| 設定 | 番号 | 本文 | 渋谷栄一訳 | 与謝野晶子訳 | 注釈 | 挿絵 | ルビ | 罫線 | 登場人物 | 帖見出し | 章見出し | 段見出し | 列見出し | |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
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| この帖の主な登場人物 | |||
|---|---|---|---|
| 登場人物 | 読み | 呼称 | 備考 |
| 光る源氏 | ひかるげんじ | 源氏の大臣 内の大臣 大臣 大臣の君 殿 君 |
三十一歳から三十二歳 |
| 冷泉帝 | れいぜいてい | 帝 内裏 主上 |
桐壺帝の第十皇子(実は光る源氏の子) |
| 藤壺の宮 | ふじつぼのみや | 入道后の宮 入道の宮 后の宮 宮 故宮 |
冷泉帝の母 |
| 明石の君 | あかしのきみ | 山里の人 大堰 母君 君 女 |
源氏の妻 |
| 明石の姫君 | あかしのひめぎみ | 若君 姫君 君 |
光る源氏の娘 |
| 明石の尼君 | あかしのあまぎみ | 尼君 |
明石の君の母 |
| 紫の上 | むらさきのうえ | 女君 対 上 君 |
源氏の正妻 |
| 夜居の僧都 | よいのそうず | 僧都 |
藤壺の宮の加持僧 |
| 斎宮の女御 | さいぐうのにょうご | 前斎宮 女御 宮 君 |
冷泉帝の女御 |
第十八帖 松風 光る源氏の内大臣時代三十一歳秋の大堰山荘訪問の物語 |
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# |
本文 |
渋谷栄一訳 |
与謝野晶子訳 |
注釈 |
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第一章 明石の物語 上洛と老夫婦の別れの秋 |
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第一段 二条東院の完成、明石に上洛を促す |
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| 1.1.1 | 東の院を建築して、花散里と申し上げた方を、お移しになる。 西の対、渡殿などにかけて、政所、家司など、しかるべき状態にお設けになる。 |
東の院が美々しく落成したので、 |
【東の院造りたてて、花散里と聞こえし、移ろはしたまふ】- 「澪標」巻で語られた二条東院が完成して、花散里などを移り住まわせる。 【政所、家司など、あるべきさまにし置かせたまふ】- 『集成』は「花散里の支配下に置かれ、東の院全体の家政をつかさどるので、花散里に対する夫人の一人としての重い処遇を物語る」と注す。 |
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| 1.1.2 | 東の対は、明石の御方をとお考えになっていた。 |
東の対には |
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| 1.1.3 | 北の対は、特別に広くお造りになって、一時的にせよ、ご愛情をお持ちになって、将来までもと約束なさり心頼りにおさせにった女性たちが一緒に住めるようにと、部屋部屋を仕切ってお造りになっているのも、感じがよく見所があって行き届いている。 |
北の対をばことに広く立てて、かりにも源氏が愛人と見て、将来のことまでも約束してある人たちのすべてをそこへ集めて住ませようという考えをもっていた源氏は、そこを幾つにも仕切って作らせた点で北の対は最もおもしろい建物になった。 |
【かりにても、あはれと思して、行く末かけて契り頼めたまひし人びと】- 『新大系』は「空蝉、末摘花、五節などをさす。末摘花については蓬生巻に既出」と注す。 【見所ありてこまかなる】- 大島本は「こまかなる」とある。『新大系』は底本のままとするが、脚注には「諸本「なり」に従うべきか」とする。『集成』『古典セレクション』は諸本に従って「こまかなり」と校訂する。 |
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| 1.1.4 | 寝殿はお当てがいなさらず、時々ごお渡りになる時のお住まいにして、そのような設備をなさっていた。 |
中央の |
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| 1.1.5 | 明石にはお便りを絶えず遣わして、今はもうぜひとも上京なさるようにとおっしゃるが、女は、やはり、わが身のほどが分かっているので、 |
明石へは始終手紙が送られた。このごろは上京を促すことばかりを言う源氏であった。女はまだ |
【明石には御消息絶えず】- 源氏は明石の君の上京を促す手紙を送る。 【今はなほ上りたまひぬべき】- 大島本は「のほり給ぬへき」とある。『新大系』は底本のままとする。『集成』『古典セレクション』は諸本に従って「上りぬべき」と「たまひ」を削除する。『完訳』は「「なほ」に、源氏は幾度となく上京を促してきた意をこめる」と注す。 |
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| 1.1.6 | 「こよなくやむごとなき この たまさかにはひ |
「この上なく高貴な身分の女性でさえ、縁がすっかり切れるでないご様子の冷淡さを見ながら、かえって物思いを募らせていると聞くのに、まして、どれほども世間から重んじられているわけでもない者が、その中へ入って行けようか。 この若君の不面目になり、賤しい身の上が現れてしまおう。 まれまれにこっそりお渡りになる機会を待つことになって、物笑いの種になり、引っ込みがつかなくなること、どんなであろう」 |
わが身の上のかいなさをよく知っていて、自分などとは比べられぬ都の |
【こよなくやむごとなき際の人びとだに、なかなか】- 以下「いかにあらむ」まで、明石の君の心中。「だに」--「まして」という文脈。「なかなか」は「もの思ひまさりぬべく」に係る。 【何ばかりのおぼえなりとてか】- 『集成』は「〔自分が〕どれほどの身分の者だとうぬぼれて」。『完訳』は「自分はどれほども世間から重んじられているわけでもないのに」と訳す。 |
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| 1.1.7 | と思い乱れても、又一方では、そうかといって、このような明石の田舎の地に生まれて、お子として認めてもらえないのも、ひどくかわいそうなので、一途に恨んだり背いたりすることもできない。 両親も、「なるほど、もっともなことだ」と嘆いて、かえって、気苦労の限りをし尽くすのであった。 |
たまさかの訪問を待つにすぎない京の暮らしを考えるほど不安なことはないと |
【また、さりとて】- 上京を躊躇する一方で、母親として姫君の将来を考えずにはいられない。以下の明石の心中は地の文で語る。 |
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第二段 明石方、大堰の山荘を修理 |
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| 1.2.1 | 昔、母君の祖父で、中務宮と申し上げた方が所領なさっていた所が、大堰川の近くにあったのを、その後は、しっかりと引き継ぐ人もいなくて、長年荒れていたのを思い出して、あの当時から代々留守番のような役をしていた人を呼び迎えて相談する。 |
入道夫人の祖父の |
【母君の御祖父、中務宮】- 醍醐天皇の親王である前中書王兼明親王を準拠とする。 【宿守のやうにてある人を】- 『完訳』は「管理人としての資格も不明確」と注す。留守番役のような人。 |
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| 1.2.2 | 「 さるべき |
「この世はこれまでだと見切りをつけて、このような土地に落ちぶれた生活になじんでしまったが、老年になって、思いがけないことが起こったので、改めて都の住居を求めるのだが、急に眩しい都人の中に出るのは、きまりが悪いので、田舎者になってしまった心地にも落ち着くまいから、昔の所領を探し出して、と考えたのだ。 必要な費用はお送りしよう。 修理などして、どうにか住めるように修繕してくださらないか」 |
「私はもう京の生活を二度とすまいという決心で田舎へ引きこもったのだが、子供になってみるとそうはいかないもので、その人たちのためにまた一軒京に家を持つ必要ができたのだが、こうした静かな所にいて、にわかに京の町中の家へはいって気も落ち着くものでないと思われるので、古い別荘のほうへでもやろうかと思う。そちらで今まで使っているだけの建物は君のほうへあげてもいいから、そのほかの所を修繕して、とにかく人が住めるだけの別荘にこしらえ上げてもらいたいと思うのだが」 |
【世の中を今はと】- 以下「繕ひなされなむや」まで、明石入道の詞。大堰山荘の管理人に修理を命じる。 【さるべき物は上げ渡さむ】- 『新大系』は「必要な経費は明石から京へ届けよう」と注す。 |
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| 1.2.3 | と |
と言う。 宿守りは、 |
と入道が言った。 |
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| 1.2.4 | 「この いかめしき |
「長年、ご領主様もいらっしゃらず、ひどいようになっておりますので、下屋を繕って住んでおりますが、今年の春頃から、内大臣殿がご建立なさっている御堂が近いので、あの近辺は、とても騒々しくなっております。 立派な御堂をいくつも建立して、大勢の人々が、造営にあたっているようでございます。 静かなのがご希望ならば、あそこは適当ではございません」 |
「もう長い間持ち主がおいでにならない別荘になって、ひどく荒れたものですから、私たちは |
【この年ごろ】- 以下「違ひはべらむ」まで、宿守の詞。 【あやしきやうになりてはべれば】- 大島本は「あやしきや(△&や)うに」とある。すなわち元の文字(不明)を擦り消してその上に「や」と重ね書き訂正している。『新大系』は底本の訂正に従う。『集成』『古典セレクション』は諸本に従って「薮に」と校訂する。『完訳』は「以下、丁寧語「はべり」の多用で、下人らしい口調」と注す。 【静かなる御本意ならば、それや違ひはべらむ】- 『集成』は「入道の申し入れを警戒して、口実を設けて婉曲にことわろうとする」と注す。 |
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| 1.2.5 | 「何、 かまわぬ。このことも、あの殿のご庇護に、お頼りしようと思うことがあって のことだ。いずれ、おいおいと内部の修理 はしよう。まずは、急いでだいたいの修理をして |
「いや、それは構わないのだ。というのは内大臣家にも関係のあることでそこへ行こうとしているのだからね。家の中の設備などは追い追いこちらからさせるが、まず急いで大体の修繕のほうをさせてくれ」 |
【何か。それも】- 以下「ものせよ」まで、入道の詞。『完訳』は「以下、高飛車で命令的な口吻」と注す。 |
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| 1.2.6 | と |
と言う。 |
と入道が言う。 |
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| 1.2.7 | 「みづから |
「自分自身が所領している所ではございませんが、また他にご相続なさる方もなかったので、閑静な土地柄に従って、長年ひっそり過ごしてきたのでございます。 ご領地の田や畑などというものが、台無しに荒れはてておりましたので、故民部大輔様のお許しを得て、しかるべきものどもをお支払い申して、作らせていただいております」 |
「私の所有ではありませんが、持っていらっしゃる方もなかったものですから、一軒家のような所を長く私が守って来たのです。別荘についた田地なども荒れる一方でしたから、お |
【みづから領ずる所にはべらねど】- 以下「領じ作りはべる」まで、宿守の詞。 【故民部大輔の君】- 兼明親王の第二子伊行(従四位上東宮学士兼民部大輔)を準拠とする。 |
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| 1.2.8 | などと、その収穫したものを心配そうに思って、髭だらけの憎々しい顔をして、鼻などを赤くしいしい、口をとがらせて言うので、 |
預かり人は自身の物のようにしている田地などを回収されないかと危うがって、権利を主張しておかねばというように、 |
【つなしにくき顔】- 『集成』は「語義明らかでないが、不逞なというほどの意味であろう」。『完訳』は「憎たらしげな」と訳す。 【はちぶき言へば】- 『集成』は「口をとがらせて言うので」。『完訳』は「ふくれっ面で文句を言うものだから」と訳す。 |
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| 1.2.9 | 「さらに、その ただ |
「まったく、その田畑などのようなことは、こちらでは問題にするつもりはない。 ただこれまで通りに思って使用するがよい。 証書などはここにあるが、まったく世を捨てた身なので、長年どうなっていたか調べなかったが、そのことも今詳しくはっきりさせよう」 |
「私のほうでは田地などいらない。これまでどおりに君は思っておればいい。別荘その他の証券は私のほうにあるが、もう世捨て人になってしまってからは、財産の権利も義務も忘れてしまって、 |
【さらに、その田などやうのことは】- 以下「今詳しくしたためむ」まで、入道の詞。 【今詳しくしたためむ】- 『集成』は「いずれきちんと処置しよう」。『完訳』は「近いうちに細かく始末をつけよう」と訳す。 |
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| 1.2.10 | などと言うのにも、大殿との関係をほのめかすので、厄介になって、その後は、品物などを多く受け取って、急いで修築したのであった。 |
こんな話も相手は、入道が源氏に関係のあることをにおわしたことで気味悪く思って、 |
【物など多く受け取りて】- 『集成』は「代償の物」。『完訳』は「修理費」と注す。 |
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第三段 惟光を大堰に派遣 |
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| 1.3.1 | かやうに 「 「 |
このように考えついていようともご存知なくて、上京することを億劫がっているのも、わけが分からずお思いになって、「若君が、あのようなままひっそり淋しくしていらっしゃるのを、後世に人が言い伝えては、もう一段と、外聞の悪い欠点になりはしないか」とお思いになっていたところに、完成させて、「しかじかの所を思い出しました」と申し上げたのであった。 「人なかに出て来ることを嫌がってばかりいたのは、このように考えてのことであったのか」と合点が行きなさる。 「立派な心がまえであるよ」とお思いになった。 |
そんなことは源氏の想像しないことであったから、上京をしたがらない理由は何にあるかと怪しんでは、姫君がそのまま田舎に育てられていくことによって、のちの歴史にも不名誉な話が残るであろうと源氏は |
【若君の、さて】- 以下「人悪ろき疵にや」まで、源氏の心中。 【今一際】- 『集成』は「母の出自が低い上に田舎育ちということなので「今一際」という」と注す。 【しかしかの所をなむ思ひ出でたる】- 明石から文の主旨。「しかしか」は語り手が言い換えたもの。 【人に交じらはむことを】- 以下「かく思ふなりけり」まで、源氏の心中。明石の君が上京を渋っていたことに、その文によって合点がゆく。 【口惜しからぬ心の用意かな】- 源氏の心中。その配慮に感心する。 |
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| 1.3.2 | 惟光朝臣、例によって、内緒事にはいつに限らず関係してお勤めする人なので、お遣わしになって、しかるべきさまに、あれこれの準備などをおさせになるのであった。 |
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| 1.3.3 | 「付近一帯、趣のある所で、海辺に似た感じの所でございました」 |
「ながめのよい所でございまして、やはりまた海岸のような気のされる所もございます」 |
【あたり、をかしうて】- 以下「なむはべりける」まで、惟光の詞。大堰の山荘を見てきた報告。『集成』は「明石の上を住まわせて源氏が通うにふさわしい所だと、源氏の気持をのみ込んだ、いかにも惟光らしい言い分」と注す。 |
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| 1.3.4 | と申し上げると、「そのような住まいとしては、ふさわしくないこともあるまい」とお思いになる。 |
と惟光は報告した。そうした山荘の風雅な女主人になる資格のある人であると源氏は思っていた。 |
【さやうの住まひに、よしなからずはありぬべし】- 源氏の心中。それを聞いた源氏の感想。『完訳』は「そうした住いであれば、きっと風情がなくはあるまい」と訳す。「さやうの」は都の人目を避ける、の意。 |
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| 1.3.5 | ご建立なさっている御堂は、大覚寺の南に当たって、滝殿の趣なども、それに負けないくらい素晴らしい寺である。 |
源氏の作っている御堂は大覚寺の南にあたる所で、 |
【造らせたまふ御堂は、大覚寺の南にあたりて】- 源融の別荘であった栖霞観を後に寺とした栖霞寺、今の清涼寺を準拠とする。 【滝殿の心ばへなど】- 「滝の音は絶えて久しくなりぬれど名こそ流れてなほ聞こえけり」(千載集雑上、一〇三五、藤原公任)。その詞書に「嵯峨大覚寺にまかりて、これかれ歌よみはべりけるによみはべりける」とある。長保元年(九九九)九月、藤原道長嵯峨遊覧の折の歌。拾遺集(雑上、四四九、初句「滝の糸は」、詞書「大覚寺に人々あまたまかりたりけるに、古き滝をよみはべりける」とある)に既出。大覚寺の滝殿は景勝で知られた。 |
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| 1.3.6 | こちらは、大堰川に面していて、何とも言えぬ風趣ある松蔭に、何の工夫も凝らさずに建てた寝殿の簡素な様子も、自然と山里のしみじみとした情趣が感じられる。 内部の装飾などまでご配慮なさっている。 |
明石の山荘は川に面した所で、大木の松の多い中へ |
【これは、川面に】- 明石の大堰山荘の所在をいう。 【思し寄る】- 主語は源氏。 |
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第四段 腹心の家来を明石に派遣 |
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| 1.4.1 | 「すべて、など、かく、 |
親しい側近たちを、たいそう内密にお下し遣わしなさる。 断わりようもなくて、いよいよ上京と思うと、長年住み慣れた明石の浦を去ること、しみじみとして、入道が心細く独り残るだろうことを思い悩んで、いろいろと悲しい気がする。 「何につけても、どうして、こう、心をくだくことになったわが身の上なのだろうか」と、お恵みのかからない人々が羨ましく思われる。 |
親しい人たちをもまたひそかに明石へ迎えに立たせた。免れがたい因縁に引かれていよいよそこを去る時になったのであると思うと、女の心は |
【親しき人びと、いみじう忍びて下し遣はす】- 源氏、迎えの人々を明石に遣わす。 【すべて、など、かく】- 以下「なりはじめけむ身にか」まで、明石の君の心中。 |
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| 1.4.2 | 両親も、このようなお迎えを受けて上京する幸いは、長年寝ても覚めても、願い続けていた本望が叶うのだと、たいそう嬉しいけれど、お互いに一緒に暮らせない気がかりが堪えきれず悲しいので、昼夜ぼんやりして、同じようなことばかり、「そうなると、若君にお目にかかれず、過すことになるのか」と言うこと以外言葉がない。 |
両親も源氏に迎えられて娘が出京するというようなことは長い間寝てもさめても願っていたことで、それが実現される喜びはあっても、その日を限りに娘たちと別れて孤独になる将来を考えると堪えがたく悲しくて、夜も昼も物思いに入道は |
【あひ見で過ぐさむいぶせさの】- 入道について語る。 【さらば、若君をば見たてまつらでは、はべるべきか】- 入道の独り言。若君は孫の姫君をさす。 |
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| 1.4.3 | ただ、あだにうち |
母君も、たいそう切ない気持ちである。 今まででさえ、同じ庵に住まずに離れていたので、まして誰を頼りとして、留まっていられようか。 ただ、かりそめの契りを交わした人の浅い関係であってさえ、いったん馴染んだ末に、別れることは、一通りのものでないようだが、まして、変な恰好の頭や、気質は頼りになりそうにないが、またその方面で、「この土地こそは、一生を終える住まいだ」と、永遠ではない寿命を待つ間の限りを思って、夫婦で暮らして来たのに、急に別れ去るのも心細い気がする。 |
夫人の心も非常に悲しかった。これまでもすでに同じ家には住まず別居の形になっていたのであるから、明石が上京したあとに自分だけが残る必要も認めてはいないものの、地方にいる間だけの仮の夫婦の中でも月日が重なって |
【まして誰れによりてかは】- 主語は母君。『集成』は「まして娘が上京する今となっては、誰のためにこの明石に留まろうか。娘とともに上京するのである」と注す。 【かけ留まらむ】- 大島本は「かけとゝまらむ」とある。『新大系』は底本のままとする。『集成』『古典セレクション』は諸本に従って「かけとまらむ」と「と」を削除する。 【見なれそなれて】- 「みなれ木の見慣れそなれて離れなば恋しからじや恋しからむや」(源氏釈)による。別れるにどんな事情があるにせよ、長年連れ添った仲であるならば、やはり恋しいものだろう、という歌意。 【頼もしげなけれど】- 大島本は「たのもしけなれと」とある。『集成』『新大系』は底本のままとする。『古典セレクション』は諸本に従って「頼もしげなれど」と「け」を削除する。 【あり果てぬ命を限りに】- 「あり果てぬ命待つ間のほどばかり憂きことしげく思はずもがな」(古今集雑下、九六五、平貞文)を踏まえる。 【契り過ぐし来つるを】- 大島本は「契すくしきつるを」とある。『集成』『新大系』は底本のままとする。『古典セレクション』は諸本に従って「契り過ぐしつるを」と「き」を削除する。 【行き離れなむも】- 大島本は「ゆきはなれなむも」とある。『集成』『新大系』は底本のままとする。『古典セレクション』は諸本に従って「行き離れむも」と「な」を削除する。 |
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| 1.4.4 | 若い女房たちで、憂鬱な気持ちで塞ぎこんでいた者は、嬉しく思う一方で、見捨て難い浜辺の風景を、「もう再びと、帰ってくることもあるまい」と、寄せては返す波に思いを寄せて、涙に袖が濡れがちである。 |
光明を見失った人になって |
【若き人びとの】- 「の」格助詞、同格。若い女房たちで。 |
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第五段 老夫婦、父娘の別れの歌 |
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| 1.5.1 | 秋のころなので、もの悲しい気持ちが重なったような心地がして、上京という日の暁に、秋風が涼しく吹いて、虫の声もあわただしく鳴く折柄、海の方を眺めていると、入道が、いつものように、後夜より早く起き出して、鼻をすすりながら、勤行していらっしゃる。 ひどく言葉に気をつけているが、誰も誰もたいそう堪え難い。 |
これは秋のことであったからことに物事が身に |
【秋のころほひなれば】- 秋の離別の物語。季節と物語の類同的発想の一例。明石の浜辺を舞台に、秋風、虫の声を配し、父娘また老夫婦の別れを語る。 【後夜より深う起きて】- 大島本は「こやより」とある。『新大系』は底本のままとする。『集成』『古典セレクション』は諸本に従って「後夜よりも」と「も」を補訂する。 【行なひいましたり】- 「います」敬語表現。『完訳』は「例外的な敬語で入道を揶揄」と注す。 |
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| 1.5.2 | 若君は、とてもとてもかわいらしい感じで、あの夜光ったという玉のような心地がして、袖から外にお放し申さなかったが、見慣れてつきまとっていらっしゃる心根など、不吉なまでに、こう、通常の人と違ってしまった身をいまいましく思いながら、「片時も拝見しなくては、どのようにして過ごしてゆけようか」と、我慢しきれない。 |
祖父の愛によく馴染んでいる姫君を入道は見て、「 |
【袖よりほかに】- 大島本は「袖よりほかに」とある。『新大系』は底本のままとする。『集成』『古典セレクション』は諸本に従って「袖よりほかには」と「は」を補訂する。 【人に違へる身を】- 出家した姿をいう。 【片時見たてまつらでは、いかでか過ぐさむとすらむ】- 入道の心中。 |
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| 1.5.3 | 「姫君の将来がご幸福であれと祈る別れに際して 堪えきれないのは老人の涙であるよ |
「行くさきをはるかに祈る別れ たへぬは老いの涙なりけり |
【行く先をはるかに祈る別れ路に--堪へぬは老いの涙なりけり】- 入道の歌。姫君の将来と一行の旅路の安全を祈る歌。『集成』は「堪へぬ」と校訂。『完訳』は「絶えぬ」のまま、「「絶えぬ」「堪へぬ」の掛詞」と注す。 |
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| 1.5.4 | いともゆゆしや」 |
まったく縁起でもない」 |
不謹慎だ私は」 |
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| 1.5.5 | と言って、涙を拭って隠す。 尼君、 |
と言って、落ちてくる涙を |
【尼君】- 明石の君の母君。初めて「尼君」と呼称され、出家していたことが知らされる。 |
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| 1.5.6 | 「ご一緒に都を出て来ましたが、 今度の旅は一人で都へ帰る野中の道で迷う |
「もろともに都は 一人野中の道に惑はん」 |
【もろともに都は出で来このたびや--ひとり野中の道に惑はむ】- 尼君の歌。「古る道に我や惑はむいにしへの野中の草は茂りあひにけり」(拾遺集物名、三七五、藤原輔相)を踏まえる。「この旅」と「この度」との掛詞。老夫との過去を回顧し別れを惜しむ歌。 |
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| 1.5.7 | と言って、お泣きになる様子、まことに無理はない。 長年契り交わしてきた年月のほどを思うと、このように当てにならないことを当てにして、捨てた都の生活に帰るのも、考えてみると頼りないことである。 御方、 |
と言って泣くのも同情されることであった。信頼をし合って過ぎた年月を思うと、どうなるかわからぬ娘の愛人の心を頼みにして、見捨てた京へ帰ることが尼君をはかなくさせるのであった。明石が、 |
【思へばはかなしや】- 『集成』は「尼君の気持を代弁するような草子地」。『完訳』は「尼君の心に即した語り手の評」と注す。 【御方】- 『完訳』は「源氏の妻妾の一人と確認されたが、終生、「上」の尊称では呼ばれることがなかった」と注す。 |
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| 1.5.8 | 「京へ行って生きて再びお会いできることをいつと思って 限りも分からない寿命を頼りにできましょうか |
「いきてまた逢ひ見んことをいつとてか 限りも知らぬ世をば頼まん |
【いきてまたあひ見むことをいつとてか--限りも知らぬ世をば頼まむ】- 明石の君の歌。「行き」「生き」の掛詞。再会を期しがたい父との離別を惜しむ歌。 |
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| 1.5.9 | せめて都まで送ってください」 |
送ってだけでもくださいませんか」 |
【送りにだに】- 歌に添えた言葉。父入道に対して、せめて都まで見送りに来てほしいと懇願する。当時の見送りは、目的地まで同道した。 |
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| 1.5.10 | と一生懸命にお頼みになるが、あれやこれやと、そうはできないことを言いながらも、そうはいっても、道中のことがたいそう気がかりな様子である。 |
と父に頼んだが、それは事情が許さないことであると入道は言いながらも途中が気づかわれるふうが見えた。 |
【うしろめたなき】- 「なし」は状態を表す接尾語。「うしろめたし」と意味は同じ。 |
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第六段 明石入道の別離の詞 |
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| 1.6.1 | 「 |
「世の中を捨てた当初に、このような見知らぬ国に決意して下って来ましたことども、ただあなたの御ためにと、思いどおりに朝晩のお世話も満足にできようかと、決心致したのですが、わが身の不運な身分が思い知らされることが多かったので、絶対に、都に帰って、古受領の落ちぶれた類となって、貧しい家の蓬や葎の様子が、元の状態に改まることもないものから、公私につけて、馬鹿らしい名を広めて、亡き親の名誉を辱めることの堪らなさに、そのまま世を捨てる門出であったのだと世間の人にも知られてしまったが、そのことについては、よく思い切ったと思っていましたが、あなたがだんだんとご成長なさり、物ごとが分かってくるようになると、どうして、こんなつまらない田舎に錦をお隠し申しておくのかと、親の心の闇の晴れる間もなくずっと嘆いておりましたが、仏神にご祈願申して、いくら何でも、このように不甲斐ない身の上に巻き添えになって、田舎の生活を一緒にはなさるまい、と思う心を独り持って期待していましたが、 |
「私は出世することなどを思い切ろうとしていたのだが、いよいよその気になって地方官になったのは、ただあなたに物質的にだけでも十分尽くしてやりたいということからだった。それから地方官の仕事も私に適したものでないことをいろんな形で教えられたから、これをやめて地方官の |
【世の中を捨てはじめしに】- 以下「御心動かしたまふな」まで、入道の詞。 【思ひ下りはべりしことども】- 大島本は「ことゝも」とある。『新大系』は底本のままとする。『集成』『古典セレクション』は諸本に従って「ことも」と「ゝ」を削除する。 【身のつたなかりける際の思ひ知らるること多かりしかば】- 『集成』は「播磨の守としても志を得なかったことをいう」と注す。 【さらに】- 『集成』は「下に打消しを受けるが、言葉を続けるうちに、脈絡が消えている」。『完訳』は「「ものから」まで挿入句」と注す。 【貧しき家の蓬葎、元のありさま】- 大島本は「よもきむくらもとのありさま」とある。『集成』『新大系』は底本のままとする。『古典セレクション』は諸本に従って「蓬葎ども」と校訂する。 【親の御なき影を恥づかしめむ】- 父は大臣であった(「明石」第二章六段参照)。 【錦を隠しきこゆらむ】- 「富貴にして故郷に帰らざるは繍を衣て夜行くが如し」(史記、項羽本紀)に基づく故事。 【心の闇晴れ間なく】- 「人の親の心は闇にあらねども子を思ふ道に惑ひぬるかな」(後撰集雑一、一一〇二、藤原兼輔)を踏まえた表現。 |
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| 1.6.2 | さらぬ |
思いがけなく、嬉しいことを拝見しましてこのかたも、かえって身の程を、あれこれと悲しく嘆いていましたが、若君がこのようにお生まれになったご因縁の頼もしさに、このような海辺で月日を送っていらっしゃるのも、たいそうもったいなく、宿縁も格別に存じられますので、お目にかかれない悲しさは、鎮めがたい気がするが、わが身は永遠に世を捨てた覚悟がございます。 あなたたちは、世の中をお照らしになる光明がはっきりしているので、しばらくの間、このような田舎者の心をお乱しになるほどのご宿縁があったのでしょう。 天上界に生まれる人でも、いまわしい三悪道に帰るようなのも一時のことと思いなぞらえて、今日、永遠にお別れ申し上げます。 寿命が尽きたとお聞きになっても、死後のことお考えくださるな。 逃れられない別れに、お心を動かしなさるな」と言い切る一方で、「煙となろう夕べまで、若君のことを、六時の勤めにも、やはり未練がましく、きっとお祈りにお加え申し上げることであろう」 |
思いがけず源氏の君を婿に見る日が来たのであるが、われわれには身分のひけ目があって、よいことにも悲しみが常に添っていた。しかし姫君がお生まれになったことで私もだいぶ自信ができてきた。姫君はこんな土地でお育ちになってはならない高い宿命を持つ方に違いないのだから、お別れすることがどんなに悲しくても私はあきらめる。何事ももうとくにあきらめた私は僧じゃないか。姫君は高い高い宿命の人でいられるが、 |
【君達は、世を照らしたまふべき光しるければ】- 後に「みづから須弥の山を、右の手に捧げたり。山の左右より、月日の光さやかにさし出でて世を照らす」(「若菜上」第十一章二段参照)と語られる。 【天に生まるる人の、あやしき三つの途に帰るらむ一時に思ひなずらへて】- 『完訳』は「『正法念経』に「果報若シ尽クレバ三悪道ニ還リ随フ」。天上界に生まれる人が、その果報の尽きたとき、地獄・餓鬼・畜生の三悪道に帰る。入道はそれにこの別離をなぞらえ、天上界に生まれる自分の一時の悲しみとあきらめる」と注す。 【後のこと】- 入道の死後のこと。葬儀や法事をいう。 【さらぬ別れに】- 「世の中にさらぬ別れのなくもがな千代もとなげく人の子のため」(古今集雑上、九〇一、在原業平)を踏まえた表現。 【と言ひ放つものから】- 「ものから」は逆接の意。心理描写また人間性の自然なありかたを描く点ですぐれているところ。 【煙ともならむ夕べまで】- 以下「うち交ぜはべりぬべき」まで、入道の詞。 |
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| 1.6.3 | と言って、自分の言葉に、涙ぐんでしまった。 |
と入道は断言したのであるが、また、「私は煙になる前の夕べまで姫君のことを六時の |
【これにぞ】- 『完訳』は「ここまで言うとさすがに」と注す。 |
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第七段 明石一行の上洛 |
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| 1.7.1 | お車は、多数続けるのも仰々しいし、一部分ずつ分けてやるのも厄介だといって、お供の人々も、できるだけ目立たないようにしているので、舟でこっそりと行くことに決めた。 辰の時刻に舟出なさる。 昔の人も「あわれ」と言った明石の浦の朝霧の中を遠ざかって行くにつれて、たいそう物悲しくて、入道は、煩悩も断ち切れがたく、ぼうっと眺めていた。 長年住みなれて、今さら都に帰るのも、やはり感慨無量で、尼君はお泣きになる。 |
車の数の多くなることも人目を引くことであるし、二度に分けて立たせることも |
【御車は、あまた続けむも所狭く】- 明石の浦を出立し、大堰山荘に移り住む。 【昔の人】- 大島本は「むかし(し+の<朱>)人」とある。すなわち朱筆で「の」を補入する。『新大系』は底本の補訂に従う。『集成』『古典セレクション』は諸本に従って「昔人」と校訂する。 【浦の朝霧】- 「ほのぼのと明石の浦の朝霧に島隠れ行く舟をしぞ思ふ」(古今集羈旅、四〇九、読人しらず)。『集成』は「一行の船を入道が見送る気持をいう」と注す。 【心澄み果つまじく】- 『集成』は「「澄み」に「住み」を掛け、いつまでも明石に残っていられそうもなく、の意を響かせる」と注す。 【ここら年を経て、今さらに帰るも】- 尼君について語る。 |
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| 1.7.2 | 「彼岸の浄土に思いを寄せていた尼のわたしが 捨てた都の世界に帰って行くのだわ」 |
かの岸に心寄りにし そむきし方に |
【かの岸に心寄りにし海人舟の--背きし方に漕ぎ帰るかな】- 尼君の歌。「岸」に彼岸と明石の岸との意を掛け、「海人」と「尼」を掛ける。世捨人が再び都へ帰る感慨を詠む。 |
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| 1.7.3 | 御方は、 |
と言って尼君は泣いていた。明石は、 |
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| 1.7.4 | 「何年も秋を過ごし過ごしして来たが 頼りない舟に乗って都に帰って行くのでしょう」 |
いくかへり行きかふ秋を過ごしつつ 浮き木に乗りてわれ帰るらん |
【いくかへり行きかふ秋を過ぐしつつ--浮木に乗りてわれ帰るらむ】- 明石の君の唱和歌。『完訳』は「「浮き木」は水中の浮木。前途の不安を象徴。「憂き」をひびかす」と注す。「天の川浮き木に乗れる我なれやありしにもあらず世はなりにけり」(俊頼髄脳)。張騫が漢の武帝の命によって、槎に乗って天の川の源を尋ねて帰ったという故事を踏まえた歌で、すでによく知られていた故事。 |
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| 1.7.5 | 思いどおりの追い風によって、予定していた日に違わずお入りになった。 人に気づかれまいとの考えもあったので、道中も簡素な旅姿に装っていた。 |
と言っていた。追い風であって、予定どおりに一行の人は京へはいることができた。車に移ってから人目を引かぬ用心をしながら大井の山荘へ行ったのである。 |
【見咎められじ】- 「られ」受身の助動詞。「じ」打消の助動詞、意志の打消し。 【路のほども軽らかにしなしたり】- 『集成』は「道中も、さして身分高からぬ一行のようによそおった」。『完訳』は「道中も粗略な装いであった」と訳す。 |
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第二章 明石の物語 上洛後、源氏との再会 |
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第一段 大堰山荘での生活始まる |
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| 2.1.1 | まだこまやかなるにはあらねども、 |
山荘の様子も風情あって、長年住み慣れた海辺に似ていたので、場所が変わった気もしない。 昔のことが自然と思い出されて、しみじみと感慨を催すことが多かった。 造り加えた廊など、風流な様子で、遣水の流れも風流に作ってあった。 まだ細かな造作は出来上がっていないが、住み慣れればそのままでも住めるであろう。 |
山荘は風流にできていて、大井川が明石でながめた海のように前を流れていたから、 |
【昔のこと思ひ出でられて】- 主語は尼君。「られ」自発の助動詞。『万水一露』は「祖父の旧跡なるゆゑなり」と注す。 【住みつかばさてもありぬべし】- 『完訳』は「住みなれてみればどうやらこれでも間に合いそうである」と訳す。 |
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| 2.1.2 | 腹心の家司にお命じになって、祝宴のご準備をおさせになっていたのであった。 おいでになることは、あれこれと口実をお考えになっているうちに、数日がたってしまった。 |
源氏は親しい |
【御まうけのこと】- 明石一行の無事到着を祝う宴の準備。 |
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| 2.1.3 | なかなかもの |
かえって物思いの日々が続いて、捨てた家も恋しく、所在ないので、あのお形見の琴の琴を弾き鳴らす。 折柄、たいそう堪えがたいので、人里から離れた所で気ままに少し弾いてみると、松風がきまりわるいほど音を合わせて吹いてきた。 尼君、もの悲しそうに物に寄り掛かっていらっしゃったが、起き上がって、 |
源氏に近い京へ来ながら物思いばかりがされて、女は |
【なかなかもの思ひ続けられて】- 明石君について語る。 【折の、いみじう忍びがたければ】- 『完訳』は「季節も秋の折柄、寂しさが心にしみてこらえかねるので」と訳す。 【松風はしたなく響きあひたり】- 「琴の音に峯の松風通ふらしいづれの緒より調べそめけむ」(拾遺集雑上、四五一、斎宮女御)を踏まえる。 |
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| 2.1.4 | 「尼姿となって一人帰ってきた山里に 昔聞いたことがあるような松風が吹いている」 |
身を変へて一人帰れる山里に 聞きしに似たる松風ぞ吹く |
【身を変へて一人帰れる山里に--聞きしに似たる松風ぞ吹く】- 尼君の歌。 |
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| 2.1.5 | 御方は、 |
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| 2.1.6 | 「故里で昔親しんだ人を恋い慕って弾く 田舎びた琴の音を誰が分かってくれようか」 |
ふるさとに見し世の友を恋ひわびて さへづることを |
【故里に見し世の友を恋ひわびて--さへづることを誰れか分くらむ】- 明石の君の唱和歌。『集成』は「「故里」は「山里」に応じ、「見し世」は「身をかへて」に応ずる。「見し世の友」は、昔幼時を過した都の知り人の意。「さへづること」は、意味の分らぬ方言、「こと(言)」に「琴」を掛ける」と注す。 |
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第二段 大堰山荘訪問の暇乞い |
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| 2.2.1 | かやうにものはかなくて |
このように頼りない状態で毎日過ごしているが、内大臣、かえって落ち着いていらっしゃれないので、人目を憚ることもおできになれず、お出掛けになるのを、女君は、これこれであるとはっきりとお知らせ申していらっしゃらなかったのを、例によって、外からお耳になさることもあろうかと思って、ご挨拶申し上げる。 |
こんなふうにはかながって暮らしていた数日ののちに、以前にもまして |
【かやうにものはかなくて】- 明石の君、上京の後、すぐには源氏の訪れもなく所在ない日々を過ごす。 【明かし暮らすに】- 大島本は「あかしくらすに」とある。『新大系』は底本のままとする。『集成』『古典セレクション』は諸本に従って「明かし暮らす」と校訂する。 |
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| 2.2.2 | 「桂に用事がございますが、いやはや、心ならずも日が過ぎてしまった。 訪問しようと約束した人までが、あの辺り近くに来ていて、待っているというので、気の毒でなりません。 嵯峨野の御堂にも、まだ飾り付けのできていない仏像のお世話をしなければなりませんので、二、三日は逗留することになりましょう」 |
「 |
【桂に見るべきこと】- 以下「二、三日ははべりなむ」まで、源氏の紫の君に手紙で言った内容。「桂」は桂の院の造営のことをさす。 【いさや】- 『完訳』は「ためらう気持の発語」と注す。 【待つなれば】- 「なれ」伝聞推定の助動詞。主語は明石の君。 |
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| 2.2.3 | と |
と申し上げなさる。 |
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| 2.2.4 | 「桂の院という所を、急にご造営なさっていると聞いているが、そこに住まわせなさっているのだろうか」とお思いになと、おもしろくないので、「斧の柄まで付け替えるほどになるのであろうか、待ち遠しいこと」と、不機嫌のご様子である。 |
夫人は桂の院という別荘の新築されつつあることを聞いたが、そこへ明石の人を迎えたのであったかと気づくとうれしいこととは思えなかった。「 |
【桂の院といふ所】- 以下「据ゑたまへるにや」まで、紫の君の心中。 【にはかに造らせたまふ】- 大島本は「つくらせ給ふ」とある。他本は「つくろはせ」(横為氏池三)とある。陽明文庫本と肖柏本と書陵部は大島本と同文。河内本は「つくろはせ」とある。『集成』『新大系』は底本のままとする。『古典セレクション』は諸本に従って「つくろはせ」と校訂する。 【斧の柄さへ改めたまはむほどや、待ち遠に】- 紫の君の詞。「斧の柄は朽ちなばまたもすげ替へむ憂き世の中に帰らずもがな」(古今六帖、二)。『述異記』の爛柯の故事に基づく。 |
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| 2.2.5 | 「例によって、調子を合わせにくいお心で、昔の好色がましい心は、すっかりなくなったと、世間の人も言っているというのに」、何かやとご機嫌をとっていらっしゃるうちに、日が高くなってしまった。 |
「また意外なことをお言いになる。私はもうすっかり昔の私でなくなったと世間でも言うではありませんか」などと言わせて夫人の |
【例の、比べ苦しき】- 以下「世人も言ふなるものを」まで、源氏の詞。引用句「と」がなく地の文に流れている。『集成』は「源氏の心中を以て地の文としたものと思われる」。『完訳』は「源氏の言葉だが、地の文に流れる」と注す。 |
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第三段 源氏と明石の再会 |
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| 2.3.1 | たそかれ |
ひっそりと、御前駆の親しくない者は加えないで、十分気を配っておいでになった。 黄昏時にお着きになった。 狩衣のご装束で質素になさっていたお姿でさえ、またとなく美しい心地がしたのに、なおさらのこと、そのお心づかいをして装っていらっしゃる御直衣姿、世になく優美でまぶしい気がするので、嘆き悲しんでいた心の闇も晴れるようである。 |
【忍びやかに、御前疎きは混ぜで】- 源氏、腹心の家来と共に大堰山荘訪問。 【御心づかひして】- 『集成』は「人目をお憚りになって」と訳す。 【やつれたまへりしだに、世に知らぬ心地せしを、まして】- 「だに」--「まして」という構文。「し」過去の助動詞。明石の地で源氏と逢った時の明石の君の体験に即した語り方。 |
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| 2.3.2 | 久しぶりで、感慨無量となって、若君を御覧になるにも、どうして通り一遍にお思いになれようか。 今まで離れていた年月の間でさえ、あきれるほど悔しいまでお思いになる。 |
今まで見ずにいたことさえも取り返されない損失のように思われる。左大臣家で生まれた子の |
【めづらしう、あはれにて】- 以下、源氏の心中描写。 【いかが浅く思されむ】- 語り手の源氏の心中を忖度した感情移入表現。 |
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| 2.3.3 | 「大殿腹の若君をかわいらしいと、世間の人がもてはやすのは、やはり時流におもねってそのように見做すのであった。 こんなふうに、優れた人の将来は、今からはっきりしているものを」 |
これこそ真の美人になる要素の備わった子供であると源氏は思った。 |
【大殿腹の君を】- 以下「山口はしるかりけれ」まで、源氏の心中。夕霧、時に十歳。 |
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| 2.3.4 | と、微笑んでいる顔の無邪気さが、愛くるしく、つややかなのを、たいそうかわいらしいとお思いになる。 |
無邪気な |
【うち笑みたる顔の何心なきが、愛敬づき、匂ひたる】- 明石の姫君の描写。 【いみじうらうたし】- 源氏の心中。 |
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| 2.3.5 | 乳母が、下行した時は痩せ衰えていた容貌、立派になって、何か月もの間のお話など、親しく申し上げるのを、しみじみと、あのような漁村の一角で過ごしてきたろうことを、おねぎらいになる。 |
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| 2.3.6 | 「ここでも、たいそう人里離れて、出向いて来ることも難しいので、やはり、あのかねて考えてある所にお引っ越しなさいませ」 |
「ここだってまだずいぶんと遠すぎる。したがって私が始終は来られないことになるから、やはり私があなたのために用意した所へお移りなさい」 |
【ここにも、いと里離れて】- 以下「移ろひたまへ」まで、源氏の詞。明石の君に二条東院への移転を勧める。 |
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| 2.3.7 | とのたまへど、 |
とおっしゃるが、 |
と源氏は明石に言うのであったが、 |
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| 2.3.8 | 「とてもまだ慣れない期間をもうしばらく過ごしましてから」 |
「こんなふうに田舎者であることが少し直りましてから」 |
【いとうひうひしきほど過ぐして】- 明石の君の詞。今しばらくここに過ごして都の生活になれてからと、辞退する。 |
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| 2.3.9 | と |
とお答え申し上げるのも、もっともなことである。 一晩中、いといろと睦言を交わされて、夜をお明かしなさる。 |
と女の言うのも道理であった。源氏はいろいろに明石の心をいたわったり、将来を堅く誓ったりしてその夜は明けた。 |
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第四段 源氏、大堰山荘で寛ぐ |
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| 2.4.1 | 修繕なさるべき所を、ここの宿守りや、新たに加えた家司などにお命じになる。 桂の院にお出ましになるご予定とあったので、近くの荘園の人々で、参集していたのも、みなこちらに尋ねて参った。 前栽の折れ臥しているのなど、お直させなさる。 |
なお修繕を加える必要のある所を、源氏はもとの預かり人や新たに任命した家職の者に命じていた。源氏が桂の院へ来るという |
【繕ふべき所、所の預かり、今加へたる家司】- 「所の預かり」は明石の山荘の宿守り。「家司」は源氏が新たに任命した者。 【所所の預かり】-『集成』は「所々のあづかり」と校訂。 【参り集まりたりけるも】- 桂の院に。 |
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| 2.4.2 | 「あちらこちらの立石もみな倒れたり無くなったりしているが、風情あるように造ったならば、きっと見栄えのする庭園ですね。 このような庭をわざわざ修繕するのも、つまらないことです。 そうしたところで一生を過ごすわけでないから、立ち去る時に気が進まず、心引かれるのも、つらいことであった」 |
「流れの中にあった |
【ここかしこの】- 以下「苦しかりき」まで、源氏の詞。後半は明石の土地を離れがたく思ったことを回想する。 |
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| 2.4.3 | など、 |
などと、昔のこともお口に出しになさって、泣いたり笑ったりして、くつろいでお話になっているのが、実に素晴らしい。 |
源氏はまた昔を言い出して、泣きもし、笑いもして語るのであった。こうした打ち解けた様子の見える時に源氏はいっそう美しいのであった。 |
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| 2.4.4 | 尼君、のぞいて拝すると、老いも忘れて、物思いも晴れるような心地がして、思わずにっこりしてしまった。 |
のぞいて見ていた尼君は老いも忘れ、物思いも跡かたなくなってしまう気がして |
【尼君、のぞきて見たてまつるに】- 東の渡殿近くの母屋の中から源氏を見る。 |
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| 2.4.5 | 東の渡殿の下から湧き出る遣水の趣、修繕させなさろうとして、たいそう優美な袿姿でくつろいでいらっしゃるのを、まことに立派で嬉しく拝見していると、閼伽の道具類があるのを御覧になると、お思い出しになって、 |
東の |
【東の渡殿の下より出づる水の心ばへ】- 『集成』は「遣水を東の渡殿の下から庭に流して南の池に導くのが、当時の一般の作庭法である」と注す。 【いとめでたううれし】- 尼君の心中。 【閼伽の具などのあるを見たまふに】- 東の渡殿に居る源氏から尼君の方を見る。 |
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| 2.4.6 | 「尼君は、こちらにいらっしゃるのか。 まことみっともない姿であったよ」 |
「尼君はこちらにおいでになりますか。だらしのない姿をしています」 |
【尼君は、こなたにか。いとしどけなき姿なりけりや】- 源氏の詞。袿姿を恥じる。 |
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| 2.4.7 | とおっしゃって、御直衣をお取り寄せになって、お召しになる。 几帳の側にお近寄りになって、 |
と言って、源氏は |
【御直衣召し出でて、たてまつる】- 「たてまつる」は「着る」の尊敬語。 【几帳のもとに寄りたまひて】- 源氏、東の渡殿から尼君の居る母屋の几帳の前に移動。 |
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| 2.4.8 | 「 いといたく またかしこには、いかにとまりて、 |
「罪を軽めてお育てなさった、その人の原因は、お勤行のほどをありがたくお思い申し上げます。 たいそう深く心を澄まして住んでいらっしゃったお家を捨てて、憂き世にお帰りになられたお気持ち、深く感謝します。 またあちらには、どのように居残って、こちらを思っていらっしゃるのだろうと、あれこれと思われることです」 |
「子供がよい子に育ちましたのは、あなたの祈りを仏様がいれてくだすったせいだろうとありがたく思います。俗をお離れになった清い御生活から、私たちのためにまた世の中へ帰って来てくだすったことを感謝しています。明石ではまた一人でお残りになって、どんなにこちらのことを想像して心配していてくださるだろうと済まなく私は思っています」 |
【罪軽く生ほし立てたまへる、人のゆゑは】- 以下「さまざまになむ」まで、源氏の詞。『集成』は「「罪軽く」は、前世の罪の軽いこと、果報によってこの世に美しく生れ育つ意。「ゆゑ」は、理由。尼君の勤行ゆえに、前世の罪が軽くなったという」と注す。「人」は姫君をさす。 【またかしこには】- 明石に残った入道をさす。 |
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| 2.4.9 | と、いとなつかしうのたまふ。 |
と、たいそう優しくおっしゃる。 |
となつかしいふうに話した。 |
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| 2.4.10 | 「いったん捨てました世の中を、今さら帰って来て、思い悩みますのを、ご推察くださいましたので、長生きした甲斐があると、嬉しく存じられます」と、泣き出して、「田舎の海辺にひっそりとお育ちになったことを、お気の毒にお思い申していた姫君も、今では将来頼もしくと、お祝い申しておりますが、素性賤しさゆえに、どのようなものかと、あれこれと心配せずにはいられません」 |
「一度捨てました世の中へ帰ってまいって苦しんでおります心も、お察しくださいましたので、命の長さもうれしく存ぜられます」尼君は泣きながらまた、「 |
【捨てはべりし世を】- 大島本は「すてはへりし世」とある。『新大系』は底本のままとする。『集成』『古典セレクション』は諸本に従って「捨てはべりにし」と完了助動詞「に」を補訂する。以下「思ひたまへ知られぬ」まで、尼君の詞。 【荒磯蔭に】- 以下「心尽くされはべる」まで、尼君の詞。「荒磯蔭」「二葉の松」「生ひ」「浅き根ざし」は歌語かつ縁語。和歌的修辞。尼君の人柄、教養を窺わせるもの。下に「よしなからねば」とある。 |
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| 2.4.11 | などと申し上げる感じ、風情がなくもないので、昔話に、親王が住んでいらっしゃった様子など、お話させなさっていると、手入れした遣水の音が、訴えるかのように聞えて来る。 |
などという様子に品のよさの見える婦人であったから、源氏はこの山荘の昔の |
【語らせたまふに】- 「せ」使役の助動詞。源氏が尼君に。 【かことがましう聞こゆ】- 『集成』は「昔恋しさを訴えるかのように聞える」と訳す。 |
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| 2.4.12 | 「かつて住み慣れていたわたしは帰って来て、 昔のことを思い出そうとするが遣水はこの家の主人のよう |
住み |
【住み馴れし人は帰りてたどれども--清水は宿の主人顔なる】- 尼君の歌。大島本は「しミつは」とある。『新大系』『古典セレクション』は底本のままとする。『集成』は諸本に従って「清水ぞ」と校訂する。「帰りて」「却りて」の掛詞。『完訳』は「時の推移を思う」と注す。 |
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| 2.4.13 | わざとらしくはなくて、言い切らない様子、優雅で品がある、とお聞きになる。 |
歌であるともなくこう言う様子に、源氏は風雅を解する老女であると思った。 |
【わざとはなくて、言ひ消つさま】- 『集成』は「さりげなく謙遜するさま」。『完訳』「わざとらしくはなく中途で声をひそめるその様子を」と訳す。 |
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| 2.4.14 | 「小さな遣水は昔のことも忘れないのに もとの主人は姿を変えてしまったからであろうか |
「いさらゐははやくのことも忘れじを もとの |
【いさらゐははやくのことも忘れじを--もとの主人や面変はりせる】- 源氏の歌。「主人」の語句を用いて返す。『完訳』は「尼君を家の主とたたえながら、これも時の推移を詠んだ歌」と注す。 |
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| 2.4.15 | あはれ」 |
ああ、懐かしい」 |
悲しいものですね」 |
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| 2.4.16 | と、ちょっと眺めて、お立ちになる姿、美しさを、世の中に見たこともない、とばかり思い申し上げる。 |
と |
【立ちたまふ姿、にほひ、世に知らず】- 大島本は「にほひ」とある。『新大系』は底本のままとする。『集成』『古典セレクション』は諸本に従って「にほひを」と「を」を補訂する。 |
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第五段 嵯峨御堂に出向き大堰山荘に宿泊 |
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| 2.5.1 | お寺にお出向きになって、毎月の十四、五日、晦日の日、行われるはずの普賢講、阿彌陀、釈迦の念仏の三昧のことは言うまでもなく、さらにまたお加えになるべきことなど、お定めさせなさる。 堂の飾り付け、仏像の道具類、お触れを回してお命じになる。 月の明るいうちにお戻りになる。 |
源氏は |
【御寺に渡りたまうて】- 源氏、嵯峨野の御堂に出かけ、仏具等指図する。 |
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| 2.5.2 | かつての明石での夜のこと、お思い出しになっていらっしゃる、その時を逃さず、あの琴のお琴をお前に差し出した。 どことなくしみじみと感慨が込み上げてくるので、我慢がおできになれず、掻き鳴らしなさる。 絃の調子もまだもとのままで、当時に戻って、あの時のことが今のようなお感じがなさる。 |
明石の別離の夜のことが源氏の胸によみがえって感傷的な気分になっている時に女はその夜の形見の琴を差し出した。 |
【ありし夜のこと】- 大堰山荘の夜。源氏、形見の琴を弾き、明石の君と歌を唱和する。 【折過ぐさず】- 主語は明石の君。 【ひきかへし】- 「弾き返し」と「引き返し」の両意をこめた表現。 |
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| 2.5.3 | 「約束したとおり、 琴の調べのように変わらないわたしの心 |
契りしに変はらぬ琴のしらべにて 絶えぬ心のほどは知りきや |
【契りしに変はらぬ琴の調べにて--絶えぬ心のほどは知りきや】- 源氏の歌。「琴」と「言」の掛詞。「琴」「絶えぬ」は縁語。『完訳』は「己が誠実さを哀訴」と注す。 |
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| 2.5.4 | 女は、 |
と言うと、女が、 |
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| 2.5.5 | 「変わらないと約束なさったことを頼みとして 松風の音に泣く声を添えていました」 |
変はらじと契りしことを頼みにて 松の響に |
【変はらじと契りしことを頼みにて--松の響きに音を添へしかな】- 明石の君の返歌。「変はらぬ」を受けて「変らじと」と返す。「言」と「琴」、「松」と「待つ」「ね」は「琴の音」と「泣く音」の掛詞。 |
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| 2.5.6 | と詠み交わし申し上げたのも、不釣り合いでないのは、身に余る幸せのようである。 すっかりと立派になった器量、雰囲気、とても見捨てがたく、若君、言うまでもなく、いつまでもじっと見守らずにはいらっしゃれない。 |
と言う。こんなことが不つりあいに見えないのは女からいえば過分なことであった。明石時代よりも女の美に光彩が加わっていた。源氏は永久に離れがたい人になったと明石を思っている。姫君の顔からもまた目は離せなかった。 |
【似げなからぬこそは、身にあまりたるありさまなめれ】- 語り手の感情移入を加えた表現。「な(る)」断定の助動詞。連体形「めれ」推量の助動詞。その主観的推量は語り手のもの。 【まぼられたまふ】- 大島本は「まほられ」とある。『新大系』は底本のままとする。『集成』『古典セレクション』は諸本に従って「まもられ」と校訂する。 |
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| 2.5.7 | 「どうしたらよいだろう。 日蔭者としてお育ちになることが、気の毒で残念に思われるが、二条の院に引き取って、思いどおりに世話したならば、後になって世間の人々から非難も受けなくてすむだろう」 |
【いかにせまし】- 以下「罪免かれなむかし」まで、源氏の心中。二条院へ姫を迎え取ることを考える。 【二条の院に渡して】- 『集成』は「紫の上の養女にして、という含み」と注す。 【後のおぼえも罪免れ】- 『完訳』は「姫君が入内する時の世評。「罪」は田舎育ちという悪評」と注す。 |
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| 2.5.8 | と |
とお考えになるが、また一方で、悲しむことも気の毒で、お口に出すこともできず、涙ぐんで御覧になる。 幼い心で、少し人見知りしていたが、だんだん打ち解けてきて、何か言ったり笑ったりして、親しみなさるのを見るにつれて、ますます美しくかわいらしく感じられる。 抱いていらっしゃる様子、いかにも立派で、将来この上ないと思われた。 |
また引き放される明石の心が哀れに思われて口へそのことは出ずにただ涙ぐんで姫君の顔を見ていた。子心にはじめは少し恥ずかしがっていたが、今はもうよく |
【幼き心地に】- 姫君、三歳。 【見るままに、匂ひまさりてうつくし】- 主語は源氏か。「うつくし」という評言は語り手のもの。敬語を省いて直叙した表現であろう。『完訳』は「源氏の心内に即した地の文」「女君が見るにつけ、いよいよ美しさも増してかわいらしく思うのである」と注して訳す。 【見るかひありて、宿世こよなしと見えたり】- 『完訳』は「語り手の言葉」と注す。 |
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第三章 明石の物語 桂院での饗宴 |
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第一段 大堰山荘を出て桂院に向かう |
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| 3.1.1 | 次の日は京へお帰りあそばすご予定なので、少しお寝過ごしになって、そのままこの山荘からお帰りになる予定であるが、桂の院に人々が多く参集して、こちらにも殿上人が大勢参上した。 ご装束などをお付けになって、 |
三日目は京へ帰ることになっていたので、源氏は朝もおそく起きて、ここから直接帰って行くつもりでいたが、桂の院のほうへ高官がたくさん集まって来ていて、この山荘へも殿上役人がおおぜいで迎えに来た。源氏は装束をして、 |
【またの日は京へ帰らせたまふべければ】- 翌日、源氏は京の二条院へ帰る。「せ」尊敬の助動詞。「たまふ」尊敬の補助動詞、最高敬語表現。源氏と明石との身分の格差を強調した表現。 【御装束】- 大島本は「御さうす(す=そイ<朱墨>)く」とある。すなわち「す」の右傍に朱筆と墨筆で「そイ」と記している。振り仮名に『新大系』は「す」を付け、『集成』『古典セレクション』は「そ」を付けている。 |
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| 3.1.2 | 「ほんとうにきまりが悪いことだ。 このように発見されるような秘密の場所でもないのに」 |
「きまりの悪いことになったものだね、あなたがたに見られてよい |
【いとはしたなきわざかな。かく見あらはさるべき隈にもあらぬを】- 源氏の詞。『集成』は「色恋沙汰ではないという家庭的な気持から言ったもの」と注す。 |
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| 3.1.3 | と言って、騒がしさにひかれてお出になる。 気の毒なので、さりげないふうによそおって立ち止まっていらっしゃる戸口に、乳母が、若君を抱いて出て来た。 かわいらしい様子なので、ちょっとお撫でになって、 |
と言いながらいっしょに出ようとしたが、心苦しく女を思って、さりげなく紛らして立ち止まった戸口へ、 |
【さりげなく紛らはして立ちとまりたまへる】- 『完訳』は「身分低い女と別れを惜しむのを気づかれまいと、無表情を装う」と注す。 |
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| 3.1.4 | 「見ないでいては、とてもつらいだろうことは、まったく現金なものだ。 どうしたらよかろうか。 とても里が遠いな」 |
「見ないでいることは堪えられない気のするのもにわかな愛情すぎるね。どうすればいいだろう、遠いじゃないか、ここは」 |
【見では、いと苦しかりぬべき】- 以下「いと里遠しや」まで、源氏の詞。 【里遠しや】- 「里遠みいかにせよとかかくのみはしばしも見ねば恋しかるらむ」(元真集)を踏まえる。 |
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| 3.1.5 | とのたまへば、 |
とおっしゃると、 |
と源氏が言うと、 |
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| 3.1.6 | 「遥か遠くに存じておりました数年前よりも、これからのお持てなしが、はっきりしませんのは、気がかりで」 |
「遠い田舎の幾年よりも、こちらへ参ってたまさかしかお迎えできないようなことになりましては、だれも皆苦しゅうございましょう」 |
【遥かに思ひたまへ絶えたりつる】- 以下「心尽くしに」まで、乳母の詞。 |
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| 3.1.7 | などと申し上げる。 若君、手を差し出して、お立ちになっている後をお慕いなさると、お膝をおつきになって、 |
など乳母は言った。姫君が手を前へ伸ばして、立っている源氏のほうへ行こうとするのを見て、源氏は |
【立ちたまへるを慕ひたまへば、ついゐたまひて】- 「立ちたまへる」と「ついゐたまひて」の主語は源氏。「慕ひたまへば」の主語は明石の姫君。 |
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| 3.1.8 | 「不思議と、気苦労の絶えないわが身であるよ。 少しの間でもつらい。 どこか。 どうして、一緒に出て来て、別れを惜しみなさらないのですか。 そうしてこそ、人心地もつこうものよ」 |
「もの思いから解放される日のない私なのだね、しばらくでも別れているのは苦しい。奥さんはどこにいるの、なぜここへ来て別れを惜しんでくれないのだろう、せめて |
【あやしう、もの思ひ絶えぬ身にこそ】- 以下「人心地もせめ」まで、源氏の詞。明石の君に姫君と一緒に見送るよう促す。 |
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| 3.1.9 | とのたまへば、うち |
とおっしゃるので、ふと笑って、女君に「これこれです」と申し上げる。 |
と言うと、乳母は笑いながら明石の所へ行ってそのとおりを言った。 |
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| 3.1.10 | なかなかもの あまり |
かえって、物思いに悩んで伏せっていたので、急には起き上がることができない。 あまりに貴婦人ぶっているとお思いになった。 女房たちも気を揉んでいるので、しぶしぶといざり出て、几帳の蔭に隠れている横顔、たいそう優美で気品があり、しなやかな感じ、皇女といっても十分である。 |
女は |
【皇女たちといはむにも足りぬべし】- 『完訳』は「語り手の推称の言辞。源氏の「あまり上衆」の評と照応」と注す。 |
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| 3.1.11 | 帷子を引きのけて、愛情こまやかにお語らいになろうとして、しばらくの間振り返って御覧になると、あれほど心を抑えていたが、お見送り申し上げる。 |
源氏は几帳の |
【語らひたまふとて】- 大島本は「かたらひ給ふとて」とある。諸本には「かたらひ給いて給ふとて」(肖)、「かたらひ給ていてたまふとて」(証)、河内本は「女かたらいたまふ御せんなとたちかはりさわきてやすらへはいてたまふとて」(御)、「かたらひ給御せんなと立さはきてやすらへはいて給とて」(七保冷大国)とある。『新大系』『古典セレクション』は底本のままとする。『集成』は河内本に従って「かたらひたまふ。御前など、立ち騷ぎてやすらへば、出でたまふとて」と校訂する。 |
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| 3.1.12 | いはむかたなき いたうそびやぎたまへりしが、すこしなりあふほどになりたまひにける |
何とも言いようがないほど、 今がお盛りのご容貌である。たいそうすらっとしていらっしゃったが、少し均整のとれるほどにお太りになったお姿など、「これでこそ貫祿があるというものだ」と、指貫の裾まで、優美に魅力あふれて思えるのは、贔屓目に |
源氏の美は今が盛りであると思われた。以前は |
【いはむかたなき盛りの】- 明石の君から源氏の姿を見る目に視点が移る。 【いたうそびやぎたまへりしが】- 「し」過去の助動詞。明石の地にあった時の源氏の姿態を思い起こした表現。 【かくてこそものものしかりけれ】- 明石の君の感想。「けれ」過去の助動詞、詠嘆の意。 【愛敬のこぼれ出づるぞ】- 大島本は「こほれいつる」とある。『新大系』は底本のままとする。『集成』『古典セレクション』は諸本に従って「こぼれおつる」と校訂する。 【あながちなる見なしなるべき】- 『集成』は「「あながち」以下草子地」。『完訳』は「源氏を褒めすぎる彼女を軽く揶揄し、話に現実性を与える語り口」と注す。 |
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| 3.1.13 | あの、解任されていた蔵人も、復官していたのであった。 靭負尉になって、今年五位に叙されたのであった。 昔とは違って、得意気なふうで、御佩刀を取りに近くにやって来た。 人影を見つけて、 |
解官されて源氏について |
【かの、解けたりし蔵人も】- 「須磨」に初出。「澪標」「関屋」にも登場。空蝉の夫伊予介(後、常陸介)の子で河内守の弟。 |
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| 3.1.14 | 「昔のことは忘れていたわけではありませんが、恐れ多いのでお訪ねできずにおりました。 浦風を思い出させる今朝の寝覚めにも、ご挨拶申し上げる手だてさえなくて」 |
「以前の御厚情を忘れておりませんが、失礼かと存じますし、浦風に似た気のいたしました今暁の山風にも、御挨拶を取り次いでいただく |
【来し方の】- 以下「よすがだになくて」まで、靫負尉の詞。女房に今まで御無沙汰していた言い訳。「浦風」「暁の寝覚め」という歌語を使用。 【かしこければえこそ】- 大島本は「(+え<朱>)こそ」とある。すなわち朱筆で副詞「え」を補入する。『新大系』はあ底本の補訂に従う。『集成』『古典セレクション』は諸本及び底本の訂正以前本文に従って「こそ」と校訂する。 |
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| 3.1.15 | と、けしきばむを、 |
と、意味ありげに言うので、 |
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| 3.1.16 | 「幾重にも雲がかかる山里は、まったく島隠れの浦に劣りませんでしたのに、松も昔の相手はいないものかと思っていたが、忘れていない人がいらっしゃったとは、頼もしいこと」 |
「山に取り巻かれておりましては、海べの頼りない |
【八重立つ山は】- 以下「頼もし」まで、女房の返事。引歌を多用。「白雲の八重立つ山の峯にだに住めば住まるる世にこそありけれ」(源氏釈所引)「ほのぼのと明石の浦の朝霧に島隠れ行く舟をしぞ思ふ」(古今集羈旅、四〇九、読人しらず)「誰をかも知る人にせむ高砂の松も昔の友ならなくに」(古今集雑上、九〇九、藤原興風)。 |
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| 3.1.17 | など |
などと言う。 |
などと明石は言った。 |
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| 3.1.18 | 「ひどいもんだ。 自分も悩みがないわけではなかったのに」 |
すばらしいものにこの人はなったものだ、自分だって恋人にしたいと思ったこともある女ではないかなどと思って、 |
【こよなしや。我も思ひなきにしもあらざりしを】- 靫負尉の心中。『完訳』は「靫負の尉の心語。「こよなし」は、自分の期待とはかけ離れている感じ。古歌を多用する女房の気どった態度に応対しかねる気持」と注す。 |
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| 3.1.19 | など、あさましうおぼゆれど、 |
などと、興ざめな思いがするが、 |
驚異を覚えながらも |
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| 3.1.20 | 「 |
「いずれ、改めて」 |
「また別の機会に」 |
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| 3.1.21 | と、きっぱり言って、参上した。 |
と言って男らしく肩を振って行った。 |
【うちけざやぎて】- 『集成』は「きちんと挨拶して」。『完訳』は「きっぱり言い捨てて」と訳す。 |
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第二段 桂院に到着、饗宴始まる |
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| 3.2.1 | たいそう威儀正しくお進みになる間、大声で御前駆が先払いして、お車の後座席に、頭中将、兵衛督をお乗せになる。 |
りっぱな |
【いとよそほしくさし歩みたまふほど】- 主語は源氏。内大臣にふさわしく、ものものしく先払いをして車に向かう。 |
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| 3.2.2 | 「たいそう軽々しい隠れ家、見つけられてしまったのが、残念だ」 |
「つまらない隠れ家を発見されたことはどうも残念だ」 |
【いと軽々しき隠れ家】- 以下「ねたう」まで、源氏の詞。 |
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| 3.2.3 | と、いたうからがりたまふ。 |
と、ひどくお困りのふうでいっらっしゃる。 |
源氏は車中でしきりにこう言っていた。 |
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| 3.2.4 | 「昨夜の月には、残念にもお供に遅れてしまったと存じましたので、今朝は、霧の中を参ったのでございます。 山の紅葉は、まだのようでございます。 野辺の色は、盛りでございました。 某の朝臣が、小鷹狩にかかわって遅れてしまいましたが、どうなったことでしょう」 |
「昨夜はよい月でございましたから、 |
【昨夜の月に】- 以下「いかがなりぬらむ」まで、頭中将たちの詞。 【山の錦は】- 「霜のたて露のぬきこそ弱からし山の錦の織ればかつ散る」(古今集秋下-二九一 藤原関雄)(text18.html 出典14 から転載) 【なにがしの朝臣の】- 実名を言ったのを「某朝臣」と語り手が言い換えたもの。 |
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| 3.2.5 | など |
などと言う。 |
などと若い人は言った。 |
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| 3.2.6 | 「今日は、やはり桂殿で」と言って、そちらの方にいらっしゃった。 急な御饗応だと大騷ぎして、鵜飼たちを呼び寄せると、海人のさえずりが自然と思い出される。 |
「今日はもう一日 |
【御饗応と騷ぎて】- 大島本は「御あるし(し+と)し(し#<朱>)さハきて」とある。すなわち「し」を朱筆で抹消して「と」を補入する。諸本は、「御あるししさはきて」(横為陽池肖三)、「御あるしさはきて」(氏)、「御あるししさわきて」(証)とある。『新大系』は底本の訂正に従う。『集成』『古典セレクション』は諸本に従って「御饗応し騷ぎて」と校訂する。 |
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| 3.2.7 | 野原に夜明かしした公達は、小鳥を体裁ばかりに付けた荻の枝など、土産にして参上した。 お杯が何度も廻って、川の近くなので危なっかしいので、酔いに紛れて一日お過ごしになった。 |
大井の野に残った殿上役人が、しるしだけの小鳥を |
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第三段 饗宴の最中に勅使来訪 |
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| 3.3.1 | おのおの |
各自が絶句などを作って、月が明るく差し出したころに、管弦のお遊びが始まって、まことに華やかである。 |
月がはなやかに上ってきたころから音楽の合奏が始まった。 |
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| 3.3.2 | 弾楽器は、琵琶、和琴ぐらいで、笛は上手な人だけで、季節にふさわしい調子を吹き立てるほどに、川風が吹き合わせて風雅なところに、月が高く上り、何もかもが澄んで感じられる夜がやや更けていったころに、殿上人が、四、五人ほど連れだって参上した。 |
絃楽のほうは |
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| 3.3.3 | 殿上の間に伺候していたのだったが、管弦の御遊があった折に、 |
殿上に伺候していたのであるが、音楽の遊びがあって、 |
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| 3.3.4 | 「今日は、六日の御物忌みの明ける日なので、必ず参内なさるはずなのに、どうしてなのか」 |
「今日は六日の謹慎日が済んだ日であるから、きっと源氏の |
【今日は、六日の御物忌明く日にて、かならず参りたまふべきを、いかなれば】- 冷泉帝の詞。『集成』「中神の物忌であろうかとされる。五日か六日連続するゆえんである。「御物忌」とあるのは、帝の物忌である」と注す。 |
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| 3.3.5 | と仰せになったところ、ここに、このようにご滞留になった由をお聞きあそばして、お手紙があったのであった。 お使いは蔵人弁であった。 |
と仰せられた時に、嵯峨へ行っていることが奏されて、それで下された一人のお使いと同行者なのである。 |
【蔵人弁】- 系図不詳の人。この場面にのみ登場。 |
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| 3.3.6 | 「月が澄んで見える桂川の向こうの里なので 月の光をゆっくりと眺められることであろう |
「月のすむ川の 桂の影はのどけかるらん |
【月のすむ川のをちなる里なれば--桂の影はのどけかるらむ】- 帝の歌。「住む」と「澄む」の掛詞。『完訳』は「土地ぼめをして源氏をたたえる」と注す。 |
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| 3.3.7 | 羨ましいことです」 |
うらやましいことだ」 |
【うらやましう】- 歌に添えた言葉。 |
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| 3.3.8 | とあり。 かしこまりきこえさせたまふ。 |
とある。 恐縮申し上げなさる。 |
これが |
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| 3.3.9 | ここにはまうけの |
殿上の御遊よりも、やはり場所柄ゆえに、ひとしお身にしみ入る楽の音を賞美して、また酔いも加わった。 ここには引き出物も準備していなかったので、大堰に、 |
源氏はかしこまって承った。清涼殿での音楽よりも、場所のおもしろさの多く加わったここの管絃楽に新来の人々は興味を覚えた。また杯が多く巡った。ここには |
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| 3.3.10 | 「ことごとしくならない引き出物はないか」 |
「たいそうでない纏頭の品があれば」 |
【わざとならぬまうけの物や】- 源氏の詞。間接的話法であろう。「や」疑問の係助詞、下に「ある」(連体形)が省略された形。 |
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| 3.3.11 | と、 |
と言っておやりになった。 有り合わせの物を差し上げた。 衣櫃二荷に入っているのを、お使いの蔵人弁はすぐに帰参するので、女の装束をお与えになる。 |
と言ってやった。 |
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| 3.3.12 | 「桂の里といえば月に近いように思われますが それは名ばかりで朝夕霧も晴れない山里です」 |
久方の光に近き名のみして 朝夕霧も晴れぬ山ざと |
【久方の光に近き名のみして--朝夕霧も晴れぬ山里】- 源氏から帝への返歌。「月の澄む」「里」「桂の影」の語句を受けて、「久方の光に近き名のみ」「山里」と謙遜する。 |
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| 3.3.13 | 「 |
行幸をお待ち申し上げるお気持ちなのであろう。 「月の中に生えている」と朗誦なさる時に、あの淡路島をお思い出しになって、躬恒が「場所柄からであろうか」といぶかしがったという話などを、おっしゃり出したので、しみじみとした酔い泣きする者もいるのであろう。 |
というのが源氏の勅答の歌であった。帝の行幸を待ち奉る意があるのであろう。「中に |
【行幸待ちきこえたまふ心ばへなるべし】- 「なる」断定の助動詞。「べし」推量の助動詞。語り手の言辞。『集成』は「作者の自注。草子地」。『完訳』は「語り手の推測」と注す。 【中に生ひたる】- 「久かたの中に生ひたる里なれば光をのみぞ頼むべらなる」(古今集雑下、九六八、伊勢)。詞書に「桂に侍りける時に、七条の中宮の問はせ給へりける御返事に、奉れりける」とある。 【所からか】- 「淡路にてあはとはるかに見し月の近き今宵は所がらかも」(新古今集雑上、一五一五、凡河内躬恒)の和歌。 【ものあはれなる酔ひ泣きどもあるべし】- 語り手の推量。 |
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| 3.3.14 | 「都に帰って来て手に取るばかり近くに見える月は あの淡路島を臨んで遥か遠くに眺めた月と同じ月なのだろうか」 |
めぐりきて手にとるばかりさやけきや 淡路の島のあはと見し月 |
【めぐり来て手に取るばかりさやけきや--淡路の島のあはと見し月】- 源氏の歌。 |
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| 3.3.15 | 頭中将、 |
これは源氏の作である。 |
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| 3.3.16 | 「浮雲に少しの間隠れていた月の光も 今は澄みきっているようにいつまでものどかでありましょう」 |
浮き雲にしばしまがひし月影の すみはつるよぞのどけかるべき |
【浮雲にしばしまがひし月影の--すみはつる夜ぞのどけかるべき】- 頭中将の唱和歌。「浮き」と「憂き」、「澄み」と「住み」、「夜」と「世」の掛詞。源氏を「月影」に喩える。 |
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| 3.3.17 | 左大弁、少し年がいって、故院の御代にも、親しくお仕えしていた人なのであった。 |
【左大弁】- 右大弁横為池 系図不詳の人。 |
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| 3.3.18 | 「まだまだご健在であるはずの故院はどこの谷間に お姿をお隠しあそばしてしまわれたのだろう」 |
雲の上の住みかを捨てて いづれの谷に影隠しけん |
【雲の上のすみかを捨てて夜半の月--いづれの谷にかげ隠しけむ】- 左大弁の唱和歌。「月」を故桐壺院に喩える。 |
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| 3.3.19 | それぞれに多くあるようだが、煩わしいので省略する。 |
なおいろいろな人の作もあったが省略する。 |
【心々にあまたあめれど、うるさくてなむ】- 語り手の省筆の弁。 |
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| 3.3.20 | 親しい内輪とのしんみりしたお話に、少し砕けてきて、千年も見たり聞いていたりしたいご様子なので、斧の柄も朽ちてしまいそうだが、いくらなんでも今日まではと、急いでお帰りになる。 |
歌が出てからは、人々は感情のあふれてくるままに、こうした人間の愛し合う世界を千年も続けて見ていきたい気を起こしたが、二条の院を出て四日目の朝になった源氏は、今日はぜひ帰らねばならぬと急いだ。 |
【御ありさま】- 源氏の姿態をいう。 |
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| 3.3.21 | いろいろな品物を身分に応じてお与えになって、霧の絶え間に見え隠れしているのも、前栽の花かと見違えるような色あいなど、格別素晴らしく見える。 近衛府の有名な舎人、芸能者などが従っているのに、何もないのはつまらないので、「その駒」などを謡いはやして、脱いで次々とお与えになる色合いは、秋の錦を風が吹き散らしているかのように見える。 |
一行にいろいろな物をかついだ供の人が加わった列は、霧の間を行くのが秋草の園のようで美しかった。 |
【其駒】- 神楽歌の一曲。神の還御を送る歌。「葦ぶちのや森の森の下なる若駒率て来葦毛ぶちの虎毛の駒(本)その駒ぞや我に我に子さ乞ふ草は取り飼はむ水は取り草は取り飼はむや(末)」(其駒)。 |
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| 3.3.22 | 大騷ぎしてお帰りになるざわめきを、大堰では遥か遠くに聞いて、名残寂しく物思いに沈んでいらっしゃる。 「お手紙さえ出さなくて」と、大臣もお気にかかっていらっしゃった。 |
大騒ぎにはしゃぎにはしゃいで桂の院を人々の引き上げて行く物音を大井の山荘でははるかに聞いて寂しく思った。 |
【帰らせたまふ響き】- 大島本は「ひゝき」とある。『新大系』は底本のままとする。『集成』『古典セレクション』は諸本に従って「響きを」と格助詞「を」を補訂する。 【御消息をだにせで】- 『完訳』は「明石の君への後朝の文」と注す。 |
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第四章 紫の君の物語 嫉妬と姫君への関心 |
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第一段 二条院に帰邸 |
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| 4.1.1 | 邸にお帰りになって、しばらくの間お休みになる。 山里のお話など申し上げなさる。 |
二条の院に着いた源氏はしばらく休息をしながら夫人に |
【殿におはして】- 源氏、二条院に帰邸する。 |
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| 4.1.2 | 「お暇を頂戴したのが過ぎてしまったので、とても申し訳ありません。 この風流人たちが尋ねて来て、無理に引き止めたので、それにつられて。 今朝は、とても気分が悪い」 |
「あなたと約束した日が過ぎたから私は苦しみましたよ。風流男どもがあとを追って来てね、あまり留めるものだからそれに引かれていたのですよ。疲れてしまった」 |
【暇聞こえしほど】- 以下「いとなやまし」まで、源氏の詞。二、三日逗留の予定が五日に延期。 |
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| 4.1.3 | と言って、お寝みになった。 例によって、不機嫌のようでいらしたが、気づかないないふりをして、 |
と言って源氏は寝室へはいった。夫人が気むずかしいふうになっているのも気づかないように源氏は扱っていた。 |
【見知らぬやうにて】- 主語は源氏。紫の君の不機嫌な態度を知らぬふりしてという意。 |
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| 4.1.4 | 「比較にならない身分を、お比べになっても、良くないようです。 自分は自分と思っていらっしゃい」 |
「比較にならない人を競争者ででもあるように考えたりなどすることもよくないことですよ。あなたは自分は自分であると思い上がっていればいいのですよ」 |
【なずらひならぬほどを】- 以下「思ひなしたまへ」まで、源氏の詞。明石の君の身分は紫の君に比較にならぬという。 【悪きわざなめり】- 大島本は「わるき」とある。『新大系』は底本のままとする。『集成』『古典セレクション』は諸本に従って「わろき」と整定する。 【我は我と思ひなしたまへ】- 『集成』は「自分は自分だと平気でいらっしゃればよい」。『完訳』は「自分は自分で別格だとかまえてくだされ」と訳す。 |
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| 4.1.5 | と、 |
と、お教え申し上げなさる。 |
と源氏は教えていた。 |
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| 4.1.6 | 日が暮かかるころに、宮中へ参内なさるが、脇に隠して急いでお認めになるのは、あちらへなのであろう。 横目には愛情深く見える。 小声で言って遣わすのを、女房たちは、憎らしいとお思い申し上げる。 |
日暮れ前に参内しようとして出かけぎわに、源氏は隠すように紙を持って手紙を書いているのは大井へやるものらしかった。こまごまと書かれている様子がうかがわれるのであった。侍を呼んで小声でささやきながら手紙を渡す源氏を女房たちは憎く思った。 |
【かしこへなめり】- 「かしこ」は大堰の明石の君をさす。「な」断定の助動詞。連体形「めり」推量の助動詞、主観的推量。語り手の言辞。 |
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第二段 源氏、紫の君に姫君を養女とする件を相談 |
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| 4.2.1 | その夜は、宮中にご宿直の予定であったが、直らなかったご機嫌を取るために、夜が更けたが退出なさった。 先ほどのお返事を持って参った。 お隠しになることができず、御覧になる。 特別に憎むような点も見えないので、 |
その晩は御所で |
【その夜は、内裏にもさぶらひたまふべけれど】- 源氏、内裏から帰邸、紫の君の機嫌をとる。 【憎かるべき】- 紫の君が手紙を見て「憎し」と見えないの意。 |
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| 4.2.2 | 「これ、破り捨ててください。 厄介なことだ。 このような手紙が散らかっているのも、今では不似合いな年頃になってしまったよ」 |
これを破ってあなたの手で捨ててください。困るからね、こんな物が散らばっていたりすることはもう私に似合ったことではないのだからね」 |
【これ、破り隠したまへ】- 以下「ほどになりにけり」まで、源氏の詞。紫の君に対して言ったもの。 |
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| 4.2.3 | と言って、御脇息に寄り掛かりなさって、お心の中では、実にしみじみといとしく思わずにはいられないので、燈火をふと御覧になって、特に何もおっしゃらない。 手紙は広げたままあるが、女君、御覧にならないようなので、 |
と夫人のほうへそれを出した源氏は、 |
【恋しう思しやらるれば】- 「るれ」自発の助動詞。 |
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| 4.2.4 | 「無理して、見て見ぬふりをなさる眼つきが、やっかいですよ」 |
「見ないようにしていて、目のどこかであなたは見ているじゃありませんか」 |
【せめて、見隠したまふ御目尻こそ、わづらはしけれ】- 源氏の詞。『完訳』は「嫉妬ゆえに黙りがちな紫の上の心を解きほぐそうとする源氏の、冗談めかした言葉である」と注す。 |
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| 4.2.5 | とて、うち |
と言って、微笑みなさる魅力、あたり一面にこぼれるほどである。 |
と笑いながら夫人に言いかけた源氏の顔にはこぼれるような |
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| 4.2.6 | さし |
側にお寄りになって、 |
夫人のそばへ寄って、 |
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| 4.2.7 | 「まことは、らうたげなるものを いかがすべき。 ここにて いはけなげなる |
「実を申すと、かわいらしい姫君が生まれたものだから、宿縁は浅くも思えず、そうかといって、一人前に扱うのも憚りが多いので、困っているのです。 わたしと同じ気持ちになって考えて、あなたのお考えで決めてください。 どうしましょう。 ここでお育てになってくださいませんか。 蛭の子の三歳にもなっているのだが、無邪気な様子も放って置けないので。 幼げな腰のあたりを、取り繕ってやろうなどと思うのだが、嫌だとお思いでなければ、腰結いの役を勤めてやってくださいな」 |
「ほんとうはね、かわいい子を見て来たのですよ。そんな人を見るとやはり前生の縁の浅くないということが思われたのですがね、とにかく子供のことはどうすればいいのだろう。公然私の子供として扱うことも世間へ恥ずかしいことだし、私はそれで |
【まことは、らうたげなるものを】- 以下「引き結ひたまへかし」まで、源氏の詞。明石の姫君の引き取りを提案する。 【同じ心に思ひめぐらして、御心に思ひ定めたまへ】- 『集成』は「私と一緒に考えて下さって、お考え通り決めて下さい。姫君を紫の上の養女にすることに、婉曲に同意を求めようとしている」と注す。 【蛭の子が齢】- 三歳。『日本書紀』神代紀の故事に基づく。 【いはけなげなる下つ方も、紛らはさむなど思ふを】- 大島本は「おもふを」とある。『集成』『新大系』は底本のままとする。『古典セレクション』は諸本に従って「思ふをも」と「も」を補訂する。袴着の儀を婉曲的に言う。 【引き結ひたまへかし】- 袴着の儀で腰結の役をすること。『完訳』は「腰結いの役をつとめてやってくださいな」と訳す。 |
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| 4.2.8 | と |
とお頼み申し上げなさる。 |
と源氏は言うのであった。 |
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| 4.2.9 | 「思ってもいない方にばかりお取りになる冷たいお気持ちを、無理に気づかないふりをして、無心に振る舞っていては良くないとは思えばこそです。 幼ない姫君のお心には、きっととてもよくお気にめすことでしょう。 どんなにかわいらしい年頃なのでしょう」 |
「私を意地悪な者のようにばかり決めておいでになって、これまでから私には大事なことを皆隠していらっしゃるものですもの、私だけがあなたを信頼していることも改めなければならないとこのごろは私思っています。けれども私は小さい姫君のお相手にはなれますよ。どんなにおかわいいでしょう、その方ね」 |
【思はずにのみ】- 以下「うつくしきほどに」まで、紫の君の返事。腰結の役を承諾する。 【せめて見知らず、うらなくやはとてこそ】- 『完訳』は「しいて気づかぬふりをして、無邪気にしていてよいわけでもない、と思えばこそ」と訳す。 【いはけなからむ御心には、いとようかなひぬべくなむ】- 「御心」は明石の姫君の御心。『完訳』は「どうせ私も幼稚だからとして、源氏への皮肉もこめる」と注す。 |
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| 4.2.10 | と言って、少し微笑みなさった。 子どもをひどくかわいがるご性格なので、「引き取ってお育てしたい」とお思いになる。 |
と言って、女王は少し |
【すこしうち笑みたまひぬ】- 『完訳』は「「すこし」と、妬心の残る気持」と注す。 |
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| 4.2.11 | 「いかにせまし。 |
「どうしようか。 迎えようか」とご思案なさる。 お出向きになることはとても難しい。 嵯峨野の御堂の念仏の日を待って、一月に二度ほどの逢瀬のようである。 年に一度の七夕の逢瀬よりは勝っているようであるが、これ以上は望めないことと思うけれども、やはりどうして嘆かずにいられようか。 |
どうしよう、そうは言ったもののここへつれて来たものであろうかと源氏はまた |
【御契りなめり】- 「な」断定の助動詞。連体形、「めり」推量の助動詞、主観的推量。語り手の言辞。 【年のわたりには、立ちまさりぬべかめるを】- 「玉かづら絶えぬものからあらたまの年のわたりはただ一夜のみ」(後撰集秋上、二三四、読人知らず)を踏まえる。 |
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