帖 | 章.段.行 | テキストLineNo | ローマ字LineNo | 本文 | ひらがな |
07 | 紅葉賀 |
07 | 1 | 65 | 45 | 第一章 藤壺の物語 源氏、藤壺の御前で青海波を舞う |
07 | 1.1 | 66 | 46 | 第一段 御前の試楽 |
07 | 1.1.1 | 67 | 47 |
朱雀院の行幸は、神無月の十日あまりなり。世の常ならず、おもしろかるべきたびのことなりければ、御方々、物見たまはぬことを口惜しがりたまふ。主上も、藤壺の見たまはざらむを、飽かず思さるれば、試楽を御前にて、せさせたまふ。 |
すじゃくゐんのぎゃうがうは、かんなづきのとをかあまりなり。よのつねならず、おもしろかるべきたびのことなりければ、おほんかたがた、ものみたまはぬことをくちをしがりたまふ。うへも、ふぢつぼのみたまはざらんを、あかずおぼさるれば、しがくをごぜんにて、せさせたまふ。 |
07 | 1.1.2 | 68 | 48 |
源氏中将は、青海波をぞ舞ひたまひける。片手には大殿の頭中将。容貌、用意、人にはことなるを、立ち並びては、なほ花のかたはらの深山木なり。 |
げんじのちゅうじゃうは、せいがいはをぞまひたまひける。かたてにはおほとののとうのちゅうじゃう。かたち、ようい、ひとにはことなるを、たちならびては、なほはなのかたはらのみやまぎなり。 |
07 | 1.1.3 | 69 | 49 |
入り方の日かげ、さやかにさしたるに、楽の声まさり、もののおもしろきほどに、同じ舞の足踏み、おももち、世に見えぬさまなり。詠などしたまへるは、「これや、仏の御迦陵頻伽の声ならむ」と聞こゆ。おもしろくあはれなるに、帝、涙を拭ひたまひ、上達部、親王たちも、みな泣きたまひぬ。詠はてて、袖うちなほしたまへるに、待ちとりたる楽のにぎははしきに、顔の色あひまさりて、常よりも光ると見えたまふ。 |
いりがたのひかげ、さやかにさしたるに、がくのこゑまさり、もののおもしろきほどに、おなじまひのあしぶみ、おももち、よにみえぬさまなり。えいなどしたまへるは、"これや、ほとけのおほんかれうびんがのこゑならん"ときこゆ。おもしろくあはれなるに、みかど、なみだをのごひたまひ、かんだちめ、みこたちも、みななきたまひぬ。えいはてて、そでうちなほしたまへるに、まちとりたるがくのにぎははしきに、かほのいろあひまさりて、つねよりもひかるとみえたまふ。 |
07 | 1.1.4 | 70 | 50 |
春宮の女御、かくめでたきにつけても、ただならず思して、「神など、空にめでつべき容貌かな。うたてゆゆし」とのたまふを、若き女房などは、心憂しと耳とどめけり。藤壺は、「おほけなき心のなからましかば、ましてめでたく見えまし」と思すに、夢の心地なむしたまひける。 |
とうぐうのにょうご、かくめでたきにつけても、ただならずおぼして、"かみなど、そらにめでつべきかたちかな。うたてゆゆし。"とのたまふを、わかきにょうぼうなどは、こころうしとみみとどめけり。ふぢつぼは、"おほけなきこころのなからましかば、ましてめでたくみえまし。"とおぼすに、ゆめのここちなんしたまひける。 |
07 | 1.1.5 | 71 | 51 |
宮は、やがて御宿直なりけり。 |
みやは、やがておほんとのゐなりけり。 |
07 | 1.1.6 | 72 | 52 |
「今日の試楽は、青海波に事みな尽きぬな。いかが見たまひつる」 |
"けふのしがくは、せいがいはにことみなつきぬな。いかがみたまひつる。" |
07 | 1.1.7 | 73 | 53 |
と、聞こえたまへば、あいなう、御いらへ聞こえにくくて、 |
と、きこえたまへば、あいなう、おほんいらへきこえにくくて、 |
07 | 1.1.8 | 74 | 54 |
「殊にはべりつ」とばかり聞こえたまふ。 |
"ことにはべりつ。"とばかりきこえたまふ。 |
07 | 1.1.9 | 75 | 55 |
「片手もけしうはあらずこそ見えつれ。舞のさま、手づかひなむ、家の子は殊なる。この世に名を得たる舞の男どもも、げにいとかしこけれど、ここしうなまめいたる筋を、えなむ見せぬ。試みの日、かく尽くしつれば、紅葉の蔭やさうざうしくと思へど、見せたてまつらむの心にて、用意せさせつる」など聞こえたまふ。 |
"かたてもけしうはあらずこそみえつれ。まひのさま、てづかひなん、いへのこはことなる。このよになをえたるまひのをのこどもも、げにいとかしこけれど、ここしうなまめいたるすぢを、えなんみせぬ。こころみのひ、かくつくしつれば、もみぢのかげやさうざうしくとおもへど、みせたてまつらんのこころにて、よういせさせつる。"などきこえたまふ。 |
07 | 1.2 | 76 | 56 | 第二段 試楽の翌日、源氏藤壺と和歌を贈答 |
07 | 1.2.1 | 77 | 57 |
つとめて、中将君、 |
つとめて、ちゅうじゃうのきみ、 |
07 | 1.2.2 | 78 | 58 |
「いかに御覧じけむ。世に知らぬ乱り心地ながらこそ。 |
"いかにごらんじけん。よにしらぬみだりごこちながらこそ。 |
07 | 1.2.3 | 79 | 59 |
もの思ふに立ち舞ふべくもあらぬ身の<BR/>袖うち振りし心知りきや |
ものおもふにたちまふべくもあらぬみの<BR/>そでうちふりしこころしりきや |
07 | 1.2.4 | 80 | 60 |
あなかしこ」 |
あなかしこ。" |
07 | 1.2.5 | 81 | 61 |
とある御返り、目もあやなりし御さま、容貌に、見たまひ忍ばれずやありけむ、 |
とあるおほんかへり、めもあやなりしおほんさま、かたちに、みたまひしのばれずやありけん、 |
07 | 1.2.6 | 82 | 62 |
「唐人の袖振ることは遠けれど<BR/>立ち居につけてあはれとは見き |
"〔からひとのそでふることはとほけれど<BR/>たちゐにつけてあはれとはみき |
07 | 1.2.7 | 83 | 63 |
大方には」 |
おほかたには。" |
07 | 1.2.8 | 84 | 64 |
とあるを、限りなうめづらしう、「かやうの方さへ、たどたどしからず、ひとの朝廷まで思ほしやれる御后言葉の、かねても」と、ほほ笑まれて、持経のやうにひき広げて見ゐたまへり。 |
とあるを、かぎりなうめづらしう、"かやうのかたさへ、たどたどしからず、ひとのみかどまでおもほしやれるおほんきさきことばの、かねても。"と、ほほゑまれて、ぢきゃうのやうにひきひろげてみゐたまへり。 |
07 | 1.3 | 85 | 65 | 第三段 十月十余日、朱雀院へ行幸 |
07 | 1.3.1 | 86 | 66 |
行幸には、親王たちなど、世に残る人なく仕うまつりたまへり。春宮もおはします。例の、楽の舟ども漕ぎめぐりて、唐土、高麗と、尽くしたる舞ども、種多かり。楽の声、鼓の音、世を響かす。 |
ぎゃうがうには、みこたちなど、よにのこるひとなくつかうまつりたまへり。とうぐうもおはします。れいの、がくのふねどもこぎめぐりて、もろこし、こまと、つくしたるまひども、くさおほかり。がくのこゑ、つづみのおと、よをひびかす。 |
07 | 1.3.2 | 87 | 67 |
一日の源氏の御夕影、ゆゆしう思されて、御誦経など所々にせさせたまふを、聞く人もことわりとあはれがり聞こゆるに、春宮の女御は、あながちなりと、憎みきこえたまふ。 |
ひとひのげんじのおほんゆふかげ、ゆゆしうおぼされて、みじゅきゃうなどところどころにせさせたまふを、きくひともことわりとあはれがりきこゆるに、とうぐうのにょうごは、あながちなりと、にくみきこえたまふ。 |
07 | 1.3.3 | 88 | 68 |
垣代など、殿上人、地下も、心殊なりと世人に思はれたる有職の限りととのへさせたまへり。宰相二人、左衛門督、右衛門督、左右の楽のこと行ふ。舞の師どもなど、世になべてならぬを取りつつ、おのおの籠りゐてなむ習ひける。 |
かいしろなど、てんじゃうびと、ぢげも、こころことなりとよひとにおもはれたるいうそくのかぎりととのへさせたまへり。さいしゃうふたり、さゑもんのかみ、うゑもんのかみ、ひだりみぎのがくのことおこなふ。まひのしどもなど、よになべてならぬをとりつつ、おのおのこもりゐてなんならひける。 |
07 | 1.3.4 | 89 | 70 |
木高き紅葉の蔭に、四十人の垣代、言ひ知らず吹き立てたる物の音どもにあひたる松風、まことの深山おろしと聞こえて吹きまよひ、色々に散り交ふ木の葉のなかより、青海波のかかやき出でたるさま、いと恐ろしきまで見ゆ。かざしの紅葉いたう散り過ぎて、顔のにほひにけおされたる心地すれば、御前なる菊を折りて、左大将さし替へたまふ。 |
こだかきもみぢのかげに、よそびとのかいしろ、いひしらずふきたてたるもののねどもにあひたるまつかぜ、まことのみやまおろしときこえてふきまよひ、いろいろにちりかふこのはのなかより、せいがいはのかかやきいでたるさま、いとおそろしきまでみゆ。かざしのもみぢいたうちりすぎて、かほのにほひにけおされたるここちすれば、おまへなるきくををりて、さだいしゃうさしかへたまふ。 |
07 | 1.3.5 | 90 | 71 |
日暮れかかるほどに、けしきばかりうちしぐれて、空のけしきさへ見知り顔なるに、さるいみじき姿に、菊の色々移ろひ、えならぬをかざして、今日はまたなき手を尽くしたる入綾のほど、そぞろ寒く、この世のことともおぼえず。もの見知るまじき下人などの、木のもと、岩隠れ、山の木の葉に埋もれたるさへ、すこしものの心知るは涙落としけり。 |
ひくれかかるほどに、けしきばかりうちしぐれて、そらのけしきさへみしりがほなるに、さるいみじきすがたに、きくのいろいろうつろひ、えならぬをかざして、けふはまたなきてをつくしたるいりあやのほど、そぞろさむく、このよのことともおぼえず。ものみしるまじきしもびとなどの、このもと、いはがくれ、やまのこのはにうづもれたるさへ、すこしもののこころしるはなみだおとしけり。 |
07 | 1.3.6 | 91 | 72 |
承香殿の御腹の四の御子、まだ童にて、秋風楽舞ひたまへるなむ、さしつぎの見物なりける。これらにおもしろさの尽きにければ、こと事に目も移らず、かへりてはことざましにやありけむ。 |
しょうきゃうでんのおほんはらのしのみこ、まだわらはにて、しうふうらくまひたまへるなん、さしつぎのみものなりける。これらにおもしろさのつきにければ、ことごとにめもうつらず、かへりてはことざましにやありけん。 |
07 | 1.3.7 | 92 | 73 |
その夜、源氏中将、正三位したまふ。頭中将、正下の加階したまふ。上達部は、皆さるべき限りよろこびしたまふも、この君にひかれたまへるなれば、人の目をもおどろかし、心をもよろこばせたまふ、昔の世ゆかしげなり。 |
そのよ、げんじのちゅうじゃう、じゃうざんゐしたまふ。とうのちうじゃう、じゃうげのかかいしたまふ。かんだちめは、みなさるべきかぎりよろこびしたまふも、このきみにひかれたまへるなれば、ひとのめをもおどろかし、こころをもよろこばせたまふ、むかしのよゆかしげなり。 |
07 | 1.4 | 93 | 74 | 第四段 葵の上、源氏の態度を不快に思う |
07 | 1.4.1 | 94 | 75 |
宮は、そのころまかでたまひぬれば、例の、隙もやとうかがひありきたまふをことにて、大殿には騒がれたまふ。いとど、かの若草たづね取りたまひてしを、「二条院には人迎へたまふなり」と人の聞こえければ、いと心づきなしと思いたり。 |
みやは、そのころまかでたまひぬれば、れいの、ひまもやとうかがひありきたまふをことにて、おほいどのにはさわがれたまふ。いとど、かのわかくさたづねとりたまひてしを、"にでうのゐんにはひとむかへたまふなり。"とひとのきこえければ、いとこころづきなしとおぼいたり。 |
07 | 1.4.2 | 95 | 76 |
「うちうちのありさまは知りたまはず、さも思さむはことわりなれど、心うつくしく、例の人のやうに怨みのたまはば、我もうらなくうち語りて、慰めきこえてむものを、思はずにのみとりないたまふ心づきなさに、さもあるまじきすさびごとも出で来るぞかし。人の御ありさまの、かたほに、そのことの飽かぬとおぼゆる疵もなし。人よりさきに見たてまつりそめてしかば、あはれにやむごとなく思ひきこゆる心をも、知りたまはぬほどこそあらめ、つひには思し直されなむ」と、「おだしく軽々しからぬ御心のほども、おのづから」と、頼まるる方はことなりけり。 |
"うちうちのありさまはしりたまはず、さもおぼさんはことわりなれど、こころうつくしく、れいのひとのやうにうらみのたまはば、われもうらなくうちかたりて、なぐさめきこえてんものを、おもはずにのみとりないたまふこころづきなさに、さもあるまじきすさびごともいでくるぞかし。ひとのおほんありさまの、かたほに、そのことのあかぬとおぼゆるきずもなし。ひとよりさきにみたてまつりそめてしかば、あはれにやんごとなくおもひきこゆるこころをも、しりたまはぬほどこそあらめ、つひにはおぼしなほされなん。"と、"おだしくかるがるしからぬみこころのほども、おのづから。"と、たのまるるかたはことなりけり。 |
07 | 2 | 96 | 77 | 第二章 紫の物語 源氏、紫の君に心慰める |
07 | 2.1 | 97 | 78 | 第一段 紫の君、源氏を慕う |
07 | 2.1.1 | 98 | 79 |
幼き人は、見ついたまふままに、いとよき心ざま、容貌にて、何心もなくむつれまとはしきこえたまふ。「しばし、殿の内の人にも誰れと知らせじ」と思して、なほ離れたる対に、御しつらひ二なくして、我も明け暮れ入りおはして、よろづの御ことどもを教へきこえたまひ、手本書きて習はせなどしつつ、ただほかなりける御むすめを迎へたまへらむやうにぞ思したる。 |
をさなきひとは、みついたまふままに、いとよきこころざま、かたちにて、なにごころもなくむつれまとはしきこえたまふ。"しばし、とののうちのひとにもたれとしらせじ。"とおぼして、なほはなれたるたいに、おほんしつらひになくして、われもあけくれいりおはして、よろづのおほんことどもををしへきこえたまひ、てほんかきてならはせなどしつつ、ただほかなりけるおほんむすめをむかへたまへらんやうにぞおぼしたる。 |
07 | 2.1.2 | 99 | 80 |
政所、家司などをはじめ、ことに分かちて、心もとなからず仕うまつらせたまふ。惟光よりほかの人は、おぼつかなくのみ思ひきこえたり。かの父宮も、え知りきこえたまはざりけり。 |
まんどころ、けいしなどをはじめ、ことにわかちて、こころもとなからずつかうまつらせたまふ。これみつよりほかのひとは、おぼつかなくのみおもひきこえたり。かのちちみやも、えしりきこえたまはざりけり。 |
07 | 2.1.3 | 100 | 81 |
姫君は、なほ時々思ひ出できこえたまふ時、尼君を恋ひきこえたまふ折多かり。君のおはするほどは、紛らはしたまふを、夜などは、時々こそ泊まりたまへ、ここかしこの御いとまなくて、暮るれば出でたまふを、慕ひきこえたまふ折などあるを、いとらうたく思ひきこえたまへり。 |
ひめぎみは、なほときどきおもひいできこえたまふとき、あまぎみをこひきこえたまふをりおほかり。きみのおはするほどは、まぎらはしたまふを、よるなどは、ときどきこそとまりたまへ、ここかしこのおほんいとまなくて、くるればいでたまふを、したひきこえたまふをりなどあるを、いとらうたくおもひきこえたまへり。 |
07 | 2.1.4 | 101 | 82 |
二、三日内裏にさぶらひ、大殿にもおはする折は、いといたく屈しなどしたまへば、心苦しうて、母なき子持たらむ心地して、歩きも静心なくおぼえたまふ。僧都は、かくなむ、と聞きたまひて、あやしきものから、うれしとなむ思ほしける。かの御法事などしたまふにも、いかめしうとぶらひきこえたまへり。 |
に、さんにちうちにさぶらひ、おほとのにもおはするをりは、いといたくくしなどしたまへば、こころぐるしうて、ははなきこもたらんここちして、ありきもしづごころなくおぼえたまふ。そうづは、かくなん、とききたまひて、あやしきものから、うれしとなんおもほしける。かのおほんほふじなどしたまふにも、いかめしうとぶらひきこえたまへり。 |
07 | 2.2 | 102 | 83 | 第二段 藤壺の三条宮邸に見舞う |
07 | 2.2.1 | 103 | 84 |
藤壺のまかでたまへる三条の宮に、御ありさまもゆかしうて、参りたまへれば、命婦、中納言の君、中務などやうの人びと対面したり。「けざやかにももてなしたまふかな」と、やすからず思へど、しづめて、大方の御物語聞こえたまふほどに、兵部卿宮参りたまへり。 |
ふぢつぼのまかでたまへるさんでうのみやに、おほんありさまもゆかしうて、まゐりたまへれば、みゃうぶ、ちゅうなごんのきみ、なかつかさなどやうのひとびとたいめしたり。"けざやかにももてなしたまふかな。"と、やすからずおもへど、しづめて、おほかたのおほんものがたりきこえたまふほどに、ひゃうぶきゃうのみやまゐりたまへり。 |
07 | 2.2.2 | 104 | 85 |
この君おはすと聞きたまひて、対面したまへり。いとよしあるさまして、色めかしうなよびたまへるを、「女にて見むはをかしかりぬべく」、人知れず見たてまつりたまふにも、かたがたむつましくおぼえたまひて、こまやかに御物語など聞こえたまふ。宮も、この御さまの常よりことになつかしううちとけたまへるを、「いとめでたし」と見たてまつりたまひて、婿になどは思し寄らで、「女にて見ばや」と、色めきたる御心には思ほす。 |
このきみおはすとききたまひて、たいめしたまへり。いとよしあるさまして、いろめかしうなよびたまへるを、"をんなにてみんはをかしかりぬべく"、ひとしれずみたてまつりたまふにも、かたがたむつましくおぼえたまひて、こまやかにおほんものがたりなどきこえたまふ。みやも、このおほんありさまのつねよりことになつかしううちとけたまへるを、"いとめでたし"とみたてまつりたまひて、むこになどはおぼしよらで、"をんなにてみばや"と、いろめきたるみこころにはおもほす。 |
07 | 2.2.3 | 105 | 86 |
暮れぬれば、御簾の内に入りたまふを、うらやましく、昔は、主上の御もてなしに、いとけ近く、人づてならで、ものをも聞こえたまひしを、こよなう疎みたまへるも、つらうおぼゆるぞわりなきや。 |
くれぬれば、みすのうちにいりたまふを、うらやましく、むかしは、うへのおほんもてなしに、いとけぢかく、ひとづてならで、ものをもきこえたまひしを、こよなううとみたまへるも、つらうおぼゆるぞわりなきや。 |
07 | 2.2.4 | 106 | 87 |
「しばしばもさぶらふべけれど、事ぞとはべらぬほどは、おのづからおこたりはべるを、さるべきことなどは、仰せ言もはべらむこそ、うれしく」 |
"しばしばもさぶらふべけれど、ことぞとはべらぬほどは、おのづからおこたりはべるを、さるべきことなどは、おほせごともはべらんこそ、うれしく。" |
07 | 2.2.5 | 107 | 88 |
など、すくすくしうて出でたまひぬ。命婦も、たばかりきこえむかたなく、宮の御けしきも、ありしよりは、いとど憂きふしに思しおきて、心とけぬ御けしきも、恥づかしくいとほしければ、何のしるしもなくて、過ぎゆく。「はかなの契りや」と思し乱るること、かたみに尽きせず。 |
など、すくすくしうていでたまひぬ。みゃうぶも、たばかりきこえんかたなく、みやのみけしきも、ありしよりは、いとどうきふしにおぼしおきて、こころとけぬみけしきも、はづかしくいとほしければ、なにのしるしもなくて、すぎゆく。"はかなのちぎりや。"とおぼしみだるること、かたみにつきせず。 |
07 | 2.3 | 108 | 89 | 第三段 故祖母君の服喪明ける |
07 | 2.3.1 | 109 | 90 |
少納言は、「おぼえずをかしき世を見るかな。これも、故尼上の、この御ことを思して、御行ひにも祈りきこえたまひし仏の御しるしにや」とおぼゆ。「大殿、いとやむごとなくておはします。ここかしこあまたかかづらひたまふをぞ、まことに大人びたまはむほどは、むつかしきこともや」とおぼえける。されど、かくとりわきたまへる御おぼえのほどは、いと頼もしげなりかし。 |
せうなごんは、"おぼえずをかしきよをみるかな。これも、こあまうへの、このおほんことをおぼして、おほんおこなひにもいのりきこえたまひしほとけのおほんしるしにや。"とおぼゆ。"おほいどの、いとやんごとなくておはします。ここかしこあまたかかづらひたまふをぞ、まことにおとなびたまはんほどは、むつかしきこともや。"とおぼえける。されど、かくとりわきたまへるおほんおぼえのほどは、いとたのもしげなりかし。 |
07 | 2.3.2 | 110 | 91 |
御服、母方は三月こそはとて、晦日には脱がせたてまつりたまふを、また親もなくて生ひ出でたまひしかば、まばゆき色にはあらで、紅、紫、山吹の地の限り織れる御小袿などを着たまへるさま、いみじう今めかしくをかしげなり。 |
おほんぶく、ははがたはみつきこそはとて、つごもりにはぬがせたてまつりたまふを、またおやもなくておひいでたまひしかば、まばゆきいろにはあらで、くれなゐ、むらさき、やまぶきのぢのかぎりおれるおほんこうちきなどをきたまへるさま、いみじういまめかしくをかしげなり。 |
07 | 2.4 | 111 | 92 | 第四段 新年を迎える |
07 | 2.4.1 | 112 | 93 |
男君は、朝拝に参りたまふとて、さしのぞきたまへり。 |
をとこぎみは、てうはいにまゐりたまふとて、さしのぞきたまへり。 |
07 | 2.4.2 | 113 | 95 |
「今日よりは、大人しくなりたまへりや」 |
"けふよりは、おとなしくなりたまへりや。" |
07 | 2.4.3 | 114 | 96 |
とて、うち笑みたまへる、いとめでたう愛敬づきたまへり。いつしか、雛をし据ゑて、そそきゐたまへる。三尺の御厨子一具に、品々しつらひ据ゑて、また小さき屋ども作り集めて、たてまつりたまへるを、ところせきまで遊びひろげたまへり。 |
とて、うちゑみたまへる、いとめでたうあいぎゃうづきたまへり。いつしか、ひひなをしすゑて、そそきゐたまへる。さんじゃくのみづしひとよろひに、しなじなしつらひすゑて、またちひさきやどもつくりあつめて、たてまつりたまへるを、ところせきまであそびひろげたまへり。 |
07 | 2.4.4 | 115 | 97 |
「儺やらふとて、犬君がこれをこぼちはべりにければ、つくろひはべるぞ」 |
"なやらふとて、いぬきがこれをこぼちはべりにければ、つくろひはべるぞ。" |
07 | 2.4.5 | 116 | 98 |
とて、いと大事と思いたり。 |
とて、いとだいじとおぼいたり。 |
07 | 2.4.6 | 117 | 99 |
「げに、いと心なき人のしわざにもはべるなるかな。今つくろはせはべらむ。今日は言忌して、な泣いたまひそ」 |
"げに、いとこころなきひとのしわざにもはべるなるかな。いまつくろはせはべらん。けふはこといみして、なないたまひそ。" |
07 | 2.4.7 | 118 | 100 |
とて、出でたまふけしき、ところせきを、人びと端に出でて見たてまつれば、姫君も立ち出でて見たてまつりたまひて、雛のなかの源氏の君つくろひ立てて、内裏に参らせなどしたまふ。 |
とて、いでたまふけしき、ところせきを、ひとびとはしにいでてみたてまつれば、ひめぎみもたちいでてみたてまつりたまひて、ひひなのなかのげんじのきみつくろひたてて、うちにまゐらせなどしたまふ。 |
07 | 2.4.8 | 119 | 101 |
「今年だにすこし大人びさせたまへ。十にあまりぬる人は、雛遊びは忌みはべるものを。かく御夫などまうけたてまつりたまひては、あるべかしうしめやかにてこそ、見えたてまつらせたまはめ。御髪参るほどをだに、もの憂くせさせたまふ」 |
"ことしだにすこしおとなびさせたまへ。とをにあまりぬるひとは、ひひなあそびはいみはべるものを。かくおほんをとこなどまうけたてまつりたまひては、あるべかしうしめやかにてこそ、みえたてまつらせたまはめ。みぐしまゐるほどをだに、ものうくせさせたまふ。" |
07 | 2.4.9 | 120 | 102 |
など、少納言聞こゆ。御遊びにのみ心入れたまへれば、恥づかしと思はせたてまつらむとて言へば、心のうちに、「我は、さは、夫まうけてけり。この人びとの夫とてあるは、醜くこそあれ。我はかくをかしげに若き人をも持たりけるかな」と、今ぞ思ほし知りける。さはいへど、御年の数添ふしるしなめりかし。かく幼き御けはひの、ことに触れてしるければ、殿のうちの人びとも、あやしと思ひけれど、いとかう世づかぬ御添臥ならむとは思はざりけり。 |
など、せうなごんきこゆ。おほんあそびにのみこころいれたまへれば、はづかしとおもはせたてまつらんとていへば、こころのうちに、"われは、さは、をとこまうけてけり。このひとびとのをとことてあるは、みにくくこそあれ。われはかくをかしげにわかきひとをももたりけるかな。"と、いまぞおもほししりける。さはいへど、おほんとしのかずそふしるしなめりかし。かくをさなきおほんけはひの、ことにふれてしるければ、とののうちのひとびとも、あやしとおもひけれど、いとかうよづかぬおほんそひぶしならんとはおもはざりけり。 |
07 | 3 | 121 | 103 | 第三章 藤壺の物語(二) 二月に男皇子を出産 |
07 | 3.1 | 122 | 104 | 第一段 左大臣邸に赴く |
07 | 3.1.1 | 123 | 105 |
内裏より大殿にまかでたまへれば、例のうるはしうよそほしき御さまにて、心うつくしき御けしきもなく、苦しければ、 |
うちよりおほいどのにまかでたまへれば、れいのうるはしうよそほしきおほんさまにて、こころうつくしきみけしきもなく、くるしければ、 |
07 | 3.1.2 | 124 | 106 |
「今年よりだに、すこし世づきて改めたまふ御心見えば、いかにうれしからむ」 |
"ことしよりだに、すこしよづきてあらためたまふみこころみえば、いかにうれしからん。" |
07 | 3.1.3 | 125 | 107 |
など聞こえたまへど、「わざと人据ゑて、かしづきたまふ」と聞きたまひしよりは、「やむごとなく思し定めたることにこそは」と、心のみ置かれて、いとど疎く恥づかしく思さるべし。しひて見知らぬやうにもてなして、乱れたる御けはひには、えしも心強からず、御いらへなどうち聞こえたまへるは、なほ人よりはいとことなり。 |
などきこえたまへど、"わざとひとすゑて、かしづきたまふ。"とききたまひしよりは、"やんごとなくおぼしさだめたることにこそは。"と、こころのみおかれて、いとどうとくはづかしくおぼさるべし。しひてみしらぬやうにもてなして、みだれたるおほんけはひには、えしもこころづよからず、おほんいらへなどうちきこえたまへるは、なほひとよりはいとことなり。 |
07 | 3.1.4 | 126 | 108 |
四年ばかりがこのかみにおはすれば、うち過ぐし、恥づかしげに、盛りにととのほりて見えたまふ。「何ごとかはこの人の飽かぬところはものしたまふ。我が心のあまりけしからぬすさびに、かく怨みられたてまつるぞかし」と、思し知らる。同じ大臣と聞こゆるなかにも、おぼえやむごとなくおはするが、宮腹に一人いつきかしづきたまふ御心おごり、いとこよなくて、「すこしもおろかなるをば、めざまし」と思ひきこえたまへるを、男君は、「などかいとさしも」と、ならはいたまふ、御心の隔てどもなるべし。 |
よとせばかりがこのかみにおはすれば、うちすぐし、はづかしげに、さかりにととのほりてみえたまふ。"なにごとかはこのひとのあかぬところはものしたまふ。わがこころのあまりけしからぬすさびに、かくうらみられたてまつるぞかし。"と、おぼししらる。おなじおとどときこゆるなかにも、おぼえやんごとなくおはするが、みやばらにひとりいつきかしづきたまふみこころおごり、いとこよなくて、"すこしもおろかなるをば、めざまし。"とおもひきこえたまへるを、をとこぎみは、"などかいとさしも"と、ならはいたまふ、みこころのへだてどもなるべし。 |
07 | 3.1.5 | 127 | 109 |
大臣も、かく頼もしげなき御心を、つらしと思ひきこえたまひながら、見たてまつりたまふ時は、恨みも忘れて、かしづきいとなみきこえたまふ。つとめて、出でたまふところにさしのぞきたまひて、御装束したまふに、名高き御帯、御手づから持たせてわたりたまひて、御衣のうしろひきつくろひなど、御沓を取らぬばかりにしたまふ、いとあはれなり。 |
おとども、かくたのもしげなきみこころを、つらしとおもひきこえたまひながら、みたてまつりたまふときは、うらみもわすれて、かしづきいとなみきこえたまふ。つとめて、いでたまふところにさしのぞきたまひて、おほんさうぞくしたまふに、なだかきおほんおび、おほんてづからもたせてわたりたまひて、おほんぞのうしろひきつくろひなど、おほんくつをとらぬばかりにしたまふ、いとあはれなり。 |
07 | 3.1.6 | 128 | 110 |
「これは、内宴などいふこともはべるなるを、さやうの折にこそ」 |
"これは、ないえんなどいふこともはべるなるを、さやうのをりにこそ。" |
07 | 3.1.7 | 129 | 111 |
など聞こえたまへば、 |
などきこえたまへば、 |
07 | 3.1.8 | 130 | 112 |
「それは、まされるもはべり。これはただ目馴れぬさまなればなむ」 |
"それは、まされるもはべり。これはただめなれぬさまなればなん。" |
07 | 3.1.9 | 131 | 113 |
とて、しひてささせたてまつりたまふ。げに、よろづにかしづき立てて見たてまつりたまふに、生けるかひあり、「たまさかにても、かからむ人を出だし入れて見むに、ますことあらじ」と見えたまふ。 |
とて、しひてささせたてまつりたまふ。げに、よろづにかしづきたててみたてまつりたまふに、いけるかひあり、"たまさかにても、かからんひとをいだしいれてみんに、ますことあらじ。"とみえたまふ。 |
07 | 3.2 | 132 | 114 | 第二段 二月十余日、藤壺に皇子誕生 |
07 | 3.2.1 | 133 | 115 |
参座しにとても、あまた所も歩きたまはず、内裏、春宮、一院ばかり、さては、藤壺の三条の宮にぞ参りたまへる。 |
さんざしにとても、あまたところもありきたまはず、うち、とうぐう、いちのゐんばかり、さては、ふぢつぼのさんでうのみやにぞまゐりたまへる。 |
07 | 3.2.2 | 134 | 116 |
「今日はまたことにも見えたまふかな」 |
"けふはまたことにもみえたまふかな。" |
07 | 3.2.3 | 135 | 117 |
「ねびたまふままに、ゆゆしきまでなりまさりたまふ御ありさまかな」 |
"ねびたまふままに、ゆゆしきまでなりまさりたまふおほんありさまかな。" |
07 | 3.2.4 | 136 | 118 |
と、人びとめできこゆるを、宮、几帳の隙より、ほの見たまふにつけても、思ほすことしげかりけり。 |
と、ひとびとめできこゆるを、みや、きちゃうのひまより、ほのみたまふにつけても、おもほすことしげかりけり。 |
07 | 3.2.5 | 137 | 119 |
この御ことの、師走も過ぎにしが、心もとなきに、この月はさりともと、宮人も待ちきこえ、内裏にも、さる御心まうけどもあり、つれなくて立ちぬ。「御もののけにや」と、世人も聞こえ騒ぐを、宮、いとわびしう、「このことにより、身のいたづらになりぬべきこと」と思し嘆くに、御心地もいと苦しくて悩みたまふ。 |
このおほんことの、しはすもすぎにしが、こころもとなきに、このつきはさりともと、みやびともまちきこえ、うちにも、さるみこころまうけどもあり、つれなくてたちぬ。"おほんもののけにや。"と、よひともきこえさわぐを、みや、いとわびしう、"このことにより、みのいたづらになりぬべきこと。"とおぼしなげくに、みここちもいとくるしくてなやみたまふ。 |
07 | 3.2.6 | 138 | 120 |
中将君は、いとど思ひあはせて、御修法など、さとはなくて所々にせさせたまふ。「世の中の定めなきにつけても、かくはかなくてや止みなむ」と、取り集めて嘆きたまふに、二月十余日のほどに、男御子生まれたまひぬれば、名残なく、内裏にも宮人も喜びきこえたまふ。 |
ちゅうじゃうのきみは、いとどおもひあはせて、みすほふなど、さとはなくてところどころにせさせたまふ。"よのなかのさだめなきにつけても、かくはかなくてややみなん。"と、とりあつめてなげきたまふに、にがつじふよにちのほどに、をとこみこむまれたまひぬれば、なごりなく、うちにもみやびともよろこびきこえたまふ。 |
07 | 3.2.7 | 139 | 121 |
「命長くも」と思ほすは心憂けれど、「弘徽殿などの、うけはしげにのたまふ」と聞きしを、「むなしく聞きなしたまはましかば、人笑はれにや」と思し強りてなむ、やうやうすこしづつさはやいたまひける。 |
"いのちながくも"とおもほすはこころうけれど、"こうきでんなどの、うけはしげにのたまふ。"とききしを、"むなしくききなしたまはましかば、ひとわらはれにや。"とおぼしつよりてなん、やうやうすこしづつさはやいたまひける。 |
07 | 3.2.8 | 140 | 122 |
主上の、いつしかとゆかしげに思し召したること、限りなし。かの、人知れぬ御心にも、いみじう心もとなくて、人まに参りたまひて、 |
うへの、いつしかとゆかしげにおぼしめしたること、かぎりなし。かの、ひとしれぬみこころにも、いみじうこころもとなくて、ひとまにまゐりたまひて、 |
07 | 3.2.9 | 141 | 123 |
「主上のおぼつかながりきこえさせたまふを、まづ見たてまつりて詳しく奏しはべらむ」 |
"うへのおぼつかながりきこえさせたまふを、まづみたてまつりてくはしくそうしはべらん。" |
07 | 3.2.10 | 142 | 124 |
と聞こえたまへど、 |
ときこえたまへど、 |
07 | 3.2.11 | 143 | 125 |
「むつかしげなるほどなれば」 |
"むつかしげなるほどなれば。" |
07 | 3.2.12 | 144 | 126 |
とて、見せたてまつりたまはぬも、ことわりなり。さるは、いとあさましう、めづらかなるまで写し取りたまへるさま、違ふべくもあらず。宮の、御心の鬼にいと苦しく、「人の見たてまつるも、あやしかりつるほどのあやまりを、まさに人の思ひとがめじや。さらぬはかなきことをだに、疵を求むる世に、いかなる名のつひに漏り出づべきにか」と思しつづくるに、身のみぞいと心憂き。 |
とて、みせたてまつりたまはぬも、ことわりなり。さるは、いとあさましう、めづらかなるまでうつしとりたまへるさま、たがふべくもあらず。みやの、みこころのおににいとくるしく、"ひとのみたてまつるも、あやしかりつるほどのあやまりを、まさにひとのおもひとがめじや。さらぬはかなきことをだに、きずをもとむるよに、いかなるなのつひにもりいづべきにか。"とおぼしつづくるに、みのみぞいとこころうき。 |
07 | 3.2.13 | 145 | 127 |
命婦の君に、たまさかに逢ひたまひて、いみじき言どもを尽くしたまへど、何のかひあるべきにもあらず。若宮の御ことを、わりなくおぼつかながりきこえたまへば、 |
みゃうぶのきみに、たまさかにあひたまひて、いみじきことどもをつくしたまへど、なにのかひあるべきにもあらず。わかみやのおほんことを、わりなくおぼつかながりきこえたまへば、 |
07 | 3.2.14 | 146 | 128 |
「など、かうしもあながちにのたまはすらむ。今、おのづから見たてまつらせたまひてむ」 |
"など、かうしもあながちにのたまはすらん。いま、おのづからみたてまつらせたまひてん。" |
07 | 3.2.15 | 147 | 129 |
と聞こえながら、思へるけしき、かたみにただならず。かたはらいたきことなれば、まほにもえのたまはで、 |
ときこえながら、おもへるけしき、かたみにただならず。かたはらいたきことなれば、まほにもえのたまはで、 |
07 | 3.2.16 | 148 | 130 |
「いかならむ世に、人づてならで、聞こえさせむ」 |
"いかならんよに、ひとづてならで、きこえさせん。" |
07 | 3.2.17 | 149 | 131 |
とて、泣いたまふさまぞ、心苦しき。 |
とて、ないたまふさまぞ、こころぐるしき。 |
07 | 3.2.18 | 150 | 132 |
「いかさまに昔結べる契りにて<BR/>この世にかかるなかの隔てぞ |
"〔いかさまにむかしむすべるちぎりにて<BR/>このよにかかるなかのへだてぞ |
07 | 3.2.19 | 151 | 133 |
かかることこそ心得がたけれ」 |
かかることこそこころえがたけれ。" |
07 | 3.2.20 | 152 | 134 |
とのたまふ。 |
とのたまふ。 |
07 | 3.2.21 | 153 | 135 |
命婦も、宮の思ほしたるさまなどを見たてまつるに、えはしたなうもさし放ちきこえず。 |
みゃうぶも、みやのおもほしたるさまなどをみたてまつるに、えはしたなうもさしはなちきこえず。 |
07 | 3.2.22 | 154 | 136 |
「見ても思ふ見ぬはたいかに嘆くらむ<BR/>こや世の人のまどふてふ闇 |
"〔みてもおもふみぬはたいかになげくらん<BR/>こやよのひとのまどふてふやみ |
07 | 3.2.23 | 155 | 137 |
あはれに、心ゆるびなき御ことどもかな」 |
あはれに、こころゆるびなきおほんことどもかな。" |
07 | 3.2.24 | 156 | 138 |
と、忍びて聞こえけり。 |
と、しのびてきこえけり。 |
07 | 3.2.25 | 157 | 139 |
かくのみ言ひやる方なくて、帰りたまふものから、人のもの言ひもわづらはしきを、わりなきことにのたまはせ思して、命婦をも、昔おぼいたりしやうにも、うちとけむつびたまはず。人目立つまじく、なだらかにもてなしたまふものから、心づきなしと思す時もあるべきを、いとわびしく思ひのほかなる心地すべし。 |
かくのみいひやるかたなくて、かへりたまふものから、ひとのものいひもわづらはしきを、わりなきことにのたまはせおぼして、みゃうぶをも、むかしおぼいたりしやうにも、うちとけむつびたまはず。ひとめたつまじく、なだらかにもてなしたまふものから、こころづきなしとおぼすときもあるべきを、いとわびしくおもひのほかなるここちすべし。 |
07 | 3.3 | 158 | 140 | 第三段 藤壺、皇子を伴って四月に宮中に戻る |
07 | 3.3.1 | 159 | 141 |
四月に内裏へ参りたまふ。ほどよりは大きにおよすけたまひて、やうやう起き返りなどしたまふ。あさましきまで、まぎれどころなき御顔つきを、思し寄らぬことにしあれば、「またならびなきどちは、げにかよひたまへるにこそは」と、思ほしけり。いみじう思ほしかしづくこと、限りなし。源氏の君を、限りなきものに思し召しながら、世の人のゆるしきこゆまじかりしによりて、坊にも据ゑたてまつらずなりにしを、飽かず口惜しう、ただ人にてかたじけなき御ありさま、容貌に、ねびもておはするを御覧ずるままに、心苦しく思し召すを、「かうやむごとなき御腹に、同じ光にてさし出でたまへれば、疵なき玉」と思しかしづくに、宮はいかなるにつけても、胸のひまなく、やすからずものを思ほす。 |
うづきにうちへまゐりたまふ。ほどよりはおほきにおよすけたまひて、やうやうおきかへりなどしたまふ。あさましきまで、まぎれどころなきおほんかほつきを、おぼしよらぬことにしあれば、"またならびなきどちは、げにかよひたまへるにこそは。"と、おもほしけり。いみじうおもほしかしづくこと、かぎりなし。げんじのきみを、かぎりなきものにおぼしめしながら、よのひとのゆるしきこゆまじかりしによりて、ばうにもすゑたてまつらずなりにしを、あかずくちをしう、ただうどにてかたじけなきおほんありさま、かたちに、ねびもておはするをごらんずるままに、こころぐるしくおぼしめすを、"かうやんごとなきおほんはらに、おなじひかりにてさしいでたまへれば、きずなきたま。"とおぼしかしづくに、みやはいかなるにつけても、むねのひまなく、やすからずものをおもほす。 |
07 | 3.3.2 | 160 | 142 |
例の、中将の君、こなたにて御遊びなどしたまふに、抱き出でたてまつらせたまひて、 |
れいの、ちうじゃうのきみ、こなたにておほんあそびなどしたまふに、いだきいでたてまつらせたまひて、 |
07 | 3.3.3 | 161 | 143 |
「御子たち、あまたあれど、そこをのみなむ、かかるほどより明け暮れ見し。されば、思ひわたさるるにやあらむ。いとよくこそおぼえたれ。いと小さきほどは、皆かくのみあるわざにやあらむ」 |
"みこたち、あまたあれど、そこをのみなん、かかるほどよりあけくれみし。されば、おもひわたさるるにやあらん。いとよくこそおぼえたれ。いとちひさきほどは、みなかくのみあるわざにやあらん。" |
07 | 3.3.4 | 162 | 144 |
とて、いみじくうつくしと思ひきこえさせたまへり。 |
とて、いみじくうつくしとおもひきこえさせたまへり。 |
07 | 3.3.5 | 163 | 145 |
中将の君、面の色変はる心地して、恐ろしうも、かたじけなくも、うれしくも、あはれにも、かたがた移ろふ心地して、涙落ちぬべし。もの語りなどして、うち笑みたまへるが、いとゆゆしううつくしきに、わが身ながら、これに似たらむはいみじういたはしうおぼえたまふぞ、あながちなるや。宮は、わりなくかたはらいたきに、汗も流れてぞおはしける。中将は、なかなかなる心地の、乱るやうなれば、まかでたまひぬ。 |
ちゅうじゃうのきみ、おもてのいろかはるここちして、おそろしうも、かたじけなくも、うれしくも、あはれにも、かたがたうつろふここちして、なみだおちぬべし。ものがたりなどして、うちゑみたまへるが、いとゆゆしううつくしきに、わがみながら、これににたらんはいみじういたはしうおぼえたまふぞ、あながちなるや。みやは、わりなくかたはらいたきに、あせもながれてぞおはしける。ちゅうじゃうは、なかなかなるここちの、みだるやうなれば、まかでたまひぬ。 |
07 | 3.3.6 | 164 | 146 |
わが御かたに臥したまひて、「胸のやるかたなきほど過ぐして、大殿へ」と思す。御前の前栽の、何となく青みわたれるなかに、常夏のはなやかに咲き出でたるを、折らせたまひて、命婦の君のもとに、書きたまふこと、多かるべし。 |
わがおほんかたにふしたまひて、"むねのやるかたなきほどすぐして、おほいどのへ。"とおぼす。おまへのせんさいの、なにとなくあをみわたれるなかに、とこなつのはなやかにさきいでたるを、をらせたまひて、みゃうぶのきみのもとに、かきたまふこと、おほかるべし。 |
07 | 3.3.7 | 165 | 147 |
「よそへつつ見るに心はなぐさまで<BR/>露けさまさる撫子の花 |
"〔よそへつつみるにこころはなぐさまで<BR/>つゆけさまさるなでしこのはな |
07 | 3.3.8 | 166 | 148 |
花に咲かなむ、と思ひたまへしも、かひなき世にはべりければ」 |
はなにさかなん、とおもひたまへしも、かひなきよにはべりければ。" |
07 | 3.3.9 | 167 | 150 |
とあり。さりぬべき隙にやありけむ、御覧ぜさせて、 |
とあり。さりぬべきひまにやありけん、ごらんぜさせて、 |
07 | 3.3.10 | 168 | 151 |
「ただ塵ばかり、この花びらに」 |
"ただちりばかり、このはなびらに。" |
07 | 3.3.11 | 169 | 152 |
と聞こゆるを、わが御心にも、ものいとあはれに思し知らるるほどにて、 |
ときこゆるを、わがみこころにも、ものいとあはれにおぼししらるるほどにて、 |
07 | 3.3.12 | 170 | 153 |
「袖濡るる露のゆかりと思ふにも<BR/>なほ疎まれぬ大和撫子」 |
"〔そでぬるるつゆのゆかりとおもふにも<BR/>なほうとまれぬやまとなでしこ〕" |
07 | 3.3.13 | 171 | 154 |
とばかり、ほのかに書きさしたるやうなるを、よろこびながらたてまつれる、「例のことなれば、しるしあらじかし」と、くづほれて眺め臥したまへるに、胸うち騒ぎて、いみじくうれしきにも涙落ちぬ。 |
とばかり、ほのかにかきさしたるやうなるを、よろこびながらたてまつれる、"れいのことなれば、しるしあらじかし。"と、くづほれてながめふしたまへるに、むねうちさわぎて、いみじくうれしきにもなみだおちぬ。 |
07 | 3.4 | 172 | 155 | 第四段 源氏、紫の君に心を慰める |
07 | 3.4.1 | 173 | 156 |
つくづくと臥したるにも、やるかたなき心地すれば、例の、慰めには西の対にぞ渡りたまふ。 |
つくづくとふしたるにも、やるかたなきここちすれば、れいの、なぐさめにはにしのたいにぞわたりたまふ。 |
07 | 3.4.2 | 174 | 157 |
しどけなくうちふくだみたまへる鬢ぐき、あざれたる袿姿にて、笛をなつかしう吹きすさびつつ、のぞきたまへれば、女君、ありつる花の露に濡れたる心地して、添ひ臥したまへるさま、うつくしうらうたげなり。愛敬こぼるるやうにて、おはしながらとくも渡りたまはぬ、なまうらめしかりければ、例ならず、背きたまへるなるべし。端の方についゐて、 |
しどけなくうちふくだみたまへるびんぐき、あざれたるうちきすがたにて、ふえをなつかしうふきすさびつつ、のぞきたまへれば、をんなぎみ、ありつるはなのつゆにぬれたるここちして、そひふしたまへるさま、うつくしうらうたげなり。あいぎゃうこぼるるやうにて、おはしながらとくもわたりたまはぬ、なまうらめしかりければ、れいならず、そむきたまへるなるべし。はしのかたについゐて、 |
07 | 3.4.3 | 175 | 158 |
「こちや」 |
"こちや。" |
07 | 3.4.4 | 176 | 159 |
とのたまへど、おどろかず、 |
とのたまへど、おどろかず、 |
07 | 3.4.5 | 177 | 160 |
「入りぬる磯の」 |
"いりぬるいその" |
07 | 3.4.6 | 178 | 161 |
と口ずさみて、口おほひしたまへるさま、いみじうされてうつくし。 |
とくちずさみて、くちおほひしたまへるさま、いみじうされてうつくし。 |
07 | 3.4.7 | 179 | 162 |
「あな、憎。かかること口馴れたまひにけりな。みるめに飽くは、まさなきことぞよ」 |
"あな、にく。かかることくちなれたまひにけりな。みるめにあくは、まさなきことぞよ。" |
07 | 3.4.8 | 180 | 163 |
とて、人召して、御琴取り寄せて弾かせたてまつりたまふ。 |
とて、ひとめして、おほんこととりよせてひかせたてまつりたまふ。 |
07 | 3.4.9 | 181 | 164 |
「箏の琴は、中の細緒の堪へがたきこそところせけれ」 |
"さうのことは、なかのほそをのたへがたきこそところせけれ。" |
07 | 3.4.10 | 182 | 165 |
とて、平調におしくだして調べたまふ。かき合はせばかり弾きて、さしやりたまへれば、え怨じ果てず、いとうつくしう弾きたまふ。 |
とて、ひゃうでうにおしくだしてしらべたまふ。かきあはせばかりひきて、さしやりたまへれば、えゑんじはてず、いとうつくしうひきたまふ。 |
07 | 3.4.11 | 183 | 166 |
小さき御ほどに、さしやりて、ゆしたまふ御手つき、いとうつくしければ、らうたしと思して、笛吹き鳴らしつつ教へたまふ。いとさとくて、かたき調子どもを、ただひとわたりに習ひとりたまふ。大方らうらうじうをかしき御心ばへを、「思ひしことかなふ」と思す。「保曾呂惧世利」といふものは、名は憎けれど、おもしろう吹きすさびたまへるに、かき合はせ、まだ若けれど、拍子違はず上手めきたり。 |
ちひさきおほんほどに、さしやりて、ゆしたまふおほんてつき、いとうつくしければ、らうたしとおぼして、ふえふきならしつつをしへたまふ。いとさとくて、かたきてうしどもを、ただひとわたりにならひとりたまふ。おほかたらうらうじうをかしきみこころばへを、"おもひしことかなふ。"とおぼす。'ほそろぐせり'といふものは、なはにくけれど、おもしろうふきすさびたまへるに、かきあはせ、まだわかけれど、はうしたがはずじゃうずめきたり。 |
07 | 3.4.12 | 184 | 167 |
大殿油参りて、絵どもなど御覧ずるに、「出でたまふべし」とありつれば、人びと声づくりきこえて、 |
おほとなぶらまゐりて、ゑどもなどごらんずるに、"いでたまふべし"とありつれば、ひとびとこわづくりきこえて、 |
07 | 3.4.13 | 185 | 168 |
「雨降りはべりぬべし」 |
"あめふりはべりぬべし。" |
07 | 3.4.14 | 186 | 169 |
など言ふに、姫君、例の、心細くて屈したまへり。絵も見さして、うつぶしておはすれば、いとらうたくて、御髪のいとめでたくこぼれかかりたるを、かき撫でて、 |
などいふに、ひめぎみ、れいの、こころぼそくてくしたまへり。ゑもみさして、うつぶしておはすれば、いとらうたくて、みぐしのいとめでたくこぼれかかりたるを、かきなでて、 |
07 | 3.4.15 | 187 | 170 |
「他なるほどは恋しくやある」 |
"ほかなるほどはこひしくやある。" |
07 | 3.4.16 | 188 | 171 |
とのたまへば、うなづきたまふ。 |
とのたまへば、うなづきたまふ。 |
07 | 3.4.17 | 189 | 172 |
「我も、一日も見たてまつらぬはいと苦しうこそあれど、幼くおはするほどは、心やすく思ひきこえて、まづ、くねくねしく怨むる人の心破らじと思ひて、むつかしければ、しばしかくもありくぞ。おとなしく見なしては、他へもさらに行くまじ。人の怨み負はじなど思ふも、世に長うありて、思ふさまに見えたてまつらむと思ふぞ」 |
"われも、ひとひもみたてまつらぬはいとくるしうこそあれど、をさなくおはするほどは、こころやすくおもひきこえて、まづ、くねくねしくうらむるひとのこころやぶらじとおもひて、むつかしければ、しばしかくもありくぞ。おとなしくみなしては、ほかへもさらにいくまじ。ひとのうらみおはじなどおもふも、よにながうありて、おもふさまにみえたてまつらんとおもふぞ。" |
07 | 3.4.18 | 190 | 173 |
など、こまごまと語らひきこえたまへば、さすがに恥づかしうて、ともかくもいらへきこえたまはず。やがて御膝に寄りかかりて、寝入りたまひぬれば、いと心苦しうて、 |
など、こまごまとかたらひきこえたまへば、さすがにはづかしうて、ともかくもいらへきこえたまはず。やがておほんひざによりかかりて、ねいりたまひぬれば、いとくるしうて、 |
07 | 3.4.19 | 191 | 174 |
「今宵は出でずなりぬ」 |
"こよひはいでずなりぬ。" |
07 | 3.4.20 | 192 | 175 |
とのたまへば、皆立ちて、御膳などこなたに参らせたり。姫君起こしたてまつりたまひて、 |
とのたまへば、みなたちて、おものなどこなたにまゐらせたり。ひめぎみおこしたてまつりたまひて、 |
07 | 3.4.21 | 193 | 176 |
「出でずなりぬ」 |
"いでずなりぬ。" |
07 | 3.4.22 | 194 | 177 |
と聞こえたまへば、慰みて起きたまへり。もろともにものなど参る。いとはかなげにすさびて、 |
ときこえたまへば、なぐさみておきたまへり。もろともにものなどまゐる。いとはかなげにすさびて、 |
07 | 3.4.23 | 195 | 178 |
「さらば、寝たまひねかし」 |
"さらば、ねたまひねかし。" |
07 | 3.4.24 | 196 | 179 |
と、危ふげに思ひたまへれば、かかるを見捨てては、いみじき道なりとも、おもむきがたくおぼえたまふ。 |
と、あやふげにおもひたまへれば、かかるをみすてては、いみじきみちなりとも、おもむきがたくおぼえたまふ。 |
07 | 3.4.25 | 197 | 180 |
かやうに、とどめられたまふ折々なども多かるを、おのづから漏り聞く人、大殿に聞こえければ、 |
かやうに、とどめられたまふをりをりなどもおほかるを、おのづからもりきくひと、おほいどのにきこえければ、 |
07 | 3.4.26 | 198 | 181 |
「誰れならむ。いとめざましきことにもあるかな」 |
"たれならん。いとめざましきことにもあるかな。" |
07 | 3.4.27 | 199 | 182 |
「今までその人とも聞こえず、さやうにまつはしたはぶれなどすらむは、あてやかに心にくき人にはあらじ」 |
"いままでそのひとともきこえず、さやうにまつはしたはぶれなどすらんは、あてやかにこころにくきひとにはあらじ。" |
07 | 3.4.28 | 200 | 183 |
「内裏わたりなどにて、はかなく見たまひけむ人を、ものめかしたまひて、人やとがめむと隠したまふななり。心なげにいはけて聞こゆるは」 |
"うちわたりなどにて、はかなくみたまひけんひとを、ものめかしたまひて、ひとやとがめんとかくしたまふななり。こころなげにいはけてきこゆるは。" |
07 | 3.4.29 | 201 | 184 |
など、さぶらふ人びとも聞こえあへり。 |
など、さぶらふひとびともきこえあへり。 |
07 | 3.4.30 | 202 | 185 |
内裏にも、かかる人ありと聞こし召して、 |
うちにも、かかるひとありときこしめして、 |
07 | 3.4.31 | 203 | 186 |
「いとほしく、大臣の思ひ嘆かるなることも、げに、ものげなかりしほどを、おほなおほなかくものしたる心を、さばかりのことたどらぬほどにはあらじを。などか情けなくはもてなすなるらむ」 |
"いとほしく、おとどのおもひなげかるなることも、げに、ものげなかりしほどを、おほなおほなかくものしたるこころを、さばかりのことたどらぬほどにはあらじを。などかなさけなくはもてなすなるらん。" |
07 | 3.4.32 | 204 | 187 |
と、のたまはすれど、かしこまりたるさまにて、御いらへも聞こえたまはねば、「心ゆかぬなめり」と、いとほしく思し召す。 |
と、のたまはすれど、かしこまりたるさまにて、おほんいらへもきこえたまはねば、"こころゆかぬなめり"と、いとほしくおぼしめす。 |
07 | 3.4.33 | 205 | 188 |
「さるは、好き好きしううち乱れて、この見ゆる女房にまれ、またこなたかなたの人びとなど、なべてならずなども見え聞こえざめるを、いかなるもののくまに隠れありきて、かく人にも怨みらるらむ」とのたまはす。 |
"さるは、すきずきしううちみだれて、このみゆるにょうばうにまれ、またこなたかなたのひとびとなど、なべてならずなどもみえきこえざめるを、いかなるもののくまにかくれありきて、かくひとにもうらみらるらん。"とのたまはす。 |
07 | 4 | 206 | 189 | 第四章 源典侍の物語 老女との好色事件 |
07 | 4.1 | 207 | 190 | 第一段 源典侍の風評 |
07 | 4.1.1 | 208 | 191 |
帝の御年、ねびさせたまひぬれど、かうやうの方、え過ぐさせたまはず、采女、女蔵人などをも、容貌、心あるをば、ことにもてはやし思し召したれば、よしある宮仕へ人多かるころなり。はかなきことをも言ひ触れたまふには、もて離るることもありがたきに、目馴るるにやあらむ、「げにぞ、あやしう好いたまはざめる」と、試みに戯れ事を聞こえかかりなどする折あれど、情けなからぬほどにうちいらへて、まことには乱れたまはぬを、「まめやかにさうざうし」と思ひきこゆる人もあり。 |
みかどのおほんとし、ねびさせたまひぬれど、かうやうのかた、えすぐさせたまはず、うねべ、にょくらうどなどをも、かたち、こころあるをば、ことにもてはやしおぼしめしたれば、よしあるみやづかへびとおほかるころなり。はかなきことをもいひふれたまふには、もてはなるることもありがたきに、めなるるにやあらん、"げにぞ、あやしうすいたまはざめる。"と、こころみにたはぶれごとをきこえかかりなどするをりあれど、なさけなからぬほどにうちいらへて、まことにはみだれたまはぬを、"まめやかにさうざうし"とおもひきこゆるひともあり。 |
07 | 4.1.2 | 209 | 192 |
年いたう老いたる典侍、人もやむごとなく、心ばせあり、あてに、おぼえ高くはありながら、いみじうあだめいたる心ざまにて、そなたには重からぬあるを、「かう、さだ過ぐるまで、などさしも乱るらむ」と、いぶかしくおぼえたまひければ、戯れ事言ひ触れて試みたまふに、似げなくも思はざりける。あさまし、と思しながら、さすがにかかるもをかしうて、ものなどのたまひてけれど、人の漏り聞かむも、古めかしきほどなれば、つれなくもてなしたまへるを、女は、いとつらしと思へり。 |
としいたうおいたるないしのすけ、ひともやんごとなく、こころばせあり、あてに、おぼえたかくはありながら、いみじうあだめいたるこころざまにて、そなたにはおもからぬあるを、"かう、さだすぐるまで、などさしもみだるらん。"と、いぶかしくおぼえたまひければ、たはぶれごといひふれてこころみたまふに、にげなくもおもはざりける。あさまし、とおぼしながら、さすがにかかるもをかしうて、ものなどのたまひてけれど、ひとのもりきかんも、ふるめかしきほどなれば、つれなくもてなしたまへるを、をんなは、いとつらしとおもへり。 |
07 | 4.2 | 210 | 193 | 第二段 源氏、源典侍と和歌を詠み交わす |
07 | 4.2.1 | 211 | 194 |
主上の御梳櫛にさぶらひけるを、果てにければ、主上は御袿の人召して出でさせたまひぬるほどに、また人もなくて、この内侍常よりもきよげに、様体、頭つきなまめきて、装束、ありさま、いとはなやかに好ましげに見ゆるを、「さも古りがたうも」と、心づきなく見たまふものから、「いかが思ふらむ」と、さすがに過ぐしがたくて、裳の裾を引きおどろかしたまへれば、かはぼりのえならず画きたるを、さし隠して見返りたるまみ、いたう見延べたれど、目皮らいたく黒み落ち入りて、いみじうはつれそそけたり。 |
うへのみけづりぐしにさぶらひけるを、はてにければ、うへはみうちきのひとめしていでさせたまひぬるほどに、またひともなくて、このないしつねよりもきよげに、やうだい、かしらつきなまめきて、さうぞく、ありさま、いとはなやかにこのましげにみゆるを、"さもふりがたうも。"と、こころづきなくみたまふものから、"いかがおもふらん。"と、さすがにすぐしがたくて、ものすそをひきおどろかしたまへれば、かはぼりのえならずゑがきたるを、さしかくしてみかへりたるまみ、いたうみのべたれど、まかはらいたくくろみおちいりて、いみじうはつれそそけたり。 |
07 | 4.2.2 | 212 | 196 |
「似つかはしからぬ扇のさまかな」と見たまひて、わが持たまへるに、さしかへて見たまへば、赤き紙の、うつるばかり色深きに、木高き森の画を塗り隠したり。片つ方に、手はいとさだ過ぎたれど、よしなからず、「森の下草老いぬれば」など書きすさびたるを、「ことしもあれ、うたての心ばへや」と笑まれながら、 |
"につかはしからぬあふぎのさまかな。"とみたまひて、わがもたまへるに、さしかへてみたまへば、あかきかみの、うつるばかりいろふかきに、こだかきもりのかたをぬりかくしたり。かたつかたに、てはいとさだすぎたれど、よしなからず、"もりのしたくさおいぬれば"などかきすさびたるを、"ことしもあれ、うたてのこころばへや。"とゑまれながら、 |
07 | 4.2.3 | 213 | 197 |
「森こそ夏の、と見ゆめる」 |
"もりこそなつの、とみゆめる。" |
07 | 4.2.4 | 214 | 198 |
とて、何くれとのたまふも、似げなく、人や見つけむと苦しきを、女はさも思ひたらず、 |
とて、なにくれとのたまふも、にげなく、ひとやみつけんとくるしきを、をんなはさもおもひたらず、 |
07 | 4.2.5 | 215 | 199 |
「君し来ば手なれの駒に刈り飼はむ<BR/>盛り過ぎたる下葉なりとも」 |
"〔きみしこばたなれのこまにかりかはん<BR/>さかりすぎたるしたばなりとも〕 |
07 | 4.2.6 | 216 | 200 |
と言ふさま、こよなく色めきたり。 |
といふさま、こよなくいろめきたり。 |
07 | 4.2.7 | 217 | 201 |
「笹分けば人やとがめむいつとなく<BR/>駒なつくめる森の木隠れ |
"〔ささわけばひとやとがめんいつとなく<BR/>こまなつくめるもりのこがくれ |
07 | 4.2.8 | 218 | 202 |
わづらはしさに」 |
わづらはしさに。" |
07 | 4.2.9 | 219 | 203 |
とて、立ちたまふを、ひかへて、 |
とて、たちたまふを、ひかへて、 |
07 | 4.2.10 | 220 | 204 |
「まだかかるものをこそ思ひはべらね。今さらなる、身の恥になむ」 |
"まだかかるものをこそおもひはべらね。いまさらなる、みのはぢになん。" |
07 | 4.2.11 | 221 | 205 |
とて泣くさま、いといみじ。 |
とてなくさま、いといみじ。 |
07 | 4.2.12 | 222 | 206 |
「いま、聞こえむ。思ひながらぞや」 |
"いま、きこえん。おもひながらぞや。" |
07 | 4.2.13 | 223 | 207 |
とて、引き放ちて出でたまふを、せめておよびて、「橋柱」と怨みかくるを、主上は御袿果てて、御障子より覗かせたまひけり。「似つかはしからぬあはひかな」と、いとをかしう思されて、 |
とて、ひきはなちていでたまふを、せめておよびて、"はしばしら"とうらみかくるを、うへはみうちきはてて、みさうじよりのぞかせたまひけり。"につかはしからぬあはひかな。"と、いとをかしうおぼされて、 |
07 | 4.2.14 | 224 | 208 |
「好き心なしと、常にもて悩むめるを、さはいへど、過ぐさざりけるは」 |
"すきごころなしと、つねにもてなやむめるを、さはいへど、すぐさざりけるは。" |
07 | 4.2.15 | 225 | 209 |
とて、笑はせたまへば、内侍は、なままばゆけれど、憎からぬ人ゆゑは、濡衣をだに着まほしがるたぐひもあなればにや、いたうもあらがひきこえさせず。 |
とて、わらはせたまへば、ないしは、なままばゆけれど、にくからぬひとゆゑは、ぬれぎぬをだにきまほしがるたぐひもあなればにや、いたうもあらがひきこえさせず。 |
07 | 4.2.16 | 226 | 210 |
人びとも、「思ひのほかなることかな」と、扱ふめるを、頭中将、聞きつけて、「至らぬ隈なき心にて、まだ思ひ寄らざりけるよ」と思ふに、尽きせぬ好み心も見まほしうなりにければ、語らひつきにけり。 |
ひとびとも、"おもひのほかなることかな。"と、あつかふめるを、とうのちゅうじゃう、ききつけて、"いたらぬくまなきこころにて、まだおもひよらざりけるよ。"とおもふに、つきせぬこのみごころもみまほしうなりにければ、かたらひつきにけり。 |
07 | 4.2.17 | 227 | 211 |
この君も、人よりはいとことなるを、「かのつれなき人の御慰めに」と思ひつれど、見まほしきは、限りありけるをとや。うたての好みや。 |
このきみも、ひとよりはいとことなるを、"かのつれなきひとのおほんなぐさめに"とおもひつれど、みまほしきは、かぎりありけるをとや。うたてのこのみや。 |
07 | 4.3 | 228 | 212 | 第三段 温明殿付近で密会中、頭中将に発見され脅される |
07 | 4.3.1 | 229 | 213 |
いたう忍ぶれば、源氏の君はえ知りたまはず。見つけきこえては、まづ怨みきこゆるを、齢のほどいとほしければ、慰めむと思せど、かなはぬもの憂さに、いと久しくなりにけるを、夕立して、名残涼しき宵のまぎれに、温明殿のわたりをたたずみありきたまへば、この内侍、琵琶をいとをかしう弾きゐたり。御前などにても、男方の御遊びに交じりなどして、ことにまさる人なき上手なれば、もの恨めしうおぼえける折から、いとあはれに聞こゆ。 |
いたうしのぶれば、げんじのきみはえしりたまはず。みつけきこえては、まづうらみきこゆるを、よはひのほどいとほしければ、なぐさめんとおぼせど、かなはぬものうさに、いとひさしくなりにけるを、ゆふだちして、なごりすずしきよひのまぎれに、うんめいでんのわたりをたたずみありきたまへば、このないし、びはをいとをかしうひきゐたり。おまへなどにても、をとこがたのおほんあそびにまじりなどして、ことにまさるひとなきじゃうずなれば、ものうらめしうおぼえけるものから、いとあはれにきこゆ。 |
07 | 4.3.2 | 230 | 214 |
「瓜作りになりやしなまし」 |
"うりつくりになりやしなまし。" |
07 | 4.3.3 | 231 | 215 |
と、声はいとをかしうて歌ふぞ、すこし心づきなき。「鄂州にありけむ昔の人も、かくやをかしかりけむ」と、耳とまりて聞きたまふ。弾きやみて、いといたう思ひ乱れたるけはひなり。君、「東屋」を忍びやかに歌ひて寄りたまへるに、 |
と、こゑはいとをかしうてうたふぞ、すこしこころづきなき。"がくしうにありけんむかしのひとも、かくやをかしかりけん。"と、みみとまりてききたまふ。ひきやみて、いといたうおもひみだれたるけはひなり。きみ、'あづまや'をしのびやかにうたひてよりたまへるに、 |
07 | 4.3.4 | 232 | 216 |
「押し開いて来ませ」 |
"おしひらいてきませ。" |
07 | 4.3.5 | 233 | 217 |
と、うち添へたるも、例に違ひたる心地ぞする。 |
と、うちそへたるも、れいにたがひたるここちぞする。 |
07 | 4.3.6 | 234 | 218 |
「立ち濡るる人しもあらじ東屋に<BR/>うたてもかかる雨そそきかな」 |
"〔たちぬるるひとしもあらじあづまやに<BR/>うたてもかかるあまそそきかな〕 |
07 | 4.3.7 | 235 | 219 |
と、うち嘆くを、我ひとりしも聞き負ふまじけれど、「うとましや、何ごとをかくまでは」と、おぼゆ。 |
と、うちなげくを、われひとりしもききおふまじけれど、"うとましや、なにごとをかくまでは。"と、おぼゆ。 |
07 | 4.3.8 | 236 | 220 |
「人妻はあなわづらはし東屋の<BR/>真屋のあまりも馴れじとぞ思ふ」 |
"〔ひとづまはあなわづらはしあづまやの<BR/>まやのあまりもなれじとぞおもふ〕 |
07 | 4.3.9 | 237 | 221 |
とて、うち過ぎなまほしけれど、「あまりはしたなくや」と思ひ返して、人に従へば、すこしはやりかなる戯れ言など言ひかはして、これもめづらしき心地ぞしたまふ。 |
とて、うちすぎなまほしけれど、"あまりはしたなくや。"とおもひかへして、ひとにしたがへば、すこしはやりかなるたはぶれごとなどいひかはして、これもめづらしきここちぞしたまふ。 |
07 | 4.3.10 | 238 | 222 |
頭中将は、この君のいたうまめだち過ぐして、常にもどきたまふがねたきを、つれなくてうちうち忍びたまふかたがた多かめるを、「いかで見あらはさむ」とのみ思ひわたるに、これを見つけたる心地、いとうれし。「かかる折に、すこし脅しきこえて、御心まどはして、懲りぬやと言はむ」と思ひて、たゆめきこゆ。 |
とうのちゅうじゃうは、このきみのいたうまめだちすぐして、つねにもどきたまふがねたきを、つれなくてうちうちしのびたまふかたがたおほかめるを、"いかでみあらはさん"とのみおもひわたるに、これをみつけたるここち、いとうれし。"かかるをりに、すこしおどしきこえて、みこころまどはして、こりぬやといはん。"とおもひて、たゆめきこゆ。 |
07 | 4.3.11 | 239 | 223 |
風ひややかにうち吹きて、やや更けゆくほどに、すこしまどろむにやと見ゆるけしきなれば、やをら入り来るに、君は、とけてしも寝たまはぬ心なれば、ふと聞きつけて、この中将とは思ひ寄らず、「なほ忘れがたくすなる修理大夫にこそあらめ」と思すに、おとなおとなしき人に、かく似げなきふるまひをして、見つけられむことは、恥づかしければ、 |
かぜひややかにうちふきて、ややふけゆくほどに、すこしまどろむにやとみゆるけしきなれば、やをらいりくるに、きみは、とけてしもねたまはぬこころなれば、ふとききつけて、このちゅうじゃうとはおもひよらず、"なほわすれがたくすなるすりのかみにこそあらめ。"とおぼすに、おとなおとなしきひとに、かくにげなきふるまひをして、みつけられんことは、はづかしければ、 |
07 | 4.3.12 | 240 | 224 |
「あな、わづらはし。出でなむよ。蜘蛛のふるまひは、しるかりつらむものを。心憂く、すかしたまひけるよ」 |
"あな、わづらはし。いでなんよ。くものふるまひは、しるかりつらんものを。こころうく、すかしたまひけるよ。" |
07 | 4.3.13 | 241 | 225 |
とて、直衣ばかりを取りて、屏風のうしろに入りたまひぬ。中将、をかしきを念じて、引きたてまつる屏風のもとに寄りて、ごほごほとたたみ寄せて、おどろおどろしく騒がすに、内侍は、ねびたれど、いたくよしばみなよびたる人の、先々もかやうにて、心動かす折々ありければ、ならひて、いみじく心あわたたしきにも、「この君をいかにしきこえぬるか」とわびしさに、ふるふふるふつとひかへたり。「誰れと知られで出でなばや」と思せど、しどけなき姿にて、冠などうちゆがめて走らむうしろで思ふに、「いとをこなるべし」と、思しやすらふ。 |
とて、なほしばかりをとりて、びゃうぶのうしろにいりたまひぬ。ちゅうじゃう、をかしきをねんじて、ひきたてまつるびゃうぶのもとによりて、ごほごほとたたみよせて、おどろおどろしくさわがすに、ないしは、ねびたれど、いたくよしばみなよびたるひとの、さきざきもかやうにて、こころうごかすをりをりありければ、ならひて、いみじくこころあわたたしきにも、"このきみをいかにしきこえぬるか。"とわびしさに、ふるふふるふつとひかへたり。"たれとしられでいでなばや。"とおぼせど、しどけなきすがたにて、かうぶりなどうちゆがめてはしらんうしろでおもふに、"いとをこなるべし。"と、おぼしやすらふ。 |
07 | 4.3.14 | 242 | 226 |
中将、「いかで我と知られきこえじ」と思ひて、ものも言はず、ただいみじう怒れるけしきにもてなして、太刀を引き抜けば、女、 |
ちゅうじゃう、"いかでわれとしられきこえじ。"とおもひて、ものもいはず、ただいみじういかれるけしきにもてなして、たちをひきぬけば、をんな、 |
07 | 4.3.15 | 243 | 227 |
「あが君、あが君」 |
"あがきみ、あがきみ。" |
07 | 4.3.16 | 244 | 229 |
と、向ひて手をするに、ほとほと笑ひぬべし。好ましう若やぎてもてなしたるうはべこそ、さてもありけれ、五十七、八の人の、うちとけてもの言ひ騒げるけはひ、えならぬ二十の若人たちの御なかにてもの怖ぢしたる、いとつきなし。かうあらぬさまにもてひがめて、恐ろしげなるけしきを見すれど、なかなかしるく見つけたまひて、「我と知りて、ことさらにするなりけり」と、をこになりぬ。「その人なめり」と見たまふに、いとをかしければ、太刀抜きたるかひなをとらへて、いといたうつみたまへれば、ねたきものから、え堪へで笑ひぬ。 |
と、むかひててをするに、ほとほとわらひぬべし。このましうわかやぎてもてなしたるうはべこそ、さてもありけれ、ごじふしち、はちのひとの、うちとけてものいひさわげるけはひ、えならぬはたちのわかうどたちのおほんなかにてものおぢしたる、いとつきなし。かうあらぬさまにもてひがめて、おそろしげなるけしきをみすれど、なかなかしるくみつけたまひて、"われとしりて、ことさらにするなりけり。"と、をこになりぬ。"そのひとなめり。"とみたまふに、いとをかしければ、たちぬきたるかひなをとらへて、いといたうつみたまへれば、ねたきものから、えたへでわらひたまひぬ。 |
07 | 4.3.17 | 245 | 230 |
「まことは、うつし心かとよ。戯れにくしや。いで、この直衣着む」 |
"まことは、うつしごころかとよ。たはぶれにくしや。いで、このなほしきん。" |
07 | 4.3.18 | 246 | 231 |
とのたまへど、つととらへて、さらに許しきこえず。 |
とのたまへど、つととらへて、さらにゆるしきこえず。 |
07 | 4.3.19 | 247 | 232 |
「さらば、もろともにこそ」 |
"さらば、もろともにこそ。" |
07 | 4.3.20 | 248 | 233 |
とて、中将の帯をひき解きて脱がせたまへば、脱がじとすまふを、とかくひきしろふほどに、ほころびはほろほろと絶えぬ。中将、 |
とて、ちゅうじゃうのおびをひきときてぬがせたまへば、ぬがじとすまふを、とかくひきしろふほどに、ほころびはほろほろとたえぬ。ちゅうじゃう、 |
07 | 4.3.21 | 249 | 234 |
「つつむめる名や漏り出でむ引きかはし<BR/>かくほころぶる中の衣に |
"〔つつむめるなやもりいでんひきかはし<BR/>かくほころぶるなかのころもに |
07 | 4.3.22 | 250 | 235 |
上に取り着ば、しるからむ」 |
うへにとりきば、しるからん。" |
07 | 4.3.23 | 251 | 236 |
と言ふ。君、 |
といふ。きみ、 |
07 | 4.3.24 | 252 | 237 |
「隠れなきものと知る知る夏衣<BR/>着たるを薄き心とぞ見る」 |
"〔かくれなきものとしるしるなつごろも<BR/>きたるをうすきこころとぞみる〕 |
07 | 4.3.25 | 253 | 238 |
と言ひかはして、うらやみなきしどけな姿に引きなされて、みな出でたまひぬ。 |
といひかはして、うらやみなきしどけなすがたにひきなされて、みないでたまひぬ。 |
07 | 4.4 | 254 | 239 | 第四段 翌日、源氏と頭中将と宮中で応酬しあう |
07 | 4.4.1 | 255 | 240 |
君は、「いと口惜しく見つけられぬること」と思ひ、臥したまへり。内侍は、あさましくおぼえければ、落ちとまれる御指貫、帯など、つとめてたてまつれり。 |
きみは、"いとくちをしくみつけられぬること。"とおもひ、ふしたまへり。ないしは、あさましくおぼえければ、おちとまれるおほんさしぬき、おびなど、つとめてたてまつれり。 |
07 | 4.4.2 | 256 | 241 |
「恨みてもいふかひぞなきたちかさね<BR/>引きてかへりし波のなごりに |
"〔うらみてもいふかひぞなきたちかさね<BR/>ひきてかへりしなみのなごりに |
07 | 4.4.3 | 257 | 242 |
底もあらはに」 |
そこもあらはに。" |
07 | 4.4.4 | 258 | 243 |
とあり。「面無のさまや」と見たまふも憎けれど、わりなしと思へりしもさすがにて、 |
とあり。"おもなのさまや。"とみたまふもにくけれど、わりなしとおもへりしもさすがにて、 |
07 | 4.4.5 | 259 | 244 |
「荒らだちし波に心は騒がねど<BR/>寄せけむ磯をいかが恨みぬ」 |
"〔あらだちしなみにこころはさわがねど<BR/>よせけんいそをいかがうらみぬ〕 |
07 | 4.4.6 | 260 | 245 |
とのみなむありける。帯は、中将のなりけり。わが御直衣よりは色深し、と見たまふに、端袖もなかりけり。 |
とのみなんありける。おびは、ちゅうじゃうのなりけり。わがおほんなほしよりはいろふかし、とみたまふに、はたそでもなかりけり。 |
07 | 4.4.7 | 261 | 246 |
「あやしのことどもや。おり立ちて乱るる人は、むべをこがましきことは多からむ」と、いとど御心をさめられたまふ。 |
"あやしのことどもや。おりたちてみだるるひとは、むべをこがましきことはおほからん。"と、いとどみこころをさめられたまふ。 |
07 | 4.4.8 | 262 | 247 |
中将、宿直所より、「これ、まづ綴ぢつけさせたまへ」とて、おし包みておこせたるを、「いかで取りつらむ」と、心やまし。「この帯を得ざらましかば」と思す。その色の紙に包みて、 |
ちゅうじゃう、とのゐどころより、"これ、まづとぢつけさせたまへ。"とて、おしつつみておこせたるを、"いかでとりつらん。"と、こころやまし。"このおびをえざらましかば。"とおぼす。そのいろのかみにつつみて、 |
07 | 4.4.9 | 263 | 248 |
「なか絶えばかことや負ふと危ふさに<BR/>はなだの帯を取りてだに見ず」 |
"〔なかたえばかことやおふとあやふさに<BR/>はなだのおびをとりてだにみず〕 |
07 | 4.4.10 | 264 | 249 |
とて、やりたまふ。立ち返り、 |
とて、やりたまふ。たちかへり、 |
07 | 4.4.11 | 265 | 250 |
「君にかく引き取られぬる帯なれば<BR/>かくて絶えぬるなかとかこたむ |
"〔きみにかくひきとられぬるおびなれば<BR/>かくてたえぬるなかとかこたん |
07 | 4.4.12 | 266 | 251 |
え逃れさせたまはじ」 |
えのがれさせたまはじ。" |
07 | 4.4.13 | 267 | 252 |
とあり。 |
とあり。 |
07 | 4.4.14 | 268 | 253 |
日たけて、おのおの殿上に参りたまへり。いと静かに、もの遠きさましておはするに、頭の君もいとをかしけれど、公事多く奏しくだす日にて、いとうるはしくすくよかなるを見るも、かたみにほほ笑まる。人まにさし寄りて、 |
ひたけて、おのおのてんじゃうにまゐりたまへり。いとしづかに、ものとほきさましておはするに、とうのきみもいとをかしけれど、おほやけごとおほくそうしくだすひにて、いとうるはしくすくよかなるをみるも、かたみにほほゑまる。ひとまにさしよりて、 |
07 | 4.4.15 | 269 | 254 |
「もの隠しは懲りぬらむかし」 |
"ものがくしはこりぬらんかし。" |
07 | 4.4.16 | 270 | 255 |
とて、いとねたげなるしり目なり。 |
とて、いとねたげなるしりめなり。 |
07 | 4.4.17 | 271 | 256 |
「などてか、さしもあらむ。立ちながら帰りけむ人こそ、いとほしけれ。まことは、憂しや、世の中よ」 |
"などてか、さしもあらん。たちながらかへりけんひとこそ、いとほしけれ。まことは、うしや、よのなかよ。" |
07 | 4.4.18 | 272 | 257 |
と言ひあはせて、「鳥籠の山なる」と、かたみに口がたむ。 |
といひあはせて、"とこのやまなる"と、かたみにくちがたむ。 |
07 | 4.4.19 | 273 | 258 |
さて、そののち、ともすればことのついでごとに、言ひ迎ふるくさはひなるを、いとどものむつかしき人ゆゑと、思し知るべし。女は、なほいと艶に怨みかくるを、わびしと思ひありきたまふ。 |
さて、そののち、ともすればことのついでごとに、いひむかふるくさはひなるを、いとどものむつかしきひとゆゑと、おぼししるべし。をんなは、なほいとえんにうらみかくるを、わびしとおもひありきたまふ。 |
07 | 4.4.20 | 274 | 259 |
中将は、妹の君にも聞こえ出でず、ただ、「さるべき折の脅しぐさにせむ」とぞ思ひける。やむごとなき御腹々の親王たちだに、主上の御もてなしのこよなきにわづらはしがりて、いとことにさりきこえたまへるを、この中将は、「さらにおし消たれきこえじ」と、はかなきことにつけても、思ひいどみきこえたまふ。 |
ちゅうじゃうは、いもうとのきみにもきこえいでず、ただ、"さるべきをりのおどしぐさにせん。"とぞおもひける。やんごとなきおほんはらばらのみこたちだに、うへのおほんもてなしのこよなきにわづらはしがりて、いとことにさりきこえたまへるを、このちゅうじゃうは、"さらにおしけたれきこえじ。"と、はかなきことにつけても、おもひいどみきこえたまふ。 |
07 | 4.4.21 | 275 | 260 |
この君一人ぞ、姫君の御一つ腹なりける。帝の御子といふばかりにこそあれ、我も、同じ大臣と聞こゆれど、御おぼえことなるが、皇女腹にてまたなくかしづかれたるは、何ばかり劣るべき際と、おぼえたまはぬなるべし。人がらも、あるべき限りととのひて、何ごともあらまほしく、たらひてぞものしたまひける。この御仲どもの挑みこそ、あやしかりしか。されど、うるさくてなむ。 |
このきみひとりぞ、ひめぎみのおほんひとつばらなりける。みかどのみこといふばかりにこそあれ、われも、おなじおとどときこゆれど、おほんおぼえことなるが、みこばらにてまたなくかしづかれたるは、なにばかりおとるべききはと、おぼえたまはぬなるべし。ひとがらも、あるべきかぎりととのひて、なにごともあらまほしく、たらひてぞものしたまひける。このおほんなかどものいどみこそ、あやしかりしか。されど、うるさくてなん。 |
07 | 5 | 276 | 261 | 第五章 藤壺の物語(三) 秋、藤壺は中宮、源氏は宰相となる |
07 | 5.1 | 277 | 262 | 第一段 七月に藤壺女御、中宮に立つ |
07 | 5.1.1 | 278 | 263 |
七月にぞ后ゐたまふめりし。源氏の君、宰相になりたまひぬ。帝、下りゐさせたまはむの御心づかひ近うなりて、この若宮を坊に、と思ひきこえさせたまふに、御後見したまふべき人おはせず。御母方の、みな親王たちにて、源氏の公事しりたまふ筋ならねば、母宮をだに動きなきさまにしおきたてまつりて、強りにと思すになむありける。 |
しちがちにぞきさきゐたまふめりし。げんじのきみ、さいしゃうになりたまひぬ。みかど、おりゐさせたまはんのみこころづかひちかうなりて、このわかみやをばうに、とおもひきこえさせたまふに、おほんうしろみしたまふべきひとおはせず。おほんははがたの、みなみこたちにて、げんじのおほやけごとしりたまふすぢならねば、ははみやをだにうごきなきさまにしおきたてまつりて、つよりにとおぼすになんありける。 |
07 | 5.1.2 | 279 | 264 |
弘徽殿、いとど御心動きたまふ、ことわりなり。されど、 |
こうきでん、いとどみこころうごきたまふ、ことわりなり。されど、 |
07 | 5.1.3 | 280 | 265 |
「春宮の御世、いと近うなりぬれば、疑ひなき御位なり。思ほしのどめよ」 |
"とうぐうのみよ、いとちかうなりぬれば、うたがひなきみくらゐなり。おもほしのどめよ。" |
07 | 5.1.4 | 281 | 266 |
とぞ聞こえさせたまひける。「げに、春宮の御母にて二十余年になりたまへる女御をおきたてまつりては、引き越したてまつりたまひがたきことなりかし」と、例の、やすからず世人も聞こえけり。 |
とぞきこえさせたまひける。"げに、とうぐうのおほんははにてにじふよねんになりたまへるにょうごをおきたてまつりては、ひきこしたてまつりたまひがたきことなりかし。"と、れいの、やすからずよひともきこえけり。 |
07 | 5.1.5 | 282 | 267 |
参りたまふ夜の御供に、宰相君も仕うまつりたまふ。同じ宮と聞こゆるなかにも、后腹の皇女、玉光りかかやきて、たぐひなき御おぼえにさへものしたまへば、人もいとことに思ひかしづききこえたり。まして、わりなき御心には、御輿のうちも思ひやられて、いとど及びなき心地したまふに、すずろはしきまでなむ。 |
まゐりたまふよのおほんともに、さいしゃうのきみもつかうまつりたまふ。おなじみやときこゆるなかにも、きさきばらのみこ、たまひかりかかやきて、たぐひなきおほんおぼえにさへものしたまへば、ひともいとことにおもひかしづききこえたり。まして、わりなきみこころには、みこしのうちもおもひやられて、いとどおよびなきここちしたまふに、すずろはしきまでなん。 |
07 | 5.1.6 | 283 | 268 |
「尽きもせぬ心の闇に暮るるかな<BR/>雲居に人を見るにつけても」 |
"〔つきもせぬこころのやみにくるるかな<BR/>くもゐにひとをみるにつけても〕 |
07 | 5.1.7 | 284 | 269 |
とのみ、独りごたれつつ、ものいとあはれなり。 |
とのみ、ひとりごたれつつ、ものいとあはれなり。 |
07 | 5.1.8 | 285 | 270 |
皇子は、およすけたまふ月日に従ひて、いと見たてまつり分きがたげなるを、宮、いと苦し、と思せど、思ひ寄る人なきなめりかし。げに、いかさまに作り変へてかは、劣らぬ御ありさまは、世に出でものしたまはまし。月日の光の空に通ひたるやうに、ぞ世人も思へる。 |
みこは、およすけたまふつきひにしたがひて、いとみたてまつりわきがたげなるを、みや、いとくるし、とおぼせど、おもひよるひとなきなめりかし。げに、いかさまにつくりかへてかは、おとらぬおほんありさまは、よにいでものしたまはまし。つきひのひかりのそらにかよひたるやうに、ぞよひともおもへる。 |