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02帚木
0216237第一章 雨夜の品定めの物語
021.16338第一段 長雨の時節
021.1.16439 (ひか)源氏(げんじ)()のみことことしう、()()たれたまふ咎多(とがおほ)かなるに、いとど、かかる()きごとどもを、(すゑ)()にも()(つた)へて、(かろ)びたる()をや(なが)さむと、(しの)びたまひける(かく)ろへごとをさへ、(かた)(つた)へけむ(ひと)のもの()ひさがなさよ。 ひかげんじのみことことしう、たれたまふとがおほかなるに、いとど、かかるきごとどもを、すゑにもつたへて、かろびたるをやながさんと、しのびたまひけるかくろへごとをさへ、かたつたへけんひとのものひさがなさよ。
021.1.26540 さるは、いといたく()(はばか)り、まめだちたまひけるほど、なよびかにをかしきことはなくて、交野少将(かたののせうしゃう)には(わら)はれたまひけむかし。 さるは、いといたくはばかり、まめだちたまひけるほど、なよびかにをかしきことはなくて、かたののせうしゃうにはわらはれたまひけんかし。
021.1.36641 まだ中将(ちゅうじゃう)などにものしたまひし(とき)は、内裏(うち)にのみさぶらひようしたまひて、大殿(おほいどの)には()()えまかでたまふ。(しの)ぶの(みだ)れやと、(うたが)ひきこゆることもありしかど、さしもあだめき目馴(めな)れたるうちつけの()()きしさなどは(この)ましからぬ御本性(ごほんじゃう)にて、まれには、あながちに()(たが)心尽(こころづ)くしなることを、御心(みこころ)(おぼ)しとどむる(くせ)なむ、あやにくにて、さるまじき御振(おほんふ)()ひもうち()じりける。 まだちゅうじゃうなどにものしたまひしときは、うちにのみさぶらひようしたまひて、おほいどのにはえまかでたまふ。しのぶのみだれやと、うたがひきこゆることもありしかど、さしもあだめきめなれたるうちつけのきしさなどはこのましからぬごほんじゃうにて、まれには、あながちにたがこころづくしなることを、みこころおぼしとどむるくせなん、あやにくにて、さるまじきおほんふひもうちじりける。
021.26742第二段 宮中の宿直所、光る源氏と頭中将
021.2.16843 長雨晴(ながあめは)()なきころ、内裏(うち)御物忌(おほんものいみ)さし(つづ)きて、いとど長居(ながゐ)さぶらひたまふを、大殿(おほいどの)にはおぼつかなく(うら)めしく(おぼ)したれど、よろづの(おほん)よそひ(なに)くれとめづらしきさまに調(てう)()でたまひつつ、御息子(おほんむすこ)(きみ)たちただこの御宿直所(おほんとのゐどころ)宮仕(みやづか)へを(つと)めたまふ。 ながあめはなきころ、うちおほんものいみさしつづきて、いとどながゐさぶらひたまふを、おほいどのにはおぼつかなくうらめしくおぼしたれど、よろづのおほんよそひなにくれとめづらしきさまにてうでたまひつつ、おほんむすこきみたちただこのおほんとのゐどころみやづかへをつとめたまふ。
021.2.26944 宮腹(みやばら)中将(ちゅうじゃう)は、なかに(した)しく()れきこえたまひて、(あそ)(たはぶ)れをも(ひと)よりは心安(こころやす)く、なれなれしく()()ひたり。右大臣(みぎのおとど)のいたはりかしづきたまふ()()は、この(きみ)もいともの()くして、()きがましきあだ(びと)なり。 みやばらちゅうじゃうは、なかにしたしくれきこえたまひて、あそたはぶれをもひとよりはこころやすく、なれなれしくひたり。みぎのおとどのいたはりかしづきたまふは、このきみもいとものくして、きがましきあだびとなり。
021.2.37045 (さと)にても、わが(かた)のしつらひまばゆくして、(きみ)()()りしたまふにうち()れきこえたまひつつ、夜昼(よるひる)学問(がくもん)をも(あそ)びをももろともにして、をさをさ()ちおくれず、いづくにてもまつはれきこえたまふほどに、おのづからかしこまりもえおかず、(こころ)のうちに(おも)ふことをも(かく)しあへずなむ、(むつ)れきこえたまひける。 さとにても、わがかたのしつらひまばゆくして、きみりしたまふにうちれきこえたまひつつ、よるひるがくもんをもあそびをももろともにして、をさをさちおくれず、いづくにてもまつはれきこえたまふほどに、おのづからかしこまりもえおかず、こころのうちにおもふことをもかくしあへずなん、むつれきこえたまひける。
021.2.47147 つれづれと()()らして、しめやかなる(よひ)(あめ)に、殿上(てんじゃう)にもをさをさ人少(ひとずく)なに、御宿直所(おほんとのゐどころ)(れい)よりはのどやかなる心地(ここち)するに、大殿油近(おほとなぶらちか)くて(ふみ)どもなど()たまふ。(ちか)御厨子(みづし)なる色々(いろいろ)(かみ)なる(ふみ)どもを()()でて、中将(ちゅうじゃう)わりなくゆかしがれば、 つれづれとらして、しめやかなるよひあめに、てんじゃうにもをさをさひとずくなに、おほんとのゐどころれいよりはのどやかなるここちするに、おほとなぶらちかくてふみどもなどたまふ。ちかみづしなるいろいろかみなるふみどもをでて、ちゅうじゃうわりなくゆかしがれば、
021.2.57248 「さりぬべき、すこしは()せむ。かたはなるべきもこそ」 "さりぬべき、すこしはせん。かたはなるべきもこそ。"
021.2.67349 と、(ゆる)したまはねば、 と、ゆるしたまはねば、
021.2.77450 「そのうちとけてかたはらいたしと(おぼ)されむこそゆかしけれ。おしなべたるおほかたのは、(かず)ならねど、程々(ほどほど)につけて、()()はしつつも()はべりなむ。おのがじし、(うら)めしき折々(をりをり)()(がほ)ならむ夕暮(ゆふぐ)れなどのこそ、見所(みどころ)はあらめ」 "そのうちとけてかたはらいたしとおぼされんこそゆかしけれ。おしなべたるおほかたのは、かずならねど、ほどほどにつけて、はしつつもはべりなん。おのがじし、うらめしきをりをりがほならんゆふぐれなどのこそ、みどころはあらめ。"
021.2.87551 (ゑん)ずれば、やむごとなくせちに(かく)したまふべきなどは、かやうにおほぞうなる御厨子(みづし)などにうち()()らしたまふべくもあらず、(ふか)くとり()きたまふべかめれば、()(まち)心安(こころやす)きなるべし。片端(かたはし)づつ()るに、「かくさまざまなる(もの)どもこそはべりけれ」とて、(こころ)あてに「それか、かれか」など()ふなかに、()()つるもあり、もて(はな)れたることをも(おも)()せて(うたが)ふも、をかしと(おぼ)せど、言少(ことずく)なにてとかく(まぎ)らはしつつ、とり(かく)したまひつ。 ゑんずれば、やんごとなくせちにかくしたまふべきなどは、かやうにおほぞうなるみづしなどにうちらしたまふべくもあらず、ふかくとりきたまふべかめれば、まちこころやすきなるべし。かたはしづつるに、"かくさまざまなるものどもこそはべりけれ。"とて、こころあてに"それか。かれか。"などふなかに、つるもあり、もてはなれたることをもおもせてうたがふも、をかしとおぼせど、ことずくなにてとかくまぎらはしつつ、とりかくしたまひつ。
021.2.97652 「そこにこそ(おほ)(つど)へたまふらめ。すこし()ばや。さてなむ、この厨子(づし)(こころ)よく(ひら)くべき」とのたまへば、 "そこにこそおほつどへたまふらめ。すこしばや。さてなん、このづしこころよくひらくべき。"とのたまへば、
021.2.107753 御覧(ごらん)(どころ)あらむこそ、(かた)くはべらめ」など()こえたまふついでに、「(をんな)の、これはしもと(なん)つくまじきは、(かた)くもあるかなと、やうやうなむ()たまへ()る。ただうはべばかりの(なさ)けに、手走(てはし)()き、をりふしの(いら)心得(こころえ)て、うちしなどばかりは、随分(ずいぶん)によろしきも(おほ)かりと()たまふれど、そもまことにその(かた)()()でむ(えら)びにかならず()るまじきは、いと(かた)しや。わが心得(こころえ)たることばかりを、おのがじし(こころ)をやりて、(ひと)をば()としめなど、かたはらいたきこと(おほ)かり。 "ごらんどころあらんこそ、かたくはべらめ。"などこえたまふついでに、"をんなの、これはしもとなんつくまじきは、かたくもあるかなと、やうやうなんたまへる。ただうはべばかりのなさけに、てはしき、をりふしのいらこころえて、うちしなどばかりは、ずいぶんによろしきもおほかりとたまふれど、そもまことにそのかたでんえらびにかならずるまじきは、いとかたしや。わがこころえたることばかりを、おのがじしこころをやりて、ひとをばとしめなど、かたはらいたきことおほかり。
021.2.117854 (おや)など()()ひもてあがめて、()先籠(さきこも)れる(まど)(うち)なるほどは、ただ(かた)かどを()(つた)へて、(こころ)(うご)かすこともあめり。容貌(かたち)をかしくうちおほどき、(わか)やかにて(まぎ)るることなきほど、はかなきすさびをも、(ひと)まねに(こころ)()るることもあるに、おのづから(ひと)つゆゑづけてし()づることもあり。 おやなどひもてあがめて、さきこもれるまどうちなるほどは、ただかたかどをつたへて、こころうごかすこともあめり。かたちをかしくうちおほどき、わかやかにてまぎるることなきほど、はかなきすさびをも、ひとまねにこころるることもあるに、おのづからひとつゆゑづけてしづることもあり。
021.2.127955 ()(ひと)(おく)れたる(かた)をば()(かく)し、さてありぬべき(かた)をばつくろひて、まねび()だすに、『それ、しかあらじ』と、そらにいかがは()(はか)(おも)ひくたさむ。まことかと()もてゆくに、見劣(みおと)りせぬやうは、なくなむあるべき」 ひとおくれたるかたをばかくし、さてありぬべきかたをばつくろひて、まねびだすに、'それ、しかあらじ'と、そらにいかがははかおもひくたさん。まことかともてゆくに、みおとりせぬやうは、なくなんあるべき。"
021.2.138056 と、うめきたる気色(けしき)()づかしげなれば、いとなべてはあらねど、われ(おぼ)()はすることやあらむ、うちほほ()みて、 と、うめきたるけしきづかしげなれば、いとなべてはあらねど、われおぼはすることやあらん、うちほほみて、
021.2.148157 「その、(かた)かどもなき(ひと)は、あらむや」とのたまへば、 "その、かたかどもなきひとは、あらんや。"とのたまへば、
021.2.158258 「いと、さばかりならむあたりには、()れかはすかされ()りはべらむ。()るかたなく口惜(くちを)しき(きは)と、(いう)なりとおぼゆばかりすぐれたるとは、数等(かずひと)しくこそはべらめ。(ひと)品高(しなたか)()まれぬれば、(ひと)にもてかしづかれて、(かく)るること(おほ)く、自然(じねん)にそのけはひこよなかるべし。(なか)(しな)になむ、(ひと)心々(こころごころ)、おのがじしの()てたるおもむきも()えて、()かるべきことかたがた(おほ)かるべき。(しも)のきざみといふ(きは)になれば、ことに(みみ)たたずかし」 "いと、さばかりならんあたりには、れかはすかされりはべらん。るかたなくくちをしききはと、いうなりとおぼゆばかりすぐれたるとは、かずひとしくこそはべらめ。ひとしなたかまれぬれば、ひとにもてかしづかれて、かくるることおほく、じねんにそのけはひこよなかるべし。なかしなになん、ひとこころごころ、おのがじしのてたるおもむきもえて、かるべきことかたがたおほかるべき。しものきざみといふきはになれば、ことにみみたたずかし。"
021.2.168359 とて、いと(くま)なげなる気色(けしき)なるも、ゆかしくて、 とて、いとくまなげなるけしきなるも、ゆかしくて、
021.2.178460 「その品々(しなじな)や、いかに。いづれを()つの(しな)()きてか()くべき。(もと)品高(しなたか)()まれながら、()(しづ)み、(くらゐ)みじかくて(ひと)げなき。また直人(なほびと)上達部(かんだちめ)などまでなり(のぼ)り、(われ)(がほ)にて(いへ)(うち)(かざ)り、(ひと)(おと)らじと(おも)へる。そのけぢめをば、いかが()くべき」 "そのしなじなや、いかに。いづれをつのしなきてかくべき。もとしなたかまれながら、しづみ、くらゐみじかくてひとげなき。またなほびとかんだちめなどまでなりのぼり、われがほにていへうちかざり、ひとおとらじとおもへる。そのけぢめをば、いかがくべき。"
021.2.188561 ()ひたまふほどに、左馬頭(ひだりのむまのかみ)藤式部丞(とうしきぶのじょう)御物忌(おほんものいみ)()もらむとて(まゐ)れり。()()(もの)にて(もの)よく()ひとほれるを、中将待(ちゅうじゃうま)ちとりて、この品々(しなじな)をわきまへ(さだ)(あらそ)ふ。いと()きにくきこと(おほ)かり。 ひたまふほどに、ひだりのむまのかみとうしきぶのじょうおほんものいみもらんとてまゐれり。ものにてものよくひとほれるを、ちゅうじゃうまちとりて、このしなじなをわきまへさだあらそふ。いときにくきことおほかり。
021.38662第三段 左馬頭、藤式部丞ら女性談義に加わる
021.3.18763 「なり(のぼ)れども、もとよりさるべき(すぢ)ならぬは、世人(よひと)(おも)へることも、さは()へど、なほことなり。また、(もと)はやむごとなき(すぢ)なれど、()()るたづき(すく)なく、時世(ときよ)(うつ)ろひて、おぼえ(おとろ)へぬれば、(こころ)(こころ)としてこと()らず、()ろびたることども()でくるわざなめれば、とりどりにことわりて、(なか)(しな)にぞ()くべき。 "なりのぼれども、もとよりさるべきすぢならぬは、よひとおもへることも、さはへど、なほことなり。また、もとはやんごとなきすぢなれど、るたづきすくなく、ときようつろひて、おぼえおとろへぬれば、こころこころとしてことらず、ろびたることどもでくるわざなめれば、とりどりにことわりて、なかしなにぞくべき。
021.3.28864 受領(ずりゃう)()ひて、(ひと)(くに)のことにかかづらひ(いとな)みて、品定(しなさだ)まりたる(なか)にも、またきざみきざみありて、(なか)(しな)のけしうはあらぬ、()()でつべきころほひなり。なまなまの上達部(かんだちめ)よりも非参議(ひさんぎ)四位(しゐ)どもの、()のおぼえ口惜(くちを)しからず、もとの()ざし(いや)しからぬ、やすらかに()をもてなしふるまひたる、いとかはらかなりや。 ずりゃうひて、ひとくにのことにかかづらひいとなみて、しなさだまりたるなかにも、またきざみきざみありて、なかしなのけしうはあらぬ、でつべきころほひなり。なまなまのかんだちめよりもひさんぎしゐどもの、のおぼえくちをしからず、もとのざしいやしからぬ、やすらかにをもてなしふるまひたる、いとかはらかなりや。
021.3.38965 (いへ)(うち)()らぬことなど、はたなかめるままに、(はぶ)かずまばゆきまでもてかしづける(むすめ)などの、おとしめがたく()()づるもあまたあるべし。宮仕(みやづか)へに()()ちて、(おも)ひかけぬ(さいは)ひとり()づる(ためし)ども(おほ)かりかし」など()へば、 いへうちらぬことなど、はたなかめるままに、はぶかずまばゆきまでもてかしづけるむすめなどの、おとしめがたくづるもあまたあるべし。みやづかへにちて、おもひかけぬさいはひとりづるためしどもおほかりかし。"などへば、
021.3.49066 「すべて、にぎははしきによるべきななり」とて、(わら)ひたまふを、 "すべて、にぎははしきによるべきななり。"とて、わらひたまふを、
021.3.59167 異人(ことひと)()はむやうに、心得(こころえ)(おほ)せらる」と、中将憎(ちゅうじゃうにく)む。 "ことひとはんやうに、こころえおほせらる。"と、ちゅうじゃうにくむ。
021.3.69268 (もと)(しな)時世(ときよ)のおぼえうち()ひ、やむごとなきあたりの内々(うちうち)のもてなしけはひ(おく)れたらむは、さらにも()はず、(なに)をしてかく()()でけむと、()ふかひなくおぼゆべし。うち()ひてすぐれたらむもことわり、これこそはさるべきこととおぼえて、めづらかなることと(こころ)(おどろ)くまじ。なにがしが(およ)ぶべきほどならねば、(かみ)(かみ)はうちおきはべりぬ。 "もとしなときよのおぼえうちひ、やんごとなきあたりのうちうちのもてなしけはひおくれたらんは、さらにもはず、なにをしてかくでけんと、ふかひなくおぼゆべし。うちひてすぐれたらんもことわり、これこそはさるべきこととおぼえて、めづらかなることとこころおどろくまじ。なにがしがおよぶべきほどならねば、かみかみはうちおきはべりぬ。
021.3.79369 さて、()にありと(ひと)()られず、さびしくあばれたらむ(むぐら)(かど)に、(おも)ひの(ほか)にらうたげならむ(ひと)()ぢられたらむこそ、(かぎ)りなくめづらしくはおぼえめ。いかで、はたかかりけむと、(おも)ふより(たが)へることなむ、あやしく(こころ)とまるわざなる。 さて、にありとひとられず、さびしくあばれたらんむぐらかどに、おもひのほかにらうたげならんひとぢられたらんこそ、かぎりなくめづらしくはおぼえめ。いかで、はたかかりけんと、おもふよりたがへることなん、あやしくこころとまるわざなる。
021.3.89470 (ちち)年老(としお)い、ものむつかしげに(ふと)りすぎ、(せうと)顔憎(かほにく)げに、(おも)ひやりことなることなき(ねや)(うち)に、いといたく(おも)ひあがり、はかなくし()でたることわざも、ゆゑなからず()えたらむ、(かた)かどにても、いかが(おも)ひの(ほか)にをかしからざらむ。 ちちとしおい、ものむつかしげにふとりすぎ、せうとかほにくげに、おもひやりことなることなきねやうちに、いといたくおもひあがり、はかなくしでたることわざも、ゆゑなからずえたらん、かたかどにても、いかがおもひのほかにをかしからざらん。
021.3.99571 すぐれて(きず)なき(かた)(えら)びにこそ(およ)ばざらめ、さる(かた)にて()てがたきものをは」 すぐれてきずなきかたえらびにこそおよばざらめ、さるかたにててがたきものをは。"
021.3.109672 とて、式部(しきぶ)()やれば、わが(いもうと)どものよろしき()こえあるを(おも)ひてのたまふにや、とや心得(こころう)らむ、ものも()はず。 とて、しきぶやれば、わがいもうとどものよろしきこえあるをおもひてのたまふにや、とやこころうらん、ものもはず。
021.3.119773 「いでや、(かみ)(しな)(おも)ふにだに(かた)げなる()を」と、(きみ)(おぼ)すべし。(しろ)御衣(おほんぞ)どものなよらかなるに、直衣(なほし)ばかりをしどけなく()なしたまひて、(ひも)などもうち()てて、()()したまへる御火影(おほんほかげ)、いとめでたく、(をんな)にて()たてまつらまほし。この(おほん)ためには(かみ)(かみ)()()でても、なほ()くまじく()えたまふ。 "いでや、かみしなおもふにだにかたげなるを。"と、きみおぼすべし。しろおほんぞどものなよらかなるに、なほしばかりをしどけなくなしたまひて、ひもなどもうちてて、したまへるおほんほかげ、いとめでたく、をんなにてたてまつらまほし。このおほんためにはかみかみでても、なほくまじくえたまふ。
021.3.129874 さまざまの(ひと)(うへ)どもを(かた)()はせつつ、 さまざまのひとうへどもをかたはせつつ、
021.3.139975 「おほかたの()につけて()るには(とが)なきも、わがものとうち(たの)むべきを()らむに、(おほ)かる(なか)にも、えなむ(おも)(さだ)むまじかりける。(をのこ)朝廷(おほやけ)(つか)うまつり、はかばかしき()のかためとなるべきも、まことの(うつは)ものとなるべきを()()ださむには、かたかるべしかし。 "おほかたのにつけてるにはとがなきも、わがものとうちたのむべきをらんに、おほかるなかにも、えなんおもさだむまじかりける。をのこおほやけつかうまつり、はかばかしきのかためとなるべきも、まことのうつはものとなるべきをださんには、かたかるべしかし。
021.3.1410076 されど、(かしこ)しとても、一人二人世(ひとりふたりよ)(なか)をまつりごちしるべきならねば、(かみ)(しも)(たす)けられ、(しも)(かみ)になびきて、こと(ひろ)きに(ゆづ)ろふらむ。 されど、かしこしとても、ひとりふたりよなかをまつりごちしるべきならねば、かみしもたすけられ、しもかみになびきて、ことひろきにゆづろふらん。
021.3.1510177 (せば)(いへ)(うち)主人(あるじ)とすべき人一人(ひとひとり)(おも)ひめぐらすに、()らはで()しかるべき大事(だいじ)どもなむ、かたがた(おほ)かる。とあればかかり、あふさきるさにて、なのめにさてもありぬべき(ひと)(すく)なきを、()()きしき(こころ)のすさびにて、(ひと)のありさまをあまた見合(みあ)はせむの(この)みならねど、ひとへに(おも)(さだ)むべきよるべとすばかりに、(おな)じくは、わが力入(ちからい)りをし(なほ)しひきつくろふべき(ところ)なく、(こころ)にかなふやうにもやと、()りそめつる(ひと)の、(さだ)まりがたきなるべし。 せばいへうちあるじとすべきひとひとりおもひめぐらすに、らはでしかるべきだいじどもなん、かたがたおほかる。とあればかかり、あふさきるさにて、なのめにさてもありぬべきひとすくなきを、きしきこころのすさびにて、ひとのありさまをあまたみあはせんのこのみならねど、ひとへにおもさだむべきよるべとすばかりに、おなじくは、わがちからいりをしなほしひきつくろふべきところなく、こころにかなふやうにもやと、りそめつるひとの、さだまりがたきなるべし。
021.3.1610278 かならずしもわが(おも)ふにかなはねど、()そめつる(ちぎ)りばかりを()てがたく(おも)ひとまる(ひと)は、ものまめやかなりと()え、さて、(たも)たるる(をんな)のためも、(こころ)にくく()(はか)らるるなり。されど、(なに)か、()のありさまを()たまへ(あつ)むるままに、(こころ)(およ)ばずいとゆかしきこともなしや。君達(きんだち)(かみ)なき御選(おほんえら)びには、まして、いかばかりの(ひと)かは()らひたまはむ。 かならずしもわがおもふにかなはねど、そめつるちぎりばかりをてがたくおもひとまるひとは、ものまめやかなりとえ、さて、たもたるるをんなのためも、こころにくくはからるるなり。されど、なにか、のありさまをたまへあつむるままに、こころおよばずいとゆかしきこともなしや。きんだちかみなきおほんえらびには、まして、いかばかりのひとかはらひたまはん。
021.3.1710379 容貌(かたち)きたなげなく、(わか)やかなるほどの、おのがじしは(ちり)もつかじと()をもてなし、(ふみ)()けど、おほどかに言選(ことえ)りをし、(すみ)つきほのかに(こころ)もとなく(おも)はせつつ、またさやかにも()てしがなとすべなく()たせ、わづかなる声聞(こゑき)くばかり()()れど、(いき)(した)にひき()言少(ことずく)ななるが、いとよくもて(かく)すなりけり。なよびかに(をんな)しと()れば、あまり(なさ)けにひきこめられて、とりなせば、あだめく。これをはじめの(なん)とすべし。 かたちきたなげなく、わかやかなるほどの、おのがじしはちりもつかじとをもてなし、ふみけど、おほどかにことえりをし、すみつきほのかにこころもとなくおもはせつつ、またさやかにもてしがなとすべなくたせ、わづかなるこゑきくばかりれど、いきしたにひきことずくななるが、いとよくもてかくすなりけり。なよびかにをんなしとれば、あまりなさけにひきこめられて、とりなせば、あだめく。これをはじめのなんとすべし。
021.3.1810480 (こと)(なか)に、なのめなるまじき(ひと)後見(うしろみ)(かた)は、もののあはれ()()ぐし、はかなきついでの(なさ)けあり、をかしきに(すす)める(かた)なくてもよかるべしと()えたるに、また、まめまめしき(すぢ)()てて(みみ)はさみがちに()さうなき家刀自(いへとうじ)の、ひとへにうちとけたる後見(うしろみ)ばかりをして。 ことなかに、なのめなるまじきひとうしろみかたは、もののあはれぐし、はかなきついでのなさけあり、をかしきにすすめるかたなくてもよかるべしとえたるに、また、まめまめしきすぢててみみはさみがちにさうなきいへとうじの、ひとへにうちとけたるうしろみばかりをして。
021.3.1910581 朝夕(あさゆふ)()()りにつけても、公私(おほやけわたくし)(ひと)のたたずまひ、()()しきことの、()にも(みみ)にもとまるありさまを、(うと)(ひと)に、わざとうちまねばむやは。(ちか)くて()(ひと)()きわき(おも)()るべからむに(かた)りも()はせばやと、うちも()まれ、(なみだ)もさしぐみ、もしは、あやなきおほやけ腹立(はらだ)たしく、(こころ)ひとつに(おも)ひあまることなど(おほ)かるを、(なに)にかは()かせむと(おも)へば、うちそむかれて、人知(ひとし)れぬ(おも)()(わら)ひもせられ、『あはれ』とも、うち(ひと)りごたるるに、『(なに)ごとぞ』など、あはつかにさし(あふ)ぎゐたらむは、いかがは口惜(くちを)しからぬ。 あさゆふりにつけても、おほやけわたくしひとのたたずまひ、しきことの、にもみみにもとまるありさまを、うとひとに、わざとうちまねばんやは。ちかくてひときわきおもるべからんにかたりもはせばやと、うちもまれ、なみだもさしぐみ、もしは、あやなきおほやけはらだたしく、こころひとつにおもひあまることなどおほかるを、なににかはかせんとおもへば、うちそむかれて、ひとしれぬおもわらひもせられ、'あはれ'とも、うちひとりごたるるに、'なにごとぞ。'など、あはつかにさしあふぎゐたらんは、いかがはくちをしからぬ。
021.3.2010682 ただひたふるに()めきて(やは)らかならむ(ひと)を、とかくひきつくろひてはなどか()ざらむ。(こころ)もとなくとも、(なほ)(どころ)ある心地(ここち)すべし。げに、さし(むか)ひて()むほどは、さてもらうたき(かた)(つみ)ゆるし()るべきを、()(はな)れてさるべきことをも()ひやり、をりふしにし()でむわざのあだ(ごと)にもまめ(ごと)にも、わが(こころ)(おも)()ることなく(ふか)きいたりなからむは、いと口惜(くちを)しく(たの)もしげなき(とが)や、なほ(くる)しからむ。(つね)はすこしそばそばしく(こころ)づきなき(ひと)の、をりふしにつけて()でばえするやうもありかし」 ただひたふるにめきてやはらかならんひとを、とかくひきつくろひてはなどかざらん。こころもとなくとも、なほどころあるここちすべし。げに、さしむかひてんほどは、さてもらうたきかたつみゆるしるべきを、はなれてさるべきことをもひやり、をりふしにしでんわざのあだごとにもまめごとにも、わがこころおもることなくふかきいたりなからんは、いとくちをしくたのもしげなきとがや、なほくるしからん。つねはすこしそばそばしくこころづきなきひとの、をりふしにつけてでばえするやうもありかし。"
021.3.2110783 など、(くま)なきもの()ひも、(さだ)めかねていたくうち(なげ)く。 など、くまなきものひも、さだめかねていたくうちなげく。
021.410884第四段 女性論、左馬頭の結論
021.4.110985 (いま)は、ただ、(しな)にもよらじ。容貌(かたち)をばさらにも()はじ。いと口惜(くちを)しくねぢけがましきおぼえだになくは、ただひとへにものまめやかに、(しづ)かなる(こころ)のおもむきならむよるべをぞ、つひの(たの)(どころ)には(おも)ひおくべかりける。 "いまは、ただ、しなにもよらじ。かたちをばさらにもはじ。いとくちをしくねぢけがましきおぼえだになくは、ただひとへにものまめやかに、しづかなるこころのおもむきならんよるべをぞ、つひのたのどころにはおもひおくべかりける。
021.4.211086 あまりのゆゑよし(こころ)ばせうち()へたらむをば、よろこびに(おも)ひ、すこし(おく)れたる(かた)あらむをも、あながちに(もと)(くは)へじ。うしろやすくのどけき(ところ)だに(つよ)くは、うはべの(なさ)けは、おのづからもてつけつべきわざをや。 あまりのゆゑよしこころばせうちへたらんをば、よろこびにおもひ、すこしおくれたるかたあらんをも、あながちにもとくはへじ。うしろやすくのどけきところだにつよくは、うはべのなさけは、おのづからもてつけつべきわざをや。
021.4.311187 (えん)にもの()ぢして、(うら)()ふべきことをも見知(みし)らぬさまに(しの)びて、(うへ)はつれなくみさをづくり、心一(こころひと)つに(おも)ひあまる(とき)は、()はむかたなくすごき(こと)()、あはれなる(うた)()みおき、しのばるべき形見(かたみ)をとどめて、(ふか)山里(やまざと)世離(よばな)れたる(うみ)づらなどにはひ(かく)れぬるをり。 えんにものぢして、うらふべきことをもみしらぬさまにしのびて、うへはつれなくみさをづくり、こころひとつにおもひあまるときは、はんかたなくすごきこと、あはれなるうたみおき、しのばるべきかたみをとどめて、ふかやまざとよばなれたるうみづらなどにはひかくれぬるをり。
021.4.411288 (わらは)にはべりし(とき)女房(にょうばう)などの物語読(ものがたりよ)みしを()きて、いとあはれに(かな)しく、心深(こころふか)きことかなと、(なみだ)をさへなむ()としはべりし。今思(いまおも)ふには、いと軽々(かるがる)しく、ことさらびたることなり。 わらはにはべりしときにょうばうなどのものがたりよみしをきて、いとあはれにかなしく、こころふかきことかなと、なみだをさへなんとしはべりし。いまおもふには、いとかるがるしく、ことさらびたることなり。
021.4.511389 (こころ)ざし(ふか)からむ(をとこ)をおきて、()()(まへ)につらきことありとも、(ひと)(こころ)見知(みし)らぬやうに()(かく)れて、(ひと)をまどはし、(こころ)()むとするほどに、(なが)()のもの(おも)ひになる、いとあぢきなきことなり。 こころざしふかからんをとこをおきて、まへにつらきことありとも、ひとこころみしらぬやうにかくれて、ひとをまどはし、こころんとするほどに、ながのものおもひになる、いとあぢきなきことなり。
021.4.611490 心深(こころふか)しや』など、ほめたてられて、あはれ(すす)みぬれば、やがて(あま)になりぬかし。(おも)()つほどは、いと心澄(こころす)めるやうにて、()(かへ)()すべくも(おも)へらず。『いで、あな(かな)し。かくはた(おぼ)しなりにけるよ』などやうに、あひ()れる人来(ひとき)とぶらひ、ひたすらに()しとも(おも)(はな)れぬ(をとこ)()きつけて涙落(なみだお)とせば、使(つか)(ひと)古御達(ふるごたち)など、『(きみ)御心(みこころ)は、あはれなりけるものを。あたら御身(おほんみ)を』など()ふ。みづから額髪(ひたひがみ)をかきさぐりて、あへなく心細(こころぼそ)ければ、うちひそみぬかし。(しの)ぶれど(なみだ)こぼれそめぬれば、折々(をりをり)ごとにえ(ねん)じえず、(くや)しきこと(おほ)かめるに、(ほとけ)もなかなか(こころ)ぎたなしと、()たまひつべし。(にご)りにしめるほどよりも、なま()かびにては、かへりて()しき(みち)にも(ただよ)ひぬべくぞおぼゆる。 'こころふかしや。'など、ほめたてられて、あはれすすみぬれば、やがてあまになりぬかし。おもつほどは、いとこころすめるやうにて、かへすべくもおもへらず。'いで、あなかなし。かくはたおぼしなりにけるよ。'などやうに、あひれるひときとぶらひ、ひたすらにしともおもはなれぬをとこきつけてなみだおとせば、つかひとふるごたちなど、'きみみこころは、あはれなりけるものを。あたらおほんみを。'などふ。みづからひたひがみをかきさぐりて、あへなくこころぼそければ、うちひそみぬかし。しのぶれどなみだこぼれそめぬれば、をりをりごとにえねんじえず、くやしきことおほかめるに、ほとけもなかなかこころぎたなしと、たまひつべし。にごりにしめるほどよりも、なまかびにては、かへりてしきみちにもただよひぬべくぞおぼゆる。
021.4.711591 ()えぬ宿世浅(すくせあさ)からで、(あま)にもなさで(たづ)()りたらむも、やがてあひ()ひて、とあらむ(をり)もかからむきざみをも、見過(みす)ぐしたらむ(なか)こそ、(ちぎ)(ふか)くあはれならめ、(われ)(ひと)も、うしろめたく(こころ)おかれじやは。 えぬすくせあさからで、あまにもなさでたづりたらんも、やがてあひひて、とあらんをりもかからんきざみをも、みすぐしたらんなかこそ、ちぎふかくあはれならめ、われひとも、うしろめたくこころおかれじやは。
021.4.811692 また、なのめに(うつ)ろふ(かた)あらむ(ひと)(うら)みて、気色(けしき)ばみ(そむ)かむ、はたをこがましかりなむ。(こころ)(うつ)ろふ(かた)ありとも、()そめし(こころ)ざしいとほしく(おも)はば、さる(かた)のよすがに(おも)ひてもありぬべきに、さやうならむたぢろきに、()えぬべきわざなり。 また、なのめにうつろふかたあらんひとうらみて、けしきばみそむかん、はたをこがましかりなん。こころうつろふかたありとも、そめしこころざしいとほしくおもはば、さるかたのよすがにおもひてもありぬべきに、さやうならんたぢろきに、えぬべきわざなり。
021.4.911793 すべて、よろづのことなだらかに、(ゑん)ずべきことをば見知(みし)れるさまにほのめかし、(うら)むべからむふしをも(にく)からずかすめなさば、それにつけて、あはれもまさりぬべし。(おほ)くは、わが(こころ)()(ひと)からをさまりもすべし。あまりむげにうちゆるべ見放(みはな)ちたるも、心安(こころやす)くらうたきやうなれど、おのづから(かろ)(かた)にぞおぼえはべるかし。(つな)がぬ(ふね)()きたる(ためし)も、げにあやなし。さははべらぬか」 すべて、よろづのことなだらかに、ゑんずべきことをばみしれるさまにほのめかし、うらむべからんふしをもにくからずかすめなさば、それにつけて、あはれもまさりぬべし。おほくは、わがこころひとからをさまりもすべし。あまりむげにうちゆるべみはなちたるも、こころやすくらうたきやうなれど、おのづからかろかたにぞおぼえはべるかし。つながぬふねきたるためしも、げにあやなし。さははべらぬか。"
021.4.1011894 ()へば、中将(ちゅうじゃう)うなづく。 へば、ちゅうじゃううなづく。
021.4.1111995 「さしあたりて、をかしともあはれとも(こころ)()らむ(ひと)の、(たの)もしげなき(うたが)ひあらむこそ、大事(だいじ)なるべけれ。わが(こころ)あやまちなくて見過(みす)ぐさば、さし(なほ)してもなどか()ざらむとおぼえたれど、それさしもあらじ。ともかくも、(たが)ふべきふしあらむを、のどやかに見忍(みしの)ばむよりほかに、ますことあるまじかりけり」 "さしあたりて、をかしともあはれともこころらんひとの、たのもしげなきうたがひあらんこそ、だいじなるべけれ。わがこころあやまちなくてみすぐさば、さしなほしてもなどかざらんとおぼえたれど、それさしもあらじ。ともかくも、たがふべきふしあらんを、のどやかにみしのばんよりほかに、ますことあるまじかりけり。"
021.4.1212096 ()ひて、わが(いもうと)姫君(ひめぎみ)は、この(さだ)めにかなひたまへりと(おも)へば、(きみ)のうちねぶりて言葉(ことば)まぜたまはぬを、さうざうしく(こころ)やましと(おも)ふ。馬頭(むまのかみ)物定(ものさだ)めの博士(はかせ)になりて、ひひらきゐたり。中将(ちゅうじゃう)は、このことわり()()てむと、心入(こころい)れて、あへしらひゐたまへり。 ひて、わがいもうとひめぎみは、このさだめにかなひたまへりとおもへば、きみのうちねぶりてことばまぜたまはぬを、さうざうしくこころやましとおもふ。むまのかみものさだめのはかせになりて、ひひらきゐたり。ちゅうじゃうは、このことわりてんと、こころいれて、あへしらひゐたまへり。
021.4.1312197 「よろづのことによそへて(おぼ)せ。()(みち)(たくみ)のよろづの(もの)(こころ)にまかせて(つく)()だすも、臨時(りんじ)のもてあそび(もの)の、その(もの)(あと)(さだ)まらぬは、そばつきさればみたるも、げにかうもしつべかりけりと、(とき)につけつつさまを()へて、(いま)めかしきに目移(めうつ)りてをかしきもあり。大事(だいじ)として、まことにうるはしき(ひと)調度(てうど)(かざ)りとする、(さだ)まれるやうある(もの)(なん)なくし()づることなむ、なほまことの(もの)上手(じゃうず)は、さまことに()()かれはべる。 "よろづのことによそへておぼせ。みちたくみのよろづのものこころにまかせてつくだすも、りんじのもてあそびものの、そのものあとさだまらぬは、そばつきさればみたるも、げにかうもしつべかりけりと、ときにつけつつさまをへて、いまめかしきにめうつりてをかしきもあり。だいじとして、まことにうるはしきひとてうどかざりとする、さだまれるやうあるものなんなくしづることなん、なほまことのものじゃうずは、さまことにかれはべる。
021.4.1412298 また絵所(ゑどころ)上手多(じゃうずおほ)かれど、(すみ)がきに(えら)ばれて、次々(つぎつぎ)にさらに(おと)りまさるけぢめ、ふとしも()()かれず。かかれど、(ひと)見及(みおよ)ばぬ蓬莱(ほうらい)(やま)荒海(あらうみ)(いか)れる(いを)姿(すがた)唐国(からくに)のはげしき(けだもの)(かたち)()()えぬ(おに)(かほ)などの、おどろおどろしく(つく)りたる(もの)は、(こころ)にまかせてひときは目驚(めおどろ)かして、(じち)には()ざらめど、さてありぬべし。 またゑどころじゃうずおほかれど、すみがきにえらばれて、つぎつぎにさらにおとりまさるけぢめ、ふとしもかれず。かかれど、ひとみおよばぬほうらいやまあらうみいかれるいをすがたからくにのはげしきけだものかたちえぬおにかほなどの、おどろおどろしくつくりたるものは、こころにまかせてひときはめおどろかして、じちにはざらめど、さてありぬべし。
021.4.1512399 ()(つね)(やま)のたたずまひ、(みづ)(なが)れ、()(ちか)(ひと)家居(いへゐ)ありさま、げにと()え、なつかしくやはらいだる(かた)などを(しづ)かに()きまぜて、すくよかならぬ(やま)景色(けしき)木深(こぶか)世離(よばな)れて(たた)みなし、け(ぢか)(まがき)(うち)をば、その(こころ)しらひおきてなどをなむ、上手(じゃうず)はいと(いきほ)ひことに、()(もの)(およ)ばぬ所多(ところおほ)かめる。 つねやまのたたずまひ、みづながれ、ちかひといへゐありさま、げにとえ、なつかしくやはらいだるかたなどをしづかにきまぜて、すくよかならぬやまけしきこぶかよばなれてたたみなし、けぢかまがきうちをば、そのこころしらひおきてなどをなん、じゃうずはいといきほひことに、ものおよばぬところおほかめる。
021.4.16124100 ()()きたるにも、(ふか)きことはなくて、ここかしこの、点長(てんなが)(はし)()き、そこはかとなく気色(けしき)ばめるは、うち()るにかどかどしく気色(けしき)だちたれど、なほまことの(すぢ)をこまやかに()()たるは、うはべの筆消(ふでき)えて()ゆれど、(いま)ひとたびとり(なら)べて()れば、なほ(じち)になむよりける。 きたるにも、ふかきことはなくて、ここかしこの、てんながはしき、そこはかとなくけしきばめるは、うちるにかどかどしくけしきだちたれど、なほまことのすぢをこまやかにたるは、うはべのふできえてゆれど、いまひとたびとりならべてれば、なほじちになんよりける。
021.4.17125101 はかなきことだにかくこそはべれ。まして(ひと)(こころ)の、(とき)にあたりて気色(けしき)ばめらむ()()(なさ)けをば、え(たの)むまじく(おも)うたまへ()てはべる。そのはじめのこと、()()きしくとも(まう)しはべらむ」 はかなきことだにかくこそはべれ。ましてひとこころの、ときにあたりてけしきばめらんなさけをば、えたのむまじくおもうたまへてはべる。そのはじめのこと、きしくともまうしはべらん。"
021.4.18126102 とて、(ちか)くゐ()れば、(きみ)目覚(めさ)ましたまふ。中将(ちゅうじゃう)いみじく(しん)じて、頬杖(つらづえ)をつきて()かひゐたまへり。(のり)()()のことわり()()かせむ(ところ)心地(ここち)するも、かつはをかしけれど、かかるついでは、おのおの睦言(むつごと)もえ(しの)びとどめずなむありける。 とて、ちかくゐれば、きみめさましたまふ。ちゅうじゃういみじくしんじて、つらづえをつきてかひゐたまへり。のりのことわりかせんところここちするも、かつはをかしけれど、かかるついでは、おのおのむつごともえしのびとどめずなんありける。
022127103第二章 女性体験談
022.1128104第一段 女性体験談(左馬頭、嫉妬深い女の物語)
022.1.1129105 「はやう、まだいと下臈(げらふ)にはべりし(とき)、あはれと(おも)(ひと)はべりき。()こえさせつるやうに、容貌(かたち)などいとまほにもはべらざりしかば、(わか)きほどの()(ごころ)には、この(ひと)をとまりにとも(おも)ひとどめはべらず、よるべとは(おも)ひながら、さうざうしくて、とかく(まぎ)れはべりしを、もの(ゑん)じをいたくしはべりしかば、(こころ)づきなく、いとかからで、おいらかならましかばと(おも)ひつつ、あまりいと(ゆる)しなく(うたが)ひはべりしもうるさくて、かく(かず)ならぬ()()(はな)たで、などかくしも(おも)ふらむと、心苦(こころぐる)しき折々(をりをり)もはべりて、自然(じねん)(こころ)をさめらるるやうになむはべりし。 "はやう、まだいとげらふにはべりしとき、あはれとおもひとはべりき。こえさせつるやうに、かたちなどいとまほにもはべらざりしかば、わかきほどのごころには、このひとをとまりにともおもひとどめはべらず、よるべとはおもひながら、さうざうしくて、とかくまぎれはべりしを、ものゑんじをいたくしはべりしかば、こころづきなく、いとかからで、おいらかならましかばとおもひつつ、あまりいとゆるしなくうたがひはべりしもうるさくて、かくかずならぬはなたで、などかくしもおもふらんと、こころぐるしきをりをりもはべりて、じねんこころをさめらるるやうになんはべりし。
022.1.2130106 この(をんな)のあるやう、もとより(おも)ひいたらざりけることにも、いかでこの(ひと)のためにはと、なき()()だし、(おく)れたる(すぢ)(こころ)をも、なほ口惜(くちを)しくは()えじと(おも)ひはげみつつ、とにかくにつけて、ものまめやかに後見(うしろみ)、つゆにても(こころ)(たが)ふことはなくもがなと(おも)へりしほどに、(すす)める(かた)(おも)ひしかど、とかくになびきてなよびゆき、(みにく)容貌(かたち)をも、この(ひと)()(うと)まれむと、わりなく(おも)ひつくろひ、(うと)(ひと)()えば、面伏(おもてぶ)せにや(おも)はむと、(はばか)()ぢて、みさをにもてつけて見馴(みな)るるままに、(こころ)もけしうはあらずはべりしかど、ただこの(にく)方一(かたひと)つなむ、(こころ)をさめずはべりし。 このをんなのあるやう、もとよりおもひいたらざりけることにも、いかでこのひとのためにはと、なきだし、おくれたるすぢこころをも、なほくちをしくはえじとおもひはげみつつ、とにかくにつけて、ものまめやかにうしろみ、つゆにてもこころたがふことはなくもがなとおもへりしほどに、すすめるかたおもひしかど、とかくになびきてなよびゆき、みにくかたちをも、このひとうとまれんと、わりなくおもひつくろひ、うとひとえば、おもてぶせにやおもはんと、はばかぢて、みさをにもてつけてみなるるままに、こころもけしうはあらずはべりしかど、ただこのにくかたひとつなん、こころをさめずはべりし。
022.1.3131107 そのかみ(おも)ひはべりしやう、かうあながちに(したが)()ぢたる(ひと)なめり、いかで()るばかりのわざして、おどして、この(かた)もすこしよろしくもなり、さがなさもやめむと(おも)ひて、まことに()しなども(おも)ひて()えぬべき気色(けしき)ならば、かばかり(われ)(したが)(こころ)ならば(おも)()りなむと(おも)うたまへ()て、ことさらに(なさ)けなくつれなきさまを()せて、(れい)腹立(はらだ)(ゑん)ずるに、 そのかみおもひはべりしやう、かうあながちにしたがぢたるひとなめり、いかでるばかりのわざして、おどして、このかたもすこしよろしくもなり、さがなさもやめんとおもひて、まことにしなどもおもひてえぬべきけしきならば、かばかりわれしたがこころならばおもりなんとおもうたまへて、ことさらになさけなくつれなきさまをせて、れいはらだゑんずるに、
022.1.4132108 『かくおぞましくは、いみじき(ちぎ)(ふか)くとも、()えてまた()じ。(かぎ)りと(おも)はば、かくわりなきもの(うたが)ひはせよ。()先長(さきなが)()えむと(おも)はば、つらきことありとも、(ねん)じてなのめに(おも)ひなりて、かかる(こころ)だに()せなば、いとあはれとなむ(おも)ふべき。人並々(ひとなみなみ)にもなり、すこしおとなびむに()へて、また(なら)(ひと)なくあるべき』やうなど、かしこく(をし)へたつるかなと(おも)ひたまへて、われたけく()ひそしはべるに、すこしうち(われ)ひて、 'かくおぞましくは、いみじきちぎふかくとも、えてまたじ。かぎりとおもはば、かくわりなきものうたがひはせよ。さきながえんとおもはば、つらきことありとも、ねんじてなのめにおもひなりて、かかるこころだにせなば、いとあはれとなんおもふべき。ひとなみなみにもなり、すこしおとなびんにへて、またならひとなくあるべき。'やうなど、かしこくをしへたつるかなとおもひたまへて、われたけくひそしはべるに、すこしうちわれひて、
022.1.5133109 『よろづに見立(みだ)てなく、ものげなきほどを見過(みす)ぐして、人数(ひとかず)なる()もやと()(かた)は、いとのどかに(おも)ひなされて、(こころ)やましくもあらず。つらき(こころ)(しの)びて、(おも)(なほ)らむ(をり)()つけむと、年月(としつき)(かさ)ねむあいな(だの)みは、いと(くる)しくなむあるべければ、かたみに(そむ)きぬべききざみになむある』 'よろづにみだてなく、ものげなきほどをみすぐして、ひとかずなるもやとかたは、いとのどかにおもひなされて、こころやましくもあらず。つらきこころしのびて、おもなほらんをりつけんと、としつきかさねんあいなだのみは、いとくるしくなんあるべければ、かたみにそむきぬべききざみになんある。'
022.1.6134110 とねたげに()ふに、腹立(はらだ)たしくなりて、(にく)げなることどもを()ひはげましはべるに、(をんな)もえをさめぬ(すぢ)にて、(および)ひとつを()()せて()ひてはべりしを、おどろおどろしくかこちて、 とねたげにふに、はらだたしくなりて、にくげなることどもをひはげましはべるに、をんなもえをさめぬすぢにて、およびひとつをせてひてはべりしを、おどろおどろしくかこちて、
022.1.7135111 『かかる(きず)さへつきぬれば、いよいよ()じらひをすべきにもあらず。(はづかし)めたまふめる官位(つかさくらゐ)、いとどしく(なに)につけてかは(ひと)めかむ。()(そむ)きぬべき()なめり』など()(おど)して、『さらば、今日(けふ)こそは(かぎ)りなめれ』と、この(および)をかがめてまかでぬ。 'かかるきずさへつきぬれば、いよいよじらひをすべきにもあらず。はづかしめたまふめるつかさくらゐ、いとどしくなににつけてかはひとめかん。そむきぬべきなめり。'などおどして、'さらば、けふこそはかぎりなめれ。'と、このおよびをかがめてまかでぬ。
022.1.8136113 ()()りてあひ()しことを(かぞ)ふれば<BR/>これひとつやは(きみ)()きふし '〔りてあひしことをかぞふれば<BR/>これひとつやはきみきふし
022.1.9137114 えうらみじ』 えうらみじ。'
022.1.10138115 など()ひはべれば、さすがにうち()きて、 などひはべれば、さすがにうちきて、
022.1.11139116 ()きふしを(こころ)ひとつに(かぞ)へきて<BR/>こや(きみ)()(わか)るべきをり』 '〔きふしをこころひとつにかぞへきて<BR/>こやきみわかるべきをり〕
022.1.12140117 など、()ひしろひはべりしかど、まことには(かは)るべきこととも(おも)ひたまへずながら、()ごろ()るまで消息(せうそこ)(つか)はさず、あくがれまかり(あり)くに、臨時(りんじ)(まつり)調楽(でうがく)に、夜更(よふ)けていみじう霙降(みぞれふ)()、これかれまかりあかるる(ところ)にて、(おも)ひめぐらせば、なほ家路(いへぢ)(おも)はむ(かた)はまたなかりけり。 など、ひしろひはべりしかど、まことにはかはるべきことともおもひたまへずながら、ごろるまでせうそこつかはさず、あくがれまかりありくに、りんじまつりでうがくに、よふけていみじうみぞれふ、これかれまかりあかるるところにて、おもひめぐらせば、なほいへぢおもはんかたはまたなかりけり。
022.1.13141118 内裏(うち)わたりの旅寝(たびね)すさまじかるべく、気色(けしき)ばめるあたりはそぞろ(さむ)くや、と(おも)ひたまへられしかば、いかが(おも)へると、気色(けしき)()がてら、(ゆき)をうち(はら)ひつつ、なま人悪(ひとわ)ろく爪喰(つめく)はるれど、さりとも今宵日(こよひひ)ごろの(うら)みは()けなむ、と(おも)うたまへしに、()ほのかに(かべ)(そむ)け、()えたる(きぬ)どもの厚肥(あつご)えたる、(おほ)いなる()にうち()けて、()()ぐべきものの帷子(かたびら)などうち()げて、今宵(こよひ)ばかりやと、()ちけるさまなり。さればよと、(こころ)おごりするに、正身(さうじみ)はなし。さるべき女房(にょうばう)どもばかりとまりて、『(おや)(いへ)に、この()さりなむ(わた)りぬる』と(こた)へはべり。 うちわたりのたびねすさまじかるべく、けしきばめるあたりはそぞろさむくや、とおもひたまへられしかば、いかがおもへると、けしきがてら、ゆきをうちはらひつつ、なまひとわろくつめくはるれど、さりともこよひひごろのうらみはけなん、とおもうたまへしに、ほのかにかべそむけ、えたるきぬどものあつごえたる、おほいなるにうちけて、ぐべきもののかたびらなどうちげて、こよひばかりやと、ちけるさまなり。さればよと、こころおごりするに、さうじみはなし。さるべきにょうばうどもばかりとまりて、'おやいへに、このさりなんわたりぬる。'とこたへはべり。
022.1.14142119 (えん)なる(うた)()まず、気色(けしき)ばめる消息(せうそこ)もせで、いとひたや()もりに(なさ)けなかりしかば、あへなき心地(ここち)して、さがなく(ゆる)しなかりしも、(われ)(うと)みねと(おも)(かた)(こころ)やありけむと、さしも()たまへざりしことなれど、(こころ)やましきままに(おも)ひはべりしに、()るべき(もの)(つね)よりも(こころ)とどめたる(いろ)あひ、しざまいとあらまほしくて、さすがにわが見捨(みす)ててむ(のち)をさへなむ、(おも)ひやり後見(うしろみ)たりし。 えんなるうたまず、けしきばめるせうそこもせで、いとひたやもりになさけなかりしかば、あへなきここちして、さがなくゆるしなかりしも、われうとみねとおもかたこころやありけんと、さしもたまへざりしことなれど、こころやましきままにおもひはべりしに、るべきものつねよりもこころとどめたるいろあひ、しざまいとあらまほしくて、さすがにわがみすててんのちをさへなん、おもひやりうしろみたりし。
022.1.15143120 さりとも、()えて(おも)(はな)つやうはあらじと(おも)うたまへて、とかく()ひはべりしを、(そむ)きもせずと、(たづ)ねまどはさむとも(かく)(しの)びず、かかやかしからず(いら)へつつ、ただ、『ありしながらは、えなむ見過(みす)ぐすまじき。あらためてのどかに(おも)ひならばなむ、あひ()るべき』など()ひしを、さりともえ(おも)(はな)れじと(おも)ひたまへしかば、しばし()らさむの(こころ)にて、『しかあらためむ』とも()はず、いたく綱引(つなび)きて()せしあひだに、いといたく(おも)(なげ)きて、はかなくなりはべりにしかば、(たはぶ)れにくくなむおぼえはべりし。 さりとも、えておもはなつやうはあらじとおもうたまへて、とかくひはべりしを、そむきもせずと、たづねまどはさんともかくしのびず、かかやかしからずいらへつつ、ただ、'ありしながらは、えなんみすぐすまじき。あらためてのどかにおもひならばなん、あひるべき。'などひしを、さりともえおもはなれじとおもひたまへしかば、しばしらさんのこころにて、'しかあらためん'ともはず、いたくつなびきてせしあひだに、いといたくおもなげきて、はかなくなりはべりにしかば、たはぶれにくくなんおぼえはべりし。
022.1.16144121 ひとへにうち(たの)みたらむ(かた)は、さばかりにてありぬべくなむ(おも)ひたまへ()でらるる。はかなきあだ(ごと)をもまことの大事(だいじ)をも、()ひあはせたるにかひなからず、龍田姫(たつたひめ)()はむにもつきなからず、織女(たなばた)()にも(おと)るまじくその(かた)()して、うるさくなむはべりし」 ひとへにうちたのみたらんかたは、さばかりにてありぬべくなんおもひたまへでらるる。はかなきあだごとをもまことのだいじをも、ひあはせたるにかひなからず、たつたひめはんにもつきなからず、たなばたにもおとるまじくそのかたして、うるさくなんはべりし。"
022.1.17145122 とて、いとあはれと(おも)()でたり。中将(ちゅうじゃう) とて、いとあはれとおもでたり。ちゅうじゃう
022.1.18146123 「その織女(たなばた)()()(かた)をのどめて、(なが)(ちぎ)りにぞあえまし。げに、その龍田姫(たつたひめ)(にしき)には、またしくものあらじ。はかなき花紅葉(はなもみぢ)といふも、をりふしの(いろ)あひつきなく、はかばかしからぬは、(つゆ)のはえなく()えぬるわざなり。さあるにより、(かた)()とは(さだ)めかねたるぞや」 "そのたなばたかたをのどめて、ながちぎりにぞあえまし。げに、そのたつたひめにしきには、またしくものあらじ。はかなきはなもみぢといふも、をりふしのいろあひつきなく、はかばかしからぬは、つゆのはえなくえぬるわざなり。さあるにより、かたとはさだめかねたるぞや。"
022.1.19147124 と、()ひはやしたまふ。 と、ひはやしたまふ。
022.2148125第二段 左馬頭の体験談(浮気な女の物語)
022.2.1149126 「さて、また(おな)じころ、まかり(かよ)ひし(ところ)は、(ひと)()ちまさり(こころ)ばせまことにゆゑありと()えぬべく、うち()み、(はし)()き、()()爪音(つまおと)()つき(くち)つき、みなたどたどしからず、見聞(みき)きわたりはべりき。()()もこともなくはべりしかば、このさがな(もの)を、うちとけたる(かた)にて、時々隠(ときどきかく)ろへ()はべりしほどは、こよなく(こころ)とまりはべりき。この人亡(ひとう)せて(のち)、いかがはせむ、あはれながらも()ぎぬるはかひなくて、しばしばまかり()るるには、すこしまばゆく(えん)(この)ましきことは、()につかぬ(ところ)あるに、うち(たの)むべくは()えず、かれがれにのみ()せはべるほどに、(しの)びて心交(こころか)はせる(ひと)ぞありけらし。 "さて、またおなじころ、まかりかよひしところは、ひとちまさりこころばせまことにゆゑありとえぬべく、うちみ、はしき、つまおとつきくちつき、みなたどたどしからず、みききわたりはべりき。もこともなくはべりしかば、このさがなものを、うちとけたるかたにて、ときどきかくろへはべりしほどは、こよなくこころとまりはべりき。このひとうせてのち、いかがはせん、あはれながらもぎぬるはかひなくて、しばしばまかりるるには、すこしまばゆくえんこのましきことは、につかぬところあるに、うちたのむべくはえず、かれがれにのみせはべるほどに、しのびてこころかはせるひとぞありけらし。
022.2.2150127 神無月(かんなづき)のころほひ、(つき)おもしろかりし()内裏(うち)よりまかではべるに、ある上人来(うへびとき)あひて、この(くるま)にあひ()りてはべれば、大納言(だいなごん)(いへ)にまかり()まらむとするに、この人言(ひとい)ふやう、『今宵人待(こよひひとま)つらむ宿(やど)なむ、あやしく心苦(こころぐる)しき』とて、この(をんな)(いへ)はた、()きぬ(みち)なりければ、()れたる(くづ)れより(いけ)(みづ)かげ()えて、(つき)だに宿(やど)住処(すみか)()ぎむもさすがにて、()りはべりぬかし。 かんなづきのころほひ、つきおもしろかりしうちよりまかではべるに、あるうへびときあひて、このくるまにあひりてはべれば、だいなごんいへにまかりまらんとするに、このひといふやう、'こよひひとまつらんやどなん、あやしくこころぐるしき'とて、このをんないへはた、きぬみちなりければ、れたるくづれよりいけみづかげえて、つきだにやどすみかぎんもさすがにて、りはべりぬかし。
022.2.3151128 もとよりさる(こころ)()はせるにやありけむ、この(をとこ)いたくすずろきて、門近(かどちか)(らう)簀子(すのこ)だつものに(しり)かけて、とばかり(つき)()る。(きく)いとおもしろく(うつ)ろひわたり、(かぜ)(きほ)へる紅葉(もみぢ)(みだ)れなど、あはれと、げに()えたり。 もとよりさるこころはせるにやありけん、このをとこいたくすずろきて、かどちからうすのこだつものにしりかけて、とばかりつきる。きくいとおもしろくうつろひわたり、かぜきほへるもみぢみだれなど、あはれと、げにえたり。
022.2.4152130 (ふところ)なりける笛取(ふえと)()でて()()らし、『(かげ)もよし』などつづしり(うた)ふほどに、よく()和琴(わごん)を、調(しら)べととのへたりける、うるはしく()()はせたりしほど、けしうはあらずかし。(りち)調(しら)べは、(をんな)のものやはらかに()()らして、()(うち)より()こえたるも、(いま)めきたる(もの)(こゑ)なれば、(きよ)()める(つき)(をり)つきなからず。(をとこ)いたくめでて、()のもとに(あゆ)()て、 ふところなりけるふえとでてらし、'かげもよし〕などつづしりうたふほどに、よくわごんを、しらべととのへたりける、うるはしくはせたりしほど、けしうはあらずかし。りちしらべは、をんなのものやはらかにらして、うちよりこえたるも、いまめきたるものこゑなれば、きよめるつきをりつきなからず。をとこいたくめでて、のもとにあゆて、
022.2.5153131 (には)紅葉(もみぢ)こそ、()()けたる(あと)もなけれ』などねたます。(きく)()りて、 'にはもみぢこそ、けたるあともなけれ'などねたます。きくりて、
022.2.6154132 (こと)()(つき)もえならぬ宿(やど)ながら<BR/>つれなき(ひと)をひきやとめける '〔ことつきもえならぬやどながら<BR/>つれなきひとをひきやとめける
022.2.7155133 ()ろかめり』など()ひて、『(いま)ひと(こゑ)()きはやすべき(ひと)のある(とき)()(のこ)いたまひそ』など、いたくあざれかかれば、(をんな)、いたう(こゑ)つくろひて、 ろかめり。'などひて、'いまひとこゑきはやすべきひとのあるときのこいたまひそ。'など、いたくあざれかかれば、をんな、いたうこゑつくろひて、
022.2.8156134 木枯(こがらし)()きあはすめる(ふえ)()を<BR/>ひきとどむべき(こと)()ぞなき』 '〔こがらしきあはすめるふえを<BR/>ひきとどむべきことぞなき〕
022.2.9157135 となまめき()はすに、(にく)くなるをも()らで、また、(さう)(こと)盤渉調(ばんしきでう)調(しら)べて、(いま)めかしく()()きたる爪音(つまおと)、かどなきにはあらねど、まばゆき心地(ここち)なむしはべりし。ただ時々(ときどき)うち(かた)らふ宮仕(みやづか)(びと)などの、あくまでさればみ()きたるは、さても()(かぎ)りはをかしくもありぬべし。時々(ときどき)にても、さる(ところ)にて(わす)れぬよすがと(おも)ひたまへむには、(たの)もしげなくさし()ぐいたりと(こころ)おかれて、その()のことにことつけてこそ、まかり()えにしか。 となまめきはすに、にくくなるをもらで、また、さうことばんしきでうしらべて、いまめかしくきたるつまおと、かどなきにはあらねど、まばゆきここちなんしはべりし。ただときどきうちかたらふみやづかびとなどの、あくまでさればみきたるは、さてもかぎりはをかしくもありぬべし。ときどきにても、さるところにてわすれぬよすがとおもひたまへんには、たのもしげなくさしぐいたりとこころおかれて、そののことにことつけてこそ、まかりえにしか。
022.2.10158136 この(ふた)つのことを(おも)うたまへあはするに、(わか)(とき)(こころ)にだに、なほさやうにもて()でたることは、いとあやしく(たの)もしげなくおぼえはべりき。(いま)より(のち)は、ましてさのみなむ(おも)ひたまへらるべき。御心(みこころ)のままに、()らば()ちぬべき(はぎ)(つゆ)(ひろ)はば()えなむと()玉笹(たまざさ)(うへ)(あられ)などの、(えん)にあえかなる()()きしさのみこそ、をかしく(おぼ)さるらめ、(いま)さりとも、七年(ななとせ)あまりがほどに(おぼ)()りはべなむ。なにがしがいやしき(いさ)めにて、()きたわめらむ(をんな)(こころ)おかせたまへ。(あやま)ちして、()(ひと)のかたくななる()をも()てつべきものなり」 このふたつのことをおもうたまへあはするに、わかときこころにだに、なほさやうにもてでたることは、いとあやしくたのもしげなくおぼえはべりき。いまよりのちは、ましてさのみなんおもひたまへらるべき。みこころのままに、らばちぬべきはぎつゆひろはばえなんとたまざさうへあられなどの、えんにあえかなるきしさのみこそ、をかしくおぼさるらめ、いまさりとも、ななとせあまりがほどにおぼりはべなん。なにがしがいやしきいさめにて、きたわめらんをんなこころおかせたまへ。あやまちして、ひとのかたくななるをもてつべきものなり。"
022.2.11159137 (いまし)む。中将(ちゅうじゃう)(れい)のうなづく。(きみ)すこしかた()みて、さることとは(おぼ)すべかめり。 いましむ。ちゅうじゃうれいのうなづく。きみすこしかたみて、さることとはおぼすべかめり。
022.2.12160138 「いづ(かた)につけても、人悪(ひとわ)ろくはしたなかりける身物語(みものがたり)かな」とて、うち(わら)ひおはさうず。 "いづかたにつけても、ひとわろくはしたなかりけるみものがたりかな。"とて、うちわらひおはさうず。
022.3161139第三段 頭中将の体験談(常夏の女の物語)
022.3.1162140 中将(ちゅうじゃう) ちゅうじゃう
022.3.2163141 「なにがしは、痴者(しれもの)物語(ものがたり)をせむ」とて、「いと(しの)びて()そめたりし(ひと)の、さても()つべかりしけはひなりしかば、ながらふべきものとしも(おも)ひたまへざりしかど、()れゆくままに、あはれとおぼえしかば、()()(わす)れぬものに(おも)ひたまへしを、さばかりになれば、うち(たの)めるけしきも()えき。(たの)むにつけては、(うら)めしと(おも)ふこともあらむと、(こころ)ながらおぼゆるをりをりもはべりしを、見知(みし)らぬやうにて、(ひさ)しきとだえをも、かうたまさかなる(ひと)とも(おも)ひたらず、ただ朝夕(あさゆふ)にもてつけたらむありさまに()えて、心苦(こころぐる)しかりしかば、(たの)めわたることなどもありきかし。 "なにがしは、しれものものがたりをせん"とて、"いとしのびてそめたりしひとの、さてもつべかりしけはひなりしかば、ながらふべきものとしもおもひたまへざりしかど、れゆくままに、あはれとおぼえしかば、わすれぬものにおもひたまへしを、さばかりになれば、うちたのめるけしきもえき。たのむにつけては、うらめしとおもふこともあらんと、こころながらおぼゆるをりをりもはべりしを、みしらぬやうにて、ひさしきとだえをも、かうたまさかなるひとともおもひたらず、ただあさゆふにもてつけたらんありさまにえて、こころぐるしかりしかば、たのめわたることなどもありきかし。
022.3.3164142 (おや)もなく、いと心細(こころぼそ)げにて、さらばこの(ひと)こそはと、(こと)にふれて(おも)へるさまもらうたげなりき。かうのどけきにおだしくて、(ひさ)しくまからざりしころ、この()たまふるわたりより、(なさ)けなくうたてあることをなむ、さるたよりありてかすめ()はせたりける、(のち)にこそ()きはべりしか。 おやもなく、いとこころぼそげにて、さらばこのひとこそはと、ことにふれておもへるさまもらうたげなりき。かうのどけきにおだしくて、ひさしくまからざりしころ、このたまふるわたりより、なさけなくうたてあることをなん、さるたよりありてかすめはせたりける、のちにこそきはべりしか。
022.3.4165143 さる()きことやあらむとも()らず、(こころ)には(わす)れずながら、消息(せうそこ)などもせで(ひさ)しくはべりしに、むげに(おも)ひしをれて心細(こころぼそ)かりければ、(をさな)(もの)などもありしに(おも)ひわづらひて、撫子(なでしこ)(はな)()りておこせたりし」とて(なみだ)ぐみたり。 さるきことやあらんともらず、こころにはわすれずながら、せうそこなどもせでひさしくはべりしに、むげにおもひしをれてこころぼそかりければ、をさなものなどもありしにおもひわづらひて、なでしこはなりておこせたりし。"とてなみだぐみたり。
022.3.5166144 「さて、その(ふみ)言葉(ことば)は」と()ひたまへば、 "さて、そのふみことばは。"とひたまへば、
022.3.6167145 「いさや、ことなることもなかりきや。 "いさや、ことなることもなかりきや。
022.3.7168146 (やま)がつの(かき)()るとも折々(をりをり)に<BR/>あはれはかけよ撫子(なでしこ)(つゆ) '〔やまがつのかきるともをりをりに<BR/>あはれはかけよなでしこつゆ〕'
022.3.8169148 (おも)()でしままにまかりたりしかば、(れい)のうらもなきものから、いと物思(ものおも)(がほ)にて、()れたる(いへ)(つゆ)しげきを(なが)めて、(むし)()(きほ)へるけしき、昔物語(むかしものがたり)めきておぼえはべりし。 おもでしままにまかりたりしかば、れいのうらもなきものから、いとものおもがほにて、れたるいへつゆしげきをながめて、むしきほへるけしき、むかしものがたりめきておぼえはべりし。
022.3.9170149 ()きまじる(いろ)はいづれと()かねども<BR/>なほ常夏(とこなつ)にしくものぞなき』 '〔きまじるいろはいづれとかねども<BR/>なほとこなつにしくものぞなき〕
022.3.10171150 大和撫子(やまとなでしこ)をばさしおきて、まづ『(ちり)をだに』など、(おや)(こころ)をとる。 やまとなでしこをばさしおきて、まづ'ちりをだに'など、おやこころをとる。
022.3.11172151 『うち(はら)(そで)(つゆ)けき常夏(とこなつ)に<BR/>あらし()きそふ(あき)()にけり』 '〔うちはらそでつゆけきとこなつに<BR/>あらしきそふあきにけり〕
022.3.12173152 とはかなげに()ひなして、まめまめしく(うら)みたるさまも()えず。(なみだ)をもらし()としても、いと()づかしくつつましげに(まぎ)らはし(かく)して、つらきをも(おも)()りけりと()えむは、わりなく(くる)しきものと(おも)ひたりしかば、(こころ)やすくて、またとだえ()きはべりしほどに、(あと)もなくこそかき()ちて()せにしか。 とはかなげにひなして、まめまめしくうらみたるさまもえず。なみだをもらしとしても、いとづかしくつつましげにまぎらはしかくして、つらきをもおもりけりとえんは、わりなくくるしきものとおもひたりしかば、こころやすくて、またとだえきはべりしほどに、あともなくこそかきちてせにしか。
022.3.13174153 まだ()にあらば、はかなき()にぞさすらふらむ。あはれと(おも)ひしほどに、わづらはしげに(おも)ひまとはすけしき()えましかば、かくもあくがらさざらまし。こよなきとだえおかず、さるものにしなして(なが)()るやうもはべりなまし。かの撫子(なでしこ)のらうたくはべりしかば、いかで(たづ)ねむと(おも)ひたまふるを、(いま)もえこそ()きつけはべらね。 まだにあらば、はかなきにぞさすらふらん。あはれとおもひしほどに、わづらはしげにおもひまとはすけしきえましかば、かくもあくがらさざらまし。こよなきとだえおかず、さるものにしなしてながるやうもはべりなまし。かのなでしこのらうたくはべりしかば、いかでたづねんとおもひたまふるを、いまもえこそきつけはべらね。
022.3.14175154 これこそのたまへるはかなき(ためし)なめれ。つれなくてつらしと(おも)ひけるも()らで、あはれ()えざりしも、(やく)なき片思(かたおも)ひなりけり。(いま)やうやう(わす)れゆく(きは)に、かれはたえしも(おも)(はな)れず、折々人(をりをりひと)やりならぬ胸焦(むねこ)がるる(ゆふ)べもあらむとおぼえはべり。これなむ、え(たも)つまじく(たの)もしげなき(かた)なりける。 これこそのたまへるはかなきためしなめれ。つれなくてつらしとおもひけるもらで、あはれえざりしも、やくなきかたおもひなりけり。いまやうやうわすれゆくきはに、かれはたえしもおもはなれず、をりをりひとやりならぬむねこがるるゆふべもあらんとおぼえはべり。これなん、えたもつまじくたのもしげなきかたなりける。
022.3.15176155 されば、かのさがな(もの)も、(おも)()である(かた)(わす)れがたけれど、さしあたりて()むにはわづらはしくよ、よくせずは、()きたきこともありなむや。(こと)()すすめけむかどかどしさも、()きたる罪重(つみおも)かるべし。この(こころ)もとなきも、(うたが)()ふべければ、いづれとつひに(おも)(さだ)めずなりぬるこそ。()(なか)や、ただかくこそ。とりどりに(くら)(くる)しかるべき。このさまざまのよき(かぎ)りをとり()し、(なん)ずべきくさはひまぜぬ(ひと)は、いづこにかはあらむ。吉祥天女(きちじゃうてんにょ)(おも)ひかけむとすれば、法気(ほふけ)づき、くすしからむこそ、また、わびしかりぬべけれ」とて、皆笑(みなわら)ひぬ。 されば、かのさがなものも、おもであるかたわすれがたけれど、さしあたりてんにはわづらはしくよ、よくせずは、きたきこともありなんや。ことすすめけんかどかどしさも、きたるつみおもかるべし。このこころもとなきも、うたがふべければ、いづれとつひにおもさだめずなりぬるこそ。なかや、ただかくこそ。とりどりにくらくるしかるべき。このさまざまのよきかぎりをとりし、なんずべきくさはひまぜぬひとは、いづこにかはあらん。きちじゃうてんにょおもひかけんとすれば、ほふけづき、くすしからんこそ、また、わびしかりぬべけれ。"とて、みなわらひぬ。
022.4177156第四段 式部丞の体験談(畏れ多い女の物語)
022.4.1178157 式部(しきぶ)がところにぞ、けしきあることはあらむ。すこしづつ(かた)(まう)せ」と()めらる。 "しきぶがところにぞ、けしきあることはあらん。すこしづつかたまうせ。"とめらる。
022.4.2179158 (しも)(しも)(なか)には、なでふことか、()こし()しどころはべらむ」 "しもしもなかには、なでふことか、こししどころはべらん。"
022.4.3180159 ()へど、(とう)(きみ)、まめやかに「(おそ)し」と()めたまへば、何事(なにごと)をとり(まう)さむと(おも)ひめぐらすに、 へど、とうきみ、まめやかに"おそし"とめたまへば、なにごとをとりまうさんとおもひめぐらすに、
022.4.4181160 「まだ文章生(もんじゃうのしゃう)にはべりし(とき)、かしこき(をんな)(ためし)をなむ()たまへし。かの、馬頭(むまのかみ)(まう)したまへるやうに、公事(おほやけごと)をも()ひあはせ、(わたくし)ざまの()()まふべき(こころ)おきてを(おも)ひめぐらさむ(かた)もいたり(ふか)く、(ざえ)(きは)なまなまの博士恥(はかせは)づかしく、すべて(くち)あかすべくなむはべらざりし。 "まだもんじゃうのしゃうにはべりしとき、かしこきをんなためしをなんたまへし。かの、むまのかみまうしたまへるやうに、おほやけごとをもひあはせ、わたくしざまのまふべきこころおきてをおもひめぐらさんかたもいたりふかく、ざえきはなまなまのはかせはづかしく、すべてくちあかすべくなんはべらざりし。
022.4.5182161 それは、ある博士(はかせ)のもとに学問(がくもん)などしはべるとて、まかり(かよ)ひしほどに、主人(あるじ)のむすめども(おほ)かりと()きたまへて、はかなきついでに()()りてはべりしを、親聞(おやき)きつけて、盃持(さかづきも)()でて、『わが(ふた)つの途歌(みちうた)ふを()け』となむ、()こえごちはべりしかど、をさをさうちとけてもまからず、かの(おや)(こころ)(はばか)りて、さすがにかかづらひはべりしほどに、いとあはれに(おも)後見(うしろみ)寝覚(ねざめ)(かた)らひにも、()(ざえ)つき、朝廷(おほやけ)(つか)うまつるべき道々(みちみち)しきことを(をし)へて、いときよげに消息文(せうそこぶみ)にも仮名(かんな)といふもの()きまぜず、むべむべしく()ひまはしはべるに、おのづからえまかり()えで、その(もの)()としてなむ、わづかなる腰折文作(こしをれぶみつく)ることなど(なら)ひはべりしかば、(いま)にその(おん)(わす)れはべらねど、なつかしき妻子(さいし)とうち(たの)まむには、無才(むざい)(ひと)、なま()ろならむ()()ひなど()えむに、()づかしくなむ()えはべりし。 それは、あるはかせのもとにがくもんなどしはべるとて、まかりかよひしほどに、あるじのむすめどもおほかりときたまへて、はかなきついでにりてはべりしを、おやききつけて、さかづきもでて、'わがふたつのみちうたふをけ。'となん、こえごちはべりしかど、をさをさうちとけてもまからず、かのおやこころはばかりて、さすがにかかづらひはべりしほどに、いとあはれにおもうしろみねざめかたらひにも、ざえつき、おほやけつかうまつるべきみちみちしきことををしへて、いときよげにせうそこぶみにもかんなといふものきまぜず、むべむべしくひまはしはべるに、おのづからえまかりえで、そのものとしてなん、わづかなるこしをれぶみつくることなどならひはべりしかば、いまにそのおんわすれはべらねど、なつかしきさいしとうちたのまんには、むざいひと、なまろならんひなどえんに、づかしくなんえはべりし。
022.4.6183162 まいて君達(きんだち)(おほん)ため、はかばかしくしたたかなる御後見(おほんうしろみ)は、(なに)にかせさせたまはむ。はかなし、口惜(くちを)し、とかつ()つつも、ただわが(こころ)につき、宿世(すくせ)()(かた)はべるめれば、(をのこ)しもなむ、仔細(しさい)なきものははべめる」 まいてきんだちおほんため、はかばかしくしたたかなるおほんうしろみは、なににかせさせたまはん。はかなし、くちをし、とかつつつも、ただわがこころにつき、すくせかたはべるめれば、をのこしもなん、しさいなきものははべめる。"
022.4.7184163 (まう)せば、(のこ)りを()はせむとて、「さてさてをかしかりける(をんな)かな」とすかいたまふを、(こころ)()ながら、(はな)のわたりをこづきて(かた)りなす。 まうせば、のこりをはせんとて、"さてさてをかしかりけるをんなかな。"とすかいたまふを、こころながら、はなのわたりをこづきてかたりなす。
022.4.8185164 「さて、いと(ひさ)しくまからざりしに、もののたよりに()()りてはべれば、(つね)のうちとけゐたる(かた)にははべらで、(こころ)やましき物越(ものご)しにてなむ()ひてはべる。ふすぶるにやと、をこがましくも、また、よきふしなりとも(おも)ひたまふるに、このさかし(びと)はた、軽々(かろがろ)しきもの(ゑん)じすべきにもあらず、()道理(だうり)(おも)ひとりて(うら)みざりけり。 "さて、いとひさしくまからざりしに、もののたよりにりてはべれば、つねのうちとけゐたるかたにははべらで、こころやましきものごしにてなんひてはべる。ふすぶるにやと、をこがましくも、また、よきふしなりともおもひたまふるに、このさかしびとはた、かろがろしきものゑんじすべきにもあらず、だうりおもひとりてうらみざりけり。
022.4.9186165 (こゑ)もはやりかにて()ふやう、 こゑもはやりかにてふやう、
022.4.10187166 (つき)ごろ、風病重(ふびゃうおも)きに()へかねて、極熱(ごくねち)草薬(さうやく)(ぶく)して、いと(くさ)きによりなむ、え対面賜(たいめんたま)はらぬ。()のあたりならずとも、さるべからむ雑事(ざうじ)らは(うけたまは)らむ』 'つきごろ、ふびゃうおもきにへかねて、ごくねちさうやくぶくして、いとくさきによりなん、えたいめんたまはらぬ。のあたりならずとも、さるべからんざうじらはうけたまはらん。'
022.4.11188167 と、いとあはれにむべむべしく()ひはべり。(いら)へに(なに)とかは。ただ、『(うけたまは)りぬ』とて、()()ではべるに、さうざうしくやおぼえけむ、 と、いとあはれにむべむべしくひはべり。いらへになにとかは。ただ、'うけたまはりぬ'とて、ではべるに、さうざうしくやおぼえけん、
022.4.12189169 『この香失(かう)せなむ(とき)()()りたまへ』と(たか)やかに()ふを、()()ぐさむもいとほし、しばしやすらふべきに、はたはべらねば、げにそのにほひさへ、はなやかにたち()へるも(すべ)なくて、()()をつかひて、 'このかうせなんときりたまへ。'とたかやかにふを、ぐさんもいとほし、しばしやすらふべきに、はたはべらねば、げにそのにほひさへ、はなやかにたちへるもすべなくて、をつかひて、
022.4.13190170 『ささがにのふるまひしるき夕暮(ゆふぐ)れに<BR/>ひるま()ぐせといふがあやなさ '〔ささがにのふるまひしるきゆふぐれに<BR/>ひるまぐせといふがあやなさ
022.4.14191171 いかなることつけぞや』 いかなることつけぞや。'
022.4.15192172 と、()ひも()てず(はし)()ではべりぬるに、()ひて、 と、ひもてずはしではべりぬるに、ひて、
022.4.16193173 ()ふことの()をし(へだ)てぬ(なか)ならば<BR/>ひる()(なに)かまばゆからまし』 '〔ふことのをしへだてぬなかならば<BR/>ひるなにかまばゆからまし〕
022.4.17194174 さすがに口疾(くちと)くなどははべりき」 さすがにくちとくなどははべりき。"
022.4.18195175 と、しづしづと(まう)せば、君達(きみたち)あさましと(おも)ひて、「嘘言(そらごと)」とて(わら)ひたまふ。 と、しづしづとまうせば、きみたちあさましとおもひて、"そらごと"とてわらひたまふ。
022.4.19196176 「いづこのさる(をんな)かあるべき。おいらかに(おに)とこそ()かひゐたらめ。むくつけきこと」 "いづこのさるをんなかあるべき。おいらかにおにとこそかひゐたらめ。むくつけきこと。"
022.4.20197177 爪弾(つまはじ)きをして、「()はむ(かた)なし」と、式部(しきぶ)をあはめ(にく)みて、 つまはじきをして、"はんかたなし"と、しきぶをあはめにくみて、
022.4.21198178 「すこしよろしからむことを(まう)せ」と()めたまへど、 "すこしよろしからんことをまうせ。"とめたまへど、
022.4.22199179 「これよりめづらしきことはさぶらひなむや」とて、をり。 "これよりめづらしきことはさぶらひなんや。"とて、をり。
022.4.23200180 「すべて(をとこ)(をんな)()(もの)は、わづかに()れる(かた)のことを(のこ)りなく()()くさむと(おも)へるこそ、いとほしけれ。 "すべてをとこをんなものは、わづかにれるかたのことをのこりなくくさんとおもへるこそ、いとほしけれ。
022.4.24201181 三史五経(さんしごきゃう)道々(みちみち)しき(かた)を、(あき)らかに(さと)()かさむこそ、愛敬(あいぎゃう)なからめ、などかは、(をんな)といはむからに、()にあることの公私(おほやけわたくし)につけて、むげに()らずいたらずしもあらむ。わざと(なら)ひまねばねど、すこしもかどあらむ(ひと)の、(みみ)にも()にもとまること、自然(じねん)(おほ)かるべし。 さんしごきゃうみちみちしきかたを、あきらかにさとかさんこそ、あいぎゃうなからめ、などかは、をんなといはんからに、にあることのおほやけわたくしにつけて、むげにらずいたらずしもあらん。わざとならひまねばねど、すこしもかどあらんひとの、みみにもにもとまること、じねんおほかるべし。
022.4.25202182 さるままには、真名(まんな)(はし)()きて、さるまじきどちの女文(をんなぶみ)に、なかば()ぎて()きすすめたる、あなうたて、この(ひと)のたをやかならましかばと()えたり。心地(ここち)にはさしも(おも)はざらめど、おのづからこはごはしき(こゑ)()みなされなどしつつ、ことさらびたり。上臈(じゃうらふ)(なか)にも、(おほ)かることぞかし。 さるままには、まんなはしきて、さるまじきどちのをんなぶみに、なかばぎてきすすめたる、あなうたて、このひとのたをやかならましかばとえたり。ここちにはさしもおもはざらめど、おのづからこはごはしきこゑみなされなどしつつ、ことさらびたり。じゃうらふなかにも、おほかることぞかし。
022.4.26203183 歌詠(うたよ)むと(おも)へる(ひと)の、やがて(うた)にまつはれ、をかしき古言(ふること)をも(はじ)めより()()みつつ、すさまじき折々(をりをり)()みかけたるこそ、ものしきことなれ。(かへ)しせねば(なさ)けなし、えせざらむ(ひと)ははしたなからむ。 うたよむとおもへるひとの、やがてうたにまつはれ、をかしきふることをもはじめよりみつつ、すさまじきをりをりみかけたるこそ、ものしきことなれ。かへしせねばなさけなし、えせざらんひとははしたなからん。
022.4.27204184 さるべき節会(せちゑ)など、五月(さつき)(せち)(いそ)(まゐ)(あした)(なに)のあやめも(おも)ひしづめられぬに、えならぬ()()きかけ、九日(ここぬか)(えん)に、まづ(かた)()(こころ)(おも)ひめぐらして(いとま)なき(をり)に、(きく)(つゆ)をかこち()せなどやうの、つきなき(いとな)みにあはせ、さならでもおのづから、げに(のち)(おも)へばをかしくもあはれにもあべかりけることの、その(をり)につきなく、()にとまらぬなどを、()(はか)らず()()でたる、なかなか心後(こころおく)れて()ゆ。 さるべきせちゑなど、さつきせちいそまゐあしたなにのあやめもおもひしづめられぬに、えならぬきかけ、ここぬかえんに、まづかたこころおもひめぐらしていとまなきをりに、きくつゆをかこちせなどやうの、つきなきいとなみにあはせ、さならでもおのづから、げにのちおもへばをかしくもあはれにもあべかりけることの、そのをりにつきなく、にとまらぬなどを、はからずでたる、なかなかこころおくれてゆ。
022.4.28205185 よろづのことに、などかは、さても、とおぼゆる(をり)から、時々(ときどき)(おも)ひわかぬばかりの(こころ)にては、よしばみ(なさ)()たざらむなむ()やすかるべき。 よろづのことに、などかは、さても、とおぼゆるをりから、ときどきおもひわかぬばかりのこころにては、よしばみなさたざらんなんやすかるべき。
022.4.29206186 すべて、(こころ)()れらむことをも、()らず(がほ)にもてなし、()はまほしからむことをも、(ひと)(ふた)つのふしは()ぐすべくなむあべかりける」 すべて、こころれらんことをも、らずがほにもてなし、はまほしからんことをも、ひとふたつのふしはぐすべくなんあべかりける。"
022.4.30207187 ()ふにも、(きみ)は、人一人(ひとひとり)(おほん)ありさまを、(こころ)(うち)(おも)ひつづけたまふ。「これに()らずまたさし()ぎたることなくものしたまひけるかな」と、ありがたきにも、いとど(むね)ふたがる。 ふにも、きみは、ひとひとりおほんありさまを、こころうちおもひつづけたまふ。"これにらずまたさしぎたることなくものしたまひけるかな。"と、ありがたきにも、いとどむねふたがる。
022.4.31208188 いづ(かた)により()つともなく、()()てはあやしきことどもになりて、()かしたまひつ。 いづかたによりつともなく、てはあやしきことどもになりて、かしたまひつ。
023209189第三章 空蝉の物語
023.1210190第一段 天気晴れる
023.1.1211191 からうして今日(けふ)()のけしきも(なほ)れり。かくのみ()もりさぶらひたまふも、大殿(おほいどの)御心(みこころ)いとほしければ、まかでたまへり。 からうしてけふのけしきもなほれり。かくのみもりさぶらひたまふも、おほいどのみこころいとほしければ、まかでたまへり。
023.1.2212192 おほかたの気色(けしき)(ひと)のけはひも、けざやかにけ(だか)く、(みだ)れたるところまじらず、なほ、これこそは、かの、(ひと)びとの()てがたく()()でしまめ(びと)には(たの)まれぬべけれ、と(おぼ)すものから、あまりうるはしき(おほん)ありさまの、とけがたく()づかしげに(おも)ひしづまりたまへるをさうざうしくて、中納言(ちゅうなごん)(きみ)中務(なかつかさ)などやうの、おしなべたらぬ若人(わかうど)どもに、(たはぶ)(ごと)などのたまひつつ、(あつ)さに(みだ)れたまへる(おほん)ありさまを、()るかひありと(おも)ひきこえたり。 おほかたのけしきひとのけはひも、けざやかにけだかく、みだれたるところまじらず、なほ、これこそは、かの、ひとびとのてがたくでしまめびとにはたのまれぬべけれ、とおぼすものから、あまりうるはしきおほんありさまの、とけがたくづかしげにおもひしづまりたまへるをさうざうしくて、ちゅうなごんきみなかつかさなどやうの、おしなべたらぬわかうどどもに、たはぶごとなどのたまひつつ、あつさにみだれたまへるおほんありさまを、るかひありとおもひきこえたり。
023.1.3213193 大臣(おとど)(わた)りたまひて、うちとけたまへれば、御几帳隔(みきちゃうへだ)てておはしまして、御物語聞(おほんものがたりき)こえたまふを、「(あつ)きに」とにがみたまへば、(ひと)びと(わら)ふ。「あなかま」とて、脇息(けふそく)()りおはす。いとやすらかなる御振(おほんふ)()ひなりや。 おとどわたりたまひて、うちとけたまへれば、みきちゃうへだてておはしまして、おほんものがたりきこえたまふを、"あつきに"とにがみたまへば、ひとびとわらふ。"あなかま"とて、けふそくりおはす。いとやすらかなるおほんふひなりや。
023.1.4214194 (くら)くなるほどに、 くらくなるほどに、
023.1.5215195 今宵(こよひ)中神(なかがみ)内裏(うち)よりは(ふた)がりてはべりけり」と()こゆ。 "こよひなかがみうちよりはふたがりてはべりけり。"とこゆ。
023.1.6216196 「さかし、(れい)()みたまふ(かた)なりけり」 "さかし、れいみたまふかたなりけり。"
023.1.7217197 二条(にでう)(ゐん)にも(おな)(すぢ)にて、いづくにか(たが)へむ。いと(なや)ましきに」 "にでうゐんにもおなすぢにて、いづくにかたがへん。いとなやましきに。"
023.1.8218198 とて大殿籠(おほとのご)もれり。「いと()しきことなり」と、これかれ()こゆ。 とておほとのごもれり。"いとしきことなり。"と、これかれこゆ。
023.1.9219199 紀伊守(きのかみ)にて(した)しく(つか)うまつる(ひと)の、中川(なかがは)のわたりなる(いへ)なむ、このころ(みづ)せき()れて、(すず)しき(かげ)にはべる」と()こゆ。 "きのかみにてしたしくつかうまつるひとの、なかがはのわたりなるいへなん、このころみづせきれて、すずしきかげにはべる。"とこゆ。
023.1.10220200 「いとよかなり。(なや)ましきに、(うし)ながら()()れつべからむ(ところ)を」 "いとよかなり。なやましきに、うしながられつべからんところを。"
023.1.11221201 とのたまふ。(しの)(しの)びの御方違(おほんかたたが)(どころ)は、あまたありぬべけれど、(ひさ)しくほど()(わた)りたまへるに、方塞(かたふた)げて、ひき(たが)(ほか)ざまへと(おぼ)さむは、いとほしきなるべし。紀伊守(きのかみ)(おほ)言賜(ごとたま)へば、(うけたまは)りながら、退(しりぞ)きて、 とのたまふ。しのしのびのおほんかたたがどころは、あまたありぬべけれど、ひさしくほどわたりたまへるに、かたふたげて、ひきたがほかざまへとおぼさんは、いとほしきなるべし。きのかみおほごとたまへば、うけたまはりながら、しりぞきて、
023.1.12222202 伊予守(いよのかみ)朝臣(あそん)(いへ)(つつし)むことはべりて、女房(にょうばう)なむまかり(うつ)れるころにて、(せば)(ところ)にはべれば、なめげなることやはべらむ」 "いよのかみあそんいへつつしむことはべりて、にょうばうなんまかりうつれるころにて、せばところにはべれば、なめげなることやはべらん。"
023.1.13223203 と、(した)(なげ)くを()きたまひて、 と、したなげくをきたまひて、
023.1.14224204 「その人近(ひとちか)からむなむ、うれしかるべき。女遠(をんなとほ)旅寝(たびね)は、もの(おそ)ろしき心地(ここち)すべきを。ただその几帳(きちゃう)のうしろに」とのたまへば、 "そのひとちかからんなん、うれしかるべき。をんなとほたびねは、ものおそろしきここちすべきを。ただそのきちゃうのうしろに。"とのたまへば、
023.1.15225205 「げに、よろしき御座所(おましどころ)にも」とて、人走(ひとはし)らせやる。いと(しの)びて、ことさらにことことしからぬ(ところ)をと、(いそ)()でたまへば、大臣(おとど)にも()こえたまはず、御供(おほんとも)にも(むつ)ましき(かぎ)りしておはしましぬ。 "げに、よろしきおましどころにも"とて、ひとはしらせやる。いとしのびて、ことさらにことことしからぬところをと、いそでたまへば、おとどにもこえたまはず、おほんともにもむつましきかぎりしておはしましぬ。
023.2226206第二段 紀伊守邸への方違へ
023.2.1227207 「にはかに」とわぶれど、(ひと)()()れず。寝殿(しんでん)東面払(ひんがしおもてはら)ひあけさせて、かりそめの(おほん)しつらひしたり。(みづ)(こころ)ばへなど、さる(かた)にをかしくしなしたり。田舎家(ゐなかいへ)だつ柴垣(しばがき)して、前栽(せんさい)など(こころ)とめて()ゑたり。風涼(かぜすず)しくて、そこはかとなき(むし)声々聞(こゑごゑき)こえ、(ほたる)しげく()びまがひて、をかしきほどなり。 "にはかに"とわぶれど、ひとれず。しんでんひんがしおもてはらひあけさせて、かりそめのおほんしつらひしたり。みづこころばへなど、さるかたにをかしくしなしたり。ゐなかいへだつしばがきして、せんさいなどこころとめてゑたり。かぜすずしくて、そこはかとなきむしこゑごゑきこえ、ほたるしげくびまがひて、をかしきほどなり。
023.2.2228209 (ひと)びと、渡殿(わたどの)より()でたる(いづみ)にのぞきゐて、酒呑(さけの)む。主人(あるじ)肴求(さかなもと)むと、こゆるぎのいそぎありくほど、(きみ)はのどやかに(なが)めたまひて、かの、(なか)(しな)()()でて()ひし、この(なみ)ならむかしと(おぼ)()づ。 ひとびと、わたどのよりでたるいづみにのぞきゐて、さけのむ。あるじさかなもとむと、こゆるぎのいそぎありくほど、きみはのどやかにながめたまひて、かの、なかしなでてひし、このなみならんかしとおぼづ。
023.2.3229210 (おも)()がれる気色(けしき)()きおきたまへる(むすめ)なれば、ゆかしくて(みみ)とどめたまへるに、この西面(にしおもて)にぞ(ひと)のけはひする。(きぬ)(おと)なひはらはらとして、(わか)(こゑ)どもにくからず。さすがに(しの)びて、(わら)ひなどするけはひ、ことさらびたり。 おもがれるけしききおきたまへるむすめなれば、ゆかしくてみみとどめたまへるに、このにしおもてにぞひとのけはひする。きぬおとなひはらはらとして、わかこゑどもにくからず。さすがにしのびて、わらひなどするけはひ、ことさらびたり。
023.2.4230211 格子(かうし)()げたりけれど、(かみ)、「(こころ)なし」とむつかりて(おろ)しつれば、火灯(ひとも)したる透影(すきかげ)障子(さうじ)(かみ)より()りたるに、やをら()りたまひて、「()ゆや」と(おぼ)せど、(ひま)もなければ、しばし()きたまふに、この(ちか)母屋(もや)(つど)ひゐたるなるべし、うちささめき()ふことどもを()きたまへば、わが御上(おほんうへ)なるべし。 かうしげたりけれど、かみ、"こころなし"とむつかりておろしつれば、ひともしたるすきかげさうじかみよりりたるに、やをらりたまひて、"ゆや。"とおぼせど、ひまもなければ、しばしきたまふに、このちかもやつどひゐたるなるべし、うちささめきふことどもをきたまへば、わがおほんうへなるべし。
023.2.5231212 「いといたうまめだちて。まだきに、やむごとなきよすが(さだ)まりたまへるこそ、さうざうしかめれ」 "いといたうまめだちて。まだきに、やんごとなきよすがさだまりたまへるこそ、さうざうしかめれ。"
023.2.6232213 「されど、さるべき(くま)には、よくこそ、(かく)(あり)きたまふなれ」 "されど、さるべきくまには、よくこそ、かくありきたまふなれ。"
023.2.7233214 など()ふにも、(おぼ)すことのみ(こころ)にかかりたまへば、まづ(むね)つぶれて、「かやうのついでにも、(ひと)()()らさむを、()きつけたらむ(とき)」などおぼえたまふ。 などふにも、おぼすことのみこころにかかりたまへば、まづむねつぶれて、"かやうのついでにも、ひとらさんを、きつけたらんとき。"などおぼえたまふ。
023.2.8234215 ことなることなければ、()きさしたまひつ。式部卿宮(しきぶきゃうのみや)姫君(ひめぎみ)朝顔奉(あさがほたてまつ)りたまひし(うた)などを、すこしほほゆがめて(かた)るも()こゆ。「くつろぎがましく、歌誦(うたずん)じがちにもあるかな、なほ見劣(みおと)りはしなむかし」と(おぼ)す。 ことなることなければ、きさしたまひつ。しきぶきゃうのみやひめぎみあさがほたてまつりたまひしうたなどを、すこしほほゆがめてかたるもこゆ。"くつろぎがましく、うたずんじがちにもあるかな。なほみおとりはしなんかし。"とおぼす。
023.2.9235216 守出(かみい)()て、灯籠掛(とうろか)()へ、灯明(ひあか)くかかげなどして、(おほん)くだものばかり(まゐ)れり。 かみいて、とうろかへ、ひあかくかかげなどして、おほんくだものばかりまゐれり。
023.2.10236217 「とばり(ちゃう)も、いかにぞは。さる(かた)(こころ)もとなくては、めざましき饗応(あるじ)ならむ」とのたまへば、 "とばりちゃうも、いかにぞは。さるかたこころもとなくては、めざましきあるじならん。"とのたまへば、
023.2.11237218 (なに)よけむとも、えうけたまはらず」と、かしこまりてさぶらふ。(はし)(かた)御座(おまし)に、(かり)なるやうにて大殿籠(おほとのご)もれば、(ひと)びとも(しづ)まりぬ。 "なによけんとも、えうけたまはらず。"と、かしこまりてさぶらふ。はしかたおましに、かりなるやうにておほとのごもれば、ひとびともしづまりぬ。
023.2.12238219 主人(あるじ)()ども、をかしげにてあり。(わらは)なる、殿上(てんじゃう)のほどに御覧(ごらん)()れたるもあり。伊予介(いよのすけ)()もあり。あまたある(なか)に、いとけはひあてはかにて、十二(じふに)(さん)ばかりなるもあり。 あるじども、をかしげにてあり。わらはなる、てんじゃうのほどにごらんれたるもあり。いよのすけもあり。あまたあるなかに、いとけはひあてはかにて、じふにさんばかりなるもあり。
023.2.13239220 「いづれかいづれ」など()ひたまふに、 "いづれかいづれ。"などひたまふに、
023.2.14240221 「これは、故衛門督(こえもんのかみ)(すゑ)()にて、いとかなしくしはべりけるを、(をさな)きほどに(おく)れはべりて、(あね)なる(ひと)のよすがに、かくてはべるなり。(ざえ)などもつきはべりぬべく、けしうははべらぬを、殿上(てんじゃう)なども(おも)ひたまへかけながら、すがすがしうはえ()じらひはべらざめる」と(まう)す。 "これは、こえもんのかみすゑにて、いとかなしくしはべりけるを、をさなきほどにおくれはべりて、あねなるひとのよすがに、かくてはべるなり。ざえなどもつきはべりぬべく、けしうははべらぬを、てんじゃうなどもおもひたまへかけながら、すがすがしうはえじらひはべらざめる。"とまうす。
023.2.15241222 「あはれのことや。この姉君(あねぎみ)や、まうとの(のち)(おや) "あはれのことや。このあねぎみや、まうとののちおや。"
023.2.16242223 「さなむはべる」と(まう)すに、 "さなんはべる。"とまうすに、
023.2.17243224 ()げなき(おや)をも、まうけたりけるかな。主上(うへ)にも()こし()しおきて、『宮仕(みやづか)へに()だし()てむと()らし(そう)せし、いかになりにけむ』と、いつぞやのたまはせし。()こそ(さだ)めなきものなれ」と、いとおよすけのたまふ。 "げなきおやをも、まうけたりけるかな。うへにもこししおきて、'みやづかへにだしてんとらしそうせし、いかになりにけん。'と、いつぞやのたまはせし。こそさだめなきものなれ。"と、いとおよすけのたまふ。
023.2.18244225 不意(ふい)に、かくてものしはべるなり。()(なか)といふもの、さのみこそ、(いま)(むかし)も、(さだ)まりたることはべらね。(なか)についても、(をんな)宿世(すくせ)()かびたるなむ、あはれにはべる」など()こえさす。 "ふいに、かくてものしはべるなり。なかといふもの、さのみこそ、いまむかしも、さだまりたることはべらね。なかについても、をんなすくせかびたるなん、あはれにはべる。"などこえさす。
023.2.19245226 伊予介(いよのすけ)は、かしづくや。(きみ)(おも)ふらむな」 "いよのすけは、かしづくや。きみおもふらんな。"
023.2.20246227 「いかがは。(わたくし)(しゅう)とこそは(おも)ひてはべるめるを、()()きしきことと、なにがしよりはじめて、うけひきはべらずなむ」と(まう)す。 "いかがは。わたくししゅうとこそはおもひてはべるめるを、きしきことと、なにがしよりはじめて、うけひきはべらずなん。"とまうす。
023.2.21247228 「さりとも、まうとたちのつきづきしく(いま)めきたらむに、おろしたてむやは。かの(すけ)は、いとよしありて気色(けしき)ばめるをや」など、物語(ものがたり)したまひて、 "さりとも、まうとたちのつきづきしくいまめきたらんに、おろしたてんやは。かのすけは、いとよしありてけしきばめるをや。"など、ものがたりしたまひて、
023.2.22248229 「いづかたにぞ」 "いづかたにぞ。"
023.2.23249230 (みな)下屋(しもや)におろしはべりぬるを、えやまかりおりあへざらむ」と()こゆ。 "みなしもやにおろしはべりぬるを、えやまかりおりあへざらん。"とこゆ。
023.2.24250231 ()ひすすみて、皆人(みなひと)びと簀子(すのこ)()しつつ、(しづ)まりぬ。 ひすすみて、みなひとびとすのこしつつ、しづまりぬ。
023.3251232第三段 空蝉の寝所に忍び込む
023.3.1252233 (きみ)は、とけても()られたまはず、いたづら()しと(おぼ)さるるに御目覚(おほんめさ)めて、この(きた)障子(さうじ)のあなたに(ひと)のけはひするを、「こなたや、かくいふ(ひと)(かく)れたる(かた)ならむ、あはれや」と御心(みこころ)とどめて、やをら()きて()()きたまへば、ありつる()(こゑ)にて、 きみは、とけてもられたまはず、いたづらしとおぼさるるにおほんめさめて、このきたさうじのあなたにひとのけはひするを、"こなたや、かくいふひとかくれたるかたならん、あはれや。"とみこころとどめて、やをらきてきたまへば、ありつるこゑにて、
023.3.2253234 「ものけたまはる。いづくにおはしますぞ」 "ものけたまはる。いづくにおはしますぞ。"
023.3.3254235 と、かれたる(こゑ)のをかしきにて()へば、 と、かれたるこゑのをかしきにてへば、
023.3.4255236 「ここにぞ()したる。客人(まらうと)()たまひぬるか。いかに(ちか)からむと(おも)ひつるを、されど、け(どほ)かりけり」 "ここにぞしたる。まらうとたまひぬるか。いかにちかからんとおもひつるを、されど、けどほかりけり。"
023.3.5256237 ()ふ。()たりける(こゑ)のしどけなき、いとよく似通(にかよ)ひたれば、いもうとと()きたまひつ。 ふ。たりけるこゑのしどけなき、いとよくにかよひたれば、いもうとときたまひつ。
023.3.6257238 (ひさし)にぞ大殿籠(おほとのご)もりぬる。(おと)()きつる(おほん)ありさまを()たてまつりつる、げにこそめでたかりけれ」と、みそかに()ふ。 "ひさしにぞおほとのごもりぬる。おときつるおほんありさまをたてまつりつる、げにこそめでたかりけれ。"と、みそかにふ。
023.3.7258239 (ひる)ならましかば、(のぞ)きて()たてまつりてまし」 "ひるならましかば、のぞきてたてまつりてまし。"
023.3.8259240 とねぶたげに()ひて、(かほ)ひき()れつる(こゑ)す。「ねたう、(こころ)とどめても()()けかし」とあぢきなく(おぼ)す。 とねぶたげにひて、かほひきれつるこゑす。"ねたう、こころとどめてもけかし。"とあぢきなくおぼす。
023.3.9260241 「まろは(はし)()はべらむ。あなくるし」 "まろははしはべらん。あなくるし。"
023.3.10261242 とて、()かかげなどすべし。女君(をんなぎみ)は、ただこの障子口筋交(さうじぐちすぢか)ひたるほどにぞ()したるべき。 とて、かかげなどすべし。をんなぎみは、ただこのさうじぐちすぢかひたるほどにぞしたるべき。
023.3.11262243 中将(ちゅうじゃう)(きみ)はいづくにぞ。(ひと)(とほ)心地(ここち)して、もの(おそ)ろし」 "ちゅうじゃうきみはいづくにぞ。ひととほここちして、ものおそろし。"
023.3.12263244 ()ふなれば、長押(なげし)(しも)に、(ひと)びと()して(いら)へすなり。 ふなれば、なげししもに、ひとびとしていらへすなり。
023.3.13264245 (しも)()におりて。『ただ今参(いままゐ)らむ』とはべる」と()ふ。 "しもにおりて。'ただいままゐらん'とはべる。"とふ。
023.3.14265246 皆静(みなしづ)まりたるけはひなれば、掛金(かけがね)(こころ)みに()きあけたまへれば、あなたよりは()さざりけり。几帳(きちゃう)障子口(さうじぐち)には()てて、()はほの(くら)きに、()たまへば唐櫃(からびつ)だつ(もの)どもを()きたれば、(みだ)りがはしき(なか)を、()()りたまへれば、ただ一人(ひとり)いとささやかにて()したり。なまわづらはしけれど、(うへ)なる衣押(きぬお)しやるまで、(もと)めつる(ひと)(おも)へり。 みなしづまりたるけはひなれば、かけがねこころみにきあけたまへれば、あなたよりはさざりけり。きちゃうさうじぐちにはてて、はほのくらきに、たまへばからびつだつものどもをきたれば、みだりがはしきなかを、りたまへれば、ただひとりいとささやかにてしたり。なまわづらはしけれど、うへなるきぬおしやるまで、もとめつるひとおもへり。
023.3.15266247 中将召(ちゅうじゃうめ)しつればなむ。人知(ひとし)れぬ(おも)ひの、しるしある心地(ここち)して」 "ちゅうじゃうめしつればなん。ひとしれぬおもひの、しるしあるここちして。"
023.3.16267248 とのたまふを、ともかくも(おも)()かれず、(もの)(おそ)はるる心地(ここち)して、「や」とおびゆれど、(かほ)(きぬ)のさはりて、(おと)にも()てず。 とのたまふを、ともかくもおもかれず、ものおそはるるここちして、"や。"とおびゆれど、かほきぬのさはりて、おとにもてず。
023.3.17268249 「うちつけに、(ふか)からぬ(こころ)のほどと()たまふらむ、ことわりなれど、(とし)ごろ(おも)ひわたる(こころ)のうちも、()こえ()らせむとてなむ。かかるをりを()()でたるも、さらに(あさ)くはあらじと、(おも)ひなしたまへ」 "うちつけに、ふかからぬこころのほどとたまふらん、ことわりなれど、としごろおもひわたるこころのうちも、こえらせんとてなん。かかるをりをでたるも、さらにあさくはあらじと、おもひなしたまへ。"
023.3.18269250 と、いとやはらかにのたまひて、鬼神(おにがみ)(あら)だつまじきけはひなれば、はしたなく、「ここに、(ひと)」とも、えののしらず。心地(ここち)はた、わびしく、あるまじきことと(おも)へば、あさましく、 と、いとやはらかにのたまひて、おにがみあらだつまじきけはひなれば、はしたなく、"ここに、ひと。"とも、えののしらず。ここちはた、わびしく、あるまじきこととおもへば、あさましく、
023.3.19270251 人違(ひとたが)へにこそはべるめれ」と()ふも(いき)(した)なり。 "ひとたがへにこそはべるめれ。"とふもいきしたなり。
023.3.20271252 ()えまどへる気色(けしき)、いと心苦(こころぐる)しくらうたげなれば、をかしと()たまひて、 えまどへるけしき、いとこころぐるしくらうたげなれば、をかしとたまひて、
023.3.21272253 (たが)ふべくもあらぬ(こころ)のしるべを、(おも)はずにもおぼめいたまふかな。()きがましきさまには、よに()えたてまつらじ。(おも)ふことすこし()こゆべきぞ」 "たがふべくもあらぬこころのしるべを、おもはずにもおぼめいたまふかな。きがましきさまには、よにえたてまつらじ。おもふことすこしこゆべきぞ。"
023.3.22273254 とて、いと(ちひ)さやかなれば、かき(いだ)きて障子(さうじ)のもと()でたまふにぞ、(もと)めつる中将(ちゅうじゃう)だつ人来(ひとき)あひたる。 とて、いとちひさやかなれば、かきいだきてさうじのもとでたまふにぞ、もとめつるちゅうじゃうだつひときあひたる。
023.3.23274255 「やや」とのたまふに、あやしくて(さぐ)()りたるにぞ、いみじく(にほ)ひみちて、(かほ)にもくゆりかかる心地(ここち)するに、(おも)()りぬ。あさましう、こはいかなることぞと(おも)ひまどはるれど、()こえむ(かた)なし。並々(なみなみ)(ひと)ならばこそ、(あら)らかにも()きかなぐらめ、それだに(ひと)のあまた()らむは、いかがあらむ。(こころ)(さわ)ぎて、(した)()たれど、(どう)もなくて、(おく)なる御座(おまし)()りたまひぬ。 "やや。"とのたまふに、あやしくてさぐりたるにぞ、いみじくにほひみちて、かほにもくゆりかかるここちするに、おもりぬ。あさましう、こはいかなることぞとおもひまどはるれど、こえんかたなし。なみなみひとならばこそ、あららかにもきかなぐらめ、それだにひとのあまたらんは、いかがあらん。こころさわぎて、したたれど、どうもなくて、おくなるおましりたまひぬ。
023.3.24275256 障子(さうじ)をひきたてて、「(あかつき)御迎(おほんむか)へにものせよ」とのたまへば、(をんな)は、この(ひと)(おも)ふらむことさへ、()ぬばかりわりなきに、(なが)るるまで(あせ)になりて、いと(なや)ましげなる、いとほしけれど、(れい)の、いづこより()()たまふ(こと)()にかあらむ、あはれ()らるばかり、(なさ)(なさ)けしくのたまひ()くすべかめれど、なほいとあさましきに、 さうじをひきたてて、"あかつきおほんむかへにものせよ。"とのたまへば、をんなは、このひとおもふらんことさへ、ぬばかりわりなきに、ながるるまであせになりて、いとなやましげなる、いとほしけれど、れいの、いづこよりたまふことにかあらん、あはれらるばかり、なさなさけしくのたまひくすべかめれど、なほいとあさましきに、
023.3.25276257 (うつつ)ともおぼえずこそ。(かず)ならぬ()ながらも、(おぼ)しくたしける御心(みこころ)ばへのほども、いかが(あさ)くは(おも)うたまへざらむ。いとかやうなる(きは)は、(きは)とこそはべなれ」 "うつつともおぼえずこそ。かずならぬながらも、おぼしくたしけるみこころばへのほども、いかがあさくはおもうたまへざらん。いとかやうなるきはは、きはとこそはべなれ。"
023.3.26277258 とて、かくおし()ちたまへるを、(ふか)(なさ)けなく()しと(おも)()りたるさまも、げにいとほしく、心恥(こころは)づかしきけはひなれば、 とて、かくおしちたまへるを、ふかなさけなくしとおもりたるさまも、げにいとほしく、こころはづかしきけはひなれば、
023.3.27278259 「その際々(きはぎは)を、まだ()らぬ、初事(うひごと)ぞや。なかなか、おしなべたる(つら)(おも)ひなしたまへるなむうたてありける。おのづから()きたまふやうもあらむ。あながちなる()(ごころ)は、さらにならはぬを。さるべきにや、げに、かくあはめられたてまつるも、ことわりなる(こころ)まどひを、みづからもあやしきまでなむ」 "そのきはぎはを、まだらぬ、うひごとぞや。なかなか、おしなべたるつらおもひなしたまへるなんうたてありける。おのづからきたまふやうもあらん。あながちなるごころは、さらにならはぬを。さるべきにや、げに、かくあはめられたてまつるも、ことわりなるこころまどひを、みづからもあやしきまでなん。"
023.3.28279260 など、まめだちてよろづにのたまへど、いとたぐひなき(おほん)ありさまの、いよいようちとけきこえむことわびしければ、すくよかに(こころ)づきなしとは()えたてまつるとも、さる(かた)()ふかひなきにて()ぐしてむと(おも)ひて、つれなくのみもてなしたり。人柄(ひとがら)のたをやぎたるに、(つよ)(こころ)をしひて(くは)へたれば、なよ(たけ)心地(ここち)して、さすがに()るべくもあらず。 など、まめだちてよろづにのたまへど、いとたぐひなきおほんありさまの、いよいようちとけきこえんことわびしければ、すくよかにこころづきなしとはえたてまつるとも、さるかたふかひなきにてぐしてんとおもひて、つれなくのみもてなしたり。ひとがらのたをやぎたるに、つよこころをしひてくはへたれば、なよたけここちして、さすがにるべくもあらず。
023.3.29280261 まことに(こころ)やましくて、あながちなる御心(みこころ)ばへを、()(かた)なしと(おも)ひて、()くさまなど、いとあはれなり。心苦(こころぐる)しくはあれど、()ざらましかば口惜(くちを)しからまし、と(おぼ)す。(なぐさ)めがたく、()しと(おも)へれば、 まことにこころやましくて、あながちなるみこころばへを、かたなしとおもひて、くさまなど、いとあはれなり。こころぐるしくはあれど、ざらましかばくちをしからまし、とおぼす。なぐさめがたく、しとおもへれば、
023.3.30281262 「など、かく(うと)ましきものにしも(おぼ)すべき。おぼえなきさまなるしもこそ、(ちぎ)りあるとは(おも)ひたまはめ。むげに()(おも)()らぬやうに、おぼほれたまふなむ、いとつらき」と(うら)みられて、 "など、かくうとましきものにしもおぼすべき。おぼえなきさまなるしもこそ、ちぎりあるとはおもひたまはめ。むげにおもらぬやうに、おぼほれたまふなん、いとつらき。"とうらみられて、
023.3.31282263 「いとかく()()のほどの(さだ)まらぬ、ありしながらの()にて、かかる御心(みこころ)ばへを()ましかば、あるまじき()(たの)みにて、見直(みなほ)したまふ後瀬(のちせ)をも(おも)ひたまへ(なぐさ)めましを、いとかう(かり)なる()()のほどを(おも)ひはべるに、たぐひなく(おも)うたまへ(まど)はるるなり。よし、(いま)()きとなかけそ」 "いとかくのほどのさだまらぬ、ありしながらのにて、かかるみこころばへをましかば、あるまじきたのみにて、みなほしたまふのちせをもおもひたまへなぐさめましを、いとかうかりなるのほどをおもひはべるに、たぐひなくおもうたまへまどはるるなり。よし、いまきとなかけそ。"
023.3.32283264 とて、(おも)へるさま、げにいとことわりなり。おろかならず(ちぎ)(なぐさ)めたまふこと(おほ)かるべし。 とて、おもへるさま、げにいとことわりなり。おろかならずちぎなぐさめたまふことおほかるべし。
023.3.33284265 (とり)()きぬ。(ひと)びと()()でて、 とりきぬ。ひとびとでて、
023.3.34285266 「いといぎたなかりける()かな」 "いといぎたなかりけるかな。"
023.3.35286267 御車(みくるま)ひき()でよ」 "みくるまひきでよ。"
023.3.36287268 など()ふなり。(かみ)()()て、 などふなり。かみて、
023.3.37288269 (をんな)などの御方違(おほんかたたが)へこそ。夜深(よぶか)(いそ)がせたまふべきかは」など()ふもあり。 "をんななどのおほんかたたがへこそ。よぶかいそがせたまふべきかは。"などふもあり。
023.3.38289270 (きみ)は、またかやうのついであらむこともいとかたく、さしはへてはいかでか、御文(おほんふみ)なども(かよ)はむことのいとわりなきを(おぼ)すに、いと(むね)いたし。(おく)中将(ちゅうじゃう)()でて、いと(くる)しがれば、(ゆる)したまひても、また()きとどめたまひつつ、 きみは、またかやうのついであらんこともいとかたく、さしはへてはいかでか、おほんふみなどもかよはんことのいとわりなきをおぼすに、いとむねいたし。おくちゅうじゃうでて、いとくるしがれば、ゆるしたまひても、またきとどめたまひつつ、
023.3.39290271 「いかでか、()こゆべき。()()らぬ御心(みこころ)のつらさも、あはれも、(あさ)からぬ()(おも)()では、さまざまめづらかなるべき(ためし)かな」 "いかでか、こゆべき。らぬみこころのつらさも、あはれも、あさからぬおもでは、さまざまめづらかなるべきためしかな。"
023.3.40291272 とて、うち()きたまふ気色(けしき)、いとなまめきたり。 とて、うちきたまふけしき、いとなまめきたり。
023.3.41292273 (とり)もしばしば()くに、(こころ)あわたたしくて、 とりもしばしばくに、こころあわたたしくて、
023.3.42293274 「つれなきを(うら)みも()てぬしののめに<BR/>とりあへぬまでおどろかすらむ」 "〔つれなきをうらみもてぬしののめに<BR/>とりあへぬまでおどろかすらん〕
023.3.43294275 (をんな)()のありさまを(おも)ふに、いとつきなくまばゆき心地(ここち)して、めでたき(おほん)もてなしも、(なに)ともおぼえず、(つね)はいとすくすくしく(こころ)づきなしと(おも)ひあなづる伊予(いよ)(かた)(おも)ひやられて、「(ゆめ)にや()ゆらむ」と、そら(おそ)ろしくつつまし。 をんなのありさまをおもふに、いとつきなくまばゆきここちして、めでたきおほんもてなしも、なにともおぼえず、つねはいとすくすくしくこころづきなしとおもひあなづるいよかたおもひやられて、"ゆめにやゆらん。"と、そらおそろしくつつまし。
023.3.44295276 ()()さを(なげ)くにあかで()くる()は<BR/>とり(かさ)ねてぞ()もなかれける」 "〔さをなげくにあかでくるは<BR/>とりかさねてぞもなかれける〕
023.3.45296278 ことと(あか)くなれば、障子口(さうじぐち)まで(おく)りたまふ。(うち)()人騒(ひとさわ)がしければ、()()てて、(わか)れたまふほど、心細(こころぼそ)く、(へだ)つる(せき)()えたり。 こととあかくなれば、さうじぐちまでおくりたまふ。うちひとさわがしければ、てて、わかれたまふほど、こころぼそく、へだつるせきえたり。
023.3.46297279 御直衣(おほんなほし)など()たまひて、(みなみ)高欄(かうらん)にしばしうち(なが)めたまふ。西面(にしおもて)格子(かうし)そそき()げて、(ひと)びと(のぞ)くべかめる。簀子(すのこ)(なか)のほどに()てたる小障子(こさうじ)(かみ)より(ほの)かに()えたまへる(おほん)ありさまを、()にしむばかり(おも)へる()(ごころ)どもあめり。 おほんなほしなどたまひて、みなみかうらんにしばしうちながめたまふ。にしおもてかうしそそきげて、ひとびとのぞくべかめる。すのこなかのほどにてたるこさうじかみよりほのかにえたまへるおほんありさまを、にしむばかりおもへるごころどもあめり。
023.3.47298280 (つき)有明(ありあけ)にて、(ひかり)をさまれるものから、かげけざやかに()えて、なかなかをかしき(あけぼの)なり。何心(なにごころ)なき(そら)のけしきも、ただ()(ひと)から、(えん)にもすごくも()ゆるなりけり。人知(ひとし)れぬ御心(みこころ)には、いと(むね)いたく、言伝(ことづ)てやらむよすがだになきをと、かへりみがちにて()でたまひぬ。 つきありあけにて、ひかりをさまれるものから、かげけざやかにえて、なかなかをかしきあけぼのなり。なにごころなきそらのけしきも、ただひとから、えんにもすごくもゆるなりけり。ひとしれぬみこころには、いとむねいたく、ことづてやらんよすがだになきをと、かへりみがちにてでたまひぬ。
023.3.48299281 殿(との)(かへ)りたまひても、とみにもまどろまれたまはず。またあひ()るべき(かた)なきを、まして、かの(ひと)(おも)ふらむ(こころ)(うち)、いかならむと、心苦(こころぐる)しく(おも)ひやりたまふ。「すぐれたることはなけれど、めやすくもてつけてもありつる(なか)(しな)かな。(くま)なく見集(みあつ)めたる(ひと)()ひしことは、げに」と(おぼ)()はせられけり。 とのかへりたまひても、とみにもまどろまれたまはず。またあひるべきかたなきを、まして、かのひとおもふらんこころうち、いかならんと、こころぐるしくおもひやりたまふ。"すぐれたることはなけれど、めやすくもてつけてもありつるなかしなかな。くまなくみあつめたるひとひしことは、げに。"とおぼはせられけり。
023.3.49300282 このほどは大殿(おほいどの)にのみおはします。なほいとかき()えて、(おも)ふらむことのいとほしく御心(みこころ)にかかりて、(くる)しく(おぼ)しわびて、紀伊守(きのかみ)()したり。 このほどはおほいどのにのみおはします。なほいとかきえて、おもふらんことのいとほしくみこころにかかりて、くるしくおぼしわびて、きのかみしたり。
023.3.50301283 「かの、ありし中納言(ちゅうなごん)()は、()させてむや。らうたげに()えしを。身近(みぢか)使(つか)(ひと)にせむ。主上(うへ)にも我奉(われたてまつ)らむ」とのたまへば、 "かの、ありしちゅうなごんは、させてんや。らうたげにえしを。みぢかつかひとにせん。うへにもわれたてまつらん。"とのたまへば、
023.3.51302284 「いとかしこき(おほ)(ごと)にはべるなり。(あね)なる(ひと)にのたまひみむ」 "いとかしこきおほごとにはべるなり。あねなるひとにのたまひみん。"
023.3.52303285 (まう)すも、(むね)つぶれて(おぼ)せど、 まうすも、むねつぶれておぼせど、
023.3.53304286 「その姉君(あねぎみ)は、朝臣(あそん)(おとうと)()たる」 "そのあねぎみは、あそんおとうとたる。"
023.3.54305287 「さもはべらず。この二年(ふたとせ)ばかりぞ、かくてものしはべれど、(おや)のおきてに(たが)へりと(おも)(なげ)きて、(こころ)ゆかぬやうになむ、()きたまふる」 "さもはべらず。このふたとせばかりぞ、かくてものしはべれど、おやのおきてにたがへりとおもなげきて、こころゆかぬやうになん、きたまふる。"
023.3.55306288 「あはれのことや。よろしく()こえし(ひと)ぞかし。まことによしや」とのたまへば、 "あはれのことや。よろしくこえしひとぞかし。まことによしや。"とのたまへば、
023.3.56307289 「けしうははべらざるべし。もて(はな)れてうとうとしくはべれば、()のたとひにて、(むつ)びはべらず」と(まう)す。 "けしうははべらざるべし。もてはなれてうとうとしくはべれば、のたとひにて、むつびはべらず。"とまうす。
023.4308290第四段 それから数日後
023.4.1309291 さて、五、六日(いつかむいか)ありて、この子率(こゐ)(まゐ)れり。こまやかにをかしとはなけれど、なまめきたるさまして、あて(びと)()えたり。()()れて、いとなつかしく(かた)らひたまふ。童心地(わらはごこち)に、いとめでたくうれしと(おも)ふ。いもうとの(きみ)のことも(くは)しく()ひたまふ。さるべきことは(いら)()こえなどして、()づかしげにしづまりたれば、うち()でにくし。されど、いとよく()()らせたまふ。 さて、いつかむいかありて、このこゐまゐれり。こまやかにをかしとはなけれど、なまめきたるさまして、あてびとえたり。れて、いとなつかしくかたらひたまふ。わらはごこちに、いとめでたくうれしとおもふ。いもうとのきみのこともくはしくひたまふ。さるべきことはいらこえなどして、づかしげにしづまりたれば、うちでにくし。されど、いとよくらせたまふ。
023.4.2310292 かかることこそはと、ほの心得(こころう)るも、(おも)ひの(ほか)なれど、(をさ)心地(ごこち)(ふか)くしもたどらず。御文(おほんふみ)()()たれば、(をんな)、あさましきに(なみだ)()()ぬ。この()(おも)ふらむこともはしたなくて、さすがに、御文(おほんふみ)面隠(おもがく)しに(ひろ)げたり。いと(おほ)くて、 かかることこそはと、ほのこころうるも、おもひのほかなれど、をさごこちふかくしもたどらず。おほんふみたれば、をんな、あさましきになみだぬ。このおもふらんこともはしたなくて、さすがに、おほんふみおもがくしにひろげたり。いとおほくて、
023.4.3311294 ()(ゆめ)()()ありやと(なげ)くまに<BR/>()さへあはでぞころも()にける "〔ゆめありやとなげくまに<BR/>さへあはでぞころもにける
023.4.4312295 ()()なければ」 なければ。"
023.4.5313296 など、()(およ)ばぬ御書(おほんか)きざまも、()(ふた)がりて、心得(こころえ)宿世(すくせ)うち()へりける()(おも)(つづ)けて()したまへり。 など、およばぬおほんかきざまも、ふたがりて、こころえすくせうちへりけるおもつづけてしたまへり。
023.4.6314297 またの()小君召(こぎみめ)したれば、(まゐ)るとて御返(おほんかへ)()ふ。 またのこぎみめしたれば、まゐるとておほんかへふ。
023.4.7315298 「かかる御文見(おほんふみみ)るべき(ひと)もなし、と()こえよ」 "かかるおほんふみみるべきひともなし、とこえよ。"
023.4.8316299 とのたまへば、うち()みて、 とのたまへば、うちみて、
023.4.9317300 (たが)ふべくものたまはざりしものを。いかが、さは(まう)さむ」 "たがふべくものたまはざりしものを。いかが、さはまうさん。"
023.4.10318301 ()ふに、(こころ)やましく、(のこ)りなくのたまはせ、()らせてけると(おも)ふに、つらきこと(かぎ)りなし。 ふに、こころやましく、のこりなくのたまはせ、らせてけるとおもふに、つらきことかぎりなし。
023.4.11319302 「いで、およすけたることは()はぬぞよき。さは、な(まゐ)りたまひそ」とむつかられて、 "いで、およすけたることははぬぞよき。さは、なまゐりたまひそ。"とむつかられて、
023.4.12320303 ()すには、いかでか」とて、(まゐ)りぬ。 "すには、いかでか。"とて、まゐりぬ。
023.4.13321304 紀伊守(きのかみ)()(ごころ)にこの継母(ままはは)のありさまをあたらしきものに(おも)ひて、追従(ついそう)しありけば、この()をもてかしづきて、()てありく。 きのかみごころにこのままははのありさまをあたらしきものにおもひて、ついそうしありけば、このをもてかしづきて、てありく。
023.4.14322305 (きみ)()()せて、 きみせて、
023.4.15323306 昨日待(きのふま)()らししを。なほあひ(おも)ふまじきなめり」 "きのふまらししを。なほあひおもふまじきなめり。"
023.4.16324307 (ゑん)じたまへば、(かほ)うち(あか)めてゐたり。 ゑんじたまへば、かほうちあかめてゐたり。
023.4.17325308 「いづら」とのたまふに、しかしかと(まう)すに、 "いづら。"とのたまふに、しかしかとまうすに、
023.4.18326309 ()ふかひなのことや。あさまし」とて、またも(たま)へり。 "ふかひなのことや。あさまし。"とて、またもたまへり。
023.4.19327310 「あこは()らじな。その伊予(いよ)(おきな)よりは、(さき)()(ひと)ぞ。されど、(たの)もしげなく頚細(くびほそ)しとて、ふつつかなる後見(うしろみ)まうけて、かく(あなづ)りたまふなめり。さりとも、あこはわが()にてをあれよ。この(たの)もし(びと)は、()先短(さきみじか)かりなむ」 "あこはらじな。そのいよおきなよりは、さきひとぞ。されど、たのもしげなくくびほそしとて、ふつつかなるうしろみまうけて、かくあなづりたまふなめり。さりとも、あこはわがにてをあれよ。このたのもしびとは、さきみじかかりなん。"
023.4.20328311 とのたまへば、「さもやありけむ、いみじかりけることかな」と(おも)へる、「をかし」と(おぼ)す。 とのたまへば、"さもやありけん、いみじかりけることかな。"とおもへる、"をかし"とおぼす。
023.4.21329312 この()をまつはしたまひて、内裏(うち)にも()(まゐ)りなどしたまふ。わが御匣殿(みくしげどの)にのたまひて、装束(さうぞく)などもせさせ、まことに(おや)めきてあつかひたまふ。 このをまつはしたまひて、うちにもまゐりなどしたまふ。わがみくしげどのにのたまひて、さうぞくなどもせさせ、まことにおやめきてあつかひたまふ。
023.4.22330313 御文(おほんふみ)(つね)にあり。されど、この()もいと(をさな)し、(こころ)よりほかに()りもせば、軽々(かろがろ)しき()さへとり()へむ、()のおぼえをいとつきなかるべく(おも)へば、めでたきこともわが()からこそと(おも)ひて、うちとけたる御答(おほんいら)へも()こえず。ほのかなりし(おほん)けはひありさまは、「げに、なべてにやは」と、(おも)()できこえぬにはあらねど、「をかしきさまを()えたてまつりても、(なに)にかはなるべき」など、(おも)(かへ)すなりけり。 おほんふみつねにあり。されど、このもいとをさなし、こころよりほかにりもせば、かろがろしきさへとりへん、のおぼえをいとつきなかるべくおもへば、めでたきこともわがからこそとおもひて、うちとけたるおほんいらへもこえず。ほのかなりしおほんけはひありさまは、"げに、なべてにやは。"と、おもできこえぬにはあらねど、"をかしきさまをえたてまつりても、なににかはなるべき。"など、おもかへすなりけり。
023.4.23331314 (きみ)(おぼ)しおこたる(とき)()もなく、心苦(こころぐる)しくも(こひ)しくも(おぼ)()づ。(おも)へりし気色(けしき)などのいとほしさも、()るけむ(かた)なく(おぼ)しわたる。軽々(かろがろ)しく()(まぎ)()()りたまはむも、人目(ひとめ)しげからむ(ところ)に、便(びん)なき()()ひやあらはれむと、(ひと)のためもいとほしく、と(おぼ)しわづらふ。 きみおぼしおこたるときもなく、こころぐるしくもこひしくもおぼづ。おもへりしけしきなどのいとほしさも、るけんかたなくおぼしわたる。かろがろしくまぎりたまはんも、ひとめしげからんところに、びんなきひやあらはれんと、ひとのためもいとほしく、とおぼしわづらふ。
023.4.24332315 (れい)の、内裏(うち)日数経(ひかずへ)たまふころ、さるべき(かた)()()()でたまふ。にはかにまかでたまふまねして、(みち)のほどよりおはしましたり。 れいの、うちひかずへたまふころ、さるべきかたでたまふ。にはかにまかでたまふまねして、みちのほどよりおはしましたり。
023.4.25333316 紀伊守(きのかみ)おどろきて、遣水(やりみづ)面目(めいぼく)とかしこまり(よろこ)ぶ。小君(こぎみ)には、(ひる)より、「かくなむ(おも)ひよれる」とのたまひ(ちぎ)れり。()()れまつはし()らしたまひければ、今宵(こよひ)もまづ()()でたり。 きのかみおどろきて、やりみづめいぼくとかしこまりよろこぶ。こぎみには、ひるより、"かくなんおもひよれる。"とのたまひちぎれり。れまつはしらしたまひければ、こよひもまづでたり。
023.4.26334317 (をんな)も、さる御消息(おほんせうそこ)ありけるに、(おぼ)したばかりつらむほどは、(あさ)くしも(おも)ひなされねど、さりとて、うちとけ、(ひと)げなきありさまを()えたてまつりても、あぢきなく、(ゆめ)のやうにて()ぎにし(なげ)きを、またや(くは)へむ、と(おも)(みだ)れて、なほさて()ちつけきこえさせむことのまばゆければ、小君(こぎみ)()でて()ぬるほどに、 をんなも、さるおほんせうそこありけるに、おぼしたばかりつらんほどは、あさくしもおもひなされねど、さりとて、うちとけ、ひとげなきありさまをえたてまつりても、あぢきなく、ゆめのやうにてぎにしなげきを、またやくはへん、とおもみだれて、なほさてちつけきこえさせんことのまばゆければ、こぎみでてぬるほどに、
023.4.27335318 「いとけ(ぢか)ければ、かたはらいたし。なやましければ、(しの)びてうち(たた)かせなどせむに、ほど(はな)れてを」 "いとけぢかければ、かたはらいたし。なやましければ、しのびてうちたたかせなどせんに、ほどはなれてを。"
023.4.28336319 とて、渡殿(わたどの)に、中将(ちゅうじゃう)といひしが(つぼね)したる(かく)れに、(うつ)ろひぬ。 とて、わたどのに、ちゅうじゃうといひしがつぼねしたるかくれに、うつろひぬ。
023.4.29337320 さる(こころ)して、(ひと)とく(しづ)めて、御消息(おほんせうそこ)あれど、小君(こぎみ)(たづ)ねあはず。よろづの所求(ところもと)(あり)きて、渡殿(わたどの)()()りて、からうしてたどり()たり。いとあさましくつらし、と(おも)ひて、 さるこころして、ひととくしづめて、おほんせうそこあれど、こぎみたづねあはず。よろづのところもとありきて、わたどのりて、からうしてたどりたり。いとあさましくつらし、とおもひて、
023.4.30338321 「いかにかひなしと(おぼ)さむ」と、()きぬばかり()へば、 "いかにかひなしとおぼさん。"と、きぬばかりへば、
023.4.31339322 「かく、けしからぬ(こころ)ばへは、つかふものか。(をさな)(ひと)のかかること()(つた)ふるは、いみじく()むなるものを」と()ひおどして、「『心地悩(ここちなや)ましければ、(ひと)びと()けずおさへさせてなむ』と()こえさせよ。あやしと(たれ)(たれ)()るらむ」 "かく、けしからぬこころばへは、つかふものか。をさなひとのかかることつたふるは、いみじくむなるものを。"とひおどして、"'ここちなやましければ、ひとびとけずおさへさせてなん'とこえさせよ。あやしとたれたれるらん。"
023.4.32340323 ()(はな)ちて、(こころ)(うち)には、「いと、かく品定(しなさだ)まりぬる()のおぼえならで、()ぎにし(おや)(おほん)けはひとまれるふるさとながら、たまさかにも()ちつけたてまつらば、をかしうもやあらまし。しひて(おも)()らぬ(かほ)見消(みけ)つも、いかにほど()らぬやうに(おぼ)すらむ」と、(こころ)ながらも、(むね)いたく、さすがに(おも)(みだ)る。「とてもかくても、(いま)()ふかひなき宿世(しゅくせ)なりければ、無心(むじん)(こころ)づきなくて()みなむ」と(おも)()てたり。 はなちて、こころうちには、"いと、かくしなさだまりぬるのおぼえならで、ぎにしおやおほんけはひとまれるふるさとながら、たまさかにもちつけたてまつらば、をかしうもやあらまし。しひておもらぬかほみけつも、いかにほどらぬやうにおぼすらん。"と、こころながらも、むねいたく、さすがにおもみだる。"とてもかくても、いまふかひなきしゅくせなりければ、むじんこころづきなくてみなん。"とおもてたり。
023.4.33341324 (きみ)は、いかにたばかりなさむと、まだ(をさな)きをうしろめたく()()したまへるに、不用(ふよう)なるよしを()こゆれば、あさましくめづらかなりける(こころ)のほどを、「()もいと()づかしくこそなりぬれ」と、いといとほしき御気色(みけしき)なり。とばかりものものたまはず、いたくうめきて、()しと(おぼ)したり。 きみは、いかにたばかりなさんと、まだをさなきをうしろめたくしたまへるに、ふようなるよしをこゆれば、あさましくめづらかなりけるこころのほどを、"もいとづかしくこそなりぬれ。"と、いといとほしきみけしきなり。とばかりものものたまはず、いたくうめきて、しとおぼしたり。
023.4.34342325 帚木(ははきぎ)(こころ)()らで園原(そのはら)の<BR/>(みち)にあやなく(まど)ひぬるかな "〔ははきぎこころらでそのはらの<BR/>みちにあやなくまどひぬるかな
023.4.35343326 ()こえむ(かた)こそなけれ」 こえんかたこそなけれ。"
023.4.36344327 とのたまへり。(をんな)も、さすがに、まどろまざりければ、 とのたまへり。をんなも、さすがに、まどろまざりければ、
023.4.37345328 (かず)ならぬ伏屋(ふせや)()ふる()()さに<BR/>あるにもあらず()ゆる帚木(ははきぎ) "〔かずならぬふせやふるさに<BR/>あるにもあらずゆるははきぎ〕"
023.4.38346329 ()こえたり。 こえたり。
023.4.39347330 小君(こぎみ)、いといとほしさに(ねぶ)たくもあらでまどひ(あり)くを、(ひと)あやしと()るらむ、とわびたまふ。 こぎみ、いといとほしさにねぶたくもあらでまどひありくを、ひとあやしとるらん、とわびたまふ。
023.4.40348331 (れい)の、(ひと)びとはいぎたなきに、一所(ひとところ)すずろにすさまじく(おぼ)(つづ)けらるれど、(ひと)()(こころ)ざまの、なほ()えず()(のぼ)れりける、とねたく、かかるにつけてこそ(こころ)もとまれと、かつは(おぼ)しながら、めざましくつらければ、さばれと(おぼ)せども、さも(おぼ)()つまじく、 れいの、ひとびとはいぎたなきに、ひとところすずろにすさまじくおぼつづけらるれど、ひとこころざまの、なほえずのぼれりける、とねたく、かかるにつけてこそこころもとまれと、かつはおぼしながら、めざましくつらければ、さばれとおぼせども、さもおぼつまじく、
023.4.41349332 (かく)れたらむ(ところ)に、なほ()()け」とのたまへど、 "かくれたらんところに、なほけ。"とのたまへど、
023.4.42350333 「いとむつかしげにさし()められて、(ひと)あまたはべるめれば、かしこげに」 "いとむつかしげにさしめられて、ひとあまたはべるめれば、かしこげに。"
023.4.43351334 ()こゆ。いとほしと(おも)へり。 こゆ。いとほしとおもへり。
023.4.44352335 「よし、あこだに、な()てそ」 "よし、あこだに、なてそ。"
023.4.45353336 とのたまひて、(おほん)かたはらに()せたまへり。(わか)くなつかしき(おほん)ありさまを、うれしくめでたしと(おも)ひたれば、つれなき(ひと)よりは、なかなかあはれに(おぼ)さるとぞ。 とのたまひて、おほんかたはらにせたまへり。わかくなつかしきおほんありさまを、うれしくめでたしとおもひたれば、つれなきひとよりは、なかなかあはれにおぼさるとぞ。