえって優美で、奥ゆかしく想像されなさる。 「一面に解けかかっている池の薄氷、岸の柳の芽ぶきは、時節を忘れていない」などと、あれこれと感慨を催されて、「なるほど情趣を解する」と、ひっそりと朗唱なさっている、またとなく優美である。 |
源氏もなんとなく身にしむふうにあたりをながめていて、しばらくの間はものが言えなかった。純然たる尼君のお |
【むべも心ある」と】- 『源氏釈』は「音に聞く松が浦島今日ぞ見るむべも心あるあまは住みけり」(後撰集雑一、一〇九三、素性法師)を指摘する。 |
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6.1.5 | 「物思いに沈んでいらっしゃるお住まいかと存じますと 何より先に涙に暮れてしまいます」 |
ながめかる海人の まづしほたるる松が浦島 |
【ながめかる海人のすみかと見るからに--まづしほたるる松が浦島】- 源氏の贈歌。「ながめ」に「長布」(海藻)と「眺め」、「あま」に「海人」と「尼」を掛ける。「潮垂る」は「海人」の縁語。「松が浦島」は歌枕。 |
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6.1.6 | と |
と申し上げなさると、奥深い所でもなく、すべて仏にお譲り申していらっしゃる御座所なので、ちょっと身近な心地がして、 |
と源氏は言った。今はお座敷の大部分を仏に譲っておいでになって、お居間は端のほうへ変えられたお |
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6.1.7 | 「昔の俤さえないこのような所に 立ち寄ってくださるとは珍しいですね」 |
ありし世の 立ちよる波のめづらしきかな |
【ありし世のなごりだになき浦島に--立ち寄る波のめづらしきかな】- 藤壺の返歌。「浦島」を受けて返す。「余波」と「波」は縁語。浦島伝説を踏まえる。 |
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6.1.8 | とのたまふも、ほの |
とおっしゃるのが、微かに聞こえるので、堪えていたが、涙がほろほろとおこぼれになった。 世の中を悟り澄ましている尼君たちが見ているだろうのも、体裁が悪いので、言葉少なにしてお帰りになった。 |
と取り次ぎの女房へお教えになるお声もほのかに聞こえるのであった。源氏の涙がほろほろとこぼれた。今では人生を悟りきった尼になっている女房たちにこれを見られるのが恥ずかしくて、長くはいずに源氏は退出した。 |
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6.1.9 | 「さも、たぐひなくねびまさりたまふかな」 |
「なんと、またとないくらい立派にお成りですこと」 |
「ますますごりっぱにお見えになる。 |
【さも、たぐひなく】- 以下「心苦しうもあるかな」まで、女房の詞。 |
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6.1.10 | 「何の不足もなく世に栄え、時流に乗っていらっしゃった時は、そうした人にありがちのことで、どのようなことで人の世の機微をお知りになるだろうか、と思われておりましたが」 |
あらゆる幸福を御自分のものにしていらっしゃったころは、ただ天下の第一の人であるだけで、それだけではまだ人生がおわかりにならなかったわけで、ごりっぱでもおきれいでも、正しい意味では欠けていらっしゃるところがあったのです。 |
【さる一つものにて】- 「さる」は恵まれた人をさす。そうした人に共通のことでの意。 【推し量られたまひしを】- 「れ」(受身の助動詞)「給ひ」(尊敬の補助動詞)、源氏が推量されなさったの意。 |
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6.1.11 | 「 |
「今はたいそう思慮深く落ち着いていられて、ちょっとした事につけても、しんみりとした感じまでお加わりになったのは、どうにも気の毒でなりませんね」 |
御幸福ばかりでなくおなりになって、深味がおできになりましたね。しかしお気の毒なことですよ」 |
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6.1.12 | など、 |
などと、年老いた女房たち、涙を流しながら、お褒め申し上げる。 宮も、 |
などと老いた女房が泣きながらほめていた。中宮もお心にいろいろな場合の過去の源氏の面影を思っておいでになった。 |
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第二段 源氏一派の人々の不遇 |
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6.2.1 | かくても、いつしかと |
司召のころ、この宮の人々は、当然賜るはずの官職も得られず、世間一般の道理から考えても、宮の御年官でも、必ずあるはずの加階などさえなかったりして、嘆いている者がたいそう多かった。 このように出家しても、直ちにお位を去り、御封などが停止されるはずもないのに、出家にかこつけて変わることが多かった。 すべて既にお捨てになった世の中であるが、宮に仕えている人々も、頼りなげに悲しいと思っている様子を見るにつけて、お気持ちの納まらない時々もあるが、「自分の身を犠牲にしてでも、東宮の御即位が無事にお遂げあそばされるなら」とだけお考えになっては、御勤行に余念なくお勤めあそばす。 |
春期の官吏の |
【司召のころ】- 正月中旬の地方官の除目。源氏、藤壺方の人々、任官にもれる。 【かくても、いつしかと】- 「かく」は出家をさす。「いつしか」はこうも早くはの意。 【御封】- 中宮の御封は千五百戸。 【わが身をなきになしても、春宮の御代をたひらかにおはしまさば】- 藤壺の心中。 |
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6.2.2 | 人知れず危険で不吉にお思い申し上げあそばす事があるので、「わたしにその罪障を軽くして、お宥しください」と、仏をお念じ申し上げることによって、万事をお慰めになる。 |
お心の中に人知れぬ恐怖と不安があって、御自身の信仰によって、その罪の東宮に及ばないことを期しておいでになった。そうしてみずから慰められておいでになったのである。 |
【人知れず危ふくゆゆしう思ひきこえさせたまふこと】- 春宮が帝の実子でなく、本来なら皇位につくべきべきでないのを即位させようとする危険。 【我にその罪を軽めて、宥したまへ】- 藤壺の心中。わが子春宮が不義の子であるがゆえに生涯負わねばならない罪障。それを自分に負わせて軽減してもらえるよう仏に祈る。 |
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6.2.3 | 大将も、そのように拝見なさって、ごもっともであるとお考えになる。 こちらの殿の人々も、また同様に、辛いことばかりあるので、世の中を面白くなく思わずにはいらっしゃれなくて、退き籠もっていらっしゃる。 |
源氏もこの宮のお心持ちを知っていて、ごもっともであると感じていた。一方では |
【大将も、しか見たてまつり】- 源氏も藤壺の心中をそうと理解する。 【この殿の人どもも、また】- 「また」は藤壺邸に仕える人々同様にの意。 【世の中はしたなく思されて】- 主語は源氏。 |
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6.2.4 | 左大臣も、公私ともに変わった世の中の情勢に、億劫にお思いになって、致仕の表を上表なさるのを、帝は、故院が重大な重々しい御後見役とお考えになって、いつまでも国家の柱石と申された御遺言をお考えになると、見捨てにくい方とお思い申していらっしゃるので、無意味なことだと、何度もお許しあそばさないが、無理に御返上申されて、退き籠もっておしまいになった。 |
左大臣も公人として、また個人として幸福の去ってしまった今日を悲観して致仕の表を奉った。帝は院が非常に御信用あそばして、国家の柱石は彼であると御遺言あそばしたことを |
【故院のやむごとなく重き御後見】- 朱雀帝の心中。左大臣に対する待遇。 【長き世のかため】- 桐壺院の遺言。左大臣に対する待遇。 【捨てがたきものに思ひきこえたまへるに】- 主語は朱雀帝。 【かひなきこと】- 辞表を提出しても受理しない意。 |
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6.2.5 | 今では、ますます一族だけが、いやが上にもお栄えになること、この上ない。 世の重鎮でいらっしゃった大臣が、このように政界をお退きになったので、帝も心細くお思いあそばし、世の中の人も、良識のある人は皆嘆くのであった。 |
太政大臣一族だけが栄えに栄えていた。国家の重鎮である大臣が引きこもってしまったので、帝も心細く思召されるし、世間の人たちも |
【一族のみ】- 右大臣一族のみの意。 【世の重しとものしたまへる】- 左大臣は皇族と姻戚関係のある摂関家的人物でなく、広く国家の重鎮たる人物であった。 【心ある限りは】- 情理をわきまえた人。 |
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6.2.6 | かの |
ご子息たちは、どの方も皆人柄が良く朝廷に用いられて、得意そうでいらっしゃったが、すっかり沈んで、三位中将なども、前途を悲観している様子、格別である。 あの四の君との仲も、相変わらず、間遠にお通いになっては、心外なお扱いをなさっているので、気を許した婿君の中にはお入れにならない。 思い知れというのであろうか、今度の司召にも漏れてしまったが、たいして気にはしていない。 |
左大臣家の公子たちもりっぱな若い官吏で、皆順当に官位も上りつつあったが、もうその時代は過ぎ去ってしまった。 |
【御子どもは、いづれともなく】- 左大臣の子息たち。 【三位中将】- もとの頭中将。既に「葵」巻に三位中将とある。 【かの四の君】- 右大臣の四君。「桐壺」巻で頭中将との結婚が語られていた。 【なほ、かれがれにうち通ひ】- 既に「桐壺」巻に同様に語られている。 【めざましうもてなされたれば】- 「めざまし」と思うのは右大臣。「もてなす」のは三位中将。「れ」は尊敬の助動詞。つまり右大臣が見てしゃくにさわるように三位中将が四君に対して振る舞うので、の意。 【思ひ知れとにや】- 語り手の挿入句。右大臣の心を忖度。 【このたびの司召にも漏れぬれど】- 正月の司召。主として地方官の除目であるが、兼官のことであろうか。 |
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6.2.7 | 大将殿、このようにひっそりとしていらっしゃるので、世の中というものは無常なものだと思えたので、まして当然のことだ、としいてお考えになって、いつも参上なさっては、学問も管弦のお遊びをもご一緒になさる。 |
源氏の君さえも不遇の |
【大将殿、かう静かにて】- 以下「ましてことわり」まで、三位中将の心中。 【見えぬる】- 「ぬる」は完了の助動詞。見てしまったというニュアンス。 【ましてことわり】- 源氏と比較して自分の不遇はまして当然のことの意。 【学問をも】- 大島本は朱筆で「む」を補入する。 |
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6.2.8 | 昔も、気違いじみてまで、張り合い申されたことをお思い出しになって、お互いに今でもちょっとした事につけてでも、そうはいうものの張り合っていらっしゃる。 |
青年時代の二人の間に強い競争心のあったことを思い出して、今でも遊び事の時などに、一方のすることをそれ以上に出ようとして一方が力を入れるというようなことがままあった。 |
【いにしへも、もの狂ほしきまで、挑みきこえたまひしを】- 「帚木」「末摘花」「紅葉賀」巻などに語られている。 |
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6.2.9 | 春秋の季の御読経はいうまでもなく、臨時のでも、あれこれと尊い法会をおさせになったりなどして、また一方、無聊で暇そうな博士連中を呼び集めて、作文会、韻塞ぎなどの気楽な遊びをしたりなど、気を晴らして、宮仕えなどもめったになさらず、お気の向くままに遊び興じていらっしゃるのを、世間では、厄介なことをだんだん言い出す人々がきっといるであろう。 |
春秋の |
【春秋の御読経】- 季の御読経。大勢の僧侶を招いて『大般若経』を転読する行事。当時は宮中のみならず貴族の家でも催された。 【文作り、韻塞ぎなどやうのすさびわざども】- 作文会(漢詩)、詩の隠してある韻を当てる遊び。 【世の中には、わづらはしきことどもやうやう言ひ出づる人びとあるべし】- 「べし」(推量の助動詞)は語り手の言辞。『岷江入楚』が「筆者の詞也」と指摘。 |
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第三段 韻塞ぎに無聊を送る |
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6.3.1 | 夏の雨、静かに降って、所在ないころ、中将、適当な詩集類をたくさん持たせて参上なさった。 殿でも、文殿を開けさせなさって、まだ開いたことのない御厨子類の中の、珍しい古集で由緒あるものを、少し選び出させなさって、その道に堪能な人々、特別にというのではないが、おおぜい呼んであった。 殿上人も大学の人も、とてもおおぜい集まって、左方と右方とに交互に組をお分けになった。 賭物なども、又となく素晴らしい物で、競争し合った。 |
夏の雨がいつやむともなく降ってだれもつれづれを感じるころである、三位中将はいろいろな詩集を持って二条の院へ遊びに来た。源氏も自家の図書室の中の、平生使わない |
【夏の雨、のどかに降りて、つれづれなるころ】- 長雨の頃か。「帚木」巻の雨夜の品定めの段と似た季節描写。 【持たせて】- 「せ」使役の助動詞。三位中将が供人に持たせての意。 【選り出でさせたまひて】- 「させ」使役の助動詞。源氏が家人をしての意。 【その道の人びと】- 漢詩文の創作に堪能な人々。 【こまどりに】- たとえば、奇数を左方、偶数を右方に、交互に編成するやりかた。 【分かせたまへり】- 大成異同の記載ナシ。『集成』は「分たせたまへり」とする。 |
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6.3.2 | 韻塞ぎが進んで行くにつれて、難しい韻の文字類がとても多くて、世に聞こえた博士連中などがまごついている箇所箇所を、時々口にされる様子、実に深い学殖である。 |
隠した韻字をあてはめていくうちに、むずかしい字がたくさん出てきて、経験の多い |
【塞ぎもて行くままに】- 韻塞ぎの競技が進んで行くにつれての意。 |
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6.3.3 | 「どうして、こうも満ち足りていらっしたのだろう」 |
「どうしてこんなに何もかもがおできになるのだろう。 |
【いかで、かうしもたらひたまひけむ】- 以下「すぐれたまへるなりけり」まで、人々の詞。源氏の才能を絶賛。 |
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6.3.4 | 「やはり前世の因縁で、何事にも、人に優っていらっしゃるのであるなあ」 |
やはり |
【さるべきにて】- 前世からの宿縁での意。 【人にすぐれたまへるなりけり】- 大島本は「人にすくれ給へるなりけり」とある。『新大系』は底本のままとする。『集成』『古典セレクション』は諸本に従って「人には」と「は」を補訂する。 |
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6.3.5 | と、お褒め申し上げる。 最後には、 |
などと学者たちがほめていた。とうとう右のほうが負けになった。 |
【右負けにけり】- 三位中将方をいう。 |
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6.3.6 | 二日ほどして、中将が負け饗応をなさった。 大げさではなく、優美な桧破子類、賭物などがいろいろとあって、今日もいつもの人々、おおぜい招いて、漢詩文などをお作らせになる。 |
それから二日ほどして三位中将が負けぶるまいをした。たいそうにはしないで雅趣のある |
【中将負けわざ】- 負けた方が勝った方に饗応すること。 |
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6.3.7 | 階のもとの薔薇、わずかばかり咲いて、春秋の花盛りよりもしっとりと美しいころなので、くつろいで合奏をなさる。 |
階前の |
【階のもとの薔薇、けしきばかり咲きて、春秋の花盛りよりもしめやかにをかしきほどなるに】- 『源氏釈』は『和漢朗詠集』上、首夏(『白氏文集』巻十七、律詩)の「甕の頭の竹葉は春を経て熟す、階の底の薔薇は夏に入つて開けり」を指摘する。「薔薇」は漢詩的景物である。 |
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6.3.8 | 中将のご子息で、今年初めて童殿上する、八、九歳ほどで、声がとても美しく、笙の笛を吹いたりなどする子を、かわいがりお相手なさる。 四の君腹の二郎君であった。 世間の心寄せも重くて、特別大切に扱っていた。 気立ても才気があふれ、顔形も良くて、音楽のお遊びが少しくだけてゆくころ、「高砂」を声張り上げて謡う、とてもかわいらしい。 大将の君、お召物を脱いでお与えになる。 |
中将の子で今年から御所の侍童に出る八、九歳の少年でおもしろく |
【殿上する】- 童殿上する意。 【おもしろく】- 大島本は「おもろしく」とある。 【うつくしびもてあそびたまふ】- 主語は源氏。 【おぼえことにかしづけり】- 主語は世間の人々。『集成』は「特別大切にお仕えしている」と解し、『完訳』は「格別大事に扱っている」と解す。 【高砂】- 催馬楽、律。「高砂の さいささごの 高砂の 尾上に立てる 白玉玉椿 玉柳 それもがと さむ 汝(まし)もがと 汝もがと 練緒(ねりを)染緒(さみを)の 御衣架(みそかけ)にせむ 玉柳 何しかも さ 何しかも 心もまたいけむ 百合花の さ 百合花の 今朝咲いたる 初花に 逢はましものを さ 百合花の」。呂の音階が中国伝来の正階なのに対して、律の音階は日本的なくだけた音階。 |
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6.3.9 | いつもよりは、お乱れになったお顔の色つや、他に似るものがなく見える。 羅の直衣に、単重を着ていらっしゃるので、透いてお見えになる肌、いよいよ美しく見えるので、年老いた博士連中など、遠くから拝見して、涙落としながら座っていた。 「逢いたいものを、小百合の花の」と謡い終わるところで、中将、お杯を差し上げなさる。 |
平生よりも打ち解けたふうの源氏はことさらにまた美しいのであった。着ている |
【逢はましものを、小百合ばの】- 「高砂」の末句。歌詞は「さ百合花の」であるが、実際歌う時は「さゆりばの」となったかという(『湖月抄』師説)。『集成』は「さゆりばの」と濁音、『古典セレクション』は「さゆりはの」の清音に読む。 【御土器参りたまふ】- お盃を源氏に差し上げなさる意。 |
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6.3.10 | 「それを見たいと思っていた今朝咲いた花に 劣らないお美しさのわが君でございます」 |
それもがと 劣らぬ君がにほひをぞ見る |
【それもがと今朝開けたる初花に--劣らぬ君が匂ひをぞ見る】- 三位中将の歌。源氏の美しさを薔薇の花に比して賞賛する。「我はけさうひにぞ見つる花の色をあだなるものといふべかりけり」(古今集物名、四三六、紀貫之)を踏まえる。 |
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6.3.11 | 苦笑して、お受けになる。 |
と乾杯の辞を述べた。源氏は微笑をしながら杯を取った。 |
【ほほ笑みて、取りたまふ】- 主語は源氏。苦笑である。 |
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6.3.12 | 「時節に合わず今朝咲いた花は夏の雨に 萎れてしまったらしい、 |
「時ならで今朝咲く花は夏の雨に |
【時ならで今朝咲く花は夏の雨に--しをれにけらし匂ふほどなく】- 源氏の返歌。 |
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6.3.13 | すっかり衰えてしまったものを」 |
すっかり衰えてしまったのに」 |
【衰へにたるものを】- 和歌に添えた言葉。すっかりだめになってしまったよ、の意。 |
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6.3.14 | と、陽気に戯れて、酔いの紛れの言葉とお取りなしになるのを、お咎めになる一方で、無理に杯をお進めになる。 |
あとはもう酔ってしまったふうをして源氏が飲もうとしない酒を中将は許すまいとしてしいていた。 |
【らうがはしく聞こし召しなすを】- 『集成』は「酔いの紛れの言葉とお取りなしになるのを」の意に解す。『完訳』は「中将の歌を出まかせなものと、わざとひがんでおとりになるので」の意に解す。 【咎め出でつつ、しひきこえたまふ】- 主語は三位中将。相手は源氏。 |
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6.3.15 | わが |
多く詠まれたらしい歌も、このような時の真面目でない歌、数々書き連ねるのも、はしたないわざだと、貫之の戒めていることであり、それに従って、面倒なので省略した。 すべて、この君を讃えた趣旨ばかりで、和歌も漢詩も詠み続けてあった。 ご自身でも、たいそう自負されて、 |
席上でできた詩歌の数は多かったが、こんな時のまじめでない態度の作をたくさん |
【多かめりし言どもも、かうやうなる折のまほならぬこと、数々に書きつくる、心地なきわざとか、貫之が諌め、たうるる方にて、むつかしければ、とどめつ】- 貫之の意見にかこつけた語り手の省筆の文章。『弄花抄』は「記者詞也」と指摘。 【まほならぬこと】-大島本は朱筆で「な」を補入する。 【たうるる方にて】-大島本は「たうるゝかたにて」とあり傍らに「タハフレ」と注す。『集成』『新大系』は「倒るる方」(大勢に順応してというほどの意)と解す。『古典セレクション』は「「たうるる方にて」の語法は不審。本文に損傷があるか。仮に「たふ(倒)るる方にて」(螢巻に用例がある)と解しておく」と注す。 【作り続けたり】- 大島本は「つくりつけたり」とある。『集成』『新大系』『古典セレクション』は諸本に従って「作り続けたり」と校訂する。 |
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6.3.16 | 「文王の子、武王の弟」 |
「文王の子武王の弟」 |
【文王の子、武王の弟】- 『和漢朗詠集』下、丞相(『史記』魯周公世家、また『本朝文粋』所引)の句。 |
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6.3.17 | と、口ずさみなさったご自認の言葉までが、なるほど、立派である。 「成王の何」と、おっしゃろうというのであろうか。 それだけは、また自信がないであろうよ。 |
と史記の周公伝の一節を口にした。その文章の続きは成王の |
【成王の何」とか、のたまはむとすらむ。そればかりや、また心もとなからむ】- 語り手の挿入文。「成王」を春宮に比すとすれば、原文では「成王の叔父」とあるのだが、源氏の実子でるから、そうとは言えない。『集成』は「それだけは自身がおありでないでしょう」の意に解し、「実は、源氏の子であるから、「成王の叔父」とは言えまいという皮肉」と注す。『完訳』は「不義の子東宮のことは、やはり気がかりだろう」と注す。 |
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6.3.18 | 兵部卿宮も常にお越しになっては、管弦のお遊びなども、嗜みのある宮なので、華やかなお相手である。 |
【兵部卿宮】- 肖柏本と書陵部本は「帥の宮」とある。『完訳』は「通説では紫の上の父。源氏と親交する趣味人という点で、後の螢兵部卿宮(花宴巻では帥宮)とする説のほうが妥当」と注す。 【御遊びどもなり】- 大島本は「御あそひともなり」とある。『新大系』は底本のままとする。『集成』『古典セレクション』は諸本に従って「御あはひどもなり」と校訂する。 |
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第七章 朧月夜の物語 村雨の紛れの密会露見 |
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第一段 源氏、朧月夜と密会中、右大臣に発見される |
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7.1.1 | そのころ、 |
そのころ、尚侍の君が退出なさっていた。 瘧病に長く患いなさって、加持祈祷なども気楽に行おうとしてであった。 修法など始めて、お治りになったので、どなたもどなたも、喜んでいらっしゃる時に、例によって、めったにない機会だからと、お互いに示し合わせなさって、無理を押して、毎夜毎夜お逢いなさる。 |
その時分に |
【そのころ、尚侍の君まかでたまへり】- 朧月夜尚侍、宮中から里邸に下がる。 【例の】- 「聞こえ交はしたまひて」にかかる。「交はし」があることによって、源氏と朧月夜が互いに示し合わしての意。 【夜な夜な対面したまふ】- 毎夜毎夜お逢いになるの意。 |
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7.1.2 | まことに女盛りで、豊かで派手な感じがなさる方が、少し病んで痩せた感じにおなりでいらっしゃるところ、実に魅力的である。 |
若い盛りのはなやかな |
【にぎははしきけはひ】- 朧月夜尚侍の感じ。『集成』は「ゆたかではなやかな感じ」の意に解す。 |
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7.1.3 | 后宮も同じ邸にいらっしゃるころなので、感じがとても恐ろしい気がしたが、このような危険な逢瀬こそかえって思いの募るご性癖なので、たいそうこっそりと、度重なってゆくと、気配を察知する女房たちもきっといたにちがいないだろうが、厄介なことと思って、宮には、そうとは申し上げない。 |
皇太后も同じ |
【后の宮】- 弘徽殿大后をいう。 【かかることしもまさる御癖なれば】- 源氏の性癖。無理な状況ほど恋情が募る。 【いと忍びて、たび重なりゆけば】- 密会が度重なってゆく。 【あるべかめれど】- 「べか」「めり」は語り手の推量。 【さなむと啓せず】- 大島本は「さなむとけいせす」とある。『新大系』は底本のまま。『集成』は諸本に従って「さなどは」と校訂する。『古典セレクション』も諸本に従って「さなむとは」と校訂する。「啓す」は、太皇太后、皇太后、皇后、東宮に対して申し上げる場合に用いる謙譲語。 |
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7.1.4 | 大臣は、もちろん思いもなさらないが、雨が急に激しく降り出して、雷がひどく鳴り轟いていた暁方に、殿のご子息たちや、后宮職の官人たちなど立ち騒いで、ここかしこに人目が多く、女房どももおろおろ恐がって、近くに参集していたので、まことに困って、お帰りになるすべもなくて、すっかり明けてしまった。 |
大臣もむろん知らなかった。雨がにわかに大降りになって、雷鳴が急にはげしく起こってきたある夜明けに、公子たちや太后付きの役人などが騒いであなたこなたと走り歩きもするし、そのほか平生この時間に出ていない人もその辺に出ている様子がうかがわれたし、 |
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7.1.5 | 御帳台のまわりにも、女房たちがおおぜい並び伺候しているので、まことに胸がどきどきなさる。 事情を知っている女房二人ほど、どうしたらよいか分からないでいる。 |
また女房たちも恐ろしがって帳台の近くへ寄って来ているし、源氏は帰って行くにも行かれぬことになって、どうすればよいかと惑った。秘密に携わっている二人ほどの女房が困りきっていた。 |
【御帳】- 御帳台のこと。 【心知りの人二人ばかり】- 源氏と朧月夜尚侍の関係を知る女房、二人。中納言の君など。 |
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7.1.6 | 雷が鳴りやんで、雨が少し小降りになったころに、大臣が渡っていらして、まず最初、宮のお部屋にいらしたが、村雨の音に紛れてご存知でなかったところへ、気軽にひょいとお入りになって、御簾を巻き上げなさりながら、 |
雷鳴がやんで、雨が少し小降りになったころに、大臣が出て来て、最初に太后の御殿のほうへ見舞いに行ったのを、ちょうどまた雨がさっと音を立てて降り出していたので、源氏も尚侍も気がつかなかった。大臣は軽輩がするように突然座敷の |
【大臣】- 右大臣。朧月夜の父。 【え知りたまはぬに】- 主語は朧月夜尚侍。 |
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7.1.7 | 「いががですか。 とてもひどい昨夜の荒れ模様を、ご心配申し上げながら、お見舞いにも参りませんでしたが。 中将、宮の亮などは、お側にいましたか」 |
「どうだね、とてもこわい晩だったから、こちらのことを心配していたが出て来られなかった。中将や宮の |
【いかにぞ】- 以下「さぶらひつや」まで、右大臣の詞。 【中将、宮の亮など】- 中将は右大臣の子息、宮の亮は皇太后宮司の一人。 |
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7.1.8 | などと、おっしゃる様子が、早口で軽率なのを、大将は、危険な時にでも、左大臣のご様子をふとお思い出しお比べになって、比較しようもないほど、つい笑ってしまわれる。 なるほど、すっかり入ってからおっしゃればよいものを。 |
などという様子が、早口で大臣らしい落ち着きも何もない。源氏は発見されたくないということに気をつかいながらも、この大臣を左大臣に比べて思ってみるとおかしくてならなかった。せめて座敷の中へはいってからものを言えばよかったのである。 |
【舌疾にあはつけき】- 早口で落ち着きのないさま。 【げに、入り果ててものたまへかしな】- 語り手の感想。『一葉抄』が「草子の詞也」と指摘。「げに」は源氏が思うことをさし、なるほどの意。「かし」(終助詞)は語り手が読者に念を押すニュアンス。 |
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7.1.9 | 尚侍の君、とてもやりきれなくお思いになって、静かにいざり出なさると、顔がたいそう赤くなっているのを、「まだ苦しんでいられるのだろうか」と御覧になって、 |
尚侍は困りながらいざり出て来たが、顔の赤くなっているのを大臣はまだ病気がまったく |
【なほ悩ましう思さるるにや】- 右大臣の心中。 【見たまひて】- 大島本は「みたまて」とある。『新大系』は底本のままとする。『集成』『古典セレクション』は諸本に従って「見たまひて」と「ひ」を補訂する。 |
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7.1.10 | 「どうして、まだお顔色がいつもと違うのか。 物の怪などがしつこいから、修法を続けさせるべきだった」 |
「なぜあなたはこんな顔色をしているのだろう。しつこい |
【など、御けしきの】- 以下「修法延べさすべかりけり」まで、右大臣の詞。 【延べさすべかりけり】- 延長すべきであったのニュアンス。 |
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7.1.11 | とおっしゃると、薄二藍色の帯が、お召物にまつわりついて出ているのをお見つけになって、変だとお思いになると、また一方に、懐紙に歌など書きちらしたものが、御几帳のもとに落ちていた。 「これはいったいどうしたことか」と、驚かずにはいらっしゃれなくて、 |
こう言っている時に、 |
【薄二藍なる帯】- 二藍の薄い色の帯。夏の直衣用の帯。男物の帯。 【御几帳のもとに】- 御帳台の三方の入口の前に置かれている御几帳。 【落ちたり】- 大島本は「おちたり」(落ちていた)とあるが、独自異文。他の青表紙諸本は「おちたりけり」とある。『新大系』は底本のままとする。『集成』『古典セレクション』は諸本に従って「おちたりけり」と校訂する。「けり」過去の助動詞、詠嘆の意。はっと気づき驚くニュアンス。 【御心おどろかれて】- 「れ」自発の助動詞。 |
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7.1.12 | 「あれは、誰のものか。 見慣れない物だね。 見せてください。 それを手に取って誰のものか調べよう」 |
「それはだれが書いたものですか、変なものじゃないか。ください。だれの字であるかを私は調べる」 |
【かれは、誰れがぞ】- 以下「見はべらむ」まで、右大臣の詞。「かれ」は帯をさす。 |
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7.1.13 | とのたまふにぞ、うち されど、いと あさましう、めざましう |
とおっしゃるので、振り返ってみて、ご自分でもお見つけになった。 ごまかすこともできないので、どのようにお応え申し上げよう。 呆然としていらっしゃるのを、「我が子ながら恥ずかしいと思っていられるのだろう」と、これほどの方は、お察しなさって遠慮すべきである。 しかし、まことに性急で、ゆったりしたところがおありでない大臣で、後先のお考えもなくなって、懐紙をお持ちになったまま、几帳から覗き込みなさると、まことにたいそうしなやかな恰好で、臆面もなく添い臥している男もいる。 今になって、そっと顔をひき隠して、あれこれと身を隠そうとする。 あきれて、癪にさわり腹立たしいけれど、面と向かっては、どうして暴き立てることがおできになれようか。 目の前がまっ暗になる気がするので、この懐紙を取って、寝殿にお渡りになった。 |
と言われて振り返った尚侍は自身もそれを見つけた。もう紛らわす |
【うち見返りて】- 主語は朧月夜尚侍。 【我にもあらでおはするを】- 以下「されどいと急に」まで、語り手の右大臣の態度に対する非難の感情をこめた文脈。「思し憚るべきぞかし」は語り手の直接的な表明。『湖月抄』は「草子地也」と指摘。『全書』は「子ながらも」以下に「作者の評」と指摘。 【さばかりの人】- 右大臣ほどの高貴な人ならばの意。 【思しもまはさずなりて】- 『集成』は「前後の見さかいもなくなられて」、『完訳』は「思慮分別を失った様子」の意に解す。 【いといたうなよびて、慎ましからず】- 源氏の姿態、態度。「慎ましからず」は右大臣の目を通した感情移入の語句。『完訳』は「右大臣の気持に即した叙述」と注す。 【男もあり】- 「も」副助詞、強調にニュアンスを添える。 【今ぞ、やをら顔ひき隠して】- 主語は源氏。 【あさましう、めざましう心やましけれど】- 右大臣の気持ち。『完訳』は「男の妙に落ち着いた態度への、右大臣の驚き、憤怒する気持」と注す。 【いかでか現はしたまはむ】- 大島本は「いかてかあらハしたまはむ」とある。『新大系』は底本のままとする。『集成』『古典セレクション』は諸本に従って「いかでかは」と「は」を補訂する。反語表現。語り手の感情移入の文脈。源氏の「顔ひき隠してとかう紛らわ」したのを「顕す」という文意。 |
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7.1.14 | 尚侍の君は、呆然自失して、死にそうな気がなさる。 大将殿も、「困ったことになった、とうとう、つまらない振る舞いが重なって、世間の非難を受けるだろうことよ」とお思いになるが、女君の気の毒なご様子を、いろいろとお慰め申し上げなさる。 |
尚侍は気が遠くなっていくようで、死ぬほどに心配した。源氏も恋人がかわいそうで、不良な行為によって、ついに恐るべき |
【いとほしう、つひに】- 以下「負はむとすること」まで、源氏の心中。 |
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第二段 右大臣、源氏追放を画策する |
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7.2.1 | 大臣は、思ったままに、胸に納めて置くことのできない性格の上に、ますます老寄の僻みまでお加わりになっていたので、これはどうしてためらったりなさろうか。 ずけずけと、宮にも訴え申し上げなさる。 |
大臣は思っていることを残らず外へ出してしまわねば我慢のできないような性質である上に老いの |
【大臣は、思ひのままに】- 右大臣。『集成』は「勝手気ままで」の意に解す。『完訳』は「思ったままを口に出し、胸に収めておくことのできない性格」と注す。 【添ひたまふに、これは】- 大島本は「そひ給にこれは」とある。『新大系』は底本のままとする。『集成』『古典セレクション』は諸本に従って「添ひたまひにたれば」と校訂する。「こ(己)」と「た(多)」の類似から生じた異文であろう。 【何ごとにかはとどこほりたまはむ】- 『集成』は句点だが、『完訳』は読点で、挿入句と解す。反語表現。語り手の感情移入の挿入句。 |
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7.2.2 | 「かうかうのことなむはべる。 この |
「これこれしかじかのことがございました。 この懐紙は、右大将のご筆跡である。 以前にも、許しを受けないで始まった仲であるが、人品の良さに免じていろいろ我慢して、それでは婿殿にしようかと、言いました時は、心にも止めず、失敬な態度をお取りになったので、不愉快に存じましたが、前世からの宿縁なのかと思って、決して清らかでなくなったからといっても、お見捨てになるまいことを信頼して、このように当初どおり差し上げながら、やはり、その遠慮があって、晴れ晴れしい女御などともお呼ばせになれませんでしたことさえ、物足りなく残念に存じておりましたのに、再び、このような事までがございましたのでは、改めてたいそう情けない気持ちになってしまいました。 |
まず目撃した事実を述べた。 「この畳紙の字は右大将の字です。以前にも彼女は大将の誘惑にかかって情人関係が結ばれていたのですが、人物に敬意を表して私は不服も言わずに結婚もさせようと言っていたのです。その時にはいっこうに気がないふうを見せられて、私は残念でならなかったのですが、これも因縁であろうと我慢して、寛容な陛下はまた私への |
【かうかうのこと】- 以下「うたがひはべらざりつる」まで、右大臣の詞。 【さても見むと、言ひはべりし折】- 右大臣は源氏を朧月夜尚侍の婿にしようと言ったという。「葵」巻に語られている。 【さるべきにこそはとて】- 前世からの宿縁をいう。 【世に穢れたりとも、思し捨つまじきを】- 「世に」は「まじき」にかかる。強い打消しのニュアンス。「穢れ」は源氏と関係したことをさす。「思し捨つまじき」の主語は朱雀帝。 【本意のごとく】- 最初の望みの意。入内することをさす。 【うけばりたる女御なども言はせたまはぬをだに】- 大島本は「給ら(良#)ぬ」とある。「給はぬ」。『新大系』は底本のままとする。『集成』『古典セレクション』は諸本に従って「はべらぬ」と校訂する。 |
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7.2.3 | 男の習性とは言いながら、大将もまことにけしからんご性癖であるよ。 斎院にもやはり手を出し手を出ししては、こっそりとお手紙のやりとりなどをして、怪しい様子だなどと、人が話しましたのも、国家のためばかりでなく、自分にとっても決して良いことではないので、まさかそのような思慮分別のないことは、し出かさないだろうと、当代の知識人として、天下を風靡していらっしゃる様子、格別のようなので、大将のお心を、疑ってもみなかった」 |
男は皆そうであるとはいうものの大将もけしからん方です。神聖な斎院に恋文を送っておられるというようなことを言う者もありましたが、私は信じることはできませんでした。そんなことをすれば世の中全体が神罰をこうむるとともに、自分自身もそのままではいられないことはわかっていられるだろうと思いますし、学問知識で天下をなびかしておいでになる方はまさかと思って疑いませんでした」 |
【男の例とはいひながら】- 男は好色なものだという考え。 【斎院をもなほ聞こえ犯しつつ】- 斎院に対する恋は禁じられているので、「聞こえ犯す」といったもの。斎院への懸想は、時の帝への冒涜でもあるという考え。 【時の有職と】- 以下「ことなめれば」まで、挿入句。右大臣の源氏観。 |
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7.2.4 | などとおっしゃると、宮は、さらにきついご気性なので、とてもお怒りの態度で、 |
聞いておいでになった太后の源氏をお憎みになることは大臣の比ではなかったから、非常なお腹だちがお顔の色に現われてきた。 |
【いとどしき御心】- 『集成』は「(右大臣よりも)もっとひどく源氏をお憎しみになるので」と注す。 |
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7.2.5 | 「 |
「帝と申し上げるが、昔からどの人も軽んじお思い申し上げて、致仕の大臣も、またとなく大切に育てている一人娘を、兄で東宮でいっしゃる方には差し上げないで、弟で源氏で、まだ幼い者の元服の時の添臥に取り立てて、また、この君を宮仕えにという心づもりでいましたところを、きまりの悪い様子になったのを、誰もが皆、不都合であるとはお思いになったでしょうか。 皆が、あのお方にお味方していたようなのを、その当てが外れたことになって、こうして出仕していらっしゃるようだが、気の毒で、何とかそのような宮仕えであっても、他の人に負けないようにして差し上げよう、あれほど憎らしかった人の手前もあるし、などと思っておりましたが、こっそりと自分の気に入った方に、心を寄せていらっしゃるのでしょう。 斎院のお噂は、ますますもってそうなのでしょうよ。 どのようなことにつけても、帝にとって安心できないように見えるのは、東宮の御治世を、格別期待している人なので、もっともなことでしょう」 |
「陛下は陛下であっても昔から皆に |
【帝と聞こゆれど】- 以下「ことわりになむあめる」まで、弘徽殿大后の詞。 【致仕の大臣も】- 左大臣をいう。 【またなくかしづく一つ女を】- 葵の上をいう。以下の内容は「桐壺」巻に語られている。 【いときなきが】- 『集成』は「「が」は、目下の者に対して用いる格助詞」と注す。軽蔑のニュアンスを含んだ言い方。 【をこがましかりしありさま】- 『集成』は「恥さらしな有様だったのを」の意に、『完訳』は「ぶざまな事態」の意に解す。 【誰れも誰れもあやしとやは思したりし】- 弘徽殿大后以外、右大臣をはじめ誰一人も源氏を疑わなかった、という意。 【皆、かの御方にこそ】- 右大臣らが源氏に心寄せたことをいう。 【その本意違ふさまに】- 『集成』は「源氏を婿という希望が」と解し、また一方、『完訳』は「入内させ、後の立后をと希望」の意に解す。前者の説に従う。 【かくてもさぶらひたまふめれど】- 尚侍として入内したことをいう。 【いかでさる方にても】- 以下「見るところもあり」まで、弘徽殿大后の考え。 【ねたげなりし人】- 源氏をさす。 【忍びて我が心の入る方に】- 主語は朧月夜尚侍。こっそりと自分の気に入った人にの意。 【ましてさもあらむ】- 帝の御妻に通じるくらいだから斎院の噂もきっと事実だの意。 【朝廷の御方にうしろやすからず見ゆるは】- 源氏が帝にとって不安な存在に見えるという意。 【春宮の御世、心寄せ殊なる人】- 春宮の即位後の御代に期待を寄せる人の意。 |
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7.2.6 | と、容赦なくおっしゃり続けるので、そうはいうものの聞き苦しく、「どうして、申し上げてしまったのか」と、思わずにいられないので、 |
きつい調子で、だれのこともぐんぐん悪くお言いになるのを、聞いていて大臣は、ののしられている者のほうがかわいそうになった。なぜお話ししたろうと後悔した。 |
【いとほしう】- 『集成』は「聞き苦しく」の意に解す。『完訳』は「右大臣は、源氏に同情もし、これを大后に話したことを後悔」と注す。 【など、聞こえつることぞ】- 右大臣の心。弘徽殿大后に話したことを後悔。 【思さるれば】- 「るれ」自発の助動詞。 |
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7.2.7 | 「さはれ、しばし、このこと かくのごと、 うちうちに |
「まあ仕方ない、暫くの間、この話を漏らすまい。 帝にも奏上あそばすな。 このように、罪がありましても、お捨てにならないのを頼りにして、いい気になっているのでしょう。 内々にお諌めなさっても、聞きませんでしたら、その責めは、ひとえにこのわたしが負いましょう」 |
「でもこのことは当分秘密にしていただきましょう。陛下にも申し上げないでください。どんなことがあっても許してくださるだろうと、あれは陛下の御愛情に甘えているだけだと思う。私がいましめてやって、それでもあれが聞きません時は私が責任を負います」 |
【さはれ、しばし、このこと】- 以下「当たりはべらむ」まで、右大臣の詞。 【内裏にも奏せさせたまふな】- 「させ」(尊敬の助動詞)「たまふ」(尊敬の補助動詞)、最高敬語。会話文中での用法。 【あまえてはべるなるべし】- 主語は朧月夜尚侍。「なる」(断定の助動詞)「べし」(推量の助動詞)は、話し手右大臣のもの。 【うちうちに制しのたまはむに】- 弘徽殿大后が朧月夜尚侍に内々に意見するの意。 【聞きはべらずは】- 主語は朧月夜尚侍。 |
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7.2.8 | などと、お取りなし申されるが、別にご機嫌も直らない。 |
などと大臣は最初の意気込みに似ない弱々しい申し出をしたが、もう太后の御 |
【ことに御けしきも直らず】- 弘徽殿大后の機嫌をいう。 |
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7.2.9 | 「このように、同じ邸にいらして隙間もないのに、遠慮会釈もなく、あのように忍び込んで来られるというのは、わざと軽蔑し愚弄しておられるのだ」とお思いになると、ますますひどく腹立たしくて、「この機会に、しかるべき事件を企てるのには、よいきっかけだ」と、いろいろとお考えめぐらすようである。 |
皇太后である自分もいっしょに住んでいる邸内に来て不謹慎きわまることをするのも、自分をいっそう侮辱して見せたい心なのであろうとお思いになると、残念だというお心持ちがつのるばかりで、これを動機にして源氏の排斥を企てようともお思いになった。 |
【かく、一所に】- 以下「弄ぜらるるにこそは」まで、弘徽殿大后の心中。 【おはして】- 弘徽殿大后の心中に敬語があるのは、語り手の敬意が混入したもの。 【つつむところなく】- 主語は源氏。 【ものせらるらむは】- 「らる」尊敬の助動詞。敬意が「たまふ」より軽い。 【弄ぜらるるにこそは】- 「らるる」尊敬の助動詞。「に」断定の助動詞。 【このついでに】- 以下「よきたよりなり」まで、弘徽殿大后の心中。 【さるべきことども】- 『完訳』は「源氏や東宮を失脚させることを暗示する表現」と注す。 【思しめぐらすべし】- 「べし」推量の助動詞、語り手の推量。『岷江入楚』所引三光院実枝説「太后の御心を推量てかける詞也」。また『万水一露』は「かの式部后の御心を察して筆をとゝめたる也」と指摘する。 |
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