設定 番号 本文 渋谷栄一訳 与謝野晶子訳 注釈 挿絵 ルビ 罫線 登場人物 帖見出し 章見出し 段見出し 列見出し
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この帖の主な登場人物
登場人物 読み 呼称 備考
光る源氏 ひかるげんじ 大将殿
権大納言殿
殿
大殿

二十八歳から二十九歳
末摘花 すえつむはな 常陸宮の君
姫君


故常陸親王の娘
禅師の君 ぜんじのきみ 前師の君
末摘花の兄
北の方 きたのかた 御叔母
大弐の北の方
末摘花の母方の叔母
侍従の君 じじゅうのきみ 侍従
末摘花の乳母子
惟光 これみつ 惟光
光る源氏の乳母子
花散里 はなちるさと 花散里
源氏の愛人
紫の上 むらさきのうえ 二条の上
対の上
光る源氏の妻


第十四帖 澪標

光る源氏の二十八歳初冬十月から二十九歳冬まで内大臣時代の物語

本文
渋谷栄一訳
与謝野晶子訳
注釈

第一章 光る源氏の物語 光る源氏の政界領導と御世替わり


第一段 故桐壺院の追善法華御八講

1.1.1
さやかに()えたまひし(ゆめ)(のち)(ゐん)(みかど)(おほん)ことを(こころ)にかけきこえたまひて、いかで、かの(しづ)みたまふらむ(つみ)(すく)ひたてまつることをせむ」と、(おぼ)(なげ)きけるを、かく(かへ)りたまひては、その御急(おほんいそ)ぎしたまふ。
神無月(かんなづき)御八講(みはかう)したまふ。
()(ひと)なびき(つか)うまつること、(むかし)のやうなり。
はっきりとお見えになった夢の後は、院の帝の御ことを心にお掛け申し上げになって、「何とか、あの沈んでいらっしゃるという罪、お救い申すことをしたい」と、お嘆きになっていらしたが、このようにお帰りになってからは、そのご準備をなさる。
神無月に御八講をお催しになる。
世間の人が追従し奉仕すること、昔と同じようである。
須磨(すま)の夜の源氏の夢にまざまざとお姿をお現わしになって以来、父帝のことで痛心していた源氏は、帰京ができた今日になってその御菩提(ごぼだい)を早く弔いたいと仕度(したく)をしていた。そして十月に法華経(ほけきょう)の八講が催されたのである。参列者の多く集まって来ることは昔のそうした場合のとおりであった。
【さやかに見えたまひし夢の後は】- 源氏、政界に復帰し、院の追善法華八講を催す。
【いかで、かの沈みたまふらむ】- 大島本は「しつミたまえむ」とある。『集成』『新大系』『古典セレクション』は諸本に従って「沈みたまふらむ」と校訂する。以下「救ひたてまつることをせむ」まで、源氏の心中。「らむ」推量の助動詞、視界外推量。「明石」巻で「われは、位にありし時」云々と源氏に語ったことをふまえる。『集成』は「院が苦しんでいらっしゃるという」と訳す。
1.1.2
大后(おほきさき)御悩(おほんなや)(おも)くおはしますうちにも、つひにこの(ひと)()たずなりなむこと」と、心病(こころや)(おぼ)しけれど、(みかど)(ゐん)御遺言(ごゆいごん)(おも)ひきこえたまふ。
ものの(むく)いありぬべく(おぼ)しけるを、(なほ)()てたまひて、御心地涼(みここちすず)しくなむ(おぼ)しける。
時々(ときどき)おこり(なや)ませたまひし御目(おほんめ)も、さはやぎたまひぬれど、おほかた()にえ(なが)あるまじう、心細(こころぼそ)きこと」とのみ、(ひさ)しからぬことを(おぼ)しつつ(つね)()しありて、源氏(げんじ)(きみ)(まゐ)りたまふ。
()(なか)のことなども、(へだ)てなくのたまはせつつ、御本意(おほんほい)のやうなれば、おほかたの()(ひと)も、あいなく、うれしきことに(よろこ)びきこえける。
皇太后、御病気が重くいらっしゃる間でも、「とうとうこの人を失脚させないで終わってしまうことよ」と、悔しくお思いになったが、帝は故院の御遺言をお考えあそばす。
きっと何かの報いがあるにちがいないとお思いになったが、復位おさせになって、御気分がすがすがしくなるのであった。
時々眼病が起こってお悩みあそばした御目も、さわやかにおなりになったが、「おおよそ長生きできそうになく、心細いことだ」とばかり、長くないことをお考えになりながら、いつもお召しがあって、源氏の君は参内なさる。
政治の事なども、隔意なく仰せになり仰せになっては、御本意のようなので、世間一般の人々も、関係なくも、嬉しいこととお喜び申し上げるのであった。
今日も重く煩っておいでになる太后は、その中ででも源氏を不運に落としおおせなかったことを口惜(くちお)しく思召(おぼしめ)すのであったが、(みかど)は院の御遺言をお思いになって、当時も報いが御自身の上へ落ちてくるような恐れをお感じになったのであるから、このごろはお心持ちがきわめて明るくおなりあそばされた。時々はげしくお煩いになった御眼疾も快くおなりになったのであるが、短命でお終わりになるような予感があってお心細いためによく源氏をお召しになった。政治についても隔てのない進言をお聞きになることができて、一般の人も源氏の意見が多く採用される宮廷の現状を喜んでいた。
【つひにこの人を】- 以下「なりなむこと」まで、弘徽殿大后の心中。「なむ」連語、完了の助動詞「な」確述、「む」推量の助動詞、推量の意味を強調確述する。--してしまうのだろう。『完訳』の「とうとうこの君を圧さえきることができないでしまったのかと」は、むしろ「ぬる」の本文に近い訳文。
【おほかた世にえ長く】- 以下「心細きこと」まで、帝の心中。「世」は寿命をさす。
【久しからぬことを】- 寿命と在位の解釈がある。『集成』は「お命の長かぬことを」。『完訳』は「御位にも久しくおとどまりにはなれまいと」と訳す。二者択一的な理解でなく両義を併せ読んでよいだろう。
【思しつつ】- 「つつ」接尾語、同じ動作の繰返し。お考えになりお考えになっては。

第二段 朱雀帝と源氏の朧月夜尚侍をめぐる確執

1.2.1 御譲位なさろうとの御配慮が近くなったのにつけても、尚侍の君、心細げに身の上を嘆いていらっしゃるのが、とてもお気の毒に思し召されるのであった。
帝は近く御遜位(ごそんい)思召(おぼしめ)しがあるのであるが、尚侍(ないしのかみ)がたよりないふうに見えるのを(あわ)れに思召した。
【下りゐなむの御心づかひ】- 「なむ」連語、「な」完了の助動詞、確述。「む」推量の助動詞。御譲位なさってしまおうとの御配慮。
【尚侍】- 朧月夜尚侍。朱雀帝の後宮の尚侍。定員二名のうちの実質的な帝の御妻。もう一人は実務官。
【世を思ひ嘆きたまひつる】- 大島本は「なけき給つる」とある。『新大系』は底本のままとする。『集成』『古典セレクション』は諸本に従って「たまへる」と校訂する。「世」は人生、身の上をさす。
【いとあはれに思されけり】- 主語は帝。「れ」自発の助動詞。帝は朧月夜をとても不憫なと思わずにはいらっしゃれないのだった。
1.2.2
大臣亡(おとどう)せたまひ大宮(おほみや)(たの)もしげなくのみ(あつ)いたまへるに、()世残(よのこ)(すく)なき心地(ここち)するになむいといとほしう、名残(なごり)なきさまにてとまりたまはむとすらむ
(むかし)より、(ひと)には(おも)()としたまへれどみづからの(こころ)ざしのまたなきならひにただ(おほん)ことのみなむ、あはれにおぼえける。
()ちまさる(ひと)また御本意(おほんほい)ありて()たまふとも、おろかならぬ(こころ)ざしはしも、なずらはざらむと(おも)ふさへこそ、心苦(こころぐる)しけれ」
「大臣がお亡くなりになり、大宮も頼りなくばかりいらっしゃる上に、わたしの寿命までが長くないような気がするので、とてもお気の毒に、かつてとすっかり変わった状態で後に残されることでしょう。
以前から、あの人より軽く思っておいでですが、わたしの愛情はずっと他の誰よりも深いものですから、ただあなたのことだけを、愛しく思い続けてきたのでした。
わたし以上の人が、再び望み通りになってご結婚なさっても、並々ならぬ愛情だけは、及ばないだろうと思うのさえ、たまらないのです」
「大臣は()くなるし、大宮も始終お悪いのに、私さえも余命がないような気がしているのだから、だれの保護も受けられないあなたは、孤独になってどうなるだろうと心配する。初めからあなたの愛はほかの人に向かっていて、私を何とも思っていないのだが、私はだれよりもあなたが好きなのだから、あなたのことばかりがこんな時にも思われる。私よりも優越者がまたあなたと恋愛生活をしても、私ほどにはあなたを思ってはくれないことはないかと、私はそんなことまでも考えてあなたのために泣かれるのだ」
【大臣亡せたまひ】- 以下「心苦しけれ」まで、朱雀帝の朧月夜への詞。
【我が世残り少なき心地するになむ】- 「世」は寿命。「なむ」係助詞、「いといとほしう」に係るが、結びの流れで、下文に続く。帝の譲位後は、帝の内侍(御妻)としての待遇からうって変わった境遇、臣下の一人としてのような。
【とまりたまはむとすらむ】- 「む」推量の助動詞、推量また意志とも。「らむ」推量の助動詞、視界外推量。生きておいでになろうとするのであろう。朧月夜の将来に対する気づかいとともに生い先短いと自覚する帝の僻みが感じられる言い方。
【人には思ひ落としたまへれど】- 「人」は源氏を暗示した言い方。主語はあなた(朧月夜)。あなたはわたしのことを源氏より軽んじていらっしゃるが。
【みづからの心ざしのまたなきならひに】- 『集成』は「私の方は誰にも劣らぬ深い愛情が身にしみてしまっていて」。『完訳』は「わたし自身の気持は一貫して誰にも劣るものではないのですから」と訳す。
【立ちまさる人】- 源氏をさしていう。
1.2.3
とて、うち()きたまふ。
と言って、お泣きあそばす。
帝は泣いておいでになった。
1.2.4
女君(をんなぎみ)(かほ)はいと(あか)(にほ)ひて、こぼるばかりの御愛敬(おほんあいぎゃう)にて、(なみだ)もこぼれぬるを、よろづの罪忘(つみわす)れてあはれにらうたしと御覧(ごらん)ぜらる
女君、顔は赤くそまって、こぼれるばかりのお美しさで、涙もこぼれたのを、一切の過失を忘れて、しみじみと愛しい、と御覧にならずにはいらっしゃれない。
羞恥(しゅうち)(ほお)を染めているためにいっそうはなやかに、愛嬌(あいきょう)がこぼれるように見える尚侍も涙を流しているのを御覧になると、どんな罪も許すに余りあるように思召されて、御愛情がそのほうへ傾くばかりであった。
【よろづの罪忘れて】- 帝は美しい朧月夜の顔から涙のこぼれるのを見て、すべての過失を許す気持ちになる。
【御覧ぜらる】- 「らる」自発の助動詞。御覧にならずにいられない。
1.2.5
などか、御子(みこ)をだに()たまへるまじき
口惜(くちを)しうもあるかな。
(ちぎ)(ふか)(ひと)のためには、今見出(いまみい)でたまひてむ(おも)ふも、口惜(くちを)しや。
(かぎ)りあればただ(うど)にてぞ()たまはむかし」
「どうして、せめて御子だけでも生まれなかったのだろうか。
残念なことよ。
ご縁の深いあの方のためでしたら、今すぐにでもお生みになるだろうと思うにつけても、たまらないことよ。
身分に限りがあるので、臣下としてお育てになるのだろうね」
「なぜあなたに子供ができないのだろう。残念だね。前生の縁の深い人とあなたの中にはすぐにまたその(よろこ)びをする日もあるだろうと思うとくやしい。それでも気の毒だね、親王を生むのでないから」
【などか、御子をだに持たまへるまじき】- 以下「見たまはむかし」まで、帝の詞。「だに」副助詞、最低限の希望。せめて--だけでも。「も」副助詞、強調。「たまへ」は「与える」の尊敬語。「る」完了の助動詞。「まじき」打消推量の助動詞、係結びで、連体形。朧月夜との間に子供の出来なかった恨み言をいう。『集成』は「どうして、せめて御子だけでもお産みでなかったのでしょうか」。『完訳』は「どうして、せめてわたしの御子だけでもお産みになろうとしなかったのです」は、意志の打消推量に解す。
【契り深き人のためには、今見出でたまひてむ】- 前世からの契りの浅い深いによって子供も生まれたり生まれなかったりするというのが、当時の考え方。「契り深き人」は源氏をさした言い方。「てむ」連語、「て」完了の助動詞、連用形、確述、「む」推量の助動詞。当然そうなろうという推量の強調。
【限りあれば】- 身分に規定がある。源氏は臣下で、皇族すなわち皇位継承者でないからの意。
1.2.6
など、()(すゑ)のことをさへのたまはするに、いと()づかしうも(かな)しうもおぼえたまふ
御容貌(おほんかたち)など、なまめかしうきよらにて、(かぎ)りなき御心(みこころ)ざしの年月(としつき)()ふやうにもてなさせたまふに、めでたき(ひと)なれどさしも(おも)ひたまへらざりしけしき、(こころ)ばへなど、もの(おも)()られたまふままに、などて、わが(こころ)(わか)くいはけなきにまかせて、さる(さわ)ぎをさへ()()でて、わが()をばさらにもいはず、(ひと)(おほん)ためさへ」など(おぼ)()づるに、いと()御身(おほんみ)なり
などと、先々のことまで仰せになるので、とても恥ずかしくも悲しくもお思いになる。
お顔など、優雅で美しくて、この上ない御愛情が年月とともに深まってお扱いあそばすので、素晴らしい方であるが、それほど深く愛してくださらなかった様子、気持ちなど、自然と物事がお分かりになってくるにつれて、「どうして自分の思慮の若く未熟なのにまかせて、あのような事件まで引き起こして、自分の名はいうまでもなく、あの方のためにさえ」などとお思い出しになると、まことにつらいお身の上である。
こんな未来のことまでも仰せになるので、恥ずかしい心がしまいには悲しくばかりなった。帝は御容姿もおきれいで、深く尚侍をお愛しになる御心は年月とともに顕著になるのを、尚侍は知っていて、源氏はすぐれた男であるが、自分を思う愛はこれほどのものでなかったということもようやく悟ることができてきては、若い無分別さからあの大事件までも引き起こし、自分の名誉を傷つけたことはもとより、あの人にも苦労をさせることになったとも思われて、それも皆自分が薄倖(はっこう)な女だからであるとも悲しんでいた。
【いと恥づかしうも悲しうもおぼえたまふ】- 主語は朧月夜。「恥づかし」「悲し」ともに含蓄のある言葉で、その内様は読者の想像に委ねた表現。
【めでたき人なれど】- 源氏をさす。以下、朧月夜の心に即した表現。
【などて、わが心の】- 以下「人の御ためさへ」まで、朧月夜の心中。
【いと憂き御身なり】- 集成「朧月夜の思いと草子地が一体になった文章」、完訳「悲運の女君として語り収める」。

第三段 東宮の御元服と御世替わり

1.3.1
()くる(とし)如月(きさらぎ)に、春宮(とうぐう)御元服(ごげんぶく)のことあり
十一(じふいち)になりたまへど、ほどより(おほ)きに、おとなしうきよらにて、ただ源氏(げんじ)大納言(だいなごん)御顔(おほんかほ)(ふた)つに(うつ)したらむやうに()えたまふ。
いとまばゆきまで(ひか)りあひたまへるを、世人(よひと)めでたきものに()こゆれど、母宮(ははみや)いみじうかたはらいたきことに、あいなく御心(みこころ)()くしたまふ。
翌年の二月に、東宮の御元服の儀式がある。
十一歳におなりだが、年齢以上に大きくおとならしく美しくて、まるで源氏の大納言のお顔をもう一つ写したようにお見えになる。
たいそう眩しいまでに光り輝き合っていらっしゃるのを、世間の人々は素晴らしいこととお噂申し上げるが、母宮は、たいそうはらはらなさって、どうにもならないことにお心をお痛めになる。
翌年の二月に東宮の御元服があった。十二でおありになるのであるが、御年齢のわりには御大人(おんおとな)らしくて、おきれいで、ただ源氏の大納言の顔が二つできたようにお見えになった。まぶしいほどの美を備えておいでになるのを、世間ではおほめしているが、母宮はそれを人知れず苦労にしておいでになった。
【明くる年の如月に、春宮の御元服のことあり】- 源氏二十九歳、春二月。春宮、元服し冷泉帝として即位する。 【御元服】-「ゲンブク」(伊京集・日葡辞書)
【母宮】- 大島本は「はゝ宮」とある。『新大系』は底本のままとする。『集成』『古典セレクション』は諸本に従って「母君は」と「は」を補訂する。
1.3.2
内裏(うち)にも、めでたしと()たてまつりたまひて、()中譲(なかゆづ)りきこえたまふべきことなど、なつかしう()こえ()らせたまふ。
主上におかれても、御立派だと拝しあそばして、御位をお譲り申し上げなさる旨などを、やさしくお話し申し上げあそばす。
帝も東宮のごりっぱでおありになることに御満足をあそばして御即位後のことをなつかしい御様子でお教えあそばした。
1.3.3
(おな)(つき)二十余日(にじふよにち)御国譲(みくにゆづ)りのことにはかなれば、大后思(おほきさきおぼ)しあわてたり。
同じ月の二十日過ぎ、御譲位の事が急だったので、大后はおあわてになった。
この同じ月の二十幾日に譲位のことが行なわれた。太后はお驚きになった。
1.3.4 「何の見栄えもしない身の上となりますが、ゆっくりとお目にかからせていただくことを考えているのです」
「ふがいなく思召すでしょうが、私はこうして静かにあなたへ御孝養がしたいのです」
【かひなきさまながらも】- 以下「思ふなり」まで、朱雀帝の詞。
【心のどかに御覧ぜらるべきことを思ふなり】- 「御覧ぜ」の主語は弘徽殿大后。「らる」受身の助動詞。朱雀帝が母弘徽殿大后から「御覧ぜ」られるの意。「べき」推量の助動詞、可能。「なり」断定の助動詞。
1.3.5
とぞ、()こえ(なぐさ)めたまひける。
といって、
と帝はお慰めになったのであった。
1.3.6
(ばう)には承香殿(そきゃうでん)皇子(みこ)ゐたまひぬ。
()中改(なかあらた)まりて、()()(いま)めかしきことども(おほ)かり。
源氏(げんじ)大納言(だいなごん)内大臣(ないだいじん)になりたまひぬ。
数定(かずさだ)まりて、くつろぐ(ところ)もなかりければ(くは)はりたまふなりけり。
東宮坊には承香殿の皇子がお立ちになった。
世の中が一変して、うって変わってはなやかなことが多くなった。
源氏の大納言は、内大臣におなりになった。
席がふさがって余裕がなかったので、員外の大臣としてお加わりになったのであった。
東宮には承香殿(じょうきょうでん)女御(にょご)のお生みした皇子がお立ちになった。
【承香殿の皇子】- 「承香殿 ショウキャウ(デン)」(黒川本色葉字類抄)
【数定まりて、くつろぐ所もなかりければ】- 左右大臣、定員各一名がふさがっていて、大臣になる余裕がなかったので。
1.3.7
やがて()政事(まつりごと)をしたまふべきなれど、さやうの(こと)しげき(そく)には()へずなむ」とて、致仕(ちじ)大臣(おとど)摂政(せっしゃう)したまふべきよし、(ゆづ)りきこえたまふ。
ただちに政治をお執りになるはずであるが、「そのようないそがしい職務には耐えられない」と言って、致仕の大臣に、摂政をなさるように、お譲り申し上げなさる。
すべてのことに新しい御代(みよ)の光の見える日になった。見聞きする()に耳にはなやかな気分の味わわれることが多かった。源氏の大納言は内大臣になった。左右の大臣の席がふさがっていたからである。そして摂政(せっしょう)にこの人がなることも当然のことと思われていたが、「私はそんな忙しい職に堪えられない」と言って、致仕(ちし)の左大臣に摂政を譲った。
【さやうの事しげき職には堪へずなむ】- 源氏の詞。
1.3.8
(やまひ)によりて(くらゐ)(かへ)したてまつりてしを、いよいよ(おい)のつもり()ひて、さかしきことはべらじ」
「病気を理由にして官職をお返し申し上げたのに、ますます老齢を重ねて、立派な政務はできますまい」
「私は病気によっていったん職をお返しした人間なのですから、今日はまして年も老いてしまったし、そうした重任に当たることなどはだめです」
【病によりて】- 以下「ことはべらじ」まで、致仕大臣の詞。
1.3.9
と、()けひき(まう)したまはず。
(ひと)(くに)にも、こと(うつ)()中定(なかさだ)まらぬ(をり)は、(ふか)(やま)(あと)()えたる(ひと)だにも、(をさ)まれる()には、白髪(しろかみ)()ぢず()(つか)へけるをこそ、まことの(ひじり)にはしけれ。
(やまひ)(しづ)みて、(かへ)(まう)したまひける(くらゐ)を、()中変(なかか)はりてまた(あらた)めたまはむに、さらに(とが)あるまじう」、(おほやけ)私定(わたくしさだ)めらる
さる(ためし)もありければ、すまひ()てたまはで、太政大臣(だいじゃうだいじん)になりたまふ。
御年(おほんとし)六十三(ろくじふさん)にぞなりたまふ
と、ご承諾なさらない。
「外国でも、事変が起こり国政が不穏な時は、深山に身を隠してしまった人でさえも、平和な世には、白髪になったのも恥じず進んでお仕えする人を、本当の聖人だと言っていた。
病に沈んで、お返し申された官職を、世の中が変わって再びご就任なさるのに、何の差支えもない」と、朝廷、世間ともに決定される。
そうした先例もあったので、辞退しきれず、太政大臣におなりになる。
お歳も六十三におなりである。
と大臣は言って引き受けない。「支那(しな)でも政界の混沌(こんとん)としている時代は退(しりぞ)いて隠者になっている人も治世の君がお決まりになれば、白髪も恥じずお仕えに出て来るような人をほんとうの聖人だと言ってほめています。御病気で御辞退になった位を次の天子の御代に改めて頂戴(ちょうだい)することはさしつかえがありませんよ」と源氏も、公人として私人として忠告した。大臣も断わり切れずに太政大臣になった。年は六十三であった。
【人の国にも、こと移り】- 以下「咎あるまじう」まで、世間の風評を間接的に叙述。引用句がなく地の文に続く。中国の漢の時代の四晧の故事を引用する。
【公、私定めらる】- 「らる」受身の助動詞、決定される。『集成』は「朝廷の会議の席でも、個人の間のお話でも、ご決着がついた」。『完訳』は「朝廷でも世間でもそうしたご沙汰である」と訳す。
【御年も六十三にぞなりたまふ】- 藤原良房が貞観八年(八六六)に六十三歳で摂政になった例がある。
1.3.10
()(なか)すさまじきにより、かつは()もりゐたまひしをとりかへし(はな)やぎたまへば、御子(みこ)どもなど(しづ)むやうにものしたまへるを、皆浮(みなう)かびたまふ。
とりわきて、宰相中将(さいしゃうのちゅうじゃう)権中納言(ごんのちゅうなごん)になりたまふ
かの()(きみ)御腹(おほんはら)姫君(ひめぎみ)十二(じふに)になりたまふを、内裏(うち)(まゐ)らせむとかしづきたまふ。
かの「高砂(たかさご)(うた)ひし(きみ)かうぶりせさせて、いと(おも)ふさまなり。
腹々(はらばら)御子(みこ)どもいとあまた次々(つぎつぎ)()()でつつにぎははしげなるを、源氏(げんじ)大臣(おとど)(うらや)みたまふ。
世の中がおもしろくなかったことにより、それが一つの理由で隠居していらしたのだが、また元のように盛んになられたので、ご子息たちなども不遇な様子でいらしたが、皆よくおなりになる。
とりわけて、宰相中将は、権中納言におなりになる。
あの四の君腹の姫君、十二歳におなりになるのを、帝に入内させようと大切にお世話なさる。
あの「高砂」を謡った君も、元服させて、たいそう思いのままである。
ご夫人方にご子息方がとてもおおぜい次々とお育ちになって、にぎやかそうなのを、源氏の内大臣は、羨ましくお思いになる。
事実は先朝に権力をふるった人たちに飽き足りないところがあって引きこもっていたのであるから、この人に栄えの春がまわってきたわけである。一時不遇なように見えた子息たちも浮かび出たようである。その中でも宰相中将は権中納言になった。四の君が生んだ今年十二になる姫君を早くから後宮に擬して中納言は大事に育てていた。以前二条の院につれられて来て高砂(たかさご)を歌った子も元服させて幸福な家庭を中納言は持っていた。腹々に生まれた子供が多くて一族がにぎやかであるのを源氏はうらやましく思っていた。
【籠もりゐたまひしを】- 「を」接続助詞、逆接。『集成』は「篭居していらしたのを」。『完訳』は「引きこもっていらっしゃったのだが」と訳す。
【宰相中将、権中納言になりたまふ】- 左大臣家の嫡男。娘を冷泉帝の後宮に入内させることを準備する。
【かの「高砂」歌ひし君も】- 「賢木」巻に見える。四君腹の二郎君。現在、十二、三歳。元服させる。
【生ひ出でつつ】- 「つつ」接尾語、同じ動作の繰返のニュアンス。次々とお育ちになって。
1.3.11
大殿腹(おほとのばら)若君(わかぎみ)(ひと)よりことにうつくしうて、内裏(うち)春宮(とうぐう)殿上(てんじゃう)したまふ
故姫君(こひめぎみ)()せたまひにし(なげ)きを(みや)大臣(おとど)またさらに(あらた)めて(おぼ)(なげ)く。
されど、おはせぬ名残(なごり)も、ただこの大臣(おとど)御光(おほんひかり)に、よろづもてなされたまひて(とし)ごろ、(おぼ)(しづ)みつる名残(なごり)なきまで(さか)えたまふ。
なほ(むかし)御心(みこころ)ばへ()はらず、折節(をりふし)ごとに(わた)りたまひなどしつつ、若君(わかぎみ)御乳母(おほんめのと)たち、さらぬ(ひと)びとも、(とし)ごろのほどまかで()らざりけるは(みな)さるべきことに()れつつ、よすがつけむことを(おぼ)しおきつるに(さいは)人多(びとおほ)くなりぬべし
大殿腹の若君、誰よりも格別におかわいらしゅうて、内裏や東宮御所の童殿上なさる。
故姫君がお亡くなりになった悲しみを、大宮と大臣、改めてお嘆きになる。
けれど、亡くなられた後も、まったくこの大臣のご威光によって、なにもかも引き立てられなさって、ここ数年、思い沈んでいらした跡形もないまでにお栄えになる。
やはり昔とお心づかいは変わらず、事あるごとにお渡りになっては、若君の御乳母たちや、その他の女房たちにも、長年の間暇を取らずにいた人々には、皆適当な機会ごとに、便宜を計らっておやりになることをお考えおきになっていたので、幸せ者がきっと多くなったことであろう。
太政大臣家で育てられていた源氏の子はだれよりも美しい子供で、御所へも東宮へも殿上童(てんじょうわらわ)として出入りしているのである。源氏の(あおい)夫人の死んだことを、父母はまたこの栄えゆく春に悲しんだ。しかしすべてが昔の婿の源氏によってもたらされた光明であって、何年かの暗い影が源氏のためにこの家から取り去られたのである。源氏は今も昔のとおりに老夫妻に好意を持っていて何かの場合によく(たず)ねて行った。若君の乳母(めのと)そのほかの女房も長い間そのままに勤めている者に、厚く(むく)いてやることも源氏は忘れなかった。幸せ者が多くできたわけである。
【大殿腹の若君】- 葵の上所生の子、夕霧。現在、八歳。
【内裏、春宮の殿上したまふ】- 内裏と東宮御所の童殿上を許可される。
【故姫君の亡せたまひにし嘆きを】- 葵の上の死去をいう。「葵」巻に語られた。
【もてなされたまひて】- 「れ」受身の助動詞、左大臣家は源氏から、の文意。
【年ごろのほどまかで散らざりけるは】- 「年ごろの程」について、『集成』は「お留守の間の年月を辞めて出てゆかなかった者には」。『完訳』は「この長い年月お暇をとらず今日までお仕えしていた者には」。直接的には、源氏の須磨明石流離の間をさすが、広くは葵の上死去以後現在までの間をさそう。
【よすがつけむことを思しおきつるに】- 『集成』は「ここでは、見込みのある男との縁組や、夫や親兄弟、子供の官職の世話などをして、生活の安定を計ってやること」と注す。
【幸ひ人多くなりぬべし】- 「ぬべし」連語。「ぬ」完了の助動詞+「べし」推量の助動詞、当然。多くなるにちがいない、多くなりそうだ。
1.3.12
二条院(にでうのゐん)にも、(おな)じごと()ちきこえける(ひと)を、あはれなるものに(おぼ)して、(とし)ごろの(むね)あくばかりと(おぼ)せば、中将(ちゅうじゃう)中務(なかつかさ)やうの(ひと)びとには、ほどほどにつけつつ(なさ)けを()えたまふに、(おほん)いとまなくて、他歩(ほかあり)きもしたまはず。
二条院でも、同じようにお待ち申し上げていた人々を、殊勝の者だとお考えになって、数年来の胸のつかえが晴れるほどにと、お思いになると、中将の君、中務の君のような人たちには、身分に応じて情愛をかけておやりになるので、お暇がなくて、外歩きもなさらない。
二条の院でもそのとおりに、主人を変えようともしなかった女房を源氏は好遇した。また中将とか、中務(なかつかさ)とかいう愛人関係であった人たちにも、多年の孤独が慰むるに足るほどな愛撫(あいぶ)が分かたれねばならないのであったから、暇がなくて外歩きも源氏はしなかった。
【中将、中務】- 源氏の召人。身分は女房であるが妻には数えられない愛人。「中務 ナカヅカサ」(伊京集)。
1.3.13
二条院(にでうのゐん)(ひんがし)なる(みや)(ゐん)御処分(ごしょぶん)なりしを、()なく(あらた)(つく)らせたまふ
花散里(はなちるさと)などやうの心苦(こころぐる)しき(ひと)びと()ませむ」など、(おぼ)()てて(つくろ)はせたまふ
二条院の東にある邸は、故院の御遺産であったのを、またとなく素晴らしくご改築なさる。
「花散里などのようなお気の毒な人々を住まわせよう」などと、お考えで修繕させなさる。
二条の院の東に隣った(やしき)は院の御遺産で源氏の所有になっているのをこのごろ源氏は新しく改築させていた。花散里(はなちるさと)などという恋人たちを住ませるための設計をして造られているのである。
【二なく改め造らせたまふ】- 「せ」使役の助動詞、「たまふ」尊敬の補助動詞。
【繕はせたまふ】- 「せ」使役の助動詞、「たまふ」尊敬の補助動詞。上の「二なく改め築らせ給ふ」と同じことを重ねていう。『集成』は「お手入れをおさせになる」。『完訳』は「ご造営になるのである」と訳す。

第二章 明石の物語 明石の姫君誕生


第一段 宿曜の予言と姫君誕生

2.1.1
まことや、「かの明石(あかし)心苦(こころぐる)しげなりしことはいかに」と、(おぼ)(わす)るる(とき)なければ、(おほやけ)(わたくし)いそがしき(まぎ)れに、(おぼ)すままにも(とぶら)ひたまはざりけるを三月朔日(やよひのついたち)のほど、「このころや」と(おぼ)しやるに、人知(ひとし)れずあはれにて、御使(おほんつかひ)ありけり。
とく(かへ)(まゐ)りて、
そうそう、「あの明石で、いたいたしい様子であったことはどうなったろうか」と、お忘れになる時もないので、公、私にわたる忙しさにまぎれ、思うようにお訪ねになれなかったのだが、三月の初めころに、「このごろだろうか」とお思いやりになると、人知れず胸が痛んで、お使いがあったのである。
早く帰って参って、
源氏は明石(あかし)の君の妊娠していたことを思って、始終気にかけているのであったが、公私の事の多さに、使いを出して尋ねることもできない。三月の初めにこのごろが産期になるはずであると思うと哀れな気がして使いをやった。
【まことや、「かの明石に】- 「まことや」語り手の話題転換の常套語句。「かの明石に」以下「いかに」まで、源氏の心中。
【心苦しげなりしことはいかに】- 明石の君の妊娠をさす。「六月ばかりより心苦しきけしきありてなやみけり」(明石)とあった。
【訪ひたまはざりけるを】- 「を」接続助詞、逆接。お尋ね申し上げなかったのだが。
2.1.2 「十六日でした。
女の子で、ご無事でございます」
「先月の十六日に女のお子様がお生まれになりました」
【十六日になむ。女にて、たひらかにものしたまふ】- 使者の詞。三月十六日、明石の姫君誕生。「なむ」係助詞、結びの省略、文は切れる。
2.1.3
()げきこゆ。
めづらしきさまにてさへあなるを(おぼ)すに、おろかならず。
などて、(きゃう)(むか)へてかかることをもせさせざりけむ」と、口惜(くちを)しう(おぼ)さる。
とご報告する。
久々の御子誕生でしかも女の子であったのをお思いになると、喜びは一通りでない。
「どうして、京に迎えて、こうした事をさせなかったのだろう」と、後悔されてならない。
という(しら)せを聞いた源氏は愛人によってはじめての女の子を得た喜びを深く感じた。なぜ京へ呼んで産をさせなかったかと残念であった。
【めづらしきさまにてさへあなるを】- 「さへ」副助詞、添加の意。『集成』は「安産の上に、珍しく女の子だという報告をお考えになると、源氏のお喜びは一通りではない。源氏には、冷泉院、夕霧と男子が続いている。それに加えて、女子を重んじた当時の貴族の考え方による」と注す。
【などて、京に迎へて】- 以下「せさせざりけむ」まで、源氏の心中。
2.1.4
宿曜(すくえう)に、
宿曜の占いで、
源氏の運勢を占って、
2.1.5 「お子様は三人。
帝、后がきっと揃ってお生まれになるであろう。
その中の一番低い子は太政大臣となって位人臣を極めるであろう」
子は三人で、(みかど)(きさき)が生まれる、いちばん劣った運命の子は太政大臣で、人臣の位をきわめるであろう、その中のいちばん低い女が女の子の母になるであろうと言われた。
【御子三人。帝、后かならず並びて生まれたまふべし。中の劣りは、太政大臣にて位を極むべし】- 宿曜の勘申の詞。源氏には子が三人生まれ、そのうちの二人は、帝、后と皇位に並び立ち、その人たちより劣った人は太政大臣となり位人臣を極めるだろう、という予言。
2.1.6
と、(かんが)(まう)したりしこと、さしてかなふなめり
おほかた、(かみ)なき(くらゐ)(のぼ)り、()をまつりごちたまふべきことさばかりかしこかりしあまたの相人(さうにん)どもの()こえ(あつ)めたるを、(とし)ごろは()のわづらはしさにみな(おぼ)()ちつるを、当帝(たうだい)のかく(くらゐ)にかなひたまひぬることを、(おも)ひのごとうれしと(おぼ)す。
みづからも、もて(はな)れたまへる(すぢ)は、さらにあるまじきこと」と(おぼ)す。
と、勘申したことが、一つ一つ的中するようである。
おおよそ、この上ない地位に昇り、政治を執り行うであろうこと、あれほど賢明であったおおぜいの相人連中がこぞって申し上げていたのを、ここ数年来は世情のやっかいさにすっかりお打ち消しになっていらしたが、今上の帝が、このように御即位なされたことを、思いの通り嬉しくお思いになる。
ご自身も「及びもつかない方面は、まったくありえないことだ」とお考えになる。
また源氏が人臣として最高の位置を占めることも言われてあったので、それは有名な相人(そうにん)たちの言葉が皆一致するところであったが、逆境にいた何年間はそんなことも心に否定するほかはなかったのである。当帝が即位されたことは源氏にうれしかったが、自身の上に高御座(たかみくら)の栄誉を(ねが)わないことは少年の日と少しも異なっていなかった。あるまじいことと思っている。
【勘へ申したりしこと、さしてかなふなめり】- 「し」過去の助動詞。源氏がかつて聞いたというニュアンス。今、初めて語られる。「なめり」連語、「なる」断定の助動詞、「めり」推量の助動詞、主観的推量、のようであるというニュアンス。源氏が合点しているように語る。
【おほかた、上なき位に昇り、世をまつりごちたまふべきこと】- 相人たちの噂。「上なき位」は帝位をさす。「べき」推量の助動詞、当然・推量。確信に満ちた強い推量。きっと源氏は帝位につき政治を行うだろうという噂。
【もて離れたまへる筋は、さらにあるまじきこと】- 源氏の心中。「もてはなれたまへる筋」は皇位につくことをさす。「さらに」副詞、「まじき」打消の推量、連体形、と呼応して、全然ありえないだろうという意。
2.1.7
あまたの皇子(みこ)たちのなかにすぐれてらうたきものに(おぼ)したりしかど、ただ(うど)(おぼ)しおきてける御心(みこころ)(おも)ふに、宿世遠(すくせとほ)かりけり
内裏(うち)のかくておはしますを、あらはに(ひと)()ることならねど、相人(さうにん)(こと)むなしからず」
「大勢の親王たちの中で、特別にかわいがってくださったが、臣下にとお考えになったお心を思うと、帝位には遠い運命であったのだ。
主上がこのように皇位におつきあそばしているのを、真相は誰も知ることでないが、相人の予言は、誤りでなかった」
多くの皇子たちの中にすぐれてお愛しになった父帝が人臣の列に自分をお置きになった御精神を思うと、自分の運と天位とは別なものであると思う源氏であった。
【あまたの皇子たちのなかに】- 以下「むなしからず」まで、源氏の心中。
【宿世遠かりけり】- 「宿世」は皇位をさす。『集成』は「皇位とは縁のない運命だったのだ」。『完訳』は「帝の位など自分には無縁だったのだ」と訳す。
2.1.8
と、御心(みこころ)のうちに(おぼ)しけり。
(いま)()(すゑ)のあらましごとを(おぼ)すに、
と、ご心中お思いになるのであった。
今、これから先の予想をなさると、
源氏は相人の言葉のよく合う実証として、今帝の御即位が思われた。(きさき)が一人自分から生まれるということに明石の(しら)せが符合することから、
2.1.9
住吉(すみよし)(かみ)のしるべまことにかの(ひと)()になべてならぬ宿世(すくせ)にて、ひがひがしき(おや)(およ)びなき(こころ)をつかふにやありけむ。
さるにては、かしこき(すぢ)にもなるべき(ひと)あやしき世界(せかい)にて()まれたらむはいとほしうかたじけなくもあるべきかな。
このほど()ぐして(むか)へてむ」
「住吉の神のお導き、本当にあの人も世にまたとない運命で、偏屈な父親も大それた望みを抱いたのであったろうか。
そういうことであれば、恐れ多い地位にもつくはずの人が、鄙びた田舎でご誕生になったようなのは、お気の毒にもまた恐れ多いことでもあるよ。
いましばらくしてから迎えよう」
住吉(すみよし)の神の庇護(ひご)によってあの人も后の母になる運命から、父の入道が自然片寄った婿選びに身命を打ち込むほどの狂態も見せたのであろう。后の位になるべき人を田舎(いなか)で生まれさせたのはもったいない気の毒なことであると源氏は思って、
【住吉の神のしるべ】- 以下「迎へてむ」まで、源氏の心中。源氏、住吉の神の霊験と宿曜の予言を信じ、明石姫君の将来を考え都に迎えることを思う。
【かしこき筋にもなるべき人の】- 「かしこき筋」は皇后をさす。「も」係助詞、強調。「べき」推量の助動詞、当然。
【生まれたらむは】- 「たら」完了の助動詞、未然形。「む」推量の助動詞、婉曲。生まれたというようなのは。
【このほど過ぐして】- 『完訳』は「新体制の一応の整備後に」と注す。
2.1.10 とお考えになって、東の院、急いで修理せよとの旨、ご催促なさる。
しばらくすれば京へ呼ぼうと思って、東の院の建築を急がせていた。
【東の院、急ぎ造らすべきよし、もよほし仰せたまふ】- 『完訳』は「前に妻妾たちのためにとあったが、新たに姫君のたまにも必要」と注す。

第二段 宣旨の娘を乳母に選定

2.2.1 あのような所には、まともな乳母などもいないだろうことをお考えになって、故院にお仕えしていた宣旨の娘、宮内卿兼宰相で亡くなった人の子であるが、母親なども亡くなって、不如意な生活を送っていた人が、頼みにならない結婚をして子を生んだと、お耳になさっていたので、知るつてがあって、何かのついでにお話し申した女房を召し寄せて、しかるべくお話をおまとめになる。
明石のような田舎に相当な乳母(めのと)がありえようとは思われないので、父帝の女房をしていた宣旨(せんじ)という女の娘で父は宮内卿(くないきょう)宰相だった人であったが、母にも死に別れ、寂しい生活をするうちに恋愛関係から子供を生んだという話を近ごろ源氏は聞き、その(うわさ)を伝えた人を呼び出して、宰相の娘に、源氏の姫君の乳母として明石へ(おもむ)くことの交渉を始めさせた。
【さる所に、はかばかしき人しもありがたからむを】- 源氏の心中を間接的に叙述。源氏、姫君の乳母を派遣する。
【故院にさぶらひし宣旨の娘、宮内卿の宰相にて亡くなりにし人の子なりしを】- 乳母の母は、桐壺院の宣旨。父は宮内卿兼参議(正四位下相当官)。れっきとした家柄だが、現在両親とも亡くなり、不遇な生活をしているという設定。
【かすかなる世に経けるが】- 「が」格助詞、主格。『完訳』は「細々と不如意に暮していたのが」と訳す。
【はかなきさまにて子産みたり】- 地の文から詞に移る、噂の直接的部分。『集成』は「見込みのない結婚をして」。『完訳』は「夫に顧みられぬ心細さで」と注す。
【聞こしめしつけたるを】- 「を」接続助詞、順接。また格助詞、目的格とも解せる。『集成』は「お耳になさっていたが」、『完訳』は「お聞き及びになっておられたので」と訳す。
【まねびきこえける人召して】- 「まねび」はそっくりそのように話したの意。源氏に宣旨の娘の噂話をした女房。
【さるべきさまにのたまひ契る】- 明石の姫君の乳母になるよう契約する。
2.2.2
まだ(わか)く、何心(なにごころ)もなき(ひと)にて()()人知(ひとし)れぬあばら()に、(なが)むる心細(こころぼそ)さなれば、(ふか)うも(おも)ひたどらず、この(おほん)あたりのことをひとへにめでたう(おも)ひきこえて、(まゐ)るべきよし(まう)させたり。
いとあはれにかつは(おぼ)して、()だし()てたまふ
まだ若く、世情にも疎い人で、毎日訪れる人もないあばらやで、物思いに沈んでいるような心細さなので、あれこれ深く考えもせずに、この方に関係のあることを一途に素晴らしいとお思い申し上げて、確かにお仕えする旨、お答え申し上げさせた。
たいそう不憫に一方ではお思いにもなるが、出発させなさる。
この女はまだ若くて無邪気な性質から、寂しい(あば)ら屋で物思いをばかりして暮らす朝夕の生活に飽いていて、深くも考えずに、源氏の縁のかかった所に生活のできることほどよいこともないようにこれまでから(こが)れていて、すぐに承諾して来た。源氏は田舎(いなか)下りをしてくれる宰相の娘を哀れに思って、いろいろと出立の用意をしてやっていた。
【何心もなき人にて】- 深窓に育った姫君の性格をいう。
【参るべきよし】- 「べき」推量の助動詞、当然の意。きっとお仕えする。『集成』は「ご奉公する旨」。『完訳』は「お仕えさせていただく由」と訳す。
【出だし立てたまふ】- 出立させなさる。いったん出立したことを告げ、以下にその経緯を詳しく語る。
2.2.3
もののついでにいみじう(しの)びまぎれておはしまいたり。
さは()こえながら、いかにせまし(おも)(みだ)れけるを、いとかたじけなきに、よろづ(おも)(なぐさ)めて、
外出の折に、たいそう人目を忍んでお立ち寄りになった。
そうは申し上げたものの、どうしようかしらと、思い悩んでいたが、じきじきのお出ましに、いろいろと気もやすまって、
外出したついでに源氏はそっとわが子の新しい乳母の家へ寄った。快諾を伝えてもらったのであるが、なお女はどうしようかと煩悶(はんもん)していた所へ源氏みずからが来てくれたので、それで旅に出る心も慰んで、あきらめもついた。
【もののついでに】- 以下、源氏が宣旨の娘の家を訪問した場面。
【さは聞こえながら、いかにせまし】- 『集成』は「(乳母)はあのように(お勤めすると)申し上げたものの、(やはり明石のような田舎に下ることは)どうしたものかと思案にくれていたのだが」。乳母の揺れる心。
2.2.4
「ただ、のたまはせむままに」
「ただ、仰せのとおりに」
「御意のとおりにいたします」
2.2.5
()こゆ。
()ろしき()なりければ、(いそ)がし()てたまひて、
と申し上げる。
日柄も悪くなかったので、急いで出発させなさって、
と言っていた。ちょうど吉日でもあったのですぐに立たせることに源氏はした。
2.2.6
あやしう、(おも)ひやりなきやうなれど(おも)ふさま(こと)なることにてなむ。
みづからもおぼえぬ()まひに(むす)ぼほれたりし(ためし)(おも)ひよそへて、しばし(ねん)じたまへ」
「変なことで、いたわりのないようですが、特別のわけがあってです。
わたし自身も思わぬ地方で苦労したことを思いよそえて、しばらくの間しんぼうしてください」
「同情がないようだけれど、私は将来に特別な考えもある子なのだからね、それに私も経験して来た土地の生活だから、そう思ってまあ初めだけしばらく我慢をすれば()れてしまうよ」
【あやしう、思ひやりなきやうなれど】- 以下「しばし念じたまへ」まで、源氏の宣旨の娘への詞。
2.2.7
など、ことのありやう(くは)しう(かた)らひたまふ。
などと、事の次第を詳しくお頼みになる。
と源氏は明石の入道家のことをくわしく話して聞かせた。
2.2.8
主上(うへ)宮仕(みやづか)時々(ときどき)せしかば、()たまふ(をり)もありしを、いたう(おとろ)へにけり。
(いへ)のさまも()()らず()れまどひて、さすがに、(おほ)きなる(ところ)の、木立(こだち)など(うと)ましげに、いかで()ぐしつらむ」と()ゆ。
(ひと)のさま、(わか)やかにをかしければ、御覧(ごらん)(はな)たれず。
とかく(たはぶ)れたまひて
主上付きの宮仕えを時々していたので、御覧になる機会もあったが、すっかりやつれきっていた。
家のありさまも、何とも言いようがなく荒れはてて、それでも、大きな邸で、木立なども気味悪いほどで、「どのように暮らしてきたのだろう」と思われる。
人柄は、若々しく美しいので、お見過ごしになれない。
何やかやと冗談をなさって、
母といっしょに父帝のおそばに来ていたこともあって、時々は見た顔であったが、以前に比べると容貌(ようぼう)が衰えていた。家の様子などもずいぶんひどい荒れ方になっている。さすがに広いだけは広いが気味悪く思われるほど木なども(しげ)りほうだいになっていて、こんな家にどうして暮らしてきたかと思われるほどである。若やかで美しいたちの女であったから、源氏が戯談(じょうだん)を言ったりするのにもおもしろい相手であった。
【いかで過ぐしつらむ】- 源氏の心中。
【とかく戯れたまひて】- 『集成』は「何やかやと色めいた振舞をなさって」。『完訳』「あれこれと冗談を仰せになって」と訳す。後者は「の給ひて」(家・横・池・三)の本文に従った訳。
2.2.9 「明石にやらずに自分のほうに置いておきたい気がする。
どう思いますか」
「私は取り返したい気がする。遠くへなどおまえをやりたくない。どう」
【取り返しつべき心地こそすれ。いかに】- 源氏の詞。『集成」は「昔のようになりたい気がするね。側に置いておきたい、の意」。『完訳』は「明石に遣らずに取り返したい」と注す。「取り返す物にもがなや世の中をありしながらの我が身と思はむ」(出典未詳、源氏釈所引)の古歌の文句を踏まえた発言であろう。
2.2.10
とのたまふにつけても、げに、(おな)じうは御身近(おほんみちか)うも(つか)うまつり()れば、()()(なぐさ)みなまし」と()たてまつる。
とおっしゃるにつけても、「おっしゃるとおり、同じことなら、ずっとお側近くにお仕えさせていただけるものなら、わが身の不幸も慰みましようものを」と拝する。
と言われて、直接源氏のそばで使われる身になれたなら、過去のどんな不幸も忘れることができるであろうと、物哀れな気持ちに女はなった。
【げに、同じうは】- 以下「慰みなまし」まで、宣旨の娘の心中。「げに」は宣旨の娘の納得の気持ち。「なまし」連語。「な」完了の助動詞。「まし」推量の助動詞、反実仮想。非現実的な事態についての推量を強調的に表現する。きっと慰みもしように、残念ながらそれができない、というニュアンス。
2.2.11 「以前から特に親しい仲であったわけではないが
別れは惜しい気がするものであるよ
「かねてより隔てぬ中とならはねど
別れは惜しきものにぞありける
【かねてより隔てぬ仲とならはねど--別れは惜しきものにぞありける】- 源氏の宣旨の娘への贈歌。別れは辛いという、挨拶の歌。
2.2.12 追いかけて行こうかしら」
いっしょに行こうかね」
【慕ひやしなまし】- 大島本「したひやしなまし」とある。『新大系』は底本のままとする。『集成』『古典セレクション』は諸本に従って「慕ひやせまし」と校訂する。和歌に添えた詞。「し」サ変動詞、「な」完了の助動詞、確述。「まし」推量の助動詞、仮想。--してしまおうかしら、というニュアンス
2.2.13
とのたまへば、うち(わら)ひて、
とおっしゃると、にっこりして、
と源氏が言うと、女は笑って、
2.2.14 「口から出まかせの別れを惜しむことばにかこつけて
恋しい方のいらっしゃる所にお行きになりませんか」
うちつけの別れを惜しむかごとにて
思はん方に慕ひやはせぬ
【うちつけの別れを惜しむかことにて--思はむ方に慕ひやはせぬ】- 宣旨の娘の返歌。「思はむ方」は明石の君のいる地をさす。別れがつらいというなら、一緒に付いて行ったらいかがですか、と切り返した。 【かこと】-「カコト カゴト」(日葡辞書)。
2.2.15 物馴れてお応えするのを、なかなかたいしたものだとお思いになる。
と冷やかしもした。
【馴れて聞こゆるを、いたしと思す】- 『集成』は「場馴れのしたご返歌ぶりを、なかなかやるものだと感心なさる」。『完訳』は「心得た体に申し上げるのを、これはたいしたものだと感心なさる」と訳す。

第三段 乳母、明石へ出発

2.3.1
(くるま)にてぞ(きゃう)のほどは()(はな)れける
いと(した)しき(ひと)さし()へたまひて、ゆめ()らすまじく(くち)がためたまひて(つか)はす。
御佩刀(みはかし)さるべきものなど、所狭(ところせ)きまで(おぼ)しやらぬ(くま)なし。
乳母(めのと)にも、ありがたうこまやかなる(おほん)いたはりのほど、(あさ)からず。
車で京の中は出て行ったのであった。
ごく親しい人をお付けになって、決して漏らさないよう、口止めなさってお遣わしになる。
御佩刀、必要な物など、何から何まで行き届かない点はない。
乳母にも、めったにないほどのお心づかいのほど、並々でない。
京の間だけは車でやった。親しい侍を一人つけて、あくまでも秘密のうちに乳母(めのと)は送られたのである。守り刀ようの姫君の物、若い母親への多くの贈り物等が乳母に託されたのであった。乳母にも十分の金品が支給されてあった。
【車にてぞ京のほどは行き離れける】- 乳母、明石へ出立。初め牛車で、後、舟に乗り換えて明石へ下る。
【ゆめ漏らすまじく】- 大島本は「夢に(に#)」と「に」を抹消する。『新大系』はその抹消に従う。『集成』『古典セレクション』は諸本と訂正以前本文に従って「ゆめに」と校訂する。
2.3.2
入道(にふだう)(おも)かしづき(おも)ふらむありさま(おも)ひやるも、ほほ()まれたまふこと(おほ)く、また、あはれに心苦(こころぐる)しうも、ただこのことの御心(みこころ)にかかるも、(あさ)からぬにこそは
御文(おほんふみ)にも、おろかにもてなし(おも)ふまじ」と、(かへ)(がへ)すいましめたまへり。
入道が大切にお育てしているであろう様子、想像すると、ついほほ笑まれなさることが多く、また一方で、しみじみといたわしく、ただこの姫君のことがお心から離れないのも、ご愛情が深いからであろう。
お手紙にも、「いいかげんな思いで扱ってはならぬ」と、繰り返しご注意なさっていた。
源氏は入道がどんなに孫を大事がっていることであろうと、いろいろな場合を想像することで微笑がされた。母になった恋人も哀れに思いやられた。このごろの源氏の心は明石の浦へ傾き尽くしていた。手紙にも姫君を粗略にせぬようにと繰り返し繰り返し(いまし)めてあった。
【かしづき思ふらむありさま】- 「らむ」推量の助動詞、視界外推量。源氏が都から想像しているニュアンス。
【浅からぬにこそは】- 「こそ」係助詞、下に「あらめ」などの語句が省略。結びの省略。「浅からぬ」の内容について、『集成』は「ご愛情が」、『完訳』は「明石の君と源氏の宿縁が」と解す。
【おろかにもてなし思ふまじ】- 源氏の文の要旨。「まじ」打消推量の助動詞、禁止。疎略に扱ったり思ったりしてはならない。
2.3.3 「早くわたしの手元に姫君を引き取って世話をしてあげたい
天女が羽衣で岩を撫でるように幾千万年も姫の行く末を祝って」
いつしかも(そで)うちかけんをとめ子が
世をへて()でん岩のおひさき
【いつしかも袖うちかけむをとめ子が--世を経て撫づる岩の生ひ先】- 源氏の独詠歌。「君が代は天の羽衣まれに着て撫づとも尽きぬ巌ならなむ」(拾遺集賀、二九九、読人しらず)を踏まえる。姫君の長寿を祝い、早く迎えて育てたいという歌の意。
2.3.4
()(くに)までは(ふね)にて、それよりあなたは(むま)にて、(いそ)()()きぬ。
摂津の国までは舟で、それから先は、馬で急いで行き着いた。
こんな歌も送ったのである。摂津の国境(くにざかい)までは船で、それからは馬に乗って乳母は明石へ着いた。
2.3.5
入道待(にふだうま)ちとり、(よろこ)びかしこまりきこゆること、(かぎ)りなし。
そなたに()きて(おが)みきこえて、ありがたき御心(みこころ)ばへを(おも)ふに、いよいよいたはしう、(おそ)ろしきまで(おも)ふ。
入道、待ち迎えて、喜び恐縮申すこと、この上ない。
そちらの方角を向いて拝み恐縮申し上げて、並々ならないお心づかいを思うと、ますます大事に恐れ多いまでに思う。
入道は非常に喜んでこの一行を受け取った。感激して京のほうを拝んだほどである。
2.3.6
稚児(ちご)のいとゆゆしきまでうつくしうおはすること、たぐひなし。
げに、かしこき御心(みこころ)に、かしづききこえむと(おぼ)したるは、むべなりけり」と()たてまつるに、あやしき(みち)()()ちて、(ゆめ)心地(ここち)しつる(なげ)きもさめにけり。
いとうつくしうらうたうおぼえて、(あつか)ひきこゆ。
幼い姫君がたいそう不吉なまでに美しくいらっしゃること、またと類がない。
「なるほど、恐れ多いお心から、大切にお育て申そうとお考えになっていらっしゃるのは、もっともなことであった」と拝すると、辺鄙な田舎に旅出して、夢のような気持ちがした悲しみも忘れてしまった。
たいそう美しくかわいらしく思えて、お世話申し上げる。
そしていよいよ姫君は尊いものに思われた。おそろしいほどたいせつなものに思われた。乳母が小さい姫君の美しい顔を見て、聡明(そうめい)な源氏が将来を思って大事にするのであると言ったことはもっともなことであると思った。来る途中で心細いように、恐ろしいように思った旅の苦痛などもこれによって忘れてしまうことができた。非常にかわいく思って乳母は幼い姫君を扱った。
【げに、かしこき御心に、かしづききこえむと思したるは、むべなりけり】- 乳母の心中。「げに」は乳母が姫君の美しさを見て納得した気持ち。
2.3.7
子持(こも)ちの(きみ)(つき)ごろものをのみ(おも)(しづ)みて、いとど(よわ)れる心地(ここち)に、()きたらむともおぼえざりつるを、この(おほん)おきての、すこしもの(おも)(なぐさ)めらるるにぞ、(かしら)もたげて、御使(おほんつかひ)にも()なきさまの(こころ)ざしを()くす。
とく(まゐ)りなむ(いそ)(くる)しがれば、(おも)ふことどもすこし()こえ(つづ)けて、
子持ちの君も、ここ数か月は物思いに沈んでばかりいて、ますます身も心も弱って、生きているとも思えなかったが、こうしたご配慮があって、少し物思いも慰められたので、頭を上げて、お使いの者にもできる限りのもてなしをする。
早く帰参したいと急いで迷惑がっているので、思っていることを少し申し上げ続けて、
若い母は幾月かの連続した物思いのために衰弱したからだで出産をして、なお命が続くものとも思っていなかったが、この時に見せられた源氏の至誠にはおのずから慰められて、力もついていくようであった。送って来た侍に対しても入道は心をこめた歓待をした。あまり丁寧な待遇に侍は困って、「こちらの御様子を聞こうとお待ちになっていらっしゃるでしょうから早く帰京いたしませんと」とも言うのであった。明石の君は感想を少し書いて、
【子持ちの君も】- 明石の君をいう。「御息所」と同義だが、そのようには呼称されない。
【御使にも】- 乳母宣旨の娘を送っ来た使者。
【とく参りなむ】- 使者の心中。早く都に帰参したい。
2.3.8 「わたし一人で姫君をお世話するには行き届きませんので
大きなご加護を期待しております」
一人して()づるは(そで)のほどなきに
(おほ)ふばかりの(かげ)をしぞ待つ
【ひとりして撫づるは袖のほどなきに--覆ふばかりの蔭をしぞ待つ】- 明石君の返歌。源氏の「袖」「撫づる」の語句を受けて返す。「大空に覆ふばかりの袖もがな春咲く花を風にまかせじ」(後撰集春中、六四、読人しらず)を引歌とする。源氏の広大な庇護を期待。
2.3.9
()こえたり。
あやしきまで御心(みこころ)にかかり、ゆかしう(おぼ)さる。
と申し上げた。
不思議なまでにお心にかかり、早く御覧になりたくお思いになる。
と歌も添えて来た。怪しいほど源氏は明石の子が心にかかって、見たくてならぬ気がした。

第四段 紫の君に姫君誕生を語る

2.4.1 女君には、言葉に表してろくにお話申し上げなさっていないのを、他からお聞きになることがあってはいけない、とお思いになって、
夫人には明石の話をあまりしないのであるが、ほかから聞こえて来て不快にさせてはと思って、源氏は明石の君の出産の話をした。
【女君には、言にあらはしてをさをさ聞こえたまはぬを】- 「を」格助詞、目的格。お話し申し上げになってないのを。源氏、紫の君に姫君のことを話す。
【聞きあはせたまふこともこそ】- 源氏の心中。「もこそ」連語、係助詞「も」+係助詞「こそ」。将来の事態を予測して危ぶむ気持ちを表す。お聞き合わなさることがあるといけないの意。
2.4.2
さこそあなれ
あやしうねぢけたるわざなりや。
さもおはせなむと(おも)ふあたりには、(こころ)もとなくて(おも)ひの(ほか)に、口惜(くちを)しくなむ
(をんな)にてあなれば、いとこそものしけれ
(たづ)()らでもありぬべきことなれど、さはえ(おも)()つまじきわざなりけり。
()びにやりて()せたてまつらむ。
(にく)みたまふなよ」
「こう言うことなのだそうです。
妙にうまく行かないものですね。
そうおありになって欲しいと思うところには、待ち遠しくて、思っていないところで、残念なことです。
女の子だそうなので、何ともつまりません。
放っておいてもよいことなのですが、そうもできそうにないことなのです。
呼びにやってお見せ申し上げましょう。
お憎みなさいますなよ」
「人生は意地の悪いものですね。そうありたいと思うあなたにはできそうでなくて、そんな所に子が生まれるなどとは。しかも女の子ができたのだからね、悲観してしまう。うっちゃって置いてもいいのだけれど、そうもできないことでね、親であって見ればね。京へ呼び寄せてあなたに見せてあげましょう。憎んではいけませんよ」
【さこそあなれ】- 以下「憎みたまふなよ」まで、源氏の詞。「さ」は明石で姫君が誕生したことをいう。「こそ」係助詞、「なれ」伝聞推定の助動詞、已然形、伝聞の意。係結び、強調のニュアンス。
【おはせなむと】- 「なむ」終助詞、他者に対するあつらえの願望の意。「おはす」は、いらっしゃって、の意。間接的言い回し。お子がお生まれになってほしい、意。
【心もとなくて】- 『完訳』は「前の予言「御子三人」では紫の上の出産は望めないが、「心もとなし」(待ち遠しい)と可能性を残した言い方をする」と注す。
【口惜しくなむ】- 「なむ」係助詞、結びの省略。最後まで言い切らない、余意・余情を残した言い方。いかにも残念で--、というニュアンス。
【女にてあなれば、いとこそものしけれ】- 「なれ」伝聞推定の助動詞。「こそ」係助詞。「ものしけれ」形容詞、已然形、係結び。強調のニュアンス。『集成』は「わざと軽視した言い方をするのである」「全く気に入りません」。『完訳』は「前の喜びとは矛盾。源氏の本心でない」「まことにおもしろくありません」と注す。
2.4.3
()こえたまへば、(おもて)うち(あか)みて、
とお申し上げになると、お顔がぽっと赤くなって、

2.4.4
あやしう、つねにかやうなる(すぢ)のたまひつくる(こころ)のほどこそ、われながら(うと)ましけれ。
もの(にく)みは、いつならふべきにか」
「変ですこと、いつもそのようなことを、ご注意をいただく私の心の程が、自分ながら嫌になりますわ。
嫉妬することは、いつ教えていただいたのかしら」
「いつも私がそんな女であるとしてあなたに言われるかと思うと私自身もいやになります。けれど女が恨みやすい性質になるのはこんなことばかりがあるからなのでしょう」
【あやしう、つねにかやうなる筋】- 以下「いつならふべきにか」まで、紫の君の返事。「かやうなる筋」は嫉妬するなという注意。「に」断定の助動詞、連用形。「か」係助詞、反語、下に「ありけむ」などの語句が省略、結びの省略。余意・余情を残した言い方。
2.4.5
(ゑん)じたまへば、いとよくうち()みて、
とお恨みになると、すっかり笑顔になって、
女王(にょおう)(うら)んだ。
2.4.6
そよ
()がならはしにかあらむ
(おも)はずにぞ()えたまふや。
(ひと)(こころ)より(ほか)なる(おも)ひやりごとして、もの(ゑん)じなどしたまふよ。
(おも)へば(かな)し」
「そうですね。
誰が教えこたとでしょう。
意外にお見受けしますよ。
皆が思ってもいないほうに邪推して、嫉妬などなさいます。
考えると悲しい」
「そう、だれがそんな習慣をつけたのだろう。あなたは実際私の心持ちをわかろうとしてくれない。私の思っていないことを忖度(そんたく)して恨んでいるから私としては悲しくなる」
【そよ】- 以下「思へば悲し」まで、源氏の詞。
【誰がならはしにかあらむ】- 「か」係助詞、反語、「む」推量の助動詞。誰が教えたことでしょうか、誰も教えてないの意。
2.4.7
とて、()()ては(なみだ)ぐみたまふ。
(とし)ごろ()かず(かな)しと(おも)ひきこえたまひし御心(みこころ)のうちども折々(をりをり)御文(おほんふみ)(かよ)ひなど(おぼ)()づるには、よろづのこと、すさびにこそあれ」と(おも)()たれたまふ。
とおっしゃって、しまいには涙ぐんでいらっしゃる。
長い年月恋しくてたまらなく思っていらしたお二人の心の中や、季節折々のお手紙のやりとりなどをお思い出しなさると、「全部が、一時の慰み事であったのだわ」と、打ち消される気持ちになる。
と言っているうちに源氏は涙ぐんでしまった。どんなにこの人が恋しかったろうと別居時代のことを思って、おりおり書き合った手紙にどれほど悲しい言葉が盛られたものであろうと思い出していた源氏は、明石の女のことなどはそれに比べて命のある恋愛でもないと思われた。
【年ごろ飽かず恋しと思ひきこえたまひし御心のうちども】- 「年ごろ」は源氏の流離の時期」。紫の君の心中に即した叙述。「御心のうちども」の接尾語「ども」は、複数を表し、源氏と紫の君が相互にという意。
【よろづのこと、すさびにこそあれ】- 紫の君の心中。一応の安堵感。
2.4.8
この(ひと)を、かうまで(おも)ひやり言問(ことと)ふは、なほ(おも)ふやうのはべるぞ。
まだきに()こえば、またひが心得(こころえ)たまふべければ」
「この人を、これほどまで考えてやり見舞ってやるのは、実は考えていることがあるからですよ。
今のうちからお話し申し上げたら、また誤解なさろうから」
「子供に私が大騒ぎして使いを出したりしているのも考えがあるからですよ。今から話せばまた悪くあなたが取るから」
【この人を、かうまで】- 以下「心得たまふべけれ」まで、源氏の詞。「この人」は明石の君をさす。
2.4.9
とのたまひさして、
と言いさしなさって、
とその話を続けずに、
2.4.10
(ひと)がらのをかしかりしも、(ところ)からにや、めづらしうおぼえきかし」
「人柄が美しく見えたのも、場所柄でしょうか、めったにないように思われました」
「すぐれた女のように思ったのは場所のせいだったと思われる。とにかく平凡でない珍しい存在だと思いましたよ」
2.4.11
など(かた)りきこえたまふ。
などと、お話し申し上げになる。
などと子の母について語った。
2.4.12
あはれなりし(ゆふ)べの(けぶり)()ひしことなど、まほならねど、その()容貌(かたち)ほの()し、(こと)()のなまめきたりしも、すべて御心(みこころ)とまれるさまにのたまひ()づるにも、
しみじみとした夕べの煙、歌を詠み交わしたことなど、はっきりとではないが、その夜の顔かたちをかすかに見たこと、琴の音色が優美であったことも、すべて心惹かれた様子にお話し出すにつけても、
別れの夕べに前の空を流れた塩焼きの煙のこと、女の言った言葉、ほんとうよりも控え目な女の容貌(ようぼう)の批評、名手らしい琴の()きようなどを忘られぬふうに源氏の語るのを聞いている女王は、
2.4.13
われはまたなくこそ(かな)しと(おも)(なげ)きしか、すさびにても、(こころ)()けたまひけむよ」
「わたしはこの上なく悲しく嘆いていたのに、一時の慰み事にせよ、心をお分けになったとは」
その時代に自分は一人でどんなに寂しい思いをしていたことであろう、
【われはまたなくこそ】- 以下「心を分けたまひけむよ」まで、紫の君の心中。再び嫉妬の炎が燃え上がる。
2.4.14
と、ただならず、(おも)(つづ)けたまひて、われは、われ」と、うち(そむ)(なが)めて、あはれなりし()のありさま」など(ひと)(ごと)のやうにうち(なげ)きて、
と、穏やかならず、次から次へと恨めしくお思いになって、「わたしは、わたし」と、背を向けて物思わしげに、「しみじみと心の通いあった二人の仲でしたのにね」と、独り言のようにふっと嘆いて、
仮にもせよ良人(おっと)は心を人に分けていた時代にと思うと恨めしくて、明石の女のために歎息(たんそく)をしている良人は良人であるというように、横のほうを向いて、
 「どんなに私は悲しかったろう」
歎息しながら独言(ひとりごと)のようにこう言ってから、
【われは、われ】- 「君は君我は我とて隔てねば心々にあらむものかは」(和泉式部日記)。『集成』は「あなたはあなた、私は私で、お互いに別々の心なのですね、の意」と注す。
【あはれなりし世のありさま」など】- 大島本は「あはれなりしよの有さまなと」とある。『新大系』は底本のままとする。『集成』『古典セレクション』は諸本に従って「あはれなりし世のありさまかな」と校訂する。紫の君の詞。「し」過去の助動詞。「世」は夫婦仲。仲睦まじかった過去を回想。
2.4.15 「愛しあっている同士が同じ方向になびいているのとは違って
わたしは先に煙となって死んでしまいたい」
思ふどち(なび)く方にはあらずとも
(われ)ぞ煙に先立ちなまし
【思ふどちなびく方にはあらずとも--われぞ煙に先立ちなまし】- 紫の君の歌。『集成』は「前に、源氏が「あはれなりし夕の煙、言ひしことなど」を語り出した時、明石の上の返歌の前に、当然源氏の贈歌を語っているはずであるから、それを受けて詠んだのである。すなわち「このたびは立ち別るとも藻塩焼く煙は同じかたになびかむ」に応じたもの」と注す。「思ふどち靡く方」「煙」は源氏の「煙」「同じ方」を受けた表現。「なまし」連語、完了の助動詞「ぬ」未然形「な」+仮想の助動詞「まし」。非現実的な事態についての推量を強調して表す。死んでしまいたいものです。
2.4.16 「何とおっしゃいます。
嫌なことを。
「何ですって、情けないじゃありませんか、
【何とか。心憂や】- 源氏の詞。紫の君に対する反論。
2.4.17 いったい誰のために憂き世を海や山にさまよって
止まることのない涙を流して浮き沈みしてきたのでしょうか
たれにより世をうみやまに行きめぐり
絶えぬ涙に浮き沈む身ぞ
【誰れにより世を海山に行きめぐり--絶えぬ涙に浮き沈む身ぞ】- 源氏の返歌。「うみ」に「憂み」と「海」を掛ける。「海」と「浮き沈み」は縁語。反語表現。みなあなたのために辛抱してきたのです、の意。
2.4.18
いでや、いかでか()えたてまつらむ。
(いのち)こそかなひがたかべいものなめれ
はかなきことにて、(ひと)(こころ)おかれじと(おも)ふも、ただ(ひと)つゆゑぞや
さあ、何としてでも本心をお見せ申しましょう。
寿命だけは思うようにならないもののようですが。
つまらないことで、恨まれまいと思うのも、ただあなた一人のためですよ」
そうまで誤解されては私はもう死にたくなる。つまらぬことで人の感情を害したくないと思うのも、ただ一つの私の願いのあなたと(なが)く幸福でいたいためじゃないのですか」
【いでや、いかでか】- 以下「一つゆゑぞや」まで、源氏の詞。
【命こそかなひがたかべいものなめれ】- 「命だに心にかなふものならば何か別れの悲しからまし」(古今集離別、三八七、白女)を踏まえる。
【ただ一つゆゑぞや】- 紫の君一人のため。
2.4.19
とて、(さう)御琴引(おほんことひ)()せて、()(あは)せすさびたまひて、そそのかしきこえたまへど、かの、すぐれたりけむもねたきにや、()()れたまはず。
いとおほどかにうつくしう、たをやぎたまへるものから、さすがに執念(しふね)きところつきて、もの(ゑん)じしたまへるが、なかなか愛敬(あいぎゃう)づきて腹立(はらだ)ちなしたまふを、をかしう()どころあり(おぼ)す。
と言って、箏のお琴を引き寄せて、調子合わせに軽くお弾きになって、お勧め申し上げなさるが、あの、上手だったというのも癪なのであろうか、手もお触れにならない。
とてもおっとりと美しくしなやかでいらっしゃる一方で、やはりしつこいところがあって、嫉妬なさっているのが、かえって愛らしい様子でお腹立ちになっていらっしゃるのを、おもしろく相手にしがいがある、とお思いになる。
源氏は十三絃の()き合わせをして、()けと女王に勧めるのであるが、名手だと思ったと源氏に言われている女がねたましいか手も触れようとしない。おおようで美しく柔らかい気持ちの女性であるが、さすがに嫉妬(しっと)はして、恨むことも腹を立てることもあるのが、いっそう複雑な美しさを添えて、この人をより引き立てて見せることだと源氏は思っていた。
【をかしう見どころあり】- 源氏の心中。紫の君の嫉妬をかわいいと思う。

第五段 姫君の五十日の祝

2.5.1
五月五日(ごがちのいつか)にぞ、五十日(いか)には()たるらむ」と、人知(ひとし)れず(かぞ)へたまひて、ゆかしうあはれに(おぼ)しやる。
(なに)ごとも、いかにかひあるさまにもてなし、うれしからまし。
口惜(くちを)しのわざや。
さる(ところ)にしも心苦(こころぐる)しきさまにて、()()たるよ」と(おぼ)す。
男君(をとこぎみ)ならましかばかうしも御心(みこころ)にかけたまふまじきを、かたじけなういとほしう、わが御宿世(おほんすくせ)も、この(おほん)ことにつけてぞかたほなりけり」と(おぼ)さるる
「五月五日が、五十日に当たるだろう」と、人知れず日数を数えなさって、どうしているかといとしくお思いやりになる。
「どのようなことでも、どんなにも立派にでき、嬉しいことであろうに。
残念なことだ。
よりによって、あのような土地に、おいたわしくお生まれになったことよ」とお思いになる。
「男君であったならば、こんなにまではお心におかけなさらないのだが、恐れ多くもおいたわしく、ご自分の運命も、このご誕生に関連して不遇もあったのだ」とご理解なさる。
五月の五日が五十日(いか)の祝いにあたるであろうと源氏は人知れず数えていて、その式が思いやられ、その子が恋しくてならないのであった。紫の女王に生まれた子であったなら、どんなにはなやかにそれらの式を自分は行なってやったことであろうと残念である。あの田舎(いなか)で父のいぬ場所で生まれるとは(あわ)れな者であると思っていた。男の子であれば源氏もこうまでこの事実に苦しまなかったであろうが、(きさき)の望みを持ってよい女の子にこの引け目をつけておくことが堪えられないように思われて、自分の運はこの一点で完全でないとさえ思った。
【五月五日にぞ、五十日には当たるらむ】- 源氏の心中。五月五日が姫君の生後五十日の祝いの日に当たろう、と思いやる。
【何ごとも、いかに】- 以下「出で来たるよ」まで、源氏の心中。下に反実仮想の助動詞「まし」がある構文。もし、京で誕生したのならという仮想のもとに残念に思う。
【さる所にしも】- 「しも」副助詞、強調のニュアンス。よりによってあのような土地に。
【男君ならましかば】- 以下「かたほなりけり」まで、語り手が源氏の心中を要約した文。よって源氏に対する敬意が「かけたまふ」「わが御宿世」と紛れ込む。源氏の心中にそった地の文という見方もできる。
【わが御宿世も、この御ことにつけてぞかたほなりけり」と思さるる】- 「ぞ」係助詞、「かたほなりけり」を飛び越えて、「思さるる」連体形に係る。『集成』は「ご自身のご運勢も、このお方の誕生のために、一時欠けることもあったのだとお考えになる。須磨、明石の流離は、立后を予言されている姫君誕生をもたらすためだったと思う」。完訳「ご自分の運勢も、この姫君出生の御事のために禍があったのだと、お考えになる」と注す。
2.5.2
御使出(おほんつかひい)だし()てたまふ。
お使いの者をお立てになる。
五十日(いか)のために源氏は明石へ使いを出した。
2.5.3
「かならずその日違(ひたが)へずまかり()け」
「必ずその日に違わずに到着せよ」
「ぜひ当日着くようにして行け」
2.5.4
とのたまへば、五日(いつか)()()きぬ。
(おぼ)しやることも、ありがたうめでたきさまにて、まめまめしき御訪(おほんとぶ)らひもあり。
とおっしゃったので、五日に到着した。
ご配慮のほども、世にまたなく結構な有様で、実用的なお見舞いの品々もある。
と源氏に命ぜられてあった使いは五日に明石へ着いた。華奢(かしゃ)な祝品の数々のほかには実用品も多く添えて源氏は贈ったのである。
2.5.5 「海松は、
いつも変わらない蔭にいたのでは、今日が五日の
海松や時ぞともなきかげにゐて
何のあやめもいかにわくらん
【海松や時ぞともなき蔭にゐて--何のあやめもいかにわくらむ】- 源氏の贈歌。「海松」は姫君を喩える。「松」は生い先長いことを予祝するもの。「あやめ」は五日の節句「菖蒲」に因む。また「文目」を掛ける。「いか」は「五十日」と「如何」を掛ける。姫君へのお祝いと心遣いの歌。
2.5.6
(こころ)のあくがるるまでなむ。
なほ、かくてはえ()ぐすまじきを、(おも)()ちたまひね。
さりとも、うしろめたきことは、よも」
飛んで行きたい気持ちです。
やはり、このまま過していることはできないから、ご決心をなさい。
いくらなんでも、心配なさることは、決してありません」
からだから魂が抜けてしまうほど恋しく思います。私はこの苦しみに堪えられないと思う。ぜひ京へ出て来ることにしてください。こちらであなたに不愉快な思いをさせることは断じてない。
【心のあくがるるまで】- 以下「うしろめたきことはよも」まで、歌に添えた文。「よも」の下には「あるまじ」などの語句が省略。
2.5.7
()いたまへり。
と書いてある。
という手紙であった。
2.5.8
入道(にふだう)(れい)の、(よろこ)()きしてゐたり。
かかる(をり)は、()けるかひもつくり()でたることわりなりと()ゆ。
入道は、いつもの喜び泣きをしていた。
このような時には、生きていた甲斐があるとべそをかくのも、無理はないと思われる。
入道は例のように感激して泣いていた。源氏の出立の日の泣き顔とは違った泣き顔である。
【生けるかひもつくり出でたる】- 「かひ」は「生ける甲斐」と「かひ作る」(べそをかく)の言葉遊び的表現。
2.5.9
ここにも、よろづ所狭(ところせ)きまで(おも)(まう)けたりけれど、この御使(おほんつかひ)なくは、(やみ)()にてこそ()れぬべかりけれ
乳母(めのと)も、この女君(をんなぎみ)のあはれに(おも)ふやうなるを、(かた)らひ(びと)にて()(なぐさ)めにしけり。
をさをさ(おと)らぬ(ひと)(るい)()れて(むか)()りてあらすれど、こよなく(おとろ)へたる宮仕(みやづか)(びと)などの、(いはほ)中尋(なかたづ)ぬるが()()まれるなどこそあれこれは、こよなうこめき(おも)ひあがれり。
ここでも、万事至らぬところのないまで盛大に準備していたが、このお使いが来なかったら、闇夜の錦のように何の見栄えもなく終わってしまったであろう。
乳母も、この女君が感心するくらい理想的な人柄なのを、よい相談相手として、憂き世の慰めにしているのであった。
さして劣らない女房を、縁故を頼って迎えて付けさせているが、すっかり落ちぶれはてた宮仕え人で、出家や隠棲しようとしていた人々が残っていたというのであるが、この人は、この上なくおっとりとして気位高かった。
明石でも式の用意は派手(はで)にしてあった。見て報告をする使いが来なかったなら、それがどんなに晴れをしなかったことだろうと思われた。乳母(めのと)も明石の君の優しい気質に馴染(なじ)んで、よい友人を得た気になって、京のことは思わずに暮らしていた。入道の身分に近いほどの家の(むすめ)もここに来て女房勤めをしているようなのが幾人かはあるが、それがどうかといえば京の宮仕えに()り尽くされたような年配の者が生活の苦から(のが)れるために田舎(いなか)下りをしたのが多いのに、この乳母はまだ娘らしくて、しかも思い上がった心を持っていて、自身の見た京を語り、宮廷を語り、縉紳(しんしん)の家の内部の派手な様子を語って聞かせることができた。
【闇の夜にてこそ暮れぬべかりけれ】- 「見る人もなくて散りぬる奥山の紅葉は闇の夜の錦なりけり」(古今集秋下、二九七、紀貫之)を踏まえる。
【女君のあはれに思ふやうなるを、語らひ人にて】- 『完訳』は「乳母と明石の君を、ほぼ同等に語る。女君の身分の低さに注意」と注す。
【をさをさ劣らぬ人も】- この乳母にさして劣らない女房。
【巌の中尋ぬるが落ち止まれるなどこそあれ】- 「が」格助詞、主格を表す。出家や隠棲を志していた者が、の意。「こそ」係助詞、「あれ」已然形、逆接用法、読点で、下文に続く。「いかならむ巌の中に住まばかは世の憂き事の聞こえこざらむ」(古今集雑下、九五二、読人しらず)による。
2.5.10
()きどころある()物語(ものがたり)などして、大臣(おとど)(きみ)(おほん)ありさま、()にかしづかれたまへる(おほん)おぼえのほども、女心地(をんなごこち)にまかせて(かぎ)りなく(かた)()くせば、げに、かく(おぼ)()づばかりの名残(なごり)とどめたる()も、いとたけく」やうやう(おも)ひなりけり。
御文(おほんふみ)ももろともに()(こころ)のうちに、
聞くに値する世間話などをして、大臣の君のご様子、世間から大切にされていらっしゃるご評判なども、女心にまかせて果てもなく話をするので、「なるほど、このようにお思い出してくださるよすがを残した自分も、たいそう偉いものだ」とだんだん思うようになるのであった。
お手紙を一緒に見て、心の中で、
源氏の大臣がどれほど社会から重んぜられているかということも、女心にしたいだけの誇張もして始終話した。乳母の話から、その人が別れたのちの今日までも好意を寄せて、また自分の生んだ子を愛してくれているのは幸福でなくて何であろうと明石の君はようやくこのごろになって思うようになった。乳母は源氏の手紙をいっしょに読んでいて、
【げに、かく】- 以下「いとたけく」まで、明石の君の心中を間接的に語った地の文。「げに」は明石の君が納得した気持ち。
【御文ももろともに見て】- 主語は乳母。明石の君と乳母が対等に語られる。
2.5.11
あはれ、かうこそ(おも)ひの(ほか)に、めでたき宿世(すくせ)はありけれ。
()きものはわが()こそありけれ」
「ああ、こんなにも意外に、幸福な運命のお方もあるものだわ。
不幸なのはわたしだわ」
人間にはこんなに意外な幸運を持っている人もあるのである、みじめなのは自分だけであると悲しまれたが、
【あはれ、かうこそ】- 以下「ありけれ」まで、乳母の心中。
2.5.12
と、(おも)(つづ)けらるれど、乳母(めのと)のことはいかに」など、こまやかに(とぶ)らはせたまへるもかたじけなく、(なに)ごとも(なぐさ)めけり。
と、自然と思い続けられるが、「乳母はどうしているか」などと、やさしく案じてくださっているのも、もったいなくて、どんなに嫌なことも慰められるのであった。
乳母はどうしているかということも奥に書かれてあって、源氏が自分に関心を持っていることを知ることができたので満足した。
【乳母のことはいかに】- 源氏の手紙の一節の要旨。
【訪らはせたまへるも】- 「せ」尊敬の助動詞、「たまへ」尊敬の補助動詞、二重敬語。乳母の感謝の気持ちが二重敬語になって表出したもの。
2.5.13
御返(おほんかへ)りには、
お返事には、
返事は、
2.5.14 「人数に入らないわたしのもとで育つわが子を
今日の五十日の祝いはどうしているかと尋ねてくれる人は他にいません
数ならぬみ島がくれに鳴く(たづ)
今日もいかにと()ふ人ぞなき
【数ならぬみ島隠れに鳴く鶴を--今日もいかにと問ふ人ぞなき】- 明石の君の返歌。源氏の「蔭にゐて」「いかにわくらむ」の語句を受けて「み島隠れ」「いかにと問ふ人ぞなく」と返す。「数ならぬ」は明石の君の身を卑下していったもの。姫君を「田鶴」に譬え、「み」に「身」、「いかに」に「五十日に」を掛ける。
2.5.15
よろづに(おも)うたまへ(むす)ぼほるるありさまを、かくたまさかの御慰(おほんなぐさ)めにかけはべる(いのち)のほども、はかなくなむ。
げに、(うし)ろやすく(おも)うたまへ()くわざもがな」
いろいろと物思いに沈んでおります様子を、このように時たまのお慰めに掛けておりますわたしの命も心細く存じられます。
仰せの通りに、
いろいろに物思いをいたしながら、たまさかのおたよりを命にしておりますのもはかない私でございます。仰せのように子供の将来に光明を認めとうございます。
【よろづに】- 以下「置くわざもがな」まで、手紙文。
2.5.16
とまめやかに()こえたり。
と、心からお頼み申し上げた。
というので、信頼した心持ちが現われていた。

第六段 紫の君、嫉妬を覚える

2.6.1
うち(かへ)()たまひつつ、「あはれ」と、(なが)やかにひとりごちたまふを、女君(をんなぎみ)しり()()おこせて、
何度も御覧になりながら、「ああ」と、長く嘆息して独り言をおっしゃるのを、女君は、横目で御覧やりになって、
何度も同じ手紙を見返しながら、「かわいそうだ」と長く声を引いて独言(ひとりごと)を言っているのを、夫人は横目にながめて、
2.6.2
(うら)よりをちに()(ふね)の」
「浦から遠方に漕ぎ出す舟のように」
「浦より(をち)()ぐ船の」
【浦よりをちに】- 以下「漕ぐ舟の」まで、紫の君の詞。「み熊野の浦よりをちに漕ぐ船の我をばよそに隔てつるかな」(古今六帖、浦)の第二句、三句を口ずさんだ。真意は第五句の「我をばよそに隔てつるかな」にある。
2.6.3
と、(しの)びやかにひとりごち、(なが)めたまふを、
と、ひっそりと独り言を言って、物思いに沈んでいらっしゃるのを、
(我をば(よそ)に隔てつるかな)と低く言って、物思わしそうにしていた。
2.6.4
まことは、かくまでとりなしたまふよ。
こは、ただ、かばかりのあはれぞや。
(ところ)のさまなど、うち(おも)ひやる時々(ときどき)()(かた)のこと(わす)れがたき(ひと)(ごと)を、ようこそ()()ぐいたまはね」
「ほんとうに、こんなにまで邪推なさるのですね。
これは、ただ、これだけの愛情ですよ。
土地の様子など、ふと想像する時々に、昔のことが忘れられないで漏らす独り言を、よくお聞き過しなさらないのですね」
「そんなにあなたに悪く思われるようにまで私はこの女を愛しているのではない。それはただそれだけの恋ですよ。そこの風景が目に浮かんできたりする時々に、私は当時の気持ちになってね、つい歎息(たんそく)が口から出るのですよ。なんでも気にするのですね」
【まことは、かくまで】- 以下「過ぐいたまふかな」まで、源氏の詞。
2.6.5
など、(うら)みきこえたまひて、上包(うはづつみ)ばかりを()せたてまつらせたまふ
(ふで)などのいとゆゑづきて、やむごとなき人苦(ひとくる)しげなるをかかればなめり」と、(おぼ)す。
などと、お恨み申されて、上包みだけをお見せ申し上げになさる。
筆跡などがとても立派で、高貴な方も引け目を感じそうなので、「これだからであろう」と、お思いになる。
などと、恨みを言いながら上包みに書かれた字だけを夫人に見せた。品のよい手跡で貴女(きじょ)も恥ずかしいほどなのを見て、夫人はこうだからであると思った。
【見せたてまつらせたまふ】- 大島本は「見せたてまつらせ給ふ」とある。『新大系』『集成』は底本のままとする。『古典セレクション』は諸本に従って「見せたてまつりたまふ」と校訂する。
【筆などの】- 大島本は「ふん(ん#て)なとの」と「ん」をミセケチにして「て」と傍記する。『新大系』は底本の訂正に従う。『集成』『古典セレクション』は諸本に従って「手などの」と校訂する。
【やむごとなき人苦しげなるを】- 『集成』は「身分の高い女もたじろぎそうなのを」。『完訳』は「高貴なお方とてひけめを感じそうなみごとさを」と訳す。
【かかればなめり】- 紫の君の心中。

第三章 光る源氏の物語 新旧後宮女性の動向


第一段 花散里訪問

3.1.1
かく、この御心(みこころ)とりたまふほどに、花散里(はなちるさと)などを()()てたまひぬるこそいとほしけれ。
公事(おほやけごと)(しげ)く、所狭(ところせ)御身(おほんみ)に、(おぼ)(はばか)るに()へても、めづらしく御目(おほんめ)おどろくことのなきほど(おも)ひしづめたまふなめり
このように、この方のお気持ちの御機嫌をとっていらっしゃる間に、花散里などをすっかり途絶えていらっしゃったのは、お気の毒なことである。
公事も忙しく、気軽には動けないご身分であるため、ご遠慮されるのに加えても、目新しくお心を動かすことが来ない間、慎重にしていらっしゃるようである。
こんなふうに紫の女王(にょおう)機嫌(きげん)を取ることにばかり追われて、花散里(はなちるさと)(たず)ねる夜も源氏の作られないのは女のためにかわいそうなことである。このごろは公務も忙しい源氏であった。外出に従者も多く従えて出ねばならぬ身分の窮屈(きゅうくつ)さもある上に、花散里その人がきわだつ刺戟(しげき)も与えぬ人であることを知っている源氏は、今日逢わねばと心の()き立つこともないのであった。
【かく、この御心とりたまふほどに、花散里などを離れ果てたまひぬるこそ】- 大島本は「花ちる里(里+なと<朱>)を」と朱筆で「なと」を補入する。『新大系』は底本の補入に従う。『集成』『古典セレクション』は諸本及び大島本の訂正以前本文に従って「花散里を」と校訂する。そして大島本は「あ(あ#か<朱>)れはて」と朱筆で「あ」を抹消して「か」と訂正する。『集成』『新大系』は底本の訂正に従う。『古典セレクション』は諸本及び底本の訂正以前本文に従って「あれはて」と校訂する。五月雨のつれづれなる頃、源氏、花散里を訪問。
【めづらしく御目おどろくことのなきほど】- 「御目」は源氏の目。『完訳』は「花散里から目新しく働きかけ、源氏の心が動くということなく」と注す。
【思ひしづめたまふなめり】- 「なめり」連語。断定の助動詞「なる」の連体形+推量の助動詞「めり」。語り手の断定の気持ちを婉曲的にいう表現。--であるらしい、--であるようだ、というニュアンス。
3.1.2
五月雨(さみだれ)つれづれなるころ公私(おほやけわたくし)もの(しづ)かなるに、(おぼ)()こして(わた)りたまへり。
よそながらも、()()れにつけて、よろづに(おぼ)しやり(とぶ)らひきこえたまふを(たの)みにて、()ぐいたまふ(ところ)なれば、(いま)めかしう(こころ)にくきさまに、そばみ(うら)みたまふべきならねば、(こころ)やすげなり。
(とし)ごろに、いよいよ()れまさり、すごげにておはす。
五月雨の降る所在ない頃、公私ともに暇なので、お思い立ってお出かけになった。
訪れはなくても、朝に夕につけ、何から何までお気をつけてお世話申し上げていらっしゃるのを頼りとして、過ごしていらっしゃる所なので、今ふうに思わせぶりに、すねたり恨んだりなさることがないので、お心安いようである。
この何年間に、ますます荒れがひどくなって、もの寂しい感じで暮らしていらっしゃる。
五月雨(さみだれ)のころは源氏もつれづれを覚えたし、ちょうど公務も閑暇(ひま)であったので、思い立ってその人の所へ行った。訪ねては行かないでも源氏の君はこの一家の生活を保護することを怠っていなかったのである。それにたよっている人は恨むことがあっても、ただみずからの薄命を(なげ)く程度のものであったから源氏は気楽に見えた。何年かのうちに邸内(やしきうち)はいよいよ荒れて、すごいような広い住居(すまい)であった。
【五月雨つれづれなるころ】- 花散里の物語と夏五月雨の季節の類同的発想。「花散里」「須磨」「蓬生」巻に語られている。
【訪らひきこえたまふを】- 源氏は花散里を使者をしてお世話申し上げさせなさる。ご自身は出向かない。
3.1.3
女御(にょうご)(きみ)御物語聞(おほんものがたりき)こえたまひて、西(にし)妻戸(つまど)夜更(よふ)かして()()りたまへり。
(つき)おぼろにさし()りて、いとど(えん)なる(おほん)ふるまひ、()きもせず()えたまふ。
いとどつつましけれど、端近(はしちか)ううち(なが)めたまひけるさまながら、のどやかにてものしたまふけはひ、いとめやすし。
水鶏(くひな)のいと(ちか)()きたるを、
女御の君にお話申し上げなさってから、西の妻戸の方には夜が更けてからお立ち寄りになった。
月の光が朧ろに差し込んで、ますます優美なご態度、限りなく美しくお見えになる。
ますます気後れするが、端近くに物思いに耽りながら眺めていらっしゃったそのままで、ゆったりとお振る舞いになるご様子、どこといって難がない。
水鶏がとても近くで鳴いているので、
姉の女御(にょご)の所で話をしてから、夜がふけたあとで西の妻戸をたたいた。(おぼ)ろな月のさし込む戸口から(えん)な姿で源氏ははいって来た。美しい源氏と月のさす所に出ていることは恥ずかしかったが、初めから花散里はそこに出ていたのでそのままいた。この態度が源氏の気持ちを楽にした。水鶏(くいな)が近くで鳴くのを聞いて、
【西の妻戸に】- 大島本は「西のつまとに」とある。『集成』『新大系』は底本のままとする。『古典セレクション』は諸本に従って「西の妻戸には」と「は」を補訂する。
3.1.4 「せめて水鶏だけでも戸を叩いて知らせてくれなかったら
どのようにしてこの荒れた邸に月の光を迎え入れることができたでしょうか」
水鶏だに驚かさずばいかにして
荒れたる宿に月を入れまし
【水鶏だにおどろかさずはいかにして--荒れたる宿に月を入れまし】- 花散里の贈歌。「だに」副助詞、最小限の期待。せめて--だけでも。「月」は源氏を喩える。「まし」仮想の助動詞。水鶏が鳴いて教えてくれたから、あなたを招じいれたのです、の意。
3.1.5 と、たいそうやさしく、恨み言を抑えていらっしゃるので、
なつかしい調子で言うともなくこう言う女が感じよく源氏に思われた。
【いとなつかしう、言ひ消ちたまへるぞ】- 『集成』は「とても親しみをそそる調子で、怨めしさを抑えておっしゃるのが」と注す。
3.1.6
とりどりに()てがたき()かな。
かかるこそ、なかなか()(くる)しけれ」
「それぞれに捨てがたい人よ。
このような人こそ、かえって気苦労することだ」
どの人にも自身を()く力のあるのを知って源氏は苦しかった。
【とりどりに】- 以下「苦しけれ」まで、源氏の心中。
3.1.7
(おぼ)す。
とお思いになる。

3.1.8 「どの家の戸でも叩く水鶏の音に見境なしに戸を開けたら
わたし以外の月の光が入って来たら大変だ
「おしなべてたたく水鶏に驚かば
うはの空なる月もこそ入れ
【おしなべてたたく水鶏におどろかば--うはの空なる月もこそ入れ】- 源氏の返歌。花散里の「水鶏だに」「月を入れまし」を受けて「おしなべてたたく水鶏」「うはの空なる月もこそ入れ」と切り返す。
3.1.9 心配ですね」
私は安心していられない」
【うしろめたう】- 和歌に添えた言葉。
3.1.10
とは、なほ(こと)()こえたまへど、あだあだしき(すぢ)など、(うたが)はしき御心(みこころ)ばへにはあらず。
(とし)ごろ、()()ぐしきこえたまへるも、さらにおろかには(おぼ)されざりけり。
(そら)(なが)めそ」と、(たの)めきこえたまひし(をり)のことも、のたまひ()でて
とは、やはり言葉の上では申し上げなさるが、浮気めいたことなど、疑いの生じるご性質ではない。
長い年月、お待ち申し上げていらしたのも、まったく並み大抵の気持ちとはお思いにならなかった。
「空を眺めなさるな」と、お約束申された時のことも、お話し出されて、
とは言っていたが、それは言葉の戯れであって、源氏は貞淑な花散里を信じ切っている。何に動揺することもなく長く留守(るす)の間を静かに待っていてくれた人を、源氏はおろそかには思っていなかった。当分悲しくならないがために空はながめないで暮らすようにと、行く前に源氏が言った夜のことなどを思い出して言うのであった。
【空な眺めそ】- 「須磨」巻(第一章第四段)で源氏が花散里に詠み贈った和歌の一部の語句。
【のたまひ出でて】- 主語は花散里。
3.1.11
などて、たぐひあらじといみじうものを(おも)(しづ)みけむ。
()()からは、(おな)(なげ)かしさにこそ」
「どうして、またとない不幸だと、ひどく嘆き悲しんだのでしょう。
辛い身の上にとっは、同じ悲しさですのに」
「なぜあの時に私は非常に悲しいことだと思ったのでしょう。私などはあなたに幸福の帰って来た今だってもやはり寂しいのでしたのに」
【などて、たぐひあらじと】- 以下「嘆かしさにこそ」まで、花散里の詞。
3.1.12
とのたまへるも、おいらかにらうたげなり。
(れい)の、いづこの御言(おほんこと)()にかあらむ()きせずぞ(かた)らひ(なぐさ)めきこえたまふ。
とおっしゃるのも、おっとりとしていらしてかわいらしい。
例によって、どこからお出しになる言葉であろうか、言葉の限りを尽くしてお慰め申し上げになる。
と恨みともなしにおおように言っているのが可憐(かれん)であった。例のように源氏は言葉を尽くして女を慰めていた。平生どうしまってあったこの人の熱情かと思われるようである。
【例の、いづこの御言の葉にかあらむ】- 『集成』は「女の心を捉えるうまい言葉が次々に出てくることに、なかばあきれたという気持の草子地」。

第二段 筑紫の五節と朧月夜尚侍

3.2.1
かやうのついでにも、五節(ごせち)(おぼ)(わす)れず、また()てしがな」と、(こころ)にかけたまへれど、いとかたきことにて、(まぎ)れたまはず。
このような折にも、あの五節をお忘れにならず、「また会いたいものだ」と、心に掛けていらっしゃるが、たいそう難しいことで、お忍びで行くこともできない。
こんな機会がまた作られたならば、大弐(だいに)五節(ごせち)に逢いたいと源氏は願っていたが、五節の訪問も実現がむずかしいと見なければならない。
【また見てしがな】- 源氏の心中。
3.2.2
(をんな)もの(おも)()えぬを、(おや)はよろづに(おも)()ふこともあれど、()()むことを(おも)()えたり
女は、物思いが絶えないのを、親はいろいろと縁談を勧めることもあるが、普通の結婚生活を送ることを断念していた。
女は源氏を忘れることができないで、物思いの多い日を送っていて、親が心配してかれこれと勧める結婚話には取り合わずに、人並みの女の幸福などはいらないと思っていた。
【世に経むことを思ひ絶えたり】- 「世」は結婚生活をいう。
3.2.3 気兼ねのいらない邸を造ってからは、「このような人々を集めて、思い通りにお世話なさる子どもが出て来たら、その人の後見にもしよう」とお思いになる。
源氏は東の院は本邸でなく、そんな人たちを集めて住ませようと建築をさせているのであったから、もし理想どおりにかしずき娘ができてくることがあったら、顧問格の女として才女の五節などは必要な人物であると源氏は思っていた。
【心やすき殿造りしては】- 以下「さる人の後見にも」まで、源氏の心中。二条の東院をさす。
【かやうの人集へても】- 花散里、五節などをさす。
【思ふさまにかしづきたまふべき人も出でものしたまはば】- 諸説がある。『集成』の「思い通りに養育なさるべきお子でもお生れになったならば」は、第四子誕生を想定。『完訳』の「紫の上などの出産を想定。なお、宿曜とは矛盾。後の玉鬘の物語の構想と関係するか」「思いどおり養育しようとお思いになる子でもお生れになったら」は、玉鬘物語の構想を考える。『新大系』は「(明石姫君のように后がねではなく源氏の)思い通りにかわいがることのできそうな子」と注す。
3.2.4
かの(ゐん)(つく)りざま、なかなか()どころ(おほ)く、(いま)めいたり。
よしある受領(ずりゃう)などを()りて、()()てに(もよほ)したまふ。
東の院の造りようは、かえって見所が多く今風である。
風流を解する受領など選んで、それぞれに分担させて急がせなさる。
東の院はおもしろい設計で建てられているのである。近代的な生活に適するような明るい家である。地方官の中のよい趣味を持つ一人一人に殿舎をわり当てにして作らせていた。
3.2.5
尚侍(ないしのかん)(きみ)なほえ(おも)(はな)ちきこえたまはず。
こりずまに()(かへ)り、御心(みこころ)ばへもあれど、(をんな)()きに()りたまひて、(むかし)のやうにもあひしらへきこえたまはず。
なかなか、所狭(ところせ)う、さうざうしう()(なか)(おぼ)さる。
尚侍の君を、今でもお諦め申すことがおできになれない。
失敗に懲りもせずに再び、お気持ちをお見せになることもあるが、女は嫌なことに懲りなさって、昔のようにお相手申し上げなさらない。
かえって、窮屈で、間柄を物足りないと、お思いになる。
源氏は今も尚侍(ないしのかみ)を恋しく思っていた。懲りたことのない人のように、また(あぶな)いこともしかねないほど熱心になっているが、環境のために恋には奔放な力を見せた女もつつましくなっていて、昔のように源氏の誘惑に反響を見せるようなこともない。源氏は自身の地位ができて世の中が窮屈になり、冷たいものになり、物足りなくなったと感じていた。
【こりずまに】- 「こりずまに又もなき名は立ちぬべし人にくからぬ世にし住まへば」(古今集恋三、六三一、読人しらず)の第一句の文句による。

第三段 旧後宮の女性たちの動向

3.3.1
(ゐん)はのどやかに(おぼ)しなりて時々(ときどき)につけて、をかしき御遊(おほんあそ)びなど、(この)ましげにておはします。
女御(にょうご)更衣(かうい)みな(れい)のごとさぶらひたまへど、春宮(とうぐう)御母女御(おほんははにょうご)のみぞとり()てて(とき)めきたまふこともなく、尚侍(かん)(きみ)(おほん)おぼえにおし()たれたまへりしを、かく()()へ、めでたき御幸(おほんさいは)ひにて、(はな)()でて(みや)()ひたてまつりたまへる。
院は気楽な御心境になられて、四季折々につけて、風雅な管弦の御遊など、御機嫌よろしうおいであそばす。
女御、更衣、みな院の御所に伺候していらっしゃるが、東宮の御母女御だけは、特別にはなやかにおなりになることもなく、尚侍の君のご寵愛に圧倒されていらっしゃったのが、このようにうって変わって、結構なご幸福で、離れて東宮にお付き添い申し上ていらっしゃった。
院は暢気(のんき)におなりあそばされて、よくお好きの音楽の会などをあそばして風流に暮らしておいでになった。女御(にょご)更衣(こうい)も御在位の時のままに侍しているが、東宮の母君の女御だけは、以前取り立てて御寵愛(ちょうあい)があったというのではなく、尚侍にけおされた後宮の一人に過ぎなかったが、思いがけぬ幸福に恵まれた結果になって、一人だけ離れて御所の中の東宮の御在所に侍しているのである。
【院はのどやかに思しなりて】- 朱雀院や東宮などの動向。
【春宮の御母女御のみぞ】- 「のみ」は「なく」に係るが、「ぞ」係助詞は「添ひたてまつりたまへる」に係る。その間、挿入句となる。
3.3.2
この大臣(おとど)御宿直所(おほんとのゐどころ)は、(むかし)淑景舎(しげいしゃ)なり。
梨壺(なしつぼ)春宮(とうぐう)はおはしませば、近隣(ちかどなり)御心寄(みこころよ)せに、(なに)ごとも()こえ(かよ)ひて、(みや)をも後見(うしろみ)たてまつりたまふ。
この内大臣のご宿直所は、昔から淑景舎である。
梨壷に東宮はいらっしゃるので、隣同士の誼で、どのようなこともお話し合い申し上げなさって、東宮をもご後見申し上げになさる。
源氏の現在の宿直所(とのいどころ)もやはり昔の桐壺(きりつぼ)であって、梨壺(なしつぼ)に東宮は住んでおいでになるのであったから、御近所であるために源氏はその御殿とお親しくして、自然東宮の御後見もするようになった。
3.3.3
入道后(にふだうきさい)(みや)御位(みくらゐ)をまた(あらた)めたまふべきならねば太上天皇(だいじゃうてんわう)になずらへて、御封賜(みぶたまは)らせたまふ。
院司(ゐんじ)どもなりてさまことにいつくし。
御行(おほんおこ)なひ、功徳(くどく)のことを、(つね)(おほん)いとなみにておはします。
(とし)ごろ、()(はばか)りて()()りも(かた)く、()たてまつりたまはぬ(なげ)きをいぶせく(おぼ)しけるに、(おぼ)すさまにて、(まゐ)りまかでたまふもいとめでたければ、大后(おほきさき)は、()きものは()なりけり」と(おぼ)(なげ)く。
入道后の宮は、御位を再びお改めになるべきでもないので、太上天皇に准じて御封を賜りあそばす。
院司たちが任命されて、その様子は格別立派である。
御勤行、功徳のことを、毎日のお仕事になさっている。
ここ数年来、世間に遠慮して参内も難しく、お会い申されないお悲しみに、胸塞がる思いでいらっしゃったが、お思いの通りに、参内退出なさるのもまことに結構なので、大后は、「嫌なものは世の移り変わりよ」とお嘆きになる。
入道の宮をまた新たに御母后(ごぼこう)の位にあそばすことは無理であったから、太上天皇に準じて女院(にょいん)にあそばされた。封国が決まり、院司の任命があって、これはまた一段立ちまさったごりっぱなお身の上と見えた。仏法に関係した善行功徳をお営みになることを天職のように思召(おぼしめ)して、精励しておいでになった。長い間御所への出入りも御遠慮しておいでになったが、今はそうでなく自由なお気持ちで宮中へおはいりになり、お()になりあそばすのであった。皇太后は人生を恨んでおいでになった。
【入道后の宮、御位をまた改めたまふべきならねば】- 御子の冷泉帝が即位したので、その母である藤壺は皇太后になるのだが、出家の身なのでそうならず、太上天皇に准じて御封を賜る待遇を受けた。歴史上、一条天皇の母后藤原詮子が東三条院と呼ばれ、女院となった例を踏まえる。
【院司どもなりて】- 「なりて」は任命されての意。
3.3.4
大臣(おとど)はことに()れて、いと()づかしげに(つか)まつり、心寄(こころよ)せきこえたまふもなかなかいとほしげなるを(ひと)もやすからず、()こえけり。
内大臣は何かにつけて、たいそう恥じ入るほどにお仕え申し上げ、好意をお寄せ申し上げなさるので、かえって見ていられないようなのを、人々もそんなにまでなさらずともよかろうにと、お噂申し上げるのだった。
何かの場合に源氏はこの方にも好意のある計らいをして敬意を表していた。太后としてはおつらいことであろうとささやく者が多かった。
【いと恥づかしげに仕まつり、心寄せきこえたまふも】- 源氏が弘徽殿大后に対して。
【なかなかいとほしげなるを】- 『集成』は「(大后の昔の仕打ちを思うと)かえって見ていられないほどであるのを」と訳す。

第四段 冷泉帝後宮の入内争い

3.4.1
兵部卿親王(ひゃうぶきゃうのみこ)(とし)ごろの御心(みこころ)ばへのつらく(おも)はずにて、ただ()()こえをのみ(おぼ)(はばか)りたまひしことを、大臣(おとど)()きものに(おぼ)しおきて、(むかし)のやうにもむつびきこえたまはず。
兵部卿親王は、ここ数年来のお心が冷たく案外な仕打ちで、ただ世間のおもわくだけを気になさっていらしたことを、内大臣は恨めしくお思いになっておられて、昔のようにお親しみ申し上げなさらない。
兵部卿(ひょうぶきょう)親王は源氏の官位剥奪(はくだつ)時代に冷淡な態度をお見せになって、ただ世間の聞こえばかりをはばかって、御娘に対してもなんらの保護をお与えにならなかったことで、当時の源氏は恨めしい思いをさせられて、もう昔のように親しい御交際はしていなかった。
【兵部卿親王】- 紫の君の父親。藤壺入道の宮の兄。皇族第一の実力者。
3.4.2
なべての()には、あまねくめでたき御心(みこころ)なれど、この(おほん)あたりは、なかなか(なさ)けなき(ふし)も、うち()ぜたまふを、入道(にふだう)(みや)は、いとほしう本意(ほい)なきこと()たてまつりたまへり。
世間一般に対しては、誰に対しても結構なお心なのであるが、この宮あたりに対しては、むしろ冷淡な態度も、ままおとりになるのを、入道の宮は、困ったことで不本意なことだ、とお思い申し上げていらっしゃった。
一般の人にはあまねく慈悲を分かとうとする人であったが、兵部卿の宮一家にだけはやや復讐(ふくしゅう)的な扱いもするのを、入道の宮は苦しく思召された。
【いとほしう本意なきこと】- 藤壺の心中を間接的に叙述。
3.4.3
()(なか)のこと、ただなかばを()けて、太政大臣(おほきおとど)この大臣(おとど)(おほん)ままなり。
天下の政事は、まったく二分して、太政大臣と、この内大臣のお心のままである。
現代には二つの大きな勢力があって、一つは太政大臣、一つは源氏の内大臣がそれで、この二人の意志で何事も断ぜられ、何事も決せられるのであった。
3.4.4 権中納言の御娘、その年の八月に入内させなさる。
祖父大臣が率先なさって、儀式などもたいそう立派である。
権中納言の娘がその年の八月に後宮へはいった。すべての世話は祖父の大臣がしていてはなやかな仕度(したく)であった。
【権中納言の御女、その年の八月に参らせたまふ】- もとの頭中将の娘、八月に冷泉帝後宮に入内。もと左大臣家、いま、太政大臣家。一般臣家の第一の実力者が娘を後宮に入内させる。
【祖父殿ゐたちて】- 『完訳』は「太政大臣が率先し采配を振り。孫娘の格上げに養女としたか」と注す。
3.4.5 兵部卿宮の中の君も、そのように志して、大切にお世話なさっているとの評判は高いが、内大臣は、他より一段と勝るようにとも、お考えにはならないのであった。
どうなさるおつもりであろうか。
兵部卿親王も第二の姫君を後宮へ入れる志望を持っておいでになって、大事にお(かし)ずきになる評判のあるのを、源氏はその姫君に光栄あれとも思われないのであった。源氏はまたどんな人を後宮へ推薦しようとしているかそれはわからない。
【兵部卿宮の中の君も、さやうに心ざして】- 兵部卿宮の中の君も入内の予定。
【人よりまさりたまへ】- 源氏の心中を間接的に叙述。『集成』は「すぐれたお身の上(帝の后)になられよともお考えにならないのだった」と注す。
【いかがしたまはむとすらむ】- 語り手の文。読者に先の期待を持たせてこの段を締め括る。『完訳』は「源氏の今後の対処に注目しようとする、語り手の評言」と注す。

第四章 明石の物語 住吉浜の邂逅


第一段 住吉詣で

4.1.1
その(あき)住吉(すみよし)(まう)でたまふ
(がん)ども()たしたまふべければ、いかめしき(おほん)ありきにて、()(なか)ゆすりて、上達部(かんだちめ)殿上人(てんじゃうびと)(われ)(われ)もと(つか)うまつりたまふ。
その年の秋に、住吉にご参詣になる。
願ほどきなどをなさるご予定なので、盛大なご行列で、世間でも大騷ぎして、上達部、殿上人らが、我も我もとお供申し上げになさる。
この秋に源氏は住吉詣(すみよしもう)でをした。須磨(すま)明石(あかし)で立てた(がん)を神へ果たすためであって、非常な大がかりな旅になった。廷臣たちが我も我もと随行を望んだ。
【その秋、住吉に詣でたまふ】- 秋、源氏、住吉に御願果たしに参詣。
4.1.2
(をり)しも、かの明石(あかし)(ひと)(とし)ごとの(れい)のことにて(まう)づるを、去年今年(こぞことし)(さは)ることありて、おこたりける、かしこまり()(かさ)ねて、(おも)()ちけり。
ちょうどその折、あの明石の人は、毎年恒例にして参詣するのが、去年今年は差し障りがあって、参詣できなかった、そのお詫びも兼ねて思い立ったのであった。
ちょうどこの日であった、明石の君が毎年の例で参詣(さんけい)するのを、去年もこの春も(さわ)りがあって果たすことのできなかった謝罪も兼ねて、
4.1.3
(ふね)にて(まう)でたり。
(きし)にさし()くるほど、()れば、ののしりて(まう)でたまふ(ひと)のけはひ(なぎさ)()ちて、いつくしき神宝(かんだから)()(つづ)けたり。
楽人(がくにん)十列(とをつら)など、装束(さうぞく)をととのへ、容貌(かたち)(えら)びたり。
舟で参詣した。
岸に着ける時、見ると、大騷ぎして参詣なさる人々の様子、渚にいっぱいあふれていて、尊い奉納品を列をなさせていた。
楽人、十人ほど、衣装を整え、顔形の良い者を選んでいた。
船で住吉へ来た。海岸のほうへ寄って行くと華美な参詣の行列が寄進する神宝を運び続けて来るのが見えた。楽人、十列(とつら)の者もきれいな男を選んであった。
【人のけはひ】- 大島本は「人(人+の)けはひ」と「の」を補入する。『集成』『新大系』は底本の補入に従う。『古典セレクション』は諸本及び底本の訂正以前本文に従う。
4.1.4 「どなたが参詣なさるのですか」
「どなたの御参詣なのですか」
【誰が詣でたまへるぞ】- 明石方の従者の詞。
4.1.5 と尋ねたらしいので、
と船の者が陸へ聞くと、
【問ふめれば】- 「めり」推量の助動詞、視界内推量。『集成』は「下人が尋ねているらしいのを、明石の上たちが船中で聞く趣」と注す。
4.1.6
内大臣殿(ないだいじんどの)御願果(おほんがんは)たしに(まう)でたまふを、()らぬ(ひと)もありけり」
「内大臣殿が、御願ほどきに参詣なさるのを、知らない人もいたのだなあ」
「おや、内大臣様の御願(ごがん)はたしの御参詣を知らない人もあるね」
【内大臣殿の】- 以下「知らぬ人もありけり」まで、源氏方の従者の返事。天下周知の事実を知らない人もいたのだと、驚きあきれた気持ち。
4.1.7 と言って、とるにたりない身分の低い者までもが、気持ちよさそうに笑う。
供男(ともおとこ)階級の者もこう得意そうに言う。
【はかなきほどの下衆だに、心地よげにうち笑ふ】- 「だに」副助詞。述語の表す動作・状態に対して、例外的、逆接的な事物、事態であることを示す。--さえも。--までも。とるに足りない下衆までが気持ちよさそうに笑う。
4.1.8
げに、あさましう月日(つきひ)もこそあれ。
なかなか、この(おほん)ありさまを(はる)かに()るも、()のほど口惜(くちを)しうおぼゆ
さすがに、かけ(はな)れたてまつらぬ宿世(すくせ)ながら、かく口惜(くちを)しき(きは)(もの)だに、もの(おも)ひなげにて、(つか)うまつるを色節(いろふし)(おも)ひたるに、(なに)罪深(つみふか)()にて、(こころ)にかけておぼつかなう(おも)ひきこえつつ、かかりける御響(おほんひび)きをも()らで、()()でつらむ」
「なるほど、あきれたことよ、他の月日もあろうに。
かえって、このご威勢を遠くから眺めるのも、わが身の程が情なく思われる。
とはいえ、お離れ申し上げられない運命ながら、このような賤しい身分の者でさえも、何の物思いもないふうで、お仕えしているのを晴れがましいことに思っているのに、どのような罪深い身で、心に掛けてお案じ申し上げていながら、これほどの評判であったご参詣のことも知らずに、出掛けて来たのだろう」
何とした偶然であろう、ほかの月日もないようにと明石の君は驚いたが、はるかに恋人のはなばなしさを見ては、あまりに懸隔のありすぎるわが身の上であることを痛切に知って悲しんだ。さすがによそながら巡り合うだけの宿命につながれていることはわかるのであったが、笑って行った侍さえ幸福に輝いて見える日に、罪障の深い自分は何も知らずに来て
【げに、あさましう】- 以下「立ち出でつらむ」まで、明石の君の心中。一部に地の文的表現がある。
【なかなか、この御ありさまを遥かに見るも、身のほど口惜しうおぼゆ】- 「なかなか」は「おぼゆ」に係る。うれしい再会であるはずなのに、かえってそれが、というニュアンス。『集成』は「なまじ及びもつかぬ源氏のご威勢のほどを遠くからみるにつけ、わが見の上が情けなく思われる」と訳す。
4.1.9
など(おも)(つづ)くるに、いと(かな)しうて、人知(ひとし)れずしほたれけり。
などと思い続けると、実に悲しくなって、人知れず涙がこぼれるのであった。
恥ずかしい思いをするのであろうと思い続けると悲しくばかりなった。

第二段 住吉社頭の盛儀

4.2.1
松原(まつばら)深緑(ふかみどり)なるに、花紅葉(はなもみぢ)をこき()らしたると()ゆる(うへ)(きぬ)の、()(うす)き、数知(かずし)らず
六位(ろくゐ)のなかにも蔵人(くらうど)青色(あをいろ)しるく()えてかの賀茂(かも)瑞垣恨(みづがきうら)みし右近将監(うこんのじょう)靫負(ゆげひ)になりて、ことごとしげなる随身具(ずいじんぐ)したる蔵人(くらうど)なり。
松原の深緑を背景に、花や紅葉をまき散らしたように見える袍衣姿の、濃いのや薄いのが、数知れず見える。
六位の中でも蔵人は麹塵色がはっきりと見えて、あの賀茂の瑞垣を恨んだ右近将監も靫負になって、ものものしそうな随身を伴った蔵人である。
深い緑の松原の中に花紅葉(もみじ)()かれたように見えるのは(ほう)のいろいろであった。赤袍は五位、浅葱(あさぎ)は六位であるが、同じ六位も蔵人(くろうど)は青色で目に立った。加茂の大神を恨んだ右近丞(うこんのじょう)靫負(ゆぎえ)になって、随身をつれた派手(はで)な蔵人になって来ていた。
【松原の深緑なるに、花紅葉をこき散らしたると見ゆる表の衣の、濃き薄き、数知らず】- 「見ゆる」の主体は、船の中の明石の君。以下、明石の君の眼に映る光景を語る。客観的描写でなく、人を通した主観的描写という性格。袍衣の色を桜や紅葉に喩えた見立ての表現。四位は深緋(朱色)、五位は浅緋、六位は深緑、七位は浅緑、八位は深縹(薄藍)、初位は薄縹。
【六位のなかにも蔵人は青色しるく見えて】- この六位蔵人の「青色」は天皇から拝領した麹塵(青みがかった黄色)の袍である。
4.2.2
良清(よしきよ)(おな)(すけ)にて(ひと)よりことにもの(おも)ひなきけしきにて、おどろおどろしき赤衣姿(あかぎぬすがた)いときよげなり。
良清も同じ衛門佐で、誰よりも格別物思いもない様子で、仰々しい緋色姿が、たいそう美しげである。
良清(よしきよ)も同じ靫負佐(ゆぎえのすけ)になってはなやかな赤袍の一人であった。
【良清も同じ佐にて】- 「靭負」と同じという意。「靭負」は「靭負尉」(衛門府の三等官)の略。良清は衛門佐(次官、従五位上相当)になったという意。
4.2.3
すべて()(ひと)びと、()()へはなやかに、(なに)ごと(おも)ふらむと()えて、うち()りたるに、(わか)やかなる上達部(かんだちめ)殿上人(てんじゃうびと)の、(われ)(われ)もと(おも)ひいどみ、馬鞍(むまくら)などまで(かざ)りを(ととの)(みが)きたまへるは、いみじき(もの)に、田舎人(ゐなかびと)(おも)へり
すべて見た人々は、うって変わってはなやかになり、何の憂えもなさそうに見えて、散らばっている中で、若々しい上達部、殿上人が、我も我もと競争で、馬や鞍などまで飾りを整え美しく装いしていらっしゃるのは、たいそうな物であると、田舎者も思った。
明石に来ていた人たちが昔の面影とは違ったはなやかな姿で人々の中に混じっているのが船から見られた。若い顕官たち、殿上役人が競うように凝った姿をして、馬や(くら)にまで華奢(かしゃ)を尽くしている一行は、田舎(いなか)の見物人の目を楽しませた。
【いみじき物に、田舎人も思へり】- 大島本は「いみしきものに」とある。『新大系』は底本のままとする。『集成』『古典セレクション』は諸本に従って「見物に」と校訂する。明石の君の一行の人々。
4.2.4
御車(おほんくるま)(はる)かに()やれば、なかなか、(こころ)やましくて、(こひ)しき御影(おほんかげ)をもえ()たてまつらず。
河原大臣(かはらのおとど)御例(おほんれい)をまねびて、童随身(わらはずいじん)(たまは)りたまひけるいとをかしげに装束(さうぞ)き、みづら()ひて、紫裾濃(むらさきすそご)元結(もとゆひ)なまめかしう、丈姿(たけすがた)ととのひ、うつくしげにて十人(じふにん)さまことに(いま)めかしう()ゆ。
お車を遠く見やると、かえって、心が苦しくなって、恋しいお姿をも拝することができない。
河原左大臣のご先例にならって、童随身を賜っていらっしゃったが、とても美しそうに装束を着て、みずらを結って、紫の裾濃の元結が優美で、身の丈や姿もそろって、かわいらしい格好をして十人、格別はなやかに見える。
源氏の乗った車が来た時、明石の君はきまり悪さに恋しい人をのぞくことができなかった。河原(かわら)の左大臣の例で童形(どうぎょう)儀仗(ぎじょう)の人を源氏は賜わっているのである。それらは美しく装うていて、髪は分けて二つの輪のみずらを紫のぼかしの元結いでくくった十人は、背たけもそろった美しい子供である。
【河原大臣の御例をまねびて、童随身を賜りたまひける】- 河原の大臣、すなわち左大臣源融(八二二~八九五)。源融が童随身を賜った例は文献には見られない。藤原道長が長徳四年(九九六)に童随身を六名賜っている。
4.2.5
大殿腹(おほとのばら)若君(わかぎみ)(かぎ)りなくかしづき()てて、馬添(むまぞ)ひ、(わらは)のほど、皆作(みなつく)りあはせて、やう()へて装束(さうぞ)きわけたり。
大殿腹の若君、この上なく大切にお扱いになって、馬に付き添う供人、童の具合など、みな揃いの衣装で、他とは変わって服装で区別していた。
近年はあまり許される者のない珍しい随身である。大臣家で生まれた若君は馬に乗せられていて、一班ずつを(そろ)えの衣裳(いしょう)にした幾班かの馬添い(わらわ)がつけられてある。
【大殿腹の若君】- 左大臣家の葵の上が産んだ夕霧。
4.2.6
雲居遥(くもゐはる)かにめでたく()ゆるにつけても若君(わかぎみ)(かず)ならぬさまにてものしたまふを、いみじと(おも)
いよいよ御社(みやしろ)(かた)(をが)みきこゆ。
雲居遥かな立派さを見るにつけても、若君の人数にも入らない様子でいらっしゃるのを、ひどく悲しいと思う。
ますます御社の方角をお拝み申し上げる。
最高の貴族の子供というものはこうしたものであるというように、多数の人から大事に扱われて通って行くのを見た時、明石の君は自分の子も兄弟でいながら見る影もなく扱われていると悲しかった。いよいよ御社(みやしろ)に向いて子のために念じていた。
【雲居遥かにめでたく見ゆるにつけても】- 景情と心象の風景が一体化した表現。『集成』は「海上からの距離と身分の懸隔の両方をいう」。『完訳』は「夕霧を注視する明石の君の心。距離の隔たりがそのまま、わが姫君との身分境遇の隔たりに思える」と注す。
【若君の数ならぬさま】- 明石の姫君。
【いみじと思ふ】- 主語は明石の君。
4.2.7
(くに)守参(かみまゐ)りて、(おほん)まうけ、(れい)大臣(おとど)などの(まゐ)りたまふよりは、ことに()になく(つか)うまつりけむかし
摂津の国守が参上して、ご饗応の準備、普通の大臣などが参詣なさる時よりは、格別にまたとないくらい立派に奉仕したことであろうよ。
摂津守が出て来て一行を饗応(きょうおう)した。普通の大臣の参詣(さんけい)を扱うのとはおのずから違ったことになるのは言うまでもない。
【仕うまつりけむかし】- 「けむ」過去推量の助動詞。「かし」終助詞。念を押すニュアンス。語り手の推量。
4.2.8
いとはしたなければ、
とてもいたたまれない思いなので、
明石の君はますます自分がみじめに見えた。
4.2.9
()()じり、(かず)ならぬ()いささかのことせむに、(かみ)見入(みい)れ、(かず)まへたまふべきにもあらず。
(かへ)らむにも中空(なかぞら)なり。
今日(けふ)難波(なには)(ふね)さし()めて、(はら)へをだにせむ」
「あの中に立ちまじって、とるに足らない身の上で、少しばかりの捧げ物をしても、神も御覧になり、お認めくださるはずもあるまい。
帰るにしても中途半端である。
今日は難波に舟を泊めて、せめてお祓いだけでもしよう」
こんな時に自分などが貧弱な御幣(みてぐら)を差し上げても神様も目にとどめにならぬだろうし、帰ってしまうこともできない、今日は浪速(なにわ)のほうへ船をまわして、そこで(はら)いでもするほうがよいと思って、
【立ち交じり、数ならぬ身の】- 以下「祓へをだにせむ」まで、明石の君の心中。
4.2.10
とて、()(わた)りぬ。
と思って、
明石の君の乗った船はそっと住吉を去った。

第三段 源氏、惟光と住吉の神徳を感ず

4.3.1
(きみ)は、(ゆめ)にも()りたまはず、夜一夜(よひとよ)いろいろのことをせさせたまふ
まことに、(かみ)(よろこ)びたまふべきことを、()くして、()(かた)御願(おほんがん)にもうち()へ、ありがたきまで、(あそ)びののしり()かしたまふ。
君は、まったくご存知なく、一晩中、いろいろな神事を奉納させなさる。
真実に、神がお喜びになるにちがいないことを、あらゆる限りなさって、過去の御願果たしに加えて、前例のないくらいまで、楽や舞の奉納の大騷ぎして夜をお明かしになる。
こんなことを源氏は夢にも知らないでいた。夜通しいろいろの音楽舞楽を広前(ひろまえ)に催して、神の喜びたもうようなことをし尽くした。過去の願に神へ約してあった以上のことを源氏は行なったのである。
【夜一夜、いろいろのことをせさせたまふ】- 「させ」使役の助動詞。「たまふ」尊敬の補助動詞。また「させ」を尊敬の助動詞と解することも可能か。
4.3.2
惟光(これみつ)やうの(ひと)は、(こころ)のうちに(かみ)御徳(おほんとく)をあはれにめでたしと(おも)ふ。
あからさまに()()でたまへるに、さぶらひて、()こえ()でたり。
惟光などのような人は、心中に神のご神徳をしみじみとありがたく思う。
ちょっと出ていらっしゃたので、お側に寄って、申し上げた。
惟光(これみつ)などという源氏と辛苦をともにした人たちは、この住吉の神の徳を偉大なものと感じていた。ちょっと外へ源氏の出て来た時に惟光(これみつ)が言った。
【惟光やうの人】- 乳母子として源氏と辛苦を共にしてきた、という意。
4.3.3 「住吉の松を見るにつけ感慨無量です
昔のことがを忘れられずに思われますので」
住吉の松こそものは悲しけれ
神代のことをかけて思へば
【住吉の松こそものはかなしけれ--神代のことをかけて思へば】- 惟光の歌。「住吉」と「松」は縁語。「松」に「まづ」を掛ける。「かなしけれ」は感慨無量の意。「神代」は神話時代に流離生活の過去の意をこめる。
4.3.4 いかにもと、
源氏もそう思っていた。
【げに、と思し出でて】- 惟光の歌に納得した源氏の気持ち。
4.3.5 「あの須磨の大嵐が荒れ狂った時に
念じた住吉の神の御神徳をどうして忘られようぞ
「荒かりし(なみ)のまよひに住吉の
神をばかけて忘れやはする
【荒かりし波のまよひに住吉の--神をばかけて忘れやはする】- 源氏の返歌。惟光の「神代のこと」「かけて思へば」に対して「住吉の神」「かけて忘れやはする」と返した。「やは」係助詞。「する」連体形、反語表現。忘れたりしようか、決して忘れない。
4.3.6 霊験あらたかであったな」
確かに私は霊験を見た人だ」
【験ありな】- 歌に添えた言葉。
4.3.7
とのたまふも、いとめでたし。
とおっしゃるのも、たいそう素晴らしい。
と言う様子も美しい。

第四段 源氏、明石の君に和歌を贈る

4.4.1
かの明石(あかし)(ふね)この(ひび)きに()されて、()ぎぬることも()こゆれば、()らざりけるよ」と、あはれに(おぼ)す。
(かみ)(おほん)しるべを(おぼ)()づるも、おろかならねば、いささかなる消息(せうそこ)をだにして心慰(こころなぐさ)めばや。
なかなかに(おも)ふらむかし」と(おぼ)す。
あの明石の舟が、この騷ぎに圧倒されて、立ち去ったことも申し上げると、「知らなかったなあ」と、しみじみと気の毒にお思いになる。
神のお導きとお思い出しになるにつけ、おろそかには思われないので、「せめてちょっとした手紙だけでも遣わして、気持ちを慰めてやりたい。
かえってつらい思いをしていることだろう」とお思いになる。
こちらの派手(はで)な参詣ぶりに畏縮(いしゅく)して明石の船が浪速のほうへ行ってしまったことも惟光が告げた。その事実を少しも知らずにいたと源氏は心で(あわれ)んでいた。初めのことも今日のことも住吉の神が二人を愛しての導きに違いないと思われて、手紙を送って慰めてやりたい、近づいてかえって悲しませたことであろうと思った。
【知らざりけるよ】- 源氏の心中。
【いささかなる消息をだにして】- 以下「思ふらむかし」まで、源氏の心中。「だに」副助詞、最小限の希望の意。せめて消息だけでも。
【なかなかに思ふらむかし】- なまじ遭遇したばかりに、という意がこめられている。「らむ」推量の助動詞、視界外推量。源氏が明石の君の気持ちを遠くから忖度しているニュアンス。
4.4.2
御社立(みやしろた)ちたまて、所々(ところどころ)逍遥(せうえう)()くしたまふ。
難波(なには)御祓(おほんはら)へ、七瀬(ななせ)によそほしう(つか)まつる。
堀江(ほりえ)のわたりを御覧(ごらん)じて、
御社をご出発になって、あちこちの名所に遊覧なさる。
難波のお祓い、七瀬に立派にお勤めになる。
堀江のあたりを御覧になって、
住吉を立ってから源氏の一行は海岸の風光を愛しながら浪速に出た。そこでは祓いをすることになっていた。(よど)川の七瀬に祓いの幣が立てられてある堀江のほとりをながめて、
【難波の御祓へ、七瀬によそほしう】- 大島本は「なにはの御はらへなゝせによそをしう」とある。『新大系』は底本のままとする。『集成』『古典セレクション』は諸本に従って「難波の御祓へなどことによそほしう
4.4.3 「今はた同じ難波なる」
「今はた同じ浪速なる」
【今はた同じ難波なる】- 源氏の独り言。「わびぬれば今はた同じ難波なる身をつくしても逢はむとぞ思ふ」(後撰集恋五、九六〇、元良親王)の第二句。真意は、下句の「身をつくしても逢はむとぞ思ふ」にある。明石の君に何としてでも逢いたい。
4.4.4
と、御心(みこころ)にもあらで、うち(じゅ)じたまへるを、御車(おほんくるま)のもと(ちか)惟光(これみつ)うけたまはりやしつらむさる()しもやと、(れい)にならひて(ふところ)にまうけたる柄短(つかみじか)(ふで)など、御車(おほんくるま)とどむる(ところ)にてたてまつれり。
をかし」と(おぼ)して畳紙(たたうがみ)に、
と、無意識のうちに、ふと朗誦なさったのを、お車の近くにいる惟光、聞きつけたのであろうか、そのような御用もあろうかと、いつものように懐中に準備しておいた柄の短い筆などを、お車を止めた所で差し上げた。
「よく気がつくな」と感心なさって、畳紙に、
(身をつくしても逢はんとぞ思ふ)と我知らず口に出た。車の近くから惟光が口ずさみを聞いたのか、その用があろうと例のように懐中に用意していた柄の短い筆などを、源氏の車の留められた際に提供した。源氏は懐紙に書くのであった。
【うけたまはりやしつらむ】- 「や」疑問の間投助詞。「らむ」推量の助動詞、視界外推量。語り手の推測のニュアンス。挿入句。
【をかし」と思して】- 『完訳』は「明石の君を思う折しも、彼女への贈歌を促す惟光の機転に喜ぶ」と注す。
4.4.5 「身を尽くして恋い慕っていた甲斐のあるここで
めぐり逢えたとは、
みをつくし恋ふるしるしにここまでも
めぐり逢ひける(えに)は深しな
【みをつくし恋ふるしるしにここまでも--めぐり逢ひけるえには深しな】- 源氏から明石の君への贈歌。「澪標」と「身を尽くし」、「難波」と「何は」、「江」と「縁」を掛ける。「澪標」「しるし」「深し」は縁語。同じ日に邂逅したことに二人の縁の深さをいう。
4.4.6
とて、たまへれば、かしこの心知(こころし)れる下人(しもびと)して()りけり。
駒並(こまな)めて、うち()ぎたまふにも、(こころ)のみ(うご)くに(つゆ)ばかりなれど、いとあはれにかたじけなくおぼえて、うち()きぬ。
と書いて、お与えになると、あちらの事情を知っている下人を遣わして贈るのであった。
馬を多数並べて、通り過ぎて行かれるにつけても、心が乱れるばかりで、ほんの歌一首ばかりのお手紙であるが、実にしみじみともったいなく思われて、涙がこぼれた。
惟光に渡すと、明石へついて行っていた男で、入道家の者と心安くなっていた者を使いにして明石の君の船へやった。派手な一行が浪速を通って行くのを見ても、女は自身の薄倖(はっこう)さばかりが思われて悲しんでいた所へ、ただ少しの消息ではあるが送られて来たことで感激して泣いた。
【心のみ動くに】- 明石の君。「のみ」副助詞、強調のニュアンス。
4.4.7 「とるに足らない身の上で、
何もかもあきらめておりましたのにどうして身を尽くしてまでお慕い
数ならでなにはのこともかひなきに
何みをつくし思ひ()めけん
【数ならで難波のこともかひなきに--などみをつくし思ひそめけむ】- 明石の君の返歌。「難波・何は」「澪標・身を尽くし」を受けて、「思ひそめけむ」と切り返した。さらなる愛情を切望してみせた歌。
4.4.8
田蓑(たみの)(しま)御禊仕(みそぎつか)うまつる、御祓(おほんはら)への(もの)につけてたてまつる。
日暮(ひく)(がた)になりゆく。
田蓑の島で禊を勤めるお祓いの木綿につけて差し上げる。
日も暮れ方になって行く。
田蓑島(たみのじま)での(はら)いの木綿(ゆう)につけてこの返事は源氏の所へ来たのである。ちょうど日暮れになっていた。
4.4.9 夕潮が満ちて来て、入江の鶴も、声惜しまず鳴く頃のしみじみとした情趣からであろうか、人の目も憚らず、お逢いしたいとまで、思わずにはいらっしゃれない。
夕方の満潮時で、海べにいる(つる)も鳴き声を立て合って身にしむ気が多くすることから、人目を遠慮していずに逢いに行きたいとさえ源氏は思った。
【夕潮満ち来て、入江の鶴も声惜しまぬほど】- 「難波潟潮満ち来らし雨衣田蓑の島に鶴鳴き渡る」(古今集雑上、九一三、読人しらず)による叙景。
【あはれなる折からなればにや】- 「にや」連語。断定の助動詞「なり」の連用形「に」+「や」疑問の係助詞。語り手の推測を挿入。
4.4.10 「涙に濡れる旅の衣は、
昔、海浜を流浪した時と同じようだ田蓑の島とい
露けさの昔に似たる旅衣(たびごろも)
田蓑(たみの)の島の名には隠れず
【露けさの昔に似たる旅衣--田蓑の島の名には隠れず】- 源氏の独詠歌。「雨により田蓑の島を今日行けど名には隠れぬものにぞありける」(古今集雑上、九一八、貫之)を引歌とする。「昔」は須磨明石流離の時期をさす。
4.4.11
(みち)のままに、かひある逍遥遊(せうえうあそ)びののしりたまへど、御心(みこころ)にはなほかかりて(おぼ)しやる。
遊女(あそび)どもの(つど)(まゐ)れる、上達部(かんだちめ)()こゆれど、(わか)やかにこと(この)ましげなるは、(みな)()とどめたまふべかめり
されど、「いでやをかしきことも、もののあはれも、(ひと)からこそあべけれ。
なのめなることをだに、すこしあはき(かた)()りぬるは、(こころ)とどむるたよりもなきものを」と(おぼ)すに、おのが(こころ)をやりて、よしめきあへるも(うと)ましう(おぼ)しけり。
道すがら、結構な遊覧や奏楽をして大騷ぎなさるが、お心にはなおも掛かって思いをお馳せになる。
遊女連中が集まって参っているが、上達部と申し上げても、若々しく風流好みの方は、皆、目を留めていらっしゃるようである。
けれども、「さあ、風流なことも、ものの情趣も、相手の人柄によるものだろう。
普通の恋愛でさえ、少し浮ついたものは、心を留める点もないものだから」とお思いになると、自分の心の赴くままに、嬌態を演じあっているのも、嫌に思われるのであった。
と源氏は歌われるのであった。遊覧の旅をおもしろがっている人たちの中で源氏一人は時々暗い心になった。高官であっても若い好奇心に富んだ人は、小船を()がせて集まって来る遊女たちに興味を持つふうを見せる。源氏はそれを見てにがにがしい気になっていた。恋のおもしろさも対象とする者に尊敬すべき価値が備わっていなければ起こってこないわけである。恋愛というほどのことではなくても、軽薄な者には初めから興味が持てないわけであるのにと思って、彼女らを相手にはしゃいでいる人たちを軽蔑(けいべつ)した。
【目とどめたまふべかめり】- 「べかめり」複合語。強い主観的推量のニュアンス。目を留めていらっしゃるに違いないようである、の意。
【いでや】- 以下「なきものを」まで、源氏の心中。明石の君のことを思うゆえに、遊女には無関心。
【おのが心をやりて、よしめきあへるも】- 源氏の目から見た遊女のありさま。

第五段 明石の君、翌日住吉に詣でる

4.5.1
かの(ひと)は、()ぐしきこえて、またの()()ろしかりければ、御幣(みてぐら)たてまつる。
ほどにつけたる(がん)どもなど、かつがつ()たしける。
また、なかなかもの(おも)()はりて()()れ、口惜(くちを)しき()(おも)(なげ)く。
あの人は、通り過ぎるのをお待ち申して、次の日が日柄も悪くはなかったので、幣帛を奉る。
身分相応の願ほどきなど、ともかくも済ませたのであった。
また一方、かえって物思いが加わって、朝に晩に、取るに足らない身の上を嘆いている。
明石の君は源氏の一行が浪速(なにわ)を立った翌日は吉日でもあったから住吉へ行って御幣(みてぐら)を奉った。その人だけの願も果たしたのである。郷里へ帰ってからは以前にも増した物思いをする人になって、人数(ひとかず)でない身の上を(なげ)き暮らしていた。
【また、なかなかもの思ひ添はりて】- 『集成』は「(源氏方の盛大な願果しを目のあたりにしたために)住吉参詣が、かえって物思いを増すことになって」と注す。
4.5.2
(いま)(きゃう)におはし()くらむと(おも)日数(ひかず)()ず、御使(おほんつかひ)あり。
このころのほどに(むか)へむことをぞのたまへる。
今頃は京にお着きになっただろうと思われる日数もたたないうちに、お使いがある。
近々のうちに迎えることをおっしゃっていた。
もう京へ源氏の着くころであろうと思ってから間もなく源氏の使いが明石へ来た。近いうちに京へ迎えたいという手紙を持って来たのである。
4.5.3
いと(たの)もしげに(かず)まへのたまふめれど、いさや、また、島漕(しまこ)(はな)中空(なかぞら)心細(こころぼそ)きことやあらむ」
「とても頼りがいありそうに、一人前に扱ってくださるようだけれども、どうかしら、また、故郷を出て、どっちつかずの心細い思いをするのではないかしら」
頼もしいふうに恋人の一人として認められている自分であるが、故郷を立って京へ出たのちにまで源氏の愛は変わらずに続くものであろうかと考えられることによって
【いと頼もしげに】- 以下「心細きことやあらむ」まで、明石の君の心中。
【島漕ぎ離れ】- 「ほのぼのと明石の浦の朝霧に島漕ぎ離れ行く舟をしぞ思ふ」(古今集羈旅、四〇九、読人しらず)を踏まえた措辞。
4.5.4
と、(おも)ひわづらふ。
と思い悩む。
女は苦しんでいた。
4.5.5
入道(にふだう)も、さて()だし(はな)たむは、いとうしろめたう、さりとて、かく(うづ)もれ()ぐさむを(おも)はむも、なかなか()(かた)(とし)ごろよりも、心尽(こころづ)くしなり。
よろづにつつましう、(おも)()ちがたきことを()こゆ。
入道も、そのように手放すのは、まことに不安で、そうかといって、このように埋もれて過すことを考えると、かえって今までよりも、物思いが増す。
いろいろと気後れがして、決心しがたい旨を申し上げる。
入道も手もとから娘を離してやることは不安に思われるのであるが、そうかといってこのまま田舎に置くことも悲惨な気がして源氏との関係が生じなかった時代よりもかえって苦労は多くなったようであった。女からは源氏をめぐるまぶしい人たちの中へ出て行く自信がなくて出京はできないという返事をした。

第五章 光る源氏の物語 冷泉帝後宮の入内争い


第一段 斎宮と母御息所上京

5.1.1
まことや、かの斎宮(さいぐう)()はりたまひにしかば御息所上(みやすんどころのぼ)りたまひてのち、()はらぬさまに(なに)ごとも(とぶ)らひきこえたまふことは、ありがたきまで、(なさ)けを()くしたまへど、(むかし)だにつれなかりし御心(みこころ)ばへの、なかなかならむ名残(なごり)()じ」と、(おも)(はな)ちたまへれば、(わた)りたまひなどすることはことになし。
そう言えば、あの斎宮もお代わりになったので、御息所も上京なさって後、昔と変わりなく何くれとなくお見舞い申し上げなさることは、世にまたとないほど、お心を尽くしてなさるが、「昔でさえ冷淡であったお気持ちを、なまじ会うことによって、かえって、昔ながらのつらい思いをすることはするまい」と、きっぱりと思い絶っていらしたので、お出向きになることはない。
この御代(みよ)になった初めに斎宮もお変わりになって、六条の御息所(みやすどころ)伊勢(いせ)から帰って来た。それ以来源氏はいろいろと昔以上の好意を表しているのであるが、なお若かった日すらも恨めしい所のあった源氏の心のいわば余炎ほどの愛を受けようとは思わない、もう二人に友人以上の交渉があってはならないと御息所は決めていたから、源氏も自身で訪ねて行くようなことはしないのである。
【まことや、かの斎宮も替はりたまひにしかば】- 御世代わりによって斎宮上京。源氏、御息所を見舞う。
【昔だに】- 以下「名残は見じ」まで、御息所の心中。
5.1.2
あながちに(うご)かしきこえたまひてもわが(こころ)ながら()りがたくとかくかかづらはむ御歩(おほんあり)きなども、所狭(ところせ)(おぼ)しなりにたれば、()ひたるさまにもおはせず。
無理してお心を動かし申しなさったところで、自分ながら先々どう変わるかわからず、あれこれと関わりになるお忍び歩きなども、窮屈にお思いになっていたので、無理してお出向きにもならない。
しいて旧情をあたためることに同意をさせても、自分ながらもまた女を恨めしがらせる結果にならないとは保証ができないというように源氏は思っていたし、女の家へ通うことなども今では人目を引くことが多くなっていることでもあって、待つと言わない人をしいて訪ねて行くことはしなかった。
【あながちに動かしきこえたまひても】- 以下、源氏の心中と地の文が融合した文章。「たまひ」があるので、地の文である。
【わが心ながら知りがたく】- 『集成』は「生霊事件でいったんうとましく思ったことがあるので、御息所への気持は、源氏自身にも自信が持てない」と注す。
5.1.3
斎宮(さいぐう)をぞ、いかにねびなりたまひぬらむ」と、ゆかしう(おも)ひきこえたまふ。
斎宮を、「どんなにご成人なさったろう」と、お会いしてみたくお思いになる。
斎宮がどんなにりっぱな貴女(きじょ)になっておいでになるであろうと、それを目に見たく思っていた。
【いかにねびなりたまひぬらむ】- 源氏の心中。斎宮、二十歳。
5.1.4
なほ、かの六条(ろくでう)旧宮(ふるみや)をいとよく修理(すり)しつくろひたりければ、みやびかにて()みたまひけり。
よしづきたまへること、()りがたくて、よき女房(にょうばう)など(おほ)く、()いたる(ひと)(つど)(どころ)にて、ものさびしきやうなれど、(こころ)やれるさまにて()たまふほどに、にはかに(おも)くわづらひたまひて、もののいと心細(こころぼそ)(おぼ)されければ、罪深(つみふか)(ところ)ほとりに年経(としへ)つるも、いみじう(おぼ)して(あま)になりたまひぬ。
昔どおり、あの六条の旧邸をたいそうよく修理なさったので、優雅にお住まいになっているのであった。
風雅でいらっしゃること、変わらないままで、優れた女房などが多く、風流な人々の集まる所で、何となく寂しいようであるが、気晴らしをなさってお暮らしになっているうちに、急に重くお患いになられて、たいそう心細い気持ちにおなりになったので、仏道を忌む所辺りに何年も過ごしていたことも、ひどく気になさって、尼におなりになった。
御息所は六条の旧邸をよく修繕してあくまでも高雅なふうに暮らしていた。洗練された趣味は今も豊かで、よい女房の多い所として風流男の訪問が絶えない。寂しいようではあるが思い上がった貴女にふさわしい生活であると見えたが、にわかに重い病気になって心細くなった御息所は、伊勢という神の境にあって仏教に遠ざかっていた幾年かのことが恐ろしく思われて尼になった。
【罪深き所ほとりに】- 大島本は「つみふかきところほとりに」とある。『新大系』は底本のままとする。『集成』『古典セレクション』は諸本に従って「罪深き所に」と「ほとり」を削除する。大島本の「ところほとり」は「ところ」と「ほとり」の合成本文であろう。伊勢神宮をさす。仏道から離れた生活であるので、こういう。源氏との愛執の罪の上に更に神域に長年過ごし、仏道から遠ざかっていたことを思う。
【いみじう思して】- 『集成』は「仏道修行から遠ざかっていたので、来世にどんな報いがあるかと、恐ろしく思われて」と注す。
5.1.5
大臣(おとど)()きたまひて、かけかけしき(すぢ)にはあらねど、なほさる(かた)のものをも()こえあはせ、(ひと)(おも)ひきこえつるをかく(おぼ)しなりにけるが口惜(くちを)しうおぼえたまへば、おどろきながら(わた)りたまへり。
()かずあはれなる御訪(おほんとぶ)らひ()こえたまふ。
内大臣、お聞きになって、色恋といった仲ではないが、やはり風雅に関することでのお話相手になるお方とお思い申し上げていたのを、このようにご決意なさったのが残念に思われなさって、驚いたままお出向きになった。
いつ尽きるともないしみじみとしたお見舞いの言葉を申し上げになる。
源氏は聞いて、恋人として考えるよりも、首肯される意見を持つよき相談相手と信じていたその人の生命(いのち)が惜しまれて、驚きながら六条邸を見舞った。
【なほさる方のものをも聞こえあはせ、人に思ひきこえつるを】- 「さる方」は風雅の方面をさす。「を」について、『集成』は「やはり、風雅に関することでお話相手になる方とお思い申していたのに」と逆接の意に、一方『完訳』は「やはり何かといえば恰好なお話相手になるお方と存じ上げていたのだから」と順接の意に解す。
5.1.6
(ちか)御枕上(おほんまくらがみ)御座(おまし)よそひて、脇息(けふそく)におしかかりて、御返(おほんかへ)りなど()こえたまふも、いたう(よわ)りたまへるけはひなれば、()えぬ(こころ)ざしのほどは、()えたてまつらでや」と、口惜(くちを)しうて、いみじう()いたまふ。
お近くの御枕元にご座所を設けて、脇息に寄り掛かって、お返事などを申し上げなさるのも、たいそう衰弱なさっている感じなので、「いつまでも変わらない心の中を、お分かり頂けないままになるのではないか」と、残念に思われて、ひどくお泣きになる。
源氏は真心から御息所をいたわり、御息所を慰める言葉を続けた。病床の近くに源氏の座があって、御息所は脇息(きょうそく)に倚りかかりながらものを言っていた。非常に衰弱の見える昔の恋人のために源氏は泣いた。
【絶えぬ心ざしのほどは、え見えたてまつらでや】- 源氏の心中。

第二段 御息所、斎宮を源氏に託す

5.2.1
かくまでも(おぼ)しとどめたりけるを(をんな)も、よろづにあはれに(おぼ)して、斎宮(さいぐう)(おほん)ことをぞ()こえたまふ。
こんなにまでもお心に掛けていたのを、女も、万感胸に迫る思いになって、斎宮の御事をお頼み申し上げになる。
どれほど愛していたかをこの人に実証して見せることができないままで死別をせねばならぬかと残念でならないのである。この源氏の心が御息所に通じたらしくて、誠意の認められる昔の恋人に御息所は斎宮のことを頼んだ。
【かくまでも思しとどめたりけるを】- 『完訳』は「「けり」は、源氏の深い志にあらためて気づく気持。次の「女」も男女関係を強調した呼称で、御息所の源氏への感動の文脈を形成」と注す。
5.2.2
心細(こころぼそ)くてとまりたまはむをかならず、ことに()れて(かず)まへきこえたまへ。
また()ゆづる(ひと)もなく、たぐひなき(おほん)ありさまになむ。
かひなき()ながらも、(いま)しばし()(なか)(おも)ひのどむるほどは、とざまかうざまにものを(おぼ)()るまで、()たてまつらむことこそ(おも)ひたまへつれ
「心細い状況で先立たれなさるのを、きっと、何かにつけて面倒を見て上げてくださいまし。
また他に後見を頼む人もなく、この上もなくお気の毒な身の上でございまして。
何の力もないながらも、もうしばらく平穏に生き長らえていられるうちは、あれやこれや物の分別がおつきになるまでは、お世話申そうと存じておりましたが」
「孤児になるのでございますから、何かの場合に子の一人と思ってお世話をしてくださいませ。ほかに頼んで行く人はだれもない心細い身の上なのです。私のような者でも、もう少し人生というもののわかる年ごろまでついていてあげたかったのです」
【心細くてとまりたまはむを】- 以下「思ひたまへつれ」まで、御息所の詞。源氏に斎宮の事を頼む。 【とまりたまはむを】-「を」、接続助詞、順接また逆接。あるいは格助詞、目的格とも解せる。『集成』は「お一人であとにお残りになりますが」。『完訳』は「心細い有様でこの世にお残りになるでしょうから」と解す。
【こそ思ひたまへつれ】- 「こそ」係助詞。「つれ」完了の助動詞、已然形。係結び、逆接用法。強調と余意・余情の表現。『完訳』は「逆接の文脈で、下に、しかし今は生命尽きた、の意を補い読む」と注す。
5.2.3
とても、()()りつつ()いたまふ。
と言って、息も絶え絶えにお泣きになる。
こう言ったあとで、そのまま気を失うのではないかと思われるほど御息所は泣き続けた。
5.2.4
かかる(おほん)ことなくてだに(おも)(はな)ちきこえさすべきにもあらぬを、まして、(こころ)(およ)ばむに(したが)ひては、(なに)ごとも後見(うしろみ)きこえむとなむ(おも)うたまふる。
さらに、うしろめたく(おも)ひきこえたまひそ」
「このようなお言葉がなくてでさえも、放ってお置き申すことはあるはずもないのに、ましてや、気のつく限りは、どのようなことでもご後見申そうと存じております。
けっして、
「あなたのお言葉がなくてもむろん私は父と変わらない心で斎宮を思っているのですから、ましてあなたが御病中にもこんなに御心配になって私へお話しになることは、どこまでも責任を持ってお受け合いします。気がかりになどは少しもお思いになることはありませんよ」
【かかる御ことなくてだに】- 以下「な思ひきこえたまひそ」まで、源氏の詞。承知しているので心配するな、と慰める。「だに」副助詞、下文に「まして」副詞と呼応した文脈。
【さらに、うしろめたく】- 「さらに」副詞、下の「な」--「そ」に係って、全然心配するな、という禁止の意。
5.2.5
など()こえたまへば、
などと申し上げなさると、
などと源氏が言うと、
5.2.6
いとかたきこと
まことにうち(たの)むべき(おや)などにて、()ゆづる(ひと)だに、女親(めおや)(はな)れぬるは、いとあはれなることにこそはべるめれ。
まして、(おも)ほし(ひと)めかさむにつけてもあぢきなき(かた)やうち(まじ)り、(ひと)(こころ)()かれたまはむ。
うたてある(おも)ひやりごとなれど、かけてさやうの()づいたる(すぢ)(おぼ)()るな。
()()()みはべるにも、(をんな)は、(おも)ひの(ほか)にてもの(おも)ひを()ふるものになむはべりければ、いかでさる(かた)をもて(はな)れて、()たてまつらむと(おも)うたまふる
「とても難しいこと。
本当に信頼できる父親などで、後を任せられる人がいてさえ、女親に先立たれた娘は、実にかわいそうなもののようでございます。
ましてや、ご寵愛の人のようになるにつけても、つまらない嫉妬心が起こり、他の女の人からも憎まれたりなさいましょう。
嫌な気のまわしようですが、けっして、そのような色めいたことはお考えくださいますな。
悲しいわが身を引き比べてみましても、女というものは、思いも寄らないことで気苦労をするものでございましたので、何とかしてそのようなこととは関係なく、後見していただきたく存じます」
「でもなかなかお骨の折れることでございますよ。あとを頼まれた人がほんとうの父親であっても、それでも母親のない娘は心細いことだろうと思われますからね。まして恋人の列になどお入れになっては、思わぬ苦労をすることでしょうし、またほかの方を不快にもさせることだろうと思います。悪い想像ですが決してそんなふうにお取り扱いにならないでね。私自身の経験から、あの人は恋愛もせず一生処女でいる人にさせたいと思います」
【いとかたきこと】- 以下「思うたまふる」まで、御息所の詞。斎宮を愛人のように扱うなと頼む。
【まことにうち頼むべき親など】- 「親」は実の父親。「べき」推量の助動詞、可能。
【まして、思ほし人めかさむにつけても】- 上の「だに」--「まして」の構文。『完訳』は「それにもまして絶望的な不孝とは--、の気持で続く」と注す。「む」推量の助動詞、仮定また婉曲のニュアンス。『集成』は「まして(父親でもないあなたが面倒をみて下さる際に)ご寵愛の人といったお扱いをなさるとしたら」と訳す。
【いかでさる方をもて離れて、見たてまつらむと思うたまふる】- 『集成』は「普通の結婚をして妻妾の一人となることを望まぬ気持」。『完訳』は「色恋とは無縁に、の意。娘の生涯の独身をも望んでいるか」と注す。
5.2.7
など()こえたまへば、あいなくものたまふかな」と(おぼ)せど、
などと申し上げなさるので、「つまらなことをおっしゃるな」とお思いになるが、
御息所はこう言った。意外な忖度(そんたく)までもするものであると思ったが源氏はまた、
【あいなくものたまふかな】- 源氏の心中。『完訳』は「痛くもない腹を探られる思い。実際には娘への関心がひそむ」と注す。
5.2.8
(とし)ごろに、よろづ(おも)うたまへ()りにたるものを、(むかし)()(ごころ)名残(なごり)あり(がほ)にのたまひなすも本意(ほい)なくなむ。
よし、おのづから」
「ここ数年来、何事も思慮深くなっておりますものを、昔の好色心が今に残っているようにおっしゃいますのは、不本意なことです。
いずれ、そのうちに」
「近年の私がどんなにまじめな人間になっているかをご存じでしょう。昔の放縦な生活の名残(なごり)をとどめているようにおっしゃるのが残念です。自然おわかりになってくることでしょうが」
【年ごろに、よろづ】- 以下「よしおのづから」まで、源氏の詞。けっして昔のような考えでないから心配することはないという。
5.2.9
とて、()(くら)うなり、(うち)大殿油(おほとのあぶら)のほのかにものより(とほ)りて()ゆるを、もしもや」と(おぼ)して、やをら御几帳(みきちゃう)のほころびより()たまへば、(こころ)もとなきほどの火影(ほかげ)に、御髪(みぐし)いとをかしげにはなやかにそぎて、()りゐたまへる、()()きたらむさまして、いみじうあはれなり
(ちゃう)東面(ひんがしおもて)()()したまへるぞ、(みや)ならむかし
御几帳(みきちゃう)のしどけなく()きやられたるより、御目(おほんめ)とどめて見通(みとほ)したまへれば、頬杖(つらづゑ)つきて、いともの(がな)しと(おぼ)いたるさまなり。
はつかなれど、いとうつくしげならむと()ゆ。
と言って、外は暗くなり、内側は大殿油がかすかに物越しに透けて見えるので、「もしや」とお思いになって、そっと御几帳の隙間から御覧になると、頼りなさそうな燈火に、お髪がたいそう美しそうにくっきりと尼削ぎにして、寄り伏していらっしゃる、絵に描いたような様に見えて、ひどく胸を打つ。
東面に添い伏していらっしゃるのが斎宮なのであろう。
御几帳が無造作に押しやられている隙間から、お目を凝らして見通して御覧になると、頬杖をついてたいそう悲しくお思いの様子である。
わずかしか見えないが、とても器量がよさそうに見える。
と言った。もう外は暗くなっていた。ほのかな灯影(ほかげ)病牀(びょうしょう)几帳(きちょう)をとおしてさしていたから、あるいは見えることがあろうかと静かに寄って几帳の(ほころ)びからのぞくと、明るくはない光の中に昔の恋人の姿があった。美しくはなやかに思われるほどに切り残した髪が背にかかっていて、脇息によった姿は絵のようであった。源氏は哀れでたまらないような気がした。帳台の東寄りの所で身を横たえている人は前斎宮でおありになるらしい。几帳の()れ絹が乱れた間からじっと目を向けていると、宮は頬杖(ほおづえ)をついて悲しそうにしておいでになる。少ししか見えないのであるが美人らしく見えた。
【もしもや」と】- 大島本は「もしもや」とある。『新大系』は底本のままとする。『集成』『古典セレクション』は諸本に従って「もしや」と「も」を削除する。源氏の心中。斎宮を垣間見できようかと期待。源氏の好色心。
【絵に描きたらむさまして、いみじうあはれなり】- 絵に描いた人のように美しい。尼姿の御息所に対する褒め言葉。
【東面に添ひ臥したまへるぞ、宮ならむかし】- 「ぞ」係助詞、強調のニュアンス。「かし」終助詞、念押し。語り手の語調。
5.2.10
御髪(みぐし)のかかりたるほど、(かしら)つき、けはひ、あてに気高(けだか)きものから、ひちちかに愛敬(あいぎゃう)づきたまへるけはひ、しるく()えたまへば、(こころ)もとなくゆかしきにも、さばかりのたまふものを」と、(おぼ)(かへ)す。
お髪の掛ったところ、頭の恰好、感じ、上品で気高い感じがする一方で、小柄で愛嬌がおありになる感じが、はっきりお見えになるので、心惹かれ好奇心がわいてくるが、「あれほどおっしゃっているのだから」と、お思い直しなさる。
髪のかかりよう、頭の形などに気高(けだか)い美が備わりながらまた近代的なはなやかな愛嬌(あいきょう)のある様子もわかった。御息所があんなに阻止的に言っているのであるからと思って、源氏は動く心をおさえた。
【ひちちかに】- 『小学館古語大辞典』に「ひちちかぴちぴちして活気のあるさま。くりくりとして元気なさま。〔語誌〕「ひちち」は「ひちひち」の約で、これに形容動詞語幹をつくる「か」の付いたものであろうが、史記桃源抄に肥満する意で「ひちらぐ」という動詞を使った例があるから、「ひち」はくりくりと太ったさまをいう語ではあるまいか。(山口佳紀)」とある。
【さばかりのたまふものを】- 源氏の心中。御息所の言葉を思い出して、自制する。
5.2.11
いと(くる)しさまさりはべる
かたじけなきを、はや(わた)らせたまひね」
「とても苦しさがひどくなりました。
恐れ多いことですが、もうお引き取りあそばしませ」
「私はとてもまた苦しくなってまいりました。失礼でございますからもうお帰りくださいませ」
【いと苦しさまさりはべる】- 以下「はや渡らせたまひね」まで、御息所の詞。源氏にお引き取りを願う。
5.2.12
とて、(ひと)にかき()せられたまふ。
とおっしゃって、女房に臥せさせられなさる。
と御息所は言って、女房の手を借りて横になった。
5.2.13
(ちか)(まゐ)()たるしるしによろしう(おぼ)さればうれしかるべきを、心苦(こころぐる)しきわざかな。
いかに(おぼ)さるるぞ」
「お側近くに伺った甲斐があって、いくらか具合がよくなられたのなら、嬉しく存じられるのですが、おいたわしいことです。
いかがなお具合ですか」
「私が伺ったので少しでも御気分がよくなればよかったのですが、お気の毒ですね。どんなふうに苦しいのですか」
【近く参り来たるしるしに】- 以下「いかに思さるるぞ」まで、源氏の詞。御息所の病状の安否を気づかう。
5.2.14
とて、(のぞ)きたまふけしきなれば、
と言って、お覗きになる様子なので、
と言いながら、源氏が(とこ)をのぞこうとするので、御息所は女房に別れの言葉を伝えさせた。
5.2.15
いと(おそ)ろしげにはべるや
(みだ)心地(ごこち)のいとかく(かぎ)りなる(をり)しも(わた)らせたまへるは、まことに(あさ)からずなむ
(おも)ひはべることをすこしも()こえさせつれば、さりともと、(たの)もしくなむ」
「たいそうひどい格好でございますよ。
病状が本当にこれが最期と思われる時に、ちょうどお越しくださいましたのは、まことに深いご宿縁であると思われます。
気にかかっていたことを、少しでもお話申し上げましたので、死んだとしても、頼もしく思われます」
「長くおいでくださいましては物怪(もののけ)の来ている所でございますからお(あぶの)うございます。病気のこんなに悪くなりました時分に、おいでくださいましたことも深い御因縁のあることとうれしく存じます。平生思っておりましたことを少しでもお話のできましたことで、あなたは遺族にお力を貸してくださるでしょうと頼もしく思われます」
【いと恐ろしげにはべるや】- 以下「頼もしくなむ」まで、御息所の詞。源氏に対する感謝とお礼。
【浅からずなむ】- 「なむ」係助詞、結びの省略。強調と余意・余情のニュアンス。宿縁の深さをいう。
【思ひはべることを】- 娘斎宮の将来に関すること。
5.2.16 と、お申し上げになる。

【聞こえさせたまふ】- 「聞こえさす」丁重な謙譲語。厳粛なお礼の言葉。
5.2.17
かかる御遺言(おほんゆいごん)(つら)(おぼ)しけるも、いとどあはれになむ。
故院(こゐん)御子(みこ)たち、あまたものしたまへど、(した)しくむつび(おも)ほすも、をさをさなきを、主上(うへ)(おな)御子(みこ)たちのうちに(かず)まへきこえたまひしかばさこそは(たの)みきこえはべらめ。
すこしおとなしきほどになりぬる(よはひ)ながら、あつかふ(ひと)もなければ、さうざうしきを」
「このようなご遺言を承る一人にお考えくださったのも、ますます恐縮に存じます。
故院の御子たちが、大勢いらっしゃるが、親しく思ってくださる方は、ほとんどおりませんが、院の上がご自分の皇女たちと同じようにお考え申されていらしたので、そのようにお頼み申しましょう。
多少一人前といえるような年齢になりましたが、お世話するような姫君もいないので、寂しく思っていたところでしたから」
「大事な御遺言を私にしてくださいましたことをうれしく存じます。院の皇女がたはたくさんいらっしゃるのですが、私と親しくしてくださいます方はあまりないのですから、斎宮を院が御自身の皇女の列に思召(おぼしめ)されましたとおりに私も思いまして、兄弟として(むつ)まじくいたしましょう。それに私はもう幾人もの子があってよい年ごろになっているのですから、私の物足りなさを斎宮は補ってくださるでしょう」
【かかる御遺言の列に】- 以下「さうざうしきを」まで、源氏の詞。斎宮を養女にしたい旨を申し出る。
【主上の同じ御子たちのうちに数まへきこえたまひしかば】- 故桐壺院が斎宮を自分のお子の一人として扱ってくださった。「葵」巻に見える。
5.2.18
など()こえて、(かへ)りたまひぬ。
御訪(おほんとぶ)らひ、(いま)すこしたちまさりて、しばしば()こえたまふ。
などと申し上げて、お帰りになった。
お見舞い、以前よりもっとねんごろに頻繁にお訪ねになる。
などと言い置いて源氏は帰った。それからは源氏の見舞いの使いが以前よりもまた繁々(しげしげ)行った。

第三段 六条御息所、死去

5.3.1
(なぬか)八日(やうか)ありて()せたまひにけり
あへなう(おぼ)さるるに、()もいとはかなくて、もの心細(こころぼそ)(おぼ)されて、内裏(うち)へも(まゐ)りたまはず、とかくの(おほん)ことなど(おき)てさせたまふ。
また(たの)もしき(ひと)もことにおはせざりけり。
(ふる)斎宮(さいぐう)宮司(みやづかさ)など、(つか)うまつり()れたるぞ、わづかにことども(さだ)めける。
七、八日あって、お亡くなりになったのであった。
あっけなくお思いなさるにつけて、人の寿命もまことはかなくて、何となく心細くお思いになって、内裏へも参内なさらず、あれこれと御葬送のことなどをお指図なさる。
他に頼りになる人が格別いらっしゃらないのであった。
かつての斎宮の宮司など、前々から出入りしていた者が、なんとか諸事を取り仕切ったのであった。
そうして七、八日ののちに御息所は死んだ。無常の人生が悲しまれて、心細くなった源氏は参内もせずに引きこもっていて、御息所の葬儀についての指図(さしず)を下しなどしていた。前の斎宮司の役人などで親しく出入りしていた者などがわずかに来て葬式の用意に奔走するにすぎない六条邸であった。
【七、八日ありて亡せたまひにけり】- 源氏が見舞ってから、七、八日後に六条御息所死去する。
5.3.2
(おほん)みづからも(わた)りたまへり。
(みや)御消息聞(おほんせうそこき)こえたまふ。
君ご自身もお越しになった。
宮にご挨拶申し上げなさる。
侍臣を送ったあとで源氏自身も葬家へ来た。斎宮に弔詞を取り次がせると、
5.3.3 「何もかもどうしてよいか分からずにおります」
「ただ今は何事も悲しみのためにわかりませんので」
【何ごともおぼえはべらでなむ】- 斎宮の詞。女別当をして伝える。
5.3.4
と、女別当(にょべたう)して、()こえたまへり。
と、女別当を介して、お伝え申された。
女別当(にょべっとう)を出してお言わせになった。
5.3.5
()こえさせ、のたまひ()きしこともはべしを、(いま)は、(へだ)てなきさまに(おぼ)されば、うれしくなむ」
「お話し申し上げ、またおっしゃられたことがございましたので、今は、隔意なくお思いいただければ、嬉しく存じます」
「私に御遺言をなすったこともありますから、ただ今からは私を(むつ)まじい者と思召(おぼしめ)してくださいましたら(しあわ)せです」
【聞こえさせ、のたまひ置きしことも】- 以下「うれしくなむ」まで、源氏の詞。「聞こえさせ」謙譲語の主語は源氏。「のたまひおきし」尊敬語の主語は御息所。
5.3.6
()こえたまひて、(ひと)びと()()でて、あるべきことども(おほ)せたまふ。
いと(たの)もしげに、(とし)ごろの御心(みこころ)ばへ、()(かへ)しつべう()ゆ。
いといかめしう、殿(との)(ひと)びと、(かず)もなう(つか)うまつらせたまへり。
あはれにうち(なが)めつつ御精進(おほんさうじん)にて、御簾下(みすお)ろしこめて(おこな)はせたまふ
と申し上げなさって、女房たちを呼び出して、なすべきことどもをお命じになる。
たいそう頼もしい感じで、長年の冷淡なお気持ちも、償われそうに見える。
実に厳かに、邸の家司たち、大勢お仕えさせなさった。
しみじみと物思いに耽りながら、ご精進の生活で、御簾を垂れこめて勤行をおさせになる。
と源氏は言ってから、宮家の人々を呼び出していろいろすることを命じた。非常に頼もしい態度であったから、昔は多少恨めしがっていた一家の人々の感情も解消されていくようである。源氏のほうから葬儀員が送られ、無数の使用人が来て御息所の葬儀はきらやかに執行されたのであった。源氏は寂しい心を抱いて、昔を思いながら居間の御簾(みす)()ろしこめて精進の日を送り仏勤めをしていた。
【あはれにうち眺めつつ】- 主語は源氏。
【行はせたまふ】- 「せ」について、『集成』は「僧に勤行をおさせになる」と使役の助動詞の意に解し、『完訳』は「お勤行をなさる」と尊敬の助動詞、源氏自身のことと解す。
5.3.7
(みや)には、(つね)(とぶ)らひきこえたまふ。
やうやう御心静(みこころしづ)まりたまひては、みづから御返(おほんかへ)りなど()こえたまふ。
つつましう(おぼ)したれど、御乳母(おほんめのと)など、かたじけなし」と、そそのかしきこゆるなりけり。
宮には、常にお見舞い申し上げなさる。
だんだんとお心がお静まりになってからは、ご自身でお返事などを申し上げなさる。
気詰りにお思いになっていたが、御乳母などが、「恐れ多うございます」と、お勧め申し上げるのであった。
前斎宮へは始終見舞いの手紙を送っていた。宮のお悲しみが少し静まってきたころからは御自身で返事もお書きになるようになった。それを恥ずかしく思召すのであったが、乳母(めのと)などから、「もったいないことでございますから」と言って、自筆で書くことをお勧められになるのである。
【かたじけなし】- 乳母の詞。その要旨であろう。代筆では恐れ多いの意。
5.3.8
(ゆき)(みぞれ)かき(みだ)()るる()いかに、(みや)のありさまかすかに(なが)めたまふらむ」と(おも)ひやりきこえたまひて、御使(おほんつかひ)たてまつれたまへり。
雪、霙、降り乱れる日、「どんなに、宮邸の様子は、心細く物思いに沈んでいられるだろうか」とご想像なさって、お使いを差し向けなさった。
雪が(みぞれ)となり、また白く雪になるような荒日和(あれびより)に、宮がどんなに寂しく思っておいでになるであろうと想像をしながら源氏は使いを出した。
【雪、霙、かき乱れ荒るる日】- 『完訳』は「厳冬のころであろう。次の「降りみだれ--」の歌が御息所死後の四十九日に近いとすれば、御息所の死は初冬ごろとみられる」と注す。
【いかに、宮のありさま】- 以下「ながめたまふらむ」まで、源氏の心中。斎宮を気づかう。
5.3.9 「ただ今の空の様子を、どのように御覧になっていられますか。
こういう天気の日にどういうお気持ちでいられますか。
【ただ今の空を、いかに御覧ずらむ】- 源氏の斎宮への手紙。和歌を付ける。
5.3.10 雪や霙がしきりに降り乱れている中空を、
亡き母宮の御霊がまだ家の上を離れずに天翔けっていらっしゃるのだろうと
降り乱れひまなき空に()き人の
(あま)がけるらん宿ぞ悲しき
【降り乱れひまなき空に亡き人の--天翔るらむ宿ぞ悲しき】- 源氏の斎宮への贈歌。『完訳』は「死後四十九日間は霊魂が家を離れないとする仏教観によるか。ここでは、亡母の娘への切実な執心をも思う」と注す。ほとんど技巧のない和歌。次の斎宮の返歌が技巧的なのと対照的である。
5.3.11
空色(そらいろ)(かみ)の、(くも)らはしきに()いたまへり
(わか)(ひと)御目(おほんめ)にとどまるばかりと、(こころ)してつくろひたまへる、いと()もあやなり。
空色の紙の、曇ったような色にお書きになっていた。
若い宮のお目にとまるほどにと、心をこめてお書きになっていらっしゃるのが、たいそう見る目にも眩しいほどである。
という手紙を送ったのである。紙は曇った空色のが用いられてあった。若い人の目によい印象があるようにと思って、骨を折って書いた源氏の字はまぶしいほどみごとであった。
【空色の紙の、曇らはしきに書いたまへり】- 『集成』は「薄い縹色(藍色)の紙の黒ずんだのに書いておありになる。周囲の景色に合せたものである」。『完訳』「葵の上の喪中にも「空の色」の料紙」と注す。
5.3.12
(みや)は、いと()こえにくくしたまへど、これかれ、
宮は、ひどくお返事申し上げにくくお思いになるが、誰彼が、
宮は返事を書きにくく思召したのであるが
5.3.13
(ひと)づてには、いと便(びん)なきこと」
「ご代筆では、とても不都合なことです」
「われわれから御挨拶(あいさつ)をいたしますのは失礼でございますから」
5.3.14 と、お責め申し上げるので、鈍色の紙で、たいそう香をたきしめた優美な紙に、墨つきの濃淡を美しく交えて、
と女房たちがお責めするので、灰色の紙の薫香(くんこう)のにおいを染ませた(えん)なのへ、目だたぬような書き方にして、
【鈍色の紙の、いと香ばしう艶なるに、墨つきなど紛らはして】- 紙の色と墨の色とが似ていて判然としない書きざま。『集成』は「薄鼠色の紙に筆跡が見え隠れし、次の「消えがてに」の歌意にふさわしいものとなる」と注す。
5.3.15 「消えそうになく生きていますのが悲しく思われます
毎日涙に暮れてわが身がわが身とも思われません世の中に」
消えがてにふるぞ悲しきかきくらし
わが身それとも思ほえぬ世に
【消えがてにふるぞ悲しきかきくらし--わが身それとも思ほえぬ世に】- 源氏の「降り乱れ」を受けて「消えがてに降る」と返す。「降る」「経る」の掛詞。「消え」「降る」「かきくらし」は「雪」「霙」の縁語。「わが身それとも」に「霙」を折り込む。大変に技巧的な和歌である。
5.3.16
つつましげなる()きざま、いとおほどかに、御手(おほんて)すぐれてはあらねど、らうたげにあてはかなる(すぢ)()ゆ。
遠慮がちな書きぶり、とてもおっとりしていて、ご筆跡は優れてはいないが、かわいらしく上品な書風に見える。
とお書きになった。おとなしい書風で、そしておおようで、すぐれた字ではないが品のあるものであった。

第四段 斎宮を養女とし、入内を計画

5.4.1
(くだ)りたまひしほどより、なほあらず(おぼ)したりしを、(いま)(こころ)にかけて、ともかくも()こえ()りぬべきぞかし」と(おぼ)すには、(れい)の、()(かへ)し、
下向なさった時から、ただならずお思いであったが、「今はいつでも心に掛けて、どのようにも言い寄ることができるのだ」とお思いになる一方では、いつものように思い返して、
斎宮になって伊勢へお行きになったころから源氏はこの方に興味を持っていたのである。もう今は忌垣(いがき)の中の人でもなく、保護者からも解放された一人の女性と見てよいのであるから、恋人として思う心をささやいてよい時になったのであると、こんなふうに思われるのと同時に、それはすべきでない、おかわいそうであると思った。
【今は心にかけて、ともかくも聞こえ寄りぬべきぞかし】- 源氏の心中。
5.4.2
いとほしくこそ
故御息所(こみやすんどころ)の、いとうしろめたげに(こころ)おきたまひしを。
ことわりなれど、()(なか)(ひと)も、さやうに(おも)()りぬべきことなるを()(たが)へ、心清(こころきよ)くてあつかひきこえむ。
主上(うへ)(いま)すこしもの(おぼ)()(よはひ)ならせたまひなば、内裏住(うちず)みせさせたてまつりて、さうざうしきに、かしづきぐさにこそ」と(おぼ)しなる。
「気の毒なことだ。
故御息所が、とても気がかりに心配していらしたのだから。
当然のことであるが、世間の人々も、同じようにきっと想像するにちがいないことだから、予想をくつがえして、潔白にお世話申し上げよう。
主上がもう少し御分別がおつきになる年ごろにおなりあそばしたら、後宮生活をおさせ申し上げて、娘がいなくて物寂しいから、そうお世話する人として」とお考えになった。
御息所がその点を気づかっていたことでもあるし、世間もその疑いを持って見るであろうことが、自分は全然違った清い扱いを宮にしよう、陛下が今少し大人らしくものを認識される時を待って、前斎宮を後宮に入れよう、子供が少なくて寂しい自分は養女をかしずくことに楽しみを見いだそうと源氏は思いついた。
【いとほしくこそ】- 以下「かしづきぐさにこそ」まで、源氏の心中。養女として冷泉帝に入内させることを決意。
【世の中の人も、さやうに思ひ寄りぬべきことなるを】- 『集成』は「御息所と同じように邪推をしそうなことだから」と注す。
【主上の今すこしもの思し知る齢に】- 冷泉帝は、現在十一歳。すでにこの年二月に元服も済んでいる。
【さうざうしきに、かしづきぐさにこそ】- 「こそ」係助詞、結びの省略。強調と余意・余情のニュアンス。同主旨のことを御息所の前でも述べていたが、ここは心中文なので、より源氏の本心に近い考え。
5.4.3
いとまめやかにねむごろに()こえたまひて、さるべき折々(をりをり)(わた)りなどしたまふ。
たいそう誠実で懇切なお便りをさし上げなさって、しかるべき時々にはお出向きなどなさる。
親切に始終尋ねの手紙を送っていて、何かの時には自身で六条邸へ行きもした。
5.4.4
かたじけなくとも(むかし)御名残(おほんなごり)(おぼ)しなずらへて、気遠(けどほ)からずもてなさせたまはばなむ、本意(ほい)なる心地(ここち)すべき」
「恐れ多いことですが、亡き御母君のご縁の者とお思いくださって、親しくお付き合いいただければ、本望でございます」
「失礼ですが、お母様の代わりと思ってくだすって、御遠慮のないおつきあいをくだすったら、私の真心がわかっていただけたという気がするでしょう」
【かたじけなくとも】- 以下「心地すべき」まで、源氏の詞。自分を親同様に考えてください、という主旨を述べる。
5.4.5
など()こえたまへど、わりなくもの()ぢをしたまふ(おく)まりたる(ひと)ざまにて、ほのかにも御声(おほんこゑ)など()かせたてまつらむは、いと()になくめづらかなることと(おぼ)したれば、(ひと)びとも()こえわづらひて、かかる御心(みこころ)ざまを(うれ)へきこえあへり。
などと申し上げなさるが、むやみに恥ずかしがりなさる内気な人柄なので、かすかにでもお声などをお聞かせ申すようなことは、とてもこの上なくとんでもないこととお思いになっていたので、女房たちもお返事に困って、このようなご性分をお困り申し上げあっていた。
などと言うのであるが、宮は非常に内気で羞恥(しゅうち)心がお強くて、異性にほのかな声でも聞かせることは思いもよらぬことのようにお考えになるのであったから、女房たちも勧めかねて、宮のおとなしさを苦労にしていた。
5.4.6
女別当(にょべたう)内侍(ないし)などいふ(ひと)びとあるは、(はな)れたてまつらぬわかむどほりなどにて、(こころ)ばせある人々多(ひとびとおほ)かるべし。
この、人知(ひとし)れず(おも)(かた)のまじらひをせさせたてまつらむに、(ひと)(おと)りたまふまじかめり。
いかでさやかに、御容貌(おほんかたち)()てしがな」
「女別当、内侍などという女房たち、ある者は、同じ御血縁の王孫などで、教養のある人々が多くいるのであろう。
この、ひそかに思っている後宮生活をおさせ申すにしても、けっして他の妃たちに劣るようなことはなさそうだ。
何とかはっきりと、ご器量を見たいものだ」
女別当(にょべっとう)内侍(ないし)、そのほか御親戚関係の王家の娘などもお付きしているのである。自分の心に潜在している望みが実現されることがあっても、他の恋人たちの中に混じって劣る人ではないらしいこの人の顔を見たいものであると、
【女別当、内侍などいふ人びと】- 以下「御容貌見てしがな」まで、源氏の心中。斎宮への好色心をのぞかせる。「て」完了の助動詞、確述。「し」副助詞、強調。「がな」願望の終助詞。斎宮の器量を見たいものだ、という強い願望のニュアンス。
5.4.7 とお思いになるのも、すっかり心の許すことのできる御親心ではなかったのであろうか。
こんなことも思っている源氏であったから、養父として打ちとけない人が聡明(そうめい)であったのであろう。
【うちとくべき御親心にはあらずやありけむ】- 語り手が源氏の心中を忖度した文。『完訳』「恋情を断念しきれていない、とする語り手の評言。次の源氏自身の心内と相応ずる」と注す。
5.4.8
わが御心(みこころ)(さだ)めがたければ、かく(おも)といふことも、(ひと)にも()らしたまはず。
(おほん)わざなどの(おほん)ことをも()()きてせさせたまへば、ありがたき御心(みこころ)を、宮人(みやびと)もよろこびあへり。
ご自分でもお気持ちが揺れ動いていたので、こう考えているということも、他人にはお漏らしにならない。
ご法事の事なども、格別にねんごろにおさせになるので、ありがたいご厚志を、宮家の人々も皆喜んでいた。
自身の心もまだどうなるかしれないのであるから、前斎宮を入内(じゅだい)させる希望などは人に言っておかぬほうがよいと源氏は思っていた。故人の仏事などにとりわけ力を入れてくれる源氏に六条邸の人々は感謝していた。
【かく思ふ】- 斎宮を養女として入内させる、ということをさす。
5.4.9
はかなく()ぐる月日(つきひ)()へて、いとどさびしく、心細(こころぼそ)きことのみまさるに、さぶらふ(ひと)びとも、やうやうあかれ()などして、(しも)(かた)京極(きゃうごく)わたりなれば、人気遠(ひとけどほ)く、山寺(やまでら)入相(いりあひ)声々(こゑごゑ)()へても音泣(ねな)きがちにてぞ、()ぐしたまふ。
(おな)じき御親(おほんおや)()こえしなかにも、片時(かたとき)()()(はな)れたてまつりたまはで、ならはしたてまつりたまひて斎宮(さいぐう)にも親添(おやそ)ひて(くだ)りたまふことは、(れい)なきことなるを、あながちに(いざな)ひきこえたまひし御心(みこころ)(かぎ)りある(みち)にては、たぐひきこえたまはずなりにしを、()()なう(おぼ)(なげ)きたり。
とりとめもなく過ぎて行く月日につれて、ますます心寂しく、心細いことばかりが増えていくので、お仕えしている女房たちも、だんだんと散り散りに去っていったりなどして、下京の京極辺なので、人の気配も気遠く、山寺の入相の鐘の声々が聞こえてくるにつけても、声を上げて泣く有様で、日を送っていらっしゃる。
同じ御母親と申した中でも、片時の間もお離れ申されず、いつもご一緒申していらっしゃって、斎宮にも親が付き添ってお下りになることは、先例のないことであるが、無理にお誘い申し上げなさったお心のほどなのであるが、死出の旅路には、ご一緒申し上げられなかったことを、涙の乾く間もなくお嘆きになっていた。
六条邸は日がたつにしたがって寂しくなり、心細さがふえてくる上に、御息所(みやすどころ)の女房なども次第に下がって行く者が多くなって、京もずっと(しも)の六条で、東に寄った京極通りに近いのであるから、郊外ほどの寂しさがあって、山寺の夕べの鐘の音にも斎宮の御涙は誘われがちであった。同じく母といっても、宮と御息所は親一人子一人で、片時離れることもない十幾年の御生活であった。斎宮が母君とごいっしょに行かれることはあまり例のないことであったが、しいてごいっしょにお誘いになったほどの母君が、死の道だけはただ一人でおいでになったとお思いになることが、斎宮の尽きぬお悲しみであった。
【あかれ行き】- 大島本は「あ(あ+か)れゆき」と「か」を補入する。『集成』『新大系』は底本の補入に従う。『古典セレクション』は諸本及び底本の訂正以前本文に従ってに従って「散(あ)れゆき」と校訂する。
【山寺の入相の声々に添へても】- 「山寺の入相の鐘の声ごとに今日も暮れぬと聞くぞ悲しき」(拾遺集哀傷、一三二九、読人しらず)を引歌とする。
【立ち離れたてまつりたまはで、ならはしたてまつりたまひて】- 主語は斎宮。この前後の物語は斎宮を主人公にして語っている文脈。「たてまつり」謙譲の補助動詞、斎宮の母御息所に対する敬意、「たまは」尊敬の補助動詞、斎宮に対する敬意。次の「たてまつり」「たまひ」も同じ。
【あながちに誘ひきこえたまひし御心に】- 「に」格助詞、また接続助詞にも解せる。『集成』の「あえて、母君をお誘い申し上げなさったほどのお気持なので」は順接の文脈。『完訳』の「無理にお誘い申しあげなさったお心であったのに」は逆接の文脈に解す。
5.4.10
さぶらふ(ひと)びと、(たか)きも(いや)しきもあまたあり。
されど、大臣(おとど)の、
お仕えしている女房たち、身分の高い人も低い人も多数いる。
けれども、
女房たちを仲介にして求婚をする男は各階級に多かったが、源氏は乳母(めのと)たちに、
5.4.11 「御乳母たちでさえ、自分勝手なことをしでかしてはならないぞ」
「自分勝手なことをして問題を起こすようなことを宮様にしてはならない」
【御乳母たちだに、心にまかせたること、引き出だし仕うまつるな】- 源氏の詞。斎宮の結婚への仲立ちを禁じる。「だに」副助詞、最小限の意。乳母たちでさえしてはならぬ、まして他の女房たちは、というニュアンス。
5.4.12
など、(おや)がり(まう)したまへば、いと()づかしき(おほん)ありさまに、便(びん)なきこと()こし()しつけられじ」と()(おも)ひつつ、はかなきことの(なさ)けも、さらにつくらず。
などと、親ぶって申していらっしゃったので、「とても立派で気の引けるご様子なので、不始末なことをお耳に入れまい」と言ったり思ったりしあって、ちょっとした色めいた事も、まったくない。
と親らしい注意を与えていたので、源氏を不快がらせるようなことは慎まねばならぬとおのおの思いもし(いさ)め合いもしているのである。それで情実のためにどう計らおうというようなことも皆はしなかった。
【いと恥づかしき】- 以下「聞こし召しつけられじ」まで、女房たちの詞と心中。

第五段 朱雀院と源氏の斎宮をめぐる確執

5.5.1
(ゐん)にも、かの(くだ)りたまひし大極殿(だいごくでん)のいつかしかりし儀式(ぎしき)に、ゆゆしきまで()えたまひし御容貌(おほんかたち)を、(わす)れがたう(おぼ)しおきければ、
院におかせられても、あのお下りになった大極殿での厳かであった儀式の折に、不吉なまでに美しくお見えになったご器量を、忘れがたくお思いおかれていらしたので、
院は宮が斎宮としてお下りになる日の荘厳だった大極殿(だいごくでん)の儀式に、この世の人とも思われぬ美貌(びぼう)を御覧になった時から、恋しく思召されたのであって、帰京後に、
5.5.2 「院に参内なさって、斎院など、ご姉妹の宮たちがいらっしゃるのと同じようにして、お暮らしになりなさい」
「院の御所へ来て、私の妹の宮などと同じようにして暮らしては」
【参りたまひて、斎院など、御はらからの宮々おはしますたぐひにて、さぶらひたまへ】- 朱雀院の詞。斎院は桐壺院の女三宮、母弘徽殿大后。「葵」巻で斎院になり、「賢木」巻で桐壺院崩御により、朝顔姫君と交替した。朱雀院の姉妹と同様に院の御所でお暮らしなさいという勧誘、実質的には結婚の申し込み。
5.5.3
と、御息所(みやすんどころ)にも()こえたまひき。
されど、「やむごとなき(ひと)びとさぶらひたまふに、数々(かずかず)なる御後見(おほんうしろみ)もなくてや」と(おぼ)しつつみ、主上(うへ)は、いとあつしうおはしますも(おそ)ろしう、またもの(おも)ひや(くは)へたまはむ」と、(はばか)()ぐしたまひしを、(いま)は、まして(たれ)かは(つか)うまつらむと、(ひと)びと(おも)ひたるをねむごろに(ゐん)には(おぼ)しのたまはせけり。
と、御息所にも申し上げあそばした。
けれども、「高貴な方々が伺候していらっしゃるので、大勢のお世話役がいなくては」とご躊躇なさり、「院の上は、とても御病気がちでいらっしゃるのも心配で、その上物思いの種が加わるだろうか」と、ご遠慮申してこられたのに、今となっては、まして誰が後見を申そう、と女房たちは諦めていたが、懇切に院におかれては仰せになるのであった。
と宮のことを、故人の御息所へお申し込みになったこともあるのである。御息所のほうでは院に寵姫(ちょうき)が幾人も侍している中へ、後援者らしい者もなくて行くことはみじめであるし、院が始終御病身であることも、母の自分と同じ未亡人の悲しみをさせる結果になるかもしれぬと院参を躊躇(ちゅうちょ)したものであったが、今になってはましてだれが宮のお世話をして院の後宮へなどおはいりになることができようと女房たちは思っているのである。院のほうでは御熱心に今なおその仰せがある。
【やむごとなき人びと】- 以下「御うしろみもなくてや」まで、御息所の心中。
【主上は、いとあつしう】- 以下「思ひや加へたまはむ」まで、再び御息所の心中。「主上」は朱雀院をさす。
【人びと思ひたるを】- 大島本は「おもひたるを」とある。『集成』『新大系』は底本のままとする。『古典セレクション』は諸本に従って「思ひたゆるを」と校訂する。
5.5.4
大臣(おとど)()きたまひて(ゐん)より()けしきあらむを()(たが)へ、横取(よこど)りたまはむを、かたじけなきこと」と(おぼ)すに、(ひと)(おほん)ありさまのいとらうたげに、見放(みはな)たむはまた口惜(くちを)しうて、入道(にふだう)(みや)にぞ()こえたまひける。
内大臣は、お聞きになって、「院からご所望があるのを、背いて、横取りなさるのも恐れ多いこと」とお思いになるが、宮のご様子がとてもかわいらしいので、手放すのもまた残念な気がして、入道の宮にご相談申し上げになるのであった。
源氏はこの話を聞いて、院が望んでおいでになる方を横取りのようにして宮中へお入れすることは済まないと思ったが、宮の御様子がいかにも美しく可憐(かれん)で、これを全然ほかの所へ渡してしまうことが残念な気になって、入道の宮へ申し上げた。こんな隠れた事実があって決断ができないということをお話しした。
【大臣、聞きたまひて】- 源氏、藤壺に相談して、斎宮を横取りして冷泉帝後宮に入内させる。
【院より御けしきあらむを】- 以下「かたじけなきこと」まで、源氏の心中。「御けしき」は朱雀院から齋宮に入内要請の意向をさす。「たまは」尊敬の補助動詞は朱雀院に対する敬意。客体を敬った用い方。『集成』は「そのお心に背いて、斎宮を横取りなさったりしては、恐れ多いこと」。
5.5.5
かうかうのことをなむ、(おも)うたまへわづらふに母御息所(ははみやすんどころ)いと重々(おもおも)しく心深(こころふか)きさまにものしはべりしを、あぢきなき()(ごころ)にまかせて、さるまじき()をも(なが)し、()きものに(おも)()かれはべりにしをなむ、()にいとほしく(おも)ひたまふる。
この()にて、その(うら)みの(こころ)とけず()ぎはべりにしを、(いま)はとなりての(きは)に、この斎宮(さいぐう)(おほん)ことをなむ、ものせられしかば、さも()()(こころ)にも(のこ)すまじうこそは、さすがに()おきたまひけめ、(おも)ひたまふるにも、(しの)びがたう。
おほかたの()につけてだに、心苦(こころぐる)しきことは見聞(みき)()ぐされぬわざにはべるをいかで、なき(かげ)にても、かの(うら)(わす)るばかり、(おも)ひたまふるを、内裏(うち)にも、さこそおとなびさせたまへど、いときなき御齢(おほんよはひ)におはしますを、すこし(もの)心知(こころし)(ひと)はさぶらはれてもよくやと(おも)ひたまふるを御定(おほんさだ)めに」
「これこれのことで、思案いたしておりますが、母御息所は、とても重々しく思慮深い方でおりましたが、つまらない浮気心から、とんでもない浮き名までも流して、嫌な者と思われたままになってしまいましたが、本当にお気の毒に存じられてなりません。
この世では、その恨みが晴れずに終わってしまったが、ご臨終となった際に、この斎宮のご将来を、ご遺言されましたので、信頼できる者とかねてお思いになって、心中の思いをすっかり残さず頼もうと、恨みは恨みとしても、やはりお考えになっていてくださったのだと存じますにつけても、たまらない気がして。
直接関わりあいのない事柄でさえも、気の毒なことは見過ごしがたい性分でございますので、何とかして、亡くなった後からでも、生前のお恨みが晴れるほどに、と存じておりますが、主上におかせられましても、あのように大きうおなりあそばしていますが、まだご幼年でおいであそばしますから、少し物事の分別のある方がお側におられてもよいのではないかと存じましたが、ご判断に」
「お母様の御息所はきわめて聡明(そうめい)な人だったのですが、私の若気のあやまちから浮き名を流させることになりました上、私は一生恨めしい者と思われることになったのですが、私は心苦しく思っているのでございます。私は許されることなしにその人を死なせてしまいましたが、()くなります少し前に斎宮のことを言い出したのでございます。私としましては、さすがに聞いた以上は遺言を実行する誠意のある者として頼んで行くのであると思えてうれしゅうございまして、無関係な人でも、孤児の境遇になった人には同情されるものなのですから、まして以前のことがございまして、亡くなりましたあとでも、昔の恨みを忘れてもらえるほどのことをしたいと思いまして、斎宮の将来をいろいろと考えている次第なのですが、陛下もずいぶん大人らしくはなっていらっしゃいますが、お年からいえばまだお若いのですから、少しお年上の女御(にょご)が侍していられる必要があるかとも思われるのでございます。それもしかしながらあなた様がこうするようにと仰せになるのに(したが)わせていただこうと思います」
【かうかうのことをなむ、思うたまへわづらふに】- 以下「御定めに」まで、源氏の藤壺への詞。最初の部分、「かうかうの事を」と間接話法的に要約されている。
【さも聞き置き】- 『集成』は「私を、そのような、後事を託するに足る者と、かねて聞き置いて」。『完訳』は「さてはこの私を頼りにできる者と聞き置いていて」と訳す。
【見聞き過ぐされぬわざにはべるを】- 主語は源氏。「れ」可能の助動詞。
【すこし物の心知る人はさぶらはれてもよくやと思ひたまふるを】- 斎宮の冷泉帝後宮への入内を言う。「を」について、接続助詞、順接の意。また格助詞にも解せる。
【御定めに」--など】- 「御定めに」の下に「従ひはべらむ」などの語句が省略。『完訳』は「藤壺を強く説得しておきながら、相手に判断をまかせる巧みさに注意。事は藤壺の意志で運ぶ」と注す。
5.5.6
など()こえたまへば、
などと申し上げなさると、
と言うと、
5.5.7
いとよう(おぼ)()りけるを(ゐん)にも、(おぼ)さむことは、げにかたじけなう、いとほしかるべけれど、かの御遺言(おほんゆいごん)をかこちて、()らず(がほ)(まゐ)らせたてまつりたまへかし。
(いま)はた、さやうのこと、わざとも(おぼ)しとどめず、御行(おほんおこ)なひがちになりたまひて、かう()こえたまふを、(ふか)うしも(おぼ)しとがめじと(おも)ひたまふる
「とてもよくお考えくださいました。院におかせられても、お思いあそばしますことは、なるほどもったいなくお気の毒なことですが、あのご遺言にかこつけて、知らないふりをしてご入内申し上げなさい。
今では、そのようことは、特別にお思いではなく、御勤行がちになられていますので、このように申し上げなさっても、さほど深くお咎めになることはありますまいと存じます」
「非常によいことを考えてくださいました。院もそんなに御熱心でいらっしゃることは、お気の毒なようで、済まないことかもしれませんが、お母様の御遺言であったからということにして、何もお知りにならない顔で御所へお上げになればよろしいでしょう。このごろ院は実際そうしたことに淡泊なお気持ちになって、仏勤めばかりに気を入れていらっしゃるということも聞きますから、そういうことになさいましてもお腹だちになるようなことはないでしょう」
【いとよう思し寄りけるを】- 以下「思ひたまふる」まで、藤壺の返事。「を」について、『集成』は「ようこそお考え下さったことですが」と逆接の接続助詞に解して文を続け、『完訳』は「よくぞお気がつかれました」と間投助詞に解して文を結ぶ。
【深うしも思しとがめじと思ひたまふる】- 『完訳』は「藤壺の判断の明快さは、源氏のような朱雀院に対する複雑な思念がないからであろう」と注す。
5.5.8
さらば、()けしきありて(かず)まへさせたまはばもよほしばかりの(こと)()ふるになしはべらむ。
とざまかうざまに、(おも)ひたまへ(のこ)すことなきに、かくまでさばかりの心構(こころがま)へも、まねびはべるに、世人(よひと)やいかにとこそ(はばか)りはべれ」
「それでは、ご意向があって、一人前に扱っていただけるならば、促す程度のことを、口添えをすることに致しましょう。
あれこれと、十分に遺漏なく配慮尽くし、これほどまで深く考えておりますことを、そっくりそのままお話しましたが、世間の人々はどのように取り沙汰するだろうかと、心配でございます」
「ではあなた様の仰せが下ったことにしまして、私としてはそれに賛成の意を表したというぐらいのことにいたしておきましょう。私はこんなに院を御尊敬して、御感情を害することのないようにと百方考えてかかっているのですが、世間は何と批評をいたすことでしょう」
【さらば、御けしきありて】- 以下「はばかりはべれ」まで、源氏の詞。引用句がなく、間髪を置かず会話が展開する。主上の母藤壺からのご意向があって、の意。
【数まへさせたまはば】- 帝の妃の一人として、の意。
【もよほしばかりの言を】- 『集成』は「わきからお勧めする程度の」。『完訳』は「お口添えするだけのことに」と訳す。
【世人やいかにとこそ】- 『完訳』は「源氏と斎宮が愛人関係かと世人が疑うのではないか、と懸念」と注す。
5.5.9
など()こえたまて、(のち)には、げに、()らぬやうにてここに(わた)したてまつりてむ」と(おぼ)
などと申し上げなさって、後には、「仰せのとおり、知らなかったようにして、ここにお迎えしてしまおう」とお考えになる。
などと源氏は申していた。のちにはまた何事も素知らぬ顔で二条の院へ斎宮を迎えて、入内(じゅだい)は自邸からおさせしようという気にも源氏はなった。
【げに、知らぬやうにて】- 前の「知らず顔に参らせたてまつりたまへかし」を受ける。
【渡したてまつりてむ」と思す】- 「て」完了の助動詞、確述。「む」推量の助動詞、意志。源氏の強い意志を表すニュアンス。
5.5.10 女君にも、このように考えていることをご相談申し上げなさって、
夫人にその考えを言って、
【女君にも】- 紫の君をさす。
【しかなむ思ひ語らひきこえて】- 大島本は「しかなん思ひかたらひきこえて」とある。伏見天皇本が大島本と同文。『新大系』は底本のままとする。『集成』『古典セレクション』は諸本に従って「しかなん思ふ。語らひきこえて」と校訂する。
5.5.11
()ぐいたまはむにいとよきほどなるあはひならむ」
「お話相手にしてお過ごしになるのに、とてもよいお年頃どうしでしょう」
「あなたのいい友だちになると思う。仲よくして暮らすのに似合わしい二人だと思う」
【過ぐいたまはむに】- 以下「あはひならむ」まで、源氏の詞。斎宮を養女として迎え取ることを打ち明ける。
5.5.12
と、()こえ()らせたまへば、うれしきことに(おぼ)して御渡(おほんわた)りのことをいそぎたまふ。
と、お話し申し上げなさると、嬉しいこととお思いになって、ご移転のご準備をなさる。
と語ったので、女王(にょおう)も喜んで斎宮の二条の院へ移っておいでになる用意をしていた。
【うれしきことに思して】- 紫の君の心。この段の藤壺、紫の君の人物描写について、明石の君物語の段における人物描写に比較して、いささか大雑把で短絡的な語り方がなされている。『完訳』は「高貴な同年輩への期待。いささかの嫉妬もない」と注す。

第六段 冷泉帝後宮の入内争い

5.6.1
入道(にふだう)(みや)兵部卿宮(ひゃうぶきゃうのみや)の、姫君(ひめぎみ)をいつしかとかしづき(さわ)ぎたまふめるを、大臣(おとど)(ひま)ある(なか)にて、いかがもてなしたまはむ」と、心苦(こころぐる)しく(おぼ)す。
入道の宮は、兵部卿の宮が、姫君を早く入内させたいとお世話に大騒ぎしていらっしゃるらしいのを、「内大臣とお仲が悪いので、どのようにご待遇なさるのかしら」と、お心を痛めていらっしゃる。
入道の宮は兵部卿(ひょうぶきょう)の宮が、後宮入りを目的にして姫君を教育していられることを知っておいでになるのであったから、源氏と宮が不和になっている今日では、その姫君に源氏はどんな態度を取ろうとするのであろうと心苦しく思召した。
【入道の宮】- 「兵部卿の宮の姫君を」以下「いかがもてなしたまはむ」までを飛び越えて、「心苦しく思す」に係る。
【大臣の隙ある仲にて、いかがもてなしたまはむ】- 藤壺の心中、心配。
5.6.2
権中納言(ごんちゅうなごん)御女(おほんむすめ)は、弘徽殿(こうきでん)女御(にょうご)()こゆ。
大殿(おほとの)御子(みこ)にていとよそほしうもてかしづきたまふ。
主上(うへ)もよき御遊(おほんあそ)びがたきに(おぼ)いたり
権中納言の御娘は、弘徽殿の女御と申し上げる。
大殿のお子として、たいそう美々しく大切にお世話なされている。
主上もちょうどよい遊び相手に思し召されていた。
中納言の姫君は弘徽殿(こきでん)女御(にょご)と呼ばれていた。太政大臣の猶子(ゆうし)になっていて、その一族がすばらしい背景を作っているはなやかな後宮人であった。陛下もよいお遊び相手のように思召された。
【大殿の御子にて】- 権中納言の娘は祖父の太政大臣の養女となって入内。源氏物語では女御として入内するのは大臣または親王の娘で、大納言以下の娘は更衣として入内している。娘の格上げをはかったもの。
【主上もよき御遊びがたきに思いたり】- 冷泉帝十一歳、弘徽殿女御十二歳。ちょうど良い釣り合い。
5.6.3
(みや)(なか)(きみ)(おな)じほどにおはすればうたて雛遊(ひひなあそ)びの心地(ここち)すべきを、おとなしき御後見(おほんうしろみ)は、いとうれしかべいこと」
「宮の中の君も同じお年頃でいらっしゃるので、困ったお人形遊びの感じがしようから、年長のご後見は、まこと嬉しいこと」
「兵部卿の宮の中姫君(なかひめぎみ)も弘徽殿の女御と同じ年ごろなのだから、それではあまりお(ひな)様遊びの連中がふえるばかりだから、少し年の行った女御がついていて陛下のお世話を申し上げることはうれしいことですよ」
【宮の中の君も同じほどにおはすれば】- 以下「いとうれしかべいこと」まで、藤壺の詞。やや年嵩の斎宮入内を歓迎を表明する。そして、その文章が巻末まで一続きに続く。
5.6.4
(おぼ)しのたまひて、さる()けしき()こえたまひつつ大臣(おとど)のよろづに(おぼ)(いた)らぬことなく、公方(おほやけがた)御後見(おほんうしろみ)はさらにもいはず、()()れにつけて、こまかなる御心(みこころ)ばへの、いとあはれに()えたまふを、(たの)もしきものに(おも)ひきこえたまひていとあつしくのみおはしませば(まゐ)りなどしたまひても、(こころ)やすくさぶらひたまふこともかたきをすこしおとなびて、()ひさぶらはむ御後見(おほんうしろみ)は、かならずあるべきことなりけり。
とお思いになり仰せにもなって、そのようなご意向を幾度も奏上なさる一方で、内大臣が万事につけ行き届かぬ所なく、政治上のご後見は言うまでもなく、日常のことにつけてまで、細かいご配慮が、たいそう情愛深くお見えになるので、頼もしいことにお思い申し上げていたが、いつもご病気がちでいらっしゃるので、参内などなさっても、心安くお側に付いていることも難しいので、少しおとなびた方で、お側にお付きするお世話役が、是非とも必要なのであった。
と入道の宮は人へ仰せられて、前斎宮の入内の件を御自身の意志として宮家へお申し入れになったのであった。源氏が当帝のために行き届いた御後見をする誠意に御信頼あそばされて、御自身はおからだがお弱いために御所へおはいりになることはあっても、(なが)くはおとどまりになることがおできにならないで、退出しておしまいになるため、そんな点でも少し大人になった女御はあるべきであった。
【さる御けしき聞こえたまひつつ】- 「聞こえ」の対象について、『集成』は「そういうご意向を源氏に申し上げなさっては」と「源氏」に解し、『完訳』は「そのようなご意向を帝に幾度もほのめかし申しあげなさって」と「帝」に解す。「つつ」は同じ動作の繰り返し。
【頼もしきものに思ひきこえたまひて】- 主語は藤壺。
【いとあつしくのみおはしませば】- 主語は藤壺。病気がちであるという。
【心やすくさぶらひたまふこともかたきを】- 『集成』は「宮中は病を忌む上に、十分な療養(加持祈祷)ができないからである」と注す。
著作権
底本 大島本
校訂 Last updated 9/21/2010(ver.2-3)
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ローマ字版 Last updated 10/9/2009 (ver.2-2)
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(1650 1st edition)
Last updated 3/24/2006
渋谷栄一訳(C)(ver.1-2-4)
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現代語訳 与謝野晶子
電子化 上田英代(古典総合研究所)
底本 角川文庫 全訳源氏物語
校正・
ルビ復活
伊藤時也(青空文庫)
2003年4月28日
渋谷栄一訳
との突合せ
若林貴幸、宮脇文経
2006年1月6日
Last updated 10/9/2009(ver.2-2)
渋谷栄一注釈(C)
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