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第五帖 若紫

光る源氏の十八歳春三月晦日から冬十月までの物語

本文
渋谷栄一訳
与謝野晶子訳

第一章 紫上の物語 若紫の君登場、三月晦日から初夏四月までの物語


第一段 三月晦日、加持祈祷のため、北山に出向く

1.1.1
瘧病(わらはやみ)にわづらひたまひてよろづにまじなひ加持(かぢ)など(まゐ)らせたまへどしるしなくて、あまたたびおこりたまひければ、ある(ひと)
瘧病みに罹りなさって、いろいろと呪術や加持などして差し上げさせなさるが、効果がなくて、何度も発作がお起こりになったので、ある人が、
源氏は瘧病にかかっていた。いろいろとまじないもし、僧の加持も受けていたが効験がなくて、この病の特徴で発作的にたびたび起こってくるのをある人が、
1.1.2
北山(きたやま)になむ、なにがし(でら)といふ(ところ)かしこき(おこな)(びと)はべる。
去年(こぞ)(なつ)()におこりて、(ひと)びとまじなひわづらひしをやがてとどむるたぐひ、あまたはべりき
ししこらかしつる(とき)うたてはべるをとくこそ(こころ)みさせたまはめ
「北山に、某寺という所に、すぐれた行者がございます。
去年の夏も世間に流行して、人々がまじないあぐねたのを、たちどころに治した例が、多数ございました。
こじらせてしまうと厄介でございますから、早くお試しあそばすとよいでしょう」
「北山の某という寺に非常に上手な修験僧がおります、去年の夏この病気がはやりました時など、まじないも効果がなく困っていた人がずいぶん救われました。病気をこじらせますと癒りにくくなりますから、早くためしてごらんになったらいいでしょう」
1.1.3
など()こゆれば、()しに(つか)はしたるに()いかがまりて、(むろ)()にもまかでず」と(まう)したればいかがはせむ。
いと(しの)びてものせむ」とのたまひて、御供(おほんとも)にむつましき()五人(ごにん)ばかりして、まだ(あかつき)におはす。
などと申し上げるので、呼びにおやりになったところ、「老い曲がって、室の外にも外出いたしません」と申したので、「しかたない。
ごく内密に行こう」とおっしゃって、お供に親しい者四、五人ほど連れて、まだ夜明け前にお出かけになる。
こんなことを言って勧めたので、源氏はその山から修験者を自邸へ招こうとした。
 「老体になっておりまして、岩窟を一歩出ることもむずかしいのですから」
 僧の返辞はこんなだった。
 「それではしかたがない、そっと微行で行ってみよう」
 こう言っていた源氏は、親しい家司四、五人だけを伴って、夜明けに京を立って出かけたのである。
1.1.4 やや山深く入った所なのであった。
三月の晦日なので、京の花盛りはみな過ぎてしまっていた。
山の桜はまだ盛りで、入って行かれるにつれて、霞のかかった景色も趣深く見えるので、このような山歩きもご経験なく、窮屈なご身分なので、珍しく思われなさるのであった。
郊外のやや遠い山である。これは三月の三十日だった。京の桜はもう散っていたが、途中の花はまだ盛りで、山路を進んで行くにしたがって渓々をこめた霞にも都の霞にない美があった。窮屈な境遇の源氏はこうした山歩きの経験がなくて、何事も皆珍しくおもしろく思われた。
1.1.5
(てら)のさまもいとあはれなり。
峰高(みねたか)く、(ふか)巖屋(いはや)(なか)にぞ聖入(ひじりい)りゐたりける
(のぼ)りたまひて、(たれ)とも()らせたまはずいといたうやつれたまへれど、しるき(おほん)さまなれば、
寺の有様も実にしんみりと趣深い。
峰高く、深い岩屋の中に、聖は入っているのだった。
お登りになって、誰ともお知らせなさらず、とてもひどく粗末な身なりをしていらっしゃるが、はっきり誰それと分かるご風采なので、
修験僧の寺は身にしむような清さがあって、高い峰を負った巌窟の中に聖人ははいっていた。
 源氏は自身のだれであるかを言わず、服装をはじめ思い切って簡単にして来ているのであるが、迎えた僧は言った。
1.1.6
あな、かしこや
一日(ひとひ)()しはべりしにやおはしますらむ
(いま)は、この()のことを(おも)ひたまへねば験方(げんがた)(おこな)ひも()(わす)れてはべるをいかで、かうおはしましつらむ
「ああ、恐れ多いことよ。
先日、お召しになった方でいらっしゃいましょうか。
今は、現世のことを考えておりませんので、修験の方法も忘れておりますのに、どうして、このようにわざわざお越しあそばしたのでしょうか」
「あ、もったいない、先日お召しになりました方様でいらっしゃいましょう。もう私はこの世界のことは考えないものですから、修験の術も忘れておりますのに、どうしてまあわざわざおいでくだすったのでしょう」
1.1.7
と、おどろき(さわ)ぎ、うち()みつつ()たてまつる
いと(たふと)大徳(だいとこ)なりけり
さるべきもの(つく)りて、すかせたてまつり加持(かぢ)など(まゐ)るほど、日高(ひたか)くさし()がりぬ。
と、驚き慌てて、にっこりしながら拝する。
まことに立派な大徳なのであった。
しかるべき薬を作って、お呑ませ申し、加持などして差し上げるうちに、日が高くなった。
驚きながらも笑を含んで源氏を見ていた。非常に偉い僧なのである。源氏を形どった物を作って、瘧病をそれに移す祈祷をした。加持などをしている時分にはもう日が高く上っていた。

第二段 山の景色や地方の話に気を紛らす

1.2.1
すこし()()でつつ見渡(みわた)したまへば、(たか)(ところ)にて、ここかしこ、僧坊(そうばう)どもあらはに()おろさるるただこのつづら(をり)(しも)(おな)小柴(こしば)なれど、うるはしくし(わた)して(きよ)げなる()(らう)など(つづ)けて、木立(こだち)いとよしあるは、
少し外に出て見渡しなさると、高い所なので、あちこちに、僧坊どもがはっきりと見下ろされる、ちょうどこのつづら折の道の下に、同じような小柴垣であるが、きちんとめぐらして、こざっぱりとした建物に、廊などを建て続けて、木立がとても風情あるのは、
源氏はその寺を出て少しの散歩を試みた。その辺をながめると、ここは高い所であったから、そこここに構えられた多くの僧坊が見渡されるのである。螺旋状になった路のついたこの峰のすぐ下に、それもほかの僧坊と同じ小柴垣ではあるが、目だってきれいに廻らされていて、よい座敷風の建物と廊とが優美に組み立てられ、庭の作りようなどもきわめて凝った一構えがあった。
1.2.2 「どのような人が住んでいるのか」
「あれはだれの住んでいる所なのかね」
1.2.3
()ひたまへば、御供(おほんとも)なる(ひと)
とお尋ねになると、お供である人が、
と源氏が問うた。
1.2.4 「これが、某僧都が、二年間籠もっております所だそうでございます」
「これが、某僧都がもう二年ほど引きこもっておられる坊でございます」
1.2.5
心恥(こころは)づかしき(ひとす)むなる(ところ)にこそあなれ
あやしうも、あまりやつしけるかな。
()きもこそすれ」などのたまふ。
「気おくれするほど立派な人が住んでいるという所だな。
何とも、あまりに粗末な身なりであったなあ。
聞きつけたら困るな」などとおっしゃる。
「そうか、あのりっぱな僧都、あの人の家なんだね。あの人に知れてはきまりが悪いね、こんな体裁で来ていて」
 などと、源氏は言った。
1.2.6
(きよ)げなる(わらは)などあまた()()て、閼伽(あか)たてまつり、花折(はなを)りなどするもあらはに()ゆ。
美しそうな童女などが、大勢出て来て、閼伽棚に水をお供えしたり、花を折ったりなどするのも、はっきりと見える。
美しい侍童などがたくさん庭へ出て来て仏の閼伽棚に水を盛ったり花を供えたりしているのもよく見えた。
1.2.7 「あそこに、女がいるぞ」
「あすこの家に女がおりますよ。
1.2.8 「僧都は、まさか、そのようには、囲って置かれまいに」
あの僧都がよもや隠し妻を置いてはいらっしゃらないでしょうが、
1.2.9 「どのような女だろう」
いったい何者でしょう」
1.2.10
口々言(くちぐちい)ふ。
()りて(のぞ)くもあり。
と口々に言う。
下りて覗く者もいる。
こんなことを従者が言った。崖を少しおりて行ってのぞく人もある。
1.2.11
をかしげなる女子(をんなご)ども、(わか)(ひと)童女(わらはべ)なむ()ゆる」と()ふ。
「きれいな女の子たちや、若い女房、童女が見える」と言う。
美しい女の子や若い女房やら召使の童女やらが見えると言った。
1.2.12 源氏の君は、勤行なさりながら、日盛りになるにつれて、どうだろうかとご心配なさるのを、
源氏は寺へ帰って仏前の勤めをしながら昼になるともう発作が起こるころであるがと不安だった。
1.2.13 「何かとお紛らわしあそばして、お気になさらないのが、よろしうございます」
「気をお紛らしになって、病気のことをお思いにならないのがいちばんよろしゅうございますよ」
1.2.14
()こゆれば(しり)への(やま)()()でて、(きゃう)(かた)()たまふ。
はるかに(かす)みわたりて四方(よも)(こずゑ)そこはかとなう(けぶ)りわたれるほど、
と申し上げるので、後方の山に立ち出でて、京の方角を御覧になる。
遠くまで霞がかかっていて、四方の梢がどことなく霞んで見える具合、
などと人が言うので、後ろのほうの山へ出て今度は京のほうをながめた。ずっと遠くまで霞んでいて、山の近い木立ちなどは淡く煙って見えた。
1.2.15
()にいとよくも()たるかな
かかる(ところ)()(ひと)(こころ)(おも)(のこ)すことはあらじかし」とのたまへば、
「絵にとてもよく似ているなあ。
このような所に住む人は、心に思い残すことはないだろうよ」とおっしゃると、
「絵によく似ている。こんな所に住めば人間の穢い感情などは起こしようがないだろう」
 と源氏が言うと、
1.2.16
これは、いと(あさ)くはべり
(ひと)(くに)などにはべる(うみ)(やま)のありさまなどを御覧(ごらん)ぜさせてはべらばいかに、御絵(おほんゑ)いみじうまさらせたまはむ。
富士(ふじ)(やま)なにがしの(たけ)
「これは、まことに平凡でございます。
地方などにございます海、山の景色などを御覧に入れましたならば、どんなにか、お絵も素晴らしくご上達あそばしましょう。
富士の山、何々の嶽」
「この山などはまだ浅いものでございます。地方の海岸の風景や山の景色をお目にかけましたら、その自然からお得になるところがあって、絵がずいぶん御上達なさいますでしょうと思います。富士、それから何々山」
1.2.17
など、(かた)りきこゆるもあり。
また西国(にしくに)のおもしろき浦々(うらうら)(いそ)(うへ)()(つづ)くるもありて、よろづに(まぎ)らはしきこゆ
などと、お話し申し上げる者もいる。
また、西国の美しい浦々や、海岸辺りについて話し続ける者もいて、何かとお気を紛らし申し上げる。
こんな話をする者があった。また西のほうの国々のすぐれた風景を言って、浦々の名をたくさん並べ立てる者もあったりして、だれも皆病への関心から源氏を放そうと努めているのである。
1.2.18
(ちか)(ところ)には播磨(はりま)明石(あかし)(うら)こそ、なほことにはべれ
(なに)(いた)(ふか)(くま)はなけれど、ただ、(うみ)(おもて)()わたしたるほどなむ、あやしく異所(ことどころ)()ず、ゆほびかなる(ところ)にはべる。
「近い所では、播磨国の明石の浦が、やはり格別でございます。
どこといって奥深い趣はないが、ただ、海の方を見渡しているところが、不思議と他の海岸とは違って、ゆったりと広々した所でございます。
「近い所では播磨の明石の浦がよろしゅうございます。特別に変わったよさはありませんが、ただそこから海のほうをながめた景色はどこよりもよく纏っております。
1.2.19
かの(くに)(さき)(かみ)新発意(しぼち)の、(むすめ)かしづきたる(いへ)いといたしかし。
大臣(だいじん)(のち)にて()()ちもすべかりける(ひと)()のひがものにて、()じらひもせず、近衛(このゑ)中将(ちゅうじゃう)()てて、(まう)(たま)はれりける(つかさ)なれど
あの国の前国司で、出家したての人が、娘を大切に育てている家は、まことにたいしたものです。
大臣の後裔で、出世もできたはずの人なのですが、たいそうな変わり者で、人づき合いをせず、近衛の中将を捨てて、申し出て頂戴した官職ですが、
前播磨守入道が大事な娘を住ませてある家はたいしたものでございます。二代ほど前は大臣だった家筋で、もっと出世すべきはずの人なんですが、変わり者で仲間の交際なんかをもきらって近衛の中将を捨てて自分から願って出てなった播磨守なんですが、
1.2.20
かの(くに)(ひと)にもすこしあなづられて(なに)面目(めいぼく)にてか、また(みやこ)にも(かへ)らむ』と()ひて、(かしら)()ろしはべりにけるをすこし(おく)まりたる山住(やまず)みもせで、さる(うみ)づらに()でゐたるひがひがしきやうなれど、げに、かの(くに)のうちに、さも(ひと)()もりゐぬべき所々(ところどころ)はありながら(ふか)(さと)は、人離(ひとばな)(こころ)すごく、(わか)妻子(さいし)(おも)ひわびぬべきによりかつは(こころ)をやれる()まひになむはべる。
あの国の人にも少し馬鹿にされて、『何の面目があって、再び都に帰られようか』と言って、剃髪してしまったのでございますが、少し奥まった山中生活もしないで、そのような海岸に出ているのは、間違っているようですが、なるほど、あの国の中に、そのように、人が籠もるにふさわしい所々は方々にありますが、深い山里は、人気もなくもの寂しく、若い妻子がきっと心細がるにちがいないので、一方では気晴らしのできる住まいでございます。
国の者に反抗されたりして、こんな不名誉なことになっては京へ帰れないと言って、その時に入道した人ですが、坊様になったのなら坊様らしく、深い山のほうへでも行って住めばよさそうなものですが、名所の明石の浦などに邸宅を構えております。播磨にはずいぶん坊様に似合った山なんかが多いのですがね、変わり者をてらってそうするかというとそれにも訳はあるのです。若い妻子が寂しがるだろうという思いやりなのです。そんな意味でずいぶん賛沢に住居なども作ってございます。
1.2.21
(さい)つころ、まかり(くだ)りてはべりしついでに、ありさま()たまへに()りてはべりしかば(きゃう)にてこそ所得(ところえ)ぬやうなりけれ、そこらはるかにいかめしう()めて(つく)れるさま、さは()へど(くに)(つかさ)にてし()きけることなれば、(のこ)りの(よはひ)ゆたかに()べき心構(こころがま)へも、()なくしたりけり。
(のち)()(つと)めも、いとよくして、なかなか法師(ほふし)まさりしたる(ひと)になむはべりける」と(まう)せば、
最近、下向いたしました機会に、様子を拝見するために立ち寄ってみましたところ、都でこそ不遇のようでしたが、はなはだ広々と、豪勢に占有して造っている様子は、そうは言っても、国司として造っておいたことなので、余生を豊かに過ごせる準備も、またとなくしているのでした。
後世の勤行も、まことによく勤めて、かえって出家して人品が上がった人でございました」と申し上げると、
先日父の所へまいりました節、どんなふうにしているかも見たいので寄ってみました。京にいますうちは不遇なようでしたが、今の住居などはすばらしいもので、何といっても地方長官をしていますうちに財産ができていたのですから、生涯の生活に事を欠かない準備は十分にしておいて、そして一方では仏弟子として感心に修行も積んでいるようです。あの人だけは入道してから真価が現われた人のように見受けます」
1.2.22
さて、その(むすめ)」と、()ひたまふ。
「ところで、その娘は」と、お尋ねになる。
「その娘というのはどんな娘」
1.2.23 「悪くはありません、器量や、気立てなども結構だということでございます。
代々の国司などが、格別懇ろな態度で、結婚の申し込みをするようですが、全然承知しません。
「まず無難な人らしゅうございます。あのあとの代々の長官が特に敬意を表して求婚するのですが、入道は決して承知いたしません。
1.2.24
()()かくいたづらに(しづ)めるだにあるをこの(ひと)ひとりにこそあれ(おも)ふさまことなり
もし(われ)(おく)れてその(こころざし)とげず、この(おも)ひおきつる宿世違(すくせたが)はば、(うみ)()りね』と、(つね)遺言(ゆいごん)しおきてはべるなる
『自分の身がこのようにむなしく落ちぶれているのさえ無念なのに、この娘一人だけだが、特別に考えているのだ。
もし、わたしに先立たれて、その素志を遂げられず、わたしの願っていた運命と違ったならば、海に入ってしまえ』と、いつも遺言をしているそうでございます」
自分の一生は不遇だったのだから、娘の未来だけはこうありたいという理想を持っている。自分が死んで実現が困難になり、自分の希望しない結婚でもしなければならなくなった時には、海へ身を投げてしまえと遺言をしているそうです」
1.2.25
()こゆれば、(きみ)もをかしと()きたまふ。
(ひと)びと、
と申し上げると、源氏の君もおもしろい話だとお聞きになる。
供人たちは、
源氏はこの話の播磨の海べの変わり者の入道の娘がおもしろく思えた。
1.2.26 「きっと海龍王の后になる大切な娘なのだろう」
「竜宮の王様のお后になるんだね。
1.2.27
心高(こころたか)(くる)しや」とて(わら)ふ。
「気位いの高いことも、
自尊心の強いったらないね。困り者だ」
 などと冷評する者があって人々は笑っていた。
1.2.28 このように話すのは、播磨守の子で、六位蔵人から、今年、五位に叙された者なのであった。
話をした良清は現在の播磨守の息子で、さきには六位の蔵人をしていたが、位が一階上がって役から離れた男である。ほかの者は、
1.2.29
いと()きたる(もの)なればかの入道(にふだう)遺言(ゆいごんやぶ)りつべき(こころ)はあらむかし
「大変な好色者だから、あの入道の遺言をきっと破ってしまおうという気なのだろうよ」
「好色な男なのだから、その入道の遺言を破りうる自信を持っているのだろう。
1.2.30 「それで、うろうろしているのだろう」
それでよく訪問に行ったりするのだよ」
1.2.31
()ひあへり。
と言い合っている。
とも言っていた。
1.2.32
いで、さ()ふとも田舎(いなか)びたらむ
(をさな)くよりさる(ところ)()()でて、(ふる)めいたる(おや)にのみ(したが)ひたらむは
「いやもう、そうは言っても、田舎びているだろう。
幼い時からそのような所に成長して、古めかしい親にばかり教育されていたのでは」
「でもどうかね、どんなに美しい娘だといわれていても、やはり田舎者らしかろうよ。小さい時からそんな所に育つし、頑固な親に教育されているのだから」
1.2.33
(はは)こそゆゑあるべけれ
よき若人(わかうど)(わらは)など、(みやこ)のやむごとなき所々(ところどころ)より、(るい)にふれて(たづ)ねとりて、まばゆくこそもてなすなれ
「母親はきっと由緒ある家の出なのだろう。
美しい若い女房や、童女など、都の高貴な家々から、縁故を頼って探し集めて、眩しく育てているそうだ」
こんなことも言う。
 「しかし母親はりっぽなのだろう。若い女房や童女など、京のよい家にいた人などを何かの縁故からたくさん呼んだりして、たいそうなことを娘のためにしているらしいから、
1.2.34 「心ない人が国司になって赴任して行ったら、そんなふうに安心して、置いておけないのでは」
それでただの田舎娘ができ上がったら満足していられないわけだから、私などは娘も相当な価値のある女だろうと思うね」
1.2.35
など()ふもあり。
(きみ)
などと言う者もいる。
源氏の君は、
だれかが言う。源氏は、
1.2.36 「どのような考えがあって、海の底まで深く思い込んでいるのだろうか。
海底の「海松布」も何となく見苦しい」
「なぜお后にしなければならないのだろうね。それでなければ自殺させるという凝り固まりでは、ほかから見てもよい気持ちはしないだろうと思う」
1.2.37
などのたまひて、ただならず(おぼ)したり。
かやうにてもなべてならず、もてひがみたること(この)みたまふ御心(みこころ)なれば御耳(おほんみみ)とどまらむをや()たてまつる。
などとおっしゃって、少なからず関心をお持ちになっている。
このような話でも、普通以上に、一風変わったことをお好みになるご性格なので、お耳を傾けられるのだろう、と拝見する。
などと言いながらも、好奇心が動かないようでもなさそうである。平凡でないことに興味を持つ性質を知っている家司たちは源氏の心持ちをそう観察していた。
1.2.38 「暮れかけてきましたが、ご発作がおこりあそばさなくなったようでございます。
早くお帰りあそばされのがよいでしょう」
「もう暮れに近うなっておりますが、今日は御病気が起こらないで済むのでございましょう。もう京へお帰りになりましたら」
1.2.39 と言うのを、大徳は、
と従者は言ったが、寺では聖人が、
1.2.40
(おほん)もののけなど(くは)はれるさまにおはしましけるを、今宵(こよひ)は、なほ(しづ)かに加持(かぢ)など(まゐ)りて、()でさせたまへ」と(まう)す。
「おん物の怪などが、憑いている様子でいらっしゃいましたが、今夜は、やはり静かに加持などをなさって、お帰りあそばされませ」と申し上げる。
「もう一晩静かに私に加持をおさせになってからお帰りになるのがよろしゅうございます」
 と言った。
1.2.41
さもあること」と、皆人申(みなひとまう)す。
(きみ)も、かかる旅寝(たびね)()らひたまはねばさすがにをかしくて、
「それも、もっともなこと」と、供人皆が申し上げる。
源氏の君も、このような旅寝もご経験ないことなので、何と言っても興味があって、
だれも皆この説に賛成した。源氏も旅で寝ることははじめてなのでうれしくて、
1.2.42
さらば(あかつき)」とのたまふ。
「それでは、早朝に」とおっしゃる。
「では帰りは明日に延ばそう」
 こう言っていた。

第三段 源氏、若紫の君を発見す

1.3.1
(ひと)なくてつれづれなれば、夕暮(ゆふぐれ)のいたう(かす)みたるに(まぎ)れて、かの小柴垣(こしばがき)のほどに()()でたまふ。
(ひと)びとは(かへ)したまひて惟光朝臣(これみつのあそん)(のぞ)きたまへば、ただこの西面(にしおもて)にしも仏据(ほとけす)ゑたてまつりて(おこな)ふ、(あま)なりけり
(すだれ)すこし()げて、(はな)たてまつるめり
(なか)(はしら)()りゐて、脇息(けふそく)(うへ)(きゃう)()きて、いとなやましげに()みゐたる尼君(あまぎみ)ただ(びと)()えず。
四十余(しじふよ)ばかりにて、いと(しろ)うあてに、()せたれど、つらつきふくらかに、まみのほど、(かみ)のうつくしげにそがれたる(すゑ)も、なかなか(なが)きよりもこよなう(いま)めかしきものかなと、あはれに()たまふ
人もいなくて、何もすることがないので、夕暮のたいそう霞わたっているのに紛れて、あの小柴垣の付近にお立ち出でになる。
供人はお帰しになって、惟光朝臣とお覗きになると、ちょうどこの西面に、仏を安置申して勤行している、それは尼なのであった。
簾を少し上げて、花を供えているようである。
中の柱に寄り掛かって座って、脇息の上にお経を置いて、とても大儀そうに読経している尼君は、普通の人とは見えない。
四十過ぎくらいで、とても色白で上品で、痩せてはいるが、頬はふっくらとして、目もとのぐあいや、髪がきれいに切り揃えられている端も、かえって長いのよりも、この上なく新鮮な感じだなあ、と感心して御覧になる。
山の春の日はことに長くてつれづれでもあったから、夕方になって、この山が淡霞に包まれてしまった時刻に、午前にながめた小柴垣の所へまで源氏は行って見た。ほかの従者は寺へ帰して惟光だけを供につれて、その山荘をのぞくとこの垣根のすぐ前になっている西向きの座敷に持仏を置いてお勤めをする尼がいた。簾を少し上げて、その時に仏前へ花が供えられた。室の中央の柱に近くすわって、脇息の上に経巻を置いて、病苦のあるふうでそれを読む尼はただの尼とは見えない。四十ぐらいで、色は非常に白くて上品に痩せてはいるが頬のあたりはふっくりとして、目つきの美しいのとともに、短く切り捨ててある髪の裾のそろったのが、かえって長い髪よりも艶なものであるという感じを与えた。
1.3.2
(きよ)げなる大人二人(おとなふたり)ばかり、さては童女(わらはべ)()()(あそ)
(なか)(とを)ばかりやあらむと()えて(しろ)(きぬ)山吹(やまぶき)などの()えたる()て、(はし)()たる女子(をんなご)あまた()えつる()どもに()るべうもあらず、いみじく()ひさき()えて、うつくしげなる容貌(かたち)なり。
(かみ)(あふぎ)(ひろ)げたるやうにゆらゆらとして、(かほ)はいと(あか)くすりなして()てり。
小綺麗な女房二人ほど、他には童女が出たり入ったりして遊んでいる。
その中に、十歳くらいかと見えて、白い袿の上に、山吹襲などの、糊気の落ちた表着を着て、駆けてきた女の子は、大勢見えた子供とは比べものにならず、たいそう将来性が見えて、かわいらしげな顔かたちである。
髪は扇を広げたようにゆらゆらとして、顔はとても赤く手でこすって立っている。
きれいな中年の女房が二人いて、そのほかにこの座敷を出たりはいったりして遊んでいる女の子供が幾人かあった。その中に十歳ぐらいに見えて、白の上に淡黄の柔らかい着物を重ねて向こうから走って来た子は、さっきから何人も見た子供とはいっしょに言うことのできない麗質を備えていた。将来はどんな美しい人になるだろうと思われるところがあって、肩の垂れ髪の裾が扇をひろげたようにたくさんでゆらゆらとしていた。顔は泣いたあとのようで、手でこすって赤くなっている。尼さんの横へ来て立つと、
1.3.3
(なに)ごとぞや
童女(わらはべ)腹立(はらだ)ちたまへるか」
「どうしたの。
童女とけんかをなさったのですか」
「どうしたの、童女たちのことで憤っているの」
1.3.4
とて、尼君(あまぎみ)見上(みあ)げたるにすこしおぼえたるところあれば、()なめり」と()たまふ。
と言って、尼君が見上げた顔に、少し似ているところがあるので、「その子どもなのだろう」と御覧になる。
こう言って見上げた顔と少し似たところがあるので、この人の子なのであろうと源氏は思った。
1.3.5 「雀の子を、
犬君が逃がし
「雀の子を犬君が逃がしてしまいましたの、伏籠の中に置いて逃げないようにしてあったのに」
1.3.6
とて、いと口惜(くちを)しと(おも)へり。
このゐたる大人(おとな)
と言って、とても残念がっている。
ここに座っていた女房が、
たいへん残念そうである。そばにいた中年の女が、
1.3.7 「いつもの、うっかり者が、このようなことをして、責められるとは、ほんと困ったことね。
どこへ飛んで行ってしまいましたか。
とてもかわいらしく、だんだんなってきましたものを。
烏などが見つけたら大変だわ」
「またいつもの粗相やさんがそんなことをしてお嬢様にしかられるのですね、困った人ですね。雀はどちらのほうへ参りました。だいぶ馴れてきてかわゆうございましたのに、外へ出ては山の鳥に見つかってどんな目にあわされますか」
1.3.8 と言って、立って行く。
髪はゆったりととても長く、見苦しくない女のようである。
少納言の乳母と皆が呼んでいるらしい人は、この子のご後見役なのだろう。
と言いながら立って行った。髪のゆらゆらと動く後ろ姿も感じのよい女である。少納言の乳母と他の人が言っているから、この美しい子供の世話役なのであろう。
1.3.9
尼君(あまぎみ)
尼君が、
1.3.10
いで、あな(をさな)
()ふかひなうものしたまふかな。
おのが、かく今日明日(けふあす)におぼゆる(いのち)をば、(なに)とも(おぼ)したらで、雀慕(すずめした)ひたまふほどよ。
罪得(つみう)ることぞと(つね)()こゆるを、心憂(こころう)」とて、こちや」と()へば、ついゐたり
「何とまあ、
幼いことよ。聞き分けもなくいらっし
ゃることね。わたしが、このように、今日明日にも思われる寿命を、何ともお考えにならず、雀を追いかけていらっし
ゃることよ。罪を得ることですよと、いつも申し上げていますのに、情けなく」と言って、「こちらへ、いらっしゃい」と言うと、ちょこ
「あなたはまあいつまでも子供らしくて困った方ね。私の命がもう今日明日かと思われるのに、それは何とも思わないで、雀のほうが惜しいのだね。雀を籠に入れておいたりすることは仏様のお喜びにならないことだと私はいつも言っているのに」
 と尼君は言って、また、
 「ここへ」
 と言うと美しい子は下へすわった。
1.3.11
つらつきいとらうたげにて、(まゆ)のわたりうちけぶりいはけなくかいやりたる(ひたひ)つき、(かん)ざし、いみじううつくし。
ねびゆかむさまゆかしき(ひと)かな」と、()とまりたまふ。
さるは、「(かぎ)りなう(こころ)()くしきこゆる(ひと)いとよう()たてまつれるが、まもらるるなりけり」と、(おも)ふにも(なみだ)()つる
顔つきがとてもかわいらしげで、眉のあたりがほんのりとして、子供っぽく掻き上げた額つきや、髪の生え際は、大変にかわいらしい。
「成長して行くさまが楽しみな人だなあ」と、お目がとまりなさる。
それと言うのも、「限りなく心を尽くし申し上げている方に、とてもよく似ているので、目が引きつけられるのだ」と、思うにつけても涙が落ちる。
顔つきが非常にかわいくて、眉のほのかに伸びたところ、子供らしく自然に髪が横撫でになっている額にも髪の性質にも、すぐれた美がひそんでいると見えた。大人になった時を想像してすばらしい佳人の姿も源氏の君は目に描いてみた。なぜこんなに自分の目がこの子に引き寄せられるのか、それは恋しい藤壼の宮によく似ているからであると気がついた刹那にも、その人への思慕の涙が熱く頬を伝わった。
1.3.12
尼君(あまぎみ)(かみ)をかき()でつつ、
尼君が、髪をかき撫でながら、
尼君は女の子の髪をなでながら、
1.3.13
(けづ)ることをうるさがりたまへどをかしの御髪(みぐし)や。
いとはかなうものしたまふこそ、あはれにうしろめたけれ。
かばかりになれば、いとかからぬ(ひと)もあるものを。
故姫君(こひめぎみ)(とを)ばかりにて殿(との)(おく)れたまひしほどいみじうものは(おも)()りたまへりしぞかし。
ただ(いま)おのれ見捨(みす)てたてまつらばいかで()におはせむとすらむ
「梳くことをお嫌がりになるが、美しい御髪ですね。
とても子供っぽくいらっしゃることが、かわいそうで心配です。
これくらいの年になれば、とてもこんなでない人もありますものを。
亡くなった母君は、十歳程で父殿に先立たれなさった時、たいそう物事の意味は弁えていらっしゃいましたよ。
この今、わたしがお残し申して逝ってしまったら、どのように過ごして行かれるおつもりなのでしょう」
「梳かせるのもうるさがるけれどよい髪だね。あなたがこんなふうにあまり子供らしいことで私は心配している。あなたの年になればもうこんなふうでない人もあるのに、亡くなったお姫さんは十二でお父様に別れたのだけれど、もうその時には悲しみも何もよくわかる人になっていましたよ。私が死んでしまったあとであなたはどうなるのだろう」
1.3.14
とて、いみじく()くを()たまふも、すずろに(かな)
幼心地(をさなごこち)にも、さすがにうちまもりて、伏目(ふしめ)になりてうつぶしたるに、こぼれかかりたる(かみ)つやつやとめでたう()ゆ。
と言って、たいそう泣くのを御覧になると、何とも言えず悲しい。
子供心にも、やはりじっと見つめて、伏し目になってうつむいているところに、こぼれかかった髪が、つやつやとして素晴らしく見える。
あまりに泣くので隙見をしている源氏までも悲しくなった。子供心にもさすがにじっとしばらく尼君の顔をながめ入って、それからうつむいた。その時に額からこぼれかかった髪がつやつやと美しく見えた。
1.3.15 「これからどこでどう育って行くのかも分からない若草のようなあなたを
残してゆく露のようにはかないわたしは死ぬに死ねない思いです」
生ひ立たんありかも知らぬ若草を
おくらす露ぞ消えんそらなき
1.3.16
またゐたる大人(おとな)「げに」と、うち()きて、
もう一人の座っている女房が、「本当に」と、涙ぐんで、
一人の中年の女房が感動したふうで泣きながら、
1.3.17 「初草のように若い姫君のご成長も御覧にならないうちに
どうして尼君様は先立たれるようなことをお考えになるのでしょう」
初草の生ひ行く末も知らぬまに
いかでか露の消えんとすらん
1.3.18
()こゆるほどに、僧都(そうづ)あなたより()て、
と申し上げているところに、僧都が、あちらから来て、
と言った。この時に僧都が向こうの座敷のほうから来た。
1.3.19
こなたはあらはにやはべらむ
今日(けふ)しも、(はし)におはしましけるかな。
この(かみ)(ひじり)(かた)に、源氏(げんじ)中将(ちゅうじゃう)瘧病(わらはやみ)まじなひにものしたまひけるを、ただ(いま)なむ、()きつけはべる
いみじう(しの)びたまひければ、()りはべらで、ここにはべりながら、(おほん)とぶらひにもまでざりける」とのたまへば、
「ここは人目につくのではないでしょうか。
今日に限って、端近にいらっしゃいますね。
この上の聖の坊に、源氏中将が瘧病のまじないにいらっしゃったのを、たった今、聞きつけました。
ひどくお忍びでいらっしゃったので、知りませんで、ここにおりながら、お見舞いにも上がりませんでした」とおっしゃると、
「この座敷はあまり開けひろげ過ぎています。今日に限ってこんなに端のほうにおいでになったのですね。山の上の聖人の所へ源氏の中将が瘧病のまじないにおいでになったという話を私は今はじめて聞いたのです。ずいぶん微行でいらっしゃったので私は知らないで、同じ山にいながら今まで伺侯もしませんでした」
 と僧都は言った。
1.3.20
あないみじや
いとあやしきさまを、(ひと)()つらむ」とて、簾下(すだれお)ろしつ。
「まあ大変。
とても見苦しい様子を、誰か見たでしょうかしら」と言って、簾を下ろしてしまった。
「たいへん、こんな所をだれか御一行の人がのぞいたかもしれない」
 尼君のこう言うのが聞こえて御簾はおろされた。
1.3.21
この()ののしりたまふ(ひか)源氏(げんじ)かかるついでに()たてまつりたまはむや
()()てたる法師(ほふし)心地(ここち)にも、いみじう()(うれ)(わす)れ、齢延(よはひの)ぶる(ひと)(おほん)ありさまなり。
いで、御消息聞(おほんせうそこき)こえむ」
「世間で、大評判でいらっしゃる光源氏を、この機会に拝見なさいませんか。
俗世を捨てた法師の気持ちにも、たいそう世俗の憂えを忘れ、寿命が延びるご様子の方です。
どれ、ご挨拶を申し上げよう」
「世間で評判の源氏の君のお顔を、こんな機会に見せていただいたらどうですか、人間生活と絶縁している私らのような僧でも、あの方のお顔を拝見すると、世の中の歎かわしいことなどは皆忘れることができて、長生きのできる気のするほどの美貌ですよ。私はこれからまず手紙で御挨拶をすることにしましょう」
1.3.22 と言って、立ち上がる音がするので、お帰りになった。
僧都がこの座敷を出て行く気配がするので源氏も山上の寺へ帰った。

第四段 若紫の君の素性を聞く

1.4.1
あはれなる(ひと)()つるかな。
かかれば、この()(もの)どもは、かかる(あり)きをのみして、よくさるまじき(ひと)をも()つくるなりけり。
たまさかに()()づるだにかく(おも)ひのほかなることを()るよ」と、をかしう(おぼ)す。
さても、いとうつくしかりつる(ちご)かな。
何人(なにびと)ならむ。
かの(ひと)御代(おほんか)はりに()()れの(なぐさ)めにも()ばや」と(おも)(こころ)(ふか)うつきぬ。
「しみじみと心惹かれる人を見たなあ。
これだから、この好色な連中は、このような忍び歩きばかりをして、よく意外な人を見つけるのだな。
まれに外出しただけでも、このように思いがけないことに出会うことよ」と、興味深くお思いになる。
「それにしても、
とてもかわいかった少女
であるよ。どのような人であろう。あのお方の代わりとして、毎日の慰めに見たいもの
源氏は思った。自分は可憐な人を発見することができた、だから自分といっしょに来ている若い連中は旅というものをしたがるのである、そこで意外な収穫を得るのだ、たまさかに京を出て来ただけでもこんな思いがけないことがあると、それで源氏はうれしかった。それにしても美しい子である、どんな身分の人なのであろう、あの子を手もとに迎えて逢いがたい人の恋しさが慰められるものならぜひそうしたいと源氏は深く思ったのである。
1.4.2
うち()したまへるに僧都(そうづ)御弟子(みでし)惟光(これみつ)()()でさす
ほどなき(ところ)なれば、(きみ)もやがて()きたまふ。
横になっていらっしゃると、僧都のお弟子が、惟光を呼び出させる。
狭い所なので、源氏の君もそのままお聞きになる。
寺で皆が寝床についていると、僧都の弟子が訪問して来て、惟光に逢いたいと申し入れた。狭い場所であったから惟光へ言う事が源氏にもよく聞こえた。
1.4.3 「お立ち寄りあそばしていらっしゃることを、たった今、人が申したので、聞いてすぐに、ご挨拶に伺うべきところを、拙僧がこの寺におりますことを、ご存知でいらっしゃりながらも、お忍びでいらしていることを、お恨みに存じまして。
旅のお宿も、拙僧の坊でお支度致しますべきでしたのに。
残念至極です」と申し上げなさった。
「手前どもの坊の奥の寺へおいでになりましたことを人が申しますのでただ今承知いたしました。すぐに伺うべきでございますが、私がこの山におりますことを御承知のあなた様が素通りをあそばしたのは、何かお気に入らないことがあるかと御遠慮をする心もございます。御宿泊の設けも行き届きませんでも当坊でさせていただきたいものでございます」
と言うのが使いの伝える僧都の挨拶だった。
1.4.4
いぬる十余日(じふよにち)のほどより瘧病(わらはやみ)にわづらひはべるを度重(たびかさ)なりて()へがたくはべれば、(ひと)(をし)へのままにはかに(たづ)()りはべりつれど、かやうなる(ひと)(しるし)あらはさぬ(とき)はしたなかるべきも、ただなるよりはいとほしう(おも)ひたまへつつみてなむ、いたう(しの)びはべりつる。
(いま)そなたにも」とのたまへり。
「去る十何日のころから、瘧病を患っていますが、度重なって我慢できませんので、人の勧めに従って、急遽訪ねて参りましたが、このような方が効験を現さない時は、世間体の悪いことになるにちがいないのも、普通の人の場合以上に、お気の毒と遠慮致しまして、ごく内密に参ったのです。
今、そちらへも」とおっしゃった。
「今月の十幾日ごろから私は瘧病にかかっておりましたが、たびたびの発作で堪えられなくなりまして、人の勧めどおりに山へ参ってみましたが、もし効験が見えませんでした時には一人の僧の不名誉になることですから、隠れて来ておりました。そちらへも後刻伺うつもりです」
 と源氏は惟光に言わせた。
1.4.5
すなはち、僧都参(そうづまゐ)りたまへり。
法師(ほふし)なれど、いと心恥(こころは)づかしく人柄(ひとがら)もやむごとなく、()(おも)はれたまへる(ひと)なれば軽々(かるがる)しき(おほん)ありさまを、はしたなう(おぼ)
かく()もれるほどの御物語(おほんものがたり)など()こえたまひて、(おな)(しば)(いほり)なれどすこし(すず)しき(みづ)(なが)れも御覧(ごらん)ぜさせむ」と、せちに()こえたまへば、かの、まだ()(ひと)びとことことしう()()かせつるを、つつましう(おぼ)せどあはれなりつるありさまもいぶかしくて、おはしぬ。
折り返し、僧都が参上なさった。
法師であるが、とても気がおけて人品も重々しく、世間からもご信頼されていらっしゃる方なので、軽々しいお姿を、きまり悪くお思いになる。
このように籠っている間のお話などを申し上げなさって、「同じ草庵ですが、少し涼しい遣水の流れも御覧に入れましょう」と、熱心にお勧め申し上げなさるので、あの、まだ自分を見ていない人々に大げさに吹聴していたのを、気恥ずかしくお思いになるが、かわいらしかった有様も気になって、おいでになった。
それから間もなく僧都が訪問して来た。尊敬される人格者で、僧ではあるが貴族出のこの人に軽い旅装で逢うことを源氏はきまり悪く思った。二年越しの山籠りの生活を僧都は語ってから、
 「僧の家というものはどうせ皆寂しい貧弱なものですが、ここよりは少しきれいな水の流れなども庭にはできておりますから、お目にかけたいと思うのです」
 僧都は源氏の来宿を乞うてやまなかった。源氏を知らないあの女の人たちにたいそうな顔の吹聴などをされていたことを思うと、しりごみもされるのであるが、心を惹いた少女のことも詳しく知りたいと思って源氏は僧都の坊へ移って行った。
1.4.6
げに、いと(こころ)ことによしありて、(おな)木草(きくさ)をも()ゑなしたまへり
(つき)もなきころなれば遣水(やりみづ)篝火(かがりび)ともし、灯籠(とうろ)なども(まゐ)りたり。
南面(みなみおもて)いと(きよ)げにしつらひたまへり。
そらだきもの、いと(こころ)にくく(かを)()で、名香(みゃうがう)()など(にほ)ひみちたるに、(きみ)御追風(おほんおひかぜ)いとことなれば、(うち)(ひと)びとも(こころ)づかひすべかめり
なるほど、とても格別に風流を凝らして、同じ木や草を植えていらっしゃった。
月もないころなので、遣水に篝火を照らし、灯籠などにも火を灯してある。
南面はとてもこざっぱりと整えていらっしゃる。
空薫物が、たいそう奥ゆかしく薫って来て、名香の香などが、匂い満ちているところに、源氏の君のおん追い風がとても格別なので、奥の人々も気を使っている様子である。
主人の言葉どおりに庭の作り一つをいってもここは優美な山荘であった、月はないころであったから、流れのほとりに篝を焚かせ、燈籠を吊らせなどしてある。南向きの室を美しく装飾して源氏の寝室ができていた。奥の座敷から洩れてくる薫香のにおいと仏前に焚かれる名香の香が入り混じって漂っている山荘に、新しく源氏の追い風が加わったこの夜を女たちも晴れがましく思った。
1.4.7
僧都(そうづ)()(つね)なき御物語(おほんものがたり)後世(のちせ)のことなど()こえ()らせたまふ。
()(つみ)のほど(おそ)ろしう、あぢきなきことに(こころ)をしめて、()ける(かぎ)りこれを(おも)(なや)むべきなめり
まして(のち)()いみじかるべき」。
(おぼ)(つづ)けて、かうやうなる()まひもせまほしうおぼえたまふものから(ひる)面影心(おもかげこころ)にかかりて(こひ)しければ、
僧都は、この世の無常のお話や、来世の話などを説いてお聞かせ申し上げなさる。
ご自分の罪障の深さが恐ろしく、「どうにもならないことに心を奪われて、一生涯このことを思い悩み続けなければならないようだ。
まして来世は大変なことになるにちがいない」。
お考え続けて、このような出家生活もしたく思われる一方では、昼間の面影が心にかかって恋しいので、
僧都は人世の無常さと来世の頼もしさを源氏に説いて聞かせた。源氏は自身の罪の恐ろしさが自覚され、来世で受ける罰の大きさを思うと、そうした常ない人生から遠ざかったこんな生活に自分もはいってしまいたいなどと思いながらも、夕方に見た小さい貴女が心にかかって恋しい源氏であった。
1.4.8 「ここにおいでの方は、どなたですか。
お尋ね申したい夢を拝見しましたよ。
今日、
「ここへ来ていらっしゃるのはどなたなんですか、その方たちと自分とが因縁のあるというような夢を私は前に見たのですが、なんだか今日こちらへ伺って謎の糸口を得た気がします」
1.4.9
()こえたまへば、うち(わら)ひて、
と申し上げなさると、にっこり笑って、
と源氏が言うと、
1.4.10
うちつけなる御夢語(おほんゆめがた)りにぞはべるなる
(たづ)ねさせたまひても御心劣(みこころおと)りせさせたまひぬべし
故按察使大納言(こあぜちのだいなごん)は、()になくて(ひさ)しくなりはべりぬれば、えしろしめさじかし
その(きた)(かた)なむ、なにがしが(いもうと)にはべる。
かの按察使(あぜち)かくれて(のち)()(そむ)きてはべるがこのごろわづらふことはべるにより、かく(きゃう)にもまかでねば(たの)もし(どころ)()もりてものしはべるなり」と()こえたまふ。
「唐突な夢のお話というものでございますな。
お知りあそばされたても、きっとがっかりあそばされることでございましょう。
故按察使大納言は、亡くなってから久しくなりましたので、ご存知ありますまい。
その北の方が拙僧の妹でございます。
あの按察使が亡くなって後、出家しておりますのが、最近、患うことがございましたので、こうして京にも行かずにおりますので、頼り所として籠っているのでございます」とお申し上げになる。
「突然な夢のお話ですね。それがだれであるかをお聞きになっても興がおさめになるだけでございましょう。前の按察使大納言はもうずっと早く亡くなったのでございますからご存じはありますまい。その夫人が私の姉です。未亡人になってから尼になりまして、それがこのごろ病気なものですから、私が山にこもったきりになっているので心細がってこちらへ来ているのです」
 僧都の答えはこうだった。
1.4.11
かの大納言(だいなごん)御女(みむすめ)ものしたまふと()きたまへしは
()()きしき(かた)にはあらで、まめやかに()こゆるなり」と、()()てにのたまへば、
「あの大納言のご息女が、おいでになると伺っておりましたのは。
好色めいた気持ちからではなく、真面目に申し上げるのです」と当て推量におっしゃると、
「その大納言にお嬢さんがおありになるということでしたが、それはどうなすったのですか。私は好色から伺うのじゃありません、まじめにお尋ね申し上げるのです」
 少女は大納言の遺子であろうと想像して源氏が言うと、
1.4.12
(むすめ)ただ一人(ひとり)はべりし
()せて、この十余年(じふよねん)にやなりはべりぬらむ
故大納言(こだいなごん)内裏(うち)にたてまつらむなど、かしこういつきはべりしを、その本意(ほい)のごとくもものしはべらで、()ぎはべりにしかばただこの尼君一人(あまぎみひとり)もてあつかひはべりしほどに、いかなる(ひと)のしわざにか、兵部卿宮(ひゃうぶきゃうのみや)なむ(しの)びて(かた)らひつきたまへりけるを、(もと)(きた)(かた)やむごとなくなどして、(やす)からぬこと(おほ)くて、()()(もの)(おも)ひてなむ、()くなりはべりにし
物思(ものおも)ひに(やまひ)づくものと、()(ちか)()たまへし
「娘がただ一人おりました。
亡くなって、ここ十何年になりましょうか。
故大納言は、入内させようなどと、大変大切に育てていましたが、その本願のようにもなりませず、亡くなってしまいましたので、ただこの尼君が一人で苦労して育てておりましたうちに、誰が手引をしたものか、兵部卿宮がこっそり通って来られるようになったのですが、本妻の北の方が、ご身分の高い人であったりして、気苦労が多くて、明け暮れ物思いに悩んで、亡くなってしまいました。
物思いから病気になるものだと、目の当たりに拝見致しました次第です」
「ただ一人娘がございました。亡くなりましてもう十年余りになりますでしょうか、大納言は宮中へ入れたいように申して、非常に大事にして育てていたのですがそのままで死にますし、未亡人が一人で育てていますうちに、だれがお手引きをしたのか兵部卿の宮が通っていらっしゃるようになりまして、それを宮の御本妻はなかなか権力のある夫人で、やかましくお言いになって、私の姪はそんなことからいろいろ苦労が多くて、物思いばかりをしたあげく亡くなりました。物思いで病気が出るものであることを私は姪を見てよくわかりました」
1.4.13
など(まう)したまふ。
さらば、その()なりけり」と(おぼ)しあはせつ。
親王(みこ)御筋(おほんすぢ)にてかの(ひと)にもかよひきこえたるにや」と、いとどあはれに()まほし
(ひと)のほどもあてにをかしう、なかなかのさかしら(ごころ)なく、うち(かた)らひて、(こころ)のままに(をし)()ほし()てて()ばや」と(おぼ)す。
などとお申し上げなさる。
「それでは、その人の子であったのだ」とご理解なさった。
「親王のお血筋なので、あのお方にもお似通い申しているのであろうか」と、ますます心惹かれて世話をしたい。
「人柄も上品でかわいらしくて、なまじの小ざかしいところもなく、一緒に暮らして、自分の理想通りに育ててみたいものだなあ」とお思いになる。
などと僧都は語った。それではあの少女は昔の按察使大納言の姫君と兵部卿の宮の間にできた子であるに違いないと源氏は悟ったのである。藤壼の宮の兄君の子であるがためにその人に似ているのであろうと思うといっそう心の惹かれるのを覚えた。身分のきわめてよいのがうれしい、愛する者を信じようとせずに疑いの多い女でなく、無邪気な子供を、自分が未来の妻として教養を与えていくことは楽しいことであろう、それを直ちに実行したいという心に源氏はなった。
1.4.14
いとあはれにものしたまふことかな。
それは、とどめたまふ形見(かたみ)もなきか」
「とてもお気の毒なことでいらっしゃいますね。
その方には、
「お気の毒なお話ですね。その方には忘れ形見がなかったのですか」
1.4.15
と、(をさな)かりつる行方(ゆくへ)の、なほ(たし)かに()らまほしくて、()ひたまへば、
と、幼なかった子の将来が、もっとはっきりと知りたくて、お尋ねになると、
なお明確に少女のだれであるかを知ろうとして源氏は言うのである。
1.4.16
()くなりはべりしほどにこそ、はべりしか。
それも、(をんな)にてぞ
それにつけて物思(ものおも)ひのもよほしになむ、(よはひ)(すゑ)(おも)ひたまへ(なげ)きはべるめる」と()こえたまふ。
「亡くなりますころに、生まれました。
それも、女の子で。
それにつけても心配の種として、余命少ない年に思い悩んでおりますようでございます」と申し上げなさる。
「亡くなりますころに生まれました。それも女です。その子供が姉の信仰生活を静かにさせません。姉は年を取ってから一人の孫娘の将来ばかりを心配して暮らしております」
1.4.17
さればよ」と(おぼ)さる。
「やはりそうであったか」とお思いになる。
聞いている話に、夕方見た尼君の涙を源氏は思い合わせた。
1.4.18
あやしきことなれど(をさな)御後見(おほんうしろみ)(おぼ)すべく、()こえたまひてむや
(おも)(こころ)ありて()きかかづらふ(かた)もはべりながら、()(こころ)()まぬにやあらむ、(ひと)()みにてのみなむ。
まだ()げなきほどと(つね)(ひと)(おぼ)しなずらへて、はしたなくや」などのたまへば、
「変な話ですが、その少女のご後見とお思い下さるよう、お話し申し上げていただけませんか。
考えるところがあって、通い関わっています所もありますが、本当にしっくりいかないのでしょうか、独り暮らしばかりしています。
まだ不似合いな年頃だと世間並の男同様にお考えになっては、体裁が悪い」などとおっしゃると、
「妙なことを言い出すようですが、私にその小さいお嬢さんを、託していただけないかとお話ししてくださいませんか。私は妻について一つの理想がありまして、ただ今結婚はしていますが、普通の夫婦生活なるものは私に重荷に思えまして、まあ独身もののような暮らし方ばかりをしているのです。まだ年がつり合わぬなどと常識的に判断をなすって、失礼な申し出だと思召すでしょうか」
 と源氏は言った。
1.4.19 「たいそう嬉しいはずの仰せ言ですが、まだいっこうに幼い年頃のようでございますので、ご冗談にも、お世話なさるのは難しいのでは。
もっとも、女性というものは、人に世話されて一人前にもおなりになるものですから、詳しくは申し上げられませんが、あの祖母に相談しまして、お返事申し上げさせましょう」
「それは非常に結構なことでございますが、まだまだとても幼稚なものでございますから、仮にもお手もとへなど迎えていただけるものではありません。まあ女というものは良人のよい指導を得て一人前になるものなのですから、あながち早過ぎるお話とも何とも私は申されません。子供の祖母と相談をいたしましてお返辞をするといたしましょう」
1.4.20
と、すくよかに()ひてものごはきさましたまへれば(わか)御心(みこころ)()づかしくて、えよくも()こえたまはず。
と、無愛想に言って、こわごわとした感じでいらっしゃるので、若いお心では恥ずかしくて、上手にお話し申し上げられない。
こんなふうにてきぱき言う人が僧形の厳めしい人であるだけ、若い源氏には恥ずかしくて、望んでいることをなお続けて言うことができなかった。
1.4.21 「阿弥陀仏のおいでになるお堂で、勤行のございます時刻です。
初夜のお勤めを、まだ致しておりません。
済ませて参りましょう」と言って、お上りになった。
「阿弥陀様がいらっしゃる堂で用事のある時刻になりました。初夜の勤めがまだしてございません。済ませましてまた」
 こう言って僧都は御堂のほうへ行った。
1.4.22
(きみ)は、心地(ここち)もいと(なや)ましきに(あめ)すこしうちそそき山風(やまかぜ)ひややかに()きたるに(たき)のよどみもまさりて音高(おとたか)()こゆ。
すこしねぶたげなる読経(どきゃう)()()えすごく()こゆるなど、すずろなる(ひと)も、(ところ)からものあはれなり
まして(おぼ)しめぐらすこと(おほ)くて、まどろませたまはず
源氏の君は、気分もとても悩ましいところに、雨が少し降りそそいで、山風が冷やかに吹いてきて、滝壺の水嵩も増して、音が大きく聞こえる。
少し眠そうな読経が途絶え途絶えにぞっとするように聞こえるなども、何でもない人も、場所柄しんみりとした気持ちになる。
まして、いろいろとお考えになることが多くて、お眠りになれない。
病後の源氏は気分もすぐれなかった。雨がすこし降り冷ややかな山風が吹いてそのころから滝の音も強くなったように聞かれた。そしてやや眠そうな読経の声が絶え絶えに響いてくる、こうした山の夜はどんな人にも物悲しく寂しいものであるが、まして源氏はいろいろな思いに悩んでいて、眠ることはできないのであった。
1.4.23
初夜(そや)()ひしかども(よる)もいたう()けにけり。
(うち)にも、(ひと)()ぬけはひしるくて、いと(しの)びたれど、数珠(ずず)脇息(けふそく)()()らさるる(おと)ほの()こえ、なつかしううちそよめく(おと)なひ、あてはかなりと()きたまひて、ほどもなく(ちか)ければ、()()てわたしたる屏風(びゃうぶ)(なか)を、すこし()()けて、(あふぎ)()らしたまへばおぼえなき心地(ここち)すべかめれど()()らぬやうにやとて、ゐざり()づる(ひと)あなり
すこし退(しぞ)きて
初夜と言ったが、夜もたいそう更けてしまった。
奥でも、人々の寝ていない様子がよく分かって、とても密かにしているが、数珠の脇息に触れて鳴る音がかすかに聞こえ、ものやさしくそよめく衣ずれの音を、上品だとお聞きになって、広くなく近いので、外側に立てめぐらしてある屏風の中を、少し引き開けて、扇を打ち鳴らしなさると、意外な気がするようだが、聞こえないふりもできようかということで、いざり出て来る人がいるようだ。
少し後戻りして、
初夜だと言ったが実際はその時刻よりも更けていた。奥のほうの室にいる人たちも起きたままでいるのが気配で知れていた。静かにしようと気を配っているらしいが、数珠が脇息に触れて鳴る音などがして、女の起居の衣摺れもほのかになつかしい音に耳へ通ってくる。貴族的なよい感じである。
 源氏はすぐ隣の室でもあったからこの座敷の奥に立ててある二つの屏風の合わせ目を少し引きあけて、人を呼ぶために扇を鳴らした。先方は意外に思ったらしいが、無視しているように思わせたくないと思って、一人の女が膝行寄って来た。襖子から少し遠いところで、
1.4.24
あやし、ひが(みみ)にや」とたどるを、()きたまひて、
「おかしいわ、聞き違いかしら」と不審がっているのを、お聞きになって、
「不思議なこと、聞き違えかしら」
 と一言うのを聞いて、源氏が、
1.4.25 「仏のお導きは、暗い中に入っても、決して間違うはずはありませんが」
「仏の導いてくださる道は暗いところもまちがいなく行きうるというのですから」
1.4.26
とのたまふ御声(おほんこゑ)の、いと(わか)うあてなるに、うち()でむ(こわ)づかひも、()づかしけれど、
とおっしゃるお声が、とても若く上品なので、お返事する声づかいも、気がひけるが、
という声の若々しい品のよさに、奥の女は答えることもできない気はしたが、
1.4.27
いかなる(かた)の、(おほん)しるべにか
おぼつかなく」と()こゆ。
「どのお方への、ご案内でしょうか。
分かりかねますが」と申し上げる。
「何のお導きでございましょう、こちらでは何もわかっておりませんが」
 と言った。
1.4.28
げに、うちつけなりとおぼめきたまはむも道理(ことわり)なれど、
「なるほど、唐突なことだとご不審になるのも、ごもっともですが、
「突然ものを言いかけて、失敬だとお思いになるのはごもっともですが、
1.4.29 初草のごときうら若き少女を見てからは
わたしの旅寝の袖は恋しさの涙の露ですっかり濡れております
初草の若葉の上を見つるより
旅寝の袖も露ぞ乾かぬ
1.4.30 と申し上げて下さいませんか」とおっしゃる。
と申し上げてくださいませんか」
1.4.31
さらに、かやうの御消息(おほんせうそこ)うけたまはりわくべき(ひと)もものしたまはぬさまは、しろしめしたりげなるを
()れにかは」と()こゆ。
「まったく、このようなお言葉を、頂戴して分かるはずの人もいらっしゃらない有様は、ご存知でいらっしゃりそうなのに。
どなたに」と申し上げる。
「そのようなお言葉を頂戴あそばす方がいらっしゃらないことはご存じのようですが、どなたに」
1.4.32
おのづからさるやうありて()こゆるならむと(おも)ひなしたまへかし」
「自然と、
「そう申し上げるわけがあるのだとお思いになってください」
1.4.33
とのたまへば、()りて()こゆ
とおっしゃるので、奥に行って申し上げる。
源氏がこう言うので、女房は奥へ行ってそう言った。
1.4.34
あな、(いま)めかし
この(きみ)()づいたるほどにおはするとぞ、(おぼ)すらむ
さるにては、かの『若草(わかくさ)』を、いかで()いたまへることぞ」と、さまざまあやしきに、心乱(こころみだ)れて、(ひさ)しうなれば、(なさ)けなしとて、
「まあ、華やいだことを。
この姫君を、年頃でいらっしゃると、お思いなのだろうか。
それにしては、あの『若草を』と詠んだのを、どうしてご存知でいらっしゃることか」と、あれこれと不思議なので、困惑して、遅くなっては、失礼になると思って、
まあ艶な方らしい御挨拶である、女王さんがもう少し大人になっているように、お客様は勘違いをしていられるのではないか、それにしても若草にたとえた言葉がどうして源氏の耳にはいったのであろうと思って、尼君は多少不安な気もするのである。しかし返歌のおそくなることだけは見苦しいと思って、
1.4.35 「今晩だけの旅の宿で涙に濡れていらっしゃるからといって
深山に住むわたしたちのことを引き合いに出さないでくださいまし
「枕結ふ今宵ばかりの露けさを
深山の苔にくらべざらなん
1.4.36
()がたうはべるものを」と()こえたまふ。
乾きそうにございませんのに」とご返歌申し上げなさる。
とてもかわく間などはございませんのに」
 と返辞をさせた。
1.4.37
かうやうのついでなる御消息(おほんせうそこ)は、まださらに()こえ()らず、ならはぬことになむ
かたじけなくとも、かかるついでに、まめまめしう()こえさすべきことなむ」と()こえたまへれば、尼君(あまぎみ)
「このような機会のご挨拶は、まだまったく致したことがなく、初めてのことです。
恐縮ですが、このような機会に、真面目にお話させていただきたいことがあります」と申し上げなさると、尼君、
「こんなお取り次ぎによっての会談は私に経験のないことです。失礼ですが、今夜こちらで御厄介になりましたのを機会にまじめに御相談のしたいことがございます」
 と源氏が言う。
1.4.38 「聞き違いをなさっていらっしゃるのでしょう。
まことに厄介なお方に、どのようなことをお返事申せましょう」とおっしゃると、
「何をまちがえて聞いていらっしゃるのだろう。源氏の君にものを言うような晴れがましいこと、私には何もお返辞なんかできるものではない」
 尼君はこう言っていた。
1.4.39
はしたなうもこそ(おぼ)」と(ひと)びと()こゆ。
「きまりの悪い思いをおさせになってはいけません」と女房たちが申す。
「それでも冷淡なお扱いをするとお思いになるでございましょうから」
 と言って、人々は尼君の出るのを勧めた。
1.4.40 「なるほど、若い人なら嫌なことでしょうが、真面目におっしゃっているのは、恐れ多い」
「そうだね、若い人こそ困るだろうが私など、まあよい。丁寧に言っていらっしゃるのだから」
1.4.41 と言って、いざり寄りなさった。
尼君は出て行った。
1.4.42 「突然で、軽薄な振る舞いと、きっとお思いになられるにちがいないような機会ですが、わたし自身にはそのように思われませんので。
仏はもとよりお見通しでいらっしゃいましょう」
「出来心的な軽率な相談を持ちかける者だとお思いになるのがかえって当然なような、こんな時に申し上げるのは私のために不利なんですが、誠意をもってお話しいたそうとしておりますことは仏様がご存じでしょう」
1.4.43 と言ったが、落ち着いていて、気の置ける様子に気後れして、すぐにはお切り出しになれない。
と源氏は言ったが、相当な年配の貴女が静かに前にいることを思うと急に希望の件が持ち出されないのである。
1.4.44 「おっしゃるとおり、思い寄りも致しませぬ機会に、こうまでおっしゃっていただいたり、お話させていただけますのも、どうして浅い縁と申せましょう」とおっしゃる。
「思いがけぬ所で、お泊まり合わせになりました。あなた様から御相談を承りますのを前生に根を置いていないこととどうして思えましょう」
 と尼君は言った。
1.4.45
あはれにうけたまはる(おほん)ありさまをかの()ぎたまひにけむ(おほん)かはりに(おぼ)しないてむや
()ふかひなきほどの(よはひ)にて、むつましかるべき(ひと)にも()(おく)れはべりにければあやしう()きたるやうにて、年月(としつき)をこそ(かさ)ねはべれ
(おな)じさまにものしたまふなるをたぐひになさせたまへといと()こえまほしきをかかる(をり)はべりがたくてなむ、(おぼ)されむところをも(はばか)らず、うち()ではべりぬる」と()こえたまへば、
「お気の毒な身の上と承りましたご境遇を、あのお亡くなりになった方のお代わりと、わたしをお思いになって下さいませんか。
わたしも幼いころに、かわいがってくれるはずの母親に先立たれましたので、妙に頼りない有様で、年月を送っております。
同じような境遇でいらっしゃるというので、お仲間にしていただきたいと、心から申し上げたいのですが、このような機会がめったにございませんので、どうお思いになられるかもかまわずに、申し出たのでございます」と申し上げなさると、
「お母様をお亡くしになりましたお気の毒な女王さんを、お母様の代わりとして私へお預けくださいませんでしょうか。私も早く母や祖母に別れたものですから、私もじっと落ち着いた気持ちもなく今日に至りました。女王さんも同じような御境遇なんですから、私たちが将来結婚することを今から許して置いていただきたいと、私はこんなことを前から御相談したかったので、今は悪くおとりになるかもしれない時である、折りがよろしくないと思いながら申し上げてみます」
1.4.46 「とても嬉しく存じられるはずのお言葉ですが、お聞き違えていらっしゃることがございませんでしょうかと、憚られるのです。
年寄一人を頼りにしている孫がございますが、とてもまだ幼い年頃で、大目に見てもらえるところもございませんようなので、お承りおくこともできないのでございます」とおっしゃる。
「それは非常にうれしいお話でございますが、何か話をまちがえて聞いておいでになるのではないかと思いますと、どうお返辞を申し上げてよいかに迷います。私のような者一人をたよりにしております子供が一人おりますが、まだごく幼稚なもので、どんなに寛大なお心ででも、将来の奥様にお擬しになることは無理でございますから、私のほうで御相談に乗せていただきようもございません」
 と尼君は言うのである。
1.4.47
みな、おぼつかなからずうけたまはるものを所狭(ところせ)(おぼ)(はばか)らで、(おも)ひたまへ()るさまことなる(こころ)のほどを、御覧(ごらん)ぜよ」
「みな、はっきりと承知致しておりますから、窮屈にご遠慮なさらず、深く思っております格別な心のほどを、御覧下さいませ」
「私は何もかも存じております。そんな年齢の差などはお考えにならずに、私がどれほどそうなるのを望むかという熱心の度を御覧ください」
1.4.48
()こえたまへど、いと()げなきことを、さも()らでのたまふ(おぼ)して、心解(こころと)けたる御答(おほんいら)へもなし。
僧都(そうづ)おはしぬれば、
と申し上げなさるが、まだとても不似合いなことを、そうとも知らないでおっしゃる、とお思いになって、打ち解けたご返事もない。
僧都がお戻りになったので、
源氏がこんなに言っても、尼君のほうでは女王の幼齢なことを知らないでいるのだと思う先入見があって源氏の希望を問題にしようとはしない。僧都が源氏の部屋のほうへ来るらしいのを機会に、
1.4.49
よし、かう()こえそめはべりぬれば、いと(たの)もしうなむ」とて、おし()てたまひつ
「それでは、このように申し上げましたので、心丈夫です」と言って、屏風をお閉てになった。
「まあよろしいです。御相談にもう取りかかったのですから、私は実現を期します」
 と言って、源氏は屏風をもとのように直して去った。
1.4.50
暁方(あかつきがた)になりにければ法華三昧行(ほけざんまいおこな)(だう)懺法(せんぼふ)(こゑ)(やま)おろしにつきて()こえくるいと(たふと)く、(たき)(おと)(ひび)きあひたり。
暁方になったので、法華三昧を勤めるお堂の懺法の声が、山下ろしの風に乗って聞こえて来るのが、とても尊く、滝の音に響き合っていた。
もう明け方になっていた。法華の三昧を行なう堂の尊い懺法の声が山おろしの音に混じり、滝がそれらと和する響きを作っているのである。
1.4.51 「深山おろしの懺法の声に煩悩の夢が覚めて
感涙を催す滝の音であることよ」
吹き迷ふ深山おろしに夢さめて
涙催す滝の音かな
これは源氏の作。
1.4.52 「不意に来られてお袖を濡らされたという山の水に
心を澄まして住んでいるわたしは驚きません
「さしぐみに袖濡らしける山水に
すめる心は騒ぎやはする
1.4.53
耳馴(みみな)れはべりにけりや」と()こえたまふ。
耳慣れてしまったからでしょうか」と申し上げなさる。
もう馴れ切ったものですよ」
 と僧都は答えた。

第五段 翌日、迎えの人々と共に帰京

1.5.1
()けゆく(そら)いといたう(かす)みて、(やま)(とり)どもそこはかとなうさへづりあひたり。
()()らぬ木草(きくさ)(はな)どももいろいろに()りまじり、(にしき)()けると()ゆるに鹿(しか)のたたずみ(あり)くも、めづらしく()たまふに(なや)ましさも(まぎ)()てぬ。
明けて行く空は、とてもたいそう霞んで、山の鳥どもがどこかしことなく囀り合っている。
名も知らない木や草の花々が、色とりどりに散り混じり、錦を敷いたと見える所に、鹿があちこちと立ち止まったり歩いたりしているのも、珍しく御覧になると、気分の悪いのもすっかり忘れてしまった。
夜明けの空は十二分に霞んで、山の鳥声がどこで啼くとなしに多く聞こえてきた。都人には名のわかりにくい木や草の花が多く咲き多く地に散っていた。こんな深山の錦の上へ鹿が出て来たりするのも珍しいながめで、源氏は病苦からまったく解放されたのである。
1.5.2
(ひじり)(うご)きもえせねどとかうして護身参(ごしんまゐ)らせたまふ。
かれたる(こゑ)いといたうすきひがめるも、あはれに(くう)づきて、陀羅尼誦(だらによ)みたり。
聖は、身動きも不自由だが、やっとのことで護身法をして差し上げなさる。
しわがれた声で、とてもひどく歯の間から洩れて聞きにくいのも、しみじみと年功を積んだようで、陀羅尼を誦していた。
聖人は動くことも容易でない老体であったが、源氏のために僧都の坊へ来て護身の法を行なったりしていた。嗄々な所々が消えるような声で経を読んでいるのが身にしみもし、尊くも思われた。経は陀羅尼である。
1.5.3
御迎(おほんむか)への(ひと)びと(まゐ)りておこたりたまへる(よろこ)()こえ、内裏(うち)よりも(おほん)とぶらひあり。
僧都(そうづ)()()えぬさまの(おほん)くだもの、(なに)くれと、(たに)(そこ)まで()()で、いとなみきこえたまふ。
お迎えの人々が参って、ご回復されたお祝いを申し上げ、帝からもお見舞いがある。
僧都は、見慣れないような果物を、あれこれと、谷の底から採ってきては、ご接待申し上げなさる。
京から源氏の迎えの一行が山へ着いて、病気の全快された喜びが述べられ、御所のお使いも来た。僧都は珍客のためによい菓子を種々作らせ、渓間へまでも珍しい料理の材料を求めに人を出して饗応に骨を折った。
1.5.4
今年(ことし)ばかりの(ちか)(ふか)うはべりて、御送(おほんおく)りにもえ(まゐ)りはべるまじきこと。
なかなかにも(おも)ひたまへらるべきかな
「今年いっぱいの誓いが固うございまして、お見送りに参上できませぬ次第。
かえって残念に存じられてなりません」
「まだ今年じゅうは山籠りのお誓いがしてあって、お帰りの際に京までお送りしたいのができませんから、かえって御訪問が恨めしく思われるかもしれません」
1.5.5
など()こえたまひて、大御酒参(おほみきまゐ)りたまふ
などと申し上げなさって、お酒を差し上げなさる。
などと言いながら僧都は源氏に酒をすすめた。
1.5.6 「山や谷川に心惹かれましたが、帝にご心配あそばされますのも、恐れ多いことですので。
そのうち、この花の時期を過ごさずに参りましょう。
「山の風景に十分愛着を感じているのですが、陛下に御心配をおかけ申すのももったいないことですから、またもう一度、この花の咲いているうちに参りましょう、
1.5.7 大宮人に帰って話して聞かせましょう、
この山桜の美しいことを風の吹き散ら
宮人に行きて語らん山ざくら
風よりさきに来ても見るべく」
1.5.8 とおっしゃる態度や、声づかいまでが、眩しいくらい立派なので、
歌の発声も態度もみごとな源氏であった、僧都が、
1.5.9 「三千年に一度咲くという優曇華の花の
咲くのにめぐり逢ったような気がして深山桜には目も移りません」
優曇華の花まち得たるここちして
深山桜に目こそ移らね
1.5.10
()こえたまへば、ほほゑみて、(とき)ありて一度開(ひとたびひら)くなるは、かたかなるものを」とのたまふ。
と申し上げなさると、君は微笑みなさって、「その時節に至って、一度咲くという花は、難しいといいますのに」とおっしゃる。
と言うと源氏は微笑しながら、
 「長い間にまれに一度咲くという花は御覧になることが困難でしょう。私とは違います」
 と言っていた。
1.5.11 聖は、お杯を頂戴して、
巌窟の聖人は酒杯を得て、
1.5.12 「奥山の松の扉を珍しく開けましたところ
まだ見たこともない花のごとく美しいお顔を拝見致しました」
奥山の松の戸ぼそを稀に開けて
まだ見ぬ花の顔を見るかな
1.5.13
と、うち()きて()たてまつる。
(ひじり)(おほん)まもりに、独鈷(とこ)たてまつる
()たまひて、僧都(そうづ)聖徳太子(さうとくたいし)百済(くだら)より()たまへりける金剛子(こんがうじ)数珠(ずず)(たま)装束(さうぞく)したる、やがてその(くに)より()れたる(はこ)(から)めいたるを、()きたる(ふくろ)()れて、五葉(ごえふ)(えで)()けて紺瑠璃(こんるり)(つぼ)どもに、御薬(おほんくすり)ども()れて、(ふぢ)(さくら)などに()けて、(ところ)につけたる御贈物(おほんおくりもの)ども、ささげたてまつりたまふ。
と、ちょっと感涙に咽んで君を拝し上げる。
聖は、ご守護に、独鈷を差し上げる。
それを御覧になって、僧都は、聖徳太子が百済から得られた金剛子の数珠で、玉の飾りが付いているのを、そのままその国から入れてあった箱で、唐風なのを、透かし編みの袋に入れて、五葉の松の枝に付けて、紺瑠璃の壺々に、お薬類を入れて、藤や桜などに付けて、場所柄に相応しいお贈物類を、捧げて差し上げなさる。
と言って泣きながら源氏をながめていた。聖人は源氏を護る法のこめられてある独鈷を献上した。それを見て僧都は聖徳太子が百済の国からお得になった金剛子の数珠に宝玉の飾りのついたのを、その当時のいかにも日本の物らしくない箱に入れたままで薄物の袋に包んだのを五葉の木の枝につけた物と、紺瑠璃などの宝石の壼へ薬を詰めた幾個かを藤や桜の枝につけた物と、山寺の僧都の贈り物らしい物を出した。
1.5.14
(きみ)(ひじり)よりはじめ読経(どきゃう)しつる法師(ほふし)布施(ふせ)ども、まうけの(もの)ども、さまざまに()りにつかはしたりければそのわたりの(やま)がつまで、さるべき(もの)ども(たま)ひ、御誦経(みずきゃう)などして()でたまふ
源氏の君は、聖をはじめとして、読経した法師へのお布施類、用意の品々を、いろいろと京へ取りにやっていたので、その近辺の樵人にまで、相応の品物をお与えになり、御誦経の布施をしてお出になる。
源氏は巌窟の聖人をはじめとして、上の寺で経を読んだ僧たちへの布施の品々、料理の詰め合わせなどを京へ取りにやってあったので、それらが届いた時、山の仕事をする下級労働者までが皆相当な贈り物を受けたのである。なお僧都の堂で誦経をしてもらうための寄進もして、
1.5.15
(うち)僧都入(そうづい)りたまひて、かの()こえたまひしことまねびきこえたまへど
室内に僧都はお入りになって、あの君が申し上げなさったことを、そのままお伝え申し上げなさるが、
山を源氏の立って行く前に、僧都は姉の所に行って源氏から頼まれた話を取り次ぎしたが、
1.5.16
ともかくもただ(いま)は、()こえむかたなし。
もし、御志(みこころざし)あらば、いま(よとせ)五年(いつとせ)()ぐしてこそはともかくも」とのたまへば、さなむ」と(おな)じさまにのみあるを、本意(ほい)なしと(おぼ)
「何ともこうとも、今すぐには、お返事申し上げようがありません。
もし、君にお気持ちがあるならば、もう四、五年たってから、ともかくも」とおっしゃると、「しかじか」と同じようにばかりあるので、つまらないとお思いになる。
「今のところでは何ともお返辞の申しようがありません。御縁がもしありましたならもう四、五年して改めておっしゃってくだすったら」
 と尼君は言うだけだった。源氏は前夜聞いたのと同じような返辞を僧都から伝えられて自身の気持ちの理解されないことを歎いた。
1.5.17 お手紙は、僧都のもとに仕える小さい童にことづけて、
手紙を僧都の召使の小童に持たせてやった。
1.5.18 「昨日の夕暮時にわずかに美しい花を見ましたので
今朝は霞の空に立ち去りがたい気がします」
夕まぐれほのかに花の色を見て
今朝は霞の立ちぞわづらふ
1.5.19 お返事、
という歌である。返歌は、
1.5.20 「本当に花の辺りを立ち去りにくいのでしょうか
そのようなことをおっしゃるお気持ちを見たいものです」
まことにや花のほとりは立ち憂きと
霞むる空のけしきをも見ん
1.5.21
と、よしある()いとあてなるをうち()()いたまへり。
と、教養ある筆跡で、とても上品であるのを、無造作にお書きになっている。
こうだった。貴女らしい品のよい手で飾りけなしに書いてあった。
1.5.22
御車(みくるま)にたてまつるほど大殿(おほいどの)より、いづちともなくて、おはしましにけること」とて、御迎(おほんむか)への(ひと)びと、君達(きみたち)などあまた(まゐ)りたまへり。
頭中将(とうのちゅうじゃう)左中弁(さちゅうべん)さらぬ君達(きみたち)(した)ひきこえて、
お車にお乗りになるころに、左大臣邸から、「どちらへ行くともおっしゃらなくて、お出かけあそばしてしまったこと」と言って、お迎えの供人、ご子息たちなどが大勢参上なさった。
頭中将、左中弁、その他のご子息もお慕い申して、
ちょうど源氏が車に乗ろうとするころに、左大臣家から、どこへ行くともなく源氏が京を出かけて行ったので、その迎えとして家司の人々や、子息たちなどがおおぜい出て来た。頭中将、左中弁またそのほかの公達もいっしょに来たのである。
1.5.23
かうやうの御供(おほんとも)には(つか)うまつりはべらむ、(おも)ひたまふるをあさましく、おくらさせたまへること」と(うら)みきこえて、いといみじき(はな)(かげ)しばしもやすらはず、()(かへ)りはべらむは()かぬわざかな」とのたまふ。
「このようなお供には、お仕え申しましょうと、存じておりますのに、あまりにも、お置き去りあそばして」とお怨み申して、「とても美しい桜の花の下に、しばしの間も足を止めずに、引き返しますのは、もの足りない気がしますね」とおっしゃる。
「こうした御旅行などにはぜひお供をしようと思っていますのに、お知らせがなくて」
 などと恨んで、
 「美しい花の下で遊ぶ時間が許されないですぐにお帰りのお供をするのは惜しくてならないことですね」
 とも言っていた。
1.5.24
岩隠(いはがく)れの(こけ)(うへ)()みゐて、土器参(かはらけまゐ)
()()(みづ)のさまなど、ゆゑある(たき)のもとなり。
頭中将(とうのちゅうじゃう)(ふところ)なりける笛取(ふえと)()でて、()きすましたり。
(べん)(きみ)(あふぎ)はかなううち()らして、豊浦(とよら)(てら)の、西(にし)なるや」と(うた)ふ。
(ひと)よりは(こと)なる君達(きみたち)源氏(げんじ)(きみ)いといたううち(なや)みて、(いは)()りゐたまへるは、たぐひなくゆゆしき(おほん)ありさまにぞ(なに)ごとにも目移(めうつ)るまじかりける。
(れい)の、篳篥吹(ひちりきふ)随身(ずいじん)(しゃう)笛持(ふえも)たせたる()(もの)などあり。
岩蔭の苔の上に並び座って、お酒を召し上がる。
落ちて来る水の様子など、風情のある滝のほとりである。
頭中将は、懐にしていた横笛を取り出して、吹き澄ましている。
弁の君は、扇を軽く打ち鳴らして、「豊浦の寺の、西なるや」と謡う。
普通の人よりは優れた公達であるが、源氏の君の、とても苦しそうにして、岩に寄り掛かっておいでになるのは、またとなく不吉なまでに美しいご様子に、他の何人にも目移りしそうにないのであった。
いつものように、篳篥を吹く随身、笙の笛を持たせている風流人などもいる。
岩の横の青い苔の上に新しく来た公達は並んで、また酒盛りが始められたのである。前に流れた滝も情趣のある場所だった。頭中将は懐に入れてきた笛を出して吹き澄ましていた。弁は扇拍子をとって、「葛城の寺の前なるや、豊浦の寺の西なるや」という歌を歌っていた。この人たちは決して平凡な若い人ではないが、悩ましそうに岩へよりかかっている源氏の美に比べてよい人はだれもなかった。いつも篳篥を吹く役にあたる随身がそれを吹き、またわざわざ笙の笛を持ち込んで来た風流好きもあった。
1.5.25
僧都(そうづ)(きん)をみづから()(まゐ)りて
僧都は、七絃琴を自分で持って参って、
僧都が自身で琴(七絃の唐風の楽器)を運んで来て、
1.5.26
これ、ただ御手一(おほんてひと)あそばして、(おな)じうは、(やま)(とり)もおどろかしはべらむ」
「これで、ちょっとひと弾きあそばして、同じことなら、山の鳥をも驚かしてやりましょう」
「これをただちょっとだけでもお弾きくだすって、それによって山の鳥に音楽の何であるかを知らせてやっていただきたい」
1.5.27 と熱心にご所望申し上げなさるので、
こう熱望するので、
1.5.28 「気分が悪いので、とてもできませんのに」とお答え申されるが、ことに無愛想にはならない程度に琴を掻き鳴らして、一行はお立ちになった。
「私はまだ病気に疲れていますが」
 と言いながらも、源氏が快く少し弾いたのを最後として皆帰って行った。
1.5.29
()かず口惜(くちを)しと()ふかひなき法師(ほふし)(わらは)べも、(なみだ)()としあへり。
まして、(うち)には、年老(としお)いたる尼君(あまぎみ)たちなど、まださらにかかる(ひと)(おほん)ありさまを()ざりつれば、この()のものともおぼえたまはず」と()こえあへり。
僧都(そうづ)も、
名残惜しく残念だと、取るに足りない法師や、童子も、涙を落とし合っていた。
彼ら以上に、室内では、年老いた尼君たちなどは、まだこのようにお美しい方の姿を見たことがなかったので、「この世の人とは思われなさらない」とお噂申し上げ合っていた。
僧都も、
名残惜しく思って山の僧俗は皆涙をこぼした。家の中では年を取った尼君主従がまだ源氏のような人に出逢ったことのない人たちばかりで、その天才的な琴の音をも現実の世のものでないと評し合った。僧都も、
1.5.30
あはれ、(なに)(ちぎ)りにてかかる(おほん)さまながらいとむつかしき日本(ひのもと)(すゑ)()()まれたまへらむと()るに、いとなむ(かな)しき」とて、()おしのごひたまふ。
「ああ、どのような因縁で、このような美しいお姿でもって、まことにむさ苦しい日本国の末世にお生まれになったのであろうと思うと、まことに悲しい」と言って、目を押し拭いなさる。
「何の約束事でこんな未世にお生まれになって人としてのうるさい束縛や干渉をお受けにならなければならないかと思ってみると悲しくてならない」
 と源氏の君のことを言って涙をぬぐっていた。
1.5.31
この若君(わかぎみ)(をさ)心地(ごこち)に、「めでたき(ひと)かな」と()たまひて、
この若君は、子供心に、「素晴らしい人だわ」と御覧になって、
兵部卿の宮の姫君は子供心に美しい人であると思って、
1.5.32
(みや)(おほん)ありさまよりもまさりたまへるかな」などのたまふ。
「父宮のお姿よりも、優れていらっしゃいますわ」などとおっしゃる。
「宮様よりも御様子がごりっぱね」
 などとほめていた。
1.5.33 「それでは、あの方のお子様におなりあそばせな」
「ではあの方のお子様におなりなさいまし」
1.5.34
()こゆれば、うちうなづきて、いとようありなむ」と(おぼ)したり。
雛遊(ひひなあそ)びにも、絵描(ゑか)いたまふにも、源氏(げんじ)(きみ)」と(つく)()でて、きよらなる衣着(きぬき)せ、かしづきたまふ。
と申し上げると、こっくりと頷いて、「とてもすてきなことだわ」とお思いになっている。
お人形遊びにも、お絵描きなさるにも、「源氏の君」と作り出して、美しい衣装を着せ、お世話なさる。
と女房が言うとうなずいて、そうなってもよいと思う顔をしていた。それからは人形遊びをしても絵をかいても源氏の君というのをこしらえて、それにはきれいな着物を着せて大事がった。

第六段 内裏と左大臣邸に参る

1.6.1
(きみ)は、まづ内裏(うち)(まゐ)りたまひて()ごろの御物語(おほんものがたり)など()こえたまふ。
いといたう(おとろ)へにけり」とて、ゆゆしと(おぼ)()したり
(ひじり)(たふと)かりけることなど、()はせたまふ
(くは)しく(そう)したまへば、
源氏の君は、まず内裏に参内なさって、ここ数日来のお話などを申し上げなさる。
「とてもひどくお痩せになってしまったものよ」とおっしゃって、ご心配あそばした。
聖の霊験あらたかであったことなどを、お尋ねあそばす。
詳しく奏上なさると、
帰京した源氏はすぐに宮中へ上がって、病中の話をいろいろと申し上げた。ずいぶん痩せてしまったと仰せられて帝はそれをお気におかけあそばされた。聖人の尊敬すべき祈祷カなどについての御下問もあったのである。詳しく申し上げると、
1.6.2 「阿闍梨などにも任ぜられてもよい人であったのだな。
修行の功績は大きいのに、朝廷からご存知になられなかったことよ」と、尊重なさりたく仰せられるのであった。
「阿闍梨にもなっていいだけの資格がありそうだね。名誉を求めないで修行一方で来た人なんだろう。それで一般人に知られなかったのだ」
 と敬意を表しておいでになった。
1.6.3 大殿が、参内なさっておられて、
左大臣も御所に来合わせていて、
1.6.4 「お迎えにもと存じましたが、お忍びの外出なので、どんなものかと遠慮して。
のんびりと、一、二日、お休みなさい」と言って、「このまま、お供申しましょう」と申し上げなさるので、そうしたいとはお思いにならないが、連れられて退出なさる。
「私もお迎えに参りたく思ったのですが、御微行の時にはかえって御迷惑かとも思いまして違慮をしました。しかしまだ一日二日は静かにお休みになるほうがよろしいでしょう」
 と言って、また、
 「ここからのお送りは私がいたしましょう」
 とも言ったので、その家へ行きたい気もなかったが、やむをえず源氏は同道して行くことにした。
1.6.5 ご自分のお車にお乗せ申し上げなさって、自分は遠慮してお乗りになる。
大切にお世話申し上げなさるお気持ちの有り難いことを、やはり胸のつまる思いがなさるのであった。
自分の車へ乗せて大臣自身はからだを小さくして乗って行ったのである。娘のかわいさからこれほどまでに誠意を見せた待遇を自分にしてくれるのだと思うと、大臣の親心なるものに源氏は感動せずにはいられなかった。
1.6.6
殿(との)にも、おはしますらむと(こころ)づかひしたまひて(ひさ)しく()たまはぬほどいとど(たま)(うてな)(みが)きしつらひ、よろづをととのへたまへり。
大殿邸でも、おいであそばすだろうとご用意なさって、久しくお見えにならなかった間に、ますます玉の台のように磨き上げ飾り立て、用意万端ご準備なさっていた。
こちらへ退出して来ることを予期した用意が左大臣家にできていた。しばらく行って見なかった源氏の目に美しいこの家がさらに磨き上げられた気もした。
1.6.7 女君は、例によって、物蔭に隠れて、すぐには出ていらっしゃらないのを、父大臣が、強くご催促申し上げなさって、やっと出ていらっしゃった。
まるで絵に描いた姫君のように、座らされて、ちょっと身体をお動かしになることも難しく、きちんと行儀よく座っていらっしゃるので、心の中の思いを話したり、北山行きの話をもお聞かせたりするにも、話のしがいがあって、興味をもってお返事をなさって下さろうものなら、情愛もわこうが、少しも打ち解けず、源氏の君をよそよそしく気づまりな相手だとお思いになって、年月を重ねるにつれて、お気持ちの隔たりが増さるのを、とても辛く、心外なので、
源氏の夫人は例のとおりにほかの座敷へはいってしまって出て来ようとしない。大臣がいろいろとなだめてやっと源氏と同席させた。絵にかいた何かの姫君というようにきれいに飾り立てられていて、身動きすることも自由でないようにきちんとした妻であったから、源氏は、山の二日の話をするとすればすぐに同感を表してくれるような人であれば情味が覚えられるであろう、いつまでも他人に対する羞恥と同じものを見せて、同棲の歳月は重なってもこの傾向がますます目だってくるばかりであると思うと苦しくて、
1.6.8
時々(ときどき)()(つね)なる御気色(みけしき)()ばや
()へがたうわづらひはべりしをも、いかがとだに()ひたまはぬこそめづらしからぬことなれど、なほうらめしう
「時々は、世間並みの妻らしいご様子を見たいですね。
私がひどく苦しんでおりました時にも、せめてどうですかとだけでも、お見舞い下さらないのは、今に始まったことではありませんが、やはり残念で」
「時々は普通の夫婦らしくしてください。ずいぶん病気で苦しんだのですから、どうだったかというぐらいは問うてくだすっていいのに、あなたは問わない。今はじめてのことではないが私としては恨めしいことですよ」
1.6.9
()こえたまふ。
からうして、
と申し上げなさる。
ようやくのことで、
と言った。
1.6.10 「『尋ねないのは、辛いものなの』でしょうか」
「問われないのは恨めしいものでしょうか」
1.6.11
と、後目(しりめ)()おこせたまへるまみ、いと()づかしげに気高(けだか)ううつくしげなる御容貌(おほんかたち)なり。
と、流し目に御覧になっている目もとは、とても気後れがしそうで、気品高く美しそうなご容貌である。
こう言って横に源氏のほうを見た目つきは恥ずかしそうで、そして気高い美が顔に備わっていた。
1.6.12
まれまれはあさましの(おほん)ことや。
()はぬ、など()(きは)(こと)にこそはべるなれ
心憂(こころう)くものたまひなすかな。
()とともにはしたなき(おほん)もてなしを、もし、(おぼ)(なほ)(をり)もやと、とざまかうさまに(こころ)みきこゆるほど、いとど(おも)ほし(うと)むなめりかし
よしや、(いのち)だに
「たまさかにおっしゃるかと思えば、心外なお言葉ですね。
訪ねない、などという間柄は、他人が使う言葉でございましょう。
嫌なふうにおっしゃいますね。
いつまでたっても変わらない体裁の悪い思いをさせるお振る舞いを、もしや、お考え直しになるときもあろうかと、あれやこれやとお試し申しているうちに、ますますお疎んじなられたようですね。
仕方ない、
「たまに言ってくださることがそれだ。情けないじゃありませんか。訪うて行かぬなどという間柄は、私たちのような神聖な夫婦の間柄とは違うのですよ。そんなことといっしょにして言うものじゃありません。時がたてばたつほどあなたは私を露骨に軽蔑するようになるから、こうすればあなたの心持ちが直るか、そうしたら効果があるだろうかと私はいろんな試みをしているのですよ。そうすればするほどあなたはよそよそしくなる。まあいい。長い命さえあればよくわかってもらえるでしょう」
1.6.13
とて、(よる)御座(おまし)()りたまひぬ。
女君(をんなぎみ)ふとも()りたまはず、()こえわづらひたまひて、うち(なげ)きて()したまへるもなま(こころ)づきなきにやあらむねぶたげにもてなしてとかう()(おぼ)(みだ)るること(おほ)かり。
と言って、夜のご寝所にお入りになった。
女君は、すぐにもお入りにならず、お誘い申しあぐねなさって、溜息をつきながら横になっているものの、何となくおもしろくないのであろうか、眠そうなふりをなさって、あれやこれやと夫婦仲を思い悩まれることが多かった。
と言って源氏は寝室のほうへはいったが、夫人はそのままもとの座にいた。就寝を促してみても聞かぬ人を置いて、歎息をしながら源氏は枕についていたというのも、夫人を動かすことにそう骨を折る気にはなれなかったのかもしれない。ただくたびれて眠いというふうを見せながらもいろいろな物思いをしていた。
1.6.14
この若草(わかくさ)()()でむほどのなほゆかしきを()げないほどと(おも)へりしも道理(ことわり)ぞかし。
()()りがたきことにもあるかな。
いかにかまへて、ただ(こころ)やすく(むか)()りて、()()れの(なぐさ)めに()む。
兵部卿宮(ひゃうぶきゃうのみや)は、いとあてになまめいたまへれど、(にほ)ひやかになどもあらぬをいかで、かの一族(ひとぞう)おぼえたまふらむ
ひとつ后腹(きさきばら)なればにや」など(おぼ)す。
ゆかりいとむつましきに、いかでかと、(ふか)うおぼゆ。
この若草の君が成長していく間がやはり気にかかるので、「まだ相応しくない年頃と思っているのも、もっともである。
申し込みにくいものだなあ。
何とか手段を講じて、ほんの気楽に迎え取って、毎日の慰めとして一緒に暮らしたい。
父兵部卿宮は、とても上品で優美でいらっしゃるが、つややかなお美しさはないのに、どうして、あの一族に似ていらっしゃるのだろう。
父宮が同じお后様からお生まれになったからだろうか」などとお考えになる。
血縁がとても親しく感じられて、何とかしてと、深く思われる。
若草と祖母に歌われていた兵部卿の宮の小王女の登場する未来の舞台がしきりに思われる。年の不つりあいから先方の人たちが自分の提議を問題にしようとしなかったのも道理である。先方がそうでは積極的には出られない。しかし何らかの手段で自邸へ入れて、あの愛らしい人を物思いの慰めにながめていたい。兵部卿の宮は上品な艶なお顔ではあるがはなやかな美しさなどはおありにならないのに、どうして叔母君にそっくりなように見えたのだろう、宮と藤壷の宮とは同じお后からお生まれになったからであろうか、などと考えるだけでもその子と恋人との縁故の深さがうれしくて、ぜひとも自分の希望は実現させないではならないものであると源氏は思った。

第七段 北山へ手紙を贈る

1.7.1 翌日、お手紙を差し上げなさった。
僧都にもそれとなくお書きになったのであろう。
尼上には、
源氏は翌日北山へ手紙を送った。僧都へ書いたものにも女王の問題をほのめかして置かれたに違いない。尼君のには、
1.7.2 「取り合って下さらなかったご様子に気がひけますので、思っておりますことをも、十分に申せずじまいになりましたことを。
これほどに申し上げておりますことにつけても、並々ならぬ気持ちのほどを、お察しいただけたら、どんなに嬉しいことでしょうか」
問題にしてくださいませんでしたあなた様に気おくれがいたしまして、思っておりますこともことごとくは言葉に現わせませんでした。こう申しますだけでも並み並みでない執心のほどをおくみ取りくださいましたらうれしいでしょう。
1.7.3
などあり。
(なか)に、(ちひ)さく()(むす)びて
などと書いてある。
中に、小さく結んで、
などと書いてあった。別に小さく結んだ手紙が入れてあって、
1.7.4 「あなたの山桜のように美しい面影はわたしの身から離れません
心のすべてをそちらに置いて来たのですが
「面かげは身をも離れず山ざくら、
心の限りとめてこしかど
1.7.5 夜間に吹く風が、心配に思われまして」
どんな風が私の忘れることのできない花を吹くかもしれないと思うと気がかりです」
1.7.6
とあり。
御手(おほんて)などはさるものにて、ただはかなうおし(つつ)みたまへるさまも、さだすぎたる御目(おほんめ)どもには、()もあやにこのましう()ゆ。
と書いてある。
ご筆跡などはさすがに素晴らしくて、ほんの無造作にお包みになった様子も、年配の人々のお目には、眩しいほどに素晴らしく見える。
内容はこうだった。源氏の字を美しく思ったことは別として、老人たちは手紙の包み方などにさえ感心していた。、
1.7.7
あな、かたはらいたや。
いかが()こえむ」と、(おぼ)しわづらふ。
「まあ、困ったこと。
どのようにお返事申し上げましょう」と、お困りになる。
困ってしまう。こんな問題はどうお返事すればいいことかと尼君は当惑していた。
1.7.8 「行きがかりのお話は、ご冗談ごとと存じられましたが、わざわざお手紙を頂戴いたしましたのに、お返事の申し上げようがなくて。
まだ「難波津」をさえ、ちゃんと書き続けませんようなので、お話になりません。
それにしても、
あの時のお話は遠い未来のことでございましたから、ただ今何とも申し上げませんでもと存じておりましたのに、またお手紙で仰せになりましたので恐縮いたしております。まだ手習いの難波津の歌さえも続けて書けない子供でございますから失礼をお許しくださいませ、それにいたしましても、
1.7.9 激しい山風が吹いて散ってしまう峰の桜に
その散る前にお気持ちを寄せられたように頼りなく思われます
嵐吹く尾上のさくら散らぬ間を、
心とめけるほどのはかなさ
1.7.10 ますます気がかりでございまして」
こちらこそたよりない気がいたします。
というのが尼君からの返事である。
1.7.11
とあり
僧都(そうづ)御返(おほんかへ)りも(おな)じさまなれば、口惜(くちを)しくて、()三日(さんにち)ありて惟光(これみつ)をぞたてまつれたまふ
とある。
僧都のお返事も同じようなので、残念に思って、二、三日たって、惟光を差し向けなさる。
僧都の手紙にしるされたことも同じようであったから源氏は残念に思って二、三日たってから惟光を北山へやろうとした。
1.7.12
少納言(せうなごん)乳母(めのと)()(ひと)あべし
(たづ)ねて、(くは)しう(かた)らへ」などのたまひ()らす。
さも、かからぬ(くま)なき御心(みこころ)かな。
さばかりいはけなげなりしけはひを」と、まほならねども、()しほどを(おも)ひやるもをかし。
「少納言の乳母という人がいるはずだ。
その人を尋ねて、詳しく相談せよ」などとお言い含めなさる。
「何とも、
どのようなことにもご関心を寄せられる好き心だなあ。あれほど子供じみた様子であった様子なのに」と、はっきりとで
「少納言の乳母という人がいるはずだから、その人に逢って詳しく私のほうの心持ちを伝えて来てくれ」
 などと源氏は命じた。どんな女性にも関心を持つ方だ、姫君はまだきわめて幼稚であったようだのにと惟光は思って、真正面から見たのではないが、自身がいっしょに隙見をした時のことを思ってみたりもしていた。
1.7.13
わざと、かう御文(おほんふみ)あるを僧都(そうづ)もかしこまり()こえたまふ。
少納言(せうなごん)消息(せうそこ)して()ひたり。
(くは)しく、(おぼ)しのたまふさま、おほかたの(おほん)ありさまなど(かた)
言葉多(ことばおほ)かる(ひと)にてつきづきしう()(つづ)くれど、いとわりなき(おほん)ほどを、いかに(おぼ)すにか」と、ゆゆしうなむ、(たれ)(たれ)(おぼ)しける
わざわざ、このようにお手紙があるので、僧都も恐縮の由申し上げなさる。
少納言の乳母に申し入れて面会した。
詳しく、お考えになっておっしゃったご様子や、日頃のご様子などを話す。
多弁な人なので、もっともらしくいろいろ話し続けるが、「とても無理なお年なのに、どのようにお考えなのか」と、大変心配なことと、どなたもどなたもお思いになるのであった。
今度は五位の男を使いにして手紙をもらったことに僧都は恐縮していた。惟光は少納言に面会を申し込んで逢った。源氏の望んでいることを詳しく伝えて、そのあとで源氏の日常の生活ぶりなどを語った。多弁な惟光は相手を説得する心で上手にいろいろ話したが、僧都も尼君も少納言も稚い女王への結婚の申し込みはどう解釈すべきであろうとあきれているばかりだった。
1.7.14
御文(おほんふみ)にも、いとねむごろに()いたまひて、(れい)の、(なか)に、かの御放(おほんはな)()なむ、なほ()たまへまほしき」とて、
お手紙にも、とても心こめてお書きになって、例によって、その中に、「あの一字一字のお書きなのを、やはり拝見したいのです」とあって、
手紙のほうにもねんごろに申し入れが書かれてあって、
 一つずつ離してお書きになる姫君のお字をぜひ私に見せていただきたい。
 ともあった。例の中に封じたほうの手紙には、
1.7.15 「浅香山のように浅い気持ちで思っているのではないのに
どうしてわたしからかけ離れていらっしゃるのでしょう」
浅香山浅くも人を思はぬに、
など山の井のかけ離るらん
1.7.16
御返(おほんかへ)し、
お返事、
この歌が書いてある。返事、
1.7.17 「うっかり薄情な人と契りを結んで後悔したと聞きました山の井のような
浅いお心のままどうして孫娘を御覧に入れられましょう」
汲み初めてくやしと聞きし山の井の、
浅きながらや影を見すべき
尼君が書いたのである。、
1.7.18
惟光(これみつ)(おな)じことを()こゆ。
惟光も同じ意味のご報告を申し上げる。
惟光が聞いて来たのもその程度の返辞であった。
1.7.19
このわづらひたまふことよろしくはこのごろ()ぐして、(きゃう)殿(との)(わた)りたまひてなむ、()こえさすべきとあるを、(こころ)もとなう(おぼ)
「このご病気が多少回復したら、しばらく過ごして、京のお邸にお帰りになってから、改めてお返事申し上げましょう」とあるのを、待ち遠しくお思いになる。
「尼様の御容体が少しおよろしくなりましたら京のお邸へ帰りますから、そちらから改めてお返事を申し上げることにいたします」
 と言っていたというのである。源氏はたよりない気がしたのであった。

第二章 藤壺の物語 夏の密通と妊娠の苦悩物語


第一段 夏四月の短夜の密通事件

2.1.1
藤壺(ふぢつぼ)(みや)(なや)みたまふことありてまかでたまへり
(うへ)の、おぼつかながり、(なげ)ききこえたまふ御気色(みけしき)も、いといとほしう()たてまつりながらかかる(をり)だにと(こころ)もあくがれ(まど)ひて、何処(いづく)にも何処(いづく)にも、まうでたまはず、内裏(うち)にても(さと)にても、(ひる)つれづれと(なが)()らして、()るれば、王命婦(わうみゃうぶ)()(あり)きたまふ。
藤壺の宮に、ご不例の事があって、ご退出された。
主上が、お気をもまれ、ご心配申し上げていらっしゃるご様子も、まことにおいたわしく拝見しながらも、せめてこのような機会にもと、魂も浮かれ出て、どこにもかしこにもお出かけにならず、内裏にいても里邸にいても、昼間は所在なくぼうっと物思いに沈んで、夕暮れになると、王命婦にあれこれとおせがみになる。
藤壼の宮が少しお病気におなりになって宮中から自邸へ退出して来ておいでになった。帝が日々恋しく思召す御様子に源氏は同情しながらも、稀にしかないお実家住まいの機会をとらえないではまたいつ恋しいお顔が見られるかと夢中になって、それ以来どの恋人の所へも行かず宮中の宿直所ででも、二条の院ででも、昼間は終日物思いに暮らして、王命婦に手引きを迫ることのほかは何もしなかった。
2.1.2
いかがたばかりけむいとわりなくて()たてまつるほどさへ、(うつつ)とはおぼえぬぞ、わびしきや
どのように手引したのだろうか、とても無理してお逢い申している間さえ、現実とは思われないのは、辛いことであるよ。
王命婦がどんな方法をとったのか与えられた無理なわずかな逢瀬の中にいる時も、幸福が現実の幸福とは思えないで夢としか思われないのが、源氏はみずから残念であった。
2.1.3 宮も、思いもしなかった出来事をお思い出しになるだけでも、生涯忘れることのできないお悩みの種なので、せめてそれきりで終わりにしたいと深く決心されていたのに、とても情けなくて、ひどく辛そうなご様子でありながらも、優しくいじらしくて、そうかといって馴れ馴れしくなく、奥ゆかしく気品のある御物腰などが、やはり普通の女人とは違っていらっしゃるのを、「どうして、わずかの欠点すら少しも混じっていらっしゃらなかったのだろう」と、辛くまでお思いになられる。
宮も過去のある夜の思いがけぬ過失の罪悪感が一生忘れられないもののように思っておいでになって、せめてこの上の罪は重ねまいと深く思召したのであるのに、またもこうしたことを他動的に繰り返すことになったのを悲しくお思いになって、恨めしいふうでおありになりながら、柔らかな魅力があって、しかも打ち解けておいでにならない最高の貴女の態度が美しく思われる源氏は、やはりだれよりもすぐれた女性である、なぜ一所でも欠点を持っておいでにならないのであろう、それであれば自分の心はこうして死ぬほどにまで惹かれないで楽であろうと思うと源氏はこの人の存在を自分に知らせた運命さえも恨めしく思われるのである。
2.1.4 どのようなことをお話し申し上げきれようか。
鞍馬の山に泊まりたいところだが、あいにくの短夜なので、情けなく、かえって辛い逢瀬である。
源氏の恋の万分の一も告げる時間のあるわけはない。永久の夜が欲しいほどであるのに、逢わない時よりも恨めしい別れの時が至った。
2.1.5 「お逢いしても再び逢うことの難しい夢のようなこの世なので
夢の中にそのまま消えてしまいとうございます」
見てもまた逢ふ夜稀なる夢の中に
やがてまぎるるわが身ともがな
2.1.6 と、涙にひどくむせんでいられるご様子も、何と言ってもお気の毒なので、
涙にむせ返って言う源氏の様子を見ると、さすがに宮も悲しくて、
2.1.7 「世間の語り草として語り伝えるのではないでしょうか、
この上なく辛い身の上を覚めることのない夢の中のこととしても
世語りに人やつたへん類ひなく
憂き身をさめぬ夢になしても
とお言いになった。
2.1.8
(おぼ)(みだ)れたるさまもいと道理(ことわり)にかたじけなし。
命婦(みゃうぶ)(きみ)ぞ、御直衣(おほんなほし)などは、かき(あつ)()()たる
お悩みになっている様子も、まことに道理で恐れ多い。
命婦の君が、お直衣などは、取り集めて持って来た。
宮が煩悶しておいでになるのも道理なことで、恋にくらんだ源氏の目にももったいなく思われた。源氏の上着などは王命婦がかき集めて寝室の外へ持ってきた。
2.1.9
殿(との)におはして()()()()らしたまひつ。
御文(おほんふみ)なども(れい)の、御覧(ごらん)()れぬよしのみあれば(つね)のことながらも、つらういみじう(おぼ)しほれて、内裏(うち)へも(まゐ)らで、()三日(さんにちこ)もりおはすれば、また、「いかなるにか」と御心動(みこころうご)かせたまふべかめるも(おそ)ろしうのみおぼえたまふ
お邸にお帰りになって、泣き臥してお暮らしになった。
お手紙なども、例によって、御覧にならない旨ばかりなので、いつものことながらも、全く茫然自失とされて、内裏にも参内せず、二、三日閉じ籠もっていらっしゃるので、また、「どうかしたのだろうか」と、ご心配あそばされているらしいのも、恐ろしいばかりに思われなさる。
源氏は二条の院へ帰って泣き寝に一日を暮らした。手紙を出しても、例のとおり御覧にならぬという王命婦の返事以外には得られないのが非常に恨めしくて、源氏は御所へも出ず二、三日引きこもっていた。これをまた病気のように解釈あそばして帝がお案じになるに違いないと思うともったいなく空恐ろしい気ばかりがされるのであった。

第二段 妊娠三月となる

2.2.1
(みや)も、なほいと心憂(こころう)()なりけりと、(おぼ)(なげ)くに、(なや)ましさもまさりたまひて、とく(まゐ)りたまふべき御使(おほんつかひ)しきれど、(おぼ)しも()たず
藤壺宮も、やはり実に情けないわが身であったと、お嘆きになると、ご気分の悪さもお加わりになって、早く参内なさるようにとの御勅使が、しきりにあるが、ご決心もつかない。
宮も御自身の運命をお歎きになって煩悶が続き、そのために御病気の経過もよろしくないのである。宮中のお使いが始終来て御所へお帰りになることを促されるのであったが、なお宮は里居を続けておいでになった。
2.2.2
まことに、御心地(みここち)(れい)のやうにもおはしまさぬはいかなるにかと、人知(ひとし)れず(おぼ)すこともありければ、心憂(こころう)く、「いかならむ」とのみ(おぼ)(みだ)る。
本当に、ご気分が、普段のようにおいであそばさないのは、どうしたことかと、密かにお思い当たることもあったので、情けなく、「どうなることだろうか」とばかりお悩みになる。
宮は実際おからだが悩ましくて、しかもその悩ましさの中に生理的な現象らしいものもあるのを、宮御自身だけには思いあたることがないのではなかった。情けなくて、これで自分は子を産むのであろうかと煩悶をしておいでになった。
2.2.3 暑いころは、ますます起き上がりもなさらない。
三か月におなりになると、とてもよく分かるようになって、女房たちもそれとお気付き申すにつけ、思いもかけないご宿縁のほどが、恨めしい。
他の人たちは、思いもよらないことなので、「この月まで、ご奏上あそばされなかったこと」と、意外なことにお思い申し上げる。
ご自身一人には、はっきりとお分かりになる節もあるのであったのだ。
まして夏の暑い間は起き上がることもできずにお寝みになったきりだった。御妊娠が三月であるから女房たちも気がついてきたようである。宿命の恐ろしさを宮はお思いになっても、人は知らぬことであったから、こんなに月が重なるまで御内奏もあそばされなかったと皆驚いてささやき合った。
2.2.4
御湯殿(おほんゆどの)などにも(した)しう(つか)うまつりて、何事(なにごと)御気色(みけしき)をもしるく()たてまつり()れる、御乳母子(おほんめのとご)(べん)命婦(みゃうぶ)などぞ、あやしと(おも)へど、かたみに()ひあはすべきにあらねば、なほ(のが)れがたかりける御宿世(おほんすくせ)をぞ命婦(みゃうぶ)はあさましと(おも)ふ。
お湯殿などにも身近にお仕え申し上げて、どのようなご様子もはっきり存じ上げている、おん乳母子の弁や、命婦などは、変だと思うが、お互いに口にすべきことではないので、やはり逃れられなかったご運命を、命婦は驚きあきれたことと思う。
宮の御入浴のお世話などもきまってしていた宮の乳母の娘である弁とか、王命婦とかだけは不思議に思うことはあっても、この二人の間でさえ話し合うべき問題ではなかった。命婦は人間がどう努力しても避けがたい宿命というもののカに驚いていたのである。
2.2.5
内裏(うち)には御物(おほんもの)()(まぎ)れにて、とみに気色(けしき)なうおはしましけるやうに(そう)しけむかし
()(ひと)さのみ(おも)ひけり。
いとどあはれに(かぎ)りなう(おぼ)されて、御使(おほんつかひ)などのひまなきも、そら(おそ)ろしうものを(おぼ)すこと、ひまなし。
帝に対しては、おん物の怪のせいで、すぐには兆候がなくあそばしたように奏上したのであろう。
周囲の人もそうとばかり思っていた。
ますますこの上なく愛しくお思いあそばして、御勅使などがひっきりなしにあるにつけても、空恐ろしく、物思いの休まる時もない。
宮中へは御病気やら物怪やらで気のつくことのおくれたように奏上したはずである。だれも皆そう思っていた。帝はいっそうの熱愛を宮へお寄せになることになって、以前よりもおつかわしになるお使いの度数の多くなったことも、宮にとっては空恐ろしくお思われになることだった。
2.2.6 源氏中将の君も、ただごとではない異様な夢を御覧になって、夢解きをする者を呼んで、ご質問させなさると、及びもつかない思いもかけない方面のことを判断したのであった。
煩悶の合い間というものがなくなった源氏の中将も変わった夢を見て夢解きを呼んで合わさせてみたが、及びもない、思いもかけぬ占いをした。そして、
2.2.7 「その中に、順調に行かないところがあって、お身を慎みあそばさななければならないことがございます」
「しかし順調にそこへお達しになろうとするのにはお慎みにならなければならぬ故障が一つございます」
2.2.8
()ふにわづらはしくおぼえて、
と言うので、面倒に思われて、
と言った。夢を現実にまざまざ続いたことのように言われて、源氏は恐怖を覚えた。
2.2.9 「自分の夢ではない、他の方の夢を申すのだ。
この夢が現実となるまで、誰にも話してはならぬ」
「私の夢ではないのだ。ある人の夢を解いてもらったのだ。今の占いが真実性を帯びるまではだれにも秘密にしておけ」
2.2.10
とのたまひて、(こころ)のうちには、「いかなることならむ」と(おぼ)しわたるに、この女宮(をんなみや)(おほん)こと()きたまひて、もしさるやうもや」と、(おぼ)()はせたまふに、いとどしくいみじき(こと)葉尽(はつ)くしきこえたまへど、命婦(みゃうぶ)(おも)ふに、いとむくつけう、わづらはしさまさりて、さらにたばかるべきかたなし
はかなき一行(ひとくだり)御返(おほんかへ)りのたまさかなりしも、()()てにたり
とおっしゃって、心中では、「どのようなことなのだろう」とお考えめぐらしていると、この女宮のご懐妊のことをお聞きになって、「あの夢はもしやそのようなことか」と、お思い合わせになると、ますます熱心に言葉のあらん限りを尽くして申し上げなさるが、命婦も考えると、まことに恐ろしく、難儀な気持ちが増してきて、まったく逢瀬を手立てする方法がない。
ほんの一行のお返事がまれにはあったのも、すっかり絶えはててしまった。
とその男に言ったのであるが、源氏はそれ以来、どんなことがおこってくるのかと思っていた。その後に源氏は藤壼の宮の御懐妊を聞いて、そんなことがあの占いの男に言われたことなのではないかと思うと、恋人と自分の間に子が生まれてくるということに若い源氏は昂奮して、以前にもまして言葉を尽くして逢瀬を望むことになったが、王命婦も宮の御懐妊になって以来、以前に自身が、はげしい恋に身を亡しかねない源氏に同情してとった行為が重大性を帯びていることに気がついて、策をして源氏を宮に近づけようとすることを避けたのである。源氏はたまさかに宮から一行足らずのお返事の得られたこともあるが、それも絶えてしまった。

第三段 初秋七月に藤壺宮中に戻る

2.3.1
七月(ふづき)になりて(まゐ)りたまひける。
めづらしうあはれにていとどしき御思(おほんおも)ひのほど(かぎ)りなし。
すこしふくらかになりたまひてうちなやみ、面痩(おもや)せたまへる、はた、げに()るものなくめでたし
七月になって宮は参内なさった。
珍しい事で感動深くて、以前にも増す御寵愛ぶりはこの上もない。
少しふっくらとおなりになって、ちょっと悩ましげに、面痩せしていらっしゃるのは、それはそれでまた、なるほど比類なく素晴らしい。
初秋の七月になって宮は御所へおはいりになった。最愛の方が懐妊されたのであるから、帝のお志はますます藤壼の宮にそそがれるばかりであった。少しお腹がふっくりとなって悪阻の悩みに顔の少しお痩せになった宮のお美しさは、前よりも増したのではないかと見えた。
2.3.2 例によって、明け暮れ、帝はこちらにばかりお出ましになって、管弦の御遊もだんだん興の乗る季節なので、源氏の君も暇のないくらいお側にたびたびお召しになって、お琴や、笛など、いろいろと君にご下命あそばす。
つとめてお隠しになっているが、我慢できない気持ちが外に現れ出てしまう折々、藤壺宮も、さすがに忘れられない事どもをあれこれとお思い悩み続けていらっしゃるのであった。
以前もそうであったように帝は明け暮れ藤壼にばかり来ておいでになって、もう音楽の遊びをするのにも適した季節にもなっていたから、源氏の中将をも始終そこへお呼び出しになって、琴や笛の役をお命じになった。物思わしさを源氏は極力おさえていたが、時々には忍びがたい様子もうかがわれるのを、宮もお感じになって、さすがにその人にまつわるものの愁わしさをお覚えになった。

第三章 紫上の物語(2) 若紫の君、源氏の二条院邸に盗み出される物語


第一段 紫の君、六条京極の邸に戻る

3.1.1
かの山寺(やまでら)(ひと)は、よろしくなりて()でたまひにけり
(きゃう)御住処尋(おほんすみかたづ)ねて、時々(ときどき)御消息(おほんせうそこ)などあり。
(おな)じさまにのみあるも道理(ことわり)なるうちに、この(つき)ごろは、ありしにまさる物思(ものおも)ひに異事(ことごと)なくて()ぎゆく。
あの山寺の人は、少しよくなってお出になられたのであった。
京のお住まいを尋ねて、時々お手紙などがある。
同じような返事ばかりであるのももっともであるが、ここ何か月は、以前にも増す物思いによって、他の事を思う間もなくて過ぎて行く。
北山へ養生に行っていた按察使大納言の未亡人は病が快くなって京へ帰って来ていた。源氏は惟光などに京の家を訪ねさせて時々手紙などを送っていた。先方の態度は春も今も変わったところがないのである。それも道理に思えることであったし、またこの数月間というものは、過去の幾年間にもまさった恋の煩悶が源氏にあって、ほかのことは何一つ熱心にしようとは思われないのでもあったりして、より以上積極性を帯びていくようでもなかった。
3.1.2
(あき)(すゑ)(かた)いともの心細(こころぼそ)くて(なげ)きたまふ
(つき)のをかしき()(しの)びたる(ところ)からうして(おも)()ちたまへるを時雨(しぐれ)めいてうちそそく。
おはする(ところ)六条京極(ろくでうきゃうごく)わたりにて内裏(うち)よりなれば、すこしほど(とほ)心地(ここち)するに()れたる(いへ)木立(こだち)いともの()りて木暗(こぐら)()えたるあり
(れい)御供(おほんとも)(はな)れぬ惟光(これみつ)なむ、
秋の終わりころ、とても物寂しくお嘆きになる。
月の美しい夜に、お忍びの家にやっとのことでお思い立ちになると、時雨めいてさっと降る。
おいでになる先は六条京極辺りで、内裏からなので、少し遠い感じがしていると、荒れた邸で木立がとても年代を経て鬱蒼と見えるのがある。
いつものお供を欠かさない惟光が、
秋の末になって、恋する源氏は心細さを人よりも深くしみじみと味わっていた。ある月夜にある女の所を訪ねる気にやっとなった源氏が出かけようとするとさっと時雨がした。源氏の行く所は六条の京極辺であったから、御所から出て来たのではやや遠い気がする。荒れた家の庭の木立ちが大家らしく深いその土塀の外を通る時に、例の傍去らずの惟光が言った。
3.1.3
故按察使大納言(こあぜちのだいなごん)(いへ)にはべりてもののたよりにとぶらひてはべりしかばかの尼上(あまうへ)いたう(よわ)りたまひにたれば、(なに)ごともおぼえず、となむ(まう)してはべりし」と()こゆれば、
「故按察大納言の家でございまして、ちょっとしたついでに立ち寄りましたところ、あの尼上は、ひどくご衰弱されていらっしゃるので、どうして良いか分からないでいる、と申しておりました」と申し上げると、
「これが前の按察使大納言の家でございます。先日ちょっとこの近くへ来ました時に寄ってみますと、あの尼さんからは、病気に弱ってしまっていまして、何も考えられませんという挨拶がありました」
3.1.4 「お気の毒なことよ。
お見舞いすべきであったのに。
どうして、そうと教えなかったのか。
入って行って、
「気の毒だね。見舞いに行くのだった。なぜその時にそう言ってくれなかったのだ。ちょっと私が訪問に来たがと言ってやれ」
3.1.5 とおっしゃるので、惟光は供人を入れて案内を乞わせる。
わざわざこのようにお立ち寄りになった旨を言わせたので、入って行って、
源氏がこう言うので惟光は従者の一人をやった。この訪問が目的で来たと最初言わせたので、そのあとでまた惟光がはいって行って、
3.1.6
かく(おほん)とぶらひになむおはしましたる」と()ふに、おどろきて、
「このようにお見舞いにいらっしゃいました」と言うと、驚いて、
「主人が自身でお見舞いにおいでになりました」
 と言った。大納言家では驚いた。
3.1.7
いとかたはらいたきことかな。
この()ごろ、むげにいと(たの)もしげなくならせたまひにたれば御対面(おほんたいめん)などもあるまじ」
「とても困ったことですわ。
ここ数日、ひどくご衰弱あそばされましたので、お目にかかることなどはとてもできそうにありません」
「困りましたね。近ごろは以前よりもずっと弱っていらっしゃるから、お逢いにはなれないでしょうが、
3.1.8
()へども、(かへ)したてまつらむはかしこしとて、(みなみ)(ひさし)ひきつくろひて()れたてまつる。
とは言っても、お帰し申すのも恐れ多いということで、南の廂の間を片づけて、お入れ申し上げる。
お断わりするのはもったいないことですから」
 などと女房は言って、南向きの縁座敷をきれいにして源氏を迎えたのである。
3.1.9 「たいそうむさ苦しい所でございますが、せめてお礼だけでもとのことで。
何の用意もなく、鬱陶しいご座所で恐縮です」
「見苦しい所でございますが、せめて御厚志のお礼を申し上げませんではと存じまして、思召しでもございませんでしょうが、こんな部屋などにお通しいたしまして」
3.1.10 と申し上げる。
なるほどこのような所は、普通とは違っているとお思いになる。
という挨拶を家の者がした。そのとおりで、意外な所へ来ているという気が源氏にはした。
3.1.11
(つね)(おも)ひたまへ()ちながらかひなきさまにのみもてなさせたまふにつつまれはべりてなむ
(なや)ませたまふこと、(おも)くとも、うけたまはらざりけるおぼつかなさ」など()こえたまふ。
「常にお見舞いにと存じながら、すげないお返事ばかりあそばされますので、遠慮いたされまして。
ご病気でいらっしゃること、重いこととも、存じませんでしたもどかしさを」などと申し上げなさる。
「いつも御訪問をしたく思っているのでしたが、私のお願いをとっぴなものか何かのようにこちらではお扱いになるので、きまりが悪かったのです。それで自然御病気もこんなに進んでいることを知りませんでした」
 と源氏が言った。
3.1.12
(みだ)心地(ごこち)いつともなくのみはべるが、(かぎ)りのさまになりはべりて、いとかたじけなく、()()らせたまへるに、みづから()こえさせぬこと
のたまはすることの(すぢ)たまさかにも(おぼ)()()はらぬやうはべらば、かくわりなき齢過(よはひす)ぎはべりて、かならず(かず)まへさせたまへ
いみじう心細(こころぼそ)げに()たまへ()くなむ、(ねが)ひはべる(みち)のほだしに(おも)ひたまへられぬべきなど()こえたまへり
「気分のすぐれませんことは、いつも変わらずでございますが、いよいよの際となりまして、まことにもったいなくも、お立ち寄りいただきましたのに、自分自身でお礼申し上げられませんこと。
仰せられますお話の旨は、万一にもお気持ちが変わらないようでしたら、このような頑是ない時期が過ぎましてから、きっとお目をかけて下さいませ。
ひどく頼りない身の上のまま残して逝きますのが、願っております仏道の妨げに存ぜずにはいられません」などと、申し上げなさった。
「私は病気であることが今では普通なようになっております、しかしもうこの命の終わりに近づきましたおりから、かたじけないお見舞いを受けました喜びを自分で申し上げません失礼をお許しくださいませ。あの話は今後もお忘れになりませんでしたら、もう少し年のゆきました時にお願いいたします。一人ぼっちになりますあの子に残る心が、私の参ります道の障りになることかと思われます」
3.1.13
いと(ちか)ければ心細(こころぼそ)げなる御声絶(おほんこゑた)()()こえて、
すぐに近いところなので、不安そうなお声が途切れ途切れに聞こえて、
取り次ぎの人に尼君が言いつけている言葉が隣室であったから、その心細そうな声も絶え絶え聞こえてくるのである。
3.1.14 「まことに、
もったいないことでございます。せめてこの姫君が、お礼申し上げなされるお
「失礼なことでございます。孫がせめてお礼を申し上げる年になっておればよろしいのでございますのに」
3.1.15
とのたまふ。
あはれに()きたまひて、
とおっしゃる。
しみじみとお聞きになって、
とも言う。源氏は哀れに思って聞いていた。
3.1.16
(なに)か、(あさ)(おも)ひたまへむことゆゑかう()()きしきさまを()えたてまつらむ。
いかなる(ちぎ)りにか、()たてまつりそめしより、あはれに(おも)ひきこゆるも、あやしきまで、この()のことにはおぼえはべらぬ」などのたまひて、かひなき心地(ここち)のみしはべるをかのいはけなうものしたまふ御一声(おほんひとこゑ)いかで」とのたまへば、
「どうして、浅く思っております気持ちから、このような好色めいた態度をお見せ申し上げましょうか。
どのような前世からの因縁によってか、初めてお目にかかった時から、愛しくお思い申しているのも、不思議なまでに、この世の縁だけとは思われません」などとおっしゃって、「いつも甲斐ない思いばかりしていますので、あのかわいらしくいらっしゃるお一声を、ぜひとも」とおっしゃると、
「今さらそんな御挨拶はなさらないでください。通り一遍な考えでしたなら、風変わりな酔狂者と誤解されるのも溝わずに、こんな御相談は続けません。どんな前生の因縁でしょうか、女王さんをちよっとお見かけいたしました時から、女王さんのことをどうしても忘れられないようなことになりましたのも不思議なほどで、どうしてもこの世界だけのことでない、約束事としか思われません」
 などと源氏は言って、また、
 「自分を理解していただけない点で私は苦しんでおります。あの小さい方が何か一言お言いになるのを伺えればと思うのですが」
 と望んだ。
3.1.17
いでや、よろづ(おぼ)()らぬさまに、大殿籠(おほとのご)もり()りて
「いやはや、何もご存知ないさまで、ぐっすりお眠りになっていらっしゃって」
「それは姫君は何もご存じなしに、もうお寝みになっていまして」
3.1.18 などと申し上げている、ちょうどその時、あちらの方からやって来る足音がして、
女房がこんなふうに言っている時に、向こうからこの隣室へ来る足音がして、
3.1.19 「祖母上さま、先日の寺にいらした源氏の君さまがいらしているそうですね。
どうしてお会いさらないの」
「お祖母様、あのお寺にいらっしった源氏の君が来ていらっしゃるのですよ。なぜ御覧にならないの」
3.1.20
とのたまふを(ひと)びと、いとかたはらいたしと(おも)ひて、あなかま」と()こゆ。
とおっしゃるのを、女房たちは、とても具合悪く思って、「お静かに」と制止申し上げる。
と女王は言った。女房たちは困ってしまった。
 「静かにあそばせよ」
 と言っていた。
3.1.21 「あら、だって、
「でも源氏の君を見たので病気がよくなったと言っていらしたからよ」
3.1.22
と、かしこきこと()こえたり(おぼ)してのたまふ。
と、利口なことを申し上げたとお思いになっておっしゃる。
自分の覚えているそのことが役に立つ時だと女王は考えている。
3.1.23
いとをかしと()いたまへど、(ひと)びとの(くる)しと(おも)ひたれば、()かぬやうにて、まめやかなる(おほん)とぶらひを()こえ()きたまひて、(かへ)りたまひぬ。
げに、()ふかひなのけはひや。
さりとも、いとよう(をし)へてむ」と(おぼ)す。
とてもおもしろいとお聞きになるが、女房たちが困っているので、聞かないようにして、行き届いたお見舞いを申し上げおかれて、お帰りになった。
「なるほど、まるで子供っぽいご様子だ。
けれども、よく教育しよう」とお思いになる。
源氏はおもしろく思って聞いていたが、女房たちの困りきったふうが気の毒になって、聞かない顔をして、まじめな見舞いの言葉を残して去った。子供らしい子供らしいというのはほんとうだ、けれども自分はよく教えていける気がすると源氏は思ったのであった。
3.1.24 翌日も、とても誠実なお見舞いを差し上げなさる。
いつものように、小さく結んで、
翌日もまた源氏は尼君へ丁寧に見舞いを書いて送った。例のように小さくしたほうの手紙には、
3.1.25 「かわいい鶴の一声を聞いてから
葦の間を行き悩む舟はただならぬ思いをしています
いはけなき鶴の一声聞きしより
葦間になづむ船ぞえならぬ
3.1.26 同じ人を慕い続けるだけなのでしょうか」
いつまでも一人の人を対象にして考えているのですよ。
3.1.27
と、ことさら(をさな)()きなしたまへるも、いみじうをかしげなれば、「やがて御手本(おほんてほん)に」と、(ひと)びと()こゆ。
少納言(せうなごん)()こえたる
と、殊更にかわいらしくお書きになっているのも、たいそう見事なので、「そのままお手本に」と、女房たちは申し上げる。
少納言がお返事申し上げた。
わざわざ子供にも読めるふうに書いた源氏のこの手紙の字もみごとなものであったから、そのまま姫君の習字の手本にしたらいいと女房らは言った。源氏の所へ少納言が返事を書いてよこした。
3.1.28
()はせたまへるは今日(けふ)をも()ぐしがたげなるさまにて、山寺(やまでら)にまかりわたるほどにて
かう()はせたまへるかしこまりは、この()ならでも()こえさせむ
「お見舞いいただきました方は、今日一日も危いような状態なので、山寺に移るところでして。
このよう緩お見舞いいただきましたお礼は、あの世からでもお返事をさせていただきましょう」
お見舞いくださいました本人は、今日も危いようでございまして、ただ今から皆で山の寺へ 移ってまいるところでございます。
 かたじけないお見舞いのお礼はこの世界で果たしませんでもまた申し上げる時がございましょう。
3.1.29
とあり。
いとあはれと(おぼ)す。
とある。
とてもお気の毒とお思いになる。
というのである。
3.1.30
(あき)(ゆふ)べは、まして、(こころ)のいとまなく(おぼ)(みだ)るる(ひと)(おほん)あたり(こころ)をかけて、あながちなるゆかりも(たづ)ねまほしき(こころ)もまさりたまふなるべし
()えむ(そら)なき」とありし(ゆふ)(おぼ)()でられて、(こひ)しくも、また、()(おと)りやせむと、さすがにあやふし
秋の夕暮れは、常にも増して、心の休まる間もなく恋い焦がれている人のことに思いが集中して、無理にでもそのゆかりの人を尋ね取りたい気持ちもお募りなさるのであろう。
尼君が「死にきれない」と詠んだ夕暮れを自然とお思い出しになられて、恋しく思っても、また、実際に逢ってみたら見劣りがしないだろうかと、やはり不安である。
秋の夕べはまして人の恋しさがつのって、せめてその人に縁故のある少女を得られるなら得たいという望みが濃くなっていくばかりの源氏であった。「消えん空なき」と尼君の歌った晩春の山の夕べに見た面影が思い出されて恋しいとともに、引き取って幻滅を感じるのではないかと危ぶむ心も源氏にはあった。
3.1.31 「手に摘んで早く見たいものだ
紫草にゆかりのある野辺の若草を」
手に摘みていつしかも見ん紫の
根に通ひける野辺の若草
このころの源氏の歌である。

第二段 尼君死去し寂寥と孤独の日々

3.2.1
十月(かんなづき)朱雀院(すじゃくゐん)行幸(ぎゃうがう)あるべし
舞人(まひびと)など、やむごとなき(いへ)()ども、上達部(かんだちめ)殿上人(てんじゃうびと)どもなども、その(かた)につきづきしきは、みな()らせたまへれば親王達(みこたち)大臣(だいじん)よりはじめて、とりどりの(ざえ)ども(なら)ひたまふ、いとまなし。
神無月に朱雀院への行幸が予定されている。
舞人などを、高貴な家柄の子弟や、上達部、殿上人たちなどの、その方面で適当な人々は、皆お選びあそばされたので、親王たちや、大臣をはじめとして、それぞれ伎芸を練習をなさり、暇がない。
この十月の朱雀院へ行幸があるはずだった。その日の舞楽には貴族の子息たち、高官、殿上役人などの中の優秀な人が舞い人に選ばれていて、親王方、大臣をはじめとして音楽の素養の深い人はそのために新しい稽古を始めていた。それで源氏の君も多忙であった。
3.2.2
山里人(やまざとびと)にも、(ひさ)しく(おとづ)れたまはざりけるを、(おぼ)()でて、ふりはへ(つか)はしたりければ僧都(そうづ)(かへ)(ごと)のみあり。
山里の人にも、久しくご無沙汰なさっていたのを、お思い出しになって、わざわざお遣わしになったところ、僧都の返事だけがある。
北山の寺へも久しく見舞わなかったことを思って、ある日わざわざ使いを立てた。山からは僧都の返事だけが来た。
3.2.3 「先月の二十日ごろに、とうとう臨終をお見届けいたしまして、人の世の宿命だが、悲しく存じられます」
先月の二十日にとうとう姉は亡くなりまして、これが人生の掟であるのを承知しながらも悲しんでおります。
3.2.4
などあるを()たまふに、()(なか)のはかなさもあはれに、うしろめたげに(おも)へりし(ひと)もいかならむ。
(をさな)きほどに、()ひやすらむ。
故御息所(こみやすんどころ)(おく)れたてまつりし」など、はかばかしからねど、(おも)()でて、(あさ)からずとぶらひたまへり。
少納言(せうなごん)ゆゑなからず御返(おほんかへ)りなど()こえたり。
などとあるのを御覧になると、世の中の無常をしみじみと思われて、「心配していた人もどうしているだろう。
子供心にも、尼君を恋い慕っているだろうか。
わたしも亡き母御息所に先立たれた頃には」などと、はっきりとではないが、思い出して、丁重にお弔いなさった。
少納言の乳母が、心得のある返礼などを申し上げた。
源氏は今さらのように人間の生命の脆さが思われた。尼君が気がかりでならなかったらしい小女王はどうしているだろう。小さいのであるから、祖母をどんなに恋しがってばかりいることであろうと想像しながらも、自身の小さくて母に別れた悲哀も確かに覚えないなりに思われるのであった。源氏からは丁寧な弔慰品が山へ贈られたのである。
 そんな場合にはいつも少納言が行き届いた返事を書いて来た。
3.2.5
()みなど()ぎて(きゃう)殿(との)など()きたまへば、ほど()て、みづから、のどかなる()おはしたり。
いとすごげに()れたる(ところ)の、人少(ひとずく)ななるにいかに(をさな)人恐(ひとおそ)ろしからむ()ゆ。
(れい)(ところ)()れたてまつりて少納言(せうなごん)(おほん)ありさまなど、うち()きつつ()こえ(つづ)くるに、あいなう御袖(おほんそで)もただならず。
忌みなどが明けて京の邸に戻られたなどとお聞きになったので、暫くしてから、ご自身で、お暇な夜にお出かけになった。
まことにぞっとするくらい荒れた所で、人気も少ないので、どんなに小さい子には怖いことだろうと思われる。
いつもの所にお通し申して、少納言が、ご臨終の有様などを、泣きながらお話申し上げると、他人事ながら、お袖も涙でつい濡れる。
尼君の葬式のあとのことが済んで、一家は京の邸へ帰って来ているということであったから、それから少しあとに源氏は自身で訪問した。凄いように荒れた邸に小人数で暮らしているのであったから、小さい人などは怖しい気がすることであろうと思われた。以前の座敷へ迎えて少納言が泣きながら哀れな若草を語った。源氏も涙のこぼれるのを覚えた。
3.2.6
(みや)(わた)したてまつらむとはべるめるを故姫君(こひめぎみ)いと(なさ)けなく()きものに(おも)ひきこえたまへりしにいとむげに(ちご)ならぬ(よはひ)まだはかばかしう(ひと)のおもむけをも見知(みし)りたまはず、中空(なかぞら)なる(おほん)ほどにて、あまたものしたまふなる(なか)あなづらはしき(ひと)にてや()じりたまはむ』など、()ぎたまひぬるも()とともに(おぼ)(なげ)きつることしるきこと(おほ)くはべるに、かくかたじけなきなげの御言(おほんこと)()(のち)御心(みこころ)もたどりきこえさせず、いとうれしう(おも)ひたまへられぬべき折節(をりふし)にはべりながらすこしもなぞらひなるさまにもものしたまはず、御年(おほんとし)よりも(わか)びてならひたまへれば、いとかたはらいたくはべる」と()こゆ。
「父兵部卿宮邸にお引き取り申し上げようとの事でございますようですが、『亡き姫君が、北の方をとても情愛のない嫌な人とお思い申していらしたのに、まったく子供というほどでもないお年で、まだしっかりと人の意向を聞き分けることもおできになれず、中途半端なお年頃で、大勢いらっしゃるという中で、軽んじられてお過ごしになるのではないか』などと、お亡くなりになった尼上も、始終ご心配されていらしたこと、明白なことが多くございましたので、このようにもったいないかりそめのお言葉は、後々のご配慮までもご推察申さずに、とても嬉しく存ぜずにはいられない時ではございますが、全く相応しい年頃でいらっしゃらないし、お年のわりには幼くていらっしゃいますので、とても見ていられない状態でございます」と申し上げる。
「宮様のお邸へおつれになることになっておりますが、お母様の御生前にいろんな冷酷なことをなさいました奥さまがいらっしゃるのでございますから、それがいっそずっとお小さいとか、また何でもおわかりになる年ごろになっていらっしゃるとかすればいいのでございますが、中途半端なお年で、おおぜいお子様のいらっしゃる中で軽い者にお扱われになることになってはと、尼君も始終それを苦労になさいましたが、宮様のお内のことを聞きますと、まったく取り越し苦労でなさそうなんでございますから、あなた様のお気まぐれからおっしゃってくださいますことも、遠い将来にまでにはたとえどうなりますにしましても、お救いの手に違いないと私どもは思われますが、奥様になどとは想像も許されませんようなお子様らしさでございまして、普通のあの年ごろよりももっともっと赤様なのでございます」
 と少納言が言った。
3.2.7
(なに)、かう()(かへ)()こえ()らする(こころ)のほどを、つつみたまふらむ。
その()ふかひなき御心(みこころ)のありさまのあはれにゆかしうおぼえたまふも(ちぎ)りことになむ、(こころ)ながら(おも)()られける
なほ、人伝(ひとづ)てならで、()こえ()らせばや。
「どうして、このように繰り返して申し上げている気持ちを、気兼ねなさるのでしょう。
その、幼いお考えの様子がかわいく愛しく思われなさるのも、宿縁が特別なものと、わたしの心には自然と思われてくるのです。
やはり、人を介してではなく、直接お伝え申し上げたい。
「そんなことはどうでもいいじゃありませんか、私が繰り返し繰り返しこれまで申し上げてあることをなぜ無視しようとなさるのですか。その幼稚な方を私が好きでたまらないのは、こればかりは前生の縁に違いないと、それを私が客観的に見ても思われます。許してくだすって、この心持ちを直接女王さんに話させてくださいませんか。
3.2.8 若君にお目にかかることは難しかろうとも
和歌の浦の波のようにこのまま立ち帰ることはしません
あしわかの浦にみるめは難くとも
こは立ちながら帰る波かは
3.2.9
めざましからむ」とのたまへば、
失礼でしょう」とおっしゃると、
私をお見くびりになってはいけません」
 源氏がこう言うと、
3.2.10 「なるほど、恐れ多いこと」と言って、
「それはもうほんとうにもったいなく思っているのでございます。
3.2.11 「和歌の浦に寄せる波に身を任せる玉藻のように
相手の気持ちをよく確かめもせずに従うことは頼りないことです
寄る波の心も知らで和歌の浦に
玉藻なびかんほどぞ浮きたる
3.2.12 困りますこと」
このことだけは御信用ができませんけれど」
3.2.13
()こゆるさまの()れたるに、すこし(つみ)ゆるされたまふ
なぞ()えざらむ」と、うち()じたまへるを、()にしみて(わか)(ひと)びと(おも)へり。
と申し上げる態度がもの馴れているので、すこし大目に見る気になられる。
「どうして逢わずにいられようか」と、口ずさみなさるのを、ぞくぞくして若い女房たちは感じ入っていた。
物馴れた少納言の応接のしように、源氏は何を言われても不快には思われなかった。「年を経てなど越えざらん逢坂の関」という古歌を口ずさんでいる源氏の美音に若い女房たちは酔ったような気持ちになっていた。
3.2.14
(きみ)は、(うへ)()ひきこえたまひて()()したまへるに、御遊(おほんあそ)びがたきどもの、
姫君は、祖母上をお慕い申されて泣き臥していらっしゃったが、お遊び相手たちが、
女王は今夜もまた祖母を恋しがって泣いていた時に、遊び相手の童女が、
3.2.15 「直衣を着ている方がいらっしゃってるのは、父宮さまがおいであそばしたのらしいわ」
一直衣を着た方が来ていらっしゃいますよ。宮様が来ていらっしゃるのでしょう」
3.2.16
()こゆれば、()()でたまひて、
と申し上げると、起き出しなさって、
と言ったので、起きて来て、
3.2.17
少納言(せうなごん)
直衣着(なほしき)たりつらむはいづら。
(みや)のおはするか」
「少納言や。
直衣を着ているという方は、どちら。
父宮がいらしたの」
「少納言、直衣着た方どちら、宮様なの」
3.2.18
とて、()りおはしたる御声(おほんこゑ)いとらうたし
と言って、近づいて来るお声が、とてもかわいらしい。
こう言いながら乳母のそばへ寄って来た声がかわいかった。
3.2.19
(みや)にはあらねどまた(おぼ)(はな)つべうもあらず。
こち」
「宮さまではありませんが、必ずしも関係ない人ではありません。
こちらへ」
これは父宮ではなかったが、やはり深い愛を小女王に持つ源氏であったから、心がときめいた。
 「こちらへいらっしゃい」
3.2.20
とのたまふを()づかしかりし(ひと)と、さすがに()きなして、()しう()ひてけりと(おぼ)して、乳母(めのと)にさし()りて、
とおっしゃると、あの素晴らしかった方だと、子供心にも聞き分けて、まずいことを言ってしまったとお思いになって、乳母の側に寄って、
と言ったので、父宮でなく源氏の君であることを知った女王は、さすがにうっかりとしたことを言ってしまったと思うふうで、乳母のそばへ寄って、
3.2.21
いざかし、ねぶたきに」とのたまへば、
「ねえ、行きましょうよ。眠いから」とおっしゃるので、
「さあ行こう。私は眠いのだもの」
 と言う。
3.2.22
(いま)さらになど(しの)びたまふらむ
この(ひざ)(うへ)大殿籠(おほとのご)もれよ。
(いま)すこし()りたまへ」
「今さら、どうして逃げ隠れなさるのでしょう。
わたしの膝の上でお寝みなさいませ。
もう少し近くへいらっしゃい」
「もうあなたは私に御遠慮などしないでもいいんですよ。私の膝の上へお寝みなさい」
3.2.23
とのたまへば、乳母(めのと)の、
とおっしゃると、乳母が、
と源氏が言った。
3.2.24
さればこそ
かう()づかぬ(おほん)ほどにてなむ
「これですから。
このようにまだ頑是ないお年頃でして」
「お話しいたしましたとおりでございましょう。こんな赤様なのでございます」
3.2.25 と言って、押しやり申したところ、無心にお座りになったので、お手を差し入れてお探りになると、柔らかなお召物の上に、髪がつやつやと掛かって、末の方までふさふさしているのが、とてもかわいらしく想像される。
お手を捉えなさると、気味の悪いよその人が、このように近くにいらっしゃるのは、恐ろしくなって、
乳母に源氏のほうへ押し寄せられて、女王はそのまま無心にすわっていた。源氏が御簾の下から手を入れて探ってみると柔らかい着物の上に、ふさふさとかかった端の厚い髪が手に触れて美しさが思いやられるのである。手をとらえると、父宮でもない男性の近づいてきたことが恐ろしくて、
3.2.26 「寝よう、と言っているのに」
「私、眠いと言っているのに」
3.2.27
とて、()ひて()()りたまふにつきてすべり()りて、
と言って、無理に奥に入って行きなさるのに後から付いて御簾の中にすべり入って、
と言って手を引き入れようとするのについて源氏は御簾の中へはいって来た。
3.2.28
(いま)まろぞ(おも)ふべき(ひと)
(うと)みたまひそ
「今は、わたしが世話して上げる人ですよ。
お嫌いにならないでね」
「もう私だけがあなたを愛する人なんですよ。私をお憎みになってはいけない」
3.2.29
とのたまふ。
乳母(めのと)
とおっしゃる。
乳母が、
源氏はこう言っている。少納言が、
3.2.30
いで、あなうたてや
ゆゆしうもはべるかな。
()こえさせ()らせたまふともさらに(なに)のしるしもはべらじものを」とて、(くる)しげに(おも)ひたれば、
「あら、まあ嫌でございますわ。
あまりのなさりようでございますわ。
いくらお話申し上げあそばしても、何の甲斐もございませんでしょうに」といって、つらそうに困っているので、
「よろしくございません。たいへんでございます。お話しになりましても何の効果もございませんでしょうのに」
 と困ったように言う。
3.2.31
さりともかかる(おほん)ほどをいかがはあらむ
なほ、ただ()()らぬ(こころ)ざしのほどを見果(みは)てたまへ」とのたまふ。
「いくらなんでも、このようなお年の方をどうしようか。
やはり、ただ世間にないほどのわたしの愛情をお見届けください」とおっしゃる。
「いくら何でも私はこの小さい女王さんを情人にしようとはしない。まあ私がどれほど誠実であるかを御覧なさい」
3.2.32 霰が降り荒れて、恐ろしい夜の様子である。
外には霙が降っていて凄い夜である。
3.2.33
いかで、かう人少(ひとずく)なに心細(こころぼそ)うて、()ぐしたまふらむ」
「どうして、このような少人数な所で頼りなく過ごしていらっしゃれようか」
「こんなに小人数でこの寂しい邸にどうして、住めるのですか」
3.2.34
と、うち()いたまひて、いと見棄(みす)てがたきほどなれば
と思うと、ついお泣きになって、とても見捨てては帰りにくい有様なので、
と言って源氏は泣いていた。捨てて帰って行けない気がするのであった。
3.2.35
御格子参(みかうしまゐ)りね
もの(おそ)ろしき()のさまなめるを宿直人(とのゐびと)にてはべらむ。
(ひと)びと、(ちか)うさぶらはれよかし
「御格子を下ろしなさい。
何となく恐そうな夜の感じのようですから、宿直人となってお勤めしましょう。
女房たち、近くに参りなさい」
「もう戸をおろしておしまいなさい。こわいような夜だから、私が宿直の男になりましょう。女房方は皆女王さんの室へ来ていらっしゃい」
3.2.36
とて、いと()(がほ)御帳(みちゃう)のうちに()りたまへば、あやしう(おも)ひのほかにもと、あきれて、(たれ)(たれ)もゐたり。
乳母(めのと)は、うしろめたなうわりなしと(おも)へど、(あら)ましう()こえ(さわ)ぐべきならねばうち(なげ)きつつゐたり。
と言って、とても物馴れた態度で御帳の内側にお入りになるので、奇妙な思いも寄らないことをと、あっけにとられて、一同茫然としている。
乳母は、心配で困ったことだと思うが、事を荒立て申すべき場合でないので、嘆息しながら見守っていた。
と言って、馴れたことのように女王さんを帳台の中へ抱いてはいった。だれもだれも意外なことにあきれていた。乳母は心配をしながらも普通の闖入者を扱うようにはできぬ相手に歎息をしながら控えていた。
3.2.37
若君(わかぎみ)いと(おそ)ろしう、いかならむとわななかれていとうつくしき御肌(おほんはだ)つきも、そぞろ(さむ)げに(おぼ)したるを、らうたくおぼえて、単衣(ひとへ)ばかりを()しくくみてわが御心地(みここち)も、かつはうたておぼえたまへど、あはれにうち(かた)らひたまひて、
若君は、とても恐ろしく、どうなるのだろうと自然と震えて、とてもかわいらしいお肌も、ぞくぞくと粟立つ感じがなさるのを、源氏の君はいじらしく思われて、肌着だけで包み込んで、ご自分ながらも、一方では変なお気持ちがなさるが、しみじみとお話なさって、
小女王は恐ろしがってどうするのかと慄えているので肌も毛穴が立っている。かわいく思う源氏はささやかな異性を単衣に巻きくるんで、それだけを隔てに寄り添っていた。この所作がわれながら是認しがたいものとは思いながらも愛情をこめていろいろと話していた。
3.2.38
いざ、たまへよ
をかしき()など(おほ)く、雛遊(ひひなあそ)びなどする(ところ)に」
「さあ、いらっしゃいよ。
美しい絵などが多く、お人形遊びなどする所に」
「ねえ、いらっしゃいよ、おもしろい絵がたくさんある家で、お雛様遊びなんかのよくできる私の家へね」
3.2.39
と、(こころ)につくべきことをのたまふけはひの、いとなつかしきを(をさな)心地(ここち)にも、いといたう()ぢず、さすがにむつかしう()()らずおぼえて、()じろき()したまへり。
と、気に入りそうなことをおっしゃる様子が、とても優しいので、子供心にも、そう大して物怖じせず、とは言っても、気味悪くて眠れなく思われて、もじもじして横になっていらっしゃった。
こんなふうに小さい人の気に入るような話をしてくれる源氏の柔らかい調子に、姫君は恐ろしさから次第に解放されていった。しかし不気味であることは忘れずに、眠り入ることはなくて身じろぎしながら寝ていた。
3.2.40 一晩中、風が吹き荒れているので、
この晩は夜通し風が吹き荒れていた。
3.2.41
げに、かうおはせざらましかば、いかに心細(こころぼそ)からまし」
「ほんとうに、このように、お越し下さらなかったら、どんなに心細かったことでしょう」
「ほんとうにお客様がお泊まりにならなかったらどんなに私たちは心細かったでしょう。
3.2.42
(おな)じくはよろしきほどにおはしまさましかば」
「同じことなら、お似合いの年でおいであそばしたら」
同じことなら女王様がほんとうの御結婚のできるお年であればね」
3.2.43
とささめきあへり。
乳母(めのと)は、うしろめたさに、いと(ちか)うさぶらふ。
(かぜ)すこし()きやみたるに、夜深(よぶか)()でたまふもことあり(がほ)なりや
とささやき合っている。
少納言の乳母は、心配で、すぐ近くに控えている。
風が少し吹き止んだので、夜の深いうちにお帰りになるのも、いかにもわけありそうな朝帰りであるよ。
などと女房たちはささやいていた。心配でならない乳母は帳台の近くに侍していた。風の少し吹きやんだ時はまだ暗かったが、帰る源氏はほんとうの恋人のもとを別れて行く情景に似ていた。
3.2.44
いとあはれに()たてまつる(おほん)ありさまを、(いま)はまして、片時(かたとき)()もおぼつかなかるべし。
()()(なが)めはべる(ところ)(わた)したてまつらむ。
かくてのみは、いかが
もの()ぢしたまはざりけり」とのたまへば、
「とてもお気の毒にお見受け致しましたご様子を、今では以前にもまして、片時の間も見なくては気がかりでならないでしょう。
毎日物思いをして暮らしている所にお迎え申し上げましょう。
こうしてばかりいては、どんなものでしょうか。
姫君はお恐がりにはならなかった」とおっしゃると、
「かわいそうな女王さんとこんなに親しくなってしまった以上、私はしばらくの間もこんな家へ置いておくことは気がかりでたまらない。私の始終住んでいる家へお移ししよう。こんな寂しい生活をばかりしていらっしゃっては女王さんが神経衰弱におなりになるから」
 と源氏が言った。
3.2.45
(みや)御迎(おほんむか)へになど()こえのたまふめれど、この御四十九日過(おほんなななぬかす)ぐしてや、など(おも)うたまふる」と()こゆれば、
「父宮もお迎えになどと申していらっしゃるようですが、故尼君の四十九日忌が過ぎてからか、などと存じます」と申し上げると、
「宮様もそんなにおっしゃいますが、あちらへおいでになることも、四十九日が済んでからがよろしかろうと存じております」
3.2.46
(たの)もしき(すぢ)ながらも、よそよそにてならひたまへるは、(おな)じうこそ(うと)うおぼえたまはめ。
(いま)より()たてまつれど、(あさ)からぬ(こころ)ざしはまさりぬべくなむ
「頼りになる血筋ではあるが、ずっと別々に暮らして来られた方は、他人同様に疎々しくお思いでしょう。
今夜初めてお会いしたが、わたしの深い愛情は父宮様以上でしょう」
「お父様のお邸ではあっても、小さい時から別の所でお育ちになったのだから、私に対するお気持ちと親密さはそう違わないでしょう。今からいっしょにいることが将来の障りになるようなことは断じてない。私の愛が根底の深いものになるだけだと思う」
3.2.47
とて、かい()でつつかへりみがちにて()でたまひぬ。
と言って、かき撫でかき撫でして、後髪を引かれる思いでお出になった。
と女王の髪を撫でながら源氏は言って顧みながら去った。
3.2.48
いみじう()りわたれる(そら)もただならぬに、(しも)はいと(しろ)うおきてまことの懸想(けさう)もをかしかりぬべきにさうざうしう(おも)ひおはす。
いと(しの)びて(かよ)ひたまふ(ところ)(みち)なりけるを(おぼ)()でて、(かど)うちたたかせたまへど、()きつくる(ひと)なし。
かひなくて、御供(おほんとも)(こゑ)ある(ひと)して(うた)はせたまふ。
ひどく霧の立ちこめた空もいつもとは違った風情であるうえに、霜は真白に置いて、実際の恋であったら興趣あるはずなのに、何か物足りなく思っていらっしゃる。
たいそう忍んでお通いになる方への道筋であったのをお思い出しになって、門を叩かせなさるが、聞きつける人がいない。
しかたなくて、お供の中で声の良い者に歌わせなさる。
深く霧に曇った空も艶であって、大地には霜が白かった。ほんとうの恋の忍び歩きにも適した朝の風景であると思うと、源氏は少し物足りなかった。近ごろ隠れて通っている人の家が途中にあるのを思い出して、その門をたたかせたが内へは聞こえないらしい。しかたがなくて供の中から声のいい男を選んで歌わせた。
3.2.49 「曙に霧が立ちこめた空模様につけても
素通りし難い貴女の家の前ですね」
朝ぼらけ霧立つ空の迷ひにも
行き過ぎがたき妹が門かな
3.2.50
と、二返(ふたかへ)りばかり(うた)ひたるによしある下仕(しもづか)ひを()だして、
と、二返ほど歌わせたところ、心得ある下仕え人を出して、
二度繰り返させたのである。気のきいたふうをした下仕えの女中を出して、
3.2.51 「霧の立ちこめた家の前を通り過ぎ難いとおっしゃるならば
生い茂った草が門を閉ざしたことぐらい何でもないでしょうに」
立ちとまり霧の籬の過ぎうくば
草の戸ざしに障りしもせじ
3.2.52
()ひかけて、()りぬ。
また(ひと)()()ねば(かへ)るも(なさ)けなけれど、()けゆく(そら)もはしたなくて殿(との)へおはしぬ。
と詠みかけて、入ってしまった。
他に誰も出て来ないので、帰るのも風情がないが、空が明るくなって行くのも体裁が悪いので邸へお帰りになった。
と言わせた。女はすぐに門へはいってしまった。それきりだれも出て来ないので、帰ってしまうのも冷淡な気がしたが、夜がどんどん明けてきそうで、きまりの悪さに二条の院へ車を進めさせた。
3.2.53
をかしかりつる(ひと)のなごり(こひ)しく、(ひと)()みしつつ()したまへり。
日高(ひたか)大殿籠(おほとのご)もり()きて、(ふみ)やりたまふに()くべき言葉(ことば)(れい)ならねば、(ふで)うち()きつつすさびゐたまへり
をかしき()などをやりたまふ。
かわいらしかった方の面影が恋しく、独り微笑みながら臥せっていらっしゃった。
日が高くなってからお起きになって、手紙を書いておやりになる時、書くはずの言葉も普通と違うので、筆を書いては置き書いては置きと、気の向くままにお書きになっている。
美しい絵などをお届けなさる。
かわいかった小女王を思い出して、源氏は独り笑みをしながら又寝をした。朝おそくなって起きた源氏は手紙をやろうとしたが、書く文章も普通の恋人扱いにはされないので、筆を休め休め考えて書いた。よい絵なども贈った。
3.2.54
かしこには今日(けふ)しも(みや)わたりたまへり。
(とし)ごろよりもこよなう()れまさり、(ひろ)うもの()りたる(ところ)の、いとど人少(ひとずく)なに(ひさ)しければ()わたしたまひて
あちらでは、ちょうど今日、父宮がおいでになった。
数年来以上にすっかり荒れ行き、広く古めかしくなった邸が、ますます人数が少なくなって月日を経ているので、ずっと御覧になって、
今日は按察使大納言家へ兵部卿の宮が来ておいでになった。以前よりもずっと邸が荒れて、広くて古い家に小人数でいる寂しさが宮のお心を動かした。
3.2.55 「このような所には、どうして、少しの間でも幼い子供がお過しになれよう。
やはり、あちらにお引き取り申し上げよう。
けっして窮屈な所ではない。
乳母には、部屋をもらって仕えればよい。
姫君は、若い子たちがいるので、一緒に遊んで、とても仲良くやって行けよう」などとおっしゃる。
「こんな所にしばらくでも小さい人がいられるものではない。やはり私の邸のほうへつれて行こう。たいしたむずかしい所ではないのだよ。乳母は部屋をもらって住んでいればいいし、女王は何人も若い子がいるからいっしょに遊んでいれば非常にいいと思う」
 などとお言いになった。
3.2.56 近くにお呼び寄せになると、あの源氏の君のおん移り香が、たいそうよい匂いに深く染み着いていらっしゃるので、「いい匂いだ。
お召し物はすっかりくたびれているが」と、お気の毒にお思いになった。
そばへお呼びになった小女王の着物には源氏の衣服の匂いが深く沁んでいた。
 「いい匂いだね。げれど着物は古くなっているね」
 心苦しく思召す様子だった。
3.2.57
(とし)ごろもあつしくさだ()ぎたまへる(ひと)()ひたまへるよかしこにわたりて()ならしたまへなど、ものせしを、あやしう(うと)みたまひて(ひと)心置(こころお)くめりしをかかる(をり)にしもものしたまはむも、心苦(こころぐる)しう」などのたまへば、
「これまでは、病気がちのお年寄と一緒においでになったことよ、あちらに引っ越してお馴染みなさいなどと、言っていましたが、変にお疎んじなさって、妻もおもしろからぬようでいたが、このような時に移って来られるのも、おかわいそうに」などとおっしゃると、
「今までからも病身な年寄りとばかりいっしょにいるから、時々は邸のほうへよこして、母と子の情合いのできるようにするほうがよいと私は言ったのだけれど、絶対的にお祖母さんはそれをおさせにならなかったから、邸のほうでも反感を起こしていた。そしてついにその人が亡くなったからといってつれて行くのは済まないような気もする」
 と宮がお言いになる。
3.2.58
(なに)かは
心細(こころぼそ)くとも、しばしはかくておはしましなむ
すこしものの心思(こころおぼ)()りなむにわたらせたまはむこそ、よくははべるべけれ」と()こゆ。
「いえどう致しまして。
心細くても、今暫くはこうしておいであそばしましょう。
もう少し物の道理がお分かりになりましたら、お移りあそばされることが良うございましょう」と申し上げる。
「そんなに早くあそばす必要はございませんでしょう。お心細くても当分はこうしていらっしゃいますほうがよろしゅうございましょう。少し物の理解がおできになるお年ごろになりましてからおつれなさいますほうがよろしいかと存じます」
 少納言はこう答えていた。
3.2.59
夜昼恋(よるひるこ)ひきこえたまふにはかなきものもきこしめさず」
「夜昼となくお慕い申し上げなさって、ちょっとした物もお召し上がりになりません」
「夜も昼もお祖母様が恋しくて泣いてばかりいらっしゃいまして、召し上がり物なども少のうございます」
3.2.60
とて、げにいといたう面痩(おもや)せたまへれど、いとあてにうつくしく、なかなか()えたまふ
と申して、なるほど、とてもひどく面痩せなさっているが、まことに上品でかわいらしく、かえって美しくお見えになる。
とも歎いていた。実際姫君は痩せてしまったが、上品な美しさがかえって添ったかのように見える。
3.2.61
(なに)か、さしも(おぼ)す。
(いま)()()(ひと)(おほん)ことはかひなし。
おのれあれば
「どうして、そんなにお悲しみなさる。
今はもうこの世にいない方のことは、
しかたがありません。わたし
「なぜそんなにお祖母様のことばかりをあなたはお思いになるの、亡くなった人はしかたがないんですよ。お父様がおればいいのだよ」
3.2.62
など(かた)らひきこえたまひて、()るれば(かへ)らせたまふをいと心細(こころぼそ)しと(おぼ)いて()いたまへば(みや)うち()きたまひて、
などとやさしくお話申し上げなさって、日が暮れるとお帰りあそばすのを、とても心細いとお思いになってお泣きになると、宮ももらい泣きなさって、
と宮は言っておいでになった。日が暮れるとお帰りになるのを見て、心細がって姫君が泣くと、宮もお泣きになって、
3.2.63
いとかう(おも)ひな()りたまひそ
今日明日(けふあす)(わた)したてまつらむ」など、(かへ)(がへ)すこしらへおきて、()でたまひぬ。
「けっして、
そんなにご心配なさるな。今日明日のうちに、お移し申そう」などと、繰り返しなだめす
「なんでもそんなに悲しがってはしかたがない。今日明日にでもお父様の所へ来られるようにしよう」
 などと、いろいろになだめて宮はお帰りになった。
3.2.64
なごりも(なぐさ)めがたう()きゐたまへり
()(さき)()のあらむことなどまでも(おぼ)()らず、ただ(とし)ごろ()(はな)るる(をり)なうまつはしならひて(いま)()(ひと)となりたまひにける、(おぼ)すがいみじきに、(をさな)御心地(みここち)なれど、(むね)つとふたがりて、(れい)のやうにも(あそ)びたまはず、(ひる)はさても(まぎ)らはしたまふを、夕暮(ゆふぐれ)となれば、いみじく()したまへば、かくてはいかでか()ごしたまはむと、(なぐさ)めわびて、乳母(めのと)()きあへり。
その後の寂しさも慰めようがなく泣き沈んでいらっしゃった。
将来の身の上のことなどはお分りにならず、ただ長年離れることなく一緒にいて、今はお亡くなりになってしまったと、お思いになるのが悲しくて、子供心であるが、胸がいっぱいにふさがって、いつものようにもお遊びはなさらず、昼間はどうにかお紛らわしになるが、夕暮時になると、ひどくおふさぎこみなさるので、これではどのようにお過ごしになられようかと、慰めあぐねて、乳母たちも一緒に泣いていた。
母も祖母も失った女の将来の心細さなどを女王は思うのでなく、ただ小さい時から片時の間も離れず付き添っていた祖母が死んだと思うことだけが非常に悲しいのである。子供ながらも悲しみが胸をふさいでいる気がして遊び相手はいても遊ぼうとしなかった。それでも昼間は何かと紛れているのであったが、夕方ごろからめいりこんでしまう。こんなことで小さいおからだがどうなるかと思って、乳母も毎日泣いていた。
3.2.65
(きみ)(おほん)もとよりは、惟光(これみつ)たてまつれたまへり
源氏の君のお邸からは、惟光をお差し向けなさった。
その日源氏の所からは惟光をよこした。
3.2.66
(まゐ)()べきを内裏(うち)より(めし)あればなむ
心苦(こころぐる)しう()たてまつりしもしづ(ごころ)なく」とて、宿直人(とのゐびと)たてまつれたまへり。
「私自身参るべきところ、帝からお召しがありまして。
お気の毒に拝見致しましたのにつけても、気がかりで」と伝えて、宿直人を差し向けなさった。
伺うはずですが宮中からお召しがあるので失礼します。おかわいそうに拝見した女王さんのことが気になってなりません。
 源氏からの挨拶はこれで惟光が代わりの宿直をするわけである。
3.2.67
あぢきなうもあるかな
(たはぶ)れにても、もののはじめにこの(おほん)ことよ」
「情けないことですわ。
ご冗談にも結婚の最初からして、このようなお事とは」
「困ってしまう。将来だれかと御結婚をなさらなければならない女王様を、これではもう源氏の君が奥様になすったような形をお取りになるのですもの。
3.2.68
宮聞(みやき)こし()しつけば、さぶらふ(ひと)びとのおろかなるにぞさいなまむ
「宮さまがお耳にされたら、お仕えする者の落度として叱られましょう」
宮様がお聞きになったら私たちの責任だと言っておしかりになるでしょう」
3.2.69
「あなかしこ、もののついでに、いはけなくうち()できこえさせたまふな
「ああ、大変だわ。何かのついでに、父宮にうっかりお口にあそばされますな」
「ねえ女王様、お気をおつけになって、源氏の君のことは宮様がいらっしゃいました時にうっかり言っておしまいにならないようになさいませね」
3.2.70 などと言うにつけても、そのことを何ともお分りでいらっしゃらないのは、困ったことであるよ。
と少納言が言っても、小女王は、それが何のためにそうしなければならないかがわからないのである。
3.2.71
少納言(せうなごん)は、惟光(これみつ)あはれなる物語(ものがたり)どもして
少納言の乳母は、惟光に気の毒な身の上話をいろいろとして、
少納言は惟光の所へ来て、身にしむ話をした。
3.2.72
あり()(のち)さるべき御宿世(おほんすくせ)(のが)れきこえたまはぬやうもあらむ
ただ(いま)は、かけてもいと()げなき(おほん)ことと()たてまつるを、あやしう(おぼ)しのたまはするも、いかなる御心(みこころ)にか、(おも)()るかたなう(みだ)れはべる。
今日(けふ)も、宮渡(みやわた)らせたまひてうしろやすく(つか)うまつれ。
心幼(こころをさな)くもてなしきこゆな』とのたまはせつるも、いとわづらはしう、ただなるよりは、かかる御好(おほんす)(ごと)(おも)()でられはべりつる
「これから先いつか、ご一緒になるようなご縁から、お逃れ申されなさらいものかも知れません。
ただ今は、まったく不釣り合いなお話と拝察致しておりますが、不思議にご熱心に思ってくださり、またおっしゃってくださいますのを、どのようなお気持ちからかと、判断つかないで悩んでおります。
今日も、宮さまがお越しあそばして、『安心の行くように仕えなさい。
うっかりしたことは致すな』と仰せられたのも、とても厄介で、なんでもなかった時より、このような好色めいたことも改めて気になるのでございました」
「将来あるいはそうおなりあそばす運命かもしれませんが、ただ今のところはどうしてもこれは不つりあいなお間柄だと私らは存じますのに、御熱心に御縁組のことをおっしゃるのですもの、御酔興か何かと私どもは思うばかりでございます。今日も宮様がおいでになりまして、女の子だからよく気をつけてお守りをせい、うっかり油断をしていてはいけないなどとおっしゃいました時は、私ども何だか平気でいられなく思われました。昨晩のことなんか思い出すものですから」
3.2.73
など()ひて、この(ひと)ことあり(がほ)にや(おも)はむ」など、あいなければいたう(なげ)かしげにも()ひなさず。
大夫(たいふ)「いかなることにかあらむ」と、心得(こころえ)がたう(おも)ふ。
などと言って、「この人も何か特別の関係があったように思うだろうか」など思われるのも、不本意なので、ひどく悲しんでいるようには言わない。
惟光大夫も、「どのような事なのだろう」と、ふに落ちなく思う。
などと言いながらも、あまりに歎いて見せては姫君の処女であることをこの人に疑わせることになると用心もしていた。惟光もどんな関係なのかわからない気がした。
3.2.74
(まゐ)りて、ありさまなど()こえければあはれに(おぼ)しやらるれどさて(かよ)ひたまはむも、さすがにすずろなる心地(ここち)して、軽々(かるがる)しうもてひがめたると、(ひと)もや()()かむ」など、つつましければ、ただ(むか)へてむ」と(おぼ)す。
帰参して、様子などをご報告すると、しみじみと思いをお馳せになるが、先夜のようにお通いなさるのも、やはり似合わしくない気持ちがして、「軽率な風変わりなことをしていると、世間の人が聞き知るかも知れない」などと、遠慮されるので、「いっそ迎えてしまおう」とお考えになる。
帰って惟光が報告した話から、源氏はいろいろとその家のことが哀れに思いやられてならないのであったが、形式的には良人らしく一泊したあとであるから、続いて通って行かねばならぬが、それはさすがに躊躇された。酔興な結婚をしたように世間が批評しそうな点もあるので、心がおけて行けないのである。二条の院へ迎えるのが良策であると源氏は思った。
3.2.75
御文(おほんふみ)はたびたびたてまつれたまふ。
()るれば、(れい)大夫(たいふ)をぞたてまつれたまふ
()はる(こと)どものありて、(まゐ)()ぬを、おろかにや」などあり。
お手紙は頻繁に差し上げなさる。
暮れると、いつものように惟光大夫をお差し向けなさる。
「差し障りがあって参れませんのを、不熱心なとでも」などと、伝言がある。
手紙は始終送った。日が暮れると惟光を見舞いに出した。
 やむをえぬ用事があって出かけられないのを、私の不誠実さからだとお思いにならぬかと不安です。
 などという手紙が書かれてくる。
3.2.76
(みや)より明日(あす)にはかに御迎(おほんむか)へにとのたまはせたりつれば、(こころ)あわたたしくてなむ
(とし)ごろの蓬生(よもぎふ)()れなむもさすがに心細(こころぼそ)さぶらふ(ひと)びとも(おも)(みだ)れて
「宮さまから、明日急にお迎えに参ると仰せがありましたので、気ぜわしくて。
長年住みなれた蓬生の宿を離れますのも、何と言っても心細く、お仕えする女房たちも思い乱れております」
「宮様のほうから、にわかに明日迎えに行くと言っておよこしになりましたので、取り込んでおります。長い馴染の古いお邸を離れますのも心細い気のすることと私どもめいめい申し合っております」
3.2.77
と、言少(ことずく)なに()ひて、をさをさあへしらはずもの()ひいとなむけはひなどしるければ(まゐ)りぬ。
と、言葉数少なに言って、ろくにお相手もせずに、繕い物をする様子がはっきり分かるので、帰参した。
と言葉数も少なく言って、大納言家の女房たちは今日はゆっくりと話し相手になっていなかった。忙しそうに物を縫ったり、何かを仕度したりする様子がよくわかるので、惟光は帰って行った。

第三段 源氏、紫の君を盗み取る

3.3.1
(きみ)大殿(おほいどの)におはしけるに(れい)の、女君(をんなぎみ)とみにも対面(たいめん)したまはず。
ものむつかしくおぼえたまひてあづまをすががきて常陸(ひたち)には()をこそ(つく)」といふ(うた)を、(こゑ)はいとなまめきて、すさびゐたまへり。
源氏の君は左大臣邸においでになったが、例によって、女君はすぐにはお会いなさらない。
君は何となくおもしろくなくお思いになって、和琴を即興に掻き鳴らして、「常陸では田を作っているが」という歌を、声はとても優艶に、口ずさんでおいでになる。
源氏は左大臣家へ行っていたが、例の夫人は急に出て来て逢おうともしなかったのである。面倒な気がして、源氏は東琴(和琴に同じ)を手すさびに弾いて、「常陸には田をこそ作れ、仇心かぬとや君が山を越え、野を越え雨夜来ませる」という田舎めいた歌詞を、優美な声で歌っていた。
3.3.2
(まゐ)りたれば、()()せてありさま()ひたまふ。
しかしかなど()こゆれば、口惜(くちを)しう(おぼ)して、かの(みや)(わた)りなばわざと(むか)()でむも、()()きしかるべし。
(をさな)(ひと)(ぬす)()でたりと、もどきおひなむ
そのさきに、しばし、(ひと)にも口固(くちかた)めて、(わた)してむ」と(おぼ)して、
参上したので、呼び寄せて様子をお尋ねになる。
「これこれしかじかです」と申し上げるので、残念にお思いになって、「あの宮邸に移ってしまったら、わざわざ迎え取ることも好色めいたことであろう。
子供を盗み出したと、きっと非難されるだろう。
その前に、暫くの間、女房の口を封じさせて、連れて来てしまおう」とお考えになって、
惟光が来たというので、源氏は居間へ呼んで様子を聞こうとした。惟光によって、女王が兵部卿の宮邸へ移転する前夜であることを源氏は聞いた。源氏は残念な気がした。宮邸へ移ったあとで、そういう幼い人に結婚を申し込むということも物好きに思われることだろう。小さい人を一人盗んで行ったという批難を受けるほうがまだよい。確かに秘密の保ち得られる手段を取って二条の院へつれて来ようと源氏は決心した。
3.3.3
(あかつき)かしこにものせむ。
(くるま)装束(さうぞく)さながら。
随身一人二人(ずいじんひとりふたりおほ)せおきたれ」とのたまふ。
うけたまはりて()ちぬ。
「早朝にあちらに行こう。
車の準備はそのままに。
随身を一、二名を申し付けておけ」とおっしゃる。
承知して下がった。
「明日夜明けにあすこへ行ってみよう。ここへ来た車をそのままにして置かせて、随身を一人か二人仕度させておくようにしてくれ」
 という命令を受けて惟光は立った。
3.3.4
(きみ)いかにせまし
()こえありて()きがましきやうなるべきこと。
(ひと)のほどだにものを(おも)()(をんな)心交(こころか)はしけることと()(はか)られぬべくは()(つね)なり。
父宮(ちちみや)(たづ)()でたまへらむもはしたなう、すずろなるべきを」と、(おぼ)(みだ)るれど、さて(はづ)してむはいと口惜(くちを)しかべければまだ夜深(よぶか)()でたまふ。
源氏の君は、「どうしようか。
噂が広がって好色めいたことになりそうな事よ。
せめて相手の年齢だけでも物の分別ができ、女が情を通じてのことだと想像されるようなのは、世間一般にもある事だ。
もし父宮がお探し出された場合も、体裁が悪く、格好もつかないことになるだろうから」と、お悩みになるが、この機会を逃したら大変後悔することになるにちがいないので、まだ夜の深いうちにお出になる。
源氏はそののちもいろいろと思い悩んでいた。人の娘を盗み出した噂の立てられる不名誉も、もう少しあの人が大人で思い合った仲であればその犠牲も自分は払ってよいわけであるが、これはそうでもないのである。父宮に取りもどされる時の不体裁も考えてみる必要があると思ったが、その機会をはずすことはどうしても惜しいことであると考えて、翌朝は明け切らぬ間に出かけることにした。
3.3.5
女君(をんなぎみ)(れい)のしぶしぶに、(こころ)もとけずものしたまふ。
女君は、いつものように気が進まない様子で、かしこまった感じでいらっしゃる。
夫人は昨夜の気持ちのままでまだ打ち解けてはいなかった。
3.3.6 「あちらに、どうしても処理しなければならない事がございますのを思い出しまして、すぐに戻って来ます」と言って、お出になるので、お側の女房たちも知らないのであった。
ご自分のお部屋の方で、お直衣などはお召しになる。
惟光だけを馬に乗せてお出になった。
「一条の院にぜひしなければならないことのあったのを私は思い出したから出かけます。用を済ませたらまた来ることにしましょう」
 と源氏は不機嫌な妻に告げて、寝室をそっと出たので、女房たちも知らなかった。自身の部屋になっているほうで直衣などは着た。馬に乗せた惟光だけを付き添いにして源氏は大納言家へ来た。
3.3.7
(かど)うちたたかせたまへば心知(こころし)らぬ(もの)()けたるに、御車(みくるま)をやをら()()れさせて、大夫(たいふ)妻戸(つまど)()らして、しはぶけば少納言聞(せうなごんき)()りて、()()たり。
門を打ち叩かせなさると、何も事情を知らない者が開けたので、お車を静かに引き入れさせて、惟光大夫が、妻戸を叩いて、合図の咳払いをすると、少納言の乳母が察して、出て来た。
門をたたくと何の気なしに下男が門をあけた。車を静かに中へ引き込ませて、源氏の伴った惟光が妻戸をたたいて、しわぶきをすると、少納言が聞きつけて出て来た。
3.3.8
ここに、おはします」と()へば、
「ここに、おいでになっています」と言うと、
「来ていらっしゃるのです」
 と言うと、
3.3.9 「若君は、お寝みになっております。
どうして、こんな暗いうちにお出あそばしたのでしょうか」と、どこかからの帰りがけと思って言う。
「女王様はやすんでいらっしゃいます。どちらから、どうしてこんなにお早く」
 と少納言が言う。源氏が人の所へ通って行った帰途だと解釈しているのである。
3.3.10 「宮邸へお移りあそばすそうですが、その前にお話し申し上げておきたいと思って参りました」とおっしゃると、
「宮様のほうへいらっしゃるそうですから、その前にちょっと一言お話をしておきたいと思って」
 と源氏が言った。
3.3.11 「どのようなことでございましょうか。
どんなにしっかりしたお返事ができましょう」
「どんなことでございましょう。まあどんなに確かなお返辞がおできになりますことやら」
3.3.12 と言って、微笑んでいた。
源氏の君が、お入りになると、とても困って、
少納言は笑っていた。源氏が室内へはいって行こうとするので、この人は当惑したらしい。
3.3.13 「気を許して、見苦しい年寄たちが寝ておりますので」とお制し申し上げる。
「不行儀に女房たちがやすんでおりまして」
3.3.14
まだ、おどろいたまはじな
いで、御目覚(おほんめさ)ましきこえむ。
かかる朝霧(あさぎり)()らでは、()るものか
「まだ、お目覚めではありますまいね。
どれ、お目をお覚まし申しましょう。
このような素晴らしい朝霧を知らないで、寝ていてよいものですか」
「まだ女王さんはお目ざめになっていないのでしょうね。私がお起こししましょう。もう朝霧がいっぱい降る時刻だのに、寝ているというのは」
3.3.15
とて、()りたまへば、や」とも、()こえず
とおっしゃって、ご寝所にお入りになるので、「もし」とも、お止めできない。
と言いながら寝室へはいる源氏を少納言は止めることもできなかった。
3.3.16
(きみ)何心(なにごころ)もなく()たまへるを(いだ)きおどろかしたまふに、おどろきて、(みや)御迎(おほんむか)へにおはしたると、()おびれて(おぼ)したり。
紫の君は何も知らないで寝ていらっしゃったが、源氏の君が抱いてお起こしなさるので、目を覚まして、父宮がお迎えにいらっしゃったと、寝惚けてお思いになった。
源氏は無心によく眠っていた姫君を抱き上げて目をさまさせた。女王は父宮がお迎えにおいでになったのだと、まだまったくさめない心では思っていた。
3.3.17 お髪を掻き繕いなどなさって、
髪を撫でて直したりして、
3.3.18
いざ、たまへ
(みや)御使(おほんつかひ)にて(まゐ)()つるぞ」
「さあ、いらっしゃい。
父宮さまのお使いとして参ったのですよ」
「さあ、いらっしゃい。宮様のお使いになって私が来たのですよ」
3.3.19
とのたまふに、あらざりけり」と、あきれて、(おそ)ろしと(おも)ひたれば、
とおっしゃる声に、「違う人であったわ」と、びっくりして、恐いと思っているので、
と言う声を聞いた時に姫君は驚いて、恐ろしく思うふうに見えた。
3.3.20 「ああ、情けない。
わたしも同じ人ですよ」
「いやですね。私だって宮様だって同じ人ですよ。鬼などであるものですか」
3.3.21
とて、かき(いだ)きて()でたまへば、大輔(たいふ)少納言(せうなごん)など、こは、いかに」と()こゆ。
と言って、抱いてお出なさるので、大輔や少納言の乳母などは、「これは、どうなさいますか」と申し上げる。
源氏の君が姫君をかかえて出て来た。少納言と、惟光と、外の女房とが、
 「あ、どうなさいます」
 と同時に言った。
3.3.22
ここには(つね)にもえ(まゐ)らぬがおぼつかなければ、(こころ)やすき(ところ)にと()こえしを心憂(こころう)く、(わた)りたまへるなればまして()こえがたかべければ
人一人参(ひとひとりまゐ)られよかし」
「ここには、常に参れないのが気がかりなので、気楽な所にと申し上げたが、残念なことに、宮邸にお移りになるそうなので、ますますお話し申し上げにくくなるだろうから。
誰か一人付いて参られよ」
「ここへは始終来られないから、気楽な所へお移ししようと言ったのだけれど、それには同意をなさらないで、ほかへお移りになることになったから、そちらへおいでになってはいろいろ面倒だから、それでなのだ。だれか一人ついておいでなさい」
3.3.23
とのたまへば、(こころ)あわたたしくて
とおっしゃるので、気がせかれて、
こう源氏の言うのを聞いて少納言はあわててしまった。
3.3.24
今日(けふ)いと便(びん)なくなむはべるべき
(みや)(わた)らせたまはむにはいかさまにか()こえやらむ。
おのづから、ほど()て、さるべきにおはしまさばともかうもはべりなむを、いと(おも)ひやりなきほどのことにはべれば、さぶらふ(ひと)びと(くる)しうはべるべし」と()こゆれば、
「今日は、まことに都合が悪うございましょう。
宮さまがお越しあそばした時には、どのようにお答え申し上げましょう。
自然と、年月をへて、そうなられるご縁でいらっしゃれば、ともかくなられましょうが、何とも考える暇もない急な事でございますので、お仕えする者どももきっと困りましょう」と申し上げると、
「今日では非常に困るかと思います。宮様がお迎えにおいでになりました節、何とも申し上げようがないではございませんか。ある時間がたちましてから、ごいっしょにおなりになる御縁があるものでございましたら自然にそうなることでございましょう。まだあまりに御幼少でいらっしゃいますから。ただ今そんなことは皆の者の責任になることでございますから」
 と言うと、
3.3.25
よし、(のち)にも(ひと)(まゐ)りなむ」とて、御車寄(みくるまよ)せさせたまへば、あさましう、いかさまにと(おも)ひあへり。
「よし、後からでも女房たちは参ればよかろう」と言って、お車を寄せさせなさるので、驚きあきれて、どうしたらよいものかと困り合っていた。
「じゃいい。今すぐについて来られないのなら、人はあとで来るがよい」
 こんなふうに言って源氏は車を前へ寄せさせた。
3.3.26
若君(わかぎみ)も、あやしと(おぼ)して()いたまふ。
少納言(せうなごん)とどめきこえむかたなければ、昨夜縫(よべぬ)ひし御衣(おほんぞ)どもひきさげて、(みづか)らもよろしき衣着(きぬき)かへて、()りぬ。
若君も、変な事だとお思いになってお泣きになる。
少納言の乳母は、お止め申し上げるすべもないので、昨夜縫ったご衣装類をひっさげて、自分も適当な着物に着替えて、車に乗った。
姫君も怪しくなって泣き出した。少納言は止めようがないので、昨夜縫った女王の着物を手にさげて、自身も着がえをしてから車に乗った。
3.3.27
二条院(にでうのゐん)(ちか)ければ、まだ(あか)うもならぬほどにおはして、西(にし)(たい)御車寄(みくるまよ)せて()りたまふ。
若君(わかぎみ)をば、いと(かろ)らかにかき(いだ)きて()ろしたまふ
二条院は近いので、まだ明るくならないうちにお着きになって、西の対にお車を寄せてお下りになる。
若君を、とても軽々と抱いてお下ろしになる。
二条の院は近かったから、まだ明るくならないうちに着いて、西の対に車を寄せて降りた。源氏は姫君を軽そうに抱いて降ろした。
3.3.28
少納言(せうなごん)
少納言の乳母が、
3.3.29 「やはり、まるで夢のような心地がしますが、どういたしましたらよいことなのでしょうか」と、ためらっているので、
「夢のような気でここまでは参りましたが、私はどうしたら」
 少納言は下車するのを躊躇した。
3.3.30 「それは
あなたの考え次第でしょう。ご本人はお移し申し上げてしまったのだから、帰ろうと思
「どうでもいいよ。もう女王さんがこちらへ来てしまったのだから、君だけ帰りたければ送らせよう」
3.3.31
とのたまふに、(わら)ひて()りぬ。
にはかに、あさましう、(むね)(しづ)かならず。
(みや)(おぼ)しのたまはむこと、いかになり()てたまふべき(おほん)ありさまにか、とてもかくても、(たの)もしき(ひと)びとに(おく)れたまへるがいみじさ」と(おも)ふに、(なみだ)()まらぬを、さすがにゆゆしければ(ねん)じゐたり。
とおっしゃるので、苦笑して下りた。
急な事で、驚きあきれて、心臓がどきどきする。
「宮さまがお叱りになられることや、どうおなりになる姫君のお身の上だろうか、とにもかくにも、身内の方々に先立たれたことが本当にお気の毒」と思うと、涙が止まらないのを、何と言っても不吉なので、じっと堪えていた。
源氏が強かった。しかたなしに少納言も降りてしまった。このにわかの変動に先刻から胸が鳴り続けているのである。宮が自分をどうお責めになるだろうと思うことも苦労の一つであった。それにしても姫君はどうなっておしまいになる運命なのであろうと思って、ともかくも母や祖母に早くお別れになるような方は紛れもない不幸な方であることがわかると思うと、涙がとめどなく流れそうであったが、しかもこれが姫君の婚家へお移りになる第一日であると思うと、縁起悪く泣くことは遠慮しなくてはならないと努めていた。
3.3.32
こなたは()みたまはぬ(たい)なれば、御帳(みちゃう)などもなかりけり。
惟光召(これみつめ)して、御帳(みちゃう)御屏風(みびゃうぶ)など、あたりあたり仕立(した)てさせたまふ
御几帳(みきちゃう)帷子引(かたびらひ)()ろし、御座(おまし)などただひき(つくろ)ふばかりにてあれば、(ひんがし)(たい)に、御宿直物召(おほんとのゐものめ)しに(つか)はして、大殿籠(おほとのご)もりぬ
こちらはご使用にならない対の屋なので、御帳などもないのであった。
惟光を呼んで、御帳や、御屏風など、ここかしこに整えさせなさる。
御几帳の帷子を引き下ろし、ご座所など、ちょっと整えるだけで使えるので、東の対にお寝具類などを取り寄せに人をやって、お寝みになった。
ここは平生あまり使われない御殿であったから帳台なども置かれてなかった。源氏は惟光を呼んで帳台、屏風などをその場所場所に据えさせた。これまで上へあげて掛けてあった几帳の垂れ絹はおろせばいいだけであったし、畳の座なども少し置き直すだけで済んだのである。東の対へ夜着類を取りにやって寝た。
3.3.33
若君(わかぎみ)は、いとむくつけくいかにすることならむと、ふるはれたまへどさすがに声立(こゑた)ててもえ()きたまはず。
若君は、とても気味悪くて、どうなさる気だろうと、ぶるぶると震えずにはいらっしゃれないが、やはり声を出してお泣きになれない。
姫君は恐ろしがって、自分をどうするのだろうと思うと慄えが出るのであったが、さすがに声を立てて泣くことはしなかった。
3.3.34 「少納言の乳母の所で寝たい」
「少納言の所で私は寝るのよ」
3.3.35
とのたまふ(こゑ)いと(わか)
とおっしゃる声は、まことに幼稚である。
子供らしい声で言う。
3.3.36 「今からは、もうそのようにお寝みになるものではありませんよ」
「もうあなたは乳母などと寝るものではありませんよ」
3.3.37
(をし)へきこえたまへば、いとわびしくて()()したまへり。
乳母(めのと)はうちも()されずものもおぼえず()きゐたり。
とお教え申し上げなさると、とても悲しくて泣きながら横におなりになった。
少納言の乳母は横になる気もせず、何も考えられず起きていた。
と源氏が教えると、悲しがって泣き寝をしてしまった。乳母は眠ることもできず、ただむやみに泣かれた。
3.3.38
()けゆくままに()わたせば御殿(おとど)(つく)りざま、しつらひざま、さらにも()はず、(には)砂子(すなご)(たま)(かさ)ねたらむやうに()えて、かかやく心地(ここち)するにはしたなく(おも)ひゐたれど、こなたには(をんな)などもさぶらはざりけり。
(うと)客人(まらうと)などの(まゐ)折節(をりふし)(かた)なりければ、(をとこ)どもぞ御簾(みす)()にありける。
夜が明けて行くにつれて、見渡すと、御殿の造りざまや、調度類の様子は、改めて言うまでもなく、庭の白砂も宝石を重ね敷いたように見えて、光り輝くような感じなので、きまり悪い感じでいたが、こちらの対には女房なども控えていないのであった。
たまのお客などが参った折に使う部屋だったので、男たちが御簾の外に控えているのであった。
明けてゆく朝の光を見渡すと、建物や室内の装飾はいうまでもなくりっぱで、庭の敷き砂なども玉を重ねたもののように美しかった。少納言は自身が貧弱に思われてきまりが悪かったが、この御殿には女房がいなかった。あまり親しくない客などを迎えるだけの座敷になっていたから、男の侍だけが縁の外で用を聞くだけだった。
3.3.39
かく、人迎(ひとむか)へたまへりと、()(ひと)()れならむ。
おぼろけにはあらじ」と、ささめく。
御手水(みてうづ)御粥(おほんかゆ)など、こなたに(まゐ)る。
日高(ひたか)寝起(ねお)きたまひて
このように、女をお迎えになったと、聞いた人は、「誰であろうか。
並大抵の人ではあるまい」と、ひそひそ噂する。
御手水や、お粥などを、こちらの対に持って上がる。
日が高くなってお起きになって、
そうした人たちは新たに源氏が迎え入れた女性のあるのを聞いて、
 「だれだろう、よほどお好きな方なんだろう」
 などとささやいていた。源氏の洗面の水も、朝の食事もこちらへ運ばれた。遅くなってから起きて、源氏は少納言に、
3.3.40
(ひと)なくて()しかめるをさるべき(ひと)びと、(ゆふ)づけてこそは(むか)へさせたまはめ
「女房がいなくて、不便であろうから、しかるべき人々を、夕方になってから、お迎えなさるとよいだろう」
「女房たちがいないでは不自由だろうから、あちらにいた何人かを夕方ごろに迎えにやればいい」
3.3.41
とのたまひて、(たい)童女召(わらはべめ)しにつかはす。
(ちひ)さき(かぎ)り、ことさらに(まゐ)」とありければ、いとをかしげにて、四人参(よたりまゐ)りたり。
とおっしゃって、東の対に童女を呼びに人をやる。
「小さい子たちだけ、特別に参れ」と言ったので、とてもかわいらしい格好して、四人が参った。
と言って、それから特に小さい者だけが来るようにと東の対のほうへ童女を呼びにやった。しばらくして愛らしい姿の子が四人来た。
3.3.42
(きみ)御衣(おほんぞ)にまとはれて()したまへるを、せめて()こして、
紫の君はお召物にくるまって臥せっていらっしゃったのを、無理に起こして、
女王は着物にくるまったままでまだ横になっていたのを源氏は無理に起こして、
3.3.43
かう、心憂(こころう)くなおはせそ
すずろなる(ひと)は、かうはありなむや
(をんな)心柔(こころやは)らかなるなむよき」
「こんなふうに、
お嫌がりなさいますな。いい加減な男は、このよう
に親切にしましょう
「私に意地悪をしてはいけませんよ。薄情な男は決してこんなものじゃありませんよ。女は気持ちの柔らかなのがいいのですよ」
3.3.44
など、(いま)より(をし)へきこえたまふ。
などと、今からお教え申し上げなさる。
もうこんなふうに教え始めた。
3.3.45
御容貌(おほんかたち)は、さし(はな)れて()しよりも、(きよ)らにてなつかしううち(かた)らひつつ、をかしき()(あそ)びものども()りに(つか)はして()せたてまつり、御心(みこころ)につくことどもをしたまふ。
ご容貌は、遠くから見ていた時よりも、美しいので、優しくお話をなさりながら、興趣ある絵や、遊び道具類を取りにやって、お見せ申し上げ、お気に入ることどもをなさる。
姫君の顔は少し遠くから見ていた時よりもずっと美しかった。気に入るような話をしたり、おもしろい絵とか遊び事をする道具とかを東の対へ取りにやるとかして、源氏は女王の機嫌を直させるのに骨を折った。
3.3.46
やうやう()きゐて()たまふに鈍色(にびいろ)のこまやかなるがうち()えたるどもを()て、何心(なにごころ)なくうち()みなどしてゐたまへるが、いとうつくしきに、(われ)もうち()まれて()たまふ
だんだん起き出して座って御覧になるが、鈍色の色濃い喪服の、ちょっと柔らかくなったのを着て、無心に微笑んでいらっしゃるのが、とてもかわいらしいので、ご自身もつい微笑んで御覧になる。
やっと起きて喪服のやや濃い鼠の服の着古して柔らかになったのを着た姫君の顔に笑みが浮かぶようになると、源氏の顔にも自然笑みが上った。
3.3.47
(ひんがし)(たい)(わた)りたまへるに、()()でて(には)木立(こだち)(いけ)(かた)など(のぞ)きたまへば、霜枯(しもが)れの前栽(せんさい)()()けるやうにおもしろくて、()()らぬ四位(しゐ)五位(ごゐ)こきまぜに(ひま)なう()()りつつげに、をかしき(ところ)かな」と(おぼ)す。
御屏風(みびゃうぶ)どもなど、いとをかしき()()つつ、(なぐさ)めておはするもはかなしや
東の対にお渡りになったので、端に出て行って、庭の木立や、池の方などを、お覗きになると、霜枯れの前栽が、絵に描いたように美しくて、見たこともない四位や五位の人々の服装が色とりどりに入り乱れて、ひっきりなしに出入りしていて、「なるほど、素晴らしい所だわ」と、お思いになる。
御屏風類などの、とても素晴らしい絵を見ては、機嫌を良くしていらっしゃるのも、あどけないことよ。
源氏が東の対へ行ったあとで姫君は寝室を出て、木立ちの美しい築山や池のほうなどを御簾の中からのぞくと、ちょうど霜枯れ時の庭の植え込みが描いた絵のようによくて、平生見ることの少ない黒の正装をした四位や、赤を着た五位の官人がまじりまじりに出はいりしていた。源氏が言っていたようにほんとうにここはよい家であると女王は思った。屏風にかかれたおもしろい絵などを見てまわって、女王はたよりない今日の心の慰めにしているらしかった。
3.3.48
(きみ)は、()三日(さんにち)内裏(うち)へも(まゐ)りたまはで、この(ひと)をなつけ(かた)らひきこえたまふ。
やがて(ほん)にと(おぼ)すにや手習(てならひ)()などさまざまに()きつつ()せたてまつりたまふ。
いみじうをかしげに()(あつ)めたまへり。
武蔵野(むさしの)()へばかこたれぬ」と、(むらさき)(かみ)()いたまへる(すみ)つきの、いとことなるを()りて()ゐたまへり
すこし(ちひ)さくて、
源氏の君は、二、三日、宮中へも参内なさらず、この人を手懐けようとお相手申し上げなさる。
そのまま手本にとのお考えか、手習いや、お絵描きなど、いろいろと書いては描いては、御覧に入れなさる。
とても素晴らしくお書き集めになった。
「武蔵野と言うと文句を言いたくなってしまう」と、紫の紙にお書きになった墨の具合が、とても格別なのを取って御覧になっていらっしゃった。
少し小さくて、
源氏は二、三日御所へも出ずにこの人をなつけるのに一所懸命だった。手本帳に綴じさせるつもりの字や絵をいろいろに書いて見せたりしていた。皆美しかった。「知らねどもむさし野と云へばかこたれぬよしやさこそは紫の故」という歌の紫の紙に書かれたことによくできた一枚を手に持って姫君はながめていた。また少し小さい字で、
3.3.49 「まだ一緒に寝てはみませんが愛しく思われます
武蔵野の露に難儀する紫のゆかりのあなたを」
ねは見ねど哀れとぞ思ふ武蔵野の
露分けわぶる草のゆかりを
3.3.50
とあり。
とある。
とも書いてある。
3.3.51 「さあ、あなたもお書きなさい」と言うと、
「あなたも書いてごらんなさい」
 と源氏が言うと、
3.3.52 「まだ、うまく書けません」
「まだよくは書けませんの」
3.3.53
とて、見上(みあ)げたまへるが、何心(なにごころ)なくうつくしげなれば、うちほほ()みて、
と言って、顔を見上げていらっしゃるのが、無邪気でかわいらしいので、つい微笑まれて、
見上げながら言う女王の顔が無邪気でかわいかったから、源氏は微笑をして言った。
3.3.54
よからねどむげに()かぬこそ()ろけれ。
(をし)へきこえむかし」
「うまくなくても、まったく書かないのは良くありません。
お教え申し上げましょうね」
「まずくても書かないのはよくない。教えてあげますよ」
3.3.55
とのたまへば、うちそばみて()いたまふ()つき、(ふで)とりたまへるさまの(をさな)げなるも、らうたうのみおぼゆれば、(こころ)ながらあやしと(おぼ)
()きそこなひつ」と()ぢて(かく)したまふを、せめて()たまへば、
とおっしゃると、ちょっと横を向いてお書きになる手つきや、筆をお持ちになる様子があどけないのも、かわいらしくてたまらないので、我ながら不思議だとお思いになる。
「書き損ってしまった」と、恥ずかしがってお隠しになるのを、無理に御覧になると、
からだをすぼめるようにして字をかこうとする形も、筆の持ち方の子供らしいのもただかわいくばかり思われるのを、源氏は自分の心ながら不思議に思われた。
 「書きそこねたわ」
 と言って、恥ずかしがって隠すのをしいて読んでみた。
3.3.56 「恨み言を言われる理由が分かりません
わたしはどのような方のゆかりなのでしょう」
かこつべき故を知らねばおぼつかな
いかなる草のゆかりなるらん
3.3.57
と、いと(わか)けれど、()先見(さきみ)えて、ふくよかに()いたまへり。
故尼君(こあまぎみ)のにぞ()たりける。
(いま)めかしき手本習(てほんなら)はば、いとよう()いたまひてむ」と()たまふ。
と、とても幼稚だが、将来の成長が思いやられて、ふっくらとお書きになっている。
亡くなった尼君の筆跡に似ているのであった。
「当世風の手本を習ったならば、とても良くお書きになるだろう」と御覧になる。
子供らしい字ではあるが、将来の上達が予想されるような、ふっくりとしたものだった。死んだ尼君の字にも似ていた。現代の手本を習わせたならもっとよくなるだろうと源氏は思った。
3.3.58
(ひひな)など、わざと()ども(つく)(つづ)けて、もろともに(あそ)びつつ、こよなきもの(おも)ひの(まぎ)らはしなり
お人形なども、特別に御殿をいくつも造り並べて、一緒に遊んでは、この上ない憂さ晴らしの相手である。
雛なども屋根のある家などもたくさんに作らせて、若紫の女王と遊ぶことは源氏の物思いを紛らすのに最もよい方法のようだった。
3.3.59
かのとまりにし(ひと)びと、宮渡(みやわた)りたまひて、(たづ)ねきこえたまひけるに()こえやる(かた)なくてぞ、わびあへりける。
しばし、(ひと)()らせじ」と(きみ)ものたまひ、少納言(せうなごん)(おも)ふことなれば、せちに口固(くちかた)めやりたり。
ただ、「行方(ゆくへ)()らず、少納言(せうなごん)()(かく)しきこえたる」とのみ()こえさするに、(みや)()ふかひなう(おぼ)して、故尼君(こあまぎみ)かしこに(わた)りたまはむことを、いとものしと(おぼ)したりしことなれば、乳母(めのと)の、いとさし()ぐしたる(こころ)ばせのあまり、おいらかに(わた)さむを、便(びん)なし、などは()はで(こころ)にまかせ()てはふらかしつるなめり」と、()()(かへ)りたまひぬ。
もし、()()でたてまつらば、()げよ」とのたまふも、わづらはしく
僧都(そうづ)(おほん)もとにも、(たづ)ねきこえたまへど、あとはかなくて、あたらしかりし御容貌(おほんかたち)など、(こひ)しく(かな)しと(おぼ)す。
あの残った女房たちは、兵部卿宮がお越しになって、お尋ね申し上げなさったが、お答え申し上げるすべもなくて、困り合っているのであった。
「暫くの間、他人に聞かせてはならぬ」と源氏の君もおっしゃるし、少納言の乳母も考えていることなので、固く口止めさせていた。
ただ、「行く方も知れず、少納言の乳母がお連れしてお隠し申したことで」とばかりお答え申し上げるので、宮もしょうがないとお思いになって、「亡くなった尼君も、あちらに姫君がお移りになることを、とても嫌だとお思いであったことなので、乳母が、ひどく出過ぎた考えから、すんなりとお移りになることを、不都合だ、などと言わないで、自分の一存で、連れ出してどこかへやってしまったのだろう」と、泣く泣くお帰りになった。
「もし、消息をお聞きつけ申したら、知らせなさい」とおっしゃる言葉も、厄介で。
僧都のお所にも、お尋ね申し上げなさるが、はっきり分からず、惜しいほどであったご器量など、恋しく悲しいとお思いになる。
大納言家に残っていた女房たちは、宮がおいでになった時に御挨拶のしようがなくて困った。当分は世間へ知らせずにおこうと、源氏も言っていたし、少納言もそれと同感なのであるから、秘密にすることをくれぐれも言ってやって、少納言がどこかへ隠したように申し上げさせたのである。宮は御落胆あそばされた。尼君も宮邸へ姫君の移って行くことを非常に嫌っていたから、乳母の出すぎた考えから、正面からは拒まずにおいて、そっと勝手に姫君をつれ出してしまったのだとお思いになって、宮は泣く泣くお帰りになったのである。
 「もし居所がわかったら知らせてよこすように」
 宮のこのお言葉を女房たちは苦しい気持ちで聞いていたのである。宮は僧都の所へも捜しにおやりになったが、姫君の行くえについては何も得る所がなかった。美しかった小女王の顔をお思い出しになって宮は悲しんでおいでになった。
3.3.60
(きた)(かた)も、母君(ははぎみ)(にく)しと(おも)ひきこえたまひける(こころ)()せて、わが(こころ)にまかせつべう(おぼ)しけるに(たが)ひぬるは、口惜(くちを)しう(おぼ)しけり。
北の方も、その母親を憎いとお思い申し上げなさっていた感情も消えて、自分の思いどおりにできようとお思いになっていた当てが外れたのは、残念にお思いになるのであった。
夫人はその母君をねたんでいた心も長い時間に忘れていって、自身の子として育てるのを楽しんでいたことが水泡に帰したのを残念に思った。
3.3.61
やうやう人参(ひとまゐ)(あつま)りぬ。
御遊(おほんあそ)びがたきの童女(わらはべ)(ちご)ども、いとめづらかに(いま)めかしき(おほん)ありさまどもなれば(おも)ふことなくて(あそ)びあへり
次第に女房たちが集まって来た。
お遊び相手の童女や、幼子たちも、とても珍しく当世風なご様子なので、何の屈託もなくて遊び合っていた。
そのうち二条の院の西の対に女房たちがそろった。若紫のお相手の子供たちは、大納言家から来たのは若い源氏の君、東の対のはきれいな女王といっしょに遊べるのを喜んだ。
3.3.62
(きみ)は、男君(をとこぎみ)のおはせずなどしてさうざうしき夕暮(ゆふぐれ)などばかりぞ尼君(あまぎみ)()ひきこえたまひて、うち()きなどしたまへど、(みや)をばことに(おも)()できこえたまはず。
もとより()ならひきこえたまはでならひたまへれば、(いま)はただこの(のち)(おや)いみじう(むつ)びまつはしきこえたまふ。
ものよりおはすれば、まづ()でむかひて、あはれにうち(かた)らひ、御懐(おほんふところ)()りゐて、いささか(うと)()づかしとも(おも)ひたらず。
さるかたにいみじうらうたきわざなりけり。
紫の君は、男君がおいでにならなかったりして、寂しい夕暮時などだけは、尼君をお思い出し申し上げなさって、つい涙ぐみなどなさるが、父宮は特にお思い出し申し上げなさらない。
最初からご一緒ではなく過ごして来られたので、今ではすっかりこの後の親を、たいそう馴れお親しみ申し上げていらっしゃる。
外出からお帰りになると、まっさきにお出迎えして、親しくお話をなさって、お胸の中に入って、少しも嫌がったり恥ずかしいとは思っていない。
そうしたことでは、ひどくかわいらしい態度でなのあった。
若紫は源氏が留守になったりした夕方などには尼君を恋しがって泣きもしたが、父宮を思い出すふうもなかった。初めから稀々にしか見なかった父宮であったから、今は第二の父と思っている源氏にばかり馴染んでいった。外から源氏の帰って来る時は、自身がだれよりも先に出迎えてかわいいふうにいろいろな話をして、懐の中に抱かれて少しもきまり悪くも恥ずかしくも思わない。こんな風変わりな交情がここにだけ見られるのである。
3.3.63
さかしら(ごころ)あり(なに)くれとむつかしき(すぢ)になりぬれば、わが心地(ここち)もすこし(たが)ふふしも()()やと、(こころ)おかれ、(ひと)(うら)みがちに、(おも)ひのほかのこと、おのづから()()るを、いとをかしきもてあそびなり。
(むすめ)などはた、かばかりになれば、(こころ)やすくうちふるまひ、(へだ)てなきさまに()()きなどは、えしもすまじきを、これは、いとさまかはりたるかしづきぐさなりと、(おも)ほいためり
小賢しい智恵がつき、何かとうっとうしい関係となってしまうと、自分の気持ちと多少ぴったりしない点も出て来たのかしらと、心を置かれて、相手も嫉妬しがちになり、意外なもめ事が自然と出て来るものなのに、まことにかわいらしい遊び相手である。
自分の娘などでも、これほどの年になったら、気安く振る舞ったり、一緒に寝起きなどは、とてもできないものだろうに、この人は、とても風変わりな大切な娘であると、お思いのようである。
大人の恋人との交渉には微妙な面倒があって、こんな障害で恋までもそこねられるのではないかと我ながら不安を感じることがあったり、女のほうはまた年じゅう恨み暮らしに暮らすことになって、ほかの恋がその間に芽ばえてくることにもなる。この相手にはそんな恐れは少しもない。ただ美しい心の慰めであるばかりであった。娘というものも、これほど大きくなれば父親はこんなにも接近して世話ができず、夜も同じ寝室にはいることは許されないわけであるから、こんなおもしろい間柄というものはないと源氏は思っているらしいのである。
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渋谷栄一訳
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宮脇文経
2003年8月14日

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