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第四十一帖 幻

光る源氏の准太上天皇時代五十二歳春から十二月までの物語

本文
渋谷栄一訳
与謝野晶子訳

第一章 光る源氏の物語 紫の上追悼の春の物語


第一段 紫の上のいない春を迎える

1.1.1
(はる)(ひかり)()たまふにつけてもいとどくれ(まど)ひたるやうにのみ、御心(みこころ)ひとつは、(かな)しさの(あらた)まるべくもあらぬに、()には、(れい)のやうに(ひと)びと(まゐ)りたまひなどすれど御心地悩(みここちなや)ましきさまにもてなしたまひて、御簾(みす)(うち)にのみおはします。
兵部卿宮渡(ひゃうぶきゃうのみやわた)りたまへるにぞ、ただうちとけたる(かた)にて対面(たいめん)したまはむとて、御消息聞(おほんせうそこき)こえたまふ
春の光を御覧になるにつけても、ますます涙にくれ心も乱れるようにばかりで、お心ひとつは、悲しみが改まりようもないので、外には、例年のように人びとが年賀に参ったりするが、ご気分のすぐれないように振る舞いなさって、御簾の内にばかりいらっしゃる。
兵部卿宮がお越しになったので、ほんの内々のお部屋でお会いなさろうとして、その旨お伝え申し上げなさる。
春の光を御覧になっても、六条院の暗いお気持ちが改まるものでもないのに、表へは新年の賀を申し入れる人たちが続いて参入するのを院はお加減が悪いようにお見せになって、御簾(みす)の中にばかりおいでになった。兵部卿(ひょうぶきょう)の宮のおいでになった時にだけはお居間のほうでお会いになろうという気持ちにおなりになって、まず歌をお取り次がせになった。
1.1.2 「わたしの家には花を喜ぶ人もいませんのに
どうして春が訪ねて来たのでしょう」
わが宿は花もてはやす人もなし
何にか春の(たづ)ねきつらん
1.1.3
(みや)うち(なみだ)ぐみたまひて、
宮、ちょっと涙ぐみなさって、
宮は涙ぐんでおしまいになって、
1.1.4 「梅の香を求めて来たかいもなく
ありきたりの花見とおっしゃるのですか」
香をとめて来つるかひなくおほかたの
花の便(たよ)りと言ひやなすべき
1.1.5
紅梅(こうばい)(した)(あゆ)()でたまへる(おほん)さまのいとなつかしきにぞ、これより(ほか)()はやすべき(ひと)なくや、()たまへる。
(はな)はほのかに(ひら)けさしつつ、をかしきほどの(にほ)ひなり。
御遊(おほんあそ)びもなく、(れい)(かは)りたること(おほ)かり。
紅梅の下に歩いていらっしゃったご様子が、大変優しくお似合いなので、この方以外に賞美する人もいないのではないか、とお見えになる。
花はわずかに咲きかけて、風情あるころの美しさである。
管弦のお遊びもなく、いつもの年と違ったことが多かった。
と返しを申された。紅梅の木の下を通って対のほうへ歩いておいでになる宮の、御風采(ふうさい)のなつかしいのを御覧になっても、今ではこの人以外に紅梅の美と並べてよい人も存在しなくなったのであると院はお思いになった。花はほのかに開いて美しい紅を見せていた。音楽の遊びをされるのでもなく、常の新春に変わったことばかりであった。
1.1.6
女房(にょうばう)なども、(とし)ごろ()にけるは、墨染(すみぞめ)(いろ)こまやかにて()つつ(かな)しさも(あらた)めがたく(おも)ひさますべき()なく()ひきこゆるに、()えて、御方々(おほんかたがた)にも(わた)りたまはず
(まぎ)れなく()たてまつるを(なぐさ)めにて()(つか)うまつれる(とし)ごろ、まめやかに御心(みこころ)とどめてなどはあらざりしかど、時々(ときどき)見放(みはな)たぬやうに(おぼ)したりつる(ひと)びとも、なかなかかかる(さび)しき御一人寝(おほんひとりね)になりては、いとおほぞうにもてなしたまひて、(よる)御宿直(おほんとのゐ)などにも、これかれとあまたを、御座(おまし)のあたり()きさけつつさぶらはせたまふ。
女房なども、長年仕えて来た者は、墨染の色の濃いのを着て、悲しみも慰めがたく、いつまでも諦めきれずにお慕い申し上げるが、全然、ご夫人方にもお渡りにならない。
それをいつも目の前に拝するのを慰めとして、親しくお仕えしていた今まで、本気でお心をかけてということはなかったけれど、時々は見放さないようにお思いになっていた女房たちも、かえって、このような寂しいお独り寝になってからは、ごくあっさりとお扱いになって、夜の御宿直などにも、この人あの人と大勢を、ご座所から引き離し引き離しして、伺候させなさる。
女房なども長く夫人に仕えた者はまだ喪服の濃い色を改めずにいて、なお()ましがたい悲しみにおぼれていた。他の夫人たちの所へお出かけになることがなくて、院が常にこちらでばかり暮らしておいでになることだけを皆慰めにしていた。これまで執心がおありになるのでもなく、時々情人らしくお扱いになった人たちに対しては独居をあそばすようになってからはかえって冷淡におなりになって、他の人たちへのごとく主従としてお親しみになるだけで、夜もだれかれと幾人も寝室へ(はべ)らせて、御退屈さから夫人の在世中の話などをあそばしたりした。

第二段 雪の朝帰りの思い出

1.2.1
つれづれなるままに、いにしへの物語(ものがたり)などしたまふ折々(をりをり)もあり。
名残(なごり)なき御聖心(おほんひじりごころ)(ふか)くなりゆくにつけてもさしもあり()つまじかりけることにつけつつ(なか)ごろ、もの(うら)めしう(おぼ)したるけしきの時々見(ときどきみ)えたまひしなどを(おぼ)()づるに、
所在ないままに、昔の思い出話などをなさる時々もある。
昔の好色心の名残もなく仏道一途のお心が深くなってゆくにつけても、長続きしそうもなかった恋愛事につけても、ひと頃、何やら恨めしそうであった様子が、時々お見えになったことなどをお思い出しになると、
次第に恋愛から超越しておしまいになった院は、まだこうした純粋なお心になれなかった時代に、(うら)めしそうな様子がおりおり夫人に見えたことなどもお思い出しになって、
1.2.2
などて、(たはぶ)れにてもまたまめやかに心苦(こころぐる)しきことにつけても、さやうなる(こころ)()えたてまつりけむ。
なに(ごと)らうらうじくおはせし御心(みこころ)ばへなりしかば、(ひと)(ふか)(こころ)もいとよう見知(みし)りたまひながら(ゑん)()てたまふことはなかりしかど、(ひと)わたりづつは、いかならむとすらむ」
「どうして、一時の戯れであるにせよ、また真実おいたわしかったことにつけても、あのような心をお見せ申したのだろう。
どのようなことにもよく練られたお方であったので、自分の心底もとてもよくご存知でありながら、心底お恨みになることはなかったが、それぞれ一通りは、どのようになるのだろう」
なぜ戯れ事にせよ、また運命がしからしめたにせよ、そうした誘惑に自分が打ち勝ちえないで、あの人を苦しめたのであろう、聡明(そうめい)な人であったから、十分の理解は持っていながらも、あくまで(うら)みきるということはなくて、どの人と交渉の生じた場合にも一度ずつはどうなることかと不安におびえたふうが見えた
1.2.3
(おぼ)したりしをすこしにても(こころ)(みだ)りたまひけむことの、いとほしう(くや)しうおぼえたまふさま、(むね)よりもあまる心地(ここち)したまふ。
その(をり)のことの(こころ)()(いま)(ちか)(つか)うまつる(ひと)びとは、ほのぼの()こえ()づるもあり。
とご心配なさっていたのを、わずかであってもお心をお乱しなさったことが、おいたわしく悔やまれなさる様子は、胸一つに収めきれないような気がなさる。
その当時の事情を知っていて、今でもお側近くに仕えている女房たちは、ぽつりぽつりと口に出して申す者もいる。
と院は回顧あそばされて、そうした煩悶(はんもん)女王(にょおう)にさせたことを後悔される思いが胸からあふれ出るようにお感じになるのであった。
 そのころのことを見ていた人で、今も残っている女房は少しずつ当時の夫人の様子を話し出しもした。
1.2.4
入道(にふだう)(みや)(わた)りはじめたまへりしほどその(をり)はしも、(いろ)にはさらに()だしたまはざりしかど、ことにふれつつ、あぢきなのわざやと、(おも)ひたまへりしけしきのあはれなりし(なか)にも、雪降(ゆきふ)りたりし(あかつき)()ちやすらひて、わが()()()るやうにおぼえて、(そら)のけしき(はげ)しかりしに、いとなつかしうおいらかなるものから、(そで)のいたう()()らしたまへりけるをひき(かく)し、せめて(まぎ)らはしたまへりしほどの用意(ようい)などを()もすがら、(ゆめ)にても、またはいかならむ()にか」と(おぼ)(つづ)けらる。
入道の宮がご降嫁なさった当初、その当座は、顔色にも全然お出しにならなかったが、何かにつけて、情けないことよと、思っていらっしゃった様子がお気の毒であった中でも、雪が降った早朝に室外にたたずんで、自分の身も冷えきったように思われて、空模様がすごかった時に、とてもやさしくおっとりとしていらっしゃる一方で、袖がたいそう泣き濡れていらっしゃったのを引き隠し、無理して紛らわしていらっしゃった時のたしなみの深さなどを、一晩中、「夢であっても、もう一度いつになたら会えるだろうか」と、自然とお思い続けられる。
入道の宮が六条院へ入嫁になった時には、なんら色に出すことをしなかった夫人であったが、事に触れて見えた味気ないという気持ちの哀れであった中にも、雪の降った夜明けに、戸のあけられるまでを待つ間、身内も冷え切るように思われ、はげしい荒れ模様の空も自分を悲しくしたのであったが、はいって行くと、なごやかな気分を見せて迎えながらも、(そで)がひどく涙でぬれていたのを、隠そうと努めた夫人の美質などを、院は夜通し思い続けておいでになって、夢にでも十分にその姿を見ることができるであろうか、どんな世にまためぐり合うことができるのであろうかとばかりあこがれておいでになった。
1.2.5 夜明けに、折も折、曹司に下りる女房であろう、
夜明けに部屋(へや)へさがって行く女房なのであろうが、
1.2.6 「ひどく積もった雪ですこと」
「まあずいぶん降った雪」
1.2.7
()(こゑ)()きつけたまへる、ただその(をり)心地(ここち)するに、(おほん)かたはらの(さび)しきも、いふかたなく(かな)し。
と言う声をお聞きつけになって、ちょうどその時の気がするが、側にいらっしゃらない寂しさも、言いようもなく悲しい。
と縁側で言うのが聞こえた。その昔の時のままなようなお気持ちがされるのであったが、夫人は御横にいなかった。なんという寂しいことであろうと院は思召(おぼしめ)した。
1.2.8 「つらいこの世からは姿を消してしまいたいと思いながらも
心外にもまだ月日を送っていることだ」
うき世にはゆき消えなんと思ひつつ
思ひのほかになほぞ(ほど)()

第三段 中納言の君らを相手に述懐

1.3.1
(れい)の、(まぎ)らはしには、御手水召(みてうづめ)して(おこな)ひしたまふ
(うづ)みたる火起(ひお)こし()でて、御火桶参(おほんひおけまゐ)らす。
中納言(ちゅうなごん)(きみ)中将(ちゅうじゃう)(きみ)など、御前近(おまへちか)くて御物語聞(おほんものがたりき)こゆ。
いつもの、気の紛らわしには、御手水をお使いになって勤行をなさる。
埋もれている炭火をかき起こして、御火桶を差し上げる。
中納言の君、中将の君などは、御前近くでお話申し上げる。
こうした時を何かによって紛らわしておいでになる院は、すぐに召し寄せて手水(ちょうず)をお使いになった。女房たちは(うず)んでおいた火を起こし出して火鉢(ひばち)をおそばへおあげするのであった。中納言の君や中将の君はお居間に来てお話し相手を勤めた。
1.3.2
(ひと)寝常(ねつね)よりも(さび)しかりつる(よる)のさまかな。
かくてもいとよく(おも)()ましつべかりける()を、はかなくもかかづらひけるかな」
「独り寝がいつもより寂しかった夜であったよ。
このように独り住みでも殊勝に過ごせた世なのに、つまらなく俗世にかかわって来たことよ」
(ひと)()がなんともいえないほど寂しく思われる夜だった。これでも安んじていられる自分だのに、つまらぬ関係をたくさんに作ってきたものだ」
1.3.3
と、うちながめたまふ。
(われ)さへうち()ててはこの(ひと)びとの、いとど(なげ)きわびむことの、あはれにいとほしかるべき」など、()わたしたまふ。
(しの)びやかにうち(おこな)ひつつ、(きゃう)など()みたまへる御声(おほんこゑ)を、よろしう(おも)はむことにてだに(なみだ)とまるまじきを、まして、(そで)のしがらみせきあへぬまであはれに、()()()たてまつる(ひと)びと心地(ここち)()きせず(おも)ひきこゆ。
と、物思いに沈みこみなさる。
「自分までが出家したら、この女房たちが、ますます嘆き悲しむだろうことが、いじらしくかわいそうだろう」などと思って、見渡しなさる。
ひっそりと勤行をしながら、経などを読んでいらっしゃるお声を、並一通り聞く時でさえ涙がとまらないのに、まして今は、袖のしがらみも止めかねるほど悲しくて、朝晩拝し上げる女房たちの気持ちは、限りなく悲しくお思い申し上げる。
とめいったふうに院は言っておいでになった。自分までもここを捨てて行ったなら、この人たちはどんなに憂鬱(ゆううつ)になるだろうなどとお思いになって、居間の中がお見渡されになるのであった。目だたぬように仏勤めをあそばして、経をお読みになる声を聞いていては、ただの場合でも涙の流れるものであるのに、まして院のお悲しみに深い同情を寄せている女房たちであったから、痛切においたましく思われた。
1.3.4
この()につけては()かず(おも)ふべきこと、をさをさあるまじう(たか)()には()まれながら、また(ひと)よりことに、口惜(くちを)しき(ちぎ)りにもありけるかな(おも)ふこと()えず。
()のはかなく()きを()らすべく、(ほとけ)などのおきてたまへる()なるべし。
それをしひて()らぬ(かほ)にながらふれば、かく(いま)はの(ゆふ)(ちか)(すゑ)に、いみじきことのとぢめを()つるに宿世(すくせ)のほども、みづからの(こころ)(きは)(のこ)りなく見果(みは)てて(こころ)やすきに、(いま)なむ(つゆ)のほだしなくなりにたるをこれかれ、かくて、ありしよりけに目馴(めな)らす(ひと)びとの、(いま)はとて()(わか)れむほどこそ、今一際(いまひときは)心乱(こころみだ)れぬべけれ。
いとはかなしかし。
()ろかりける(こころ)のほどかな
「現世の果報という点では、物足りなく思うことは、全然なく、高い身分には生まれたが、また誰よりも格別に、残念な運命であったなあ、と思うことがしょっちゅうだ。
世の中のはかなくつらさを悟らせるべく、仏などがそういう運命をお授けになった身の上なのだろう。
それを無理して知らない顔をして生き永らえて来たので、このように人生の終焉近くに、大変な悲しみの極みにあったのだから、宿世のつたなさも、自分の限界もすっかり残らず見届けてしまった、その安心感から、今は全然心残りもなくなったが、あの人この人、こうして、以前から親しくなった女房たちが、今を限りに別れ別れになってしまうことが、もう一段と心が乱れるに違いないだろう。
まことにはかないことだ。
諦めの悪い心だな」
「この世のことではあまり不足を感じなくともよいはずの身分に生まれていながら、だれよりも不幸であると思わなければならぬことが絶えず周囲に起こってくる。これは自分に人生のはかなさを体験すべく仏がお計らいになるのだと思われる。それをしいて知らぬ顔にしてきたものだから、こうして命の終わりも近い時になって、最も悲しい経験をすることになったのだ。これで負って来た(ごう)も果たせた気がして、安らかな境地が自分の心にできて、執着の残るものもない私だが、あなたたちと以前よりも、より親密にして数か月を暮らしてきたことで、あなたたちとの別れにもう一度心が乱れないかという不安が自分にできてきた。弱い私の心じゃないか」
1.3.5
とて、御目(おほんめ)おしのごひ(かく)したまふに、(まぎ)れず、やがてこぼるる御涙(おほんなみだ)を、()たてまつる(ひと)びと、ましてせきとめむかたなし。
さて、うち()てられたてまつりなむが(うれ)はしさを、おのおのうち()でまほしけれど、さもえ()こえず、むせかへりてやみぬ。
と言って、お涙を拭い隠しなさるが、ごまかしきれず、そのままこぼれるお涙を、拝する女房たちは、それ以上に止めようもない。
そうして、お見捨てられ申すだろうことのつらさを、それぞれ口に出したく思うが、そのように申すことはできず、涙に咽んでしまった。
とお言いになって、目をおおさえになるふうをしてお紛らしになろうとするにもかかわらず、院のお涙のこぼれるのを見る女房たちは、ましてとめどもなく泣かれるのであった。
1.3.6
かくのみ(なげ)()かしたまへる(あけぼの)ながめ()らしたまへる夕暮(ゆふぐれ)などの、しめやかなる折々(をりをり)は、かのおしなべてには(おぼ)したらざりし(ひと)びとを御前近(おまへちか)くて、かやうの御物語(おほんものがたり)などをしたまふ。
こうしてばかり嘆き明かしていらっしゃる早朝、物思いに沈んで暮らしていらっしゃる夕暮などの、ひっそりとした折々には、あの並々にはお思いでなかった女房たちを、お側近くにお召しになって、あのような話などをなさる。
そうしていよいよ院が見捨てておしまいになることの(なげ)かわしさをだれも訴えたいのであるが、言い出しうる者もなかった。皆むせ返っていたからである。こんなふうに歎きに明かしておしまいになる朝、物思いに一日をお暮らしになった夕方などのしんみりとした時間には、愛人関係が以前あった人たちを居間に集めて語り合うのを慰めにあそばす院でおありになった。
1.3.7 中将の君といって伺候する女房は、まだ小さい時からお側近くに置いていらっしゃったのだが、ごく人目に隠れては何度かお見過ごしになれなかったことがあったのであろうか、まことに心苦しいことに思って、親しみ申し上げなかったのに、このようにお亡くなりになってから後は、色めいた相手としてではなく、他の女房よりもかわいい女房だと心をかけていらっしゃった人としても、あの方の形見の人として、しみじみとお思いになっていらっしゃった。
気立てや器量なども難がなくて、うない松に思える感じが、何でもなかっただろうよりは、気が利いているとお思いになる。
中将の君というのはまだ小さい時から夫人に仕えてきた人であったが、院はいつとなく無関心でありえなくおなりになったか情人にしておしまいになったのを、彼女は夫人に対して自責の念に堪えないで、院の愛の手を避けるようにばかりしていたが、夫人の歿後(ぼつご)は愛欲を離れて、だれよりもすぐれて故人の愛していた女房であったとお思われになることによって、形見と見てこの人に院は愛を持っておいでになった。性質も容貌(ようぼう)も皆よくて、喪服姿がうない松に似た可憐(かれん)な女である。

第四段 源氏、面会謝絶して独居

1.4.1
(うと)(ひと)にはさらに()えたまはず
上達部(かんだちめ)なども、むつましき御兄弟(おほんはらから)(みや)たちなど、(つね)(まゐ)りたまへれど、対面(たいめん)したまふことをさをさなし。
疎遠な人の前にはまったくお見えにならない。
上達部なども、親しいご兄弟の宮たちなど、いつも参上なさったが、お会いなさることはめったにない。
親しくない女房には顔もあまりお見せにならないこのごろの院でおありになった。お近しくした高官たちとか、御兄弟の宮がたとかは始終お(たず)ねされるのであるがあまり御面会になることもない。
1.4.2
(ひと)()かはむほどばかりはさかしく(おも)ひしづめ、心収(こころをさ)めむと(おも)ふとも、(つき)ごろにほけにたらむ()のありさま、かたくなしきひがことまじりて、(すゑ)()(ひと)にもて(なや)まれむ、(のち)()さへうたてあるべし。
(おも)ひほれてなむ(ひと)にも()えざむなる、()はれむも、(おな)じことなれど、なほ(おと)()きて(おも)ひやることのかたはなるよりも、見苦(みぐる)しきことの()()るは、こよなく(きは)まさりてをこなり」
「人に会う時だけは、しっかりと落ち着いて冷静にいようと思っても、幾月も茫然としている身の有様、愚かな間違い事があったりして、晩年が他人から迷惑がられるのでは、死後の評判までが嫌なことであろう。
惚けて人前に出ないらしい、と言われるようなことも、同じことだが、やはり噂を聞いて想像することの不十分さよりも、見苦しいことが目に入るのは、この上なく格段にばからしいことだ」
人と()っている時だけはよく自制して醜態を見せまいとしても、長く悲しみに浸っていてぼけた自分がどんなあやまちを客の前でしてしまうかもしれぬ、そうしたことがのちに語り伝えられることはいやである、歎き疲れて人に逢うこともできないと言われるのも、恥ずかしいことは同じであるが、話だけで想像されることよりも実際人の目で見られたことの(うわさ)になるほうが迷惑になる
1.4.3
(おぼ)せば、大将(だいしゃう)(きみ)などにだに、御簾隔(みすへだ)ててぞ対面(たいめん)したまひける。
かく、心変(こころがは)りしたまへるやうに(ひと)()(つた)ふべきころほひをだに(おも)ひのどめてこそはと、(ねん)()ぐしたまひつつ、()()をも(そむ)きやりたまはず
御方々(おほんかたがた)にまれにもうちほのめきたまふにつけては、まづいとせきがたき(なみだ)(あめ)のみ()りまさればいとわりなくて、いづ(かた)にもおぼつかなきさまにて()ぐしたまふ。
とお思いになると、大将の君などに対してでさえ、御簾を隔ててお会いになるのであった。
このように、人柄が変わりなさったようだと、人が噂するにちがいない時期だけでもじっと心を静めていなければと、我慢して過ごしていらっしゃる一方で、憂き世をお捨てになりきれない。
ご夫人方にまれにちょっとお顔出しなさるにつけても、まっさきに止めどなく涙ばかりが一層こぼれるので、まことに具合が悪くて、どの方にも御無沙汰がちにお過ごしになる。
とお思いになって、大将などにも御簾(みす)越しでしかお逢いにならなかった。こんなふうに悲歎に心が顛倒(てんとう)したように人が言うであろう間を静かに過ごしてから、と出家の日をお思いになって、まだ人間の中をお去りになることをされないのであった。他の夫人たちの所へ(まれ)においでになることがあっても、そこでその人々が紫の女王でないことから新しいお悲しみが心に()いて涙ばかりが流れるのをみずからお恥じになってどちらへももう出かけられることがなくなっていた。
1.4.4 后の宮は、内裏にお帰りあそばして、三の宮を、寂しさのお慰めとしてお置きあそばしていらっしゃるのであった。
中宮(ちゅうぐう)は御所へお入れになったのであるが、三の宮だけは寂しさのお慰めにここへとどめてお置きになった。
1.4.5 「お祖母様がおっしゃったから」
「お祖母(ばあ)様がおっしゃったから」
1.4.6 と言って、対の前の紅梅は、特別大事にお世話なさっているのも、とてもしみじみと拝見なさる。
とお言いになって、宮は対の前の紅梅と桜を責任があるように見まわっておいでになるのを、院は哀れに思召(おぼしめ)した。
1.4.7 二月になると、梅の木々が花盛りになったのも、まだ蕾なのも、梢が美しく一面に霞んでいるところに、あの御形見の紅梅に、鴬が陽気に鳴き出したので、立ち出て御覧になる。
二月になると、花の木が盛りなのも、まだ早いのも、(こずえ)が皆(かす)んで見える中に、女王の形見の紅梅に(うぐいす)が来てはなやかに()くのを、院は縁へ出てながめておいでになった。
1.4.8 「植えて眺めた花の主人もいない宿に
知らない顔をして来て鳴いている鴬よ」
植ゑて見し花の主人(あるじ)もなき宿に
知らず顔にて来居る鶯
1.4.9
と、うそぶき(あり)かせたまふ。
と、口ずさみながらお歩きなさる。
春の空を仰いで吐息(といき)をおつかれになった。

第五段 春深まりゆく寂しさ

1.5.1
春深(はるふか)くなりゆくままに、御前(おまへ)のありさまいにしへに(かは)らぬを、めでたまふ(かた)にはあらねど、静心(しづごころ)なく、(なに)ごとにつけても(むね)いたう(おぼ)さるれば、おほかたこの()(ほか)のやうに、(とり)()()こえざらむ(やま)(すゑ)ゆかしうのみ、いとどなりまさりたまふ
春が深くなって行くにつれて、御前の様子は、昔と変わらないのを、花を賞美なさるのではないが、心は落ち着かず、何事につけても胸が痛く思わずにはいらっしゃれないので、だいたいこの世を離れたように、鳥の声も聞こえない山奥ばかりが、ますます恋しくなって行かれる。
春が深くなっていくにしたがって庭の木立ちが昔の色を皆備えてお胸を痛くするばかりであったから、この世でもないほどに遠くて、鳥の声もせぬ山奥へはいりたくばかり院はお思いになるのであった。
1.5.2
山吹(やまぶき)などの、心地(ここち)よげに()(みだ)れたるも、うちつけに(つゆ)けくのみ()なされたまふ。
(ほか)(はな)は、一重散(ひとへち)りて八重咲(やへさ)花桜(はなざくらさか)()ぎて、樺桜(かばざくら)(ひら)け、(ふぢ)(おく)れて(いろ)づきなどこそはすめるをその(おそ)()(はな)(こころ)をよく()きて、いろいろを()くし()ゑおきたまひしかば、(とき)(わす)れず(にほ)()ちたるに、若宮(わかみや)
山吹などが、気持ちよさそうに咲き乱れているのも、思わず涙の露に濡れているかとばかり見えておしまいになる。
他の花は、一重が散って、八重に咲く桜花が盛りを過ぎて、樺桜は開いて、藤は後れて色づいたりするらしいのを、その遅咲き早咲きの花の性質をよく理解して、いろいろと植えてお置きになったので、花の時期を忘れず匂い満ちているので、若宮は、
山吹の咲き誇った盛りの花も涙のような露にぬれているところばかりがお目についた。よそでは一重桜が散り、八重の盛りが過ぎて樺桜(かばざくら)が咲き、(ふじ)はそのあとで紫を伸べるのが春の順序であるが、この庭は花の遅速を巧みに利用して、散り過ぎた梢はあとの花が隠してしまうように女王がしてあったために、いつまでも光る春がとどまっているようなのである。若宮が、
1.5.3
まろが(さくら)()きにけり
いかで(ひさ)しく()らさじ。
()のめぐりに(とばり)()てて、帷子(かたびら)()げずは、(かぜ)もえ()()らじ」
「わたしの桜は咲いた。
何とかいつまでも散らすまい。
木の回りに帳を立てて、帷子を上げなかったら、風も近寄って来まい」
「私の桜がとうとう咲いた。いつまでも散らしたくないな。木のまわりに几帳(きちょう)を立てて、切れを()れておいたら風も寄って来ないだろうと思う」
1.5.4
と、かしこう(おも)()たり、(おも)ひてのたまふ(かほ)のいとうつくしきにも、うち()まれたまひぬ。
と、よいことを考えた、と思っておっしゃる顔がとてもかわいらしいので、ふとほほ笑まれなさった。
たいした発明をされたようにこう言っておいでになる顔のお美しさに院も微笑をあそばした。
1.5.5
(おほ)ふばかりの袖求(そでもと)めけむ(ひと)よりはいとかしこう(おぼ)()りたまへりしかし」など、この(みや)ばかりをぞもてあそびに()たてまつりたまふ。
「大空を覆うほどの袖を求めた人よりは、とてもよいことをお思いつきになった」などと、この宮だけをお遊び相手とお思い申してしていらっしゃる。
(おお)うばかりの(そで)がほしいと歌った人よりも宮の考えのほうが合理的だね」などとお言いになって、この宮だけを相手にして院は暮らしておいでになるのであった。
1.5.6
(きみ)()れきこえむことも(のこ)(すく)なしや。
(いのち)といふもの、(いま)しばしかかづらふべくとも、対面(たいめん)はえあらじかし」
「あなたとお親しみ申していられるのも残り少なくなりましたよ。
寿命というものは、もう暫くこの世に留まっていても、お会いすることはあるまい」
「あなたと仲よくしていることも、もう長くはないのですよ。私の命はまだあっても、絶対にお逢いすることができなくなるのです」
1.5.7
とて、(れい)の、(なみだ)ぐみたまへれば、いとものしと(おぼ)して、
とおっしゃって、いつものように、涙ぐみなさると、とても嫌だとお思いになって、
とまた院は涙ぐんでお言いになるのを、宮は悲しくお思いになって、
1.5.8 「お祖母様がおっしゃったことを、縁起でもなくおっしゃいます」
「お祖母(ばあ)様のおっしゃったことと同じことをなぜおっしゃるの、不吉ですよ、お祖父(じい)様」
1.5.9
とて、伏目(ふしめ)になりて、御衣(おほんぞ)(そで)()きまさぐりなどしつつ、(まぎ)らはしおはす。
と言って、伏目になって、お召し物の袖をもてあそびなどしながら、紛らしていらっしゃる。
と言って、顔を下に伏せて御自身の袖などを手で引き出したりして涙を宮はお隠しになっていた。
1.5.10
(すみ)()高欄(かうらん)におしかかりて、御前(おまへ)(には)をも御簾(みす)(うち)をも、()わたして(なが)めたまふ。
女房(にょうばう)なども、かの御形見(おほんかたみ)色変(いろか)へぬもあり、(れい)(いろ)あひなるも、(あや)などはなやかにはあらず。
みづからの御直衣(おほんなほし)も、(いろ)()(つね)なれど、ことさらやつして無紋(むもん)をたてまつれり。
(おほん)しつらひなども、いとおろそかにことそぎて、(さび)しく心細(こころぼそ)げにしめやかなれば、
隅の間の高欄に寄りかかって、御前の庭を、また御簾の中をも、見渡して物思いに沈んでいらっしゃる。
女房なども、あの御形見の喪服の色を変えない者もおり、通常の色合いの者も、綾などは派手なのではない。
ご自身のお直衣も、色は普通の物であるが、特別に質素にして、無紋をお召しになっていた。
お部屋飾りなどもたいそう簡略に省いて、寂しく何となく頼りなさそうにひっそりとしているので、
欄干の(すみ)の所へ院はおよりかかりになって、庭をも御簾(みす)の中をもながめておいでになった。女房の中にはまだ喪服を着ているのがあった。普通の服を着ているのも、皆派手(はで)な色彩を避けていた。院御自身の直衣(のうし)も色は普通のものであるが、わざとじみな無地なのを着けておいでになるのであった。座敷の中の装飾なども簡素になっていて目に寂しい。
1.5.11 「いよいよ出家するとなるとすっかり荒れ果ててしまうのだろうか
今はとて(あら)しやはてん()き人の
1.5.12 亡き人が心をこめて作った春の庭も」
心とどめし春の垣根(かきね)
1.5.13
(ひと)やりならず(かな)しう(おぼ)さるる
自分ながら悲しく思われなさる。
とお歌いになる院は真心からお悲しそうであった。

第六段 女三の宮の方に出かける

1.6.1 とても所在ないので、入道の宮のお部屋にお越しになると、若宮も女房に抱かれておいでになっていて、こちらの若君と走り回って遊び、花を惜しみなさるお気持ちは深くなく、とても幼い。
徒然(とぜん)さに院は入道の宮の御殿へおいでになった。若宮も人に抱かれて従っておいでになって、こちらの若宮といっしょに走りまわってお遊びになるのであった。花の木をおいたわりになる責任もお忘れになるくらいにおふざけになった。
1.6.2
(みや)は、(ほとけ)御前(おまへ)にて、(きゃう)をぞ()みたまひける。
(なに)ばかり(ふか)(おぼ)しとれる御道心(おほんだうしん)にもあらざりしかどもこの()(うら)めしく御心乱(みこころみだ)るることもおはせず、のどやかなるままに、(まぎ)れなく(おこな)ひたまひて、一方(ひとかた)(おも)(はな)れたまへるも、いとうらやましく、かくあさへたまへる(をんな)御心(みこころ)ざしにだに(おく)れぬること」と口惜(くちを)しう(おぼ)さる。
宮は、仏の御前で、お経を読んでいらっしゃるのであった。
何ほども深くお悟りになった御道心ではなかったが、この現世に対して恨みに思ってお気持ちの乱れることはおありでなく、のんびりとしたお暮らしのまま、気を散らさずに勤行なさって、仏道一筋にこの世を思い離れていらっしゃるのも、まことに羨ましく、「このような思慮深くない女の御志にさえ後れを取ったこと」と残念に思われなさる。
尼宮は仏前で経を読んでおいでになった。たいした信仰によっておはいりになった道でもなかったが、人生になんらの不安もお感じになるものもなくて、余裕のある御身分であるために、専心に仏勤めがおできになり、その他のことにいっさい無関心でおいでになる御様子の見えるのを院はうらやましく思召した。こうした浅い動機で仏の御弟子(でし)になられた方にも劣る自分であると残念にお思いになるのである。
1.6.3
閼伽(あか)(はな)の、夕映(ゆふば)えしていとおもしろく()ゆれば、
閼伽の花が、夕日に映えてとても美しく見えるので、
閼伽棚(あかだな)に置かれた花に夕日が照って美しいのを御覧になって、
1.6.4
(はる)心寄(こころよ)せたりし(ひと)なくて(はな)(いろ)もすさまじくのみ()なさるるを、(ほとけ)御飾(おほんかざ)りにてこそ()るべかりけれ」とのたまひて、(たい)(まへ)山吹(やまぶき)こそなほ()()えぬ(はな)のさまなれ。
(ふさ)(おほ)きさなどよ。
品高(しなたか)くなどはおきてざりける(はな)にやあらむはなやかににぎははしき(かた)は、いとおもしろきものになむありける。
()ゑし(ひと)なき(はる)とも()らず(がほ)にて(つね)よりも(にほ)ひかさねたるこそ、あはれにはべれ」
「春に心を寄せた人もいなくなって、花の色も殺風景なばかりに見られるが、仏のお飾りとして見るべきであった」とおっしゃって、「対の前の山吹は、やはりめったに見られない花の様子ですね。
房の大きいことですね。
上品に咲こうなどとは考えていない花なのでしょうか、はなやかでにぎやかな面では、とても美しい花です。
植えた人のいない春とも知らないで、いつもの年より美しさを増しているのには、しみじみとした思いがしますね」
「春の好きだった人の亡くなってからは、庭の花も情けなくばかり見えるのですが、こうした仏にお供えしてある花には好意が持たれますよ」とお言いになった院は、また、「対の前の山吹(やまぶき)はほかでは見られない山吹ですよ、花の(ふさ)などがずいぶん大きいのですよ。品よく咲こうなどとは思っていない花と見えますが、にぎやかな派手(はで)なほうではすぐれたものですね。植えた人がいない春だとも知らずに例年よりもまたきれいに咲いているのが哀れに思われます」
1.6.5
とのたまふ。
(おほん)いらへに、
とおっしゃる。
お返事に、
と仰せられた。宮はお返辞に、
1.6.6 「谷には春も無縁です」
「谷には春も」(光なき谷には春もよそなれば咲きてとく散るもの()ひもなし)
1.6.7
と、何心(なにごころ)もなく()こえたまふを、ことしもこそあれ、心憂(こころう)も」と(おぼ)さるるにつけても、まづ、かやうのはかなきことにつけてはそのことのさらでもありなむかし(おも)ふに、(たが)ふふしなくてもやみにしかな」と、いはけなかりしほどよりの(おほん)ありさまを、いで、(なに)ごとぞやありし」と(おぼ)()づるにはまづ、その(をり)かの(をり)かどかどしうらうらうじう、(にほ)(おほ)かりし(こころ)ざまもてなし、(こと)()のみ(おも)(つづ)けられたまふに、(れい)(なみだ)もろさはふとこぼれ()でぬるもいと(くる)
と、何気なく申し上げなさるのを、「他に言いようもあろうに、不愉快な」とお思いなさるにつけても、「まずは、このようなちょっとしたことにおいては、これこれのことではそうではなくあってほしい、と思うことに、反したことはついぞなかったな」と、幼かった時からのご様子を、「いったい、何の不足があったろうか」とお思い出しになると、まず、あの時この時の、才気があり行き届いていて、奥ゆかしく情味豊かな人柄、態度、言葉づかいばかりが自然と思い出されなさると、いつもの涙もろさのこととて、ついこぼれ出すのもとてもつらい。
とお言いになるのであった。言うこともほかにありそうなものを自分の悲しみを嘲笑(ちょうしょう)するにあたるようなことをお言いになるとはと院は心に思召(おぼしめ)しながらも、紫の女王はこうした思いやりのないことを言い出すこともすることも最後まで絶対にない女性であったと、少女時代からの故夫人のことを追想してごらんになると、その時はこう、あの時はこうと、才気と貴女らしい(にお)いの多かった性格、容姿、言った言葉などばかりがお思われになって、涙のこぼれてきたのを院はお恥じになった。

第七段 明石の御方に立ち寄る

1.7.1
夕暮(ゆふぐれ)(かすみ)たどたどしく、をかしきほどなれば、やがて明石(あかし)御方(おほんかた)(わた)りたまへり。
(ひさ)しうさしものぞきたまはぬに、おぼえなき(をり)なれば、うち(おどろ)かるれど、さまようけはひ(こころ)にくくもてつけて、なほこそ(ひと)にはまさりたれ」と()たまふにつけては、またかうざまにはあらで、「かれはさまことにこそゆゑよしをももてなしたまへりしか」と、(おぼ)(くら)べらるるにも面影(おもかげ)(こひ)しう、(かな)しさのみまされば、いかにして(なぐさ)むべき(こころ)ぞ」と、いと(くら)(くる)う、こなたにてはのどやかに昔物語(むかしものがたり)などしたまふ。
夕暮の霞がたちこめて、趣のあるころなので、そのまま明石の御方にお渡りになった。
久しくお立ち寄りにならなかったので、思いも寄らない時だったので、ちょっと驚きはするが、体裁よく奥ゆかしく振る舞って、「やはり他の人より優れている」と御覧になるにつけては、またこのようにではなく、「あの方は格別に、教養や趣味もお振る舞いになっていた」と、ついお比べになられると、面影に浮かんで恋しく、悲しさばかりがつのるので、「どのようにして慰めたらよい心か」と、とても比較がつらくて、こちらでは、のんびりと昔話などをなさる。
夕方の(かすみ)が物をおぼろに見せる美しい時間であったから、院はそこからすぐ明石(あかし)夫人の住居(すまい)をお(たず)ねになった。久しくおいでがなかったのであるから突然なことに夫人は驚いたのであったが、すぐに感じよく席を設けてお迎えするようなところに、この人のだれよりも怜悧(れいり)な性質は見えるものの、また故人はこうでもない高雅な上品さがあったと思い比べられては、その幻ばかりが追われるようにおなりになって、悲しみがさらにまさってくるのを、院は御自身ながらどうすれば慰む心であろうと苦しく思召した。こちらでは落ち着いて昔の話などを院はしておいでになった。
1.7.2
(ひと)をあはれと(こころ)とどめむはいと()ろかべきことと、いにしへより(おも)()て、すべていかなる(かた)にも、この()(しふ)とまるべきことなく(こころ)づかひをせしに、おほかたの()につけて、()のいたづらにはふれぬべかりしころほひなどとざまかうざまに(おも)ひめぐらししに、(いのち)をもみづから()てつべく、野山(のやま)(すゑ)にはふらかさむにことなる(さは)あるまじくなむ(おも)ひなりしを、(すゑ)()に、(いま)(かぎ)りのほど(ちか)()にてしもあるまじきほだし(おほ)うかかづらひて(いま)まで()ぐしてけるが、心弱(こころよわ)うも、もどかしきこと
「女をいとしいと思いつめるのは、実に悪いはずのことだと、昔から知っていながら、すべてどのような事柄にも、現世に執着が残らないようにと、配慮して来たが、普通の世間から見て、むなしく零落してしまいそうだったころなど、あれやこれやと思案したが、命をも自分から捨ててしまおうと、野山の果てにさすらえさせても、格別に差支えなく思うほどになったが、晩年に、最期が近くなった身の上で、持たなくてよい係累に多くかかずらって、今まで過ごしてきたが、意志が弱くて、愚かしいことよ」
「人をあまりに愛することは結果のよくないものだと、私は昔から知っていたし、またそのほかのことにも執着心がこの世に残らぬようにと心がけていて、一時逆境に置かれたころなどは、いろいろな理想もこの世に持ったと言っても、それは実現性のないことにきめて、どんな野山の果てで自分の命を果たしてしまっても惜しいものもないとだけは思えたものだが、年がいって死期が近づくころになって、いろいろな係累をふやすことになったために、今まで出家も遂げることができないでいるのが自分で歯がゆくてならない」
1.7.3
など、さして(ひと)(すぢ)(かな)しさにのみはのたまはねど、(おぼ)したるさまのことわりに心苦(こころぐる)しきを、いとほしう()たてまつりて
などと、それと名指して一人の悲しみばかりにはおっしゃらないが、お胸の内はさぞかしとお気の毒なので、おいたわしく拝して、
などと院はお言いになって、夫人と死別したばかりの悲しみでないように言っておいでになるが、明石の心には院の御内心は何によって苦しんでおいでになるかはよくわかっていて、道理なことであるとおいたわしく思った。
1.7.4
おほかたの人目(ひとめ)(なに)ばかり()しげなき(ひと)だに、(こころ)のうちのほだし、おのづから(おほ)うはべるなるをましていかでかは(こころ)やすくも(おぼ)()てむ。
さやうにあさへたることは、かへりて軽々(かるがる)しきもどかしさなども()()でて、なかなかなることなどはべるを、(おぼ)したつほど、(にぶ)きやうにはべらむや、つひに()()てさせたまふ(かた)(ふか)うはべらむと、(おも)ひやられはべりてこそ
「世間一般の目からは、さほど惜しくなさそうな人でさえ、心の中の執着、自然と多くございますものですが、ましてどうしてやすやすとお思い捨てになることができましょうか。
そのような浅はかな出家は、かえって軽はずみなと非難されることも出てきて、なまじ出家しないほうがよいでしょうが、ご決心が、つきかねるようでいらっしゃるほうが、結局は澄みきった御境地に、至られましょうと、想像されます。
「他人から見まして、この世に未練の残るわけもないような人も、その人自身には捨てられない(ほだし)が幾つもあるものなのでございますから、ましてあなた様などがどうしてそう楽々と遁世(とんせい)の道をおとりになることがおできになれましょう。深い考えもなく出家をいたす者はあとで見苦しいことも起こして、かえってそうならねばよかったように世間から申されることもあるものでございますから、道におはいりになりますことをお急ぎにならずにおいでになりますのが、あとでごりっぱな悟りをお()になる過程になるかと存ぜられます。
1.7.5
いにしへの(ためし)などを()きはべるにつけても、(こころ)におどろかれ、(おも)ふより(たが)ふふしありて、()(いと)ふついでになるとか。
それはなほ()るきこととこそ。
なほ、しばし(おぼ)しのどめさせたまひて、(みや)たちなどもおとなびさせたまひてまことに(うご)きなかるべき(おほん)ありさまに()たてまつりなさせたまはむまでは、(みだ)れなくはべらむこそ、(こころ)やすくも、うれしくもはべるべけれ」
昔の例などをお聞きいたしますにつけても、心が動揺したり、思いのままにならないことがあって、世を厭うきっかけになったとか。
それはやはりよくないことと申します。
やはり、もう暫くごゆっくりあそばして、宮たちなどがご成人あそばして、ほんとうにゆるぎない地位を拝見あそばされるまでは、変わったことがございませんのが、安心で嬉しうもございましょう」
昔の例を承りましても、突然心の傷つけられますような悲しみにあいますとか、大きな失望をいたしましたとか申すような時に厭世(えんせい)的になって出家をいたすと申すことはあまりほめられないことになっているではございませんか。もうしばらく御発心(ほっしん)をお延ばしになりまして、宮様がたも大人におなりになり御不安なことなどはいっさいないころまで、このままで御家族に動揺をお与えあそばさないようにしていただけましたらうれしかろうと存じます」
1.7.6
など、いとおとなびて()こえたるけしき、いとめやすし
などと、とても思慮深く申し上げた様子、本当に申し分がない。
などとまじめに言っている明石に院は好感をお持ちになることができた。

第八段 明石の御方に悲しみを語る

1.8.1
さまで(おも)ひのどめむ心深(こころぶか)さこそ、(あさ)きに(おと)りぬべけれ」
「そこまで思慮深くためらい過ぎては、浅薄な出家にも劣ろう」
「そんなになるまで待っていることが思慮深いのだったら、それよりもあさはかなほうがましなようだね」
1.8.2
などのたまひて、(むかし)よりものを(おも)ふことなど(かた)()でたまふ(なか)に、
などとおっしゃって、昔から悲しい思いをし続けてきたことなどを話し出される中で、
などとお言いになって、昔から悲しいことに多くあっておいでになった話もあそばされた。
1.8.3
故后(こきさい)(みや)(かく)れたまへりし(はる)なむ、(はな)(いろ)()ても、まことに(こころ)あらばとおぼえし。
それは、おほかたの()につけて、をかしかりし(おほん)ありさまを、(をさな)くより()たてまつりしみてさるとぢめの(かな)しさも、(ひと)よりことにおぼえしなり。
「故后の宮が御崩御なさった春が、花の美しさを見ても、本当に、花に心があったならばと思われました。
そのわけは、世間一般につけて、誰が見ても素晴らしかったご様子を、幼い時から拝見し続けてきたので、そういうご臨終の悲しさも、誰より格別に思われたのです。
「昔、中宮がお(かく)れになった春には、桜が咲いたのを見ても、『野べの桜し心あらば』(深草の野べの桜し心あらば今年ばかりは墨染めに咲け)と思われたものですよ。それはごりっぱな方であることが小さいころから心にしみ込んでいたために、お崩れになった時にも私がだれよりもすぐれて悲しかったのです。
1.8.4
みづから()()(こころ)ざしにも、もののあはれはよらぬわざなり
年経(としへ)ぬる(ひと)(おく)れて、心収(こころをさ)めむ(かた)なく(わす)れがたきも、ただかかる(なか)(かな)しさのみにはあらず。
(をさな)きほどより()ほしたてしありさまもろともに()いぬる(すゑ)()にうち()てられて、わが()(ひと)()も、(おも)(つづ)けらるる(かな)しさの、()へがたきになむ
すべて、もののあはれも、ゆゑあることも、をかしき(すぢ)も、(ひろ)(おも)ひめぐらす(かた)方々添(かたがたそ)ふことの(あさ)からずなるになむありける」
自分が特別に愛情をもったための、悲しみとは限らないものです。
長年連れ添った人に先立たれて、諦めようもなく忘れられないのも、ただこのような夫婦仲の悲しさだけではありません。
幼い時から育て上げた様子や、一緒に年老いた晩年に先立たれて、自分の身の上も相手の身の上も、次々と思い出が浮かんでくる悲しさが、堪えられないのです。
すべて、心を打つ感動も、意味あることも、風流な面も、広く思い出すところの、あれこれが多く加わっていくのが、悲しみを深めるものなのでした」
恋愛の深さ浅さと故人を惜しむ情とは別なものだと思う。長く同棲(どうせい)した妻に別れて、病的にまで悲しんで、その人が忘れられないのも恋愛の点ばかりでそうなのではありませんよ。少女時代から自分が育て上げてきた人といっしょに年をとってしまった今になって、一人だけが残されて一方が()くなってしまったということが、みずから(あわれ)まれもし、故人を悲しまれもして、その時あの時と、あの人の感情の美しさの現われた時とかあの人の芸術とか複雑にいろいろなことが思わせられるために、深い哀愁に落ちていくのです」
1.8.5
など、夜更(よふ)くるまで、昔今(むかしいま)御物語(おほんものがたり)に、かくても()かしつべき(よる)」と(おぼ)しながら、(かへ)りたまふを、(をんな)もものあはれに(おも)ふべし
わが御心(みこころ)にも、あやしうもなりにける(こころ)のほどかな」と、(おぼ)()らる。
などと、夜が更けるまで、昔や今のお話で、こ「うして明かしてもよい夜だ」とお思いになりながらも、お帰りになるのを、女も物悲しく思うことであろう。
ご自身でも、「不思議なふうになってしまった心だな」と、思わずにはいらっしゃれない。
などと、夜がふけるまで、昔をも今をも話しておいでになって、このまま明石夫人のところで泊まっていってもよい夜であるがとはお思いになりながら院のお帰りになるのを見て、明石夫人は一抹(いちまつ)の物足りなさを感じたに違いない。院も御自身のことではあるが、怪しく変わってしまった心であるとお思いになった。
1.8.6 お帰りになっても、またいつものご勤行で、夜半になってから、昼のご座所に、ほんのかりそめに横におなりになる。
翌朝、お手紙を差し上げなさるに、
お帰りになるとまた仏勤めをあそばして夜中ごろに昼のお居間で仮臥(かりぶし)のようにしてお(やす)みになった。翌朝早く院は明石(あかし)夫人へ手紙をお書きになった。
1.8.7 「泣きながら帰ってきたことです、
この仮の世はどこもかしこも永遠の住まい
泣く泣くも帰りにしかな仮の世は
いづくもつひのとこよならぬに
1.8.8
昨夜(よべ)(おほん)ありさまは(うら)めしげなりしかど、いとかく、あらぬさまに(おぼ)しほれたる(おほん)けしきの心苦(こころぐる)しさに、()(うへ)はさしおかれて、(なみだ)ぐまれたまふ。
昨夜のご様子は恨めしげに思ったが、とてもこんなに、まるで違った方のように茫然としていらしたご様子がお気の毒なので、自分のことは忘れて、つい涙ぐまれなさる。
という歌であった。昨夜(ゆうべ)の院のお仕打ちは恨めしかったのであるが、こんなふうに別人であるように悲しみに疲れておいでになる御様子を思っては自身のことはさしおいて明石は涙ぐまれるのであった。
1.8.9 「雁がいた苗代水がなくなってからは
そこに映っていた花の影さえ見ることができません」
かりがゐし苗代水の絶えしより
うつりし花の影をだに見ず
1.8.10
()りがたくよしある()きざまにも、なまめざましきものに(おぼ)したりしを(すゑ)()には、かたみに(こころ)ばせを見知(みし)るどちにて、うしろやすき(かた)にはうち(たの)むべく、(おも)()はしたまひながら、またさりとて、ひたぶるにはたうちとけず、ゆゑありてもてなしたまへりし(こころ)おきてを、(ひと)はさしも見知(みし)らざりきかし」など(おぼ)()づ。
いつ見ても相変わらず味わいのある書きぶりを見るにつけても、何となく目障りなとお思いであったが、晩年には、お互いに心を交わし合う仲となって、安心な相手としては信頼できるよう、互いに思い合いなさりながら、またそうかといってまるきり許し合うのではなく、奥ゆかしく振る舞っていらしたお心遣いを、「他人はそこまで知らなかったであろう」などと、お思い出しになる。
いつも変わらぬ明石の返歌の美しい字を御覧になっても、この人を無礼な闖入者(ちんにゅうしゃ)のように初めは思っていた女王が、近年になって互いに友情を持ち合うようになり、自尊心を傷つけない程度の交わりをしていたのであるが、明石はそれとも気がつかなかったであろうなどとも院は来し方のことを思っておいでになった。
1.8.11
せめてさうざうしき(とき)は、かやうにただおほかたに、うちほのめきたまふ折々(をりをり)もあり。
(むかし)(おほん)ありさまには、名残(なごり)なくなりにたるべし
たまらなく寂しい時には、このようにただ一通りに、お顔をお見せになることもある。
昔のご様子とはすっかり変わってしまったのであろう。
お寂しくてならぬ時にだけは明石夫人のその場合のような簡単な訪問を夫人たちの所へあそばされる院でおありになった。妻妾(さいしょう)と夜を共にあそばすようなことはどこでもないのである。

第二章 光る源氏の物語 紫の上追悼の夏の物語


第一段 花散里や中将の君らと和歌を詠み交わす

2.1.1 夏の御方から、お衣更のご装束を差し上げなさるとあって、
夏の更衣(ころもがえ)花散里(はなちるさと)夫人からお召し物が奉られた。
2.1.2 「夏の衣に着替えた今日だけは
昔の思いも思い出しませんでしょうか」
夏ごろもたちかへてける今日ばかり
古き思ひもすすみやはする
2.1.3
御返(おほんかへ)し、
お返事、
この歌が添えられてあった。お返事、
2.1.4 「羽衣のように薄い着物に変わる今日からは
はかない世の中がますます悲しく思われます」
羽衣のうすきにかはる今日よりは
空蝉(うつせみ)の世ぞいとど悲しき
2.1.5
(まつり)()いとつれづれにて、今日(けふ)物見(ものみ)るとて、(ひと)びと心地(ここち)よげならむかし」とて、御社(みやしろ)のありさまなど(おぼ)しやる。
賀茂祭の日、とても所在ないので、「今日は見物しようとして、女房たちは気持ちよさそうだろう」と思って、御社の様子などをご想像なさる。
賀茂(かも)祭りの日につれづれで、「今日は祭りの行列を見に出ようと思って世間ではだれも興奮をしているだろう」こんなことをお言いになって、賀茂の社前の光景を目に描いておいでになった。
2.1.6 「女房などは、どんなに手持ち無沙汰だろう。
そっと里下がりして見て来なさい」などとおしゃる。
「女房たちは皆寂しいだろう、実家のほうへ行って、そこから見物に出ればいい」などとも言っておいでになった。
2.1.7
中将(ちゅうじゃう)(きみ)の、東面(ひんがしおもて)にうたた()したるを、(あゆ)みおはして()たまへば、いとささやかにをかしきさまして、()()がりたり。
つらつきはなやかに、(にほ)ひたる(かほ)をもて(かく)して、すこしふくだみたる(かみ)のかかりなど、をかしげなり
(くれなゐ)()ばみたる気添(けそ)ひたる(はかま)萱草色(かんざういろ)単衣(ひとへ)いと()鈍色(にびいろ)(くろ)きなど、うるはしからず(かさ)なりて、()唐衣(からぎぬ)()ぎすべしたりけるを、とかく()きかけなどするに、(あふひ)をかたはらに()きたりけるを()りて()りたまひて
中将の君が、東表の間でうたた寝しているのを、歩いていらっしゃって御覧になると、とても小柄で美しい様子で起き上がった。
顔の表情は明るくて、美しい顔をちょっと隠して、少しほつれた髪のかかっている具合など、見事である。
紅の黄色味を帯びた袴に、萱草色の単衣、たいそう濃い鈍色の袿に黒い表着など、きちんとではなく重着して、裳や、唐衣も脱いでいたが、あれこれ着掛けなどするが、葵を側に置いてあったのを側によってお取りになって、
中将の君が東の座敷でうたた寝しているそばへ院が寄ってお行きになると、美しい小柄な中将の君は起き上がった。赤くなっている顔を恥じて隠しているが、少し癖づいてふくれた髪の横に見えるのがはなやかに見えた。紅の黄がちな色の(はかま)をはき、単衣(ひとえ)萱草(かんぞう)色を着て、濃い(にび)色に黒を重ねた喪服に、()唐衣(からぎぬ)も脱いでいたのを、中将はにわかに上へ引き掛けたりしていた。(あおい)の横に置かれてあったのを院は手にお取りになって、
2.1.8 「何と言ったかね。
この名前を忘れてしまった」とおっしゃると、
「何という草だったかね。名も忘れてしまったよ」とお言いになると、
2.1.9 「いかにもよるべの水も古くなって水草が生えていましょう
今日の插頭の名前さえ忘れておしまいになるとは」
さもこそは寄るべの水に水草(みぐさ)ゐめ
今日のかざしよ名さへ忘るる
2.1.10
と、()ぢらひて()こゆ。
げにと、いとほしくて、
と、恥じらいながら申し上げる。
なるほどと、
と恥じらいながら中将は言った。そうであったと哀れにお思いになって、
2.1.11 「だいたいは執着を捨ててしまったこの世ではあるが
この葵はやはり摘んでしまいそうだ」
おほかたは思ひ捨ててし世なれども
あふひはなほやつみおかすべき
2.1.12 などと、一人だけはお思い捨てにならない様子である。
こんなこともお言いになり、なおこの人にだけは(ひじり)の心持ちにもなれず、行為もお見せになることはおできにならないのであった。

第二段 五月雨の夜、夕霧来訪

2.2.1 五月雨の時は、ますます物思いに沈んでお暮らしになるより他のことなく、物寂しいところに、十日過ぎの月が明るくさし出た雲間が珍しいので、大将の君が御前に伺候なさっている。
五月雨(さみだれ)の薄暗い世界の中では物思いを続けておいでになるばかりの院は、寂しかったが十幾日かの月がふと雲間から現われた珍しい夜に大将が御前に来ていた。
2.2.2
花橘(はなたちばな)の、月影(つきかげ)にいときはやかに()ゆる(かを)りも、追風(おひかぜ)なつかしければ、千代(ちよ)()らせる(こゑ)せなむ、()たるるほどに、にはかに()()づる村雲(むらくも)のけしき、いとあやにくにて、いとおどろおどろしう()()(あめ)()ひて、さと()(かぜ)灯籠(とうろ)()きまどはして、空暗(そらくら)心地(ここち)するに、(まど)()(こゑ)」などめづらしからぬ古言(ふること)を、うち(じゅん)じたまへるも、(をり)からにや、(いも)垣根(かきね)におとなはせまほしき御声(おほんこゑ)なり
花橘が、月光にたいそうくっきりと見える薫りも、その追い風がやさしい感じなので、花橘にほととぎすの千年も馴れ親しんでいる声を聞かせて欲しい、と待っているうちに、急にたち出た村雲の様子が、まったくあいにくなことで、とてもざあざあ降ってくる雨に加わって、さっと吹く風に燈籠も吹き消して、空も暗い感じがするので、「窓を打つ声」などと、珍しくもない古詩を口ずさみなさるのも、折からか、妻の家に聞かせてやりたいようなお声である。
(たちばな)の木が月の光のもとにあざやかに立って(かお)りも風に付いておりおりはいってきた。「千世をならせる」というこれと深い関係の杜鵑(ほととぎす)()けばよいと待っているうちに、にわかに雲が()き出してきて、はげしく雨の降るのに添って吹き出した風のために、燈籠(とうろう)()も消えそうになって、空の暗さが深く思われる時に「蕭蕭暗雨打窓声(せうせうあんうまどをうつこゑ)」などと、珍しい詩ではないが院のお歌いになる美声をお聞きすると、恋を解する女に聞かしむべきものであると惜しまれた。
2.2.3
(ひと)()みはことに(かは)ることなけれど、あやしうさうざうしくこそありけれ。
(ふか)山住(やまず)みせむにも、かくて()()らはしたらむは、こよなう心澄(こころす)みぬべきわざなりけり」などのたまひて、女房(にょうばう)ここに、くだものなど(まゐ)らせよ
(をのこ)ども()さむもことことしきほどなり」などのたまふ。
「独り住みは、格別に変わったことはないが、妙に物寂しい感じがする。
深い山住みをするにも、こうして身を馴らすのは、この上なく心が澄みきることであった」などとおっしゃって、「女房よ、こちらに、お菓子などを差し上げよ。
男たちを召し寄せるのも大げさな感じである」などとおっしゃる。
「独身生活というものは、私一人が経験しているものでもないが、怪しいほど寂しいものだ。山へはいってしまう前にこうして習慣をつけておくことは非常によいことだと思う」などと院はお言いになって、「女房たち、ここへ菓子でも出すがよい。男たちに命じるほどのことでもないから」などとも気をつけておいでになった。
2.2.4
(こころ)には、ただ(そら)(なが)めたまふ(おほん)けしきの、()きせず心苦(こころぐる)しければ、「かくのみ(おぼ)(まぎ)れずは、御行(おほんおこな)ひにも心澄(こころす)ましたまはむこと(かた)くや」と、()たてまつりたまふ。
ほのかに()御面影(おほんおもかげ)だに(わす)れがたし。
ましてことわりぞかし」と、(おも)ひゐたまへり。
心中には、ただ空を眺めていらっしゃるご様子が、どこまでもおいたわしいので、「こんなにまでお忘れになれないのでは、ご勤行にもお心をお澄しになることも難しいのでないか」と、拝見なさる。
「かすかに見た御面影でさえ忘れ難い。
まして無理もないことだ」と、思っていらっしゃった。
夕霧は空をおながめになる院の寂しい御表情を見ていて、こんなふうにいつまでもいつまでも故人を悲しんでおいでになっては、出家をされても透徹した信仰におはいりになることはむずかしくはないかと思っていた。ほのかな隙見(すきみ)をしただけの面影すら忘られないのであるからまして院が女王のためのお悲しみの深さは道理至極であると言わねばならぬと同情も申していた。

第三段 ほととぎすの鳴き声に故人を偲ぶ

2.3.1
昨日今日(きのふけふ)(おも)ひたまふるほどに、御果(おほんは)てもやうやう(ちか)うなりはべりにけり。
いかやうにかおきて(おぼ)しめすらむ」
「昨日今日と思っておりましたうちに、ご一周忌もだんだん近くなってまいりました。
どのようにあそばすお積もりでいらっしゃいましょうか」
「昨日か今日のことのように思っておりますうちに御一周忌にももう近づいてまいります。御法事はどんなふうにあそばすおつもりでございますか」
2.3.2
(まを)したまへば、
とお尋ね申し上げなさると、
と大将が言うと、
2.3.3
(なに)ばかり、()(つね)ならぬことをかはものせむ
かの(こころ)ざしおかれたる極楽(ごくらく)曼陀羅(まんだら)など、このたびなむ供養(くやう)ずべき。
(きゃう)などもあまたありけるを、なにがし僧都(そうづ)(みな)その(こころ)くはしく()きおきたなれば、また(くは)へてすべきことどもも、かの僧都(そうづ)()はむに(したが)ひてなむものすべき」などのたまふ。
「何ほども、世間並み以上のことをしようとは思わない。
あの望んでおかれた極楽の曼陀羅など、今回は供養しよう。
経などもたくさんあったが、某僧都が、すべてその事情を詳しく聞きおいたそうだから、それに加えてしなければならない事柄も、あの僧都が言うことに従って催そう」などとおっしゃる。
「何も普通と違ったことをしようと思っていない。女王が作らせたままになっている極楽の曼陀羅(まんだら)をその節に供養すればいいことと思う。書いておいた経もたくさんあるはずなのだが、某僧都は故人からどうするかをよく聞いてあるようだから、それに加えてすることも皆僧都の意見によることにしようと思う」と院は仰せられた。
2.3.4
かやうのこともとよりとりたてて(おぼ)しおきてけるは、うしろやすきわざなれど、この()にはかりそめの御契(おほんちぎ)りなりけりと()たまふには形見(かたみ)といふばかりとどめきこえたまへる(ひと)だにものしたまはぬこそ、口惜(くちを)しうはべれ
「このようなことは、ご生前から特別にお考え置きになっていたことは、来世のため安心なことですが、この世にはかりそめのご縁であったとお思いなりますのは、お形見と言えるようにお残し申されるお子様さえいらっしゃなかったのが、残念なことでございます」
「御自身の御法要についてのことまでもお仕度(したく)をあそばしておかれましたことは、お考え深いことでしたが、お二方の上で申しますと、この世での御縁は短かったのですから、せめて形見になる人をお残しくだすったらと存じますと残念でございます」
2.3.5
(まを)したまへば、
と申し上げなさると、

2.3.6
それは、(かり)ならず命長(いのちなが)(ひと)びとにも、さやうなることのおほかた(すく)なかりける。
みづからの口惜(くちを)しさにこそ。
そこにこそは、(かど)(ひろ)げたまはめ」などのたまふ。
「それは、縁浅からず、寿命の長い人びとでも、そのようなことはだいたいが少なかった。
自分自身の拙さなのだ。
そなたこそ、家門を広げなさい」などとおっしゃる。
「しかし子は早く死なずに現存している妻のほうにも少なかったのだからね。私自身が子は少なくしか持てない宿命だったのだろう。あなたによって子孫を広げてもらえばいい」などと院はお言いになるのであって、
2.3.7
(なに)ごとにつけても(しの)びがたき御心弱(みこころよわ)さのつつましくて()ぎにしこといたうものたまひ()でぬに、()たれつる(やま)ほととぎすのほのかにうち()きたるも、いかに()りてか」と()(ひと)ただならず
どのような事につけても、堪えきれないお心の弱さが恥ずかしくて、過ぎ去ったことをたいして口にお出しにならないが、待っていた時鳥がかすかにちょっと鳴いたのも、「どのようにして知ってか」と、聞く人は落ち着かない。
何につけても忍びがたい悲しみの外へ誘い出されることをお恐れになり、故人のこともあまりお話しにならぬうちに、「いにしへのこと語らへば時鳥(ほととぎす)いかに知りてか古声(ふるごゑ)()く」と言いたいような杜鵑(ほととぎす)が啼いた。待たれていた声なのであるが、
2.3.8 「亡き人を偲ぶ今宵の村雨に
濡れて来たのか、
()き人を忍ぶる(よひ)村雨(むらさめ)
()れてや来つる山ほととぎす
2.3.9
とて、いとど(そら)(なが)めたまふ。
大将(だいしゃう)
と言って、ますます空を眺めなさる。
大将、
前よりもいっそう悲しいまなざしで空を院はおながめになった。夕霧は、
2.3.10 「時鳥よ、
あなたに言伝てしたい古里の橘
郭公(ほととぎす)君につてなん
古さとの花(たちばな)は今盛りぞと
2.3.11
女房(にょうばう)など、(おほ)()(あつ)めたれど、とどめつ
大将(だいしゃう)(きみ)は、やがて御宿直(おほんとのゐ)にさぶらひたまふ
(さび)しき御一人寝(おほんひとりね)心苦(こころぐる)しければ、時々(ときどき)かやうにさぶらひたまふに、おはせし()いと気遠(けどほ)かりし御座(おまし)のあたりの、いたうも()(はな)れぬなどにつけても、(おも)()でらるることも(おほ)かり
女房なども、たくさん詠んだが、省略した。
大将の君は、そのままお泊まりになる。
寂しいお独り寝がおいたわしいので、時々このように伺候なさるが、生きていらっしゃった当時は、とても近づきにくかったご座所の近辺に、たいして遠く離れていないことなどにつけても、思い出される事柄が多かった。
と歌った。この時に女房たちもそれぞれ歌を()んだのであるがここには省いておく。大将はそのまま宿直(とのい)することにした。御独居生活の心苦しさに時々夕霧はこうしておそばで泊まってゆくのであるが、紫の女王のいたころにはたやすく近い所へも寄ることを院はお許しにならなかった帳台のかたわらに寝ることによっても、大将は昔が今にならぬことを悲しんだ。

第四段 蛍の飛ぶ姿に故人を偲ぶ

2.4.1
いと(あつ)きころ(すず)しき(かた)にて(なが)めたまふに、(いけ)(はちす)(さか)りなるを()たまふに、いかに(おほ)かる」などまづ(おぼ)()でらるるに、ほれぼれしくて、つくづくとおはするほどに、()()れにけり。
ひぐらしの(こゑ)はなやかなるに、御前(おまへ)撫子(なでしこ)夕映(ゆふば)えを一人(ひとり)のみ()たまふは、げにぞかひなかりける。
たいそう暑いころ、涼しい所で物思いに耽っていらっしゃる折、池の蓮の花が盛りなのを御覧になると、「なんと多い涙か」などと、何より先に思い出されるので、茫然として、つくねんとしていらっしゃるうちに、日も暮れてしまった。
蜩の声がにぎやかなので、御前の撫子が夕日に映えた様子を、独りだけで御覧になるのは、本当に甲斐のないことであった。
暑いころに涼しい水亭(すいてい)に出て院がながめておいでになる池には、(はす)の花が盛りに咲いていた。恋しい人への追懐のためにこの花の前にもうつろな気持ちを覚えておいでになるうちに、日も暮れに近くなった。はなやかに(ひぐらし)の鳴く声を聞きながら、撫子(なでしこ)夕映(ゆうば)えの空の美しい光を受けている庭もただ一人見ておいでになることは味気ないことでおありになった。
2.4.2 「することもなく涙とともに日を送っている夏の日を
わたしのせいみたいに鳴いている蜩の声だ」
つれづれとわが泣き暮らす夏の日を
かごとがましき虫の声かな
2.4.3
(ほたる)のいと(おほ)()()ふも、夕殿(せきでん)蛍飛(ほたると)んで」と(れい)の、古事(ふること)もかかる(すぢ)にのみ口馴(くちな)れたまへり。
螢がとても数多く飛び交っているのも、「夕べの殿に螢が飛んで」と、いつもの、古い詩もこうした方面にばかり口馴れていらっしゃった。
(ほたる)が多く飛びかうのにも、「夕殿(せきでん)に蛍飛んで思ひ悄然(せうぜん)」などと、お口に上る詩も楊妃(ようひ)に別れた玄宗の悲しみをいうものであった。
2.4.4 「夜になったことを知って光る螢を見ても悲しいのは
昼夜となく燃える亡き人を恋うる思いであった」
夜を知る蛍を見ても悲しきは
時ぞともなき思ひなりけり

第三章 光る源氏の物語 紫の上追悼の秋冬の物語


第一段 紫の上の一周忌法要

3.1.1
七月七日(しちがつなぬか)(れい)(かは)りたること(おほ)く、御遊(おほんあそ)びなどもしたまはで、つれづれに(なが)()らしたまひて、星逢(ほしあ)()(ひと)もなし。
まだ夜深(よぶか)う、一所起(ひとところお)きたまひて、妻戸押(つまどお)()けたまへるに、前栽(せんさい)(つゆ)いとしげく渡殿(わたどの)()よりとほりて()わたさるれば、()でたまひて、
七月七日も、いつもと変わったことが多く、管弦のお遊びなどもなさらず、何もせずに一日中物思いに耽ってお過ごしになって、星合の空を見る人もいない。
まだ夜は深く、独りお起きになって、妻戸を押し開けなさると、前栽の露がとてもびっしょりと置いて、渡殿の戸から通して見渡されるので、お出になって、
七月七日も例年に変わった七夕(たなばた)で、音楽の遊びも行なわれずに、寂しい退屈さをただお感じになる日になった。星合いの空をながめに出る女房もなかった。未明に一人()しの床をお離れになって妻戸をお押しあけになると、前庭の草木の露の一面に光っているのが、渡殿(わたどの)のほうの入り口越しに見えた。縁の外へお出になって、
3.1.2 「七夕の逢瀬は雲の上の別世界のことと見て
その後朝の別れの庭の露に悲しみの涙を添えることよ」
七夕の()ふ瀬は雲のよそに見て
別れの庭の露ぞ置き添ふ
3.1.3
(かぜ)(おと)さへただならずなりゆくころしも、御法事(おほんほふじ)(いとな)みにて、ついたちころは(まぎ)らはしげなり。
(いま)まで()にける月日(つきひ)よ」と(おぼ)にも、あきれて()かし()らしたまふ。
風の音までがたまらないものになってゆくころ、御法事の準備で、上旬ころは気が紛れるようである。
「今まで生きて来た月日よ」とお思いになるにつけても、あきれる思いで暮らしていらっしゃる。
こう口ずさんでおいでになった。秋風らしい風の吹き始めるころからは法事の仕度(したく)のために、院のお悲しみも少し紛れていた。あれから一年たったかとお思いになると呆然(ぼうぜん)ともおなりになるのである。
3.1.4
御正日(おほんしゃうにち)には、上下(かみしも)(ひと)びと皆斎(みないもひ)して、かの曼陀羅(まんだら)など、今日(けふ)供養(くやう)ぜさせたまふ
(れい)(よひ)御行(おほんおこな)ひに、御手水(みてうづ)など(まゐ)らする中将(ちゅうじゃう)(きみ)(あふぎ)に、
御命日には、上下の人びとがみな精進して、あの曼陀羅などを、今日ご供養あそばす。
いつもの宵のご勤行に、御手水を差し上げる中将の君の扇に、
命日である十四日には上から下まで六条院の中の人々は精進潔斎して、曼陀羅(まんだら)の供養に列するのであった。例の(よい)の仏前のお勤めのために手水(ちょうず)を差し上げる役にあたった中将の君の扇に、
3.1.5 「ご主人様を慕う涙は際限もないものですが
今日は何の果ての日と言うのでしょう」
君恋ふる涙ははてもなきものを
今日をば何のはてといふらん
3.1.6
()きつけたるを、()りて()たまひて、
と書きつけてあるのを、手に取って御覧になって、
と書かれてあったのを、手に取ってお読みになってから、院がまたその横へ、
3.1.7 「人を恋い慕うわが余命も少なくなったが
残り多い涙であることよ」
人恋ふるわが身も末になりゆけど
残り多かる涙なりけり
3.1.8
と、()()へたまふ。
と、書き加えなさる。
とお書き添えになった。
3.1.9 九月になって、九日、綿被いした菊を御覧になって、
九月になり被綿(きせわた)をした菊を御覧になって、
3.1.10 「一緒に起きて置いた菊のきせ綿の朝露も
今年の秋はわたし独りの袂にかかることだ」
もろともにおきゐし菊の朝露も
ひとり(たもと)にかかる秋かな

第二段 源氏、出家を決意

3.2.1 神無月には、一般に時雨がちなころとて、ますます物思いに沈みなさって、夕暮の空の様子にも、何ともいえない心細さゆえ、「いつも時雨は降ったが」と独り口ずさんでいらっしゃる。
雲居を渡ってゆく雁の翼も、羨ましく見つめられなさる。
十月は時雨(しぐれ)がちな季節であったからいっそう院のお心はお寂しそうで、夕方の空の色なども言いようもなく心細く御覧になるのであって、「いつも時雨は降りしかど」(かく(そで)ひづるをりはなかりき)などと口ずさんでおいでになった。空を渡る(かり)が翼を並べて行くのもうらやましくお見守られになるのである。
3.2.2 「大空を飛びゆく幻術士よ、
夢の中にさえ現れない亡き人の魂の行く
大空を通ふまぼろし夢にだに
見えこぬ(たま)の行く()尋ねよ
3.2.3
(なに)ごとにつけても、(まぎ)れずのみ、月日(つきひ)()へて(おぼ)さる。
どのような事につけても、気の紛れることのないばかりで、月日につれて悲しく思わずにはいらっしゃれない。
何によっても慰められぬ月日がたっていくにしたがい、院のお悲しみは深くばかりになった。
3.2.4
五節(ごせち)などいひて、()(なか)そこはかとなく(いま)めかしげなるころ大将殿(だいしゃうどの)(きみ)たち、童殿上(わらはてんじゃう)したまへる()(まゐ)りたまへり
(おな)じほどにて、二人(ふたり)いとうつくしきさまなり。
御叔父(おほんをぢ)頭中将(とうのちゅうじゃう)蔵人少将(くらうどのせうしゃう)など小忌(をみ)にて、青摺(あをずり)姿(すがた)どもきよげにめやすくて、(みな)うち(つづ)き、もてかしづきつつ、もろともに(まゐ)りたまふ。
(おも)ふことなげなるさまどもを()たまふに、いにしへ、あやしかりし日蔭(ひかげ)(をり)さすがに(おぼ)()でらるべし
五節などといって、世の中がどことなくはなやかに浮き立っているころ、大将殿のご子息たち、童殿上なさって参上なさった。
同じくらいの年齢で、二人とてもかわいらしい姿である。
御叔父の頭中将や、蔵人少将などは、小忌衣で、青摺の姿がさっぱりして感じよくて、みな引き続いて、お世話しながら一緒に参上なさる。
何の物思いもなさそうな様子を御覧になると、昔、心ときめくことのあった五節の折、何といってもお思い出されるであろう。
五節(ごせち)などといって、世の中がはなやかに明るくなるころ、大将の子息たちが殿上勤めにはじめて出たといって、六条院へ来た。二人とも非常に美しい。母方の叔父(おじ)である(とうの)中将や蔵人(くろうど)少将などが青摺(あおず)りの小忌衣(おみごろも)のきれいな姿で少年たちに付き添って来たのである。朗らかなふうのこうした若い人たちを御覧になる院は、御自身の青春の日もお振り返られになって昔のこの日の舞い姫に心をお()かれになったことなどもさすがになつかしいこととお思い出しになった。
3.2.5 「宮人が豊明の節会に夢中になっている今日
わたしは日の光も知らないで暮らしてしまったな」
宮人は(とよ)の明りにいそぐ今日(けふ)
日かげも知らで暮らしつるかな
3.2.6
今年(ことし)をばかくて(しの)()ぐしつれば、(いま)は」と、()()りたまふべきほど(ちか)(おぼ)しまうくるにあはれなること、()きせず。
やうやうさるべきことども、御心(みこころ)のうちに(おぼ)(つづ)けて、さぶらふ(ひと)びとにも、ほどほどにつけて、物賜(ものたま)ひなど、おどろおどろしく、(いま)なむ(かぎ)りとしなしたまはねど、(ちか)くさぶらふ(ひと)びとは、御本意遂(おほんほいと)げたまふべきけしきと()たてまつるままに、(とし)()れゆくも心細(こころぼそ)く、(かな)しきこと(かぎ)りなし。
「今年をこうしてひっそりと過ごして来たので、これまで」と、ご出家なさるべき時を近々にご予定なさるにつけ、しみじみとした悲しみ、尽きない。
だんだんとしかるべき事柄を、ご心中にお思い続けなさって、伺候する女房たちにも、身分身分に応じて、お形見分けなど、大げさに、これを最後とはなさらないが、近く伺候する女房たちは、ご出家の本願をお遂げになる様子だと拝見するにつれて、年が暮れてゆくのも心細く、悲しい気持ちは限りがない。
今年をこんなふうに隠忍してお通しになった院は、もう次の春になれば出家を実現させてよいわけであるとその用意を少しずつ始めようとされるのであったが、物哀れなお気持ちばかりがされた。院内の人々にもそれぞれ等差をつけて物を与えておいでになるのであった。目だつほどに今日までの御生活に区切りをつけるようなことにはしてお見せにならないのであるが、近くお仕えする人たちには、院が出家の実行を期しておいでになることがうかがえて、今年の終わってしまうことを非常に心細くだれも思った。

第三段 源氏、手紙を焼く

3.3.1
()ちとまりてかたはなるべき(ひと)御文(おほんふみ)ども、()れば()し、(おぼ)されけるにや、すこしづつ(のこ)したまへりけるを、もののついでに御覧(ごらん)じつけて、()らせたまひなどするに、かの須磨(すま)のころほひ、所々(ところどころ)よりたてまつれたまひけるもある(なか)に、かの御手(おほんて)なるはことに()()はせてぞありける。
後に残っては見苦しいような女の人からのお手紙は、破っては惜しい、とお思いになってか、少しずつ残していらっしゃったのを、何かの機会に御覧になって、破り捨てさせなさるなどすると、あの須磨にいたころ、あちらこちらから差し上げさせなさったものもある中で、あの方のご筆跡の手紙は、特別に一つに結んであったのであった。
人の目については不都合であるとお思いになった古い恋愛関係の手紙類をなお破るのは惜しい気があそばされたのか、だれのも少しずつ残してお置きになったのを、何かの時にお見つけになり破らせなどして、また改めて始末をしにおかかりになったのであるが、須磨(すま)の幽居時代に方々から送られた手紙などもあるうちに、紫の女王(にょおう)のだけは別に一束になっていた。
3.3.2
みづからしおきたまひけることなれど、(ひさ)しうなりける()のこと」と(おぼ)すに、ただ(いま)のやうなる(すみ)つきなど、「げに千年(ちとせ)形見(かたみ)にしつべかりけるを()ずなりぬべきよ」と(おぼ)せば、かひなくて(うと)からぬ(ひと)びと、()三人(さんにん)ばかり、御前(おまへ)にて()らせたまふ。
ご自身でなさっておいたことだが、「遠い昔のことになった」とお思いになるが、たった今書いたような墨跡などが、「なるほど千年の形見にできそうだが、見ることもなくなってしまうものよ」とお思いになると、何にもならないので、気心の知れた女房、二、三人ほどに、御前で破らせなさる。
御自身がしてお置きになったのであるが、古い昔のことであったと前の世のことのようにお思われになりながらも、中をあけてお読みになると、今書かれたもののように、夫人の墨の跡が生き生きとしていた。これは永久に形見として見るによいものであると思召(おぼしめ)されたが、こんなものも見てならぬ身の上になろうとするのでないかと、気がおつきになって、親しい女房二、三人をお招きになって、居間の中でお破らせになった。
3.3.3
いと、かからぬほどのことにてだに、()ぎにし(ひと)(あと)()るはあはれなるを、ましていとどかきくらし、それとも見分(みわ)かれぬまで、()りおつる御涙(おほんなみだ)水茎(みづぐき)(なが)()ふを(ひと)もあまり心弱(こころよわ)しと()たてまつるべきが、かたはらいたうはしたなければ、()しやりたまひて、
ほんとうに、このようなことでなくさえ、亡くなった人の筆跡と思うと胸が痛くなるのに、ましてますます涙にくれて、どれがどれとも見分けられないほど、流れ出るお涙の跡が文字の上を流れるのを、女房もあまりに意気地がないと拝見するにちがいないのが、見ていられなく体裁悪いので、手紙を押しやりなさって、
こんな場合でなくても、()くなった人の手紙を目に見ることは悲しいものであるのに、いっさいの感情を滅却させねばならぬ世界へ踏み入ろうとあそばす前の院のお心に女王の文字がどれほどはげしい悲しみをもたらしたかは御想像申し上げられることである。御気分はくらくなって涙は昔の墨の跡に添って流れるのが、女房たちの手前もきまり悪く恥ずかしくおなりになって、古手紙を少し前方へ押しやって、
3.3.4 「死出の山を越えてしまった人を恋い慕って行こうとして
その跡を見ながらもやはり悲しみにくれまどうことだ」
死出の山越えにし人を慕ふとて
跡を見つつもなほまどふかな
3.3.5
さぶらふ(ひと)びとも、まほにはえ()(ひろ)げねど、それとほのぼの()ゆるに、心惑(こころまど)ひどもおろかならず。
この()ながら(とほ)からぬ御別(おほんわか)れのほどを、いみじと(おぼ)しけるままに()いたまへる(こと)()げにその(をり)よりもせきあへぬ(かな)しさ、やらむかたなし。
いとうたて、(いま)ひときはの御心惑(みこころまど)ひも、女々(めめ)しく人悪(ひとわ)るくなりぬべければ、よくも()たまはで、こまやかに()きたまへるかたはらに、
伺候する女房たちも、まともには広げられないが、その筆跡とわずかに分かるので、心動かされることも並々でない。
この世にありながらそう遠くでなかったお別れの間中を、ひどく悲しいとお思いのままお書きになった和歌、なるほどその時よりも堪えがたい悲しみは、慰めようもない。
まことに情けなく、もう一段とお心まどいも、女々しく体裁悪くなってしまいそうなので、よくも御覧にならず、心をこめてお書きになっている側に、
と仰せられた。女房たちも御遠慮がされてくわしく読むことはできないのであったが、端々の文字の少しずつわかっていくだけさえも非常に悲しかった。同じ世にいて、近い所に別れ別れになっている悲しみを、実感のままに書かれてある故人の文章が、その当時以上に今のお心を打つのは道理なことである。こんなにめめしく悲しんで自分は見苦しいとお思いになって、よくもお読みにならないで長く書かれた女王の手紙の横に、
3.3.6 「かき集めて見るのも甲斐がない、
この手紙も本人と同じく雲居の煙と
かきつめて見るもかひなし藻塩草(もしほぐさ)
同じ雲井の煙とをなれ
3.3.7
()きつけて、皆焼(みなや)かせたまふ
と書きつけて、みなお焼かせになる。
とお書きになって、それも皆焼かせておしまいになった。

第四段 源氏、出家の準備

3.4.1
御仏名(おほんぶつみゃう)も、今年(ことし)ばかりにこそは」と(おぼ)せばにや(つね)よりもことに、錫杖(しゃくじゃう)声々(こゑごゑ)などあはれに(おぼ)さる。
()(すゑ)ながきことを()(ねが)ふも、(ほとけ)()きたまはむこと、かたはらいたし
「御仏名も、今年限りだ」とお思いになればであろうか、例年よりも格別に、錫杖の声々などがしみじみと思われなさる。
行く末長い将来を請い願うのも、仏が何とお聞きになろうかと、耳が痛い。
仏名の僧を迎える行事も今年きりのことであるとお思いになると、僧の錫杖(しゃくじょう)の音も身に()んでお聞かれになった。院のために行く末長く寿命の保たれることを僧たちの祈り唱えるのも、院のお心には仏へ恥ずかしくお思われになった。
3.4.2
(ゆき)いたう()りて、まめやかに()もりにけり。
導師(だうし)のまかづるを、御前(おまへ)()して、(さかづき)など、(つね)作法(さほふ)よりもさし()かせたまひて、ことに(ろく)など(たま)はす。
(とし)ごろ(ひさ)しく(まゐ)り、朝廷(おほやけ)にも(つか)うまつりて、御覧(ごらん)()れたる御導師(おほんだうし)の、(かしら)はやうやう色変(いろか)はりてさぶらふもあはれに(おぼ)さる。
(れい)の、(みや)たち、上達部(かんだちめ)など、あまた(まゐ)りたまへり。
雪がたいそう降って、たくさん積もった。
導師が退出するのを、御前にお召しになって、盃など、平常の作法よりも格別になさって、特に禄などを下賜なさる。
長年久しく参上し、朝廷にもお仕えして、よくご存知になられている御導師が、頭はだんだん白髪に変わって伺候しているのも、しみじみとお思われなさる。
いつもの、親王たち、上達部などが、大勢参上なさった。
雪が大降りになって厚く積もった。帰ろうとする導師を院は御前へお呼びになって、杯を賜わったりすることなども普通の仏名式の日以上の手厚いおねぎらいであった。纏頭(てんとう)なども賜わった。長くこの院へお出入りし、御所の御用も勤めているお馴染(なじ)み深い僧が、頭の色もようやく変わって老法師になった姿も院には哀れにお思われになるのであった。この日も例の宮がた、高官たちが多数に参入した。
3.4.3
(むめ)(はな)の、わづかにけしきばみはじめて(ゆき)にもてはやされたるほどをかしきを、御遊(おほんあそ)びなどもありぬべけれど、なほ今年(ことし)までは、ものの()もむせびぬべき心地(ここち)したまへば、(とき)によりたるもの、うち(ずん)じなどばかりぞせさせたまふ。
梅の花が、わずかにほころびはじめて雪に引き立てられているのが、美しいので、音楽のお遊びなどもあるはずなのだが、やはり今年までは、楽の音にもむせび泣きしてしまいそうな気がなさるので、折に合うものを、口ずさむ程度におさせなさる。
梅の花の少し花らしく顔を上げ出したのが、雪の中にきわだって美しく見える日であったから、音楽の遊びもあってしかるべきなのであるが、本年中はなお管絃(かんげん)もむせび泣きの声をたてるもののように思召されるお心から、そのことはなくて、詩歌を歌わせてお聞きになるくらいのことでとどめられた。
3.4.4
まことや導師(だうし)(さかづき)のついでに、
そう言えば、導師にお盃を賜る時に、
導師へ院が杯をおさしになった時のお歌は、
3.4.5 「春までの命もあるかどうか分からないから
雪の中に色づいた紅梅を今日は插頭にしよう」
春までの命も知らず雪のうちに
色づく梅を今日かざしてん
3.4.6
御返(おほんかへ)し、
お返事は、
というのであって、お返し、
3.4.7 「千代の春を見るべくあなたの長寿を祈りおきましたが
わが身は降る雪とともに年ふりました」
千代の春見るべきものと祈りおきて
わが身ぞ雪とともにふりぬる
3.4.8 人々も数多く詠みおいたが、省略した。
参会者の作も多かったが省いておく。
3.4.9
その()ぞ、()でたまへる
御容貌(おほんかたち)(むかし)御光(おほんひかり)にもまた(おほ)()ひて、ありがたくめでたく()えたまふを、この()りぬる(よはひ)(そう)は、あいなう(なみだ)もとどめざりけり。
この日、初めて人前にお出になった。
ご器量、昔のご威光にもまた一段と増して、素晴らしく見事にお見えになるのを、この年とった老齢の僧は、無性に涙を抑えられないのであった。
院の御美貌(びぼう)は昔の光源氏でおありになった時よりもさらに光彩が添ってお見えになるのを仰いで、この老いた僧はとめどなく涙を流した。
3.4.10
年暮(としく)れぬと(おぼ)すも、心細(こころぼそ)きに、若宮(わかみや)
年が暮れてしまったとお思いになるにつけ、心細いので、若宮が、
今年が終わることを心細く思召す院であったから、若宮が、
3.4.11
()やらはむに音高(おとたか)かるべきこと、(なに)わざをせさせむ」
「追儺をするのに、高い音を立てるには、どうしたらよいでしょう」
儺追(なやら)いをするのに、何を投げさせたらいちばん高い音がするだろう」
3.4.12
と、(はし)りありきたまふも、「をかしき(おほん)ありさまを()ざらむこと」と、よろづに(しの)びがたし。
と言って、走り回っていらっしゃるのも、「かわいいご様子を見なくなることだ」と、何につけ堪えがたい。
などと言って、お走り歩きになるのを御覧になっても、このかわいい人も見られぬ生活にはいるのであるとお思いになるのがお寂しかった。
3.4.13 「物思いしながら過ごし月日のたつのも知らない間に
今年も自分の寿命も今日が最後になったか」
()ふと過ぐる月日も知らぬまに
年もわが世も今日や尽きぬる
3.4.14
朔日(ついたち)のほどのこと、(つね)よりことなるべく」と、おきてさせたまふ。
親王(みこ)たち、大臣(おとど)御引出物(ひきいでもの)品々(しなじな)(ろく)どもなど、(なに)となう(おぼ)しまうけて、とぞ
元日の日のことを、「例年より格別に」と、お命じあそばす。
親王方、大臣への御引出物や、人々への禄などを、またとなくご用意なさって、とあった。
元日の参賀の客のためにことにはなやかな仕度(したく)を院はさせておいでになった。親王がた、大臣たちへのお贈り物、それ以下の人たちへの纏頭(てんとう)の品などもきわめてりっぱなものを用意させておいでになった。
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現代語訳 与謝野晶子
電子化 上田英代(古典総合研究所)
底本 角川文庫 全訳源氏物語
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2004年2月6日
渋谷栄一訳
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若林貴幸、宮脇文経
2005年7月20日

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