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03空蝉
0313423光る源氏十七歳夏の物語
031.13524第一段 空蝉の物語
031.1.13625 ()られたまはぬままには、「(われ)は、かく(ひと)(にく)まれてもならはぬを、今宵(こよひ)なむ、(はじ)めて()しと()(おも)()りぬれば、()づかしくて、ながらふまじうこそ、(おも)ひなりぬれ」などのたまへば、(なみだ)をさへこぼして()したり。いとらうたしと(おぼ)す。()さぐりの、(ほそ)(ちひ)さきほど、(かみ)のいと(なが)からざりしけはひのさまかよひたるも、(おも)ひなしにやあはれなり。あながちにかかづらひたどり()らむも、人悪(ひとわ)ろかるべく、まめやかにめざましと(おぼ)()かしつつ、(れい)のやうにものたまひまつはさず。夜深(よぶか)()でたまへば、この()は、いといとほしく、さうざうしと(おも)ふ。 られたまはぬままには、"われは、かくひとにくまれてもならはぬを、こよひなん、はじめてしとおもりぬれば、づかしくて、ながらふまじうこそ、おもひなりぬれ。"などのたまへば、なみだをさへこぼしてしたり。いとらうたしとおぼす。さぐりの、ほそちひさきほど、かみのいとながからざりしけはひのさまかよひたるも、おもひなしにやあはれなり。あながちにかかづらひたどりらんも、ひとわろかるべく、まめやかにめざましとおぼかしつつ、れいのやうにものたまひまつはさず。よぶかでたまへば、このは、いといとほしく、さうざうしとおもふ。
031.1.23726 (をんな)も、並々(なみなみ)ならずかたはらいたしと(おも)ふに、御消息(おほんせうそく)()えてなし。(おぼ)()りにけると(おも)ふにも、「やがてつれなくて()みたまひなましかば()からまし。しひていとほしき御振(おほんふ)()ひの()えざらむもうたてあるべし。よきほどに、かくて()ぢめてむ」と(おも)ふものから、ただならず、ながめがちなり。 をんなも、なみなみならずかたはらいたしとおもふに、おほんせうそくえてなし。おぼりにけるとおもふにも、"やがてつれなくてみたまひなましかばからまし。しひていとほしきおほんふひのえざらんもうたてあるべし。よきほどに、かくてぢめてん"とおもふものから、ただならず、ながめがちなり。
031.1.33827 (きみ)は、(こころ)づきなしと(おぼ)しながら、かくてはえ()むまじう御心(みこころ)にかかり、人悪(ひとわ)ろく(おも)ほしわびて、小君(こぎみ)に、「いとつらうも、うれたうもおぼゆるに、しひて(おも)(かへ)せど、(こころ)にしも(したが)はず(くる)しきを。さりぬべきをり()て、対面(たいめん)すべくたばかれ」とのたまひわたれば、わづらはしけれど、かかる(かた)にても、のたまひまつはすは、うれしうおぼえけり。 きみは、こころづきなしとおぼしながら、かくてはえむまじうみこころにかかり、ひとわろくおもほしわびて、こぎみに、"いとつらうも、うれたうもおぼゆるに、しひておもかへせど、こころにしもしたがはずくるしきを。さりぬべきをりて、たいめんすべくたばかれ"とのたまひわたれば、わづらはしけれど、かかるかたにても、のたまひまつはすは、うれしうおぼえけり。
031.23928第二段 源氏、再度、紀伊守邸へ
031.2.14029 (をさな)心地(ここち)に、いかならむ(をり)()ちわたるに、紀伊守国(きのかみくに)(くだ)りなどして、(をんな)どちのどやかなる夕闇(ゆふやみ)(みち)たどたどしげなる(まぎ)れに、わが(くるま)にて()てたてまつる。 をさなここちに、いかならんをりちわたるに、きのかみくにくだりなどして、をんなどちのどやかなるゆふやみみちたどたどしげなるまぎれに、わがくるまにててたてまつる。
031.2.24130 この()(をさな)きを、いかならむと(おぼ)せど、さのみもえ(おぼ)しのどむまじければ、さりげなき姿(すがた)にて、(かど)など()さぬ(さき)にと、(いそ)ぎおはす。 このをさなきを、いかならんとおぼせど、さのみもえおぼしのどむまじければ、さりげなきすがたにて、かどなどさぬさきにと、いそぎおはす。
031.2.34231 人見(ひとみ)(かた)より()()れて、()ろしたてまつる。(わらは)なれば、宿直人(とのゐびと)などもことに見入(みい)追従(ついせう)せず、(こころ)やすし。 ひとみかたよりれて、ろしたてまつる。わらはなれば、とのゐびとなどもことにみいついせうせず、こころやすし。
031.2.44332 (ひんがし)妻戸(つまど)に、()てたてまつりて、(われ)(みなみ)(すみ)()より、格子叩(かうしたた)きののしりて()りぬ。御達(ごたち) ひんがしつまどに、てたてまつりて、われみなみすみより、かうしたたきののしりてりぬ。ごたち
031.2.54433 「あらはなり」と()ふなり。 "あらはなり。"とふなり。
031.2.64534 「なぞ、かう(あつ)きに、この格子(かうし)()ろされたる」と()へば、 "なぞ、かうあつきに、このかうしろされたる。"とへば、
031.2.74635 (ひる)より、西(にし)御方(おほんかた)(わた)らせたまひて、碁打(ごう)たせたまふ」と()ふ。 "ひるより、にしおほんかたわたらせたまひて、ごうたせたまふ。"とふ。
031.2.84736 さて()かひゐたらむを()ばや、と(おも)ひて、やをら(あゆ)()でて、(すだれ)のはさまに()りたまひぬ。 さてかひゐたらんをばや、とおもひて、やをらあゆでて、すだれのはさまにりたまひぬ。
031.2.94837 この()りつる格子(かうし)はまだ()さねば、隙見(ひまみ)ゆるに、()りて西(にし)ざまに見通(みとほ)したまへば、この(きは)()てたる屏風(びゃうぶ)(はし)(かた)おし(たた)まれたるに、(まぎ)るべき几帳(きちゃう)なども、(あつ)ければにや、うち()けて、いとよく見入(みい)れらる。 このりつるかうしはまださねば、ひまみゆるに、りてにしざまにみとほしたまへば、このきはてたるびゃうぶはしかたおしたたまれたるに、まぎるべききちゃうなども、あつければにや、うちけて、いとよくみいれらる。
031.34938第三段 空蝉と軒端荻、碁を打つ
031.3.15039 火近(ひちか)(とも)したり。母屋(もや)中柱(なかばしら)(そば)める(ひと)やわが(こころ)かくると、まづ()とどめたまへば、()(あや)単衣襲(ひとへがさね)なめり。(なに)にかあらむ(うへ)()て、(かしら)つき(ほそ)やかに(ちひ)さき(ひと)の、ものげなき姿(すがた)ぞしたる。(かほ)などは、()()かひたらむ(ひと)などにも、わざと()ゆまじうもてなしたり。()つき()()せにて、いたうひき(かく)しためり。 ひちかともしたり。もやなかばしらそばめるひとやわがこころかくると、まづとどめたまへば、あやひとへがさねなめり。なににかあらんうへて、かしらつきほそやかにちひさきひとの、ものげなきすがたぞしたる。かほなどは、かひたらんひとなどにも、わざとゆまじうもてなしたり。つきせにて、いたうひきかくしためり。
031.3.25140 いま一人(ひとり)は、東向(ひんがしむ)きにて、(のこ)るところなく()ゆ。(しろ)(うすもの)単衣襲(ひとへがさね)二藍(ふたあゐ)小袿(こうちき)だつもの、ないがしろに()なして、(くれなゐ)(こし)ひき()へる(きは)まで(むね)あらはに、ばうぞくなるもてなしなり。いと(しろ)うをかしげに、つぶつぶと()えて、そぞろかなる(ひと)の、(かしら)つき(ひたひ)つきものあざやかに、まみ(くち)つき、いと愛敬(あいぎゃう)づき、はなやかなる容貌(かたち)なり。(かみ)はいとふさやかにて、(なが)くはあらねど、(さが)()(かた)のほどきよげに、すべていとねぢけたるところなく、をかしげなる(ひと)()えたり。 いまひとりは、ひんがしむきにて、のこるところなくゆ。しろうすものひとへがさねふたあゐこうちきだつもの、ないがしろになして、くれなゐこしひきへるきはまでむねあらはに、ばうぞくなるもてなしなり。いとしろうをかしげに、つぶつぶとえて、そぞろかなるひとの、かしらつきひたひつきものあざやかに、まみくちつき、いとあいぎゃうづき、はなやかなるかたちなり。かみはいとふさやかにて、ながくはあらねど、さがかたのほどきよげに、すべていとねぢけたるところなく、をかしげなるひとえたり。
031.3.35242 むべこそ(おや)()になくは(おも)ふらめと、をかしく()たまふ。心地(ここち)ぞ、なほ(しづ)かなる()()へばやと、ふと()ゆる。かどなきにはあるまじ。碁打(ごう)()てて、(けち)さすわたり、(こころ)とげに()えて、きはぎはとさうどけば、(おく)(ひと)はいと(しづ)かにのどめて、 むべこそおやになくはおもふらめと、をかしくたまふ。ここちぞ、なほしづかなるへばやと、ふとゆる。かどなきにはあるまじ。ごうてて、けちさすわたり、こころとげにえて、きはぎはとさうどけば、おくひとはいとしづかにのどめて、
031.3.45343 ()ちたまへや。そこは()にこそあらめ。このわたりの(こふ)をこそ」など()へど、 "ちたまへや。そこはにこそあらめ。このわたりのこふをこそ。"などへど、
031.3.55444 「いで、このたびは()けにけり。(すみ)のところ、いでいで」と(および)をかがめて、「(とを)二十(はた)三十(みそ)四十(よそ)」などかぞふるさま、伊予(いよ)湯桁(ゆげた)もたどたどしかるまじう()ゆ。すこし(しな)おくれたり。 "いで、このたびはけにけり。すみのところ、いでいで。"とおよびをかがめて、"とをはたみそよそ。"などかぞふるさま、いよゆげたもたどたどしかるまじうゆ。すこししなおくれたり。
031.3.65545 たとしへなく(くち)おほひて、さやかにも()せねど、()をしつけたまへれば、おのづから側目(そばめ)()ゆ。()すこし()れたる心地(ここち)して、(はな)などもあざやかなるところなうねびれて、にほはしきところも()えず。()()つれば、()ろきによれる容貌(かたち)をいといたうもてつけて、このまされる(ひと)よりは(こころ)あらむと、()とどめつべきさましたり。 たとしへなくくちおほひて、さやかにもせねど、をしつけたまへれば、おのづからそばめゆ。すこしれたるここちして、はななどもあざやかなるところなうねびれて、にほはしきところもえず。つれば、ろきによれるかたちをいといたうもてつけて、このまされるひとよりはこころあらんと、とどめつべきさましたり。
031.3.75646 にぎははしう愛敬(あいぎゃう)づきをかしげなるを、いよいよほこりかにうちとけて、(わら)ひなどそぼるれば、にほひ(おほ)()えて、さる(かた)にいとをかしき(ひと)ざまなり。あはつけしとは(おぼ)しながら、まめならぬ御心(みこころ)は、これもえ(おぼ)(はな)つまじかりけり。 にぎははしうあいぎゃうづきをかしげなるを、いよいよほこりかにうちとけて、わらひなどそぼるれば、にほひおほえて、さるかたにいとをかしきひとざまなり。あはつけしとはおぼしながら、まめならぬみこころは、これもえおぼはなつまじかりけり。
031.3.85747 ()たまふかぎりの(ひと)は、うちとけたる()なく、ひきつくろひ(そば)めたるうはべをのみこそ()たまへ、かくうちとけたる(ひと)のありさまかいま()などは、まだしたまはざりつることなれば、何心(なにごころ)もなうさやかなるはいとほしながら、(ひさ)しう()たまはまほしきに、小君出(こぎみい)()心地(ここち)すれば、やをら()でたまひぬ。 たまふかぎりのひとは、うちとけたるなく、ひきつくろひそばめたるうはべをのみこそたまへ、かくうちとけたるひとのありさまかいまなどは、まだしたまはざりつることなれば、なにごころもなうさやかなるはいとほしながら、ひさしうたまはまほしきに、こぎみいここちすれば、やをらでたまひぬ。
031.3.95848 渡殿(わたどの)戸口(とぐち)()りゐたまへり。いとかたじけなしと(おも)ひて、 わたどのとぐちりゐたまへり。いとかたじけなしとおもひて、
031.3.105949 (れい)ならぬ(ひと)はべりて、え(ちか)うも()りはべらず」 "れいならぬひとはべりて、えちかうもりはべらず。"
031.3.116050 「さて、今宵(こよひ)もや(かへ)してむとする。いとあさましう、からうこそあべけれ」とのたまへば、 "さて、こよひもやかへしてんとする。いとあさましう、からうこそあべけれ"とのたまへば、
031.3.126151 「などてか。あなたに(かへ)りはべりなば、たばかりはべりなむ」と()こゆ。 "などてか。あなたにかへりはべりなば、たばかりはべりなん。"とこゆ。
031.3.136252 「さもなびかしつべき気色(けしき)にこそはあらめ。(わらは)なれど、ものの(こころ)ばへ、(ひと)気色見(けしきみ)つべくしづまれるを」と、(おぼ)すなりけり。 "さもなびかしつべきけしきにこそはあらめ。わらはなれど、もののこころばへ、ひとけしきみつべくしづまれるを。"と、おぼすなりけり。
031.3.146353 碁打(ごう)()てつるにやあらむ、うちそよめく心地(ここち)して、(ひと)びとあかるるけはひなどすなり。 ごうてつるにやあらん、うちそよめくここちして、ひとびとあかるるけはひなどすなり。
031.3.156454 若君(わかぎみ)はいづくにおはしますならむ。この御格子(みかうし)()してむ」とて、()らすなり。 "わかぎみはいづくにおはしますならん。このみかうししてん。"とて、らすなり。
031.3.166555 (しづ)まりぬなり。()りて、さらば、たばかれ」とのたまふ。 "しづまりぬなり。りて、さらば、たばかれ。"とのたまふ。
031.3.176656 この()も、いもうとの御心(みこころ)はたわむところなくまめだちたれば、()ひあはせむ(かた)なくて、人少(ひとずく)なならむ(をり)()れたてまつらむと(おも)ふなりけり。 このも、いもうとのみこころはたわむところなくまめだちたれば、ひあはせんかたなくて、ひとずくなならんをりれたてまつらんとおもふなりけり。
031.3.186757 紀伊守(きのかみ)(いもうと)もこなたにあるか。(われ)にかいま()せさせよ」とのたまへど、 "きのかみいもうともこなたにあるか。われにかいませさせよ。"とのたまへど、
031.3.196858 「いかでか、さははべらむ。格子(かうし)には几帳添(きちゃうそ)へてはべり」と()こゆ。 "いかでか、さははべらん。かうしにはきちゃうそへてはべり。"とこゆ。
031.3.206959 さかし、されどもをかしく(おぼ)せど、「()つとは()らせじ、いとほし」と(おぼ)して、夜更(よふ)くることの(こころ)もとなさをのたまふ。 さかし、されどもをかしくおぼせど、"つとはらせじ、いとほし"とおぼして、よふくることのこころもとなさをのたまふ。
031.3.217060 こたみは妻戸(つまど)(たた)きて()る。皆人(みなひと)びと(しづ)まり()にけり。 こたみはつまどたたきてる。みなひとびとしづまりにけり。
031.3.227161 「この障子口(さうじぐち)に、まろは()たらむ。風吹(かぜふ)きとほせ」とて、畳広(たたみひろ)げて()す。御達(ごたち)(ひんがし)(ひさし)にいとあまた()たるべし。戸放(とはな)ちつる(わらはべ)もそなたに()りて()しぬれば、とばかり空寝(そらね)して、灯明(ひあ)かき(かた)屏風(びゃうぶ)(ひろ)げて、(かげ)ほのかなるに、やをら()れたてまつる。 "このさうじぐちに、まろはたらん。かぜふきとほせ。"とて、たたみひろげてす。ごたちひんがしひさしにいとあまたたるべし。とはなちつるわらはべもそなたにりてしぬれば、とばかりそらねして、ひあかきかたびゃうぶひろげて、かげほのかなるに、やをられたてまつる。
031.3.237262 「いかにぞ、をこがましきこともこそ」と(おぼ)すに、いとつつましけれど、(みちび)くままに、母屋(もや)几帳(きちゃう)帷子引(かたびらひ)()げて、いとやをら()りたまふとすれど、皆静(みなしづ)まれる()の、御衣(おほんぞ)のけはひやはらかなるしも、いとしるかりけり。 "いかにぞ、をこがましきこともこそ。"とおぼすに、いとつつましけれど、みちびくままに、もやきちゃうかたびらひげて、いとやをらりたまふとすれど、みなしづまれるの、おほんぞのけはひやはらかなるしも、いとしるかりけり。
031.47363第四段 空蝉逃れ、源氏、軒端荻と契る
031.4.17464 (をんな)は、さこそ(わす)れたまふをうれしきに(おも)ひなせど、あやしく(ゆめ)のやうなることを、(こころ)(はな)るる(をり)なきころにて、(こころ)とけたる()だに()られずなむ、(ひる)はながめ、(よる)寝覚(ねざ)めがちなれば、(はる)ならぬ()()も、いとなく(なげ)かしきに、碁打(ごう)ちつる(きみ)、「今宵(こよひ)は、こなたに」と、(いま)めかしくうち(かた)らひて、()にけり。 をんなは、さこそわすれたまふをうれしきにおもひなせど、あやしくゆめのやうなることを、こころはなるるをりなきころにて、こころとけたるだにられずなん、ひるはながめ、よるねざめがちなれば、はるならぬも、いとなくなげかしきに、ごうちつるきみ、"こよひは、こなたに。"と、いまめかしくうちかたらひて、にけり。
031.4.27565 (わか)(ひと)は、何心(なにごころ)なくいとようまどろみたるべし。かかるけはひの、いと(かう)ばしくうち(にほ)ふに、(かほ)をもたげたるに、単衣(ひとへ)うち()けたる几帳(きちゃう)隙間(すきま)に、(くら)けれど、うち()じろき()るけはひ、いとしるし。あさましくおぼえて、ともかくも(おも)()かれず、やをら()()でて、生絹(すずし)なる単衣(ひとへ)(ひと)()て、すべり()でにけり。 わかひとは、なにごころなくいとようまどろみたるべし。かかるけはひの、いとかうばしくうちにほふに、かほをもたげたるに、ひとへうちけたるきちゃうすきまに、くらけれど、うちじろきるけはひ、いとしるし。あさましくおぼえて、ともかくもおもかれず、やをらでて、すずしなるひとへひとて、すべりでにけり。
031.4.37667 (きみ)()りたまひて、ただひとり()したるを(こころ)やすく(おぼ)す。(ゆか)(しも)二人(ふたり)ばかりぞ()したる。(きぬ)()しやりて()りたまへるに、ありしけはひよりは、ものものしくおぼゆれど、(おも)ほしうも()らずかし。いぎたなきさまなどぞ、あやしく()はりて、やうやう()あらはしたまひて、あさましく(こころ)やましけれど、「人違(ひとたが)へとたどりて()えむも、をこがましく、あやしと(おも)ふべし、本意(ほい)(ひと)(たづ)()らむも、かばかり(のが)るる(こころ)あめれば、かひなう、をこにこそ(おも)はめ」と(おぼ)す。かのをかしかりつる灯影(ほかげ)ならば、いかがはせむに(おぼ)しなるも、()ろき御心浅(みこころあさ)さなめりかし。 きみりたまひて、ただひとりしたるをこころやすくおぼす。ゆかしもふたりばかりぞしたる。きぬしやりてりたまへるに、ありしけはひよりは、ものものしくおぼゆれど、おもほしうもらずかし。いぎたなきさまなどぞ、あやしくはりて、やうやうあらはしたまひて、あさましくこころやましけれど、"ひとたがへとたどりてえんも、をこがましく、あやしとおもふべし、ほいひとたづらんも、かばかりのがるるこころあめれば、かひなう、をこにこそおもはめ。"とおぼす。かのをかしかりつるほかげならば、いかがはせんにおぼしなるも、ろきみこころあささなめりかし。
031.4.47768 やうやう目覚(めさ)めて、いとおぼえずあさましきに、あきれたる気色(けしき)にて、(なに)心深(こころふか)くいとほしき用意(ようい)もなし。()(なか)をまだ(おも)()らぬほどよりは、さればみたる(かた)にて、あえかにも(おも)ひまどはず。(われ)とも()らせじと(おも)ほせど、いかにしてかかることぞと、(のち)(おも)ひめぐらさむも、わがためには(こと)にもあらねど、あのつらき(ひと)の、あながちに()をつつむも、さすがにいとほしければ、たびたびの御方違(おほんかたたが)へにことつけたまひしさまを、いとよう()ひなしたまふ。たどらむ(ひと)心得(こころえ)つべけれど、まだいと(わか)心地(ここち)に、さこそさし()ぎたるやうなれど、えしも(おも)()かず。 やうやうめさめて、いとおぼえずあさましきに、あきれたるけしきにて、なにこころふかくいとほしきよういもなし。なかをまだおもらぬほどよりは、さればみたるかたにて、あえかにもおもひまどはず。われともらせじとおもほせど、いかにしてかかることぞと、のちおもひめぐらさんも、わがためにはことにもあらねど、あのつらきひとの、あながちにをつつむも、さすがにいとほしければ、たびたびのおほんかたたがへにことつけたまひしさまを、いとようひなしたまふ。たどらんひとこころえつべけれど、まだいとわかここちに、さこそさしぎたるやうなれど、えしもおもかず。
031.4.57869 (にく)しとはなけれど、御心(みこころ)とまるべきゆゑもなき心地(ここち)して、なほかのうれたき(ひと)(こころ)をいみじく(おぼ)す。「いづくにはひ(まぎ)れて、かたくなしと(おも)ひゐたらむ。かく執念(しふね)(ひと)はありがたきものを」と(おぼ)すしも、あやにくに、(まぎ)れがたう(おも)()でられたまふ。この(ひと)の、なま(こころ)なく、(わか)やかなるけはひもあはれなれば、さすがに(なさ)(なさ)けしく(ちぎ)りおかせたまふ。 にくしとはなけれど、みこころとまるべきゆゑもなきここちして、なほかのうれたきひとこころをいみじくおぼす。"いづくにはひまぎれて、かたくなしとおもひゐたらん。かくしふねひとはありがたきものを。"とおぼすしも、あやにくに、まぎれがたうおもでられたまふ。このひとの、なまこころなく、わかやかなるけはひもあはれなれば、さすがになさなさけしくちぎりおかせたまふ。
031.4.67970 人知(ひとし)りたることよりも、かやうなるは、あはれも()ふこととなむ、昔人(むかしびと)()ひける。あひ(おも)ひたまへよ。つつむことなきにしもあらねば、()ながら(こころ)にもえまかすまじくなむありける。また、さるべき(ひと)びとも(ゆる)されじかしと、かねて(むね)いたくなむ。(わす)れで()ちたまへよ」など、なほなほしく(かた)らひたまふ。 "ひとしりたることよりも、かやうなるは、あはれもふこととなん、むかしびとひける。あひおもひたまへよ。つつむことなきにしもあらねば、ながらこころにもえまかすまじくなんありける。また、さるべきひとびともゆるされじかしと、かねてむねいたくなん。わすれでちたまへよ。"など、なほなほしくかたらひたまふ。
031.4.78071 (ひと)(おも)ひはべらむことの()づかしきになむ、え()こえさすまじき」とうらもなく()ふ。 "ひとおもひはべらんことのづかしきになん、えこえさすまじき。"とうらもなくふ。
031.4.88172 「なべて、(ひと)()らせばこそあらめ、この(ちひ)さき上人(うへびと)(つた)へて()こえむ。気色(けしき)なくもてなしたまへ」 "なべて、ひとらせばこそあらめ、このちひさきうへびとつたへてこえん。けしきなくもてなしたまへ。"
031.4.98273 など()ひおきて、かの()ぎすべしたると()ゆる薄衣(うすごろも)()りて()でたまひぬ。 などひおきて、かのぎすべしたるとゆるうすごろもりてでたまひぬ。
031.4.108374 小君近(こぎみちか)()したるを()こしたまへば、うしろめたう(おも)ひつつ()ければ、ふとおどろきぬ。()をやをら()()くるに、()いたる御達(ごたち)(こゑ)にて、 こぎみちかしたるをこしたまへば、うしろめたうおもひつつければ、ふとおどろきぬ。をやをらくるに、いたるごたちこゑにて、
031.4.118475 「あれは()そ」 "あれはそ。"
031.4.128576 とおどろおどろしく()ふ。わづらはしくて、 とおどろおどろしくふ。わづらはしくて、
031.4.138677 「まろぞ」と(いら)ふ。 "まろぞ。"といらふ。
031.4.148778 夜中(よなか)に、こは、なぞ外歩(とあり)かせたまふ」 "よなかに、こは、なぞとありかせたまふ。"
031.4.158879 とさかしがりて、()ざまへ()。いと(にく)くて、 とさかしがりて、ざまへ。いとにくくて、
031.4.168980 「あらず。ここもとへ()づるぞ」 "あらず。ここもとへづるぞ。"
031.4.179081 とて、(きみ)()()でたてまつるに、暁近(あかつきちか)(つき)(くま)なくさし()でて、ふと(ひと)影見(かげみ)えければ、 とて、きみでたてまつるに、あかつきちかつきくまなくさしでて、ふとひとかげみえければ、
031.4.189182 「またおはするは、()そ」と()ふ。 "またおはするは、そ。"とふ。
031.4.199283 民部(みんぶ)のおもとなめり。けしうはあらぬおもとの(たけ)だちかな」 "みんぶのおもとなめり。けしうはあらぬおもとのたけだちかな。"
031.4.209384 ()ふ。丈高(たけたか)(ひと)(つね)(わら)はるるを()ふなりけり。老人(おいびと)、これを(つら)ねて(あり)きけると(おも)ひて、 ふ。たけたかひとつねわらはるるをふなりけり。おいびと、これをつらねてありきけるとおもひて、
031.4.219485 (いま)、ただ今立(いまた)ちならびたまひなむ」 "いま、ただいまたちならびたまひなん。"
031.4.229586 ()()ふ、(われ)もこの()より()でて()。わびしければ、えはた()(かへ)さで、渡殿(わたどの)(くち)にかい()ひて(かく)()ちたまへれば、このおもとさし()りて、 ふ、われもこのよりでて。わびしければ、えはたかへさで、わたどのくちにかいひてかくちたまへれば、このおもとさしりて、
031.4.239687 「おもとは、今宵(こよひ)は、(うへ)にやさぶらひたまひつる。一昨日(をととひ)より(はら)()みて、いとわりなければ、(しも)にはべりつるを、人少(ひとずく)ななりとて()ししかば、昨夜参(よべま)(のぼ)りしかど、なほえ()ふまじくなむ」 "おもとは、こよひは、うへにやさぶらひたまひつる。をととひよりはらみて、いとわりなければ、しもにはべりつるを、ひとずくななりとてししかば、よべまのぼりしかど、なほえふまじくなん。"
031.4.249788 と、(うれ)ふ。(いら)へも()かで、 と、うれふ。いらへもかで、
031.4.259889 「あな、腹々(はらはら)今聞(いまき)こえむ」とて()ぎぬるに、からうして()でたまふ。なほかかる(あり)きは軽々(かろがろ)しくあやしかりけりと、いよいよ(おぼ)()りぬべし。 "あな。はらはらいまきこえん。"とてぎぬるに、からうしてでたまふ。なほかかるありきはかろがろしくあやしかりけりと、いよいよおぼりぬべし。
031.59990第五段 源氏、空蝉の脱ぎ捨てた衣を持って帰る
031.5.110091 小君(こぎみ)御車(みくるま)(しり)にて、二条院(にでうのゐん)におはしましぬ。ありさまのたまひて、「(をさな)かりけり」とあはめたまひて、かの(ひと)(こころ)爪弾(つまはじ)きをしつつ(うら)みたまふ。いとほしうて、ものもえ()こえず。 こぎみみくるましりにて、にでうのゐんにおはしましぬ。ありさまのたまひて、"をさなかりけり。"とあはめたまひて、かのひとこころつまはじきをしつつうらみたまふ。いとほしうて、ものもえこえず。
031.5.210192 「いと(ふか)(にく)みたまふべかめれば、()()(おも)()てぬ。などか、よそにても、なつかしき(いら)へばかりはしたまふまじき。伊予介(いよのすけ)(おと)りける()こそ」 "いとふかにくみたまふべかめれば、おもてぬ。などか、よそにても、なつかしきいらへばかりはしたまふまじき。いよのすけおとりけるこそ。"
031.5.310293 など、(こころ)づきなしと(おも)ひてのたまふ。ありつる小袿(こうちき)を、さすがに、御衣(おほんぞ)(した)()()れて、大殿籠(おほとのご)もれり。小君(こぎみ)御前(おまへ)()せて、よろづに(うら)み、かつは、(かた)らひたまふ。 など、こころづきなしとおもひてのたまふ。ありつるこうちきを、さすがに、おほんぞしたれて、おほとのごもれり。こぎみおまへせて、よろづにうらみ、かつは、かたらひたまふ。
031.5.410394 「あこは、らうたけれど、つらきゆかりにこそ、え(おも)()つまじけれ」 "あこは、らうたけれど、つらきゆかりにこそ、えおもつまじけれ。"
031.5.510495 とまめやかにのたまふを、いとわびしと(おも)ひたり。 とまめやかにのたまふを、いとわびしとおもひたり。
031.5.610596 しばしうち(やす)みたまへど、()られたまはず。御硯急(おほんすずりいそ)()して、さしはへたる御文(おほんふみ)にはあらで、畳紙(たたうがみ)手習(てならひ)のやうに()きすさびたまふ。 しばしうちやすみたまへど、られたまはず。おほんすずりいそして、さしはへたるおほんふみにはあらで、たたうがみてならひのやうにきすさびたまふ。
031.5.710697 空蝉(うつせみ)()をかへてける()のもとに<BR/>なほ(ひと)がらのなつかしきかな」 "〔うつせみをかへてけるのもとに<BR/>なほひとがらのなつかしきかな〕
031.5.810798 ()きたまへるを、(ふところ)()()れて()たり。かの(ひと)もいかに(おも)ふらむと、いとほしけれど、かたがた(おも)ほしかへして、(おほん)ことつけもなし。かの薄衣(うすごろも)は、小袿(こうちき)のいとなつかしき人香(ひとが)()めるを、身近(みちか)くならして()ゐたまへり。 きたまへるを、ふところれてたり。かのひともいかにおもふらんと、いとほしけれど、かたがたおもほしかへして、おほんことつけもなし。かのうすごろもは、こうちきのいとなつかしきひとがめるを、みちかくならしてゐたまへり。
031.5.910899 小君(こぎみ)、かしこに()きたれば、姉君待(あねぎみま)ちつけて、いみじくのたまふ。 こぎみ、かしこにきたれば、あねぎみまちつけて、いみじくのたまふ。
031.5.10109100 「あさましかりしに、とかう(まぎ)らはしても、(ひと)(おも)ひけむことさりどころなきに、いとなむわりなき。いとかう心幼(こころをさな)きを、かつはいかに(おも)ほすらむ」 "あさましかりしに、とかうまぎらはしても、ひとおもひけんことさりどころなきに、いとなんわりなき。いとかうこころをさなきを、かつはいかにおもほすらん。"
031.5.11110101 とて、()づかしめたまふ。左右(ひだりみぎ)(くる)しう(おも)へど、かの御手習取(おほんてならひと)()でたり。さすがに、()りて()たまふ。かのもぬけを、いかに、伊勢(いせ)をの海人(あま)のしほなれてや、など(おも)ふもただならず、いとよろづに(みだ)れて。 とて、づかしめたまふ。ひだりみぎくるしうおもへど、かのおほんてならひとでたり。さすがに、りてたまふ。かのもぬけを、いかに、いせをのあまのしほなれてや、などおもふもただならず、いとよろづにみだれて。
031.5.12111102 西(にし)(きみ)も、もの()づかしき心地(ここち)してわたりたまひにけり。また()(ひと)もなきことなれば、人知(ひとし)れずうちながめてゐたり。小君(こぎみ)(わた)(あり)くにつけても、(むね)のみ(ふた)がれど、御消息(おほんせうそこ)もなし。あさましと(おも)()(かた)もなくて、されたる(こころ)に、ものあはれなるべし。 にしきみも、ものづかしきここちしてわたりたまひにけり。またひともなきことなれば、ひとしれずうちながめてゐたり。こぎみわたありくにつけても、むねのみふたがれど、おほんせうそこもなし。あさましとおもかたもなくて、されたるこころに、ものあはれなるべし。
031.5.13112103 つれなき(ひと)も、さこそしづむれ、いとあさはかにもあらぬ御気色(みけしき)を、ありしながらのわが()ならばと、()(かへ)すものならねど、(しの)びがたければ、この御畳紙(おほんたたうがみ)(かた)(かた)に、 つれなきひとも、さこそしづむれ、いとあさはかにもあらぬみけしきを、ありしながらのわがならばと、かへすものならねど、しのびがたければ、このおほんたたうがみかたかたに、
031.5.14113104 空蝉(うつせみ)()()(つゆ)木隠(こがく)れて<BR/>(しの)(しの)びに()るる(そで)かな」 "〔うつせみつゆこがくれて<BR/>しのしのびにるるそでかな〕